2020年2月 4日 (火)

半額カードで鉄道旅行-オーストリアの場合

個人で行く海外旅行では、交通機関の乗車券をどう調達するかがいつも思案のしどころだ。駅で逐一買い求めるのは時間もかかって面倒なので、おなじみのユーレイルパスや国別パスについ頼ってしまう。

Blog_halffarecard1
オーストリアの半額カード「フォアタイルスカード66」
 

ユーレイルのグローバルパス(フレキシータイプ)の場合、Eurail.com(販売サイト)では3日用が 217ユーロだ(下表参照)。1日当たり 72ユーロ(1ユーロ120円として8,640円)になる。7日用でも1日 48ユーロ(5,760円)かかる。1か国パスはそれより割安だが、たとえばオーストリアの3日用は 146ユーロで、1日 49ユーロ(5,880円)だ。

ちなみに、首都ウィーンからの2等運賃は、リンツまで 37.40ユーロ、ザルツブルクまで 55.60ユーロで、オーストリアの3日用(1日 49ユーロ)ではザルツブルクまで片道300km以上乗らないと元が取れない計算だ。拠点の宿に荷物を置いて、軽装で周辺を回るという旅のスタイルなので、いくら楽でも、毎日5000円以上も交通費にかけるのはどうかと思う。

Blog_halffarecard2
ユーレイルパスと通常運賃の比較
 

もっと安く行ける方法はないのだろうか。それで思い出したのが半額カードだ。これは、事前にそのカードを購入しておき、出札窓口で提示すれば運賃が半額になるというものだ。ドイツやスイスの例は知っていたので、オーストリアにもないかと調べたところ、「フォアタイルスカード Vorteilscard」という名称で売られていた。ドイツ語の Vorteil は英語の advantage、merit に相当することばで、要するに「お得カード」という意味だ。

参考までに、ドイツ語圏3か国の旧 国鉄が発行している半額カードの内容をまとめてみた。

Blog_halffarecard3
ドイツ語圏3か国の「半額カード」比較
 

ドイツ「バーンカード BahnCard」

Bahnはここでは鉄道を意味する。代表的なものは25%引になる「25」、50%引の「50」、フリーパスの「100」の3種(下注)で、有効期間は1年だ。さらに期間を3か月に縮めた「プローベ・バーンカード Probe Bahncard」もある。Probeとはお試しという意味で、1年カードがけっこう高額なため、最初は3か月カードでお試しください、というシステムだ。したがって、継続する場合は自動的に1年カードが送られてくる。

*注 記載の通り割引率はさまざまだが、以下では「半額」カードの呼称で記述する。

■参考サイト
DB (in English) https://www.bahn.com/en/view/index.shtml
> Offers > BahnCard

スイス「ハルプタックス Halbtax」

英語では Half Fare Card、まさに半額カードだ。本来1年有効だが、インバウンドの旅行者向けに1か月有効のカードが用意されている。自国民は購入できないので、SBB公式サイトでは、説明書きが外国人向けページにのみある(下記参考サイト参照)。そこでネット購入が可能だ。

■参考サイト
SBB (in English) https://www.sbb.ch/en/
> Leisure & Holidays > Travel in Switzerland > International guests > Swiss Half Fare Card

オーストリア「フォアタイルスカード Vorteilscard」

「クラシック Classsic」と「66」の2種類があるが、後者はネット専用で、前者に比べて価格を2/3に設定した新商品だ。

ネット専用とは何を意味するのだろうか。一つには、このカード自体がネット経由でしか購入できないということだ。二つには、このカードを使っての乗車券の購入も、駅の窓口ではできず、スマホのアプリ、ウェブサイトまたは駅の券売機(アウトマート Automat)で行わなければならない(下注)。つまりこれは鉄道会社の窓口応対を減らすための企画商品だ。

*注 券売機では、購入手続の途中でカード所持の有無を問う画面が出てくるので、半額カードを所持していると答えればよい。この段階では自主申告になるが、列車内の検札で通常、乗車券とともに半額カードの提示を求められる。

こうしたカードは、(旧)国鉄路線の運賃が割引かれるだけでなく、私鉄、路線バス、市内交通でも何らかの割引が効くことが多い。また、国際列車の乗車券では、国外区間についても、各国の国鉄が締結している RAILPLUS協定により、一律15%引になる(下注)。

*注 従来25%引だったが、2016年から割引率が見直された。

なお、カードの解約(自動継続の解除)については、注意が必要だ。表の欄外に各国のルールを記したが、ドイツと、スイスの1年用は解約手続きをとらないと自動継続となり、登録したクレジットカードから料金が引き落とされ続ける。一方、スイスの外国人向け1か月用は1回限り(解約手続不要)。オーストリアも継続する旨の書面を提出しなければ、1回限りだ。

比較表で明らかなように、オーストリアの半額カードはかなりお得だ。ドイツのプローベ50は3か月有効で80ユーロ(9,600円)、スイスの外国人向けは1か月で109ユーロ(120スイスフラン、13,080円)するが、オーストリアは「クラシック」でも年間99ユーロ、「66」ならわずか66ユーロ(7,920円)で済む。

これで乗車券がすべて半額になるのなら、使わない手はないだろう。さっそくÖBB(オーストリア連邦鉄道)のサイトで「66」を申し込むことにした。

■参考サイト
ÖBB (in English) https://www.oebb.at/en/
> Tickets & Customer Cards > ÖBB Customer Cards > ÖBB Vorteilscard

Blog_halffarecard4
ÖBBの半額カード紹介ページ(英語版)
 

新規の場合、まずアカウントを作る画面が現れる。メールアドレスやパスワード、氏名などを登録する。続いて、生年月日や決済用のクレジットカード情報を入力する。

Blog_halffarecard5
アカウントの作成
 

こうして購入手続きが完了すると、メールが送られてきた。メールの添付ファイルの中に、「This is your preliminary ÖBB Vorteilscard(これがあなたの暫定フォアタイルスカードです)」と記されたPDF文書があった(下の画像)。半額カードは購入日の翌日から有効なのだが、プラスチック製の生カードはウィーンから郵送されてくるので、届くのに時間を要する(日本へは1週間前後)。それまでは、自分でプリントした暫定カードで代用できるのだ(ただし暫定カードの有効期間は2週間)。

私は、旅行出発の前日に慌てて購入手続をしたので、とうてい間に合わない。それでこれをプリントして旅先に持っていき、車内検札で提示した。生カードも、留守宅にちゃんと届いていた(冒頭写真)。

Blog_halffarecard6
暫定カード
 

次の課題は、このカードでどうやって切符を購入するかだ。駅の券売機で紙の乗車券を買ってもいいのだが、今回はスマホでモバイル乗車券を購入する方法を実践してみた。最近注目されている MaaS(マース、下注)の機能を有するシステムだ。

*注 MaaS (Mobility as a Service) は、情報通信技術を活用して移動手段をシームレス化する次世代交通システム。後述するとおり、ÖBBのシステムは、鉄道、バスなど公共交通機関を組み合わせたルート検索や乗車券購入が可能。

ÖBBはユーザサービス用のアプリを提供している。アプリストアで「Oebb(下注)」を検索し【画像1】、これをインストールした。詳細は省略するが、画面の指示どおり、さきほど登録したアカウントを入力すると、アプリに情報がセットされる。半額カードの番号も登録される。

*注 「Oe」は「Ö(オー・ウムラウト)」の代用文字。

Blog_halffarecard7
【画像1】専用アプリを検索
【2】初期画面はドイツ語、左上メニューから…
【3】アカウント情報の変更画面へ
 

アプリを起動すると、初期画面【画像2】はドイツ語だ。このままでは心もとないので、画面左上のメニュー > Mein Konto (My Account) 【画像3】から、 Deutsch(ドイツ語)【画像4】を English にした【画像5】。初期画面に戻ると、「Tickets and Services」と、表示が英語に変わっている【画像6】。

Blog_halffarecard8
【4】Deutsch(ドイツ語)を…
【5】Englishに変更、左上矢印から…
【6】初期画面に戻ると英語版に
 

では、試しに乗車券を買ってみよう。まず、乗車日とおよその時刻を入力する【画像7】。現在の時刻が表示されているので、これでよければこのまま、別の日時ならそのように修正する【画像8】。入力したら右上の DONE をタップする。

次に、出発駅と到着駅を入力する【画像9】。タイピングしていくと駅名の選択肢が表示される。この例は、ザンクト・ペルテン St. Pölten からキーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming という場所(バス停)まで、保存鉄道(イプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn)に乗りに行ったときのものだが、このように鉄道だけでなく、路線バスの停留所も検索できる。

Blog_halffarecard9
【7】乗車日と時刻を入力
【8】入力したらDONEをタップ
【9】出発駅と到着駅を入力
 
Blog_halffarecard10
【10】切符の種類を選択
【11】旅程を選択
【12】切符のオプションを選択(ウィーン~リンツ間の例)
 

駅名を入力し終えると、この画面【画像10】になった。赤が片道乗車券、青は定期券、グレーは乗車券をすでに持っていて、座席指定だけする場合に使う。

片道乗車券をタップすると、候補となる旅程が複数表示される【画像11】。目的地は田舎につき、2時間間隔のローカル便(鉄道から路線バスに乗継)しかないが、主要幹線を経由するときはレールジェット(特急)などの優等列車も複数表示される。今回は、現実的な選択肢が8時05分発しかないから、これを選択しよう。

タップすると、次は切符のオプションを選択する画面になる(下注)。旅程に優等列車が含まれている場合、1等席へのアップグレードや座席指定ができる(座席番号は指定できない)【画像12】。目的地の市内交通乗車券なども一緒に買える。

*注 この時点で乗継時刻など行程の詳細を知りたいときは、画面下の「Journey Preview」をタップすると表示される。

2等の座席指定は本来3ユーロかかるが、半額カードのおかげでなんと1ユーロ(120円)だ。通常満席にはならないから自由席で十分とはいえ、日や時間帯によっては混雑する列車もありうる。その場合、画面に「座席指定を推奨します」と親切な注意書きが表示されるので、1ユーロを惜しまないようにしたい。

Blog_halffarecard11
半額カードと正規運賃の比較
【13】ザンクト・ペルテン~キーンベルク間
【14】ウィーン~ザルツブルク間
 

次はいよいよ決済だが、その前に、提示されている8.90ユーロはほんとうに半額なのか、というさもしい疑問がふと脳裏をかすめた。後で確かめてみると、ザンクト・ペルテン~キーンベルク間は、アプリの 8.90ユーロに対して、ÖBBサイトで検索した通常運賃は 14.90ユーロだった【画像13】。1-8.90÷14.90=0.403、約4割引で、半額には届かない。ただし、この旅程はローカル線と田舎のバス路線を乗り継ぐため、割引率が異なる可能性がある。

よりメジャーな区間で試すと、ウィーン~ザルツブルク間はアプリで 27.80ユーロ、ÖBBサイトでは 55.60ユーロだった。まさに半額だ【画像14】。他の区間でも調べてみたが、ローカルルートでは半額に達しないケースがあるものの、幹線系では看板に偽りはなかった。

Blog_halffarecard12
【15】乗車券を買う。買物かごに入れて
【16】支払ボタンをタップ
【17】購入完了
 

納得したところで、乗車券を購入しよう。右上の「Add to Basket(買物かごに加える)」をタップし【画像15】、次の画面で、「Pay now(今支払う)」をタップすると【画像16】、「Thanks for buying from us!(ご購入ありがとうございます)」と表示され、これで購入完了だ【画像17】。代金は、登録したクレジットカードから引き落とされる。乗車券は【画像17】の円で囲んだ矢印をタップすると表示されるが、もし間違って買ってしまったというときは、3分以内なら「Undo purchase(購入を取消す)」でキャンセルできる。

Blog_halffarecard13
【18】乗車券。下の方にアズテックコード(画像を加工)がある
【19】座席指定した場合の乗車券
【20】指定席券
 

乗車券はドイツ語表記で、英語版はない。下へスワイプしていくと、QRコードのようなもの(名称はアズテックコード AztecCode)が見える【画像18】。車内検札ではこれを見せると、車掌が手持ちのタブレットで読み取ってくれる。

座席指定も選択した場合は、乗車券画面の右上に1/2と表示されており【画像19】、2/2が指定券になっている【画像20】。指定券の列車番号、車両番号、座席番号(Fenster=窓側、Gang=通路側)を確認して、席につこう。

Blog_halffarecard14
【21】購入後の初期画面。購入済みの切符の情報が表示される
【22】旅程の詳細表示
 

購入した切符の情報は、アプリを立ち上げたときの初期画面にも表示されている【画像21】。それで「発車まで12分、ホームは6番C-D」という表示を気にしながら、駅へ向かうことになる。これをタップすれば、乗継ぎや発着ホーム、さらには遅延状況など旅程の詳細も確認できる【画像22】。また、万一予定の列車に乗り遅れた場合でも、2時間以内に発車する列車であれば、乗車券は有効だ。

このアプリの長所は、ルート選択と乗車券購入がリンクしており、しかも半額割引が自動で適用されるという点だ。また、レールパスでは対象外の、市内交通(地下鉄・トラム・バス)や地方の路線バスにも対応している。これなら間違った切符を買ってしまうリスクはまずないし、宿にいるうちに購入手続を完了しておけば、列車の発車時刻を見計らって宿を出ればよい。窓口や券売機の前に並ぶ時間を見込まなくていいのは、大きなメリットだ。

ただし、乗車券の情報はすべてスマホに格納されているから、当然のことだがスマホの紛失や破損、そうでなくても電池切れには要注意だ。また、山間部では通信圏外、繁忙期にはÖBBサイトの混雑という可能性もあるので、乗車中は、不意にやってくる検札に備えて、乗車券画面を裏画面で立ち上げたままにしておくのが望ましい。

最後に、半額カード利用の総決算をご報告しておきたい。本当にお得だったのかどうかの検証結果だ。

Blog_halffarecard15
半額カード利用の総決算
 

今回、主としてオーストリアと周辺国を正味13日間旅したが、ÖBBに支払った金額は、カード購入費用 66ユーロと運賃 327ユーロで、計 393ユーロだ。正規運賃を計算すると 557.50ユーロになるので、差引 164.50ユーロ、円換算で約2万円節約できたことになる。支払運賃が正規の半額に届かないのは、割引率が異なる国際列車の乗車券や市内交通の乗車券などもこれで購入したからだ。

ちなみにユーレイルの国別パスを使ったとすると、少なくとも10日分、519ユーロ必要になるので、半額カードによる支払額を超える。加えてバス・トラムや国際列車の国外区間などは別途支払うことになるから、正規運賃の 557ユーロをも上回ってしまうことは確実だ。

このように、一括前払い型のレールパスほどの簡便さはないものの、コストパフォーマンスの点で半額カードは圧倒的だ。また、毎回乗車券を購入するという面倒な手続きも、モバイル乗車券というツールを使うことでかなり軽減されることがわかった。旅費の節約をお考えなら、試してみる価値はあると思う。

2019年11月 7日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 II

ツェル・アム・ゼー Zell am See の名は「湖畔のツェル」を意味する。ツェル湖 Zeller See に突き出した小さな扇状地の上に、リゾートらしい小ざっぱりした市街地が広がっている。線路(下注)がその市街地と湖岸にはさまれた狭い空間を通っていて、駅の地下道を抜ければ、目の前はもう、さざ波立つ蒼い湖面だ。

*注 ÖBBザルツブルク=チロル線 Salzburg-Tiroler-Bahn。

Blog_pinzgau21
湖に面するツェル・アム・ゼー市街
線路は湖岸の並木の陰にある
Blog_pinzgau22
(左)市街の中心シュタットプラッツ Stadtplatz(都市広場)
(右)ホテルやレストランが軒を連ねるドライファルティヒカイツガッセ Dreifaltigkeitsgasse(三位一体小路)
 

駅舎の南に接する頭端式の11、12番線が、ピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn の専用ホームになっている。しかし、かつて同じÖBBの支線だった時代は1番線の南端に発着しており、そのため線路は標準軌と狭軌が片側のレールを共用する3線軌条だった。本線の列車は通常2、3番線を使うので、これでも支障はなかったのだ。1987年に完成した駅の改修で、両者は完全に分離され、狭軌列車は現在のホームに発着するようになった。

Blog_pinzgau23
(左)ツェル・アム・ゼー駅舎
(右)11、12番線がピンツガウ地方鉄道の発着ホーム
 

ところで、先に断っておかなければならないが、2019年6月のこの日、ピンツガウ地方鉄道に乗ったのは、中間のミッタージル Mittersill 駅からだ(理由は後述)。蒸気列車で終点クリムル Krimml まで行き、復路、プッシュプル列車で起点ツェル・アム・ゼーへ戻ってきた。つまり実際は、往路の前半をパスしたのだが、本稿では起点から順に話を進めていきたい。

Blog_pinzgau_map2
ピンツガウ地方鉄道と周辺路線図
 

さて、駅を後にすると、狭軌の線路は、ÖBBの標準軌複線と並走しながら南へ進む。左手にはプロムナードの並木越しに、ツェル湖の湖面が見えている。先述のとおり駅構内では撤去されてしまった3線軌条だが、並走区間の途中からまだ存在していて、標準軌の渡り線が狭軌の線路に合流する。標準軌線は電化路線なので、上空に架線も伴っている。

