日本の鉄道

2024年4月11日 (木)

新線試乗記-北陸新幹線、敦賀延伸

朝8時すぎ、京都駅0番線から北陸方面へ行く在来線特急サンダーバード5号に乗り込んだ。発車すると、車内に自動アナウンスが流れる。「停まります駅は、終点敦賀(つるが)です」。そのあと武生、鯖江、福井と耳になじんだ駅の名が続かず、次がもう列車の終点と告げられたことに改めて感慨を覚えた。

2024年3月16日、北陸新幹線が敦賀まで延伸開業して、サンダーバードとしらさぎの運行(下注)を置き換えた。長野~金沢間開業から数えて9年、線路の先端は今や福井県の南半部、嶺南(れいなん)地方に達し、名実ともに北陸を貫通する新幹線になった。

*注 「サンダーバード」は関西と北陸を、「しらさぎ」は東海と北陸を、それぞれ結んでいる在来線の特急列車。

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新規開業区間を行くE7/W7系
トレインパーク白山にて

朝日がまぶしい琵琶湖西岸を滑るように北上して、サンダーバードは滋賀と福井の県境にある長いトンネルを抜ける。谷が開けて敦賀の市街地が見え始めるころ、速度がするすると落ちた。いつもなら右の車窓に上り線(大阪方面)の築堤が続き、左からは小浜線の単線線路が寄り添ってくるのだが、今日は違った。

視点が徐々に上がり、上り線と同じレベルになる。右側は新幹線の車両基地が見え、左は在来線のヤードを斜め上から見下ろす形だ。まもなく列車は、高架を支えるコンクリートの柱の間に入り込んでいき、ほぼ定刻で敦賀駅32番線に滑り込んだ。

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(左)特急の車窓から見下ろす敦賀駅の在来線ヤード
(右)新幹線接続用の新設ホームに到着
 

高架下に広がるこの2本のホームは、新幹線開業に伴い、接続する在来線特急列車のために新設されたものだ。西側(進行方向左側)の31、32番が降車用、東側の33、34番が乗車用になっている。

列車を降り、エスカレーターで上の階に行くと、ヴォールト状の天井に覆われただだっ広いコンコースに出た。随所に配置された誘導員が、次々と上がってくる客を乗換改札のほうに案内している。なにしろ、最大12両つないでいる特急列車の乗客が一斉に動くので、列は延々とぎれない。その人波を受け入れる改札機も、コンコースの横幅いっぱいに並んで壮観だ。

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敦賀駅
(左)混雑する新幹線乗換口
(右)コンコース幅いっぱいの乗換改札
 

ところで北陸新幹線では、主要駅のみ停車の速達便が「かがやき」で、おおむね長野以西で各駅に停まっていく列車は「はくたか」と呼ばれる。それ以外に富山~敦賀間でシャトル運転される「つるぎ」がある(下注)。

*注 「つるぎ」には速達タイプと各停タイプが混在している。また、本稿の範囲外だが、東京~長野間には各停タイプの「あさま」も走っている。

直近で接続する新幹線の列車は、9時11分発のつるぎ6号 富山行だ。サンダーバードの到着が9時03分なので、時刻表記載の乗り換え標準時分どおり、8分で接続する。一方、富山を越えて東進するのは、9時21分発のかがやき508号 東京行だ。大阪や京都から北陸新幹線経由で東京へ行く人は稀だろうから、富山止まりのつるぎを最短接続で先行させているようだ。

人の流れに従って歩けば、焦らずとも先発に乗継ぎ可能だが、その前に開業したての駅のようすを観察しておこう。

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(左)在来線特急乗り場への誘導サイン
(右)西口の既存駅舎へ向かう長い通路
 

新幹線コンコースと市街に面した西口(まちなみ口)の駅舎との間には、新しい跨線橋が設置された。距離と高低差が大きいため、下りエスカレーター、ムービングウォーク、そしてまた下りエスカレーターと、どこかの地下鉄の通路のような長い動線だ。西口駅舎も、10年ほど前に交流施設を併設する形で改築されたが、在来線ホームへ通じる既存の地下道はほぼ手つかずで、客車列車が走っていた時代の雰囲気をまだ残している。

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(左)一足先に改築された西口
(右)在来線ホーム、奥に地下道への階段がある
 

新幹線開業に合わせて反対側に東口(やまなみ口)が新設されたと聞いたので、そちらにも行ってみた。新幹線乗換改札のすぐ横、死角になるような位置にその改札がある。エスカレーターで直接1階に降りることができるが、外へ出ても、タクシーがぽつんと停まっているだけで、がらんとしてひと気がなかった。東側はもともと在来線のヤードが広がっていて、通路も改札口もない場所だった。しかし、国道8号バイパスが近くを通っているから、クルマで来るなら利用価値がありそうだ。なお、駅の東西をつなぐ改札外の自由通路はないので要注意。

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(左)新設された東口
(右)広いが、がらんとした空間
 

さて、そろそろサンダーバードからつるぎへの乗継大移動も収まったようだ。乗換改札を入ろう。高さ21m、ビル7~8階相当という階上の新幹線ホームは2面2線で、西側が11、12番、東側が13、14番だ。既存区間で見慣れたE7/W7系が停車している。

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(左)列車案内板に東京の文字が
(右)床が木目調の新幹線ホーム
 

この後は金沢まで、新規区間を初乗りしながら、中間各駅のようすも見ていきたい。

敦賀駅をゆるゆると出ると、列車の左車窓には市街地と、その先に一筋の青い海(敦賀湾)が見える。しかしそれもつかの間、短いトンネルに続いて、長さ19,760mの新北陸トンネルに突入する。在来線で陸上最長を誇る北陸トンネル(13,870m)の、さらに1.4倍もある長大トンネルだが、ものの5~6分であっさり通過してしまった(下注)。

*注 新北陸トンネルと次の脇本トンネル(1027m)の間はシェルターで覆われているため、車窓からは一続きのように意識する。


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敦賀駅を後にして北に向かう列車
 

日野川の河原を渡り、武生トンネル(2399m)を抜けると、最初の中間駅、越前たけふだ。開業区間で唯一の新幹線単独駅で、町の東の田園地帯に造られた。在来線(下注)の武生(たけふ)駅とは直線距離で2.7kmしか離れていないが、間に腰を据える村国山の山かげになり、見通すことはできない。

*注 新幹線開業に伴い、並行在来線となる福井県区間は、第三セクター鉄道の「ハピライン福井」に転換された。

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越前たけふ駅西口
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(左)下りホーム
(右)伝統工芸品をあしらった内装が目を引く
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(左)越前和紙の造花
(右)和紙をはめこんだ待合室の壁面
 

こうした新設駅は、列車の到着時を除けば森閑としているのが常だ。ところが、駅前に出てみるとBGMが流れ、人やクルマの動きもけっこうある。というのも、隣接地に道の駅が開設されているのだ。国道8号バイパスや北陸道の武生ICが近接しているので、立地条件は確かに良好だ。新幹線を利用する地元の人も、駅までは自家用車で来るだろうから、こうしたオアシスを置くのは理にかなっている。

方や、市街地との間の公共交通は新設のシャトルバスが担っているようだ。とはいえ、たかだか5kmの走行距離で1乗車500円は高いように思う。武生へは、在来線でも福井や敦賀から20~30分で着いてしまうので、利用率を控えめに見込んでいるのだろうか。

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新幹線駅舎に隣接する道の駅
 

越前たけふを後にすると、列車は北陸自動車道を斜めに横切り、田園地帯を驀進していく。左手に、巨大な土瓶のような鯖江(さばえ)のイベント施設、サンドーム福井が目を引く。トンネルを2本抜け(下注)、再び北陸道と交差すると、速度が落ちて、市街地が広がってくる。赤白のテレビ塔が立つ足羽山(あすわやま)が、山脚を長く伸ばしている。足羽川を渡り、在来線の架線ビームが視界に入ってくれば、まもなく福井駅だ。

*注 実際は敦賀方から第2鯖江、第1鯖江、第2福井、第1福井の4本のトンネルがあるが、いずれも第2と第1の間はシェルターでつながっている。

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(左)テレビ塔が立つ足羽山
(右)足羽川を渡る
 

列車がホームに着くと、降りる人と入れ違いに、けっこうな人数が乗り込んでいく。平日とあってスーツ姿のビジネスマンが目立った。これまで米原や金沢で列車を乗り継ぐ必要があったことを思えば、東京直通のインパクトは大きいに違いない。

いうまでもなく、ここは速達列車も停車する県の代表駅だ。しかし、在来線とえちぜん鉄道の駅にはさまれた窮屈な場所にあるため、1面2線、島式ホーム1本ですべての列車をさばいている。全国的に見ても、島式1本の新幹線駅は三島駅とここしかないという(下注)。コンコースからホームに上がるエスカレーターも東京方面、敦賀方面の区別がないのが、かえって新鮮だ。

*注 ただし三島駅は、ホームに接する線路(副本線)のそれぞれ外側に通過線(本線)がある。

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福井駅
(左)駅名標と開業記念のポスター
(右)在来線乗換口、右の階段で新幹線の島式ホームへ
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北陸本線(在来線)はハピラインふくいに移管
 

前回福井に来た2018年には、えちぜん鉄道の福井駅がまだ工事中で、勝山や三国港行きの電車が現在の新幹線駅の構造を借りた仮設ホームに発着していた。線路の上部構造はすっかり更新されて当時の面影は消えているが、北側に見通せる景色はおそらく変わっていない。

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現 新幹線駅の位置に仮設されていたえちぜん鉄道福井駅
(左)駅に到着する電車
(右)駅の南方は工事中だった
(いずれも2018年6月撮影)
 

ところで、福井駅でおもしろいのは、周辺に地元ゆかりの恐竜が多数たむろしていることだ。以前から正面(西口)の駅前広場に大恐竜フクイティタンやフクイサウルスが生息しているのは知っていたが、東口でもフクイラプトルの骨格標本や子どもの恐竜を見かけた。さらに帰りの列車でぼんやり外を見ていたら、東口の階上にもいるではないか。しかし、恐竜の追っかけを始めたら、時間が足りない。次へ進もう。

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西口広場に生息するフクイティタン
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(左)東口に置かれた骨格標本
(右)子恐竜と戯れる
 

福井を出ると、左が在来線、右がえちぜん鉄道と、高架での珍しい三者並走区間を経て、単独ルートに移る。まもなく渡る九頭竜川(くずりゅうがわ)橋梁は、県道30号福井丸岡線との併用橋だ。新幹線の紹介記事によく取り上げられているので、期待していたが、防音壁に遮られて、車窓からはせいぜい走るトラックの荷台の天板程度しか見えなかった。

防音壁といえば、最近の新幹線はどこも壁が高くて車窓の楽しみはそがれがちだ。しかし今回の開通区間は、田園地帯を多く通るからか、全体として視界が開ける時間が長いように感じた。再び在来線が接近してくると、次は芦原温泉(あわらおんせん)駅に停車する。

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芦原温泉駅
 

この駅の構造は、敦賀駅パターンの亜種だ。在来線ホームへの通路(地下道ではなく跨線橋)はもとのままで、北側に新幹線駅直結の跨線橋が新設されている。ただし、改札内ではなく自由通路になっていて、以前はなかった裏側(東側)への通り抜けが可能だ。

駅名になっている芦原温泉は、西に約4km離れている。この間を結んでいた国鉄三国線(下注)は1972年に廃止され、跡地は道路に転用されてしまった。もし存続していたら、新幹線から芦原温泉や東尋坊への観光ルートとして活用できたのかもしれないが、今となっては夢物語だ。

*注 金津(現 芦原温泉)~三国港間9.8km。このうち芦原(現 あわら湯のまち)~三国港間はえちぜん鉄道の路線として存続している。

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(左)西口、自由通路の跨線橋で新幹線駅に直結
(右)南側に在来線の跨線橋も残る
 

芦原温泉のあとは福井、石川の県境を成す低山地を越える。長さ5460mの加賀トンネルをはじめ、大小のトンネルが断続している。長い闇を抜けると大聖寺(だいしょうじ)の市街地をかすめ、右にカーブして加賀温泉駅に近づく。

加賀温泉という温泉地が実在しないというのは、知られた話だ。加賀三湯と総称される山中、山代、片山津の各温泉には、かつて大聖寺と動橋(いぶりはし)から私鉄(下注)が延びていた。それらが一斉にバス転換された時代、北陸本線の特急をどちらに停車させるかを巡って、ダイヤ改正のたびに両者の間で争奪戦が繰り広げられた。

*注 大聖寺起点の北陸鉄道山中線と、動橋起点の同 山城線および片山津線。1965~71年廃止。このほか粟津(あわづ)駅から粟津温泉、那谷寺へ向かう粟津線(1962年廃止)もあった。

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加賀温泉駅
(左)副本線に接するホーム
(右)記念写真が撮れる花のベンチ
 

その調停策とされたのが、両者の中間にあった小駅、作見(さくみ)の再開発だ。2面4線の構内と駅前広場、連絡道路が整備され、1970年に駅名を加賀温泉と改称のうえ、オープンした。無名の小駅からついに今般、新幹線停車駅にまで登り詰めたとはいえ、在来線側はさほど手が加えられていない。ホームに通じる地下道は改装されたが、狭い間口はそのままだ。西側にあったはずの南北自由通路はまだ工事中で、閉鎖されていた。

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(左)在来線ホームへの地下道
(右)IRいしかわ鉄道に転換された在来線
 

表口である南口は、新幹線駅が立ち上がったことで風景が一変した。広場の東側に面したアビオシティは以前からあるショッピングモールだが、周囲に商店街がないので重宝する存在だ。1階でみやげものになる特産品も多数扱っている。

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駅正面(南口)に隣接するアビオシティ
 

さて、加賀温泉駅を出発したら、右側の車窓に注目したい。遠く南東方向に主峰の白山(はくさん)をはじめ、この時期なら雪を頂く加越山地の山並みが見渡せる。金沢までもうトンネルはないので、ところどころの防音壁を除けばこの荘厳な眺めが途切れることはない。

少し行くと手前に、内陸に残された潟湖、木場潟(きばがた)の穏やかな水面が広がってくる。在来線では家並みの隙間から断片的にしか見えないが、新幹線はすぐ近くを通り、また高架なので眺望はほしいままだ。朝は逆光だが、午後になると、水郷の背後に連なる山々が日差しに映えて、なかなかの絶景になる。

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木場潟のほとりを行く新幹線
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木場潟西岸から白山の眺め
 

小松駅では在来線も高架に載り、1階を、自由通路を兼ねた広いコンコースが貫いている。券売機に長蛇の列ができていた。開業して間もないので試乗客も多いのだろう。

表口である西口もさることながら、東口は見違えるほどきれいになった。かつて小松製作所の工場が広がっていた場所が、こまつの杜(もり)という名の体験型施設に再生されているのだ。海外の鉱山で稼働しているという超大型のパワーショベルとダンプの屋外展示がまず目を引く。後ろには会社の歴史展示館などがあり、北側は里山を復元した公園になっている。私もここのあずまやに腰を下ろして昼食にした。

なお、表口の北には以前から、ボンネット型特急車両の489形を静態保存する土居原ボンネット広場がある。こまつの杜の北端からも近いので、ついでに訪ねてみるといい。

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小松駅
(左)市街地に面する西口
(右)こまつの杜に面する東口
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(左)開業を告げる垂れ幕
(右)里山が透ける市松模様の壁面
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土居原ボンネット広場の489形
 

小松駅を後にすれば、次はもう金沢だ。列車は、手取川が造った広大な扇状地を横断していく。国道8号の橋の向こうにフィッシュランドの観覧車を眺めながら川を渡ると、左から在来線の線路が寄り添ってくる。この先はずっと在来線に沿っていくが、片や高架、片や地上なので、車窓ではあまり意識されないかもしれない。

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手取川を渡る
 

W7系の基地である白山総合車両所の建物とヤードの横を通過するのは、ほんの数秒の間だ。しかし、沿線探訪の旅をするなら、隣接地に開設されたばかりのトレインパーク白山は外せない。白山市が運営するこの施設のセールスポイントは、車両整備場の内部がいつでも観察できることと、階上に新幹線を展望するスペースを備えていることだ。

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トレインパーク白山
(左)施設全景
(右)車両整備場の見学デッキ
 

整備工場とは、施設の4階から渡り廊下でつながっている。場内に入るとガラス張りの見学デッキがあり、検査線で作業中の2編成が見えた。奥の番線にも別の2編成がいるようだが、残念ながら半透明のパネル越しだ。

5階はガラス張りの展望室になっていて、すぐ下を通る新幹線の金沢方がすっきりと見通せる(冒頭写真参照)。同じフロアの屋外デッキに出ると、今度は敦賀方が一望になる。東側は、広い田園地帯と加越山地で、晴れた日なら爽快なパノラマが楽しめるだろう。また、1階には、新幹線車両に関する部品とパネルの展示が、3階にはこども向けの遊具コーナーがある。5階の展望室以外は有料だ。

トレインパーク白山へは、在来線の加賀笠間駅から約1.1km、徒歩で15分以内だが、シャトルバスも出ている。休日は子供連れが多いので、時間制のネット予約をしておくといい。

■参考サイト
トレインパーク白山 https://train-park.com/

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見学デッキから見た車両整備風景
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展望デッキで列車を見送る
 

新幹線の車内に話を戻そう。総合車両所を見送れば、周囲は住宅や店舗に埋め尽くされるようになり、まもなく金沢到着の予告放送が流れる。速度が落ち、高いビルに囲まれた犀川(さいがわ)を渡れば、駅のホームが見えてくる。

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(左)犀川を渡る
(右)金沢駅に到着

敦賀から金沢まで「かがやき」で42~43分、サンダーバードならまだ芦原温泉あたりを走っている時間だから、確かに速い。各駅停車の「はくたか」「つるぎ」でも1時間弱で、北陸エリア内の移動は便利になった。一方で、敦賀での乗換えは確かに面倒だ。関西方面から往復する場合、往路よりも、仕事帰りで疲れている復路のほうが、その感は強い。

敦賀から新大阪への延伸ルートについては、複数の案が出るなか、小浜(おばま)・京都経由とすることが2016~17年に決定している。とはいえ、小浜と京都の間はすべて山地のため、おそらく長さ50~60kmにも及ぶ長大トンネルを通す必要がある。また、京都では、市街地の地下深くに2面4線の大きな地下駅を建設しなければならない。

素人目には、米原で東海道新幹線に乗り入れれば、建設費が格段に少なくて済むし(下注)、名古屋方面との接続もスムーズだと思う。しかし、両者の運行システムの違いが技術的に克服できたとしても、各地域の利益代表者が抱くさまざまな思惑が絡んで、そう単純には行かないらしい。

*注 敦賀~米原間の直線距離はわずか40km。県境の山地を越えた後は、琵琶湖東岸の平野部を通過するので、トンネルの延長も短くできる可能性がある。

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福井駅に入る下り列車
 

もちろん現時点で、東海道新幹線の過密ダイヤに北陸方面の列車をさらに割り込ませることは難しい。しかし、リニア中央新幹線が新大阪まで全線開業した後、現 新幹線の旅客需要はまちがいなく縮小する。リニアが素通りする京都へも、所要時間から見て、リニアで新大阪まで行き、在来線に乗換える客が多くなるのではないか。

というのも現在、東京~京都間は「のぞみ」で132分(2時間12分)だが、こうした速達型はリニアで代替されてしまうからだ。東海道新幹線の運行の中心が、途中数駅に停車する「ひかり」型になれば、所要時間は150分(2時間30分)前後まで延びるだろう。

