北ヨーロッパの鉄道

2010年10月 7日 (木)

フィンランド カレリアの歴史と鉄道

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シベリウスの「カレリア組曲」の中にある「行進曲風に Alla Marcia」という小曲を好んで聴いてきた。スキップする反復リズムの上に、弦楽と次いで木管が明るく軽快なメロディを紡いでいく。途中で金管が士気を鼓舞するファンファーレを吹き鳴らし、冒頭の主題と何度かの交錯を経て、堂々たる終止を遂げる。

ジャン・シベリウス Jean Sibelius はいうまでもなくフィンランドの代表的作曲家だが、調べてみると、この曲のオリジナルは、1893年、カレリアの出身者で構成するヴィープリ学生協会 Wiipurilainen Osakunta(英:Viipuri Students’ Association)という学生団体の依頼で、カレリアの歴史劇のために創作された伴奏音楽だった。

■参考サイト
ヘルシンキ・スオミ人クラブ Helsingin Suomalainen Klubi によるシベリウス紹介サイト
http://www.sibelius.fi/

筆者はそのヴィープリ Viipuri という地名に聞き覚えがあった。以前、フィンランドの地図店から取り寄せた旧版地形図の復刻版が、まさにその都市を描いたものだったからだ。しかし現在、世界地図でフィンランドのヴィープリを探そうとしても、見つけることは叶わない。この稿では、激動の近代史に翻弄されて消えたヴィープリ、そしてカレリア地方を、鉄道の変遷とともにたどろうと思う。

Karelian Railway Network 1917 and Present
カレリアの鉄道網の変遷
(左)1917年 (右)現在
 

シベリウスが曲を書いた当時、フィンランド湾の港町であるヴィープリは、ヘルシンキに次ぐフィンランド大公国第二の重要な商工業都市として栄えていた。町はカレリア地峡 Karjalankannas(英:Karelian Isthmus)の西の喉元に位置していた(上図参照)。カレリア Karelia(フィンランド語ではカリヤラ Karjala)とは、現在のフィンランドとロシアにまたがる地域の名称で、そのうち大公国には、北カレリア Pohjois-Karjala、南カレリア Etelä-Karjala、ラドガ・カレリア Laatokan Karjala(英:Ladoga Karelia)、それに、ラドガ湖とフィンランド湾の間のカレリア地峡が含まれた。

ヴィープリはまた、交通の要衝でもあった。1856年、西のサイマー湖 Saimaa との間にサイマー運河 Saimaan kanava が開かれ、湖水地方との航行が可能になった。鉄道も、1870年にヘルシンキ~サンクトペテルブルク間の東西幹線(下注)、続いて北進するカレリア鉄道が完成し、支線の建設も順次進められていった。

*注 先に開通していたヘルシンキ~タンペレ Tampere 線のリーヒマキ Riihimäki 駅に接続したので、正式にはリーヒマキ~サンクトペテルブルク鉄道 Riihimäki-Pietari-rata。また、単にピエタリ鉄道 Pietarin rata とも言った。ピエタリ Pietari は、フィンランド語の聖ペテロで、サンクトペテルブルク(聖ペテロの都市)を指す。

しかし、20世紀前半はカレリアとヴィープリに厳しい運命を強いた。1809年以来、フィンランドはロシア帝国領の大公国とされていたのだが、自治権の扱いは皇帝が代わるごとに違った。とりわけニコライ2世は、1899年に前帝の融和政策を撤回する自治剥奪の宣言を出したため、国内の強い反露感情を引き起こした。そのような国民主義の高揚期に、カレリアの民間説話を編んだ叙事詩「カレワラ(カレヴァラ)Kalevala」は、フィンランド人の精神的な支えとなった。

彼らの悲願は1917年になって実る。この年の12月、ロシア革命に乗じて、フィンランドは独立を宣言した。しかし、東は社会主義政権となり、西ではやがてヒトラーが台頭してくる。1939年、第二次世界大戦のきっかけとなる独ソ相互不可侵条約が調印されたが、裏で交わされた秘密議定書で、フィンランドはバルト三国とともにソ連の勢力圏とされた。まもなくソ連のフィンランド侵攻が始まった。このいわゆる冬戦争で、フィンランドは果敢に抵抗した。しかし、スウェーデンが協力を拒否したために連合国の援軍が望めず、ヴィープリ陥落が必至の情勢となって、ついに講和を決断する。

1940年に結ばれたモスクワ講和条約は、ラドガ・カレリアとカレリア地峡、内陸のサッラ Salla など国土の1割をソ連に割譲するという過酷なものだった。その反動で、フィンランドはドイツ軍の駐留を認め、物資の援助を受けるようになる。1941年、ソ連を攻撃したドイツに対して、ソ連はフィンランド国内へ空爆を行ったため、フィンランドの対ソ戦が再開された(継続戦争という)。まもなくカレリア旧領を奪回したものの、その後は膠着状態となり、1944年にモスクワで休戦協定が結ばれた。カレリアの国境線は、これによってモスクワ講和条約で定めた位置に戻された。

1947年のパリ講和条約で最終的に国境が確定し、ヴィープリは、ロシア語でヴィボルグ Выборг / Vyborg と呼ばれるソ連の町となった。カレリアに住んでいたフィンランド人の大部分は本国に避難し、その跡をロシアやベラルーシ、ウクライナからの移住者が埋めた。

フィンランドの独立と第二次大戦による国境移動は、鉄道路線にも大きな影響を及ぼしている。先述のとおり、旧ヴィープリは鉄道の結節点だった。カレリアの大地を東西に貫くリーヒマキ~サンクトペテルブルク鉄道に対して、北カレリアのヨエンスー Joensuu に向けて、カレリア鉄道 Karjalan rata(ヴィープリ~ヨエンスー)311kmが、大公国時代の1894年に全線開通していた(上図左側が1917年独立当時の路線網)。

カレリア鉄道の途中駅アントレア Antrea(現カメンノゴルスク Kamennogorsk)からは、1892~95年に、サイマー湖畔のヴオクセンニスカ Vuoksenniska(現在はイマトラ Imatra 市内)へ支線が敷かれた。ここは古くからヴオクシ川 Vuoksi にあるイマトラの早瀬 Imatrankoski が名所で、裕福なサンクトペテルブルク市民に人気のある保養地だった。しかし、独立後はロシアからの来客が途絶え、代わりに、早瀬の落差を利用する水力発電で立地した工場のための貨物輸送が主となった。

同じく途中駅のエリセンヴァーラ Elisenvaara からはさらに2路線が分岐していた。一つは1908年に完成した、パリッカラ Parikkala 経由でサヴォンリンナ Savonlinna 方面へ行く路線で、サンクトペテルブルク~ヒートラ Hiitola 間の短絡線とともに、はるばるボスニア湾の港町ヴァーサ Vaasa まで通じるフィンランド横断ルートを構成していた。もう一つは独立後の1937年に全通したシンペレ Simpere 経由の支線で、先のヴオクセンニスカへ連絡した。

第二次大戦後、国境がカレリア鉄道の西側に固定されたため、これらの路線上には越境個所が生じてしまった(上図右側)。フィンランド人の一斉退去により新国境をはさむ旅客流動は激減し、鉄道の存在意義は極端に薄れた。

現在、最も北にある(旧)カレリア鉄道本線の越境地点ニーララ Niirala 前後は、貨物線としてのみ残る。エリセンヴァーラ~パリッカラ間は運行休止となり、フィンランド側ではレールも撤去された。エリセンヴァーラ~シンペレも廃線後、道路に転用された。カメンノゴルスク(旧アントレア)からの支線は残っているが、旅客列車は国境手前のスヴェトゴルスク Svetogorsk(旧エンソ Enso)までのようだ。かくして旅客列車が越境しているのは、ヘルシンキ~サンクトペテルブルクの幹線に限られている(下注)。

それに対してフィンランド側では、ヘルシンキ方面から直通できる新たなカレリア鉄道が、既存路線の欠損区間をつなぐ形で計画された。1966年に全通して以降、この地方の幹線機能を果たしている。

*注 2006年にヘルシンキ郊外のケラヴァ Kereva から、リーヒマキ Riihimäki を経由せずにラハティ Lahti へ短絡する高速線が開通した。さらに2010年12月から、現在5時間半かかるヘルシンキ~サンクトペテルブルク間を2時間短縮する高速列車アレグロ Allegro が運行を始める。

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筆者の手元にあるヴィープリの旧版地形図は、1937~38年に作成された1:20,000の復刻版だ。読取りの便を図って、陸部に薄いアップルグリーン、水部に水色の地色をつけているが、原本は等高線が茶色、水部と地物が黒の、簡素な2色刷りだ。ヨーロッパに再び戦争の暗雲が漂い始めていた時期であり、有事に備えて編集が急がれたことだろう。

この地図は、フィンランドの国土測量局によってウェブ上でも公開されるようになった。「カレリアの地図 Karjalan Kartat」と題されたサイトがそれだ(下記 参考サイト)。1:20,000地形図 Topographical map は未作成のエリアがあるので、全域をカバーする1:100,000地形図と、縮尺非表示の「一般図 General Map」を併せて提供し、旧フィンランド領カレリアの姿を概観できるようにしている。

1:20,000地形図は、ヴィープリのような2色刷り以外に、水部に薄い青緑を入れた3色刷り、道路に赤の塗りを加えた4色刷りの図葉もあるが、どれも線描主体でドイツの旧1:25,000の雰囲気をもつ。共産主義ソ連と決別してからドイツとの関係が深まったので、実際に技術協力を得ていたのかもしれない。

それに比べて、1:100,000は道路を赤、水部を薄い青緑、そして一部の図では森林をクリームイエローに塗ったカラフルさが印象的だ。文字のデザインなどから見て、ロシア時代の原版(あるいは図式)を継承しているようだ。「一般図」は交通網と水部、主要集落、行政界だけを示した概略図だ。戦後の作成と見えて、変更後の国境線が描かれているが、旧国境も赤で加刷してある。

■参考サイト
カレリアの地図 http://www.karjalankartat.fi/
 説明は英語版あり。画面上部のイギリスの国旗のマークをクリック。

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「カレリアの地図」サイトイメージ
 

また、戦後ソ連が作成した地形図もウェブ上で見ることができる。参考までにヴィボルグ(ヴィープリ)周辺の1:100,000地形図を掲げておこう(下図参照)。

周囲がカットされているため作成時期は不明だが、フィンランドが後にロシアから租借したサイマー運河 Сайменский канал やマリー・ヴィソツキー島 Малый Высоцкий(フィンランド語でラヴァンサーリ Ravansaari、下注)の境界が明示されているので、条約が締結された1963年以降であることは確かだ。ヴィボルグ市街地の範囲は、カレリア地図からほとんど拡大していない。

*注 1856年に開通したサイマー運河は、カレリアを含むフィンランド東部の発展に貢献したが、国境移動で東半分がソ連領となったため、使用できなくなった。1963年に締結された条約で、フィンランドがソ連領の運河地帯とフィンランド湾への出口にあるマリー・ヴィソツキー島を租借することになり、拡張工事を実施したうえで1968年に運用が再開された。

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ヴィボルグ(ヴィープリ)
原図×60%、以下同じ。Map images courtesy of maps.vlasenko.net
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サイマー運河の租借地
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マリー・ヴィソツキー島 (図左上の網掛け部分)
 

■参考サイト
サイマー運河(「水上交通」Merenkulku.fiのサイト)
http://portal.fma.fi/sivu/www/fma_fi_en/services/fairways_canals/the_saimaa_canal

