軽便鉄道

2024年2月 7日 (水)

ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

植民地、自治領以来の強い文化的影響を受けて、南半球のイギリス Britain of the South とさえ呼ばれるニュージーランドは、保存鉄道の分野でもその呼び名にふさわしい充実ぶりを見せている。リストに掲げた20数件の路線のうち、主なものを北島と南島に分けて紹介したい。今回は北島について。

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グレンブルック駅の国産蒸機Ja形(左)とWw形(2017年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_nz.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド」画面

ニュージーランドの幹線鉄道網は、日本のJR在来線と同じ1067mm(3フィート6インチ)軌間だ。廃止された支線を復活させて、この軌間の保存蒸機やディーゼル機関車を走らせているところがいくつかある。

項番1 ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道 Bay of Islands Vintage Railway

北島の北側に角のように延びるノースランド半島 Northland Peninsula の一角を、この保存鉄道は走っている。もとは国鉄ノース・オークランド線 North Auckland line の最北端で、オプア支線 Opua branch line とも呼ばれた、内陸から港町に向かうローカル線の一部だ。

*注 オプア支線はノース・オークランド線 North Auckland line で最初の開業区間で、1868年にカワカワの炭鉱からオプア Opua の港へ石炭を運ぶ馬車軌道として造られた。

ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道は1985年に開業したが、その後、財政難で休止と再開を繰り返した。現在は、支線の中間駅だったカワカワ Kawakawa を拠点に、約7km下ったテ・アケアケ Te Akeake(停留所)までの区間を、蒸気またはディーゼル牽引で往復している。往復の所要時間は90分。

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カワカワ駅で発車を待つ蒸気列車(2009年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ルートの呼び物は、カワカワの市街地を貫いている長さ約300mの道路併用区間だ。両端の車道との交差部に信号機はなく、クルマや通行人は阿吽の呼吸で、進入する列車に道を譲る。町を出た後は農地のへりを下っていき、中間駅タウマレレ Taumarere の先に、カワカワ川(!)Kawakawa River に架かる長いトレッスル橋がある。

テ・アケアケは川べりにある暫定の折り返し点で、鉄道はこの先、オプア港までの復元を目標にしている。現行ルートでも車窓はけっこう変化に富んでいるが、将来区間にはトンネルや入江の眺めもあり、魅力はいっそう深まることだろう。

ところで、英語では保存鉄道を通常 "heritage railway" というが、ニュージーランドでは、この鉄道のように "vintage railway" と称することが多い。適切な訳が思いつかないので、リストではすべてヴィンテージ鉄道としている。

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カワカワ市街地の併用軌道(2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番5 グレンブルック・ヴィンテージ鉄道 Glenbrook Vintage Railway

オークランドでグレンブルック Glenbrook と言えば、誰しも南郊にある同名の製鉄所を思い浮かべることだろう。この保存鉄道は、そこへの貨物線が分岐するワイウク支線 Waiuku branch の末端区間を舞台にしている(下注)。1967年に廃止された区間だが、その10年後に保存団体が、藪を切り開き、本線運行から引退した蒸気機関車や客車をここへ運んで走らせ始めた。今ではそれが、蒸機10両以上を保有する同国有数の保存鉄道に成長している。

*注 ワイウク支線のうち、根元区間のパトゥマホエ Patumahoe ~グレンブルック間は製鉄所への貨物支線として現在も使われている。

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ワイウク郊外を行くJa形重連(2013年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

鉄道の拠点は、分岐駅のグレンブルックにある。そこから港町ワイウクのヴィクトリア・アヴェニュー Victoria Avenue 駅に至る7.4kmで、シーズンの主として日曜祝日に、かつて本線で使われた蒸機による観光列車が運行されている。

グレンブルックは台地の上で、河口のワイウクへ向けては、牧草地の中に下り坂が続く。往路の蒸機は逆機運転で、終点まで20分間ノンストップだ。機回しの後の復路は上り坂になるため、前を向いた蒸機の力強い走りが期待できる。中間地点のプケオワレ Pukeoware にある鉄道の修理工場で、15分の見学休憩があり、小旅行は往復で70分になる。

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グレンブルック駅の信号所(2013年)
Photo by itravelNZ® at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、険しい峠越えに挑戦した19世紀の鉄道技術の結晶ともいうべき区間について。

項番9 ラウリム・スパイラル Raurimu Spiral

朝、オークランド Auckland から北島本線の長距離列車ノーザン・エクスプローラー Northern Explorer(下注)に乗り込むと、ちょうどお昼ごろにその鉄道名所にさしかかる。ラウリム・スパイラルとは、北島の中心部、タウポ火山群 Taupo Volcanic Zone の広大な裾野のへりにある、スパイラル(日本でいうループ線)を含んだ複雑な山岳ルートのことだ。

*注 北島の二大都市オークランドとウェリントンを結ぶ観光列車。現在、週3往復で、ウェリントン行きが月、木、土曜日に、オークランド行きが水、金、日曜日に運行される。所要10時間40分~11時間5分。

名所区間は、麓にある標高592mのラウリム Raurimu 旧駅(下注)から始まる。線路は半径151m(7チェーン半)のオメガカーブで反転した後、北斜面に回り込んで、長さ385mのトンネルに入る。この内部にスパイラルの始点があり、もう1本のトンネルを介しながら時計回りに円を描いていく。途中で左車窓に、ラウリム旧駅や先ほど通過した線路が一瞬見えるはずだ。

*注 ラウリム駅は1977年に廃止されたが、待避線は動態で現存する。

地形を巧みに利用したルートによって、鉄道は、勾配を蒸機の牽引能力内の1:50(20‰)に抑えながら、トンガリロ国立公園 Tongariro National Park の玄関口、ナショナル・パーク National Park 駅まで215mの高低差を克服した。この間の直線距離は約6kmだが、路線長は11.6kmとほぼ2倍の長さがある。

オークランドに向かう北行きのノーザン・エクスプローラーも、ナショナル・パーク駅の発車は同じ時刻だ。昼過ぎの時間帯、この名所を通って麓に降りていく。

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空から見たラウリム・スパイラル(2012年)
Photo by Jenny Scott at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番11 リムタカ・インクライン Rimutaka Incline

ウェリントンからマスタートン Masterton 方面に通じるワイララパ線 Wairarapa Line には、ニュージーランドの鉄道で第2の長さを誇る8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel がある。トンネルとその前後区間は1955年の開通だ。

それ以前の旧線は、まったく別の峠越えルートを通っていた。特に東斜面には3マイル(4.8km)の間、平均66.7‰という極めて急な勾配区間があった。そこで使われていたのがフェル式 Fell system だ。これは、2本の走行レールの間に双頭レールを横置きし、それを車両側の水平駆動輪で左右から挟むことによって推進力を高める方式で、幹線で20世紀半ばまで使用していたのは、この区間が唯一だった。

