軽便鉄道

2021年11月24日 (水)

ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

ラーデボイル・オスト Radebeul Ost ~ラーデブルク Radeburg 間 16.490km
軌間750mm、非電化
1884年開通

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ディッペルスドルフ池の築堤を渡る蒸気列車

ドレスデン中央駅 Dresden Hbf からマイセン Meißen 方面のSバーン(近郊列車)で15分、ラーデボイル・オスト(東)Radebeul Ost 駅に降り立つと、右隣に、時間を何十年か逆戻ししたような懐かしい光景が広がる。ここを起点にしている狭軌保存鉄道、レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn の乗り場とその構内だ。

Sバーンのホームが現代的な造りなので、よけいにそう感じるのかもしれない。年季の入った蒸気機関車や客車や貨車がぎっしり留め置かれ、発車時刻が近づくと、ホームに行楽の装いをした人がばらばらと集まってくる。

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ラーデボイル・オスト駅の狭軌線構内(2019年)
Photo by Kevin.B at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
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鉄道は、正式名をラーデボイル・オスト=ラーデブルク狭軌鉄道 Schmalspurbahn Radebeul Ost–Radeburg という。蒸気列車が古典客車を牽いて、ドレスデン Dresden 北郊の、森や牧草地や水辺のある田園風景の中を走り抜ける路線だ。大都市に近く、かつ沿線にワインの里や美しい離宮といったザクセン有数の観光地が点在することから、つとに人気が高い。

今回は、ザクセンの狭軌鉄道のなかでもよく知られたこの路線を旅してみたい。なお、レースニッツグルント鉄道という名称は、マーケティング用に1998年に使われ始めたもので、歴史的には新しいが、本稿では過去に関する記述も含めてこの名称を用いる。

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ラーデボイル~ラーデブルク間の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まずは鉄道の歴史から。

ドレスデンの北20kmの田舎町ラーデブルク Radeburg に、それまでの郵便馬車に代わってこの狭軌鉄道が開通したのは、1884年9月のことだ。以前から町は、標準軌鉄道計画の経由地にも何度か挙げられていたものの、どれも実現には至らなかった。それだけに、列車を迎える町民の感激はひとしおだったはずだ。当初、混合列車が1日3往復設定され、全線を90分かけて走破した。

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帝国時代のラーデボイル・オスト駅(1914年)
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

20世紀に入ると、町に別の標準軌線の計画が持ち上がる。レーバウ Löbau ~リーザ Riesa 間を結ぼうとしたザクセン北東鉄道 Sächsische Nordostbahn で、1920年から実際に工事が始まった。設けられる新駅は町の北側だったので、ラーデブルク・ノルト Radeburg Nord、すなわち北駅と呼ばれた。

これに伴い、町の南に駅のある狭軌鉄道もそこへ接続するために、2.1km延伸されることになった。延伸線は1922年、標準軌線の工事列車を通すために、一足先に暫定開通している。だが、第一次世界大戦後の物価高騰がたたって、標準軌線の建設は1927年に中止となり、狭軌延伸線も正式開業されることなく、連絡鉄道になる夢はついえた(下注)。

*注 延伸線の廃線跡は、その後の土地区画整理やアウトバーン建設によりほぼ消失している。

第二次大戦後の東ドイツ時代には、本線自体も廃止の危機にさらされた。1964年に国が、今後10年間で国内のすべての狭軌鉄道を閉鎖するという決定を下したからだ。この影響で、保守作業は最小限となり、現場の人員も削減された。しかし、並行道路が未整備であることを理由に、レースニッツグルント鉄道の執行は後回しにされた。

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マイセン通りを横断する蒸気列車(1989年)
Photo by Felix O at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

そうこうするうちに、狭軌鉄道を観光資源として活用しようとする動きが現れる。1973年に国は、沿線に行楽地などをもつ特定の路線を選定して、長期的に維持することを決定するが、その中にレースニッツグルント鉄道も含まれていた。ちなみに、このとき選定されたザクセン州の路線には他に、フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn、ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn、ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn がある。

1974年には日常輸送の傍ら、愛好家のグループによって、古典機関車を使った初めての保存運行が行われた。この「伝統列車 Traditionszug」運行(下注)は、東ドイツで最初の試みで、その後も定期的に実施されていった。グループは、1990年に非営利団体「ラーデボイル伝統鉄道協会 Traditionsbahn Radebeul e. V.」を組織する。

*注 東ドイツでは旧型車両による運行を表現するのに、「Museum(ムゼーウム)」ではなく「Tradition(トラディツィオーン)」の語が好んで用いられた。今でも「Traditionszug(伝統列車)」「Traditionsbahn(伝統鉄道)」という言い方が残る。

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ベルンスドルフ付近を走る伝統列車(2016年)
Photo by Traditionsbahn Radebeul at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1989年の国家体制崩壊は、小さな狭軌鉄道にも多大な影響をもたらした。ラーデブルクの建材工場やガラス工場など主要顧客をあらかた失い、貨物輸送は1993年に全廃された。そのうえ、民営化で誕生したDB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌鉄道を整理する方針で、残る旅客輸送の中止も視野に置いていた。

しかし1998年に、地域の公共交通を一元的に管理するオーバーエルベ運輸連合 Verkehrsverbund Oberelbe (VVO) が財政的な保証を行ったことで、ひとまず運行は継続される。その後、鉄道の管理は2001年からDBの子会社に引き継がれ、最終的に2004年、BVO鉄道有限会社 BVO Bahn GmbHに移管された。

BVOはもともとフィヒテルベルク鉄道の運営のために設立された会社で、ヴァイセリッツタール鉄道と合わせて、この地域にある3本の蒸機保存鉄道を引き受けることになった。同社は2007年にザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) と改称されて、現在に至る。

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運営会社と鉄道のロゴ
GRUND(谷底の意)に合わせて文字列もへこむ

では、冒頭のラーデボイル・オスト駅に戻ろう。

とりあえず狭軌鉄道の切符を買いたいところだが、この駅には出札窓口がない。駅舎はSバーンのホームから見て狭軌駅の左奥に建っているのだが、もはや鉄道業務は行われておらず、地域のイベントホールや図書館、生涯学習施設に転用されてしまっている。そのため切符は、車内に巡回してくる車掌から購入することになる。

もっとも、公式サイトによれば、駅舎から150m先のハウプトシュトラーセ(大通り)Hauptstraße 沿いにあるラーデボイル市観光案内所では、乗車券を取り扱っている。その他、ヴァイセス・ロス駅(委託販売所)とモーリッツブルク駅でも購入できる。

運賃は区間制だ。1日乗車券 Tageskarte もあるが、片道および往復乗車券でも当日の途中下車 Unterbrechung が1回限り有効なので、終点まで買っておけば、途中でモーリッツブルク城に立ち寄るといった旅程は可能だ。

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ラーデボイル・オスト駅舎(2013年)
Photo by X-Weinzar at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ラーデボイル・オスト駅の狭軌線ホーム
 

鉄道の運行状況はどうか。

列車は通年運行されており、夏ダイヤの場合、ラーデボイル・オストからモーリッツブルクまで1日7本の体制だ。その先、ラーデブルクまでは3本に減る。土日は初便のラーデブルク行きが運休のため、それぞれ6本と2本になる。全線の所要時間は54分だ。

使用される蒸気機関車は、1930年前後に製造されたいわゆる「標準機関車 Einheitslokomotive」シリーズの99.73~76形と、1950年代の「新造機関車 Neubaulokomotive」99.77~79形の2形式だ。客車もオープンデッキつきの古典車で、1910~20年代に製造されている(一部は改造車)。また、夏のシーズンには、無蓋貨車を改造した展望車 Aussichtswagen が連結される。

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(左)「標準機関車」99 1761機
  モーリッツブルク駅にて(2020年)
Photo by Manfred Schröter, Berga at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)「新造機関車」99 1777機
  ラーデボイル市街にて
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(左)客車内部
(右)展望車(2009年)
Photo by Jörg Blobelt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このように定期列車でも十分ヴィンテージものだが、さらに年に数日、特別列車が走る。ラーデボイル伝統鉄道協会が所有する1900~20年代の旧型蒸機、ザクセンIV K形(下注)が先頭に立つ「伝統列車」で、運賃も別建てになっている。

*注 IV は「第4」で開発順を示し、Kは「クラインシュプーア Kleinspur」すなわち小軌間(狭軌)を意味する。IV K でフィーア カーと読む。

なお、ラーデボイル・オスト駅構内の旧 貨物扱所 Güterboden は、狭軌鉄道博物館として協会所有の静態保存車両や資料を展示していたが、惜しくも2018年に閉館となった。

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ザクセンIV K形蒸機
ヴァイセリッツタール鉄道フライタール・ハインスベルク駅にて
(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、鉄道の名になっているレースニッツグルントとは何か。確かにその名の停留所はあるものの、森の谷間で、周りに住宅が数軒あるだけなのだが…。

まず、レースニッツ Lößnitz だが、これはラーデボイルの北に連なる断層崖の周辺を指す地名だ。そして何より、ザクセンの人々にとってはおいしいワインを連想させる。この急崖は水はけのいい南向きの斜面で、エルベ川の影響を受けて気候も温和だ。そのため、ブドウ栽培の適地になっていて、周辺にワイナリーが点在する。

次に、グルント Grund は英語の ground に相当し、ここでは谷底を意味する。レースニッツグルントは、すなわちレースニッツ地域で最も深い谷の名で、鉄道はそこを通って台地へ上っていくのだ。

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レースニッツのブドウ畑の景観
左の建物は歴史的ワイナリーのホーフレースニッツ Hoflößnitz、
遠方の丘の中央はビスマルク塔 Bismarckturm、
その右にシュピッツハウス Spitzhaus
 

もっとも、地元では昔から狭軌鉄道(およびその列車)に対する別の呼び名がある。「レースニッツダッケル Lößnitzdackel」、略して「ダッケル Dackel」というのがそれだ。ダッケルはドイツ原産の猟犬ダックスフントのことだが、のろまという意味もあって、ずんぐりした形の客車を連ねて、のろのろと走る列車の姿をうまく捉えている。とはいえ、観光列車をマーケティングするのに、さすがにこれは使いにくかったのだろう。

さて、発車時刻になった。列車は西向きに出発する。最初、標準軌線と並走するが、S字カーブで道路を渡ると、次は緑の多い住宅街の街路に沿って進んでいく。

ほどなく減速し、カンカンと警報器の音が鳴り響くなか、広いマイセン通り Meißner Straße を斜めに横断した。通りの中央には、ドレスデン市電4号線の併用軌道が敷かれており、タイミングがよければ、狭軌列車の通過待ちをする低床トラムを見送れる。

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マイセン通りを斜め横断
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4号線の低床トラムも通過待ち
 

通りの北側には一つ目の駅、ヴァイセス・ロス Weißes Roß がある。ヴァイセス・ロスとは白馬のことで、駅に隣接する1789年築の由緒ある旅館にちなんだ名だ。市電4号線も西側の路上に停留所を置いている(下注)ので、復路ここで乗換えれば、トラムでドレスデン市内に戻ることができる。

*注 停留所名はランデスビューネン・ザクセン(ザクセン州立劇場)Landesbühnen Sachsen。

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(左)ヴァイセス・ロス駅
(右)駅に隣接する白馬旅館(2007年)
Photo by de:User:VincentVanGogh at wikimedia. License: Public Domain
 

ヴァイセス・ロスからは、エルベ谷の段丘面(エルプテラッセ Elbterasse)に広がる閑静な住宅街を縫っていく。右手前方にちらちらと、ブドウ畑に覆われたレースニッツの段丘崖が見えてきた。斜面に刻まれた名物階段、397段のシュピッツハウス階段 Spitzhaustreppe を上りきれば、丘の上から眼下に横たわるエルベ谷が一望になるはずだ。

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名物階段で丘の上の展望台へ
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ビスマルク塔前の展望台から見る
エルベ谷のパノラマ
 

列車はレースニッツグルントの谷間に入っていく。谷川(レースニッツバッハ Lößnitzbach)と絡み合いながら、森の中をくねくねと上っていくと、例のレースニッツグルント停留所がある。今でこそ静かな場所だが、かつては待避線があり、列車交換が行われていた。また、1975年まで隣に「マイエライ行楽食堂 Ausflugsgaststätte Meierei(マイエライは農場、荘園の意)」という人気のレストランが営業していたので、停留所の利用者も多かったという。

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(左)レースニッツグルント停留所
(右)レースニッツグルントの森を行く
 

森を抜けたところで、フリーデヴァルト・バート Friedewald Bad 駅(下注)に停車した。当初は近くの集落の名を取ってディッペルスドルフ Dippelsdorf と称したので、駅舎の壁には旧名が今も残されている。待避線を備えているが、残念ながら定期ダイヤでは列車交換が行われることはない。

*注 同名の駅と区別するために、正式駅名には旧郡名のドレスデン Dresden の語が括弧書きでつく。ただし現在の行政区分はマイセン郡 Landkreis Meißen。

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(左)フリーデヴァルト・バート駅
(右)駅舎には旧名ディッペルスドルフの文字が
 

この後、列車はディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を築堤で横断していく。この築堤は長さが210mあり、車窓風景のハイライトの一つだ。池は先刻、谷間を流れていたレースニッツバッハの源流に当たり、東西1.5km、南北0.5kmの広がりがある。

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ディッペルスドルフ池の築堤を渡る列車
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池の広い水面を二分する築堤
 

牧草地の中を直線的に進んでいくと、やがてモーリッツブルク Moritzburg だ。ここは中間駅どころか、中心駅というほうが適切かもしれない。運行面では、1日の列車本数の半分以上がここを終点にしているし、営業面でも乗降客が集中する。というのも、ザクセンで指折りの美しい城館、モーリッツブルク城 Schloss Moritzburg の最寄り駅だからだ。

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モーリッツブルク駅舎(2015年)
Photo by Dr. Bernd Gross at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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(左)モーリッツブルク駅に上り列車が入線
  上り(ラーデボイル・オスト方面)は機関車が逆向きになる
(右)駅の時刻表
 

城は、狩猟のための別邸として16世紀に築かれたが、18世紀に、ポーランド王でありザクセン選帝侯のアウグスト強健王 August der Starke によって拡張された。バロック様式の明るく優雅な外観はこのとき整えられたものだ。

町から続くシュロスアレー Schloßallee(城に通じる並木道の意)の延長線上で、狩りの城 Jagdschloss は、池の中に浮かぶように建っている。四方に円塔をもつ翼部を備え、どの側から見ても安定感のある造りだ。取り巻く敷地は広大で、北側にはフランス式庭園があり、東側は運河によって2km先の「雉の小城 Fasanenschlösschen」や灯台まで続いている。時間に余裕をもって巡りたい。

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空から見たモーリッツブルク城(2014年)
Photo by Carsten Pietzsch at wikimedia. License: CC0 1.0
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シュロスアレーで池を渡って城内へ
 

さて、列車はモーリッツブルクからさらに北東へ進む。大池 Großteich のほとりを通過するが、森に遮られて湖面はほとんど見えない。ベルンスドルフ Bärnsdorf 地内でS字カーブをしのいだ後は、再び北に針路をとり、牧草地の中を行く。右の車窓で工場の建物が目につくようになれば、ゴールは近い。

ラーデブルクは、側線を含め4本の線路が並ぶターミナルだ。といっても、駅舎は他の駅に比べてみずぼらしく、実際機能していない。最奥部に機関庫が見えるが、もっぱら伝統鉄道協会が使用しているという。

列車は、到着後すぐに機回し作業に移り、15分後には折り返す。1日にわずか2~3便では、町の散策までは難しく、ここまで乗車してきた人も大半はとんぼ返りする。ドレスデン方面へは路線バス(下注)で戻るという代替策もあるのだが、駅前を経由しないルートなので注意が必要だ。

*注 477および478系統。ラーデブルク市街西縁にあるバスセンター Busbahnhof を発着し、中心部のラートハウス(市役所)Rathaus などを経由する。時刻表、路線図は https://www.vvo-online.de/ にある。

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ラーデブルク駅構内(2011年)
Photo by FlügelRad at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ラーデブルク駅
(左)機回し作業を見守る乗客
(右)構内の奥に建つ機関庫
 

次回は、フィヒテルベルク鉄道を訪れる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
レースニッツグルント鉄道 https://www.loessnitzgrundbahn.de/
ラーデボイル伝統鉄道協会 https://www.traditionsbahn-radebeul.de/

★本ブログ内の関連記事
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道

2021年11月 7日 (日)

ザクセンの狭軌鉄道-ムスカウ森林鉄道

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau

ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße ~バート・ムスカウ Bad Muskau
同上 ~クロムラウ Kromlau
同上 ~シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg
計 約20km、軌間600mm、非電化
1895年運行開始、1978年休止、1992年保存運行開業

