西ヨーロッパの鉄道

2024年9月 6日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ西部編では、ノルトライン・ヴェストファーレン Nordrhein-Westfalen、ヘッセン Hessen、ラインラント・プファルツ Rheinland-Pfalz、ザールラント Saarland の各州にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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ライン左岸線オーバーヴェーゼル Oberwesel 付近を行くEC列車(2015年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyw.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」画面

まずは、ドイツを代表する観光エリアを通る一般旅客路線から。

項番28 DB ライン左岸線(ミッテルライン鉄道)DB Linke Rheinstrecke (Mittelrheinbahn)
項番27 DB ライン右岸線 DB Rechte Rheinstrecke

ドイツで車窓風景が最も美しい路線は? と問われたら、多くの人がライン川沿いのこの路線を挙げることだろう。滔々と流れる大河と行き交う船、岩山にそびえる古城や要塞、斜面を覆うブドウ畑。ロマン派の絵画のような景色には何度乗っても目を奪われる。高速線を疾走するICEもありがたいが、時間が許すならこのルートでゆっくり旅したいと思う。

ライン左岸線は、川の左岸すなわち西側に沿うDB(ドイツ鉄道)の幹線で、ケルン中央駅 Köln Hbf を起点に、ボン Bonn、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz、ビンゲン Bingen(Rhein) を経由してマインツ中央駅 Mainz Hbf まで181km。近年は「ミッテルライン鉄道 Mittelrheinbahn」の呼称が浸透している。

主要都市間を連絡しているため、2002年にケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main が開通するまでは、優等列車が日夜頻繁に行き交っていた。速達便は高速線に移し替えられて久しいが、今でも普通列車とともに、中間都市に停車するICEやICが30分間隔で走っている。

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オーバーヴェーゼル、対岸からの眺め(2018年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ライン右岸線は、右岸すなわち東側を走るDB路線だ。ケルン中央駅を出てすぐ右岸に渡り、トロイスドルフ Troisdorf でジーク線 Siegstrecke を分けた後、ライン川に沿って、ヴィースバーデン東 Wiesbaden Ost 駅まで179km。中間にあまり大きな町はないので、主に長距離貨物列車の運行経路になっている。旅客列車は各停(RB)と快速(RE)だが、コブレンツ中央駅を経由または起終点にしているため、必ず左岸に戻る。

どちらのルートも全線で眺めが良好とはいえ、見どころの中心は、やはり後半のコブレンツから左岸はビンゲン、右岸はリューデスハイム Rüdesheim の間だろう。この区間は、世界文化遺産に登録された「ライン渓谷中流上部 Oberes Mittelrheintal の文化的景観」を貫いていて、有名なローレライ Loreley の断崖をはじめ、冒頭述べた古城やブドウ畑の集中度も高い。

左岸線ならザンクト・ゴアール Sankt Goar、オーバーヴェーゼル Oberwesel、バハラッハ Bacharach、右岸線ならザンクト・ゴアールハウゼン Sankt Goarhausen 等々、魅力的な町や村を次々と通っていくので、ついつい途中下車の誘惑に駆られる。

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ローレライトンネル南口(2010年)
Photo by Joachim Seyferth at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32 DB モーゼル線 DB Moselstrecke

モーゼル線は、ライン左岸線(項番28)のコブレンツ中央駅 Koblenz Hbf から西へ向かう。ライン川の主要支流モーゼル川 Mosel に沿って、古都トリーア Trier まで長さ112kmの路線だ。

19世紀後半の帝国時代、首都ベルリンと、普仏戦争で獲得したアルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)とをつなぐ長距離戦略路線、いわゆる「大砲鉄道 Kanonenbahn(下注)」の一部として建設された。しかし今は地域輸送とともに、ザールラント Saarland やルクセンブルク Luxembourg へ行く中距離列車(RE)のための亜幹線の地位に落ち着いている。

*注 大砲鉄道の詳細は「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」「同 II-ルートを追って 前編」「同 III-後編」参照。

ライン左岸・右岸線とは異なり、風光明媚な川沿いの区間は前半区間の約60kmに限られる。具体的にはブライ Bullay の3km先、ライラーハルストンネル Reilerhalstunnel の手前までだ。その後は蛇行する川から離れ、平たい盆地の中を直進していく。

起点のコブレンツを出て最初の橋で川の左岸(北側)に移ると、しばらく川沿いをおとなしく遡る。コッヘム Cochem からブライの前後がハイライトだ。まず、長さ4205mと、高速線以外ではドイツ最長の皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel を抜ける。モーゼルワインのブドウ畑を眺めた後は、アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay、ピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と、土木工学上の名所を渡っていく。

*注 モーゼル線の詳細は「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」「同 II」参照。

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アルフ=ブライ二層橋(2015年)
Photo by Henk Monster at wikimedia. License: CC BY 3.0
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ピュンダリッヒ斜面高架橋(2020年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、私設の鉄道博物館に着目してみよう。構内施設や車両コレクションの充実にとどまらず、館外に保存運行用の独自ルートを確保しているところが共通点だ。

項番9 ボーフム鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum

ルール地方 Ruhrgebiet で有名なのは、ボーフム Bochum 市南西部のルール川沿いにあるボーフム鉄道博物館だろう。1969年に閉鎖されたルールタール鉄道 Ruhrtalbahn の鉄道車両基地を愛好家団体、ドイツ鉄道史協会 Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte e. V. がそのまま引き継いで、1977年に開館した。地区の名からボーフム・ダールハウゼン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum-Dahlhausen とも呼ばれ、私設ではドイツ最大と言われる。

施設の中核になっている扇形機関庫は14線収容の大型で、その後ろにそびえるワイングラスのような給水塔も目を引く。2棟ある車庫兼展示ホールと併せて、公開日には多くの訪問者で賑わう。

保存運行は、ルールタール鉄道の線路を使って行われている。鉄道博物館を出発して、ルール川をさかのぼり、ヴェンゲルン・オスト(東駅) Wengern Ost までの23.4kmだ。ルールタール鉄道は、沿線の鉱山で採掘される石炭を搬出する目的で造られたが、現在は、一部区間がSバーンのルートに利用されている以外、休業ないし廃線状態で、通しで走るのはこの保存列車が唯一だ。

運行日はシーズン中の月3回設定され、蒸気列車の日とレールバスの日がある。距離が長いので、片道でも80~90分と乗りごたえも十分だ。ルール地方は言わずと知れたドイツの主要工業地帯だが、川沿いは緑にあふれ、のびやかな車窓風景が続いている。

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ボーフムの扇形機関庫に揃う蒸機群(2010年)
Photo by Hans-Henning Pietsch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番26 ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein

ダルムシュタット Darmstadt は19世紀、ヘッセン大公国の首都だったという歴史を持つ古都だ。その北東郊に、ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館「鉄道世界」Eisenbahnmuseum Bahnwelt Darmstadt-Kranichstein がある。

ここも大規模な標準軌車両博物館の一つで、旧ライン=マイン鉄道 Rhein-Main-Bahn(下注)の運行拠点だった車両基地の跡地を利用して、同名の愛好家団体が1976年に開設した。扇形機関庫を中心とした施設に、10両以上の本線用蒸機を含む車両コレクションが揃っている。

*注 マインツ Mainz~ダルムシュタット Darmstadt~アシャッフェンブルク Aschaffenburg 間を結んだ鉄道。現RB75系統のルート。

この団体はまた、路面軌道車両の保存にも携わっていて、それが同じクラーニッヒシュタインにある市電ターミナルの車庫に収容されていた。この路面軌道部門の名物が、路面用小型蒸機「火を吐くエリーアス Feuriger Elias」の公開運行だ。

*注 「火を吐くエリーアス」は蒸気機関車の一般的なあだ名。旧約聖書で、エリヤ(エリーアス)が火を噴く馬車とともに天に昇っていったことから。

その後、この車庫が使えなくなったため、蒸機は現在、ダルムシュタット南郊のエーバーシュタット Eberstadt にある市電車庫に保管されている。公開運行は今年(2024年)の場合、5月の日曜祝日にエーバーシュタットから市電6、8系統のルートで、終点アルスバッハ Alsbach まで往復した。主に道端軌道だが、途中のゼーハイム Seeheim に狭い街路の併用区間がある。また、9月にはダルムシュタットの市街地でイベントが開催される。こちらは、シュロス(城内)Schloß と呼ばれる中心街を蒸気列車が走行する。

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シュロスの路面軌道を行く「火を吐くエリーアス」(2009年)
Photo by Tobias Geyer at wikimedia. License: CC BY
 

項番23 フランクフルト簡易軌道博物館 Frankfurter Feldbahnmuseum

フランスのドコーヴィル Decauville 社に代表される600mm軌間の「フェルトバーン(簡易軌道)Feldbahn」は、軽量で運搬、敷設、撤去が容易なことから、産業用、軍事用として世界に普及した。ドイツでも、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel (O&K) を筆頭に、ユング Arnold Jung、ヘンシェル Henschel & Sohn など多数の会社が製造を手掛けて広まった。

フランクフルト・アム・マイン市内西部のボッケンハイム Bockenheim に拠点を置くフランクフルト簡易軌道博物館は、これらの狭軌車両を収集・保存している鉄道博物館だ。現在地での開館は1987年。コレクションはすでに、蒸気機関車20両(うち13両が運行可能)、ディーゼル機関車34両を含め70両以上の機関車と約200両の客貨車にも及び、この軌間ではドイツ最大だ。収容するための車庫も今や3棟目が建っている。

博物館自体は毎月第1金曜・土曜に公開されるが、列車の運行は月1回程度だ。走行軌道の総延長は約1.5kmで、博物館の北側に広がるレープシュトック公園 Rebstockpark の園内をT字状に延びている。T字の縦棒の足もとが博物館で、列車はそこから出て、見通しのいい芝生の上に敷かれたT字の横棒に移り、両端で折返しのための機回しをして、また博物館に戻ってくる。

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簡易軌道博物館の公開日(2018年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いては、標準軌の蒸気保存鉄道について

項番18 ヘッセンクーリエ Hessencourrier

ヘッセン Hessen の速達便を意味するヘッセンクーリエは、1972年に運行を開始したヘッセン州最初の保存鉄道だ。カッセル Kassel の鉄道の玄関口、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ Kassel-Wilhelmshöhe 駅の南端にある保存鉄道の車庫から、蒸気列車が出発する。

ルートになっているナウムブルク線 Naumburger Bahn は延長33.4kmのローカル線で、旅客輸送は1977年に廃止され、貨物輸送も一部区間を除いてもう行われていない。終点はナウムブルク Naumburg (Hessen) という、ハーフティンバーの家並みが連なる田舎町だ。

片道90~95分の長旅だが、途中の見どころは大きく二つある。

一つは、市内トラムとの共存区間だ。フォルクスワーゲンの工場の前でカッセル市電の線路が右から合流してくる。そこからグローセンリッテ駅 Bahnhof Großenritte までの3.3kmの間は、トラムも同じ線路を走ることになる。軌間は同じ標準軌だが、車両限界が大きく異なるため、途中の停留所には、ホームの張出しや4線軌条などさまざまな工夫が施されている。蒸気列車はそこを、制限20km/hでそろそろと通過していく(下注)。

*注 詳細は「ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存」参照。

二つ目は、市電乗入れ区間が終わった後に控えている急坂だ。最大28.6‰の勾配で、郊外の山裾をくねくねと巻きながら上っている。蒸機にとってはまさに山場で、力強い推進音が車内にも聞こえてくる。標高403m、峠の駅ホーフ Hof まで上りきれば、残りは丘陵地帯を縫う穏やかなルートになる。

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終点ナウムブルク駅舎(2015年)
Photo by Feuermond16 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 カッコウ鉄道 Kuckucksbähnel

ヘッセン州南西部のプフェルツァーヴァルト(プファルツの森)Pfälzerwald に、カッコウが鳴くのどかな谷間を行く蒸気列車がある。まだ一般運行だった時代から、地元の人は親しみを込めて「クックックスベーネル(カッコウ鉄道)Kuckucksbähnel」 と呼んできた。

鉄道の起点は、マンハイム Mannheim とザールブリュッケン Saarbrücken を結ぶDB幹線の途中駅ランブレヒト Lambrecht (Pfalz)。ここからシュパイアーバッハ川 Speyerbach に沿ってエルムシュタイン Elmstein という小さな町まで、線路は13.0km延びている。曲がりくねる谷をトンネル無しでさかのぼるため、反転カーブが連続するローカル線だ。

列車は、近くの町ノイシュタット Neustadt にある鉄道博物館(下注)で仕立てられている。上述したボーフムと同じく、ドイツ鉄道史協会が運営している旧 車両基地だ。そのため、1日2往復のうち、第1便の往路はノイシュタット中央駅発、第2便の復路は同駅着になっている。ノイシュタットとランブレヒトの間はDB線に乗入れ、架線下を走る。

*注 ノイシュタットの地名は全国各地にあるので、正式にはノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ Neustadt an der Weinstraße(ワイン街道沿いのノイシュタットの意)という。したがって博物館名も、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Neustadt/Wstr.。

ノイシュタットは、赤ワインの産地をつないでいるドイツワイン街道 Deutsche Weinstraße の中心都市だ。カッコウ鉄道の蒸気保存列車は、町を訪れる観光客にとってアトラクションの有力な選択肢になっている。

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カッコウ鉄道の蒸気列車
エルフェンシュタイン Erfenstein 停留所にて(2010年)
Photo by Fischer.H at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番22 フランクフルト歴史鉄道 Historische Eisenbahn Frankfurt

フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main は、ヨーロッパの金融の中心地だ。マイン川のほとりに、2014年に完成した欧州中央銀行 Europäische Zentralbank のスタイリッシュな高層ビルがそびえている。その建物と川岸との間にある公園に、年数回、古典蒸機や赤いレールバスによる観光列車が現れる。

1978年に設立されたフランクフルト歴史鉄道協会 Historische Eisenbahn Frankfurt e.V. が実施しているこの保存運行は、マイン川沿いに残されたフランクフルト港湾鉄道 Hafenbahn Frankfurt と呼ばれる単線の線路が舞台だ。本来は貨物線なのだが、中心部では路面軌道や道端軌道、さらには公園の芝生軌道にも変身し、都市景観にすっかり溶け込んでいる。

列車の起終点は、旧市街レーマー広場 Römer に近い歩行者専用橋アイゼルナー・シュテーク Eiserner Steg のたもとだ。走行ルートは2方向で、東港コースは、ここから東進してマインクーア Mainkur の信号所まで(下注)、また西港コースは西進してグリースハイム Griesheim の貨物駅まで、それぞれ行って折り返してくる。

*注 東港コースでは、欧州中央銀行ビルの完成に合わせて停留所が新設され、乗降ができるようになった。

協会にはもう一つ、鉄道ファンが楽しみにしている年中行事がある。ペンテコステ(聖霊降臨日)に催されるケーニヒシュタイン・イム・タウヌス Königstein im Taunus の駅祭りだ。フランクフルト・ヘヒスト Frankfurt-Höchst 駅を出発した蒸気列車は、一般旅客路線(ケーニヒシュタイン線 Königsteiner Bahn)を走行して、タウヌス山地 Taunus の麓にある会場の駅に向かう。

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EZB(欧州中央銀行)停留所のレールバス(2015年)
Photo by Urmelbeauftragter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ケーニヒシュタイン駅祭り(2007年)
Photo by EvaK at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

メーターゲージ(1000mm軌間)の蒸気保存鉄道もいくつかある。

項番17 ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn

ゼルフカント鉄道は、ドイツ最西端、オランダ国境間近のゼルフカント Selfkant 地方で、1971年から50年以上の歴史をもつ老舗の保存鉄道だ。走っているルートはもとガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn といい、標準軌線から離れたこの地域の小さな町を縫いながら、オランダ国境まで延びていた延長37.7kmの軽便線だった。

衰退する軽便線の例にもれず、ここも1950年代から段階的に廃止されていくが、1973年に全廃となる前に、鉄道愛好家たちが一部区間を借りて保存運行を始めた。これが現在のゼルフカント鉄道の起源になる。現在のルートは5.5kmと、全盛時に比べればささやかな規模だが、田舎軽便の面影を色濃く残していて、貴重な存在だ。

起点のシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath はのどかな村で、車両基地を兼ねた駅構内が不釣り合いなほど大きく見える。蒸気列車はここから東へ走る。一面の畑と疎林を縫い、いくつかの集落と停留所を経ながら、およそ25分で終点のギルラート Gillrath に到着する。かつて線路はDB線のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅まで続いていたが、すでに撤去され、跡地は小道になっている。

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シーアヴァルデンラート駅
20号機ハスペ Haspe と101号機シュヴァールツァッハ Schwarzach(2012年)
Photo by Alupus at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30 ブロールタール鉄道「火山急行」Brohltalbahn "Vulkan-Expreß"

「ヴルカーン・エクスプレス(火山急行)Vulkan-Expreß」は、細々とした貨物輸送で存続していたブロールタール鉄道を活性化するために、地元の肝いりで1977年に走り始めた保存観光列車だ。ライン左岸の町ブロール Brohl を起点に、背後のアイフェル高原に向かう。ふだんはディーゼル牽引だが、週末には蒸機も登場する。

アイフェル高原には、小火山やマール、カルデラ湖といった火山地形が点在していて、一部は車窓からも見える。列車の愛称は、スイスの有名な「氷河急行」を連想させ、それとの対比で列車の特色をアピールするものだ。DBの主要幹線(ライン左岸線)に接するという地の利もあって、列車は確実に人気を得てきた。今もシーズン中は、月曜を除きほぼ無休という、保存鉄道には珍しく密な運行体制がとられている。

17.5kmのルートは、高原に源をもつ支流ブロールバッハ川 Brohlbach に沿って続く。しばらくは谷の中で、周囲が開けてくるのは、連邦道A61 の高架をくぐったニーダーツィッセン Niederzissen あたりからだ。サミットのエンゲルン Engeln に至る最終区間には、50‰の急勾配があり、かつてはラックレールが敷かれていた。

また、鉄道には港線 Hafenstrecke という、ブロール駅からラインの河港に通じる2.0kmの短い支線もある。こちらは現在、毎週木曜に、ライン川クルーズ船とのタイアップで列車が1往復している。

*注 鉄道の詳細は「火山急行(ブロールタール鉄道) I」「同 II」参照。

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DB線をまたぐ港線の高架橋(2010年)
Photo by tramfan239 at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

最後に特殊鉄道を2か所挙げておこう。

項番16 ドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn

ライン川を河口から遡っていくときに、右岸で最初に目に入る山がドラッヘンフェルス Drachenfels だと言われる。山名は、竜(ドラゴン)の岩山を意味する。標高321mとそれほど高くはないが、ライン渓谷の下流側の入口に位置していて、恰好の展望台だ。

1883年、リッゲンバッハ式ラックレールを用いた鉄道が、河畔の町ケーニヒスヴィンター Königswinter から山頂へ向けて建設された。延長1.5km、高度差220mを最大200‰の勾配で上る。スイスのリギ鉄道の全通から10年、ドイツで旅客用として初めて導入されたラック鉄道だった。

現在使われている車両は、全5両のうち4両が1955~60年製だ。車齢から見ればもはや古典機だが、モスグリーンの車体はよく磨かれ、艶光りしている。

鉄道には列車交換ができる中間駅がある。駅名のシュロス・ドラッヘンブルク(ドラッヘンブルク城)Schloss Drachenburg は、付近にある尖塔つきの立派な城館のことだが、実は、鉄道の開通に合わせて実業家の貴族が建てた邸宅だ。12世紀の「本物」の古城は、終点駅から小道を少し登った山頂に、廃墟となって残っている。

*注 鉄道の詳細は「ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車」参照。

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山頂駅に向かうラック電車(2021年)
© Superbass / CC-BY-SA-4.0 (via Wikimedia Commons)
 

項番11 ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

川の上を走る懸垂式モノレール、ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn(下注)は、ルール地方の南に接する産業都市ヴッパータール Wuppertal のシンボル的存在だ。開業は1901~03年で、世界最古のモノレールとされる。

*注 原語の Schwebe は、英語の float に相当し、宙に浮いていることを意味する(吊り下がるという意味はない)。日本語訳の「空中鉄道」は、原語のニュアンスを汲んでいる。

実は、ヴッパータール市の歴史はそれより新しい。ヴッパー川の谷(ヴッパータール)Wuppertal にある3つの町が、南の丘陵上にある2つの町とともに1929年に合併して誕生した。市の中心軸はヴッパー川であり、それに沿うこの鉄道も、地域をまとめる役割の一端を担ったのかもしれない。

