鉄道地図

2021年7月29日 (木)

ギリシャの鉄道地図-シュヴェーアス+ヴァル社

ヨーロッパの鉄道について調べものをするとき、シュヴェーアス・ウント・ヴァル Schweers + Wall (S+W) 社の鉄道地図帳は必ず手もとに開いておく。稼働中の全線全駅のみならず、廃止された旧線さえ、いわゆる正縮尺図(一つの図の中で縮尺が一定)の上に克明に描かれていて、地域の鉄道網のありさまを一目で把握することができるからだ。

ドイツのケルン Köln に拠点を置く同社は、1994年以来、ヨーロッパの国別鉄道地図帳を次々と刊行してきた(これまでの刊行履歴は本稿末尾参照)。2015年にフランス北部編が出された後、新たに対象となったのは、はるか東に飛んで、エーゲ海に臨むギリシャだった。

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ギリシャ鉄道地図帳
(左)表紙 (右)裏表紙
 

ギリシャ鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Griechenland」は2018年12月に刊行された。横23.5cm×27.5cmといつもの判型で、オールカラー64ページの冊子だ。裏表紙に記された文章を翻訳引用する(下注)。

*注 原文がドイツ語のため、引用文中の固有名詞はドイツ語表記のままとした。

「ギリシャの鉄道は、長年きわだった対照を特徴としてきた。方や放置されたペロポネソス半島のメーターゲージ網であり、方や幹線網、なかでもPATHEと呼ばれるパトラス~アテネ~テッサロニキ幹線 Achse Patras - Athen - Thessaloniki の遅々とした電化と近代化である。しかし、2018年2月初めから、新路線(テッサロニキ~ラリッサ Larissa ~)ドモコス Domokos ~ティトレア Tithorea(~アテネ)間の長期にわたる野心的な建設現場が、徐々に鉄道運行に引き渡されている。

古代ペリクレス Perikles の治下で建設されたピレウス Piräus ~アテネ間の「長壁 Lange Mauern」に沿って走る蒸気路面軌道(下注1)によって、ギリシャの鉄道時代は始まった。21世紀の今、新しい路線網が、EUのTEN-T鉄道網への統合を目標に、何年もかけて造られている。また、ローマ時代の歴史あるエグナティア街道 Via Egnatia が、効率的な鉄道幹線、エグナティア東西線 Egnatia Rail West-Ost (下注2)として南北鉄道網を補完することになっている。しかし、ギリシャの鉄道にまだ顧客はいるのだろうか? 貨物も旅客もここしばらく高速道路とKTELバスに流出している。

本書はその地図によって、2017~18年現在の状況を表している。実現されたこととサイエンスフィクション(科学的構想)とが、さらなる展開を指し示す。他のヨーロッパ諸国の動向が示すように、鉄道の自由化と民営化に向けて路線網を慎重に開放していくことが、おそらくそれを後押しするだろう。」

*注1 「長壁」は、アテネと外港ピレウスを結ぶ街道の両側に築かれた長さ約6kmの城壁。この蒸気路面軌道は、1904年に電化されて「エレクトリコス Elektrikos」と呼ばれ、現在のメトロ1号線の一部になった。
*注2 エグナティア街道は、アドリア海岸からバルカン半島を横断してビザンティウム(現 イスタンブール)に通じていた古代街道。エグナティア東西線はまだ一部(クサンシ Xanthi ~カヴァラ Kavala 間)で着工されたに過ぎず、全線完成の見通しは立っていない。

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アテネメトロ1号線ピレウス駅(2008年)
Photo by Mispahn at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ヨーロッパ文明の発祥の地であり、伝統国のイメージが強いギリシャだが、1453年の東ローマ帝国滅亡から約370年の間は、主としてオスマントルコの支配下に置かれていた。実効的な独立を果たしたのは1829年(下注)で、近代ギリシャの歴史はまだ200年に満たない。初期の領土は主として南部で、面積は現在の4割程度だったが、列強の支援で段階的に拡張されていく。現在の姿になったのは第二次世界大戦後のことだ。

*注 露土戦争の講和条約、アドリアノープル条約 Treaty of Adrianople による。

それでというべきか、「ギリシャ鉄道地図帳」のページ構成は、従来のものと少し異なる。前半の23ページが、近代ギリシャの成立過程と鉄道建設の歴史を重ね合わせた解説に充てられているのだ。

それはオスマン帝国時代の鉄道構想に始まり、1880年代のアッティカおよびペロポネソス地方のメーターゲージ線開業、1881年のテッサリア併合に伴う新線建設、1902年の国策鉄道会社(後のギリシャ国鉄 SEK)の設立、1971年の公営企業 OSE(ギリシャ鉄道)への転換、そして近年の目覚ましい幹線改良へと続く。時代を追った記述により、同国の鉄道発達史を概観することができる。すべてドイツ語表記だが、多数挿入されている地図や写真が理解の助けになるだろう。

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アテネ・ラリッサ駅に空港方面の近郊列車が入線
(2019年)
Photo by Stolbovsky at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

本編というべき区分路線図は、その後に23ページ配置されている。縮尺は1:300,000で、使われている地図記号を含めて、他国編と同様の仕様だ。地図のページ数が少ないと思われるかもしれないが、ギリシャの国土面積はドイツの1/3ほどだ。しかも山がちな地勢で、鉄道路線長は約5200km(2015年現在)とドイツの1/8。鉄道空白地域が相当ある。路線図もふつうに描くと白紙が目立ってしまうので、古い鉄道写真や構内配線図などで埋める工夫をしているほどだ。

地図の内容はどうか。資料的に最も充実しているのは、アテネ大都市圏だ。前半の歴史編に掲載されているものを含めて、年代別に6枚の図(1925年、1930~38年、1990年以前、2000年、2004年、2018年(下注)の各時点)が用意されている。

*注 2018年は路線(インフラ)図のほかに、運行系統図もある。

1990年代までギリシャの鉄道は、首都アテネ近郊でさえ、すべて非電化の貧弱な状況だった(エレクトリコス(メトロ1号線)を除く)。ところが2004年の夏季オリンピック開催が決定した後、それに向けて交通網の整備が集中的に実行される。この時期に、近郊鉄道網は大きな変貌を遂げている。

たとえば、ピレウスから北上する南北幹線は交流電化され、西のペロポネソス半島へ向かう路線も、古いメーターゲージの非電化単線から標準軌の電化複線に切り替えられた。東郊スパタ Spata に開港した新アテネ空港には、近郊列車「プロアスティアコス Proastiakos」とメトロ3号線の乗入れが始まる。これらの路線が十字に交差する地点にはアハルネス中央駅 Acharnes Railway Center(通称SKA)と称するジャンクションも出現した。

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アッティカ、ペロポネソス地方の路線図
(Wikimedia Commons 収載の路線図で代用、2019年現在)
Image by Chumwa at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
路線図のフル画像は下記参考サイトにある
 

■参考サイト
Wikimedia Commons - ギリシャ鉄道路線図
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Railway_map_of_Greece.png

他の地方に目を向けると、中部では、国内最長のカリドロモトンネル Kallidromo Tunnel(長さ9210m)を経由する南北幹線の新線が完成している。同線で複線・高速化が未完なのは、中間部の山越えリアノクラディ Lianokladi ~ドモコス Domokos 間のみとなった(2018年現在)。

西でも、ペロポネソスの主要都市パトラス Patras に通じる予定の高速新線が、途中のキアト Kiato に達している(下注1)。その陰で、半島を巡っていた旧メーターゲージ線の運行は、2009年に表面化した国家財政危機の影響をもろにこうむった。パトラスとピルゴス Pirgos 近郊のごく一部(下注2)を除いて、2011年までに全廃されてしまい、路線図でも、休止線の記号がむなしく広がるばかりだ。

*注1 2020年6月にさらにエギオ Aigio まで延伸開業(キアト~エギオ間は暫定非電化)。
*注2 2021年7月現在、ピルゴス近郊区間(カタコロ~オリンピア間)も運行中止になっている。

一方、北部では、テッサロニキを起点に東西へ延びるルートが昔のままに残されている。いずれ上記のエグナティア東西線に置き換えられる予定だが、それはまだずっと先の話だ。

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コリントス運河を渡るメーターゲージ旧線の列車
(1992年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

さて、本書のページ構成に戻ると、区分路線図の次は、イタリア半島およびバルカン諸国の全体図(縮尺1:4,000,000(400万分の1))だ。既刊の「EU鉄道地図帳」の該当図版を転載したものだが、ギリシャの鉄道網が隣国のそれとどのように接続されているのかがよくわかる。

続いて、主要路線の縦断面図があり、その後、アテネメトロとプロアスティアコスの現在の路線図、メトロ4号線等の計画路線図、さらにはアテネの旧路面軌道の紹介、テッサロニキメトロの計画図など、都市鉄道の来し方行く末に多くのページが割かれている。

