軽便鉄道

2025年12月 5日 (金)

ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る

ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn

アルプナッハシュタート Alpnachstad~ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm 間 4.27km(下注)
軌間800mm、直流1650V電化、ロッハー式ラック鉄道、最急勾配480‰
1889年開通、1937年電化

*注 数値は水平距離。実距離(斜長)は4.618km。

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エムジゲン駅での列車交換(2013年)

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鉄車輪とレールの摩擦から推進力を得る鉄道にとって、勾配路は不向きだ。摩擦力の不足で車輪が空転して、制御が効かなくなる恐れがある。その克服のために考案されたのが、ラック・アンド・ピニオン方式、いわゆるラック式だ。線路に敷いた歯棹(ラック)と、車両に装備した歯車(ピニオン)をかみあわせて走行を安定させる。ヨーロッパではニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が、1871年にスイスのリギ山 Rigi で初めて実用化した(下注)。

*注 リギ山のラック鉄道については、「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

リッゲンバッハやそれを改良したカール・ローマン・アプト Carl Roman Abt のシステムでは、ラックとピニオンは縦置きされている。しかし、これは勾配があまり強まるとピニオンがラックの歯に乗り上げてしまい、脱線事故を引き起こしかねない。その限界は1:4(250‰)とされた。

*注 ヨーロッパで運行中のラック鉄道の最急勾配は、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn の255‰(アプト式)、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen の253‰(リッゲンバッハ式)。なお、アメリカにはワシントン山コグ鉄道 Mount Washington Cog Railway の374‰(マーシュ式)などの例外もある。

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リギ鉄道H 1/2形7号機の保存運行(2009年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リギ山と並ぶルツェルン Luzern のハウスベルゲ(地元の山)であるピラトゥス山 Pilatus でも、リギ鉄道の成功を受けて鉄道建設の機運が高まった。しかし全体として穏やかな山容のリギとは異なり、ピラトゥスは町の南方で荒々しい岩肌を見せている突峰だ。標高も2119mで、1797mのリギ山を優に超える。

このような険しい山に勾配250‰以下の条件でルートを引くと、8.7kmもの迂回路とトンネルなど多数の構築物が必要となる。これでは建設費が莫大な額になり、資金調達のめどが立たない。勾配をより強めてケーブルカーで代替する案もあるが、路線長から見てケーブルの自重すら支えきれないだろう。

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フィーアヴァルトシュテッテン湖から仰ぐピラトゥス山
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ピラトゥス鉄道周辺の1:50000地形図
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ生まれの技師エドゥアルト・ロッハー Eduard Locher は、この難題に独創的なアイデアで応じた。それは複式ラックを横置きにして、車体側の2個のピニオンで両側から噛ませるというものだった(下の写真参照)。ピニオンの下にはフランジを付けて、山腹で強風を受けても車両が浮き上がらないようにする。

軌道にも独特な工夫が施された。急勾配に対応して、枕木ではなく地中深く打ち込んだ鋼鉄製のアンカーにレールを固定する。路盤も築堤ではなく、堅固な石積みだ。従来の分岐器が使えないため、車両を載せて移動させる遷車台や、軌道台の横移動で定位と反位を切り換える置換式分岐器を考案した。そのうえで建設費を抑えるため、軌間は800mmとした。

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ラック装置各種
左からシュトループ式、ロッハー式、リッゲンバッハ式、アプト式(2枚歯)
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz で撮影
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軌道台が横移動する置換式分岐器(2013年)
 

車両は、客室の坂下側に蒸気機関を設置した蒸気動車Bhm 1/2形で、当初8両を配備した。勾配が変化しても水位をほぼ一定に保てるように、ボイラーは進行方向に対して横向きに設置されている。客室は階段状のコンパートメントが4室で、各8名、計32名が乗れる。

この創意あふれるシステムによってロッハーは、高低差1633mを最大480‰、平均でも350‰という世界一の急勾配で克服するラック鉄道を実現した(下注)。高山での困難な工事を経て、鉄道は1889年6月に開通式を迎えた。山頂に、広々としたピラトゥス・クルムホテルが建設されたこともあり、利用者は右肩上がりで増加していく。蒸気動車も不足がちになり、1909年までに3両が追加配備された。

*注 ロッハー式を採用したラック鉄道は、世界的に見てもピラトゥス鉄道のほかにはない。

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蒸気動車Bhm 1/2形 9号
スイス交通博物館蔵
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(左)ピラトゥス・クルムから降りるBhm 1/2形(1889年ごろ)
Photo from SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0
(右)Bhm 1/2形の製造所銘板
 

蒸気動車の劣化が進んだことから、鉄道は1937年5月に直流1500Vで電化される。SLM/MFO社から、座席定員40名(5室×8名)の電動車Bhe1/2形が8両納入されて、旧車を置き換えた(下注)。それまで片道70~80分を要していたが、電化後はわずか30~40分に短縮され、輸送能力は著しく向上した。

*注 Bhe1/2形は1960年と1967年に各1両が増備され、最終的には10両になった。1960年の1両は、実際には電動貨物車Ohe 1/2の交換用車体。

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電動車Bhe1/2形22号、マットアルプ Mattalp 付近にて(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この時代の運行形態は、徹底した続行運転だ。時刻表上では40~45分間隔の発車になっているが、実際には視程距離50mを維持しながら、最大5両までが次々と駅を出ていく。山麓のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅は本線と側線、計2線の構造で、山上に向かって右側の本線に最大2両が停車して客を迎える。増便する場合は、左の側線に待機させた車両を最下部の遷車台で本線に移して、同様に客扱いをした。

この車両集団が、中間のエムジゲン Ämsigen 駅で、山を降りてくる集団と列車交換をする。山上駅ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm では、構内に入る前に線路が二手に分かれる。左の線路は駅の手前でさらに2線に分かれてシェルター内に入る。そこには乗降ホームが2本(3番と4番)あり、各ホームは電車2両分の長さがある。一方、右に離れた1番線は開業時からある線路で、5両目の続行便があるときはここに入るようになっていた。

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アルプナッハシュタート駅の遷車台
電車を載せて横移動する(2016年)
Photo by Mboesch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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エムジゲン駅での列車交換(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

Bhe1/2形による運行は実に85年にわたって続いたが、2022年11月の運行シーズン最終日をもって終了した(下注)。代わって2023年シーズンから登場したのが、前面、側面、天井と、床以外の全方向に窓をもつ新車のBhe 2/2形だ。車長が1.7m長くなり、コンパートメントが6室取れるので、座席定員は48人(運転席を出す場合は2人減)に増加した。これが2両連結で走り、一度に100人近くを運ぶことができる。

*注 ピラトゥス鉄道は現在、5月中旬から11月中旬までの季節運行。

旧車は片扉だったが、新車では両側に乗降扉がついた。それに対応する形で、山麓駅では左側のもと側線にホームが増設され、各線に列車を収容しての同時乗降が可能になった。最高速度も旧車の上り12km/h、下り9km/hに対して各3km/hアップしていて、所要時間は以前より3~7分短い27~33分だ。

駅の遷車台は不要となり、代わりに構内上部に、本線ともと側線間で車両を転線させるための回転式分岐器が設置された。定位と反位の軌道が表裏に設置された台を軸回転させることで、列車の進路を切り換えることができる。

通常の運行では、2両連結のBhe 2/2が最大2本続行する。これだけでは旧車5両で運んでいた時代と同等の収容定員だが、スピードアップに伴う運行間隔の短縮により、単位時間当たりの輸送量は増加した。2025年のダイヤでは運行間隔が35分だ。計画ではこれを30分間隔に縮めて、多客期の輸送力のさらなる向上を図るという。

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新型Bhe 2/2形(2022年)
Photo by Au des Kolbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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改装されたアルプナッハシュタート駅
左のもと側線にホームを増設(2024年)
Photo by Bybbisch94 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ピラトゥス鉄道に乗りに出かけたのは、今を遡る2013年のことだ。当時の写真で、そのミニトリップを振り返ってみたい。

滞在していたルツェルンからブリューニック線の電車に乗って、アルプナッハシュタート駅に着いた。標高440m、ピラトゥス鉄道の山麓駅は、駅前広場の山側で斜面に張り付くように建っている。屋根に載る PILATUS-BAHN の大きな切り文字の上にいるのは、この岩山に棲んでいるとされるドラゴンだ。

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アルプナッハシュタート駅、上方の白い建物は車庫
 

ピラトゥス山頂へは、南からアプローチするこの鉄道のほかに、北側のクリーンス Kriens の町からゴンドラリフトとロープウェーを乗り継いで上っていくこともできる。いずれもピラトゥス鉄道会社が運行していて、切符購入時に自由に選択が可能だ。私は違う景色を見たいので、鉄道で上り、ロープウェーで降りる一方通行ルートにした。スイスパス(現 スイストラベルパス)を見せれば運賃は半額になる。

次の発車は9時35分だ。切符のバーコードをリーダーにかざし、ターンスタイルを通って、Bhe1/2形が客待ちしているホームへ向かう。前のコンパートメントから埋まっていく傾向があるが、景色を楽しみたいなら、下界の展望が開ける最後尾がベターだ。内部は向かい合せのシートで、1列に4人掛けられる。階段状になった車内はまるでケーブルカーだ。

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(左)改札
(右)電車が駅に入ってきた
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(左)乗車券
(右)階段状のコンパートメントが並ぶ車内
 

ドアが閉まるとまもなく発車した。側線で待機中の同僚機を横目に見ながら、いきなり急坂を上っていく。傍らに立つ電柱の傾き方が想像以上だ。左手に見えてきた3本目の線路は、車庫への引込線で、小ぶりの作業車Xhm1/2形が停車している。線路が1本にまとまる地点には、遷車台があった(2023年から回転式分岐器に置換え)。

早くも高度が上がって、緑の牧草地の中に民家が点在する風景が下手に沈んでいく。やがて車窓は針葉樹の森に包まれ、しばらく視界が閉ざされた。右にカーブしながら谷川を渡り、素掘りのままの短いヴォルフォルトトンネル Wolforttunnel に入る。少しすると今度は左カーブで、シュピッヒャー第1と第2の2本のトンネル Spychertunnel を立て続けに抜ける。森の隙間に草地が現れ、しばらくすると速度が急に落ちた。標高1355mの中間駅エムジゲンのようだ。

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(左)側線で同僚機が待機中
(右)車庫への引込線に停車する作業車Xhm1/2形
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村と牧草地の風景が下方に沈む
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(左)素掘りのヴォルフォルトトンネル
(右)勾配標は‰(パーミル)ではなく%表示
 

待避線で行違った下り便は1両だけだった。日中なら数両が揃ってにぎにぎしい儀式になるところだが、午前中はまだ降りてくる客がいないのだろう。線路は上り側(右側)が開通している。乗降客がなかったようで、わが電車は停車することなく通過した。

後半区間は、初めおおむね直線で進んでいく。後ろから続行便がつかず離れずついてくるので、居ながらにして走行写真が撮れる。やがて森林限界を超えたようで、羊背岩と青草に覆われた斜面が広がった。目を凝らすと、放牧された牛があちこちでのどかに草をはんでいる。進行方向左手には、にぶい灰色の絶壁エーゼルヴァント Eselwand がそそり立つ。電車はこの垂直な岩壁を斜めに切りながら上っていくのだが、あいにく壁の上半分に白い霧が降りてきている。

ピラトゥスは突出した高峰のため、雲がかかりやすい。帽子をかぶる者の意のラテン語ピレアトゥス Pilleatus が山名の語源という説があるくらいだ。むかし一度来た時も、山頂付近にだけ霧が湧いて、見通しがあまりきかなかった。旅行中は日程が限られているから、快晴のタイミングに合わせるのは難しい。

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中間駅エムジゲン
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(左)下方にアルプナッハ湖が覗く
(右)マットアルプの草原を横断
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エーゼルヴァントを次々に上る電車群(1984年撮影)
 

いよいよ険しさを増す斜面を避けるように、軌道は左にカーブして、雪覆いに続くエーゼルヴァント第1トンネルに吸い込まれる。抜け出ると、もう石灰岩の高い壁の中腹にいる。鉄道建設の際に、作業員がザイルでぶら下がりながら硬い岩を砕いたという難所だ。

岩壁のトンネルは第2から第4まであと3本ある(下注)が、視界は濃い霧に閉ざされた。晴れれば、足がすくむ断崖と、遠くにアルプナッハ湖  Alpnachersee やウルナーアルプス Urner Alpen が拝める絶景地だが…。

*注 長さは第1が44m、第2が50m、第3が46m、第4はわずか9m。第3と第4の間は雪覆いでつながっている。

エーゼルヴァントを西側に回り込んだ後は、最後の胸突き八丁だ。カールを埋め尽くすガレ場のへりを電車はじりじりと上っていき、終点ピラトゥス・クルム駅のシェルター内にある階段ホームに到着した。

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(左)霧に包まれるエーゼルヴァント
(右)素掘りのトンネルが連続する
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(左)カールのへりを上る最終盤
(右)終点手前の480‰勾配
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ピラトゥス・クルムのテラスからの眺め
 

■参考サイト
ピラトゥス鉄道 https://pilatus.ch/

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ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

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2025年11月30日 (日)

ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線

ツェントラール鉄道ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
ZB Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE)

ヘルギスヴィール Hergiswil~エンゲルベルク Engelberg 間24.78km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配105‰
1898年 シュタンスシュタート Stansstad~エンゲルベルク間開通
1964年 ヘルギスヴィール~シュタンスシュタート間開通

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エンゲルベルク駅で発車を待つ急行列車

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エンゲルベルク Engelberg は、スイス中央部、ウルナーアルプス Urner Alpen の山懐ろにいだかれたリゾート都市だ。南に横たわる主峰ティトリス山 Titlis(標高3238m)周辺での登山やウィンタースポーツの基地として、季節を問わず多くの人が訪れる。

ドイツ語で天使の山を意味するエンゲルベルクは、もと町の東にそびえるハーネン山 Hahnen(標高2607m)のことだった。その頂きから聞こえる天使の声を受けて設立されたと伝えられるベネディクト会エンゲルベルク修道院 Benediktinerabtei Kloster Engelberg の名を通じ、やがて門前町を指す地名として広まった。

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エンゲルベルク修道院とハーネン山(右奥)(2021年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1898年、この町に向けてメーターゲージの鉄道が開業した。現在のルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE) だ。麓と町のある盆地との間の大きな高低差を克服するため、先行するリギ鉄道 Rigibahn やブリューニック線 Brünigbahn と同じリッゲンバッハ式のラックレールを坂道に敷いていた。

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ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

鉄道は当初、シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道 Stansstad-Engelberg-Bahn (StEB) と称した。起点はフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee に面するシュタンスシュタート Stansstad の港の前で、ルツェルンから湖を渡ってくる蒸気船に連絡して、乗継ぎ客を迎えた。

港にはこれとは別に1893年から、シュタンスシュタート=シュタンス路面軌道 Strassenbahn Stansstad–Stans が運行していたが、新しい鉄道に客を奪われて、早くも1903年に廃止されてしまう。シュタンス Stans というのは、港から3km南東にある町で、ニトヴァルデン Nidwalden 準州(下注)の州都だ。シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道は、この歴史都市への新しい交通手段をも提供した。

*注 ニトヴァルデンは、隣のオプヴァルデン Obwalden とともにスイス原初三州の一つウンターヴァルデン Unterwalden を構成する。

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シュタンス市街の眺め
 

この鉄道がリギ鉄道やブリューニック線と一線を画すのは、これらがまだ蒸気運転だった時代に、最初から電気鉄道として建設されたという点だ。当時の技術水準に従って、電化方式は750V 32Hzの三相交流が採用されたが、同じ1898年にゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn やユングフラウ鉄道 Jungfraubahn の地上区間といった耳目をひく登山鉄道が同様の方式で新規開業していて、時代の先端を行く企てだったことが窺える。

反面、国内鉄道網との接続がないことは後々の弱点となった。シュタンスシュタートから先へは、船か路線バスに乗換える必要があり、利用者は不便を強いられた。最寄りのブリューニック線ヘルギスヴィール Hergiswil までは直線距離でわずか2km強だが、間にアルプナッハ湖 Alpnachersee に通じる水路と、ピラトゥス山から東に延びるロッパー尾根 Ropper という地形上の障壁が立ち塞がっている。

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ロッパー尾根(中景)と二湖をつなぐ水路
手前はシュタンスシュタート市街、遠景はピラトゥス山
鉄道は水路を跨ぐ橋の中央を走っている(2020年)
Photo by Marco Ghinolfi at wikimedia. License: CC0 1.0
 

