オセアニアの鉄道

2024年2月 7日 (水)

ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

植民地、自治領以来の強い文化的影響を受けて、南半球のイギリス Britain of the South とさえ呼ばれるニュージーランドは、保存鉄道の分野でもその呼び名にふさわしい充実ぶりを見せている。リストに掲げた20数件の路線のうち、主なものを北島と南島に分けて紹介したい。今回は北島について。

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グレンブルック駅の国産蒸機Ja形(左)とWw形(2017年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_nz.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド」画面

ニュージーランドの幹線鉄道網は、日本のJR在来線と同じ1067mm(3フィート6インチ)軌間だ。廃止された支線を復活させて、この軌間の保存蒸機やディーゼル機関車を走らせているところがいくつかある。

項番1 ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道 Bay of Islands Vintage Railway

北島の北側に角のように延びるノースランド半島 Northland Peninsula の一角を、この保存鉄道は走っている。もとは国鉄ノース・オークランド線 North Auckland line の最北端で、オプア支線 Opua branch line とも呼ばれた、内陸から港町に向かうローカル線の一部だ。

*注 オプア支線はノース・オークランド線 North Auckland line で最初の開業区間で、1868年にカワカワの炭鉱からオプア Opua の港へ石炭を運ぶ馬車軌道として造られた。

ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道は1985年に開業したが、その後、財政難で休止と再開を繰り返した。現在は、支線の中間駅だったカワカワ Kawakawa を拠点に、約7km下ったテ・アケアケ Te Akeake(停留所)までの区間を、蒸気またはディーゼル牽引で往復している。往復の所要時間は90分。

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カワカワ駅で発車を待つ蒸気列車(2009年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ルートの呼び物は、カワカワの市街地を貫いている長さ約300mの道路併用区間だ。両端の車道との交差部に信号機はなく、クルマや通行人は阿吽の呼吸で、進入する列車に道を譲る。町を出た後は農地のへりを下っていき、中間駅タウマレレ Taumarere の先に、カワカワ川(!)Kawakawa River に架かる長いトレッスル橋がある。

テ・アケアケは川べりにある暫定の折り返し点で、鉄道はこの先、オプア港までの復元を目標にしている。現行ルートでも車窓はけっこう変化に富んでいるが、将来区間にはトンネルや入江の眺めもあり、魅力はいっそう深まることだろう。

ところで、英語では保存鉄道を通常 "heritage railway" というが、ニュージーランドでは、この鉄道のように "vintage railway" と称することが多い。適切な訳が思いつかないので、リストではすべてヴィンテージ鉄道としている。

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カワカワ市街地の併用軌道(2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番5 グレンブルック・ヴィンテージ鉄道 Glenbrook Vintage Railway

オークランドでグレンブルック Glenbrook と言えば、誰しも南郊にある同名の製鉄所を思い浮かべることだろう。この保存鉄道は、そこへの貨物線が分岐するワイウク支線 Waiuku branch の末端区間を舞台にしている(下注)。1967年に廃止された区間だが、その10年後に保存団体が、藪を切り開き、本線運行から引退した蒸気機関車や客車をここへ運んで走らせ始めた。今ではそれが、蒸機10両以上を保有する同国有数の保存鉄道に成長している。

*注 ワイウク支線のうち、根元区間のパトゥマホエ Patumahoe ~グレンブルック間は製鉄所への貨物支線として現在も使われている。

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ワイウク郊外を行くJa形重連(2013年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

鉄道の拠点は、分岐駅のグレンブルックにある。そこから港町ワイウクのヴィクトリア・アヴェニュー Victoria Avenue 駅に至る7.4kmで、シーズンの主として日曜祝日に、かつて本線で使われた蒸機による観光列車が運行されている。

グレンブルックは台地の上で、河口のワイウクへ向けては、牧草地の中に下り坂が続く。往路の蒸機は逆機運転で、終点まで20分間ノンストップだ。機回しの後の復路は上り坂になるため、前を向いた蒸機の力強い走りが期待できる。中間地点のプケオワレ Pukeoware にある鉄道の修理工場で、15分の見学休憩があり、小旅行は往復で70分になる。

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グレンブルック駅の信号所(2013年)
Photo by itravelNZ® at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、険しい峠越えに挑戦した19世紀の鉄道技術の結晶ともいうべき区間について。

項番9 ラウリム・スパイラル Raurimu Spiral

朝、オークランド Auckland から北島本線の長距離列車ノーザン・エクスプローラー Northern Explorer(下注)に乗り込むと、ちょうどお昼ごろにその鉄道名所にさしかかる。ラウリム・スパイラルとは、北島の中心部、タウポ火山群 Taupo Volcanic Zone の広大な裾野のへりにある、スパイラル(日本でいうループ線)を含んだ複雑な山岳ルートのことだ。

*注 北島の二大都市オークランドとウェリントンを結ぶ観光列車。現在、週3往復で、ウェリントン行きが月、木、土曜日に、オークランド行きが水、金、日曜日に運行される。所要10時間40分~11時間5分。

名所区間は、麓にある標高592mのラウリム Raurimu 旧駅(下注)から始まる。線路は半径151m(7チェーン半)のオメガカーブで反転した後、北斜面に回り込んで、長さ385mのトンネルに入る。この内部にスパイラルの始点があり、もう1本のトンネルを介しながら時計回りに円を描いていく。途中で左車窓に、ラウリム旧駅や先ほど通過した線路が一瞬見えるはずだ。

*注 ラウリム駅は1977年に廃止されたが、待避線は動態で現存する。

地形を巧みに利用したルートによって、鉄道は、勾配を蒸機の牽引能力内の1:50(20‰)に抑えながら、トンガリロ国立公園 Tongariro National Park の玄関口、ナショナル・パーク National Park 駅まで215mの高低差を克服した。この間の直線距離は約6kmだが、路線長は11.6kmとほぼ2倍の長さがある。

オークランドに向かう北行きのノーザン・エクスプローラーも、ナショナル・パーク駅の発車は同じ時刻だ。昼過ぎの時間帯、この名所を通って麓に降りていく。

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空から見たラウリム・スパイラル(2012年)
Photo by Jenny Scott at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番11 リムタカ・インクライン Rimutaka Incline

ウェリントンからマスタートン Masterton 方面に通じるワイララパ線 Wairarapa Line には、ニュージーランドの鉄道で第2の長さを誇る8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel がある。トンネルとその前後区間は1955年の開通だ。

それ以前の旧線は、まったく別の峠越えルートを通っていた。特に東斜面には3マイル(4.8km)の間、平均66.7‰という極めて急な勾配区間があった。そこで使われていたのがフェル式 Fell system だ。これは、2本の走行レールの間に双頭レールを横置きし、それを車両側の水平駆動輪で左右から挟むことによって推進力を高める方式で、幹線で20世紀半ばまで使用していたのは、この区間が唯一だった。

麓の基地にはそのための蒸気機関車H形が配置され、戦後に導入された気動車も、センターレールは使わないものの、それに支障しないよう車高を上げた特別仕様車だった。

新線開通後、廃線跡は峠のトンネルを含めて、リムタカ・レール・トレール(自転車・徒歩道)Rimutaka Rail Trail に転用され、保存されている。役目を終えたH形蒸機は1両だけ残され、東麓のフェザーストン Featherston に設立されたフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum で静態展示されている。これとは別に、西麓のメイモーン Maymorn 駅構内では、リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust が、峠区間の復元を目標にして活動中だ。

*注 詳細は「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」参照。

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現役時代のサミット駅(1880年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain
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サミットトンネル東口、トンネル内部に続くフェル式レール(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain

軽便線や市内軌道、鋼索線にもそれぞれ見どころがある。

項番2 ドライヴィング・クリーク鉄道 Driving Creek Railway

3km走る間にトンネル3本、橋梁10本、オメガループが2か所、スイッチバックは5か所…。しかも7番目の橋梁は2層建てで、タイミングを合わせた続行列車と、上下両層で同時に渡っていく。最後に控えるスイッチバックは、尾根から空中に突き出たデッドエンドで、乗客は見晴らしに感嘆しつつも目の前のスリルに肝を冷やす。

ドライヴィング・クリーク鉄道は、北島コロマンデル半島のコロマンデル Coromandel 郊外にある381mm(15インチ)軌間の観光鉄道だ。技巧を凝らして手造りされたレイアウトは、テーマパークのアトラクションも顔負けのレベルに達している。

意外なことに、鉄道の創設者は陶芸家だった。彼は1975年に、陶芸工房で使う粘土と薪を山から運び下ろすために軌道を造り始めた。ところが、工房を訪れた客を乗せるサービスが評判を呼び、しだいに線路は、裏山一帯を巡るようにして上へ上へと延伸されていった。

麓に建つ工房前から、列車は出発する。線路は最大1:14(71‰)という急な上り坂だ。数々のマニアックなポイントを経て到着した終点には、2004年に完成したアイフル・タワー Eyefull Tower(アイフェル・タワー Eiffel Tower、すなわちパリのエッフェル塔のもじり、下注)という展望台がある。標高165mの高みからコロマンデル・ハーバー Coromandel Harbour や対岸の山並みの眺めを存分に楽しんだ客は、再び列車に乗り込み、麓に戻っていく。往復1時間15分。

*注 展望塔の構造は、オークランド港にある同国最古の灯台ビーン・ロック灯台 Bean Rock Lighthouse をモデルにしている。

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(左)2層建ての第7橋梁
(右)空中に突き出た第5スイッチバック(いずれも2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番4 ウェスタン・スプリングズ路面軌道 Western Springs Tramway

オークランド市内のウェスタン・スプリングズ Western Springs にあるMOTAT(輸送技術博物館 Museum of Transport and Technology)が、館外に敷いた軌道線で、動態保存しているトラム車両を走らせている。

博物館には、グレート・ノース・ロード Great North Road とエーヴィエーション・ホール Aviation Hall という離れた2か所の構内があり、軌道線は、訪問者がこの間を移動するための交通手段という位置づけだ。そのため、クリスマスの日を除き年中無休、15分から30分間隔で運行され、運賃は取らない。

グレート・ノース・ロードの車庫から出てきたトラムは、同名の停留所で客を乗せた後、街路と公園に挟まれた専用線を走り出す。中間に停留所が4か所あるが、列車交換(下注)が行われるオークランド動物園 Auckland Zoo 以外はリクエストストップだ。約8分で、航空機の展示ホールがある終点に到着する。

*注 列車交換は、15分間隔運行のときに行われる。

MOTATの保存トラムには、地元オークランドやファンガヌイ Whanganui の1435mm標準軌車のほか、ウェリントン Wellington から来た1219mm(4フィート)軌間の車両も含まれている。どちらも走れるように、軌道は全線にわたって3線軌条だ。

なお、エーヴィエーション・ホールの敷地の奥には、1067mm軌の蒸気鉄道の機関庫と、長さ約700mの走行線がある。毎月1回のライブ・デーには機関庫が公開され、保存運行が行われる。これもまた楽しみだ。

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終点エーヴィエーション・ホールに集結した古典車両群(2015年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番14 ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car

ケーブルカーで高台に上り、市街とその先に広がるウェリントン・ハーバー Wellington Harbour の絶景を眺めるというのが、ウェリントン観光の一つの定番だ。赤い車体のケーブルカーは、首都の目抜き通りラムトン・キー Lambton Quay の一角にある奥まったホームから出発する。前半はトンネルを出たり入ったりを繰り返すが、後半で一転空が開け、後方に町と海の美しいパノラマが見えてくる。

公式サイトによると、路線は長さ612m。17.86%(1:5.06)の一定勾配で、高度差120mを上りきる。山上駅はウェリントン植物園に隣接していて、テラスからの展望を楽しんだ後は、緑あふれる園地の散策に出かけるのが通例だ。

ケーブルカーは1902年の開通だが、当時のシステムは1067mm軌間の全線複線で、サンフランシスコに見られるような循環式と、釣瓶型の交走式とのハイブリッド仕様だった。すなわち、全線を循環するケーブルが通っていて、下る車両はそれを装置でつかむことにより降下する(=循環式)。もう一方の車両は、別のケーブルで山上駅の駆動力を持たない滑車を介してつながっているため、下る車両に連動して引き上げられた(=交走式)。また、緊急ブレーキ用に、フェル式レールも設置されていた。

しかし設備の老朽化が進み、1979年に軌間1000mm、単線交走式に置き換えられた。現在は、ケーブルでつながった2つの車両が、山上駅の駆動力を持つ滑車によって上下する。中間駅タラヴェラ Talavera に、行き違うための待避線がある。

英語では、循環式のケーブルカー(およびロープウェー)を "cable car" といい、交走式は "funicular" と呼んで区別する。この鉄道は今もケーブルカーを名乗っているが、これは旧方式を使っていた名残りに過ぎず、実際はフュニキュラーだ。

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上部駅のテラスから見るケーブルカーのパノラマ(2014年)
Photo by Sham's Personal Favourites at flickr. License: public domain

最後に、変わり種の鉄道ツアーを一つ。

項番8 フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(ストラトフォード=オカフクラ線)Forgotten World Adventures (Stratford–Okahukura Line)

北島中部に、エグモント山麓のストラトフォード Stratford から山中を通って北島本線のオカフクラ Okahukura に至るストラトフォード=オカフクラ線 Stratford–Okahukura Line がある。全長143.5kmの間に、24本のトンネル、91本の橋梁、20‰の勾配が繰り返される山地横断路線だ。しかし、旅客列車は言うに及ばず、近年は貨物列車の運行もなく、路線自体が休止状態になって久しい。

この忘れられたようなルートで、2012年からエンジン付きレールカートによる走行ツアーを実施しているのが、フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(忘れられた世界の冒険)Forgotten World Adventures という企画会社だ。ゴルフカートのような簡素な車両だが、ガイドを兼ねたドライバーがつくので、客は乗っているだけでいい。また、およそ15km走るごとに降りて、小休憩やティータイムがある。

ツアーは数種類用意されている。たとえば、最も手軽な半日コースでは、朝、タウマルヌイ Taumarunui の直営モーテル前に集合して、シャトル(乗合タクシー)でオカフクラの乗り場(下注)へ行く。レールカートで線路を40km走ってトキリマ Tokirima へ。ここでランチをとり、復路はまたシャトルに乗って、ラベンダー農場経由で起点に戻る。

*注 オカフクラの国道をまたぐ鉄道の高架橋が老朽化により撤去されたため、乗り場はオカフクラ駅から800m先の地点に変更されている。

1日コースなら、80km先のファンガモモナ Whangamomona まで行ける。さらに「究極 The Ultimate」コースでは、レールカートだけでストラトフォードまで全線を移動する。東海道線なら、東京駅から吉原か富士までの距離に等しい。途中、ファンガモモナで1泊して2日がかりの行程だが、鉄道趣味もここまで来ると体力勝負だ。

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(左)オカフクラのカート乗り場
(右)先行するカートを追って山中へ(いずれも2021年)
Photo by njcull at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

次回は、南島の保存・観光鉄道について。

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 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II

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オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に続いて、オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道を見ていきたい。今回はビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州から主なものをピックアップする。

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ウールシェッド・フラット Woolshed Flat 駅で
折り返しの発車を待つピチ・リチ鉄道の蒸気列車(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

ビクトリア州の鉄道路線網の軌間(線路幅)は、州間連絡路線および西部の一部区間を除くと、広軌の1600mm(5フィート3インチ)だ。州内には、この軌間の車両で保存運行している鉄道がいくつかある。

項番18 モーニントン鉄道 Mornington Railway

モーニントン鉄道は、州都メルボルン Melbourne の南郊にある蒸気保存鉄道だ。ビクトリア鉄道の、1981年に廃止された旧バクスター=モーニントン支線 Baxter - Mornington branch line のうち、終端側のムールーダック Moorooduc ~モーニントン間5.7kmを使って、1988年に開業した。

蒸気運転の主役は、ビクトリア鉄道で支線用として導入されたK形と呼ばれる軸配置2-8-0のテンダー機関車だ。ここには4両が収集されていて、その1両が運用に就いている。

運行は毎週日曜日に3往復で、基地があるムールーダックから出発し、モーニントンまで行って折り返す。旧モーニントン駅は商業地に転用されてしまったため、その手前に新設したホームと機回し線がある。なにぶん沿線は牧草地と宅地や工場が交錯する郊外地なので、車窓風景はやや平凡かもしれない。

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朝のムールーダック車両基地(2016年)
Photo by michaelgreenhill at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番22 ビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道 Victorian Goldfields Railway

