南ヨーロッパの鉄道

2025年10月 9日 (木)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に引き続き、イタリアの保存鉄道・観光鉄道から注目路線をピックアップしたい。

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ミラノ市内線19系統を走る1500形(2022年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

路面軌道では、低床の連節車両に主役の座を譲りつつも、旧型トラムの姿がいまだ見られる町が北部にいくつかある。

項番1 トリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina

トリエステ Trieste は北イタリアの東端、アドリア海の湾入に面した港町だ。かつてはトラムが市街地を縦横に走っていたが、1970年までに廃止されてしまい、唯一残っているのがトリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina だ。メーターゲージの路線で、1935~42年製の古参トラムが改修を受けながら今も主役を務めている。

トラムは市内のピアッツァ・オベルダン(オベルダン広場)Piazza Oberdan から、町の背後に迫る斜面を上って、カルスト台地の上にあるヴィッラ・オピチーナ(オピチーナ町)Villa Opicina まで行く。全線5.2kmの中で名物になっているのが、長さ約800m、勾配260‰の鋼索線(ケーブルカー)区間だ。

もとよりトラムがケーブルカーに変身するわけではなく、ケーブルに接続された台車(スピントーレ spintore、すなわち押し車)で後ろから押してもらって坂を上る仕組みだ。トラムと台車は連結されておらず、重力で接触しているだけなので、坂上の終点まで来ると、トラムは再始動して自力で離れていく。

補助を要する急坂はここまでだが、その後も上り勾配はしばらく続き、最後に傍らにオベリスクが立つ地形上のサミットを通過する。標高343mの台地のへりで、トリエステの町と港が一望になる車窓きってのビューポイントだ。

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オベルダン広場の起点駅(2008年)
Photo by Orlovic at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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鋼索線でトラムを押す台車(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ミラノ市電1500形 Tranvia di Milano, Serie 1500

イタリアの都市で19世紀以来、市内の路面軌道が存続してきたのは、開業順にトリノ、ナポリ、ローマ、そしてミラノの4都市だ(下注)。導入こそ最も遅かったが、ATM(ミラノ交通公社 Azienda Trasporti Milanesi)が運行するミラノの軌道網は今や17路線、延長160km近くあり、世界的にも最大級とされる。

*注 トリノが1871年、ナポリが1876年、ローマが1877年、ミラノが1881年で、いずれも馬車軌道から始まった。

ミラノの市内電車で興味深いのは、これだけではない。モダンな連節低床トラムに混じって、昔懐かしいヴィンテージ車両が多数現役で運用されているのだ。1927~30年製の1500形で、初めて供用された1928年にちなんで、イタリア語で28を意味するヴェントット Ventotto の愛称で呼ばれる。

502両製造されたうち、150両ほどが今も稼働可能で、ヨーロッパ最古の定期運行トラムだそうだ(下注)。1970年代からオレンジ1色に塗られていたのでそのイメージが強いが、最近はオリジナル色であるベージュと黄色のツートンに塗り替えが進んでいる。

*注 リスボン市電のレモデラードス(改修車)Remodelados も有名だが、オリジナルは1932年以降の製造。

観光用の特別系統なら後述するトリノなどにもあるが、一般路線、かつ通常の運賃制度の範囲内で乗れるというのは珍しいのではないか。もちろんこれは、財政事情で新旧交代が進まないからではなく、街の景観に溶け込んだシンボル的存在として、積極的に動態保存されてきたのだ。ただし、近年の車両に比べて収容力が小さいので、比較的混んでいない系統(1、5、10、19、33系統)で運用されているという。

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スカラ座前の1500形(2022年)
Photo by dconvertini at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番12 トリノ市電7系統 Tranvia di Torino, Linea 7

北イタリア西部、ピエモンテ州の州都トリノ Torino の路線網は現在88.5kmに達する。運行系統は全部で10あるが、その中に、観光用の7系統 Linea 7 が含まれる。非営利団体のトリノ歴史路面電車協会 Associazione Torinese Tram Storici (ATTS) の協力により、1930~50年代の旧型車両だけで維持されている特別系統だ。週末と祝日に1時間間隔で運行され、市内中心部(チェントロ Centro)を時計回りに一周する6.9kmのルートを走る。

カステッロ広場 Piazza Castello の電停を出発したトラムは、ポー川沿いや並木道のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り Corso Vittorio Emanuele II、中央駅ポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova の前などを経由して、41分で起点に戻ってくる。通常運賃で乗車でき、居ながらにして街を巡れる手軽な観光ツールだ。

時間に余裕があるなら、一般運行の15系統に乗換えて、ポー川の対岸サッシ Sassi へ足を延ばすのもいいだろう。サッシ=スペルガ軌道  Tranvia Sassi-Superga(項番13)のラック電車が、スペルガ宮殿 Basilica di Superga がそびえる見晴らしのいい丘の上まで連れて行ってくれる。

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カステッロ広場の7系統(2006年)
Photo by Aleanz at wikimedia. License: public domain
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サッシ=スペルガ軌道の起点サッシ駅(2014年)
Photo by Incola at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

このほか、ローマ市内でも、古典車両で運行される観光系統「7系統 アルケオトラム Archeotram」の開業が予定されている。走行ルートは既存の軌道で、ピラミデ Piramide 駅前からコロッセオ Colosseo、ポルタ・マッジョーレ Porta Maggiore などの名所を経てテルミニ Termini 駅前で折り返すというものだ。

廃止済みの路線も興味深いものが目白押しなので、リストに含めておいた。もはや乗車することは叶わないが、存続していたら観光鉄道として人気を博していたかもしれない。

項番3 ドロミーティ鉄道 Dolomitenbahn/Ferrovia delle Dolomiti

ドロミーティ鉄道は、来年(2026年)冬期オリンピックが開催される北東部のリゾート地区、コルティーナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo を通っていた950mm軌間の電気鉄道だ。FS線に接続するカラルツォ・ディ・カドーレ Calalzo di Cadore から同じくトーブラッハ/ドッビアーコ Toblach/Dobbiaco まで南北64.9kmを走っていた。

ドロミーティはまた、天にそそり立つ奇峰群の景観でも有名だ。鉄道は谷間から峠に向けてしだいに高度を上げていき、車窓には樹林の間から雄大な山岳パノラマの絶景が広がった。観光路線と目されていたのはもちろん、前回1956年の五輪開催時にはまだ現役だったので、客車が増備され、選手・関係者や観衆の輸送にも奔走したそうだ。

しかし、老朽化に伴い1964年に廃止となり、役割を路線バスに譲った。今は全線が「ドロミーティの長い道 Lunga via delle Dolomiti」と呼ばれる長距離自転車道になっている。

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サン・ヴィート・ディ・カドーレ San Vito di Cadore 付近の
廃線跡自転車道(2023年)
Photo by Giorgio Galeotti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番19 リミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino

同じく950mm軌間の電化路線で、アドリア海岸の町リミニ Rimini と、イタリアの中の独立国(包領 Enclave)サンマリノ San Marino の間31.5kmを結んでいたのが、国鉄リミニ=サンマリノ線だ。終点サンマリノ・チッタ(市駅)San Marino Città は聳え立つ丘の上に位置し、標高は643m。それでもラックレールには頼らず、スパイラル2回とS字ループの繰り返しで最後まで上りきるという、タフな登山路線だった。

1932年に開通したものの、第二次世界大戦で施設が破壊されて運休となり、結局そのまま廃止されてしまう。運行期間わずか12年という薄命の路線だった。その後2012年に保存団体の尽力で、オリジナルの電動車AB03と、終点近くで半回転しているモンターレトンネル Galleria Montale 前後の800m区間が復旧された。現在も年に数日、保存走行が実施されている。

*注 鉄道の詳細は「サンマリノへ行く鉄道」参照。

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復元区間に配置された電車AB03(2015年)
Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番20 スポレート=ノルチャ鉄道 Ferrovia Spoleto-Norcia

スポレート=ノルチャ鉄道は、中央アペニン山脈にあった950mm軌間、51.2kmの電気鉄道だ。ウンブリア州スポレート Spoleto の町から東へ進み、山奥の盆地にあるノルチャ Norcia という町まで走っていた。

とりわけ東隣の谷筋へ抜けるための前半区間が、スペクタクルなルートで有名だった。長さ2kmのサミットトンネルの両側に、計3回のスパイラルと、いろは坂のようなS字ルートが続く。さらに全線にわたって橋梁などの土木構造物も数多く、スイスアルプスの南北幹線になぞらえて「ウンブリアのミニ・ゴッタルド Piccolo Gottardo Umbro」の異名を取った(下注)。

*注 実際は狭軌鉄道なので、ゴッタルドよりもレーティッシュ鉄道のベルニナ線 Berninabahn に似ている。

1968年に廃止されたが、幸い、峠越えを含む前半31km区間がほぼ完全に自転車道に転用整備されたので、自力でなら今でもたどることが可能だ。また、起点のスポレート駅舎は、この狭軌鉄道を記念する博物館になっている。

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狭軌鉄道のノルチャ駅は鉄道博物館に(2022年)
Photo by Simone Pranzetti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 ヴェスヴィオ登山電車 Ferrovia Pugliano-Vesuvio, Funicolare Vesuviana

ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾に臨む標高1281mの火山だ(下注)。知られるとおり、西暦79年の噴火では麓の古代都市ポンペイとヘルクラネウムを壊滅させ、その後も大小の噴火を繰り返してきた。

*注 イタリア語ではヴェズーヴィオ Vesuvio。活動中のため、標高値には変動がある。

一般にヴェスヴィオの登山電車というと、1880年に開業したフニコラーレ・ヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ ケーブルカー) Funicolare Vesuviana のことを指す。火口縁まで上る0.8kmの鋼索線(下注)で、当時作られた軽快な歌曲「フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà」のおかげで世界的に有名になった。

*注 最初はモノレール式の小型車両で運行された(下の写真参照)が、1904年に単線交走式ケーブルカーに改築。

しかし、下部駅は山の中腹、標高753m地点に設けられていたため、そこまでは馬車で行くしかなかった。この駅と、裾野を走っている既設の路面軌道の停留所との間をつないだのが、メーターゲージ、7.7kmの電気鉄道、プリャーノ=ヴェスヴィオ鉄道 Ferrovia Pugliano-Vesuvio だ。1903年に開業したこの路線によってはじめて、ナポリ市内から火口までの鉄道網が完成した(下注)。

*注 1913年にプリャーノ Pugliano 駅まで延伸され、チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ環状)鉄道 Ferrovia Circumvesuviana との接続を果たした。下のルート図はその状況を示している。

山麓から中腹まで680mある高度差を克服するため、電気鉄道の中間部には最急勾配250‰のシュトループ式ラックレールが敷かれていた。実態としてヴェスヴィオ登山電車は、この二者一体で完結する山岳観光ルートだったのだ。

しかし、1944年に起きた激しい噴火活動により、ケーブルカーの施設は破壊され、運行不能となる(下注)。電気鉄道も一部区間で被害を受け、代替道路建設による下部区間の部分運休を経て、1955年に全線廃止となった。

*注 代替として1953年にチェアリフトが設置され、1984年まで稼働していた。

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モノレール式の初代ケーブルカー(1880~1904年)
Photo from Amsterdam Rijksmuseum collection at wikimedia. License: CC0 1.0
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ヴェスヴィオ登山電車ルート図
Image from wikimedia. License: public domain
 

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2025年10月 8日 (水)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

イタリアでは、2017年に観光鉄道 Ferrovia turistica の制度が法制化された(2017年8月9日付第128号)。その目的は、文化・景観・観光的に特に価値のある休廃止または閉鎖された鉄道路線の保護と活用で、対象には路線や駅、関連する土木構造物、付属施設が含まれる。

現在、27の路線(標準軌20、狭軌7)が選定されているが、標準軌路線は大半が国鉄線(下注)だ。一部の路線で、国鉄系のイタリアFS財団 Fondazione FS Italiane が「時を超える線路 Binari senza Tempo」の統一ブランドを掲げて観光列車を運行している。一方、狭軌線には、半島先端のカラブリア州とシチリア島、サルデーニャ島の路線が含まれる。まずはこれらの中から主なものを挙げていこう。

*注 国鉄(FS)線は上下分離政策により、FS の子会社 RFI(イタリア鉄道網公社 Rete Ferroviaria Italiana)がインフラの保有・管理を、グループ会社トレニタリア Trenitalia が列車運行をそれぞれ担っている。

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ピエトラルサ国立鉄道博物館 Museo nazionale ferroviario di Pietrarsa の
展示棟に整列する機関車群(2018年)
Photo by John Smatlak at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

項番18 トスカーナの自然列車(ヴァル・ドルチャ線)Trenonatura in Toscana (Ferrovia della Val d'Orcia)

ヴァル・ドルチャ線(オルチャ渓谷線)は、トスカーナ南部に広がる美しい丘陵地帯の一角、オルチャ渓谷 Val d'Orcia を経由するアシャーノ=モンテ・アンティーコ線 Ferrovia Asciano-Monte Antico の別称だ。

沿線人口が少ないため、1994年に旅客列車が廃止されてしまったが、地元の声を受けて1996年に創設されたのが、観光列車「トレノナトゥーラ(自然列車)Trenonatura」だ。これには、近隣の人気都市シエナ Siena に集まる観光客を、まだ注目されずにいた周辺の地域へ誘い出すねらいがあった。

企画は二種類あり、一つは定期列車や別途3便設定された古典気動車をローバーチケット(一日乗車券)で自由に乗り降りするフリータイプ、もう一つは予約を要する蒸気機関車牽引の特別列車だった。これはマスコミでも報じられて評判を呼び、2000年代に一大ブームを迎えたが、2011年以降は状況が落ち着いて、後者のタイプのみの運行になっている。

今でも週末には、ピストイナ機関庫からやってきた蒸機やディーゼル機関車の先導でツアーが催行される。シエナを朝発って、モンテ・アンティーコ Monte Antico~アシャーノ Asciano 間のいずれかの駅からバスで周辺の見どころを巡り、夕方、シエナに戻るというコースだ(下注)。

*注 シエナまでの復路は、ツアーによって列車ではなくバスになる場合がある。

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トッレニエ-リ Torrenieri 南方にて(2010年)
Photo by maurizio messa at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番23 トランシベリアーナ・ディターリア(イタリアのシベリア横断鉄道)Transiberiana d'Italia

スルモーナ=イゼルニア線 Ferrovia Sulmona-Isernia は、イタリアの背骨アペニン山脈中央部の山中を走る118kmのローカル線だ。同国の標準軌鉄道網では、ブレンナー(ブレンネロ)峠 Brennerpass/Passo del Brennero に次ぐ標高1268mを通過する。冬の間、沿線は雪に覆われ、寒さが厳しいことから、路線は「イタリアのシベリア横断鉄道」の異名をもつ。

ここに観光列車が走り始めたのは2014年のことだ。マイエッラ国立公園 Parco nazionale della Maiella(下注)の区域を通っていくので「公園鉄道 Ferrovia dei Parchi」(下注)の名称がつけられた。現在はシーズンの週末に、ディーゼル機関車と古典客車の編成で運行されている。

*注 スルモナの東にあるマイエッラ山地 Montagna della Maiella を中心とする国立公園。マイエッラ山地の主峰はアペニン山脈第2の高峰、標高2793mのアマーロ山 Monte Amaro。

発地は、ローマとペスカーラ Pescara を結ぶアペニン横断幹線の中間にあるスルモーナ Sulmona だ。列車は一路南へ進み、行く手に立ちはだかるマイエッラ山地の険しい峠を越えていく。路線の終点はイゼルニアだが、そこまでは行かず、途中のいずれかの駅で周辺の観光に出かけ、夕刻にスルモーナへ戻るのが通例だ。

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カロヴィッリ Carovilli 駅付近(2012年)
Photo by Dgandrea05 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番28 シーラ列車 Treno della Sila

イタリア半島の平面形をブーツに例えると、つま先がカラブリア Calabria 州だ。その足の甲のあたり、南に膨らんでいる一帯はシーラ Sila と呼ばれ、標高1000mを越える山地と高原が広がっている。シーラ列車は、その高原地帯を走る狭軌(950mm軌間)の保存観光列車だ。

多聞に漏れずこの路線も、もとはコゼンツァ=サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線 Ferrovia Cosenza-San Giovanni in Fiore、通称シーラ鉄道 Ferrovia Silana という延長67.1kmの狭軌鉄道だった。しかし、人口希薄な地域のため輸送需要が低迷し、1997年以降、定期列車の運行が順次休止されて、観光専用になった。

シーラ列車は2016年から走り始めた。民間の協会組織が運営に携わる貴重な一例だ。シーズン中の毎土曜または日曜に、通常は蒸気機関車が古典客車を牽いている。列車はカミリャテッロ・シラーノ Camigliatello Silano ~サン・ニコーラ=シルヴァーナ・マンショ San Nicola-Silvana Mansio 間、アップダウンの多い10.8kmのルート(下注)を行く。終点は標高1404m、イタリアの鉄道が到達する最高地点になる。

*注 このほかの区間では列車運行がなく、軌道や施設は放置されている。

全線でもゆっくり走って40分ほどだ。それで、途中で山賊の列車襲撃ショーがあったり、バスに乗り換えてシーラ国立公園のスポットを巡るなど、チケットは複数のイベントを組み合わせたツアーとして販売されている。

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1919年ボルジッヒ製タンク蒸機が牽くシーラ列車(2017年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項目32~35 トレニーノ・ヴェルデ Trenino Verde

サルデーニャ島 Sardegna にも950mm軌間の路線群があり、国鉄線から離れた港や内陸の町を結んでいる。しかし、一般運行を取りやめてしまった区間も多く、そうした休止線を観光用に蘇生させる取り組みが、トレニーノ・ヴェルデ(緑の小列車)のツアー企画だ。

運行している ARST(サルデーニャ地方交通 Azienda Regionale Sarda Trasporti)のサイトによれば、2025年現在、小列車が走っているのは5路線、うち以下の4路線が休止線を活用したものだ。

・サッサリ=テンピオ=パラウ線 Ferrovia Sassari–Tempio–Palau、149.9km
・マコメル=ボーザ線 Ferrovia Macomer–Bosa、45.9km
・イジーリ=ソルゴーノ線 Ferrovia Isili–Sorgono、83.1km
・マンダス=アルバタクス線 Ferrovia Mandas–Arbatax、159.4km

総延長は400kmを優に超えるが、たとえ週に1日でも客を乗せた列車を通すには、保線作業が必要になる。そのため、実際に列車が走るのは一部区間に過ぎず、走行距離は各線とも片道40km前後だ。しかも時間的制約あるいは車両運用の関係か、復路は列車の代わりにバスを使うものさえある。

それでも、一般運行が途絶えた路線を列車で旅行できるというのは貴重だ。たとえばマンダス=アルバタクス線のツアーは、東岸アルバタクス Arbatax の港から標高550mの山上の町ラヌゼーイ Lanusei まで、列車で山腹を延々と上っていく。走行距離34.3kmは全線の2割ほどだが、その先に続く、今は通行できない山岳区間の旅がどれほどハードだったのかを想像するのに十分な体験だ。

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マンダス=アルバタクス線ラヌゼーイ駅(2015年)
Photo by Manfred Kopka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

イタリアでは、西ヨーロッパ諸国のように非営利団体が運行に携わる保存鉄道は多くない。しかし、日常輸送にいそしむ一般路線にも観光要素は多分にあり、なかでも狭軌鉄道は個性派ぞろいだ。

