西ヨーロッパの鉄道

2026年6月10日 (水)

ナウムブルク市電-保存トラムが担う都市交通

ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg

ハウプトバーンホーフ(中央駅)Hauptbahnhof~ザルツトーア Salztor 間 2.9km
軌間1000mm、直流600V電化
1892年蒸気運転で開業、1907年電化、1991年運行休止
1994年保存運行開始

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中央駅停留所で客扱い中のレコワーゲン

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フランクフルト発のICEがお約束のごとく遅延したため、エアフルト Erfurt で乗継げるはずの RE(快速列車)に間に合わなかった。ナウムブルク Naumburg の中央駅に着いたのは予定より1時間後で、時計の針はもう正午をとうに回っている。

ナウムブルク(下注1)はエアフルトとライプツィヒ Leipzig の中間に位置する人口3万人強の地方都市だ。この町にも路面電車が走っている。ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg が運行する1本きりの路線で、延長2.9km。運営事業体単位では、ドイツ最小の路面軌道とされる(下注2)。

*注1 同名の町と区別するために、ナウムブルク・アン・デア・ザーレ Naumburg an der Saale と呼ばれる。ドイツ語の正式表記は Naumburg (Saale)。
*注2 路面蒸気機関車で運行されるキームゼー鉄道 Chiemseebahn が1.9kmとさらに短いが、分類は地方鉄道で、併用軌道区間もない。「キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム」参照。

特色はそれだけではない。業界主流の連節低床車両が1台もなく、最も新しいもので1970年代生まれという古典単車だけで日常運行を賄っているのだ。ほかの都市なら週末の特別運転でにぎにぎしく登場するような旧車が、毎日入れ替わりで市内を行き来している。ライプツィヒに向かう途中、この町に寄り道したのは、この保存鉄道のような「市電」のようすを直接確かめたかったからだ。

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DBナウムブルク中央駅
(左)ローマ建築風の正面入口
(右)ボンバルディア製タレント Talent 2 のREで到着
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ナウムブルク市街と軌道路線図
赤の実線は現行路線、黒の破線は廃止線
© 2026 basemap.de / BKG

ナウムブルクに幹線鉄道が通ったのは1846年という早い時期だ。ハレ Halle (Saale) からエアフルト、アイゼナハ Eisenach、ベブラ Bebra に至るテューリンゲン鉄道 Thüringer Bahn の経由地の一つとされ、現在の中央駅も同時に開業した。しかし、駅はザーレ川 Saale が流れる低地に設置されたため、河岸段丘上に位置する市街地とは約1.5km離れ、高低差も30m近くあった。

両者の連絡で最初に構想されたのは馬車軌道だったが、段丘を上る坂道がネックとなり実現しなかった。ようやく1892年に蒸気運転による路面軌道が開業して、町は駅と結ばれた。当初は民間資本で運営されたが、赤字続きで1900年に倒産したため、市が買収に踏み切る。市営になったことで、1907年には念願の電化を果たした。

中心街のマルクト Markt を通って南のザルツトーア Salztor を終点としていた軌道は、まもなく市街の西側へ延伸される。1914年にはさらにその先端が中央駅まで届いて、全長5.4kmの環状線が完成した。単線ながらも、電車は時計回りと反時計回りでそれぞれ環状運転されるようになった。

東ドイツ時代も国有企業のもとで運行は続けられたが、1990年のドイツ再統一後は、自動車の増加と地域経済の不振により、利用者が激減してしまう。改修工事を理由に1991年8月に運行が中断されたまま、市は復活を断念した。

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環状線時代の路面電車(1990年)
(左)中央駅停留所
(右)マルクグラーフェンヴェーク Markgrafenweg 付近
Photo by Gustav Stehno, @ Tramwayforum.at
 

再建のきっかけは、1994年、残された軌道で保存トラムによる観光事業を企てた有志が「ナウムブルク路面軌道」を設立したことだった。最初は、車庫を起点に一部区間で散発的な運行が実施された。

会社は環状線の完全復興を目指していたが、市と意見が折り合わず、結局、東側の中央駅~フォーゲルヴィーゼ Vogelwiese 間で、2006年のイースターから毎週末の運行が始まった。事業は好評で、翌2007年から毎日運行となり、駅と旧市街の外縁を結ぶ交通手段として定着していく。

2010年にはついに、市バスのように州の補助対象となる ÖPNV(近距離公共交通機関 Öffentlicher Personennahverkehr)に認定され、事実上「市電」と呼べる存在になった。また2017年には、フォーゲルヴィーゼからザルツトーアまでの軌道延伸が実現し、現在のルートが完成している。

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停留所に掲げられた運賃表と路線図
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マリーエントーア Marientor 付近を行く電車

ナウムブルク中央駅 Naumburg Hbf は、列柱が支えるポルティコを正面に据えた古典的なデザインが印象的だ。そのファサードを出ると、目の前のささやかな駅前広場に、路面電車の乗り場「ハウプトバーンホーフ(中央駅の意)Hauptbahnhof」がある。

以前は、駅前通り Bahnhofstraße の東の角が起点だったのだが、2018年に、より駅に近い現位置まで50mほど延伸・移設された。時を遡れば、環状線時代の停留所はここにあったので、30年の歳月を経て旧に復したことになる。シンプルな棒線駅だが、すぐ先の駅前通りに行き違いループが残されている。

時刻表によれば、路面電車の運行は30分間隔だ。終点まで所要11分なので、通常1編成がシャトル運行している。土曜の日中のみ毎時1往復が増便され、途中で列車交換がある。運賃は片道2.40ユーロ(2025年現在、下注1)だが、ÖPNVなので、ドイチュラント・チケット  Deutschland-Ticket(下注2)も有効だ。

*注1 中部ドイツ運輸連合 Mitteldeutscher Verkehrsverbund GmbH (MDV) の1区運賃。
*注2 略称 D-Ticket。ドイツ全土のSPNV(地方公共交通機関)やÖPNVが月単位で乗り放題の格安切符。

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(左)中央駅手前の行き違いループ
(右)トラムのイラストが描かれた停留所標識
 

次の発車は13時ちょうど。しばらく目を離しているうちに、もう10人ほどがホームに集まってきている。5分前に電車が通りの角から姿を現し、定位置に停車した。

公式サイトによれば、本日の車両は、1973年にベルリンのシェーネヴァイデ鉄道修理工場 Raw Berlin-Schöneweide で製造された2軸、両運転台のTZ 70/1形51号車で、いわゆる「レコワーゲン Rekowagen」の仲間(下注)だ。長年、近隣イェーナ(イエナ)Jena の市内を走っていたが、2001年5月からナウムブルクで第二の人生を送っている。

*注 「レコ」は改造 Rekonstruktion の略だが、ほぼ新造車も含まれる。

系統幕に4とあるとおり、路面電車は4系統 Linie 4 を名乗る。これは、定期運行再開時に市内バスの1~3系統に準じて付番されたからだが、後にバスが101~103系統に改番されたため、1~3は現在、欠番になっている。

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(左)TZ 70/1形51号車
(右)車内はボックスシートが並ぶ
 

降車が終了すると、逆側の扉が開いて、待っていた客が乗込み始めた。その間に別の客も次々とやってきて、結局20人前後が乗車した。けっこう盛況だ。車内は、2人掛けと1人掛けの広めのボックスシートが並んでいる。バリアフリーに適合しない高床車とはいえ、乗ってしまえば快適だ。

客が多かったので、定刻より少し遅れて発車。最初は静かな駅前通りを行く。線路は右端に寄せられ、車道とも歩道とも明確に区切られているので、実態は道端軌道だ。段丘崖を覆う森の前で左に曲がると、道は上りになる。昔はもっと急坂だったのだろうが、今は切通しで勾配が緩和されていて、これなら馬が牽くトラムでも上がれそうだ。

児童公園の角で右折してすぐ、イェーガープラッツ Jägerplatz 停留所がある。ここは保存運行の初期に折返し点だったところで、道路の中央を通っていた当時の旧線の一部が、待避線とともに残っている。

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イェーガープラッツ停留所付近
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道路中央に残る旧軌道
(左)南望、待避線の一部も残る (右)北望、左は現在線
 

ポスト通り Poststraße に入り、市立公園 Stadtpark の豊かな木立を右に見ながら進んでいくと、左側にネオルネッサンス様式の煉瓦建築、マリーエンシューレ(聖マリア女子学校)Marienschule が目に入る。その隣がこの路面軌道の車庫 Depot だ。

きょうは水曜で公開日ではなかった(下注)が、扉が開いていたので、収容されている先頭の車両は外からも観察できた。右にいるのは1959年製のゴータカー Gothawagen T57形37号車だ。シュトラールズント Stralsund を皮切りに数都市を渡り歩いて、最後にイェーナからここへ引き取られた。その左は、今乗っているTZ 70/1とペアを組む付随車 BZ 70/1形19号車だが、朝夕の多客時に向けて出動待ちだろうか。

*注 3月から10月の毎週土曜午後に一般公開されている。

露天の留置線には、37号とともに定期運行に供されている38号や、1955年製でナウムブルクのゴータカーでは最古参の ET54形29号の姿もあった。塗色をそれぞれ出身都市のオリジナルカラーのままにしているところは、保存鉄道として創業した会社の矜持だろう。

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路面軌道車庫
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(左)左はナウムブルク色のゴータカー38号、
   その後ろに29号、右はゴータ色の202号
(右)イェーナ色のゴータカーT57形37号
 

車庫前を通過すると、ラウンドアバウトのハインリッヒ・フォン・シュテファン広場 Heinrich-von-Stephan-Platz を見ながら、電車の針路は南に向く。通っていくのは、旧市街を囲んでいた市壁の撤去跡に造られたリング Ring と呼ばれる環状道路だ。軌道は道路の右側のゆったりとした緑地帯に、歩道を伴って敷かれている。並木の蔭でレールは芝生に埋もれ、まるで緑のじゅうたんの上を行くようだ。

旧市街の最寄りとなるクルト・ベッカー・プラッツ(広場)Curt-Becker-Platz 停留所には、二つ目の行き違いループがあった。しばらく行くと、リングはまた右に90度曲がって、西に向かう。暫定終点だったフォーゲルヴィーゼ停留所を過ぎればもう最後の区間で、緩い右カーブの先に終点ザルツトーアのホームが見えてきた。車内の客は途中の停留所で少しずつ降りていったので、最後まで乗り通したのは数人だった。

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(左)タインブルク橋 Thainburgbrücke 付近
(右)終点ザルツトーア Salztor に到着
 

時刻表では折返しまでに3分の余裕があるが、遅れて到着した電車は、すぐに中央駅へと戻っていった。リング沿いのルートは緑が豊かで、車窓から眺めていても心が和んだが、旧市街の風景を拝まずに帰るのは口惜しい。次の電車を待つ間に、歩いて5分ほどのところにあるマルクト広場 Marktplatz へ向かおう。

マルクトは市の立つ広場で、町の中心を成し、美しい装いの建物が建ち並んでいる。路面軌道も1976年まではこの広場を経由していた。ところが、広場と周辺の街路からクルマを締め出して歩行者天国にすることになり、その際、電車の線路も道連れにされて、今のルートに付け替えられたのだ。

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旧市街のヤーコプス通り Jakobsstraße は軌道旧ルートの一部
 

旧軌道の一部は撤去を免れ、廃止から50年経ってもまだ残っている。広場の北側で、石畳に埋まる二股に分かれた線路がそれだ。ここにはマルクト停留所があった。広場の北東端まで行くと、軌道は右に急カーブして南を向く。そこでいったん途切れるが、続きはカフェのテラス席の下を通って、広場の南東端まで延びている。

もう一か所、痕跡があるのは旧市街北縁の、市立公園に沿うポストリング Postring と呼ばれる静かな通りだ。路面軌道の車庫の方から歩いていくと、木陰の石畳道に突如として線路が現れ、南へおよそ100m続いている。リングの中でも交通量の少ない区間なので、道路が再舗装されなかったのが幸いしたようだ。

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マルクトに残る旧軌道の停留所跡
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旧軌道の一部はカフェのテラス席の下に
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(左)ポストリングに残る旧軌道
(右)旧軌道は約100mで終わる
  次の交差点から先は自転車・歩行者道に転換された
 

このポストリングに続くリンデンリング Lindenring は、マルクトを中心とする市民の町と、市壁の外側にある大聖堂(下注)の門前町との境で、名前のとおり、うるわしい菩提樹の並木道だ。その中央にピンコロ石で区切られた自転車・歩行者道が走っている。これがおそらく軌道跡だ。

このあと電車は先刻歩いたマルクト広場へ向けて、商店がひしめくヘレン通り Herrenstraße をすり抜けていくのだが、かつての光景を伝えるものはもはやどこにも残っていない。

*注 ナウムブルク大聖堂 Naumburger Dom は13世紀に創建された由緒ある聖堂で、世界遺産に登録されている。

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世界遺産のナウムブルク大聖堂(2018年)
Photo by Krzysztof Golik at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ヘレン通り、かつてここにも電車が走っていた
 

■参考サイト
ナウムブルク路面軌道 https://naumburger-strassenbahn.de/
ナウムブルク=イェーナ近距離交通友の会(保存団体)Nahverkehrsfreunde Naumburg-Jena e.V.  https://ringbahn-naumburg.de/
ブルゲンラント郡旅客交通 PVG Burgenlandkreis https://www.pvg-burgenlandkreis.de/

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2026年6月 5日 (金)

テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)

テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn
(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn)

鋼索鉄道線:オプストフェルダーシュミーデ Obstfelderschmiede ~リヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン Lichtenhain a d Bergbahn 間 1.351km
軌間1800mm、最急勾配250‰、高度差323m

山上線(粘着式):リヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン~クルスドルフ Cursdorf 間 2.635km
軌間1435mm、直流600V電化

1923年開通

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山上線クルスドルフ駅を出発する479.2形電車

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ドイツ中部、テューリンゲン州の山中を走るテューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn は、ケーブルカー(鋼索鉄道)で上りきった後に、山上の平坦線が続くという2段構えの鉄道路線だ。しかも天気のいい日は、ケーブルカーに「カブリオ車 Cabriowagen」と呼ばれるオープン車両が据え付けられ、坂道を上下する間、山地の眺望が360度ほしいままになる。

このような鉄道が、他にないわけではない。このブログでも、スイスのミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)Mürrenbahn やイタリアのリッテン鉄道 Rittner Bahn などの例を取り上げた(下注)。しかし、どちらも現在、登山区間はロープウェーに依存しているため、麓を走る鉄道とのつながりはない。

*注 詳細は「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

それに対してテューリンゲン登山鉄道では、ケーブルカーの片方が車両を載せる運搬台車になっている。貨物輸送をしていた時代は、これを使って麓の路線と山上線との間で貨車を直通させていた。山上線用の電車も同じようにして下から運び上げたものだ。ケーブルカーなのに、晴れたらカブリオ、雨の日や冬場は窓のある車両と、臨機応変の置換えが可能なのは、台車装置があるからこそだ。

