ライトレールの風景-とさでん交通駅前線・桟橋線
特急南風号で四国山地を縦断し、高架化されたJR高知駅のホームに降り立った。南面が開いていて、列車が出ていくと、駅前広場の眺めがさっと開ける。背の高い椰子の並木を伴ってまっすぐ延びるはりまや通りの中央に、複線の線路が見える。高知の路面電車、とさでん交通が走るルートだ。
きょう2024年11月30日は、海外鉄道研究会の設立50周年行事で、とさでん交通の外国製トラムを貸し切って乗車・撮影会がある。先に実施されたフォトラン(走行風景撮影)には都合で間に合わなかったが、続きで用意されている乗車体験を楽しみにやってきた。
![]() 高知駅前電停、後ろはJR駅高架ホーム * (キャプション末尾に*印があるものは2022年9月撮影、無印は2024年11月撮影) |
まずは予備知識として、とさでん交通の軌道線の概要を記しておこう。
路線の延長は25.3kmで、意外にも、路面電車の町として認知度の高い広島に次いで全国2位の規模をもっている(下注)。このうち縦軸が駅前線(はりまや橋~高知駅前 0.8km)と桟橋線(はりまや橋~桟橋通五丁目 2.4km)、横軸が後免(ごめん)線(後免町~はりまや橋 10.9km)と伊野線(はりまや橋~伊野 11.2km)だ。
*注 広島電鉄の路線延長は、鉄道線である宮島線16.1kmを含めて35.1km。ちなみに3位は京阪電鉄の軌道線(京津線・石山坂本線)21.6kmだが、併用軌道区間は短い。4位は阪堺電気軌道の18.3km。
両者は、中心部のはりまや交差点(下注)で交差している。路線名が二分されているが電車は直通しているため、縦軸は南北線、横軸は東西線と呼ばれることもある。
*注 電停名は「はりまや橋」だが、交差点は「はりまや交差点」という。
![]() とさでん電車路線図 |
とさでんのルーツである土佐電気鉄道(下注1)の開業は、1904(明治37)年に遡る。当時、四国の他3県にはすでに鉄道が通っていたが、すべて蒸気鉄道であり、路面電車が走るのは最初だった(下注2)。ちなみに現JR四国の土讃線はそれより20年遅れて、1924(大正13)年にようやく高知~須崎(すさき)間、翌年に土佐山田~高知間が開通している。
*注1 地元では土佐電ではなく土電(とでん)と呼ばれてきた。
*注2 愛媛県の伊予鉄道の開業はより早い1888(明治21)年だが、これは松山~三津間の蒸気鉄道線であり、市内軌道線の開業は松山電気軌道による1911(明治44)年が最初。
土讃線の開通からほどない1928(昭和3)年に高知駅前への延伸線が開業して、現在の路線網が完成した(下注)。戦時下の陸運統制令による高知鉄道との合併では、後免~安芸(あき)間の安芸線が加わるものの、1974年に廃止となった。経営難により県が介入して、とさでん交通の名で再出発したのは2014年。県と沿線自治体が会社の全株式を保有しているので、実態は公営企業だ。
*注 当時は、後免線の若松町通(現 知寄町二丁目)で分岐する新地線0.5kmもあったが、戦時中の休止を経て1954年に廃止。
![]() 維新号、開業時の7形のレプリカ |
◆
高知駅前電停は、文字どおりJR駅のすぐ前にあってとても便利だ。かつては駅前交差点東側の道路中央に置かれ、利用客は、今も残る歩道橋でアクセスしていた。駅へ直進する形に改修されたのは2001年のことだ(下の写真参照)。JR線の高架化に伴い旧駅舎が撤去された後、2009年にさらに少し北進して、現位置に収まった。
今回の乗車会の集合場所は、桟橋線の終点近くにある桟橋車庫になっている。とさでん交通の本社やバスの営業所もある同社の運行拠点だ。さっそく桟橋通五丁目行きの電車に乗り込んだ。
![]() 駅前広場に移転後の先代電停(2004年撮影) |
![]() 現在の電停とJR高知駅 |
電車は、駅前の交差点を横断すると、片側2車線が確保されたはりまや通りのセンターリザベーション軌道をまっすぐ南へ向かう。電停名でいうと、高知橋(こうちばし)、蓮池町通(はすいけまちどおり)と来て、次がはりまや橋になる。はりまや橋そのものは北側の堀川(跡)に架かる小橋に過ぎないが、交差点は高知市街の中心だ。上述のとおり、とさでん交通の軌道線はすべて、ここを起点か終点にしている。その意味では江戸の日本橋のような存在かもしれない。
