2020年2月22日 (土)

イギリスの地形図略史 II-1インチ図の展開

230年に及ぶ歴史の中で、オードナンス・サーヴェイ Ordnance Survey (OS) の看板商品である1マイル1インチ図(以下、1マイル図という)とその後継である1:50,000図の仕様にはさまざまな変遷があった。下表はその一覧だが、印刷技術の進歩や利用者のニーズの動向を反映して、特に20世紀前半に様式の頻繁な変更が試みられている。また、イングランドおよびウェールズと、スコットランドは第二次世界大戦まで別の体系で作成されていた。それぞれシリーズやエディションの名で呼ばれているので、時代順にその背景や特徴を見ていこう。

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OS 1インチ図および1:50,000のシリーズ一覧

オールドシリーズ Old Series

「オールドシリーズ」は、前回紹介したとおり、OS最初の1インチ図群だ。初めてOS名で刊行された1805年のエセックス州図(図番1、2、47、48)を皮切りに、1870年代まで約70年の間作り続けられた。銅版刷、墨1色の地形図で、地勢はケバで表されている。

おりしも産業革命で都市化が進む時期に当たるが、特に初期の図にはまだ多くの山野が残り、昔ながらの村里が点在している。カッシーニ出版社の復刻図の解説者は、このシリーズについて「数世紀前の農耕期から20世紀の劇的な都市化に向かう重要な推移の前夜に関するイギリスの記録である」と言っている。

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1インチ「オールド・シリーズ」
93 NE York 1858年(部分)
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「オールドシリーズ」は、イングランドとウェールズを網羅するが、図郭や図番は、途中で方針が変更されたため、不揃いなものとなった。まず図郭は、最初に作業が行われた南東部でグリニッジ0度を基準に配置されたが、後の南西部では西経3度を基準に整列された。そのため中央部の図郭にしわ寄せが来て、東西方向が他よりかなり狭くなっている。

また、これを北に延長していくと極端に細長い図郭が生じてしまうため、北部(図番91~94より北側の図郭)は、新たな基線プレストン~ハル線 Preston to Hull line を用いて測量することになった。オールドシリーズの索引図はこの3者の接合体だ。さらに、1面が大きく扱いにくかったので、中期以降は、本来の図郭を4等分した縦12×横18マイル(約19×29km、下注)の範囲の小型図郭で刊行された。

*注 実長1マイルが図上1インチで表されるので、図面の寸法は12×18インチ(30.5×45.7cm)になる。

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イングランド及びウェールズの
1インチ「オールドシリーズ」索引図
image from www.charlesclosesociety.org, © Chris Higley, 2013
 

図番は1から110まで通しで振られているが、初期の南部が南北方向の千鳥式付番、その後手掛けた中部と北部は東西方向の千鳥式と、まるでパズルのようだ。4等分図郭はこれにNE(北東部)、SE(南東部)、NW(北西部)、SW(南西部)の区別がつく。

なお、スコットランドの1インチ図整備は1856年からで、「オールド」に対応するグループはない。

ニューシリーズ New Series

イングランドとウェールズの混沌とした旧体系を整理したのが、1872年に刊行が始まった「ニューシリーズ」だ。その図郭は、もともとプレストン~ハル線の北側で設定されていた既存の4等分図郭を南へ延長した形になっている。小図郭が全面的に採用されたのは、石版から亜鉛版への移行で単位部数あたりの印刷コストが低下したことが背景にある。図番は北西端を1として、東へそして南へと通しで振られた。

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イングランド及びウェールズの
1インチ「ニューシリーズ」~「第4エディション」の索引図
image from www.charlesclosesociety.org, © Chris Higley, 2013
 

この頃には1マイル6インチ図(1:10,560)や同25インチ図(1:2,500)などの大縮尺測量がかなり進行しており、1インチ図はその成果を用いて編集されている。地勢表現には等高線(下注)が用いられ、これを「アウトライン版 Outline edition」と呼ぶ。さらにケバを茶色で加刷したいわゆる「ヒルズ(山または丘陵)版 Hills edition」も刊行されたが、予算不足のため、一部の図葉にとどまった。

*注 等高線は標高50フィート(約15m)に1本引かれた後、1000フィートまで100フィート(約30m)間隔、その後は250フィート(約76m)間隔で引かれた。

一方、スコットランドでは、このニューシリーズに対応する形で、「第1エディション First Edition」の刊行が1856年から開始されている。1面で縦18×横24マイル(約29×39km)の範囲を表し、イングランドの小型図郭より一回り大きい。等高線で地勢を表現したアウトライン版と、等高線の代わりにケバで起伏を描いたヒルズ版の2種の形式で刊行された。

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スコットランドの
1インチ図「第1エディション」~「第3エディション」索引図
image from www.charlesclosesociety.org, © Chris Higley, 2013
 

改訂ニューシリーズ Revised New Series

OSの現状を調査し報告するために1892年に設置されたジョン・ドリントン卿 Sir John Dorington を長とする委員会は、OSの測量業務に関していくつかの重要な提案をした。その一つが、それまで大縮尺図の整備に合わせて行っていた1インチ図の改訂を、専任の測量隊により独立して実施させることだった。交通網の発達や市街地の急速な拡張で、既存図の内容は時代遅れになっており、更新サイクルを15年以内にして、できるだけ現況を反映させようとした。

翌年から改訂作業が始まり、1895年からその成果が続々と刊行されていった。これが「改訂ニューシリーズ」で、1899年までにアウトライン版がイングランドとウェールズをカバーした。ケバを黒または茶色で加刷したヒルズ版も、ほとんどの地域で作成された。

図郭はニューシリーズと同じだが、地図記号には異同がある。たとえば、鉄道記号は複線以上と単線が区別されている。従来の梯子型は単線に用いられ、1つおきにコマを黒塗りした旗竿型を複線の記号とした。

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1インチ「改訂ニューシリーズ」234 Gloucester
(上)アウトライン版
(下)ヒルズ版
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改訂ニューシリーズでは、1897年から刊行されたカラー版が特筆される。初期は5色刷りで、地物・注記には黒、等高線に赤、地勢を表すケバに茶色、水系に青、道路の塗りに黄褐色か赤茶色を配した。1901年からは、さらに森林の範囲に緑色のアミを掛けて、6色刷りとした。なお、複線鉄道の記号が旗竿から黒い太線に変えられたのは、このカラー版からだ。

地図を折り畳んで、厚紙のカバーをつけるという今日のOS地図の方式も、このシリーズで始まった。もともとこれはスイスで1870年に開発されたもの(下注)で、色分けにより地形や地物の可読性が高まり、カバーつき折図で野外への携帯が容易になるとして、陸軍省が早期の実現を求めていた。だが実際に刊行されると、軍以上に一般市民に好評で、販売の重点もそちらに置かれるようになる。

*注 スイス最初の多色刷地形図、ジークフリート図については、「スイスの地形図略史 II-ジークフリート図」で詳述。

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改訂ニューシリーズの表紙
(左)イングランド及びウェールズ版
(右)スコットランド版
photo from www.charlesclosesociety.org
 

スコットランドでは、1896年から「第1」と同じ図郭で「第2エディション Second Edition」が刊行され始めた。等高線で地勢を表現するアウトライン版と、暗褐色のケバを加刷したケバ版の2種類がある。

第3エディション Third Edition

イングランドとウェールズでは、2度目の全国改訂が1901~12年に行われ、その成果が1903年から刊行された。地図自体はニューシリーズとほとんど変化がないが、見出しに「Third Edition」と記されていることから、第3エディションの名で呼ばれる。これもカラー版があるが、従来の縦12×横18マイルを範囲とする小型図郭は途中で放棄され、1906年から縦18×横27マイル(約29×43km)の大型図郭に移行した。

スコットランドにも「第3エディション」があり、1905年から7色刷のカラー版が登場している。オークニー Orkney やシェトランド Shetland などの島嶼部は、図郭を結合した集成版で刊行された。

第4エディション Fourth Edition

同じく3度目の改訂を反映したものを「第4エディション」と呼ぶが、後述する1911年の方針変更で放棄されたため、一部の図葉が刊行されただけに終わっている。

ポピュラーエディション Popular Edition

次の第4次改訂では、等高線とケバにぼかし(陰影)も加えて、12色刷りの精巧な地図にする予定だった。しかし、1914年の第一次世界大戦勃発で計画は中止を余儀なくされた。戦後再開された作業では、製作費や時間を節約するために、等高線のみのシンプルな地勢表現で改訂を進めることになり、1919年から刊行が始まった。イングランドとウェールズ全146面で、戦間期のイギリスを記録する図像資料だ。

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ポピュラーエディションの表紙
(左)イングランド及びウェールズ版
(右)スコットランド版
photo from www.charlesclosesociety.org
 

地図カバー(上の写真参照)にも記されているとおり、内容は「等高線を描いた道路地図 Contoured Road Map」になっている。開発の背景には、戦後の旅行ブームがある。戦争の緊張が去り、一方で自動車の量産も始まったことで、個人で気軽に遠出できる環境が整いつつあった。19世紀の地形図は主として軍事上の必要性から製作されており、市販品はあくまで軍用図の払い下げの位置づけだった。ところが、旅行のための地図の需要が高まったことで、民間市場に特化した製品への方向転換が始まったのだ。敢えて「第5エディション」(下注)と言わず「ポピュラーエディション Popular Edition(大衆版の意)」と名付けられた理由も、そこにある。

*注 後述のように、「第5エディション」は次の第6次改訂を指す用語になる。

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1インチ「ポピュラーエディション」
107 N. E. London 1914年
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同 107 N. E. London 1914年
 

「ポピュラーエディション」の特徴を一言でいうと、わかりやすさだ。図郭は、第3エディションの大型(18×27マイル)が踏襲されたが、内陸部は図郭の重複が排除され、歴史的に最も整った索引図となった。等高線は50フィート間隔で描かれ、ケバを伴わない分、地物や注記が明瞭に読み取れ、すっきりした図面に仕上がっている。

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イングランド及びウェールズの
1インチ「ポピュラーエディション」索引図
image from www.charlesclosesociety.org, © Chris Higley, 2013
 

道路地図としては、高速走行に適した道路に赤、通常の道路に黄色、それ以外の道は黄色の縞と塗分けることで、利用者の経路選択を手助けしている。また、遠出に欠かせない鉄道駅については専用の記号も登場した。以前は線路記号に沿わせた黒抹家屋に Station ないし Sta. と注記するだけだったが、ターミナルには矩形、それ以外には円の記号を付し、目立たせるために後の版では赤で塗られた(下図参照)。

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「ポピュラーエディション」の凡例
 

カバーに、エリス・マーティン Ellis Martin が描くイラストを配置したことも特筆される。木の茂る谷を見下ろし、穏やかにパイプをくゆらせながら一休みしているサイクリスト(傍らに自転車が描かれている)の絵柄は、大衆向けの製品であることをアピールするとともに、人々をまだ見ぬ土地への旅に誘った。

野外での酷使に耐えられるように、地図にはリネン(亜麻布)で裏打ちされた紙が使われており、その他、耐水紙を使用したもの、地図を別々のパネルに切り分けたうえでリネンに張り付けたもの(下注)も見られる。

*注 いずれも地図カバーに記載があり、裏打ち紙は Mounted on Cloth、耐水紙は on Place's Waterproof Paper、切り分け式は Dissected などと書かれている。

スコットランドでも、同時期に「ポピュラーエディション」が作成されている。全92面で、図番はスコットランド内で完結する。ただし、「国」境に位置するイングランドの図番3と5はスコットランドの図番86と89を兼ねているので、グレートブリテン島全体で見た場合は2面少なくなる。また、各図葉に1マイル程度の重複を持たせているのはスコットランド独自の仕様だ。

カバーは、イラストではなく、スコットランド王室の紋章をあしらった独自のデザインが用いられた。

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スコットランドの
1インチ「ポピュラーエディション」索引図
image from www.charlesclosesociety.org, © Chris Higley, 2013
 

第5エディション Fifth Edition

イングランドとウェールズでは1928年から1インチ図の全国改訂が行われ、1931年から「第5エディション」の刊行が始まった。特徴の一つは、図法(投影法)の変更で、従来のカッシーニ図法に代わり、今も続く横メルカトル図法 Transverse Mercator projection が採用されたことだ。