ビクトリア州中部には、旧金鉱地帯を走る蒸気保存鉄道がある。メルボルンからベンディゴ Bendigo 方面に向かうデニリクイン線 Deniliquin line の支線17kmを保存したビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道で、1986年に開業した。

起点カッスルメーン Castlemaine は、メルボルン・サザンクロス駅からデニリクイン線の列車で1時間30分。その3番線から、保存列車は出発する。現在先頭に立つのはビクトリア鉄道J形蒸機で、K形の後継として1954年に登場した最後の形式だ。この旧モルドン支線 Maldon branch line は高原地帯を横断するルートで、最大25‰のアップダウンが連続する。それで補機としてY形ディーゼル機関車が後ろにつく。

古典客車に揺られ、灌木林に覆われた沿線風景を眺めながら、終点モルドン Maldon まで45分。一帯は1850年代にゴールドラッシュで栄えた土地で、カッスルメーンもモルドンも、市街地の建物や街路に当時の雰囲気をとどめている。折返しの発車を待つ間の周辺散策も楽しい。

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モルドン駅のJ形蒸機(2007年)
Photo by Zzrbiker at English-language Wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番14 ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道 Walhalla Goldfields Railway

ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道も同じように金鉱地帯の名が冠されているが、こちらは762mm(2フィート半)軌間の軽便鉄道だ。場所は州東部ギップスランド Gippsland の深い山の中で、かつて鉱山集落として栄えたワルハラ Walhalla の村の入口に拠点を置いている。

もとはモイ=ワルハラ線 Moe - Walhalla line というビクトリア鉄道の数少ない軽便路線の一つだった。開通したのは1910年で、鉱山はすでに衰退していたが、沿線の潤沢な木材の搬出に活用された。その廃線跡を利用して、1994~2002年に開業したのが現在の鉄道だ。

ワルハラ駅は最も上流で、長さ4kmのルートは、ストリンガーズ・クリーク Stringers Creek という谷川に沿って終始下っている。特に最初の約500mは谷幅が狭く、川を渡る橋梁と崖ぎわの桟道が計6本連続する見どころだ。最後にトムソン川 Thomson River の本流を斜めに渡って、終点トムソン Thomson に到着する。

片道20分、折返し準備を含めて往復で1時間。小型ディーゼル機関車がオープン客車を2~3両率いて、水、土、日曜に各3往復している。

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終点トムソン駅(2007年)
Photo by Travis Winters at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番17 パッフィン・ビリー鉄道 Puffing Billy Railway

メルボルンの東縁を限るダンデノン山地 Dandenong Ranges の南麓にあるパッフィン・ビリー鉄道は、おそらくオーストラリアで最も有名な保存鉄道の一つだ。なにしろクリスマスの日を除いて年中無休で、かつ基本的に蒸気機関車が牽引する(下注)。762mmの軽便線には珍しく、10両以上も客車を連ねた長大編成で走るのも、訪問者の多さを裏付ける。

*注 夏の高温で火気全面禁止となる日はディーゼル代行となる。

鉄道は1900年に開業したが、一般運行の廃止後、1962年から一部区間で保存運行が始まった。現在のベルグレーヴ Belgrave ~ジェムブルック Gembrook 間25kmを走れるようになったのは、比較的新しく1998年のことだ。

人気の理由の一つは、メルボルンの中心地区から電車で約1時間というアクセスの良さだろう。もちろんそれだけではない。盛んに煙を吐く機関車、広軌を見慣れた目には驚くほど幅狭な線路、1920年代を模したレトロな駅設備と、客を迎える舞台装置も十分魅力的だ。

列車が走り出すと、ユーカリの森が手の届くところを飛び去り、カーブの先に華奢な木造のトレッスル橋が現れる。極めつけはオープン客車の窓枠に横座りして、足を車外に投げ出す伝統的マナー(?)が許されていることだ。乗車体験はどこまでも非日常感に満ちている。

なお、平日の運行は途中のレークサイド Lakeside 駅折返しで、終点ジェムブルックまで足を延ばす便は日曜日限定だ。この場合、片道1時間50分、折り返し待ちの時間を含めて往復するなら5時間半かかる。

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モンバルク・トレッスル橋 Monbulk Trestle Bridge(2023年)
Photo by Takeshi Aida at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番16 シティ・サークル(メルボルン市電35系統)City Circle (Melbourne tram route 35)

メルボルンの市内トラムは、系統数24、軌道長は250kmもあって、南半球はおろか全世界で最大の規模を誇っている。車両の更新が進んで、1980年代以降の連接車が多数を占めるなか、一つだけ旧型ボギー単車のW形が集中投入されている系統がある。市内中心部を周回している観光ルート、35系統「シティ・サークル」だ。

主役のW形は1923年から30年以上にわたり製造されたメルボルンの看板形式だが、2010年代に全面改修を受けている。その際、塗色も特別色のマルーンから旧来の緑とクリームのツートンに戻された。レトロ感を振りまくW形は街路でもよく目立ち、ルートの明解さや運賃無料政策もあって、旅人の最初のメルボルン体験にはうってつけだ。

1994年の運行開始当初は、旧市街であるホドル・グリッド Hoddle Grid の外縁を回るルートで、一周40分だった。その後、拡張されて、現在はドックランズ Docklands のウォーターフロント・シティ Waterfront City が起点だ。ルートはP字状で、旧市街を一周した後、再び起点に戻っていく。全線56分。双方向に運行されていたが、運転士不足を理由に、2023年10月30日から時計回りの一方向運行になった。

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伝統色をまとうW形トラム(2019年)
Photo by Dietmar Rabich at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番20 バララット路面電車博物館 Ballarat Tramway Museum

メルボルンの西100km、中央高地 Central Highlands と呼ばれる地域にあるバララット Ballarat も、かつて金の採掘で繁栄した都市だ。レトロな造りが印象的なバララット駅をはじめ、市内には19世紀後半ビクトリア朝の建築物が多数残され、観光スポットになっている。

かつてこの町にも、州都以外では国内最大と言われた路面軌道網が存在した。惜しくも1971年までに廃止されてしまったが、唯一、面影を宿す短い軌道が、市民の憩いの場ウェンドゥリー湖 Lake Wendouree の西岸に残っている。

湖畔道路の片側を通る単線1.3kmのこのルートは、現在、バララット路面電車博物館が所有する車両の走行線だ。週末・祝日と火曜の開館中、動態保存の古典トラムが運行されている。博物館への引込線から出発し、本線を往復して再び博物館に戻る20分ほどのツアーで、途中停留所での乗降も可能だ。

また、2022年に改築されたばかりの博物館棟には、地元バララットやメルボルンの数十両にのぼる大規模なコレクションが保存展示されていて、こちらも一見の価値がある。

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ウェンドゥリー・パレード Wendouree Parade を行くトラム
(2011年)
Photo by Mattinbgn at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

次は、アデレードを州都とする南オーストラリア州について。

項番26 スチームレンジャー保存鉄道 SteamRanger Heritage Railway

スチームレンジャー保存鉄道は、アデレードとメルボルンを結ぶ州間連絡幹線から分岐するヴィクター・ハーバー支線 Victor Harbor branch line で、1980年代半ばから蒸気機関車による保存運行を実施している。アデレード=メルボルン線は1995年に1600mm広軌から標準軌に改軌されたが、支線のほうはすでに一般運行を終了していたため、接続が断たれて広軌の孤立線となった。

保存鉄道の拠点は、アデレード山地 Adelaide Hills の東斜面、マウント・バーカー Mount Barker にある。そこから終点ヴィクター・ハーバー Victor Harbor までの76.9kmが走行ルートだ。ヴィクター・ハーバーは都市部からの避暑客で賑わう海浜リゾートで、鉄道も格好の観光アトラクションになっている。

おおむね水曜と日曜が運行日で、通常は「コックル・トレイン Cockle Train」(下注)と呼ばれる短距離列車が、海沿いのグールワ Goolwa ~ヴィクター・ハーバー間17.6kmを往復している。ルート後半に海原を見晴らす景勝区間があり、沿線一番の見どころだからだ。

*注 海辺の住民が、釣り餌に使うコックル(ザル貝)cockle を集めるために、マレー川河口の砂浜までこの鉄道で出かけていたことに由来する。

一方、全線を走破するのは、「サザン・エンカウンター Southern Encounter」号で、隔週の日曜限定で運行される。往復150km強、ランチ付き8時間45分の大旅行だ。

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ミドルトン駅付近を行くRx形224号機(2020年)
Photo by Alan & Flora Botting at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番28 ヴィクター・ハーバー馬車軌道 Victor Harbor Horse Drawn Tram

ヴィクター・ハーバーにはもう一つ、名物の乗り物がある。グラニット島 Granite Island との間に架かる桟橋を渡っていく延長1.2kmの、馬が牽くトラムだ。今や世界的にも希少な存在の馬車軌道だが、海を横断するのは唯一無二だろう。

現在の施設は1986年に市営で再興されたものだが、オリジナルの歴史は古い。実は上述したスチームレンジャー保存鉄道が使っているヴィクター・ハーバー線は1854年、西オーストラリアで最初に開通した馬車鉄道がルーツだ(下注)。これがヴィクター・ハーバーまで延伸され、貨物線が(旧)桟橋を通ってグラニット島まで達した。つまり、馬が牽く貨車が桟橋へ直通していたのだ。

*注 最初の開業区間はグールワ Goolwa ~ポート・エリオット Port Elliot 間11km。ヴィクター・ハーバー延伸は1864年。

ヴィクター・ハーバー線が1884年に蒸気運転に転換された後も、桟橋の貨物線は馬力のまま残り、1894年からは乗用トラムで旅客も運ぶようになった。現在の馬車軌道は、広軌1600mmの線路を含め、1956年にいったん廃止された旧線のスタイルを再現しているのだ(下注)。

*注 馬車軌道がなかった期間は、ロードトレイン(牽引自動車。先頭が蒸気機関車の外観をしていることが多い)が走っていた。

コーズウェー causeway と呼ばれる長さ630mの連絡桟橋(下注)のたもとに、馬車軌道の乗り場がある。たくましい体躯のクライズデールが牽く古典トラムはダブルデッカーだ。強い潮風と日差しにさらされても、やはり眺めのいい2階席で行きたい。桟橋をゆっくり渡り終えたトラムは、そのまま島の北岸を進み、東端の埠頭の前が終点になる。

*注 桟橋は2021年に木造から鋼製に架け替えられた。

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旧 桟橋で海を渡る馬牽きトラム(2008年)
Photo by Drew Douglas at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番29 ピチ・リチ鉄道 Pichi Richi Railway

ピチ・リチ Pichi Richi というユニークな名は、保存鉄道が越えていく標高344mの峠の地名に由来する(下注)。スペンサー湾 Spencer Gulf の湾奧に位置するポート・オーガスタ Port Augusta から内陸へ進むこのルートは、そもそも大陸中央部、いわゆる「レッド・センター Red Centre」をめざした1067mm軌間の旧 開拓鉄道の一部だ。

*注 ピチ・リチの地名は、アボリジニが興奮剤として噛んでいたピチュリ pituri に由来するとされ、地域はその主産地だった。

それは現在の「ザ・ガン The Ghan」号が通過する標準軌線とは全く違う東寄りのルートをとって、1929年にアリス・スプリングズ Alice Springs に到達した(下注1)。1241kmという長距離路線で、後に一部が別線で標準軌化されるなど改良の手も加えられたものの、1980年、上記の標準軌新線(下注2)開通に伴って、すべて廃止となった。

*注1 旧「ザ・ガン」号が、このルートを通ってポート・オーガスタとアリス・スプリングズを結んだ。
*注2 1980年にアリス・スプリングズまでの南半区間が開通、2004年にダーウィンまで全通した。

ピチ・リチ鉄道は、放棄されたピチ・リチ峠を越える区間で、1974年に開業した蒸気保存鉄道だ。ルートはポート・オーガスタからクオーン Quorn までの39.8km(下注)。旧路線の規模からすればわずかな距離だが、急カーブと勾配が連続する峠道は全線のハイライト区間といっていい。

*注 ただしポート・オーガスタ~スターリング・ノース Stirling North 間は、標準軌線と並行して2001年に新設された延伸区間。

全線を走破するポート・オーガスタ発の「アフガン・エクスプレス Afghan Express」は、特定の土曜のみの運行だ。通常は、クオーン側から峠を越えて中間駅のウールシェッド・フラット Woolshed Flat で折り返す「ピチ・リチ・エクスプローラー Pichi Richi Explorer」が走る。機関車も客車も旧線を走った経歴をもつヴィンテージ車両で、未開の奥地へ向かう大旅行だった時代を追体験させてくれる。

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ピチ・リチ峠の上り坂(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 セント・キルダ路面電車博物館 Tramway Museum, St Kilda

アデレードの市内軌道は、初め1878年に馬車軌道として開業した。1909年から順次電化され、最盛期には119kmの路線網があったが、中心部とビーチを結ぶグレネルグ線 Glenelg line を除いて、1958年に消滅した。2000年代になって再建が始まり、現在3系統に増えているとはいえ、路線長は全部合わせても15kmに過ぎない。

その馬牽きトラムを筆頭に、アデレードで使われた路面車両やトロリーバスを体系的に収集しているのが、北郊のセント・キルダ St Kilda にある路面電車博物館だ。1967年の開館で、そのコレクションは30両以上にのぼり、歴代の主な形式を網羅している。

博物館は、町をはずれた広大な海岸平野の一角に位置する。車でないとたどりつけない場所だ。動態保存車の走行線は長さ1.6km。構内を出て、干潟を土手道で横切り、海辺にある子供冒険広場 Adventure playground の前まで延びている。開館中、古典車両が随時、海風に吹かれながらごろごろと往来する。

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博物館の工場で復元された旧アデレード市電G形(2008年)
Photo by William Adams at wikimedia. License: public domain

最後は、パース Perth を州都とする西オーストラリア州の蒸気保存鉄道(1067mm軌間)について。

項番32 ホサム・ヴァレー鉄道 Hotham Valley Railway

パースの南100kmの山中に、旧 西オーストラリア政府鉄道 Western Australian Government Railways のW形テンダー蒸機が走る本格的な保存鉄道がある。南西本線 South West Main Line の支線、旧ピンジャラ=ナロギン線 Pinjarra - Narrogin line の一部区間で、1977年から活動しているホサム・ヴァレー鉄道だ。

拠点が置かれているドウェリンガップ Dwellingup 駅は、標高270mの高地にある。保存鉄道のルートは、この駅をはさんだピンジャラ Pinjarra ~エトミリン Etmilyn 間32kmだ。

現在、列車はドウェリンガップを起点に、東へ8kmの終点エトミリン停留所で折り返す「フォレスト・トレイン Forest Train」と、西へ13.4kmのイサンドラ Isandra で折り返す「スチーム・レンジャー Steam Ranger」 の2本立てになっている。

とりわけ注目すべきは、後者のルートだ。スワン海岸平野 Swan Coastal Plain の東に長く連なるダーリング崖 Darling Scarp を横切るため、33‰の急勾配が約5kmの間続いている。上り坂になる復路は、営業運転の時代からの難所だ。乗客はここで、W形蒸機による渾身の力走シーンを目のあたりにすることになる。

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ドウェリンガップ駅構内に揃った保存車両(2015年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

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 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

2024年1月16日 (火)

オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

オーストラリアの鉄道旅行といえば、インディアンパシフィック Indian Pacific や、ザ・ガン The Ghan(下注)といった数日がかりの華麗な大陸横断・縦断列車に注目が集まりがちだ。しかし調べてみると、それぞれの地域で息づいている保存鉄道や観光鉄道も多数ある。ヨーロッパ編と同じようにリストにしてみたので、その中から主なものを紹介したい。

*注 インディアンパシフィック号は、東岸シドニー Sydney~西岸パース Perth 間4352km、3泊4日の大陸横断列車。ザ・ガン号は、南岸アデレード Adelaide~北岸ダーウィン Darwin 間2979km、2泊3日の大陸縦断列車。

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メイン・サザン線で特別列車を牽くNSW鉄道博物館の3642号機
ワガ・ワガ Waga Waga 付近(2013年)
Photo by Bidgee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 AU
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

今回は、東海岸のクイーンズランド州 Queensland、ニューサウスウェールズ州 New South Wales (NSW) と、タスマニア島(タスマニア州)Tasmania の鉄道を取り上げる。クイーンズランド州とタスマニア島の路線網が、日本のJR在来線と同じ1067mm軌間(下注)である一方、NSW州は1435mmの標準軌だ。保存鉄道もそれぞれの州の事情に応じた軌間のものが中心になる。