軌間(線路幅)が600mmというのは、狭軌鉄道のなかでも最も狭い部類に入る(下注)。この軌間の鉄道はドイツでフェルトバーン Feldbahn(Feld は英語の field に相当)と呼ばれ、19世紀後半に鉱工業や林業など産業用の簡易軌道として広まった。フランスで開発され、組み立て式で設置が容易なことから世界的に普及したドコーヴィル軌道も同じ軌間だ。

*注 これより狭い軌間も営業路線として存在するが、ナローゲージ(狭軌)ではなくミニマムゲージ(最小軌)に分類されている。

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ムスカウ森林鉄道の蒸気列車
バート・ムスカウ駅にて(2013年)
Photo by J.-H. Janßen at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
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ザクセン州北東端に位置するバート・ムスカウ Bad Muskau 周辺でも、1895年、大地主だったヘルマン・フォン・アルニム伯爵 Graf Hermann von Arnim が、周辺の森林と鉱物資源を開発するために、これを導入している。彼は、森林を切り開き、褐炭や珪砂の採掘を行い、それらを原料にして製材所、製紙工場、レンガ工場、ガラス工場を操業させており、簡易軌道は原料や完成品の運搬に欠かせないものだった。

ムスカウ森林鉄道 Waldeisenbahn Muskau は、この産業路線が廃止された後、愛好家や地元自治体によって再建された約20kmのルートで運行されている観光鉄道だ。600mm軌間の路線は、ドイツのいくつかの都市で公園鉄道 Parkeisenbahn(下注)として生き残っているが、長いものでも10kmに満たず、規模ではとうていこれに及ばない。

*注 いずれも旧東ドイツのエリアのベルリン Berlin、コトブス Cottbus、プラウエン Plauen、ケムニッツ Chemnitz、ゲルリッツ Görlitz などに見られる。

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(左)仕業前の調整
(右)客車と連結

伯爵が始めた軽便鉄道は、その後どのように展開していったのだろうか。

初めのうち、貨車を牽いていたのは馬だった。1年後にミュンヘンのクラウス Krauss 社から小型の蒸気機関車が届き、運行に供された。工場経営は順調で、わずか数年後には線路も85km以上に拡張されていたという。こうして最盛期には11両の蒸機が稼働する、多忙な路線網になった。しかし、第二次世界大戦の敗戦と連合軍占領により、産業会社は解体される。車両や軌道も、その多くが戦時賠償としてソ連に送られた。

戦後、ザクセンは東ドイツに属し、森林鉄道も1951年からドイツ国営鉄道 DR の管理下に置かれる。東ドイツ政府は、国内産業を再興するために、自給可能なエネルギー資源である褐炭の増産を図った。ムスカウ周辺でも鉱区が大きく拡張されて終夜操業となり、森林鉄道の車両群はフル稼働した。

この状況は1969年まで続いたが、この年、地区最大の鉱山が閉鎖されたことをきっかけに、輸送需要は急速にしぼんでいく。そして1978年3月、ついに森林鉄道は運行を停止した。不要となった機関車はドイツだけでなくヨーロッパ各地に売却され、蒸機99 3317だけが現地で記念碑の台座に据え付けられた。

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ヴァイスヴァッサーで静態展示されていた
蒸機99 3317(1977~90年)
Photo by anonym's grandma at wikimedia. License: Public domain
 

ただしこのとき、長さ約12kmのいわゆる粘土鉄道 Tonbahn だけはまだ使われていた。これは1966年に、東方ミュールローゼ Mühlrose の採掘場からヴァイスヴァッサー Weißwasser のレンガ工場まで、原料の粘土を運ぶために造られた路線だった。

森林鉄道の保存活動は、この残存路線を使って始まった。最初の特別運行が1984年に実行された。当初はレンガ工場の一角を借りて拠点にしていたが、1988年にのちの起点となるヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅が建設される。

1989年の国家解体に伴い、レンガ工場も閉鎖されてしまうが、地元自治体の主導で鉄道への支援は続けられた。旧東独地域に適用された雇用創出プログラムを利用して、路線の再建と車両の復元に必要な予算が確保できたことも幸運だった。

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ヴァイスヴァッサー周辺の地形図に
狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ルートは旧線の路盤を利用しながらも、DB駅に近いヴァイスヴァッサーと地元の観光地を結ぶ目的で新たに計画されている。最初に開通したのは、19世紀の領主が造った景観公園の前まで行くクロムラウ Kromlau 線で、1992年のことだ。小型ディーゼル機関車による運行だったが、鉄道復活を聞いて、愛好家だけでなく、観光客も多数訪れるようになった。

1995年には、蒸機99 3317を動態復活させて、保養地バート・ムスカウに至る2本目の路線が開通する。かつて町の南に駅があった標準軌の旧DR線(下注)は1977年に旅客営業を廃止しており、客を乗せた列車が現れるのは久しぶりだった。

*注 もとは1872年開業の、ヴァイスヴァッサーからトゥプリツェ Tuplice(ドイツ名:トイプリッツ Teuplitz)を経てルブスコ Lubsko(同 ゾンマーフェルト Sommerfeld)に至る路線。第二次大戦後、ナイセ川の国境設定により、運行はバート・ムスカウ止まりになった。2001年に貨物営業も廃止。

2010年には、第3の路線としてミュールローゼの粘土鉄道線を引き継いだ。しかし、露天掘り鉱山の区域拡張でルート変更が必要になり、2017年4月に、シュヴェーラー・ベルク Schwerer Berg に至る3.5kmの新ルートで運行が再開された。

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粘土鉄道線の再開の日(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

ムスカウ森林鉄道の列車が出発するのは、ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ Weißwasser-Teichstraße 駅だ。DB(下注)のヴァイスヴァッサー駅前から、歩道に描かれた蒸機のイラストを頼りに北へ通りを歩いていくと、10分ほどで着く。林に囲まれた広く明るいホームをもつ、軽便線としては立派なターミナルだ。ホームの横で軽食堂も開いている。数本並んだ側線には貨車が多数連なっているが、これも保存車両の一部だ。

*注 現在、列車運行は合弁企業の東ドイツ鉄道 Ostdeutsche Eisenbahn (ODEG) が行っている。ヴァイスヴァッサーは、OE65系統(コトブス Cottbus ~ゲルリッツ Görlitz ~ツィッタウ Zittau)の途中駅。

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ヴァイスヴァッサー・タイヒシュトラーセ駅
 

もともとここには、ヴァイスヴァッサー駅の構内から続く標準軌の貨物専用線があり、北側にあった工場施設へ引き込まれていた。また、それに並行して、もと森林鉄道で、後に粘土鉄道に転用された狭軌線も南西のレンガ工場から出てきて、北へ延びていた。今見るような狭軌鉄道駅は、標準軌の線路が撤去された後に改めて整備されたものだ。レンガ工場の跡地も、森林鉄道の車庫 兼 整備基地として再利用されている。

標準軌線が引き込まれていた北側の工場施設(下注)はしばらく廃墟状態だったが、2001年に博物館駅「アンラーゲ・ミッテ Anlage Mitte(中央施設の意)」として再生された。現在は、車両や各種資料を展示した森林鉄道の博物館と、地域のインフォメーションセンターになっていて、蒸気運行の日に公開される。

*注 東ドイツ時代の地形図では、ガラス工場と製紙(ボール紙製造)工場の注記がある。

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博物館駅「アンラーゲ・ミッテ」
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博物館の展示
(左)所狭しと並ぶ車両群
(右)5号機関車の姿も
 

ここで、森林鉄道の運行状況を押さえておこう。

運行日は4月~10月上旬の週末だが、7月最終週から9月第1週は夏の繁忙期として、週末のほか、火曜、木曜、金曜にも運行される。列車を牽くのは基本的に小型ディーゼル機関車で、2021年のダイヤでは1日3往復設定されている(博物館駅は無停車)。蒸気機関車は、原則毎月第1週の週末に登場する。それを目当てに客も集まるので、1日6往復と頻繁運転だ。

公式サイトで5両挙げられている動態保存機のうち、最古参は1912年ボルジッヒ Borsig 社製の4軸機関車「ディアーナ Diana」、車両番号99 3312だ。1977年に引退した後、ヴァイスヴァッサーで静態展示されていたが、1997~98年にマイニンゲンで改修を受けて現役に復帰している。

一方、99 3315と99 3317の2両は、いわゆる「旅団機関車 Brigadelokomotive」だ。第一次世界大戦中、戦地に敷かれる軍用簡易軌道 Heeresfeldbahn のために大量製造された形式車で、戦後は世界各地の民間鉄道に引き継がれた。よく似たダイヤモンド形の煙突をもち、車両番号もディアーナの続きだが、出自はまったく異なる。

客車にはオープンタイプ(側壁なし)とクローズドタイプがあり、いずれも貨車を改造したものだ。

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鉄道のオリジナル蒸機99 3312
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(左)旅団機関車 99 3315
(右)同 99 3317(2017年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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改造客車はオープン型とクローズド型がある
 

運行ルートは上述のとおり3本に分かれている。東へ行くバート・ムスカウ線は、所要時間が片道30~35分、西へ進むクロムラウ線は20分だ。残るシュヴェーラー・ベルク線は西から南へ回り込む最も長いルートだが、日を限定した特別運行の位置づけで、蒸機による往復3時間のツアーとして実施される。

3つのルートはそれぞれ沿線に見どころがあり、終点の周辺には観光地も有している。順に見ていこう。

バート・ムスカウ線

列車は、博物館駅を出た直後、クロムラウ線を左に分けて、自らは直進する。森の中を少し走った後は、連邦道B 156号(ムスカウ通り Muskauer Straße)の横に出て、2km近く並行する。列車は最高時速でも25kmなので、隣を疾走する車には抜かれっぱなしだ。

やがて線路は、左カーブで道路からそれる。林と畑が交錯する間を行くと、列車交換用の側線をもつクラウシュヴィッツ Klauschwitz 停留所に停車する。すぐ先が、連邦道B 115号の踏切だ。森林鉄道の踏切は、標識があるだけの、日本でいう第四種踏切がほとんどだが、ここはさすがに遮断機が設置されている。ただし、手動式だ。車掌が客車から降りて、操作盤を開け、遮断棒を下ろす。

踏切通過の儀式が終わると、列車は巡航速度に戻る。また森の中に潜り込むが、それも長くは続かず、草野原の中の終点バート・ムスカウに到着する。すぐに機回しが行われて、列車は15分後の復路出発を待つ。

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バート・ムスカウ線
(左)博物館駅に戻ってきた列車
(右)クラウシュヴィッツ停留所で、車掌が踏切閉鎖に向かう
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バート・ムスカウ駅
 

バート・ムスカウには、市街地の東に隣接して、2004年に世界遺産に登録されたムスカウ公園 Muskauer Park(正式名はピュックラー侯爵公園 Fürst-Pückler-Park)がある。ヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵 Hermann Fürst von Pückler-Muskau が1815年から30年かけて作り上げた中欧最大のイギリス式庭園で、総面積は8.3平方キロと広大だ。

ラウジッツァー・ナイセ川 Lausitzer Neiße の広い氾濫原を利用し、森と水辺と人工物が古典主義の風景画のように配置されていて、その中心に、薔薇色の壁が印象的なネオルネッサンス様式のムスカウ宮殿 Schloss Muskau(新宮殿 Neues Schloss)がある。

第二次世界大戦後、ナイセ川に新たな国境線が引かれた結果、公園はドイツとポーランドに分割された。そのため、世界文化遺産の登録範囲も両国にまたがっているが、川に架かる二重橋 Doppelbrücke を通って自由に往来できる。

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公園の中心、ムスカウ新宮殿(2014年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)新宮殿西面(2016年)
Photo by Heigeheige at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)新宮殿正面
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(左)ナイセ川の中州に渡された二重橋(2011年)
Photo by Schläsinger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)今は国境の橋を兼ねる
 

森林鉄道の駅からこのムスカウ宮殿までは、市街地を経由して1.3km、歩いても15~20分というところだ。また、市街地とDBヴァイスヴァッサー駅の間には路線バス(下注)も走っているので、帰りはそれでDB駅まで戻ることも可能だ。

*注 オーバーラウジッツ地域バス Regionalbus Oberlausitz 250系統。公園の最寄りバス停はバート・ムスカウ・キルヒプラッツ(教会広場)Bad Muskau Kirchplatz。土日は本数が少なくなるので注意。

なお、森林鉄道の駅の東を流れるナイセ川には、上述した旧 標準軌線の魚腹アーチを連ねた鉄橋が残り、自転車道・遊歩道に利用されている。最近、青の塗料が塗られて「青い奇跡 Das Blaue Wunder」の名が付けられた。

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(左)旧 標準軌線の魚腹アーチ橋
(右)自転車道に転用され「青い奇跡」に(2018年)
Photo by Wdwdbot at wikimedia. License: Public domain
 

クロムラウ線

クロムラウ行きの列車は、博物館駅の後、バート・ムスカウ線を見送って、左へ急カーブする。しばらく森の中を西へ進み、今度は右の急カーブで、シュヴェーラー・ベルク線と別れる。

ときおり森が開けて小さな湖が車窓をかすめるが、実はこれも注目点だ。地形的に、森林鉄道の沿線を含む約20km四方の地域は、北に開いた馬蹄形をした圧縮モレーン(氷堆石)から形成されている。ムスカウの褶曲アーチ Muskauer Faltenbogen(英語ではムスカウ・アーチ Muskau Arch)と呼ばれ、巨大な氷塊により圧縮されて褶曲したモレーンだ。

褶曲地層の高い部分は、後に氷河が前進したときに削られ、それにより露出した褐炭層が、酸化による体積の減少で溝状の湿地に変化した。こうしてできた湿地帯を舞台に、近代になって人間が鉱物資源を採掘し、森林鉄道で運び出した。その跡に水が溜まって、湖と化す。

空から見ると、一面の森の間に、東西方向に連なる細長い湖の列が数本並んでいるのがわかる。列は地層の褶曲による「しわ」を示すものだが、湖自体は自然の造形ではなく、人間の活動の痕跡なのだ。

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空から見たムスカウ褶曲アーチ
採掘跡の湖が列を成す(2019年)
Photo by PaulT (Gunther Tschuch) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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クロムラウ線
(左)小さな湖がときおり現れる
(右)クロムラウ駅の終端
 

終点のクロムラウ駅は、シャクナゲ公園 Rhododendronpark と呼ばれる景観公園の南のへりに造られたため、孤立したような場所にある。乗ってきた列車は5分後にさっさと折り返してしまうが、ここは列車を1本遅らせて公園散策に出かけたい。というのは、この先にラーコツ橋 Rakotzbrücke という必見の名所があるからだ。

ムスカウ公園のピュックラー侯爵と同時代人である大地主のフリードリッヒ・ヘルマン・レチュケ Friedrich Hermann Rötschke は、購入した地所の半分を公園として、さまざまな樹木を植え、一風変わった造形物を設置した。その一つが玄武岩と礫で造られた太鼓橋だ。細長い湖をまたいでいて、径間35mの半円が波静かな水面に映ると、完全な円に見える。その不思議な姿から、「悪魔の橋(魔橋)Teufelsbrücke」の別名がある。

クロムラウ駅からラーコツ橋までは、公園の遊歩道を通って約1.2km、15分ほどだ。

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魔橋ラーコツ橋(2013年)
Photo by Michael aus Halle at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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シャクナゲ咲く湖のほとりに魔橋の展望地が(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

シュヴェーラー・ベルク線

旧 粘土鉄道のこの路線は、クロムラウ線の途中にある分岐から始まる。ルートの見どころの一つ目は、旧 標準軌線(下注)のガード下をくぐる箇所だ。地下水位が高く、掘り下げた線路がしばしば冠水するため、列車は水の上を走る形になる。二つ目は、その先にあるスイッチバックで、機回し(方向転換するための機関車の付け替え)が行われる。このスイッチバックは急勾配対策ではなく、既存の路線網に追加接続する過程で生じたものだ。

*注 ヴァイスヴァッサー=フォルスト線 Bahnstrecke Weißwasser–Forst。1996年廃止。

ルートの後半は2017年に開業したばかりの新線区間で、森を抜け、広大な露天掘り鉱山のへりに沿って走っていく。終点のシュヴェーラー・ベルクでは、1時間の休憩がある。少し歩いて展望台に上れば、地の果てまで続くような露天掘りの現場を眺め渡すことができる。

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(左)露天掘り鉱山のへりを走る(2017年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)シュヴェーラー・ベルクの展望台(2009年)
Photo by Frank Vincentz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、レースニッツグルント鉄道を訪れる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2014年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ムスカウ森林鉄道 https://www.waldeisenbahn.de/

