保存鉄道

2022年2月24日 (木)

ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn

バート・シャンダウ・クーアパルク Bad Schandau Kurpark ~リヒテンハイナー・ヴァッサーファル Lichtenhainer Wasserfall 間 7.9km
軌間1000mm、直流600V電化
1898年開通

Blog_sax_kirnitzsch1
谷間の併用軌道を行く2軸トラム

ザクセンの狭軌鉄道の旅の最後は趣向を変えて、メーターゲージの路面電気鉄道、キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn を訪ねよう。

Blog_sax_kirnitzsch_map1

鉄道が走るバート・シャンダウ Bad Schandau は、ドレスデンからエルベ川を45km遡ったところにある優雅な保養地だ。一帯はザクセンのスイス(ゼクシッシェ・シュヴァイツ)Sächsische Schweiz と称される景勝地で、突出する奇岩・断崖の列とその足許をゆったりと流れるエルベ川 Elbe の景観が好まれ、ザクセンは言うに及ばずドイツでも有数の観光地になっている(下注)。町は、国立公園に指定されたこの地域の観光拠点でもある。

*注 「スイス(シュヴァイツ)Schweiz」は風光明媚な土地の代名詞になっていて、ドイツではほかに、フランケン・スイス Fränkische Schweiz、マルク・スイス Märkische Schweiz などの例がある。

Blog_sax_kirnitzsch2
バート・シャンダウとその周辺を
リーリエンシュタイン Lilienstein 山頂から東望(2012年)
Photo by Gottfried Hoffmann -… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

キルニッチュタール鉄道の2軸トラムは、その町の一角を起点に、名のとおりキルニッチュ川 Kirnitzsch の流れる深く狭い谷(タール Tal)に沿って奥地へ向かう。ほぼ全線が、谷間を通る道の片側に敷かれた併用軌道だ。終点は、支流に掛かるリヒテンハイン滝 Lichtenhainer Wasserfall という小さな滝の前にある。

トラムというと都会の街路を走るイメージが強いが、なぜこのような人里離れた山中で今も生き残っているのだろうか。

Blog_sax_kirnitzsch_map2
バート・シャンダウ周辺の地形図に
鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

1870年に出されたキルニッチュタールの最初の構想では、馬車鉄道が想定されていた。しかし、具体化の機運が高まった1890年代には、すでにドイツの主要都市で電気動力の導入が始まっており、この鉄道も1893年に電気路面鉄道として認可を得ている。

計画では、川向うにあるバート・シャンダウ鉄道駅から橋を渡り、市街を貫き、リヒテンハイン滝を経て、ボヘミア(現 チェコ)国境の手前まで行くことになっていた。しかし、宿屋や船主が仕事を奪われると反対したため、駅と市街地の間を造ることができなかった。そのため、今あるような幹線鉄道網との接続がない孤立線となったのだ。

1898年に開業を迎えたものの、鉄道駅から離れているため貨物輸送を諦め、観光客を相手に夏のシーズン(5~10月)だけ走る路線としてスタートした(下注)。それでも運行が続けられたのは、著名な観光地内の輸送手段であったからに他ならない。

*注 1938年から通年運行になる。

Blog_sax_kirnitzsch3
リヒテンハイン滝の絵葉書(1900~10年代)
Image by Kunstanstalt Hermann Poy, Dresden at wikimedia. License: Public domain
 

しかし、120余年の歴史の中で、鉄道は存廃の危機に何度か直面している。

1927年に車庫で火災が発生し、所有する全車両を焼失したのが、その最初だった。このときはレースニッツ鉄道 Lößnitzbahn(現 ドレスデン市電4号線)から車両を借りて急場をしのぎ、翌年、MAN社(アウクスブルク・ニュルンベルク機械製造所 Maschinenfabrik Augsburg-Nürnberg)製を新たに購入して、体制を立て直した。その1両が今も特別運行に供されている5号車だ。

1939年にはトロリーバスに転換する案が検討されたが、第二次世界大戦の勃発で沙汰止みになった。東ドイツ時代にも、事故や設備の老朽化で何度か運行が中断し、運行事業者は廃止の意向を示していたが、住民の強い抗議で実行できなかった。

その後は、観光資源として見直しが図られ、保存の動きが強まる。設備の大規模な更新が1986年から1990年にかけて実施され、ドイツ再統一後には車両も更新された。東ドイツ時代はエアフルト Erfurt から来た中古車両がもっぱら使われていたが、1992年以降、ゴータ車両製造人民公社 VEB Gotha 製の両運転台車、いわゆるゴータカー Gothawagen が再整備のうえ投入された。これが現在の1~4および6号車だ。また、道を譲った「エアフルター Erfurter」のうち、8号は今も車庫に保存されている。

Blog_sax_kirnitzsch4
(左)1928年MAN製の古参車 5号(2018年撮影)
Photo by Joakim wahlberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)もとロックヴィッツタール鉄道 Lockwitztalbahn の
  トラムも動態保存(2018年撮影)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_kirnitzsch5
(左)唯一残るエアフルター 8号(2018年撮影)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)現在の主力、ゴータカー 3号
Blog_sax_kirnitzsch6
(左)3号側面
(右)車内

キルニッチュタール鉄道が出発する停留所は、バート・シャンダウ・クーアパルク Bad Schandau Kurpark を名乗る。町の中心マルクト広場 Marktplatz からは少し距離があり、キルニッチュ川が流れる同名の公園(下注)でも奥のほうだ。

*注 クーアパルクは保養地公園の意。かつてはシュタットパルク(市立公園)Stadtparkと呼ばれており、停留所名も同じ名称だった。

やや不便な場所に位置しているのには理由がある。かつて線路は、町のほうへあと350m延びていた。地図に示したように、今も営業しているホテル・リンデンホーフ Hotel Lindenhof の前に起点があった。しかし、道路交通量の増加により、1969年6月23日に現在地までルートが短縮されるとともに、車道通行の妨げにならない公園の中に発着設備が移されたのだ。

Blog_sax_kirnitzsch7
クーアパルクの一角(2018年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

起点といっても、ホームとそれに面した長い発着線、そして機回し線があるのみだ。駅舎どころか、ホームの上屋すらない。川上側から、白とレモンのツートンに塗られた細面のトラムが入線してきた。電動車と付随車の2両編成だ。列車構成は一定ではなく、電動車単行から3両編成(電動車+付随車2両)まで、需要に応じて変わる。停車して客を降ろすと、先頭の電動車はすぐに切り離され、機回し線を通って、最後尾に再び連結された。

バスと同じで、運賃は乗り込むときに支払う。ふだんはワンマン運転だが、多客時は車掌が乗務して、乗客をさばく。また、すべての停留所でホームは、終点に向かって右側だ。そのため、付随車は扉が右側にしかなく、両扉の電動車も左扉をふさいである。

Blog_sax_kirnitzsch8
起点クーアパルク停留所
 

クーアパルクを後にすると、トラムはすぐ道路上に出ていく。センターラインは引かれていないものの、道幅はおおむね2車線分だ。その右半分に単線の軌道が通されている。谷を遡るトラムは車と同じ方向に進むのでまだしも、下っていくトラムは車と正面から向き合うことになる。しかも、狭くくねった谷の中、見通しの悪いカーブの連続だ。運転士も気を抜く暇がないだろう。

Blog_sax_kirnitzsch9
道路の片側に敷かれた併用軌道
 

最初の停留所は、ボターニッシャー・ガルテン Botanischer Garten、すなわち植物園前だ。川を隔てた斜面に、地元の山野草を集めた小さな植物園がある。

最初の急な左カーブを曲がり終え、次の右カーブにさしかかると、右に線路が分かれてトラムの基地が見えてくる。車庫は主屋に4線、傍らの付属屋にもう1線を収容する。川端の森に包まれて趣のあるたたずまいだが、2010年8月の豪雨では、キルニッチュ川が増水して、車庫と電動車3両が浸水し、使用不能になるという深刻な被害を受けた。

Blog_sax_kirnitzsch10
車庫が見えてくる
Blog_sax_kirnitzsch11
(左)車庫
(右)その内部、8号車の姿も
 

列車交換のための信号所が、ルート途中に2か所設けられている。その一つが、車庫の横にある通称、車庫信号所 Depotweiche(ヴァイヒェ Weiche はポイント、転轍機の意)だ。ここを過ぎると、それまで道の両側に並んでいた屋敷が姿を消すとともに、谷壁に、ザクセン・スイスの特色である剥き出しの砂岩の層が姿を現わし始める。

ハーフティンバーの瀟洒な宿屋(ガストシュテッテ)が見下ろすヴァルトホイズル Waldhäus'l、キャンプ場最寄りのオストラウアー・ミューレ/ツェルトプラッツ Ostrauer Mühle/Zeltplatz、農場風の気さくなペンションに通じるミッテルンドルファー・ミューレ Mittelndorfer Mühle、その名にふさわしい質実剛健な造りの宿屋を前にしたフォルストハウス Forsthaus(山番小屋の意)と、トラムは谷に点在する要所にこまめに停車しながら、奥へと進む。

Blog_sax_kirnitzsch12
ヴァルトホイズルの瀟洒な宿屋
Blog_sax_kirnitzsch13
停留所標識
駅名は古風なフラクトゥール文字で
 

二つ目の信号所、シュナイダー信号所 Schneiderweiche でシャンダウ方面の列車と行違った後は、いよいよ最後の閉塞区間だ。次のナッサー・グルント Nasser Grund(湿った谷底の意)停留所は、エルベ川右岸にそびえる奇岩列の一つ、シュラムシュタイネ Schrammsteine への登山口だ。ボイテンファル Beuthenfall(ボイテン滝)では、ホテルの廃墟の後ろに同じ名の小さな滝が落ちている。

左へ急カーブした後、少し行くと、ハーフティンバーの大きな建物の前を通過する。170年もの間、滝見の客を迎えてきた宿屋だ。そしてトラムは、機回し線を備えたリヒテンハイナー・ヴァッサーファル Lichtenhainer Wasserfall(リヒテンハイン滝)の停留所に滑り込む。

Blog_sax_kirnitzsch14
リヒテンハイン滝の宿屋の前を通過(2014年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_kirnitzsch15
終点リヒテンハイナー・ヴァッサーファル(2013年)
Photo by Steffenmaq at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

停留所の名になったリヒテンハイン滝は、建物の横の小道を入った奥にある。鉄道の目的地になるくらいだから、さぞ立派なものだろう、と期待しないほうがいい。落差は10mに届かず、しかも人工の滝だからだ。造られたのは1830年、ザクセン・スイスの景観がロマン主義の芸術を通して市民にもてはやされていた時代のことだ。

滝の水源である支流リヒテンハイナー・ドルフバッハ Lichtenhainer Dorfbach は、集水域が狭く、したがって流量も少ない。そこでこの年、上流に堰を造って水を溜めておき、堰を開けることで水を一気に流すという観光客向けの演出が始まった。音楽を流し、その最後の和音に合わせて、滝がよみがえる。現代人から見ればたわいのないショーだが、これが人気を博し、滝は一躍名所になった。トラムが(暫定的な)終点を置いたのも、それが理由だ。

なお、現地メディアによれば、昨年(2021年)7月の大雨で導水路が壊れ、貯水池も泥で埋まってしまった。そのため、再開の見通しは今のところ立っていない。

Blog_sax_kirnitzsch16
リヒテンハイン滝
(左)入口(2004年)
Photo by Andreas Steinhoff at wikimedia.
(右)上流の堰を開くとこの状態に(2011年)
Photo by Franzfoto at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

鉄道は、この地域の公共輸送を担うザクセン・スイス=オストエールツゲビルゲ地域交通有限会社 Regionalverkehr Sächsische Schweiz-Osterzgebirge GmbH (RVSOE) が運行している。RVSOE はオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) に参加しているが、他の観光鉄道と同様、キルニッチュタール鉄道には特別運賃が設定され、片道6ユーロ、1日券 Tageskarte は9ユーロだ。

平日休日を問わず毎日運行されており、2021年現在、夏のシーズン(4~10月)が30分間隔、冬(11~3月)は70分間隔だ。所要時間は、夏ダイヤの場合、朝晩を除き途中で2回列車交換を行うために片道32~34分、冬ダイヤではそれがないので25分で走破する。

Blog_sax_kirnitzsch17
バート・シャンダウ駅舎と桟橋
 

ドレスデン方面からバート・シャンダウへは、Sバーン(近郊列車)が30分間隔で走っている。しかし、DBの線路はエルベ川の対岸に敷かれているため、駅も当然、向こう岸だ。町へ行くには、川を横断するフェリーか路線バスに乗り換える必要がある。

フェリーの場合、DB駅舎を出て正面の階段を降りたところが桟橋だ。船は30分間隔で出ていて、少し上流にある町の船着場エルプカイ Elbkai(エルベ桟橋の意)との間を、行きは10分、帰りはわずか5分で結んでいる(下注)。エルプカイに上陸した後、トラムの起点クーアパルクまでは約800m、徒歩10分というところだ。

*注 行きは上流に向かうため、時間を要する。

Blog_sax_kirnitzsch18
(左)フェリーで川を渡る
(右)町の船着場「エルプカイ」
 

路線バスの場合は、DB駅前のバスターミナル(バス停名はバート・シャンダウ・ナツィオナールパルクバーンホーフ(国立公園駅)Bad Schandau, Nationalparkbf)から RVSOE が運行する241系統のキルニッチュタール方面行きに乗る。

平日はおよそ60分間隔、休日は30分間隔で運行していて、乗車時間は9分。トラムの起点と同じ名のバス停で降りれば、最短距離で乗り換えができる。バスはこの後、トラムと同じ道を走っていくので、トラムの代替手段にもなりうる。時刻表は http://www.ovps.de/ の Fahrpläne(時刻表)> Regionalverkehr Sächsische Schweiz(ザクセン・スイス地域交通)を参照されたい。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
RVSOE http://www.ovps.de/
Dampfbahn-Route Sachsen https://www.dampfbahn-route.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道

2022年1月31日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道

シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide

ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau ~カールスフェルト Carlsfeld 間 41.634km
軌間750mm、非電化
1881~97年開通、1967~79年廃止
1993年保存鉄道運行開始、2001年現行区間再開

【現在の運行区間】
保存鉄道:シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte ~シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn 間 3.9km

Blog_sax_schoen1
シェーンハイデ・ミッテ駅へ向けて走る蒸気列車

Blog_sax_schoen_map1

全国鉄道網から遠く離れた山中で、廃止済みの路線を一から再建し、自治体の支援を受けてボランティア団体が運営している(下注)。前回紹介したプレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn が持つプロフィールは、この鉄道にも当てはまる。

*注 両鉄道とも、地元自治体が一般鉄道法 Allgemeines Eisenbahngesetz 上のEIU(鉄道インフラ事業者)およびEVU(鉄道輸送事業者)になっている。

シェーンハイデ保存鉄道 Museumsbahn Schönheide は、エルツ山地西部の高原地帯で運行されている750mm軌間の蒸気保存鉄道だ。ツヴィッカウ Zwickau の南20kmに位置するシェーンハイデ Schönheide、その田舎町にある波打つ丘を渡る3.9kmのささやかなルートが、活動場所になっている。

Blog_sax_schoen2
まだ冬の装いの林を抜けて
Blog_sax_schoen_map2
シェーンハイデ周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

もちろんこの路線も、かつては全国鉄道路線網に2か所で接続された地域の交通軸だった。ツヴィッカウ近郊の標準軌線の駅ヴィルカウ・ハスラウ Wilkau-Haßlau を起点に、シェーンハイデを経由し、シェーンハイデ・ジュート(東駅)Schönheide Süd(旧名ヴィルチュハウス Wilzschhaus)で再び標準軌線と接続した後、エルツ山地の奥深く、標高816mのカールスフェルト Carlsfeld という村まで達していた。路線長42kmの、ザクセンで最も長大な狭軌線だった。

Blog_sax_schoen3
往路は下り坂で、機関車は後退運転
 

それだけでなく、このヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道は、ザクセンで最初に開通した750mm狭軌線という、記念すべきタイトルも有していた。

南部の山がちな地域に鉄道の恩恵を行き渡らせるには、導入費用が安価で、ルート設計に小回りの利く狭軌が最良の選択肢になる。ザクセン王国政府はそう考えて、1876年から狭軌鉄道の建設法案を議会に提出していたが、1880年にようやく可決されて、路線の着工に至る。その一つが、ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の根元区間に相当する、ヴィルカウ・ハスラウ~キルヒベルク Kirchberg 間6.3kmだった。

Blog_sax_schoen_map3
シェーンハイデ保存鉄道とその周辺の路線図
破線は廃線または休止線
 

ルートの大半が街道に横付けする形にされたので、工事は容易で、早くも1881年10月に開通式が行われている。ちなみに、同じ法案に盛り込まれていたヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn は、通過する地形に手こずったため、開通は1882年10月と、「同期生」に1年の遅れを取った。

先んじた方は、キルヒベルクまで列車が走り始めた時点で、すでに隣村のザウパースドルフ Saupersdorf(後の上駅 ob Bf)まで3.6kmの延伸にも着手しており、1883年に開通を果たしている。

Blog_sax_schoen4
旧ヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道の子供用車内乗車券
シェーンハイデ・ジュート以遠廃止後の発行
Photo by Klaaschwotzer at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ここまでを第1区間とすると、第2区間は、周辺自治体から誘致の要望が百出し、ルート決定までに長い時間を要した。最終的にシェーンハイデ経由で、ヴィルチュハウスで標準軌のケムニッツ=アウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Chemnitz–Aue–Adorf と接続することが決まり、開通したのは、第1区間から10年も後の1893年になった。

長さ24.3kmのこの区間は、地勢がより複雑で、高低差も大きい。そのため、道路から独立し、勾配緩和のために迂回路をとり、深い谷をトレッスル橋で渡るなど、山岳鉄道らしいルート設計が施されている。後で見るように、シェーンハイデ保存鉄道の列車が走るのも、そうした特徴を備えたルートだ。

Blog_sax_schoen5
ヴィルチュハウス(後のシェーンハイデ・ジュート)駅付近の狭軌鉄道
2本の高架橋の間で標準軌線をまたいでいる
画面奥に駅がある(1905年ごろの絵葉書)
Image from wikimedia. License: Public domain
 

最後の第3区間は、ヴィルチュハウスからカールスフェルトまでの7.3kmだったが、エルツ山地の最奥部で、採算が疑問視されたこともあって着工が遅れ、開通は1897年までずれ込んだ。工費節約のために、線路の多くが再び道路に横づけされた。谷を遡るルートは勾配が最大50‰にもなり、貨物も運ぶ蒸気鉄道としては限界に近いものだった。

Blog_sax_schoen6
カールスフェルトの市街地と駅
(1897~1910年の間の絵葉書)
Image from wikimedia. License: Public domain
 

貨物輸送では、標準軌貨車を直通させるロールワーゲン方式が1907年以降、順次導入されていったが、キルヒベルクの市街地では車両限界の拡充が難しかった。ようやく1960年代初めに、この区間で線路移設を含む提案がなされたが、時すでに遅く、1964年に政府は、国内の狭軌鉄道を全廃する方針を決定した。