今回はこのユニークな登山鉄道のようすをレポートしたい。

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鋼索鉄道線の運搬台車に載るカブリオ

テューリンゲン登山鉄道は、つい最近までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていた。オーバーヴァイスバッハ Oberweißbach は山上にある町の名だ。路線は、麓を走る1900年開業のロッテンバッハ=カッツヒュッテ線 Bahnstrecke Rottenbach–Katzhütte、別名 シュヴァルツァタール線 Schwarzatalbahn から町への連絡手段として構想された。

しかし、麓との高度差は300m以上ある。建設費を抑えるには、線路を山腹に長々と引き回すより、ケーブルカーを設置して一気に上りきるほうが有利だった。建設は第一次世界大戦後の雇用創出事業の一環で実施され、1923年3月に正式に開通した。

当初、運営は州と地元自治体が設立した独自の鉄道会社が行っていたが、州公社を経て、1949年にDR(ドイツ国営鉄道=東ドイツ国鉄)の路線になった。そして、1994年のDR解体により新生DB(ドイツ鉄道)に引き継がれ、2002年からはその地方子会社が、シュヴァルツァタール線と一体で運営に当たっている。

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シュヴァルツァタール線125周年のリーフレット(一部)
ケーブルカーと山上線も描かれている

私がここを訪れたのは、昨年(2025年)6月のことだ。ドイツ東部を巡っていた一日を、念願だった登山鉄道の乗車体験に充てた。この路線に最も近い主要都市は、テューリンゲン州の州都エアフルト Erfurt だ。そこから南へローカル列車を乗り継いで1時間30分、テューリンゲン粘板岩山地 Thüringer Schiefergebirge(下注)の深い谷の中に、起点駅のオプストフェルダーシュミーデ Obstfelderschmiede がある。

*注 テューリンゲン粘板岩山地は、テューリンガーヴァルト(テューリンゲン森)Thüringerwald の東に隣接する山地だが、より知られたテューリンガーヴァルトに含めて語られることも多い。

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テューリンゲン登山鉄道と周辺路線図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
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詳細図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

エアフルト中央駅で乗ろうとしたシュタッドラーのレギオ・シャトル Regio Shuttle は3両編成だったが、車両の行先表示がDBアプリが示すものと違うのに気づいた。車掌氏に尋ねると、1両目に乗れとのこと。後ろ2両は途中のアルンシュタット Arnstadt で切り離されて、別方向へ行くのだった。

列車は市街地を出ると、一面の耕作地の中を延々と走っていく。やがて山に入り、シュヴァルツァタール線との接続駅ロッテンバッハ Rottenbach の3番線に到着した。ここで、1番線で客待ちしていたシュヴァルツァタール線の単行641形、赤い「クジラ」(下注)に乗り換える。

*注 その外観からドイツ語でヴァール Wal あるいはヴァールフィッシュ Walfisch(いずれもクジラの意)のあだ名がある。以前、別のローカル線でも見かけた。「テューリンガーヴァルト鉄道 I-DB線からのアプローチ」参照。

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(左)エアフルト駅から乗ったレギオ・シャトル
(右)シュヴァルツァタール線の赤い「クジラ」
 

気動車は初めに一つ峠を越えた後、シュヴァルツァ川 Schwarza が刻んだ狭い谷を遡るのだが、右に左にきついカーブが連続し、速度はいっこうに上がらない。標準軌とはいえ、規格は明らかに軽便線だった。

オプストフェルダーシュミーデは、登山鉄道の開業に合わせて設置された棒線の停留所 Haltepunkt だ。しかし、ホームに降り立つと、登山鉄道側にはちゃんとした木骨造の駅舎があり、出札と売店が開いていた。今や登山鉄道は地域の観光スポットの一つになっていて、多くの客が車で直接現地まで来ているのだ。

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(左)オプストフェルダーシュミーデは無人駅だが…
(右)登山鉄道には立派な駅舎が
 

後で見に行くと、屋根付き橋でシュヴァルツァ川を渡った対岸に、数十台収容できそうな立派な駐車場が用意されていた。それで運行間隔も、シュヴァルツァタール線の1時間に対して、登山鉄道は30分と頻度が違う。

ちなみに、シュヴァルツァタール線も登山鉄道も SPNV(地方公共交通機関)に位置付けられているので、乗車券は周辺のDB路線と共通だ。ドイチュラント・チケット Deutschland-Ticket(下注)を所持していれば、追加料金はかからない。

*注 略称 D-Ticket。ドイツ全土のSPNVや市内交通機関が月単位で乗り放題の格安切符。国内旅行者はたいていこれを使っている。

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駅舎全景、カブリオが山上へ向かう
 

赤いクジラが10時05分に着いて、次の山上行きケーブルカーの発車は10時30分だ。それを待つ間に、かつて貨車をやりとりしていた両線の接続部を観察しておこう。

駅舎の前からシュヴァルツァタール線を終点側へ200mほどたどっていくと、分岐点があった。そこからスイッチバック式に側線が延びていて、終端は駅舎のすぐ横にある転車台だ。このときは入換用のディーゼル機関車が置いてあったが、これを90度回転させれば、ピットに収まったケーブルカーの台車上の軌道に接続できる。

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(左)本線からの分岐点
(右)入換機関車が休む転車台、左が側線、手前がケーブルカー側
 

そうこうするうちに坂の上手から、クリームと赤に塗り分けたお待ちかねのケーブルカーが降りてきた。運搬台車の話ばかりしてきたが、ケーブルのもう一方には、ふつうの階段型密閉車両が固定されている。すなわち、駅には密閉車とカブリオが交互にやってくるわけだ。往路は前者に乗って、後者とのすれ違いを撮りたいと思っていたので幸運だった。少なくとも今日は、山麓駅30分発が密閉車なので、00分発がカブリオということだ。山上駅ではこの逆になる。

なお、密閉車は駅舎内のホームに入ってくるが、カブリオ(を載せた台車)は直前のポイントで分岐して、先ほどの転車台前に設置された積込みランプ Verladerampe のホームに到着するようになっている(下の写真参照)。

運搬台車が安定的に走行できるよう、軌道は広軌で1800mmもある。それに対応する密閉車両も幅広で、そのため外見はリッゲンバッハのラック車両のようにずんぐりしている。車内に入ると、通路の両側の座席は3人掛けられるくらいの長さがあった。

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(左)ずんぐりした密閉車両
(右)車内も広々している
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山麓駅を山側から眺める
密閉車両は右へ入線、カブリオは直進して転車台前へ
 

定刻になり、客車はそろりとホームを後にした。駅を出ても動きはゆっくりとしたままだ。初めのうち、周囲は背の高い針葉樹の人工森で、左に緩くカーブしていく。やがて中間の行き違いループが見えてきた。山上側からカブリオ車が降りてくる。台車より車長があり、しかも水平に載っているので、空に向かって反り返っているように錯覚してしまう。見るとフロアには日差しを遮るパラソルも開いていて、リゾート気分全開だ。確かに天気のいい日はこんな車両に乗りたい。

カブリオを下方に見送り、ループを通過した後は直線ルートになる。周りは自然林に移行し、後ろを振り返ると、前山の陰から遠くの山の稜線が姿を見せ始めた。山上駅リヒテンハイン Lichtenhain(下注)までの所要時間は18分、けっこう乗りごたえのあるケーブルカーだった。

*注 正式名はリヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン Lichtenhain a d Bergbahn。「登山鉄道にあるリヒテンハイン」を意味する。

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カブリオと行き違う
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後半、遠方の稜線が姿を見せ始める
 

山上線には中間改札がなく、ケーブルカーの階段ホームが、山上線の高床ホームに直接つながっている。駅の正面口は下の階にあるため、乗継ぎ客の視界に入ることはない。山上線は9分後の発車だ。周辺散策は復路の楽しみに取っておき、まずは山上線の終点へ向かうことにしよう。

10時52分に、ベルリンSバーンの旧車に似た風貌の2両編成がホームに入ってきた。山上線もケーブルカーと同じく30分間隔で運行している。

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(左)リヒテンハインに到着
(右)階段ホームが山上線のホームに直結
 

手前は479.2形電動車で、DR時代の1982~84年にベルリンのシェーネヴァイデ鉄道修理工場 Raw Berlin-Schöneweide で製造(下注)されたものだ。この工場ではSバーン電車の改修を行っていたので、車体にはそれが流用された。両運転台なので、閑散期は単行で走る。

*注 コメコンによる共産圏の国際分業体制下で、東ドイツでは鉄道車両の新造ができなくなったため、479.2形(当時は279.2形と称した)は改造車とみなされた。

ちなみに、ベルリン東郊のブーコウ軽便鉄道 Buckower Kleinbahn でも同型車が走っているが、山上線のそれはケーブルカーの台車で運搬できるように、より短いホイールベース(軸距)で設計されているという。

一方、後ろの車両は479.2形の改造車(下注)で、「オリテート車 Olitätenwagen」と称する。オリテート Olität は特産のハーブオイルのことで、天窓から陽光降り注ぐ車内に、それをアピールするパネルが多数取り付けてあった。往路はこの車両が先頭に立つ。

*注 パンタグラフが撤去されたので単独では走れず、電力は併結の電動車から供給を受ける。

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山上線専用の479.2形電車
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(左)電動車の車内
(右)天窓のあるオリテート車の車内
 

列車は十数人の客を乗せて、10時59分定刻に発車した。車窓はすっかり高原の風景で、牧草地と森が交錯する中をくねくねと縫っていく。平坦線 Flachstrecke と言われるとおり、勾配はごく緩い。森林公園のような雰囲気の中間駅オーバーヴァイスバッハ=デースバッハ Oberweißbach-Deesbach に停車。沿線の中心地オーバーヴァイスバッハの最寄り駅で、数人が降りた。

その後も森の中を走り、再び野原に出ると、まもなく終点のクルスドルフ Cursdorf だった。所要8分。終端が車庫になった頭端式の棒線駅で、列車は7分休んで折り返す。山上線は2.6kmの短いルートのため、1編成がこうしてシャトル運行している。

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(左)車窓は高原の風景
(右)オーバーヴァイスバッハ=デースバッハに停車(帰路写す)
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(左)終点クルスドルフに接近
(右)折返しまでつかの間の休憩
 

ハイキング日和なので、帰りは山上駅リヒテンハインまで歩くことにした。おおむね線路に沿って、気持ちのいい小道が続いている。たまに道端にベンチも置いてあって、至れり尽くせりだ。途中視界の開ける場所で通過列車を待ち伏せしたりしていたので、50分ほどかけて山上駅に着いた。

山上駅はリヒテンハイン村の東端、標高662mに位置する。駅舎は山小屋のような木骨造の建物だ。下階にある駅の正面口の隣はマシナリウム Maschinarium という名のちょっとした博物館で、鉄道模型や資料が展示されているほか、ケーブルの巨大な巻上げ滑車もガラス越しに見ることができた。

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線路に沿って野の小道が続く
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リヒテンハイン駅舎、左が正面入口
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小博物館マシナリウム
(左)ケーブルの巻上げ滑車 (右)クルスドルフ駅の模型
 

駅前から坂道を上ると、山上線のヤードの前に出る。本線の両側に短い留置側線を配置したささやかなヤードだ。駅舎寄りには、その本線・側線とケーブルカーの積込みランプを接続する転車台がある。

側線に、同じクリームと赤の塗分けで、山上線より一回り小さな車両が留置されているが、これが雨の日や冬場にカブリオに替わって出動する密閉客車だ。近傍の、廃止されたシュライツ軽便鉄道 Schleizer Kleinbahn(下注)から来た付随車で、1972年から登山鉄道で使われている。隣には本線用の一般的な有蓋貨車がいるが、この客車と並ぶとやけに大きく見える。もとより貨物輸送は絶えて久しいので、貨車はふだん展示物だ。

*注 シュライツ軽便鉄道については「ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道」参照。

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駅に停車中の電車から見た転車台とヤード
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(左)鋼索鉄道用の密閉客車
(右)クルスドルフ側から見た転車台と駅
 

ヤードの先端まで行くと、古い巻上げ滑車その他のモニュメントがあり、その先はリヒテンハイン森林鉄道 Lichtenhainer Waldeisenbahn という名の遊覧鉄道の敷地になっている。周回線路は軌間600mmで、650mの長さがあるが、最近は活動していないようだ。

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(左)巻上げ機のモニュメント
(右)リヒテンハイン森林鉄道の軌道
 

そろそろ12時18分着のケーブルカーが上がってくる頃だ。この便がカブリオになることは麓で学習済みなので、谷側のお立ち台で撮り鉄してから、駅に戻る。ヤードからホームへは直接行くことができず、階下の駅入口(またはホームにつながる昇降機)へ迂回しなければならない。

ケーブルカーの階段ホームを上がっていくと、カブリオの車軸や運搬台車が目の高さに来て、構造が手に取るようだ。密閉車両と違って床が水平なので、山側の端部にのみドアがあり、ホームとの広いギャップは専用の乗降デッキで埋めている。

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(左)運搬台車を下から見上げる
(右)専用デッキを介して乗降
 

20人ほどの客を乗せて、12時30分定刻に駅を出発した。往路で遭遇したときは車両が反り返っているように見えたが、実際に搭乗すると、谷側に突き出した先端部では空中に浮かんでいるような気分だ。ループ区間では、すれ違った密閉客車の窓から、好奇と羨望の入り混じった視線をたっぷりと浴びる。18分間、動く展望台を客に満喫させて、カブリオは静かに山麓駅の転車台前に到達した。

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(左)カブリオ車内は動く展望台
(右)密閉客車と行き違う
 

■参考サイト
テューリンゲン登山鉄道 https://www.thueringerbergbahn.com/

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2026年2月26日 (木)

ヴッパータールの懸垂式モノレール II

前回に引き続き、ヴッパータール・モノレール Wuppertaler Schwebebahn のルートを見ていくことにしよう。今回は全体の8割を占める「水上線 Wasserstrecke」、ヴッパー川 Die Wupper の上空を走る区間だ。

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ヴッパー川の上空を行くモノレール車両
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ヴッパータール空中鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

それにしてもなぜ道路の上を利用せず、川の上空が選ばれたのだろうか。それは、ヴッパータールが王家の城下町のように包括的な都市計画を持たず、狭い谷間に自然発生的に成長した町だったことが第一の理由だ。道は狭く曲がりくねったままで、混雑もひどく、中心部では路面軌道をこれ以上拡張させる余地がなかった。最後に残されていた連続空間がヴッパー川で、高架を走るモノレールの提案とうまく結びついたのだ。

ヴッパー川は長さ117km、ヴッパータール市内を通り、ケルン Köln の北でライン川 Der Rhein に注いでいる。いうまでもなく地域の主たる水源で、初期は水車の動力や繊維業の洗浄用に、後には工場の冷却水などに使われ、地域の産業を支えてきた。

しかし、下水道の整備が遅れたため、1970年代までは工場からの廃水が流れ込んで汚濁と悪臭がひどく、ドイツでも有数の汚れた川と言われていたという。モノレールの走行空間となってからも、決して今のような好ましい写真素材ではなかったに違いない。

