保存鉄道

2024年9月28日 (土)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に引き続き、ドイツ南部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

Blog_germany_heritagerail_s21
シュヴァルツヴァルト線ホルンベルクの
ライヘンバッハ高架橋 Reichenbachviadukt(2021年)
Photo by Joachim Lutz at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

Blog_germany_heritagerail_s02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

まずは市内・郊外電車の見どころについて。

項番4 ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫 Historisches Straßenbahndepot St. Peter

ニュルンベルク Nürnberg ~フュルト Fürth 間は、日本でいえば新橋~横浜間だ。1835年、バイエルン州中部の主要都市ニュルンベルクと、西に隣接するフュルトの町を結んでドイツ最初の鉄道、ルートヴィヒ鉄道 Ludwigseisenbahn が開通した。

それと並行して1881年には馬車軌道も敷かれる。これが後に電化されて、最盛期に73kmの路線網を拡げるニュルンベルク=フュルト路面軌道 Nürnberg-Fürther Straßenbahn に成長した。主要ルートは1972年以降、地下鉄 U-Bahn に置き換えられていったものの、現在も38kmの路線網を維持している。

路線縮小に伴い、不要となった市内東部のザンクト・ペーター車両基地 Betriebshof St. Peter で、1985年からニュルンベルク=フュルト路面軌道友の会 Freunde der Nürnberg-Fürther Straßenbahn が交通局と協力しながら、トラム博物館を運営している。

保存されている旧車両は計32両にのぼる。毎月第1土・日曜の開館で、当日は「15系統ブルク環状線 Linie 15 Burgringlinie」と称する古典電車の市内ツアーが1時間ごとに出発する。一般運行されない旧市街北側、ピルクハイマー通り Pirckheimerstraße の休止線も通過する興味深いコースだ。

これとは別に、中央駅 Hauptbahnhof 発着でシーズンの毎週月曜に催される「13系統市内環状運行 Linie 13 Stadtrundfahrten」というガイドツアーもある。わざわざ月曜日に走るのは、文化施設の休館日でも楽しめるように、という配慮だそうだ。

Blog_germany_heritagerail_s22
ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫のT4 200形(2019年)
Photo by Christian Mitschke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番26 シュトゥットガルト路面軌道博物館 Straßenbahnmuseum Stuttgart

路面軌道の保存運行では、シュトゥットガルトの取組みも注目に値する。この都市の路面軌道網はもともとメーターゲージで運行されていたが、1985年以降、標準軌のシュタットバーン(都市鉄道)Stadtbahn への転換が進められた。長年に及ぶ更新事業が完了し、路面電車の一般運行が全廃されたのは2007年のことだ。

転換は系統ごとに実施されたので、一時的にメーターゲージと標準軌の車両が同じ区間を共有することもあった。3線軌条とされたそうした区間が、全面転換後も一部残され、シュトゥットガルト路面軌道博物館の保存運行を可能にしている。

博物館は、市内バート・カンシュタット Bad Cannstatt の旧 車両基地にあり、2009年にオープンした。引退した路面車両35両が保存されていて、毎日曜にオールドタイマー線 Oldtimerlinie と称して、2本のルートで保存運行が行われる。

21系統「中心街循環 Innenstadtschleife」は、ミッテ Mitte と呼ばれる市内中心部を巡り、所要35分で博物館に戻ってくる。もう一つの23系統「パノラマ線 Panoramastrecke」は、北側から中心部に入り、最後はテレビ塔が建つ丘の上のルーバンク Ruhbank まで行く。こちらは片道で40分かかるが、後半は市街を見晴らしながら最大85‰の急坂をぐいぐい上るルートで、地下トンネルの多い21系統に比べ、車窓の爽快感が格段に違う。

Blog_germany_heritagerail_s23
3線軌条を走る200形、ブダペスト広場にて (2018年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番27 シュトゥットガルト・ラック鉄道 Zahnradbahn Stuttgart

シュトゥットガルトは北東側に出口を持つ靴箱形の地形で、中心街のある底の部分は狭い。そのため、市街地は周りを囲む丘の上に拡大してきた。この丘の斜面に最初に造られた鉄道が、1884年に開通したシュトゥットガルト・ラック鉄道だ。

もとは蒸気運転だが、1902年に電化されている。また後年、起点でルート変更、終点で延伸があり、現在は山麓のマリエン広場 Marienplatz から山上のデーガーロッホ Degerloch まで、延長2.2km。リッゲンバッハ式のラックレールを用いて、最大勾配178‰、標高差205mを上りきる。鋸歯を意味する「ツァッケ Zacke」が通称で、停留所の標識にもその名が記されている。

ドイツには、ここを含めてラック鉄道が4本残っている。他はすべて観光用の鉄道だが、ツァッケは、シュタットバーンや路線バスと同様、公共旅客輸送機関 SPNV の位置づけだ。10系統を名乗り、都市交通の一翼を担っているところに特色がある。

中心街からデーガーロッホへは、シュタットバーンでも行けるが、ラック鉄道の長所は、ラッシュ時でも自転車を携行できることだ。登山鉄道によくあるように台車が坂上側についていて、セルフサービスで自転車を固定する。車両の折返し時間の関係で、積載は上り坂に限定されているが、通勤通学やレジャーに、サイクリストにとって重宝する存在らしい。

Blog_germany_heritagerail_s24
台車をつけた第4世代車両(2022年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_germany_heritagerail_s25
自転車積載はセルフサービス(2022年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 トロッシンゲン鉄道 Trossinger Eisenbahn

電化路線でありながら一般旅客輸送は気動車が担い、架線を使うのは、ここを走行線にしている保存電車だけ、という珍しい路線がある。

バーデン・ヴュルテンベルク州南部、ロットヴァイル=フィリンゲン線 Bahnstrecke Rottweil–Villingen の中間にある接続駅トロッシンゲン・バーンホーフ(トロッシンゲン駅)Trossingen Bahnhof が起点で、ここから分岐して、市街地のトロッシンゲン・シュタット(トロッシンゲン市) Trossingen Stadt に至る3.9kmの支線、トロッシンゲン鉄道だ。

国鉄線に編入されたことはなく、1898年の開業以来、事実上トロッシンゲン市営で運行されてきた。さらに、開業当初から直流600Vの電気運転だったことも特筆される。段丘上の市街地に上るために最大35‰の勾配があり、市は初め、電力事業との併営で動力を供給していた。

現在、一般列車の運行は本線の列車運行事業者であるホーエンツォレルン州立鉄道 Hohenzollerische Landesbahn (HzL) に委託され、シュタッドラー製の連接気動車で賄われている。その一方、1898年製の2軸電動車など貴重な旧車も保存されており、イベントなどで運行される。

月1回の定例行事になっているのが、車両の錆取りを兼ねて行われる原則無料の「月光運行 Mondscheinfahrten」だ。夜の時間帯に両駅間を往復し、保存車両の車庫も公開される。暖かい電球色の照明が灯る客室のベンチに腰を下ろし、ひとときレトロな旅行気分に浸りたい。

Blog_germany_heritagerail_s26
一般運行時代のT3電車、トロッシンゲン駅にて(2003年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

次は、ライン地溝帯の東側に、南北約150kmにわたって続く山地シュヴァルツヴァルト(黒森の意)Schwarzwald にある観光路線について。

項番36 DB シュヴァルツヴァルト線 DB Schwarzwaldbahn

シュヴァルツヴァルト線は、ドイツを代表する標準軌の山岳路線だ。オッフェンブルク Offenburg から、シュヴァルツヴァルト中部を横断し、スイス国境に近いジンゲン Singen (Hohentwiel) まで149kmの長距離幹線になる(下注)。

*注 ドイツ鉄道DBは、さらにボーデン湖畔のコンスタンツ Konstanz までの区間を含めて、シュヴァルツヴァルト線と呼んでいる。

中でもハイライトと言えるのは、ハウザッハ Hausach~ザンクト・ゲオルゲン Sankt Georgen 間38.1kmだ。ライン川 Rhein 流域から大陸分水界を越えてドナウ川 Danau の最上流域に出るまでの区間で、最高地点は標高832m、麓との標高差は591mに及ぶ。全通したのは1871年。蒸機の登坂能力からすれば、勾配は20‰までに抑えたい。それで、険しい山中に、距離を引き延ばすための2か所のS字ループと39本のトンネルを伴う苦心のルートが造られた。

路線は1975年に交流電化されたので、今では電車や電気機関車が軽々と上っていく。そのかたわら、愛好家団体のツォレルン鉄道友の会 Eisenbahnfreunden Zollernbahn が年数回、このハイライト区間で蒸気列車を走らせている。先頭に立つのは動輪5軸の大型蒸機52形で、その力強い走りっぷりは非電化時代の活躍を彷彿とさせる。

また、中間駅のあるトリベルク Triberg には、上部ループの周辺を歩いて巡る「シュヴァルツヴァルト鉄道体験歩道 Schwarzwaldbahn-Erlebnispfad」も作られている。アップダウンの激しい山道だが、谷の中を折り返す線路や重厚な石積みの構造物をじっくり観察できるのがうれしい。

Blog_germany_heritagerail_s27
トリベルク駅(2004年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番39 DB へレンタール線 DB Höllentalbahn

ヘレンタール線 Höllentalbahn(下注)は、シュヴァルツヴァルト南部を東西に横断している路線だ。フライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau からドナウエッシンゲン Donaueschingen まで76.2km。これも名にし負う山岳路線で、途中の峠道に最大57.14‰の急勾配があり、1887年の開業当初はラックレールが使われていた。最高地点は標高893mに達し、起点フライブルクとの標高差は625mにもなる。

*注 同名の他路線と区別するためにヘレンタール線(シュヴァルツヴァルト)Höllentalbahn (Schwarzwald) と書かれることがある。

その急勾配は、ヒルシュシュプルング Hirschsprung という廃駅通過後に始まる。初めのうちは坂がきつくなったと感じる程度だが、一つ目のトンネルを抜けた後は、右側に見える谷がどんどん沈んでいく。ラヴェンナ川 Ravenna の峡谷を高い橋梁でまたいでからも、なおトンネルと坂道が連続する。高原に出ていくまでの約7km、乗車時間にして10分ほどが一番の見どころだ。

峠道を含むフライブルク~ノイシュタット Neustadt 間は1936年から電化されているが、需要の少ないノイシュタット以東は長らく非電化のままで、2003年以降は完全に系統分離されていた。2019年にようやく電化が完了し、現在はSバーンの電車がドナウエッシンゲンを経由してフィリンゲン Villingen まで直通している。

Blog_germany_heritagerail_s28
電化前のグータッハ高架橋を渡る611形気動車(2013年)
Photo by Stefan Karl at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番38 DB ドライゼーン(三湖)線 DB Dreiseenbahn

そのヘレンタール線のティティゼー駅で分岐して、ゼーブルック Seebrugg に至る19.2kmの支線は、ドライゼーン線と呼ばれている。ドライゼーン(3つの湖)Dreiseen というのは、ティティ湖 Titisee、ヴィントグフェルヴァイアー Windgfällweiher、シュルッフ湖 Schluchsee のことで、起点側から列車に乗ると、いずれも右の車窓に見える。沿線に大きな町はないので、乗っているのは主にレジャー客だ。休日のほうが乗車率が高い。

列車はS1系統で、フライブルク Freiburg 方面から直通している。ヘレンタール線内では、S11系統フィリンゲン行きの後ろに併結されて走る。ティティゼーで切り離され、20‰の勾配がある斜面を上っていく。サミットのフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental 駅は標高967mで、ドイツの標準軌鉄道では最高所の駅だ(下注)。ヴィントグフェルヴァイアーは池といっていい規模なので、見逃さないように。最後は、堰堤でかさ上げされたシュルッフ湖の水ぎわを走って、終点ゼーブルックに到着する。

*注 ちなみに狭軌で粘着運転の最高所駅は、ハルツ狭軌鉄道ブロッケン駅の標高1125m。ラック式を含めれば、後述するバイエルン・ツークシュピッツェ鉄道が最も高い。

ドライゼーン線では2008年から、夏の盛りに愛好家団体が観光列車を運行している。ゼーブルックとティティゼーの間を1日3往復、高原の涼風が通り抜ける古典客車で行く片道約45分の旅だ。団体は機関車を所有していないので、レンタル機で運行され、動力は蒸気、ディーゼル、電気いずれもありうる。

Blog_germany_heritagerail_s29
湖畔のシュルッフゼー駅(2010年)
Photo by Cayambe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_germany_heritagerail_s30
シュルッフ湖の入江を渡る58形の保存列車(2015年)
Photo by Maximilian Grieger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は、バイエルンの南縁に連なるアルプス山中のラック登山鉄道について。

項番18 バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道 Bayerische Zugspitzbahn

ドイツ最高峰、標高2962mのツークシュピッツェ Zugspitze は、石灰岩の肌がむき出しになった巨大な岩山だ。バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道は、DB線と連絡するガルミッシュ Garmisch から、グライナウ Grainau を経て山頂直下のツークシュピッツプラット Zugspitzplatt まで19.0km。そこから山頂へは、ロープウェー(下注)が連絡している。

*注 ロープウェーの名称は、ツークシュピッツェ氷河鉄道 Zugspitz-Gletscherbahn、長さ1000m、高低差360m。

ルートの性格は、前半と後半で全く異なる。ガルミッシュからグライナウまでの7.5kmは、山麓線(谷線)Talstrecke と呼ばれ、広い谷底を行く粘着運転の平坦線だ。一方、グライナウから先は登山線(山線)Bergstrecke で、最大250‰のラック区間を伴う。アイプ湖 Eibsee や山裾の眺めがすばらしいが、途中から素掘りのトンネルに突入し、ユングフラウ鉄道のように、標高2588mの終点までずっと地下を走る(下注)。

*注 終点駅は地上だが、発着ホームはドームにすっぽりと覆われている。

全通は1930年だが、山上側でルートに変遷がある。もとの終点は、シュネーフェルナー氷河 Schneeferner の北斜面にあるシュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus だった。スキー場へのアクセス改善のために、1987年に南側の現在地に移され、駅名も変更された。

ツークシュピッツェは、オーストリアとの国境に位置している。それで山頂への交通手段は、この鉄道のほかに、ロープウェーがドイツ側の山麓から1本と、オーストリア側からも1本ある。ドイツ側のロープウェーは鉄道と同じ運営会社なので、乗車券は共通だ。行きは鉄道でゆっくり上り、帰りは眺望のきくロープウェーで一気に下界へ(下注)、というのもいい選択になる。

*注 ロープウェーはアイプゼー Eibsee に降りるので、ガルミッシュへは再び鉄道に乗る必要がある。

Blog_germany_heritagerail_s31
アイプゼー駅の列車交換(2018年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番14 ヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn

もう一つのラック登山鉄道は、ヴェンデルシュタイン Wendelstein に上っていく。ここは標高1838mと取り立てて高い山ではないが、オーバーバイエルン Oberbayern の平原に近く、展望台として昔から人気があった。それでこの鉄道は、ツークシュピッツェ鉄道よりずっと前の1912 年に開通している。

もとはチロルに通じるDB幹線の途中駅ブランネンブルク Brannenburg が起点で、山上駅まで延長10.0kmの路線だった。しかし、村を横切っていた平坦区間が、道路交通に支障するとして、1961年に廃止されてしまった。以来、ヴァッヒング Waching という村はずれの駅がターミナルで、全国鉄道網とは接続がない7.7kmの孤立線になっている。

ヴァッヒング駅の前後はまだ平坦だが、まもなくシュトループ式のラック区間が始まる。いったん粘着式に戻って、待避線のあるアイプル Aipl 駅へ。しかし、ラックの坂道はまたすぐに復活する。ミッターアルム Mitteralm からは岩壁を貫くトンネルが連続し、勾配は最大237‰に達する。撮影ポイント「ホーエ・マウアー(高石垣)Hohe Mauer」を渡り、半回転すれば標高1723mの山上駅 Bergbahnhof だ。

山頂には、ツークシュピッツェと同様、ロープウェーが反対側の谷から上がってきている。片道登山鉄道、片道ロープウェーというコンビ乗車券を使えば、ロープウェーで山を降り、山麓でミュンヘン近郊線の電車に乗り継ぐ(下注1)という、一筆書きの周遊コースも可能だ。

*注1 RB55系統。最寄り駅は、徒歩7分のオスターホーフェン Osterhofen。
*注2 ヴェンデルシュタイン鉄道の詳細は「ヴェンデルシュタイン鉄道-バイエルンの展望台へ」参照。

Blog_germany_heritagerail_s32
ホーエ・マウアーを渡る(2013年)
Photo by Geogast at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年9月24日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ南部編では、バーデン・ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg とバイエルン州 Bayern にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

Blog_germany_heritagerail_s01
フランケン・スイス蒸気鉄道
ムッゲンドルフ駅の2号機関車(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

Blog_germany_heritagerail_s02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

バイエルン州にはさまざまな規模の鉄道博物館があるが、中でも次の2か所は、コレクションの充実度とともに、しばしば行われる館外走行で人気が高い。

項番2 ドイツ蒸気機関車博物館 Deutsches Dampflokomotiv-Museum

北東部オーバーフランケン Oberfranken 地方の田舎町に、1977年に開業したドイツ蒸気機関車博物館がある。15線収容の扇形機関庫が展示棟に開放され、月曜を除く毎日、訪問者を受け入れている。保有する車両コレクションも大規模で、機関車だけで、蒸機約30両を含め約60両に達するという。

博物館は、DB線ノイエンマルクト・ヴィルスベルク Neuenmarkt-Wirsberg 駅の構内にある。小さな町なのでふだんはひっそりしているが、バンベルク Bamberg、バイロイト Bayreuth、ホーフ Hof と3方向の列車が集散するジャンクションだ。東側のホーフ方面に長い上り坂、通称「シーフェ・エーベネ Schiefe Ebene(下注)」が控えていて、ここは、応援部隊である補助機関車の基地だった。

*注 シーフェ・エーベネは、傾斜面を意味する。バイエルンで最初に造られた急勾配線だったので、この名が定着した。

坂道ルートは、1848年に開通した「ルートヴィヒ南北鉄道 Ludwig-Süd-Nord-Bahn(下注)」の一部だ。ザクセンにつなげるために、ここからマイン川とエルベ川の分水界、ミュンヒベルク高原 Münchberger Hochfläche へ上っていく。最大25‰の勾配が6.8km続き、蒸機の勇壮な走行シーンを求める写真家には、昔から有名なスポットだ。

*注 バイエルンで最初に建設された長距離路線。リンダウ Lindau~アウクスブルク Augsburg~ニュルンベルク Nürnberg~バンベルク~ホーフ間566km。

博物館は、この坂道や周辺の路線で保有蒸機の特別運行を年数回行っていて、当日はカメラを手にした多くのファンが沿線に陣を敷く。

Blog_germany_heritagerail_s03
シーフェ・エーベネを上る急行用蒸機01.5形(2018年)
Photo by Stefan Hundhammer at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番11 ネルトリンゲン・バイエルン鉄道博物館 Bayerisches Eisenbahnmuseum Nördlingen

中西部、ロマンティック街道が通過する地方都市ネルトリンゲン Nördlingen には、バイエルン鉄道博物館がある。市壁が取り囲む町の東側、DB線の駅裏に広がる旧 車両基地を活用して、1985年に開館した。

敷地面積約3.5haの広い構内に、扇形機関庫を中心とした業務施設が保存・再現されている。保有車両は動力車、客貨車を含めて200両を超えるといい、南ドイツでは最大規模だ。そして前項のノイエンマルクトの博物館とは、同じ「ルートヴィヒ南北鉄道」の沿線という意外な共通項を持っている。

こちらも館外に走行線を確保していて、月に何回か、保有蒸機による列車運行がある。現在よく使われているのは、「南北鉄道」の一部だったネルトリンゲン~グンツェンハウゼン Gunzenhausen 間39.5kmだ。由緒あるルートだが、後に短絡線が建設されたため、一般旅客輸送は廃止されてしまった。貨物列車を除けば、「ゼーンラント・エクスプレス Seenland-Express」と称する博物館の列車しか走らない。

もう一つは「ドナウ・リース・エクスプレス Donau-Ries-Express」で、丘の上に建つ豪壮な古城で知られるハールブルク Harburg へ行くショートコースだ。かつてはロマンティック街道と並走するネルトリンゲン Nördlingen~ディンケルスビュール Dinkelsbühl ~ドンビュール Dombühl 間も走行線に名を連ねていたが、2018年を最後に運行が途絶えている。

Blog_germany_heritagerail_s04
博物館50周年記念行事(2019年)
Photo by Torsten Maue at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番17 アウクスブルク鉄道公園 Bahnpark Augsburg(アンマーゼー蒸気鉄道 Ammersee-Dampfbahn)

バイエルン南部、丘陵地に大小の湖が点在する五湖地方 Fünfseenland は、ミュンヘンやアウクスブルクの市民にとって身近なレクリエーションエリアになっている。その一角にあるアンマー湖(アンマーゼー)Ammersee へ向けて、アウクスブルク Augsburg から年数回、蒸機牽引の行楽列車「アンマーゼー蒸気鉄道」が走る。

企画しているのは、アウクスブルク鉄道公園(バーンパルク・アウクスブルク)。2008年にDBから移管されたアウクスブルクの旧 車両基地を拠点にしている鉄道博物館だ。扇形機関庫や修理工場が、展示施設として保存・活用されている。電化区間にあるため、庫内まで架線が張られ、ヨーロッパ各国の電気機関車コレクションが充実しているのが特色だ。

行楽列車は、博物館からいったん北へ出発する。アウクスブルク中央駅 Augsburg Hbf で客を拾った後、改めて南下していく。メーリング Mering からは、一般運行もしている支線アンマーゼー鉄道 Ammerseebahn を経由し、湖畔のリゾート町ウッティング Utting が終点だ。そこで1時間ほど機回し休憩をした後、同じ道を戻る。

列車は1日2往復設定されていて、午前出発便は帰着後に、午後出発便は出発の前に、それぞれ鉄道公園を自由見学できるようになっている。それよりも、静かな湖畔での半日を目いっぱい楽しみたいという人には、午前便で出かけて、午後便で戻るという選択肢も可能だ。