これはすぐに実行に移された。1966年に、末端のヴィルチュハウス~カールスフェルト間で旅客輸送が休止されたのを手始めに、数年の間にほとんどの区間で列車が消えた。最後まで残ったのは、中間部のローテンキルヘン Rothenkirchen ~シェーンハイデ・ジュート間で行われていたブラシ製造会社の貨物輸送だが、これが1977年に休止となった(廃止は1979年1月1日)ことで、路線の歴史にいったん幕が下ろされた。

Blog_sax_schoen7
シェーンハイデ・ノルト~シュテュッツェングリュン間開業初日
シェーンハイデ・ミッテ駅車庫前にて(1997年12月5日)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

廃線跡で保存鉄道の活動が始まったのは、ドイツ再統一後のことだ。1991年にシェーンハイデ/カールスフェルト保存鉄道協会(現 シェーンハイデ保存鉄道協会 Museumsbahn Schönheide e. V.)が設立されて、線路の再建作業が始まった。シェーンハイデ・ミッテ~ノイハイデ Neuheide(現 シェーンハイデ・ノルト)間が1993年に再開され、その後1997年と2001年の段階的延伸を経て、現在の終点シュテュッツェングリュン・ノイレーン Stützengrün-Neulehn まで列車が走れるようになった。

Blog_sax_schoen8
シュテュッツェングリュン・ノイレーン停留所と
線路終端(2011年)
Photo by Knergy at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

なお、南にあるシェーンハイデ・ジュートとカールスフェルトの駅跡でも、1999年に設立された西部ザクセン保存鉄道振興協会 Förderverein Historische Westsächsische Eisenbahnen e.V. という別の組織が、駅構内の線路を復元し、保存列車の公開走行を随時行っている。協会は、シェーンハイデ・ジュートで接続していた標準軌のアウエ=アードルフ線 Bahnstrecke Aue–Adorf の廃線跡も所有し、管理している。

シェーンハイデ保存鉄道が拠点としているのは、シェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte 駅(下注)だ。確かに町を貫く中央通り(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße)に同名のバス停もあるものの、そこから駅らしきものは見えない。かつて駅構内はもっと広がり、通りからも見渡せたのだが、廃止後、飲料販売会社の倉庫用地に転用されてしまった。

*注 1950年にシェーンハイデから改称。

それで保存鉄道の駅は、倉庫の前の道を北へ200mばかり入った機関庫周辺に設けられている。小さな保存鉄道を象徴するような、小ぢんまりとしたスペースだ。ホームが不自然に急カーブしているのも、倉庫を避けて入換用側線を延ばす必要があったからだ。

Blog_sax_schoen9
シェーンハイデ・ミッテ駅
カーブした狭い構内
Blog_sax_schoen10
同 倉庫を避けて延びる入換用側線
 

鉄道の運行は不定期で月2回程度しかなく、乗車の機会は限られる。しかし、運行当日はルートの短さを逆に生かして6往復走るので、沿線での撮影チャンスが増えていいだろう。片道の所要時間は往路27分に対して、復路は21分。往路のほうが長い理由はあとでわかる。

機関車は、1992年に当時のDR(ドイツ国営鉄道)から調達された2両のザクセンIV K形蒸機(下注)のどちらか、または製紙工場からもらわれてきたV 10 Cディーゼル機関車が出動するはずだ。無蓋貨車を改造した展望車も連結されるので、外の景色を存分に楽しむことができる。

*注 協会は全部で3両のIV K機を所有しているが、1両はザクセン・スイス Sächsische Schweiz 地方の保存鉄道シュヴァルツバッハ鉄道 Schwarzbachbahn に貸し出されている。

Blog_sax_schoen11
IV K形蒸機 99 582、1912年製
Blog_sax_schoen12
機関庫にはVI K形があと2両いた(2013年撮影)
99 585はその後、他の保存鉄道に貸出された
Blog_sax_schoen13
展望車
側面の広告ヴェルネスグリューナー Wernengrüner は地元の銘柄ビール
 

切符は走行中に車掌から買えばいいので、さっそく乗り込むことにしよう。汽笛一声、列車はゆるゆると駅を離れる。駅横の踏切を越え、主信号機の前を通過する頃、目の前に、広く深い谷間となだらかな丘が連なる高原の風景が展開する。正面遠方に見えるレンガ色の大きな工場が、これから向かうシュテュッツェングリュン駅のある場所だ。始発駅が標高678mとルートで最も高いこともあり、ここが最も見晴らしがいい。

Blog_sax_schoen14
(左)出発するとすぐ高原の風景が広がる
(右)落葉樹の林を行く
Blog_sax_schoen15
ミッテ駅北方から望む高原風景
手前はノイハイデの集落
丘の上のレンガ色の建物の前に列車の目的地がある
 

列車は、谷を巻くために左へカーブしていく。線路は下り勾配になっている。クーベルク Kuhberg の山裾にある大きなS字カーブを回った先に、一つ目の停留所シェーンハイデ・ノルト Schönheide Nord(北駅、旧名はノイハイデ Neuheide)がある。ここも廃線後、跡地がガレージに転用されたため、現在の通過線と待避線は駅構内から少しずらして設けられた。

Blog_sax_schoen16
ノルト停留所
右のガレージを避けてカーブする線路
 

この後はまた林の中の大きな右カーブで、先ほど見えていた向いの丘にとりつく。そのままレベル(水平)で進んでいくと見えてくるレンガ色の大きな建物が、旧線時代に貨物輸送の最後の顧客だったブラシ製造工場のビュルステンマン Bürstenmann だ。建物に隣接して、シュテュッツェングリュン駅(下注)がある。

*注 旧線時代、正式なシュテュッツェングリュン駅がここから2km北にあり、現駅は工場の通勤客が使う同名の停留所だった。

Blog_sax_schoen17
(左)このカーブを曲がるとシュテュッツェングリュン駅
(右)ブラシ製造工場の前の駅名標
Blog_sax_schoen18
ミッテ駅北方から見た同 工場建物
蒸気列車の煙が上がる
 

ここでは7分停車する。早くも機関車が切り離され、側線を通って列車の後方に走っていく。機回しは、終点で列車を方向転換するための作業のはずだが、なぜ中間駅で行うのだろうか。

実は、終点シュテュッツェングリュン・ノイレーンが行き止まりの棒線停留所(下注)で、機回しに使う側線がない。それで、シュテュッツェングリュンでの機回しの後、列車はバックする形で走り、終点では単純に折り返す。両駅の距離は約500mに過ぎず、引上げ線を往復しているようなものだ。

*注 旧線時代、ここに乗降施設はなかった。現停留所は保存鉄道の終点として設置されたもの。

Blog_sax_schoen19
シュテュッツェングリュン駅での機回し作業
Blog_sax_schoen20
ギャラリーが見守る中、再連結
 

シュテュッツェングリュンを出た列車は右カーブでゆっくりと森の切通しに入っていき、片側ホームのノイレーンに到着する。線路はかつて踏切だった道路の手前で途切れていて、以遠の線路跡は草むらに埋もれている。

ここで線路が終端となる理由は、この先で旧線が渡っていた大小2本のトレッスル橋が、すでに撤去されてしまっているからだ。廃線後、自治体は鉄道記念物として保存する計画だったが、財政上の理由で断念した。一方、起点のシェーンハイデ・ミッテの南側も用地の転用が進んでいる。そのため、シェーンハイデ保存鉄道がこれ以上ルートを拡張するのは難しいのが実情だ。

Blog_sax_schoen21
シュテュッツェングリュン・ノイレーン停留所に到着

では最後に、公共交通機関によるアクセスについて記しておこう。

保存鉄道駅の最寄りバス停は、先述の通り、中央通りにあるシェーンハイデ・ミッテ Schönheide Mitte だ。ここへは、東からアウエ Aue 発の、西からアウエルバッハ Auerbach 発のバス路線が通じている。

まず、DBアウエ駅前からは、平日の場合、351系統の直行便がある。休日は、373系統でアイベンシュトック・自由広場 Eibenstock, Platz des Friedens まで行き、そこで351系統に乗り換えてシェーンハイデに向かうことになる。所要時間は50分前後。時刻表はエルツ山地地域交通 Regionalverkehr Erzgebirge, RVE https://www.rve.de/ を参照されたい。

また、DBアウエルバッハ下駅 Auerbach unt Bf の駅前からは、61系統(RVE管内のバス停では V61 と表記)が直行する。こちらは所要27分と近いが、休日は電話による事前予約制になっているので注意。時刻表はフォークトラント運輸連合 Verkehrsverbund Vogtland, VVV https://vogtlandauskunft.de/ にある。

Blog_sax_schoen22
ミッテ駅に戻っていく蒸気列車
 

次回は、キルニッチュタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
シェーンハイデ保存鉄道協会 https://www.museumsbahn-schoenheide.de/
西部ザクセン保存鉄道振興協会 https://www.fhwe.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2022年1月22日 (土)

ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道

プレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn

ヴォルケンシュタイン Wolkenstein ~イェーシュタット貨物駅 Jöhstadt Ldst. 間 24.328km
軌間750mm、非電化
1892年開通、1982~86年廃止
1993年保存鉄道運行開始、2000年現行区間再開

【現在の運行区間】
保存鉄道:シュタインバッハ Steinbach (bei Jöhstadt) ~イェーシュタット Jöhstadt 間 7.994km

Blog_sax_pressnitz1
シュレッセル駅に停車中の蒸気列車

Blog_sax_pressnitz_map1

エルツ山地で鉱山集落を起源とする町や村は、傾斜地に作られていることが多い。チェコとの国境に接するイェーシュタット Jöhstadt もその一つだ。

町の上手のマルクト広場 Marktplatz から駅に至る道は急な下り坂で、距離こそ1km程度だが、高低差は100mもある。750mm軌間の蒸気保存鉄道の一つ、プレスニッツタール鉄道 Preßnitztalbahn はこの谷底の駅を拠点にして、約8kmの区間で運行されている。

これまで紹介してきたものとは違い、この狭軌鉄道は、DB(ドイツ鉄道)の全国路線網に接続されていない。そのため、公共交通機関で向かうなら、近隣のアンナベルク・ブーフホルツ Annaberg-Buchholz まで列車に乗った後、バスに約30分揺られ、さらにこの坂道を歩いて降りる必要がある(アクセスの詳細は後述)。

どうして、このような山中に孤立した鉄道が存在し、今も動いているのだろうか。その訳を知るために、まずは路線の歴史をひも解いていきたい。

Blog_sax_pressnitz2
シュタインバッハ駅から帰りの途へ
Blog_sax_pressnitz_map2
イェーシュタット周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道名になっているプレスニッツタール Preßnitztal というのは、プレスニッツ川 Preßnitz が流れる谷(タール Tal)のことだ。鉄道は、エルツ山地に刻まれたこの谷(下注)の中を終始走っていく。

*注 ただし、路線の終盤は、支流であるイェーシュテッター・シュヴァルツヴァッサー川 Jöhstädter Schwarzwasser の谷を行く。

狭軌鉄道の建設前から、谷には水力を利用した製粉、製材、製紙などの小規模な工場が多数稼動していた。しかし、製品を運び出すには、谷の険しい徒歩道をたどるしか手段がなかった。1866年にアンナベルクまで標準軌線が延びた(下注)のをはじめ、周辺の交通事情はしだいに改善されていったが、プレスニッツタールに列車が現れるまでには、さらに20年以上の歳月を必要とした。

*注 アンナベルク=ケムニッツ線 Bahnstrecke Annaberg–Chemnitz(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg-Buchholz unt Bf–Flöha)。

Blog_sax_pressnitz3
新緑の森に囲まれた谷間を行く
 

エルツ山地は地形が険しく、従来の標準軌での建設は技術的にも財政的にも課題が多すぎた。そこで政府は、こうした周辺地域の支線(二級鉄道 Sekundärbahnen)を比較的低コストで済む狭軌で設計することにし、1878年から750mm軌間による路線建設を開始する。

プレスニッツタール鉄道もまた、その枠組みで整備された路線だった。ルートは、アンナベルクへの標準軌線の途中駅ヴォルケンシュタイン Wolkenstein を起点に、イェーシュタットを終点とする23.0kmとされた。ただし、ヴォルケンシュタイン駅から実際の分岐点までの約1.5kmは3線軌条で、標準軌と狭軌が線路を共有していた。

正式名称は、ヴォルケンシュタイン=イェーシュタット狭軌鉄道 Schmalspurbahn Wolkenstein–Jöhstadt といった。もとはこのように、標準軌の路線網に接続された路線だったのだ。

Blog_sax_pressnitz4
ヴォルケンシュタイン駅の眺望
左が狭軌線、右が標準軌線
(1909年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
Blog_sax_pressnitz_map3
プレスニッツタール鉄道とその周辺の路線図
破線は廃止線または休止線
 

鉄道は1892年6月に開通し、1日3往復の列車が走った。1年後の1893年5月には、貨物輸送のために、国境直前のイェーシュタット貨物駅 Jöhstadt Ladestelle まで延伸され、全長24.3kmの路線になった。

当時はボヘミア(現 チェコ共和国)からの石炭輸送ルートが求められており、プレスニッツタール鉄道にも山地を越えての延伸構想がいくつか現れている。しかし、建設費や採算見通しなどの問題から、どれも実現に至らないまま、第一次世界大戦の開戦ですべて沙汰止みになってしまった。

一方、現存線では、特に貨物輸送が好調に推移していた。ニーダーシュミーデベルク Niederschmiedeberg の製紙工場とともに、イェーシュタット貨物駅から消火設備を出荷するフラーダー Frader 社が主要な顧客で、1911年には、標準軌貨車を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン方式が導入されている。

第二次大戦後の東ドイツ時代に入ると、製紙工場を転換して開設された冷蔵庫工場が、製品の搬出に鉄道を利用した。1964年に国が打ち出した狭軌路線全廃計画は、もちろんこの鉄道にとっても目前の危機だったが、貨物の代替輸送手段が整うまでの間、執行は先送りとされた。

Blog_sax_pressnitz5
(左)イェーシュタット駅旧景
  ザクセン蒸気ルートの案内板の一部を撮影
(右)ロールワーゲン
  シュタインバッハ駅の静態展示
 

ところが、廃止を見越して保守経費が削減された影響で、線路や設備の摩耗がしだいに顕わになっていく。オイルショックを受けて1981年にトラックから鉄道へ輸送手段の転換が検討されたときには、もはやプレスニッツタール鉄道は担い手とみなされなかった。それどころか、鉄道より道路整備のほうがコスト的に有利だとされて、廃止方針が確定してしまった。

運行休止は、1982年から1986年にかけて段階的に実施されている。旅客列車は、1984年の1月に上流区間のニーダーシュミーデベルク~イェーシュタット間で、9月に下流区間のヴォルケンシュタイン~ニーダーシュミーデベルク間で、それぞれ運行を終えた。

貨物列車は先行して1982年から順次休止の措置が取られ、最後に残ったニーダーシュミーデベルクからの冷蔵庫輸送も1986年11月にトラックに切り替えられた。これにより同年12月31日をもって、鉄道は法的に全線廃止とされた。

使われなくなった線路の撤去がまもなく始まり、橋梁も数にして約2/3が解体された。プレスニッツタール鉄道は、東ドイツ時代に廃止され、撤去された最後の狭軌路線だった。

Blog_sax_pressnitz6
シュタインバッハ駅北方の線路終端(2011年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在の保存鉄道から見れば、ここまでがプレヒストリー(前史)になる。線路跡は更地に還され、まもなく雑草に覆われた。その一方で、鉄道の喪失を惜しむ人も多く、彼らは1988年に「プレスニッツタール鉄道利益共同体 Interessengemeinschaft Preßnitztalbahn」の名称で、記念物を保存するボランティア活動を開始する。

ドイツ再統一の過程にあった1990年夏、団体は協会格を得て、新たな組織目標を、イェーシュタットを拠点にした鉄道の再建と定めた。当初の目標はイェーシュタットからシュマルツグルーベ Schmalzgrube まで約4kmのルートの復元だった。

作業はまず、廃線跡に埋まる枕木を掘り起こし、整地し直すことから始まる。所によっては線路跡に建つ建物の撤去や、橋桁の再架設も必要となった。そのうえで軌道を敷設し、完成した区間から順に列車を走らせる。その距離は毎年着実に延びていき、1995年には目標のシュマルツグルーベに達した。

その後も工事は続けられ、2000年8月には、起点から約8kmのシュタインバッハ Steinbach まで再開された。これが、現在の運行区間になっている。

Blog_sax_pressnitz7
シュタインバッハ駅で出発を待つ蒸気列車

では、ルートに沿ってイェーシュタット駅から見ていこう。

保存鉄道の起点になっているイェーシュタットでは、長らく北側(シュタインバッハ方)の、駅舎から150mほど離れた機関庫のあるエリアで発着が行われていた。一般輸送廃止後に、機関庫と駅舎の間にアパートが建てられたため、線路を再建できなかったのだ。

アパートの裏庭を一部後退させることで、用地が確保され、2021年9月に待望の駅舎前に線路が延長された。駅の南側(貨物駅方)では、すでに2018年に約250mの線路が敷かれており、これと接続して、駅構内を昔のように列車で往来することが可能になった。

■参考サイト
プレスニッツタール鉄道-新しいイェーシュタット駅
https://www.pressnitztalbahn.de/museumsbahn/projekte/neuer-bahnhof-joehstadt-ba-km-2

Blog_sax_pressnitz8
(左)イェーシュタット駅舎
(右)イェーシュタット駅機関庫
Blog_sax_pressnitz9
同 機関庫のあるエリア
 

イェーシュタットは標高684mで、路線で最も高い場所にある。標高543mの終点シュタインバッハまで、線路は川に沿って下り一方だ。そのため往路は、蒸機も惰行で走る区間が長い。また、機関車は後退運転(逆機)になる。その分、復路は最大25‰の坂道を力強く上っていくし、機関車も正面が前になり、写真映えがする。

イェーシュタット駅を出た列車は、機関庫の前を通過し、続いて倉庫のような大きな建物を左手に見る。これは、2005年に建てられた鉄道の展示・車両ホール Ausstellungs- und Fahrzeughalle だ。南側に停留所が併設されているので、リクエストがあれば停車してくれる。

Blog_sax_pressnitz10
展示・車両ホール
(左)停留所から見た外観(2016年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)内部の車両展示(2018年)
Photo by Aagnverglaser at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後、シュレッセル Schlössel 駅まではすぐだ。ここは島式ホームがあり、待避線や留置側線が並んでいる。写真の撮影時(2014年)はイェーシュタット駅が工事中で、ここが列車の起点になっていた。

シュレッセルを後にすると、列車は針葉樹に覆われた谷間に吸い込まれていく。左手では、イェーシュテッター・シュヴァルツヴァッサー川が、早瀬と淵を繰り返しながら流れ下っている。

Blog_sax_pressnitz11
シュレッセル駅
 

保存鉄道化に際して、旧線にはなかった停留所がいくつか新設された。リクエストストップのローレライフェルゼン(ローレライ岩) Loreleifelsen もその一つで、少し上流側にライン川の名所にあやかった大岩がある。もっとも、クライネ・ローレライ(小さなローレライ) Kleine Lorelei という控えめな実名が示すとおり、期待するほどのものでもないようだが…。

