オセアニアの鉄道

2023年2月28日 (火)

ニュージーランドの鉄道を地図で追う II

前回に続いて、ニュージーランドの鉄道網の発達と改良の痕跡をさらに訪ねてみよう。

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ウェリントン駅、1937年築(2021年)
Photo by Tom Ackroyd at flickr.com. License: CC BY-SA 4.0
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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(1~4は前回掲載)

北島本線の延伸

オークランド Auckland から南進したノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk(以下「北島本線」)のレールは、1877年に中部の主要都市ハミルトン Hamilton の最寄り駅フランクトン Frankton、1880年にはテ・アワムトゥ Te Awamutu に達した。しかし、計画はそこでしばらく足踏み状態となる。景気後退期に入ったことと、キング・カントリーへの立ち入りについて、地元のマオリとの交渉が長引いたからだ。中央区間の着工は1885年までずれ込んだ。

地勢の面でも、ここから先は北島火山性高原 North Island Volcanic Plateau を越えていく本格的な山岳ルートになる。北島最高峰2797mのルアペフ Ruapehu をはじめ、タウポ火山群 Taupō Volcanic Zone から噴出した溶岩流や泥流が台地状に広がり、そこに深い渓谷が刻まれている。鉄道の横断には、当初から難工事が予想されていた。

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タウポ火山群の主峰ルアペフ Ruapehu(右)と
コニーデ型のナウルホエ Ngauruhoe(2008年)
Photo by MSeses at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

最初の難関が、北側の谷から高原に取り付くために必要な約130mの高低差(下注)の克服だ。線路はここでオメガループやスパイラルを駆使し、とぐろを巻くような複雑な線形で上っていく(下図参照)。幹線として勾配は19.2‰(1:52)までに抑えているが、曲線半径は151m(7チェーン半)とかなり厳しい。鉄道ファンにはよく知られたこのラウリム・スパイラル Raurimu Spiral によって、列車は一気に高原上に躍り出る。

*注 130mという値は、ラウリム旧駅と、スパイラルを経て再びマカレトゥ川 Makaretu River の谷に戻る地点との高度差434フィートのメートル換算値を記している。

上り切ったところに、峠の駅ナショナル・パーク National Park がある。名のとおりトンガリロ国立公園 Tongariro National Park の下車駅だが、周辺にある同名の集落を含めて国立公園区域の外にあるから、日本風にいうなら公園口駅だ。

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空から見たラウリム・スパイラル(2007年)
Photo by Duane Wilkins at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図5 ラウリム・スパイラルとその前後区間
峠下のラウリム駅は廃止済
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

勇壮な火山群を左車窓に見ながらなおも行くと、開析谷をまたいでいる高い鉄橋をいくつか渡る。その一つ、マカトケ高架橋 Makatoke Viaduct とマンガヌイオテアオ高架橋 Manganuioteao Viaduct(下注)の間には、北島本線の全通記念碑が建っている。1908年11月6日、当時の首相ジョーゼフ・ウォード卿 Sir Joseph Ward が、レールを枕木に固定する最後の犬釘を打ち込んだ場所だ。その翌年に始まった急行列車の運行により、オークランド~ウェリントン間700kmは18時間で結ばれた。

*注 マオリ語由来の地名に頻出するマンガ manga は川の支流を意味する。

記念碑の前から線路はまだわずかに上っていて、マンガトゥルトゥル高架橋 Mangaturuturu Viaduct を過ぎたあたりに、北島本線の最高地点814mがある(下注2)。

*注 駅で最も標高が高いのはナショナル・パーク駅で、標高807m。廃止された駅を含めれば、最高地点の手前のポカカ Pokaka 駅が811mで最も高かった。

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線路(左奥)の傍らに立つ南部本線全通記念碑(2005年)
Photo by Avenue at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図6 北島本線全通記念碑 Obelisk marking last spike と
 最高地点 The highest point の位置
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

線路が台地から降りるホロピト Horopito ~オハクネ Ohakune 間10kmは、1987年に曲線緩和を目的としたルート変更が行われた区間だ(下図参照)。鉄骨トレッスルだったタオヌイ高架橋 Taonui Viaduct とハプアウェヌア高架橋 Hapuawhenua Viaduct は、このときスマートなコンクリート橋に一新された。

旧橋も、土木工学遺産として保存されている。とりわけ後者は半径201m(10チェーン)でカーブしながら谷をまたぐ長さ284m、高さ45mの見事な高架橋だ。幸いにも、オハクネ馬車道路 Ohakune Coach Road と称するトレールの一部として開放されており、歩いて渡ることができる。

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トレールに転用された旧ハプアウェヌア高架橋(2010年)
Photo by Johnragla at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図7 ホロピト~オハクネ間、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 maps BJ33 Raetihi, BJ34 Mount Ruapehu. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線の改良

北島が発展するにつれ、北島本線の輸送量も着実に増加し、主として19世紀の規格で造られた路線には運行上の支障が目につくようになった。南島の幹線では大規模な改良があまり見られないのに対して、北島では複線化とともに、短絡線の建設が何か所かで実施されている。

最も早い例の一つが、1937年に完成したウェリントン郊外のタワ・フラット短絡線 Tawa Flat deviation だ(下図参照)。もとの路線は民間会社のウェリントン=マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway (W&MR) が1881年に開通させたもので、内湾に面したウェリントンからタスマン海側に出るために、渓谷を曲がりくねりながら25‰(1:40)で上り、標高158m(518フィート)のサミットを越えていた。

この直下に2本の長いトンネル(第1トンネル 1238m、第2トンネル 4323m)が掘られ、直線的なバイパス路線が完成した。ルートが2.5km短縮されただけでなく、勾配緩和(最大10‰)と複線化によって線路容量は格段に改善した。

一方、旧線は単線のままだが、ウェリントンからサミットのジョンソンヴィルまでが通勤線(ジョンソンヴィル支線 Johnsonville Branch Line)として残され、山上の住宅地から都心へ出る人々の足になっている。残念ながら、ジョンソンヴィル以遠は廃止後、ハイウェー用地に転用されたため、跡をとどめていない。

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ジョンソンヴィル支線を行く通勤列車(2011年)
Photo by Simons27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図8 ウェリントン周辺のルート変更
Sourced from NZTopo50 map BQ31 Welington. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線が中央山地を後にする地点には、もう1か所、大規模なルート変更がある。タイハペ Taihape の南10km、旧駅でいうとウティク Utiku ~マンガウェカ Mangaweka 間に造られたマンガウェカ短絡線 Mangaweka deviation だ(下図参照)。比較的新しく、1981年に完成した。
線路はここでランギティケイ川 Rangitikei River の本流に出会うのだが、周辺は主としてパパ岩 papa rock と呼ばれる柔らかい泥岩から成る丘陵地で、川によって激しく削られ、比高100m前後の断崖が連なっている。

そのため旧線は、崖際の浸蝕がまだ達していない部分まで上り、数本のトンネルで尾根の出っ張りをしのいだ後、マンガウェカ Mangaweka の集落の裏山をゆっくりと段丘面まで降りていた。しかし、地質的に不安定で、線形も悪いため、並行する州道とともにルートの改良が図られることになったのだ。鉄道と道路を新ルートで並走させる案も検討されたが、最終的には、道路は旧道の直線化にとどめて、鉄道だけを川の左岸に移設することになった。

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図9 マンガウェカ周辺のルート変更、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 map BK35 Taihape. Crown Copyright Reserved.
 

新線には、川床からの高さが70mを越える大高架橋が3本架かっている。列車はまず左岸に移るために、北ランギティケイ高架橋 North Rangitikei viaduct(長さ181m、高さ77m)と、支谷に架かるカワタウ高架橋 Kawhatau viaduct(同181m、72m)を立て続けに渡る。そして切通しを抜けた後、一段と長く、まるで空中遊泳するような南ランギティケイ高架橋 South Rangitikei viaduct(同315m、76m)を渡って右岸に戻る。

この段階では、旧線はまだマンガウェカ集落の裏の山腹を走っており、両者が合流するのは次のマンガウェカトンネル北口の直前になる。

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南ランギティケイ高架橋(2010年)
Photo by D B W at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リムタカ・インクライン

北島本線以外のルート変更にも注目すべきものがある。その一つは、珍しいフェル式レールを使っていたリムタカ・インクライン Rimutaka Incline だ(下図参照)。ウェリントンから北東へ延びるワイララパ線 Wairarapa Line が、ここでリムタカ山脈 Rimutaka Range を越える。旧線は1878年に開通したが、工費がかかる長大トンネルの掘削を避け、パクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を遡るルートで建設された。

峠の西側は、蒸機の粘着力で対応可能な25‰(1:40)勾配に収まったが、東側は谷がはるかに険しいため、平均66.7‰(1:15)で一気に下降する案が採用された。この長さ4.8kmのインクライン(勾配線)(下注)に導入されたのが、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が考案したフェル方式だ。

*注 4.8kmは3マイルをメートル換算したもので、サミット Summit ~クロスクリーク Cross Creek 駅間の距離。実際にフェル式レールが敷かれた区間はもう少し短い。

走行レールの中間に、ラックレールではなく平滑な双頭レールが横置きされ、その両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪で挟むことで、機関車は推進力を補う。または制輪子を押し付けて制動力を得る。険しい勾配には向かないものの、レールが特殊なものではないので、 調達コストが安くて済むのが長所だった。

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(左)インクラインの曲線路を行く列車(1910年ごろ)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain
(右)フェル式レール(1880年)
Photo from Te Papa Tongarewa, Museum of New Zealand. License: Public domain
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図10 リムタカ越えのルート変更、旧線跡を破線で加筆
梯子状記号はインクライン区間(サミット~クロス・クリーク間)
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.
 

建設当時、インクラインは長大トンネルができるまでの暫定手段と考えられていたが、実際は77年間と、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは世界で最も長く使われた。

専用機関車の老朽化が進んだことで、ようやく1955年に、代替となる長さ8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel が完成した。それに伴い、インクラインは前後の粘着区間とともに廃止され、施設はほぼ撤去されてしまった。現在、峠のトンネルを含む廃線跡の一部は、リムタカ・レール・トレール Rimutaka Rail Trail として一般開放されている。

*注 リムタカ・インクラインについては、本ブログ「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」に詳述。

東海岸本線構想

東海岸本線 East Coast Main Trunk は、ハミルトン Hamilton(旧駅名フランクトン・ジャンクション Frankton Junction、後にフランクトン Frankton に改称)で北島本線から分岐して、タウランガ Tauranga を中心とする北東部のプレンティ湾 Bay of Plenty 地方へ延びる亜幹線だ。ここでも、1978年に大規模なルート切替えが実施されている。

かつてこの路線は、テ・アロハ Te Aroha、パエロア Paeroa、ワイヒ Waihi を経由する大回りルートで運行されていた。というのも最初から1本の幹線として計画されたものではなく、もとは1886年にテ・アロハまで、その後1898年にパエロアを経てテムズ Thames まで開通したテムズ線 Thames Line と呼ばれる地方支線に過ぎなかったからだ。

また、パエロア~ワイヒ間は、1905年に開通した鉱山支線だった。そのワイヒからタウランガ方面へ線路が延ばされ、プレンティ湾地方への鉄道ルートとして利用されるようになったのは、ずっと後の1927年のことだ。

実は1910~20年代、このルートはより壮大な構想の一部と見なされていた。それは、プレンティ湾地方からラウクマラ山脈 Raukumara Range を越えて北島中東部のギズボーン Gisborne に至る、北島東岸の幹線構想だった(下図参照)。

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鉄道現役時代のオヒネムリ川 Ohinemuri River 橋梁(1980年)
Photo by 17train at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図11 オークランドとギズボーンを結ぶ東海岸本線構想
 ルートを加筆。実線は既成線、破線は未成線
Sourced from LS159 North Island Railway map. Crown Copyright Reserved.
 

ギズボーン地方は、全国路線網が届かず、長らく孤島状態に置かれていた(下注)。ギズボーンから内陸へ分け入る1917年開通の鉱山鉄道、モウトホラ支線 Moutohora Branch Line に接続すれば、未完の区間は直線で約60kmに過ぎない。

*注 ギズボーンが孤立から脱するのは、1942年に南回りでパーマストン・ノース=ギズボーン線が全通したとき。

一方、大回りしているパエロア以東についても、北島本線に直接つながるバイパス新線が予定されていた。1938年にそのポケノ Pokeno ~パエロア間47km(29マイル)が着工され、当時の1インチ図にも予定線として描かれている(下図参照)。しかし、第二次世界大戦の空白期間をはさんで、工事は遅延を重ねた。その間に長大トンネルを介した新線計画が浮上したことで完全に放棄され、結局、未成線になってしまった。

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図12 ポケノ~パエロア間のバイパス新線が建設中の記号で描かれた1インチ図
(1943年版)
Sourced from NZMS 1 map N53-54 Paeroa. Crown Copyright Reserved.
 

カイマイ山脈を貫くそのカイマイトンネル Kaimai Tunnel は、1978年に完成して東海岸本線の新しいバイパスとなった。長さは8850m(下注)あり、今なお鉄道トンネルでニュージーランド最長だ。短絡新線は、ハミルトンから29kmのモリンズヴィル Morrinsville で旧ロトルア支線 Rotorua Branch Line に入り、ワハロア Waharoa の手前で左に分かれる。この完成と引換えに、旧線のパエロア~ワイヒ~新線との再合流点の間が廃止となった。

*注 この数値は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993による。ウィキペディア英語版のカイマイトンネルの項では8879m、東海岸本線の項では8896mとしている。

旧線随一の景勝区間だったパエロアからカランガハケ渓谷 Karangahake Gorge を通ってワイキノ Waikino に至る約12kmの廃線跡は、後に自然歩道ハウラキ・レール・トレール Hauraki Rail Trail として整備された(下図参照)。途中にある長さ1006mのカランガハケトンネルを含め、自転車や徒歩でかつての車窓風景を追体験することができる。

また、それに続くワイキノ~ワイヒ間約6kmは、ゴールドフィールズ鉄道 Goldfields Railway と称する保存鉄道の運行ルートに利用されている。ワイヒ以遠は残念ながら民地に戻され、沿線に橋梁の跡(橋台、橋脚)が点々と残るのみだ。

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ゴールドフィールズ鉄道(2009年)
Photo by Ryan Taylor at flickr.com. License: CC BY-NC-ND 2.0
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図13 パエロア~ワイヒ旧線跡
パエロア~ワイキノ間はトレールに、ワイキノ~ワイヒ間は保存鉄道に転換
Sourced from NZTopo50 map BC35 Paeroa. Crown Copyright Reserved.

