軽便鉄道

2025年1月17日 (金)

ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

アッペンツェル鉄道ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 AB Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen

ゴーサウSG~ヴァッサーラウエン間32.10km
軌間1000mm、直流1500V電化
1875~1913年開業

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ゴーサウ駅に停車中の「ヴァルツァー Walzer」

ザンクト・ガレン St. Gallen から西行きSバーンで3駅目のゴーサウ Gossau SG(下注)。駅舎寄りの標準軌線ホームから側線を隔てて少し離れた場所に、1本の島式ホームがある。10数両分の余裕がある標準軌側に比べて格段にコンパクトで、ローカル私鉄の雰囲気が漂う。

*注 Gossau は(ゴッサウではなく)ゴーサウと発音する。SG はザンクト・ガレン州の略。他州の同名の町と区別するため。

アッペンツェル鉄道のゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen は、長さ32.1kmの電化メーターゲージ線だ。このホームから出発し、ヘーリザウ Herisau、ウルネッシュ Urnäsch、アッペンツェル Appenzell といった町を経て、ヴァッサーラウエン  Wasserauen に至る。個性派ぞろいの同社の路線群を見てきた目には、取り立てて特色もなさそうに映るが、実は歴史が最も古く、ルーツと言うべき路線だ。

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ゴーサウ駅地下道入口
駅名標に両社のロゴが並ぶ
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ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線周辺の地形図にルートを加筆
ゴーサウ~アッペンツェル間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
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同 ウルネッシュ~ヴァッサーラウエン間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

開業したのは1875年4月(下注)、蒸気運転でスタートした。ただし、ルートは現在とは違い、ゴーサウのひと駅東のヴィンケルン Winkeln が起点で、ヘーリザウ(初代)を終点とする約4kmの小路線だった(下図1875年の項参照)。

*注 同年9月に開業したロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn より5か月早い。

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ゴーサウ~ヘリザウ間のルート変遷
 

ヘーリザウは、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の行政機関が集まる事実上の州都だ。当時、スイス東部ではザンクト・ガレンに次ぐ人口があった。しかし、高台に位置するため標準軌幹線(下注)が経由せず、町では連絡鉄道を求める声が高まっていた。

*注 1856年に開通したヴィンタートゥール=ザンクト・ガレン線 Strecke Winterthur - St. Gallen。1902年の国有化でSBB(スイス連邦鉄道)の一路線になった。

「スイス地方鉄道会社 Schweizerische Gesellschaft für Localbahnen (SLB)」が、鉄道建設に名乗りを上げる。バーゼル Basel に拠点を置き、同じように鉄道の恩恵を受けていない複数の地域で支線開設を目論む会社だった。その手始めがヘーリザウだったが、収益性の理由で、ウルネッシュとアッペンツェルへの延伸も計画に盛り込まれた。

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東側から望む初代ヘーリザウ駅と市街地(1910年以前)
Photo from wikimedia. License: public domain
 

1875年4月のヘーリザウ開業に続いて、同年9月にはウルネッシュまで完成して、運行が始まった。初代のヘーリザウ駅は、市街地の前に設けられた頭端駅だ。そのため、到着した列車は坂下の信号所までスイッチバックし、改めてウルネッシュへ向かった。

追加の資金調達が不調に終わり、会社が抱いていた他地域への拡張構想は頓挫する。結局、スイス地方鉄道会社は、1886年のアッペンツェル延伸開業を前に、アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn と改称し、地元の鉄道会社として存続するしかなかった。

ヘーリザウの町にとって、次の鉄道はザンクト・ガレンから到来した。1910年に開業したボーデンゼー=トッゲンブルク鉄道 Bodensee-Toggenburg-Bahn(現 スイス南東鉄道 Schweizerische Südostbahn (SOB))だ。新駅の設置によりヘーリザウは、標準軌線でザンクト・ガレンと直接結ばれることになった。

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SOB線ジッター川橋梁、高さ99m
 

アッペンツェル鉄道にとってこれは競合路線であり、かつ自社線は遠回りで乗換えを要するため、圧倒的に不利な状況だ。すでに1904年から、ガイス Gais 経由でアッペンツェルに到達したアッペンツェル路面軌道 Appenzeller Strassenbahn(下注)によって、終点駅でも客の争奪戦が発生していて、二重の打撃となることは避けられなかった。

*注 現 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn。

これを見越してアッペンツェル鉄道は、起点をヴィンケルンからゴーサウに移す認可を申請していた。ゴーサウでの接続の利点は、ヴィンタートゥール Winterthur など西方から近いことはもとより、支線によってヴァインフェルデン Weinfelden など北側からの集客も見込める点だ。後述のようにアッペンツェル鉄道は、ゼンティス Säntis への登山ルートとしても注目されていたので、域外からの観光客の誘致は重要課題だった。

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現在のゴーサウ駅SBB線ホーム
 

町裏の浅い谷に設けられた標準軌ヘーリザウ駅とともに、アッペンツェル鉄道の新駅も、谷間をならして造られた。両駅は、駅前通りを挟んで隣接していた。これにより、初代ヘーリザウ駅は廃止された。列車がスイッチバックしていた信号場も新駅より10mほど高みにあったために使えず、前後区間のルートが付け替えられた(上図1910年の項参照)。

ゴーサウ~ヘーリザウ新線は、それから3年遅れて1913年に開通した(下注、1913年の項参照)。これに伴い、ヴィンケルンからの旧線は廃止された。35‰の勾配で谷を大きく巻きながら上っていた旧線の一部は、現在小道となって残っている。

*注 その際、手狭だった標準軌ゴーサウ駅も300m南東へ移転し、前後区間が付け替えられた。

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新旧1:25,000地形図比較 ヴィンケルン付近
(左)1904年、谷を大きく巻いて上る旧線
(右)2024年、旧線の一部が小道として残る
© 2025 swisstopo
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同 ヘーリザウ付近
(左)1904年、市街地の前に設けられた初代ヘーリザウ駅
(右)2024年、新駅(二代目)はSOB線の駅に隣接
© 2025 swisstopo
 

この時期、根元区間の付け替えだけでなく、末端部でも重要な拡張が行われた。アッペンツェル~ヴァッサーラウエン間だ。この区間は観光鉄道として、1912年にゼンティス鉄道 Säntisbahn (SB) の名で開業している。

ゼンティス山はアルプシュタイン山地 Alpsteinmassiv の主峰で、標高2502m。ボーデン湖北岸のドイツ領からもよく見えるため、スイス東部で最も有名な山の一つだ。アルプス各地にラック登山鉄道が次々と建設されていた時代、ゼンティスでも同様の構想が繰り返し提起された。この鉄道も山頂を目指していたものの、山麓の平坦区間を造ったところで第一次世界大戦が勃発し、夢は実現しなかった。

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ヴァッサーラウエン駅の終端部
 

ゼンティス鉄道は最初から電化されていたが、アッペンツェル鉄道の電化は遅れて1933年のことだ。そして第二次世界大戦を経た1947年にはゼンティス鉄道を吸収、1988年には長年ライバルだったアッペンツェル路面軌道(下注)とも合併して、現社名のアッペンツェル鉄道(複数形)Appenzeller Bahnen となった。

*注 合併当時の名称は、前者がアッペンツェル=ヴァイスバート=ヴァッサーラウエン鉄道 Appenzell-Weissbad-Wasserauen-Bahn (AWW)、後者がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn (SGA)。

SBB(スイス連邦鉄道)のゴーサウ駅舎は、移転改築された1913年という時期を象徴するように、曲線を多用したアールヌーボー風の外観が目を引く。ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線は、長い地下道を渡ったメーターゲージ線専用の11番線から出発する。30分間隔の運行で、終点までの所要時間は51分だ。

電車はすでにホームにいた。2018年に就役したシュタッドラー・レール Stadler Rail 製の ABe 4/12 だ。国内の他路線でもときどき見かける3車体連節の部分低床車で、ここでは「ヴァルツァー Walzer」と呼ばれている。全体に赤をまとい、窓枠上部に白帯を巻くが、電動車の先頭部だけが黄帯で、1等室があることを示している。

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アールヌーボー風の外観をもつゴーサウ駅舎
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現在の主力車両「ヴァルツァー」(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0
 

すいた車内に入り、発車を待っていると、向こうのSBBホームに電車が到着した。チューリッヒから来たIR(インターレギオ)だ。すると少し間を置いて、リュックを背負った人たちが地下道の階段から大勢現れ、ヴァルツァーに乗り込んできた。今日は金曜日だが、レジャー需要は思った以上に大きいようだ。

10時21分に発車。SBB線と工場群を左に見ながら徐々に高度を上げていく。森を抜けると、SOB(スイス南東鉄道)線の上を跨いで、ヘーリザウ駅に停車した。事実上の州都の玄関駅だが、乗降は多くなかった。

ここで列車交換し、この先はアッペンツェラーラントの山間地に入る。路上や道端こそ走らないが、19世紀の軽便規格で建設された線路なので、右に左に細かいカーブが連続する。最新の電車でも線形には勝てず、速度は一向に上がらない。

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ヘーリザウ駅(2010年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ウルネッシュタール Urnäschtal(ウルネッシュ川の谷)に出て、ヴァルトシュタット Waldstatt に停車。一見広くなだらかな谷間だが、川が比高60m以上の深い渓谷を刻んでいる。線路は道路とともに、切れ込んだ支谷を避けて、大回りしながら南へ進む。集落どころか、ぽつんぽつんと農家があるばかりで、リクエストストップの小駅は通過してしまった。

ヴァルトシュタットから10分ほど走って、ウルネッシュに停車した。リュック姿の客が数組ホームに降りた。ゼンティス山頂へはロープウェイが通じているが、その乗り場シュヴェーガルプ(シュヴェークアルプ)Schwägalp へ行くポストバスがこの駅前から出ている。

反対側から、ゴーサウ行きの対向列車が入線してきた。それを待って出発。穏やかな流れになったウルネッシュ川を渡ると、列車は左に急旋回して、今来た谷を戻る形になる。川向うの線路を、今さっき行き違った列車が走り去るのが見えた。

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ウルネッシュで行違った列車が対岸を走り去る
 

丘をゆっくり上って、クローンバッハ川 Kronbach の谷へ。視界が開けてくると、ヤーコプスバート Jakobsbad をはじめとするウィンターリゾートのゴンテン Gonten 地区を貫いていく。地形的には、ウルネッシュとアッペンツェルの間にある谷中分水界だ。ゴンテン~ゴンテンバート Gontenbad 間にある州道の踏切付近が標高905mで、この路線の最高地点になる。

ゴンテンバートからは下り坂に転じて、美しい緑の牧野を愛でながら走る。まもなく左車窓、行く手にアッペンツェルの町が見えてきた。町は、標高約780mの高地に位置する。グラールス州とともに今なおランツゲマインデ(民会)による直接民主制を維持していることで知られるアッペンツェル・インナーローデン準州 Appenzell Innerrhoden の州都だ。その玄関駅に11時00分到着、ここで最後の列車交換がある。

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車窓に映るアッペンツェル郊外の牧野風景
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アッペンツェル市街ハウプトガッセ Hauptgasse
熊を象った州旗のある建物は市庁舎
 

駅舎は1886年開業時の建築だが、1930年代に正面の外観が改修されている。現在見られる寄棟屋根と独特の曲線破風はこのときに造られた。構内は2面4線で、駅舎側からザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(1番線)、ホームのない通過線(2番線)、島式ホームのゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(3・4番線)の順で並ぶ。

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アッペンツェル駅
(左)駅舎正面(右)ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線ホーム
 

拠点駅とはいえ、停車時間は長くない。乗降が終わるとすぐにまた動き出した。残り区間は、旧ゼンティス鉄道のルートだ。いっとき左車窓をザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線が並走するが、ジッター川を渡るためにまもなく左に離れていく。右手には2025年2月完成予定で、新しい車両基地アッペンツェル・サービスセンター Servicezentrum Appenzell が目下建設中だ。

河畔林を伴うジッター川を渡り、2車線の州道に沿って走る。勾配は緩やかだが、相変わらずカーブの多いルートだ。行く手に、屏風のようにそびえるアルプシュタインの岩壁が見えてきた。クーアハウスがホテルとして残る古い保養地ヴァイスバート Weissbad に停車。やがて家並みが消え、谷が狭まり、いよいよ両側を急峻な岩山が取り囲み始めた、と思ったら、もう終点だった。

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ヴァッサーラウエン駅
(左)レジャー客が多数降りる(右)岩山が取り囲む谷間の終点
 

ドアが開くと、車内に残っていたリュック姿の多くの客が一斉にホームに降り立った。ヴァッサーラウエン Wasserauen(下注)は緑の谷のどん詰まりで、もはや周りにまとまった集落はない。駅の利用者はほぼレジャー客だ。

*注 ヴァッサーラウエンは水のある Wasser +麗しい草地 Aue を意味する。語の成り立ちを尊重してヴァッサーアウエンとも書かれる。

ラック鉄道は実現しなかったが、すぐそばに、断崖を縫う展望トレールとガストハウスで有名なエーベナルプ(エーベンアルプ)Ebenalp へ上るロープウェーがある。また、徒歩で山奥にたたずむゼーアルプ湖 Seealpsee へ向かう人も多い。晴れた朝の山岳地帯に見られる荘厳な空気が、谷底のこのあたりにまで降りてきている。私のように6分で折り返す電車で帰ってしまったのでは、あまりにもったいない。

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(左)駅前を流れ下るシュヴェンデバッハ川 Schwendebach
(右)エーベナルプに上るロープウェー
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エーベナルプのベルクガストハウス・エッシャー Berggasthaus Aescher(2015年)
Photo by kuhnmi at wikimedia. License: CC BY 2.0
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ゼーアルプ湖、正面右奥の雲間にゼンティス山頂が覗く(2020年)
Photo by Giles Laurent at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線

アッペンツェル鉄道ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 AB St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn

ザンクト・ガレン~アッペンツェル間19.92km(下注)
軌間1000mm、直流1500V電化
1889~1904年開業、1931年電化

*注 2018年のルックハルデ新線開通に伴う値。旧線時代は20.06km。

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新トンネルの出口にあるリートヒュスリ停留所

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「市内貫通線 Durchmesserlinie」として、前回のトローゲン鉄道と直通運転されている相手が、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn だ。地元ではガイザーバーン(ガイス鉄道)Gaiserbahn とも呼ばれる。スイス北東部、ザンクト・ガレン St. Gallen からガイス Gais を経てアッペンツェル Appenzell に至る19.92kmの路線で、以前からアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen の路線網の主要部分を形成してきた。

メーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線で、主として道路の脇を走る道端軌道だが、これは長年にわたる施設改良の成果だ。開業時は非電化で、かつ数か所のラックレール区間があるラック式・粘着式併用の路面軌道だった。

ラックレールが最後まで残っていたのが、ザンクト・ガレン市街南東の丘を上る約1kmの区間だ。半径30mの厳しいオメガカーブ、通称ルックハルデカーブ Ruckhaldekurve があることでも知られていた。詳細は後述するが、2018年にこの難所が解消されたことでラック式電車が不要となり、市内貫通線が実現したのだ。

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ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

歴史をたどると、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線は1889年、アッペンツェル路面軌道会社 Appenzeller-Strassenbahn-Gesellschaft (ASt) によって、ガイスまでの区間が先行開通している。建設を推進するアッペンツェラー・ミッテルラント Appenzeller Mittelland の沿線自治体に対して、起点となるザンクト・ガレン市民の反応は冷ややかで、市街地の道路上での軌道敷設が許可されなかった。ルックハルデの険しい専用軌道は、そのために必要となった迂回路だ。

市外に出ると、軌道は旧来の道路上で、終点に向かっておおむね左側に寄せて敷かれた。当時は粘着式で45‰を超える勾配を上ることができず、該当区間にはラックレールが追加された。ラック区間はルックハルデを含めて6か所あった(下注)。

*注 後述するアッペンツェル延伸でも1.7kmの長いラック区間が設けられたので、最終的には7か所となった。

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急勾配急曲線だったルックハルデカーブ(2014年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

アッペンツェルへの延伸開業は、少し遅れて1904年になる。ここにはすでに1886年に、ヘリザウ Herisau 方面から同じメーターゲージのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn が到達していたので、その駅に乗入れた。また、ガイスには1911年、ライン川の谷壁を上ってきたアルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) が接続した。

路線網が充実していく間に、社名も変遷を重ねている。1931年の電化開業で、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA) になり、1948年のアルトシュテッテン=ガイス鉄道との合併では、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn と、さらに長くなった。

一方、目的地を同じくするアッペンツェル鉄道とは長らくライバル関係にあったが、1988年に合併し、改めて「アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB)」と名乗るようになった。日本語では区別できないが、原語では旧社名が単数形、新社名は複数形だ。

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ザンクト・ガレン支線駅に入るアッペンツェル行き電車
 

かつてアッペンツェル線の主力車両は、ラック・粘着式併用のBDeh 4/4で、1981年に5編成が調達された後、1993年にも2編成の追加があった。ラック撤去により前者は引退し、チロルのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に引き取られたが、結局使われることはなかった(下注)。後者は、160‰の急勾配ラック区間があるアルトシュテッテン=ガイス線用として、今なお現役だ。

*注 この事情については「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

市内貫通以降、アッペンツェル線の運用車両は、シュタッドラー製のタンゴ Tango に統一されている。赤塗装、6車体連節の部分低床車で、跳ね上げシートを含め147席(うち1等12席)と、余裕の収容力を誇る。運行間隔は日中の平日が15分、休日が30分だ。

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(左)シュタッドラー・タンゴ
(右)シックな座席が並ぶ車内

では、ザンクト・ガレンから順に、沿線風景と路線改良の跡を追っていこう。

SBB(スイス連邦鉄道)駅と地続きの、通称「支線駅 Nebenbahnhof」がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(以下、アッペンツェル線)の起点になる。市内貫通以前は、支線駅舎をはさんで反対側の頭端式ホームで発着していた(下写真参照)が、現在は通過形の2面2線で、見た目は中間停留所と変わらない。

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ザンクト・ガレン支線駅
アッペンツェル方面から電車が到着
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市内貫通以前のアッペンツェル線発着ホーム
左端は現ホーム(当時はトローゲン線用)(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ザンクト・ガレン駅を後にした電車は、SBB線と並走しながら南西方へ進む。ザンクト・レオンハルト橋 St. Leonhardsbrücke と呼ばれる陸橋の下をくぐった後、かつては左に急カーブして、旧 SBB貨物駅の外側を通っていた。貨物駅の移転に伴う跡地再開発の一環で、線路はSBB線沿いに移設され、減速が必要だった急カーブも解消された。

その一角に2022年、ザンクト・ガレン・ギューターバーンホーフ St. Gallen Güterbahnhof という名の停留所が新設された。ギューターバーンホーフは貨物駅という意味だが、貨物を扱うわけではなく、ふつうの旅客用電停だ。

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新旧1:25,000地形図比較、ルックハルデカーブの前後
(左)2017年、旧線はSBB貨物駅を迂回し、オメガカーブで丘を上っていた
(右)2024年、新線は(旧)貨物駅北側を直進し、トンネルに入る
© 2025 swisstopo
 

ここを通過すると、線路は左に緩くカーブしていき、いよいよルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel に突入する。2018年に完成したアッペンツェル線唯一の本格的なトンネルで、長さ725m。名が示すとおり、同線最後のラック区間だったルックハルデカーブの代替ルートだ。内部はS字形にカーブしていて、旧線より若干緩和されたとはいえ、80‰の勾配は粘着式として限界に近い。

暗闇を抜けるとすぐリートヒュスリ Riethüsli 停留所がある。トイフェン街道 Teufenerstrasse の裏手で、その昔、市電5系統の終点だったネスト Nest 電停のすぐそばだ。ちなみに、市電5系統は1950年7月にトロリーバスに転換されて姿を消した。電停の終端ループ跡は舗装されて、今もトロリーバス用として使われている。

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リートヒュスリ停留所
(左)ザンクト・ガレン方 (右)アッペンツェル方
 

ところでルックハルデの旧線跡は、今どうなっているのだろう。気になっていたので、途中下車して見に行った。旧線跡は停留所から南へ150mの、現路線がトイフェン街道脇に出る地点から始まる。もとはここにリートヒュスリ停留所があった(下写真参照)。

ザンクト・ガレン方向へ、上り坂のトイフェン街道を歩いていく。向かって右側の広い歩道が旧線跡だが、200m先にある三叉路で、道路の左側に移る。右手が上述の旧ネスト電停で、そこから出てくる市電の線路に道を譲っていたのだ。そこからサミットを越えるまでの約300mは、1950年の市電廃止まで、道路中央に市電、左側にアッペンツェル線という並走区間だった。その名残で道幅が広く、歩道にも余裕がある。


