西ヨーロッパの鉄道

2025年1月17日 (金)

ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

アッペンツェル鉄道ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 AB Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen

ゴーサウSG~ヴァッサーラウエン間32.10km
軌間1000mm、直流1500V電化
1875~1913年開業

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ゴーサウ駅に停車中の「ヴァルツァー Walzer」

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ザンクト・ガレン St. Gallen から西行きSバーンで3駅目のゴーサウ Gossau SG(下注)。駅舎寄りの標準軌線ホームから側線を隔てて少し離れた場所に、1本の島式ホームがある。10数両分の余裕がある標準軌側に比べて格段にコンパクトで、ローカル私鉄の雰囲気が漂う。

*注 Gossau は(ゴッサウではなく)ゴーサウと発音する。SG はザンクト・ガレン州の略。他州の同名の町と区別するため。

アッペンツェル鉄道のゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen は、長さ32.1kmの電化メーターゲージ線だ。このホームから出発し、ヘーリザウ Herisau、ウルネッシュ Urnäsch、アッペンツェル Appenzell といった町を経て、ヴァッサーラウエン  Wasserauen に至る。個性派ぞろいの同社の路線群を見てきた目には、取り立てて特色もなさそうに映るが、実は歴史が最も古く、ルーツと言うべき路線だ。

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ゴーサウ駅地下道入口
駅名標に両社のロゴが並ぶ
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ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線周辺の地形図にルートを加筆
ゴーサウ~アッペンツェル間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
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同 ウルネッシュ~ヴァッサーラウエン間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

開業したのは1875年4月(下注)、蒸気運転でスタートした。ただし、ルートは現在とは違い、ゴーサウのひと駅東のヴィンケルン Winkeln が起点で、ヘーリザウ(初代)を終点とする約4kmの小路線だった(下図1875年の項参照)。

*注 同年9月に開業したロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn より5か月早い。

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ゴーサウ~ヘリザウ間のルート変遷
 

ヘーリザウは、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の行政機関が集まる事実上の州都だ。当時、スイス東部ではザンクト・ガレンに次ぐ人口があった。しかし、高台に位置するため標準軌幹線(下注)が経由せず、町では連絡鉄道を求める声が高まっていた。

*注 1856年に開通したヴィンタートゥール=ザンクト・ガレン線 Strecke Winterthur - St. Gallen。1902年の国有化でSBB(スイス連邦鉄道)の一路線になった。

「スイス地方鉄道会社 Schweizerische Gesellschaft für Localbahnen (SLB)」が、鉄道建設に名乗りを上げる。バーゼル Basel に拠点を置き、同じように鉄道の恩恵を受けていない複数の地域で支線開設を目論む会社だった。その手始めがヘーリザウだったが、収益性の理由で、ウルネッシュとアッペンツェルへの延伸も計画に盛り込まれた。

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東側から望む初代ヘーリザウ駅と市街地(1910年以前)
Photo from wikimedia. License: public domain
 

1875年4月のヘーリザウ開業に続いて、同年9月にはウルネッシュまで完成して、運行が始まった。初代のヘーリザウ駅は、市街地の前に設けられた頭端駅だ。そのため、到着した列車は坂下の信号所までスイッチバックし、改めてウルネッシュへ向かった。

しかし、追加の資金調達が不調に終わり、会社が抱いていた他地域への拡張構想は頓挫する。結局、スイス地方鉄道会社は、1886年のアッペンツェル延伸開業を前に、アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn と改称し、地元の鉄道会社として存続するしかなかった。

ヘーリザウの町にとって、次の鉄道はザンクト・ガレンから到来した。1910年に開業したボーデンゼー=トッゲンブルク鉄道 Bodensee-Toggenburg-Bahn(現 スイス南東鉄道 Schweizerische Südostbahn (SOB))だ。新駅の設置によりヘーリザウは、標準軌線でザンクト・ガレンと直接結ばれることになった。

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SOB線ジッター川橋梁、高さ99m
 

アッペンツェル鉄道にとってこれは競合路線であり、かつ自社線は遠回りで乗換えを要するため、圧倒的に不利な状況だ。すでに1904年から、ガイス Gais 経由でアッペンツェルに到達したアッペンツェル路面軌道 Appenzeller Strassenbahn(下注)によって、終点駅でも客の争奪戦が発生していて、二重の打撃となることは避けられなかった。

*注 現 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn。

これを見越してアッペンツェル鉄道は、起点をヴィンケルンからゴーサウに移す認可を申請していた。ゴーサウでの接続の利点は、ヴィンタートゥール Winterthur など西方から近いことはもとより、支線によってヴァインフェルデン Weinfelden など北側からの集客も見込める点だ。後述のようにアッペンツェル鉄道は、ゼンティス Säntis への登山ルートとしても注目されていたので、域外からの観光客の誘致は重要課題だった。

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現在のゴーサウ駅SBB線ホーム
 

町裏の浅い谷に設けられた標準軌ヘーリザウ駅とともに、アッペンツェル鉄道の新駅も、谷間をならして造られた。両駅は、駅前通りを挟んで隣接していた。これにより、初代ヘーリザウ駅は廃止された。列車がスイッチバックしていた信号場も新駅より10mほど高みにあったために使えず、前後区間のルートが付け替えられた(上図1910年の項参照)。

ゴーサウ~ヘーリザウ新線は、それから3年遅れて1913年に開通した(下注、1913年の項参照)。これに伴い、ヴィンケルンからの旧線は廃止された。35‰の勾配で谷を大きく巻きながら上っていた旧線の一部は、現在小道となって残っている。

*注 その際、手狭だった標準軌ゴーサウ駅も300m南東へ移転し、前後区間が付け替えられた。

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新旧1:25,000地形図比較 ヴィンケルン付近
(左)1904年、谷を大きく巻いて上る旧線
(右)2024年、旧線の一部が小道として残る
© 2025 swisstopo
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同 ヘーリザウ付近
(左)1904年、市街地の前に設けられた初代ヘーリザウ駅
(右)2024年、新駅(二代目)はSOB線の駅に隣接
© 2025 swisstopo
 

この時期、根元区間の付け替えだけでなく、末端部でも重要な拡張が行われた。アッペンツェル~ヴァッサーラウエン間だ。この区間は観光鉄道として、1912年にゼンティス鉄道 Säntisbahn (SB) の名で開業している。

ゼンティス山はアルプシュタイン山地 Alpsteinmassiv の主峰で、標高2502m。ボーデン湖北岸のドイツ領からもよく見えるため、スイス東部で最も有名な山の一つだ。アルプス各地にラック登山鉄道が次々と建設されていた時代、ゼンティスでも同様の構想が繰り返し提起された。この鉄道も山頂を目指していたものの、山麓の平坦区間を造ったところで第一次世界大戦が勃発し、夢は実現しなかった。

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ヴァッサーラウエン駅の終端部
 

ゼンティス鉄道は最初から電化されていたが、アッペンツェル鉄道の電化は遅れて1933年のことだ。そして第二次世界大戦を経た1947年にはゼンティス鉄道を吸収、1988年には長年ライバルだったアッペンツェル路面軌道(下注)とも合併して、現社名のアッペンツェル鉄道(複数形)Appenzeller Bahnen となった。

*注 合併当時の名称は、前者がアッペンツェル=ヴァイスバート=ヴァッサーラウエン鉄道 Appenzell-Weissbad-Wasserauen-Bahn (AWW)、後者がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn (SGA)。

SBB(スイス連邦鉄道)のゴーサウ駅舎は、移転改築された1913年という時期を象徴するように、曲線を多用したアールヌーボー風の外観が目を引く。ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線は、長い地下道を渡ったメーターゲージ線専用の11番線から出発する。30分間隔の運行で、終点までの所要時間は51分だ。

電車はすでにホームにいた。2018年に就役したシュタッドラー・レール Stadler Rail 製の ABe 4/12 だ。国内の他路線でもときどき見かける3車体連節の部分低床車で、ここでは「ヴァルツァー Walzer」と呼ばれている。全体に赤をまとい、窓枠上部に白帯を巻くが、電動車の先頭部だけが黄帯で、1等室があることを示している。

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アールヌーボー風の外観をもつゴーサウ駅舎
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現在の主力車両「ヴァルツァー」(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0
 

すいた車内に入り、発車を待っていると、向こうのSBBホームに電車が到着した。チューリッヒから来たIR(インターレギオ)だ。すると少し間を置いて、リュックを背負った人たちが地下道の階段から大勢現れ、ヴァルツァーに乗り込んできた。今日は金曜日だが、レジャー需要は思った以上に大きいようだ。

10時21分に発車。SBB線と工場群を左に見ながら徐々に高度を上げていく。森を抜けると、SOB(スイス南東鉄道)線の上を跨いで、ヘーリザウ駅に停車した。事実上の州都の玄関駅だが、乗降は多くなかった。

ここで列車交換し、この先はアッペンツェラーラントの山間地に入る。路上や道端こそ走らないが、19世紀の軽便規格で建設された線路なので、右に左に細かいカーブが連続する。最新の電車でも線形には勝てず、速度は一向に上がらない。

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ヘーリザウ駅(2010年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ウルネッシュタール Urnäschtal(ウルネッシュ川の谷)に出て、ヴァルトシュタット Waldstatt に停車。一見広くなだらかな谷間だが、川が比高60m以上の深い渓谷を刻んでいる。線路は道路とともに、切れ込んだ支谷を避けて、大回りしながら南へ進む。集落どころか、ぽつんぽつんと農家があるばかりで、リクエストストップの小駅は通過してしまった。

ヴァルトシュタットから10分ほど走って、ウルネッシュに停車した。リュック姿の客が数組ホームに降りた。ゼンティス山頂へはロープウェイが通じているが、その乗り場シュヴェーガルプ(シュヴェークアルプ)Schwägalp へ行くポストバスがこの駅前から出ている。

反対側から、ゴーサウ行きの対向列車が入線してきた。それを待って出発。穏やかな流れになったウルネッシュ川を渡ると、列車は左に急旋回して、今来た谷を戻る形になる。川向うの線路を、今さっき行き違った列車が走り去るのが見えた。

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ウルネッシュで行違った列車が対岸を走り去る
 

丘をゆっくり上って、クローンバッハ川 Kronbach の谷へ。視界が開けてくると、ヤーコプスバート Jakobsbad をはじめとするウィンターリゾートのゴンテン Gonten 地区を貫いていく。地形的には、ウルネッシュとアッペンツェルの間にある谷中分水界だ。ゴンテン~ゴンテンバート Gontenbad 間にある州道の踏切付近が標高905mで、この路線の最高地点になる。

ゴンテンバートからは下り坂に転じて、美しい緑の牧野を愛でながら走る。まもなく左車窓、行く手にアッペンツェルの町が見えてきた。町は、標高約780mの高地に位置する。グラールス州とともに今なおランツゲマインデ(民会)による直接民主制を維持していることで知られるアッペンツェル・インナーローデン準州 Appenzell Innerrhoden の州都だ。その玄関駅に11時00分到着、ここで最後の列車交換がある。

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車窓に映るアッペンツェル郊外の牧野風景
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アッペンツェル市街ハウプトガッセ Hauptgasse
熊を象った州旗のある建物は市庁舎
 

駅舎は1886年開業時の建築だが、1930年代に正面の外観が改修されている。現在見られる寄棟屋根と独特の曲線破風はこのときに造られた。構内は2面4線で、駅舎側からザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(1番線)、ホームのない通過線(2番線)、島式ホームのゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(3・4番線)の順で並ぶ。

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アッペンツェル駅
(左)駅舎正面(右)ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線ホーム
 

拠点駅とはいえ、停車時間は長くない。乗降が終わるとすぐにまた動き出した。残り区間は、旧ゼンティス鉄道のルートだ。いっとき左車窓をザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線が並走するが、ジッター川を渡るためにまもなく左に離れていく。右手には2025年2月完成予定で、新しい車両基地アッペンツェル・サービスセンター Servicezentrum Appenzell が目下建設中だ。

河畔林を伴うジッター川を渡り、2車線の州道に沿って走る。勾配は緩やかだが、相変わらずカーブの多いルートだ。行く手に、屏風のようにそびえるアルプシュタインの岩壁が見えてきた。クーアハウスがホテルとして残る古い保養地ヴァイスバート Weissbad に停車。やがて家並みが消え、谷が狭まり、いよいよ両側を急峻な岩山が取り囲み始めた、と思ったら、もう終点だった。

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ヴァッサーラウエン駅
(左)レジャー客が多数降りる(右)岩山が取り囲む谷間の終点
 

ドアが開くと、車内に残っていたリュック姿の多くの客が一斉にホームに降り立った。ヴァッサーラウエン Wasserauen(下注)は緑の谷のどん詰まりで、もはや周りにまとまった集落はない。駅の利用者はほぼレジャー客だ。

*注 ヴァッサーラウエンは水のある Wasser +麗しい草地 Aue を意味する。語の成り立ちを尊重してヴァッサーアウエンとも書かれる。

ラック鉄道は実現しなかったが、すぐそばに、断崖を縫う展望トレールとガストハウスで有名なエーベナルプ(エーベンアルプ)Ebenalp へ上るロープウェーがある。また、徒歩で山奥にたたずむゼーアルプ湖 Seealpsee へ向かう人も多い。晴れた朝の山岳地帯に見られる荘厳な空気が、谷底のこのあたりにまで降りてきている。私のように6分で折り返す電車で帰ってしまったのでは、あまりにもったいない。

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(左)駅前を流れ下るシュヴェンデバッハ川 Schwendebach
(右)エーベナルプに上るロープウェー
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エーベナルプのベルクガストハウス・エッシャー Berggasthaus Aescher(2015年)
Photo by kuhnmi at wikimedia. License: CC BY 2.0
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ゼーアルプ湖、正面右奥の雲間にゼンティス山頂が覗く(2020年)
Photo by Giles Laurent at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
 アルトシュテッテン=ガイス線

2025年1月12日 (日)

アルトシュテッテン=ガイス線

アッペンツェル鉄道アルトシュテッテン=ガイス線 AB Bahnstrecke Altstätten–Gais

アルトシュテッテン・ラートハウス Altstätten Rathaus ~ガイス Gais 間 8.05km
軌間1000mm、直流1500V電化、シュトループ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配160‰
1911~12年開業
1975年 アルトシュテッテン・ラートハウス~アルトシュテッテン・シュタット Altstätten Stadt 間廃止

【現在の運行区間】
アルトシュテッテン・シュタット~ガイス間 7.65km

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ラインの谷へ急勾配を駆け降りる

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前回紹介したザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn(以下、アッペンツェル線)の中間駅ガイス Gais には、東からアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais の電車が入ってくる。

この路線の特徴は、最大160‰の急勾配を含めてラック区間が3.26kmと、全線7.65kmの半分近くを占める点だ。起点のアルトシュテッテン Altstätten はアルペンラインタール Alpenrheintal(下注)の平地の裾にある市場町だが、終点ガイスはアッペンツェラーラント Appenzellerland の高原地帯にあり、標高は900m台に載る。

*注 アルペンラインタールは、ボーデン湖 Bodensee より上流のライン川 Rhein(アルペンライン Alpenrhein と呼ばれる)が流れる谷。

主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen からは遠く離れ、SBB(スイス連邦鉄道)線と接続していないこともあって、地味で目立たない路線だ。しかし、坂を上っていくにつれ車窓いっぱいに広がる眺めは、登山鉄道にも引けを取らない雄大さで、乗客を魅了する。今回はこの知られざるローカル線を旅してみよう。

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クロイツシュトラーセ停留所付近
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アルトシュテッテン=ガイス線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まず気になるのが、路線名における地名の並び順だ。アルトシュテッテンが起点、ガイスが終点という意味だが、アッペンツェル線の支線格にもかかわらず、なぜ接続駅のガイスが終点なのか。それは、もともとアッペンツェル線とは別会社(下注)で、かつアルトシュテッテン側の資本で設立されたという経緯があるからだ。

*注 アルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) と称した。

アルトシュテッテンは中世以来、この地域の主要な市場町として栄えてきた。州は違えどガイスも、ザンクト・ガレンより距離的に近いアルトシュテッテンの商圏に含まれていた。ところが、1889年にアッペンツェル線の前身アッペンツェル路面軌道 Appenzeller Strassenbahn が開業すると、高原地帯とザンクト・ガレンとの結びつきが一気に強まった。これに対して、アルトシュテッテン市民の間で、町の地位低下を懸念する声が高まる。こうしてガイス方面とのアクセスを確立する電気鉄道の建設計画が具体化していった。

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アルトシュテッテン旧市街マルクトガッセ
かつて路面軌道が左端を通っていた
 

路線は1911年11月に、アルトシュテッテン・シュタット Altstätten Stadt とガイスの間で開業した。アルトシュテッテン・シュタットは今の起点駅だが、7か月後の1912年6月に、市街地を貫いて反対側にあるラートハウス(市庁舎)Rathaus までの延伸区間が併用軌道(下注)で開通する。

*注 道路上に敷かれた線路。路面軌道。

ラートハウスには、すでに1897年からアルトシュテッテン=ベルネック路面軌道 Strassenbahn Altstätten–Berneck(以下ベルネック路面軌道、下注)が通じていた。この軌道会社は、市街地から1km以上離れたアルトシュテッテンSBB駅への支線を持っていて、ガイスからの電車はこれに乗り入れることでSBB駅まで達することができた。運行業務も軌道会社に委託されたので、それ以降、SBB駅支線はアルトシュテッテン=ガイス線と一体化した。

*注 アルトシュテッテン・ラートハウス~ヘーアブルック Heerbrugg ~ベルネック Berneck 間、およびヘーアブルック~ディーポルツァウ Diepoldsau 間の路面軌道。
路線図 https://de.m.wikipedia.org/wiki/Datei:Lagekarte_Strassenbahn_Altstätten–Berneck.svg

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開業時のCFe 3/3電車
スイス交通博物館(ルツェルン)蔵
 