従来、ギリシャに関する詳しい鉄道地図は、クエールマップ社 Quail Map Company 社製の1枚もの(最新は2001年第3版)しかなかった。実は上述した主要路線の縦断面図やアテネメトロの配線図などは、このクエール版のコンテンツをそっくり踏襲したものだ。編集にあたって、絶版になっている先行図に敬意を表し、跡を継ごうと意識したことが見て取れる。

それに気づけば、64ページというボリュームも決して軽量とは言えない。ギリシャの鉄道をより深く知ろうと思うとき、本書が参考書の筆頭に置かれるのはまず間違いないことだ。

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クエールマップ版 ギリシャ鉄道地図第3版
(折図の表紙部分)

シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳の刊行履歴は以下の通り
(タイトルから本ブログの該当項目にリンクしている)。

ドイツ編
 1993年初版、2000年第2版、2002年第3版、2005年第4版、2006年第5版、
 2007年第6版、2009年第7版、2011年第8版、2014年第9版、2017年第10版、
 2020年第11版
スイス編 2004年初版、2012年第2版
オーストリア編 2005年初版、2010年第2版
イタリア・スロベニア編 2010年初版
EU編 2013年5月初版、2013年11月第2版(クロアチア全面改訂)、2017年第3版
フランス北部編 2015年初版
ギリシャ編 2018年初版

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2016年8月25日 (木)

イタリアの鉄道地図 III-ウェブ版

EUの基本政策に従って、イタリアでも旧 国鉄 Ferrovie dello Stato, FS の鉄道事業の上下分離が実行された。移行段階を経て最終的に、インフラ管理は RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana、2001年設立)が、列車運行はトレニタリア Trenitalia(2000年設立)が担う形に落ち着いた(下注1)。さらに旅客輸送についてはオープンアクセス化に伴い、2012年に NTV(新旅客輸送社 Nuovo Trasporto Viaggiatori)が深紅の高速列車イタロ italo を投入し、トレニタリアのフレッチャ(Freccia、矢の意)シリーズとサービスを競い合っている。

また、アルプスの北側諸国に比べて、地方路線に私鉄(下注2)が多いのも特徴だ。この稿では、こうしたイタリアの鉄道網を、ウェブサイトで提供されている鉄道地図(路線図)で見ていくことにしたい。

*注1 RFIもトレニタリアも、国が出資するFS(国有鉄道会社 Ferrovie dello Stato S.p.A.)の子会社。
*注2 私鉄といっても、FSや州、地方自治体が多く出資しており、公営鉄道の性格が強い。

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ミラノ中央駅に勢ぞろいした高速列車
手前からE414機関車(フレッチャビアンカ)、
AGV575(イタロ)、
ETR1000、ETR500(いずれもフレッチャロッサ)
海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2016年5月撮影

まず、RFIとその線路を使う鉄道会社のサイトから。

RFI
http://www.rfi.it/

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営業路線網 Rete in esercizio を示す全国図と州別図があり、それぞれインタラクティブマップ(対話式地図)とPDF版が用意されている。

・全国図

伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > Istantanea sulla rete
または、英語版トップページ > The Italian rail network in figuresのバナー

路線は、幹線 Linee Fondamentali が青色、地方線 Linee Complementari(直訳は補完線)が水色、都市近郊線 Linee di Nodo が橙色で表される。全国の路線網を一覧できるのはいいが、駅の記載が少なすぎて実用的とはいえない。また、自社管理外の私鉄線は描かれていない。

・州別図

伊語版トップページ > Naviga nella rete RFI(RFI路線網へ移動)のクリッカブルマップで州を選択
または、伊語版トップページ > Linee stazioni territorio > 左メニューの Nelle regioni > クリッカブルマップかドロップダウンリストで州を選択

州(レジョーネ Regione)ごとに作成された路線図だ。さすがに全国図より詳しく、ベースマップでおよその地勢もわかる。路線は上記全国図の3分類に加えて、電化/非電化と複線/単線の組合せで区分している。記載する駅の数も決して十分ではないが、全国図よりは多い。

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RFI営業路線網図 トスカーナ州の一部
 

トレニタリア Trenitalia
http://www.viaggiatreno.it/

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上記URLは、トレニタリアの列車時刻表や発着状況を調べることができる「ヴィアッジャトレーノ Viaggiatreno(列車の旅の意)」というサイトだ。初期画面では、全国旅客路線網が現れる。残念ながら地図を拡大しても、多少駅名表記が増える程度で、情報量はさほど変わらない。なお、右上の言語選択では日本語を含む9か国語に対応している。左から伊(イタリア)、英、独、仏、西(スペイン)と来て、次の青・黄・赤の見慣れない三色旗はルーマニア語を意味している。イタリア語と同じラテン語系の言語なので、イタリアへの旅行者が多いのだろうか。

NTV(イタロ Italo)
http://www.italotreno.it/

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トップページ > Destinazioni e orari(英語版はDestinations & Timetable)
高速列車イタロのサイトには、簡単な系統図しかなかった。走行ルートが限られており、主要都市にしか停まらないから、これで用が足りるのだろう。

 

地方私鉄はどうだろうか。

フェッロヴィーエノルド(北部鉄道)Ferrovienord
http://www.ferrovienord.it/

トップページ > La rete(路線網)
または直接リンク http://www.ferrovienord.it/orari_e_news/mappa_interattiva.php

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ミラノMilanoとブレッシャ(ブレシア)Brescia から北へ路線を広げる主要私鉄で、ミラノ北駅 Milano Nord ~サロンノ Saronno 間21kmは堂々たる複々線が敷かれ、北イタリアの空の玄関口ミラノ・マルペンサ空港 Aeroporto di Milano-Malpensa へも乗り入れている。路線図はコーポレートカラーの黄緑を使って、運行系統を示すものだ。

 

チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェズヴィオ環状鉄道)Circumvesuviana
http://www.eavsrl.it/

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ナポリからヘルクラネウム Herculaneum(伊語:エルコラーノ Ercolano)やポンペイ Pompei、ソレント Sorrentoなど著名観光地へのアクセスにもなっている歴史ある鉄道だが、現在はナポリ地下鉄などとともにヴォルトゥルノ公社 Ente Autonomo Volturno, EAV の一部門だ。残念ながらEAVのサイトには系統ごとの図しか見当たらないので、ウィキメディア収載の図を紹介しておこう。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Circumvesuviana_maps.png

 

スド・エスト鉄道(南東鉄道)Ferrovie del Sud Est
https://www.fseonline.it/

トップページ > Orari e tariffe(時刻表と運賃)> / Download linee e orari
または直接リンク https://www.fseonline.it/downloadorari.aspx

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南部プッリャ(プーリア)Puglia 州の幹線網を補完する役割の鉄道で、長靴形をしたイタリア半島のかかとに当たるサレント半島に路線網を築いている。上記ページの Le nostre linee(自社線)に系統図(png画像)と路線網のPDFがある。系統図のほうが色分けされてわかりやすいが、拡大はできない。

 

都市交通では、代表的な3都市を見てみよう。いずれも地方鉄道に比べればしっかりしたデザインで、好感が持てる。

ミラノ Azienda Trasporti Milanesi, ATM
http://www.atm.it/

トップページ > Viaggia con noi > Schema Rete
または直接リンク http://www.atm.it/it/ViaggiaConNoi/Pagine/SchemaRete.aspx

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ページの最下段の、マウスオンすると "Scarica lo schema di rete(路線網図をダウンロード)" と出る画像からリンクしている。地図は、メトロ(地下鉄)の色を目立たせ、連絡するトレニタリアの列車系統は控えめに描くという、オーソドックスなデザインだ。

 

ローマ ATAC
http://www.atac.roma.it/

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トップページ > per te
またはトップページ > Linee e Mappe(路線と地図)

市街地や郊外のバス路線図、メトロ路線図など、充実したラインナップを提供していて見ごたえがある。

 

ナポリ Azienda Napoletana Mobilità, ANM
http://www.anm.it/

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トップページ > Metro(Mのマーク) > Linee metro e funicolari > 本文中の "rete metropolitana" のリンク

自社運営する2本のメトロと4本のケーブルカーだけでなく、トレニタリアやEAVなど他社線も分け隔てなく描いた総合路線図にしているところを特に評価したい。

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ANM市内路線図の一部
 

個人サイトでは、「ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版」で紹介したウェブ版鉄道地図帳である「Railways through Europe」のサイトに、イタリア編もある。
http://www.bueker.net/trainspotting/maps_italy.php