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ヴッパー渓谷下流部
橋梁は、ドイツ一の高さがあるDB線のミュングステン鉄橋 Müngstener Brücke
 

その後、水質改善のためのさまざまな施策が功を奏して、きれいな川が戻り、水辺の生き物も復活し始めた。河川環境への市民の関心を高めるための取組みは今も行われていて、偶然見つけたのが、川中にいる石像のビーバーだ。調べてみると、これは「ビーバーのボビー Bobby Biber」といい、人々の視線を川へ引き寄せるために2020年に設置された野外彫刻だそうだ。

頭上を行き交うモノレールに気を取られて見逃してしまったが、他にも同じような石像で、サケと子象とカバの計3体(下注)がヴッパー川を住みかにしているらしい。

*注 名は「ラッキー・ラクス(幸運のサケ)Lucky Lachs」「象のタフィー Elefant Tuffi」「カバのニーナ Flusspferd Nina」。なお、タフィーは、1950年7月にサーカスの宣伝目的でモノレールに乗せられたものの、音と振動に驚いて側壁を突き破り、川に落ちた(が、軽傷で済んだ)子象タフィーの逸話にちなむもの。

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ビーバーのボビー
右の写真で赤い矢印の場所にいる
 

それはさておき、「水上線」区間の最初の駅は、ツォー/シュタディオーン Zoo/Stadion という。緑豊かなヴッパータール動物園と、地元サッカーチームのホームになっている多目的スタジアムの下車駅だ。そして駅のすぐ先に、ルートの見どころの一つ、モノレールとDB(ドイツ鉄道)線との立体交差が控えている。

DBのデュッセルドルフ=エルバーフェルト線 Bahnstrecke Düsseldorf–Elberfeld は、1841年という早い時期からここを横断している。ヴッパー川に架かるゾンボルン鉄道橋 Sonnborner Eisenbahnbrücke のアーチに十分なクリアランスがあったので、モノレールの設計者は、上をまたぎ越さず、下を通すことにして、支柱の建設費用を節約した。もっとも当時の鉄道橋は6連の石造アーチだったのだが(下の写真参照)、1914年にDB線が複々線化されるに際して、今見られるとおり、河床に橋脚を立てないシングルスパンの橋に架け換えられた。

ちなみにこのDB線は、さっき乗ってきたRE列車やSバーンが通るルートで、ヴッパー川の谷斜面に沿って東西に延びている。モノレールにとっては完全な並行路線なのだが、市内と都市間という路線の性格の違い、駅の数や立地条件などからおのずと棲み分けができているようだ。

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ゾンボルン鉄道橋のアーチをくぐる
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3種の鉄軌道が交差していた旧6連アーチ橋
(1912年以前の絵葉書)
Image from wikimedia. License: public domain
 

DB線との立体交差を通過すると、モノレールは流路に逆らうことなく、くねくねと曲がる軌道を走っていく。ヴェステンデ Westende までの2駅間では、両岸に製薬・化学分野の国際企業、バイエル Bayer の工場敷地が続いている。すでに本社は他所に移転したが、ヴッパータールは同社創業の地だ。

ローベルト・ダウム・プラッツ Robert-Daum-Platz 駅からオーリヒスミューレ/シュタットハレ(市民会館)Ohligsmühle/Stadthalle 駅にかけては、河畔の緑がとりわけ美しい。水上線では珍しく直線コースでもあり、川面に映る軌道と支柱の影が、まさにドラゴンの胴体と脚を思わせる。

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(左)川面に映る軌道の影
(右)ブンデスアレー横断地点の巨大なアーチ(いずれも車内から後方を撮影)
 

ブンデスアレー(連邦道)Bundesallee をまたいですぐのオーリヒスミューレは、開業時にアレクサンダーブリュッケ(アレクサンダー橋)Alexanderbrücke の名で設置された駅だ。第二次世界大戦で焼失した後、長らく駅はなく、1982年にようやく再建された。そのため、正面がダイヤモンド形のモダンな外観が特徴だ。

ほぼ40年間、駅なしで済んだのは、並行する道路を走っていた路面電車で代替できると考えられたからだ。ヴッパータール周辺の路面軌道の歴史は、モノレールより30年早く、1873年に始まっている。初期は馬が牽いていたが、1896年から電気運転に切り替えられた。

当時は産業都市として隆盛を極めていたため、混雑が甚だしかった。そこにモノレール開業の余地があったのだが、路面軌道網も郊外に拡大して、最盛期には総延長が175kmに達している。しかし、第二次大戦後は撤退が進み、1987年に最後の路面電車が街路から姿を消した。今はトロリーバスやディーゼルバスがその代役を担っている。

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オーリヒスミューレ/シュタットハレ駅
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路面軌道が交差していた中央駅前(1912年の絵葉書)
Image from wikimedia. License: public domain
 

次はヴッパータール・ハウプトバーンホーフ Wuppertal Hauptbahnhof、中央駅(下注)だ。旧エルバーフェルト市 Stadt Elberfeld の中心部で、南側の広場の先にはDBの同名駅とバスターミナルがあり、北側は買い物客で賑わうアルテ・フライハイト Alte Freiheit の目抜き通りが延びている。それで全線で最も乗降客が多い。

*注 駅名はもと、地名に由来するデッパースベルク Döppersberg だったが、1992年に改称。

他の駅とは違って、ホームは切妻屋根の大きな駅ビルの中に収容されている。軌道は引き続き川の上空を走っているから、ビルは流路上に築かれた人工地盤に載っているのだろう。建物正面にある乗り場への階段口が西行と東行、別々なので、うっかり反対方向のホームに上がってしまいそうになる。

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現在のヴッパータール中央駅前
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買い物客で賑わう目抜き通りアルテ・フライハイト
 

再びブンデスアレー(連邦道)と交差した後は、クルーゼ Kluse 駅に停車する。ここは、ホームをすっぽりと覆うガラス張りの大屋根が印象的だ。第二次世界大戦で破壊されたが、中央駅に近く、路面軌道の電停もあったため、オーリヒスミューレと同じく、駅は休止のままとされた。再開されたのは1999年とまだ新しい。

駅の東方には、クルーゼカーブ Klusebogen と呼ばれる急カーブがあり、車両は遠心力で車体を傾けながら通過していく。ヴッパーフェルト Wupperfeld 駅の東側とともに、川がDB線(下注)のきわまで大回りしているので、互いの列車から相手がよく見える。

*注 デュッセルドルフ=エルバーフェルト線の続きとなるエルバーフェルト=ドルトムント線 Bahnstrecke Elberfeld–Dortmund。

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ガラス張りの大屋根に覆われたクルーゼ駅
 

ラントゲリヒト(地方裁判所)Landgericht とフェルクリンガー・シュトラーセ(フェルクリング通り)Völklinger Straße の両駅舎は、2011~12年に改修されたものだ。階段室や屋根周りに施された縞模様の洒脱な意匠が人目を引くが、これもユーゲントシュティール(青春様式) Jugendstil をなぞるデザインだという。

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縞模様が人目を引くフェルクリンガー・シュトラーセ駅
 

次のローアー・ブリュッケ Loher Brücke 駅との間では、ヴッパー川にミューレン橋 Mühlenbrücke と呼ばれる歩行者用の小橋が架かっている。橋桁を支持している中央のトラス構造が不釣り合いに大がかりだが、説明板によると、これはモノレールのもとの軌道桁だ。取替えられた旧桁の一部を、保存を兼ねて小橋の梁に転用したのだそうだ。

ちなみに、ローアー・ブリュッケ駅西側は、河畔に公園があるため、画角に建物を入れずに写真が撮れる場所の一つだ。ヴッパータールは先駆的な工業都市でありながら、谷の斜面や背後の丘陵には多くの緑地帯が広がり、「緑の大都市 Großstadt im Grünen」と称される一面も持っている。

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軌道桁を転用したミューレン橋
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豊かな河畔林を背に車両が行き違う
 

エルバーフェルトと並ぶヴッパータール市のもう一つの中心街が、バルメン Barmen だ。旧市場を意味するアルター・マルクト Alter Markt 駅は、その西口にある。モノレールは、駅の手前で連邦道7号と主要道が直交する大交差点を斜めに横断する。そのため、長さ120mの軌道桁を両端から高さ38mの2対の塔で吊り下げる大掛かりな構造物が必要になった。これもまた隠れた見どころかもしれない。

バルメン市街地の東口には、ヴェルター・ブリュッケ(ヴェルター橋)Werther Brücke 駅がある。この駅舎の意匠もユーゲントシュティールで、戦前から美しいと評判だった旧駅舎を、改修で忠実に再現したものだ。駅名を記した正面のプラークや階段室の複雑な構造は、それだけで見栄えがするが、同時に、駅の東側でヴッパー川に架かる鉄製アーチのヴェルター橋が、レトロな情景に花を添えている。

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アルター・マルクト駅前の軌道は吊橋構造
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ユーゲントシュティールのヴェルター・ブリュッケ駅
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駅前の古風なヴェルター橋
 

ヴッパーフェルト Wupperfeld の、先述したDB線まぎわの急カーブを通過すると、ホームストレッチの先に、いよいよ終点オーバーバルメン・バーンホーフ Oberbarmen Bahnhof の大きな駅舎が姿を現す。起点のフォーヴィンケルを出てから30分、けっこう乗りごたえのある空中旅行だった。

到着ホームのある2階部は末広がりの形をしている。客の降車を確認した車両は、もう1本別の道路をまたいでから奥の車庫へ入っていく。フォーヴィンケルと違ってホームからは見通せないが、中に方向転換用のループが隠れているのだ。

駅の南側、目の前にDB線のヴッパータール・オーバーバルメン駅がある。モノレールの駅名のバーンホーフというのはDB駅を指していて、両線の乗継ぎはここが最も便利だ。

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DB線まぎわの急カーブ
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終点オーバーバルメン・バーンホーフ
(左)末広がりの形をしたホーム階
(右)車庫内のループを回る車両

オイゲン・ランゲンとその協力者は、ヴッパータールのモノレールを、他都市に売り込むためのモデル路線と位置付けていた。試運転中にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世を招くなど市民の関心喚起にも努めた結果、開業後は大きな評判を呼び、すぐに市内の交通網で欠くべからざる存在になった。

しかし残念ながら、この路線が、期待されていたような国内外への普及と拡大に寄与することはついになかった。ベルリンでの建設計画が、皇帝自身による「上ではなく下を通せ Drunter durch, nicht drüber (hin)weg!」の一言で覆ったという話が伝えられているように、他の都市は、市街地の景観や日照を阻害しがちな高架鉄道よりも、既存の路面軌道や地下鉄の延伸による交通網の充実を目指した。

結局、オイゲン・ランゲンの懸垂式モノレールは、ヴッパータールが唯一の実用例で(下注)、市街地の特性に合致した機能性と、19世紀末のモダニズムを伝えるファッション性、そしてここにしかないという希少性ゆえに、街のシンボルとなるにとどまったのだ。

*注 同じ1901年に開業したドレスデン空中鉄道 Schwebebahn Dresden もオイゲン・ランゲンの懸垂式だが、車両に動力を持たず、ケーブルカー方式で動くところが異なる。

■参考サイト
ヴッパータール空中鉄道 https://schwebebahn.de/

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 ヴッパータールの懸垂式モノレール I

2026年2月19日 (木)

ヴッパータールの懸垂式モノレール I

ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

フォーヴィンケル・シュヴェーベバーン(空中鉄道)Vohwinkel Schwebebahn~オーバーバルメン・バーンホーフ(駅)Oberbarmen Bahnhof 間 13.3km
直流750V電化、懸垂式モノレール、最大勾配40‰
1901~1903年開業

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フォーヴィンケルの街路を行くモノレール車両

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ドイツ西部、ルール地方 Ruhrgebiet の南隣に位置するヴッパータール Wuppertal は、わが国で例えるなら北九州市のような都市だ。

もちろん内陸部なので海も港もないが、ヴッパー川 Die Wupper 沿いで工業が盛んだったエルバーフェルト Elberfeld とバルメン Barmen を中心に、周辺のロンスドルフ Ronsdorf、クローネンベルク Cronenberg、フォーヴィンケル Vohwinkel、計5つの自治体が1929年に合併して誕生した。ヴッパー川の谷(タール Tal)を意味する市名も、北九州と同じように、公募で採用された新しい名称だ。

偶然なことにヴッパータールにも都市モノレールが走っているが、小倉のそれとは異なり、高架のレールから車体がぶら下がる懸垂式だ。しかも1901~03年の開通(下注)と、現存する公共交通モノレールでは世界最古で、ヴッパータール市の成立よりもずっと前になる。むしろモノレールで結ばれていたことが広域合併を後押ししたともいえ、北九州ならかつて走っていた西鉄の路面電車のような存在だ。

*注 中央部のクルーゼ Kluse ~ツォー/シュタディオン Zoo/Stadion 間が1901年3月1日、西側のツォー~フォーヴィンケル間が同年5月24日、東側のクルーゼ~オーバーバルメン Oberbarmen 間は少し遅れて1903年6月27日の開業。

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ヴッパータール空中鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
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水面に映る「鋼鉄のドラゴン」
 

世界的に見てもこの方式のモノレールは珍しい。しかもルートの8割はヴッパー川の上空を通り、両岸の基礎から斜めに差し掛けられたトラスの鉄柱が、背骨のような軌道を支えている。そのさまは「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」とも形容され、早くからヴッパータールの象徴であり、市街地のランドマークとみなされてきた。

今回はこのユニークなモノレール、ドイツ語で「宙に浮かぶ鉄道(下注)」を意味するシュヴェーベバーン Schwebebahn を訪ねてみたい。

*注 Schwebe は英語の float に当たる。日本語版ウィキペディアの当該項目では、原語のニュアンスを汲んで「空中鉄道」と訳されている。

モノレール線は全線13.3kmで、1995年に延伸された千葉都市モノレールに抜かれるまで、懸垂式では世界最長を誇っていた。ルートは東西方向に延びていて、起点は西側終端のフォーヴィンケル・シュヴェーベバーン Vohwinkel Schwebebahn に置かれている。わざわざシュヴェーベバーンと名乗るのは、DB(ドイツ鉄道)のヴッパータール・フォーヴィンケル駅と区別するためで、両者の間は500mほどの距離がある。

デュッセルドルフ中央駅 Düsseldorf Hbf からRE(レギオナルエクスプレス、快速列車に相当)に乗れば、17~18分でDBフォーヴィンケル駅に着く。南口から街路を歩き出すと、次の交差点の上空にモノレールのトラスの桁が覗いているから、道に迷うことはない。

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(左)DBヴッパータール・フォーヴィンケル駅
(右)カイザー通りの交差点を渡る
 

その交差点を西に取れば、軌道桁が街路からそれて、巨大な高架のやぐらに吸い込まれていくのが見える。それがフォーヴィンケル・シュヴェーベバーン駅だ。駅下にあるオーバーバルメン方面と記された階段を上がると、高架に載る板張りの乗車ホームに出る。地下鉄駅と違ってガラス張りの側壁から外光が差し込むので、すみずみまで明るい。西側には車庫が隣接していて、多数の車両が休んでいる。