*注 ただしクイーンズランド州内でも、NSW州との連絡ルートであるNSWノース・コースト線(北海岸線)North Coast Line は標準軌。

項番3 キュランダ観光鉄道 Kuranda Scenic Railway

州北部の国際観光都市ケアンズ Cairns にあるキュランダ観光鉄道は、初めてこの町を訪れた旅行者ならたいてい乗車する人気アトラクションだ。街中のケアンズ駅から台地の上のキュランダ Kuranda まで33.2km、ディーゼル機関車が重連で12~15両もの客車を連ねて1日2往復している(下注)。

*注 午前中にキュランダ行き2本、午後にケアンズ行2本。

列車が出発するのは市中心部にあるケアンズ駅だが、この時点では車内はまだすいている。大勢乗り込んでくるのは、次のフレッシュウォーター Freshwater 駅だ。ここから列車はいったん、キュランダとは反対の南へ進んだ後、半径100m(5チェーン)のヘアピンカーブで折り返し、20‰の連続勾配で山腹を上り始める。弧を描いて谷をまたぐストーニー・クリーク Stoney Creek 橋梁や、壮大なバロン滝 Barron Falls の展望停車を終えて、熱帯雨林に囲まれた終点キュランダまで、片道の所要時間は1時間55分。

もとは奥地の金鉱と港を結んだ産業鉄道だが、今では純粋な観光路線となり、年間を通して運行されている。1995年に、山麓とキュランダを結ぶロープウェー「スカイレール・レインフォレスト・ケーブルウェー Skyrail Rainforest Cableway」が開通した。それ以来、片道は列車、片道はゴンドラで空中散歩という、変化に富んだルート選択が可能になった。

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ストーニー・クリーク橋梁(2008年)
Photo by Sheba_Also 43,000 photos at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
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キュランダ駅1番ホーム(2020年)
Photo by Kgbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番1 ガルフランダー Gulflander

カーペンタリア湾沿岸に、ノーマントン=クロイドン線 Normanton to Croydon line という長さ152kmの路線がある。1888~91年に、クロイドンの金鉱からの輸送手段として建設された鉄道で、他の路線網とは隔離された孤高のローカル線だ。疎林が広がるサバンナの乾燥地帯を貫いていて、開通当時、シロアリの食害や洪水による流出を避けるために、全線にわたって用いられた鉄製まくらぎ(水没耐性軌道 submersible track)がそのまま残っている。

この忘れられたような路線で唯一運行されているのが、観光列車のガルフランダー Gulflander 号だ。孤立線とあって車両も他路線との入換えがなく、今となっては貴重な古典形式の動力車や付随客車が、保存鉄道のように日常運用されている。

このあたりは年間平均気温が27度以上、夏場の最高気温は40度を超えるという熱帯の土地で、ウィキペディア英語版によれば、ガルフランダーは「列車に乗るというより冒険 To be more an adventure than a train ride」なのだそうだ。運行は週1回、水曜日に南行(クロイドン行き)、木曜日に北行(ノーマントン行き)が走る。中間地点での30分停車を含めて片道5時間だが、往復するなら2日がかりだ。

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ノーマン川を渡るガルフランダー(2013年)
Photo by Lobster1 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 メリー・ヴァレー・ラットラー Mary Valley Rattler (Mary Valley Heritage Railway)

州南部の田舎町ギンピー Gympie を拠点とするメリー・ヴァレー・ラットラーは、失われつつあるローカル線の鄙びた風情をとどめた蒸気保存鉄道だ。

ギンピー駅は、1913年に建てられた木造駅舎をそのまま使用している。1989年まではクイーンズランド鉄道の主要幹線ノース・コースト線(北海岸線)North Coast line に属する駅だったが、郊外に同線のバイパスルートが造られたことで、支線メリー・ヴァレー線 Mary Valley line の駅になった。

保存鉄道の開業は1993年。当時はメリー・ヴァレー保存鉄道 Mary Valley Heritage Railway と称し、ギンピー~インビル Imbil 間40kmのルートで運行されていた。しかし、線路の保守不足で脱線事故が発生したため、2013年に運行中止となる。地元自治体が資金を拠出し、2018年に再開されたのが現在のメリー・ヴァレー・ラットラーだ。

運行区間はこのとき短縮されて、アマムーア Amamoor 駅までの23kmになった。主役は、かつて軽量列車や支線の列車を牽いていたクイーンズランド鉄道のC17形蒸機だ。ワインレッドをまとった木造客車を数両牽いて、メリー川中流域の穏やかな丘陵地帯を縫っていく。所要時間は往復3時間。両端駅に転車台があるので、機関車は常に前を向いて走る。

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終点アマムーアに到着した蒸気列車(2019年)
Photo by Gillian Everett at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、ニューサウスウェールズ州について。

項番12 ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway

州都シドニー Sydney からメイン・ウェスタン線(西部本線)Main Western line で内陸に向かうと、平野が尽きたところで、ブルーマウンテンズ Blue Mountains の深い山並みの中に入っていく。1869年の開通時、この山越えの初めと終わりにそれぞれ、Z字状に折り返しながら高度を稼ぐスイッチバックが設けられた。

ジグザグ鉄道はそのうち、後者を含む7km区間を、廃止後に蒸気運転で保存鉄道化したものだ。ただし、もとが標準軌なのに対して、1067mm(3フィート半)軌間で敷き直されている。標準軌の蒸気機関車の調達が難しく、クイーンズランドの1067mm軌間の中古車両に頼ったためだ。

山上の終点クラレンス Clarence に駐車場があるので、そこから乗り込む客が圧倒的に多い。だが、起点ボトム・ポイント Bottom Point も、シドニーから来る中距離電車のジグザグ Zig Zag 停留所(下注)に近く、乗継ぎが可能だ。

*注 リクエストストップ(乗降客があるときのみ停車)のため、降車する場合は乗務員にあらかじめ知らせておく必要がある。

見どころは、やはりジグザグの昇り降りだろう。険しい斜面を削って通されたルートは見通しがきき、途中に架かる3本の石積みアーチ橋がそれに趣を添える。所要時間は、クラレンスからの往復で90分、ボトム・ポイントからは105分。2012年から長期運休中だったが、2023年5月にようやく運行が再開された。

*注 詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I」「同 II」参照。

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トップ・ロードからのジグザグ全景(2008年)
Photo by Maksym Kozlenko Maxim75 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番11 カトゥーンバ・シーニック・レールウェー Katoomba Scenic Railway

カトゥーンバ Katoomba にあるシーニック・ワールド Scenic World は、世界自然遺産にも登録されたブルーマウンテンズ観光の中核施設の一つだ。ここには台地の上と眼下に広がる熱帯雨林の間を行き来したり、上空から眺めたりできる乗り物が3種類用意されていて、シーニック・レールウェーもその中に含まれる(下注)。

*注 乗り物には他に、谷を跨ぐロープウェーのシーニック・スカイウェー Scenic Skyway、谷に降りるロープウェーのシーニック・ケーブルウェー Scenic Cableway がある。

1880年代に建設された石炭とオイルシェールの運搬軌道を改築したこの設備は、ケーブルに接続された車両を巻上げ装置で引き上げる斜行リフト Inclined lift だ。そのため、通常のケーブルカー funicular のような対になる車両や重りはなく、1両で勾配線路を上下している。

310mの斜長距離に対して、標高差は206.5mある。最大勾配は52度、千分率では1280‰となり、スイスのシュトース鉄道 Stoosbahn の1100‰をもしのぐ険しさだ。しかしその構造から、ケーブルカーの最大傾斜記録としては認められていない。

乗り場の階段はまだ緩やかだ。しかし動き出すとすぐに勾配は最大値になり、トンネルを介しながら急斜面を勢いよく滑り降りていく。感覚としては垂直に落下するのに近く、乗客から悲鳴が上がることもしばしばだ。

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急斜面を滑降するシーニック・レールウェー(2014年)
Photo by DGriebeling at wikimedia. License: CC BY 2.0
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下部駅からの眺望(2018年)
Photo by fabcom at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番9 NSW(ニューサウスウェールズ)鉄道博物館 NSW Rail Museum

NSW鉄道博物館は州立の施設で、同州の路線網で稼働していた標準軌の蒸気機関車をはじめ、典型的な鉄道車両を多数収集保存している。

博物館が、ピクトン=ミッタゴン支線 Picton–Mittagong loop line の途中駅であるこのサールミア Thirlmere に移転してきたのは1975年で、早や半世紀近くが経つ。ループライン loop line(下注)と呼ばれるこの路線は、メイン・サザン線(南部本線)Main Southern line の旧線だが、33.3‰の急勾配を解消する迂回線が完成した1919年に、支線に格下げされた。

*注 ループラインは、日本でいうループ線(英語ではスパイラル spiral)ではない。また、周回可能な環状線でなくてもよく、本線と分かれてまた先でつながる線路の意味で使われる。たとえば、列車交換できる待避線を英語ではパッシングループ passing loop という。

鉄道博物館の呼び物の一つが、この支線を舞台にして行われる保存列車の運行だ。ピクトン=ミッタゴン支線は現在、休止扱いだが、そのうち北側のピクトン Picton~サールミア~バクストン Buxton 間6.7kmが、動態保存の蒸機や気動車のための走行線に活用されている(下注1)。また、本線上での企画列車もしばしば運行されており、その場合、ピクトンにある接続ポイントを介して列車が出入りする。

*注1 通常運行はサールミア~バクストン間に限定され、往復の所要約40分。
*注2 ピクトン=ミッタゴン支線の詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-メイン・サザン線とピクトン支線」参照。

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ピクトン=ミッタゴン支線サールミア駅(2014年)
Photo by Maksym Kozlenko at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シドニー路面電車博物館 Sydney Tramway Museum

シドニー南郊ロフタス Loftus にあるシドニー路面電車博物館は1965年の開館(下注)で、国内のトラム博物館では最も長い歴史をもつ。保有するコレクションも60両以上と、国内最大規模を誇っている。1961年全廃のシドニー市電はいうまでもなく、収集範囲は国内他都市や海外にも及んでいて、長崎電気軌道の1054号もここに在籍中だ。

*注 現在の場所に移設されたのは1988年。

博物館の敷地はさほど広くないが、動態保存のトラムを走らせるための専用軌道が館外に延びている。北はローソン通り Rawson Avenue に沿ってサザーランド Sutherland 方面、南はロイヤル国立公園 Royal National Park の広大な森の中にある終点まで、合わせて3.5kmの長さがある。

後者はパークリンク・ルート Parklink route と呼ばれ、1991年に廃止された郊外路線(下注)を転用したものだ。終点には旧駅の朽ちかけたホームも残っている。もとより高床でトラムには合わないので、乗降のときは反対側の扉が開くのだが。

*注 シティレール CityRail が運行していたロイヤル国立公園支線 Royal National Park branch line。

博物館の来館者だけでなく、自然豊かな公園へ、近郊線T4系統のロフタス駅から乗り継ぐという一般利用も見られる。そのためトラムは60分間隔で運行され、博物館入館を省いたトラム乗車のみのチケットも車内で発売している。

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シドニー市電R形旧車、博物館前電停にて(2021年)
Photo by Fork99 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13 スキーチューブ・アルパイン鉄道 Skitube Alpine Railway

NSW州の最後に、1988年に開業した現代の登山鉄道を見ておこう。州最南部、オーストラリア大陸の最高峰(下注)を擁するコジオスコ国立公園 Kosciuszko National Park で、山上にあるスキー場へのアクセスとして建設された路線だ。

*注 コジオスコ山 Mount Kosciuszko(標高 2228m)。山名は、発見したポーランド人の探検隊長が、祖国の英雄タデウシュ・コチチュシュコ Tadeusz Kościuszko の塚の形に似ているとして命名したもの。

名称は、スキーチューブ・アルパイン鉄道、略してスキーチューブという。1435mm軌間、交流1500Vの電化線だ。標高1125mの山麓バロックス・フラット Bullocks Flat と、標高1905mの山上ブルー・カウ Blue Cow の間8.5kmを17分で結んでいる。ラメラ Lamella(フォン・ロール Von Roll)式ラックレールが全線にわたって敷設されていて、最大勾配は125‰だ。

国立公園内の自然環境を保護するとともに、荒天時にも運行の安定性を保つために、ルートの7割はトンネルで設計された。地上に出ているのは最初の2.6kmだけで、後は、中間駅のペリッシャー・ヴァレー Perisher Valley、終点ブルー・カウの発着ホームを含めて地下にある。

建設コストの点から言えば、鉄道より地上設備がコンパクトなロープウェーのほうが有利だ。それでもラック鉄道が選択されたのは、地下化の利点に加えて、高い輸送能力が評価されたからだ。特注された車両の幅は3.8mと、新幹線の3.4mよりまだ広い。通常3両編成だが、車内の立席部分を広くとって混雑を緩和し、かつ片側6扉とすることで円滑な乗降も実現している。

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幅広のスキーチューブ車両(2014年)
Photo by EurovisionNim at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

項番35 ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道 West Coast Wilderness Railway

大陸の南東沖に浮かぶタスマニア島(タスマニア州)では、一部にラック区間がある観光鉄道がひとり気を吐いている。オーストラリアのラック鉄道は現在、ここと前述のスキーチューブの2か所しかなく、貴重な存在だ。

ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道は、島西部の遠隔地に位置する。旧鉱山町クイーンズタウン Queenstownと、内湾に面したストローン Strahan(下注)のレガッタ・ポイント Regatta Point 駅との間34.5kmを結ぶ孤立線だ。もとは鉱山会社の専用鉄道として1897年に開通したが、代替道路の整備が進んで1963年以降、休止線となっていた。それを2002年に、公的資金の投入で観光用として復活させたのが現在の姿だ。

*注 綴りに影響を受けてか、「ストラーン」の表記も見かけるが、現地の発音は ”strawn” のように聞こえる。

列車は内陸のクイーンズタウンから、キング川 King River に沿って下っていくが、途中で一度だけ支谷伝いに峠越えをする。そこに最大83.3‰(1:12)の急勾配があり、約6kmにわたってアプト式ラックレールが敷かれている。

キング川と再開した後は、熱帯雨林に覆われた渓谷の縁を下っていく。最後は開放的な眺めの内湾マッコーリー・ハーバー Macquarie Harbour のほとりをしばらく走って、かつての積出し港であるレガッタ・ポイントに到着する。

しかし残念なことに、現行ダイヤでは全線を走破する列車が設定されていない。起点と終点どちらの出発便も途中駅で折り返す運用になっているため、ラック区間を通過しないのだ。事情はよく知らないが、路線最大の見どころを省いては、旅の醍醐味が半減してしまう。一日も早い復活を望みたいところだ。

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ラック区間が始まるダビル・バリル Dubbil Barril 駅(2011年)
Photo by WikiWookie at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州にある主な保存・観光鉄道を見ていきたい。

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2023年2月28日 (火)

ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II

前回に続いて、ニュージーランドの鉄道網の発達と改良の痕跡をさらに訪ねてみよう。

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ウェリントン駅、1937年築(2021年)
Photo by Tom Ackroyd at flickr.com. License: CC BY-SA 4.0
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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(1~4は前回掲載)

北島本線の延伸

オークランド Auckland から南進したノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk(以下「北島本線」)のレールは、1877年に中部の主要都市ハミルトン Hamilton の最寄り駅フランクトン Frankton、1880年にはテ・アワムトゥ Te Awamutu に達した。しかし、計画はそこでしばらく足踏み状態となる。景気後退期に入ったことと、キング・カントリーへの立ち入りについて、地元のマオリとの交渉が長引いたからだ。中央区間の着工は1885年までずれ込んだ。

地勢の面でも、ここから先は北島火山性高原 North Island Volcanic Plateau を越えていく本格的な山岳ルートになる。北島最高峰2797mのルアペフ Ruapehu をはじめ、タウポ火山群 Taupō Volcanic Zone から噴出した溶岩流や泥流が台地状に広がり、そこに深い渓谷が刻まれている。鉄道の横断には、当初から難工事が予想されていた。

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タウポ火山群の主峰ルアペフ Ruapehu(右)と
コニーデ型のナウルホエ Ngauruhoe(2008年)
Photo by MSeses at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

最初の難関が、北側の谷から高原に取り付くために必要な約130mの高低差(下注)の克服だ。線路はここでオメガループやスパイラルを駆使し、とぐろを巻くような複雑な線形で上っていく(下図参照)。幹線として勾配は19.2‰(1:52)までに抑えているが、曲線半径は151m(7チェーン半)とかなり厳しい。鉄道ファンにはよく知られたこのラウリム・スパイラル Raurimu Spiral によって、列車は一気に高原上に躍り出る。