フォーヴィンケル Vohwinkel~オーバーバルメン Oberbarmen 間13.3kmのうち、起点側のざっと1/4は道路の上空で、残り3/4が川の上空を通っている。用地確保が難しい市街地を避けた結果だが、激しく蛇行する高架軌道と川をまたぐ鉄骨の支柱という大掛かりな構造物から、「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」のあだ名が生まれた。

モノレールは、平日日中3分おき、日曜祝日でも6分おきという高頻度で走っている。待たずに乗れる便利な移動手段だ。全線の所要時間は約25分。車両は片方向にしか走れないので、終点ではコンパクトな転回ループを通って折り返す。

ちなみに、懸垂式では長い間世界最長の路線でもあったが、1999年に千葉都市モノレールが全線開業して、首位を譲った。

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ヴッパー川の上空を行くモノレール
ファレスベッカー・シュトラーセ Varresbecker Straße 停留所付近(2016年)
Photo by Joinsi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ南部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月20日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

前回に引き続き、ドイツ東部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

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フィヒテルベルク鉄道の蒸気列車
ハンマーヴィーゼンタール駅にて(2013年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部の南端に位置するザクセン州は、エルツ山地 Erzgebirge やザクセン・スイス Sächsische Schweiz といった人気のあるレクリエーション適地を擁している。鉄道の見どころにも事欠かず、前回言及したように、東ドイツ時代に選定された保存すべき狭軌鉄道のうち、4本がこの州域にあり、750mm軌間の蒸気運行を続けている。まずはそれから見ていこう。

項番26 ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ザクセン南東端の町ツィッタウ Zittau は、チェコやポーランドと接する国境都市だ。そのDB(ドイツ鉄道)駅前から、ツィッタウ狭軌鉄道が出ている。1890年の開業で、本線格のツィッタウ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注)間12.2kmと、クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf へ行く支線3.8km。列車の行先はいずれも、町の南方、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge に古くからある行楽地だ。

*注 地名の前につくクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味する。

起点駅を出ると、列車はツィッタウ市街地の東の外縁を半周して、山へ向かう。集落と牧草地が交錯する郊外風景のなかを進み、分岐駅ベルツドルフ Bertsdorf へ。列車ダイヤはこの駅を中心に3方向から集合し離散する形になっていて、乗換えを厭わなければ、どの方向にも1時間ごとに便がある。

ベルツドルフでの楽しみは、2方向同時発車 Parallelausfahrt だ。オイビーン行きとヨンスドルフ行きがタイミングを合わせて出発し、カメラを構えたファンが待つ構内の先端で、二手に分かれていく。ここから終点までは30‰の急勾配のある胸突き八丁で、強力な5軸機関車99 73-76形が、持てるパワーを発揮する舞台になる。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道」参照。

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集合離散ダイヤの中心、ベルツドルフ駅(2012年)
Photo by Dan Kollmann at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

レースニッツグルント鉄道は、ドレスデン北郊の、森や牧草地や水辺が点在する田園風景を走り抜けていく狭軌鉄道だ。Sバーン(S1系統)の駅に接続するラーデボイル・オスト Radebeul Ost から終点ラーデブルク Radeburg まで16.5km。大都市に近く、かつ沿線にワインの里レースニッツ Lößnitz や美しい離宮モーリッツブルク城 Schloss Moritzburgといった有数の観光地があることから、人気が高い。

鉄道の名称は、1998年にDB(ドイツ鉄道)が商用に付けたものだ。地元では、昔からレースニッツダッケル Lößnitzdackel、略してダッケル Dackel と呼んでいた。ダッケルは、ドイツ原産のダックスフントのことで、ずんぐりした形の客車と、のろのろ走る列車をそれに見立てたようだ。

列車は1日5往復、そのうち3本が終点まで行かず、中間駅のモーリッツブルクで折り返す。城を目指す客がここで降りてしまうからだ(下注1)。加えて、市内トラムとの平面交差、丘陵を刻む雑木林の谷間、ディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を横断する築堤など、車窓風景のハイライトもこの前半区間に集中している。後半は、車内の客もめっきり減って、列車は牧草地の中を淡々と走っていく。

*注1 ちなみに、ドレスデン市内からモーリッツブルクへは路線バスが頻発していて、直接、城の前まで行ける。
*注2 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道」参照。

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モーリッツブルク駅での新旧そろい踏み
IV K形と99.78形(2019年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番33 ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

ドレスデンの南郊でも蒸気列車が走る。ヴァイセリッツタールとは、鉄道が沿っていくローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz の谷のことだ。Sバーン(S3系統)の駅に隣接するフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg からクーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで26.3km。現存するザクセンの狭軌鉄道では最長で、かつ1882~83年の開通と、最古の歴史を誇る。

車窓の見どころの一つが、起点を出てまもなく入るラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund の渓谷だ。線路は谷底を這うように進むが、岩がむき出しの曲がりくねった谷にもかかわらず、トンネルは一つもない。その代わり、川を横切る橋梁は実に13本。そしてそれが仇となり、2002年8月の豪雨では、線路や橋梁の流失など壊滅的な被害をこうむった。鉄道は長期にわたり運休となり、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだった。

渓谷を抜け出ると、列車は川を堰き止めたマルター・ダム Talsperre Malter の高さまで上り、穏やかな湖面を眺めながら走る。中間の主要駅ディポルディスヴァルデ Dippoldiswalde から先は、再び谷が深まっていく。終点まで90分近くかかる長旅だ。近距離鉄道旅客輸送 SPNV の路線なので通年運行しているものの、こちらも全線を通して走る列車は2往復とごく少ない。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道」参照。

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ラーベナウアー・グルントを遡る(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番41 フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg は、ドイツ領エルツ山地の最高地点(下注)だ。一帯は降雪量が多く、山腹にウィンタースポーツのゲレンデが広がっている。山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal には、休暇を楽しむ人々が全国各地から集まってくる。

*注 エルツ山地全体では、チェコ側にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)が最高峰。

1897年に開通したこの蒸気鉄道も、その旅客輸送を主目的にしていた。ケムニッツ Chemnitz から延びる標準軌線の客をクランツァール  Cranzahl で受けて、オーバーヴィーゼンタールまで17.3km。遠隔地のローカル線だが、冬場の需要も手堅いところが、保存すべき狭軌鉄道に選ばれた理由だろう。

峠を一つ越えるため、とりわけルートの前半で最大37.0‰という険しい勾配が連続する。99 73-76形の後継として1950年代に製造された99.77-79形蒸機が、この急坂に挑む。

運行に当たるザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) はその実績を買われて、2004年からレースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道の運行も請け負うようになった。オーバーヴィーゼンタール駅には新しい整備工場が建設され、3本の狭軌線を走る機関車の全般検査は、ここで集中的に実施されている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道」参照。

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ヒュッテンバッハタール高架橋(2019年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34 デルニッツ鉄道「ヴィルダー・ローベルト」Döllnitzbahn "Wilder Robert"

保存すべき7線には含まれなかったが、東ドイツ時代を生き延び、今も稼働している狭軌鉄道がある。ライプツィヒ Leipzig とドレスデン  Dresden を結ぶ標準軌幹線の途中駅オーシャッツ Oschatz から出ているデルニッツ鉄道 Döllnitzbahn だ。支線を含め18.6kmの路線で、蒸機についたあだ名が「ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルト)Wilder Robert」。

これは、ミューゲルン Mügeln の町を中心とする狭軌路線網のうち、沿線で採掘されたカオリン(白陶土)を運搬するために残されたルートだ。旅客輸送は早くに廃止されたが、貨物輸送は2001年まで行われていた。その間に、愛好家団体がここで蒸気機関車を走らせ始め、一定時間帯に集中する通学輸送をバスから列車に移す試みがそれに続いた。これによって、狭軌鉄道は息を吹き返したのだ。

以来、平日はディーゼル牽引で通学輸送、休日はディーゼルか蒸機による観光輸送という目的特化型の運用が実施されている。使われている蒸機は、1910年前後に製造された関節式機関車のザクセンIV K形(DR 99.51~60形)。他線で走っている5軸機より一世代前の主力機で、常時見られるのはこの路線だけだ。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道」参照。

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ミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、トラムが走る郊外路線について。

項番28 キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn

ドレスデン南東の、屹立する断崖奇岩で知られる観光地ザクセン・スイス Sächsische Schweiz の一角に、メーターゲージの路面軌道がある。幹線網には接続しない孤立路線で、起点の町を出た後は、ずっと深い谷の中。まとまった集落も見当たらず、どうしてここに鉄道が?、と首をかしげたくなるような路線だ。

キルニッチュタール鉄道は、観光拠点バート・シャンダウ Bad Schandau からリヒテンハイナー・ヴァッサーファル (リヒテンハイン滝)Lichtenhainer Wasserfall に至る7.9km。名のとおりキルニッチュ川 Kirnitzsch の流れる谷に沿っていて、ほぼ全線が道路の片側に敷かれた併用軌道だ。運用車両の主力はゴータカー Gothawagen で、前回紹介したヴォルタースドルフ路面軌道(項番9、下注)と並ぶゴータカーの王国になっている。

*注 ただしヴォルタースドルフは、新型低床車に置き換わりつつある。

終点のリヒテンハイン滝は19世紀前半に造られた人工滝だ。上流に堰を造って水を溜めておき、音楽に合わせて堰を開け、水を一気に流す。聞けばたわいのない仕掛けだが、昔はたいそう評判だった。ところが、2021年の大雨で導水路が壊れ、貯水池も泥で埋まって、ショーができなくなってしまった。路面軌道には大ピンチのはずだが、ザクセン・スイスのハイキング客がいるおかげで、なんとかいつもどおり動いている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道」参照。

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谷底の併用軌道を行く(2017年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番50 テューリンガーヴァルト鉄道 Thüringerwaldbahn

ゴータ市電は、1~3系統が市内で完結するのに対して、4系統「テューリンガーヴァルト鉄道(下注)」は市内から郊外に出ていく長距離路線だ。ゴータ中央駅 Gotha Hauptbahnhof から、テューリンガーヴァルト Thüringerwald と呼ばれる山地の北麓、バート・タバルツ Bad Tabarz まで、麦畑を貫き、小山を越えて22.7km。全線乗ると1時間近くかかる。

*注 地元ではヴァルトバーン Waldbahn(森の鉄道の意)と呼ばれる。

市内トラムがこうして離れた町や村を結ぶのは、ドイツで郊外路面軌道 Überlandstraßenbahn と呼ばれて、各地に見られた。しかし、1950年代以降、大部分がバス転換されてしまい、今も定期運行しているのは、前回挙げたベルリン東郊の路線など数えるほどしかない。

ゴータは、かつて一世を風靡したゴータカーのお膝元だが、主力車両はすでに、タトラやデュワグ(デュヴァーク)製などに世代交代している。郊外区間は停留所間距離が長く、市内とは「人」が変わったように、最高時速65kmですっ飛ばしていくのが小気味よい。

テューリンガーヴァルト鉄道には、ヴァルタースハウゼン Waltershausen へ行く2.4kmの支線がある。もとは4系統が二手に分かれる運用だったが、2007年から系統分離されて6系統と呼ばれるようになった。線内折返し運転のために、この区間だけ両運転台の改造車が走っている。

*注 鉄道の詳細は「テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る」参照。

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バート・タバルツに向かうタトラカー(2017年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いて、変わり種を二つ。

項番47 テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn

一つは、テューリンガーヴァルトの東端にある登山電車だ。2020年までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていたこのルートは、延長1.3kmの索道線(ケーブル線)Standseilbahn と、山上を行く同2.6kmの平坦線 Flachstrecke で構成される。山麓にはDBの非電化ローカル線が来ているので、山麓と山上を走る普通列車の間をケーブルカーでつなぐ形になる。

ユニークなのは、この三者間で車両をリレーする仕掛けがあることだ。すなわち、索道線ではふつう、階段型車両が交互に上下するが、ここでは片方が、車両を載せる貨物台車 Güterbühne になっている。かつてはこれで貨車を直通させていたし、今も検査や修理が必要な山上平坦線の車両の上げ下ろしに使われている。

この設備のおかげで、観光鉄道としても好評だ。シーズン中、天気が悪くなければ、貨物台車にオープン客車、いわゆるカブリオ Cabrio が設置される(下の写真参照)。台車より車長があるため、端部が勾配路にかなり突き出し、眺めは上々だ。悪天候時や冬場は、専用のクローズド車両が代わりを務める。

一方、山上平坦線の電車は通常2両編成で走っている。同線オリジナルの小型車両だが、ベルリンの車両整備工場で改造を受けているため、ベルリンSバーンの旧車によく似た風貌が特徴だ。

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(左)鋼索鉄道を上る階段型客車
(右)カブリオを載せた貨物台車
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(左)山上平坦線の電車
(右)右は台車積載用の閉鎖型客車
4枚とも海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2023年6月撮影
 

項番35 デーベルン馬車軌道 Döbelner Pferdebahn

ザクセン州中部の都市デーベルン Döbeln では、シーズンの毎月1回、馬がトラムを牽いて市内を巡るのが恒例行事になっている。

デーベルンの市街地は鉄道駅から2km近く離れていて、1892年にこの間を結ぶ馬車軌道が開業した。他都市ではこうした馬車軌道は短命で、まもなく蒸気や電気動力に置き換えられたが、この町ではその機運が生じなかった。1926年まで運行が続けられた後、軌道は放棄され、路線バスに転換されてしまった。しかし、最後まで馬車軌道のままだったことから、2002年に愛好家団体がその復活を目標に活動を始めた。そして2007年から、再び街路に馬の蹄の音が響くようになったのだ。

旧ルートとは異なり、起点は旧市街の南にある馬車軌道博物館で、そこから中心部のオーバーマルクト Obermarkt まで750mの区間を往復する。ドイツでは、北海に浮かぶシュピーカーオーク島 Spiekeroog(→北部編14)とここでしか見られない貴重な光景だ。

デーベルンの場合、稼働可能なトラムは1両のみ。馬も生身なので、悪天候や高温が予想される場合は、運行中止になる。せっかく出かけていっても空振りの可能性があるということを気に留めておきたい。

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馬車軌道再開の日(2007年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は標準軌の景勝路線だ。

項番31 エルプタール(エルベ谷)線 Elbtalbahn

ドレスデンとチェコのプラハを結ぶ電化幹線は、終始エルベ川 Elbe(チェコではラべ川 Labe)とその支流に沿っていく風光明媚なルートとして知られる。ドイツ領内では、エルベの谷の鉄道を意味するエルプタール線 Elbtalbahn と呼ばれ、国際列車とともにSバーンS1系統の電車が走っている。

ドレスデンから乗ると、車窓の見どころは、谷が狭まるピルナ Pirna 以降だ。車内がすいてくる頃合いなので、進行方向左側に席を移したい。二つ目の駅シュタット・ヴェーレン Stadt Wehlen を出た後、対岸に、バスタイ Bastei の奇岩とそこに渡された有名な石造橋が見えてくる。ラーテン Rathen からゆっくり右に回っていくと、今度は上流側の山上にそびえるケーニヒシュタインの要塞 Festung Königstein が目に入る。

Sバーン電車の2本に1本は、バート・シャンダウ Bad Schandau が終点だ。ザクセン・スイス国立公園 Nationalpark Sächsische Schweiz の拠点で、対岸の市街地へはバスがあるが、エルベ川の渡船で向かうのも一興だ。鉄道ファンならキルニッチュタール鉄道(項番28)のトラムが待っているし、バート・シャンダウ駅からは国立公園線 Nationalparkbahn の国際ローカル列車でさらに奥へと足を延ばすこともできる。

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Sバーンの終点シェーナ Schöna 駅
対岸のチェコ領へ行く渡船が待つ(2024年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ西部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月16日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I

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ドライ・アンネン・ホーネから山頂に向かうハルツ狭軌鉄道の列車(2016年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部編には、東部各州(メクレンブルク・フォアポンメルン Mecklenburg-Vorpommern、ブランデンブルク Brandenburg、ベルリン Berlin、ザクセン・アンハルト Sachsen-Anhalt、ザクセン Sachsen、テューリンゲン Thüringen)にある路線をリストアップした。中でも注目に値するのは、狭軌の蒸気鉄道だ。

なぜ、この地域に狭軌の蒸気鉄道が多数残っているのだろうか。それは東ドイツ時代に道路交通への転換対象にならなかったからだが、単に放置されていたわけではない。むしろ国は1964年に、狭軌路線を今後10年間で全廃する方針を決定している。戦後の混乱期に酷使された鉄道は、車両も施設も疲弊して、運用が限界に達していたからだ。方針に基づき、利用が少ない路線は予告もなく廃止されていった。

その一方で、代替手段となるバスの供給が追いつかず、観光輸送が集中する路線などは転換のめどが立たなかった。こうした状況下で1973年に、観光輸送のための交通史の記念碑 Denkmale der Verkehrsgeschichte für den Touristenverkehr として保存すべき7本の狭軌鉄道が選定されている。現行名称で示すと、リューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、ハルツ狭軌鉄道(ハルツ横断線、ゼルケタール線、下注)、ツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道だ。

*注 ハルツ狭軌鉄道のうち、ブロッケン線は含まれない。この路線は東西国境に近い一般立入禁止区域を通っているため、シールケ Schierke までは特別許可者のみ乗車できる旅客列車があったものの、その先は軍用列車限定だった。

東ドイツ時代を生き延びることができたのは、このときの選定路線にほかならない。施設の更新はなおも遅々としていたが、廃止線からまだ使える車両の供給を受けるなどで、当面の延命が図られた。参考までに、1980年から1984年にかけて、これら7本の鉄道で稼働している代表的な車両群をあしらった記念切手シリーズが東ドイツの郵政省から発行されている(下の写真参照)。

ドイツ再統一後、DBの民営化に伴って、これら狭軌鉄道の運営は州や自治体が出資する事業会社に移された。そして、Sバーンなどと同格の近距離鉄道旅客輸送 SPNV の枠組みに入り(下注)、今や等時隔のパターンダイヤ Taktfahrplan で運行されている路線さえある。これは、愛好家団体が独自に運営している保存鉄道とは明確に異なる点だ。

*注 SPNV=Schienenpersonennahverkehr、時刻表番号が3桁の路線(系統)がこれに該当する。それ以外の保存鉄道の番号は5桁。

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東ドイツの狭軌鉄道記念切手シリーズ(1980~84年)
上からリューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、
ハルツ狭軌鉄道ハルツ横断線、同 ゼルケタール線
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
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上からツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、
ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
 

項番1 リューゲン保養地鉄道「韋駄天ローラント」Rügensche BäderBahn "Rasender Roland"

バルト海に浮かぶドイツ最大の島、リューゲン島 Rügen には、本土につながる標準軌線のほかに、総延長100km近い750mm軌間の軽便鉄道網があった。その中で唯一残っているのが、東海岸のリゾート地へ延びるリューゲン保養地鉄道 Rügensche BäderBahn(下注)だ。

*注 原語の Bäderbahn(ベーダーバーン)は、バートの鉄道を意味する。バート Bad は温泉地、保養地、リゾートのことで、ベーダー Bäder はその複数形。

標準軌線に接続するプトブス Putbus から島の東端ゲーレン Göhren までが本来の区間だが、1999年以降、列車はプトブスでその標準軌線に乗り入れて、バルト海の港ラウターバッハ・モーレ(埠頭)Lauterbach Mole まで行くようになった(下注)。もちろん線路幅が違うので、この間は新たにレールが1本足され、3線軌条になっている。

*注 この標準軌線ベルゲン・アウフ・リューゲン Bergen auf Rügen~プトブス~ラウターバッハ・モーレ間は、2014年からDBの手を離れて、狭軌鉄道の運行会社の所有・運営になった。

列車は「ラーゼンダー・ローラント(韋駄天ローラント)Rasender Roland」の名で呼ばれる。2時間間隔の運行だが、5~10月のシーズン中はさらに末端側のビンツ Binz ~ゲーレン間で増発されて、1時間間隔になる。これをすべて手間のかかる蒸機で賄っているのだから驚くほかない。

全線24.1km、乗ると2時間かかるが、沿線は畑と林が続く。車窓に水面が覗く区間はわずかで、起点の港を除けば、終盤に現れるゼリン湖 Selliner See ぐらいだ。復路で退屈しそうなら、ゼリン湖の埠頭とラウターバッハ・モーレを結ぶ観光船か、ビンツの町を散策しがてらDB線(下注)への乗継ぎという選択肢もある。

