コンターサークル地図の旅-玉川上水(鷹の台~高井戸)
2026年3月29日、玉川上水沿いを歩くコンター旅の2日目。昨日ゴールした西武国分寺線鷹の台駅から、中央道高井戸ICの手前にある開渠区間の終点まで行く。(1日目の行程は前回参照)
![]() 玉川上水のヤマザクラ 小金井・平右衛門橋から西望 |
![]() 玉川上水ルート概略図 |
![]() 図1 玉川上水中流部周辺の1:200,000地勢図 (2012(平成24)年編集) |
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朝からいい天気だ。気温も昨日より明らかに高くて、もう上着は必要ない。少し早く駅に着いたので、付近を散策して集合時刻の9時に戻ると、改札前に中西さんと森さんの姿があった。まもなく大出さんも加わり、4名で出発。
上水の両岸には、小平監視所以来のうるわしい緑道がまだ続いている。とりわけ左岸(北側)は、新堀(しんぼり)用水が並走する分、緑地の幅が広い。それに、点在する公園や大学のキャンパスを覆う木々も視界に重なって、まるで深い森の中にいるように錯覚する。
都道17号所沢府中線の久右衛門橋から上水の水面を覗き込むと、墨色の肌を光らせた大きな真鯉がうようよいた。人の気配がすると餌を期待して集まってくるのだろう。流れているのは再生水(下注)だが、魚も棲める水質が保たれているということだ。
*注 1986年以来、小平監視所から下流では、昭島市の下水処理場で浄化した再生水が流されている。
![]() 並走する新堀用水(左)と玉川上水(右) |
![]() (左)春の陽が差し込む緑道 (右)水路の真鯉たち |
![]() 図2 1:25,000地形図に歩いたルート等を加筆 鷹の台~茜屋橋 |
少し行くと緑道脇に、玉川上水立坑と記されたコンクリート造の小屋が建っていた。これだけでは謎の施設だが、鉄扉に「列車通過中 扉の開閉注意」とあるのがヒントだ。答はJR武蔵野線小平トンネルの立坑入口で、地図を見ると、津田塾大の東側を南北に走っているトンネルの直上にある。上水の開渠区間と交差する鉄道のなかで唯一、姿を見せない武蔵野線だが、意外な手がかりを地上に残している。
![]() (左)武蔵野線の立坑(4月撮影) (右)大木の間を縫って |
まもなく小川水衛所跡にさしかかる。堀割がそこだけ広がり、ウッドデッキの一段下に木漏れ日のさす休憩地があった。水辺近くまで降りられる場所は貴重だ。グレーの真鯉たちに混じって、白地に黒のまだら模様の錦鯉も元気に泳いでいる。
ここは江戸時代に、上水を管理する番人が詰める「水番所」が置かれたところだ。明治に入り水衛所と改称されたが、同じように水路の点検や清掃を担う事務所として、1965年の淀橋浄水場廃止で通水が停止されるまで存続した。
![]() 小川水衛所跡(4月撮影) |
![]() (左)水辺近くに降りられる (右)真鯉に混じって錦鯉も |
水衛所跡のすぐ下手には、「名勝境界」と刻まれた小さな碑が2本並んでいる(下注)。国の名勝「小金井(サクラ)」の西端を示す目印だ。上水沿いのサクラは18世紀前半、徳川吉宗の時代に、土手の崩壊防止に加え、花弁が水の毒を消すとして植樹された。以来、小金井は花の名所として知られ、奈良の吉野や茨城の桜川とともに、1924(大正13)年にいち早く名勝に指定されている。
*注 2本は新と旧を意味するようだが、いずれも東京都の文字が見えるため、戦前のものではなさそうだ。
昨日から沿道を彩るサクラを見続けてきたとはいえ、6km東にある名勝の東端、境水衛所までの間が花見の本場ということだ。当時はまだソメイヨシノが開発されておらず、各地から取り寄せたヤマザクラが植えられた。その伝統は今も守られていて、さわやかな白い花と芽吹いたばかりの若葉のハーモニーが美しい。