麓の基地にはそのための蒸気機関車H形が配置され、戦後に導入された気動車も、センターレールは使わないものの、それに支障しないよう車高を上げた特別仕様車だった。

新線開通後、廃線跡は峠のトンネルを含めて、リムタカ・レール・トレール(自転車・徒歩道)Rimutaka Rail Trail に転用され、保存されている。役目を終えたH形蒸機は1両だけ残され、東麓のフェザーストン Featherston に設立されたフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum で静態展示されている。これとは別に、西麓のメイモーン Maymorn 駅構内では、リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust が、峠区間の復元を目標にして活動中だ。

*注 詳細は「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」参照。

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現役時代のサミット駅(1880年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain
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サミットトンネル東口、トンネル内部に続くフェル式レール(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain

軽便線や市内軌道、鋼索線にもそれぞれ見どころがある。

項番2 ドライヴィング・クリーク鉄道 Driving Creek Railway

3km走る間にトンネル3本、橋梁10本、オメガループが2か所、スイッチバックは5か所…。しかも7番目の橋梁は2層建てで、タイミングを合わせた続行列車と、上下両層で同時に渡っていく。最後に控えるスイッチバックは、尾根から空中に突き出たデッドエンドで、乗客は見晴らしに感嘆しつつも目の前のスリルに肝を冷やす。

ドライヴィング・クリーク鉄道は、北島コロマンデル半島のコロマンデル Coromandel 郊外にある381mm(15インチ)軌間の観光鉄道だ。技巧を凝らして手造りされたレイアウトは、テーマパークのアトラクションも顔負けのレベルに達している。

意外なことに、鉄道の創設者は陶芸家だった。彼は1975年に、陶芸工房で使う粘土と薪を山から運び下ろすために軌道を造り始めた。ところが、工房を訪れた客を乗せるサービスが評判を呼び、しだいに線路は、裏山一帯を巡るようにして上へ上へと延伸されていった。

麓に建つ工房前から、列車は出発する。線路は最大1:14(71‰)という急な上り坂だ。数々のマニアックなポイントを経て到着した終点には、2004年に完成したアイフル・タワー Eyefull Tower(アイフェル・タワー Eiffel Tower、すなわちパリのエッフェル塔のもじり、下注)という展望台がある。標高165mの高みからコロマンデル・ハーバー Coromandel Harbour や対岸の山並みの眺めを存分に楽しんだ客は、再び列車に乗り込み、麓に戻っていく。往復1時間15分。

*注 展望塔の構造は、オークランド港にある同国最古の灯台ビーン・ロック灯台 Bean Rock Lighthouse をモデルにしている。

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(左)2層建ての第7橋梁
(右)空中に突き出た第5スイッチバック(いずれも2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番4 ウェスタン・スプリングズ路面軌道 Western Springs Tramway

オークランド市内のウェスタン・スプリングズ Western Springs にあるMOTAT(輸送技術博物館 Museum of Transport and Technology)が、館外に敷いた軌道線で、動態保存しているトラム車両を走らせている。

博物館には、グレート・ノース・ロード Great North Road とエーヴィエーション・ホール Aviation Hall という離れた2か所の構内があり、軌道線は、訪問者がこの間を移動するための交通手段という位置づけだ。そのため、クリスマスの日を除き年中無休、15分から30分間隔で運行され、運賃は取らない。

グレート・ノース・ロードの車庫から出てきたトラムは、同名の停留所で客を乗せた後、街路と公園に挟まれた専用線を走り出す。中間に停留所が4か所あるが、列車交換(下注)が行われるオークランド動物園 Auckland Zoo 以外はリクエストストップだ。約8分で、航空機の展示ホールがある終点に到着する。

*注 列車交換は、15分間隔運行のときに行われる。

MOTATの保存トラムには、地元オークランドやファンガヌイ Whanganui の1435mm標準軌車のほか、ウェリントン Wellington から来た1219mm(4フィート)軌間の車両も含まれている。どちらも走れるように、軌道は全線にわたって3線軌条だ。

なお、エーヴィエーション・ホールの敷地の奥には、1067mm軌の蒸気鉄道の機関庫と、長さ約700mの走行線がある。毎月1回のライブ・デーには機関庫が公開され、保存運行が行われる。これもまた楽しみだ。

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終点エーヴィエーション・ホールに集結した古典車両群(2015年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番14 ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car

ケーブルカーで高台に上り、市街とその先に広がるウェリントン・ハーバー Wellington Harbour の絶景を眺めるというのが、ウェリントン観光の一つの定番だ。赤い車体のケーブルカーは、首都の目抜き通りラムトン・キー Lambton Quay の一角にある奥まったホームから出発する。前半はトンネルを出たり入ったりを繰り返すが、後半で一転空が開け、後方に町と海の美しいパノラマが見えてくる。

公式サイトによると、路線は長さ612m。17.86%(1:5.06)の一定勾配で、高度差120mを上りきる。山上駅はウェリントン植物園に隣接していて、テラスからの展望を楽しんだ後は、緑あふれる園地の散策に出かけるのが通例だ。

ケーブルカーは1902年の開通だが、当時のシステムは1067mm軌間の全線複線で、サンフランシスコに見られるような循環式と、釣瓶型の交走式とのハイブリッド仕様だった。すなわち、全線を循環するケーブルが通っていて、下る車両はそれを装置でつかむことにより降下する(=循環式)。もう一方の車両は、別のケーブルで山上駅の駆動力を持たない滑車を介してつながっているため、下る車両に連動して引き上げられた(=交走式)。また、緊急ブレーキ用に、フェル式レールも設置されていた。

しかし設備の老朽化が進み、1979年に軌間1000mm、単線交走式に置き換えられた。現在は、ケーブルでつながった2つの車両が、山上駅の駆動力を持つ滑車によって上下する。中間駅タラヴェラ Talavera に、行き違うための待避線がある。

英語では、循環式のケーブルカー(およびロープウェー)を "cable car" といい、交走式は "funicular" と呼んで区別する。この鉄道は今もケーブルカーを名乗っているが、これは旧方式を使っていた名残りに過ぎず、実際はフュニキュラーだ。

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上部駅のテラスから見るケーブルカーのパノラマ(2014年)
Photo by Sham's Personal Favourites at flickr. License: public domain

最後に、変わり種の鉄道ツアーを一つ。

項番8 フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(ストラトフォード=オカフクラ線)Forgotten World Adventures (Stratford–Okahukura Line)

北島中部に、エグモント山麓のストラトフォード Stratford から山中を通って北島本線のオカフクラ Okahukura に至るストラトフォード=オカフクラ線 Stratford–Okahukura Line がある。全長143.5kmの間に、24本のトンネル、91本の橋梁、20‰の勾配が繰り返される山地横断路線だ。しかし、旅客列車は言うに及ばず、近年は貨物列車の運行もなく、路線自体が休止状態になって久しい。

この忘れられたようなルートで、2012年からエンジン付きレールカートによる走行ツアーを実施しているのが、フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(忘れられた世界の冒険)Forgotten World Adventures という企画会社だ。ゴルフカートのような簡素な車両だが、ガイドを兼ねたドライバーがつくので、客は乗っているだけでいい。また、およそ15km走るごとに降りて、小休憩やティータイムがある。