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 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
 ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道

2021年10月25日 (月)

ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道

ドイツ東部のザクセン州には、旧東ドイツ時代を通して地方交通に貢献してきたナローゲージ(狭軌線)が比較的集中して残っている。かつて標準軌の鉄道網を補完してドイツ各地で見られたこうした路線も、今や貴重な保存鉄道として、過ぎし日のノスタルジーを呼び起こす存在だ。これから数回にわたり、その現況を訪ねてみよう。

ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ツィッタウ Zittau ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin 間 12.222km
ベルツドルフ Bertsdorf ~クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf 間 3.831km
軌間750mm、非電化
1890年開通

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分岐駅ベルツドルフに揃う列車
 
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ツィッタウ Zittau は、ザクセン州の南東端、ポーランドとチェコに隣接する人口約3万人の地方都市だ。クラシックな建造物が残る旧市街から500mほど北に、DB(ドイツ鉄道)の列車が発着する駅がある。バロック様式の気品漂うファサードをもち、主屋の左右に翼屋を配置した立派な駅舎だが、日中は往来も少なく、閑散としている。

駅の玄関に立つと駅前広場の左手に、赤い小屋根のかかるもう一つの駅舎が見える。これが、ナローゲージ蒸機が出発するツィッタウ狭軌鉄道の駅だ。一般に「ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn」と呼ばれているが、正式には起終点名をとって、ツィッタウ=クーアオルト・オイビーン/クーアオルト・ヨンスドルフ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Kurort Oybin/Kurort Jonsdorf という。沿線自治体が出資するザクセン・オーバーラウジッツ鉄道会社 Sächsisch-Oberlausitzer Eisenbahngesellschaft (SOEG) が保有し、運行している。

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DB ツィッタウ駅舎
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狭軌鉄道駅
左が駅舎、ホームに続く屋根に蒸機通過用の天蓋部があるのが特徴
 

路線は非電化、750mm軌間で、ツィッタウからクーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注、以下オイビーンと略す)に至る延長12.2kmの本線と、途中のベルツドルフ Bertsdorf で分岐してクーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf(以下、ヨンスドルフと略す)に至る3.8 kmの支線がある。

*注 地名のクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味し、各州の認定基準を満たした地域につけられる接頭辞。日本での「○○温泉」に相当する。

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ツィッタウ周辺の地形図に狭軌鉄道のルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道が開業したのは1890年のことだ。ツィッタウ南方の、当時オーストリア帝国領だったボヘミア(現 チェコ)との国境周辺に広がるラウジッツ山地 Lausitzer Gebirge(下注)の保養地を開発するために、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道会社 Zittau-Oybin-Jonsdorfer Eisenbahn-Gesellschaft (ZOJE) により建設された。

*注 ラウジッツ山地のドイツ側は、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge とも呼ばれる。

ツィッタウ駅前には、すでに1883年から別の狭軌線、ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道 Schmalspurbahn Zittau–Reichenau が通じていた。ライヘナウというのは、ナイセ川 Neiße の東に位置する現 ポーランド領ボガティニャ Bogatynia のことだが、先述の狭軌鉄道駅 Schmalspurbahnhof は、実はこの発着駅として設けられたものだ。後発のツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道は、それに乗り入れる形で運行されたので、駅は若干拡張されたものの共同使用、線路も1.6km先の分岐点まで共用していた。

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ザクセン邦有鉄道の路線図(1902年)
青:ツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道、赤:ツィッタウ狭軌鉄道
破線は当時の国境、ピンクは現在の国境
Base map from wikimedia. License: Public domain
 

当時は狭軌の地方路線が盛んに建設されており、ツィッタウ=オイビーン=ヨンスドルフ鉄道にも、ボヘミア側から鉄道の接続計画があった。しかし、資金調達に難渋する間に、競合する標準軌線が建設されたため、結局実現していない。

鉄道は1906年にザクセン王国に買収され、王立ザクセン邦有鉄道 Königlich Sächsische Staatseisenbahnen の一路線となった(下注)。この頃には休日や夏のシーズンを中心に旅行者で混雑が顕著になっており、輸送力増強のために、1913年にツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt ~オイビーン間7.8kmの複線化が完成している。当時でも、複線運行する狭軌線は数少なかったという。

*注 運行は開業時から王立ザクセン邦有鉄道に委託されていたので、買収以前の邦有鉄道の路線図にも本路線の記載がある。なお、邦有鉄道は1924年にDR(ドイツ帝国鉄道)に統合された。

しかし、第二次世界大戦中、観光路線はレール供出の対象とされ、1943~44年に一部区間が、さらに廃線後の1945年に残り区間も、単線に戻されてしまった。

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オイビーン山からの眺望(1919年の絵葉書)
下端にオイビーン駅が見える
Image by Brück & Sohn Kunstverlag Meißen at wikimedia. License: CC0 1.0
 

戦後、ザクセンは東ドイツに属したが、鉄道はDR(ドイツ国営鉄道)により引き続き運行されていた。ところが1981年に、沿線にある褐炭の露天掘り鉱山の拡張計画に支障するとして、10年後に廃止するという決定がなされる。具体的には、1990年の夏シーズン限りで旅客輸送廃止、1991年には貨物輸送も止める計画だった。

そのままでいけば、線路跡は今ごろ赤茶けた採鉱地に変わり果てていたに違いない。ところが、1989年に東ドイツの政治体制が崩壊したことで、計画はすんでのところで中止となった。

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東ドイツ時代のツィッタウ狭軌鉄道駅(1989年)
Photo by Sludge G at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

1993年にDRと旧DB(西ドイツ国鉄)が統合民営化されると、新DB(ドイツ鉄道)は非採算の狭軌路線からの撤退方針を打ち出す。それに対してザクセン州は、観光輸送に活路を見出せるとして、独自の運行会社設立を支援した。これが現在の運行会社ザクセン・オーバーラウジッツ鉄道だ。同社は1996年12月1日に、DBからこの鉄道の資産と運行業務を引き継いだ。

では、現在のツィッタウ狭軌鉄道の運行状況はどうなっているだろうか。

4月~11月中旬は繁忙期 Hauptsaison とされ、平日に5~7往復、土日は8~9往復の設定がある。一方、11月中旬~3月の閑散期 Nebensaison はかなり縮小されて、2~4往復だ。

牽引するのは主として蒸気機関車で、1920年代後半から1930年代にかけて製造された99 73~99 76形が使われている。最大30‰の急勾配を上るため、750mm軌間用では最も強力な形式だ。

繁忙期の増発便ではディーゼル機関車が応援に入る。また、蒸気列車の一部には食堂車が連結されており、5月から10月の天気の良い日は、無蓋貨車を改造した展望車 offene Aussichtswagen の増結もある。

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1933年製の蒸機99 758
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(左)応援列車を牽くディーゼル機関車
(右)無蓋貨車を改造した展望車
 

運行パターンは特徴的だ。大まかにいえば、列車は日中、ツィッタウ、オイビーン、ヨンスドルフの3つの端点からほぼ同時に出発し、中間にあるベルツドルフ Bertsdorf で相互接続した後、再び3方向へ散っていく。

ツィッタウを中心に見ると、繁忙期の場合、1時間間隔でオイビーン行きとヨンスドルフ行きが交互に出発している。たとえば9時07分発はオイビーン行き、10時02分発はヨンスドルフ行きだ。

しかし前者(オイビーン行き)に乗ったとしても、ベルツドルフでヨンスドルフ行きの列車、すなわちオイビーン~ベルツドルフ~ヨンスドルフ間の通称「山シャトル Gebirgspendel」が待っている。そのため、乗換の手間を厭わなければ、どの方向にも1時間に1本の便があることになる。

所要時間は、ツィッタウ~オイビーン間、ツィッタウ~ヨンスドルフ間とも、蒸機牽引で44~49分だ。ディーゼルの場合はそれより5~6分短い。

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3方向からの集合離散ダイヤ 模式図

さて、ツィッタウ駅から狭軌鉄道のルートを追おうと思うが、その前に、駅前広場を観察しておきたい。おもしろいことに、バスターミナルが整備された広場と駅前通りとの間に、狭軌の線路が走っているのだ。人も車も、通りに出る前にこの踏切を横断しなければならない。線路の行く先は、車庫のある機関区だ。駅前広場をはさんで、駅が東、機関区が西にあるというユニークな配置が、このルートを必要としている。

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機関区への引込線が駅前広場の前を横切る
(左)駅から西望(右)反対側から
 

狭軌鉄道の駅舎には案内カウンターがあり、乗車券や絵葉書などを販売している。時間がなければ、乗車券は車内で車掌から買うこともできる。運賃は区間制で、距離にかかわらず途中下車は有効だ。割安な往復乗車券もあるが、支線にも寄り道するなら、1日乗車券 Tageskarte がいい選択肢になる。

では、線路を渡り、屋根付きの低い島式ホームから列車に乗り込もう。

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ツィッタウ駅の旅客ホームと駅舎(2013年)
Photo by Jwaller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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駅舎入口と内部
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(左)ホームの腕木式行先標
(右)ツィッタウ駅を出発
 

ツィッタウ駅を出発すると、はじめ標準軌のリベレツ=ツィッタウ線 Bahnstrecke Liberec–Zittau と並走するが、まもなくそれを斜めに横断して、同線の北側(進行方向左側)に出た。

■参考サイト
Google Street view - 標準軌線を斜め横断
https://goo.gl/maps/3mNyT2d9a85VaFy99

平面交差にも驚くが、最終的に南へ向かうのに、なぜわざわざ北側に移るのだろうか。それは鉄道の成り立ちが関わっている。先述のように、ツィッタウ狭軌鉄道は、先行開業していたツィッタウ=ライヘナウ狭軌鉄道(以下、ライヘナウ線)への乗り入れから始まった。ライヘナウ線の目的地は標準軌線から見て北側なので、この横断が必要だった。ところが、1945年のドイツとポーランドの暫定国境線(オーデル・ナイセ線)画定に伴い、国境をまたぐことになったライヘナウ線は廃止されてしまう。後に残されたツィッタウ狭軌鉄道にとって、このルートは合理的ではないが、改築することもままならず、そのまま使っているのだ。

並走区間はなおも続くが、標準軌線は築堤の上に載り、狭軌線の列車からはもう見えない。最初の停車は、ツィッタウ停留所 Zittau Hp(下注)。これはライヘナウ線が開設したものを引き継いでいる。

*注 Hp は Haltepunkt(停留所の意)の略。

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ツィッタウ停留所
標準軌線は左の築堤の上に
 

起点から1.6kmで、ライヘナウ線との旧 分岐点に達する。この後、列車は右カーブで標準軌線のナイセ川橋梁 Neißeviadukt のアーチをくぐり、再び南側に出た。そして、ツィッタウ市街の南縁を回り始める。ツィッタウ・ジュート(南駅)Zittau Süd を出ると、次の注目点、マンダウ川橋梁 Mandaubrücke にさしかかった。長さ43mの短い橋だが、何と中央で道路橋と平面交差している。つまり、上空から見ればX字の橋だ。この奇観は、1897年に行われたマンダウ川の流路直線化事業によって生じた。

ツィッタウ・フォアシュタット Zittau Vorstadt 駅は市街地の南端に位置し、広い構内に屋根付きの長いホームと何本かの側線が並ぶ。駅舎からホームへは地下道で渡るようになっており、かつて山地へ行楽に出かける市民の利用が多数あったことを窺わせる。

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(左)標準軌線のナイセ川橋梁をくぐる
(右)中央で道路と交差するマンダウ川橋梁
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ツィッタウ・フォアシュタット駅に入る列車
 

この後、列車は州道133号に沿って南下していく。集落と牧草地が交錯する郊外風景が続き、左側の緩斜面に上ると、いい撮影地がある。下の写真がそうだが、背景に写っている緑うるわしいオルバースドルフ湖 Olbersdorfer See は、東ドイツ時代に狭軌鉄道を廃止の危機にさらした褐炭採掘場の跡だ。再統一後、採掘は中止になり、景観修復が施されて、市民の憩いの場に生まれ変わった。

なお、最寄りのオルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所は、オイビーン・ニーダードルフ Oybin Niederdorf とともにリクエストストップ Bedarfshalt のため、乗降がなければ通過する。下車するなら、事前に車掌に伝えておく必要がある。

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オルバースドルフ・ニーダードルフ停留所付近
背景は採掘地跡を景観修復したオルバースドルフ湖
 

オルバースドルフ・ニーダードルフ Olbersdorf Niederdorf 停留所の後、渡るオルバースドルフ橋梁 Olbersdorfer Brücke は、路線最長で124mある。しかし、またいでいるのは、川というより町並みだ。開業当時は街道と平面で交差していたのだが、交通量が多いことから、1913年の複線化に合わせて立体交差化された。橋台が異様に広いのは、複線だった名残だ。

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路線最長のオルバースドルフ橋梁を渡る
 

オルバースドルフ・オーバードルフ Olbersdorf Oberdorf 出発後、列車は街道筋から右へそれ、勾配もきつくなった。右手に開ける風景に目をやるうちに、分岐駅のベルツドルフ Bertsdorf に到着する。森に囲まれた駅は、鉄道の運行拠点だ。かつて蒸機が集結していた機関庫を含め、歴史的な建物が数多く残されている。

ふだんは静かな構内だが、3方向からの集合離散ダイヤによって、1時間ごとに列車が島式ホームの両側に揃う。賑やかな交換風景や、名物となったオイビーン行きとヨンスドルフ行きの同時発車 Parallelausfahrt のシーンを捕えようと、鉄道ファンも多く訪れる。

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ベルツドルフ駅構内図
施設名称の和訳を付記
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ベルツドルフ駅の交換風景
9時07分、ツィッタウ方から始発のヨンスドルフ行き列車が到着
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9時30分、2番列車のオイビーン行きが到着
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ここで相互に乗換が可能
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9時35分、ヨンスドルフ行きとオイビーン行きが同時発車
 

オイビーン方面へは左カーブで、30‰勾配の険しい坂を上っていく。トイフェルスミューレ Teufelsmühle あたりから、いよいよ谷が狭まるが、少し行くと空が開けて、早くも終点のオイビーン駅が近づいてきた。

駅構内は意外に広く、機回しや停泊が可能な側線がゆったりと取られている。駅舎はロマネスク風の屋根飾りをつけた印象的な建物で、レストランも営業中だ。一方、線路を挟んで駅舎の向かいにある煉瓦造りの貨物倉庫は、愛好家団体が運営する鉄道博物館になっていて、シーズン中、午後の時間帯に開いている。

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オイビーン駅舎(2015年)
Photo by DCB at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

駅の裏手でひときわ目を引くのが、砂岩の層がごわごわと露出した標高515mのオイビーン山だ。皇帝カール4世の古城とケレスティヌス会修道院の廃墟があり、異形の山容とともにロマン主義の作家たちに好まれた。画家フリードリヒ Caspar David Friedrich にもここを題材にした作品がある。駅との比高は100mほどだ。上ること約10分、中世の雰囲気が漂う山頂からは、オイビーンの村全体が見渡せる。

■参考サイト
フリードリヒ:夢見る人(オイビーン修道院跡)Dreamer (Ruins of the Oybin)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Caspar_David_Friedrich_011.jpg

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砂岩層が露出する異形のオイビーン山(2012年)
Photo by Moritz Wickendorf at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オイビーン山の古城と修道院跡(2017年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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オイビーンに向かう列車
オイビーン山から北望(2018年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ベルツドルフに戻って、今度はヨンスドルフ方面に向かった。列車は右に急カーブした後、深い森の中をオメガループ(馬蹄形カーブ)で高度を稼ぐ。ヨンスドルフ停留所 Kurort Jonsdorf Hst(下注)で森を抜けると、今度は牧草地の斜面をゆっくりと上っていく。車窓からツィッタウ山地の緩やかな裾野を眺めているうちに、終点ヨンスドルフの駅に到着した。

*注 Hst は Haltestelle(停留所の意)の略。

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ヨンスドルフ停留所上方
ツィッタウ山地の裾野を見晴らす
 

オイビーンに比べれば施設も少なく、やや寂しげな構内だ。ボヘミアとの接続で駅の移転計画があったことから、簡素な構造にとどめられたのだという。小ぢんまりした駅舎では現在、民宿が運営されていて、上階の部屋の窓から列車の発着が眺められる。駅の宿に荷をほどいて、山懐の保養地をのんびり散策するのもいいかもしれない。

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ヨンスドルフ駅のVT137形気動車(2007年)
Photo by Rolf-Dresden at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、ムスカウ森林鉄道を訪れる。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2013年4月に現地を訪れた海外鉄道研究会のS. T.氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ツィッタウ狭軌鉄道 http://www.soeg-zittau.de/
ツィッタウ狭軌鉄道愛好家連盟 Interessenverband der Zittauer Schmalspurbahnen e.V. https://www.zoje.de/