水路に橋を架け、尾根に長いトンネルをうがつ新線で、ブリューニック線に合流するという長年の悲願が実現したのは、ようやく1964年12月のことだ。同時に、電化方式がブリューニック線の交流15kV 16.7Hzに転換され、線路施設も同線に準じる水準に改修された。こうして列車が同線を通ってルツェルンまで直通するようになったことから、社名もルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSEと略す)に改称された。

2005年には、地方交通再編の一環でブリューニック線がスイス連邦鉄道SBBから移管され、LSEは、2本の路線を運行するツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn (ZB) として再スタートを切っている。

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ラック旧線時代の主力電車 BDeh 4/4
エンゲルベルク駅にて(1991年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

LSE線の運行ダイヤは、インターレギオ Interregio (IR) とSバーンの2本立てだ。

前者はルツェルン=エンゲルベルク急行 Luzern-Engelberg Express と称し、ルツェルン発着で全線を完走する。1時間間隔の運行で、ルツェルンを出ると14.6km先のシュタンスまでノンストップ、あとは各駅停車だ(下注)。ラック対応の電気機関車 HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く客車列車だが、プッシュプル運転のため、最後尾は運転台のある制御客車になっている。

*注 繁忙期の臨時列車には、シュタンスシュタートに停車する代わり、シュタンス~エンゲルベルク間がノンストップになる便もある。

SバーンはS4系統を名乗り、30分間隔の運行だ。各駅停車でシュタンス行きと、さらに足を延ばすヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen 行きが交互に出る。また、朝夕に増発されるS44系統は、ルツェルン~ヘルギスヴィール間の小駅を通過する区間快速だ。車両は、シュタッドラー・レール社製の3車体連接車、ABe130形シュパーツ SPATZで、ブリューニック線と共通運用されている。

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ルツェルン=エンゲルベルク急行
(左)先頭は電気機関車HGe 4/4 II
(右)最後尾はシュパーツ似の制御客車
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Sバーンで運用されるABe130形シュパーツ

始発駅ルツェルンから分岐駅ヘルギスヴィールに至るブリューニック線との共用区間は、同線の項(下注)で記したので、ここではその先、LSE線の単独区間について見ていこう。

*注 「ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)」参照。

ヘルギスヴィール駅南端で、複線のように見える二つのトンネルのうち、左側がLSE線のロッパー第2トンネル Lopper II tunnel だ。長さは1743mあり、内部で大きく左にカーブした後、ロッパー尾根を西から東へ貫いていく。闇を抜けるとフィーアヴァルトシュテッテン湖とアルプナッハ湖の間の水路があり、アッハーエック橋梁 Achereggbrücke でこれを渡る(下注)。

*注 アッハーエック Acheregg は、この水路に面したロッパー尾根の先端(岬)の地名。

長さ200mのこの橋は、左を並走する州道と一体の構造になっている。一方、右側にある4車線道は、ゴットハルト峠を越えてイタリアへ向かうアウトバーンA2、通称ゴットハルトルート Gotthardroute だ。スイスを南北に縦断する幹線道路なので、通行量が格段に多い。このように両側を道路に挟まれているため、景勝地にもかかわらず、列車からの眺めが単独橋ほどクリアでないのが惜しいところだ。

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(左)ヘルギスヴィール駅
(右)アッハーエック橋梁を渡る
 

橋を渡り終えると、左にLSE線の車両基地が見え、続いてシュタンスシュタート駅に停車する。ここでSバーン同士の列車交換がある。駅はヘルギスヴィール延伸の際、線路とともにここへ移設された。港の前にあった旧駅は、駅舎だけが今も残っている(下の写真参照)が、そこに至る線路敷は宅地や耕地に転用されてまったく跡をとどめない。

秀峰シュタンザーホルン Stanserhorn を右前方に仰ぎながら、A2道の上を斜めに跨ぎ越す。やがて周りは牧草地から市街地に変わり、中間の主要駅シュタンスに着く。主要駅といっても2面2線のごくふつうの構内で、この駅止まりのSバーンは、折り返しの発車までしばらく2番線で待機となる。

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(左)シュタンスシュタート車両基地をかすめる
(右)シュタンス駅
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港の前に残るシュタンスシュタート旧駅舎(2006年)
Photo by Gestumblindi at wikimedia. License: public domain
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シュタンスシュタート周辺の1:50000地形図
(左)1958年、起点はシュタンスシュタート港の前
(右)2024年、ヘルギスヴィール延伸後
© 2025 swisstopo
 

前身の路面軌道が連絡していたというシュタンザーホルン鉄道 Stanserhorn-Bahn (SthB) の駅へ行ってみた。標高1898mの山頂を目指すケーブルカーで、山麓駅へは歩いて3~4分、民族衣装のような美しいデザインの木造駅舎が迎えてくれる。

かつてこの鉄道は山頂までケーブルカーを3本乗り継いでいく方式だった。しかし山頂駅が火災で全焼したのを契機に、1975年に上部の2本が、近代的な1本のロープウェーに置換えられた。麓側の1本だけが、今もノスタルジックな木造車体のケーブルカーで運行されている。

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シュタンザーホルン鉄道
(左)山麓駅舎(右)第1区間のノスタルジックな車両
 

本題に戻ると、シュタンスの先は谷が狭まり、行く手に万年雪を戴く岩山が見え隠れするようになる。次のダレンヴィール Dallenwil では、急行どうしが列車交換する。ヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen が山麓最後の町で、1時間に1本あるSバーンもここが終点だ。

州道とともに谷をさらに南下して、棒線駅でリクエストストップのグラーフェンオルト Grafenort を通過。そこから1.6km進んだ地点で、列車は速度を落とし、エンゲルベルクトンネル Engelberg-Tunnel に吸い込まれていく。長さ4043mの長大トンネルで、内部の大半にリッゲンバッハ式のラックレールが敷かれ(下注)、105‰の勾配で396mの標高差を上っている。通常ダイヤでは列車交換はないが、待避線も内部に2か所ある。

*注 ラック区間の延長は3797m。

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(左)深まる谷、ハペレンドルフ Chappelendorf の教会
(右)新トンネル上部出口から見える旧線跡
 

トンネルは2010年12月の供用開始で、まだ新しいものだ。2001年に着工されたものの難工事で、完成までに9年の歳月を費やした。しかしこれによって、ルツェルン~エンゲルベルク間の所要時間は14分も短縮されて47分になり(下注)、連結両数が厳しく制限されていた旧線に比べて輸送能力も倍増した。

*注 現在、日中のIRの所要時間は、エンゲルベルク行きが43分、ルツェルン行きは47分。

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ラック区間周辺の1:50000地形図
(上)1998年、旧線時代 (下)2024年、新トンネル開通後
© 2025 swisstopo
 

旧線時代のラック区間はより短く、その分坂道は険しかった。現トンネル入口からさらに2kmほど谷を遡ったオーバーマット発電所 Kraftwerk Obermatt の前に、起点となるオーバーマット駅があり、そこから最大246‰の急勾配で一気に高度を稼いでいた。ラック区間の終点は1.6km先の、地形図に Ghärst(ゲルスト)の注記がある地点だ。

三相交流の時代に、補機として使われたラック専用機関車HGe 2/2が、スイス交通博物館に保存されている。最盛期にはこの区間に同型機が4両配置されていたという。電車は、上り坂では機関車に後ろから押され、下り坂では前置された機関車をストッパーにして降りていた。時速はわずか5kmだった。

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(左)三相交流用の集電器を載せるラック機関車HGe 2/2
(右)製造所銘板
  スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
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(左)ラック区間で電車を押すHGe 2/2
(右)オーバーマット駅のラック起点
上記車両の説明板を撮影
 

1964年の交流電化後はBDeh 4/4(BDeh140)形電車が導入されたが、これとてラック区間では2~3両しか連結できず、速度も14.5km/hに抑えられていた。繁忙期に走る長い編成の車両は、麓の駅で許容の両数に分割して、山上へ送られた。

勾配を緩和したトンネル新線の完成で、ブリューニック線で急行を率いていたHGe 4/4 II機関車が運用できるようになり、今は機関車を含め最大8両(最後尾は制御客車)でこの坂道を上り下りしている。

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旧線オーバーマット駅での列車交換(2007年)
Photo by Reinhard Kraasch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 DE
 

10分ほどでエンゲルベルクトンネルを抜けると、標高はもう1000mに近い。水力発電用の貯水池オイゲニ湖 Eugenisee の小さな水面を右に見ながら、列車は市街地に入る。

エンゲルベルク駅は2面3線の頭端駅だ。3階建ての駅舎はありきたりの近代建築だが、2015年の改修でホームの上屋が延長され、編成全体をカバーできるようになった。乗客を降ろした後、急行はここに9分滞在するだけで、慌しくルツェルンに向けて折り返していく。

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エンゲルベルク駅
(左)長い上屋のついたホーム (右)駅舎正面
 

(2006年6月29日付「スイス・エンゲルベルク線(LSE)のバイパストンネル」を全面改稿)

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

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2025年11月25日 (火)

ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)

ツェントラール鉄道ブリューニック線 ZB Brünigbahn

ルツェルン Luzern~マイリンゲン Meiringen~インターラーケン・オスト Interlaken Ost 間73.92km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化
リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配128‰
1888~1916年開通、1941~1942年電化

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ルンゲルン湖畔を行くブリューニック線電車

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スイスを訪れる観光客に人気の鉄道ルートの一つに、ゴールデンパスライン GoldenPassLine がある。モントルー Montreux、インターラーケン Interlaken、ルツェルン Luzern という、スイス中央部の観光拠点都市を結ぶ東西198kmの列車サービスだ。乗り通すと5時間以上かかる(下注)が、沿線には、谷氷河の忘れ形見である大小の湖が点在し、車窓の眺めは折り紙付きだ。

*注 直通列車はなく、インターラーケン・オストで乗換が必要。

ルートは複数の鉄道路線から成り立っているが、このうち、東側のインターラーケン・オスト(東駅)Interlaken Ost~ルツェルン間73.9kmは、越える峠の名を取ってブリューニック線 Brünigbahn(下注)と呼ばれる。長い間、スイス連邦鉄道(国鉄、以下SBB)で唯一のメーターゲージ路線だったが、2005年に、新設のツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn(略称ZB)に移管された。

*注 Brünigの "ig" の音写は、スイス標準ドイツ語の発音に従い、イッヒ[iç] ではなくイック[ik] とした。

風景への定評はもとより、ラックレールを使う急坂区間や列車の進行方向が変わるスイッチバック駅があって、鉄道として見てもおもしろい。今回は、このユニークな路線を訪ねてみよう。

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ツェントラール鉄道と周辺路線図

ブリューニック線の歴史は、アルプナッハシュタート Alpnachstad とブリエンツ Brienz の間44.6kmが、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura-Bern-Luzern-Bahn の手で1888年6月に開業したときに始まる。同 鉄道にとって初めてのメーターゲージ路線だった。

起点がアルプナッハ湖 Alpnachersee、終点がブリエンツ湖 Brienzersee と、どちらも湖畔にあったのは偶然ではなく、駅前の港で湖を渡る蒸気船に連絡するためだ。東海道本線(もとは中山道幹線)の琵琶湖に沿う区間がそうであったように、初期の鉄道は航路との間で輸送機関の役割を相互に補完していたのだ。

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ルツェルン駅前の旧駅記念ファサード
 

船でつないだ残り区間のうち、東側のルツェルン~アルプナッハシュタート間13.0kmはこのときすでに工事中で、翌1889年に開通した。方や、西側のブリエンツ~インターラーケン間は長らく未完で、インターラーケン・オストまで延伸されて他線と接続されたのは、ずっと遅れて1916年のことだ。

ブリューニック線は、すでに1890年から大手私鉄のジュラ・シンプロン鉄道 Jura-Simplon-Bahn (JS) の広範な路線網に組み込まれていたが、1903年の国有化でSBBの運営下に入る。以来、標準軌にして運用を他線と共通化する計画が立てられるものの、実現することはなかった。1941~42年に実施された電化事業で、標準軌幹線と同じ交流15kV 16.7Hzが採用されたのがその名残と言えるかもしれない。

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非電化時代を支えたラック蒸機HG 3/3形
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
 

1964年には、山岳リゾートのエンゲルベルク Engelberg に通じるルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSE、下注1)の列車の乗入れが始まる。これもメーターゲージだが、それまでフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee(下注2)の港があるシュタンスシュタート Stansstad を起点にする孤立路線だった。これをブリューニック線のヘルギスヴィール Hergiswil 駅まで延伸したことで、同線を介して列車がルツェルンまで直通できるようになった。

*注1 鉄道の詳細は「ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線」参照。
*注2 原語は四つの森林州の湖を意味するが、英語では Lake Lucerne、日本語でもルツェルン湖と呼ばれることが多い。

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LSE線が分岐するヘルギスヴィール駅
 

LSEによる片乗入れは半世紀続いたが、2005年1月1日に組織的に解消する。冒頭にも記したように、ブリューニック線がSBBから分離され、LSE 改めツェントラール鉄道に移管されたからだ(下注)。メーターゲージで、一部にラック区間という共通の特色を持つ2路線がツェントラール鉄道1社にまとめられたことで、より効率的な運営が可能になった。

*注 SBBが所有していたブリューニック線の車両や施設をツェントラール鉄道の株式と交換したことにより、SBBは同社の筆頭株主(出資比率66%)になっている。

なお、2021年からは、マイリンゲン Meiringen で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn も同社に加わり、地域の路線網の一体化がさらに進んでいる。

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開業125周年記念パネル
インターラーケン・オスト駅で2013年撮影

ブリューニック線の運行ダイヤをルツェルン方で見ると、ギースヴィール Giswil までの近郊区間各駅に停まっていくSバーンS5系統(下注1)と、インターラーケン・オストまで全線を完走するルツェルン=インターラーケン急行 Luzern-Interlaken Express(列車番号の頭にPE、下注2)の2本立てになっている。

*注1 朝夕に走るザクセルン Sachseln 止まりの増発便は S55系統と称する。
*注2 PE は Panorama Express に由来する。

Sバーンは30分間隔、急行は1時間間隔で発車する。また、ヘルギスヴィールまではLSE線方面のS4系統も同じ線路を通るので、この間の各駅では都合15分ごとにSバーンの乗車機会がある。

インターラーケン方でも、マイリンゲン~インターラーケン・オスト間に、レギオナル Regional(普通列車)が60分間隔で運行されていて、急行との2本立てだ。急行列車は、主要駅間の速達便であるとともに、こうした近郊列車が走らないギースヴィール~マイリンゲン間、すなわち峠越え区間の各駅にサービスを提供している。

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ルツェルン駅発車案内
ツェントラール鉄道の列車は12~15番に
 

現在、ブリューニック線の主力車両は、シュタッドラー・レール社製の連接電車だ。普通列車の大半が、フィンク FINK と呼ばれる ABeh160形3車体連接車と、同じような3両編成でシュパーツ SPATZ と呼ばれる ABe130形で運行されている。

前者は2012年に走り始めたラック対応の新型車で、天井の左右にパノラマウィンドーと称する切り欠き窓がついている。後者は一世代前の車両だが、ラック非対応のため、峠越えはできない。また、パノラマウィンドーの中間車両に乗降扉がないのも特徴で、居住性はいいが、乗降に時間がかかるのが難点だ。

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(左)ABeh160形フィンク(2025年)
Photo by Moliva at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ABe130形シュパーツ(2018年)
Photo by Andrewrabbott at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

他方、急行列車には、アドラー ADLER(下注)と呼ばれる ABeh150形が主に使われる。これはフィンク仕様の3車体連接車2本の中間にビストロカーを挟んだもので、計7車体、全長は126mになる。多客期には、これにフィンクを増結した10車体の長大編成で走ることが多い。

*注 車両の愛称は、性能の形容語の頭字と鳥の名(ドイツ語でフィンクは花鶏(あとり)、シュパーツは雀、アドラーは鷲)を掛けたもの。

それに対して、かつて峠越えの急行列車を牽引していたラック対応の電気機関車を見かける機会は少なくなった。現在は、主にLSE線のインターレギオ(IR、快速列車)のプッシュプル運転に携わるほか、一部はインターラーケン方のレギオナルにも使われているようだ。

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ABeh150形アドラー(2014年)
Photo by Heitersberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ラック対応機関車HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く普通列車
マイリンゲンにて

では、ルツェルンからインターラーケンに向けて、急行列車でブリューニック線のルートを追っていこう。

起点のSBBルツェルン駅は、計16線を擁する頭端式の大きな駅だ。正面から見て左側の2本のホーム、12番線から15番線にツェントラール鉄道の列車が発着する。1時間当たりSバーン4本と急行系2本、計6本がそれぞれ折返し運転するので、列車が常時1~2本はホームにいる印象だ。たまにいなくなっても、すぐに次の列車が入ってくる。