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停留所南150mの新旧線路分岐地点で北望
旧線は街道の右縁を直進し、
旧 リートヒュスリ停留所が正面の駐車場付近にあった
 

急な下りにかかるとトイフェン街道と市電線路が右にそれていき、アッペンツェル線は専用軌道になっていた。廃線跡はすっかり草に覆われているが、緩くカーブしていて、それとわかる広さがある。真ん中に踏み分け道がついていたので行ってみた。もとは100‰の勾配(下注)なので、おのずと足取りが軽くなる。市街地を見下ろす右手の斜面には市民向けの貸し農園が広がり、トタン屋根の簡素な小屋がいくつも建っている。この小道も実はそこへ通うためのものだ。

*注 開業時の当該ラック区間はリッゲンバッハ式、延長978 m、最大勾配92‰だったが、1980~81年に改修された際、リッゲンバッハ、シュトループ、ラメラ(フォン・ロール)混合方式で延長が946mに短縮された代わり、勾配は最大100‰になった。

農園の境界までは問題なく進めたのだが、そこで通せんぼするような低い柵が講じてあり、道も消えていた。先は一面の草地で、目を凝らすと、急旋回しながら降りていたルックハルデカーブの痕跡をなぞることができる。大昔、乗った電車の窓から見た記憶がよみがえってきた。

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(左)旧ネスト電停前、右から市電が出てきて画面奥へ並走していた
(右)街道と市電が右にそれる地点
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(左)アッペンツェル線の軌道跡(中央左の踏み分け道)が始まる
(右)貸し農園の上方を降りていく
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ルックハルデカーブの痕跡
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ルックハルデカーブの現役時代(1984年)
 

草地の旧線跡はこの後、ルックハルデトンネルの出口付近で新線と合流するのだが、私有地につき立入りは諦めて、本線の追跡に戻った。

トイフェン街道の進行方向左側で道端軌道になったアッペンツェル線は、リーベック信号所 Dienststation Liebegg を通過する。新線完成で所要時間が2分短縮され、列車交換は次のルストミューレ Lustmühle 停留所で行われるようになった。ルストミューレは、森を出て右に急カーブする地点にあるが、ダイヤが多少乱れても対向列車への影響を最小限にとどめられるよう、退避線は500m以上と異例の長さが取られている。

再び周りを人家が取り囲むようになれば、沿線の中心地の一つトイフェン Teufen だ。町中の延長400mほどは沿線で唯一、線路と車道が分離されておらず、くねくね曲がって見通しが悪い。さらに、シュパイヒャー街道 Speicherstrasse が分岐する駅手前の三叉路は、電車も横断するため、事故のリスクが高い。ルックハルデカーブが解消された今では、最後の難所と言えるだろう。

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トイフェン市街の併用軌道を行く(2007年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トイフェン駅 Teufen AR(下注)は、大柄な駅舎の前に2面3線の構内が広がっている。平日日中は2本に1本の電車がここで折り返すので、この先は30分間隔の運行になる。

*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。

トイフェン駅を出ると短い下り勾配に変わり、この後たどるロートバッハ川 Rotbach の谷へ降りていく。ガイス開業時に6か所あったラック区間の一つがここだ。86‰の下り坂だったが、1976年に道路併設で勾配を62‰に緩和した新しいゴルディバッハ橋 Goldibachbrücke が完成して、ラック旧線は撤去された。

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(左)トイフェン駅舎
(右)2面3線の構内
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同 トイフェン南方ゴルディバッハ橋
(左)1971年、旧線時代
(右)1989年、旧道の東側に勾配を緩和した新道併設の新線が造られた
© 2025 swisstopo
 

ずっと道路の左側を並走してきた線路が右側に移ると、まもなく次の町ビューラー Bühler だ。ビューラー駅はかつて、本線が道路上の併用軌道、待避線が駅舎裏の専用軌道という珍しい配置だったが、1968年に本線も駅舎裏に移された。それで外側の2番線は急なカーブを切っている。

町を抜けると再び道路を斜め横断し、そのまま道路際から離れてシュトラールホルツ Strahlholz 停留所の手前まで独自ルートを上っていく。もとは87‰勾配でラックレールが敷かれていたが、1983年に60‰で曲線も緩やかな新線に切り替えられた。

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1984年のビューラー駅
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同 ビューラー南東方
(上)1971年、旧線は道端軌道
(下)1989年、新線は専用軌道化して勾配を緩和
© 2025 swisstopo
 

2~3分も走れば、一次開業時の終点だったガイス Gais 駅だ。町の中心ドルフプラッツ Dorfplatz は駅の東300mにあるので、線路はその方を向いて駅に進入する。ここも立派な駅舎がそびえ、構内は2面3線だ。駅舎方の1番線はアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais(次回参照)の列車用で、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の列車が入る。通常ダイヤでは上下列車の交換がある。

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(左)ガイス駅舎
(右)アッペンツェル行が2番線で待機中
 

目指すアッペンツェルは後方(西方)なので、常識的にはスイッチバック駅になるところだ。ところが電車はそのまま前進し、ルックハルデに次ぐ半径40mの急カーブで180度向きを変える。開業時の小型単車ならともかく、長さ50mを超える車両がこのカーブを、車輪をきしませながら慎重に曲がっていくようすはなかなか見ものだ。アッペンツェル線のガイス車庫・整備工場は、カーブを曲がり終えた地点にある。

牧草地を横切っていくうちに右手からガイス街道 Gaiserstrasse が接近してきて、線路は再びその道端に収まる。緩やかな鞍部に位置するザンメルプラッツ Sammelplatz 停留所は標高928mで、この路線の最高地点だ。

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半径40mの急カーブを回る
 

線路は、ここからアッペンツェルの町に向けて下り坂にかかる。もとは最大82‰勾配のラック区間が1.7kmの間続いていたが、1979年に、坂の下部にヒルシュベルクループ Hirschbergschleife(下注)と呼ばれる50‰勾配の迂回線が完成して、旧線を置き換えた。上部にはまだ最大63‰の勾配区間が残っていたが、同じタイミングで粘着式に切り替えられている。

*注 この場合のループ Schleife は、弧状のルートを意味する。

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同 ヒルシュベルク付近
(上)1971年、ジッター川へ直降していた旧線時代
(下)1989年、新線は迂回で勾配緩和
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見晴らしのいい迂回線でヒルシュベルクの斜面を降りきると、ジッター川とその氾濫原だ。電車は長さ296m、曲弦プラットトラスと多数のコンクリートアーチで構成されたジッター高架橋 Sitterviadukt を渡っていく。下流では比高100mの大峡谷を形づくる川だが、ここではまだ穏やかな表情で、盆地の平底をゆったりと流れている。

向こう岸で左後方から来るヴァッサーラウエン線と並走し始めれば、電車旅はまもなく終わる。ザンクト・ガレンから38分で、アッペンツェル・インナーローデン Appenzell Innerrhoden(準州)州都の玄関口アッペンツェル駅に到着だ。

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修復工事中のジッター高架橋を渡る
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終点アッペンツェル駅
 

次回は、ガイスで分岐しているアルトシュテッテン=ガイス線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 トローゲン鉄道
 アルトシュテッテン=ガイス線
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2024年12月21日 (土)

トローゲン鉄道

アッペンツェル鉄道トローゲン線 AB Trogenerbahn (TB)

ザンクト・ガレン St. Gallen~トローゲン Trogen 間9.80km
軌間1000mm、直流600V(ザンクト・ガレン~シューラーハウス Schülerhaus 間)、直流1500V(シューラーハウス~トローゲン間)電化、最急勾配76‰
1903年開通

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シュパイヒャー駅に進入するトローゲン鉄道の電車
 

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スイス北東部に広がる起伏の大きな丘陵地帯の一角に、トローゲン Trogen の町がある。人口2000人足らずの小さな自治体だが、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の司法府の所在地(下注)として、重要な位置を占める。

*注 同州には法的な州都 Kantonshauptort は存在せず、立法府と行政府はヘリザウ Herisau に、司法府はトローゲンにある。

トローゲン鉄道 Trogenerbahn (TB) は、主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen とこの町を含むミッテルラント郡 Bezirk Mittelland 北部を接続する延長約10kmの電気鉄道だ。谷底にあるザンクト・ガレン市街からサミットまで270mある標高差を最大76‰の勾配で克服していく。ラックレールの助けを借りずに(=粘着式で)上るものとしては、2018年に供用されたルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel(下注)の80‰に次ぐ急勾配だ。

*注 次回紹介するザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線にある。

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ボーデン湖を背にして最大76‰の勾配を上る
 

鉄道は1903年に開業した。以来1世紀の間、独立運営されてきたが、2006年に周辺の2社とともにアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) に合併され、同社の路線網に組み込まれた。日本流にいうなら、アッペンツェル鉄道トローゲン線になったわけだ。

さらに2018年10月には、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn(以下、アッペンツェル線)との直通化工事、いわゆる市内貫通線 Durchmesserlinie が完成し、低床6車体の長い連節車両がザンクト・ガレン経由で、トローゲンとアッペンツェルの間30kmを通しで走るようになった。ほんの20年前まで、ローカル線然とした2両編成が駅前で折り返していたのに比べれば、驚くべき変わりようだ。

今回は、この発展目覚ましいトローゲン鉄道を訪ねてみたい。

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トローゲン鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

SBB(スイス連邦鉄道)の、宮殿と見紛うようなザンクト・ガレン駅舎に向かって左手に、アッペンツェル鉄道の列車が発着する通称「支線駅(ネーベンバーンホーフ Nebenbahnhof、下注)」がある。2本の線路が、SBB駅から続く古代建築ポルティコ風の通路を横切っている。

*注 Nebenbahnは幹線に対する地方線、支線を意味する。

通路の向こう側(西側)が市内貫通線の相対式ホームで、SBB線からの乗継ぎ客が電車が来るのを待っている(下注)。直通化される前もここがトローゲン方面の乗り場で、対するアッペンツェル線は大通りの側にある頭端式ホームを使っていた。架線電圧も車両限界も異なり、後者にはラック区間も残っていたので、まったく別の路線として扱われていたのだ。

*注 郊外区間での列車交換は左側通行だが、ザンクト・ガレン駅と市内の併用軌道区間は車道に合わせて右側通行になっている。

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ザンクト・ガレン支線駅
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(左)トローゲン行きが到着
(右)併用軌道に接続されているため右側通行
 

ザンクト・ガレンにははるか昔に一度来たことがあるが、当時トローゲン鉄道の主役は2両編成のBDe 4/8形だった。1975~77年製で全長30.2m、砂撒き装置を備え、制御車は軽量化のためにアルミニウムボディーという急勾配対応車両だ。在籍していた5編成のうち1編成は廃車になったが、残りは2009年以降、順次イタリア北部のリッテン鉄道 Rittnerbahn(下注)に移籍し、装いも新たに今なお走っている。

*注 リッテン鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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トローゲナーBDe 4/8形
(左)ザンクト・ガレン駅にて(1984年)
(右)リッテン鉄道に移籍後(2019年)
 

BDe 4/8に取って代わったのが、シュタッドラー製のBe 4/8形だった。部分低床、3車体連節のモダンなスタイルで、全長は37mある。2004年と、アッペンツェル鉄道合併後の2008年に全部で5編成調達されたが、稼働期間は短かった。市内貫通線の完成に伴い、2018年にお役御免となり、現在はヌーシャテル交通局 Transports Publics Neuchâtelois (transN) の郊外路面軌道リトライユ Littorail に活躍の場を移している。

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トローゲナーBe 4/8形
(左)マルクトプラッツ停留所にて(2014年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ヌーシャテルに移籍後(2024年)
 

これら歴代の専属車両、いわゆる「トローゲナー Trogener」に対して、2018~19年に就役したシュタッドラー・タンゴ Stadler Tango は、両線を通しで走るために製造された新型車両だ。6車体連節で全長は52.6mとさらに長くなり、収容力の増強が図られた。トローゲンの車両限界に従って車幅が2400mmのため、より広い2650mmを許容してきたアッペンツェル線内などのホームではドアステップが出るようになっている。

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6車体連節のシュタッドラー・タンゴ
 

さて、ザンクト・ガレンからトローゲンまでは所要26~27分だ。平日は日中15~30分間隔、休日は同30分間隔のダイヤで、便利に利用できる。

ザンクト・ガレン駅を出発した電車は、駅前通り Bahnhofstrasse を複線の併用軌道で西へ向かう。市営トロリーバスのルートが並走し、交差もするので、双方の架線が道路の上空に張り巡らされて、まるで蜘蛛の巣のようだ。郊外の架線電圧は直流1500Vに統一された(下注)が、市内の路面区間はトロリーバスに合わせて600Vのままのため、電車は複電圧対応になっている。

*注 市内貫通以前は、トローゲン鉄道が直流1000V、アッペンツェル線が同1500Vだった。

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駅前通りではトロリーバスの架線も並走
 

バス乗り場のあるSBB駅舎の前を通過し、SBB線と少しの間並走した後、町中に入って、大屋根の掛かるマルクトプラッツ Marktplatz 停留所に停車した。市の立つ広場を意味するマルクトプラッツはどこの町でも中心地区だが、ザンクト・ガレンの場合は歴史ある旧市街 Altstadt の南と北を分ける境に位置する。

バス路線も集中する公共交通の結節点なので、周辺はいつも賑わっていて、車内の客がごっそり入れ替わる。他の停留所と同様、ここも乗降客がある時だけ停まるリクエストストップだが、通過する電車はないに等しい。

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マルクトプラッツ停留所、右後ろはヴァークハウス
 

郊外路線であるトローゲン鉄道が街の真ん中に堂々と停留所を構えることができたのは、この区間がかつて市電の路線だったからだ。トラムバーン Trambahn と呼ばれたザンクト・ガレン市電は1897年に開業していた。遅れて通じたトローゲン鉄道はその路線網に乗入れることで、市内へのアクセスルートを確保した。

市電は1957年を最後にトロリーバスに全面転換されるが、乗入れ区間だけは線路が撤去されず、1959年にトローゲン鉄道に移管されて存続した。貫通線になる前、この停留所はトローゲン方面の利用者のための施設だったわけだが、今ではアッペンツェル線側からも乗り換えなしで到達できる。実用性はもちろん、心理的な効果も大きいことだろう。

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(左)最もにぎわう停留所
(右)発着案内、下にあるのは乗車告知ボタン
 

電車はこの後、文化財建築ヴァークハウス Waaghaus の横をかすめて、ブリュールトール Brühltor の交差点で右折する。市電時代、線路が3方向に分岐していた場所で、トロリーバスの架線がその跡を引き継いでいる。

ここからはトローゲン鉄道が建設したオリジナル区間になるが、まだしばらく併用軌道が続く。緑うるわしい街路ブルクグラーベン Burggraben に沿って、シュピーザートール Spisertor 停留所に停車。その先のラウンドアバウトで左折すれば、いよいよ上り坂にさしかかる。クランク風の急カーブを経てシュパイヒャー街道 Speicherstrasse に入り、まもなくシューラーハウス Schülerhaus 停留所に達する。複線区間と併用軌道の終端だ。

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(左)旧市街の出入口の一つ、シュピーザートール
(右)シュパイヒャー街道を上る
 

開業時は全線が道路上を通っていたトローゲン鉄道だが、拡幅や曲線緩和といった道路改良工事に合わせて、軌道の分離が1950年代から1990年代にかけて段階的に実施された。現在、シューラーハウス以遠はすべて専用線で、道路脇を通るいわゆる道端軌道になっている。

そのため走行環境は良好で、電車は76‰の急な坂道をものともせず、すいすいと上っていく。丘の上に建つノートケルゼック修道院 Kloster Notkersegg を右に見送り、ボーデン湖 Bodensee の広い湖面を左手遠くに望んだところで、右に大きくカーブを切って尾根を回る。ここでいったん勾配が和らぎ、浅い谷間で右手に、山の湖ヴェーニガーヴァイアー Wenigerweier がちらと見えた。

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(左)フェーゲリンゼック停留所
(右)郊外区間は道路との分離が完了
 

再び勾配が強まると(2か所目の76‰)、しばらく隠れていたボーデン湖のパノラマがまた姿を現す。時間にすればわずかだが、ランク Rank、フェーゲリンゼック(フェーゲルインゼック)Vögelinsegg 両停留所間の、牧草地の山腹に付けられた坂道が最も見晴らしのいい区間になる。

フェーゲリンゼックの尾根は、15世紀、修道院の支配に民衆が反旗を翻したアッペンツェル戦争の古戦場だ。線路が急カーブで180度向きを変える地点が全線のサミットで、標高は957m。ずっと道路の左側を走ってきた電車が、下り坂で右側に移る。周りに民家が増えてしばらくすると、道路からいったん離れ、シュパイヒャー Speicher 駅の狭い構内に滑り込む。

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フェーゲリンゼック手前の眺望地点
 

高原の町シュパイヒャーは人口約4500人で、トローゲンより規模が大きい。鉄道にとっても車庫・整備工場が設置された運行の拠点だ。かつてはトローゲンと同じようなシャレー風の駅舎があったが、惜しくも1997年に複合ビルに建て替えられてしまった。

乗ってきた電車は、たまたまシュパイヒャー止まりの入庫便だった。ホームは2面2線だが、直接、車庫へは入れない。いったんザンクト・ガレン方にバックしてから、ホームに並行する引込線に転線する。長い編成だけに、踏切をまたいで構内外を出入りする、けっこう大掛かりな作業だ。

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(左)シュパイヒャー駅で列車交換
(右)車庫に戻る電車
 

シュパイヒャーからの最終区間はまた道端軌道で、坂を昇り降りしながら、ものの5分で終点トローゲンに到着する。列車交換はシュパイヒャーで済ませているから、線路は棒線で、無造作に行き止まっている。シャレー駅舎は山側にあって、シュパイヒャー街道から見えるのは、駅の玄関側ではなく、ホーム側だ。

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シャレー風駅舎のトローゲン
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(左)電車が到着
(右)折返しの発車を待つ
 

町の中心はランツゲマインデ広場 Landsgemeindeplatz で、駅から300mばかり先にある。ここでは1997年まで隔年で、直接民主制のランツゲマインデ(民会)が開催されていた。ゲマインデハウス Gemeindehaus(現 州立図書館)、ラートハウス Rathaus(現 裁判所)、改革派教会、博物館などが入るツェルヴェーガーの二重宮殿 Zellweger'sche Doppelpalast と、威厳を放つ18世紀の中層建築が、石畳の広場を護るように取り囲んでいる。緑の丘のへりに突如現れるこの地区は、物語に出てくる空想都市のような不思議な光景だ。

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トローゲンのランツゲマインデ(民会)広場
 

次回は、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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2024年11月23日 (土)

アルトゥスト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー

プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste

ラ・サジェット La Sagette~ラック・ダルトゥスト(アルトゥスト湖)Lac d'Artouste 間 9.5km
軌間500mm、非電化
1920年工事軌道として開設、1932年観光鉄道開業

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絶壁に穿たれた軌道
オルミエーラ~アルイ両待避所間(復路で撮影)

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プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste として知られるアルトゥスト湖観光鉄道 Chemin de fer touristique du Lac d'Artouste(下注)は、ピレネー山脈中部のフランス側にある軽便路線だ。軌間は500mmとメーターゲージの半分で、見たところ、鉱山から鉱石を運び出しているトロッコか、遊園地の中を巡っているミニ列車を思わせる。

*注 「アルトゥスト湖観光鉄道」の名はIGN旧版地形図にあるが、現在、公式には使われていない。

しかし、鉱山や遊園地と違って、その舞台は標高2000m近い山の斜面だ。底深いU字谷を隔てて、向かいにピレネーの山並みを見晴らしながら、断崖絶壁に穿たれたスリル満点のルートを走っていく。

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オーバーハングの下を行く
アルイ~ル・リュリアン両待避所間(往路で撮影)
 

ただし、これは登山鉄道ではない。山頂をめざして登っていくのではなく、線路は等高線に沿って延びている。厳密に言うと最高地点は起点側にあり、山奥の終点のほうが少し低いくらいだ。詳細は後述するが、山麓との標高差は、連携運行されているロープウェーが前もって克服している。スイスアルプスのミューレン鉄道(下注)などと同じように、鉄道はその後を引き継ぎ、もっぱら水平距離を稼ぐ役割に徹しているのだ。

*注 詳細は本ブログ「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」参照。

終点にあるアルトゥスト湖は、もともと谷を覆っていた氷河が残したモレーン(氷堆石)によって、上流側が湛水した氷河湖だ。1920年代にダムでかさ上げされ、それ以来、水力発電用の貯水池として利用されてきた。ダムからフランス・スペインの国境が通る分水嶺までは、わずか3km。山脈の最奥部まで手軽に到達できるこの小列車は、中部ピレネーで高い人気を誇る観光アトラクションになっている。

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アルトゥスト湖の水辺
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アルトゥスト湖観光鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