Blog_germany_heritagerail_s05
鉄道公園でのクロコダイル・ミーティング(2023年)
Photo by SirJannikSon at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_germany_heritagerail_s06
スコーンドルフ Scondorf 駅にさしかかる01形蒸機(2018年)
Photo by Stefan von Lossow at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

次は、専用の路線を走る蒸気保存鉄道について。

項番3 フランケン・スイス蒸気鉄道 Dampfbahn Fränkische Schweiz

ニュルンベルクの北東、石灰岩の岩塔・洞窟や古城の風景が点在するフランケン・スイス Fränkische Schweiz は、19世紀ロマン主義が流行した時代に、多くの文化人から賞賛された。「ルートヴィヒ南北鉄道」のフォルヒハイム Forchheim 駅からその中心都市エーバーマンシュタット Ebermannstadt へ向けて支線が建設されたのは、1891年のことだ。

路線は段階的に谷の奥へと延伸され、1930年にベーリンガースミューレ Behringersmühle に達した。この延伸区間15.9kmの一般旅客輸送が1980年に廃止になった後、それを引き継いだのがフランケン・スイス蒸気鉄道協会 Dampfbahn Fränkische Schweiz e. V. だ。ニュルンベルクから遠くなく、今も旅行者やハイカーに人気のエリアで、鉄道は1980年の開業以来、観光アトラクションとして不動の地位を築いてきた。

観光列車は蒸機かディーゼル牽引で、シーズンの日曜祝日に1日3往復走る。ルートは終始ヴィーゼントタール(ヴィーゼント川の谷)Wiesenttal の中で、進むにつれて谷はどんどん深くなる。片道45分、最後に川を斜めに渡り返すと、まもなく終点だ。

ベーリンガースミューレ駅は周りに人家もないような場所にあるが、谷壁の山道フェルゼンシュタイク Felsensteig を登れば高原が広がり、ゲスヴァインシュタイン Gößweinstein の町に出る。あるいは谷間を小一時間歩いて遡り、奇岩そびえ立つ観光名所テュッヒャースフェルト Tüchersfeld を訪れるのも一興だろう。

Blog_germany_heritagerail_s07
ベーリンガースミューレ駅(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番23 アムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道 Lokalbahn Amstetten-Gerstetten

シュトゥットガルトからウルム、ミュンヘンに通じるDB幹線には、「ガイスリンゲン坂 Geislinger Steige」と呼ばれる急曲線と勾配の難所がある。その坂を上りきった駅がアムシュテッテン Amstetten(下注)で、2本のローカル鉄道の分岐駅として、昔から鉄道ファンにはよく知られている。

*注 同名の駅と区別するために、正式名はアムシュテッテン(ヴュルテンベルク)Amstetten (Württ) という。

標準軌のアムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道は東へ向かう(下注)。ゲルシュテッテン Gerstetten まで19.9km、シーズンの日曜祝日限定で運行され、1日3往復ある。ただし、蒸機が走る日と気動車の日ではダイヤが異なるので注意したい。

*注 ちなみに、西へ向かうのは1000mm軌間の、通称「アルプ・ベーンレ Alb-Bähnle(高原鉄道の意)」。

というのも、蒸機の日は、ウルム鉄道友の会 Ulmer Eisenbahnfreunde e. V. が取りしきる純粋の保存運行だが、気動車はそうではなく、RB 58系統として近距離旅客輸送 SPNV の枠内で運行されているのだ。いわば休日だけ走る一般旅客列車で、運賃は近郊線と同じ、車両も1990年代製とまだ新しい。

ルートの見せ場は前半にある。アムシュテッテンを出るとすぐに25‰勾配で、谷を回り込みながら、高原面まで約100mの高度を稼ぐ。シュトゥーバースハイム Stubersheim まで上りきると、後は、点在する集落を縫いながら、広大な耕作地の中を淡々と走っていく。

Blog_germany_heritagerail_s08
シュトゥーバースハイムを発つ蒸気列車(2020年)
Photo by KorbinianFleischer at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番37 ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn(ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn)

ヴータッハタール鉄道は、バーデン・ヴュルテンベルク州南西部、スイス国境近くを走る標準軌支線だ。このうち、ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus ~ヴァイツェン Weizen 間 25.6kmは、1976年に一般旅客輸送が廃止されて以来、保存鉄道の列車だけが走る。線名のヴータッハタールは、路線が沿うヴータッハ川の谷のことだが、ルートの平面形がくるくると巻いているので、「ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn」の愛称でも呼ばれる。

鉄道はもともと、当時の要塞都市ウルムと、普仏戦争で獲得したアルザス地方(ドイツ語でエルザス Elsaß)を結ぶ軍事戦略路線として1875~90年に造られた。既存のホッホライン鉄道 Hochrheinbahn は、ライン川に沿って中立国のスイス領内を通過するため、有事の際に使えない可能性がある。そこでスイス領を迂回し、かつ重量貨物列車の運行に支障のないよう、勾配を10‰に抑えた新ルートが設計された。一見冗長な「ぶたのしっぽ」は、ドナウ川最上流とライン川の谷との高度差約350mをこの条件で克服するために、どうしても必要だったのだ。

現在、保存鉄道の列車は、シーズン中のおおむね木~日曜に1日1~2便走る。かつては蒸気機関車が全運行を担っていたが、現在はディーゼル機関車の比率が高くなっている。ブルームベルク=ツォルハウスから乗るなら、右側の席がお薦めだ。最初のトンネルを抜けた後、エプフェンホーフェン Epfenhofen のオメガループで、村の家並みとトラスの鉄橋が一望になる。

*注 ヴータッハタール鉄道の詳細は「ヴータッハタール鉄道 I-丘のアルブラ越え」「同 II-ルートを追って」参照。

Blog_germany_heritagerail_s09
エプフェンホーフェン鉄橋を渡る(2021年)
Photo by Nelso Silva at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番41 カンダータール鉄道 Kandertalbahn

ドイツ、フランス、スイスの三国が境を接するバーゼル Basel の近郊でも、標準軌の蒸気保存鉄道が稼働している。シュヴァルツヴァルトから南流してライン川に注ぐ支流、カンダー川 Kander の谷に沿っていくので、名をカンダータール鉄道という。主に採石場から石材を輸送していた延長12.9kmの支線だが、1985年に廃止となり、愛好家団体が引き継いで、翌年から保存運行を始めた。

現在は5~10月の毎日曜日に運行され、1日3往復の列車がある。蒸機は、旧プロイセン国鉄のタンク機関車T3形が使われている。3軸の小型機で、かつて地方鉄道や産業用に広く使われた形式だ。乗車機会が多いことに加え、基本的にすべて蒸気機関車で列車を動かしている点が、この鉄道の人気の理由だろう。

機関庫、整備場など運行に関わる施設は終点のカンデルン Kandern にあるので、一番列車はそこが始発だ。DBラインタール線 Rheintalbahn に接続するハルティゲン Haltingen には、逆機(バック運転)でやってくる。

機回し作業を含む約30分の休憩の後、再び出発。工場群を抜ければ、車窓には集落と麦畑が交互に現れ、穏やかな山野の風景の中を列車はのんびりと走る。谷が狭まるころにはもう終盤で、まもなくカンデルンの町が見えてくる。片道35~45分、非日常の列車旅を味わうのに手ごろな時間だ。

Blog_germany_heritagerail_s10
ハルティゲン駅で出発を待つT3形蒸機(2009年)
Photo by Gryffindor at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番12 キームゼー鉄道 Chiemsee-Bahn

バイエルン州南東部にあるキーム湖(キームゼー)Chiemseeは、ドイツで3番目に大きな湖だ。ミュンヘンとザルツブルクを結ぶDB幹線が西岸を通っていて、プリーン・アム・キームゼー Prien am Chiemsee という最寄り駅がある。そこと湖岸の港プリーン・シュトック Prien-Stock を連絡しているのが、キームゼー鉄道だ。

メーターゲージで、全長わずか1.9km、中間駅なし、片道8分というミニ路線だが、箱型の路面蒸気機関車が運用に入るという点がとりわけ珍しい。ルート上に併用軌道はなく、準拠した建設・運行規程も狭軌鉄道のそれだが、「ラウラ Laura」と命名されたこの機関車が1887年の開業時から列車を率いてきた。それで、世界最古の蒸気路面軌道と言われることがある。

ラウラも高齢になり、残念ながら近年は出番を減らしている。代役は、1962年製の小型ディーゼル機関車「リーザ Lisa」だ。以前は同じように緑の箱型に身を包み、一瞥しただけでは蒸機と見分けがつかなかったが、全面改修を機にふつうの姿に戻された。

キーム湖で思い浮かぶのが、湖中の島に狂王ルートヴィヒ2世が造らせた壮麗なヘレンキームゼー城 Schloss Herrenchiemsee だ。女子修道院のあるフラウエン島 Fraueninsel とともに、年間多くの観光客が訪れる。鉄道経由の客はそれほど多くないのだが、湖を渡る観光船と一体で運営されることで、安定的な運行が可能になっている。

*注 キームゼー鉄道の詳細は「キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム」参照。

Blog_germany_heritagerail_s11
プリーン・シュトック駅、機回し中の路面機関車(2013年)
Photo by Gliwi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番34 エクスレ鉄道 Öchsle-bahn

750m軌間の狭軌地方鉄道は、東部地域(旧 東ドイツ)にこそ多く残っているが、旧 西ドイツでは、路線バスなどに転換されてほとんど姿を消してしまった。バーデン・ヴュルテンベルク州南東部のオーバーシュヴァーベン地方 Oberschwaben にあるエクスレ鉄道は、その点で貴重な存在だ(下注)。

*注 同州北部のヤクストタール鉄道 Jagsttalbahn(項番19)も750mm軌間の保存鉄道だが、2024年現在、路線延長は0.8kmで、本格的な復活にはまだ遠い。

1900年に全通したこの路線は、ずっと国鉄(下注)の狭軌線だったが、利用の減少と施設劣化の進行で、1983年に廃止となった。愛好家団体と沿線自治体が動いて、1985年に保存鉄道として復活を果たしたが、その後の経過は決して安泰ではなかった。

6年後の1991年末に早くも州当局から、軌道と運行管理に欠陥があるとして運行停止を命じられる。新会社を設立して1996年に再開したものの、2000年末にまたもや同様の指摘を受けて、運行停止に。それでも諦めずに2002年、三度目の開業に漕ぎつけて今に至る。

*注 開業時は王立ヴュルテンベルク邦有鉄道 Königlich Württembergische Staats-Eisenbahnen。後にドイツ帝国鉄道(DR)からドイツ連邦鉄道(DB)へと引き継がれた。

以前は運行日に3往復設定されていたが、現在は午前と午後の2往復だ。19.0kmの路線の起点は、DB線に接続するヴァルトハウゼン Warthausen(下注)で、ここから東へのどかな麦畑の中を進んでいく。中間で、丘陵の鞍部を越える25‰のアップダウンが全線のハイライトだ。終点のオクセンハウゼン Ochsenhausen までは、およそ70分かかる。

*注 もとの起点は、DB線で一駅南のビーベラッハ・アン・デア・リス Biberach an der Riß だが、DB線との並行区間のため、保存鉄道開業に際して放棄された。

Blog_germany_heritagerail_s12
蒸気列車がオクセンハウゼンに到着(2015年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_germany_heritagerail_s13
オクセンハウゼン駅のクリスマス列車(2012年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年9月 6日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ西部編では、ノルトライン・ヴェストファーレン Nordrhein-Westfalen、ヘッセン Hessen、ラインラント・プファルツ Rheinland-Pfalz、ザールラント Saarland の各州にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

Blog_germany_heritagerail_w01
ライン左岸線オーバーヴェーゼル Oberwesel 付近を行くEC列車(2015年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyw.html

Blog_germany_heritagerail_w02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」画面

まずは、ドイツを代表する観光エリアを通る一般旅客路線から。

項番28 DB ライン左岸線(ミッテルライン鉄道)DB Linke Rheinstrecke (Mittelrheinbahn)
項番27 DB ライン右岸線 DB Rechte Rheinstrecke

ドイツで車窓風景が最も美しい路線は? と問われたら、多くの人がライン川沿いのこの路線を挙げることだろう。滔々と流れる大河に行き交う船、岩山高くそびえる古城や要塞、斜面を覆うブドウ畑。ロマン派の絵画のような景色には何度乗っても目を奪われる。高速線を疾走するICEもありがたいが、時間が許すならこのルートでゆっくり旅したいと思う。

ライン左岸線は、川の左岸すなわち西側に沿うDB(ドイツ鉄道)の幹線で、ケルン中央駅 Köln Hbf を起点に、ボン Bonn、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz、ビンゲン Bingen(Rhein) を経由してマインツ中央駅 Mainz Hbf まで181km。近年は「ミッテルライン鉄道 Mittelrheinbahn」の呼称が浸透している。

主要都市間を連絡しているため、2002年にケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main が開通するまでは、優等列車が日夜頻繁に行き交っていた。速達便は高速線に移し替えられて久しいが、今でも普通列車とともに、中間都市に停車するICEやICが30分間隔で走っている。

Blog_germany_heritagerail_w03
オーバーヴェーゼル、対岸からの眺め(2018年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ライン右岸線は、右岸すなわち東側を走るDB路線だ。ケルン中央駅を出てすぐ右岸に渡り、トロイスドルフ Troisdorf でジーク線 Siegstrecke を分けた後、ライン川に沿って、ヴィースバーデン東 Wiesbaden Ost 駅まで179km。中間にあまり大きな町はないので、主に長距離貨物列車の運行経路になっている。旅客列車は各停(RB)と快速(RE)だが、コブレンツ中央駅を経由または起終点にしているため、必ず左岸に戻る。

どちらのルートも全線で眺めが良いが、見どころの中心は、やはり後半のコブレンツから左岸はビンゲン、右岸はリューデスハイム Rüdesheim の間だろう。この区間は、世界文化遺産に登録された「ライン渓谷中流上部 Oberes Mittelrheintal の文化的景観」を貫いていて、有名なローレライ Loreley の断崖をはじめ、冒頭述べた古城やブドウ畑の集中度も高い。

左岸線ならザンクト・ゴアール Sankt Goar、オーバーヴェーゼル Oberwesel、バハラッハ Bacharach、右岸線ならザンクト・ゴアールハウゼン Sankt Goarhausen 等々、魅力的な町や村を次々と通っていくので、ついつい途中下車の誘惑に駆られる。

Blog_germany_heritagerail_w04
ローレライトンネル南口(2010年)
Photo by Joachim Seyferth at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32 DB モーゼル線 DB Moselstrecke

モーゼル線は、ライン左岸線(項番28)のコブレンツ中央駅 Koblenz Hbf から西へ向かう。ライン川の主要支流モーゼル川 Mosel に沿って、古都トリーア Trier まで長さ112kmの路線だ。

19世紀後半の帝国時代、首都ベルリンと、普仏戦争で獲得したアルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)とをつなぐ長距離戦略路線、いわゆる「大砲鉄道 Kanonenbahn(下注)」の一部として建設された。しかし今は地域輸送とともに、ザールラント Saarland やルクセンブルク Luxembourg へ行く中距離列車(RE)のための亜幹線の地位に落ち着いている。

*注 大砲鉄道の詳細は「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」「同 II-ルートを追って 前編」「同 III-後編」参照。

ライン左岸・右岸線とは異なり、風光明媚な川沿いの区間は前半区間の約60kmに限られる。具体的にはブライ Bullay の3km先、ライラーハルストンネル Reilerhalstunnel の手前までだ。その後は蛇行する川から離れ、平たい盆地の中を直進していく。

起点のコブレンツを出て最初の橋で川の左岸(北側)に移ると、しばらく川沿いをおとなしく遡る。コッヘム Cochem からブライの前後がハイライトだ。まず、長さ4205mと、高速線以外ではドイツ最長の皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel を抜ける。モーゼルワインのブドウ畑を眺めた後は、アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay、ピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と、土木工学上の名所を渡っていく。

*注 モーゼル線の詳細は「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」「同 II」参照。

Blog_germany_heritagerail_w05
アルフ=ブライ二層橋(2015年)
Photo by Henk Monster at wikimedia. License: CC BY 3.0
Blog_germany_heritagerail_w06
ピュンダリッヒ斜面高架橋(2020年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、私設の鉄道博物館に着目してみよう。構内施設や車両コレクションの充実にとどまらず、館外に保存運行用の独自ルートを確保しているところが共通点だ。

項番9 ボーフム鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum

ルール地方 Ruhrgebiet で有名なのは、ボーフム Bochum 市南西部のルール川沿いにあるボーフム鉄道博物館だろう。1969年に閉鎖されたルールタール鉄道 Ruhrtalbahn の鉄道車両基地を愛好家団体、ドイツ鉄道史協会 Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte e. V. がそのまま引き継いで、1977年に開館した。地区の名からボーフム・ダールハウゼン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum-Dahlhausen とも呼ばれ、私設ではドイツ最大と言われる。

施設の中核になっている扇形機関庫は14線収容の大型で、その後ろにそびえるワイングラスのような給水塔も目を引く。2棟ある車庫兼展示ホールと併せて、公開日には多くの訪問者で賑わう。

保存運行は、ルールタール鉄道の線路を使って行われている。鉄道博物館を出発して、ルール川をさかのぼり、ヴェンゲルン・オスト(東駅) Wengern Ost までの23.4kmだ。ルールタール鉄道は、沿線の鉱山で採掘される石炭を搬出する目的で造られたが、現在は、一部区間がSバーンのルートに利用されている以外、休業ないし廃線状態で、通しで走るのはこの保存列車が唯一だ。

運行日はシーズン中の月3回設定され、蒸気列車の日とレールバスの日がある。距離が長いので、片道でも80~90分と乗りごたえも十分だ。ルール地方は言わずと知れたドイツの主要工業地帯だが、川沿いは緑にあふれ、のびやかな車窓風景が続いている。

Blog_germany_heritagerail_w07
ボーフムの扇形機関庫に揃う蒸機群(2010年)
Photo by Hans-Henning Pietsch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番26 ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein

ダルムシュタット Darmstadt は19世紀、ヘッセン大公国の首都だったという歴史を持つ古都だ。その北東郊に、ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館「鉄道世界」Eisenbahnmuseum Bahnwelt Darmstadt-Kranichstein がある。

ここも大規模な標準軌車両博物館の一つで、旧ライン=マイン鉄道 Rhein-Main-Bahn(下注)の運行拠点だった車両基地の跡地を利用して、同名の愛好家団体が1976年に開設した。扇形機関庫を中心とした施設に、10両以上の本線用蒸機を含む車両コレクションが揃っている。

*注 マインツ Mainz~ダルムシュタット Darmstadt~アシャッフェンブルク Aschaffenburg 間を結んだ鉄道。現RB75系統のルート。

この団体はまた、路面軌道車両の保存にも携わっていて、それが同じクラーニッヒシュタインにある市電ターミナルの車庫に収容されていた。この路面軌道部門の名物が、路面用小型蒸機「火を吐くエリーアス Feuriger Elias」の公開運行だ。

*注 「火を吐くエリーアス」は蒸気機関車の一般的なあだ名。旧約聖書で、エリヤ(エリーアス)が火を噴く馬車とともに天に昇っていったことから。

その後、この車庫が使えなくなったため、蒸機は現在、ダルムシュタット南郊のエーバーシュタット Eberstadt にある市電車庫に保管されている。公開運行は今年(2024年)の場合、5月の日曜祝日にエーバーシュタットから市電6、8系統のルートで、終点アルスバッハ Alsbach まで往復した。主に道端軌道だが、途中のゼーハイム Seeheim に狭い街路の併用区間がある。また、9月にはダルムシュタットの市街地でイベントが開催される。こちらは、シュロス(城内)Schloß と呼ばれる中心街を蒸気列車が走行する。

Blog_germany_heritagerail_w08
シュロスの路面軌道を行く「火を吐くエリーアス」(2009年)
Photo by Tobias Geyer at wikimedia. License: CC BY
 

項番23 フランクフルト簡易軌道博物館 Frankfurter Feldbahnmuseum

フランスのドコーヴィル Decauville 社に代表される600mm軌間の「フェルトバーン(簡易軌道)Feldbahn」は、軽量で運搬、敷設、撤去が容易なことから、産業用、軍事用として世界に普及した。ドイツでも、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel (O&K) を筆頭に、ユング Arnold Jung、ヘンシェル Henschel & Sohn など多数の会社が製造を手掛けて広まった。

フランクフルト・アム・マイン市内西部のボッケンハイム Bockenheim に拠点を置くフランクフルト簡易軌道博物館は、これらの狭軌車両を収集・保存している鉄道博物館だ。現在地での開館は1987年。コレクションはすでに、蒸気機関車20両(うち13両が運行可能)、ディーゼル機関車34両を含め70両以上の機関車と約200両の客貨車にも及び、この軌間ではドイツ最大だ。収容するための車庫も今や3棟目が建っている。

博物館自体は毎月第1金曜・土曜に公開されるが、列車の運行は月1回程度だ。走行軌道の総延長は約1.5kmで、博物館の北側に広がるレープシュトック公園 Rebstockpark の園内をT字状に延びている。T字の縦棒の足もとが博物館で、列車はそこから出て、見通しのいい芝生の上に敷かれたT字の横棒に移り、両端で折返しのための機回しをして、また博物館に戻ってくる。

Blog_germany_heritagerail_w09
簡易軌道博物館の公開日(2018年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いては、標準軌の蒸気保存鉄道について

項番18 ヘッセンクーリエ Hessencourrier

ヘッセン Hessen の速達便を意味するヘッセンクーリエは、1972年に運行を開始したヘッセン州最初の保存鉄道だ。カッセル Kassel の鉄道の玄関口、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ Kassel-Wilhelmshöhe 駅の南端にある保存鉄道の車庫から、蒸気列車が出発する。

ルートになっているナウムブルク線 Naumburger Bahn は延長33.4kmのローカル線で、旅客輸送は1977年に廃止され、貨物輸送も一部区間を除いてもう行われていない。終点はナウムブルク Naumburg (Hessen) という、ハーフティンバーの家並みが連なる田舎町だ。