森が開けると、大きな左カーブを回って、シュマルツグルーベ駅に停車する。ここは旧線時代からある村の駅だ。レンガ建ての小さな駅舎とともに待避線も備わっていて、1時間間隔のダイヤの日は、実際に列車交換が行われる。

Blog_sax_pressnitz12
シュマルツグルーベ駅とレンガ建ての小駅舎
 

フォレレンホーフ Forellenhof は、同名のガストホーフ(食堂兼旅館)の前にある停留所だ。フォレレ Forelle とはカワマスのことで、隣接してその養魚池がある。線路脇に設けられたテラスで出される川魚料理は、とりわけ人気が高いらしい。列車は、プレスニッツ川の本流とともに再び森に包まれていく。

Blog_sax_pressnitz13
フォレレンホーフ停留所
(左)奥の建物がテラスのあるガストホーフ
(右)手作り感のあるホーム
Blog_sax_pressnitz14
カワマスが泳ぐ(?)養魚池
 

森の中で、A・ゲーゲントルム・シュトルン A.-Gegentrum-Stolln と記された駅名標が立つ砂利敷のホームを通過する。鉱山跡を公開している同名の観光スポットのために開設されたリクエストストップだ。森を抜けたところにあるヴィルトバッハ Wildbach も同様で、近くにレストハウスがある。

こうして列車は、終点シュタインバッハに到着する。旧線時代から、ここは中間の主要駅の一つだったが、当時のレイアウトに従って4本の線路が復元され、ターミナルにふさわしい姿に蘇った。シュマルツグルーベと同じような平屋の駅舎も、ホームの傍らにある。

列車から切り離された機関車は、駅舎と反対側にある給水処 Wasserhaus の前に移動する。童話から抜け出てきたかのようなこの愛らしい2層のレンガ建は、旧線の遺構の中でもとりわけ印象的なものだ。

*注 正式駅名はシュタインバッハ(バイ・イェーシュタット)Steinbach (b Jöhstadt)。イェーシュタット近傍のシュタインバッハを意味する。

Blog_sax_pressnitz15
シュタインバッハ駅に入線
Blog_sax_pressnitz16
駅到着後、機関車は給水処(左の建物)へ移動
 

線路はホームの端からさらに続いているように見えるが、カーブを曲がってプレスニッツ川を渡った先に終端がある。そこから下流の廃線跡は、大半がプレスニッツタール自転車道 Preßnitztalradweg に転用されてしまった。

2021年の時刻表によれば、イェーシュタット~シュタインバッハ間の所要時間は、往路が37分、復路が45分になっている。復路が長いのは、中間のシュマルツグルーベで9分間の停車があるからだ。

鉄道は、夏のシーズンの週末と年間の祝日を中心に運行されている。ダイヤには、2時間間隔で走る日(1日9往復)Fahrtage im Zwei-Stundentakt と、1時間間隔の日(1日4往復)Fahrtage im Ein-Stundentakt の別があり、前者の場合、シュマルツグルーベで列車交換が行われる。

保存列車を牽くのは、特別な事情がない限り蒸気機関車だ。鉄道の公式サイトによれば、協会が所有する蒸機は7両にも上る(2021年現在)。主力のザクセンIV K形が4両揃っているほか、1927年製のVI K形、I K形の2009年製レプリカ、1966年製の動輪3軸の蒸機と、実に多彩な顔ぶれだ。しかもすべて運行できる状態にあるという。

Blog_sax_pressnitz17
HF 210 E形機関車
1939年製の軍用軌道機関車で、「アクヴァーリウス・ツェー AQUARIUS C」の愛称をもつ
終戦後も各地で稼働し、2009~16年にプレスニッツタール鉄道で在籍、
現在(2022年)はオーストリアのタウラッハ鉄道 Taurachbahn で供用中
Blog_sax_pressnitz18
左から、IV K形99 1594(1914年製)、
1966年製3軸機99 4511(1966年製)、
最古参のIV K形99 1542(1899年製)
イェーシュタット駅機関庫にて(2019年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_pressnitz19
I K形レプリカ54号(2010年撮影)
Photo by Liesel at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

最後に、公共交通機関でのアクセス方法について。

冒頭でも触れたとおり、イェーシュタットへは、DBチョーパウタール線 Zschopautalbahn のアンナベルク・ブーフホルツ Annaberg-Buchholz(下注)駅前から、路線バス 430系統で約30分だ。

*注 正式駅名には unt Bf(unterer Bahnhof の略、下駅の意)が付く。かつて町の上手にあった「上駅 ob Bf (oberer Bahnhof)」と区別していた名残。

残念ながら、バスはイェーシュタット駅前には立ち寄らない。そのため、イェーシュタット・マルクト(マルクト広場)Jöhstadt, Markt か、その次のイェーシュタット・アインカウフスマルクト Jöhstadt, Einkaufsmarkt バス停で下車する必要がある。前者から駅までは急な下り坂で約1km、後者はより近くて約500mだ(下図参照)。バス時刻表は エルツ山地地域交通 Regionalverkehr Erzgebirge, RVE の公式サイト https://www.rve.de/ にある。

Blog_sax_pressnitz20
イェーシュタット・マルクトのバス停
Blog_sax_pressnitz_map4
イェーシュタット周辺の駅、バス停の位置を
1:25,000地形図(1999年)に加筆
© 2021 Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen
 

これとは別に、訪問者の多い特別運行日限定だが、「プレスニッツタール行楽ルート Ausflugslinie Preßnitztal」の名で、DBヴォルケンシュタイン駅前からシュタインバッハ駅まで連絡バスのサービスもある。詳細は、保存鉄道の公式サイトに掲載されている。

次回は、シェーンハイデ保存鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
プレスニッツタール鉄道 https://www.pressnitztalbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2022年1月 8日 (土)

ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道

デルニッツ鉄道 Döllnitzbahn

オーシャッツ Oschatz ~ミューゲルン Mügeln (b. Oschatz) ~グロッセン Glossen (b. Oschatz) 間 15.973km
ネビッチェン Nebitzschen ~ケムリッツ Kemmlitz (b. Oschatz) 間2.66km
軌間750mm、非電化
1885~1903年開通

*注 正式駅名につく b. Oschatz は bei Oschatz の略記。「オーシャッツ近傍の」を意味し、同名の他の駅と区別するために付けられる。

Blog_sax_doellnitz1
デルニッツ鉄道の蒸機運行日
ミューゲルン駅に列車が到着

ライプツィヒ Leipzig とドレスデン Dresden、このザクセン2大都市を結ぶ標準軌幹線の途中に、オーシャッツ Oschatz 駅がある。デルニッツ鉄道 Döllnitzbahn の列車は、ここを起点にしている。鉄道は750mm軌間で、運行にはディーゼル機関車のほか、蒸気機関車も使われる、と来れば、同じような狭軌鉄道をいくつか見てきたので、中身はおよそ想像がつくというものだ。

Blog_sax_doellnitz2
デルニッツ鉄道の列車
アルトミューゲルン Altmügeln 駅にて
 

しかし調べてみると、他の路線とは少し様子が違うことに気づく。第一に、現在のルートがいくつかの路線の継ぎはぎにより成立している点だ。「デルニッツ鉄道」は路線を運営する会社の名称であって、そのような名の1本の路線が最初から存在したわけではなかった。

第二に、廃止の危機を潜り抜けてきた理由だ。東ドイツでは1964年に、今後10年間で狭軌路線を全廃するという決定が下されたが、その後、一部の路線が、観光に活用するとして廃止を免れた。しかし、「デルニッツ鉄道(を構成する路線)」はそのリストに含まれていない。

第三に、使われる蒸気機関車がザクセンIV K形(DR 99.51~60形、下注)であることだ。より新しい5軸の機関車を使う路線も多い中で、デルニッツ鉄道では、1900~10年代生まれのこの旧型機(ただし1960年代に全面更新されている)が定期的に運用されている。

*注 IV K形は、マイヤー式 Meyer-Lokomotive と呼ばれる関節式機関車の一種で、ボイラーの下に2軸ボギーの台枠を前後2個設置し、急曲線での走行を可能にしている。王立ザクセン邦有鉄道向けに、ケムニッツのザクセン機械製造所 Sächsischen Maschinenfabrik で製造された。ちなみに、IV は「第4」の意で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

こうした他線との違いが生じた理由は何なのだろうか。路線の成立経緯から探っていきたい。

Blog_sax_doellnitz3
ザクセンIV K形蒸機99 574
Blog_sax_doellnitz_map2
オーシャッツ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

この地域は、かなり早くから近代的な交通手段の恩恵に浴していた。というのも、ドイツ最初の長距離鉄道と言われるライプツィヒ=ドレスデン鉄道 Leipzig-Dresdner Eisenbahn が、オーシャッツを経由したからだ。ライプツィヒから東へ順次延伸されてきた鉄道は、1838年11月にオーシャッツに達し、町の北方に駅が設置された。

Blog_sax_doellnitz4
現在のDBオーシャッツ駅
 

しかし、その後の数十年はまだ全国幹線網の発達段階であり、後背地にあるミューゲルン Mügeln やヴェルムスドルフ Wermsdorf などの町との間は、馬車連絡の時代が長く続いた。地方路線建設の可能性は、軽便鉄道に関する法制が整備された1878年以降に、ようやく現実味を帯びてくる。

この地域で最初の狭軌鉄道は、1884~85年に開通したオーシャッツからミューゲルンを経てデーベルン Döbeln に至る延長30.9kmの路線だ。南北に走るこの路線は、両端で幹線駅に接続しており、中間のミューゲルンが事実上の目的地だった。そのため、ミューゲルン駅は頭端駅 Kopfbahnhof の形状で設計された。

Blog_sax_doellnitz_map3
ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
薄いマーカーが「ミューゲルン路線網」
赤は現 デルニッツ鉄道のルート
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

次に実現したのは、ミューゲルン~ナイヘン Neichen(旧称 ネルハウ・トレプセン Nerchau-Trebsen)間の23.9kmで、1888年に開通した。上記の南北路線に対して、こちらは、ヴェルムスドルフを主要な経由地とする東西ルートだ。ミューゲルンに西側から接続したため、駅は通過構造に変わった。

Blog_sax_doellnitz5
ミューゲルン駅(1910年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

同じ頃、ミューゲルンの西方、ケムリッツ Kemmlitz とクロプテヴィッツ Kroptewitz の周辺で、磁器の原料になるカオリン(白陶土)の採掘が開始される。搬出の手段として、1903年にミューゲルン=ナイヘン線の途中にあるネビッチェン Nebitzschen から貨物線が延ばされた。これが、長さ6.3kmのネビッチェン=クロプテヴィッツ線だ。専ら貨物列車が行き交う路線だったが、1945年から1964年まで、混合列車による旅客輸送も実施されている。

これらは周辺の路線群と合わせて「ミューゲルン路線網 Mügelner Netz」と総称された(上図参照)。運行の中核となったミューゲルン駅は段階的に拡張され、1927年には35本の線路と約70か所のポイント(分岐)を有する規模になる。ヨーロッパ最大の狭軌駅という表現もあながち誇張ではなかった。

Blog_sax_doellnitz6
1938年のミューゲルン駅構内配線図(和訳を付記)
Image by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかし第二次世界大戦後は、鉄道離れが徐々に進行する。そのため、冒頭でも触れたとおり、1964年に国によって狭軌路線全廃の方針が示され、それを境に路線網は縮小に向かう。

1967年から翌68年にかけて、成績の振るわなかった西部および南部の区間が廃止され(下注)、幹線と接続するのはオーシャッツ駅だけになった。旅客列車はオーシャッツ~ミューゲルン間に最後まで残っていたが、これも1975年9月に休止されてしまう。他線のような観光輸送の対象にはならなかったのだ。

*注 ミューゲルン路線群の廃止年表
 1967年11月30日 ケムリッツ~クロプテヴィッツ
 1968年1月1日 ミューゲルン~デーベルン
 1968年7月1日 ムッチェン Mutzschen ~ナイヘン
 1970年1月1日 ヴェルムスドルフ~ムッチェン
 1972年2月1日 オーシャッツ~シュトレーラ Strehla
 1972年10月1日 ネビッチェン~ヴェルムスドルフ

一方、カオリン製品の搬出を筆頭に、貨物輸送にはまだ需要があった。さらにオイルショックの影響で、ソ連からの原油供給が不足したため、東ドイツでは1981年から、輸送手段をトラックから鉄道に転換する政策が取られた。これに応じて、貨物列車は1日に最大6往復設定された。

列車は、カオリン鉱山のあるケムリッツを出発し、ミューゲルン経由でオーシャッツへ向かう。戦前のミューゲルン路線網を利用した輸送路だが、路線廃止が進んで、今や列車が走行できるのはこのルートだけになっていた。

Blog_sax_doellnitz7
デルニッツ川橋梁を渡るミューゲルン方面の貨物列車(1991年)
Photo by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ再統一後の1993年、ドイツ鉄道顧客連盟 Deutsche Bahnkunden-Verband e. V. (DBV) がデルニッツ鉄道有限会社 Döllnitzbahn GmbH を設立し、DB(ドイツ鉄道)から鉄道施設と車両を引き継いだ。設立の目的はカオリンの輸送体制を維持することだった。ちなみにデルニッツ Döllnitz は、路線に沿って流れる川の名に由来する。

ザクセンの狭軌線の中で唯一続けられた貨物輸送だが、結局、効率の点でトラックに及ばず、2001年に休止となってしまう。ところがこの時すでに、放棄されて久しい旅客輸送の分野で、別の動きが始まっていた。

一つは、蒸気機関車による観光列車の運行だ。1994年にDBVのもとで、「ヴィルダー・ローベルト」振興協会 Förderverein "Wilder Robert"(下注)が設立されている。ミューゲルン駅に本拠を置いた協会によって、残存するIV K形機関車を使った特別運行が開始された。それと並行して、ミューゲルン駅構内の鉄道施設や車両群の復元や改修も進められた。

*注 ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルトの意)は、IV K形蒸機につけられたあだ名。

Blog_sax_doellnitz8
蒸気運行の案内板、次回は4月14日とある
 

もう一つは、1995年にオーシャッツ~アルトミューゲルン間で再開された通学輸送だ。これは主にオーシャッツのギュムナージウム(文科高等中学校)に通う生徒たちが利用するもので、バスに比べて輸送力が大きい点が評価された。2006年には現在の終点グロッセン Glossen まで線路が復元され、通学列車の運行区間も延長されている。

一方、支線のネビッチェン~ケムリッツ間は、2006年に線路の損傷が発見されて以来、通行できなくなっていた。だが、カオリン鉱山の観光開発を目ざして2017~18年に復旧工事が実施され、再び運行が可能になった。

こうして2021年現在、列車が走れる区間は、オーシャッツ~ミューゲルン~グロッセン間の「本線」16.0kmと、ネビッチェン~ケムリッツ間の「支線」2.7kmの、計18.7kmにまで延びている。なお、運行業務は2013年から、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn の事業者であるザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) に委託されており、2本の鉄道は車両の運用などを通して密接な関係にある。

デルニッツ鉄道の起点オーシャッツへは、ライプツィヒ中央駅から1時間ごとに走る「サクソニア Saxonia」のRE(レギオエクスプレス、快速列車)で36分だ。ドレスデンからも1時間少しで着く。

オーシャッツのDB駅舎は、無人化された後、長らく荒廃していたが、2018年に自治体の手で全面改修され、見違えるようにきれいになった。内部に設置されたインフォメーションオフィスの運営はデルニッツ鉄道が受託しており、乗車券もここで購入することができる。

Blog_sax_doellnitz9
(左)REでオーシャッツ駅に到着
(右)改修前(2013年)のオーシャッツ駅舎
  当時、内部は閉鎖されていた
Blog_sax_doellnitz10
オーシャッツ駅改修後の開所式(2018年)
© 2018 www.doellnitzbahn.de
 

小ぢんまりした駅前広場の斜め向かいに、デルニッツ鉄道の乗り場がある。カーブした島式ホームにクラシックな木組みの屋根がかかり、地方鉄道らしい風情を感じる始発駅だ。狭軌鉄道の駅舎はないので、用があるならDB駅舎で済ませておく必要がある。

Blog_sax_doellnitz11
オーシャッツの狭軌駅に列車が入線
Blog_sax_doellnitz12
木組みの屋根がかかる島式ホーム
機関車は折返し運転に備えて機回し中
 

では、さっそく列車に乗り込むとしよう。発車すると、まずは駅前通りに沿って南下していく。線路に目をやると、狭軌線の左側にもう1本、レールが並走している。これは、駅から近くの工場群へ通じていた標準軌の引込線の痕跡だ。引込線はもう使われていないが、約500m続く3線軌条はまだ残されている。

Blog_sax_doellnitz13
(左)オーシャッツ駅南方に残る3線軌条
(右)オーシャッツ駅方を望む(1982年)
  標準軌線は狭軌駅の南側で合流していた  
   Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

列車はこの後、小さなガーダー橋を渡り、右を流れる小川と左の道路に挟まれる形で進む。この小川が鉄道名になったデルニッツ川で、かつてはその西側にオーシャッツ旧市街を囲む市壁が築かれていた。中間の停留所はすべてリクエストストップなので、乗降がなければ通過する。

Blog_sax_doellnitz14
(左)デルニッツ川橋梁
(右)旧市街の東で川と道路に挟まれて走る
 

次に停車するオーシャッツ・ジュート(南)Oschatz Süd 駅は、列車交換ができる待避線をもっている。旧市街の南縁に接しているため、1950年代には毎日2000人の利用者で賑わったという主要駅だ。今も、通学列車でトーマス・マン・ギュムナージウム Thomas Mann Gymnasium に通う生徒たちが乗り降りする。

構内北側にある旧 鉄道員宿舎は、「ヴィルダー・ローベルト」振興協会によってすっかり改装された。デルニッツ鉄道をテーマにしたHOゲージの鉄道模型や、鉄道絵はがきコレクションの展示館になっていて、蒸機運行日に公開される。

Blog_sax_doellnitz15
オーシャッツ・ジュート駅の旧宿舎
現在は展示施設に(2017年)
Photo by Radler59 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この先は、デルニッツ川が静かに流れる浅い谷の中を行く。谷を堰き止めたローゼン湖 Rosensee を左手に眺めた後は、雑木林と畑地が交錯する車窓が続く。次の停車はナウンドルフ Naundorf (b. Oschatz) だ。錆びついてはいるものの、ここにも待避線がある。周りは丘陵の広々とした景色が開け、列車は道路に沿った長いストレッチを淡々と走っていく。

Blog_sax_doellnitz16
ナウンドルフの前後では丘陵の景観が広がる
 

急なS字を曲がり終えれば、狭軌鉄道網の中心だったミューゲルン Mügeln (b. Oschatz) 駅の構内だ。最盛期から見れば縮小されているのだろうが、今でも10本近い側線が並んでいて、狭軌の駅としてはかなりの規模に見える。