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非常に有益な旧版鉄道地図のコレクションも見つかる。

http://www.stagniweb.it/
トップページ > 左メニューの MAPPE STORICHE(歴史地図)> Carte ferroviarie(鉄道地図)

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ここには最も古いもので1876年、新しいもので1989年の、イタリアの鉄道網を描いたさまざまな図面が収集されている。各図の Apri la mappa ad alta risoluzione / Open full size map のリンクから拡大画像をダウンロードすれば、より詳細に路線網の構成や変遷を追うことができる。眺めているうちに、時の経つのを忘れてしまうだろう。

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照。
 フランスの鉄道地図 III-ウェブ版
 フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 スイスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 オーストリアの鉄道地図 II-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2016年8月13日 (土)

イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

専門家やコアな鉄道愛好家向けに、魅力的な鉄道地図帳を刊行し続けてきたドイツのシュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall (S+W) が、ヨーロッパアルプスの南の路線網に初めて取り組んだのが、この「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia / Eisenbahnatlas Italien und Slowenien」だ。192ページ、横23.5×縦27.5cmの上製本で、2010年1月に初版が刊行された。

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イタリア・スロベニア鉄道地図帳 表紙
 

鉄道地図には大別して、列車や路線のネットワークを表現するものと、路線のインフラ設備を詳述するものの2種類がある。S+W社の鉄道地図帳シリーズは後者に相当し、対象国内の全鉄道路線、全駅を含む主要鉄道施設が、正縮尺の美しいベースマップの上に表現されている。徹底的に調査され、細部まで描き込まれた鉄道インフラの最も詳しい地図帳として定評を得ている。

本書はタイトルのとおり、イタリアと東の隣国スロベニアの鉄道がテーマだ。イタリア半島にあるサンマリノとバチカン市国はもとより、歴史的に関連が深いイストラ半島(イタリア語ではイストリア Istria、大部分がクロアチア領)や地中海のマルタ島 Malta も範囲に入っている(下注1)。イタリアの鉄道地図は、長い間ボール M.G.Ball 氏の地図帳(下注2)以外に満足できるものがなかったので、S+W版の参入で一気に書棚が充実した印象がある。

*注1 現在、マルタ島には鉄道はないが、1931年まで1000mm軌間の鉄道がバレッタ Valetta から内陸に延びていた。
*注2 ボール鉄道地図帳については、「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」参照。

さらに、旧ユーゴスラビア連邦の一部だったスロベニアまで範囲が広げられているのも嬉しい。もちろんこの国もボール地図帳のほかに詳しい鉄道地図はなかった。電化方式がイタリア在来線と同じ直流3000Vなので、今回一体的に取り扱ったものと推測するが、そもそもスロベニアの地はハプスブルク帝国領の時代が長い。最初に開通した鉄道は、帝国の首都ウィーンとアドリア海の港町トリエステ(現 イタリア領)を結んだ南部鉄道 Südbahn だ。その史実からすれば、オーストリア編のときに出ていてもよかったくらいだ。

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ローマ~ナポリ間カッシーノ Cassino 付近
(表紙の一部を拡大)
 

イタリア・スロベニア編のページ構成だが、地図のセクションは全部で157ページある。縮尺1:300,000で描いた全国区分図のほかに、路線網が錯綜する主要都市とその周辺について1:100,000、一部は1:50,000の拡大図がかなりの数挿入されている。余白にはそのページの図に記載された私鉄の社名、軌間、電化方式、開業年/廃止年のメモがつく。地図ページに続いては、駅その他の鉄道施設の名称索引が24ページある。

内容については、まず本書ドイツ語序文の該当箇所を引用させてもらおう。

「路線は、各図でインフラの所有権と関係づけて描かれている。その際、記号や配色はドイツ、スイス、オーストリアの地図帳からおおむね引き継がれている。

RFI(下注)の非電化線は黒で、私鉄はオレンジで描かれる。電化線は、適用される架線電圧方式に応じて、異なる色で記される。直流3000VのRFI国鉄路線網の路線は青、私鉄は明るい青で描かれ、交流25kVの路線(高速線)は緑で描かれる。それ以外の電圧、例えば1500Vまたは1650Vは紫で示される。引込線は茶色の破線、狭軌鉄道や路面軌道は独自の記号をもっている。イタリアに多数ある私鉄は、地図の縁にあるテキスト欄で簡潔に説明している。略号は地図で使用される略号を示している。」

*注 RFI(イタリア鉄道網 Rete Ferroviaria Italiana)は、旧 国鉄の線路等インフラ管理を担う企業。

イタリアの在来線の電化方式は直流3000Vなので、図を支配するのは青色(印刷色はウルトラマリン=紫味の強い青)だ。交流15kV 16.7Hzの赤色が目立つドイツ語圏の国々とは違って、落ち着いた雰囲気を醸し出す。イタリアと言えば、鮮やかな赤をまとう高速列車が目に浮かぶが、高速線の交流25kV 50Hz(下注)も緑色で、クールなイメージは崩れない。

*注 最初に完成したフィレンツェ~ローマ間の高速線(直流3000V)を除く。

その高速線は、本書の時点(2009年秋)ですでにトリノからミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマを経てナポリまで延び、さらにミラノから東へ、ヴェネツィアの手前までが予定線(下注)として描かれている。在来線でも、山が地中海に迫るジェノヴァ Genova~ヴェンティミーリア Ventimiglia 間やアドリア海岸のペスカーラ Pescara~フォッジャ Foggia 間、アルプスの谷間のウディーネ Udine~タルヴィジオ Tarvisio 間やブレンネロ/ブレンナー Brennero/Brenner~ボルツァーノ/ボーツェン Bolzano/Bozen 間などで、長大トンネルを含む大規模な別線建設が行われていることがわかる。

*注 2016年現在、すでに一部区間が供用中。

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ミラノ拡大図
(裏表紙の一部を拡大)
 

序文はさらに続く。

「廃止線は灰色で描かれる。インフラはまだ一部残っているがもはや運行できない路線(例えばポイントの欠如)も廃止線として扱っている。廃止線では、すべての旧 鉄道施設が図面に表されているわけではなく、キロ程も同様である。さらに言えば灰色の路線記号は、かつて線路がどこを通っていて、鉄道網とどのように接していたかだけを示そうとするものである。鉄道地図帳の重点は、現在運行中の路線網に置かれている。したがって視認性を優先するため、主要都市におけるかつての接続カーブまたは線路位置の再現は断念した。」

表示は完璧なものではないとは言うものの、今は無き廃線のルートや廃駅の位置がわかるのも、この地図帳の大きな特色だ。灰色で示される廃止線は、ほぼどのページにも見つかる。中には極端な蛇行を繰り返し、ときにはささやかなスパイラルまで構えて高みをめざすものがある(下注)。筆者にとって、その軌跡をさらに縮尺の大きい官製地形図や空中写真で確かめるのは、大いなる楽しみの一つだ。

*注 その一例を本ブログ「サンマリノへ行く鉄道」で紹介している。

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凡例の一部
 

このように実際に列車が走れる線路だけでなく、建設中や計画中の路線を拾い上げ、廃止線が自転車道に転換されればその記号まで付して、鉄道網の過去・現在・未来を一つの図面に示そうとする。この実直で緻密で徹底した編集方針は、類書の遠く及ばないところだ。なにぶんドイツの刊行物のため、序文と解説はドイツ語とイタリア語のみだが、凡例(記号一覧)には独・伊・仏語とともに英語表記があり、読図に大きな支障はない。イタリアの鉄道路線について調べるつもりなら、まず座右に置くべき書物の一つだろう。

なお、刊行から時間が経ち、初版の入手はやや難しくなっているようだ。古書店に当たるか、改訂版の刊行を待つ必要があるかもしれない。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳については、以下も参照。
 ヨーロッパの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 スイスの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 オーストリアの鉄道地図 I
 フランスの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ギリシャの鉄道地図-シュヴェーアス+ヴァル社

2016年8月 7日 (日)

イタリアの鉄道地図 I-バイルシュタイン社

アルプスの麓の緑の谷間から、シロッコが吹く地中海の岸辺まで、イタリアの鉄道の守備範囲はとても広い。路線網の総延長は19,400km、営業中のものに限定しても16,700kmあるという。その性格も、フレッチャロッサ Frecciarossa(赤い矢)やイタロ Italo が最高時速300kmで突進する高速線から、半島の周辺部や離島の山懐を健気に走る950mm狭軌のローカル線まで、変化に富んでいる。

イタリアの鉄道網を一定の詳しさで表した印刷物の鉄道地図(路線図)は、2016年現在、筆者の知る限りで3種ある。

1.ボール M.G.Ball 氏の「ヨーロッパ鉄道地図帳 European Railway Atlas」の地域シリーズ Regional Series の1巻「イタリア編」
2.バイルシュタイン社 Beilstein の「レールマップ・イタリー Railmap Italy」
3.シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall の「イタリア・スロベニア鉄道地図帳 Atlante ferroviario d'Italia e Slovenia」