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2021年10月 8日 (金)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。

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山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27:フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。

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HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。

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グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30:マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。

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オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。

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悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。

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ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31:ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットを訪れた旅行者がまず行きたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。

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リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34:チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。

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イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39:シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。

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エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。

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レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。

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モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。

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コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40:TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。

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トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26:SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。

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ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてより貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。続いて2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。以来、優等列車や貨物列車はこれらの新線経由に切り替えられた。その結果、旧線に来るのは1時間ごとの快速列車だけになり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。

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ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23:BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。

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カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。

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ビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。

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ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年10月 2日 (土)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

保存鉄道・観光鉄道-スイス南部編のリストには、アルプスの山中と、イタリア国境に接する地中海斜面の鉄道群を挙げている。見渡せば、名だたる観光路線がずらりと並んでいて壮観だ。スイス旅行に出かけたことがある人なら、そのうちのいくつかに乗車した思い出をお持ちに違いない。

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ラーゴ・ビアンコのほとりを行くベルニナ急行
オスピツィオ・ベルニナ駅南方(2017年)
Photo by Zacharie Grossen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

対象とした地域は3000~4000m級の山脈が東西に連なり、ヨーロッパでも特に地勢の険しいところだ。路線の多くが、小回りが利き、経済的なメーターゲージ(1000mm軌間)などの狭軌規格で建設されている。また、高度差を克服するためにラックレールが多用され、粘着式でも60~70‰といった急勾配が珍しくない。

全容はリストをご覧いただくとして、ここでは主な注目路線(有名どころが多くなるのは避けがたいが)を挙げていこう。

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番1~6:レーティッシュ鉄道 Rhätische Bahn (RhB)

まず、東のグラウビュンデン州 Kanton Graubünden にはレーティッシュ鉄道(下注)の特色豊かな路線網がある。州都クール駅の標高は584m、サン・モリッツ駅は同 1775m、ベルニナ線にある最高地点は同 2253mだ。これほどの高度差にもかかわらず、この鉄道はラックレールを用いず、レールと車輪の粘着力だけで急勾配の難路を克服する。

*注 鉄道名、路線名はユネスコ世界遺産の和訳に従う。なお、rhätische(レーティッシェと読む)は、古代地名ラエティア Raetia のドイツ語「Rätien(レーツィエン)」の形容詞形で、「グラウビュンデンの」と同義。

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ダヴォス・プラッツ=フィリズール線のヴィーゼン高架橋(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最初に造られたのはダヴォス線 Davoserlinie(項番3)だが、構想段階ではラック式かスイッチバックで高度を稼ぐことになっていた。ところが、1882年に開通したゴットハルト(ゴッタルド)鉄道 Gotthardbahn の成功に刺激を受け、効率的な運行が可能な粘着式の通過線に切り替えたのだという。クロスタース Klosters 駅が当初スイッチバック駅だったのは、原計画の名残らしい。これも1932年にオメガループのトンネルに置き換えられて、今は存在しない。

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クロスタース駅に進入する列車
かつてのスイッチバックはオメガループのトンネルで解消(2015年)
Photo by Patrick Nouhailler's… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

世界遺産にも登録されたアルブラ線 Albulabahn(項番1)は、確かにゴットハルト鉄道の狭軌版だ。二重スパイラルやベルギューン Bergün 南方のヘアピンルートなど、生き写しのように見える。

さらに同線には、長さ136m、高さ65mのラントヴァッサー高架橋 Landwasserviadukt というランドマークがある。背が高く細身で、かつ急カーブを描きながら断崖絶壁に突き刺さる光景は、まるで幻想画の世界だ。最寄りのフィリズール Filisur 駅から遠くないので、途中下車して、展望台や橋の直下へ、ハイキングがてら見物に出かけるのもいいだろう(下注)。

*注 シーズン中は、駅からラントヴァッサー急行 Landwasser-Express と銘打った遊覧バスも出ている。

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ラントヴァッサー高架橋遠望(2018年)
Photo by Geri340 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

同じく世界遺産のベルニナ線 Berninabahn(項番6)は、レーティッシュ鉄道の路線網で少し異色の存在だ。というのも、電化方式が他線の交流に対して直流のため、車両が基本的に線内限定で運用されてきたからだ。それが世界遺産効果で、今やベルニナ急行 Bernina Express は5往復まで増便、交流区間に乗入れ可能な交直両用電車が投入されている。

この路線の魅力は、変化に富んだルートと沿線風景の素晴らしさだ。アルプスに抱かれた湖のほとりのオスピツィオ・ベルニナ Ospizio Bernina(冒頭写真参照)から、イタリアの町ティラーノ Tirano まで高度差は実に1824m。その間にU字谷の壁をジグザグに降下し、オープンスパイラルを回り、市街地の路面軌道で車と並走する。乗り通せば2時間10分以上かかるが、少しも長いと感じさせない。

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名所モンテベッロ・カーブ Montebello-Kurve
背景はモルテラッチュ氷河(2012年)
Photo by Hansueli Krapf at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ブルージョ・ループ橋(2012年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
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ティラーノ聖母教会前の広場を横断(1992年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

観光客が集中するアルブラ、ベルニナに比べて、アローザ線 Arosabahn(項番2)は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、これもまた魅力の詰まったルートだ。クール駅前からは路面軌道で出発する。町を離れると、早くも深い谷間で、列車はじりじりと高度を上げていく。

列車は左斜面の高みを走っていくが、中盤で谷を横断して右斜面に位置を移す。そこに架かっているのがラングヴィース高架橋 Langwieser Viadukt だ。長さ284m、高さ62mの優美なコンクリートアーチ橋で、同線のシンボル的構造物になっている。線路が橋のたもとで90度カーブしているおかげで、往路、ラングヴィース駅にさしかかる車窓から、その姿を遠望するチャンスがある。

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ラングヴィース高架橋(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8~9:リギ鉄道 Rigi-Bahnen (RB)

次は、中央スイス Zentralschweiz に目を向けよう。フィーアヴァルトシュテッテ湖 Vierwaldstättersee、別名ルツェルン湖を中心とするこの地域は、スイス建国の故地でもある。1856年にルツェルン Luzern まで鉄道が到達し、フランス、ドイツなど国外からの旅行者が多数訪れるようになった。

アルプスの展望台として人気が高まっていたリギ山 Rigi に、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したヨーロッパ最初のラック鉄道が開業したのは1871年のことだ。フィッツナウ・リギ線 Vitznau-Rigi-Bahn(項番8)が先行し、アルト・リギ線 Arth-Rigi-Bahn(項番9)が後を追った。

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縦型ボイラーの保存機7号が
フィッツナウ・リギ線の急勾配を行く(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

前者は湖畔の町フィッツナウ Vitznau が起点で、ルツェルンからの船便がある。一方、後者の起点は山の反対側にあるアルト・ゴルダウ Arth-Goldau で、SBB(スイス連邦鉄道)線が接続している。

鉄道旅行者はアルト・リギ線を使うが、リギ山の主要な登山口は本来、湖側(下注)だ。そして登山鉄道の車窓も、湖の展望が開けるフィッツナウ・リギ線がはるかにいい。ルツェルンからフィッツナウへは船で約1時間、途中、ルツェルンの交通博物館 Verkehrhaus 前にも寄港する。片道をこちらにすれば一味違った周遊コースになるだろう。

*注 登山鉄道開通以前、陸路ではキュスナハト Küssnacht、航路はヴェッギス Weggis が主な登山口だった。

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両線が合流するリギ・シュタッフェル駅
赤の電車はフィッツナウ・リギ線、青はアルト・リギ線(2011年)
Photo by Bobo11 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

*注 鉄道の詳細は「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

 

項番11~13:ツェントラール鉄道 Zentralbahn (ZB)

1870年代はアルプスの前山 Voralpen にとどまっていた鉄道路線だが、1880年代になると、より奥地へと延伸されていく。ルツェルン側からは、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura–Bern–Luzern-Bahn がその役を担った。現在のZBブリューニック線 Brünigbahn(項番12)で、1888~89年にブリエンツ Brienz まで開業している(下注)。

*注 ブリエンツからは、ブリエンツ湖の蒸気船でインターラーケン Interlaken 方面に連絡した。ブリューニック線の全線開業は27年後の1916年。

ブリューニック線は、点在する5つの湖(ルツェルン湖、アルプナッハ湖 Alpnachersee、ザルネン湖 Sarnersee、ルンゲルン湖 Lungerersee、ブリエンツ湖 Brienzersee)のほとりを縫っていく路線だ。20世紀の建設なら長いトンネルで貫いてしまいそうなブリューニック峠も、ラックレールで律儀にサミットまで登っている。当然、車窓には期待どおりの景色が次々と現れて見飽きることがない。

同線はかつて、SBB唯一のメーターゲージ線だったが、2005年にルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE、項番11)、改めツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn に移管された。LSEの列車は、社名のとおりルツェルンに直通しているが、自社路線はヘルギスヴィール Hergiswil までで、その先はブリューニック線に乗り入れていた。この移管により、2本のメーターゲージ線が一体化され、合理的な運営が可能になった(下注)。

*注 2021年には、マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn (MIB)(項番13)もZBの運営下に入っている。

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ブリエンツ湖畔を走るブリューニック線の列車
ニーダーリート駅東方(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn (PB)

ブリューニック線と同時期の1889年に、ピラトゥス鉄道が開業している。これもラック鉄道だが、その構造は特別だ。480‰という途方もない勾配のため、リッゲンバッハやアプトのような垂直ラック式では、走行中にピニオン(歯車)がせり上がり、脱線の危険がある。そこでラックを水平かつ左右対称に配置し、両側からピニオンで挟む方法が考案された。この珍しいロッヒャー Locher 式は、世界でもここでしか見られない。

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ロッヒャー式装置
Photo by Roland Zumbühl at www.picswiss.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ブリューニック線のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅から、ピラトゥスの車両が望見できるが、側面の平行四辺形はどう見てもケーブルカーだ。車内も段差のついたコンパートメント式になっている。しかし、ケーブルカーと異なるのは、多客時に何両も続行で運行されることだ。車窓から前後を行く車両が見えるので、走行写真も自在に撮れる。しかし現在、連節車の導入計画が進んでいて、実現すればこの名物走行は見られなくなるかもしれない。

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終点に向け最後の登坂(2020年)
Photo by Maria Feofilova at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16:ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn (BRB)

ブリューニック線の到達は、1892年6月のブリエンツ・ロートホルン鉄道開業につながった。列車が目指すロートホルン山頂に何があるのかと言えば、やはりアルプスの眺望だ。ブリエンツ湖の谷を隔てて、万年雪を戴くベルン・アルプス Berner Alpen の山並みが見渡せる。

しかし、どの世界にもライバルはいるもので、同じころユングフラウ地方 Jungfrauregion でも鉄道の開業が続いた。旅行者は、よりダイナミックな眺望が得られるほうに流れる。ブリエンツとインターラーケンの間にはまだ航路しかなく、アクセスの上でも不利だった。

鉄道の経営は一向に安定せず、結局、第一次世界大戦による旅行控えがとどめとなって、1915年に運行が中止される。再開は16年後の1931年だ。すでにライバルたちは電化を完了しており、皮肉にもブリエンツ・ロートホルン鉄道は、まだ蒸気運転をしているという希少性によって人気を得た。

現在の主役は1992~96年に新造された油焚きの蒸機だが、フルカ山岳蒸気鉄道とともに非電化のラック鉄道として、貴重な存在であることに変わりはない。

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ゲルトリート信号所での列車交換(2013年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番18~22:ユングフラウ鉄道群 Jungfraubahnen

ベルナー・オーバーラント Berner Oberland 東部、インターラーケンやユングフラウ地方の鉄道網は、1872~74年開業のトゥーン湖 Thunersee とブリエンツ湖 Brienzersee の港の間を連絡する8.4kmの小路線(下注)から始まった。

*注 トゥーン湖東端の港デルリゲン Därligen とブリエンツ湖西端のベーニゲン Bönigen の間を結んだ標準軌のベーデリ鉄道 Bödelibahn。1893年にトゥーン Thun から延伸されてきた鉄道と接続して、国内路線網に組み込まれた。

1890年代になると、今もある鉄道路線の大半が舞台に現れる。ベルナー・オーバーラント鉄道(1890年)、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道(1891年)、シーニゲ・プラッテ鉄道とヴェンゲルンアルプ鉄道(1893年)、少し遅れてユングフラウ鉄道の地上区間(1898年)と続く。

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U字谷の急崖を上る
ラウターブルンネン~ヴェンゲン間(2019年)
Photo by Donnie Ray Jones at www.flickr.com. License: CC BY 2.0
 

このうち、ベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahn、略してBOB(項番18)は、インターラーケン・オスト Interlaken Ost 駅に発着する。標準軌線の列車から旅行客を受け取り、ユングフラウ地方の中心部へ送り込むのが使命だ。オスト駅のホームに待機する列車は長大編成で、どことなく「幹線」の風格を漂わせている。

編成が長いのは併結列車だからで、途中のツヴァイリュッチネン Zweilütschinen で2本に分割される。通常、前部がラウターブルンネン Lauterbrunnen、後部がグリンデルヴァルト Grindelwald 行きなので、乗り間違いには気をつけたい。

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グリンデルヴァルト駅
左はBOB、右はWABの列車(2011年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

そのBOBのヴィルダースヴィール Wilderswil 駅からは、シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige-Platte-Bahn (SPB)(項番19)の列車が出発する。1910年代のラック式電気機関車と小型客車2両という懐古編成で、標高1967mの山上駅まで急坂を上っていく。

先へ進めばユングフラウ三山の麓まで行けるというのに、なぜ10~15kmも離れたこの山に登山鉄道が造られたのだろうか。実はこの距離にこそ意味があるのだ。一歩引いた位置のおかげで、三山はもとより、ヴェッターホルン Wetterhorn からブライトホルン Breithorn までベルン・アルプスが広く視界に入る。また、中間駅ブライトラウエネン Breitlauenen 駅周辺から見下ろすトゥーン湖、インターラーケン、ブリエンツ湖の眺望もすばらしい。

他の路線と違い、この鉄道の運行は夏のシーズン(おおむね5~10月)限定だ。冬季閉鎖中の雪害を避けるため、上部区間では運行期間終了後、架線の取り外し作業が行われる。

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トゥーン湖とインターラーケン市街地を背景に上る列車
ブライトラウエネン駅付近(2007年)
Photo by Andrew Bossi at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

BOBの二つの終点からサミットのクライネ・シャイデック Kleine Scheidegg を目指すのが、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn (WAB)(項番20)だ。800mm軌間、BOBより小ぶりの車両だが、乗り込めば、いよいよアルプスの核心に向かうのだという高揚感が湧いてくる。

乗客の何割かは、ユングフラウ鉄道に乗り継ぐのが目的だろう。しかし、この路線自体、U字谷、山麓牧草地、三山の岩壁と、絶景が車窓に現れ続けるから目が離せない。勾配は最大250‰と険しく、列車は常に電動車を坂下側にして走る。谷底にあるグルント Grund 駅のスイッチバック構造や、クライネ・シャイデックで運行系統が二分されている(下注)のは、それが理由だ。

*注 クライネ・シャイデックには三角線があり、列車編成の向きを変えることは可能だが、定期列車には使われていない。

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ヴェンゲン駅に入線する列車(2003年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トップ・オヴ・ユーロップ Top of Europe のうたい文句どおり、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn (JB)(項番21)はヨーロッパ最高所の鉄道駅に旅行者をいざなう。開業以来、スイス観光のハイライトとして不動の地位を保つ鉄道だ。

しかし9.34kmのルートのうち、車窓からアルプスの風光を楽しめるのはアイガーグレッチャー Eigergletscher 駅にかけての約2kmに過ぎない。あとは終点まで素掘りのトンネルの中だ。途中のアイガーヴァント Eigerwand とアイスメーア Eismeer の両駅では数分の停車があり、岩壁に開いた窓から外の景色が眺められたのだが、2016年の新型電車就役以来、時間短縮のために、停車はアイスメーアのみとなった。

下界が晴れていても、山上は濃霧と強風の可能性がある。運よく天気に恵まれれば、アレッチュ氷河 Aletschgletscher 源流域のまばゆい銀世界を目の当たりにできる。

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クライネ・シャイデック駅に停車中の列車
背景はアイガー北壁(2012年)
Photo by Mjung85 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年9月22日 (水)

スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編

アルプス山脈が国土の約6割を占めるスイスは、誰しも認める観光大国だ。19世紀以来、その振興に鉄道が重要な役割を果たしてきた。山間に点在するリゾートや人気の展望台へ、延びる線路が旅行者を絶えず呼び込んでいる。鉄道自体も観光資源化され、乗車体験を目的に多数の人が訪れる。

鉄道の使命はそれにとどまらない。貨物輸送のモーダルシフトを推進するため、主要幹線では、長大トンネルを含めて大規模な線路改良が行われてきた。ローカル輸送でさえ、他国ならとうにバス転換されているような路線が存続し、モダンな低床車両が行き来している。

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レマン湖畔の葡萄畑を上るSBBの臨時列車
ヴヴェー=ピュイドゥー・シェーブル線(項番33)にて(2020年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

今、スイスの保存鉄道・観光鉄道のリストを編んでいるところだ。ヨーロッパでもとりわけ鉄道が活性化している国とあって、シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の「スイス鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Schweiz」などを参考にしながら挙げていくと、80件近くに上った。このうち北部編には、主としてミッテルラント Mittelland とジュラ山地 Jura にある鉄道路線を収録している。

「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swissn.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」画面
 

各項目では、公式サイトへのリンクとともに、鉄道が走る場所を特定できるように、グーグルマップ(「Google」と表記)と官製地形図(「Swisstopo」と表記)の、2種の地図サイトにリンクを張った。

スイスの地形図は描画の美しさに定評があり、政府が製作したいわゆる官製図のジャンルでは間違いなく最高峰だ。閲覧サイトも充実していて、各縮尺図や空中写真との切り替え機能はもとより、旧版地形図もすべて公開され、年次別表示や比較対照が自在にできる。

最新図式では、赤の線で描かれているのが鉄道だ。このうち太線は標準軌、細線は狭軌で、線が2本並行しているのは複線(またはそれ以上)を表す。駅名も赤字で添えられており、場所の特定に効果を発揮する。詳しい使い方については、本ブログ「地形図を見るサイト-スイス(基本機能)」「地形図を見るサイト-スイス(旧版図閲覧)」を参照されたい。

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swisstopoサイトでの鉄道の表示例
赤の太線は標準軌、細線は狭軌、二重線は複線以上
© 2021 swisstopo

北部編で特に興味を引かれた鉄道をいくつか挙げてみよう。

項番1~5:アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen

スイスの鉄道の特徴の一つは、ラックレールを用いる急勾配区間の多いことだろう。地勢の険しいアルプスの山中は言うに及ばず、その前山 Voralpen にも集中するエリアがある。それが東部ザンクト・ガレン St. Gallen、アッペンツェル Appenzell 周辺の丘陵地帯だ。

ここには現在3本のラック鉄道があるが、最も歴史の古いのが、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (項番2)だ(下注)。ヨーロッパで初めて実用化されたフィッツナウ・リギ鉄道(1871年)の4年後の1875年に開業している。

*注 かつては独立した鉄道会社だったが、2006年にアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen(略称 AB)に合併されたため、リストでは「AB ロールシャッハ=ハイデン登山線」と記している。

もちろん同じニクラウス・リッゲンバッハ考案の方式を使っており、リギ山やブダペストの路線とともに、ラック鉄道の第1世代に位置づけられる。1435mmの標準軌で、ラックレールの形状による制約からカーブが比較的緩やかなのがこの世代の共通項だが、同一軌間の強みを生かして、列車がSBB(スイス連邦鉄道)線の一部区間に乗り入れるのが興味深い。

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ハイデン駅に到着した列車(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

2番目に古いのは、1889~1904年に開業したアッペンツェル路面鉄道 Appenzeller Strassenbahn、現在のザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (項番5)だが、全部で7か所あったラック区間は、後の線路改良で順次廃止され、2018年から全線が粘着式運転になった。用済みのラック用電車の一部は、オーストリアのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に譲渡された。ところが補助金の打ち切りで電化計画が頓挫したことで、一度も使われずに廃車となった事件は記憶に新しい(下注)。

*注 詳細は「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

次は、見晴らしの良いことで知られるアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais (項番4)だ。開通は1912年と、時代が下がる。このころのラック鉄道の多くは、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で採用されて広まったシュトループ Strub 式で建設されている。フランス・シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、ドイツ・バイエルンのヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn などが兄弟分だ。

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ガイスへのラック区間を上る(2010年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最も新しいのは、意外にもライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (項番1)で、1958年に運行を開始した。意外にも、という理由は、見かけが古風だからだ。それも道理で、もとは1896年にケーブルカーとして開業し、山麓駅と少し離れたSBBのライネック Rheineck(下注)駅との間はトラムで連絡していた。この2本の路線をつなげる形で再構築されたのが、現在のラック鉄道だ。乗っていると、平坦線が急に険しい勾配に変わるので、もとの姿が想像できる。

*注 地名ライネック Rheineck は、ライン川 Rhein の曲がり角 Eck という意味で、語の成り立ちを尊重して「ラインエック」とも書かれる。

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ケーブルカー時代の面影を残す急勾配線(2015年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

現存3線はそれぞれに個性的だが、将来の見通しは明るくない。利用者数が減少しているとして、2019年から、より効率的な代替輸送に関する検討が開始されており、バス転換の可能性も出てきている。

項番30:モントルー=グリオン=ロシェ・ド・ネー鉄道 Chemin de fer Montreux-Glion-Rochers de Naye

西部では、レマン湖畔から背後の山に上っていくラック登山鉄道が2本ある。どちらかを選ぶなら、湖岸にそそり立つ標高2042mの高峰ロシェ・ド・ネー Rochers de Naye に上るこの鉄道がいい。

乗り場はCFF(スイス連邦鉄道)モントルー Montreux 駅の奥にある薄暗い半地下ホームだ。押しやられたような場所にあるのは、ここに集まる3本の路線の中では新参だからだ。ところが、発車して最初のトンネルを抜けると、一転レマン湖を見下ろす急斜面に出て、車窓はそれ以降、壮大なパノラマ劇場と化す。ジグザグに上っていくので、左右どちらに座っても絶景を眺めるチャンスが来るのがうれしい。

ダン・ド・ジャマン Dent de Jaman の荒々しい岩壁が見えてくれば、旅も終盤を迎える。温暖な湖岸から50分、列車が山頂直下の終点に到着すると、乗客は氷河の痕跡、カール地形のどまん中に放り出される。風は思ったより冷たく、上着は必須だ。

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ロシェ・ド・ネー山頂から山上駅を見下ろす(2018年)
Photo by Johann Conus at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13:AVA ブレームガルテン=ディーティコン線 Bremgarten-Dietikon-Bahn

周辺諸国では戦後急速に数を減らしたメーターゲージ(1000mm軌間)の地方路線も、スイスではまだ一大勢力を保っている。建設費節約のために採用された規格なので、急曲線、急勾配がざらにあり、市街地では路面軌道も多く残っている。

チューリッヒ近郊を走るこの路線では、ブレームガルテン Bremgarten の町へ降りていく道路に沿うヘアピンルートが目を引く。何もそこまで道路に付き合わなくてもいいと思うが、もとはこの道路上を走る路面軌道だった。これだけ曲折してもなお勾配は55‰というから、直線化は不可能だ。

ブレームガルテンは、ロイス川 Reuss が蛇行する袋状の土地に築かれた小さな中世都市で、川を横断する鉄道のアーチ橋と組み合わせた写真がよく引用される(下の写真)。ディーティコンから乗ってきた客はほとんど町の中心駅で降り、車内はがらんとしてしまう。

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ブレームガルテン旧市街のロイス川に架かるアーチ橋(2012年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18~19:ジュラ鉄道 Chemins de fer du Jura
項番20:ラ・トラクシオン(牽引)La Traction

ジュラ鉄道は、フランス国境に横たわるジュラ山地で、メーターゲージ2路線と標準軌1路線を運営する鉄道会社だ。人口の少ない過疎地だが、旅客とともに貨物輸送も行って、地元経済に貢献している。リストに挙げたのはいずれもメーターゲージ線だ。

ラ・ショー・ド・フォン=ル・ノワールモン=グロヴリエ線 Ligne La Chaux-de-Fonds - Le Noirmont - Glovelier が本線格で、時計の町ラ・ショー・ド・フォン La Chaux-de-Fonds から出発する。市街地で併用軌道を少し走った後は、標高1000m前後の森と牧草地が交錯するのどかな高原地帯を進む。最後は谷底のグロヴリエ Glovelier へ降下していくのだが、その途中にオメガループ(馬蹄カーブ)とスイッチバックがある。

列車の進行方向が変わるコンブ・タベイヨン Combe-Tabeillon 駅は、人里離れた渓谷の中の秘境駅だ。折返しを待つ間、車内は静まり返り、どこか遠いところに置いて行かれたような気分になる。

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スイッチバックのコンブ・タベイヨン駅(2017年)
Photo by chrisaliv at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、軽便鉄道の雰囲気が最も濃厚なこの区間が、初めは標準軌だったと知れば驚くだろう。セーニュレジエ Saignelégier の西側は1892年開業で、もとからメーターゲージだが、東側は遅れて1904年に、別会社により標準軌支線として誕生した。地元の有名な競馬行事、マルシェ・コンクール Marché-Concours の日には、バーゼルから直通列車が運行されたそうだ。しかし、ジュラ鉄道に統合後、1953年に狭軌に転換されて今の形となった。

旧標準軌区間にあるプレ・プティジャン Pré-Petitjean では、「ラ・トラクシオン La Traction(牽引の意)」の名で保存列車を運行する愛好家団体が、活動拠点を構えている。場所はプレ・プティジャン駅の東側にある元 製材所の敷地で、電車の窓からも見える。

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「ラ・トラクシオン」リーフレット表紙
© 2021 les-cj.ch
 

項番25:イヴェルドン=サント・クロワ鉄道 Chemin de fer Yverdon - Ste-Croix

この鉄道は、ヌーシャテル湖 Lac de Neuchâtel 南端の町イヴェルドン・レ・バン Yverdon-les-Bains を起点とする。全線の所要時間は36分に過ぎず、行路の前半は、のびやかな丘が続く平凡な車窓だ。ところが、中間駅ボーム Baulmes を後にすると、ルートはにわかに山岳鉄道の様相を帯びる。終点サント・クロワ Ste-Croix はジュラ山地の高原上にあり、そこまで高度400m以上も上らなければならないからだ。

線路は山裾にオメガカーブを描いて方向を変え、ジュラの東壁にとりつく。そして44‰の急勾配でじわじわと高度を上げていく。たとえばルツェルン Luzern~エンゲルベルク Engelberg 間の LSE線のように、ラック式で一気に高度を稼ぐこともできたはずだが、そうはしなかったのだ。地図上でルートを追うと、勾配を許容範囲に抑えるために、南西に大きく迂回して距離を引き延ばしていることがよくわかる。

斜面に育つ木々に遮られることが多いとはいえ、車窓からの眺めは文句なしに素晴らしい。左遠方にヌーシャテル湖の湖面とイヴェルドン市街地、正面に今通ってきた丘陵地とオルブ平原 Plaine de l'Orbe が横たわる。ラック式なら直線的に上るから、景色を楽しむ時間はもっと短かったに違いない。

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ビュイトベフ Vuiteboeuf 付近
これから上る線路が背後の山に斜めの筋を描く(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0

スイスの場合、一般路線でも見どころを挙げればきりがない。ましてや観光路線はそれを売り物にしているから、リストはこれだけでいっぱいになる。他国編で挙げているような蒸気機関車の保存鉄道 Museumsbahn ももちろんあるものの、どこか影が薄いのはやむを得ないことだ。

しかもスイスは鉄道の活用度が高く、保存列車走行に使えるような休止線(線路が残るもの)が少ない。また、電化が進んでいる(一般路線の電化率は100%)ので、蒸機といえども架線の下を走る形になってしまう。

項番7:エッツヴィーレン=ジンゲン鉄道線保存協会 Verein zur Erhaltung der Eisenbahnlinie Etzwilen-Singen

スイスとドイツの国境をまたいで走るこの標準軌路線は、珍しく電化されないまま2004年に休止となった。2007年にエッツヴィーレン Etzwilen と中間にある拠点駅ラムゼン Ramsen の間で保存列車の運行が始まり、2020年にドイツ側の終点ジンゲン Singen までの全線で運行が可能になった。

写真撮影に目障りな架線や支柱がなく、ルート上にはライン川を横断する高いトラス橋(下の写真)も架かっていて、舞台装置は申し分ない。しかし、今のところ運行日は夏のシーズンの月1回程度に過ぎず、毎週日曜日に実施される軌道自転車の貸出しが主体となっているのが惜しい。

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ライン川を横断する蒸気列車(2010年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8:チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland

チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland は、チューリッヒ州の高地地方を意味する。ここを通るヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間の標準軌旧線(1969年廃止)が、蒸気保存鉄道として蘇ったのは1978年のことだ。現在の主力は、1901年製のEd 3/3形蒸機2機だが、電化路線のため、電気機関車による運行も行われる。

この保存鉄道の優位性は、チューリッヒやヴィンタートゥールといった主要都市圏から、Sバーンで容易にアクセスできるところにある。運行日には最大6往復が設定され、その人気ぶりを物語る。

ルートは峠を挟んでいて、ヒンヴィールを発車するとすぐ、機関車は胸突き八丁に挑まなければならない。町を取り巻いて上っていくオメガループは、29.2‰の急勾配だ。サミットの南側のベーレツヴィール Bäretswil を過ぎると下り坂になり、右の車窓にチュルヒャー・オーバーラントの平原が見えてくる。

定番のビュフェカーはもとより、鉄道の創設者が経営した紡績工場跡の博物館見学、ボンネットバスでの送迎、沿線のハイキングなど、行楽客を誘う途中下車のオプションにも注目したい。

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バウマ駅を後にする蒸気列車(2011年)
Photo by Abderitestatos at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の蒸気保存鉄道にはこのほか、チューリッヒ南郊を走るチューリッヒ保存鉄道 Zürcher Museums-Bahn(項番12)、ジュラ山地のヴァル・ド・トラヴェール蒸気鉄道 Vapeur Val-de-Travers(項番24)、ベルン州のエメンタール保存鉄道協同組合 Genossenschaft Museumsbahn Emmental(項番26)などがある。

 

項番31:ブロネー=シャンビー保存鉄道 Chemin de fer musée Bloney-Chamby

メーターゲージ(1000mm軌間)の保存鉄道では、やはりブロネー=シャンビーにとどめを刺す。1968年から活動している老舗であり、保有する車両の種類と数でも群を抜いているからだ。

起点のブロネー Blonay へは、レマン湖畔のヴヴェー Vevey からヴヴェー電気鉄道 Chemin de fer électriques Veveysans の電車で向かう。この路線はラック線となってレ・プレイアード Les Pléiades の山上へ続いているが、元来、シャンビー Chamby が終点で、MOB線に接続していた。つまり、保存鉄道は、ヴヴェー電気鉄道が1966年に廃止した区間を使っているのだ。

全線わずか3kmと短いにもかかわらず、これほど変化に富んだルートはなかなか見つからない。最大50‰の急坂、小刻みに振れる曲線、谷を渡る急カーブのアーチ橋(ベ・ド・クララン高架橋 Viaduc de la Baye de Clarens)、さらには湖を見晴らす高台と、鉄道模型も顔負けだ。もとが電気鉄道なので、蒸機とともに、オールドタイマーの電気機関車や電車が走るのもうれしい。

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ベ・ド・クララン高架橋を渡る(2016年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はブロネーを出発し、シャンビー到着後すぐ折り返して、近くの山手にあるショーラン車庫の鉄道博物館 Chaulin-Musée(SBB公式時刻表ではシャンビー博物館 Chamby-Musée と記載)に立ち寄る。ここまでが往路の扱いだ。急ぐ旅なら、直近のブロネー行き列車で戻ることもできるが、個性あふれる保存車両群を一つずつ観察し始めたら、いくら時間があっても足りないだろう。

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ショーラン車庫の凸型電気機関車Ge 4/4 75(2018年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

南部編のあらましは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年3月26日 (金)

オーストリアの保存・観光鉄道リスト

保存鉄道・観光鉄道リスト作成の第2弾として、オーストリア編を更新した。従来、サイトに上げていたのは2005年時点のデータだから、16年も経てばさすがに状況は変化している。盛業中の鉄道が多数を占める中で、不幸にも活動を停止したり、今後の存続が危ぶまれているものもあった。

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ÖBBブレンナー線ザンクト・ヨードック St. Jodok 付近を行く
ユーロシティ(2019年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

フランス編と同じように、スペクタクルなルートを通る一般路線を含めて、1ページにまとめているので、ご覧いただければ幸いだ。

「保存・観光鉄道リスト-オーストリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_austria.html