「第5」では、第一次大戦前に計画されながら中断していたぼかし(陰影)つきのバージョン(地図カバーに Fifth (Relief) Edition と表記)が実際に刊行された。1インチ図としては例外的に美しい図面ではあったが、価格が高くなったため、利用者の評判は良くなかった。それで1934年から、ぼかしのない廉価版も刊行されることになった。

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1インチ「第5エディション」ぼかし版
144 Plymouth 1928~29年
 

2種の異版が容易に識別できるように、カバーの背景は、前者の赤に対して、後者は青色になっている(下の画像参照)。予算不足で刊行が遅れたため、1937年から大型図郭を導入して、早期の完成を目指した。しかし、第二次世界大戦の勃発で計画が中断され、結局完成したのは30面強と、イングランドの1/5をカバーするにとどまった。

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第5エディションの表紙
(左)ぼかし(陰影)Relief 版は赤表紙
(右)アウトライン Outline 版は青表紙
photo from www.charlesclosesociety.org
 

第二次大戦後の動向については、次回詳述する。

本稿は、Tim Owen and Elaine Pilbeam, 'Ordnance Survey: map makers to Britain since 1791', Ordnance Survey, 1992; Chris Higley, "Old Series to Explorer - A Field Guide to the Ordnance Map" The Charles Close Society, 2011; Richard Oliver, 'Ordnance Survey maps: a concise guide for historians' Third Edition, The Charles Close Society, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
Ordnance Survey http://www.ordnancesurvey.co.uk/
The Charles Close Society https://www.charlesclosesociety.org/
National Library of Scotland - Maps https://maps.nls.uk/
Stanfords http://www.stanfords.co.uk/
Cassini publishing http://www.cassinimaps.co.uk/

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2020年2月14日 (金)

イギリスの地形図略史 I-黎明期

まずは下の絵葉書をご覧いただきたい。中央に配置されているのは、イギリスの測量機関オードナンス・サーヴェイ Ordnance Survey(略してOS)の創設200年を記念して1991年に発行された切手(4種セットのうちの1枚)の拡大図だ。オリジナルの24ペンス切手は右側に貼られ、初日印が押されている。

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OS創設200年記念切手の初日印はがき
 

地図は、イングランド南東部、ケント州にあるハムストリート Hamstreet という小村の18世紀末ごろの姿を描いている。これは、OSが創設後初めて刊行した1マイル1インチ地形図(以下、1インチ図という。下注)の一部分だ。

*注 実長1マイル(1609.344m)を図上1インチ(25.4mm)で表す地形図。分数表示では 1:63,360になる。

OSは、政府の一機関であった軍需局 Board of Ordnance(下注)の測量部門を発祥とする。Ordnance Survey という組織名もこれに由来しており、日本語に訳すときは旧 陸軍の「陸地測量部」を当てるのが慣わしだ。組織の成立過程は、イギリスにおける地形測量と地図作成がたどった歴史に他ならない。

*注 ordnance は、兵器などの軍需品を意味する言葉。軍需局はもともとロンドン塔にある王室の兵器庫の管理部局だったが、やがて陸軍や海軍に軍需品その他の装備を供給し、国内外の兵器庫や要塞を所管する大規模な政府組織に発展した。

話の発端は1745年、スコットランドで起きたジャコバイト軍の蜂起(下注)だ。そのとき、軍需局副局長であったデイヴィッド・ワトソン David Watson は、作戦用の詳細な地図の必要性を痛感していた。この地方を表す地図は1680年代の測量に基づくものしかなく、縮尺もまちまちで非常に不完全だったからだ。ワトソンは、カンバーランド公爵ウィリアムにそのことを進言した。

*注 1688~89年の名誉革命で追放されたカトリック勢力であるジャコバイト軍が、王位回復を狙って起こした内乱。

最後の戦い(カロデンの戦い Battle of Culloden、1746年)でイギリス軍が勝利した後、国王からの裁可が下り、カンバーランド公爵の命で1747年からスコットランドで軍用測量が始まった。実務の進行を委ねられたのは、ワトソンの有能な民間人助手であったウィリアム・ロイ William Roy だ。彼が率いた6個の測量隊による精力的な作業の結果、1752年にハイランドの大半が、1755年までにスコットランド南部の地図が完成する。図上1インチが実長100ヤードになる縮尺1:36,000で描かれたこの地図群は、後に「カンバーランド公爵図 Duke of Cumberland's Map」と呼ばれるようになる。

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カンバーランド公爵図 インヴァネス周辺
(c) The British Library Board
 

その後、ロイは英国陸軍工兵隊 Royal Engineers に籍を置き、イングランド南部その他の測量などに従事するが、とりわけ彼の名を高らしめたのは、晩年に指揮したグリニッジとパリの両天文台間の相対位置の測定、いわゆる英仏測量 Anglo-French Survey だ。1784年から1790年にかけて実施され、その結果、英仏海峡をまたぐ広域の三角測量網が構築された。

三角測量を始めるには、まず地上の見通しの利く土地に基線 Base Line を設定し、その正確な長さを測定する必要がある(下注)。最初の基線は、ロンドン西郊ハウンズロー・ヒース Hounslow Heath に設けられた。

*注 基線は測量の基準となる三角形の一辺。基線の長さが決まれば、その両端から見通せる任意の一地点への角度を測定して、地点の座標値(経緯度)を求める。

下図は、時代が下がって1945年の1インチ図だが、基線がまだ「General Roy's Base(ロイ将軍の基線)」の注記とともに破線の記号で描かれている。図にはまた、基線西側のヒースロー Heathrow 集落周辺に「Aerodrome(飛行場)」という注記が見つかる。第二次世界大戦後これが拡張されてイギリス最大の国際空港になり、今ではその敷地が基線を横断してしまっている。

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General Roy's Base の注記がある1インチ図
170 London SW 1945年
(c) The British Library Board
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上図と同じ範囲の現在図
基線の北端をヒースロー空港の用地が横断
Image from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ロイは1790年に亡くなるが、1年後の1791年、軍需局は、彼が確立した三角測量網に基づき、イングランド南部の地図作成に着手した。作業に用いるラムズデン経緯儀が新たに購入され、OSの沿革年表はこのことをもって組織創設の承認としている。

イングランド南部を最初に手掛けた理由は、ほかでもない。海を隔てたフランスでその頃、封建制を崩壊させた市民革命、いわゆるフランス革命(1789~99年)の嵐が吹き荒れていたからだ。とどまるところを知らない勢いに周辺諸国は深刻な脅威を感じ、対仏同盟を結成して牽制した。1793年、イギリスはフランスから宣戦布告を受ける。南東海岸は、フランスが侵攻してきたときに防衛の最前線となるため、地図作成は急務だった。

1795年に、リッチモンド公爵 Duke of Richmond の資金により、進行中の測量成果を使ってサセックス州 Sussex の1インチ図が刊行されている。続くケント州 Kent の実測は1マイル6インチ(1:10,560)の精度で始めたものの、作業を加速させるために途中から1マイル3インチ(1:31,680)に落とされた。こうして描かれた原図は、1マイル1インチ(1:63,360)に縮小編集のうえ、銅版印刷に付された。

OS最初の1インチ図とされるケント州図4面は1801年に完成した。ただし、この図の刊行者名はOSではなく、サセックス州図と同じく宮廷地理学者W・H・フェイドン W. H. Faden だ(下注)。また、地図には隣接州域が描かれず、空白にされている。こうした仕様の違いから、後世の分類では、作業を指揮したOS長官ウィリアム・マッジ William Mudge の名にちなみ、「マッジ図 Mudge map」と呼ばれ、1インチ図の初期シリーズ「オールドシリーズ Old Series」には含まれない。

*注 OS自体が刊行するのは下掲のエセックス州図からだが、名義は「三角測量部 Trigonometrical Survey」だった。OSの名が初めて記載されるのは、1810年刊行のワイト島 Isle of Wight 図(オールドシリーズ第10面)。

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ケント州全図
マッジ図を1/2に縮小(=1インチ2マイル)し、原図4面を1面にまとめた集成図
1807年刊行のため、隣接する州のエリアも描かれている。

Image from http://www.mernick.org.uk/cc/kentmap/
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上図の部分拡大
 

テムズ河口の南側に位置するケント州の次は、河口北側のエセックス州 Essex が作成対象とされ、1805年に完成した。続いて1809年にはデヴォン州 Devon の図ができあがった。こうして1820年ごろには、イングランドとウェールズの1/3で図化が終了した。すでに1795年ごろには測量事業をイングランド全域、可能ならイギリス全土に拡大するという遠大な構想が立てられており、各図にはそれを踏まえた全国規模の図番が振られた。

その1820年、急逝したマッジの跡を継いで2代目のOS長官 Director General に就任したのが、トーマス・コルビー Thomas Colby だ。彼はマッジの助手として、以前から測量作業に携わっていた。

次の対象地域は、1801年にイギリスに併合されていたアイルランド島だった。測量は1824年から始まり、コルビーは現地に滞在して、直接指揮に当たった。新しい計測器具(下注)を導入し、地名の系統的な収集法を確立するなど、地図作成技術の進歩にも貢献した。長官職にありながらも、彼は相変わらず測量隊と、山野を渡り歩く長旅を共にする。そして作業が終わりに近づくと、巨大なプラムプディングを用意して山頂で慰労会を催すのを信条としていたという。

*注 コルビーの補正棒 Colby's compensation bars として知られる。

アイルランド島の計画は、全域を1マイル6インチの縮尺(以下、6インチ図)でカバーするという壮大な規模で、1846年までかかった。

冒頭で述べたように、地形図の作成は当初、軍事目的だったが、しだいに国内の民生需要も高まった。その背景の一つは、鉄道の建設ブームだ。知られているように、ジョージ・スティーブンソン George Stephenson が自作の蒸気機関車ロコモーション号で、ストックトン~ダーリントン間に鉄道を開業したのは1825年だ。続くリヴァプール=マンチェスター鉄道の成功で、1830年代半ばには最初の鉄道ブームが起き、1840年代には支線網の建設が熱を帯びる。こうした鉄道路線のプランニングに、OSの正確な測量図が活用された。

別の背景としては、1836年に成立した十分の一税転換法がある。これは古代からタイズ Tithe、すなわち十分の一税と呼ばれ継承されてきた物納制(下注)を、金銭での支払いに置き換える税制改革だが、実行には、課税対象となる土地の境界を示す地図の整備が不可欠だった。

*注 十分の一税は本来、土地の農作物や漁獲物の1割を教区牧師に寄進していたのが由来。修道院の解散等により、世俗地主がこれに代わった。

しかしそれには、1インチでは精度が足りず、アイルランドと同様に、グレートブリテン島でもより詳細な地図の必要性が叫ばれるようになる。1840年からOSは、6インチ図作成に着手する。翌1841年には陸地測量部法 Ordnance Survey Act が制定され、測量目的であれば測量士が私有地に立ち入ることができる法的権利が与えられた。

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6インチ図
Gloucestershire XXVIII.NE 1882~83年
This work is based on data provided through www.VisionofBritain.org.uk and uses historical material which is copyright of the Great Britain Historical GIS Project and the University of Portsmouth 

1854年からは農村部でさらに詳細な1:2,500(実長1マイルが図上25.344インチになるため、25インチ図と呼ばれた)の整備も始まった。この頃、どの縮尺を基本図とすべきかについては、6インチ派と1インチ派の間で長い論争があったものの、比較的広域を1面に表せる1インチ図は、これら大縮尺図からの編集で存続することになる。最終的にイングランドとウェールズで1インチ図刊行が完了するのは1870年、スコットランドでは1895年のことだ。

その後の1インチ図の展開については、次回に。

本稿は、Tim Owen and Elaine Pilbeam, 'Ordnance Survey: map makers to Britain since 1791', Ordnance Survey, 1992; Chris Higley, "Old Series to Explorer - A Field Guide to the Ordnance Map" The Charles Close Society, 2011; Richard Oliver, 'Ordnance Survey maps: a concise guide for historians' Third Edition, The Charles Close Society, 2013 および参考サイトに挙げたウェブサイトを参照して記述した。