1については、すでに本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 I-ボール鉄道地図帳」で全般的なレビューをしているので、そちらを参照いただくとして、今回と次回で残りの2種を紹介しておきたい。

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レールマップ・イタリー表紙
 

2015年4月の新刊である「レールマップ・イタリー Railmap Italy / Carta Ferroviaria Italia(イタリア鉄道地図)」は、1枚ものの鉄道地図だ。横75cm×縦113cmの大判用紙に印刷され、折図にしてハードカバーがつけられている。冊子形式の他2種とは異なり、1枚でイタリア全土を一覧できるのがポイントだ。地図のデザインは一見地味だが、よく練られていて、主題となる路線情報がしっかり目に飛び込んでくる。

バイルシュタインの名はあまり聞き慣れない。実は、キュマリー・ウント・フライ(キュメルリ・フライ)社 Kümmerly+Frey (K+F) 刊行の「レールマップ・ユーロップ Railmap Europe(ヨーロッパ鉄道地図)」(2008年)と「ドイツ鉄道旅行地図 Rail Travel Map Deutschland」(2009年)の製作を担当したスイスの地図製作会社だ(下注)。これらはシートや表紙にバイルシュタインのロゴが見られるものの、あくまでK+Fブランドの出版物だった。それに対して、イタリア図はK+F社と関係なく、バイルシュタインが独自に企画制作、刊行したもののようだ。

*注 K+F社のレールマップ・ユーロップについては本ブログ「ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社」で、また、ドイツ鉄道旅行地図は「ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社」で紹介している。

内容はどうだろう。用紙寸法に収めるために、縮尺は1:1,300,000(130万分の1)と、少し小さめだ。ベースマップはベージュのぼかし(陰影)で地勢を手描きし、そこに水部(川や湖)を加えている。シンプルながら、色合いといい、明暗を際立たせた描法といい、イタリア官製1:100,000を彷彿とさせる美しさがある。森の緑に細かいぼかしで錯雑感が出てしまったドイツ図に比べると、はるかに見やすい。

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サンプル図(ローマ付近)
画像は http://beilstein.biz/ から取得
 

主役たる鉄道路線はまず、色で電化方式を表す(上図参照)。イタリアの在来線は直流3000Vで赤色が使われているが、高速線や一部の私鉄は緑や橙になっていて、方式が異なることがわかる。また、非電化線は黒色だ。色分けによって、周辺諸国の路線との接続状況も明らかになる。たとえば、国境のトンネルをはさんでどちら側で電源が切り替わるかも一目瞭然だ。

線の形状は、高速線や標準軌/狭軌を区別するのに用いられる。高速線は太い二重線、標準軌は太線、狭軌は輪郭つきの破線だ。建設中または計画中の路線は細い二重線になる。また、旅客列車の走らない路線は、たとえば非電化線なら黒をグレーにするなど、トーンを落として表現する。これらも感覚的に無理のない設定だ。

高速線の記号は目立つので、路線が輻輳している地域でも識別が容易だ。筆者は、イタリアの高速線は交流25kV 50HzのフランスTGV方式だとばかり思っていたのだが、この地図で、最初に開通したフィレンツェ Firenze~ローマ Roma 間だけが在来線と同じ直流3000Vであることに初めて気づいた。また、在来線では、北西部ピエモンテ州のいくつかのローカル線や、アペニン山脈南部の山岳路線で、旅客列車が廃止されているという現実も教えられる。

1:1,300,000という縮尺の制約上、すべての駅や停留所を表示するのは難しい。他の資料と見比べると、旅客駅、すなわちかつての基準で駅舎があって駅員がいる(昨今は条件を満たさないものも多いが)という、イタリア語でいうスタツィオーネ stazione だけが表示の対象のようだ。停留所(フェルマータ fermata、英語の stop, halt)や貨物駅などは描かれていない。一方で各路線には、トレニタリア(旧 国鉄)の時刻表番号、地方の時刻表番号、ヨーロッパ鉄道時刻表の路線番号といったインデックスが丁寧に振られ、時刻表とのリンクが配慮されている。

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サンプル図(メッシーナ海峡)
画像は http://beilstein.biz/ から取得
 

また、観光大国の鉄道地図とあれば、沿線の旅行情報にも抜かりはない(上図参照)。路線に緑の点線が添えられているのは、景勝路線だ。アルプスの谷間や湖沿い、アペニンの山越え、地中海岸など、目を凝らせばかなりのルートで記号が見つかり、旅心を刺激する。また、保存鉄道を示す蒸気機関車のマークも各所にある。そのほか、著名観光都市には星印が打ってあり、郊外には城、古代遺跡、修道院、景勝地など多数の記号が配されている。鉄道網と合わせてこうした周辺情報を追っていけば、地図を読む楽しみも倍加するだろう。

価格は19.90ユーロ(1ユーロ120円として2,388円)と少々高めの設定だ。しかし、列車で旅をしたいのだが、ウェブサイトにあるような主要路線と主要駅だけのラフな路線図では物足りないとか、イタリア全体を一覧できるものがほしいという向きには最適ではないだろうか。この地図は、バイルシュタイン社の自社サイトのほか、ドイツのアマゾン(Amazon.de)などで発注できる。

■参考サイト
バイルシュタイン社 http://beilstein.biz/

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 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社

バイルシュタイン社の作品群
 ヨーロッパの鉄道地図 IV-キュマリー+フライ社
 ドイツの鉄道地図 V-キュマリー+フライ社

2016年4月19日 (火)

インドの鉄道地図 VI-ロイチャウドリー地図帳第3版

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「インド鉄道大地図帳」第3版
 

サミット・ロイチャウドリー Samit Roychoudhury 氏の「インド鉄道大地図帳 The Great Indian Railway Atlas」については、初版(2005年)第2版(2010年)と感想を連ねてきたが、さきごろ第3版(2015年11月)の刊行が報じられた。きっかり5年の改訂周期を守っているようだ。

言うまでもなくここには、インド国内に張り巡らされた総延長65,000kmを超える鉄道路線網とその付属施設が、正確で合理的なグラフィックにより、余すところなく表現されている。ヨーロッパの類書にも匹敵する完成度の高さから、今やインドの鉄道を語る際の必需品といってよい。期待の新版は、過去2版とはまた装いを一新しており、本ブログとしては、常に進化し続ける鉄道地図帳のようすを追わないわけにはいかない。

第3版に旧版刊行以降に生じた動向が反映されているのは当然だが、変化はそれにとどまらない。まず目に付くのは、判型が拡大したことだ。旧版(初版と第2版)の横18cm×縦24cmに対して、第3版は一回り大きな横21.5cm×縦28cmで、アメリカのレターサイズ(8インチ半×11インチ)に相当する。旧版はコンパクトで携帯に便利だったので、この変更はユーザーの間で賛否両論がありそうだ。

むろん大判化の断行には理由がある。地図の縮尺が、従来の1:1,500,000(150万分の1)から1:1,000,000(100万分の1)に改められたのだ。前者では図上1cmが実長15kmのところ、後者は10kmで、それだけ大きく、また詳しく描くことが可能になる。旧版の場合、詳細を補うために拡大図が多用されていたが、新版ではある程度、本図の中に収まっている。それでも描ききれない大都市の路線網については、別図が用意されている。本図にその旨の注釈がなく、索引図に戻らないと掲載ページがわからないのが玉に瑕だが。

縮尺が変わると、図郭を切る位置も旧版とずれる。やむを得ないことだが、同じ路線や駅でも各版で掲載ページが違ってくるので、経年変化を追跡するのは少々面倒だ。一方で改良された点もある。たとえば首都デリー Delhi の位置だ。第2版ではちょうど図郭の境界に当たっていた(ただし別途、拡大図あり)が、第3版では図郭の中央に移動した。そのおかげで、首都圏 National Capital Region から放射状に広がる路線網が明瞭になった。

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サンプル図(裏表紙より)
 

地図の表現はどうだろうか。第2版では多色化したメリットを生かして、路線の色を管理区 Division(下注)ごとに変えるという方式を試みた。管理区の及ぶ範囲が明確になるだけでなく、見た目にも美しい地図に仕上がっていた。一転して第3版では、色分け方式をあっさり放棄して、日本の時刻表地図の会社界のように、管理区の境界を示すにとどめている。作者は記載する情報の選別に苦心したようだ。管理区のほかにも、第2版で白抜き表示されていた道路、記号表示の空港、さらに集落名や行政名など鉄道とは直接関係のない地名も第3版では省かれた。読取りやすさを優先させるために、描写対象は鉄道の属性に絞るという方針だ。