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「保存・観光鉄道リスト-オーストリア」画面

オーストリアの保存鉄道事情は、ドイツやフランスとは様相が異なり、760mm軌間の狭軌路線が過半を占める。760mmは、イギリス由来の2フィート半(30インチ、762mm)をメートル法で再定義した軌間だが、今のボスニア・ヘルツェゴビナに大規模な路線網があったことから、ドイツ語ではボスニア軌間 Bosnische Spurweite/Bosnaspur という。

オーストリアでこの軌間が採用されたのは、1890年前後から第一次世界大戦ごろまでに建設された地方支線だ。幸いにも、多くが改軌や廃止を免れて残っている。標準軌線の駅を起点に谷筋を遡っていくルートが多いが、中には谷を上り詰めて峠越えを果たすものもある。後者はたいてい急勾配急曲線の険しい線形のため、蒸気機関車泣かせの、しかしファンには見せ場の多い人気路線になっている。

以下に掲げる3線はいずれも旧ÖBB(オーストリア連邦鉄道)線で、2010年に地元のニーダーエースタライヒ州に移管され、地域の観光資源として活用されている例だ。

項番1:ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn

北線と南線、それにハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein 支線を合わせて82kmの長さがある。北線と南線は移管後、観光鉄道として再生された。夏のシーズンに毎日気動車が走っているが、日を限って蒸機が旧型客車を牽くノスタルジー列車も登場する。また、ハイデンライヒシュタイン支線でも、別途愛好団体が保存蒸機を運行している。

北線では、本線と支線が約2km並行する区間を舞台にした「アルト・ナーゲルベルクの並走 Parallelausfahrt von Alt-Nagelberg」がおもしろい。2本の蒸気列車が同時発車し、抜きつ抜かれつの競争を繰り広げる。もちろん演出なのだが、列車の乗客も応援に加わって、大いに盛り上がる。

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「アルト・ナーゲルベルクの並走」を終えた列車が
本線(右)と支線に分かれていく(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、南線には大陸分水嶺を越える約8kmの峠道、通称「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」がある。最急勾配28‰の急坂に挑むMh形蒸機の奮闘ぶりが見ものだ。

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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」に挑むMh形蒸機
(2019年)
以下、コピーライト表示のないものは筆者撮影

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I」「同 II」「同 III」参照。

 

項番9:マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn

カトリックの重要な巡礼地マリアツェル Mariazell に向かう電化路線で、一般旅客輸送を行っているが、旧型電気機関車または蒸機が牽く特別列車も運行される。全線86kmのうち、特に後半の山線 Bergstrecke は、小回りの利く狭軌の特性を如何なく発揮した区間だ。ヘアピンカーブを介した3段折り返しの坂道、高峰エッチャーを眺望しながらたどるエアラウフ峡谷の桟道、山中の貯水池を巻くレイアウトのような迂回路と、車窓は変化に富み、見飽きることがない。

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ザウグラーベン高架橋 Saugrabenviadukt にさしかかるET形電車
(2017年)
Photo by Liberaler Humanist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I」「同 II」参照。

 

項番11:イプスタール鉄道 Ybbsthalbahn

支線を含め延長77kmと、上記2線にも匹敵する長大路線だったが、すでに大半で一般輸送が廃止され、見る影もない。幸い、東部にある峠越えルートでは線路が残され、「イプスタール鉄道 山線 Ybbsthalbahn Bergstrecke」の名で、愛好団体により保存運行が維持されている。牽引するのは蒸機または旧型ディーゼル機関車だ。最急勾配31.6‰、最小曲線半径60mと、こちらも劣らず険しいルートで、途中にある2本の華奢なトレッスル橋が行路のアクセントになっている。

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ヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt を渡る蒸機
(2007年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I」「同 II」参照。

非電化線ばかりでなく、電車が走る狭軌線にも見どころがある。

項番13:ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn

リンツ Linz の旧市街と、巡礼教会が建つ北郊の丘の上を結ぶために、ラックレールなし(=粘着式)で116‰もの急勾配を克服している驚異の鉄道だ。現在は900mm軌間の連接式トラムが市内から直通するが、2008年まではメーターゲージ(1000mm軌間)の独立路線で、特殊な非常用ブレーキを備えた専用車両が山上との間を往復していた。その旧車の一部が足回りを交換のうえ、週末の定期運行に投入されており、かつての様子をしのぶことができる。

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起点ハウプトプラッツ Hauptplatz に停車中の改造旧車
(2018年)

*注 鉄道の詳細は「ペストリングベルク鉄道 I-概要」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番37:インスブルック・ミッテルゲビルゲ鉄道 Innsbrucker Mittelgebirgsbahn
項番38:シュトゥーバイタール鉄道 Stubaitalbahn

どちらもインスブルック Innsbruck 市街から南方に出ていくメーターゲージの電化路線だ。ミッテルゲビルゲ鉄道というのは開通時の名称で、1930年代にインスブルック市電(IVB)に統合され、それ以来、6系統を名乗っている。終点イーグルス Igls は、ジル峡谷 Sillschlucht 上部のテラス(棚状地)に載る村で、そこまでトラムが、山岳路線顔負けの連続オメガループを上っていく。残念ながら、並行バス路線との競合から廃止が検討されており、現状は日祝日のみの運行だ。

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終点イーグルスで発車を待つトラム(2017年)
Photo by Simon Legner at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

一方、シュトゥーバイタール鉄道は健在で、インスブルック駅前から、市内軌道を経由して谷奥の終点フルプメス Fulpmes までトラムが直通する。6系統に比べて走行距離が長いだけでなく、ルートの平面形もはるかに技巧的だ。アルプスの高峰群に囲まれた見通しのきく高台を走り通すので、オーストリア屈指の美しい車窓風景が長く楽しめる。

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ノルトケッテ Nordkette の山並みを望む
クライト Kreith 停留所にて(2019年)

数は少ないものの、標準軌(1435mm)の保存鉄道、観光鉄道ももちろん存在している。

項番8:ヴァッハウ鉄道 Wachaubahn

ÖBBドナウ河畔線 Donauuferbahn は、ドナウ川の渓谷に沿う景勝路線としてトーマス・クックの鉄道地図にも描かれていた。しかし輸送路としては傍流のため、中間部の廃止で東西に分断されてしまった。ニーダーエースタライヒ州に移管された東側のうち、クレムス Krems とエンマースドルフ Emmersdorf 間34.1kmでは、ヴァルトフィアテル鉄道と同様に夏のシーズン中、観光列車が走る。古城やブドウ畑の織り成す渓谷の景観を愛でながら、気動車でたどる約1時間の列車旅だ。

復路は、ドナウ下りの船に乗ってもいいし、路線バスで有名な修道院のある対岸のメルク Melk へ出るのもお勧めだ。

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ドナウ河畔のブドウ畑を貫く
デュルンシュタイン Dürnstein 付近の線路(2015年)
Photo by Chris De Wit at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番22:エルツベルク鉄道 Erzbergbahn

オーストリア最大の鉄鉱山から鉱石を搬出していたエルツベルク鉄道には、最大71‰の急勾配があり、1978年までアプト式ラックレールが使われていた。峠を越える中央区間での定期輸送は2001年が最後となり、現在はフォルデルンベルク・マルクト Vordernberg Markt~エルツベルク間で行われている旧型レールバスによる保存運行が、産業路線を体験できる唯一の方法だ。鉱山自体は今も稼働しており、列車が峠のトンネルを出ると、露天掘りの荒々しい採掘現場が見えてくる。

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エルツベルクに向かうレールバス
フォルデルンベルク Vordernberg 付近にて(2019年)
Photo by Liberaler Humanist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30:ローゼンタール蒸気列車 Rosenthaler Dampfzüge

ケルンテン南部、ローゼンタール Rosental の旧ÖBBフェルラッハ線 Ferlacher Bahn で実施されている保存運行で、ヴァイツェルスドルフ Weizelsdorf とフェルラッハ Ferlach の間を蒸気列車が走る。これ自体は片道30分程度の短いものだが、終点に待機している路面電車(またはボンネットバス)が、訪問者を駅近くの製鉄所跡に造られた交通博物館「ヒストラーマ Historama」へ連れて行ってくれる。往復券(コンビチケット)を買うと、これら一連の料金が含まれている。

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ローゼンタール蒸気列車のチラシ
© 2021 Nostalgiebahnen in Kärnten

急坂を上るラック鉄道についても触れておこう。上記のエルツベルク鉄道ではラックレールが解体されてしまったが、オーストリアにはほかにも3か所で残っている。これらに共通しているのは、スイスのような電化の洗礼を受けなかったことで、そのため、今なお蒸機か気動車が運行の役を担っている。

項番5:シュネーベルク鉄道 Schneebergbahn

ウィーナー・ハウスベルゲ(ウィーンの地元の山々)Wiener Hausberge の代表格であるシュネーベルク山 Schneeberg に上る登山鉄道で、ラックはアプト式だ。長らくÖBBに属していたが、上記の狭軌線などに先駆けて1997年から、州とÖBBが設立した別会社が運行を担うようになった(インフラ移管は2012年)。奇抜なまだら模様をまとった気動車「ザラマンダー Salamander(サンショウウオの意)」が、山麓と山上の間を約50分で結んでいる。

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山上のエリーザベト教会前を通過する「ザラマンダー」
(2018年)

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-シュネーベルク鉄道」「シュネーベルク鉄道再訪記」参照。

 

項番20:シャーフベルク鉄道 chafbergbahn

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の一カットにも登場したアプト式登山鉄道だ。標高1782mのシャーフベルク山 Schafberg は、ザルツカンマーグート Salzkammergut の三つの湖を眼下に望む天然の展望台として、観光客にはつとに人気が高い。老齢の旧型に代わり石油焚きの新型蒸機が導入されており、煙の迫力は劣るものの、映画のイメージもまだ保たれている。

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シャーフベルクアルペ Schafbergalpe で対向列車を待つ新型蒸機
(2010年)
Photo by brandiatmuhkuh at wikimedia. License: CC BY 2.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道」参照。

 

項番34:アッヘンゼー鉄道 Achenseebahn

チロル州にあるラック鉄道だが、目的地は山頂ではなく、高台の湖畔だ。そこで、湖上を渡る船に連絡している。開通時期がより古い(1889年)ので、ラックレールは初期の方式であるリッゲンバッハ式だ。石炭焚きの古典蒸機が使われ続けていることでも注目を集めてきたが、残念なことに2020年3月に運営会社が破産して、運行が止まった。現地の報道によれば、新会社が設立され、2022年5月の再開を目指している。

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終点ゼーシュピッツ Seespitz で湖上船に連絡する蒸気列車
(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY 2.5

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I」「同 II」参照。

オーストリアの国土の西部から中央にかけては、スイスから続くアルプスが占めている。ユネスコ世界遺産に単独登録されたゼメリング鉄道 Semmeringbahn は、その東端を横断する鉄道だ。ほかにも、タウエルン線 Tauernbahn、ミッテンヴァルト線 Mittenwaldbahn など、ÖBBの一般路線に景勝ルートがたくさんある。点在する小鉄道を訪ね歩くのはもとより、その道中でさえ、列車旅の楽しみはいくらでも発掘できるだろう。

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 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編

2021年2月21日 (日)

フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編

フランス南部(およそ北緯46度以南)の保存鉄道・観光鉄道リストができあがった。例によって、スペクタクルなルートを走る普通路線や大規模な鉄橋も含めたので、件数は北部編を上回る。その理由は、北部に比べて様相の異なる南部の地勢にあると思う。

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オー・ケルシー観光鉄道
ミランドルの断崖からの眺め(2015年)
Photo by Lieutenant Crowe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

北部は概して丘陵地だ。東に行くにつれ次第に標高が上がっていくものの、山地は東部のヴォージュ Vosges かスイス国境のジュラ Jura 地方にしかない。対照的に南部は、西岸と南西の内陸に平野や丘陵地が広がるものの、他は山がちだ。中央にその名どおりの中央高地 Massif Central がどっしりと横たわり、南のピレネー Pyrénées、東のアルプス Alpes が衝立のように立ち塞がる。鉄道の建設と運行にとっては大きな障壁だが、その分、車窓はすこぶる変化に富んだものになる。

南部にはどのような鉄道があるのか、リストの中からいくつかピックアップしてみよう。

「保存・観光鉄道リスト-フランス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_frances.html

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「保存・観光鉄道リスト-フランス南部」画面

項番1:サン・トロジャン軽便鉄道 P'tit train de Saint-Trojan
項番4:フェレ岬軽便鉄道 Tramway du Cap-Ferret

項番1から4までは大西洋岸かその近くにある観光鉄道だ。西岸には砂浜が200kmも続いていて、点在するビーチリゾート(仏語でプラージュ Plage)に、実用とアトラクションを兼ねたプチ・トラン(小列車)が走っている。

一つは、オレロン島 Île d'Oléron のサン・トロジャン軽便鉄道だ。波静かな内海に面したサン・トロジャン・レ・バン St-Trojan-les-Bains の町裏に乗り場がある。軌間600mmの線路が松林の中を岬に向かって延び、ガッゾー Gatseau、モーミュッソン Maumusson の2か所のビーチへの足となっている。岬周辺は車の乗入れができないので、特に後者は、列車でしか行けないビーチだ。

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サン・トロジャン軽便鉄道
ガッゾービーチ付近(2013年)
Photo by Mutichou at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

フェレ岬軽便鉄道も状況は似ていて、集落や港のあるのは、アルカション湾 Bassin d'Arcachon、すなわち内湾側にあるベリゼール Bélisaire だ。大西洋側のビーチまでは2km弱あり、船で港へ着いた行楽客にとって、鉄道が便利な交通手段になっている。のんびりとトロッコ列車に揺られて海水浴に行けるとは、まことにうらやましい。

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フェレ岬軽便鉄道
ビーチ前に到着(2013年)
Photo by Echtner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8:オー・ケルシー観光鉄道 Chemin de fer touristique du Haut Quercy
項番30:セヴェンヌ蒸気鉄道 Train à vapeur des Cévennes

保存鉄道はたいてい季節運行だ。冬はクリスマスなどの特別運行を除いて休業し、気候が良くなる5~6月からが活動期になる。中でも7~8月のバカンスシーズンは書き入れ時で、どの路線も繁忙期と位置付けてフルサービスを実施する。この期間に曜日を問わず毎日運転するか、あるいは週末のみかで、その鉄道の人気度も推測できる。

標準軌の蒸気機関車を走らせている鉄道のうち、この2本は繁忙期に毎日運行している。人気の理由は何なのだろうか。

オー・ケルシー観光鉄道は、片道6.5kmと短距離ながら、乗客限定の印象的な光景を売りにしている。それは、起点マルテル Martel 駅から2本目のトンネルを抜けたところにある展望台だ。ミランドルの断崖 Falaise de Mirandol をうがった比高80mの高台で、ドルドーニュ川 La Dordogne が流れる緑の渓谷が一望になる(冒頭写真参照。グーグルマップでは Moulin de Briance(ブリアンスの風車小屋)のピンが立てられている地点)。そこまではトンネルと掘割が続くだけに、車窓の展開は劇的で、列車はしばらく停車し、乗客に眺めを愛でる時間を提供する。

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オー・ケルシー観光鉄道
マルテル駅の機関庫(2015年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

セヴェンヌ蒸気鉄道もまた、渓谷探索列車の性格を持っている。起点は、セヴェンヌの門 Porte des Cévennes と呼ばれる断崖を背にしたアンデューズ Anduze の町だ。列車はこの天然の門、すなわち山地への入口をトンネルで貫いた後、ゴルドン川(正確にはアンデューズのゴルドン川 Le Gordon d'Anduze)の渓谷をゆっくりと遡る。特に前半は高架橋やトンネルが繰り返し現れ、車窓の変化に事欠かない。

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セヴェンヌ蒸気鉄道
ゴルドン川渓谷を行く(2013年)
Photo by Okki at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番14: AGRIVAP レ・トラン・ド・ラ・デクヴェルト(発見列車)AGRIVAP Les trains de la découverte
項番15: オー・フォレ鉄道 Chemin de fer du Haut Forez

フランスではかつて、ルノー Renault 社製のユニークな気動車(オートライユ autorail)が活躍していた。セヴェンヌ線(項番12)やアルプ線(項番23)の花形急行列車に使われたパノラマカー X4200形や、運転台が屋根から突き出した異様な容貌から、シュルレアリスムの画家ピカソ Picasso の名で呼ばれる X3800形などだ。こうした名物車両は今も根強い人気があり、蒸気運転を導入していない保存鉄道ではたいてい主役の座についている。

AGRIVAPは、オーヴェルニュ Auvergne 中央部にある旧線で、その貴重なパノラマカーを動態保存する。本来の走行路線ではないものの、同じような標高1000m級の高原地帯を行くので、現役時代を想い起こすには十分だ。それに加えて、終点の村ラ・シェーズ・デュー La Chaise-Dieu には中世の修道院建築が残っている。帰りの列車時刻まで自由見学できるのもうれしい。

*注 AGRIVAP はもともと蒸気動力の農業機械 matériel agricole à vapeur の保存公開を目的に設置された協会組織で、名称もそれに由来する。

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パノラマカーX4200形(2007年)
Photo by Pedelecs at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ピカソ形気動車は量産されたので、各地の保存鉄道で見ることができる。AGRIVAP も所有しているし、近隣のオー・フォレ鉄道もそうだ。エスティヴァレイユ Estivareilles~ラ・シェーズ・デュー間を走る後者は、地元自治体が観光振興を目的に所有し、非営利団体が委託を受けて運行している。おもしろいことに、2本の保存鉄道の間で発着時刻が調整されており、ラ・シェーズ・デューで相互乗換えが可能だ。

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オー・フォレ鉄道のピカソ形気動車(2009年)
Photo by X2426 at wikimedia.
 