ビルに囲まれた広い交差点の中央で、軌道が十字に交わっている。ダイヤモンドクロッシングと呼ばれ、日本ではもう、名鉄築港線と伊予鉄道とここでしか見られない。他の2か所と異なるのは、十字のどの方向にも分岐できるように急カーブの渡り線が付随していることだ(下注)。
*注 渡り線は北西側のみ複線で、他は単線。そのため直接右折できるのは北(高知駅前方面)から来て西(伊野方面)へ行く場合に限られる。
それで、とさでん交通の公式サイトは、3両の電車が同時に渡り線を通過するトリプル・クロスに言及している。といっても、右左折する便が朝夕しか走らないため、平日の8時12分ごろ、運行状況によって「まれに」見られるのだそうだ。イベントとしては興味深いが、とても通りがかりの旅行者の手には負えない。
![]() はりまや交差点のダイヤモンドクロッシング |
![]() 現在のはりまや橋 * |
交差点を横断し終えて、南詰にあるはりまや橋電停で停車。車内の客がごっそり入れ替わった。ここから潮江橋(しおえばし)までの約250mは、あとの桟橋通一丁目~土佐道路交差点間約400mとともに、緑化軌道になっている。冬枯れの軌道敷を左へゆるやかにカーブしていき、鏡川に架かるその橋を渡る。
次の梅ノ辻(うめのつじ)電停以南は、潮江線として1904年に最初に開業した区間の一つだ(下注)。現在は完全に市街化しているが、建設当時は一面の田園地帯だったため、気持ちのいい直線ルートが延びる。そこに桟橋通一丁目から五丁目まで、順番に電停が並んでいる。
*注 最初、この潮江線(梅ノ辻~桟橋(現 桟橋車庫前))と本町線(堀詰~乗出(現 グランド通))の2区間で開業し、2年後の1906年、潮江橋(当時は専用橋)の完成により堀詰~梅ノ辻間が結ばれた(ただし現ルートとは異なる)。
![]() (左)潮江橋へ向かう緑化軌道 * (右)桟橋通一丁目付近 |
終点の桟橋通五丁目は、港前の交差点を渡った堤防沿いの狭い敷地にある。手前で上下線が合流し、単線で頭端ホームに入っていく。比較的新しい屋根が掛かっているが、これは2009年にホームや駐輪場とともに整備されたものだ。それ以前は南端の家屋の手前まで線路が延びていたので、今もその一部と車止めが残っている。
桟橋という地名は、土佐電気鉄道が開業に合わせて、ここに船をつける桟橋を築いたことに由来する。鉄道網が未整備の時代、ここと県内各地の港や関西方面との間に航路が開設され、船の大型化により港が移転した1935(昭和10)年ごろまで、土佐の玄関口として機能した(下注)。電車も、港と高知市街や沿線の町を結ぶ物流の動脈だったのだ。
*注 『土佐電鉄八十八年史』土佐電気鉄道、1991年 による。
![]() 桟橋通五丁目、電停手前で単線に * |
![]() 堤防沿いの桟橋通五丁目電停 * |
終点の160m手前、すなわち四丁目と五丁目の間に桟橋車庫前電停があり、北側で2本の引込線が車庫へ分岐している。私が着いたのは、フォトランに出ていた貸切電車が帰ってくる直前で、入庫シーンになんとか間に合った。
引込線は、下り線(桟橋通五丁目方面)には接続されていない。それで電車は桟橋車庫前の電停を通過してから停車。バックして南側の渡り線を通り、上り線(高知駅方面)に転線する。そのまま、また車庫前電停を通過して、引込線分岐の北側へ。それからもう一度前進して、ようやく引込線に入ってきた。
![]() 桟橋車庫 * |
![]() (左)フォトランから帰ってきた貸切電車 (右)桟橋車庫前電停を通過 |
![]() (左)上り線へ転線して、ようやく車庫引込線へ (右)車庫に帰還 |
14時15分、フォトランで沿線に散開していた参加者が全員、車庫に集合する。ひととおり説明を受けた後、発車までの間、車庫内の保存車両区域で、留置車両の自由見学が許された。初代車両7形のレプリカとして造られた維新号も休んでいるが、参加者の関心の的はやはり外国製の旧型電車だ。