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ルツェルン駅のツェントラール鉄道線ホーム
 

列車は標準軌線と並んで駅を出るが、あちらはすぐに右へ離れていく。管制センターや車庫の建物を横目に見ながら、まもなく長さ1325mのアルメントトンネル Allmendtunnel に入る。2012年に完成した地下の新ルートだ。以前は北西側の地上を通っていたが、スポーツ施設や見本市会場のあるアルメント Allmend 地区の直下に移設され、最寄りの地下駅ルツェルン・アルメント/メッセ Luzern Allmend/Messe も新設された。旧線跡は自転車・歩行者道になっている。

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アルメント/メッセ周辺の1:50000地形図
(左)2007年 地上を通っていた時代
(右)2024年 地下に移設して複線化
© 2025 swisstopo
 

再び地上に上がってからも、複線で市街地の中を進んでいく(下注)。ホルフ Horw 駅を過ぎると、左手にフィーアヴァルトシュテッテン湖の水面が顔を見せるが、またすぐにトンネルで視界が閉ざされる。複線区間は、そのトンネルを出たヘルギスヴィール・マット Hergiswil Matt までだ。次のヘルギスヴィールとの間は1.4kmに過ぎないが、列車密度が変わらないのに単線で、運行上のネックとされる。地下を通して複線化する計画があるようだが…。

*注 アルメントトンネル手前からホルフ駅手前までは、標準軌の貨物列車を通すために、複線の片側が3線軌条になっている。またホルフ駅南方には標準軌貨物線がメーターゲージの本線を斜め横断する個所がある。

ヘルギスヴィールでは、エンゲルベルク方面のLSE線が分岐している。駅構内の南端で二つ並んだトンネルポータルの、右がブリューニック線、左がLSE線だ。トンネルは、ピラトゥス山 Pilatus から湖に大きく突き出したロッパー尾根 Lopper を貫いている。

闇を抜けたとたん、左車窓いっぱいに青い湖面が広がった。フィーアヴァルトシュテッテン湖と水路でつながっているアルプナッハ湖だ。まもなく横置きの珍しいロッハー式ラックで知られるピラトゥス鉄道 Pitlatusbahn との乗換駅、アルプナッハシュタートを通過する。

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(左)ヘルギスヴィール駅
(右)構内南端に2本のトンネルが見える
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ザルネン湖の水面
 

最初の停車駅ザルネン Sarnen を出ると、今度は右手に、ザルネン湖 Sarnersee のおだやかな水面が続く。次のザクセルン Sachseln で対向の急行と列車交換があった。

湖を後にしてギースヴィールに停車。ここはSバーンS5系統の終点で、峠越えを控えた麓の駅でもある。拠点駅らしく構内には3面5線と、外側に機回し用側線の計6線が並んでいる。構内の端から、さっそく最初のラック区間が始まる。ラックは梯子状のリッゲンバッハ式で、延長2.4km。102‰の勾配で約210mの高度を稼ぐ。

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(左)Sバーンの終点ギースヴィール駅
(右)構内終端から始まるラック区間
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ラック区間からギースヴィールの眺め
 

カイザーシュトゥール Kaiserstuhl 駅の手前で粘着式に戻ると、右車窓にルンゲルン湖 Lungerersee が見えてくる。沿線で最も上流にあるこの湖は標高687m、ターコイズブルーの湖面と周りの集落や牧草地、山並みが織りなす美しい景色で有名だ。ルンゲルン駅から第2のラック区間(延長1.7km、最急勾配105‰)に入り、列車が高みに上っていくと、絶景度がさらに増す。

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ルンゲルン湖畔は沿線きっての撮影地
 

短いトンネルの後の粘着区間にあるヘッペリ Chäppeli 信号場で、また急行列車と行き違った。すぐに第3の、かつ上り坂では最後のラック区間(延長1.2km、最急勾配110‰)が現れ、これを上りきるとブリューニック峠だ。峠の駅ブリューニック・ハスリベルク Brünig-Hasliberg に停車。標高は1002mあり、ルツェルンから560m以上上ってきたことになる。

駅を出てすぐの道路下で、第4の、今度は下り坂のラック区間が始まる。標高595mのマイリンゲンまで、高度にして400m以上を一気に降りていく。ラックの延長は3.9km、勾配も一番険しい128‰になる。右手にはアーレ川の深いU字谷が横たわっているはずだが、針葉樹の森に阻まれて、視界がほとんど開けないまま、牧草地の谷底まで降りきってしまう。

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峠の駅ブリューニック・ハスリベルク
 

マイリンゲンは、列車の進行方向が変わるスイッチバック駅だ。それで両方向とも6分の停車時間が確保されている。この駅で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン線(下注)の列車が、隣のホームの前方に見えるかもしれない。同じメーターゲージで線路はつながっているが、電化方式が異なるため、車両運用は完全に分離されている。

*注 マイリンゲン=インナートキルヘン線の詳細については、「マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ」参照。

再び発車すると、流路改修で直線化されたアーレ川に沿って、軽快なスピードで走っていく。途中のブリエンツヴィーラー Brienzwiler 駅を含む長い待避線で、急行列車と3度目で最後の行き違いをした。

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(左)マイリンゲン駅正面
(右)ブリューニック線は頭端式ホーム
 

左手に大きな湖が見えてきたら、まもなくブリエンツ駅だ。開業から28年間、終点だった駅で、すぐそばの船着き場からブリエンツ湖を渡ってインターラーケンまで蒸気船が連絡していた。船着き場には今でもクルーズ船が発着していて、対岸にある名瀑ギースバッハ Giessbach や、桟橋の絶景で知られるイゼルトヴァルト Iseltwald にも寄港するので人気が高い。

連邦道を渡った山手の駅では、ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn(BRB、下注)の登山列車が待っている。電化率ほぼ100%と言われるスイスの鉄道網で、蒸気運転を保存している貴重な鉄道の一つだ。アルプスの展望台である標高2350mのブリエンツァー・ロートホルン Brienzer Rothorn を目指す観光客が、ホームからぞろぞろとそちらに向かうのが見える。

*注 ブリエンツ・ロートホルン鉄道の詳細については、「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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湖に面したブリエンツ駅ホーム(以下は2013年撮影)
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(左)ブリエンツ駅舎
(右)駅前の船着き場
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ブリエンツ周辺の地形図
(上)1:50000、1912年、ブリエンツ終点時代
(下)1:25000、2024年
© 2025 swisstopo
 

駅の東側にはブリエンツの町が広がっているため、ブリューニック線はその地下を長さ895mのブリエンツドルフ(村)トンネル Brienzdorftunnel で抜けていく。湖は東西の長さが14kmほどあり、列車はその北岸を忠実にたどる。それでインターラーケンまでの約20分間、アルプスの山並みと広がる湖面が左車窓の友になる。ルンゲルン付近と並ぶ列車の好撮影地だ。

最後に、湖から流れ出るアーレ川をトラスの鉄橋で渡ると、終点駅のヤードが見えてくる。ベーニゲン Bönigen の整備工場へ行く引込線(下注)をまたいで、列車はインターラーケン・オスト駅の4番線に到着する。

*注 トゥーン湖とブリエンツ湖の間で1874年に全通したベーデリ鉄道 Bödelibahn の名残。

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車窓から見るブリエンツ湖
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(左)インターラーケン・オスト駅舎
(右)マイリンゲン行普通列車が停車中
 

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

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2025年10月25日 (土)

新線試乗記-広島電鉄「駅前大橋ルート」

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駅ビル2階に移設された広電の新ホーム
 

いつも使う山陽新幹線とは違って、今回、広島市街地へのアプローチは海上からだった。所用があった四国の松山から、瀬戸内海汽船の新型フェリーで宇品(うじな)の広島港に着いた。港のターミナルビルのすぐ前に広島電鉄の電停がある。5号線(下注)の電車に乗れば、広島駅まで30分ほどだ。

*注 路線名とは別に、各運行系統を「~号線」と呼んでいる。5号線は比治山下経由で広島駅と広島港を結ぶ。

乗り込んだ電車はまもなく臨港地区を後にして、宇品本通を一路北上していく。紙屋町(かみやちょう)方面の線路が分岐する皆実町(みなみまち)六丁目を通過し、比治山下(ひじやました)までは何度か通ったことがある。

だが、その先の比治山町交差点からは、初めて乗る区間だ。従来はそのまま直進して大正橋の手前で左折、次の荒神橋(こうじんばし)のたもとで本線に合流していた。今回のルート変更で、交差点を左折した後、松川町で駅前通りに入り、稲荷町で本線と接続するようになった(下図参照)。

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広島港ターミナルビル前の電停(2012年)
Photo by iloverjoa at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

広島電鉄、通称 広電(ひろでん)は、広島市街地と西郊に約35kmにも及ぶ路線網を拡げている。2025年8月3日、このうち最も東の広島駅周辺で、運行ルートに大きな変化があった。

一つは、広島駅ビルの改築に合わせて、電車のターミナルが地上の駅前から2階駅ナカに移転したことだ。これにより、以前から2階にあったJR新幹線・在来線の改札との間で、平面での乗換えが実現した。距離も近くなり、70秒で移動できるそうだ(下注)。

*注 記載した時短効果は、下記特設サイトによる。

同時に、広島駅~稲荷町(いなりまち)電停間で、荒神橋を経由していた旧 本線をショートカットする新線「駅前大橋ルート」が開業した。これにより、到達時間が約4分短縮された。さらに、5号線の電車が通る皆実(みなみ)線もそれに接続するため、先述のとおり、松川町(まつかわちょう)経由に切り換えられたのだ。

■参考サイト
駅前大橋ルート周辺の1:25,000地形図
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.392600/132.471800/

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新旧ルート図
「駅前大橋ルート開業」特設サイトから引用 © Hiroshima Electric Railway Co.,Ltd.
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車両正面の記念プレート
 

さて、駅に向かう車内で興味津々、前方を注視していると、真新しい複線の軌道が道路の中央に延びている。しかしその敷地は、交差点を除いてまだ砂利がむき出しだ。訪れたのは10月中旬で、開業から2か月以上経過しているが、仕上げ工事はこれからのようだ。

松川町交差点の前後には、同名の電停が新設された。そして、緑の街路樹が取り払われ、殺風景になった幅広の駅前通りを200m進むと、もう稲荷町交差点だ。本線が左から合流してくる。広島駅方面の停留所は交差点の手前(南側)にあり、そこで長い信号待ちをした。

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まだ砂利敷きの軌道
(左)比治山下~松川町間 (右)稲荷町電停
 

この間に、降車の際の運賃の決済方法について車内アナウンスが流れた。広島のご当地ICカードPASPY(パスピー)が廃止され、MOBIRY DAYS(モビリーデイズ)というQRコードのシステムが導入されたのは、今年3月下旬のことだ。ICOCAなど全国交通系ICカードも引き続き使えるが、読み取り機が別で、降車口も限定されている(下注)。

*注 降車は、MOBIRY DAYSなら全扉で可能だが、交通系ICカードは乗務員がいる扉のみ。ただし、広島駅では混雑緩和のため、ホームでも係員が降車処理をしている。

アナウンスの終了を見計らったように、タイミングよく信号が青に変わった。車道を横断すると、正面に壁のようにそびえる駅ビルが見えてくる。再び「砂利道」を進み、上り坂で駅前大橋にさしかかった。橋の縦断面が太鼓状なので、電車は急な勾配を感じさせることなく2階のレベルに上がっていく。駅前交差点の直上にあるシーサスクロッシングで右に転線し、最も東側のAホーム前に静かに到着した。

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駅前大橋南詰から稲荷町交差点を望む
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(左)駅前通りの奥に駅ビルが
(右)駅手前のシーサスクロッシング
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広島駅ホームを3階から俯瞰
 

降りてみて改めて、周りに広がる吹き抜けの大空間に目を見張る。複数の軌道が整然と並んでいて、地上時代の狭苦しい直列型ターミナルを思い返せば、まるで別世界だ。新しい駅ビルの中に路面電車のターミナルを収容するのは富山駅の前例があるが(下注)、電車が上の階に飛び込んでくるという点ではモノレールの小倉駅にもどこか似ている。

*注 ただし、路面軌道の富山駅は通過型で、南北に路線が延びる。詳細は「ライトレールの風景-富山地方鉄道軌道線」参照。

しかし、そのどちらともかけ離れているのは、扱う便数に応じた駅の規模だろう。新しい構内は4面4線を擁し、東側からAホーム、同 降車ホーム、Bホームとその先端を切り欠いたCホーム、Dホーム、同 降車ホームの順に並ぶ。いうまでもなく路面電車の駅としては日本最大だ。

このうちAホームは5号線(広島駅~比治山下~広島港)、Cは短編成で運用される6号線(広島駅~江波)、Bは2号線(広島駅~広電西広島~宮島口)、Dは1号線(広島駅~紙屋町東~広島港)の電車が発着する。ただし、運行状況によってホームが変更になる場合がある。

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2階フロア案内図
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(左)にわか雨の中を出入りする電車
(右)日中でも長い待ち行列が
 

時刻は13時を回ったところだが、昼間でも電車が数分おきに出入りするし、JR改札や駅北口(新幹線口)に直結するフロアには人がひっきりなしに行き交っている。特にDホームの前には次の電車を待つ長い列ができているから、通勤通学の時間帯は推して知るべしだ。

今日は昼前から雲が厚みを増していき、午後はにわか雨に見舞われた。こういうときこそ、屋根に覆われたホームはありがたい。地上ホーム時代にも通路屋根はあったが、狭くて朝夕の混雑時に人波が収まりきらなかった。

ちなみに3階に上がると、構内全体を俯瞰することができる。左右両側に休憩スペースが設けられているので、電車の発着シーンをじっくり観察することも可能だ。しかし、無作法な撮り鉄を警戒してか、フェンス間際までは近寄れないようにしてあった。

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稲荷町交差点のダイヤモンドクロッシングを通過
 

この後は駅前通りを稲荷町まで移動して、旧線跡の現状を見に行った。稲荷町から東進していた旧線のうち、荒神橋手前の旧 的場町(まとばちょう)電停までの約300mは、皆実線の旧線区間とともに、来春開業予定の循環線のルート(下注)として再利用される。

*注 循環線は、紙屋町東~市役所前~皆実町六丁目~比治山下~的場町~紙屋町東の環状ルートが予定されている。

そのため、稲荷町交差点には、高知のはりまや交差点や松山の大手町で見られるようなダイヤモンドクロッシングが設置された。また北西側には複線の渡り線が付属していて、これが本線ルートになる。循環線転用区間をざっと眺めたところ、停留所設置工事のために一部で軌道が撤去されているほかは、石畳の軌道がまだ手つかずだった。

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(左)循環線に転用予定の旧本線、あけぼの通りにて
(右)的場町電停は改築中
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(左)的場交差点で本線に合流していた軌道跡
(右)荒神橋~広島駅前間はまだ軌道が残る
 

これに対して荒神橋以北は、今回のルート切換えに伴い、廃線となる。本線に皆実線が合流していた橋の西詰ではすでに軌道が消え、跡を埋めたアスファルト舗装の真新しさが目立っている。

橋を渡り終えると旧線はすぐに左折して、駅に向かい、中間に旧 西国街道の橋の名に基づく猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停があった。この荒神橋から駅前東交差点に至る軌道はまだそのまま残っている。しかし、バリケードに囲まれて生気がなく、朝夕、駅への入線を待つ電車がこの通りで数珠つなぎになっていた記憶はすっかり過去のものになった。

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荒神三差路から広島駅方向を望む
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広島駅前
手前が地上駅時代の進入路、奥に「駅前大橋ルート」の高架が見える

ご参考までに、旧線時代の写真を以下に掲げておこう。

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荒神橋を渡る650形「被爆電車」(2015年撮影、以下同じ)
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駅入線待ちの渋滞
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人一人立つ幅しかなかった猿猴橋町電停
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広島駅を出る5000形グリーンムーバー
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パズルのような出入りを強いられた旧 広電広島駅
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旧駅時代の構内図(2022年撮影)
 

■参考サイト
広島電鉄 https://www.hiroden.co.jp/
同「駅前大橋ルート開業」特設サイト https://www.hiroden-hiroshima-st.jp/

★本ブログ内の関連記事
 ライトレールの風景-広島電鉄本線・宮島線

 中四国圏の新線
 新線試乗記-可部線あき亀山延伸
 新線試乗記-阿佐海岸鉄道DMV

 2025年開通の新線
 新線試乗記-大阪メトロ中央線、夢洲延伸

2025年10月 9日 (木)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に引き続き、イタリアの保存鉄道・観光鉄道から注目路線をピックアップしたい。

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ミラノ市内線19系統を走る1500形(2022年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