*注 オストゼーバート・ビンツ Ostseebad Binz からシュトラールズント Stralsund 方面へ、RE9系統の列車がある。

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3線軌条のラウターバッハ・モーレ駅(2022年)
Photo by A.Savin at wikimedia. Free Art License.
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プトブス駅の発着ホーム(2019年)
Photo by Peter Kersten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 保養地鉄道モリー Bäderbahn Molli

バルト海 Ostsee 沿岸にあるもう一つの蒸気鉄道が、保養地鉄道モリーだ。沿線のバート・ドベラーン Bad Doberan やキュールングスボルン Kühlungsborn の地名は知らなくても、「モリー Molli」と言うだけでわかるほど、その名は広く浸透している。

900mmという軌間も希少だが、それより珍しいのは、蒸気機関車が狭い街路を通り抜けるシーンだ。バード・ドベラーンでは、線路が中心市街地を文字どおり貫いている。人々が憩うカフェテラスのすぐ前を、機関車から連打される警戒のベル音とともに、列車はゆっくりと通過していく。

上下合わせればほぼ30分おきに通るので、市民には日常風景だろうが、着いたばかりの観光客としてはカメラを向けないわけにはいかない。ちなみに、転車台がないため、キュールングスボルン行きの機関車はバック運転(逆機)だ。復路で正面を向く。

全線15.4kmのうち、併用軌道は1km足らず。その先はうるわしい菩提樹の並木道に沿って西へ進む。中間駅のハイリゲンダム Heiligendamm で反対列車と行き違いをした後は、畑の中を貫いていく。

終点キュールングスボルン・ヴェスト(西駅)Kühlungsborn West は、蒸機の運行拠点で、機関庫で休む同僚機が見られるかもしれない。5両いる現役機関車はどれもベテランの風貌をしているが、実は1両だけ21世紀生まれの新顔が混じっている。99 2324のプレートをつけたその機関車は99.32形のレプリカで、2009年にマイリンゲン Meiringen の工場で完成した。定期運行用としては、ドイツでほぼ50年ぶりの新造だったそうだ。

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バート・ドベラーンの市街を通過する蒸気列車(2012年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
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終点キュールングスボルン西駅(2011年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番18~20 ハルツ狭軌鉄道 Harzer Schmalspurbahnen (HSB)

どこまでも平地が広がる北ドイツで、ハルツ山地 Harz はとりわけ目立つ山塊だ。霧に自分の影が投影される現象で有名なブロッケン山 Brocken が最高峰で、標高は1141mある。この山地にメーターゲージの鉄道網が築かれたのは1880~90年代のことだ。それはハルツ狭軌鉄道として、蒸気機関車による運行形態もそのままに維持されている(下注)。

*注 一部の列車は気動車で運行される。

延長140kmに及ぶ路線網は、大きく3つに分けられる。

ブロッケン線 Brockenbahn(項番18)は長さ19.0km、人々をハルツの最高峰へいざなう同 鉄道の看板路線だ。列車がほぼ1時間おきに1日8往復、週末は10往復も設定されていて、人気ぶりがうかがえる。ブロッケン山には自動車道が通じておらず、列車が唯一の交通手段になっている。それで、北麓の町ヴェルニゲローデ Wernigerode からの直通列車だけでなく、駐車場のあるドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne を始発・終着とする列車のニーズも大きい。

蒸気列車は、トウヒの森に囲まれた30~33.3‰の急坂を力強く上っていく。最後の中間駅シールケ駅を出ると、森の背丈がいつしか低くなり、車窓が明るくなってくる。森林限界を超え、スパイラルを反時計回りに1周半すると、山頂駅だ。山腹を吹き上がる西風が雲を呼ぶため、天気はすぐ変わる。もし晴れたタイミングで到着したなら、見渡す限りの大パノラマをしっかりと目に焼き付けたい。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ」「同 II-ブロッケン線」参照。

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ブロッケン山頂はまもなく(2008年)
Photo by Nawi112 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ハルツ横断線 Harzquerbahn(項番19)は、名称どおり、山地を南北に横断してヴェルニゲローデとノルトハウゼン北駅 Nordhausen Nord を結ぶ60.5kmの路線だ。本来のメインルートだが、ブロッケン行きの列車も通るヴェルニゲローデ~ドライ・アンネン・ホーネ間はともかく、中間部は実に閑散としている。1日4往復しかなかったのに、うち2往復は今やバス代行になってしまった。

一方、ノルトハウゼン側では、途中のイールフェルト Ilfeld まで市内トラムが乗り入れてくる。軌間は同じでも非電化なので、トラムは蓄電池を積んだハイブリッド仕様だ。市内軌道では架線から集電し、ハルツ横断線に入ると蓄電池を電源にして走る。これによってこの区間の駅では、現代風の連節トラムと蒸気列車がホームで隣り合う珍しい光景が見られるようになった。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線」参照。

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終点ノルトハウゼン北駅(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ゼルケタール線 Selketalbahn(項番20)は長さ60.8km、比較的標高の低い山地東部を横断していく。しかし、前半の分水界越えには、ブロッケン線をしのぐ40.0‰の急勾配があり、半径60mの急カーブを筆頭に、きつい反向曲線が連続する。軽便規格の険しいルートであることに変わりはない。

こちらも需要がそこそこあるのは、中間のアレクシスバート Alexisbad までだ。ここでハルツゲローデ Harzgerode 方面とハッセルフェルデ Hasselfelde 方面に線路が分かれるため、残りは1日4往復の閑散区間になる(ただしバス代行ではない)。ハルツ横断線に合流するアイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle は、そうした閑散線どうしの静かな乗換駅だ。各方面の列車が接続のために顔を揃える時間帯だけ、生気が戻ってくる。

方や、起点側のクヴェードリンブルク Quedlinburg とゲルンローデ Gernrode の間は、2006年に開通したばかりの新線だ。世界遺産都市に乗入れるために、廃止された標準軌線をわざわざメーターゲージに改軌したことで話題になった。車庫はもとの起点ゲルンローデに残されていて、朝晩、出入庫車両の運用がある。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線」参照。

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アレクシスバート駅の単行気動車(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番21 リューベラント鉄道 Rübelandbahn

ザクセン州の蒸気鉄道は次回紹介するとして、ハルツ山地に分け入る標準軌の山岳路線にも触れておきたい。山地北麓のブランケンブルク Blankenburg と山中の町エルビンゲローデ Elbingerode の間18.2kmを結んでいるリューベラント鉄道だ(下注)。

*注 かつてはさらに奥へ進み、タンネ Tanne まで30.3kmの路線だった。

沿線の鉱石輸送を目的に全線開業したのは1886年。ハルツ狭軌鉄道と時代が重なるが、同じようにルート前半で分水界を越えるために61‰の急勾配があり、これをスイッチバックと、開発されて間もないアプト式ラックレールで克服した。

路線は、第二次大戦後の国有化で改称されるまで、ハルツ鉄道 Harzbahn と呼ばれていた。それで狭軌鉄道(下注)と混同されることもあるのだが、旧 信越本線碓氷峠区間の建設に当たって参考にしたのは、この標準軌線だ。その後1920年代に、強力な蒸気機関車が導入されてラック運転は不要となり、レールも撤去された。1966年には電化が完了して、蒸機も姿を消した。

*注 ハルツ狭軌鉄道は当初から粘着式で運行され、ラックレールは使われていない。

現在のリューベラント鉄道は、もっぱら石灰石を搬出するための貨物線だ。一般旅客輸送は行われていないが、うれしいことに、愛好家団体が毎月特定日に走らせている蒸気列車がある。動輪5軸の強力な95形機関車が、車庫のあるブランケンブルク駅を出て険しい坂道を上っていく姿は、ハルツ鉄道の昔を彷彿とさせる。

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ヒュッテンローデ Hüttenrode 付近(2020年)
Photo by Albert Koch at flickr. License: CC BY-ND 2.0
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リューベラント鉄道博物館前の95形(2012年)
Photo by Carsten Krüger Wassen at wikimedia. License: CC BY 3.0

次は、ベルリン東郊に点在する小規模な電気鉄道をいくつか挙げよう。これらに共通するのは、長距離幹線の駅から少し離れた町や行楽地へ向かう路線という点だ。幹線鉄道は、主要都市を最短時間で結ぶことを目的に建設される。それでルートから外れた土地への交通手段は、こうした軽規格の支線鉄道が担っていた。

項番7 ブーコー軽便鉄道 Buckower Kleinbahn

最も東に位置するブーコー軽便鉄道は、東部本線 Ostbahn のミュンヒェベルク Müncheberg 駅を起点に、メルキッシェ・シュヴァイツ自然公園 Naturpark Märkische Schweiz(下注)の中心地ブーコー Buckow まで行く4.9kmの標準軌支線だ。

*注 メルキッシェ・シュヴァイツは、マルク・ブランデンブルク Mark Brandenburg(ブランデンブルク辺境伯領 Markgrafschaft)のスイスを意味する。風光明媚な地域をスイスに例えたもの。

東部本線というのは、プロイセン王国時代にベルリンとケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Kaliningrad)を結んだ総延長740kmの鉄道だ。重要幹線の一つだったので、途中の小さな町などには目もくれず、広大な平野をひたすら驀進していく。そこで、北に離れた森と湖の里ブーコーへは、1897年に最寄り駅から750mm軌間の軽便鉄道が開通した。これが1930年に標準軌に転換され、同時に直流電化されて、現在に至る。

保存鉄道として維持されているこの支線の特徴は、改軌電化の際に配備された479形電車の存在だ。879形の付随車とのペアで運行されている。1980年代に改修を受けたとはいえ、角ばった外観や中央の側扉といったレトロな風貌は健在で、吊掛けモーターの唸りとともに、訪れる人のノスタルジーを誘ってやまない。

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ミュンヒェベルク駅で発車を待つ(2012年)
Photo by Andre_de at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シュトラウスベルク鉄道 Strausberger Eisenbahn

シュトラウスベルク鉄道は、ブーコーより少し早く1893年に開業している。町の6km南にある東部本線のシュトラウスベルク Strausberg 駅から、間を埋める深い森を貫いて、町の中心部に達した蒸気鉄道だった。電化は1921年で、このとき後半の区間が移設され、ルストガルテン  Lustgarten に至る現在の道端軌道が出現した。

ブーコーと違って、こちらはSPNVとして公共輸送を担っている。平日は20分ヘッドで走り、バリアフリー化のために、ベルリン市内と同じボンバルディアの低床トラムも導入済みだ。並行してSバーン(S5系統)があり、町裏にある駅(下注)から乗り換えなしでベルリン中心部まで行けるというのに、至って元気な路線で、歴史あるわが町のトラムに対する市民の愛着が感じられる。

*注 S5系統シュトラウスベルク・シュタット Strausberg Stadt駅。

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終点ルストガルテンの低床トラム(2022年)
Photo by Lukas Beck at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ここでもう一つ、観光名所になっているのが、鉄道の終点駅近くでシュトラウス湖を横断している渡船 Strausseefähre だ。幅350mの細長い湖とあって、湖上に架線が渡され、そこから集電して走る。湖面には別途、ケーブルが2本張ってあり、これを船体の両側に通すことで航路を誘導する仕組みだ。前身の船はガソリン動力だったが、騒音と漂う石油臭が不評で、1915年にこのトロリーフェリーに置き換えられた。現在の船は1967年に就航した2代目の「シュテッフィ Steffi」、今やヨーロッパ唯一という貴重な動く文化財だ。

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トロリーフェリー「シュテッフィ」(2023年)
Photo by Zonk43 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ヴォルタースドルフ路面軌道 Straßenbahn Woltersdorf

ベルリン市内から南東に走るSバーン(S3系統)のラーンスドルフ Rahnsdorf の駅前からは、ヴォルタースドルフ Woltersdorf の町へ向かうトラムが出発している。延長5.6kmの小路線で、自治体設立の会社が所有している文字どおりわが町のトラムだ(下注)。町の人口は8500人ほどで、独自のトラム路線を持つ自治体では最小規模だという。にもかかわらずダイヤは20分間隔、さらに平日の朝夕は根元区間で10分間隔と頻発していて、使い勝手がいい。

*注 列車の運行管理は、2020年からシェーナイヒェ=リューダースドルフ路面鉄道会社が担っている。

ルートは、前半が森の中、後半はヴォルタースドルフの住宅街を進んでいく。67‰の急な下り坂や、狭い道路でクルマと鉢合わせしそうな併用軌道など、注目個所がいくつかある。終点は運河の閘門の前で、開業当時は人気の観光スポットだった。

この路線の特色は、もっぱら中古の2軸ゴータカーが定期運用されていることだ。東ドイツ時代にゴータ車両製造人民公社 VEB Waggonbau Gotha で製造された車両群だが、ベルリンやシュヴェリーンなど他都市から引退した後、ここに終の棲家を見出した。改修を受けているとはいえ、もう60年選手だ。

しかし、バリアフリー化を達成するために、ここでも低床車の導入計画が進んでいて、今年(2024年)7月にポーランド製の3編成が現地に到着したと報道された。長らく隆盛を誇ったゴータカー王国も、にわかに体制が揺らぎ始めている。

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ヴォルタースドルフ病院 Woltersdorf Krankenhaus 付近(2010年)
Photo by der_psycho_78 at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

項番12 シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS)

Sバーンでラーンスドルフからベルリンに向かって次の駅、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen にも、同じように独立したトラム路線がある。Sバーン線の駅から深い森を抜けて、シェーナイヒェ Schöneiche、リューダースドルフ Rüdersdorf という二つの町を結んでいる 14.1kmの路線だ。

上述した3路線はいずれも標準軌だったが、シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道は、ベルリン都市圏で唯一のメーターゲージ(1000mm軌間)だ。起点のフリードリヒスハーゲンには、Sバーン駅を挟んで反対側にベルリン市電も来ているのだが、軌間の違いで直通できず、1910年の開業からずっと孤立路線に甘んじている。起点から約4kmの間はベルリン市内を走るため(ただし森の中で、集落はない)、地元ではベルリン市電への編入を要望しているそうだが、実現していない。

とはいえ、ベルリンに限定しなければ、メーターゲージのトラムは何ら珍しい存在ではない。事実、現在の運用車両は、ハイデルベルク、コットブスなど国内各地のメーターゲージ市電から譲渡された中古車だ。また、最も新しい低床3車体連節車は、フィンランドのヘルシンキからやってきた。たまたま車体の色がどちらも黄色と緑なので、オリジナル色のままでも違和感なく走っている。

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ヘルシンキから来た低床車アルティック Artic(2019年)
Photo by Mirkone at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番24 ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg

ナウムブルク Naumburg はライプツィヒの南西50kmにある町で、4本の尖塔を持つ堂々たる大聖堂で知られる。ここでも国鉄駅と旧市街を連絡するメーターゲージの馬車軌道が、1892年に開通した。1907年に電化され、東ドイツ時代までは環状ルートで走っていたが、施設の劣化が進行し、再統一後の地域経済が減退するなかで、運行は中止されてしまった。

公共交通機能がバスに移されるなか、愛好家団体が会社を設立し、市当局の協力を得ながら、少しずつ軌道の再建を進めていった。環状線のうち西側を廃止する代わりに、東側は公費で改修されることになった。もとの軌道は旧市街のマルクト広場 Marktplatz を経由していたが、このとき、道幅に余裕のある外縁ルートに変更されている。

こうして2006年にはシーズン中、毎週末の保存運行が始まった。さらに2007年のシーズンから4年間は、試験的に毎日運行され、結果が良好だったことから、2010年、ついに近距離公共旅客輸送機関 SPNV への復帰が決まったのだ。

現在、路線は中央駅 Hauptbahnhof とザルツトーア Salztor の間 2.9kmで、30分ごとに運行されている。路面軌道とはいうものの、全線にわたって車道と分離されているので、実態は道端軌道だ。主役は、1960年前後に製造されたゴータカーと、1970年代の「レコ」トラムで、保存鉄道の雰囲気をまといながら今日も走り続けている。

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終点ザルツトーア付近の「レコ」トラム(2018年)
Photo by Michał Beim at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0

最後は、東部各州に見られる公園鉄道について。

公園鉄道というのは、都市公園の中を走っている遊覧鉄道のことだが、東部の場合、そのほとんどが、東ドイツ時代に青少年の社会教育訓練施設として設置されたピオネール鉄道 Pioniereisenbahn(下注)に由来する。ピオネール鉄道は、1930年代に旧ソ連のモスクワで開設されたものが最初とされ、第二次世界大戦後は、1950年のドレスデンを皮切りに東ドイツの各都市にも広まっていった。これらは公園内に造られたので、ドイツ再統一後も、名称が公園鉄道 Parkeisenbahn に変わっただけで、青少年が運行に携わる組織ともども多くが存続している。

*注 ピオネール пионе́р(英語の pioneer に相当)は、共産主義圏における少年団組織。

このうち、ベルリン市内南東部にあるヴールハイデ公園鉄道 Parkeisenbahn Wuhlheide、別名 ベルリン公園鉄道 Berliner Parkeisenbahn(項番10)は、ドイツ最大の路線網と車両群を維持する公園鉄道だ。軌間は600mm。開業は1956年と比較的遅いが、1993年にSバーンの駅前まで延長されたことで、路線長は6.9kmに達した。

ふだん列車を牽くのは小型ディーゼル機関車だが、第1、第3週末には蒸気機関車も登場する。運行系統は2通りあり、中央駅 Hauptbahnhof と呼ばれる拠点を出発し、ヴールハイデ駅前に立ち寄りながら園内を周回するルートの場合、乗り通すのに約30分かかる。

この鉄道の運行には、10歳以上の青少年170名以上が携わっている。彼らは年齢に応じて理論研修や実践訓練を受けながら、車掌や踏切警手から始まり、出札業務や信号業務とさまざまな業務をこなしていく。紺の制服に身を包んで、きびきびと動く彼らは傍目にも頼もしげだ。

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ヴールハイデの5号機「アルトゥール・コッペル Arthur Koppel」(2001年)
Photo by Andreas Prang at German Wikipedia. License: public domain
 

ドレスデン公園鉄道 Dresdner Parkeisenbahn(項番29)の前身は、上述のとおり、1950年に東ドイツで最初に開設されたピオネール鉄道だ。路線長は5.6km(下注)あり、ここも1周30分かかる。平日は蓄電池機関車だが、週末にはクラウス Krauss 製の蒸機が列車の前につく。

*注 なお、路線長の数値は、上下線が並走(=複線)する中央駅 Hauptbahnhof ~動物園駅 Bahnhof Zoo 間をダブルカウントしている。

軌間は381mm(15インチ)で、ウィーンのプラーター公園 Prater を走る有名なリリプット鉄道 Liliputbahn がモデルになっている。リストには挙げていないが、ドレスデンに次いで1951年に開業したライプツィヒ Leipzig のそれも同じ軌間だ。しかし、リリプット車両の流通量が少なかったため、これ以降のピオネール鉄道は、軽便線として普及していて転用が容易だった600mm軌間で計画されていく。

コットブス公園鉄道 Parkeisenbahn Cottbus(項番16)は1954年の開通で、軌間は600mm。周回軌道ではなく、DB駅前から公園の南端まで南下していく一本道のルートだ。東ドイツ時代は公園内で完結していたのだが、1995年に開催された連邦園芸博の機会に、ヴールハイデの例に倣ってDB駅まで延伸された。

その結果、現在はザンドアー・ドライエック Sandower Dreieck~パルク・ウント・シュロス・ブラーニッツ Park & Schloss Branitz 間3.2kmとなり、片道19分。軌間が広い分、客車の空間も広く取られ、狭苦しいドレスデンに比べるまでもなく、大のおとなが並んでも十分余裕がある。

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ドレスデン公園鉄道の複線区間(2010年)
Photo by Henry Mühlpfordt at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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コットブス公園鉄道ザンドアー・ドライエック駅(2017年)
Photo by kevinprince3 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

こうした公園鉄道は、上述したものの他にも、ケムニッツ Chemnitz(項番38、1954年開設)、プラウエン Plauen(以下リスト未掲載、1959年開設)、ハレ Halle(1960年開設)、ゲルリッツ Görlitz(1976年開設)などの都市で今も動いている。

なお、リストには、ベルリンのブリッツ公園鉄道 Britzer Parkbahn(項番14)も挙げているが、これは旧 西ベルリンにあり、1985年に園芸博のアトラクションとして開設されたもので、ピオネール由来ではない。

続きは次回に。

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
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 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
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 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年7月31日 (水)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

ドイツは、イギリスと並んで保存鉄道活動が盛んな土地柄だ。いつものように観光鉄道や景勝路線を含めて挙げてみると、件数は150を超えた。北部、東部、西部、南部と4分割したリストの中から、主なものを紹介していこう。