ここの駅舎も自治体によって改装され、「ジオポータル・ミューゲルン駅 Geoportal Bahnhof Mügeln」という名でインフォメーションオフィスが入居している。構内のオーシャッツ方(東側)には、振興協会が拠点にしているレンガ造りの機関庫が見え、周りの側線には客車や貨車がずらりと留置されている。

Blog_sax_doellnitz17
拠点駅の面影を残すミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_doellnitz18
改修後のミューゲルン駅舎(2020年)
Photo by Radler59 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_doellnitz19
(左)ミューゲルン駅の機関庫
(右)内部ではイベントに使う蒸気駆動のドライジーネを整備中
 

駅を後にした列車は、右カーブで駅前通りを横断し、町の北側をかすめていく。右手に、円塔のあるルーエタール城 Schloss Ruhethal が見えてくる。アルトミューゲルン Altmügeln に停まった後は、また道路とともに畑の中を行く。一帯の肥沃な丘陵地はテンサイ(砂糖大根)の産地で、昔は秋の収穫期になると、専用の運搬列車が狭軌線を行き交ったという。

そのうちに、長くまっすぐな側線のあるネビッチェン駅に停車する。駅と言っても周りに集落はなく、信号所というほうが正確だろう。というのも、ここはケムリッツ方面の支線の分岐点だからだ。

Blog_sax_doellnitz20
ルーエタール城の前を行く
右写真はミューゲルン方を望む(東望)
Blog_sax_doellnitz21
(左)ネビッチェン駅はさながら信号所
(右)ケムリッツ方面の線路
  撮影当時(2013年)は復活工事前で、行き止まりだった
 

ケムリッツ Kemmlitz (b. Oschatz) へは支流ケムリッツ川の浅い谷を遡っていくが、勾配は最大20‰と、本線よりも険しい。ケムリッツの集落の中で大きく左カーブすれば、カオリン工場の大きな建物群が見えてくる。終点は、工場敷地のすぐ横だ。

これに対して本線は、ネビッチェンから直進し、ほどなく着くグロッセン Glossen (b. Oschatz) が終点になる。村の前に3本の線路が並ぶ静かな駅だが、ホームに並行するレンガ橋脚の高架橋が目を引く。これは「グロッセン簡易軌道展示施設 Feldbahnschauanlage Glossen」と称する保存鉄道の構造物だ。

Blog_sax_doellnitz22
終点グロッセン駅を西望
 

高架橋には600mm軌間の線路が敷かれている。復元展示に見られるとおり、かつて近くにある石英鉱山から鉱石を積んだトロッコ列車がここへ上り、750mm軌間のロールワーゲンに載せられた標準軌貨車に積荷を移していた。つまり、600mm→750mm→1435mm の順に貨物をリレーしていたのだ。

石英鉱はとうに閉山してしまったが、自治体によって一帯の施設が保存され、1995年に初めて公開された。600mmの簡易軌道は、グロッセン駅の北方にある鉱山跡から1.2kmの間続いていて、デルニッツ鉄道の蒸気運行日に合わせてトロッコ列車が運行されている。

Blog_sax_doellnitz23
グロッセン簡易軌道展示施設の
600mmトロッコから1435mm貨車への積替え設備
Blog_sax_doellnitz24
(左)狭軌ホームに並行する高架橋
(右)高架橋の端部、橋上は立入禁止に
Blog_sax_doellnitz25
石英鉱山跡
(左)各種機関車が待機中
(右)車庫横の荷役クレーン
Blog_sax_doellnitz26
訪問時は軌道の保線作業が行われていた
 

ところで、グロッセンが終点になっている750mm狭軌線だが、以前はさらに西のヴェルムスドルフ方面へ延びていた。ヴェルムスドルフの町は、アウグスト強健王 August der Starke の豪壮なロココ式城館で、「ザクセンのヴェルサイユ」と称されるフーベルトゥスブルク Schloss Hubertusburg があることで有名だ。

デルニッツ鉄道は2014年に、ヴェルムスドルフまでの路線再建を検討すると発表している。旧 ヴェルムスドルフ駅付近の線路はダム湖(デルニッツ湖 Döllnitzsee)の底に沈んでしまったので、ダムの手前に新しい終着駅を造るのだという。延伸区間の長さは4.6kmになる。計画が実行に移されたとはまだ伝わってこないが、夢の膨らむ話ではある。

Blog_sax_doellnitz27
フーベルトゥスブルク宮殿(2013年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

最後に、乗車券と2021年現在の運行状況について。

デルニッツ鉄道は、ライプツィヒを中心とする中央ドイツ運輸連合 Mitteldeutscher Verkehrsverbund (MDV) に加盟しているので、MDV所定のゾーン運賃が適用される。そのため、MDV圏内ならDB線や路線バスなどと、通しの切符で乗車可能になっている。また、MDVのゾーン別1日乗車券など、MDVの各種企画券も有効だ。いずれも蒸気列車では追加料金がかかる。

ちなみに2021年現在、オーシャッツ~グロッセン間(2ゾーン)の大人片道運賃は3.70ユーロ、蒸機の場合は追加料金を含め6.70ユーロだ。

Blog_sax_doellnitz28
グロッセン駅に到着した蒸気列車
 

運行は、平日適用の通学ダイヤ Fahrplan Schulzeit と、週末の休日ダイヤ Fahrplan Ferienzeit に区別される。

通学ダイヤでは、2018年に導入された気動車により、オーシャッツ~ミューゲルン間に1日4往復が走る。一部の便はグロッセンまで足を延ばすが、支線のケムリッツ方面はオンデマンドタクシーによる代行だ。また、学休期間は全面運休になる。

休日ダイヤでは、夏のシーズンやクリスマス期間を中心に観光列車が運行される。1日2~3往復設定されているが、蒸気列車 Dampfzüge の日とディーゼル列車 Dieselzüge の日があるので、運行カレンダーで確かめておく必要がある。

なお、路線バスの803系統(オーシャッツ駅~ミューゲルン)と、816系統(ミューゲルン~グロッセン~ヴェルムスドルフ~ダーレン Dahlen)が、デルニッツ鉄道のルートをカバーしている。両者はミューゲルン駅の西1.2km(町の反対側)にあるミューゲルン・バスターミナル Mügeln Busbahnhof で接続する。時刻表、路線図は MDV の公式サイト https://www.mdv.de/ を参照されたい。

次回はプレスニッツタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
デルニッツ鉄道 https://www.doellnitzbahn.de/
DBV「ヴィルダー・ローベルト」振興協会 https://www.wilder-robert.de/
グロッセン簡易軌道展示施設協会 http://www.feldbahn-glossen.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年12月23日 (木)

ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道

ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

フライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg ~クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf 間 26.335km
軌間750mm、非電化
1882~83年開通

Blog_sax_weisse1
マルター駅を出発する蒸気列車

Blog_sax_weisse_map1

フライタール・ハインスベルク=クーアオルト・キプスドルフ狭軌鉄道、通称「ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn」は、現存するザクセンの狭軌鉄道の中では最長の路線だ。延長26.3kmあり、終点クーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで、蒸気列車で1時間20分以上かかる。

起点はドレスデン Dresden 南西郊のフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg で、ドレスデン中央駅からフライベルク Freiberg 方面のSバーン(近郊列車)でわずか15分。ここから毎日、本格的な蒸気機関車が古典客車を連れて、エルツ山地の山懐に向けて出発していく。大都市の間近で、こうしたノスタルジックな列車の旅をいつでも楽しめるというのは貴重なことだ。

Blog_sax_weisse2
フライタール・ハインスベルク駅
ザクセンIV K形蒸機の特別運行(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、列車がクーアオルト・キプスドルフまで到達できるようになって、今年(2021年)でまだ4年しか経っていない。2002年8月の豪雨により、各所で線路や橋梁の流失など壊滅的な被害を受けて以来、鉄道は長期にわたり、復旧途上にあった。

2008年12月に第1段階として、起点からディッポルディスヴァルデ Dippoldiswalde まで15.0kmが通行できるようになったが、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだ。並行してバス路線があるため、列車がなくても日常の用は満たせていたというものの、沿線自治体にとって蒸気鉄道は、旅行者を呼び込むための重要な観光資源だ。復活は悲願だったに違いない。

Blog_sax_weisse3
路盤が流失した線路
シュペヒトリッツ停留所下流200m(2002年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_weisse4
全線再開を祝う人々
クーアオルト・キプスドルフ駅にて(2017年6月17日)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

軌道や施設の多くが再建されたため、新線と見違えそうな見栄えだが、鉄道自体はザクセンで最初に計画された狭軌の二級鉄道(地方鉄道)Sekundärbahn の一つで、140年近い歴史をもっている(下注)。今回は、この古くて新しい狭軌鉄道を訪ねてみることにしよう。

*注 開通時期は、1881年のヴィルカウ=キルヒベルク線 Strecke Wilkau–Kirchberg(ツヴィッカウ南郊、後にヴィルカウ・ハスラウ=カールスフェルト狭軌鉄道 Schmalspurbahn Wilkau-Haßlau–Carlsfeld の一部となった)に次ぐが、同線は1973年に廃止されたため、現存路線では最古になる。

Blog_sax_weisse_map2
フライタール・ハインスベルク~ディッポルディスヴァルデ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
Blog_sax_weisse_map3
ディッポルディスヴァルデ~クーアオルト・キプスドルフ間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ヴァイセリッツタール鉄道は、1882年にシュミーデベルク Schmiedeberg まで、翌83年にキプスドルフまで、段階的に開業した。もとは標準軌を敷く計画だったが、通過する谷が狭隘で、建設費圧縮のために規格を落として設計したのだという。シュミーデベルクが最初の目的地になったのは、地名が示すとおり鉱山町で(下注)、貨客ともに相応の需要が見込まれていたからだ。

*注 地名シュミーデベルクは、Schmiede(鍛冶屋、鍛造の意。英語のsmith, smithyに相当)+Berg(山の意)に由来する。キプスドルフも、かつては Kyppsdorf と綴り、銅の村 Kupferdorf を意味する地名だった。

開通後の輸送実績は想定以上だった。急ぎ、一部の駅では荷役側線を延長し、貨物列車は機関車を2両にする重連運転でさばいた。しかしこの好況に、文字通り水を差す事態が発生する。1897年7月の豪雨と、それに伴う大規模な川の氾濫だ。

鉄道の通る谷は、ローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz(下注)の流路になっている。ふだんの川は穏やかな流れで、川床は浅く、ささやかな堤しかない。ところが、ここを100年に一度と言われた大水が襲来し、谷中の村や交通路はことごとく流されるか、水に浸かった。鉄道の復旧は、1年がかりの大事業となった。2002年のそれより1世紀以上も前に、同じような経験をしていたことになる。

*注 この川はフライタール Freital で西から来たヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz と合流し、ドレスデンでエルベ川 Elbe に注ぐ。鉄分を含んでやや赤く見えたことから、ローテ(赤いの意)の名がある。

Blog_sax_weisse5
ローテ・ヴァイセリッツ川
後方はラーベナウ駅
 

小規模な冠水にはその後も見舞われるが、地形上の弱点にもめげず、鉄道は順調に業績を伸ばしていく。20世紀に入ると、他の狭軌線と同様、貨物輸送の効率化が進められた。標準軌貨車を狭軌の台車に載せて運ぶロールボック Rollbock や、その改良形であるロールワーゲン Rollwagen が導入がそれだ。車両限界を拡張するために、駅施設や渓谷区間を改修する必要があり、その一環で1か所だけあった短いトンネルが撤去されて、切通しにされた。

Blog_sax_weisse6
標準軌貨車を載せたロールワーゲン
フライタール・ハインスベルク駅にて
 

後に、より大規模なルート変更が2か所で行われている。一つは、下流域の洪水制御のために計画されたマルター・ダム Talsperre Malter の建設に伴うものだ。川を堰き止めるダムの出現で、鉄道はザイファースドルフ Seifersdorf の手前からディッポルディスヴァルデの町の入口まで、約5kmにわたって移設された。

1912年4月に完成したこの新ルートは、堰堤の高さまで20‰勾配で上り、そのあとダム湖に沿って水平に進む。ダムは1913年に完成し、湛水を開始した。旧ルートのうち水没を免れた下流区間は、後にハイキングトレールに転用されている。

Blog_sax_weisse7
マルター・ダムと列車(1914年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

もう一つは、1924年に移転したシュミーデベルク駅の前後区間だ。旧ルートはもともと川の右岸(東側)の街道沿いを通っていたが、鋳造所からの貨物の増加で手狭になった駅とともに、前後約3kmの区間が左岸に移された。ペーベル川の谷(ペーベルタール Pöbeltal)を横断する高架橋を含む今のルートは、このときに造られたものだ。

なお、ペーベルタールには、当時チェコ国境に通じる狭軌支線(下注)が計画されており、シュミーデベルクには分岐駅として必要な用地が確保されていたが、一部の路盤が造成されただけで未完に終わった。

*注 ペーベルタール鉄道 Pöbeltalbahn は、シュミーデベルク~モルダウ Moldau(現 チェコ領モルダヴァ Moldava)間17.3km。モルダウでエルツ山地を越える標準軌線と接続する予定だった。

当時、鉄道の旅客輸送は、冬のほうが多忙だった。都会からウィンタースポーツに繰り出す人々で、列車は週末ごとに混雑した。それに対応すべく、1933年には終点キプスドルフ駅の構内が拡張されて、客車13両と手荷物車1両というピーク時の長大列車も扱えるようになった。

Blog_sax_weisse8
キプスドルフ駅にウィンタースポーツ列車が到着
(1920年の絵葉書)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ザクセンが東ドイツに属した第二次世界大戦後は、近隣の狭軌鉄道と同じような経過をたどっている。1948年から沿線で始まったウラン鉱の採掘で、貨物輸送が活気を取り戻し、1950年代に入ると、冬場の行楽輸送も復調した。

しかし1964年の、今後10年間で国内の狭軌鉄道を全廃するという国の方針で、路線は転機を迎える。運行要員が削減された駅では、転轍器の操作が列車乗務員の仕事になった。保守経費の切り詰めで線路の不良個所が放置されたため、速度制限区間が拡大していった。利用者の路線バスへの流出が加速するのも、やむを得ない流れだった。

Blog_sax_weisse9
東ドイツ時代のディッポルディスヴァルデ駅(1986年)
Photo by Bärtschi, Hans-Peter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1973年に、維持すべき観光路線の一つに選ばれたことで、鉄道はかろうじて廃止を免れたが、それもドイツ再統一で環境が一変する。民営化されたDB(ドイツ鉄道)は、引き継いだ路線網の整理縮小を急いだ。1994年末限りで貨物輸送が中止され、1998年には旅客輸送の廃止も予告されていた。

この危機は、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が設立され、DBとの運輸委託契約が結ばれたことで、ひとまず収まる。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(現 ザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG))に移管された。

ただし、この間に冒頭で述べた豪雨災害に見舞われており、むしろこのほうが存続の脅威だったと言えるだろう。全線の復旧にかかる費用は約2000万ユーロと見積もられ、連邦の洪水救済基金からの拠出がなければ、実現は不可能だった。最終的にはその2倍の約4000万ユーロが投入され、2017年6月17日に待望の再開通式が挙行されている。

Blog_sax_weisse10
ラーベナウ駅に入る蒸気列車

起点フライタール・ハインスベルク駅は、興味深い構造をしている。Sバーンが停車する標準軌ドレスデン=ヴェルダウ幹線 Hauptbahn Dresden–Werdau の旅客ホームが一段高い築堤上にあり、その西側の地平に、狭軌鉄道の駅とヤードが展開する。ところが、その西隣にまた標準軌の線路が数本並んでいるのだ。

これは、単線の貨物線とその側線だ。昔はこちらが本線だったのだが、狭軌線との間で貨物をやり取りする列車の転線を支障しないように、東側に、旅客線が別途設けられた。そのため、狭軌線の構内は旅客と貨物の標準軌線に挟まれる形になっている。

Blog_sax_weisse11
(左)フライタール・ハインスベルク駅の標準軌ホーム
  右の狭軌ヤードより一段高い(2015年)
Photo by Rainerhaufe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)狭軌線のヤードの左端に乗降ホームがある
 

狭軌線のヤードもけっこう広く、貨物輸送が盛んだった往時をしのばせる。しかし今は、使われなくなった貨車や客車の留置場所だ。一方、機関庫と整備工場は、キプスドルフ方の末端に集約されていて、給水や給炭作業もその一角で行われる。

標準軌線の築堤に接する屋根付きの狭軌ホームでは、蒸気列車が発車待ちをしている。さっそく乗り込むことにしよう。

Blog_sax_weisse12
狭軌線の整備工場
Blog_sax_weisse13
フライタール・ハインスベルク駅で
蒸気列車が発車を待つ(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はホームを離れると、機関庫のそばで標準軌線の下をくぐって左側に出る。なおも並走する間に、ヴァイセリッツ川が左手から接近するが、まもなく列車は左カーブで標準軌線から離れ、川を続けざまに渡る(下注)。最初の停留所はフライタール・コースマンスドルフ Freital-Coßmannsdorf だ。

*注 ヴァイセリッツ川に合流する前の、ヴィルデ・ヴァイセリッツ川 Wilde Weißeritz およびローテ・ヴァイセリッツ川。

三角屋根が連なる大きなショッピングセンターの横を通過すると、いよいよ谷が狭まってくる。ここからしばらくは、ローテ・ヴァイセリッツ川が刻んだ狭い谷底を這うように進んでいく。このラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund(ラーベナウ渓谷の意、下注)は細かく曲がりくねっていて、鉄道も急カーブと橋梁の連続だ。次の駅までの間に、橋梁の数は12もあるという。この区間は2002年の豪雨による異常水位で甚大な被害を受け、線路をはじめ施設設備の多くが造り直されている。

*注 グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。

Blog_sax_weisse14
(左)ヴィルデ・ヴァイセリッツ川を渡る
(右)ラーベナウアー・グルントの曲線だらけの線路
Blog_sax_weisse15
(左)ラーベナウアー・グルント
  ハイキングトレールが線路と絡む
(右)写真奥に見える橋梁は、水害の後、
  橋脚のないタイドアーチで架け直された(ラーベナウ駅南方)
 
Blog_sax_weisse_map4
ラーベナウアー・グルント周辺の1:25,000地形図(1989年)
© 2021 Staatsbetrieb Geobasisinformation und Vermessung Sachsen
 

ラーベナウ Rabenau 駅は谷の途中にあり、貨物列車の交換も可能な長い待避線を備える。同名の町は渓谷の上の台地に立地するのだが、列車からは全く見えない。ちなみに、町へ向かう道路から右に分かれる小道を上っていくと、渓谷と鉄道駅を俯瞰するシャンツェンフェルゼン Schanzenfelsen(砦岩の意)の展望台がある。下の写真は、駅に入線する列車をそこから眺めたものだ。

Blog_sax_weisse16
ラーベナウ駅に入る蒸気列車を
シャンツェンフェルゼンから俯瞰
 

さて、渓谷はシュペヒトリッツグルント Spechtritzgrund と名を変えながら、なおも続く。列車は、最も狭隘な区間にさしかかっている。車輪をきしませて通過する急カーブは、路線最小の半径50mだ。次のシュペヒトリッツ Spechtritz 停留所もまだ谷の中だが、少し空が広がってきたようだ。