項番16:ヴレー急行 Velay Express
項番17:ヴィヴァレー鉄道 Chemin de Fer du Vivarais

19世紀後半、公共事業大臣シャルル・ド・フレシネ Charles de Freycinet のいわゆるフレシネ計画 Plan Freycinet により、全土で8800kmの鉄道路線網の整備が進められた。これらはすべて地方路線で、需要がさほど見込めないことから、規格を落として建設されたものが多い。

メーターゲージの蒸気保存鉄道であるヴレー急行とヴィヴァレー鉄道も例外ではない。前者は高原、後者は渓谷が舞台だが、もとはどちらもCFD社(下注)のヴィヴァレー路線網 Réseau du Vivarais に属し、ル・シェラール Le Cheylard 経由で路線がつながっていた。地形図には廃線跡が明瞭に描かれている。

*注:CFD、正式名称 県鉄道会社 Compagnie de chemins de fer départementaux は、「県営」ではなく、各地の地方鉄道網を運営していた民間会社。

ヴレー急行は、標高1000m前後のヴレー高原 Plateau du Velay を走ることからこの名があるが、旧名のヴァレー鉄道 Voies Ferrées du Valais のほうが通りがいいかもしれない。1970年の開業以来、運行区間は、標準軌線(すでに廃止)との接続駅デュニエール Dunières とサンタグレーヴ Saint-Agrève の間だった。しかし2015年に現在のロクール・ブロセット Raucoules-Brossette 以南に短縮され、同時に新たな車庫・整備工場が整備されている。

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ヴレー急行
モンフォーコン Montfaucon 駅にて(2011年)
Photo by Didier Duforest at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

一方、ヴィヴァレー鉄道は、トラン・ド・ラルデーシュ(アルデーシュの列車)Train de l'Ardèche と称する。終始ローヌ川支流のドゥー川 Le Doux の谷間を走る路線だが、こちらも区間短縮を経験済みだ。以前はトゥルノン Tournon の旧SNCF駅(下注)が起点で、2.2kmの間3線軌条で標準軌線と共有していた。ところが資金難により、2008年から全線で運行ができなくなった。ようやく2013年に再開したものの、運営経費を縮減するために、線路使用料が必要な共有区間の走行を断念したのだ。

標準軌線(ローヌ右岸線 Ligne de la rive droite du Rhône)では1973年から旅客列車が走っておらず、トゥルノン駅で乗換える客がいたわけではない。それで起点をここに維持し続ける必然性はなかった。以来、列車は、専用線上にあるトゥルノン・サン・ジャン Tournon-Saint-Jean 駅から出発している。

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ヴィヴァレー鉄道
コロンビエ・ル・ヴュー Colombier le Vieux 駅のマレー式414号機
(2018年)
Photo by Peter_Glyn at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番11:パノラミック・デ・ドーム Panoramique des Dômes
項番25:トラムウェー・デュ・モン・ブラン(モン・ブラン軌道)Tramway du Mont-Blanc
項番26:モンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers
項番31:ラ・リューヌ軽便鉄道 Petit Train de la Rhune

フランス国内に残っているラック式登山鉄道は、すべて南部編のエリアにある。ここに掲げた4路線はいずれも電気運転で、ラック方式は平底レールの踏面に歯を加工したシュトループ Strub 式だ(下注)。

*注 このほかリヨン・メトロC線の一部に、索道(ケーブルカー)から転換されたフォン・ロール式のラックレール区間がある。

このうち、パノラミック・デ・ドームは2012年に開業したばかりの新路線だ。中央高地のピュイ・ド・ドーム Puy de Dôme 山頂に上っていた自動車道が、そのまま鉄道に転換された。車で来た旅行者も山麓の駐車場にそれを置いて、電車を利用する必要がある。観光分野におけるモーダルシフトの実践例で、富士山登山鉄道のモデルになるかもしれない。

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パノラミック・デ・ドーム
ピュイ・ド・ドーム山頂付近(2015年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

トラムウェー・デュ・モン・ブランとモンタンヴェール鉄道は、いずれもアルプス最高峰モン・ブラン Mont Blanc の周辺で、氷河の眺望を売りにしている。一帯の観光施設も併せてモン・ブラン社 Compagnie du Mont-Blanc という企業が運営していて、ウェブサイトが共通なのはそのためだ。前者はトラムウェーと名乗るだけあって、起点駅から少しの間、道路上の併用軌道を進む。終点は鉄道で到達できるフランスの最高地点だが、駅舎どころか、線路の終端の車止めすらない。

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トラムウェー・デュ・モン・ブラン
ニ・デーグル Nid d'Aigle の終点で途切れる線路(2019年)
Photo by Florian Pépellin at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ラ・リューヌ軽便鉄道は1924年開業の登山鉄道で、ピレネー山脈西端近くにあるラ・リューヌ山に上っていく。山頂は標高わずか900mに過ぎないが、大西洋を見晴らす展望台として人気のスポットだ。電化方式は低電圧の三相交流(3000V 50Hz)で、開通した時代を感じさせる(下注)。

*注 三相交流は初期の電化方式の一つで、スイスのユングフラウ鉄道 Jungfraubahn などにも残っている。

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ラ・リューヌ軽便鉄道
大西洋を見晴らす山上駅
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ル・カピュサン・ケーブルカー Funiculaire du Capucin
項番33:ピック・デュ・ジェール・ケーブルカー Funiculaire du Pic du Jer
項番21:サンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカー Funiculaire de Saint-Hilaire-du-Touvet

登山鉄道の一環で、クラシックな外観を保つケーブルカーもいくつか挙げた。

ル・カピュサン・ケーブルカーは、オーヴェルニュの温泉町モン・ドール Mont-Dore にあり、1898年に開業した。電気運転のケーブルカーではフランスで最も古い。方や、ピック・デュ・ジェール・ケーブルカーは、カトリックの主要巡礼地ルルド Lourdes の郊外にある山で1900年から動いている。どちらも古参の索道で、著名な観光地近くの見晴らし台に上っていく点が共通している。

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ピック・デュ・ジェール・ケーブルカーの山麓駅舎
Photo by Père Igor at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

対するサンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカーは、高地の療養所への交通手段として造られたもので、谷底と、断崖の上に載るプティット・ロッシュ高原 Plateau des Petites Roches を結んでいる。830‰と世界有数の急勾配で、わが国で最も急な高尾山ケーブルカーの608‰と比べても、険しさが際立つ。その分、イゼール川 L'Isère の谷を見下ろす車窓風景はすばらしく、ぜひ車端のオープンデッキに出て楽しみたい。

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サンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカー
急勾配を上る車両
Photo by Ragnhild&Neil Crawford at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番24:SNCF サン・ジェルヴェ・レ・バン・ル・ファイエ=ヴァロルシーヌ線 
Ligne de Saint-Gervais-les-Bains-Le Fayet à Vallorcine
項番35:ル・トラン・ジョーヌ(黄列車、SNCFセルダーニュ線)Le Train Jaune (Ligne de Cerdagne)

サン・ジェルヴェ・レ・バン・ル・ファイエ=ヴァロルシーヌ線(以下、シャモニー線)がアルプスのシャモニー谷 Vallée de Chamonix を貫くのに対し、ル・トラン・ジョーヌ(以下、セルダーニュ線)はピレネーのセルダーニュ高原 Plateau de Cerdagne を越えていく。二者は東西に遠く離れた位置関係にあるが、実は双子のように共通項が多い。すなわち、

・メーターゲージ(1000mm軌間)である
・直流電化かつ給電用レールから集電する第三軌条方式(電圧は前者800V、後者850V)である
・急勾配を粘着運転する(最急勾配は前者90‰、後者60‰)
・終点が国境に接近している(前者はスイス側と直結、後者はスペイン国境駅が終点)
・SNCFが直営する

さらに、沿線人口が多くないため、分類としては一般路線ながら、観光客輸送に軸足を置いている点も同じだ。

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シャモニー線
レズーシュ Les Houches 駅にて
Photo by Florian Pépellin at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

歴史的にはシャモニー線が先輩で、パリ=リヨン=地中海鉄道会社 Compagnie des chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée (PLM) の手で1901~1908年に開業した。セルダーニュ線は、ミディ(南部)鉄道会社 Compagnie des chemins de fer du Midi が1910年以降に建設した路線だ。

その設計にあたって、地形的な共通点などから、先行するシャモニー線の技術仕様が参考とされたのは確かだろう。しかし、沿線にはセジュルネ橋やカッサーニュ橋といった独自のシンボリックな橋梁があり、ミディ社の担当技師の、単なる模倣を超えようとする強い主張のようなものも感じられる。

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セルダーニュ線
セジュルネ橋を渡る黄列車
Photo by Thierry Llansades at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ここに挙げたもののほかにも、標準軌の山岳路線であるセヴェンヌ線(項番12)やタンド線(項番39)、メーターゲージ山岳路線のプロヴァンス鉄道(項番37)やコルシカ鉄道(項番40)、さらには、ロープウェーと山上鉄道を乗り継ぐアルトゥスト軽便鉄道 Petit Train d'Artouste(項番32)など、南部には興味深い路線が目白押しだ。現地に行くのは難しくとも、地図や写真・動画でフランスの鉄道旅を楽しんでいただきたい。

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 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年2月 8日 (月)

フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編

一般運行から引退した機関車や客車を保存・整備し、休廃止された路線などを利用して走らせる活動を「保存鉄道 Heritage railway」と呼ぶ。熱心なボランティアが運営全般に携わり、活動資金の多くを支えているのも篤志家の寄付だ。観光イベントとしても人気があり、コアなファンだけでなく一般市民も多数訪れる。

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ソンム湾鉄道の蒸気列車
サン・ヴァルリー・ヴィル St-Valery Ville 駅にて(2016年)
Photo by Didier Duforest at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

こうした保存鉄道はイギリスが中心だと思われていて、メディアで紹介されるのもたいていイングランドかウェールズの蒸機運行だ。確かに鉄道発祥の地であり、アンティーク好きな国民性からしてもイメージが合致するのだが、もとよりこれはイギリスの専売特許ではない。

先ごろ、フランスの鉄道遺産をまとめた「鉄道観光ガイド Guide du tourisme ferroviaire」(Sélection du Reader's Digest, 2005) という本を読んで、フランスにも多数の保存鉄道・観光鉄道が存在していることを知った。そこで、運営団体の公式サイトその他の資料も参考にしながら、HP「官製地図を求めて」の中にある一コーナーに、これらの鉄道を紹介するページを加えようと考えた。

純粋な保存鉄道にとどまらず、スペクタクルなルートを走る普通路線や登山鉄道、大規模な鉄橋などにも網を広げたので、取り上げた項目は全部で80か所にもなる(下注)。とりあえず北部編(およそ北緯46度以北)をアップしたので、ご覧いただければ幸いだ。

*注 「鉄道観光ガイド」にはこのほか、軌道自転車で走れる休止線も多数紹介されているが、当ページは列車に乗れるものに絞っている。

「保存・観光鉄道リスト-フランス北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_francen.html

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「保存・観光鉄道リスト-フランス北部」画面
 

このコーナーはもともと、鉄道のルートが載っている地形図の図番一覧表だった。作成した2005年ごろ(16年前!)はまだ使いやすい地形図サイトが少なく、印刷図が貴重な情報源だったからだ。しかし昨今では形勢が全く逆転し、むしろ紙の地形図のほうが入手困難になりつつある。

そのため、フランス編では方針を変更して、グーグルマップと、IGN(フランス国土地理院)が開設する地形図サイトにリンクするようにした。「地図」欄の「Google」「IGN」の文字をクリック/タップすると、鉄道の起点駅または拠点駅の位置が表示される。

グーグルマップは、ルート検索や周辺の施設情報など、特定の地点とそこへのアクセスに関する情報を調べるのに適した地図サイトだ。しかし、地形や鉄道のルートに関しては、必ずしも満足のいく情報が得られるとはいえない。その点、IGNサイトで表示されるのはまさに地形図で、かつ保存鉄道のルートが注記や赤紫のマーカーで強調されており、沿線風景を把握するのに威力を発揮する(下注)。

*注 IGN地形図サイトの操作方法は、本ブログ「地形図を見るサイト-フランス」で解説している。

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IGN地形図サイトでの観光鉄道の表示例
(上)鉄道記号に Ligne touristique(観光鉄道)の注記
  旅客扱いする駅は赤で塗られる
(下)より大縮尺の図では、鉄道記号に赤紫のマーカーが重ねられる
  Train touristique は観光列車の意
© 2021 IGN
 

なお、IGN地形図を最初に表示したときに、下図のような薄暗い画面が出てくる場合があるが、これは操作機能の説明画面だ。画面上の任意の場所をクリック/タップすれば、明るさが戻る。

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薄暗い画面になるときは
画面上をクリック/タップする
© 2021 IGN
 

また、「写真」欄の「Wmedia」は、ウィキメディアにその鉄道に関するカテゴリが設定されている場合のリンクだ。駅舎や保有車両などさまざまな画像が集められているので、文字情報にはない臨場感が得られるのではないだろうか。

では、北部編で特に興味を引かれた鉄道をいくつか挙げておこう。

項番1:ドゥール谷観光路面軌道 Tramway touristique de la vallée de la Deûle

路面電車ファンなら心踊る、フランスではおそらく唯一の、トラム(路面電車)車両を専門とする保存鉄道だ。リール市内および郊外の路面軌道で使われていたクラシックスタイルの車両を保有し、休日などに運行している。

走行ルートも魅力的で、閉じられた敷地を循環するのではなく、ドゥール運河 Canal de la Deûle の右岸に造られたかつての曳舟道 Chemin de halage(英語ではトウパス Towpath)に沿う約3kmを行く。のどかな運河べりの風景を背にして走る電車は、かつてヨーロッパ各地の田園地帯で見られた郊外軌道の情景を再現しているようだ。

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ワンブルシーを走る古典トラム(2008年)
Photo by Velvet at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番3:ソンム湾鉄道 Chemin de fer de la baie de Somme

フランスにある蒸気保存鉄道のなかで最も知られたものの一つだろう。舞台のソンム湾(下注)は英仏海峡に面し、地形的に見れば、ソンム Somme 川の河口に広がる三角江(エスチュアリーまたはエスチュエリー)だ。満潮時には海水で満たされるが、潮が引くと見渡す限りの干潟に変わる。列車は、SNCFとの接続駅ノワイエル Noyelles とサン・ヴァルリー St-Valery の間、この広大な汽水域に築かれた堤の上を走っていく。

*注 「ソンムの戦い」のように、日本語では「ソンム Somme」と言い慣わされているが、実際の発音は「ソム」が近い。

さらにこの路線では、SNCF線の貨物列車がサン・ヴァルリーの港まで乗り入れていた。それで線路は、標準軌の間に1000mm軌(メーターゲージ)を入れ子にした珍しい4線軌条だ。これも大いに注目したい。

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汽水域の築堤上をサン・ヴァルリーに向かう蒸気列車(2009年)
Photo by P.poschadel at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番5:オート・ソンム軽便鉄道 P'tit Train de la Haute Somme

これは、ソンム川を河口から約100km遡ったところにある600m軌間の軽便鉄道だ。第一次世界大戦中に軍用鉄道として敷設され、戦後はドンピエール Dompierre にあった製糖工場からソンム運河 Canal de la Somme へ貨物を輸送するのに使われていた。

乗り場は運河のそばで、出発からしばらくはそれに沿って進む。しかし、目的地は比高40mの台地の上なので、トンネルを抜けた後、Z字のスイッチバックで一気に上りきる。スイッチバックは列車をそのつど停止させてポイントを切り替えなければならず、運行の効率はよくない。応急的に造った路線ならではの高度克服法なのだが、今やそれがこの軽便鉄道の価値を高めている。

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スイッチバック区間を走行する蒸気列車(2014年)
Photo by Manfred Kopka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13:アブレッシュヴィレル森林鉄道 Chemin de fer forestier d'Abreschviller

アブレッシュヴィレル Abreschviller は、フランス東部、ヴォージュ山地 Massif des Vosges の西斜面に立地する町だ。一帯はかつて林業が盛んで、木材の搬出のために、ドイツ時代の1880年代から森林鉄道網が築かれていった。軌間は700mmで、プロイセンの軍用鉄道で使われていた規格だ。

伐採事業は1960年代に中止され、それに伴い、鉄道施設もほとんど撤去されてしまった。今ではこの観光列車が走る区間とその前後しか線路が残っておらず、貴重な遺構になっている。客車はすっかり遊覧仕様だが、ほの暗い森に分け入っていく簡易軌道には、何かしら高揚感を覚える。

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サール・ルージュ川に沿って山を下りる観光列車(2007年)
Photo by Torsade de Pointes at wikimedia.
 