ツアーは数種類用意されている。たとえば、最も手軽な半日コースでは、朝、タウマルヌイ Taumarunui の直営モーテル前に集合して、シャトル(乗合タクシー)でオカフクラの乗り場(下注)へ行く。レールカートで線路を40km走ってトキリマ Tokirima へ。ここでランチをとり、復路はまたシャトルに乗って、ラベンダー農場経由で起点に戻る。

*注 オカフクラの国道をまたぐ鉄道の高架橋が老朽化により撤去されたため、乗り場はオカフクラ駅から800m先の地点に変更されている。

1日コースなら、80km先のファンガモモナ Whangamomona まで行ける。さらに「究極 The Ultimate」コースでは、レールカートだけでストラトフォードまで全線を移動する。東海道線なら、東京駅から吉原か富士までの距離に等しい。途中、ファンガモモナで1泊して2日がかりの行程だが、鉄道趣味もここまで来ると体力勝負だ。

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(左)オカフクラのカート乗り場
(右)先行するカートを追って山中へ(いずれも2021年)
Photo by njcull at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

次回は、南島の保存・観光鉄道について。

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 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I
 ニュージーランドの鉄道史を地図で追う II

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オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に続いて、オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道を見ていきたい。今回はビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州から主なものをピックアップする。

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ウールシェッド・フラット Woolshed Flat 駅で
折り返しの発車を待つピチ・リチ鉄道の蒸気列車(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

ビクトリア州の鉄道路線網の軌間(線路幅)は、州間連絡路線および西部の一部区間を除くと、広軌の1600mm(5フィート3インチ)だ。州内には、この軌間の車両で保存運行している鉄道がいくつかある。

項番18 モーニントン鉄道 Mornington Railway

モーニントン鉄道は、州都メルボルン Melbourne の南郊にある蒸気保存鉄道だ。ビクトリア鉄道の、1981年に廃止された旧バクスター=モーニントン支線 Baxter - Mornington branch line のうち、終端側のムールーダック Moorooduc ~モーニントン間5.7kmを使って、1988年に開業した。

蒸気運転の主役は、ビクトリア鉄道で支線用として導入されたK形と呼ばれる軸配置2-8-0のテンダー機関車だ。ここには4両が収集されていて、その1両が運用に就いている。

運行は毎週日曜日に3往復で、基地があるムールーダックから出発し、モーニントンまで行って折り返す。旧モーニントン駅は商業地に転用されてしまったため、その手前に新設したホームと機回し線がある。なにぶん沿線は牧草地と宅地や工場が交錯する郊外地なので、車窓風景はやや平凡かもしれない。

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朝のムールーダック車両基地(2016年)
Photo by michaelgreenhill at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番22 ビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道 Victorian Goldfields Railway

ビクトリア州中部には、旧金鉱地帯を走る蒸気保存鉄道がある。メルボルンからベンディゴ Bendigo 方面に向かうデニリクイン線 Deniliquin line の支線17kmを保存したビクトリアン・ゴールドフィールズ鉄道で、1986年に開業した。

起点カッスルメーン Castlemaine は、メルボルン・サザンクロス駅からデニリクイン線の列車で1時間30分。その3番線から、保存列車は出発する。現在先頭に立つのはビクトリア鉄道J形蒸機で、K形の後継として1954年に登場した最後の形式だ。この旧モルドン支線 Maldon branch line は高原地帯を横断するルートで、最大25‰のアップダウンが連続する。それで補機としてY形ディーゼル機関車が後ろにつく。

古典客車に揺られ、灌木林に覆われた沿線風景を眺めながら、終点モルドン Maldon まで45分。一帯は1850年代にゴールドラッシュで栄えた土地で、カッスルメーンもモルドンも、市街地の建物や街路に当時の雰囲気をとどめている。折返しの発車を待つ間の周辺散策も楽しい。

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モルドン駅のJ形蒸機(2007年)
Photo by Zzrbiker at English-language Wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番14 ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道 Walhalla Goldfields Railway

ワルハラ・ゴールドフィールズ鉄道も同じように金鉱地帯の名が冠されているが、こちらは762mm(2フィート半)軌間の軽便鉄道だ。場所は州東部ギップスランド Gippsland の深い山の中で、かつて鉱山集落として栄えたワルハラ Walhalla の村の入口に拠点を置いている。

もとはモイ=ワルハラ線 Moe - Walhalla line というビクトリア鉄道の数少ない軽便路線の一つだった。開通したのは1910年で、鉱山はすでに衰退していたが、沿線の潤沢な木材の搬出に活用された。その廃線跡を利用して、1994~2002年に開業したのが現在の鉄道だ。

ワルハラ駅は最も上流で、長さ4kmのルートは、ストリンガーズ・クリーク Stringers Creek という谷川に沿って終始下っている。特に最初の約500mは谷幅が狭く、川を渡る橋梁と崖ぎわの桟道が計6本連続する見どころだ。最後にトムソン川 Thomson River の本流を斜めに渡って、終点トムソン Thomson に到着する。

片道20分、折返し準備を含めて往復で1時間。小型ディーゼル機関車がオープン客車を2~3両率いて、水、土、日曜に各3往復している。

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終点トムソン駅(2007年)
Photo by Travis Winters at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番17 パッフィン・ビリー鉄道 Puffing Billy Railway

メルボルンの東縁を限るダンデノン山地 Dandenong Ranges の南麓にあるパッフィン・ビリー鉄道は、おそらくオーストラリアで最も有名な保存鉄道の一つだ。なにしろクリスマスの日を除いて年中無休で、かつ基本的に蒸気機関車が牽引する(下注)。762mmの軽便線には珍しく、10両以上も客車を連ねた長大編成で走るのも、訪問者の多さを裏付ける。

*注 夏の高温で火気全面禁止となる日はディーゼル代行となる。

鉄道は1900年に開業したが、一般運行の廃止後、1962年から一部区間で保存運行が始まった。現在のベルグレーヴ Belgrave ~ジェムブルック Gembrook 間25kmを走れるようになったのは、比較的新しく1998年のことだ。

人気の理由の一つは、メルボルンの中心地区から電車で約1時間というアクセスの良さだろう。もちろんそれだけではない。盛んに煙を吐く機関車、広軌を見慣れた目には驚くほど幅狭な線路、1920年代を模したレトロな駅設備と、客を迎える舞台装置も十分魅力的だ。

列車が走り出すと、ユーカリの森が手の届くところを飛び去り、カーブの先に華奢な木造のトレッスル橋が現れる。極めつけはオープン客車の窓枠に横座りして、足を車外に投げ出す伝統的マナー(?)が許されていることだ。乗車体験はどこまでも非日常感に満ちている。

なお、平日の運行は途中のレークサイド Lakeside 駅折返しで、終点ジェムブルックまで足を延ばす便は日曜日限定だ。この場合、片道1時間50分、折り返し待ちの時間を含めて往復するなら5時間半かかる。

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モンバルク・トレッスル橋 Monbulk Trestle Bridge(2023年)
Photo by Takeshi Aida at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番16 シティ・サークル(メルボルン市電35系統)City Circle (Melbourne tram route 35)