東京~京都間をリニア経由で移動するなら、品川~新大阪間67分と両端の在来線8分+24分(下注)に、乗継ぎ時間を加えても120分程度で、時間的な優位性が高い。今、敦賀駅で経験しているように乗換えは面倒だが、観光客はともかくビジネス客にとって時は金なりだ。同じくリニアが通らない横浜でも、同様のことが起きるのではないだろうか。

*注 東京~品川間、東海道線で8分、新大阪~京都間、新快速で24分。

そうなれば、東海道新幹線にダイヤの余裕が生じ、米原から北陸新幹線の列車を乗り入れることが可能になる。既存の新幹線京都駅を有効活用できるし、東海道新幹線の採算悪化を少なからず埋め合わせることができる。さらに言えば、米原~新大阪間をJR東海からJR西日本に移管してもいいぐらいだ(並行在来線ならぬ並行新幹線?)。

とはいえ、品川~名古屋間のリニア開業でさえ、着工の遅延で2034年以降と予想されているぐらいだから、北陸新幹線の次なる延伸が実現するまでには、まだ長い時間と紆余曲折があるのだろう。そのうちに、不満噴出の敦賀での乗換えも、慣れて当たり前の光景になっていくような気がする。

■参考サイト
鉄道・運輸機構-北陸新幹線 https://www.jrtt.go.jp/project/hokuriku.html

★本ブログ内の関連記事
 新線試乗記-北陸新幹線、金沢延伸 I
 新線試乗記-北陸新幹線、金沢延伸 II
 新線試乗記-西九州新幹線

2023年11月25日 (土)

コンターサークル地図の旅-魚梁瀬森林鉄道跡

四国のコンター旅2日目は高知に移って、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の旧跡を巡る。

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立岡二号桟道
 

魚梁瀬森林鉄道は、県東部の中芸地区で特産の杉などの木材を山から運び出していた762mm軌間の産業鉄道だ。1911(明治44)年から1942(昭和17)年にかけて奈半利川(なはりがわ)と安田川(やすだがわ)の流域に張り巡らされ、当地の林業経営を支えた。最盛期には、総延長が300kmを超え、国内屈指の広範な路線網だった。しかし、魚梁瀬ダムの建設で上流部の線路が水没することになり、1963(昭和38)年までに主要区間が廃止され、トラック輸送に置き換えられた。

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魚梁瀬丸山公園の復元列車
 

その後、水没を免れた廃線跡は道路に転用されるなどしたが、旧態のまま遺されていたトンネルや橋梁などの構造物が、2009年に「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定されて現在に至る。森林鉄道の痕跡は全国にあるが、重文指定を受けているのはここだけだ(下注)。

*注 ちなみに、一般鉄道施設では「旧手宮鉄道施設」「碓氷峠鉄道施設」のほか、単体で「東京駅丸ノ内本屋」「旧揖斐川橋梁(東海道本線)」「末広橋梁(四日市港)」「第一大戸川橋梁(信楽高原鐵道)」「梅小路機関車庫」「旧大社駅本屋」「旧筑後川橋梁(昇開橋、旧佐賀線)」「門司港駅本屋」「旧綱ノ瀬橋梁及び第三五ヶ瀬川橋梁(旧高千穂線)」などが重文指定されている。

遺構は往復70kmほどの沿線に散在している。路線バスもほとんどない地域なので、今回は高知市内でレンタカーを調達する予定だ。それでもルートをくまなく見て回るのは時間的に難しく、主な見どころをピックアップするにとどまるだろう。

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図1 魚梁瀬森林鉄道沿線の1:200,000地勢図に
  重文施設の位置と路線網の概略を加筆
1978(昭和53)年編集図

2023年10月8日朝8時、小雨模様の高知駅前に集合したのは、昨日と同じ大出さんと私の2名。そもそも降水量の多い地域だが、今日の天気予報も終日傘マークで、午後ほど雨脚が強まるらしい。借りたトヨタアクアで高知東部自動車道、国道55号を東へ進む。右手に太平洋が見えてくるが、どんよりとした空のもと、白っぽくくすんだ色をしている。

1時間と少しで、安田町まで来た。安田川大橋の東詰で国道をそれ、クルマを停めた。段丘崖の下を通っていた廃線跡が小道で残っている。木材を満載して安田川の谷を下ってきた列車は、ここから田野の貯木場へ向かっていたのだ。

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(左)崖下を行く廃線跡の小道(田野方向を撮影)
(右)安田川左岸を遡る廃線跡
 

森林鉄道(以下、林鉄)で最初に建設されたのがこの路線で、1911(明治44)年に馬路(うまじ)まで開通し、のちに安田川線と呼ばれた。目的地の魚梁瀬は隣の奈半利川の上流だが、流域の山林の所有権が国と地元との間で係争中だったため、やむを得ずルートを迂回させたのだという。

県道12号が川の対岸(右岸)を走るのに対して、林鉄はこちら側(左岸)だったので、その跡と思しき道を北上した。途中からは、車一台がやっとの道幅になる。昭和の映画館の雰囲気を残すという大心劇場の前を通過し、上代(かみだい)集落を上手に進むと、山かげの道の脇に一つ目の遺構、エヤ隧道が口を開けていた。

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道路脇に残るエヤ隧道
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(左)内部はカーブしている
(右)ポータルに刻まれた I の文字
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図2 1:25,000地形図に主な見どころの位置を加筆
エヤ隧道~明神口橋
 

砂岩切石積みのポータルに、川下側から最初のトンネルを意味する I の文字が刻まれている。長さは33.2mと短く、徒歩で通り抜けが可能だ。入ってみると、アーチの天井部がレンガの長手積み、側面の垂直壁は切石で美しく仕上げられていた。車道に転用されなかったことで、改修の手が加わらず、原状が保たれているようだ。

この先、左岸に沿う廃線跡の林道は、じりじりと道幅を狭めていく。乗用車は後述する明神口橋を渡れないと聞いていたので、与床(よどこ)集落から右岸の県道に迂回した。そのため、途中にある長さ37.5mのバンダ島隧道は、対岸から眺めるにとどめた。

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バンダ島隧道を対岸から遠望
 

次の遺構は、明神口集落の上手に連続している。県道のバイパストンネルの手前で右折して旧道を行くと、川を斜めに渡っている赤いトラス橋が見えてきた。長さ43.2mの明神口(みょうじんぐち)橋だ。1912(大正元)年の建設で、最初は木橋だったが、機関車の導入に伴い、1929(昭和4)年に架け替えられたものだという。今は線路の代わりに、路面に金網が張られている。

これを渡るとすぐ下手に、長さ36.7mのオオムカエ隧道がある。東口(上流側)はコンクリートポータルに改修されているが、西口はオリジナルの切石積みで、III の刻字があった。堀淳一氏も1997年にNHKの番組ロケでここに来ている(下注)が、映像で見る限り、東口は本来素掘りのままだったようだ。

*注 1997年放送の「消えた鉄道を歩く-巨木の森の小さな鉄路」。

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明神口橋、金網が張られた路面
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オオムカエ隧道
(左)もとは素掘りだった東口
(右)原状をとどめる西口
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隧道西口のスギ林
 

次のスポットでも、釜ヶ谷(かまがや)桟道釜ヶ谷橋が連続している。島石ピクニック広場の駐車場から対岸に渡る吊り橋の上に出ると、前者の側面が遠望できた。桟道といっても木製ではなく石積みで、あたかも崖に半分埋まったアーチ橋といった趣きだ。一方、長さ12.3mの釜ヶ谷橋は県道に転用されたため、路面は拡張されている。しかし側面から覗くと、林鉄時代の橋桁と橋台を転用したことが見て取れる。

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釜ヶ谷桟道
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釜ヶ谷橋
(左)県道に転用
(右)林鉄時代の橋桁と橋台
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図3 同 釜ヶ谷桟道~馬路~河口隧道
 

長さ70.6m、平瀬(ひらせ)隧道の西口では、なんとキャンパーがクルマを付けて、テントを張っていた。雨の日だし、誰も通らないトンネルなので、こんな利用法もあるのだと感心する。通り抜けが可能なようだが、お邪魔するのも気が引けるので、反対側の、こちらも県道に面した東口に回った。ポータルの刻字はV、すなわち5番目だから、先ほどのオオムカエ隧道との間にかつてはもう1本トンネルが存在したのだろう。

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平瀬隧道
(左)臨時のキャンプサイトにされた西口
(右)県道脇の東口
 

引き続き一本道の県道を遡り、いよいよ馬路村の中心部にさしかかる。馬路大橋の手前を左折してすぐの川べりにあるのが、遺構群の中でもよく知られた長さ36.5mの五味(ごみ)隧道だ。旧道の馬路橋のたもとに北口が開いていて、線路を載せた短い桟道が続いている。道路から見下ろす構図が定番だが、勢いよく育った笹薮に視界を遮られてしまう。

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五味隧道、笹薮に視界を遮られる
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線路が復元された桟道
(左)五味隧道の真上から
(右)馬路橋から
 

ところで、「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重文指定を受けた施設は14か所あるが、意外にも、五味隧道をはじめ、後述する立岡二号桟道、法恩寺跨線橋、八幡山跨線橋という写真映えする4つの遺構は含まれていない。これらは重文本体ではなく、附(つけたり)指定になっているのだ。

附というのは、たとえば重文建造物の設計図や、来歴、用途を記した文書といった関連資料を、本体とあわせて指定するものだが、同じ類いの構造物でも附指定にすることがあるようだ。産業遺産としては一体的に考えるべきものながら、相対的な重要度の点で及ばないということか。

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五味隧道案内板
 

対岸に、観光案内所「まかいちょって家」がある。後で立ち寄って、2階にある森林鉄道の写真展示を見学した。売店では土産物のほか、林鉄関連の既刊書籍も扱っていて、ちょっとしたミュージアムショップだ。私も新刊の林鉄写真集を購入した。

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(左)まかいちょって家
(右)2階の林鉄展示
 

県道をはずれて、右岸(西岸)の町道を行く。馬路村は特産のゆずを使った商品開発で知られるが、製品加工施設の敷地はもと林鉄の運行拠点で、機関庫や修理工場を伴っていたヤードの跡だ。その北側はかつて商店街で、林鉄が路面軌道の形で貫いていた。いったん集落が途切れるが、その先は現在、村の観光拠点になっている。

右手の大きな建物は、日帰り温泉施設のうまじ温泉だ。左には1994年に開業した「馬路森林鉄道」という観光鉄道があり、支流の西谷川に沿って508mm軌間(下注)、1周300mのささやかな周回軌道が設けられている。その乗車も楽しみにしていたのだが、駅の窓口へ行くと、係員さんが申し訳なさそうに「機関車の故障で当面運休なんです」という。アメリカ・ポーター社製の旧機を2/3サイズで再現したという機関車がホームに停まっているが、「エンジントラブルの為、運休中!!」と張り紙がしてある。

*注 オリジナルは762mm(2フィート6インチ)軌間で、508mmはその2/3になる。

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馬路森林鉄道
(左)機関車は故障中
(右)谷沿いを走る軌道
 

では、隣のインクラインに乗ろう、と思って聞くと、「雨でシートが濡れて使えないので、きょうは中止にしました」。インクラインというのは、林鉄で使われていた傾斜鉄道(貨物用ケーブルカー)を再現した斜長92mの施設で、車両に積んだ水の重りで動くという珍しいものだ(下注)。山際の乗り場では、雨に濡れそぼった走行線に、オープンタイプの小型車両が所在なげに停まっていた。シートベルトを締めて乗るので、雨が吹き込む状況では運行できない。

*注 ウォーターバラスト方式といい、日本で唯一。海外の実例については「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

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馬路インクライン
(左)車両と急勾配の軌道
(右)水抜き用の管路
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インクライン軌道全景
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インクライン案内板
 

雨に降られたばかりか、お目当ての乗り物にも振られてしまったので、うまじ温泉のレストランで早めの昼食にした。ゆず果汁入りの「ごっくん馬路村」も試して元気を取り戻したところで、林鉄遺跡の探索を再開する。

馬路から魚梁瀬までの区間は、少し遅れて1915(大正4)年の開通だ。温泉のすぐ上手に、町道を通している落合橋がある。長さ37.0mで、釜ヶ谷橋と同じく、プレートガーダーと橋台が林鉄の遺物だ。

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落合橋
 

次は河口(こうぐち)隧道。県道から少し引っ込んだ位置にあり、長さは89.9m、ポータルに8番目を示す VIII の刻字がある。徒歩で入ろうとしたら、エンジン音がこだまし、中から軽トラックが飛び出してきた。内部は小さな明かりも灯っていて、椀田(わんだ)集落から中ノ川方面へ行くのに、近道として使われているようだ。カーブしたトンネルを出ると切通しで、上を旧道(?)が通過している。

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河口隧道東口
切通しを旧道がオーバークロス
 

山はさらに深まり、サミットとなる2車線の新久木(くき)トンネルが現れた。林鉄時代の久木隧道は、長さが333mと魚梁瀬林鉄では最長で、1977(昭和52)年の新トンネル完成までの間は、道路としても使われた。上記堀氏の著書『地図で歩く古代から現代まで』(JTB、2002年)によると、西口のポータルはまだ残っているようだが、この天気では探す気力が湧いてこない。

奈半利川斜面を降りていく途中に、支谷をまたぐ犬吠(いぬぼう)橋が架かっている。長さ41mの立派な上路トラス橋で、廃線後も県道の橋として使われていた。しかし、鋼材の一部が破断して通行できなくなり、現在、県道は上流側の迂回路を通っている。下流側で建設中の新しい橋が完成すれば、県道はそちらに移される予定だ。

林鉄の鉄橋は今や形が崩れ、仮設の支持台でかろうじて支えられていて、なんとも痛々しい。修復して自転車・歩行者専用にする計画だそうだが、いったん解体して組み立て直す必要があるから大工事だ。重要文化財とはいえ、そんな予算がぽんとつくのだろうか。

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痛々しい姿の犬吠橋
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図4 同 犬吠橋~魚梁瀬
 

久木ダムの少し上流にも、同じような構造の井ノ谷(いのや)橋が残っているので、県道をそれて寄り道した。道路に転用されていて、長さは54.5m。両端がカーブしているので、たもとからトラス構造を覗くことができる。

林鉄安田川線は、この先の釈迦ヶ生(しゃかがうえ)集落で奈半利川線と合流するが、魚梁瀬ダムの完成によって、上流の線路は湖底に沈んでしまった。クルマ道も行き止まりなので、引き返すしかない。

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井ノ谷橋
 

県道に戻って、くねくねと山腹を上っていくと、ダムを見下ろす展望台があった。見るからにどっしりとした大堰堤が眼下の谷を埋めている。魚梁瀬ダムは1970(昭和45)年に完成したロックフィルダムで、高さが115mで四国一、貯水量も「四国の水がめ」早明浦(さめうら)ダムに次ぐ規模だ。展望台の側壁パネルには、ダムの写真とともに林鉄の現役当時の写真も収められていた。

県道を少し上手に進んだところには別の展望台があり、貯水池(ダム湖)が奥まで見通せる。ここばかりは「雨には雨の風情あり」で、入り組んだ湖の周りの山並みに低い雲がたなびいて、一幅の絵のようだった。

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ロックフィルの魚梁瀬ダム
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ダム湖のパノラマ
正面奥に魚梁瀬大橋と、魚梁瀬(丸山台地)の一部が見える
 

林業で栄えた魚梁瀬地区は水没するのに伴い、湖畔の造成地(丸山台地)に集団移転した。旧版地形図と照合すると、旧集落の山手にあった昔の川の蛇行跡を嵩上げして造ったようだ。その一角が丸山公園と呼ばれる広い園地になっていて、762mm軌間、一周406mの周回軌道が敷かれている。

魚梁瀬大橋でダム湖を横断して、その乗り場である森の駅やなせの前にクルマを停めた。馬路での失意の記憶がよみがえり、窓口でおそるおそる「乗れますか」と聞くと、「ええ、何名さんですか」と返ってきてほっとする。一応、10時から15時30分まで15分間隔の時刻表が掲げてあるが、客が来しだい、随時運行しているようだ。

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森の駅やなせ
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スギ材製の乗車券、裏面に日付が入る
 

高床のホームに、谷村式と記された小型ディーゼル機関車が客車を従え、待機していた。谷村というのは戦前、地元高知で林鉄向けの装置を製造していた谷村鉄工所のことで、そのロッド駆動車をモデルに新造されたのがこの機関車だ。客車(連絡車)の車体にも地元産の木材が使われている。無蓋のトロッコと密閉型のボギー車の組み合わせなので、雨でも問題なく乗れるのがうれしい。

運賃は大人400円。杉板に印刷した乗車券をもらって乗車する。走り出すと最初、湖に近づき、次いで車庫前を通過して、警報機が鳴る踏切を横断した。この軌道を2周して、約7分のミニ列車旅だった。その後、大出さんが機関車の運転体験を申し込んだ。正規の運転士に横で指導してもらいながら、これも2周する。

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谷村式機関車が牽く復元列車
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(左)機関車の運転台
(右)ボギー客車
  朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎の人形が同乗
 

北隅にある車庫も開いていて、自主見学が許された。野村式と書かれた茶色の機関車は、1948年野村組工作所製のL-69で、魚梁瀬林鉄のオリジナル機だ。廃線後、静態保存されていたものを1991年に動態復元したのだという(下注)。急曲線に対応する運材台車を引き連れたさまも絵になる。

*注 重量があり軌道が傷むため、「本線」を走行するのは特別行事のときだけのようだ。ちなみに先述のNHKの番組ではこれが走るシーンが出てくる。

隣にいる黄と緑と白帯の機関車は、静岡の水窪(みさくぼ)森林鉄道から来た酒井工作所製C16形、また岩手富士と書かれた箱型機は、鳥取から来た岩手富士産業製の特殊軽量機関車で、唯一の残存例だそうだ。

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車庫に保存車両を留置
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運材台車を引き連れた野村式L-69
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(左)酒井工作所製C16形
(右)岩手富士産業製特殊軽量機関車
 

林鉄ワールドを堪能して、帰路に就く。往路は安田川経由だったが、復路は奈半利川に沿って下る。旧来の安田川線には、釈迦ヶ生~久木隧道間に逆勾配、すなわち荷を積んだ列車にとって不利な上り坂が存在し、運行のボトルネックになっていた。これを解消するために計画されたのが奈半利川線で、1931(昭和6)年から1942(昭和17)年にかけて建設された。

クルマはしばらく県道12号を南下するが、安田川沿いより道幅が広めだ。ダム建設に際して、工事車両を通すために拡幅されたのだろう。林鉄由来と思われるトンネルもあるが、改修を受けているためか、重文のリストには含まれていない。

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図5 同 堀ヶ生橋~小島橋
 

そのため、奈半利川線の重文物件はすべて橋梁で占められる。最も上流の堀ヶ生橋(下注)は長さ46.9m、シングルスパンの鉄筋コンクリートアーチ橋だ。この材質で43mものスパンは国内最大級だそうで、県道に転用されていることもあって、もと鉄道橋には見えない。河原に降りて真下から仰ぐアーチはいっそう迫力があった。

*注 国指定文化財等データベースでは、堀ヶ生橋に「ほりがをばし」という異例の読みが付けられている(通常「を」は用いない)。なお、地理院地図では、堀ヶ生の地名の読みを「ほりがうえ」としている。

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長大スパンの堀ヶ生橋
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(左)堀ヶ生橋、中央部に退避場所がある
(右)橋に続く堀ヶ生隧道、側壁は石積み
 

県道12号が徳島県から来た国道493号と出会う位置に、二股(ふたまた)橋が架かっている。奈半利川と支流の小川川(おがわがわ)の合流地点だ。橋は長さ46.5mで同じくコンクリート製だが、こちらは無筋のため2スパンで、めがね橋の別称がある。釜石線や旧彦山線(現 日田彦山線BRT区間)、旧宮原線などに見られる高架橋を彷彿とさせるが、二股橋も、鋼材の使用制限が始まっていた1941(昭和16)年の建設だ。