ニュージーランドの鉄道網の最盛期は1950年代だ。1953年には全土に100本もの路線があり、総延長は約5700kmに達していた。しかし1960年代になると、選択と集中の時代に入る。幹線系統など有望な路線には資金が投じられ、電化や大規模な線形改良など近代化が推進される一方、実績の伴わない地方路線は、無煙化も果たせないまま、次々に閉鎖されていった。

このころすでに旅客輸送の環境は厳しかったが、1983年に道路貨物輸送の距離規制、すなわち鉄道を保護するために、競合する道路上の貨物輸送を150km以内としていた制限が撤廃されると、貨物部門でも自由競争が始まった。鉄道運営には一段と効率化が求められようになり、新たな鉄道ルートが地図に描き加えられる可能性は、今やほとんどなくなっている。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

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ニュージーランドの鉄道を地図で追う I

堀淳一氏の「ニュージーランドは詩う」(そしえて、1984年)を久しぶりに読み返した。この書を通して、それまでほとんど関心がなかった南太平洋の島国のイメージが、私の中で初めて明確な形をとったことを思い出した。

大海に浮かぶ二つの大きな島と周辺の島嶼からなるニュージーランド。日本と同じく環太平洋火山帯に属し、ダイナミックな火山地形もあれば、氷河を載せる隆起山地や深遠なフィヨルドも見られる。変化に富む自然の美しさは折り紙付きで、ナチュラリストにとっては天国のような土地だ。

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鉄道はどうか? 全国規模の鉄道網は日本と同じ狭軌の1067mm(3フィート6インチ)で、異国ながら、列車の走る風景はどこか親しみを感じさせる。ただし線路を行き交っているのは、ほとんど貨物列車だ。

政府のモーダルシフト政策のおかげで、貨物の取扱量は2010~16年の間に14%増加したと、キーウィレール KiwiRail(下注)は年次報告書に書いている。その一方で旅客列車は、オークランド Auckland とウェリントン Wellington の都市近郊フリークエントサービスを別とすると、絶滅危惧種といってよい状況だ。

*注 同国の鉄道網を所有し、運営する国有企業。

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ピクトン Picton へ向かう貨物列車
南島ケケレング Kekerengu 付近(2015年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

人口密度が1平方km当り17~18人(日本は2017年現在340人)、クルマが地道を時速100kmで飛ばせる国で、旅客ビジネスを成立させるのは難しい。堀氏が訪れた1982年でも、長距離列車は全国で一日9往復しかなかった。2003年の経営危機の後、本数はさらに削減されて、今や4往復と片手で足りる。同書で紹介された4本の列車のうち3本(下注)が廃止されて、もはや乗ることは叶わない。

*注 廃止されたのは、ニュー・プリマス~タウマルヌイ間、ギズボーン~ウェリントン間、インヴァーカーギル~クライストチャーチ間の各列車。

そのようなわけで、実際に列車の窓から風景を楽しめる区間はかなり限られてしまうのだが、地形図を携えて想像で出かける旅なら、どこでも可能だ。ニュージーランドの鉄道史に沿って、路線網の発達と改良の痕跡をいくつか訪ねてみよう。

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オークランド近郊線ミドルモア Middlemore 駅(2004年)
 

なお、使用する地図は、LINZ(ニュージーランド土地情報局)が製作する1:50,000と1:250,000地形図、旧LS(土地測量局)の1マイル1インチ地形図、それにかつて同局が国鉄の依頼で描いた鉄道地図だ。

天国の話のついでに言えば地図事情もそうで、複写はもとより再配布など二次利用も、著作権表示さえすれば無条件で可能になっている。ウェブサイトでは、初期の1インチ図から最新刊に至るまで、あらゆる刊行図が高解像度画像で公開され、自由にダウンロードできる。わが国の測量局もぜひ見習ってほしいサービスだ。

*注 ウェブサイトで見られる地形図データについては、本ブログ「地形図を見るサイト-ニュージーランド」参照。

鉄道の黎明期

ニュージーランドで最初の鉄道は、1862年に南島北端ネルソン Nelson 背後のダン山 Dun Mountain から鉱石を運び出すために設けられた馬車軌道だそうだ。しかし、それに続く初期の鉄道は、例外なく主要都市と外港の間で始められている。鉄道設備はすべて輸入品で非常に高価だから、まず短距離で確実な需要があるところに造られるのは当然のことだ。そしてこれを足掛かりに、街道に沿って、あるいは内陸の未開地へと路線網が拡張されていく。

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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(5~13は次回掲載)
 

ネルソンの馬鉄の翌年(1863年)には、早くも蒸気機関車が牽く鉄道が、同じく南島のクライストチャーチ Christchurch で開業している(下図参照)。カンタベリー州政府が直轄で造り、船着き場のあるフェリーミード Ferrymead との間7kmを結んだ。

軌間は1600mm(5フィート3インチ)。これはアイリッシュゲージと呼ばれ、本国イギリスの1846年鉄道軌間規制法でアイルランド(当時はイギリス領)の標準軌とされた規格だ。機関車をはじめとして車両全般の調達先だったオーストラリアのビクトリア州の仕様に合わせるためだった。

フェリーミードは、砂嘴で外海と隔てられた潟湖の奥に位置するささやかな船着き場に過ぎない。そのときすでに州政府は、外港リトルトン Lyttelton に至る路線を建設中だった。リトルトンは浸食された古火山の谷筋に海水が入り込んだ天然の良港で、水深があり、大型船の発着が可能だ。ただ、クライストチャーチからは一山越えなければならず、当時としては長い2595mのトンネルを掘るのに時間を要した。

1867年11月にリトルトン線が開業すると、フェリーミード線は早くも不要となり、1868年に運行を終えた。地図で見てもリトルトン方面の線路が直進で、フェリーミードは暫定利用であったことが窺える。カンタベリー州の鉄道は商業的にも成功し、1865年からさらに南方へ建設が進められていった。

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保存鉄道として復活したフェリーミード鉄道(2018年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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都市と外港を結んだ黎明期の鉄道
(現行1:250,000に初期ルートを加筆)
図1 最初の蒸気鉄道路線クライストチャーチ~フェリーミード、リトルトン間
Sourced from NZTopo250 map 23 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

次に鉄道が登場するのは、南島南端のインヴァーカーギル Invercargill だ(下図参照)。サウスランド州政府が、オーストラリアのニューサウスウェールズ州から1435mm(4フィート8インチ半)軌間の鉄道技術を導入した。しかし、州の財政は豊かでなかったので、北へ12kmのマカレワ Makarewa に至る最初の路線の建設で、工費の節約を図ろうと木製レールを使った。

1864年に開通すると、案の定、雨が降るたびに機関車は空転に悩まされた。その上、車両の重みでレールが傷むわ、乾季には火の粉から引火するわで、南の外港ブラフ Bluff への延伸(1867年)では、高くついても鉄のレールを採用するしかなかった。資材費に加えて、軟弱地盤の対策にも想定外の費用がかかり、サウスランド州は鉄道建設のために財政破綻に追い込まれた。

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図2 第二の蒸気鉄道路線マカレワ~インヴァーカーギル~ブラフ間
Sourced from NZTopo250 map 29 Invercargill. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルが変えた鉄道政策

ニュージーランドの鉄道政策のターニングポイントは1870年に訪れる。後に植民地政府の首相になるジュリアス・ヴォーゲル Julius Vogel が、この年「大公共事業 Great Public Works」と名付けた振興政策を打ち出したのだ。ロンドンの金融市場で巨額の借り入れを行い、立ち遅れているインフラを一気に整備するというもので、中でも主要な事業が、全島をカバーする鉄道網の建設だった。

当時、ニュージーランドにはまだ74km(46マイル)の路線しかなかった。それを9年間で1600 km(1000マイル)以上にするという、途方もない構想だ。当然、課題も多かったが、結果として10年後の1880年には、目標を上回る1900km超の路線が全土に張り巡らされていた。ヴォーゲルはインフラ整備とともに、補助金つきで移民の奨励も進めており、非マオリの人口は10年間にほぼ倍増している。これが産業の興隆とともに、交通需要の喚起に結び付いたのだ。

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ジュリアス・ヴォーゲル(1865年ごろ)
Image from flickr.com. License: Public domain
 

鉄道網の建設に先立って定められた重要な基準がある。それは鉄道の軌間だ。この問題を扱う特別調査委員会は、山がちの国土でコストを抑えながら建設を加速させるには、1067mm(3フィート6インチ)狭軌が妥当と結論づけた。

先行する州は当然反対に回り、日本の1910年代と同様、最終決定までに激しい議論が戦わされた。既存の鉄道は例外措置として、従来の軌間による建設も認められることになったが、その後、州制度の廃止で、州立鉄道が全国鉄道網に統合された1876年までに、順次1067mmに改軌されていった。

決定を受けて1067mm軌間の鉄道を最初に造ったのは、カンタベリーとサウスランドに挟まれたオタゴ州 Otago Province だ。1873年に、州都ダニーディン Dunedin から外港ポート・チャルマーズ Port Chalmers までが開通した(下図参照)。終始、内湾オタゴ・ハーバー Otago Harbour の波打ち際を走る12kmの路線で、後に、終点の2km手前のソーヤーズ・ベイ Sawyers Bay でクライストチャーチ方面へ向かう路線が分岐した。

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図3 1067mm軌間を初めて採用したダニーディン~ポート・チャルマーズ間
Sourced from NZTopo250 map 27 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルは、南島の主要都市であるクライストチャーチとダニーディンの接続を第一目標に据えていた。既存路線の先端から線路を延ばすのはもちろん、工期を短縮するために、中間の港ティマルー Timaru とオマルー Oamaru にも工事拠点を設けて、同時進行で作業を進めた。この間のレールは1878年につながり、開通式を迎えている。

並行してダニーディン~インヴァーカーギル間でも工事が進められ、1879年に両者の間にあった間隙が埋められた。現在、南部本線 Main South Line と呼ばれている南島の幹線鉄道がこのとき完成し、最速列車が600km離れた2都市間を11時間未満で結んだのだ。

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1906年に竣工した壮麗なダニーディン Dunedin 駅舎(2009年)
Photo by jokertrekker at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の事情

ところで、ここまで南島の話題ばかりで、北島のことが一向に出てこないのにお気づきかもしれない。

今でこそ北島の人口が南島のそれを圧倒しているが、19世紀半ばまで、ヨーロッパ人のニュージーランドへの入植先は、主に南島だった。クライストチャーチのあるカンタベリー地方は、広大な開析扇状地が牧畜業の適地とされたし、オタゴ地方では1860年代のゴールドラッシュをきっかけに、移民の急増で都市が発展し、内陸の開発が進んでいた。それとともに忘れてならない要因は、南島に先住民マオリが少なく、入植に必要な土地が比較的得やすかったという点だ。

対する北島では、多数のマオリが暮らしていたため、入植者との間で争いが絶えなかった。すでに1840年にイギリス政府とマオリの首長たちとの間でワイタンギ条約 Treaty of Waitangi が結ばれ、ニュージーランドは正式なイギリスの植民地になっていた。

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ワイタンギ条約締結地にあるマオリ集会所(2006年)
Photo by Vanderven at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

しかしその後、土地の買い上げを通じた植民地政府の支配強化の過程で、マオリの中の同調派と反対派の紛争が生じ、それに政府軍が加担して全面戦争となった。ニュージーランド戦争 New Zealand Wars と呼ばれる北島の混乱は、1845年から72年にかけて30年近くも続いた。最終的に反対派は鎮圧され、マオリの土地は北島中西部のキング・カントリー King Country と呼ばれた地域に縮小されてしまうのだが、当時は南島のみの植民地独立論があったほど、北島は厄介者と見られていたのだ。

北島を縦断してオークランドとウェリントンを結ぶ鉄道(現 ノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk、以下「北島本線」と記す)の構想は、南島と同じように1860年代から議論されていたのだが、こうした経緯で実現には長い時間がかかった。

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北島本線マコヒネ高架橋 Makohine Viaduct を渡るオーヴァーランダー号
(2006年)
Photo by DB Thats-Me at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の鉄道の嚆矢となるのは、1873年に開通したオークランド~オネフンガ Onehunga 間だ(下図参照)。1865年に1435mm軌間で着工したものの、わずか2年後に資金難で行き詰まっていた。それが、ヴォーゲルの公共事業政策のおかげで息を吹き返し、1873年に1067mm軌間で開通を見た。オネフンガは、西岸に開口部のある内湾マナカウ・ハーバー Manakau Harbour の奧の小さな埠頭だが、東岸に開いているオークランド港に対して、西岸航路の港として利用価値があった。

北島本線の南伸が開始されると、分岐点のペンローズ Penrose とオネフンガの間は支線になったが、重要性には変わりなく、南へ向かう蒸気船に接続する「ボート・トレイン Boat Train(航路連絡列車)」が、オークランドから定期運行された。

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図4 北島最初の鉄道オークランド(初代)~オネフンガ間
Sourced from NZTopo250 map 5 Auckland. Crown Copyright Reserved.
 