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モノレールの起点
フォーヴィンケル・シュヴェーベバーン駅
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多くの車両が休むフォーヴィンケル車庫
 

まもなく左奥のループを回ってきた車両が、ホームの端にぬっと顔を出した。台車と軌条の構造上、車両は一方向にしか走れないので、方向転換はこうしたループ線を介さなければならない。かつては一部の中間駅(下注)にも同じ設備が残っていたが、現在は両端駅のみにある。

*注 ツォー/シュタディオーン Zoo/Stadion とクルーゼ Kluse。部分開通に際して造られた。

ホームのへりはスパッと切り落とされておらず、床が車両の下まで潜り込んで、乗降口との間に段差が生じている。床も板張りで、どこか遊園地の乗り物のような非日常感が漂うのがおもしろい。

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ループを回って乗車ホームの端に顔を出す
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(左)車両下に潜り込む板張りのホーム床(クルーゼ駅にて)
(右)乗降口との間に段差が
 

現行車両は、2016年に就役した15世代 Generation 15(下注)と呼ばれる3車体連節車だ。ライトブルーの地色をまとい、窓回りを黒で引き締めている。車幅が2200mmと狭いので、車内は片側に寄せて2人掛けの簡易シートが並び、車端だけレール方向の向い合わせシートだ。運転室がない最後尾は全面窓で眺めがよく、乗り鉄にとっては特等席だが、途中駅から乗るとたいてい先客で塞がっている。

*注 15番目の車両形式ではなく、2015年に最初の車両が納入されたことに由来するという。なお、正式名称は GTW 14 で、GTW は連節電動車 Gelenktriebwagen の意。

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3車体連接車「15世代」
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(左)車内は2人掛けシートが並ぶ
(右)最後尾は特等席
Photo by Ra Boe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

懸垂式モノレールと言っても、湘南や千葉のモノレールが採用しているフランスのサフェージュ式とは走行系の構造が異なる。サフェージュ式では、ゴムタイヤの車輪がH鋼の案内軌条を転がるが、ケルンの技師カール・オイゲン・ランゲン Carl Eugen Langen が開発したヴッパータールのそれは、両側にフランジのついた鉄車輪がレールの上を転がる古典的な方式だ。

車輪は2軸のボギー台車に取りつけられていて、15世代の場合、これが1編成に4基ついている。走行中はレールの継ぎ目を通るジョイント音が聞こえてくるので、モノレールでありながら鉄道車両に乗っているような不思議な感覚に陥る。

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(左)走行系はボギー台車4基
(右)フランジつき車輪がレールに載る
 

運行本数は非常に多い。日中は平日3~5分間隔、休日でも6~8分間隔と、大都市の地下鉄並みの高頻度だ。オーバーバルメン行きが扉を開けて発車を待っている間に、向かいの降車ホームにもう次の列車が入線してくる。列車単位の輸送力不足を頻発運転で補っているのだが、結果として待たずに乗れることが大きなアピールポイントになっているに違いない。

ではその宙に浮かぶ列車に乗って、オーバーバルメンへと向かうことにしよう。

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フォーヴィンケル駅発車ホーム
 

フォーヴィンケルを出てしばらくは街路の上空を行く。この区間は「陸上線 Landstrecke」と呼ばれ、2.7kmにわたって続く。町を東西に貫く2車線路のカイザー(皇帝)通り Kaiserstraße に覆いかぶさるように、軌道桁が架かっている。それを支える鉄製支柱は、裾の絞りや角の大きな湾曲に特徴があり、当時流行していたユーゲントシュティール(青春様式)Jugendstil の影響が見て取れる。

陸上線には昔、カーテンレール線 Gardinenstangenstrecke という別称があった。乗客に家の中を覗かれては困ると、沿線住民が運行会社に室内のカーテンを取り付ける費用を負担させたという逸話がその由来だ。

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フォーヴィンケル、カイザー通りの「陸上線」
 

軌道はヴッパー川に向けて下り坂になっている。フォーヴィンケル駅が全線で最も高く、レール上面の標高は180.0m。そこから27~40‰の急勾配で標高136.1mの川端まで降下していき、その後は反転して川をゆっくり遡る。終点オーバーバルメンの標高は161.1mだ。

カイザー通りはフォーヴィンケルの中心街で、商店や商業施設が連なり、人通りも多い。しかし、2駅目のハンマーシュタイン Hammerstein 駅からはオイゲン・ランゲン通り Eugen-Langen Straße と名前が変わり、見た目も閑散としてくる。というのも、この先300mで道が行き止まりになっているからだ。

1974年に完成したアウトバーンA46が、ここで谷を南北に横断している。モノレールの走行に支障しないよう地上付近を通したので、代わりに街路が分断を余儀なくされた。車内から見ていると、街中の風景が突然、直交する高速道路に切り替わり、直後にまた同じような市街地に戻るので驚く。アウトバーンの東側はゾンボルン Sonnborn 地区で、軌道下の街路もゾンボルン通りSonnborner Straße と名を変える。

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(左)ブルッフ Bruch 駅
(右)アウトバーンA46をまたぐ(いずれも後方を撮影)
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(左)静かなゾンボルン通り
(右)街路から大きくカーブして川の上へ(いずれも後方を撮影)
 

「陸上線」はゾンボルンの福音教会の前までだ。ここで軌道は左に大きくカーブしながら、連邦道228号をまたぎ、水面に空を映すヴッパー川の上に出ていく。終点までの残り10.6kmは、流路を忠実にたどることから、通称「水上線 Wasserstrecke」だ。川を跨ぐ「鋼鉄のドラゴン」に抱きかかえられるようにして、モノレール車両はさらに東へ向かう。

続きは次回に。

■参考サイト
ヴッパータール空中鉄道 https://schwebebahn.de/

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

 ヴッパータールの懸垂式モノレール II

2026年2月 6日 (金)

ゼルフカント鉄道-ドイツ最西端の保存蒸機

ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn
(旧 ガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn)

アルスドルフ軽便鉄道駅 Alsdorf Kleinbahnhof~ガイレンキルヘン郡鉄道駅 Geilenkirchener Kreisbahnhof~テュッデルン Tüddern 間 37.7km
軌間1000mm、非電化
1900年開通、1960年旅客輸送廃止、1971年路線廃止・保存運行開始

【現在の運行区間】
保存鉄道:シーアヴァルデンラート Schierwaldenrath~ギルラート Gillrath 間 5.5km

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ゼルフカント鉄道の20号蒸気機関車

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見渡す限りの平野に、豊かな田園地帯が広がるゼルフカント Selfkant は、オランダ国境に接するドイツ最西端の地域だ。ここに小規模ながら、かつて各地で見られたメーターゲージ軽便鉄道の雰囲気を色濃く残す蒸気保存鉄道がある。

ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn は、旧 沿線のガンゲルト Gangelt に本部を置く保存団体、歴史鉄道運行協会 Verein Interessengemeinschaft Historischer Schienenverkehr e. V.(略称IHS)の保存鉄道だ。実際の運営は、協会が設立した鉄道会社、ラインラント観光鉄道 Touristenbahnen im Rheinland GmbH が行っている。

運行拠点は、区間の西端にあるシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath 駅で、列車はここから東へ5.5kmのギルラート Gillrath 駅まで走って折り返す運用になっている。

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拠点駅シーアヴァルデンラート
 

ゼルフカント鉄道と名乗るのは、保存鉄道になってからだ。もとはガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn という、全長約38km、公営の軽便鉄道だった。国鉄アーヘン=メンヘングラートバッハ線 Bahnstrecke Aachen–Mönchengladbach のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅前にあった郡鉄道駅 Kreisbahnhof が本来の拠点で、東西2方向に出ていた路線のうちの、西線がルーツになる。

西線は、国境の村テュッデルン Tüddern まで長さ21.4kmの路線だった(下注)。実際、終点は国境のすぐ手前に置かれ、オランダ国鉄のシッタルト Sittard 駅まであと3km足らずだったのだが、認可が下りず接続が叶わなかった。

*注 ちなみに東線は、アルスドルフ軽便鉄道駅 Alsdorf Kleinbahnhof~ガイレンキルヘン郡鉄道駅 Geilenkirchen Kreisbf 間16.3km。1953年から1966年にかけて段階的に廃止された。

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ゼルフカント鉄道、旧ガイレンキルヘン郡鉄道と周辺路線図
 

第二次世界大戦後、ゼルフカント地方の西半分は、戦争賠償が完済されるまでの間、オランダの統治下に置かれた。そのため、この地域を走るガンゲルト~トゥッデルン間は運行できなくなってしまった。また、その対象外だったガイレンキルヘン~ガンゲルト間でも、需要が低下して1960年に旅客輸送が終了している(下注)。併合地域は1963年にドイツに返還されたが、旅客輸送が復活することはついになく、1971年7月に全線の廃止措置が取られた。

*注 輸送量は少ないものの、貨物輸送は続いていた。

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樹陰に包まれるシーアヴァルデンラートの構内
 

IHS協会による保存運行は、それより前の1969年に試行されている。協会のサイトによれば、路線廃止に伴い、1971年8月に保存鉄道としての開通記念列車を走らせた。その後、鉄道資産を取得して1973年から、現在につながる蒸気列車の運行を本格的に開始している。

なおその際、根元区間のガイレンキルヘン~ギルラート間は放棄された。軌道の劣化が進行していたことと、途中で州道をまたいでいた高架橋を、道路拡張のために架け替える必要に迫られたからだ。区間短縮に伴って、運行拠点はシーアヴァルデンラートに移された。そのため、起点終点とも一般運行時代とは逆になっている。

開業から半世紀を経たが、今も変わらずイースターの時期から9月にかけて、主として日曜祝日に貴重な保存列車が走っている。時刻表によると、一番列車は11時発で、午後にかけて1日4~5往復の設定がある。列車は蒸気牽引、ディーゼル牽引のほかに気動車の場合もあるので、時刻表に記載された種別をよく確かめて出かけたい。

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ギルラート行き列車が発車を待つ

鉄道どうしの接続が絶たれても、ゼルフカント鉄道に最も近いDB(ドイツ鉄道)の駅は、やはりガイレンキルヘン Geilenkirchen だ。アーヘン中央駅 Aachen Hbf から北へ向かうメンヘングラートバッハ Mönchengladbach 行きのレギオナル(普通列車)に乗って、24分で着く。

ガイレンキルヘン駅前からは、旧 郡鉄道のルートをなぞるSB3系統オランダ・シッタルト Sittard 行きのバスがある(下注)。平日は1時間ごとに出発しているが、あいにく保存鉄道が運行される日曜日は間引かれて2時間ごとの閑散ダイヤだ。バスの時刻に合わせて列車を選ぶしかない。ちなみに保存鉄道の駅のあるギルラートまでは4.6km、歩けば1時間かかる。

*注 時刻表は、運行会社のヴェストフェアケーア(西部交通)WestVerkehr https://www.west-verkehr.de/、またはアーヘン運輸連合 Aachener Verkehrsverbund https://avv.de/ 参照。

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(左)DBガイレンキルヘン駅
(右)駅前からSB3系統のバスに乗る
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地形図にゼルフカント鉄道のルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

バスは、オランダ側に抜ける街道筋を快調に飛ばしていく。「Nächster Halt(次の停留所)…」という自動アナウンスはあるものの、運転席後ろの表示パネルは故障中なのか暗いままだ。文字に頼れず、ひたすら耳を澄ませて聞き取るしかなかったが、何とか最寄りのバス停、ギルラート・キルヘ(教会)Gillrath Kirche で降りることができた。

地図に従い、民家の間の小道を町裏のほうへ歩くと、ものの2~3分で、タンク車が置かれた行き止まりの線路の前に出た。ギルラート駅は、片面ホームと機回し側線があるだけの小さな駅だ。それでも、再建したと思われる煉瓦造の小さな駅舎の中では、ちゃんと出札口が開いていた。さっそく往復乗車券(9ユーロ)を求める。

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ギルラート駅
(左)煉瓦造の小さな駅舎(右)出札口が開いていた
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往復乗車券
 

駅舎を出たら、シーアヴァルデンラート方から列車が入ってくるところだった。バスの到着が11時19分、列車の入線が5分後の11時24分で、実に無駄のない接続ダイヤ(?)になっている。列車がホームに到着すると、さっそく機関車が切り離され、機回し作業が始まった。

小柄な2軸のタンク蒸機は、1956年ユング Jung 社製で、20号「ハスペ Haspe」のプレートを付けている。鉄道には同型機があと2両、19号と21号がいるが、いずれも前職は、ルール地方のハーゲン=ハスペ Hagen-Haspe にあったクレックナー製鉄所 Klöcknerhütte の産業機関車だ。当時は900mm軌間だったが、ここで走れるようにメーターゲージに改造された。

19号機が、最初に到来してゼルフカント鉄道の創業期を支えた機関車だが、もう使われていない。1972年に製鉄所が閉鎖されたとき、IHS協会は、仕事場をなくした2両を追加で購入した。その1両が20号「ハスペ」で、1991年に全面改修を受けて以来、運行の主力を担っている。もう一つの「ハーゲン」と命名された21号は、現在長期修復中だそうだ。

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列車が到着
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(左)20号機関車「ハスペ Haspe」 (右)側壁の銘板
 

列車は、終点側から、自転車を載せる無蓋貨車1両、有蓋貨車1両、その後ろにオープンデッキのついた旧型客車3両の構成だ。そのうち中間の車両はビュッフェ車なので、普通の座席車は2両しかない。まだ6月だから、この程度でも客をさばけるのだろう。見ている間に、隣の線路を回送された機関車が、手際よく反対側に連結された。シーアヴァルデンラート行きは逆機(後ろ向き)運転になるようだ。

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(左)古典客車129号 (右)車内はベンチが並ぶ
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(左)ビュッフェ車118号 (右)車内
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ギルラート駅での機回し作業
 

11時45分、車掌のヒュルルルという笛の音に機関士が汽笛で応えて、列車はゆっくりと動き出した。まず裏通りの踏切を斜めに渡るが、次のバス通りの踏切では、手前で一時停止した。スタッフが機関車から降り立ち、車道の中央に出ていく。遮断機も警報機もないので、手旗でクルマを停止させる必要があるのだ。

バス通りを横切った後も徐行のまま、また林の陰で停止した。今度は何かと窓から覗くと、スタッフが傍らにあるウォータークレーンを操作しているのが見える。ここはシュターエ Stahe という停留所で、時刻表では、往路に比べて所要時間が5分長い。機関車の給水停車を前提にしたダイヤのようだ。

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バス通りを斜めに横断
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シュターエ停留所で給水停車
 

作業を終えて、12時ちょうどに再び発車した。列車は林を抜けて、広大な耕作地の中へ出ていく。ナタネやトウモロコシが一面に植わり、遠くには発電用の巨大な風車が立ち並んでいる。きょうもよく晴れてけっこう暑いのだが、窓を開け放した車内は乾いた風がよく通る。

次の停車駅ビルクデン Birgden は2面2線で、小ぶりの駅舎も建っていた。時刻表では5分停車だが、シュターエで長居して時間が押しているらしく、すぐに発車。集落の裏手のようなところを相変わらずゆったりしたペースで走っていく。