メルボルンの市内トラムは、系統数24、軌道長は250kmもあって、南半球はおろか全世界で最大の規模を誇っている。車両の更新が進んで、1980年代以降の連接車が多数を占めるなか、一つだけ旧型ボギー単車のW形が集中投入されている系統がある。市内中心部を周回している観光ルート、35系統「シティ・サークル」だ。

主役のW形は1923年から30年以上にわたり製造されたメルボルンの看板形式だが、2010年代に全面改修を受けている。その際、塗色も特別色のマルーンから旧来の緑とクリームのツートンに戻された。レトロ感を振りまくW形は街路でもよく目立ち、ルートの明解さや運賃無料政策もあって、旅人の最初のメルボルン体験にはうってつけだ。

1994年の運行開始当初は、旧市街であるホドル・グリッド Hoddle Grid の外縁を回るルートで、一周40分だった。その後、拡張されて、現在はドックランズ Docklands のウォーターフロント・シティ Waterfront City が起点だ。ルートはP字状で、旧市街を一周した後、再び起点に戻っていく。全線56分。双方向に運行されていたが、運転士不足を理由に、2023年10月30日から時計回りの一方向運行になった。

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伝統色をまとうW形トラム(2019年)
Photo by Dietmar Rabich at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番20 バララット路面電車博物館 Ballarat Tramway Museum

メルボルンの西100km、中央高地 Central Highlands と呼ばれる地域にあるバララット Ballarat も、かつて金の採掘で繁栄した都市だ。レトロな造りが印象的なバララット駅をはじめ、市内には19世紀後半ビクトリア朝の建築物が多数残され、観光スポットになっている。

かつてこの町にも、州都以外では国内最大と言われた路面軌道網が存在した。惜しくも1971年までに廃止されてしまったが、唯一、面影を宿す短い軌道が、市民の憩いの場ウェンドゥリー湖 Lake Wendouree の西岸に残っている。

湖畔道路の片側を通る単線1.3kmのこのルートは、現在、バララット路面電車博物館が所有する車両の走行線だ。週末・祝日と火曜の開館中、動態保存の古典トラムが運行されている。博物館への引込線から出発し、本線を往復して再び博物館に戻る20分ほどのツアーで、途中停留所での乗降も可能だ。

また、2022年に改築されたばかりの博物館棟には、地元バララットやメルボルンの数十両にのぼる大規模なコレクションが保存展示されていて、こちらも一見の価値がある。

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ウェンドゥリー・パレード Wendouree Parade を行くトラム
(2011年)
Photo by Mattinbgn at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

次は、アデレードを州都とする南オーストラリア州について。

項番26 スチームレンジャー保存鉄道 SteamRanger Heritage Railway

スチームレンジャー保存鉄道は、アデレードとメルボルンを結ぶ州間連絡幹線から分岐するヴィクター・ハーバー支線 Victor Harbor branch line で、1980年代半ばから蒸気機関車による保存運行を実施している。アデレード=メルボルン線は1995年に1600mm広軌から標準軌に改軌されたが、支線のほうはすでに一般運行を終了していたため、接続が断たれて広軌の孤立線となった。

保存鉄道の拠点は、アデレード山地 Adelaide Hills の東斜面、マウント・バーカー Mount Barker にある。そこから終点ヴィクター・ハーバー Victor Harbor までの76.9kmが走行ルートだ。ヴィクター・ハーバーは都市部からの避暑客で賑わう海浜リゾートで、鉄道も格好の観光アトラクションになっている。

おおむね水曜と日曜が運行日で、通常は「コックル・トレイン Cockle Train」(下注)と呼ばれる短距離列車が、海沿いのグールワ Goolwa ~ヴィクター・ハーバー間17.6kmを往復している。ルート後半に海原を見晴らす景勝区間があり、沿線一番の見どころだからだ。

*注 海辺の住民が、釣り餌に使うコックル(ザル貝)cockle を集めるために、マレー川河口の砂浜までこの鉄道で出かけていたことに由来する。

一方、全線を走破するのは、「サザン・エンカウンター Southern Encounter」号で、隔週の日曜限定で運行される。往復150km強、ランチ付き8時間45分の大旅行だ。

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ミドルトン駅付近を行くRx形224号機(2020年)
Photo by Alan & Flora Botting at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番28 ヴィクター・ハーバー馬車軌道 Victor Harbor Horse Drawn Tram

ヴィクター・ハーバーにはもう一つ、名物の乗り物がある。グラニット島 Granite Island との間に架かる桟橋を渡っていく延長1.2kmの、馬が牽くトラムだ。今や世界的にも希少な存在の馬車軌道だが、海を横断するのは唯一無二だろう。

現在の施設は1986年に市営で再興されたものだが、オリジナルの歴史は古い。実は上述したスチームレンジャー保存鉄道が使っているヴィクター・ハーバー線は1854年、西オーストラリアで最初に開通した馬車鉄道がルーツだ(下注)。これがヴィクター・ハーバーまで延伸され、貨物線が(旧)桟橋を通ってグラニット島まで達した。つまり、馬が牽く貨車が桟橋へ直通していたのだ。

*注 最初の開業区間はグールワ Goolwa ~ポート・エリオット Port Elliot 間11km。ヴィクター・ハーバー延伸は1864年。

ヴィクター・ハーバー線が1884年に蒸気運転に転換された後も、桟橋の貨物線は馬力のまま残り、1894年からは乗用トラムで旅客も運ぶようになった。現在の馬車軌道は、広軌1600mmの線路を含め、1956年にいったん廃止された旧線のスタイルを再現しているのだ(下注)。

*注 馬車軌道がなかった期間は、ロードトレイン(牽引自動車。先頭が蒸気機関車の外観をしていることが多い)が走っていた。

コーズウェー causeway と呼ばれる長さ630mの連絡桟橋(下注)のたもとに、馬車軌道の乗り場がある。たくましい体躯のクライズデールが牽く古典トラムはダブルデッカーだ。強い潮風と日差しにさらされても、やはり眺めのいい2階席で行きたい。桟橋をゆっくり渡り終えたトラムは、そのまま島の北岸を進み、東端の埠頭の前が終点になる。

*注 桟橋は2021年に木造から鋼製に架け替えられた。

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旧 桟橋で海を渡る馬牽きトラム(2008年)
Photo by Drew Douglas at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番29 ピチ・リチ鉄道 Pichi Richi Railway

ピチ・リチ Pichi Richi というユニークな名は、保存鉄道が越えていく標高344mの峠の地名に由来する(下注)。スペンサー湾 Spencer Gulf の湾奧に位置するポート・オーガスタ Port Augusta から内陸へ進むこのルートは、そもそも大陸中央部、いわゆる「レッド・センター Red Centre」をめざした1067mm軌間の旧 開拓鉄道の一部だ。

*注 ピチ・リチの地名は、アボリジニが興奮剤として噛んでいたピチュリ pituri に由来するとされ、地域はその主産地だった。

それは現在の「ザ・ガン The Ghan」号が通過する標準軌線とは全く違う東寄りのルートをとって、1929年にアリス・スプリングズ Alice Springs に到達した(下注1)。1241kmという長距離路線で、後に一部が別線で標準軌化されるなど改良の手も加えられたものの、1980年、上記の標準軌新線(下注2)開通に伴って、すべて廃止となった。