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川の合流地点に架かる二股橋、通称めがね橋
奥に見えるのは二又発電所
 

奈半利川鉄橋なき今、長さ143.0mの小島(こじま)橋は、魚梁瀬林鉄で最大の遺構だ。2連のプラットトラスで、ゆったりと流れる奈半利川の中流部を渡っている。本体の威容もさることながら、対岸(左岸)にあるカーブしたガーダー橋と築堤の取り付け部が、廃線跡の雰囲気をよく残している。奈半利川線のうち二股以南は、後に支線となった竹屋敷線などとともに1932(昭和7)年までに完成していた。上述の2橋と違って鋼製なのはそれが理由だ。

*注 国指定文化財等データベースでは「こじまばし」だが、地理院地図では小島の地名の読みを「こしま」としている。

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2連プラットトラスの小島橋
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(左)右岸のたもとから
(右)ガーダー橋と築堤が左岸に続く
 

この後は、国道493号と北川奈半利道路で一気に奈半利を目指した(下注)。

*注 重文指定ではないため訪れなかったが、奈半利川右岸に加茂隧道(長さ28.1m)が原形のまま残っている。

右岸の田野町側には立岡(たちおか)二号桟道という印象的な遺構がある。3連プラットトラスで長さ167.49mと最長だった旧奈半利鉄橋の、西側の取り付け部に相当する構造物だ。避溢橋の役割を果たすコンクリートの高架と長い築堤が、カーブしながら川べりまで続いている。大出さんは以前来たことがあるというし、私も土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線に乗った際、見に行ったので、今回は対岸から遠望するにとどめた。

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立岡二号桟道と築堤(別の日に撮影)
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(左)カーブする桟道
(右)丸石が積まれた築堤の法面
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図6 同 安田、田野、奈半利
 

廃線跡の町道をたどって、法恩寺跨線橋(下注)へ。段丘上の三光寺へ行く参道が林鉄を跨いでいた橋で、石造アーチの構造をしている。立体交差にしたのは安全でいいことだが、参道の石段はけっこう段差があり、何度も上り下りするのは大変そうだ。

*注 法恩寺の地名の読みについて、現地の案内板には「ほうおんじ」とあるが、地理院地図では「ほおじ」としている。

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法恩寺跨線橋(別の日に撮影)
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多くの重文施設に同様の案内板がある
 

国道55号を戻り、最後に、田野の町はずれにある八幡山(はちまんやま)跨線橋を見に行った。ここでも神社に通じる参道が、林鉄の廃線跡を跨いでいる。コンクリートの桁橋なので、法恩寺のようなデザイン性には欠けるが、参道の階段が上に行くほどラッパ状にすぼまっていて、遠近感が強調されるのが面白い。

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八幡山跨線橋
(左)コンクリートの桁橋
(右)ラッパ状にすぼまる階段
 

時刻は早や17時、駆け足の旅だったとはいえ、貴重な遺構群や展示資料を実見し、再現鉄道の乗車も叶った。運行廃止から60年が経過した魚梁瀬森林鉄道だが、思ったより身近なものに感じられたのは、郷土史を飾る重要なページとして地域の人々に大切に扱われてきたからだろう。産業振興の推進力であり、交通の動脈でもあった鉄道の遺産が、これからも末永く維持されることを願いたいものだ。私も、雨にたたられた馬路の軽便鉄道とインクラインにいつか再挑戦しなければ…。

最後に、魚梁瀬森林鉄道の路線網が記載されている旧版1:50,000地形図を掲げておこう。

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図7 索引図
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図8 安田、田野、奈半利周辺
1953(昭和28)年応急修正、以下同
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図9 馬路周辺
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図10 魚梁瀬周辺
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図11 北川村北部
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図剣山、高知(いずれも昭和53年編集)、5万分の1地形図馬路、奈半利、安藝(いずれも昭和28年応急修正)および地理院地図(2023年10月25日取得)を使用したものである。

■参考サイト
魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム https://rintetu.com/
Facebook-中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会 https://www.facebook.com/yanaserintetu

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 コンターサークル地図の旅-宇佐川の河川争奪

2023年11月15日 (水)

コンターサークル地図の旅-箸蔵寺から秘境駅坪尻へ

JR土讃線の普通列車が、香川と徳島の県境をなす讃岐山脈を長いトンネル(下注)で通り抜けた後、最初に停車するのが坪尻(つぼじり)駅だ。吉野川の谷に降りていく25‰の連続勾配の途中にあるため、通過式スイッチバックの構造になっている。

*注 猪鼻(いのはな)トンネル、長さ3845m。

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土讃線坪尻駅に接近する下り普通列車
 

駅のある場所は比高500mの昼なお暗いV字谷の底で、周りに民家などは見当たらない(下注)。それどころか、クルマ道が駅まで達しておらず、人一人通れるだけの山道のほかにたどり着く方法がない。列車にしても停車するのは上り4本、下り3本で、計画的に行動しないと、駅に長時間取り残される可能性がある。それでここは、土讃線の同じようなスイッチバックの新改(しんがい)駅などとともに、いわゆる秘境駅として鉄道ファンには有名だ。

*注 坪尻駅の標高は約212m(地理院地図による)。地図上で最も近い木屋床(こやとこ)集落との間は、水平距離こそ300~400mだが、高度差が約200mある。

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箸蔵寺護摩殿
 

2023年コンターサークル-s の旅四国編1日目は、この坪尻駅をゴールと目している。もちろん列車で往復するだけでは歩き旅にならないので、「こんぴら奥の院」と称される箸蔵寺(はしくらじ)や、坪尻駅を見下ろす展望台を経由していく次のようなプランを考えた。

10:21 阿波池田駅前から路線バスで、箸蔵山ロープウェイの登山口駅へ
11:00 ロープウェイで山上へ。箸蔵寺参拝
12:40ごろ 箸蔵寺から歩き始める
13:40ごろ 坪尻駅展望台到着。上り列車の発着(13:52)を撮影後、歩き再開
14:10ごろ 坪尻駅到着
14:54 坪尻駅から下り列車に乗り、阿波池田駅に戻る

箸蔵寺と坪尻駅との間は道なりに進んで5kmほどだが、高度差は340mとかなりある。いったいどんな道なのだろうか。まずは旅の集散場所である阿波池田駅前から話を始めよう。

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箸蔵寺~坪尻駅周辺の1:200,000地勢図
(上)1986(昭和61)年編集、(下)1995(平成7)年要部修正
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1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆

土讃線の全列車が停車し、徳島方面との接続駅になっている阿波池田駅は、徳島県西部における鉄道の拠点だ。乗ろうと思っている四国交通の路線バス(下注)は、その300m東にあるバスターミナルから出発する。駅前も経由するが、停留所は駅舎正面ではなく、広場の右(東)のはずれで、道路沿いの見えにくい位置にあるので要注意だ。

*注 野呂内線32および33系統。箸蔵山ロープウェイ(登山口駅前)までは往路7便、復路5便。時刻表と路線図は四国交通公式サイト(下記参考サイト)にある。

2023年10月7日、駅前に集合したのは大出さんと私の2名。連休初日だが、10時21分定刻に来たバスに乗り込んだのも私たちだけだった。駅前アーケードを抜けた後、バスはいったん西へ走る。段丘上のウエノでようやく針路を変え、川沿いの坂道を降下して、吉野川を堰き止めている池田ダムの天端道路で対岸に渡った。ローカルバスの旅は、ときに思いもよらないルートを通ることがあるから目が離せない。

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(左)阿波池田駅
(右)四国交通の路線バス
 

15分ほどで、箸蔵山ロープウェイの登山口駅前に到着した。時間に余裕があるので、乗るのを1本遅らせて、搬器の動く様子を地上から観察する。

ロープウェイの中でもこれは、並行する2本のロープに搬器がぶら下がる、いわゆるフニテルだ。箱根ロープウェイと同じ方式だが、箸蔵山は1999年の導入で日本初だという。駅の表示板によると、線路長(傾斜亘長)は947.48m、高低差は341.73m。15分間隔で運行されていて、料金は片道900円、往復1700円。

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箸蔵山ロープウェイ登山口駅
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(左)きっぷ売り場
(右)2本のロープにぶら下がるフニテル方式
 

山上行き11時00分発の客は3人きりだった。すいているのはありがたいが、立派な設備だけに採算がとれているのか心配にもなってくる。動き始めると、後方にさっそく吉野川とその谷が眼下に広がった。急斜面を滑らかに上っていき、仁王門と高灯篭の立つ尾根を通過、最後に深い谷を一跨ぎして箸蔵寺駅に着いた。所要約4分。

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吉野川の谷が眼下に
 

駅は箸蔵寺の境内に直結していて、右へ行くと本坊(方丈)の前に出る。庫裏、宿坊、納経所、書院など、寺の機能を集約した桁行きの長い建物で、玄関の軒や引き戸を飾る透かし木彫が目を引く。納経所の前を通ったら、受付の方が、重要文化財に指定されている主な伽藍の概略を説明してくれた。

右手は護摩殿で、この先の長い石段が上がれない人でもお参りできるよう、本殿の縮小版になっているという。ここでも手の込んだ木彫の意匠が軒を埋め尽くしている。

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箸蔵寺本坊
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(左)護摩殿
(右)軒に配された見事な木彫
 

奥へ進む石段には、蹴上げ部分に般若心経が一文字ずつ書かれた石札が取り付けられていた。これを唱えながら上れば、楽に上まで行けるのだろう。正面に鐘楼堂がある。受付で、自由に撞いてくださいと言われていたので、ありがたく従う。梵鐘は天井裏にあって見えず、綱だけが垂れ下がっている。撞くには少しコツがあり、綱を前後にではなく、下に引くようにしないと鳴らない。

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(左)本殿に上る石段
(右)般若心経の石札が続く
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(左)鐘楼堂
(右)薬師堂
 

心臓破りの長い石段を伝って薬師堂、それから本殿のある上段の境内へ。途中で息が上がり、気がついたら般若心経を唱えるのをすっかり忘れていた。本殿は他にもまして壮麗な建物で、立ち入れないが奥まで長く続いているのが見て取れる。絢爛たる木彫装飾についてはもはや言うまでもない。巡礼者が行き交う四国八十八ヶ所の霊場とは違い、もの静かな境内だが、見どころも多くて訪れた甲斐があった。

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重厚な趣きの本殿
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正面を飾る透かし木彫
 

ロープウェイ駅の前にある休憩所で昼食の後、次の目的地に向けて歩き始めた。休憩所の横から、寺に用務がある車が使う舗装道が出ている。杉林に覆われた山腹を緩やかに下っていくこの道を、まずはたどった。きょうは薄曇りで、ときおり日差しがこぼれる。吹く風は涼しく、歩き日和だ。

やがて森が開け、舟原(ふなばら)集落にさしかかった。すすきに埋め尽くされた棚田の間に何軒かの民家が見える。その屋根ごしに、吉野川が流れる下界の谷が俯瞰できた。正面に徳島自動車道の高架橋が架かり、土讃線佃~阿波池田間の築堤を2両編成の列車が走っていく。断片的に見える赤いトラス橋は旧国道32号の三好大橋だ。

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舟原集落と休耕棚田
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吉野川の谷を俯瞰
 

舟原から落(おち)の集落へ向かう。この間はセンターラインこそないが、小型車がすれ違える幅の舗装道がついている。しかし、クルマはほとんど通らないから、快適なハイキングルートといっていい。

坪尻駅展望台というのは、落集落の端の道路脇に、地元の自治会が設置した小さなお立ち台のことだ。大出さんが、手前に1台の観光バスが停まっているのを見つけた。何かと思えば、カメラを手にした中高年男女が約20人、かしましく騒ぎながら展望台とその周りを占拠している。よりよいアングルを狙って、馬の背になった不安定な場所に三脚を立てている人もいる。一つ間違えば崖下に転落しかねないので、通りかかった地元の人から「気い付けてくださいよ」と声をかけられる始末だ。

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猪ノ鼻峠方向を望む
手前が落、谷を隔てて木屋床の集落が見える
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(左)落集落
(右)過密状態の坪尻駅展望台
 

この状況は想定外だが、私たちもその勢いにひるんでいるわけにはいかない。最前列の人の肩越しになんとか視界を確保する。北側、約100m下の谷底にスイッチバックの構内配線と、その奥にたたずむ小さな駅が見通せた。一部で電線とかぶるものの、駅の前後を移動する列車をつぶさに観察できるいい場所だ。

13時31分、最初にやってきたのは上り特急「南風」14号、2700系の「赤いアンパンマン列車」だ。通過列車のためシャッターチャンスはほんの数秒だが、前もって重いエンジン音が響いてくるから、カメラを構える余裕があった。

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坪尻駅を上り「南風」が通過
 

しばらくすると、次の13時52分発、上り普通列車が現れ、本線からホームに接する折返し線に入った。3分近く停車した後、折返し駅を出て、今度は反対側の引上げ線に進入する。再び折り返して本線に戻り、山かげに走り去った。

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普通列車のスイッチバック運転
(左)阿波池田方から列車が接近
(中)折返し線に入線
(右)駅に停車
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(左)駅を出ていったん引上げ線へ
(中)引上げ線で折り返し
(右)本線を多度津方へ走り去る
 

スイッチバック運転の一部始終を見届けたところで、展望台を辞して坪尻駅へ向かう。旧国道に降りて少し行くと、道端に坪尻のバス停標識が立っていた。朝利用したバス路線がここまで延びているのだが、通るのは1日3往復だけだ。

バス停の少し手前に、旧国道からそれて谷を急降下している踏み分け道がある。入口がガードレールで遮断されているようにも見え、事情を知らなければ、駅に通じるとは信じられないだろう。散り敷く枯葉で滑りやすくなった山道は、途中で何度も折れ曲がりながら、谷底に達するまで続いていた。

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旧国道の坪尻バス停
「坪尻駅600m」の標識があるが、車では行けない
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(左)旧国道から駅への入口
  遮断するようなガードレールは車の誤進入防止の目的か
(右)落ち葉敷く坂道
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(左)道はますます細くなる
(右)駅手前の踏切
 

踏破に要した時間は正味13分。行く手に線路と踏切標識が見えたときには、正直ほっとした。踏切に警報機はなく、バーを手で開けて通行するようになっている。掲げてあった時刻表によると、通過列車は上下合わせて37本だ。これに加えて駅に停車する普通列車(下注)もあるので、一日を通してみればけっこうな数が行き来している。

*注 スイッチバックのため、1列車につき踏切を三度通過する。

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踏切に掲げられた通過列車の時刻表
左の印はアンパンマン列車を示す
 

構内には、片面ホームに接する折返し線と切妻の木造駅舎があり、25‰勾配で上る本線がそれに並行する。駅の先端では、2本の線路の間に早や数mの高低差がついている。反対側では、折返し線が本線に合流し、その先で引上げ線が分岐して、本線とともに山かげに消えていく。

駅舎はもちろん無人だが、待合室には記念スタンプや旅ノートが置いてあった。列車で来るにせよ、旧国道から歩いてくるにせよ、皆それなりの時間をかけているので、到達のあかしを残せる心遣いはうれしい。

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坪尻駅、上り勾配の本線が並行する
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(左)木造駅舎
(右)引き戸で入る待合室
 

こうしてしばらく静かな山峡の駅の風情に浸っていたのだが、森の奥からまたあの賑やかな話し声が聞こえてきた。私たちの後を追うようにして、団体の人たちも降りてきたようだ。ひとしきり展望台のカオスが再現されたが、観光バスの予定が押しているらしく、彼らは14時33分に通過する上り特急だけ撮ると、山道を帰っていった。

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上り特急列車の通過を団体さんと横一線で撮影
 

再び静寂が戻ったところで、14時54分発の下り普通列車が上手のトンネルから現れた。展望台で観察したとおり、引上げ線で折り返してホームに入線してくる。停車位置は駅舎より奥の、ホームの床を少しかさ上げした場所だ。2~3分停車する間に、運転士が反対側の運転台に移動する。私たちも阿波池田駅に戻るため、この列車の客となった。

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(左)下り普通列車が接近
(右)引上げ線で折返して駅へ
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ホームに入線
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図岡山及丸亀(昭和61年編集)、高知(平成7年要部修正)および地理院地図(2023年10月25日取得)を使用したものである。

■参考サイト
四国交通-路線バス https://yonkoh.co.jp/routebus
箸蔵山ロープウェイ http://wwwd.pikara.ne.jp/hashikurasan/
こんぴら奥の院 箸蔵寺 http://www.hashikura.or.jp/

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2023年9月 7日 (木)

新線試乗記-宇都宮ライトレール

JR宇都宮駅で日光線から烏山線に乗り継ぐ間に、東口に通じるペデストリアンデッキを渡って、動き出したばかりの新線のようすを偵察に行った。右手に乗り場へ降りる階段があるのだが、「反対側の階段をご利用ください」とスタッフが声を枯らしている。迂回ルートをとるよう促しているのだ。

手すり越しに下を覗いてみると、広くもないホームが、乗る人降りる人でごった返していた。なるほど、これでは一方通行もやむをえまい。きょうは8月28日月曜日、走り始めて3日目で初めての平日だが、開業フィーバーはまだ続いているらしい。私は明日全線を乗るつもりだが、朝早めの行動が必須と覚悟した。

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開業3日目の宇都宮駅東口停留場
 

2023年8月26日、栃木県宇都宮市にLRTの新線(下注)が開業した。既存路線の転用や延伸ではなく、いちからの建設という点で巷の話題をさらっている。諸元を記しておくと、軌間1067mm、直流750V電化、全線複線、ルートは宇都宮駅東口から芳賀・高根沢工業団地(はが・たかねざわこうぎょうだんち)に至る14.6kmだ。この間に、起終点を含めて19か所の停留場がある。

*注 LRTはライトレール・トランジット Light Rail Transit の略で、こうした軽量鉄道システムの概念。一方、使われる車両のことはLRV(ライトレール・ヴィークル Light Rail Vehicle)というが、前者と混同してLRTと呼ばれることも多い。

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路線図
 

標題では宇都宮ライトレールとしたが、鉄道の名称については混乱気味だ。運行業務を担っているのは、確かに「宇都宮ライトレール株式会社」だ。一方、路線の正式名称は、鉄道が通る自治体の名を冠して、「宇都宮芳賀ライトレール線」とされている。

ところが広報サイトなどでは、地名の配置を逆にした「芳賀・宇都宮LRT」が使われ、さらに現地の案内板や停留場の標識には、雷が多い土地柄(雷都)にちなんだ愛称「ライトライン Lightline」も見られる。

鉄道はいわゆる上下分離方式で、施設設備や車両といったインフラを、沿線自治体の宇都宮市と芳賀町(はがまち)が保有している。車両基地を含めルートの大半は宇都宮市域にあるが、芳賀を先頭に持ってきたのは、両者の間で、三条燕ICと燕三条駅の事例のような何らかの妥協があったのだろうか。ともかく本稿では呼称選択の判断を保留して、単にLRTと呼ばせていただく。

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垂れ幕はためく東口ペデストリアンデッキ

翌日、東口を訪れたのは朝7時。数年前までだだっ広い駐車場が占めていたこの一角は再開発されて、風景が一変している。JR線をまたぐ既存のペデストリアンデッキが延長され、正面に真新しい商業施設や交流拠点施設が出現した。LRTのターミナルは、デッキの直下で南北方向に設置されているが、隣にゆったりとした階段広場があり、そこから発着シーンをつぶさに観察できる。