気持ちよく揺られていたら、いつのまにか側線に留め置かれた貨車の群れが車窓に現れて、速度が落ちた。終点のシーアヴァルデンラートに12時20分着。車掌が大声で駅名とともに「Alles aussteigen(皆さん降りてください)!」と叫ぶのを聞いて、乗客はゆっくり腰を上げた。

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沿線風景
(左)刈取りを終えた牧草地 (右)風通るトウモロコシ畑
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ビルクデン駅のホームと小駅舎
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(左)シーアヴァルデンラート駅に到着
(右)平屋根を掛けた駅舎
 

構内は、拠点にふさわしい広さを有している。木立の陰に側線が数本並び、傍らに平屋根を掛けた駅舎も建つ。駅の周囲に無料の駐車場があるので、ここから乗り込む客が圧倒的に多いのだろう。次の発車は40分後だというのに、早くもホームで待っている人がけっこういた。

一仕事を終えた機関車は切り離され、奥のほうへ引き上げた。客車から降りた客といっしょに後を追いかけると、転線して機関庫の前で石炭の補給を受けるのだった。

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列車到着でいっとき賑わうホーム
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次の便に備えて燃料と水を補給
 

隣で、別のタンク蒸機が陽を浴びている。案内板によれば1898年、当時ドイツ領だったエルザス Elsass(現 フランス領アルザス Alsace)の工場で製造された古典機 MEG 46 だ。最初はストラスブール路面軌道 Straßburger Straßenbahn で就役し、1923年から中央バーデン鉄道会社 Mittelbadische Eisenbahn-Gesellschaft に移籍した。MEGはその会社の略称だ。

見学用に開放された大きな併設車庫には、気動車や多数の客車がぎっしりと格納されていた。屋外の側線に並ぶ貨車を含めて、車両のコレクションはかなり充実している。

多数の見物人に見守られながら給炭作業を終えた蒸機「ハスペ」は、再び本線に戻り、今度はウォータークレーンから給水を受けた。そして軽やかなブラスト音を残して機回しされていき、さっきの列車の先頭につけ直された。次のギルラート行きの発車時刻は13時ちょうどだ。

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(左)陽を浴びる古典機MEG 46
(右)銘板に製造地と1897年の文字
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(左)客車庫も開放中
(右)気動車や客車を多数格納
 

■参考サイト
ゼルフカント鉄道 https://www.selfkantbahn.de/

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

 ミンデン保存鉄道-風車と運河の郷へ
 火山急行(ブロールタール鉄道) I
 火山急行(ブロールタール鉄道) II

2026年1月25日 (日)

フェン鉄道を歩く

昨年(2025年)6月、ドイツのアーヘン Aachen に宿を取って、風格ある市街とその周辺を訪ねる機会があった。その際、ぜひ行ってみたいと思っていたのがフェン鉄道 Vennbahn の跡だ。

フェン鉄道というのは、アーヘンの南に広がるホーエス・フェン(フェン高地)Hohes Venn を越えてルクセンブルク方面へ延びていた鉄道路線だ。プロイセン国鉄が建設したが、第一次世界大戦でのドイツ敗戦に伴い、ベルギー国鉄に移管された。しかし、過疎地帯につき貨客ともに需要が乏しく、おおむね1980年代には全線で列車が走らなくなってしまった。1990年代に観光列車による活性化が試みられたが、これも10年ほどで終了し、線路はその後大半の区間で撤去されて、自転車道に姿を変えている。

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フェン鉄道跡の自転車道
 
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フェン鉄道の特異な点は、ドイツ領内を通過している区間を含めて、敷地がベルギー領だったことだ。これは大戦の戦後処理によるものだが、この結果、鉄道用地にブロックされる形でドイツの国土に数か所の飛び地が生じた。後に帰属変更された区域も若干あるとはいえ、鉄道がなくなった今でも、多くが飛び地のままで残されている(下図参照、詳細は「フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史 I」「同 II」に記述している)。

国境が絡んだ廃線跡はたいへん興味深いが、本線だけでも100kmを越える長さがあり、短期旅行者の身で全貌を追うわけにはいかない。気温の高い季節でもあり、今回は鉄道沿いに運行されている路線バスを乗り降りしながら、ほんの一部を徒歩でたどるにとどめたことをご了解願いたい。

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フェン鉄道のルート北半(赤の実線・破線)
すでに大部分が休止または廃止済
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飛び地付近の拡大図
図中の1~5がドイツ領の飛び地

まず目指したのは、フェン鉄道の経由地の一つで、アーヘンの南30kmにあるモンシャウ Monschau という田舎町だ。フェン高地を水源とするルーア川 Rur が刻む深い谷間に、灰色のスレート屋根がひしめく美しい市街地がある。第二次世界大戦ではいち早く米軍に占領されたため、ドイツの他都市のように戦禍をこうむることなく、近世からの景観が保たれた。今ではアイフェル地方の真珠 Perle der Eifel と呼ばれて、けっこう人気の観光地になっている。

あいにくアーヘン中央駅 Aachen Hbf から直接モンシャウへ向かうバスはない。DB(ドイツ鉄道)アプリの指示によれば、SB63系統ジンメラート Simmerath 行きに乗り、途中のレートヘン(レーチェン)郵便局前 Roetgen Post(下注)で SB66系統モンシャウ行きに乗り換えよとのこと。後でよく調べたら、両系統ともアーヘン中心部のバスターミナル Bushof から出ているのだが、途中の経路が異なるため、SB66は中央駅を通らないのだ。

*注 ウィキペディア独語版によると、Roetgen の発音は [ʁøːtçən] で、音写するとレートヘン、レートヒェンあるいはレーチェンになる。なお、現地のバスの車内アナウンスでは、ロイチンのように聞こえた。

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アーヘン中央駅
 

バスは郊外に出ると、森の中の2車線道を軽快に飛ばしていく。フェン高地を横切る連邦道258号に合流した後は、けっこうな上り坂になった。アーヘンの高度は200m前後だが、レートヘンでは400mを越え、サミットは550mほどになる。フェン鉄道の軌跡が大きく蛇行しているのも、距離を引き延ばすことでこの高度差を克服しようとしたからだ。

レートヘンで乗換えたバスは、森を抜け、のどかな集落や牧草地をしばらく走り、最後に細かいカーブを切りながら谷を降りていった。アーヘンからちょうど1時間、終点モンシャウ・アルトシュタット(旧市街)Monschau Altstadt のバス停は、旧市街の北口の前だ。

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(左)路線バスでモンシャウへ
(右)終点モンシャウ・アルトシュタットに到着
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1:20000地形図に歩いたルート等(赤)を加筆
+記号の列が国境線、カラーのエリアがベルギー領
モンシャウ付近
ベルギー官製1:20,000 43 7-8 Reinartzhof-Hoscheit 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 

バスを降りてもなお下り坂で、緩く曲がる石畳道の両側に、石壁やハーフティンバーの家屋が軒を連ねている。歩を進めるとその奥に、高台から町を見下ろしている城塞や、玉ねぎ形のドームを載せた教会の尖塔がちらちらと覗く。地図を頼りに小高い展望台に寄り道して、狭い谷の底から斜面にかけて広がる町のパノラマを堪能した。

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(左)石畳道の奥にモンシャウ城が覗く
(右)福音派教会の尖塔も目印に
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展望台からの城と旧市街のパノラマ
 

モンシャウは歴史的にはフランス語圏で、1918年までフランス語名のモンジョワ Montjoie と呼ばれていた。今のドイツ語名に改称されたのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、大戦終結の講和条約でベルギー編入の対象にされることを危惧したためだとされる。確かにグレー基調のシックな都市景観は、ベルギーのフランス語圏、ワロン地域 Région wallonne のどこかにあってもおかしくない。

鮮やかな花々に彩られたマルクト広場から、ルーア川に面して建つローテス・ハウス Rotes Haus と福音派教会の前を通り、路地の石段を、丘の上のモンシャウ城址 Burg Monschau まで直登した。しかし800年の歴史をもつという城郭は案外狭く、しかもイベント用のやぐらが組んであるのがいささか興ざめだった。

■参考サイト
モンシャウ旧市街のGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/LHk34NxfqGUEBa8K9

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ルーア川沿いに続くマルクト周辺の町並み
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18世紀の貴族の館ローテス・ハウス(正面左)と
福音派教会に渡る鉄橋
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モンシャウ城址
(左)円塔 (右)イベント用のやぐらが組まれた城内
 

街巡りの後は、いよいよ本題のフェン鉄道跡を見に行く。かつてのモンシャウ駅は、町からはずれた高原の上に設置されていた。

小道をさらにたどって高原の上位面へ。のどかな住宅地の中を北へ15分ほど歩いたところで、旧駅の入口が見えてきた。駅はベルギー領だったので、ここで国境線をまたぐはずだが、目印になるようなものは見当たらない。ベルギー側と思われる個人宅の前の砂利道を奥へ進むと、森を切り開いたような空間に一条の舗装道が延びていた。北側(アーヘン方)に、バスの待合所のような休憩施設も見える。

傍らに立つ案内板には、独蘭仏英の4か国語でこう記されていた。「フェン高地のユニークな景観を抜けてアーヘンからトロワヴィエルジュ Troisvierges に至る旧フェン鉄道は長さ125kmで、ヨーロッパ最長の自転車道の一つです。勾配はわずか平均2%で、どんなサイクリストにとっても最も魅力的なコースの一つになっています。」

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モンシャウ駅跡の自転車道
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(左)モンシャウ駅の表札がある休憩所
(右)自転車道案内板
 

現在、旧フェン鉄道はドイツ、ベルギー、ルクセンブルクの3か国にまたがる国際自転車道として開放されている。同時に、ベルギー・ワロン地域の廃線跡自転車道ネットワーク「RAVeL(Réseau autonome de voies lentes、公設低速道路網の意)」の一部でもあって、沿道の距離標識にはその道路番号 L48(下注)が添えてある。きょうはこれを4.2km北のコンツェン駅跡まで歩くつもりだ。

*注 L48はアーヘン~ザンクト・フィート Sankt Vith 間。

朝から快晴で日差しは強いが、高原は風がよく通り、案外涼しい。モンシャウ前後のルートは目立った勾配もないから、サイクリングには最適だろう。さっそく北へ向かって歩き出すと、自転車を駆るペアやグループとたびたび行き違った。

ベルギーの官製地形図には、沿道に小さな赤丸の記号と Gr で始まる英数字が点々と打たれている(下図参照)。Gr はオランダ語で境界標を意味する Grenspalen の略で、国境標の位置と番号を示すものだ。しかし、実際の標石は路傍に生い茂る草むらに埋もれてしまったのか、一向に目に入らない。

フェン鉄道のこの区間は1934年まで複線だったし、用地には駅や築堤・切通しの法面なども含むので、ある程度の横幅があるはずだ。とはいえ、異国の地で丈の高い草をかき分けて探し回るのは、さすがにためらわれる。そのうち一つぐらい見つかるだろうと放念して、先へ進んだ。

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(左)一般道との交差点
(右)残された鉄道信号機
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サイクリストと行き違う
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同 コンツェン付近
ベルギー官製1:20,000 43 7-8 Reinartzhof-Hoscheit 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 

しばらくすると左手に農地が広がり、ぽつんぽつんと農家も見えてくる。ここまでは左右ともドイツ領で、ベルギー領の自転車道はその海に浮かぶ紐のような通路だった。しかし、46.0kmの距離標の手前で進行方向左側がベルギー領に変わる。つまりこの先は、線路用地の右端が両国の国境になるのだ(下注)。もちろん周りの風景には何の変化もないので、単なる脳内認識に過ぎないのだが。

*注 上掲の地形図では北へ約350mの間、左側を並走する道路がドイツ領として描かれているが、これはすでにベルギーに帰属替えされている。

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ベルギー領に変わる地点(国境の概略位置を加筆)
 

右手の森の蔭にコンツェン Konzen の集落の一部が現れた。コンツェン駅が間近だが、その前に注目すべきポイントがある。それはリュックシュラーク Rückschlag と呼ばれる最小のドイツ領飛び地だ。

これは1軒の住宅敷地で、線路の左側にもかかわらず旧モンジョワ郡に属していたためドイツ領で残された(下注)。東西150m×南北110mの少しひしゃげた矩形で、面積は0.016平方km、東京ドームの約1/3だ。個人宅としては十分広いが、国土として見ればいかにも小さい。

*注 三方の隣接地は旧オイペン郡だったので、鉄道用地とともにベルギーに割譲された。

自転車道からそれて確かめに行くと、それは屋敷森に包まれた農家だった。周りは耕作地のようだが、隣のベルギー領の手入れされた牧草地とは違って、夏草がぼうぼうと茂っている。だが、うれしいことに敷地の南東角に、国境を示す石標が見つかった。地形図によれば Gr 756 で、日なたの南面にベルギーを表す B の文字が読み取れる。

気をよくして敷地の北東角にも行ってみると、小さな溝の脇にまた B の文字が刻まれた石標があった。こちらは白いペンキで759と、標番つきだ。

■参考サイト
リュックシュラークのGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/jYWfRJ7NCsuLpkMM7

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最小の飛び地リュックシュラーク(国境の概略位置を加筆)
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リュックシュラークの国境標
(左)南東角のGr 756 (右)北東角のGr 759
 

まもなく右手から、朝バスで通った連邦道258号が接近してくる。コンツェン駅跡には、モンシャウにあったのと同様の休憩所が置かれ、地図を載せた案内板が立っていた。さらに400mほど北の旧構内北端では、プラットホーム状の土留めがしてあり、復元駅名標や信号機がオブジェのように立ち並んで、駅の記憶を伝えていた。

自転車道は、ここで連邦道と交差してランマースドルフ Lammersdorf の方へ迂回していくが、追い続けるには時間が足りない。探索を中断し、コンツェン駅 Konzen Bahnhof の名を残す近くの停留所からアーヘン行きのバスに乗った。

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コンツェン駅跡
(左)休憩所 (右)構内北端に集められたオブジェ群
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復元された駅名標
写真では見えないが、後ろの草むらに線路(移設されたもの)が埋まる
 

もう1か所訪ねたい区間がある。鉄道はランマースドルフを経由した後、アーヘンに向けておおむね1:60(16.6‰)の下り勾配で高原の北斜面を降りていく。その坂道を実感してみたかったのだ。往路と同じレートヘン・ポストの停留所でバスを降りた。少し手前で自転車道が連邦道を横切っているので、そこから再び自転車道に足を踏み入れる。

地図では、廃線跡が南西側に膨らみながら、集落のへりをかすめていると読める。しかし、実際には両側に木が生い茂って、自転車道を行く限り、モンシャウあたりの野の道と大して変わらなかった。明らかに違うのは道につけられた勾配で、自ずと歩く足取りが軽くなる。

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レートヘン・ポスト停留所で途中下車
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同 レートヘン付近
ベルギー官製1:20,000 43 3-4 Petergensfeld-Lammersdorf 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 
 