しばらく行くと、ダム建設で1912年に付け替えられた区間に入る。トレールになった旧線と川とを斜めに横断し、25‰の上り勾配で谷の斜面を上り詰めていく。やがて右手に弧を描くマルター・ダムが現れる。高さ26.8m、堤長193m、ダム湖は谷を埋め尽くし、周辺の景色を一変させた。

Blog_sax_weisse17
マルター・ダムの堰堤(2007年)
Photo by ProfessorX at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

その穏やかな湖面を眺めながら左にカーブするところに、待避線をもつマルター駅がある。ダム湖へ行く行楽客の下車駅だ。列車は駅を出た直後に、支谷に架かる長さ66mのボルマンスグルント橋梁 Brücke Bormannsgrund を渡る。湖水に脚を浸した5径間のアーチ橋は、列車の好撮影地になっている。

Blog_sax_weisse18
ボルマンスグルント橋梁を渡る
Blog_sax_weisse19
ボルマンスグルント橋梁をダム湖対岸から遠望
 

しばらく車窓にはダム湖が続くが、左手に建物が目立ち始めれば、次のディッポルディスヴァルデ駅が近い。ここは沿線最大の町だ。水害からの復旧過程では、9年間、列車の終点になっていた。拠点駅らしく、島式ホームには木組みの大屋根が架かり、両側に貨物側線が何本も並んでいる。

Blog_sax_weisse20
(左)ディッポルディスヴァルデ駅に到着(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ディッポルディスヴァルデ駅の島式ホーム(2017年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この後は連邦道170号線と絡みながら、なだらかな谷間を進んでいく。オーバーカルスドルフ Obercarsdorf からは、再び新線区間に入る。1924年に切り替えられた線路は、集落を避けて川の左岸(西側)を伝っている。

右から合流するペーベルタールを横断する地点には、8つのアーチをもち、長さ191mと路線最長のシュミーデベルク高架橋 Schmiedeberger Viadukt が築かれた。S字カーブを描く高架橋の上で、列車は、谷間を埋める家々の屋根を見下ろすように走る。渡り終えれば、シュミーデベルク駅がある。

Blog_sax_weisse21
(左)家々の屋根を見下ろすシュミーデベルク高架橋(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)町中に築かれたアーチ(2013年)
Photo by Geri-oc at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

新線区間は、駅を越えて左手に鋳造所が見えるまで続く。再び谷が狭まってきた。ブッシュミューレ Buschmühle 停留所を見送ると、いよいよ路線最後の急坂が待ち構えている。勾配値は最大で34.7‰(1:28.8)に達し、上りきったところが終点クーアオルト・キプスドルフ駅の構内だ。標高は534mで、起点とは350mの高度差がある。

ここも長いホームを有している。駅舎は車止めの先にあり、階段を上がると、吹き抜けに壁画の描かれた立派な1階ホールに出られる。建物はビュルガーハウス Bürgerhaus(村の公共施設)として機能していて、インフォメーションオフィスや鉄道資料の展示室もある。

Blog_sax_weisse22
クーアオルト・キプスドルフ駅に入る
蒸気列車(2017年)
Photo by R.D. - Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_weisse23
クーアオルト・キプスドルフ駅
(左)駅舎正面(2009年)
Photo by R.D. --Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)1階ホール、右奥にホームへ降りる階段がある(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

クーアオルト・キプスドルフは、人口300人ほどの小さな村だ。保養地(クーアオルト Kurort)の冠はついているものの、特に見どころがあるわけでもない。終点まで乗ってきた客の多くは、機回し作業を見学した後、折返しの列車に再び乗り込んでいく。

ヴァイセリッツタール鉄道の蒸気機関車は、フライタール・ハインスベルクを拠点にしている。ザクセン蒸気鉄道SDGのリストによれば、2021年現在、稼働できるのは1933年製の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形と、1957年製の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が1両ずつだ。

通常ダイヤでは後者が使われ、前者は後述する特別運行日にのみ登場する。このほか、同形式の蒸機が複数両、フライタール・ハインスベルクとキプスドルフに分散して保管されている。

客車はオープンデッキをもつ古典車タイプだが、DR時代に車体を更新したいわゆるレコ・ヴァーゲン Reko-Wagen(Reko は再建 Rekonstruktion の意)が使われている。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

Blog_sax_weisse24
(左)戦前製の「標準機関車」99 1746機
(右)戦後製の「新造機関車」99 1771機
 いずれもフライタール・ハインスベルク駅にて
 

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効になっている。

最後に運行状況だが、SDGが運営する3路線の中では、最も閑散としている。2021年のダイヤによると、通年運行しているものの、全線通しで走るのは2往復、それにディッポルディスヴァルデ折返しが夕方1往復あるだけだ。沿線に著名な観光地がなく、利用者数も限られることから、1編成で賄えるダイヤにしてあるのだろう(下注)。これとは別に、年に2日間だけ、特別ダイヤ Sonderfahrplan で通し4往復と区間便2往復が走る。

*注 ディッポルディスヴァルデまで部分復旧していた期間は、1日6往復運行されていた。短距離のため、これでも1編成で対応可能だった。

ちなみに、ドレスデン市内とディッポルディスヴァルデ~キプスドルフ沿線間には、路線バスが30~60分間隔で運行されている(360系統、RVSOE による運行)。また、Sバーンのフライタール・ドイベン Freital-Deuben 駅前からもラーベナウ市街地(駅前は通らない)経由でディッポルディスヴァルデまで、バスが1時間ごとにある(348系統、同上)。現地訪問の際、片道をバス移動にすれば、旅程の可能性がより広がるかもしれない。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ を参照されたい。

次回はデルニッツ鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ヴァイセリッツタール鉄道(SDG公式サイト)
https://www.weisseritztalbahn.com/
ヴァイセリッツタール鉄道利益共同体協会 IG Weißeritztalbahn e.V.
http://www.weisseritztalbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年12月 7日 (火)

ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道

フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

クランツァール Cranzahl ~クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal 間 17.349km
軌間750mm、非電化
1897年開通

Blog_sax_fichtel1
ノイドルフ村裏手の林を上る蒸気列車

Blog_sax_fichtel_map1

ドイツとチェコの国境に横たわるエルツ山地 Erzgebirge は、くるみ割り人形などに代表される木工細工で知られている。しかしかつては、銀、錫、ウランなど有用鉱物の採掘が主産業だった。ドイツ語で鉱石を意味するエールツ Erz が山地の名になっている(下注)のが、そのことを物語る。

*注 英語でも直訳して Ore Mountains と呼ばれる。なお、日本語ではエルツと書かれるが、語頭の E は長母音なので、本来はエールツ。また、実際の発音はエーアツに近い。

中世から山地のさまざまな場所で行われていた採掘活動は、その後盛衰の波を経つつも19世紀まで続いた。しかし、世紀後半になると、資源の枯渇が進んで徐々に縮小され、さらに主力の銀は、1871年の金本位制導入による価格急落で、大きな打撃をこうむった。

Blog_sax_fichtel2
山頂のフィヒテルベルクハウス Fichtelberghaus(2015年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山地の冬は気候が厳しく、北西からの風にさらされるドイツ側斜面は降雪量も多い。鉱業が衰退したエルツ山地で、現在、木工とともに経済を支えているのは、この自然環境を生かしたウィンタースポーツの観光業だ。標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg(下注)が、その中心地の一つになっている。

*注 フィヒテルベルクの名は、ドイツトウヒ(フィヒテ)Fichte の山 Berg に由来する。昔はドイツトウヒの天然林が山を覆っていた。

写真ではありふれた高まりにしか見えないが、山はドイツ領エルツ山地の最高地点で、旧 東ドイツでは国内最高峰でもあった。ちなみに、山地全体で最も高いのは、チェコ領内にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)だが、フィヒテルベルクの南4kmに並ぶ双子のような山だ。

Blog_sax_fichtel3
フィヒテルベルク遠望、チェコ側から撮影(2013年)
Photo by Horst at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal に、山の名を冠した750mm軌間の蒸気保存鉄道が通じている。鉄道は、ケムニッツ Chemnitz 方面からのDB(ドイツ鉄道)線と接続するクランツァール Cranzahl 駅を起点に、120年以上にわたって保養客や行楽客を町に送り届けてきた。

路線の正式名は、クランツァール=クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール狭軌鉄道 Schmalspurbahn Cranzahl–Kurort Oberwiesenthal だが、1998年に使われ始めた「フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn」のマーケティング名称が定着している。本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。

Blog_sax_fichtel4
フィヒテルベルク鉄道のロゴ
BERG(山の意)の文字列が盛り上がる
Blog_sax_fichtel_map2
クランツァール~オーバーヴィーゼンタール間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉱山集落としてヴィーゼンタール Wiesenthal(下注1)が成立したのは、16世紀のことだ。19世紀の鉱業衰退とともに一時寂れたが、1872年にエルツ山地を横断する標準軌鉄道(下注2)が開通すると、フィヒテルベルクをめざす行楽客が訪れるようになった。とはいっても最寄り駅は、国境を越えたオーストリア領ボヘミアにあるシュミーデベルク Schmiedeberg(現 チェコ領コヴァージスカー Kovářská)で、町まで坂道を介して7kmの距離があった。

*注1 ヴィーゼンタールの上町が、オーバーヴィーゼンタールになる。
*注2 コーモタウ Komotau(現 チェコのホムトフ Chomutov)~ヴァイペルト Weipert(同 ヴェイプルティ Vejprty)~アンナベルク Annaberg 間76.7km。アンナベルク(現 アンナベルク・ブーフホルツ下駅 Annaberg-Buchholz unt Bf)で、1866年開通のアンナベルク=フレーア線 Bahnstrecke Annaberg–Flöha に接続した。

Blog_sax_fichtel5
DB線はゼーマ川に架かる橋を渡って
クランツァール駅に入る
 

直接ヴィーゼンタールに入る路線が実現するのは、それから20年あまり後になる。ザクセンでは1880年代から、交通量が少ないと見込まれる地方路線について狭軌で建設が進められており、これもその一環だった。

計画段階では、標準軌線との接続駅が異なる3種のルート案があった。一つは支線の終点、クロッテンドルフ Crottendorf から始まる西ルート、二つ目はクランツァールを起点とする中央ルート、三つ目がベーレンシュタイン Bärenstein で接続する東ルートだ。

最終的に実現したのは中央ルートだが、地図で見ると、途中で分水界を越えなければならず、距離も長い。確かに、一本の谷を遡るだけで済む東ルートが建設費の点で最も有利だったのだが、接続駅とされたベーレンシュタインが地形的に手狭で、狭軌線用の施設を拡張するのが困難と判断されたのだという。

中央ルートは案の定、地形の複雑さから見積りを超える費用をかけて、1897年7月に開通式を迎えた。しかし有名な山の麓まで行けるとあって、行楽客にはすこぶる好評で、旅客輸送は順調に伸びた。第一次世界大戦中は石炭不足で運行規制を余儀なくされたが、戦争が終わると客足が戻った。それどころか、輸送実績は戦前を上回る伸びを示した。1924年に町からフィヒテルベルク山頂へ上る、ドイツで最初のロープウェーが開通したからだ。

まだトラックが普及していない時代で、ロープウェーの建設資材の運搬も軽便鉄道が担っている。すでに1906年から、標準軌車両を狭軌の台車に載せて運ぶロールワーゲン Rollwagen が運用されており、効率的な貨物輸送が可能だった。この記念すべきフィヒテルベルク・ロープウェー Fichtelberg-Schwebebahn は、設備改修を受けながら現在も運行されている。

Blog_sax_fichtel6
フィヒテルベルク・ロープウェー
背景はオーバーヴィーゼンタール市街(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、追い風はいつまでも吹かない。1930年代になると、鉄道と並行して路線バスが走り始めた。バスは都市から直通するので人気があり、列車はピーク時にあふれた客の輸送手段に甘んじた。さらに第二次世界大戦の開戦で行楽需要が消え、ドイツが降伏した1945年には一時、列車の運行そのものが中止される。

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、1947年からの数年間、沿線でウランの採掘が行われ、鉄道に、鉱石運搬とともに作業員輸送の任務が課せられた。鉱山の従事者は3000人に上ったため、他の狭軌鉄道から借り集めた車両も使って、10両編成の通勤列車が組まれたという。

Blog_sax_fichtel7
標準機関車99.73~76形
クランツァール駅にて(1995年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

採掘は1950年代半ばに終了し、鉄道にはもとの日常が戻ってきた。レースニッツグルント鉄道の項でも述べた通り、1964年に政府が、今後10年間で国内の狭軌線を全廃する方針を決定したとき、鉄道の命運は尽きたかと思われた。しかし、執行を免れているうちに、1973年の維持すべき行楽路線の選定があって、鉄道は存続することになる。

ドイツ再統一後の1992年に、顧客を失った貨物輸送は廃止された。そして1998年、路線の運営はDB(ドイツ鉄道)から、地元の公的資本で設立されたBVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbH(2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) に改称)に引き継がれる。

その後、車両の整備や設備の更新が実施され、2004年にはオーバーヴィーゼンタールに新しい車両整備工場も建てられた。現在、同社はフィヒテルベルク鉄道を含めて3本の狭軌鉄道(下注)を運営しており、全般検査のような大規模な作業はここで集中的に行われるようになった。

*注 フィヒテルベルクのほか、レースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道。

Blog_sax_fichtel8
オーバーヴィーゼンタール駅構内の整備工場

冬場の需要も手堅いので、鉄道は通年で運行されている。2021年のダイヤによれば、1日の運行本数は平日5往復、土日祝日は増便されて6往復だ。3月と11月のみ、閑散期として3往復に削減される。全線の所要時間は57~64分。日中はニーダーシュラーク Niederschlag 駅で列車交換が行われる。

運賃は区間制で、片道および往復乗車券では当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効だ。何度か乗り降りするなら、1日乗車券 Tageskarte もある。

鉄道の公式サイトによれば、切符は車内で車掌が販売している。また、起点クランツァール駅では駅舎のビストロ(軽食堂)で、終点クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅では案内カウンターで、それぞれ切符の取扱いがある。

ザクセンの750mm軌間は東ドイツ時代、国鉄(DR、ドイツ国営鉄道)の路線だったので、稼働している機関車の形式も共通だ。運営会社SDGの機関車リストによると、オーバーヴィーゼンタールにいるのは、1929年製造の「標準機関車 Einheitslokomotive」99.73~76形が1両と、戦後1950年代に造られた「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形が5両、それに予備車としてディーゼル機関車L45H形が1両となっている。

客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されたものだ(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

Blog_sax_fichtel9
(左)主力機関車99.77~79形
(右)ディーゼル機関車 L45H形
Blog_sax_fichtel10
(左)オープンデッキつきの古典客車
(右)無蓋貨車を改造した展望車

フィヒテルベルク鉄道の起点クランツァール駅へは、ザクセン南西部の中心都市ケムニッツからDB(エルツ山地鉄道 Erzgebirgsbahn)のチョーパウタール線 Zschopautalbahn の連接気動車で行く。チョーパウ川 Zschopau が流れる狭い谷の中を曲がりくねりながら、アンナベルク・ブーブホルツ Annaberg-Buchholz を経由して約80分の長旅だ。線路はこの先、チェコとの国境を越えて続いているが、旅客列車は全便、クランツァールが終点になっている(下注)。

*注 2021年現在、夏のシーズンの週末にのみ、クランツァール発で山地を横断し、チェコのホムトフに至る旅客列車が、観光企画として1日3往復運行されている。

Blog_sax_fichtel11
標準軌列車でクランツァール駅に到着
 

かつてBVO鉄道が狭軌線の運営を引き継いだ際、その2年前(1996年)に廃止済みの貨物線を利用して、アンナベルク(下注)まで列車を延伸運行させるという構想が発表されたことがある。これは資金面の事情で実現しなかったが、DBの列車は事実上、その代行を務めているようなものだ。エルツ山地に分け入る鉄道路線は、利用の減少から運行撤退が相次いでいて、アンナベルクとクランツァールの間は、狭軌線との接続のために存続しているといっていい。

*注 現在使われている「下駅 unterer bahnhof (unt Bf)」ではなく、東斜面の高みにあった貨物駅「上駅 oberer Bahnhof (ob Bf)」に発着する予定だった。

駅のプラットホームに降り立つと、古色蒼然とした木組みの片流れ屋根が、はるばるエルツ山地の最奥部までやって来たという感慨を誘う。この舞台装置にはやはり、現代的な連接気動車より古典蒸機が似合うだろう。その狭軌鉄道の列車は、同じホームの反対側に入ってくる。

Blog_sax_fichtel12
同じホームの反対側に狭軌列車が入る
 

この駅を観察して興味深いのは、駅舎を越えて北側にも狭軌線の側線が並んでいることだ。つまり狭軌のヤードが、標準軌の線路と駅舎をはさんで両側にある。狭軌の列車は南側から駅に進入するので、北側ヤードへはわざわざ標準軌の線路を平面横断しなければならない。なぜ、このような配置になっているのだろうか。

狭軌線の建設当時、接続駅に必要とされたのは、貨物の積替えや、機関庫を含めた車両の滞泊のためのスペースだ。ところが現地は南側に斜面が迫っていて、十分な敷地の確保が難しかった。そこでやむなく駅の北側に盛り土して、ヤードを造成することにしたのだという。その後、旅客需要も増加したことから、1912年に南側の斜面を削って、今あるとおり、旅客列車用の側線を配置した。このように、北側は貨物、南側は旅客という使い分けをしていたのだ。

Blog_sax_fichtel13
(左)駅の西側から東望
  右の狭軌線は旅客ホームへ
  左の狭軌線は、標準軌線と交差して貨物ヤードへ
(右)駅に通じる道路も横断、奥に貨物ヤードがある
Blog_sax_fichtel14
(左)貨物ヤードにある静態保存のロールワーゲン
(右)狭軌台車に標準軌貨車を載せて運ぶ
 

それでは、オーバーヴィーゼンタール行きの狭軌列車に乗り込むとしよう。列車は、標高654mの始発駅から西向きに出発する。急な右カーブで鉄橋を渡っていく標準軌線とはすぐに分かれ、自身は左カーブでゼーマ川の谷(ゼーマタール Sehmatal)の上流に向かう。

Blog_sax_fichtel15
旅客線での機回し風景
Blog_sax_fichtel16
出発を待つ蒸機
Blog_sax_fichtel17
西向きに出発
 

街道沿いに長く延びるノイドルフ村の裏手の高みを行くうち、ウンターノイドルフ Unterneudorf で最初の停車がある。木立ちに囲まれた棒線の停留所だ。さらに進み、撮影地の一つであるS字カーブの築堤を渡ると、村の中心部に位置するノイドルフ駅 Neudorf (Erzgeb) (下注)。ここは通過本線の横に、側線と待避線を備えている。

