保養地鉄道モリー
保養地鉄道モリー Bäderbahn Molli
バート・ドベラーン Bad Doberan~オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト Ostseebad Kühlungsborn West 間 15.43km
900mm軌間、非電化
1886年開業
1910年ハイリゲンダム Heiligendamm~アーレントゼー Arendsee(現 キュールングスボルン・ヴェスト)間延伸
![]() 雨をついて街路を進むモリー |
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バルト海沿岸の小都市、バート・ドベラーン Bad Doberan(下注)の狭い石畳の街路を、900mm狭軌の蒸気機関車に牽かれた列車がそろそろと通り抜けていく。路面電車ならいざ知らず、場違いの珍客に初めて見た人ならきっと驚く。ドイツの観光鉄道ではとりわけ有名なシーンの一つだ。
*注 Doberan は、Berlin や Schwerin のように最終音節にアクセントがあるので、日本語への音写ではドベラーンとした。
鉄道(会社)の正式名は「メクレンブルク保養地鉄道モリー Mecklenburgische Bäderbahn Molli」という。だがこの界隈では昔から、単に「モリー」あるいは「モリーバーン(モリー鉄道)Molli-Bahn」「モリーツーク(モリー列車)Molli-Zug」などと呼ばれて親しまれてきた。モリーは、英語圏ではメアリー Mary やマーガレット Margaret の愛称だが、なぜ、鉄道がモリーなのだろうか。
![]() 雨上がり、街角に夕陽がさす |
![]() 客車の側壁に記されたモリーのロゴ |
一説によると、その起源は、沿線の猟師が飼っていた狩猟犬の名前にあるそうだ。鉄道が開業したてのころ、狩りに出ていた猟師と猟犬モリーの近くを列車が通った。モリーは獲物と勘違いしたのか、列車のほうへ走っていく。猟師が「モリー、止まれ」と大声で叫んだところ、それを耳にした機関士が、列車を急停止させた。
当時は、駅でなくても乗降が可能だったので、機関士は乗車を求める客と勘違いしたらしいが、それ以来、蒸気列車もモリーと呼ばれるようになったという逸話だ(下注)。登場人物が猟師と猟犬ではなく、老婦人と愛玩犬というバリエーションもあったりするのだが、ともかく犬の名から転じたという点は共通している。
*注 ドイツ語で機関車を意味する "Lokomotive(ロコモティーヴェ)" は女性名詞なので、愛称には通常、女性名がつけられる。
![]() モリー通りを通過する列車 |
![]() 地形図に保養地鉄道モリーのルート等を加筆 Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
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鉄道のほうの「モリー」は、ロストック Rostock とヴィスマール Wismar を結ぶDBローカル線の中間駅、バート・ドベラーンを起点とする長さ15.43kmの路線だ。ドベラーンの街中を抜けた後は、海岸林に沿って走って、海浜保養地の終点オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト Ostseebad Kühlungsborn West に至る。
しかし当初の目的地は、もっと手前のハイリゲンダム Heiligendamm だった。ここは、1793年開設というドイツ最古の歴史を有するゼーバート(海浜保養地)Seebad で、内陸にあるドベラーン鉄道駅からは6km以上離れている。そこで、この間を結ぶ蒸気路面軌道として計画されたのだ(下注)。
*注 1892年のプロイセン軽便鉄道法施行後は、軽便鉄道に再分類された。
軌道は1886年7月に開業した。配備された2両の機関車は2軸の箱型で、町中を通過する際に鳴らすハンドベルが装備されていた。また、冬期はゼーバートが閉鎖されるため、列車の運行も5月から9月の夏のシーズン限定だった。
![]() 海辺の白い街 Weiße Stadt am Meer、ハイリゲンダム(2008年) Photo by EHRENBERG Kommunikation at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0 |