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「ヤン・ハルプシュテット」のクリスマス特別列車(2014年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyn.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」画面

北部編には、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein、ハンブルク州 Hamburg、ニーダーザクセン州 Niedersachsen、ブレーメン州 Bremen にある路線を含めている。

まず注目したいのは、島の鉄道 Inselbahnen だ。ドイツ本土と北海との間で、平べったい島々が列をなしている。これら北フリジア諸島、東フリジア諸島(下注)と呼ばれる島々は、知られざる小鉄道の宝庫だ。

*注 フリジア Frisia は英語由来の呼称で、ドイツ語ではフリースラント Friesland。

項番3 ハリゲン鉄道 Halligbahnen

ユトランド半島の東側に位置する北フリジア諸島では、ハリゲン鉄道 Halligbahnen(下注)として括られる2本の簡易軌道が、本土と島をつないでいる。

*注 ハリゲン Halligen(複数形。単数はハリッヒ Hallig)とは、潮位が高くなると海中に没してしまうこの地域特有の湿地の島のこと。

一つは、本土の港ダーゲビュル Dagebüll から遠浅のワッデン海を築堤で渡ってオーラント島 Oland とランゲネス島 Langeneß へ行く軌間900mm、長さ9kmのダーゲビュル=オーラント=ランゲネス線 Halligbahn Dagebüll–Oland–Langeneß。

もう一つは、その約15km南で同じようにワッデン海を横断している軌間600mm、長さ3.5kmのリュットモーアジール=ノルトシュトランディッシュモーア線 Halligbahn Lüttmoorsiel–Nordstrandischmoor、通称ローレンバーン Lorenbahn(トロッコ鉄道の意)だ。

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ダーゲビュルの堤防を降りる自家用トロッコ(2023年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

その特徴は、州の海岸保護・国立公園・海洋保護局 Landesamtes für Küstenschutz, Nationalpark und Meeresschutz (LKN) が管理している専用線であることだろう。1920~30年代に護岸工事の資材を輸送するために建設され、今もその目的で維持されている。しかし本土との間には道路がないので、島民もこの軌道の日常利用が許されている。

彼らはマイカーならぬマイトロッコを運転して、浅海の上を行き来する。かつてこうしたトロッコは無動力で、帆で風を受けて走っていた。今はドライジーネ Draisine と呼ばれる動力車が普及していて、中には付随車(トレーラー)を伴った「列車」形式も見られる。

軌道は全線単線で、前者の場合、途中に、対向車両を退避するための頭端側線または待避線が計4か所設置してある。見通しがいいので信号機などはなく、優先通行権はまず工事車両に、マイトロッコ同士なら先に「閉塞区間」に入った車両にある。ポイントの切り替えもセルフサービスになっている。

鉄道ファンなら乗ってみたいが、この軌道に定期運行の旅客列車などは存在しない。それどころか、島内の民宿に泊る客を除いて、島民がマイトロッコに一般人を便乗させることも禁じられている。違反すると、運転免許取消の厳しい処分が待ち受けているそうだ。

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ワッデン海の中を3km続く簡易軌道(2003年)
Photo by StFr at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番14 ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn

一方、オランダに近い東フリジア諸島では、4つの島に島内鉄道が存在する。一つは観光用の馬車軌道だが、他の3島は狭軌の普通鉄道で、本土との間を結ぶ航路と連携して、港から中心市街地への交通手段として活用されている。

*注 東フリジア諸島の島内鉄道の概要については「北海の島のナロー I-概要」参照。

そのうち、最も東に位置するのがヴァンガーオーゲ島鉄道だ。軌間は1000mm(メーターゲージ)、航路ともどもドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによる運営で、今やDB唯一のナローゲージ路線になっている。

この鉄道の特徴は、運行ダイヤが毎日変わることだ。というのも、本土と島の間は遠浅の海で、潮が引くと広大な干潟が現れる。フェリーは、本土の川から続いている溝状の水路、いわゆる澪(みお)に沿って運航されるが、ヴァンガーオーゲの場合、それが浅く、潮位が高いときしか通れないのだ。船がそうなら、接続列車も合わさざるをえない。DBサイトには、本土側の連絡バスを含む1年間の運行ダイヤが一覧表で掲載されている。

フェリーが着くのは、島の南西端に突き出た埠頭だ。数両の客車がその岸壁で乗客を待っている。発車時刻は明示されておらず、全員が乗り込み、シェーマ・ロコ(下注1)が前に連結されれば、出発だ。列車は、海鳥たちの繁殖地にもなっている塩性湿地 Salzmarschen の上を時速20kmでゆっくりと横断し、約15分かけて町の玄関駅にすべり込む。

*注1 シェーマ Schöma(クリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH)社製の小型ディーゼル機関車。
*注2 鉄道の詳細は「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」「同 VI-後編」参照。

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塩性湿地を横断する列車(2018年)
筆者撮影
 

項番17 ボルクム軽便鉄道 Borkumer Kleinbahn

ボルクム島 Insel Borkum は東フリジア諸島の西端にあって、面積、人口とも諸島最大だ。ドイツ本土より距離が近いオランダからの定期航路もあり、レーデ Reede(投錨地の意)と呼ばれる埠頭は常に賑わっている。

ボルクム軽便鉄道は、その埠頭から7kmほど離れたボルクムの市街地まで、旅行者や用務客を運んでいる狭軌鉄道だ。メーターゲージの他の3島と異なり、軌間は前身の馬車軌道に由来する900mm。しかし、複線のまっすぐな線路を、10両編成で疾走する列車をひとたび目にすれば、鉄道需要の規模の差を実感する。

ボルクム駅までは17分。公式時刻表では、埠頭の発時刻が、船の遅延も見込んで ca.(およそ)何時何分と書かれているのがユニークだ。それに加えて、時刻表にない列車もたびたび走る。フェリーの乗客が多かったり、発着が重なったりして、1本の定期列車では運びきれないと判断された場合、混雑緩和列車 Entlastungszug と称して臨時便が手配されるのだ。

列車を牽くのはここでもシェーマ・ロコだが、ボルクム駅の車庫には、蒸気機関車やヴィスマール・レールバスといった旧型車両も保存されていて、週末などに特別運行が実施される。実用一辺倒でなく、観光要素にも配慮しているところが、島の交通を預かる鉄道の心意気だろう。

*注 鉄道の詳細は「北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編」「同 III-後編」参照。

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埠頭の駅で発車を待つ(2018年)
筆者撮影
 

項番9 ドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館 Deutsches Feld- und Kleinbahnmuseum
項番10 ブルクジッテンゼン湿原鉄道 Moorbahn Burgsittensen
項番11 アーレンモーア湿原鉄道 Moorbahn Ahlenmoor

北部の知られざる小鉄道は北海の島にとどまらない。ニーダーザクセン州中西部に広範囲に分布している低地湿原(モーア Moor)もその舞台だ。農地化などで面積が縮小して、湿原の多くは保護区として開発が制限されているが、かつては肥料や燃料にするために、泥炭の採掘が盛んに行われた。それを加工場まで運搬していたのが、湿原鉄道 Moorbahn、泥炭鉄道 Torfbahn などと呼ばれる600mm軌間の簡易軌道 Feldbahn(下注)だ。

*注 Feld は英語の field に相当する。軽量で、敷設・撤去が容易なことから軍用や産業用として広く用いられた。

シュターデ Stade 近郊、旧DBダインステ Deinste 駅の構内にあるドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館は、泥炭工場をはじめ鉱山、林業などで使われた小型機関車や客車・貨車を多数収集・保存している。コレクションを走らせる軌道も、畑を区切る並木を縫って約1.6kmの間延びていて、開館日のシャトル運行は訪問客の大きな楽しみだ。

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原状回復が図られるティステ農業湿原(2013年)
Photo by Dieter Matthe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

また、実際に湿原に敷かれた簡易軌道を保存して、観光と学びに活用しているところもある。ブルクジッテンゼン湿原鉄道は、ハンブルクとブレーメンの中間にある自然保護区「ティステ農業湿原 Tister Bauernmoor」の中を走る簡易軌道だ。

ここでは1999年まで泥炭が採掘されていたが、事業廃止後、自然保護区に指定されて湿原の回復が図られた。それとともに、残された軌道を活用して、湿原と野鳥の見学ツアーを開催している。ガイド付きツアーの参加者は、シェーマ・ロコが牽くトロッコ客車に乗り、約1.4km離れた湿原展望台まで行く(下注)。自然と触れ合う往復1時間30分の小旅行だ。

*注 途中、上下線が別ルートになっているので、総延長は約4kmある。

クックスハーフェン Cuxhaven の南にあるアーレンモーア湿原鉄道も同様で、広さ40平方kmのアーレン湿原 Ahlenmoor に張り巡らされた旧 泥炭軌道を利用している。こちらのツアーはより大規模で、全長5.7kmの周回ルートを走り、所要2時間15分。乗り場になっているビジターセンターも、かつての泥炭工場を改修したものだ。

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アーレン湿原の見学列車(2014年)
Photo by Ra Boe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番22 ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道 Museumseisenbahn Bruchhausen-Vilsen – Asendorf

次は、「ふつうの」保存鉄道をいくつか挙げよう。

ヴェーザー川とその支流が潤すブレーメン Bremen 周辺の田園地帯には活動中の路線がいくつもあるが、中でも筆頭は、ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道だろう。メーターゲージ(1000mm軌間)ながら、1966年7月に運行を開始した、ドイツで最初の保存鉄道だからだ。

運営主体は、その2年前に愛好家により設立されたドイツ鉄道協会 Deutsche Eisenbahn-Verein e. V. (DEV) 。まだ全線は走れず、列車構成も、1900年の路線開通時からいる同線オリジナルの小型蒸機「ブルッフハウゼン Bruchhausen」と客車1両というささやかなものだった(下注)。

*注 ブルッフハウゼン号は後に引退し、今はブルッフハウゼン・フィルゼン駅前のロータリーに記念碑として置かれている。

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駅前に据え付けられたブルッフハウゼン号(2009年)
Photo by Syker Fotograf at wikimedia. GNU General Public License
 

運行区間は1970年に延伸され、現在のブルッフハウゼン・フィルゼン Bruchhausen-Vilsen ~アーゼンドルフ Asendorf 間7.8kmになった。メーターゲージの孤立路線だが、昔は本線格のジーケ Syke ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~ホーヤ Hoya 間とともに狭軌の軽便鉄道網の一部をなしていた。それで、路線の後半に見られるいわゆる道端軌道の風景も本線とよく似ている。こうした軽規格のローカル線は1950年代までドイツの田舎の至るところで見られたが、今ではほとんど残っていない。

拠点のブルッフハウゼン・フィルゼンへは、DB線のジーケ駅から路線バスが出ている。また、運行日は限られるが、ジーケ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~アイストループ Eystrup 間にカフキーカー Kaffkieker(項番21)という気動車の観光列車も走っている。一部に田舎道の併用軌道さえある興味深い路線なので、機会があれば併せて乗ってみたい。

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観光列車カフキーカー、ブルッフハウゼン駅にて(2010年)
Photo by Corradox at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 アンゲルン蒸気鉄道 Angelner Dampfeisenbahn

ブルッフハウゼンに刺激されてか、1970年代に入ると、北部でも保存鉄道の開業が相次ぐ。フレンスブルク鉄道交通友の会 Freunde des Schienenverkehrs Flensburg e. V. によって1979年に開業したアンゲルン蒸気鉄道(下注)もその一つで、ドイツ最北の保存鉄道として今も運行を続けている。

*注 アンゲルン Angeln は、路線がある半島の名。ちなみに、この地からグレートブリテン島に移住した民族が英語で Angles(アングル人)と呼ばれ、アングロ・サクソンやイングランド(アングル人の土地の意)の名の語源になっている。

ルートとなった路線は、もともと主要都市シュレースヴィヒ Schleswig を起点とする地方鉄道だった。保存鉄道ではその東半分、DBキール=フレンスブルク線 Bahnstrecke Kiel–Flensburg のジューダーブラループ Süderbrarup 駅と港町カペルン Kappeln の間14.6kmが使われている。

この鉄道の最大の特徴は、車両コレクションの多くを北欧に求めていることだ。2017年まで主力機だったタンク蒸機F形はもとデンマーク国鉄 DSB のものだし、バトンを引き継いだテンダー蒸機S1形も、側壁の SJ の文字が示すように、スウェーデン国鉄の最後の形式だ(下注)。客車群もまたデンマークやノルウェーから到来している。

*注 2024年現在、修理のために就役していない。

鉄道の終点カペルン駅は、港のすぐ前だ。内陸に40km以上も入り込むシュライ湾 Schlei と呼ばれる細長い水路に面した港では、昔からニシンの水揚げが盛んだった。昇天日に合わせて開催されるニシン祭 Heringstage は町一番の年中行事で、鉄道もその一部に協力する。

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カペルン駅の旧SJ蒸機S1 1916(2018年)
Photo by Matthias Süßen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番5 シェーンベルガー・シュトラント保存鉄道 Museumsbahnen Schönberger Strand

この蒸気保存鉄道は1976年に開業している。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の州都キール Kiel から、バルト海沿岸の保養地シェーンベルガー・シュトラント Schönberger Strand(シェーンベルク海岸の意)まで延びる休止中の標準軌支線がその舞台だ。

1975年の一般旅客輸送の廃止を受けて、ハンブルク Hamburg で設立された交通愛好家・保存鉄道協会 Verein Verkehrsamateure und Museumsbahn e. V. (VVM) が末端部の線路3.5kmを取得した。以来、保存列車は基本的にその区間を往復している(下注1)が、支線全線が走行可能な状態に保たれているので、イベントなどでは列車がキール市内まで遠征する(下注2)。

*注1 今年(2024年)は、協会管理外のシェーンベルク Schönberg ~シェーンキルヘン Schönkirchen 間で運行されている。
*注2 根元区間のオッペンドルフ Oppendorf までは、2017年以来、キール中央駅からの一般旅客輸送が復活している。

活動拠点になっているのはシェーンベルガー・シュトラント旧駅だが、ここには別の楽しみもある。それは、協会が1993年から手掛けている路面電車の動態保存だ。ベルリン、ハンブルク、キールほか北ドイツ各都市の旧型車両が収集されていて、構内には終端ループを伴う1周500mほどの走行線が敷かれている。

ベルリンなどは標準軌(1435mm)だが、キールとリューベック Lübeck の市電は珍しい1100mm軌間だった。それで構内線もデュアルゲージ対応の3線軌条だ。

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シェーンベルガー・シュトラント駅(2017年)
Photo by Christian Alexander Tietgen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
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シェーンベルガー・シュトラント駅の路面軌道を走る旧ハンブルク市電(2018年)
Photo by Hammi8 at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

項番28 ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland

ヴェーザー川中流、ミンデンMinden(下注)の東に、リンテルン=シュタットハーゲン線 Bahnstrecke Rinteln–Stadthagen という半ば休止線が通っている。1974年以来、愛好家団体ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland (DEW) が保存列車を走らせているルートだ。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州北部の都市。

列車は、先輪1軸、動輪5軸の大型機関車DR 52.80形と客車6両(食堂車と半荷物車を含む)で構成されている。いずれも出自は旧 東ドイツ国鉄 DR で、第二次世界大戦前または戦中に製造された車両を戦後、抜本的に改良したいわゆるレコ機関車 Reko-Lokomotive、レコ客車 Rekowagen だ(下注)。

*注 レコは改造 Rekonstruktion を意味する。なお、この蒸機は2023年10月の踏切事故で損傷し、当面、運行できなくなった。

DB線の駅に近いリンテルン北駅 Rinteln Nord を出た列車は、ヴェーザー山脈 Wesergebirge という背骨のように東西に横たわる低山地の鞍部を越えていく。あとは、山麓のなだらかな農地や林を縫って北西へ進み、約1時間でDBハノーファー=ミンデン線 Bahnstrecke Hannover–Minden のシュタットハーゲン Stadthagen 駅に到着する。やたらとカーブの多い路線だが、のんびり走る保存鉄道には何の問題もない。

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リンテルン東方を行くレコ蒸機52 8038(2008年)
Photo by Vogelsteller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18 ブレーメン路面軌道博物館 Bremer Straßenbahnmuseum "Das Depot"

最後は路面電車の保存運行を一つ。

ブレーメン Bremen には、旧市街から郊外まで広がる延長115kmものトラムの路線網がある。他都市と同様、低床の連節車がさっそうと行き交うなか、日曜日になると昔懐かしい単車のトラムも姿を見せる。ブレーメン路面軌道友の会 Verein Freunde der Bremer Straßenbahn が運営するブレーメン路面軌道博物館の市内ツアーだ。

車庫を意味する「ダス・デポー Das Depot」の愛称が示すとおり、博物館は、市内西部ゼーバルツブリュック車庫 Betriebshof Sebaldsbrück  の建物の奥に居を構えている。ここは現役トラムの運行基地であり、そのなかに居候している形だ。毎月第2日曜日が公開日で、1900年製の49号「モリー Molly」をはじめとする貴重な保存車両や鉄道資料が見学できる。

市内ツアーが行われるのも同じ日だ。9系統博物館線 Museumslinie 9 と呼ばれ、車庫前を出発した保存車両が、市内中心部を約1時間巡って戻ってくる。車内で切符を売るスタッフはガイドを兼ねていて、車窓の見どころを次々と案内してくれる。乗降は車庫前のほか、中央駅 Hauptbahnhof と旧市街の大聖堂前 Domsheide でも可能だ。

これとは別に、中心部のみを巡回するツアーもある。

15系統市内周遊 Linie 15 - Stadtrundfahrt は運行日限定で、北はビュルガー公園 Bürgerpark、西はヴェーザー河港、南は空港までカバーする市内大回り。もう一つの16系統環状線 Linie 16 - Ringlinie は、シーズンの第4日曜に運行される早回りだ。こちらは、旧市街ルートと新市街ルート(いずれも所要20分)が交互に運行される。

旧市街のゴシック調の都市景観に、レトロな風貌のトラムはよく似合う。街角で見かけて、思わずカメラを向ける人も少なくない。

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中央駅前の16系統環状線ツアートラム(2010年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、東部各州にある主な保存・観光鉄道について見ていこう。

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2024年3月17日 (日)

セルダーニュ線 II-ルートを追って

前回の続きで、SNCF(フランス国鉄)セルダーニュ線の沿線風景を、起点から順に見ていきたい。

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ヴィルフランシュの町とリベリア砦の間の通路を横断する
ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)
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セルダーニュ線周辺の地形図にルートを加筆
大きな円は駅、小さな円は停留所を表す
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

標準軌線と接続するヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン Villefranche – Vernet-les-Bains 駅(以下、ヴィルフランシュと略す)駅を後にすると、ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)Le train jaune は要塞都市の市壁を川越しに見ながら進む。まもなく国道の踏切があり、次いで川も渡って右岸へ。一つ目の停留所セルディニャ Serdinya と二つ目のジョンセ Joncet は、気づかないうちに通過してしまうかもしれない。

しばらく走ると、再び川を渡って、初期計画の終点と目されていたオレット=カナヴェイユ・レ・バン Olette - Canaveilles-les-Bains に停車する。ここは島式ホームをはさむ待避線で列車交換が可能だが、山側に建つ2階駅舎はすでに閉鎖されている。駅を出ると、頭上に覆いかぶさるような街裏を通って、また川を渡る。

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対岸に見えるセルディニャの村
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オレット駅と頭上に覆いかぶさる街
 

ニエル Nyers 停留所の後、最初のトンネルがある。勾配はにわかに急になり、川は森の底に沈んでしまう。カーブしながら3つ目のトンネルを抜けるとテュエス・レ・バン Thuès-les-Bains、森の中を緩やかに進んでテュエス・カランサ Thuès-Carença の停留所がある。両者の間にはかつてテュエス Thuès という停留所もあったが、1993年に廃止された。

すでに標高860mまで上ってきているが、山道はまだ半ばだ。テュエスからはいよいよ55~60‰の最大勾配が連続する区間に入り、吊り掛けモーターのうなりが高まる。谷底との高低差がかなり開いたところで、いよいよ列車は見どころの一つ、セジュルネ橋 Pont Séjourné(下注)にさしかかる。

*注 地名からフォンペドルーズ橋 Pont Fontpédrouse とも呼ばれる。

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(左)静まり返るニエル停留所
(右)テュエス・カランサ停留所にさしかかかる列車
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セジュルネ橋、谷を跨ぐ下層のオジーブが特徴
下流側から遠望
 