フランス南部の主要都市ポー Pau から南へ約60km、オッソー川 L'Ossau を堰き止めたファブレージュ湖 Lac de Fabrèges のほとりが、アトラクションの出発点だ。湖の西側を走る地方道から見て対岸にロープウェーの乗り場があり、これで小列車が待つラ・サジェット La Sagette まで上っていく。

時は9月下旬。雨を境に冷気が入ってきた。麓はまだそれほど寒くないが、チケット売り場に並ぶ人たちはしっかり着込んで、準備怠りない。

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ファブレージュのロープウェー山麓駅
 

購入するチケットはロープウェーと列車の通しになっていて、主に次の2種類がある。

ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ)Billet Découverte は大人27ユーロ(2024年9月現在)。これは所要約3時間30分のコースだ。公式サイトによると内訳は、列車乗車が55分(片道)×2、終点到着後にハイシーズン1時間20分、ローシーズン1時間40分の自由時間があり(下注1)、この間にダム見学ができる。また、実際はここにロープウェー乗車の片道15分(下注2)と数分の乗換時間が加わる。行き帰りの列車時刻はチケット購入時に指定されるが、一般観光客ならこのきっぷで十分だ。

*注1 2024年の場合、ハイシーズンは7月6日~9月1日、ローシーズンは5月8日~7月5日と9月2日~10月6日。これ以外は冬季運休となる。
*注2 公称15分だが、実際は12分程度で到着する。

もう一つのビエ・エスカパード(逃避きっぷ)Billet Escapade は大人33ユーロ。こちらは一日コースで、ハイシーズンの場合、9時から16時の毎時00分に出発する列車のいずれかに乗っていき、19時15分の最終列車で戻る。ローシーズンは10時、12時、13時、14時のいずれかの出発で、平日16時45分、週末17時45分の列車で戻る。山で一日を過ごすトレッカー向けなので、復路便固定でもまず満員にはならないのだろう。もし満員になりそうなら、続行列車が手配される。

さっそく窓口へ行くと、今すぐロープウェーに乗れば11時の列車に間に合う、と発券してくれた。ロープウェーの時刻10時30分、列車11時、復路(の列車)13時45分と印字されている。横の階段を上がって乗り場へ急ぐ。6人乗りの小型キャビンに、待つこともなく乗り込むことができた。

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(左)出札口
(右)ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ)
 

ロープウェーは循環式で、山麓ファブレージュ駅と山上ラ・サジェット駅の間を結ぶ。延長2060m、高度差は660mだ。谷を覆っていた深い霧が次第に薄まり、高度が上がるにつれて国境に連なる標高2500m級の山々が姿を現し始めた。天気は回復に向かっている。

ちなみにこの設備は、1983年に供用開始された新しいものだ。それ以前は1.5km下流のアルトゥスト発電所前に乗り場をもつ交走式ロープウェーで上っていた。これは今もまだ残っていて、水力発電事業者のSHEMが作業員や資材の運搬に使用している。旧ロープウェーの山上駅は新駅の約1km西に位置するが、軽便鉄道も本来この旧駅が起点で、新駅との間約1km(下注)は、一般客に開放されていない貨物線、一部は車庫への引込線だ。

*注 9.5kmとされる路線長は、この区間も含んでいる。

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(左)6人乗りキャビン
(右)谷を覆う霧は薄まりつつある
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山上駅からオッソー谷の展望(復路で撮影)
右奥の奇峰はピック・デュ・ミディ・ドッソー(オッソー南峰)Pic du Midi d'Ossau
 

新 山上駅でキャビンを降りると、空気がひんやり感じられる。ロープウェー駅舎の前に鉄道の乗り場があり、鮮やかな黄色と赤のツートンに塗り分けた小列車がすでにスタンバイしていた。

エンジン音も高らかな機関車は、1963年ビヤール Billard 社製のT60D形ディーゼル、7号機だ。行きは逆機(バック運転)になるので、前後とも見通せるよう、運転席が横向きにされているのが面白い。客車はオープンタイプで、6両つないでいる。車内には、縦に半回転させると向きが変えられる樹脂製の座席が6列並ぶ。朝方は雨だったのだろう。客車の片側はまだ防水カバーが掛けられたままだ。客には最後尾から順に詰めるように案内しているらしく、空いているのは先頭車だけだった。

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(左)小列車を牽くディーゼル機関車
(右)オープン客車、座席は縦回転で向きが変えられる(終点で撮影)
 

全員が席に着くと、機関車の大きなヘッドライトが灯り、スタッフに見送られながら、列車はおもむろに動き出した。

駅を出ると、いきなり長さ315mのウルス(雄熊)トンネル Tunnel de l'ours に入る。小断面で車両限界ぎりぎりのため、ポータルの前に「危険 座ったままで 身を乗り出さないで」と赤字の注意看板が掛かっている。このトンネルによって、列車はオッソー谷を離れ、東隣のスッスエウ川 Le Soussouéou が流れるU字谷の高みに顔を出す。谷底との比高は優に500mを超え、スケールの大きな山岳展望が視界を奪う。

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(左)スタッフに見送られて発車
(右)小断面のウルストンネル
 

列車はこの後、高度を保ちながら谷奥へと進んでいくが、ここで、なぜこの場所に鉄道が通されたのかを説明しておこう。もちろん最初は観光鉄道ではなく、電源開発のための工事軌道だった。

事業は、フランス南西部一帯の鉄道網を運営していたミディ鉄道会社 Compagnie des chemins de fer du Midi によって1909年ごろ着手された。貯水池としての利用が計画されたアルトゥスト湖は山脈の最奥部に位置するため、ダム建設にあたって作業員と資材の搬入方法が重要な課題となった。そこで本体工事に先だち1920年に敷設されたのが、地方道のあるオッソー谷から工事現場まで続く索道(先述の旧ロープウェーの前身)と500mm軌間の鉄道を組み合わせた運搬ルートだ。

さらにこれは、貯水池から発電所までの導水ルートを兼ねていた。線路の地下に送水管が埋められ、索道に並行して水を落とす水圧管が設置され、谷底にアルトゥスト水力発電所が造られた。軽便鉄道がほぼ等高線に沿って走っているのは、これが理由だ。水の落差を最大にするために、導水路の勾配はわずかなものになる。

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貯水池、水路、発電所のネットワークを示す案内板
 

ただし、工費抑制でウルストンネルをできるだけ短くすべく、トンネルの前後では、導水路から離れた独自ルートが取られた。そのため、トンネル西口近くにある観光列車の起点ラ・サジェット駅の標高が1934m(下注)であるのに対し、終点アルトゥスト湖駅の標高は1911m
と、起点のほうが高くなっている。トンネル東口からセウス Séous 待避所付近までは緩い下り勾配で、そこから先、鉄道は導水路の上に載る。

*注 標高値はIGN 1:25,000地形図記載のもの。ウィキペディア仏語版ではラ・サジェット駅の標高を1940mとしている。いすれにしろ、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc に次いで、フランス第二の高所を走る鉄道になる。

ダムは1924年に完成し、湛水した1929年から発電所の運用が開始された。ミディ鉄道の直営で観光輸送が始まったのはその3年後、1932年のことだ。当初は夏の2か月間、日曜日のみの限定運行だった。

フランスの主要路線網は1938年に国有化されてSNCFが発足するが、この軽便鉄道もその中に含まれた。1980年に地元ピレネー・アトランティック県に運営が委託されるまでの42年間は、国鉄路線だったのだ。運営受託後、県は、さきほど乗ってきた新しい循環式ロープウェーを建設して、送客体制を整えた。

現在、鉄道の所有者は、SNCFの子会社であるミディ水力発電会社 Société Hydro-Electrique du Midi (SHEM) で、SHEMが県に運営を委託し、県の公有企業である高地施設公社 Etablissement Public des Stations d'Altitude (EPSA) が、周辺のスキーリフトなどとともに観光列車を運行している。

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新駅から西を望む
右は車両基地、
軌道は左端の旧ロープウェー山上駅まで続いている
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旧ロープウェー山上駅

では現場に戻ろう。ウルストンネルを後にして、小列車は、U字谷の肩に当たる比較的緩やかな傾斜地を走っていく。時速は10km前後。運が良ければ、草地をアルプスマーモットが駆け回るようすを目撃できるだろう。

路線は単線のため、1~2kmごとに列車交換用の待避線が設けてある。ワンマン運転なので、ポイント切換えも運転士の業務だ。操縦と転轍作業で乗ったり降りたり、なかなか忙しい。待避線は全部で7か所(下注)あり、それぞれ連絡用の電話ボックスと、その横に駅(待避所)名を刻んだ小さな標柱が立っていた。

*注 駅(待避所)名は、起点側からソルビエ Sorbiers、ルルス L'ours、セウー Séous、ラ・バショート La Bachaute、オルミエーラ Ormièlas、アルイ Arrouy、ル・リュリアン Le Lurien。

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(左)退避所での列車交換(復路で撮影)
(右)待避所の駅名標と連絡電話ボックス、
  "F7" は送水管の第7点検口 7e fenêtre の意か
 

線路が3本に分かれるセウー Séous 待避所では、下方に小さなセウー池 Mare de Séous が見える。今年は異常気象で雨が少ない。麓のファブレージュ湖は湖底が露出していたし、ここもまた干上がる寸前だ。

ここから先は、地勢がやや険しくなる。ラバショット尾根 Créte de Labachotte の出っ張りを回る地点では、ほぼ垂直に見える崖の上を、徐行するでもなく通過していく。客席にはドアがついていないので、下をのぞき込むと思わず足がすくむ。

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セウー池と牧羊
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ラバショットの杣道
 

圏谷を回り、オルミエーラ峰 Pic d'Ormièlas の山腹にできたガレ場を行く。次のオルミエーラ待避所も、線路が3本ある。停車時間が長いと思ったら、進行方向の山かげからエンジン音が聞こえてきた。対向列車との交換だ。相手は同僚のD6号の牽引だが、時間帯からして帰りの客はまだ乗っておらず、回送のようだ。

少し間を置いて、今度はアメリカ・ホイットコム Whitcomb 社のライセンスで国内製造されたD11号が、同じく6両の空車を牽いて現れた。さらに、機関車と客車、台車各1両の作業用編成も…。こうして計3本の続行運転を見送った後、運転士が線路に降りてきて、うっとうしい防水カバーを屋根に上げてくれた。これで谷側の景色もすっきり見通せる。

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オルミエーラ待避所で列車交換(往路で撮影)
(左)第2列車のホイットコム機関車
(右)第3列車は資材台車を率いていた
 

7~8分のブレークを経て、列車は再び動き出した。絶景にももはや目が慣れてきたが、このあたりから、谷の奥にひときわ高いピーク、標高2974mのパラ(パラス)峰 Pic Palas が登場する。

次のアルイ Arrouy 待避所との間は、地形的に最も険しい区間だ。断崖絶壁を穿ってかろうじて通した個所もあり、列車に身を預けた者としては脱線しないことを祈るしかない(冒頭写真参照)。最後の待避所ル・リュリアン Le Lurien が近づくころ、岩山の間に目的地のダムが見えてきた。石張りの擁壁なので、周囲の景色にすっかり溶け込んでいて、意識して見ないと気づかないほどだ。

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谷奥にパラ(パラス)峰が姿を現す
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ル・リュリアン待避所
左上にアルトゥストダムが見える
 

終点駅には予定通り11時55分に到着した。窮屈な敷地に、3本の線路とスナックの入った小さな駅舎が配置されている。錆びついてはいるが三角線もあって、機関車の方向転換をやろうと思えばできるようだ。

客を降ろすと、さっそく折返しに備えて機回し作業が始まった。機関車が列車から切り離され、隣の線路を伝って起点側に回っていく。単独でちょこちょこと走る姿はなかなか可愛い。

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(左)終点に到着
(右)D7号の機回し作業
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(左)三角線の錆びついたレール
(右)転轍機
 

アルトゥスト湖は、駅から山道を、距離で600m、高度で80mほど上ったところにある。坂はそこそこきついが、ゆっくり歩いても15分ほどだ。まず主ダムの隣の小さな副ダムが見えてくる。湖水の吐き口があり、流れ出た水がその下でもう一つ小さな池を作っている。

重力式の主ダムは長さ150m、高さ25mと大きなものではなく、板張りの天端通路で対岸まで行っても、時間は知れたものだ。指定された帰りの発車まで、湖の神秘的なターコイズブルーの水辺と、日差しに映える壮大な山岳風景を楽しむ時間はたっぷりある。

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副ダム(画面右奥)と、流れ出た川を渡る小橋
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石張りのアルトゥストダム
 

ロープウェーの山麓駅ファブレージュは山中のため、クルマでのアクセスが基本となる。公共交通の場合、夏期(7~8月の平日)は以下のようにバスを乗継ぐことで、ポーからの日帰りがかろうじて可能だ(2024年現在)。最新の時刻表は、下記オッソー谷観光局 Office de Tourisme Vallée d'Ossau のサイトにある。現地滞在時間がかなり長いので、ダム往復だけでは時間を持て余しそうだが…。

往路:ポー Pau SNCF駅前 7:45→(524系統、平日のみ)→ラランス Laruns 8:45/8:50→(525系統)→ファブレージュ Fabrèges 9:35
復路:ファブレージュ 17:00→(525系統)→ラランス 17:45/18:00→(524系統)→ポー SNCF駅前 18:56

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ダムから軽便線を見下ろす
画面中央に終点駅、手前は旧工事軌道を利用した留置線
 

写真は、2023年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
アルトゥスト公式サイト https://artouste.fr/
オッソー谷観光局-アクセス・交通 https://www.valleedossau.com/acces-transports.html

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2024年11月 8日 (金)

コンターサークル地図の旅-花巻電鉄花巻温泉線跡

2024年秋のコンター旅、最終日の10月7日は岩手県中部の花巻で、花巻電鉄花巻温泉線の廃線跡(下注)を訪ねた。

花巻温泉線は、ニブロク(2フィート6インチ=762mm)軌間のささやかな電車線だった。1972(昭和47)年の廃止時点では、国鉄駅裏にあった駅(以下、電鉄花巻駅)から北西へ花巻温泉まで7.4kmを走っていた。廃線跡は自転車道に転換されたので、宅地開発で消滅した一部区間を除き、今も全線を徒歩や自転車でたどることができる。

*注 ただし、廃止前年(1971年)に岩手中央バスに合併されており、すでに花巻電鉄の社名はなかった。

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花巻温泉線跡の自転車道
瀬川橋梁手前の県道跨線橋から南望
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図1 花巻温泉線周辺の1:200,000地勢図
1971(昭和46)年修正

私たちはレンタサイクルで出かける予定にしていたが、天気予報によると、朝は小雨、昼ごろから雨足が強まるらしい。さいわい花巻到着時点ではまだ空が明るかったので、意を決して駅前の店へ行き、電動アシスト自転車を3時間借りた。参加者は、大出さん、山本さんと私の3名だ。

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JR花巻駅
 

冒頭でささやかな電車線と紹介したが、歴史を振り返れば、花巻電鉄はもう一本、鉛(なまり)線という軌道線を擁して、花巻とその西郊の山あいに湧く温泉郷とを結ぶ路線網を形成していた。花巻の廃線跡の話をするには、この鉛線と、もう一つ、同じニブロク軌間の岩手軽便鉄道にも触れておく必要があるだろう。

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図2 花巻の鉄道網の変遷
 

まず鉛線だが、これは鉛温泉をはじめ豊沢川沿いに古くからある温泉群へ行く17.6kmの路線(下注)だ。道端を走るため車両の横幅が極端に狭く、馬づら電車として有名だった。登場したのは1915(大正4)年で、市街の西端、西公園から途中の松原まで開通している(上図1915年の欄参照)。

*注 ただし、この数値は中央花巻(後述する移転後のターミナル)~西鉛温泉間の距離。

1918年には東北本線を陸橋でまたいで、岩手軽便鉄道の花巻駅(以下、軽鉄花巻駅)に乗入れた。遅れて1925(大正14)年に開通した花巻温泉線も、当初は鉛線の西花巻駅を起点にしていたのだ。

一方、岩手軽便鉄道は、一足早く1913(大正2)年に花巻~土沢間12.7kmで開業している。1936(昭和11)年に国有化されて国鉄釜石線となり、1943年には1067mmに改軌されるが、軽便時代、花巻市街では今とは違う南寄りのルートを通り、国鉄花巻駅前に独自のターミナルを有していた。鉛線が乗り入れたのはこの旧駅だ。

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鉛線最終営業日の情景
材木町公園の案内板を撮影
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鳥谷ヶ崎駅跡にある岩手軽便鉄道線跡の説明板
 

そこで廃線跡探索の手始めは、その軽鉄花巻駅跡を見に行く。JR駅前ロータリーの南側、ホテルグランシェールの裏に案内板が立っている。左肩に載ったシャッポとマントは、この町で生まれた宮沢賢治のゆかりの場所を示すものだ。南西角には小さな石碑も見られ、それぞれ軽鉄駅がここにあったことと、賢治の短編童話「シグナルとシグナレス」が、東北本線と岩手軽便の信号機どうしの恋の物語であることに言及している。

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駅ロータリーの南側、花巻駅前広場が軽鉄花巻駅跡
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(左)宮沢賢治ゆかりの地を示す案内板
(右)駅跡の碑
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図3 花巻市街の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
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図4 同範囲の花巻温泉線現役時代
(左)1968(昭和43)年測量(右)1973(昭和48)年修正測量
 

さて、岩手軽便改め釜石線がルート変更で国鉄駅に吸収されたことで、旧 軽鉄花巻駅は鉛線専用になったかに見える。だが、すでに1938年から軽鉄花巻~西花巻間、通称 岩花線(下注)に旅客列車は走っておらず、鉛方面へは、国鉄駅裏にある電鉄花巻駅から出発するようになっていた。西花巻駅では、配線の関係でスイッチバックしていたことになる。

*注 岩花線の名は、岩手軽便鉄道と花巻電鉄を結んだことに由来する。なお、岩花線運休の動向は、『はなまき通検定「往来物」』花観堂、令和2年10月改定版による。

1945(昭和20)年8月10日の空襲で、花巻駅とその周辺は甚大な被害をこうむった。その復興過程で1948年に岩花線の運行も復活するが、ターミナルは、旧軽鉄花巻駅から300m以上後退した大堰川(おおぜきがわ)の南側に移された。中央花巻という気負った駅名にもかかわらず、実態は簡素な造りの棒線駅だった。

現在、旧 軽鉄花巻~中央花巻間の廃線跡は完全に消失していて、大堰川の上に造られた市道の高架と民家とに挟まれてぽつんと立つ1本の橋脚だけがその形見だ。また、中央花巻駅跡も住宅地の中に埋もれてしまった。

岩花線はここから東北本線を乗越すために右カーブしていくが、この区間は住宅地の中の道路として残る。乗り越した先に、花巻温泉線と接続する西花巻駅があった。駅跡は年金事務所の敷地に転用され(下注)、西隣の税務署もその一部だ。

*注 うっかり見落としたが、旧駅前通りに面した理髪店の庭に、駅跡に関する案内板が立っている。

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(左)高架下に残る岩花線の橋脚
(右)東北本線を乗越す手前の右カーブ
 

復活はしたものの、ターミナルが国鉄駅からも中心街からも離れた中途半端な立地で、利用者が少なかったのだろう。1964(昭和39)年10月の時刻表によると、岩花線の列車は1日わずか5往復、すべて花巻温泉相互間で、鉛線のほうへは走っていない。

東北本線の電化に際し、高架橋の嵩上げを迫られたことを契機に、1965年、岩花線は廃止となる。鉛線のスイッチバック運転を解消するために短絡線が造られ、西花巻駅はその線上に移転した。しかしせっかくの新駅も、使われたのはわずか4年で、1969年には鉛線の運行(花巻~西鉛温泉間)が止まり、1972年に残る花巻温泉線も後を追った。

現在、二代目西花巻駅の跡は花巻中央消防署の敷地の一部になっている。この南側から300mの間、鉛線跡が自転車道に利用されている。短距離ながら、S字カーブと、2か所で小道と立体交差する趣深いルートだ。県道103号花巻和賀線に合流したところが西公園駅(下注)の位置で、鉛線の電車はそこから終点の西鉛温泉まで道端軌道を走っていた。

*注 この西公園駅は1918年の軽鉄花巻延伸の際に移設されたもの。地形図によると、1915年開業時の初代 西公園は、県道103号を100m前後東に行った位置にあったようだ。

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西花巻~西公園間の廃線跡自転車道
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県道合流地点
1915年部分開通時は右写真の県道を少し進んだあたりに西公園の終点があった