Blog_pinzgau24
(左)ツェル湖沿いを並走する狭軌線とÖBB標準軌線
(右)3線軌条区間
   Photo at wikimedia. © Robert Kropf (CC BY-SA 4.0)
Blog_pinzgau25
ツェル湖と雪を戴くホーエ・タウエルンの山並み
 

3線軌条の区間は1kmもない。これはティシュラーホイズル Tischlerhäusl 貨物駅に通じていて、狭軌線でロールワーゲンに載せられてきた標準軌貨車が、機関車に牽かれて本線に出ていく(およびその逆の)ための設備だ。ちなみに貨物駅の、公道をはさんで南隣は、地方鉄道の車庫・整備工場で、ツェル・アム・ゼー方の運行拠点になっている。

Blog_pinzgau26
ティシュラーホイズル車庫・整備工場
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

直進する標準軌線を見送って、こちらは右へ曲がる。そしてザルツァッハ川が流れるU字谷を遡り始める。このあたりは谷幅がまだ2kmもあり、左の車窓は一面の牧草地だ。昔はツェル湖が今より南まで広がっていて、ザルツァッハ川は自由に蛇行しながらそこに注ぎ、周りは湿地だった。

1852年に、谷の東の出口にあったブルックの岩棚 Brucker Schwelle を開削して、水位を約1m下げる工事が行われた。これにより湖面は北に後退し、湿地は乾燥して、農牧が可能な土地になったのだ。それでも19世紀末はまだ、川の蛇行跡が明瞭に残っており、前回も触れたように、地方鉄道はそれを避けてくねくねと迂回しなければならなかった。

線路は終始、川の左岸(北岸)を通るので、進行方向左側(南側)の眺望がより開ける。牧草地の向こうに、雪を戴くホーエ・タウエルン Hohe Tauern の山並みが奥まで続いている。カプルーン Kaprun の谷の後方で、グローセス・ヴィースバッハホルン Großes Wiesbachhorn(標高3564m)の尖ったピークがひときわ目を引いた。

Blog_pinzgau27
車窓から見るカプルーン市街(河畔林の左後方)と
グローセス・ヴィースバッハホルン(中央右奥の尖峰)
 

ツェルから40分で、中間の主要駅ミッタージル Mittersill(下注)に到着だ。係員が常駐する唯一の駅で、カスタマーセンター Kundencenter と称して、乗車券、鉄道グッズの販売や案内業務を行っている。蒸気列車もここで給水のために長い停車時間をとる。

*注 慣用に従い、ミッタージルと表記するが、現地の発音はミッタシルで、「ミ」にアクセントがある。

Blog_pinzgau28
ミッタージル駅
(左)唯一の有人駅舎
(右)普通列車が到着
 

冒頭で記したように、今回のピンツガウ地方鉄道の旅は、実際にはここからスタートした。インスブルック近郊の宿に荷物を置いていたので、往復ツェル・アム・ゼー経由では時間がかかる、と考えたからだ。

地図で見る限り、チロル地方からは、ツィラータール Zillertal を南下、ゲルロース峠 Gerlospass を越えてクリムルに出る、というのが最短ルートだ。しかし、州境をまたぐためか、直通のバス路線はない。さらに調べたところ、ÖBB線のキッツビュール Kitzbühel とミッタージルの間にバス路線が見つかった(上図の BUS と記したルート)。東チロルのリーエンツ Lienz へ向かうポストバスで、チロル運輸連合 Verkehrsverbund Tirol (VVT) が運行している(下注)。

*注 時刻表は、チロル運輸連合 https://www.vvt.at/ 路線番号950x。

朝9時40分キッツビュール発のバスがあり、ミッタージル着は10時18分だ。これなら11時08分発の下り蒸気列車に悠々間に合う。トゥルン峠 Pass Thurn から、緑のザルツァッハ谷と雪のホーエ・タウエルンが織りなす目の覚めるようなパノラマ(前回冒頭写真)を堪能して、ミッタージルに降りてきた。

Blog_pinzgau29
(左)キッツビュール駅前からポストバスに乗車
(右)ミッタージル市街が眼下に
 

蒸気列車には予約が必要なのは知っていた。しかし、他の保存鉄道でも当日、駅や車内で切符が買えたので、そのつもりで駅のカウンターへ行く。スティームトレインに乗りたいと言うと、ここには座席表がないので予約できない、しばしば満席になるから、先行する10時48分発の気動車をお勧めする、との返事だ。

1日1往復なので、オンライン管理をしていないのはわかるが、これでは目的が果たせない。「もし満席なら、デッキに立つので」と食い下がると、苦笑しながら「座席は車掌に聞いてください」と切符を売ってくれた。蒸気列車は特別運賃だが、渡されたのはヴァルトフィアテルのときと同様、薄紙のレシートだ。クリムルまでの所要時間は54分(下注)、どうせデッキに張り付くから、席はなくても構わない。

*注 蒸気列車に対して普通列車は、ミッタージル~クリムル間を35分で走破する。

Blog_pinzgau30
ミッタージルに蒸気列車が到着
 

蒸気列車は10時38分、時刻表どおりに入線してきた。牽いているのは、旧ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄シュタインバイス線169号機(BHStB 169、下注1)だ。1913年ブダペスト製で、1982年にクラブ760(下注2)が取得した。改修を受けた後、長期リース契約により、ピンツガウで稼働している。列車は、その後に荷物車(緩急車?)、2軸客車7両という編成だが、うち1両は「Pinzga Schenke(ピンツガウの居酒屋)」と書かれた深紅のビュッフェ車だった。

*注1 後にユーゴスラビア国鉄で73形19号機(JŽ 73-019)に改番。
*注2 クラブ760は、主にタウラッハ鉄道 Taurachbahn(ムールタール鉄道 Murtalbahn 最奥部の保存鉄道)を拠点に保存鉄道活動を行っている組織。

Blog_pinzgau31
本日の牽引機 BHStB 169
 

さっそく消火栓のような水栓につないだ消防用のホースで、機関車に給水が始まった。ここでは30分停車するので、乗客も皆、ホームに降りて休憩している。その間に、後を追ってきた3両編成のクリムル行き気動車が到着し、すぐに出ていった。これが先刻、乗車を勧められた列車だ。

しばらくのんびりした時間が流れ、発車の準備が整ったところで、西からツェル・アム・ゼー行きの各停プッシュプル列車が入線、それを待って蒸気列車は出発した。

Blog_pinzgau32
ミッタージルで30分の給水停車
 

ミッタージルから上流では、線路はおおむね川岸を伝っていく。視界を遮るような高い堤防はないから、氷河由来の白濁した速い水流がよく見える。方や、右側はおおかた緑の牧草地だ。その後ろには、ホーエ・タウエルンほど険しくはないものの、2000mを超えるキッツビュール・アルプス Kitzbüheler Alpen の、やはり雪を戴く山並みが見え隠れする。

Blog_pinzgau33
ザルツァッハの川岸を伝う
 

ノイキルヘン・アム・グロースヴェネディガー Neukirchen am Großvenediger 駅で、列車交換のためにやや長く停車した。ミッタージルで追い抜いていった気動車が折り返してきたのだ。同じような風景が続くので、日常的なイベントも気分転換になる。

Blog_pinzgau34
ノイキルヘン・アム・グロースヴェネディガーで
上り列車と交換
 

ふと気がつくと、山がかなり近づいてきている。列車は最後に大きく左へカーブして、終点のクリムル駅に入っていった。低いホームに接した本線2本と側線1本をもつターミナルだ。すぐに機関車が切り離され、機回し作業が始まったが、ゆっくり見ている時間はない。というのも、駅前に、ゾンダーファールト Sonderfahrt(特別運行の意)と表示した大型バスが来ていて、列車を降りた客がぞろぞろと乗り込んでいくからだ。乗り遅れると、せっかくの名所を見損なう。

Blog_pinzgau35
最後の大きな左カーブを回る
Blog_pinzgau36
終点クリムル駅に到着
 

駅がある場所は、正確にはフォルダークリムル Vorderkrimml(前方のクリムルの意)という集落(下注)のはずれで、滝入口までまだ3kmほどある。この間は高度差が約180mと大きく、粘着式の蒸気鉄道では到達が難しかったはずだ。バスは駅前を出るとその坂道を上っていき、本来のクリムル集落をかすめてから、連邦道沿いのインフォメーションセンター前で停まった。

*注 フォルダークリムルもクリムルも、自治体としてはヴァルト・イム・ピンツガウ Wald im Pinzgau の一部。

Blog_pinzgau37
(左)クリムル駅舎
(右)特別運行のバス
Blog_pinzgau38
(左)森の道を滝へ向かう
(右)正面奥の小屋が入場券窓口
 

現地の人々に混じって、歩いて滝へ向かう。途中、窓口で4ユーロの遊歩道利用料 Wegbenützungsgebühr を支払うのだが、解説や注意事項を記したパンフレットどころか、ここでも渡されたのはレシートのみ。

滝は3段に分かれていて、下の滝(下アッヘン滝 Unterer Achenfall)だけで、高さが140mある。驚くのはその膨大な水量だ。6~7月は融雪が進むため、水量が一年で最も多いらしい。その水が岩肌を勢いよく滑り降り、最後に滝壺へジャンプしていく。大地を揺るがすような轟音が森にこだまし、風に舞う水煙が絶えずカメラのレンズを濡らす。

Blog_pinzgau39
下の滝を真横から望む
 

急な山道が、山腹をジグザグに上っている。それをたどると、途中にいくつか展望台があり、滝を真横から、上方からと、さまざまな角度で見ることができた。山道はその先、中の滝(落差100m)、上の滝(同 145m)へ延びているが、また蒸気列車で帰るつもりなら、許される滞在時間は70~80分だ。残念だが、せいぜい下の滝の滝口付近で引き返さなくてはならない。

Blog_pinzgau40
滝口の展望台から下の滝を見下ろす
背景はキッツビュール・アルプス
 

本稿は、Stephen Ford "Railway Routes in Austria - The Pinzgauer Lokalbahn", The Austrian Railway Group, 2017 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ピンツガウ地方鉄道(公式サイト) https://www.pinzgauerlokalbahn.at/
クリムル滝(アルペン協会支部による公式サイト) https://www.wasserfaelle-krimml.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道
 ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史

2019年10月31日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 I

ピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn

ツェル・アム・ゼー Zell am See ~クリムル Krimml 52.6km
軌間760mm、非電化
1898年開通

Blog_pinzgau1
トゥルン峠から望むザルツァッハタール
谷底をピンツガウ地方鉄道が走る
 

ザルツブルク Salzburg の南西に、ピンツガウ Pinzgau と呼ばれる地方がある。北には荒々しい石灰岩の山塊シュタイネルネス・メーア Steinernes Meer、中央は片岩アルプス Schieferalpen の2000m級の山並み、南縁には標高3000mを優に越えるタウエルン Tauern の雪山が群れをなす、アルプスの真っ只中だ。

Blog_pinzgau_map1

その山また山の間を、東西に長くザルツァッハ川 Salzach の流れる谷が延びている。北側のザールフェルデン盆地 Saalfeldener Becken などとともに、この平底の谷間は人々に暮らしの場所を提供してきた。地域の足として19世紀末に造られたのが、760mm狭軌のピンツガウ地方鉄道 Pinzgauer Lokalbahn だ。

Blog_pinzgau_map2
ピンツガウ地方鉄道と周辺路線図
 

歴史を紐解けば、ピンツガウの中心都市ツェル・アム・ゼー Zell am See には、すでに1875年から標準軌のザルツブルク=チロル鉄道 Salzburg-Tiroler-Bahn が通じていた。地方鉄道は、そのツェル・アム・ゼー駅を起点に、谷を遡り、最奥部のクリムル Krimml に至る路線で、2年の工期を経て1898年1月に開業している。

当時、クリムルからさらに、観光地のクリムル滝へ行く電気鉄道や、西方のゲルロース峠 Gerlospass を越えてチロルのツィラータール Zillertal に連絡する路線も構想されていた。しかし、どちらも建設資金のめどが立たず、実現しなかった。

開通に先立ち、リンツのクラウス Klauss 社から蒸気機関車4両が納入された。ツェル・アム・ゼー Zell am See の頭文字をとって、それはZ形(下注)と呼ばれるようになる。当時、沿線はまだ貧しい地域で、列車は初め、1日2往復しか設定されず、その1本は貨車を併結した混合列車だったという。

*注 Z形はすべて解体されてしまったが、テルル鉄道 Thörlerbahn に納入された同系統の機関車 StLB 6号機がタウラッハ鉄道 Taurachbahn(ムールタール鉄道 Murtalbahn 最奥部の保存鉄道)で動態保存されている。

その後、開通効果で観光開発が進み、木材や農産物の輸送もしだいに増加する。標準軌貨車への積替え作業を省くために、1926年にロールワーゲン方式(下注)が導入されたが、Z形では出力不足のため、1928年以降、新しいUh形(後のÖBB 498形)に置き換えられた。

*注 ロールワーゲン Rollwagen は、狭軌台車に標準軌貨車を載せて走る方式(逆の場合もある)。なお、これは英語読みで、標準ドイツ語ではロルヴァーグンが近い。

Blog_pinzgau2
ツェル・アム・ゼー地方鉄道駅の線路終端(11、12番線)
 

一方1936年からは、ディーゼル機関車も導入された。とりわけ戦後、道路事情の改良と自動車の普及で鉄道の利用が減退すると、経費削減策として積極的に使われるようになる。蒸機は1962年に定期運行を退き、1966年には路線から完全に姿を消した。

1980年代に断行された赤字路線の整理では生き残ったピンツガウ地方鉄道だが、1998年に貨物輸送が中止され、2000年にはÖBBが全面廃止に言及し始めた。ヴァルトフィアテル鉄道やマリアツェル鉄道などと同様、連邦と州の関与が求められ、結果的にザルツブルク州がÖBBに運行を委託する形で存続が決まった。

その後2008年に、地方鉄道の所有権は州へ完全に移された。以来、運行は長年ザルツブルクの市内バス・郊外鉄道を運営してきたザルツブルク公社 Salzburg AG(下注)が担い、インフラと車両も同社の所有となっている。

*注 ザルツブルク州およびザルツブルク市が過半を出資している公営企業。

なお、ÖBB時代に廃止された貨物輸送は、モーダルシフトの機運から2008年に復活し、沿線の工場や製材所が工業製品や木材の運搬に使うようになった。ツェル・アム・ゼーの1.5km南にあるティシュラーホイズル Tischlerhäusl 貨物駅には、異軌間の貨車をロールワーゲンに載せるための側線とランプ(斜路)がある。

Blog_pinzgau3
ザルツァッハ川に沿って
 

ところで、ピンツガウ地方鉄道のルートを地形に照らして見ると、前半ではザルツァッハ川の氾濫原のきわに、後半では川岸に、それぞれ沿うように通されていることがわかる。山裾の緩斜面や扇状地など高燥な土地は、傾斜していたり、すでに集落があったりしたからだが、このことは後に、鉄道が繰り返し洪水に悩まされる主因となった。

開通5年目の1903年9月に、早くも最初の洪水に襲われ、ブラムベルク Bramberg 付近の線路の流出で、運休を余儀なくされている。近年では、1987年8月に100年来の高水位により被災し、全線が再開されるまでに10か月を要した。

さらに2005年7月にも記録的な増水により、各所で線路が破壊された。一時はピーゼンドルフ Piesendorf から先、全線の8割が運行できなくなっていた。10月中にミッタージル Mittersill まで再開されたものの、以遠区間は、河川の防災改修とのかかわりで復旧が遅れた。結局、終点のクリムルまで列車が到達できるようになったのは2010年で、実に5年もの間、バスによる代行輸送が続いたのだ。

復旧工事では、速度制限のある線路の改築や路盤の強化も併せて実行された。ルート変更は3か所で行われている。一つ目は、フュルト・カプルーン Fürth-Kaprun(起点から6.7km)の直前で、旧ルートは川の蛇行跡を大きく迂回していたため、35km/hの速度制限がかけられていた。1997年に曲線を緩和した新線がオープンし、これにより距離が240m短縮され、通過速度も最高70km/hに引き上げられた(下図参照)。

Blog_pinzgau_map3
地形図にみるフュルト・カプルーン駅周辺のルート変遷
(上)建設前の図、支流が北へ蛇行(19世紀)
   image at mapire.eu
(中)従来ルート(1981年)
   © BEV, 2019
(下)1997年の改良ルート(赤の破線は従来の位置)
   © BEV, bergfex at 2008, 2015
 

二つ目は、ウッテンドルフ・マンリッツブリュッケ Uttendorf-Manlitzbrücke(起点から22.0km)で、北側の支谷から突き出す小扇状地を急カーブで乗り越えていた個所だ。ここは2011年に改修され、それと併せて新線上に新たに上記の停留所が開設された。

三つ目はノイキルヘン・アム・グロースヴェネディガー Neukirchen am Großvenediger(起点から44.9km)の前後で、旧ルートは町寄りを通っていたが、2005年水害からの復旧に際して、町の外縁に移され、住宅地内の踏切も解消された。この区間は2010年9月の全線再開に合わせてオープンしている(下図参照)。

Blog_pinzgau_map4
ノイキルヘン駅周辺のルート変遷
(上)従来ルート(1986年)
   © BEV, 2019
(下)2010年の改良ルート(赤の破線は従来の位置)
   Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