設計者ポール・セジュルネ Paul Séjourné の名で呼ばれる2層構造のこの石造高架橋は、長さが236.7m、高さが65mで、路線最大の構築物だ。列車の車窓からはごく浅い角度でしか見えないのだが、東取付部2連、中間部(上層)4連、西取付部10連と、計16ものアーチを連ねて、路床を支持している。流路の上空に位置する中央の橋脚の荷重を、下層の大きなオジーブ(尖頭アーチ)で両岸に分散させているのもユニークだ。

鉄道と並走する国道116号もこの橋の下を通っているが、道路から2層アーチの全貌を見渡すには、約350m東へ下がる必要がある。上の写真はその位置から撮影したものだ。

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上流側から遠望
 

列車は、山襞をトンネルで縫いながら進み、次はフォンペドルーズ=サン・トマ・レ・バン Fontpédrouse - Saint-Thomas-les-Bains 駅だ。標高1051m、駅の周りに民家などはなく、駅名になったフォンペドルーズの村は、少し先で線路の下方に見えてくる。

ソト Sauto 停留所を過ぎ、尾根を回り込むあたりで、谷底にいくつかの建物と送電線が望めるだろう。鉄道に電力を供給するために、鉄道と同時に建設されたラ・カサーニュ La Cassagne の発電所だ(下注)。

*注 1913年に2か所目の発電所がフォンペドルーズに造られた。

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フォンペドルーズ駅で行き違い待ちをする西行きの列車
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ラ・カサーニュの発電所が谷底に見える
 

まもなく山かげから二つ目の名橋、ジスクラール橋 Pont Gisclard が現れる。地名からカサーニュ橋 Pont de Cassagne ともいうが、設計者であるアルベール・ジスクラール Albert Gisclard の名を冠して呼ばれることが多い。開業に先立つ橋梁の負荷試験の際、予期せぬ列車の暴走で6人が命を落とし、その中にジスクラールも含まれていた。橋に設計者の名がついているのは、その記憶をとどめるためでもある。

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ジスクラール橋
 

谷が広くて深いので、ジスクラールは、高い橋脚を何本も立てなくて済む吊り橋を選択した(下注)。長さ253m、主径間156m、谷底からの高さは62mある。フランスの鉄道路線で、現役を務めている鉄道用吊り橋はほかにない。

*注 セジュルネ橋も、当初は同様の吊り橋で計画されていた。

列車は、石積み橋脚の上に立てられた高さ30mの鉄塔の根元をくぐって、峡谷の上に出ていく。橋は桁の変形を防止するため、斜張橋の特徴も兼ね備えたユニークな構造をしている。塔から下ろされたおびたたしい数のケーブルが車窓をかすめ、空中を行くがごときアーチ橋とは全く別の光景だ。

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放射状のケーブルで吊られる橋桁
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車窓から見たジスクラール橋
 

ちなみにこの橋も、北側の山腹を通る国道116号線から眺めることができる。沿道から見下ろせる位置に、景観案内板も設置されている。この場所は東方向に、つづら折りで高度を稼ぐ国道とその間を上ってくる線路も見渡せる(下写真参照)ので、テット川沿いでおそらく最良の展望台だ。

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国道沿いに設置された景観案内板
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東方向の眺望
つづら折りの国道がセルダーニュ線と絡み合う
 

プラネス Planès 停留所のあと、路線で19本あるうち2番目に長い337mのトンネルを抜ける。気がつくと右側の谷が浅くなり、周りも穏やかな風景に変わっている。ようやくセルダーニュ高原の表面まで上ってきたようだ。列車はまもなく、モン・ルイ=ラ・カバナス Mont-Louis - La Cabanasse 駅に到着する。

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山を上り詰めて高原へ
正面の尖峰はガリナス山 Pic Gallinasse (Pic Gallinàs)
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モン・ルイ=ラ・カバナス駅
(左)駅舎(右)西方はまだ少し上っている
 

駅名になっているモン・ルイは、ヴィルフランシュと同様、世界遺産に登録されたヴォーバンの要塞都市だ。ルイの山を意味する町の名は、ヴォーバンを重用したフランス王ルイ14世に由来する。駅の北東1kmの高台に市壁に囲まれた市街地があり、その上手に大規模な城塞が、四隅の稜堡や半月堡を含め完全な形で残っている。列車の乗客の多くがここで下車するため、車内はがらんとしてしまう。

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モン・ルイの要塞
(左)市壁の門
(右)ヴォーバン式要塞が完全な形で残る
 

モン・ルイを出た後も線路は少し上っていき、ペルシュ峠 Col de la Perche の近くにあるボルケール=エーヌ Bolquère-Eyne 停留所がサミットになる。標高1592.78mは、SNCFで到達できる最高地点だ。起点から30.2kmの距離で、1166mも上ってきたことになる。

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ボルケール=エーヌ停留所
(左)1592.78mの標高値が刻まれる
(右)西行の列車から駅舎を振り返る
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セルダーニュ高原の放牧地
 

この後はしばらく波打つ高原をゆっくりと下っていく。フォン・ロムー・オデイヨ・ヴィア Font-Romeu-Odeillo-Via 駅(下注)は、東から来た一部の列車の終点になっている。モン・ルイと並び有人駅で、出札窓口がある。

*注 駅名は周辺の3つの集落(フォン・ロムー、オデイヨ、ヴィア)に由来するが、沿線の他の合成駅名とは異なり、自治体もこの名になっている。

線路はこの後、いったん谷底まで下った後、再び上り返す。そしてリガ峠 Coll Rigat の下をトンネルで抜け、改めてセルダーニュの中心部に広がる平地まで、200mの高度差を駆け降りていく。前半の渓谷風景とは一変して、車窓に盆地の雄大なパノラマが開ける景勝区間だ。その一角にスペイン領の飛び地リビア Llívia の町も見える。

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一部の列車が折り返すフォン・ロムー・オデイヨ・ヴィア駅
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エスタヴァル付近からセルダーニュ盆地の眺め
中央の円い山の左の麓に、スペイン領の飛び地リビアの町がある
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サイヤグーズ遠望
列車はこのあと手前の大カーブを通ってこちらに上ってくる
 

次のエスタヴァル Estavar 停留所との間は7.5kmあり、駅間距離では最も長い。山腹のオメガカーブで向きを変え、麓のサイヤグーズ Saillagouse 駅では標高がもう1302mまで落ちている。

エール Err、サント・レオカディ Sainte-Léocadie、オセジャ Osséja と停留所を3つ通過し、列車は坂を下って、初期の16年間終点だったスペイン国境の町ブール・マダム Bourg-Madame に停車する。スペイン領セルダーニャの中心都市プチセルダー Puigcerdà に近く、かつて国境貿易で栄えた町だ。駅はそのはずれにひっそりとあるが、列車の到着前後は出札窓口が開いている。

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サイヤグーズ駅
(左)駅舎(右)引込線と貨車用転車台
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ブール・マダム駅から西望
中景の丘はスペイン領プチセルダーの一部
 

ブール・マダムは鉄道ルートで盆地の底に位置するため、このあと線路は再び上りになる。スペイン領を迂回するように、谷口集落のユール=レゼスカルド Ur-Les Escaldes 停留所に立ち寄り、路線最長380mのプラ・ド・ラウラ(プラ・デ・リャウラ)トンネル Tunnel du Pla-de-Llaura で丘の下を抜ける。

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ユール=レゼスカルド停留所
(左)旧駅舎、現在は個人宅
(右)駅北方の鉄橋付近にて
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ラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ駅に到着
 

山裾に沿いながら、最後の停留所ベナ・ファネス Béna-Fanès を通過する。電化複線の線路(下注)が左を並走するようになれば、まもなく標高1232mにある終点ラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ Latour-de-Carol – Enveitg 駅に到着だ。これも最寄りの二つの町ラトゥール・ド・カロルとアンヴェチに由来する駅名だが、いずれも小さな町に過ぎず、駅はもっぱら接続する3路線の列車を乗継ぐ客のためにある。

*注 国境を越えるこのラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ~プチセルダー駅間は一見すると複線だが、実際は標準軌とイベリア軌間の単線並列。SNCFの列車はすべてラトゥール・ド・カロル止まりのため、標準軌の線路は現在使われていない。

フランス側の駅のため、ヤードの大半は標準軌の線路で占められている。トゥールーズから来るSNCFの列車(リオ・トラン liO Train)は通常、駅舎側の第1ホームに発着するが、線路を渡った島式の第2ホーム北半分も使われる。

一方、第2ホーム南半分の片側(駅舎側)は広軌の線路で、バルセロナから来るカタルーニャ近郊線 Rodalies de Catalunya、R3系統の列車が発着する(下注)。これに対して、セルダーニュ線の乗り場は第1ホームの南端だ。線路は、駅舎の側面に突き当たる形の頭端式になっていて、はるばる山を越えて到達した国境の終着駅にふさわしい。

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(左)第2ホーム北側にトゥールーズ方面の列車が
(右)南側、右が広軌線バルセロナ方面、左が標準軌線
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駅舎に突き当たる形のセルダーニュ線

セルダーニュ線は TER(Transport express régional、地域圏急行輸送)と呼ばれるSNCFの地方輸送網に位置付けられている。しかし、鉄道が維持できるほどの沿線人口はないため、利用者の大半を観光客が占めている(下注)。そうした事情もあってか、ダイヤは線内完結に近く、両端での標準軌線接続は決してスムーズとはいえない。

*注 列車本数が少ないので、旅行シーズンは事前予約が必須となる。

西行の場合、ヴィルフランシュ発の時刻は9時台、15時台、17時台の1日3本だ。そのうち完走するのは1番列車と3番列車(下注)だが、後者のラトゥール・ド・カロル着は20時台になり、標準軌線の最終列車が出発した後だ。

*注 2番列車はフォン・ロムー・オデイヨ・ヴィア折返しになる。

一方、東行はラトゥール・ド・カロル発の完走列車が8時台、15時台の2本ある。しかし、1番列車は標準軌の始発が到着する前に出てしまうし、2番列車はヴィルフランシュでペルピニャン行きの最終列車に間に合わず、駅前からバスで向かうしかない。

鉄道旅の魅力なら申し分ないセルダーニュ線だが、この路線を介して両端の標準軌線に乗り継ぐというような長距離旅行の可能性はかなり限定されるのが実情だ。

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朝焼けの空を背負う始発の黄列車
 

写真は、2022年11月と2023年1月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ル・トラン・ジョーヌ(公式サイト) https://letrainjaune.fr/

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 セルダーニュ線 I-ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)の道

 プロヴァンス鉄道 I-トラン・デ・ピーニュの来歴
 プロヴァンス鉄道 II-ルートを追って
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2024年3月15日 (金)

セルダーニュ線 I-ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)の道

セルダーニュ線 Ligne de Cerdagne

ヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン Villefranche - Vernet-les-Bains ~ラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ Latour-de-Carol - Enveitg 間 62.5km
軌間1000mm、直流850V電化、最大勾配60‰
1910~1927年開通

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セジュルネ橋を渡る

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フランス南部ピレネー山脈の山ふところに、SNCF(フランス国鉄)が運行するメーターゲージの電化ローカル線がある。起終点の駅名を取って正式名称を、ヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン~ラトゥール・ド・カロル線 La ligne de Villefranche – Vernet-les-Bains à Latour-de-Carol というが、一般には「セルダーニュ線 Ligne de Cerdagne」の名で知られる。セルダーニュ、またはセルダーニャ Cerdanya というのは東ピレネー中央部にある高原地帯で、鉄道が目指す目的地だ。

しかし、路線の名よりも有名なのは、そこを走る小型電車だろう。鮮やかな黄の地色に赤帯を引いた車体から、「ル・トラン・ジョーヌ Le Train Jaune」、すなわち黄列車という愛称を持っている(下注)。

*注 フランス語ではほかに Le petit train jaune(黄色の小列車)、色の連想から Le Canari(カナリア)などとも呼ばれ、カタルーニャ語では El Tren Groc(黄列車)、ドイツ語圏では Pyrenäenmetro(ピレネーのメトロ)の愛称もある。

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ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)
ユール=レゼスカルド Ur-Les Escaldes 駅北方にて
 

このデザインは、カタルーニャ Catalunya のシンボルカラーに由来するものだ。列車が走る土地は、スペインとの間で1659年に締結されたピレネー条約でフランスに帰属する以前は、カタルーニャの一部だった。

海岸平野から来た標準軌支線の列車からたすきを受けて、黄列車は、ピレネーを源とするテット川 Le Têt の険しい谷を遡っていく。セルダーニュ高原の標高1600m近い鞍部を乗り越えた後は、波打つ大地を滑るように降りていき、スペインとの国境駅で再び標準軌列車に後を託す。全長62.5km、乗り通せば約3時間の長旅だ。

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セルダーニュ線と周辺の路線網

歴史をたどると、路線はもともと行き止まりの支線として計画されていた。1878年に国土開発計画の一環として181の地方路線の整備を盛り込んだいわゆる「フレシネ計画 Plan Freycinet」で、第166号に挙げられたプラド Prades ~オレット Olette 間15kmがそれだ。ペルピニャン Perpignan からプラドまではすでに鉄道が通じていたので、その延伸線になる。

しかし、地元の思惑は、将来的にこれをスペイン国境に至るピレネー横断路線に発展させることだった。その実現には、沿線の困難な地形と大きな高度差を克服する必要がある。そこで、谷が狭まる手前で、周辺に町があって一定の需要が見込めるヴィルフランシュ・ド・コンフラン Villefranche-de-Conflent までを先に標準軌線で建設し、以遠区間については別の方法を検討することになった。

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ヴィルフランシュ駅構内をリベリア砦から俯瞰
左奥から来るのは標準軌線
 

この方針を受け、ミディ(南部)鉄道 Chemins de fer du Midi によりプラド~ヴィルフランシュ・ド・コンフラン間が1895年に開通して、ペルピニャンと結ばれた。現在のペルピニャン~ヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン線 Ligne de Perpignan à Villefranche - Vernet-les-Bains だ。

ところで当時、フランス東部、アルプス山麓のシャモニー Chamonix 周辺でも、同じような鉄道の建設計画(下注)が進んでいた。最大90‰の急勾配がある山岳ルートだが、そこではラック蒸機ではなく、電気動力による粘着運転が予定されていた。降水量の多い山地では、燃料の石炭を遠方から輸送するより、水力を使って自家発電したほうがコスト的に有利だからだ。

*注 パリ=リヨン=地中海鉄道 Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée (PLM) が手掛けたサン・ジェルヴェ・レ・バン=ル・ファイエ~ヴァロルシーヌ線 Ligne de Saint-Gervais-les-Bains-Le Fayet à Vallorcine。フレシネ計画の第125号線に相当。

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シャモニー・モンブラン駅のモンブラン・エクスプレス(2022年)
Photo by Guilhem Vellut at flickr. License: CC BY 2.0
 

セルダーニュ線は、1910年7月にまずヴィルフランシュ~モン・ルイ Mont-Louis 間27.9kmが開業したが、採用されたメーターゲージ(1000mm軌間)で、第三軌条集電(下注)という仕様は、1901年に先行開業したシャモニーの路線と共通だ。必要な電力を得るために、テット川に自前のダムと水力発電所も建設している。

*注 走行用レールに並行して給電用のレールを設置し、車両側のコレクターシュー(集電靴)で集電する方式。架線集電方式に比べ、トンネルの断面を小さくでき、強風や積雪に対する耐性も高いと考えられた。

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(左)走行用レールの右側に沿う給電用第三軌条
(右)Danger de mort(死の危険)、Passage interdit au public(一般通行禁止)の立札
 

続いて1911年5月に、モン・ルイから山を下りて、スペイン国境の村ブール・マダム Bourg-Madame までの延伸区間27.8kmが開通して、当初の計画は完了した。

現在、最終区間となっているブール・マダム~ラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ間6.9kmは、トゥールーズ Toulouse とバルセロナ Barcelona を結ぶ東部ピレネー横断幹線 Transpyrénéen Oriental の構想に合わせて具体化されたものだ。

新たな国境駅としてラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ駅が設置され、1927年から翌28年にかけて、バルセロナ側から広軌(イベリア軌間1668mm)の幹線が、次いで狭軌(1000mm)のセルダーニュ線が、最後にトゥールーズ側から標準軌(1435mm)の幹線が延伸開業して、現在の路線網が確立した。

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ラトゥール・ド・カロル=アンヴェチ駅舎
 

開業に際して発注された車両は、Z 100形として今なお主力で稼働している。何度か改修を受けているので見た目は美しいが、1908~12年の製造で、車齢は110年を超える。SNCFに属する現役車両では最古参になるという。観光シーズンには、デッキ付きの付随客車や無蓋のパノラマカーも率いて、押し寄せる乗客をさばいている。

これを補完すべく、2004年にはシュタッドラー社のGTW(関節式電車)Z 150が登場した。両端の客車の間に駆動ユニットをはさむ形式で、2編成が供用されている。冷暖房、トイレ完備でサービスは万全だが、これだけでは繁忙期に必要な輸送力を満たすことができない。Z 100形の出番は今後も当分続くことだろう。

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(左)ヴィルフランシュ駅のZ 100形
(右)車内
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(左)増結用付随客車
(右)除雪車(Z 200形、1910年製)
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シュタッドラー製Z 150形(2009年)
Photo by A1AA1A at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

ペルピニャン方面からテット川に沿って上流へ向かい、プラド Prades の町を通過すると、やがて両側から岩肌をあらわにした山が迫ってくる。標高427m、セルダーニュ線の起点ヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン Villefranche – Vernet-les-Bains 駅の構内がその山裾に広がっている。

長い駅名は近隣の2つの町の名をつなげたものだ(以下では、駅名をヴィルフランシュと略す)。ヴィルフランシュ・ド・コンフランは、17世紀の築城家として名高いヴォーバン Vauban による要塞都市で、堅牢な市壁が古い町並みを取り囲んでいる。テット川対岸の見上げる山腹に築かれたリベリア砦 Fort Libéria などとともに、フランスの世界遺産「ヴォーバンの防衛施設群」を構成する資産の一つだ。

一方、ヴェルネ・レ・バンは、地名に温泉や湯治場を表すレ・バン les bains の修飾語がついているように、駅の南5km、名峰カニグー山 Pic du Canigou の麓に立地する瀟洒な温泉町だ。いずれもこの地域の観光地で、アトラクションとしてのセルダーニュ線の魅力を側面から支えている。

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要塞都市ヴィルフランシュ・ド・コンフラン
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リベリア要塞
 

ヴィルフランシュは有人駅で、出札窓口がある。駅舎を抜けると低いホームが3本(Quai 1~3)並ぶが、屋根が架かっているのは、最も遠い第3ホームだけだ。旅客扱いは通常このホームでのみ行われ、駅舎側のC番線(Voie C)が標準軌列車用、反対側のD番線(Voie D)が黄列車用になる。黄列車の停車位置の手前には鎖が渡されていて、発車時刻が近づくと、車掌がここで乗車券をチェックしながら、乗客を通す。

セルダーニュ線には、起終点を含めて8つの駅 gares と15の停留所 haltes がある。駅では列車が必ず停車するが、停留所は乗降客があるときだけ停まるリクエストストップだ。降りるつもりなら前もって車掌に告げておく必要がある。

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ヴィルフランシュ=ヴェルネ・レ・バン駅
(左)正面入口(右)ホール
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(左)黄列車ホーム、車掌が乗車券を確認
(右)ペルピニャンとの間を結ぶ標準軌列車
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セルダーニュ線周辺の地形図にルートを加筆
大きな円は駅、小さな円は停留所を表す
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

では次回、この起点駅から順を追って、セルダーニュ線の沿線風景を見ていくことにしよう。

写真は、2022年11月と2023年1月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ル・トラン・ジョーヌ(公式サイト) https://letrainjaune.fr/

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2023年2月12日 (日)

オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト

オランダの保存鉄道は、標準軌の蒸気鉄道線と都市型トラム軌道が全土にバランスよく配置されている。遠くまで出向かなくとも、滞在地の近くでタイプの異なる鉄道風景に出会うことができる。2023年1月現在で更新した下記リストの中から、主なものを見ていこう。

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ブーケローに向かう地方鉄道博物館の保存蒸機(2019年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0

保存鉄道・観光鉄道リスト-オランダ
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_netherlands.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オランダ」画面
 

まず、標準軌の蒸気鉄道から。

項番1 スタッツカナール鉄道財団 Stichting Stadskanaal Rail (STAR)

北東部の平原地帯で活動するこの財団は、オランダの保存鉄道で最も長い路線を有している。フェーンダム Veendam からスタッツカナール Stadskanaal を経てミュッセルカナール・ファルテルモント Musselkanaal-Valthermond まで、その距離は26kmにもなる。