★本ブログ内の関連記事
 旧ソ連軍作成の地形図 II
ソ連時代の地形図の閲覧サイトを紹介している

カレリア問題に関して、ウィキペディア英語版には次のように記されている。「ロシア、フィンランド双方とも、2国間にはいかなる未解決の領土紛争も存在しないと繰り返し表明してきた。フィンランドの公的立場は、平和的交渉を通して境界を変更することはあるが、ロシアが割譲地域を返還する、あるいは問題を議論する意思を示していない以上、当面表立って会談を持つ必要は全くない、というものである」。

フィンランドの世論調査では、返還を求めないという意見が過半を占める。返還された場合、割譲地域に居住しているロシア系の人々をフィンランド社会に取り込むことになる。そのために生じる社会的コストの多さを懸念しているからだという。

シベリウスに作曲を依頼したヴィープリ学生協会は今も合唱団として存続しているし、フィンランドの人々にとってカレリアが魂の故郷であることに変わりがない。しかし、その地が置かれた現実については、案外冷やかに受け止められているようだ。

■参考サイト
Wikipedia英語版「フィンランドの政治におけるカレリア問題」
http://en.wikipedia.org/wiki/Karelian_question_in_Finnish_politics

カレリアの1917年鉄道網の地図作成にあたっては、
http://www.rhk.fi/in_english/rail_network/statistics/
にある統計資料 "Finnish Railway Statistics 2010" 1.3 Sections of Line According to Date When Opened for Traffic を使用した。

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 フィンランドの鉄道地図

2010年9月30日 (木)

フィンランドの鉄道地図

フィンランドに鉄道が開通したのは、1862年のヘルシンキ Helsinki ~ハメーンリンナ Hämeenlinna 間96kmが最初だ。当時はロシア帝国に属する大公国だったことから、軌間は本国と同じ5フィート(1524mm、ロシアンゲージと呼ばれる)が採用された。幹線網は大公国時代に概ねできあがっていたため、1917年にロシアから独立した後も、軌間はそのままだ。1960年代後半にソ連(当時)は軌間を1520mmと定義し直したが、4mmの差は許容範囲なので、フィンランドとロシアの間は貨物を含めて列車が今も直通する。

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1995年まで存在したフィンランド国鉄 Valtionrautatiet は、上下分離政策によって、インフラを管理する鉄道庁 Ratahallintokeskus(直訳は鉄道管理センター。略称 RHK。英語名称 Finnish Rail Administration)と、列車を運行する国有企業のVR(ヴェーエールと読む)に分けられた。VRはもともと国鉄の略称だったが、現在はこれが正式名称だ。また、2010年1月1日の機構改革で、鉄道庁は海事庁 Merenkulkulaitos および道路庁 Tiehallinto の一部機能と統合されて、交通庁 Liikennevirasto(英語名称:Finnish Transport Agency)に衣替えした。

フィンランドに関して筆者が知っている印刷物の鉄道地図は、いつも紹介するM. G. Ball地図帳の北欧諸国編(右上写真。画像は公式サイトから)だけだ。ここには全路線と主要駅のほか、単線・複線、電化・非電化、貨物線、休止線などの情報が図示されているので、同国鉄道網の概略をつかむには必要十分だろう。

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ウェブ上で見られる鉄道地図は、まず旧 鉄道庁のサイトにいくつか見つかる。鉄道庁はもはや存在しないのだが、今のところウェブサイトの統合は完了しておらず、鉄道インフラに関する情報は旧来のサイトに残されている。フィンランド語、スウェーデン語、英語の3か国語で利用できるが、ここでは英語版を紹介する。最もシンプルなのは、「フィンランドの鉄道網 Finland's Railway Network」と題されたものだ。路線を旅客+貨物輸送か、貨物のみかに色分けしてある。しかし、文字が小さいのが難点で、JPEG画像のため、拡大しても読めない。

「統計 statistics」のページには、PDF化された年度ごとのデータ集がある。ここにもさまざまな鉄道地図が収録されていて、興味深い。2010年版では、8ページの鉄道網、11ページの鉄道網の運行状況、12ページの主要駅間距離、13~16ページの上部構造(枕木の材質、締結装置、溶接レール、使用年数)、18ページの電化区間、19ページの運行制御方式、21ページの踏切数、28ページの通過トン数、34ページの旅客輸送量、37ページの貨物輸送量と、地図のテーマは多岐にわたる。

■参考サイト
交通庁 http://portal.liikennevirasto.fi/
(旧)鉄道庁 http://www.rhk.fi/
同サイト「フィンランドの鉄道網」
http://www.rhk.fi/in_english/rail_network/finland_s_railway_network/
「統計」
http://www.rhk.fi/in_english/rail_network/statistics/

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一方、VRのサイトには、旅客営業に関する鉄道地図がある。「長距離サービス網 Long-distance Services Network」というリンクをたどると、まずフィンランド全図のクリッカブルマップ、さらに地方別の拡大図へリンクしている。地図としてのデザインは洗練されているとはとても言えないが、首都近郊線を除けば旅客駅はすべて書かれているので、時刻表との照合に使うことができる。バス代行区間は破線で区別されているが、拡大図でないとわかりにくいだろう。

ヘルシンキとその近郊については、「通勤通学サービス Commuter service」として、方面別に色分けし、停車駅も明示した運行系統図が別に用意されている。また、Geographical map(いわゆる正縮尺図)と称するルートの略地図もあるが、注記はフィンランド語だけだ。ちなみに、フィンランド語で鉄道はラウタティエ rautatie(rauta は鉄、tie は道の意)、時刻表はアイカタウル aikataulu(aika は時間、taulu はテーブル)という。

■参考サイト
VR http://www.vr.fi/
同 時刻表・路線図トップページ
http://www.vr.fi/eng/aikataulut/reittikartat/

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ヘルシンキ首都圏の公共交通は2010年1月1日から、域内自治体の交通局を統合した新組織ヘルシンキ地域交通局 Helsingin seudun liikenne(略称 HSL、英語名称 Helsinki Regional Transport Authority)が担うことになった。ただし、ヘルシンキ市内については計画および調達部門が新組織に移行しただけで、市内のメトロやトラムの運行は従来どおり、ヘルシンキ市交通局 Helsingin kaupungin liikennelaitos (略称 HKL、英語名称 Helsinki City Transport)が管轄する。メトロ、トラムの路線図、系統図や時刻表は同じものが両組織のサイトにある。

■参考サイト
ヘルシンキ地域交通局 http://www.hsl.fi/
 トラム路線図は英語版のMaps and Lines > Tram Lines
ヘルシンキ市交通局 http://www.hkl.fi/
 トラムの情報は英語版のHKL Tram Transport、メトロはHKL Metro Transport

★本ブログ内の関連記事
 フィンランドの旅行地図
 フィンランド カレリアの歴史と鉄道

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版
 ノルウェーの鉄道地図
 ロシアの鉄道地図 II-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2010年7月22日 (木)

スウェーデン 内陸鉄道-1270kmのロングラン

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内陸鉄道のパンフレット
2010年版 表紙
 

スウェーデンの鉄道時刻表の索引地図で、一点鎖線(-・-・-)を使って描かれた路線が気になる。南北の長さはざっと国土の半分にも及ぶから、かなりのロングランであるのは間違いない。

一点鎖線の記号は観光用の鉄道 Järnväg med turisttrafik を表しているのだが、私たちがイメージするせいぜい数kmから数十kmの観光鉄道と比べて、明らかに桁違いだ。この鉄道の正体はいったい何なのだろうか。ウェブサイト(末尾に記載)やパンフレットの情報を参考に、プロフィールを追ってみた。

鉄道の名は、スウェーデン語でインランツバーナン Inlandsbanan という。訳すと、内陸鉄道だ。全線非電化かつ単線で、起点は同国最大のヴェーネルン Vänern 湖畔にあるクリスティーネハムン Kristinehamn、終点は北極圏にある鉄鉱山の町イェリヴァレ Gällivare、その間、実に1270kmある。

ただし、現在、起点から40kmのニークロッパ Nykroppa と、ダーラナ地方、シルヤン湖畔 Siljan にあるムーラ Mora の間188kmは、一部線路が残されているものの旅客列車の設定はない。観光列車が運行されているのはムーラ以北で、しかも夏季限定(6~8月)だ。車両は、気動車が使用される。

*注 南端のクリスティーネハムン~ニークロッパ間には、ルドヴィーカ Ludvika 方面を結ぶ列車がある(時刻表番号75)。この区間は今年(2010年)から電化工事が始まった。また、クリスティーネハムン~ムーラ間には、夏季のみ代行バスが1便運行されている。

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内陸鉄道路線図
 

残存区間の運行は、エステルスンド Östersund で二分されている。南側のムーラ~エステルスンド間 311kmは1日1往復(ハイシーズンはもう1往復増)が設定され、約6時間かかる。北側のエステルスンド~イェリヴァレ間 731kmも1往復(エステルスンド~ストゥールマン Storuman 間のみハイシーズンに1往復増)だが、北行き14時間30分、南行き13時間50分の長旅だ。今年(2010年)夏のダイヤでは、朝7時15分にエステルスンドを出発して、終着イェリヴァレは21時49分、白夜の時期なので行動に差し支えないとはいえ、乗り通しは体力を消耗しそうだ。

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Y1形気動車、イェリヴァレ駅にて
Photo by Trougnouf (Benoit Brummer) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

時間がかかるのは、走行距離の長さもさることながら、途中駅での停車も影響している。たとえば、南側区間ではオーサナ Åsarna という小駅で計30~40分停まり、軽食が取れる。北側区間では同じような食事・休憩停車が数回あるほか、ソールセレ Sorsele で20分の内陸鉄道博物館見学、モスクセル Moskosel でも15~30分の工夫博物館見学(いずれも駅舎に併設)、さらにヨックモック Jokkmokk のすぐ南にある北極圏(北極線)横断地点で5~10分の記念写真タイムがある。確かに、長旅には気分転換も必要だろう。

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2010年時刻表(上記パンフレットより)
左上のクリスティーネハムン Kristinehamn ~ムーラ Mora 間は代行バス
 

車窓は、とりたてて絶景と言えるところはなさそうだが、どこまでも続く大自然を思う存分満喫できるのは確実だ。

南側区間は、ムーラから13kmのオーシャ Orsa まで、オーシャ湖 Orsasjön の湖面に沿っている。オーシャ Orsa の北東15kmでは、エーモン川 Ämån の大崖 Storstupet と呼ばれる峡谷を、高さ34mのアーチ鉄橋で通過する。人家が途絶え、うっそうとした森林をひたすら上り続けて、同 48kmで、早くも路線最高地点の標高524mに達する。以後は、森の中にときどき小さな湖と川を見ながら、同 136kmのスヴェーグ Sveg に向かう。

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ムーラ駅に入線する内陸鉄道の列車
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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エーモン川峡谷に架かる高さ34mの鉄橋
Photo by Philaweb (Paul Bischoff) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

スヴェーグ駅の手前で渡るユスナン川 Ljusnan のトラス橋(町出身の推理作家ヘニング・マンケル Henning Mankell の名を取って、マンケル橋 Mankellbron という)は、鉄道の名物の一つで、道路と共用している。路面軌道のように、1.5車線幅程度の橋の上にレールも敷かれているので、列車と車がすれ違うことはできない。

ウィキペディアのドイツ語版によると、「かつては、列車通過時に道路通行を遮断する見張りが配置されていた。その後、列車が接近したときに道路用の赤信号が点滅する半自動の安全装置(訳注:踏切警報機と同じもの)が設けられた。列車が停止し、橋が空いていることを運転士が確認すると、遮断機が降り、鉄道の信号が緑に変わる」。