現在、旅客列車の主力になっているのは、760mm狭軌の標準的な気動車である5090形だ。1986~91年製の計6両が、VTs 12~17の車番をつけて走る。それとともに、グマインダー Gmeinder 社製のディーゼル機関車Vs 81~83が、部分低床の付随車と制御車を連ねたプッシュプル列車 Wendezug で運用されている。いずれも塗装は、ザルツブルク公社のコーポレートカラーであるルビーレッドとホワイトの統一仕様だ。

Blog_pinzgau4
気動車5090形
Blog_pinzgau5
プッシュプル列車の編成
(左)ディーゼル機関車Vs 82
(右)自転車を載せる荷物車
Blog_pinzgau6
(左)最後尾は制御車 VSs 102
(右)部分低床の車内
 

ピンツガウ地方鉄道の旅客輸送における役割は、主として二つある。

一つは近郊のコミューター輸送だ。今では信じられないことだが、1980年代、この路線の旅客列車は1日わずか5往復しかなかった。クリムルからの上り列車はなんと15時30分発が最終だったのだ。

しかし、1989年にツェル・アム・ゼー市内交通 Stadtverkehr Zell am See の路線網に組み込まれたことで、ツェル・アム・ゼー~ブルックベルク・ゴルフプラッツ Bruckberg Golfplatz(起点から3.8km)間が、平日30分間隔に増便された。バスでも12分で到着できる場所とはいえ、鉄道はこれを8分に短縮した。

その後、市内交通区間は2008年にフュルト・カプルーンまで延長され、現在は、日中午後の時間帯でニーデルンジル Niedernsill(起点から15.3km)まで30分毎だ。以遠区間でも1時間の等間隔ダイヤが組まれており、クリムルまで平日15~16往復ある(別に、市内交通区間便が12往復)。山向こうのツィラータール鉄道(下注)と並んで、最も利用されている760mm狭軌の一つと言えるだろう。

*注 ツィラータール鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道」で詳述。

これに伴い、ツェル・アム・ゼー市内では停留所が3か所増設されて、バス並みの区間距離になった。もとよりミッタージルのような拠点駅を含めて、すべての中間駅・停留所がリクエストストップなので、乗降客がないときは通過してしまう。

Blog_pinzgau7
ブルックベルク・ゴルフプラッツ駅での列車交換
(2008年撮影)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

もう一つの役割は、観光輸送だ。日本では必ずしも知名度が高いとは言えないが、ツェル・アム・ゼーは、南隣のカプルーン Kaprun とともに、オーストリアでも最も重要な国際ウィンターリゾートの一つだ。また、国内最高峰のグロースグロックナー Großglockner(標高3,798m)を擁するホーエ・タウエルン国立公園 Nationalpark Hohe Tauern 観光の足場でもある。

鉄道はこの観光都市からクリムルに向かう。そこには、国内最大の落差をもつクリムル滝 Krimmler Wasserfälle があり、終点が設定された理由も、この名所への誘客に尽きる。

ザルツブルク公社は、路線のさらなる魅力向上を図って、他の狭軌鉄道と同じように夏のシーズンに蒸気列車 Sommerdampfzug を運行している(下注)。現在の牽引機は、もとマリアツェル鉄道のために開発されたMh形の3号機と、ボスニア・ヘルツェゴビナ国鉄(後にユーゴスラビア国鉄となる)で使われていた73形機関車だ。

*注 冬のシーズンには、ディーゼル機関車による特別運行がある。

Blog_pinzgau8
蒸気機関車73形(JŽ 73-019)
 

2019年の場合、運行は5月20日から9月24日の間の水曜と木曜に各1往復で、ツェル・アム・ゼーを9時18分に出発し、クリムルには12時02分に到着するダイヤだ。折り返しは13時55分発で、ツェル・アム・ゼーに16時36分に戻ってくる。

全区間を乗れば1日がかりだが、それだけかける意味はある。クリムル駅前に、時刻表に載っていない臨時バスが待機していて(下注)、滝の入口まで運んでくれるのだ。帰りもこのバスに乗れば、蒸機の発車に間に合う。やはりクリムルを訪れることは、滝を見に行くことと半ば同義になっているようだ。

*注 蒸気列車の客専用のバスで、運賃は特別列車の料金に含まれている。なお、クリムル滝へは路線バスもあり、平日日中は定期列車に接続している。時刻表は、ザルツブルク交通局 https://salzburg-verkehr.at/ 路線番号670。

Blog_pinzgau9
水煙上がるクリムル滝
(下アッヘン滝 Unterer-Achenfall)
 

では次回、蒸機列車の旅を含めて、ピンツガウ地方鉄道のルートを具体的に追っていこう。

本稿は、Stephen Ford "Railway Routes in Austria - The Pinzgauer Lokalbahn", The Austrian Railway Group, 2017 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ピンツガウ地方鉄道(公式サイト) https://www.pinzgauerlokalbahn.at/
Club 399 (Freunde der Pinzgaubahn) http://club-399.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 II

 オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道
 ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史

2019年10月24日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道

ムールタール鉄道 Murtalbahn

ウンツマルクト Unzmarkt ~マウテルンドルフ Mauterndorf 間 76.1km
軌間760mm、非電化
1894年開通
1973年 タムスヴェーク~マウテルンドルフ間旅客輸送廃止、1980年 同 貨物輸送廃止
1988年 保存鉄道(タウラッハ鉄道)開業

【現在の運行区間】
一般輸送:
ウンツマルクト Unzmarkt ~タムスヴェーク Tamsweg 間 64.3km

保存鉄道:タウラッハ鉄道 Taurachbahn
ザンクト・アンドレ=アンドルヴィルト St. Andrä-Andlwirt ~マウテルンドルフ Mauterndorf 間 9.4km

Blog_murtal0
ムール川の早瀬
ムーラウにて
 

ムール川 Mur は、ホーエ・タウエルン Hohe Tauern と呼ばれるアルプスの一角を源とするドナウ川支流の一つだ。まず東へ流れた後、ブルック・アン・デア・ムール Bruck an der Mur で南に向きを変え、グラーツ Graz 市街を貫く。オーストリアを出た後はスロベニアに入り、さらにクロアチアとハンガリーの国境線を経て、ドナウ川に注いでいる。

この450kmに及ぶ長旅の最初の部分、東西に延びるオーベレス・ムールタール Oberes Murtal(ムール谷上流部の意)の谷間が、今回のテーマ、ムールタール鉄道 Murtalbahn(下注)の舞台になる。

*注 本稿では慣用に従い「ムール川」「ムールタール鉄道」と表記するが、「ムーア」「ムーアタール」のほうが標準ドイツ語の発音に近い。

起点は、ÖBB(オーストリア連邦鉄道)南部本線 Südbahn の小駅ウンツマルクト Unzmarkt だ。路線はそこからムールの谷をひたすら遡り、最後は、アルプスの高峰に囲まれ、標高1000mを越えるルンガウ Lungau の盆地に達する。現在、路線長は64.3kmあり、オーストリアの760mm軌間ではマリアツェル鉄道に次いで長い。全線走破には95分を要する。

*注 マリアツェル鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I」で詳述。

Blog_murtal1
鉄道の起点ウンツマルクト駅
Blog_murtal2
ÖBB線ホームから
ムールタール鉄道のホーム(21番線)を望む
 

ムールタール鉄道は、今から125年前の1894年10月に開業した。当時、ムール川の谷には、1868年から標準軌の皇太子ルードルフ鉄道 Kronprinz Rudolf-Bahn(下注)が通じていたが、途中で南にそれてケルンテン Kärnten に向かうため、上流域には恩恵が及んでいなかった。そこで、地方鉄道の新設が計画されたのだ。

*注 この区間は現在、ÖBB南部本線 Südbahn(ウィーン Wien ~クラーゲンフルト Klagenfurt ~タルヴィジオ Tarvisio)に含まれている。

オーストリアの地方鉄道には、後に国有化されて、戦後はÖBB線となったものが多い。ところがムールタール鉄道は、開業以来一度も国鉄の路線網に属したことがない。最初は、同名の鉄道会社(下注)が運営しており、1921年から、州政府が設立したシュタイアーマルク州営鉄道 Steiermärkische Landesbahnen (STLB) に引き継がれた。

*注 正式名は、株式会社ムールタール鉄道ウンツマルクト=マウテルンドルフ Aktiengesellschaft Murtalbahn Unzmarkt–Mauterndorf。運行を州に委ねてからも会社は存続しており、1942年に解散。

Blog_murtal_map1

それから1世紀近く経営体制は変わっていないが、昨年(2018年)いわゆる上下分離政策により、州営鉄道は列車運行、インフラ、貨物輸送の各事業会社に分割された(下注)。それで、公式サイトや資料などでは現在、ムールタール鉄道の運行事業者として、3社の共通ブランドである「シュタイアーマルク鉄道 Steiermarkbahn (StB)」の名称が用いられている。

*注 列車運行はシュタイアーマルク鉄道・バス有限会社 Steiermarkbahn and Bus GmbH、インフラは、前社名を引き継いだシュタイアーマルク州営鉄道 Steiermärkische Landesbahnen が担う。貨物輸送は、シュタイアーマルク鉄道輸送・ロジスティック Steiermarkbahn Transport und Logistik が行い、専用貨物列車の運行で域外進出を図っている。

Blog_murtal_map2
ムールタール鉄道と周辺路線図
 

列車ダイヤは平日6~7往復で、およそ2時間ごとに列車が走る。土日は減便されて3~4往復しかないが、列車時刻表には載らない路線バスがあり(下注)、それと併せて約2時間の運行間隔が保たれている。

*注 シュタイアーマルク鉄道(バス)http://www.stlb.at/bus/ 路線番号890

また、ムールタール鉄道では、無煙化により定期運行から引退した蒸気機関車の保存にも努めてきた。特別列車「ダンプフブンメルツーク Dampfbummelzug(蒸気鈍行列車の意)」は、1968年から50年以上も続く人気企画だ。現在は主として6~9月の火曜と木曜に、ムーラウ~タムスヴェーク間を往復している。ムーラウ駅にある機関庫には、鉄道のオリジナル機であるU形(下注)や、グラーツ郊外シュタインツ鉄道 Stainzerbahn の機関車「シュタインツ2号」などが動態保存され、出番を待っている。

*注 U形の形式名は、ウンツマルクト Unzmarkt の頭文字から取られている。

Blog_murtal3
蒸機U11が牽く特別列車が気動車と交換
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

鉄道の起点ウンツマルクトは、乗換のためだけに設けられたような駅だ。ÖBB線は、普通列車だけでなくウィーン~フィラッハ間の特急列車(レールジェット Railjet)も停車するものの、旅客用の駅舎どころか、駅前広場すらない。

このような場所を起点にしたのには、もちろん理由がある。ÖBB線は、この先で峠越えのためにムール川の対岸に渡って山を上り始めるからだ。ムールタール鉄道の計画では、沿線からの木材輸送が収入源として重視されていたので、標準軌線との間に積替えヤードの設置が必要だった。そのための平地は、坂に取りつく手前のウンツマルクトにしかなかったのだ。

標準軌の線路に接する1番線の反対側が、ムールタール鉄道の乗り場(21番線)だ。その日、乗ってきたÖBBの列車が遅れていたため、接続時間はないに等しかったが、タムスヴェーク行きの列車はちゃんと待っていてくれた(下注)。女性車掌がホームに立ち、乗継ぎ客を誘導している。

*注 時刻表にも「レオーベン Leoben 方面からの普通列車の客は可能な限り待つ」と記されている。

Blog_murtal4
ウンツマルクト駅でÖBB線の接続を待つ
 

一般輸送に用いられるのは、電気式ディーゼルカーだ。動力車は、ÖBB 5090形の前身である1980~81年製のVT31~34と、後で追加された1998年製VT35の計5両、制御車はVS41~44の4両が在籍している。この便はVT32とVS42の2両編成だった。開通120周年記念の塗装は、基調の赤に、州旗の色である緑と白のストライプを加えたもので、補色の関係からけっこう目立つ。

車両には貫通扉がなく、走行中は車両間を行き来できない。ローカル線なのにワンマン運転でないのは、それが理由なのかもしれない。しかし、車掌はウンツマルクトで検札した後、ずっと前の車両にいて、後ろには顔を見せなかった。駅に乗車券は売っておらず、車内で車掌から買うことになっているから、地元の利用者は前乗りを心得ているのだろう。

Blog_murtal5
気動車VT32
(左)120周年の3色塗装 (右)内部
 

さて、ウンツマルクトを出発した列車は、最初ÖBB線と並走するが、まもなく、ムール川に架かるÖBB線の鉄橋の下をくぐって、独自の旅を開始する。といっても、対岸の山裾でじわじわと高度を上げていくÖBB線は、約10km先のトイフェンバッハ Teufenbach まで遠望可能だ。残念なことにディーゼルカーの窓が汚れていて、写真が撮れる状況ではなかったが。

そのトイフェンバッハ駅に着く手前で、狭軌線もムール川を渡って右岸(南岸)に移る。ムールタール鉄道の中間駅・停留所は合計32か所もあるのだが、拠点駅のムーラウを除いてすべてリクエストストップのため、停まらないほうが多い。保存鉄道(下注)の車庫があるフローヤッハ Frojach でさえ、観察する間もなく通過した。

*注 後述する「タウラッハ鉄道」の保存車両が格納されている。

Blog_murtal6
(左)ニーダーヴェルツ Niederwölz 駅を通過
(右)ムール川を渡る
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
 

沿線は、1kmほどの幅をもつ谷底平野だ。開けているので集落が点在し、警報機のない小さな踏切も多い。音が裏返ったラッパのような、ピーパーという汽笛をしょっちゅう鳴らしながら、列車はカーブの多い線路を走っていく。PC枕木を敷いた区間も多く、公共交通としてインフラに十分投資されているのがわかる。

Blog_murtal7
ムールタールの谷底平野
遠景はゼータール・アルプス Seetaler Alpen
 

ウンツマルクトから36分で、ムーラウ Murau に到着した。ここは鉄道の拠点駅で、側線が何本も並び、車庫と整備工場、運行管理本部の建物もある。上下列車の交換も基本的にここで行われるので、ムールタール鉄道の中で最も賑やかな駅といえるだろう。駅舎の中では、直営の旅行代理店と中華料理店が営業していた。「シュタイアーマルク鉄道」は路線バスも併営しており、列車に接続して、駅横のターミナルから周辺の町や村へバスが出ていく。

Blog_murtal8
ムーラウ駅
(左)比較的大きな駅舎
(右)ここで列車交換が行われる
Blog_murtal9
(左)駅横のバスターミナル
(右)運行管理本部の建物
 

ムーラウは町としても沿線最大で、ムール川をまたぐアーチの石橋を渡ると、城山の麓を通る街道に沿って趣のある旧市街が延びている。鉄道を単純に往復するだけではつまらないので、復路ではここで途中下車して、しばらく町巡りを楽しんだ。

Blog_murtal10
旧市街はムール川の対岸
 

ムーラウ駅で多くの客が降りてしまったので、特に後ろの車両は空気を運ぶ状況になった。長さ102mながら路線最長のムーラウトンネル Murauer Tunnel を抜けると、風景は郊外のそれに戻る。谷底の平地は目に見えて狭くなり、周囲の山は高さを増してくる。プレドリッツ・トゥラッハ Predlitz-Turrach で、ムール川を渡り返した。まだ谷は奥へ続いているが、州境がここを通っていて、列車はシュタイアーマルク州からザルツブルク州に入る。

Blog_murtal11
(左)ムーラウトンネルを抜ける
(右)ラーミングシュタイントンネル
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
Blog_murtal12
谷は次第に深まる
ザンクト・ゲオルゲン・オプ・ムーラウ St. Georgen ob Murau 付近
 

岩場が目立つようになると、ラーミングシュタイン Ramingstein でまた小さなトンネルをくぐった。マドリング Madling を通過したところで、川は北へ向きを変え、にわかに急流の様相を見せ始める。呼応して線路の勾配も険しくなり、右に左にカーブも連続する。しかし、それもいっときのことだ。谷が再び開けてきて、すっかりおとなしくなったムール川を最後に渡る。ムーラウから57分、列車は終点タムスヴェーク Tamsweg 駅の構内に滑り込んだ。

Blog_murtal13
(左)マドリング上手の急流
(右)ムール川の最後の鉄橋
(いずれもウンツマルクト方向を撮影)
Blog_murtal14
終点タムスヴェーク駅
Blog_murtal15
(左)小ぢんまりした駅舎
(右)路線バスから上り列車に乗り継ぐ人たち
 

かつて路線は、さらに12km先のマウテルンドルフ Mauterndorf まで延びていた。しかし、利用状況の悪化により、1973年にまず旅客輸送がバスに置き換えられ(下注)、1981年には貨物輸送も廃止されてしまった。ここルンガウ Lungau はザルツブルク州域であり、運行主体のシュタイアーマルク州としては、域外で赤字運行を続けるわけにはいかなかったのだろう。

*注 ポストバス Postbus の路線だが、現在はザルツブルク州交通局 Salzburg Verkehr が運行している。

このうちザンクト・アンドレ=アンドルヴィルト St. Andrä-Andlwirt ~マウテルンドルフ間 9.4kmでは、保存団体「クラブ760」により、夏のシーズンに蒸気列車の保存運行が実施されている。運行拠点はマウテルンドルフ駅に置かれ、ムール川の支流タウラッハ川 Taurach に沿って走ることから、路線名は「タウラッハ鉄道 Taurachbahn」だ。1988年から始まったこの事業は、山里の観光資源としてすっかり定着している。