花巻温泉線の跡もまた、消防署の北側から自転車道として始まる(下注1)。現在は県の管理で、県道501号北上花巻温泉自転車道線(下注2)の一部だ。

*注1 次の市道との交差までは道路の左側(西側)の住宅地の列が実際の廃線跡。
*注2 この県道(自転車道)は、桜の名所の北上展勝地が起点で、北上川左岸(東岸)の堤防道路を花巻まで北上した後、西公園~花巻温泉間の廃線跡をたどる延長26.2km。

市道と斜めに交差してすぐ左側には、材木町公園と呼ばれる緑地があり、旧花巻町役場の木造建物の横に、鉛線ゆかりの電車デハ3が静態保存されている。上屋がつき、側面も金網で厳重に囲われているので、保存状態は良好だ。反面、写真は撮りにくく、網目までレンズを近づけると、車両全体が入りきらない…。

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材木町公園のデハ3
 

傍らに、近代化産業遺産の案内板も立つ。花巻電鉄の沿革、路線図、裏面にもわたる豊富な古写真と、資料館顔負けの情報量だ。なかに馬づら電車の車内を写したものがあったが、ロングシートの両側に人が座ると、膝が当たるほど狭い。終点まで1時間以上、窮屈な車両に揺られ続けるのはけっこう苦行だっただろう。

電鉄花巻駅はまもなくだ。駅跡は駐輪場などになってしまったが、駅前広場の一角に、花巻電鉄「花巻駅」跡地と記された小さな案内板が立っている。

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電鉄花巻駅跡
 

電鉄花巻駅を後にすると、後川(うしろがわ)の小さな谷を横断する地点で、さきほど交差した市道の下をくぐる。その後は、JR線西側の比較的新しい住宅街を直進していく。星が丘一丁目では、宅地造成のために大きな迂回ルートが造られていた。

花巻東高校の学生寮の前を通過した自転車道は、枇杷沢川(びわさわがわ)を越える。ここに架かる桁橋は架け換えられているが、橋台に鉄道時代の旧橋台が埋め込まれているように見えた。

松林の中を進むと、まもなく花巻東高校の正門が見えてくる。言わずと知れたメジャーリーガー大谷、菊池両選手の母校なので、門標や校舎をバックに記念写真を撮る人たちが順番待ちしていた。グラウンドのバックネット裏にある手形とサインの記念パネルも同様だ。廃線跡が目的の私たちも、ここでは俄かファンにならざるを得ない。

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(左)枇杷沢川に架かる橋、旧橋台が埋まっている?
(右)日居城野運動公園の松林を行く
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(左)花巻東高校正門
(右)バックネット裏の記念パネル、両選手の手形が特に人気
 

隣接する日居城野(ひいじょうの)運動公園は、松林に包まれた広大な敷地に、野球場、陸上競技場、芝生広場、テニスコート、総合体育館と充実した施設群が並ぶ。廃線跡自転車道はその中央を堂々と貫いていくが、それというのも、もともとここは、花巻温泉と花巻電鉄が土地を提供して造られた施設だからだ。1934(昭和9)年のオープンと同時に、花巻グランドという名の駅も設置され、来場者の便が図られた。自転車道が広くなっているあたりが駅跡だという。

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(左)花巻グランド駅跡
(右)陸上競技場の横を行く廃線跡
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図5 花巻グランド~瀬川間の1:25,000地形図
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図6 同範囲の花巻温泉線現役時代、1968(昭和43)年測量
 

東北自動車道と交差した後は、見通しのきく田園地帯に出る。右カーブで段丘を降りると、県道297号花巻停車場花巻温泉郷線が乗り越していく(冒頭写真参照)。瀬川を直角に渡って少し行ったところに、次の瀬川駅があった。畑を隔てて数mの位置に農業倉庫の土台と言われるものが残る。

この後は、先ほどの県道に近づいていき、鉛線と同じような道端区間になる。ただし、こちらは道路と完全に分離されていて、自転車道はあたかも側道のように見える。

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(左)瀬川を横断するために段丘を降下
(右)瀬川橋梁
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(左)瀬川駅跡、左手に農業倉庫の土台跡が
(右)県道に沿う側道区間が続く
 

北金矢(きたかなや)駅跡は、同名のバス停が目印だ。サルビアやマリーゴールドの華やかな花壇が作ってあった。黄金色の稲穂が揺れる傍らをさらに進むと、松山寺前(しょうざんじまえ)駅。立派な山門を構えた同名のお寺の近くで、ここにもバス停がある。

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(左)北金矢駅跡
(右)中間部は田園地帯
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(左)松山寺前駅跡(南望)
(右)松山寺山門
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図7 瀬川~花巻温泉間の1:25,000地形図
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図8 同範囲の花巻温泉線現役時代、1968(昭和43)年測量
 

正面の山が近づき、民家が増え、少し坂がきつくなったと感じたら、もうゴールだった。自転車道は手前で終点となり、旧駅構内には南から駐在所、郵便局、そしてバスの転回場が順に並んでいる。北端に見える、一段上の道路へのコンクリート階段が唯一の痕跡らしい。正面には花巻温泉の横断看板が上がり、旅館群に通じるプロムナードが奥へ延びていて、駅が温泉の玄関口だったことがよくわかる。

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(左)終盤、坂がややきつくなる
(右)自転車道の終点(花巻方を望む)
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花巻温泉駅跡
一段上の道路への階段が残る
 

近くの台(だい)温泉や、豊沢川に沿う志戸平(しとだいら)、大沢、鉛の各温泉などは数百年の伝統を持つが、花巻温泉はそれらと違って、歴史は新しい。大正末期から昭和初期にかけて、関西の宝塚をモデルに開発された新興のリゾートだからだ。温泉も最初は台温泉から引いていた。鉄道もこの開発事業の一環で建設されたもので、宝塚に当てはめるなら、箕面有馬電気鉄道(現 阪急宝塚線)の位置づけだ。駅と温泉街が一体化して見えるのも偶然ではない。

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駅正面に花巻温泉の横断看板

自転車の返却時刻が近づいてきたので、来た道を戻った。7.4kmの距離に電車は18~20分かけていたが、自転車でも30分もあれば走りきれる。雨に襲われないうちに帰らなければ…。

昼食は、花巻屈指の人気スポット、上町のマルカンビル大食堂にて。閉店した地元デパートの最上階に残る、昭和の雰囲気を色濃く漂わせた展望レストランだ。平日というのに、一体どこから湧いてくるのかと思うほどの客で賑わっている。食事の後、デザートに名物の10段巻きソフトも試したので、もう花巻で思い残すことはない。

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(左)マルカンビル大食堂
(右)名物10段巻きソフトクリーム
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図盛岡(昭和46年修正)、2万5千分の1地形図土沢(昭和48年修正測量)、花巻、花巻温泉(いずれも昭和43年測量)および地理院地図(2024年10月25日取得)を使用したものである。

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2024年9月24日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ南部編では、バーデン・ヴュルテンベルク州 Baden-Württemberg とバイエルン州 Bayern にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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フランケン・スイス蒸気鉄道
ムッゲンドルフ駅の2号機関車(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

バイエルン州にはさまざまな規模の鉄道博物館があるが、中でも次の2か所は、コレクションの充実度とともに、しばしば行われる館外走行で人気が高い。

項番2 ドイツ蒸気機関車博物館 Deutsches Dampflokomotiv-Museum

北東部オーバーフランケン Oberfranken 地方の田舎町に、1977年に開業したドイツ蒸気機関車博物館がある。15線収容の扇形機関庫が展示棟に開放され、月曜を除く毎日、訪問者を受け入れている。保有する車両コレクションも大規模で、機関車だけで、蒸機約30両を含め約60両に達するという。

博物館は、DB線ノイエンマルクト・ヴィルスベルク Neuenmarkt-Wirsberg 駅の構内にある。小さな町なのでふだんはひっそりしているが、バンベルク Bamberg、バイロイト Bayreuth、ホーフ Hof と3方向の列車が集散するジャンクションだ。東側のホーフ方面に長い上り坂、通称「シーフェ・エーベネ Schiefe Ebene(下注)」が控えていて、ここは、応援部隊である補助機関車の基地だった。

*注 シーフェ・エーベネは、傾斜面を意味する。バイエルンで最初に造られた急勾配線だったので、この名が定着した。

坂道ルートは、1848年に開通した「ルートヴィヒ南北鉄道 Ludwig-Süd-Nord-Bahn(下注)」の一部だ。ザクセンにつなげるために、ここからマイン川とエルベ川の分水界、ミュンヒベルク高原 Münchberger Hochfläche へ上っていく。最大25‰の勾配が6.8km続き、蒸機の勇壮な走行シーンを求める写真家には、昔から有名なスポットだ。

*注 バイエルンで最初に建設された長距離路線。リンダウ Lindau~アウクスブルク Augsburg~ニュルンベルク Nürnberg~バンベルク~ホーフ間566km。

博物館は、この坂道や周辺の路線で保有蒸機の特別運行を年数回行っていて、当日はカメラを手にした多くのファンが沿線に陣を敷く。

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シーフェ・エーベネを上る急行用蒸機01.5形(2018年)
Photo by Stefan Hundhammer at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番11 ネルトリンゲン・バイエルン鉄道博物館 Bayerisches Eisenbahnmuseum Nördlingen

中西部、ロマンティック街道が通過する地方都市ネルトリンゲン Nördlingen には、バイエルン鉄道博物館がある。市壁が取り囲む町の東側、DB線の駅裏に広がる旧 車両基地を活用して、1985年に開館した。

敷地面積約3.5haの広い構内に、扇形機関庫を中心とした業務施設が保存・再現されている。保有車両は動力車、客貨車を含めて200両を超えるといい、南ドイツでは最大規模だ。そして前項のノイエンマルクトの博物館とは、同じ「ルートヴィヒ南北鉄道」の沿線という意外な共通項を持っている。

こちらも館外に走行線を確保していて、月に何回か、保有蒸機による列車運行がある。現在よく使われているのは、「南北鉄道」の一部だったネルトリンゲン~グンツェンハウゼン Gunzenhausen 間39.5kmだ。由緒あるルートだが、後に短絡線が建設されたため、一般旅客輸送は廃止されてしまった。貨物列車を除けば、「ゼーンラント・エクスプレス Seenland-Express」と称する博物館の列車しか走らない。

もう一つは「ドナウ・リース・エクスプレス Donau-Ries-Express」で、丘の上に建つ豪壮な古城で知られるハールブルク Harburg へ行くショートコースだ。かつてはロマンティック街道と並走するネルトリンゲン Nördlingen~ディンケルスビュール Dinkelsbühl ~ドンビュール Dombühl 間も走行線に名を連ねていたが、2018年を最後に運行が途絶えている。

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博物館50周年記念行事(2019年)
Photo by Torsten Maue at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番17 アウクスブルク鉄道公園 Bahnpark Augsburg(アンマーゼー蒸気鉄道 Ammersee-Dampfbahn)

バイエルン南部、丘陵地に大小の湖が点在する五湖地方 Fünfseenland は、ミュンヘンやアウクスブルクの市民にとって身近なレクリエーションエリアになっている。その一角にあるアンマー湖(アンマーゼー)Ammersee へ向けて、アウクスブルク Augsburg から年数回、蒸機牽引の行楽列車「アンマーゼー蒸気鉄道」が走る。

企画しているのは、アウクスブルク鉄道公園(バーンパルク・アウクスブルク)。2008年にDBから移管されたアウクスブルクの旧 車両基地を拠点にしている鉄道博物館だ。扇形機関庫や修理工場が、展示施設として保存・活用されている。電化区間にあるため、庫内まで架線が張られ、ヨーロッパ各国の電気機関車コレクションが充実しているのが特色だ。

行楽列車は、博物館からいったん北へ出発する。アウクスブルク中央駅 Augsburg Hbf で客を拾った後、改めて南下していく。メーリング Mering からは、一般運行もしている支線アンマーゼー鉄道 Ammerseebahn を経由し、湖畔のリゾート町ウッティング Utting が終点だ。そこで1時間ほど機回し休憩をした後、同じ道を戻る。

列車は1日2往復設定されていて、午前出発便は帰着後に、午後出発便は出発の前に、それぞれ鉄道公園を自由見学できるようになっている。それよりも、静かな湖畔での半日を目いっぱい楽しみたいという人には、午前便で出かけて、午後便で戻るという選択肢も可能だ。

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鉄道公園でのクロコダイル・ミーティング(2023年)
Photo by SirJannikSon at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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スコーンドルフ Scondorf 駅にさしかかる01形蒸機(2018年)
Photo by Stefan von Lossow at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

次は、専用の路線を走る蒸気保存鉄道について。

項番3 フランケン・スイス蒸気鉄道 Dampfbahn Fränkische Schweiz

ニュルンベルクの北東、石灰岩の岩塔・洞窟や古城の風景が点在するフランケン・スイス Fränkische Schweiz は、19世紀ロマン主義が流行した時代に、多くの文化人から賞賛された。「ルートヴィヒ南北鉄道」のフォルヒハイム Forchheim 駅からその中心都市エーバーマンシュタット Ebermannstadt へ向けて支線が建設されたのは、1891年のことだ。

路線は段階的に谷の奥へと延伸され、1930年にベーリンガースミューレ Behringersmühle に達した。この延伸区間15.9kmの一般旅客輸送が1980年に廃止になった後、それを引き継いだのがフランケン・スイス蒸気鉄道協会 Dampfbahn Fränkische Schweiz e. V. だ。ニュルンベルクから遠くなく、今も旅行者やハイカーに人気のエリアで、鉄道は1980年の開業以来、観光アトラクションとして不動の地位を築いてきた。

観光列車は蒸機かディーゼル牽引で、シーズンの日曜祝日に1日3往復走る。ルートは終始ヴィーゼントタール(ヴィーゼント川の谷)Wiesenttal の中で、進むにつれて谷はどんどん深くなる。片道45分、最後に川を斜めに渡り返すと、まもなく終点だ。

ベーリンガースミューレ駅は周りに人家もないような場所にあるが、谷壁の山道フェルゼンシュタイク Felsensteig を登れば高原が広がり、ゲスヴァインシュタイン Gößweinstein の町に出る。あるいは谷間を小一時間歩いて遡り、奇岩そびえ立つ観光名所テュッヒャースフェルト Tüchersfeld を訪れるのも一興だろう。

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ベーリンガースミューレ駅(2022年)
Photo by Reinhold Möller at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番23 アムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道 Lokalbahn Amstetten-Gerstetten

シュトゥットガルトからウルム、ミュンヘンに通じるDB幹線には、「ガイスリンゲン坂 Geislinger Steige」と呼ばれる急曲線と勾配の難所がある。その坂を上りきった駅がアムシュテッテン Amstetten(下注)で、2本のローカル鉄道の分岐駅として、昔から鉄道ファンにはよく知られている。

*注 同名の駅と区別するために、正式名はアムシュテッテン(ヴュルテンベルク)Amstetten (Württ) という。

標準軌のアムシュテッテン=ゲルシュテッテン地方鉄道は東へ向かう(下注)。ゲルシュテッテン Gerstetten まで19.9km、シーズンの日曜祝日限定で運行され、1日3往復ある。ただし、蒸機が走る日と気動車の日ではダイヤが異なるので注意したい。

*注 ちなみに、西へ向かうのは1000mm軌間の、通称「アルプ・ベーンレ Alb-Bähnle(高原鉄道の意)」。

というのも、蒸機の日は、ウルム鉄道友の会 Ulmer Eisenbahnfreunde e. V. が取りしきる純粋の保存運行だが、気動車はそうではなく、RB 58系統として近距離旅客輸送 SPNV の枠内で運行されているのだ。いわば休日だけ走る一般旅客列車で、運賃は近郊線と同じ、車両も1990年代製とまだ新しい。

ルートの見せ場は前半にある。アムシュテッテンを出るとすぐに25‰勾配で、谷を回り込みながら、高原面まで約100mの高度を稼ぐ。シュトゥーバースハイム Stubersheim まで上りきると、後は、点在する集落を縫いながら、広大な耕作地の中を淡々と走っていく。

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シュトゥーバースハイムを発つ蒸気列車(2020年)
Photo by KorbinianFleischer at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番37 ヴータッハタール鉄道 Wutachtalbahn(ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn)

ヴータッハタール鉄道は、バーデン・ヴュルテンベルク州南西部、スイス国境近くを走る標準軌支線だ。このうち、ブルームベルク=ツォルハウス Blumberg-Zollhaus ~ヴァイツェン Weizen 間 25.6kmは、1976年に一般旅客輸送が廃止されて以来、保存鉄道の列車だけが走る。線名のヴータッハタールは、路線が沿うヴータッハ川の谷のことだが、ルートの平面形がくるくると巻いているので、「ぶたのしっぽ鉄道 Sauschwänzlebahn」の愛称でも呼ばれる。

鉄道はもともと、当時の要塞都市ウルムと、普仏戦争で獲得したアルザス地方(ドイツ語でエルザス Elsaß)を結ぶ軍事戦略路線として1875~90年に造られた。既存のホッホライン鉄道 Hochrheinbahn は、ライン川に沿って中立国のスイス領内を通過するため、有事の際に使えない可能性がある。そこでスイス領を迂回し、かつ重量貨物列車の運行に支障のないよう、勾配を10‰に抑えた新ルートが設計された。一見冗長な「ぶたのしっぽ」は、ドナウ川最上流とライン川の谷との高度差約350mをこの条件で克服するために、どうしても必要だったのだ。

現在、保存鉄道の列車は、シーズン中のおおむね木~日曜に1日1~2便走る。かつては蒸気機関車が全運行を担っていたが、現在はディーゼル機関車の比率が高くなっている。ブルームベルク=ツォルハウスから乗るなら、右側の席がお薦めだ。最初のトンネルを抜けた後、エプフェンホーフェン Epfenhofen のオメガループで、村の家並みとトラスの鉄橋が一望になる。

*注 ヴータッハタール鉄道の詳細は「ヴータッハタール鉄道 I-丘のアルブラ越え」「同 II-ルートを追って」参照。

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エプフェンホーフェン鉄橋を渡る(2021年)
Photo by Nelso Silva at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番41 カンダータール鉄道 Kandertalbahn

ドイツ、フランス、スイスの三国が境を接するバーゼル Basel の近郊でも、標準軌の蒸気保存鉄道が稼働している。シュヴァルツヴァルトから南流してライン川に注ぐ支流、カンダー川 Kander の谷に沿っていくので、名をカンダータール鉄道という。主に採石場から石材を輸送していた延長12.9kmの支線だが、1985年に廃止となり、愛好家団体が引き継いで、翌年から保存運行を始めた。

現在は5~10月の毎日曜日に運行され、1日3往復の列車がある。蒸機は、旧プロイセン国鉄のタンク機関車T3形が使われている。3軸の小型機で、かつて地方鉄道や産業用に広く使われた形式だ。乗車機会が多いことに加え、基本的にすべて蒸気機関車で列車を動かしている点が、この鉄道の人気の理由だろう。

機関庫、整備場など運行に関わる施設は終点のカンデルン Kandern にあるので、一番列車はそこが始発だ。DBラインタール線 Rheintalbahn に接続するハルティゲン Haltingen には、逆機(バック運転)でやってくる。

機回し作業を含む約30分の休憩の後、再び出発。工場群を抜ければ、車窓には集落と麦畑が交互に現れ、穏やかな山野の風景の中を列車はのんびりと走る。谷が狭まるころにはもう終盤で、まもなくカンデルンの町が見えてくる。片道35~45分、非日常の列車旅を味わうのに手ごろな時間だ。

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ハルティゲン駅で出発を待つT3形蒸機(2009年)
Photo by Gryffindor at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番12 キームゼー鉄道 Chiemsee-Bahn

バイエルン州南東部にあるキーム湖(キームゼー)Chiemseeは、ドイツで3番目に大きな湖だ。ミュンヘンとザルツブルクを結ぶDB幹線が西岸を通っていて、プリーン・アム・キームゼー Prien am Chiemsee という最寄り駅がある。そこと湖岸の港プリーン・シュトック Prien-Stock を連絡しているのが、キームゼー鉄道だ。

メーターゲージで、全長わずか1.9km、中間駅なし、片道8分というミニ路線だが、箱型の路面蒸気機関車が運用に入るという点がとりわけ珍しい。ルート上に併用軌道はなく、準拠した建設・運行規程も狭軌鉄道のそれだが、「ラウラ Laura」と命名されたこの機関車が1887年の開業時から列車を率いてきた。それで、世界最古の蒸気路面軌道と言われることがある。

ラウラも高齢になり、残念ながら近年は出番を減らしている。代役は、1962年製の小型ディーゼル機関車「リーザ Lisa」だ。以前は同じように緑の箱型に身を包み、一瞥しただけでは蒸機と見分けがつかなかったが、全面改修を機にふつうの姿に戻された。