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マンケル橋を通過
Left photo by Reinhard Dietrich at wikimedia, License: CC0 1.0
Right photo by Jamten72 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

 

スヴェーグを出ると再び森の中だが、同 254kmのスヴェンスタヴィク Svenstavik で、ストゥー湖 Storsjön(大湖の意)に出会う。南と北の列車がまみえるエステルスンドは、湖に面したイェムトランド Jämtland の中心地だ。

一方の北側区間は、氷河期のモレーン(堆石)で堰き止められた湖が北西~東南方向にいくつも横たわっているので、ルートはそれらの湖尻を縫う形に設定されている。1時間ほど走れば森が開けて小さな町がある、という繰返しだ。エステルスンド中央駅から167kmのフーティング Hoting を出るとまもなく、スウェーデン最奥部のラップランド Lappland に足を踏み入れることになる。森林の密度が下がり、ところどころ湿地が混じるようになっていく。

同 473kmのアルヴィッツヤウル Arvidsjaur はイェーン鉄道 Jörnbanan(休止中)との接続駅だが、ちょうど石北本線遠軽駅のような線路配置のため、内陸鉄道はスイッチバックになって、列車の走行方向が変わる。

ここはまた蒸機保存運転の拠点でもある。今通ってきたばかりのスラーグネス Slagnäs まで距離にして53kmを、夏の間、蒸気機関車が1930年代の客車を牽いて往復している。途中、乗客は湖畔で水浴とバーベキューも楽しめるそうだ。ツアーは、アルヴィッツヤウルを17時45分に出発し、22時ごろ戻ってくるという、北極圏周辺の土地ならではの時間設定だ。

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鉄道博物館所蔵の重連蒸機がピーテ川を渡る
Photo by David Larsson at inlandsbanan.se
 

同 533kmには2つ目の道路併用橋があり、ピーテ川 Piteälven(älv、älven は川の意)をまたいでいる。

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ピーテ川に架かる併用橋
Left photo by Alinnman, License: CC BY-SA 3.0
Right photo by Reinhard Dietrich at wikimedia, License: CC0 1.0

 

同 646kmのヨックモック Jokkmokk は、世界遺産に登録されたラポニア Laponia の玄関口の一つだ。町の名は、サーミ語で川の曲がり角を意味するらしいが、日本では洋菓子店の名称にされて耳に親しい。また、この約10km手前には、「地理的北極圏 Geografiska Polcirkeln」という簡易乗降場が設けられ、看板の前で北極圏入り(または脱出)の記念写真に収まるのが、乗客にとっての「通過儀礼」になっている。

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1:100,000地形図に見る「地理的北極圏」乗降場
図中央を東西に走る点線が北極線
 

鉄道が最後に通過するルーレ川 Luleälven は、今までになく大きな谷だ。深さ100m以上あるので、線路は渡れる位置まで谷壁に沿って遡る。逆S字のルートで支谷をいなした後、ハールスプロンゲット Harsprånget の堰堤の脇に出て、ようやく湖面にトラス橋を架ける。この川はスウェーデンの年間電気需要の1割を生産できる電源地帯で、ハールスプロンゲットは国内最大の水力発電所だ。

同じ川沿いにあるポルユス Porjus(同 693km)から先は、鉱石鉄道(マルムバーナン)Malmbanan(下注)の支線として先行開業した区間で、鉄道電化に必要な発電所を建設し、維持するために、作業員や資材を運搬していた。もうまもなく、その鉱石鉄道と合流する終点イェリヴァレが見えてくる。

*注 鉱石鉄道は、キールナ Kiruna で産する鉄鉱石を運搬する目的で、バルト海岸のルーレオ Luleå とノルウェーのナルヴィク Narvik の間に建設された路線。ノルウェー側ではオーフォート鉄道 Ofotbanen と呼ばれる。本ブログ「ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道」参照。

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イェリヴァレ駅構内を西望
Photo by Göran Sandström at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

最後に、内陸鉄道の歴史を簡単に振り返っておこう。スウェーデン内陸部を縦断する鉄道は、1907年になって着工された。国内の鉄道網の骨格が完成したので、ようやく人口の希薄な地域への延伸に、世間の関心が向き始めたのだ。内陸には木材、鉱物、水力など未開拓の資源が眠っており、産業振興の牽引役として鉄道への期待は大きかった。

最初の開通区間は1911年、エステルスンドから北へ、ヘーゲノース Häggenås まで38kmの区間だった。1917年までにスヴェーグ以北の全区間の建設が決定すると同時に、1916~18年には、スヴェーグ以南にあった既設私鉄の国有化が行われた。全線開業は1924年に予定されていたが、第1次大戦とその後の不況のために計画は遅れ、結局、最終的な開通式が挙行されたのは、1937年8月だった。

第2次世界大戦中、ノルウェーを占領下においたドイツは、鉄道がつながっていないノルウェー北部と中南部との間の軍事輸送路として、完成間もない内陸鉄道を利用しようとした。スウェーデンは中立を宣言していたが、対立回避のために、ドイツ軍の国内移動を許可せざるを得なかった。戦後になると、公共輸送の自動車交通への移行が加速し、内陸鉄道も大きな打撃を受けた。1969年、ついにムーラ以南の一部区間で旅客列車の廃止が実行された。

しかし、1990~92年の一連の動きは、鉄道の運命をさらに変えるものとなった。このとき政府は、鉄道を全廃してバスに転換することを提案したのだが、沿線自治体や住民の抵抗を受けた。そこで、施設は国が保有するものの、国鉄は運行から手を引き、自治体出資の内陸鉄道株式会社 Inlandsbanan AB が代わりに引き受けるという上下分離の形で、存続を図ることになった。2003年には旅行サービス部門として、現在のグランド・ノルディック社 Grand Nordic の前身が設立され、同鉄道の営業活動を担っている。また、木材などの貨物輸送も再開された。

交通庁のサイトによると、鉄道施設は現在、ニークロッパ以南を除いて内陸鉄道株式会社に移管されているが、北部のアルヴィッツヤウル~ヨックモック間で交通庁が線路容量を増やす工事を実施するなど、再活用の計画も進められている。

冒頭写真に掲げたのは、グランド・ノルディック社が送ってくれた鉄道のパンフレットだ。冊子はオールカラー、全28ページの充実した内容で、スウェーデン語のほか、英語、独語の3種類が用意されている。時刻表の索引地図から長い一点鎖線を消さないように、内陸鉄道沿線で地道なPRの努力が続けられていることを、読んで実感した。

■参考サイト
内陸鉄道(公式サイト) http://www.inlandsbanan.se/
グランド・ノルディック社 http://www.grandnordic.se/
 英語版あり。紹介したパンフレットはPDFファイルでも見ることができる。
交通庁による「内陸鉄道」の紹介
http://www.trafikverket.se/Privat/Vagar-och-jarnvagar/Sveriges-jarnvagsnat/Inlandsbanan/

★本ブログ内の関連記事
 ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道
 スウェーデンの鉄道地図 I
 スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版

2010年7月15日 (木)

スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版

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グネスタ郊外のX2000
from SJ website
 

今回は、ウェブサイトで見ることのできるスウェーデンの鉄道地図を紹介しよう。

鉄道インフラを管理していた(旧)鉄道庁 Banverket のサイトでは、確か全線全駅を描いた立派な鉄道地図がPDFファイルか何かで提供されていたと記憶する。残念なことに、今年(2010年)4月発足した新組織、交通庁 Trafikverket には引き継がれていないようだ。

ただし、交通庁のサイトにも「スウェーデンの鉄道網 Sveriges järnvägsnät」というページがあり、「スウェーデンの鉄道網の延長はおよそ12,000km、その大部分、約90%が電化されている」というリード文とともに、簡単な路線図の画像が掲載されている。簡単な、とはいっても幹線・支線、単線・複線が区別された地図なのだが、凡例がついていないので知る人ぞ知るの状態だ(下注)。もとよりこれには、路線別の紹介ページへ導くクリッカブルマップ以上の役割は与えられていない。

*注 幹線は黒以外の配色、支線は黒で描かれている。また、単線は1本線、複線は二重線。予定線は破線で表される。すなわち、前回紹介した(旧)鉄道庁の「鉄道地図 Järnvägskarta」がベースになっている。

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一方、路線別ページには、主要駅が記載された個別の路線図がある。また、線路改良計画などインフラ部門ならではの最新情報が充実していて、有益だ。たとえば、前回も言及したボトニア鉄道 Botniabanan の新設、その南に接続する既存線オーダール鉄道 Ådalsbanan の改良、首都ストックホルムの最混雑区間に別線を建設するシティ鉄道 Citybanan、マルメ中心街を貫通してオーレスン(エーレスンド)リンク Øresundsforbindelsen に直結するマルメ・シティトンネル Citytunneln i Malmö の新設など、各地で意欲的な設備投資が行われていることがわかる。ルートを示す地図もあるので、興味のある方は下記サイトを参照されたい。

■参考サイト
交通庁 スウェーデン鉄道網 Sveriges järnvägsnät
http://www.trafikverket.se/
 トップページ > Privat(個人)> Vägar & järnvägar(道路と鉄道)> Sveriges järnvägsnät
または直接リンク
http://www.trafikverket.se/Privat/Vagar-och-jarnvagar/Sveriges-jarnvagsnat/
ボトニア鉄道路線図(PDF)
http://www.botniabanan.se/upload/bilder/karta/Karta rev 11 besk.pdf
オーダール鉄道改良計画図(PDF)
http://www.trafikverket.se/PageFiles/14827/Projektkarta_080919.pdf
シティ鉄道路線図(JPEG画像)
http://www.trafikverket.se/PageFiles/13350/flygfoto_karta_1021x1443.jpg
マルメ・シティトンネル路線図
http://www.citytunneln.com/sv/2154/Kartor/

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旅客列車を運行するSJ(スウェーデン鉄道)のサイトには、国内と北欧諸国の2種類の路線図がある。印刷可能なPDFファイルなのがありがたい。国内編はグレーのベースマップに路線と主要駅を描いたものだ。図では説明されていないが、太線は、交通庁が認識する幹線ではなく、SJの運行路線を示している。南岸のヘッスレホルム Hässleholm ~カールスクルーナ Karlskrona 間のように、SJがすでに撤退した路線もまだ太線で描かれており、バージョンは少し古いようだ。最新版は、SJのパンフレット "Sweden by train" の中に見つかる。

北欧諸国編 Railway map of the nordic countries は、英語版も用意されている。ターコイズブルーで陸地をかたどった上に、鉄道のないアイスランドを除く北欧4か国の路線網と連絡航路を描いたものだ。スウェーデン、フィンランド間の国境越えは現在旅客列車が設定されていないので、バスルートとおぼしき破線でつなげている。ノルウェー西岸など、鉄道は通じていないが人気のある観光都市も図示してあるから、広域旅行者向けに製作されたものだろう。ページ下部には、タッグを組む4か国の代表的な旅客鉄道会社(旧 国鉄)のロゴマークが並んでいる。

■参考サイト
SJ http://www.sj.se/
路線図は、英語版トップページ > 右メニューの Routemaps または上部メニューの Travel with SJ > Route maps
パンフレットは、同じくTravel with SJ > Brochures