■参考サイト
Ordnance Survey http://www.ordnancesurvey.co.uk/
The Charles Close Society https://www.charlesclosesociety.org/
National Library of Scotland - Maps https://maps.nls.uk/
Stanfords http://www.stanfords.co.uk/
Cassini publishing http://www.cassinimaps.co.uk/

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2018年12月31日 (月)

オーストリアの新しい1:250,000地形図

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1:250,000地形図表紙
ウィーン 2011年
 

1:50 000更新停止の断を下したわが国の例を引くまでもなく、官製地形図の印刷物刊行は世界的に見ても縮小傾向にある。デジタルデータで提供するほうが、多様化している利用形態に適応しやすいとか、製作・流通にかかるコストが削減できるといった点で、有利とみなされているのは明らかだ。

しかし、オーストリアの測量局BEV(連邦度量衡測量庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)は、今のところその趨勢に与していない。もともと地形図の種類(縮尺)が少なかったという背景があるとはいえ、基本的な印刷図の提供体制が維持されているからだ。ただし、細部には変化があり、19世紀以来の歴史をもつ1:200,000は最近、新しい1:250,000地形図に置き換えられた。そこで今回は、この新シリーズの内容を見てみよう。

BEVの公式サイトで新たな印刷地図の刊行が告知されたのは、2011年6月8日だった。それはオーストリア全土をカバーする1:250,000地形図で、12面から成るというものだ。当時、さっそくウィーンの地図商フライターク・ウント・ベルント Freytag & Berndt に注文を出して、実物を数点取り寄せた。

新しい地形図は横91cm×縦57.5cmの用紙サイズで、通常折図で販売されている。表紙のシンボルカラーには、1:25,000の緑、1:50,000の青、1:200,000のオレンジに対して紫色があてられ、図名の都市を象徴する風景写真が配されている。地図の図郭は、経度2度×緯度1度の横長サイズ、すなわち旧1:200,000区分図の2面分に相当し、図番は、1:1,000,000(100万分の1)国際図の図郭を基にしたもの(例:ウィーン図葉はNM33-12)になった。

座標系は、UTM(ユニバーサル横メルカトル)系のETRS89に切り替えられている。これで、先行して2002年から刊行されていた1:50,000や1:25,000の新版(ÖK50-UTM、ÖK25-UTM)と、ようやく足並みがそろった。隣接図葉との間に図上2cm程度の重複を持たせ、図の上端と右端が断切り(たちきり)にされ、貼合せの便が図られているのも同じ体裁だ。

旧1:200,000と比べると、地図は淡泊な印象を受ける。その原因は、色や文字書体の使い方にあるだろう。森林を表すアップルグリーンは薄めのトーンにされ、地名注記の書体も細身のものに変えられたからだ。一方、等高線にぼかし(陰影)という地勢の表現方法は踏襲されている。等高線の版は旧1:200,000と同じデータのように見えるが、アルプスなどで広範囲に現われる露岩の描写は新たに書き起こされている。

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1:200,000図(左)と1:250,000図(右)の比較
インスブルック周辺
© BEV, 2011
 

地図記号で最も目立つ違いは市街地の描写だ。旧1:200,000の場合、黒抹家屋か総描家屋が丁寧に置かれていたが、新図ではローズピンクの面塗りで、外郭線はかなり大雑把、その上に載る市街地の道路網も最小限度しか描かれていない。また、小さな集落は大小の円を用いて、位置を示すにとどまる。

ただしこれは市街地の話で、郊外では、道路番号や区間距離、インターチェンジの名称、サービスエリア、パーキングの位置など、旧1:200,000にはなかった情報の地図記号が追加され、道路地図の要件を付与されている。

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1:250,000 凡例の一部
 

新1:250,000の刊行が始まった時点では、まだ従来の1:200,000州別図がカタログに残っていた。近似した縮尺の地形図が並行して販売される形になり、唐突感とともに、驚きと戸惑いを覚えたものだ。そのうち1:200,000の記述は消え、1:250,000に一本化されたのだが、なぜ地図の縮尺が変更されたのだろうか。

実のところBEVは、1:200,000の紙地図を刊行する傍ら、ここしばらく1:250,000のデジタルデータベースも作成していたのだ。これには、欧州各国の測量機関が参加するユーロジオグラフィクス EuroGeographics という組織が関係している。そこでは欧州の空間データ基盤のコンポーネントとして、ユーロリージョナルマップ EuroRegionalMap と呼ばれる1:250,000の汎用ベクトルマップが運用されており、参加機関はそれに対して、収集した地理情報データを供給しなければならない。従来1:200,000を維持してきたオーストリアやドイツのような国も例外とはいかず、二重の編集作業を強いられていた。そこでBEVは体制を見直し、印刷図もこのデータベースからの出力、すなわち縮尺1:250,000で刊行することにしたのだ。

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1:250,000索引図
 

新図にはもう一つ、注目すべき特徴がある。公式サイトの紹介ページにこう書かれている。「(このシリーズは)軍事地理研究所 Institut für Militärisches Geowesen (IMG) の協力を得てBEVによって製作され、民生用であるとともにオーストリア軍の公式軍用地図としても使われる。内務省の国家危機災害対策局 Staatlichen Krisen- und Katastrophenschutzmanagement (SKKM) は、すべての危機対応組織に対して、この地図製品を計画と活動の基本資料として推奨している。」

軍用地図の証拠として、地図記号のなかに、橋梁の重量制限、道路の狭隘個所、桁下制限高、3段階に分類された道路勾配表示といった汎用図には珍しいものが含まれる(下注)。大型あるいは重量のある軍用車両が通行できるかどうかを示すのが目的で、こうした行軍用の情報は、旧社会主義国の地形図におびただしく盛り込まれていたのを思い起こさせる。

*注 道路整備が行き届いているからか、図中でのこうした記号の使用例は、勾配表示を除けばごく少ない。

しかし、紹介文から読み取るかぎり、これは軍事作戦に向けたものというより、国家組織が担う災害救援活動などへの活用を意図しているようだ。地形図を民軍共用にする方針は隣国ドイツも同様で、すでに大半が切り替えられている(下注)。各国で機能統合が進む背景には、電子地図の普及と進化により、印刷図の需要減退に直面している測量局の危機感があるのだろう。

*注 ドイツの1:250,000については、「ドイツの新しい1:250,000地形図」参照。

オーストリアの地形図体系の改革は、欧州基準に準拠した新しい1:250,000の刊行によって、一段落した感がある。1:250,000地形図は3年ごとに更新されると、アナウンスされている。内容が最新に近い状態に保たれることで、印刷地図の実用性が再認識され、需要動向に少しでも変化が現れることを期待したい。

オーストリアの官製地形図は日本のアマゾン等では扱われていないようだ。BEVは通信販売に応じているが、書面での注文になる。ネット経由なら、フライターク・ウント・ベルント Freytag & Berndt の公式サイト https://www.freytagberndt.com/ で全点が揃う。
索引図は、https://www.freytagberndt.com/wanderkarten-blattschnitte/ にある。個々の図葉は、"BEV-Karte" で検索するとよい。

(2011年10月23日付「オーストリアの新しい1:250,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/
同サイトの記事「新しいBEVの地図製品:オーストリア1:250,000地形図」
Neues Kartenwerk des BEV: Österreichische Karte 1:250 000 (ÖK250)
http://www.bev.gv.at/portal/page?_pageid=713,2168919&_dad=portal&_schema=PORTAL

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 ドイツの新しい1:250,000地形図

2018年12月24日 (月)

オーストリアの1:200,000地形図ほか

オーストリアの地形図体系には、ドイツやスイスのような1:100,000の段階がなく(下注)、1:50,000の次に小さい縮尺図は現在1:250,000だ。ただし、これは最近(2011年)の方針転換によるもので、それまで120年以上の間1:200,000が作られていた。今回は、その沿革をたどってみよう。

*注 なお、1:200,000地形図を単純に2倍拡大した1:100,000地形図(ÖK100V)が、1969年から80年代にかけて刊行されていた。

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1:200,000表紙 左から
中欧一般図 34°48° Wien 1940年(平図につき表題部分を表示)
ÖK200初期 48/16 Wien 1971年
台紙つき 48/14 Linz 1978年
BMN版 48/13 Salzburg 1987年
 

オーストリアで1:200,000図が作られるようになったのは、19世紀後半の測量事業、いわゆる「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme(下注)」のときだ。メートル法の採用により、きりのいい単位の縮尺体系が初めて整備された。1:25,000が測量縮尺(原図)で、それをもとに1:75,000の特別図 Spezialkarte、1:300,000、後に1:200,000の一般図 Generalkarte、さらに1:750,000の地勢図 Übersichtskarte が編集されるという関係だ。

*注 フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量については、「オーストリアの地形図略史-帝国時代」参照。

このうち、一般図については、まず1871~81年に「1:300,000中欧一般図 Generalkarte von Central-Europa(通称 シェーダ図 Scheda-Karte)」が作られ、これとは別に、1879年7月1日付のウィーン軍事地理研究所の告示に基づき、「1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa」が刊行されていった。

当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国は、中央ヨーロッパにおける大国として君臨していたが、1:200,000中欧一般図は他国の資料も用いて、さらに広い地域をカバーした。最終的に265面が完成し、その範囲は、南辺がニースからイスタンブール、北辺がマインツからキエフに及ぶ。それでも、ギリシャ中部や北ドイツに未刊の図葉が残っていた。

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1:200,000中欧一般図の例 34°48° Wien 1940年
image at geographie.ipt.univ-paris8.fr
 

多面体図法で投影され、図郭は緯度、経度とも1度、パリ子午線による(=フェロ島を0度とする)経線と緯線が図郭の中心を通るように設計されている。図番も、経線値と緯線値の組合せであるのがユニークだ。たとえば図番29°47°は、フェロ東経29度線の東西30分と、北緯47度線の南北30分のエリアを含む図葉という意味になる。

地図は黒、茶、青、緑の4色刷で、他国領を含む図葉では国境線を強調する赤が加えられた。当時としては美しい地図で、色の効果により視認性にも優れている。地勢表現はケバ式で、山地はこの茶色の短線でびっしりと覆われる。さらに森林を表す緑(実際はくすんだ青緑)のアミが混ざり合い、独特の沈んだ色調を呈する。

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1:200,000中欧一般図 一部を拡大
 

地図記号では、道路や鉄道といった交通網を表現するものが目立つが、意外なことに、各種建物・施設などの目標物も充実している。たとえば、教会はモスクやシナゴーグを含め5種類、産業施設も石灰工場、製材所、レンガ工場などに細かく分類されている。さすがに1:200,000という縮尺では施設の位置特定までは難しいが、土地の産業構成その他の特色を推測する手がかりになる。

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中欧一般図の凡例の一部
建物・施設や道路が詳細に分類表示されている
 

1918年の帝国解体で、それまでの測量成果は領土を承継した各国政府に引き渡された。新生のオーストリア共和国では、1923年に改組されたBEV(連邦度量衡測量庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)が事業を所管した。

オーストリア領が含まれる1:200,000中欧一般図は23面あり、第二次世界大戦の後も1973年まで更新が続けられた。図式は基本的に変化がないが、後述する新版(ÖK200)と混在していた時期には、主要道路を赤または黄色に塗った道路着色版 mit Straßenaufdruck が刊行されている(下図参照)。

なお、オーストリア領以外の図葉についても、更新はないもののBEVにより再版・頒布されていた。というのも、1989年に鉄のカーテンが開くまで、バルカン半島を含む東欧共産圏の情報は入手しにくく、そのためこれが貴重な地図資料となっていたからだ。

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1:200,000中欧一般図の比較 29°47° Innsbruck
(左)1937年
(右)道路着色版 1972年 道路の着色だけでなく、配色全般の改良が著しい
© BEV, 2018
 

さて、1961年から待望の新図が登場する。これが「1:200,000オーストリア地図 Österreichische Karte (ÖK200) 」で、順次、中欧一般図を置き換えていった。ÖK200は、経度1度、緯度1度の図郭を踏襲しており、同じ23面で全土をカバーする。

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1:200,000索引図
BEV土地測量出版目録1990年版より
 