キーム湖で思い浮かぶのが、湖中の島に狂王ルートヴィヒ2世が造らせた壮麗なヘレンキームゼー城 Schloss Herrenchiemsee だ。女子修道院のあるフラウエン島 Fraueninsel とともに、年間多くの観光客が訪れる。鉄道経由の客はそれほど多くないのだが、湖を渡る観光船と一体で運営されることで、安定的な運行が可能になっている。

*注 キームゼー鉄道の詳細は「キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム」参照。

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プリーン・シュトック駅、機回し中の路面機関車(2013年)
Photo by Gliwi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番34 エクスレ鉄道 Öchsle-bahn

750m軌間の狭軌地方鉄道は、東部地域(旧 東ドイツ)にこそ多く残っているが、旧 西ドイツでは、路線バスなどに転換されてほとんど姿を消してしまった。バーデン・ヴュルテンベルク州南東部のオーバーシュヴァーベン地方 Oberschwaben にあるエクスレ鉄道は、その点で貴重な存在だ(下注)。

*注 同州北部のヤクストタール鉄道 Jagsttalbahn(項番19)も750mm軌間の保存鉄道だが、2024年現在、路線延長は0.8kmで、本格的な復活にはまだ遠い。

1900年に全通したこの路線は、ずっと国鉄(下注)の狭軌線だったが、利用の減少と施設劣化の進行で、1983年に廃止となった。愛好家団体と沿線自治体が動いて、1985年に保存鉄道として復活を果たしたが、その後の経過は決して安泰ではなかった。

6年後の1991年末に早くも州当局から、軌道と運行管理に欠陥があるとして運行停止を命じられる。新会社を設立して1996年に再開したものの、2000年末にまたもや同様の指摘を受けて、運行停止に。それでも諦めずに2002年、三度目の開業に漕ぎつけて今に至る。

*注 開業時は王立ヴュルテンベルク邦有鉄道 Königlich Württembergische Staats-Eisenbahnen。後にドイツ帝国鉄道(DR)からドイツ連邦鉄道(DB)へと引き継がれた。

以前は運行日に3往復設定されていたが、現在は午前と午後の2往復だ。19.0kmの路線の起点は、DB線に接続するヴァルトハウゼン Warthausen(下注)で、ここから東へのどかな麦畑の中を進んでいく。中間で、丘陵の鞍部を越える25‰のアップダウンが全線のハイライトだ。終点のオクセンハウゼン Ochsenhausen までは、およそ70分かかる。

*注 もとの起点は、DB線で一駅南のビーベラッハ・アン・デア・リス Biberach an der Riß だが、DB線との並行区間のため、保存鉄道開業に際して放棄された。

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蒸気列車がオクセンハウゼンに到着(2015年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オクセンハウゼン駅のクリスマス列車(2012年)
Photo by TIG-Ulm, M.Pötzl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年9月 6日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ西部編では、ノルトライン・ヴェストファーレン Nordrhein-Westfalen、ヘッセン Hessen、ラインラント・プファルツ Rheinland-Pfalz、ザールラント Saarland の各州にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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ライン左岸線オーバーヴェーゼル Oberwesel 付近を行くEC列車(2015年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyw.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」画面

まずは、ドイツを代表する観光エリアを通る一般旅客路線から。

項番28 DB ライン左岸線(ミッテルライン鉄道)DB Linke Rheinstrecke (Mittelrheinbahn)
項番27 DB ライン右岸線 DB Rechte Rheinstrecke

ドイツで車窓風景が最も美しい路線は? と問われたら、多くの人がライン川沿いのこの路線を挙げることだろう。滔々と流れる大河に行き交う船、岩山高くそびえる古城や要塞、斜面を覆うブドウ畑。ロマン派の絵画のような景色には何度乗っても目を奪われる。高速線を疾走するICEもありがたいが、時間が許すならこのルートでゆっくり旅したいと思う。

ライン左岸線は、川の左岸すなわち西側に沿うDB(ドイツ鉄道)の幹線で、ケルン中央駅 Köln Hbf を起点に、ボン Bonn、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz、ビンゲン Bingen(Rhein) を経由してマインツ中央駅 Mainz Hbf まで181km。近年は「ミッテルライン鉄道 Mittelrheinbahn」の呼称が浸透している。

主要都市間を連絡しているため、2002年にケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main が開通するまでは、優等列車が日夜頻繁に行き交っていた。速達便は高速線に移し替えられて久しいが、今でも普通列車とともに、中間都市に停車するICEやICが30分間隔で走っている。

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オーバーヴェーゼル、対岸からの眺め(2018年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ライン右岸線は、右岸すなわち東側を走るDB路線だ。ケルン中央駅を出てすぐ右岸に渡り、トロイスドルフ Troisdorf でジーク線 Siegstrecke を分けた後、ライン川に沿って、ヴィースバーデン東 Wiesbaden Ost 駅まで179km。中間にあまり大きな町はないので、主に長距離貨物列車の運行経路になっている。旅客列車は各停(RB)と快速(RE)だが、コブレンツ中央駅を経由または起終点にしているため、必ず左岸に戻る。

どちらのルートも全線で眺めが良いが、見どころの中心は、やはり後半のコブレンツから左岸はビンゲン、右岸はリューデスハイム Rüdesheim の間だろう。この区間は、世界文化遺産に登録された「ライン渓谷中流上部 Oberes Mittelrheintal の文化的景観」を貫いていて、有名なローレライ Loreley の断崖をはじめ、冒頭述べた古城やブドウ畑の集中度も高い。

左岸線ならザンクト・ゴアール Sankt Goar、オーバーヴェーゼル Oberwesel、バハラッハ Bacharach、右岸線ならザンクト・ゴアールハウゼン Sankt Goarhausen 等々、魅力的な町や村を次々と通っていくので、ついつい途中下車の誘惑に駆られる。

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ローレライトンネル南口(2010年)
Photo by Joachim Seyferth at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32 DB モーゼル線 DB Moselstrecke

モーゼル線は、ライン左岸線(項番28)のコブレンツ中央駅 Koblenz Hbf から西へ向かう。ライン川の主要支流モーゼル川 Mosel に沿って、古都トリーア Trier まで長さ112kmの路線だ。

19世紀後半の帝国時代、首都ベルリンと、普仏戦争で獲得したアルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)とをつなぐ長距離戦略路線、いわゆる「大砲鉄道 Kanonenbahn(下注)」の一部として建設された。しかし今は地域輸送とともに、ザールラント Saarland やルクセンブルク Luxembourg へ行く中距離列車(RE)のための亜幹線の地位に落ち着いている。

*注 大砲鉄道の詳細は「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」「同 II-ルートを追って 前編」「同 III-後編」参照。

ライン左岸・右岸線とは異なり、風光明媚な川沿いの区間は前半区間の約60kmに限られる。具体的にはブライ Bullay の3km先、ライラーハルストンネル Reilerhalstunnel の手前までだ。その後は蛇行する川から離れ、平たい盆地の中を直進していく。

起点のコブレンツを出て最初の橋で川の左岸(北側)に移ると、しばらく川沿いをおとなしく遡る。コッヘム Cochem からブライの前後がハイライトだ。まず、長さ4205mと、高速線以外ではドイツ最長の皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel を抜ける。モーゼルワインのブドウ畑を眺めた後は、アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay、ピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と、土木工学上の名所を渡っていく。

*注 モーゼル線の詳細は「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」「同 II」参照。

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アルフ=ブライ二層橋(2015年)
Photo by Henk Monster at wikimedia. License: CC BY 3.0
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ピュンダリッヒ斜面高架橋(2020年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、私設の鉄道博物館に着目してみよう。構内施設や車両コレクションの充実にとどまらず、館外に保存運行用の独自ルートを確保しているところが共通点だ。

項番9 ボーフム鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum

ルール地方 Ruhrgebiet で有名なのは、ボーフム Bochum 市南西部のルール川沿いにあるボーフム鉄道博物館だろう。1969年に閉鎖されたルールタール鉄道 Ruhrtalbahn の鉄道車両基地を愛好家団体、ドイツ鉄道史協会 Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte e. V. がそのまま引き継いで、1977年に開館した。地区の名からボーフム・ダールハウゼン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum-Dahlhausen とも呼ばれ、私設ではドイツ最大と言われる。

施設の中核になっている扇形機関庫は14線収容の大型で、その後ろにそびえるワイングラスのような給水塔も目を引く。2棟ある車庫兼展示ホールと併せて、公開日には多くの訪問者で賑わう。

保存運行は、ルールタール鉄道の線路を使って行われている。鉄道博物館を出発して、ルール川をさかのぼり、ヴェンゲルン・オスト(東駅) Wengern Ost までの23.4kmだ。ルールタール鉄道は、沿線の鉱山で採掘される石炭を搬出する目的で造られたが、現在は、一部区間がSバーンのルートに利用されている以外、休業ないし廃線状態で、通しで走るのはこの保存列車が唯一だ。

運行日はシーズン中の月3回設定され、蒸気列車の日とレールバスの日がある。距離が長いので、片道でも80~90分と乗りごたえも十分だ。ルール地方は言わずと知れたドイツの主要工業地帯だが、川沿いは緑にあふれ、のびやかな車窓風景が続いている。

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ボーフムの扇形機関庫に揃う蒸機群(2010年)
Photo by Hans-Henning Pietsch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番26 ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein

ダルムシュタット Darmstadt は19世紀、ヘッセン大公国の首都だったという歴史を持つ古都だ。その北東郊に、ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館「鉄道世界」Eisenbahnmuseum Bahnwelt Darmstadt-Kranichstein がある。

ここも大規模な標準軌車両博物館の一つで、旧ライン=マイン鉄道 Rhein-Main-Bahn(下注)の運行拠点だった車両基地の跡地を利用して、同名の愛好家団体が1976年に開設した。扇形機関庫を中心とした施設に、10両以上の本線用蒸機を含む車両コレクションが揃っている。

*注 マインツ Mainz~ダルムシュタット Darmstadt~アシャッフェンブルク Aschaffenburg 間を結んだ鉄道。現RB75系統のルート。

この団体はまた、路面軌道車両の保存にも携わっていて、それが同じクラーニッヒシュタインにある市電ターミナルの車庫に収容されていた。この路面軌道部門の名物が、路面用小型蒸機「火を吐くエリーアス Feuriger Elias」の公開運行だ。

*注 「火を吐くエリーアス」は蒸気機関車の一般的なあだ名。旧約聖書で、エリヤ(エリーアス)が火を噴く馬車とともに天に昇っていったことから。

その後、この車庫が使えなくなったため、蒸機は現在、ダルムシュタット南郊のエーバーシュタット Eberstadt にある市電車庫に保管されている。公開運行は今年(2024年)の場合、5月の日曜祝日にエーバーシュタットから市電6、8系統のルートで、終点アルスバッハ Alsbach まで往復した。主に道端軌道だが、途中のゼーハイム Seeheim に狭い街路の併用区間がある。また、9月にはダルムシュタットの市街地でイベントが開催される。こちらは、シュロス(城内)Schloß と呼ばれる中心街を蒸気列車が走行する。

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シュロスの路面軌道を行く「火を吐くエリーアス」(2009年)
Photo by Tobias Geyer at wikimedia. License: CC BY
 

項番23 フランクフルト簡易軌道博物館 Frankfurter Feldbahnmuseum

フランスのドコーヴィル Decauville 社に代表される600mm軌間の「フェルトバーン(簡易軌道)Feldbahn」は、軽量で運搬、敷設、撤去が容易なことから、産業用、軍事用として世界に普及した。ドイツでも、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel (O&K) を筆頭に、ユング Arnold Jung、ヘンシェル Henschel & Sohn など多数の会社が製造を手掛けて広まった。

フランクフルト・アム・マイン市内西部のボッケンハイム Bockenheim に拠点を置くフランクフルト簡易軌道博物館は、これらの狭軌車両を収集・保存している鉄道博物館だ。現在地での開館は1987年。コレクションはすでに、蒸気機関車20両(うち13両が運行可能)、ディーゼル機関車34両を含め70両以上の機関車と約200両の客貨車にも及び、この軌間ではドイツ最大だ。収容するための車庫も今や3棟目が建っている。

博物館自体は毎月第1金曜・土曜に公開されるが、列車の運行は月1回程度だ。走行軌道の総延長は約1.5kmで、博物館の北側に広がるレープシュトック公園 Rebstockpark の園内をT字状に延びている。T字の縦棒の足もとが博物館で、列車はそこから出て、見通しのいい芝生の上に敷かれたT字の横棒に移り、両端で折返しのための機回しをして、また博物館に戻ってくる。

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簡易軌道博物館の公開日(2018年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いては、標準軌の蒸気保存鉄道について

項番18 ヘッセンクーリエ Hessencourrier

ヘッセン Hessen の速達便を意味するヘッセンクーリエは、1972年に運行を開始したヘッセン州最初の保存鉄道だ。カッセル Kassel の鉄道の玄関口、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ Kassel-Wilhelmshöhe 駅の南端にある保存鉄道の車庫から、蒸気列車が出発する。

ルートになっているナウムブルク線 Naumburger Bahn は延長33.4kmのローカル線で、旅客輸送は1977年に廃止され、貨物輸送も一部区間を除いてもう行われていない。終点はナウムブルク Naumburg (Hessen) という、ハーフティンバーの家並みが連なる田舎町だ。

片道90~95分の長旅だが、途中の見どころは大きく二つある。

一つは、市内トラムとの共存区間だ。フォルクスワーゲンの工場の前でカッセル市電の線路が右から合流してくる。そこからグローセンリッテ駅 Bahnhof Großenritte までの3.3kmの間は、トラムも同じ線路を走ることになる。軌間は同じ標準軌だが、車両限界が大きく異なるため、途中の停留所には、ホームの張出しや4線軌条などさまざまな工夫が施されている。蒸気列車はそこを、制限20km/hでそろそろと通過していく(下注)。

*注 詳細は「ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存」参照。

二つ目は、市電乗入れ区間が終わった後に控えている急坂だ。最大28.6‰の勾配で、郊外の山裾をくねくねと巻きながら上っている。蒸機にとってはまさに山場で、力強い推進音が車内にも聞こえてくる。標高403m、峠の駅ホーフ Hof まで上りきれば、残りは丘陵地帯を縫う穏やかなルートになる。

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終点ナウムブルク駅舎(2015年)
Photo by Feuermond16 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 カッコウ鉄道 Kuckucksbähnel

ヘッセン州南西部のプフェルツァーヴァルト(プファルツの森)Pfälzerwald に、カッコウが鳴くのどかな谷間を行く蒸気列車がある。まだ一般運行だった時代から、地元の人は親しみを込めて「クックックスベーネル(カッコウ鉄道)Kuckucksbähnel」 と呼んできた。

鉄道の起点は、マンハイム Mannheim とザールブリュッケン Saarbrücken を結ぶDB幹線の途中駅ランブレヒト Lambrecht (Pfalz)。ここからシュパイアーバッハ川 Speyerbach に沿ってエルムシュタイン Elmstein という小さな町まで、線路は13.0km延びている。曲がりくねる谷をトンネル無しでさかのぼるため、反転カーブが連続するローカル線だ。

列車は、近くの町ノイシュタット Neustadt にある鉄道博物館(下注)で仕立てられている。上述したボーフムと同じく、ドイツ鉄道史協会が運営している旧 車両基地だ。そのため、1日2往復のうち、第1便の往路はノイシュタット中央駅発、第2便の復路は同駅着になっている。ノイシュタットとランブレヒトの間はDB線に乗入れ、架線下を走る。

*注 ノイシュタットの地名は全国各地にあるので、正式にはノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ Neustadt an der Weinstraße(ワイン街道沿いのノイシュタットの意)という。したがって博物館名も、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Neustadt/Wstr.。

ノイシュタットは、赤ワインの産地をつないでいるドイツワイン街道 Deutsche Weinstraße の中心都市だ。カッコウ鉄道の蒸気保存列車は、町を訪れる観光客にとってアトラクションの有力な選択肢になっている。

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カッコウ鉄道の蒸気列車
エルフェンシュタイン Erfenstein 停留所にて(2010年)
Photo by Fischer.H at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番22 フランクフルト歴史鉄道 Historische Eisenbahn Frankfurt

フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main は、ヨーロッパの金融の中心地だ。マイン川のほとりに、2014年に完成した欧州中央銀行 Europäische Zentralbank のスタイリッシュな高層ビルがそびえている。その建物と川岸との間にある公園に、年数回、古典蒸機や赤いレールバスによる観光列車が現れる。

1978年に設立されたフランクフルト歴史鉄道協会 Historische Eisenbahn Frankfurt e.V. が実施しているこの保存運行は、マイン川沿いに残されたフランクフルト港湾鉄道 Hafenbahn Frankfurt と呼ばれる単線の線路が舞台だ。本来は貨物線なのだが、中心部では路面軌道や道端軌道、さらには公園の芝生軌道にも変身し、都市景観にすっかり溶け込んでいる。

列車の起終点は、旧市街レーマー広場 Römer に近い歩行者専用橋アイゼルナー・シュテーク Eiserner Steg のたもとだ。走行ルートは2方向で、東港コースは、ここから東進してマインクーア Mainkur の信号所まで(下注)、また西港コースは西進してグリースハイム Griesheim の貨物駅まで、それぞれ行って折り返してくる。

*注 東港コースでは、欧州中央銀行ビルの完成に合わせて停留所が新設され、乗降ができるようになった。

協会関連ではもう一つ、鉄道ファンが楽しみにしている年中行事がある。ペンテコステ(聖霊降臨日)に催されるケーニヒシュタイン・イム・タウヌスの駅祭り Bahnhofsfest Königstein im Taunus だ。

フランクフルトの鉄道愛好家団体がこぞって参加する祭りで、港湾鉄道ではゆっくりとしか走れない蒸機が、この日ばかりは「出力全開でタウヌスへ Mit Volldampf in den Taunus」をモットーに、フランクフルト・ヘーヒスト Frankfurt-Höchst から会場の駅まで、ケーニヒシュタイン線 Königsteiner Bahn の上り坂を数往復する。

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EZB(欧州中央銀行)停留所のレールバス(2015年)
Photo by Urmelbeauftragter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ケーニヒシュタイン駅祭り(2007年)
Photo by EvaK at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

メーターゲージ(1000mm軌間)の蒸気保存鉄道もいくつかある。

項番17 ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn

ゼルフカント鉄道は、ドイツ最西端、オランダ国境間近のゼルフカント Selfkant 地方で、1971年から50年以上の歴史をもつ老舗の保存鉄道だ。走っているルートはもとガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn といい、標準軌線から離れたこの地域の小さな町を縫いながら、オランダ国境まで延びていた延長37.7kmの軽便線だった。

衰退する軽便線の例にもれず、ここも1950年代から段階的に廃止されていくが、1973年に全廃となる前に、鉄道愛好家たちが一部区間を借りて保存運行を始めた。これが現在のゼルフカント鉄道の起源になる。現在のルートは5.5kmと、全盛時に比べればささやかな規模だが、田舎軽便の面影を色濃く残していて、貴重な存在だ。

起点のシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath はのどかな村で、車両基地を兼ねた駅構内が不釣り合いなほど大きく見える。蒸気列車はここから東へ走る。一面の畑と疎林を縫い、いくつかの集落と停留所を経ながら、およそ25分で終点のギルラート Gillrath に到着する。かつて線路はDB線のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅まで続いていたが、すでに撤去され、跡地は小道になっている。

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シーアヴァルデンラート駅
20号機ハスペ Haspe と101号機シュヴァールツァッハ Schwarzach(2012年)
Photo by Alupus at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30 ブロールタール鉄道「火山急行」Brohltalbahn "Vulkan-Expreß"

「ヴルカーン・エクスプレス(火山急行)Vulkan-Expreß」は、細々とした貨物輸送で存続していたブロールタール鉄道を活性化するために、地元の肝いりで1977年に走り始めた保存観光列車だ。ライン左岸の町ブロール Brohl を起点に、背後のアイフェル高原に向かう。ふだんはディーゼル牽引だが、週末には蒸機も登場する。

アイフェル高原には、小火山やマール、カルデラ湖といった火山地形が点在していて、一部は車窓からも見える。列車の愛称は、スイスの有名な「氷河急行」を連想させ、それとの対比で列車の特色をアピールするものだ。DBの主要幹線(ライン左岸線)に接するという地の利もあって、列車は確実に人気を得てきた。今もシーズン中は、月曜を除きほぼ無休という、保存鉄道には珍しく密な運行体制がとられている。

17.5kmのルートは、高原に源をもつ支流ブロールバッハ川 Brohlbach に沿って続く。しばらくは谷の中で、周囲が開けてくるのは、連邦道A61 の高架をくぐったニーダーツィッセン Niederzissen あたりからだ。サミットのエンゲルン Engeln に至る最終区間には、50‰の急勾配があり、かつてはラックレールが敷かれていた。