SJ以外の事業者も、いくつかあげておこう。

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大ストックホルム地域交通 Storstockholms Lokaltrafik(略称SL)は、ストックホルム市内および郊外の公共交通を担っている。公式サイトには、ルートを縦・横・斜め45度にデフォルメしたいわゆるスキマティックマップ(位相図)の路線図(PDFファイル)と、市街図上に運行ルートを描きこんだインタラクティブマップが用意されている。前者は、地下鉄 Tunnelbana や郊外私鉄の路線、乗換駅を把握するためのものだ。後者はそれに加えて、輻輳するバスルートと停留所の地理的位置が確認できるので、市内外の往来には重宝するだろう。

■参考サイト
大ストックホルム地域交通 http://sl.se/
 トップページのハートマーク+"Visitor" > Maps
 スキマティックの路線図は、右メニューのLinksにある。
 または直接リンク(PDF)
http://sl.se/Global/Pdf/Kartor/spartrafik_zoner08.pdf
 インタラクティブマップの路線図は、ページ中央の "City map" 以下のリンクより

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トーグコンパニエット Tågkompaniet(列車会社の意)は、スウェーデン中部、スヴェアランド Svealand と称される地域の旧 国鉄路線を運行している。路線図はスキマティックマップだが、黒の背景を使った異色のデザインが印象的だ。

■参考サイト
トーグコンパニエット http://www.tagkompaniet.se/
 運行路線図は、トップページ > Allt om resan(列車の旅について) > Sträckor(運行路線)
 または直接リンク(JPEG画像) http://www.tagkompaniet.se/UserFiles/linjekarta_webb.jpg

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DSBファースト DSBFirst はデンマークの項でも紹介したが、エーレスンド(エーアソン)海峡 Øresund を介してデンマークのシェラン島とスウェーデンのスコーネ地方を結ぶ列車を走らせている。ここの路線図もスキマティックマップで、青と緑の寒色系でデザインされている。

■参考サイト
DSBファースト http://www.dsbfirst.se/(スウェーデン語版)
路線図はスウェーデン語版トップページ > Här kör DSBFirst(DSBファーストはここを走る)
または直接リンク http://www.dsbfirst.se/Har-kor-DSBFirst-/

なお、旅行者向けの鉄道地図では、前回触れたとおり、Resplus の時刻表添付地図もダウンロードできる。こちらはすべての旅客列車運行線区を分け隔てなく描いている。
(サイトのURLは前回の項参照)

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路線図の範疇には入らないが、詳細な駅構内図を提供するサイト stationsinfo.se がある。1つの駅に対して、駅周辺図 Stationsområde、駅構内図Stationshus、バスターミナル配置図 Bussterminal(設置されている場合のみ)、市街図 Tätortskarta(グーグルマップへリンク)の4種が用意されている。前3者はオリジナルで、デザインがスマートなばかりか、ホームから駅前のタクシー乗場や駐車・駐輪場への道順まで図示する丁寧さには驚く。

■参考サイト
stationsinfo.se http://www.stationsinfo.se/station/

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最後に、スウェーデン鉄道史 Historiskt om Svenska Järnvägar のサイトを紹介しておこう。同国鉄道の膨大な過去資料を公開している個人サイトだが、その中に「スウェーデン鉄道地図(概観図)Järnvägskarta Sverige (översikt)」というページがある。鉄道地図といっても、1910~30年代、つまり国営化以前の鉄道網がテーマで、鉄道会社別に路線図や時刻表が多数画像化されている。それらを追えば、幹線網の間隙を埋めようと、おびただしい数の小路線が国土を覆っていたことが手に取るようにわかる。

最初の索引地図は少々見にくいが、スウェーデン中部から南部にかけての一帯を表している。図上で任意の地方をクリックすると、地方図のページに飛ぶ。その索引図で任意の路線を選択すると、鉄道会社ごとのページになる。表記は基本的にスウェーデン語だが、見出しなどに英語が併記されているので、追跡は可能だ。

■参考サイト
スウェーデン鉄道史 http://www.historiskt.nu/
 鉄道地図は、トップページ上部メニューのkartorから

冒頭の列車写真は、SJ公式サイト > Om SJ > Press > Bilder > X 2000で提供されている「グネスタ郊外のX2000、タンポポの咲く或る5月の日 X 2000 utanför Gnesta, en majdag när maskrosorna slagit ut」を使用した。Foto: Stefan Nilsson.

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 スウェーデンの鉄道地図 I

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 デンマークの鉄道地図
 ノルウェーの鉄道地図
 フィンランドの鉄道地図
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2010年7月 8日 (木)

スウェーデンの鉄道地図 I

スウェーデンの列車時刻表 Tågtider には、実にさまざまな運行事業者の名が上がっている。旧 国鉄の SJ(下注)は、幹線の優等列車でこそまだ幅を利かせているものの、多くの地方路線や、幹線でも各停列車ではもはや影が薄い。SJの公式サイトによれば、同国の旅客鉄道輸送に占めるSJの比率は4割(2005年)まで低下しているそうだ。

*注 SJの名は、もと Statens Järnvägar(スウェーデン国鉄)の略称だったが、現在の会社はSJ ABが正式名称(ABは Aktiebolag の略で株式会社の意)。SJ はスウェーデン語でエスイーと発音する。

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ストックホルムの南鉄橋を行く列車
Photo by Tim Adams at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

スウェーデンの鉄道網は1988年に上下分離が実施されて、それまで公共企業体であった国鉄は、インフラを管理する鉄道庁 Banverket と、列車を運行する政府出資の国鉄株式会社の二元体制となった。後者はさらに2001年に事業別に6社に分割されたため、現在のSJ ABの事業は、旅客列車の運行に特化されている。また、鉄道庁は、今年(2010年)4月1日に道路庁と統合されて、交通庁 Trafikverket(英語名 Swedish Transport Administration)に衣替えした。

■参考サイト
SJ http://www.sj.se/
交通庁 http://www.trafikverket.se/

今回はスウェーデンの鉄道地図のうち、印刷物で流通しているものを紹介しよう(ウェブ版は次回)。

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ヨーロッパ鉄道地図帳
北欧編表紙
 

1つ目は、ノルウェーの項でも紹介した M. G. Ball 氏の「ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」だ。北欧諸国 Nordic Region 編(右写真)には、市内交通を除くスウェーデンの鉄道全線と主要駅が図示されている。各地の保存鉄道や、ボトニア鉄道 Botniabanan(下注)のような建設中の新線も記載されている。同国の鉄道路線は西部本線 Västra stambanan、ダーラナ鉄道 Dalabanan といった路線名称を持っているが、それもすべて明示してあるので、重宝な参考資料だ。

*注 ボトニア Botnia は英語でいうボスニア Bothnia。内陸経由の現行幹線に対してボスニア湾岸を走る高速新線で、ニーランド Nyland ~ウーメオ Umeå 間185km。今年(2010年)8月全通予定。さらに北へルーレオ Luleå まで延伸する北ボトニア鉄道 Norrbotniabanan の構想もある。なお、本稿では...banan を「~鉄道」と直訳したが、現地では日本でいう「~線」の意味で使われている。

■参考サイト
M. G. Ballのヨーロッパ鉄道地図帳 http://www.europeanrailwayatlas.com/

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 ヨーロッパの鉄道地図 I-M.G.Ball地図帳

2つ目は、表紙に(旧)鉄道庁のロゴが入った「鉄道地図 Järnvägskarta」だ(右写真は折図の表紙部分。右下写真は全体)。横55.5×縦98cmの大判用紙を使い、縮尺は1:1,700,000(170万分の1)。水部(川、湖)と行政界、それに薄く主要道路網を描いたベースマップの上に、スウェーデン国内の鉄道路線網を表示している。表記はスウェーデン語のみ。

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「鉄道地図」表紙
 

インフラ管理の視点から作成されたものなので、路線の分類基準は、管理者と重要度(幹線、支線)だ。まず、管理者は色で区別する。鉄道庁所管の路線は赤、鉱石鉄道 Malmbanan(キルナ Kiruna を通る産業路線)は緑、内陸鉄道 Inlandsbanan は青紫、その他の私鉄は藤色だ。

また、重要度については、幹線網 Stomnät を線路数(単線、複線、それ以上)で分け、支線は県の鉄道 Länsjärnväg と、その他の鉄道 Övrig järnväg に分ける。時刻表と照合すると、旅客列車が走っているのはおおむね県の鉄道までで、その他とされた路線は貨物のみか休止中のようだ。

駅はおおむね全駅掲載で、その点で M.G.Ball地図帳と一線を画している。ただし、密度が高い首都ストックホルム近郊などはもはや描写の限界に近く、たとえば、北郊へ行く狭軌私鉄ロースラーゲン鉄道 Roslagsbanan などは、幹線優先のあおりを受けて主要駅のみの記載にとどまる。また、電化 elektrifierade と自動閉塞化 fjärrblockerade の範囲については、余白に略図が用意されている。

この地図は1999年の刊行だが、その後改訂版は出ておらず、鉄道書を手広く扱うストックホルムのステンヴァルス書店 Stenvalls などから今でも入手できる。

■参考サイト
ステンヴァルス(ショッピングサイト) http://www.stenvalls.com/shop/
 鉄道地図は Järnvägar > kartor。サイトの表記はスウェーデン語だが、外国へも発送してくれる。上記サイトは発注画面のみ。発注するとeメールで見積が来る。

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同 全体
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同 一部を拡大
© 2010 LIBER AB, Stockholm
 

3つ目は、「スウェーデンの鉄道 Sveriges Järnvägar」と題した壁掛け地図 väggkarta だ(右写真はタイトル部分)。地形図や旅行地図などを販売するカートブティケン Kartbutiken のサイトにあり、似た体裁の行政区分図などと同列の企画商品らしい。サイズは横50×縦82.5cm、縮尺は1:2,000,000(200万分の1)だ。

鉄道庁地図の後継図かと少し期待して購入したが、現存路線と計画線(=ボトニア鉄道)、主要駅、主要道路を淡々と描いてあるだけで、路線の形態分類もなく、資料価値は低かった。保存鉄道と鉄道博物館の記号が図示され、余白に所在地と電話番号のリストが載っているのが唯一の特色だ。2007年の刊行だが、カートファラーゲット Kartförlaget の組織もすでになく、在庫限りで消えてしまいそうだ。

■参考サイト
カートブティーケン http://www.kartbutiken.se/

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「スウェーデンの鉄道」表題部分
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同 地図の一部
© 2010 Kartförlaget

最後に、時刻表 Tågtider の添付地図について触れておきたい。

先述のように、スウェーデンではオープンアクセス政策の徹底によって、さまざまな事業者が列車を運行するようになった。これで効率性やサービスの向上が図られればいいが、会社ごとに発券や予約のシステムが異なると、かえって利用者離れを招きかねない。

そこで考え出されたのが、SJをはじめ運行事業者や地方自治体が出資したスウェーデン共同輸送株式会社 Samtrafiken i Sverige AB によって運営される、「通し」乗車券、一括予約のシステム"Resplus"だ(Res は「旅の」を意味する。plus は英語からの借用)。Resplus のチケットは、運行事業者が複数あっても目的地まで1枚で発行され、たとえば乗っていた列車が遅れて接続便に間に合わなかったときは、次の便への乗車を保証している。

時刻表の編集も同社のミッションの一環だ。路線別時刻表の最上段には、イギリスのように、運行事業者の略号が付されている。これはウェブ上で提供されるとともに、冊子が年2回(夏版、冬版)刊行される。スウェーデンの鉄道時刻表といえば、もっぱらこれを指す。

添付の索引地図は、水部と山岳、行政区分を描いた縮尺1:4,500,000(450万分の1)程度のベースマップに、旅客営業している路線と主要駅、時刻表番号を記載したものだ。鉄道庁の地図と併せて見れば、同国の鉄道網への理解がさらに進むだろう。この地図もウェブで閲覧できる。