*注 インド鉄道の管理体制は、16の地域鉄道(ゾーン zone)に分かれ、地域鉄道はさらに管理区(ディヴィジョン division)に分かれる。

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凡例(地図記号)の一部
 

初版の紹介でも記したが、単線・複線を実線の数で表すというような直感的な記号デザインが、類書に比べた時にこの地図帳の特色になっている。急勾配区間などで上り側の線路が単独の迂回ルートをとることがあるが、こうしたケースもそれらしく描かれている。第2版では小さくて目立たなかった工夫だが、第3版では容易に読み取れる。

電化区間については、旧版とデザインが変わり、橙色の太いアミを掛けて、マーカーを引いたように見せる。電化工事が進行中の場合は、同じく黄緑色のアミだ。電化路線が強調されて効果的であることに異論はないが、他方、従来同じようなマーキングが施されていたガート区間 Ghat section(山上り区間)と区別がつきにくくなってしまったのは残念だ。

記載内容を第2版と照合してみよう。やはり地方に残る1m軌(メーターゲージ)や狭軌線が数を減らしている。インド広軌(1676mm)への改軌計画 Project Unigauge が着々と進行中なのだ。

さらに注目すべきは、貨物専用回廊 Dedicated Freight Corridor (DFC) の整備計画だ。インドでも貨物輸送に占める鉄道の割合が減少しており、飽和状態にある道路交通の緩和と温室効果ガスの削減を図るために、在来線に沿う貨物専用ルートの建設が進められている。新ルートは、旅客と貨物の分離を図るだけでなく、建築限界や牽引定数を拡大し、曲線や勾配の緩和で列車速度を向上させて、輸送効率を高めているのが特徴だ。

第3版では、認可済の2本のDFCルート、すなわちデリー近郊ダドリ Dadri ~ムンバイのジャワハルラール・ネルー港 Jawaharlal Nehru Port 間1,468 kmの西部回廊 Western Corridor と、パンジャーブ州ルディヤーナー Judhiana ~コルカタ近郊ダンクニ Dankuni 間1,760 kmの東部回廊 Eastern Corridor を確認できる。多くは在来線の線増だが、都市域では、武蔵野線のようなバイパス線を造っているようだ。

イギリスやドイツには定番の鉄道地図帳が存在し、定期的に更新されて愛好家の信頼を勝ち得ている。第3版を数えるわがインド鉄道大地図帳も、いよいよその領域に入ってきたようだ。しかも現状に満足することなく毎回新たなスタイルを試み、理想の鉄道地図を追求すること怠りない。今から5年後に告知されるであろう第4版の刊行が、早や楽しみになってきた。

■参考サイト
The Great Indian Railway Atlas Third Edition http://indianrailstuff.com/gira3/

★本ブログ内の関連記事
 インドの鉄道地図 I-1枚もの
 インドの鉄道地図 II-IMS地図帳
 インドの鉄道地図 III-ロイチャウドリー地図帳
 インドの鉄道地図 IV-ロイチャウドリー地図帳第2版
 インドの鉄道地図 V-ウェブ版

2015年10月26日 (月)

フランスの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社

2015年7月に、ドイツの出版社シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 Schweers+Wall (S+W) から待望の「フランス鉄道地図帳第1巻北部編 Atlas ferroviaire de la France Tome I NORD / Eisenbahnatlas Frankreich Band I NORD」が刊行された。ようやく…というのが正直な感想だ。というのも、この出版物については何年も前から、刊行予告が打たれては延期の案内が届くという状況が繰り返されてきたからだ。

S+W社は、1994年のドイツ鉄道地図帳を皮切りに、詳細な路線情報を盛り込んだ労作をスイス編(2004年)、オーストリア編(2005年)、イタリア・スロベニア編(2010年)と、次々に発表してきた。しかし2013年の最新刊は、特定の国ではなくEU全体の路線網を扱うものだったので、シリーズもこれで打ち止めになるのかと疑った。それだけに、懸案(?)のフランス編刊行が無事実現したのは喜ばしい。

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フランス鉄道地図帳 第1巻北部編
(左)表紙 (右)裏表紙
 

第1巻北部編は、およそ六角形をしているフランスの国土を南北に分割した、その北半分を対象にしている。首都パリ Paris から周辺へ放射状に広がる路線網を包含するとともに、ロワール川 Loire の谷筋、ブルゴーニュ、ジュラ山地までの範囲を収める。比較的穏やかな地勢の地域といっていい。変化に富んだフランスアルプスや中央高地、ピレネー、地中海岸については、第2巻南部編(未刊)に譲ることになる。

地図帳の構成は、最初にフランス鉄道網の発達史と電化史を紹介するテキスト、そして序文と続く。次がメインの鉄道地図で計80ページ、最後に駅名索引が来る。鉄道地図の縮尺は1:300,000で、ドイツ編と同じだ。主要都市については拡大図が用意されているが、数は少なく、リール Lille、ルーアン Rouen、ブレスト Brest、パリ Paris、ストラスブール Strasbourg の5都市に限られる。情報は2015年4月現在とされている。

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パリ拡大図
(裏表紙の一部を拡大)
 

地図記号などの仕様はシリーズで共通化されているので、既刊の読者には親しみやすい。また、シリーズの特色である、現役の営業線だけでなく休止・廃止線も記載するという方針はここでも堅持されている。現役線の情報だけでよければ、フランスでもすでに類書がある(本ブログ「フランスの鉄道地図 V-テリトワール社新刊」参照)が、過去に運行されていた路線まで調べ上げたものはこれを措いて他にはないだろう。

フランスは19世紀中盤、不安定な政情が災いして、イギリスやドイツに比べて鉄道の発達が遅れたのだが、政府の積極的な関与によって、第一次世界大戦の頃には路線延長が約6万kmに達した。標準軌の幹線はもとより、夥しい数の支線や軽便線がネットワークを補完しながら、地方の町や村に届いていたのだ。その多くはすでに過去帳入りしてしまったが、本書には線名、ルート、駅名、その位置、軌間までしっかり記録されている。知られざる小路線の痕跡を紙上で追うことができるのは、大いなる楽しみだ。

もちろん現役の営業線も見逃すわけにはいかない。注目は電化方式だ。日本がそうであるようにフランスでも、幹線の電化に直流(1,500V)と交流(25kV 50Hz)の2方式が併存しているのだ。

前者は1920年代から使われ始め、国有化以前の鉄道会社のうち、電化に積極的だった南部鉄道 Midi やパリ・リヨン・地中海鉄道 PLM が採用した。他方、後者の商用周波数による交流電化は、第二次大戦中にドイツがシュヴァルツヴァルト Schwarzwald のヘレンタール線 Höllentalbahn で開発を進めていたものを、当地に進駐したフランスの技術者たちが持ち帰り、実用化した。この経緯のために、中・南部の路線は主に直流、戦後に電化が進んだ北部や西部(および LGV、下注)は交流という相違が生じている。

*注 LGV(Ligne à grande vitesse)はTGVが走る高速専用線。

この鉄道地図では、電化方式を線の色で区分する。直流600~1,500Vには紫色、交流25kV 50Hzには緑色が使われる。第1巻は北部編なので、支配色は明らかに緑だ。ただし、パリには南部へつながる路線も来ていて、ターミナルで言えば東 Est、北 Nord、サン・ラザール Saint-Lazare の各駅は交流、リヨン Lyon、オステルリッツ Austerlitz、モンパルナス Montparnasse は直流だ。そのため、パリの図(上図参照)では、緑の陣地と紫の陣地が対峙しているように見える。ちなみにドイツ、スイス、オーストリアの地図帳では交流15kV 16.7Hzを表す赤が支配的なので、フランスのそれとは見た目がかなり違うのもおもしろい。

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凡例の一部
 

フランス編では、新たな地図記号をいくつか導入したそうだ。既刊と比べてみると、線路の区分が詳しくなっている。3線・4線軌条を表す記号はこれまでなかった。ただし適用例はわずかで、ソム湾観光鉄道 Chemin de fer Touristique de la Baie de Somme の一部区間(p.5)と、ナント Nantes のロワール川を渡る鉄橋(p.58、ただし狭軌は廃線)のみ。

また、狭軌線が、メーターゲージ ligne à voie métrique(=1000mm)と狭軌 ligne à voie étroite(<1000mm)に区分されている。従来、狭軌線は軌間に関わらず同一記号で、その代わり、図枠外の説明文に正確な軌間が記されていた。メーターゲージが大勢を占めるので、それ以外の特殊軌間を際立たせようと考えたのだろう。