*注 この数値は、ラウリム旧駅と、スパイラルを経て再びマカレトゥ川 Makaretu River の谷に戻る地点との高度差434フィートのメートル換算値。

上り切ったところに、峠の駅ナショナル・パーク National Park がある。名のとおりトンガリロ国立公園 Tongariro National Park の下車駅だが、周辺にある同名の集落を含めて国立公園区域の外にあるから、日本風にいうなら公園口駅だ。

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空から見たラウリム・スパイラル(2007年)
Photo by Duane Wilkins at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図5 ラウリム・スパイラルとその前後区間
峠下のラウリム駅は廃止済
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

勇壮な火山群を左車窓に見ながらなおも行くと、開析谷をまたいでいる高い鉄橋をいくつか渡る。その一つ、マカトケ高架橋 Makatoke Viaduct とマンガヌイオテアオ高架橋 Manganuioteao Viaduct(下注)の間には、北島本線の全通記念碑が建っている。1908年11月6日、当時の首相ジョーゼフ・ウォード卿 Sir Joseph Ward が、レールを枕木に固定する最後の犬釘を打ち込んだ場所だ。その翌年に始まった急行列車の運行により、オークランド~ウェリントン間700kmは18時間で結ばれた。

*注 マオリ語由来の地名に頻出するマンガ manga は川の支流を意味する。

記念碑の前から線路はまだわずかに上っていて、マンガトゥルトゥル高架橋 Mangaturuturu Viaduct を過ぎたあたりに、北島本線の最高地点814mがある(下注2)。

*注 駅で最も標高が高いのはナショナル・パーク駅で、標高807m。廃止された駅を含めれば、最高地点の手前のポカカ Pokaka 駅が811mで最も高かった。

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線路(左奥)の傍らに立つ南部本線全通記念碑(2005年)
Photo by Avenue at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図6 北島本線全通記念碑 Obelisk marking last spike と
 最高地点 The highest point の位置
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

線路が台地から降りるホロピト Horopito ~オハクネ Ohakune 間10kmは、1987年に曲線緩和を目的としたルート変更が行われた区間だ(下図参照)。鉄骨トレッスルだったタオヌイ高架橋 Taonui Viaduct とハプアウェヌア高架橋 Hapuawhenua Viaduct は、このときスマートなコンクリート橋に一新された。

旧橋も、土木工学遺産として保存されている。とりわけ後者は半径201m(10チェーン)でカーブしながら谷をまたぐ長さ284m、高さ45mの見事な高架橋だ。幸いにも、オハクネ馬車道路 Ohakune Coach Road と称するトレールの一部として開放されており、歩いて渡ることができる。

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トレールに転用された旧ハプアウェヌア高架橋(2010年)
Photo by Johnragla at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図7 ホロピト~オハクネ間、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 maps BJ33 Raetihi, BJ34 Mount Ruapehu. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線の改良

北島が発展するにつれ、北島本線の輸送量も着実に増加し、主として19世紀の規格で造られた路線には運行上の支障が目につくようになった。南島の幹線では大規模な改良があまり見られないのに対して、北島では複線化とともに、短絡線の建設が何か所かで実施されている。

最も早い例の一つが、1937年に完成したウェリントン郊外のタワ・フラット短絡線 Tawa Flat deviation だ(下図参照)。もとの路線は民間会社のウェリントン=マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway (W&MR) が1881年に開通させたもので、内湾に面したウェリントンからタスマン海側に出るために、渓谷を曲がりくねりながら25‰(1:40)で上り、標高158m(518フィート)のサミットを越えていた。

この直下に2本の長いトンネル(第1トンネル 1238m、第2トンネル 4323m)が掘られ、直線的なバイパス路線が完成した。ルートが2.5km短縮されただけでなく、勾配緩和(最大10‰)と複線化によって線路容量は格段に改善した。

一方、旧線は単線のままだが、ウェリントンからサミットのジョンソンヴィルまでが通勤線(ジョンソンヴィル支線 Johnsonville Branch Line)として残され、山上の住宅地から都心へ出る人々の足になっている。残念ながら、ジョンソンヴィル以遠は廃止後、ハイウェー用地に転用されたため、跡をとどめていない。

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ジョンソンヴィル支線を行く通勤列車(2011年)
Photo by Simons27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図8 ウェリントン周辺のルート変更
Sourced from NZTopo50 map BQ31 Welington. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線が中央山地を後にする地点には、もう1か所、大規模なルート変更がある。タイハペ Taihape の南10km、旧駅でいうとウティク Utiku ~マンガウェカ Mangaweka 間に造られたマンガウェカ短絡線 Mangaweka deviation だ(下図参照)。比較的新しく、1981年に完成した。
線路はここでランギティケイ川 Rangitikei River の本流に出会うのだが、周辺は主としてパパ岩 papa rock と呼ばれる柔らかい泥岩から成る丘陵地で、川によって激しく削られ、比高100m前後の断崖が連なっている。

そのため旧線は、崖際の浸蝕がまだ達していない部分まで上り、数本のトンネルで尾根の出っ張りをしのいだ後、マンガウェカ Mangaweka の集落の裏山をゆっくりと段丘面まで降りていた。しかし、地質的に不安定で、線形も悪いため、並行する州道とともにルートの改良が図られることになったのだ。鉄道と道路を新ルートで並走させる案も検討されたが、最終的には、道路は旧道の直線化にとどめて、鉄道だけを川の左岸に移設することになった。

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図9 マンガウェカ周辺のルート変更、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 map BK35 Taihape. Crown Copyright Reserved.
 

新線には、川床からの高さが70mを越える大高架橋が3本架かっている。列車はまず左岸に移るために、北ランギティケイ高架橋 North Rangitikei viaduct(長さ181m、高さ77m)と、支谷に架かるカワタウ高架橋 Kawhatau viaduct(同181m、72m)を立て続けに渡る。そして切通しを抜けた後、一段と長く、まるで空中遊泳するような南ランギティケイ高架橋 South Rangitikei viaduct(同315m、76m)を渡って右岸に戻る。

この段階では、旧線はまだマンガウェカ集落の裏の山腹を走っており、両者が合流するのは次のマンガウェカトンネル北口の直前になる。

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南ランギティケイ高架橋(2010年)
Photo by D B W at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リムタカ・インクライン

北島本線以外のルート変更にも注目すべきものがある。その一つは、珍しいフェル式レールを使っていたリムタカ・インクライン Rimutaka Incline だ(下図参照)。ウェリントンから北東へ延びるワイララパ線 Wairarapa Line が、ここでリムタカ山脈 Rimutaka Range を越える。旧線は1878年に開通したが、工費がかかる長大トンネルの掘削を避け、パクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を遡るルートで建設された。

峠の西側は、蒸機の粘着力で対応可能な25‰(1:40)勾配に収まったが、東側は谷がはるかに険しいため、平均66.7‰(1:15)で一気に下降する案が採用された。この長さ4.8kmのインクライン(勾配線)(下注)に導入されたのが、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が考案したフェル方式だ。

*注 4.8kmは3マイルをメートル換算したもので、サミット Summit ~クロスクリーク Cross Creek 駅間の距離。実際にフェル式レールが敷かれた区間はもう少し短い。

走行レールの中間に、ラックレールではなく平滑な双頭レールが横置きされ、その両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪で挟むことで、機関車は推進力を補う。または制輪子を押し付けて制動力を得る。険しい勾配には向かないものの、レールが特殊なものではないので、 調達コストが安くて済むのが長所だった。

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(左)インクラインの曲線路を行く列車(1910年ごろ)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain
(右)フェル式レール(1880年)
Photo from Te Papa Tongarewa, Museum of New Zealand. License: Public domain
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図10 リムタカ越えのルート変更、旧線跡を破線で加筆
梯子状記号はインクライン区間(サミット~クロス・クリーク間)
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.
 

建設当時、インクラインは長大トンネルができるまでの暫定手段と考えられていたが、実際は77年間と、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは世界で最も長く使われた。

専用機関車の老朽化が進んだことで、ようやく1955年に、代替となる長さ8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel が完成した。それに伴い、インクラインは前後の粘着区間とともに廃止され、施設はほぼ撤去されてしまった。現在、峠のトンネルを含む廃線跡の一部は、リムタカ・レール・トレール Rimutaka Rail Trail として一般開放されている。

*注 リムタカ・インクラインについては、本ブログ「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」に詳述。

東海岸本線構想

東海岸本線 East Coast Main Trunk は、ハミルトン Hamilton(旧駅名フランクトン・ジャンクション Frankton Junction、後にフランクトン Frankton に改称)で北島本線から分岐して、タウランガ Tauranga を中心とする北東部のプレンティ湾 Bay of Plenty 地方へ延びる亜幹線だ。ここでも、1978年に大規模なルート切替えが実施されている。

かつてこの路線は、テ・アロハ Te Aroha、パエロア Paeroa、ワイヒ Waihi を経由する大回りルートで運行されていた。というのも最初から1本の幹線として計画されたものではなく、もとは1886年にテ・アロハまで、その後1898年にパエロアを経てテムズ Thames まで開通したテムズ線 Thames Line と呼ばれる地方支線に過ぎなかったからだ。

また、パエロア~ワイヒ間は、1905年に開通した鉱山支線だった。そのワイヒからタウランガ方面へ線路が延ばされ、プレンティ湾地方への鉄道ルートとして利用されるようになったのは、ずっと後の1927年のことだ。

実は1910~20年代、このルートはより壮大な構想の一部と見なされていた。それは、プレンティ湾地方からラウクマラ山脈 Raukumara Range を越えて北島中東部のギズボーン Gisborne に至る、北島東岸の幹線構想だった(下図参照)。

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鉄道現役時代のオヒネムリ川 Ohinemuri River 橋梁(1980年)
Photo by 17train at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図11 オークランドとギズボーンを結ぶ東海岸本線構想
 ルートを加筆。実線は既成線、破線は未成線
Sourced from LS159 North Island Railway map. Crown Copyright Reserved.
 

ギズボーン地方は、全国路線網が届かず、長らく孤島状態に置かれていた(下注)。ギズボーンから内陸へ分け入る1917年開通の鉱山鉄道、モウトホラ支線 Moutohora Branch Line に接続すれば、未完の区間は直線で約60kmに過ぎない。

*注 ギズボーンが孤立から脱するのは、1942年に南回りでパーマストン・ノース=ギズボーン線が全通したとき。

一方、大回りしているパエロア以東についても、北島本線に直接つながるバイパス新線が予定されていた。1938年にそのポケノ Pokeno ~パエロア間47km(29マイル)が着工され、当時の1インチ図にも予定線として描かれている(下図参照)。しかし、第二次世界大戦の空白期間をはさんで、工事は遅延を重ねた。その間に長大トンネルを介した新線計画が浮上したことで完全に放棄され、結局、未成線になってしまった。

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図12 ポケノ~パエロア間のバイパス新線が建設中の記号で描かれた1インチ図
(1943年版)
Sourced from NZMS 1 map N53-54 Paeroa. Crown Copyright Reserved.
 

カイマイ山脈を貫くそのカイマイトンネル Kaimai Tunnel は、1978年に完成して東海岸本線の新しいバイパスとなった。長さは8850m(下注)あり、今なお鉄道トンネルでニュージーランド最長だ。短絡新線は、ハミルトンから29kmのモリンズヴィル Morrinsville で旧ロトルア支線 Rotorua Branch Line に入り、ワハロア Waharoa の手前で左に分かれる。この完成と引換えに、旧線のパエロア~ワイヒ~新線との再合流点の間が廃止となった。

*注 この数値は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993による。ウィキペディア英語版のカイマイトンネルの項では8879m、東海岸本線の項では8896mとしている。

旧線随一の景勝区間だったパエロアからカランガハケ渓谷 Karangahake Gorge を通ってワイキノ Waikino に至る約12kmの廃線跡は、後に自然歩道ハウラキ・レール・トレール Hauraki Rail Trail として整備された(下図参照)。途中にある長さ1006mのカランガハケトンネルを含め、自転車や徒歩でかつての車窓風景を追体験することができる。

また、それに続くワイキノ~ワイヒ間約6kmは、ゴールドフィールズ鉄道 Goldfields Railway と称する保存鉄道の運行ルートに利用されている。ワイヒ以遠は残念ながら民地に戻され、沿線に橋梁の跡(橋台、橋脚)が点々と残るのみだ。

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ゴールドフィールズ鉄道(2009年)
Photo by Ryan Taylor at flickr.com. License: CC BY-NC-ND 2.0
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図13 パエロア~ワイヒ旧線跡
パエロア~ワイキノ間はトレールに、ワイキノ~ワイヒ間は保存鉄道に転換
Sourced from NZTopo50 map BC35 Paeroa. Crown Copyright Reserved.

ニュージーランドの鉄道網の最盛期は1950年代だ。1953年には全土に100本もの路線があり、総延長は約5700kmに達していた。しかし1960年代になると、選択と集中の時代に入る。幹線系統など有望な路線には資金が投じられ、電化や大規模な線形改良など近代化が推進される一方、実績の伴わない地方路線は、無煙化も果たせないまま、次々に閉鎖されていった。

このころすでに旅客輸送の環境は厳しかったが、1983年に道路貨物輸送の距離規制、すなわち鉄道を保護するために、競合する道路上の貨物輸送を150km以内としていた制限が撤廃されると、貨物部門でも自由競争が始まった。鉄道運営には一段と効率化が求められようになり、新たな鉄道ルートが地図に描き加えられる可能性は、今やほとんどなくなっている。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

★本ブログ内の関連記事
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I
 ニュージーランドの鉄道地図
 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

2023年2月25日 (土)

ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I

堀淳一氏の『ニュージーランドは詩う』(そしえて、1984年)を久しぶりに読み返した。この書を通して、それまでほとんど関心がなかった南太平洋の島国のイメージが、私の中で初めて明確な形をとったことを思い出した。

大海に浮かぶ二つの大きな島と周辺の島嶼からなるニュージーランド。日本と同じく環太平洋火山帯に属し、ダイナミックな火山地形もあれば、氷河を載せる隆起山地や深遠なフィヨルドも見られる。変化に富む自然の美しさは折り紙付きで、ナチュラリストにとっては天国のような土地だ。

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鉄道はどうか? 全国規模の鉄道網は日本と同じ狭軌の1067mm(3フィート6インチ)で、異国ながら、列車の走る風景はどこか親しみを感じさせる。ただし線路を行き交っているのは、ほとんど貨物列車だ。

政府のモーダルシフト政策のおかげで、貨物の取扱量は2010~16年の間に14%増加したと、キーウィレール KiwiRail(下注)は年次報告書に書いている。その一方で旅客列車は、オークランド Auckland とウェリントン Wellington の都市近郊フリークエントサービスを別とすると、絶滅危惧種といってよい状況だ。

*注 同国の鉄道網を所有し、運営する国有企業。

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ピクトン Picton へ向かう貨物列車
南島ケケレング Kekerengu 付近(2015年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

人口密度が1平方km当り17~18人(日本は2017年現在340人)、クルマが地道を時速100kmで飛ばせる国で、旅客ビジネスを成立させるのは難しい。堀氏が訪れた1982年でも、長距離列車は全国で一日9往復しかなかった。2003年の経営危機の後、本数はさらに削減されて、今や4往復と片手で足りる。同書で紹介された4本の列車のうち3本(下注)が廃止されて、もはや乗ることは叶わない。

*注 廃止されたのは、ニュー・プリマス~タウマルヌイ間、ギズボーン~ウェリントン間、インヴァーカーギル~クライストチャーチ間の各列車。

そのようなわけで、実際に列車の窓から風景を楽しめる区間はかなり限られてしまうのだが、地形図を携えて想像で出かける旅なら、どこでも可能だ。ニュージーランドの鉄道史に沿って、路線網の発達と改良の痕跡をいくつか訪ねてみよう。

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オークランド近郊線ミドルモア Middlemore 駅(2004年)
 

なお、使用する地図は、LINZ(ニュージーランド土地情報局)が製作する1:50,000と1:250,000地形図、旧LS(土地測量局)の1マイル1インチ地形図、それにかつて同局が国鉄の依頼で描いた鉄道地図だ。

天国の話のついでに言えば地図事情もそうで、複写はもとより再配布など二次利用も、著作権表示さえすれば無条件で可能になっている。ウェブサイトでは、初期の1インチ図から最新刊に至るまで、あらゆる刊行図が高解像度画像で公開され、自由にダウンロードできる。わが国の測量局もぜひ見習ってほしいサービスだ。