*注 正式駅名には、他の同名駅と区別するために、エールツゲビルゲ(エルツ山地)の略 Erzgeb がつく。

Blog_sax_fichtel18
(左)ノイドルフ村の裏手の高みを行く
(右)S字カーブの築堤を渡る
Blog_sax_fichtel19
S字カーブの築堤を行く
オーバーヴィーゼンタール行き列車
Blog_sax_fichtel20
上の写真の左側
クランツァール行きは逆機運転
 

街道の踏切に続いて、小さなゼーマ川も渡って左岸へ。フィーレンシュトラーセ Vierenstraße は谷の奥、村一番の大きな機械工場の裏にぽつんとあり、フィヒテルベルクに北斜面からアプローチするハイカーたちが下車する。

ここからは峠越え区間で、蒸機も出力を上げる。駅を出た直後から1:27(37.0‰)の最大勾配が始まり、線路は山襞に沿って急な反向曲線を繰り返す。蒸機の奮闘ぶりが見ものだが、周りにドイツトウヒの森が迫るため、あまり見通しはきかない。

Blog_sax_fichtel21
(左)出力を上げてフィーレンシュトラーセを出発
(右)ドイツトウヒの森の中の急坂
 

次のクレチャム・ローテンゼーマ Kretscham-Rothensehma 駅は、山腹の肩の緩斜面に位置している。路線のほぼ中間に当たるため、当初から列車交換駅として計画され、給水施設も設けられていた。今ある待避線はその名残だ。再び森に包まれて、残りの坂道を上っていくと、ものの数分で標高831mのサミットに達する。この後は軽い下り坂になる。

次のニーダーシュラーク Niederschlag もまだ森の中だが、現行ダイヤでは日中、上下列車の交換シーンが見られる。定時運行なら、上りクランツァール行きが先に入線して、下りオーバーヴィーゼンタール行きの到着を待つ。ちなみに上りホームにある長屋のような駅舎は、1948年にウラン鉱山の作業員輸送をする際、待合所として建てられたものだという。周囲に民家も見えない寂しい場所だが、賑わっていた時代もあるのだ。

Blog_sax_fichtel22
ニーダーシュラーク駅の列車交換(2020年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

すでにペールバッハ川の谷(ペールバッハタール Pöhlbachtal)に入っていて、数分走るとようやく森が開け、のどかな山あいの農村風景が見えてくる。左の谷の向かい斜面は、チェコ領だ。その中腹をクランツァールから続く標準軌線が並行しているが、あちらも森を縫っているため、線路のありかは断片的にしかわからない。

近くにある石灰石と砂利の採取場からの貨物を取り扱っていたハンマーヴィーゼンタール Hammerunterwiesenthal 駅には、数本の側線が残っている。東ドイツ時代、採取場は狭軌鉄道にとって最大の顧客だったが、再統一の後、効率的なトラック輸送に切り替えられてしまった。

いつしか谷が狭まってきて、ペールバッハ川が手の届きそうなところを流れている。どこにでもある小川にしか見えず、中央にドイツとチェコの国境が通っているとは信じがたい。

Blog_sax_fichtel23
ハンマーヴィーゼンタール駅
貨物扱いを止めた今も、側線が残る
Blog_sax_fichtel24
(左)国境をなすペールバッハ川
(右)後方を撮影、小川の反対側はチェコ領
 

棒線停留所のウンターヴィーゼンタール Unterwiesenthal を過ぎると、列車はS字カーブでB95号線の踏切を横断する。斜面を最後の急勾配33‰で上っていく間、右手にフィヒテルベルク、左手にクリーノベツと、エルツ山地の二つの高峰を望むことができる。

列車は左へカーブしながら、橋を渡り始めた。長さ100m、高さ18mのヒュッテンバッハタール高架橋 Viadukt Hüttenbachtal、路線唯一の鋼製トレッスル橋だ。駅のすぐ近くで、蒸気列車の好撮影地として知られている。

Blog_sax_fichtel25
(左)エルツ山地最高峰クリーノベツが見える
(右)ヒュッテンバッハタール高架橋に差し掛かる
  背景はフィヒテルベルク
Blog_sax_fichtel26
ヒュッテンバッハタール高架橋
 

橋は、駅への取り付けランプになっていて、列車はそのままクーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅の構内に進入する。駅舎の壁に取り付けてある標高893.962mのプレートが示すように、ここはザクセン州はもとより、ドイツ北・中部で最も高所にある鉄道駅だ(下注)。

*注 ドイツ最高所の鉄道駅は、粘着式ではシュヴァルツヴァルト南部、ドライゼーン(三湖)線 Dreiseenbahn のフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental、標高967m。ラック式を含めると、バイエルンアルプスにあるツークシュピッツェ鉄道 Zugspitzbahn の終点シュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus、標高2650m。

駅の下手が、落ち着いたたたずまいの市街地になる。上手の斜面にはスキーゲレンデが広がっている。時間が許すなら、フィヒテルベルク山頂へ行ってみたい。例のロープウェーの乗り場が坂道を600mほど上ったところにあり、乗り込めば、エルツ山地の壮大なパノラマが開ける山上までわずか3分半だ。

Blog_sax_fichtel27
クーアオルト・オーバーヴィーゼンタールに到着
蒸機は機回し中
Blog_sax_fichtel28
クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール駅舎(2010年)
Photo by Liesel at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_fichtel29
オーバーヴィーゼンタール市街
(左)マルクト広場(2015年)
Photo by Kvikk at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)市庁舎前のクリスマス・ピラミッド(2007年)
Photo by Ondřej Žváček at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ヴァイセリッツタール鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
フィヒテルベルク鉄道 https://www.fichtelbergbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年11月24日 (水)

ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

ラーデボイル・オスト Radebeul Ost ~ラーデブルク Radeburg 間 16.490km
軌間750mm、非電化
1884年開通

Blog_sax_loessnitz1
ディッペルスドルフ池の築堤を渡る蒸気列車

ドレスデン中央駅 Dresden Hbf からマイセン Meißen 方面のSバーン(近郊列車)で15分、ラーデボイル・オスト(東)Radebeul Ost 駅に降り立つと、右隣に、時間を何十年か逆戻ししたような懐かしい光景が広がる。ここを起点にしている狭軌保存鉄道、レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn の乗り場とその構内だ。

Sバーンのホームが現代的な造りなので、よけいにそう感じるのかもしれない。年季の入った蒸気機関車や客車や貨車がぎっしり留め置かれ、発車時刻が近づくと、ホームに行楽の装いをした人がばらばらと集まってくる。

Blog_sax_loessnitz2
ラーデボイル・オスト駅の狭軌線構内(2019年)
Photo by Kevin.B at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
Blog_sax_loessnitz_map1

鉄道は、正式名をラーデボイル・オスト=ラーデブルク狭軌鉄道 Schmalspurbahn Radebeul Ost–Radeburg という。蒸気列車が古典客車を牽いて、ドレスデン Dresden 北郊の、森や牧草地や水辺のある田園風景の中を走り抜ける路線だ。大都市に近く、かつ沿線にワインの里や美しい離宮といったザクセン有数の観光地が点在することから、特に人気が高い。

今回は、ザクセンの狭軌鉄道のなかでもよく知られたこの路線を旅してみたい。なお、レースニッツグルント鉄道という名称は、マーケティング用に1998年に使われ始めたもので、歴史的には新しいが、本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。

Blog_sax_loessnitz_map2
ラーデボイル~ラーデブルク間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まずは鉄道の歴史から。

ドレスデンの北20kmの田舎町ラーデブルク Radeburg に、それまでの郵便馬車に代わってこの狭軌鉄道が開通したのは、1884年9月のことだ。以前から町は、標準軌鉄道計画の経由地にも何度か挙げられていたものの、どれも実現には至らなかった。それだけに、列車を迎える町民の感激はひとしおだったはずだ。当初、混合列車が1日3往復設定され、全線を90分かけて走破した。

Blog_sax_loessnitz3
帝国時代のラーデボイル・オスト駅(1914年)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

20世紀に入ると、町に別の標準軌線の計画が持ち上がる。レーバウ Löbau ~リーザ Riesa 間を結ぼうとしたザクセン北東鉄道 Sächsische Nordostbahn で、1920年から実際に工事が始まった。設けられる新駅は町の北側だったので、ラーデブルク・ノルト Radeburg Nord、すなわち北駅と呼ばれた。

これに伴い、町の南に駅のある狭軌鉄道もそこへ接続するために、2.1km延伸されることになった。延伸線は1922年、標準軌線の工事列車を通すために、一足先に暫定開通している。だが、第一次世界大戦後の物価高騰がたたって、標準軌線の建設は1927年に中止となり、狭軌延伸線も正式開業されることなく、連絡鉄道になる夢はついえた(下注)。

*注 延伸線の廃線跡は、その後の土地区画整理やアウトバーン建設によりほぼ消失している。

第二次大戦後の東ドイツ時代には、本線自体も廃止の危機にさらされた。1964年に国が、今後10年間で国内のすべての狭軌鉄道を閉鎖するという決定を下したからだ。この影響で、保守作業は最小限となり、現場の人員も削減された。しかし、並行道路が未整備であることを理由に、レースニッツグルント鉄道の執行は後回しにされた。

Blog_sax_loessnitz4
マイセン通りを横断する蒸気列車(1989年)
Photo by Felix O at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

そうこうするうちに、狭軌鉄道を観光資源として活用しようとする動きが現れる。1973年に国は、沿線に行楽地などをもつ特定の路線を選定して、長期的に維持することを決定するが、その中にレースニッツグルント鉄道も含まれていた。ちなみに、このとき選定されたザクセン州の路線には他に、フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn、ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn がある。

1974年には日常輸送の傍ら、愛好家のグループによって、古典機関車を使った初めての保存運行が行われた。この「伝統列車 Traditionszug」運行(下注)は、東ドイツで最初の試みで、その後も定期的に実施されていった。グループは、1990年に非営利団体「ラーデボイル伝統鉄道協会 Traditionsbahn Radebeul e. V.」を組織する。

*注 東ドイツでは旧型車両による運行を表現するのに、「Museum(ムゼーウム)」ではなく「Tradition(トラディツィオーン)」の語が好んで用いられた。今でも「Traditionszug(伝統列車)」「Traditionsbahn(伝統鉄道)」という言い方が残る。

Blog_sax_loessnitz5
ベルンスドルフ付近を走る伝統列車(2016年)
Photo by Traditionsbahn Radebeul at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1989~90年の国家体制崩壊は、小さな狭軌鉄道にも多大な影響をもたらした。ラーデブルクの建材工場やガラス工場など主要顧客をあらかた失い、貨物輸送は1993年に全廃された。そのうえ、民営化で誕生したDB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌鉄道を整理する方針で、残る旅客輸送の中止も視野に置いていた。

しかし1998年に、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が財政的な保証を行ったことで、ひとまず運行は継続される。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbHに移管された。

BVOはもともとフィヒテルベルク鉄道の運営のために設立された会社で、ヴァイセリッツタール鉄道と合わせて、この地域にある3本の蒸機保存鉄道を引き受けることになった。同社は2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) と改称されて、現在に至る。

Blog_sax_loessnitz6
運営会社と鉄道のロゴ
GRUND(谷底の意)に合わせて文字列もへこむ

では、冒頭のラーデボイル・オスト駅に戻ろう。

とりあえず狭軌鉄道の切符を買いたいところだが、この駅には出札窓口がない。駅舎はSバーンのホームから見て狭軌駅の左奥に建っているのだが、もはや鉄道業務は行われておらず、地域のイベントホールや図書館、生涯学習施設に転用されてしまっている。そのため切符は、車内に巡回してくる車掌から購入することになる。

もっとも、公式サイトによれば、駅舎から150m先のハウプトシュトラーセ(大通り)Hauptstraße 沿いにあるラーデボイル市観光案内所では、乗車券を取り扱っている。その他、ヴァイセス・ロス駅(委託販売所)とモーリッツブルク駅でも購入できる。

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効なので、終点まで買っておけば、途中でモーリッツブルク城に立ち寄るといった旅程は可能だ。

Blog_sax_loessnitz7
ラーデボイル・オスト駅舎(2013年)
Photo by X-Weinzar at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_loessnitz8
ラーデボイル・オスト駅の狭軌線ホーム
 

鉄道の運行状況はどうか。

列車は通年運行されており、夏ダイヤの場合、ラーデボイル・オストからモーリッツブルクまで1日7本の体制だ。その先、ラーデブルクまでは3本に減る。土日は初便のラーデブルク行きが運休のため、それぞれ6本と2本になる。全線の所要時間は54分だ。

使用される蒸気機関車は、1930年前後に製造されたいわゆる「標準機関車 Einheitslokomotive」シリーズの99.73~76形と、1950年代の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形の2形式だ。客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されている(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

Blog_sax_loessnitz9
(左)「標準機関車」99 1761機
  モーリッツブルク駅にて(2020年)
Photo by Manfred Schröter, Berga at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)「新造機関車」99 1777機
  ラーデボイル市街にて
Blog_sax_loessnitz10
(左)客車内部
(右)展望車(2009年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このように定期列車でも十分ヴィンテージものだが、さらに年に数日、特別列車が走る。ラーデボイル伝統鉄道協会が所有する1900~20年代の旧型蒸機、ザクセンIV K形(下注)が先頭に立つ「伝統列車」で、運賃も別建てになっている。

*注 IV K形は、マイヤー式 Meyer-Lokomotive と呼ばれる関節式機関車の一種。ボイラーの下に2軸ボギーの台枠を前後2個設置し、急曲線での走行を可能にしている。ちなみに、IV は「第4」の意で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

なお、ラーデボイル・オスト駅構内の旧 貨物扱所 Güterboden は、狭軌鉄道博物館として協会所有の静態保存車両や資料を展示していたが、惜しくも2018年に閉館となった。

Blog_sax_loessnitz11
ザクセンIV K形蒸機
ヴァイセリッツタール鉄道フライタール・ハインスベルク駅にて
(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、鉄道の名になっているレースニッツグルントとは何だろう。確かにその名の停留所は実在するものの、森の谷間で、周りに住宅が数軒あるだけなのだが…。

まず、レースニッツ Lößnitz だが、これはラーデボイルの北に連なる断層崖の周辺を指す地名だ。そして何より、ザクセンの人々にとってはおいしいワインを連想させる。この急崖は水はけのいい南向きの斜面で、エルベ川の影響を受けて気候も温和だ。そのため、ブドウ栽培の適地になっていて、周辺にワイナリーが点在する。

次に、グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。レースニッツグルントは、すなわちレースニッツ地域で最も深い渓谷の名で、鉄道はそこを通って台地へ上っていくのだ。

Blog_sax_loessnitz12
レースニッツのブドウ畑の景観
左の建物は歴史的ワイナリーのホーフレースニッツ Hoflößnitz、
遠方の丘の中央はビスマルク塔 Bismarckturm、
その右にシュピッツハウス Spitzhaus
 

もっとも、地元では昔から狭軌鉄道(およびその列車)に対する別の呼び名がある。「レースニッツダッケル Lößnitzdackel」、略して「ダッケル Dackel」というのがそれだ。ダッケルはドイツ原産の猟犬ダックスフントのことだが、のろまという意味もあって、ずんぐりした形の客車を連ねて、のろのろと走る列車の姿をうまく捉えている。とはいえ、観光列車をマーケティングするのに、さすがにこれは使いにくかったのだろう。

さて、発車時刻になった。列車は西向きに出発する。最初、標準軌線と並走するが、S字カーブで道路を渡ると、次は緑の多い住宅街の街路に沿って進んでいく。

ほどなく減速し、カンカンと警報器の音が鳴り響くなか、広いマイセン通り Meißner Straße を斜めに横断した。通りの中央には、ドレスデン市電4号線の併用軌道が敷かれており、タイミングがよければ、狭軌列車の通過待ちをする低床トラムを見送れる。

Blog_sax_loessnitz13
マイセン通りを斜め横断
Blog_sax_loessnitz14
4号線の低床トラムも通過待ち
 

通りの北側には一つ目の駅、ヴァイセス・ロス Weißes Roß がある。ヴァイセス・ロスとは白馬のことで、駅に隣接する1789年築の由緒ある旅館にちなんだ名だ。市電4号線も西側の路上に停留所を置いている(下注)ので、復路ここで乗換えれば、トラムでドレスデン市内に戻ることができる。

*注 停留所名はランデスビューネン・ザクセン(ザクセン州立劇場)Landesbühnen Sachsen。

Blog_sax_loessnitz15
(左)ヴァイセス・ロス駅
(右)駅に隣接する白馬旅館(2007年)
Photo by de:User:VincentVanGogh at wikimedia. License: Public Domain
 

ヴァイセス・ロスからは、エルベ谷の段丘面(エルプテラッセ Elbterasse)に広がる閑静な住宅街を縫っていく。右手前方にちらちらと、ブドウ畑に覆われたレースニッツの段丘崖が見えてきた。斜面に刻まれた名物階段、397段のシュピッツハウス階段 Spitzhaustreppe を上りきれば、丘の上から眼下に横たわるエルベ谷が一望になるはずだ。

Blog_sax_loessnitz16
名物階段で丘の上の展望台へ
Blog_sax_loessnitz17
ビスマルク塔前の展望台から見る
エルベ谷のパノラマ
 

列車はレースニッツグルントの谷間に入っていく。谷川(レースニッツバッハ Lößnitzbach)と絡み合いながら、森の中をくねくねと上っていくと、例のレースニッツグルント停留所がある。今でこそ静かな場所だが、かつては待避線があり、列車交換が行われていた。また、1975年まで隣に「マイエライ行楽食堂 Ausflugsgaststätte Meierei(マイエライは農場、荘園の意)」という人気のレストランが営業していたので、停留所の利用者も多かったという。

Blog_sax_loessnitz18
(左)レースニッツグルント停留所
(右)レースニッツグルントの森を行く
 

森を抜けたところで、フリーデヴァルト・バート Friedewald Bad 駅(下注)に停車した。当初は近くの集落の名を取ってディッペルスドルフ Dippelsdorf と称したので、駅舎の壁には旧名が今も残されている。待避線を備えているが、残念ながら定期ダイヤでは列車交換が行われることはない。

*注 同名の駅と区別するために、正式駅名には旧郡名のドレスデン Dresden の語が括弧書きでつく。ただし現在の行政区分はマイセン郡 Landkreis Meißen。

Blog_sax_loessnitz19
(左)フリーデヴァルト・バート駅
(右)駅舎には旧名ディッペルスドルフの文字が
 

この後、列車はディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を築堤で横断していく。この築堤は長さが210mあり、車窓風景のハイライトの一つだ。池は先刻、谷間を流れていたレースニッツバッハの源流に当たり、東西1.5km、南北0.5kmの広がりがある。

Blog_sax_loessnitz20
ディッペルスドルフ池の築堤を渡る列車
Blog_sax_loessnitz21
池の広い水面を二分する築堤
 

牧草地の中を直線的に進んでいくと、やがてモーリッツブルク Moritzburg だ。ここは中間駅どころか、中心駅というのが適切かもしれない。運行面では、1日の列車本数の半分以上がここを終点にしているし、営業面でも乗降客が集中する。というのも、ザクセンで指折りの美しい城館、モーリッツブルク城 Schloss Moritzburg の最寄り駅だからだ。