図番は、度数表示から分数風の表示(29°47°→ 29/47)になったが、図名に使われる地名は帝国時代のままだった。今では他国領となっている都市名もドイツ語が優先で、たとえば、スロベニアのリュブリャーナは Laibach(ライバッハ)、チェコのチェスケー・ブジェヨヴィツェは Budweis(ブドヴァイス)、スロバキアのブラチスラヴァは Preßburg(プレスブルク)などとされている。現地名は、ドイツ語名の後に括弧入りで添えられた。

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図名はドイツ語名優先、現地名を括弧入りで記載
 

ÖK200は、先行して作成された1:50,000(ÖK50)からの編集で、仕様もそれに基づいている。いくらか整理されたとはいえ、基本的な地図記号は中欧一般図から引き継がれた。
しかし、下図で見られるように、地図から受ける印象は旧図とまったく異なる。地勢表現が、ケバ式から等高線とぼかし(陰影)の併用式に変わったからだ。等高線は100m間隔で、緩傾斜地では50m単位の補助曲線が挿入されている。そこへ程良い濃さのぼかしが掛けられ、スイス流の岩場の描写も施された。とりわけアルプスの図葉では、地形の立体感が見事に表現されている。

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1:200,000地形図の例 ÖK200-BMN 47/11 Insbruck 1986年
上掲の中欧一般図と同じ範囲
© BEV, 2018
 

さらに、スポットカラー(特色)印刷にもかかわらず多くの色が使われており、表現の幅が大きく広がった。地名等の注記を黒色、道路・市街地を焦茶色(岩場と同色)と分けたのはドイツ流だ。通常どちらも黒を充てることが多いが、色を変えることで図の雰囲気が重くなるのを抑える効果がある。また、鉄道は黒の実線で描かれるので、密集市街地でも視覚的に埋没することがない。

一方、氷河上の等高線は当初、緑色が使われていた。川や湖などの水部はもちろん青色だから、何らかの意図があっての選択だったのだろう。しかし、1990年代の改訂版では青色に変えられた。

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注記・鉄道と道路・市街地は配色が異なる
ÖK200-BMN 48/13 Salzburg 1988年(2倍拡大)
© BEV, 2018
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氷河上の等高線の色の変化
47/12 Bruneck (左)初期は緑色 1986年
(右)後年は青色 1997年(いずれも2倍拡大)
© BEV, 2018
 

ÖK200は、標準の道路着色版のほか、色による強調を伴わない版 ohne Wegmarkierungs- und Straßenaufdruck と、塗りを省いた4色刷の作業用 4-färbige Arbeitskarte の計3種が提供された。ただし、コンパクトに畳んだ折図は前者のみで、店頭にはこれが並んでいた。

1980年代に入ると、1:50,000と同じように、1:200,000も新たに定義された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に対応する。測地網に基づく 10kmグリッドと座標値が図面に加えられ、バナータイトルの表紙が茶色で印刷された。これを ÖK200-BMN と称した。

しかし、1世紀以上も維持されてきた伝統的図郭は、1999年をもって放棄されることになる。なぜなら、この年、州別に編集された1:200,000の新シリーズ「1:200,000 オーストリア地図(州別図)ÖK200 BLK (Bundesländerkarte)」が刊行されたからだ。

実は、1:200,000州別図はその数年前から、集成図のような形で刊行が始まっていた。カタログによれば、ブルゲンラント州 Burgenland を皮切りに、フォアアールベルク州 Vorarlberg、ケルンテン州 Kärnten、ニーダーエスタライヒ州北部 Niederösterreich-Nord などが出ている。そして1999年からは、各州域を1面に収める全8面の州別図として正式に位置づけられ、それに伴い、従来の区分図(ÖK200-BMN)は廃版となった。

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1:200,000州別図
(左)集成図 Burgenland 1998年(平図につき表題部分を表示)
(右)州別図BLK Tirol 2005年
© BEV, 2018
 

ÖK200 BLK の表紙は橙色で、同国の地形図では初めて風景写真が配されている。また、地図にUTM座標系の10kmグリッドと座標値が記載され、新時代の地形図の体裁が整えられた。

確かに、経緯度で容赦なく切断されている区分図では、見たいエリアが複数面にまたがることがしばしばある。その点、州別図の図郭は行政区分と一致している点が有利だ。ただし、縮尺1:200,000で州全域を収めようとすると、横1m前後の大判用紙が必要になる。そこで、多くの場合、図郭を分割して両面印刷にしてある。扱いやすさを考えればやむを得ない措置だが、州全体を概観するには少し不便だった。

オーストリアの小縮尺図の歴史から見れば、1:200,000州別図は、長らく国内基準で作成されていた地形図が汎ヨーロッパの国際基準へ移行する過渡期の製品と見なすことができるだろう。州別図の更新は2009年で終了する。それとともに1:200,000という縮尺自体が廃止され、BEVの地形図体系は、EU共通の縮尺である1:250,000の採用と展開という新たな段階へ入っていく。

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1:500,000表紙
 

BKGが作成する地形図には、このほか1:500,000 (ÖK500) がある。これは1面で全土をカバーするので、横125cm×縦85cmの大判用紙が使われている。図式は1:200,000の延長線上で、200m間隔の等高線とぼかしを併用し、森林域に緑を面塗りし、主要道路を着色で強調している。少々かさばるサイズだが、オーストリアの地理感覚を養うには格好の地図だ。この地形図版 topographische Ausgabe とは別に、行政区画を塗り分けた行政版 politische Ausgabe も作成されている。

次回は、1:200,000に代わる新しい1:250,000地形図を紹介する。

(2008年10月 2日付「オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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 オーストリアの1:25,000地形図
 オーストリアの1:50,000地形図
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 スイスの1:200,000地形図ほか
 ドイツの1:200,000地形図ほか

2018年12月17日 (月)

オーストリアの1:50,000地形図

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グロースグロックナー山周辺の1:50,000地形図
BMN版 153 Großgrockner 1985年
© BEV, 2018
 

上の図は、オーストリアの1:50,000旧版(ÖK50-BMN)で最も美しい図葉の一つ、図番153「グロースグロックナー Großglockner」の一部だ。図郭の中央に、グロックナー山脈 Glocknergruppe の骨格部分が来る(下注)。同国最高峰、標高 3,798mのグロースグロックナーから同 3,203mのキッツシュタインホルン Kitzsteinhorn にかけて、険しい山並みとその間を覆う銀白色の氷河群との対比がすばらしい。

*注 惜しいことに、現行版 ÖK50-UTM(NL33-01-27 Großglockner)では図郭の区切りが変更され、山脈は左端に移っている。

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1:50,000表紙 左から
「ハイキング地図」カバー 118 Innsbruck 1970年
台紙つき 148 Brenner 1979年
BMN版 153 Großgrockner 1985年
 

さて、その1:50,000は現在、オーストリアの地形図体系で基本図のように扱われている。しかし、昔からそうだったわけではない。全国をカバーしたのは比較的遅くて、20世紀後半に入ってからだ。

1:50,000オーストリア地図 Österreichische Karte の刊行は、1924年すなわちBEVの改組発足の翌年に開始されている。しかし、1938年のアンシュルス Anschluss(ナチスドイツによる併合)までに完成したのは、わずか18面だった。同時期に行われていた1:25,000の整備に比べて、優先度がより低かったのは疑いない。

第二次世界大戦が終結すると、復興計画を推進するために地図の必要性は一層高まった。そこで、既存の1:75,000特別図 Spezialkarte を1:50,000に写真拡大することで、当座をしのぐことになった。1:75,000特別図というのは、いわゆるフランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme で、原図から編集された帝国時代の公開用地形図だ。1872年に刊行が始まり、共和国になってからも引き続き第二次大戦まで更新が続けられていたので、実質的に1:50,000の前身ということができる。

*注 1:75,000特別図については、「オーストリアの地形図略史-帝国時代」でも言及している。

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1:75,000特別図の例 5352 Klagenfurt 1915年
 

このような経緯で生まれたのが、「1:50,000暫定版オーストリア地図 Provisorische Ausgabe der Österreichischen Karte(1945~70年)」だ。もとになった特別図は一部の図葉を除き墨1色だったが、これは水部を青色に変え、森林域をアップルグリーンで塗って、3色刷としている。1:50,000暫定版は1945年に刊行が始まり、徐々に正規版に置き換えられたとはいえ、最終的に1970年まで残っていた。

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1:50,000暫定版 202 Klagenfurt 1946年訂補
1:75,000(上図)を拡大して3色化したもの
image at BEV
 

それと並行して、正規の「1:50,000オーストリア地図 Österreichische Karte (略称 ÖK50)」の作成も進められた。1959年に1:25,000の作成が中止され、1:50,000に集中できる環境が整ったこともあるだろう。手持ちの地図で図歴を確かめると、1950年代後半から70年代にかけて、毎年10面前後の新刊があったようだ。この1:50,000(現行版と対比する意味で、以下旧版と呼ぶ)は、緯度15分、経度15分で区切った縦長の図郭で、計213面で全土をカバーした。

また、ドイツのように、一つの図葉に対して内容の異なる数種の版が提供されていたことも注目される。店頭に並んでいたのは、主にハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen だ。これは、山野歩きのために、ハイキングルート(トレール)Wanderweg の記号に赤線を沿わせ、山小屋などを円で囲んで強調してある。ただ、情報としては必要最小限で、山岳地図のような詳細な記号設定はなかった。

ほかに、車が通る主要道を赤と黄色で塗り分けた道路着色版 mit Straßenaufdruck や、色による強調を伴わない版 ohne Wegmarkierungs- und Straßenaufdruck、塗りを省いた3色刷の作業用 3-färbige Arbeitskarte があった。

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二種の版の違い (左)ハイキングルート強調版 (右)道路着色版
いずれも 148 Brenner 1992年
© BEV, 2018
 

販売形式にも、コンパクトに畳んだ折図と、畳まないいわゆる平図の2通りが用意された。ハイキングルート強調版は折図が主流で、1960~70年代に「ハイキング地図 Wanderkarte」と書かれたハードカバーがつけられていた。その後は、野外の持ち運びを想定した透明ケースに入れ、台紙代わりの索引図を付けたスタイルになった。一方、他の3種は平図のみで、店頭で見かけることはまずなかった。

1980年代に入ると、変化が現れる。1984年に導入された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に基づき、1:50,000地形図にも、2kmグリッドと座標値が付加されることになったからだ。同時に、用紙の裏面を利用して、索引図や平面直角座標の求め方などとともに、初めて表紙が印刷された。スイスのそれに倣ったいわゆるバナータイトル Balkentitel(帯状の題名表示)だ。地図用紙に、細かいエンボス加工を施した光沢紙を使うのも独特だった。

この形の旧版は1999年で更新が中止され、2002年から順次、新版に置き換えられていった。旧版は連邦測地網にちなんで略称 ÖK50-BMN、新版はUTM(ユニバーサル横メルカトル)座標系のETRS89に拠るので ÖK50-UTM として区別する。

UTM座標系への移行は、オーストリアが1995年に参加したNATOの「平和のためのパートナーシップ Partnership for Peace (PfP)」計画と密接に関連している。PfPは、冷戦終結後の中・東欧地域で政治的安定を図るために、NATOと各加盟国間でインターオペラビリティ(相互運用性)を向上させることが一つの目標になっていた。そのために参加国は、軍用地図の共通基準として、UTM座標系の採用を義務付けられた。オーストリアの軍用地図は1:50,000地形図データ(ÖK50)から編集されているため、その影響が民生用地形図にも及んだのだ。

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1:50,000 UTM版表紙
(左)3227 Großgrockner 2002年
(右)民軍兼用 NL33-02-12 Mürzzuschlag 2014年
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1:50,000索引図の一部
BMN版の図郭が青で、UTM版の図郭が黒で示されている
 

新版ÖK50-UTM は全191面で、2010年に全土をカバーした。旧版に倣って、ハイキングルート強調版と道路着色版の2種の版がある。座標系切り替えに伴い、図郭や地図の体裁も再設計されて、旧版とは一線を画している。まず、図郭は経度20分×緯度12分のやや横長形(下注)で、1:250,000図郭を横5等分、縦6等分したものだ。用紙もそれに合わせて横長になり、扱いやすくなった。

*注 本来の図郭より経緯度とも1分(図上2cm程度)拡張して、隣接図との重複を持たせてある。

図番も旧版のように完全な連番ではなく、4桁の数字を用いる(例 4212)。上2桁が、属する1:250,000図郭の図番、下2桁はその中での連番、すなわち左上の01から右下の30までのいずれかを表す。地図には赤色でUTM座標値と1kmグリッドが入れられたが、移行期間を考慮して旧BMN座標も青色で残された。