![]() (左)名勝境界碑 (右)ヤマザクラはさわやかな装い |
右岸では、通行量の多い五日市街道(都道7号)が南から近づいてきて上水に張りつく。しかし、左岸はまだのどかな風景だ。一橋大の広い人工芝のコートで、練習に励む学生たちの姿がある。水路に架かる商大橋はうっかり「あきない…」と読んでしまいそうだが「しょうだいばし」で、前身である東京商科大学の記憶をとどめるものだ。
桜橋の隣を西武多摩湖線が横断している。ちょうど警報機が鳴りだしたので、多摩湖行きの9000系をカメラに収めることができた。やはり西武電車は黄色でないと…。踏切が上水の右岸にしかないため、線路の東では一時的に左岸の散策路が途切れる。100m先の八左衛門橋で再び左岸へ。
![]() 西武多摩湖線が横断 |
喜平橋では五日市街道が左岸に移ってきて、行き交うクルマの数が増える。一方の右岸も2車線道のままだ。歩く道はどちらも植込みで隔てられているものの、趣きのある散策路とは言い難くなった。植わるサクラにとっても過酷な環境だ。クルマと人に両側から踏まれて土が固まり、張った根も傷む。幹の太さの割に枝ぶりが弱々しく、樹勢の衰えがあらわな木も少なくない。
実際、名勝ともてはやされたのは遠い昔の話で、戦後の小金井桜は衰退の一途をたどったようだ。排気ガスによる大気汚染や、ケヤキなど高木の成長による被圧に加えて、1970年代の通水停止に伴う土壌の乾燥も、生育に悪い影響を及ぼした。ようやく2010年代に入り、景観再生の取組みが本格化したところだという。
![]() (左)名勝小金井桜の碑 (右)過酷な環境に立つサクラ並木 |
![]() 盛期の小金井桜(名勝小金井桜碑の説明板を撮影) |
![]() 図3 同 茜屋橋~境水衛所跡 |
東へ進むにつれ、緑道を歩く人もしだいに増えてきたが、想像していたような人出ではなかった。花見客はむしろ近くの小金井公園のほうに移っているようだ。公園最寄りの小金井橋交差点は、どの方向からもクルマが渋滞し、側歩道もまた、武蔵小金井駅方面から歩いてくる人の列がとぎれない。
公園の片隅に静態保存されているC57と旧型客車のエリアが土日だけ開放されるので、私たちも人波に混じってそちらに足を向けた。園内西側に広がる桜の園ではソメイヨシノが見ごろになり、花見や行楽の客で大いに賑わっている。確かにストレスだらけの上水べりに比べて、開放的な空間でのびのびと育つことのできた木は幸運だ。
![]() 花見客で賑わう小金井公園 |
![]() 小金井公園のC57 186号機 |
上水に戻ると、小金井橋から梶野橋まで、水路の上空を覆っていたはずの雑木や下草がきれいに刈られ、サクラの木の列だけが残されていた。景観再生のための整備の一環だろう。補植された若木も多いので、そのうち立川の見影橋で見たようなみごとな並木に育つのだろうか。
![]() 小金井橋のたもとに保存された旧橋のアーチ |
![]() 雑木が除去された水路 |
街道沿いのファミレスで昼食休憩をとった後、再び歩き出す。境橋交差点では、左に千川上水の緑地が見える。橋の下手には境水衛所跡があり、清流復活事業で任務に復した分水門が千川へ水を分けている。ここでも水路に鯉が放たれているが、小川水衛所にもまして数が多く、見るからに生存競争が厳しそうだ。
![]() 桜樹接種碑 左写真は「さくら折るべからず」と刻まれた表側 |
![]() (左)千川上水の緑地が左へ (右)境橋の親柱 |
![]() (左)境水衛所跡の分水門 (右)生存競争は厳しそう |