片道90~95分の長旅だが、途中の見どころは大きく二つある。

一つは、市内トラムとの共存区間だ。フォルクスワーゲンの工場の前でカッセル市電の線路が右から合流してくる。そこからグローセンリッテ駅 Bahnhof Großenritte までの3.3kmの間は、トラムも同じ線路を走ることになる。軌間は同じ標準軌だが、車両限界が大きく異なるため、途中の停留所には、ホームの張出しや4線軌条などさまざまな工夫が施されている。蒸気列車はそこを、制限20km/hでそろそろと通過していく(下注)。

*注 詳細は「ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存」参照。

二つ目は、市電乗入れ区間が終わった後に控えている急坂だ。最大28.6‰の勾配で、郊外の山裾をくねくねと巻きながら上っている。蒸機にとってはまさに山場で、力強い推進音が車内にも聞こえてくる。標高403m、峠の駅ホーフ Hof まで上りきれば、残りは丘陵地帯を縫う穏やかなルートになる。

Blog_germany_heritagerail_w10
終点ナウムブルク駅舎(2015年)
Photo by Feuermond16 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 カッコウ鉄道 Kuckucksbähnel

ヘッセン州南西部のプフェルツァーヴァルト(プファルツの森)Pfälzerwald に、カッコウが鳴くのどかな谷間を行く蒸気列車がある。まだ一般運行だった時代から、地元の人は親しみを込めて「クックックスベーネル(カッコウ鉄道)Kuckucksbähnel」 と呼んできた。

鉄道の起点は、マンハイム Mannheim とザールブリュッケン Saarbrücken を結ぶDB幹線の途中駅ランブレヒト Lambrecht (Pfalz)。ここからシュパイアーバッハ川 Speyerbach に沿ってエルムシュタイン Elmstein という小さな町まで、線路は13.0km延びている。曲がりくねる谷をトンネル無しでさかのぼるため、反転カーブが連続するローカル線だ。

列車は、近くの町ノイシュタット Neustadt にある鉄道博物館(下注)で仕立てられている。上述したボーフムと同じく、ドイツ鉄道史協会が運営している旧 車両基地だ。そのため、1日2往復のうち、第1便の往路はノイシュタット中央駅発、第2便の復路は同駅着になっている。ノイシュタットとランブレヒトの間はDB線に乗入れ、架線下を走る。

*注 ノイシュタットの地名は全国各地にあるので、正式にはノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ Neustadt an der Weinstraße(ワイン街道沿いのノイシュタットの意)という。したがって博物館名も、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Neustadt/Wstr.。

ノイシュタットは、赤ワインの産地をつないでいるドイツワイン街道 Deutsche Weinstraße の中心都市だ。カッコウ鉄道の蒸気保存列車は、町を訪れる観光客にとってアトラクションの有力な選択肢になっている。

Blog_germany_heritagerail_w11
カッコウ鉄道の蒸気列車
エルフェンシュタイン Erfenstein 停留所にて(2010年)
Photo by Fischer.H at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番22 フランクフルト歴史鉄道 Historische Eisenbahn Frankfurt

フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main は、ヨーロッパの金融の中心地だ。マイン川のほとりに、2014年に完成した欧州中央銀行 Europäische Zentralbank のスタイリッシュな高層ビルがそびえている。その建物と川岸との間にある公園に、年数回、古典蒸機や赤いレールバスによる観光列車が現れる。

1978年に設立されたフランクフルト歴史鉄道協会 Historische Eisenbahn Frankfurt e.V. が実施しているこの保存運行は、マイン川沿いに残されたフランクフルト港湾鉄道 Hafenbahn Frankfurt と呼ばれる単線の線路が舞台だ。本来は貨物線なのだが、中心部では路面軌道や道端軌道、さらには公園の芝生軌道にも変身し、都市景観にすっかり溶け込んでいる。

列車の起終点は、旧市街レーマー広場 Römer に近い歩行者専用橋アイゼルナー・シュテーク Eiserner Steg のたもとだ。走行ルートは2方向で、東港コースは、ここから東進してマインクーア Mainkur の信号所まで(下注)、また西港コースは西進してグリースハイム Griesheim の貨物駅まで、それぞれ行って折り返してくる。

*注 東港コースでは、欧州中央銀行ビルの完成に合わせて停留所が新設され、乗降ができるようになった。

協会関連ではもう一つ、鉄道ファンが楽しみにしている年中行事がある。ペンテコステ(聖霊降臨日)に催されるケーニヒシュタイン・イム・タウヌスの駅祭り Bahnhofsfest Königstein im Taunus だ。

フランクフルトの鉄道愛好家団体がこぞって参加する祭りで、港湾鉄道ではゆっくりとしか走れない蒸機が、この日ばかりは「出力全開でタウヌスへ Mit Volldampf in den Taunus」をモットーに、フランクフルト・ヘーヒスト Frankfurt-Höchst から会場の駅まで、ケーニヒシュタイン線 Königsteiner Bahn の上り坂を数往復する。

Blog_germany_heritagerail_w12
EZB(欧州中央銀行)停留所のレールバス(2015年)
Photo by Urmelbeauftragter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_germany_heritagerail_w13
ケーニヒシュタイン駅祭り(2007年)
Photo by EvaK at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

メーターゲージ(1000mm軌間)の蒸気保存鉄道もいくつかある。

項番17 ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn

ゼルフカント鉄道は、ドイツ最西端、オランダ国境間近のゼルフカント Selfkant 地方で、1971年から50年以上の歴史をもつ老舗の保存鉄道だ。走っているルートはもとガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn といい、標準軌線から離れたこの地域の小さな町を縫いながら、オランダ国境まで延びていた延長37.7kmの軽便線だった。

衰退する軽便線の例にもれず、ここも1950年代から段階的に廃止されていくが、1973年に全廃となる前に、鉄道愛好家たちが一部区間を借りて保存運行を始めた。これが現在のゼルフカント鉄道の起源になる。現在のルートは5.5kmと、全盛時に比べればささやかな規模だが、田舎軽便の面影を色濃く残していて、貴重な存在だ。

起点のシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath はのどかな村で、車両基地を兼ねた駅構内が不釣り合いなほど大きく見える。蒸気列車はここから東へ走る。一面の畑と疎林を縫い、いくつかの集落と停留所を経ながら、およそ25分で終点のギルラート Gillrath に到着する。かつて線路はDB線のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅まで続いていたが、すでに撤去され、跡地は小道になっている。

Blog_germany_heritagerail_w14
シーアヴァルデンラート駅
20号機ハスペ Haspe と101号機シュヴァールツァッハ Schwarzach(2012年)
Photo by Alupus at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30 ブロールタール鉄道「火山急行」Brohltalbahn "Vulkan-Expreß"

「ヴルカーン・エクスプレス(火山急行)Vulkan-Expreß」は、細々とした貨物輸送で存続していたブロールタール鉄道を活性化するために、地元の肝いりで1977年に走り始めた保存観光列車だ。ライン左岸の町ブロール Brohl を起点に、背後のアイフェル高原に向かう。ふだんはディーゼル牽引だが、週末には蒸機も登場する。

アイフェル高原には、小火山やマール、カルデラ湖といった火山地形が点在していて、一部は車窓からも見える。列車の愛称は、スイスの有名な「氷河急行」を連想させ、それとの対比で列車の特色をアピールするものだ。DBの主要幹線(ライン左岸線)に接するという地の利もあって、列車は確実に人気を得てきた。今もシーズン中は、月曜を除きほぼ無休という、保存鉄道には珍しく密な運行体制がとられている。

17.5kmのルートは、高原に源をもつ支流ブロールバッハ川 Brohlbach に沿って続く。しばらくは谷の中で、周囲が開けてくるのは、連邦道A61 の高架をくぐったニーダーツィッセン Niederzissen あたりからだ。サミットのエンゲルン Engeln に至る最終区間には、50‰の急勾配があり、かつてはラックレールが敷かれていた。

これとは別に、鉄道には港線 Hafenstrecke という、ブロール駅からラインの河港に通じる2.0kmの短い支線もある。こちらは現在、毎週木曜に、ライン川クルーズ船とのタイアップで列車が1往復している。

*注 鉄道の詳細は「火山急行(ブロールタール鉄道) I」「同 II」参照。

Blog_germany_heritagerail_w15
DB線をまたぐ港線の高架橋(2010年)
Photo by tramfan239 at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

最後に特殊鉄道を2か所挙げておこう。

項番16 ドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn

ライン川を河口から遡っていくときに、右岸で最初に目に入る山がドラッヘンフェルス Drachenfels だと言われる。山名は、竜(ドラゴン)の岩山を意味する。標高321mとそれほど高くはないが、ライン渓谷の下流側の入口に位置していて、恰好の展望台だ。

1883年、リッゲンバッハ式ラックレールを用いた鉄道が、河畔の町ケーニヒスヴィンター Königswinter から山頂へ向けて建設された。延長1.5km、高度差220mを最大200‰の勾配で上る。スイスのリギ鉄道の全通から10年、ドイツで旅客用として初めて導入されたラック鉄道だった。

現在使われている車両は、全5両のうち4両が1955~60年製だ。車齢から見ればもはや古典機だが、モスグリーンの車体はよく磨かれ、艶光りしている。

鉄道には列車交換ができる中間駅がある。駅名のシュロス・ドラッヘンブルク(ドラッヘンブルク城)Schloss Drachenburg は、付近にある尖塔つきの立派な城館のことだが、実は、鉄道の開通に合わせて実業家の貴族が建てた邸宅だ。12世紀の「本物」の古城は、終点駅から小道を少し登った山頂に、廃墟となって残っている。

*注 鉄道の詳細は「ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車」参照。

Blog_germany_heritagerail_w16
山頂駅に向かうラック電車(2021年)
© Superbass / CC-BY-SA-4.0 (via Wikimedia Commons)
 

項番11 ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

川の上を走る懸垂式モノレール、ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn(下注)は、ルール地方の南に接する産業都市ヴッパータール Wuppertal のシンボル的存在だ。開業は1901~03年で、世界最古のモノレールとされる。

*注 原語の Schwebe は、英語の float に相当し、宙に浮いていることを意味する(吊り下がるという意味はない)。日本語訳の「空中鉄道」は、原語のニュアンスを汲んでいる。

実は、ヴッパータール市の歴史はそれより新しい。ヴッパー川の谷(ヴッパータール)Wuppertal にある3つの町が、南の丘陵上にある2つの町とともに1929年に合併して誕生した。市の中心軸はヴッパー川であり、それに沿うこの鉄道も、地域をまとめる役割の一端を担ったのかもしれない。

フォーヴィンケル Vohwinkel~オーバーバルメン Oberbarmen 間13.3kmのうち、起点側のざっと1/4は道路の上空で、残り3/4が川の上空を通っている。用地確保が難しい市街地を避けた結果だが、流れをまたぐ鉄骨の支柱と蛇行する高架軌道という大掛かりな構造物から、「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」のあだ名が生まれた。

モノレールは、平日日中3分おき、日曜祝日でも6分おきという高頻度で走っている。待たずに乗れる便利な移動手段だ。全線の所要時間は約25分。車両は片方向にしか走れないので、終点ではコンパクトな転回ループを通って折り返す。

ちなみに、懸垂式では長い間世界最長の路線でもあったが、1999年に千葉都市モノレールが全線開業して、首位を譲った。

Blog_germany_heritagerail_w17
ヴッパー川の上空を行くモノレール
ファレスベッカー・シュトラーセ Varresbecker Straße 停留所付近(2016年)
Photo by Joinsi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ南部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月20日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

前回に引き続き、ドイツ東部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

Blog_germany_heritagerail_e31
フィヒテルベルク鉄道の蒸気列車
ハンマーヴィーゼンタール駅にて(2013年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

Blog_germany_heritagerail_e02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部の南端に位置するザクセン州は、エルツ山地 Erzgebirge やザクセン・スイス Sächsische Schweiz といった人気のあるレクリエーション適地を擁している。鉄道の見どころにも事欠かず、前回言及したように、東ドイツ時代に選定された保存すべき狭軌鉄道のうち、4本がこの州域にあり、750mm軌間の蒸気運行を続けている。まずはそれから見ていこう。

項番26 ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ザクセン南東端の町ツィッタウ Zittau は、チェコやポーランドと接する国境都市だ。そのDB(ドイツ鉄道)駅前から、ツィッタウ狭軌鉄道が出ている。1890年の開業で、本線格のツィッタウ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注)間12.2kmと、クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf へ行く支線3.8km。列車の行先はいずれも、町の南方、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge に古くからある行楽地だ。

*注 地名の前につくクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味する。

起点駅を出ると、列車はツィッタウ市街地の東の外縁を半周して、山へ向かう。集落と牧草地が交錯する郊外風景のなかを進み、分岐駅ベルツドルフ Bertsdorf へ。列車ダイヤはこの駅を中心に3方向から集合し離散する形になっていて、乗換えを厭わなければ、どの方向にも1時間ごとに便がある。

ベルツドルフでの楽しみは、2方向同時発車 Parallelausfahrt だ。オイビーン行きとヨンスドルフ行きがタイミングを合わせて出発し、カメラを構えたファンが待つ構内の先端で、二手に分かれていく。ここから終点までは30‰の急勾配のある胸突き八丁で、強力な5軸機関車99 73-76形が、持てるパワーを発揮する舞台になる。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e32
集合離散ダイヤの中心、ベルツドルフ駅(2012年)
Photo by Dan Kollmann at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

レースニッツグルント鉄道は、ドレスデン北郊の、森や牧草地や水辺が点在する田園風景を走り抜けていく狭軌鉄道だ。Sバーン(S1系統)の駅に接続するラーデボイル・オスト Radebeul Ost から終点ラーデブルク Radeburg まで16.5km。大都市に近く、かつ沿線にワインの里レースニッツ Lößnitz や美しい離宮モーリッツブルク城 Schloss Moritzburgといった有数の観光地があることから、人気が高い。

鉄道の名称は、1998年にDB(ドイツ鉄道)が商用に付けたものだ。地元では、昔からレースニッツダッケル Lößnitzdackel、略してダッケル Dackel と呼んでいた。ダッケルは、ドイツ原産のダックスフントのことで、ずんぐりした形の客車と、のろのろ走る列車をそれに見立てたようだ。

列車は1日5往復、そのうち3本が終点まで行かず、中間駅のモーリッツブルクで折り返す。城を目指す客がここで降りてしまうからだ(下注1)。加えて、市内トラムとの平面交差、丘陵を刻む雑木林の谷間、ディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を横断する築堤など、車窓風景のハイライトもこの前半区間に集中している。後半は、車内の客もめっきり減って、列車は牧草地の中を淡々と走っていく。

*注1 ちなみに、ドレスデン市内からモーリッツブルクへは路線バスが頻発していて、直接、城の前まで行ける。
*注2 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e33
モーリッツブルク駅での新旧そろい踏み
IV K形と99.78形(2019年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番33 ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

ドレスデンの南郊でも蒸気列車が走る。ヴァイセリッツタールとは、鉄道が沿っていくローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz の谷のことだ。Sバーン(S3系統)の駅に隣接するフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg からクーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで26.3km。現存するザクセンの狭軌鉄道では最長で、かつ1882~83年の開通と、最古の歴史を誇る。

車窓の見どころの一つが、起点を出てまもなく入るラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund の渓谷だ。線路は谷底を這うように進むが、岩がむき出しの曲がりくねった谷にもかかわらず、トンネルは一つもない。その代わり、川を横切る橋梁は実に13本。そしてそれが仇となり、2002年8月の豪雨では、線路や橋梁の流失など壊滅的な被害をこうむった。鉄道は長期にわたり運休となり、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだった。

渓谷を抜け出ると、列車は川を堰き止めたマルター・ダム Talsperre Malter の高さまで上り、穏やかな湖面を眺めながら走る。中間の主要駅ディポルディスヴァルデ Dippoldiswalde から先は、再び谷が深まっていく。終点まで90分近くかかる長旅だ。近距離鉄道旅客輸送 SPNV の路線なので通年運行しているものの、こちらも全線を通して走る列車は2往復とごく少ない。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e34
ラーベナウアー・グルントを遡る(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番41 フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg は、ドイツ領エルツ山地の最高地点(下注)だ。一帯は降雪量が多く、山腹にウィンタースポーツのゲレンデが広がっている。山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal には、休暇を楽しむ人々が全国各地から集まってくる。

*注 エルツ山地全体では、チェコ側にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)が最高峰。

1897年に開通したこの蒸気鉄道も、その旅客輸送を主目的にしていた。ケムニッツ Chemnitz から延びる標準軌線の客をクランツァール  Cranzahl で受けて、オーバーヴィーゼンタールまで17.3km。遠隔地のローカル線だが、冬場の需要も手堅いところが、保存すべき狭軌鉄道に選ばれた理由だろう。

峠を一つ越えるため、とりわけルートの前半で最大37.0‰という険しい勾配が連続する。99 73-76形の後継として1950年代に製造された99.77-79形蒸機が、この急坂に挑む。

運行に当たるザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) はその実績を買われて、2004年からレースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道の運行も請け負うようになった。オーバーヴィーゼンタール駅には新しい整備工場が建設され、3本の狭軌線を走る機関車の全般検査は、ここで集中的に実施されている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e35
ヒュッテンバッハタール高架橋(2019年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34 デルニッツ鉄道「ヴィルダー・ローベルト」Döllnitzbahn "Wilder Robert"

保存すべき7線には含まれなかったが、東ドイツ時代を生き延び、今も稼働している狭軌鉄道がある。ライプツィヒ Leipzig とドレスデン  Dresden を結ぶ標準軌幹線の途中駅オーシャッツ Oschatz から出ているデルニッツ鉄道 Döllnitzbahn だ。支線を含め18.6kmの路線で、蒸機についたあだ名が「ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルト)Wilder Robert」。

これは、ミューゲルン Mügeln の町を中心とする狭軌路線網のうち、沿線で採掘されたカオリン(白陶土)を運搬するために残されたルートだ。旅客輸送は早くに廃止されたが、貨物輸送は2001年まで行われていた。その間に、愛好家団体がここで蒸気機関車を走らせ始め、一定時間帯に集中する通学輸送をバスから列車に移す試みがそれに続いた。これによって、狭軌鉄道は息を吹き返したのだ。

以来、平日はディーゼル牽引で通学輸送、休日はディーゼルか蒸機による観光輸送という目的特化型の運用が実施されている。使われている蒸機は、1910年前後に製造された関節式機関車のザクセンIV K形(DR 99.51~60形)。他線で走っている5軸機より一世代前の主力機で、常時見られるのはこの路線だけだ。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e36
ミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、トラムが走る郊外路線について。

項番28 キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn

ドレスデン南東の、屹立する断崖奇岩で知られる観光地ザクセン・スイス Sächsische Schweiz の一角に、メーターゲージの路面軌道がある。幹線網には接続しない孤立路線で、起点の町を出た後は、ずっと深い谷の中。まとまった集落も見当たらず、どうしてここに鉄道が?、と首をかしげたくなるような路線だ。

キルニッチュタール鉄道は、観光拠点バート・シャンダウ Bad Schandau からリヒテンハイナー・ヴァッサーファル (リヒテンハイン滝)Lichtenhainer Wasserfall に至る。名のとおりキルニッチュ川 Kirnitzsch の流れる谷に沿っていて、7.9kmのほぼ全線が道路の片側に敷かれた併用軌道だ。運用車両の主力はゴータカー Gothawagen で、前回紹介したヴォルタースドルフ路面軌道(項番9、下注)と並ぶゴータカーの王国になっている。

*注 ただしヴォルタースドルフは、新型低床車に置き換わりつつある。

終点のリヒテンハイン滝は19世紀前半に造られた人工滝だ。上流に堰を造って水を溜めておき、音楽に合わせて堰を開け、滝口から水を一気に流す。聞けばたわいのない仕掛けだが、昔はたいそう評判だった。ところが、2021年の大雨で導水路が壊れ、貯水池も泥で埋まって、ショーができなくなってしまった。路面軌道には大ピンチのはずだが、ザクセン・スイスのハイキング客がいるおかげで、なんとかいつもどおり動いている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道」参照。

Blog_germany_heritagerail_e37
谷底の併用軌道を行く(2017年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番50 テューリンガーヴァルト鉄道 Thüringerwaldbahn

ゴータ市電は、1~3系統が市内で完結するのに対して、4系統「テューリンガーヴァルト鉄道(下注)」は市内から郊外に出ていく長距離路線だ。ゴータ中央駅 Gotha Hauptbahnhof から、テューリンガーヴァルト Thüringerwald と呼ばれる山地の北麓、バート・タバルツ Bad Tabarz まで、麦畑を貫き、小山を越えて22.7km。全線乗ると1時間近くかかる。

*注 地元ではヴァルトバーン Waldbahn(森の鉄道の意)と呼ばれる。

市内トラムがこうして離れた町や村を結ぶのは、ドイツで郊外路面軌道 Überlandstraßenbahn と呼ばれて、各地に見られた。しかし、1950年代以降、大部分がバス転換されてしまい、今も定期運行しているのは、前回挙げたベルリン東郊の路線など数えるほどしかない。

ゴータは、かつて一世を風靡したゴータカーのお膝元だが、主力車両はすでに、タトラやデュワグ(デュヴァーク)製などに世代交代している。郊外区間は停留所間距離が長く、市内とは「人」が変わったように、最高時速65kmですっ飛ばしていくのが小気味よい。

テューリンガーヴァルト鉄道には、ヴァルタースハウゼン Waltershausen へ行く2.4kmの支線がある。もとは4系統が二手に分かれる運用だったが、2007年から系統分離されて6系統と呼ばれるようになった。線内折返し運転のために、この区間だけ両運転台の改造車が走っている。

*注 鉄道の詳細は「テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る」参照。

Blog_germany_heritagerail_e38
バート・タバルツに向かうタトラカー(2017年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いて、変わり種を二つ。

項番47 テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn

一つは、テューリンガーヴァルトの東端にある登山電車だ。2020年までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていたこのルートは、延長1.3kmの索道線(ケーブル線)Standseilbahn と、山上を行く同2.6kmの平坦線 Flachstrecke で構成される。山麓にはDBの非電化ローカル線が来ているので、山麓と山上を走る普通列車の間をケーブルカーでつなぐ形になる。

ユニークなのは、この三者間で車両をリレーする仕掛けがあることだ。すなわち、索道線ではふつう、階段型車両が交互に上下するが、ここでは片方が、車両を載せる貨物台車 Güterbühne になっている。かつてはこれで貨車を直通させていたし、今も検査や修理が必要な山上平坦線の車両の上げ下ろしに使われている。