また、凡例や説明文がドイツ語と英語の併記になったのも好感が持てる。国際的な観光国にもかかわらず、旧版の表記はドイツ語のみで、外国人が使うことをあまり考慮していなかったからだ。

時代とともに改良されてきた1:50,000だが、最新の仕様変更は2011年に実施された。今回は、軍用地図と兼用するための追加仕様を伴うもので、裏表紙の奥付に、軍用地図を所管している軍事地理研究所 Institut für Militarisches Geowesen (IMG) との協力をうたう記載がある。

表紙には、軍用地図で使われる1:1,000,000(100万分の1)国際図の図郭を基にした図番(例 NL33-02-12)が大きく表示され、従来の4桁図番は右上にあるものの目立たなくなった(下注)。また、地図記号に病院、薬局、軍用地の境界、軍司令部が追加されたのも、目的は同じだ。しかし、これらは直接軍事作戦に向けたものというより、軍が担う災害救援活動などへの活用を意図しているに相違ない。

*注 国際図図郭を基にした図番は国際図番 internationale Blattnummer、4桁図番は国内図番 nationale Blattnummer と呼んで区別されている。国際図番は2002年図式にも見られるが、今とは逆に、図枠の右下で目につかなかった。

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UTM版(民軍兼用)の例 病院と薬局の記号を追加
NL33-01-10 Hallein 2012年
© BEV, 2018
 

改良点はほかにもある。前回も述べたが、隣接図との貼り合わせに便利なように、地図の上端と右端が製本でいう断切り(たちきり)にされた。また、ハイキングルート強調版と道路着色版の区別が廃止され、図式はそれをミックスしたものになった。これに伴い、ハイキングルートの強調色は、アウトバーン(高速自動車道)の塗りとの混同を避けて緑色に変えられ、同系色である森林のアップルグリーンが薄めの色調にされた。

一方、地図の表紙にはカラーの風景写真が配され(下注)、官製地形図にありがちな堅いイメージからの脱皮が試みられている。地図の更新間隔は6年とされているので、すでに全図葉がこの最新仕様に入れ替わったはずだ。

*注 1960~70年代の「ハイキング地図」カバーのイラストは別として、同国の地形図表紙に風景写真が見られるのはおそらく1:200,000州別図(1999~2009年)が最初。

 
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同 ハイキングルートの強調色は緑に変更 NL33-02-12 Mürzzuschlag 2014年
© BEV, 2018
 

お隣のドイツでは、編集作業のデジタル化に伴い、地形図図式が大きく変貌(むしろ劣化)して地図ファンの失望を誘ったが、幸いオーストリアの場合、図式の改訂は小規模なものにとどまっている。冒頭のグロースグロックナー山で見たように、この国が誇る雄大で変化に富んだアルプスの地形が、アナログ時代と同じように楽しめるのは喜ばしいことだ。

次回は1:200,000を紹介する。

(2008年9月25日付「オーストリアの1:50,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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 オーストリアの1:200,000地形図ほか
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 オーストリアの旅行地図-コンパス社
 オーストリアの旅行地図-アルペン協会

 ドイツの1:50,000地形図
 スイスの1:50,000地形図

2018年12月10日 (月)

オーストリアの1:25,000地形図

第一次世界大戦末期の1918年、オーストリア=ハンガリー二重帝国は瓦解し、オーストリア共和国が誕生した。1921年には連邦測量庁 Bundesvermessungsamt が設立され、帝国時代の測量業務を引き継いだ。そして1923年に度量衡業務部門と合体して、今も存続するBEV(連邦度量衡測量庁 Bundesamt für Eich- und Vermessungswesen)」に改組された。

これから数回にわたり、BEVが作成しているオーストリアの地形図体系を縮尺別に見ていこう。まずは1:25,000から。

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1:25,000表紙 左から
オリジナル版 63/4 Salzburg 1954年(平図につき表題部分を表示)
BMN版 148 Brenner 1996年
UTM版 4204-Ost Ötscher 2008年
UTM版(民軍兼用) NL33-01-11 West Wolfgangsee 2014年
 

官製地形図の体系を、日本、ドイツ、スイスと比較したのが下表だ。1:25,000は多くの国で基本的な汎用図と位置づけられているのだが、ご覧の通り、オーストリアのそれはオリジナルではなく、1:50,000を単純に2倍拡大した、いわゆる「でか字」バージョンに過ぎない。国土の3/4が山岳地帯で、難易度もさまざまなトレール(登山道、自然歩道)が縦横無尽に走り、潜在需要は十分にあると思われるにもかかわらず、地形図の品揃えは見劣りがする。

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地形図体系の比較
 

しかし、かつてはオリジナルの1:25,000地形図(「1:25,000オーストリア地図 Österreichische Karte」、略称 ÖK25)が存在した。BEVが改組発足した1923年にさっそく刊行が開始されている。手持ちの図葉で内容を見てみよう。図郭は1:50,000のそれを縦横2等分しており、経度緯度とも7分30秒、5色刷りで、黒のほか、等高線に茶、水部に紺(輪郭)とライトブルー(面塗り)、森林にアップルグリーンという配色だ。

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1:25,000オリジナル版の例 201-3 Villach 1955年
image at BEV
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一部を拡大
 

等高線間隔は20mで、この縮尺としては粗いほうだが、緩傾斜地には10mまたは5mの補助曲線が挿入されている。市街地の描写では、スイスの地形図とも通じ合う几帳面な表現が見られる一方、山地では、現行図との精度の差が明らかになる。

たとえば下図は、左がオリジナル版、右が現行版(1:50,000の2倍拡大版)で、場所はザルツカンマーグートのシャーフベルク山 Schafberg だ。等高線は同じ20m間隔だが、枠で囲んだ個所は両者の描写の差が際立つ。山頂から南に広がる緩斜面は、左(オリジナル版)のほうがだいぶ広い。一方、山頂の南にある東西の谷は、左のほうが狭まったように描かれている。空中写真測量の現行版に対して、地上写真測量と平板測量の併用で作られたオリジナル版の限界がこのあたりに窺える。

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オリジナル版と現行(1:50,000の2倍拡大)版の比較
(左)65/3 Montsee 1955年版
(右)ÖK25V 3211West Wolfgangsee 2014年版
© BEV, 2018
 

BEVは1959年、作業を加速させるという理由で、整備する地形図の縮尺を1:50,000に変更した。それに伴い、1:25,000の作成を中止し、刊行済みの図葉についても廃版とした(下注)。

*注 その後もBEVは要望に応じて在庫品(在庫切れのものは複写)の頒布を行ってきたが、廃版図には Nicht nachgeführt !(更新されていないの意)と朱色で加刷されている。

このとき、オリジナル版はまだ、全土の1/3に当たる219面しか完成していなかった。オーストリアの国土面積は北海道とほぼ同じ(下注)なので、中間に第二次世界大戦を挟むとはいえ、36年かけてこれでは確かにペースが遅い。帝国解体で産業地帯と後背地を一度に喪失したオーストリアは、長らく不況に苦しんだ。緊縮財政がBEVの事業予算にも影響を及ぼしていたに違いない。

*注 オーストリア 83,870平方km、北海道 83,423平方km(北方四島を含む)。

この措置に伴い、代用品として作られたのが、縮尺1:50,000のハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen(下注)の2倍拡大版だ。Vergrösserung(拡大)を意味する V を付して、「1:25,000 V オーストリア地図 Österreichische Karte(略称 ÖK25V)」と称する。図郭は1:50,000と同じく経度緯度とも15分のため、そのままでは4倍大の用紙が必要になる。そこで、かさばらないように図を上下に分割して(若干の重複あり)、両面刷りとした。

*注 1:50,000は一つの図葉に対して、ハイキングルート強調版 mit Wegmarkierungen と道路着色版 mit Straßenaufdruck など数種類が作成されていたが、1:25,000 V はハイキングルート強調版のみの刊行だった。

いつごろこの版が現れたのかは資料がなく不明だが、カタログの情報を総合すると、2003年までに200面が刊行されている。元の1:50,000は全213面のシリーズだ。作られなかった13面は、自国領が図郭にほとんど入らない図葉ばかりで、ニーズがないと見なされたのだろう。

拡大版で代用するのは、やや手抜きの印象を与えるかもしれない。しかし、実際にオーストリアの1:50,000図、つまり拡大する前の版で山野を歩こうとすると、描写が細か過ぎて野外では見づらいことに気づく。2倍拡大版であれば注記文字が大きく、地形の細部もしっかり読み取れる。上掲のようにオリジナル版と並べても、等高線間隔が両者同じで、元の1:50,000図がそれなりに精密に作られているため、違いが目立たないのだ。

世紀が変わるタイミングで、オーストリアの地形図にまた顕著な変化が見られた。それは依拠する座標系の切り替えによる。それまで地形図に掲載されていた座標値とグリッドは、1984年に定義された連邦測地網 Bundesmeldenetz (BMN) に基づくものだったが、国際標準のUTM(ユニバーサル横メルカトル)座標系への切り替えを機に、地図の体裁もがらりと変わった。旧来の版は1999年で更新が終了し、2002年から新版が順次刊行されていった。座標系切替えの事情については次回詳述するが、新旧が混在するため、前者を ÖK25V-BMN、後者を ÖK25V-UTM と呼んで区別した。

このUTM版も1:50,000を2倍拡大したもので、両面印刷の形式にも変化がない。ただし、1:50,000の図郭が縦長から横長に変更されたので、1:25,000の図郭はこれを東西に二分割したものになった。それにより総数も356面に増えた。

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座標値とグリッド ÖK25V 4204-Ost Ötscher 2008年版
橙(512000mE など)はUTM座標、外側の青字(662など)はBMN座標
なお、現行版ではBMN座標が省かれている
© BEV, 2018
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1:25,000索引図の一部
BMN版の図郭が青で、UTM版の図郭が黒で示されている
 

その後、2011年に再び仕様変更があった。その一つは、図の上端と右端が製本でいう断切り(たちきり)にされたことで、隣接図との重複部分ができて使いやすくなった。また、従来のハイキングルート強調版と道路着色版をミックスした仕様となり、ハイキングルートに付す色は赤から緑に変わった。

廃版となって久しい1:25,000オリジナル版だが、実はごく一部ながら、いまだ現役で使われている。最後にそれを紹介しておこう。

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シュネーベルク及びラックス
1993年版表紙
 

一つは、BEVが刊行する1:25,000集成図「シュネーベルク及びラックス Schneeberg und Rax」で、今なお更新が継続されている唯一の公式1:25,000図だ。もちろん現行版は、1993年に空中写真測量の成果によって描き直されている。シュネーベルクもラックスも首都ウィーンの南西に位置し、トレッキングには手ごろな山地だ。ウィーナー・ハウスベルゲ Wiener Hausberge と呼ばれ、市民にとって身近なエリアなので、常に一定の需要があるのだろう。それに、1:50,000やそれを拡大した1:25,000 V の場合、何面かに分割されてしまうのも、存続理由に違いない。同じ範囲の1:50,000と比べてみたのが下図だが、さすがに表現力や見やすさに格段の差がある。

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(左)1:25,000集成図 シュネーベルク及びラックス Schneeberg und Rax 1993年版
(右)同じ範囲の1:50,000 ÖK25V 3211-West Wolfgangsee 2014年版
© BEV, 2018
 
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アルペン協会地図
表紙

もう一つの現役図は、「アルペン協会地図 Alpenvereinskarte」だ。これはドイツとオーストリアのアルペン協会 Alpenverein の関連事業で刊行されているものだが、シリーズの一部に、かつての1:25,000オリジナル版をベースマップとしているものがある。こちらは、数十年以上も前の図版で、経年変化に伴う改訂を施しながら丁寧に使い続けられている。登山の必携品だったBEVの1:25,000廃止を惜しむ協会員の声が聞こえてくるようだ。

*注 アルペン協会地図については「オーストリアの旅行地図-アルペン協会」で詳述している。

次回は1:50,000を紹介する。

(2008年10月 2日付「オーストリアの1:25,000と1:200,000地形図」を全面改稿)