五日市街道は千川上水に連れ添って遠ざかり、玉川上水は穏やかな野の川の風景に戻る。細々とした緑道が、太いサクラの木の幹に遠慮しながら延びている。独歩橋という名の小橋に続いて、武蔵境通り(都道12号)が載る桜橋のたもとに国木田独歩の文学碑があった。この橋の名が登場する「武蔵野」の一節が刻まれているそうだが、彫りが浅くてよく読み取れない。
![]() (左)独歩橋 (右)国木田独歩文学碑 |
![]() 図4 同 境水衛所跡~井の頭公園 |
左側の門は、都心に水道水を供給している境浄水場だ。整然とした並木を伴い、約700mにわたって上水の北縁を占めている。緑道の幅にも余裕があるし、何より市街地が視野に入らないので、郊外へ遠足にでも来たような気分になる。
右岸に立つ品川用水の取水口跡の案内板も見に行った。西大井まで25km流れ下っていたという分水路だ。案内板の設置者が、遠く離れた品川区と武蔵野市の教育委員会の連名というのも水路が取り持つ縁だろう。
![]() 境浄水場正門 |
![]() (左)浄水場のフェンスと並木が続く (右)品川用水取水口跡 |
浄水場の東端を限る新武蔵境通り(都道12号バイパス)の橋は、親柱に「いちょう橋」と刻まれている。一方、隣の側歩道の橋は「ぎんなん橋」だ。漢字で書けば同じになってしまうから、どちらもひらがな表記が正式らしい。ぎんなん橋のほうは、路面にレールが埋め込まれているのがユニークだ。これは戦時中に建設された中島飛行機の工場引込線で、戦後、武蔵野競技場線として使われた線路の跡を記念するものだ。草に覆われて明瞭ではないが、橋台はオリジナルだという。
![]() (左)橋面にレールが敷かれたぎんなん橋 (右)オリジナルの橋台は草に覆われる |
![]() 引込線橋台跡の案内板 |
再び現れるのどかな住宅地を左手に見ながら、狭い土の側歩道をたどる。人通りが多くなってきたことに気づくころ、右から2車線の市道が合流してきた。上水は、次の三鷹通り(都道121号)を載せる欅(けやき)橋の手前で、いったん暗渠に入る。三鷹駅北口に続く緑地にも疑似水路が切ってあるが、水はほとんど流れていない。
![]() (左)欅橋交差点を東望 (右)三鷹駅北口に続く緑地の疑似水路 |
水路はJR中央線と浅い角度で交わっていて、その真上に三鷹駅がある。橋上のコンコースを伝って、南口に出た。ペデストリアンデッキの上から見下ろすと、続きの緑地帯が南東方向に延びていた。
上水が開渠に戻る三鷹橋のたもとには、旧三鷹橋の石造欄干がひっそりと設置されている。横にはなぜか昔の手押しポンプもあった。「この水はのめません」と記され、排水用のグレーチングもあるので、動態保存(?)のようだが、衆人環視のもとで試すのは勇気が要る。
![]() 三鷹駅南口東側、右奥の林が上水の続き |
![]() 旧三鷹橋の欄干と手押しポンプ |
上水は、御殿山通りと南側の市道「風の散歩道」にはさまれ、都会の風景に溶け込みながら続く。市道の途中に、太宰治の入水地を暗示した天然石のモニュメントがある。太宰の出身地、青森県金木町の特産で、玉鹿石(ぎょっかせき)と呼ばれる石だそうだ。関連して少し駅寄りに、上水に言及した作品の一節を記すプレートが設置されていた。近くには作家 山本有三の瀟洒な自宅洋館を公開する記念館もあるし(下注)、さっと通り過ぎるには惜しい界隈だ。
*注 当日は、残念ながら施設改修のため、長期休館中だった。
![]() (左)玉鹿石 (右)太宰の作品に言及するプレート |
吉祥寺通り(都道114号)の万助橋(下注)から、上水は、目の前に広がる井の頭恩賜公園の森に吸い込まれる。水路沿いから見える西園中央の芝生広場は、小金井公園と同じように、レジャーシートを広げた行楽客でいっぱいだ。私たちも木陰に腰を下ろしてしばし休憩した。
*注 表記は「万助橋」が一般的だが、橋の親柱には、由来の人名どおりに旧字体を使って「萬助橋」とあった。