この設備のおかげで、観光鉄道としても好評だ。シーズン中、天気が悪くなければ、貨物台車にオープン客車、いわゆるカブリオ Cabrio が設置される(下の写真参照)。台車より車長があるため、端部が勾配路にかなり突き出し、眺めは上々だ。悪天候時や冬場は、専用のクローズド車両が代わりを務める。

一方、山上平坦線の電車は通常2両編成で走っている。同線オリジナルの小型車両だが、ベルリンの車両整備工場で改造を受けているため、ベルリンSバーンの旧車によく似た風貌が特徴だ。

Blog_germany_heritagerail_e39
(左)鋼索鉄道を上る階段型客車
(右)カブリオを載せた貨物台車
Blog_germany_heritagerail_e40
(左)山上平坦線の電車
(右)右は台車積載用の閉鎖型客車
4枚とも海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2023年6月撮影
 

項番35 デーベルン馬車軌道 Döbelner Pferdebahn

ザクセン州中部の都市デーベルン Döbeln では、シーズンの毎月1回、馬がトラムを牽いて市内を巡るのが恒例行事になっている。

デーベルンの市街地は鉄道駅から2km近く離れていて、1892年にこの間を結ぶ馬車軌道が開業した。他都市ではこうした馬車軌道は短命で、まもなく蒸気や電気動力に置き換えられたが、この町ではその機運が生じなかった。1926年まで運行が続けられた後、軌道は放棄され、路線バスに転換されてしまった。しかし、最後まで馬車軌道のままだったことから、2002年に愛好家団体がその復活を目標に活動を始めた。そして2007年から、再び街路に馬の蹄の音が響くようになったのだ。

旧ルートとは異なり、起点は旧市街の南にある馬車軌道博物館で、そこから中心部のオーバーマルクト Obermarkt まで750mの区間を往復する。ドイツでは、北海に浮かぶシュピーカーオーク島 Spiekeroog(→北部編14)とここでしか見られない貴重な光景だ。

デーベルンの場合、稼働可能なトラムは1両のみ。馬も生身なので、悪天候や高温が予想される場合は、運行中止になる。せっかく出かけていっても空振りの可能性があるということを気に留めておきたい。

Blog_germany_heritagerail_e41
馬車軌道再開の日(2007年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は標準軌の景勝路線だ。

項番31 エルプタール(エルベ谷)線 Elbtalbahn

ドレスデンとチェコのプラハを結ぶ電化幹線は、終始エルベ川 Elbe(チェコではラべ川 Labe)とその支流に沿っていく風光明媚なルートとして知られる。ドイツ領内では、エルベの谷の鉄道を意味するエルプタール線 Elbtalbahn と呼ばれ、国際列車とともにSバーンS1系統の電車が走っている。

ドレスデンから乗ると、車窓の見どころは、谷が狭まるピルナ Pirna 以降だ。車内がすいてくる頃合いなので、進行方向左側に席を移したい。二つ目の駅シュタット・ヴェーレン Stadt Wehlen を出た後、対岸に、バスタイ Bastei の奇岩とそこに渡された有名な石造橋が見えてくる。ラーテン Rathen からゆっくり右に回っていくと、今度は上流側の山上にそびえるケーニヒシュタインの要塞 Festung Königstein が目に入る。

Sバーン電車の2本に1本は、バート・シャンダウ Bad Schandau が終点だ。ザクセン・スイス国立公園 Nationalpark Sächsische Schweiz の拠点で、対岸の市街地へはバスがあるが、エルベ川の渡船で向かうのも一興だ。鉄道ファンならキルニッチュタール鉄道(項番28)のトラムが待っているし、バート・シャンダウ駅からは国立公園線 Nationalparkbahn の国際ローカル列車でさらに奥へと足を延ばすこともできる。

Blog_germany_heritagerail_e42
Sバーンの終点シェーナ Schöna 駅
対岸のチェコ領へ行く渡船が待つ(2024年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ西部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月16日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I

Blog_germany_heritagerail_e01
ドライ・アンネン・ホーネから山頂に向かうハルツ狭軌鉄道の列車(2016年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

Blog_germany_heritagerail_e02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部編には、東部各州(メクレンブルク・フォアポンメルン Mecklenburg-Vorpommern、ブランデンブルク Brandenburg、ベルリン Berlin、ザクセン・アンハルト Sachsen-Anhalt、ザクセン Sachsen、テューリンゲン Thüringen)にある路線をリストアップした。中でも注目に値するのは、狭軌の蒸気鉄道だ。

なぜ、この地域に狭軌の蒸気鉄道が多数残っているのだろうか。それは東ドイツ時代に道路交通への転換対象にならなかったからだが、単に放置されていたわけではない。むしろ国は1964年に、狭軌路線を今後10年間で全廃する方針を決定している。戦後の混乱期に酷使された鉄道は、車両も施設も疲弊して、運用が限界に達していたからだ。方針に基づき、利用が少ない路線は予告もなく廃止されていった。

その一方で、代替手段となるバスの供給が追いつかず、観光輸送が集中する路線などは転換のめどが立たなかった。こうした状況下で1973年に、観光輸送のための交通史の記念碑 Denkmale der Verkehrsgeschichte für den Touristenverkehr として保存すべき7本の狭軌鉄道が選定されている。現行名称で示すと、リューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、ハルツ狭軌鉄道(ハルツ横断線、ゼルケタール線、下注)、ツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道だ。

*注 ハルツ狭軌鉄道のうち、ブロッケン線は含まれない。この路線は東西国境に近い一般立入禁止区域を通っているため、シールケ Schierke までは特別許可者のみ乗車できる旅客列車があったものの、その先は軍用列車限定だった。

東ドイツ時代を生き延びることができたのは、このときの選定路線にほかならない。施設の更新はなおも遅々としていたが、廃止線からまだ使える車両の供給を受けるなどで、当面の延命が図られた。参考までに、1980年から1984年にかけて、これら7本の鉄道で稼働している代表的な車両群をあしらった記念切手シリーズが東ドイツの郵政省から発行されている(下の写真参照)。

ドイツ再統一後、DBの民営化に伴って、これら狭軌鉄道の運営は州や自治体が出資する事業会社に移された。そして、Sバーンなどと同格の近距離鉄道旅客輸送 SPNV の枠組みに入り(下注)、今や等時隔のパターンダイヤ Taktfahrplan で運行されている路線さえある。これは、愛好家団体が独自に運営している保存鉄道とは明確に異なる点だ。

*注 SPNV=Schienenpersonennahverkehr、時刻表番号が3桁の路線(系統)がこれに該当する。それ以外の保存鉄道の番号は5桁。

Blog_germany_heritagerail_e03
東ドイツの狭軌鉄道記念切手シリーズ(1980~84年)
上からリューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、
ハルツ狭軌鉄道ハルツ横断線、同 ゼルケタール線
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
Blog_germany_heritagerail_e04
上からツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、
ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
 

項番1 リューゲン保養地鉄道「韋駄天ローラント」Rügensche BäderBahn "Rasender Roland"

バルト海に浮かぶドイツ最大の島、リューゲン島 Rügen には、本土につながる標準軌線のほかに、総延長100km近い750mm軌間の軽便鉄道網があった。その中で唯一残っているのが、東海岸のリゾート地へ延びるリューゲン保養地鉄道 Rügensche BäderBahn(下注)だ。

*注 原語の Bäderbahn(ベーダーバーン)は、バートの鉄道を意味する。バート Bad は温泉地、保養地、リゾートのことで、ベーダー Bäder はその複数形。

標準軌線に接続するプトブス Putbus から島の東端ゲーレン Göhren までが本来の区間だが、1999年以降、列車はプトブスでその標準軌線に乗り入れて、バルト海の港ラウターバッハ・モーレ(埠頭)Lauterbach Mole まで行くようになった(下注)。もちろん線路幅が違うので、この間は新たにレールが1本足され、3線軌条になっている。

*注 この標準軌線ベルゲン・アウフ・リューゲン Bergen auf Rügen~プトブス~ラウターバッハ・モーレ間は、2014年からDBの手を離れて、狭軌鉄道の運行会社の所有・運営になった。

列車は「ラーゼンダー・ローラント(韋駄天ローラント)Rasender Roland」の名で呼ばれる。2時間間隔の運行だが、5~10月のシーズン中はさらに末端側のビンツ Binz ~ゲーレン間で増発されて、1時間間隔になる。これをすべて手間のかかる蒸機で賄っているのだから驚くほかない。

全線24.1km、乗ると2時間かかるが、沿線は畑と林が続く。車窓に水面が覗く区間はわずかで、起点の港を除けば、終盤に現れるゼリン湖 Selliner See ぐらいだ。復路で退屈しそうなら、ゼリン湖の埠頭とラウターバッハ・モーレを結ぶ観光船か、ビンツの町を散策しがてらDB線(下注)への乗継ぎという選択肢もある。

*注 オストゼーバート・ビンツ Ostseebad Binz からシュトラールズント Stralsund 方面へ、RE9系統の列車がある。

Blog_germany_heritagerail_e05
3線軌条のラウターバッハ・モーレ駅(2022年)
Photo by A.Savin at wikimedia. Free Art License.
Blog_germany_heritagerail_e06
プトブス駅の発着ホーム(2019年)
Photo by Peter Kersten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 保養地鉄道モリー Bäderbahn Molli

バルト海 Ostsee 沿岸にあるもう一つの蒸気鉄道が、保養地鉄道モリーだ。沿線のバート・ドベラーン Bad Doberan やキュールングスボルン Kühlungsborn の地名は知らなくても、「モリー Molli」と言うだけでわかるほど、その名は広く浸透している。

900mmという軌間も希少だが、それより珍しいのは、蒸気機関車が狭い街路を通り抜けるシーンだ。バード・ドベラーンでは、線路が中心市街地を文字どおり貫いている。人々が憩うカフェテラスのすぐ前を、機関車から連打される警戒のベル音とともに、列車はゆっくりと通過していく。

上下合わせればほぼ30分おきに通るので、市民には日常風景だろうが、着いたばかりの観光客としてはカメラを向けないわけにはいかない。ちなみに、転車台がないため、キュールングスボルン行きの機関車はバック運転(逆機)だ。復路で正面を向く。

全線15.4kmのうち、併用軌道は1km足らず。その先はうるわしい菩提樹の並木道に沿って西へ進む。中間駅のハイリゲンダム Heiligendamm で反対列車と行き違いをした後は、畑の中を貫いていく。

終点キュールングスボルン・ヴェスト(西駅)Kühlungsborn West は、蒸機の運行拠点で、機関庫で休む同僚機が見られるかもしれない。5両いる現役機関車はどれもベテランの風貌をしているが、実は1両だけ21世紀生まれの新顔が混じっている。99 2324のプレートをつけたその機関車は99.32形のレプリカで、2009年にマイリンゲン Meiringen の工場で完成した。定期運行用としては、ドイツでほぼ50年ぶりの新造だったそうだ。

Blog_germany_heritagerail_e07
バート・ドベラーンの市街を通過する蒸気列車(2012年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
Blog_germany_heritagerail_e08
終点キュールングスボルン西駅(2011年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番18~20 ハルツ狭軌鉄道 Harzer Schmalspurbahnen (HSB)

どこまでも平地が広がる北ドイツで、ハルツ山地 Harz はとりわけ目立つ山塊だ。霧に自分の影が投影される現象で有名なブロッケン山 Brocken が最高峰で、標高は1141mある。この山地にメーターゲージの鉄道網が築かれたのは1880~90年代のことだ。それはハルツ狭軌鉄道として、蒸気機関車による運行形態もそのままに維持されている(下注)。

*注 一部の列車は気動車で運行される。

延長140kmに及ぶ路線網は、大きく3つに分けられる。

ブロッケン線 Brockenbahn(項番18)は長さ19.0km、人々をハルツの最高峰へいざなう同 鉄道の看板路線だ。列車がほぼ1時間おきに1日8往復、週末は10往復も設定されていて、人気ぶりがうかがえる。ブロッケン山には自動車道が通じておらず、列車が唯一の交通手段になっている。それで、北麓の町ヴェルニゲローデ Wernigerode からの直通列車だけでなく、駐車場のあるドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne を始発・終着とする列車のニーズも大きい。

蒸気列車は、トウヒの森に囲まれた30~33.3‰の急坂を力強く上っていく。最後の中間駅シールケ駅を出ると、森の背丈がいつしか低くなり、車窓が明るくなってくる。森林限界を超え、スパイラルを反時計回りに1周半すると、山頂駅だ。山腹を吹き上がる西風が雲を呼ぶため、天気はすぐ変わる。もし晴れたタイミングで到着したなら、見渡す限りの大パノラマをしっかりと目に焼き付けたい。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ」「同 II-ブロッケン線」参照。

Blog_germany_heritagerail_e09
ブロッケン山頂はまもなく(2008年)
Photo by Nawi112 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ハルツ横断線 Harzquerbahn(項番19)は、名称どおり、山地を南北に横断してヴェルニゲローデとノルトハウゼン北駅 Nordhausen Nord を結ぶ60.5kmの路線だ。本来のメインルートだが、ブロッケン行きの列車も通るヴェルニゲローデ~ドライ・アンネン・ホーネ間はともかく、中間部は実に閑散としている。1日4往復しかなかったのに、うち2往復は今やバス代行になってしまった。

一方、ノルトハウゼン側では、途中のイールフェルト Ilfeld まで市内トラムが乗り入れてくる。軌間は同じでも非電化なので、トラムは蓄電池を積んだハイブリッド仕様だ。市内軌道では架線から集電し、ハルツ横断線に入ると蓄電池を電源にして走る。これによってこの区間の駅では、現代風の連節トラムと蒸気列車がホームで隣り合う珍しい光景が見られるようになった。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線」参照。

Blog_germany_heritagerail_e10
終点ノルトハウゼン北駅(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ゼルケタール線 Selketalbahn(項番20)は長さ60.8km、比較的標高の低い山地東部を横断していく。しかし、前半の分水界越えには、ブロッケン線をしのぐ40.0‰の急勾配があり、半径60mの急カーブを筆頭に、きつい反向曲線が連続する。軽便規格の険しいルートであることに変わりはない。

こちらも需要がそこそこあるのは、中間のアレクシスバート Alexisbad までだ。ここでハルツゲローデ Harzgerode 方面とハッセルフェルデ Hasselfelde 方面に線路が分かれるため、残りは1日4往復の閑散区間になる(ただしバス代行ではない)。ハルツ横断線に合流するアイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle は、そうした閑散線どうしの静かな乗換駅だ。各方面の列車が接続のために顔を揃える時間帯だけ、生気が戻ってくる。

方や、起点側のクヴェードリンブルク Quedlinburg とゲルンローデ Gernrode の間は、2006年に開通したばかりの新線だ。世界遺産都市に乗入れるために、廃止された標準軌線をわざわざメーターゲージに改軌したことで話題になった。車庫はもとの起点ゲルンローデに残されていて、朝晩、出入庫車両の運用がある。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線」参照。

Blog_germany_heritagerail_e11
アレクシスバート駅の単行気動車(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番21 リューベラント鉄道 Rübelandbahn

ザクセン州の蒸気鉄道は次回紹介するとして、ハルツ山地に分け入る標準軌の山岳路線にも触れておきたい。山地北麓のブランケンブルク Blankenburg と山中の町エルビンゲローデ Elbingerode の間18.2kmを結んでいるリューベラント鉄道だ(下注)。

*注 かつてはさらに奥へ進み、タンネ Tanne まで30.3kmの路線だった。

沿線の鉱石輸送を目的に全線開業したのは1886年。ハルツ狭軌鉄道と時代が重なるが、同じようにルート前半で分水界を越えるために61‰の急勾配があり、これをスイッチバックと、開発されて間もないアプト式ラックレールで克服した。

路線は、第二次大戦後の国有化で改称されるまで、ハルツ鉄道 Harzbahn と呼ばれていた。それで狭軌鉄道(下注)と混同されることもあるのだが、旧 信越本線碓氷峠区間の建設に当たって参考にしたのは、この標準軌線だ。その後1920年代に、強力な蒸気機関車が導入されてラック運転は不要となり、レールも撤去された。1966年には電化が完了して、蒸機も姿を消した。

*注 ハルツ狭軌鉄道は当初から粘着式で運行され、ラックレールは使われていない。

現在のリューベラント鉄道は、もっぱら石灰石を搬出するための貨物線だ。一般旅客輸送は行われていないが、うれしいことに、愛好家団体が毎月特定日に走らせている蒸気列車がある。動輪5軸の強力な95形機関車が、車庫のあるブランケンブルク駅を出て険しい坂道を上っていく姿は、ハルツ鉄道の昔を彷彿とさせる。

Blog_germany_heritagerail_e12
ヒュッテンローデ Hüttenrode 付近(2020年)
Photo by Albert Koch at flickr. License: CC BY-ND 2.0
Blog_germany_heritagerail_e13
リューベラント鉄道博物館前の95形(2012年)
Photo by Carsten Krüger Wassen at wikimedia. License: CC BY 3.0

次は、ベルリン東郊に点在する小規模な電気鉄道をいくつか挙げよう。これらに共通するのは、長距離幹線の駅から少し離れた町や行楽地へ向かう路線という点だ。幹線鉄道は、主要都市を最短時間で結ぶことを目的に建設される。それでルートから外れた土地への交通手段は、こうした軽規格の支線鉄道が担っていた。

項番7 ブーコー軽便鉄道 Buckower Kleinbahn

最も東に位置するブーコー軽便鉄道は、東部本線 Ostbahn のミュンヒェベルク Müncheberg 駅を起点に、メルキッシェ・シュヴァイツ自然公園 Naturpark Märkische Schweiz(下注)の中心地ブーコー Buckow まで行く4.9kmの標準軌支線だ。

*注 メルキッシェ・シュヴァイツは、マルク・ブランデンブルク Mark Brandenburg(ブランデンブルク辺境伯領 Markgrafschaft)のスイスを意味する。風光明媚な地域をスイスに例えたもの。

東部本線というのは、プロイセン王国時代にベルリンとケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Kaliningrad)を結んだ総延長740kmの鉄道だ。重要幹線の一つだったので、途中の小さな町などには目もくれず、広大な平野をひたすら驀進していく。そこで、北に離れた森と湖の里ブーコーへは、1897年に最寄り駅から750mm軌間の軽便鉄道が開通した。これが1930年に標準軌に転換され、同時に直流電化されて、現在に至る。

保存鉄道として維持されているこの支線の特徴は、改軌電化の際に配備された479形電車の存在だ。879形の付随車とのペアで運行されている。1980年代に改修を受けたとはいえ、角ばった外観や中央の側扉といったレトロな風貌は健在で、吊掛けモーターの唸りとともに、訪れる人のノスタルジーを誘ってやまない。

Blog_germany_heritagerail_e14
ミュンヒェベルク駅で発車を待つ(2012年)
Photo by Andre_de at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シュトラウスベルク鉄道 Strausberger Eisenbahn

シュトラウスベルク鉄道は、ブーコーより少し早く1893年に開業している。町の6km南にある東部本線のシュトラウスベルク Strausberg 駅から、間を埋める深い森を貫いて、町の中心部に達した蒸気鉄道だった。電化は1921年で、このとき後半の区間が移設され、ルストガルテン  Lustgarten に至る現在の道端軌道が出現した。

ブーコーと違って、こちらはSPNVとして公共輸送を担っている。平日は20分ヘッドで走り、バリアフリー化のために、ベルリン市内と同じボンバルディアの低床トラムも導入済みだ。並行してSバーン(S5系統)があり、町裏にある駅(下注)から乗り換えなしでベルリン中心部まで行けるというのに、至って元気な路線で、歴史あるわが町のトラムに対する市民の愛着が感じられる。

*注 S5系統シュトラウスベルク・シュタット Strausberg Stadt駅。

Blog_germany_heritagerail_e15
終点ルストガルテンの低床トラム(2022年)
Photo by Lukas Beck at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ここでもう一つ、観光名所になっているのが、鉄道の終点駅近くでシュトラウス湖を横断している渡船 Strausseefähre だ。幅350mの細長い湖とあって、湖上に架線が渡され、そこから集電して走る。湖面には別途、ケーブルが2本張ってあり、これを船体の両側に通すことで航路を誘導する仕組みだ。前身の船はガソリン動力だったが、騒音と漂う石油臭が不評で、1915年にこのトロリーフェリーに置き換えられた。現在の船は1967年に就航した2代目の「シュテッフィ Steffi」、今やヨーロッパ唯一という貴重な動く文化財だ。

Blog_germany_heritagerail_e16
トロリーフェリー「シュテッフィ」(2023年)
Photo by Zonk43 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ヴォルタースドルフ路面軌道 Straßenbahn Woltersdorf

ベルリン市内から南東に走るSバーン(S3系統)のラーンスドルフ Rahnsdorf の駅前からは、ヴォルタースドルフ Woltersdorf の町へ向かうトラムが出発している。延長5.6kmの小路線で、自治体設立の会社が所有している文字どおりわが町のトラムだ(下注)。町の人口は8500人ほどで、独自のトラム路線を持つ自治体では最小規模だという。にもかかわらずダイヤは20分間隔、さらに平日の朝夕は根元区間で10分間隔と頻発していて、使い勝手がいい。

*注 列車の運行管理は、2020年からシェーナイヒェ=リューダースドルフ路面鉄道会社が担っている。

ルートは、前半が森の中、後半はヴォルタースドルフの住宅街を進んでいく。67‰の急な下り坂や、狭い道路でクルマと鉢合わせしそうな併用軌道など、注目個所がいくつかある。終点は運河の閘門の前で、開業当時は人気の観光スポットだった。

この路線の特色は、もっぱら中古の2軸ゴータカーが定期運用されていることだ。東ドイツ時代にゴータ車両製造人民公社 VEB Waggonbau Gotha で製造された車両群だが、ベルリンやシュヴェリーンなど他都市から引退した後、ここに終の棲家を見出した。改修を受けているとはいえ、もう60年選手だ。

しかし、バリアフリー化を達成するために、ここでも低床車の導入計画が進んでいて、今年(2024年)7月にポーランド製の3編成が現地に到着したと報道された。長らく隆盛を誇ったゴータカー王国も、にわかに体制が揺らぎ始めている。