Blog_sax_loessnitz22
モーリッツブルク駅舎(2015年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_loessnitz23
(左)モーリッツブルク駅に上り列車が入線
  上り(ラーデボイル・オスト方面)は機関車が逆向きになる
(右)駅の時刻表
 

城は、狩猟のための別邸として16世紀に築かれたが、18世紀に、ポーランド王でありザクセン選帝侯のアウグスト強健王 August der Starke によって拡張された。バロック様式の明るく優雅な外観はこのとき整えられたものだ。

町から続くシュロスアレー Schloßallee(城に通じる並木道)の延長線上で、狩りの城 Jagdschloss は、池の中に浮かぶように建っている。四方に円塔をもつ翼部を備え、どの側から見ても安定感のある造りだ。取り巻く敷地は広大で、北側にはフランス式庭園があり、東側は運河によって2km先の「雉の小城 Fasanenschlösschen」や灯台まで続いている。時間に余裕をもって巡りたい。

Blog_sax_loessnitz24
空から見たモーリッツブルク城(2014年)
Photo by Carsten Pietzsch at wikimedia. License: CC0 1.0
Blog_sax_loessnitz25
池を渡って城内へ通じるシュロスアレー
 

さて、列車はモーリッツブルクからさらに北東へ進む。大池 Großteich のほとりを通過するが、森に遮られて湖面はほとんど見えない。ベルンスドルフ Bärnsdorf 地内でS字カーブをしのいだ後は、再び北に針路をとり、牧草地の中を行く。右の車窓で工場の建物が目につくようになれば、ゴールは近い。

ラーデブルクは、側線を含め4本の線路が並ぶターミナルだ。といっても、駅舎は他の駅に比べてみずぼらしく、実際機能していない。最奥部に機関庫が見えるが、もっぱら伝統鉄道協会が使用しているという。

列車は、到着後すぐに機回し作業に移り、15分後には折り返す。1日にわずか2~3便では、町の散策までは難しく、ここまで乗車してきた人も大半はとんぼ返りする。ドレスデン方面へは路線バス(下注)で戻るという代替策もあるのだが、駅前を経由しないルートなので注意が必要だ。

*注 477および478系統。ラーデブルク市街西縁にあるバスセンター Busbahnhof を発着し、中心部のラートハウス(市役所)Rathaus などを経由する。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ にある。

Blog_sax_loessnitz26
ラーデブルク駅構内(2011年)
Photo by FlügelRad at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_loessnitz27
ラーデブルク駅
(左)機回し作業を見守る乗客
(右)構内の奥に建つ機関庫
 

次回は、フィヒテルベルク鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
レースニッツグルント鉄道 https://www.loessnitzgrundbahn.de/
ラーデボイル伝統鉄道協会 https://www.traditionsbahn-radebeul.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年11月 7日 (日)

ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau

ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße ~バート・ムスカウ Bad Muskau
同上 ~クロムラウ Kromlau
同上 ~シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg
計 約20km、軌間600mm、非電化
1895年運行開始、1978年休止、1992年保存運行開業

軌間(線路幅)が600mmというのは、狭軌鉄道のなかでも最も狭い部類に入る(下注)。この軌間の鉄道はドイツでフェルトバーン Feldbahn(Feld は英語の field に相当)と呼ばれ、19世紀後半に鉱工業や林業など産業用の簡易軌道として広まった。フランスで開発され、組み立て式で設置が容易なことから世界的に普及したドコーヴィル軌道も同じ軌間だ。

*注 これより狭い軌間も営業路線として存在するが、ナローゲージ(狭軌)ではなくミニマムゲージ(最小軌)に分類されている。

Blog_sax_muskau1
ムスカウ森林鉄道の蒸気列車
バート・ムスカウ駅にて(2013年)
Photo by J.-H. Janßen at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
Blog_sax_muskau_map1

ザクセン州北東端に位置するバート・ムスカウ Bad Muskau 周辺でも、1895年、大地主だったヘルマン・フォン・アルニム伯爵 Graf Hermann von Arnim が、周辺の森林と鉱物資源を開発するために、これを導入している。彼は、森林を切り開き、褐炭や珪砂の採掘を行い、それらを原料にして製材所、製紙工場、レンガ工場、ガラス工場を操業させており、簡易軌道は原料や完成品の運搬に欠かせないものだった。

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau は、この産業路線が廃止された後、愛好家や地元自治体によって再建された約20kmのルートで運行されている観光鉄道だ。600mm軌間の路線は、ドイツのいくつかの都市で公園鉄道 Parkeisenbahn(下注)として生き残っているが、長いものでも10kmに満たず、規模ではとうていこれに及ばない。

*注 いずれも旧東ドイツのエリアのベルリン Berlin、コトブス Cottbus、プラウエン Plauen、ケムニッツ Chemnitz、ゲルリッツ Görlitz などに見られる。

Blog_sax_muskau2
(左)仕業前の調整
(右)客車と連結

伯爵が始めた軽便鉄道は、その後どのように展開していったのだろうか。

初めのうち、貨車を牽いていたのは馬だった。1年後にミュンヘンのクラウス Krauss 社から小型の蒸気機関車が届き、運行に供された。工場経営は順調で、わずか数年後には線路も85km以上に拡張されていたという。こうして最盛期には11両の蒸機が稼働する、多忙な路線網になった。しかし、第二次世界大戦の敗戦と連合軍占領により、産業会社は解体される。車両や軌道も、その多くが戦時賠償としてソ連に送られた。

戦後、ザクセンは東ドイツに属し、森林鉄道も1951年からドイツ国営鉄道 DR の管理下に置かれる。東ドイツ政府は、国内産業を再興するために、自給可能なエネルギー資源である褐炭の増産を図った。ムスカウ周辺でも鉱区が大きく拡張されて終夜操業となり、森林鉄道の車両群はフル稼働した。

この状況は1969年まで続いたが、この年、地区最大の鉱山が閉鎖されたことをきっかけに、輸送需要は急速にしぼんでいく。そして1978年3月、ついに森林鉄道は運行を停止した。不要となった機関車はドイツだけでなくヨーロッパ各地に売却され、蒸機99 3317だけが現地で記念物として保存用の台座に据え付けられた。

Blog_sax_muskau3
ヴァイスヴァッサーで静態保存されていた
蒸機99 3317(1977~90年の間に撮影)
Photo by anonym's grandma at wikimedia. License: Public domain
 

ただしこのとき、長さ約12kmのいわゆる粘土鉄道 Tonbahn だけはまだ使われていた。これは1966年に、東方ミュールローゼ Mühlrose の採掘場からヴァイスヴァッサー Weißwasser のレンガ工場まで、原料の粘土を運ぶために造られた路線だった。

森林鉄道の保存活動は、この残存路線を使って始まった。最初の特別運行が1984年に実行された。当初はレンガ工場の一角を借りて拠点にしていたが、1988年にのちの起点となるヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅が建設される。

1989~90年の国家解体に伴い、レンガ工場も閉鎖されてしまうが、地元自治体の主導で鉄道への支援は続けられた。旧東独地域に適用された雇用創出プログラムを利用して、路線の再建と車両の復元に必要な予算が確保できたことも幸運だった。

Blog_sax_muskau_map2
ヴァイスヴァッサー周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルートは旧線の路盤を利用しながらも、DB駅に近いヴァイスヴァッサーと地元の観光地を結ぶ目的で新たに計画されている。最初に開通したのは、19世紀の領主が造った景観公園の前まで行くクロムラウ Kromlau 線で、1992年のことだ。小型ディーゼル機関車による運行だったが、鉄道復活を聞いて、愛好家だけでなく、観光客も多数訪れるようになった。

1995年には、蒸機99 3317を動態復活させて、保養地バート・ムスカウに至る2本目の路線が開通する。かつて町の南に駅があった標準軌の旧DR線(下注)は1977年に旅客営業を廃止しており、客を乗せた列車が現れるのは久しぶりだった。

*注 もとは1872年開業の、ヴァイスヴァッサーからトゥプリツェ Tuplice(ドイツ名:トイプリッツ Teuplitz)を経てルブスコ Lubsko(同 ゾンマーフェルト Sommerfeld)に至る路線。第二次大戦後、ナイセ川の国境設定により、運行はバート・ムスカウ止まりになった。2001年に貨物営業も廃止。

2010年には、第3の路線としてミュールローゼの粘土鉄道線を引き継いだ。しかし、露天掘り鉱山の区域拡張でルート変更が必要になり、2017年4月に、シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg に至る3.5kmの新ルートで運行が再開された。

Blog_sax_muskau4
粘土鉄道線の再開の日(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

ムスカウ森林鉄道の列車が出発するのは、ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße 駅だ。DB(下注)のヴァイスヴァッサー駅前から、歩道に描かれた蒸機のイラストを頼りに北へ通りを歩いていくと、10分ほどで着く。林に囲まれた広く明るいホームをもつ、軽便線としては立派なターミナルだ。ホームの横で軽食堂も開いている。数本並んだ側線には貨車が多数連なっているが、これも保存車両の一部だ。

*注 現在、列車運行は合弁企業の東ドイツ鉄道 Ostdeutsche Eisenbahn (ODEG) が行っている。ヴァイスヴァッサーは、OE65系統(コトブス Cottbus ~ゲルリッツ Görlitz ~ツィッタウ Zittau)の途中駅。

Blog_sax_muskau5
ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅
 

もともとここには、ヴァイスヴァッサー駅の構内から続く標準軌の貨物専用線があり、北側にあった工場施設へ引き込まれていた。また、それに並行して、もと森林鉄道で、後に粘土鉄道に転用された狭軌線も南西のレンガ工場から出てきて、北へ延びていた。今見るような狭軌鉄道駅は、標準軌の線路が撤去された後に改めて整備されたものだ。レンガ工場の跡地も、森林鉄道の車庫 兼 整備基地として再利用されている。

標準軌線が引き込まれていた北側の工場施設(下注)はしばらく廃墟状態だったが、2001年に博物館駅「アンラーゲ・ミッテ Anlage Mitte(中央施設の意)」として再生された。現在は、車両や各種資料を展示した森林鉄道の博物館と、地域のインフォメーションセンターになっていて、蒸気運行の日に公開される。

*注 東ドイツ時代の地形図では、ガラス工場と製紙(ボール紙製造)工場の注記がある。

Blog_sax_muskau6
博物館駅「アンラーゲ・ミッテ」
Blog_sax_muskau7
博物館の展示
(左)所狭しと並ぶ車両群
(右)5号機関車の姿も
 

ここで、森林鉄道の運行状況を押さえておこう。

運行日は4月~10月上旬の週末だが、7月最終週から9月第1週は夏の繁忙期として、週末のほか、火曜、木曜、金曜にも運行される。列車を牽くのは基本的に小型ディーゼル機関車で、2021年のダイヤでは1日3往復設定されている(博物館駅は無停車)。蒸気機関車は、原則毎月第1週の週末に登場する。それを目当てに客も集まるので、1日6往復と頻繁運転だ。

公式サイトで5両挙げられている動態保存機のうち、最古参は1912年ボルジッヒ Borsig 社製の4軸機関車「ディアーナ Diana」、車両番号99 3312だ。1977年に引退した後、ヴァイスヴァッサーで静態展示されていたが、1997~98年にマイニンゲンで改修を受けて現役に復帰している。

一方、99 3315と99 3317の2両は、いわゆる「旅団機関車 Brigadelokomotive」だ。第一次世界大戦中、戦地に敷かれる軍用簡易軌道 Heeresfeldbahn のために大量製造された形式車で、戦後は世界各地の民間鉄道に引き継がれた。よく似たダイヤモンド形の煙突をもち、車両番号もディアーナの続きだが、出自はまったく異なる。

客車にはオープンタイプ(側壁なし)とクローズドタイプがあり、いずれも貨車を改造したものだ。

Blog_sax_muskau8
鉄道のオリジナル蒸機99 3312
Blog_sax_muskau9
(左)旅団機関車 99 3315
(右)同 99 3317(2017年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
Blog_sax_muskau10
改造客車はオープン型とクローズド型がある
 

運行ルートは上述のとおり3本に分かれている。東へ行くバート・ムスカウ線は、所要時間が片道30~35分、西へ進むクロムラウ線は20分だ。残るシュヴェーラー・ベルク線は西から南へ回り込む最も長いルートだが、日を限定した特別運行の位置づけで、蒸機による往復3時間のツアーとして実施される。

3つのルートはそれぞれ沿線に見どころがあり、終点の周辺には観光地も有している。順に見ていこう。

バート・ムスカウ線

列車は、博物館駅を出た直後、クロムラウ線を左に分けて、自らは直進する。森の中を少し走った後は、連邦道B 156号(ムスカウ通り Muskauer Straße)の横に出て、2km近く並行する。列車は最高時速でも25kmなので、隣を疾走する車には抜かれっぱなしだ。

やがて線路は、左カーブで道路からそれる。林と畑が交錯する間を行くと、列車交換用の側線をもつクラウシュヴィッツ Klauschwitz 停留所に停車する。すぐ先が、連邦道B 115号の踏切だ。森林鉄道の踏切は、標識があるだけの、日本でいう第四種踏切がほとんどだが、ここはさすがに遮断機が設置されている。ただし、手動式だ。車掌が客車から降りて、操作盤を開け、遮断棒を下ろす。

踏切通過の儀式が終わると、列車は巡航速度に戻る。また森の中に潜り込むが、それも長くは続かず、草野原の中の終点バート・ムスカウに到着する。すぐに機回しが行われて、列車は15分後の復路出発を待つ。

Blog_sax_muskau11
バート・ムスカウ線
(左)博物館駅に戻ってきた列車
(右)クラウシュヴィッツ停留所で、車掌が踏切閉鎖に向かう
Blog_sax_muskau12
バート・ムスカウ駅
 

バート・ムスカウには、市街地の東に隣接して、2004年に世界遺産に登録されたムスカウ公園 Muskauer Park(正式名はピュックラー侯爵公園 Fürst-Pückler-Park)がある。ヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵 Hermann Fürst von Pückler-Muskau が1815年から30年かけて作り上げた中欧最大のイギリス式庭園で、総面積は8.3平方キロと広大だ。

ラウジッツァー・ナイセ川 Lausitzer Neiße の広い氾濫原を利用し、森と水辺と人工物が古典主義の風景画のように配置されていて、その中心に、薔薇色の壁が印象的なネオルネッサンス様式のムスカウ宮殿 Schloss Muskau(新宮殿 Neues Schloss)がある。

第二次世界大戦後、ナイセ川に新たな国境線が引かれた結果、公園はドイツとポーランドに分割された。そのため、世界文化遺産の登録範囲も両国にまたがっているが、川に架かる二重橋 Doppelbrücke を通って自由に往来できる。

Blog_sax_muskau13
公園の中心、ムスカウ新宮殿(2014年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_muskau14
(左)新宮殿西面(2016年)
Photo by Heigeheige at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)新宮殿正面
Blog_sax_muskau15
(左)ナイセ川の中州に渡された二重橋(2011年)
Photo by Schläsinger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)今は国境の橋を兼ねる
 

森林鉄道の駅からこのムスカウ宮殿までは、市街地を経由して1.3km、歩いても15~20分というところだ。また、市街地とDBヴァイスヴァッサー駅の間には路線バス(下注)も走っているので、帰りはそれでDB駅まで戻ることも可能だ。

*注 オーバーラウジッツ地域バス Regionalbus Oberlausitz 250系統。公園の最寄りバス停はバート・ムスカウ・キルヒプラッツ(教会広場)Bad Muskau Kirchplatz。土日は本数が少なくなるので注意。

なお、森林鉄道の駅の東を流れるナイセ川には、上述した旧 標準軌線の魚腹アーチを連ねた鉄橋が残り、自転車道・遊歩道に利用されている。最近、青の塗料が塗られて「青い奇跡 Das Blaue Wunder」の名が付けられた。

Blog_sax_muskau16
(左)旧 標準軌線の魚腹アーチ橋
(右)自転車道に転用され「青い奇跡」に(2018年)
Photo by Wdwdbot at wikimedia. License: Public domain
 

クロムラウ線

クロムラウ行きの列車は、博物館駅の後、バート・ムスカウ線を見送って、左へ急カーブする。しばらく森の中を西へ進み、今度は右の急カーブで、シュヴェーラー・ベルク線と別れる。

ときおり森が開けて小さな湖が車窓をかすめるが、実はこれも注目点だ。地形的に、森林鉄道の沿線を含む約20km四方の地域は、北に開いた馬蹄形をした圧縮モレーン(氷堆石)から形成されている。ムスカウの褶曲アーチ Muskauer Faltenbogen(英語ではムスカウ・アーチ Muskau Arch)と呼ばれ、巨大な氷塊により圧縮されて褶曲したモレーンだ。

褶曲地層の高い部分は、後に氷河が前進したときに削られ、それにより露出した褐炭層が、酸化による体積の減少で溝状の湿地に変化した。こうしてできた湿地帯を舞台に、近代になって人間が鉱物資源を採掘し、森林鉄道で運び出した。その跡に水が溜まって、湖と化す。

空から見ると、一面の森の間に、東西方向に連なる細長い湖の列が数本並んでいるのがわかる。列は地層の褶曲による「しわ」を示すものだが、湖自体は自然の造形ではなく、人間の活動の痕跡なのだ。

Blog_sax_muskau17
空から見たムスカウ褶曲アーチ
採掘跡の湖が列を成す(2019年)
Photo by PaulT (Gunther Tschuch) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_muskau18
クロムラウ線
(左)小さな湖がときおり現れる
(右)クロムラウ駅の終端
 

終点のクロムラウ駅は、シャクナゲ公園 Rhododendronpark と呼ばれる景観公園の南のへりに造られたため、孤立したような場所にある。乗ってきた列車は5分後にさっさと折り返してしまうが、ここは列車を1本遅らせて公園散策に出かけたい。というのは、この先にラーコツ橋 Rakotzbrücke という必見の名所があるからだ。

ムスカウ公園のピュックラー侯爵と同時代人である大地主のフリードリッヒ・ヘルマン・レチュケ Friedrich Hermann Rötschke は、購入した地所の半分を公園として、さまざまな樹木を植え、一風変わった造形物を設置した。その一つが玄武岩と礫で造られた太鼓橋だ。細長い湖をまたいでいて、径間35mの半円が波静かな水面に映ると、完全な円に見える。その不思議な姿から、「悪魔の橋(魔橋)Teufelsbrücke」の別名がある。

クロムラウ駅からラーコツ橋までは、公園の遊歩道を通って約1.2km、15分ほどだ。

Blog_sax_muskau19
魔橋ラーコツ橋(2013年)
Photo by Michael aus Halle at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_muskau20
シャクナゲ咲く湖のほとりに魔橋の展望地が(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

シュヴェーラー・ベルク線

旧 粘土鉄道のこの路線は、クロムラウ線の途中にある分岐から始まる。ルートの見どころの一つ目は、旧 標準軌線(下注)のガード下をくぐる箇所だ。地下水位が高く、掘り下げた線路がしばしば冠水するため、列車は水の上を走る形になる。二つ目は、その先にあるスイッチバックで、機回し(方向転換するための機関車の付け替え)が行われる。このスイッチバックは急勾配対策ではなく、既存の路線網に追加接続する過程で生じたものだ。