Blog_murtal16
シーズンオフのマウテルンドルフ駅
 

ムールタール鉄道は大都市から離れているので、アクセスには時間がかかる。ÖBB南部本線で起点のウンツマルクト側から入るのが順当な経路だが、逆に終点タムスヴェークへ、ÖBBエンスタール線 Ennstalbahn のラートシュタット Radstadt 駅からマウテルンドルフを経由して(一部便は乗換)、バスで到達することも可能だ(下注)。本数は少ないが、ザルツブルクからの直行バスも運行されている。

*注 ザルツブルク交通局 https://salzburg-verkehr.at/ 路線番号280、700、直行バス:270

次回は、ピンツガウ地方鉄道を訪ねる。

本稿は、"Die Murtalbahn - Die Geschichte von 110 Jahren Schmalspurbahn" Steiermärkische Landesbahnen, 2004 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
StB - ムールタール鉄道  http://www.stlb.at/bahn/strecken/ut/
クラブ760 - タウラッハ鉄道  http://www.club760.at/html/taurachbahn.htm

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道
 ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史
 オーストリアの狭軌鉄道-ピンツガウ地方鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道

2019年10月17日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

ヘレンタール鉄道 Höllentalbahn

パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau ~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間 6.1km
軌間760mm、直流500V電化
1918年開通(貨物鉄道として)、1926年定期旅客輸送開始
1963年 旅客輸送廃止、1979年 保存列車運行開始、1982年 一般運行(貨物)休止

【現在の運行区間】
保存鉄道:パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahn ~ヒルシュヴァング Hirschwang 間 4.8km

Blog_hoellental1
ライヘナウ駅に停車中の1号電動車
 

世界遺産ゼメリング鉄道の麓の駅に接続して、小さくも美しい古典電車が行き来する保存鉄道がある。駅の名はパイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau、接続する760mm狭軌の路線はヘレンタール鉄道 Höllentalbahn という。ただし、同名の鉄道がドイツにも存在し(下注)、そちらのほうが有名なので、区別のために「ニーダーエースタライヒ(下オーストリア)の niederösterreichische」という修飾語をつけて呼ばれることがある。

*注 ドイツのヘレンタール線は、南西部シュヴァルツヴァルト Schwarzwald(黒森)を横断するフライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau ~ドナウエッシンゲン Donaueschingen 間。

Blog_hoellental_map1

運営に携わるのはオーストリア地方鉄道協会 Österreichische Gesellschaft für Lokalbahnen(ÖGLB、下注1)、以前紹介したイプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(下注2)を運行している団体だ。保存鉄道としての歴史はイプスタール山線のほうが新しいのだが、イプスタールの蒸気運転に対して、ヘレンタールは電気運転で、協会の活動の両輪をなしている。

*注1 実際の路線維持と列車運行は、ヘレンタール鉄道プロジェクト有限会社 Höllentalbahn Projekt Ges.m.b.H. (HPG) が行う。
*注2 イプスタール鉄道山線については「オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II」参照。

Blog_hoellental_map2
ヘレンタール鉄道と周辺路線図

全線でも4.8kmしかないミニ鉄道は、そもそも何のために造られたのだろうか。

鉄道が向かうのは、アルプスの東端を流れ下るシュヴァルツァ川 Schwarza の峡谷の出口だ。この峡谷が、鉄道の名になっているヘレンタール Höllental(地獄谷の意)で、シュネーベルク Schneeberg とラックス Rax の山塊の間に、石灰岩の岩肌剥き出しの狭くて荒々しい谷間が続いている。谷の出口のヒルシュヴァング Hirschwang 村には、森林と豊かな水を背景に、シェラー社 Schoeller & Co のパルプ工場が進出した。狭軌鉄道は本来、この工場と国鉄幹線との間で貨物を運ぶために造られたものだ。

Blog_hoellental2
水の透明なシュヴァルツァ川
遠景はラックス山塊
 

時は第一次世界大戦さなかの1916年、戦争需要が高まり、工場は増産体制を敷いていた。幹線と貨車をやり取りするのであれば、貨物鉄道も標準軌にするのが普通だ。しかし工期がかかるため、とりあえず狭軌の線路で当座をしのぐことになった。というのも、ケルンテン Kärnten のカラヴァンケントンネル Karawankentunnel 建設で使用され、竣工に伴い余剰となっていた簡易軌道をそっくり利用することができたからだ。トンネル工事では坑内爆発の危険を避けるために小型の電気機関車が投入されていた。それで、ヘレンタールの路線も初めから直流500Vで電化され、その機関車が貨車を牽いた。

*注 カラヴァンケントンネルは、オーストリアのローゼンバッハ Rosenbach と現在のスロベニアのイェセニツェ Jesenice の間にある長さ7977mの鉄道トンネル、1906年開通。

並行して標準軌線の工事も進められており、パイエルバッハとライヘナウを隔てるアルツベルク Artzberg の山には、長さ428mのトンネルを掘っていた。底部坑が1918年に完成し、頂部坑に取り掛かっていたものの、敗戦により標準軌化計画は頓挫し、坑口は使われることなく封鎖されてしまった。

戦後は、ラックス山系へのスキー客の利用を見込んで、貨物鉄道を、旅客を扱う地方鉄道 Lokalbahn に転換する計画が立てられた。採算面から、標準軌ではなく760mm軌間を維持したままで、終点をラックスロープウェー Raxseilbahn の乗り場近くまで延伸することになった。

1922年に、運営主体となる「パイエルバッハ=ヒルシュヴァング地方鉄道株式会社 Lokalbahn Payerbach Hirschwang AG」が設立された。1926年にグラーツ車両製造所 Grazer Waggonfabrik から電動車2両(1~2号)と付随車4両(11~14号)が納入され、ヒルシュヴァング~ヴィントブリュッケ・ラックスバーン Windbrücke-Raxbahn 間の延伸も完成する。こうして、同年9月から旅客輸送が始まった。

Blog_hoellental3
パイエルバッハ・ライヘナウ駅
(左)駅舎
(右)芝生広場の静態保存展示
  左がヘレンタール鉄道最初の小型電気機関車
  右はラックス ロープウェーの旧車
 

しかし第二次大戦後は、施設設備の劣化が進行する。ついに1963年、運輸当局から安全性に問題があるとして改善命令を受けた。線路の改修には300万シリングの費用が見込まれ、小さな鉄道会社に調達できるものではなかった。結局、旅客輸送は1963年7月1日に中止され、代行のポストバスに置き換えられた。不要となった旅客車両は、チロルのツィラータール鉄道 Zillertalbahn に売却されてしまった。

このとき、貨物輸送はまだ存続していた。その運用改善を支援した縁で、オーストリア地方鉄道協会が1979年6月から、この路線で蒸機による観光列車を運行するようになる。当時ÖBB(オーストリア連邦鉄道)線ではディーゼルに転換する無煙化が最終段階に来ており、協会は除籍された狭軌の蒸機の取得を進めていた(下注)。

*注 イプスタール山線の保存開業により、1990年に狭軌の蒸機はイプスタールに移された。

1982年には貨物輸送も終了し、その機会に路線の維持は、全面的に協会に委ねられることになった。ただ、1990年代はヘレンタール鉄道にとって困難な時期だった。資金不足で線路補修がままならず、数年間は、一部区間(ライヘナウ~ヒルシュヴァング間)でしか運行できなかった。しかしその後、ニーダーエースタライヒ州とEUとの間で協定が結ばれ、「ヘレンタール鉄道の再興 Belebung der Höllentalbahn」計画がスタートする。これにより更新のための資金が確保され、1999年から再び全線で運行が可能になった。

Blog_hoellental4
1号電動車
(左)車体はまだ新車のよう(右)車内

現在のヘレンタール鉄道の乗り場は、ÖBBゼメリング鉄道(下注)のパイエルバッハ・ライヘナウ駅から300mほど離れた場所にある。かつてはÖBB線に並ぶホームから出発していたのだが、保存鉄道化された後、旧パイエルバッハ・オルト Payerbach-Ort 停留所(オルトは村の意)に起点が移された。正式駅名は、パイエルバッハ・ロカールバーン(地方鉄道)Payerbach Lokalbahnで、時刻表では Payerbach LB と略記されている。

*注 「ゼメリング鉄道 Semmeringbahn」は独立した路線ではなく、ÖBB南部本線 Südbahn のうち、ゼメリング峠をはさんだグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間を指す。そのため「ゼメリング線」と書く文献もある。

ヘレンタール鉄道の運行日に、ウィーン方面から来てパイエルバッハ・ライヘナウ駅のホームに降り立つと、進行方向遠方に小さな電車がいるのが見えるはずだ。駅の地下道を通る必要はない。2・3番ホームの先端からヘレンタール鉄道の乗り場まで、小道がつながっている。

狭軌鉄道の乗り場にも小さな駅舎が建っているが、中はちょっとした売店と資料展示があるだけで、切符は車掌から買う方式だ。通貨がシリングだった時代の骨董品のような乗車券が使われている。もちろん、支払いはユーロでするのだが。

Blog_hoellental5
(左)パイエルバッハ・ライヘナウ駅はSバーンの終点
  ハイカーが大勢下車
(右)ホーム先端からヘレンタール鉄道の駅へ行く小道がある
Blog_hoellental6
シリング時代の旧券、今なお使用中!
 

訪れたときも、駅舎の前に2両が停車していた。シャトルーズグリーン(黄緑)とピーコックグリーン(青緑)のツートンをまとった古典車で、前(ヒルシュヴァング方)にいるのがパンタグラフを載せた1号電動車、後ろは動力をもたない付随車の21号車だ。どちらもまるで新車のように艶やかだ。

40年の歴史を紡ぐヘレンタールの保存鉄道だが、最初は蒸機、その後ディーゼル機関車で運行されていた。一般旅客輸送時代のような電車による運行体制が復活したのは意外に新しく、2005年以降のことだ。

Blog_hoellental7
パイエルバッハ地方鉄道駅
手前は21号付随車、奥が1号電動車
 

電車再建は、先述の「ヘレンタール鉄道の再興」計画に、線路や車庫の改修とともに、目標として盛り込まれていた。しかし、そのとき利用可能な車両があったわけではない。売却先のツィラータール鉄道は非電化路線のため、電動車は機器を取り外され、貨車に改造されてしまっていたからだ。

そこで、現地に残っていた電動車の台車と、一足先に復帰していた付随車の車体をベースにして、復元が1999年から始められた。6年の期間を経て2005年に完成したのが、目の前の1号車だ。一方21号車は、ウィーン地方鉄道(バーデン線)の付随車を、台車の交換により改軌したもので、2003年から使用されている。

Blog_hoellental8
出発時刻近し
Blog_hoellental_map3
ヘレンタール鉄道沿線の詳細地形図
(赤の破線は廃線区間)
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

車掌氏から、1号車に乗るように言われた。実際、21号は扉が閉まっていて、よく見ると連結もされていない。多客時に使う予備車らしい。

10時25分、吊掛駆動の独特のうなりとともに、駅を後にした。まずはゼメリング鉄道に並行しつつ、坂を上っていく。しかしまもなく二手に分かれ、立派なシュヴァルツァ高架橋を眺めながら、シュタインホーフグラーベン Steinhofgraben の谷間へ回り込む。なおも上り続けて、次の切通しがアルツベルクのサミットだ。後は下りで、クーアハウス Kurhaus 停留所を通過し、タールホーフ Thalhof の浅い谷にオメガループを描きながら、一気に山を降りてしまう。

Blog_hoellental9
(左)ゼメリング鉄道に並行しつつ上る
(右)シュヴァルツァ高架橋の眺め
Blog_hoellental10
(左)右回りに谷間へ
(右)アルツベルクのサミット付近
Blog_hoellental11
(左)下る途中のクーアハウス停留所
(右)オメガカーブを横断する道路
  上の踏切から下の踏切が見える
 

待避線があるライヘナウ Reichenau で停車した。ここは線路脇に駅舎と変電所の建物が建ち、ささやかながら駅らしい雰囲気がある。ライヘナウ(正式名ライヘナウ・アン・デア・ラックス Reichenau an der Rax)はラックス山麓の保養地で、ゼメリング鉄道の開通後、ウィーンの上流階級が夏の別荘を好んで建てた。だが、町の中心部は川の向こう側なので、車窓からはあまり見えない。

Blog_hoellental12
ライヘナウ駅に停車(帰路撮影)
 

後半区間は、シュヴァルツァ川 Schwarza の左岸に沿う穏やかな行路だ。散歩道を隔てて見える流れはみごとに透き通っていて、アルプスの白濁した川とはまるで違う。上流は石灰岩の山地で、その湧水はウィーン水道の水源にも使われている。清流なのも当然だ。

河畔の森の中で、駅名標が1本立つだけのハーベルク Haaberg 停留所を通過した。終点のヒルシュヴァングは、それからまもなくだった。終点といってもヤードの隅っこで、縁に枕木の余りを並べたみすぼらしいホームしかない。線路はまだ先へ続いていて、本来のヒルシュヴァング駅舎は200mほど上手だ。しかし、2006年から列車は、この新しい停留所で折り返すようになった。車庫見学には、ここが至近だからだ。

Blog_hoellental13
(左)後半はシュヴァルツァ川に沿う
(右)ハーベルク停留所を通過
Blog_hoellental14
(左)ヒルシュヴァング到着
(右)車掌がツアーガイドを務める
Blog_hoellental15
旧 ヒルシュヴァング駅方面を望む
 

斜め後ろに複線の線路が分岐していて、車庫兼整備工場につながっている。乗って来た朝一番の便は「体験列車 Erlebniszug」といい、車庫見学45分と、復路にライヘナウ駅の変電所見学20分がオプションになっている。往復運賃のみで参加できるから、加わらない手はない。

車掌氏が、業務を終えたその足でツアーガイドを務める。駅でまず路線や保存活動の歴史を、車庫の中では珍しい古典車両の来歴や特徴を、メモも見ずに滔々と語り続けるのには感心する。しかしドイツ語なので、断片しか聞き取れないのが悔しい。

Blog_hoellental16
車庫見学に出発
Blog_hoellental17
庫内には多数の保存車両が
 

車庫は、1900年に建てられた元 蓄電池工場で、1926年の旅客輸送開始に際して、車庫に改装された。本線から引っ込んだ位置にあるのはそのためだ。3線収容の広い庫内には、貨車やディーゼル機関車などさまざま車両が留置されている。中でもユニークな容貌をしているのが、「走る菜園小屋 fahrende Gartenhaus」の愛称をもつ1903年製の電気機関車E1だ。カラヴァンケントンネルの工事現場から来た車両で、動態保存されている世界最古の電気機関車の1台と言われている。パイエルバッハ・ライヘナウの駅前にモニュメントとして置かれていたのは、同僚機だ。

Blog_hoellental18
(左)手前のユニークな車両が「走る菜園小屋」E1
(右)貨物を牽いていたディーゼル機関車V2
 

車庫の奥は修理工場で、工作機械や鍛造のための設備が所狭しと置かれていた。ひととおり説明をし終えた後に、別室でモーターを動かし、それぞれの機械にベルトで回転を伝える実演がある。復路、ライヘナウの変電所でも、交直変換設備や「Lebensgefahr(生命の危険)」と注意書きのある高電圧開閉装置など、ふだん見ることのない内部のようすを見せてもらった。

Blog_hoellental19
(左)奥は修理工場
(右)修理工場の裏口
Blog_hoellental20
ライヘナウ駅の変電所見学
(左)外観(右)内部
 

保存鉄道の活動というと、歴史的に貴重な車両を維持し、往時のように走らせることがすべてと思いがちだ。しかし、その舞台裏には、運行を支えているさまざまな施設や設備があり、その保守や整備が不可欠であることがよくわかる。乗るだけなら片道25分の小さなヘレンタール鉄道だが、ツアーに参加したことで一層印象深いものになった。

ヘレンタール鉄道の運行日は、2019年の場合、6月9日から10月27日の間の日・祝日で、それぞれ4往復(最終の1本は6~8月のみ運行)が設定されている。見学ツアーは実施便が限られているので、協会のサイトの時刻表欄で事前に確認しておくとよい。

次回はムールタール鉄道を訪れる。

■参考サイト
ヘレンタール鉄道 https://www.lokalbahnen.at/hoellentalbahn/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II

 オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道

2019年10月10日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道

シュタイアタール鉄道 Steyrtalbahn

本線:ガルステン Garsten ~クラウス Klaus 間 39.8km
支線:ペルゲルン Pergern ~バート・ハル Bad Hall 間 15.4km
軌間760mm、非電化
1889~1909年開通
1982年 最後の一般運行区間(ガルステン~グリュンブルク)休止
1985年 保存鉄道運行開始

【現在の運行区間】
保存鉄道:シュタイア・ロカールバーンホーフ(地方鉄道駅)Steyr Lokalbahnhof ~グリュンブルク Grünburg 間 16.5km

Blog_steyrtal1
シュタイアタール鉄道の保存列車
 

リンツの南30km、シュタイア Steyr の町を起点とするシュタイアタール鉄道 Steyrtalbahn は、現 オーストリア領内で最初に造られた760mm軌間(ボスニア軌間)の路線だ。1889年に、東側でガルステン Garsten ~グリュンブルク Grünburg 間が開通したのを皮切りに、周辺へ路線を延ばしていき、最盛期には55kmの路線網を有したが、1982年に全線廃止となった。