先述したように、この地図帳は2015年の現況を示すのが主目的だが、その中で明日の鉄道網の姿を垣間見ることもできる。フランスの誇る高速線LGVの延伸ルートがそうだ。この巻では、2016年開通予定の東ヨーロッパ線 Est Européenne、メス Metz ~ストラスブール間(pp.37-38)、2017年予定の南ヨーロッパ大西洋線SEA、ル・マン Le Mans ~レンヌ Renne間(pp.44-46)およびトゥール Tours ~ボルドー Bordeaux 間(pp.60,72)が予定線で表されている。

*注 南ヨーロッパ大西洋線のポワティエ Poitiers 以南は、第2巻に収載。

在来線もある。2016~20年予定のシャルトル Chartres ~オルレアン Orléans 間(p.48)や2017年予定のベルフォール Belfort ~スイス国境のデル Delle 間(p.68)だ。前者は新たな観光ルートとしての期待がかかり、後者はTGVとの連絡機能を担うようだ。こうした各地の動きを概観できるのも地図帳ならではの醍醐味だろう。

S+W地図帳のフランス進出を心から祝うなかで、一つ惜しいと思うのは、使用言語がドイツ語とフランス語の2か国語しかないことだ。ドイツの出版物で、描写対象がフランスなら当然とはいえ、これまで凡例(記号一覧)だけは英語を含めた4か国語で表記されていた。なぜ本書で英語が外されたのかは知らないが、将来、改訂版を出すときにはぜひ考慮してもらいたいものだ。

この地図帳は、アマゾン、紀伊國屋といった日本のオンライン書店でも取り扱っている。

■参考サイト
シュヴェーアス・ウント・ヴァル社 http://www.schweers-wall.de/

★本ブログ内の関連記事
 フランスの鉄道地図 I-IGN刊行図
 フランスの鉄道地図 II-テリトワール社
 フランスの鉄道地図 III-ウェブ版
 フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版
 フランスの鉄道地図 V-テリトワール社新刊

シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の鉄道地図帳については、以下も参照。
 ヨーロッパの鉄道地図 VI-シュヴェーアス+ヴァル社
 ドイツの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 スイスの鉄道地図 III-シュヴェーアス+ヴァル社
 オーストリアの鉄道地図 I
 イタリアの鉄道地図 II-シュヴェーアス+ヴァル社
 ギリシャの鉄道地図-シュヴェーアス+ヴァル社

2015年5月13日 (水)

アイルランドの鉄道地図 III-ウェブ版

意欲的な鉄道地図を多数公表してきたイギリスのサイト、プロジェクト・マッピング Project Mapping にアイルランドのページが創設されてから、早や数年が経つ。このページには、オンラインで入手できるアイルランドの現行鉄道地図がおよそ網羅されている。

■参考サイト
Project Mapping - Ireland and Northern Ireland
http://www.projectmapping.co.uk/Europe World/ireland_train_rail_maps.html

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まず、ページ左上の図は、アイルランド共和国の鉄道網を運営するアイルランド鉄道 Iarnród Éireann (IÉ)/ Irish Rail が自社サイトでも公開している「インターシティ路線図 IÉ intercity map」だ。自社線は緑、接続する北アイルランド鉄道は黄緑色で描いている。ダブリンなど後述する詳細図のあるエリアを除いて停車駅をすべて掲げ、西海岸近くで開業準備中の駅も薄いグレーで書き入れてある。インターシティ(都市間急行)に限定しているとはいえ、ダブリン近郊を別とすればこれが島の全旅客路線になる。

デザインは、距離や方角をデフォルメしたスキマティックマップ(位相図)だ。首都ダブリンを右中央に置き、そこから各地へ放射状に広がる路線を縦・横・対角線だけを用いて描いている。影響を受けてか、島の形状も実際と違って東西にやや長い。「やれやれ、これがアイルランド島の形なのか? Oh dear, is that the shape of Ireland?」というキャプションはそのことを指している。

なお、自社サイトのほうのURLは以下の通り。こちらにはインタラクティブマップも用意されている。

■参考サイト
Irish Rail - Station and Route maps
http://www.irishrail.ie/travel-information/station-and-route-maps

左端列の下の方には、近年、南東岸のコーク Cork で整備されたコミューター(通勤通学)路線の図がある。

これに対して、左から2列目には、本サイトを運営するアンドリュー・スミザーズ Andrew Smithers 氏による「アイルランド鉄道地図 Ireland rail network map」が並んでいる。最上段が最新版で、以下旧版が続く。鉄道の自社版路線図を参考にしながらも、私ならこうデザインするという主張が明確な作品群だ。

自社版は、ハリー・ベック Harry Beck がデザインした有名なロンドンのチューブマップ Tube map(地下鉄路線図)のスタイルに基づいていた。対するプロジェクト・マッピング版は、ルートを直線主体で描くものの、向きを強制的に縦・横・対角線に揃えることはせず、地理的な位置関係にも配慮する。それで、島の輪郭は直感的に正しい形を保ち、各路線も本来進むべき方向に延びている。

また、自社版で別図となっているダブリンやコーク近郊の拡大図は、ベルファストのそれとともに余白に挿入され、一面で島の旅客全線全駅の把握が可能になっている。ダート DART やコミューター Commuter といった日本でいう「国電」が走る区間が全国図にも表示され、拡大図とすぐに対照できるのも親切だ。

3列目は、ダブリンの近郊路線図を集めている。最上段はアイルランド鉄道が公開している「ダブリン地域路線図 IÉ Dublin area rail map」だ。近郊列車の走るルートと停車駅を、色分けによってすべて描いている。実線は鉄道、破線は連絡バスを意味する。まるで多数の路線が並行しているように錯覚するが、サバーバン Suburban とダート DART は同じ線路を走る快速と各停の関係だ。また、むりやり路線を折り曲げているので、「スライゴー線は折返し!ヒューストンから出る線は南行き? The Sligo line goes back on itself! And the line from Heuston south?」とキャプションは皮肉っている。

2段目からは、スミザーズ氏の「ダブリン地域鉄道・トラム地図 Dublin area rail and tram map」になる。上のダブリン図と比較すれば、同じ横長のレイアウトながら、地図表現がずいぶんと改良されていることが実感できる。すなわち、線路を共有しているインターシティ(上図では省略)とサバーバンとダートは束にして描かれ、路線が進む方向もおおむね正しい。さらに、二大鉄道ターミナルであるコノリー Connolly 駅とヒューストン Heuston 駅の間を、ルアス LUAS と呼ばれる市内トラムが連絡していることも明らかになる。緑色を別の線に使っているため、ルアスのグリーンライン Green Line(下注)が緑っぽく見えないのが玉に瑕だが、この図さえあれば、ダブリンとその近郊の鉄道は問題なく乗りこなせるだろう。

*注 現在、セント・スティーヴンズ・グリーン St.Stephen's Green が起終点のルアス・グリーンラインは、2017年完成予定で北方への延伸工事が行われている。レッドラインと交差し、ブルームブリッジ Broombridge でコミューター路線と接続する。

ページ右端は、北アイルランドに舞台が移る。最上段は、スミザーズ氏の「北アイルランド鉄道地図 Northern Ireland rail map」で、3段目からが北アイルランド鉄道 NI Railways のオリジナル路線図になる。ベルファストBelfastのグレート・ヴィクトリア・ストリート Great Victoria Street 駅を起点にする4系統と、セントラル Central 駅からダブリンへ向かうエンタープライズ Enterprise 号のルートが描かれている。

自社製作図は繰り返すまでもなくベックスタイルのデザインだが、スミザーズ氏の改良図と比べると、たとえば、ロンドンデリー線 Londonderry Line コールレーン Coleraine 駅のぎこちない表現(線路の向きが不明)、バンガー線 Bangor Line の上下交互の駅名配置(連続性が把握しにくい)、ダブリン線 Dublin Line とニューリー線 Newry Line の不自然な乖離といった点が目につく。

なお、同鉄道は、この地域の公共交通を一手に担う公営企業トランスリンク Translink(正式社名は、北アイルランド運輸持株会社 Northern Ireland Transport Holding Company)が運営している。同社の公式サイトには、路線バス(アルスターバス Ulsterbus、メトロ Metro)を含めた公共交通地図も見つかる。

■参考サイト
トランスリンク(公式サイト) http://www.translink.co.uk/

前回、アイルランドの鉄道網の今昔を比較する地図帳を紹介したが、ウェブサイトにもモノクロながら1906年当時の鉄道地図が挙がっていた。いうまでもなく鉄道輸送全盛の時代であり、レールが全土をくまなく覆っていたことがよくわかる。現状と比較すれば(比較するまでもないかもしれないが)、あまりの変わりように言葉を失う。

■参考サイト
1906年の鉄道地図(Viceregal Commission)-軽鉄道を含む
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Map_Rail_Ireland_Viceregal_Commission_1906.jpg