ホームに降りると、次の7時10分発が停車中だった。車内は、通勤客らしき人たちで座席がすべて埋まり、ちらほら立ち客も見える。これが日常だとすれば、アウトバウンド(駅前から郊外へ)の交通需要は手堅そうだ。実際、LRTが向かう鬼怒川(きぬがわ)左岸には大規模な工業団地が広がっていて、円滑な通勤輸送が路線の使命の一つになっている。

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初乗り客で混雑する乗り場
(開業3日目の14時ごろ撮影)
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ホームの案内板
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東口階段広場
停留場(中央奥)を発車した列車
 

車両は、福井鉄道のF1000形 FUKURAM(フクラム)をベースに開発されたという3車体連節の低床車で、HU300形を名乗る。車両長29.5m、定員160名というスペックは、日本のトラム(路面電車)では最大級だ。黄色と黒のシンボリックなツートン塗装で、その配色と丸みを帯びた顔立ちがスズメバチを思わせないでもない。車内には2人掛けのボックスシートが両側に配置されていて、1編成で50席ある。後で体験した座り心地は良好だったが、向かいとの間が狭いので足の置き場が少し窮屈に感じた。

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3車体連接のHU300形
 

改札のない鉄道とあって、乗り方・降り方について周知用のチラシが配られていた。特筆すべきは全扉乗降方式の採用だ。交通系ICカードをリーダーにタッチすることで、最寄りの扉から乗るだけでなく、降りることもできる。広島電鉄でもすでに実施済みの方式だが、車内が混雑しても乗降がスムーズで、遅延回避に効果がある。もとより現金払いの場合は、乗車時に整理券を取り、降車時に先頭の扉まで移動して運賃箱に整理券と運賃を投入するという従来方式だ。

カードリーダーは扉の枠柱に直列配置されていて、上が降車用(黄色)、下が乗車用(緑色)なのだが、慣れないと間違いやすい。特に乗り込むとき、目の高さにある黄色のほうにうっかり手が行ってしまうのを私も経験した。

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(左)車内も黄色がアクセントに
(右)縦に並ぶカードリーダー
 

さっそく全線を乗り通してみた。帰りは何度か途中下車して、沿線の撮影地などに足を延ばしたので、それも交えてレポートする。

出発するとすぐ、電車は左に90度曲がって東に向かう。ライトキューブのデッキをくぐって、大通りである鬼怒通りの中央に飛び出す。もと片側3車線あったこの道路は、中央分離帯が撤去され、片側2車線とセンターポールが立つ複線の線路という配置(センターリザベーション軌道)に変えられた。余ったスペースは、交差点前の右折車線や停留場に充てられている。

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(左)7時10分発下り電車もすでに立ち客が
(右)ライトキューブのデッキをくぐる
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階段広場と鬼怒通りをつなぐ通路(西望)
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鬼怒通りを東へ進む(東望)
 

市街地の中を東宿郷(ひがししゅくごう)、駅東公園前(えきひがしこうえんまえ、下注)と小刻みに停車した後、国道4号宇都宮バイパスとの立体交差、通称 峰立体にさしかかる。この乗り越しは既設の道路高架橋をそのまま利用していて、車道は片側1車線だ。

*注 ちなみに駅東公園には、電気機関車EF57形が静態保存されている。

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(左)鬼怒通りは片側2車線と軌道に改築
(右)国道4号を乗り越す峰立体
いずれも復路、後方を撮影
 

続いて峰(みね)、陽東3丁目(ようとうさんちょうめ)と停まり、5つ目が宇都宮大学陽東キャンパス(うつのみやだいがくようとうきゃんぱす)だ。仮称の時点ではベルモール前だったのに、正式名はやたらと長い名になり、ベルモール前は副駅名に格下げされた。

ベルモールというのは、交差点の南側にある、イトーヨーカドーなどが入ったショッピングモールのことだ。この中に、LRTのPRコーナーが設置されているので、帰りに立ち寄った。展示の中心は、ルートの情景を要約したレイアウトだ。たった今往復してきたばかりだったので、どの停留場を表現しているのか、説明を読まなくてもすぐに判別できた。来場記念とのことで、オリジナルステッカーを2種いただく。

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ベルモールにあるPRコーナーは黄色尽くし
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ルートをデフォルメしたレイアウト、手前が宇都宮駅東口
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(左)峰立体を模した個所
(右)同 ゆいの杜周辺、奥に鬼怒川の橋が見える
 

この停留場を出ると、まもなく市街地の東端に達する。鬼怒通りが鬼怒川西部台地の崖線を降りるところで、逆にこちらは専用軌道となって高架を上っていく。そして急なS字カーブを切りながら、西行車線をまたぎ、田園地帯へ降下する。このような専用軌道が、鬼怒川をはさむ区間を中心に約5.1km(全線の35%)ある。

地上に降りてすぐの平石(ひらいし)は、LRTの運行拠点だ。ホームの両側に線路がある2面4線の構造で、予定されている快速運転が始まれば、ここで追い抜きが行われることになる。南側には車両基地があって、朝晩ここを始発/終着とする便があるし、日中も運転士の交替シーンが見られた。

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(左)市街地東端で鬼怒通りを乗り越す
(右)平石に降りていく高架
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平石停留場は2面4線
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(左)上下電車がすれ違う
(右)車両基地から出てきた回送車
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平石車両基地
 

新4号バイパス(石橋宇都宮バイパス)の下をくぐると、平石中央小学校前(ひらいしちゅうおうしょうがっこうまえ)、そしてこの後が、最も眺めのいいハイライト区間だ。高架に上がり、そのまま鬼怒川の広い河原を、長さ643m、高さ15mの優美なコンクリート橋で横断していく。左奥に西部の山並みが連なり、見下ろす水面が陽光にきらめいている。停留場の間隔は1.9kmと最長で、40km/hという軌道法の制限速度でとろとろ走るのはもったいないほどだ。

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鬼怒川を渡る(北西望)
 

橋を渡り終えると、田んぼの真ん中に飛山城跡(とびやまじょうあと)停留場がある。飛山城というのは、13世紀末に築かれたという平山城だ。地形的には、宝積寺(ほうしゃくじ)台地が高さ約30mの崖線で鬼怒川の河原に臨む場所にあり、いかにも要害の地というシチュエーションだ。

停留場から北に約800mとやや離れているが、鬼怒川橋梁の展望が期待できそうなので、行ってみることにした。ちなみに橋は城跡の南西に位置するため、順光になるのは朝のうちだけだ。

城跡の正式な入口は東側だが、遠回りになるので、南西側のからめ手からアプローチする。とっかかりは茫々の草道ながら、山に入ってからは明瞭な小道で、難なく城内に入れた。地形図にマークした地点が、橋梁の展望地だ。通りかかった地元の方によると、試運転に合わせて、伸び放題だった夏草を刈ったのだという。左右両方から現れ、橋の上ですれ違う2本の電車を、ここでありがたく撮らせていただいた。

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(左)鬼怒川橋梁からの下り坂(西望)
(右)田んぼに囲まれた飛山城跡停留場
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鬼怒川橋梁の上ですれ違う電車
飛山城跡から遠望
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鬼怒川橋梁周辺の1:25,000地形図に加筆
 

LRTの軌道はこの後、アップダウンを繰り返す。国道408号を乗り越すために上り、開析谷へ降り、最後に比高約15mの崖を駆け上がって、台地の高位面に到達する。清陵高校前(せいりょうこうこうまえ)停留場は、仮称の時点では作新学院北だった。高校の隣に作新学院大学のキャンパスがあるので、秋学期が始まれば、学生たちも乗客に加わるのだろう。

ここでは300m西にある道路の跨線橋に足を向けた。そこから、山なりになったLRTの高架橋が見える。軌道が手前でカーブしているので、思った通り小気味よい構図が得られた。

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清陵高校近くの跨線橋からの眺め
 

台地面は清原工業団地として整備され、並木の大きく育った道路網が縦横に広がっている。ゆとりのある敷地で脇道の出入りが少ないので、軌道は道路の中央ではなく片側に寄せられ、いわば道端軌道(サイドリザベーション軌道)の形で進んでいく。

清原地区市民センター前(きよはらちくしみんせんたーまえ)はトランジットセンター(公共交通結節点)とされ、路線バスの乗り場が隣接していた。LRT開通を機に東部地区のバス路線は再編され、こうしたハブでLRTと接続し、支線的な機能を担うように改められている。

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(左)清原地区市民センター前はバス乗り場が隣接
(右)往年の国鉄バス塗装車に遭遇
 

この後、90度曲がって北に向くが、こちらも並木の続く広い通りだ。グリーンスタジアム前の上下ホームは千鳥式の配置で、それぞれ1面2線の構造をしている。ここで折り返す便も一部あるので、上下線の間に渡り線が設置してあった。

ちなみに、次の停留場との中間地点に歩道橋があり、その上から線路の俯瞰が可能だ。ただし北側で高架の道路を建設中で、絵柄としてはやや雑然としたものになる。

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(左)並木の続く通り(南望)
(右)グリーンスタジアム前の島式ホームと上下線間の渡り線
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ゆいの杜へ続く高架線、歩道橋から北望
 

開析谷を斜めに横断した後、LRTは野高谷町(のごやまち)交差点を高架でショートカットし、再び東へ曲がって、県道64号芳賀バイパスの中央に位置づいた。この道路は鬼怒通りの延長なので、本来の道筋に戻ってきたようなものだ。

一帯は、ゆいの杜(もり)と呼ばれる比較的新しい住宅街だ。それで約500mの間隔を置いて、ゆいの杜西、ゆいの杜中央、ゆいの杜東と、停留場が3か所連続している。道の両側にロードサイド店の見慣れたロゴ看板が林立するが、整然とした工業地区をしばらく通ってきたので、生活感あふれる風景に懐かしささえ覚える。

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(左)ゆいの杜西で県道64号に再会
(右)電車用の黄矢印がついた道路信号機
 

次の芳賀台(はがだい)との間の、起点から12.1km付近で、宇都宮市と芳賀町の境界を越える。芳賀町域の沿線は再び工業地区だ。大きな集落はない(下注)ので、もっぱら通勤輸送区間ということになる。

*注 芳賀町の中心集落は祖母井(うばがい)だが、LRTの沿線ではない。

また北へ針路を変えるが、その手前にある停留場の名は、芳賀町工業団地管理センター前(はがまちこうぎょうだんちかんりせんたーまえ)という。長い駅名ランキングに名が上がりそうだが、それよりも終点の駅名とどこか似ていて紛らわしい。仮称は交差点名に合わせた管理センター前だったが、いっそのこと古風な命名法で、祖母井口(うばがいぐち)でもよかったのではないか。

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(左)芳賀町工業団地管理センター前
(右)多数のモニターに囲まれた運転台
 

北上する道路、かしの森公園通りには、途中で深い開析谷を横断するダウンアップがある。軌道もそれに付き合わざるを得ないので、路線最大の約60‰という勾配が生じている。

車内から観察したところ、北東側からのアングルがベストのようだ。かしの森公園前(かしのもりこうえんまえ)から近いので、降りて見に行った。乗車中はあまり実感がなかったが、地上で眺めると、ジェットコースターのような景観だ。函館市電の青柳町(あおやぎちょう)から谷地頭(やちがしら)へ降りる坂道(下注)を連想させる。センターポールに視界が遮られないのは上り電車なので、テールランプを見送る形になるのはやむを得ない。

*注 函館市電の同区間の最急勾配は58.3‰で、宇都宮ライトレールとほぼ同じ。

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かしの森公園通りのジェットコースター坂
(北東側から南望)
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約60‰の勾配を上る
 

宇都宮駅から48分で、終点の芳賀・高根沢工業団地に到着した。路面軌道のまま1面2線の駅があり、ホームは歩道橋につながっている(下注)。車内の客は途中の停留場で徐々に減ってきてはいたものの、終点でも20人以上が降りた。早い時間帯ゆえ見物客ではありえず、さっそくLRT通勤に切り替えた人たちだろう。

*注 押しボタン式の横断歩道で、側歩道に渡ることもできる。

というのもここは本田技研の北門前で、周りは事業所と従業員用駐車場以外、ほとんど何もない場所だからだ。その意味で駅名も、工業団地というより、仮称のときの本田技研北門のほうがしっくりくる。

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路上に設けられた芳賀・高根沢工業団地停留場
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電車は数分の停車ののち折り返す
 

宇都宮駅東口からここまで、道路の最短経路で約13km、机上計算だとクルマで20~25分だ。しかし実際は、主要交差点や鬼怒川の橋などで渋滞が多発するため、思うようには走れないらしい。それに対してLRTは南へ寄り道することもあって、時間は2倍かかるが、到達時間が読める点にメリットがある。

全便各停、所要48分の現行ダイヤは暫定版だ。運行状況が落ち着けば各停44分、快速37~38分と、文字どおり緩急をつけた運行体制になるという。時間のハンディキャップはいくらか挽回できそうだ。

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夕刻、宇都宮駅東口に戻ってきた電車
 

開業直後とあって、今日もお昼近くにはどの電車も満員になり、大幅な遅れが発生していた。もちろん大半が初乗り客で、運賃の現金払いが意外に多く、降車に手間取るのが遅延の原因らしい。とはいえ、この路線は主として通勤通学用で、新規の客がこれだけ集まってくれる機会は今後そう何度もあるまい。一人でも多くの人がLRTシステムの出来栄えを目にし、乗り心地を体験してくれれば、いい宣伝になると考えるべきだ。

ライトレールの建設にあたっては市民の間で賛否両論があり、費用面だけでなく、車道の削減や直行バス路線の廃止など、利便性の後退に関する懸念も根強かったようだ。しかし、1車線を電車用に振り向けるのは、バス専用レーンを設けて一般車両を進入させないようにするのと変わらない。さらに電車なら、バス2台分の定員を1名の乗務員で運べるので効率がいいし、クルマの走行路と分離することで運行の安全性や定時性も高まる。

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ターミナルにはまだ電車を待つ客の列が
 

LRTは、都市域の新たな交通軸として評価され、ここ30~40年の間に世界中で急速に建設が進められてきた。クルマ社会の典型と思われている北米大陸でさえ、その数は約50都市にも上っている(下記参考サイト参照)。ところがわが国ではそうしたトレンドが浸透せず、この間に新規開業されたのは、2006年の富山ライトレール(現 富山地方鉄道富山港線)の1路線のみだ。これとてルートの大半が旧JR線の再利用で、新設された区間は1.1kmに過ぎず、かつ単線だ(下注)。

*注 このうち東側0.4kmは、その後2018年に複線化されている。

それだけに、宇都宮ライトレールが全線新設で開業した意義は大きい。市街地では併用軌道だが、郊外に出ると線形のいい専用軌道になるというルート構成も模範的だ。

複線の軌道をスマートで収容力のある低床車が疾走するさまは、年配の市民が路面電車に抱いている時代遅れのイメージを覆すのに十分なインパクトをもつ。場所が、情報発信力のある首都圏の一角であることも重要だ。この開業がLRTの認知度向上に寄与し、取組みに倣う意欲的な都市が次々に現れることを期待しないわけにはいかない。

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掲載の地図は、地理院地図(2023年9月1日取得)を使用したものである。

■参考サイト
宇都宮ライトレール(運営会社サイト)https://www.miyarail.co.jp/
芳賀・宇都宮LRT(公式広報サイト)https://u-movenext.net/
Wikipedia - List of tram and light rail transit systems
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_tram_and_light_rail_transit_systems

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2023年6月26日 (月)

旧北陸本線トンネル群(敦賀~今庄間)を歩く II

敦賀(つるが)~今庄(いまじょう)間の北陸本線旧線跡を、前回は杉津(すいづ)までたどった。今回は残りのルートを敦賀に向かって歩く。

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杉津(すいづ)駅付近を走るD51の陶板画
北陸道上り線PAにて
掲載写真は2022年10月~2023年6月の間に撮影
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図1 北陸本線旧線時代の1:200,000地勢図
1959(昭和34)年修正、図2、3は前回掲載
 

杉津(すいづ)駅は今庄から13.5km、敦賀から12.9kmと、区間のほぼ中間に位置している。鉢伏山(はちぶせやま)の西側、標高179mの山腹で、眼下に敦賀湾と日本海を望めることから、かつては北陸本線の車窓随一の景勝地として知られていた。夏は、ここで下車して東浦海岸まで海水浴に行く客も多かったそうだ。

駅構内は2面4線の構造だったが、廃線後、北陸自動車道上り線のパーキングエリア(PA)に転用されて姿を消した。今庄から旧線跡を忠実にたどってきた県道今庄杉津線も右にそれ、国道8号に合流すべく杉津の集落へと降りていく。そのため、旧線跡を追おうとするなら、左折して北陸道の下をくぐり、山側に出る市道を行く必要がある。

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(左)県道今庄杉津線から敦賀方面への分岐
(右)「ぷらっとパーク」案内板
 

PAの脇を進んでいくと、「ぷらっとパーク」の案内板が出ていた。一般道からも利用可能なPA・SAのことで、裏口にささやかな駐車スペースも用意されている。さっそく入って、売店・食堂棟の傍らに杉津駅に関する案内板があるのを確かめた。

駐車場に面した壁面では、地元の小中学生が筆を揮ったという力作の陶板画が人目を引いていた。一つは高みから見下ろした構図で、海辺の村と湾の青い水面を背景に、蒸気列車が駅に入ろうとしている。あぜ道が交錯する山田では田植えの最中のようだ(前回冒頭写真参照)。もう一つは蒸機のD51が主役で、力強い走りっぷりを斜め正面から写実的に描いている(今回冒頭写真参照)。

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杉津駅案内板(杉津上り線PAに設置)
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PAの壁面を2点の陶板画が飾る
 

列車こそ来なくなったが、目の前の絶景は今も昔と変わらない、と書きたいところだが、意外にも駐車場と高速道の本線に前面を遮られてしまう。これでは来た甲斐がないので、下り線側に行くことにした。

この周辺では、高速道の上り線(米原方面)と下り線(新潟方面)の配置が逆転している。そのうえ西向きの急斜面に立地するので、東側を通る下り線のほうが50m以上高い場所にあるのだ。両方のPAを行き来できるのは一般道利用者にのみ与えられた特権だが、バックヤードの急な坂道を自力で上らなくてはならない。

下り線PAの売店・食堂棟の裏手には、「夕日のアトリエ」と称する展望台がある。北陸道を通行するドライバーによく知られたスポットで、そこから眺めるパノラマは折り紙付きだ。見えている海は敦賀湾口で、かなたに日本海の水平線が延びる。手前の海岸線は、かつて海水浴客で賑わった杉津の浜で、左手直下に先ほどいた上り線PA、右手には歩いてきた旧線跡の県道も見える。沈む夕陽を売りにしている展望台だが、日中の見晴らしも十分すばらしい。

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杉津下り線PAの展望台
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下り線PAからのパノラマ
海岸の集落が杉津、手前下方に杉津駅跡の上り線PA
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右手に旧線跡の県道(今庄方)が延びる
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杉津駅案内板(杉津下り線PAに設置)
 
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図4 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
杉津~葉原信号場間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1932(昭和7)年修正測量
 

しばらく休憩した後、坂を下り、改めて敦賀のほうへ向かう。ちなみに杉津駅のすぐ南には、開業当時、河野谷(こうのだに)トンネルというごく短いトンネルがあったが、構内拡張に際して開削され、消失した。

道路は再び旧線跡に載る。北陸道上り線の杉津トンネルと並ぶようにして、曽路地谷(そろじだに)トンネルが口を開けている。401mと旧線のトンネル群では第4位につける長さだが、県道から外れたためか、内部に照明がなかった。奥へ進むにつれて足もとが闇に包まれ、手にした懐中電灯だけを頼りに歩く。おおむね直線なので(下注)、出口の明かりが小さくまたたいて見えるのがせめてもの救いだった。