*注1 旧「ザ・ガン」号が、このルートを通ってポート・オーガスタとアリス・スプリングズを結んだ。
*注2 1980年にアリス・スプリングズまでの南半区間が開通、2004年にダーウィンまで全通した。

ピチ・リチ鉄道は、放棄されたピチ・リチ峠を越える区間で、1974年に開業した蒸気保存鉄道だ。ルートはポート・オーガスタからクオーン Quorn までの39.8km(下注)。旧路線の規模からすればわずかな距離だが、急カーブと勾配が連続する峠道は全線のハイライト区間といっていい。

*注 ただしポート・オーガスタ~スターリング・ノース Stirling North 間は、標準軌線と並行して2001年に新設された延伸区間。

全線を走破するポート・オーガスタ発の「アフガン・エクスプレス Afghan Express」は、特定の土曜のみの運行だ。通常は、クオーン側から峠を越えて中間駅のウールシェッド・フラット Woolshed Flat で折り返す「ピチ・リチ・エクスプローラー Pichi Richi Explorer」が走る。機関車も客車も旧線を走った経歴をもつヴィンテージ車両で、未開の奥地へ向かう大旅行だった時代を追体験させてくれる。

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ピチ・リチ峠の上り坂(2017年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 セント・キルダ路面電車博物館 Tramway Museum, St Kilda

アデレードの市内軌道は、初め1878年に馬車軌道として開業した。1909年から順次電化され、最盛期には119kmの路線網があったが、中心部とビーチを結ぶグレネルグ線 Glenelg line を除いて、1958年に消滅した。2000年代になって再建が始まり、現在3系統に増えているとはいえ、路線長は全部合わせても15kmに過ぎない。

その馬牽きトラムを筆頭に、アデレードで使われた路面車両やトロリーバスを体系的に収集しているのが、北郊のセント・キルダ St Kilda にある路面電車博物館だ。1967年の開館で、そのコレクションは30両以上にのぼり、歴代の主な形式を網羅している。

博物館は、町をはずれた広大な海岸平野の一角に位置する。車でないとたどりつけない場所だ。動態保存車の走行線は長さ1.6km。構内を出て、干潟を土手道で横切り、海辺にある子供冒険広場 Adventure playground の前まで延びている。開館中、古典車両が随時、海風に吹かれながらごろごろと往来する。

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博物館の工場で復元された旧アデレード市電G形(2008年)
Photo by William Adams at wikimedia. License: public domain

最後は、パース Perth を州都とする西オーストラリア州の蒸気保存鉄道(1067mm軌間)について。

項番32 ホサム・ヴァレー鉄道 Hotham Valley Railway

パースの南100kmの山中に、旧 西オーストラリア政府鉄道 Western Australian Government Railways のW形テンダー蒸機が走る本格的な保存鉄道がある。南西本線 South West Main Line の支線、旧ピンジャラ=ナロギン線 Pinjarra - Narrogin line の一部区間で、1977年から活動しているホサム・ヴァレー鉄道だ。

拠点が置かれているドウェリンガップ Dwellingup 駅は、標高270mの高地にある。保存鉄道のルートは、この駅をはさんだピンジャラ Pinjarra ~エトミリン Etmilyn 間32kmだ。

現在、列車はドウェリンガップを起点に、東へ8kmの終点エトミリン停留所で折り返す「フォレスト・トレイン Forest Train」と、西へ13.4kmのイサンドラ Isandra で折り返す「スチーム・レンジャー Steam Ranger」 の2本立てになっている。

とりわけ注目すべきは、後者のルートだ。スワン海岸平野 Swan Coastal Plain の東に長く連なるダーリング崖 Darling Scarp を横切るため、33‰の急勾配が約5kmの間続いている。上り坂になる復路は、営業運転の時代からの難所だ。乗客はここで、W形蒸機による渾身の力走シーンを目のあたりにすることになる。

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ドウェリンガップ駅構内に揃った保存車両(2015年)
Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

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 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I
 ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

2023年12月29日 (金)

ポルトガルの保存鉄道・観光鉄道リスト

イベリア半島の一角に位置するポルトガルには、隣国スペインと共通の広軌1668mm(イベリア軌間)の路線網があるが、独立して活動する保存鉄道は存在しないようだ。その代わり、この国は路面電車、通称エレークトリコ Eléctrico がおもしろい。首都リスボン Lisbon 市内とその郊外、そして北部にある第二の都市ポルト Porto でも、古風なボギー単車が今も健在だ。まずはそれから見て行こう。

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リスボンの「レモデラード」トラム
サン・ヴィセンテ通り Calçada de São Vicente にて(2023年)
Photo by Industrial Wales at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ポルトガル」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_portugal.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ポルトガル」画面
 

項番7 リスボン路面軌道 Elétricos de Lisboa

カリス Carris 社(下注)が運行する軌間900mmの路面軌道は、イベリア軌間のCP(ポルトガル鉄道、旧国鉄)、標準軌のメトロ(地下鉄)とともに、リスボンの軌道系交通機関の一翼を担っている。

*注 正式名はリスボン鉄道会社 Companhia Carris de Ferro de Lisboa で、リスボンの路面軌道、ケーブルカー、市内バスを運行する市有企業。

現在の路線網は延長31kmで、6つの運行系統をもつ。中でも人気が高いのが、中心部のマルティン・モニス広場 Praça Martim Moniz から西部のカンポ・デ・オウリケ Campo de Ourique へ行く28E系統だ。ルート前半には城塞、大聖堂、テージョ川 Rio Tejo を見晴らす展望台など名所が集中する。そのため車内は満員御礼、乗り場に待ち行列ができている。

軌道自体も目が離せない。車幅すれすれの狭い街路、レールをきしませて曲がる急カーブ、のけぞりそうな急坂と、過酷な関門が次々と現れる。グラーサ Graça からアルファマ Alfama にかけて続くこうしたハイライト区間(下注)を、撮り鉄しながら徒歩でたどるのも一興だ。

*注 ただし、粘着式鉄道の最急勾配とされる138‰の坂があるのは、バイシャ Baixa 地区のサン・フランシスコ通り Calçada de São Francisco。

リスボンで現代的な連節車が見られるのは、テージョ川沿いをベレーン Belém 方面へ進む15E系統のみ。他の系統はすべて「レモデラード Remodelado(下注)」など、小回りの利く旧型ボギー単車の独擅場になっている。歴史地区の陰りを帯びた景観に走行シーンはよくなじみ、訪れる観光客を常に魅了してやまない。

*注 レモデラードは改修車の意。車体こそ古めかしいが、搭載機器は1990年代に全面更新されている。

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アルファマの街路を縫うリスボンの観光トラム(2016年)
Photo by Julian Walker at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
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15E系統のジーメンス/CAF製連節車
ジェローニモス修道院 Mosteiro dos Jerónimos 前にて(2017年)
Photo by xiquinhosilva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番6 シントラ路面軌道 Elétricos de Sintra