路面軌道では、低床の連節車両に主役の座を譲りつつも、旧型トラムの姿がいまだ見られる町が北部にいくつかある。

項番1 トリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina

トリエステ Trieste は北イタリアの東端、アドリア海の湾入に面した港町だ。かつてはトラムが市街地を縦横に走っていたが、1970年までに廃止されてしまい、唯一残っているのがトリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina だ。メーターゲージの路線で、1935~42年製の古参トラムが改修を受けながら今も主役を務めている。

トラムは市内のピアッツァ・オベルダン(オベルダン広場)Piazza Oberdan から、町の背後に迫る斜面を上って、カルスト台地の上にあるヴィッラ・オピチーナ(オピチーナ町)Villa Opicina まで行く。全線5.2kmの中で名物になっているのが、長さ約800m、勾配260‰の鋼索線(ケーブルカー)区間だ。

もとよりトラムがケーブルカーに変身するわけではなく、ケーブルに接続された台車(スピントーレ spintore、すなわち押し車)で後ろから押してもらって坂を上る仕組みだ。トラムと台車は連結されておらず、重力で接触しているだけなので、坂上の終点まで来ると、トラムは再始動して自力で離れていく。

補助を要する急坂はここまでだが、その後も上り勾配はしばらく続き、最後に傍らにオベリスクが立つ地形上のサミットを通過する。標高343mの台地のへりで、トリエステの町と港が一望になる車窓きってのビューポイントだ。

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オベルダン広場の起点駅(2008年)
Photo by Orlovic at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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鋼索線でトラムを押す台車(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ミラノ市電1500形 Tranvia di Milano, Serie 1500

イタリアの都市で19世紀以来、市内の路面軌道が存続してきたのは、開業順にトリノ、ナポリ、ローマ、そしてミラノの4都市だ(下注)。導入こそ最も遅かったが、ATM(ミラノ交通公社 Azienda Trasporti Milanesi)が運行するミラノの軌道網は今や17路線、延長160km近くあり、世界的にも最大級とされる。

*注 トリノが1871年、ナポリが1876年、ローマが1877年、ミラノが1881年で、いずれも馬車軌道から始まった。

ミラノの市内電車で興味深いのは、これだけではない。モダンな連節低床トラムに混じって、昔懐かしいヴィンテージ車両が多数現役で運用されているのだ。1927~30年製の1500形で、初めて供用された1928年にちなんで、イタリア語で28を意味するヴェントット Ventotto の愛称で呼ばれる。

502両製造されたうち、150両ほどが今も稼働可能で、ヨーロッパ最古の定期運行トラムだそうだ(下注)。1970年代からオレンジ1色に塗られていたのでそのイメージが強いが、最近はオリジナル色であるベージュと黄色のツートンに塗り替えが進んでいる。

*注 リスボン市電のレモデラードス(改修車)Remodelados も有名だが、オリジナルは1932年以降の製造。

観光用の特別系統なら後述するトリノなどにもあるが、一般路線、かつ通常の運賃制度の範囲内で乗れるというのは珍しいのではないか。もちろんこれは、財政事情で新旧交代が進まないからではなく、街の景観に溶け込んだシンボル的存在として、積極的に動態保存されてきたのだ。ただし、近年の車両に比べて収容力が小さいので、比較的混んでいない系統(1、5、10、19、33系統)で運用されているという。

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スカラ座前の1500形(2022年)
Photo by dconvertini at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番12 トリノ市電7系統 Tranvia di Torino, Linea 7

北イタリア西部、ピエモンテ州の州都トリノ Torino の路線網は現在88.5kmに達する。運行系統は全部で10あるが、その中に、観光用の7系統 Linea 7 が含まれる。非営利団体のトリノ歴史路面電車協会 Associazione Torinese Tram Storici (ATTS) の協力により、1930~50年代の旧型車両だけで維持されている特別系統だ。週末と祝日に1時間間隔で運行され、市内中心部(チェントロ Centro)を時計回りに一周する6.9kmのルートを走る。

カステッロ広場 Piazza Castello の電停を出発したトラムは、ポー川沿いや並木道のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り Corso Vittorio Emanuele II、中央駅ポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova の前などを経由して、41分で起点に戻ってくる。通常運賃で乗車でき、居ながらにして街を巡れる手軽な観光ツールだ。

時間に余裕があるなら、一般運行の15系統に乗換えて、ポー川の対岸サッシ Sassi へ足を延ばすのもいいだろう。サッシ=スペルガ軌道  Tranvia Sassi-Superga(項番13)のラック電車が、スペルガ宮殿 Basilica di Superga がそびえる見晴らしのいい丘の上まで連れて行ってくれる。

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カステッロ広場の7系統(2006年)
Photo by Aleanz at wikimedia. License: public domain
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サッシ=スペルガ軌道の起点サッシ駅(2014年)
Photo by Incola at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

このほか、ローマ市内でも、古典車両で運行される観光系統「7系統 アルケオトラム Archeotram」の開業が予定されている。走行ルートは既存の軌道で、ピラミデ Piramide 駅前からコロッセオ Colosseo、ポルタ・マッジョーレ Porta Maggiore などの名所を経てテルミニ Termini 駅前で折り返すというものだ。

廃止済みの路線も興味深いものが目白押しなので、リストに含めておいた。もはや乗車することは叶わないが、存続していたら観光鉄道として人気を博していたかもしれない。

項番3 ドロミーティ鉄道 Dolomitenbahn/Ferrovia delle Dolomiti

ドロミーティ鉄道は、来年(2026年)冬期オリンピックが開催される北東部のリゾート地区、コルティーナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo を通っていた950mm軌間の電気鉄道だ。FS線に接続するカラルツォ・ディ・カドーレ Calalzo di Cadore から同じくトーブラッハ/ドッビアーコ Toblach/Dobbiaco まで南北64.9kmを走っていた。

ドロミーティはまた、天にそそり立つ奇峰群の景観でも有名だ。鉄道は谷間から峠に向けてしだいに高度を上げていき、車窓には樹林の間から雄大な山岳パノラマの絶景が広がった。観光路線と目されていたのはもちろん、前回1956年の五輪開催時にはまだ現役だったので、客車が増備され、選手・関係者や観衆の輸送にも奔走したそうだ。

しかし、老朽化に伴い1964年に廃止となり、役割を路線バスに譲った。今は全線が「ドロミーティの長い道 Lunga via delle Dolomiti」と呼ばれる長距離自転車道になっている。

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サン・ヴィート・ディ・カドーレ San Vito di Cadore 付近の
廃線跡自転車道(2023年)
Photo by Giorgio Galeotti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番19 リミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino

同じく950mm軌間の電化路線で、アドリア海岸の町リミニ Rimini と、イタリアの中の独立国(包領 Enclave)サンマリノ San Marino の間31.5kmを結んでいたのが、国鉄リミニ=サンマリノ線だ。終点サンマリノ・チッタ(市駅)San Marino Città は聳え立つ丘の上に位置し、標高は643m。それでもラックレールには頼らず、スパイラル2回とS字ループの繰り返しで最後まで上りきるという、タフな登山路線だった。

1932年に開通したものの、第二次世界大戦で施設が破壊されて運休となり、結局そのまま廃止されてしまう。運行期間わずか12年という薄命の路線だった。その後2012年に保存団体の尽力で、オリジナルの電動車AB03と、終点近くで半回転しているモンターレトンネル Galleria Montale 前後の800m区間が復旧された。現在も年に数日、保存走行が実施されている。

*注 鉄道の詳細は「サンマリノへ行く鉄道」参照。

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復元区間に配置された電車AB03(2015年)
Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番20 スポレート=ノルチャ鉄道 Ferrovia Spoleto-Norcia

スポレート=ノルチャ鉄道は、中央アペニン山脈にあった950mm軌間、51.2kmの電気鉄道だ。ウンブリア州スポレート Spoleto の町から東へ進み、山奥の盆地にあるノルチャ Norcia という町まで走っていた。

とりわけ東隣の谷筋へ抜けるための前半区間が、スペクタクルなルートで有名だった。長さ2kmのサミットトンネルの両側に、計3回のスパイラルと、いろは坂のようなS字ルートが続く。さらに全線にわたって橋梁などの土木構造物も数多く、スイスアルプスの南北幹線になぞらえて「ウンブリアのミニ・ゴッタルド Piccolo Gottardo Umbro」の異名を取った(下注)。

*注 実際は狭軌鉄道なので、ゴッタルドよりもレーティッシュ鉄道のベルニナ線 Berninabahn に似ている。

1968年に廃止されたが、幸い、峠越えを含む前半31km区間がほぼ完全に自転車道に転用整備されたので、自力でなら今でもたどることが可能だ。また、起点のスポレート駅舎は、この狭軌鉄道を記念する博物館になっている。

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狭軌鉄道のノルチャ駅は鉄道博物館に(2022年)
Photo by Simone Pranzetti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 ヴェスヴィオ登山電車 Ferrovia Pugliano-Vesuvio, Funicolare Vesuviana

ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾に臨む標高1281mの火山だ(下注)。知られるとおり、西暦79年の噴火では麓の古代都市ポンペイとヘルクラネウムを壊滅させ、その後も大小の噴火を繰り返してきた。

*注 イタリア語ではヴェズーヴィオ Vesuvio。活動中のため、標高値には変動がある。

一般にヴェスヴィオの登山電車というと、1880年に開業したフニコラーレ・ヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ ケーブルカー) Funicolare Vesuviana のことを指す。火口縁まで上る0.8kmの鋼索線(下注)で、当時作られた軽快な歌曲「フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà」のおかげで世界的に有名になった。

*注 最初はモノレール式の小型車両で運行された(下の写真参照)が、1904年に単線交走式ケーブルカーに改築。

しかし、下部駅は山の中腹、標高753m地点に設けられていたため、そこまでは馬車で行くしかなかった。この駅と、裾野を走っている既設の路面軌道の停留所との間をつないだのが、メーターゲージ、7.7kmの電気鉄道、プリャーノ=ヴェスヴィオ鉄道 Ferrovia Pugliano-Vesuvio だ。1903年に開業したこの路線によってはじめて、ナポリ市内から火口までの鉄道網が完成した(下注)。

*注 1913年にプリャーノ Pugliano 駅まで延伸され、チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ環状)鉄道 Ferrovia Circumvesuviana との接続を果たした。下のルート図はその状況を示している。

山麓から中腹まで680mある高度差を克服するため、電気鉄道の中間部には最急勾配250‰のシュトループ式ラックレールが敷かれていた。実態としてヴェスヴィオ登山電車は、この二者一体で完結する山岳観光ルートだったのだ。

しかし、1944年に起きた激しい噴火活動により、ケーブルカーの施設は破壊され、運行不能となる(下注)。電気鉄道も一部区間で被害を受け、代替道路建設による下部区間の部分運休を経て、1955年に全線廃止となった。

*注 代替として1953年にチェアリフトが設置され、1984年まで稼働していた。

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モノレール式の初代ケーブルカー(1880~1904年)
Photo from Amsterdam Rijksmuseum collection at wikimedia. License: CC0 1.0
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ヴェスヴィオ登山電車ルート図
Image from wikimedia. License: public domain
 

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 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト
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2025年10月 8日 (水)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

イタリアでは、2017年に観光鉄道 Ferrovia turistica の制度が法制化された(2017年8月9日付第128号)。その目的は、文化・景観・観光的に特に価値のある休廃止または閉鎖された鉄道路線の保護と活用で、対象には路線や駅、関連する土木構造物、付属施設が含まれる。

現在、27の路線(標準軌20、狭軌7)が選定されているが、標準軌路線は大半が国鉄線(下注)だ。一部の路線で、国鉄系のイタリアFS財団 Fondazione FS Italiane が「時を超える線路 Binari senza Tempo」の統一ブランドを掲げて観光列車を運行している。一方、狭軌線には、半島先端のカラブリア州とシチリア島、サルデーニャ島の路線が含まれる。まずはこれらの中から主なものを挙げていこう。

*注 国鉄(FS)線は上下分離政策により、FS の子会社 RFI(イタリア鉄道網公社 Rete Ferroviaria Italiana)がインフラの保有・管理を、グループ会社トレニタリア Trenitalia が列車運行をそれぞれ担っている。

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ピエトラルサ国立鉄道博物館 Museo nazionale ferroviario di Pietrarsa の
展示棟に整列する機関車群(2018年)
Photo by John Smatlak at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

項番18 トスカーナの自然列車(ヴァル・ドルチャ線)Trenonatura in Toscana (Ferrovia della Val d'Orcia)

ヴァル・ドルチャ線(オルチャ渓谷線)は、トスカーナ南部に広がる美しい丘陵地帯の一角、オルチャ渓谷 Val d'Orcia を経由するアシャーノ=モンテ・アンティーコ線 Ferrovia Asciano-Monte Antico の別称だ。

沿線人口が少ないため、1994年に旅客列車が廃止されてしまったが、地元の声を受けて1996年に創設されたのが、観光列車「トレノナトゥーラ(自然列車)Trenonatura」だ。これには、近隣の人気都市シエナ Siena に集まる観光客を、まだ注目されずにいた周辺の地域へ誘い出すねらいがあった。

企画は二種類あり、一つは定期列車や別途3便設定された古典気動車をローバーチケット(一日乗車券)で自由に乗り降りするフリータイプ、もう一つは予約を要する蒸気機関車牽引の特別列車だった。これはマスコミでも報じられて評判を呼び、2000年代に一大ブームを迎えたが、2011年以降は状況が落ち着いて、後者のタイプのみの運行になっている。

今でも週末には、ピストイナ機関庫からやってきた蒸機やディーゼル機関車の先導でツアーが催行される。シエナを朝発って、モンテ・アンティーコ Monte Antico~アシャーノ Asciano 間のいずれかの駅からバスで周辺の見どころを巡り、夕方、シエナに戻るというコースだ(下注)。

*注 シエナまでの復路は、ツアーによって列車ではなくバスになる場合がある。

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トッレニエ-リ Torrenieri 南方にて(2010年)
Photo by maurizio messa at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番23 トランシベリアーナ・ディターリア(イタリアのシベリア横断鉄道)Transiberiana d'Italia

スルモーナ=イゼルニア線 Ferrovia Sulmona-Isernia は、イタリアの背骨アペニン山脈中央部の山中を走る118kmのローカル線だ。同国の標準軌鉄道網では、ブレンナー(ブレンネロ)峠 Brennerpass/Passo del Brennero に次ぐ標高1268mを通過する。冬の間、沿線は雪に覆われ、寒さが厳しいことから、路線は「イタリアのシベリア横断鉄道」の異名をもつ。

ここに観光列車が走り始めたのは2014年のことだ。マイエッラ国立公園 Parco nazionale della Maiella(下注)の区域を通っていくので「公園鉄道 Ferrovia dei Parchi」(下注)の名称がつけられた。現在はシーズンの週末に、ディーゼル機関車と古典客車の編成で運行されている。

*注 スルモナの東にあるマイエッラ山地 Montagna della Maiella を中心とする国立公園。マイエッラ山地の主峰はアペニン山脈第2の高峰、標高2793mのアマーロ山 Monte Amaro。

発地は、ローマとペスカーラ Pescara を結ぶアペニン横断幹線の中間にあるスルモーナ Sulmona だ。列車は一路南へ進み、行く手に立ちはだかるマイエッラ山地の険しい峠を越えていく。路線の終点はイゼルニアだが、そこまでは行かず、途中のいずれかの駅で周辺の観光に出かけ、夕刻にスルモーナへ戻るのが通例だ。

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カロヴィッリ Carovilli 駅付近(2012年)
Photo by Dgandrea05 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番28 シーラ列車 Treno della Sila

イタリア半島の平面形をブーツに例えると、つま先がカラブリア Calabria 州だ。その足の甲のあたり、南に膨らんでいる一帯はシーラ Sila と呼ばれ、標高1000mを越える山地と高原が広がっている。シーラ列車は、その高原地帯を走る狭軌(950mm軌間)の保存観光列車だ。

多聞に漏れずこの路線も、もとはコゼンツァ=サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線 Ferrovia Cosenza-San Giovanni in Fiore、通称シーラ鉄道 Ferrovia Silana という延長67.1kmの狭軌鉄道だった。しかし、人口希薄な地域のため輸送需要が低迷し、1997年以降、定期列車の運行が順次休止されて、観光専用になった。

シーラ列車は2016年から走り始めた。民間の協会組織が運営に携わる貴重な一例だ。シーズン中の毎土曜または日曜に、通常は蒸気機関車が古典客車を牽いている。列車はカミリャテッロ・シラーノ Camigliatello Silano ~サン・ニコーラ=シルヴァーナ・マンショ San Nicola-Silvana Mansio 間、アップダウンの多い10.8kmのルート(下注)を行く。終点は標高1404m、イタリアの鉄道が到達する最高地点になる。