1910年には、西側にある保養地で当時、アーレントゼー Arendsee と称した現在の終点に至る新規区間が開業する。その際、ハイリゲンダム駅は現位置まで約200m移設され、旧駅跡は現在、駐車場になっている。さらに西方への延伸も予定されていたのだが、第一次世界大戦の開戦で実現せずに終わった。
鉄道は1920年に国有化され、その後は東ドイツ時代を通して国鉄(ドイツ国営鉄道DR)の狭軌路線として運営され続けた。この間、貨物輸送が1969年に廃止されている。ロールワーゲンのような標準軌貨車を狭軌線に直通させる方式は、市内区間の建築限界に抵触するため、導入できなかった。
ドイツ再統一後の1994年にいったんDB(ドイツ連邦鉄道)の路線となるものの、翌95年に自治体資本の鉄道会社が設立されて、運営を引き継いだ。これが現在のメクレンブルク保養地鉄道モリー社 Mecklenburgische Bäderbahn Molli GmbH になる。
![]() 市街地を抜けてDB駅に向かう |
![]() 煙を残して遠ざかるモリー |
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「モリー」は、定期列車の運行を蒸気機関車が担っているので、一般には保存鉄道、あるいは観光鉄道と思われている。確かにその性格が色濃いが、実は公共交通体系に組み込まれた、ドイツでいう ÖPNV(近距離公共旅客輸送機関)のカテゴリーに属する鉄道だ。ロストック周辺のÖPNVが加盟するヴァルノー運輸連合 Verkehrsverbund Warnow (VVW) の一員で、系統番号RB31を掲げている。
そのため、モリーは毎日走る。しかも旺盛な観光需要を反映して、夏ダイヤの場合、毎時1本の等時隔運行だ。平日は計11往復、休日も10往復ある。シーズンオフの冬期は平日5往復、休日4往復に減便されるが、年末年始には臨時列車が設定される。全線の所要時間は43~47分だ。
蒸機運行にはコストがかかるため、運賃は、運輸連合のゾーン運賃とは別で、独自に設定されている。全線片道12ユーロ、往復18ユーロ(2025年現在)で、どちらも途中下車が可能だ。
また、ドイチュラントチケット Deutschlandticket はそのままでは通用しないが、出札窓口で提示すると、一日乗車券 Tageskarte を11ユーロで購入できる。言い換えると、往復運賃から7ユーロ割引されるということだ。ちなみに、この一日乗車券はリューゲン保養地鉄道 Rügensche BäderBahn でも有効なのだが、一日で両鉄道を乗りつぶすのは時間的にタイトすぎるだろう。
![]() ドイチュラントチケットと併用する一日乗車券 氏名・生年月日・署名の記入欄がある |
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ロストック中央駅からRB(普通列車)で西へ19分、DBバート・ドベラーン駅は、本線上に300mもある長い片面ホームを持った駅だ。それを1番線、2番線と使い分けていて、東行き(ロストック方面)は西端、駅舎前の1番線に、西行き(ヴィスマール方面)は東端の2番線に停車する。というのも、2番線の外側に待避線があり、東行き列車はここを通ることで、2番線停車中の西行きと行き違うことができるのだ。
ところが、時間帯によって30分ごとに挿入される東行きの区間便は、2番線の反対側に隠れている櫛型ホームの3番線に発着するからややこしい。私はロストックへ戻る際、うっかり1番線で待っていたため、発車寸前に気づいてホームを100m以上、全力疾走する羽目になった。
![]() DBバート・ドベラーン駅 (左)駅舎前の1番線 (右)ホーム東端の2番線、外側に待避線がある |
駅には4番線もある。DB線のホームから見ると、駅舎や通路屋根を隔てて反対側(北側)で、これがモリーの発着ホームだ。敷かれている線路の幅こそ狭いが、構内はDB線をしのぐほど広い。機回し線や留置線が並び、右手奥には大きな車庫も見える。
DB線もモリーも基本的に1時間間隔 Stundentakt で運行されているので、両者の接続は10分前後と良好だ。この日、ドベラーン駅に着くと、4番線には、すでに出発準備を整えたモリー列車が客待ちしていた。あいにくのくもり空で肌寒い。乗継ぎ客は早々と車内に入ってしまい、ホームは閑散としている。
![]() (左)4番線はモリーの発着ホーム (右)構内の奥には立派な車庫が |
![]() (左)モリーの駅舎 (右)出札窓口 |