Blog_germany_heritagerail_e17
ヴォルタースドルフ病院 Woltersdorf Krankenhaus 付近(2010年)
Photo by der_psycho_78 at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

項番12 シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS)

Sバーンでラーンスドルフからベルリンに向かって次の駅、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen にも、同じように独立したトラム路線がある。Sバーン線の駅から深い森を抜けて、シェーナイヒェ Schöneiche、リューダースドルフ Rüdersdorf という二つの町を結んでいる 14.1kmの路線だ。

上述した3路線はいずれも標準軌だったが、シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道は、ベルリン都市圏で唯一のメーターゲージ(1000mm軌間)だ。起点のフリードリヒスハーゲンには、Sバーン駅を挟んで反対側にベルリン市電も来ているのだが、軌間の違いで直通できず、1910年の開業からずっと孤立路線に甘んじている。起点から約4kmの間はベルリン市内を走るため(ただし森の中で、集落はない)、地元ではベルリン市電への編入を要望しているそうだが、実現していない。

とはいえ、ベルリンに限定しなければ、メーターゲージのトラムは何ら珍しい存在ではない。事実、現在の運用車両は、ハイデルベルク、コットブスなど国内各地のメーターゲージ市電から譲渡された中古車だ。また、最も新しい低床3車体連節車は、フィンランドのヘルシンキからやってきた。たまたま車体の色がどちらも黄色と緑なので、オリジナル色のままでも違和感なく走っている。

Blog_germany_heritagerail_e18
ヘルシンキから来た低床車アルティック Artic(2019年)
Photo by Mirkone at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番24 ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg

ナウムブルク Naumburg はライプツィヒの南西50kmにある町で、4本の尖塔を持つ堂々たる大聖堂で知られる。ここでも国鉄駅と旧市街を連絡するメーターゲージの馬車軌道が、1892年に開通した。1907年に電化され、東ドイツ時代までは環状ルートで走っていたが、施設の劣化が進行し、再統一後の地域経済が減退するなかで、運行は中止されてしまった。

公共交通機能がバスに移されるなか、愛好家団体が会社を設立し、市当局の協力を得ながら、少しずつ軌道の再建を進めていった。環状線のうち西側を廃止する代わりに、東側は公費で改修されることになった。もとの軌道は旧市街のマルクト広場 Marktplatz を経由していたが、このとき、道幅に余裕のある外縁ルートに変更されている。

こうして2006年にはシーズン中、毎週末の保存運行が始まった。さらに2007年のシーズンから4年間は、試験的に毎日運行され、結果が良好だったことから、2010年、ついに近距離公共旅客輸送機関 SPNV への復帰が決まったのだ。

現在、路線は中央駅 Hauptbahnhof とザルツトーア Salztor の間 2.9kmで、30分ごとに運行されている。路面軌道とはいうものの、全線にわたって車道と分離されているので、実態は道端軌道だ。主役は、1960年前後に製造されたゴータカーと、1970年代の「レコ」トラムで、保存鉄道の雰囲気をまといながら今日も走り続けている。

Blog_germany_heritagerail_e19
終点ザルツトーア付近の「レコ」トラム(2018年)
Photo by Michał Beim at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0

最後は、東部各州に見られる公園鉄道について。

公園鉄道というのは、都市公園の中を走っている遊覧鉄道のことだが、東部の場合、そのほとんどが、東ドイツ時代に青少年の社会教育訓練施設として設置されたピオネール鉄道 Pioniereisenbahn(下注)に由来する。ピオネール鉄道は、1930年代に旧ソ連のモスクワで開設されたものが最初とされ、第二次世界大戦後は、1950年のドレスデンを皮切りに東ドイツの各都市にも広まっていった。これらは公園内に造られたので、ドイツ再統一後も、名称が公園鉄道 Parkeisenbahn に変わっただけで、青少年が運行に携わる組織ともども多くが存続している。

*注 ピオネール пионе́р(英語の pioneer に相当)は、共産主義圏における少年団組織。

このうち、ベルリン市内南東部にあるヴールハイデ公園鉄道 Parkeisenbahn Wuhlheide、別名 ベルリン公園鉄道 Berliner Parkeisenbahn(項番10)は、ドイツ最大の路線網と車両群を維持する公園鉄道だ。軌間は600mm。開業は1956年と比較的遅いが、1993年にSバーンの駅前まで延長されたことで、路線長は6.9kmに達した。

ふだん列車を牽くのは小型ディーゼル機関車だが、第1、第3週末には蒸気機関車も登場する。運行系統は2通りあり、中央駅 Hauptbahnhof と呼ばれる拠点を出発し、ヴールハイデ駅前に立ち寄りながら園内を周回するルートの場合、乗り通すのに約30分かかる。

この鉄道の運行には、10歳以上の青少年170名以上が携わっている。彼らは年齢に応じて理論研修や実践訓練を受けながら、車掌や踏切警手から始まり、出札業務や信号業務とさまざまな業務をこなしていく。紺の制服に身を包んで、きびきびと動く彼らは傍目にも頼もしげだ。

Blog_germany_heritagerail_e20
ヴールハイデの5号機「アルトゥール・コッペル Arthur Koppel」(2001年)
Photo by Andreas Prang at German Wikipedia. License: public domain
 

ドレスデン公園鉄道 Dresdner Parkeisenbahn(項番29)の前身は、上述のとおり、1950年に東ドイツで最初に開設されたピオネール鉄道だ。路線長は5.6km(下注)あり、ここも1周30分かかる。平日は蓄電池機関車だが、週末にはクラウス Krauss 製の蒸機が列車の前につく。

*注 なお、路線長の数値は、上下線が並走(=複線)する中央駅 Hauptbahnhof ~動物園駅 Bahnhof Zoo 間をダブルカウントしている。

軌間は381mm(15インチ)で、ウィーンのプラーター公園 Prater を走る有名なリリプット鉄道 Liliputbahn がモデルになっている。リストには挙げていないが、ドレスデンに次いで1951年に開業したライプツィヒ Leipzig のそれも同じ軌間だ。しかし、リリプット車両の流通量が少なかったため、これ以降のピオネール鉄道は、軽便線として普及していて転用が容易だった600mm軌間で計画されていく。

コットブス公園鉄道 Parkeisenbahn Cottbus(項番16)は1954年の開通で、軌間は600mm。周回軌道ではなく、DB駅前から公園の南端まで南下していく一本道のルートだ。東ドイツ時代は公園内で完結していたのだが、1995年に開催された連邦園芸博の機会に、ヴールハイデの例に倣ってDB駅まで延伸された。

その結果、現在はザンドアー・ドライエック Sandower Dreieck~パルク・ウント・シュロス・ブラーニッツ Park & Schloss Branitz 間3.2kmとなり、片道19分。軌間が広い分、客車の空間も広く取られ、狭苦しいドレスデンに比べるまでもなく、大のおとなが並んでも十分余裕がある。

Blog_germany_heritagerail_e21
ドレスデン公園鉄道の複線区間(2010年)
Photo by Henry Mühlpfordt at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_germany_heritagerail_e22
コットブス公園鉄道ザンドアー・ドライエック駅(2017年)
Photo by kevinprince3 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

こうした公園鉄道は、上述したものの他にも、ケムニッツ Chemnitz(項番38、1954年開設)、プラウエン Plauen(以下リスト未掲載、1959年開設)、ハレ Halle(1960年開設)、ゲルリッツ Görlitz(1976年開設)などの都市で今も動いている。

なお、リストには、ベルリンのブリッツ公園鉄道 Britzer Parkbahn(項番14)も挙げているが、これは旧 西ベルリンにあり、1985年に園芸博のアトラクションとして開設されたもので、ピオネール由来ではない。

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年7月31日 (水)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

ドイツは、イギリスと並んで保存鉄道活動が盛んな土地柄だ。いつものように観光鉄道や景勝路線を含めて挙げてみると、件数は150を超えた。北部、東部、西部、南部と4分割したリストの中から、主なものを紹介していこう。

Blog_germany_heritagerail_n01
「ヤン・ハルプシュテット」のクリスマス特別列車(2014年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyn.html

Blog_germany_heritagerail_n02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」画面

北部編には、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein、ハンブルク州 Hamburg、ニーダーザクセン州 Niedersachsen、ブレーメン州 Bremen にある路線を含めている。

まず注目したいのは、島の鉄道 Inselbahnen だ。ドイツ本土と北海との間で、平べったい島々が列をなしている。これら北フリジア諸島、東フリジア諸島(下注)と呼ばれる島々は、知られざる小鉄道の宝庫だ。

*注 フリジア Frisia は英語由来の呼称で、ドイツ語ではフリースラント Friesland。

項番3 ハリゲン鉄道 Halligbahnen

ユトランド半島の東側に位置する北フリジア諸島では、ハリゲン鉄道 Halligbahnen(下注)として括られる2本の簡易軌道が、本土と島をつないでいる。

*注 ハリゲン Halligen(複数形。単数はハリッヒ Hallig)とは、潮位が高くなると海中に没してしまうこの地域特有の湿地の島のこと。

一つは、本土の港ダーゲビュル Dagebüll から遠浅のワッデン海を築堤で渡ってオーラント島 Oland とランゲネス島 Langeneß へ行く軌間900mm、長さ9kmのダーゲビュル=オーラント=ランゲネス線 Halligbahn Dagebüll–Oland–Langeneß。

もう一つは、その約15km南で同じようにワッデン海を横断している軌間600mm、長さ3.5kmのリュットモーアジール=ノルトシュトランディッシュモーア線 Halligbahn Lüttmoorsiel–Nordstrandischmoor、通称ローレンバーン Lorenbahn(トロッコ鉄道の意)だ。

Blog_germany_heritagerail_n03
ダーゲビュルの堤防を降りる自家用トロッコ(2023年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

その特徴は、州の海岸保護・国立公園・海洋保護局 Landesamtes für Küstenschutz, Nationalpark und Meeresschutz (LKN) が管理している専用線であることだろう。1920~30年代に護岸工事の資材を輸送するために建設され、今もその目的で維持されている。しかし本土との間には道路がないので、島民もこの軌道の日常利用が許されている。

彼らはマイカーならぬマイトロッコを運転して、浅海の上を行き来する。かつてこうしたトロッコは無動力で、帆で風を受けて走っていた。今はドライジーネ Draisine と呼ばれる動力車が普及していて、中には付随車(トレーラー)を伴った「列車」形式も見られる。

軌道は全線単線で、前者の場合、途中に、対向車両を退避するための頭端側線または待避線が計4か所設置してある。見通しがいいので信号機などはなく、優先通行権はまず工事車両に、マイトロッコ同士なら先に「閉塞区間」に入った車両にある。ポイントの切り替えもセルフサービスになっている。

鉄道ファンなら乗ってみたいが、この軌道に定期運行の旅客列車などは存在しない。それどころか、島内の民宿に泊る客を除いて、島民がマイトロッコに一般人を便乗させることも禁じられている。違反すると、運転免許取消の厳しい処分が待ち受けているそうだ。

Blog_germany_heritagerail_n04
ワッデン海の中を3km続く簡易軌道(2003年)
Photo by StFr at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番14 ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn

一方、オランダに近い東フリジア諸島では、4つの島に島内鉄道が存在する。一つは観光用の馬車軌道だが、他の3島は狭軌の普通鉄道で、本土との間を結ぶ航路と連携して、港から中心市街地への交通手段として活用されている。

*注 東フリジア諸島の島内鉄道の概要については「北海の島のナロー I-概要」参照。

そのうち、最も東に位置するのがヴァンガーオーゲ島鉄道だ。軌間は1000mm(メーターゲージ)、航路ともどもドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによる運営で、今やDB唯一のナローゲージ路線になっている。

この鉄道の特徴は、運行ダイヤが毎日変わることだ。というのも、本土と島の間は遠浅の海で、潮が引くと広大な干潟が現れる。フェリーは、本土の川から続いている溝状の水路、いわゆる澪(みお)に沿って運航されるが、ヴァンガーオーゲの場合、それが浅く、潮位が高いときしか通れないのだ。船がそうなら、接続列車も合わさざるをえない。DBサイトには、本土側の連絡バスを含む1年間の運行ダイヤが一覧表で掲載されている。

フェリーが着くのは、島の南西端に突き出た埠頭だ。数両の客車がその岸壁で乗客を待っている。発車時刻は明示されておらず、全員が乗り込み、シェーマ・ロコ(下注1)が前に連結されれば、出発だ。列車は、海鳥たちの繁殖地にもなっている塩性湿地 Salzmarschen の上を時速20kmでゆっくりと横断し、約15分かけて町の玄関駅にすべり込む。

*注1 シェーマ Schöma(クリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH)社製の小型ディーゼル機関車。
*注2 鉄道の詳細は「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」「同 VI-後編」参照。

Blog_germany_heritagerail_n05
塩性湿地を横断する列車(2018年)
筆者撮影
 

項番17 ボルクム軽便鉄道 Borkumer Kleinbahn

ボルクム島 Insel Borkum は東フリジア諸島の西端にあって、面積、人口とも諸島最大だ。ドイツ本土より距離が近いオランダからの定期航路もあり、レーデ Reede(投錨地の意)と呼ばれる埠頭は常に賑わっている。

ボルクム軽便鉄道は、その埠頭から7kmほど離れたボルクムの市街地まで、旅行者や用務客を運んでいる狭軌鉄道だ。メーターゲージの他の3島と異なり、軌間は前身の馬車軌道に由来する900mm。しかし、複線のまっすぐな線路を、10両編成で疾走する列車をひとたび目にすれば、鉄道需要の規模の差を実感する。

ボルクム駅までは17分。公式時刻表では、埠頭の発時刻が、船の遅延も見込んで ca.(およそ)何時何分と書かれているのがユニークだ。それに加えて、時刻表にない列車もたびたび走る。フェリーの乗客が多かったり、発着が重なったりして、1本の定期列車では運びきれないと判断された場合、混雑緩和列車 Entlastungszug と称して臨時便が手配されるのだ。

列車を牽くのはここでもシェーマ・ロコだが、ボルクム駅の車庫には、蒸気機関車やヴィスマール・レールバスといった旧型車両も保存されていて、週末などに特別運行が実施される。実用一辺倒でなく、観光要素にも配慮しているところが、島の交通を預かる鉄道の心意気だろう。

*注 鉄道の詳細は「北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編」「同 III-後編」参照。

Blog_germany_heritagerail_n06
埠頭の駅で発車を待つ(2018年)
筆者撮影
 

項番9 ドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館 Deutsches Feld- und Kleinbahnmuseum
項番10 ブルクジッテンゼン湿原鉄道 Moorbahn Burgsittensen
項番11 アーレンモーア湿原鉄道 Moorbahn Ahlenmoor

北部の知られざる小鉄道は北海の島にとどまらない。ニーダーザクセン州中西部に広範囲に分布している低地湿原(モーア Moor)もその舞台だ。農地化などで面積が縮小して、湿原の多くは保護区として開発が制限されているが、かつては肥料や燃料にするために、泥炭の採掘が盛んに行われた。それを加工場まで運搬していたのが、湿原鉄道 Moorbahn、泥炭鉄道 Torfbahn などと呼ばれる600mm軌間の簡易軌道 Feldbahn(下注)だ。

*注 Feld は英語の field に相当する。軽量で、敷設・撤去が容易なことから軍用や産業用として広く用いられた。

シュターデ Stade 近郊、旧DBダインステ Deinste 駅の構内にあるドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館は、泥炭工場をはじめ鉱山、林業などで使われた小型機関車や客車・貨車を多数収集・保存している。コレクションを走らせる軌道も、畑を区切る並木を縫って約1.6kmの間延びていて、開館日のシャトル運行は訪問客の大きな楽しみだ。

Blog_germany_heritagerail_n07
原状回復が図られるティステ農業湿原(2013年)
Photo by Dieter Matthe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

また、実際に湿原に敷かれた簡易軌道を保存して、観光と学びに活用しているところもある。ブルクジッテンゼン湿原鉄道は、ハンブルクとブレーメンの中間にある自然保護区「ティステ農業湿原 Tister Bauernmoor」の中を走る簡易軌道だ。

ここでは1999年まで泥炭が採掘されていたが、事業廃止後、自然保護区に指定されて湿原の回復が図られた。それとともに、残された軌道を活用して、湿原と野鳥の見学ツアーを開催している。ガイド付きツアーの参加者は、シェーマ・ロコが牽くトロッコ客車に乗り、約1.4km離れた湿原展望台まで行く(下注)。自然と触れ合う往復1時間30分の小旅行だ。

*注 途中、上下線が別ルートになっているので、総延長は約4kmある。

クックスハーフェン Cuxhaven の南にあるアーレンモーア湿原鉄道も同様で、広さ40平方kmのアーレン湿原 Ahlenmoor に張り巡らされた旧 泥炭軌道を利用している。こちらのツアーはより大規模で、全長5.7kmの周回ルートを走り、所要2時間15分。乗り場になっているビジターセンターも、かつての泥炭工場を改修したものだ。

Blog_germany_heritagerail_n08
アーレン湿原の見学列車(2014年)
Photo by Ra Boe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番22 ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道 Museumseisenbahn Bruchhausen-Vilsen – Asendorf

次は、「ふつうの」保存鉄道をいくつか挙げよう。

ヴェーザー川とその支流が潤すブレーメン Bremen 周辺の田園地帯には活動中の路線がいくつもあるが、中でも筆頭は、ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道だろう。メーターゲージ(1000mm軌間)ながら、1966年7月に運行を開始した、ドイツで最初の保存鉄道だからだ。

運営主体は、その2年前に愛好家により設立されたドイツ鉄道協会 Deutsche Eisenbahn-Verein e. V. (DEV) 。まだ全線は走れず、列車構成も、1900年の路線開通時からいる同線オリジナルの小型蒸機「ブルッフハウゼン Bruchhausen」と客車1両というささやかなものだった(下注)。

*注 ブルッフハウゼン号は後に引退し、今はブルッフハウゼン・フィルゼン駅前のロータリーに記念碑として置かれている。

Blog_germany_heritagerail_n09
駅前に据え付けられたブルッフハウゼン号(2009年)
Photo by Syker Fotograf at wikimedia. GNU General Public License
 

運行区間は1970年に延伸され、現在のブルッフハウゼン・フィルゼン Bruchhausen-Vilsen ~アーゼンドルフ Asendorf 間7.8kmになった。メーターゲージの孤立路線だが、昔は本線格のジーケ Syke ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~ホーヤ Hoya 間とともに狭軌の軽便鉄道網の一部をなしていた。それで、路線の後半に見られるいわゆる道端軌道の風景も本線とよく似ている。こうした軽規格のローカル線は1950年代までドイツの田舎の至るところで見られたが、今ではほとんど残っていない。

拠点のブルッフハウゼン・フィルゼンへは、DB線のジーケ駅から路線バスが出ている。また、運行日は限られるが、ジーケ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~アイストループ Eystrup 間にカフキーカー Kaffkieker(項番21)という気動車の観光列車も走っている。一部に田舎道の併用軌道さえある興味深い路線なので、機会があれば併せて乗ってみたい。

Blog_germany_heritagerail_n10
観光列車カフキーカー、ブルッフハウゼン駅にて(2010年)
Photo by Corradox at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 アンゲルン蒸気鉄道 Angelner Dampfeisenbahn

ブルッフハウゼンに刺激されてか、1970年代に入ると、北部でも保存鉄道の開業が相次ぐ。フレンスブルク鉄道交通友の会 Freunde des Schienenverkehrs Flensburg e. V. によって1979年に開業したアンゲルン蒸気鉄道(下注)もその一つで、ドイツ最北の保存鉄道として今も運行を続けている。

*注 アンゲルン Angeln は、路線がある半島の名。ちなみに、この地からグレートブリテン島に移住した民族が英語で Angles(アングル人)と呼ばれ、アングロ・サクソンやイングランド(アングル人の土地の意)の名の語源になっている。

ルートとなった路線は、もともと主要都市シュレースヴィヒ Schleswig を起点とする地方鉄道だった。保存鉄道ではその東半分、DBキール=フレンスブルク線 Bahnstrecke Kiel–Flensburg のジューダーブラループ Süderbrarup 駅と港町カペルン Kappeln の間14.6kmが使われている。

この鉄道の最大の特徴は、車両コレクションの多くを北欧に求めていることだ。2017年まで主力機だったタンク蒸機F形はもとデンマーク国鉄 DSB のものだし、バトンを引き継いだテンダー蒸機S1形も、側壁の SJ の文字が示すように、スウェーデン国鉄の最後の形式だ(下注)。客車群もまたデンマークやノルウェーから到来している。

*注 2024年現在、修理のために就役していない。

鉄道の終点カペルン駅は、港のすぐ前だ。内陸に40km以上も入り込むシュライ湾 Schlei と呼ばれる細長い水路に面した港では、昔からニシンの水揚げが盛んだった。昇天日に合わせて開催されるニシン祭 Heringstage は町一番の年中行事で、鉄道もその一部に協力する。

Blog_germany_heritagerail_n11
カペルン駅の旧SJ蒸機S1 1916(2018年)
Photo by Matthias Süßen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番5 シェーンベルガー・シュトラント保存鉄道 Museumsbahnen Schönberger Strand

この蒸気保存鉄道は1976年に開業している。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の州都キール Kiel から、バルト海沿岸の保養地シェーンベルガー・シュトラント Schönberger Strand(シェーンベルク海岸の意)まで延びる休止中の標準軌支線がその舞台だ。

1975年の一般旅客輸送の廃止を受けて、ハンブルク Hamburg で設立された交通愛好家・保存鉄道協会 Verein Verkehrsamateure und Museumsbahn e. V. (VVM) が末端部の線路3.5kmを取得した。以来、保存列車は基本的にその区間を往復している(下注1)が、支線全線が走行可能な状態に保たれているので、イベントなどでは列車がキール市内まで遠征する(下注2)。

*注1 今年(2024年)は、協会管理外のシェーンベルク Schönberg ~シェーンキルヘン Schönkirchen 間で運行されている。
*注2 根元区間のオッペンドルフ Oppendorf までは、2017年以来、キール中央駅からの一般旅客輸送が復活している。