*注 ウェブサイトで見られる地形図データについては、本ブログ「地形図を見るサイト-ニュージーランド」参照。

鉄道の黎明期

ニュージーランドで最初の鉄道は、1862年に南島北端ネルソン Nelson 背後のダン山 Dun Mountain から鉱石を運び出すために設けられた馬車軌道だそうだ。しかし、それに続く初期の鉄道は、例外なく主要都市と外港の間で始められている。鉄道設備はすべて輸入品で非常に高価だから、まず短距離で確実な需要があるところに造られるのは当然のことだ。そしてこれを足掛かりに、街道に沿って、あるいは内陸の未開地へと路線網が拡張されていく。

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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(5~13は次回掲載)
 

ネルソンの馬鉄の翌年(1863年)には、早くも蒸気機関車が牽く鉄道が、同じく南島のクライストチャーチ Christchurch で開業している(下図参照)。カンタベリー州政府が直轄で造り、船着き場のあるフェリーミード Ferrymead との間7kmを結んだ。

軌間は1600mm(5フィート3インチ)。これはアイリッシュゲージと呼ばれ、本国イギリスの1846年鉄道軌間規制法でアイルランド(当時はイギリス領)の標準軌とされた規格だ。機関車をはじめとして車両全般の調達先だったオーストラリアのビクトリア州の仕様に合わせるためだった。

フェリーミードは、砂嘴で外海と隔てられた潟湖の奥に位置するささやかな船着き場に過ぎない。そのときすでに州政府は、外港リッテルトン Lyttelton に至る路線を建設中だった。リッテルトンは浸食された古火山の谷筋に海水が入り込んだ天然の良港で、水深があり、大型船の発着が可能だ。ただ、クライストチャーチからは一山越えなければならず、当時としては長い2595mのトンネルを掘るのに時間を要した。

1867年11月にリッテルトン線が開業すると、フェリーミード線は早くも不要となり、1868年に運行を終えた。地図で見てもリッテルトン方面の線路が直進で、フェリーミードは暫定利用であったことが窺える。カンタベリー州の鉄道は商業的にも成功し、1865年からさらに南方へ建設が進められていった。

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保存鉄道として復活したフェリーミード鉄道(2018年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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都市と外港を結んだ黎明期の鉄道
(現行1:250,000に初期ルートを加筆)
図1 最初の蒸気鉄道路線クライストチャーチ~フェリーミード、リッテルトン間
Sourced from NZTopo250 map 23 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

次に鉄道が登場するのは、南島南端のインヴァーカーギル Invercargill だ(下図参照)。サウスランド州政府が、オーストラリアのニューサウスウェールズ州から1435mm(4フィート8インチ半)軌間の鉄道技術を導入した。しかし、州の財政は豊かでなかったので、北へ12kmのマカレワ Makarewa に至る最初の路線の建設で、工費の節約を図ろうと木製レールを使った。

1864年に開通すると、案の定、雨が降るたびに機関車は空転に悩まされた。その上、車両の重みでレールが傷むわ、乾季には火の粉から引火するわで、南の外港ブラフ Bluff への延伸(1867年)では、高くついても鉄のレールを採用するしかなかった。資材費に加えて、軟弱地盤の対策にも想定外の費用がかかり、サウスランド州は鉄道建設のために財政破綻に追い込まれた。

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図2 第二の蒸気鉄道路線マカレワ~インヴァーカーギル~ブラフ間
Sourced from NZTopo250 map 29 Invercargill. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルが変えた鉄道政策

ニュージーランドの鉄道政策のターニングポイントは1870年に訪れる。後に植民地政府の首相になるジュリアス・ヴォーゲル Julius Vogel が、この年「大公共事業 Great Public Works」と名付けた振興政策を打ち出したのだ。ロンドンの金融市場で巨額の借り入れを行い、立ち遅れているインフラを一気に整備するというもので、中でも主要な事業が、全島をカバーする鉄道網の建設だった。

当時、ニュージーランドにはまだ74km(46マイル)の路線しかなかった。それを9年間で1600 km(1000マイル)以上にするという、途方もない構想だ。当然、課題も多かったが、結果として10年後の1880年には、目標を上回る1900km超の路線が全土に張り巡らされていた。ヴォーゲルはインフラ整備とともに、補助金つきで移民の奨励も進めており、非マオリの人口は10年間にほぼ倍増している。これが産業の興隆とともに、交通需要の喚起に結び付いたのだ。

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ジュリアス・ヴォーゲル(1865年ごろ)
Image from flickr.com. License: Public domain
 

鉄道網の建設に先立って定められた重要な基準がある。それは鉄道の軌間だ。この問題を扱う特別調査委員会は、山がちの国土でコストを抑えながら建設を加速させるには、1067mm(3フィート6インチ)狭軌が妥当と結論づけた。

先行する州は当然反対に回り、日本の1910年代と同様、最終決定までに激しい議論が戦わされた。既存の鉄道は例外措置として、従来の軌間による建設も認められることになったが、その後、州制度の廃止で、州立鉄道が全国鉄道網に統合された1876年までに、順次1067mmに改軌されていった。

決定を受けて1067mm軌間の鉄道を最初に造ったのは、カンタベリーとサウスランドに挟まれたオタゴ州 Otago Province だ。1873年に、州都ダニーディン Dunedin から外港ポート・チャルマーズ Port Chalmers までが開通した(下図参照)。終始、内湾オタゴ・ハーバー Otago Harbour の波打ち際を走る12kmの路線で、後に、終点の2km手前のソーヤーズ・ベイ Sawyers Bay でクライストチャーチ方面へ向かう路線が分岐した。

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図3 1067mm軌間を初めて採用したダニーディン~ポート・チャルマーズ間
Sourced from NZTopo250 map 27 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルは、南島の主要都市であるクライストチャーチとダニーディンの接続を第一目標に据えていた。既存路線の先端から線路を延ばすのはもちろん、工期を短縮するために、中間の港ティマルー Timaru とオマルー Oamaru にも工事拠点を設けて、同時進行で作業を進めた。この間のレールは1878年につながり、開通式を迎えている。

並行してダニーディン~インヴァーカーギル間でも工事が進められ、1879年に両者の間にあった間隙が埋められた。現在、南部本線 Main South Line と呼ばれている南島の幹線鉄道がこのとき完成し、最速列車が600km離れた2都市間を11時間未満で結んだのだ。

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1906年に竣工した壮麗なダニーディン Dunedin 駅舎(2009年)
Photo by jokertrekker at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の事情

ところで、ここまで南島の話題ばかりで、北島のことが一向に出てこないのにお気づきかもしれない。

今でこそ北島の人口が南島のそれを圧倒しているが、19世紀半ばまで、ヨーロッパ人のニュージーランドへの入植先は、主に南島だった。クライストチャーチのあるカンタベリー地方は、広大な開析扇状地が牧畜業の適地とされたし、オタゴ地方では1860年代のゴールドラッシュをきっかけに、移民の急増で都市が発展し、内陸の開発が進んでいた。それとともに忘れてならない要因は、南島に先住民マオリが少なく、入植に必要な土地が比較的得やすかったという点だ。

対する北島では、多数のマオリが暮らしていたため、入植者との間で争いが絶えなかった。すでに1840年にイギリス政府とマオリの首長たちとの間でワイタンギ条約 Treaty of Waitangi が結ばれ、ニュージーランドは正式なイギリスの植民地になっていた。

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ワイタンギ条約締結地にあるマオリ集会所(2006年)
Photo by Vanderven at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

しかしその後、土地の買い上げを通じた植民地政府の支配強化の過程で、マオリの中の同調派と反対派の紛争が生じ、それに政府軍が加担して全面戦争となった。ニュージーランド戦争 New Zealand Wars と呼ばれる北島の混乱は、1845年から72年にかけて30年近くも続いた。最終的に反対派は鎮圧され、マオリの土地は北島中西部のキング・カントリー King Country と呼ばれた地域に縮小されてしまうのだが、当時は南島のみの植民地独立論があったほど、北島は厄介者と見られていたのだ。

北島を縦断してオークランドとウェリントンを結ぶ鉄道(現 ノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk、以下「北島本線」と記す)の構想は、南島と同じように1860年代から議論されていたのだが、こうした経緯で実現には長い時間がかかった。

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北島本線マコヒネ高架橋 Makohine Viaduct を渡るオーヴァーランダー号
(2006年)
Photo by DB Thats-Me at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の鉄道の嚆矢となるのは、1873年に開通したオークランド~オネフンガ Onehunga 間だ(下図参照)。1865年に1435mm軌間で着工したものの、わずか2年後に資金難で行き詰まっていた。それが、ヴォーゲルの公共事業政策のおかげで息を吹き返し、1873年に1067mm軌間で開通を見た。オネフンガは、西岸に開口部のある内湾マナカウ・ハーバー Manakau Harbour の奧の小さな埠頭だが、東岸に開いているオークランド港に対して、西岸航路の港として利用価値があった。

北島本線の南伸が開始されると、分岐点のペンローズ Penrose とオネフンガの間は支線になったが、重要性には変わりなく、南へ向かう蒸気船に接続する「ボート・トレイン Boat Train(航路連絡列車)」が、オークランドから定期運行された。

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図4 北島最初の鉄道オークランド(初代)~オネフンガ間
Sourced from NZTopo250 map 5 Auckland. Crown Copyright Reserved.
 

1886年に中部のニュー・プリマス New Plymouth からウェリントンまで西岸沿いの鉄道が開通(下注)すると、オネフンガ~ニュー・プリマス間を航路でつなぎ、そこでウェリントン行きの長距離列車(ニュー・プリマス急行 New Plymouth Express)に連絡するという乗継ぎルートが確立した。これは、北島本線が全通するまでの間、二大都市間の往来に盛んに利用されることになる。

*注 1886年、ウェリントン・アンド・マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway の、ウェリントン~パーマストン・ノース Palmerston North 間の開通による。

その間にも北島本線の延伸工事は進められていたが、すべて完成するのはまだ20年以上も先のことだ。事業がそれほど長期化した背景には、上述した内戦の影響を含め、さまざまな要因が絡んでいる。続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

★本ブログ内の関連記事
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II
 ニュージーランドの鉄道地図

2017年8月19日 (土)

タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

ダニーディン駅 Dunedin Railway Station は、どこかのお城と見間違えるほど華麗な駅舎だ。右端に立つ高さ37mの時計塔が、市の中心街オクタゴン Octagon からもよく見える。駅舎の印象を決定づけているのは、地元ココンガ Kokonga 産の黒玄武岩と明るいオアマル石の組み合わせから成る鮮明なコントラストだ。そこにピンクの大理石の列柱や、テラコッタの屋根、銅板葺きの頂塔があしらわれて、モノトーンのカンヴァスに彩りを添えている。

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ダニーディン駅舎の華麗な外観
Photo by Ulrich Lange at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

出札ホールに入るとまず、中央に蒸気機関車のモチーフをあしらった英国ミントン製のモザイクタイルの床に目を奪われる。内壁を飾る艶やかなロイヤル・ドルトンの陶製付柱と装飾帯を愛でた後、2階のバルコニーに上れば、大窓のステンドグラスの、煙を勇壮に噴き上げる機関車の意匠が旅の気分を盛り上げてくれる。

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(左)出札ホールの内壁はロイヤル・ドルトンの装飾陶板
  バルコニーのステンドグラスは機関車の意匠
(右)床はミントンのモザイクタイルを敷き詰める
以下、コピーライトの表示がない写真は、2004年3月筆者撮影
 
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南島の南東岸に位置するダニーディンは、1860年代のゴールドラッシュで移住者が急増し、工業都市としての基盤が造られた。19世紀にはニュージーランドで最大の都市になったこともある。経済的繁栄のもとで、1880年代から1900年代初めにかけて注目に値する建造物が市内に次々と造られた。その一つが、1906年に竣工したこの駅舎だ。

かつては1日最大100本の列車と乗降客をさばいていた駅だが、2002年に廃止された「サザナー Southerner」を最後に、南部本線(メイン・サウス線 Main South Line、下注)を通しで走る長距離旅客列車は消滅してしまった。鉄骨組みの屋根が架かる立派なホームも今では閑散として、タイエリ峡谷鉄道(タイエリ・ゴージ鉄道 Taieri Gorge Railway、2014年からダニーディン鉄道 Dunedin Railways、詳細は後述)の観光列車が発着するだけになっている。

*注 南島の東海岸を南へ走る幹線。リトルトン Lyttelton ~クライストチャーチ Christchurch ~ダニーディン~インヴァーカーギル Invercargill 間601.4km。

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閑散としたダニーディン駅の本線ホーム
 

タイエリ峡谷鉄道の列車は、駅から南へ出ていく。南部本線をウィンガトゥイ Wingatui まで走り、そこでオタゴ・セントラル支線 Otago Central Branch に入る。タイエリ川 Taieri River が隆起する地盤を刻んで造った深い峡谷を遡った後、多くの列車は、谷を脱した地点にあるプケランギ Pukerangi(ウィンガトゥイ分岐点から45.0km、ダニーディンから57.2km)で折り返す。往復の所要時間は4時間だ。

また、運行日は限られるが、その先ミドルマーチ Middlemarch(同 63.8km、76.1km)まで足を延ばす便もあり、こちらはミドルマーチでの休憩1時間を含めて往復6時間のコースになる。

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オタゴ・セントラル支線(ウィンガトゥイ Wingatui ~クロムウェル Cromwell)および周辺路線図
旗竿記号はタイエリ峡谷鉄道観光列車の走行ルート
点線は廃線区間(現 オタゴ・セントラル・レールトレール)
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

私たちは、2004年3月のニュージーランド旅行の終盤で、タイエリ峡谷鉄道を訪れた。オクタゴンの観光案内所で資料や市街図を仕入れて、駅へ向かう。列車はEメールで予約してあるので、グッズショップを兼ねたチケットオフィスで名前を言って、切符を受け取った。プケランギ往復は1人59 NZドル(当時のレートで4,250円)だ。

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駅舎にはタイエリ峡谷鉄道の
チケットオフィスが入居
 

プラットホームは、駅舎に接した長さ500mもある本線用と、ドック形(片側行止り)の支線用が使われている。朝の列車は支線用のほうに停まっていた。ディーゼル機関車に続いて緩急車、それから新旧の客車が8両ほど連なり、最後はバーと売店を備えた車両だ。私たちの指定された車両はクラシックな木造車だった。狭軌線のために車内は狭いが、座席は1+2配列の背もたれ転換式で、なかなか快適だ。最後尾の1人席と2人席の向かい合わせをあてがってもらったので、わが子の座る場所もある。

発車時刻が近づくにつれ、車内はほぼ満席になった。見たところ乗客層は鉄道ファンというより、この地方への観光客で、列車の旅を一つのイベントとして愉しんでいる様子だ。

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(左)支線用ホームで発車を待つ列車
(右)クラシックな車内は、1+2配列の転換式座席
 

9時30分、定刻に発車した。時おり雨が襲う肌寒い日だが、鉄道ファンとしてはオープンデッキに立たないわけにはいかない。列車はしばらく本線を走る。トンネルを2本抜けて、島式ホームが残るウィンガトゥイ駅で運転停車。すぐに右へ分岐して北進し、山裾を巻きながら20‰(1:50)勾配で上っていく。

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(左)ウィンガトゥイ駅を発車して支線へ
(右)タイエリ平野を後に、山裾を巻いて上り始める
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前半のハイライト区間(ウィンガトゥイ鉄橋の前後)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CE16 Mosgiel, CE17 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

この小さな峠越えの下り坂の途中に、沿線前半の見どころがある。谷を斜めに横断する長さ197.5m、高さ47mのウィンガトゥイ鉄橋 Wingatui Viaduct だ。直下の谷底が透けて見え、写真を撮ろうと狭いデッキから身を乗り出したら、足がすくんだ。

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ウィンガトゥイ鉄橋
(左)高さは沿線随一
(右)直下が透けて見えて足がすくむ
 

まもなく幅30~50mほどのタイエリ川本流に出会う。列車は川の屈曲に対して忠実に急カーブで応じながら、しばらく左岸を進んでいく。バックロードとの併用橋で右岸に移ると、待避線のあるヒンドン Hindon 駅だ。しばらく停車します、とアナウンスが流れ、乗客たちはホームの形すらない線路脇の地面にどさっと降り立った。

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(左)タイエリ川本流に出会う
(右)旧パレラ Parera 駅通過。赤屋根の家はかつての駅舎
 

再び走り出すと、200~300mの比高がある谷が一層深さを増すように感じられる。車窓からいつのまにか高木が消え、ごつごつした巨岩と灌木や草地に代わっている。左から合流するディープ・ストリーム Deep Stream を渡ったところで、線路は再び20‰(1:50)勾配で谷壁を上り始めた。川が下方へ離れていけば、いよいよ旅の後半の見どころ区間だ。

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ディープストリーム鉄橋を渡り終えると、
線路は谷壁を上りにかかる
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後半のハイライト区間(ヒンドン~プケランギ)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CD16 Middlemarch, CE16 Mosgiel. Crown Copyright Reserved.
 