*注 このほかの区間では列車運行がなく、軌道や施設は放置されている。

全線でもゆっくり走って40分ほどだ。それで、途中で山賊の列車襲撃ショーがあったり、バスに乗り換えてシーラ国立公園のスポットを巡るなど、チケットは複数のイベントを組み合わせたツアーとして販売されている。

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1919年ボルジッヒ製タンク蒸機が牽くシーラ列車(2017年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項目32~35 トレニーノ・ヴェルデ Trenino Verde

サルデーニャ島 Sardegna にも950mm軌間の路線群があり、国鉄線から離れた港や内陸の町を結んでいる。しかし、一般運行を取りやめてしまった区間も多く、そうした休止線を観光用に蘇生させる取り組みが、トレニーノ・ヴェルデ(緑の小列車)のツアー企画だ。

運行している ARST(サルデーニャ地方交通 Azienda Regionale Sarda Trasporti)のサイトによれば、2025年現在、小列車が走っているのは5路線、うち以下の4路線が休止線を活用したものだ。

・サッサリ=テンピオ=パラウ線 Ferrovia Sassari–Tempio–Palau、149.9km
・マコメル=ボーザ線 Ferrovia Macomer–Bosa、45.9km
・イジーリ=ソルゴーノ線 Ferrovia Isili–Sorgono、83.1km
・マンダス=アルバタクス線 Ferrovia Mandas–Arbatax、159.4km

総延長は400kmを優に超えるが、たとえ週に1日でも客を乗せた列車を通すには、保線作業が必要になる。そのため、実際に列車が走るのは一部区間に過ぎず、走行距離は各線とも片道40km前後だ。しかも時間的制約あるいは車両運用の関係か、復路は列車の代わりにバスを使うものさえある。

それでも、一般運行が途絶えた路線を列車で旅行できるというのは貴重だ。たとえばマンダス=アルバタクス線のツアーは、東岸アルバタクス Arbatax の港から標高550mの山上の町ラヌゼーイ Lanusei まで、列車で山腹を延々と上っていく。走行距離34.3kmは全線の2割ほどだが、その先に続く、今は通行できない山岳区間の旅がどれほどハードだったのかを想像するのに十分な体験だ。

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マンダス=アルバタクス線ラヌゼーイ駅(2015年)
Photo by Manfred Kopka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

イタリアでは、西ヨーロッパ諸国のように非営利団体が運行に携わる保存鉄道は多くない。しかし、日常輸送にいそしむ一般路線にも観光要素は多分にあり、なかでも狭軌鉄道は個性派ぞろいだ。

項番4 リッテン鉄道(レノン鉄道)Rittner Bahn/Ferrovia del Renon

アルプスの分水界ブレンナー峠から谷間を南下していくと、最初に現れる大きな町がボーツェン/ボルツァーノ Bozen/Bolzano(下注)だ。背後に横たわる標高1200m前後の高原を、メーターゲージ(1000mm軌間)のリッテン鉄道/レノン鉄道の電車が走っている。標準軌の鉄道網から離れた孤立路線で、長さも6.6kmしかない。

*注 もとオーストリア領で、今でもドイツ語話者が多いので、公共表示は両言語併記になっている。

しかし1908年の全通時はそうではなく、距離も2倍ほどあった。というもの、ボーツェン町の中心部から、ボーツェン駅前経由で直通していたからだ。山麓と高原との間の900mを超える高低差は、シュトループ式のラックレールで克服していた。ラック専用の電気機関車が坂下側について、電車を山上まで押し上げていたのだ。

市内で乗り込めば乗換えなしで高原まで行けるのだから、傍目には便利そうだが、地元では時間がかかると不評だった。老朽化が進んで改修が必要になったとき、住民はより高速なロープウェーへの切換えを望んだ。こうして市内軌道と登山区間は1966年に廃止となった。

そのロープウェーが着くオーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano 駅のホームには、シックな赤と銀を装うリッテン鉄道の小型電車が待っている。高原上は夏でも涼しい。風に揺れる牧草地と林を縫って、終点のクローベンシュタイン/コッラルボ  Klobenstein/Collalbo までは20分かからない(下注1)。

*注1 このほかボーツェン方にあるマリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta~オーバーボーツェン間も存続しているが、運行本数は1日5往復。
*注2 鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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オーヴァーボーツェン駅の古典電車2号(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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現在の主役24号電車、ヴォルフスグルーベン Wolfsgruben 駅付近(2021年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番15 ジェノヴァ=カゼッラ鉄道 Ferrovia Genova-Casella

リグリア海に臨む港町ジェノヴァ Genova からも背後に連なる山地に向けて、メーターゲージの電化路線、ジェノヴァ=カゼッラ鉄道が延びている。長さ24.3km、電車の目的地は、アペニン山脈の山中にあるカゼッラ Casella という田舎町だ。

起点ピアッツァ・マニン(マニン広場)Piazza Manin 駅は意外にも、市街地を見下ろす標高93mの丘の上にある。もちろん1929年に開業したときは、すぐ下の同名の広場に路面電車が来ていた。軌間をメーターゲージに決めた理由(下注)も、それと接続する計画があったからだ(下注)。だが夢は叶わず、そのうえ路面電車も消えた今では、客は代わりの路線バスで上ってくるしかない。

*注 イタリアの狭軌鉄道の主流は1000mmではなく、950mm軌間。

この鉄道の面白い点は、ルートが四つの谷(下注)にまたがり、そのため峠越えが3回あることだ。上っていく列車の車窓からは、林や果樹畑ごしにたなびく山並みのパノラマが見え隠れし、あたかも登山鉄道に乗車している気分になる。

*注 水系としては、リグリア海に出るビザーニョ Bisagno とポルチェヴェーラ Polcevera、アドリア海に出るスクリーヴィア Scrivia(ポー川支流)の三つ。

最後の峠が山脈の分水嶺で、その後は坂を下って、開業時の終点カゼッラ・デポジート(カゼッラ車庫)Casella Deposito 駅に達する。駅名のとおりここに車庫があるが、列車はさらにスイッチバックしてスクリーヴィア川を渡る。町の前に置かれたカゼッラ・パエーゼ(カゼッラ村)Casella Paese 駅が現在の終点だ(下注)。

*注 1953年の延伸当初、この区間は路面軌道だったが、1980年に専用線(道端軌道)化された。

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ピアッツァ・マニン駅遠望(2023年)
Photo by Al*from*Lig at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番21 ATAC ローマ=ジャルディネッティ線 Ferrovia Roma-Giardinetti

首都ローマの中央駅テルミニ Termini はイタリア最大の駅で、32番線まである。その壮大な正面口から遠く離れた右先端、郊外線(ラツィオ線 Ferrovie laziali、略称 FL)の出入口に寄り添うのが、ローマ=ジャルディネッティ線の電車が発着するささやかなターミナル、ローマ・ラツィアーリ Roma Laziali(下注)だ。

*注 ラツィアーリ Laziali は、ラツィオ(州)Lazio の、を意味する形容詞。ローマ市はラツィオ州 Regione Lazio の州都でもある。

ローマ市交通局 ATAC が運行するジャルディネッティ線は950mm軌間の電気鉄道で、ローマ近郊に残された唯一の狭軌線だ。もとは州東部で延長137kmにもなる路線網を有していたが、老朽化と利用者減少で末端側から撤退していった。

近年ではメトロC線の延伸工事に伴い、2008年に9.0km地点のジャルディネッティ Giardinetti が終点になったのだが、縮小傾向はこれで収まらない。メトロC線と重複する区間が2015年に廃止となり、鉄道はとうとう根元のローマ・ラツィアーリ~チェントチェッレ Centocelle 間 6.0kmだけになってしまった。

とはいえこの区間には、古代ローマの遺跡マッジョーレ門 Porta Maggiore を通り抜けたり、狭い敷地で上下線がガントレットになるなど、見どころが点在する。路面電車のような小型の外見とあいまって、今なお愛好家の好奇心をくすぐり続けている。

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マッジョーレ門をくぐり抜ける(2023年)
Photo by Robot8A at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 エトナ環状鉄道 Ferrovia Circumetnea

シチリア島東部にあるエトナ山 Etna は、ヨーロッパ最大級の活火山だ。標高3403m(下注)、裾野は半径20~40kmに及ぶ。火口から20km圏には集落が点在していて、エトナ環状鉄道(チルクメトナ)は、それらをつなぐように建設された。

*注 噴火等によって標高値には変動がある。

950mm軌間の非電化鉄道は、1895~98年に開通している。カターニャ・ポルト(港)Catania Porto を起点に、エトナ山を時計回りに半周して、再び沿岸のリポスト Riposto まで113.5kmの長大路線だった。裾野と一口に言っても、西側の鞍部では標高976mまで上らなくてはならず、延々と坂が続く区間が少なからずある(下注)。

*注 貨物輸送のために、最急勾配は36‰に抑えられている。

列車は、エトナ山を絶えず仰角に捉えながら、灌木林とオリーブ畑の間を進んでいく。開通以来、噴火に伴う溶岩流で四度も長期運休に見舞われたが、その都度たくましく復活してきた。ところが、根元のカターニャ市内で新たにメトロが開業すると、ルートが重複する区間で撤収が始まる。

メトロは現在、内陸のパテルノ Paternò に向けて延伸工事中だ。郊外では環状鉄道の線路敷を転用することになっていて、工事に先立ち該当区間が廃止された。そのため、列車は現在、パテルノから先の90.9kmで運行されている。とはいえ、人口の多いエリアをメトロに明け渡してしまったので、途中ランダッツォ Randazzo まで6往復、その先リポストへは3往復しかない閑散線だ。

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ジャッレ Giarre 駅を後にする気動車(2021年)
Photo by Trainspictures at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の幹線からも、一つ。

項番16 チンクエ・テッレ急行 Cinque Terre Express

リグリア海に臨むぶどう畑の急斜面と、色彩豊かな集落の印象的な風景で知られる観光地チンクエ・テッレ Cinque Terre(下注)。名のとおり海岸に並ぶ五つの村々を巡る列車がチンクエ・テッレ急行だ。FS線の主たる列車運行事業者であるトレニタリア Trenitalia が運行している。

*注 チンクエ・テッレは五つの土地を意味する。

エクスプレスと名乗っているものの、実態は普通列車で、レヴァント Levanto~ラ・スペツィア中央駅 La Spezia Centrale 間20kmにある各駅、モンテロッソ Monterosso、ヴェルナッツァ Vernazza、コルニーリャ Corniglia、マナローラ Manarola、リオマッジョーレ Riomaggiore に順に停車していく。

これらの村々が立地するのは、もし鉄道が通らなかったら陸の孤島になっていたような場所だ。そのため旅客需要が大きく、列車はこの間を30分間隔でシャトル運行している。駅はトンネルに挟まれた狭隘な敷地でホーム長が短いため、ダブルデッカー(2階建)客車が使用される。5駅のいずれかで乗降すると加算運賃が適用されるのも特殊な扱いだ。

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コルニーリャ Corniglia 駅に入るダブルデッカー(2008年)
Photo by Diesirae at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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狭い敷地のヴェルナッツァ Vernazza 駅(2021年)
Photo by Lewin Bormann at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

 続きは次回に。

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2025年9月11日 (木)

ラトビア最後の狭軌鉄道

グルベネ=アルークスネ鉄道 Gulbenes - Alūksnes bānītis/Gulbene–Aluksune Railway

グルベネ Gulbene ~アルークスネ Alūksne 間 33km
軌間750mm、非電化
1903年開通(ストゥクマニ Stukmaņi ~ヴァルカ Valka 間 212km の一部として)

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バーニーティスの蒸気列車
グルベネ駅にて
 

1520mmの広軌、いわゆるロシアンゲージが支配するラトビアで、唯一750mmのナローゲージを残しているのが、グルベネ=アルークスネ鉄道 Gulbenes - Alūksnes bānītis だ。定期運行している狭軌鉄道は、バルト三国でもここしかない。原語の「バーニーティス bānītis」はドイツ語の Bahn(鉄道)にラトビア語の縮小辞をつけたもので、広軌用に比べてめっぽう小柄な車両や施設に対する土地の人々の親近感がよく表れている。

場所はラトビア北東部、森の中に湖が点在する道のりを、毎日2往復(下注)の列車がのんびりと走っている。鉄道の公式サイトは英語版も充実しているので、それを参考に、波乱に満ちた鉄道の歴史をたどってみよう。

*注 以前は毎日3往復あったが、2010年2月から減便。

地元の有力者が興した会社によって鉄道が公式開業したのは、ロシア帝国領時代の1903年だ。当時の路線は、ストゥクマニ Stukmaņi ~ヴァルカ Valka(現エストニアのヴァルガ Valga)駅間 212kmで、今とは比べものにならない長大な路線だった(下図)。

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バーニーティスの旧路線網
 

ストゥクマニは、ダウガヴァ川 Daugava 沿いにある現在のプリャヴィニャス Pļaviņas で、リーガへ通じる幹線との接続駅だ。列車はそこから北東方向にマドナ Madona、ヴェツグルベネ Vecgulbene(1928年に旧名グルベネに改称。Vec は英語の old )、アルークスネ Alūksne まで進んだ後、北西に向きを変えてアペ Ape、ヴァルカへ至る。

ヴァルカにはリーガと現ロシアのプスコフ Pskov を結ぶ広軌線が通っていたが、それとは別に開通済みの狭軌線に接続して、現エストニア領パルヌ Pärnu の港への短絡路を確保した。鉄道が内陸輸送の主役であった時代、積み替えせず港まで物資を直送できるのは大きな利点だった。木材をはじめ、とうもろこしや酒その他の農産物が、このルートを通って運ばれた。

しかし、帝国末期の世情は不安定で、会社はまもなく、血の日曜日事件に始まるロシア第一革命の渦に巻き込まれる。農村の騒乱に呼応して、鉄道員たちも活動の先鋒に立った。施設が破壊され、会社は蒙った損失を回復できないまま、第一次世界大戦直前、ついに破産してしまう。

1916年、ロシア軍は、ヴェツグルベネでこの線と交差する広軌新線(イエリチ Ieriķi ~アブレネ Abrene)を建設するのに合わせて、ストゥクマニ~ヴェツグルベネ間を広軌に変換した。このため、狭軌区間は北半分に短縮された。

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上空から見たグルベネ駅
駅舎寄りに狭軌線がある(2018年)
Photo by Edgars Šulcs at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1918年にバルト三国は相次いでロシアからの独立を宣言するが、これが狭軌線の運命をまたも翻弄することになる。アルークスネの先で、ラトビアとエストニアの国境線が鉄路を二度も横切ることになったからだ。

両国間の協議で、エストニア側に越境した区間の運行管理をラトビアに委ねることが決まり、戦争で荒廃した鉄道は1921年にようやく全線再開に漕ぎつける。ラトビア国内の輸送は順調に推移したものの、パルヌ港が他国領となったため物流の方向が変わり、アペから西側の利用は極端に少なくなった。

第二次世界大戦、特にその終盤はドイツ占領軍の撤退とソ連軍の空襲で、鉄道の施設は甚大な被害を受けた。しかし、重点的な復旧作業の結果、1945年12月には運行を開始している。1960年代にはヴァルガ Valga 駅に引き込むルートが設けられが、同時にこの頃から、自動車交通の発達が鉄道の顧客を徐々に奪い始めた。1970年、長らく閑散区間だったヴァルガ~アペ間が休止、1973年にはアペ~アルークスネ間も運行を取りやめた。

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グルベネ駅で広軌と狭軌の特別列車が接続
Photo by Jānis Vilniņš at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

こうして、アルークスネ~グルベネ間だけが残ったが、その理由は、アルークスネに駐留していたソ連軍に物資を供給するためだったといわれる。しかしここにも存続の危機が迫っていた。1987年に、老朽化した車両の整備不良がたたり、運行が止まってしまったのだ。すでに鉄道は工学遺産に指定されていたため、知識人らの熱心な支援活動が当時の共産党中央委員会を動かした。客車が新調され、続いて2両のディーセル機関車が新たに導入された。

ソ連から再独立した後も、貨物輸送の廃止、旅客列車の削減と、鉄道の規模縮小は進行したが、1998年の国鉄から地方政府への売却、2001年の運営会社設立によって命脈を保ち、2003年には100周年を祝うことができた。地元では観光資源としての期待も膨らんでいるようだ。

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アルークスネ駅構内(2011年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

バーニーティスの起点があるグルベネ Gulbene の町は、狭軌線の単なる中間駅が広軌線開通により鉄道の結節点となったことで、にわかに活気づいた。町の北端に、1926年当時の壮麗な駅舎が今も建っている。