1940年にベルネック路面軌道の本線はトロリーバスに転換されてしまうが、SBB駅支線はそのまま併用軌道として残った。しかし、貨物輸送がないアルトシュテッテン=ガイス線の経営状況は常に苦しく、連邦当局の斡旋で1948年に現在のアッペンツェル線を運営していた会社(下注)と合併する。

*注 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA)。

電車運行が現在のようなアルトシュテッテン・シュタット止まりになったのは、1975年のことだ。道路交通量が増加して路面軌道の運行に支障が生じるようになり、シュタット~SBB駅間はバス輸送に転換され、列車接続が絶たれてしまった。

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駅端で寸断された線路
かつては黄色のコンテナの後ろの旧市街へ続いていた
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新旧1:25,000地形図比較
アルトシュテッテン市街周辺
(上)1944年、路面軌道は梯子状の道路記号
(中)1971年、ベルネック路面軌道廃止後、SBB駅線だけ残る
(下)1989年、SBB駅線廃止後
© 2025 swisstopo

アルトシュテッテンの市庁舎(ラートハウス Radhaus)は、旧市街の東端に建つ7階建ての近代建築だ。容積率の制限がないのか、変則五角形の狭い敷地を目いっぱい使っていて、歴史ある町には似つかわしくない。その前の大通りに、かつてアルトシュテッテン=ガイス線の旧終点、ラートハウス駅があった。駅といっても路面軌道の簡易な乗り場だったので、停留所というほうがふさわしい。

そこはまた、北東10kmのベルネック Berneck の町へ行く旧 ベルネック路面軌道の起点でもあった。軌道は東へ200m進んだビルト Bild の交差点で、アルトシュテッテンSBB駅へ行く支線を右に分けていた。ガイスから来た電車はこの支線に乗入れて、SBBの駅前まで直通していたのだ。

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(左)ラートハウス(市庁舎)前
  線路が抜けていた小路、奥の大通りに駅(停留所)があった
(右)路面軌道があった駅前通り
 

一方、ラートハウスの西では、旧市街の目抜き通りであるマルクトガッセ Marktgasse を併用軌道で貫いていた。背の高い切妻屋根の商家が軒を並べる狭い街路は今も変わらないが、線路の痕跡は皆無で、ここに鉄道が通っていたとは信じられない。

マルクトガッセを西へ抜けると、交差点の向こうに現在の起点、アルトシュテッテン・シュタット駅が見えてくる。シュタット Stadt は町、都市という意味で、名前のとおり、ガイスから来れば町の入口だった。

3階建ての現駅舎は2002年に改築されたもので、レストランなどが入居している。通りを隔てた向かい側には、SBB駅方面に向かうバスの停留所がある。電車は1時間に1本きりだが、バスは300および335の2系統があり、合わせて毎時4本走っている(下注)。

*注 バスの時刻表、路線図は RTB Rheintal Bus https://www.rtb.ch/ 参照。

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(左)マルクトガッセ、線路の痕跡は皆無
(右)シュタット駅前のバス停
  SBB駅前を経由する300系統のバスが停車中
 

駅構内は最近整理され、片面ホームと線路1本だけになってしまった。もとは通過型の3線が並ぶ構造で、駅舎改築の際に、駅舎寄りの1本が削減されて2線になっていた。機回しの尺を確保するためか、引上げ線が駅前の道路を横断していたのだが、不要となった現在は短縮され、通りの手前に車止めがある。

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構内整理で棒線になったシュタット駅
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駅から出て大通りを横断していた引上げ線(2009年)
Photo by Roehrensee at German Wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ホームに、折返しガイス行の電車が入ってきた。2両編成でガイス方から制御車122号、電動車17号、最後尾に自転車を載せる台車(ヴェーロヴァーゲン Velowagen)が付随している。

制御車は部分低床の客車で2004年製だが、蝶の舞い姿をデザインした新たな外装をまとい、2024年にこの路線にお目見えしたばかりだ。電動車は第2世代のBDeh 4/4で、1993年製。アッペンツェル線のラック区間が解消されてからは、同型式のもう1両とともに、この路線専属になっている。

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(左)蝶が舞う制御車122号、窓枠上部に黄帯がある区画は1等席
(右)電動車BDeh 4/4 17号
 

自転車台車の中を覗くと、内壁に起点駅、終点駅とシュトス Stoss でのみ積み下ろし可能と書かれていた。後述のとおり、シュトスはラック区間の山側の終点だ。坂の上で列車から下ろし、見晴らしのいいダウンヒルコースを駆け降りるなら、さぞ爽快なことだろう。

ガイスまでの所要時間は上り(ガイス方面)が20分、下り(アルトシュテッテン方面)が23分だ。1時間間隔の運行なので1編成で足りる。そのため、中間駅での列車交換はない。

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(左)最後尾は自転車台車
(右)積み下ろしはセルフサービス

列車は15時ちょうどにアルトシュテッテン・シュタットを発車した。駅を後にすると、200m足らずの助走区間を経て、早くもガリガリと手ごたえのある音がする。ラック区間に入ったようだ。ラックレールはシュトループ Strub 式だ。アプト式のような歯竿を縦置きするのではなく、平底レールの上部にラックの歯が刻まれている。1898年にユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で実用化されて以来、電気鉄道では当時主流の方式だった。

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(左)ラック装置がモチーフの駅改築記念碑
(右)シュトループ式ラックレール
 

電車は、農家や畑が点在する斜面をたくましく上り始める。初めは木立に遮られがちだが、右へ大きくカーブするあたりから、左の車窓が大きく開けてきた。最初のラック区間は1kmほどで終わり、待避線のあるアルター・ツォル Alter Zoll 停留所を通過する。中間停留所はすべてリクエストストップなので、乗降の合図がなければ停車しない。

停留所の後すぐにラックが復活し、急斜面をなぞるようにぐんぐん高度を上げていく。後ろを振り返ると、さっきまでいたアルトシュテッテンの市街と聖ニコラウス教会の尖塔が、もうかなり小さくなっている。

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アルトシュテッテンの市街地が遠ざかる
 

周辺は大きな農家があるほか一面の牧草地なので、見晴らしは抜群だ。左の眼下に平底のアルペンラインタールが広がる。谷を縦断しているひときわ目立つ直線は、オーストリアとの国境をなすライン川の川筋だろう。その向こうにフォアアールベルク Vorarlberg のどっしりとした山並みが連なり、稜線の切れ目から残雪を戴くアルプスも顔を覗かせている。

ヴァルメスベルク Warmesberg 停留所はラック区間の途中だ。ホームは右側なので、下界の眺望に気を取られていると見落としてしまう。次にラックが途切れるのは、クロイツシュトラーセ Kreuzstrasse 停留所の前後だ。斜面の踊り場に位置していて、終始線路と並走しているシュトス街道 Stossstrasse がここで初めて線路を横切る。

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アルペンラインタールの眺望
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クロイツシュトラーセ停留所とシュトス街道の踏切
 

さらに160‰の胸突き八丁を上っていくと、車窓の大パノラマが、右手に現れた前山の陰に入り始めた。ここでようやく急勾配が収まり、電車はシュトスAR 停留所(下注)に着く。アルトシュテッテン・シュタット駅の標高が467m、シュトスはすでに942mで、475mの高度差を一気に上ってきたことになる。まだ最高地点ではないが、急傾斜地はここまでで、あとはなだらかな高原地帯だ。

*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。

ちなみにトローゲン鉄道沿線のフェーゲリンゼック(フェーゲルインゼック)Vögelinsegg と同様、シュトスも中世アッペンツェル戦争の古戦場だ。右手斜面の上方で、戦いから500年になるのを記念して1905年に立てられた戦争記念碑 Schlachtdenkmal がラインの谷を見下ろしている。

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(左)シュトス停留所とラック終点
(右)斜面に立つ戦争記念碑(2010年)
Photo by böhringer friedrich at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

次のリートリ Rietli 停留所には以前、待避線があったが、ガイス方のポイントが廃止され、行き止まりの側線になってしまった。ここを出るとしばらくの間、シュトス街道の脇を進む。左車窓にはラインタールに代わって、緩やかに起伏する高原地帯の風景が広がり、その背後にアルプシュタイン Alpstein の荒々しい岩峰群がそびえている。シャッヘン Schachen 停留所付近が分水界だが、線路はまだわずかに上り坂だ。小さな張り出し尾根を乗り越えるヘブリッヒ Hebrig 停留所が標高972mで、最高地点となる。

この後は粘着式、最大52‰の急勾配で、ガイスに向けて坂を下っていく。右手の木立越しにガイスの町が見え始め、やがて左方からアッペンツェル線が半径40mの急曲線で回りながら接近してくる。最後はこれに付き合いながらガイス駅の構内に進入し、駅舎に接する1番線がアルトシュテッテン=ガイス線列車の定位置だ。

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高原の背後にアルプシュタインの岩峰群が覗く
 

15時20分に到着。定時運行ならその3分後、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の上下列車が相次いで入ってくる。1時間ごとに繰り返される、乗換客がホームを行き交う時間帯だ。しかしアルトシュテッテン行きは24分発なので、客が車内に収まるや、すぐに扉を閉めて出ていってしまう。3番線のアッペンツェル行きも同時刻発車だから、運が良ければ急カーブでつかの間の並走シーンが見られるかもしれない。

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ガイス駅手前の急曲線
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(左)ガイス駅舎
(右)1番線で乗換客を待つ

アッペンツェル鉄道に残るラック路線はいずれも、利用者数の減少を理由に、「より顧客に優しく、費用対効果の高い代替案 kundenfreundlichere und kostengünstigere Alternativen」の検討対象となっている。アルトシュテッテン=ガイス線も、現形態での運行は2035年が期限とされ、その後はバス代行や自動運転化を含めた何らかの転換が行われる予定だ。

次回は、アッペンツェル鉄道のルーツであるゴーサウ=ヴァッサーラウエン線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道
 トローゲン鉄道
 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
 ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

2025年1月 4日 (土)

ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線

アッペンツェル鉄道ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 AB St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn

ザンクト・ガレン~アッペンツェル間19.92km(下注)
軌間1000mm、直流1500V電化
1889~1904年開業、1931年電化

*注 2018年のルックハルデ新線開通に伴う値。旧線時代は20.06km。

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新トンネルの出口にあるリートヒュスリ停留所

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「市内貫通線 Durchmesserlinie」として、前回のトローゲン鉄道と直通運転されている相手が、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn だ。地元ではガイザーバーン(ガイス鉄道)Gaiserbahn とも呼ばれる。スイス北東部、ザンクト・ガレン St. Gallen からガイス Gais を経てアッペンツェル Appenzell に至る19.92kmの路線で、以前からアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen の路線網の主要部分を形成してきた。

メーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線で、主として道路の脇を走る道端軌道だが、これは長年にわたる施設改良の成果だ。開業時は非電化で、かつ数か所のラックレール区間があるラック式・粘着式併用の路面軌道だった。

ラックレールが最後まで残っていたのが、ザンクト・ガレン市街南東の丘を上る約1kmの区間だ。半径30mの厳しいオメガカーブ、通称ルックハルデカーブ Ruckhaldekurve があることでも知られていた。詳細は後述するが、2018年にこの難所が解消されたことでラック式電車が不要となり、市内貫通線が実現したのだ。

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ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

歴史をたどると、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線は1889年、アッペンツェル路面軌道会社 Appenzeller-Strassenbahn-Gesellschaft (ASt) によって、ガイスまでの区間が先行開通している。建設を推進するアッペンツェラー・ミッテルラント Appenzeller Mittelland の沿線自治体に対して、起点となるザンクト・ガレン市民の反応は冷ややかで、市街地の道路上での軌道敷設が許可されなかった。ルックハルデの険しい専用軌道は、そのために必要となった迂回路だ。

市外に出ると、軌道は旧来の道路上で、終点に向かっておおむね左側に寄せて敷かれた。当時は粘着式で45‰を超える勾配を上ることができず、該当区間にはラックレールが追加された。ラック区間はルックハルデを含めて6か所あった(下注)。

*注 後述するアッペンツェル延伸でも1.7kmの長いラック区間が設けられたので、最終的には7か所となった。

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急勾配急曲線だったルックハルデカーブ(2014年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

アッペンツェルへの延伸開業は、少し遅れて1904年になる。ここにはすでに1886年に、ヘーリザウ Herisau 方面から同じメーターゲージのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn が到達していたので、その駅に乗入れた。また、ガイスには1911年、ライン川の谷壁を上ってきたアルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) が接続した。

路線網が充実していく間に、社名も変遷を重ねている。1931年の電化開業で、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA) になり、1948年のアルトシュテッテン=ガイス鉄道との合併では、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn と、さらに長くなった。

一方、目的地を同じくするアッペンツェル鉄道とは長らくライバル関係にあったが、1988年に合併し、改めて「アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB)」と名乗るようになった。日本語では区別できないが、原語では旧社名が単数形、新社名は複数形だ。

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ザンクト・ガレン支線駅に入るアッペンツェル行き電車
 

かつてアッペンツェル線の主力車両は、ラック・粘着式併用のBDeh 4/4で、1981年に5編成が調達された後、1993年にも2編成の追加があった。ラック撤去により前者は引退し、チロルのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に引き取られたが、結局使われることはなかった(下注)。後者は、160‰の急勾配ラック区間があるアルトシュテッテン=ガイス線用として、今なお現役だ。

*注 この事情については「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

市内貫通以降、アッペンツェル線の運用車両は、シュタッドラー製のタンゴ Tango に統一されている。赤塗装、6車体連節の部分低床車で、跳ね上げシートを含め147席(うち1等12席)と、余裕の収容力を誇る。運行間隔は日中の平日が15分、休日が30分だ。

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(左)シュタッドラー・タンゴ
(右)シックな座席が並ぶ車内

では、ザンクト・ガレンから順に、沿線風景と路線改良の跡を追っていこう。

SBB(スイス連邦鉄道)駅と地続きの、通称「支線駅 Nebenbahnhof」がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(以下、アッペンツェル線)の起点になる。市内貫通以前は、支線駅舎をはさんで反対側の頭端式ホームで発着していた(下写真参照)が、現在は通過形の2面2線で、見た目は中間停留所と変わらない。

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ザンクト・ガレン支線駅
アッペンツェル方面から電車が到着
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市内貫通以前のアッペンツェル線発着ホーム
左端は現ホーム(当時はトローゲン線用)(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ザンクト・ガレン駅を後にした電車は、SBB線と並走しながら南西方へ進む。ザンクト・レオンハルト橋 St. Leonhardsbrücke と呼ばれる陸橋の下をくぐった後、かつては左に急カーブして、旧 SBB貨物駅の外側を通っていた。貨物駅の移転に伴う跡地再開発の一環で、線路はSBB線沿いに移設され、減速が必要だった急カーブも解消された。

その一角に2022年、ザンクト・ガレン・ギューターバーンホーフ St. Gallen Güterbahnhof という名の停留所が新設された。ギューターバーンホーフは貨物駅という意味だが、貨物を扱うわけではなく、ふつうの旅客用電停だ。

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新旧1:25,000地形図比較、ルックハルデカーブの前後
(左)2017年、旧線はSBB貨物駅を迂回し、オメガカーブで丘を上っていた
(右)2024年、新線は(旧)貨物駅北側を直進し、トンネルに入る
© 2025 swisstopo
 

ここを通過すると、線路は左に緩くカーブしていき、いよいよルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel に突入する。2018年に完成したアッペンツェル線唯一の本格的なトンネルで、長さ725m。名が示すとおり、同線最後のラック区間だったルックハルデカーブの代替ルートだ。内部はS字形にカーブしていて、旧線より若干緩和されたとはいえ、80‰の勾配は粘着式として限界に近い。

暗闇を抜けるとすぐリートヒュスリ Riethüsli 停留所がある。トイフェン街道 Teufenerstrasse の裏手で、その昔、市電5系統の終点だったネスト Nest 電停のすぐそばだ。ちなみに、市電5系統は1950年7月にトロリーバスに転換されて姿を消した。電停の終端ループ跡は舗装されて、今もトロリーバス用として使われている。

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リートヒュスリ停留所
(左)ザンクト・ガレン方 (右)アッペンツェル方
 

ところでルックハルデの旧線跡は、今どうなっているのだろう。気になっていたので、途中下車して見に行った。旧線跡は停留所から南へ150mの、現路線がトイフェン街道脇に出る地点から始まる。もとはここにリートヒュスリ停留所があった(下写真参照)。

ザンクト・ガレン方向へ、上り坂のトイフェン街道を歩いていく。向かって右側の広い歩道が旧線跡だが、200m先にある三叉路で、道路の左側に移る。右手が上述の旧ネスト電停で、そこから出てくる市電の線路に道を譲っていたのだ。そこからサミットを越えるまでの約300mは、1950年の市電廃止まで、道路中央に市電、左側にアッペンツェル線という並走区間だった。その名残で道幅が広く、歩道にも余裕がある。


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停留所南150mの新旧線路分岐地点で北望
旧線は街道の右縁を直進し、
旧 リートヒュスリ停留所が正面の駐車場付近にあった
 

急な下りにかかるとトイフェン街道と市電線路が右にそれていき、アッペンツェル線は専用軌道になっていた。廃線跡はすっかり草に覆われているが、緩くカーブしていて、それとわかる広さがある。真ん中に踏み分け道がついていたので行ってみた。もとは100‰の勾配(下注)なので、おのずと足取りが軽くなる。市街地を見下ろす右手の斜面には市民向けの貸し農園が広がり、トタン屋根の簡素な小屋がいくつも建っている。この小道も実はそこへ通うためのものだ。

*注 開業時の当該ラック区間はリッゲンバッハ式、延長978m、最大勾配92‰だったが、1980~81年に改修された際、リッゲンバッハ、シュトループ、ラメラ(フォン・ロール)混合方式で延長が946mに短縮された代わり、勾配は最大100‰になった。

農園の境界までは問題なく進めたのだが、そこで通せんぼするような低い柵が講じてあり、道も消えていた。先は一面の草地で、目を凝らすと、急旋回しながら降りていたルックハルデカーブの痕跡をなぞることができる。大昔、乗った電車の窓から見た記憶がよみがえってきた。