1886年に中部のニュー・プリマス New Plymouth からウェリントンまで西岸沿いの鉄道が開通(下注)すると、オネフンガ~ニュー・プリマス間を航路でつなぎ、そこでウェリントン行きの長距離列車(ニュー・プリマス急行 New Plymouth Express)に連絡するという乗継ぎルートが確立した。これは、北島本線が全通するまでの間、二大都市間の往来に盛んに利用されることになる。

*注 1886年、ウェリントン・アンド・マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway の、ウェリントン~パーマストン・ノース Palmerston North 間の開通による。

その間にも北島本線の延伸工事は進められていたが、すべて完成するのはまだ20年以上も先のことだ。事業がそれほど長期化した背景には、上述した内戦の影響を含め、さまざまな要因が絡んでいる。続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

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 ニュージーランドの鉄道を地図で追う II
 ニュージーランドの鉄道地図

2017年8月19日 (土)

タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

ダニーディン駅 Dunedin Railway Station は、どこかのお城と見間違えるほど華麗な駅舎だ。右端に立つ高さ37mの時計塔が、市の中心街オクタゴン Octagon からもよく見える。駅舎の印象を決定づけているのは、地元ココンガ Kokonga 産の黒玄武岩と明るいオアマル石の組み合わせから成る鮮明なコントラストだ。そこにピンクの大理石の列柱や、テラコッタの屋根、銅板葺きの頂塔があしらわれて、モノトーンのカンヴァスに彩りを添えている。

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ダニーディン駅舎の華麗な外観
Photo by Ulrich Lange at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

出札ホールに入るとまず、中央に蒸気機関車のモチーフをあしらった英国ミントン製のモザイクタイルの床に目を奪われる。内壁を飾る艶やかなロイヤル・ドルトンの陶製付柱と装飾帯を愛でた後、2階のバルコニーに上れば、大窓のステンドグラスの、煙を勇壮に噴き上げる機関車の意匠が旅の気分を盛り上げてくれる。

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(左)出札ホールの内壁はロイヤル・ドルトンの装飾陶板
  バルコニーのステンドグラスは機関車の意匠
(右)床はミントンのモザイクタイルを敷き詰める
以下、コピーライトの表示がない写真は、2004年3月筆者撮影
 
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南島の南東岸に位置するダニーディンは、1860年代のゴールドラッシュで移住者が急増し、工業都市としての基盤が造られた。19世紀にはニュージーランドで最大の都市になったこともある。経済的繁栄のもとで、1880年代から1900年代初めにかけて注目に値する建造物が市内に次々と造られた。その一つが、1906年に竣工したこの駅舎だ。

かつては1日最大100本の列車と乗降客をさばいていた駅だが、2002年に廃止された「サザナー Southerner」を最後に、南部本線(メイン・サウス線 Main South Line、下注)を通しで走る長距離旅客列車は消滅してしまった。鉄骨組みの屋根が架かる立派なホームも今では閑散として、タイエリ峡谷鉄道(タイエリ・ゴージ鉄道 Taieri Gorge Railway、2014年からダニーディン鉄道 Dunedin Railways、詳細は後述)の観光列車が発着するだけになっている。

*注 南島の東海岸を南へ走る幹線。リトルトン Lyttelton ~クライストチャーチ Christchurch ~ダニーディン~インヴァーカーギル Invercargill 間601.4km。

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閑散としたダニーディン駅の本線ホーム
 

タイエリ峡谷鉄道の列車は、駅から南へ出ていく。南部本線をウィンガトゥイ Wingatui まで走り、そこでオタゴ・セントラル支線 Otago Central Branch に入る。タイエリ川 Taieri River が隆起する地盤を刻んで造った深い峡谷を遡った後、多くの列車は、谷を脱した地点にあるプケランギ Pukerangi(ウィンガトゥイ分岐点から45.0km、ダニーディンから57.2km)で折り返す。往復の所要時間は4時間だ。

また、運行日は限られるが、その先ミドルマーチ Middlemarch(同 63.8km、76.1km)まで足を延ばす便もあり、こちらはミドルマーチでの休憩1時間を含めて往復6時間のコースになる。

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オタゴ・セントラル支線(ウィンガトゥイ Wingatui ~クロムウェル Cromwell)および周辺路線図
旗竿記号はタイエリ峡谷鉄道観光列車の走行ルート
点線は廃線区間(現 オタゴ・セントラル・レールトレール)
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

私たちは、2004年3月のニュージーランド旅行の終盤で、タイエリ峡谷鉄道を訪れた。オクタゴンの観光案内所で資料や市街図を仕入れて、駅へ向かう。列車はEメールで予約してあるので、グッズショップを兼ねたチケットオフィスで名前を言って、切符を受け取った。プケランギ往復は1人59 NZドル(当時のレートで4,250円)だ。

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駅舎にはタイエリ峡谷鉄道の
チケットオフィスが入居
 

プラットホームは、駅舎に接した長さ500mもある本線用と、ドック形(片側行止り)の支線用が使われている。朝の列車は支線用のほうに停まっていた。ディーゼル機関車に続いて緩急車、それから新旧の客車が8両ほど連なり、最後はバーと売店を備えた車両だ。私たちの指定された車両はクラシックな木造車だった。狭軌線のために車内は狭いが、座席は1+2配列の背もたれ転換式で、なかなか快適だ。最後尾の1人席と2人席の向かい合わせをあてがってもらったので、わが子の座る場所もある。

発車時刻が近づくにつれ、車内はほぼ満席になった。見たところ乗客層は鉄道ファンというより、この地方への観光客で、列車の旅を一つのイベントとして愉しんでいる様子だ。

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(左)支線用ホームで発車を待つ列車
(右)クラシックな車内は、1+2配列の転換式座席
 

9時30分、定刻に発車した。時おり雨が襲う肌寒い日だが、鉄道ファンとしてはオープンデッキに立たないわけにはいかない。列車はしばらく本線を走る。トンネルを2本抜けて、島式ホームが残るウィンガトゥイ駅で運転停車。すぐに右へ分岐して北進し、山裾を巻きながら20‰(1:50)勾配で上っていく。

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(左)ウィンガトゥイ駅を発車して支線へ
(右)タイエリ平野を後に、山裾を巻いて上り始める
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前半のハイライト区間(ウィンガトゥイ鉄橋の前後)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CE16 Mosgiel, CE17 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

この小さな峠越えの下り坂の途中に、沿線前半の見どころがある。谷を斜めに横断する長さ197.5m、高さ47mのウィンガトゥイ鉄橋 Wingatui Viaduct だ。直下の谷底が透けて見え、写真を撮ろうと狭いデッキから身を乗り出したら、足がすくんだ。

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ウィンガトゥイ鉄橋
(左)高さは沿線随一
(右)直下が透けて見えて足がすくむ
 

まもなく幅30~50mほどのタイエリ川本流に出会う。列車は川の屈曲に対して忠実に急カーブで応じながら、しばらく左岸を進んでいく。バックロードとの併用橋で右岸に移ると、待避線のあるヒンドン Hindon 駅だ。しばらく停車します、とアナウンスが流れ、乗客たちはホームの形すらない線路脇の地面にどさっと降り立った。

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(左)タイエリ川本流に出会う
(右)旧パレラ Parera 駅通過。赤屋根の家はかつての駅舎
 

再び走り出すと、200~300mの比高がある谷が一層深さを増すように感じられる。車窓からいつのまにか高木が消え、ごつごつした巨岩と灌木や草地に代わっている。左から合流するディープ・ストリーム Deep Stream を渡ったところで、線路は再び20‰(1:50)勾配で谷壁を上り始めた。川が下方へ離れていけば、いよいよ旅の後半の見どころ区間だ。

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ディープストリーム鉄橋を渡り終えると、
線路は谷壁を上りにかかる
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後半のハイライト区間(ヒンドン~プケランギ)の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map CD16 Middlemarch, CE16 Mosgiel. Crown Copyright Reserved.
 

岩をうがち、橋を架けて、険しい谷壁を切り抜けていくルートは、スリリングで見飽きることがない。とりわけ支谷の上空を渡るフラット・ストリーム鉄橋 Flat Stream Viaduct が見事だ。長さ120.7m、高さは34mと数字上はおとなしいが、右下方を流れる本流との高低差はすでに100m近くある。曲線でカントがついていることも手伝って、デッキから見下ろす高度感はなかなかのものだ。

鉄橋を渡った後は、直立に近い岩壁を大胆に切り崩した区間を通過していく。「ザ・ノッチズ The Notches(山峡の意)」と呼ばれ、峡谷の工事では屈指の難所だったところだ。

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険しい斜面を渡るフラット・ストリーム鉄橋(左)と
ザ・ノッチ第4鉄橋(右)
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上空から見たフラット・ストリーム鉄橋の前後
(c) Dunedin Railways, 2017
 

そのうち、垂直の切通しに機関車が頭を突っ込む形で停車した。旧 ザ・リーフス The Reefs 駅の少し手前(地形図に Viewpoint と注記)で、もうすぐ峡谷本体ともお別れという地点だ。展望台になっている保線用空地に出ると、平坦な高原とその底を這うように流れるタイエリ川が見渡せた。

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(左)ザ・リーフス駅手前で切通しに突っ込む形で停車
(右)保線用の空地が展望台に
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展望台からタイエリ川上流を望む
 

IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)が設置した銘板には次のように記してあった。「旧 オタゴ・セントラル鉄道のこの区間はニュージーランドの工学遺産として重要なものである。ダニーディンからクロムウェル Cromwell までのルートは7つの代案の中から選ばれ、1879年に建設が始まった。タイエリ峡谷を通す工事は15の橋梁と7つのトンネルを要する最も困難な工区であったが、その壮大な景観は工学上の業績の価値をより高めている... 」

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IPENZによる記念銘板
 

最後の休憩地を出ると、十分な高度を得た線路は高原上に居場所を移し、まもなくこの列車の終点プケランギに到着する。粗末な待合所がぽつんと建つ以外、何もないようなところだ。また雨が降り出したので、外に出た乗客も慌てて車内に戻ってしまう。機関車の機回し作業が手際よく終わり、列車は10分後に同じ道を引き返した。

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折返し地点のプケランギに到着

観光列車が走るオタゴ・セントラル支線は、本来、内陸部の開発で得られる鉱物資源や農畜産物を輸送する目的で造られた。ウィンガトゥイ~クロムウェル間236.1kmの長大な路線で、1889年から1921年の間に順次開通した。実現しなかったが、さらに奥地のハウェア Hawea まで延長する構想もあった(冒頭の路線図参照)。

しかし、第二次大戦後は輸送量が減少し、1970年代に入ると存続の可否が議論されるようになった。すでに1958年以降、末端区間アレクサンドラ Alexandra ~クロムウェル間の旅客輸送はバスで代行されていたが、1976年には全線で、専らレールカーが担っていた旅客輸送が休止された。そればかりか、クルーサ川 Clutha River を堰き止めるクライドダム Clyde Dam(下注)の着工を前に、水没するクライド Clyde ~クロムウェル間19.9kmが、1980年4月4日限りで廃止となった。

*注 湛水したダム湖は、ダンスタン湖 Lake Dunstan と呼ばれる。

残る区間が遅くまで存続したのは、そのダムの建設資材を輸送する目的があったからに過ぎない。水没区間廃止後、クライド駅は1.9km手前に移転し、そこに貨物を扱うヤードが設けられた。1990年にダムが完成すると、鉄道は役割を終え、同年4月30日をもって運行が終了した。

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保存された旧クライド駅(2011年)
Photo by Benchill at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ところで、このルートを走る観光列車は、支線の運命が定まるより前の1950~60年代から実績がある。1979年にオタゴ観光列車財団 Otago Excursion Train Trust に引き継がれて、事業が本格化した。それが人気を呼んだことから、1987年には運行に専念する公営企業「タイエリ峡谷株式会社 Taieri Gorge Limited」の設立で実施体制が整えられ、新車両も投入された。

路線の廃止方針を受けて、ダニーディン市議会は、列車を今後も安定して走らせるために、ニュージーランド鉄道との分界点(下注1)からミドルマーチまで約60kmの線路資産を取得することを決めた。1990年5月1日にこの区間の所有権は、ニュージーランド鉄道から市に移された(下注2)。

*注1 オタゴ・セントラル支線の根元区間には、産業用側線が接続しているため、分界点は同線4kmポスト地点にある。
*注2 ミドルマーチ以遠は、鉄道施設が撤去され、自然保護局 Department of Conservation (DOC) により、「オタゴ・セントラル・レール・トレール Otago Central Rail Trail」という自然歩道・自転車道に転用された。

1995年には、市と財団の共同出資により、新会社「タイエリ峡谷鉄道株式会社 Taieri Gorge Railway Limited」が設立された。市の線路資産と財団所有の車両は新会社に売却され、それ以降、この会社が観光鉄道事業の運営に当たっている。

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オタゴ・セントラル・レール・トレールの
プールバーン高架橋 Poolburn Viaduct(2011年)
Photo by Ingolfson at wikimedia. License: CC0 1.0

2014年10月にタイエリ峡谷鉄道は、名称をダニーディン鉄道 Dunedin Railways に変更した。ただし、登記上の社名は変わらず、マーケティングブランドだけを新しくしたのだ。それというのも、内陸へ向かうタイエリ峡谷線とは別に、近年、南部本線を北上する観光列車も定期運行させており、名称と実態が合わなくなってきていたからだ。

この列車は「シーサイダー Seasider」の名で呼ばれ、東海岸の海浜風景を売り物にしている。多くはダニーディンから25.5km先のワイタティ Waitati で折り返す手軽な90分コースだが、奇勝モエラキ・ボールダー Moeraki Boulders や125km先のオマルー Oamaru を往復する長時間ツアーもある。旅客輸送における鉄道の凋落が著しいこの国で、ダニーディンだけは例外的に意気盛んだ。