リスボン中心部の北西約20kmに位置するシントラ Sintra でも、市営の古典トラムがシーズン運行している。こちらはメーターゲージ(1000mm軌間)の単線で、走っているのは1904年の開業時からの在籍車両や、改軌された元リスボン車だ。リゾートエリアらしく、オープンタイプも混じる。

かつては国鉄(現 CP)シントラ駅前まで通じていた(下注)が、現在の起点は、駅から約700m離れた市街北端のエステファニア Estefânia。ルートはここから、大西洋に面したプライア・ダス・マサンス Praia das Maçãs(リンゴ海岸の意)に至る11.0kmで、大半がいわゆる道端軌道だ。路上の併用区間はほとんどない。

*注 シントラ駅~エステファニア間は1955年廃止。

シントラは、山上に建つカラフルなペーナ宮殿 Palácio da Pena などで知られた世界遺産の町だ。市街地は山地の中腹にあり、エステファニアの標高は200m。そのため走り始めてしばらくは、ヘアピンカーブを介した平均勾配37‰の下り坂が続く。降りきった後は並木道と鄙びた村里を悠然と走り抜け、終点は大西洋に臨んで陽光あふれるビーチの前だ。片道45分を要し、案外乗り応えがある。

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道端軌道を行くシントラのトラム(2010年)
Photo by Alain GAVILLET at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番2 ポルト路面軌道 Elétricos do Porto

ポルトのトラム路線は現在3系統。リスボンと同じように戦前製の古典車両が主役を演じるが、観光運行に特化されているところが異なる点だ。「ポルトトラムシティーツアー Porto Tram City Tour」という名称で一括され、乗車券も市内交通とは別建てになっている。市民の足はメトロ(LRT)や路線バスで確保され、トラムは市外から来る観光客向けという位置づけのようだ。

ルート構成を見ると、22系統がリスボンの28Eに相当する。急坂が多い旧市街 Centro Histórico の環状ルートで、町の中心の広場や賑やかな商店街を通過し、壁面のアズレージョ(装飾タイル)が映えるサント・イルデフォンソ教会 Igreja de Santo Ildefonso やクレーリゴスの塔  Torre dos Clérigos といった名所の前に停まる。

一方、ドウロ川沿いに足を延ばす1系統は、リスボンの15Eを思わせる。エンリケ航海王子の生家があるインファンテ Infante を出発し、川岸の古い町並みをかすめたりしながら、河口近くのパッセイオ・アレグレ Passeio Alegre まで行く。時間が許すなら途中下車して、旧車を保存しているトラム博物館 Museu do Carro Eléctrico にも立ち寄ってみたい。

*注 詳細は「ポルトの古典トラム I-概要」「同 II-ルートを追って」参照。

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カルモ電停で2本の系統が接続(2018年)
Photo by Bene Riobó at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 ドウロ線 Linha do Douro
項番4 ドウロ歴史列車 Comboio Histórico do Douro

ポルト市街の前を流れるドウロ川 Rio Douro(下注)は、遠くスペインの内陸部から約900kmを流れ下ってくるイベリア半島第3の大河だ。ポルトガル領内は水量豊かな渓谷が続き、名産ポートワインの原料となるブドウの段々畑が広がっている。

*注 スペイン語ではリオ・ドゥエロ(ドゥエロ川)Río Duero。

CPのドウロ線は、この川べりを遡る非電化、イベリア軌間の路線だ。かつては国境を越えてスペインにつながっていたが、現在の運行区間は、北部本線との分岐点エルメジンデ Ermesinde からポシーニョ Pocinho までの163km。ただし、列車はポルト市内のサン・ベント S. Bento またはカンパニャン Campanhã 駅から直通している。

国内きっての美しい車窓風景を誇る路線(下注1)なので、全線通しで走る列車は「ミラドウロ MiraDouro」(下注2)と命名され、観光仕様の客車で運行される。しかし、距離があるだけに、片道でも約3時間30分の長旅だ。

*注1 なお、行程の前半はドウロ川から離れた北の山中を走るため、川景色は見えない。
*注2 展望台の意味をもつ普通名詞ミラドウロ miradouro に、川の名を掛けている。

より手ごろなのは、路線の中間部にあるワインの集積地レーグア Régua からトゥア Tua の間で、1925年製の蒸気機関車が牽いている観光列車「ドウロ歴史列車 Comboio Histórico do Douro」だろう。こちらはシーズン運行で往復3時間。ドウロ川を行くクルーズ船と組み合わせたツアーも発売されている。

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ヴェンダ・ダス・カルダス橋梁 Ponte da Venda das Caldas
(2017年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
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ブドウ畑を背に川べりを行くドウロ歴史列車(2019年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番5 ヴォウガ線 Linha do Vouga

イベリア軌間の幹線網を補完するメーターゲージのローカル線は、かつて国内各地で見られた。だが今や稼働しているのは、ポルト近郊のエスピーニョ Espinho から内陸のセルナーダ・ド・ヴォウガ Sernada do Vouga を経てアヴェイロ Aveiro に至るヴォウガ線 Linha do Vouga だけだ(下注)。

*注 ヴォウガ線は本来、セルナーダ・ド・ヴォウガから東の山中にあるヴィゼウ Viseu に至る路線であり、セルナーダ・ド・ヴォウガ~アヴェイロ間は支線。しかし前者(本線)の廃止により、支線には見えなくなっている。

しかしここも先行き安泰とは言えない。起伏の多い丘陵地帯を縦断していくため、蛇行谷線 Linha do Vale das Voltas のあだ名をもらうほど不利な線形だ。列車の速度は上がらず、クルマ社会の隅に埋没している。

もとの起点は北部本線のエスピーニョ駅だったが、同駅の地下化に伴い、次のエスピーニョ・ヴォウガ Espinho-Vouga 駅までの間700mが徒歩連絡になった。中間部のオリヴェイラ・デ・アゼメーイス Oliveira de Azeméis~セルナーダ・ド・ヴォウガ Sernada do Vouga 間28.9kmもすでに旅客列車は走らず、1日2便のタクシー代行だ。結果、列車に乗れるのは両端の計69.8kmに縮小されてしまった。

セルナーダ・ド・ヴォウガは小さな村の最寄り駅に過ぎないが、車両修理工場があるため、ヴォウガ線の運行にとっては重要だ。前述のタクシー代行区間でも、この工場への回送列車だけは通っている。また、駅の南側でヴォウガ川を渡っている道路併用橋にも注目したい。

一つアヴェイロ寄りのマシニャータ Macinhata 駅では、旧車庫がミュージアムセンター Núcleo Museológico として活用されている。国立鉄道博物館 Museu Nacional Ferroviário の分館という位置づけで、国内で唯一、狭軌車両を保存展示している貴重な施設だ。

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ヴォウガ線のクリスマス特別列車
セルナーダ・ド・ヴォウガ駅にて(2019年)
Photo by Nelso Silva at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

最後はケーブルカーについて。

項番1 ボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus

北部の都市ブラガ Braga で、世界遺産に登録されたボン・ジェズス・ド・モンテ聖域 Santuário do Bom Jesus do Monte の丘に上っていくケーブルカーがある。ポルトガルで数々の工学的業績を残した技師ラウル・メニエ・デュ・ポンサール Raul Mesnier du Ponsard(下注)の記念すべき初期作品だ。