項番4 リッテン鉄道(レノン鉄道)Rittner Bahn/Ferrovia del Renon

アルプスの分水界ブレンナー峠から谷間を南下していくと、最初に現れる大きな町がボーツェン/ボルツァーノ Bozen/Bolzano(下注)だ。背後に横たわる標高1200m前後の高原を、メーターゲージ(1000mm軌間)のリッテン鉄道/レノン鉄道の電車が走っている。標準軌の鉄道網から離れた孤立路線で、長さも6.6kmしかない。

*注 もとオーストリア領で、今でもドイツ語話者が多いので、公共表示は両言語併記になっている。

しかし1908年の全通時はそうではなく、距離も2倍ほどあった。というもの、ボーツェン町の中心部から、ボーツェン駅前経由で直通していたからだ。山麓と高原との間の900mを超える高低差は、シュトループ式のラックレールで克服していた。ラック専用の電気機関車が坂下側について、電車を山上まで押し上げていたのだ。

市内で乗り込めば乗換えなしで高原まで行けるのだから、傍目には便利そうだが、地元では時間がかかると不評だった。老朽化が進んで改修が必要になったとき、住民はより高速なロープウェーへの切換えを望んだ。こうして市内軌道と登山区間は1966年に廃止となった。

そのロープウェーが着くオーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano 駅のホームには、シックな赤と銀を装うリッテン鉄道の小型電車が待っている。高原上は夏でも涼しい。風に揺れる牧草地と林を縫って、終点のクローベンシュタイン/コッラルボ  Klobenstein/Collalbo までは20分かからない(下注1)。

*注1 このほかボーツェン方にあるマリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta~オーバーボーツェン間も存続しているが、運行本数は1日5往復。
*注2 鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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オーヴァーボーツェン駅の古典電車2号(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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現在の主役24号電車、ヴォルフスグルーベン Wolfsgruben 駅付近(2021年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番15 ジェノヴァ=カゼッラ鉄道 Ferrovia Genova-Casella

リグリア海に臨む港町ジェノヴァ Genova からも背後に連なる山地に向けて、メーターゲージの電化路線、ジェノヴァ=カゼッラ鉄道が延びている。長さ24.3km、電車の目的地は、アペニン山脈の山中にあるカゼッラ Casella という田舎町だ。

起点ピアッツァ・マニン(マニン広場)Piazza Manin 駅は意外にも、市街地を見下ろす標高93mの丘の上にある。もちろん1929年に開業したときは、すぐ下の同名の広場に路面電車が来ていた。軌間をメーターゲージに決めた理由(下注)も、それと接続する計画があったからだ(下注)。だが夢は叶わず、そのうえ路面電車も消えた今では、客は代わりの路線バスで上ってくるしかない。

*注 イタリアの狭軌鉄道の主流は1000mmではなく、950mm軌間。

この鉄道の面白い点は、ルートが四つの谷(下注)にまたがり、そのため峠越えが3回あることだ。上っていく列車の車窓からは、林や果樹畑ごしにたなびく山並みのパノラマが見え隠れし、あたかも登山鉄道に乗車している気分になる。

*注 水系としては、リグリア海に出るビザーニョ Bisagno とポルチェヴェーラ Polcevera、アドリア海に出るスクリーヴィア Scrivia(ポー川支流)の三つ。

最後の峠が山脈の分水嶺で、その後は坂を下って、開業時の終点カゼッラ・デポジート(カゼッラ車庫)Casella Deposito 駅に達する。駅名のとおりここに車庫があるが、列車はさらにスイッチバックしてスクリーヴィア川を渡る。町の前に置かれたカゼッラ・パエーゼ(カゼッラ村)Casella Paese 駅が現在の終点だ(下注)。

*注 1953年の延伸当初、この区間は路面軌道だったが、1980年に専用線(道端軌道)化された。

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ピアッツァ・マニン駅遠望(2023年)
Photo by Al*from*Lig at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番21 ATAC ローマ=ジャルディネッティ線 Ferrovia Roma-Giardinetti

首都ローマの中央駅テルミニ Termini はイタリア最大の駅で、32番線まである。その壮大な正面口から遠く離れた右先端、郊外線(ラツィオ線 Ferrovie laziali、略称 FL)の出入口に寄り添うのが、ローマ=ジャルディネッティ線の電車が発着するささやかなターミナル、ローマ・ラツィアーリ Roma Laziali(下注)だ。

*注 ラツィアーリ Laziali は、ラツィオ(州)Lazio の、を意味する形容詞。ローマ市はラツィオ州 Regione Lazio の州都でもある。

ローマ市交通局 ATAC が運行するジャルディネッティ線は950mm軌間の電気鉄道で、ローマ近郊に残された唯一の狭軌線だ。もとは州東部で延長137kmにもなる路線網を有していたが、老朽化と利用者減少で末端側から撤退していった。

近年ではメトロC線の延伸工事に伴い、2008年に9.0km地点のジャルディネッティ Giardinetti が終点になったのだが、縮小傾向はこれで収まらない。メトロC線と重複する区間が2015年に廃止となり、鉄道はとうとう根元のローマ・ラツィアーリ~チェントチェッレ Centocelle 間 6.0kmだけになってしまった。

とはいえこの区間には、古代ローマの遺跡マッジョーレ門 Porta Maggiore を通り抜けたり、狭い敷地で上下線がガントレットになるなど、見どころが点在する。路面電車のような小型の外見とあいまって、今なお愛好家の好奇心をくすぐり続けている。

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マッジョーレ門をくぐり抜ける(2023年)
Photo by Robot8A at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 エトナ環状鉄道 Ferrovia Circumetnea

シチリア島東部にあるエトナ山 Etna は、ヨーロッパ最大級の活火山だ。標高3403m(下注)、裾野は半径20~40kmに及ぶ。火口から20km圏には集落が点在していて、エトナ環状鉄道(チルクメトナ)は、それらをつなぐように建設された。

*注 噴火等によって標高値には変動がある。

950mm軌間の非電化鉄道は、1895~98年に開通している。カターニャ・ポルト(港)Catania Porto を起点に、エトナ山を時計回りに半周して、再び沿岸のリポスト Riposto まで113.5kmの長大路線だった。裾野と一口に言っても、西側の鞍部では標高976mまで上らなくてはならず、延々と坂が続く区間が少なからずある(下注)。

*注 貨物輸送のために、最急勾配は36‰に抑えられている。

列車は、エトナ山を絶えず仰角に捉えながら、灌木林とオリーブ畑の間を進んでいく。開通以来、噴火に伴う溶岩流で四度も長期運休に見舞われたが、その都度たくましく復活してきた。ところが、根元のカターニャ市内で新たにメトロが開業すると、ルートが重複する区間で撤収が始まる。

メトロは現在、内陸のパテルノ Paternò に向けて延伸工事中だ。郊外では環状鉄道の線路敷を転用することになっていて、工事に先立ち該当区間が廃止された。そのため、列車は現在、パテルノから先の90.9kmで運行されている。とはいえ、人口の多いエリアをメトロに明け渡してしまったので、途中ランダッツォ Randazzo まで6往復、その先リポストへは3往復しかない閑散線だ。

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ジャッレ Giarre 駅を後にする気動車(2021年)
Photo by Trainspictures at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の幹線からも、一つ。

項番16 チンクエ・テッレ急行 Cinque Terre Express

リグリア海に臨むぶどう畑の急斜面と、色彩豊かな集落の印象的な風景で知られる観光地チンクエ・テッレ Cinque Terre(下注)。名のとおり海岸に並ぶ五つの村々を巡る列車がチンクエ・テッレ急行だ。FS線の主たる列車運行事業者であるトレニタリア Trenitalia が運行している。

*注 チンクエ・テッレは五つの土地を意味する。

エクスプレスと名乗っているものの、実態は普通列車で、レヴァント Levanto~ラ・スペツィア中央駅 La Spezia Centrale 間20kmにある各駅、モンテロッソ Monterosso、ヴェルナッツァ Vernazza、コルニーリャ Corniglia、マナローラ Manarola、リオマッジョーレ Riomaggiore に順に停車していく。

これらの村々が立地するのは、もし鉄道が通らなかったら陸の孤島になっていたような場所だ。そのため旅客需要が大きく、列車はこの間を30分間隔でシャトル運行している。駅はトンネルに挟まれた狭隘な敷地でホーム長が短いため、ダブルデッカー(2階建)客車が使用される。5駅のいずれかで乗降すると加算運賃が適用されるのも特殊な扱いだ。

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コルニーリャ Corniglia 駅に入るダブルデッカー(2008年)
Photo by Diesirae at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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狭い敷地のヴェルナッツァ Vernazza 駅(2021年)
Photo by Lewin Bormann at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

 続きは次回に。

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2023年12月29日 (金)

ポルトガルの保存鉄道・観光鉄道リスト

イベリア半島の一角に位置するポルトガルには、隣国スペインと共通の広軌1668mm(イベリア軌間)の路線網があるが、独立して活動する保存鉄道は存在しないようだ。その代わり、この国は路面電車、通称エレークトリコ Eléctrico がおもしろい。首都リスボン Lisbon 市内とその郊外、そして北部にある第二の都市ポルト Porto でも、古風なボギー単車が今も健在だ。まずはそれから見て行こう。

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リスボンの「レモデラード」トラム
サン・ヴィセンテ通り Calçada de São Vicente にて(2023年)
Photo by Industrial Wales at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ポルトガル」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_portugal.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ポルトガル」画面
 

項番7 リスボン路面軌道 Elétricos de Lisboa

カリス Carris 社(下注)が運行する軌間900mmの路面軌道は、イベリア軌間のCP(ポルトガル鉄道、旧国鉄)、標準軌のメトロ(地下鉄)とともに、リスボンの軌道系交通機関の一翼を担っている。

*注 正式名はリスボン鉄道会社 Companhia Carris de Ferro de Lisboa で、リスボンの路面軌道、ケーブルカー、市内バスを運行する市有企業。

現在の路線網は延長31kmで、6つの運行系統をもつ。中でも人気が高いのが、中心部のマルティン・モニス広場 Praça Martim Moniz から西部のカンポ・デ・オウリケ Campo de Ourique へ行く28E系統だ。ルート前半には城塞、大聖堂、テージョ川 Rio Tejo を見晴らす展望台など名所が集中する。そのため車内は満員御礼、乗り場に待ち行列ができている。

軌道自体も目が離せない。車幅すれすれの狭い街路、レールをきしませて曲がる急カーブ、のけぞりそうな急坂と、過酷な関門が次々と現れる。グラーサ Graça からアルファマ Alfama にかけて続くこうしたハイライト区間(下注)を、撮り鉄しながら徒歩でたどるのも一興だ。

*注 ただし、粘着式鉄道の最急勾配とされる138‰の坂があるのは、バイシャ Baixa 地区のサン・フランシスコ通り Calçada de São Francisco。

リスボンで現代的な連節車が見られるのは、テージョ川沿いをベレーン Belém 方面へ進む15E系統のみ。他の系統はすべて「レモデラード Remodelado(下注)」など、小回りの利く旧型ボギー単車の独擅場になっている。歴史地区の陰りを帯びた景観に走行シーンはよくなじみ、訪れる観光客を常に魅了してやまない。

*注 レモデラードは改修車の意。車体こそ古めかしいが、搭載機器は1990年代に全面更新されている。

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アルファマの街路を縫うリスボンの観光トラム(2016年)
Photo by Julian Walker at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
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15E系統のジーメンス/CAF製連節車
ジェローニモス修道院 Mosteiro dos Jerónimos 前にて(2017年)
Photo by xiquinhosilva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番6 シントラ路面軌道 Elétricos de Sintra

リスボン中心部の北西約20kmに位置するシントラ Sintra でも、市営の古典トラムがシーズン運行している。こちらはメーターゲージ(1000mm軌間)の単線で、走っているのは1904年の開業時からの在籍車両や、改軌された元リスボン車だ。リゾートエリアらしく、オープンタイプも混じる。

かつては国鉄(現 CP)シントラ駅前まで通じていた(下注)が、現在の起点は、駅から約700m離れた市街北端のエステファニア Estefânia。ルートはここから、大西洋に面したプライア・ダス・マサンス Praia das Maçãs(リンゴ海岸の意)に至る11.0kmで、大半がいわゆる道端軌道だ。路上の併用区間はほとんどない。

*注 シントラ駅~エステファニア間は1955年廃止。

シントラは、山上に建つカラフルなペーナ宮殿 Palácio da Pena などで知られた世界遺産の町だ。市街地は山地の中腹にあり、エステファニアの標高は200m。そのため走り始めてしばらくは、ヘアピンカーブを介した平均勾配37‰の下り坂が続く。降りきった後は並木道と鄙びた村里を悠然と走り抜け、終点は大西洋に臨んで陽光あふれるビーチの前だ。片道45分を要し、案外乗り応えがある。

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道端軌道を行くシントラのトラム(2010年)
Photo by Alain GAVILLET at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番2 ポルト路面軌道 Elétricos do Porto

ポルトのトラム路線は現在3系統。リスボンと同じように戦前製の古典車両が主役を演じるが、観光運行に特化されているところが異なる点だ。「ポルトトラムシティーツアー Porto Tram City Tour」という名称で一括され、乗車券も市内交通とは別建てになっている。市民の足はメトロ(LRT)や路線バスで確保され、トラムは市外から来る観光客向けという位置づけのようだ。

ルート構成を見ると、22系統がリスボンの28Eに相当する。急坂が多い旧市街 Centro Histórico の環状ルートで、町の中心の広場や賑やかな商店街を通過し、壁面のアズレージョ(装飾タイル)が映えるサント・イルデフォンソ教会 Igreja de Santo Ildefonso やクレーリゴスの塔  Torre dos Clérigos といった名所の前に停まる。

一方、ドウロ川沿いに足を延ばす1系統は、リスボンの15Eを思わせる。エンリケ航海王子の生家があるインファンテ Infante を出発し、川岸の古い町並みをかすめたりしながら、河口近くのパッセイオ・アレグレ Passeio Alegre まで行く。時間が許すなら途中下車して、旧車を保存しているトラム博物館 Museu do Carro Eléctrico にも立ち寄ってみたい。

*注 詳細は「ポルトの古典トラム I-概要」「同 II-ルートを追って」参照。

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カルモ電停で2本の系統が接続(2018年)
Photo by Bene Riobó at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 ドウロ線 Linha do Douro
項番4 ドウロ歴史列車 Comboio Histórico do Douro

ポルト市街の前を流れるドウロ川 Rio Douro(下注)は、遠くスペインの内陸部から約900kmを流れ下ってくるイベリア半島第3の大河だ。ポルトガル領内は水量豊かな渓谷が続き、名産ポートワインの原料となるブドウの段々畑が広がっている。

*注 スペイン語ではリオ・ドゥエロ(ドゥエロ川)Río Duero。

CPのドウロ線は、この川べりを遡る非電化、イベリア軌間の路線だ。かつては国境を越えてスペインにつながっていたが、現在の運行区間は、北部本線との分岐点エルメジンデ Ermesinde からポシーニョ Pocinho までの163km。ただし、列車はポルト市内のサン・ベント S. Bento またはカンパニャン Campanhã 駅から直通している。

国内きっての美しい車窓風景を誇る路線(下注1)なので、全線通しで走る列車は「ミラドウロ MiraDouro」(下注2)と命名され、観光仕様の客車で運行される。しかし、距離があるだけに、片道でも約3時間30分の長旅だ。

*注1 なお、行程の前半はドウロ川から離れた北の山中を走るため、川景色は見えない。
*注2 展望台の意味をもつ普通名詞ミラドウロ miradouro に、川の名を掛けている。

より手ごろなのは、路線の中間部にあるワインの集積地レーグア Régua からトゥア Tua の間で、1925年製の蒸気機関車が牽いている観光列車「ドウロ歴史列車 Comboio Histórico do Douro」だろう。こちらはシーズン運行で往復3時間。ドウロ川を行くクルーズ船と組み合わせたツアーも発売されている。

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ヴェンダ・ダス・カルダス橋梁 Ponte da Venda das Caldas
(2017年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
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ブドウ畑を背に川べりを行くドウロ歴史列車(2019年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番5 ヴォウガ線 Linha do Vouga

イベリア軌間の幹線網を補完するメーターゲージのローカル線は、かつて国内各地で見られた。だが今や稼働しているのは、ポルト近郊のエスピーニョ Espinho から内陸のセルナーダ・ド・ヴォウガ Sernada do Vouga を経てアヴェイロ Aveiro に至るヴォウガ線 Linha do Vouga だけだ(下注)。

*注 ヴォウガ線は本来、セルナーダ・ド・ヴォウガから東の山中にあるヴィゼウ Viseu に至る路線であり、セルナーダ・ド・ヴォウガ~アヴェイロ間は支線。しかし前者(本線)の廃止により、支線には見えなくなっている。

しかしここも先行き安泰とは言えない。起伏の多い丘陵地帯を縦断していくため、蛇行谷線 Linha do Vale das Voltas のあだ名をもらうほど不利な線形だ。列車の速度は上がらず、クルマ社会の隅に埋没している。

もとの起点は北部本線のエスピーニョ駅だったが、同駅の地下化に伴い、次のエスピーニョ・ヴォウガ Espinho-Vouga 駅までの間700mが徒歩連絡になった。中間部のオリヴェイラ・デ・アゼメーイス Oliveira de Azeméis~セルナーダ・ド・ヴォウガ Sernada do Vouga 間28.9kmもすでに旅客列車は走らず、1日2便のタクシー代行だ。結果、列車に乗れるのは両端の計69.8kmに縮小されてしまった。

セルナーダ・ド・ヴォウガは小さな村の最寄り駅に過ぎないが、車両修理工場があるため、ヴォウガ線の運行にとっては重要だ。前述のタクシー代行区間でも、この工場への回送列車だけは通っている。また、駅の南側でヴォウガ川を渡っている道路併用橋にも注目したい。

一つアヴェイロ寄りのマシニャータ Macinhata 駅では、旧車庫がミュージアムセンター Núcleo Museológico として活用されている。国立鉄道博物館 Museu Nacional Ferroviário の分館という位置づけで、国内で唯一、狭軌車両を保存展示している貴重な施設だ。

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ヴォウガ線のクリスマス特別列車
セルナーダ・ド・ヴォウガ駅にて(2019年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

最後はケーブルカーについて。

項番1 ボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus

北部の都市ブラガ Braga で、世界遺産に登録されたボン・ジェズス・ド・モンテ聖域 Santuário do Bom Jesus do Monte の丘に上っていくケーブルカーがある。ポルトガルで数々の工学的業績を残した技師ラウル・メニエ・デュ・ポンサール Raul Mesnier du Ponsard(下注)の記念すべき初期作品だ。

*注 フランス系ポルトガル人なので、姓はフランス語読みで記した。

長さは274m、高低差116m、勾配420‰。開業は1882年で、イベリア半島で最初のケーブルカーだった。それだけでなく、今なおウォーターバラスト(水の重り)方式の運行を維持していて、現存するものでは世界最古とされる。CPブラガ駅からは5km離れていて、2番バスで約30分。

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19世紀の装置を保存するボン・ジェズス・ケーブルカー(2013年)
Photo by Otto Domes at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 リスボンのケーブルカー Elevadores em Lisboa

ボン・ジェズスの成功によって、リスボンでも急坂の多い市内に次々とケーブルカーが設置されていった。サンフランシスコのような循環式ケーブルカー(下注)は、後にトラムに転換されてしまったが、交走式ケーブルカーは今も3本が現役で、トラムと同様、カリス社が運営する。軌間もトラムと同じ900mmで、開業当初はウォーターバランス方式だったが、蒸気運転を経て1910年代に電気式に転換されている。