岩をうがち、橋を架けて、険しい谷壁を切り抜けていくルートは、スリリングで見飽きることがない。とりわけ支谷の上空を渡るフラット・ストリーム鉄橋 Flat Stream Viaduct が見事だ。長さ120.7m、高さは34mと数字上はおとなしいが、右下方を流れる本流との高低差はすでに100m近くある。曲線でカントがついていることも手伝って、デッキから見下ろす高度感はなかなかのものだ。

鉄橋を渡った後は、直立に近い岩壁を大胆に切り崩した区間を通過していく。「ザ・ノッチズ The Notches(山峡の意)」と呼ばれ、峡谷の工事では屈指の難所だったところだ。

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険しい斜面を渡るフラット・ストリーム鉄橋(左)と
ザ・ノッチ第4鉄橋(右)
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上空から見たフラット・ストリーム鉄橋の前後
(c) Dunedin Railways, 2017
 

そのうち、垂直の切通しに機関車が頭を突っ込む形で停車した。旧 ザ・リーフス The Reefs 駅の少し手前(地形図に Viewpoint と注記)で、もうすぐ峡谷本体ともお別れという地点だ。展望台になっている保線用空地に出ると、平坦な高原とその底を這うように流れるタイエリ川が見渡せた。

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(左)ザ・リーフス駅手前で切通しに突っ込む形で停車
(右)保線用の空地が展望台に
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展望台からタイエリ川上流を望む
 

IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)が設置した銘板には次のように記してあった。「旧 オタゴ・セントラル鉄道のこの区間はニュージーランドの工学遺産として重要なものである。ダニーディンからクロムウェル Cromwell までのルートは7つの代案の中から選ばれ、1879年に建設が始まった。タイエリ峡谷を通す工事は15の橋梁と7つのトンネルを要する最も困難な工区であったが、その壮大な景観は工学上の業績の価値をより高めている... 」

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IPENZによる記念銘板
 

最後の休憩地を出ると、十分な高度を得た線路は高原上に居場所を移し、まもなくこの列車の終点プケランギに到着する。粗末な待合所がぽつんと建つ以外、何もないようなところだ。また雨が降り出したので、外に出た乗客も慌てて車内に戻ってしまう。機関車の機回し作業が手際よく終わり、列車は10分後に同じ道を引き返した。

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折返し地点のプケランギに到着

観光列車が走るオタゴ・セントラル支線は、本来、内陸部の開発で得られる鉱物資源や農畜産物を輸送する目的で造られた。ウィンガトゥイ~クロムウェル間236.1kmの長大な路線で、1889年から1921年の間に順次開通した。実現しなかったが、さらに奥地のハウェア Hawea まで延長する構想もあった(冒頭の路線図参照)。

しかし、第二次大戦後は輸送量が減少し、1970年代に入ると存続の可否が議論されるようになった。すでに1958年以降、末端区間アレクサンドラ Alexandra ~クロムウェル間の旅客輸送はバスで代行されていたが、1976年には全線で、専らレールカーが担っていた旅客輸送が休止された。そればかりか、クルーサ川 Clutha River を堰き止めるクライドダム Clyde Dam(下注)の着工を前に、水没するクライド Clyde ~クロムウェル間19.9kmが、1980年4月4日限りで廃止となった。

*注 湛水したダム湖は、ダンスタン湖 Lake Dunstan と呼ばれる。

残る区間が遅くまで存続したのは、そのダムの建設資材を輸送する目的があったからに過ぎない。水没区間廃止後、クライド駅は1.9km手前に移転し、そこに貨物を扱うヤードが設けられた。1990年にダムが完成すると、鉄道は役割を終え、同年4月30日をもって運行が終了した。

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保存された旧クライド駅(2011年)
Photo by Benchill at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ところで、このルートを走る観光列車は、支線の運命が定まるより前の1950~60年代から実績がある。1979年にオタゴ観光列車財団 Otago Excursion Train Trust に引き継がれて、事業が本格化した。それが人気を呼んだことから、1987年には運行に専念する公営企業「タイエリ峡谷株式会社 Taieri Gorge Limited」の設立で実施体制が整えられ、新車両も投入された。

路線の廃止方針を受けて、ダニーディン市議会は、列車を今後も安定して走らせるために、ニュージーランド鉄道との分界点(下注1)からミドルマーチまで約60kmの線路資産を取得することを決めた。1990年5月1日にこの区間の所有権は、ニュージーランド鉄道から市に移された(下注2)。

*注1 オタゴ・セントラル支線の根元区間には、産業用側線が接続しているため、分界点は同線4kmポスト地点にある。
*注2 ミドルマーチ以遠は、鉄道施設が撤去され、自然保護局 Department of Conservation (DOC) により、「オタゴ・セントラル・レール・トレール Otago Central Rail Trail」という自然歩道・自転車道に転用された。

1995年には、市と財団の共同出資により、新会社「タイエリ峡谷鉄道株式会社 Taieri Gorge Railway Limited」が設立された。市の線路資産と財団所有の車両は新会社に売却され、それ以降、この会社が観光鉄道事業の運営に当たっている。

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オタゴ・セントラル・レール・トレールの
プールバーン高架橋 Poolburn Viaduct(2011年)
Photo by Ingolfson at wikimedia. License: CC0 1.0

2014年10月にタイエリ峡谷鉄道は、名称をダニーディン鉄道 Dunedin Railways に変更した。ただし、登記上の社名は変わらず、マーケティングブランドだけを新しくしたのだ。それというのも、内陸へ向かうタイエリ峡谷線とは別に、近年、南部本線を北上する観光列車も定期運行させており、名称と実態が合わなくなってきていたからだ。

この列車は「シーサイダー Seasider」の名で呼ばれ、東海岸の海浜風景を売り物にしている。多くはダニーディンから25.5km先のワイタティ Waitati で折り返す手軽な90分コースだが、奇勝モエラキ・ボールダー Moeraki Boulders や125km先のオマルー Oamaru を往復する長時間ツアーもある。旅客輸送における鉄道の凋落が著しいこの国で、ダニーディンだけは例外的に意気盛んだ。

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海岸線を走る観光列車「シーサイダー」
(ポート・チャルマーズ Port Chalmers ~ワイタティ間)
(c) Dunedin Railways, 2017
 

本稿は、J.A. Dangerfield and G.W. Emerson, "Over the Garden Wall - Story of the Otago Central Railway" Third Edition, The Otago Railway & Locomotive Society Incorporated, 1995、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ダニーディン鉄道 http://www.dunedinrailways.co.nz/

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 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記

2017年8月12日 (土)

ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記

古い話で恐縮だが、2004年3月にニュージーランド南島を訪れたとき、クライストチャーチ Christchurch からアーサーズ・パス Arthur's Pass へ、バスと列車で日帰り旅をした。前回のミッドランド線 Midland Line とトランツアルパイン TranzAlpine の記事の付録として、そのときの様子を綴っておこう。写真も当時のもの(一部はネガフィルムからのスキャン)であることをご了承願いたい。

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アーサーズ・パス駅に停車中の、
クライストチャーチ行きトランツアルパイン

サザンアルプスを横断するミッドランド線は、前々からぜひ乗ってみたい路線の一つだった。とはいえ、全線往復は一日がかりで、私たちのような幼児連れには辛いし、地形図で確かめると、車窓の見どころは前半に集中している。乗るのはアーサーズ・パスまでとして、滝を見に行くミニハイキングと組合せれば、気分も変わっていいのではと考えた。

最初、往復ともトランツアルパインにするつもりで、1か月前にトランツ・シーニック Tranz Scenic 社のウェブサイトで予約を試みたが、すでに往路は満席だった。仕方がないので、列車に近い時刻で運行しているバス会社を探し出し、Eメールで予約を入れた。無料のピックアップサービスがあるというので、泊っているクライストチャーチのB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト、いわば民宿)まで朝、迎えに来てほしいと依頼した。

それで今朝は、返信メールで指示された7時30分に間に合わせるために、早起きする必要があった。7時からの朝食を大急ぎで済ませて宿の玄関で待っていると、通りの向かいに "Coast to Coast" と社名を掲げた、送迎用らしきマイクロバスが停まった(下注)。列車なら市街のはずれにある駅まで出向かなければならなかったから、これはラクチンだ。私たちが最初の客で、そのあと大聖堂前のほか数個所で次々と客を拾って、ほぼ満席の20人ほどになった。

*注 ちなみに2017年8月現在、このルート(朝、クライストチャーチ発、グレイマウス行き)には、Atomic Shuttles Service のバス便がある。
http://www.atomictravel.co.nz/

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スプリングフィールド(右下)~アーサーズ・パス(左上)間の1:250,000地形図
国道(赤の太線)は、鉄道(黒の太線)から離れた山間を通ってアーサーズ・パスに向かう
Sourced from NZMS262 maps 10 Grey and 13 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

時刻表によると、クライストチャーチの発車時刻は8時ちょうどだ。アーサーズ・パスには10時30分に到着し、そのままグレイマウス Greymouth まで走破する(下注)。どこかで長距離用の大型バスに乗り継ぐのだろうと、ずっと地図で軌跡を追っていたのだが、そのうち家並みが疎らになり、郊外へ出て行くではないか。

*注 列車の時刻はクライストチャーチ8:15→アーサーズ・パス 10:42なので、所要時間はほとんど変わらない。

やがて運転手は道端に車を止めて、切符を売り始めた。そう、このマイクロバスがそのまま山越えをするのだった。バス停はあってなきがごとし、だ。客を最寄りから拾い、しかもアーサーズ・パスまでの運賃は、60 NZドルかかる列車の半分以下の25ドル(当時のレートで1,800円)。人口の少ないこの国らしい実に小回りのきいたサービスで、これでは列車が太刀打ちできるはずがない。でも、こんなに繁盛しているなら大きなバスにすればいいのにと思う。

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(左)アーサーズ・パス方面のバスのリーフレット
  大型バスが描かれているが...
(右)実際に走ったのはマイクロバス
 

バスは、畑がどこまでも広がるカンタベリー平野の直線道を、時速100kmで飛ばしていく。1時間ほど走ったところで、ようやく前方に山並みが現れた。アルプスの前山を越す標高942mのポーターズ・パス Porter's Pass だ。鉄道がワイマカリリ川 Waimakariri River の峡谷に沿って走るのに対して、道路は西にそれてこの峠を越える。

胸突き八丁の険しい勾配をローギアで登って行くと、えもいわれぬ色合いの山並みが迎えてくれた。アルプスの東側は乾燥気候で、樹木が育ちにくく、山肌が崩壊しやすい。それで、岩石の露出したところはグレー、草の生えたところは黄金色や黄緑色になり、水彩画の趣きを見せているのだ。

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ポーターズ・パスを越えてサザンアルプスの山懐へ
 

峠を下りてしばらく進むうちに、草で覆われた丘に異様な形の巨岩が立ち並ぶキャッスル・ヒル Castle Hill が見えてきた。ここでフォトストップを兼ねた休憩がある。乗客はみな狭い車内からつかの間解放されて、嬉しそうだ。このあたりは盆地状の土地だが、河川の浸食で起伏が激しく、道路は大きく迂回しながら谷を渡る。

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キャッスル・ヒルから雲がたなびくサザンアルプスを望む
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(左)剥き出しの巨岩が並ぶキャッスル・ヒル
(右)山間で静かに水を湛えるピアソン湖
 

静かに水をたたえるピアソン湖 Lake Pierson を過ぎ、改めてワイマカリリの広く平たい河原に出る頃、対岸に私たちが乗れなかった西行きトランツアルパインの疾走する姿が小さく捉えられた。次善策で選んだバスの旅だったが、こうして列車では見られない景色を鑑賞できる印象深いものになった。

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(左)ワイマカリリ川上流。川を横断する鉄橋が見える
(右)対岸にトランツアルパインの姿が
 

10時30分、時刻表どおりにアーサーズ・パスのバス停(正確には峠ではなく、峠の手前の集落)に到着した。バスの窓から列車を追いかけていた頃はまずまずの天気だったが、峠の空は変わりやすくて、時折しぐれが襲う。カフェでミートパイ、サンドイッチとコーヒーを注文して、早めの昼食とした。

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(左)アーサーズ・パスのカフェ前からハイキングに出発
(右)グレイマウス行きトランツアルパインが通過
 

晴れ間が覗いたところを見計らって、デヴィルズ・パンチボウル滝 Devil's Punchbowl Falls を見に出かけた。パンチボウルはポンスを入れる鉢のことで、滝の名は「悪魔の大鉢」といったところだろう。滝壷まで大人の足で30分ほどの距離だ。西海岸へ通じる国道からわき道にそれるとまもなく、峠から流れ下ってくるビーリー川 Bealey River ともう一つの谷川を連続して渡る。鉄材でトラスを組んだ歩道橋だが、わが子は一目見て「てっちょー(鉄橋)」と叫んだ。目指す大滝が正面に見えている。

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デヴィルズ・パンチボウル滝とトラスの歩道橋
 

途中までは立派な木製の階段が整備されていて快調だったが、やがて大きな石が転がる本格的な山道となった。上り一辺倒ではなく下り坂もある。ベビーキャリアで重心が高くなっているので、慎重に進まざるを得ない。落石注意の看板の先で林がとぎれて、いよいよ滝が全貌を現した。高さ131m(下注)、見上げる高さから一気に落ちてくる。水しぶきばかりか、雲に覆われた空から霧雨まで吹きつけてきた。来合わせた青年に家族写真を撮ってもらう。

*注 高さの数値は、DOC "Discover Arthur's Pass - A Guide to Arthur's Pass National Park and Village" による。

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(左)石が転がる山道を行く
(右)滝壺前に到着
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見上げる高さのデヴィルズ・パンチボウル滝
 

15時半に鉄道駅まで戻ってきた。発車時刻は15時57分なのだが、すでにトランツアルパインはホームに停まっていた。行きに見かけたときは客車を12両つないで堂々たる編成だったのに、帰りはたった3両とさびしい。それにここアーサーズ・パスはまったくの無人駅で、駅舎はあれど売店などはない。車内に持ち込むお菓子と飲み物を買いたいと思っていたので、当てが外れた。

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(左)アーサーズ・パス駅へ戻ると列車はすでに入線していた
(右)旧駅舎の写真パネル
  現駅舎は旧駅舎の焼失後1966年に建築
 

列車は予約済みだが、座席指定は現地で行われる。始発駅なら窓口で行うはずのところ、ホームに出ていた車掌氏に名前を告げて、ボーディングパスを受け取った。

車内に入ると、日本のグリーン車以上の大型席が片側2つずつ、テーブルをはさんで向かい合わせに並んでいる。狭軌の車両にこの設備なので、通路は人一人通れるくらいの幅しかない。列車が動き出しても、私たちの向かいの席には誰も乗ってこなかった。見るとあちこちに空席がある。出発前に見たウェブサイトでは満席と表示されていたので、どうやらボックス単位で予約を入れているようだ。

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トランツアルパイン車内
テーブルつきボックスシートが所狭しと並ぶ
 

出発すると列車はビーリー川の谷を下っていき、まもなくワイマカリリの広い河原に出る。朝来るときにバスの車窓から追跡したあたりだ。やがて川と国道から離れて雄大な風景の高原地帯に入っていく。

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(左)初めはワイマカリリの広い河原の際を走る
(右)キャス Cass から川を離れて高原を行く
 

次はいよいよ大峡谷だ。右手に、大地を深く刻み込んだブロークン川 Broken River が現れる。これを高い鉄橋でゆるゆると渡ると、今度は左手はるか眼下に、さきほど別れたワイマカリリ川が明るいブルーの太い線を大きくくねらせている。窓の開かない客車を脱出して、連結された荷物車のデッキに移ったが、そこはカメラを手にした乗客が入れかわり立ちかわり集まる展望台と化していた。

長めのトンネルをいくつか抜けると、支流を渡る高い鉄橋がある。ワイマカリリがオーム字形に蛇行していて、まるで上空に飛び出したかのような角度から眺めることができる。最後の眺めは、この峡谷がカンタベリー平野へ出て行くところだ。谷の中に封じ込められていた水の力が一気に解放され、網流の限りを尽くす様子が遠望された。

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(左)ブロークン川の鉄橋を渡って峡谷へ
(右)峡谷になったワイマカリリ川に再会
 