*注 フランス系ポルトガル人なので、姓はフランス語読みで記した。

長さは274m、高低差116m、勾配420‰。開業は1882年で、イベリア半島で最初のケーブルカーだった。それだけでなく、今なおウォーターバラスト(水の重り)方式の運行を維持していて、現存するものでは世界最古とされる。CPブラガ駅からは5km離れていて、2番バスで約30分。

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19世紀の装置を保存するボン・ジェズス・ケーブルカー(2013年)
Photo by Otto Domes at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 リスボンのケーブルカー Elevadores em Lisboa

ボン・ジェズスの成功によって、リスボンでも急坂の多い市内に次々とケーブルカーが設置されていった。サンフランシスコのような循環式ケーブルカー(下注)は、後にトラムに転換されてしまったが、交走式ケーブルカーは今も3本が現役で、トラムと同様、カリス社が運営する。軌間もトラムと同じ900mmで、開業当初はウォーターバランス方式だったが、蒸気運転を経て1910年代に電気式に転換されている。

*注 循環式は、路面の下を循環しているケーブルを、車両側の装置でつかむことにより走行する方式。停止するときはケーブルを離してブレーキをかける。交走式は、上部の滑車を介してケーブルでつながっている2台の車両(または1台と重り)が、つるべのように交互に上下する方式。

ビカ・ケーブルカー Elevador da Bica/Ascensor da Bica(下注)は、ミゼリコールディア Misericórdia 地区で、サン・パウロ通り Rua de São Paulo とカリャリス広場 Largo Calhariz を結んでいる。1892年の開通で、長さ283mと3路線では最も長く、高低差は45m。複線交走式だが、狭い路地に設けられた併用軌道のため、中間部以外は2本の線路が近接して、ケーブルが通る溝とともに、あたかも6線軌条のように見える。下部駅は建物の中にあるが、上部駅は街路上で屋根もない。

*注 原語の Elevador(エレヴァドール)、Ascensor(アセンソール)は、日本でいうケーブルカー(斜行昇降)にもエレベーター(垂直昇降)にも用いられる。

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中間地点ですれ違う車両(2010年)
Photo by Pedro J Pacheco at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

グローリア・ケーブルカー Elevador da Glória/Ascensor da Glória は、バイシャ Baixa 地区のレスタウラドーレス広場 Praça dos Restauradores と、展望台のあるサン・ペドロ・デ・アルカンタラ庭園 Jardim de São Pedro de Alcântara を結ぶ。旧中央駅であるCPロッシオ Rossio 駅周辺の人通りが多いエリアを行き来するので、混雑度は3線で最も高い。

1885年の開通で、路線の長さは265m、高低差44m。こちらも複線交走式、街路上の併用軌道だが、下半部では2本の線路がガントレット(単複線)化されている。客室は全床フラットのため、出入口は地面とのギャップが小さい上部側にしかないのが特徴だ。

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サン・ペドロ・デ・アルカンタラ通りに面した乗り場(2016年)
Photo by swissbert at wikimedia. License: CC0 1.0
 

ラヴラ・ケーブルカー Elevador da Lavra/Ascensor da Lavra は、カマラ・ペスターナ通り Rua Câmara Pestana とアヌンシアーダ広場 Largo da Anunciada を結んでいる。長さ188m、高低差42mで、他の2本に比べると目立たないが、交走式としてはリスボンで最初の1884年に開業している。車両はグローリア・ケーブルカーと同じ全床フラット型だ。複線交走式で、下半部がガントレット式の併用軌道という点も共通だが、上部駅にはささやかながら屋根の架かったホームがあり、乗り場の体裁が整っている。

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ベンチシートのある車内(2015年)
Photo by Aidexxx at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

このほか、メニエ・デュ・ポンサールの設計で1902年に供用を開始したサンタ・ジュスタのリフト Elevador de Santa Justa も、その特異で装飾的な外観から観光スポットとして名高い。原語では同じ "Elevador" だが、下の写真のとおり、垂直に上るエレベーターだ。これらはみな2002年以来、国の登録文化財になっているが、ケーブルカーの車両にはトラムのような車庫がなく、現場に置かれたままなので、しばしば落書き(グラフィティ)の被害に見舞われるのが悲しい。

なお現在、4番目となるケーブルカーの建設が、グラーサ Graça 地区の、ラガレス通り Rua dos Lagares~グラーサ広場 Largo da Graça 間で行われている。長さは約80mで、カリス社の運営となる予定だ。

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サンタ・ジュスタのリフト(2020年)
Photo by Ray Swi-hymn at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

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2023年11月25日 (土)

コンターサークル地図の旅-魚梁瀬森林鉄道跡

四国のコンター旅2日目は高知に移って、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の旧跡を巡る。

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立岡二号桟道
 

魚梁瀬森林鉄道は、県東部の中芸地区で特産の杉などの木材を山から運び出していた762mm軌間の産業鉄道だ。1911(明治44)年から1942(昭和17)年にかけて奈半利川(なはりがわ)と安田川(やすだがわ)の流域に張り巡らされ、当地の林業経営を支えた。最盛期には、総延長が300kmを超え、国内屈指の広範な路線網だった。しかし、魚梁瀬ダムの建設で上流部の線路が水没することになり、1963(昭和38)年までに主要区間が廃止され、トラック輸送に置き換えられた。

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魚梁瀬丸山公園の復元列車
 

その後、水没を免れた廃線跡は道路に転用されるなどしたが、旧態のまま遺されていたトンネルや橋梁などの構造物が、2009年に「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定されて現在に至る。森林鉄道の痕跡は全国にあるが、重文指定を受けているのはここだけだ(下注)。

*注 ちなみに、一般鉄道施設では「旧手宮鉄道施設」「碓氷峠鉄道施設」のほか、単体で「東京駅丸ノ内本屋」「旧揖斐川橋梁(東海道本線)」「末広橋梁(四日市港)」「第一大戸川橋梁(信楽高原鐵道)」「梅小路機関車庫」「旧大社駅本屋」「旧筑後川橋梁(昇開橋、旧佐賀線)」「門司港駅本屋」「旧綱ノ瀬橋梁及び第三五ヶ瀬川橋梁(旧高千穂線)」などが重文指定されている。

遺構は往復70kmほどの沿線に散在している。路線バスもほとんどない地域なので、今回は高知市内でレンタカーを調達する予定だ。それでもルートをくまなく見て回るのは時間的に難しく、主な見どころをピックアップするにとどまるだろう。

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図1 魚梁瀬森林鉄道沿線の1:200,000地勢図に
  重文施設の位置と路線網の概略を加筆
1978(昭和53)年編集図

2023年10月8日朝8時、小雨模様の高知駅前に集合したのは、昨日と同じ大出さんと私の2名。そもそも降水量の多い地域だが、今日の天気予報も終日傘マークで、午後ほど雨脚が強まるらしい。借りたトヨタアクアで高知東部自動車道、国道55号を東へ進む。右手に太平洋が見えてくるが、どんよりとした空のもと、白っぽくくすんだ色をしている。