*注 敦賀方の出口で左カーブしている。

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曽路地谷トンネル南口
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(左)北陸道のトンネルと並ぶ曽路地谷トンネル北口
(右)照明がなく、中央部は真っ暗闇
 

トンネルを抜けると、右手に敦賀湾の明るい眺めが戻ってきた。しかし、北陸道の上り線が海側のすぐ下を並走しているため、クルマの走行音が絶えず響いて耳障りだ。静寂に包まれていた杉津以北の道中を思えば、俗世間に連れ戻されたような気がする。

次の鮒ヶ谷(ふながや)トンネルは、長さ64mでごく短い。しかも高速道の擁壁建設の際に削られたのか、地山があらかた消失し、トマソン物件になりかかっていた。このあたりで勾配が反転し、25‰の上りが復活する。山中トンネルに向かう坂道ではまったく平気だったのに、疲れてきたのか足が重い。

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(左)敦賀湾の眺めが戻るが、右側すぐ下に北陸道が
(右)地山があらかた消失した鮒ヶ谷トンネル
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鮒ヶ谷トンネル南口
 

いつしか道は林に包まれ、そのうち葉原(はばら)トンネルのポータルが現れた。他のトンネルと同じように金文字の名称プレートがついているが、かつては当時の逓信大臣 黒田清隆が揮毫した扁額がはまっていた。北口で「永世無窮(えいせいむきゅう)」、南口で「與國咸休(よこくかんきゅう)」と刻まれ、実物は長浜鉄道スクエアの前庭にある。

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葉原トンネル南口
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北口の扁額「永世無窮」
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南口の扁額「與國咸休」
いずれも長浜鉄道スクエアで撮影
 

葉原トンネルは、鉢伏山(はちぶせやま)の西尾根を貫いている。長さが979mで山中トンネルの次につけるだけでなく、縦断面でももう一つのサミットを形成していて、立派な扁額に見合う主要構築物だ。しかし今は市道なので、また真っ暗闇の大冒険を強いられるかと危惧したが、ちゃんと明かりが灯っていた。

北口付近にカーブがあり、直線部分も拝み勾配のため、内部の見通しは必ずしもよくない。それでポータル前に、待ち時間約5分と記された交互通行用の信号機が設置されている。徒歩で通過するのに10分以上を要したが、幸いにもその間に入ってくる車両は1台もなかった。

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(左)北口付近にカーブ、直線部は拝み勾配
(右)南口、右上に北陸道下り線が見える
 

トンネルの南口は、北陸道の下り線と上り線に挟まれている。この狭い場所に3本のトンネルが集中しているのだ。高速道建設の際に、潰されたり転用されたりしなかったのは僥倖というべきだろう。

旧線跡は25‰の急勾配で坂を下りていく。葉原信号場の痕跡を探しながら歩いたが、案内板すら立っておらず、右側に雑草の生えた空地が認められるだけだ。急坂の途中のため、信号場はスイッチバック式になっていた。

山中信号場でも実見したように、引上げ線の終端では本線との高度差がかなり開いていたはずだが、今庄方の掘割は埋められており、敦賀方の築堤も高速道路の用地にされたようだ。空中写真を参照すると、市道も若干西側に移設されたようで、一部で旧線跡をトレースしていない。

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(左)葉原信号場跡付近を北望
(右)同 南望
 
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図5 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
葉原信号場~新保間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1932(昭和7)年修正測量
 

北陸道下り線の法面に沿って進むと、行く手に葉原集落が見えてきた。旧線跡は弧を描く長い築堤で、谷を横切りながら高度を下げていく。現役時代は葉原築堤、または葉原の大カーブと呼ばれ、山中越えに挑む蒸機の奮闘ぶりが見られる名所だった。

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弧を描きながら降りる葉原築堤
 

葉原で、旧線跡の市道は木の芽峠から降りてきた国道476号に吸収される。合流地点に村社の日吉神社がある。旧線はこの境内を突っ切っていたが、その後、神社の敷地に戻され、小さな鳥居が立った。

この先は、片側1車線の国道が廃線跡をほぼ踏襲している。しかし、歩道どころか車道の路肩もほとんどなく、歩きには適していない。ここは安全第一で、木の芽川の対岸を通っている旧道に回った。やがて左から北陸道下り線が接近してきて、ただでさえ狭い谷間に、国道、木の芽川、高速道路、旧道が並走し始めた。北陸道の上り線だけ別ルートなのも無理はないと思わせる過密ぶりだ。

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国道476号との合流地点
(左)旧線跡は神社の境内になり鳥居が立つ(北望)
(右)反対側では国道が旧線跡(南望)
 

その谷間に、寄り添うようにして獺河内(うそごうち)集落がある。旧線の新保(しんぼ)駅はその南にあった。新保というのは、駅から北へ4kmも離れた木の芽峠南麓にある集落の名で、国道脇に駅跡を示す大きな自然石の記念碑が立っている。土台部分に描かれた構内図は、道路や等高線が線路と同じ太さの線で描かれていて、今一つ要領を得ないが、ここも25‰勾配の途中にあるため、通過式スイッチバックの駅だった。

敦賀方の折返し線上に島式ホームが設置され、今庄方にも集落の裏手を通って引上げ線が延びていた。敦賀から坂を上ってきた列車は、いったん引上げ線に入った後、バックして折返し線のホームに着いたという。狭い谷間とあって、駅の跡地は北陸道や国道にまるごと利用され、ほとんど原形をとどめていない。なお、「かつての駅の壁面が自動車道の一部に残されて」いるという案内板の言及は、北陸道の山側に見られる擁壁のことだろう。

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新保駅跡の記念碑、台座に構内配線図
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駅構内は高速道と国道に転用(南望)
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新保駅案内板
 

獺河内から少し行くと旧道が国道に合流してしまい、約1kmの間、危険な国道を歩かざるを得なかった。上流に採石場があるからか、ダンプカーが道幅いっぱいになって通る。こんな道に歩行者がいるとは予想されていないだろうから、ガードレールぎわに立ち止まってやり過ごすしかない。

旧線には、谷の屈曲を短絡する2本の短いトンネルがあった。このうち、今庄方の獺河内トンネルは、国道の新トンネルとして拡幅改修され、面影は完全に消えてしまった。先ほどの無歩道区間とは対照的に、歩道もやたらと広く取られている。

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獺河内トンネルは国道として拡幅改修
 
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図6 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
新保~敦賀間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1932(昭和7)年修正測量
 

一方、敦賀方にある樫曲(かしまがり)トンネル(長さ87m)は歩道扱いとなり(下注)、原状のまま保存されている。ガス灯風の照明設備が鉄道トンネルにふさわしいかどうかは別として、クルマを気にせずにゆっくり観察できるのはうれしい。西口には、土木学会選奨土木遺産と登録有形文化財のプレートが埋め込まれていた。2種のプレートが揃うのは、山中トンネル北口とここだけで、トンネル群のエントランスに位置付けられていることがわかる。

*注 以前は片方向の車道として使われていた。

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原状保存された樫曲トンネル(東口)
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西口内壁に埋め込まれた
土木学会選奨土木遺産と登録有形文化財のプレート
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樫曲トンネル(西口)と迂回する国道
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樫曲トンネル案内板
 

しかし、国道の迂回はトンネルの前後に限られる。すぐに国道が旧線跡に戻り、谷間に大きな曲線を描いていく。深山(みやま)信号場があったのは、ちょうど北陸道の上り線と下り線が立体交差で合流するあたりだが、国道の道幅が1車線分広くなっているのが目立つ程度だ。

国道はそれから右にカーブし、北陸トンネルから出てきた現在線の横にぴったりとつく。今庄駅の南端で始まった旧線跡をたどる旅はここで終わる。敦賀駅までは、あと2kmほどだ。

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(左)樫曲集落、背景に新幹線と北陸道上り線の高架橋
(右)深山信号場跡、国道の左側が広い
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(左)北陸トンネル南口
(右)敦賀駅正面
 

最後に、湯尾(ゆのお)トンネルについて記しておこう。「旧北陸本線トンネル群」に含まれる11本のトンネルのうち、これだけが他とは離れて、今庄~湯尾間にぽつんと存在する。というのもこのトンネルは、蛇行する日野川の谷をショートカットするために掘られたものだからだ。

長さは368mあり、入口から出口までずっとカーブし続けているのが特徴だ。ポータルは切石積み、内壁は煉瓦積みで、芦谷トンネルと同様の仕様になっている。現在は一般道として使われているが、内部が交互通行のため、待ち時間約3分の信号機に従わなければならない。

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湯尾トンネル北口
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(左)内部は終始カーブしている
(右)南口
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湯尾トンネル案内板
 

トンネルの前後の旧線跡は、北と南で対照的だ。北側は、現在線との合流地点まで道路化されている。途中の湯尾谷川を渡る橋の煉瓦橋台は、鉄道時代のものだろう。南側でも道路が川沿いにまっすぐ延びているが、これは旧線跡ではない。地形図で読み取ると、旧線はもっと山際を通っていた。しかし、民地に取り込まれたり、新線の下に埋もれたりして、ルートはほとんどわからなくなってしまったようだ。

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トンネル北側の旧線跡道路
(左)湯尾谷川の橋から南望
(右)橋には煉瓦の橋台が残る
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図7 1:25,000地形図に旧線位置(緑の破線)等を加筆
湯尾~今庄間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1960(昭和35)年資料修正
 

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2023年6月23日 (金)

旧北陸本線トンネル群(敦賀~今庄間)を歩く I

長さ13,870mの北陸トンネルが開通するまで、北陸本線が杉津(すいづ)回り、山中越えなどと呼ばれた険しい山間ルートを通っていたことは、もうすっかり忘れられているかもしれない。

敦賀(つるが)~今庄(いまじょう)間のこの旧線は1896(明治29)年の開業で、長さ26.4km。旧街道が越える標高約630mの木の芽峠を避けて、敦賀湾沿いの山腹を大きく迂回していた。それでも標高265mまで上る必要があり、前後に急勾配とトンネルが連続する、蒸気機関車にとっては運行の難所だった。もとより単線でスイッチバックもあって、今なら16分で通過してしまう区間に35分から50分も要していたのだ(下注)。

*注 1961(昭和36)年10月改正ダイヤに基づく。

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杉津(すいづ)旧駅を描いた陶板画
北陸道上り線PAにて
掲載写真は2022年10月~2023年6月の間に撮影
 

1962(昭和37)年6月に北陸トンネル経由に切り替えられた後、66年間の長い務めを終えた旧線は、車が走れる道路に転換された(下注)。これはこれで敦賀と今庄の間の抜け道として重宝されていたが、1977年に北陸自動車道が通じ、さらに地道でも2004年に国道476号の木ノ芽峠トンネルが開通したことで、通行量はごく少なくなった。

*注 2023年現在、敦賀~葉原間は国道476号、葉原~杉津PA間は敦賀市道、杉津PA~今庄間は福井県道今庄杉津線のそれぞれ一部区間になっている。

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敦賀~今庄間の線路縦断面図
「今庄まちなみ情報館」の展示パネルより
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「3連トンネル」の景観
伊良谷トンネル出口から南望
 

ルート上には今も11本のトンネル(下注1)など、鉄道の現役時代を彷彿とさせる痕跡が点々と残されている。これらは歴史的価値が認められて、2014年に「旧北陸本線トンネル群」として土木学会選奨土木遺産に認定、2016年には国の登録有形文化財にも登録された(下注2)。

*注1 今庄~湯尾間の湯尾トンネルを含む。
*注2 登録有形文化財としての名称は個別で、それぞれ前に「旧北陸線」がつく(例:旧北陸線山中トンネル)。また、罠山谷(わなやまだに)暗渠と山中ロックシェッドも同時に登録されている。

以下は、その全区間を徒歩で訪ねたレポートだ。北陸本線は米原(まいばら)が起点なので、敦賀から今庄に向けて記すのが順当だが、実際に歩いた今庄側からの記述になることをお断わりしておきたい。

なお、1:25,000地形図上に、歩いたルートを赤線で、旧線の概略位置を緑の破線で、それぞれ記している。参考までに旧版地形図も添えたが、1:25,000図が手元にないため、1:50,000図を2倍拡大して用いた。

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図1 北陸本線旧線時代の1:200,000地勢図
1959(昭和34)年修正、図4以下は次回掲載

今庄駅は、山あいにたたずむ静かな中間駅に過ぎない。しかしかつては、山中越えの列車に連結する補助機関車のための鉄道基地で、本線線路を隔てて東側には機関庫や転車台など関連施設が集まっていた。新線開通でそれらはほとんど撤去されてしまい、今は給水塔と高床式の給炭台だけが敷地の奥でうらぶれた姿をさらしている。

一方、旅客用の駅舎は後に改築されて、装いを一新した。その中に設けられた「今庄まちなみ情報館」には精巧な再現ジオラマがあり、活気にあふれていた時代の駅構内をしのぶことができる。

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今庄駅
(左)観光案内所や情報館の入る駅舎
(右)521系の上り普通列車が入線
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(左)構内に残る給水塔と給炭台
(右)旧役場前広場に保存されたD51 481号機
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「今庄まちなみ情報館」にある旧駅構内のジオラマ
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
今庄~大桐間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1960(昭和35)年資料修正
 

さて、今庄の町の南のはずれで、旧線跡は現在線から右に分かれていく。現在線が長さ855mの今庄トンネルに入る一方で、川沿いに延びていた旧線跡は、そっくり県道207号今庄杉津線に転用された。緩いカーブは鉄道由来のものだが、2車線幅に拡げられたため、昔の面影を見いだすことは難しい。

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今庄~南今庄間の旧線跡道路
(左)緩いカーブは鉄道由来(西望)
(右)現在線に再接近(東望)
 

その県道が、トンネルから出てきた現在線に再接近した地点に、南今庄(みなみいまじょう)駅がある。後述する大桐駅廃止の代償として開設されたが、対面式ホームにささやかな待合室が付属するだけのさびしい無人駅だ(下注)。それで、すぐそばの県道脇に木造の休憩所が建てられている。トイレもあるので、この駅を廃線跡探索のスタート/ゴール地点にするなら、身支度や電車待ちに重宝するだろう。

*注 出入口にICカードの簡易改札機がある。

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(左)南今庄駅
(右)県道脇の休憩所
 

駅を出たあと、まっすぐ北陸トンネルに向かう現在線に対して、廃線跡の県道は緩やかに右カーブする。そして谷をまっすぐ遡りながら、下新道(しもしんどう)と上新道(かみしんどう)の集落を通過していく。案内板によれば、この地名は木の芽峠に向かう新道(の入口)という意味らしい。新道といっても830年の開削で、それ以前の北陸道は、海岸から直登して旧線と同じく山中峠を経由していたそうだ。

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(左)下新道集落を直進
(右)北陸自動車道が見えてきた
 

行く手に、現代の北陸道である北陸自動車道が見えてきた。その高架下をくぐろうとするところに、交互通行の信号機が立っていた。

というのも、昨年(2022年)8月5日に集中豪雨があり、鹿蒜川(かひるがわ)が氾濫してこの地域に大きな被害をもたらしたのだ。家屋や田畑が冠水し、県道も被災して一時期、通行止めになった。先にある2か所の橋のうち、上手のほうが流失したため、川の右岸に応急の迂回路が造られている。信号機はそのためのものだ。流された橋桁は鉄道からの転用だったので、貴重な遺構が一つ消えたことになる。

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被災した県道
(左)下手の橋梁は無事
(右)上手の橋梁は流失
 

大桐(おおぎり)駅跡はその流失現場の続きだが、幸いにも被害を免れた。一部保存された上り線ホームには桜並木が植わり、案内板とともにD51の動輪や信号機など鉄道のモニュメントが置かれている。敦賀~今庄間の旧線にあった3つの中間駅のうち、他の2つは高速道路の建設で消失してしまったから、ここは往時を追想できる貴重な場所だ。

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上りホームが残る大桐駅跡(東望)
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ホーム上に並ぶ動輪や信号機のモニュメント
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大桐駅案内板
 

大桐駅を出ると、旧線跡は右へカーブしながら、いよいよ25‰(1:40)の勾配区間にさしかかる。山中トンネルの手前まで約6km続く長い坂道だ。800mほど先には、駅の名になった大桐集落がある。家並みの間を貫く築堤の途中でまた鹿蒜川を渡るが、ここでも鉄道時代の鋼桁が再利用されていた。

ここは今庄方の最後の集落で、これを境に道幅が狭まり、センターラインも消える。新幹線工区のある谷側の高い法面がブルーシートで覆われていた。ここも豪雨の爪痕のようだ。いつしか携帯の電波が届かなくなり、山の深まりを実感する。舗装道だが、クルマにもバイクにも出会わないし、もちろん歩いているのは私だけだ。

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(左)大桐集落
(右)鹿蒜川を渡る橋に鉄道の面影
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(左)大桐の築堤を下る特急「白鳥」、大桐の案内板を撮影
(右)同じ場所の現在
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(左)法面に復旧工事の跡が残る(東望)
(右)通るクルマもない深山の直線道(西望)
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図3 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
大桐~杉津間
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北陸本線旧線時代の1:50,000地形図
1960(昭和35)年資料修正
 

杉林の中をなおも上っていくと、覆道の山中ロックシェッド(下注)があった。一見新しく、線路を通していたにしては狭く見えるが、登録有形文化財のプレートがはまっているから間違いない。1953(昭和28)年の建築で、長さは65m、国内最初期のプレストコンクリート製という点に価値があるらしい。

*注 ロックシェッド rock shed は落石除けの意。

ロックシェッドに続いて、山側に頑丈そうなコンクリートの擁壁がそびえている。ここはもう山中信号場の構内で、スイッチバックの折返し線がこの上に延びていたのだ。進むにつれて、築堤との高低差は徐々に縮まってくる。折返し線は長さが500m以上ありそうだが、途中で一部が崩壊し、土嚢が積まれていた。支谷から溢れた水流で押し流されたようだ。

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山中ロックシェッドにも、登録有形文化財のプレートがはまる(左写真の矢印)
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(左)折返し線を載せる擁壁(西望)
(右)本線ロックシェッドの上に折返し線のロックシェッドが(東望)
 

折返し線が合流する場所まで来た。信号場の案内板がある。それによると、今見てきた今庄方の折返し線は複線になっていて、それとは別に敦賀方にも単線の引上げ線が延びていた。本線の坂を上ってきた列車は、いったん後者に入線した後、バックして前者に入り、列車交換を行ったという。

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スイッチバックの山中信号場(東望)
右の砂利道が折返し線跡
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山中信号場案内板
 

森陰の薄暗い谷を少し進むと、山中トンネル(下注)の苔むした煉瓦ポータルが迎えてくれた。左隣には、引上げ線の有効長を延ばすために設けられた行き止まりのトンネルも見える。

*注 地形図の注記のとおり、明治時代の建設のため、本来の呼称は「~隧道(ずいどう)」だが、本稿では「~トンネル」に統一した。

山中トンネルは長さ1170mで、このトンネル群では最長だ。今いる北口が山中越えのサミットに当たり、旧 北陸本線の最高地点でもあった。ポータル上部には、かつて時の逓信大臣 黒田清隆が揮毫した扁額が据え付けられていたが、現在は、滋賀県長浜市にある長浜鉄道スクエア(旧長浜駅舎)の前庭に移設されている(下注1)。北口は「徳垂後裔(とくすいこうえい)」、南口は「功和于時(こうかうじ)」と刻まれていて(下注2)、建設に携わった人々の気概と自負が伝わってくる。