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(左)旧ネスト電停前、右から市電が出てきて画面奥へ並走していた
(右)街道と市電が右にそれる地点
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(左)アッペンツェル線の軌道跡(中央左の踏み分け道)が始まる
(右)貸し農園の上方を降りていく
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ルックハルデカーブの痕跡
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ルックハルデカーブの現役時代(1984年)
 

草地の旧線跡はこの後、ルックハルデトンネルの出口付近で新線と合流するのだが、私有地につき立入りは諦めて、本線の追跡に戻った。

トイフェン街道の進行方向左側で道端軌道になったアッペンツェル線は、リーベック信号所 Dienststation Liebegg を通過する。新線完成で所要時間が2分短縮され、列車交換は次のルストミューレ Lustmühle 停留所で行われるようになった。ルストミューレは、森を出て右に急カーブする地点にあるが、ダイヤが多少乱れても対向列車への影響を最小限にとどめられるよう、退避線は500m以上と異例の長さが取られている。

再び周りを人家が取り囲むようになれば、沿線の中心地の一つトイフェン Teufen だ。町中の延長400mほどは沿線で唯一、線路と車道が分離されておらず、くねくね曲がって見通しが悪い。さらに、シュパイヒャー街道 Speicherstrasse が分岐する駅手前の三叉路は、電車も横断するため、事故のリスクが高い。ルックハルデカーブが解消された今では、最後の難所と言えるだろう。

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トイフェン市街の併用軌道を行く(2007年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トイフェン駅 Teufen AR(下注)は、大柄な駅舎の前に2面3線の構内が広がっている。平日日中は2本に1本の電車がここで折り返すので、この先は30分間隔の運行になる。

*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。

トイフェン駅を出ると短い下り勾配に変わり、この後たどるロートバッハ川 Rotbach の谷へ降りていく。ガイス開業時に6か所あったラック区間の一つがここだ。86‰の下り坂だったが、1976年に道路併設で勾配を62‰に緩和した新しいゴルディバッハ橋 Goldibachbrücke が完成して、ラック旧線は撤去された。

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(左)トイフェン駅舎
(右)2面3線の構内
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同 トイフェン南方ゴルディバッハ橋
(左)1971年、旧線時代
(右)1989年、旧道の東側に勾配を緩和した新道併設の新線が造られた
© 2025 swisstopo
 

ずっと道路の左側を並走してきた線路が右側に移ると、まもなく次の町ビューラー Bühler だ。ビューラー駅はかつて、本線が道路上の併用軌道、待避線が駅舎裏の専用軌道という珍しい配置だったが、1968年に本線も駅舎裏に移された。それで外側の2番線は急なカーブを切っている。

町を抜けると再び道路を斜め横断し、そのまま道路際から離れてシュトラールホルツ Strahlholz 停留所の手前まで独自ルートを上っていく。もとは87‰勾配でラックレールが敷かれていたが、1983年に60‰で曲線も緩やかな新線に切り替えられた。

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1984年のビューラー駅
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同 ビューラー南東方
(上)1971年、旧線は道端軌道
(下)1989年、新線は専用軌道化して勾配を緩和
© 2025 swisstopo
 

2~3分も走れば、一次開業時の終点だったガイス Gais 駅だ。町の中心ドルフプラッツ Dorfplatz は駅の東300mにあるので、線路はその方を向いて駅に進入する。ここも立派な駅舎がそびえ、構内は2面3線だ。駅舎方の1番線はアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais(次回参照)の列車用で、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の列車が入る。通常ダイヤでは上下列車の交換がある。

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(左)ガイス駅舎
(右)アッペンツェル行が2番線で待機中
 

目指すアッペンツェルは後方(西方)なので、常識的にはスイッチバック駅になるところだ。ところが電車はそのまま前進し、ルックハルデに次ぐ半径40mの急カーブで180度向きを変える。開業時の小型単車ならともかく、長さ50mを超える車両がこのカーブを、車輪をきしませながら慎重に曲がっていくようすはなかなか見ものだ。アッペンツェル線のガイス車庫・整備工場は、カーブを曲がり終えた地点にある。

牧草地を横切っていくうちに右手からガイス街道 Gaiserstrasse が接近してきて、線路は再びその道端に収まる。緩やかな鞍部に位置するザンメルプラッツ Sammelplatz 停留所は標高928mで、この路線の最高地点だ。

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半径40mの急カーブを回る
 

線路は、ここからアッペンツェルの町に向けて下り坂にかかる。もとは最大82‰勾配のラック区間が1.7kmの間続いていたが、1979年に、坂の下部にヒルシュベルクループ Hirschbergschleife(下注)と呼ばれる50‰勾配の迂回線が完成して、旧線を置き換えた。上部にはまだ最大63‰の勾配区間が残っていたが、同じタイミングで粘着式に切り替えられている。

*注 この場合のループ Schleife は、弧状のルートを意味する。

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同 ヒルシュベルク付近
(上)1971年、ジッター川へ直降していた旧線時代
(下)1989年、新線は迂回で勾配緩和
© 2025 swisstopo
 

見晴らしのいい迂回線でヒルシュベルクの斜面を降りきると、ジッター川とその氾濫原だ。電車は長さ296m、曲弦プラットトラスと多数のコンクリートアーチで構成されたジッター高架橋 Sitterviadukt を渡っていく。下流では比高100mの大峡谷を形づくる川だが、ここではまだ穏やかな表情で、盆地の平底をゆったりと流れている。

向こう岸で左後方から来るヴァッサーラウエン線と並走し始めれば、電車旅はまもなく終わる。ザンクト・ガレンから38分で、アッペンツェル・インナーローデン Appenzell Innerrhoden(準州)州都の玄関口アッペンツェル駅に到着だ。

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修復工事中のジッター高架橋を渡る
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終点アッペンツェル駅
 

次回は、ガイスで分岐しているアルトシュテッテン=ガイス線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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2024年12月21日 (土)

トローゲン鉄道

アッペンツェル鉄道トローゲン線 AB Trogenerbahn (TB)

ザンクト・ガレン St. Gallen~トローゲン Trogen 間9.80km
軌間1000mm、直流600V(ザンクト・ガレン~シューラーハウス Schülerhaus 間)、直流1500V(シューラーハウス~トローゲン間)電化、最急勾配76‰
1903年開通

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シュパイヒャー駅に進入するトローゲン鉄道の電車
 

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スイス北東部に広がる起伏の大きな丘陵地帯の一角に、トローゲン Trogen の町がある。人口2000人足らずの小さな自治体だが、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の司法府の所在地(下注)として、重要な位置を占める。

*注 同州には法的な州都 Kantonshauptort は存在せず、立法府と行政府はヘーリザウ Herisau に、司法府はトローゲンにある。

トローゲン鉄道 Trogenerbahn (TB) は、主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen とこの町を含むミッテルラント郡 Bezirk Mittelland 北部を接続する延長約10kmの電気鉄道だ。谷底にあるザンクト・ガレン市街からサミットまで270mある標高差を最大76‰の勾配で克服していく。ラックレールの助けを借りずに(=粘着式で)上るものとしては、2018年に供用されたルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel(下注)の80‰に次ぐ急勾配だ。

*注 次回紹介するザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線にある。

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ボーデン湖を背にして最大76‰の勾配を上る
 

鉄道は1903年に開業した。以来1世紀の間、独立運営されてきたが、2006年に周辺の2社とともにアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) に合併され、同社の路線網に組み込まれた。日本流にいうなら、アッペンツェル鉄道トローゲン線になったわけだ。

さらに2018年10月には、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn(以下、アッペンツェル線)との直通化工事、いわゆる市内貫通線 Durchmesserlinie が完成し、低床6車体の長い連節車両がザンクト・ガレン経由で、トローゲンとアッペンツェルの間30kmを通しで走るようになった。ほんの20年前まで、ローカル線然とした2両編成が駅前で折り返していたのに比べれば、驚くべき変わりようだ。

今回は、この発展目覚ましいトローゲン鉄道を訪ねてみたい。

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トローゲン鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

SBB(スイス連邦鉄道)の、宮殿と見紛うようなザンクト・ガレン駅舎に向かって左手に、アッペンツェル鉄道の列車が発着する通称「支線駅(ネーベンバーンホーフ Nebenbahnhof、下注)」がある。2本の線路が、SBB駅から続く古代建築ポルティコ風の通路を横切っている。

*注 Nebenbahn は幹線に対する地方線、支線を意味する。

通路の向こう側(西側)が市内貫通線の相対式ホームで、SBB線からの乗継ぎ客が電車が来るのを待っている(下注)。直通化される前もここがトローゲン方面の乗り場で、対するアッペンツェル線は大通りの側にある頭端式ホームを使っていた。架線電圧も車両限界も異なり、後者にはラック区間も残っていたので、まったく別の路線として扱われていたのだ。

*注 郊外区間での列車交換は左側通行だが、ザンクト・ガレン駅と市内の併用軌道区間は車道に合わせて右側通行になっている。

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ザンクト・ガレン支線駅
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(左)トローゲン行きが到着
(右)併用軌道に接続されているため右側通行
 

ザンクト・ガレンにははるか昔に一度来たことがあるが、当時トローゲン鉄道の主役は2両編成のBDe 4/8形だった。1975~77年製で全長30.2m、砂撒き装置を備え、制御車は軽量化のためにアルミニウムボディーという急勾配対応車両だ。在籍していた5編成のうち1編成は廃車になったが、残りは2009年以降、順次イタリア北部のリッテン鉄道 Rittnerbahn(下注)に移籍し、装いも新たに今なお走っている。

*注 リッテン鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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トローゲナーBDe 4/8形
(左)ザンクト・ガレン駅にて(1984年)
(右)リッテン鉄道に移籍後(2019年)
 

BDe 4/8に取って代わったのが、シュタッドラー製のBe 4/8形だった。部分低床、3車体連節のモダンなスタイルで、全長は37mある。2004年と、アッペンツェル鉄道合併後の2008年に全部で5編成調達されたが、稼働期間は短かった。市内貫通線の完成に伴い、2018年にお役御免となり、現在はヌーシャテル交通局 Transports Publics Neuchâtelois (transN) の郊外路面軌道リトライユ Littorail に活躍の場を移している。

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トローゲナーBe 4/8形
(左)マルクトプラッツ停留所にて(2014年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ヌーシャテルに移籍後(2024年)
 

これら歴代の専属車両、いわゆる「トローゲナー Trogener」に対して、2018~19年に就役したシュタッドラー・タンゴ Stadler Tango は、両線を通しで走るために製造された新型車両だ。6車体連節で全長は52.6mとさらに長くなり、収容力の増強が図られた。トローゲンの車両限界に従って車幅が2400mmのため、より広い2650mmを許容してきたアッペンツェル線内などのホームではドアステップが出るようになっている。

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6車体連節のシュタッドラー・タンゴ
 

さて、ザンクト・ガレンからトローゲンまでは所要26~27分だ。平日は日中15~30分間隔、休日は同30分間隔のダイヤで、便利に利用できる。

ザンクト・ガレン駅を出発した電車は、駅前通り Bahnhofstrasse を複線の併用軌道で西へ向かう。市営トロリーバスのルートが並走し、交差もするので、双方の架線が道路の上空に張り巡らされて、まるで蜘蛛の巣のようだ。郊外の架線電圧は直流1500Vに統一された(下注)が、市内の路面区間はトロリーバスに合わせて600Vのままのため、電車は複電圧対応になっている。

*注 市内貫通以前は、トローゲン鉄道が直流1000V、アッペンツェル線が同1500Vだった。

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駅前通りではトロリーバスの架線も並走
 

バス乗り場のあるSBB駅舎の前を通過し、SBB線と少しの間並走した後、町中に入って、大屋根の掛かるマルクトプラッツ Marktplatz 停留所に停車した。市の立つ広場を意味するマルクトプラッツはどこの町でも中心地区だが、ザンクト・ガレンの場合は歴史ある旧市街 Altstadt の南と北を分ける境に位置する。

バス路線も集中する公共交通の結節点なので、周辺はいつも賑わっていて、車内の客がごっそり入れ替わる。他の停留所と同様、ここも乗降客がある時だけ停まるリクエストストップだが、通過する電車はないに等しい。

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マルクトプラッツ停留所、右後ろはヴァークハウス
 

郊外路線であるトローゲン鉄道が街の真ん中に堂々と停留所を構えることができたのは、この区間がかつて市電の路線だったからだ。トラムバーン Trambahn と呼ばれたザンクト・ガレン市電は1897年から走っていた。遅れて開通したトローゲン鉄道はその路線網に乗入れることで、市内へのアクセスルートを確保した。

市電は1957年を最後にトロリーバスに全面転換されるが、乗入れ区間だけは線路が撤去されず、1959年にトローゲン鉄道に移管されて存続した。貫通線になる前、この停留所はトローゲン方面の利用者のための施設だったわけだが、今ではアッペンツェル線側からも乗り換えなしで到達できる。実用性はもちろん、心理的な効果も大きいことだろう。

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(左)最もにぎわう停留所
(右)発着案内、下にあるのは乗車告知ボタン
 

電車はこの後、文化財建築ヴァークハウス Waaghaus の横をかすめて、ブリュールトール Brühltor の交差点で右折する。市電時代、線路が3方向に分岐していた場所で、トロリーバスの架線がその跡を引き継いでいる。

ここからはトローゲン鉄道が建設したオリジナル区間になるが、まだしばらく併用軌道が続く。緑うるわしい街路ブルクグラーベン Burggraben に沿って、シュピーザートール Spisertor 停留所に停車。その先のラウンドアバウトで左折すれば、いよいよ上り坂にさしかかる。クランク風の急カーブを経てシュパイヒャー街道 Speicherstrasse に入り、まもなくシューラーハウス Schülerhaus 停留所に達する。複線区間と併用軌道の終端だ。

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(左)旧市街の出入口の一つ、シュピーザートール
(右)シュパイヒャー街道を上る
 

開業時は全線が道路上を通っていたトローゲン鉄道だが、拡幅や曲線緩和といった道路改良工事に合わせて、軌道の分離が1950年代から1990年代にかけて段階的に実施された。現在、シューラーハウス以遠はすべて専用線で、道路脇を通るいわゆる道端軌道になっている。

そのため走行環境は良好で、電車は76‰の急な坂道をものともせず、すいすいと上っていく。丘の上に建つノートケルゼック修道院 Kloster Notkersegg を右に見送り、ボーデン湖 Bodensee の広い湖面を左手遠くに望んだところで、右に大きくカーブを切って尾根を回る。ここでいったん勾配が和らぎ、浅い谷間で右手に、山の湖ヴェーニガーヴァイアー Wenigerweier がちらと見えた。

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(左)フェーゲリンゼック停留所
(右)郊外区間は道路との分離が完了
 

再び勾配が強まると(2か所目の76‰)、しばらく隠れていたボーデン湖のパノラマがまた姿を現す。時間にすればわずかだが、ランク Rank、フェーゲリンゼック(フェーゲルインゼック)Vögelinsegg 両停留所間の、牧草地の山腹に付けられた坂道が最も見晴らしのいい区間になる。

フェーゲリンゼックの尾根は、15世紀、修道院の支配に民衆が反旗を翻したアッペンツェル戦争の古戦場だ。線路が急カーブで180度向きを変える地点が全線のサミットで、標高は957m。ずっと道路の左側を走ってきた電車が、下り坂で右側に移る。周りに民家が増えてしばらくすると、道路からいったん離れ、シュパイヒャー Speicher 駅の狭い構内に滑り込む。

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フェーゲリンゼック手前の眺望地点
 

高原の町シュパイヒャーは人口約4500人で、トローゲンより規模が大きい。鉄道にとっても車庫・整備工場が設置された運行の拠点だ。かつてはトローゲンと同じようなシャレー風の駅舎があったが、惜しくも1997年に複合ビルに建て替えられてしまった。

乗ってきた電車は、たまたまシュパイヒャー止まりの入庫便だった。ホームは2面2線だが、直接、車庫へは入れない。いったんザンクト・ガレン方にバックしてから、ホームに並行する引込線に転線する。長い編成だけに、踏切をまたいで構内外を出入りする、けっこう大掛かりな作業だ。

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(左)シュパイヒャー駅で列車交換
(右)車庫に戻る電車
 

シュパイヒャーからの最終区間はまた道端軌道で、坂を昇り降りしながら、ものの5分で終点トローゲンに到着する。列車交換はシュパイヒャーで済ませているから、線路は棒線で、無造作に行き止まっている。シャレー駅舎は山側にあって、シュパイヒャー街道から見えるのは、駅の玄関側ではなく、ホーム側だ。

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シャレー風駅舎のトローゲン
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(左)電車が到着
(右)折返しの発車を待つ
 

町の中心はランツゲマインデ広場 Landsgemeindeplatz で、駅から300mばかり先にある。ここでは1997年まで隔年で、直接民主制のランツゲマインデ(民会)が開催されていた。ゲマインデハウス Gemeindehaus(現 州立図書館)、ラートハウス Rathaus(現 裁判所)、改革派教会、博物館などが入るツェルヴェーガーの二重宮殿 Zellweger'sche Doppelpalast と、威厳を放つ18世紀の中層建築が、石畳の広場を護るように取り囲んでいる。緑の丘のへりに突如現れるこの地区は、物語に出てくる空想都市のような不思議な光景だ。

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トローゲンのランツゲマインデ(民会)広場
 

次回は、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道
 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
 アルトシュテッテン=ガイス線
 ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

2024年12月 7日 (土)

ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道

アッペンツェル鉄道ロールシャッハ=ハイデン登山線 AB Rorschach-Heiden-Bergbahn (RHB)

ロールシャッハ Rorschach~ハイデン Heiden 間5.60km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(大半区間)、最急勾配93.6‰
1875年開通、1930年電化

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ロールシャッハーベルクの斜面を行く登山鉄道の列車
ザントビュッヘル~ヴァルテンゼー間

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前回のライネック Rheineck 駅からSバーンの西行き列車に乗り、3つ目のロールシャッハ・シュタット Rorschach Stadt で下車した。2001年開設の新しい停留所だ。シュタット Stadt は町、都市という意味で、町はずれにある従来のロールシャッハ駅に対して、1.2km西で市街地最寄りの便利な場所に設けられた。