■参考サイト
Resrobot 時刻表地図、路線別時刻表
https://tagtidtabeller.resrobot.se/
 SJの路線図、時刻表がPDFファイルでダウンロードできる。

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時刻表索引地図の一部
© 2010 Samtrafiken i Sverige
 

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 スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版

近隣諸国の鉄道地図については、以下を参照。
 デンマークの鉄道地図
 ノルウェーの鉄道地図
 フィンランドの鉄道地図

2010年5月13日 (木)

ノルウェーの鉄道地図

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ヨーロッパ鉄道地図帳
北欧編表紙
 

スイスと並んで、山と湖が織り成す美しい車窓が乗客を魅了してやまないノルウェー。しかし残念ながら、印刷物となった同国の鉄道地図に出会ったことがない。筆者の貴重な情報源の一つである Paul Steane 氏のサイト「ヨーロッパ鉄道旅行愛好家ガイド Enthusiast's Guide to Travelling the Railways of Europe」(URLは下記)でも、「M. G. Ballのヨーロッパ鉄道地図帳を別とすれば、ノルウェーの鉄道網に関する地図で刊行されたものはない」と言い切っているので、間違いはないだろう。

その M. G. Ball地図帳(正式な表題は「ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」)の北欧編には、ノルウェー全路線と主要駅、それにベルゲン鉄道(ベルゲン線)Bergensbanen のような路線名ももれなく記載されているから、実用上はこれで十分だ。

■参考サイト
M. G. Ballのヨーロッパ鉄道地図帳 http://www.europeanrailwayatlas.com/

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 ヨーロッパの鉄道地図 I-M.G.Ball地図帳

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「ノルウェー旅行地図」
表紙
 

ただ、過去には鉄道地図といえるものが刊行されていたらしい。堀淳一氏の著書で、現物の写真とともに紹介されている(堀淳一『地図と風土』そしえて、1978 年、p.236-238)。それによれば、この地図のタイトルは「ノルウェー旅行地図 Reisekart for Norge」で、縮尺は1:1,000,000(100万分の1)、「時刻表と同じ発行元から発売されていて、時刻表の索引地図をも兼ねているのだが、独立した地図としても立派に通用するすぐれたものである。」

1:1,000,000という縮尺は、ノルウェー全土を1面でカバーする地図の定番だ。図版に使われているのは、西岸のロムスダール Romsdal からソグン・オ・フィヨラーネ Sogn og Fjordane にかけての地域で、旅行地図らしく、氷河(ヨステダール氷河 Jostedalsbreen)が描かれ、地名もふんだんに入っている。モノクロのため判別できないが、鉄道は黒、バス路線は赤の線で描いてあるという。脊梁山地とフィヨルドが対峙する過疎地にもかかわらず、けっこう稠密な路線網だ。

右上にラウマ鉄道 Raumabanen の終端区間が認められるが、鉄道は他にありえないので、バスがかつてはこのように、谷奥の小集落にまでこまめに通っていたことがわかる。路線には時刻表番号が打たれ、索引地図としての役割を果たしている。

【追記 2017.8.27】

上記著書で言及された地図のカラー写真を、凡例とともに下に掲げる。発行者は "Forlaget Rutebok for Norge(ノルウェー時刻表出版社)"、1972/73年改訂。ベースマップは地色にアップルグリーンを充て、氷河を白抜きにしている。鉄道は黒の実線で示される。バス路線は赤線で、そのうち太線は運行中、細線は休止中、太線+交差短線は冬期に全部または一部の休止が予想される路線だ。

また、オスロ Oslo、クリスチャンサン Kristiansand、スタヴァンゲル Stavanger、ベルゲン Bergen、トロンハイム Trondheim の主要都市圏については、1:500,000の拡大図がある。裏面は膨大な量の地名索引で埋め尽くされている。

なお、1869年に創刊され、長い間ノルウェー旅行の必携品であった同社の時刻表 "Rutebok for Norge" は、2003年からウェブサイトに移行している。

■参考サイト
Rutebok for Norge http://rutebok.no/

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同 地図の一部
(c) Rutebok for Norge, 2017
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同 凡例。ノルウェー語と英語を併記している

ウェブサイトで見られる鉄道地図はどうだろうか。ノルウェーの鉄道は、インフラ管理をノルウェー鉄道庁 Jernbaneverket が行っている。旅客輸送部門はノルウェー鉄道 Norges Statsbaner(略称 NSB)が最大の事業者で、ほかには、オスロ Oslo 近郊で空港特急を走らせているフリートーゲ Flytoget、ヨーヴィク鉄道 Gjøvikbanen を運行するNSBの子会社NSBヨーヴィク鉄道がある程度だ。

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まず、鉄道庁 Jernbaneverket のサイトだが、ここにはごく簡単なスキマティックマップ(位相図)しかない。下記参考サイトには英語版ページを掲げているが、ノルウェー語版もまったく同じだ。赤の太線で路線が描かれ、主要駅名が添えられているものの、JPEG形式のため拡大が効かず、文字は読みづらい。首都圏の路線網は込み入っているので、土地勘のない者にはオスロ(中央駅)の位置を探し出すのさえ難しいだろう。

おそらく、開設者のこだわりは、このページの左メニューで示される路線別の情報提供にある。路線を選択すると、その全駅名が表示され、駅に関する情報がまとめて参照できるようになっているのだ。Togtider(列車時刻)タブから、列車の行先(Avganger til)と発車時刻(Rutetid)、番線(Spor)がわかる。Service タブからは駅の設備、Maps タブからは駅周辺の Googleマップが引ける。しかし、そもそも路線名はどうやって知るのだろうか。それに、英語版ページというのに肝心の列車時刻の見出しがノルウェー語のままだ。どうやら外国からの旅行者のことはあまり念頭にないようだ。

■参考サイト
Jernbaneverket http://www.jernbaneverket.no/
英語版トップページ > Guide for travellers > 本文の"Here you will find a map of the Norwegian railway network"
Railwaylinesのページの直接リンク
http://www.jernbaneverket.no/en/Railway/Railwaylines/

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その点、NSBは旅客誘致が至上命題だけあって、英語版の情報もたいへん充実している。表形式の時刻表が線区ごとにダウンロードできるし、鉄道地図もインタラクティブマップとPDFファイルの両方が用意されている(下記参考サイト)。

インタラクティブマップは、初期画面が路線網全体の表示になっているが(ナルヴィク Narvik へ行くオーフォート鉄道 Ofotbanen は対象外)、スケールバーで拡大縮小でき、倍率が上がるにつれて駅の表示が主要駅から全駅へと詳しくなる。駅周辺で体験できるアトラクションがピクトグラムで表され、マウスを置くと内容もわかる(残念ながらこれだけはノルウェー語)。

さらに、図上で駅をクリックすると、右メニューに駅情報(Info about the station)へのリンクが現れ、ここから駅の窓口時間、設備の有無、駅周辺のGoogleマップなどが参照できる。このインタラクティブマップは、列車予約や時刻検索からもリンクされていて、利用者の使い勝手をよく研究したシステムといえる。

一方、PDFファイルのほうは2種類ある。NSB Network map とあるのは全国図で、黒、灰、赤の3色のみを使った地味な印象のスキマティックマップだ。駅は主要駅のみだが、旅行者が乗降しそうな駅はほぼ揃っているだろう。首都圏は拡大図がある。図枠に索引番号が振ってあるから駅名索引がどこかにあるはずだが、このファイルにはついていない。また、ここでもオーフォート鉄道は割愛されている。NSBが運行事業者でないことと、国内の路線網と直接つながっていないためだろう。

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もう一つは、NSB Network Map commuter trains、すなわちオスロ近郊の通勤列車圏を描いた路線図だ。ルートが運行系統別に美しく色分けされ、駅もすべて記載されて、日本の鉄道会社のそれを思い起こさせる。

なお、オスロ中央駅 Oslo S の東側で赤の400系統と黄440~緑460系統を離して描いているのは、前者が旧線、後者がロメリケトンネル Romeriksporten 経由の高速新線を走ることを示している。また、黄緑の450系統は、フリートーゲ Flytoget が運行している空港特急 Airport Express Train と紛らわしい。両者は運行ルートが重なっているものの、まったくの別物で、NSBサイトには空港特急の時刻表や路線図は一切ない。それらは、フリートーゲのサイト(下記)でのみ見ることができる。

■参考サイト
NSB http://www.nsb.no/
表形式の時刻表:英語版トップページ > Timetables > Download timetables
インタラクティブの鉄道地図:英語版トップページ > Where does the train go?
PDFの鉄道地図:英語版トップページ > Where does the train go? > Network map

フリートーゲ Flytoget http://www.flytoget.no/
 ドランメン~空港の1路線しかないので、路線図は時刻表に添えられている。
ヨーロッパ鉄道旅行愛好家ガイド http://www.steane.com/egtre/egtre.htm

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 ノルウェーの旅行地図
 ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道
 ベルゲン鉄道を地図で追う I-オスロへのアプローチ

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版
 デンマークの鉄道地図
 フィンランドの鉄道地図
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2010年5月 6日 (木)

デンマークの鉄道地図

フェリー連絡の島国から地続きの回廊へ、デンマークの鉄道地図はほんの10年ほど前に劇的な変貌を遂げた。

鉄道でユラン Jylland(ユトランド)半島からスカンジナビア半島に渡るには、3回の海峡越えが必要だ。最も西の小ベルト海峡 Lillebælt は狭い瀬戸に過ぎないので、早くも1935年にトラスの道路併用橋が架けられていた。それに対して、首都コペンハーゲン(デンマーク語ではケベンハウン København)のあるシェラン島 Sjælland は、対岸と15km以上の距離がある。1997年にようやく西側の大ベルト海峡 Storebælt に連絡橋とトンネル(鉄道専用)が、続く1999年に、東側のエーアソン(エーレスンド)海峡 Øresund にも橋とトンネルが完成した。

こうして、レールはドイツからスウェーデンまで連結され、デンマークは北ヨーロッパの陸上交通の要の位置を占めることになった。

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ヴォーディングボーのマスネズソン海峡をまたぐ橋
Masnedsundbroen, Vordingborg
Photo by Guillaume Baviere at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

デンマークの鉄道は他のEU諸国と同様、上下分離が完了している。インフラ部門は、デンマーク鉄道庁 Banedanmark (英語名 Rail Net Denmark)が担う。旅客輸送部門はデンマーク国鉄 Danske Statsbaner、略称 DSB が最大の事業者だが、周辺路線では他社も参画している。

例えば、シェラン島北部で運行する地方鉄道公社 Lokalbanen は、首都圏開発庁 Hovedstadens Udviklingsråd(英語名 Greater Copenhagen Authority)が設立した事業体だし、旧国鉄のローカル線に進出したアリーヴァ社 Arriva のような国際交通企業もある。また、地域列車会社 Regionstog や北ユトランド鉄道 Nordjyske Jernbaner などは、もとから県営や私有であった路線を引継いでいる。

デンマークの鉄道地図で印刷物として刊行されているのは、M.G.Ball氏の作品のようなヨーロッパ全域を対象にしたもの(下記 関連記事参照)以外に知らない。路線は網羅されているが、駅は一部省略がある。

★本ブログ内の関連記事
 ヨーロッパの鉄道地図 I-M.G.Ball地図帳

全駅が掲載されているのは、デンマーク国鉄 DSB が発行する冊子時刻表 Køreplan "Tog i Danmark" の添付地図ぐらいではないだろうか(下写真)。しかしこれも、日本の時刻表の索引地図と同様、私鉄路線はルートと起終点が示されているだけだ。私鉄の中間駅のことを知ろうとすると、時刻表本文に当たるほかない。