本稿は、参考サイトに挙げたウェブサイトおよびBEVの出版カタログを参照して記述した。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアの地形図略史-帝国時代
 オーストリアの1:50,000地形図
 オーストリアの1:200,000地形図ほか
 オーストリアの旅行地図-フライターク&ベルント社
 オーストリアの旅行地図-コンパス社
 オーストリアの旅行地図-アルペン協会

 ドイツの1:25,000地形図
 スイスの1:25,000地形図
 スイスの新しい1:25,000地形図
 リヒテンシュタインのハイキング地図

2018年12月 6日 (木)

オーストリアの地形図略史-帝国時代

プロイセンのザクセン侵攻から始まったいわゆる七年戦争は、ヨーロッパ諸国を巻き込んだ長い戦いになった。その中でオーストリアは、プロイセンに占領されていたシュレージエン(シレジア)Schlesien の奪回を目論んだのだが、果たせないまま1763年に講和に臨まなければならなかった。

戦時中、軍部の指導者は、作戦の立案と実行に際して、自国領土を描く詳しい地図の必要性を痛感していた。それまで地図作成といえば各地の領主の仕事で、所有地の記録に添えて提出する見取図のレベルだったからだ。終戦の翌年(1764年)、女大公マリア・テレジアの承認のもと、宮廷参謀会議は、参謀本部による包括的な土地測量に必要な命令を出した。

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「ヨーゼフ皇帝の土地測量」彩色原図 ウィーン市街と西郊
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これが、オーストリアで全国規模の土地測量が実施されることになったいきさつだ。1918年に帝国が解体されるまでの約150年間に、こうした土地測量が4回実施されており、それぞれ当時の大公・皇帝の名を冠して呼ばれている。初回の事業には20年以上の期間を要し、1785年、マリア・テレジアの息子ヨーゼフ2世の時代にようやく完成したので、「ヨーゼフ皇帝の土地測量 Josephinische Landesaufnahme(あるいは第1回土地測量 Erste Landesaufnahme)」の名がある。

測量原図は、図上の長さ1ツォル Zoll が実長400クラフター Klafter になる縮尺(下注)で作られた。分数表示ではほぼ1:28,800になる。まだ三角網が構築されていないため、位置関係は正確でなく、ケバ式による地勢表現もスケッチの域を出ていない。しかし、市街地や道路・水路網はもとより、耕地、牧草地、葡萄園、沼地、森林など、産業革命前夜の土地景観が手彩色で明瞭に描かれている。これらは、軍の測量官が馬で現地を調査して丹念に写し取ったものだ。

*注 ツォル(英語圏のインチに相当)、クラフターともドイツ語圏で広く使われていた単位だが、地域によって基準が異なり、ウィーンでは1ツォル=2.634cm、1クラフター=1.8965 mだった。

地図の総数は3,589面(後に4,096面に拡大)にのぼり、オーストリア、ボヘミア、ハンガリー、ネーデルラントなどハプスブルク家の承継地があまねく含まれた(下注)。この原図4面から、縮尺約1:115,200の地図も編集されている。

*注 オーストリア領ネーデルラント Österreichische Niederlande は、現在のベルギー西部やルクセンブルクに相当する地域。なお、チロル Tirol については、別途1774年に、縮尺1:103,800の地図集成「アトラス・ティロレンシス Atlas Tirolensis」が作られた。

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「ヨーゼフ皇帝の土地測量」彩色原図 グログニッツ Gloggnitz 周辺
image at wikimedia
 

■参考サイト
Europe in the XVIII. century
https://mapire.eu/en/map/europe-18century-firstsurvey/
 ヨーゼフ皇帝の土地測量(第1回土地測量)の彩色原図が見られる

オーストリアのハプスブルク家が皇帝を世襲する神聖ローマ帝国はとうに形骸化していたが、ナポレオン台頭の煽りを受けて、1806年に完全消滅した。帝国解散を宣言したのがフランツ1世(神聖ローマ皇帝としてはフランツ2世)で、その治世に、新たなオーストリア帝国の領土をカバーする地図作成事業が始まった。これが「フランツ皇帝の土地測量 Franziszeische Landesaufnahme」と呼ばれる第2回土地測量 Zweite Landesaufnahme(1807~29年)だ。

作業に先立ち、専門機関として1806年、参謀本部に地形図製作所 Topographische Anstalt が設置された。これが1839年に軍事地理研究所 Militärgeographische Institut に改組されて、第一次世界大戦の終結まで軍用地図の作成機関となる。

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「フランツ皇帝の土地測量」彩色原図 グラーツ市街
image at mapire.eu
 

この土地測量が第1回と違うのは、地図作成にあたって三角測量法が導入されたことだ。また、時期を同じくして、土地税評価の統一基準を確立するために地籍測量(「フランツ皇帝の地籍測量 Franziszeischer Kataster」と呼ばれる)が実施されており、この成果も取り込まれた。これらにより、地図の精度が格段に向上し、土地利用景の描写が詳細になった。また、ケバの描き方も目に見えて改良されている。

縮尺は前回と同じく、実長1クラフターが図上1ツォルで表される1:28,800だ。図葉数は3,300を超え、この成果から1:144,000特別図 Spezialkarte、1:288,000一般図 Generalkarte が編集された。この編集図は軍用にとどまらず、公開の扱いとされたことも特筆される。

その後、更新作業が進められ、一部の図葉には鉄道路線などの経年変化が描き加えられた。しかし、最終的にハンガリー、ジーベンビュルゲン Siebenbürgen(現 ルーマニア中部トランシルヴァニア地方)、ガリツィア Galizien(現 ウクライナ南西部)などは未着手のまま、新たな測量事業(第3回)に引き継がれた。

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「フランツ皇帝の土地測量」彩色原図 ランツベルク Landsberg 周辺
image at wikimedia
 

■参考サイト
Europe in the XIX. century
https://mapire.eu/en/map/europe-19century-secondsurvey/
 フランツ皇帝の土地測量(第2回土地測量)の彩色原図が見られる

1867年、オーストリアとハンガリーの和協(アウスグライヒ Ausgleich)がまとまる。オーストリア皇帝がハンガリー王を兼ねて外交、軍事、財政を司るものの、内政はそれぞれの自治政府が執り行うという、新たな政治体制の始まりだった。

これがいわゆるオーストリア=ハンガリー二重帝国で、後に国父と称されて国民に親しまれたフランツ・ヨーゼフ1世の治世とほぼ重なる。その時代の前半に、第3回土地測量である「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量 Franzisco-Josephinische Landesaufnahme」(1869~87年)が実施されている。

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「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」 1:25,000彩色原図 グラーツ市街周辺
上掲フランツ皇帝の土地測量に比べると、絵図から記号図への進化が見て取れる
image at wikimedia
 

この事業は、測地系の確立、高度基準の設定、メートル法や等高線の採用など、近代地形図の必要条件を具備した点が重要だ。

まず測地系は、パリ子午線から起算された1867年欧州測地調査 Europäische Gradmessung による基準網(下注)が用いられている。これをもとに新たな三角測量が実施され、地図の骨格が整えられた。

*注 パリ子午線は、グリニッジ子午線が採用される以前に広く用いられていた基準。旧世界で西端とみなされた大西洋カナリア諸島のフェロ島(エル・イエロ El Hierro 島)を通る子午線を0度(本初子午線)とし、パリ天文台を通る子午線を東経20度と定義した。グリニッジ経度からの換算式は、フェロ経度=グリニッジ経度+17度40分。

高度の基準は、当時オーストリア領だったアドリア海岸のトリエステ(ドイツ語名トリエスト Triest)とリエカ(ドイツ語名ザンクト・ファイト・アム・フラウム Sankt Veit am Flaum、イタリア語名フィウーメ Fiume)の平均海面とされた。オーストリアは1871年にメートル法を採用したので、この事業では全面的にメートル単位が使用されている。それに伴い、測量図の縮尺もきりのいい1:25,000になった。

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「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」1:25,000図の索引図(一部)
左下に öst. L. v. Ferro(=östlich Länge von Ferro、フェロ東経)の注記がある
 

平板測量と現地調査が帝国全域で行われ、成果は1:25,000彩色原図2,780面と、ウィーン圏内の1:12,500図47面に上る。図郭は経度15分、緯度7分30秒で、地勢表現には、従来のケバと20m間隔の等高線が併用された。公務用に、原図から墨1色の複製も作られている。

同時に、原図4面分から1:75,000特別図 Spezialkarte が編集された。これは帝国内752面のほかに、他国領の図葉も若干ある。図郭は経度30分、緯度15分で、投影法は多面体図法を用いている。原図と同様、ケバと等高線(平地50m、山地100m間隔)を併用するが、墨1色版では、緻密なケバの描線があだとなって、等高線はやや読み取りにくい。刊行開始は1872年で、後に森林を表す緑のアミを加刷した版も現れた。

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1:75,000特別図の例 5352 Klagenfurt 1915年
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一部を拡大
 

小縮尺図ではまず、1:300,000中欧一般図 Generalkarte von Central-Europa(通称 シェーダ図 Scheda-Karte)が1871年から1881年にかけて編集刊行され、次いで1887年からは縮尺が変わり、1:200,000中欧一般図 Generalkarte von Mitteleuropa が現れた。どちらも帝国領内にとどまらず、中央ヨーロッパの広域を同一縮尺で描くという壮大な企画だった。

後者は、南辺がニースからイスタンブール、北辺はマインツからキエフまでをカバーした。図郭は経度1度、緯度1度で、整数の経線と緯線が図郭の中心を通るように区分されているため、図番も(フェロ島を0度とした)経度と緯度の数値の組合せを使用している。1面に特別図8面分の範囲が含まれ、多色刷りで265面が刊行された。

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1:200,000中欧一般図の例 32-47 Klagenfurt 1914年
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一部を拡大
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中欧一般図の索引図(一部)
ベースマップに引かれた国境は、青が第二次大戦前の旧国境、橙が新国境
 

このほか、さらに広域を概観する地図として、1:750,000中欧地勢図 Übersichtskarte von Mitteleuropa も作られている。

このようにフランツ・ヨーゼフ皇帝の測量事業は、規模の大きさと進捗速度の点で、国際的な注目を集めるものになった。たとえばギリシャからは、自国の測量事業に対する支援の要請が届き、それに応えてオーストリアは、測地隊を派遣して技術指導と要員訓練に当たらせた。ギリシャの地形図の図郭が、オーストリアと同じ経緯度間隔になっているのは単なる偶然ではない。

■参考サイト
Europe in the XIX. century (with the Third Military Survey)
https://mapire.eu/en/map/europe-19century-thirdsurvey/
 フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量(第3回土地測量)の彩色原図または単色複製図が見られる

第3回の枠組みを引き継いで、1896年から新たに「精密測量 Präzisionsaufnahme(第4回土地測量)」が開始された。しかし、第一次世界大戦の勃発で中断され、1918年の帝国解体により、オーストリア共和国領以外の成果は、帝国領を承継したチェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアなどの各政府に引き渡された。

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第3回(左)と第4回の1:25,000測量原図を比較
市街地や水部の描写は第3回ですでに完成しているが、第4回の精密測量により道路の位置等がより正確に
(左)「フランツ・ヨーゼフ皇帝の土地測量」測量原図 5155-3 1877年
(右)精密測量原図 5155-3 1899年、下図も同じ
images at BEV
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ケバの描画技術が進歩し、山地の表現は大きく改良
 

その後のオーストリア共和国の地図の変遷と現状については、次回以降、縮尺別に紹介したい。

■参考サイト
BEV http://www.bev.gv.at/

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 オーストリアの1:25,000地形図
 オーストリアの1:50,000地形図
 オーストリアの1:200,000地形図ほか
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 ドイツの地形図概説 I-略史
 スイスの地形図略史 I-デュフール図
 ギリシャの地形図

2018年2月18日 (日)

ドイツの新しい1:250,000地形図

連邦地図・測地局 Bundesamt für Kartographie und Geodäsie(略称BKG)が担当しているドイツの小縮尺図体系が2017年から大きく様変わりしている。黄色い表紙で親しまれてきた区分図シリーズの1:200,000地勢図 Topographische Übersichtskarte がついにカタログから姿を消してしまったのだ。代わりに登場したのが、Übersicht(概観)の語をつけずに、単に Topographische Karte(地形図)と称する1:250,000で、全30面が一気に刊行された。