活動拠点になっているのはシェーンベルガー・シュトラント旧駅だが、ここには別の楽しみもある。それは、協会が1993年から手掛けている路面電車の動態保存だ。ベルリン、ハンブルク、キールほか北ドイツ各都市の旧型車両が収集されていて、構内には終端ループを伴う1周500mほどの走行線が敷かれている。

ベルリンなどは標準軌(1435mm)だが、キールとリューベック Lübeck の市電は珍しい1100mm軌間だった。それで構内線もデュアルゲージ対応の3線軌条だ。

Blog_germany_heritagerail_n12
シェーンベルガー・シュトラント駅(2017年)
Photo by Christian Alexander Tietgen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
Blog_germany_heritagerail_n13
シェーンベルガー・シュトラント駅の路面軌道を走る旧ハンブルク市電(2018年)
Photo by Hammi8 at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

項番28 ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland

ヴェーザー川中流、ミンデンMinden(下注)の東に、リンテルン=シュタットハーゲン線 Bahnstrecke Rinteln–Stadthagen という半ば休止線が通っている。1974年以来、愛好家団体ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland (DEW) が保存列車を走らせているルートだ。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州北部の都市。

列車は、先輪1軸、動輪5軸の大型機関車DR 52.80形と客車6両(食堂車と半荷物車を含む)で構成されている。いずれも出自は旧 東ドイツ国鉄 DR で、第二次世界大戦前または戦中に製造された車両を戦後、抜本的に改良したいわゆるレコ機関車 Reko-Lokomotive、レコ客車 Rekowagen だ(下注)。

*注 レコは改造 Rekonstruktion を意味する。なお、この蒸機は2023年10月の踏切事故で損傷し、当面、運行できなくなった。

DB線の駅に近いリンテルン北駅 Rinteln Nord を出た列車は、ヴェーザー山脈 Wesergebirge という背骨のように東西に横たわる低山地の鞍部を越えていく。あとは、山麓のなだらかな農地や林を縫って北西へ進み、約1時間でDBハノーファー=ミンデン線 Bahnstrecke Hannover–Minden のシュタットハーゲン Stadthagen 駅に到着する。やたらとカーブの多い路線だが、のんびり走る保存鉄道には何の問題もない。

Blog_germany_heritagerail_n14
リンテルン東方を行くレコ蒸機52 8038(2008年)
Photo by Vogelsteller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18 ブレーメン路面軌道博物館 Bremer Straßenbahnmuseum "Das Depot"

最後は路面電車の保存運行を一つ。

ブレーメン Bremen には、旧市街から郊外まで広がる延長115kmものトラムの路線網がある。他都市と同様、低床の連節車がさっそうと行き交うなか、日曜日になると昔懐かしい単車のトラムも姿を見せる。ブレーメン路面軌道友の会 Verein Freunde der Bremer Straßenbahn が運営するブレーメン路面軌道博物館の市内ツアーだ。

車庫を意味する「ダス・デポー Das Depot」の愛称が示すとおり、博物館は、市内西部ゼーバルツブリュック車庫 Betriebshof Sebaldsbrück  の建物の奥に居を構えている。ここは現役トラムの運行基地であり、そのなかに居候している形だ。毎月第2日曜日が公開日で、1900年製の49号「モリー Molly」をはじめとする貴重な保存車両や鉄道資料が見学できる。

市内ツアーが行われるのも同じ日だ。9系統博物館線 Museumslinie 9 と呼ばれ、車庫前を出発した保存車両が、市内中心部を約1時間巡って戻ってくる。車内で切符を売るスタッフはガイドを兼ねていて、車窓の見どころを次々と案内してくれる。乗降は車庫前のほか、中央駅 Hauptbahnhof と旧市街の大聖堂前 Domsheide でも可能だ。

これとは別に、中心部のみを巡回するツアーもある。

15系統市内周遊 Linie 15 - Stadtrundfahrt は運行日限定で、北はビュルガー公園 Bürgerpark、西はヴェーザー河港、南は空港までカバーする市内大回り。もう一つの16系統環状線 Linie 16 - Ringlinie は、シーズンの第4日曜に運行される早回りだ。こちらは、旧市街ルートと新市街ルート(いずれも所要20分)が交互に運行される。

旧市街のゴシック調の都市景観に、レトロな風貌のトラムはよく似合う。街角で見かけて、思わずカメラを向ける人も少なくない。

Blog_germany_heritagerail_n15
中央駅前の16系統環状線ツアートラム(2010年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、東部各州にある主な保存・観光鉄道について見ていこう。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年2月22日 (木)

ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト II-南島

前回の北島編に続いて、今回はニュージーランド南島にある主な保存・観光鉄道を見ていきたい。

Blog_nz_heritagerail21
フェリーミード鉄道ムーアハウス駅(2019年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_nz.html

Blog_nz_heritagerail2
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド」画面

項番17 ミッドランド線(トランツアルパイン号)Midland Line (TranzAlpine)

キーウィレール KiwiRail(下注1)による南島の定期旅客列車は、観光用の2本しか残っていない。その一つが、東岸のクライストチャーチ Christchurch と西岸のグレイマウス Greymouth との間を4時間50分かけて走るトランツアルパイン号 TranzAlpine(下注2)だ。旅行者に人気の高い列車なので、夏のシーズン中は毎日1往復、オフシーズンでも金~月曜の週4日間運行されている。

*注1 旧ニュージーランド国鉄の路線網のインフラ管理と列車運行を行っている国有企業
*注2 アルプス横断を意味する名詞 “transalpine” の、”ns” の綴りをニュージーランドの略称 ”nz” に変えた造語。

トランツアルパインの走るルートは、ミッドランド線 Midland Line と呼ばれる。南島北部本線のロルストン Rolleston で分岐してグレイマウスまで、長さは 211km。南島の背骨をなすサザンアルプス Southern Alps を越えていく本格的な山岳横断路線だ。

クライストチャーチから乗ると、広大なカンタベリー平野が尽きる山裾のスプリングフィールド Springfield を境に、車窓風景が一変する。ワイマカリリ川 Waimakariri River の深い峡谷を高い位置から見下ろし、U字谷の背後に連なるアルプスの雄大な眺めを堪能しているうちに、路線のサミット、標高737mのアーサーズ・パス Arthur’s Pass 駅に到着する。

同名の峠の下を貫く長さ8554mのトンネルは、西に向かって30.3‰の下り一方という異例の設計だ。そのため、かつては蒸機で対応できず、この区間だけ電化されていた。今でも難所であることは変わりなく、西から坂を上ってくる30両の運炭列車に強力なディーゼル機関車が5台つく。一方、トンネルを抜けた西側はU字の広い谷底になり、列車は穏やかなペースで走り抜けていく。

*注 詳細は「ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道」「同 II-アーサーズ・パス訪問記」参照。

Blog_nz_heritagerail22
アーサーズ・パス駅に入線する
クライストチャーチ行きトランツアルパイン号(2008年)
Photo by Maksym Kozlenko at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18 ウェカ・パス鉄道 Weka Pass Railway

内陸のアムリ平原 Amuri Plain を縦断する旧ワイアウ支線 Waiau branch は、主役になり損ねた路線だ。1870年代の計画では、南島本線の一部になることが想定されていた。1882年から1919年の間にワイパラ Waipara から66km進んだワイアウ Waiau まで完成したものの、ルート上に立ちはだかる峠道の険しさから、結局、より海岸に近い代替線に取って代わられた。

ウェカ・パス(ウェカ峠)Weka Pass と呼ばれるその峠道は、標高249mのサミットまで、蒸機にとって厳しい18~22‰の勾配が数km続いている。1978年に一般運行が終了した後、1984年からここで保存列車が走り始めた。運行区間は順次延伸され、1999年に峠を越えた現在の終点ワイカリ Waikari までが開通している。

列車が出発するのは、南島北部本線のワイパラ駅から約500m先に設けられたグレンマーク Glenmark 駅だ(下注)。往路は一貫して上り坂だが、とりわけ中盤以降は勾配がきつくなり、線路がカーブするたび、国鉄A形蒸機の力強い走りっぷりを目撃できる。

*注 機関庫は本線ワイパラ駅の旧ヤードにあるが、客扱いはグレンマーク駅で行われる。

往路の所要は45分。終点ワイカリ駅は、国道の踏切が廃止されたため、その手前に新設された。転車台があるので、復路でも蒸機は前を向いて走る。

Blog_nz_heritagerail23
ウェカ・パスを上るA形428号機(2016年)
Photo by nzsteam at flickr. License: CC BY 2.0
 

項番19 クライストチャーチ路面軌道 Christchurch Tramway

ニュージーランドで唯一、市内の街路をトラム車両が走っているのが、南島最大の都市クライストチャーチ Christchurch だ。19世紀に開業したオリジナルの路面軌道は1954年に全廃されてしまったが、中心部の大通りの改修計画に合わせて、1995年に再敷設された。フェリーミード路面軌道の運営団体から借りた古典車両がレトロな雰囲気を醸し出し、たちまち市内を訪れる観光客の人気をさらった。

ルートは環状線になっていて、アーケードの中にあるカシードラル・ジャンクション Cathedral Junction(下注)が起点だ。トラムはそこから大聖堂前の広場を通り抜け、中心街を時計回りに巡った後、再び起点に戻ってくる。沿線には大聖堂のほか、エーヴォン川 Avon River の川舟(パント)乗り場や植物園 Botanical Garden、ハグリー公園 Hagley Park など観光スポットが点在していて、それらをつなぐ交通手段でもあった。

*注 車庫への引込線が分岐しているので、ジャンクションの名がある。

2011年2月にクライストチャーチを襲った大地震では、軌道も被害を受けて、2013年11月まで約1000日の間、運行ができなかった。その間に、ハイストリートを含む南側のショッピング街に第2の環状線の建設が進められ、追って2015年に開業した。現在、トラムはまず第2環状線を巡って起点に戻り、次に従来の第1環状線を巡るというルートで運行されている。総延長は3.9kmあり、全線の所要時間は50分だ。

Blog_nz_heritagerail24
アーケードの中のカシードラル・ジャンクション停留所
手前が環状線、右への分岐が車庫への引込線(2017年)
Photo by Krzysztof Golik at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_nz_heritagerail25
大聖堂広場の1910年製ブーン・トラム Boon Tram 152号
(2020年)
Photo by Bernard Spragg. NZ at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番20 フェリーミード鉄道 Ferrymead Railway
項番21 フェリーミード路面軌道 Ferrymead Tramway

クライストチャーチ南東郊にあるフェリーミード文化遺産公園 Ferrymead Heritage Park は、20世紀初頭の日常生活を再現した野外博物館だ。当時の町並みの中でさまざまな保存団体が実演や展示をしているなか、中心的存在となっているのが蒸気列車と路面電車の保存活動だ。前者はフェリーミード鉄道、後者はフェリーミード路面軌道と呼ばれ、どちらも公園域に古典車両を走らせる走行線を維持している。

フェリーミード鉄道は、そもそも国内初の公共鉄道として、クライストチャーチとフェリーミードの船着き場の間で1863年に開業した歴史的な路線の名称だ(下注)。より水深のあるリッテルトン港 Lyttelton Port への路線が開通するまでの5年間しか使われなかった短命の路線だが、その廃線跡が走行線に活用されている。

*注 ニュージーランドの鉄道黎明期の過程については、「ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I」参照。

鉄道は、旧国鉄や地方の産業鉄道で稼働していた車両の保存と修復を行っているカンタベリー鉄道協会 Canterbury Railway Society が運営している。1964年からこの地で活動を始め、1977年に正式開業した。ニュージーランドでは北島のグレンブルック鉄道と並ぶ老舗の保存鉄道だ。それだけに車両コレクションも国内最大規模で、蒸気、ディーゼルのみならず、電気機関車や連節電車(EMU)もリストに含まれている。

主として毎月第1日曜に行われる保存運転は、タウンシップ(構内町)に造られたムーアハウス Moorhouse 駅から出発する。そして、南側の三角線(下注)とヒースコート川 Heathcote River の河口に沿う眺めのいい北ルートの、計2kmあまりを走って戻ってくる。後者には架線が張られており、電気運転も可能だ。

*注 三角線の一方の端部は、旧国鉄の南部本線 Main South Line に接続され、車両の出入りに使用されている。

Blog_nz_heritagerail26
ムーアハウス駅を出発したD形140号機(2014年)
Photo by nzsteam at flickr. License: CC BY 2.0
 

一方、フェリーミード路面軌道は、地元クライストチャーチをはじめ南島各都市で走ったトラムを収集保存している路面軌道歴史協会 Tramway Historical Society が運営する。当地で開業したのは1968年で、以後十数年かけて施設が拡張され、現在は2棟の保存車庫と約1.5kmの走行線を持っている。

1435mm軌間、直流600V電化の走行線では、毎週末と祝日に動態車両による運行が実施される。需要に応じて続行あるいはトレーラーの連結運転が行われ、特定のイベントでは路面蒸機も登場する。

ルートは、公園域の北端にある車庫前から始まり、しばらくは専用軌道で、タウンシップに入ると併用軌道に変わる。終端は街区を回るループになっていて、鉄道のムーアハウス駅前が休憩地点だ。鉄道との間を乗継ぎするのも楽しいが、運賃はそれぞれに必要で、公園の入場料とも別建てなので注意のこと。

Blog_nz_heritagerail27
1881年英国キットソン製蒸気トラム(2012年)
Photo by Bernard Spragg. NZ at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番25 ダニーディン鉄道(旧 タイエリ峡谷鉄道)Dunedin Railways (ex. Taieri Gorge Railway)

幻想的かつ壮麗な外観を誇るダニーディン Dunedin 駅から、この鉄道の観光列車は出発する。南島の東岸に沿う幹線の主要駅として賑わったのは遠い昔の話で、今では他に旅客列車は走っておらず、事実上、ダニーディン鉄道専用だ。

旧称であるタイエリ峡谷鉄道 Taieri Gorge Railway の運行が始まったのは1979年(下注)のことだ。それから35年の間、列車はダニーディン駅から南下し、オタゴ・セントラル支線 Otago Central Branch でタイエリ峡谷を遡ったプケランギ Pukerangi を往復していた。一部の列車はさらに上流へ進んで、ミドルマーチ Middlemarch に達した。

*注 タイエリ峡谷の観光列車は1950年代からあったが、国鉄が運行から撤退したため、この年、地元資本で設立された財団が引き継いだ。

Blog_nz_heritagerail28
ダニーディン駅に停車中のタイエリ峡谷行き観光列車(2016年)
Photo by denisbin at flickr. License: CC BY-ND 2.0
 

2014年に現在の名称に変更されたのは、海沿いの南部本線 Main South Line を北上する新たな観光列車が運行され始めたからだ。現在は、タイエリと合わせて3本体制になっている。

インランダー号 The Inlander は、かつての看板を引き継いでタイエリ峡谷へ向かう。ただし、以前よりずっと手前のヒンドン Hindon で折り返す午前半日コースだ。名所のウィンガトゥイ高架橋 Wingatui Viaduct は渡るが、峡谷の側壁を上っていく後半の見どころまでは行かない。

シーサイダー号 The Seasider は午後出発の半日コースで、南部本線を北上して、45.5km先のマートン Merton 旧駅で折り返す。太平洋を高みから見下ろすパノラマ区間を通過するのがポイントだ。また、途中のワイタティ Waitati 駅またはアーク・ブルワリー(ビール醸造所)Arc Brewery 前で降りて観光した後、戻りの列車に拾ってもらうという選択肢もある。

ヴィクトリアン号 The Victorian は、白亜の建造物群で有名なオマルー Oamaru を往復する。オマルーでは約3時間滞在するので、ゆっくり街歩きができる。鉄道好きなら、港を走るオマルー蒸気鉄道修復協会 Oamaru Steam and Railway Restoration Society(項番24)の蒸気列車にも注目したい。

*注 タイエリ峡谷ルートの詳細は「タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車」参照。

Blog_nz_heritagerail29
ヒンドン駅手前でタイエリ峡谷を横断する道路併用橋(2012年)
Photo by Paul Carmona at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番26 キングストン・フライヤー Kingston Flyer

キングストン・フライヤーは、ニュージーランドで最もよく知られた歴史的列車名称の一つだろう。ルーツは19世紀に遡る。1886年に、南島南部本線のゴア Gore とキングストン Kingston の間を走る旅客列車に初めてこの名称が使われた。キングストンはワカティプ湖 Lake Wakatipu の南端にある船着き場で、ここから湖畔の有名リゾート、クイーンズタウン Queenstown に向けて蒸気船が出航していた。キングストン・フライヤーはリゾート列車の走りだったのだ。

自動車の普及で1930年代以降、定期列車は廃止されたものの、臨時観光列車の伝統は、1979年に発生した水害でルートの一部が廃止されるまで続いた。現在のキングストン・フライヤーの運行は、被害を免れたキングストン~フェアライト Fairlight 間13.7kmで1982年に開始されている。

それから数十年が経つが、この間にオーナーが交替するなどで、鉄道は何度か廃止の危機にさらされてきた。とりわけ2013年末からはずっと運休続きで、ようやく2022~23年のシーズンに再開されたばかりだ。

拠点はキングストンに置かれ、ここからシーズン中、毎日曜日に列車が運行される。緑の古典客車を牽くのは、かつて本線の主役を担ったAb形と呼ばれる大型のテンダー蒸機だ。しかしこれでさえ、氷河作用で形成されたU字谷の大自然の中では小さく見える。

湖を後に約40分走って、終点フェアライトに到着する。駅といっても広い牧草地のまっただ中にホームと小さな駅舎があるだけで、周りに一軒の家さえ見えない場所だ。折返しを待つ20分の間に、蒸機は三角線で機回しされて、再び列車の先頭につけられる。

Blog_nz_heritagerail30
キングストン駅で給水中のAb形778号機(2012年)
Photo by Bernard Spragg. NZ at wikimedia. License: CC0 1.0
 

★本ブログ内の関連記事
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II

2024年2月 7日 (水)

ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

植民地と自治領以来の強い文化的影響を受けて、南半球のイギリス Britain of the South とさえ呼ばれるニュージーランドは、保存鉄道の分野でもその呼び名にふさわしい充実ぶりを見せている。リストに掲げた20数件の路線のうち、主なものを北島と南島に分けて紹介したい。今回は北島について。

Blog_nz_heritagerail1
グレンブルック駅の国産蒸機Ja形(左)とWw形(2017年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_nz.html

Blog_nz_heritagerail2
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド」画面

ニュージーランドの幹線鉄道網は、日本のJR在来線と同じ1067mm(3フィート6インチ)軌間だ。廃止された支線を復活させて、この軌間の保存蒸機やディーゼル機関車を走らせているところがいくつかある。

項番1 ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道 Bay of Islands Vintage Railway

北島の北側に角のように延びるノースランド半島 Northland Peninsula の一角を、この保存鉄道は走っている。もとは国鉄ノース・オークランド線 North Auckland line の最北端で、オプア支線 Opua branch line とも呼ばれた、内陸から港町に向かうローカル線の一部だ。

*注 オプア支線はノース・オークランド線 North Auckland line で最初の開業区間で、1868年にカワカワの炭鉱からオプア Opua の港へ石炭を運ぶ馬車軌道として造られた。

ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道は1985年に開業したが、その後、財政難で休止と再開を繰り返した。現在は、支線の中間駅だったカワカワ Kawakawa を拠点に、約7km下ったテ・アケアケ Te Akeake(停留所)までの区間を、蒸気またはディーゼル牽引で往復している。往復の所要時間は90分。

Blog_nz_heritagerail3
カワカワ駅で発車を待つ蒸気列車(2009年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ルートの呼び物は、カワカワの市街地を貫いている長さ約300mの道路併用区間だ。両端の車道との交差部に信号機はなく、クルマや通行人は阿吽の呼吸で、進入する列車に道を譲る。町を出た後は農地のへりを下っていき、中間駅タウマレレ Taumarere の先に、カワカワ川(!)Kawakawa River に架かる長いトレッスル橋がある。

テ・アケアケは川べりにある暫定の折り返し点で、鉄道はこの先、オプア港までの復元を目標にしている。現行ルートでも車窓はけっこう変化に富んでいるが、将来区間にはトンネルや入江の眺めもあり、魅力はいっそう深まることだろう。

ところで、英語では保存鉄道を通常 "heritage railway" というが、ニュージーランドでは、この鉄道のように "vintage railway" と称することが多い。適切な訳が思いつかないので、リストではすべてヴィンテージ鉄道としている。

Blog_nz_heritagerail4
カワカワ市街地の併用軌道(2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番5 グレンブルック・ヴィンテージ鉄道 Glenbrook Vintage Railway

オークランドでグレンブルック Glenbrook と言えば、誰しも南郊にある同名の製鉄所を思い浮かべることだろう。この保存鉄道は、そこへの貨物線が分岐するワイウク支線 Waiuku branch の末端区間を舞台にしている(下注)。1967年に廃止された区間だが、その10年後に保存団体が、藪を切り開き、本線運行から引退した蒸気機関車や客車をここへ運んで走らせ始めた。今ではそれが、蒸機10両以上を保有する同国有数の保存鉄道に成長している。

*注 ワイウク支線のうち、根元区間のパトゥマホエ Patumahoe ~グレンブルック間は製鉄所への貨物支線として現在も使われている。

Blog_nz_heritagerail5
ワイウク郊外を行くJa形重連(2013年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

鉄道の拠点は、分岐駅のグレンブルックにある。そこから港町ワイウクのヴィクトリア・アヴェニュー Victoria Avenue 駅に至る7.4kmで、シーズンの主として日曜祝日に、かつて本線で使われた蒸機による観光列車が運行されている。

グレンブルックは台地の上で、河口のワイウクへ向けては、牧草地の中に下り坂が続く。往路の蒸機は逆機運転で、終点まで20分間ノンストップだ。機回しの後の復路は上り坂になるため、前を向いた蒸機の力強い走りが期待できる。中間地点のプケオワレ Pukeoware にある鉄道の修理工場で、15分の見学休憩があり、小旅行は往復で70分になる。

Blog_nz_heritagerail6
グレンブルック駅の信号所(2013年)
Photo by itravelNZ® at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、険しい峠越えに挑戦した19世紀の鉄道技術の結晶ともいうべき区間について。