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時刻表 "Tog i Danmark" の添付地図
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同 PDF版の一部を拡大
DSBは全駅掲載、私鉄は薄い線で起終点が示されるのみ
© 2010 DSB
 

DSBの全線全駅地図は、インターシティリン InterCityLyn(停車駅を絞った速達特急。lyn は稲妻の意)、インターシティ InterCity、普通列車 Regionaltog の停車駅がわかるものの、時刻表番号は書かれていない。その役割は、別ページにある目次を兼ねた運行系統図に委ねられているからだ。

時刻表は行先ごとに長距離列車と近距離列車の表が分かれているため、全線全駅地図にすべて書き込むと煩雑になるという判断とは想像するが、土地不案内の旅行者には少し面倒だ。なお、コペンハーゲンのメトロ Metro とS列車(Sトー)S-Tog と呼ばれる都市圏列車については、色刷りの路線図が掲載されている。

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ウェブサイトで見られるものもあげておこう。1つ目は、デンマーク鉄道庁 Banedanmark のサイトにある鉄道地図(PDFファイル)だ。英語版は総合図1種類だけだが、デンマーク語版は7種類と充実している。

英語版では路線が、幹線、亜幹線、郊外線、地方線、貨物線、一時休止中の貨物線、廃止されたが施設が残る路線 Remaining lines、県営・私営線などに分類されている。幹線と亜幹線、地方線の表示は必ずしもインターシティの運行区間とは合致せず、説明書きを読む限り、管理上のカテゴリーで区別しているらしい。エーアソンリンク Øresundsforbindelsen(海峡連絡線)やメトロの環状線計画 Cityringen(英語版では Copenhagen Circle Line)も記入されている。駅の図示は起終点と分岐駅、中間の主要駅などに限られる。

デンマーク語版のすべてを読み取ることは筆者には不可能なので、タイトルの訳だけ掲げておこう。

・デンマークの鉄道 Jernbaner i Danmark(英語版総合図に相当)
・線路数 Sporantal(単線、複線など)
・最高速度 Maksimal hastighed
・最大軸重 Maksimalt akseltryk
・電化区間 Strækninger med el-drift(変電所位置も付記)
・1m当りの最大許容荷重 Metervægt(ドイツ語の Meterlast。軸重とともに線路等級を決める要素)
・列車制御装置 Togkontrolsystemer

■参考サイト
デンマーク鉄道庁 http://www.bane.dk/
英語版路線図は、Banedanmark > Rail Facts > Rail Maps > Basic Map
または直接リンク http://uk.bane.dk/db/filarkiv/387/Railmap.pdf
デンマーク語版は、Om Jernbanen (About railway) > Kort over jernbanenettet (Maps of railway network)

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2つ目は運行会社のDSBが作成した鉄道地図だ。以前は時刻表の添付地図と同じものがPDFで上がっていたのだが、今回探した限りでは見つからなかった。ただ、純粋な路線図ではないものの、国内運賃 Priser i hele Danmark のページに運賃ゾーン図 Zoner i kroner og Zonekort(PDFファイル)があり、DSB運行区間については全駅が表示されていた。首都圏の拡大図は同じPDFの後ろのほうにある。また、S列車についてはスキマティックマップ(位相図)形式の路線図がある。

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DSBサイトからリンクしている「旅行計画 Rejseplanen」の地図検索は、汎用のインタラクティブマップに駅の位置と名称が表示され、起点と終点を選択することで列車時刻が調べられる。

■参考サイト
デンマーク国鉄DSB http://www.dsb.dk/
国内運賃のページは
Find og køb rejse > Priser og Zoner > Priser i hele Danmark > Zoner i kroner og Zonekort (PDF)
直接リンク(更新の可能性があるのでリンク切れご容赦)
http://www.dsb.dk/Global/PDF/Brochure/Brochurersiden/Zoner i kroner og Zonekort 2010.pdf
DSB S列車の路線図
http://www.dsb.dk/Global/PDF/Koereplaner/S-tog/Alle linjer.pdf

旅行計画Rejseplanen http://www.rejseplanen.dk/
地図検索は英語版トップページ > Search via map

DSB以外の鉄道会社の多くも運行区間の路線図を作っているので、各公式サイトにあるURLをあげておこう。また、テーブル形式の時刻表を見たければ、各社サイトの Køreplan または Køreplaner のリンクを探すとよい。

コペンハーゲンメトロ http://www.m.dk/
DSBファースト DSBFirst http://www.dsbfirst.dk/Om-DSBFirst/Her-korer-DSBFirst/ (DSBとスコットランド FirstGroup の共同出資による会社。エーアソン沿岸線 Kystbanen などを運行)
地方鉄道公社 Lokalbanen http://www.lokalbanen.dk/Køreplaner.aspx
地域列車会社 Regionstog http://www.regionstog.dk/koreplaner
アリーヴァ Arriva http://www.arrivatog.dk/(路線図なし)
中ユトランド鉄道 Midtjyske Jernbaner http://www.mjba.dk/(路線図なし)
北ユトランド鉄道 Nordjyske Jernbaner http://www.njba.dk/(路線図なし)

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最後は、線路配置図(配線図)を掲載するサイトだ。配線図は全国を11面でカバーする力作だが、その索引図は、デンマークの鉄道地図すなわち路線図としても使える。表記が英語であるのもありがたい。索引図は、線の太さで複線、単線、定期運行のない単線を区別し、線の色でどの配線図に属するかを判別できるようにしている。

■参考サイト
デンマークの線路配線図 http://dk.trackmap.net/
同 索引図 http://dk.trackmap.net/bigmap

★本ブログ内の関連記事
 ヨーロッパの鉄道地図 I-M.G.Ball地図帳

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 ドイツの鉄道地図 IV-ウェブ版
 スウェーデンの鉄道地図 II-ウェブ版
 ノルウェーの鉄道地図
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2010年4月 8日 (木)

ノルウェー フロム鉄道 II-ルート案内

フロム鉄道 Flåmsbana の時刻表を読むと、鉄道の運行事情が浮き彫りになる。オフシーズン(9月27日~翌年5月1日)は上下とも4本しか設定されておらず、1編成が振子のように往復している。所要時間はミュールダール Myrdal 行き(上り)40分、フロム Flåm 行き(下り)45~50分だ。下り坂のほうが遅いのは、55‰の急勾配に速度制限がかかっているのだろう。この季節、沿線が雪に覆われることを思い出さなければならない。

一方、利用者が集中する夏は対照的だ。列車本数は、ミドルシーズン(5月2日~6月12日、8月30日~9月26日)が9往復、ハイシーズン(6月13日~8月29日)は10往復と、冬の2倍以上の密度になる。上下とも所要時間は平均56~57分で、冬よりさらに時間をかけている。その理由は、本数が多いので中間駅で列車交換の待合せをすること、そして、鉄道最大の名物である滝を見るための観光停車だ。

■参考サイト
時刻表を含めてフロム鉄道の参考サイトは、前回「ノルウェー フロム鉄道 I-その生い立ち」の末尾を参照。

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フロム鉄道のルート
© 2020 Kartverket

今回は列車に乗ったつもりで、ミュールダールからフロムへと下りながら、車窓に展開する景色を楽しむことにしたい。本文の拙さを補うために、現地サイト(下注)から提供を受けた写真をいくつか掲げている。参考までに、推定される撮影位置を上の地形図上に①、②のように記しておいた。

*注 著作権表示 All Photos (except #3, #7 & #14) from Visit Flåm, © Flåm Utvikling. Photographers as follows ;
#1: E.A. Vikesland, #2, 11 & 12: Kyrre Wangen, #4, 5 & 13: Flåm Utvikling as, #6: Rolf M Sørensen, #8 & 10: Morten Rakke, #9: Per Eide
また、写真3、7及び14は、2014年に現地を訪れた海外鉄道研究会の松本昌太郎氏から提供を受けた。

ベルゲン鉄道との接続駅ミュールダールでは、谷側にフロム鉄道の列車ホームがある(写真1、2)。始発駅では進行方向左側の見晴らしがいいので、そちらの席はすでに埋まっているかもしれない。トータルでは左の車窓が開ける時間のほうが長いが、右側席にも後ほど見どころがやってくる。

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(1) ミュールダール駅俯瞰
 右側の濃緑の列車がフロム鉄道
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(2) ミュールダール駅、フロム鉄道のホーム
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(3) 車内は1列2×3席
 

駅の標高は866m、列車がホームを離れるや、いきなり急な下り勾配になる。フロムスダール Flåmsdalen の谷へ降下しようとしているのだが、谷底とは300mの高度差があり、これを克服するためのルート設定はかなり複雑だ。一回転するスパイラル(日本でいうループ線)こそないが、狭い敷地で方向転換を繰り返し、切り立つ岩壁にトンネルをうがって、技巧の限りを尽くしている。既成の地図はどれもその経路をうまく表現できていないので、見取図を描いてみた(下図)。ルートが途中でクロスしているように見えるが、もちろん平面交差ではない。

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スパイラル概略図
 

スノーシェッド(雪覆い)や短いトンネルを経て、1つ目のヴァトナハルセン Vatnahalsen 駅に停まる。すぐ近くに同じ名のホテルが建っていて、崖っぷちには谷を見下ろす展望台がある。線路はいったんラインウンガ湖 Reinungavatnet の方に向かい、半径150mの急なカーブで180度回転する(写真4)。湖の周囲にはコテージが点在しているが、最寄のラインウンガ Reinunga 駅は乗降があるときのみ停車する、いわゆるリクエストストップなので、客がなければ通過してしまう。

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(4) ラインウンガ湖
 

ここから先はトンネルの連続だ。1つ目のトンネルは途中で片側がオープンになる個所があり(見取図ではトンネルから出たように描いてある)、右の窓からU字谷のダイナミックな風景を垣間見ることができる。トンネルの中で向きを180度変えるため、次の明かり窓は左側に現れるので驚かないように。向こうの谷壁の中腹に、これから通る線路が刻まれているのが確認できるだろう。

まもなく列車は路線随一のビュースポット、ショース滝 Kjosfossen にさしかかる(下注。写真5)。夏のダイヤでは上下列車とも約10分停車するので、テラスに降り、轟音やしぶきを浴びて、目の前を落下していく圧倒的な水量を思う存分体感したい。

*注 foss、fossen は滝の意。ショースフォッセン滝あるいはヒョース滝の表記もある。ノルウェー語の"kj"は「ドイツ語の ich の ch「ヒ」のように聞こえるが、舌を硬口蓋の中央に近づけ息をするどく出す。西部ノルウェーの方言では舌が硬口蓋についてしまい「チ」のように聞こえる。」(森 信嘉「ノルウェー語文法入門-ブークモール」大学書林, 1990 p.21)

ガイドブックなどに、滝のそばで音楽に合わせて女性が舞い踊るのが見える、と書かれている。女性が扮しているのは、森の精フルドラ Huldra だ。前回紹介したJ.B.トゥーエの『フロム鉄道』日本語版(p.46)によれば、この森の精は”こびと”で、「正面から見ると非常に美しいが、後ろから見るとまるで動物のような尻尾を生やし、背中がくぼんでいることもあったという。」 フルドラはまた、「音楽の才に恵まれており、歌を歌ったり、楽器を奏でているのが時々聞こえた」「人々は”こびと”の音楽にいつまでも聞き惚れた」とされている。