*注 ヴァイスヴァッサー=フォルスト線 Bahnstrecke Weißwasser–Forst。1996年廃止。

ルートの後半は2017年に開業したばかりの新線区間で、森を抜け、広大な露天掘り鉱山のへりに沿って走っていく。終点のシュヴェーラー・ベルクでは、1時間の休憩がある。少し歩いて展望台に上れば、地の果てまで続くような露天掘りの現場を眺め渡すことができるだろう。

Blog_sax_muskau21
(左)露天掘り鉱山のへりを走る(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)シュヴェーラー・ベルクの展望台(2009年)
Photo by Frank Vincentz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、レースニッツグルント鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ムスカウ森林鉄道 https://www.waldeisenbahn.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

2021年10月25日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道

ドイツ東部のザクセン州には、旧東ドイツ時代を通して地方交通に貢献してきたナローゲージ(狭軌線)が比較的集中して残っている。かつて標準軌の鉄道網を補完してドイツ各地で見られたこうした路線も、今や貴重な保存鉄道として、過ぎし日のノスタルジーを呼び起こす存在だ。これから数回にわたり、その現況を訪ねてみよう。

ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ツィッタウ Zittau ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin 間 12.222km
ベルツドルフ Bertsdorf ~クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf 間 3.831km
軌間750mm、非電化
1890年開通

Blog_sax_zittau1
分岐駅ベルツドルフに揃う列車
 
Blog_sax_zittau_map1

ツィッタウ Zittau は、ザクセン州の南東端、ポーランドとチェコに隣接する人口約3万人の地方都市だ。クラシックな建造物が残る旧市街から500mほど北に、DB(ドイツ鉄道)の列車が発着する駅がある。バロック様式の気品漂うファサードをもち、主屋の左右に翼屋を配置した立派な駅舎だが、日中は往来も少なく、閑散としている。

駅の玄関に立つと駅前広場の左手に、赤い小屋根のかかるもう一つの駅舎が見える。これが、ナローゲージ蒸機が出発するツィッタウ狭軌鉄道の駅だ。一般に「ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn」と呼ばれているが、正式には起終点名をとって、ツィッタウ=クーアオルト・オイビーン/クーアオルト・ヨンスドルフ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Kurort Oybin/Kurort Jonsdorf という。沿線自治体が出資するザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) が保有し、運行している。

Blog_sax_zittau2
DB ツィッタウ駅舎
Blog_sax_zittau3
狭軌鉄道駅
左が駅舎、ホームに続く屋根に蒸機通過用の天蓋部があるのが特徴
 

路線は非電化、750mm軌間で、ツィッタウからクーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注、以下オイビーンと略す)に至る延長12.2kmの本線と、途中のベルツドルフ Bertsdorf で分岐してクーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf(以下、ヨンスドルフと略す)に至る3.8 kmの支線がある。

*注 地名のクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味し、各州の認定基準を満たした地域につけられる接頭辞。日本での「○○温泉」に相当する。

Blog_sax_zittau_map2
ツィッタウ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道が開業したのは1890年のことだ。ツィッタウ南方の、当時オーストリア帝国領だったボヘミア(現 チェコ)との国境周辺に広がるラウジッツ山地 Lausitzer Gebirge(下注)の保養地を開発するために、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道会社 Zittau-Oybin-Jonsdorfer Eisenbahn-Gesellschaft (ZOJE) により建設された。

*注 ラウジッツ山地のドイツ側は、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge とも呼ばれる。

ツィッタウ駅前には、すでに1883年から別の狭軌線、ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Reichenau が通じていた。ライヘナウというのは、ナイセ川 Neiße の東に位置する現 ポーランド領ボガティニャ Bogatynia のことだが、先述の狭軌鉄道駅 Schmalspurbahnhof は、実はこの発着駅として設けられたものだ。後発のツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道は、それに乗り入れる形で運行されたので、駅は若干拡張されたものの共同使用、線路も1.6km先の分岐点まで共用していた。

Blog_sax_zittau_map3
ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
青:ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道、赤:ツィッタウ狭軌鉄道
破線は当時の国境、ピンクは現在の国境
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

当時は狭軌の地方路線が盛んに建設されており、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道にも、ボヘミア側から鉄道の接続計画があった。しかし、資金調達に難渋する間に、競合する標準軌線が建設されたため、結局実現していない。

鉄道は1906年にザクセン王国に買収され、王立ザクセン邦有鉄道 Königlich Sächsische Staatseisenbahnen の一路線となった(下注)。この頃には休日や夏のシーズンを中心に旅行者で混雑が顕著になっており、輸送力増強のために、1913年にツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt ~オイビーン間7.8kmの複線化が完成している。当時でも、複線運行する狭軌線は数少なかったという。

*注 運行は開業時から王立ザクセン邦有鉄道に委託されていたので、買収以前の邦有鉄道の路線図にも本路線の記載がある。なお、邦有鉄道は1924年にDR(ドイツ帝国鉄道)に統合された。

しかし、第二次世界大戦中、観光路線はレール供出の対象とされ、1943~44年に一部区間が、さらに廃線後の1945年に残り区間も、単線に戻されてしまった。

Blog_sax_zittau4
オイビーン山からの眺望(1919年の絵葉書)
下端にオイビーン駅が見える
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、鉄道はDR(ドイツ国営鉄道)により引き続き運行されていた。ところが1981年に、沿線にある褐炭の露天掘り鉱山の拡張計画に支障するとして、10年後に廃止するという決定がなされる。具体的には、1990年の夏シーズン限りで旅客輸送廃止、1991年には貨物輸送も止める計画だった。

そのままでいけば、線路跡は今ごろ赤茶けた採鉱地に変わり果てていたに違いない。ところが、1989年に東ドイツの政治体制が崩壊したことで、計画はすんでのところで中止となった。

Blog_sax_zittau5
東ドイツ時代のツィッタウ狭軌鉄道駅(1989年)
Photo by Sludge G at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

1994年にDRと旧DB(西ドイツ国鉄)が統合民営化されると、新DB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌路線からの撤退方針を打ち出す。それに対してザクセン州は、観光輸送に活路を見出せるとして、独自の運行会社設立を支援した。これが現在の運行会社ザクセン・オーバーラウジッツ鉄道だ。同社は1996年12月1日に、DBからこの鉄道の資産と運行業務を引き継いだ。

では、現在のツィッタウ狭軌鉄道の運行状況はどうなっているだろうか。

4月~11月中旬は繁忙期 Hauptsaison とされ、平日に5~7往復、土日は8~9往復の設定がある。一方、11月中旬~3月の閑散期 Nebensaison はかなり縮小されて、2~4往復だ。

牽引するのは主として蒸気機関車で、1920年代後半から1930年代にかけて製造された99 73~99 76形が使われている。最大30‰の急勾配を上るため、750mm軌間用では最も強力な形式だ。

繁忙期の増発便ではディーゼル機関車が応援に入る。また、蒸気列車の一部には食堂車が連結されており、5月から10月の天気の良い日は、無蓋貨車を改造した展望車 offene Aussichtswagen の増結もある。

Blog_sax_zittau6
1933年製の蒸機99 758
Blog_sax_zittau7
(左)応援列車を牽くディーゼル機関車
(右)無蓋貨車を改造した展望車
 

運行パターンは特徴的だ。大まかにいえば、列車は日中、ツィッタウ、オイビーン、ヨンスドルフの3つの端点からほぼ同時に出発し、中間にあるベルツドルフ Bertsdorf で相互接続した後、再び3方向へ散っていく。

ツィッタウを中心に見ると、繁忙期の場合、1時間間隔でオイビーン行きとヨンスドルフ行きが交互に出発している。たとえば9時07分発はオイビーン行き、10時02分発はヨンスドルフ行きだ。

しかし前者(オイビーン行き)に乗ったとしても、ベルツドルフでヨンスドルフ行きの列車、すなわちオイビーン~ベルツドルフ~ヨンスドルフ間の通称「山シャトル Gebirgspendel」が待っている。そのため、乗換の手間を厭わなければ、どの方向にも1時間に1本の便があることになる。

所要時間は、ツィッタウ~オイビーン間、ツィッタウ~ヨンスドルフ間とも、蒸機牽引で44~49分だ。ディーゼルの場合はそれより5~6分短い。

Blog_sax_zittau_map4
3方向からの集合離散ダイヤ 模式図

さて、ツィッタウ駅から狭軌鉄道のルートを追おうと思うが、その前に、駅前広場を観察しておきたい。おもしろいことに、バスターミナルが整備された広場と駅前通りとの間に、狭軌の線路が走っているのだ。人も車も、通りに出る前にこの踏切を横断しなければならない。線路の行く先は、車庫のある機関区だ。駅前広場をはさんで、駅が東、機関区が西にあるというユニークな配置が、このルートを必要としている。

Blog_sax_zittau8
機関区への引込線が駅前広場の前を横切る
(左)駅から西望(右)反対側から
 

狭軌鉄道の駅舎には案内カウンターがあり、乗車券や絵葉書などを販売している。時間がなければ、乗車券は車内で車掌から買うこともできる。運賃は区間制で、距離にかかわらず途中下車は有効だ。割安な往復乗車券もあるが、支線にも寄り道するなら、1日乗車券 Tageskarte がいい選択肢になる。

では、線路を渡り、屋根付きの低い島式ホームから列車に乗り込もう。

Blog_sax_zittau9
ツィッタウ駅の旅客ホームと駅舎(2013年)
Photo by Jwaller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_sax_zittau10
駅舎入口と内部
Blog_sax_zittau11
(左)ホームの腕木式行先標
(右)ツィッタウ駅を出発
 

ツィッタウ駅を出発すると、はじめ標準軌のリベレツ=ツィッタウ線 Bahnstrecke Liberec–Zittau と並走するが、まもなくそれを斜めに横断して、同線の北側(進行方向左側)に出る。

■参考サイト
Google Street view - 標準軌線を斜め横断
https://goo.gl/maps/3mNyT2d9a85VaFy99

平面交差にも驚くが、最終的に南へ向かうのに、なぜわざわざ北側に移るのだろうか。それは鉄道の成り立ちが関わっている。先述のように、ツィッタウ狭軌鉄道は、先行開業していたツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道(以下、ライヘナウ線)への乗り入れから始まった。ライヘナウ線の目的地は標準軌線から見て北側なので、この横断が必要だった。ところが、1945年のドイツとポーランドの暫定国境線(オーデル・ナイセ線)画定に伴い、国境をまたぐことになったライヘナウ線は廃止されてしまう。後に残されたツィッタウ狭軌鉄道にとって、このルートは合理的ではないが、改築することもままならず、そのまま使っているのだ。

並走区間はなおも続くが、標準軌線は築堤の上に載り、狭軌線の列車からはもう見えない。最初の停車は、ツィッタウ停留所 Zittau Hp(下注)。これはライヘナウ線が開設したものを引き継いでいる。

*注 Hp は Haltepunkt(停留所の意)の略。

Blog_sax_zittau12
ツィッタウ停留所
標準軌線は左の築堤の上に
 

起点から1.6kmで、ライヘナウ線との旧 分岐点に達する。この後、列車は右カーブで標準軌線のナイセ川橋梁 Neißeviadukt のアーチをくぐり、再び南側に出る。そして、ツィッタウ市街の南縁を回り始める。ツィッタウ・ジュート(南駅)Zittau Süd を出ると、次の注目点、マンダウ川橋梁 Mandaubrücke にさしかかる。長さ43mの短い橋だが、何と中央で道路橋と平面交差している。つまり、上空から見ればX字の橋だ。この奇観は、1897年に行われたマンダウ川の流路直線化事業によって生じた。

ツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt 駅は市街地の南端に位置し、広い構内に屋根付きの長いホームと何本かの側線が並ぶ。駅舎からホームへは地下道で渡るようになっており、かつて山地へ行楽に出かける市民の利用が多数あったことを窺わせる。

Blog_sax_zittau13
(左)標準軌線のナイセ川橋梁をくぐる
(右)中央で道路と交差するマンダウ川橋梁
Blog_sax_zittau14
ツィッタウ・フォアシュタット駅に入る列車
 

この後、列車は州道133号に沿って南下していく。集落と牧草地が交錯する郊外風景が続き、左側の緩斜面に上ると、いい撮影地がある。下の写真がそうだが、背景に写っている緑うるわしいオルバースドルフ湖 Olbersdorfer See は、東ドイツ時代に狭軌鉄道を廃止の危機にさらした褐炭採掘場の跡だ。再統一後、採掘は中止になり、景観修復が施されて、市民の憩いの場に生まれ変わった。

なお、最寄りのオルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所は、オイビーン・ニーダードルフ Oybin Niederdorf とともにリクエストストップ Bedarfshalt のため、乗降がなければ通過する。下車するなら、事前に車掌に伝えておく必要がある。

Blog_sax_zittau15
オルバースドルフ・ニーダードルフ停留所付近
背景は採掘地跡を景観修復したオルバースドルフ湖
 

オルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所の後、渡るオルバースドルフ橋梁 Olbersdorfer Brücke は、路線最長で124mある。しかし、またいでいるのは、川というより町並みだ。開業当時は街道と平面で交差していたのだが、交通量が多いことから、1913年の複線化に合わせて立体交差化された。橋台が異様に広いのは、複線だった名残だ。

Blog_sax_zittau16
路線最長のオルバースドルフ橋梁を渡る
 

オルバースドルフ・オーバードルフ Olbersdorf Oberdorf 出発後、列車は街道筋から右へそれ、勾配もきつくなる。右手に開ける風景に目をやるうちに、分岐駅のベルツドルフ Bertsdorf に到着する。森に囲まれた駅は、鉄道の運行拠点だ。かつて蒸機が集結していた機関庫を含め、歴史的な建物が数多く残されている。

ふだんは静かな構内だが、3方向からの集合離散ダイヤによって、1時間ごとに列車が島式ホームの両側に揃う。賑やかな交換風景や、名物となったオイビーン行きとヨンスドルフ行きの同時発車 Parallelausfahrt のシーンを捕えようと、鉄道ファンも多く訪れる。

Blog_sax_zittau17
ベルツドルフ駅構内図
施設名称の和訳を付記
Blog_sax_zittau18
ベルツドルフ駅の交換風景
9時07分、ツィッタウ方から始発のヨンスドルフ行き列車が到着
Blog_sax_zittau19
9時30分、2番列車のオイビーン行きが到着
Blog_sax_zittau20
ここで相互に乗換が可能
Blog_sax_zittau21
9時35分、ヨンスドルフ行きとオイビーン行きが同時発車
 

オイビーン方面へは左カーブで、30‰勾配の険しい坂を上っていく。トイフェルスミューレ Teufelsmühle あたりから、いよいよ谷が狭まるが、少し行くと空が開けて、早くも終点のオイビーン駅が近づいてくる。

駅構内は意外に広く、機回しや停泊が可能な側線がゆったりと取られている。駅舎はロマネスク風の屋根飾りをつけた印象的な建物で、レストランも営業中だ。一方、線路を挟んで駅舎の向かいにある煉瓦造りの貨物倉庫は、愛好家団体が運営する鉄道博物館になっていて、シーズン中、午後の時間帯に開いている。

Blog_sax_zittau22
オイビーン駅舎(2015年)
Photo by DCB at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

駅の裏手でひときわ目を引くのが、砂岩の層がごわごわと露出した標高515mのオイビーン山だ。皇帝カール4世の古城とケレスティヌス会修道院の廃墟があり、異形の山容とともにロマン主義の作家たちに好まれた。画家フリードリヒ Caspar David Friedrich にもここを題材にした作品がある。駅との比高は100mほどだ。上ること約10分、中世の雰囲気が漂う山頂からは、オイビーンの村全体が見渡せる。

■参考サイト
フリードリヒ:夢見る人(オイビーン修道院跡)Dreamer (Ruins of the Oybin)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caspar_David_Friedrich_011.jpg

Blog_sax_zittau23
砂岩層が露出する異形のオイビーン山(2012年)
Photo by Moritz Wickendorf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_zittau24
オイビーン山の古城と修道院跡(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_sax_zittau25
オイビーンに向かう列車
オイビーン山から北望(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ベルツドルフに戻って、今度はヨンスドルフ方面に向かおう。列車は右に急カーブした後、深い森の中をオメガループ(馬蹄形カーブ)で高度を稼ぐ。ヨンスドルフ停留所 Kurort Jonsdorf Hst(下注)で森を抜けると、今度は牧草地の斜面をゆっくりと上っていく。車窓からツィッタウ山地の緩やかな裾野を眺めているうちに、終点ヨンスドルフの駅に到着する。

*注 Hst は Haltestelle(停留所の意)の略。

Blog_sax_zittau26
ヨンスドルフ停留所上方
ツィッタウ山地の裾野を見晴らす
 

ここはオイビーンに比べて施設も少なく、やや寂しげな構内だ。ボヘミアとの接続で駅の移転計画があったことから、簡素な構造にとどめられたのだという。小ぢんまりした駅舎では現在、民宿が運営されていて、上階の部屋の窓から列車の発着が眺められる。駅の宿に荷をほどいて、山懐の保養地をのんびり散策するのもいいかもしれない。

Blog_sax_zittau27
ヨンスドルフ駅のVT137形気動車(2007年)
Photo by Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ムスカウ森林鉄道を訪ねる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ツィッタウ狭軌鉄道 http://www.soeg-zittau.de/
ツィッタウ狭軌鉄道愛好家連盟 Interessenverband der Zittauer Schmalspurbahnen e.V. https://www.zoje.de/

Blog_sax_networkmap

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-プレスニッツタール鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-シェーンハイデ保存鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道

 ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ
 ハルツ狭軌鉄道 II-ブロッケン線
 ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線
 ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線

2021年10月 8日 (金)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

Blog_swiss_heritagerail22
「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27:フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。

Blog_swiss_heritagerail52
HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。

Blog_swiss_heritagerail53
グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30:マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。

Blog_swiss_heritagerail54
オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。

Blog_swiss_heritagerail55
悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。

Blog_swiss_heritagerail56
ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31:ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットに到着した旅行者がまず向かいたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。

Blog_swiss_heritagerail57
リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_swiss_heritagerail51
山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番34:チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。

Blog_swiss_heritagerail58
イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39:シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。

Blog_swiss_heritagerail59
エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。

Blog_swiss_heritagerail60
レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。

Blog_swiss_heritagerail61
モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。

Blog_swiss_heritagerail62
コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40:TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。

Blog_swiss_heritagerail63
トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26:SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。

Blog_swiss_heritagerail64
ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてより貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。続いて2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。以来、優等列車や貨物列車はこれらの新線経由に切り替えられた。その結果、旧線に来るのは1時間ごとの快速列車だけになり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。

Blog_swiss_heritagerail65
ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23:BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。

Blog_swiss_heritagerail66
カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。

Blog_swiss_heritagerail67
ビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。

Blog_swiss_heritagerail68
ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

より以前の記事一覧

2022年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

BLOG PARTS

無料ブログはココログ