*注 循環式は、路面の下を循環しているケーブルを、車両側の装置でつかむことにより走行する方式。停止するときはケーブルを離してブレーキをかける。交走式は、上部の滑車を介してケーブルでつながっている2台の車両(または1台と重り)が、つるべのように交互に上下する方式。

ビカ・ケーブルカー Elevador da Bica/Ascensor da Bica(下注)は、ミゼリコールディア Misericórdia 地区で、サン・パウロ通り Rua de São Paulo とカリャリス広場 Largo Calhariz を結んでいる。1892年の開通で、長さ283mと3路線では最も長く、高低差は45m。複線交走式だが、狭い路地に設けられた併用軌道のため、中間部以外は2本の線路が近接して、ケーブルが通る溝とともに、あたかも6線軌条のように見える。下部駅は建物の中にあるが、上部駅は街路上で屋根もない。

*注 原語の Elevador(エレヴァドール)、Ascensor(アセンソール)は、日本でいうケーブルカー(斜行昇降)にもエレベーター(垂直昇降)にも用いられる。

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中間地点ですれ違う車両(2010年)
Photo by Pedro J Pacheco at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

グローリア・ケーブルカー Elevador da Glória/Ascensor da Glória は、バイシャ Baixa 地区のレスタウラドーレス広場 Praça dos Restauradores と、展望台のあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ庭園 Jardim de São Pedro de Alcântara を結ぶ。旧中央駅であるCPロッシオ Rossio 駅周辺の人通りが多いエリアを行き来するので、混雑度は3線で最も高い。

1885年の開通で、路線の長さは265m、高低差44m。こちらも複線交走式、街路上の併用軌道だが、下半部では2本の線路がガントレット(単複線)化されている。客室は全床フラットのため、出入口は地面とのギャップが小さい上部側にしかないのが特徴だ。

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サン・ペドロ・デ・アルカンタラ通りに面した乗り場(2016年)
Photo by swissbert at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ラヴラ・ケーブルカー Elevador da Lavra/Ascensor da Lavra は、カマラ・ペスターナ通り Rua Câmara Pestana とアヌンシアーダ広場 Largo da Anunciada を結んでいる。長さ188m、高低差42mで、他の2本に比べると目立たないが、交走式としてはリスボンで最初の1884年に開業している。車両はグローリア・ケーブルカーと同じ全床フラット型だ。複線交走式で、下半部がガントレット式の併用軌道という点も共通だが、上部駅にはささやかながら屋根の架かったホームがあり、乗り場の体裁が整っている。

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ベンチシートのある車内(2015年)
Photo by Aidexxx at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このほか、メニエ・デュ・ポンサールの設計で1902年に供用を開始したサンタ・ジュスタのリフト Elevador de Santa Justa も、その特異で装飾的な外観から観光スポットとして名高い。原語では同じ "Elevador" だが、下の写真のとおり、垂直に上るエレベーターだ。これらはみな2002年以来、国の登録文化財になっているが、ケーブルカーの車両にはトラムのような車庫がなく、現場に置かれたままなので、しばしば落書き(グラフィティ)の被害に見舞われるのが悲しい。

なお現在、4番目となるケーブルカー(下注)の建設が、グラーサ Graça 地区の、ラガレス通り Rua dos Lagares~グラーサ広場 Largo da Graça 間で行われている。長さは約80mで、カリス社の運営となる予定だ。

*注 グラーサ・ケーブルカー Elevador da Graça は2024年3月12日に開業した。カリス社の撤退で、運営はEMEL社に委託されている。(追記 2024年4月15日)

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サンタ・ジュスタのリフト(2020年)
Photo by Ray Swi-hymn at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

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2023年10月13日 (金)

グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車

セルカニアス・マドリードC-9号線 Línea C-9, Cercanías Madrid
(旧称 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama)

セルセディリャ Cercedilla~コトス Cotos 間18.2km
軌間1000mm、直流1500V電化、最急勾配70‰
1923~64年開通

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プエルト・デ・ナバセラダ駅にさしかかる442形電車

スペインの首都マドリード Madrid の北西に、長々と横たわるグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama。標高2000m級の山並みの中心部に向けて、メーターゲージの電車が上っていく。ラックレールは使わないものの、麓の町から峠の上まで670mの高度差を、最大70‰の急勾配で克服するという、れっきとした登山電車だ。

標題にしたグアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama (FEG) というのは、1923年の開業当時の会社名で、戦後の国有化を経て、セルカニアス・マドリード(マドリード近郊線)Cercanías Madrid の C-9号線に組み込まれた。しかし、無味乾燥な記号や数字では具体的なイメージが湧かないのか、地名を冠したコトス鉄道 Ferrocarril de Cotos、セルセディリャ=コトス鉄道 Ferrocarril Cercedilla - Cotosという別名も残っている。

今回は、マドリード郊外の山中を走るこの登山電車を訪ねてみよう。

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セルセディリャ駅の狭軌線ホーム

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路線は全長18.17km。スペイン各地に見られるメーターゲージ(1000mm軌間)、1500V直流電化の狭軌路線(下注)だが、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central では、もはやここにしかない。

*注 ちなみにスペインの在来線網は、広軌1668mm(イベリア軌間 Iberian gauge)、3000V直流電化。高速線網は標準軌1435mm、25000V 50Hz 交流電化。

起点は、旧国鉄ビリャルバ=セゴビア線 Línea Villalba - Segovia の途中駅、セルセディリャ Cercedilla だ。マドリード市内からセルセディリャまでは、セルカニアス C-8号線のルートになっている。登山電車C-9号線は、ここからプエルト・デ・ナバセラダ Puerto de Navacerrada を経て、コトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)が終点だ。

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グアダラマ電気鉄道の位置
 

ロス・コトスの名には見覚えがある。堀淳一氏の著書『ヨーロッパ軽鉄道の詩』(スキージャーナル社、1979年)に、「ロス・コトス峠へ登る赤い国電」のタイトルで紹介されていたからだ。

マドリードの大学で知り合った研究者に、スペインに来たからには織物博物館かトレドの町へ行くべきだと強く勧められたのを断って、堀氏はひとりでロス・コトス線へ出かける。「あの電車、今でもあるのかなあ」と呆れられ、ターミナル駅チャマルティン Chamartín の案内所で行き方を聞いても要領を得ないくらいマイナーな路線だった。

一抹の不安を抱えたまま乗り込んだセゴビア Segovia 行きの列車が、いよいよ接続駅のセルセディリャ構内にさしかかると、別の電車が停まっているのが見えた。

「本線のホームと金網でへだてられた山側のホームに、屋根が銀色、車体がまばゆいほど鮮やかなカーマイン、出入口の扉と貫通扉が冴えざえとしたセルリアンブルーという、おもちゃのように派手な原色の組み合わせで塗られた小さな電車が待っているではないか! とたんに不安は吹き飛んで、私の心は躍った。登山電車はちゃんと生きていたのだ」(同書p.87)

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堀氏の心を捉えた車両は、掲載写真によれば、1934年CAF製の100形(のちの RENFE 431形)3両編成だ。開業時に就役したスイス、ブラウン・ボヴェリ/SWS製の2両編成と同じ仕様で国内製造されたもので、スイス由来のカーマイン色(洋紅色)をまとっていた。

セルセディリャ駅の雰囲気は今もさして変わっていない。本線は、大きくカーブしたプラットホームをもつ通過式2面3線の構造だ。その山側にメーターゲージの頭端式ホームが並行する。こちらは2面2線で、1本の線路を両側から挟む形だ。本線と共有している(ように見える)南側のホームは、狭軌線としては通常使われない。

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セルセディリャ駅構内、左が本線、右が登山電車線
マドリード方から撮影
 

一方、電車はすでに世代交代した。現在運用されているのは、1976~82年スペインMTM社製の RENFE 442形だ。白地に、側面は赤と紫の細帯、前面上部が赤塗りというわりあい淡泊なテイストの塗装をまとって、きょうも始発駅で乗換客を待っているはずだ。

なお、引退した旧100形電動車のうち1両が、セルセディリャ駅狭軌3番線の奥に留置されている。「自然列車 Tren de la Naturaleza」と呼ばれる子供向けの企画で、ビデオを上映する視聴覚室として使われているという。これ以外の同形式車は、残念ながらすべてスクラップになってしまった。

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RENFE 442形
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唯一保存されている旧車100形(RENFE 431形)

歴史をたどると、この地に電気鉄道が建設された目的は、グアダラマ山脈の新たな観光開発だ。現在中間駅になっているプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠の意)が初期の目的地とされていた。そこには、首都と、山脈の北麓にある王家の夏の離宮ラ・グランハ・デ・サン・イルデフォンソ La Granja de San Ildefonso やセゴビアの町とを結ぶ街道が通っていて、マドリード市民にもなじみのある場所だった。

麓からのルート案は複数あったが、最終的に、最短距離となるセルセディリャ駅が起点に選ばれた。建設工事は、雪のない季節に集中して実施しなければならず、約4年を要した。開業は1923年夏(下注)で、2両編成のスイス製100形電車を使って運行が始まった。アクセスが格段に良くなったことで、終点の峠周辺は冬のスキー、夏のハイキングや避暑の適地として人気を博したという。

*注 1923年7月12日に開通式、1923年8月11日に一般運行開始。

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グアダラマ山脈、中央はシエテ・ピコス
セルセディリャに向かう車中から撮影
 

第二次世界大戦後の1954年に鉄道は国有化され、RENFE(スペイン国鉄)の一路線となった。それを機に、路線の延伸計画が具体化する。新たな目的地は、国鉄マドリード=ブルゴス線 Línea Madrid - Burgos(下注)が通るガルガンティリャ・デ・ロソヤ Gargantilla de Lozoya だった。山脈を乗り越え、ロソヤ谷を下っていくルートが想定されていた。

*注 長さ3895mのソモシエラトンネル Túnel de Somosierra で山脈を横断していた旧路線。同トンネルの落盤で不通となり、現在、旅客列車はマドリード~コルメナル・ビエホ Colmenar Viejo 間の近郊区間のみの運行。

第1期工事として、プエルト・デ・ナバセラダからコトスの間7.07kmが1959年に着工され、1964年10月30日に完成を見た。こうして、現行区間であるセルセディリャ~コトス間が全通した。

コトスも峠だが、山岳スポーツの拠点というだけで周辺に集落があるわけではない。その先も過疎地ばかりで輸送需要が見通せないため、コトス~ガルガンティリャ間の第2期工事は保留となり、最終的に着工されなかった。後述するように、コトス駅の先にある峠のトンネルの西口が、計画の唯一の証人だ。

6月のある日、マドリード・チャマルティン駅から、この登山電車に乗りに出かけた。堀氏が来た時代はターミナル駅でも乗車券を通しで売っておらず、現地で別途買うしかなかったようだが、今はセルカニアス内の駅の有人窓口や特定の券売機で、コトスまでの購入が可能だ。しかし購入時に、行先だけではなく、乗車日と列車(の発車時刻)を往復とも指定しなければならない。登山電車は予約制なのだ(下注)。

*注 乗車する列車を指定するだけで、座席は自由。

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マドリードの鉄道ターミナルの一つ、チャマルティン駅
 

セルカニアスの運賃ゾーンの中で、C-9号線はソーナ・ベルデ Zona Verde(緑ゾーンの意)と呼ばれる特別区域に分類されている。運賃は、セルカニアスのどのゾーンからでも片道8.70ユーロ、往復17.40ユーロの固定額だ(下注)。

*注 ICカードを新規発行する場合は、これに0.50ユーロが加算される。

券売機で決済すると、ICチップの入った紙カードとレシートが出てきた。紙カードはセルカニアス線内の自動改札で使う通常のICチケットだが、後者も単なる領収書ではなく、指定した乗車日・列車が記載されているから、なくしてはいけない。

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ICカード(右)と乗車日・列車が記されたレシート
 

セルセディリャ行きの本線(C-8号線)電車に乗り込む(下注)。朝の郊外方面なので車内はすいていて、乗客のいる座席はざっと3割だ。8時15分発のところ、9分遅れで発車。沿線は緑の多い丘陵地で、駅の周りだけ市街地が広がっている。

*注 C-8号線はセルセディリャが終点。その先セゴビア方面へは中距離線 Media Distancia の列車がカバーするが、高速線と重複するためか、現在1日2往復まで減便されている。

ビリャルバ Villalba で北部本線(マドリード=イルン線)から分かれると、右に左にカーブが連続し、山裾を上っていることを実感させる。左車窓で空を限っているのがグアダラマ山脈の稜線で、マドリード州とカスティリャ・イ・レオン Castilla y León 州の境界になる(上の写真参照)。

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(左)C-8号線の列車が到着
(右)車内は3割の着席率
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(左)ビリャルバ駅
(右)駅を出ると北部本線から分岐
 

セルセディリャ駅には定刻より16分遅れて、9時37分に到着した。標高は1150mを超え、空気に高原の気配が漂う。すでにコトス行の発車時刻を過ぎているが、登山電車はまだホームにいるし、何より通路がバリアリールで閉じられている。

ダイヤは平日休日の区別なく、1日5往復だ。9時35分の始発から2時間おきに発車し、最終は17時35分発になる。観光輸送が主体なので、動き出すのは遅く、店じまいも早い。

10人ほどの乗換客とともに待っていると、ほどなく車掌らしき人がバリアを開けて、改札を始めた。ICカードではなく、あのレシートで日付と列車をチェックするのだ。他の客もそれらしい紙の切符を提示している。これらを所持していない客は後回しにされていた。

右側1番線に縦列に停まっている編成の前側2両が、これから山に上る電車だ。車内は赤いビニールレザーのクロスシートが並んでいた。あいにくどの窓も曇り気味で、外の景色が見えにくい。

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登山電車ホームの通路が開くのを待つ
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(左)登山電車に乗り込む
(右)クロスシートが並ぶ車内
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登山電車(C-9号線)時刻表
 

朝日の眩しい駅を、電車は定刻から6分遅れて9時41分に発車した。マドリード方向に出ていくが、本線と並行しつつも上り勾配になり、みるみる高度差が開いていく。

左に大きくカーブした後は、セルセディリャの市街地をくねくねと上る区間が続いた。モーターの唸りが高まり、線路際の宅地を載せる擁壁の角度で勾配のきつさが知れる。このあたりは、最も急な70‰の勾配が続いているはずだ。最初の踏切を過ぎると、左側に2車線道路が沿い始めた。市街地自体が急斜面に立地しているので、右側は家々の屋根越しに山麓ののびやかな風景が開ける。

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(左)本線と並行しつつ上り坂に(後方を撮影)
(右)セルセディリャ市街では道路と並走
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セルセディリャ~プエルト・デ・ナバセラダ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

まもなく狭いホームを通過した。駅名標によれば、セルセディリャ・プエブロ Cercedilla Pueblo 停留所だ。プエブロは(小さな)町という意味で、名のとおり町の中心部の近くだが、今は使われていない。登山鉄道には起終点を含めて3つの駅と6つの停留所があったが、2011年以来、停留所はすべて休止 Fuera de servicio となっている。電車はプエルト・デ・ナバセラダまでノンストップだ。

山手に建つ邸はどれも構えが立派だが、次のラス・エラス Las Heras 停留所で、町は終わりだ。雑木が視界を覆うようになり、見上げる位置に山並みが近づいてきた。

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(左)セルセディリャ・プエブロ停留所を通過(後方を撮影)
(右)屋根越しに山麓の風景が
 

退避線をめくった跡が残るカモリトス Camorritos 停留所を通過。別荘地の最寄り駅だが、待合所の白い漆喰壁は、みじめにも落書きのキャンバスにされている。ずっと左側に付き添ってきた2車線道もここまでで、この先は線路だけがひと気のない山腹をたどっていく。高度が上がってきたと見え、周囲はいつしか松林に置き換わった。

大きな右カーブの後、右手にシエテ・ピコス Siete Picos 停留所のホームと駅舎の残骸が流れ去る。ここの待避線も撤去済みだ。七つの峰を意味するシエテ・ピコスは、グアダラマ山脈の中央部を占める高峰で、南斜面に露出している花崗岩の岩壁が、遠方からもよく識別できる(下注)。

*注 復路では、シエテ・ピコス停留所の手前で、前方にこの峰が見える。

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(左)落書きだらけのカモリトス停留所、待避線をめくった跡がある
(右)シエテ・ピコス停留所(後方を撮影)
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シエテ・ピコスの七つの岩峰を仰ぐ
 

線路はその支尾根を急カーブで回り込んで、コリャド・アルボ Collado Albo 停留所を通過した。木々に覆われて眺望がきかない中、停留所の前後では、右手に深い谷を隔てて、ホルコン岩 Peña Horcón とそれに連なる尾根が覗く。ようやく登山鉄道らしい雰囲気になってきた。

急に建物が見えて、電車は標高1765mの中間駅プエルト・デ・ナバセラダ(下注)構内に進入していった。3つのアーチがロッジアを支える大屋根アルペンスタイルの駅舎が旅行者を迎えてくれる。ここで3人が下車した。

復路で降りてみたが、駅舎の中は、背中合わせの木製ベンチがあるだけの、がらんとした吹き抜け空間だった。金属板で塞がれた暖炉があるので、かつては山小屋のような居心地のいい休憩所だったのかもしれないが。

*注 プエルト puerto には港の意味もあるが、ここでは峠 puerto de montaña のこと。

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プエルト・デ・ナバセラダ駅
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(左)がらんとした駅舎内部
(右)ホームに面したロッジア
 

駅前から急な坂道をものの10分も上れば、標高1858mのナバセラダ峠に出る。グアダラマ山脈の尾根筋にある鞍部の一つで、冒頭に記したようにマドリードとセゴビアを結ぶ主要街道601号線の経由地だ。山麓まで見通しがきき、クルマもよく通る。峠から西へはシエテ・ピコスへ向かう登山道が延び、東側、ボラ・デル・ムンド Bola del Mundo の斜面にはスキーのゲレンデが広がっている。

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ナバセラダ峠からの眺望
右隅に駅が見える
 

10時06分に駅を出発した電車は、すぐに峠下にうがたれたトンネルに入った。長さ671m、路線唯一のトンネルによって、線路は尾根の反対側、カスティリャ・イ・レオン州に移る。第二次世界大戦後に開通した後半区間は、高度を保ちながら山襞をなぞるように進む。上り勾配とはいえ、前半に比べればごく緩やかだ。電車の速度も少し上がった気がする。

しかし、こちらも松林が延々と続き、車窓からの眺望はほとんど得られない。カーブを繰り返しながら、ドス・カスティリャス Dos Castillas、バケリサス Vaquerizas と停留所を通過していく。コロナ感染症の流行で長期運休している間に更新工事が行われたので、軌道には新しいバラストが敷かれている。

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(左)峠下のトンネル
(右)松林が延々と続く
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プエルト・デ・ナバセラダ~コトス間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

速度が落ちたと思ったら、もう終点のコトスだった。5分遅れで10時21分に到着。数人の客が降りたが、皆、山を歩く恰好をしている。標高1819mの駅は2面3線の構造だが、実際に使われているのは駅舎寄りの片面ホームだけだ。時刻表どおりなら、電車はここで27分停車して折り返す。