木々に遮られて気づくのが遅れたが、いつのまにか周囲より高い築堤の上にいた。ヴェーザー川 Weser の浅い谷に張り出した区間で、街路とは立体交差している。

ミューレン通り Mühlenstraße の踏切跡では、左側にきょう3個目の境界標 Gr 884 を見つけた。刻まれたB、D(ドイツ Deutschland の頭字)と884の英数字が白ペンキで強調されている。ここと連邦道踏切跡との間約100mは、鉄道跡とベルギー「本土」とがつながっているため、ドイツの飛び地が二分される。

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(左)レートヘンの自転車道
(右)築堤下の街路と立体交差
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道路脇の目立つ場所にあった国境標 Gr 884
 

再び連邦道を横断すれば、レートヘンの駅跡だ。連邦道のすぐ脇にカフェが開いていて、サイクリストのグループが休憩中だった。その奥の駐車場のあたりが駅舎のあった場所で、コンツェンと同じように信号機や復元駅名標が並んでいる。少し離れてデザインの違う駅名標もあったが、実はこちらが廃止前からホームに立っていた本物だ。

そのレートヘン駅を後にすると、フェン鉄道は再びドイツの中の紐状の通路となり、地形の起伏をなぞりながら大きく東に迂回していく。そして、ベルギーのオイペン Eupen 方面との分岐駅だったラーレン Raeren 駅に着くまで、高原斜面の深い森をひたすら縫う孤独の旅に出るのだ。

■参考サイト
レートヘン駅跡付近のGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/uz4yGyy6SvmgfS5K8

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連邦道から見たレートヘン駅跡
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レートヘンの駅名標
(左)復元された旧デザイン
(右)新しいデザインだがもとからホームにあったもの
 

■参考サイト
フェン鉄道跡自転車道 https://www.vennbahn.eu/

★本ブログ内の関連記事
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト

 フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史 I
 フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史 II
 ドイツ・ベルギー・オランダ三国国境会合点

2026年1月15日 (木)

ラ・リューヌ登山鉄道-ピレネー西端の展望台へ

プティ・トラン・ド・ラ・リューヌ(ラ・リューヌの小列車)Petit Train de la Rhune

コル・ド・サンティニャス(サンティニャス峠)Col de Saint-Ignace ~ソメ・ド・ラ・リューヌ(リューヌ山頂)Sommet de La Rhune 間 4.25km
軌間1000mm、三相交流3000V 50Hz電化、シュトループ式ラック鉄道、最大勾配250‰
1924年開通

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ラ・リューヌ山頂の登山列車

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フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈、その最西端に位置する山がラ・リューヌ(リューヌ山)La Rhune だ。標高900m(下注1)とさほど高くはないが、大西洋岸から10kmしか離れていないため、晴れた日の山頂からは、両国にまたがるバスク海岸 Côte Basque の、遮るもののない眺望が得られる。ラ・リューヌ登山鉄道 Petit Train de la Rhune(下注2)は、その山頂へ観光客を連れていく。

*注1 下図では905mと記されているが、IGN地形図では900m。
*注2 「登山鉄道」はあくまで意訳で、原語は「ラ・リューヌの小列車」を意味する。

これはフランスに5本あるラック鉄道の一つ(下注)で、シュトループ式ラックレールを用いて、最大勾配250‰の坂道に挑む路線だ。珍しいのは、起点が山麓ではなく、標高169mのサンティニャス峠 Col de Saint-Ignace の上にあることだ。それには路線の成り立ちが関係している。

*注 他の4本は、シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc、クレルモン・フェラン近郊のパノラミック・デ・ドーム Panoramique des Dômes、リヨンのメトロC線の一部区間。

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リューヌ山遠望
手前はアンダイエのアバディア城 Château d'Abbadia(2020年)
Photo by PierreD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ラ・リューヌ登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

峠には、かつて海岸のサン・ジャン・ド・リュズ Saint-Jean-de-Luz からアスカン Ascain を経て内陸のサール Sare に至るメーターゲージ、粘着式の電気鉄道が通っていた。ミディ(南部)県鉄道 Voies Ferrées Départementales du Midi(下注)が地域に張り巡らせた路線網の一部で、登山鉄道はそれに接続するいわば支線だった。

*注 ミディ県鉄道は、国有化以前の大手私鉄、ミディ鉄道(南部鉄道)Chemins de fer du Midi の子会社で、バス・ピレネー県 Département des Basses-Pyrénées(現 ピレネー=アトランティック県 Pyrénées-Atlantiques)西部にメーターゲージの路線網を有していた。名称は県鉄道だが、県営ではない。

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サン・ジャン・ド・リュズ=サール線のサンティニャス峠駅
右端に現 登山鉄道駅舎と接続線路が写る
現地の説明パネルを撮影
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サンティニャス峠駅の絵葉書
登山鉄道の線路が左奥へ延びる
手前の線路はサン・ジャン・ド・リュズ=サール線
現駅舎はまだ建っていない
Photo from wikimedia. License: public domain
 

見晴らしのいいラ・リューヌ山頂へ鉄道を延ばすという構想は1908年に発表されている。1912年に着工されたものの、第一次世界大戦の勃発で中断を余儀なくされ、12年の歳月をかけて1924年にようやく開通した。その年の4月25日に2.65km地点のレ・トロワ・フォンテーヌ Les Trois Fontaines まで暫定運行が始まり、6月30日に開業列車が念願の山頂到達を果たした。

先述のサン・ジャン・ド・リュズ=サール線が開通したのも同じ時期だ。この路線やそれにつながる周辺の鉄道網を通じて、登山鉄道は、沿岸のリゾートに集まる多くの客を惹きつけることができた。

だが、1920年代はモータリゼーションが浸透していく時代でもあった。道路交通の攻勢を受けて県鉄道の利用者は漸減し、経営は苦境に陥る。政府の支援が得られなかったため、1930年代に入ると路線網の縮小が始まり、サン・ジャン・ド・リュズ=サール線も1937年7月1日付けであえなく廃止となった。

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山頂近くを続行する登山列車
 

逆風のなか、登山鉄道だけが生き残ったのは、山上に通じる一般道がなかったからだ。孤立路線になっても、客はみなバスや自家用車でやってくる。起点の駅前には、大型車も停められる広い駐車場が用意された。

しかし、1970年代に鉄道は、もう一度岐路に立たされたことがある。山を上る道路の整備計画が持ち上がり、その建設の是非を問う住民投票が実施されたのだ。道路ができれば鉄道にとって大きな打撃となるところだったが、結果は、否定の票が多数を占めた。

現在、登山鉄道を所有するのは地元のピレネー=アトランティック県だ。運行業務は2012年から、県が設立した高地リゾート公社 Établissement public des stations d’altitude (EPSA) に委託されている。同社は、ピレネー山地にある公有リゾート施設の運営全般を請け負っていて、以前紹介したアルトゥースト湖観光鉄道 Petit train d'Artouste(下注)の運行事業者でもある。

*注 詳細は「アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー」参照。

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山頂駅で出発を待つ

鉄道では、開業時に就役した車両が今なお稼働している。列車の坂下側につくラック機関車 He 2/2 は、本場スイスのSLM/BBC製だ。在籍する6両のうち、3両がラ・リューヌに納入されたオリジナル機になる。1914年に製造が完了していたのに、上述のとおり開業が遅れたため、営業運転に就くまでに10年待たされたという不運の機関車だ。

残りの3両は、1912年からピレネー中部にあったリュション=シュペルバニェール鉄道 Chemin de fer de Luchon à Superbagnères(下注)で走っていた。この路線もミディ鉄道の子会社の運営で、設備仕様がラ・リューヌと共通だったことから、1966年の路線廃止後、こちらに引き取られた。

*注 麓のリュション Luchon からシュペルバニェール高原 Plateau de Superbagnères へ上っていた長さ5.65kmのラック鉄道。ラ・リューヌより早い1912年の開業だが、1960年に並行して道路が開通したため、1966年に廃止された。現在はこの区間にゴンドラリフトがある。

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(左)ラック機関車He 2/2
(右)運転室(いずれも2023年撮影)
 

2軸の小型機関車は、ニスで艶出しした栗の羽目板で覆われ、いかにも古風な外観を呈している。だが、それよりも目を引くのが、屋根に載るユニークな形状の三相交流用集電器だろう。2本の架線に対応する2本の集電子が前後に並んで、どこかトナカイの角を思わせる。

三相交流は、単相に比べて安定した電流が得られるため、商用電力では一般的だ。鉄道界でも19世紀末から導入された(下注)が、装置をより簡素化できる単相交流や直流に取って代わられ、もはやほとんど残っていない。

*注 三相交流は、位相を120度ずつずらした3組の電圧を用いる方式。鉄道に用いられた最初の例は、1899年に開業したスイスのブルクドルフ=トゥーン鉄道 Burgdorf-Thun-Bahn(現 BLS路線網の一部)だが、1932~33年に単相交流に転換された。

今なお三相交流で動いているのは、ラ・リューヌのほかに、スイスのユングフラウ鉄道 Jungfraubahn とゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn、ブラジル・リオデジャネイロのコルコヴァード鉄道 Trem do Corcovado の3路線しかない。いずれもラック方式の登山鉄道(下注)で、世界的に見ても貴重な存在といえる。

*注 登山鉄道にのみ残っている理由については、ウィキペディア「三相交流による鉄道電化」の項に解説がある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/三相交流による鉄道電化

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(左)三相交流用集電器
(右)駅前広場に置かれた駆動部のオブジェ
 

機関車の坂上側につく2両のオープン客車も、同じ栗の羽目板が張られたオールドタイマーだ。車内は6室のコンパートメントに分かれていて、それぞれ5人掛けのベンチシートが向い合う。窓枠に留めてある紅白縞の派手なカーテンは、厚手で防水仕様になっている。海からの湿った北西風がしばしば山に雲を呼び、雨をもたらすからだ。

乗員は1列車につき二人。山上行きでは、そのうち一人が先頭客車のデッキに乗って前方を確認し、緊急ブレーキを扱う。

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(左)オープン客車
(右)ベンチシートが並ぶ車内

訪れたのは6月、登山鉄道は9時30分から15時30分まで40分間隔、1日8往復のダイヤだった。朝日のさすサンティニャス峠の駅前はまだ人影も少なかったが、駅の案内板に表示されている一番列車の残り席数は23席だ。列車定員は120人だから、多くの人はネット経由で事前に席を押さえているのだろう。

出札口で買った乗車券の二次元コードをかざして、改札機を通過した。構内は1面1線のシンプルな構成だ。古い写真には道路側にもう1線写っているが、とうに撤去されてしまったようだ。サン・ジャン・ド・リュズから来る路線バスが通過するころには、駐車場からも人が続々と集まってきて、狭いホームはいっぱいになった。

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朝日のさすサンティニャス峠駅前
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(左)残り席数の案内板
(右)コンパートメントの案内図
 

発車7分前に、森の蔭から機関車を先頭にして、一番列車が姿を見せた。ホームに到着すると、スタッフが客車の腰高扉をバタバタと開けていく。客は、1から12までそれぞれ指定された番号のコンパートメントに向かう。今朝は天気がいいので、見た限りでは満席のようだ。

警笛が鳴って、列車は駅を定刻に発車した。のっけから結構な坂道だが、まもなく勾配が和らぎ、右に引込線を分けた。線路の奥に見える建物は、孤立路線になるときに建設された3線収容の車庫 兼 整備工場だ。すぐにまた急勾配になり、車庫が右手下方に遠のいていく。列車はそこからしばらく、前山の浅く急な谷間を上り続けた。

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一番列車が現れる
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(左)狭いホームは人でいっぱい
(右)続々と指定の席に乗り込む
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(左)車庫への分岐
(右)車庫の同僚機を見送る(いずれも2023年撮影)
 

10分ほどすると尾根の上に達したようで、約1kmの間、階段の踊り場のような平坦区間に入る。左手にラ・リューヌ山の東の尾根筋、奥にはサール盆地 Bassin de Sare やピレネーの山並みが広がる。その晴れやかな風景を望みながら、列車は前山の南斜面をほぼ水平に横切っていく。露岩の出っ張りを切通しと急カーブで抜けると、進行方向にラ・リューヌ山の本体が現れた。山頂に建つ赤白の電波塔や、そこへ向かって斜面を上っていく鉄道のルートがはっきり見える。

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前山の露岩の切通し
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左車窓にサール盆地とピレネーの山並み
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ラ・リューヌ山頂へ上っていく線路
 

平坦区間の中ほどに、クロワズモン Croisement 信号所がある。起終点駅がいずれも棒線のため、到着した列車は次の列車のために線路を空けなければならない。それで40分サイクルの場合、山上行き一番と山麓行き最終を除いて、必ずこの信号所で行き違うダイヤになっている。実際、帰りはここで山上行き2本とまとめて対向した。各回とも1本の列車で客をさばききれないときは、第2編成が続行運転されるのだ。

穏やかな平坦区間は、前山とラ・リューヌ山に挟まれたレ・トロワ・フォンテーヌ(三つの泉)Les Trois Fontaines と呼ばれる鞍部までだ。ここはまた、1924年4月25日の暫定開通時の終点でもある。1987年まで同名の停留所が残り、列車交換も行われていたが、今では線路わきにぼんやりと空地が広がるだけだ。

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帰りはクロワズモン信号所で列車交換があった
 

ここからはいよいよ、ラ・リューヌ山本体を上る胸突き八丁にさしかかる。直登するには急過ぎるため、線路はいったん左に振って距離を引き延ばしてから、おもむろに右に折れて山頂を目指している。標高700m付近で松林が消えると、車窓右手には遮るもののない大パノラマが開けた。

手前の山腹には、今さっき通った平坦区間が一条の擦痕のように延びている。前山の向こうは、山脈と海の間を埋める緑の丘陵地で、その奥は大西洋(下注)の大海原だ。進行方向に目を移すと、あれほど小さく見えた山頂の電波塔が、もう見上げる高さにそびえている。まもなく列車は標高886m、白壁の駅舎の前の狭い終点ホームに滑り込んでいった。

*注 フランス南西岸とスペイン北岸に囲まれる海域で、フランス語でガスコーニュ湾 Golfe de Gascogne、英語ではビスケー湾 Bay of Biscay と呼ばれる。

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山頂からのパノラマ
前山と山腹の信号所
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同 サン・ジャン・ド・リュズ市街と丘陵地
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同 アンダイエ方面、湾の対岸の半島はスペイン領
 

列車を降り、駅から続く階段を何十段か上れば、もうサミットの展望台だ。2年前に一度来たときは濃霧で視界がきかなかったが、きょうは快晴、サン・ジャン・ド・リュズの湾入からアンダイエ Hendaye の対岸の半島まで、沿岸地帯の風景が手に取るように見える。

山頂には、鉄道駅と電波塔のほかに休憩施設が2棟建っているが、壁に記された文字はスペイン語だ。地図によると、展望台と休憩施設の間にフランスとスペインの国境線が通っている。しかし、それを示すはずの標石はどこにも見つからない。この広く澄んだ空の下では、土地の細かい線引きなど瑣末なことなのかもしれない。

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山頂駅に到着
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展望台
電波塔はフランス側、休憩施設はスペイン側