フェーンダムには州都フローニンゲン Groningen から一般列車が入るようになったので、アクセスは容易だ。1910年築の歴史ある駅舎は、以前から保存鉄道が使っている。中間のスタッツカナールが機関庫のある拠点駅で、通常の保存運行では、この2駅間15kmを往復する。テンダー蒸機またはディーゼル機関車が先導し、片道40分の旅だ。

特別ダイヤの日に限り、一部の列車がスタッツカナールからさらに3.5kmのニーウ・ボイネン Nieuw Buinen まで足を延ばす。しかしその先は、線路の劣化により、2018年を最後に運行区間から外されたままになっている。

他方、フェーンダム~スタッツカナール間では、一般列車を延長運転する計画が進んでいて、2024年末の開業予定だ。保存財団は今ある線路を売却し、使用料を払って運行する形になるという。

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スタッツカナール駅にて(2016年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 地方鉄道博物館 Museum Buurtspoorweg (MBS)

地方鉄道博物館というのは、この保存鉄道を運営する財団の名称だ。原語の Buurtspoorweg(ビュールトスポールウェフ)は一般用語ではないが、幹線網から離れた地方の町や村を結んでいたローカル線を意味している(下注)。他に先駆けて1967年に設立された財団は、こうした歴史的な地方鉄道の設備を取得し、維持・活用することを目的としてきた。

*注 この単語自体は、ベルギーにあった旧 国有地方鉄道会社 Nationale Maatschappij van Buurtspoorwegen (NMVB) の名称に用いられたことで知られる。

活動の舞台は、ドイツ国境に近い東部のハークスベルヘン Haaksbergen とブーケロー Boekelo の間にある約7kmの旧地方鉄道線だ。もとは近くの主要都市エンスヘデ Enschede に通じていた路線だが、高速道路の建設により、根元を断たれた形で現在に至っている。

鉄道の拠点はハークスベルヘンにあり、ここから地方線用のタンク蒸機に牽かれた観光列車(またはレールバス)が出発する。畑と並木が続く平原をまっすぐ進んだ列車は、約25分で折り返し駅のブーケローに到着する。

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黄塗装6号機が牽く保存列車(2016年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番5 フェーリュウェ蒸気鉄道協会 Veluwsche Stoomtrein Maatschappij (VSM)

オランダ中部、森が広がるフェーリュウェ丘陵 Hoge Veluwe の縁辺を、テンダー機関車が地響きを立てて疾駆する。フェーリュウェ蒸気鉄道協会が運営する路線は、大型蒸機の迫力ある走行シーンを身近に体験できることで知られている。NS(オランダ国鉄)線のアペルドールン Apeldoorn 駅から乗り込めるというアクセスの良さもあって、夏場は週6日のフル操業だ。

ルートは、アペルドールンから南下し、同じくNS線に接続するディーレン Dieren までの全長22kmだが、通常運行では、15km地点のエールベーク Eerbeek で折返す。列車は、アペルドールン市街地で運河に並行した後、平野に出て、畑地と森のパッチワークを縫っていく。復路では同6kmのベークベルヘン Beekbergen で休憩時間があり、保有車両を格納した機関庫を見学できる。

夏はディーレンまで全線を運行する日もある。列車を片道にしてエイセル川 IJssel 下りの遊覧船に乗り継ぎ、ジュトフェン Zutphen からNS線の電車でアペルドールンに戻るという別コースも可能だ。

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アペルドールン運河に沿って走る(2017年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番7 ホールン=メーデムブリック保存蒸気軌道 Museumstoomtram Hoorn-Medemblik (SHM)

NS線に隣接する拠点ホールン Hoorn 駅からメーデムブリック Medemblik まで20km。真っ平なポルダー(干拓地)を横断していくこの蒸気列車は、言わずと知れたオランダの代表的観光スポットの一つだ。4月から9月まで週6日、さらに夏の間は無休という運行日の多さが、人気ぶりを如実に物語る。

標準軌とはいえ、もとは蒸気トラム stoomtram が走っていた地方の軽便線だ。保存鉄道は、その全盛期だった1920年代の鉄道風景の再現に努めている。運行の主役を担うのは、小型のタンク蒸機や箱型のトラム蒸機で、レンガ造りの駅舎や沿線の跳ね橋、風車も、気分を盛り上げる大事な舞台装置だ。

これも当時のままなのか、列車は自転車でも追いつけるくらいに、のんびりと走る。全線の所要時間は85分。そこで、メーデムブリックの駅裏から観光船が、波静かなエイセル湖 IJsselmeer を渡ってNS線の駅があるエンクハイゼン Enkhuizen まで運航されている。同じ道を往復するのは退屈だとお思いなら、この三角ルート(逆回りも可)がお薦めだ。

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ウォホヌム・ニビックスワウト Wognum-Nibbixwoud 駅付近(2008年)
Photo by Maurits90 at wikimedia. License: CC0 1.0
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メーデムブリック駅の列車と観光船(2017年)
Photo by Tedder at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 百万フルデン線、南リンブルフ蒸気鉄道協会 Miljoenenlijn, Zuid-Limburgse Stoomtrein Maatschappij (ZLSM)

オランダ南東端にも、丘陵地を行く標準軌の蒸気鉄道「百万フルデン線 Miljoenenlijn」(下注)がある。風変りな名称は、1934年に完成した路線の工事に1km当たり100万フルデンの費用がかかったことに由来する。起伏の多い土地を横断するルートで、大量の土砂を移動させなければならなかったからだ。

*注 Miljoenenlijn(ミリューネンレイン)は、直訳すると「百万線」だが、原意に基づき、通貨単位を補足した。

南リンブルフ蒸気鉄道協会が運行するこの保存列車は、拠点のシンペルフェルト Simpelveld から北、西、東の3方面に進んでいく。

北は、「百万フルデン線」を通ってケルクラーデ Kerkrade へ。西は、旧アーヘン=マーストリヒト線 Spoorlijn Aken - Maastricht を通ってスヒン・オプ・フール Schin op Geul へ。東は、同じ路線で国境を越えてドイツのフェッチャウ Vetschau(下注)へ。いずれもそこで折り返して拠点に戻ってくる。

*注 現在は国境手前のボホルツ Bocholtz 折返しになっている。

テンダー蒸機とともに、旧DB(ドイツ連邦鉄道)仕様の赤いレールバスの運行が見られるのも、国境に近い路線ならではだ。本来、フェッチャウ延伸用に購入された車両だが、使い勝手がいいと見え、今では他の2方面でも活用されている。

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スヒン・オプ・フール駅のレールバス(2006年)
Photo by Robert Brink at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番13 旧RTM財団 Stichting voorheen RTM (RTM)

南西部の北海沿岸にあるこの保存鉄道は、1067mm(3フィート半)軌間であるところが貴重だ。かつては南ホラント Zuid-Holland 州一帯の地方軌道をはじめ、オランダ国内でもふつうに見られた軌間だが、今やここにしか残っていない。

RTMの名は、周辺の路線網を運営していたロッテルダム軌道会社 Rotterdamse Tramweg Maatschappij の略称に由来する。1966年に最後のRTM軌道線が廃止された後、財団はその車両を廃棄の危機から救い出し、保存鉄道を立ち上げた。アウトドルプ Ouddorp 郊外のデ・プント De Punt に、活動の拠点としている鉄道博物館がある。

列車が走る約8kmのルートもまたユニークだ。ほぼ全線が、ブラウウェルスダム Brouwersdam と呼ばれる締切堤の上を通っている。南北二つの島(下注)の間を締め切る長さ6.5kmの長大堤防で、拠点を出発した列車は、転回ループで反転の後、堤防に沿って南へ向かう。周辺はすっかりリゾート化していて、車窓にはマリーナやビーチが点在するのびやかな水辺の景色が続いている。

*注 フーレー・オーファーフラッケー島 Goeree-Overflakkee とスハウエン・ダイフェラント島 Schouwen-Duiveland。デ・プントは英語の the point(岬)で、フーレー島の先端にある。

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ブラウウェルスダムの上を行く蒸気列車(2012年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10 カトウェイク=レイデン蒸気鉄道 Stoomtrein Katwijk Leiden (SKL)

オランダでは数少ないナローゲージの保存鉄道だ。大学都市レイデン(ライデン)Leiden の西郊、ファルケンブルフ湖 Valkenburgse Meer のほとりに、古様式で建てられた駅舎と機関庫、そして湖岸を半周する700mm軌間、約2kmの専用軌道がある。

もとは海岸砂丘の貨物線で運行されていたが、砂丘への立入りが制限されることになり、1993年に今の場所に移ってきた。線路はその際、新たに敷かれたものだ。湖自体、煉瓦製造用の砂を採取した跡に造られた人造湖だが、すでにのどかな自然風景としてなじんでいる。

シーズン週末には、このルートを小型蒸機が数両の客車を連ねてとことこと走る。終点まで行って戻ってくると、駅で別のディーゼル列車が待っていて、そのまま機関庫へと案内してくれる。

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狭軌鉄道の駅構内(2014年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 アムステルダム保存電気軌道 Electrische Museumtramlijn Amsterdam (EMA)

ベルギーと同様、トラムの保存鉄道も各地で見ることができる。中でも他と一線を画しているのが、アムステルダム市南部にあるこの電気軌道だ。長さ7.2kmの専用線をもち、非公式ながら、市電30系統を名乗っている。

ルートは、のどかな運河とアムステルダムの森 Amsterdamse Bos に沿って延びる。瑞々しい緑に包まれた軌道を、国内およびヨーロッパの各都市から集められた古典電車が行き交う。観光客だけでなく、森の中の公園や施設へ行く地元市民も利用するフレンドリーなトラム路線だ。

路線はもとハールレマーメール鉄道 Haarlemmermeerspoorlijnen(下注)という、首都南郊に120kmの路線網を広げる地方鉄道の一部だった。当時のレンガ建て駅舎が、ターミナルのハールレマーメール駅 Haarlemmermeerstation と途中のアムステルフェーン駅 Station Amstelveen に残され、文化財に指定されている。

*注 ハールレマーメール Haarlemmermeer は、アムステルダムの南西にあったハールレム湖のことだが、干拓されて今は存在しない。鉄道名は、その路線網が湖の東岸にあったことに由来する。

なお、高速道路の拡幅に伴い、現在、軌道が通過する高架橋の架替え工事が行われている。そのため、運行は5.3km地点パルクラーン Parklaan 止まりになっていて、全線復活は2026年の予定だ。

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カルフィエスラーン Kalfjeslaan 停留所での列車交換(2022年)
Photo by Alf van Beem at wikimedia. License: CC0 1.0
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(左)ハールレマーメール駅舎(2005年)
Photo by Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)アムステルフェーン駅舎(2013年)
Photo by DennisM at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番11 ハーグ公共交通博物館 Haags Openbaar Vervoer Museum (HOVM)
項番12 ロッテルダム路面電車博物館 Trammuseum Rotterdam

アムステルダムに負けじとばかり、ハーグとロッテルダムにもトラムを展示する博物館がある。週末等には、現代の低床車に混じって古典車両も営業用の軌道に姿を見せる。

ハーグ公共交通博物館は、ハーグ市内にある文化財指定の旧トラム車庫が拠点だ。毎週日曜に開館され、その日の午後に2回、市内または郊外へ向けて観光トラムの運行がある。

現在、使用車両はクリームにグリーン帯の伝統色をまとった1960年代のPCCカーだ。行先は月ごとの週替わりで、ビーチリゾートのスヘーフェニンゲン Scheveningen や、フェルメールの故郷デルフト Delft など魅力的な観光スポットが含まれている。

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PCCカーでデルフトへ(2014年)
Photo by FaceMePLS at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

一方、ロッテルダム路面電車博物館は、NS線の北駅に近い旧トラム車庫で、毎月第1土曜日に開館する。所在地が中心部からやや遠いからか、10系統を名乗るトラムツアーは博物館を経由せず、中心部周辺の路線網を循環する形で行われている。シーズンの木曜から日曜にかけて30~45分間隔で運行され、比較的利用しやすい。

なお、どちらも市内交通の乗車券は有効ではなく、博物館やトラム車内などで専用乗車券を購入する必要がある。これを持っていれば、当日の途中停留所での乗降は自由だ。

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市内ツアー中の旧型トラム(2022年)
Photo by Eriksw at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番6 オランダ野外博物館軌道線 Tramlijn Nederlands Openluchtmuseum (NOM)

最後に、古典トラムの走行シーンが楽しめる場所をもう1か所挙げておこう。

中部のアルンヘム(アーネム)Arnhem 北郊で、オランダの昔の日常文化を保存展示しているオランダ野外博物館 Nederlands Openluchtmuseum だ。1918年開設の歴史ある施設で、国内各地の古い家屋や農場、工場などの建物が移築・再建され、そこで営まれていたさまざまな作業の実演も見学できる。

ここに1996年、動く展示物として、また広大な構内の移動手段も兼ねて、標準軌のトラム軌道が造られた。構内を一周する単線、全長1.8kmのルートだ。アルンヘムの1929年製トラムのレプリカ(下注)をはじめ、近隣各都市から収集されたトラムが、6か所の停留所を結んで走っている。

*注 アルンヘムの市内軌道は 1067mm軌間だったが、レプリカは標準軌に設計変更された。

1周15分の乗車体験を終えた後は、展示施設に立ち寄りながら軌道に沿って散策するといい。明るい緑の森や古びた建物のレンガ壁に古典トラムがよく似合い、思わずカメラを向けたくなるはずだ。

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(左)構内を行くロッテルダム車(2014年)
Photo by Baykedevries at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)同上(2019年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

★本ブログ内の関連記事
 イギリスの保存・観光鉄道リスト-イングランド北部編
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

2023年2月 3日 (金)

ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト

ベネルクス三国と呼ばれるベルギー、オランダ、ルクセンブルクにも、多様な保存鉄道・観光鉄道が多数運行されている。標準軌の蒸気機関車を走らせている路線はもとより、トラムタイプの小型車両(標準軌およびメーターゲージ)の保存運行にも積極的な点が一つの特色と言えるだろう。

2023年1月現在で更新したリストの中から、今回はベルギーとルクセンブルクの主なものをピックアップする。

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ブリュッセル都市交通博物館の保存トラム(2016年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ベルギー・ルクセンブルク」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_belgium.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ベルギー・ルクセンブルク」画面
 

項番12 3河谷蒸気鉄道 Chemin de fer à vapeur des Trois Vallées (CFV3V)

標準軌の路線では、南部のフランス国境近くを走る3河谷蒸気鉄道 Chemin de fer à vapeur des Trois Vallées、略称 CFV3V がまず挙げられる。1973年の開業から50周年という歴史だけでなく、走行線の長さ、車両の保有数、開館日数のいずれをとっても、ベルギー最大規模の保存鉄道だ。

鉄道名の3河谷(トロワ・ヴァレー Trois Vallées)というのは、鉄道沿線のヴィロワン川 Le Viroin と、その源流のオー・ブランシュ L'Eau Blanche およびオー・ノワール L'Eau Noire が流れる三つの谷を指している。

起点は、SNCB(ベルギー国鉄)のマリアンブール Mariembourg 駅から約800m東にある扇形機関庫の前だ。そこから列車は、開けた谷の中を下流へ向かう。ヴィロワン自然保護区 Réserve naturelle du Viroin の瑞々しい風景を眺めながら14km、30~40分でかつての国境駅トレーニュ Treigne に到着する。

マリアンブールの車庫や側線にも車両が多数留置されているが、トレーニュでは、ヨーロッパ各国から収集された車両を展示する大きな鉄道博物館が来客を待っている。見学しているうちに、折り返しを待つ1時間強はたちまち過ぎてしまうだろう。夏は週5日運行しているのも、評判の高さを証明している。

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トレーニュ駅での機回し作業(2010年)
Photo by Mark Deltaflyer at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 マルデヘム=エークロー蒸気鉄道 Stoomtrein Maldegem - Eeklo (SME)

ヘント Gent とブルッヘ Brugge を結ぶ鉄道には、現在の直進ルート(50A号線)とは別に、エークロー Eeklo 経由の北回り線(58号線、下注)が存在した。しかし今も一般運行されているのは、東側のヘント~エークロー間だけだ。残りは廃止されて、中央部の10kmが保存鉄道の走行用になり、西側のほとんどは自転車道に転換された。

*注 直進ルートはイギリス航路の連絡鉄道として港町オーステンデまで1839年に開通。エークロー経由の路線開業は後の1861~62年。

その保存鉄道がマルデヘム=エークロー蒸気鉄道だ。西の終点マルデヘム  Maldegem が拠点駅で、蒸気センター Stoomcentrum と称する保存車両の車庫がある。ここからエークローに向けて、気動車か蒸気牽引の観光列車が走る。

沿線の見どころは、中間のバルヘルフーケ Balgerhoeke 駅の手前で渡るスヒップドンク運河 Schipdonkkanaal の昇開橋だ。第二次世界大戦で損傷したが再建され、文化財指定を受けている。

お楽しみは標準軌列車にとどまらない。マルデヘム駅では、西側の廃線跡に600mm軌間で1.2kmの線路が敷かれている。観光列車の運行日は、狭軌線でも往復運転が行われる。子どもたちには、本線の大きすぎる列車より、身の丈に近いこちらのほうが人気だ(下注)。

*注 2023年現在、蒸機は改修中で、列車は小型ディーゼルが牽いている。

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スヒップドンク運河の昇開橋(2018年)
Photo by Paul Hermans at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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マルデヘムの600mm軌間を行く蒸気列車(1992年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番11 ボック鉄道 Chemin de Fer du Bocq

南部のアルデンヌ高地は、ムーズ川 La Meuse に注ぐ支流によって無数の谷筋が刻まれている。その一つ、ボック川 Le Bocq の谷に沿って、高原上のシネー Ciney からムーズ川べりのイヴォワール Yvoir へ降りていく線路が、ボック鉄道の舞台だ。

保存運行では、SNCB駅のあるシネーと、ボーシュ Bauche にある仮設ホームまでの間、約15kmが使われている。激しく蛇行する谷を縫っていく列車の前に、4本のトンネルと11か所の橋梁が次々に現れる。ベルギーの保存鉄道では一番の渓谷区間といえるだろう。

拠点は、中間駅のスポンタン Spontin に置かれている。列車はここを出発して、シネーとボーシュの間を振り子のように往復し、約1時間30分で起点に戻ってくる。特別行事のときを除いて、気動車かディーゼル機関車による運行だ。ただし2023年現在、シネーの SNCB駅が工事中のため、特定の日を除いて、駅のかなり手前での折り返しになっている。

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ドリンヌ・デュルナル Dorinne-Durnal 駅を出る保存列車(2011年)
Photo by Noben k at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続いて、トラムの保存鉄道を見ていきたい。

項番5 ブリュッセル都市交通博物館 Musée du transport urbain bruxellois (MTUB)

首都ブリュッセルには、かつて市内交通を担った旧型トラムやバスを保存するブリュッセル都市交通博物館、愛称「ミュゼ・デュ・トラム(トラム博物館)Musée du Tram」がある。場所は首都圏東部の、美しい公園や高級住宅街があるウォリュウェ・サン・ピエール Woluwe-Saint-Pierre の市電車庫の一角だ。

そこには60両を超える車両が展示されているが、この一部を使って市内軌道線で観光運行も行われている。コースは3方向に分かれ、博物館を出て東のテルヴューレン駅 Tervuren Station、または西のサンカントネール Cinquantenaire、北東のストッケル Stockel でそれぞれ折返す(運行日はコースごとに異なる)。

このうち最も知られているのは、トラム44系統のルートを共用するテルヴューレン線だろう。麗しい並木道のテルヴューレン大通り Avenue de Tervueren に沿い、広大なソニア(ソワーニュ)の森 Forêt de Soignes に分け入り、大都市とは思えない豊かな緑に包まれたルートを終始走っていく。

これとは別に博物館は、1930年代のPCCカーを使った「ブリュッセル観光路面軌道 Brussels Tourist Tramway (BTT)」も運営している。市内の観光名所を、途中50分の昼食休憩込みで4時間かけて巡るというものだ。観光バスで行くのとは一味違ったツアーが楽しめる。

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ソニアの森を行く保存トラム(2018年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 キュストトラム De Kusttram

ブリュッセルの市内トラムは標準軌だが、他都市を含めてベルギーではむしろ、メーターゲージ(1000mm軌間)が主流だ。こうしたトラムは1870年代以降、市内だけでなく地方路線にも広く導入されたが、第二次世界大戦後は、自動車交通に押されて大半が壊滅した(下注1)。その中で唯一、長距離の路線が今も活用されているのが、北海沿岸の港湾都市やリゾートを結んで走るキュストトラム(下注2)だ。