*注1 最近、トンネルの前にも扁額のレプリカが置かれた。
*注2 文言の意味は、下の写真の説明パネル参照

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山中トンネル北口、左隣は引上げ線のトンネル
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長浜鉄道スクエアに保存されている扁額「徳垂後裔」
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引上げ線トンネル
内部はすぐに行き止まりに
 

本線トンネルに入っていこう。内部は直線かつ22.2‰(1:45)の一方的な下り勾配で、1km以上先にある出口の明かりが小さく見える。リュックに懐中電灯を入れてきたが、天井照明があるので、取出すまでもなかった。壁から染み出した水が側溝の蓋からあふれて、あちこちに流れや水たまりを作っている。注意深く歩かないと、靴が水浸しになりそうだ。

珍しく途中で乗用車が1台入ってきたが、ロケットの発射かと思うほどの轟音がこだまして肝を冷やした。トンネル内では離合が難しいから、速度を上げているのだろう。とりあえず退避用の窪みに身を寄せてやり過ごす。写真を撮りながら歩いたので、出口まで20分以上かかったが、すれ違ったのはこの1台だけで助かった。

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山中トンネル内部
一方的な下り勾配、水浸しの路面
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(左)資材置場(?)と電線碍子
(右)後補と思われる待避所
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(左)南口から南望
(右)山中トンネル南口、かつてはここにも扁額があった
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南口の扁額「功和于時」
長浜鉄道スクエアで撮影
 

山中トンネルの後も50~100mの明かり区間を置いて、トンネルが5本連続している。海に落ち込む山襞をあたかも串刺しにするように、線路が通されているからだ。

一つ目は伊良谷(いらだに)トンネル、長さは467m。ポータル上部には、建設時のものではないが、名称を金文字で記したプレートがはまっている(下注)。内部がカーブしていて見通しが悪いので、入口に交互通行用の信号機が設置されていた。看板には待ち時間約3分とあるが、私は徒歩なので、遠慮なく入らせてもらう。

*注 伊良谷トンネルから葉原トンネルまでこの仕様になっている。

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信号機が設置された伊良谷トンネル北口
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(左)トンネル名称のプレート
(右)内部はカーブで見通しが悪い
 

カーブの終わる出口に近づくと、これから通る2本のトンネルが一直線に並んで見える。案内板によると、この印象的な景観は「3連トンネル」と呼ばれているらしい(冒頭写真参照)。

一見同じようなトンネルだが、仕上げ材には違いが見える。山中、伊良谷はポータルも内部も煉瓦で積んでいるが、次の芦谷(あしたに)トンネルは内部が煉瓦積み、ポータルは切石積みだ。その後のトンネルは、ポータルだけでなく内部の腰部まで切石積みになる。

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(左)山中トンネルの内部は煉瓦積み
(右)曲谷トンネルは腰部が切石積み
 

芦谷トンネル(長さ 223m)を出ると、三つ目の曲谷(まがりたに)トンネル(同 260m)の間で谷を横断している築堤が、大規模に流失していた。これも豪雨による被害だ。築堤の下の暗渠が土砂で埋まったか何かで、谷からの出水が築堤を乗り越えてしまったようだ。山側に設けられた仮設道路を迂回する。今庄方から来ると、この築堤で初めて敦賀湾が見えるのだが、今は不気味な裂け目のほうに目が行ってしまう。

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芦谷、曲谷トンネル間で流失した築堤
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その築堤から見える敦賀湾
 

曲谷トンネルは内部で右に、四つ目の第二観音寺トンネル(同 310m)は同じく左にカーブしている。再び敦賀湾を遠望した後、短い第一観音寺トンネル(同 82m)に入った。

この後はしばらく山腹の明かり区間で、高い築堤の上を25‰で下っていく。この下に、トンネル群とともに登録有形文化財に加えられた罠山谷(わなやまだに)暗渠(長さ46m)があるはずだが、見学路がついているのかどうかはわからない。

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曲谷トンネル北口
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第二観音寺トンネル南口
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第一観音寺トンネル南口
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(左)罠山谷暗渠のある築堤(北望)
(右)正面奥に北陸道上り線(南望)
 

さらに歩いていくと、正面に北陸自動車道の上り線が見えてきた。あちらも分水嶺の下を敦賀トンネルで抜けてきたところで、クルマがひっきりなしに行き交っている。緑地に P の標識が見えるのは、杉津(すいづ)パーキングエリアの駐車場だ。知られているとおり、ここが旧線の展望名所だった杉津駅の跡になる。

続きは次回に。

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図岐阜(昭和34年修正)、5万分の1地形図今庄(昭和35年資料修正)および地理院地図(2023年6月9日取得)を使用したものである。

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2023年5月31日 (水)

コンターサークル地図の旅-小滝川ヒスイ峡と旧親不知トンネル

日本列島を西南と東北に分けるフォッサマグナ(大地溝帯)、その西縁が糸魚川-静岡構造線、略して糸静線と呼ばれる断層群だ。糸静線が日本海に接する糸魚川周辺には地学上の見どころが点在していて、洞爺・有珠、雲仙とともに2009年に日本で初めて「世界ジオパーク(現 ユネスコ世界ジオパーク)」に認定されている。2023年5月20日のコンター旅は、そのいくつかをレンタカーで巡ろうと思う。

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ヒスイ峡にそびえる石灰岩の絶壁、明星山
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図1 糸魚川周辺の1:200,000地勢図
(1988(昭和63)年編集)

富山から乗り継いできた普通列車で、糸魚川駅に8時45分ごろ着いた。集合時刻までまだ少し時間があるので、改札の前で会った山本さんと、駅舎1階のジオパルを見に行く。名称からするとジオパークのインフォメーションセンターのはずだが、展示内容は鉄道ものに重点が置かれていて、私たちもそれが目当てだ。

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糸魚川駅ジオパル
(左)大糸線を走ったキハ52は休憩室に
(右)大糸線をイメージした大型レイアウト
 

10時11分着の新幹線はくたかで、大出さんと中西さんが到着して、本日の参加者4名が揃った。レンタカーの営業所で、予約してあった日産ノートに乗り込む。まずは国道148号で、姫川(ひめかわ)の谷を遡ろう。

掲げたテーマとはのっけから乖離するが、最初の訪問地は大糸線の根知(ねち)駅だ。ここで10時48分に行われるキハ120形同士の列車交換シーンに立ち会う。存廃が議論されているローカル線で、列車本数が少ないので、この駅での行き違いは午前中、一度だけだ。

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キハ120形の列車交換、根知駅にて
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
根小屋周辺
 

続いて、根知川右岸(北岸)にあるフォッサマグナパークへ。道路脇の駐車場から森の中の小道を歩き始めると、すぐ山側に、「大切にしましょう 水準点」の標識が立っていた。地形図に93.2mの記載がある一等水準点だ。標石は健全そのもので、刻字が明瞭に読み取れ、四隅に保護石も従えている。近年は金属標や蓋された地下式も多い中、これは見本にしたくなるような外観だ。点の記では1986(昭和61)年の設置とされているが、標石自体はもっと古いものだろう(下注)。

*注 側面に、国土地理院の前身で1945~60(昭和20~35)年の間存在した地理調査所の名が刻まれている。

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根知川右岸の一等水準点
 

小道は大糸線のトンネルの上を越えていく。目の前が根知川を渡る鉄橋で、さっきの列車交換がなければ、ここで一枚撮りたいところだ。そう考えるのは私だけではないらしく、フェンスに親切にも列車通過時刻表が掲げてあった。今日は地学系の旅のつもりだが、核心にたどり着かないうちに、道中の誘惑が多くて困る。

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トンネルの上から望む大糸線の線路
奥が根知駅
 

道なりに5~600mほど進んだ先で、いよいよ「Fossa Magna Park」の壁文字が見えてきた。地層の露頭は、階段を降りていくと明らかになる。斜面が漏斗状に開削され、その上部に、境界と記された標柱と、その両脇に「東」「西」と大書された看板が立っている。

看板の意味するところは、糸静構造線のどちらの側かということだ。東はフォッサマグナで、プレート理論でいう北アメリカプレートに、西ははるかに古い地層でユーラシアプレートに属する。その境界は強い力が作用するため破砕帯になっていて、模式図のようなスパッと切れた断面ではない。

ちなみに、糸魚川寄りには、よく似た名のフォッサマグナミュージアムという観光施設がある。鉱物の好きな人なら一日でも居られると言われる展示館だが、今日は予定が目白押しで、訪問は難しい。

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フォッサマグナパーク
根知川の対岸に、糸静線上に建つ酒造会社の大屋根が見える
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「東」と「西」の看板の間に
構造線の位置を示す「境界」の標柱が立つ
 

フォッサマグナパークから、さらに上流へクルマを走らせた。次の行先は小滝川ヒスイ峡だ。小滝(こたき)で横道にそれて、1車線の坂道を延々と上っていく。小滝川に沿う林道入山線が最短経路だが、落石の影響で通行止めになっており、2倍以上の遠回りを強いられる。とはいえ、一帯を見下ろす展望台や、高浪(たかなみ)の池といった名所を経由するから、迂回もまた楽しからずや、だ。

道のサミット付近にあるその展望台からは、森の中にたたずむ高浪の池が眼下に望めた。後ろに控えるのは、石灰岩の切り立つ岩壁で知られる明星山(みょうじょうさん、標高1189m)だが、あいにく中腹まで雲に覆われている。視界を占有している斜面は、実は大規模な地すべりの跡で、池も、押し出された土砂の高まりの内側に、地下水が染み出してできたものだ。しかし、荒々しい地形の成因など忘れさせるほど、しっとりとしてもの静かな光景だ。

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展望台から望む高浪の池
後ろの明星山は雲の中
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図3 同 小滝川ヒスイ峡周辺
 

高浪の池までクルマで降りて、池の周囲をしばし散策した。薄霧が漂うなか、畔の木々が水面に映る姿はなかなかに幻想的で、東山魁夷の絵を思わせる。なんでもこの池には、「浪太郎」の名で呼ばれる巨大魚が棲んでいるそうな。

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森を映す高浪の池
 

池のほとりの食堂で昼食をとった後、ヘアピンが連続する山道をクルマでさらに下っていった。渓谷を見下ろす展望台まで来ると、さすがに明星山も霧のヴェールから姿を現した。川床から約450mもの高さがあるという剥き出しの岩肌が、威圧するようにそそり立っている。この景観を作り上げたのは、眼下を流れる小滝川で、南隣の清水山にかけて続く石灰岩の地層を侵食した結果だ。ロッククライミングの名所でもあるそうだが、どうすればこの絶壁を上れるのか、素人には想像もつかない。

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小滝川の渓谷をはさんで向かい合う石灰岩の山塊
左が明星山、右が清水山
 

遊歩道を歩いて上流へ向かう。まが玉池という人工池の前からは、ヒスイ峡の河原まで降りていくことができた。渓流の間に直径数mもあるような巨石が多数転がっていて、案内板によると、あの中にもヒスイの原石が含まれているらしい。漢字で翡翠と書くので緑色という印象が強いが、実際は白っぽいものが多く、緑色の部分は貴重なのだそうだ。

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小滝川ヒスイ峡
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(左)青みを帯びた渓流
(右)矢印がヒスイの原石(現地案内板を参考にして表示)
 

縄文時代から古墳時代にかけてヒスイは、装身具や勾玉に加工されて珍重された。驚くことに、それらはすべて糸魚川産だったという。ところが奈良時代以降、その文化が途絶えたことで、原産地がどこかもすっかり忘れられ、渡来品とさえ考えられていた。この峡谷でヒスイが再発見されたのは、それほど古い話ではなく、1935(昭和10)年のことだ。

もと来た道を戻り、北陸自動車道経由で今度は親不知(おやしらず)へ向かった。東隣にある子不知(こしらず)とともに、北アルプス(飛騨山脈)が日本海に直接没する景勝地として有名だ。海岸線に断崖絶壁が連なっているため、江戸時代まで、通行には波間を縫って狭い岩場を走り抜けるよりほかに方法がなかった(下注)。漢文風の珍しい地名は、親子といえども互いを気遣う余裕がないほどの難所という意味だ。

*注 南の坂田峠を越える山道もあったが、距離が長く、標高600mまで上らなければならない悪路だった。

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断崖が連続する親不知海岸
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図4 同 親不知周辺
 

その断崖の中腹に道路が開削されたのは、1883(明治16)年のことだ。越中越後を結ぶ主要街道として、その後何度か改修整備が行われたが、1966(昭和41)年に、山側に長さ734mの天険トンネルが完成したことにより、旧道となった。

方や、鉄道の開通は1912(大正元)年で、道路の直下に単線で長さ668mの親不知トンネルが通された。日本海縦貫線としての重要性から、こちらも1966年に、現在の親不知トンネル(長さ4536m)を含む複線の新線が完成して、廃線となった。

旧道と廃線トンネル(下注)は遊歩道として開放されていて、階段道を介して周遊することができる。私たちは親不知観光ホテル前の駐車場にクルマを停めて、旧道を西へ歩き始めた。張り出し尾根を回ったところに、さっそく展望台があった。そこに立つと、正面は真一文字の青い水平線、左右には険しい断崖が幾重にも折り重なって見える。

*注 旧道は「親不知コミュニティロード」の名がある。廃線トンネルは、案内板で「親不知煉瓦トンネル」と紹介されていた。

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(左)コミュニティロード展望台から望む日本海
(右)日本アルプスの父、ウォスター・ウェストンの銅像
 

旧道を少し進むと、「如砥如矢(とのごとく、やのごとし)」の文字が刻まれた岩壁の前に出た。明治の開削時に彫られたもので、砥石のように平らで、矢のように真直ぐだと、完成したての道路を称える記念碑だ(下注)。140年風雨にさらされてもなおくっきりと残り、当時の人々の喜びが伝わってくる。だが残念なことに、旧道はここで通行止めになっていて、廃線トンネルの西口へ回ることができない。

*注 左隣の岩壁にも「天下之嶮」、「波激す 足下千丈 親不知」などの刻字がある。

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岩壁に刻まれた「如砥如矢」の文字
 

一方、先ほどの駐車場から谷間の階段道を降りていくと、トンネルの東口に達する。ポータルはいたって普通で、記念の扁額などは嵌っていなかった。親不知子不知に穿たれた旧線トンネルは数本あり(下注)、その中でこれが最長というわけでもないからだろう。

*注 前後のトンネルも残っていることが肉眼で確認できるが、接近は困難。

内部も通行可能だ。直線なので出口の明かりは見えるものの、湿度が高いせいか、ぼんやりしている。枕木の撤去跡には凹凸が残り、ごつごつしたバラストも散らばっていて、足を取られやすい。それで、線路跡の海側に土盛りして歩道のようにしてある。照明の間隔が開いていて足元が暗いから、これはありがたい。

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旧 親不知鉄道トンネルの東口
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(左)西口から東望、内壁の黒ずみは蒸機の煤
(右)東口、次のトンネルが見えるが近づけない
 

東口ではまた、階段を伝って波打ち際まで降りることができる。そこは猫の額ほどの浜で、打ち上げられた大小の丸石で埋め尽くされていた。東も西も岩場に断崖が迫り、打ち寄せる波が激しく砕け散っている。確かに、ここを越えていくのは命懸けだ。

クルマに戻って、風波川東側の国道脇に設けられた親不知記念広場にも立ち寄った。ここも展望台になっているが、目を引いたのは、隅にあった一等水準点だ。金属標をコンクリートで固めてあり、経緯度や標高を刻んだ記念碑を伴っている。やはり親不知は特別の場所らしい。

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(左)波打ち際へ降りる階段
(右)丸石で埋まった浜に断崖が迫る
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親不知記念広場の一等水準点と記念碑
 

糸魚川への帰り道、青海(おうみ)にあるデンカ(旧 電気化学工業)の専用貨物線を訪れた。この工場では、青海黒姫山の石灰石を利用してカーバイドやセメント製品を生産している。かつてはその製品や原料を積んだ貨物列車が、旧 北陸本線青海駅との間を行き来していたのだが、運行は2008年をもって終了した。

先に上流へ向かうと、道路の御幸橋(みゆきばし)に並行して青海川を斜めに横断している鉄橋と、前後の線路がまだ残っていた。これは採掘地と工場を結ぶ通称「原石線」だが、レールや枕木は粉まみれで、しばらく使われていないように見える。一方、工場から青海駅へ出ていく貨物線はすでに撤去され、草ぼうぼうの廃線跡と化していた。地形図にはまだ現役のように描かれているものの、実態は遠い過去の記憶となりつつある。

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デンカ専用貨物線
(左)青海川を渡る鉄橋
(右)草生した青海駅手前の線路敷
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図5 同 青海周辺
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図富山(昭和63年編集)および地理院地図(2023年5月25日取得)を使用したものである。

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2023年5月15日 (月)

新線試乗記-福岡地下鉄七隈線、博多延伸

福岡市営地下鉄七隈(ななくま)線が、2023年3月27日に念願の博多駅延伸を果たした。トンネル工事で発生した道路陥没事故の影響で、計画より2年遅れての始動となった。

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七隈線を走る3000系電車
 

七隈線は、それまで鉄道空白地帯だった福岡市西南部の公共交通事情を抜本的に改善するために建設された路線だ。室見川(むろみがわ)左岸の橋本駅から市街中心部の天神南(てんじんみなみ)駅に至る12.0kmが、2005年に開業している。天神南では、地下街を介して主要路線の空港線天神駅との間で乗継ぎができたが、改札を出て約600m、7~8分の歩きを要していた。

今回開業したのは天神南~博多間のわずか1.6km(下注)に過ぎない。しかし、博多駅では空港線と改札内でつながり、約150m、3分で互いのホームへ移動できるようになった。また、JRの在来線や新幹線への乗継ぎも便利になり、従来の天神経由に比べて10分以上時間が短縮されるそうだ。

*注 営業キロ1.6km、建設キロ1.4km。全線は13.6kmになった。

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福岡市営地下鉄路線図
オレンジが空港線、青が箱崎線、緑が七隈線

新駅のようすを見たくて、延伸開業から1か月後の4月27日に、私も乗りに出かけた。路線の正式な起点は南西端にある橋本駅だが、旅行者の視点で、新設された博多駅から追っていこう。

空港線の駅がJR駅の地下で直交しているのに対して、七隈線のそれは駅の西口である博多口の広場の下だ。駅を出て左にある既存の地下街入口から、エスカレーターをいくつか乗り継いで地下深くに潜っていく。改札があるのは地下4階で、ホームはもう1層下、地下26mの深さだという。

空港線との乗換ルートもあとで歩いてみたが、七隈線の改札階からクランク状になった広い通路を進み、エスカレーターで上がると、そこがもう空港線のホームだった。途中に動く歩道が設置されていることもあって、思ったより短い距離に感じた。

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七隈線~空港線間の連絡通路
 

駅構内のあちこちに、延伸開業を告げるデジタルサイネージやポスターがまだ見られる。「博多まで一本、博多から一本」というキャッチコピーが示すとおり、七隈線各駅と博多駅の間は、直通化で画期的に近くなった。JR線から乗り継いで七隈線沿線の高校や大学に通う学生生徒にとっても朗報で、下宿を引き払って自宅通学に切り替える動きも報じられている。

一方、博多駅が空港線との接続駅になったことで、従来の天神南・天神間の改札外乗継ぎによる運賃通算制度は廃止された。そのため、「一本」で行けない地下鉄利用者にとってはかえって不利になるケースが出てきた。

たとえば、橋本方面から七隈線で来て空港線の天神以西へ行く場合、博多駅経由は遠回りだ。運賃は高くなるし、徒歩連絡は軽減されるものの所要時間も若干延びるようだ。また、箱崎線方面へは、中洲川端で再度乗換が必要になる。そこで激変緩和措置として、2024年3月まで、ICカード「はやかけん」のポイントでの一部還元や、天神経由特別定期券の発売が実施されている。