2階建ての大きな駅舎が建っている。内部は美しく保たれているが、ナバセラダ駅と同じようにがらんとした空間だ。付属棟にカフェテリアと書いてあるので入ってみるも、きょうは営業していないようだった。駅前からは、広い車道が上っている。ものの200mも行けば、地方道が通過するコトス峠だ。標高1829mのこの峠も山脈の尾根筋で、向こう側はマドリード州になる。

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終点コトス駅
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(左)使われているホームは1本のみ
(右)駅舎内部
 

コトスとは、雪が積もっても道筋がわかるように立てる小さな石柱のことだそうだ。冬場、雪に覆われるこの峠では大切な目印で、そこから定冠詞を付けたロス・コトスという地名が定着した。コトス峠の上はあっけらかんとした場所で、目につくのはレストランの大きな建物と、広い駐車場だけだ。道端で、平日3便しかないマドリード直行の路線バスが時間待ちをしていた。

一方、駅構内の線路は、先端で1本にまとまり、この峠の下にもぐっていく。これこそ第2期延伸計画のために用意されたトンネルだ。車庫として使われているらしいが、入口は落書きだらけの板戸で閉じられ、中の様子はわからない。計画がついえたため、トンネルは未完成で、貫通していない。反対側には、柵で仕切られた線路用地とおぼしき斜面が、道路沿いにむなしく続いているばかりだ。

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(左)駅構内から峠下へ続く線路
(右)板戸で閉じられた峠下のトンネル
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

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 バスク鉄道博物館の蒸気列車

2023年9月21日 (木)

バスク鉄道博物館の蒸気列車

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博物館になった旧アスペイティア駅と保存蒸機
 

カンタブリア山脈がビスケー湾に直接落ち込むスペイン北海岸(下注)は、平地が乏しく、山がちな地形がどこまでも続いている。それは、鉄道網の発達状況にも少なからず影響を及ぼした。

*注 一般にカンタブリア海岸 Cornisa cantábrica と呼ばれるが、内陸との対比で緑豊かなことからエスパーニャ・ベルデ España Verde(緑のスペインの意)の呼称も使われる。なお、本稿では、原語をスペイン語(カスティーリャ語)で表記し、一部でバスク語綴りを併記している。

イベリア軌間(広軌1668mm)の鉄道幹線は、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central から、山脈を越えて海岸の主要都市へ降りてくる数本のルートに限定される。

いわば縦糸を成すそれらに対して、横糸のように海岸沿いの町をつないでいるのは、建設コストが抑えられるメーターゲージ(狭軌1000mm)の路線だ。東はフランスの国境町アンダイエ Hendaye から、西はスペイン北西端ガリシア州のフェロル Ferrol まで、1000kmを優に越える長大な路線網がそこに築かれている。これら狭軌線は、国営企業のフェベ FEVE(下注)が全国規模で運営していたが、地方分権の導入により1978年以降、一部が州政府へ移管されていった。

*注 正式名は Ferrocarriles de Vía Estrecha(狭軌鉄道の意)だが、FEVE の名は、Ferrocarriles Españoles de Vía Estrecha の頭字に由来する。

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フランス国境のサンティアゴ(サン・ジャック)橋
手前はエウスコトレン線(メーターゲージ)、奥はRENFE線(イベリア軌間)
 

北東部に位置するバスク州 País Vasco/Euskadi の施策も、その一例だ。1982年に州政府の出資で、鉄道会社エウスコトレン Euskotren(正式名称 バスク鉄道 Eusko Trenbideak)が設立され、ビルバオ Bilbao 以東、約180kmある路線網をフェベから引き継いだ(下注)。同社はビルバオとビトリア・ガステイス Vitoria-Gasteiz の市内トラムや、一部地域の路線バスの運行も担い、域内の主要交通事業者になっている。

*注 1971年にフェベに移管(国有化)されていた(旧)バスク鉄道 Ferrocarriles Vascongados の路線網。なお、この路線網は2006年から、インフラ所有がエウスカル・トレンビデ・サレア(バスク鉄道網)Euskal Trenbide Sarea (ETS)、列車運行事業がエウスコトレンと、上下分離されている。

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エウスコトレンの車両
(左)近郊電車S900形(2022年)
Photo by Remontees at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ビルバオのトラム(2012年)
Photo by Mariordo (Mario Roberto Durán Ortiz) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
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今回訪ねるのは、そのエウスコトレンが鉄道資料の保存と公開のために開設している鉄道博物館だ。場所は、サン・セバスティアン San Sebastián/Donostia の南西30kmにある山あいの町、アスペイティア Azpeitia。ここにはかつて、ウロラ川 Río Urola の渓谷に沿って、ウロラ鉄道 Ferrocarril del Urola と呼ばれるメーターゲージの電気鉄道が通っていた。

博物館は、鉄道の運行拠点だったアスペイティア駅を、駅舎だけでなく、構内線路や機関庫、変電所まで含めて保存し、活用している。さらに、ここから北へ4.5kmの間、ウロラ鉄道の線路も残されていて、シーズンの週末には、博物館の保存蒸機が観光列車を牽いて往復する。この乗車体験も訪問客の大きな楽しみになっている。

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保存蒸機の連結作業を見学
旧ウロラ鉄道のラサオ駅にて

この地域に最初に敷設された鉄道は、1864年に全通したイベリア軌間の北部鉄道 Ferrocarril del Norte だ。パリとマドリードを最短距離で結ぶ国際ルートの一部で、現在はマドリード=イルン線 Línea Madrid-Irún(下注)と呼ばれる。

*注 マドリード=アンダイエ線 Línea Madrid-Hendaya の名もある。旧 RENFE(スペイン国鉄)の路線だが、2005年から、インフラ所有は ADIF、列車運行はレンフェ・オペラドーラ Renfe Operadora と、上下分離されている。

ウロラ鉄道は、その北部鉄道に接続する内陸のスマラガ Zumárraga/Zumarraga から北上し、ビスケー湾岸のスマイア Zumaya/Zumaia に至る全長34.4kmの路線だった(下図参照)。スマイアでは、同じメーターゲージのビルバオ=サン・セバスティアン線 Línea Bilbao-San Sebastián に合流していた。開業したのは1926年。石炭の供給不足に悩まされた第一次世界大戦の経験を教訓に、地方鉄道でも電気運転区間が拡張していく時期で、ウロラ鉄道も最初から1500V直流電化で建設されている。

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ウロラ鉄道開業記念の銘板
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ウロラ鉄道のルート
 

標高約360mのスマラガ駅を発った鉄道は、ウロラ川に沿って下流へ向かう。狭くくねった谷間が続くため、トンネルが29本、橋梁も20本あった。沿線人口が少ないことから需要が伸びず、1986年に運行休止となり、1988年に最終的に廃止された。廃線跡の多くはその後、ウロラ緑道 Via Verde del Urola として自転車・歩行者道に転用されたので、今でも容易に跡をたどることができる。

鉄道の沿線で唯一谷が広がり、貴重な平地が現れるのが、石灰岩のグレーの岩肌を見せるイサライツ山 Izarraitz の南麓だ。ここにアスコイティア Azcoitia/Azkoitia とアスペイティアという二つの町がある。双子のような町の名はバスク語で、前者が岩山の上方(=イサライツ山の上流側)、後者が下方(=下流側)を意味するという。

アスペイティアはまた、イエズス会の創始者の一人、聖イグナチオ(イグナティウス)・デ・ロヨラ San Ignacio de Loyola の故郷でもある。生誕地にはロヨラ聖域および大聖堂 Santuario y basílica de Loyola があり、ウロラ鉄道の線路がすぐ横を通っていた。

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駅から見たイサライツ山
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ロヨラ聖域および大聖堂(2017年)
Photo by Edagit at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

町にとって、ロヨラ聖域に次ぐ観光資源がバスク鉄道博物館だ。旧市街から川を渡って東の正面に、地元出身の建築家によってネオバスク様式で造られた美しい意匠の駅舎が建っている。旧ウロラ鉄道のこの駅舎が博物館の玄関口だ。

1階はゆったりとした受付スペースで、ミュージアムショップを兼ねる。上階は展示ホールに改装され、2階には鉄道で使用されたさまざまな職制の制服制帽のコレクションが、3階には200点を越える鉄道用時計のコレクションが、それぞれ所狭しと展示されている。

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3階建の旧アスペイティア駅舎
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(左)駅舎側面
(右)外壁に掲げられた現役時代の発車時刻表
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駅舎1階は博物館の受付
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(左)2階の制帽コレクション
(右)3階の鉄道時計コレクション
 

駅舎を抜けると、2面3線のプラットホームがある。線路はその南側でいくつにも分岐し、そこに新旧の気動車や貨車が縦列で留置されている。突き当りにあるのは大きな車庫兼整備工場で、この中も機関車、客車、貨車、さらにはビルバオ市内を走っていたトラムやバスに至る貴重なコレクションで満杯だ。屋外に留置されているものも含めると、総数は70両以上になるという。

車庫の東隣の2層に見える建物は、もと変電所だ。内部は総吹き抜けの大空間で、変電機器が保存されているほか、奥は車両銘板や鉄道模型の展示室になっている。

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2面3線のホーム
最も左の線路はイベリア軌間
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構内南側には保存車両が留置
正面奥は車庫、左は変電所
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(左)1921年製蒸気機関車「エウスカディ Euskadi」
(右)1931年製12号電気機関車「イサライツ Izarraitz」
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(左)1915年製客車、1960年から路線廃止までウロラ鉄道で供用
(右)1925年製ビルバオトラムU-52
  1999年までマヨルカ島ソーリェル鉄道で運行後、博物館に譲渡
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2層吹き抜けの変電所内部
壁には「自スマラガ至スマイア地方鉄道」と書かれている
 

一方、東の隅には転車台がある。接続されている線路のうち1線だけは、頭上に架線が張られて車庫の奥へ延長され、残りは入換用機関車が格納された開放型の扇形庫につながっている。架線下の線路では、旧型トラムが客を乗せて随時、車庫と転車台の間を往復する。ヤードを横断している跨線橋に上ると、これらの施設配置や車両の動きが手に取るようにわかる。

興味深いのは、構内に広がる線路がメーターゲージだけではないことだ。たとえば転車台は4線軌条で、イベリア軌間の車両も扱える。また、西側の短い線路は旧イベリア軌間(1672mm)で、北部鉄道時代のタンク蒸機や蒸気クレーン車の留置場所になっている。博物館のコレクションは、軌間や運行方式や運営主体を問わず、バスク地方で展開されたあらゆる鉄道を対象としているのだ。

*注 現在のイベリア軌間は 1668mm だが、1955年に統一される前は、スペインが 1672mm(6カスティーリャフィート)、ポルトガルが 1665mm(5ポルトガルフィート)と微妙な差があった。

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4線軌条の転車台
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架線下の線路に動態保存の旧型トラムが

蒸気列車の発車時刻が近づいてきたので、ホームに戻った。乗車券は、初めに受付で買ってある。博物館の入場券とのセットで6ユーロ(博物館のみは3ユーロ)だった。渡されたのは、うれしいことに緑色の硬券で、裏に発車時刻が12:00と手書きされている。ちなみに2023年シーズンの列車運行は、土曜が12時と17時30分の2回、日曜・祝日は12時の1回だ。8月は平日もディーゼル機関車による運行がある。

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蒸気列車の硬券切符
裏面に発車時刻を手書き
 

バスク鉄道博物館は1992年の設立で、1994年に整備を終えて全面的に公開された。当初、列車運行は今と違って、アスペイティアから南へ2kmのロヨラ(バスク語でロイオラ Loiola)駅との間で不定期に行われていた。駅はロヨラ聖域のすぐ前にあった。

ところが、地域の主産業である鉄鋼工場を拡張するために線路用地を提供することになり、この区間は1995年5月限りで閉鎖された。代わりに北側の廃線跡で復旧作業が進められ、1998年6月から運行できるようになった。こちらは取り立てて観光名所があるわけではないが、走行距離が4.5kmとより長く、またウロラ鉄道の典型的な渓谷風景が楽しめるから、それはそれでよかったと言えるだろう。

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アスペイティア~ラサオ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

1番線の跨線橋の真下に、FV 104 と車台に大書された茶塗装のタンク蒸機が停車している。受付で買った博物館のカタログに当たると、車輪配置2-6-0、1898年マンチェスター製の104号機関車「アウレラ AURRERA」だ。

現在のビルバオ=サン・セバスティアン線の一部である旧 エルゴイバル=サン・セバスティアン鉄道 Ferrocarril de Elgoibar a San Sebastián の開業に際して供用された古典機で、本線運行から退いた後も、同僚機のように他所へ転用されることなく、入換用機関車としてこの地で過ごした幸運な機関車だという。動態復元されて、博物館設立の1992年以来、ここで列車を率いている。

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蒸気列車の牽引機アウレラ
 

そこに機関士が乗り込み、2番線の給水塔の前へ移動した。給水が終わると、再び1番線へ移動して、ホームに停車中の2両つないだボギー客車の前に連結される。往路はバック運転で行くようだ。

濃緑地に黄帯を引いた客車は1925年製のオリジナルで、ウロラ鉄道の開業に際してバスク州のベアサイン Beasaín にある車両工場から納入された、という経歴を持つ。ウロラ鉄道は電気運転だったので牽引機は異なるものの、保存運行で当時の鉄道シーンをできるだけ再現しようと努めていることがわかる。

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(左)走行前の給水
(右)客車に連結
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(左)1925年製のオリジナル客車
(右)車内は1+2席の板張りシート
 

甲高い発車の汽笛が聞こえるころには、車内の板張りクロスシートはもとより、デッキにもちらほら人が立った。保存運行はかれこれ30年続いているが、今もけっこうな人気を保っているようだ。列車は定刻12時に駅を離れた。

走りだすとすぐに家並みが途絶え、緑の中を進んでいく。左下にウロラ川の流れがちらちらと見える。このあたりは比高500mほどの山に囲まれていて、線路は谷に沿って右へ左へとカーブを繰り返す。緩い下り坂で、機関車にとっては軽い仕事に見えるが、それでも最前部のデッキには、吐き出された細かいシンダが降り注ぐ。

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(左)出発準備完了
(右)往路はバック運転
 

左に急カーブして、川が真横に来たかと思うと、間もなくそれを鉄橋で渡り、間を置かずトンネルに突入した。長さ225m、現行ルートで唯一のトンネルだ。地元客はその存在を先刻承知のようで、客室扉も窓も早くに閉められていた。

暗闇を抜けた後は、国道が左側を並走し始める。川の対岸に渡るアーチの石橋と集落が見え、国道が頭上を乗り越して右に移ったところが、終点ラサオだった。到着は12時20分。地形図上では鉄道記号がまだ北へ続いているが、実際には、駅下手にある車止めで線路は切断され、その先は地道に変わっている。

駅構内は2面2線で、小粒ながら印象的な駅舎が建つ。白い漆喰壁にアクセントのエンジ色が映え、エンタシスの柱が支えるロッジア風の造りもユニークだ。もちろん無人駅だが、内部には調度品が置かれ、明かりもつく様子が、窓越しに見えた。

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(左)ウロラ川が近づく(復路で撮影)
(右)川を渡ってトンネルへ
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ラサオの石橋と対岸の集落
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アクセントのエンジ色が映えるラサオ駅舎
 

折返しのために、機関車はここで機回しされる。解結から転線、そして再連結まで、すべて機関士が一人でこなしている。乗客はみなホームに降りて一部始終を見守るのだが、サービス精神旺盛な機関士は、退避線を回っていく間、汽笛をリズミカルに鳴らし続ける。谷間によく響くので、ご近所から苦情が来ないか心配になるほどだ。

復路では、機関車が正面を向く。ラサオで下車した数人の客に見送られて、列車は出発した。来た道を同じようなペースで戻って、アスペイティアに帰着したのは12時50分すぎ、往復で50分ほどのミニツアーだった。

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ラサオ駅での機回し
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下車した客に見送られて帰路に就く

最後に、鉄道博物館へのアクセス方法を記しておこう。

アスペイティアへは、周辺の町から路線バスが走っている。鉄道旅行者が使いやすいのは、ウロラ鉄道を転換した UK06系統(スマラガ Zumarraga ~スマイア Zumaia)と、サン・セバスティアンから直通するUK01系統(サン・セバスティアン/ドノスティア San Sebastián/ Donostia ~アスコイティア Azkoitia)だ。所要時間はスマラガから43分、サン・セバスティアンから55分。

旧駅前が一方通行のため、博物館の最寄り停留所は、北行スマイアおよびサン・セバスティアン方面が Trenbidearen Museoa(鉄道博物館)、南行スマラガおよびアスコイティア方面は川沿いの Julian Elorza Etorbidea, 3(ジュリアン・エロルサ通り3)になるので注意のこと。

時刻表、路線図は下記 ルラルデバス Lurraldebus のサイトにある。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
バスク鉄道博物館 https://museoa.euskotren.eus/
ルラルデバス https://www.lurraldebus.eus/ 英語版あり

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2023年8月25日 (金)

モンセラットのケーブルカー

サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan

延長 503m、高度差 248m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 652‰
開通 1918年

サンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova

延長 262m、高度差 118m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 565‰
開通 1929年

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モンセラット修道院とサン・ジョアン ケーブルカー

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修道院の前にあるクレウ(十字架)広場 Plaça de la Creu は、聖地モンセラット Montserrat を訪れた人々の動線が交わる場所だ。下界から登山鉄道(下注)やロープウェーに乗ってきたならもちろん、たとえクルマで上ってきても、修道院の中庭へ入るならここを通らないわけにはいかない。

*注 モンセラット登山鉄道については、本ブログ「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」で詳述している。

聖堂の奥で黒い聖母子像に面会して、訪問の第一の目的を果たした後も、この広場に戻って、次の行先へ出発することになる。モンセラットの山域には、修道院以外にも小さな巡礼地が点在しているから、そこを目指す人も多い。もちろん歩いても行けるが、それなりの山道だ。そこで広場から、山上と山腹へ1本ずつケーブルカーが運行されている。これを利用して高度差を克服すれば、あとは比較的緩やかな坂をたどって、目的地に到達できる。

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クレウ広場前に集中する鉄道と索道の駅
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モンセラット修道院周辺の詳細図に鉄道・索道と主要地点を加筆
Base map derived from the topographic map of Catalonia 1: 5.000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), used under a CC BY 4.0 license
 

山上へ行くのは、サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan だ。クレウ広場の山手から、モンセラットの尾根の鞍部まで延びている。長さ503m、起終点間の高度差248m、最大勾配は652‰(下注)と険しく、スペイン国内では最も急勾配のケーブルカーだ。

*注 ちなみに、日本のケーブルカーの最大勾配は高尾山の608‰。

開業したのは1918年、尾根筋のサン・ジョアン San Joan をはじめとするいくつかの庵(いおり)を訪れる人のために設けられた。当初用意されたのは小型の搬器だったが、上部駅に併設した展望台とレストランが人気を博し、たちまち輸送が追いつかなくなった。

そこで、すでにモンセラットで登山鉄道を運行していたムンターニャ・デ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarrils de Muntanya de Grans Pendents (FMGP) が自ら全面改築に乗り出した。同社は1925年にケーブルカーの運営会社(下注)を買収したあと、1926年に軌間を広げ、搬器を大型のものに交換している。

*注 ケーブルカー・リフト株式会社 Compañía anónima de Funiculares y Ascensores (CAFA) 。

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修道院側からケーブルカーの軌道を仰ぐ
 

登山鉄道のほうは、脱線事故をきっかけに1957年に廃止されてしまったが、ケーブルカーの運行はその後も続けられた。だが、運営会社FMGPの経営状況が悪化し、設備更新もままならなくなったため、1982年に州政府が買収に踏み切った。