Blog_steyrtal_map1

現在は、シュタイア地方鉄道駅からグリュンブルクの間16.5kmで保存鉄道として運行されているに過ぎない。しかし、鉄道の価値は、一般運行の時代より高まっている。なぜなら、列車はすべて昔懐かしい蒸気機関車による牽引で、しかも、この鉄道向けに設計されたオリジナル機関車が、他の形式とともに、今なお使われているからだ。

現在、蒸機は3両が稼働可能な状態に維持され、ほかにも改修中か改修計画中のものが6両ある。運行日は2019年の場合、5月1日、6月の日曜、7~9月の土・日曜と10月26日だ。ノスタルジーを誘う古典客車を連ねた列車が、それぞれ1~3往復設定されている。

Blog_steyrtal_map2
シュタイアタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線を表す)

保存鉄道の始発駅は、シュタイア市街の西の町はずれにあるシュタイア地方鉄道駅 Steyr Lokalbahnhof(下注)だ。一般運行の時代は南3kmにあるガルステンでÖBB(オーストリア連邦鉄道)線と接続していたのだが、この区間は復活しなかった。方やÖBBのシュタイア駅は市街地をはさんで反対側、エンス川の川向うに位置しているため、両駅間には1.5kmの隔たりがある。

*注 開通当時はシュタイアドルフ Steyrdorf と称したが、1928年に現駅名に改称。

Blog_steyrtal2
シュタイア地方鉄道駅
 

二つの駅を連絡するバス路線などはなく、保存鉄道のサイトでも、歩いていくように案内されている。だが、それはかえって幸いというべきだろう。シュタイアの気品漂う町並みがすこぶる魅力的で、バスであっさり通過してしまうには惜しいからだ。

参考までに、シュタイア駅から地方鉄道駅までの、最短かつ最良の道順を記しておこう(下注)。

*注 グーグルマップのルート検索では、歩行者専用橋がない時代の迂回ルートが表示されるので注意(2019年10月現在)。

Blog_steyrtal_map3
シュタイア市街図に両駅間の最短経路(破線)を加筆
Data source: www.basemap.at, License: CC-BY 4.0
 

駅の1番ホームを南端まで進み、右(西)を向くと、歩行者用道路の標識が見えるはずだ。これが旧市街への近道になる。横断歩道を渡ると、エンス川を隔てて旧市街のすばらしい展望が開ける。階段を降りて(エレベータもある)、2017年11月に完成したばかりの歩行者専用橋で川を渡る。観光案内所もある建物の中の通路を道なりに抜ければ、そこはもうシュタイアの中心、シュタットプラッツ Stadtplatz(都市広場)だ。

Blog_steyrtal3
ÖBBシュタイア駅
Blog_steyrtal4
旧市街への近道
(左)エンス川に面した階段を下りて…
(右)歩行者専用橋(エンスシュテーク Ennssteg、エンス川の小橋の意)を渡る
Blog_steyrtal5
シュタットプラッツ
右の塔のある建物は市役所 Rathaus
 

中世の都市に迷い込んだかのような歴史的建築群に圧倒されながら、広場を少し南へ下る。そして、聖母教会 Marienkirche の向かいから、斜め右(南西)へ上っていく坂道(プファルガッセ Pfarrgasse)をたどる。後は、ロータリーを越えて車道を直進し、突き当りを左に折れると、もう蒸機のブラスト音が聞こえてくるだろう。ガルステンへの廃線跡をまたぐ旧跨線橋(ただしほとんど気がつかない)の先で右折し、坂を下りれば、地方鉄道駅だ。徒歩約20分の道のりになる。

Blog_steyrtal6
聖ミカエル・バロック教会とシュタイア川
Blog_steyrtal7
(左)エンゲ・ガッセ Enge Gasse から広場を南望
(右)シュロスパルク Schloss Park(城公園)に駐車していたクラシックカー
 

この日の1番列車は10時ちょうどの発車だった。30分前に駅に着くと、すでに壮年の団体や家族連れなど、多くの人たちが列車の周りに群がっている。機関車は、6号機「クラウス Klaus」だ。同鉄道オリジナルの形式で、動輪3軸ながら、急曲線の通過を可能にするクラウス・ヘルムホルツ式台車が使われている。

この形式は、1888年の開業時にリンツのクラウス社 Klauss Linz から3両が納入され、後年、さらに3両が増備された。6号機(ÖBB 298.106)は1914年製の末っ子で、クラウス駅への延伸開業後に車列に加わったことから、その名がある。そのクラウスの後ろには、2軸客車3両、ボギー客車2両、そして最後に有蓋貨車(緩急車?)がつき、全7両の編成だ。

駅舎の中に入ると、昔風の小さな出札窓口があり、乗車券を扱っていた。材質は嬉しいことに硬券で、車掌が車内検札の際に孔を開けてくれる。

Blog_steyrtal8
シュタイア地方鉄道駅で発車を待つ列車
Blog_steyrtal9
6号機関車クラウス Klaus
Blog_steyrtal10
駅舎内の出札窓口、
待合スペースは鉄道博物館
左は硬券の往復乗車券
 

響き渡る鋭い汽笛を合図にして、列車は定刻に発車した。石炭を焚いているので、白煙が青空に勢いよく吹き上げられる。暗い崖下を少し降りた後は、段丘崖の上にそびえるクリストキンドル巡礼教会 Wallfahrtskirche Christkindl に見送られて、シュタイアタール Steyrtal(シュタイア川の谷)を遡っていく。

ルートは終始、ゆったりと流れるこの川の氾濫原を忠実にたどるのだが、生い茂る河畔林のせいで、川面はたまにしか見えない。集落も線路沿いにはほとんどなく、列車はただ林と、それを切り開いた狭い農地の間を淡々と進んでいくばかりだ。

Blog_steyrtal11
(左)2軸客車の車内
(右)皮ベルトで調節する落とし窓
Blog_steyrtal12
(左)段丘崖の上にそびえるクリストキンドル巡礼教会
(右)河畔林と農地の間を進む
Blog_steyrtal13
シュタイア川のほとりを行く
 

中間の小さな停留所はまだ使われている。しかし、すべてリクエストストップで、実際に停まることはなかった。起点から4.2km、バート・ハル方面の支線が分岐していたペルゲルン Pergern も気づかないうちに通過してしまった。

唯一停車したのは、起点9.6kmのアシャッハ・アン・デア・シュタイア Aschach an der Steyr だ。ここには車庫があり、側線にも客車や貨車が留置されている。復路では、後ろに数両増結する作業が行われた。シュタイアで予約客が多いときは、あらかじめここから持っていくようだ。

Blog_steyrtal14
アシャッハ・アン・デア・シュタイア駅で
U形機関車298.05を目撃
 

ずっと同じような景色が繰り返され、デッキに立つ人もめっきり減ったころに、シュタイア川の横断というイベントが待っている。長さ80mの下路トラス橋が流れに対してやや斜めに架かっていて、列車はゴトゴトと鈍い音を響かせながら渡りきる。

Blog_steyrtal15
シュタイア川鉄橋を渡る
 

左岸に移れば、まもなく終点のグリュンブルクだ。時刻表では所要60分のところ、数分オーバーして到着した。まもなく機関車が切り離され、単独で前方へ走っていく。車庫の裏手に、給炭と給水のための設備がある。後ろの貨車では、運んできた自転車を下ろす作業が続いているが、セグウェイまで出てきたのには驚いた。この先、クラウスまでの廃線跡は自転車道に転用されており、愛車にまたがったグループはそれをたどるのだろう。

Blog_steyrtal16
グリュンブルク駅到着
Blog_steyrtal17
花と緑で飾られた駅舎の前で記念撮影
Blog_steyrtal18
(左)ベルトコンベヤーで給炭
(右)続いて給水
 

ハンギングバスケットや蔓植物で飾られた駅舎には、地方鉄道駅と同じような出札窓口があった。いつものように、絵葉書と鉄道資料を買い求める。帰りの列車は1時間後だ。まだ時間があるので、廃線跡を見がてら、近くのシュタインバッハ・アン・デア・シュタイア Steinbach an der Steyr の村まで散歩に出かけることにしよう。高台にある教会のテラスからシュタイアタールの景色が望めるはずだ。

Blog_steyrtal19
グリュンブルク以南の廃線跡
(左)車両置き場と化した線路
(右)築堤の終端、この先は道路に転用
Blog_steyrtal20
シュタイア川に架かる橋からシュタインバッハ村の眺め
右側の岸を廃線跡が通っている
 

シュタイアタール鉄道は、林業や鉄工業を生業とするシュタイア川流域の振興のために計画された軽便鉄道だ。当初認可された区間は、起点シュタイア(ガルステン)、終点がウンター・グリュンブルク Unter-Grünburg(現 グリュンブルク駅)で、可能ならクレムスタール鉄道 Kremsthalbahn(現 ÖBBピュールン線 Pyhrnbahn)のクラウスまで延伸するとされていた。

起点側では、ルードルフ鉄道(現 ÖBB線)のシュタイア駅からガルステンまで、標準軌に狭軌のレールを加えた3線または4線軌条にする予定だったが、費用負担や運行権の問題で実現せず(下注)、1889年にガルステン~グリュンブルク間が開通した。続いて1890年にグリュンブルクからアーゴニッツ Agonitz まで路線が延伸された。

*注 同じ方式が、ザルツカンマーグート地方鉄道 Salzkammergut-Lokalbahn(すでに廃線)のバート・イシュル駅~同 貨物駅間では実現した。本ブログ「ザルツカンマーグート地方鉄道 II-ルートを追って」参照。地方鉄道駅の位置など、この二つの狭軌鉄道には共通点がある。

しかし、アーゴニッツ以遠は容易に着手できなかった。なぜなら、クレムスタール鉄道会社が、自社線の顧客の逸走を恐れて、接続を拒否したからだ。クレムスタール鉄道は大都市リンツ Linz に直結する標準軌線であり、低規格の地方鉄道を警戒する必要もないように思われる。しかし、クレムスタール鉄道の上流部はシュタイアの文化圏に属しており、当時としては、会社の懸念もあながち過剰反応ではなかった。

そこでシュタイアタール鉄道は当面、ペルゲルンからバート・ハル Bad Hall に至る支線の建設に集中し、1891年にこれを開通させた。クラウスへの延伸計画は、1902年にクレムスタール鉄道が国有化された後に再開され、1909年にようやく開通したのだ。

何度かシュタイア川の洪水で被害を受けたものの、鉄道経営は順調だった。地方鉄道駅とレッテン駅の近傍には兵器工場が立地しており、第一次世界大戦中は、輸送量が急増した。しかし戦後は、国を覆う深刻な不況と道路交通の発達により、鉄道会社は大きな打撃をこうむった。1931年に運行が国に引き継がれたものの、最も不採算のバート・ハル支線ジールニング Sierning ~バート・ハル間は、1933年に休止となった。

第二次世界大戦で、シュタイア周辺の軍需工場は連合軍の空爆に晒されたが、シュタイアタール鉄道はほぼ無傷で残った。しかし、戦時中に酷使された線路施設の状態は悪く、しかも戦後は幹線の復興が優先されたため、地方路線の保守や改修は後回しにされた。1958年に登場した狭軌用の新型ディーゼル機関車2095形もここでは使うことができず(下注)、蒸機による運行が続けられた。

*注 総重量は、蒸機の 22t に対して 2095形は 31t ある。

赤字を理由にした第2次の見直しは1960年代後半から始まる。1967年、バート・ハル支線の残区間(ペルゲルン~ジールニング)が休止となり、続いて1968年には本線の南端区間であるモルン Molln ~クラウスもバス代行とされた。1980年3月、モルンの手前で落石が発生して運行が中断され、これをきっかけにグリュンブルク~モルン間が休止となる。そして2年後の1982年、残るガルステン~グリュンブルク間が廃止され、シュタイアタール鉄道(当時は ÖBBシュタイアタール線)は全廃となったのだった。

保存鉄道を運行するオーストリア鉄道史協会 Österreichische Gesellschaft für Eisenbahngeschichte (ÖGEG) は、1974年にリンツで創設された団体だ。まずリンツ近郊で休止されたばかりのフローリアン鉄道 Florianerbahn(電気軌道)の保存運行を手掛け、続いて、標準軌の機関車保存に着手した。

シュタイアタール鉄道の保存運行は、1985年に開始されたもので、今年で34年になる。さきほど見たように、ここでは石炭焚きの蒸機を稼働させ、古い施設設備も活用して、可能な限り軽便鉄道の全盛期を再現しようとしている。ボランティアの手で守り続けられてきた保存鉄道は、今や生きた鉄道史博物館であるとともに、古都シュタイアの観光資源としても欠かせない存在だ。

次回は、ゼメリング峠の麓を走るヘレンタール鉄道を訪れる。

本稿は、Stephen Ford "Railway Routes in Austria - The Steyrtalbahn", The Austrian Railway Group, 2012 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ÖGEG シュタイアタール鉄道  http://www.steyrtalbahn.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 ザルツカンマーグート地方鉄道 I-歴史
 オーストリアの狭軌鉄道-ムールタール鉄道

2019年10月 3日 (木)

オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II

イプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn

キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming ~ゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs 間 26.8km
軌間760mm、非電化
1898年開通、1988年一般輸送休止、1990年保存鉄道運行開始

Blog_ybbstal31
ヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt
 

ヴァイトホーフェンからイプス川 Ybbs の谷(イプスタール Ybbstal)を延々遡ってきたイプスタール鉄道 Ybbstalbahn は、行路の最後に分水嶺を越えて、エアラウフ川 Erlauf の谷(エアラウフタール Erlauftal)に移る。最急勾配31.6‰、最小曲線半径60mと、蒸気機関車泣かせの険しい峠道は、昔から「山線 Bergstrecke」と呼ばれ、区別されてきた。駅でいうと、ルンツ・アム・ゼー Lunz am See とキーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming の間で、マリアツェル鉄道の山線やヴァルトフィアテル鉄道の南線と並び称される760mm狭軌の名物ルートだった。

*注 マリアツェル鉄道の山線については「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II」、ヴァルトフィアテル鉄道南線は「オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 III」で詳述。

Blog_ybbstal_map2
イプスタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線、灰色は貨物線を表す) 

ÖBB(オーストリア連邦鉄道)の一般旅客輸送がまだ行われていた頃、17.3kmあるこの区間の通過には、ディーゼルカーで40分近くかかった。それに対してクルマなら、最短コースのグループベルク Grubberg 山麓を通って、わずか15分で到達できる。そのため山線は閑散区間で、他に先駆けて1988年5月に運行が休止されてしまった。

廃止となれば、遠からず線路は撤去の運命にある。事態を回避しようと、地元ニーダーエースタライヒ州の「オーストリア地方鉄道協会 Verein "Österreichische Gesellschaft für Lokalbahnen" (ÖGLB)」が、保存鉄道化する準備を始めた。ÖGLBは1977年の設立で、ゼメリング山麓を走る同じ760mm軌間のヘレンタール鉄道 Höllentalbahn で、こうした活動を続けてきた実績がある。

*注 ヘレンタール鉄道については「オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道」で詳述。

協会は、運行管理を行う「ニーダーエースタライヒ地方鉄道運行会社 Niederösterreichische Lokalbahnen Betriebsges.m.b.H. (NÖLB)」を設立し、ÖBBから線路を借りて、1990年から山線で再び列車を走らせ始めた。

Blog_ybbstal32
駅名標と運営主体の掲示
 

後の2010年12月に、山線を含むイプスタール鉄道全線が、ÖBBからニーダーエースタライヒ州に移管された。その際、谷線のグシュタット Gstadt ~ルンツ・アム・ゼー Lunz am See 間は廃止とされたが、このうち、東側のゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs ~ルンツ・アム・ゼー間については、州との協議でNÖLBによる管理が認められた。その結果、2013年7月から山線の運行をゲストリングまで延長することが可能になった(下注)。

*注 なお、2018年と2019年は、全便がルンツ・アム・ゼーで折り返す運用になっている。

運行拠点であるキーンベルク・ガーミングにも、大きな変化があった。ここは長年、ÖBBエアラウフタール線 Erlauftalbahn の終点だったのだが、イプスタール鉄道移管と同じタイミング(2010年12月)で、シャイプス Scheibbs ~キーンベルク・ガーミング間10.6kmが廃止されてしまったのだ。それ以来、山線は標準軌路線との接続を失い、孤立線となった。ただ幸いなことに、この廃線跡はÖGLBが取得しており、将来的に山線の線路がそちらへ延伸される可能性も残されている。

Blog_ybbstal33
保有蒸機の一つ U1
キーンベルクの修理工場前で

2019年6月に、このイプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(下注1)を訪れる機会があった。その時の様子を書き留めておこう。

「エッチャーラント・エクスプレス Ötscherland-Express」の名で行われている山線の運行日は、2019年の場合、6~9月の土・日・祝日だ。キーンベルク・ガーミング(以下、キーンベルクと記す。下注2)~ルンツ・アム・ゼー間に1日2往復の列車が設定されている。

*注1 イプスタールの綴りは、hの入った「Ybbsthal」が使われている。これは1898年開業当初の綴りに倣ったもの。
*注2 保存鉄道としての駅名はキーンベルク・イプスタールバーン Kienberg Ybbsthalbahn(時刻表では Kienberg YB と略記)。