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七隈線博多駅
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延伸開業を告げるポスター
 

ホームに降りると、橋本行の電車が停車中だった。七隈線は、都営大江戸線などと同じく、鉄輪式リニアモーターカーで運行されるミニ地下鉄だ。車両は、開業時から走る窓周りが緑の3000系に加えて、延伸を機に水色の3000A系が増備された。

車両寸法は車長16.5m、幅2490mm、高さ3145mmで、片側3扉。JR筑肥線と直通する空港線の20m車(幅2860mm、高さ4135mm、片側4扉)に比べると、車内はいかにも狭く感じる(下写真参照、下注)。しかも空港線の6両編成に対して、七隈線は4両だ。まだ早朝なのですいているが、通勤通学時間帯の混雑は相当なものらしい。

*注 軌間は逆に七隈線が1435mmで、空港線はJR在来線と同じ1067mm。

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橋本車両基地に並ぶ3000系(手前)と3000A系
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(左)七隈線3000系車内
(右)空港線1000系車内
 

電車に乗り込み、次の櫛田神社前(くしだじんじゃまえ)駅へ移動する。博多旧市街の一角に位置していて、延伸区間では唯一の中間駅だ。すぐ西で博多川と那珂川の下を横断するため、ホームは地下25mと博多駅に匹敵する深さがある。改札階へは長いエスカレーターで上っていかなくてはならない。

駅名のとおり、ここは博多の夏の一大行事、祇園山笠が奉納される櫛田神社の最寄り駅だ。それでコンコースのあちこちに、神社と祭事にちなむ壁面装飾が施されている。ずらりと並んだ博多人形や博多織など伝統工芸品のディスプレーも見ごたえがあった。

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櫛田神社前駅
コンコースの伝統工芸品展示
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(左)高さのあったかつての祇園山笠を描いた線画
(右)パネル柵にも旧市街を描いた切り絵が
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築地塀に嵌るパネル画
 

ひととおり鑑賞してから、地上に上がった。祇園町西交差点を渡って、南門から櫛田神社の境内に入ると、早朝から一人二人とお参りに来ている。出勤前だろうか、スーツ姿の人も見かけた。

駅はまた、市内有数の商業施設、キャナルシティ博多にも直結している。これまで博多駅から歩くと10分程度かかったから、至近に出現した駅は便利な存在に違いない。日中、橋本からの折返しで乗った電車でも、多くの人がここで降りた。

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櫛田神社
(左)中神門から見た拝殿・本殿
(右)境内にある飾り山の常設展示
 

再び電車に乗れば、次はもう天神南だ。空港線なら天神は3駅目で、博多から5分かかる。対する七隈線はこの間をショートカットしているので、2駅目、所要3分と有利だ。到着したホームで駅名標を撮ろうとしたら、製作費を節約したのか、上り方の行先「櫛田神社前」は既存のパネルにシールを貼って済ませてあった。文字がバックライトを通さないため、暗くて目を凝らさないと読めないのが寂しい。

改札を出ると、突き当りが天神地下街の南端になる。延伸開業は、朝な夕な空港線との乗継ぎのためにここを行き交っていた人の流れに、少なからず影響を及ぼしただろう。それだけではない。天神にある西鉄の電車とバスのターミナルは、1990年代に1ブロック南に移転した結果、空港線より七隈線のほうが近くなっている。JRと西鉄との乗継経路も七隈線にシフトしていくのかもしれない。

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天神南駅
(左)シール貼りした行先
(右)天神地下街からのアプローチ
 

新線試乗はこれで完了だが、この後いくつかの駅に途中下車しながら、既存区間を最後まで乗り通した。降りた一つ目は、渡辺通(わたなべどおり)駅だ。福岡の地下鉄駅はそれぞれユニークなデザインのシンボルマークを持っていて、駅名標などに描かれている。たとえば、博多駅は博多織の模様、櫛田神社駅は境内にある銀杏(ぎなん)の葉と祇園山笠の舁縄(かきなわ)、天神南は「通りゃんせ」をして遊ぶ子ども、といった調子だ。

鉄道とは縁のない図柄が大多数を占める中、唯一、渡辺通駅だけはポール集電、ダブルルーフの路面電車があしらわれている。駅名になっている大通りに、かつて西鉄福岡市内線が通っていたことにちなみ(下注)、渡辺というのも、前身の博多電気軌道設立に尽力した呉服商の名なのだそうだ。大通りに出ても軌道の痕跡は残っておらず、歴史を思い起こさせてくれるのは、駅に掲げられたこのマークだけだ。

*注 渡辺通りを通っていた循環線は、貝塚線とともに福岡市内線で最後まで残っていたが、1979年に廃止された。

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渡辺通駅
(左)シンボルマークは路面電車
(右)渡辺通りに面した地上出入口
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パネル画も路面電車がテーマ
 

二つ目は桜坂(さくらざか)駅。往年のヒット曲とは関係がないのだが、南へ歩いて7~8分のところに周囲を一望できる高台があるというので、行ってみた。

標高約60mの小さな広場に建つ南公園西展望台だ。最上階から北を望むと、中心街の高層建物に寸断されながらも博多湾の水面が広がり、能古島(のこのしま)や志賀島(しかのしま)が見渡せる。南は南で、背振(せふり)山地の、幾重にも重なる青い稜線が美しい。地下鉄の旅は車窓を眺める楽しみがないから、いい気晴らしになった。

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南公園西展望台から北望
左の山が能古島、正面に見える志賀島から右へ、海の中道が続く
 

七隈線はここから六本松(ろっぽんまつ)を経て、城南学園通りを南下し、福大前(ふくだいまえ)を過ぎると再び西に針路を戻す。福岡高速環状線の下をしばらく進み、室見川を渡ったところが路線の起点、橋本駅だ。

駅から出て、地上に広がる七隈線の車両基地を金網越しに眺めた後、川べりの園地でしばらく休憩した。対岸こそすっかり住宅街だが、上流を望むと緑の山並みが意外に近い。風景にはどことなく、まだ高速道路も地下鉄もなく、のどかな田園地帯だったころの名残がある。

駅に戻った際、出入口の窓に「博多まで28分」の太文字が躍っているのに気がついた。途中の各駅でも同様のものが掲げられて、時短効果をアピールしている。今回の延伸で、七隈線は一段と利用価値を高めることになった。それに伴い、ピーク時の混雑度も厳しさを増しそうだ。

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橋本駅
(左)ホーム
(右)出入口、「博多まで28分」の文字が目を引く
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外環室見橋から室見川上流を望む
 

路線には、博多駅からさらに福岡空港国際線ターミナルまで延伸する構想があると聞く。地下鉄空港線の終点は国内線ターミナルであって、滑走路の反対側にある国際線のほうに鉄道は達していないからだ。関係者の期待は大きいのかもしれないが、果たしてこの狭く混んだ車内に、国際線利用客の大型スーツケースが多数持ち込まれる日がいつか来るのだろうか。

■参考サイト
福岡市地下鉄 https://subway.city.fukuoka.lg.jp/

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 九州・沖縄圏の新線
 新線試乗記-西九州新幹線
 新線試乗記-ゆいレール、てだこ浦西延伸

 2023年開通の新線
 新線試乗記-相鉄・東急新横浜線
 新線試乗記-宇都宮ライトレール

2023年4月23日 (日)

新線試乗記-相鉄・東急新横浜線

東海道新幹線の新横浜駅で降り、改札を出たら、正面の吹き抜け空間は相模鉄道、略して相鉄(そうてつ)と東急電鉄の新駅開業を祝う大きな横断幕や柱巻き広告で、あたかも満艦飾の状態だった。ここはJR東海の管理エリアのはずだが、おなじみ「そうだ京都、行こう」の広告も埋もれてしまって目につかない。

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新幹線新横浜駅正面ロビーの横断幕
 

新幹線とJR横浜線、横浜市営地下鉄ブルーラインが交わるこの駅に、2023年3月18日、もう一つ新しい路線が加わった。相鉄の羽沢横浜国大前(はざわよこはまこくだいまえ)から東急の日吉(ひよし)に至る新横浜線で、相鉄と東急が相互に直通運行する。

実質的に1本の路線だが、西側の羽沢横浜国大前~新横浜間4.2kmは相鉄が管轄する相鉄新横浜線で、東側の新横浜~日吉間5.8kmは東急管轄の東急新横浜線だ。区別のために、路線名称に社名が含まれている。

このうち相鉄新横浜線は、相鉄本線に接続する西谷(にしや)~羽沢横浜国大前間が、相鉄・JR直通線の一部として2019年11月30日に先行開業しており、今回はその延伸ということになる。

JR直通線は当時、横浜駅をターミナルにしてきた相鉄電車が初めて都心に進出するというので、ひとしきり話題になった(下注)。しかし今から思えば、それはまだ前哨戦のようなものだ。東急の路線網は渋谷、目黒にとどまらず、地下鉄線を介して新宿(三丁目)、池袋、永田町、大手町など主要地点をカバーしている。今回の接続で、都内でネイビーブルーの相鉄車両が見られるエリアは一気に拡大した。

*注 JR直通線については、本ブログ「新線試乗記-相鉄・JR直通線」参照。

一方、東急側から見ると、相鉄線からの入れ込み増だけでなく、自社沿線から新横浜への直行ルートが開かれたことにも大きな意義があるだろう。東海道新幹線で東海・関西地方へ移動するのが便利になる(下注)とともに、新横浜周辺にある横浜アリーナや日産スタジアムといった大規模集客施設のアクセス改善にも貢献するからだ。

*注 これに呼応して、新横浜始発で現行のひかり号(6:00発)より新大阪に先着する臨時のぞみ号(6:03発)が設定された。

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新横浜線新横浜駅、東急方面ホーム
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(左)目黒線に直通する相鉄21000系、海老名駅にて
(右)目黒線から来る埼玉高速鉄道2000系は新横浜まで

新幹線で新横浜に来たことは何度かある。しかしすぐに地下鉄か、裏手にある横浜線に乗り換えていたので、正面の北口ロビーに続くペデストリアンデッキに上がるのは初めてだ。案内表示に従い、突き当り右側の下りエスカレーターに乗った。高低差16mという長いエスカレーターはそのまま地下に潜っていき、降りるとすぐ左手に相鉄・東急の改札口が見えた。これはわかりやすい。

地下コンコースは地下鉄開業時からあるものの、新横浜線の改札が両側に出現して、今や地下街のように人が行き交っていた。全体が真新しいが、今日は開業から1週間以上が経過した27日、利用者にとってはすでに日常風景なのだろう。もの珍しげにあたりを見回しているのは私くらいのものだ。

改札横には、相鉄と東急の券売機が仲良く並ぶ。その上に掲げられた路線図が、2社のネットワークに新横浜駅が組み込まれたことを象徴的に示している。

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新横浜駅
(左)JR駅正面のペデストリアンデッキ
(右)長いエスカレーターを降りると新横浜線の改札階に
 

さっそく改札を入った。側壁に設置されたランダムな塗り絵のような壁面パネルは、駅周辺の地層断面図だそうだ。何ともマニアックな題材だが、地下鉄と交差するためにホーム階は地下33mとかなり深い。それで、鶴見川が運んできた泥や砂礫から成る沖積層は通り越して、その下の上総(かずさ)層群と呼ばれる基盤層に達している。

ホームは2面あり、1・2番線が相鉄方面、3・4番線が東急方面になっていた。しかし、線路は3本しかなく、中央の線路を2番線と3番線が共用する形だ。

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(左)地層断面図の壁面パネル
(右)改札からホームへはエスカレーターを折り返して降りる
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中線は2、3番線で共用
 

まずは東急新横浜線で日吉まで行ってこようと、3番線に停車中の新型電車、都営6500形に乗り込んだ。当駅始発で目黒から都営三田線に入る西高島平(にしたかしまだいら)行だ。上り方面は、相鉄線からの乗入れ列車だけでなく、こうした当駅始発便もある。それで日中の運行は、相鉄線4本に対して東急線は6本だ。東側の需要を大きく見込んでいることが見て取れる。

東急新横浜線はほとんど地下を行く。トンネルはシールド工法特有の円形断面だ。大倉山の手前まで市道環状2号線直下を、その後はおおむね東横線の下を通っているそうで、かぶりつきで見ていても、直線主体の良好な線形が続いている。中間の新綱島(しんつなしま)に停車した後、地上に出たと思ったら、目の前がもう日吉駅だった。所要7分ほど。従来の菊名乗換えに比べて、画期的な時間短縮が図られている。

駅の手前で、目黒線(3番線)と東横線(4番線)に分岐するポイントを渡った。新横浜線は目黒線の延伸だとばかり思っていたのだが、時刻表を見ると、日吉で東横線に進む電車も3本に1本程度設定されている。やはりJR直通線との対抗上、渋谷、新宿への直通ルートは確保しておきたかったようだ。

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日吉駅
駅手前に目黒線(右)と東横線(左)の分岐がある
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(左)新横浜線の発着表示はLEDに
(右)下り方面に新横浜線の紫帯が加わった
 

日吉から戻る途中、中間の新綱島駅を訪れた。並走している東横線の綱島駅とは、綱島街道をはさんで100mほどしか離れていない。しかし、それは平面図での話だ。綱島のプラットホームは高架上、新綱島のは地下35mと、垂直距離がかなりある。新線開通で目黒方面へ直行できるようになったのはメリットだが、ホームに降りるまでに少なからず時間を要する。

周辺では、地上29階建てのタワーマンションを含む大規模な再開発事業が進行中だった。それで、駅といっても仮囲いの隅に地下出入口がぽつんとあるのみだ。今年の冬には地上部にバス用のロータリーができるらしいが、今のところ、商店街やバス停が集まる綱島駅前の賑わいとは雲泥の差がある。

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新綱島駅
(左)駅南口、現在は出入口がぽつんとあるのみ
(右)綱島駅との連絡ルート案内図
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(左)地下ホームのサインボード
(右)桃の木のデザインのガラスパネル
 

ちなみに工事現場の東隣は、そこだけ時計の針を巻き戻したかのような池谷家の緑あふれる屋敷地が広がっていて、桃園ではピンクの花が満開だった。綱島ではかつて桃の栽培が盛んで、ここはそのころの面影をとどめる貴重な場所なのだそうだ。新綱島駅の地下改札を入った正面壁面にも、それにちなんだ桃の木がモチーフのガラスパネルが見られる(上写真)。

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池谷家の桃園は花盛り
 

東急3000系の海老名行に乗って、新横浜から今度は相鉄新横浜線へ。こちらも長いシールドトンネルでおおむね環状2号線の下を進み、途中、東海道新幹線と浅い角度で交差している。羽沢横浜国大までは4.2kmと、都市近郊区間としては駅間距離が長い。といっても所要時間は4分。駅の手前に短い明かり区間があり、そこでJR直通線が左右から合流してくる。

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羽沢横浜国大駅
ホームから上り方を望む
相鉄新横浜線は直進、JR直通線は側方分岐
 

羽沢横浜国大駅は、先行開業の際にも降りたことがあるが、駅のようすに目立った変化はなさそうだった。改札前にある券売機は相鉄とJRのものだけで、運賃を示す路線図にも東急の文字は出てこない。ここは相鉄とJRの共同使用駅なので当然だが、東急との直通などまるでなかったかのようなそっけなさだ。

しかし、構内の案内表示は変化なしには済まされない。まず相鉄の路線図だ(下写真参照)。今まで目立つ位置に描かれていたJR線は隅に押しやられ、東急東横線・東京メトロ副都心線・東武東上線、次いで東急目黒線、さらに目黒で接続する都営三田線、東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道と、俄然賑やかになった(下注)。ほんの数年前まで左半分の自社線のみだったことを思えば、劇的な変貌というほかないだろう。

*注 写真は上りホーム壁面のもの。下りホームの路線図では配置が逆になり、JR線が最上段に来る。

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停車駅案内図は俄然にぎやかに
(上)2019年JR直通線開業時
(下)2023年現在
 

発車案内板もしかり。1番線に海老名(えびな)とともに、いずみ野線の終点、湘南台の名が出現している。JR線直通列車は従来通り海老名発着だが、東急線直通は海老名と湘南台発着がざっと半々の割合で設定されているからだ。おおむね、海老名発着便は目黒線直通、湘南台発着便は東横線に直通する。

一方、2番線ははるかに複雑だ。行先が遠方で、かつ多岐にわたるので、終点まで行く人はともかく、途中駅で降りたいときにどの列車に乗ればいいのか、初心者は頭を抱える。武蔵小杉、渋谷、池袋へは運賃の異なる2ルートがあるし、土休日の朝には別ルートを通る川越行きと川越市行き(下注)が前後して発車するなど、もはやトリビアとして語られるほどだ。

*注 前者は相鉄・JR直通線、埼京線、川越線経由。後者は東横線、副都心線、東上線経由。

そのため、発車案内の種別欄はルートごとにシンボルカラーで色分けされていて(下写真参照)、水色は目黒線方面、緑はJR線方面、ピンクは東横線方面を示している。これとて、いつも利用している人ならピンと来るだろうが、一見客には判じ物の世界かもしれない。

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発車案内の上り種別欄はルートごとに色分け
 

再び電車に乗って、起点となっている西谷駅で降りた。新横浜線の電車は、外側ホームの1番線(下り)と4番線(上り)を使っている。先行開業の時点では日中30分に1本電車が入るだけで、のどかな雰囲気が漂っていたが、今や発着は10分間隔に縮まった。それもネイビーブルーの自社車両に加えて、赤帯の東横線車両、青(水色)帯の目黒線車両、緑帯のJR車両と、多彩な顔ぶれだ。

きょうは、新横浜駅で相鉄の一日乗車券を買ってきた。新横浜線の観察を終えた後は、久しぶりにいずみ野線を含め全線を乗り鉄し、最後に横浜へ向かおうと思っている。1番線に次は何色の電車が入ってくるだろうか。

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西谷駅下りホーム
 

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2023年3月24日 (金)

コンターサークル地図の旅-高千穂鉄道跡とトロッコ乗車

2023年コンターサークル-s 春の旅は、いつもとは趣向を変えて、レンタカーやレンタサイクルも活用しながら比較的広範囲を回る。1日目となる3月5日の行先は、宮崎県北部にある高千穂(たかちほ)鉄道高千穂線の廃線跡だ。

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高千穂橋梁を渡る観光列車
 

高千穂鉄道は、1989(平成元)年にJR九州の高千穂線を転換した第三セクターの鉄道だった。日豊本線の延岡駅から神話のふるさと高千穂駅まで延長50.0km、ルートは五ヶ瀬川(ごかせがわ)の渓谷に沿って上流へ延びていた。

このうち延岡~日之影温泉(旧称 日ノ影)間は戦前の1939(昭和14)年までに開通しており、川岸の切り立つ谷壁に張り付くようにして進む。急カーブが頻出するため、列車の速度も一向に上がらなかった。対照的に、1972年に延伸された末端の日之影温泉~高千穂間は、長大トンネルの連続で、線形はいたって良好だ。トンネルを抜けると、峡谷のはるか上空を、日本で最も高い鉄道橋、高千穂橋梁で横断するという一大ハイライトもあった。

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国鉄高千穂線時代の高千穂駅
(1983年3月撮影、大出さん提供)
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国鉄高千穂線時代の高千穂橋梁
(1983年3月撮影、大出さん提供)
 

鉄道はこの風光明媚な車窓が好評で、旅行列車「トロッコ神楽号」が運行されて、地域の重要な観光資源になっていた。その日常風景を突然暗転させたのは、2005年9月に襲来した台風だった。大水で五ヶ瀬川に架かる複数の鉄橋が流出するなど、施設に大きな被害を受け、鉄道は全面運休を余儀なくされた。そして復旧費用を調達する見通しが立たないまま、最終的に2008年末に全線廃止の措置が取られたのだ。