こうした経緯で、ケーブルカーは1986年以来、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) の一路線になっている。FGCは、バルセロナからの郊外電車(R5、R50系統)や2003年に開業した現在の登山鉄道の運行事業者で(下注)、ケーブルカーも、市内からの連絡切符など一体的なマーケティングの対象に組み込まれている。

*注 ちなみにモンセラット・ロープウェー Aeri de Montserrat だけは、FGCの路線ではなく別の事業者が所有・運行している。

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サン・ジョアン ケーブルカー下部駅
 

さて、クレウ広場から上り坂を折り返しながら歩いていくと(下注)、山際に張り付くようにして建つサン・ジョアン ケーブルカーの小ぶりな駅舎に行き着く。開業以来の建物だが、内部は改修されていて、正面の大きなアーチ窓から発着ホームが隅々まで見渡せる。

*注 登山鉄道駅の奥にあるエレベーターを使えば、坂道を多少ショートカットできる。

左の出札口で乗車券を購入した。片道10.40ユーロ、往復16ユーロ。後述するサンタ・コバ ケーブルカーとのセット券(18.70ユーロ)もあり、両方往復するならこれがお得だ。帰りは歩くつもりなので片道券を買ったが、渡されたのは味気ないレシートだった。

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下部駅内部
 

ケーブルカーは繁忙期12分、閑散期は15分間隔で運行されている。次の発車は13時15分だ。2015年に更新された車両は3扉で、車内もそれに応じて、貫通路のない3つのコンパートメントに区分されている。ベンチがあるが、たとえ座れるほどすいていたとしても、ここは谷側の車端(の立ち席)に陣取るべきだろう。

というのも、ルートが一直線なので、延長線上に位置している修道院のバシリカが走行中、ずっと見え続けるからだ。山を上るのだから眺めが良くて当然かもしれないが、これほどピンポイントに絶景を堪能させてくれるケーブルカーも珍しい。

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サン・ジョアン ケーブルカーの車両
室内は3つのコンパートメントに区分
 

乗り込んで少し待つうち、ブザー音を合図に車両は動き出した。最初は、修道院の側壁の一部が木々の間から覗くだけだが、まもなく森が途切れて、中庭のサンタ・マリア広場 Plaça de Santa Maria とそれを取り巻く建物群が見え始める。ゆっくりズームアウトしていく修道院の伽藍に集中していると、線路が二手に分かれ、対向車両が静かに降りていった。

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中間地点でのすれ違い
 

ルートの後半では、勾配が最大652‰に達する。まず切通しの中を進んでいくが、側面の岩肌の動きはほとんど垂直だ。再び視界が開けると、修道院もさることながら、背後にそそり立つ奇怪な形の岩の柱列に目を奪われた。車両の天井もガラス張りなので、ここまで来れば上部の車室からもこの景色が十分楽しめるはずだ。

標高970mの上部駅へは約6分で到着する。いったん駅舎を出て外階段で2階へ上がると、展望テラスに出られる。たった今車内で見てきた風景にケーブルカーの車影も加わって、いかにも写真映えする眺めだった(冒頭写真参照)。

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上部駅
(左)急傾斜のホーム
(右)巻上機
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外階段で2階の展望テラスへ
 

ミランダ・デ・サンタ・マグダレナ Miranda de Santa Magdalena の山腹にあるサン・ジョアンの庵 Ermita de Sant Joan へは、緩い上り坂の巡礼道を西へ歩いて10分ほどだ。中には入れないが、格子窓から覗くと、内部は礼拝堂になっていた。その先にはサン・オノフレ Sant Onofre やサンタ・マグダレナ Santa Magdalena などの、廃墟になった庵が続いている。また、片道1時間の山道縦走で、モンセラットの最高峰、標高1236mのサン・ジェロニ San Jeroni を目指す人もいるだろう(下図参照、下注)。

*注 山腹の道路際からサン・ジェロニに直接上る長さ680mのロープウェーも運行されていたことがある。1929年開業、1983年廃止。

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上部駅の周辺案内図を撮影
1:サン・ジェロニ新縦走路、2:同 旧縦走路
3:サン・ミケル巡礼路(修道院方面)
3a:サン・ジョアン巡礼路
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ミランダ・デ・サンタ・マグダレナの山腹を行く巡礼路
サン・ジョアンの庵が左肩に望める
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サン・ジョアンの庵
 

一方、山道は反対方向へも延びている。こちらは南東尾根をぐるりと回り、東斜面のサン・ミケルの庵 Ermita de Sant Miquel や、スリリングな展望で人気のあるサン・ミケルの十字架 Creu de Sant Miquel を経由して、起点のクレウ広場に戻ることができる。最初少し上るが、あとはずっと下りで、見晴らしのいい40分ほどのハイキングルートだ。時間に余裕があるなら(さらに天気が良ければ)、ケーブルカーで往復するよりはるかに印象に残る旅になるに違いない。

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サン・ミケルの庵
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サン・ミケルの十字架
 

クレウ広場に帰ってきたところで、もう一つのサンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova に乗りに行こう。こちらは修道院の崖下を降りていく路線で、聖母子像の発見場所と伝わるサンタ・コバへの巡礼路にある急坂区間をカバーするために建設された。長さ262m、起終点間の高度差118mと、サン・ジョアンに比べれば小規模だが、最大勾配は565‰で険しさは遜色ない。

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サンタ・コバ ケーブルカー上部駅
 

これは、サン・ジョアンの改修から3年後の1929年に、同じFMGP社の手で開業した。軌道は、サンタ・マリア川 Torrent de Santa Maria という涸れ沢(下注)に沿っている。2000年6月の大雨では沢があふれて、下部駅舎と停車していた車両が大きな被害を受けた。1年後の2001年6月にようやく運行が再開されたが、復旧に際しては設備の全面更新が実施された。現在の車両もこのとき新調されたものだ。

*注 原語の Torrent(トレント)はふだん水流がなく、降雨時のみ流れる涸れ川のこと。

上部駅は登山鉄道の駅の直上にある。中に入ると、小さなホールの一角に出札口が開いていた。運賃は、大人片道3.90ユーロ、往復6ユーロだ。

ケーブルカーは20分間隔で運行されていて、次の15時40分発がホームで待機している。車内は5つの小区画に分割され、跳ね上げ式の座席がある。天井も、開放的な全面窓だ。出発の時刻になると、下端の操作席にトランシーバーを持った係員が乗り込んできた。さっき出札口で切符を売っていた女性で、一人ですべてこなしているらしい。

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車両、室内は5区画
 

サン・ジョアンとは対照的に、軌道は終始、右にカーブしている。短距離にもかからわず、下部駅方向は岩陰になって見通せない。まもなく待避線の分岐点にさしかかった。誰も乗っていない対向車両が左側を上っていくのを見送ると、下部駅はもう目の前だ。走行時間は実際、3分もなかった。

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(左)操作席
(右)ルートは終始カーブしている
 

下部駅舎からは、巡礼路 Camí de la Santa Cova をたどってサンタ・コバへ向かう。この道は、クレウ広場の端からロープウェーの駅前を通って降りてきている。段差の小さい階段が続く舗装道なので、ケーブルカーに頼らずに歩いてくる人もいる。

巡礼路の沿道には、ロザリオの秘跡をテーマにして19世紀末から20世紀初めにかけて造られた彫刻作品(記念ロザリオ Rosari Monumental)が点々と設置されている。それを一つずつ鑑賞しながら歩いていくのは楽しい。なかでも、屹立する奇岩の張り出しを回り込む地点に設置されているイエスの磔刑像 Crucifixió de Jesús(悲しみの第五の秘跡 Cinquè misteri de Dolor)が印象的だ。ここはさきほど立ち寄ったサン・ミケルの十字架が建つ尾根の麓に当たり、クレウ広場からも遠望できる。

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下部駅
頭上に見えるのは修道院とロープウェー上部駅
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はるか谷底にロープウェーの下部駅が
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奇岩の先端にある磔刑像
 

サンタ・コバ Santa Cova(下注)は聖なる洞窟を意味する。言い伝えによると、西暦880年、二人の若い羊飼いがモンセラットの中腹に光が降臨するのを目撃した。その後も繰り返し現れたこの奇蹟がきっかけとなり、岩山の洞窟に隠されていた聖母子像が発見される。しかし重すぎて山から運び下ろすことができず、この地で奉ることにしたのだという。最初は庵が結ばれ、やがて修道院へと発展していく。

*注 サン・ジョアン(聖ヨハネ)のような聖人名ではないので、原語では定冠詞 la をつけて、La Santa Cova と綴る。

一方、発見場所とされる洞窟では、18世紀初めにそれを覆う小さな聖堂が建てられた。そこが巡礼路の終点だ。ドーム天井の堂内に入ると、修道院と同じような色とりどりの蝋燭が灯っている。正面の祭壇では聖母子像のレプリカが明かりに照らし出され、薄暗い信者席に一人、祈りを続ける女性がいた。訪問者が絶えず行き来している修道院とはまた違う、静謐で敬虔な空間がそこにあった。

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急崖に張り付くサンタ・コバ礼拝堂
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(左)岩陰の聖堂入口
(右)レプリカの聖母子像がある祭壇
 

写真は、2019年7月および2021年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
モンセラット登山鉄道 https://www.cremallerademontserrat.cat/
Trens de Catalunya - Cremallera i Funiculars de Montserrat
http://www.trenscat.com/montserrat/

★本ブログ内の関連記事
 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 モンセラット登山鉄道 II-新線開通

2023年8月15日 (火)

セメント鉄道-産業遺跡のナロー

トレン・デル・シメン(セメント鉄道)Tren del Ciment

グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà ~カステリャル・デ・ヌク(クロト・デル・モロ)Castellar de n'Hug (Clot del Moro) 間12km
軌間600mm、非電化
1914~23年開通、1963年廃止

【現在の運行区間】
ラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet ~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km
2005年開通

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの併用軌道を行く
セメント鉄道の列車

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スペインのカタルーニャ自治州には、イベリア軌間の幹線のほかにメーターゲージ(1000mm軌間)の広範な路線網がある。列車を運行しているのは、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) という、州政府が設立した鉄道会社だ。興味深いことに同社は、列車事業部門と並んで観光・山岳事業部門も有していて、さまざまな観光鉄道や索道を直営している。

以前取り上げたモンセラットやヌリアのラック式登山鉄道(下注)もその例で、どちらも自社の列車駅に接続し、あたかも支線のような存在になっている。

*注 本ブログ「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

ところが例外的に、一般路線網から遠く離れた、バスもほとんど通わないような山間部に、FGCの孤立路線が存在する。それが、今回取り上げるアルト・リョブレガト観光鉄道 Ferrocarril Turístic de l'Alt Llobregat だ。愛称の「トレン・デル・シメン Tren del Ciment」、すなわちセメント鉄道というのは、もともとセメントを輸送する産業軽便鉄道だったという歴史に由来している。

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旧線時代の復元客車
ラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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1:25,000地形図にセメント鉄道の駅位置と名称を加筆
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

場所は、バルセロナ Barcelona の北100kmにあるラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet という小さな町だ。プレピレネー(前ピレネー山脈) Prepirineus の山々に囲まれ、バルセロナ南郊で地中海に注いでいるリョブレガト川 El Llobregat の最上流域に当たる。

話は、20世紀初頭に遡る。1901年、町から2km上流の谷合いにあるカステリャル・デ・ヌク Castellar de n'Hug 村のクロト・デル・モロ Clot del Moro 地区で、カタルーニャ最初のポルトランドセメント工場の建設が始まった。事業主はアスファルト・ポルトランド総合会社 Companyia General d’Asfalts i Portland で、後にその略称から、「アスランセメント Ciment Asland」のブランド名で知られることになる会社だ。

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アスラン社のセメント袋を積んだトロッコ
セメント博物館にて
 

工場は1904年に完成し、操業を開始した。袋詰めされた製品の搬出は当初、アメリカから輸入したベスト Best という蒸気自動車で行われた。これはもともと工場の建設資材を運ぶために購入されたもので、6両の貨車を牽いて走ることができた。セメント袋はこの車で川沿いを12km下り、グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà で750mm軌間のマンレザ Manresa 行き貨物列車(下注)に積み替えられた。

*注 マンレザ=ベルガ経済路面軌道・鉄道会社 Companyia Tramvia o Ferrocarril Econòmic de Manresa a Berga の路線で、1904年にグアルディオラ・デ・ベルゲダまで開通。

ところが、蒸気自動車は早くも翌年、故障で使えなくなってしまう。しばらく牽き馬で代替したものの、出荷量の増加で間に合わなくなり、会社は鉄道の建設を決めた。これが現在の観光鉄道の前身になる。

路線は1910年に着工され、リョブレガト川を渡る2本の橋梁を含めてグアルディオラからラ・ポブラ・デ・リリェトまでの区間が1914年に、残るクロト・デル・モロの工場までの区間が1923年に開業した。一般に「カリレット carrilet」(下注)と呼ばれる軽便線で、軌間は600mmだった。

*注 carril(道、線路の意)の指小辞形。狭軌鉄道はメーターゲージを含めてこう呼ばれていた。

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(左)初期に使われた蒸気自動車ベスト
(右)最終運行日のカリレット
いずれもラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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保存された旧グアルディオラ駅
 

1920年代、セメントは都市基盤の形成に欠かせない資材として需要が伸び、バルセロナ万国博の効果もあって、増産が続いた。人の往来も活発で、カリレットは旅客輸送でも実績を伸ばした。

しかし、第二次世界大戦後は、モータリゼーションの影響で鉄道利用が急速に減少していく。生命線だったセメント輸送もトラックに切り替えられ、1963年10月にカリレットの運行は中止された(下注)。セメント工場も、設備が老朽化し、生産コストが見合わなくなったことから、1975年に操業を停止している。

*注 この鉄道が接続していたマンレザ=ベルガ=グアルディオラ線も赤字で、1951年に国に買収されたものの、ダム建設で線路が水没することから1972~73年に大半が廃止となった。

工場施設は朽ちるに任されていたが、近年、カタルーニャの工業化の過程を示す産業遺産として再評価を受け、2002年にカステリャル・デ・ヌク セメント博物館として再整備された。このエリアには他にも観光スポットが点在している。それらを結ぶ移動手段として企画されたのが、カリレットの復活運行だ。

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博物館になったセメント工場跡
 

「新」セメント鉄道は、2005年7月1日に開業した、ラ・ポブラ・デ・リリェト~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km の路線だ。旧線跡を利用していて、軌間も同じ600mmだが、保存鉄道というわけではなく、現代のディーゼル機関車がオープン客車を牽いて走る。

片道の所要時間は20分だ。運行日は2023年の場合、4月から11月初めまでの土日祝日と、7月中旬から8月の間の毎日で、繁閑に応じて1日5~8往復が運行される。

短い距離だが、ルートは変化に富んでいて、鄙びた町の街路を併用軌道で通り抜けたかと思うと、終盤は森林鉄道のように渓谷をくねくねと遡っていく。起終点の標高差は107mあり、平均勾配は30‰にも達する。以下、現地写真でそのルートをたどってみよう。

バルセロナからラ・ポブラ・デ・リリェトまではアウトピスタ(高速道路)Autopista C-16号線経由で130km、車で1時間50分ほどだ。公共交通機関で日帰りするのは不可能なので、レンタカーに頼るしかない。グアルディオラ・デ・ベルゲダでC-16から離れ、リョブレガト川の谷の2車線道を遡っていくと、最初のラウンドアバウトの先に、セメント鉄道の起点駅が見えてきた。少し先に広い駐車場が用意されている。

駅はラ・ポブラ・デ・リリェトを名乗っているが、町はまだ1kmも先で、周りに人家は見えない。ここには旧線時代、ラ・ポブラ・アパルタドル La Pobla-Apartador という駅があり、南の山中にある炭鉱から索道で運ばれてきた石炭を貨物列車に積み替えていた。

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(左)C-55号線でモンセラット山麓を行く
(右)C-16号線のベルガ Berga 南方
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ラ・ポブラ・デ・リリェト駅
(左)終端側から駅構内を望む
(右)終端部の転車台
 

現在の駅は、2005年の再開にあたって新設されたものだ。2面2線の構造で、谷側(終点に向かって右側)が1番線、山側が2番線になっている。2本の線路は、下手で合流した後、転車台に接続されているが、車両基地は終点駅にあるので、ここでは作業車両の留置しかしていない。

2番ホームに接して、平屋の駅舎が建っている。ベージュの塗り壁にオレンジの屋根瓦と、伝統をなぞった外観が好ましい。中に入って、カウンターで乗車券を購入した。運賃は大人片道5.50ユーロ、往復9ユーロで、途中下車は可能。また、列車往復と沿線のセメント博物館およびアルティガス庭園とのセット券(15ユーロ)もある。

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(左)伝統的外観の駅舎
(右)案内カウンター
 

駅舎の隣に見える青緑色の切妻屋根の建物は、鉄道博物館だ。駅が開いている時間に、自由に見学できる。展示テーマは「バイ・デル・リョブレガト(リョブレガト谷)の地方・産業・観光鉄道 Ferrocarrils secundaris, turístics i industrials a la Vall del Llobregat」で、現物車両や関係資料のパネルを使って、川沿いの炭鉱や岩塩鉱に通じていた鉄道や索道に関する歴史を説明している。

産業車両の展示が多いなか、旧線時代のモンセラット登山鉄道で使われていたという4号蒸気機関車とサロンカーのセットが目を引いた。奇岩と修道院で有名なモンセラットもまた、リョブレガト川の流域にある。登山鉄道は1950年代に廃止されたが、高い輸送力を期待されて2003年に運行が再開された。セメント鉄道復活の2年前のことで、二者はよく似た経歴を持っているのだ。

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駅併設の鉄道博物館
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リョブレガト谷ゆかりの車両を展示
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モンセラット登山鉄道旧線時代の4号機関車とサロンカー
 

そうこうしているうちに、発車時刻が近づいてきた。ホームに向かうと、本日の一番列車がすでに2番線に停車している。先頭は、緑塗装のドイツ、シェーマ Schöma 社(下注)製2軸ディーゼル機関車で、2010年に供用された2号機「カトリャラス Catllaràs」だ。開業当初から在籍する1号機もシェーマ・ロコだが、より小型のため、今はもっぱら入換用だという。

*注 正式名はクリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH で、簡易軌道や工事現場で使われる小型ディーゼル機関車の専門メーカー。

機関車の後ろには、同じ緑色をまとうオープンタイプの客車が4両連なっている。車端にデッキがあり、客室の座席は、通勤車両のような向い合せの木製ロングシートだ。少々窮屈だが、車体の横幅が狭いのでやむを得ない。

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シェーマ・ロコが牽くセメント列車
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(左)オープンタイプの客車
(右)客室は木製ロングシート
 

朝、到着したときは、まだホームに人影もなかったのに、いつのまにか20人以上の客が乗っている。今日10月12日は祝日ということもあって、客の入りはまずまずのようだ。10時30分、短い警笛を合図に、列車はホームを離れた。

以前は駅の直後に落石除けのトンネルがあったが、今は開削されて、谷側に駐車場との連絡歩道が造られている。その駐車場を横に見ながら、列車は石灰岩の段丘崖の際をゆっくり上っていく。右手は深い谷で、吹き通る風が心地いい。

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石灰岩の段丘崖の際を上る
 

ふと後ろを振り返ったとき、線路が敷かれているのがバラストの上ではなく、コンクリートで固めた路面であることに気づいた。そういえば、路側に黄線が引かれているし、路肩にはしっかりとフェンスがある。間違いなく路面軌道だ。