駅前から緩い坂になったジクナール通り Signalstrasse を降りていくと、ビルの間に空を映した湖面が覗き始めた。ロールシャッハ Rorschach は、ボーデン湖の南岸に位置する瀟洒な都市だ。通りの突き当りは港で、ちょうど埠頭から湖畔の町を巡る定期船が出航するところだった。

ロールシャッハとローマンスホルン Romanshorn 方面を結ぶSBB(スイス連邦鉄道)の線路が港の前を走っていて、ロールシャッハ・ハーフェン Rorschach Hafen 駅(下注、以下ハーフェン駅と略す)の相対式ホームがある。

*注 ハーフェンは港の意。ボーデン湖航路と接続するために1856年に開設された駅。

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(左)ロールシャッハ・シュタット駅
(右)ロールシャッハ市街ジクナール通り
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(左)埠頭の前に駅がある
(右)ロールシャッハ・ハーフェン駅に登山鉄道の列車が到着
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ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

今から乗るロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (RHB) も、アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) を構成する路線の一つだ。ベルクバーン(登山鉄道)Bergbahn と呼ばれるとおり、標高399mのロールシャッハから同794mのハイデンまで、リッゲンバッハ式のラックレールを使って上っていく。

ハイデン Heiden は19世紀半ば以降、鉱泉が湧く高原の保養地として人気を博した町だ。ボーデン湖を見下ろす高台にあり、1838年の大火の後に再建されたビーダーマイヤー様式のエレガントな町並みが広がる。オーストリア皇帝カール1世やドイツ皇帝フリードリヒ3世といった王侯貴族が訪れ、赤十字の創設者アンリ・デュナンが晩年を過ごした場所でもある。

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高原の保養地ハイデン
 

ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したラック鉄道がリギ山 Rigi で開業したのは1871年だが、そのわずか4年後の1875年9月には、ハイデンに同じ形式の列車が到達している。スイス国内では、フィッツナウ=リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn とアルト=リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn に次いで3番目という早さで、貨物輸送も行うものでは最初だった。

開業当初、列車はロールシャッハ駅から出発していた。だが数年後には、ボーデン湖の航路との接続を図るため、合同スイス鉄道 Vereinigte Schweizerbahnen (VSB) の支線に乗入れる形で、運行区間がハーフェン駅まで延長されている。湖の対岸ドイツからは船便がよく利用されていたからだ。合同スイス鉄道は、1902年の鉄道国有化によりSBB路線網の一部となったが、乗入れは継続された。

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ボーデン湖を背に急勾配の線路が続く
 

第一次世界大戦中に石炭不足で運行に支障をきたした苦い経験から、スイスでは1920~30年代に、鉄道の電化が急ピッチで進められた。ロールシャッハ以西のSBB線が交流15kV 16.7Hzで電化されたこと(下注)を受けて、1930年に登山鉄道も同じ方式で電化される。小規模路線には不相応な設備に見えるが、乗入れを継続するには方式を合わせるほかなかっただろう。

*注 1927年に(ヴィンタートゥール~)ザンクト・ガレン~ロールシャッハ間、1928年にロマンスホルン~ロールシャッハ間が電化、ロールシャッハ以東の電化は1934年。

電化を機に現役を引退した蒸気機関車は、1949年までにすべてスクラップにされた。ちなみに2010年代にこの路線で特別運行されていたラック蒸機Eh 2/2 3は、オリジナル機ではなく、もとチューリッヒ近郊のリューティ Rüti にあった織機工場で稼働していた工場用機関車だ。

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(左)ラック蒸機Eh 2/2 3号「ローザ Rosa」(2014年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)同じくリューティから到来した小型ディーゼル機関車Tmh 20
 

航路との接続が重要ではなくなった今も、ハーフェン駅への乗入れは続いている。朝夕はロールシャッハで折り返している列車が、日中およそ10~16時の間、SBB線を通ってここまで足を延ばす。

港側の1番ホームでしばらく待っていると、ロールシャッハ方からAB(アッペンツェル鉄道)のロゴをつけた電車が入線してきた。折返し11時01分発のハイデン行きだ。ハーフェン~ハイデン間は27分かかる。ダイヤは60分間隔なので、終端駅での滞在時間は3分と慌しい。

車両は1998年シュタッドラー製、部分低床の連接電車BDeh 3/6で、それまで主力だったBDeh 2/4を置き換えるために導入された。以来、定期運行は基本的にこの1編成がカバーしている。旧車BDeh 2/4も健在だが、走るのは臨時便か、BDeh 3/6が検査などで不在の時だけだ。

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(左)現在の主力、連接電車BDeh 3/6
(右)車内は部分低床
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旧車BDeh 2/4も健在
 

編成の後方に回ると、オープンタイプのいわゆる夏用客車 Sommerwagen を3両引き連れていた。内部は向い合せのベンチシートが並び、何とはなしにリゾート気分が盛り上がる。肌寒かった朝に比べて気温が上がってきたし、ここなら外の写真を撮るにも好都合だ。ちなみに、ハイデン行きではこのオープン客車が前になるため、運転士はその先頭に乗り、無線操縦で電車を動かすそうだ。

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(左)2軸夏用客車
(右)ベンチシートが並ぶ車内
 

ハーフェン駅を定刻発車。次の駅まではわずか950m、のびやかな湖岸のプロムナードに沿って、列車はゆっくりと進む。高架道路の下をくぐると線路が増えてきて、まもなくロールシャッハ駅2番ホームに到着した。SBB幹線との乗換駅だが、乗ってきたのは4人だけだった。

またすぐに出発し、本線の線路を一気に斜め横断して最も山側に位置を移す。車庫への引込線を左に分けると徐行になり、ラック区間の始点 Anfang を示す「A」と書かれた標識の前を通過した。

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(左)最初は湖岸に沿って進む
(右)ロールシャッハ駅に到着
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(左)登坂開始、ザントビュッヘル停留所にて
(右)ホームにある乗車告知ボタンと乗車券刻印機
 

延長5.6km(下注)の間に中間停留所が5か所あるが、いずれも乗降客がいるときだけ停車するリクエストストップだ。車内やホームの押しボタンで、前もって運転士に知らせる必要がある。

*注 5.6kmは SBB/RHB境界~ハイデン間の距離。乗入れ区間を含めると7.2km。

一つ目のゼーブライヒェ Seebleiche と次のザントビュッヘル Sandbüchel の周りは、まだ住宅街だ。しかし、頭上をアウトバーンA1が乗り越してからは、ロールシャッハーベルク Rorschacherberg と呼ばれる牧草地の斜面をぐんぐん上っていく。ボーデン湖の胸のすくようなパノラマが車窓いっぱいに開ける、全線で最も眺めのいい区間だ(冒頭写真も参照)。勾配は最大93.6‰に及ぶ。

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ロールシャッハーベルクから望むボーデン湖
 

しばらくすると小さな谷間に入り、ひっそりとしたヴァルテンゼー Wartensee 停留所に停車。ここから線路は森に包まれ、やがて右に大きくカーブしていく。クライエンヴァルト Kreienwald の尾根を切り通した地点にあるのがヴィーナハト・トーベル Wienacht-Tobel 停留所で、かつては近くの採石場へ支線が延びていた。ハイデン方にある短い引上げ線は、貨物扱いをしていた時代の名残かもしれない。

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森に包まれるヴァルテンゼー停留所
 

あとは尾根の裏側(南側)をなぞっていくルートで、勾配も少し和らぐ。深い谷を隔てて、向かいの山腹にハイデンの町と教会の塔が見え始める。シュヴェンディ・バイ・ハイデン Schwendi bei Heiden 停留所を通過すれば、次はもう終点だ。再び斜面を這い上っていき、踏切を渡って、ハイデン駅構内に入る。到着は11時26分、定刻だった。

進行方向左手に車庫、右手に2本の発着線と屋根付きホームがある。駅舎は小ぢんまりしたハーフティンバーの2階建で、観光案内所が入居している。鉄道で貨物を扱わなくなって久しいが、線路の終端には、貨物用ホームと倉庫がまだ残っていた。

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ハイデン駅、車庫への引込線
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小ぢんまりしたハイデン駅舎
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最奥部に残る貨物ホームと倉庫
 

先述の通り、列車が駅にいる時間はわずか3分だ。構内の写真をあれこれ撮っている間に、さっさと出ていってしまった。次が来るまで1時間あるので、それを待たずにポストバスで戻ろうと思っている。

スイスは鉄道だけでなく、バス路線も発達している。ハイデンからは、前回行ったヴァルツェンハウゼン Walzenhausen や、次回紹介するトローゲン線の終点トローゲン Trogen へのバスも走っていて、旅程の選択に迷うほどだ。私は、直接ザンクト・ガレン St.Gallen 市内まで行く120系統に乗ることにしている。バスが出るのは町の中心、駅から200mほど坂を上った教会広場 Kirchplatz(下注)だ。

*注 バス停名は Heiden, Post。2024年現在、このバスは駅前を通らないが、2027年完成予定で、バスターミナルを駅前に移転させる計画がある。

次回は、トローゲン鉄道を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 トローゲン鉄道
 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
 アルトシュテッテン=ガイス線
 ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

2024年11月29日 (金)

ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道

アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線
AB Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (RhW)

ライネック Rheineck~ヴァルツェンハウゼン Walzenhausen 間 1.96km
軌間1200mm、直流600V電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配253‰
1896年ケーブルカー開通、1909年連絡鉄道開通、1958年粘着式・ラック式併用鉄道に改築


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ボーデン湖を望んで走る登山鉄道の電車

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アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) は、スイス北東部に広がる丘陵地帯アッペンツェラーラント Appenzellerland の路線網を運営している鉄道会社だ。

*注 アッペンツェラーラント(アッペンツェル地方)は1597年に分割されたアッペンツェル・インナーローデン準州 Appenzell Innerrhoden とアッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の地理的総称。

従来の営業路線は、主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen とゴーサウ Gossau から、アッペンツェル Appenzell やアルトシュテッテン Altstätten に至るメーターゲージ路線約60kmだが、2006年に東部の小路線3社(下注1)、2021年に西部の路線1社(下注2)を吸収合併して、総距離が95kmに拡大した。

運営効率化のために一つの屋根の下に集められたとはいえ、各路線はなかなかの個性派揃いだ。2024年7月に現地を訪れる機会を得たので、これから数回にわたってそれぞれの現況をレポートしたい。まず、最も東にあるライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (RhW) から。

*注1 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn、トローゲン鉄道 Trogenerbahn。
*注2 フラウエンフェルト=ヴィール鉄道 Frauenfeld-Wil-Bahn。

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

鉄道は、ライネック Rheineck(下注)の町にあるSBB(スイス連邦鉄道)駅と、丘の上の保養地、標高672mのヴァルツェンハウゼン Walzenhausen を結んでいる。わずか2kmのミニ路線ながら、プロフィールは変化に富む。というのも、一部にラックレールを用いる区間があるからだ。最急勾配は253‰とされ、ピラトゥスを別とすれば、スイスに数あるラック鉄道の中で最も険しい部類に入る。

*注 ライネック Rheineck の地名は、ライン川 Der Rhein の曲がり角(エック Eck)を意味するため、語義を尊重してラインエックと書かれることもある。

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ラック区間が始まるルーダーバッハ停留所
 

さらにその経歴がユニークだ。開業は1896年だが、当時の起点はライネック駅ではなく、0.7km離れた山麓のルーダーバッハ Ruderbach で、そこからヴァルツェンハウゼンに至る長さ1.2kmのケーブルカーだった。山上駅で車両のタンクに水を注ぎ、山麓駅でタンクを空にした車両との重量差で動くウォーターバラスト方式で運行されていた。

1909年になって、ライネック駅と山麓駅とを結ぶライネック連絡鉄道 Rheinecker Verbindungsbahn が標準軌で造られる。電化されてはいたものの、電力供給が不安定なため、ガソリンエンジンのトラムも併用された。

この連絡輸送は半世紀の間続いたが、戦後は両路線とも車両の老朽化が著しく、1958年5月、ケーブルカーの車軸破損で、運行が止まってしまう。山麓駅での乗換も不便だったことから、粘着・ラック式併用の電車による直通化の工事が行われることになった。ちょうどその年の4月にローザンヌ Lausanne ~ウーシー Ouchy 間で実施された古いケーブルカーからラック鉄道への転換が参考にされただろう(下注)。

*注 ローザンヌ~ウーシー間のラック鉄道は、2008年にゴムタイヤ式のメトロM2号線に再改築されて、今はない。

ケーブルカーの軌間が1200mmだったため、連絡鉄道をこれに合わせて改軌し、車両もこの軌間で新造された。普通鉄道で1200mm軌間というのは世界的にもほとんど例がない。ラックレールが、初期の方式であるリッゲンバッハ式なのも珍しいが、これは近所にあるロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn(1875年開通)に倣ったからだ。改築工事が完成し、運行が再開されたのは同年12月だった。

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SBB本線と登山電車の線路が並行する
ライネック~ルーダーバッハ間
 

2024年7月のある日、ザンクト・ガレンのSBB駅から8時04分発のSバーンに乗った。列車は、ボーデン湖に面した緩い傾斜地をするすると下っていき、8時33分にライネック駅2番線に到着した。窓越しに、駅舎側に停まっているライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道の赤い電車が見える。接続時間がわずか2分なので、ちょっと慌てて地下道を渡った。

来てみて初めて知ったが、登山鉄道の発着線は実におもしろい位置にある。本線の1番ホーム上に線路が敷かれ、そのため乗降ホームは一段高くなったひな壇になっているのだ。

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発着線は1番ホームの上に(Sバーン車内から撮影)
 

これは1999年に実施された駅の改修工事の結果だ。従来3線あったSBB本線のうち、旧1番線が廃止され(下注)、そこを埋めて広い新1番ホームが造られた。そして、駅舎の南東側で途切れていた登山鉄道の線路が延長され、駅舎の前に、今ある乗降ホームが設置されたのだ。これにより、横断地下道の出入口が近くなり、本線列車との乗継ぎ距離が短縮された。

*注 旧2番線(西行)が新1番線に、旧3番線(東行)が新2番線に繰り上がった。

地下道の階段を上がると、トラムタイプの小型車BDeh 1/2が、ホームの上にちょこんと停まっている。陸(おか)に上がった河童のようでなんとなくぎこちないが、何を隠そう、登山鉄道にとって1両きりの虎の子だ。1958年のラック開業時からずっと働き続けている。代車がないので、検査や修理で不在のときはバス代行になる。

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(左)登山鉄道の唯一の車両
(右)ひな壇の乗降ホーム
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ライネックルツェンハウゼン登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

手早く外観写真を撮って、車内に入った。1席+2席のボックスベンチは2014年の改修で交換されたので、まだつやつやしている。山側の運転席を覗くと、引き戸付きでスペースが広い。荷物室を兼ねているようだ。

乗客は私のほかに1人だけで、すぐに発車した。後方の運転席でかぶりついて見ていたが、コンクリートを敷いたホームから出発するのは、路面電車を連想させる。少しの間、SBB本線と並行した後、右にカーブして基幹道 Hauptstrasse 7号線の踏切を渡った。すぐに車庫への引込線が右へ分かれていく。続いて、梯子状のリッゲンバッハ式ラックレールが線路の中央に現れ、ルーダーバッハ停留所をあっさり通過した。ケーブルカー時代の山麓駅だが、今はリクエストストップなので、乗降がなければ停まらない。

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(左)山側は運転室兼荷物室
(右)内装は2014年に更新済み
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(左)ホーム上から出発(後方を撮影、以下同)
(右)ルーダーバッハ停留所でラック区間に入る
 

坂道を上り始めると、車庫を兼ねている停留所の建物がみるみる下に沈んでいく。と思う間に、暗闇に突入した。長さ315mのシュッツトンネル Schutztunnel(下注1)だ。旧ライン川 Alter Rhein(下注2)の南斜面は案外起伏が大きく、闇を抜けると、今度は渓谷ホーフトーベル Hoftobel をまたぐ3本連続の鉄橋を渡っていく。

*注1 シュッツ Schutz は付近の地名。
*注2 旧ライン川は、1900年に完成したフサッハ導水路 Fußacher Durchstich によって支流となったもとのライン川(アルペンライン Alpenrhein)の川筋。

二つ目の中間停留所ホーフ Hof は、進行方向右側に扉1枚分のデッキが設置されているだけの臨時乗降場だ。まさかこれが、と思うような簡易設備のため、現地では見逃した。予約した団体専用で、一般客は降りられない。

その後は牧草地の間の盛り土区間で、高度が上るにつれ、遠方にボーデン湖の湖面が広がっていった。線路はみごとにまっすぐで、今でもケーブルカーに乗っている気分だ。さらに上ると、直線線路に続くように、旧ライン川の川筋が湖に向かって一直線に延びているのが望める。

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(左)シュッツトンネル
(右)ホーフトーベルをまたぐ鉄橋
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旧ライン川の川筋と一直線に
 

最後はまた長さ70mのトンネルに入り(下注)、空を見ることなく終点ヴァルツェンハウゼン駅の階段ホームに到着した。ノンストップだったので、所要時間は約6分だ。写真を撮る私をじっと見ていた仏頂面の運転士さんに「Very interesting」と言うと、にやっと笑い、「OK!」と返してくれた。

*注 ケーブルカールートの特性を引き継いでいるので、最急勾配253‰はこの最終区間にある。

駅舎は2016年に改築されたもので、正面はガラス張り、隣に案内所と郵便局を兼ねた売店が入居している。駅前広場を取り囲んでいるのはもとのクーアハウスだ。駅前のバス停からは、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道の終点ハイデン Heiden へ行くポストバス(下注)が1時間ごとに出ている。ハイデンまで所要20分前後なので、後で乗りに行く予定なら、このバスでショートカットするのが断然速い。