★本ブログ内の関連記事
 アイルランドの鉄道地図 I
 アイルランドの鉄道地図 II-今昔地図帳
 アイルランドの旅行地図
 北アイルランドの地形図・旅行地図

 近隣諸国のウェブ版鉄道地図については、以下を参照
 イギリスの鉄道地図 V-ウェブ版
 ヨーロッパの鉄道地図 V-ウェブ版

2015年4月20日 (月)

アイルランドの鉄道地図 II-今昔地図帳

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100年近い時を隔てて、アイルランド島の鉄道路線網がどのように変化したのかを比較するというのが、この地図帳のコンセプトだ。路線図の対比とともに、当時の姿を知るための沿革やさまざまな保存資料が提示されており、ページを繰るにつれて、鉄道が物流の動脈として社会の発展を支えていた時代が少しずつ明らかになっていく。

2014年にイアン・アラン出版社 Ian Allan Publishing から刊行されたこの「今昔アイルランド鉄道地図帳 Railway Atlas of Ireland Then & Now」(ポール・スミス Paul Smith 氏とキース・ターナー Keith Turner 氏の共著)は、アイルランド島をテーマにした愛好家待望の鉄道地図帳だ。これまでイギリスとアイルランドを同時に扱う地図帳はあっても、同島に限定したものは、筆者の知る限り、前回言及したジョンソンの地図帳以降なかったからだ。

序文は次のように述べている。「この地図帳は、1巻で1920年初日の広範な鉄道網-荒れ狂う変化の連続がそれを永遠に改造してしまう以前-と今日の骨格だけになったそれとの直接比較を提示するだけでなく、廃止路線や閉鎖駅の現在の利用状況をも記録する。

『昔 Then』の図は、レールウェー・クリアリングハウス Railway Clearing House による1920年のアイルランド図の関連個所の忠実な複製であり、『今 Now』の図は、現在の島全体の鉄道網に属するすべての営業路線と駅を表示(1マイルを超える長さをもつその他の公共鉄道も併載)するとともに、すべての休廃止路線と駅、とりわけ現在異なる装い -鉄道、軌道、道路、自転車道、店舗、美術館などさまざま- で一般大衆に開かれているものの記録を提示する。」

レールウェー・クリアリングハウスというのは1842年にロンドンで設立された組織で、乱立する鉄道会社の間に入って運賃収入の調整や実際の精算(クリアリング)を行っていた。そのための基礎資料として用意されたのが、線路の接続点、貨客を扱う施設などを正確に描いた配線図(接続駅配線図 Junctions Diagram)や、各社の路線網を記載した小縮尺の鉄道路線図だ。

本書は、1920年1月1日現在の状況を示したクリアリングハウスのアイルランド全図(縮尺7.5マイル1インチ、分数表示で1:472,500)を、21面に分割したうえで使用している。各見開きの左ページにその図を置き、右ページにはそれに2014年1月1日の状態を加筆した図を並べる。

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表紙の一部を拡大
(左)1920年図 (右)2014年図
 

1920年のオリジナル図では、路線が会社別に色分けされて、各社の勢力範囲が一目瞭然になる。ロンドンと同じように、ダブリンから郊外へ各社が放射状に路線を延ばしていた様子も読み取れる。それとともに地図ファンとして注目すべきは、丹念に書き込まれた行政界、集落、河川、地勢(ケバによる)などの地図表現だ。現代図と対照するときに、鉄道のあった位置を特定する作業がこれでずいぶんと楽になるだろう。

一方、2014年の図に目を移すと、こちらも1920年図をベースにしながら、路線と駅、駅名のみを置き換える形で製作されている。もちろん路線の色分けは会社別ではなく、性格の違いを表している。まず、軌間が標準軌(アイリッシュ・ゲージ1600mm)かそれとも狭軌か。そして、今も使用中の路線なのか、廃止線 closed や休止線 mothballed(=列車の運行はないが施設が残存する路線)なのか。他にも、保存鉄道化、トラム線としての復活、自転車/遊歩道や自動車道への転用などの区別がある。

地図に書ききれないデータは、図郭外の説明 Legend 欄にまとめられている。旧駅の跡がバス車庫やマーケットになったとか、廃線跡のサイクリングロードはどのウェブサイトに記載がある、といった現地情報が取得できる。

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凡例
 

この2種の図を対比すると、たとえば、今や広大な鉄道空白地域になっている北西部のドネゴール州 Donegal にも、かつては3フィートの狭軌鉄道網が張り巡らされていたことがわかる。1920年と言えば、自動車の普及が進む一方で、鉄道にもまだ地域交通のかなりの部分を依存していた時代だ。

ご多分に漏れず1950~60年代になると、アイルランドでも多数のローカル線が合理化の名のもとに廃止の宣告を受けた。全土に広がっていた路線網はそれを境に瘠せ細って、ほぼ骨格のみの姿に変わってしまった。地図で見る限り、こうして生じた廃線跡を別の形で活用している例も意外に少ないようだ。かつての路盤や石積みの橋梁は、ほとんどが痕跡と化して、牧草地や原野の中で静かに眠っているのだろう。

本書に先立つ刊行物として、2012年に同じ著者、同じ出版社で、グレートブリテン島の鉄道網を描いた「今昔鉄道地図帳 Railway Atlas Then & Now」が出ていた。アイルランド版の体裁もこれに準じているが、それだけではボリュームが不足するということか、路線図比較の余白に、各鉄道の沿革を記したコラムや当時の鉄道写真、接続駅配線図、さらには絵葉書やチラシ、切符のコレクションと、参考資料がふんだんに盛り込まれている。グレートブリテン島版にはない特典だ。

過去との比較で1920年という年が選ばれたのには、大いに理由があると思う。一つはこの年、アイルランド統治法が成立したことで、アイルランドがイギリスから自治を獲得していく重要な転換期に当たること。もう一つは、イギリス本土で1921年の鉄道法により中小の鉄道が4大会社に合併集約されたように、アイルランド島でもまもなくグレート・サザン鉄道 Great Southern Railways への統合(1925年)が実行されて、鉄道地図が一変することだ。

その意味でこの地図帳は、21世紀の鉄道交通の現状を記録するだけでなく、19世紀から引き継がれた旧体制最後の日々を顧みる貴重な機会を提供してくれるだろう。

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2015年4月19日 (日)

アイルランドの鉄道地図 I

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アイルランド共和国の鉄道網を運営しているのは、国有のアイルランド鉄道だ。英語ではアイリッシュ・レール Irish Rail だが、正式にはアイルランド語で、イールンロード・エールン  Iarnród Éireann と称している。Iarnród は英語の Iron Road から来ていて、Iarnród Éireann はエール(アイルランド)の鉄道という意味をもつ。運行路線は首都ダブリン Dublin から放射状に広がり、内陸を貫通して沿岸の主要都市に達している。

一方、1922年のアイルランド共和国独立に際して袂を分かった北アイルランドでは、北アイルランド鉄道 NI Railways が鉄道事業を行っている。1990年代に極端な民営化が推し進められたイギリスで、唯一残る国有かつ上下一体経営の鉄道会社だ。首都ベルファスト Belfast から延びる長短4方向の路線を維持する。

鉄道が盛んに建設されていた19世紀はまだ全島がイギリス領だったので、主要路線は1846年の鉄道軌間規制法(ゲージ法)で定められた1600mm(5フィート3インチ)軌間、いわゆるアイリッシュ・ゲージで統一された。最盛期であった1920年には、島全体に狭軌を含めて計5,500kmもの路線が存在したという。1950~60年代に不採算となっていた多くのローカル線が廃止された結果、路線規模は1/3にまで縮小した。

現在の運行形態は首都中心で、アイルランド鉄道はDARTなどの近郊通勤列車、50~80km圏の郊外列車、地方都市へのインターシティを走らせている。また、ダブリンとベルファストの首都間は、両鉄道が共同で、ユーロスターなみの設備をもつ「エンタープライズ Enterprise」号を投入している。

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鉄道地図でもアイルランド島は、1つのくくりで扱われることがほとんどだ。単独の出版物になっているものでは、1997年にイアン・アラン出版社 Ian Allan Publishing から刊行された「ジョンソンのアイルランド鉄道地図帳・地名録 Johnson's Atlas & Gazetteer of the Railways of Ireland」(右写真)が知られている。これは、タイトルから窺える以上に、鉄道路線に関する百科事典のような書物だ。

内容は3部構成になっている。

第1部の鉄道地図 Atlas は、縮尺約5マイル1インチ(1:317,000)で、全島を36ページの区分図によりカバーする。ダブリン、ベルファスト、コークの3都市圏については、別に詳細図がある。地図では、標準軌線を実線で、狭軌線を旗竿状の線で示すとともに、営業中の駅と廃止された駅をそれぞれ黒丸と白丸で描き分ける。また路線は、基本的に1922年(共和国独立の年)時点の運営会社を基準に色分けされている。さらに、平面交差(踏切)が名称つきで網羅され、特産のピート(泥炭)を運搬する軌道網が多数描かれるなど、ユニークな項目が満載だ。