上述の通り、エアラウフタール線がシャイプス止まりになったため、保存鉄道へのアクセスは路線バスが肩代わりしている。ペヒラルン Pöchlarn 駅から、パープッとユーモラスな警笛を鳴らしながら走る旧型気動車に50分ほど揺られ、さらにシャイプス駅前でMO2系統ゲストリング行きのバスに乗り換えて17分、キーンベルク・ノスタルギーバーンホーフ Kienberg Nostalgiebahnhof 停留所が、保存鉄道の駅前だ。

*注 バス時刻表は、VOR(東部運輸連合)のサイト https://www.vor.at/ > LinienfahrplanでMO2を検索。

Blog_ybbstal34
ÖBBシャイプス駅
(左)鉄道連絡はここまで
(右)駅前で路線バスに乗換
 

休日はバスの本数が少ない。そのため、ノスタルギーバーンホーフ停留所に9時48分着、山線列車は9時50分発と、わずか2分のきわどい接続になっている。間に合ったとしても、駅で列車の切符を買う時間があるだろうか。バスの窓から、道路脇に続くエアラウフタール線の廃線跡を目で追いながらも、内心焦っていたのだが、すべて杞憂だった。バスは時刻どおりに走り、切符(下注)は列車内で車掌から買う方式だったからだ。

*注 残念ながら、乗車券は発行機によるレシートで、保存には向かない。

Blog_ybbstal35
(左)州道の脇をエアラウフタール線の跡(バラストが残る)が並行
(右)キーンベルク・ガーミング駅舎
 

本日の列車を牽くのは、濃緑色のディーゼル機関車2093 01だった。1927~28年製で、運行可能な電気式ディーゼル機関車としてはオーストリア最古のものだそうだ。最初イプスタール鉄道で使われた後、グレステン線(マリアツェル鉄道の支線)に移籍したが、1991年にNÖLBが購入して、1994年から再び古巣で保存列車を牽くようになった。古典機関車の後ろには、形式もさまざまな2軸客車が3両連なり、しんがりを緩急車が務めている。

Blog_ybbstal36
ディーゼル機関車2093 01
Blog_ybbstal37
形式もさまざまな2軸客車
 

客車はどれも満席状態だ。窓枠に予約席を示す紙が貼ってあるから、団体客が乗車しているのだろう。走り出せばデッキも混むに違いないので、早めに立ち位置を確保した。視界は、サミットであるプファッフェンシュラーク Pfaffenschlag 駅まで左側、その後は右側に開ける。

Blog_ybbstal38
キーンベルク駅にて
満席状態で発車を待つ
Blog_ybbstal_map3
東斜面
キーンベルク~プファッフェンシュラーク間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

列車は定刻より10分遅れて、10時ちょうどに発車した。列車の終点ルンツ・アム・ゼーまでの所要時間は1時間15分だ。駅を後にすると州道を横断し、さっそく上り勾配が始まる。狭い谷間を流れる川や道路との間に、見る見る高低差がつく。木々の間を縫ううちに左側の谷が開けて、まとまった集落が見えてきた。これがガーミング Gaming の町で、それを見下ろす高台の駅に列車は停車する。

Blog_ybbstal39
(左)キーンベルク駅を後に
(右)さっそく始まる上り勾配
Blog_ybbstal40
ガーミング駅
(左)駅から見下ろすガーミング市街
(右)小ぢんまりした駅舎
 

山線の起点駅の名も「キーンベルク・ガーミング」なので紛らわしいが、そちらの所在地はキーンベルク村だ。エアラウフタール線の開業時、すなわちイプスタール鉄道がまだない時代に、ガーミングの入口という意味で地名を併記した駅名が付けられた。ガーミングに14世紀創設のカルトジオ会(シャルトル会)修道院 Kartause Gaming があり、名が知られていたからだ。

*注 奇しくも、ÖGLBが関わるヘレンタール鉄道の起点駅名「パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau」も、同じ構成の併記駅名。

「本」ガーミング駅のほうは町の最寄りの場所に設けられたが、今は乗降する人もなくひっそりとしている。再び動き出すと、草地の下方にその修道院の、朱屋根に覆われた伽藍が俯瞰できた。もちろん修道院の機能はすでになく、ホテルや大学の研究所として活用されているそうだ。

Blog_ybbstal41
カルトジオ会修道院の裏手を上る
 

再び森の中に入ると、右に左にカーブが休みなく現れる。山襞を忠実にトレースしているからだが、中でも大きな沢を渡る個所では、立派なトレッスル橋が架かり、美しい弧を描いている。一つ目が長さ94m、高さ28mのヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt だ。続けて2006年に設けられた同名の停留所(リクエストストップ)を通過した。5分ほど走ると、二つ目のヴェッターバッハ高架橋 Wetterbach-Viadukt(長さ79m、高さ35 m)を渡っていく。どちらも森に囲まれて見通しが利きにくいが、山線の名所なので見逃すわけにはいかない(下注)。

*注 鉄道のトレッスル橋は、オーストリアではこことシュトゥーバイタール鉄道 Stubaitalbahn にしかない。

Blog_ybbstal42
(左)ヒューナーネスト高架橋にさしかかる
(右)橋の南詰にある停留所
 (冒頭写真も参照)
Blog_ybbstal43
ヴェッターバッハ高架橋
景観はヒューナーネストと瓜二つ
 

起点の標高388mに対してサミットは699mで、差が311mもある。それで、ミッタラウバッハ川 Mitteraubach の谷を遡る約11kmの間、線路はガーミング駅構内など一部を除いて、ほとんど上りっぱなしだ。勾配は最大31.6‰(下注)とかなりきつい。ずっとデッキに立っていたので、牽いているのが蒸機だったら、今ごろは排煙で煤だらけになっていただろう。

*注 鉄道公式サイト(URLは本稿末尾に記載)の Streckenbeschreibung(ルート紹介)記事による。

起点から約40分、ようやく谷が浅くなり、森が開けて牧草地が現れた。ボーディングザッテル Bodingsattel(ボーディング谷の鞍部の意)と呼ばれる分水界だ。列車は、峠の駅プファッフェンシュラークに滑り込み、15分ほど停車した(下注)。給水の必要な蒸機と違って、ディーゼル機関車も、線路際に立つ給水塔も手持無沙汰だ。

*注 時刻表上は12分停車だが、それより少し長かった。

Blog_ybbstal44
(左)分水界ボーディングザッテル
(右)峠の駅プファッフェンシュラークに到着
 

乗客もみな車外に降りて、しばらくの間、山の空気を吸いながら談笑に耽る。機関車の運転台も公開され、客が次々と乗り込んでは乗務員に記念写真を撮ってもらっている。後方へ行くと、緩急車が売店に早変わりし、車掌自ら売り子をしていた。ヴァルトフィアテル鉄道でもそうだったが、人手が少ない保存鉄道では、車掌が一人何役もこなさなくてはならない。

Blog_ybbstal45
休憩15分、給水塔に仕事はない
Blog_ybbstal46
(左)運転台公開中
(右)緩急車は臨時売店、車掌は売り子に
Blog_ybbstal_map4
西斜面
プファッフェンシュラーク~ルンツ・アム・ゼー間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルンツ・アム・ゼーへの下り坂も、同じように山襞に沿って細かいカーブを繰り返すが、勾配は20‰にとどまる。山麓にあるルンツ駅の標高は591mで、サミットとの標高差が100mに過ぎないからだ。通り抜ける森も東斜面に比べて明るく、ところどころで農家や牧草地が見られる。

のどかな風情のホルツアプフェル Holzapfel 停留所を通過し、谷底まで降りきったところで、ボーディングバッハ川 Bodingbach を渡った。町裏を少し進めばルンツ・アム・ゼー駅、保存鉄道の終点だ。定刻11時05分のところ、列車は11時20分に到着した。

Blog_ybbstal47
(左)野の花咲く下り坂
(右)ホルツアプフェル停留所を通過
Blog_ybbstal48
山線の旅も終わりが近い
 

ここでも運転台の見学者をひととおり受け付けた後、機関車は構内の一番端まで行って転線した。団体の人たちは、この近くにあるルンツ湖 Lunzer See へ行って、次の列車(16時30分発)で帰ると言っていた。湖畔まで歩いても30分足らずだから行ってみたいが、そうするとウィーン帰着がかなり遅くなってしまう。

Blog_ybbstal49
(左)ルンツ・アム・ゼー駅に到着
(右)団体客は湖へハイキング
Blog_ybbstal50
機回し作業が始まる
 

到着が遅れた分、帰りの発時刻もずらされ、11時45分にルンツ・アム・ゼーを出発した。団体客が消えたせいで、車内はみごとに閑古鳥が鳴いている。往路では機関車のお尻を拝んでいた車端デッキが開放されたので、これ幸いと陣取った。際限なくうねるレール、朽ちて草に埋もれそうな枕木など、最後尾ならではの展望を楽しむ。列車は峠の駅すら停車することなく(下注)、事実上の急行運転でキーンベルク駅に戻った。

*注 時刻表でも復路のプファッフェンシュラークは1分停車で、給水時間は想定されていない。

Blog_ybbstal51
(左)復路の車内はガラガラ
(右)最後尾のデッキを開放
 

ところでキーンベルクでは、各便の発車40分前から、駅構内にある機関庫のガイドツアー Heizhausführung が催されている。次は14時10分開始なのだが、まだ1時間半も先だ。車掌氏に相談すると、快く整備担当の人を紹介してくれた。「シェッド(車庫)の前に蒸機がいるから、自由に見てくれ」と言われて、いっしょに駅舎と反対側に並ぶ建物群へ向かう。そこには、1898年製のU1とおぼしき機関車がいた。前面の煙室扉が開いていて、プレートもすべて外されている。残念がる私に、「修理が終わったら、また走るよ」とその人は言った。

Blog_ybbstal52
キーンベルク駅の修理工場前
入換用機関車が転車台に載る
後ろは蒸機U1
 

公式サイトによれば、山線では蒸機が3両保存されているが、もとシュタイアタール鉄道のモルン Molln は長期休業中、もとヴァルトフィアテル鉄道の複式機関車 Uv.1 も2017年に不具合が発生して運用から離脱している。時刻表には、ディーゼル機関車で運行する日だけが明記(下注)されているが、それ以外の日も当面、ディーゼルが代走に出ざるを得ないようだ。

*注 「#印の日はディーゼル機関車による運行」という注記がある。

次回は、シュタイアタール鉄道を訪れる。

■参考サイト
イプスタール鉄道山線 https://www.lokalbahnen.at/bergstrecke/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II
 オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I

2019年9月24日 (火)

オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I

イプスタール鉄道 Ybbstalbahn

本線:ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs ~キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming 間 70.9km
支線:グシュタット Gstadt ~イプジッツ Ybbsitz 間 5.7km
軌間760mm、非電化

1896~99年開通
1988年 山線(ルンツ・アム・ゼー~キーンベルク・ガーミング間)の公共輸送休止
1990年 山線で保存鉄道運行開始
2010年 本線グシュタット~ゲストリング・アン・デア・イプス間および支線グシュタット~イプジッツ間廃止

【現在の運行区間】
シティーバーン・ヴァイトホーフェン Citybahn Waidhofen(一般旅客輸送)
 ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs ~グシュタット Gstadt 間 5.5km

イプスタール鉄道山線 Bergstrecke Ybbsthalbahn(保存鉄道)
 キーンベルク・ガーミング~ゲストリング・アン・デア・イプス Göstling an der Ybbs 間 26.8km

Blog_ybbstal1
イプスタール鉄道最大の構築物
シュヴァルツバッハ高架橋
 

イプスタール鉄道 Ybbstalbahn の名は、ドナウ川の支流イプス川 Ybbs の谷(イプスタール Ybbstal)を主に走ることに由来している。場所はオーストリア中部、石灰岩アルプス Kalkalpen 北側のアイゼンヴルツェンと呼ばれる中山域だ。アイゼンヴルツェン Eisenwurzen は直訳すると「鉄の根」だが、昔の人は、鉄鉱脈が根のように延びて、周辺に広がっていくと信じていたのだという。

製鉄業が今のような重工業に発展する以前の15世紀から19世紀前半まで、鉄鉱山で知られるアイゼンエルツ Eisenerz に近いこの地方では、主要な町に鉄工場があり、地域経済を支えていた。鉄の生産には、原料の鉱石のほかに、燃料となる木炭、動力としての水資源、さらには鉱山労働者に支給する食糧も必要となる。それで、鉄工場の経営者(ハンマーヘレン Hammerherren)は、同時に山林と農地の大地主であり、川の水利権も握る土地の有力者だった(下注)。

*注 ヴァイトホーフェン、イプジッツ、ルンツ・アム・ゼーなど鉄道沿線各地にはハンマーヘレンの当時の豪邸(ハンマーヘレンハウス Hammerherrenhaus)が残り、観光資源になっている。

Blog_ybbstal2
イプスタール鉄道山線の車窓から眺める
ガーミングの村と修道院
Blog_ybbstal3
ハンマーヘレンハウスの例
ズグラッフィートの装飾壁が美しいルンツ・アム・ゼーのアモーンハウス Amonhaus
Photo by Bwag at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

しかし、鋼鉄の安価な製法が普及するにつれ、地場産業は衰退し始める。イプスタール鉄道の構想は、鉄道網やドナウの水運との接続により、地域を再興しようとするハンマーヘレンたちの強い願望から生まれた。

すでに1870年に西部鉄道 Westbahn のペヒラルン Pöchlarn からイプスタールのルンツ・アム・ゼー Lunz am See に入り、さらにアイゼンエルツの入口に位置するヒーフラウ Hieflau まで行く標準軌線の計画があった。しかし1877年に完成したのは、キーンベルク・ガーミング Kienberg-Gaming が終点のエアラウフタール線 Erlauftalbahn で、イプス川の谷には届かなかった。

Blog_ybbstal4
ペヒラルン駅に停車中の
エアラウフタール線列車
 

結局、イプスタールへの列車の旅が実現するのは、それから20年も後のことになる。ニーダーエースタライヒ州の鉄道法に基づいて認可された多くの狭軌地方鉄道と、ほぼ同じ時期だ。

Blog_ybbstal_map1

建設工事は、西側から着手された。イプス川中流域の中心地ヴァイトホーフェン Waidhofen には、1872年に勅許皇太子ルードルフ鉄道 k.k. privilegierte Kronprinz Rudolf-Bahn の支線(クラインライフリング Kleinreifling ~アムシュテッテン Amstetten 間、現 ÖBBルードルフ線)が開通していた。ここを起点に、まず1896年7月にグロースホレンシュタイン Großhollenstein まで、次いで1898年5月にルンツ・アム・ゼー Lunz am See まで、いわゆる谷線 Talstrecke が開通した。

残るルンツ・アム・ゼー~キーンベルク・ガーミング間の山線 Bergstrecke は、少し遅れて同年11月に運行が始まった。また、途中のグシュタット Gstadt で分岐してイプジッツ Ybbsitz に至る支線も翌1899年3月に開かれ、ここにイプスタール鉄道が全通した。

Blog_ybbstal_map2
イプスタール鉄道と周辺路線図
(破線は廃線、灰色は貨物線を表す)
 

地方鉄道は、幹線から離れた地方を潤すという敷設目的から、終端が行き止まりになっていることが多い。その点、イプスタール鉄道は両端で標準軌線に接続しており、交通網の形成という意味で一見理想的だ。

しかし実態は、河谷という自然地形の制約を受けて、ルートの迂回を強いられている。また山線では急勾配と急曲線が続くため、牽引定数が小さく、輸送力に限界があった。第二次世界大戦後、峠を越える道路が整備されると、利用者はバスや自家用車に流出していく。貨物輸送も次第にトラックに移行して、鉄道の劣勢は明白になっていった。実績が振るわない山線については、すでに1970年代から存廃が議論されており、1988年5月にとうとう運行休止となった。

谷線でも、2006、07両年のイプス川の氾濫で、線路が数か所で被害を受けた。これは数か月後に復旧したものの、徐行区間の増加で運行本数が削減され、主要顧客の通学輸送がバスに切り替えられてしまう。

追い打ちをかけるように、2009年にも豪雨による土砂崩れが発生し、再びバスによる代行輸送が始まった。そして今度こそ、列車運行が再開されることはなかった。2010年1月にニーダーエースタライヒ州は、イプスタール鉄道をÖBB(オーストリア連邦鉄道)から州に移管すると発表した。同年12月12日にこれが実行され、同時に、谷線のグシュタット~ルンツ・アム・ゼー間とイプジッツ支線は正式の廃止手続きが取られたのだ(下注)。

*注 廃止区間のうち、グシュタット~ゲストリング Göstling 間は、2017年に自転車道への転換が完了し、イプジッツ支線の線路敷もすでに更地化されている。

一方の山線は、谷線とは対照的な道をたどった。特徴あるルートの消失を惜しんだ愛好家団体により、休止後間もない1990年から、保存鉄道への活用が進められたからだ。企ては成功し、今なお夏のシーズンには、古典機関車が二軸客車を牽いて山坂に挑むシーンが見られる。

Blog_ybbstal5
イプスタール鉄道山線の保存列車

東西に分断されてしまったイプスタール鉄道だが、現況はどうなっているのだろうか。まず、谷線のヴァイトホーフェン~グシュタット間をリポートしよう。この区間は水害の影響を受けることなく、2006年からの断続的な谷線の運休期間にも列車が走っていた。また、ヴァイトホーフェンの市街地周辺で、比較的利用者の多い根元区間であることから、当分の間存続されることになったのだ。