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(5) ショース滝を俯瞰
 列車の背後に観瀑用のホームが見える
 

さて、線路は築堤でフロム川 Flåmselvi を横断して、再びトンネルへ突っ込む。ここでも急な左カーブで高度を落としながらトンネルを出たところが、さきほど見えていた線路だ(写真6)。左側、向かいの谷壁を白糸のような流れがすべり落ちているが、あの上にミュールダールの駅がある。ベルゲン鉄道建設のために拓かれたラッラル(工夫)の道が、17のヘアピンカーブを連ねて急斜面を上っている(写真7)。

*注 ラッラルの道については、本ブログ「ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて」も参照

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(6) ヴァトナハルセンからの眺め
 右下を列車が走る
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(7) ミュールダール(滝の上部)とラッラルの道
 

次のノーリトンネル Nålitunnelen は路線で最も長い1342m、続くブロムヘレルトンネル Blomhellertunnelen は2番目に長い1030mで、削るにはあまりに危険な断崖をこうしてトンネルでかわしていく。ブロムヘレル Blomheller 駅に近づくころにはフロム川の流れも穏やかになり、線路はようやく谷底に達する。

しかし、旅程は半分も終わっていない。標高もまだ450mある。この先、風景が変化するタイミングは、遷急点の通過と同期していると覚えておくとわかりやすいだろう。遷急点とは、緩やかだった川の流れが突然急になる場所(遷移点ともいう)で、フロム川もこうしたポイントを経て、階段状に高度を落としていく。しかし線路勾配は川のように自在にはいかないので、遷急点の後は相対的に高みを走るようになり、車窓から谷を見下ろす形になる。また、遷急点を境に川幅が狭まるため、交通路はしばしばここを谷の横断に利用する。

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(8) 最小半径130m、最急勾配55‰の標識
 

フロム川はおおまかに言ってあと3個所、遷急点をもつ。ブロムヘレル駅のすぐ後に1個所めがあり、セオリーどおりに鉄道は川を渡って左岸にとりつく。フロム鉄道の特徴の一つは、橋を造らず、築堤の下にトンネルを設けて水流をくぐらせていることで、そのために乗客は川を横切ったことに気づかないかもしれない。ここからしばらく右側の車窓に眺望が移る。

ベレクヴァム Berekvam はミュールダールから10.5km、フロムから9.7kmと両者のほぼ中間にあり、夏の日中、上下列車がここで対向する(写真9)。道路に接していない右側の線路に入るミュールダール行きは、無停車扱いで乗降はできないが、定刻なら先着している。線路はゆるく右カーブしているので、駅進入直前、右の窓から前方に対向待ちしている列車を捉えることができるはずだ。

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(9) ベレクヴァム駅の列車交換
 左がフロム行き
 

トンネルを2本くぐると、線路は再び川を渡って、右手から張り出す岩壁に開けられたトンネルに突っ込んでいく(写真10)。ここはホーガ Høga(高みを意味する)と呼ばれ、2つ目の遷急点だ。ダールスボトン Dalsbotn 駅あたりまで降りると、左前方に140mの高さを豪快に落下するリョーアンネ滝 Rjoandefossen の姿が捉えられる(写真11)。滝と並ぶ直前で、列車は尾根を横切る最後のトンネルに入ってしまうので、シャッターチャンスに注意したい。

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(10) ホーガ付近
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(11) リョーアンネ滝
 

この間に、川は最後の遷急点を通過して、ついに谷間の平地にたどりつく。トンネルの闇を抜けると左前方に、小さな木造教会と民家の赤壁が印象的なフロムの村の光景が広がって、思わず目を奪われるに違いない(写真12)。ここで左後方を振り返れば、リョーアンネ滝が遠くで見送ってくれているのにも気づくだろう。平和なたたずまいを見せる村の脇をゆっくりとすり抜けた列車は、1時間弱の旅を終えて、フィヨルド観光船が待つフロムの港に到着する(写真13, 14)。

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(12) フロムの村、中央手前が教会
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(13) フロム駅と港
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(14) フロム駅舎
 

最後に、フロム港からの交通機関について記しておこう。ここまで降りてきた旅行者のお目当ては、やはりアウルランフィヨルド Aurlandsfjorden ~ネーロイフィヨルド Nærøyfjorden を進む観光船だろう。船は Fjord1(フィヨールエット)社が運航していて、夏は4往復設定されている。所要時間は2時間10分だ。

グドヴァンゲン上陸後はバス移動になる。ソグネフィヨルド最奥部とベルゲンを結ぶソグネバス Sognebussen がフロム、グドヴァンゲン、ヴォス経由で走っているので、これをつかまえれば、ベルゲンまでバスで直行することも可能だ。これもFjord1が運行元のようだが、時刻表は、地方バス会社40社が共同運営する「ノル・ウェーバス急行 NOR-WAY Bussekspress」のサイト(下記参考サイト)に載っている。土日は運行しない便があるので注意が必要だ。

また、グドヴァンゲン~ヴォス間のローカルバスの時刻表は、下記シス(ヒス)Skyssのサイトにある。

(2015年4月28日写真追加)

■参考サイト
フロム港の運営 http://www.flaam-cruise.com/
Fjord1社 http://www.fjord1.no/ 英語版あり
 英語版トップページ > Tourist routes boat > Flåm - Gudvangen 紹介と時刻表がある。
ノル・ウェーバス急行 NOR-WAY Bussekspress http://www.nor-way.no/ 英語版あり
 英語版トップページ > Timetables > 450 Sognebussen
Skyss http://www.skyss.no/ 英語版あり
 英語版トップページ > Timetables and Maps > Timetables > Click here for English timetables > 950 Voss - Gudvangen

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 ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて
 ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道
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 ノルウェーの景勝路線 ラウマ鉄道
 ノルウェーの鉄道地図

2010年4月 1日 (木)

ノルウェー フロム鉄道 I-その生い立ち

フロム鉄道(フロム線) Flåmsbana

フロム Flåm ~ミュールダール Myrdal 間 20.2km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化
最急勾配55.6‰(1/18)、最急曲線130m
1940年開通、1944年電化

フロム鉄道 Flåmsbana は、ベルゲン鉄道のミュールダール Myrdal 駅から分岐している延長20km余りの支線だ。支線とはいえ年間の旅客数は50万人を優に超え、特に夏場の賑わいようは、ノルウェーの鉄道で群を抜いている。試しにノルウェーを訪れるパックツアーを検索してみるといい。フィヨルド周遊のような謳い文句がついていれば、十中八九、この路線がコースに組み込まれているはずだ。

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ミュールダール駅に入線するフロム鉄道の列車
Photo by Giorgio Giorgetti at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

いまや同国屈指の観光資源として押しも押されぬ位置につけている鉄道だが、最初からそうだったわけではない。開業したのが1940年とかなりの遅咲きなうえに、1950~60年代には早くも存続が疑問視されるほどの低調さをかこっていた。確かに、せいぜい数百人しか住んでいないような狭い谷間に、いったい何の目的で鉄道が造られたのだろうか。

フロム鉄道に関しては、公式サイトに日本語版が併設されているし、日本語で書かれたガイドブックも出版されている(本稿末尾で紹介)。それらをも参照しながら、ユニークな小鉄道の過去と現在をまとめてみた。

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フロム鉄道の位置
 

さて、上の問いに先に答えておこう。敷設の目的は、当然といえばそれまでだが、ベルゲン鉄道の培養線とするためだ。培養線とは、植物の根のように、幹線へ集貨・集客するために造られた支線をいう。

ベルゲン鉄道が通る一帯は、北にソグネフィヨルド Sognefjorden、南にハルダンゲルフィヨルド Hardangerfjorden が深く入り込んで、半島状を成している。地勢の険しいこの地方では、古くから波静かなフィヨルドが道路の代わりだった。それゆえに、内陸を走る幹線から各々フィヨルドの最奥部へ短い支線を延ばすだけで、海を媒介にした沿岸の村々との交易路ができあがる(下図参照)。

初期の段階では、ヴォス Voss から北はグドヴァンゲン Gudvangen、南はグランヴィン Granvin への路線(下注)が検討された。前者は現在、国道E16号線が通るルートだが、議論の末に計画が変更され、ミュールダールから分岐して現在のフロム Flåm 駅があるフレトハイム Fretheim で船と接続させることになった。このほうがオスロ方面への近道となり、建設する距離も半分で済むからだ。しかしこの間には860mもの高度差があるため、いったんは部分的にラック式を採用した狭軌鉄道案が承認されるなど、計画案は揺れ動いた。

*注 グランヴィンへの路線は、後にハルダンゲル鉄道 Hardangerbanen (ヴォス~グランヴィン間27.5km)として実現した。1919年認可、1935年開業。しかし、旅客輸送は1985年、貨物輸送は1989年に休止となった。ヴォスから3.4kmは貨物線として残るが、以南の線路敷は、大部分自転車道に転換されている。

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交易路としてのフロム鉄道
 

1916年、全線粘着式(通常のレール)で標準軌とすることが、議会で最終決定された。その内容は、ルートの8割(16km)が勾配28‰(1/36)以上、3割(5.7km)がトンネルで、最急勾配55.6‰(1/18)、最急曲線130mという、まさしく山岳路線のプロフィールだった。工事は1924年に着手されたものの、不況の影響も受けて、進捗は目覚しくなかった。

ところが、第二次大戦下、ノルウェーに侵攻したドイツ軍は、フロム鉄道で貨物輸送を行うことを要求した。開通時期が急遽前倒しされ、1940年、蒸気機関車による暫定運行が開始された。鉄道の電化が完了したのは、少し遅れて1944年、沿線のショース滝 Kjosfossen に新しい発電所が設けられてからだ。

期待に反して、戦後のフロム鉄道の利用状況は低迷し続けた。1970年代に乗客数が少し上向いたものの、夏に集中していたので、鉄道当局は損失の大きい冬期の運行を取止めることさえ検討していたという。

様相が変化を見せ始めたのは、オスロからの長距離列車のミュルダール停車が定着した1980年前後からだ。フィヨルド観光が国際的に注目を集めるようになり、乗客数の増加傾向がはっきりしたことで、廃止論を唱える人はいなくなった。

さらに1991年、それまで道路がなくフェリーで連絡していたフロムとグドヴァンゲンの間に道路トンネル(下注)が開通すると、自家用車やバスによる入れ込みが急増し、フロム鉄道の年間乗客数は30万人台に載るようになった。2002年には40万人、ネーロイフィヨルド Nærøyfjorden が世界遺産に登録された翌2006年には、50万人の大台を突破している。

*注 東からフレーニャトンネル Flenjatunnelen(5053m、1986年開通)、グドヴァンガトンネル Gudvangatunnelen(11428m、1991年)。後者は当時、同国最長の道路トンネルだった。2000年に世界最長となるラルダールトンネル Lærdalstunnelen(24510m)が完成して、E16号線が陸路でつながり、ルートの選択肢はさらに広がった。

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フロム鉄道のルート
© 2020 Kartverket

フロム鉄道の成功は、フィヨルド周遊ルートの確立に拠るところが大きい。ミュールダール~(フロム鉄道)~フロム~(フィヨルド観光船)~グドヴァンゲン~(バス)~ヴォス~(ベルゲン鉄道)~ミュールダールという、地図上で直角三角形をなす一周ルートがそれだ。

氷河起源のダイナミックな風景が連続する恵まれたシチュエーションに加えて、さまざまな交通手段の組合せ、一周しても5~6時間のコンパクトサイズ、そしてオスロとベルゲンを移動する途中に位置していることなど、ツアーに好まれる資格を兼ね備えている。フロム鉄道自体は並行する自動車道がないため、クルマと競合しないのも有利だ。