*注 224および225系統。経由地は異なるが、どちらも往路はハイデン駅前に停車する。

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(左)ヴァルツェンハウゼン駅舎
(右)階段ホーム
 

ヴァルツェンハウゼンは、特に19世紀後半から第一次世界大戦前まで、ボーデン湖を望む高台の保養地として人気があった。鉄道もそのアクセスとして建設されたものだ。今は静かな村だが、建物や街路の雰囲気に優雅なリゾートだったころの片鱗がうかがえる。

グーグルマップで、広場から一段下がったウンタードルフ通りに展望所 Aussichtspunkt のピンが立っているのを見つけて、行ってみた。道端に、ボーデン湖三国展望台 Bodensee-Dreiländerblick と記された案内板が立ち、ベンチが3脚並ぶ。

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三国展望台からのパノラマ
 

手前の斜面には民家が点在するが、その先は180度の大パノラマが広がっていた。湖のはるかかなた、中央から左はドイツ領で、湖に突き出したリンダウ Lindau の市街地もかすかに見える。右端はオーストリア領で、山すそにブレゲンツ Bregenz の町があるはずだ。

何よりここは、足もとに登山鉄道の線路が走っている。曇り空で寒いのをがまんしつつ、電車が坂を降りていくのを待った(冒頭写真参照)。午前中の運行は1時間ごとなので、これを見送ると時間が空く。高度差はあっても大した距離ではないから、ライネックまで線路を見ながら歩いて降りるつもりだ。

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中腹のヴァインベルク城 Schloss Weinberg から東望
背景の山はオーストリア領
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古参車両が麓へ帰る

利用者の減少で費用回収が難しくなっているとして、州当局は2019年から路線の今後について議論を重ねてきた。バス転換も選択肢に入っていたが、最新の報道では、2026年を目途にシュタッドラー社が開発した遠隔操作による自動運転を導入するという。契約には新車の納入も盛り込まれた。70年近くひとりで路線を背負ってきた古参BDeh 1/2だが、退役の時は刻々と近づいている。

次回は、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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2024年11月23日 (土)

アルトゥスト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー

プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste

ラ・サジェット La Sagette~ラック・ダルトゥスト(アルトゥスト湖)Lac d'Artouste 間 9.5km
軌間500mm、非電化
1920年工事軌道として開設、1932年観光鉄道開業

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絶壁に穿たれた軌道
オルミエーラ~アルイ両待避所間(復路で撮影)

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プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste として知られるアルトゥスト湖観光鉄道 Chemin de fer touristique du Lac d'Artouste(下注)は、ピレネー山脈中部のフランス側にある軽便路線だ。軌間は500mmとメーターゲージの半分で、見たところ、鉱山から鉱石を運び出しているトロッコか、遊園地の中を巡っているミニ列車を思わせる。

*注 「アルトゥスト湖観光鉄道」の名はIGN旧版地形図にあるが、現在、公式には使われていない。

しかし、鉱山や遊園地と違って、その舞台は標高2000m近い山の斜面だ。底深いU字谷を隔てて、向かいにピレネーの山並みを見晴らしながら、断崖絶壁に穿たれたスリル満点のルートを走っていく。

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オーバーハングの下を行く
アルイ~ル・リュリアン両待避所間(往路で撮影)
 

ただし、これは登山鉄道ではない。山頂をめざして登っていくのではなく、線路は等高線に沿って延びている。厳密に言うと最高地点は起点側にあり、山奥の終点のほうが少し低いくらいだ。詳細は後述するが、山麓との標高差は、連携運行されているロープウェーが前もって克服している。スイスアルプスのミューレン鉄道(下注)などと同じように、鉄道はその後を引き継ぎ、もっぱら水平距離を稼ぐ役割に徹しているのだ。

*注 詳細は本ブログ「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」参照。

終点にあるアルトゥスト湖は、もともと谷を覆っていた氷河が残したモレーン(氷堆石)によって、上流側が湛水した氷河湖だ。1920年代にダムでかさ上げされ、それ以来、水力発電用の貯水池として利用されてきた。ダムからフランス・スペインの国境が通る分水嶺までは、わずか3km。山脈の最奥部まで手軽に到達できるこの小列車は、中部ピレネーで高い人気を誇る観光アトラクションになっている。

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アルトゥスト湖の水辺
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アルトゥスト湖観光鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

フランス南部の主要都市ポー Pau から南へ約60km、オッソー川 L'Ossau を堰き止めたファブレージュ湖 Lac de Fabrèges のほとりが、アトラクションの出発点だ。湖の西側を走る地方道から見て対岸にロープウェーの乗り場があり、これで小列車が待つラ・サジェット La Sagette まで上っていく。

時は9月下旬。雨を境に冷気が入ってきた。麓はまだそれほど寒くないが、チケット売り場に並ぶ人たちはしっかり着込んで、準備怠りない。

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ファブレージュのロープウェー山麓駅
 

購入するチケットはロープウェーと列車の通しになっていて、主に次の2種類がある。

ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ)Billet Découverte は大人27ユーロ(2024年9月現在)。これは所要約3時間30分のコースだ。公式サイトによると内訳は、列車乗車が55分(片道)×2、終点到着後にハイシーズン1時間20分、ローシーズン1時間40分の自由時間があり(下注1)、この間にダム見学ができる。また、実際はここにロープウェー乗車の片道15分(下注2)と数分の乗換時間が加わる。行き帰りの列車時刻はチケット購入時に指定されるが、一般観光客ならこのきっぷで十分だ。

*注1 2024年の場合、ハイシーズンは7月6日~9月1日、ローシーズンは5月8日~7月5日と9月2日~10月6日。これ以外は冬季運休となる。
*注2 公称15分だが、実際は12分程度で到着する。

もう一つのビエ・エスカパード(逃避きっぷ)Billet Escapade は大人33ユーロ。こちらは一日コースで、ハイシーズンの場合、9時から16時の毎時00分に出発する列車のいずれかに乗っていき、19時15分の最終列車で戻る。ローシーズンは10時、12時、13時、14時のいずれかの出発で、平日16時45分、週末17時45分の列車で戻る。山で一日を過ごすトレッカー向けなので、復路便固定でもまず満員にはならないのだろう。もし満員になりそうなら、続行列車が手配される。

さっそく窓口へ行くと、今すぐロープウェーに乗れば11時の列車に間に合う、と発券してくれた。ロープウェーの時刻10時30分、列車11時、復路(の列車)13時45分と印字されている。横の階段を上がって乗り場へ急ぐ。6人乗りの小型キャビンに、待つこともなく乗り込むことができた。

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(左)出札口
(右)ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ)
 

ロープウェーは循環式で、山麓ファブレージュ駅と山上ラ・サジェット駅の間を結ぶ。延長2060m、高度差は660mだ。谷を覆っていた深い霧が次第に薄まり、高度が上がるにつれて国境に連なる標高2500m級の山々が姿を現し始めた。天気は回復に向かっている。

ちなみにこの設備は、1983年に供用開始された新しいものだ。それ以前は1.5km下流のアルトゥスト発電所前に乗り場をもつ交走式ロープウェーで上っていた。これは今もまだ残っていて、水力発電事業者のSHEMが作業員や資材の運搬に使用している。旧ロープウェーの山上駅は新駅の約1km西に位置するが、軽便鉄道も本来この旧駅が起点で、新駅との間約1km(下注)は、一般客に開放されていない貨物線、一部は車庫への引込線だ。

*注 9.5kmとされる路線長は、この区間も含んでいる。

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(左)6人乗りキャビン
(右)谷を覆う霧は薄まりつつある
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山上駅からオッソー谷の展望(復路で撮影)
右奥の奇峰はピック・デュ・ミディ・ドッソー(オッソー南峰)Pic du Midi d'Ossau
 

新 山上駅でキャビンを降りると、空気がひんやり感じられる。ロープウェー駅舎の前に鉄道の乗り場があり、鮮やかな黄色と赤のツートンに塗り分けた小列車がすでにスタンバイしていた。

エンジン音も高らかな機関車は、1963年ビヤール Billard 社製のT60D形ディーゼル、7号機だ。行きは逆機(バック運転)になるので、前後とも見通せるよう、運転席が横向きにされているのが面白い。客車はオープンタイプで、6両つないでいる。車内には、縦に半回転させると向きが変えられる樹脂製の座席が6列並ぶ。朝方は雨だったのだろう。客車の片側はまだ防水カバーが掛けられたままだ。客には最後尾から順に詰めるように案内しているらしく、空いているのは先頭車だけだった。

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(左)小列車を牽くディーゼル機関車
(右)オープン客車、座席は縦回転で向きが変えられる(終点で撮影)
 

全員が席に着くと、機関車の大きなヘッドライトが灯り、スタッフに見送られながら、列車はおもむろに動き出した。

駅を出ると、いきなり長さ315mのウルス(雄熊)トンネル Tunnel de l'ours に入る。小断面で車両限界ぎりぎりのため、ポータルの前に「危険 座ったままで 身を乗り出さないで」と赤字の注意看板が掛かっている。このトンネルによって、列車はオッソー谷を離れ、東隣のスッスエウ川 Le Soussouéou が流れるU字谷の高みに顔を出す。谷底との比高は優に500mを超え、スケールの大きな山岳展望が視界を奪う。

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(左)スタッフに見送られて発車
(右)小断面のウルストンネル
 

列車はこの後、高度を保ちながら谷奥へと進んでいくが、ここで、なぜこの場所に鉄道が通されたのかを説明しておこう。もちろん最初は観光鉄道ではなく、電源開発のための工事軌道だった。

事業は、フランス南西部一帯の鉄道網を運営していたミディ鉄道会社 Compagnie des chemins de fer du Midi によって1909年ごろ着手された。貯水池としての利用が計画されたアルトゥスト湖は山脈の最奥部に位置するため、ダム建設にあたって作業員と資材の搬入方法が重要な課題となった。そこで本体工事に先だち1920年に敷設されたのが、地方道のあるオッソー谷から工事現場まで続く索道(先述の旧ロープウェーの前身)と500mm軌間の鉄道を組み合わせた運搬ルートだ。

さらにこれは、貯水池から発電所までの導水ルートを兼ねていた。線路の地下に送水管が埋められ、索道に並行して水を落とす水圧管が設置され、谷底にアルトゥスト水力発電所が造られた。軽便鉄道がほぼ等高線に沿って走っているのは、これが理由だ。水の落差を最大にするために、導水路の勾配はわずかなものになる。

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貯水池、水路、発電所のネットワークを示す案内板
 

ただし、工費抑制でウルストンネルをできるだけ短くすべく、トンネルの前後では、導水路から離れた独自ルートが取られた。そのため、トンネル西口近くにある観光列車の起点ラ・サジェット駅の標高が1934m(下注)であるのに対し、終点アルトゥスト湖駅の標高は1911mと、起点のほうが高くなっている。トンネル東口からセウス Séous 待避所付近までは緩い下り勾配で、そこから先、鉄道は導水路の上に載る。

*注 標高値はIGN 1:25,000地形図記載のもの。ウィキペディア仏語版ではラ・サジェット駅の標高を1940mとしている。いすれにしろ、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc に次いで、フランス第二の高所を走る鉄道になる。

ダムは1924年に完成し、湛水した1929年から発電所の運用が開始された。ミディ鉄道の直営で観光輸送が始まったのはその3年後、1932年のことだ。当初は夏の2か月間、日曜日のみの限定運行だった。

フランスの主要路線網は1938年に国有化されてSNCFが発足するが、この軽便鉄道もその中に含まれた。1980年に地元ピレネー・アトランティック県に運営が委託されるまでの42年間は、国鉄路線だったのだ。運営受託後、県は、さきほど乗ってきた新しい循環式ロープウェーを建設して、送客体制を整えた。

現在、鉄道の所有者は、SNCFの子会社であるミディ水力発電会社 Société Hydro-Electrique du Midi (SHEM) で、SHEMが県に運営を委託し、県の公有企業である高地施設公社 Etablissement Public des Stations d'Altitude (EPSA) が、周辺のスキーリフトなどとともに観光列車を運行している。

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新駅から西を望む
右は車両基地、
軌道は左端の旧ロープウェー山上駅まで続いている
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旧ロープウェー山上駅

では現場に戻ろう。ウルストンネルを後にして、小列車は、U字谷の肩に当たる比較的緩やかな傾斜地を走っていく。時速は10km前後。運が良ければ、草地をアルプスマーモットが駆け回るようすを目撃できるだろう。

路線は単線のため、1~2kmごとに列車交換用の待避線が設けてある。ワンマン運転なので、ポイント切換えも運転士の業務だ。操縦と転轍作業で乗ったり降りたり、なかなか忙しい。待避線は全部で7か所(下注)あり、それぞれ連絡用の電話ボックスと、その横に駅(待避所)名を刻んだ小さな標柱が立っていた。

*注 駅(待避所)名は、起点側からソルビエ Sorbiers、ルルス L'ours、セウー Séous、ラ・バショート La Bachaute、オルミエーラ Ormièlas、アルイ Arrouy、ル・リュリアン Le Lurien。

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(左)退避所での列車交換(復路で撮影)
(右)待避所の駅名標と連絡電話ボックス、
  "F7" は送水管の第7点検口 7e fenêtre の意か
 

線路が3本に分かれるセウー Séous 待避所では、下方に小さなセウー池 Mare de Séous が見える。今年は異常気象で雨が少ない。麓のファブレージュ湖は湖底が露出していたし、ここもまた干上がる寸前だ。

ここから先は、地勢がやや険しくなる。ラバショット尾根 Créte de Labachotte の出っ張りを回る地点では、ほぼ垂直に見える崖の上を、徐行するでもなく通過していく。客席にはドアがついていないので、下をのぞき込むと思わず足がすくむ。

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セウー池と牧羊
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ラバショットの杣道
 

圏谷を回り、オルミエーラ峰 Pic d'Ormièlas の山腹にできたガレ場を行く。次のオルミエーラ待避所も、線路が3本ある。停車時間が長いと思ったら、進行方向の山かげからエンジン音が聞こえてきた。対向列車との交換だ。相手は同僚のD6号の牽引だが、時間帯からして帰りの客はまだ乗っておらず、回送のようだ。

少し間を置いて、今度はアメリカ・ホイットコム Whitcomb 社のライセンスで国内製造されたD11号が、同じく6両の空車を牽いて現れた。さらに、機関車と客車、台車各1両の作業用編成も…。こうして計3本の続行運転を見送った後、運転士が線路に降りてきて、うっとうしい防水カバーを屋根に上げてくれた。これで谷側の景色もすっきり見通せる。

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オルミエーラ待避所で列車交換(往路で撮影)
(左)第2列車のホイットコム機関車
(右)第3列車は資材台車を率いていた
 

7~8分のブレークを経て、列車は再び動き出した。絶景にももはや目が慣れてきたが、このあたりから、谷の奥にひときわ高いピーク、標高2974mのパラ(パラス)峰 Pic Palas が登場する。

次のアルイ Arrouy 待避所との間は、地形的に最も険しい区間だ。断崖絶壁を穿ってかろうじて通した個所もあり、列車に身を預けた者としては脱線しないことを祈るしかない(冒頭写真参照)。最後の待避所ル・リュリアン Le Lurien が近づくころ、岩山の間に目的地のダムが見えてきた。石張りの擁壁なので、周囲の景色にすっかり溶け込んでいて、意識して見ないと気づかないほどだ。

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谷奥にパラ(パラス)峰が姿を現す
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ル・リュリアン待避所
左上にアルトゥストダムが見える
 

終点駅には予定通り11時55分に到着した。窮屈な敷地に、3本の線路とスナックの入った小さな駅舎が配置されている。錆びついてはいるが三角線もあって、機関車の方向転換をやろうと思えばできるようだ。

客を降ろすと、さっそく折返しに備えて機回し作業が始まった。機関車が列車から切り離され、隣の線路を伝って起点側に回っていく。単独でちょこちょこと走る姿はなかなか可愛い。

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(左)終点に到着
(右)D7号の機回し作業
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(左)三角線の錆びついたレール
(右)転轍機
 

アルトゥスト湖は、駅から山道を、距離で600m、高度で80mほど上ったところにある。坂はそこそこきついが、ゆっくり歩いても15分ほどだ。まず主ダムの隣の小さな副ダムが見えてくる。湖水の吐き口があり、流れ出た水がその下でもう一つ小さな池を作っている。

重力式の主ダムは長さ150m、高さ25mと大きなものではなく、板張りの天端通路で対岸まで行っても、時間は知れたものだ。指定された帰りの発車まで、湖の神秘的なターコイズブルーの水辺と、日差しに映える壮大な山岳風景を楽しむ時間はたっぷりある。

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副ダム(画面右奥)と、流れ出た川を渡る小橋
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石張りのアルトゥストダム
 

ロープウェーの山麓駅ファブレージュは山中のため、クルマでのアクセスが基本となる。公共交通の場合、夏期(7~8月の平日)は以下のようにバスを乗継ぐことで、ポーからの日帰りがかろうじて可能だ(2024年現在)。最新の時刻表は、下記オッソー谷観光局 Office de Tourisme Vallée d'Ossau のサイトにある。現地滞在時間がかなり長いので、ダム往復だけでは時間を持て余しそうだが…。

往路:ポー Pau SNCF駅前 7:45→(524系統、平日のみ)→ラランス Laruns 8:45/8:50→(525系統)→ファブレージュ Fabrèges 9:35
復路:ファブレージュ 17:00→(525系統)→ラランス 17:45/18:00→(524系統)→ポー SNCF駅前 18:56

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ダムから軽便線を見下ろす
画面中央に終点駅、手前は旧工事軌道を利用した留置線
 

写真は、2023年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
アルトゥスト公式サイト https://artouste.fr/
オッソー谷観光局-アクセス・交通 https://www.valleedossau.com/acces-transports.html

★本ブログ内の関連記事
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 セルダーニュ線 II-ルートを追って
 ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ
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2024年9月28日 (土)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に引き続き、ドイツ南部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

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シュヴァルツヴァルト線ホルンベルクの
ライヘンバッハ高架橋 Reichenbachviadukt(2021年)
Photo by Joachim Lutz at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