上述のとおり2010年12月から、ヴァルトフィアテル鉄道やマリアツェル鉄道と同じく、ニーダーエースタライヒ州の公営企業であるニーダーエースタライヒ運輸機構 Niederösterreichische Verkehrsorganisations-Ges.m.b.H (NÖVOG) が運行を担っている。

ヴァイトホーフェン、正式名ヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス Waidhofen an der Ybbs は、イプス川にシュヴァルツバッハ川 Schwarzbach が合流する地点に築かれた歴史ある町だ。段丘の突端、渓谷に面してロートシルト城 Schloss Rothschild の塔と城壁がそびえ、その背後に風格のある旧市街が延びている。

Blog_ybbstal6
ヴァイトホーフェン旧市街
(左)ロートシルト城の遺構に建つ教区教会
(右)通りを見下ろす市塔 Stadtturm
 

それに対してÖBBのヴァイトホーフェン・アン・デア・イプス駅は、1km下ったイプス川沿いにある。まとまった平地が確保できる場所を求めた結果とはいえ、町はずれであることは否定できない。イプスタール鉄道はこの駅前にささやかな乗り場を持っていた。

NÖVOGによる運行引継ぎに際し、路線には「シティーバーン・ヴァイトホーフェン Citybahn Waidhofen」という新たな愛称が与えられた。車両は、ÖBB 時代に760mm狭軌線に標準配備された5090形気動車(現 NÖVOG VT形)のままだが、人物写真と波形パターンに CITYBAHN の大きなロゴという、派手なラッピングを全身にまとって、印象が一変した。

Blog_ybbstal7
シティーバーン・ヴァイトホーフェンの
ラッピング気動車
 

ダイヤは1時間間隔だ。ヴァイトホーフェン駅ではÖBBルードルフ線の列車に4~7分の待ち時間で接続しており、小私鉄ならではの行き届いたサービスが図られている。延長5.5kmと短いので、全線の所要時間はわずか12分だ。

さて、アムシュテッテンからの列車を降り、駅前に出ると、シティーバーンのホームに2両連結の気動車が待機している。列車はÖBB駅舎の玄関から見て右方向へ進むのだが、左側にも線路は延びて、留置側線が並ぶ長いヤードに続いている。かつてここでは、標準軌線との間で貨物の積替えが行われていたはずだ。ヤードの終端には、気動車のための車庫兼整備工場も見える。

Blog_ybbstal8
(左)ヴァイトホーフェン駅で発車を待つ2両編成の列車
(右)簡易シートが並ぶ車内
 

接続時間が短いので、観察もそこそこに列車に乗り込んだ。車内は、向かい合わせ4人掛けの簡易シートが並ぶ質素な造りだ。昼下がりの時間帯なので、隣の車両まで見渡しても、全部で3~4人しか乗っていない。上の窓が全て開けてあり、走り出すと風の中を進んでいくようだ。これなら、窓外の写真も心置きなく撮れる。

Blog_ybbstal9
(左)シティーバーンのヴァイトホーフェン駅
(右)留置側線の奥に車庫・整備工場
 

最初の約1kmは、ÖBB線の左側を並走する。最初のカーブを曲がったところから、小さな谷を隔てて、ヴァイトホーフェン旧市街の家並みが望める。まもなく左にカーブを切って、おもむろに市街地の上空を横断し始めた。この長さ200mのシュヴァルツバッハ高架橋 Schwarzbachviadukt は、イプスタール鉄道で最大の構築物だ。

Blog_ybbstal10
(左)ヴァイトホーフェン駅を後にして
  正面は標準軌駅(列車後方を撮影)
(右)標準軌との並走区間
Blog_ybbstal11
シュヴァルツバッハ高架橋で市街地上空をまたぐ
 

車窓からでは橋の足元が見えないので、帰りに最寄りの停留所で降りて、見に行った。橋は、シュヴァルツバッハ川とその谷間に沿う市街地の上空を、一気にまたぐ形で架けられている。両端から石造アーチの高架を延ばすとともに、中央の広い径間は上路プラットトラスと魚腹トラスでクリアした。この威容からして当然、撮影名所でもあるのだが、街中のため、周囲の建物が邪魔になり、すっきりと一望できないのが惜しい。

Blog_ybbstal12
シュヴァルツバッハ高架橋
主要道をまたぐ径間は魚腹トラス
(冒頭写真も参照)
Blog_ybbstal13
(左)西側に続く上路プラットトラス
(右)端部は石造アーチ
 

橋を渡り終えたところに、シラーパルク Schillerpark 停留所がある。公園の大きな並木の下に設けられたホームには、屋根付き橋のような小屋掛けの長いベンチが置かれている。ここで二人が降りたので、一駅目にして早くも空気を運ぶ状況になった。

Blog_ybbstal14
シラーパルク停留所
(左)並木の下のホーム
(右)小屋掛けの長いベンチ
 

次は地方鉄道駅 Lokalbahnhof という停留所だ。地方鉄道時代の、ヴァイトホーフェン市街に近接したターミナルだったので、駅舎の前に、側線を撤去した広い跡地が残されている。市街地は三駅目のフォーゲルザング Vogelsang 付近までで、後は郊外風景になる。列車は、しばらくのどかな山里を走ってクライルホーフ Kreilhof は通過し、終点グシュタットのホームに滑り込んだ。

Blog_ybbstal15
(左)地方鉄道駅の駅舎と側線跡地
(右)郊外風景の中を走る
Blog_ybbstal16
終点グシュタット駅
 

駅前にオフィス機器メーカーの大きな工場があるものの、駅前集落らしきものは見当たらない。というのも、ここは最初から、イプジッツ支線との乗換え用に設けられた駅だからだ。現在も、鉄道が撤退した町や村へ向けて、駅前からバスが出ている。しかし、どのバスもヴァイトホーフェン駅発で、市街地も経由してきているから、乗換え需要はあまりなさそうだ。

Blog_ybbstal17
以遠の町へは駅前からバスが連絡
 

駅構内から先へ、草むしながら線路が続いていたので、少したどってみた。残念ながらそれは、右にカーブして、州道B31号線との交差の直前で途切れていた。線路(跡)はここで二手に分かれるのだが、本線ルンツ・アム・ゼー方面は線路が剥がされ、もはや更地状態だ。一方、イプジッツ支線では、イプス川を横断する魚腹トラスの立派な鉄橋がまだ架かっている。川越しに眺めれば、あのシュヴァルツバッハ高架橋のように、シティーバーンの気動車が今にも渡ってきそうな気がする。

Blog_ybbstal18
イプジッツ支線イプス川橋梁
Blog_ybbstal19
(左)イプス川橋梁遠望
(右)橋上だけは線路が残る
 

しかし、現実はその逆で、今でも短い路線がさらに短縮される予定だ。地元のニュースサイトによれば、市とNÖVOG の共同会見で、シティーバーンの運行を2020年秋または年末に、ヴァイトホーフェン駅から2.8kmのフォーゲルザングまでに短縮し、代わりに、平日と土曜朝は現在の1時間間隔を30分間隔に増発するという発表があった。この間に乗客の90%がいる(換言すれば、以遠区間は利用されていない)のが理由だという。

もちろん、これは単なる赤字の圧縮案ではない。フォーゲルザング停留所の周辺にはスポーツ施設や病院が立地しており、経営資源を集中させることで需要を喚起する作戦らしい。また、行事開催時の駐車場対策、あるいは市街地を通過している州道の混雑緩和効果も視野に入れているだろう。

運行本数の増加に備えて、この夏、一部区間でPC枕木に置き換える軌道強化工事が実施された。全盛期に比べれば長さが1/20になってしまうイプスタール鉄道谷線だが、まだ活用の余地は残されているようだ。

次回は、保存鉄道として運行が続けられている山線区間を紹介する。

■参考サイト
シティーバーン・ヴァイトホーフェン https://www.citybahn.at/
プロ・イプスタールバーン(イプスタール鉄道支援者協会) http://www.ybbstalbahn.at/
NÖN(ニュースサイト) https://www.noen.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II

 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II
 オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道
 オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I

2019年9月14日 (土)

マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee

エアラウフゼー Erlaufsee ~マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg 間 3.3km
軌間1435mm(標準軌 Normalspur)、直流650V電化(一部区間)
1981~85年 マリアツェル駅~エアラウフゼー間開通
2015年 マリアツェル・プロメナーデンヴェークへ延伸

Blog_mariazell51
マリアツェル駅構内
背景の山は標高1626mのゲマインデアルペ Gemeindealpe
 

マリアツェル駅構内の、駅舎とは反対側に幅広の側線が数本敷かれている。マリアツェル鉄道が760mm狭軌のためにことさら広く感じるが、1435mm、紛れもなく標準軌の線路だ。ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf のように、本線格の路線が標準軌で、接続する支線が狭軌という駅はよくあるが、逆のケースは珍しい。

線路の所有者は、「ムゼーウムストラムウェー(保存路面軌道)利益共同体 I.G. Museumstramway」という、保存鉄道を運営する団体だ。毎年5月~10月の週末、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道 Museumstramway Mariazell–Erlaufsee(下注)」の名で、ここに古典列車を走らせている。

*注 Erlaufsee の訳について、鉄道名や停留所名は「エアラウフゼー」、湖の名(自然地名)は「エアラウフ湖」としている。

Blog_mariazell52
この日の保存列車が行く
 

公式サイトに掲げられた紹介文を引用すると、「マリアツェルとエアラウフゼーの間の路線は、保存運行のために再建された廃線ではない。1976年から2015年にかけて一から新設され、線路でさえも保存路面軌道の活動家がボランティア作業で造ったものである。使用されている施設設備は、オーストリアの路面軌道および地方鉄道会社の技術の歴史を映し出している。」(ドイツ語原文を和訳)

路線は現在3.3kmの長さがあり、部分的に架空線も張られている(下注)が、上記のとおり保存鉄道のために新たに造られた線路だ。走る車両こそ古いが、建設後30年ほどしか経っていない。

*注 マリアツェル・プロメナーデンヴェーク Mariazell-Promenadenweg ~フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum 間。ただし、電気トラム運行時のみ通電。

同じサイトに、これまでの経緯が記されている。それによれば、保存鉄道の活動は1968年春、後に団体を主宰することになるアルフレート・フライスナー Alfred Fleissner(下注)が、廃車予定だったバーデン路面軌道の100号電車を救い出したことに始まる。次いで、ウィーン市電その他の引退車両を収集し、ウィーンのオッタクリング Ottakring 駅構内の車庫を借りて保存するとともに、事業に当たる協会組織を設立した。

*注 現在は同名の息子と二人で協会を主宰している。

その後、彼がザンクト・ペルテン路面軌道会社に職を得たことから、協会の活動拠点もザンクト・ペルテンの工場跡地に移された。ところが、会社が経営危機に陥ったため、さらなる移転先を求めた結果が、観光地として知られたマリアツェルだった。自治体との交渉が成立し、市街地と郊外のエアラウフ湖を結んでルートを整備することになった。

Blog_mariazell53
マリアツェル駅舎の反対側に延びる標準軌の軌道
 

1976年2月にザンクト・ペルテン路面軌道会社が倒産したとき、協会は、その車両、軌道、架線設備を一括で購入した。マリアツェルでは車庫と軌道の建設が始まり、1981年に、駅から北側のシュポルトプラッツ(スポーツ広場)Sportplatz までの最初の区間が運行可能になった。その後、1983年にヴァルトシェンケ(森の酒場)Waldschenke まで(下注)、1985年にはエアラウフゼーまで軌道が延伸されて、北区間が全通している。

*注 シュポルトプラッツ、ヴァルトシェンケとも臨時の折り返し場所で、現在は使われていない。

Blog_mariazell_map1

一方、南区間は、ずっと遅れて2012年に着手された。マリアツェル鉄道の廃線跡(下注)を一部利用するとともに、途中で分岐して谷を横断し、駅と町を結ぶ遊歩道のそばに達するルートだ。大掛かりな築堤造成を含む建設工事も2014年には完成し、2015年8月から定期ダイヤで列車が走り始めた。現在、運行は北区間と通しで行われている。

*注 1988年に廃止されたマリアツェル~グスヴェルク Gußwerk 間のうち、マリアツェル側の約600m。狭軌の線路は2003年に撤去済みだったので、保存鉄道用の標準軌線路が新たに敷設された。

Blog_mariazell_map51
マリアツェル駅周辺の地形図に保存路面軌道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

2018年9月下旬、マリアツェル駅に着いたその足で、「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を一往復してみた。保存鉄道は季節運行で、この年は5月20日~10月28日の土日祝日に、1日6往復+出入庫便1往復が設定されていた。全線往復の所要時間は58分だ。

列車ダイヤは、マリアツェル鉄道と接続するように組まれている(下注1)。駅の構内で、本線列車から降りた客に、女性車掌が案内をしていた。その指さす方向、駅舎の反対側の側線に、客待ちしている列車がある。入換用の小型ディーゼル機関車が、デッキつきボギー客車1両(下注2)を牽くミニマム編成だ。

*注1 なお、時刻表の注意書きによれば、悪天候や客の数によって運休することがある。
*注2 もとプレスブルク線 Preßburger Bahn(ウィーン~プレスブルク(現 ブラチスラヴァ)間)で使用された1913年製客車。

Blog_mariazell54
(左)車掌が本線列車から降りた客を案内
(右)本日の運行車両、入換用機関車が古典客車を牽く
 

保存鉄道には、走行可能な世界最古の路面蒸気機関車といわれる、もとウィーン=メードリング蒸気路面軌道 Dampftramway Wien-Mödling  の8号機がいる。それに加えて、ウィーン、バーデン、ザンクト・ペルテン、ザルツブルクなどから来た希少価値の高い路面電車コレクションも相当数所有している。しかし、それが常に稼働しているわけではないらしい。ともかく構内を横切って、そちらに向かった。

Blog_mariazell55
ウィーン=メードリング蒸気路面軌道の8号機関車
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

客車には先客が3~4組いた。まだ席はあるが、いつものように線路観察のためにオープンデッキへ移動する。まもなく機関車のエンジンがかかって、さっきの車掌ともう一人乗務員が乗り込んできた。切符を求めたら、車内補充券の束から1枚繰って、パンチを入れてくれた。発行機から出てくる味気ないレシートでないのはうれしい。全線往復12ユーロ(片道8ユーロ)というのは、走行距離の割に高めだが、保存鉄道への寄付と思っておこう。

Blog_mariazell68
乗車券(車内補充券)
 

10時58分発の列車は、まず南へ向かう。駅の出口で、狭軌の本線線路といったん並行するが、踏切を渡るとすぐ、狭軌は車止めで途切れた。標準軌がその位置に移って、先へ続く。マリアツェル鉄道の廃線跡であるこの短い区間は、27‰の急な下り勾配がついているから、慎重に進む。

Blog_mariazell56
(左)マリアツェル駅を出発
(右)狭軌と並行する区間
 

線路脇に建つ駅の乗務員宿舎を過ぎると、三角線にさしかかった。列車はここで左に折れ、浅い谷をまたぐ築堤を渡っていく。その谷の東斜面に沿っていくと、早くも終点プロメナーデンヴェークだった。名称どおりマリアツェルの町につながる遊歩道(プロメナーデンヴェーク)に並行して、砂利敷きのささやかなホームが造られている。停留所を示すものは、架線柱に取り付けられた古風な標識と小さな時刻表だけだ。

Blog_mariazell57
(左)マリアツェル鉄道廃線跡区間、場内信号機も残存
(右)三角線
  右の軌道が廃線跡区間の続き、
  左がプロメナーデンヴェークへ行く新設区間
Blog_mariazell58
プロメナーデンヴェーク停留所
レトロな停留所標識がかかる
 

乗降客はなく、数分停車した後、11時05分に列車はバックし始めた。最後尾のデッキに乗務員が立ち、赤い旗を振って誘導する。もう一人はデッキの床に座って、誘導役の人と世間話を交わしていたが、三角線の分岐まで来ると地面に降りて、重い転轍てこを反対側に倒した。列車は分岐を左へ進み、廃線跡地の線路に達する(下注)。こうして方向転換を終えた列車は、再び駅のほうへ走り出した。

*注 ここはスプリングポイントのため、自動で進路が変わる。

Blog_mariazell59
三角線での方向転換
(左)車掌が赤い旗を振って誘導
(右)重い転轍てこを起こす
Blog_mariazell60
(左)後退運転で三角線に進入
(右)列車通過後、転轍機を戻す
Blog_mariazell61
(左)転轍手は機関車に添乗
(右)方向転換を終えた列車が駅へ戻る
 

駅でまた数分停まり、今度は北区間の目的地エアラウフゼーに向かう。構内の建物の間を縫うように進み、車庫から出てくる線路と合流する。修理工場を兼ねる車庫は6線を収容する立派なもので、扉の窓ガラスに、保存されている路面電車が透けて見えた。

Blog_mariazell62
6線収容の車庫
ガラス越しに路面電車の姿が
 

ちなみに、保存鉄道の軌道や架線設備は、廃止された路面軌道からのお下がりが再利用されている。まるでアールヌーボーの意匠のような溝つきレールの分岐や、760mm軌間との交差跡などは、特に貴重なものだ。架線を支えるブラケットもよく見ると、さまざまなデザインが揃い、どれも古風で優雅な曲線を描いている。

駅構内を後にして左に折れると、路面軌道らしい造りの停留所(フライツァイトツェントルム Freizeitzentrum、休暇センターの意)を通過した。街灯、待合室、給水設備など、鉄道風景を醸し出す小道具が、あたかも野外博物館のオブジェのようにさりげなく置かれている。