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海岸線を走る観光列車「シーサイダー」
(ポート・チャルマーズ Port Chalmers ~ワイタティ間)
(c) Dunedin Railways, 2017
 

本稿は、J.A. Dangerfield and G.W. Emerson, "Over the Garden Wall - Story of the Otago Central Railway" Third Edition, The Otago Railway & Locomotive Society Incorporated, 1995、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
ダニーディン鉄道 http://www.dunedinrailways.co.nz/

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 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記

2017年8月12日 (土)

ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記

古い話で恐縮だが、2004年3月にニュージーランド南島を訪れたとき、クライストチャーチ Christchurch からアーサーズ・パス Arthur's Pass へ、バスと列車で日帰り旅をした。前回のミッドランド線 Midland Line とトランツアルパイン TranzAlpine の記事の付録として、そのときの様子を綴っておこう。写真も当時のもの(一部はネガフィルムからのスキャン)であることをご了承願いたい。

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アーサーズ・パス駅に停車中の、
クライストチャーチ行きトランツアルパイン

サザンアルプスを横断するミッドランド線は、前々からぜひ乗ってみたい路線の一つだった。とはいえ、全線往復は一日がかりで、私たちのような幼児連れには辛いし、地形図で確かめると、車窓の見どころは前半に集中している。乗るのはアーサーズ・パスまでとして、滝を見に行くミニハイキングと組合せれば、気分も変わっていいのではと考えた。

最初、往復ともトランツアルパインにするつもりで、1か月前にトランツ・シーニック Tranz Scenic 社のウェブサイトで予約を試みたが、すでに往路は満席だった。仕方がないので、列車に近い時刻で運行しているバス会社を探し出し、Eメールで予約を入れた。無料のピックアップサービスがあるというので、泊っているクライストチャーチのB&B(ベッド・アンド・ブレックファスト、いわば民宿)まで朝、迎えに来てほしいと依頼した。

それで今朝は、返信メールで指示された7時30分に間に合わせるために、早起きする必要があった。7時からの朝食を大急ぎで済ませて宿の玄関で待っていると、通りの向かいに "Coast to Coast" と社名を掲げた、送迎用らしきマイクロバスが停まった(下注)。列車なら市街のはずれにある駅まで出向かなければならなかったから、これはラクチンだ。私たちが最初の客で、そのあと大聖堂前のほか数個所で次々と客を拾って、ほぼ満席の20人ほどになった。

*注 ちなみに2017年8月現在、このルート(朝、クライストチャーチ発、グレイマウス行き)には、Atomic Shuttles Service のバス便がある。
http://www.atomictravel.co.nz/

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スプリングフィールド(右下)~アーサーズ・パス(左上)間の1:250,000地形図
国道(赤の太線)は、鉄道(黒の太線)から離れた山間を通ってアーサーズ・パスに向かう
Sourced from NZMS262 maps 10 Grey and 13 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

時刻表によると、クライストチャーチの発車時刻は8時ちょうどだ。アーサーズ・パスには10時30分に到着し、そのままグレイマウス Greymouth まで走破する(下注)。どこで大きいバスに乗り継ぐのだろうと、ずっと地図で軌跡を追っていたのだが、そのうち家並みが疎らになり、郊外へ出て行くではないか。

*注 列車の時刻はクライストチャーチ8:15→アーサーズ・パス 10:42なので、所要時間はほとんど変わらない。

やがて運転手は道端に車を止めて、切符を売り始めた。そう、このマイクロバスがそのまま山越えをするのだった。バス停はあってなきがごとし、だ。客を最寄りから拾い、しかもアーサーズ・パスまでの運賃は、60 NZドルかかる列車の半分以下の25ドル(当時のレートで1,800円)。人口の少ないこの国らしい実に小回りのきいたサービスで、これでは列車が太刀打ちできるはずがない。でも、こんなに繁盛しているなら大きなバスにすればいいのにと思う。

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(左)アーサーズ・パス方面のバスのリーフレット
  大型バスが描かれているが...
(右)実際に走ったのはマイクロバス
 

バスは、畑がどこまでも広がるカンタベリー平野の直線道を、時速100kmで飛ばしていく。1時間ほど走ったところで、ようやく前方に山並みが現れた。アルプスの前山を越す標高942mのポーターズ・パス Porter's Pass だ。鉄道がワイマカリリ川 Waimakariri River の峡谷に沿って走るのに対して、道路は西にそれてこの峠を越える。

胸突き八丁の険しい勾配をローギアで登って行くと、えもいわれぬ色合いの山並みが迎えてくれた。アルプスの東側は乾燥気候で、樹木が育ちにくく、山肌が崩壊しやすい。それで、岩石の露出したところはグレー、草の生えたところは黄金色や黄緑色になり、水彩画の趣きを見せているのだ。

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ポーターズ・パスを越えてサザンアルプスの山懐へ
 

峠を下りてしばらく進むうちに、草で覆われた丘に異様な形の巨岩が立ち並ぶキャッスル・ヒル Castle Hill が見えてきた。ここでフォトストップを兼ねた休憩がある。乗客はみな狭い車内からつかの間解放されて、嬉しそうだ。このあたりは盆地状の土地だが、河川の浸食で起伏が激しく、道路は大きく迂回しながら谷を渡る。

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キャッスル・ヒルから雲がたなびくサザンアルプスを望む
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(左)剥き出しの巨岩が並ぶキャッスル・ヒル
(右)山間で静かに水を湛えるピアソン湖
 

静かに水をたたえるピアソン湖 Lake Pierson を過ぎ、改めてワイマカリリの広く平たい河原に出る頃、対岸に私たちが乗れなかった西行きトランツアルパインの疾走する姿が小さく捉えられた。次善策で選んだバスの旅だったが、こうして列車では見られない景色を鑑賞できる印象深いものになった。

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(左)ワイマカリリ川上流。川を横断する鉄橋が見える
(右)対岸にトランツアルパインの姿が
 

10時30分、時刻表どおりにアーサーズ・パスのバス停(正確には峠ではなく、峠の手前の集落)に到着した。バスの窓から列車を追いかけていた頃はまずまずの天気だったが、峠の空は変わりやすくて、時折しぐれが襲う。カフェでミートパイ、サンドイッチとコーヒーを注文して、早めの昼食とした。

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(左)アーサーズ・パスのカフェ前からハイキングに出発
(右)グレイマウス行きトランツアルパインが通過
 

晴れ間が覗いたところを見計らって、デヴィルズ・パンチボウル滝 Devil's Punchbowl Falls を見に出かけた。パンチボウルはポンスを入れる鉢のことで、滝の名は「悪魔の大鉢」といったところだろう。滝壷まで大人の足で30分ほどの距離だ。西海岸へ通じる国道からわき道にそれるとまもなく、峠から流れ下ってくるビーリー川 Bealey River ともう一つの谷川を連続して渡る。鉄材でトラスを組んだ歩道橋だが、わが子は一目見て「てっちょー(鉄橋)」と叫んだ。目指す大滝が正面に見えている。

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デヴィルズ・パンチボウル滝とトラスの歩道橋
 

途中までは立派な木製の階段が整備されていて快調だったが、やがて大きな石が転がる本格的な山道となった。上り一辺倒ではなく下り坂もある。ベビーキャリアで重心が高くなっているので、慎重に進まざるを得ない。落石注意の看板の先で林がとぎれて、いよいよ滝が全貌を現した。高さ131m(下注)、見上げる高さから一気に落ちてくる。水しぶきばかりか、雲に覆われた空から霧雨まで吹きつけてきた。来合わせた青年に家族写真を撮ってもらう。

*注 高さの数値は、DOC "Discover Arthur's Pass - A Guide to Arthur's Pass National Park and Village" による。

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(左)石が転がる山道を行く
(右)滝壺前に到着
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見上げる高さのデヴィルズ・パンチボウル滝
 

15時半に鉄道駅まで戻ってきた。発車時刻は15時57分なのだが、すでにトランツアルパインはホームに停まっていた。行きに見かけたときは客車を12両つないで堂々たる編成だったのに、帰りはたった3両とさびしい。それにここアーサーズ・パスはまったくの無人駅で、駅舎はあれど売店などはない。車内に持ち込むお菓子と飲み物を買いたいと思っていたので、当てが外れた。

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(左)アーサーズ・パス駅へ戻ると列車はすでに入線していた
(右)旧駅舎の写真パネル
  現駅舎は旧駅舎の焼失後1966年に建築
 

列車は予約済みだが、座席指定は現地で行われる。始発駅なら窓口で行うはずのところ、ホームに出ていた車掌氏に名前を告げて、ボーディングパスを受け取った。

車内に入ると、日本のグリーン車以上の大型席が片側2つずつ、テーブルをはさんで向かい合わせに並んでいる。狭軌の車両にこの設備なので、通路は人一人通れるくらいの幅しかない。列車が動き出しても、私たちの向かいの席には誰も乗ってこなかった。見るとあちこちに空席がある。出発前に見たウェブサイトでは満席と表示されていたので、どうやらボックス単位で予約を入れているようだ。

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トランツアルパイン車内
テーブルつきボックスシートが所狭しと並ぶ
 

出発すると列車はビーリー川の谷を下っていき、まもなくワイマカリリの広い河原に出る。朝来るときにバスの車窓から追跡したあたりだ。やがて川と国道から離れて雄大な風景の高原地帯に入っていく。

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(左)初めはワイマカリリの広い河原の際を走る
(右)キャス Cass から川を離れて高原を行く
 

次はいよいよ大峡谷だ。右手に、大地を深く刻み込んだブロークン川 Broken River が現れる。これを高い鉄橋でゆるゆると渡ると、今度は左手はるか眼下に、さきほど別れたワイマカリリ川が明るいブルーの太い線を大きくくねらせている。窓の開かない客車を脱出して、連結された荷物車のデッキに移ったが、そこはカメラを手にした乗客が入れかわり立ちかわり集まる展望台と化していた。

長めのトンネルをいくつか抜けると、支流を渡る高い鉄橋がある。ワイマカリリがオーム字形に蛇行していて、まるで上空に飛び出したかのような角度から眺めることができる。最後の眺めは、この峡谷がカンタベリー平野へ出て行くところだ。谷の中に封じ込められていた水の力が一気に解放され、網流の限りを尽くす様子が遠望された。

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(左)ブロークン川の鉄橋を渡って峡谷へ
(右)峡谷になったワイマカリリ川に再会
 

スイスの列車も楽しいが、それに匹敵するほど、ダイナミックな景勝ルートだ。朝充電したデジカメが列車に乗る前に電池切れになってしまい、その後はアナログカメラでちびちび撮ったため、車窓写真がもうひとつパッとしないのが唯一の心残り。

平野に出たスプリングフィールド Springfield で、静かなはずのホームがにわかにざわついた。窓越しに覗くと、3両目を占有していた日本人団体客の一行が下車して、駅前に停車した観光バスに移動していく。ここから先の車窓は単調なので、先を急ぐツアーにさっさと見切りをつけられたわけだ。

やがて左にゆるゆるとカーブして南部本線(メイン・サウス線 Main South Line)に合流し、工場や倉庫の中を走って、18時ごろクライストチャーチ駅に到着した。定刻18時05分より少し早い。駅舎は新しくモダンなデザインの建物だが、ホームは片面1線の簡素な造りだ。駅前に路線バスなどは来ていないので、シャトル Shuttle(当地では乗合タクシーのこと)を捕まえて宿へ戻った。

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クライストチャーチ駅に到着
 

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 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道
 タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車

2017年8月 6日 (日)

ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道

南北500kmにわたって連なるサザンアルプス Southern Alps。ニュージーランド南島の背骨を成すこの大山脈を果敢に横断する鉄道路線が、1本だけある。それがミッドランド線 Midland Line で、南島最大の都市クライストチャーチ Christchurch に近いロルストン Rolleston と、西海岸のグレイマウス Greymouth の間 211km(下注)を連絡する。最高地点は標高700mを超え、幾多のトンネルや鉄橋で険しい地形と闘う同国きっての山岳路線だ。

*注 路線距離(正確には210.94km)は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993 による。なお、英語版ウィキペディアでは212km(132マイル)としている。

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DXC形機関車が重連で牽く運炭列車がワイマカリリ川を渡る
Photo by TrainboyMBH at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

西海岸の北部には炭鉱が集中しているが、あいにく積出し用の良港に恵まれていない。そのため、採掘された石炭は専用のホッパ車に積み込まれ、貨物列車でミッドランド線を経て、東海岸の港リトルトン Lyttelton まで運ばれる。それで、同線は重要な産業路線になっている。

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ミッドランド線の歴史は1870年代に遡る。当時、南島では、クライストチャーチからダニーディン Dunedin、インヴァーカーギル Invercargill に至る現在の南部本線(メイン・サウス線 Main South Line)が開通し、そこから内陸の町や村へ、支線が続々と延びていた。1880年1月に開通したスプリングフィールド支線 Springfield Branch(ロルストン~スプリングフィールド 48.6km)もその一つで、これが後にミッドランド線の根元区間になる。

1880年代に入ると、今度は島の東西を結ぶ鉄道建設の機運が高まった。1884年には、ルートとしてワイマカリリ川の谷 Waimakariri Valley を遡り、アーサーズ・パス Arthur's Pass を越える案が採択されている。だが、その間にそびえるサザンアルプスが建設の最大の障害になることもまた、十分に認識されていた。

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ミッドランド線(ロルストン Rolleston ~グレイマウス Greymouth)および周辺路線図
旗竿記号は後述するトランツアルパインの走行ルート
土地測量局 Department of Lands and Survey 発行の鉄道地図 南島1983年版に加筆
Sourced from LS159 Railway Map of South Island, Crown Copyright Reserved.