推測するに、カリレットが通わなくなって40年の間に、廃線跡はすっかり生活道路になってしまった。とはいえ、線路用地を別に確保するのは大工事になるから、いっそのこと道路と鉄道を共存させようという発想だろう。もとが廃線跡なので道幅が狭く、列車と車の行き違いは困難だが、別に整備された2車線道があるから、地元の人しか通るまい。

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生活道路と併用の路面軌道が続く
 

そのうち列車はラ・ポブラ・デ・リリェトの家並みの中に入っていった。併用軌道は町裏にまだ延びているが、さすがにこのあたりは車が退避できる道幅がある。ただしその分、路駐も多くて気を使いそうだ。

ラ・ポブラ・セントレ La Pobla Centre 停留所に停車した。路面軌道にしては立派な高床のホームだ。ベンチが置かれ、屋根もついて設備は行き届いている。だが、長さは1両半ほどで、後ろの車両には届かない。

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの町裏を行く
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高床ホームのラ・ポブラ・セントレ停留所
 

セントレはいうまでもなく「中央」のことで、ここから迷路のような路地を下っていくと、リョブレガト川の蛇行に面した町の中心部に出る。ベイ橋 Pont Vell と呼ばれる14世紀の石橋が架かり、傍らの木陰に伯爵エウゼビ・グエイ(グエル)Eusebi Güell の記念碑が建っている。

グエイは、モデルニスモの建築家アントニ・ガウディ Antoni Gaudí のパトロンとして知られる実業家、政治家だ。ガウディが設計し、バルセロナの観光名所になっているグエル公園やグエル邸、郊外のコロニア・グエル教会などに名を残している。実は、彼はアスランセメント会社の設立者でもあって、工場の城下町として栄えたラ・ポブラにとっては最大の功労者なのだ。

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市街には狭い路地が入り組む
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(左)エウゼビ・グエイ記念碑
(右)リョブレガト川に架かるベイ橋
 

セントレを後にした列車は、まだ路面を走り続ける。家並みが途切れると、道路が左に分かれていき、専用軌道に入るかに見えたが、路面の舗装と黄帯はそのままだ。リョブレガト川の渓谷を高い橋で渡り、深い切り通しをカーブで抜けたところに、二つ目の中間停留所ジャルディンス・アルティガス(アルティガス庭園)Jardins Artigas があった。列車交換ができるように2面2線で建設されたが、1時間間隔の運行では不要のため、早々と棒線駅に格下げされて今に至る。

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(左)リョブレガト川の谷を渡る併用橋
(右)深い切り通しのカーブ
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ジャルディンス・アルティガス停留所では多数の乗降が
 

ここで乗客のざっと2/3が降りてしまった。アルティガス庭園というのは、ガウディの設計による自然の地形を生かした回遊庭園だ。彼は、グエイの依頼でセメント工場の従業員社宅を設計するために、当地に滞在したことがあった。その際、工場主だったアルティガス家からのもてなしに感謝して、同家の庭園の設計を引き受けた。せせらぎの音がこだまする園内には、グエル公園を彷彿とさせる彼独特の造形が多数散りばめられていて、楽しい散策の時間が過ごせる。

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アルティガス庭園のユニークな造形
 

この停留所を境に、軌道は道路を脱して、バラストの上に載る。終盤は、森林鉄道を思わせる渓谷沿いの険しいルートだ。急勾配はもとより、トンネルなしで山襞に忠実に沿っていくため、脱線防止レールつきの急カーブが次々に現れる。右側は灰白色の切り立った壁が続き、左の谷には岩棚を滑り落ちる急流が見え隠れしている。ゆっくり進んでいくと、やがて川床が上昇してきて水音が大きくなり、進行方向左奥に旧セメント工場の巨大な建物群が姿を現した。

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ムゼウ・デル・シメン駅
手前が駅舎、右奥が機関庫、左奥はセメント工場跡
 

10時50分、終点ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)駅に到着。ホームは右側で、起点駅と同じような駅舎が建っている。中は黒のラブラドール君が店番をしているカフェが営業中で、片隅に出札口もあった。ホームの前は本線と機回し側線があるだけだが、奥はヤードで4線収容の機関庫へと分岐している。一角に、セメント鉄道100周年を記念する小型機関車(下注)が、客車連れでぽつんと置かれていた。その左には転車台も見える。

*注 1901年ベルギー製の600mm軌間蒸気機関車「ミナス・マリアナス Minas Marianas」。現役時代はアストゥリアス州のマリアナ鉱山 Mina Mariana で稼働しており、セメント鉄道の所属機ではない。

かつてのセメント工場跡は、産業博物館として公開されている。近代カタルーニャの一時代を画した壮大な産業遺跡を巡りながら、ポルトランドセメントの製造工程やアスラン社の歴史を学ぶことができる。

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折返し待機中の列車
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(左)駅舎の中はカフェ
(右)片隅に出札口も
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機関庫前に100周年記念の小型機関車の姿が
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工場跡を公開するセメント博物館
 

ところで、到着した列車は、折返し11時00分発のラ・ポブラ・デ・リリェト行きになる。片道20分を要し、かつ1時間間隔でピストン運行しているので、起終点駅での作業時間は10分しかない。

ところがいっこうに機関車の付け替え、いわゆる機回しが行われる気配がなかった。そのうち運転士と思われる男性がつかつかと先頭客車まで歩いてきて、デッキの跳上げ椅子に座った。そして大事そうに抱えていた何かの装置を操作すると、列車はそのまま動き出したのだ。後ろの機関車は無人のままで…。

どうやら彼が携えていたのは無線操縦用の機器らしい。こうしたプッシュプル型列車の場合、先頭客車は制御車で、運転台がついているものだが、こんなイージーな運転方式があるとは驚いた。ラジコン好きの人なら、一度体験してみたいと思うのではないだろうか。

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(左)運転士がラジコンを抱えて乗ってきた
(右)デッキが運転台代わりに
 

写真は、2021年11月および2022年10月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
セメント鉄道 https://turistren.cat/trens/tren-del-ciment/

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 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 モンセラット登山鉄道 II-新線開通
 バスク鉄道博物館の蒸気列車

2023年8月 5日 (土)

マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道

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ソーリェル市街の中心、憲法広場を横断するトラム

ソーリェル駅は、この鉄道の中枢だ。地面に濃い影を落とすプラタナス並木の間に、多数の線路が延びている。列車線(前回詳述)の乗降ホームがあるのは、パルマ方(南側)から見て左の2本で、主として、幅広のホームが確保された一番左の線路(1番線)が使われる。

右手は車両基地で、4線収容の機関庫(電動車車庫)や整備工場がコンパクトに配置されている。構内配線も分岐あり交差あり、さらに転車台も挟んでいるから複雑だ。一方、列車線の本線を挟んで隣には、5線収容のトラム車庫がある。そのうち2線は車庫を突き抜けて、パルマ方で列車線の本線につながっている。列車線の機関庫にもトラム車両らしき姿が見えるから、手のかかる改修作業はそちらに移動させて行うのだろう。

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ソーリェル駅構内図
黒色の線は列車線、橙色の線は路面軌道
 
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ソーリェル駅の列車線機関庫
列車線ホームから撮影
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同 路面軌道車庫
左の2線は裏側で列車線と接続している
 

ソーリェルの旅客駅舎は、列車線ホームの一番奥だ。3階建ての大きな建物で、17世紀初頭に築かれたカン・マヨル Ca'n Mayol という要塞家屋 Casa forta を転用したのだという。ホームは、日本でいう2階相当の高さにある。

ホームに接した待合室の片隅に小さな出札口があるが、閑散としている。というのも、列車で往復するつもりの観光客はすでにパルマ駅で切符を買っているし、片道だけの客は、例の展望台に停車しない上り列車を敬遠する。それで、ここで乗車券を求める人は少ないのだ。

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列車線ホームから見たソーリェル駅舎
左に路面軌道が見える
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(左)ソーリェル駅、手前の屋内に出札口がある
(右)ホームから階段で地上階へ
 

階段を伝って地上階へ降りると、明るい吹き抜けの空間に出た。左側はパブロ・ピカソ Pablo Picasso の陶芸品の、右側はジョアン・ミロ Joan Miró の版画の、それぞれ無料展示室になっている。同じフロアには直営売店もあり、さまざまな鉄道グッズが揃っているので、立ち寄らないわけにはいかない。

駅舎の玄関を出ると、向かいにあるスペイン広場との間の狭い街路が、トラムの乗り場になっている。軌道は先述の車庫からの続きだが、列車駅の横を通過する間に坂を下ってきたので、もはや1階分の高低差がついているわけだ。

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(左)地上階の吹き抜け空間
(右)鉄道グッズが揃う直営売店
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駅舎正面、中央が入口
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駅舎前のトラム乗り場

ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller は、ここソーリェル駅 Sóller-Estació と、地中海に開いたポルト・デ・ソーリェル(ソーリェル港)Port de Sóller との間4.9kmを結ぶトラム路線だ。列車線から1年半遅れた1913年10月に開業しているので、もう110年の歴史がある。

かつては旅客だけでなく、港で水揚げされた魚を町へ運び、町からは輸出用のオレンジを港へ送るなど、貨物も扱っていた。港の海軍基地に向け、列車線から直通で石炭や軍需物資を輸送する役割もあった。しかし今では、列車線と同様、一般旅客さえ路線バスに移行しており、もっぱら観光客を乗せて走っている。

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ソーリェル~ポルト・デ・ソーリェル間の1:25,000地形図に停留所位置と名称を加筆
交差した矢印は信号所(パッシングループ)を示す
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

運用されている車両も、軌道の歴史を反映したものだ。電動車は、開業時にまで遡るオリジナル車3両(1~3号、下注1)と、1998~2001年に供用された旧リスボン市電の5両(20~24号、下注2)の、8両体制を敷く。いずれも密閉型の2軸車で、ノスタルジー溢れる木枠、板張りの角ばった外観を特徴とする。前面の腰板は、特産のオレンジを想起させる色に塗られている。旧リスボン車も後に改造されたので、ニスの色がやや薄いほかはオリジナル車とほとんど見分けがつかない。

*注1 集電装置は長らくビューゲルだったが、1990年代にパンタグラフに改修されている。
*注2 軌間はソーリェルが914mmに対して、リスボン市電は900mm。軌間差が小さく調整コストが低いことが受入れの決め手になった。

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オリジナル電動車1号
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旧リスボン車23号
(左)改造でオリジナル車とほぼ同じ外観に
(右)丸みを帯びたリスボン車の形状を残していた改造前(2013年)
           Photo by pjt56 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)23号の運転台
(右)ベンチシートが配置された客室
 

一方、付随客車の古参組としては、1890年の製造で1952年にパルマ路面軌道 Tramvia de Palma から引き継いだ開放型の4両(8~11号)、通称「ジャルディニエル Jardinier」がある。また1999年からは、旧リスボン電動車とセットになる付随車も、自社の整備工場で密閉型、開放型合わせて8両(1~7および12号で、番号は電動車と一部重複)製造された。ほかに、開業時からの密閉型2軸車2両(5~6号)も残っているが、走るのは冬季だけだ。

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(左)パルマから来た付随客車「ジャルディニエル」
(右)自社製造された付随客車
 

1990年代までこの路線では、電動車の後ろに2両の付随客車がつく3両編成で走っていた。ダイヤは30分間隔で今と同じだったが、観光客の増加により常に混雑し、繁忙期には積み残しが出るような状況だった。それで、列車線の専用列車でやってくる多人数の団体客については、ソーリェル駅の手前に列車の乗降場を設け(下注)、そこからバスで港まで代行輸送する方法で迂回させていた。

*注 前回言及した1990年開設のカン・タンボル Can Tambor 停留所。

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オリジナル電動車+ジャルディニエルの3両編成
 

このように輸送力増強が喫緊の課題だったことが、リスボン車購入の背景にある。改造が順次完了し、車両群が充実した2001年以降は、最大3本の続行運転が行われるようになった。

さらに2006年には、旧リスボン電動車が両端につき、中間に2両の付随車を挟む総括制御、4両連結での運行が実現する。これにより1編成で150人以上を運べるだけでなく、終端駅での機回しが不要になり、運行の効率化が図られた。パルマから到着する列車の定員は350名だが、路面軌道側で2本を続行運転することでほぼ対応できるようになったのだ。

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旧リスボン車が前後についた4両編成

では、ソーリェル駅前からトラムに乗って港へ出かけよう。

6~10月の繁忙期、トラムは30分間隔で走っている。ソーリェル駅の始発は8時、ソーリェル港の始発は8時30分。夜の最終便は間隔が開き、それぞれ20時35分と21時05分発だ。ちなみに11~5月の閑散期は、運行間隔が60分に広がる。

終点までの所要時間は、20~30分だ。主要道路とは分離されているので交通渋滞の影響はほぼないが、全線単線で、途中の停留所で列車交換を行うため、その待ち時間によっても左右される。

運賃は1乗車8ユーロで、往復の設定はない。並走する路線バスの運賃が現金3ユーロ、カード1.80ユーロなので、比較するまでもない高価格だ。これでも1990年代は2ユーロだったというから、2000年代以降の、一般輸送はバス、観光輸送は鉄道と棲み分けを明確にした経営自立策の結果だろう。なお、駅の出札口ではトラムの乗車券を扱っておらず、運賃は車掌が車内で徴収する。

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時刻表が記載された停留所の標柱
 

パルマからの次の下り列車がソーリェルに着くのは、13時15分だ。列車到着後はトラムの乗り場が人で溢れかえるので、その前の13時発のトラムに乗車しようと思う。

駅前で待っていると、13時ごろ、電動車2号が付随客車2両を連れて港方から現れた。鉄道オリジナルの1~3号は総括制御未対応のため、従来方式の3両編成で運用されているのだ。しかし、これは遮断機の先の構内で客を降ろして、車庫の方へ引き揚げていった。少し間を置いて次に現れたのは、23、24号の電動車ペアの間に密閉型の付随客車2両が挟まった4両編成だ。ソーリェル港方面へはこの後続便が先行するらしい。待っていた客が乗り込むと、ベンチシートはそこそこ埋まった。

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23、24号のペアがソーリェル港方面へ先行
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教会横の狭い路地エス・ボルン
 

13時05分、ボーッという汽笛を合図にトラムは動き出した。最初は下り坂になったエス・ボルン Es Born の狭い路地をゆるゆると進んでいく。さっそく車掌が運賃収受に巡回してくる。現金で払うと、機械印字の薄いレシートをくれた。

路地を抜けるとトラムは、路面軌道の車窓名物ともいうべき町の中心、憲法広場 Plaça de sa Constitució を横断する(冒頭写真も参照)。

重厚なバルコニー装飾が目を引く旧ソーリェル銀行 Banco de Sóller(現 サンタンデル銀行ソーリェル支店)、石灰岩の壮麗なファサードを向ける聖バルトロマイ(バルトメウ)教会 Església de Sant Bartomeu に、太陽を捧げる獅子のレリーフを掲げた市庁舎と、町を象徴する建造物が左右に並び建ち、カフェテラスのテーブルや、スナックや小物を商うさまざまな屋台で埋め尽くされた広場だ。

そぞろ歩く観光客の間をかき分けるように、トラムは最徐行で通過していく。車両の接近に気づかない人もいるので、運転士は何度も警笛を鳴らし、車掌も身を乗り出して警戒怠りない。

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憲法広場の聖バルトロマイ教会と市庁舎
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広場のカフェテラスの間を最徐行で通過
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車内から(帰路写す)
 

広場からクリストフォル・コロム通り Avinguda de Cristòfol Colom に移ったところで、最初の停留所メルカト Mercat(市場の意)に停車した。文字どおり市営市場の前で、待避線がある。仮に広場で運行にトラブルがあったときでも、港方面へ折返し運転できるようにしてあるのだろう。ここもまだ人通りが絶えない。

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メルカト停留所(帰路写す)
 

この300mほどの併用軌道区間を終えると専用軌道になり、旧道沿いの家並みの、レモンやオレンジの実がなる裏庭をかすめながら、郊外に出ていく。緊張から解放されたように、走るペースも少し速まる。

次の待避線があるのは、プラタナス並木の下にあるカン・グイナ Ca'n Guina 停留所だ。続いて、トレント・マジョル Torrent Major(大川の意、下注)を鉄橋で渡る。振り返ると市街地の背後に、朝、列車で越えてきたアルファビア山脈 Serra d'Alfàbia が衝立のように横たわっている。

*注 トレント Torrent は降雨時だけ水が流れる涸れ川のこと。主に石灰岩でできたマヨルカ島ではよく見られる。

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(左)オレンジの実がなる裏庭をかすめて
(右)トレント・マジョルの鉄橋を渡る
 

現在、沿線には12の中間停留所が設置されている(下注)が、どれも簡易な低床ホームに時刻表を記した標柱が1本立っているだけだ。リクエストストップのため、多くは素通りするが、思い出したように停車しては一人二人と降ろしていく。ちなみに降車したいときは、出入口のSTOPと記されたボタンを押すか、窓際にぶら下がっている紐を引いて、運転士に知らせる必要がある。

*注 正式の終点は後述するラ・パイエザ La Payesa なので、現終点のポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)もこの数字に含まれる。なお、湾沿いにかつてあったセスプレンディド S'Espléndido、セデン S'Eden、カン・ジェネロス Ca'n Generós の3停留所は、プロムナード整備を機に廃止された模様。

ほどなくパルマとソーリェル港を結ぶ主要道 Ma-11 と交差した。その後は道端軌道でおおむね直線ルートだが、最高時速でも30kmのため、隣を走るクルマには抜かれっぱなしだ。

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(左)主要道Ma-11と交差(帰路写す)
(右)背後に横たわるアルファビア山脈
 

道路脇にロカ・ロジャ Roca Roja 停留所が見えてきた。30分間隔の運行の場合、ここで列車交換が行われる。中間点よりやや港方に位置しているため、ソーリェル行の上り電車が先着することが多く、待っていたのは、21、22号の電動車ペアによる4両編成だった。少し停車している間に、下りの続行便である2号電動車の3両編成も後ろに現れた。

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ロカ・ロジャ停留所での列車交換
 

行き違いを終え、再び出発。このあたりは両側から山が迫っていて、主要道はその山を貫く長さ1329mのサ・モラトンネル Túnel de sa Mola に入ってしまう。停留所のない待避線を通過すると、いよいよ前方にエメラルド色の海が見えてきた。ビーチにさしかかるサ・トレ Sa Torre 停留所では、客がぞろぞろと下車して、車内がすいた。線路は右へ進むが、左のほうにも椰子の枝が風に揺れるプラジャ・デン・レピク Platja den Repic のビーチが続いている。

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(左)2号電動車が続行
(右)サ・トレ停留所で多くの客が下車
 

ここから終点までは、エス・トラベス Es Través の弓なりになった湾岸を走る。光降り注ぐビーチでくつろぐ人々やボートが浮かぶのどかな湾景に目を細めながらの、鉄道旅のフィナーレにふさわしい数分間だ。プロムナードの中央に軌道が通っているが、この形に整備されたのは意外に新しく、2012年のことだ。

かつてここには主要道 Ma-11 が通っていて、軌道はその海側に分離されていた。2007年に上述のサ・モラトンネルを経由するバイパスが開通したことで、通過車両をそちらに移し、湾沿いを歩行者に開放したのだ。軌道もその際に移設され、もとの軌道用地は海側の歩道になっている。