まずは市内・郊外電車の見どころについて。

項番4 ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫 Historisches Straßenbahndepot St. Peter

ニュルンベルク Nürnberg ~フュルト Fürth 間は、日本でいえば新橋~横浜間だ。1835年、バイエルン州中部の主要都市ニュルンベルクと、西に隣接するフュルトの町を結んでドイツ最初の鉄道、ルートヴィヒ鉄道 Ludwigseisenbahn が開通した。

それと並行して1881年には馬車軌道も敷かれる。これが後に電化されて、最盛期に73kmの路線網を拡げるニュルンベルク=フュルト路面軌道 Nürnberg-Fürther Straßenbahn に成長した。主要ルートは1972年以降、地下鉄 U-Bahn に置き換えられていったものの、現在も38kmの路線網を維持している。

路線縮小に伴い、不要となった市内東部のザンクト・ペーター車両基地 Betriebshof St. Peter で、1985年からニュルンベルク=フュルト路面軌道友の会 Freunde der Nürnberg-Fürther Straßenbahn が交通局と協力しながら、トラム博物館を運営している。

保存されている旧車両は計32両にのぼる。毎月第1土・日曜の開館で、当日は「15系統ブルク環状線 Linie 15 Burgringlinie」と称する古典電車の市内ツアーが1時間ごとに出発する。一般運行されない旧市街北側、ピルクハイマー通り Pirckheimerstraße の休止線も通過する興味深いコースだ。

これとは別に、中央駅 Hauptbahnhof 発着でシーズンの毎週月曜に催される「13系統市内環状運行 Linie 13 Stadtrundfahrten」というガイドツアーもある。わざわざ月曜日に走るのは、文化施設の休館日でも楽しめるように、という配慮だそうだ。

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ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫のT4 200形(2019年)
Photo by Christian Mitschke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番26 シュトゥットガルト路面軌道博物館 Straßenbahnmuseum Stuttgart

路面軌道の保存運行では、シュトゥットガルトの取組みも注目に値する。この都市の路面軌道網はもともとメーターゲージで運行されていたが、1985年以降、標準軌のシュタットバーン(都市鉄道)Stadtbahn への転換が進められた。長年に及ぶ更新事業が完了し、路面電車の一般運行が全廃されたのは2007年のことだ。

転換は系統ごとに実施されたので、一時的にメーターゲージと標準軌の車両が同じ区間を共有することもあった。3線軌条とされたそうした区間が、全面転換後も一部残され、シュトゥットガルト路面軌道博物館の保存運行を可能にしている。

博物館は、市内バート・カンシュタット Bad Cannstatt の旧 車両基地にあり、2009年にオープンした。引退した路面車両35両が保存されていて、毎日曜にオールドタイマー線 Oldtimerlinie と称して、2本のルートで保存運行が行われる。

21系統「中心街循環 Innenstadtschleife」は、ミッテ Mitte と呼ばれる市内中心部を巡り、所要35分で博物館に戻ってくる。もう一つの23系統「パノラマ線 Panoramastrecke」は、北側から中心部に入り、最後はテレビ塔が建つ丘の上のルーバンク Ruhbank まで行く。こちらは片道で40分かかるが、後半は市街を見晴らしながら最大85‰の急坂をぐいぐい上るルートで、地下トンネルの多い21系統に比べ、車窓の爽快感が格段に違う。

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3線軌条を走る200形、ブダペスト広場にて (2018年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番27 シュトゥットガルト・ラック鉄道 Zahnradbahn Stuttgart

シュトゥットガルトは北東側に出口を持つ靴箱形の地形で、中心街のある底の部分は狭い。そのため、市街地は周りを囲む丘の上に拡大してきた。この丘の斜面に最初に造られた鉄道が、1884年に開通したシュトゥットガルト・ラック鉄道だ。

もとは蒸気運転だが、1902年に電化されている。また後年、起点でルート変更、終点で延伸があり、現在は山麓のマリエン広場 Marienplatz から山上のデーガーロッホ Degerloch まで、延長2.2km。リッゲンバッハ式のラックレールを用いて、最大勾配178‰、標高差205mを上りきる。鋸歯を意味する「ツァッケ Zacke」が通称で、停留所の標識にもその名が記されている。

ドイツには、ここを含めてラック鉄道が4本残っている。他はすべて観光用の鉄道だが、ツァッケは、シュタットバーンや路線バスと同様、公共旅客輸送機関 SPNV の位置づけだ。10系統を名乗り、都市交通の一翼を担っているところに特色がある。

中心街からデーガーロッホへは、シュタットバーンでも行けるが、ラック鉄道の長所は、ラッシュ時でも自転車を携行できることだ。登山鉄道によくあるように台車が坂上側についていて、セルフサービスで自転車を固定する。車両の折返し時間の関係で、積載は上り坂に限定されているが、通勤通学やレジャーに、サイクリストにとって重宝する存在らしい。

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台車をつけた第4世代車両(2022年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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自転車積載はセルフサービス(2022年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 トロッシンゲン鉄道 Trossinger Eisenbahn

電化路線でありながら一般旅客輸送は気動車が担い、架線を使うのは、ここを走行線にしている保存電車だけ、という珍しい路線がある。

バーデン・ヴュルテンベルク州南部、ロットヴァイル=フィリンゲン線 Bahnstrecke Rottweil–Villingen の中間にある接続駅トロッシンゲン・バーンホーフ(トロッシンゲン駅)Trossingen Bahnhof が起点で、ここから分岐して、市街地のトロッシンゲン・シュタット(トロッシンゲン市) Trossingen Stadt に至る3.9kmの支線、トロッシンゲン鉄道だ。

国鉄線に編入されたことはなく、1898年の開業以来、事実上トロッシンゲン市営で運行されてきた。さらに、開業当初から直流600Vの電気運転だったことも特筆される。段丘上の市街地に上るために最大35‰の勾配があり、市は初め、電力事業との併営で動力を供給していた。

現在、一般列車の運行は本線の列車運行事業者であるホーエンツォレルン州立鉄道 Hohenzollerische Landesbahn (HzL) に委託され、シュタッドラー製の連接気動車で賄われている。その一方、1898年製の2軸電動車など貴重な旧車も保存されており、イベントなどで運行される。

月1回の定例行事になっているのが、車両の錆取りを兼ねて行われる原則無料の「月光運行 Mondscheinfahrten」だ。夜の時間帯に両駅間を往復し、保存車両の車庫も公開される。暖かい電球色の照明が灯る客室のベンチに腰を下ろし、ひとときレトロな旅行気分に浸りたい。

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一般運行時代のT3電車、トロッシンゲン駅にて(2003年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

次は、ライン地溝帯の東側に、南北約150kmにわたって続く山地シュヴァルツヴァルト(黒森の意)Schwarzwald にある観光路線について。

項番36 DB シュヴァルツヴァルト線 DB Schwarzwaldbahn

シュヴァルツヴァルト線は、ドイツを代表する標準軌の山岳路線だ。オッフェンブルク Offenburg から、シュヴァルツヴァルト中部を横断し、スイス国境に近いジンゲン Singen (Hohentwiel) まで149kmの長距離幹線になる(下注)。

*注 ドイツ鉄道DBは、さらにボーデン湖畔のコンスタンツ Konstanz までの区間を含めて、シュヴァルツヴァルト線と呼んでいる。

中でもハイライトと言えるのは、ハウザッハ Hausach~ザンクト・ゲオルゲン Sankt Georgen 間38.1kmだ。ライン川 Rhein 流域から大陸分水界を越えてドナウ川 Danau の最上流域に出るまでの区間で、最高地点は標高832m、麓との標高差は591mに及ぶ。全通したのは1871年。蒸機の登坂能力からすれば、勾配は20‰までに抑えたい。それで、険しい山中に、距離を引き延ばすための2か所のS字ループと39本のトンネルを伴う苦心のルートが造られた。

路線は1975年に交流電化されたので、今では電車や電気機関車が軽々と上っていく。そのかたわら、愛好家団体のツォレルン鉄道友の会 Eisenbahnfreunden Zollernbahn が年数回、このハイライト区間で蒸気列車を走らせている。先頭に立つのは動輪5軸の大型蒸機52形で、その力強い走りっぷりは非電化時代の活躍を彷彿とさせる。

また、中間駅のあるトリベルク Triberg には、上部ループの周辺を歩いて巡る「シュヴァルツヴァルト鉄道体験歩道 Schwarzwaldbahn-Erlebnispfad」も作られている。アップダウンの激しい山道だが、谷の中を折り返す線路や重厚な石積みの構造物をじっくり観察できるのがうれしい。

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トリベルク駅(2004年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番39 DB へレンタール線 DB Höllentalbahn

ヘレンタール線 Höllentalbahn(下注)は、シュヴァルツヴァルト南部を東西に横断している路線だ。フライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau からドナウエッシンゲン Donaueschingen まで76.2km。これも名にし負う山岳路線で、途中の峠道に最大57.14‰の急勾配があり、1887年の開業当初はラックレールが使われていた。最高地点は標高893mに達し、起点フライブルクとの標高差は625mにもなる。

*注 同名の他路線と区別するためにヘレンタール線(シュヴァルツヴァルト)Höllentalbahn (Schwarzwald) と書かれることがある。

その急勾配は、ヒルシュシュプルング Hirschsprung という廃駅通過後に始まる。初めのうちは坂がきつくなったと感じる程度だが、一つ目のトンネルを抜けた後は、右側に見える谷がどんどん沈んでいく。ラヴェンナ川 Ravenna の峡谷を高い橋梁でまたいでからも、なおトンネルと坂道が連続する。高原に出ていくまでの約7km、乗車時間にして10分ほどが一番の見どころだ。

峠道を含むフライブルク~ノイシュタット Neustadt 間は1936年から電化されているが、需要の少ないノイシュタット以東は長らく非電化のままで、2003年以降は完全に系統分離されていた。2019年にようやく電化が完了し、現在はSバーンの電車がドナウエッシンゲンを経由してフィリンゲン Villingen まで直通している。

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電化前のグータッハ高架橋を渡る611形気動車(2013年)
Photo by Stefan Karl at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番38 DB ドライゼーン(三湖)線 DB Dreiseenbahn

そのヘレンタール線のティティゼー駅で分岐して、ゼーブルック Seebrugg に至る19.2kmの支線は、ドライゼーン線と呼ばれている。ドライゼーン(3つの湖)Dreiseen というのは、ティティ湖 Titisee、ヴィントグフェルヴァイアー Windgfällweiher、シュルッフ湖 Schluchsee のことで、起点側から列車に乗ると、いずれも右の車窓に見える。沿線に大きな町はないので、乗っているのは主にレジャー客だ。休日のほうが乗車率が高い。

列車はS1系統で、フライブルク Freiburg 方面から直通している。ヘレンタール線内では、S11系統フィリンゲン行きの後ろに併結されて走る。ティティゼーで切り離され、20‰の勾配がある斜面を上っていく。サミットのフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental 駅は標高967mで、ドイツの標準軌鉄道では最高所の駅だ(下注)。ヴィントグフェルヴァイアーは池といっていい規模なので、見逃さないように。最後は、堰堤でかさ上げされたシュルッフ湖の水ぎわを走って、終点ゼーブルックに到着する。

*注 ちなみに狭軌で粘着運転の最高所駅は、ハルツ狭軌鉄道ブロッケン駅の標高1125m。ラック式を含めれば、後述するバイエルン・ツークシュピッツェ鉄道が最も高い。

ドライゼーン線では2008年から、夏の盛りに愛好家団体が観光列車を運行している。ゼーブルックとティティゼーの間を1日3往復、高原の涼風が通り抜ける古典客車で行く片道約45分の旅だ。団体は機関車を所有していないので、レンタル機で運行され、動力は蒸気、ディーゼル、電気いずれもありうる。

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湖畔のシュルッフゼー駅(2010年)
Photo by Cayambe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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シュルッフ湖の入江を渡る58形の保存列車(2015年)
Photo by Maximilian Grieger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は、バイエルンの南縁に連なるアルプス山中のラック登山鉄道について。

項番18 バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道 Bayerische Zugspitzbahn

ドイツ最高峰、標高2962mのツークシュピッツェ Zugspitze は、石灰岩の肌がむき出しになった巨大な岩山だ。バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道は、DB線と連絡するガルミッシュ Garmisch から、グライナウ Grainau を経て山頂直下のツークシュピッツプラット Zugspitzplatt まで19.0km。そこから山頂へは、ロープウェー(下注)が連絡している。

*注 ロープウェーの名称は、ツークシュピッツェ氷河鉄道 Zugspitz-Gletscherbahn、長さ1000m、高低差360m。

ルートの性格は、前半と後半で全く異なる。ガルミッシュからグライナウまでの7.5kmは、山麓線(谷線)Talstrecke と呼ばれ、広い谷底を行く粘着運転の平坦線だ。一方、グライナウから先は登山線(山線)Bergstrecke で、最大250‰のラック区間を伴う。アイプ湖 Eibsee や山裾の眺めがすばらしいが、途中から素掘りのトンネルに突入し、ユングフラウ鉄道のように、標高2588mの終点までずっと地下を走る(下注)。

*注 終点駅は地上だが、発着ホームはドームにすっぽりと覆われている。

全通は1930年だが、山上側でルートに変遷がある。もとの終点は、シュネーフェルナー氷河 Schneeferner の北斜面にあるシュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus だった。スキー場へのアクセス改善のために、1987年に南側の現在地に移され、駅名も変更された。

ツークシュピッツェは、オーストリアとの国境に位置している。それで山頂への交通手段は、この鉄道のほかに、ロープウェーがドイツ側の山麓から1本と、オーストリア側からも1本ある。ドイツ側のロープウェーは鉄道と同じ運営会社なので、乗車券は共通だ。行きは鉄道でゆっくり上り、帰りは眺望のきくロープウェーで一気に下界へ(下注)、というのもいい選択になる。

*注 ロープウェーはアイプゼー Eibsee に降りるので、ガルミッシュへは再び鉄道に乗る必要がある。

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アイプゼー駅の列車交換(2018年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番14 ヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn

もう一つのラック登山鉄道は、ヴェンデルシュタイン Wendelstein に上っていく。ここは標高1838mと取り立てて高い山ではないが、オーバーバイエルン Oberbayern の平原に近く、展望台として昔から人気があった。それでこの鉄道は、ツークシュピッツェ鉄道よりずっと前の1912 年に開通している。

もとはチロルに通じるDB幹線の途中駅ブランネンブルク Brannenburg が起点で、山上駅まで延長10.0kmの路線だった。しかし、村を横切っていた平坦区間が、道路交通に支障するとして、1961年に廃止されてしまった。以来、ヴァッヒング Waching という村はずれの駅がターミナルで、全国鉄道網とは接続がない7.7kmの孤立線になっている。

ヴァッヒング駅の前後はまだ平坦だが、まもなくシュトループ式のラック区間が始まる。いったん粘着式に戻って、待避線のあるアイプル Aipl 駅へ。しかし、ラックの坂道はまたすぐに復活する。ミッターアルム Mitteralm からは岩壁を貫くトンネルが連続し、勾配は最大237‰に達する。撮影ポイント「ホーエ・マウアー(高石垣)Hohe Mauer」を渡り、半回転すれば標高1723mの山上駅 Bergbahnhof だ。

山頂には、ツークシュピッツェと同様、ロープウェーが反対側の谷から上がってきている。片道登山鉄道、片道ロープウェーというコンビ乗車券を使えば、ロープウェーで山を降り、山麓でミュンヘン近郊線の電車に乗り継ぐ(下注1)という、一筆書きの周遊コースも可能だ。

*注1 RB55系統。最寄り駅は、徒歩7分のオスターホーフェン Osterhofen。
*注2 ヴェンデルシュタイン鉄道の詳細は「ヴェンデルシュタイン鉄道-バイエルンの展望台へ」参照。

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ホーエ・マウアーを渡る(2013年)
Photo by Geogast at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
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 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年9月24日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ南部編では、バーデン・ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg とバイエルン州 Bayern にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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フランケン・スイス蒸気鉄道
ムッゲンドルフ駅の2号機関車(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

バイエルン州にはさまざまな規模の鉄道博物館があるが、中でも次の2か所は、コレクションの充実度とともに、しばしば行われる館外走行で人気が高い。

項番2 ドイツ蒸気機関車博物館 Deutsches Dampflokomotiv-Museum

北東部オーバーフランケン Oberfranken 地方の田舎町に、1977年に開業したドイツ蒸気機関車博物館がある。15線収容の扇形機関庫が展示棟に開放され、月曜を除く毎日、訪問者を受け入れている。保有する車両コレクションも大規模で、機関車だけで、蒸機約30両を含め約60両に達するという。

博物館は、DB線ノイエンマルクト・ヴィルスベルク Neuenmarkt-Wirsberg 駅の構内にある。小さな町なのでふだんはひっそりしているが、バンベルク Bamberg、バイロイト Bayreuth、ホーフ Hof と3方向の列車が集散するジャンクションだ。東側のホーフ方面に長い上り坂、通称「シーフェ・エーベネ Schiefe Ebene(下注)」が控えていて、ここは、応援部隊である補助機関車の基地だった。

*注 シーフェ・エーベネは、傾斜面を意味する。バイエルンで最初に造られた急勾配線だったので、この名が定着した。

坂道ルートは、1848年に開通した「ルートヴィヒ南北鉄道 Ludwig-Süd-Nord-Bahn(下注)」の一部だ。ザクセンにつなげるために、ここからマイン川とエルベ川の分水界、ミュンヒベルク高原 Münchberger Hochfläche へ上っていく。最大25‰の勾配が6.8km続き、蒸機の勇壮な走行シーンを求める写真家には、昔から有名なスポットだ。

*注 バイエルンで最初に建設された長距離路線。リンダウ Lindau~アウクスブルク Augsburg~ニュルンベルク Nürnberg~バンベルク~ホーフ間566km。