これとは別に、鉄道には港線 Hafenstrecke という、ブロール駅からラインの河港に通じる2.0kmの短い支線もある。こちらは現在、毎週木曜に、ライン川クルーズ船とのタイアップで列車が1往復している。

*注 鉄道の詳細は「火山急行(ブロールタール鉄道) I」「同 II」参照。

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DB線をまたぐ港線の高架橋(2010年)
Photo by tramfan239 at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

最後に特殊鉄道を2か所挙げておこう。

項番16 ドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn

ライン川を河口から遡っていくときに、右岸で最初に目に入る山がドラッヘンフェルス Drachenfels だと言われる。山名は、竜(ドラゴン)の岩山を意味する。標高321mとそれほど高くはないが、ライン渓谷の下流側の入口に位置していて、恰好の展望台だ。

1883年、リッゲンバッハ式ラックレールを用いた鉄道が、河畔の町ケーニヒスヴィンター Königswinter から山頂へ向けて建設された。延長1.5km、高度差220mを最大200‰の勾配で上る。スイスのリギ鉄道の全通から10年、ドイツで旅客用として初めて導入されたラック鉄道だった。

現在使われている車両は、全5両のうち4両が1955~60年製だ。車齢から見ればもはや古典機だが、モスグリーンの車体はよく磨かれ、艶光りしている。

鉄道には列車交換ができる中間駅がある。駅名のシュロス・ドラッヘンブルク(ドラッヘンブルク城)Schloss Drachenburg は、付近にある尖塔つきの立派な城館のことだが、実は、鉄道の開通に合わせて実業家の貴族が建てた邸宅だ。12世紀の「本物」の古城は、終点駅から小道を少し登った山頂に、廃墟となって残っている。

*注 鉄道の詳細は「ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車」参照。

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山頂駅に向かうラック電車(2021年)
© Superbass / CC-BY-SA-4.0 (via Wikimedia Commons)
 

項番11 ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

川の上を走る懸垂式モノレール、ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn(下注)は、ルール地方の南に接する産業都市ヴッパータール Wuppertal のシンボル的存在だ。開業は1901~03年で、世界最古のモノレールとされる。

*注 原語の Schwebe は、英語の float に相当し、宙に浮いていることを意味する(吊り下がるという意味はない)。日本語訳の「空中鉄道」は、原語のニュアンスを汲んでいる。

実は、ヴッパータール市の歴史はそれより新しい。ヴッパー川の谷(ヴッパータール)Wuppertal にある3つの町が、南の丘陵上にある2つの町とともに1929年に合併して誕生した。市の中心軸はヴッパー川であり、それに沿うこの鉄道も、地域をまとめる役割の一端を担ったのかもしれない。

フォーヴィンケル Vohwinkel~オーバーバルメン Oberbarmen 間13.3kmのうち、起点側のざっと1/4は道路の上空で、残り3/4が川の上空を通っている。用地確保が難しい市街地を避けた結果だが、流れをまたぐ鉄骨の支柱と蛇行する高架軌道という大掛かりな構造物から、「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」のあだ名が生まれた。

モノレールは、平日日中3分おき、日曜祝日でも6分おきという高頻度で走っている。待たずに乗れる便利な移動手段だ。全線の所要時間は約25分。車両は片方向にしか走れないので、終点ではコンパクトな転回ループを通って折り返す。

ちなみに、懸垂式では長い間世界最長の路線でもあったが、1999年に千葉都市モノレールが全線開業して、首位を譲った。

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ヴッパー川の上空を行くモノレール
ファレスベッカー・シュトラーセ Varresbecker Straße 停留所付近(2016年)
Photo by Joinsi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ南部の主な保存・観光鉄道について。

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月20日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

前回に引き続き、ドイツ東部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

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フィヒテルベルク鉄道の蒸気列車
ハンマーヴィーゼンタール駅にて(2013年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部の南端に位置するザクセン州は、エルツ山地 Erzgebirge やザクセン・スイス Sächsische Schweiz といった人気のあるレクリエーション適地を擁している。鉄道の見どころにも事欠かず、前回言及したように、東ドイツ時代に選定された保存すべき狭軌鉄道のうち、4本がこの州域にあり、750mm軌間の蒸気運行を続けている。まずはそれから見ていこう。

項番26 ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ザクセン南東端の町ツィッタウ Zittau は、チェコやポーランドと接する国境都市だ。そのDB(ドイツ鉄道)駅前から、ツィッタウ狭軌鉄道が出ている。1890年の開業で、本線格のツィッタウ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注)間12.2kmと、クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf へ行く支線3.8km。列車の行先はいずれも、町の南方、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge に古くからある行楽地だ。

*注 地名の前につくクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味する。

起点駅を出ると、列車はツィッタウ市街地の東の外縁を半周して、山へ向かう。集落と牧草地が交錯する郊外風景のなかを進み、分岐駅ベルツドルフ Bertsdorf へ。列車ダイヤはこの駅を中心に3方向から集合し離散する形になっていて、乗換えを厭わなければ、どの方向にも1時間ごとに便がある。

ベルツドルフでの楽しみは、2方向同時発車 Parallelausfahrt だ。オイビーン行きとヨンスドルフ行きがタイミングを合わせて出発し、カメラを構えたファンが待つ構内の先端で、二手に分かれていく。ここから終点までは30‰の急勾配のある胸突き八丁で、強力な5軸機関車99 73-76形が、持てるパワーを発揮する舞台になる。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道」参照。

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集合離散ダイヤの中心、ベルツドルフ駅(2012年)
Photo by Dan Kollmann at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

レースニッツグルント鉄道は、ドレスデン北郊の、森や牧草地や水辺が点在する田園風景を走り抜けていく狭軌鉄道だ。Sバーン(S1系統)の駅に接続するラーデボイル・オスト Radebeul Ost から終点ラーデブルク Radeburg まで16.5km。大都市に近く、かつ沿線にワインの里レースニッツ Lößnitz や美しい離宮モーリッツブルク城 Schloss Moritzburgといった有数の観光地があることから、人気が高い。

鉄道の名称は、1998年にDB(ドイツ鉄道)が商用に付けたものだ。地元では、昔からレースニッツダッケル Lößnitzdackel、略してダッケル Dackel と呼んでいた。ダッケルは、ドイツ原産のダックスフントのことで、ずんぐりした形の客車と、のろのろ走る列車をそれに見立てたようだ。

列車は1日5往復、そのうち3本が終点まで行かず、中間駅のモーリッツブルクで折り返す。城を目指す客がここで降りてしまうからだ(下注1)。加えて、市内トラムとの平面交差、丘陵を刻む雑木林の谷間、ディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を横断する築堤など、車窓風景のハイライトもこの前半区間に集中している。後半は、車内の客もめっきり減って、列車は牧草地の中を淡々と走っていく。

*注1 ちなみに、ドレスデン市内からモーリッツブルクへは路線バスが頻発していて、直接、城の前まで行ける。
*注2 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道」参照。

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モーリッツブルク駅での新旧そろい踏み
IV K形と99.78形(2019年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番33 ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

ドレスデンの南郊でも蒸気列車が走る。ヴァイセリッツタールとは、鉄道が沿っていくローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz の谷のことだ。Sバーン(S3系統)の駅に隣接するフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg からクーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで26.3km。現存するザクセンの狭軌鉄道では最長で、かつ1882~83年の開通と、最古の歴史を誇る。

車窓の見どころの一つが、起点を出てまもなく入るラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund の渓谷だ。線路は谷底を這うように進むが、岩がむき出しの曲がりくねった谷にもかかわらず、トンネルは一つもない。その代わり、川を横切る橋梁は実に13本。そしてそれが仇となり、2002年8月の豪雨では、線路や橋梁の流失など壊滅的な被害をこうむった。鉄道は長期にわたり運休となり、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだった。

渓谷を抜け出ると、列車は川を堰き止めたマルター・ダム Talsperre Malter の高さまで上り、穏やかな湖面を眺めながら走る。中間の主要駅ディポルディスヴァルデ Dippoldiswalde から先は、再び谷が深まっていく。終点まで90分近くかかる長旅だ。近距離鉄道旅客輸送 SPNV の路線なので通年運行しているものの、こちらも全線を通して走る列車は2往復とごく少ない。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道」参照。

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ラーベナウアー・グルントを遡る(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番41 フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg は、ドイツ領エルツ山地の最高地点(下注)だ。一帯は降雪量が多く、山腹にウィンタースポーツのゲレンデが広がっている。山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal には、休暇を楽しむ人々が全国各地から集まってくる。

*注 エルツ山地全体では、チェコ側にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)が最高峰。

1897年に開通したこの蒸気鉄道も、その旅客輸送を主目的にしていた。ケムニッツ Chemnitz から延びる標準軌線の客をクランツァール  Cranzahl で受けて、オーバーヴィーゼンタールまで17.3km。遠隔地のローカル線だが、冬場の需要も手堅いところが、保存すべき狭軌鉄道に選ばれた理由だろう。

峠を一つ越えるため、とりわけルートの前半で最大37.0‰という険しい勾配が連続する。99 73-76形の後継として1950年代に製造された99.77-79形蒸機が、この急坂に挑む。

運行に当たるザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) はその実績を買われて、2004年からレースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道の運行も請け負うようになった。オーバーヴィーゼンタール駅には新しい整備工場が建設され、3本の狭軌線を走る機関車の全般検査は、ここで集中的に実施されている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道」参照。

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ヒュッテンバッハタール高架橋(2019年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34 デルニッツ鉄道「ヴィルダー・ローベルト」Döllnitzbahn "Wilder Robert"

保存すべき7線には含まれなかったが、東ドイツ時代を生き延び、今も稼働している狭軌鉄道がある。ライプツィヒ Leipzig とドレスデン  Dresden を結ぶ標準軌幹線の途中駅オーシャッツ Oschatz から出ているデルニッツ鉄道 Döllnitzbahn だ。支線を含め18.6kmの路線で、蒸機についたあだ名が「ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルト)Wilder Robert」。

これは、ミューゲルン Mügeln の町を中心とする狭軌路線網のうち、沿線で採掘されたカオリン(白陶土)を運搬するために残されたルートだ。旅客輸送は早くに廃止されたが、貨物輸送は2001年まで行われていた。その間に、愛好家団体がここで蒸気機関車を走らせ始め、一定時間帯に集中する通学輸送をバスから列車に移す試みがそれに続いた。これによって、狭軌鉄道は息を吹き返したのだ。

以来、平日はディーゼル牽引で通学輸送、休日はディーゼルか蒸機による観光輸送という目的特化型の運用が実施されている。使われている蒸機は、1910年前後に製造された関節式機関車のザクセンIV K形(DR 99.51~60形)。他線で走っている5軸機より一世代前の主力機で、常時見られるのはこの路線だけだ。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道」参照。

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ミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、トラムが走る郊外路線について。

項番28 キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn

ドレスデン南東の、屹立する断崖奇岩で知られる観光地ザクセン・スイス Sächsische Schweiz の一角に、メーターゲージの路面軌道がある。幹線網には接続しない孤立路線で、起点の町を出た後は、ずっと深い谷の中。まとまった集落も見当たらず、どうしてここに鉄道が?、と首をかしげたくなるような路線だ。

キルニッチュタール鉄道は、観光拠点バート・シャンダウ Bad Schandau からリヒテンハイナー・ヴァッサーファル (リヒテンハイン滝)Lichtenhainer Wasserfall に至る。名のとおりキルニッチュ川 Kirnitzsch の流れる谷に沿っていて、7.9kmのほぼ全線が道路の片側に敷かれた併用軌道だ。運用車両の主力はゴータカー Gothawagen で、前回紹介したヴォルタースドルフ路面軌道(項番9、下注)と並ぶゴータカーの王国になっている。

*注 ただしヴォルタースドルフは、新型低床車に置き換わりつつある。

終点のリヒテンハイン滝は19世紀前半に造られた人工滝だ。上流に堰を造って水を溜めておき、音楽に合わせて堰を開け、滝口から水を一気に流す。聞けばたわいのない仕掛けだが、昔はたいそう評判だった。ところが、2021年の大雨で導水路が壊れ、貯水池も泥で埋まって、ショーができなくなってしまった。路面軌道には大ピンチのはずだが、ザクセン・スイスのハイキング客がいるおかげで、なんとかいつもどおり動いている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道」参照。

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谷底の併用軌道を行く(2017年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番50 テューリンガーヴァルト鉄道 Thüringerwaldbahn

ゴータ市電は、1~3系統が市内で完結するのに対して、4系統「テューリンガーヴァルト鉄道(下注)」は市内から郊外に出ていく長距離路線だ。ゴータ中央駅 Gotha Hauptbahnhof から、テューリンガーヴァルト Thüringerwald と呼ばれる山地の北麓、バート・タバルツ Bad Tabarz まで、麦畑を貫き、小山を越えて22.7km。全線乗ると1時間近くかかる。

*注 地元ではヴァルトバーン Waldbahn(森の鉄道の意)と呼ばれる。

市内トラムがこうして離れた町や村を結ぶのは、ドイツで郊外路面軌道 Überlandstraßenbahn と呼ばれて、各地に見られた。しかし、1950年代以降、大部分がバス転換されてしまい、今も定期運行しているのは、前回挙げたベルリン東郊の路線など数えるほどしかない。

ゴータは、かつて一世を風靡したゴータカーのお膝元だが、主力車両はすでに、タトラやデュワグ(デュヴァーク)製などに世代交代している。郊外区間は停留所間距離が長く、市内とは「人」が変わったように、最高時速65kmですっ飛ばしていくのが小気味よい。

テューリンガーヴァルト鉄道には、ヴァルタースハウゼン Waltershausen へ行く2.4kmの支線がある。もとは4系統が二手に分かれる運用だったが、2007年から系統分離されて6系統と呼ばれるようになった。線内折返し運転のために、この区間だけ両運転台の改造車が走っている。

*注 鉄道の詳細は「テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る」参照。

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バート・タバルツに向かうタトラカー(2017年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いて、変わり種を二つ。

項番47 テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn

一つは、テューリンガーヴァルトの東端にある登山電車だ。2020年までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていたこのルートは、延長1.3kmの索道線(ケーブル線)Standseilbahn と、山上を行く同2.6kmの平坦線 Flachstrecke で構成される。山麓にはDBの非電化ローカル線が来ているので、山麓と山上を走る普通列車の間をケーブルカーでつなぐ形になる。

ユニークなのは、この三者間で車両をリレーする仕掛けがあることだ。すなわち、索道線ではふつう、階段型車両が交互に上下するが、ここでは片方が、車両を載せる貨物台車 Güterbühne になっている。かつてはこれで貨車を直通させていたし、今も検査や修理が必要な山上平坦線の車両の上げ下ろしに使われている。

この設備のおかげで、観光鉄道としても好評だ。シーズン中、天気が悪くなければ、貨物台車にオープン客車、いわゆるカブリオ Cabrio が設置される(下の写真参照)。台車より車長があるため、端部が勾配路にかなり突き出し、眺めは上々だ。悪天候時や冬場は、専用のクローズド車両が代わりを務める。

一方、山上平坦線の電車は通常2両編成で走っている。同線オリジナルの小型車両だが、ベルリンの車両整備工場で改造を受けているため、ベルリンSバーンの旧車によく似た風貌が特徴だ。

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(左)鋼索鉄道を上る階段型客車
(右)カブリオを載せた貨物台車
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(左)山上平坦線の電車
(右)右は台車積載用の閉鎖型客車
4枚とも海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2023年6月撮影
 

項番35 デーベルン馬車軌道 Döbelner Pferdebahn

ザクセン州中部の都市デーベルン Döbeln では、シーズンの毎月1回、馬がトラムを牽いて市内を巡るのが恒例行事になっている。

デーベルンの市街地は鉄道駅から2km近く離れていて、1892年にこの間を結ぶ馬車軌道が開業した。他都市ではこうした馬車軌道は短命で、まもなく蒸気や電気動力に置き換えられたが、この町ではその機運が生じなかった。1926年まで運行が続けられた後、軌道は放棄され、路線バスに転換されてしまった。しかし、最後まで馬車軌道のままだったことから、2002年に愛好家団体がその復活を目標に活動を始めた。そして2007年から、再び街路に馬の蹄の音が響くようになったのだ。

旧ルートとは異なり、起点は旧市街の南にある馬車軌道博物館で、そこから中心部のオーバーマルクト Obermarkt まで750mの区間を往復する。ドイツでは、北海に浮かぶシュピーカーオーク島 Spiekeroog(→北部編14)とここでしか見られない貴重な光景だ。

デーベルンの場合、稼働可能なトラムは1両のみ。馬も生身なので、悪天候や高温が予想される場合は、運行中止になる。せっかく出かけていっても空振りの可能性があるということを気に留めておきたい。

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馬車軌道再開の日(2007年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は標準軌の景勝路線だ。

項番31 エルプタール(エルベ谷)線 Elbtalbahn

ドレスデンとチェコのプラハを結ぶ電化幹線は、終始エルベ川 Elbe(チェコではラべ川 Labe)とその支流に沿っていく風光明媚なルートとして知られる。ドイツ領内では、エルベの谷の鉄道を意味するエルプタール線 Elbtalbahn と呼ばれ、国際列車とともにSバーンS1系統の電車が走っている。

ドレスデンから乗ると、車窓の見どころは、谷が狭まるピルナ Pirna 以降だ。車内がすいてくる頃合いなので、進行方向左側に席を移したい。二つ目の駅シュタット・ヴェーレン Stadt Wehlen を出た後、対岸に、バスタイ Bastei の奇岩とそこに渡された有名な石造橋が見えてくる。ラーテン Rathen からゆっくり右に回っていくと、今度は上流側の山上にそびえるケーニヒシュタインの要塞 Festung Königstein が目に入る。

Sバーン電車の2本に1本は、バート・シャンダウ Bad Schandau が終点だ。ザクセン・スイス国立公園 Nationalpark Sächsische Schweiz の拠点で、対岸の市街地へはバスがあるが、エルベ川の渡船で向かうのも一興だ。鉄道ファンならキルニッチュタール鉄道(項番28)のトラムが待っているし、バート・シャンダウ駅からは国立公園線 Nationalparkbahn の国際ローカル列車でさらに奥へと足を延ばすこともできる。

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Sバーンの終点シェーナ Schöna 駅
対岸のチェコ領へ行く渡船が待つ(2024年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ西部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
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 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月16日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I

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ドライ・アンネン・ホーネから山頂に向かうハルツ狭軌鉄道の列車(2016年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部編には、東部各州(メクレンブルク・フォアポンメルン Mecklenburg-Vorpommern、ブランデンブルク Brandenburg、ベルリン Berlin、ザクセン・アンハルト Sachsen-Anhalt、ザクセン Sachsen、テューリンゲン Thüringen)にある路線をリストアップした。中でも注目に値するのは、狭軌の蒸気鉄道だ。

なぜ、この地域に狭軌の蒸気鉄道が多数残っているのだろうか。それは東ドイツ時代に道路交通への転換対象にならなかったからだが、単に放置されていたわけではない。むしろ国は1964年に、狭軌路線を今後10年間で全廃する方針を決定している。戦後の混乱期に酷使された鉄道は、車両も施設も疲弊して、運用が限界に達していたからだ。方針に基づき、利用が少ない路線は予告もなく廃止されていった。

その一方で、代替手段となるバスの供給が追いつかず、観光輸送が集中する路線などは転換のめどが立たなかった。こうした状況下で1973年に、観光輸送のための交通史の記念碑 Denkmale der Verkehrsgeschichte für den Touristenverkehr として保存すべき7本の狭軌鉄道が選定されている。現行名称で示すと、リューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、ハルツ狭軌鉄道(ハルツ横断線、ゼルケタール線、下注)、ツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道だ。

*注 ハルツ狭軌鉄道のうち、ブロッケン線は含まれない。この路線は東西国境に近い一般立入禁止区域を通っているため、シールケ Schierke までは特別許可者のみ乗車できる旅客列車があったものの、その先は軍用列車限定だった。

東ドイツ時代を生き延びることができたのは、このときの選定路線にほかならない。施設の更新はなおも遅々としていたが、廃止線からまだ使える車両の供給を受けるなどで、当面の延命が図られた。参考までに、1980年から1984年にかけて、これら7本の鉄道で稼働している代表的な車両群をあしらった記念切手シリーズが東ドイツの郵政省から発行されている(下の写真参照)。

ドイツ再統一後、DBの民営化に伴って、これら狭軌鉄道の運営は州や自治体が出資する事業会社に移された。そして、Sバーンなどと同格の近距離鉄道旅客輸送 SPNV の枠組みに入り(下注)、今や等時隔のパターンダイヤ Taktfahrplan で運行されている路線さえある。これは、愛好家団体が独自に運営している保存鉄道とは明確に異なる点だ。

*注 SPNV=Schienenpersonennahverkehr、時刻表番号が3桁の路線(系統)がこれに該当する。それ以外の保存鉄道の番号は5桁。

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東ドイツの狭軌鉄道記念切手シリーズ(1980~84年)
上からリューゲン保養地鉄道、保養地鉄道モリー、
ハルツ狭軌鉄道ハルツ横断線、同 ゼルケタール線
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
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上からツィッタウ狭軌鉄道、レースニッツグルント鉄道、
ヴァイセリッツタール鉄道、フィヒテルベルク鉄道
All stamps were designed by Detlef Glinski and issued by the German Post of the GDR.
 