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エス・トラベスのプロムナード
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ソーリェル湾の眺め、正面が地中海への出口
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プロムナード整備以前の風景
軌道は主要道の海側を通っていた(2010年)
Photo by Alain GAVILLET at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

やがてトラムは減速し、右隣に待避線が現れた。終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)に13時29分到着。降車が済んだ頃に、続行の3両編成が右の線路に入ってきた。こちらは機回しが必要なため、4両編成はすぐに発車して、停留所を空けなければならない(下注)。

*注 ソーリェルに戻る必要のない時は、サ・トレ停留所の南にある待避線で留置される。

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終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル)に
続行編成も到着
 

ささやかながらもここは、パルマから延々乗ってきたソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller (FS) のもう一方のターミナルだ。町の中心部に位置し、サ・カロブラ Sa Calobra へ行く沿岸観光船の埠頭も目の前にある。軌道の海側に建てられた旧駅舎は、早くも1920年代にマリソル Mar y sol、すなわち海と太陽という名の食堂 兼 ホテルに改装され、今もレストランとして営業している。

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レストランに転用された旧駅舎
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ソーリェルへ戻るトラムに客が群がる
 

軌道はさらに150mほど先に進んだ、ラ・パイエザ La Payesa(旧 サ・ポサダ・デ・アルテザ Sa Posada de l'Artesà(職人宿の意))と呼ばれる場所が正式の終点だ。4.9kmという路線長もその距離を含んでいる。港に海軍基地があった時代、このルートは貨物線として機能しており、さらに先の造船所まで達していた。今でも路面に軌道が残されているが、トラムがそこまで足を延ばすことはもはやない。

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軌道の終端ラ・パイエザ
かつてはさらに貨物線が続いていた
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2022年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ソーリェル鉄道 https://trendesoller.com/
ソーリェルからソーリェル港に至るマヨルカの路面軌道の前面車窓動画
Führerstandsmitfahrt mit der Straßenbahn von Mallorca von Sóller bis Puerto de Sóller
https://www.youtube.com/watch?v=gV8cTyKeQHQ

★本ブログ内の関連記事
 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

 マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線
 バスク鉄道博物館の蒸気列車

2023年7月28日 (金)

マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線

マヨルカ島 Mallorca は、西地中海に浮かぶスペイン領バレアレス諸島 Illes Balears/ Islas Baleares の最大の島だ。面積は3640平方kmで、沖縄本島(1208平方km)の3倍に及ぶ。地中海性の穏やかな気候のもと、光降り注ぐビーチはもとより、自然豊かな内陸のドライブやサイクリングも人気で、観光の島としてすっかり定着している。

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ソーリェル鉄道パルマ駅での機回し作業
 
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その南西に開いた湾に臨んで、主要都市パルマ Palma(下注1)がある。バレアレス諸島の行政・経済の中心地であり、本土から航空機や船で来る客にとってマヨルカ島の玄関口になっている。ソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller (FS) は、そのパルマを起点に、トラムンタナ山脈 Serra de Tramuntana の向こう側にある小さな町ソーリェル Sóller(下注2)とその港へ行く軽便鉄道だ。

*注1 パルマやラ・パルマという地名は世界各地にあるため、通常、パルマ・デ・マヨルカ Palma de Mallorca と呼んで区別される。
*注2 Sóller の日本語への音写には揺れがあり、ソリェル、ソーイェルとも書かれる。また、現地の発音はソイヤ、ソヤのように聞こえる。

鉄道は、実質的に2本の路線から成る。


トレン・デ・ソーリェル Tren de Sóller
パルマ Palma FS ~ソーリェル Sóller 間 27.3km
軌間914mm(3フィート)、1200V直流電化
1912年蒸気鉄道で開業、1929年電化

州都パルマとソーリェルの町を結ぶ「列車線」。Tren は英語の Train で、列車を意味するが、以下では「ソーリェル鉄道」と記す。


トラムビア・デ・ソーリェル Tramvia de Sóller
ソーリェル~ポルト・デ・ソーリェル Port de Sóller 4.9km
軌間914mm(3フィート)、600V直流電化
1913年開業

内陸にあるソーリェルの町と少し離れた港を結ぶトラム路線。Tramvia は英語の Tramway で、以下では「ソーリェル路面軌道」と記す。後述する理由で「列車線」と一体のものとして建設されたが、実態は本線に対する支線のような関係だ。

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ソーリェル鉄道路線図

マヨルカ島での鉄道の歴史は、1875年に始まる。この年、914mm(3フィート)軌間、蒸気運転のマヨルカ鉄道 Ferrocarriles de Mallorca が、パルマから内陸の町インカ Inca まで通じた。ターミナル駅が建設されたのは旧市街の北東部で、現在、征服王ハイメ1世の像が建つスペイン広場 Plaça d'Espanya の向かいだった。当時はまだ旧市街を囲む市壁が残っており、その外縁に当たる。続いてここから島の各方面へ、放射状の路線網が形成されていく。

ソーリェル市民もまた、特産の柑橘類や町工場の繊維製品を輸送するために、鉄道の必要性を痛感していた。構想は1890年代からあったものの、目の前に横たわる山脈の横断という難題の解決には時間を要した。3km近い長大トンネルで山を貫くという大胆な計画が認可され、地元資本でソーリェル鉄道会社が設立されたのは、ようやく1905年のことだ。

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鉄道会社設立時の株券
Image from wikimedia. License: public domain
 

路線延長は27kmで、地方鉄道(二級鉄道)Ferrocarril secundario の補助金交付の条件である30kmに少し足りなかった。そこで、同じ軌間で線路を4km離れた港 El Port まで延長することにして、これをクリアしている。今もある路面軌道線だ。パルマ駅の土地は、マヨルカ鉄道のターミナルから通りを一つ挟んだ西側に確保され、マヨルカ鉄道と車両が直通できるように、両駅を接続する渡り線も計画された。

5年余の工事を経て、蒸気運転のソーリェル鉄道が1912年4月に開業した。運行を担うためにタンク機関車が4両購入され、「パルマ」「ソーリェル」など経由地の名がつけられた。方や軌道線は、1年半遅れて1913年10月に、最初から電気運転で開業した。

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ソーリェル駅で待機するトラム車両
 

当初は貨物輸送が主体だったが、連続勾配で酷使された蒸機はしばしば不調となり、運行に支障をきたした。乗客にとっても、トンネルで客室に入り込む煤煙は困りものでしかない。列車線の電化は開業間もない1915年から検討されていたのだが、実現に漕ぎつけたのはかなり遅れて1929年のことだ。このとき導入された旅客用電車は、今もまだ現役で動いている。

1930年代になると、主にフランスやイギリスで、マヨルカ島が観光地として注目を集めるようになった。列車線と軌道線を直通する観光列車の運行が1930年に始まっている。スペイン内戦とそれに続く第二次世界大戦の間、島への訪問客は激減したが、1950年代からは回復を見せた。それに伴い、乗車体験とセットになったソーリェルの町と港の人気も高まっていく。

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マヨルカ島の観光ポスター(1961年)
 

しかし、島全体を見渡すと、鉄道網は縮小過程にあった。モータリゼーションの影響で利用が減少したマヨルカ鉄道は経営に行き詰まり、1959年に国(国営鉄道開発局 EFE)の管理下に置かれた。EFEと1965年にそれを引き継いだ公共企業体 FEVE は、全国的に不採算路線の廃止を推し進めた。そして、当面存続させるさまざまな軌間の路線については、運用を効率化するためにメーターゲージ(1000mm軌間)に統一していった。

マヨルカ島の鉄道は、1994年に再び公営のマヨルカ鉄道輸送 Serveis Ferroviaris de Mallorca (SFM) に移管されたが、本土の狭軌線と同じメーターゲージなのは、こうした経緯による。幸いと言うべきか、ソーリェル鉄道はマヨルカ鉄道とは別会社だったため、改軌を免れ、オリジナルの3フィート軌間のままで残った。

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パルマの街路を走る列車
 

ところで、鉄道に比べてソーリェルに通じる道路の整備は遅れており、19世紀後半に開削された山道に長らく依存していた。標高497mのソーリェル峠 Coll de Sóller を、果てしなく続くつづら折りで越えていく難路だ。ようやく1997年に、鉄道トンネルに並行して長さ3023mの道路トンネルが完成し、交通事情は格段に改善された。

同時にこれが、鉄道にとって最大の脅威となることも明らかだった。事実、パルマ~ソーリェル間ではその後、トンネル経由で路線バスが30分ごとに運行され、所要時間差、料金差ともに大きい(下注)ことから、公共輸送の機能はほぼこちらに移行してしまっている。

*注 パルマ~ソーリェル間の所要時間は鉄道60分、バス30~35分(定刻の場合)。片道運賃は2023年現在、鉄道18ユーロ、バス4.50ユーロ(現金の場合)。

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パルマとソーリェル港を結ぶバス204系統
 

鉄道ではかねてから、定期列車の間を縫って、観光列車の運行にも力を入れてきた。経営陣が交替した2002年以降は、存続を図るために、地域の観光資産という性格が前面に押し出されている。スペインでは珍しい旧世代車両による運行(下注)が維持されたことで、アトラクションとしての人気は不動のものとなった。観光バスや沿岸観光船とも連絡し、島を訪れた観光客をソーリェルに呼び込む広告塔の役割を果たしているのだ。

*注 定期運行している列車線では国内唯一、トラムはバルセロナのトラムビア・ブラウ Tramvia Blau(2023年7月現在運休中)とここしかない。

パルマ港から市内バスに乗り、朝8時前、スペイン広場に着いた。マヨルカ鉄道のパルマ駅は2007年に地下に移され、郊外バスやメトロのターミナルと接続する大規模なインターモーダル駅 Estació Intermodal に姿を変えている(下注)。地上には広大な公園が整備され、昔の面影は、商業施設に転用された旧駅舎と跨線橋に残るだけだ。

*注 市内バスは地下には入らず、従来どおりスペイン広場前の停留所に停車している。

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(左)インターモーダル駅
 バスターミナルに隣接してSFMの列車ホームがある
(右)公園北端に保存された旧跨線橋
 

一方、通りを隔てて北西側のソーリェル鉄道パルマ駅は、今も変わらず地上にある。マヨルカ鉄道の規模に比べれば、敷地も建物もささやかなものだ。大通りの角では、モデルニスモ調の錬鉄格子の上に「Ferrocarril de Sóller(ソーリェル鉄道)」の文字が躍るが、朝早いので扉はまだ開いていない。

反対側の門扉まで行ってみると、フェンス越しに構内が見渡せた。パルマ駅にもかつては機関庫・整備工場があったが、ソーリェル駅に機能を集約するために1997年に廃止されてしまった。それで現在は、夜間滞泊用の簡易な車庫しかない。

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ソーリェル鉄道パルマ駅
(左)大通りに面した門扉
(右)駅舎ファサード、入口はまだ開いていない
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構内から街路に出ていく線路
 

下の写真の左手に見えるのがその車庫だ。電動車1号と4号が休んでいる。いずれも1929年の電化開業時に投入された古典機で、いかつい顔と魚眼のようなヘッドライトを特徴とする。由来は不明だが、マヨルカを愛するドイツ人の間では「赤い稲妻 Roter Blitz」の愛称(下注)で呼ばれる車両だ。全部で4両在籍していて、鉄道線の運行はすべてこの形式車で賄われている。

*注 これはドイツだけで通用する愛称。ちなみに2021年にマヨルカ島を訪れた国別観光客数はドイツ212万人、スペイン110万人、イギリス67万人の順で、ドイツ人が圧倒的に多い。

駅は2面3線の構造で、駅舎に接した片面ホームと、隣接する島式ホームがある。後者を挟み込む線路は留置線代わりになっているらしく、6連の客車が2本、朝の出番を待っている。

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朝一番の構内
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「赤い稲妻」4号機、ソーリェル駅にて
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(左)ソーリェル鉄道の社章
(右)電動車の製造銘板
 

8時30分に入口が開いた。こじんまりした駅舎の中は、出札口が2つ並ぶ。右はオンライン予約した客が対象、左は直接購入する客の窓口だ。上部のモニターに本日の列車時刻が表示されているが、主に観光客が相手なので、朝は遅い。ソーリェル行きの下り一番列車が10時10分発、次は10時50分の発車だ。その右の数字は残りの席数を示しているが、始発便でもまだ十分余裕がある(下注)。とはいえ、列車発着のようすも観察したいので、乗るのは二番列車にしよう。

*注 前日までネット予約が可能。当日は窓口売りのみ。

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パルマ駅の出札窓口
 

運賃は、列車線が大人片道18ユーロ、往復25ユーロ、路面軌道とのセット券が往復32ユーロ(片道の設定はない)だ。路面軌道の正規運賃は片道8ユーロなので、セット券だとかなり割引になる。しかし、当日限り有効のため、泊りがけの場合は片道ずつ買うしかない。

切符には乗車区間と指定された列車(の発車時刻)がプリントされているが、席は自由席だ。団体の予約が入っているなどで係員から指示がある場合は別として、電動車を含めてどこでも座れる。

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(左)列車線の片道乗車券
(右)各列車の残り席数を示すパネル
 

駅の周辺を観察してから戻ると、窓口の前にはけっこうな行列ができていた。構内にいたはずの4号機と客車1編成の姿が消えていることに気づく。この路線では、時刻表に掲載されない団体専用列車も走っている。団体客は大型車の駐車場がある郊外の停留所で観光バスから乗り継ぐので、そこまで回送されていったのだろう。構内に残った1号機も客車に連結済みで、始発便を購入した客がそちらへ向かっている。

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始発列車に乗り込む客
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二番列車の客はホームで待機
 

そうこうしているうちに、空いていた駅舎前の片面ホームへ、3号機が率いる列車が入ってきた。ソーリェルを9時に出た上り一番列車だ。入れ替わるようにして、準備の整った1号機の下り一番列車が島式ホームを出ていく。

到着した列車では、さっそく機回し作業が始まった。切り離された3号機が車止めの手前まで前進した後、中線(島式ホームの片側)へ転線していく。下り方の分岐器は出口の門扉の間際にあるため、いったん街路まで出て折り返さなくてはならない。手狭な構内ならではの面倒な儀式だ。

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パルマ駅の機回し作業
(左)街路に出て折返し
(右)転轍てこは門扉の間際に
 

二番列車への乗込みが始まったのは、出発のおよそ30分前。ホームで車掌氏から切符のチェックを受けて乗り込んだ。

列車は、電動車と客車6両の7両編成だ。電動車の客室は1等、2等が半室ずつで、1等はベル・エポック調のソファー、2等には艶光りする板張りベンチが並ぶ。後続の客車はモノクラスで、背もたれは低いが、向きを変えられる転換式クロスシートだ。天井の丸いランプといい、ラッチで固定する片上げ式の窓といい、内装にレトロ感がにじみ出ている。

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電動車の客室
(左)1等室はソファーが並ぶ
(右)2等室はベンチシート
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客車はモノクラスで、背もたれは転換式
 

発車時刻が近づくころには、席がほぼ埋まった。車掌が鳴らす名物のラッパとそれに応える汽笛が聞こえ、定刻から5分ほど遅れの10時55分ごろ、列車はゆっくりとホームを離れた。

構内から街路に出た後、しばらく中層ビルが林立する市街地を、車道に挟まれて走る。線路の建設後に町が造成されたのだろうが、今ではセンターリザベーション化された路面軌道といった雰囲気だ。交差点が多いので、しきりに警笛が鳴らされる。

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(左)パルマ駅を出て街路上へ
(右)車道に挟まれた市街地の線路
 

5分ほど走ると市街地は遠のいていき、代わりに工場群が現れた。右手から、インターモーダル駅と UIB(バレアレス諸島大学 Universitat de les Illes Balears の略称)を結んでいるメトロM1号線の線路が近づいてくる。まもなくメトロとの接続駅ソン・サルディナ Son Sardina(下注)に停車。あいにくこちらはほぼ全員が観光客なので、乗継ぎのニーズは少なそうだ。

*注 マヨルカの地名によく見られる「ソン Son」は、普通名詞では家を意味し、イスラム時代の農場に起源をもつ荘園をいう。

次のソン・レウス Son Reus 停留所では、駅前に大型バスの駐車場が確保されている。列車の旅を組み込んだバスツアーの場合、ここから列車とトラムを乗り継ぎ、ソーリェル港で沿岸観光船に乗るか、再びバスに拾ってもらう(またはその逆)という片道コースが主流のようだ。

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(左)ソン・サルディナ駅前後ではメトロが並走
(右)ソン・レウス停留所は観光バスと接続
 

しばらくの間、大平原エス・プラ Es Pla をまっすぐ北に向かう。周囲は、イナゴマメやアーモンドの木が等間隔に植わる農業地帯だ。方向転換用の三角線があるサンタ・マリア Santa Maria と、次のカウベト Caubet の両停留所を立て続けに通過した後、線路は緩やかな斜面に取りついた。風景はいつしか松林に変わり、素掘りのままの切通しがときおり視界を遮る。

やがて列車は減速し、山麓の町ブニョラ Bunyola の駅に停車した。ここは全線の中間にあたり、電化開業時からの駅舎と変電所がある。数人が乗り降りした。

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中間の主要駅ブニョラに到着
 

ここからはいよいよ山越え区間だ。駅を出ると左に大きくカーブし、山裾を縫いながら、短いトンネルを2本くぐる。行く手に、トラムンタナ山脈の一部をなすアルファビア山脈 Serra d'Alfàbia の、盾のような崖が見え隠れしている。山裾に築かれた石積みテラス「マルジェス  marges」(下注)の畑を見ながらなおも上っていき、美しいアンダルシア風庭園の最寄り停留所、ジャルディンス・ダルファビア(アルファビア庭園)Jardins d'Alfàbia に停車した。

*注 漆喰を使わずに丸石で築いたテラスを、地元でこう呼ぶ。

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(左)石積みのテラス「マルジェス」
(右)アルファビア庭園へ向かう道
 

発車して間もなく、列車は、長さ2876mのマジョルトンネル(大トンネル)Túnel Major に突入する。ソーリェル峠の下を貫くサミットトンネルで、最高地点は標高238mに達し、通過には約5分かかった。長い暗闇を抜けた後は、右手に深い谷を見ながら坂を下っていく。試しに勾配を地形図で計測すると25‰程度になる。蒸気鉄道として開業しているので、これが実用の限界だろう。

右手の線路脇に、頭像と祭壇画風の6連のパネル絵が見えた。これは鉄道開通75周年を記念して1987年に設置されたモニュメントだ。絵はソーリェルの歴史を題材にしたもので、頭像は鉄道構想を初めて提案した政治家(下注)だという。しかし、走る列車の窓からは内容を確かめるすべもない。

*注 ソーリェルの実業家ジェロニモ・エスタデス・リャブレス Jerónimo Estades Llabrés。最初の構想は山脈を迂回する軽便線だったが、資金不足で実現しなかった。

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(左)サミットのマジョルトンネル南口
(右)北口近くにある開通75周年のモニュメント
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マジョルトンネル~ソーリェル間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

この先は、高度を落とすために線路が山の斜面に大きく引き回されていて、車窓きっての絶景区間だ。短いトンネルを2本くぐったところで、ミラドル・プジョル・デン・バニャ Mirador Pujol d’en Banya(下注)に停車した。本来は列車交換のための信号所だが、1988年に谷側にホームが設置されてからは、ソーリェルの盆地を俯瞰する名所になっている。下り列車はここで5~10分停車するので、乗客もホームに降りて、目の前に展開するパノラマをゆっくり鑑賞することができる。