博物館は、この坂道や周辺の路線で保有蒸機の特別運行を年数回行っていて、当日はカメラを手にした多くのファンが沿線に陣を敷く。

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シーフェ・エーベネを上る急行用蒸機01.5形(2018年)
Photo by Stefan Hundhammer at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番11 ネルトリンゲン・バイエルン鉄道博物館 Bayerisches Eisenbahnmuseum Nördlingen

中西部、ロマンティック街道が通過する地方都市ネルトリンゲン Nördlingen には、バイエルン鉄道博物館がある。市壁が取り囲む町の東側、DB線の駅裏に広がる旧 車両基地を活用して、1985年に開館した。

敷地面積約3.5haの広い構内に、扇形機関庫を中心とした業務施設が保存・再現されている。保有車両は動力車、客貨車を含めて200両を超えるといい、南ドイツでは最大規模だ。そして前項のノイエンマルクトの博物館とは、同じ「ルートヴィヒ南北鉄道」の沿線という意外な共通項を持っている。

こちらも館外に走行線を確保していて、月に何回か、保有蒸機による列車運行がある。現在よく使われているのは、「南北鉄道」の一部だったネルトリンゲン~グンツェンハウゼン Gunzenhausen 間39.5kmだ。由緒あるルートだが、後に短絡線が建設されたため、一般旅客輸送は廃止されてしまった。貨物列車を除けば、「ゼーンラント・エクスプレス Seenland-Express」と称する博物館の列車しか走らない。

もう一つは「ドナウ・リース・エクスプレス Donau-Ries-Express」で、丘の上に建つ豪壮な古城で知られるハールブルク Harburg へ行くショートコースだ。かつてはロマンティック街道と並走するネルトリンゲン Nördlingen~ディンケルスビュール Dinkelsbühl ~ドンビュール Dombühl 間も走行線に名を連ねていたが、2018年を最後に運行が途絶えている。

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博物館50周年記念行事(2019年)
Photo by Torsten Maue at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番17 アウクスブルク鉄道公園 Bahnpark Augsburg(アンマーゼー蒸気鉄道 Ammersee-Dampfbahn)

バイエルン南部、丘陵地に大小の湖が点在する五湖地方 Fünfseenland は、ミュンヘンやアウクスブルクの市民にとって身近なレクリエーションエリアになっている。その一角にあるアンマー湖(アンマーゼー)Ammersee へ向けて、アウクスブルク Augsburg から年数回、蒸機牽引の行楽列車「アンマーゼー蒸気鉄道」が走る。

企画しているのは、アウクスブルク鉄道公園(バーンパルク・アウクスブルク)。2008年にDBから移管されたアウクスブルクの旧 車両基地を拠点にしている鉄道博物館だ。扇形機関庫や修理工場が、展示施設として保存・活用されている。電化区間にあるため、庫内まで架線が張られ、ヨーロッパ各国の電気機関車コレクションが充実しているのが特色だ。

行楽列車は、博物館からいったん北へ出発する。アウクスブルク中央駅 Augsburg Hbf で客を拾った後、改めて南下していく。メーリング Mering からは、一般運行もしている支線アンマーゼー鉄道 Ammerseebahn を経由し、湖畔のリゾート町ウッティング Utting が終点だ。そこで1時間ほど機回し休憩をした後、同じ道を戻る。

列車は1日2往復設定されていて、午前出発便は帰着後に、午後出発便は出発の前に、それぞれ鉄道公園を自由見学できるようになっている。それよりも、静かな湖畔での半日を目いっぱい楽しみたいという人には、午前便で出かけて、午後便で戻るという選択肢も可能だ。

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鉄道公園でのクロコダイル・ミーティング(2023年)
Photo by SirJannikSon at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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スコーンドルフ Scondorf 駅にさしかかる01形蒸機(2018年)
Photo by Stefan von Lossow at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

次は、専用の路線を走る蒸気保存鉄道について。

項番3 フランケン・スイス蒸気鉄道 Dampfbahn Fränkische Schweiz

ニュルンベルクの北東、石灰岩の岩塔・洞窟や古城の風景が点在するフランケン・スイス Fränkische Schweiz は、19世紀ロマン主義が流行した時代に、多くの文化人から賞賛された。「ルートヴィヒ南北鉄道」のフォルヒハイム Forchheim 駅からその中心都市エーバーマンシュタット Ebermannstadt へ向けて支線が建設されたのは、1891年のことだ。

路線は段階的に谷の奥へと延伸され、1930年にベーリンガースミューレ Behringersmühle に達した。この延伸区間15.9kmの一般旅客輸送が1980年に廃止になった後、それを引き継いだのがフランケン・スイス蒸気鉄道協会 Dampfbahn Fränkische Schweiz e. V. だ。ニュルンベルクから遠くなく、今も旅行者やハイカーに人気のエリアで、鉄道は1980年の開業以来、観光アトラクションとして不動の地位を築いてきた。

観光列車は蒸機かディーゼル牽引で、シーズンの日曜祝日に1日3往復走る。ルートは終始ヴィーゼントタール(ヴィーゼント川の谷)Wiesenttal の中で、進むにつれて谷はどんどん深くなる。片道45分、最後に川を斜めに渡り返すと、まもなく終点だ。

ベーリンガースミューレ駅は周りに人家もないような場所にあるが、谷壁の山道フェルゼンシュタイク Felsensteig を登れば高原が広がり、ゲスヴァインシュタイン Gößweinstein の町に出る。あるいは谷間を小一時間歩いて遡り、奇岩そびえ立つ観光名所テュッヒャースフェルト Tüchersfeld を訪れるのも一興だろう。

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ベーリンガースミューレ駅(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番23 アムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道 Lokalbahn Amstetten-Gerstetten

シュトゥットガルトからウルム、ミュンヘンに通じるDB幹線には、「ガイスリンゲン坂 Geislinger Steige」と呼ばれる急曲線と勾配の難所がある。その坂を上りきった駅がアムシュテッテン Amstetten(下注)で、2本のローカル鉄道の分岐駅として、昔から鉄道ファンにはよく知られている。

*注 同名の駅と区別するために、正式名はアムシュテッテン(ヴュルテンベルク)Amstetten (Württ) という。

標準軌のアムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道は東へ向かう(下注)。ゲルシュテッテン Gerstetten まで19.9km、シーズンの日曜祝日限定で運行され、1日3往復ある。ただし、蒸機が走る日と気動車の日ではダイヤが異なるので注意したい。

*注 ちなみに、西へ向かうのは1000mm軌間の、通称「アルプ・ベーンレ Alb-Bähnle(高原鉄道の意)」。

というのも、蒸機の日は、ウルム鉄道友の会 Ulmer Eisenbahnfreunde e. V. が取りしきる純粋の保存運行だが、気動車はそうではなく、RB 58系統として近距離旅客輸送 SPNV の枠内で運行されているのだ。いわば休日だけ走る一般旅客列車で、運賃は近郊線と同じ、車両も1990年代製とまだ新しい。

ルートの見せ場は前半にある。アムシュテッテンを出るとすぐに25‰勾配で、谷を回り込みながら、高原面まで約100mの高度を稼ぐ。シュトゥーバースハイム Stubersheim まで上りきると、後は、点在する集落を縫いながら、広大な耕作地の中を淡々と走っていく。

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シュトゥーバースハイムを発つ蒸気列車(2020年)
Photo by KorbinianFleischer at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番37 ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn(ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn)

ヴータッハタール鉄道は、バーデン・ヴュルテンベルク州南西部、スイス国境近くを走る標準軌支線だ。このうち、ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus ~ヴァイツェン Weizen 間 25.6kmは、1976年に一般旅客輸送が廃止されて以来、保存鉄道の列車だけが走る。線名のヴータッハタールは、路線が沿うヴータッハ川の谷のことだが、ルートの平面形がくるくると巻いているので、「ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn」の愛称でも呼ばれる。

鉄道はもともと、当時の要塞都市ウルムと、普仏戦争で獲得したアルザス地方(ドイツ語でエルザス Elsaß)を結ぶ軍事戦略路線として1875~90年に造られた。既存のホッホライン鉄道 Hochrheinbahn は、ライン川に沿って中立国のスイス領内を通過するため、有事の際に使えない可能性がある。そこでスイス領を迂回し、かつ重量貨物列車の運行に支障のないよう、勾配を10‰に抑えた新ルートが設計された。一見冗長な「ぶたのしっぽ」は、ドナウ川最上流とライン川の谷との高度差約350mをこの条件で克服するために、どうしても必要だったのだ。

現在、保存鉄道の列車は、シーズン中のおおむね木~日曜に1日1~2便走る。かつては蒸気機関車が全運行を担っていたが、現在はディーゼル機関車の比率が高くなっている。ブルームベルク=ツォルハウスから乗るなら、右側の席がお薦めだ。最初のトンネルを抜けた後、エプフェンホーフェン Epfenhofen のオメガループで、村の家並みとトラスの鉄橋が一望になる。

*注 ヴータッハタール鉄道の詳細は「ヴータッハタール鉄道 I-丘のアルブラ越え」「同 II-ルートを追って」参照。

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エプフェンホーフェン鉄橋を渡る(2021年)
Photo by Nelso Silva at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番41 カンダータール鉄道 Kandertalbahn

ドイツ、フランス、スイスの三国が境を接するバーゼル Basel の近郊でも、標準軌の蒸気保存鉄道が稼働している。シュヴァルツヴァルトから南流してライン川に注ぐ支流、カンダー川 Kander の谷に沿っていくので、名をカンダータール鉄道という。主に採石場から石材を輸送していた延長12.9kmの支線だが、1985年に廃止となり、愛好家団体が引き継いで、翌年から保存運行を始めた。

現在は5~10月の毎日曜日に運行され、1日3往復の列車がある。蒸機は、旧プロイセン国鉄のタンク機関車T3形が使われている。3軸の小型機で、かつて地方鉄道や産業用に広く使われた形式だ。乗車機会が多いことに加え、基本的にすべて蒸気機関車で列車を動かしている点が、この鉄道の人気の理由だろう。

機関庫、整備場など運行に関わる施設は終点のカンデルン Kandern にあるので、一番列車はそこが始発だ。DBラインタール線 Rheintalbahn に接続するハルティゲン Haltingen には、逆機(バック運転)でやってくる。

機回し作業を含む約30分の休憩の後、再び出発。工場群を抜ければ、車窓には集落と麦畑が交互に現れ、穏やかな山野の風景の中を列車はのんびりと走る。谷が狭まるころにはもう終盤で、まもなくカンデルンの町が見えてくる。片道35~45分、非日常の列車旅を味わうのに手ごろな時間だ。

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ハルティゲン駅で出発を待つT3形蒸機(2009年)
Photo by Gryffindor at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番12 キームゼー鉄道 Chiemsee-Bahn

バイエルン州南東部にあるキーム湖(キームゼー)Chiemseeは、ドイツで3番目に大きな湖だ。ミュンヘンとザルツブルクを結ぶDB幹線が西岸を通っていて、プリーン・アム・キームゼー Prien am Chiemsee という最寄り駅がある。そこと湖岸の港プリーン・シュトック Prien-Stock を連絡しているのが、キームゼー鉄道だ。

メーターゲージで、全長わずか1.9km、中間駅なし、片道8分というミニ路線だが、箱型の路面蒸気機関車が運用に入るという点がとりわけ珍しい。ルート上に併用軌道はなく、準拠した建設・運行規程も狭軌鉄道のそれだが、「ラウラ Laura」と命名されたこの機関車が1887年の開業時から列車を率いてきた。それで、世界最古の蒸気路面軌道と言われることがある。

ラウラも高齢になり、残念ながら近年は出番を減らしている。代役は、1962年製の小型ディーゼル機関車「リーザ Lisa」だ。以前は同じように緑の箱型に身を包み、一瞥しただけでは蒸機と見分けがつかなかったが、全面改修を機にふつうの姿に戻された。

キーム湖で思い浮かぶのが、湖中の島に狂王ルートヴィヒ2世が造らせた壮麗なヘレンキームゼー城 Schloss Herrenchiemsee だ。女子修道院のあるフラウエン島 Fraueninsel とともに、年間多くの観光客が訪れる。鉄道経由の客はそれほど多くないのだが、湖を渡る観光船と一体で運営されることで、安定的な運行が可能になっている。

*注 キームゼー鉄道の詳細は「キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム」参照。

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プリーン・シュトック駅、機回し中の路面機関車(2013年)
Photo by Gliwi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番34 エクスレ鉄道 Öchsle-bahn

750m軌間の狭軌地方鉄道は、東部地域(旧 東ドイツ)にこそ多く残っているが、旧 西ドイツでは、路線バスなどに転換されてほとんど姿を消してしまった。バーデン・ヴュルテンベルク州南東部のオーバーシュヴァーベン地方 Oberschwaben にあるエクスレ鉄道は、その点で貴重な存在だ(下注)。

*注 同州北部のヤクストタール鉄道 Jagsttalbahn(項番19)も750mm軌間の保存鉄道だが、2024年現在、路線延長は0.8kmで、本格的な復活にはまだ遠い。

1900年に全通したこの路線は、ずっと国鉄(下注)の狭軌線だったが、利用の減少と施設劣化の進行で、1983年に廃止となった。愛好家団体と沿線自治体が動いて、1985年に保存鉄道として復活を果たしたが、その後の経過は決して安泰ではなかった。

6年後の1991年末に早くも州当局から、軌道と運行管理に欠陥があるとして運行停止を命じられる。新会社を設立して1996年に再開したものの、2000年末にまたもや同様の指摘を受けて、運行停止に。それでも諦めずに2002年、三度目の開業に漕ぎつけて今に至る。

*注 開業時は王立ヴュルテンベルク邦有鉄道 Königlich Württembergische Staats-Eisenbahnen。後にドイツ帝国鉄道(DR)からドイツ連邦鉄道(DB)へと引き継がれた。

以前は運行日に3往復設定されていたが、現在は午前と午後の2往復だ。19.0kmの路線の起点は、DB線に接続するヴァルトハウゼン Warthausen(下注)で、ここから東へのどかな麦畑の中を進んでいく。中間で、丘陵の鞍部を越える25‰のアップダウンが全線のハイライトだ。終点のオクセンハウゼン Ochsenhausen までは、およそ70分かかる。

*注 もとの起点は、DB線で一駅南のビーベラッハ・アン・デア・リス Biberach an der Riß だが、DB線との並行区間のため、保存鉄道開業に際して放棄された。

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蒸気列車がオクセンハウゼンに到着(2015年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オクセンハウゼン駅のクリスマス列車(2012年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
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2024年9月 6日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ西部編では、ノルトライン・ヴェストファーレン Nordrhein-Westfalen、ヘッセン Hessen、ラインラント・プファルツ Rheinland-Pfalz、ザールラント Saarland の各州にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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ライン左岸線オーバーヴェーゼル Oberwesel 付近を行くEC列車(2015年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyw.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」画面

まずは、ドイツを代表する観光エリアを通る一般旅客路線から。

項番28 DB ライン左岸線(ミッテルライン鉄道)DB Linke Rheinstrecke (Mittelrheinbahn)
項番27 DB ライン右岸線 DB Rechte Rheinstrecke

ドイツで車窓風景が最も美しい路線は? と問われたら、多くの人がライン川沿いのこの路線を挙げることだろう。滔々と流れる大河に行き交う船、岩山高くそびえる古城や要塞、斜面を覆うブドウ畑。ロマン派の絵画のような景色には何度乗っても目を奪われる。高速線を疾走するICEもありがたいが、時間が許すならこのルートでゆっくり旅したいと思う。

ライン左岸線は、川の左岸すなわち西側に沿うDB(ドイツ鉄道)の幹線で、ケルン中央駅 Köln Hbf を起点に、ボン Bonn、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz、ビンゲン Bingen(Rhein) を経由してマインツ中央駅 Mainz Hbf まで181km。近年は「ミッテルライン鉄道 Mittelrheinbahn」の呼称が浸透している。

主要都市間を連絡しているため、2002年にケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main が開通するまでは、優等列車が日夜頻繁に行き交っていた。速達便は高速線に移し替えられて久しいが、今でも普通列車とともに、中間都市に停車するICEやICが30分間隔で走っている。

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オーバーヴェーゼル、対岸からの眺め(2018年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ライン右岸線は、右岸すなわち東側を走るDB路線だ。ケルン中央駅を出てすぐ右岸に渡り、トロイスドルフ Troisdorf でジーク線 Siegstrecke を分けた後、ライン川に沿って、ヴィースバーデン東 Wiesbaden Ost 駅まで179km。中間にあまり大きな町はないので、主に長距離貨物列車の運行経路になっている。旅客列車は各停(RB)と快速(RE)だが、コブレンツ中央駅を経由または起終点にしているため、必ず左岸に戻る。

どちらのルートも全線で眺めが良いが、見どころの中心は、やはり後半のコブレンツから左岸はビンゲン、右岸はリューデスハイム Rüdesheim の間だろう。この区間は、世界文化遺産に登録された「ライン渓谷中流上部 Oberes Mittelrheintal の文化的景観」を貫いていて、有名なローレライ Loreley の断崖をはじめ、冒頭述べた古城やブドウ畑の集中度も高い。

左岸線ならザンクト・ゴアール Sankt Goar、オーバーヴェーゼル Oberwesel、バハラッハ Bacharach、右岸線ならザンクト・ゴアールハウゼン Sankt Goarhausen 等々、魅力的な町や村を次々と通っていくので、ついつい途中下車の誘惑に駆られる。

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ローレライトンネル南口(2010年)
Photo by Joachim Seyferth at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32 DB モーゼル線 DB Moselstrecke

モーゼル線は、ライン左岸線(項番28)のコブレンツ中央駅 Koblenz Hbf から西へ向かう。ライン川の主要支流モーゼル川 Mosel に沿って、古都トリーア Trier まで長さ112kmの路線だ。

19世紀後半の帝国時代、首都ベルリンと、普仏戦争で獲得したアルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)とをつなぐ長距離戦略路線、いわゆる「大砲鉄道 Kanonenbahn(下注)」の一部として建設された。しかし今は地域輸送とともに、ザールラント Saarland やルクセンブルク Luxembourg へ行く中距離列車(RE)のための亜幹線の地位に落ち着いている。