Blog_mariazell63
(左)芸術的な溝つきレールの分岐
(右)760mm軌間の交差跡が残る
Blog_mariazell64
(左)架線を支えるブラケットのデザインにも注目
(右)鉄道風景を醸し出す小道具が揃う
 

それから列車は、ひと気のない野原に出ていった。道路の下を土管状のトンネルでくぐった後は、州道に沿って走っていく。おおむね下り坂で、路盤はコンクリートで固めてあったり、草生していたりとさまざまだ。やがて、終端ループの合流点を通り、森のきわに設けられたエアラウフゼー停留所に到着した。

Blog_mariazell65
(左)路線唯一の「トンネル」
(右)ひと気のない野原を行く
Blog_mariazell66
(左)エアラウフゼー停留所に到着
(右)終端ループから分岐する側線
 

停車時間が10分ほどあるので、エアラウフ湖畔まで出てみた。周囲を山に囲まれた静かな湖だが、鴨の群れが泳いでいるだけで、ボート乗り場には人影がなかった。きょうは曇り空で、半袖では少し肌寒い。標高828mの高地では、レジャー客で賑わう夏のシーズンはもう終わってしまったようだ。

Blog_mariazell67
シーズンオフのエアラウフ湖畔
 

保存鉄道の次なる目標は、軌道を、マリアツェル市街地の入口にあるバスターミナルまで延長することだ。これにより駅と市街地の間を直接結ぶことができ、マリアツェルに車で訪れている観光客へのアピールにも効果がある。遊歩道に沿って通せば400mほどの距離だが、傾斜地のため、路盤を載せる擁壁を築かなければならない。まとまった工事資金の調達にはまだ時間がかかるだろう。

参考までに、保存鉄道の資料に基づいて、全体の配線図を下に示す。愛好家が基礎から造り上げた施設は、実物大の鉄道模型といっても過言でない。

Blog_mariazell_map52
保存路面軌道の配線図
(マリアツェル保存路面軌道資料集 V3.0 2018年 に基づき作成)
 

次回は、西隣のイプスタール鉄道を訪ねる。

■参考サイト
マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道  http://www.museumstramway.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II
 ウィーン地方鉄道(バーデン線)I-概要

2019年9月 7日 (土)

オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 II

マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn
谷線 Talstrecke

ザンクト・ペルテン中央駅 St. Pölten Hbf での、西部本線 Westbahn(ウィーン~ザルツブルク)とマリアツェル鉄道との接続はけっこう歩かされる。前者のホームが駅舎の東寄りに伸びているのに、後者の頭端ホームは西端にあるからだ。もしウィーンからの特急列車(レールジェット Railjet)で後方車両に乗ってきたのなら、乗り継ぐのに300m、徒歩4~5分は見ておいたほうがいい。

Blog_mariazell21
鉄道の起点ザンクト・ペルテン中央駅
左がマリアツェル鉄道
右は標準軌トライゼンタール線のホーム
 

マリアツェル鉄道は、同じように南へ分岐する標準軌のトライゼンタール線 Traisentalbahn(11番線)に並行した12、13番線に発着する。20年前に一度訪れたことがあるが、屋根なしの島式ホームは当時とさほど変わっていない。しかし今、乗り換え客を待っているのは、電気機関車が牽くくたびれた客車ではなく、金色に輝く3車体連接の電車ET形だ。

土曜の朝8時台で、乗車率は1ボックスに1組程度だった。行楽に出かけるにはまだ早い時間帯なのかもしれない。座席予約のビラを貼ったボックスがいくつかあるから、途中の駅で団体客が乗り込んでくるようだ。後ろに1等展望車を3両もつないでいるのだが、2等席でこれだと、1等は空気を運んでいるだろう。

Blog_mariazell22
(左)ザンクト・ペルテン中央駅正面
(右)ホームで出発を待つ電車
 

ET形の車内は、狭軌車両としてはかなり広く見える。実際、車体幅は2650mmもあり(下注1)、ÖBBでよく使われている標準軌電車ボンバルディア・タレント Bombardier Talent の幅2925mmと比べても、軌間差を相殺して余りある。これで、わずか760mm幅、かつ急カーブ続出の線路上を何事もなく走れるとは信じられないほどだ。谷線の途中にあるロイヒ Loich まで、かつてロールボック(後にロールワーゲン)方式で標準軌貨車が直通していたから、車両限界が大きく取られているのは確かなようだ(下注2)。

*注1 この車体幅は、1世代前のÖBB 4090形ですでに実現されていた。ちなみに、762mm軌間の四日市あすなろう鉄道(旧 近鉄)内部・八王子線の現有車両の車体幅は2106~2130mm。
*注2 なお、ロイヒ以遠では、トンネルの建築限界がロールボック方式に対応していなかったため、貨物輸送は狭軌車両で行われていた。

Blog_mariazell23
(左)狭軌用連接式電車ET形
(右)広く見える車内
 

発車すると、すぐに短いトンネルを2本抜ける。この間に、トライゼンタール線をアンダーパスするので、次に同線と並行したときは車窓の左側を通っている。

最初の停車駅は、ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅 St. Pölten Alpenbahnhof(下注)だ。珍しい名前だが、マリアツェル鉄道の正式名が「ニーダーエースタライヒ=シュタイアーマルク・アルペン鉄道 Niederösterreichisch-Steirische Alpenbahn」であったことを思い出せば、腑に落ちる。ここはザンクト・ペルテン側の運行拠点で、車庫兼整備工場がある。さらに南側には標準軌線への積替えができる貨物ヤードが広がっていたのだが、すでに撤去されている。

*注 開通当初はザンクト・ペルテン地方鉄道駅 St. Pölten Lokalbahnhof と呼ばれた。なお、Alpenbahnhof はアルペン鉄道の駅を意味するので、和訳では「アルペン駅」としていない。同じような例で、ウィーンの西駅 Westbahnhof、(旧)南駅 Südbahnhof なども、本来「西部鉄道 Westbahn の駅」「南部鉄道 Südbahn の駅」という意味だ。

Blog_mariazell24
(左)ザンクト・ペルテン・アルペン鉄道駅
(右)麦畑の丘陵地を越える(ザンクト・ペルテン方向を撮影)
 

アルペン鉄道駅を後にして、列車は右へそれ、麦畑の広がる丘陵地を越えていく。早くも細かいカーブの連続で、PC枕木のよく整備された線路でも、きしみ音が断続する。再び平野に出ると、オーバー・グラーフェンドルフだ。ここはマンク Mank 方面の支線(グレステン線 Grestnerbahn またの名を「クルンぺ Klumpe」)の分岐駅だったが、2010年に廃止されてしまった。

現在、駅構内北側の転車台と扇形車庫があるエリアが、保存団体「鉄道クラブ Mh.6」の拠点になっていて、そこで、蒸機Mh.6をはじめとする760mm軌間のさまざまな車両の保存活動が展開されている。

Blog_mariazell25
(左)オーバー・グラーフェンドルフ駅
Photo by GT1976 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)廃止されたグレステン線が分岐
 

オーバー・グラーフェンドルフの前後は貴重な直線区間だが、右に急カーブすると、次第に山が近づいてくる。さらにラーベンシュタイン・アン・デア・ピーラッハ Rabenstein an der Pielach あたりまで来れば、列車はもうピーラッハ川 Pielach の谷間を走っている。

多くの駅がリクエストストップ扱い(下注)のため、乗降がなければ通過してしまうが、地域の中心地であるキルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ Kirchberg an der Pielach は固定の停車駅だ。ここで団体客が乗車して、一気に予約席が埋まった。キルヒベルクにもE形(1099形)電気機関車と旧型客車が静態保存されていて、車窓からも見える。

*注 乗降するときは、車内(降車時)または駅(乗車時)のボタンを押して知らせる必要がある。

Blog_mariazell26
キルヒベルク・アン・デア・ピーラッハ駅
E形(1099形)電気機関車を静態保存
ヘッドマークは戦前のBBÖのもの
 

狭い渓谷の中で短いトンネルを二つくぐったところで、ピーラッハ川と別れて、列車は支流ナタースバッハ川 Nattersbach の谷に入る。ずっと連れ添ってきた州道B39号線が右へ姿を消すとまもなく、谷線と山線の境界となるラウベンバッハミューレ Laubenbachmühle に到着だ。

まず旧駅舎が見えてくるが、列車は前をそっけなく通過して、大屋根の建物の横に停まる。山里に似つかわしくないこの大規模施設は、ラウベンバッハミューレ運行センター Betriebszentrum Laubenbachmühle といい、ET形電車運行に際して造られた車庫兼整備工場だ。駅の機能もここに移され、運行事業者ニーダーエースタライヒ運輸機構 NÖVOG の資料によれば「マリアツェル鉄道の心臓部 Herz der Mariazellerbahn」になっている。

峠下の駅とあれば、蒸機なら給水作業のために長い停車時間をとるところだ。しかし、電車はわずか2分で出発してしまうので、施設を観察する暇もなかった。

Blog_mariazell27
ラウベンバッハミューレ駅
(左)使われなくなった旧駅舎
(右)鄙びた駅だった20年前(1999年撮影)
Blog_mariazell28
(左)現在のラウベンバッハミューレ運行センター
(右)車庫内でも発着可能に
Photo by Grubernst at wikimedia. License: CC0 1.0

山線 Bergstrecke

いよいよ鉄道の名物であるZ字状の3段折り返しによる山登りが始まる。ラウベンバッハミューレ駅の標高535mに対して、サミットは891.6mで、実に350m以上の高度差がある。最急勾配28‰、最小曲線半径は78m、狭軌とはいえかなり厳しい線形だ。

Blog_mariazell_map3
山線 ラウベンバッハミューレ~ゲージングトンネル間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

折り返しの1段目は、ナタースバッハの谷底をそのままおよそ3km進み、2本の短いトンネルを介したヘアピンカーブで折り返す。2段目は、ナタースバッハ谷の西側の山腹を逆向きに約5km上っていく。途中にオーバー・ブーフベルク Ober Buchberg 信号所(下注)があり、通常ダイヤでは、ここで列車交換が行われる。

*注 1975年までは停留所で、乗降を扱っていた。

尾根の先のへアピンで再び反転すると3段目で、すぐにヴィンターバッハ Winterbach 駅にさしかかる(ただしリクエストストップ)。森に遮られて、車窓から下の段を眺望できるところがほとんどない中で、この駅のマリアツェル方では、さっき出てきたラウベンバッハミューレ駅の大屋根が見下ろせる。しかしパノラマはいっときのことで、後はまた森に覆われた斜面を、ひたすら急カーブでなぞっていく。

Blog_mariazell29
(左)1段目の折り返しヘアピンカーブ(後方を撮影)
(右)ラウベンバッハミューレ駅を見下ろす
  大屋根が運行センター、左に旧駅舎
Blog_mariazell30
車窓からナタースバッハ谷を眺望
中央の谷底集落にボーディング Boding 停留所がある
 

山脈を貫くゲージングトンネル Gösingtunnel は長さ2369m、線内では飛び抜けて長大だ。路線のサミットもこの中にある。息苦しくなりそうな長い闇を抜けると、ゲージング Gösing 駅だ。エアラウフ(エルラウフ)川 Erlauf の谷底から350mの高みに位置していて、石灰岩の断崖も露わなエッチャー山 Ötscher(標高1893m)が初めて車窓に現れる。

鉄道工事の作業員宿舎が、開通後に開放されて、ハイカーや巡礼者を泊めるようになった。それが改築されて、1922年にアルペンホテル・ゲージング Alpenhotel Gösing として開業した。ゼメリング峠の南部鉄道ホテル Südbahnhotel のようだと言われた眺望絶佳のホテルは今もあり、列車からだと、その屋根越しにエッチャーを望む形になる。

Blog_mariazell31
(左)アルペンホテル・ゲージングとエッチャー山
(右)エアラウフ谷を隔ててエッチャー山の眺望
   山頂は雲に隠れている
Blog_mariazell_map4
山線 ゲージングトンネル~ミッターバッハ間の地形図
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道はここで下り勾配に変わり、森に覆われた急斜面の山腹を慎重に進む。ゲージンググラーベン高架橋 Gösinggrabenviadukt、クラウスグラーベン高架橋 Klausgrabenviadukt、ザウグラーベン高架橋 Saugrabenviadukt(下注)と、鋭く切れ込む谷筋にいくつもの高架橋が弧を描いている。

*注 グラーベン graben はここでは渓谷、峡谷を意味する。

Blog_mariazell32
ザウグラーベン高架橋を渡るE形(1099形)電気機関車
(2003年撮影)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

鞍部に載ったアンナベルク・ライト Annaberg-Reith 駅を過ぎると、ヴィーナーブルック貯水池(ラッシング貯水池 Lassingstausee)のほとりに差し掛かる。1911年からの電化初期に、鉄道に電力を供給していたヴィーナーブルック水力発電所 Kraftwerk Wienerbruck のための貯水池の一つだ。

池の周りのへアピンカーブに面して、ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク Wienerbruck-Josefsberg 駅がある。エッチャーグラーベン Ötschergraben の峡谷を巡るハイキングルートの下車駅になっていて、マリアツェル駅との間にハイカーのための区間列車も運行されている。また、アンナベルク Annaberg の峠を越えてきたウィーンからの巡礼道ヴィア・サクラ Via Sacra(聖なる道の意)の旧道とも、ここで合流する(下注)。ヴィーナーブルックとは、ウィーンの巡礼者が渡る橋を意味する地名だ。

*注 ヴィア・サクラ旧道の概略位置を、上掲の地形図に破線で示した。なお、19世紀の新道(馬車道)は勾配を避けて、ライト Reith 地内を迂回している(現 州道B20号線のルート)。

Blog_mariazell33
ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅に
貯水池の対岸から対向列車が接近
Blog_mariazell34
上掲写真の反対側から見た
ヴィーナーブルック・ヨーゼフスベルク駅
 

そのヴィア・サクラは、巡礼地へ向け、最後の峠ヨーゼフスベルク Josefsberg を越えていくが(下注)、鉄道はそれを避けて、峡谷の側を迂回する。山中にトンネルとガーダー橋が連続する中、エアラウフクラウゼ Erlaufklause 停留所の手前では、「ツィンケン Zinken(鹿の角の意)」と呼ばれるエアラウフ川の荒々しい峡谷の岩肌が垣間見える。

*注 巡礼道はこうして、アンナ、ヨセフ(ヨーゼフ)の名をもつ山(いずれも峠集落がある)を越えて、マリアの聖地に至る。

ようやく谷が明るく開けたところに、ミッターバッハ Mitterbach の町がある。谷の中央を流れるエアラウフ川が州境になっていて、川向うの町本体はまだニーダーエースタライヒ州だが、駅はすでにシュタイアーマルク州に入っている。林に覆われた浅い谷間を再びゆっくりと登っていくと、終点マリアツェル駅だ。ザンクト・ペルテンからは2時間15分の長旅だが、車窓の変化を追っていれば、退屈することはない。

Blog_mariazell35
(左)マリアツェル駅に到着
(右)今より賑わっていた20年前(1999年撮影)
 

駅舎の軒下にフラワーバスケットが吊るされ、遠来の客を迎えている。しかし、待合室は閉ざされ、出札業務も行われていない。乗車券は、無人駅と同様、車内で巡回してきた車掌から買う方式だ。もちろんウェブサイトで事前購入もできるから、窓口がなくても支障はないのだろう。

Blog_mariazell36
マリアツェル駅構内(南側から撮影)
 

さて、ここまで来たからには、信者でなくてもマリアツェルの町を見てみたい。中心部まで1.5km、駅前から連絡バスが出ているが、歩いても20分ほどだ。もし歩くなら車道を伝っていくより、駅前広場から延びる木陰の散歩道を行くのがお薦めだ。かつてグスヴェルクへ行く列車が下っていたグリューナウバッハ Grünaubach の谷を俯瞰しながら、ハイキング気分でのんびり歩ける。

Blog_mariazell37
(左)マリアツェルの町へ通じる散歩道
(右)グリューナウバッハ谷の眺め
 

郵便局の建つ町の入り口から坂道を上がっていくと、バジリカの尖塔が姿を現す。広場を囲んで、品の良さそうな宿屋や巡礼者相手の土産物屋が軒を連ねているのは、門前町らしい光景だ。正面の階段を上ってバジリカの重い扉を開けると、ちょうど礼拝の最中で、きらびやかな装飾に囲まれた堂内に聖歌の清らかな歌声がこだましていた。

Blog_mariazell38
マリアツェルの聖堂前広場
(左)立派な宿屋が立ち並ぶ
(右)門前の土産物屋街
Blog_mariazell39
正面の階段を上ってバジリカへ
 

次回は狭軌鉄道の旅から寄り道して、マリアツェル駅に拠点を置いている標準軌の「マリアツェル=エアラウフゼー保存路面軌道」を訪ねる。

本稿は、Hans Peter Pawlik and Josef Otto Slezak, "Schmalspurig nach Mariazell" Verlag Josef Otto Slezak, 1989、参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
マリアツェル鉄道  https://www.mariazellerbahn.at/
鉄道クラブMh.6  Eisenbahnclub mh.6  http://www.mh6.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I
 マリアツェルの「標準軌」保存路面軌道

 オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I
 オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 II
 オーストリアの狭軌鉄道-シュタイアタール鉄道

より以前の記事一覧

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29

BLOG PARTS

無料ブログはココログ