登山鉄道は冬季を除いて毎日運行していて、片道の所要時間は35分だ。ローシーズンは1日5往復とのどかなものだが、7~8月のハイシーズンには40分間隔のピストン運行になり、1日に14~15往復が走る。注意すべきは、乗車券が往復セットで販売されていることだ。列車と座席が指定され、山頂での自由滞在1時間20分を含め、全体で2時間30分のツアーとなる。

なお、サンティニャス峠の起点駅へは路線バスで行ける。SNCFサン・ジャン・ド・リュズ駅前のバスターミナルから、45系統サール Sare 行きで21分だ。月~土曜は1時間ごと、日曜祝日も7往復と、旅程を組むのに支障のない頻度で運行されている。時刻表は下記の公共交通案内サイトを参照されたい。

写真は特記したものを除き、2023年7月と2025年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ラ・リューヌ登山鉄道 https://www.rhune.com/
チクタク(公共交通案内)https://www.txiktxak.fr/

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2026年1月 5日 (月)

ポリ鉄道(ポリバーン)-学問の丘のミニ路線

ポリ鉄道 Polybahn

鋼索鉄道(単線交走式)
セントラル Central~ポリテラッセ Polyterrasse 間 0.176km(斜長)
軌間1000mm、最大勾配230‰、高度差41m
1889年開通

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ビルの2階から飛び出すポリ鉄道の車両

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チューリッヒ中央駅 Zürich HB の駅前から東へ歩き、リンマート川 Limmat を渡ったところにある広場が、セントラル Central だ。北側に建つ格式あるホテル・セントラル Hotel Central(下注)にちなんで命名された。1950年までレオンハルト広場 Leonhardsplatz と呼ばれていたように、名目は広場だが、実態は市電の一大ジャンクションだ。文字どおり四方から集まり散っていく線路とそのホームで、平面の多くが埋め尽くされている。

*注 1883年創業。現在の正式名称はセントラル・プラザホテル Central Plaza Hotel。central は英語またはフランス語の綴り(ドイツ語は zentral(ツェントラール))なので、ここでは英語読みとした。

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セントラルに集まる市内トラム
右端の建物がホテル・セントラル
 

市内トラムの系統6本(3、4、6、7、10、15系統)に加えて、トロリーバス路線2本(31、46系統)もここで乗換えができるが、もう一つ、忘れてならないのがポリ鉄道(ポリバーン)Polybahn だ。

これはケーブルでつながれた2台の車両が行き来する交走式ケーブルカーで、セントラルと、チューリッヒ工科大学 ETH Zürich 本館近くのポリテラッセ Polyterrasse(テラッセ Terasse はテラスの意)の間を結んでいる。全長わずか176mのミニ路線ながら、最大230‰の勾配で高度差41mを克服する(下注)。

*注 諸元は公式サイトの記述に拠る。

チューリッヒ工科大学は、相対性理論を唱えたアルベルト・アインシュタイン Albert Einstein も若かりし頃に学んだスイスの名門国立大学だ。旧市街を見下ろす高台にそのメインキャンパスがある。鉄道名の「ポリ poly」というのも、大学の旧名である国立技術専門学校 Eidgenössische polytechnische Schule(下注)の愛称に由来している。

*注 英訳では Federal polytechnic school。

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テラスの斜面を上るポリ鉄道の車両
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ポリテラッセとチューリッヒ工科大学本館(2022年)
Photo by Leonhard Lenz at wikimedia. License: CC0 1.0
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チューリッヒ市街東部の1:25000地形図
左端のZürich HBが中央駅、その右にポリ鉄道
© 2025 swisstopo
 

開業以来、学生・教員ら大学関係者が多く利用し、「ポリ」への通学路線として親しまれてきたが、もとはそのためだけに計画された鉄道ではない。

大学の裏手には、標高676mのチューリッヒベルク Zürichberg に続く西向きの傾斜地が広がっている。ドルダー鉄道(下注)と同様、そこで観光開発が目論まれていて、ケーブルカーはそのための交通手段だった。全体は2区間に分かれ、下部区間は、セントラルから現在のポリテラッセに至る交走式、それに続く上部区間は、標高600m台にある旧シュレスリ・レストラン Restaurants Schlössli 下まで循環式ケーブルカーを建設する計画だった。

*注 ドルダー鉄道については「ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車」参照。

前者は、新たに設立された運営会社チューリッヒベルク鉄道 Zürichbergbahn が1888年に着工、翌89年1月に開業した。これが現在のポリ鉄道になる。しかし後者は、ツェントラーレ・チューリッヒベルク鉄道 Zentrale Zürichbergbahn (ZZB) が別途申請した路面軌道計画(下注)と競合するとして、建設認可を得られなかった。

*注 この路面軌道は1895年に開業したが、1905年に市に買収されて市電路線網の一部になった。現 5系統の東半区間に相当する。

時代からして、初期のポリ鉄道はウォーターバラスト(水の重り)方式で動いていたが、わずか8年後の1897年に電気式に転換されている。軌間は955mm、軌道は上下線が中央のレールを共有する3本レール、非常ブレーキ用のラックレールはリッゲンバッハ式ではなく、2枚歯のアプト式だった。

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(左)3本レール時代のポリ鉄道
  セントラル駅のパネルを撮影
(右)ブレーキ用のアプト式ラックレールを備えた旧軌道の断片
 

第二次世界大戦後は赤字に転落したため、運営会社は1970年代初めに、次の認可更新を行わないことを表明した。支援組織が運行継続を求めて活動を始めたが、それでも休止は不可避と思われていた。ところが、期限が迫った1976年、当時のスイス銀行 Schweizerische Bankgesellschaft (SBG) がにわかに救済に動き出す。銀行の出資で新会社 SBGポリ鉄道 SBG-Polybahn AG が設立され、鉄道の運営を引き継いだ。

1996年には老朽化した設備が全面改修されて全自動運転になり、車両も木製車体から鋼製に更新された。軌間が1000mm(メーターゲージ)、2本レールの単線交走式に変更されたのもこのときだ。

親会社の社名変更に伴い、現在はUBSポリ鉄道が正式名称になっている。実際の運行業務はチューリッヒ市交通局 Verkehrsbetriebe Zürich (VBZ) によって行われ、24系統として市内の公共交通網の一部を構成している。運賃は市内ゾーンの範囲内で、スイストラベルパスも通用する。

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山上へ向け鉄橋を上る

セントラルの市電ホームに立って周辺を見回しても、ポリ鉄道の乗り場はなかなか目につかない。というのも、ドルダー鉄道と同様、出入口がビルの一角にあり、乗り場自体もビルの中に組み込まれているからだ。広場の南側に建つ商業ビルの地上階、スターバックスの隣に POLYBAHN と記された赤い看板が上がっている。

中に入ると、目の前に階段状のホームがあった。2面1線の構造で、坂上に向かって右が乗車用、左が降車用になっている。5分ごとの頻繁運転なので、待つ間もなく赤い車両がホームに入ってきた。車内はコンパートメント3室と、坂上側にオープンデッキ、坂下側にクローズドデッキがある。コンパートメントにはベンチシートが向かい合うが、所要時間が1分40秒と、あっという間なので、デッキで済ませる人が多い。

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スターバックスの右隣にある駅入口
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(左)入るとすぐに階段状のホームが
(右)車両の坂上側はオープンデッキ
 

乗員はおらず、扉の開閉も完全自動だ。時間になると、ポンというチャイムとともに扉が閉まり、すぐに動き出した。ビルを出ると、主要街路のザイラーグラーベン Seilergraben(下注)をまたぐ鉄橋を渡っていく。この鉄橋はチューリッヒ市街地の名物の一つで、通りで待っていると、ビルの2階から赤い車両が斜めに飛び出すユニークな光景に出会える。タイミングが合えば、その下を走る3系統のトラムと一緒に画角に収めることも可能だ。

*注 ザイラーグラーベンは、ザイラー濠の意。道路になる前は旧市街を囲む市壁の外濠だった。ザイラーというのは綱(ザイル)職人の工房があったことに由来する。

鉄橋上の軌道がやや左に寄っているのは、3本レールのうちの右側を外した名残だろう。ただし軌間が拡張されたので、中央レールは中心位置にない。

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(左)発車してビルの外へ
(右)軌道が左に寄るのは3本レール時代の名残
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ビルの2階に吸い込まれる下り車両
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ザイラーグラーベンの上空を行く
 

鉄橋を渡り終えないうちに、早くも中間ループが始まった。左にカーブしながら進んでいき、対向車両とゆっくりすれ違う。そのループが収束する先にはもう軌道の終端が見えていて、車両は音もなく上部駅ポリテラッセのホームに滑り込んだ。

下部駅とは対照的に、駅舎は木造、切妻屋根の建物だ。窓ガラスの素朴な装飾やハーフティンバーの外壁が、アルプスの山小屋を思わせる。内壁にはしご状のものが立て掛けてあるのでよく見たら、3本レール時代の軌道の断片だった。中央にブレーキ用のアプト式ラックレールも付属している。

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(左)ザイラーグラーベンにトラムの姿も
(右)下り車両と行き違い
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(左)ループを抜けるとすぐにポリテラッセ駅
(右)到着、降車は坂上に向かって左扉から
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(左)山小屋風のポリテラッセ駅舎
(右)窓から柔らかな光が差し込む
 

セントラルから大学へは、トラム6系統か10系統でも行けるとはいえ、坂道だけを回避したいのならポリ鉄道が最適だ。まさにエスカレーター代わりで、年間170万人の利用者があるというのも頷ける。駅舎を出て右に行くと、駅名になったポリテラッセ(大学本館前のテラス)がある。比高40mの高みから中心部の町並みを見渡して、駅に戻ることにしよう。

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ポリテラッセからの市街地の眺め(2019年)
Photo by Ank Kumar at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

■参考サイト
ポリ鉄道 https://www.polybahn.ch/

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 ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車
 チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道
 チューリッヒ保存鉄道-ジールタール線の懐古列車

2025年12月31日 (水)

ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車

ドルダー鉄道 Dolderbahn (Db)

レーマーホーフ Römerhof~ドルダー Dolder 間 1.328km
軌間1000mm、直流600V電化、フォン・ロール式ラック鉄道、最大勾配196‰
1895年ケーブルカーとして開通
1973年ラック鉄道に改築、ヴァルトハウス Waldhaus~ドルダー間延伸

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山麓駅レーマーホーフに接近するドルダー鉄道の電車

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スイス最大の都市チューリッヒ Zürich は、チューリッヒ湖 Zürichsee からリンマート川 Limmat(下注)が流れ出す地点に築かれた町だ。近世までは堅固な市壁に護られた要塞都市だったが、19世紀後半になると壁を越えて市街地が拡大していった。東側に横たわる緑の丘陵地にも開発の波は及び、今では湖岸や河岸から2km前後、高度差にして200mの高みまで宅地に覆われている。

*注 日本語への音写ではリマト、リマートも見られる。

こうした新しい町の住民の足代わりになってきたのは、最初、馬車であり、次に路面軌道だった。東の丘陵地、現在の7区のエリアには、1894年から翌95年にかけてチューリッヒ電気軌道 Elektrische Strassenbahn Zürich (EStZ) と、ツェントラーレ・チューリッヒベルク鉄道 Zentrale Zürichbergbahn (ZZB) のトラム路線が相次いで開業している。前者は1896年、後者は1905年に市に買収され、市電網の一部になった(下注)。

*注 前者は現 11系統の東半、後者は現 5系統の東半区間に相当。

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アドリスベルクとドルダー・グランドホテル(2015年)
© Roland Fischer, Zürich (Switzerland) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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アジュール通り Asylstrasse を下る3系統のトラム
 

同じ時期に、急勾配に対処できるケーブルカーも導入された。一つはアドリスベルク Adlisberg の山腹を上っていくドルダー鉄道 Dolderbahn (Db) で、今はラック鉄道だが、最初はケーブルカーで開業した。もう一つは、高台にあるチューリッヒ工科大学 ETH Zürich のキャンパスに上がるポリバーン(ポリ鉄道)Polybahn というミニ路線だ(下注)。

*注 なお、隣接する6区の丘陵斜面にも、1901年にリギブリック・ケーブルカー Seilbahn Rigiblick が開業している。

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チューリッヒ市街東部の1:25000地形図
左端のZürich HBが中央駅
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ市民の足として親しまれている2本の登山ならぬ「登坂」鉄道のうち、今回はまず、ドルダー鉄道について見ていこう。

ドルダー鉄道は、上述したチューリッヒ電気軌道 EStZ の山手区間、ベルヴュー Bellevue~プファウエン Pfauen~レーマーホーフ Römerhof~クロイツ広場 Kreuzplatz 間の路線と同時に計画されたものだ。東部丘陵(下注)のピークの一つに、標高701mのアドリスベルクがある。その中腹に位置する見晴らしのいいドルダー地区で目論まれていた観光開発のためのアクセス手段だった。

*注 最高地点のピークの名を取って、プファンネンシュティール丘陵 Pfannenstiel-Höhenzug と呼ばれる。

ケーブルカーのドルダー鉄道は1895年7月に開業した。全長816m、メーターゲージで中間に行き違いループをもつ単線交走式の路線だった。

起点駅は、山麓のレーマーホーフ Römerhof という居酒屋 兼 宿屋の隣に設けられ、前の広場に電気軌道の停留所があった。レーマーホーフはその後1899年に、店舗と住居が入る立派なビルに改築されたが、広場の地名としてもすっかり定着し、駅や停留所の名になっている。

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開通間もないころの山麓駅
右手前にレーマーホーフの一部が写る(1900年ごろ)
Photo from Swiss National Library, EAD-ZING-7450. License: public domain
 

一方の山上駅は、チューリッヒ湖を眼下に見晴らす標高約550mの地点に置かれた。ヴァルトハウス・ドルダー(ドルダー森の家)Waldhaus Dolder という名の居酒屋 兼 宿屋が造られ、駅も同じ名で呼ばれた。

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山上駅付近
右の建物はヴァルトハウス・ドルダー(1907年)
Photo from Swiss National Library, EAD-WEHR-14983-B. License: public domain
 

しかし、開発計画はこれにとどまらない。1899年、そこから500m足らずの山手に、保養施設「ドルダー・グランドホテル・アンド・クーアハウス Dolder Grand Hotel & Curhaus」がオープンした。そして駅とホテルの間には、利用客を運ぶ路面電車ドルダートラム Doldertram が走り始める。1両きりの運行車両は、保守整備を市電会社に委託するため、市電と形式を揃えていた。

ドルダー鉄道とドルダートラムの連携運行は1930年まで続いたが、その年の12月31日にトラムが廃止され、翌年から送迎バスに置換えられた。

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ドルダー・グランドホテルの前を行くドルダー・トラム(1905年)
Photo by The Dolder Grand at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、バスも短距離の運行で効率が悪く、客にとって乗換えの不便も変わらない。そこで運営会社は、運行認可の更新を機に、鉄道のルートをホテル前まで延伸することを決めた。ケーブルカーでは勾配や曲線の条件が合わなかったため、フォン・ロール式のラック鉄道(下注)に転換することになった。