 

財源不足の政府に代わって、1886年にニュージーランド・ミッドランド鉄道会社 New Zealand Midland Railway Company が設立され、建設契約が交わされた。会社はロンドンで資金を調達して、工事に着手する。しかし1900年に政府への施設引渡しが完了したとき、線路は、西側こそ峠下のオーティラ Otira まで達していたが、東側ではほとんど前進していなかった。

なぜなら、ブロークン川左岸までの約13km(8.5マイル)には、ワイマカリリ川 Waimakariri River が造った大峡谷が横たわっていたからだ。線路は峡谷の肩に当たる比高100mの段丘上に敷かれる計画だったが、それでも迫る断崖と深い支谷を通過するために、16本のトンネルと4本の高い鉄橋が必要となった。最も壮観なステアケース橋梁 Staircase Viaduct は、川床からの高さが73mもある。

結局、工事は政府が引継ぐことになり、1906年10月にこの区間が完成を見た。さらに線路は延伸され、キャス Cass に1910年、峠の手前のアーサーズ・パス駅には1914年に到達した。

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川床からの高さ73mのステアケース橋梁
Photo by Zureks at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

残された課題は、アーサーズ・パス(アーサー峠)をどのように越えるかだった。峠の標高は920mあり、かつ両側の河川勾配は著しく非対称だ。水平距離5kmの間に、東側(下注)では200m下るのに対して、西側は450mも急降下する。この激しい高度差を克服する方法として、すでにミッドランド鉄道会社の時代に、索道方式や、リムタカのようなフェル方式またはアプト式ラック(いずれも1:15(66.7‰)勾配)が検討されていた。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではアーサーズ・パス駅方を東、オーティラ駅方を西と表現する。

しかし、貨物の大量輸送をもくろんでいた政府は、特殊鉄道案には否定的で、1902年に長さ8,554mの単線トンネル(下注)を建設する案を決定した。これは当時大英帝国では最長、世界でも7番目の長大トンネルだった。しかも内部はオーティラに向けて、終始下り1:33(30.3‰)の急勾配という異例の設計だ。蒸気機関車では煤煙でとうてい運行に適さないため、この区間のみ直流1500Vで電化されることになった。

*注 トンネルの長さは、前掲の "New Zealand Railway and Tramway Atlas" に拠る。なお、IPENZ公式サイトでは8,529m、ウィキペディア英語版では8,566mとされている。IPENZサイトには5マイル25チェーンとも書かれており、これは8,549.64mになるため、Atlasの値が最も近い。

オーティラトンネル Otira Tunnel は、1907年に着工された。5年で完工する予定だったが、アルプスの破砕帯を突破する工事に難渋し、請け負った建設会社が倒産してしまう。政府は、建設工事をまたも直轄事業とせざるを得なかった。第一次世界大戦中も戦略的な観点から工事が続けられ、1918年に貫通。着工から16年目の1923年8月に、ようやく開通式を迎えた。

上述の理由で、トンネルを挟むアーサーズ・パス~オーティラ間だけは、開業時から電気機関車の活躍の場だったが、改良DX(DXC)形ディーゼル機関車の投入により、1997年に電化設備は撤去された。現在、この区間ではDXCの5重連が、ホッパ車(運炭車)を最大30両連結した貨物列車を牽いて、峠のトンネルを上っている。

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ディーゼル機関車DXC 5356号機
(先頭車、ピクトン駅にて)
Photo by DXR at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

一方、ミッドランド線を通る唯一の旅客列車が「トランツアルパイン TranzAlpine」だ。キーウィレール KiwiRail 社が「ニュージーランドの大いなる旅 The Great Journeys of New Zealand」のトータルブランドのもとで、運行している。トランツアルパインとは、ヨーロッパでアルプス横断を意味するトランスアルパイン Transalpine の ns の綴りを、ニュージーランドの略称 nz に置き換えた造語だ。

1日1往復のみの設定だが、驚くことではない。なにしろニュージーランドでは、長距離旅客列車は絶滅危惧種と言ってよく、南島にはこれを含めて2本しか残っていないからだ(下注)。トランツアルパインは絶景の中を走ることで知られるが、それどころかこの国では、旅客列車の走行シーンが見られるだけでも貴重なのだ。

*注 もう1本は「コースタル・パシフィック Coastal Pacific」。ピクトン Picton ~クライストチャーチ間で、9月~4月(夏季)に1日1往復設定されている。しかし、2016年11月の地震による土砂崩れのため、2017年8月現在運休中。これとは別に、ダニーディンを拠点にするダニーディン鉄道 Dunedin Railway が南部本線とその支線で、観光列車を走らせている。

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アーサーズ・パス駅に入線するトランツアルパイン
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 3.0
 

トランツアルパインの運行は1987年に始まった。改装したての車両が投入され、従来の古びた急行列車のイメージを一掃しての登場だった。以来、ニュージーランドで最も人気のある観光列車として、他の便が縮小や廃止の憂き目にあう中、しぶとく生き残ってきた。

運行区間は、クライストチャーチ~グレイマウス間の223km(139マイル)。途中7駅に停車する。一部区間がパックツアーに組み込まれ、団体客も乗ってくるので、乗車には事前予約が望ましい。

2017年8月現在のダイヤでは、西行きがクライストチャーチ8時15分発、グレイマウス13時05分着で、所要4時間50分。折返し東行きが同駅14時05分発、クライストチャーチ18時31分着で、所要4時間26分だ。所要時間が往路と復路でかなり違うのは、単線のため、貨物列車との交換待ちがあるからだろう。

現在のクライストチャーチ駅は3代目で、ロータリーになった広場の前に、簡素ながらスマートな駅舎が建っている。北部本線(メイン・ノース線 Main North Line)と南部本線の分岐点に近く、列車運用上は好都合な位置だが、町の中心部から西へ2.5kmも離れていて、駅前に路線バスすら来ていない。列車本数があまりに少なく需要がないのに違いない。

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クライストチャーチ駅
Photo by Matthew25187 at en.wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
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クライストチャーチ市街の1:50,000地形図
中心部の大聖堂広場 Cathedral Square と旧駅 Former station site の位置を加筆
Sourced from Topo50 map BX24 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

発車して1時間余りは、カンタベリー平野の広大な耕作地の中をひた走る。車窓を眺めても全く気づかないが、この一帯はサザンアルプスから流れ出るワイマカリリ川による大規模な開析扇状地で、扇頂に位置するスプリングフィールド Springfield では、すでに標高が383mに達している。

スプリングフィールドを出ると山が迫り、路線の歴史で紹介したワイマカリリ川の大峡谷に入っていく。西行きの列車の場合、展望は右側に開ける。このスペクタクルな景観は、スローヴンズ・クリーク橋梁 Slovens Creek Viaduct を渡ったところで、ひとまず終わる。

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ブロークン川橋梁を遠望
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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ワイマカリリ峡谷の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BW21 Springfield, BW22 Oxford. Crown Copyright Reserved.
 

山中の浅い谷を通り抜けて、谷幅いっぱいに広がるワイマカリリ川と再会する。まもなくこの川を横断し、支流ビーリー川 Bealey River の谷を遡ると、路線のサミットである標高737mの駅アーサーズ・パスだ。山岳観光の玄関口でもあるので、降車する客が多く、車内は急に閑散とするだろう。帰りの列車まで約5時間半あるから、クライストチャーチから日帰り旅行も可能だ。

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キャス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV21 Cass. Crown Copyright Reserved.
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アーサーズ・パス周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BV20 Otira. Crown Copyright Reserved.
 

ビーリー川を渡るやいなや、列車はオーティラトンネルに突入する。下り一方の長く騒々しい闇を抜ければ、山間のオーティラ Otira 駅に停車だ。さらに降りていくと、タラマカウ川 Taramakau River 本流の谷に出るが、線路は海へ向かう川には従わず、北へ向きを変える。

沿線で唯一、車窓に穏やかな湖面が広がるのが、モアナ Moana 駅の前後だ。鱒釣りで知られるブルナー湖 Lake Brunner だが、その景色はすぐに後へ去り、列車は、湖から注ぎ出すアーノルド川 Arnold River の岸をゆっくりと下っていく。スティルウォーター=ウェストポート線 Stillwater–Westport Line に合流してからは、グレイ川 Grey River に沿って最後の走りを見せる。

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モアナ駅から見たブルナー湖
Photo "TranzAlpine 2011" by Bob Hall at flickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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モアナ周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BU20 Moana. Crown Copyright Reserved.
 

両岸に山が迫り、右へ分岐した線路(ラパホー支線 Rapahoe Branch)が川を渡っていくのを見送ると、まもなく道路を斜め横断して、グレイマウス駅に到着する。ここも片面ホームの簡素な駅だ。なお、さらに遠方へ足を延ばす人には、駅前から、インターシティ InterCity 社が運行するフォックス・グレーシャー Fox Glacier 行きとネルソン Nelson 行きのバス便がある。

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グレイマウス駅
Photo by User: (WT-shared) SONORAMA at wts wikivoyage. License: CC BY-SA 4.0
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グレイマウス市街周辺の1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BT19 Runanga, BU19 Kumara. Crown Copyright Reserved.
 

次回は、ミッドランド線を通って、クライストチャーチ~アーサーズ・パス間の日帰り旅をしたときのことを記したい。

■参考サイト
KiwiRail - The Great Journeys of New Zealand
https://www.greatjourneysofnz.co.nz/
InterCity(長距離路線バス会社) https://www.intercity.co.nz/
IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会) http://www.ipenz.org.nz/

★本ブログ内の関連記事
 ミッドランド線 II-アーサーズ・パス訪問記
 タイエリ峡谷鉄道-山峡を行く観光列車
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
 リムタカ・インクライン II-ルートを追って
 ニュージーランドの鉄道地図

2017年7月30日 (日)

リムタカ・インクライン II-ルートを追って

新線が開通すると、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline を含むワイララパ線 Wairarapa Line 旧線区間では、施設の撤去作業が行われ、ほぼ更地化した。平野部では多くが農地や道路に転用されてしまったが、峠越えのカイトケ Kaitoke ~クロス・クリーク Cross Creek 間は公有地で残された。

一方、フェル式蒸気機関車の中で唯一解体を免れたH 199号機は、リムタカの東にあるフェザーストン Featherston の町に寄贈され、公園で屋外展示された。子どもたちの遊び場になったのはいいが、その後風雨に晒され、心無い破壊行為もあって、状態は悪化の一途をたどる。20年が経過したとき、旧線時代を振り返る書物の刊行をきっかけにして、保存運動が始まった。その結果、フェザーストンに今もあるフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum が1984年に建てられ、機関車は改めて館内で公開されるようになった。

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IPENZ(ニュージーランド専門技術者協会)による
リムタカ・インクラインの銘板
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
 

忘れられていた廃線跡にも、人々の関心が向けられた。ニュージーランド林務局 New Zealand Forest Service は、博物館開館と同じ年に、クロス・クリーク駅跡へ通じるアクセス道とインクライン跡の整備を実施した。崩壊した築堤には迂回路が設けられ、土砂崩れで冠水していたサミットトンネル Summit Tunnel も排水されて、サミット駅跡まで到達できるようになった。

その発展形が、ウェリントン地方議会 Wellington Regional Council と自然保護局 Department of Conservation が共同で計画した、廃線跡を利用するトレール(自然歩道)の設置だ。1987年11月に、メイモーン Maymorn ~クロス・クリーク間 22kmが「開通」し、「リムタカ・レール・トレール Rimutaka Rail Trail」と命名された。H形機の舞台は今や、自転車や徒歩で追体験することが可能だ。

それは、いったいどのようなところを走っていたのか。トレールにならなかった区間も含めて、新旧の地形図でそのルートを追ってみよう。

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リムタカ・インクラインを含むワイララパ旧線のルート
3つの枠は下の詳細図の範囲を示す
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.

アッパー・ハット Upper Hut ~カイトケ Kaitoke 間

付け替え区間は、アッパー・ハット駅を出て間もなく始まる。ハット谷 Hutt Valley より一段高いマンガロア谷 Mangaroa Valley に出るために、旧線は、境を成す尾根筋に取りつき、ぐいぐいと上っていく。短距離ながら急曲線(半径5チェーン=100.6m)と急勾配(1:35=28.6‰)が続く、リムタカの本番を控えた前哨戦のような区間だ。廃線跡は森に埋もれてしまい、現行地形図では、尾根を抜ける長さ120mのトンネル(Old tunnel の注記あり)しか手がかりがない。しかし、等高線の描き方から谷を渡っていた築堤の存在が推定できる。

トンネルを抜けるとマンガロア谷だ。北に緩やかに傾斜する広い谷の中を、旧線はほぼ直線で縦断し、途中にマンガロア駅があった。地形図でも、断続的な道路と防風林(緑の帯の記号)のパターンがその跡を伝える。

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マンガロア駅跡
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現 メイモーン駅の東方から、旧線跡はリムタカ・レール・トレールとして、明瞭な形をとり始める。周辺はトンネル・ガリー保養地 Tunnel Gully Reareation Area で、地形図では破線で描かれる小道が錯綜しているが、その中で、車が通れる小道 Vehicle track を表す少し長めの破線記号が、本題のトレールだ。こう見えても、勾配は1:40(25‰)前後ある。

長さ221m、直線のマンガロアトンネル Mangaroa Tunnel で、プラトー山 Mount Plateau の尾根を抜ける。大きく育った松林の間を進むうちに、一つ北側のカイトケ谷 Kaitoke Valley に移っている。旧カイトケ駅構内は私有地になったため、トレールはそれを避けて大きく西へ迂回しており、駅跡の先で本来の旧線跡に復帰する。

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アッパー・ハット~カイトケ間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP32 Paraparaumu, BP33 Featherston. Crown Copyright Reserved.
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同 旧線時代の1マイル1インチ地図(1957年版)
鉄道記号の横のT字の記号は電信線 Telephone lines、
橋梁に添えられた S は鋼橋 Steel または吊橋 Suspension、
W は木橋 Wooden を表す
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