スイスの列車も楽しいが、それに匹敵するほど、ダイナミックな景勝ルートだ。朝充電したデジカメが列車に乗る前に電池切れになってしまい、その後はアナログカメラでちびちび撮ったため、車窓写真がもうひとつパッとしないのが唯一の心残り。

平野に出たスプリングフィールド Springfield で、静かなはずのホームがにわかにざわついた。窓越しに覗くと、3両目を占有していた日本人団体客の一行が下車して、駅前に停車した観光バスに移動していく。ここから先の車窓は単調なので、先を急ぐツアーにさっさと見切りをつけられたわけだ。

やがて左にゆるゆるとカーブして南部本線(メイン・サウス線 Main South Line)に合流し、工場や倉庫の中を走って、18時ごろクライストチャーチ駅に到着した。定刻18時05分より少し早い。駅舎は新しくモダンなデザインの建物だが、ホームは片面1線の簡素な造りだ。駅前に路線バスなどは来ていないので、シャトル Shuttle(当地では乗合タクシーのこと)を捕まえて宿へ戻った。

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クライストチャーチ駅に到着
 

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 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

2017年8月 6日 (日)

ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道

南北500kmにわたって連なるサザンアルプス Southern Alps。ニュージーランド南島の背骨を成すこの大山脈を果敢に横断する鉄道路線が、1本だけある。それがミッドランド線 Midland Line で、南島最大の都市クライストチャーチ Christchurch に近いロルストン Rolleston と、西海岸のグレイマウス Greymouth の間 211km(下注)を連絡する。最高地点は標高700mを超え、幾多のトンネルや鉄橋で険しい地形と闘う同国きっての山岳路線だ。

*注 路線距離(正確には210.94km)は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993 による。なお、英語版ウィキペディアでは212km(132マイル)としている。

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DXC形機関車が重連で牽く運炭列車がワイマカリリ川を渡る
Photo by TrainboyMBH at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

西海岸の北部には炭鉱が集中しているが、あいにく積出し用の良港に恵まれていない。そのため、採掘された石炭は専用のホッパ車に積み込まれ、貨物列車でミッドランド線を経て、東海岸の港リッテルトン Lyttelton まで運ばれる。それで、同線は重要な産業路線になっている。

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ミッドランド線の歴史は1870年代に遡る。当時、南島では、クライストチャーチからダニーディン Dunedin、インヴァーカーギル Invercargill に至る現在の南部本線(メイン・サウス線 Main South Line)が開通し、そこから内陸の町や村へ、支線が続々と延びていた。1880年1月に開通したスプリングフィールド支線 Springfield Branch(ロルストン~スプリングフィールド 48.6km)もその一つで、これが後にミッドランド線の根元区間になる。

1880年代に入ると、今度は島の東西を結ぶ鉄道建設の機運が高まった。1884年には、ルートとしてワイマカリリ川の谷 Waimakariri Valley を遡り、アーサーズ・パス Arthur's Pass を越える案が採択されている。だが、その間にそびえるサザンアルプスが建設の最大の障害になることもまた、十分に認識されていた。

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ミッドランド線(ロルストン Rolleston ~グレイマウス Greymouth)および周辺路線図
旗竿記号は後述するトランツアルパインの走行ルート
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

 

財源不足の政府に代わって、1886年にニュージーランド・ミッドランド鉄道会社 New Zealand Midland Railway Company が設立され、建設契約が交わされた。会社はロンドンで資金を調達して、工事に着手する。しかし1900年に政府への施設引渡しが完了したとき、線路は、西側こそ峠下のオーティラ Otira まで達していたが、東側ではほとんど前進していなかった。

なぜなら、ブロークン川左岸までの約13km(8.5マイル)には、ワイマカリリ川 Waimakariri River が造った大峡谷が横たわっていたからだ。線路は峡谷の肩に当たる比高100mの段丘上に敷かれる計画だったが、それでも迫る断崖と深い支谷を通過するために、16本のトンネルと4本の高い鉄橋が必要となった。最も壮観なステアケース橋梁 Staircase Viaduct は、川床からの高さが73mもある。

結局、工事は政府が引継ぐことになり、1906年10月にこの区間が完成を見た。さらに線路は延伸され、キャス Cass に1910年、峠の手前のアーサーズ・パス駅には1914年に到達した。

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川床からの高さ73mのステアケース橋梁
Photo by Zureks at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

残された課題は、アーサーズ・パス(アーサー峠)をどのように越えるかだった。峠の標高は920mあり、かつ両側の河川勾配は著しく非対称だ。水平距離5kmの間に、東側(下注)では200m下るのに対して、西側は450mも急降下する。この激しい高度差を克服する方法として、すでにミッドランド鉄道会社の時代に、索道方式や、リムタカのようなフェル方式またはアプト式ラック(いずれも1:15(66.7‰)勾配)が検討されていた。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではアーサーズ・パス駅方を東、オーティラ駅方を西と表現する。

しかし、貨物の大量輸送をもくろんでいた政府は、特殊鉄道案には否定的で、1902年に長さ8,554mの単線トンネル(下注)を建設する案を決定した。これは当時大英帝国では最長、世界でも7番目の長大トンネルだった。しかも内部はオーティラに向けて、終始下り1:33(30.3‰)の急勾配という異例の設計だ。蒸気機関車では煤煙でとうてい運行に適さないため、この区間のみ直流1500Vで電化されることになった。

*注 トンネルの長さは、前掲の "New Zealand Railway and Tramway Atlas" に拠る。なお、IPENZ公式サイトでは8,529m、ウィキペディア英語版では8,566mとされている。IPENZサイトには5マイル25チェーンとも書かれており、これは8,549.64mになるため、Atlasの値が最も近い。

オーティラトンネル Otira Tunnel は、1907年に着工された。5年で完工する予定だったが、アルプスの破砕帯を突破する工事に難渋し、請け負った建設会社が倒産してしまう。政府は、建設工事をまたも直轄事業とせざるを得なかった。第一次世界大戦中も戦略的な観点から工事が続けられ、1918年に貫通。着工から16年目の1923年8月に、ようやく開通式を迎えた。

上述の理由で、トンネルを挟むアーサーズ・パス~オーティラ間だけは、開業時から電気機関車の活躍の場だったが、改良DX(DXC)形ディーゼル機関車の投入により、1997年に電化設備は撤去された。現在、この区間ではDXCの5重連が、ホッパ車(運炭車)を最大30両連結した貨物列車を牽いて、峠のトンネルを上っている。

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ディーゼル機関車DXC 5356号機
(先頭車、ピクトン駅にて)
Photo by DXR at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

一方、ミッドランド線を通る唯一の旅客列車が「トランツアルパイン TranzAlpine」だ。キーウィレール KiwiRail 社が「ニュージーランドの大いなる旅 The Great Journeys of New Zealand」のトータルブランドのもとで、運行している。トランツアルパインとは、ヨーロッパでアルプス横断を意味するトランスアルパイン Transalpine の ns の綴りを、ニュージーランドの略称 nz に置き換えた造語だ。

1日1往復のみの設定だが、驚くことではない。なにしろニュージーランドでは、長距離旅客列車は絶滅危惧種と言ってよく、南島にはこれを含めて2本しか残っていないからだ(下注)。トランツアルパインは絶景の中を走ることで知られるが、それどころかこの国では、旅客列車の走行シーンが見られるだけでも貴重なのだ。

*注 もう1本は「コースタル・パシフィック Coastal Pacific」。ピクトン Picton ~クライストチャーチ間で、9月~4月(夏季)に1日1往復設定されている。しかし、2016年11月の地震による土砂崩れのため、2017年8月現在運休中。これとは別に、ダニーディンを拠点にするダニーディン鉄道 Dunedin Railway が南部本線とその支線で、観光列車を走らせている。

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アーサーズ・パス駅に入線するトランツアルパイン
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 3.0
 

トランツアルパインの運行は1987年に始まった。改装したての車両が投入され、従来の古びた急行列車のイメージを一掃しての登場だった。以来、ニュージーランドで最も人気のある観光列車として、他の便が縮小や廃止の憂き目にあう中、しぶとく生き残ってきた。

運行区間は、クライストチャーチ~グレイマウス間の223km(139マイル)。途中7駅に停車する。一部区間がパックツアーに組み込まれ、団体客も乗ってくるので、乗車には事前予約が望ましい。

2017年8月現在のダイヤでは、西行きがクライストチャーチ8時15分発、グレイマウス13時05分着で、所要4時間50分。折返し東行きが同駅14時05分発、クライストチャーチ18時31分着で、所要4時間26分だ。所要時間が往路と復路でかなり違うのは、単線のため、貨物列車との交換待ちがあるからだろう。

現在のクライストチャーチ駅は3代目で、ロータリーになった広場の前に、簡素ながらスマートな駅舎が建っている。北部本線(メイン・ノース線 Main North Line)と南部本線の分岐点に近く、列車運用上は好都合な位置だが、町の中心部から西へ2.5kmも離れていて、駅前に路線バスすら来ていない。列車本数があまりに少なく需要がないのに違いない。

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クライストチャーチ駅
Photo by Matthew25187 at en.wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
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クライストチャーチ市街の1:50,000地形図
中心部の大聖堂広場 Cathedral Square と旧駅 Former station site の位置を加筆
Sourced from Topo50 map BX24 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

発車して1時間余りは、カンタベリー平野の広大な耕作地の中をひた走る。車窓を眺めても全く気づかないが、この一帯はサザンアルプスから流れ出るワイマカリリ川による大規模な開析扇状地で、扇頂に位置するスプリングフィールド Springfield では、すでに標高が383mに達している。

スプリングフィールドを出ると山が迫り、路線の歴史で紹介したワイマカリリ川の大峡谷に入っていく。西行きの列車の場合、展望は右側に開ける。このスペクタクルな景観は、スローヴンズ・クリーク橋梁 Slovens Creek Viaduct を渡ったところで、ひとまず終わる。

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ブロークン川橋梁を遠望
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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ワイマカリリ峡谷の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BW21 Springfield, BW22 Oxford. Crown Copyright Reserved.
 

山中の浅い谷を通り抜けて、谷幅いっぱいに広がるワイマカリリ川と再会する。まもなくこの川を横断し、支流ビーリー川 Bealey River の谷を遡ると、路線のサミットである標高737mの駅アーサーズ・パスだ。山岳観光の玄関口でもあるので、降車する客が多く、車内は急に閑散とするだろう。帰りの列車まで約5時間半あるから、クライストチャーチから日帰り旅行も可能だ。

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キャス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV21 Cass. Crown Copyright Reserved.
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アーサーズ・パス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV20 Otira. Crown Copyright Reserved.
 

ビーリー川を渡るやいなや、列車はオーティラトンネルに突入する。下り一方の長く騒々しい闇を抜ければ、山間のオーティラ Otira 駅に停車だ。さらに降りていくと、タラマカウ川 Taramakau River 本流の谷に出るが、線路は海へ向かう川には従わず、北へ向きを変える。

沿線で唯一、車窓に穏やかな湖面が広がるのが、モアナ Moana 駅の前後だ。鱒釣りで知られるブルナー湖 Lake Brunner だが、その景色はすぐに後へ去り、列車は、湖から注ぎ出すアーノルド川 Arnold River の岸をゆっくりと下っていく。スティルウォーター=ウェストポート線 Stillwater–Westport Line に合流してからは、グレイ川 Grey River に沿って最後の走りを見せる。

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モアナ駅から見たブルナー湖
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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モアナ周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BU20 Moana. Crown Copyright Reserved.
 

両岸に山が迫り、右へ分岐した線路(ラパホー支線 Rapahoe Branch)が川を渡っていくのを見送ると、まもなく道路を斜め横断して、グレイマウス駅に到着する。ここも片面ホームの簡素な駅だ。なお、さらに遠方へ足を延ばす人には、駅前から、インターシティ InterCity 社が運行するフォックス・グレーシャー Fox Glacier 行きとネルソン Nelson 行きのバス便がある。

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グレイマウス駅
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 4.0
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グレイマウス市街周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BT19 Runanga, BU19 Kumara. Crown Copyright Reserved.
 

次回は、ミッドランド線を通って、クライストチャーチ~アーサーズ・パス間の日帰り旅をしたときのことを記したい。

■参考サイト
KiwiRail - The Great Journeys of New Zealand
https://www.greatjourneysofnz.co.nz/
InterCity(長距離路線バス会社) https://www.intercity.co.nz/
IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会) http://www.ipenz.org.nz/

★本ブログ内の関連記事
 ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記
 タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
 リムタカ・インクライン II-ルートを追って
 ニュージーランドの鉄道地図

2017年7月30日 (日)

リムタカ・インクライン II-ルートを追って

新線が開通すると、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline を含むワイララパ線 Wairarapa Line 旧線区間では、施設の撤去作業が行われ、ほぼ更地化した。平野部では多くが農地や道路に転用されてしまったが、峠越えのカイトケ Kaitoke ~クロス・クリーク Cross Creek 間は公有地で残された。

一方、フェル式蒸気機関車の中で唯一解体を免れたH 199号機は、リムタカの東にあるフェザーストン Featherston の町に寄贈され、公園で屋外展示された。子どもたちの遊び場になったのはいいが、その後風雨に晒され、心無い破壊行為もあって、状態は悪化の一途をたどる。20年が経過したとき、旧線時代を振り返る書物の刊行をきっかけにして、保存運動が始まった。その結果、フェザーストンに今もあるフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum が1984年に建てられ、機関車は改めて館内で公開されるようになった。

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IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)による
リムタカ・インクラインの銘板
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
 

忘れられていた廃線跡にも、人々の関心が向けられた。ニュージーランド林務局 New Zealand Forest Service は、博物館開館と同じ年に、クロス・クリーク駅跡へ通じるアクセス道とインクライン跡の整備を実施した。崩壊した築堤には迂回路が設けられ、土砂崩れで冠水していたサミットトンネル Summit Tunnel も排水されて、サミット駅跡まで到達できるようになった。

その発展形が、ウェリントン地方議会 Wellington Regional Council と自然保護局 Department of Conservation が共同で計画した、廃線跡を利用するトレール(自然歩道)の設置だ。1987年11月に、メイモーン Maymorn ~クロス・クリーク間 22kmが「開通」し、「リムタカ・レール・トレール Rimutaka Rail Trail」と命名された。H形機の舞台は今や、自転車や徒歩で追体験することが可能だ。

それは、いったいどのようなところを走っていたのか。トレールにならなかった区間も含めて、新旧の地形図でそのルートを追ってみよう。

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リムタカ・インクラインを含むワイララパ旧線のルート
3つの枠は下の詳細図の範囲を示す
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.