ところで、今いるあたりは三鷹市と、吉祥寺のある武蔵野市の境になる。地元の人には常識だろうが、井の頭公園の西園だけでなく、吉祥寺駅にほど近い井の頭池も、実は三鷹市だ。「確かに井の頭線の駅だと、吉祥寺から東へ行くのに、井の頭公園の次が三鷹台ですもんね」と私。ここへ来る途中、案内板の地図を見て初めて気づいたが、武蔵野市と三鷹市の位置関係は東西ではなく、ざっくり北と南なのだ。
![]() 万助橋から井の頭公園へ |
![]() (左)西園のトラックと芝生広場 (右)公園内の上水緑道 |
![]() 図5 同 井の頭公園~高井戸 |
![]() 図6 図5と同じ範囲の陰影起伏図に地名等を加筆 |
公園域を出てもなお深い森のベルトは続いている。ナザレ修女会の裏庭を開放した静かな緑地を右手に見送ると、明星通りが渡る新橋だ。比較的直線で進んできた上水だが、ここで牟礼(むれ)残丘にぶつかる。これは、一帯に広がる武蔵野面より一段上の下末吉(しもすえよし)面に属する古い段丘だ。標高は60~65mで、周囲に比べて10m前後高い。
上水は、牟礼の古い集落があった残丘の南面を避けて、神田川斜面である北面の中腹に通された。こちらは神田川(とその支流)の浸食による起伏があるため、水路は一転、右に左に蛇行を繰り返すようになる。今や周囲はすっかり住宅街だが、水路沿いの道は右岸の方が高いし、雑木林の牟礼園地も傾斜地で、残丘の地形を感じ取ることができる。
![]() (左)公園を流れ下る上水 (右)ナザレ修女会裏の緑地 |
![]() (左)シングルアーチの宮下橋 (右)右岸に残された緑地、牟礼園地(4月撮影) |
斜面をたどる静かな森の道は、人見街道(都道14号)の牟礼橋で終わる。斜めに渡る橋の上流側に、小さな石橋と土道が残されていた。草に埋もれた石碑によれば「どんどん橋」というらしい。
牟礼橋からは、再び平坦な武蔵野面を直線的に走る区間だが、右手から来た東八道路(都道14号バイパス)の上下線に両側からはさまれる。首都高につながる道路なので、喧騒に包まれるだろうと予想していたが、意外に歩きやすい道だった。幅広の緑地帯がそっくり残されているし、緑道もゆったりとして、隣の車道から受ける圧迫感がないのだ。それに、枝ぶりのいいサクラ並木の下で、上水の花見を締めくくることもできたし…。
![]() (左)牟礼橋の傍らに残るどんどん橋 (右)東八道路に挟まれる上水緑道 |
![]() 幅広の緑地帯を彩るサクラ |
この道を1.3km進んで、16時5分ごろ、浅間橋(跡)の手前にある開渠区間の終点にたどり着いた。小平監視所から延々流れてきた水は、フィルターを介して暗がりに吸い込まれていく。この後は地下を通って、高井戸の佃橋で神田川に放流されているそうだ。水路を失った跡地には、右手からやってきた中央道の高架橋が覆いかぶさり、潤いある景観は途絶えてしまう。
鷹の台駅から約15km、2日目の旅を無事終えた私たちは、最寄りの京王井の頭線富士見ヶ丘駅へ出て、そこで解散とした。
![]() (左)開渠区間の終点 (右)この先は中央道の高架橋が覆いかぶさる |
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図東京(平成24年要部修正)および地理院地図(2026年4月5日取得)を使用したものである。
■参考サイト
東京都水道局 https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/
むさしのの都立公園 https://musashinoparks.com/
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