項番1 リューゲン保養地鉄道「韋駄天ローラント」Rügensche BäderBahn "Rasender Roland"

バルト海に浮かぶドイツ最大の島、リューゲン島 Rügen には、本土につながる標準軌線のほかに、総延長100km近い750mm軌間の軽便鉄道網があった。その中で唯一残っているのが、東海岸のリゾート地へ延びるリューゲン保養地鉄道 Rügensche BäderBahn(下注)だ。

*注 原語の Bäderbahn(ベーダーバーン)は、バートの鉄道を意味する。バート Bad は温泉地、保養地、リゾートのことで、ベーダー Bäder はその複数形。

標準軌線に接続するプトブス Putbus から島の東端ゲーレン Göhren までが本来の区間だが、1999年以降、列車はプトブスでその標準軌線に乗り入れて、バルト海の港ラウターバッハ・モーレ(埠頭)Lauterbach Mole まで行くようになった(下注)。もちろん線路幅が違うので、この間は新たにレールが1本足され、3線軌条になっている。

*注 この標準軌線ベルゲン・アウフ・リューゲン Bergen auf Rügen~プトブス~ラウターバッハ・モーレ間は、2014年からDBの手を離れて、狭軌鉄道の運行会社の所有・運営になった。

列車は「ラーゼンダー・ローラント(韋駄天ローラント)Rasender Roland」の名で呼ばれる。2時間間隔の運行だが、5~10月のシーズン中はさらに末端側のビンツ Binz ~ゲーレン間で増発されて、1時間間隔になる。これをすべて手間のかかる蒸機で賄っているのだから驚くほかない。

全線24.1km、乗ると2時間かかるが、沿線は畑と林が続く。車窓に水面が覗く区間はわずかで、起点の港を除けば、終盤に現れるゼリン湖 Selliner See ぐらいだ。復路で退屈しそうなら、ゼリン湖の埠頭とラウターバッハ・モーレを結ぶ観光船か、ビンツの町を散策しがてらDB線(下注)への乗継ぎという選択肢もある。

*注 オストゼーバート・ビンツ Ostseebad Binz からシュトラールズント Stralsund 方面へ、RE9系統の列車がある。

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3線軌条のラウターバッハ・モーレ駅(2022年)
Photo by A.Savin at wikimedia. Free Art License.
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プトブス駅の発着ホーム(2019年)
Photo by Peter Kersten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 保養地鉄道モリー Bäderbahn Molli

バルト海 Ostsee 沿岸にあるもう一つの蒸気鉄道が、保養地鉄道モリーだ。沿線のバート・ドベラーン Bad Doberan やキュールングスボルン Kühlungsborn の地名は知らなくても、「モリー Molli」と言うだけでわかるほど、その名は広く浸透している。

900mmという軌間も希少だが、それより珍しいのは、蒸気機関車が狭い街路を通り抜けるシーンだ。バード・ドベラーンでは、線路が中心市街地を文字どおり貫いている。人々が憩うカフェテラスのすぐ前を、機関車から連打される警戒のベル音とともに、列車はゆっくりと通過していく。

上下合わせればほぼ30分おきに通るので、市民には日常風景だろうが、着いたばかりの観光客としてはカメラを向けないわけにはいかない。ちなみに、転車台がないため、キュールングスボルン行きの機関車はバック運転(逆機)だ。復路で正面を向く。

全線15.4kmのうち、併用軌道は1km足らず。その先はうるわしい菩提樹の並木道に沿って西へ進む。中間駅のハイリゲンダム Heiligendamm で反対列車と行き違いをした後は、畑の中を貫いていく。

終点キュールングスボルン・ヴェスト(西駅)Kühlungsborn West は、蒸機の運行拠点で、機関庫で休む同僚機が見られるかもしれない。5両いる現役機関車はどれもベテランの風貌をしているが、実は1両だけ21世紀生まれの新顔が混じっている。99 2324のプレートをつけたその機関車は99.32形のレプリカで、2009年にマイリンゲン Meiringen の工場で完成した。定期運行用としては、ドイツでほぼ50年ぶりの新造だったそうだ。

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バート・ドベラーンの市街を通過する蒸気列車(2012年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
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終点キュールングスボルン西駅(2011年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番18~20 ハルツ狭軌鉄道 Harzer Schmalspurbahnen (HSB)

どこまでも平地が広がる北ドイツで、ハルツ山地 Harz はとりわけ目立つ山塊だ。霧に自分の影が投影される現象で有名なブロッケン山 Brocken が最高峰で、標高は1141mある。この山地にメーターゲージの鉄道網が築かれたのは1880~90年代のことだ。それはハルツ狭軌鉄道として、蒸気機関車による運行形態もそのままに維持されている(下注)。

*注 一部の列車は気動車で運行される。

延長140kmに及ぶ路線網は、大きく3つに分けられる。

ブロッケン線 Brockenbahn(項番18)は長さ19.0km、人々をハルツの最高峰へいざなう同 鉄道の看板路線だ。列車がほぼ1時間おきに1日8往復、週末は10往復も設定されていて、人気ぶりがうかがえる。ブロッケン山には自動車道が通じておらず、列車が唯一の交通手段になっている。それで、北麓の町ヴェルニゲローデ Wernigerode からの直通列車だけでなく、駐車場のあるドライ・アンネン・ホーネ Drei Annen Hohne を始発・終着とする列車のニーズも大きい。

蒸気列車は、トウヒの森に囲まれた30~33.3‰の急坂を力強く上っていく。最後の中間駅シールケ駅を出ると、森の背丈がいつしか低くなり、車窓が明るくなってくる。森林限界を超え、スパイラルを反時計回りに1周半すると、山頂駅だ。山腹を吹き上がる西風が雲を呼ぶため、天気はすぐ変わる。もし晴れたタイミングで到着したなら、見渡す限りの大パノラマをしっかりと目に焼き付けたい。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 I-山麓の町ヴェルニゲローデへ」「同 II-ブロッケン線」参照。

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ブロッケン山頂はまもなく(2008年)
Photo by Nawi112 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ハルツ横断線 Harzquerbahn(項番19)は、名称どおり、山地を南北に横断してヴェルニゲローデとノルトハウゼン北駅 Nordhausen Nord を結ぶ60.5kmの路線だ。本来のメインルートだが、ブロッケン行きの列車も通るヴェルニゲローデ~ドライ・アンネン・ホーネ間はともかく、中間部は実に閑散としている。1日4往復しかなかったのに、うち2往復は今やバス代行になってしまった。

一方、ノルトハウゼン側では、途中のイールフェルト Ilfeld まで市内トラムが乗り入れてくる。軌間は同じでも非電化なので、トラムは蓄電池を積んだハイブリッド仕様だ。市内軌道では架線から集電し、ハルツ横断線に入ると蓄電池を電源にして走る。これによってこの区間の駅では、現代風の連節トラムと蒸気列車がホームで隣り合う珍しい光景が見られるようになった。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線」参照。

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終点ノルトハウゼン北駅(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

ゼルケタール線 Selketalbahn(項番20)は長さ60.8km、比較的標高の低い山地東部を横断していく。しかし、前半の分水界越えには、ブロッケン線をしのぐ40.0‰の急勾配があり、半径60mの急カーブを筆頭に、きつい反向曲線が連続する。軽便規格の険しいルートであることに変わりはない。

こちらも需要がそこそこあるのは、中間のアレクシスバート Alexisbad までだ。ここでハルツゲローデ Harzgerode 方面とハッセルフェルデ Hasselfelde 方面に線路が分かれるため、残りは1日4往復の閑散区間になる(ただしバス代行ではない)。ハルツ横断線に合流するアイスフェルダー・タールミューレ Eisfelder Talmühle は、そうした閑散線どうしの静かな乗換駅だ。各方面の列車が接続のために顔を揃える時間帯だけ、生気が戻ってくる。

方や、起点側のクヴェードリンブルク Quedlinburg とゲルンローデ Gernrode の間は、2006年に開通したばかりの新線だ。世界遺産都市に乗入れるために、廃止された標準軌線をわざわざメーターゲージに改軌したことで話題になった。車庫はもとの起点ゲルンローデに残されていて、朝晩、出入庫車両の運用がある。

*注 鉄道の詳細は「ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線」参照。

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アレクシスバート駅の単行気動車(2012年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番21 リューベラント鉄道 Rübelandbahn

ザクセン州の蒸気鉄道は次回紹介するとして、ハルツ山地に分け入る標準軌の山岳路線にも触れておきたい。山地北麓のブランケンブルク Blankenburg と山中の町エルビンゲローデ Elbingerode の間18.2kmを結んでいるリューベラント鉄道だ(下注)。

*注 かつてはさらに奥へ進み、タンネ Tanne まで30.3kmの路線だった。

沿線の鉱石輸送を目的に全線開業したのは1886年。ハルツ狭軌鉄道と時代が重なるが、同じようにルート前半で分水界を越えるために61‰の急勾配があり、これをスイッチバックと、開発されて間もないアプト式ラックレールで克服した。

路線は、第二次大戦後の国有化で改称されるまで、ハルツ鉄道 Harzbahn と呼ばれていた。それで狭軌鉄道(下注)と混同されることもあるのだが、旧 信越本線碓氷峠区間の建設に当たって参考にしたのは、この標準軌線だ。その後1920年代に、強力な蒸気機関車が導入されてラック運転は不要となり、レールも撤去された。1966年には電化が完了して、蒸機も姿を消した。

*注 ハルツ狭軌鉄道は当初から粘着式で運行され、ラックレールは使われていない。

現在のリューベラント鉄道は、もっぱら石灰石を搬出するための貨物線だ。一般旅客輸送は行われていないが、うれしいことに、愛好家団体が毎月特定日に走らせている蒸気列車がある。動輪5軸の強力な95形機関車が、車庫のあるブランケンブルク駅を出て険しい坂道を上っていく姿は、ハルツ鉄道の昔を彷彿とさせる。

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ヒュッテンローデ Hüttenrode 付近(2020年)
Photo by Albert Koch at flickr. License: CC BY-ND 2.0
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リューベラント鉄道博物館前の95形(2012年)
Photo by Carsten Krüger Wassen at wikimedia. License: CC BY 3.0

次は、ベルリン東郊に点在する小規模な電気鉄道をいくつか挙げよう。これらに共通するのは、長距離幹線の駅から少し離れた町や行楽地へ向かう路線という点だ。幹線鉄道は、主要都市を最短時間で結ぶことを目的に建設される。それでルートから外れた土地への交通手段は、こうした軽規格の支線鉄道が担っていた。

項番7 ブーコー軽便鉄道 Buckower Kleinbahn

最も東に位置するブーコー軽便鉄道は、東部本線 Ostbahn のミュンヒェベルク Müncheberg 駅を起点に、メルキッシェ・シュヴァイツ自然公園 Naturpark Märkische Schweiz(下注)の中心地ブーコー Buckow まで行く4.9kmの標準軌支線だ。

*注 メルキッシェ・シュヴァイツは、マルク・ブランデンブルク Mark Brandenburg(ブランデンブルク辺境伯領 Markgrafschaft)のスイスを意味する。風光明媚な地域をスイスに例えたもの。

東部本線というのは、プロイセン王国時代にベルリンとケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Kaliningrad)を結んだ総延長740kmの鉄道だ。重要幹線の一つだったので、途中の小さな町などには目もくれず、広大な平野をひたすら驀進していく。そこで、北に離れた森と湖の里ブーコーへは、1897年に最寄り駅から750mm軌間の軽便鉄道が開通した。これが1930年に標準軌に転換され、同時に直流電化されて、現在に至る。

保存鉄道として維持されているこの支線の特徴は、改軌電化の際に配備された479形電車の存在だ。879形の付随車とのペアで運行されている。1980年代に改修を受けたとはいえ、角ばった外観や中央の側扉といったレトロな風貌は健在で、吊掛けモーターの唸りとともに、訪れる人のノスタルジーを誘ってやまない。

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ミュンヒェベルク駅で発車を待つ(2012年)
Photo by Andre_de at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シュトラウスベルク鉄道 Strausberger Eisenbahn

シュトラウスベルク鉄道は、ブーコーより少し早く1893年に開業している。町の6km南にある東部本線のシュトラウスベルク Strausberg 駅から、間を埋める深い森を貫いて、町の中心部に達した蒸気鉄道だった。電化は1921年で、このとき後半の区間が移設され、ルストガルテン  Lustgarten に至る現在の道端軌道が出現した。

ブーコーと違って、こちらはSPNVとして公共輸送を担っている。平日は20分ヘッドで走り、バリアフリー化のために、ベルリン市内と同じボンバルディアの低床トラムも導入済みだ。並行してSバーン(S5系統)があり、町裏にある駅(下注)から乗り換えなしでベルリン中心部まで行けるというのに、至って元気な路線で、歴史あるわが町のトラムに対する市民の愛着が感じられる。

*注 S5系統シュトラウスベルク・シュタット Strausberg Stadt駅。

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終点ルストガルテンの低床トラム(2022年)
Photo by Lukas Beck at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ここでもう一つ、観光名所になっているのが、鉄道の終点駅近くでシュトラウス湖を横断している渡船 Strausseefähre だ。幅350mの細長い湖とあって、湖上に架線が渡され、そこから集電して走る。湖面には別途、ケーブルが2本張ってあり、これを船体の両側に通すことで航路を誘導する仕組みだ。前身の船はガソリン動力だったが、騒音と漂う石油臭が不評で、1915年にこのトロリーフェリーに置き換えられた。現在の船は1967年に就航した2代目の「シュテッフィ Steffi」、今やヨーロッパ唯一という貴重な動く文化財だ。

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トロリーフェリー「シュテッフィ」(2023年)
Photo by Zonk43 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ヴォルタースドルフ路面軌道 Straßenbahn Woltersdorf

ベルリン市内から南東に走るSバーン(S3系統)のラーンスドルフ Rahnsdorf の駅前からは、ヴォルタースドルフ Woltersdorf の町へ向かうトラムが出発している。延長5.6kmの小路線で、自治体設立の会社が所有している文字どおりわが町のトラムだ(下注)。町の人口は8500人ほどで、独自のトラム路線を持つ自治体では最小規模だという。にもかかわらずダイヤは20分間隔、さらに平日の朝夕は根元区間で10分間隔と頻発していて、使い勝手がいい。

*注 列車の運行管理は、2020年からシェーナイヒェ=リューダースドルフ路面鉄道会社が担っている。

ルートは、前半が森の中、後半はヴォルタースドルフの住宅街を進んでいく。67‰の急な下り坂や、狭い道路でクルマと鉢合わせしそうな併用軌道など、注目個所がいくつかある。終点は運河の閘門の前で、開業当時は人気の観光スポットだった。

この路線の特色は、もっぱら中古の2軸ゴータカーが定期運用されていることだ。東ドイツ時代にゴータ車両製造人民公社 VEB Waggonbau Gotha で製造された車両群だが、ベルリンやシュヴェリーンなど他都市から引退した後、ここに終の棲家を見出した。改修を受けているとはいえ、もう60年選手だ。

しかし、バリアフリー化を達成するために、ここでも低床車の導入計画が進んでいて、今年(2024年)7月にポーランド製の3編成が現地に到着したと報道された。長らく隆盛を誇ったゴータカー王国も、にわかに体制が揺らぎ始めている。

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ヴォルタースドルフ病院 Woltersdorf Krankenhaus 付近(2010年)
Photo by der_psycho_78 at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

項番12 シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS)

Sバーンでラーンスドルフからベルリンに向かって次の駅、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen にも、同じように独立したトラム路線がある。Sバーン線の駅から深い森を抜けて、シェーナイヒェ Schöneiche、リューダースドルフ Rüdersdorf という二つの町を結んでいる 14.1kmの路線だ。

上述した3路線はいずれも標準軌だったが、シェーナイヒェ=リューダースドルフ路面軌道は、ベルリン都市圏で唯一のメーターゲージ(1000mm軌間)だ。起点のフリードリヒスハーゲンには、Sバーン駅を挟んで反対側にベルリン市電も来ているのだが、軌間の違いで直通できず、1910年の開業からずっと孤立路線に甘んじている。起点から約4kmの間はベルリン市内を走るため(ただし森の中で、集落はない)、地元ではベルリン市電への編入を要望しているそうだが、実現していない。

とはいえ、ベルリンに限定しなければ、メーターゲージのトラムは何ら珍しい存在ではない。事実、現在の運用車両は、ハイデルベルク、コットブスなど国内各地のメーターゲージ市電から譲渡された中古車だ。また、最も新しい低床3車体連節車は、フィンランドのヘルシンキからやってきた。たまたま車体の色がどちらも黄色と緑なので、オリジナル色のままでも違和感なく走っている。

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ヘルシンキから来た低床車アルティック Artic(2019年)
Photo by Mirkone at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番24 ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg

ナウムブルク Naumburg はライプツィヒの南西50kmにある町で、4本の尖塔を持つ堂々たる大聖堂で知られる。ここでも国鉄駅と旧市街を連絡するメーターゲージの馬車軌道が、1892年に開通した。1907年に電化され、東ドイツ時代までは環状ルートで走っていたが、施設の劣化が進行し、再統一後の地域経済が減退するなかで、運行は中止されてしまった。

公共交通機能がバスに移されるなか、愛好家団体が会社を設立し、市当局の協力を得ながら、少しずつ軌道の再建を進めていった。環状線のうち西側を廃止する代わりに、東側は公費で改修されることになった。もとの軌道は旧市街のマルクト広場 Marktplatz を経由していたが、このとき、道幅に余裕のある外縁ルートに変更されている。

こうして2006年にはシーズン中、毎週末の保存運行が始まった。さらに2007年のシーズンから4年間は、試験的に毎日運行され、結果が良好だったことから、2010年、ついに近距離公共旅客輸送機関 SPNV への復帰が決まったのだ。

現在、路線は中央駅 Hauptbahnhof とザルツトーア Salztor の間 2.9kmで、30分ごとに運行されている。路面軌道とはいうものの、全線にわたって車道と分離されているので、実態は道端軌道だ。主役は、1960年前後に製造されたゴータカーと、1970年代の「レコ」トラムで、保存鉄道の雰囲気をまといながら今日も走り続けている。

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終点ザルツトーア付近の「レコ」トラム(2018年)
Photo by Michał Beim at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0

最後は、東部各州に見られる公園鉄道について。

公園鉄道というのは、都市公園の中を走っている遊覧鉄道のことだが、東部の場合、そのほとんどが、東ドイツ時代に青少年の社会教育訓練施設として設置されたピオネール鉄道 Pioniereisenbahn(下注)に由来する。ピオネール鉄道は、1930年代に旧ソ連のモスクワで開設されたものが最初とされ、第二次世界大戦後は、1950年のドレスデンを皮切りに東ドイツの各都市にも広まっていった。これらは公園内に造られたので、ドイツ再統一後も、名称が公園鉄道 Parkeisenbahn に変わっただけで、青少年が運行に携わる組織ともども多くが存続している。

*注 ピオネール пионе́р(英語の pioneer に相当)は、共産主義圏における少年団組織。

このうち、ベルリン市内南東部にあるヴールハイデ公園鉄道 Parkeisenbahn Wuhlheide、別名 ベルリン公園鉄道 Berliner Parkeisenbahn(項番10)は、ドイツ最大の路線網と車両群を維持する公園鉄道だ。軌間は600mm。開業は1956年と比較的遅いが、1993年にSバーンの駅前まで延長されたことで、路線長は6.9kmに達した。

ふだん列車を牽くのは小型ディーゼル機関車だが、第1、第3週末には蒸気機関車も登場する。運行系統は2通りあり、中央駅 Hauptbahnhof と呼ばれる拠点を出発し、ヴールハイデ駅前に立ち寄りながら園内を周回するルートの場合、乗り通すのに約30分かかる。

この鉄道の運行には、10歳以上の青少年170名以上が携わっている。彼らは年齢に応じて理論研修や実践訓練を受けながら、車掌や踏切警手から始まり、出札業務や信号業務とさまざまな業務をこなしていく。紺の制服に身を包んで、きびきびと動く彼らは傍目にも頼もしげだ。

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ヴールハイデの5号機「アルトゥール・コッペル Arthur Koppel」(2001年)
Photo by Andreas Prang at German Wikipedia. License: public domain
 