項番9 ラウリム・スパイラル Raurimu Spiral

朝、オークランド Auckland から北島本線の長距離列車ノーザン・エクスプローラー Northern Explorer(下注)に乗り込むと、ちょうどお昼ごろにその鉄道名所にさしかかる。ラウリム・スパイラルとは、北島の中心部、タウポ火山群 Taupo Volcanic Zone の広大な裾野のへりにある、スパイラル(日本でいうループ線)を含んだ複雑な山岳ルートのことだ。

*注 北島の二大都市オークランドとウェリントンを結ぶ観光列車。現在、週3往復で、ウェリントン行きが月、木、土曜日に、オークランド行きが水、金、日曜日に運行される。所要10時間40分~11時間5分。

名所区間は、麓にある標高592mのラウリム Raurimu 旧駅(下注)から始まる。線路は半径151m(7チェーン半)のオメガカーブで反転した後、北斜面に回り込んで、長さ385mのトンネルに入る。この内部にスパイラルの始点があり、もう1本のトンネルを介しながら時計回りに円を描いていく。途中で左車窓に、ラウリム旧駅や先ほど通過した線路が一瞬見えるはずだ。

*注 ラウリム駅は1977年に廃止されたが、待避線は動態で現存する。

地形を巧みに利用したルートによって、鉄道は、勾配を蒸機の牽引能力内の1:50(20‰)に抑えながら、トンガリロ国立公園 Tongariro National Park の玄関口、ナショナル・パーク National Park 駅まで215mの高低差を克服した。この間の直線距離は約6kmだが、路線長は11.6kmとほぼ2倍の長さがある。

オークランドに向かう北行きのノーザン・エクスプローラーも、ナショナル・パーク駅の発車は同じ時刻だ。昼過ぎの時間帯、この名所を通って麓に降りていく。

Blog_nz_heritagerail7
空から見たラウリム・スパイラル(2012年)
Photo by Jenny Scott at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番11 リムタカ・インクライン Rimutaka Incline

ウェリントンからマスタートン Masterton 方面に通じるワイララパ線 Wairarapa Line には、ニュージーランドの鉄道で第2の長さを誇る8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel がある。トンネルとその前後区間は1955年の開通だ。

それ以前の旧線は、まったく別の峠越えルートを通っていた。特に東斜面には3マイル(4.8km)の間、平均66.7‰という極めて急な勾配区間があった。そこで使われていたのがフェル式 Fell system だ。これは、2本の走行レールの間に双頭レールを横置きし、それを車両側の水平駆動輪で左右から挟むことによって推進力を高める方式で、幹線で20世紀半ばまで使用していたのは、この区間が唯一だった。

麓の基地にはそのための蒸気機関車H形が配置され、戦後に導入された気動車も、センターレールは使わないものの、それに支障しないよう車高を上げた特別仕様車だった。

新線開通後、廃線跡は峠のトンネルを含めて、リムタカ・レール・トレール(自転車・徒歩道)Rimutaka Rail Trail に転用され、保存されている。役目を終えたH形蒸機は1両だけ残され、東麓のフェザーストン Featherston に設立されたフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum で静態展示されている。これとは別に、西麓のメイモーン Maymorn 駅構内では、リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust が、峠区間の復元を目標にして活動中だ。

*注 詳細は「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」参照。

Blog_nz_heritagerail8
現役時代のサミット駅(1880年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain
Blog_nz_heritagerail9
サミットトンネル東口、トンネル内部に続くフェル式レール(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain

軽便線や市内軌道、鋼索線にもそれぞれ見どころがある。

項番2 ドライヴィング・クリーク鉄道 Driving Creek Railway

3km走る間にトンネル3本、橋梁10本、オメガループが2か所、スイッチバックは5か所…。しかも7番目の橋梁は2層建てで、タイミングを合わせた続行列車と、上下両層で同時に渡っていく。最後に控えるスイッチバックは、尾根から空中に突き出たデッドエンドで、乗客は見晴らしに感嘆しつつも目の前のスリルに肝を冷やす。

ドライヴィング・クリーク鉄道は、北島コロマンデル半島のコロマンデル Coromandel 郊外にある381mm(15インチ)軌間の観光鉄道だ。技巧を凝らして手造りされたレイアウトは、テーマパークのアトラクションも顔負けのレベルに達している。

意外なことに、鉄道の創設者は陶芸家だった。彼は1975年に、陶芸工房で使う粘土と薪を山から運び下ろすために軌道を造り始めた。ところが、工房を訪れた客を乗せるサービスが評判を呼び、しだいに線路は、裏山一帯を巡るようにして上へ上へと延伸されていった。

麓に建つ工房前から、列車は出発する。線路は最大1:14(71‰)という急な上り坂だ。数々のマニアックなポイントを経て到着した終点には、2004年に完成したアイフル・タワー Eyefull Tower(アイフェル・タワー Eiffel Tower、すなわちパリのエッフェル塔のもじり、下注)という展望台がある。標高165mの高みからコロマンデル・ハーバー Coromandel Harbour や対岸の山並みの眺めを存分に楽しんだ客は、再び列車に乗り込み、麓に戻っていく。往復1時間15分。

*注 展望塔の構造は、オークランド港にある同国最古の灯台ビーン・ロック灯台 Bean Rock Lighthouse をモデルにしている。

Blog_nz_heritagerail10
(左)2層建ての第7橋梁
(右)空中に突き出た第5スイッチバック(いずれも2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番4 ウェスタン・スプリングズ路面軌道 Western Springs Tramway

オークランド市内のウェスタン・スプリングズ Western Springs にあるMOTAT(輸送技術博物館 Museum of Transport and Technology)が、館外に敷いた軌道線で、動態保存しているトラム車両を走らせている。

博物館には、グレート・ノース・ロード Great North Road とエーヴィエーション・ホール Aviation Hall という離れた2か所の構内があり、軌道線は、訪問者がこの間を移動するための交通手段という位置づけだ。そのため、クリスマスの日を除き年中無休、15分から30分間隔で運行され、運賃は取らない。

グレート・ノース・ロードの車庫から出てきたトラムは、同名の停留所で客を乗せた後、街路と公園に挟まれた専用線を走り出す。中間に停留所が4か所あるが、列車交換(下注)が行われるオークランド動物園 Auckland Zoo 以外はリクエストストップだ。約8分で、航空機の展示ホールがある終点に到着する。

*注 列車交換は、15分間隔運行のときに行われる。

MOTATの保存トラムには、地元オークランドやファンガヌイ Whanganui の1435mm標準軌車のほか、ウェリントン Wellington から来た1219mm(4フィート)軌間の車両も含まれている。どちらも走れるように、軌道は全線にわたって3線軌条だ。

なお、エーヴィエーション・ホールの敷地の奥には、1067mm軌の蒸気鉄道の機関庫と、長さ約700mの走行線がある。毎月1回のライブ・デーには機関庫が公開され、保存運行が行われる。これもまた楽しみだ。

Blog_nz_heritagerail11
終点エーヴィエーション・ホールに集結した古典車両群(2015年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番14 ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car

ケーブルカーで高台に上り、市街とその先に広がるウェリントン・ハーバー Wellington Harbour の絶景を眺めるというのが、ウェリントン観光の一つの定番だ。赤い車体のケーブルカーは、首都の目抜き通りラムトン・キー Lambton Quay の一角にある奥まったホームから出発する。前半はトンネルを出たり入ったりを繰り返すが、後半で一転空が開け、後方に町と海の美しいパノラマが見えてくる。

公式サイトによると、路線は長さ612m。17.86%(1:5.06)の一定勾配で、高度差120mを上りきる。山上駅はウェリントン植物園に隣接していて、テラスからの展望を楽しんだ後は、緑あふれる園地の散策に出かけるのが通例だ。

ケーブルカーは1902年の開通だが、当時のシステムは1067mm軌間の全線複線で、サンフランシスコに見られるような循環式と、釣瓶型の交走式とのハイブリッド仕様だった。すなわち、全線を循環するケーブルが通っていて、下る車両はそれを装置でつかむことにより降下する(=循環式)。もう一方の車両は、別のケーブルで山上駅の駆動力を持たない滑車を介してつながっているため、下る車両に連動して引き上げられた(=交走式)。また、緊急ブレーキ用に、フェル式レールも設置されていた。

しかし設備の老朽化が進み、1979年に軌間1000mm、単線交走式に置き換えられた。現在は、ケーブルでつながった2つの車両が、山上駅の駆動力を持つ滑車によって上下する。中間駅タラヴェラ Talavera に、行き違うための待避線がある。

英語では、循環式のケーブルカー(およびロープウェー)を "cable car" といい、交走式は "funicular" と呼んで区別する。この鉄道は今もケーブルカーを名乗っているが、これは旧方式を使っていた名残りに過ぎず、実際はフュニキュラーだ。

Blog_nz_heritagerail12
上部駅のテラスから見るケーブルカーのパノラマ(2014年)
Photo by Sham's Personal Favourites at flickr. License: public domain

最後に、変わり種の鉄道ツアーを一つ。

項番8 フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(ストラトフォード=オカフクラ線)Forgotten World Adventures (Stratford–Okahukura Line)

北島中部に、エグモント山麓のストラトフォード Stratford から山中を通って北島本線のオカフクラ Okahukura に至るストラトフォード=オカフクラ線 Stratford–Okahukura Line がある。全長143.5kmの間に、24本のトンネル、91本の橋梁、20‰の勾配が繰り返される山地横断路線だ。しかし、旅客列車は言うに及ばず、近年は貨物列車の運行もなく、路線自体が休止状態になって久しい。

この忘れられたようなルートで、2012年からエンジン付きレールカートによる走行ツアーを実施しているのが、フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(忘れられた世界の冒険)Forgotten World Adventures という企画会社だ。ゴルフカートのような簡素な車両だが、ガイドを兼ねたドライバーがつくので、客は乗っているだけでいい。また、およそ15km走るごとに降りて、小休憩やティータイムがある。

ツアーは数種類用意されている。たとえば、最も手軽な半日コースでは、朝、タウマルヌイ Taumarunui の直営モーテル前に集合して、シャトル(乗合タクシー)でオカフクラの乗り場(下注)へ行く。レールカートで線路を40km走ってトキリマ Tokirima へ。ここでランチをとり、復路はまたシャトルに乗って、ラベンダー農場経由で起点に戻る。

*注 オカフクラの国道をまたぐ鉄道の高架橋が老朽化により撤去されたため、乗り場はオカフクラ駅から800m先の地点に変更されている。

1日コースなら、80km先のファンガモモナ Whangamomona まで行ける。さらに「究極 The Ultimate」コースでは、レールカートだけでストラトフォードまで全線を移動する。東海道線なら、東京駅から吉原か富士までの距離に等しい。途中、ファンガモモナで1泊して2日がかりの行程だが、鉄道趣味もここまで来ると体力勝負だ。

Blog_nz_heritagerail13
(左)オカフクラのカート乗り場
(右)先行するカートを追って山中へ(いずれも2021年)
Photo by njcull at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

次回は、南島の保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト II-南島
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II

2024年1月21日 (日)

オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に続いて、オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道を見ていきたい。今回はビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州から主なものをピックアップする。

Blog_au_heritagerail21
ウールシェッド・フラット Woolshed Flat 駅で
折り返しの発車を待つピチ・リチ鉄道の蒸気列車(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

Blog_au_heritagerail2
「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

ビクトリア州の鉄道路線網の軌間(線路幅)は、州間連絡路線および西部の一部区間を除くと、広軌の1600mm(5フィート3インチ)だ。州内には、この軌間の車両で保存運行している鉄道がいくつかある。

項番18 モーニントン鉄道 Mornington Railway

モーニントン鉄道は、州都メルボルン Melbourne の南郊にある蒸気保存鉄道だ。ビクトリア鉄道の、1981年に廃止された旧バクスター=モーニントン支線 Baxter - Mornington branch line のうち、終端側のムールーダック Moorooduc ~モーニントン間5.7kmを使って、1988年に開業した。

蒸気運転の主役は、ビクトリア鉄道で支線用として導入されたK形と呼ばれる軸配置2-8-0のテンダー機関車だ。ここには4両が収集されていて、その1両が運用に就いている。

運行は毎週日曜日に3往復で、基地があるムールーダックから出発し、モーニントンまで行って折り返す。旧モーニントン駅は商業地に転用されてしまったため、その手前に新設したホームと機回し線がある。なにぶん沿線は牧草地と宅地や工場が交錯する郊外地なので、車窓風景はやや平凡かもしれない。

Blog_au_heritagerail22
朝のムールーダック車両基地(2016年)
Photo by michaelgreenhill at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番22 ビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道 Victorian Goldfields Railway

ビクトリア州中部には、旧金鉱地帯を走る蒸気保存鉄道がある。メルボルンからベンディゴ Bendigo 方面に向かうデニリクイン線 Deniliquin line の支線17kmを保存したビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道で、1986年に開業した。

起点カッスルメーン Castlemaine は、メルボルン・サザンクロス駅からデニリクイン線の列車で1時間30分。その3番線から、保存列車は出発する。現在先頭に立つのはビクトリア鉄道J形蒸機で、K形の後継として1954年に登場した最後の形式だ。この旧モルドン支線 Maldon branch line は高原地帯を横断するルートで、最大25‰のアップダウンが連続する。それで補機としてY形ディーゼル機関車が後ろにつく。

古典客車に揺られ、灌木林に覆われた沿線風景を眺めながら、終点モルドン Maldon まで45分。一帯は1850年代にゴールドラッシュで栄えた土地で、カッスルメーンもモルドンも、市街地の建物や街路に当時の雰囲気をとどめている。折返しの発車を待つ間の周辺散策も楽しい。

Blog_au_heritagerail23
モルドン駅のJ形蒸機(2007年)
Photo by Zzrbiker at English-language Wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番14 ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道 Walhalla Goldfields Railway

ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道も同じように金鉱地帯の名が冠されているが、こちらは762mm(2フィート半)軌間の軽便鉄道だ。場所は州東部ギップスランド Gippsland の深い山の中で、かつて鉱山集落として栄えたワルハラ Walhalla の村の入口に拠点を置いている。

もとはモイ=ワルハラ線 Moe - Walhalla line というビクトリア鉄道の数少ない軽便路線の一つだった。開通したのは1910年で、鉱山はすでに衰退していたが、沿線の潤沢な木材の搬出に活用された。その廃線跡を利用して、1994~2002年に開業したのが現在の鉄道だ。

ワルハラ駅は最も上流で、長さ4kmのルートは、ストリンガーズ・クリーク Stringers Creek という谷川に沿って終始下っている。特に最初の約500mは谷幅が狭く、川を渡る橋梁と崖ぎわの桟道が計6本連続する見どころだ。最後にトムソン川 Thomson River の本流を斜めに渡って、終点トムソン Thomson に到着する。

片道20分、折返し準備を含めて往復で1時間。小型ディーゼル機関車がオープン客車を2~3両率いて、水、土、日曜に各3往復している。

Blog_au_heritagerail24
終点トムソン駅(2007年)
Photo by Travis Winters at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番17 パッフィン・ビリー鉄道 Puffing Billy Railway

メルボルンの東縁を限るダンデノン山地 Dandenong Ranges の南麓にあるパッフィン・ビリー鉄道は、おそらくオーストラリアで最も有名な保存鉄道の一つだ。なにしろクリスマスの日を除いて年中無休で、かつ基本的に蒸気機関車が牽引する(下注)。762mmの軽便線には珍しく、10両以上も客車を連ねた長大編成で走るのも、訪問者の多さを裏付ける。

*注 夏の高温で火気全面禁止となる日はディーゼル代行となる。

鉄道は1900年に開業したが、一般運行の廃止後、1962年から一部区間で保存運行が始まった。現在のベルグレーヴ Belgrave ~ジェムブルック Gembrook 間25kmを走れるようになったのは、比較的新しく1998年のことだ。

人気の理由の一つは、メルボルンの中心地区から電車で約1時間というアクセスの良さだろう。もちろんそれだけではない。盛んに煙を吐く機関車、広軌を見慣れた目には驚くほど幅狭な線路、1920年代を模したレトロな駅設備と、客を迎える舞台装置も十分魅力的だ。

列車が走り出すと、ユーカリの森が手の届くところを飛び去り、カーブの先に華奢な木造のトレッスル橋が現れる。極めつけはオープン客車の窓枠に横座りして、足を車外に投げ出す伝統的マナー(?)が許されていることだ。乗車体験はどこまでも非日常感に満ちている。

なお、平日の運行は途中のレークサイド Lakeside 駅折返しで、終点ジェムブルックまで足を延ばす便は日曜日限定だ。この場合、片道1時間50分、折り返し待ちの時間を含めて往復するなら5時間半かかる。

Blog_au_heritagerail25
モンバルク・トレッスル橋 Monbulk Trestle Bridge(2023年)
Photo by Takeshi Aida at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番16 シティ・サークル(メルボルン市電35系統)City Circle (Melbourne tram route 35)

メルボルンの市内トラムは、系統数24、軌道長は250kmもあって、南半球はおろか全世界で最大の規模を誇っている。車両の更新が進んで、1980年代以降の連接車が多数を占めるなか、一つだけ旧型ボギー単車のW形が集中投入されている系統がある。市内中心部を周回している観光ルート、35系統「シティ・サークル」だ。

主役のW形は1923年から30年以上にわたり製造されたメルボルンの看板形式だが、2010年代に全面改修を受けている。その際、塗色も特別色のマルーンから旧来の緑とクリームのツートンに戻された。レトロ感を振りまくW形は街路でもよく目立ち、ルートの明解さや運賃無料政策もあって、旅人の最初のメルボルン体験にはうってつけだ。

1994年の運行開始当初は、旧市街であるホドル・グリッド Hoddle Grid の外縁を回るルートで、一周40分だった。その後、拡張されて、現在はドックランズ Docklands のウォーターフロント・シティ Waterfront City が起点だ。ルートはP字状で、旧市街を一周した後、再び起点に戻っていく。全線56分。双方向に運行されていたが、運転士不足を理由に、2023年10月30日から時計回りの一方向運行になった。

Blog_au_heritagerail26
伝統色をまとうW形トラム(2019年)
Photo by Dietmar Rabich at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番20 バララット路面電車博物館 Ballarat Tramway Museum

メルボルンの西100km、中央高地 Central Highlands と呼ばれる地域にあるバララット Ballarat も、かつて金の採掘で繁栄した都市だ。レトロな造りが印象的なバララット駅をはじめ、市内には19世紀後半ビクトリア朝の建築物が多数残され、観光スポットになっている。

かつてこの町にも、州都以外では国内最大と言われた路面軌道網が存在した。惜しくも1971年までに廃止されてしまったが、唯一、面影を宿す短い軌道が、市民の憩いの場ウェンドゥリー湖 Lake Wendouree の西岸に残っている。

湖畔道路の片側を通る単線1.3kmのこのルートは、現在、バララット路面電車博物館が所有する車両の走行線だ。週末・祝日と火曜の開館中、動態保存の古典トラムが運行されている。博物館への引込線から出発し、本線を往復して再び博物館に戻る20分ほどのツアーで、途中停留所での乗降も可能だ。

また、2022年に改築されたばかりの博物館棟には、地元バララットやメルボルンの数十両にのぼる大規模なコレクションが保存展示されていて、こちらも一見の価値がある。

Blog_au_heritagerail27
ウェンドゥリー・パレード Wendouree Parade を行くトラム
(2011年)
Photo by Mattinbgn at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

次は、アデレードを州都とする南オーストラリア州について。

項番26 スチームレンジャー保存鉄道 SteamRanger Heritage Railway

スチームレンジャー保存鉄道は、アデレードとメルボルンを結ぶ州間連絡幹線から分岐するヴィクター・ハーバー支線 Victor Harbor branch line で、1980年代半ばから蒸気機関車による保存運行を実施している。アデレード=メルボルン線は1995年に1600mm広軌から標準軌に改軌されたが、支線のほうはすでに一般運行を終了していたため、接続が断たれて広軌の孤立線となった。

保存鉄道の拠点は、アデレード山地 Adelaide Hills の東斜面、マウント・バーカー Mount Barker にある。そこから終点ヴィクター・ハーバー Victor Harbor までの76.9kmが走行ルートだ。ヴィクター・ハーバーは都市部からの避暑客で賑わう海浜リゾートで、鉄道も格好の観光アトラクションになっている。

おおむね水曜と日曜が運行日で、通常は「コックル・トレイン Cockle Train」(下注)と呼ばれる短距離列車が、海沿いのグールワ Goolwa ~ヴィクター・ハーバー間17.6kmを往復している。ルート後半に海原を見晴らす景勝区間があり、沿線一番の見どころだからだ。

*注 海辺の住民が、釣り餌に使うコックル(ザル貝)cockle を集めるために、マレー川河口の砂浜までこの鉄道で出かけていたことに由来する。

一方、全線を走破するのは、「サザン・エンカウンター Southern Encounter」号で、隔週の日曜限定で運行される。往復150km強、ランチ付き8時間45分の大旅行だ。

Blog_au_heritagerail28
ミドルトン駅付近を行くRx形224号機(2020年)
Photo by Alan & Flora Botting at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番28 ヴィクター・ハーバー馬車軌道 Victor Harbor Horse Drawn Tram

ヴィクター・ハーバーにはもう一つ、名物の乗り物がある。グラニット島 Granite Island との間に架かる桟橋を渡っていく延長1.2kmの、馬が牽くトラムだ。今や世界的にも希少な存在の馬車軌道だが、海を横断するのは唯一無二だろう。

現在の施設は1986年に市営で再興されたものだが、オリジナルの歴史は古い。実は上述したスチームレンジャー保存鉄道が使っているヴィクター・ハーバー線は1854年、西オーストラリアで最初に開通した馬車鉄道がルーツだ(下注)。これがヴィクター・ハーバーまで延伸され、貨物線が(旧)桟橋を通ってグラニット島まで達した。つまり、馬が牽く貨車が桟橋へ直通していたのだ。

*注 最初の開業区間はグールワ Goolwa ~ポート・エリオット Port Elliot 間11km。ヴィクター・ハーバー延伸は1864年。

ヴィクター・ハーバー線が1884年に蒸気運転に転換された後も、桟橋の貨物線は馬力のまま残り、1894年からは乗用トラムで旅客も運ぶようになった。現在の馬車軌道は、広軌1600mmの線路を含め、1956年にいったん廃止された旧線のスタイルを再現しているのだ(下注)。