これらは、1989年に開業85周年を迎えた旧 土佐電気鉄道が、記念事業の一環で収集したものだ。第一号となったドイツ・シュトゥットガルト市電は、後の2013年に福井鉄道へ移籍した(下注)が、続いて到来したポルトガル・リスボン、ノルウェー・オスロ、オーストリア・グラーツからの計3両は今もこの車庫にいる。定期運用されていた時期もあったが、車齢の進行により近年はイベントや貸切でしか公開されない。それで今日は、貴重な古典車両を間近に観察できるまたとない機会だ。
*注 GT4形。レトラムの名で現在も運用されている。福井鉄道については「ライトレールの風景-福井鉄道福武線」参照。
![]() (左)1947年製リスボン市電910号 (右)1949年製グラーツ市電320号(グラーツ時代は204号) |
このうち貸切運行に供されるのは、オスロから来たB形と呼ばれる電車だ。1939年の製造で、1992年5月から高知の街路を走っている。車長が15mを超える長いボギー単車で、後部の形状が魚のように見えることから、ノルウェー語で金魚を意味する「グルフィスク Gullfisk」のあだ名がある。
ユニークなのは、車端片側の乗降扉だけでなく、車両の中央にも両開きの折り戸がついていることだ。そのため中央部はデッキになり、客室が前後に分かれている。座席は向き固定の2+1人掛けで、集団離反型の配置だ。ここで走らせるために軌間や車幅の変更、車端扉の左右付替え、両運転台化など(下注)かなり手が加えられたため、もはやオリジナルとは言えないが、この形式では北欧以外で唯一の保存車になる。
*注 オスロ市電は標準軌(1435mm)で右側通行。進行方向を変えるループ線があるので「グルフィスク」は片運転台車として製造された。
![]() (左)オスロ市電198号、後部の形状が魚に似る (右)客室は前後に分かれ、座席は向き固定の2+1人掛け |
発車時刻が近づいてきたので、グルフィスクに乗り込んだ。14時42分に車庫を出発。直接北へ向かうから、先刻のようなスイッチバックは必要ない。本線軌道に入り、行き交う車と並走する。速度が増すにつれ、吊掛駆動特有のうなりが聞こえてきた。見慣れたいつもの電車とはスタイルが違うので、道行く人の目を引くようだ。視線がこちらに向けられ、中にはスマホをかざす姿も見られた。
走行ルートはトの字形だ。まず上り線で終点の高知駅前まで行き、折り返す。はりまや交差点では後免線に入り、東進して知寄町(ちよりちょう)で折り返し。同 交差点まで戻った後、改めて桟橋線を南進し、桟橋車庫前へ。最後に、例のスイッチバックで車庫に入る。配られた業務運行表によれば、走行距離9.959km、所要1時間のミニトリップだ。
![]() はりまや交差点にさしかかる「グルフィスク」 海外鉄道研究会 田村公一氏撮影 |
フォトランも同じルートだったので、遅れてきた私以外、走行風景はみな脳裏に焼き付いているらしい。車窓から町の眺めを楽しみながら、あれやこれやと会話が弾む。15時00分に高知駅前の2番線に入線。後ろをついてきた定期運行の電車が隣の1番線に入ってきた。
4分停車の後、また先行して発車する。はりまや交差点のダイヤモンドクロッシングで左折するが、このルートで走る定期便は設定されておらず、貸切運行の特典だそうだ。
知寄町では、電停を通過してから、東方の渡り線で西行線(伊野方面)に転線した。ここに昔、車庫があったと、誰かがつぶやく。跡地に建っているのはパチンコ店らしく、往時の面影は全くなかった。
![]() 桟橋通一丁目付近を行く 海外鉄道研究会 針谷光宣氏撮影 |
15時21分に再び走り出した。ダイヤモンドクロッシングでまた左に曲がって、帰途に就く。桟橋車庫前では、面倒なスイッチバックの通過儀式を居ながらにして見学した。着脱式のブレーキハンドルを携えた運転士さんが、すっかりくつろいでいる私たちの間をすり抜けて、両端の運転台の間を一往復する。
行程を無事終了して、車庫の所定位置に到着したのは15時42分。晩秋の日は短い。電車のステップを降りると、軌道の間に敷かれた古い石畳に参加者たちの長い影が落ちた。
![]() 桟橋車庫に帰着 |
■参考サイト
とさでん交通 https://www.tosaden.co.jp/
★本ブログ内の関連記事
ライトレールの風景-阪堺電気軌道阪堺線
ライトレールの風景-阪堺電気軌道上町線
最近のコメント