*注1 地方軌道は、SNCB(国鉄、蘭 NMBS)とは別組織の、国有地方鉄道会社 Société Nationale des Chemins de fer Vicinaux (SNCV、蘭 NMVB) により運営されていた。そのため、1950年代から政策的なバス転換が一気に進んだ。
*注2 英語では The Coast Tram(海岸トラム)。

東のクノッケ Knokke から西のデ・パンネ De Panne に至る67kmのルートは、ベルギーの海岸線をほとんどカバーしている。一番の見どころは、北海の海岸線に沿うマリーアケルケ Mariakerke とミッデルケルケ Middelkerke の間だろう。構築物では、デ・ハーン・アーン・ゼー De Haan aan Zee の古い駅舎や、ゼーブルッヘ Seebrugge の運河に架かる跳開橋のストラウス橋 Straussbrug(下注)などが注目ポイントだ。

*注 海側の旋回橋が通行できないときの迂回線上にあるため、通常運行では経由しない。

この路線でも旧型トラムの保存活動が見られる。「TTOノールトゼー TTO Noordsee」という協会組織が、デ・パンネ市街の西にある旧車庫を拠点に行っているもので、夏の週末のデ・パンネ駅を往復する40分の本線走行など、公式サイトにはさまざまなイベントの案内が挙がっている。

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(左)デ・ハーン・アーン・ゼー駅舎(2006年)
Photo by Vitaly Volkov at wikimedia. License: CC BY 2.5
(右)跳開橋ストラウス橋(2014年)
Photo by Marc Ryckaert (MJJR) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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イベント「トラメラント」での保存トラム(2014年)
Photo by Wattman at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番13 ロブ=テュアン保存軌道 Tramway Historique Lobbes-Thuin (ASVi)

フランス語圏である南部のワロン地方には、ローカルトラム(地方軌道)tram vicinal の走行シーンが見られる保存鉄道がいくつかある。シャルルロワ Charleroi に程近い町、テュアン Thuin に拠点を置くロブ=テュアン保存軌道、略称 ASVi もその一つだ。

テュアンの町はずれにある ASVi博物館から3方向に延びるルートは、どれも個性的だ。一つは西へ向かい、隣村ロブ Lobbes の山手に至る約4km。二つ目は、テュアンの下町(ヴィル・バス Ville Basse)に入る400mほどの短い支線。この2本は、かつてシャルルロワ Charleroi 市内まで続く1本のトラム路線(92系統)だった。

三つ目は、2010年に開業した南のビエーム・スー・テュアン Biesme-sous-Thuin に至る3km区間で、標準軌の廃線跡にメーターゲージを再敷設してある。非電化のため、ディーゼルトラムで運行される。

注目はやはり前者だ。走行線が道路上の併用軌道から専用軌道へ、さらに路肩に沿う道端軌道へと目まぐるしく移り変わる。点在する田舎町をこまめに結んでいたローカルトラムの見本のようなルートで、SNCV時代のトラム車両を多数展示している博物館とともに、ぜひ訪れたいところだ。

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テュアン・ヴィル・バスの街路を行くトラム(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ビエーム・スー・テュアン線は遊歩道併設(2012年)
Photo by BB.12069 at flickr. License: CC BY 2.0
 

項番9 エーヌ観光軌道 Tramway touristique de l'Aisne (TTA)

地方のトラム路線には、非電化のところも多かった。こうした区間には、最初は蒸気機関車、後にディーゼル動力のトラム車両が導入された。この青い煙を吐きながら走るトラムが、エーヌ観光軌道の主役だ。

保存鉄道は1966年の開業で、ベルギーで最も長い歴史を持っているが、所在地は、リエージュの南40kmの辺鄙な山中にある村のはずれだ。起点ポン・デルゼー(エルゼー橋)Pont d'Erezée を後にした旧型トラムは、人家もまばらなエーヌ川 L'Aisne の谷間を延々と遡っていく。2015年の延伸で、線路は丘の上のラモルメニル Lamorménil に達し、路線長が11.2kmになった。

残念なことに、コロナ禍と2021年7月の洪水による線路損壊というダブルパンチを受けて、観光軌道はこのところずっと運休したままだ。運営母体の協会が資金不足で復旧の見通しが立たないため、見かねた自治体が支援に乗り出したと報じられている。保存活動の歴史を途絶えさせないためにも、無事の再開を待ちたい。

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車庫のあるブリエ Blier 駅付近を行くディーゼルトラム(2009年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番10 アン鍾乳洞トラム Tram des grottes de Han

エーヌ観光軌道から南西30kmのアン・シュル・レス Han-sur-Lesse にも、観光客を町の中心部からアン鍾乳洞 Grottes de Han の入口へと運ぶトラムがある。路線長3.7km、ディーゼルトラムの後ろにオープン客車を連ねた姿は遊園地の乗り物のようだが、開業は1906年、キュストトラムと並ぶ地方軌道の貴重な生き残りだ。

周辺は自然動物保護区で、クルマはもとより人の立ち入りも制限されている。鍾乳洞にアクセスする唯一の交通手段が、このトラムだ。ミニ路線が1世紀以上も存続してきた理由はここにある。

かつてトラムはアンの町の教会前から出発し、主要道を通る短い併用軌道を経ていた。しかし、1989年に道沿いの公園に終端ループが新設されてからは、そこが乗り場になった。

列車はレス川に沿って、上流へ進む。鍾乳洞の出口近くで車庫の横を通過すると、いよいよ森の中だ。緩やかな尾根を大きく回り込んで行くうちに、機回し側線のある終点に到着する。鍾乳洞の入口はすぐそばにある。出口は町に近く、徒歩で戻ることができるので、通常、列車の復路は回送だ。

*注 鉄道の詳細は「ベルギー アン鍾乳洞トラム I」「同 II」参照。

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アン・シュル・レスの教会前で発車を待つトラム(1987年)
後の区間短縮でこの光景は見られなくなった
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は、隣国ルクセンブルクの保存鉄道について。

項番14 トラン1900 Train 1900
項番15 鉱山鉄道(ミニエールスブン)Minièresbunn

「トラン1900」は標準軌の、「鉱山鉄道(ミニエールスブン)」は700mm軌間の路線で、どちらも南西端のフランス、ベルギーとの3国国境地帯に位置するフォン・ド・グラース Fond-de-Gras を起点にしている。

ここはロレーヌやザールラントにまたがる鉱業三角地帯 Montandreieck の一角だ。かつて周辺には、鉄鉱山から周辺の製鉄所や積出し駅に向けて、産業鉄道が網の目のように敷設されていた。2本の保存鉄道はその廃線跡を利用していて、他の鉱山施設とともに、産業遺跡公園「ミネットパルク Minettpark」(下注)の名のもとにまとめられている。

*注 ミネット Minett は、この地域で産出される燐鉱石を意味する。

「トラン1900」(下注)の蒸気列車は、折返し駅フォン・ド・グラースからV字形に出ている線路を右にとって東へ向かう。張り出す丘を巻いたカーブだらけのルートを走り、約25分でCFL(ルクセンブルク国鉄)線と接続するペタンジュ Pétange に到達する。

*注 トラン1900の名は、1973年の開業当時使用されていた蒸機が1900年製だったことに由来する。

一方、V字路の左側の線路もボワ・ド・ロダンジュ Bois-de-Rodange までの約1.5kmが運行可能で、列車が走らない日はドライジーネ(軌道自転車)の走行に使われている。

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フォン・ド・グラース駅の蒸気列車(2015年)
Photo by Daniel BRACCHETTI at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「鉱山鉄道(ミニエールスブン)」(下注)は、より観光要素が濃いアトラクションだ。近隣の採鉱地からフォン・ド・グラース駅へ鉱石を運搬していた700mm軌間の線路 約4kmが、保存運行に供されている。

*注 Bunn はドイツ語の Bahn に相当するルクセンブルク語で、ミニエールスブンは鉱山の鉄道を意味する。

ルートは大きく3つの区間に分かれる。第1区間はクラウス Krauss 蒸機の先導で、スイッチバックのギーデル Giedel 駅を経て、鉱石の加工設備が残るドワール Doihl まで行く。第2区間では、電気機関車が牽くトロッコに乗り換えて長さ1400mの坑道を通り抜け、山向こうのラソヴァージュ Lasauvage に出る。途中、坑内で採掘跡のガイドツアーがある。

最後の区間はオプション(乗車は随意)で、ラソヴァージュの教会を往復する便と、国境を越えてフランス側のソーヌ Saulnes まで足を延ばす便が運行される。トラン1900やフォン・ド・グラースの鉄道博物館と組み合わせるならもはや一日がかりで、鉄道漬けの充実した訪問機会になるだろう。

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ラソヴァージュ駅の鉱山列車(2019年)
Photo by Robert GLOD at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

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2022年9月 5日 (月)

イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド・北アイルランド編

岩がちな山の重なり、深く切れ込む入江、平谷の底で静まりかえる湖、スコットランドの旅の魅力の一つが、こうした雄大で手つかずの自然との出会いだ。本来は移動手段であるはずの鉄道も、ここでは車窓に流れる景色の見事さで、乗ることが目的にさえなっている。

今回は、スコットランドおよび北アイルランドの保存鉄道・観光鉄道のリストから、特に興味をひかれた鉄道を挙げていこう。

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アイル湾 Loch Eil の背後にベン・ネヴィス Ben Nevis を望む
ウェスト・ハイランド線(2017年)
Photo by Peter Moore at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_scotland.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド」画面
 

項番8 ウェスト・ハイランド線 West Highland Line

「イギリスの絶景車窓」を紹介する観光関連サイトをいくつか覗くと、必ず名が挙がる路線が三つあることに気づく。イングランド北部のセトル=カーライル線 Settle–Carlisle line、同 南西部のリヴィエラ線 Riviera line、そしてスコットランドのウェスト・ハイランド線 West Highland Line(下注)だ。

*注 後述する観光列車「ジャコバイト号 The Jacobite」を挙げているものも含む。

御三家の一角を占めるウェスト・ハイランド線は、ハイランド地方 Highlands の西部を北上していくナショナル・レール(旧国鉄線)だ。列車は、スコットランド最大の都市グラスゴー Glasgow のクイーン・ストリート Queen Street 駅から出発する。

併結便の場合、途中のクリーアンラリッヒ Crianlarich で2本の列車に分割される。1本は本線を北上し続け、フォート・ウィリアム Fort William を経て、港町マレーグ Mallaig まで行く。もう1本は支線を西へ向かい、同じく港町のオーバン Oban に至る。本線263.6km、支線67.5km。本線だけでも乗り通すのに5時間以上かかる長距離路線だ。

西海岸の地形は海と陸地が複雑に入り組んでいるため、鉄道は内陸の谷間を縫うように通されている。小さな集落がたまに見えるほかは、岩山と高原、入江と湖が交錯する荒涼とした風景がどこまでも続き、はるか遠くへ来たことをひしひしと感じさせる。

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ラノッホ Rannoch 駅に入る列車(2015年)
Photo by Andrew at frickr.com. License: CC BY 2.0
 

運用されている車両は、スコットレール ScotRail(下注)の156形気動車だが、それに加えて最奥部のフォート・ウィリアム~マレーグ間には、蒸気機関車が先頭に立つ観光列車「ジャコバイト号 The Jacobite」がある。「ハリー・ポッター」の映画シリーズでホグワーツ特急 Hogwarts Express に擬せられて、世界的な知名度を獲得した看板列車だ。

*注 2022年3月まではアベリオ Abellio 社の子会社がフランチャイズ契約で運行していたが、期間満了で、4月からスコットレールの名称を残したまま、政府出資会社に引き継がれた。

ロケ地になったグレンフィナン高架橋 Glenfinnan Viaduct は、広い谷間に美しい弧を描くアーチ橋だ。沿線風景で最大のハイライトとあって、乗客は誰しも通過のときを心待ちにしている。

*注 鉄道の詳細は「ウェスト・ハイランド線 I-概要」「ウェスト・ハイランド線 II-ジャコバイト号の旅」参照。

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グレンフィナン高架橋を渡るジャコバイト号(2018年)
Photo by WISEBUYS21 at frickr.com. License: Public domain
 

項番1 カイル・オヴ・ロハルシュ線 Kyle of Lochalsh line

西海岸の港を目指し、南から延びるウェスト・ハイランド線に対して、東からハイランドの山地を横断してくるのがカイル・オヴ・ロハルシュ線だ。こちらもナショナル・レール(旧国鉄線)で、スコットレールの158形気動車で運行されている。

東海岸、ファー・ノース線 Far North Line の途中駅ディングウォール Dingwall を起点に、西岸の港町カイル・オヴ・ロハルシュ Kyle of Lochalsh(下注)に至る102.7kmの路線だが、旅客列車はハイランドの主要都市インヴァネス Inverness から直通する。全線の所要時間はおよそ2時間40分だ。

*注 地名カイル・オヴ・ロハルシュは、アルシュ湾 Loch Alsh の海峡 kyle(=狭まった地点)を意味する。なお、ゲール語由来の ch [x] は本来の英語にない音のため、[k] と読まれることも多い。

ディングウォールで左に分岐してまもなく、列車は最初の、そして最も急な上り勾配にさしかかる。計画ルート上にあったストラスペファー Strathpeffer の町の大地主が首を縦に振らず、やむを得ず線路を迂回させたという訳ありの坂道だ。その後は、湖が点在する広い氷蝕谷の間をひたすら進んでいき、峠らしい峠を経験しないまま、谷を降りてしまう。

最後の30分間は、カロン湾 Loch Carron に沿って、岩がちな海岸線をくねくねとたどる。山と湖の眺めなら先述のウェスト・ハイランド線でも得られるが、断続する海辺の風景はこの路線の特色といえるだろう。

終点カイル・オヴ・ロハルシュはアルシュ湾に突き出した埠頭の駅で、海峡を隔てて指呼の間にスカイ島 Isle of Skye を望む。かつては対岸の港カイラーキン Kyleakin との間をフェリーが結んでいたが、島に渡る道路橋ができた今は、路線バスが連絡する。

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カイル・オヴ・ロハルシュ線の車窓から
アハナシーン(アクナシーン)Achnasheen 駅西方にて(2017年)
Photo by Richard Szwejkowski at frickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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カイル・オヴ・ロハルシュ駅の最終列車(2011年)
Photo by John Lucas at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 ストラススペイ鉄道 Strathspey Railway

数はそれほど多くないものの、スコットランドにもいくつかの蒸気保存鉄道がある。その一つ、標準軌ではおそらく最北端に位置するストラススペイ鉄道 Strathspey Railway は、インヴァネスから南へ山を一つ越えたスペイ川 River Spey 流域を走る路線だ。

廃止されたハイランド本線 Highland Main Line の旧ルート(下注1)を1978年に復活させたもので、新旧ルートの分岐点だったアヴィモア Aviemore を起点に、ブルームヒル Broomhill までの約16kmを行く。片道50分、往復1時間40分。鉄道名のストラススペイ Strathspey とは、鉄道が通過するスペイ川 Spey の広い谷(ストラス Strath、下注2)のことだ。

*注1 これは1863年に開通したルートで、アヴィモアからグランタウン・オン・スペイ Grantown on Spey を経て、フォレス Forres でアバディーン=インヴァネス線 Aberdeen–Inverness line に合流していた。1898年にアヴィモア~インヴァネス間を短絡する現ルートが開通したことで支線に転落し、後の1965年に廃止された。
*注2 スコットランドの地形用語で、狭く険しい谷をグレン Glen、広く穏やかな谷をストラス Strath と使い分ける。

列車は、ナショナル・レールのアヴィモア駅3番線から出発する。まもなく当初起点に使われていたホーム跡とヤードを通過して、森の中に入っていく。本線規格で建設されたので、緩いカーブの走りやすそうな線路だが、列車の走りは至ってのんびりしている。

中間駅ボート・オヴ・ガーテン Boat of Garten 駅には、1904年築という趣のある旧駅舎が残され、往路の停車中に見学が可能だ。この後はスペイ川の広い氾濫原を進んでいき、その間、蛇行する川とともに、はるか遠くにケアンゴームズ国立公園 Cairngorms National Park の山並みが見晴らせる。

終点ブルームヒル Broomhill は片面ホームで、折返しのためのささやかな駅に過ぎない。鉄道はさらに次の町グランタウン・オン・スペイ Grantown-on-Spey への延伸に向けて、作業を継続している。

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スペイ川の谷を戻る列車
遠景はケアンゴームズ山地(2006年)
Photo by Dave Conner at frickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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現在の主力機LMSアイヴァット Ivatt(2017年)
Photo by Pjt56 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番7 ボーネス・アンド・キニール鉄道 Bo'ness and Kinneil Railway

フォース湾 Firth of Forth に面したボーネス Bo'ness は、エディンバラ Edinburgh とグラスゴー Glasgow のおよそ中間にある町だ。ボランティア団体のスコットランド鉄道保存協会 Scottish Railway Preservation Society がここに拠点を置く。協会は、250両を超える大規模な車両コレクションを保存していて、その一部は構内のスコットランド鉄道博物館 Museum of Scottish Railways で展示公開されている。

協会はまた、動態保存の車両群を走らせる標準軌路線も持っている。それがボーネス・アンド・キニール鉄道だ。旧ボーネス支線跡を利用した約8kmのルートで、蒸気保存列車が1日3~4往復する。

起点のボーネス駅は、スコットランド各地から使われなくなった鉄道設備を移築して、新たに造られたものだ。列車はここから湾に沿って西へ向かう。遠浅の海の前で連続する急カーブをしのぐと、リクエストストップのキニール・ホールト Kinneil Halt がある。鉄道名のボーネス・アンド・キニールは、ここまで部分開通していた時の名残だ。

その後は段丘崖を上っていき、進路を南に転じる。バークヒル Birkhill 駅の前後は農地と林が続く。エーヴォン川 River Avon の谷を渡ると、再び西に向きを変えて、終点マニュエル・ジャンクション Manuel Junction 駅のホームに到着する。

ファーカーク Falkirk 経由のナショナル・レールが目の前を通っているが、あちらには駅がない。それで乗客は、機回しを終えた列車でボーネスへ引き返さざるをえない。ちなみにレールは両者つながっていて、各地で催されるさまざまな列車ツアーに使われる車両が、ここで本線に出入りする。

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本線ツアーに出発するトルネード Tornado(2021年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
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ボーネス駅西方の側線にて(2008年)
Photo by tormentor4555 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 ケアンゴーム登山鉄道 Cairngorm Mountain Railway

かの有名なスノードン登山鉄道より高い所まで行くと、2001年12月の開業当時、ケアンゴーム登山鉄道はしきりと話題に上ったものだ。山上駅の標高は1097mで、同1065mのスノードンを抑えて、イギリスの鉄道で行ける最高地点になった。

ただし、これはラック鉄道ではなくケーブルカーだ。冬場、強風が吹くたび運休になるチェアリフトの代替手段として建設された。ベース駅 Base Station と呼ばれる下部駅から山上のターミガン駅 Ptarmigan Station(ターミガンは雷鳥の意)まで、長さ1970m、高度差462m。単線交走式で、ルートの中間点にある待避線で列車交換が行われる。

ケアンゴーム Cairn Gorm(下注)は、先述のストラススペイ鉄道の起点アヴィモアの南15kmに位置する山だ。標高1245mで、イギリスで7番目に高いピークとされている。ケアンゴームズ国立公園の中心的存在で、北西側斜面にはスキー場が広がる。山上からの眺望は素晴らしく、夏もトレッキング客が多数訪れる。

*注 スコットランド・ゲール語で青いケルン(石塚)を意味する。山地や地域名では Cairngorm と一語に綴るが、山名は分かち書きする。

だが、鉄道の建設計画に対しては、環境保護団体から、観光客の増加で自然破壊が進むと反対があった。そのため、ケーブルカーで山上駅に到着した乗客には行動制限がかけられており、建物の外に出ていけるのは冬のスキーヤーだけだ。他の客はせいぜいテラスに出て、山岳展望を楽しむことしか許されていない(下注)。

*注 山上を散策したければ、行きは登山道を歩いていくしかない。帰りにケーブルカーを片道利用することはできる。

2018年10月に運営会社は、安全性に問題が生じたとして、鉄道の運行休止を発表した。現在、スコットランド政府の資金援助を受けて施設の更新工事が行われており、運行再開は2023年の予定だ。

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中間待避線での列車交換(2013年)
Photo by lizsmith at wikimedia. License: CC BY-NC-ND 2.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-北アイルランド」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_northernireland.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-北アイルランド」画面
 