蒸機は99.32形と呼ばれる動輪4軸のタンク機関車(車輪配置2-8-2T)だ。1932年にオーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社で製造され、今も3両が現役で走っている。この列車を率いるのは、そのうちの2号機(車番99-2322-8)だ。
99.32形にはもう1両、2008~09年にマイニンゲン蒸気機関車工場 Dampflokwerk Meiningen で新造された4号機(同 99-2324-4)がいる。ドイツで定期運行用に蒸機が製造されたのはほぼ50年ぶりと話題になった若い機関車だ。
モリーにはこのほか、戦後生まれの99.33形も3両在籍していた。1951年LKM(下注1)製で、1961年にSDAGヴィスムート産業鉄道 Werkbahnen der SDAG Wismut から到来した機関車(車輪配置2-8-0T)だ。しかし、99.32形に比べて最高速度が劣るため、夏の通常ダイヤには載せることができず、1両(同 99 2331-9)が予備機として残るのみだ。残りの1両はすでに廃棄され、もう1両(同 99 2332-7)は終点駅で静態保存されている(下注2)。
*注1 カール・マルクス機関車製造人民公社 VEB Lokomotivbau Karl Marx。ポツダムのバーベルスベルク地区 Babelsberg, Potsdam にあった。
*注2 後述のように2025年に訪問したときは見当たらなかった。
![]() 99.32形、2009年生まれの4号機 |
![]() キュールングスボルン・ヴェスト駅に静態保存された99.33形(2016年) Photo by Torsten Maue at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0 |
転車台がないので、往路キュールングスボルン方面の機関車は逆機(バック運転)になる。その後ろにオフホワイトと赤のツートンをまとう古典客車が8両続き、最後尾は荷物車だ。発車時刻が迫っている。DB駅舎の隣にあるモリー駅舎の出札で、上述した一日乗車券を購入して、さっそく乗り込んだ。
オープンデッキから入ると、車内には、1人掛けと2人掛けのシンプルなボックスシートが並んでいた。改装されてはいるが車歴は古く、最長老が1911年、最も若いものでも1930年製という。雰囲気は以前に乗ったハルツ狭軌鉄道のそれに似ているが、一つ異なるのはトイレがないことだ。この手の客車は垂れ流し式なので、町中を通過する列車には適さない。
![]() (左)モリーの古典客車 (右)車内の座席は1+2配列 |
雨が降り出すなか、汽笛一声、列車は駅を離れた。最初は駅前通りに沿った専用軌道を進む。ロストック通り Rostocker Straße の踏切を通過すると、左に緩くカーブして、ドベラーンの中心街に入っていく。その入口でシュタットミッテ(中心街の意)Stadtmitte 停留所に停車。まずはここで降りて、街巡りをしながら正機で戻ってくる機関車を撮ろうと思う。
シュタットミッテを貫くこの約300mの街路にはモリー通り Mollistraße の名がつけられている。しかしこれは伝統的な地名ではなく、列車にちなんだ後世の命名だ。東ドイツ時代は戦前の共産主義指導者の名を冠したエルンスト・テールマン通り Ernst-Thälmann-Straße といい、1990年のドイツ再統一後、現 名称に改められた。
軌道と併用の狭い道なので、クルマは許可車以外、通行禁止だ。それをいいことに(?)、テラスを歩道にはみ出させている店もある。観光客もうろうろしているので、蒸機はベルを連続でカンカンと響かせながら、最徐行で通過していく。西行きは緩い下り勾配だから、ほとんど煙を出していない。
![]() (左)ドベラーンの中心街へ (右)シュタットミッテ停留所に停車 |
![]() 併用軌道のモリー通り |
![]() バート・ドベラーン市街地の拡大図 Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
市街の見学を済ませた後、モリー通りに戻って次の列車を待った。やってきたのは、今年(2025年)弱冠16歳の4号機だ。といっても、レプリカとして造られたので、外見は先輩たちと区別がつかない。試運転の際は、撮り鉄が殺到するのを避けるため、旧来の3号機のプレートをつけて走ったというエピソードをもっている。