*注 ミラドル Mirador は展望台の意。ホーム設置以来、停車サービスが観光列車 Tren turistico の特典として実施されてきた。ホームは片側(下り線側)にしかないので、通常、上り列車は通過する。

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プジョル・デン・バニャの展望台でしばし停車
 

展望台から盆地の底まで高低差が130mほどあるので、確かに眺めはすばらしい。左方には地中海を望み、正面には淡いオレンジ色の屋根がひしめく町が広がっている。その背後にそびえ立つのは、トラムンタナ山脈の主峰で、島の最高峰でもあるプチ・マジョル Puig Major(標高1436m)だ(下注)。盆地を取り囲む山並みの中で、鑿で荒削りしたような山肌がひときわ目を引いている。すでに1時間近くも列車に揺られてきた乗客にとって、この眺望はいい気晴らしになるに違いない。

*注 ただし実際に見えているのは、手前の尾根ペニャル・デル・ミチディア Penyal del Migdia(最高地点の標高1398m)。球形のレーダーが建つプチ・マジョルの山頂はその後ろに隠れている。

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展望台からのパノラマ
左奥は地中海で、港は手前の山に隠れている
右がソーリェル市街地
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市街地の背後にそびえる島の最高峰プチ・マジョル
 

もう一つの見どころは、再び発車してまたトンネルを2本くぐった先にあるシンク・ポンツ高架橋 Viaducte "Cinc Ponts" だ。またいでいる川の名に由来するモンレアルス高架橋 Viaducte de Montreals が正式名だが、5連のアーチからシンク・ポンツ(5つの橋の意)と呼ばれるようになった。長さ52mで、右にカーブしながら谷を渡っていく。木々に遮られないので見晴らしもいい。

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シンク・ポンツ高架橋を渡る
 

橋から2本目の比較的長いトンネルには、シンク・センツトンネル Túnel "Cinc-cents" という俗称がある。長さは530mで、およそ500(カタルーニャ語でシンク・センツ)というのが名の由来だ。線路はトンネルの前後で180度向きを変え、今度は左の窓に町が現れる。

山裾の短いトンネルをいくつか経る間に、高度は目に見えて下がり、町並みが近づいてきた。最後のトンネルの手前で、旧カン・タンボル Can Tambor 停留所を通過(下注)。トンネルから出るとすぐに速度が落ち、名産のオレンジ畑の中を左にカーブしていく。ほどなく車庫と周りの線路群が見えてきて、列車は、プラタナス並木の濃い影が落ちるソーリェル駅のホームに静かに滑り込んだ。

*注 路面軌道の輸送力不足を補う団体専用バスのための乗継ぎ用停留所。1990年に開設されたが、現在は使われておらず、鉄道のリーフレットにも記載されていない。

続きは次回

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プラタナスの影が落ちるソーリェル列車駅
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パルマから列車が到着
 

写真は、2022年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ソーリェル鉄道 https://trendesoller.com/

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 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

 マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道

2023年7月16日 (日)

スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

これからスペインにある観光鉄道についていくつか記事を書くつもりなので、調べた範囲で国内にある保存鉄道・観光鉄道のリストを作成した。西欧諸国ではフランスに次いで広大な国にしては物足りない数だが、内容はバラエティに富んでいる。

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段丘崖の下を走るアルガンダ鉄道の蒸気列車(2018年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_spain.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン」画面
 

項番1 パハレス坂 Rampa de Pajares

パハレス坂は、RENFE(スペイン国鉄)レオン=ヒホン線 Ferrocarril de León a Gijón の一部で、国内の在来線で最も険しいとされる山越え区間の通称だ。保存鉄道でも観光鉄道でもないが、山がちな国土を19世紀の鉄道技術でどのように克服していったのかを知る意味で注目に値する。

路線は、北海岸と中央高地を隔てるカンタブリア山脈 Cordillera Cantabrica を貫いていて、サミットと北麓の谷底との高度差は実に900m以上ある。それで、勾配を幹線規格の20‰に収めるために、大掛かりな線路の引き回しを行わなければならなかった(下図参照)。襞の多い山腹を縫って大小60本以上のトンネルと、150か所以上の橋梁が次々に現れるという、見るからに驚異のルートだ。

この坂道は1884年の開通以来、140年にわたって中央高地と北海岸との間の重要な連絡路として機能してきた。しかし目下、長さ24.6kmの新トンネルを含む高速仕様のバイパス線が建設中で、2024年にも完成が見込まれている。これが正式に開業すると、少なくとも旅客列車でパハレス坂を体験することは難しくなるだろう。

ちなみに、カンタブリア山脈を貫く路線は他にもあるが、いずれも同様の理由で羊腸の道をたどることを強いられている。たとえば、パレンシア=サンタンデル線 Línea Palencia-Santander のレイノサ Reinosa ~バルセナ Bárcena 間、カステホン=ビルバオ鉄道 Ferrocarril Castejón-Bilbao のイサラ Izarra ~オルドゥーニャ Orduña 間がそうだ。

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パハレス坂のふもと、
プエンテ・デ・ロス・フィエロス Puente de los Fierros 駅に停車中の近郊線電車
(2020年)
Photo by Savh at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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パハレス坂ルート(1915年)
Image from Guide Joanne, 1915 edition. License: public domain
 

項番15 いちご列車 Tren de la Fresa

スペイン本土最初の鉄道は1848年にバルセロナと近郊との間で開業したが、2番目は1851年開業のマドリード=アランフエス線 Ferrocarril de Madrid a Aranjuez だ。特産のイチゴを含む果物や野菜がこの路線で首都に運ばれたことから、いつしか「トレン・デ・ラ・フレサ Tren de la Fresa(いちご列車またはいちご鉄道)」の愛称がついた。

今はセルカニアス・マドリード(マドリード郊外線)Cercanías Madrid に組み込まれ、C-3号線の通勤電車が行き交うルートだが、行楽シーズンの週末には、古典客車を使用した懐古列車ツアーも実施されている。運行開始は1984年で、かれこれ40年続く伝統イベントだ。当初は蒸気機関車が牽いていたが、最近は電気機関車またはディーゼル機関車がバトンを引き継いでいる。

マドリードでの出発駅は中央駅アトーチャ Atocha ではなく、鉄道博物館に改装されている旧デリシアス Delicias 駅だ。一路南下し、約50分で、ロドリーゴ Rodrigo の名曲でも知られた古都アランフエスに到着する。オプションで世界遺産の王宮や旧市街を巡った後、帰りの列車内で、アテンダントから乗客に新鮮なイチゴがふるまわれる。

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蒸機が牽引していた頃のいちご列車
アランフエス付近(2012年)
Photo by Andrés Gómez - Club Ferroviario 241 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 バスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril

ビスケー湾に面した北海岸一帯には1000mm軌間の路線網が張り巡らされていて、さながら狭軌の王国だ。北東部に位置するバスク州には、こうしたメーターゲージの機関車や客車を動態保存しているバスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril(バスク語表記 Burdinbidearen Euskal Museoa)がある。

1994年にオープンした博物館は、旧ウロラ線 Ferrocarril del Urola の中間駅だったアスペイティア Azpeitia 駅を、駅舎や構内配線だけでなく、機関庫や変電所など付属施設も含めて再利用している。運営主体がバスク州の鉄道運行を担うエウスコトレン Euskotren 社ということもあって、展示車両も、鉄道用の機関車や客車から、路面電車や地下鉄車両、道路車両まで実にさまざまだ。

支線だったウロラ線はすでに廃止され、跡地の大半は自転車道などに姿を変えてしまった。しかし、アスペイティアから下流のラサオ Lasao 駅までの4.5kmだけは、保存列車の走行用に線路が残されている。シーズンの週末には、博物館の蒸気機関車が旧型客車を牽いて、ウロラ川に沿うこの渓谷区間を往復する。

*注 鉄道の詳細は「バスク鉄道博物館の蒸気列車」参照。

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旧ウロラ線を行くバスク鉄道博物館の蒸気列車
(2004年)
Photo by Nils Öberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 アルガンダ鉄道 Tren de Arganda

メーターゲージの蒸機で運行される観光鉄道はもう1か所、マドリード南東郊にもあり、地名にちなんでアルガンダ鉄道(アルガンダ列車)と呼ばれている。拠点はマドリード地下鉄9号線のラ・ポベダ La Poveda 駅から西へ500mで、アクセスは容易だ。

路線はもとタフニャ鉄道 Ferrocarril del Tajuña と称し、首都からおおむねタフニャ川に沿ってグアダラハラ県アロセン Alocén まで、142kmも続く長大路線だった。しかし、貨物輸送をしていたマドリード側の35kmを最後に、1997年に全廃となった。その廃線跡の一部、約4kmを使って2001年に開業したのがこの保存鉄道だ。

地下鉄(下注)の駅近とはいえ、周辺は麦畑が広がり、鉄道の現役時代を彷彿とさせる。列車は春・秋の日曜日に運行され、小型タンクが古典客車を数両連ねて、マドリード方向に出発する。まもなく渡るハラマ川 Río Jarama のトラス橋が車窓の名物だ。その後、西に向きを変えて荒々しい段丘崖の下を走り(冒頭写真参照)、折返し駅ラグナ・デル・カンピリョ Laguna del Campillo に至る。

*注 郊外地なので、地下鉄といえども地上を走っている。

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アルガンダ鉄道が保有する
1926年オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 製の小型タンク
(2016年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ハラマ川を渡るトラス橋(2020年)
Photo by Julio A. Ortega at Flickr. License: public domain
 

項番10 トラムビア・ブラウ(青トラム)Tramvia Blau

カタルーニャの州都バルセロナはいうまでもない国際的な観光都市だ。見どころが多数あるなか、鉄道関係ではトラムビア・ブラウがよく知られている。地下鉄7号線の終点(下注)があるケネディ広場 Plaça Kennedy から、ケーブルカー乗り場の前のドクトル・アンドレウ広場 Plaça del Doctor Andreu まで、ティビダボ山へ向かう観光客を乗せて走る青色の路面電車だ。わずか1.3kmの短区間とはいえ、急な坂道を何食わぬ顔で上っていく姿は頼もしい。

*注 駅名はアビングダ・ティビダボ Avinguda Tibidabo(ティビダボ大通り)。

使われている車両は1901~04年製の2軸車で、路線のオリジナルだ。もとから青塗装で、1979年に市営化された後も、市電のような赤色に塗り直されることはなかった。ただし129号車は旧市電を復元したので、例外的に赤をまとっている。

バルセロナには現在トラム路線が数本あるが、市電が全廃された1971年から、トラムが復活した2004年までの30数年間、これが市内唯一の路面電車だった。存続した理由は、別会社が運営していたことと、これ自体がティビダボにリンクしている観光アトラクションだったからだ。今も運賃は市内交通とは別建てで、車内で車掌が徴収する。

なお、トラムビア・ブラウは老朽化のために2018年から運休となり、現在は代行バスが走っている。

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ドクトル・アンドレウ広場に到着した7号電車
(2014年)
Photo by Andreas Nagel at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番12 ソーリェル鉄道 Tren de Sóller
項番13 ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller

西地中海に浮かぶマヨルカ島 Mallorca はスペイン最大の島で、州都パルマ Palma を起点にした複数の鉄道路線がある。公営(マヨルカ鉄道輸送 Serveis Ferroviaris de Mallorca)の通勤路線やメトロと並び、民営の観光鉄道として名を馳せているのがソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller だ。914mm(3フィート)軌間で電化された鉄道線と路面軌道線をもっていて、両者はソーリェルの町で接続している。

鉄道線のほうは「トレン・デ・ソーリェル(ソーリェル列車またはソーリェル鉄道)Tren de Sóller」と呼ばれる。1912年に蒸気鉄道で開業し、1929年に電化された。パルマ市内、スペイン広場 Plaça d'Espanya の横にあるターミナル駅を起点とし、立ちはだかるトラムンタナ山脈 Serra de Tramuntana を横断して、盆地に位置するソーリェル Sóller まで27.3kmの路線だ。

並行して路線バスが30分間隔で走っていることもあり、列車の旅は観光客向けに特化されている。ホームで客を迎えるのは、艶光りする板張りの車両を長々と連ねたレトロ列車だ。乗車時間は約1時間。前半は市街地を抜けて、オリーブ畑が広がる中をひた走る。後半、峠のトンネルを出た直後に、ソーリェルの町を見下ろす展望台の駅で5~10分の小休止がある。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線」参照。

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ソーリェル鉄道の列車、ブニョラ Bunyola 南方にて
(2017年)
Photo by Diesellokophren at wikimedia. License: CC0 1.0
 

列車が着いたソーリェルの駅前には、路面電車が発着する。町と港との間を結んでいる延長4.9kmの「トラムビア・デ・ソーリェル(ソーリェル・トラムまたはソーリェル路面軌道)Tramvia de Sóller」だ。1913年開業の貴重な旧世代トラムで、スペインでは前項のトラムビア・ブラウとここにしか見られない。

車両は「列車」と同じような板張りだが、利用者が混同しないように、前面腰板がオレンジ色に塗られている。混雑するシーズン中は、電動車2両の間に開放型客車2両をはさんだ最大4両編成で走る。さらにピーク時は2本が続行運転されて、押し寄せる客をさばく。

駅を出た電車は、市場やカフェテラスが賑わう教会前の広場をそろそろと横断する。しばらく道端をかすめ、最後は強い日差しが降り注ぐ海岸の、のびやかなプロムナードに沿って進む。「列車」とはまた違って、通り過ぎる風景との距離が近いのが魅力だ。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道」参照。

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ソーリェルの街路を抜けていく路面電車(2008年)
Photo by Olaf Tausch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 ヌリア登山鉄道 Cremallera de Núria

ラック式登山鉄道も北東部のカタルーニャ州で2本動いている。その一つ、ヌリア登山鉄道は、ピレネー山脈の山懐にいだかれたカトリックの聖地ヌリア Núria が目的地だ。延長12.5km、軌間1000mm、アプト式ラックレールを用いて、麓の駅との高度差1059mを克服する。開業が1931年と比較的遅かったので、最初から電気運転だった。

ヌリアには、ロマネスク期の聖母像が安置された教会建物があり、周辺にはスキー場も開かれている。しかし車道が通じていないので、徒歩を除けば登山鉄道が唯一のアクセス手段だ。所要時間は40分、山奥にもかかわらず、ピーク期には1日13往復もの列車が走っている。

鉄道の起点は、カタルーニャ近郊線のリベス・デ・フレゼル Ribes de Freser 駅前にあるリベス・エンリャス Ribes-Enllaç だ。Enllaç(スペイン語では Enlace)は接続、連絡を意味する。

滑り出しは粘着式で谷底を這う。5.5km地点でラック区間が始まり、中間駅ケラルブス Queralbs からは氷河谷の急斜面にとりついて上る。最大勾配は150‰。とりわけスリリングだった断崖の桟道区間が、2008年に長いトンネルに置き換えられた。車窓の醍醐味は若干そがれたが、ピレネーの神髄に迫る高揚感はいささかも失われていない。

*注 鉄道の詳細は「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

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ヌリア貯水池の岸を行く(2009年)
Photo by Alberto-g-rovi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番7 モンセラット登山鉄道 Cremallera de Montserrat

バルセロナの北西35km、林立する奇岩の上に建つモンセラット修道院 Monestir de Montserrat にも、ラック式登山鉄道が通じている。

カタルーニャで最も重要な巡礼地とあって、鉄道建設の機運は早くからあり、初代は1892年に開業した。しかし1930年代以降は、競合するロープウェーの開設とモータリゼーションの加速化が、会社経営に大きな影響を及ぼしていく。設備更新が滞る中で発生した脱線事故がとどめとなって、この登山鉄道は1957年に撤退を余儀なくされた。

現在運行中の2代目は、山域の環境負荷を軽減するために、旧ルートを一部利用して2003年に新設されたものだ。仕様はヌリア登山鉄道とほぼ共通で、延長5.3km、麓の駅との高度差は550m、所要15分。

起点は、カタルーニャ近郊線のモニストロル・デ・モンセラット Monistrol de Montserrat 駅(登山鉄道の駅名はモニストロル・エンリャス Monistrol-Enllaç)だ。しかし、次のモニストロル・ビラ Monistrol-Vila のほうがむしろ主要駅だろう。駅の周りに大駐車場が併設されていて、クルマで来た客はここで電車に乗り換えて山上に向かう。そのため、この駅を始発/終着とする区間便が多数ある。

*注 鉄道の詳細は「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「同 II-新線開通」参照。

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モンセラット駅を出発するラック電車(2017年)
Photo by Juan Enrique Gilardi at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番14 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama(マドリード郊外線C-9号線 Cercanías Madrid Línea C-9)

ラックレールには頼らないものの、この鉄道も山の稜線に上っていくという点で、実質的な登山鉄道といえる。舞台はマドリードの北西、国立公園にもなっているグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama だ。山裾のセルセディリャ Cercedilla から峠に位置するコトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)まで、路線は延長18.2km、高低差が670mある。

メーターゲージの電気鉄道で、最大勾配は70‰だ。中間駅のプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠)Puerto de Navacerrada までほぼこの勾配でぐんぐん高度を稼ぎ、あとは松林の間を等高線に沿うようにして、標高1819mの終点コトスに至る。

グアダラマ電気鉄道というのは私鉄時代の旧社名で、1954年に国有化されて、RENFE(スペイン国鉄)の一路線になった。現在は、首都圏の通勤路線網セルカニアス・マドリード Cercanías Madrid に組み込まれ、C-9号線と称している。しかし、運賃は他のどのゾーンから乗っても固定額で、乗車券購入時には列車予約が必要になるなど、通勤路線とはかなり異なる扱いだ。

*注 鉄道の詳細は「グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車」参照。

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セルセディリャ駅のC-9号線発着ホーム(2022年)
Photo by Albergarri788 at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番9 ジェリダ・ケーブルカー Funicular de Gelida

最後にケーブルカーを一つ紹介しておきたい。バルセロナ西郊にある小さな町ジェリダ Gelida で、麓のRENFE駅(下注)と高台にある町の中心部を結んでいる路線だ。長さ884m、最大勾配22.2%で110mの高度差を克服する。

1924年の開通で、設備は1980年代に更新されているものの、板張りの車体に古めかしい雰囲気が残っている。ルートは直線で、駅前から乗ると前半は掘割の中を進む。高速道の下をくぐった後、中間点で下る車両と行違うが、そちらは客扱いがなく、重りの役割しか持っていない。周りにいっとき畑が広がるが、まもなく家並みに囲まれて上部駅に到着する。所要時間は8分だ。

*注 ロダリエス・カタルーニャ Rodalies Catalunya(カタルーニャ郊外線)R4号線の列車が停車する。

カタルーニャ公営鉄道 FGC が運営する公共交通機関で、フニ Funi(ケーブルカーを意味するフニクラル funicular の略)と呼ばれて市民に親しまれてきた。しかし、政府の補助金削減を理由に、2011年でその役割は終了した。以来、観光用に週末の日中にだけ運行されていて、ふだんの市民の足はシャトルバスが担っている。

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(左)ジェリダ・ケーブルカーの中間地点(2019年)
(右)上部駅(2014年)
Photos by calafellvalo at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

【付記】鉄道名の和訳について

スペイン語では鉄道のことを「ferrocarril(フェロカリル、鉄の道の意)」というが、観光鉄道の場合は「tren(トレン、列車の意)」もよく見かける。これは運行されている列車そのものを指すとも考えられるが、保存鉄道リストでは一律に「鉄道」と読み替えている。

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