一方で、周辺の急速な道路整備は、鉄道の本来の目的であったソグネフィヨルドの交通網における比重を著しく減少させ、とりわけ貨物輸送の需要をあらかた奪ってしまった。山間の過疎地で地域利用があまり見込めないため、観光路線としてアピールを強める以外に存続の道はないというのが、現実のところだろう。

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フロム鉄道のロゴ
Photo by pushypenguin at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

フロム鉄道は、Bane NOR が管理する旧国鉄路線の一つで、運営体制はベルゲン鉄道などと同じだ。しかし、一つ違う点がある。営業と商品開発を、1998年からフロム開発公社 Flåm Utvikling AS に任せているのだ。公社はフロムとアウルラン Aurland の観光港やホテルの営業も行い、鉄道と組合せた旅行商品の開発を担っている。

たかだか20kmのローカル線に、16か国語もの案内リーフレット、6か国語のウェブサイトを用意して、鉄道の知名度浸透に努めている。訪問者が着実に増加しているのも、そうした努力の結果に違いない。

営利活動だけではなく、フロムの旧駅舎に設けられた鉄道博物館も、公社の運営だ。フロム駅で列車を降りたら、観光船に乗継ぐ前に博物館を訪れて、先人がこの地で挑んだ難工事の過程を振り返るひとときを持ちたいものだ。

次回はフロム鉄道の見どころを紹介する。

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■参考図書
フロム鉄道については、下記の出版物がある。

ヨハンネス・B・トゥーエ Johannes B. Thue 著 伊奈真己 訳『フロム鉄道』日本語版 SKALD AS, 2002

現地のスカル Skald 社が刊行する、カラー写真をふんだんに使った80ページ、ハードカバーの冊子で、沿線紹介、歴史、建設秘話、データ集で構成されている。ノルウェー語(ブークモールおよびニーノシュク)のほか英、独、露、中、西、そして日本語の8か国語版がある。フロム鉄道の売店に置いているそうだが、日本の書店では扱っていないため、筆者はオスロの書店から取寄せた。
現物をご覧になりたければ、JTB旅の図書館 http://www.jtb.or.jp/library/ が所蔵している。
出版社による紹介記事 http://skald.no/utgjevingar/flaamsbana.html

■参考サイト
フロム鉄道公式サイト http://www.flaamsbana.no/
 日本語版あり。時刻表は中間駅が省かれている。全駅時刻表は次のサイトで。

ノルウェー鉄道時刻表 http://www.nsb.no/timetables/
 路線ごとのPDFファイルがある。
 フロム鉄道は時刻表番号42 Flåm - Myrdal

フロム鉄道博物館 Flåmbana Museet / The Flåm Railway Documentation Centre
http://www.flamsbana-museet.no/
 詳しいデータ集が役に立つ。英語版あり。

鉄道庁 Jernbaneverket のサイトにあるフロム鉄道写真集
http://www.jernbaneverket.no/no/Jernbanen/Virtuell-togreise/Flamsbana/

フロム開発公社 http://www.visitflam.com/

本稿は上記参考図書、参考サイトのほか、John Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000 を参照して記述した。

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 ベルゲン鉄道を地図で追う III-雪山を越えて
 ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道
 ノルウェー最北の路線 オーフォート鉄道
 ノルウェーの景勝路線 ラウマ鉄道
 ノルウェーの鉄道地図

2010年3月25日 (木)

ベルゲン鉄道を地図で追う IV-近代化と保存鉄道

山地の西側を降りていくベルゲン行きの列車が初めて出会う町が、ヴォス Voss だ。ここもまたウィンタースポーツのリゾートの一つだが、遠来の観光客にとっては、世界遺産に登録されたネーロイフィヨルド Nærøyfjord への玄関口としての印象が強いだろう。ヴォス駅の標高は57mしかなく、列車の山越えはこれで終わりだ。この後も険しい地勢が続くが、線路は谷底の水際にへばりつくように敷かれている。ベルゲンまでは86km、優等列車で急いでもまだ1時間以上かかる。

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ヴォス駅
Photo by Alasdair McLellan at wikimedia.
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ヴォス~ベルゲン間
© 2020 Kartverket
 

ベルゲン鉄道の最初の開通区間がベルゲン~ヴォス間であったことは、前に述べた。この通称ヴォス鉄道 Vossebanen は1875年に認可され、1883年に開通している。鉄道建設が首都のある東海岸ではなく、山がちな西海岸で先行した理由は、この地方の産業事情が関わっている。

19世紀中盤は、欧米諸国で工業化が進展した時代だ。交易の活発化で商船需要が高まって、海運国ノルウェーは豊かな富を得た。ベルゲンはその中心地の一つだった。この地方では、有り余る水力を背景にして繊維、製紙業が盛んになり、電力を使う化学工業も興っていた。資金集めに有利な条件が揃っていたことが、早期の事業化に道を拓いたのだ。

ヴォス鉄道の軌間は、日本のJRなどと同じ1067mmの狭軌だった。山間部が多い土地柄、建設費を抑えるために狭軌が適していると当局が考えたのも、わが国と共通している。フィヨルドの懸崖に沿う線路には、最急勾配20‰(1/50)、最小曲線半径192mという厳しい線形が採用されたが、それでもトンネルの数が、最長1286mを筆頭に計51本、総延長で全線の1割近くを占めた。

鉄道は、しばらくヴォスを終点とする孤立線だった。東方への延長計画が認可されたのは、それから15年も後になる。その1890年代はノルウェーでのゲージ(軌間)論争が決着した時期で、新線は標準軌1435mmとすることが決定した。接続するヴォス鉄道も改軌の対象となり、トンネル断面の拡張に加えて、急曲線の緩和が計画に盛り込まれた。1899年から始まった改修工事は1904年に完成し、列車を運休させることなく一夜で軌間の切替が実施された。

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ヴォス~ベルゲン間の新旧ルート
 

ベルゲン鉄道は国の東西を結ぶ幹線とあって、歴史の古いベルゲン~ヴォスルートにはその後も大きく手が入れられている。その概略を描いたのが上図だ。危険個所に長大トンネルを何本もうがって直線化していく様子は、北陸本線糸魚川の前後を思い出させる。ヴォス始発のローカル列車に乗換えて追ってみよう。

14時35分、ヴォスを出発すると、左の車窓にヴァング湖 Vangsvatnet が広がる。しかしそれも束の間で、すぐに新しいトンネルに突っ込んでしまい、闇を抜けたブルケン Bulken はもう湖の端だ。湖から流れ出すヴォッソ川 Vosso を渡って左岸へ移り、峡谷の中をエヴァンゲル Evanger、ボルスターデイリ Bolstadøyri と進む。

ここで鉄道はついに標高0mに到達する。川がボルスタードフィヨルド Bolstadfjorden に流れ込み、そのまま外洋につながっているからだ。しかし、中小のトンネルが断続していた旧線は放棄され、現在、線路は同鉄道で2番目に長い8043mのトロルコナトンネル Trollkonatunnelen に導かれる。これを抜ければ、地域の中心地ダーレ Dale に着く。

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ベルゲン近郊
© 2020 Kartverket
 

ダーレを15時03分発車、次のスタングヘレ Stanghelle でヴェアフィヨルド Veafjorden に出合う。これから30km弱の間、波静かなフィヨルドの風景が右手車窓に続いて、旅の最後の景勝区間となっている。ソールフィヨルド Sørfjorden に渡された同国3番目の規模の吊橋、オステロイ橋 Osterøybrua(道路橋)が近づけば、のどかな眺めも見納めだ。列車は再びトンネルに吸い込まれ、アルナ Arna 停車後、7670mのウルリケントンネル Ulrikentunnelen を経て15時52分、ベルゲン駅に到着する。

ルート改修の中でも、1964年に完成したトゥネスヴェイテン Tunesveiten(地名。駅はない)~ベルゲン間の直線化はとりわけインパクトが大きかった。この区間の旧線は自然地形に忠実に沿って造られたため、延長33kmの大回りをしていたが、2本の長大トンネルによって11kmとなり、所要時間で30分もの短縮効果があった。両トンネルにはさまれたアルナ Arna は都心へ10分以内となって都市化が進み、ベルゲンとの間に毎時2~3本のシャトル列車が設定されている。

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旧ヴォス鉄道
リーフレット
 

一方、列車の姿が消えた旧線のその後だが、フィヨルドの岬の先端ガルネス Garnes と迂回路の南端に近いミットゥン Midttun の間 18kmは保存鉄道「旧ヴォス鉄道 Gamle Vossebanen、英語名 Old Voss Line」となり、ノルウェー鉄道クラブ Norsk Jernbaneklubb が蒸気列車を走らせている(右写真はリーフレット表紙)。

運行期間は6月中旬から9月中旬の毎日曜日で、1913年製造の蒸機が1920~30年代の木造客車を牽いて走る片道50分の旅だ。途中、湖岸を眺め、古いトンネルでは煙の匂いを嗅いで、旧線時代の雰囲気をたっぷり味わうことができる。拠点駅はガルネスで、構内が復元され、博物館も併設されている。アクセスとしては、アルナで乗り継ぐ(新駅から旧駅まで300m)か、アルナからガルネスへバスもあるようだ。

ミットゥンから先、クロンスタ Kronstad までは自転車道などに転換されてしまったが、クロンスタ~ベルゲン間は2000年ごろまで貨物営業があったため、レールが残されている。

実は、現在のベルゲン駅もヴォス鉄道当時のオリジナルではない。オスロ直通で手狭になるため、1913年に移築拡張されたのが現在の姿で、旧駅は新駅の西側、小ルンゲゴース湖 Lille Lungegårdsvannet に面していた(現在の湖は埋立てで縮小・整形されている)。線路も、旧駅からまっすぐ南下し、大ルンゲゴース湖 Store Lungegårdsvannet の西端を鉄橋で渡ってミンデ Minde に達していた。

しかし、新駅開設と同時に、湖の東を回る形に付替えられて廃線となってしまった。100年も昔の話なので、今その跡を追うことは難しい。

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ベルゲン駅に到着
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ベルゲン駅正面
 

ところで、ベルゲンではLRTの開業が話題になっている。2010年6月22日に、都市公園 Byparken と南郊のネストゥン Nesttun を結ぶ9.8kmの区間で走り始める予定だ(下記参考サイト「ベルゲンライトレール」参照)。これを第1期として、今後、空港や北郊への延長も計画されている。

市内には1897~1965年の間、路面電車が存在したので、45年ぶりの復活ということになる。今回開業する区間は、起点から終点までちょうどヴォス鉄道旧線に並行している。旧線跡との間に直接、ルートの重複はないのだが、もしあの時レールが撤去されなければ、鉄道線をそっくりLRTに転換するという選択肢があったかもしれないと想像するのも、興味深いことだ。

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ベルゲンライトレール
 

(2015年4月28日写真追加)

本稿は"OSLO - BERGEN The Bergen Railway" NSB brochure および John Cranfield "The Railways of Norway" John Cranfield, 2000ほかを参照して記述した。
ベルゲン駅とベルゲンライトレールの写真は、2014年に現地を訪れた海外鉄道研究会の松本昌太郎氏から提供を受けたものだ。ご好意に心より感謝したい。

■参考サイト
ノルウェー鉄道クラブ 旧ヴォス鉄道 http://www.njk.no/vossebanen/
ベルゲンライトレール Bybanen i Bergen http://www.bybanen.no/

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