下掲の地形図を見ると、北東隅から狭軌線(日本で言う私鉄記号)が延びてきて、グルベネ駅に入っていく。実際は駅構内でラトビア国鉄の広軌線(太い実線、下注)と平面交差し、駅舎寄りにホームがある。つまり、接続駅の一般的な線路配置とは反対に、駅舎側から支線、本線の順に並んでいるのだ。

*注 グルベネからロシア国境に向かう路線だったが2001年に廃止された。

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グルベネ駅舎正面
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グルベネで発車を待つ蒸気列車
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グルベネ駅北東構内にある広軌・狭軌の平面交差
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バーニーティス周辺 グルベネ~パパルデ間
旧ソ連製1:100,000 O-35-102(1981年), O-35-103(1990年)
 

しかも、グルベネ駅の線路配置図(下図)でわかるように、狭軌線は広軌線を隔てて駅舎とは反対側にも延びている。実はこれが広軌線開通以前の狭軌線のルートだ。1940年の扇形機関庫(図では Roundhouse の注記)建設で迂回させられているが、もとは一直線で、南西に向かう広軌線(下注)につながっていた。ちなみに扇形庫の南西では、煉瓦で造られた狭軌時代のグルベネ(ヴェツグルベネ Vecgulbene)駅舎が個人宅に転用されて、今も残っている(Old station building の注記)。

*注 プラヴィニャス=グルベネ線 līnija Pļaviņas—Gulbene。先述のとおり1916年に改軌されるまでは、バーニーティスと同じく狭軌線の一部区間だった。

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グルベネ駅構内配線図
from OpenRailwayMap
 

扇形庫はその前にある転車台とともに、戦争で破壊された後、1945~51年に拡張改築されたものだ。9線収容で、一部は狭軌線車両も収容できるように4線軌条化されている。見た目は廃屋に近いが、まだまだ車庫として現役だ。バーニーティスの運営会社が管理し、車両の整備も行っていて、年間行事の際には一般公開される。

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(左)4線軌条の転車台
(右)現役の扇形機関庫
 

狭軌という希少性から観光鉄道の側面をもつバーニーティスだが、公共交通機関でもあり、そのために平日休日を問わず運行されている。ただし、ダイヤは午後に2往復のみの閑散ダイヤで、グルベネを13時と18時(土曜は18時30分)に出発して終点アルークスネで折り返す。

列車の前に立つのは通常、ディーゼル機関車だが、特定の土曜日には、13時発の第1便を蒸気機関車が牽引する。列車は片道32.8kmを80~85分、蒸機の場合は110~115分かけて走る(下注)。途中8駅あるうち4駅は、乗降客があるときのみ停車するリクエストストップだ。

*注 途中のパパルデ Paparde 駅で給水停車がある。

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(左)蒸機ГР (GR) 形319号
(右)テンダーに薪が山積み
 

2025年現在、運用中の蒸機は1951年旧東ドイツ、カール・マルクス機関車工場 Lokomotivbau Karl Marx Babelsberg (LKM) 製、動輪4軸のГР (GR) 形319号で、「フェルディナンツ Ferdinands」と命名されている。森林鉄道でも運用されるため、燃料に薪を用いることが可能な機関車で、実際にバーニーティスでも薪を焚いて走っている。

なにぶん沿線は過疎地につき、団体客などの予約がなければ、客車はたいてい1両きりだ。モケットシート24席の旧ソ連製車両が用いられることが多く、増結するときはベンチシート40席のポーランド製車両が動員される。乗車券は車掌が手売りしている。自由席だが、複数両つないでいるときは、乗車車両を指示されるかもしれない。

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(左)旧ソ連製客車
(右)車内はモケットシート、この日は団体予約専用だった
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(左)ポーランド製客車
(右)車内はベンチシート
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往復乗車券
(左)表面、Vilciena Nr.は列車番号(右)裏面
 

汽笛一声、走り出すと車窓には、針葉樹林と牧草地や湿原が織りなすパッチワークの風景がどこまでも続く。か細い軌道上を静かにたどる時速25kmの孤独な旅だ。走路の心もとなさとは対照的に、駅舎や待合室は近年、整備が進んだ。スターメリエネ Stāmeriene では煉瓦造の平屋駅舎が、待避線をもつ次のカルニエナ Kalniena では木造の平屋駅舎が、瑞々しさを取り戻している。

パパルデ Paparde にも静かな森の間に木造駅舎が残るが、蒸機は、少し離れた煉瓦の給水塔の前でしばらく停車して水の補給を受けた。

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車窓は森と牧草地のパッチワーク
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(左)煉瓦造のスターメリエネ駅舎(2013年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)木造のパパルデ駅舎(2010年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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パパルデで給水を終えた蒸機
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パパルデ~アルークスネ間
旧ソ連製1:100,000 O-35-90(1978年版), O-35-91(1991年版),
O-35-102(1981年), O-35-103(1990年)

 

倉庫や民家がばらばらと窓に映るようになると、まもなく終点アルークスネ Alūksne だ。構内は、余裕のある敷地に3本の線路が並んでいる。煉瓦造の駅舎はカフェに転用され、その北側に建つ倉庫は展示室に改装された。第1便の列車は折返しの出発まで、機回し作業を含めて約1時間の休憩を取る。

アルークスネの町は駅の北側で、湖(アルークスネ湖 Alūksnes ezers)との間に広がっている。マーリエンブルク Marienburg というドイツ語名は、中世、ドイツ騎士団が通商路を護るため、湖に浮かぶ小島に聖母の名を冠した城を築いたことに由来する。

一方のラトビア語のアルークスネも森の泉を意味するそうで、名まえを聞くだけでも旅情を誘われる。しかし、湖畔までは町を抜けておよそ2km、列車の休憩時間がもう少し長ければいいのだが。

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アルークスネ駅での機回し作業
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アルークスネ湖、右奥に新城 Jaunā pils が覗く(2013年)
Photo by Ivo Kruusamägi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2025年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会の戸城英勝氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

(2008年7月24日付「ラトビア最後の狭軌鉄道」を全面改稿)

■参考サイト
バーニーティス  http://www.banitis.lv/
アルークスネ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=57.4156,27.0464&z=14

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 バルト三国の地図-ラトビアの地方図・市街図

2025年9月 7日 (日)

ヴェルティックアルプ・エモッソン(エモッソン湖観光鉄道)

ヴェルティックアルプ・エモッソン VerticAlp Emosson

1975~77年開業

1.ル・シャトラール・ケーブルカー Funiculaire du Châtelard(単線交走式ケーブルカー)
 ル・シャトラール Le Châtelard~レ・モンテュイール Les Montuires 間1.31km
 軌間1000mm、高度差700m、最大勾配870‰

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2.パノラマ小列車 Petit train panoramique(軽便鉄道)
 レ・モンテュイール~ピエ・デュ・バラージュ(ダム下)Pied du barrage 間1.65km
 軌間600mm、非電化

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3.ミニフュニック Minifunic(複線交走式小型ケーブルカー)
 ピエ・デュ・バラージュ~ラック・デモッソン(エモッソン湖)Lac d'Émosson 間0.26km
 軌間900mm、高度差140m、最大勾配727‰

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以前、フランスのピレネー山脈で秘境のダム湖を目指して走る軽便鉄道「プティ・トラン・ダルトゥースト(アルトゥーストの小列車)Petit train d'Artouste」を紹介した(下注)。あまり知られていないが、スイスアルプスの一角にも、これをモデルに造られた観光ルートがある。

*注 「アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー」参照

アルトゥーストがロープウェーとトロッコ列車の組合せであるのに対して、こちらはケーブルカー+トロッコ列車+小型ケーブルカーの3段構えだ。870‰という破格の急勾配をよじ登り、そそり立つ断崖を横切って、ダム湖を見下ろす展望台まで観光客を連れて行く。水平距離こそ短いが、終点の標高は1965mあり、到達高度ではあまたの登山鉄道に引けを取らない。

今回は、夏の時期(6~10月)だけ運行されるこの観光ルート「ヴェルティックアルプ・エモッソン VerticAlp Emosson(下注)」を訪ねてみたい。

*注 VerticAlp は、vertical(垂直の)と alp(アルプス、高地)の合成語。実際はヴェルチカルプのように読む。Emosson は湖底に沈んだ集落の名。

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ヴェルティックアルプ・エモッソン周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

レマン湖方面からCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)の列車でローヌ谷を遡ると、ちょうど進行方向が南から東に変わる位置にマルティニー Martigny 駅がある。ここを起点にしているのが、フランス国境を越えてシャモニー Chamonix の町へつながるマルティニー=シャトラール鉄道 Chemin de fer Martigny–Châtelard(MC、下注)だ。メーターゲージの電化線で、「モンブラン急行 Mont-Blanc Express」と称する国際列車が走るとともに、ラックレールを介した本格的な山岳路線としても知られている。

*注 地方交通の再編で2001年からマルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) が運営している。フランス側はSNCF(国鉄)線。

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マルティニー駅に停車中のモンブラン急行
左はCFF線ホーム
 

マルティニーからその列車に乗り、千尋の谷を見下ろしながら走ること40分、ル・シャトラール Le Châtelard VS 駅(下注)が、ヴェルティックアルプ・エモッソンの最寄りになる。

*注 当駅はリクエストストップで、乗降客のあるときだけ停車する。

駅名の末尾にある VS は、州名ヴァレー Valais の略号だが、車内アナウンスではそう呼ばず、「ル・シャトラール・ヴィラージュ Le Châtelard Village」と言った。ヴィラージュは村を意味する。次の駅ル・シャトラール・フロンティエール Le Châtelard-Frontière(フロンティエールは国境の意)に比べて村に近いのは確かだが、予期せぬ駅名を耳にして、降りるべきかしばし迷った。ホームに正式名の標識が見えたので、降り損なわずに済んだとはいえ…。

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(左)ル・シャトラール VS駅(移転前)
(右)ホーム横の建物は発電所
 

先述のように、ヴェルティックアルプ・エモッソンは3種の乗り物で構成されている。第1区間は単線交走式のケーブルカーだ。「ル・シャトラール・ケーブルカー Funiculaire du Châtelard」と呼ばれ、延長1310m。最大勾配870‰で高度差700mを克服する。同じくスイスで2017年に新しいシュトース鉄道 Stoosbahn が開通するまで、交走式ケーブルカーでは世界一の急勾配と言われていた(下注)。

*注 (新)シュトース鉄道は最急勾配1100‰。単線式ではゲルマー鉄道 Gelmerbahn(スイス)の1060‰もある。

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ケーブルカー下部駅
超急勾配の軌道が岩壁を貫いて延びる
 

もともとこのケーブルカーは、後述する第2区間の簡易軌道とともに1920年に造られた。鉄道電化を進めるためにCFF(スイス連邦鉄道)が発電施設として建設したバルブリーヌダム Barrage de Barberine の工事資材輸送が目的だった。1925年にダムが稼働を始めてからも、保守作業用に維持されていた。

しかし1975年に、より大型のエモッソンダムがその下流に完成したことで(下注)、ケーブルカーは存続する意義を失った。CFFは解体するつもりだったが、民間主導で改修のうえ、ダム周辺の観光事業に転用されたのだ。

*注 これによりバルブリーヌダムは、拡張されたダム湖の湖底に沈んだ。

ちなみに名称には変遷があり、当初は「エモッソン=バルブリーヌ交通 Transports Emosson-Barberine (SATEB)」と称していた。1999年に「エモッソン観光列車 Trains Touristiques d'Emosson (TTE)」、2004年に「ル・シャトラール・アトラクション公園 Parc d'Attractions du Châtelard VS (PAC)」となり、2015年から現在の商名「ヴェルティックアルプ・エモッソン」が使われている。

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1935年に始まったケーブルカーの観光活用
発電用水圧鉄管が並走する
(上部駅設置のパネルを撮影)
 

訪れたのは昨年(2024年)6月だが、このときケーブルカーの乗り場は、鉄道駅を出て発電所建物の裏手を200mほど進んだ場所にあった。最新の報道によると、今年(2025年)5月にこの乗り場の近くへ、鉄道駅が移転したそうだ。

乗り場の横の出札口で、往復乗車券を買い求めた(下注)。目の前にシルバーメタリックの車体が、地面に斜めに突き刺さるような形で停車している。2015年に更新されているので、内部もまだ新しい。運行は朝8~16時台で、基本30分間隔だが、多客時には適宜増発されるという。しかし今はシーズンの初め、しかも平日だから客はまばらだ。

*注 予約は不要とされている。

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(左)ケーブルカーの乗り場
(右)車内
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全線往復乗車券の両面
 

車内に入り、谷側にかぶりついて待っているうちに、車両はすーっと動き出した。谷底の貯水池を眼下に見ながら、険しい岩壁をどんどん上っていく。岩脈を通した短いトンネルを抜けると、勾配はいったん緩くなり、中間駅のジェトロ Giétroz を通過した。山腹の集落のために設置された乗降場だが、利用者はあるのだろうか。

二つ目の短いトンネルがあり、再び坂がきつくなったところで下り車両と行違った。勾配は緩急を繰り返していて、縦断面が凹型になる区間ではケーブルが空中に浮く。そのため、それを受け止める滑車が線路をまたぐビームに取りつけられているのが珍しい。

約10分で、上部駅のレ・モンテュイール Les Montuires に到達した。標高1825m、谷底では視界に入らなかった周囲の山々の稜線がもう目の高さにある。降り注ぐ日差しは強いが、谷を吹き渡る風が涼感を誘う。

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(左)ジェトロ駅を通過
(右)浮いたケーブルとビームに取り付けられた滑車
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レ・モンテュイール駅全景
奥がケーブルカー乗り場(2023年)
Photo by Rémih at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

第2区間は、600mm軌間のドコーヴィル軌道を行くトロッコ列車で、「エモッソン・パノラマ小列車 Petit train panoramique d'Émosson」の名がついている。延長1650m、ほぼ水平軌道だ。ルートはバルブリーヌダムの工事軌道の廃線跡をたどるが、手前にエモッソンダムが出現したことで、もとの延長の半分以下になっている。

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パノラマ小列車のホーム
 

列車は、ケーブルカー駅から少し離れた車庫前のホームに停車していた。先頭に立つのは1952年製のバッテリーロコ(蓄電池式電気機関車)Ta 2/2形(下注)だ。その後ろにオープン客車5両が連なっているが、縦に半回転させると向きが変えられる樹脂製の座席は、アルトゥースト湖観光鉄道と同じものだ。乗継ぎには10分程度の余裕があるはずだが、客が少なかったからか、ケーブルカー到着後5~6分で早くも発車した。

*注 特別運行では、1911年ユング社製の小型蒸気機関車「リゼリ Liseli」も登場する。

走行中はディーゼル機関車のような油の臭いがしないし、音も静かなので、カタンカタンという車輪のジョイント音がよく響く。最初の尾根を回り込むと、斜め左にオー・ノワール川 L'Eau Noire が流れるU字谷が豁然と開けた。谷底に見えているのはル・シャトラールの隣村であるフランス領ヴァロルシーヌ Vallorcine に違いない。とすると、谷の奥に控えている白銀の山並みはモンブラン山地 Massif du Mont Blanc だ。

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バッテリーロコの後ろにオープン客車が5両連なる
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(左)構内のはずれにある転車台
(右)尾根を回り込んでいくと…
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オー・ノワールのU字谷の景観が開ける
谷底の集落はフランス領ヴァロルシーヌ
白銀の山並みはモンブラン山地
 

待避線を通過してすぐ第1トンネルに入る。坑内は、素掘りにモルタルを吹付けただけの簡易仕上げだ。崖際を走っていくので、見晴らしは抜群だが、下をのぞき込むと足がすくむ。やや長めな第2トンネルを抜けたあたりで、進行方向の谷間に巨大なダム壁がかいま見えた。再び待避線があり、第3トンネルへ。地形は一段と険しさを増し、線路はもはや断崖にへばりついた杣道に近い。第4と第5のトンネルは覆道を介して連続していて、それを過ぎると、まもなく終点ピエ・デュ・バラージュ Pied du Barrage(ダム下の意)だった。

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終盤で見えてくる巨大なダム壁
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終点ピエ・デュ・バラージュに到着
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機回しもワンマン操作
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(左)駅からなおも延びる軌道
(右)バルブリーヌダムへ続いていた軌道跡
 

駅は急斜面を削った狭い敷地なので、片面ホームに面する本線と機回し用側線があるのみだ。その上空に、第3区間のミニフュニック Minifunic が斜めに架かっている。複線交走式の小型ケーブルカーで、延長260m。730‰の急勾配で、ルートの最後に残された高度差140mを3分ほどで駆け上がる。