項番14:ライン川観光鉄道 Chemin de fer touristique du Rhin

保存鉄道は往復乗車が基本になる。しかし、単に行って帰るだけでは変化がないので、終点あるいは途中の駅で、マーケットや施設見学といったイベントが催されることもしばしばだ。さらに、片道を別の交通手段にすることで、集客を図る鉄道も見られる。

ライン川観光鉄道は、ヴォーバンの要塞都市ヌフ・ブリサック Neuf-Brisach の東側から出発する。すぐに左に折れ、後はライン川に沿って走るが、川本体が見える区間はわずかだ。それで船会社と提携することで、復路で観光船の旅も選べるようにしている。ラインの船旅といっても、このあたりは平地で、山並みも古城も見えないのだが、視点が変わればいい気分転換になるだろう。

片道を軌道自転車で走るエトルタ=ペイ・ド・コー観光鉄道(項番10)も同じような例だ。

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蒸機030T形の重連運転
フォルゲルサイム駅にて(2008年)
Photo by DEUTZ159 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番16:トリュー蒸気鉄道 Vapeur du Trieux

ブルターニュ半島の海岸線は複雑で、丘陵地を刻んだ谷に海水が侵入して、三角江を形成している。同じ三角江でもソンム湾(項番2)とは様相が異なり、丘と丘の間に細く深く湾が入り込むイメージだ。

この鉄道はトリュー Trieux 川の谷の、そうした湾入の縁をなぞるように蒸気列車で通過していく。標準軌ながら急カーブが続出し、まるで軽便線のようなルートなので、速度も控えめだ。三角江の風光を堪能できるのは、ポントリュー Pontrieux 行きが右車窓、パンポル Paimpol 行きは左車窓になる。

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トリュー川の三角江
線路の対岸からの眺め
Photo by Colsu at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番29:レ・コンブ鉄道 Train des Combes

1981年のTGVパリ~リヨン間開業当時、唯一の中間停車駅だったのが、ル・クルーゾ Le Creusot だ。最初は利用者が伸び悩んだというから、1990年に在来線のル・クルーゾ駅近くで開業したパルク・デ・コンブ(コンブ公園)Parc des Combes も、需要喚起策の一つなのだろう。

郊外の山をまるごと開発したこの山上遊園地で、園内を周回しているのがトラン・デ・コンブ(レ・コンブ鉄道)Train des Combes だ。遊園地の遊具といえばそれまでだが、山腹に降りてトンネルやヘアピンカーブを繰り返すなど、どこかインドのマテラン(マーテーラーン)鉄道を彷彿とさせる。

1999年には、在来線のル・クルーゾ駅前まで線路が延伸され、二つ谷鉄道 Train des deux vallées の名がつけられた。公園の山が二つの谷に挟まれているのが由来だと想像するが、残念なことに最近、運行休止になってしまった。

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SNCF線に隣接する
レ・コンブ鉄道のル・クルーゾ駅(2019年)
Photo by Andrzej Otrębski at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32:SNCF イロンデル(燕)線 Ligne des hirondelles

イロンデル線という名称はSNCFの登録商標だそうだ。モレ Morez にある、ツバメが飛ぶ軌跡のような巧妙な線形から名づけられた。路線は本来、ドル Dolle やブザンソン Besançon とジュラ南部を結ぶ普通鉄道なのだが、ジュラ山地を行くあまたの鉄道の中でも観光要素が強い。

サミットのラ・サヴィーヌトンネル Tunnel de la Savine を抜けた時点で、線路の標高は約900mだ。ところがモレ駅は736m(それでも町から40mほど上にある)で、差が160mを超える。ループ線形は、勾配を25~30‰に抑えながらこの高度差を克服するために考案された。

写真の上部に写っているレ・クロット高架橋 Viaduc des Crottes はまるで空中回廊だ。下から見上げるのもすばらしいが、橋を渡る列車から俯瞰するモレの谷もさぞかし絶景だろう。

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モレの高架橋を行く気動車(2010年)
Photo by Nadege Bonnet Mathieu at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

次回は、南部編のあらましを紹介する。

 

【付記】鉄道名の和訳について

フランス語では鉄道のことを「chemin de fer(シュマン・ド・フェール、鉄の道の意)」という。観光鉄道の名称にはこのほか、小列車を意味する「petit train(プティ・トラン)」や、観光列車を意味する「train touristique(トラン・トゥーリスティック)」も好んで使われる。

しかし、日本語では「~列車」が鉄道名になることは稀であり、和訳としてなじみにくい。そう考えて、保存鉄道リストでは敢えて直訳せず、petit train を「軽便鉄道」、train touristique を「観光鉄道」と読み換えている。

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 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2020年10月27日 (火)

コンターサークル地図の旅-石の里 大谷

朝10時、JR宇都宮駅西口のペデストリアンデッキからバスターミナルの乗り場へ降りると、すでに20人以上が列を作っていた。それも若者が多い。まさかそれほどの人気スポットとは知らなかったから、日曜なのに学校で授業か試験でもあるのか、と勘繰ったほどだ。聞くと、最近またメディアで取り上げられたらしい。私たちが行こうとしている場所は、PVその他の映像作品のロケ地としてもしばしば使われている。

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大谷資料館の地下採掘場跡
 

2020年10月4日、コンターサークルSの旅2日目は、その宇都宮市大谷町(おおやまち)を訪ねた。宇都宮駅の北西約8kmにある、建築用石材として名高い大谷石の産地だ。

大谷石とは、今から約1500万年前に火山灰や軽石などの火山噴出物が海底に堆積して凝固した角礫凝灰岩のことだ。気泡が多く含まれるため、比較的軽くて加工しやすく、建材として重宝されてきた。とりわけ大正期、関東大震災に見舞われた東京で、これを使った帝国ホテル本館(下注)が無事だったことから耐火性が評価され、復興需要で一躍その名が広まった。

*注 そのエントランス部分は、愛知県の博物館明治村で移築公開されている。

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大谷寺と大谷公園をつなぐ切通し
 

大谷石はこの地域の東西約5km、南北約10kmにわたって分布しており、露天掘りだけでなく、坑内掘りも盛んに行われてきた。現地には、こうした地下の広大な採掘場跡を公開している資料館があり、切り出した石材を運搬していた軌道跡なども残っている。きょうは一日、このユニークな石の里を巡るつもりだ。

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大谷資料館の位置
(1:200,000 平成22年修正図)
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1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と東武大谷線の位置(緑の破線)等を加筆

集合したのは中西、大出、森さんと私の4名。並んでいた若者たちとともに、10時05分発の大谷・立岩行きに乗り込んだ。バスは中心街を東西に貫く大通りから、大谷街道へと進んでいく。車内はほぼ満席で、ほぼ全員が大谷まで乗り通した。

資料館入口というバス停で下車。姿川が流れる谷間で、両側を屏風のように切り立つ灰色の崖に挟まれている。これも大谷石の露頭だ。バスは空っぽになるし、屋台も出ていて、すっかり著名観光地の様相だが、関東圏に住むメンバーでも、「何かきっかけがないと、ここまで足を延ばすことはないですね」という。ともかく案内標識に従って、山手へ歩いていく。

広い駐車場を通り抜け、急な坂道を上り、谷の奥まったところに、大谷資料館と付属のカフェ・売店があった。ここも昔は露天掘りされていたのだろう。周囲の岩山は直線的かつ複雑な形状に切り出されていて、眺めるだけでも面白い。鉱山の跡というよりもはやアートだ。

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(左)資料館入口バス停
  バスは宇都宮LRTのラッピング車だった
(右)大谷資料館正面(2017年撮影)
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資料館の周りのアートな岩山
 

資料館1階には、大谷石に関する資料が展示されている。メンバーがめざとく見つけたのが、石材を運搬していた手押しトロッコの復元模型。レールに載せた木枠の車台に、直方体に切り揃えられた本物の大谷石がぎっしりと積まれている。このようなトロッコで採掘場から荷捌きの駅まで移送していたのだ。ふと岐阜県岩村の酒屋で見た横丁鉄道(下注)を思い出した。

*注 酒屋の横丁鉄道については、本ブログ「城下町岩村に鉄路の縁」の末尾で記述。

トロッコ展示の上には、この一帯に張り巡らされていた石材軌道の路線図が掲げてある。実現はしなかったが、滞貨を解消するために、宇都宮駅を起点とする大谷石材鉄道という新線計画もあったという。旺盛な石材需要に乗って、この地域が栄えていたようすが想像できる。

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大谷石を運んだ手押しトロッコ
(大谷資料館の展示)
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石材軌道の路線図(大谷資料館の展示パネル)
左は開通年、中は廃線年を記載、
右は未成に終わった大谷石材鉄道を解説
 

資料はそれぞれに興味深いのだが、この施設の神髄はまだ別のところにある。右手の入口から降りていく石の階段の先に、にわかに開ける巨大な地下空間だ。それは四角い断面の筒を横倒しにした形で、奥に向かって沈み込むように傾斜している。さらに左右にも同じような筒状空間が延びている。歩き回るにつれ、全体が大谷石の地層の中に掘られたホール状の空洞で、一部を柱として残してあるのだということがわかってくる。

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石の階段を下りていくと…
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地下採掘場の巨大な空間が開ける
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(左)底部から見た入口の階段
(右)成形作業の展示
 

天井はるか高いところに開いている穴は、深さを測った跡だという。一面鑿や鶴嘴の跡が残された壁は、カメラで切り取るとまるで現代美術のようだ。坑内には七色のライトアップが施され、目を引くために野外彫刻のような造形物が配置されている。しかしそれらは味付けに過ぎず、この大空間が放つ荘厳さそのものが、訪れた者に驚きと感動を呼び起こす。

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ライトアップされた地下採掘場跡
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訪問者がカメラを向けているのは
天井に開いた深度測定用の穴
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鑿や鶴嘴の跡は現代美術のよう
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開口部から地上の光が差し込む
 

説明板によると、ここは大正時代から60年以上にわたって大谷石を採掘した跡で、間口150m、奥行き140m、深さは平均地下約30m、野球場一つ入る大きさがあるそうだ。そして、見て回れるエリアは実は全体の半分にも満たず、未公開の坑道がまだ奥の暗闇に眠っているのだという。

外の気温は22度あったが、坑内の気温計は13度とかなり涼しい。ジャケットの裾をたぐり寄せながら、この途方もない体積を掘り、搬出した時間と労力に思いを馳せた。朝のバスの混みぐあいや駐車場に櫛比する車の数も、この非凡な体験を得るためだとしたら納得がいく。

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(左)坑内気温13度
(右)坑内図
  公開部は薄灰色、
  背後に広大な非公開部(白色、立ち入り禁止と注記)がある

資料館を後にして、さっきのバス停の前にある大谷景観公園で昼食にした。芝生の中に設置された広い木製テーブルが、使ってくださいと言わんばかりに私たちを誘っている。

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大谷景観公園
中央のテーブルで昼食タイム
 

昼食後は、大谷寺の前から、平和観音が立つ大谷公園へ抜けた。ここも露天掘りの跡だが、そこに石の山から彫り出したという観音像がある。高さは約27m、尺貫法では88尺8寸8分で、足元から仰ぐとかなりの迫力だ。頭部はていねいに彫られ、裳裾も優美なフォルムを描いているが、「手はどうなってるんでしょうね」と誰かがつぶやく。あまり注目されない部分なので、ラフに仕上げてあるのだろうか。

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石の山から彫り出した大谷観音
 

資料館で見たとおり、かつて大谷石は鉄道で運び出されていたので、一帯の鉄道密度はかなり高かった。嚆矢となったのは、1897(明治30)年開業の宇都宮軌道運輸による人車軌道で、1903(明治36)年に日光線の鶴田駅に接続されている。この後、点在する産地に向けて2社が争うように路線を延ばしたが、1907(明治40)年に宇都宮石材軌道に一本化され、さらに1931(昭和6)年に、宇都宮に進出した東武鉄道によって買収された(下注)。

*注 それに伴い、鶴田駅西方の分岐点から東武宇都宮線の西川田駅に接続する新線が建設されている。

東武大谷線の路線網には、軌間610mmの「軌道線」と、同 1067mmの「軽便線」の二つのグループがあった。第二次大戦後、トラック輸送の普及により、前者は1952(昭和27)年に全廃されてしまったが、後者は1964(昭和39)年まで運行されていた。そこで採掘場跡を巡った後は、この大谷線の跡を訪ねる。

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石材軌道現役時代の1:25,000地形図
(1929(昭和4)年修正図)
 

森さんが、廃線跡の現状について解説した資料を配ってくれた。それに従って、大谷街道を宇都宮の方向へ少し戻る。この街道上にも併用軌道が敷かれていたはずだが、大谷寺西方の三叉路付近に、軌道線大谷駅跡が空地として残されているだけだ。

県道70号(宇都宮今市線)の大谷交差点からさらに東へ進むと、道路の南側に、軽便線の荒針(あらはり)駅跡である広大な敷地が見えてきた。ロードサイドの商業地区に再生され、奥はパチンコ店の駐車場に使われている。

線路はまもなく大谷街道から離れ、一路南へ向かっていた。だが、鹿沼街道との交差点までは、明保(めいほ)通りとして拡張整備されており、痕跡は消失している。それで、荒針分岐点から北上していた立岩(たていわ)支線跡に足を向けた。

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東武大谷線跡
(左)荒針分岐点から南は明保通りに転換
(右)北は小道になって続く
 

こちらは車1台通れる程度の小道のままで、まだしも鉄道の雰囲気を残している。右手から近づいてくる2車線道と接する地点に、「東武鉄道株式会社社有地」と記された杭が2本立っていた。簡易舗装された歩道に見えるので、社有地とは意外だった。処分しない理由があるのか、あるいはどこも引き取ってくれなかったのか。いずれにしても廃線跡を示す決定的証拠には違いない。

すぐに瓦作(かわらさく)駅の跡がある。片側が森に接したやや幅広の敷地に、大谷石のベンチらしきものが置かれている。その先は通学路に使われていたようで、車道との交差点に「止まれ」の標識やロードサインが見られた。しかしかなり古びていて、もう利用されていないのかもしれない。

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(左)道端に立つ東武社有地標
(右)瓦作駅跡
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(左)瓦作駅北方の、枕木を再利用した柵
(右)田んぼの中を延びる廃線跡
 

車道と分かれ、線路跡の道は田んぼの中を心細げに延びる。終点の立岩駅跡は児童公園に変貌していたが、ここでも同じ社有地標を発見した。

立岩支線は、先ほどの荒針分岐点からここまで2.1kmの短い貨物専用線だった。レールこそ取り払われてしまったが、それを除けば、ここにゴトゴトと無蓋貨車を牽いて列車がやってきてもおかしくない。そう思わせる、時が止まったような廃線跡だ。

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(左)終点立岩駅跡は児童公園に
(右)ここにも社有地標が
 

立岩には、朝乗ってきた路線バスの終点がある。帰りのバスも混むだろうから、始発から乗るにこしたことはない。運転手は「折り返しまでまだ時間があるので、乗って待っていてください」と私たちに言って、休憩に出ていった。村はずれの、ベンチもない停留所だったので、疲れた足にはありがたかった。

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帰りは立岩バス停から
 

掲載の地図は、陸地測量部発行の2万5千分の1地形図大谷(昭和4年修正測図)、宇都宮西部(昭和4年修正測図)、国土地理院発行の2万5千分の1地形図大谷(平成29年調製)、20万分の1地勢図宇都宮(平成22年修正)を使用したものである。

■参考サイト
Oya, Stone City https://oya-official.jp/

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