アッパー・ハット Upper Hut ~カイトケ Kaitoke 間

付け替え区間は、アッパー・ハット駅を出て間もなく始まる。ハット谷 Hutt Valley より一段高いマンガロア谷 Mangaroa Valley に出るために、旧線は、境を成す尾根筋に取りつき、ぐいぐいと上っていく。短距離ながら急曲線(半径5チェーン=100.6m)と急勾配(1:35=28.6‰)が続く、リムタカの本番を控えた前哨戦のような区間だ。廃線跡は森に埋もれてしまい、現行地形図では、尾根を抜ける長さ120mのトンネル(Old tunnel の注記あり)しか手がかりがない。しかし、等高線の描き方から谷を渡っていた築堤の存在が推定できる。

トンネルを抜けるとマンガロア谷だ。北に緩やかに傾斜する広い谷の中を、旧線はほぼ直線で縦断し、途中にマンガロア駅があった。地形図でも、断続的な道路と防風林(緑の帯の記号)のパターンがその跡を伝える。

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マンガロア駅跡
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現 メイモーン駅の東方から、旧線跡はリムタカ・レール・トレールとして、明瞭な形をとり始める。周辺はトンネル・ガリー保養地 Tunnel Gully Reareation Area で、地形図では破線で描かれる小道が錯綜しているが、その中で、車が通れる小道 Vehicle track を表す少し長めの破線記号が、本題のトレールだ。こう見えても、勾配は1:40(25‰)前後ある。

長さ221m、直線のマンガロアトンネル Mangaroa Tunnel で、プラトー山 Mount Plateau の尾根を抜ける。大きく育った松林の間を進むうちに、一つ北側のカイトケ谷 Kaitoke Valley に移っている。旧カイトケ駅構内は私有地になったため、トレールはそれを避けて大きく西へ迂回しており、駅跡の先で本来の旧線跡に復帰する。

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アッパー・ハット~カイトケ間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP32 Paraparaumu, BP33 Featherston. Crown Copyright Reserved.
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同 旧線時代の1マイル1インチ地図(1957年版)
鉄道記号の横のT字の記号は電信線 Telephone lines、
橋梁に添えられた S は鋼橋 Steel または吊橋 Suspension、
W は木橋 Wooden を表す
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

カイトケ~サミット Summit 間

サミットに至る峠の西側約12kmのうち、初めの約2kmは一般車も通れる道だ。車止めのゲートを越えると専用林道で、開けたカイトケ谷のへりに沿いながら、パクラタヒ川 Pakuratahi River が流れる谷へ入っていく。

まもなく谷幅は狭まり、渓谷の風情となる。小川を横切っていたミューニションズ・ベンド橋梁 Munitions Bend bridge は1960年代に流失した。以来、林道は川をじかに渡っていた(=渡渉地 Ford)が、2003年、傍らに徒橋 Foot bridge と線路のレプリカが渡された(下注)。長さ73mのパクラタヒトンネル Pakuratahi Tunnel を抜けると、森の陰に新線リムタカトンネルの換気立坑がある。新線はこの直下117mの地中を通っているのだ。

*注 ウェリントン地方議会のサイトでは、徒橋の設置を2003年としているが、現地の案内標識には2004年と記されている。

少し行くと、長さ28m、木造ハウトラス Howe truss のパクラタヒ橋梁 Pakuratahi Bridge で本流を渡る。ニュージーランド最初のトラス橋だったが、火災で損傷したため、1910年に再建されたもので、2001年にも修復を受けている。

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木造ハウトラスのパクラタヒ橋梁
Photo by Pseudopanax at wikimedia
 

谷間がやや開け、右カーブしながら、長さ70mの桁橋レードル・ベンド・クリーク橋梁 Ladle Bend Creek bridge を渡る。比較的緩やかだった勾配は、ここから最急勾配1:40(25‰)と厳しくなる。直線で上っていくと、また谷が迫ってくる。高い斜面をトレースしながら、山襞を深い切通しで抜ける。

再び視界が開けると、レール・トレールは左から右へ大きく回り込みながら、均されたサミット駅跡に達する。現役時代から、集落はおろかアクセス道路すらない山中の駅だったので、運転関係の施設のほかに鉄道員宿舎が5戸あるのみだった。今は跡地の一角に蒸機の残骸のオブジェが置かれているが、H形のものではないそうだ。

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サミット駅の構内ヤード(1900年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain
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サミット駅跡
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
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カイトケ~クロス・クリーク間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

サミット~クロス・クリーク Cross Creek 間

峠の東西で線路勾配は大きく異なる。あたかも信越本線の碓氷峠に似て、西側は25‰で上りきれるが、東側は66.7‰の急勾配を必要とした。それを克服する方法が、碓氷峠のアプト式に対して、リムタカではフェル式(下注)だ。この急坂区間をリムタカ・インクライン Rimutaka Incline と呼んだ。

*注 フェル式については、前回の記事参照。

文献では長さ3マイル(メートル換算で4.8km)と書かれることが多いが、これは両駅間の距離を指している。サミット駅を出ると間もなく、旧線は長さ576m(1,890フィート)のサミットトンネルに入るが、トンネル内の西方約460mは、下り1~3.3‰とわずかな排水勾配がつけられているだけだ。残り約100mの間に勾配は徐々に険しくなり、トンネルの東口で下り1:15(66.7‰)に達していた(下注)。このことから推測すれば、フェル式レールの起点は東口近くに置かれていたはずだ。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではサミット駅方を西、クロス・クリーク駅方を東と表現する。

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サミットトンネル東口
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
 

トンネルを抜けると、旧線跡は分水嶺の中腹に躍り出る。眼下の谷、向かいの山並み、これから下っていくルートまで眺望できる展望地だ。左に回り込んで、長さ121mのシベリアトンネル Siberia tunnel を抜けたところに、半径100m(5チェーン)の急曲線で谷を渡る高さ27mの大築堤があった。谷は築堤の形状にちなんでホースシュー・ガリー Horseshoe Gully(馬蹄形カーブの峡谷の意)と呼ばれたが、冬は激しい北西風に晒されるため、シベリア・ガリー Siberia Gully の異名もあった。1880年に突風による列車の転落事故が発生した後、築堤上に防風柵が設けられている。

しかし、その大築堤も今はない。廃線後の1967年、暴風雨のさなかに、下を抜けていた水路が土砂で詰まり、溢れた水が築堤を押し流してしまったからだ。そのため現在、レール・トレールの利用者は谷底まで急坂で下り、川を渡渉するという回り道を余儀なくされる。谷から突っ立っている異様なコンクリートの塔は、縦方向の水路が剥き出しになったものだという。

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(左)ホースシュー・ガリーを渡っていた大築堤に、防風柵が見える
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
(右)築堤が流失したため、現在、レールトレールは谷底まで降りて川を渡る
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次のプライシズトンネル Price’s Tunnel は、長さ98m(322フィート)でS字に曲がっている。しばらくこうして斜面を下っていくうちに、平坦地に到達する。登録史跡にもなっているクロス・クリーク駅跡だ。フェル式車両の基地があったので、構内はかなり広いが、今はトレール整備で造られた待合室のような小屋があるばかりだ。

なお、旧版地形図には、マンガロアとクロス・クリークを結んで "Surveyed Line or Proposed Rly. Tunnel" と注記された点線が描かれている。これは当初構想のあった約8kmの新トンネルだ。結局、リムタカトンネルはこのルートでは実現せず、クロス・クリークは廃駅となってしまった。

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1955年10月29日、
H 199号機が先導する最終列車がクロスクリーク駅を出発
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 

クロス・クリーク~フェザーストン Featherston 間

クロス・クリークから東は、1:40(25‰)以内の勾配で降りていく。残念ながら大部分が私有地となり、旧線跡の多くは牧草地の中に埋もれている。そのため、レール・トレールは小川(クロス・クリーク)を渡って対岸に移る。地形図で下端に見える水面は、北島第3の湖、ワイララパ湖 Lake Wairarapa だ。平原に出ると、旧線はフェザーストンの町まで一直線に進んでいた。途中、小駅ピジョン・ブッシュ Pigeon Bush があったはずだが、周辺にぽつんと残る鉄道員宿舎の暖炉煙突2基を除いて、跡形もない。

リムタカトンネルを抜けてきた新線が接近する地点に、スピーディーズ・クロッシング Speedy's Crossing と呼ばれる踏切がある。1955年11月3日、ここで新線の開通式が執り行われた。39kmに及ぶ旧線跡の終点はまた、新旧の交替というエポックを象徴する場所でもあった。

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クロス・クリーク~フェザーストン間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

■参考サイト
Tracks.org.nz http://tracks.org.nz/
Cycle Rimutaka - New photos of the Rimutaka Cycle Trail!
http://www.cyclerimutaka.com/news/2015/10/28/new-photos-of-the-rimutaka-cycle-trail
Mountain Biking Travels - Rimutaka Rail Trail - Wairarapa
http://mountainbiking-travels.blogspot.jp/2015/06/rimutaka-rail-trail-wairarapa.html

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

★本ブログ内の関連記事
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道

 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I
 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 II

2017年7月23日 (日)

リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶

急勾配の線路を上り下りするために、2本の走行レールに加えて第3のレールを用いて、推進力や制動力を高める鉄道がある。その大部分は、地上に固定した歯竿(ラック)レールと、車体に装備した歯車(ピニオン)を噛ませるラック・アンド・ピニオン方式、略してラック式と呼ばれるものだ。代名詞的存在のアプト式をはじめ、いくつかのバリエーションが創られた。

しかし、フェル式 Fell system はそれに該当しない。なぜなら、中央に敷かれた第3のレールはラックではなく、平滑な双頭レールを横置きしたものに過ぎないからだ。坂を上るときは、このセンターレールの両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪ではさむことで、推進力を補う。また、下るときは同じように制輪子(ブレーキシュー)を押し付けて制動力を得る。

■参考サイト
レール断面図
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/history/fell-centre-rail-system

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線路工夫が見守る中、フェル式区間を上る貨物列車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 
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フェル式レールがサミットトンネル東口に続く(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain

この方式は、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が設計し、特許を取得したものだ。ラック式ほど険しい勾配には向かないものの、レールの調達コストはラック式に比べて安くて済む。1863~64年に試験運行に成功したフェルの方式は、1868年に開通したアルプス越えのモン・スニ鉄道 Chemin de fer du Mont-Cenis で使われた。フレジュストンネル Tunnel du Fréjus が開通するまで、わずか3年間の暫定運行だったが、宣伝効果は高く、これを機に、フェル式は世界各地へもたらされることになる(下注)。

*注 現存しているのは、マン島のスネーフェル登山鉄道(本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道」参照)が唯一だが、中央レールは非常制動用にしか使われない。

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ニュージーランドの植民地政府もまた、この効用に注目した。当時、北島南端のウェリントン Wellington からマスタートン Masterton 方面へ通じる鉄道(現 ワイララパ線 Wairarapa Line)の建設が準備段階に入り、中間に横たわるリムタカ山脈 Rimutaka Range をどのように越えるかが主要な課題になっていた。

ルート調査の結果、カイトケ Kaitoke(当時の綴りは Kaitoki)からパクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を経由するという大筋の案が決まった。峠の西側の勾配は最大1:40(25‰)に収まり、蒸機の粘着力で対応できるため、問題はない。しかし、東側は谷がはるかに急で、なんらかの工夫が必要だった。勾配を抑えるために山を巻きながら下る案は、あまりの急曲線と土工量の多さから退けられ、最終的に、平均1:15勾配(66.7‰、下注)で一気に下降する案が採用された。

*注 縦断面図では1:16(62.5‰)~1:14(71.4‰)とされている。

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ワイララパ旧線とリムタカ・インクライン
フェル式を採用したインクライン(図では梯子状記号で表示)は、サミットトンネル Summit Tunnel 東口~クロス・クリーク Cross Creek 駅間のみで、それ以外は粘着式で運行された
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.
 

この長さ3マイル(4.8km)のインクライン(勾配鉄道、下注)に導入されたのが、フェル式だ。特殊な構造の機関車が必要となるものの、客車や貨車は直通でき、実用性もモン・スニで実証済みだというのが、推奨の理由だった。当時、山脈を長大トンネルで貫く構想もすでにあり、インクラインは暫定的な手段と考えられたのだが、実際には、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは77年間と、最も寿命の長い適用例になった。

*注 このインクライン区間の呼称については、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline のほか、「リムタカ・インクライン鉄道 Rimutaka Incline Railway」や「リムタカ鉄道 Rimutaka Railway」も見受けられる。ただし、下記参考資料では「リムタカ鉄道」を、ワイララパ旧線全体を表現する用語として使用している。

建設工事は1874年に始まり、予定より遅れたものの1878年10月に完成した。これでウェリントンからフェザーストン Featherston まで、山脈を越えて列車が直通できるようになった。

フェル式区間のあるサミット Summit ~クロス・クリーク Cross Creek 間(下注)には、イギリス製の専用機関車NZR H形(軸配置0-4-2)が投入された。開通時に1875年製が4両(199~202号機)、1886年にも2両(203、204号機)が追加配備されている。また、下り坂に備えて列車には、強力なハンドブレーキを備えた緩急車(ブレーキバン)が連結された。これら特殊車両の基地は、峠下のクロス・クリーク駅にあった。通常の整備はここで実施され、全般検査のときだけ、ウェリントン近郊のペトーニ Petone にある整備工場へ送られたという。

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唯一残るフェル式機関車
(フェル機関車博物館蔵 H 199号機)
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.
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床下に潜れば、センターレールとそれをはさむブレーキシューが見える
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.
 

当初インクラインを通行する列車は、機関車1両で扱える重量までとされた。制限は徐々に緩和され、1903年の貫通ブレーキ導入後は、最大5両の機関車で牽くことも可能になった。しかし、機関車ごとに乗員2名、列車には車掌、さらに増結する緩急車でブレーキ扱いをする要員と、1列車に10数名が携わることになり、運行コストに大きく影響した。また、インクラインでの制限速度は、上り坂が時速6マイル(9.7km)、下り坂が同10マイル(16km)で、機関車の付け替え作業と合わせ、この区間の通過にはかなりの時間を費やした。

ワイララパ線は、1897年にウッドヴィル・ジャンクション Woodville Junction(後のウッドヴィル)までの全線が完成している。ギズボーン Gisborne 方面の路線と接続されたことで輸送量が増え、20世紀に入ると、H形機関車の年間走行距離は最初期の10倍にもなった。

1936年、鉄道近代化策の一環で、ウェリントン~マスタートン間に軽量気動車6両 RM 4~9 が導入された。センターレールに支障しないよう、通常の台車より床を12インチ(305mm)高くした特別仕様車で、速度の向上が期待されたが、実際には時速10~12マイル(16~19km)にとどまった。

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カイトケ駅に到着する軽量気動車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 

リムタカのボトルネックを解消する抜本策が、バイパストンネルの建設であることは自明の話だった。1898年に詳細な調査が実施され、マンガロア Mangaroa ~クロス・クリーク間を直線で結ぶ約5マイル(8km)のトンネル計画が練られた。1920年代にも再び実現可能性の調査が、30年代には詳細な測量が行われたが、それ以上前に進まなかった。

懸案への対処が先送りされ続けた結果、第二次世界大戦が終わる頃には、リムタカの改良は待ったなしの状況になっていた。機関車もインクラインの線路も、長年酷使されて老朽化が進行していたからだ。1947年に決定された最終ルートは、当初案のクロス・クリーク経由ではなく、一つ北のルセナズ・クリーク Lucena's Creek(地形図では Owhanga Stream)の谷に抜けるものになった。1948年、ついにトンネルを含む新線が着工され、7年の工期を経て、1955年に竣工した。

これに伴い、旧線の運行は1955年10月29日限りとされた。最終日には、稼働可能なH形機関車全5両を連結した記念列車がインクラインで力走を見せ、多くの人が別れを惜しんだ。切替え工事を経て、新線の開通式が挙行されたのは同年11月3日だった。

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インクライン運行最終日に坂を下るH形4重連
Norman Cameron "Rimutaka Railway" 表紙写真
 

リムタカ迂回線 Rimutaka Deviation は、延長39.0kmあった旧線区間を14.4kmも短縮するとともに、最急勾配は1:70(14.3‰)、曲線半径も400mまでに抑えた画期的な新線だ。その結果、旅客列車で70分かかっていたアッパー・ハット~フェザーストン間がわずか22分になった。貨物列車も所要時間の短縮に加え、長編成化が可能になって、輸送能力が格段に向上した。

新線は全線単線で、トンネルをはさんで西口のメイモーン Maymorn 駅と東口のリムタカ信号場 Rimutaka Loop にそれぞれ待避線が設置されている。リムタカトンネル Rimutaka Tunnel は長さ 8,798mと、当時ニュージーランドでは最長を誇った(下注)。

*注 1978年に東海岸本線 East Coast Main Trunk Line の短絡線として、長さ8,850mのカイマイトンネル Kaimai Tunnel が完成するまで、最長の地位を守った。

トンネルには、ほぼ中間地点に換気立坑 ventilation shaft があり、旧線が通るパクラタヒ谷の地表面に達している。実はこれは、トンネル完成後に追加された工事だ。この区間はもともと架空線方式の電化が想定されていたが、経済的な理由で非電化のままになった。ディーゼル機関車の試験走行を行ったところ、自然換気だけでは排気が十分でないことが判明し、急遽対策がとられたのだ。

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リムタカトンネル開通式
ブックレット表紙
Photo by Archives New Zealand at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

新線への切替え後、列車の往来が途絶えた旧線では、すぐさま施設の撤去が始まった。H形機関車は、長年走り続けた線路の撤去作業を自ら務めた。それが終わると、ハット整備工場へ牽かれていき、そこでしばらく留置された。そして翌年除籍され、フェザーストンの町に寄贈された1両を残して、あえなく解体されてしまった。

まだ使用可能だったフェルレールと緩急車は、再利用するために南島のレワヌイ支線 Rewanui Branch(下注)へ移送された。こうして、リムタカ・インクラインの77年の歴史は幕を閉じたのだった。

*注 ニュージーランドにはリムタカのほかにも、フェル式が使われた路線がある。南島北西部の鉱山支線であった上記のレワヌイ・インクライン Rewanui Incline(使用期間 1914~66年)とロア・インクライン Roa Incline(同 1909~60年)、ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car(同 1902~78年)、カイコライ・ケーブルカー Kaikorai Cable Car(ダニーディン Dunedin 市内、期間不明)だが、いずれも制動のみの使用だった。

では、旧線はどのようなところを走っていたのか。次回は、インクラインを含む旧線のルートを地形図で追ってみたい。

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/

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