カイトケ~サミット Summit 間

サミットに至る峠の西側約12kmのうち、初めの約2kmは一般車も通れる道だ。車止めのゲートを越えると専用林道で、開けたカイトケ谷のへりに沿いながら、パクラタヒ川 Pakuratahi River が流れる谷へ入っていく。

まもなく谷幅は狭まり、渓谷の風情となる。小川を横切っていたミューニションズ・ベンド橋梁 Munitions Bend bridge は1960年代に流失した。以来、林道は川をじかに渡っていた(=渡渉地 Ford)が、2003年、傍らに徒橋 Foot bridge と線路のレプリカが渡された(下注)。長さ73mのパクラタヒトンネル Pakuratahi Tunnel を抜けると、森の陰に新線リムタカトンネルの換気立坑がある。新線はこの直下117mの地中を通っているのだ。

*注 ウェリントン地方議会のサイトでは、徒橋の設置を2003年としているが、現地の案内標識には2004年と記されている。

少し行くと、長さ28m、木造ハウトラス Howe truss のパクラタヒ橋梁 Pakuratahi Bridge で本流を渡る。ニュージーランド最初のトラス橋だったが、火災で損傷したため、1910年に再建されたもので、2001年にも修復を受けている。

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木造ハウトラスのパクラタヒ橋梁
Photo by Pseudopanax at wikimedia
 

谷間がやや開け、右カーブしながら、長さ70mの桁橋レードル・ベンド・クリーク橋梁 Ladle Bend Creek bridge を渡る。比較的緩やかだった勾配は、ここから最急勾配1:40(25‰)と厳しくなる。直線で上っていくと、また谷が迫ってくる。高い斜面をトレースしながら、山襞を深い切通しで抜ける。

再び視界が開けると、レール・トレールは左から右へ大きく回り込みながら、均されたサミット駅跡に達する。現役時代から、集落はおろかアクセス道路すらない山中の駅だったので、運転関係の施設のほかに鉄道員宿舎が5戸あるのみだった。今は跡地の一角に蒸機の残骸のオブジェが置かれているが、H形のものではないそうだ。

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サミット駅の構内ヤード(1900年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain
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サミット駅跡
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
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カイトケ~クロス・クリーク間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

サミット~クロス・クリーク Cross Creek 間

峠の東西で線路勾配は大きく異なる。あたかも信越本線の碓氷峠に似て、西側は25‰で上りきれるが、東側は66.7‰の急勾配を必要とした。それを克服する方法が、碓氷峠のアプト式に対して、リムタカではフェル式(下注)だ。この急坂区間をリムタカ・インクライン Rimutaka Incline と呼んだ。

*注 フェル式については、前回の記事参照。

文献では長さ3マイル(メートル換算で4.8km)と書かれることが多いが、これは両駅間の距離を指している。サミット駅を出ると間もなく、旧線は長さ576m(1,890フィート)のサミットトンネルに入るが、トンネル内の西方約460mは、下り1~3.3‰とわずかな排水勾配がつけられているだけだ。残り約100mの間に勾配は徐々に険しくなり、トンネルの東口で下り1:15(66.7‰)に達していた(下注)。このことから推測すれば、フェル式レールの起点は東口近くに置かれていたはずだ。

*注 トンネルは地形の関係で南北に向いているが、ここではサミット駅方を西、クロス・クリーク駅方を東と表現する。

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サミットトンネル東口
Photo by russellstreet at flikr.com. License: CC BY-SA 2.0
 

トンネルを抜けると、旧線跡は分水嶺の中腹に躍り出る。眼下の谷、向かいの山並み、これから下っていくルートまで眺望できる展望地だ。左に回り込んで、長さ121mのシベリアトンネル Siberia tunnel を抜けたところに、半径100m(5チェーン)の急曲線で谷を渡る高さ27mの大築堤があった。谷は築堤の形状にちなんでホースシュー・ガリー Horseshoe Gully(馬蹄形カーブの峡谷の意)と呼ばれたが、冬は激しい北西風に晒されるため、シベリア・ガリー Siberia Gully の異名もあった。1880年に突風による列車の転落事故が発生した後、築堤上に防風柵が設けられている。

しかし、その大築堤も今はない。廃線後の1967年、暴風雨のさなかに、下を抜けていた水路が土砂で詰まり、溢れた水が築堤を押し流してしまったからだ。そのため現在、レール・トレールの利用者は谷底まで急坂で下り、川を渡渉するという回り道を余儀なくされる。谷から突っ立っている異様なコンクリートの塔は、縦方向の水路が剥き出しになったものだという。

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(左)ホースシュー・ガリーを渡っていた大築堤に、防風柵が見える
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
(右)築堤が流失したため、現在、レールトレールは谷底まで降りて川を渡る
Photo by Matthew25187 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次のプライシズトンネル Price’s Tunnel は、長さ98m(322フィート)でS字に曲がっている。しばらくこうして斜面を下っていくうちに、平坦地に到達する。登録史跡にもなっているクロス・クリーク駅跡だ。フェル式車両の基地があったので、構内はかなり広いが、今はトレール整備で造られた待合室のような小屋があるばかりだ。

なお、旧版地形図には、マンガロアとクロス・クリークを結んで "Surveyed Line or Proposed Rly. Tunnel" と注記された点線が描かれている。これは当初構想のあった約8kmの新トンネルだ。結局、リムタカトンネルはこのルートでは実現せず、クロス・クリークは廃駅となってしまった。

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1955年10月29日、
H 199号機が先導する最終列車がクロスクリーク駅を出発
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 

クロス・クリーク~フェザーストン Featherston 間

クロス・クリークから東は、1:40(25‰)以内の勾配で降りていく。残念ながら大部分が私有地となり、旧線跡の多くは牧草地の中に埋もれている。そのため、レール・トレールは小川(クロス・クリーク)を渡って対岸に移る。地形図で下端に見える水面は、北島第3の湖、ワイララパ湖 Lake Wairarapa だ。平原に出ると、旧線はフェザーストンの町まで一直線に進んでいた。途中、小駅ピジョン・ブッシュ Pigeon Bush があったはずだが、周辺にぽつんと残る鉄道員宿舎の暖炉煙突2基を除いて、跡形もない。

リムタカトンネルを抜けてきた新線が接近する地点に、スピーディーズ・クロッシング Speedy's Crossing と呼ばれる踏切がある。1955年11月3日、ここで新線の開通式が執り行われた。39kmに及ぶ旧線跡の終点はまた、新旧の交替というエポックを象徴する場所でもあった。

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クロス・クリーク~フェザーストン間の現行1:50,000地形図
Sourced from Topo50 map BP33 Featherston, BQ33 Lake Wairarapa. Crown Copyright Reserved.
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同 1マイル1インチ地図(1957年版)
Sourced from NZMS 1 map N161 Rimutaka. Crown Copyright Reserved.
 

■参考サイト
Tracks.org.nz http://tracks.org.nz/
Cycle Rimutaka - New photos of the Rimutaka Cycle Trail!
http://www.cyclerimutaka.com/news/2015/10/28/new-photos-of-the-rimutaka-cycle-trail
Mountain Biking Travels - Rimutaka Rail Trail - Wairarapa
http://mountainbiking-travels.blogspot.jp/2015/06/rimutaka-rail-trail-wairarapa.html

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

★本ブログ内の関連記事
 リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶
 ミッドランド線 I-トランツアルパインの走る道

 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I
 オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 II

2017年7月23日 (日)

リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶

急勾配の線路を上り下りするために、2本の走行レールに加えて第3のレールを用いて、推進力や制動力を高める鉄道がある。その大部分は、地上に固定した歯竿(ラック)レールと、車体に装備した歯車(ピニオン)を噛ませるラック・アンド・ピニオン方式、略してラック式と呼ばれるものだ。代名詞的存在のアプト式をはじめ、いくつかのバリエーションが創られた。

しかし、フェル式 Fell system はそれに該当しない。なぜなら、中央に敷かれた第3のレールはラックではなく、平滑な双頭レールを横置きしたものに過ぎないからだ。坂を上るときは、このセンターレールの両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪ではさむことで、推進力を補う。また、下るときは同じように制輪子(ブレーキシュー)を押し付けて制動力を得る。

■参考サイト
レール断面図
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/history/fell-centre-rail-system

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線路工夫が見守る中、フェル式区間を上る貨物列車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 
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フェル式レールがサミットトンネル東口に続く(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain

この方式は、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が設計し、特許を取得したものだ。ラック式ほど険しい勾配には向かないものの、レールの調達コストはラック式に比べて安くて済む。1863~64年に試験運行に成功したフェルの方式は、1868年に開通したアルプス越えのモン・スニ鉄道 Chemin de fer du Mont-Cenis で使われた。フレジュストンネル Tunnel du Fréjus が開通するまで、わずか3年間の暫定運行だったが、宣伝効果は高く、これを機に、フェル式は世界各地へもたらされることになる(下注)。

*注 現存しているのは、マン島のスネーフェル登山鉄道(本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道」参照)が唯一だが、中央レールは非常制動用にしか使われない。

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ニュージーランドの植民地政府もまた、この効用に注目した。当時、北島南端のウェリントン Wellington からマスタートン Masterton 方面へ通じる鉄道(現 ワイララパ線 Wairarapa Line)の建設が準備段階に入り、中間に横たわるリムタカ山脈 Rimutaka Range をどのように越えるかが主要な課題になっていた。

ルート調査の結果、カイトケ Kaitoke(当時の綴りは Kaitoki)からパクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を経由するという大筋の案が決まった。峠の西側の勾配は最大1:40(25‰)に収まり、蒸機の粘着力で対応できるため、問題はない。しかし、東側は谷がはるかに急で、なんらかの工夫が必要だった。勾配を抑えるために山を巻きながら下る案は、あまりの急曲線と土工量の多さから退けられ、最終的に、平均1:15勾配(66.7‰、下注)で一気に下降する案が採用された。

*注 縦断面図では1:16(62.5‰)~1:14(71.4‰)とされている。

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ワイララパ旧線とリムタカ・インクライン
フェル式を採用したインクライン(図では梯子状記号で表示)は、サミットトンネル Summit Tunnel 東口~クロス・クリーク Cross Creek 駅間のみで、それ以外は粘着式で運行された
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.
 

この長さ3マイル(4.8km)のインクライン(勾配鉄道、下注)に導入されたのが、フェル式だ。特殊な構造の機関車が必要となるものの、客車や貨車は直通でき、実用性もモン・スニで実証済みだというのが、推奨の理由だった。当時、山脈を長大トンネルで貫く構想もすでにあり、インクラインは暫定的な手段と考えられたのだが、実際には、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは77年間と、最も寿命の長い適用例になった。

*注 このインクライン区間の呼称については、リムタカ・インクライン Rimutaka Incline のほか、「リムタカ・インクライン鉄道 Rimutaka Incline Railway」や「リムタカ鉄道 Rimutaka Railway」も見受けられる。ただし、下記参考資料では「リムタカ鉄道」を、ワイララパ旧線全体を表現する用語として使用している。

建設工事は1874年に始まり、予定より遅れたものの1878年10月に完成した。これでウェリントンからフェザーストン Featherston まで、山脈を越えて列車が直通できるようになった。

フェル式区間のあるサミット Summit ~クロス・クリーク Cross Creek 間(下注)には、イギリス製の専用機関車NZR H形(軸配置0-4-2)が投入された。開通時に1875年製が4両(199~202号機)、1886年にも2両(203、204号機)が追加配備されている。また、下り坂に備えて列車には、強力なハンドブレーキを備えた緩急車(ブレーキバン)が連結された。これら特殊車両の基地は、峠下のクロス・クリーク駅にあった。通常の整備はここで実施され、全般検査のときだけ、ウェリントン近郊のペトーニ Petone にある整備工場へ送られたという。

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唯一残るフェル式機関車
(フェル機関車博物館蔵 H 199号機)
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.
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床下に潜れば、センターレールとそれをはさむブレーキシューが見える
© Optimist on the run, 2002 / CC-BY-SA-3.0 & GFDL-1.2.
 