この区間は1977年から稼働しているが、最初は、ぶどう畑で使われているのと同じラック式の簡易モノレールだった。輸送力不足を解消するため、1991年に現行装置に置換えられた。車両は8人乗りのミニサイズだが、2両フル稼働すれば、1時間で200人を輸送することができる。

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ミニフュニックの乗り場は軌道の上空に
 

トロッコ列車の乗客が少なかったので、ミニフュニックにも列に並ぶことなく乗れた。駅自体が急斜面に乗り出すように設けられているから、谷側の眺めはかなりスリルがある。行きは背を向けていくのでまだしも、帰りは定位置で停まってくれることを祈るしかない。まもなく下りの車両と行き違い、ダム壁を横に見ながらさらに高度を上げていった。

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(左)複線の走路
(右)ここも走路は急勾配
 

終点ラック・デモッソン Lac d'Emosson(エモッソン湖の意)は標高1965mで、ダム湖を見下ろす高台にある。ここから眺める青白い湖面とそれを取り囲む雪の岩山の風景は壮大そのものだ。左に目を移すと、さきほどトロッコ列車からも見えたオー・ノワール谷とモン・ブラン山地の奥行きをもつパノラマが展開する。

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終点ラック・デモッソン
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駅前からエモッソン湖の眺め
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雲間からモンブラン(標高4808m)が現れる
 

エモッソンダムは、バルブリーヌ川 Torrent de Barberine を堰き止めたアーチ式ダムだ。堤長は560m、堤高180m、天端の標高は1931mある。オー・ノワール谷に設置される発電所とともにスイスとフランスの共同事業で建設されたが、予定地が両国の国境にまたがっていることが管理上の課題となった。そこで着工に先立ち、ダム予定地をスイス領とし、発電所予定地をフランス領とすべく、等面積の領土を交換するという異例の協定が結ばれている。これにより1964年12月に両国の国境が下図のように移動した。

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エモッソンダム周辺の1:25000地形図
(左)国境変更前(1965年版)
(右)変更後(国境線が南に移動、2024年版)
© 2025 swisstopo
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ル・シャトラール発電所周辺の1:25000地形図
(左)国境変更前(1965年版)
(右)変更後(国境線が東に移動、2024年版)
© 2025 swisstopo
 

ミニフュニックの駅前広場を後に、ダムまで歩いて降りていった。緩い弧を描く天端の通路は2車線道路ほどの幅があるが、人影はまばらだ。谷の方を振り返ると、トロッコ軌道の中間部、第2トンネルから第3トンネルにかけての区間が見渡せた。さっき乗ってきた列車がレ・モンテュイールに向けて、斜面にうがたれた細道を戻っていく。スイスの山岳鉄道に乗るたびに抱く、よくぞここまでという感慨が思わず口を衝いて出てきた。

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ダムから見下ろすトロッコ軌道
 

■参考サイト
ヴェルティックアルプ・エモッソン https://www.verticalp-emosson.ch/
エモッソン電力会社 Electricité d'Emosson SA   https://emosson.ch/

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 シャブレーの鉄道群-ベー=ヴィラール=ブルテー線

2025年8月20日 (水)

シャブレーの鉄道群-ベー=ヴィラール=ブルテー線

シャブレー公共交通ベー=ヴィラール=ブルテー線
TPC Ligne Bex-Villars-Bretaye (BVB)

ベー Bex ~ヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon ~コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye 間17.09km
1000mm軌間、直流750V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配200‰
1898~1937年開通
1963年 ヴィラール・シュル・オロン~シュジエール Chesières 間廃止

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べーの狭い街路を抜けるヴィラール行電車

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これまで見てきたシャブレー公共交通 Transports Publics du Chablais(以下、TPCという)の鉄道路線はいずれもCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)のエーグル Aigle 駅前から出発していた。これに対して、ベー=ヴィラール=ブルテー線 Ligne Bex-Villars-Bretaye(略称 BVB、下注)だけは、ベー Bex 駅前が起点だ。

*注 Bretaye の読みは、ブルテ [brətɛ] 、ブルタイ(ユ)[brətaj] の2通りある。

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シャブレー公共交通の鉄道路線網
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ベー=ヴィラール=ブルテー線周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ローザンヌ Lausanne から行くと、エーグルの次がベー駅だが、エーグルと違ってIR(インターレギオ、急行列車に相当)は停まらない。それでこの路線には、どことなくローカル支線のイメージがつきまとうのだが、意外にも開業時期は4路線の中で最も早い(下注)。

*注 最初の区間開通は1898年(細部は後述)。レザン線 (AL) の開通は1900年、シャンペリー線 (AOMC) は1907年、ディアブルレ線 (ASD) は1913年。

というのも、今でこそ面影が薄れているが、当時のベーは岩塩鉱山で栄えていて、スイス・シャブレー最大の町だったからだ。さらに1857年にスイス西部鉄道 Ouest Suisse(後のCFFシンプロン線)の駅ができると、塩水浴の保養地として人気が高まる。グラントテル・デ・サリーヌ Grand Hôtel des Salines(サリーヌは製塩場の意)が1869年に創業し、ベー・レ・バン Bex-les-Bains(保養地ベーの意)の名も定着した。

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ベー・レ・バンの観光ポスター(1915年)
Photo from SBB Historic. License: CC0 1.0
 

1898年9月に、ベー駅前からホテルの近くを通ってベヴュー Bévieux まで、延長3.2kmのメーターゲージ路面軌道が先行開業している。続いて1900年6月にグリオン Gryon までのアプト式ラック区間が、翌1901年6月にヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon(以下、ヴィラール)までの山上軌道区間が、少し遅れて1906年8月にシュジエール Chesières までの軌道延伸線が、それぞれ追加開業した。

鉄道は、経由地の名を取って、ベー=グリオン=ヴィラール=シュジエール鉄道 Chemin de fer Bex–Gryon–Villars–Chesières (BGVC) と称した。延長13.8km、起点のベーと最高地点ヴィラールとの標高差は841mあり、中間部にあるラック区間の最急勾配は200‰とかなり険しい。

鉄道の到達により、とりわけヴィラールは新たに高原の避暑地として脚光を浴びたが、対照的に山麓の保養地ベーの人気は衰えていく。塩鉱は操業を続けたものの往時の勢いはなく、グラントテルも利用が低迷して、1970年代には閉館に追い込まれた。

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初期のラック電気機関車He 2/2形2号機、1899年製
ブロネー=シャンビー保存鉄道蔵
 

一方、現路線の最終区間、ヴィラール~コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye 間は、上記路線とは生い立ちが異なる。1913年12月に、ヴィラール=ブルテー鉄道 Chemin de fer Villars–Bretaye (VB) によって途中のブクタン Bouquetins まで開業した。別会社になったのは、起点ヴィラールを除けば沿線に集落がなく、冬はスキー、夏はゴルフやハイキングの客を運ぶ純粋な観光登山鉄道だったからだ。

コル・ド・ブルテーへの延伸は、第一次世界大戦による観光業不振の影響で遅れ、1937年12月にようやく実現した。こちらは延長4.7kmの全線にアプト式ラックレールが敷かれ、標高差は556m、最大勾配は170‰だ。

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コル・ド・ブルテー駅付近を行くBDeh 4/4と付随車
 

両社は1942年に合併して、ベー=ヴィラール=ブルテー鉄道 Chemin de fer Bex–Villars–Bretaye になったが、運行系統は相変わらずヴィラールで分断され、時刻表番号も運賃体系も長らく別々だった(下注)。時刻表の一本化が実現したのは2021年からだ。とはいえ、直通運転はまだ一部の列車に限られ、多くの場合、従来どおりの乗換えが必要だ。

*注 旧来の時刻表番号は127:ベー~ヴィラール、128:ヴィラール~コル・ド・ブルテー。加えて、129としてベー~ベヴュー間を走るトラム Tramway local が別建てで掲載されていた。一本化後の時刻表番号は127。

なお、本線の末端区間だったヴィラール~シュジエール間は1963年に廃止されている。このエリアはオロン Ollon 村(下注)の域内で、もともとベーよりオロンとの結びつきが強い。エーグルからオロン、シュジエール経由でヴィラールまでバス路線が通じると、たちまち利用者が移行し、路面軌道が道路交通の障害ともみなされて、あえなく廃線になった。

*注 オロンはエーグルとベーの間にある自治体で、シャンペリー線の駅がある。ちなみにヴィラールの正式名、ヴィラール・シュル・オロン Villars sur Ollon は、オロンの上にあるヴィラールを意味する。

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(左)山上の粘着式区間(グリオン~ヴィラール)用のトラム Be 2/3形15号は健在
(右)旧塗装の時代(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

エーグルに滞在中、ベー=ヴィラール=ブルテー線を乗りに出かけた。この路線を訪れるのは1984年以来だ。

CFFベー駅前は、昔の記憶とさほど変わっていなかった。造りは、TPCの新ターミナルが完成する前のエーグル駅前に似ている。CFF線と並行する形に敷かれた線路が、駅舎の正面で急カーブして、山手の旧市街へと延びる。当時はヴィラールへ行く電車のほかに、ベー~ベヴュー間だけを往復するトラムも運行されていたので、この並行線路に何両かが待機していたと思う。

それとは別に駅舎の前から直進する線路があり、カーブし終わった本線に合流している。列車本数が減少した今は、もっぱらこの線路に定期列車が発着する。運行は日中1時間ごとで、ヴィラールまでの所要時間は38分(逆方向は44分)だ。

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(左)CFFベー駅前
(右)線路の南端は旧 貨物ホームへ延びる
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ベー周辺の1:25000地形図
坂下のベヴューまでは道端・路面軌道区間が続く
© 2025 swisstopo
 

折返し10時02分発となる電車が、駅前に入線してきた。2両連結のラック・粘着式併用電車Beh 4/8だ。2001年の就役で、ディアブルレ線で乗ったもの(もとシャンペリー線の旧型車両)と同型になる。ただし、車長はそれより短く、200‰の急勾配に対応する制動装置など詳細は一部異なるらしい。

乗車したのは10人ほどだった。電車はまず、駅前通り Avenue de la Gare に沿う道端軌道でまっすぐ東へ500m進む。右に折れると併用軌道になり、400m先にあるベー教会 Temple de Bex の前で、旧市街の中心部に吸い込まれる。

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駅前に接近する電車
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折返しの発車を待つ
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(左)部分低床のBeh 4/8
(右)車内、運転台側は高床
 

教会前からプラス・デュ・マルシェ Place du Marché までの200m区間は、道幅が最も狭い運行上の難所だ。両側に歩道が切られているので、車道は2車線分に足りず、電車が来たらクルマは対向不能だ。にもかかわらず一方通行ではなく、しかも屈曲していて見通しが悪い。

前面車窓を記録した動画を見ると、通り抜けるクルマは慣れているのか、かなり強引だ。電車が近づいているのに狭い街路にかまわず突っ込んできて、歩道に乗り上げながらかわしていく。電車のほうも、この区間では最徐行するとはいえ、鋭い汽笛をピッと鳴らす程度で、いちいち停止したりはしない。

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(左)駅前通りの道端軌道
(右)教会前から始まる狭い街路
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見通しの悪い街路を通り抜ける電車
 

プラス・デュ・マルシェ(下注)は、市の立つ広場のことで、町の中心になる。停留所もバス停のような屋根がつき、券売機が備わる。広場から先の通りはクルマが対向できる道幅になるが、片側を線路が占めているので、広場に入ってくるクルマが電車と正面で向き合うことに変わりはない。

*注 ドイツ語ではマルクトプラッツ Marktplatz、英語ではマーケットプレイス Marketplace。

まもなくアヴァンソン川 L'Avançon 沿いに出て、ポン・ヌフ(新橋)Pont-Neuf でそれを渡る。市街地は次のグラン・ムーラン Grand-Moulin 停留所の手前までで、1.5km続いたスリル満点の路面軌道も、心落ち着く道端軌道に変わる。

郊外の谷の中を進んでいくと、やがて右側に平屋の長い建物が現れ、続いて数本の線路が見えてきた。運行の拠点ベヴュー Bévieux の車両基地だ。8線収容の立派な車庫で、山側から出入りするようになっている。

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(左)プラス・デュ・マルシェ停留所
(右)広場を後にする電車
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ベヴュー車両基地
 

ここからはいよいよラックレール区間に入る。牧草地に覆われた斜面をなぞるように上るが、序盤の勾配はまだ抑制的だ。アヴァンソン川をトラスの鉄橋で再び渡るとき、右側に鉄道と同時期に造られ、初期の電力を供給した水力発電所の建物が見える。

対岸に移るや、200‰の勾配標が左手をかすめた。車窓に映る景色の角度が増し、電車は森の間をぐいぐいと上っていく。待避線のあるフォンタナ・スーラ Fontannaz-Seulaz 停留所を通過。左に半回転しながらトンネルを抜けると、左側の車窓がにわかに開けた。眼下のローヌ谷にモンテー Monthey やベーの町が広がり、正面にはダン・デュ・ミディ Dents du Midi を頂点とする巨大な山塊が居座る。

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(左)鉄橋の横の建物は水力発電所
(右)フォンタナ・スーラ停留所を通過
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ローヌ谷とダン・デュ・ミディ(左の高峰)のパノラマ
右端にモンテー、中央にベーの町が見える
 

今度は右に半回転し、グリオン・シャルメリー Gryon-Chalméry 停留所を過ぎたところでラックレールは終わる。盾のようにそびえる標高3052mの岩峰グラン・ミュヴラン Grand Muveran を右前に仰ぎながら進めば、まもなくグリオン Gryon 駅の構内だ。

グリオンからは再び路面・道端軌道に戻るのだが、訪れたときは、ヴィラールとの間が改良工事のためにバス代行になっていた。そのため、乗客はぞろぞろと路面に降りて、木造駅舎の前に直列停車しているバスに乗り込む。

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谷奥にグラン・ミュヴラン山のシルエットが
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(左)グリオン到着
(右)ホームで代行バスに乗継ぎ
 

工事現場はグリオンヌ川 La Gryonne の谷の南斜面で、山襞を縫う急カーブ区間をショートカットするための高架橋を目下建設中だ。もともと道路と線路が並走しているので、完成すれば両者そろって移設される。

現場を通過していく仮設道路がおもしろい。道路が封鎖されているので、隣を走る線路敷にアスファルトを詰めて、片側交互通行でクルマを通している。その間に高架橋の取付け部を一気に造ってしまうのだろう。バスもこの道路化された軌道の上を走るので、例えるなら廃線跡のBRTのようなものだ。

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ヴィラール・シュル・オロン駅1番線
列車の代わりにバスが発着

バスに乗継いだにもかかわらず、ヴィラール・シュル・オロンには定時の10時40分に問題なく到着した。リクエストストップでの客扱いに要する時間差を吸収するため、拠点駅の停車時間にはいくぶん余裕を持たせてあるようだ。

ヴィラール駅の構内は三角線になっている。その外側(1番線側)には昔から、バスターミナルを兼ねるシャレー様式の大きな駅舎があるが、三角線の内側にもモダンなガラス張りの建物が建った。ヴィラール~コル・ド・ブルテー間(以下、ブルテー線)のための駅舎だ。

先述のように、ブルテー線は2021年まで、観光登山鉄道として別路線の扱いだった。各種パス(下注)の利用者もこの区間はフリーではなく、駅の窓口で50%引のチケットを購入する必要があった。そのため、ホームの前にターンスタイル式の改札機が設置されていたのだが、一般路線化により運用停止となり、脇の通路から自由にホームに出入りできる。

*注 国内居住者用のゲネラル・アボ General-Abo、インバウンド旅行者用のスイストラベルパス Swiss Travel Pass など。

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(左)三角線の中にブルテー線の駅舎
(右)運用停止された改札機
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ヴィラール・シュル・オロン周辺の1:25000地形図
(左)シュジエール終点の時代(1961年版)
(右)現在(2020年版)
© 2025 swisstopo
 

ブルテー線の繁忙期は、道路が閉鎖される冬の間だ。押し寄せるスキー客をさばくために、おおむね15分間隔でピストン運転が実施される。方や夏季の利用者はその比ではないが、それでも30分間隔と列車頻度は高い。終点までの所要時間は18分(逆方向は22分)だ。

乗った10時50分発の電車は3両編成だった。電動車 BDeh 4/4形82号の後ろに、付随客車が2両続いている。動力車が坂上側につくのは例外的だ。BDeh 4/4形は1977年製とけっこうご老体だが、工事で孤立した登山線で、夏場の運行を一手に引き受けているのが頼もしい。

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(左)BDeh 4/4形82号
(右)簡素な車内
 

ブルテー線は全線ラックレールなので、動き出した瞬間から、あのゴロゴロと唸るような特有の騒音が聞こえてくる。ヴィラール駅が手狭なため、次のロシュ・グリーズ Roches Grises 停留所との間は複線化されている。