モリー通りを抜けると、道幅が広がり、線路は直線道路の左側に張り付く。ゲーテ通り Goethestraße と呼ばれるこの600mほどの区間は、開業時は畑の中の専用軌道だった。今は住宅街だが、区画に余裕があり、大きな邸が建ち並ぶ。途中に同名の停留所もある。
![]() 直線道路のゲーテ通りを行く |
![]() ゲーテシュトラーセ停留所 |
ゲーテ通りの突き当りで、列車は左に急カーブして、いよいよ専用軌道に移る。ベルは鳴りやみ、速度も上がった。右側には林地とそれに沿う並木道が続き、左は見渡す限り、麦や菜種の畑地が広がっている。行事開催日にだけ停車するレンバーン(競馬場)Rennbahn 停留所は通過した。
10分近く続くこの風景は、ハイリゲンダム Heiligendamm 駅で中断される。ここは2007年にドイツで開催されたG8サミット(G7+ロシア)の会場に選ばれたような高級保養地なので、駅舎にもどこか品格が漂う。待避線があり、6分停車の間にドベラーン行きと列車交換した。
![]() ハイリゲンダム駅は白ずくめの駅舎 |
![]() 戻ってきた2号機と列車交換 |
列車旅の後半も、海岸林を右手に見ながら、畑の中を行く構図は変わらない。途中にあるシュタイルキュステ停留所 Steilküste はリクエストストップだ。オートキャンプ場の最寄りで、林を抜けて白砂の海岸にも出られる。地図で見ると海はごく近いのだが、実際には林に視界が遮られてしまう。車窓から水平線が望めるのは、キュールングスボルン・オストの手前のほんの一瞬だけだ。
![]() 車窓風景 (左)菜種畑に浮かぶ集落 (右)収穫間近の麦畑 |
![]() (左)シュタイルキュステ停留所 (右)水平線を望めるのは一瞬 |
やがて周囲に建物が現れ始め、列車は左に大きく曲がって、オストゼーバート・キュールングスボルン・オスト Ostseebad Kühlungsborn Ost、すなわち東駅に入っていく。この後、ミッテ Mitte(中駅)、ヴェスト West(西駅)と続く、キュールングスボルン市(下注)所在の3駅の一つだ。
*注 自治体の正式名はオストゼーバート・キュールングスボルン市 Stadt Ostseebad Kühlungsborn。オストゼーバートは、バルト海(ドイツ語でオストゼー Ostsee)沿岸の海浜保養地を意味する。
キュールングスボルンというのは、背後の丘陵地の名であるキュールング Kühlung と、泉を意味するボルン Born を組み合わせた新地名だ。東駅のあるブルンスハウプテン Brunshaupten 町と、西駅のあるアーレントゼー Arendsee 町が1937年に合併し、翌38年に市名に採用された。
合併するまで両町は保養地としてライバル同士だったそうで、駅舎の規模や構造も両者遜色がないし、通常ダイヤでは使われないものの、東駅にも待避線がある。ここで多数の客が降りて、車内は目に見えてすいた。
![]() (左)キュールングスボルン東駅 (右)下車客多数 |
このあと列車は、緑の多いキュールングスボルンの住宅地を縫っていく。ミッテ(中駅)は道路沿いで片面ホームの停留所だ。そこから3~4分も走れば、終点オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト(西駅)の建物が見えてくる。
定刻に到着した。駅舎側のホームは約200mの長さがある。その外側に複数の側線が並び、並木の陰には修理工場と車庫も建つ。バート・ドベラーン駅に匹敵する大きな構内だ。客が入れ替わった列車では、さっそく復路に向けて機回し作業が始まった。
降車した客は駅舎の中を抜けて通りに出ていく。駅舎の東半分はカフェ併設のモリー博物館だが、今日は月曜日のため閉まっている(下注)。ホームの横に鎮座しているはずの99.33形静態保存車も、どこへ行ったのか見当たらない。
*注 水~日曜の9時から17時30分に開館。なお、館外の展示物は常時見学可能。
列車を1本見送って、バルト海のビーチまで歩いてみようと考えていたが、この不安定な空模様では行く気が失せる。ちょっと早いがバート・ドベラーンまで戻ることにして、私も折返しの列車に乗り込んだ。
![]() 終点キュールングスボルン西駅 |
![]() 定刻に到着 |
![]() 機回し作業が始まる |
![]() 出発準備完了 |
![]() 駅舎正面 |
■参考サイト
保養地鉄道モリー(公式サイト) https://www.molli-bahn.de/
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