当初インクラインを通行する列車は、機関車1両で扱える重量までとされた。制限は徐々に緩和され、1903年の貫通ブレーキ導入後は、最大5両の機関車で牽くことも可能になった。しかし、機関車ごとに乗員2名、列車には車掌、さらに増結する緩急車でブレーキ扱いをする要員と、1列車に10数名が携わることになり、運行コストに大きく影響した。また、インクラインでの制限速度は、上り坂が時速6マイル(9.7km)、下り坂が同10マイル(16km)で、機関車の付け替え作業と合わせ、この区間の通過にはかなりの時間を費やした。

ワイララパ線は、1897年にウッドヴィル・ジャンクション Woodville Junction(後のウッドヴィル)までの全線が完成している。ギズボーン Gisborne 方面の路線と接続されたことで輸送量が増え、20世紀に入ると、H形機関車の年間走行距離は最初期の10倍にもなった。

1936年、鉄道近代化策の一環で、ウェリントン~マスタートン間に軽量気動車6両 RM 4~9 が導入された。センターレールに支障しないよう、通常の台車より床を12インチ(305mm)高くした特別仕様車で、速度の向上が期待されたが、実際には時速10~12マイル(16~19km)にとどまった。

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カイトケ駅に到着する軽量気動車
Photo from archives.uhcc.govt.nz. License: CC BY-NC 3.0 NZ
 

リムタカのボトルネックを解消する抜本策が、バイパストンネルの建設であることは自明の話だった。1898年に詳細な調査が実施され、マンガロア Mangaroa ~クロス・クリーク間を直線で結ぶ約5マイル(8km)のトンネル計画が練られた。1920年代にも再び実現可能性の調査が、30年代には詳細な測量が行われたが、それ以上前に進まなかった。

懸案への対処が先送りされ続けた結果、第二次世界大戦が終わる頃には、リムタカの改良は待ったなしの状況になっていた。機関車もインクラインの線路も、長年酷使されて老朽化が進行していたからだ。1947年に決定された最終ルートは、当初案のクロス・クリーク経由ではなく、一つ北のルセナズ・クリーク Lucena's Creek(地形図では Owhanga Stream)の谷に抜けるものになった。1948年、ついにトンネルを含む新線が着工され、7年の工期を経て、1955年に竣工した。

これに伴い、旧線の運行は1955年10月29日限りとされた。最終日には、稼働可能なH形機関車全5両を連結した記念列車がインクラインで力走を見せ、多くの人が別れを惜しんだ。切替え工事を経て、新線の開通式が挙行されたのは同年11月3日だった。

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インクライン運行最終日に坂を下るH形4重連
Norman Cameron "Rimutaka Railway" 表紙写真
 

リムタカ迂回線 Rimutaka Deviation は、延長39.0kmあった旧線区間を14.4kmも短縮するとともに、最急勾配は1:70(14.3‰)、曲線半径も400mまでに抑えた画期的な新線だ。その結果、旅客列車で70分かかっていたアッパー・ハット~フェザーストン間がわずか22分になった。貨物列車も所要時間の短縮に加え、長編成化が可能になって、輸送能力が格段に向上した。

新線は全線単線で、トンネルをはさんで西口のメイモーン Maymorn 駅と東口のリムタカ信号場 Rimutaka Loop にそれぞれ待避線が設置されている。リムタカトンネル Rimutaka Tunnel は長さ 8,798mと、当時ニュージーランドでは最長を誇った(下注)。

*注 1978年に東海岸本線 East Coast Main Trunk Line の短絡線として、長さ8,850mのカイマイトンネル Kaimai Tunnel が完成するまで、最長の地位を守った。

トンネルには、ほぼ中間地点に換気立坑 ventilation shaft があり、旧線が通るパクラタヒ谷の地表面に達している。実はこれは、トンネル完成後に追加された工事だ。この区間はもともと架空線方式の電化が想定されていたが、経済的な理由で非電化のままになった。ディーゼル機関車の試験走行を行ったところ、自然換気だけでは排気が十分でないことが判明し、急遽対策がとられたのだ。

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リムタカトンネル開通式
ブックレット表紙
Photo by Archives New Zealand at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

新線への切替え後、列車の往来が途絶えた旧線では、すぐさま施設の撤去が始まった。H形機関車は、長年走り続けた線路の撤去作業を自ら務めた。それが終わると、ハット整備工場へ牽かれていき、そこでしばらく留置された。そして翌年除籍され、フェザーストンの町に寄贈された1両を残して、あえなく解体されてしまった。

まだ使用可能だったフェルレールと緩急車は、再利用するために南島のレワヌイ支線 Rewanui Branch(下注)へ移送された。こうして、リムタカ・インクラインの77年の歴史は幕を閉じたのだった。

*注 ニュージーランドにはリムタカのほかにも、フェル式が使われた路線がある。南島北西部の鉱山支線であった上記のレワヌイ・インクライン Rewanui Incline(使用期間 1914~66年)とロア・インクライン Roa Incline(同 1909~60年)、ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car(同 1902~78年)、カイコライ・ケーブルカー Kaikorai Cable Car(ダニーディン Dunedin 市内、期間不明)だが、いずれも制動のみの使用だった。

では、旧線はどのようなところを走っていたのか。次回は、インクラインを含む旧線のルートを地形図で追ってみたい。

本稿は、Norman Cameron "Rimutaka Railway" New Zealand Railway and Locomotive Society Inc., 2006、および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust
http://www.rimutaka-incline-railway.org.nz/

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 ニュージーランドの鉄道地図

 マン島の鉄道を訪ねて-スネーフェル登山鉄道

2011年9月25日 (日)

ニュージーランドの鉄道地図

ニュージーランドの鉄道はわが国のJR在来線などと同じ1067mmの狭軌で、北島、南島合わせて4128kmの路線網がある(下注1)。最盛期の1953年には総延長が5656kmだった(下注2)というから、すでに3割ほど縮小したことになる。今もノース・オークランド線 North Auckland Line をはじめ、いくつかの路線が存廃の岐路に立たされているので、数年先にはこの数値がさらに何百kmの単位で減ってしまうかもしれない。

*注1 CIA - The World Factbookによる(データは2010年現在)
https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/nz.html
*注2 キーウィレール KiwiRail 公式サイトの "History of Rail" による
http://www.kiwirail.co.nz/

印刷物となった同国の鉄道地図では、当時のニュージーランド国鉄 New Zealand Railways Corporation (NZRC) が刊行した1枚ものの路線図がある。北島と南島の2面に分かれていて、各々上部に、1980年代に使用された国鉄のロゴが大きく掲げられている。地図は、国の測量機関である土地測量局 Department of Lands and Survey(当時)の手になるいわゆる官製図だ。手元に1983年第3版がある。

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縮尺は約120万分の1で、5色刷り。水部のみ描かれたベースマップの上に、現役の鉄道が赤の太線、廃止・休止線が緑の太線、主要道路がオレンジの細線で記されている。表示された駅の数もけっこう多いが、古い地形図と照合すると必ずしも全駅ではなさそうだ。あるいは編集当時の営業駅だけを示しているのかもしれない。主要都市については余白に挿図があり、ウェリントン Wellington やオークランド Auckland 市内の小駅も読み取れる。図郭の下には駅名索引が完備されている。

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インヴァーカーギル周辺
Sourced from LS159 South Island Railway Map. Crown Copyright Reserved.
 

廃止・休止線を完全に描くというのは、公式地図ではあまり例を知らない。南島インヴァーカーギル Invercargill 周辺には、内陸の炭鉱と海港を結ぶために中小路線のネットワークが発達していたことがよくわかるし、この縮尺では小さくなって目立たないが、改良事業により別線に切替えられた区間(下注)の旧線さえ律儀に図示されている。

*注 北島ウェリントン郊外のタワフラット短絡線 Tawa Flat deviation(1937年)、同じくフェル式勾配線を置換えたリムタカトンネル Rimutaka Tunnel(8.8km、1955年)、北東部プレンティ湾 Bay of Plenty へ直通するカイマイトンネル Kaimai Tunnel(8.9km、1978年)など。

しかし、電化や複線といった鉄道施設に関する基本データは示されず、せっかくの大判図が単純な路線網一覧にとどまっているところが惜しまれる。その後、ニュージーランド国鉄は改組を経て1993年に完全民営化されたため、この鉄道地図もいつしか絶版になってしまった。

【追記 2017.9.18】

下記サイトで、ニュージーランド国鉄路線図のJPEG、TIFFファイルが公開されている。
https://gdh.auckland.ac.nz/maps/LINZ/LS/LS_159/
ファイル名のNIは北島編、SIは南島編を示す。ただし、廃止・休止線は描かれておらず、印刷図とは別のバージョンのようだ。

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イギリスの専門出版社であるクエールマップ社 Quail Map Company からは、以前「ニュージーランド鉄道・軌道地図帳 New Zealand Railway and Tramway Atlas」というA5判のミニ地図帳が刊行されていた。同社は、路線網を詳細に描いた専門家や愛好家向けの鉄道地図を各種製作しており、これもその一つだ。

廃線を含む全線を描く方針は先述の図と同じだが、こちらは、範囲を市内軌道から地方の貨物用軌道いわゆるブッシュトラムウェー Bush tramway や鉱山軌道 Mineral tramway にまで拡大した、徹底さが売りものだ。単線・複線、電化(直流1500Vと交流25000V)の別、橋梁やトンネルの諸元、駅の種別(旅客・貨物扱い)とキロ程、標高、それに区間ごとの開通年月日などインフラに関するデータが実に詳しく記載されている。各都市のトラムについても別途、ルートの街路名や開通・廃止年月日が盛り込まれた地図がある。駅と列車交換所の名称索引が完備された48ページの貴重な基礎資料なのだが、残念ながら1993年12月に第4版が刊行されたきり改訂がなく、すでに版元切れとなっている。

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地図帳の凡例

ウェブサイトで見られる鉄道地図には、以下のものがある。

全国版としては、「オーストラリア鉄道地図 Australian Rail Maps」の Other Countries のくくりに、ニュージーランド編がある。

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北島の一部
 

本国版と同じデザインを用いて北島と南島の列車系統図がそれぞれ描かれ、主要都市オークランド、ウェリントン、クライストチャーチ Christchurch については拡大図がある。地図の特徴や記号の意味はオーストラリア編と変わらないので、詳細については「オーストラリアの鉄道地図 III-ウェブ版」の紹介記事を参考にしていただきたい。

ニュージーランドでは、2000年代初め(2001、02年)に思い切った長距離旅客列車の削減が図られた。北島ではプレンティ湾のタウランガ Tauranga、観光地ロトルア Rotorua、東岸ネーピア Napier、南島ではダニーディン Dunedin、インヴァーカーギル Invercargill といった主要都市でさえ、列車で行くことが不可能になった。その結果、このような列車系統図を描くと空白エリアが目立ち、見るからにさびしい図面になってしまう。公共交通が国内で最も充実しているウェリントンの拡大図だけが唯一カラフルな色の帯を連ねていて、救われる思いだ。

なお、現在(2011年9月)、「オーストラリア鉄道地図 Australian Rail Maps」の当該ページは、理由不明ながら閲覧不可になっている。幸いにもMapperyのサイトで各画像のコピーを見つけたので、そちらで地図の内容を確認していただきたい。

■参考サイト
北島 http://mappery.com/map-of/North-Island-Rail-Map
南島 http://mappery.com/map-of/South-Island-Rail-Map
ウェリントン http://mappery.com/map-of/Wellington-Rail-Map
オークランド http://mappery.com/map-of/Auckland-Rail-Map
クライストチャーチ http://mappery.com/map-of/Christchurch-Rail-Map

列車のルートをスキマティックマップ(位相図)で描いた上記の地図に対して、ウィキペディアに上がっている鉄道地図は、路線網をいわゆる正縮尺で表示したものだ。

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北島の一部
 

これも北島、南島の2面に分かれている。路線は、線の太さで幹線と支線を区分し、線の色で closed(廃止)、mothballed(休止)、vintage(保存鉄道)、freight only(貨物専用)、in use(使用中=旅客輸送している)、proposed(予定線)といった内容を表している。

興味深いのは、最後に挙げた予定線の破線表示だ。特に南島北部の内陸を数多く横切っているが、これはクライストチャーチから北岸へ通じるルートが数十年もの間確定せず、何通りかの案が併存したことを反映している。他の予定線も同様に、構想自体がとうに過去帳入りしているものばかりだが、鉄道の歴史を遡ろうとする者には大変参考になる。

■参考サイト
ウィキペディア画像(直接リンク)
北島 http://en.wikipedia.org/wiki/File:NorthIsland_rrMap_v02.svg
南島 http://en.wikipedia.org/wiki/File:SouthIsland_rrMap_v02.svg

ニュージーランド国鉄の民営化は、度重なる運営会社の経営不振により失速した。最終的に国が買収することになり、2008年に国有企業キーウィレール KiwiRail として再スタートを切った。キーウィレールは現在、インフラ管理のほか、キーウィレール・フレート KiwiRail Freight として貨物輸送を、トランツシーニック Tranz Scenic として長距離旅客輸送を、それに子会社トランツメトロ Tranz Metro によってウェリントン都市圏の通勤輸送を担うなど、同国の鉄道運営の大半を受け持つ。唯一、オークランドの通勤輸送だけが、国際交通企業ヴェオリア Veolia の手で行われている。

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キウィレール関係のサイト群をざっと見たが、残念ながらめぼしい鉄道地図は発見できなかった。関連して、ウェリントンの公共交通網のブランドであるメトリンク Metlink が、同都市圏全体の詳細な交通路線図を提供していたので、こちらを挙げておこう。この中に、上記トランツメトロの郊外路線や名物のケーブルカーも含まれている。

■参考サイト
メトリンク(ウェリントン都市圏公共交通網)
  http://www.metlink.org.nz/network-map/
 インタラクティブマップとは別に路線網図のPDFがあるが、3面に分割されている。
  http://www.metlink.org.nz/publications/
 もとの1枚ものが、このページの "Metlink network map" にある。ただし、凡例はついていない。

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 ニュージーランドの鉄道を地図で追う II

 オーストラリアの鉄道地図 I
 オーストラリアの鉄道地図 II
 オーストラリアの鉄道地図 III-ウェブ版

2011年9月18日 (日)

オーストラリアの鉄道地図 IV-ウェブ版

前回はウェブサイトで見られる全国版の鉄道地図を紹介したが、各交通事業者はどんな地図を提供しているだろうか。州ごとに見ていこう。

クイーンズランド州

本土北東部クイーンズランド州 Queensland の鉄道網を運営するのは、クイーンズランド鉄道 Queensland Rail (QR) だ。2010年に貨物部門を分離して、現在は鉄道施設(インフラ)整備と旅客部門を事業としている。提供されている地図も、インフラに関するもの、長距離列車に関するもの、それに州都ブリスベン(ブリズベン)Brisbane の近郊列車に関するものに分類できる。

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インフラ関連では、14ページ分の路線図がPDFで提供されている。デザインは野暮ったいが、貨物専用線となっている区間を含め、州内の全線全駅を図示した立派な資料だ。表紙の州全図に続いて、システム System(路線体系)ごとの区分図がある。線路数(単線・複線...)が線幅や色で区分され、電化区間は「危険 Danger」と大書されているのですぐわかる。駅には起点からの距離が、km単位で小数点以下3桁まで記されている。

■参考サイト
クイーンズランド鉄道 http://www.queenslandrail.com.au/
路線図は、トップページの上メニューの "Network" > Downloads and Rail System Maps > Freight > South Western Systemなど > Network System Information Map
または直接リンク
http://www.queenslandrail.com.au/NetworkServices/Documents/Network System Information Map.pdf