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1:250,000地形図表紙
(左)ベルリン Berlin
(右)ローゼンハイム Rosenheim
いずれも2017年版
 

1:200,000図のルーツは19世紀に遡るが、第二次世界大戦後、1961年に当時の西ドイツを44面でカバーするシリーズとして再興され、東西統一後は旧東側にも範囲を拡げて、全59面の区分図シリーズ(のちに一部の図郭拡張で58面)になった。近年、1:100,000以上の地形図が、平板な印象の ATKIS図式(下注)に置き換えられていくなかで、1:200,000は、配色に変更が加えられながらも、銅版刷りの繊細さを残すドイツ地形図の特質をおよそ50年間護り続けてきた。

*注 公式地形・地図情報システム(アトキス)Amtliches Topographisch-Kartographisches Informationssystem (ATKIS) で使用される地図図式。

ドイツの1:200,000地形図ほか」の項でも述べたように、戦後まもない地形図体系の再編の際にも縮尺を1:250,000に変更する案が検討されたことがある。実際、英仏をはじめ西側諸国ではそちらが多数派なのだ。グローバル化時代に入ると、このことがシステム規格の決定に影響を与えることになる。欧州各国の地図作成機関等が参加する組織、ユーロジオグラフィクス EuroGeographics が汎ヨーロッパの地理情報データベースを構築するにあたり、採用した縮尺の一つが1:250,000だった。

ユーロリージョナルマップ EuroRegionalMap と呼ばれるこのデータベースには、各組織が、担当する地域の地理情報を共通仕様で提供する必要がある。そのためにドイツも ATKIS に1:250,000のデータを作成し管理している。縮尺が近似する1:200,000を、印刷図を維持するために更新していく積極的な理由は見出しにくい。さらに、ATKISからは印刷図の原稿も直接出力できるので、国内各州の測量局は、担当する1:25,000から1:100,000までの印刷図の大部分をすでにこの方式に移行させてしまっている。BKGが同様の転換策に踏み切るのは、実は時間の問題だったのだ。

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1:250,000地形図索引図
 

今回刊行された1:250,000地形図は、冒頭にも述べた通り、ドイツ全土を30面でカバーする全く新しいシリーズだ。地形図の裏面には、同じエリアのカラー衛星画像 Satellitenbildkarte が印刷されている。

折寸こそ旧図と同じ横10.8×縦24.0cmだが、表紙からして、色で縮尺の違いを示す従来方式(例えば1:200,000は黄色)ではない。人目を惹く風景写真を中央に配し、その下に都市や観光地の名が列挙され、収載されるエリアがすぐにわかるようになっている。英仏の例に倣って、利用者へのアピールを強化する作戦だ。

図郭は、旧1:200,000の経度1度20分×緯度48分に対して、新1:250,000では縮尺が小さくなり、用紙の横を一折り分長くしたことで、経度2度×緯度1度と切りのいい数値に収まった。

内容はどうだろうか。1:200,000(下図左)と1:250,000(下図右)で、同じエリアを並べてみた。場所は、バイエルン南東部のローゼンハイム Rosenheim からオーストリア国境の山岳地帯にかけてと、ベルリン Berlin 市街だ。色調はほぼ変わらないものの、一見して1:250,000のほうが、情報の取捨選択が徹底されていることがわかる。絵的にはシンプルで見易くなったと感じる一方で、残念ながら、省かれたものも多数ある。

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1:200,000図(左)と1:250,000図(右)の比較
ローゼンハイムからオーストリア国境の山岳地帯にかけて
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2018
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同 ベルリン市街
© Bundesamt für Kartographie und Geodäsie, 2018
 

たとえば、ローゼンハイム図の下のほうにあるバイリッシュツェル Bayrischzell の町の周辺に注目すると、1:200,000に記された Hochkreut、Suderlfeld などの集落名、Seeberg、Maroldschneid などの山名や標高値が、1:250,000ではことごとく無くなっている。配置するスペースが縮小する分、割愛が生じるのはやむを得ないとはいえ、地名は場所を特定する手がかりだから、残念なことだ。

また、道路網や集落の表現も簡略化された。ベルリン図に見られるとおり、1:200,000では市街地の塗りに2色が使われ、中心街は濃いピンク、それ以外は薄いピンクと区別されていた。ところが1:250,000ではそうした配慮はなく、一様にピンクで塗られている。また、郊外では1:200,000で、胡麻粒のような黒抹家屋の記号を使って、集落の広がりや密度を表現していたものが、1:250,000では単に円で集落の中心を示すだけになった。道路網の省略もその延長線で、円と円の接続関係がわかれば十分という考えだろう。

注記文字は、サンセリフ(先端に飾りのない)タイプに変わった。日本語書体の明朝とゴシックの関係に似て、サンセリフは線幅がほぼ同じで視認性が良いことから、採用される傾向にある。1:200,000では注記文字は、水部の青を除いて一様に黒色が使われていたが、1:250,000では居住地名は黒、水部は青、自然地名は茶色、公園域は緑、軍用地はピンクと、細かく変えている。これにより、居住地名がまず目に飛び込んでくるようになった。反面、山の名などは埋もれてしまい、目を凝らして探さなければならないが…。

一方、等高線とぼかしを併用する地勢表現は踏襲された。等高線間隔は、旧1:200,000が平野部25m、山地50mだった。1:250,000も平地と低山地ではそれぞれ25m、50mだが、高山地では100m、急峻な山地では200mに拡げられている。そのため、バイエルンアルプスでも等高線は粗く引かれ、等高線の密度から地勢を想像することは難しい。また、写実的な崖記号が無粋なドットパターンに置き換えられ、砂地と間違えかねない。

ぼかし(陰影)は、メッシュ標高データから精細な画像が自動生成されているので、等高線の情報不足を補って余りある。ただ惜しいことに、配色にピンク系のグレーを充てたために、眠たげな印象を与え、等高線との区別もつきにくくなった。

新作というのに否定的な感想が多くて恐縮だが、それというのも、ドイツでは地形図のデジタル化に際して、アナログ時代に磨かれた地図デザインのセンスが十分尊重されなかったように思うからだ。作成プロセスの合理化を追求するなかで、伝統的な長所を生かす努力がやや疎かになっている。1:250,000もそれだけ見れば決して悪くはないのだが、前身の1:200,000と見比べると、多くのものを犠牲にしていることに改めて気づく。

この1:250,000の登場の陰で、従来の1:200,000地勢図は、2014年に南ドイツの10面が更新されたのが最後の刊行となった。かろうじて現在は、同じく2014年に刊行された地方図 Regionalkarte シリーズ 計13面(下注)のみがカタログに掲載されている。これは主要都市とその周辺を1:200,000図で概観するもので、裏面にはより広域を収める1:1,000,000(100万分の1)図が印刷された徳用版だ。果たして継続的に更新されるのか不明だが、このシリーズが残る限り、1:200,000図を手にする機会が消滅したわけではない。

*注 ハンブルク Hamburg、ブレーメン Bremen、ベルリン Berlin、ハノーファー Hannover、ライン=ルール Rhein-Ruhr(ドルトムント中心)、ケルン=デュッセルドルフ Köln-Düsseldorf、ハレ=ライプツィヒ Halle-Leipzig、ドレスデン Dresden、ライン=マイン Rhein-Main(フランクフルト中心)、ライン=ネッカー Rhein-Neckar(マンハイム中心)、ニュルンベルク=フュルト Nürnberg-Fürth、シュトゥットガルト Stuttgart、ミュンヘン München の13面(図郭は下図参照)

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1:200,000地方図
(左)ベルリン地方 Region Berlin
(右)ライン=マイン地方 Region Rhein-Main
いずれも2014年版
Blog_germany_200k3_index
1:200,000地方図索引図
カラーの図郭が地方図
グレーの図郭は従来の1:200,000地勢図
 

1:250,000地形図と1:200,000地方図は、日本のアマゾンや紀伊國屋などのショッピングサイトでも扱っている。"Umgebungskarte 1:250.000"、"Regionalkarte" などで検索するとよい。

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2018年2月12日 (月)

地形図を見るサイト-ルクセンブルク

ベネルクス三国の一角を成すルクセンブルクでも、充実した公式地図サイトが構築されている。国の測量機関である地籍・地形局 Administration du Cadastre et de la Topographie (ACT) が、最新のデジタル地形図はもとより、旧来の1:5,000~1:250,000地形図、20世紀初頭からの旧版地形図、18世紀の測量原図、そして新旧の空中写真や地質図、それらにオーバーレイできる地図データなど、多様なコンテンツを自ら運営するサイトで提供しているのだ。加えて、ウェブデザインのスマートさと多言語に対応(下注)している点も注目に値する。

*注 公用語であるフランス語、ドイツ語、ルクセンブルク語に加えて、英語表記もある。

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18世紀のフェラーリ図に描かれたルクセンブルク市街
深い渓谷と堅固な堡塁が街を護る
 

では、その地図サイト Geoportal(以下、英語読みでジオポータルと表記)の概要を見ていこう。
(記述は2018年2月現在の仕様に基づく)

Geoportal(ジオポータル)
http://map.geoportail.lu/

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初期画面
 

上の画像が初期画面だが、以下の説明は英語版で行うので、初めに言語選択をしておきたい。右上の地球を象ったアイコンをクリックして、EN(英語)を選択する。

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言語と背景レイヤーの選択
 

デフォルトでは、表示される Background Layer(背景レイヤー)は Road map(道路地図)になっている。背景レイヤーを入れ替えるには、画面左上のリストで、Topographic map B/W(地形図モノクロ版)、Topographic map(地形図カラー版)、Aerial imagery(空中写真)、Hybrid map(ハイブリッド地図)、White background(無地の背景)から選択する。

このうち、ハイブリッド地図というのは、空中写真(オルソフォト)に地名や主要道路網などを加えたものだ。上記以外の地図については、別途レイヤーとして選択して重ね表示できる(詳細後述)。

特定の地域の地図を表示するには、地名、住所、地番(Parcel numberという)で指定するほか、マウスで直接矩形を描いて選択する方法がある。

縮尺を変更するには、拡大縮小(+-)ボタンを使うほか、ダブルクリックでも行える。図上でダブルクリックすると、1段階ずつ拡大する。Shiftキー+ダブルクリックで1段階ずつ縮小する。また、マウスホイールを使うと、連続的に拡大縮小できる。

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テーマとレイヤーの選択
 

背景レイヤーの上に重ねる地図レイヤーを表示するには、まず地図のテーマを選択する必要がある。デフォルトは「THEME: MAIN」になっている。その右の CHANGE をクリックすると、選択肢(MAIN、TOURISM、ENVIRONMENTなど)が表示される。任意のテーマを選択すると、下位項目が順に表示されていく。

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レイヤーリストの操作
 

レイヤーは複数選択でき、そのリストは MY LAYERS タブをクリックして見ることができる。MY LAYERS タブには、レイヤーの重ね順の変更、レイヤーの透明度の調節、レイヤーの追加/削除などの機能がある。

ここではベースマップにもなりうる地図・空中写真に絞って紹介しておこう。

地形図は、MAIN テーマ > GEOGRAPHICAL LOCATION(地理的位置)> Topographical mapsに格納されている。

同様に、空中写真は MAIN テーマ > LAND SURFACE(地表)> Orthophoto-images、
地質図は、MAIN テーマ > ENVIRONMENT, BIOLOGY AND GEOLOGY(環境、生物、地質) > Geology、
土壌図は、MAIN テーマ > ENVIRONMENT, BIOLOGY AND GEOLOGY(環境、生物、地質) > Soil mapsに、それぞれ分類されている。

地形図だけでも縮尺別に9種類のレイヤーがあるが、Automatical Topographical Map(自動地形図)を選ぶと、表示縮尺に応じて自動的にグラフィック(縮尺図)が変化していくので便利だ。そうではなく、グラフィックを固定して拡大縮小したいときは、その下に列挙されている Topographic map 1:250000~1:5000 から見たいものを選択する。

「Regional tourist map 1:20000 R(1:20,000地域別旅行地図)」は、かつて印刷版で刊行されていた旅行情報を付加した地形図で、末尾の R(régionale の頭字)は通常版と区別するための符号だった。Regional Mapsheets(地域図図郭)は、その図郭を表示する機能のことだ。