その後、高千穂駅を拠点に一部区間が鉄道公園化された。新たに設立された高千穂あまてらす鉄道(当初は神話高千穂トロッコ鉄道)が、2010年からここで観光列車を走らせている。標題では「トロッコ乗車」としたが、現在の車両はグランド・スーパーカートが正式名だ。あくまで公園遊具の扱いながら、なかなかの人気らしく、1日あたり10便、繁忙期には12便もの設定がある。

事前予約はできない(下注)ので、私たちの旅程も座席の確保が優先だ。延岡からクルマで高千穂に直行してこれに乗車し、その後、廃線跡をたどりながら延岡に戻ろうと思っている。

*注 当日、駅窓口で、空席のある後続便を指定することは可能。

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供用中のグランド・スーパーカート
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図1 国鉄高千穂線時代の1:200,000地勢図
(1977(昭和52)年修正)

朝10時、延岡駅に集合したのは大出さんと初参加の山本さん、それに私の3名。赤いマツダ・デミオのレンタカーで市内を後に、国道218号を西へ向かう。一部供用済みの九州中央自動車道(通行無料)を含め、深い谷間を何度もまたぐ立派な道路が、高千穂の町まで続いている。かつてディーゼルカーが1時間20分かけていた距離を、クルマはその半分の40~45分で走破してしまう。残念だが、これではローカル鉄道の存在意義はないに等しい。

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(左)高千穂駅舎
(右)出札窓口、掲示の時刻表は営業運転時代のもの
 

高千穂駅には11時前に到着した。ちょうど先行列車が発車するところだったので、線路をまたぐ道路橋の上から見送る。それから駅の窓口へ行き、次の11時40分発の乗車券(1500円)を購入した。休日とあって、その間にも次々と客が入ってくる。

乗り込むまでにしばらく時間があるが、構内を自由に見学できるから退屈することはなかった。高森方にある2線収容の車庫は鉄道博物館のようなもので、かつて営業運転で使用されていた2両の気動車(TR-101、TR-202)が残されている。私はその前に置いてある保線用のカートに目を止めた。

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高千穂駅構内
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(左)車庫のTR-202
(右)見覚えのある保線用カートも…
 

これには見覚えがあった。2011年に家族旅行で訪れたときに乗ったものだったからだ。今の盛況ぶりからは想像しがたいが、当時は保存鉄道開業からまだ間もなく、注目度も高くなかったように記憶する。高千穂峡のボートを楽しんだ後、立ち寄った道の駅で偶然、運行案内を見かけなければ、存在を知らないまま町を後にしていただろう。駅へ行くと、夏休みの土曜日というのに、客は私たちだけだった。

車両は当時からスーパーカートと呼ばれていたが、実態は、汎用小型エンジンを搭載した台車の前に、リヤカーの荷台のような付随車をつけただけの軽量編成(!)だ。走り始めると、車輪の振動がお尻にじかに伝わるワイルドな乗り心地で、トンネルの中ではエンジンの轟音が反響して話し声はまったく聞こえない。大鉄橋はまだ通行できず、手前の天岩戸(あまのいわと)駅で休憩して折り返す、片道2.2km、往復30分のコースだった。

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2011年に見た案内掲示
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天岩戸駅に到着、中央は運転士さん
(2011年7月撮影)
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機回しはなく、復路は台車が前に
(2011年7月撮影)
 

現在運行中のグランド・スーパーカートは全長25mある。空港で見かけるようなトーイングトラクターを改造したという動力車に続いて、30人乗りロングシートのオープン客車が2両、最後尾に復路用の動力車というプッシュプル編成だ。名称の豪華な響きに釣り合うかどうかはともかく、10数年前に比べればずいぶん進化している。実際、乗り心地も悪くなく、エンジンの音も特に気にならない。

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グランド・スーパーカートで高千穂駅を出発
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図2 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と観光列車の走行ルート等を加筆
  高千穂駅周辺
 

列車は定刻に発車し、片道約2.5kmのルート(下注)を時速15km以内でゆっくり走っていった。往路は25‰の下り坂だ。2本の短いトンネルでは、動くイルミネーションが天井に投影されて、乗客の目を引いた。天岩戸駅は通過し、大鉄橋のたもとでいったん停止。風速計で安全を確認したのち、おもむろに橋上に出ていく。「携帯電話や貴重品などは仮に落とされても取りに行けませんので、ご了承ください」とアナウンスがある。

*注 2.5kmは図上実測値。公式サイトに記載されている「距離5.1km」は往復の長さだろう。

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(左)トンネルが迫る(帰路写す)
(右)天井には動くイルミネーション
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(左)天岩戸駅を通過
(右)風速確認の後、橋上へ
 

高千穂鉄橋は、岩戸川の峡谷をまたぐ長さ354m、高さ105mの壮大な上路ワーレントラス橋だ。足もとには、起こしたばかりの田んぼが載るテラス(緩斜面)が見え、その先に底の見えない千尋の谷が口を開けている。線路の両側に並行する保線用通路が緩衝帯になっているとはいえ、スマホをかざす指先におのずと力が入る。

中央部まで来ると、列車は5分ほど停まり、またとない絶景を鑑賞する時間を乗客に提供してくれた。停車中は座席から立ち上がることが許される。運転士が手に持つシャボン玉発生器から、虹の水玉が勢いよく空中に飛び出していく。きょうはよく晴れて暖かく、絶好の行楽日和だ。再び動き出すと、列車は橋を渡り終え、大平山(おおひらやま)トンネルの閉鎖されたポータルの手前ですぐに折り返した。

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高千穂橋梁の上から北望
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(左)シャボン玉が放たれる
(右)大平山トンネルの手前で折り返し
 

高千穂駅に戻った後は、クルマで高森方向へ3km地点にある「トンネルの駅」と隣接する「夢見路公園」に寄り道した。かつて高千穂線はさらに西へ進み、分水嶺を越えて熊本県側の高森線(現 南阿蘇鉄道)と接続することをめざしていた。だが、1980年の国鉄再建法成立により工事は凍結され、この区間はそのまま未成線となった。

トンネルの駅、夢見路公園はその一部を利用した施設で、前者は神楽酒造という酒造会社が運営している。ひときわ目を引くのが、国道から見上げる高さの高架橋上に鎮座する8620形蒸気機関車48647号だ。お召列車を牽いた経歴をもつそうで、日の丸の小旗を脇に差している。もちろん静態保存だが、今にも走り出しそうな雰囲気が頼もしい。「駅」の入口には、ブルーに再塗装された高千穂鉄道の観光用気動車TR-300形(TR-301、TR-302)もいた。

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未成線の高架橋に載る蒸機48647号
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ハチロクと向かい合うTR-300形
 

ハチロクが載る高架橋の高森方では、公園化された築堤に続いて、閉鎖された第一坂の下トンネルのポータルが見える。一方、高千穂方は整地されて駐車場や売店になっているが、山際に開けられた葛原(かずはら)トンネルが、酒造会社により焼酎の貯蔵庫に利用されている。内部も見学可能で、坑内にはスピリッツのかぐわしい香りが充満していた。

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葛原トンネルは焼酎の貯蔵庫に
 

昼食は、あらかじめ目をつけていた雲海橋のたもとのレストランにて。橋の上の歩道は、さきほど列車で渡った高千穂橋梁が遠望できる絶景スポットだ。13時発の列車が来るのを待ち、鉄橋をゆっくり往復するのを最後まで見届けた(冒頭写真も参照)。

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(左)国道218号の雲海橋
(右)雲海橋から高千穂橋梁を遠望

この後は延岡まで、主な旧駅の痕跡を訪ねる。雲海橋の東のたもとで右に折れて、国道218号を東へ。一つ目は、スーパーカートが折り返したあの大平山トンネルを抜けた先にある深角(ふかすみ)駅だ。

国道を離れ、急坂の狭い林道を降りていくと、やがて駅跡に突き当った。見ると、プラットホームの駅名標、単線の線路、山小屋風の待合室と、すべてが現役当時のままだ。待合室には、平成16年3月13日改正の注記をもつ時刻表・運賃表さえ掲げられている(下注)。峡谷の崖の上の、周囲に人家もないさびれた秘境駅を想像していたから、意外だった。

*注 平成16年=2004年は運休の前年。駅の発車時刻表はここに限らず、待合室や駅舎が残る駅跡の多くに掲げられていた。

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現役当時のままの深角駅
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当時の列車時刻表
 

大平山トンネルのほうへ歩くと、手前にある短いトンネル(深角トンネル)の中に木造の手押しトロッコが留め置かれていた。これも2011年の訪問時に高千穂駅で見たものだ。構内には桜の木が植わっていて、満開になる季節には地元有志の手で試乗会が開かれているらしい。

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(左)トンネルに留置された手押しトロッコ
(右)2011年夏は高千穂駅にあった
 

次の影待(かげまち)駅は本物の秘境駅で、アプローチは山道しかなく、駅跡も藪化しているようなので、迷うことなくパスした。日之影川の谷を渡る青雲橋の手前で国道から離れ、谷底へ向かう道を降りていく。目の前をオレンジ色のガーダー橋、日之影川橋梁が横断している。振り返ると、青雲橋の空にかかる虹のような優美なアーチが重なって壮観だ。

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日之影川橋梁の後ろに青雲橋のアーチが重なる
 

日ノ影線時代の終点だった日之影温泉(ひのかげおんせん)駅(下注)は、町の中心部から少し下流に位置する。もとの構内は整理済みで、TR-100形気動車2両(TR-104 せいうん号とTR-105 かりぼし号)が列車ホテルに改造されて、仲良く並んでいる。温泉施設を兼ねていた駅舎は日之影温泉として今も営業中で、土産物売り場の横には、うれしいことに高千穂線に関する鉄道資料室があった。

*注 国鉄時代は日ノ影駅と称していた。三セク移管後の1995年に改称。

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日之影温泉駅
(左)列車ホテルになったTR-100形
(右)温泉施設を兼ねた旧駅舎
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駅舎内にある鉄道資料室
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図3 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
  日之影温泉駅周辺
 

日之影温泉を出た鉄道は、まもなく五ヶ瀬川を斜めに横断して、対岸に渡っていた。この第四五ヶ瀬川橋梁は台風で被災しなかったが、後に撤去されて、橋台しか残っていない。その先、河道の屈曲に従ってクランク状に通過する個所では、連続アーチの高架橋(第一及び第二小崎橋梁)が対岸の道路から望見できる。

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連続アーチの小崎橋梁
 

吾味(ごみ)から日向八戸(ひゅうがやと)、槇峰(まきみね)までの3駅間は、廃線跡がハイキングルート「森林セラピー TR鉄道跡地散策コース」として整備されている(下注)。高千穂線跡で唯一、ふつうに歩ける区間なので、吾味駅前にクルマを置いて訪ねてみることにした。全長約4kmあり、往復すると2時間近くかかるから、1.4km地点の日向八戸駅で折り返すショートコースにする。

*注 現地の看板は吾味駅~槇峰駅間になっていたが、2023年現在の公式サイトでは吾味駅~八戸観音滝とされている。

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図4 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
  吾味~槙峰間
 

出発点の吾味駅は、線路跡が舗装道になっているものの、ホーム上の三角屋根をつけた待合室が在りし日を偲ばせる(下注)。それに続くのが、コース最大の遺構で、重要文化財にも指定された第三五ヶ瀬川橋梁だ。長さは268m、中央部が上路ワーレントラス、両端の橋脚にはコンクリート製の方杖(ほうづえ)を使用したユニークな構造で、平面形は半径200mの急曲線を描いている。下流にある星山ダムの湛水域に含まれるため、川岸までたっぷりと蒼い水が満ちているのも趣を添える。

*注 下流側にあるよく似たデザインの建物は、ハイキングコースのために新設された休憩所。

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吾味駅跡
壁面は改装されているものの待合室も健在
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第三五ヶ瀬川橋梁はハイキングコースに
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橋梁側面
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現地の案内板
 

橋梁を渡りきると、短いトンネルを介して日向八戸駅の手前までレールが残されていた。線路の片側に土を盛ってあるので、歩くのに支障はない。日向八戸駅も同じく、線路跡は舗装道になっているが、ホームや駅名標とともに、駅舎を兼ねていた立派な公民館が健在で、廃線跡にはとても見えない。

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(左)レールも残る吾味~日向八戸間
(右)トンネルの反対側(西望)
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(左)日向八戸駅の手前レールは途切れる
(右)廃線跡とは思えない日向八戸駅
 

クルマに戻り、ハイキングコースの残り区間にある八戸観音滝の高架橋と樺木トンネル(長さ247m、下注)のポータルを見て、槙峰駅跡へ。ここもレールが剥がされ草地になっているものの、切妻屋根の駅舎とホームはしっかり残っている。

*注 樺木トンネルはカーブしているうえ、照明がないので、通行には懐中電灯が必須。

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(左)八戸観音滝入口の高架橋
(右)樺木トンネル西口
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槙峰駅舎とホーム
 

それ以上に注目すべきは、駅の下手で支流の綱の瀬川(つなのせがわ)を渡っているコンクリートアーチの綱ノ瀬橋梁だ。川岸に張り出した長い高架区間を前後に従えているため、全長418m、43連アーチという、旧日ノ影線区間では最大規模の構造物になっている。背後の谷には国道槙峰大橋ののびやかな大アーチが架かっていて、新旧共鳴する絶景に思わず息をのむ。

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綱ノ瀬橋梁と槙峰大橋
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綱ノ瀬橋梁の下流部
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現地の案内板
 

廃線跡の見どころはおおむねここまでだ。すでに陽が傾きつつあり、後はよりテンポよく進めていきたい。列車を再び対岸に渡していた第二五ヶ瀬川橋梁は台風で損壊し、残骸もすでに撤去済だ。次の亀ヶ崎(かめがさき)駅はクルマでは容易に近づけないので、さっそくパスした。

早日渡(はやひと)駅も対岸だが、道路橋を渡れば駅前までクルマがつけられる。駅跡は桜の名所になっているが、旅客用ホームはすでに撤去され、貨物用と思われる古い石積みホームが残るばかりだ(下注)。構内に建つプレハブは公民館だそうだが、内部に駅名標と駅の発車時刻表が掲げてあるのが、窓ガラス越しに見えた。

*注 撤去計画(高千穂線鉄道施設整理事業)は高千穂鉄道の施設が対象のため、同 鉄道が使用していなかった国鉄時代の遺物は撤去を免れたもよう。

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早日渡駅跡
(左)公民館の中に駅名標が
(右)残るは旧貨物ホームのみ
 

上崎(かみざき)駅も対岸にあるが、同じように橋を渡ってのアプローチが可能だ。菜の花咲く廃線跡と、簡素なホームと待合室に、ローカル線ののどかな面影を求めることができる。

川水流(かわずる)駅の手前で、鉄道はまた川を渡ってこちら側に移っていた。第一五ヶ瀬川橋梁は水害に遭い、前後の築堤を残して撤去された。川水流駅跡もすでに更地化されてしまったようだ。

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上崎駅跡
(左)ローカル線の面影を残す
(右)駅の下流側、線路跡の農道が続く
 

トンネルを抜けた谷あいにあった曽木(そき)駅は、集落の中に木造の駅舎が残るものの、線路跡は畑などに還っている。

吐合(はきあい)駅は、曽木川が五ヶ瀬川に合流する地点の山手に設けられたが、すでに民地に戻されたようだ。駅へ上る細道は金網で封鎖され、近づくことができなかった。

日向岡元(ひゅうがおかもと)駅と細見(ほそみ)駅跡は、ともに道路に転用されてしまっており、クルマの窓から見るにとどめる。

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(左)駅舎のみ残る曽木駅跡
(右)吐合駅跡は民地に(金網越しに撮影)
 

この後、鉄道跡は国道とともに五ヶ瀬川の谷から離れる。行縢(むかばき)駅跡は、早日渡同様、撤去を免れた旧貨物ホームに桜の木が大きく育っていた。単式だった旅客ホームや線路はすでになく、緑の草地が広がるばかりだ。

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(左)行縢駅跡も古いホームのみ残存
(右)東九州自動車道と交差する廃線跡(行縢~西延岡間)
 

最後の西延岡(にしのべおか)駅跡にたどり着いたときには、もう18時を回っていた。今日の宮崎の日没時刻は18時15分だが、すでに陽は西の山かげに隠れ、あたりに夕闇が忍び寄る。

ここはもう延岡の郊外だが、うれしいことに駅は現役時代の姿を保っていた。駅舎はもともとなかったのだが、ホームには色褪せながらも駅名標が立ち、PCまくらぎを敷いた線路もまだ使えそうだ。駅前に建っている風格ある切石積みの倉庫も、鉄道貨物の関連施設に見える。駅が無傷なのは地元の要望によるものらしいが、そのおかげで、高千穂からたどってきた廃線跡の旅の、申し分ない終着地になった。

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現役時代の姿を保つ西延岡駅跡
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(左)西延岡駅前の石造倉庫
(右)倉庫は国鉄時代から存在(1983年3月撮影、大出さん提供)

西延岡と延岡の間で、高千穂線は市街地を避けるように北に迂回していた。この間には3本の短いトンネルもあった。今朝、集合時刻までに一部を徒歩で見に行ったので、本稿の続きに報告しておきたい。

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図5 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
  西延岡~延岡間
 

西延岡駅から東1km強の区間は、一部を除いて路盤が明瞭だ。レールが撤去された区間でもバラストは残っている。しかし、古川町地内では大規模な土地造成が進行中で、西延岡から数えて最初のトンネル(赤尾トンネル)は、地山ごと消失して平地になっていた。

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古川町地内
(左)バラストが残る廃線跡(西望)
(右)踏切の先のトンネルは地山ごと消失(東望)
 

延岡西環状線と交差した先にある第二のトンネル(山田トンネル)の前後はすでに藪化していて、近づけない。

旭中学校裏から第三のトンネルの間は路盤のバラストが残るが、住宅地に面しているので、そのうち舗装道に変わってしまいそうだ。第三のトンネルは無傷だが、入口にはフェンスが講じてある。

これを抜けると線路跡は、延岡駅へ向けて南へ大きくカーブしていく。駅の手前まで続いていた築堤は、今やトンネル東側と旭小学校裏に一部残るだけだ。あとは旧国道10号に架かっていたガーダー橋を含めてすっかり撤去されてしまい、駐車場などに姿を変えている。

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旭中学校裏に残る築堤と擁壁
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第三のトンネルは残存するものの通行不可
左写真は西側から、右写真は東側から撮影

最後に、国鉄高千穂線が記載されている1:25,000地形図を、高千穂側から順に掲げておこう。

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高千穂線現役時代の 1:50,000地形図
高千穂~大平山トンネル間(1974(昭和49)年修正測量)
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同 大平山トンネル~日ノ影間
(1974(昭和49)年修正測量および1978(昭和53)年改測)
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同 日ノ影~槙峰間
(1978(昭和53)年改測)
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同 槙峰~上崎間
(1978(昭和53)年改測)
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同 上崎~日向岡元間
(1978(昭和53)年改測)
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同 日向岡元~行縢間
(1978(昭和53)年改測)
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同 行縢~延岡間
(1978(昭和53)年改測)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図大分、延岡(いずれも昭和52年編集)、2万5千分の1地形図大菅、三田井(いずれも昭和49年修正測量)、同 延岡北部、延岡、行縢山、川水流、日之影、宇納間、諸塚山(いずれも昭和53年改測)および地理院地図(2023年3月15日取得)を使用したものである。

■参考サイト
高千穂あまてらす鉄道 https://amaterasu-railway.jp/

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