*注 フォン・ロール式 Von Roll system(ラメラ式 Lamella system ともいう)は、スイスのフォン・ロール社が開発した、1枚の幅広の歯棹を用いる方式。リッゲンバッハ式やシュトループ式の機関車に対応できるため、両方式のレールと混用する鉄道もある。

ラック鉄道は、ケーブルカーに比べて途中駅が自由に設置できるほか、車両検査時などに残りの1両での運行が可能で、コスト削減につながる点も有利だった。同様にケーブルカーからラック鉄道に転換された路線には、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen(1958年転換、下注)、ローザンヌ=ウーシー線 Chemin de fer Lausanne–Ouchy(1958年転換、後の2008年にゴムタイヤ式メトロに再転換)がある。

*注 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線については「アッペンツェルの鉄道群-ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道」参照。

1年余りの工事期間を経て、1973年9月に、装いを新たにした鉄道が再開を祝った。全長は1328mになり、196‰の最大勾配で標高差160mを克服する。

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延伸区間の高架橋を上るBhe 1/2形従来車
 

ドルダー鉄道は長年独自に運行され、運賃も別建てだった。しかし1999年から、業務がチューリッヒ市交通局 Verkehrsbetriebe Zürich (VBZ) に委託され、25系統として市内の公共交通網に組み込まれた。トラムや路線バスと同様に、運賃が市内ゾーンに含まれるようになった。もちろんスイストラベルパスも通用する。

チューリッヒ駅前から3系統の市内トラムに乗り込んだ。レーマーホーフは5つ目の停留所で、所要8分。広場に面して、古代風のモチーフを窓枠や付け柱に施した、5層に見える大きなビルが目を引いている。建て直されたレーマーホーフだ。名称がローマ人屋敷という意味なので、設計者もそれにふさわしい装飾をと意気込んだのだろう。

ラック鉄道の乗り場はどこかと見回すと、中央ポータルの左隣の入口に「Dolderbahn」の文字が見えた。中に入ると、建物を突き抜けた先に、ホームに通じる自動ドアがある。ホームは1線を2面で囲んだいわゆるスパニッシュ・ソリューションだ。

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壮麗な建物のレーマーホーフ
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(左)乗り場入口
(右)建物を抜けた先にホームがある
 

ドルダー鉄道の運行は、1973年のラック鉄道改築に際して納入された単行のBhe 1/2形2両で賄われてきた。車庫がなく予備車もいないので、検査や改修で1両が現場を留守にすると、残る1両でのシャトル運行になる。

訪れた2024年7月はちょうどその時期で、通常10分間隔の時間帯も15分ごとの運行になっていた。全線走行に6分を要するので、往復では12分かかる。そのため起終点での折返し時間が1~2分しかないという、きわめてタイトなダイヤだ。

まもなく、赤地に2本の白帯を巻いた1号電車がホームに入ってきた。扉は手動で、数人が降車したところに、待っていた20人以上が乗り込む。ベビーカーや自転車も持ち込まれて、車内は混んでくる。その間に運転士は反対側の運転席に移動して、すぐに扉が閉まった。

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(左)山上行き電車が到着
(右)混んだ車内
 

電車は駅を出ると、緑の多い住宅地を貫いて、おおむね真直ぐに上っていく。初めのうちは勾配も緩やかで、ラックが要らないくらいだ。途中に1か所、微妙なカーブで右に寄るのはケーブルカー時代の行き違いループがあった名残りだ。

一つ目の駅、ティトリスシュトラーセ(ティトリス通り)Titlisstrasse に停車した。駅といっても片側ホームの停留所で、3人降りる。続いて、現ルートの中間にある行き違いループを通過。10分サイクルのときはここで列車交換が行われるが、今は分岐ポイントも用がない。

勾配が次第に急になり、二つ目の駅でかつての終点、ヴァルトハウス・ドルダーに停まる。路線延伸の際に、建物は改築されて近代的なホテルになった。その1階部分にホームが組み込まれ、線路は建物を通り抜けていく。

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(左)ティトリスシュトラーセ駅
(右)行き違いループを通過
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ヴァルトハウス・ドルダー駅の上方でチューリッヒ湖が見える
 

ヴァルトハウス前後の線路勾配が最も急で、最大値は196‰になる。クーアハウス通りをまたぐと深い森の中に入り、右へ大きくカーブしていく。勾配が和らいでも緑に包まれたままで、気がつくともう終点ドルダー駅のホームだった。

山麓駅と同じく構内はシンプルな2面1線で、奥に Probefahrt(試運転)と表示した大きな正面窓の新車が停まっていた。現在の車両は、就役からすでに50年が経つ。このため、新たにBhe 1/2形2両がシュタッドラー・ブスナング社 Stadler Bussnang に発注され、この3月にまず1両目が現地に到着したというニュースが出ていたから、それに違いない。

今回の減便ダイヤは、この1両が試運転中で客扱いしないことによるものだが、続報によれば、8月に2両目が納入され、9月23日から新型2両で通常ダイヤによる運行が再開されたそうだ。

終点駅は、かつてのドルダー・グランドホテルを拡張した五つ星ホテル、ザ・ドルダー・グランド The Dolder Grand に隣接している。それに、背後の森の周辺は、スケートリンクやゴルフコース、テニスコートが点在していて、鉄道はこのレクリエーションエリアに通う市民にとっても大切な存在だ。

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(左)終点手前の出発信号機
(右)山上駅ドルダー
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試運転中のBhe 1/2形新車
 

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2025年12月25日 (木)

フリブールの重力式ケーブルカー

フリブール・ケーブルカー Funiculaire de Fribourg

鋼索鉄道(単線交走式)
延長121m、高度差56.4m、軌間1200mm、最大勾配550‰
ウォーターバラスト方式で運行、リッゲンバッハ式ラックレールをブレーキに使用
1899年開通

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坂を降りるフリブール・ケーブルカー

ケーブルでつながれた2台の車両が斜面の軌道を交互に昇り降りする交走式ケーブルカーは、英語で funicular(フュニキュラー)という。局地的な地形の高低差を克服する乗り物として、19世紀中ごろから各地で造られていった。当時その動力に用いられたのは、固定式の蒸気機関か、ウォーターバラスト(水の重り)だ。

蒸気機関がケーブルを掛けた滑車に動力を伝えるのに対し、ウォーターバラストは、山上にいる車両に水を積んで、重力で降下させる。山麓にいる車両は水を捨てて軽くなっているので、ケーブルにより引き上げられる。速度調節は、ラック鉄道の要領でラックレールに車両側のピニオン(歯車)を噛ませて行った。

石炭などの燃料を消費する前者に比べて、後者は水さえあればよく、簡便で安価な方式だ。そのため、山上での水の確保や、寒冷期の凍結など課題はあったものの、電動機が普及するまで運転方式の主流を占めていた。

しかし、今となっては古典的な駆動システムで、もはや世界的に見ても数か所にしか残っていない。ヨーロッパ大陸では、ポルトガルのブラガ  Braga、ドイツのヴィースバーデン Wiesbaden(下注)、そしてスイス西部、フリブール Fribourg の市街地で稼働している通称「フュニ Funi」だ。

*注 ヴィースバーデンのケーブルカーについては「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

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ポルトガル・ブラガのボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus
1882年の開業でこの方式では現存最古(2017年撮影)
Photo by Palickap at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ドイツ・ヴィースバーデンのネロベルク鉄道(2018年)
(左)車両 (右)青い鉄管が注水口
 
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フリブールは、首都ベルンの南西30kmにあるフリブール州の州都だ。12世紀の自由都市に遡る気品漂う旧市街があることで知られる。地形はベルンと似ていて、高原を深く浸食しながら蛇行するサリーヌ川 La Sarine を天然の要害にしているのが特徴だ。ブール Bourg と呼ばれる旧市街はその高原が細くくびれた場所に立地し、谷底の河原との高低差は60~70mほどある。

1862年にベルンとローザンヌを結んで、鉄道が開通した。西の町はずれに駅が開設され、旧市街との間に新市街が形成されていった。一方、崖下のサリーヌ川沿いには古くからの下町ヌーヴヴィル Neuveville がある。1877年、ここで後に「カルディナル(枢機卿)Cardinal」のブランドで知られることになるビール工場が創業した(下注)。その経営者が、市街地と下町の間で労働者を運ぶために1899年に設置したのが、このケーブルカーだ。

*注 カルディナル・ビール工場はその後、1904年にフリブール駅の南に移転して、2010年まで操業していた。跡地に博物館がある。

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フリブール市街
大聖堂を中心とするブール(左上)と下町のヌーヴヴィル(右下)
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フリブール市街周辺の1:25000地形図
© 2025 swisstopo
 

上部駅サン・ピエール St. Pierre は、旧市街と駅地区との境、ジョルジュ・ピュトン広場 Place Georges Python のすぐ近くに位置する。ヌーヴヴィルの下部駅までルートは直線で、長さ121m、高度差は56.4m。当時すでに電動式も実用化されていたが(下注)、まだ数が少なく高価だったため、普及していたウォーターバラスト方式が採用された。

*注 最初の電動式ケーブルカーは、フィーアヴァルトシュテッテン湖畔で1888年に開通したビュルゲンシュトック鉄道 Bürgenstock-Bahn。

水源は、驚くことに町の下水道だ。ピュトン広場の地下に下水管に接続された貯水槽があり、そこでごみを除去した廃水を引いて、車両のタンクに注入しているという。確かにこれなら水源の枯渇や冬期凍結の心配はない。下部駅で車両から排出された水は下水管に戻しているので、いわばケーブルカー施設が下水道網の一部になっているわけだ。

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下水道網の一部を成すケーブルカー

訪れた日は、SBB/CFFフリブール駅を起点に、歴史ある旧市街や難攻不落の崖地形を見て歩いたのだが、ヌーヴヴィルから駅に戻る際に「フュニ」を利用した。

最初、駅のロッカーに荷物を預けて、旧市街へ足を向けた。緩やかに曲がる坂道に商店やレストランが軒を連ねるローザンヌ通り Rue de Lausanne を下り、町のシンボル、サン・ニコラ大聖堂 Cathédrale St-Nicolas の高塔を見上げる。それから、眺めのいいゼーリンゲン橋 Pont de Zaehringen でサリーヌ川の深い谷を一跨ぎして対岸に出た。

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ローザンヌ通りから見通す大聖堂
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大聖堂と市庁舎(手前の時計塔のある建物)
 

サリーヌ Sarine はフランス語名で、ドイツ語ではザーネ Saane という。フリブールもドイツ語ではフライブルク Freiburg になる。ドイツ語とフランス語はスイスの二大公用言語(下注1)だが、両言語圏の、目には見えない境界(下注2)が通っているのがこのサリーヌ/ザーネ川だ。川の右岸はドイツ語圏のシェーンベルク Schönberg 地区になるのだが、道路標識はまだフランス語だった。

*注1 このほか、アルプスの南側で使われるイタリア語とグランビュンデン州の一部で使われるロマンシュ語も公用語になっている。
*注2 スイス・ドイツ語圏ではこの言語境界のことを、じゃがいもの郷土料理にちなんでレーシュティグラーベン(レーシュティの溝)Röstigraben と呼ぶ。

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ゼーリンゲン橋から見下ろすサリーヌ渓谷
左の城壁は猫の塔、右は屋根付きのベルン橋
 

町の防御施設の一部だった猫の塔 Tour de chats を伝って谷底に降り、民家と同じスレート屋根に覆われたベルン橋 Pont de Berne を渡る。通るのは歩行者と二輪車程度かと思ったら、路線バスが来たのには驚いた。川の滑走斜面に身を寄せ合うオージュ Auge 地区の家並みを抜けると、今度は頑丈そうな石橋のミリュー橋 Pont du Milieu が見えてくる。ゆらめく川面と崖の上にひしめく旧市街を仰ぎながら、再び右岸へ。

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(左)猫の塔 (右)ベルン橋
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ミリュー橋の下を流れるサリーヌ川
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サン・ジャン橋を渡ってヌーヴヴィルへ
 

最後にサン・ジャン橋 Pont de Saint-Jean でもう一度サリーヌ川を渡って、下町ヌーヴヴィルにたどり着いた。緩く上る街路が大きく右に反転する場所に、FUNICULAIRE(フュニキュレール)の切り文字を掲げた下部駅のささやかな建物がある。

「フュニ」は公共交通機関の扱いなので、平日、休日を問わず毎日動いている。運行間隔は最短6分とされているが、このときは10分間隔だった。運賃は片道3スイスフラン(2024年現在)。鉄道、バスなど州の公共交通を一手に担うフリブール公共交通 Transports publics fribourgeois (TPF) が運営しているので、スイストラベルパスも通用する。

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ケーブルカーのヌーヴヴィル駅
(左)ささやかな駅舎 (右)構内
 

狭い構内にはすでに小型の客車が入っていた。階段状になったコンパートメントが2室あり、坂上側はオープンタイプの片側席、坂下側はクローズドタイプでベンチシートが向い合う。車端のデッキは運転台だ。数人の客が乗り込んだところで、運転士が扉を閉めてデッキに移り、L字のハンドルを回してブレーキを緩めた。ピニオンがラックに絡むゴロゴロという鈍い金属音とともに、客車はゆっくりと動き出した。

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「フュニ」の車両
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(左)運転台と坂上側のオープン客室
(右)坂下側客室は密閉型でベンチが向かい合う
 

ルートの下半分は鉄橋の上を行くが、まもなく中間の行き違いループにさしかかる。対向車両の運転士はブレーキハンドルをこまめに回しているが、こちらは触りもしない。速度調節はもっぱら下り車両の仕事のようだ。ループを抜けるころには、サリーヌ川の谷間を埋める茶色屋根の群れが眼下に広がってくる。線路と並行して屋根付きの階段道が続いているのに気づいた。文明の利器に頼らず自力で登っていく元気な若者もちらほら見かける。

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(左)上部駅行きが発車
(右)中間ループでの行き違い
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眼下に下町の景色が広がる
 

発車して2分、上部駅に到着すると、運転士はハンドブレーキを固く締めてから、出口の扉を開けた。駅舎は下と同じような小さな建物だ。入口の外壁に、改修完了と開業125周年の記念プレートが掲げてあった。

1996年、車両の車軸が破損して運行不能になったケーブルカーに対し、市当局は廃止とバスへの転換を検討した。しかし各界の強い抗議を受けて方針は撤回され、全面的な施設改修が実施されることになった。長年赤に塗られていた車両が、開業時の緑色に戻されたのもこのときだ。工事が完了して運行が再開されたのは1998年6月3日。こうして危機を脱した「フュニ」は昨年(2024年)、開業から125年の節目の年を迎えたのだ。

駅を後に、小公園の傍らを抜けると、トロリーバスが行き交うサン・ピエールのラウンドアバウトに出る。道路上空に張られた架線を目印にして、ものの5分も歩けば、街歩きのゴールであるフリブール駅が見えてくるはずだ。

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(左)サン・ピエール駅舎
(右)外壁の記念プレート
  上から着工・開業、改修後の運行再開、125周年
 

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