項番2 ジャイアンツ・コーズウェー・アンド・ブッシュミルズ鉄道 Giant's Causeway and Bushmills Railway

北海岸で世界遺産にも登録されているジャイアンツ・コーズウェー Giant's Causeway の近くから、小さな観光鉄道が出ている。軌間3フィート(914mm)の軽便線で、坂を下り、波打ち際をかすめ、川を渡り、ブッシュミルズ Bushmills の町の手前まで3.2kmのルートを行く。

ジャイアンツ・コーズウェーは、柱状節理による玄武岩の石柱が海岸線を埋め尽くす景観で、古くから知られた観光地だ。早くも1887年に、幹線鉄道のあるポートラッシュ Portrush の町から、長さ15kmの電気路面軌道が通じている。当時、電気運転はまだ黎明期であり、路線長からしても先駆的な試みだった。軌道は数十年間利用されたが、老朽化により1949年に廃止された。

この地に再び軌道が戻ってきたのは、それから半世紀を経た2002年のことだ。当初は蒸気機関車がミニ客車を牽いていたが、2010年に現在の4両編成の気動車に置き換えられた。素人目には蒸機のほうが魅力的に映るが、このデザインはかつてのトラム車両をイメージしたものだという。路線の歴史を踏まえれば、蒸機よりトラムのほうが似つかわしいということだろう。

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(左)蒸機時代(2008年)
Photo by technische fred at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)トラムイメージの気動車(2012年)
Photo by Iain Gregory at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 ダウンパトリック・アンド・カウンティ・ダウン鉄道 Downpatrick and County Down Railway

アイルランド島の鉄道網の軌間は、標準軌(1435mm)より広い5フィート3インチ(1600mm)で、アイリッシュ・ゲージ Irish gauge と呼ばれる。島で唯一、この軌間で運行されている保存鉄道が、北アイルランド東部のダウンパトリック Downpatrick にある。

町はダウン県 County Down の県庁所在地だ。アイルランドの守護聖人、聖パトリックが埋葬されたと伝えられるダウン大聖堂 Down Cathedral が、丘の上から町と駅を見下ろしている。その鉄道駅は1950年に廃止されてしまったが、跡地を拠点として1987年に活動を開始したのが、ダウンパトリック・アンド・カウンティ・ダウン鉄道だ。

復元された線路は、ルートの中央にある三角線から東、南、北の三方向に延びている。その東端にあるのが、ダウンパトリック駅だ。また、南端にはマグナス・グレーヴ Magnus’ Grave(マグヌス王の墓)、北端にはインチ・アビー Inch Abbey(インチ修道院跡)と称する折返し用の停留所が設置されている。

停留所名はいずれも近隣の史跡にちなんだものだが、廃墟が残る修道院跡のほうが人気が上回っているようだ。近年、マグナス・グレーヴへ行くのは特別行事のときだけで、インチ・アビーを単純往復するのが通常の運行ルートになっている。列車は1日に数本あり、修道院跡をゆっくり見学して次の列車で戻るというプランも可能だ。

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(左)大聖堂を背にした1号機関車(2016年)
Photo by Milepost98 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ダウンパトリック駅を発つ列車(2014年)
Photo by no name at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト」では、全部で約150か所の路線を取り上げた。しかし、これでも網羅というにはほど遠い。小規模なものを含めればまだ他にもあり、編めば編むほど、この国の人々の鉄道遺産への愛着の強さや奥深さを思い知ることになる。これだけの数の鉄道が毎週のように運行され、乗りに来る人も絶えないというのは、驚くべきことだ。リストは簡略なものに過ぎないが、これを手がかりにして、イギリスの特色ある鉄道群に興味を持つ人が少しでも増えてくれればうれしい。

なお、今回の紹介記事に含めなかった王室属領のマン島 Isle of Man については、本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-序章」に概要を記述している。

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2022年8月27日 (土)

イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ編

イングランド編に引き続き、ウェールズで特に興味をひかれる保存鉄道、観光鉄道を挙げていこう。

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フェスティニオグ鉄道
ポースマドッグ・ハーバー駅(2015年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_wales.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ」画面

項番7 フェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway

標準軌の保存鉄道が幅を利かせているイングランドに対して、ウェールズは狭軌の王国だ。「ウェールズの偉大なる小鉄道 Great Little Trains of Wales」というプロモーションサイトには、12本もの狭軌保存鉄道が名を連ねている。

■参考サイト
Great Little Trains of Wales https://www.greatlittletrainsofwales.co.uk/

なかでもフェスティニオグ鉄道は、後述するタリスリン鉄道と並ぶ代表的存在だ。2021年には、タリスリンともども「ウェールズ北西部のスレート関連景観 Slate Landscape of Northwest Wales」の構成資産として、世界遺産に登録された。

軌間は1フィート11インチ半(597mm)。北部の小さな港町に置かれた拠点駅ポースマドッグ・ハーバー Porthmadog Harbour から、東の山懐にあるブライナイ・フェスティニオグ Blaenau Ffestiniog まで延長21.9km。列車は1時間10分前後かけて走破する。

鉄道は、もともとブライナイ・フェスティニオグ周辺で採掘されたスレート(粘板岩)を、ポースマドッグの海港まで運び下ろすために建設されたものだ。1836年というかなり早い時代のことで、まだ狭軌用の蒸気機関車は開発されていない。それで、スレートを積んだ貨車を下り勾配の線路で自然に転がすという、重力頼みの運行方式だった。貨車には馬も載せられていて、帰りはこの馬が、荷を下ろして軽くなった貨車を牽いて上った。

今はもちろん、行きも帰りも蒸機が牽引する。19世紀生まれのハンスレット小型機とともに、自社工場で復元された関節式フェアリーなど、独特な設計の機関車が活躍しているので、途中駅での列車交換シーンも見逃せない。

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(左)シングル・フェアリー式「タリエシン Taliesin」(2018年)
Photo by Hefin Owen at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
(右)ダブル・フェアリー式「デーヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George」(2010年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

車窓の主な見どころは、ポースマドッグを出発してすぐの、ザ・コブ The Cob と呼ばれる長い干拓堤防の横断、中間のタン・ア・ブルフ(タナブルフ)Tan-y-bwlch 駅前後で広がる雄大なカンブリア山地の眺め、そしてジアスト Dduallt にある珍しいオープンスパイラル(ループ線)だ。

終点ブライナイ・フェスティニオグ駅は、標準軌(1435mm)であるナショナル・レールのコンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley line と共有している。線路幅は大人と子供ほどの差があるが、保存鉄道のホームは屋根つきで、切符売り場もあって、充実度はこちらが勝る。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I」「同 II」参照。

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ザ・コブを横断する重連の蒸気列車(2008年)
Photo by flyinfordson at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 ウェルシュ・ハイランド鉄道 Welsh Highland Railway

ポースマドッグ・ハーバー駅に発着するのは、フェスティニオグ鉄道だけではない。旧来の1番線の隣に新設された2番線には、ウェルシュ・ハイランド鉄道の列車が入ってくる。

同じ1フィート11インチ半(597mm)軌間で、標準軌と狭軌の廃線跡を利用して再敷設されたものだ。メナイ海峡 Menai Strait 沿いのカーナーヴォン Caernarfon からスノードン Snowdon 西麓の峠を越えて、ポースマドッグに至る。延長39.7kmは、イギリスの保存鉄道では標準軌を含めても最長で、全線を乗り通すと2時間以上かかる。

実はこれも、フェスティニオグ鉄道会社が運行している。同社は1836年の創業で、現存する世界最古の鉄道会社とされているのだが、今や合計60km以上の路線を有するイギリス最大の保存鉄道運行事業者でもある。

世界遺産の城郭近くにあるカーナーヴォン駅から、列車は南へ向けて出発する。ディナス Dinas で東に向きを変えた後は、スノードニア国立公園 Snowdonia National Park の山岳地帯に入っていく。車窓を流れる風景はすこぶる雄大で、保存鉄道有数の絶景区間だ(下の写真参照)。名峰スノードン山の西麓で峠を越えると、今度は2か所のS字ループで一気に高度を下げ、観光の村ベズゲレルト Beddgelert に停車する。

終盤は農地が広がる沖積低地を横断していくが、ポースマドックに近づいても、ナショナル・レール線(標準軌)との平面交差や、ブリタニア橋 Britania Bridge の併用軌道など、注目ポイントが次々に現れて、乗客を飽きさせることがない。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-ウェルシュ・ハイランド鉄道 I」「同 II」「同 III」参照。

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スノードン山麓を降りてくる列車
リード・ジー Rhyd-Ddu 北方(2013年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
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ブリタニア橋の併用軌道(2013年)
Photo by Gareth James at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番11 ウェルシュプール・アンド・スランヴァイル軽便鉄道 Welshpool and Llanfair Light Railway

ナショナル・レール(旧国鉄)のカンブリア線 Cambrian line を走る下り列車が、イングランドとウェールズの「国」境を越えて最初に停車するのが、ウェルシュプール Welshpool だ。しかし、軽便鉄道の駅はその周りにはなく、市街地を西へ通り抜けた1.5km先に孤立している。もとの軽便線は、町裏を通って標準軌の駅前まで来ていたのだが、1956年の廃線後、町が跡地をバイパス道路や駐車場に転用する方針を固めたため、鉄道を復活できなかったのだ。

現在の起点ウェルシュプール・レーヴン・スクエア Welshpool Raven Square 駅は、旧線にあった棒線停留所を新たに拡張したものだ。軽便鉄道はそこから西へ向かい、バンウィ川 Afon Banwy 沿いにあるスランヴァイル・カイレイニオン Llanfair Caereinion の町まで13.7kmのルートを走っている。

駅を出て間もなく、蒸機の前には、北側の山の名にちなみゴルヴァ坂 Golfa Bank と名付けられた峠越えが立ちはだかる。34.5‰勾配がほぼ1マイル(1.6km)続くという険しい坂道で、カーブも多く、蒸機の奮闘ぶりをとくと観察できる。峠を降りると、ルートは一転穏やかになり、途中でバンウィ川を渡って終点まで、のどかな谷間に沿っていく。

鉄道は2フィート6インチ(762mm)の、いわゆるニブロク軌間だが、国内の現存路線では意外に少数派だ。それで使用車両もオリジナルに加えて、世界各地の同じ軌間(メートル法による760mm軌間を含む)の鉄道から集められた。とりわけ客車は出身鉄道のロゴがよく目立ち、国際色にあふれている。

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バンウィ川の川べりを行く(2008年)
Photo by Tim Abbott at flickr.com. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番15 タリスリン鉄道 Talyllyn Railway

ボランティアを主体とするイギリスの鉄道保存活動は、ウェールズ中部にあるこのタリスリン鉄道から始まった。ここもフェスティニオグと同様、もとは沿線の採掘場からスレートを搬出するための路線で、1866年に開業している。だが、スレートの生産は第一次世界大戦を境に縮小し、1950年にオーナーが亡くなったのを機に、鉄道は運行を終えた。

タリスリンでは貨物輸送を行う傍ら、夏に観光客向けの旅客列車を走らせていた。それで、事情を知った愛好家たちから、すぐに休止を惜しむ声が上がった。集まった有志が協会を設立し、設備を譲り受けて翌1951年に列車の運行を再開した。こうして、ボランティアによる世界で最初の保存鉄道が誕生したのだ。

鉄道が採用している2フィート3インチ(686mm)軌間は世界的に見ても珍しい。ほかに動いているのは、2002年に復活した近隣のコリス鉄道 Corris Railway ぐらいのものだ。もう一つ珍しいのは、客車の扉が片側(終点に向かって左側)にしかないことだろう。これは、工事の完了検査で指摘された、跨線橋の内寸が車両限界より小さいという致命的問題の解決策だった。

起点のタウィン・ワーフ Tywyn Wharf は、カンブリア線のタウィン駅から300mほど南にある。出発するとすぐ、問題の跨線橋をくぐり、町裏の切通しを抜けて、広々とした牧場の中へ出ていく。やがて線路は浅いU字谷をゆっくりと上り始める。終点ナント・グウェルノル Nant Gwernol まで11.8km、所要55分。ハイキングに出かける客を降ろした列車は、機回しの後すぐに折り返す。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道」参照。

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タウィン・ワーフ駅(2015年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番17 ヴェール・オヴ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway

カンブリア線の線路に並行して、ウェールズ中部アベリストウィス Aberystwyth の町から出発するヴェール・オヴ・レイドル鉄道は、近隣の保存鉄道とは「血筋」が違う。というのも、1フィート11インチ3/4(603mm)の狭軌線ながら、国鉄 British Rail が分割民営化されるまで、その所属路線だったからだ。しかも、ずっと蒸気運転のままで。

言うならば国鉄直営の保存鉄道だったのだが、ローカル線を根絶やしにした1960年代の厳しい合理化策「ビーチングの斧 Beeching Axe」にも生き残れたのは、観光路線として一定の人気を得ていたからに他ならない。

路線長は18.9kmあり、片道1時間かかる。車窓の見どころは、ヴェール・オヴ・レイドル(レイドル川の谷)Vale of Rheidol を俯瞰するパノラマだ。後半の坂道で谷底との高度差がじりじりと開いていくにつれ、眺めは一層ダイナミックになる。さらに、終点駅の近くに、マナッハ川 Mynach の5段の滝と、その上に架かる石橋デヴィルズ・ブリッジ(悪魔の橋)Devil's Bridge という名所があり、列車を降りた多くの客が足を延ばす。

保存列車を牽くのは、1923~24 年にこの路線のために製造されたタンク機関車だ。小型ながらも力持ちで、当時路線が属していたグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway のロゴと緑のシンボルカラーをまとい、20‰勾配の険しいルートに日々挑んでいる。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェール・オヴ・レイドル鉄道」参照。

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終点デヴィルズ・ブリッジはまもなく(2015年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番20 ブレコン・マウンテン鉄道 Brecon Mountain Railway

ウェールズの保存鉄道は北部と中部に集中している。それに対して、ブレコン・マウンテン鉄道は南部にあり、かつシーズン中ほとんど毎日運行している唯一の狭軌保存鉄道だ。鉄道は、ヴェール・オヴ・レイドルと同じ1フィート11インチ3/4(603mm)軌間で、廃止された標準軌の線路跡を利用して、1980年から2014年にかけて順次、延伸開業した。

この鉄道の特色は、アメリカのボールドウィン社製の蒸気機関車を使っていることだ。稼働中の2両はもとより、自社工場で新造中の2両もボールドウィンの設計図に基づいているという。列車の後尾にはアメリカンスタイルのカブース(緩急車)も連結され、異国で開拓鉄道の雰囲気を放っている。

拠点のパント Pant 駅は、カーディフの北40km、国立公園になっている山地ブレコン・ビーコンズ Brecon Beacons の入口に位置する。駅自体、村はずれの寂しい場所にあるが、列車はさらに山地の中心部に向かって約7kmの間、坂を上り詰めていく。

序盤の車窓はタフ川 Taff の広くて深い谷間の風景だが、2km先で谷は貯水池で満たされる。その後は斜面を上って、人の気配がない終点トルパンタウ Torpantau に達する。復路では、貯水池べりのポントスティキス Pontsticill 駅で30分前後の途中休憩がある。

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貯水池に沿って走るアメリカンスタイルの列車
最後尾にカブースを連結(2013年)
Photo by Gareth James at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番9 スランゴスレン鉄道 Llangollen Railway

ウェールズでは数少ない標準軌の保存鉄道の一つが、麗しいディー川 Dee の渓谷を走っている。拠点が置かれているのは、国際音楽祭や、近くにある世界遺産の運河と水路橋で知られたスランゴスレン Llangollen だ。町の名を採ったスランゴスレン鉄道は現在、ここから西へカロッグ Carrog までの12kmを運行している。

華やかな市街からディー川を隔てた対岸に、スランゴスレン駅がある。駅舎と跨線橋は、2級文化財に指定された歴史建築で、古典蒸機によく似合う。列車は、ここから終始ディー川をさかのぼる。前半は両側から山が迫る渓谷が続き、車窓の見どころも多い。とりわけ一つ目の駅ベルウィン Berwyn は、ハーフティンバーの駅舎や石造アーチの二重橋がアクセントとなって、絵のような風景だ。

現在、カロッグから4km先のコルウェン Corwen に至る延伸工事が進行中で、新しい終着駅となるコルウェン・セントラル Corwen Central がすでに姿を現している。今年(2022年)開業の予定だったが、コロナ禍の長期運休で2021年に運営会社が倒産したことも影響して、まだ次の見通しが示されていない。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-スランゴスレン鉄道」参照。

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グリンダヴルドゥイ Glyndyfrdwy 駅での列車交換(2017年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
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ベルウィン Berwyn の二重橋に虹が掛かる(2017年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番6 スノードン登山鉄道 Snowdon Mountain Railway

スノードン Snowdon、ウェールズ語でアル・ウィズヴァ Yr Wyddfa は標高1085mで、ウェールズの最高峰だ。グレートブリテン島でも、これより高い地点はスコットランドのハイランドにしかない。この山頂を目指して1896年、アプト式ラックレールを用いた登山鉄道が開通した。すでにアルプスをはじめ世界各地で運行実績のあった方式(下注)だが、イギリスでは初の導入だった。それから120年以上、スノードン登山鉄道は、国内唯一のラック登山鉄道として高い人気を保ち続け、イギリスの代表的観光地の一つに数えられている。

*注 ヨーロッパ初のラック登山鉄道(リッゲンバッハ式)は、スイスのリギ鉄道 Rigibahn で1871年に開通。また、アプト式は、ドイツ、ハルツ山地のリューベラント線 Rübelandbahn で1885年に初採用。

列車が出発する駅は、山麓の町スランベリス Llanberis の外縁にある。山を目指して押し寄せる客をさばくために、ハンスレット社のディーゼル機関車と客車1両のペアが30分間隔で忙しく出発していく。開業時に導入されたスイスSLM社製のラック蒸機もいまだ健在だが、運行はハイシーズンのみとなり、かつ便数も限られているので、早めの予約が必須だ。

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蒸機列車は期間・便数限定
客車は旧車の足回りを利用して新造(2014年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ルートは7.5kmあり、最大勾配は1:5.5(182‰)に及ぶ。機関庫を右に見送ると、いきなり急勾配で石造アーチ橋を渡り、その後は緩やかに傾斜した広々した谷を行く。S字カーブで登山道を横切り、スノードンの北尾根に取りつき、坂がいったん落ち着いたところにクログウィン駅がある。その先はスノードン本体の急斜面を、頂きまで一気に上っていく。

標高1085mは、日本の感覚では高山とは言えないだろう。しかし、高緯度で森林限界を超えているので、山頂に立つと、目の前にスノードニア国立公園を一望する360度の大パノラマが開ける。ただし、海からの湿った西風がまともに吹き付けるため、雲が湧きやすく、遠くまで眺望のきく日は稀だ。山頂が悪天候の場合、列車は手前のクログウィン Clogwyn 駅で折り返しとなる。

*注 鉄道の詳細は「スノードン登山鉄道 I-歴史」「同 II-クログウィン乗車記」参照。

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クログウィンを後に山頂へ向かう列車(2005年)
Photo by Denis Egan at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番2 グレート・オーム軌道 Great Orme Tramway

ウェールズ北部、アイリッシュ海に臨む保養地スランディドノ Llandudno の町の西に、グレート・オーム Great Orme と呼ばれる標高207mの台地がある。この山上へ行楽客を運んでいるのが、グレート・オーム軌道と呼ばれる古典スタイルのケーブルカーだ。

鉄道は1902~03年に開通した。全長1.6kmだが、ハーフウェー Halfway 駅を境に2区間に分かれている。下部区間800mは、大半が道路との併用軌道で、最初は路地のような狭い道をくねくねと進む。一見すると路面電車だが、走行レールの間の溝の中にケーブルが通されている。広い道路に出ると下り車両と交換し、後は、ローギアでエンジンを唸らせながら追い越すクルマの横を、涼しげに上っていく。

一方、上部区間750mは広い台地の上を行くので、専用軌道となり、ケーブルも露出している。山頂には売店、レストランが入居する休憩施設があり、羊の牧場の向こうには、見渡す限りの大海原が広がる。

輸送力に限りがあるため、1969年に、並行する形で長さ1.6kmの空中ゴンドラが造られた。確かにこちらのほうが時間は短く、途中乗換が不要だ。高さがあるため、見晴らしもいい。しかし風が強いと運休になるし、第一、乗り物自体のファッション性の点で、100年選手とは比較にならない。

*注 詳しくは「ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道」参照。

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ハーフウェー駅下方(2005年)
Photo by AHEMSLTD (assumed) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、スコットランドと北アイルランドの保存鉄道・観光鉄道について。

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