*注 馬車軌道がなかった期間は、ロードトレイン(牽引自動車。先頭が蒸気機関車の外観をしていることが多い)が走っていた。

コーズウェー causeway と呼ばれる長さ630mの連絡桟橋(下注)のたもとに、馬車軌道の乗り場がある。たくましい体躯のクライズデールが牽く古典トラムはダブルデッカーだ。強い潮風と日差しにさらされても、やはり眺めのいい2階席で行きたい。桟橋をゆっくり渡り終えたトラムは、そのまま島の北岸を進み、東端の埠頭の前が終点になる。

*注 桟橋は2021年に木造から鋼製に架け替えられた。

Blog_au_heritagerail29
旧 桟橋で海を渡る馬牽きトラム(2008年)
Photo by Drew Douglas at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番29 ピチ・リチ鉄道 Pichi Richi Railway

ピチ・リチ Pichi Richi というユニークな名は、保存鉄道が越えていく標高344mの峠の地名に由来する(下注)。スペンサー湾 Spencer Gulf の湾奧に位置するポート・オーガスタ Port Augusta から内陸へ進むこのルートは、そもそも大陸中央部、いわゆる「レッド・センター Red Centre」をめざした1067mm軌間の旧 開拓鉄道の一部だ。

*注 ピチ・リチの地名は、アボリジニが興奮剤として噛んでいたピチュリ pituri に由来するとされ、地域はその主産地だった。

それは現在の「ザ・ガン The Ghan」号が通過する標準軌線とは全く違う東寄りのルートをとって、1929年にアリス・スプリングズ Alice Springs に到達した(下注1)。1241kmという長距離路線で、後に一部が別線で標準軌化されるなど改良の手も加えられたものの、1980年、上記の標準軌新線(下注2)開通に伴って、すべて廃止となった。

*注1 旧「ザ・ガン」号が、このルートを通ってポート・オーガスタとアリス・スプリングズを結んだ。
*注2 1980年にアリス・スプリングズまでの南半区間が開通、2004年にダーウィンまで全通した。

ピチ・リチ鉄道は、放棄されたピチ・リチ峠を越える区間で、1974年に開業した蒸気保存鉄道だ。ルートはポート・オーガスタからクオーン Quorn までの39.8km(下注)。旧路線の規模からすればわずかな距離だが、急カーブと勾配が連続する峠道は全線のハイライト区間といっていい。

*注 ただしポート・オーガスタ~スターリング・ノース Stirling North 間は、標準軌線と並行して2001年に新設された延伸区間。

全線を走破するポート・オーガスタ発の「アフガン・エクスプレス Afghan Express」は、特定の土曜のみの運行だ。通常は、クオーン側から峠を越えて中間駅のウールシェッド・フラット Woolshed Flat で折り返す「ピチ・リチ・エクスプローラー Pichi Richi Explorer」が走る。機関車も客車も旧線を走った経歴をもつヴィンテージ車両で、未開の奥地へ向かう大旅行だった時代を追体験させてくれる。

Blog_au_heritagerail30
ピチ・リチ峠の上り坂(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 セント・キルダ路面電車博物館 Tramway Museum, St Kilda

アデレードの市内軌道は、初め1878年に馬車軌道として開業した。1909年から順次電化され、最盛期には119kmの路線網があったが、中心部とビーチを結ぶグレネルグ線 Glenelg line を除いて、1958年に消滅した。2000年代になって再建が始まり、現在3系統に増えているとはいえ、路線長は全部合わせても15kmに過ぎない。

その馬牽きトラムを筆頭に、アデレードで使われた路面車両やトロリーバスを体系的に収集しているのが、北郊のセント・キルダ St Kilda にある路面電車博物館だ。1967年の開館で、そのコレクションは30両以上にのぼり、歴代の主な形式を網羅している。

博物館は、町をはずれた広大な海岸平野の一角に位置する。車でないとたどりつけない場所だ。動態保存車の走行線は長さ1.6km。構内を出て、干潟を土手道で横切り、海辺にある子供冒険広場 Adventure playground の前まで延びている。開館中、古典車両が随時、海風に吹かれながらごろごろと往来する。

Blog_au_heritagerail31
博物館の工場で復元された旧アデレード市電G形(2008年)
Photo by William Adams at wikimedia. License: public domain

最後は、パース Perth を州都とする西オーストラリア州の蒸気保存鉄道(1067mm軌間)について。

項番32 ホサム・ヴァレー鉄道 Hotham Valley Railway

パースの南100kmの山中に、旧 西オーストラリア政府鉄道 Western Australian Government Railways のW形テンダー蒸機が走る本格的な保存鉄道がある。南西本線 South West Main Line の支線、旧ピンジャラ=ナロギン線 Pinjarra - Narrogin line の一部区間で、1977年から活動しているホサム・ヴァレー鉄道だ。

拠点が置かれているドウェリンガップ Dwellingup 駅は、標高270mの高地にある。保存鉄道のルートは、この駅をはさんだピンジャラ Pinjarra ~エトミリン Etmilyn 間32kmだ。

現在、列車はドウェリンガップを起点に、東へ8kmの終点エトミリン停留所で折り返す「フォレスト・トレイン Forest Train」と、西へ13.4kmのイサンドラ Isandra で折り返す「スチーム・レンジャー Steam Ranger」 の2本立てになっている。

とりわけ注目すべきは、後者のルートだ。スワン海岸平野 Swan Coastal Plain の東に長く連なるダーリング崖 Darling Scarp を横切るため、33‰の急勾配が約5kmの間続いている。上り坂になる復路は、営業運転の時代からの難所だ。乗客はここで、W形蒸機による渾身の力走シーンを目のあたりにすることになる。

Blog_au_heritagerail32
ドウェリンガップ駅構内に揃った保存車両(2015年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

★本ブログ内の関連記事
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

2024年1月16日 (火)

オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

オーストラリアの鉄道旅行といえば、インディアンパシフィック Indian Pacific や、ザ・ガン The Ghan(下注)といった数日がかりの華麗な大陸横断・縦断列車に注目が集まりがちだ。しかし調べてみると、それぞれの地域で息づいている保存鉄道や観光鉄道も多数ある。ヨーロッパ編と同じようにリストにしてみたので、その中から主なものを紹介したい。

*注 インディアンパシフィック号は、東岸シドニー Sydney~西岸パース Perth 間4352km、3泊4日の大陸横断列車。ザ・ガン号は、南岸アデレード Adelaide~北岸ダーウィン Darwin 間2979km、2泊3日の大陸縦断列車。

Blog_au_heritagerail1
メイン・サザン線で特別列車を牽くNSW鉄道博物館の3642号機
ワガ・ワガ Waga Waga 付近(2013年)
Photo by Bidgee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 AU
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

Blog_au_heritagerail2
「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

今回は、東海岸のクイーンズランド州 Queensland、ニューサウスウェールズ州 New South Wales (NSW) と、タスマニア島(タスマニア州)Tasmania の鉄道を取り上げる。クイーンズランド州とタスマニア島の路線網が、日本のJR在来線と同じ1067mm軌間(下注)である一方、NSW州は1435mmの標準軌だ。保存鉄道もそれぞれの州の事情に応じた軌間のものが中心になる。

*注 ただしクイーンズランド州内でも、NSW州との連絡ルートであるNSWノース・コースト線(北海岸線)North Coast Line は標準軌。

項番3 キュランダ観光鉄道 Kuranda Scenic Railway

州北部の国際観光都市ケアンズ Cairns にあるキュランダ観光鉄道は、初めてこの町を訪れた旅行者ならたいてい乗車する人気アトラクションだ。街中のケアンズ駅から台地の上のキュランダ Kuranda まで33.2km、ディーゼル機関車が重連で12~15両もの客車を連ねて1日2往復している(下注)。

*注 午前中にキュランダ行き2本、午後にケアンズ行2本。

列車が出発するのは市中心部にあるケアンズ駅だが、この時点では車内はまだすいている。大勢乗り込んでくるのは、次のフレッシュウォーター Freshwater 駅だ。ここから列車はいったん、キュランダとは反対の南へ進んだ後、半径100m(5チェーン)のヘアピンカーブで折り返し、20‰の連続勾配で山腹を上り始める。弧を描いて谷をまたぐストーニー・クリーク Stoney Creek 橋梁や、壮大なバロン滝 Barron Falls の展望停車を終えて、熱帯雨林に囲まれた終点キュランダまで、片道の所要時間は1時間55分。

もとは奥地の金鉱と港を結んだ産業鉄道だが、今では純粋な観光路線となり、年間を通して運行されている。1995年に、山麓とキュランダを結ぶロープウェー「スカイレール・レインフォレスト・ケーブルウェー Skyrail Rainforest Cableway」が開通した。それ以来、片道は列車、片道はゴンドラで空中散歩という、変化に富んだルート選択が可能になった。

Blog_au_heritagerail3
ストーニー・クリーク橋梁(2008年)
Photo by Sheba_Also 43,000 photos at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
Blog_au_heritagerail4
キュランダ駅1番ホーム(2020年)
Photo by Kgbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番1 ガルフランダー Gulflander

カーペンタリア湾沿岸に、ノーマントン=クロイドン線 Normanton to Croydon line という長さ152kmの路線がある。1888~91年に、クロイドンの金鉱からの輸送手段として建設された鉄道で、他の路線網とは隔離された孤高のローカル線だ。疎林が広がるサバンナの乾燥地帯を貫いていて、開通当時、シロアリの食害や洪水による流出を避けるために、全線にわたって用いられた鉄製まくらぎ(水没耐性軌道 submersible track)がそのまま残っている。

この忘れられたような路線で唯一運行されているのが、観光列車のガルフランダー Gulflander 号だ。孤立線とあって車両も他路線との入換えがなく、今となっては貴重な古典形式の動力車や付随客車が、保存鉄道のように日常運用されている。

このあたりは年間平均気温が27度以上、夏場の最高気温は40度を超えるという熱帯の土地で、ウィキペディア英語版によれば、ガルフランダーは「列車に乗るというより冒険 To be more an adventure than a train ride」なのだそうだ。運行は週1回、水曜日に南行(クロイドン行き)、木曜日に北行(ノーマントン行き)が走る。中間地点での30分停車を含めて片道5時間だが、往復するなら2日がかりだ。

Blog_au_heritagerail5
ノーマン川を渡るガルフランダー(2013年)
Photo by Lobster1 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 メリー・ヴァレー・ラットラー Mary Valley Rattler (Mary Valley Heritage Railway)

州南部の田舎町ギンピー Gympie を拠点とするメリー・ヴァレー・ラットラーは、失われつつあるローカル線の鄙びた風情をとどめた蒸気保存鉄道だ。

ギンピー駅は、1913年に建てられた木造駅舎をそのまま使用している。1989年まではクイーンズランド鉄道の主要幹線ノース・コースト線(北海岸線)North Coast line に属する駅だったが、郊外に同線のバイパスルートが造られたことで、支線メリー・ヴァレー線 Mary Valley line の駅になった。

保存鉄道の開業は1993年。当時はメリー・ヴァレー保存鉄道 Mary Valley Heritage Railway と称し、ギンピー~インビル Imbil 間40kmのルートで運行されていた。しかし、線路の保守不足で脱線事故が発生したため、2013年に運行中止となる。地元自治体が資金を拠出し、2018年に再開されたのが現在のメリー・ヴァレー・ラットラーだ。

運行区間はこのとき短縮されて、アマムーア Amamoor 駅までの23kmになった。主役は、かつて軽量列車や支線の列車を牽いていたクイーンズランド鉄道のC17形蒸機だ。ワインレッドをまとった木造客車を数両牽いて、メリー川中流域の穏やかな丘陵地帯を縫っていく。所要時間は往復3時間。両端駅に転車台があるので、機関車は常に前を向いて走る。

Blog_au_heritagerail6
終点アマムーアに到着した蒸気列車(2019年)
Photo by Gillian Everett at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、ニューサウスウェールズ州について。

項番12 ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway

州都シドニー Sydney からメイン・ウェスタン線(西部本線)Main Western line で内陸に向かうと、平野が尽きたところで、ブルーマウンテンズ Blue Mountains の深い山並みの中に入っていく。1869年の開通時、この山越えの初めと終わりにそれぞれ、Z字状に折り返しながら高度を稼ぐスイッチバックが設けられた。

ジグザグ鉄道はそのうち、後者を含む7km区間を、廃止後に蒸気運転で保存鉄道化したものだ。ただし、もとが標準軌なのに対して、1067mm(3フィート半)軌間で敷き直されている。標準軌の蒸気機関車の調達が難しく、クイーンズランドの1067mm軌間の中古車両に頼ったためだ。

山上の終点クラレンス Clarence に駐車場があるので、そこから乗り込む客が圧倒的に多い。だが、起点ボトム・ポイント Bottom Point も、シドニーから来る中距離電車のジグザグ Zig Zag 停留所(下注)に近く、乗継ぎが可能だ。

*注 リクエストストップ(乗降客があるときのみ停車)のため、降車する場合は乗務員にあらかじめ知らせておく必要がある。

見どころは、やはりジグザグの昇り降りだろう。険しい斜面を削って通されたルートは見通しがきき、途中に架かる3本の石積みアーチ橋がそれに趣を添える。所要時間は、クラレンスからの往復で90分、ボトム・ポイントからは105分。2012年から長期運休中だったが、2023年5月にようやく運行が再開された。

*注 詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I」「同 II」参照。

Blog_au_heritagerail7
トップ・ロードからのジグザグ全景(2008年)
Photo by Maksym Kozlenko Maxim75 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番11 カトゥーンバ・シーニック・レールウェー Katoomba Scenic Railway

カトゥーンバ Katoomba にあるシーニック・ワールド Scenic World は、世界自然遺産にも登録されたブルーマウンテンズ観光の中核施設の一つだ。ここには台地の上と眼下に広がる熱帯雨林の間を行き来したり、上空から眺めたりできる乗り物が3種類用意されていて、シーニック・レールウェーもその中に含まれる(下注)。

*注 乗り物には他に、谷を跨ぐロープウェーのシーニック・スカイウェー Scenic Skyway、谷に降りるロープウェーのシーニック・ケーブルウェー Scenic Cableway がある。

1880年代に建設された石炭とオイルシェールの運搬軌道を改築したこの設備は、ケーブルに接続された車両を巻上げ装置で引き上げる斜行リフト Inclined lift だ。そのため、通常のケーブルカー funicular のような対になる車両や重りはなく、1両で勾配線路を上下している。

310mの斜長距離に対して、標高差は206.5mある。最大勾配は52度、千分率では1280‰となり、スイスのシュトース鉄道 Stoosbahn の1100‰をもしのぐ険しさだ。しかしその構造から、ケーブルカーの最大傾斜記録としては認められていない。

乗り場の階段はまだ緩やかだ。しかし動き出すとすぐに勾配は最大値になり、トンネルを介しながら急斜面を勢いよく滑り降りていく。感覚としては垂直に落下するのに近く、乗客から悲鳴が上がることもしばしばだ。

Blog_au_heritagerail8
急斜面を滑降するシーニック・レールウェー(2014年)
Photo by DGriebeling at wikimedia. License: CC BY 2.0
Blog_au_heritagerail9
下部駅からの眺望(2018年)
Photo by fabcom at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番9 NSW(ニューサウスウェールズ)鉄道博物館 NSW Rail Museum

NSW鉄道博物館は州立の施設で、同州の路線網で稼働していた標準軌の蒸気機関車をはじめ、典型的な鉄道車両を多数収集保存している。

博物館が、ピクトン=ミッタゴン支線 Picton–Mittagong loop line の途中駅であるこのサールミア Thirlmere に移転してきたのは1975年で、早や半世紀近くが経つ。ループライン loop line(下注)と呼ばれるこの路線は、メイン・サザン線(南部本線)Main Southern line の旧線だが、33.3‰の急勾配を解消する迂回線が完成した1919年に、支線に格下げされた。

*注 ループラインは、日本でいうループ線(英語ではスパイラル spiral)ではない。また、周回可能な環状線でなくてもよく、本線と分かれてまた先でつながる線路の意味で使われる。たとえば、列車交換できる待避線を英語ではパッシングループ passing loop という。

鉄道博物館の呼び物の一つが、この支線を舞台にして行われる保存列車の運行だ。ピクトン=ミッタゴン支線は現在、休止扱いだが、そのうち北側のピクトン Picton~サールミア~バクストン Buxton 間6.7kmが、動態保存の蒸機や気動車のための走行線に活用されている(下注1)。また、本線上での企画列車もしばしば運行されており、その場合、ピクトンにある接続ポイントを介して列車が出入りする。

*注1 通常運行はサールミア~バクストン間に限定され、往復の所要約40分。
*注2 ピクトン=ミッタゴン支線の詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-メイン・サザン線とピクトン支線」参照。

Blog_au_heritagerail10
ピクトン=ミッタゴン支線サールミア駅(2014年)
Photo by Maksym Kozlenko at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シドニー路面電車博物館 Sydney Tramway Museum

シドニー南郊ロフタス Loftus にあるシドニー路面電車博物館は1965年の開館(下注)で、国内のトラム博物館では最も長い歴史をもつ。保有するコレクションも60両以上と、国内最大規模を誇っている。1961年全廃のシドニー市電はいうまでもなく、収集範囲は国内他都市や海外にも及んでいて、長崎電気軌道の1054号もここに在籍中だ。

*注 現在の場所に移設されたのは1988年。

博物館の敷地はさほど広くないが、動態保存のトラムを走らせるための専用軌道が館外に延びている。北はローソン通り Rawson Avenue に沿ってサザーランド Sutherland 方面、南はロイヤル国立公園 Royal National Park の広大な森の中にある終点まで、合わせて3.5kmの長さがある。

後者はパークリンク・ルート Parklink route と呼ばれ、1991年に廃止された郊外路線(下注)を転用したものだ。終点には旧駅の朽ちかけたホームも残っている。もとより高床でトラムには合わないので、乗降のときは反対側の扉が開くのだが。

*注 シティレール CityRail が運行していたロイヤル国立公園支線 Royal National Park branch line。

博物館の来館者だけでなく、自然豊かな公園へ、近郊線T4系統のロフタス駅から乗り継ぐという一般利用も見られる。そのためトラムは60分間隔で運行され、博物館入館を省いたトラム乗車のみのチケットも車内で発売している。

Blog_au_heritagerail11
シドニー市電R形旧車、博物館前電停にて(2021年)
Photo by Fork99 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13 スキーチューブ・アルパイン鉄道 Skitube Alpine Railway

NSW州の最後に、1988年に開業した現代の登山鉄道を見ておこう。州最南部、オーストラリア大陸の最高峰(下注)を擁するコジオスコ国立公園 Kosciuszko National Park で、山上にあるスキー場へのアクセスとして建設された路線だ。

*注 コジオスコ山 Mount Kosciuszko(標高 2228m)。山名は、発見したポーランド人の探検隊長が、祖国の英雄タデウシュ・コチチュシュコ Tadeusz Kościuszko の塚の形に似ているとして命名したもの。

名称は、スキーチューブ・アルパイン鉄道、略してスキーチューブという。1435mm軌間、交流1500Vの電化線だ。標高1125mの山麓バロックス・フラット Bullocks Flat と、標高1905mの山上ブルー・カウ Blue Cow の間8.5kmを17分で結んでいる。ラメラ Lamella(フォン・ロール Von Roll)式ラックレールが全線にわたって敷設されていて、最大勾配は125‰だ。

国立公園内の自然環境を保護するとともに、荒天時にも運行の安定性を保つために、ルートの7割はトンネルで設計された。地上に出ているのは最初の2.6kmだけで、後は、中間駅のペリッシャー・ヴァレー Perisher Valley、終点ブルー・カウの発着ホームを含めて地下にある。

建設コストの点から言えば、鉄道より地上設備がコンパクトなロープウェーのほうが有利だ。それでもラック鉄道が選択されたのは、地下化の利点に加えて、高い輸送能力が評価されたからだ。特注された車両の幅は3.8mと、新幹線の3.4mよりまだ広い。通常3両編成だが、車内の立席部分を広くとって混雑を緩和し、かつ片側6扉とすることで円滑な乗降も実現している。

Blog_au_heritagerail12
幅広のスキーチューブ車両(2014年)
Photo by EurovisionNim at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

項番35 ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道 West Coast Wilderness Railway

大陸の南東沖に浮かぶタスマニア島(タスマニア州)では、一部にラック区間がある観光鉄道がひとり気を吐いている。オーストラリアのラック鉄道は現在、ここと前述のスキーチューブの2か所しかなく、貴重な存在だ。

ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道は、島西部の遠隔地に位置する。旧鉱山町クイーンズタウン Queenstownと、内湾に面したストローン Strahan(下注)のレガッタ・ポイント Regatta Point 駅との間34.5kmを結ぶ孤立線だ。もとは鉱山会社の専用鉄道として1897年に開通したが、代替道路の整備が進んで1963年以降、休止線となっていた。それを2002年に、公的資金の投入で観光用として復活させたのが現在の姿だ。

*注 綴りに影響を受けてか、「ストラーン」の表記も見かけるが、現地の発音は ”strawn” のように聞こえる。

列車は内陸のクイーンズタウンから、キング川 King River に沿って下っていくが、途中で一度だけ支谷伝いに峠越えをする。そこに最大83.3‰(1:12)の急勾配があり、約6kmにわたってアプト式ラックレールが敷かれている。

キング川と再開した後は、熱帯雨林に覆われた渓谷の縁を下っていく。最後は開放的な眺めの内湾マッコーリー・ハーバー Macquarie Harbour のほとりをしばらく走って、かつての積出し港であるレガッタ・ポイントに到着する。

しかし残念なことに、現行ダイヤでは全線を走破する列車が設定されていない。起点と終点どちらの出発便も途中駅で折り返す運用になっているため、ラック区間を通過しないのだ。事情はよく知らないが、路線最大の見どころを省いては、旅の醍醐味が半減してしまう。一日も早い復活を望みたいところだ。

Blog_au_heritagerail13
ラック区間が始まるダビル・バリル Dubbil Barril 駅(2011年)
Photo by WikiWookie at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州にある主な保存・観光鉄道を見ていきたい。

★本ブログ内の関連記事
 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

より以前の記事一覧

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ACCESS COUNTER

無料ブログはココログ