さらに興味深いのはその下にある Historical Topographical Maps(旧版地形図)という項目で、これを展開すると16種の古地図や旧版地形図のリストが現れる。

最も古い「Ferraris Map 1:20k 1778(1:20,000フェラーリ図、1778年)」は、18世紀後半に作成されたオーストリア領ネーデルラントの美麗な手彩色原図(冒頭画像はそのルクセンブルク旧市街、下注)だ。原図の縮尺は1:11,520だが、2013年の復刻本出版に際して作成された1:20,000の縮小画像が用いられている。

*注 現在のベルギー領部分は、ベルギーのサイト「カルテージウス Cartesius」などで公開されている。「地形図を見るサイト-ベルギー」参照。

次は20世紀に入り、1907年と1927年のJ・ハンゼン Hansen による1:50,000図がある。前者は粗いモノクロ複写だが、後者はカラーで原図の鮮やかさが再現されている。

次の「German War map 1:25k 1939(ドイツ戦時地形図、1939年)」は、第二次世界大戦中にルクセンブルクを占領したドイツが既存図から編集した1:25,000図だ。

そして、戦後の地図の空白期を埋めるために、キュマリー・ウント・フライ社 Kümmerly & Frey による1950年の1:150,000学習用地図が挿入されている。

本格的な地形図の復活は、フランス IGN の協力で作成された1954年の1:20,000で、1966年からは1:50,000も登場し、2000年までおよそ10年間隔で、その時点の最新図が収められている。

一方、空中写真は、戦後1951年撮影のものから利用できる。1994年まではシームレス化されていないので、各カットの撮影範囲を示す矩形が右の地図上に表示される。図上で見たい地点をクリックすると、左に写真のサムネールが現れ、それをクリックすることで実寸の画像ファイルが表示される仕組みだ。

Blog_luxembourg_map_hp5
一般操作
 

ジオポータルで使える機能は他にもたくさんある。上の画像で、各アイコンの機能に日本語を添え書きしておいた。詳しくは画面右下にある HELP をご覧いただきたい。

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情報表示と印刷
 

たとえば、情報アイコンでは、表示縮尺や座標系を変更したり、カーソルを置いた地点の座標値や標高値の表示ができる。

また、印刷アイコンでは、PNG形式(画像ファイル)またはPDFファイルで地図のダウンロードができる。用紙の向きでは、"landscape" が横長、"portrait" が縦長の形式になる。また、印刷の縮尺では、たとえば1:50,000地形図が印刷対象であるとき、ここで1:50,000を選択すると等倍、1:25,000を選択すると2倍拡大したものが出力される。

なお、ジオポータル内のデータの利用について、利用規約(下注)には、利用者がインターネットを通じて行えることを列挙してあり、その中に「(ルクセンブルク大公国の公的機関を出処とする)地理製品、地理データおよび地理サービスを公開すること publier des géoproduits, géodonnées et géoservices (en provenance des instances officielles qui existent au Grand-Duché de Luxembourg)」も含まれている。

*注 利用規約(フランス語版) https://www.geoportail.lu/fr/propos/mentions-legales/ 引用した文言は 15.1 Généralités にある。

使用した地形図の著作権表示 © 2018 Administration du Cadastre et de la Topographie

★本ブログ内の関連記事
 ルクセンブルクの地形図

 地形図を見るサイト-ベルギー
 地形図を見るサイト-フランス

2018年2月 4日 (日)

地形図を見るサイト-ベルギー

北部のオランダ語圏と南部のフランス語圏、それに東部にはわずかながらドイツ語圏も存在するベルギーでは、政府組織のウェブサイトも、まず言語を選んでから入るようになっている。測量機関 NGI / IGN(下注)も例外ではない。

*注 オランダ語で Nationaal Geografisch Instituut (NGI)、フランス語で Institut Géographique National (IGN)、直訳すれば国立地理学研究所。

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Topomap Viewer で見るブルッヘ(ブルージュ)市街

NGI / IGN の作成している地図データは、Topomap Viewer(トポマップ・ビューワー)というサイトで公開されている。ここではデジタル地図や空中写真とともに、旧来の地形図(といっても1990年代に図式は一新されているが)を縮尺別に見ることができ、画像も鮮明だ。
(記述は2018年2月現在の仕様に基づく)

Topomap Viewer(トポマップ・ビューワー)
http://www.ngi.be/topomapviewer/

Blog_belgium_map_hp1
初期画面で言語を選択
 

初期画面(上の画像)は言語の選択だ。英語版がないので、以下はフランス語版で説明するが、使用言語を宣言する際に利用規約の承諾まで要求されるのは、一般的な閲覧サイトにしてはものものしい。しかもその下には、規約を厳守せよ、特に複写は禁止、違反者には起訴も辞さない、と強い調子の警告文が続く。善良な市民をまるで犯罪予備軍のようにみなす態度には言葉を失う。

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利用規約の一部
 

とはいえ、異国から訴えられても困るので、コピーの扱いがどうなっているか、利用規約 Conditions d'utilisation にも目を通しておこう(上の画像)。知的財産権の項を見ると、利用者は参照、印刷、保存(下注)、リンクの第三者配布(=共有)の権利を有すると書かれている。複写には言及がないから、権利が認められていないことは確かだ。

*注 保存に関する原文は、"sauvegarder dans le marque-pages les données de Topomapviewer"(Topomapviewer のデータをブックマークにバックアップする)。しかし、本サイトには地図データのダウンロード機能はない。

一方、禁止条項では、「過度な方法で de manière excessive」複写し、複製することはできないとあって、一切不可という表現にはなっていない。厳密な法解釈はともかく、複写・複製については権利は主張できないものの、「過度でなければ」違反行為とまではいえない、ということかと思う。本稿でも画面のスクリーンショットを使っているので、権利関係は一応押さえておきたいところだ。

さて、この関所を通過すると、ようやくベルギー全図のデフォルト画面が現れる。国土の中央で横一文字に引かれたやや太い薄紫の線が言語境界線になる。

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ベルギー全図を表示したデフォルト画面
 

この画面で見えているのは CARTOWEB と称するデジタル地図で、拡大していくと、最終的に住宅が一軒ずつ判別できるまでになる。凡例(地図記号)を知りたければ、左メニュー上方のLEGENDEをクリックする。

左メニューには、表示可能な地図データの一覧がある。最上段の À superposer(オーバーレイ)は背景が透過処理されており、他の地図に重ねて用いるものだ。次の Photographies aériennes(空中写真)は、現在2013~15年撮影の最新オルソフォトのみ提供されている。

3番目の Carte de référence(参考地図)の中の Cartes classiques(直訳すると伝統的な地図)が、印刷版に使われている地形図になる。TOP10MAP(1:10,000)から TOP250MAP(1:250,000)まで4種類用意されている。名称の TOP は Topo(地形の)、10は縮尺1:10,000を意味している。印刷版ではこれ以外に1:20,000がある(下注)が、これは1:10,000図を単純に50%縮小したものなので、メニューにはない。

*注 1:20,000地形図は2016年から、独自のグラフィックを用いた1:25,000に順次置き換えられている。

使われる地図レイヤーは、表示縮尺に応じて自動的に切り替わるが、リストの上部にある"Mode automatique: l'échelle détermine la couche affichée(自動モード:縮尺により表示レイヤーが決まる)"のチェックをはずすと、レイヤーが固定化され、そのレイヤーの拡大縮小ができるようになる。ただし、複数の地形図レイヤーを同時に選択することはできないようだ。

レイヤーの選択を解除したいときは、そのサムネールの上でクリックする。

地図の拡大縮小は、地図画面左上のスケールバーを上下させる方法や、マウスホイールを使う方法がある。また、範囲を指定して拡大縮小するときは、上のメニューにある専用のボタンをクリックして行うほか、Shiftキーを押しながらマウスで矩形を描くのも可能だ。

また、上のメニューには「<」(前の画面、すなわち「元に戻す」)、「>」(後の画面)というボタンがある。閲覧サイトでは珍しい機能だが、前の画像をもう一度見たいと思うときはあるもので、覚えておくと重宝する。

これまで見てきたフランスやオランダのサイトとは違って、IGNのサイトはあくまで最新図が対象であって、旧版図の画像は用意されていない。どこかにないものかと探したところ、次のサイトが見つかった。

Cartesius(カルテージウス)
http://www.cartesius.be/CartesiusPortal/

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「カルテージウス」初期画面
 

これはベルギーと(ベルギーの植民地があった)中央アフリカの古地図、旧版地図、空中写真の膨大なコレクションを一挙公開するという意欲的なサイトで、NGI / IGN、王立図書館 Bibliothèque royale、国立古文書館 Archives de l’Etat、王立中央アフリカ博物館 Musée royal de l’Afrique centrale が共同で開設したものだ。近代測量以前の古地図はもとより、1770年代のフェラーリ図 Cartes de Ferraris(下注)から最近の地形図に至るまで、各時代の地図資料が見られる。

*注 フェラーリ伯により1770~78年に作成されたオーストリア領ネーデルラントの彩色地図。手描きの原図は縮尺1:11,520で275面あるが、それをカッシーニ図に合わせて1:86,400、25面に編集した銅版刷りの普及版も作られた。このサイトで表示されるのは、ベルギー王立図書館所蔵の1:11,520原図を1:20,000に縮小した画像。フェラーリ図の索引図は http://www.ngi.be/FerrarisKBR/ にある。

以下、英語版で説明するが、初期画面(上の画面)には Search と MyCartesuis の2つの入り口がある。前者では、膨大なコレクションから目的のコンテンツを地図上、あるいはキーワードで検索する。後者は、検索で見つけたコンテンツを利用者がいつでも呼び出せるように保存し、メモをつけたり、グループ化したり、公開したりできる(ユーザー登録が必要)。

操作マニュアルは40ページ以上もあって、本稿ではとうていフォローできないが、まずはSearch(検索)機能を使って、旧版地図を探し出すところまでを説明しよう。

Blog_belgium_map_hp5
検索画面
 

Search をクリックして中に入ると、左に地図、右にキーワードを入力する画面が現れる。キーワードだけで検索するとヒット件数が多すぎる場合は、地図でエリア範囲を絞り込める。スケールバーで拡大縮小してもいいが、Shiftキーを押しながらマウスで範囲選択するほうが早い。

Blog_belgium_map_hp6
検索範囲や語句、属性を入力
 

このとき、Intersection(左の地図に部分的にでも含まれる地図を検索)か、Overlapping(同 完全に含まれる地図を検索)か、Everywhere(全範囲を検索)かを選択できる。

例として、キーワードを"Carte topographique(仏語で地形図の意)" にし、縮尺で"Part of province, City and surrounding area(州、都市と周辺の一部)" を選んだ。これで縮尺が1:10,000~1:75,000の範囲になる。地図を Brussel / Bruxelles(ブリュッセル)周辺まで拡大しておき、検索ボタンをクリックした。

Blog_belgium_map_hp7
検索結果
 
Blog_belgium_map_hp8
サムネールの展開
 

結果は201件がヒットした。これで希望のものが見つかればよし、そうでなく検索結果を消去して条件設定をやり直すときは Filter Empty、検索条件を追加してさらに絞り込む場合は Extended filterをクリックする。

右下に表示されている検索結果のサムネールにカーソルを当てると、その範囲が左の地図に黄色で表示される。サムネールのテキストをクリックすると、解説が表示される。その "See map" を選択するか、サムネールの画像部分をクリックすると、MyCartesuis の画面に移って、高精度の地図画像が表示される。

Blog_belgium_map_hp9
地図画像の表示
 

なお、英語版で上記の手順を実行したところ、いっこうに地図画像が現れなかったのだが、フランス語版で再試行すると短時間で表示された。もし英語版でサイトの反応が鈍いようなら、他の言語で試していただきたい。

使用した地形図の著作権表示 © 2018 IGN Topomapviewer

★本ブログ内の関連記事
 ベルギーの地形図
 ベルギーの地形図地図帳

 地形図を見るサイト-オランダ
 地形図を見るサイト-ルクセンブルク
 地形図を見るサイト-フランス
 地形図を見るサイト-ドイツ・バイエルン州

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