ドレスデン公園鉄道 Dresdner Parkeisenbahn(項番29)の前身は、上述のとおり、1950年に東ドイツで最初に開設されたピオネール鉄道だ。路線長は5.6km(下注)あり、ここも1周30分かかる。平日は蓄電池機関車だが、週末にはクラウス Krauss 製の蒸機が列車の前につく。

*注 なお、路線長の数値は、上下線が並走(=複線)する中央駅 Hauptbahnhof ~動物園駅 Bahnhof Zoo 間をダブルカウントしている。

軌間は381mm(15インチ)で、ウィーンのプラーター公園 Prater を走る有名なリリプット鉄道 Liliputbahn がモデルになっている。リストには挙げていないが、ドレスデンに次いで1951年に開業したライプツィヒ Leipzig のそれも同じ軌間だ。しかし、リリプット車両の流通量が少なかったため、これ以降のピオネール鉄道は、軽便線として普及していて転用が容易だった600mm軌間で計画されていく。

コットブス公園鉄道 Parkeisenbahn Cottbus(項番16)は1954年の開通で、軌間は600mm。周回軌道ではなく、DB駅前から公園の南端まで南下していく一本道のルートだ。東ドイツ時代は公園内で完結していたのだが、1995年に開催された連邦園芸博の機会に、ヴールハイデの例に倣ってDB駅まで延伸された。

その結果、現在はザンドアー・ドライエック Sandower Dreieck~パルク・ウント・シュロス・ブラーニッツ Park & Schloss Branitz 間3.2kmとなり、片道19分。軌間が広い分、客車の空間も広く取られ、狭苦しいドレスデンに比べるまでもなく、大のおとなが並んでも十分余裕がある。

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ドレスデン公園鉄道の複線区間(2010年)
Photo by Henry Mühlpfordt at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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コットブス公園鉄道ザンドアー・ドライエック駅(2017年)
Photo by kevinprince3 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

こうした公園鉄道は、上述したものの他にも、ケムニッツ Chemnitz(項番38、1954年開設)、プラウエン Plauen(以下リスト未掲載、1959年開設)、ハレ Halle(1960年開設)、ゲルリッツ Görlitz(1976年開設)などの都市で今も動いている。

なお、リストには、ベルリンのブリッツ公園鉄道 Britzer Parkbahn(項番14)も挙げているが、これは旧 西ベルリンにあり、1985年に園芸博のアトラクションとして開設されたもので、ピオネール由来ではない。

続きは次回に。

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

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 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年7月31日 (水)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

ドイツは、イギリスと並んで保存鉄道活動が盛んな土地柄だ。いつものように観光鉄道や景勝路線を含めて挙げてみると、件数は150を超えた。北部、東部、西部、南部と4分割したリストの中から、主なものを紹介していこう。

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「ヤン・ハルプシュテット」のクリスマス特別列車(2014年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyn.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」画面

北部編には、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein、ハンブルク州 Hamburg、ニーダーザクセン州 Niedersachsen、ブレーメン州 Bremen にある路線を含めている。

まず注目したいのは、島の鉄道 Inselbahnen だ。ドイツ本土と北海との間で、平べったい島々が列をなしている。これら北フリジア諸島、東フリジア諸島(下注)と呼ばれる島々は、知られざる小鉄道の宝庫だ。

*注 フリジア Frisia は英語由来の呼称で、ドイツ語ではフリースラント Friesland。

項番3 ハリゲン鉄道 Halligbahnen

ユトランド半島の東側に位置する北フリジア諸島では、ハリゲン鉄道 Halligbahnen(下注)として括られる2本の簡易軌道が、本土と島をつないでいる。

*注 ハリゲン Halligen(複数形。単数はハリッヒ Hallig)とは、潮位が高くなると海中に没してしまうこの地域特有の湿地の島のこと。

一つは、本土の港ダーゲビュル Dagebüll から遠浅のワッデン海を築堤で渡ってオーラント島 Oland とランゲネス島 Langeneß へ行く軌間900mm、長さ9kmのダーゲビュル=オーラント=ランゲネス線 Halligbahn Dagebüll–Oland–Langeneß。

もう一つは、その約15km南で同じようにワッデン海を横断している軌間600mm、長さ3.5kmのリュットモーアジール=ノルトシュトランディッシュモーア線 Halligbahn Lüttmoorsiel–Nordstrandischmoor、通称ローレンバーン Lorenbahn(トロッコ鉄道の意)だ。

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ダーゲビュルの堤防を降りる自家用トロッコ(2023年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

その特徴は、州の海岸保護・国立公園・海洋保護局 Landesamtes für Küstenschutz, Nationalpark und Meeresschutz (LKN) が管理している専用線であることだろう。1920~30年代に護岸工事の資材を輸送するために建設され、今もその目的で維持されている。しかし本土との間には道路がないので、島民もこの軌道の日常利用が許されている。

彼らはマイカーならぬマイトロッコを運転して、浅海の上を行き来する。かつてこうしたトロッコは無動力で、帆で風を受けて走っていた。今はドライジーネ Draisine と呼ばれる動力車が普及していて、中には付随車(トレーラー)を伴った「列車」形式も見られる。

軌道は全線単線で、前者の場合、途中に、対向車両を退避するための頭端側線または待避線が計4か所設置してある。見通しがいいので信号機などはなく、優先通行権はまず工事車両に、マイトロッコ同士なら先に「閉塞区間」に入った車両にある。ポイントの切り替えもセルフサービスになっている。

鉄道ファンなら乗ってみたいが、この軌道に定期運行の旅客列車などは存在しない。それどころか、島内の民宿に泊る客を除いて、島民がマイトロッコに一般人を便乗させることも禁じられている。違反すると、運転免許取消の厳しい処分が待ち受けているそうだ。

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ワッデン海の中を3km続く簡易軌道(2003年)
Photo by StFr at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番14 ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn

一方、オランダに近い東フリジア諸島では、4つの島に島内鉄道が存在する。一つは観光用の馬車軌道だが、他の3島は狭軌の普通鉄道で、本土との間を結ぶ航路と連携して、港から中心市街地への交通手段として活用されている。

*注 東フリジア諸島の島内鉄道の概要については「北海の島のナロー I-概要」参照。

そのうち、最も東に位置するのがヴァンガーオーゲ島鉄道だ。軌間は1000mm(メーターゲージ)、航路ともどもドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによる運営で、今やDB唯一のナローゲージ路線になっている。

この鉄道の特徴は、運行ダイヤが毎日変わることだ。というのも、本土と島の間は遠浅の海で、潮が引くと広大な干潟が現れる。フェリーは、本土の川から続いている溝状の水路、いわゆる澪(みお)に沿って運航されるが、ヴァンガーオーゲの場合、それが浅く、潮位が高いときしか通れないのだ。船がそうなら、接続列車も合わさざるをえない。DBサイトには、本土側の連絡バスを含む1年間の運行ダイヤが一覧表で掲載されている。

フェリーが着くのは、島の南西端に突き出た埠頭だ。数両の客車がその岸壁で乗客を待っている。発車時刻は明示されておらず、全員が乗り込み、シェーマ・ロコ(下注1)が前に連結されれば、出発だ。列車は、海鳥たちの繁殖地にもなっている塩性湿地 Salzmarschen の上を時速20kmでゆっくりと横断し、約15分かけて町の玄関駅にすべり込む。

*注1 シェーマ Schöma(クリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH)社製の小型ディーゼル機関車。
*注2 鉄道の詳細は「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」「同 VI-後編」参照。

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塩性湿地を横断する列車(2018年)
筆者撮影
 

項番17 ボルクム軽便鉄道 Borkumer Kleinbahn

ボルクム島 Insel Borkum は東フリジア諸島の西端にあって、面積、人口とも諸島最大だ。ドイツ本土より距離が近いオランダからの定期航路もあり、レーデ Reede(投錨地の意)と呼ばれる埠頭は常に賑わっている。

ボルクム軽便鉄道は、その埠頭から7kmほど離れたボルクムの市街地まで、旅行者や用務客を運んでいる狭軌鉄道だ。メーターゲージの他の3島と異なり、軌間は前身の馬車軌道に由来する900mm。しかし、複線のまっすぐな線路を、10両編成で疾走する列車をひとたび目にすれば、鉄道需要の規模の差を実感する。

ボルクム駅までは17分。公式時刻表では、埠頭の発時刻が、船の遅延も見込んで ca.(およそ)何時何分と書かれているのがユニークだ。それに加えて、時刻表にない列車もたびたび走る。フェリーの乗客が多かったり、発着が重なったりして、1本の定期列車では運びきれないと判断された場合、混雑緩和列車 Entlastungszug と称して臨時便が手配されるのだ。

列車を牽くのはここでもシェーマ・ロコだが、ボルクム駅の車庫には、蒸気機関車やヴィスマール・レールバスといった旧型車両も保存されていて、週末などに特別運行が実施される。実用一辺倒でなく、観光要素にも配慮しているところが、島の交通を預かる鉄道の心意気だろう。

*注 鉄道の詳細は「北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編」「同 III-後編」参照。

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埠頭の駅で発車を待つ(2018年)
筆者撮影
 

項番9 ドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館 Deutsches Feld- und Kleinbahnmuseum
項番10 ブルクジッテンゼン湿原鉄道 Moorbahn Burgsittensen
項番11 アーレンモーア湿原鉄道 Moorbahn Ahlenmoor

北部の知られざる小鉄道は北海の島にとどまらない。ニーダーザクセン州中西部に広範囲に分布している低地湿原(モーア Moor)もその舞台だ。農地化などで面積が縮小して、湿原の多くは保護区として開発が制限されているが、かつては肥料や燃料にするために、泥炭の採掘が盛んに行われた。それを加工場まで運搬していたのが、湿原鉄道 Moorbahn、泥炭鉄道 Torfbahn などと呼ばれる600mm軌間の簡易軌道 Feldbahn(下注)だ。

*注 Feld は英語の field に相当する。軽量で、敷設・撤去が容易なことから軍用や産業用として広く用いられた。

シュターデ Stade 近郊、旧DBダインステ Deinste 駅の構内にあるドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館は、泥炭工場をはじめ鉱山、林業などで使われた小型機関車や客車・貨車を多数収集・保存している。コレクションを走らせる軌道も、畑を区切る並木を縫って約1.6kmの間延びていて、開館日のシャトル運行は訪問客の大きな楽しみだ。

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原状回復が図られるティステ農業湿原(2013年)
Photo by Dieter Matthe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

また、実際に湿原に敷かれた簡易軌道を保存して、観光と学びに活用しているところもある。ブルクジッテンゼン湿原鉄道は、ハンブルクとブレーメンの中間にある自然保護区「ティステ農業湿原 Tister Bauernmoor」の中を走る簡易軌道だ。

ここでは1999年まで泥炭が採掘されていたが、事業廃止後、自然保護区に指定されて湿原の回復が図られた。それとともに、残された軌道を活用して、湿原と野鳥の見学ツアーを開催している。ガイド付きツアーの参加者は、シェーマ・ロコが牽くトロッコ客車に乗り、約1.4km離れた湿原展望台まで行く(下注)。自然と触れ合う往復1時間30分の小旅行だ。

*注 途中、上下線が別ルートになっているので、総延長は約4kmある。

クックスハーフェン Cuxhaven の南にあるアーレンモーア湿原鉄道も同様で、広さ40平方kmのアーレン湿原 Ahlenmoor に張り巡らされた旧 泥炭軌道を利用している。こちらのツアーはより大規模で、全長5.7kmの周回ルートを走り、所要2時間15分。乗り場になっているビジターセンターも、かつての泥炭工場を改修したものだ。

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アーレン湿原の見学列車(2014年)
Photo by Ra Boe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番22 ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道 Museumseisenbahn Bruchhausen-Vilsen – Asendorf

次は、「ふつうの」保存鉄道をいくつか挙げよう。

ヴェーザー川とその支流が潤すブレーメン Bremen 周辺の田園地帯には活動中の路線がいくつもあるが、中でも筆頭は、ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道だろう。メーターゲージ(1000mm軌間)ながら、1966年7月に運行を開始した、ドイツで最初の保存鉄道だからだ。

運営主体は、その2年前に愛好家により設立されたドイツ鉄道協会 Deutsche Eisenbahn-Verein e. V. (DEV) 。まだ全線は走れず、列車構成も、1900年の路線開通時からいる同線オリジナルの小型蒸機「ブルッフハウゼン Bruchhausen」と客車1両というささやかなものだった(下注)。

*注 ブルッフハウゼン号は後に引退し、今はブルッフハウゼン・フィルゼン駅前のロータリーに記念碑として置かれている。

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駅前に据え付けられたブルッフハウゼン号(2009年)
Photo by Syker Fotograf at wikimedia. GNU General Public License
 

運行区間は1970年に延伸され、現在のブルッフハウゼン・フィルゼン Bruchhausen-Vilsen ~アーゼンドルフ Asendorf 間7.8kmになった。メーターゲージの孤立路線だが、昔は本線格のジーケ Syke ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~ホーヤ Hoya 間とともに狭軌の軽便鉄道網の一部をなしていた。それで、路線の後半に見られるいわゆる道端軌道の風景も本線とよく似ている。こうした軽規格のローカル線は1950年代までドイツの田舎の至るところで見られたが、今ではほとんど残っていない。

拠点のブルッフハウゼン・フィルゼンへは、DB線のジーケ駅から路線バスが出ている。また、運行日は限られるが、ジーケ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~アイストループ Eystrup 間にカフキーカー Kaffkieker(項番21)という気動車の観光列車も走っている。一部に田舎道の併用軌道さえある興味深い路線なので、機会があれば併せて乗ってみたい。

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観光列車カフキーカー、ブルッフハウゼン駅にて(2010年)
Photo by Corradox at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 アンゲルン蒸気鉄道 Angelner Dampfeisenbahn

ブルッフハウゼンに刺激されてか、1970年代に入ると、北部でも保存鉄道の開業が相次ぐ。フレンスブルク鉄道交通友の会 Freunde des Schienenverkehrs Flensburg e. V. によって1979年に開業したアンゲルン蒸気鉄道(下注)もその一つで、ドイツ最北の保存鉄道として今も運行を続けている。

*注 アンゲルン Angeln は、路線がある半島の名。ちなみに、この地からグレートブリテン島に移住した民族が英語で Angles(アングル人)と呼ばれ、アングロ・サクソンやイングランド(アングル人の土地の意)の名の語源になっている。

ルートとなった路線は、もともと主要都市シュレースヴィヒ Schleswig を起点とする地方鉄道だった。保存鉄道ではその東半分、DBキール=フレンスブルク線 Bahnstrecke Kiel–Flensburg のジューダーブラループ Süderbrarup 駅と港町カペルン Kappeln の間14.6kmが使われている。

この鉄道の最大の特徴は、車両コレクションの多くを北欧に求めていることだ。2017年まで主力機だったタンク蒸機F形はもとデンマーク国鉄 DSB のものだし、バトンを引き継いだテンダー蒸機S1形も、側壁の SJ の文字が示すように、スウェーデン国鉄の最後の形式だ(下注)。客車群もまたデンマークやノルウェーから到来している。

*注 2024年現在、修理のために就役していない。

鉄道の終点カペルン駅は、港のすぐ前だ。内陸に40km以上も入り込むシュライ湾 Schlei と呼ばれる細長い水路に面した港では、昔からニシンの水揚げが盛んだった。昇天日に合わせて開催されるニシン祭 Heringstage は町一番の年中行事で、鉄道もその一部に協力する。

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カペルン駅の旧SJ蒸機S1 1916(2018年)
Photo by Matthias Süßen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番5 シェーンベルガー・シュトラント保存鉄道 Museumsbahnen Schönberger Strand

この蒸気保存鉄道は1976年に開業している。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の州都キール Kiel から、バルト海沿岸の保養地シェーンベルガー・シュトラント Schönberger Strand(シェーンベルク海岸の意)まで延びる休止中の標準軌支線がその舞台だ。

1975年の一般旅客輸送の廃止を受けて、ハンブルク Hamburg で設立された交通愛好家・保存鉄道協会 Verein Verkehrsamateure und Museumsbahn e. V. (VVM) が末端部の線路3.5kmを取得した。以来、保存列車は基本的にその区間を往復している(下注1)が、支線全線が走行可能な状態に保たれているので、イベントなどでは列車がキール市内まで遠征する(下注2)。

*注1 今年(2024年)は、協会管理外のシェーンベルク Schönberg ~シェーンキルヘン Schönkirchen 間で運行されている。
*注2 根元区間のオッペンドルフ Oppendorf までは、2017年以来、キール中央駅からの一般旅客輸送が復活している。

活動拠点になっているのはシェーンベルガー・シュトラント旧駅だが、ここには別の楽しみもある。それは、協会が1993年から手掛けている路面電車の動態保存だ。ベルリン、ハンブルク、キールほか北ドイツ各都市の旧型車両が収集されていて、構内には終端ループを伴う1周500mほどの走行線が敷かれている。

ベルリンなどは標準軌(1435mm)だが、キールとリューベック Lübeck の市電は珍しい1100mm軌間だった。それで構内線もデュアルゲージ対応の3線軌条だ。

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シェーンベルガー・シュトラント駅(2017年)
Photo by Christian Alexander Tietgen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
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シェーンベルガー・シュトラント駅の路面軌道を走る旧ハンブルク市電(2018年)
Photo by Hammi8 at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

項番28 ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland

ヴェーザー川中流、ミンデンMinden(下注)の東に、リンテルン=シュタットハーゲン線 Bahnstrecke Rinteln–Stadthagen という半ば休止線が通っている。1974年以来、愛好家団体ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland (DEW) が保存列車を走らせているルートだ。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州北部の都市。

列車は、先輪1軸、動輪5軸の大型機関車DR 52.80形と客車6両(食堂車と半荷物車を含む)で構成されている。いずれも出自は旧 東ドイツ国鉄 DR で、第二次世界大戦前または戦中に製造された車両を戦後、抜本的に改良したいわゆるレコ機関車 Reko-Lokomotive、レコ客車 Rekowagen だ(下注)。

*注 レコは改造 Rekonstruktion を意味する。なお、この蒸機は2023年10月の踏切事故で損傷し、当面、運行できなくなった。

DB線の駅に近いリンテルン北駅 Rinteln Nord を出た列車は、ヴェーザー山脈 Wesergebirge という背骨のように東西に横たわる低山地の鞍部を越えていく。あとは、山麓のなだらかな農地や林を縫って北西へ進み、約1時間でDBハノーファー=ミンデン線 Bahnstrecke Hannover–Minden のシュタットハーゲン Stadthagen 駅に到着する。やたらとカーブの多い路線だが、のんびり走る保存鉄道には何の問題もない。

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リンテルン東方を行くレコ蒸機52 8038(2008年)
Photo by Vogelsteller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18 ブレーメン路面軌道博物館 Bremer Straßenbahnmuseum "Das Depot"

最後は路面電車の保存運行を一つ。

ブレーメン Bremen には、旧市街から郊外まで広がる延長115kmものトラムの路線網がある。他都市と同様、低床の連節車がさっそうと行き交うなか、日曜日になると昔懐かしい単車のトラムも姿を見せる。ブレーメン路面軌道友の会 Verein Freunde der Bremer Straßenbahn が運営するブレーメン路面軌道博物館の市内ツアーだ。

車庫を意味する「ダス・デポー Das Depot」の愛称が示すとおり、博物館は、市内西部ゼーバルツブリュック車庫 Betriebshof Sebaldsbrück  の建物の奥に居を構えている。ここは現役トラムの運行基地であり、そのなかに居候している形だ。毎月第2日曜日が公開日で、1900年製の49号「モリー Molly」をはじめとする貴重な保存車両や鉄道資料が見学できる。

市内ツアーが行われるのも同じ日だ。9系統博物館線 Museumslinie 9 と呼ばれ、車庫前を出発した保存車両が、市内中心部を約1時間巡って戻ってくる。車内で切符を売るスタッフはガイドを兼ねていて、車窓の見どころを次々と案内してくれる。乗降は車庫前のほか、中央駅 Hauptbahnhof と旧市街の大聖堂前 Domsheide でも可能だ。

これとは別に、中心部のみを巡回するツアーもある。

15系統市内周遊 Linie 15 - Stadtrundfahrt は運行日限定で、北はビュルガー公園 Bürgerpark、西はヴェーザー河港、南は空港までカバーする市内大回り。もう一つの16系統環状線 Linie 16 - Ringlinie は、シーズンの第4日曜に運行される早回りだ。こちらは、旧市街ルートと新市街ルート(いずれも所要20分)が交互に運行される。

旧市街のゴシック調の都市景観に、レトロな風貌のトラムはよく似合う。街角で見かけて、思わずカメラを向ける人も少なくない。

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中央駅前の16系統環状線ツアートラム(2010年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、東部各州にある主な保存・観光鉄道について見ていこう。

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