*注 大砲鉄道の詳細は「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」「同 II-ルートを追って 前編」「同 III-後編」参照。

ライン左岸・右岸線とは異なり、風光明媚な川沿いの区間は前半区間の約60kmに限られる。具体的にはブライ Bullay の3km先、ライラーハルストンネル Reilerhalstunnel の手前までだ。その後は蛇行する川から離れ、平たい盆地の中を直進していく。

起点のコブレンツを出て最初の橋で川の左岸(北側)に移ると、しばらく川沿いをおとなしく遡る。コッヘム Cochem からブライの前後がハイライトだ。まず、長さ4205mと、高速線以外ではドイツ最長の皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel を抜ける。モーゼルワインのブドウ畑を眺めた後は、アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay、ピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と、土木工学上の名所を渡っていく。

*注 モーゼル線の詳細は「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」「同 II」参照。

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アルフ=ブライ二層橋(2015年)
Photo by Henk Monster at wikimedia. License: CC BY 3.0
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ピュンダリッヒ斜面高架橋(2020年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、私設の鉄道博物館に着目してみよう。構内施設や車両コレクションの充実にとどまらず、館外に保存運行用の独自ルートを確保しているところが共通点だ。

項番9 ボーフム鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum

ルール地方 Ruhrgebiet で有名なのは、ボーフム Bochum 市南西部のルール川沿いにあるボーフム鉄道博物館だろう。1969年に閉鎖されたルールタール鉄道 Ruhrtalbahn の鉄道車両基地を愛好家団体、ドイツ鉄道史協会 Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte e. V. がそのまま引き継いで、1977年に開館した。地区の名からボーフム・ダールハウゼン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum-Dahlhausen とも呼ばれ、私設ではドイツ最大と言われる。

施設の中核になっている扇形機関庫は14線収容の大型で、その後ろにそびえるワイングラスのような給水塔も目を引く。2棟ある車庫兼展示ホールと併せて、公開日には多くの訪問者で賑わう。

保存運行は、ルールタール鉄道の線路を使って行われている。鉄道博物館を出発して、ルール川をさかのぼり、ヴェンゲルン・オスト(東駅) Wengern Ost までの23.4kmだ。ルールタール鉄道は、沿線の鉱山で採掘される石炭を搬出する目的で造られたが、現在は、一部区間がSバーンのルートに利用されている以外、休業ないし廃線状態で、通しで走るのはこの保存列車が唯一だ。

運行日はシーズン中の月3回設定され、蒸気列車の日とレールバスの日がある。距離が長いので、片道でも80~90分と乗りごたえも十分だ。ルール地方は言わずと知れたドイツの主要工業地帯だが、川沿いは緑にあふれ、のびやかな車窓風景が続いている。

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ボーフムの扇形機関庫に揃う蒸機群(2010年)
Photo by Hans-Henning Pietsch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番26 ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein

ダルムシュタット Darmstadt は19世紀、ヘッセン大公国の首都だったという歴史を持つ古都だ。その北東郊に、ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館「鉄道世界」Eisenbahnmuseum Bahnwelt Darmstadt-Kranichstein がある。

ここも大規模な標準軌車両博物館の一つで、旧ライン=マイン鉄道 Rhein-Main-Bahn(下注)の運行拠点だった車両基地の跡地を利用して、同名の愛好家団体が1976年に開設した。扇形機関庫を中心とした施設に、10両以上の本線用蒸機を含む車両コレクションが揃っている。

*注 マインツ Mainz~ダルムシュタット Darmstadt~アシャッフェンブルク Aschaffenburg 間を結んだ鉄道。現RB75系統のルート。

この団体はまた、路面軌道車両の保存にも携わっていて、それが同じクラーニッヒシュタインにある市電ターミナルの車庫に収容されていた。この路面軌道部門の名物が、路面用小型蒸機「火を吐くエリーアス Feuriger Elias」の公開運行だ。

*注 「火を吐くエリーアス」は蒸気機関車の一般的なあだ名。旧約聖書で、エリヤ(エリーアス)が火を噴く馬車とともに天に昇っていったことから。

その後、この車庫が使えなくなったため、蒸機は現在、ダルムシュタット南郊のエーバーシュタット Eberstadt にある市電車庫に保管されている。公開運行は今年(2024年)の場合、5月の日曜祝日にエーバーシュタットから市電6、8系統のルートで、終点アルスバッハ Alsbach まで往復した。主に道端軌道だが、途中のゼーハイム Seeheim に狭い街路の併用区間がある。また、9月にはダルムシュタットの市街地でイベントが開催される。こちらは、シュロス(城内)Schloß と呼ばれる中心街を蒸気列車が走行する。

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シュロスの路面軌道を行く「火を吐くエリーアス」(2009年)
Photo by Tobias Geyer at wikimedia. License: CC BY
 

項番23 フランクフルト簡易軌道博物館 Frankfurter Feldbahnmuseum

フランスのドコーヴィル Decauville 社に代表される600mm軌間の「フェルトバーン(簡易軌道)Feldbahn」は、軽量で運搬、敷設、撤去が容易なことから、産業用、軍事用として世界に普及した。ドイツでも、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel (O&K) を筆頭に、ユング Arnold Jung、ヘンシェル Henschel & Sohn など多数の会社が製造を手掛けて広まった。

フランクフルト・アム・マイン市内西部のボッケンハイム Bockenheim に拠点を置くフランクフルト簡易軌道博物館は、これらの狭軌車両を収集・保存している鉄道博物館だ。現在地での開館は1987年。コレクションはすでに、蒸気機関車20両(うち13両が運行可能)、ディーゼル機関車34両を含め70両以上の機関車と約200両の客貨車にも及び、この軌間ではドイツ最大だ。収容するための車庫も今や3棟目が建っている。

博物館自体は毎月第1金曜・土曜に公開されるが、列車の運行は月1回程度だ。走行軌道の総延長は約1.5kmで、博物館の北側に広がるレープシュトック公園 Rebstockpark の園内をT字状に延びている。T字の縦棒の足もとが博物館で、列車はそこから出て、見通しのいい芝生の上に敷かれたT字の横棒に移り、両端で折返しのための機回しをして、また博物館に戻ってくる。

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簡易軌道博物館の公開日(2018年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いては、標準軌の蒸気保存鉄道について

項番18 ヘッセンクーリエ Hessencourrier

ヘッセン Hessen の速達便を意味するヘッセンクーリエは、1972年に運行を開始したヘッセン州最初の保存鉄道だ。カッセル Kassel の鉄道の玄関口、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ Kassel-Wilhelmshöhe 駅の南端にある保存鉄道の車庫から、蒸気列車が出発する。

ルートになっているナウムブルク線 Naumburger Bahn は延長33.4kmのローカル線で、旅客輸送は1977年に廃止され、貨物輸送も一部区間を除いてもう行われていない。終点はナウムブルク Naumburg (Hessen) という、ハーフティンバーの家並みが連なる田舎町だ。

片道90~95分の長旅だが、途中の見どころは大きく二つある。

一つは、市内トラムとの共存区間だ。フォルクスワーゲンの工場の前でカッセル市電の線路が右から合流してくる。そこからグローセンリッテ駅 Bahnhof Großenritte までの3.3kmの間は、トラムも同じ線路を走ることになる。軌間は同じ標準軌だが、車両限界が大きく異なるため、途中の停留所には、ホームの張出しや4線軌条などさまざまな工夫が施されている。蒸気列車はそこを、制限20km/hでそろそろと通過していく(下注)。

*注 詳細は「ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存」参照。

二つ目は、市電乗入れ区間が終わった後に控えている急坂だ。最大28.6‰の勾配で、郊外の山裾をくねくねと巻きながら上っている。蒸機にとってはまさに山場で、力強い推進音が車内にも聞こえてくる。標高403m、峠の駅ホーフ Hof まで上りきれば、残りは丘陵地帯を縫う穏やかなルートになる。

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終点ナウムブルク駅舎(2015年)
Photo by Feuermond16 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 カッコウ鉄道 Kuckucksbähnel

ヘッセン州南西部のプフェルツァーヴァルト(プファルツの森)Pfälzerwald に、カッコウが鳴くのどかな谷間を行く蒸気列車がある。まだ一般運行だった時代から、地元の人は親しみを込めて「クックックスベーネル(カッコウ鉄道)Kuckucksbähnel」 と呼んできた。

鉄道の起点は、マンハイム Mannheim とザールブリュッケン Saarbrücken を結ぶDB幹線の途中駅ランブレヒト Lambrecht (Pfalz)。ここからシュパイアーバッハ川 Speyerbach に沿ってエルムシュタイン Elmstein という小さな町まで、線路は13.0km延びている。曲がりくねる谷をトンネル無しでさかのぼるため、反転カーブが連続するローカル線だ。

列車は、近くの町ノイシュタット Neustadt にある鉄道博物館(下注)で仕立てられている。上述したボーフムと同じく、ドイツ鉄道史協会が運営している旧 車両基地だ。そのため、1日2往復のうち、第1便の往路はノイシュタット中央駅発、第2便の復路は同駅着になっている。ノイシュタットとランブレヒトの間はDB線に乗入れ、架線下を走る。

*注 ノイシュタットの地名は全国各地にあるので、正式にはノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ Neustadt an der Weinstraße(ワイン街道沿いのノイシュタットの意)という。したがって博物館名も、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Neustadt/Wstr.。

ノイシュタットは、赤ワインの産地をつないでいるドイツワイン街道 Deutsche Weinstraße の中心都市だ。カッコウ鉄道の蒸気保存列車は、町を訪れる観光客にとってアトラクションの有力な選択肢になっている。

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カッコウ鉄道の蒸気列車
エルフェンシュタイン Erfenstein 停留所にて(2010年)
Photo by Fischer.H at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番22 フランクフルト歴史鉄道 Historische Eisenbahn Frankfurt

フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main は、ヨーロッパの金融の中心地だ。マイン川のほとりに、2014年に完成した欧州中央銀行 Europäische Zentralbank のスタイリッシュな高層ビルがそびえている。その建物と川岸との間にある公園に、年数回、古典蒸機や赤いレールバスによる観光列車が現れる。

1978年に設立されたフランクフルト歴史鉄道協会 Historische Eisenbahn Frankfurt e.V. が実施しているこの保存運行は、マイン川沿いに残されたフランクフルト港湾鉄道 Hafenbahn Frankfurt と呼ばれる単線の線路が舞台だ。本来は貨物線なのだが、中心部では路面軌道や道端軌道、さらには公園の芝生軌道にも変身し、都市景観にすっかり溶け込んでいる。

列車の起終点は、旧市街レーマー広場 Römer に近い歩行者専用橋アイゼルナー・シュテーク Eiserner Steg のたもとだ。走行ルートは2方向で、東港コースは、ここから東進してマインクーア Mainkur の信号所まで(下注)、また西港コースは西進してグリースハイム Griesheim の貨物駅まで、それぞれ行って折り返してくる。

*注 東港コースでは、欧州中央銀行ビルの完成に合わせて停留所が新設され、乗降ができるようになった。

協会関連ではもう一つ、鉄道ファンが楽しみにしている年中行事がある。ペンテコステ(聖霊降臨日)に催されるケーニヒシュタイン・イム・タウヌスの駅祭り Bahnhofsfest Königstein im Taunus だ。

フランクフルトの鉄道愛好家団体がこぞって参加する祭りで、港湾鉄道ではゆっくりとしか走れない蒸機が、この日ばかりは「出力全開でタウヌスへ Mit Volldampf in den Taunus」をモットーに、フランクフルト・ヘーヒスト Frankfurt-Höchst から会場の駅まで、ケーニヒシュタイン線 Königsteiner Bahn の上り坂を数往復する。

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EZB(欧州中央銀行)停留所のレールバス(2015年)
Photo by Urmelbeauftragter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ケーニヒシュタイン駅祭り(2007年)
Photo by EvaK at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

メーターゲージ(1000mm軌間)の蒸気保存鉄道もいくつかある。

項番17 ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn

ゼルフカント鉄道は、ドイツ最西端、オランダ国境間近のゼルフカント Selfkant 地方で、1971年から50年以上の歴史をもつ老舗の保存鉄道だ。走っているルートはもとガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn といい、標準軌線から離れたこの地域の小さな町を縫いながら、オランダ国境まで延びていた延長37.7kmの軽便線だった。

衰退する軽便線の例にもれず、ここも1950年代から段階的に廃止されていくが、1973年に全廃となる前に、鉄道愛好家たちが一部区間を借りて保存運行を始めた。これが現在のゼルフカント鉄道の起源になる。現在のルートは5.5kmと、全盛時に比べればささやかな規模だが、田舎軽便の面影を色濃く残していて、貴重な存在だ。

起点のシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath はのどかな村で、車両基地を兼ねた駅構内が不釣り合いなほど大きく見える。蒸気列車はここから東へ走る。一面の畑と疎林を縫い、いくつかの集落と停留所を経ながら、およそ25分で終点のギルラート Gillrath に到着する。かつて線路はDB線のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅まで続いていたが、すでに撤去され、跡地は小道になっている。

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シーアヴァルデンラート駅
20号機ハスペ Haspe と101号機シュヴァールツァッハ Schwarzach(2012年)
Photo by Alupus at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30 ブロールタール鉄道「火山急行」Brohltalbahn "Vulkan-Expreß"

「ヴルカーン・エクスプレス(火山急行)Vulkan-Expreß」は、細々とした貨物輸送で存続していたブロールタール鉄道を活性化するために、地元の肝いりで1977年に走り始めた保存観光列車だ。ライン左岸の町ブロール Brohl を起点に、背後のアイフェル高原に向かう。ふだんはディーゼル牽引だが、週末には蒸機も登場する。

アイフェル高原には、小火山やマール、カルデラ湖といった火山地形が点在していて、一部は車窓からも見える。列車の愛称は、スイスの有名な「氷河急行」を連想させ、それとの対比で列車の特色をアピールするものだ。DBの主要幹線(ライン左岸線)に接するという地の利もあって、列車は確実に人気を得てきた。今もシーズン中は、月曜を除きほぼ無休という、保存鉄道には珍しく密な運行体制がとられている。

17.5kmのルートは、高原に源をもつ支流ブロールバッハ川 Brohlbach に沿って続く。しばらくは谷の中で、周囲が開けてくるのは、連邦道A61 の高架をくぐったニーダーツィッセン Niederzissen あたりからだ。サミットのエンゲルン Engeln に至る最終区間には、50‰の急勾配があり、かつてはラックレールが敷かれていた。

これとは別に、鉄道には港線 Hafenstrecke という、ブロール駅からラインの河港に通じる2.0kmの短い支線もある。こちらは現在、毎週木曜に、ライン川クルーズ船とのタイアップで列車が1往復している。

*注 鉄道の詳細は「火山急行(ブロールタール鉄道) I」「同 II」参照。

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DB線をまたぐ港線の高架橋(2010年)
Photo by tramfan239 at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

最後に特殊鉄道を2か所挙げておこう。

項番16 ドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn

ライン川を河口から遡っていくときに、右岸で最初に目に入る山がドラッヘンフェルス Drachenfels だと言われる。山名は、竜(ドラゴン)の岩山を意味する。標高321mとそれほど高くはないが、ライン渓谷の下流側の入口に位置していて、恰好の展望台だ。

1883年、リッゲンバッハ式ラックレールを用いた鉄道が、河畔の町ケーニヒスヴィンター Königswinter から山頂へ向けて建設された。延長1.5km、高度差220mを最大200‰の勾配で上る。スイスのリギ鉄道の全通から10年、ドイツで旅客用として初めて導入されたラック鉄道だった。

現在使われている車両は、全5両のうち4両が1955~60年製だ。車齢から見ればもはや古典機だが、モスグリーンの車体はよく磨かれ、艶光りしている。

鉄道には列車交換ができる中間駅がある。駅名のシュロス・ドラッヘンブルク(ドラッヘンブルク城)Schloss Drachenburg は、付近にある尖塔つきの立派な城館のことだが、実は、鉄道の開通に合わせて実業家の貴族が建てた邸宅だ。12世紀の「本物」の古城は、終点駅から小道を少し登った山頂に、廃墟となって残っている。

*注 鉄道の詳細は「ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車」参照。

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山頂駅に向かうラック電車(2021年)
© Superbass / CC-BY-SA-4.0 (via Wikimedia Commons)
 

項番11 ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

川の上を走る懸垂式モノレール、ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn(下注)は、ルール地方の南に接する産業都市ヴッパータール Wuppertal のシンボル的存在だ。開業は1901~03年で、世界最古のモノレールとされる。

*注 原語の Schwebe は、英語の float に相当し、宙に浮いていることを意味する(吊り下がるという意味はない)。日本語訳の「空中鉄道」は、原語のニュアンスを汲んでいる。

実は、ヴッパータール市の歴史はそれより新しい。ヴッパー川の谷(ヴッパータール)Wuppertal にある3つの町が、南の丘陵上にある2つの町とともに1929年に合併して誕生した。市の中心軸はヴッパー川であり、それに沿うこの鉄道も、地域をまとめる役割の一端を担ったのかもしれない。

フォーヴィンケル Vohwinkel~オーバーバルメン Oberbarmen 間13.3kmのうち、起点側のざっと1/4は道路の上空で、残り3/4が川の上空を通っている。用地確保が難しい市街地を避けた結果だが、流れをまたぐ鉄骨の支柱と蛇行する高架軌道という大掛かりな構造物から、「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」のあだ名が生まれた。

モノレールは、平日日中3分おき、日曜祝日でも6分おきという高頻度で走っている。待たずに乗れる便利な移動手段だ。全線の所要時間は約25分。車両は片方向にしか走れないので、終点ではコンパクトな転回ループを通って折り返す。

ちなみに、懸垂式では長い間世界最長の路線でもあったが、1999年に千葉都市モノレールが全線開業して、首位を譲った。

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ヴッパー川の上空を行くモノレール
ファレスベッカー・シュトラーセ Varresbecker Straße 停留所付近(2016年)
Photo by Joinsi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ南部の主な保存・観光鉄道について。

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