まもなく電車は市街地を抜けて、西斜面の上りにかかった。170‰の勾配標識とヴィラールの家並みを見送り、コル・ド・スー Col-de-Soud 停留所付近で東斜面に出ると、遠くに見覚えのあるグラン・ミュヴラン Grand Muveran のシルエットが浮かんでいる。

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(左)次駅までは複線
(右)コル・ド・スー停留所から見えるグラン・ミュヴラン
 

右手に、高原を開いた雄大なゴルフコースとレ・ディアブルレ Les Diablerets の山塊を見渡しながら、さらに上っていく。初期の終点だったブクタン Bouquetins 停留所に停車。南北の尾根筋に位置しているので、西側の景色もちらと見える。最後の急坂を上りきり、標高2113mのグラン・シャモセール Grand Chamossaire へ行くスキーリフトの下をくぐると、終点コル・ド・ブルテー Col-de-Bretaye だ。

11時08分、定刻に到着した。頭端式、3面2線の駅はまさに峠の上に載っていて、高度は1808m、いうまでもなくTPCの4路線では最高地点となる。

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高原のゴルフ場、背後にレ・ディアブルレの山塊
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ブクタンから上る最後の急坂
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(左)終点コル・ド・ブルテー
(右)シェッドの中は待合室と旧 改札
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コル・ド・ブルテー周辺の1:25000地形図
中央にブルテー湖 Lac de Bretaye
© 2025 swisstopo
 

電車は7分後にヴィラールへ戻っていくが、急ぐ旅でもないので、周辺を散策しようと思う。地形図によれば峠の北側に、氷河地形のカール(圏谷)があり、お椀の底に湛水したブルテー湖 Lac de Bretaye とそれを巡る小道が描かれている。

北へ向かって歩き出すと、点在する伝統様式の農家の先に、湖を周る細い踏み分け道が続いていた。周りには白や黄色の高山植物が咲き乱れ、背後の牧場からコンコンとカウベルがのどかに鳴り響く。小道はさざ波立つ湖の岸辺に沿いながらも、山側では圏谷を眺め下ろせる高みに達していた。登山電車の駅からわずか数百mしか離れていないのに、このような爽快な山岳風景に出会えるとは想像以上だった。

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グラン・シャモセール山腹のカール地形とブルテー湖
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反対側の湖岸から見るブルテー峠
 

■参考サイト
シャブレー公共交通 https://tpc.ch/

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

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 シャブレーの鉄道群-エーグル=セペー=ディアブルレ線
 シャブレーの鉄道群-エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線
 ヴェルティックアルプ・エモッソン(エモッソン湖観光鉄道)

2025年8月13日 (水)

シャブレーの鉄道群-エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線

シャブレー公共交通エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線
TPC Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry (AOMC)

エーグル Aigle ~モンテー・ヴィル Monthey-Ville ~シャンペリー Champéry 間23.42km
1000mm軌間、直流1500V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配135‰
1907~1909年開通
1976年 モンテー・ヴィル Monthey-Ville ~モンテー国鉄駅 Monthey CFF 間廃止
1991年 シャンペリー終点延伸

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シャンペリー駅で発車を待つ連節電車

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エーグル Aigle 駅に集まるシャブレー公共交通 Transports Publics du Chablais (TPC) のメーターゲージ3路線の中で、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle–Ollon–Monthey–Champéry(略称AOMC、以下、シャンペリー線)は唯一、ローヌ川 Le Rhône を越えて西へ向かう。川筋には州境が通っているので、列車は、ヴォー州 Canton de Vaud から隣のヴァレー州 Canton du Valais(ドイツ語ではヴァリス州 Kanton Wallis)に足を踏み入れる。

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シャブレー公共交通の鉄道路線網
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エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

全長23.42kmとTPC最長のこの路線は、異なる性格をもつ二つの鉄道会社が合併して成立した。

一つは、1907年に開業したエーグル=オロン=モンテー鉄道 Chemin de fer Aigle–Ollon–Monthey (AOM) だ。エーグルからローヌ川の谷底平野を横断して、モンテー Monthey の旧市街、プラス・デュ・マルシェ Place du Marché に通じ、ローヌ谷の東西を結ぶ短絡ルートを形成した。

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旧 鉄道2社の観光ポスター(1909年)
Photo from SBB Historic. License: CC0 1.0
 

もう一つは、1908年に開業したモンテー=シャンペリー=モルジャン鉄道 Chemin de fer Monthey–Champéry–Morgins (MCM) だ。モンテーからイリエ谷 Val d'Illiez を遡って、シャンペリー Champéry に通じている。起終点の標高差が約620mにもなるため、3か所のラックレール区間を介しながら上っていく山岳路線だ。翌1909年には、市内区間を延伸して、起点をCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)のモンテー駅前に移している。ちなみに鉄道名の末尾にあるモルジャン Morgins というのは当時人気の高かった鉱泉が湧く保養地の名で、支線を延ばす計画だったが、実現しなかった。

前者がおおむね平坦な土地を走る(以下、谷線)のに対し、後者は実質的に登山鉄道(同 山線)だが、1946年に合併して以来、一本の路線として扱われている(下注)。

*注 TPCに集約される以前の名称は、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー鉄道 Chemin de fer Aigle–Ollon–Monthey–Champéry。

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延伸前の旧シャンペリー駅構内(1980年ごろ)
Photo by Hans-Rudolf Berner at SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0

エーグルのTPC線ターミナルでシャンペリー線の電車が発着するのは、駅前広場から見て右寄り、CFF線と隣り合う11・12番線だ。

3線の仕様共通化の一環でシャンペリー線では、2016年から架線電圧が1500Vに昇圧され、ラックレールがシュトループ式からアプト式に変更された。運用車両もこれに対応できるよう、シュタッドラー・レール社製GTWシリーズの新車Beh 2/6形に置き換えられた。中間に駆動ユニットを挟んだ連節電車で、7編成が就役し、541~547の車番が付されている。以来、エーグル~モンテー間の平坦線だけを往復する列車を含め、このラック・粘着式併用電車が全運行を担うようになった。

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エーグルのTPC線ターミナル
左の電車がシャンペリー線のBeh 2/6形
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(左)部分低床のBeh 2/6形車内
(右)中間の駆動ユニット
 

エーグルの新ターミナルが整備されたのは2006~2007年のことだが、このとき、周辺のシャンペリー線のルートも大きく変わっている。

以前は、駅前広場を出ると約1.4kmの間、オロン街道 Route d'Ollon に敷かれた路面/道端軌道を走っていた。しかし、その位置からでは新ターミナルに入れないため、CFF線沿いに直進する専用軌道が建設され、2006年にルートが移設された(下図参照)。

旧線時代は、エーグルを出てすぐの十字路でディアブルレ線(下注)と平面交差するのが見どころの一つだった。ディアブルレ線はもとのままだが、ダイヤモンドクロッシングは撤去され、もはや跡形もない。

*注 正式名称はエーグル=セぺー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets (ASD)、前回の記事参照。

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(左)ディアブルレ線との平面交差(1984年撮影)
(右)シャンペリー線が撤去された現在
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エーグル周辺の1:25000地形図
(左)オロン街道に沿うシャンペリー線
  青で示したディアブルレ線とは平面交差(2004年版)
(右)CFF線沿いに移設後(2016年版)
© 2025 swisstopo
 

この日、エーグルを13時55分に発車する電車に乗った。シャンペリー線は日中、エーグル~モンテー間で30分(土休日は60分)間隔、その先シャンペリーへは60分間隔で運行されている。全線の所要時間はシャンペリー方面が55~66分、エーグル方面が57~61分だ。

隣を並走していたCFFの線路が遠ざかると、2001年に完成したアン・シャレー車両基地 Dépôt en Châlex の前を通過する。ここはエーグルを起点とする3路線の列車の整備拠点になっていて、ヤードには、各線で定期運用から外された旧型車両の姿も確認できた。

次いで電車は、路線名にも含まれるオロン Ollon の村に入っていく。村の中心部は山裾を埋めた扇状地の扇頂近くに立地しているため、オロン駅の標高は468mと、周囲の平地より70m以上高い。それで駅の前後は急な坂道になっていて、勾配値は平坦線では例外的な62~65‰だ。

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アン・シャレー車両基地
CFF線の列車内から撮影
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扇状地に立地するオロンの村
 

オロンの扇状地を降りると、いよいよローヌ谷の横断にかかる。この区間はほぼ直線で、畑地が広がる谷底平野や、スイス・シャブレーを代表する秀峰、ダン・デュ・ミディ Dents du Midi を眺めながら行く景勝区間だ。右手から州道145号コロンベー街道 Route de Collombey が接近してきて、道端軌道のようになる。CFFシンプロン線の複線線路、高速道路A9号を相次いでオーバークロスし、白濁したローヌの川面を渡った。田園風景の右岸に対し、左岸のヴァレー州側は工場や住宅が目に付く。モンテー周辺はスイス屈指の化学工業地区になっている。

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ローヌ谷からダン・デュ・ミディの眺め
サン・トリフォン・ヴィラージュ St-Triphon-Village 付近で撮影
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(左)ローヌ谷に広がる畑地
(右)ローヌ川を渡る
 

東から西へ4km以上続いた平野横断を終えると、突き当りのラウンドアバウトで針路が南に変わる。まだ道端軌道は続くが、初めのうちは道路との境界がないので併用軌道というのが正確かもしれない。

モンテー・アン・プラス Monthey-En Place 停留所の手前で、シャンペリー方面からの線路が道路を渡って合流してくるのが見えた(下注)。まもなく列車は一つ東の脇道に移動して、中間の主要駅モンテー・ヴィル Monthey-Ville(ヴィルは町の意)の頭端式ホームに滑り込む。

*注 アン・プラス停留所の乗り場はかつて谷線、山線別々だったが、ヴィル駅方に移設統合された。

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モンテー・アン・プラス停留所付近
谷線と山線(手前)が合流
 

谷線(旧 エーグル=オロン=モンテー鉄道)の終点は当初、ここから200m南下した旧市街のプラス・デュ・マルシェ Place du Marché(下注)にあった。しかし狭い街路を通過していたため、1921年という早い時期に廃止され、山線(旧 モンテー=シャンペリー=モルジャン鉄道)の拠点駅だった旧ヴィル駅に統合された。

*注 プラス・デュ・マルシェは市の立つ広場の意で、町の中心。ドイツ語ではマルクトプラッツ Marktplatz。

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頭端式ホームのモンテー・ヴィル駅
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モンテー・ヴィル駅の出入口
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モンテー周辺の1:25000地形図
(左)中心街とCFF駅前に線路が延びる(1932年版)
(中)中心街区間廃止後(1974年版)
(右)ヴィル駅も後退移設(2024年版)
© 2025 swisstopo
 

この旧ヴィル駅があったのは現駅の南東100mで、今はテアトル(劇場)通り Avenue du Théâtre とその付随広場になっている。1909年に線路はさらに500m延ばされ、CFFモンテー駅前に達していた。しかしその後、路線は段階的に短縮される。旧ヴィル~CFF駅間が1976年に廃止となり、ヴィル駅も都市計画に従い、1986年に現位置まで後退した。

ちなみに、2030年の完成を目標に、現ヴィル駅と市内の道端軌道区間を廃止し、線路を大規模に移設する計画が進められている。準備工事はすでに着手されていて、数年後にはCFFモンテー駅が、CFF線とシャンペリー線の共同駅に生まれ変わる予定だ。

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旧モンテー・ヴィル駅跡の道路と公園

乗ってきた電車はモンテー・ヴィル駅止まりの区間便だった。それで、これがエーグルに戻っていくシーンを撮った後、次の14時51分発の電車で改めてシャンペリーへと向かった。

電車はもと来た道をアン・プラス停留所まで戻ってから、左へ分岐する。さらに左へ急カーブを切りながら、2.3km続く最初のラック区間に突入した。最大勾配135‰で町の西側の山腹をじりじりと上っていくのだが、ラックレールの威力は絶大で、谷底を埋めるモンテーの市街地がみるみる沈んでいく。

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(左)谷線・山線分岐点
(右)ラック区間の起点を示す C(crémaillère(ラック)の頭字)標識が立つ
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眼下に沈むモンテーの市街地
 

列車は次第にイリエ谷へと入り込み、氷蝕谷の上部に残された緩傾斜地形、いわゆる谷の肩に沿って奥へ進む。緩傾斜といっても谷底を切り裂く断崖と比較してのことで、場所によってはなだれ落ちそうな斜面に大屋根の民家がへばりついている。

ラックレールはシュメ Chemex 駅の手前でいったん終わり、最大50‰の粘着区間になった。リクエストストップのルート・ド・モルジャン(モルジャン街道)Route de Morgins 停留所を通過(下注)。谷側に張り出す新しい高架橋で同名の道路を跨ぎ越すと、深い支谷を渡って長さ93m、同線唯一のトンネルをくぐる。

*注 2024年現在、モンテー・アン・プラス、トロワトラン、ヴァル・ディリエの3駅以外はすべてリクエストストップになっている。

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(左)イリエ谷を奥へ進む
(右)ルート・ド・モルジャンの高架橋
 

トロワトラン Troistorrents 駅は同名の村の代表駅で、計画どおりならモルジャン方面への分岐駅になっていたはずだ。モンテーから16分で、すでに標高770mに達している。

またしばらく緩やかな斜面を行く。延長約600mの第2ラック区間を上りきると、次の停車駅ヴァル・ディリエ Val-d'Illiez だ。谷底も上昇してきたようで、ヴィエーズ川 La Vièze の流れが木々の間からちらちらと見える。しかし、あいにく天気は下り坂で、いよいよ谷間に霧が降りてきた。晴れていればこのあたりで、ダン・デュ・ミディの印象的な鋸歯が姿を現すのだが、上方はすっかり雲に覆われている。

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(左)トロワトランの駅名標
(右)谷間を包む霧
 

ラ・クール La Cour 停留所を過ぎると、地形は急に険しさを増す。大きく迂回し、斜面にへばりつくようにして上る第3のラック区間約700mが最後の見どころだ。終点の一つ手前のシャンペリー・ヴィラージュ Champéry-Village 停留所では数人が降りた。ここはかつての終点(下注)だが、旧 構内は2車線道路の用地になり、その下に造られたギャラリー(覆道)にホームがある。

*注 当時の駅名はシャンペリー Champéry。

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第3ラック区間から下流側を望む
左隅に続きの線路が見える(復路で撮影)
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シャンペリー周辺の1:25000地形図
(左)村の北東にあった旧シャンペリー駅(1986年版)
(右)延伸でロープウェー駅に直結(2018年版)
© 2025 swisstopo
 

電車はこの道路に沿ってなおも走り、15時24分、終点シャンペリー Champéry 駅に到着した。標高は大台を超えて1035mになる(下注)。

*注 ちなみに路線で最も標高が高いのはシャンペリー・ヴィラージュで、標高1043m。

イリエ谷の町や村は、スイスとフランスにまたがるウィンタースポーツのメッカ、ポルト・デュ・ソレイユ Portes du Soleil の玄関口だ。シャンペリーも例外ではなく、1990年に完成した延長840mの路線延伸は、とりわけ冬期の訪問客の利便性を高めるのがねらいだった。それで駅は、標高1962mのクロワ・ド・キュレ Croix de Culet に上るロープウェー(下注)の山麓駅に直結されている。

*注 シャンペリー=クロワ・ド・キュレ ロープウェー Téléphérique Champéry–Croix de Culet またはシャンペリー=プラーナショー ロープウェー Téléphérique Champéry–Planachaux と呼ばれる。

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シャンペリー駅に到着
左の建物がロープウェーの山麓駅
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(左)シャンペリー駅出札所
(右)ロープウェーの発着ホーム
 

しかし、なにぶん訪れたのは夏で、天気が冴えないこともあって、ロープウェーの乗り場は閑散としていた。ついに降り出した大粒の雨を、とりあえず駅の軒先でしのぐ。伝統家屋が軒を連ねるシャンペリーの中心地区も山手へ歩いて5分ほどだが、雨具を広げて巡るか、諦めて直近の電車に乗って帰るか、ここは思案のしどころだ。

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雨模様のシャンペリー駅前
遠景の岩峰はレ・ダン・ブランシュ Les Dents Blanches
 

次回は、ベー=ヴィラール=ブルテー線を訪ねる。

■参考サイト
シャブレー公共交通 https://tpc.ch/
AOMC2030(モンテー周辺の線路改良計画)https://www.aomc2030.ch/

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 ヴェルティックアルプ・エモッソン(エモッソン湖観光鉄道)

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