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長距離列車関連では、時刻表冊子の中に各列車の簡単なルート図がある。ルートが列車別に色分けされ、接続バスや空港も図示されている。下記URLからPDFファイルがダウンロードできる。

■参考サイト
長距離列車時刻表は、上記メニューの "Rail Services" > Travel Network (Long Distance) > Queensland Rail Travel timetables

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ブリスベン近郊の運行系統図はトランスリンク(後述)との共同製作で、PDFファイルで提供されている。QRが運行する鉄道路線のほか、市内に専用道を確保したバスウェー Busway、閑散区間の列車を代行するレールバス Railbus の区間と停留所も記載されている。運賃ゾーンや車椅子利用の可否も添えられた親切な地図だ。

■参考サイト
ブリスベン近郊の運行系統図は、上記メニューの "Stations" > City Network Maps > Train and busway network map

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なお、ブリスベン市内については、この地域の公共交通を調整・統括する組織であるトランスリンク交通公社 TransLink Transit Authority (TRANSLink) のサイトのほうがより包括的だ。QRと同じソースの運行系統図(ただしJPG画像)のほかにも、ナイトリンク NightLink(夜間バス)系統図と停留所案内図、運賃ゾーン図、ブリスベン川を行く市内フェリー路線図と、各種揃っていて、市内交通のあらましがわかる。

■参考サイト
TRANSLinkの地図ページ  http://translink.com.au/travel-information/maps

ニューサウスウェールズ州

本土南東部ニューサウスウェールズ州 New South Wales (NSW) の鉄道網については、インフラ管理は連邦政府出資のオーストラリア・レールトラック社 Australian Rail Track Corporation (ARTC) が担い、列車運行は州政府機関であるレールコープ RailCorp が担っている。レールコープは2種のブランドを使い分けていて、シドニー Sydney の近郊列車はシティレール CityRail、遠距離列車はカントリーリンク CountryLink の名で運行されている。

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まずARTCだが、同社はNSW州以外に、インターステート(州間)標準軌線のインフラ管理も行っている(下注)ので、管轄エリアは広範囲に及ぶ。インフラに関する情報公開の姿勢もまた徹底していて、公式サイトの「ルート規格 Route Standards」のページに、全線区の配線図をはじめ、線路等級、トンネル位置、制限勾配、保安システムといった線路に関する膨大な専門データが含まれている。ただし、一般的な路線図はなさそうだ。

*注 大陸縦断ルートのタークーラ Tarcoola~ダーウィン Darwin間、大陸横断ルートのカルグーリー Kalgoorlie 以西を除く。

■参考サイト
ARTC  http://www.artc.com.au/
上記データは、トップページの上メニュー "Route Standards" からリンクしている。

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レールコープのサイトにもインフラ関係のページがあり、管内各線の曲線、勾配、制限速度を図示した線路縦断面図(PDFファイル)が576ページにわたって綴られている。

■参考サイト
レールコープ-ネットワークアクセス Network Access
http://www.railcorp.info/commercial/network_access
線路縦断面図は、4. Curve and gradient diagramsだが、ZIP形式で27.5MBある(解凍後のPDFは28.9MB)ので、ダウンロードの際は注意のこと。

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次に、シドニー近郊の旅客列車を運行するシティレール CityRail のサイトを見てみよう。ネットワーク地図 Network Map は、系統ごとに色分けし、乗換駅は楕円で、その他の駅は爪を立てて表現している。郊外列車を表すグレーの線と関連色の爪の組合せは、気の利いたデザインだ。シドニー港のトラムや、代行バスのルートも描かれている。地図はインタラクティブ形式で、駅にカーソルを当てると、駅の情報が表示される仕掛けだ。PDFファイルも提供されているが、解像度がやや低い。

■参考サイト
シティレールhttp://www.cityrail.info/
路線図は、トップページ上メニューの "Stations and maps" > Network map
または直接リンク
http://www.cityrail.info/stations/pdf/CityRail_network_map.pdf

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一方、遠距離列車を運行するカントリーリンク CountryLink にも、似たデザインのネットワーク地図があるが、内容はシティレールとだいぶ様相が異なる。列車が走るのは幹線ルートに限られ、しかも1日2~3便しかないため、支線沿線や幹線上でも小駅へは、ことごとくバス(コーチ Coach)連絡になっているからだ。地図では、バス代行ルートを幹線の色と同じにして、どの駅から連絡しているのかを明確にしている。PDFファイルも提供されている。

■参考サイト
カントリーリンク  http://www.countrylink.info/
路線図は、トップページの左メニュー Quick linksにあるNetwork map

ヴィクトリア州

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州内の鉄道網のインフラ管理(州間連絡の標準軌線を除く)と旅客列車運行は、州政府出資のVライン V/Line が担っている。貨物線を含む州全体の路線図では「Vライン・鉄道アクセスネットワーク地図 V/Line rail access network map」が提供されている。この地図では線の色や形状によって旅客・貨物線、貨物線、広軌(1600mm)、標準軌などを区別するが、それを通じて、インフラ管理者が誰なのか明確にわかるところが興味深い。

■参考サイト
Vライン  http://www.vline.com.au/
路線図は、トップページの上メニューの"About V/Line" > Network Access > V/Line rail access network map (pdf)
または、直接リンク
http://www.vline.com.au/pdf/networkmaps/rnamap.pdf

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旅客列車の路線図は、何種類か用意されている。スキマティック形式で停車駅とバス連絡のある駅を図示したもの、旅客路線とバスルートを示したもの2種類(単純化版、正縮尺版)、それにGoogleマップを利用したインタラクティブマップだ。最後者では住所や窓口時間といった駅の情報と運賃が表示され、時刻表へもリンクしている。また、ページの終わりの方に、地域別の地図へのリンクも見つかる。

■参考サイト
V/Line 鉄道地図のページ
http://www.vline.com.au/maps-stations-stops/

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メルボルン Melbourne 市内交通については、事業者の統合ブランドであるメトリンク MetLink のサイトに地図を集めたページがある。都市圏列車路線図 Metropolitan train network map は、運賃ゾーンで路線を色分けし、系統が明示されていないのが珍しい。都市圏トラム路線図 Metropolitan tram network map は、同国随一の規模を誇るトラム路線を系統別に色分けする。中心街CBDを縦横に走る路線の太い帯が印象的だ。ほかに、ナイトライダー NightRider(夜間バス)路線図や、市街図に加刷した総合路線図など、ブリスベン同様、盛りだくさんだ。

■参考サイト
メトリンク鉄道地図のページ
http://www.metlinkmelbourne.com.au/maps-stations-stops/metropolitan-maps/

南オーストラリア州

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州都アデレード Adelaide 周辺の旅客列車は州政府の組織が運行しているが、ブランド名としては、バスや1系統だけ残っているトラム(グレネルグ・トラム Glenelg Tram)とともに、アデレード・メトロ Adelaide Metro を名乗っている。バスが主たる交通機関のため、アデレード・メトロが提供するのはほとんどバス路線図で、鉄道が描かれていても目立たない。鉄道のみの路線図はなく、あるとすれば時刻表とともに提供されているルートごとの図だ。

■参考サイト
アデレード・メトロ-メトロガイド
http://www.adelaidemetro.com.au/routes/metroguide
同 列車とトラムTrain and Tram
http://www.adelaidemetro.com.au/trains-trams
'Train and Tram Timetables' のリンクから路線別の案内に入る。その中の Map and Printable Timetable に時刻表と路線図がある。

西オーストラリア州

州都パース Perth を中心とした旅客列車は、バスとともに州政府が所管する公共交通公社 Public Transport Authority (PTA) が運行している。パースの郊外鉄道とバス路線網はトランスパース Transperth、地方の旅客列車・バスはトランスWA(ダブリューエー)Transwa のブランド名による。

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トランスパースの公式サイトには地図へのリンクを集めたページがある。列車系統図 Transperth train network map は系統別に色分けしたスキマティックマップだが、6系統のみの小さな路線網とあって、ごくシンプルなものだ。一方、運賃ゾーン地図 Transperth Zone Map はいわゆる正縮尺図で、路線網の地理的広がりがわかる。

一方、トランスWAには、満足な路線図がなかった。必要であれば、前回紹介した「オーストラリア鉄道地図」のサイトを参照するのがよい。

■参考サイト
トランスパース 地図のページ
http://www.transperth.wa.gov.au/TimetablesMaps/Maps.aspx

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 オーストラリアの鉄道地図 II
 オーストラリアの鉄道地図 III-ウェブ版

 ニュージーランドの鉄道地図

2011年9月12日 (月)

オーストラリアの鉄道地図 III-ウェブ版

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ウェブサイトで見られるオーストラリアの鉄道地図には、決定版と呼ぶべきものがある。「オーストラリア鉄道地図 Australian Rail Maps」と題されたサイトで、普通鉄道、トラム、長距離バス、フェリーなど全土の公共交通路線網を20面もの地図でカバーする、まさにウェブ上の鉄道地図帳だ。路線の密度に応じて大小さまざまな範囲の地図が用意され、それによって全系統全停車駅の表示を可能にしている。

■参考サイト
オーストラリア鉄道地図 Australian Rail Maps  http://www.railmaps.com.au/

その特徴を筆者なりに挙げるとすると、一つ目は、情報リンクの徹底ぶりだ。地図中に張られたリンクからより詳細な図へ、あるいは隣接する図へと自在に移動できるだけではない。各路線をクリックすると当該路線の時刻表が現れる。時刻表の駅名をクリックすると、その駅へ通じている公共交通の路線名や運行頻度、路線の利便度のランク付けまで見ることができる。ウェブならではの痒いところに手が届くシステムだ。

二つ目は、デザイン性に優れていることだ。すべての地図で、路線を平面上の地理的位置によらず、縦横斜め45度の単純な形状に整理する、いわゆるスキマティックマップ(位相図)の表現法が用いられている。そのため、錯綜する都市圏の路線網や運行系統も、苦労せずに追うことができる。さらに、太めの線幅、目を引く配色、拠点駅の強調など、的確に見せるための工夫が各所に施されている。

三つ目は、地図とともに、当該地域を走る列車や鉄道の現状を紹介した記事が添えられていることだ。鉄道網を理解し、旅行計画のヒントを得るのに、こうした文字情報が参考になる。

地図はどのような内容をもっているのか。いくつか見てみよう。トップページは中・長距離列車やフェリーのルートが表示されたオーストラリア全図だ。表示はPNG画像だが、印刷用のPDFファイルもある。

試しに、東海岸のシドニー Sydney の上にカーソルを置いてクリックすると、「NSW南部とヴィクトリア東部 Southern NSW & Eastern Victoria」の地域図に切り替わる(NSWはニューサウスウェールズ New South Wales の略)。この図は、シドニー~メルボルン Melbourne 間、首都キャンベラ Canberra といった同国の中心的エリアを描いたものだ。列車のルートが系統別に色分けされ、主要駅は赤いボール状、その他の駅は短線を立てて表示されている。駅の横に白抜き文字で6:00などと記されているのは起点からの所要時間、2, 2, 2などとあるのは左から平日、土曜、日曜の1日当りの列車本数だ。週数便しかない路線では、これが数字ではなく曜日の頭文字になる。また、観光用の保存鉄道が白抜きの線で、貨物専用線や休止線が薄めた色で描かれている。

シドニー周辺は矩形の枠で囲まれ、拡大図があることがわかる。そこをクリックすると、「イラワラ、NSW南海岸および南部高地 Illawara, NSW South Coast & Southern Highlands」、すなわちシドニーから見て南西方向の地域図に切り替わる。この地域には、メルボルン周辺などとともに中距離列車の充実したネットワークが築かれているので、地図もそれに合わせて念入りに作られているのだ。

シドニー都市圏 Metropolitan Sydney はさらに拡大図「シドニー鉄道・フェリー地図 Sydney rail & ferry map」がある。これが地図の中では最も詳しく、普通鉄道ばかりかライトレールやモノレール、そして湾内の足であるフェリーの系統も特定できる。凡例に、これは公共交通の公式地図ではないと断り書きがしてあるが、それはなかば謙遜のようなもので、自社線中心になりがちな事業者提供の地図に比べて、格段に使い勝手がいいのは間違いない。

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ところで、このサイトには、同国鉄道地図の集大成のような作品が隠されている。トップページ左メニューの2番目、「National Bus & Rail Map」と書かれたところが入口だ。クリックで現れる「NATIONAL PUBLIC TRANSPORT MAP(全国公共交通地図)」は、3MB以上ある特大画像だが、これは単に地域図を貼り合せたものではない。貨物線や休止線といった使えないルートを省略する代わりに、長距離バス、現地で言うコーチ Coach のルートを加えている。つまり、今ある公共交通で到達可能なすべての土地とそこへの行き方が示されているのだ。

鉄道は太線、バスは細線で、それぞれに運行事業者名が入り、鉄道と連絡しているバス路線には同じ色が充てられている。アリススプリングズ Alice Springs からエアーズロック Ayers Rock(ウルル Uluru)やカタジュタ Kata Tjuta へ、パース Perth からシャーク湾 Shark Bay のモンキーミア Monkey Mia へといった、有名だが交通の便が悪い観光地へのバス路線もすべて表示されている。ローカル路線の場合、中小業者によるワゴン車運行が多いため現地での確認が必須だが、記載された走行経路は必ず参考になるはずだ。

ここまで鉄道地図を中心に紹介してきたが、実際、一般旅行者にとって便利なのは、移動の出発地と到着地を入力して、利用可能な交通機関と所要時間や発着時刻を表示させる機能だろう。このサービスも、左メニューにある「Journey Planner(乗換案内)」から提供されている。列車、バスもしくはその組合せで何通りかのルートが提示され、時刻表にももちろんリンクしている。こうしてサイトを使いこなすうちに、オーストラリアの公共交通機関をすべて手中にした気分になったとしても不思議ではない。

各交通機関の鉄道地図については次回。

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