第2部は地名録 Gazetteer だが、より正確に言うなら、鉄道に関する名称索引だ。第1部の鉄道地図に記載されたおそらくすべての名称を検索することができる。

第3部は路線目録 Route tables で、路線ごとに運営会社、軌間、沿革(開通、休廃止年を含む)といった基礎データを押えるとともに、駅、分岐点、平面交差、橋梁等についてキロ程、開業・廃止年などがテーブル形式で詳述される。

このように大変な力作の地図帳だったのだが、残念ながら絶版になってしまい、もはや古書店を当るしかなかった。

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「ジョンソンの鉄道地図帳・地名録」
表紙の一部を拡大
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同 凡例
 

2014年になって、久しぶりにアイルランド島に的を絞った鉄道地図帳が発表された。同じイアン・アラン出版社の「今昔アイルランド鉄道地図帳 Railway Atlas of Ireland Then & Now」だ。1920年の鉄道地図を復刻し、現在の路線図とページ見開きで比較するというユニークな体裁をとっている。これは次回「アイルランドの鉄道地図 II-今昔地図帳」で詳述する。

グレートブリテン島と合冊・併載になっているものは数種ある。下記リンクの記事を参照願いたい。

トーマス・クック社の鉄道地図 Railmap Britain & Ireland
 アイルランド島は縮尺1:1,000,000(100万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。旅行地図の性格をもつため、長距離バスルートも記載。
 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/i_7b92.html

・イアン・アラン社の「Rail Atlas 1890」
 1890年当時(イギリス領時代)の全線全駅を表示。とうに廃止された路線が多数描かれた貴重な資料。ダブリンは拡大図あり。
 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/ii_6b6b.html

・M・G・ボール氏による「abc英国鉄道地図帳 abc British Railways Atlas」
 ポケット版の鉄道地図帳。アイルランド島は縮尺約1:1,670,000(167万分の1)で4ページを充てる。全駅表示。ダブリンは拡大図あり。
 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/10/iii_4389.html

・M・G・ボール氏による「ヨーロッパ鉄道地図帳」
 アイルランド島に1ページを割く。縮尺約1:2,220,000(222万分の1)。駅の表示は主要駅のみ。分冊版はイギリスと合冊で「Atlas of Britain & Ireland」となる。
 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2009/01/i-0b3a.html

・S・K・ベーカー Baker 氏による「イギリス・アイルランド鉄道地図帳 Rail Atlas Great Britain & Ireland」
 アイルランド島は1:495,000で全線全駅を表示。コーク Cork、ダブリン、ベルファストは拡大図あり。数年おきに改訂版が出されるので、直近の状況がチェックできる。
 https://homipage.cocolog-nifty.com/map/2007/11/iv_6a46.html

(2009年7月5日付記事を改稿)

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2014年5月31日 (土)

フランスの鉄道地図 V-テリトワール社新刊

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フランスの鉄道地図帳を刊行してきたイティネレール・エ・テリトワール社 Itinéraires & Territoires(以下、テリトワール社という)から、さきごろ新刊が発表された。「フランス鉄道ネットワーク地図帳 Atlas du réseau ferré de France」、A4判、52ページの地図帳だ。

テリトワール社の既刊書については「フランスの鉄道地図 II-テリトワール社」で紹介したが、どれも鉄道旅行者指向の編集方針だった。タイトルからしてそうだが、判型もA5かそれ以下の携帯しやすいサイズで、TGVや市内交通の情報を詳しく記して旅心を誘っていた。しかし今回の新刊は、それらとは一線を画すものだ。描かれているテーマがフランス全土の鉄道路線網であることには変わりはないが、列車の運行を支える路線設備の整備状況のほうに焦点が当たっている。

というのもこの地図は、フランスの鉄道インフラを管理するフランス鉄道線路事業公社 Réseau Ferré de France, RFF が提供したものだからだ。「フランスの鉄道地図 IV-ウェブ版」で言及したとおり、RFFの公式サイトでも「全国鉄道ネットワーク地図 la carte du réseau ferré national」の名称でPDF版が公開されているが、冊子版では、縮尺1:850,000のこの地図が23ページにわたり分割掲載されている。

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鉄道ネットワーク地図の凡例
 

凡例を上図に示した。記載されているのは、地下鉄・トラムなどの都市交通を除くフランス国内の全線全駅だ。延長約30,000kmという鉄道路線は、その性格によって5色に色分けされている。まず、青が高速専用線LGVに充てられ、以下、紫は旅客・貨物併用の在来線、緑は貨物線(旅客営業を廃止したものを含む)、橙はその他の路線(私鉄)、グレーは国外の路線に使われている。さらに実線は営業中、破線は建設中、点線は休止中を表し、単線・複線や待避線の有無は描線の数で直感的に表現されている。線に突起が施されているのは電化区間だ。

全国で3000か所を数える駅は特に記号化されておらず、都会の大ターミナルも田舎の停留所も、等しく短線を直交させて位置だけを示す簡素なものだ。駅の重要性は、記号ではなく、駅名の注記文字の大きさやスタイルで区別されている。こうした鉄道関連項目の他に、行政界、県名・コード、水部を付加して、路線の地理的位置が明確にされているし、背景に入れられた地勢のぼかしで、白地図の場合にありがちな空々しさが和らげられているのもいい。

さらに鉄道網が集中する都市圏などには、拡大図が用意されている。掲載順に、ロレーヌ Rorraine(メス Metz、ナンシー Nancy 周辺)、パリ地域 Région parisienne、北部 Nord(リール Lille 周辺)、リヨン Lyon、ストラスブール Strasbourg、マルセイユ Marseille の6か所に上る。この冊子版とウェブサイトで公開されているPDF版は基本的に同じ地図だ。ただし、冊子版にはボルドー Bordeaux の拡大図がなく、PDF版ではなぜかコルス(コルシカ)鉄道 Chemins de fer de la Corse の中間駅が記載されていない。

ちなみに、この地図は「フランスの鉄道地図 I-IGN刊行図」の後半で紹介したとおり、1942~43年からSNCFの資料によりIGN(フランス国土地理院)が編集・発行していた「フランス鉄道地図 Carte des chemins de fer Français」をルーツにしている。その後、印刷物の一般販売は中止され、PDFファイルだけが提供されていた。それが最近、改版されるとともに、印刷物としても復活を果たしたのだ。下記に新刊の表紙に使われたエリアの新旧3代の地図を掲げた。主たる表示内容は一貫しているが、表現法はずいぶんと洗練されてきたことがわかる。

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フランス鉄道地図(印刷物) 1978年版
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全国鉄道ネットワーク地図(PDF版) 2007年版
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鉄道ネットワーク地図 2013年版
地図帳表紙の一部を拡大
 

冊子版は下記の構成になっている。

・RFF社長の挨拶文 Le mot du président
・数字で見る国内鉄道路線網 Le réseau ferré national en quelques chiffres
 ヨーロッパ第2位の路線延長などファクトの記述とともに、総列車本数、旅客列車本数、貨物列車本数を線幅で図示した地図3点を含む

・路線網の近代化 La modernisation du réseau
 主要な改良個所を事業中と計画中に分けて図示した地図1点。
・ヨーロッパの高速線 L'Europe de la grande vitesse
 フランスとその周辺国の高速鉄道の整備状況を図示した地図1点。RFFのサイトにあるPDF版「ヨーロッパの高速鉄道ネットワーク Le réseau grande vitesse européen」と同じもの。

・(下記鉄道ネットワーク地図の)索引地図と凡例 Tableau d'assemblage
・鉄道ネットワーク地図、拡大図 Cartographie du réseau ferré, Agrandissements
 上述の全国鉄道地図23ページ、都市圏等拡大図5ページ
・駅名索引 Index des gares

約40MBの大容量とはいえPDF版が簡単にダウンロードできるので、わざわざ冊子を買う必要性は薄いのだが、場所の特定に役立つ駅名索引は、冊子版だけの特典だ。ところでこの冊子、一つ難があるとすれば、無線綴じ製本で、のどいっぱいに開くことができず、そのため地図の一部が隠れて読めないところだ。地図帳の造りとしては少々お粗末ではないだろうか。

この地図帳を含め、テリトワール社の刊行物は自社サイトのショッピングサイトで扱っており、日本へも送ってくれる。

■参考サイト
イティネレール・エ・テリトワール社 http://www.itineraires-et-territoires.com/
 オンラインショップは、acheter en ligne (buy online) から

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