1時間と少しで、安田町まで来た。安田川大橋の東詰で国道をそれ、クルマを停めた。段丘崖の下を通っていた廃線跡が小道で残っている。木材を満載して安田川の谷を下ってきた列車は、ここから田野の貯木場へ向かっていたのだ。

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(左)崖下を行く廃線跡の小道(田野方向を撮影)
(右)安田川左岸を遡る廃線跡
 

森林鉄道(以下、林鉄)で最初に建設されたのがこの路線で、1911(明治44)年に馬路(うまじ)まで開通し、のちに安田川線と呼ばれた。目的地の魚梁瀬は隣の奈半利川の上流だが、流域の山林の所有権が国と地元との間で係争中だったため、やむを得ずルートを迂回させたのだという。

県道12号が川の対岸(右岸)を走るのに対して、林鉄はこちら側(左岸)だったので、その跡と思しき道を北上した。途中からは、車一台がやっとの道幅になる。昭和の映画館の雰囲気を残すという大心劇場の前を通過し、上代(かみだい)集落を上手に進むと、山かげの道の脇に一つ目の遺構、エヤ隧道が口を開けていた。

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道路脇に残るエヤ隧道
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(左)内部はカーブしている
(右)ポータルに刻まれた I の文字
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図2 1:25,000地形図に主な見どころの位置を加筆
エヤ隧道~明神口橋
 

砂岩切石積みのポータルに、川下側から最初のトンネルを意味する I の文字が刻まれている。長さは33.2mと短く、徒歩で通り抜けが可能だ。入ってみると、アーチの天井部がレンガの長手積み、側面の垂直壁は切石で美しく仕上げられていた。車道に転用されなかったことで、改修の手が加わらず、原状が保たれているようだ。

この先、左岸に沿う廃線跡の林道は、じりじりと道幅を狭めていく。乗用車は後述する明神口橋を渡れないと聞いていたので、与床(よどこ)集落から右岸の県道に迂回した。そのため、途中にある長さ37.5mのバンダ島隧道は、対岸から眺めるにとどめた。

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バンダ島隧道を対岸から遠望
 

次の遺構は、明神口集落の上手に連続している。県道のバイパストンネルの手前で右折して旧道を行くと、川を斜めに渡っている赤いトラス橋が見えてきた。長さ43.2mの明神口(みょうじんぐち)橋だ。1912(大正元)年の建設で、最初は木橋だったが、機関車の導入に伴い、1929(昭和4)年に架け替えられたものだという。今は線路の代わりに、路面に金網が張られている。

これを渡るとすぐ下手に、長さ36.7mのオオムカエ隧道がある。東口(上流側)はコンクリートポータルに改修されているが、西口はオリジナルの切石積みで、III の刻字があった。堀淳一氏も1997年にNHKの番組ロケでここに来ている(下注)が、映像で見る限り、東口は本来素掘りのままだったようだ。

*注 1997年放送の「消えた鉄道を歩く-巨木の森の小さな鉄路」。

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明神口橋、金網が張られた路面
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オオムカエ隧道
(左)もとは素掘りだった東口
(右)原状をとどめる西口
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隧道西口のスギ林
 

次のスポットでも、釜ヶ谷(かまがや)桟道釜ヶ谷橋が連続している。島石ピクニック広場の駐車場から対岸に渡る吊り橋の上に出ると、前者の側面が遠望できた。桟道といっても木製ではなく石積みで、あたかも崖に半分埋まったアーチ橋といった趣きだ。一方、長さ12.3mの釜ヶ谷橋は県道に転用されたため、路面は拡張されている。しかし側面から覗くと、林鉄時代の橋桁と橋台を転用したことが見て取れる。

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釜ヶ谷桟道
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釜ヶ谷橋
(左)県道に転用
(右)林鉄時代の橋桁と橋台
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図3 同 釜ヶ谷桟道~馬路~河口隧道
 

長さ70.6m、平瀬(ひらせ)隧道の西口では、なんとキャンパーがクルマを付けて、テントを張っていた。雨の日だし、誰も通らないトンネルなので、こんな利用法もあるのだと感心する。通り抜けが可能なようだが、お邪魔するのも気が引けるので、反対側の、こちらも県道に面した東口に回った。ポータルの刻字はV、すなわち5番目だから、先ほどのオオムカエ隧道との間にかつてはもう1本トンネルが存在したのだろう。

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平瀬隧道
(左)臨時のキャンプサイトにされた西口
(右)県道脇の東口
 

引き続き一本道の県道を遡り、いよいよ馬路村の中心部にさしかかる。馬路大橋の手前を左折してすぐの川べりにあるのが、遺構群の中でもよく知られた長さ36.5mの五味(ごみ)隧道だ。旧道の馬路橋のたもとに北口が開いていて、線路を載せた短い桟道が続いている。道路から見下ろす構図が定番だが、勢いよく育った笹薮に視界を遮られてしまう。

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五味隧道、笹薮に視界を遮られる
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線路が復元された桟道
(左)五味隧道の真上から
(右)馬路橋から
 

ところで、「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重文指定を受けた施設は14か所あるが、意外にも、五味隧道をはじめ、後述する立岡二号桟道、法恩寺跨線橋、八幡山跨線橋という写真映えする4つの遺構は含まれていない。これらは重文本体ではなく、附(つけたり)指定になっているのだ。

附というのは、たとえば重文建造物の設計図や、来歴、用途を記した文書といった関連資料を、本体とあわせて指定するものだが、同じ類いの構造物でも附指定にすることがあるようだ。産業遺産としては一体的に考えるべきものながら、相対的な重要度の点で及ばないということか。

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五味隧道案内板
 

対岸に、観光案内所「まかいちょって家」がある。後で立ち寄って、2階にある森林鉄道の写真展示を見学した。売店では土産物のほか、林鉄関連の既刊書籍も扱っていて、ちょっとしたミュージアムショップだ。私も新刊の林鉄写真集を購入した。

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(左)まかいちょって家
(右)2階の林鉄展示
 

県道をはずれて、右岸(西岸)の町道を行く。馬路村は特産のゆずを使った商品開発で知られるが、製品加工施設の敷地はもと林鉄の運行拠点で、機関庫や修理工場を伴っていたヤードの跡だ。その北側はかつて商店街で、林鉄が路面軌道の形で貫いていた。いったん集落が途切れるが、その先は現在、村の観光拠点になっている。

右手の大きな建物は、日帰り温泉施設のうまじ温泉だ。左には1994年に開業した「馬路森林鉄道」という観光鉄道があり、支流の西谷川に沿って508mm軌間(下注)、1周300mのささやかな周回軌道が設けられている。その乗車も楽しみにしていたのだが、駅の窓口へ行くと、係員さんが申し訳なさそうに「機関車の故障で当面運休なんです」という。アメリカ・ポーター社製の旧機を2/3サイズで再現したという機関車がホームに停まっているが、「エンジントラブルの為、運休中!!」と張り紙がしてある。

*注 オリジナルは762mm(2フィート6インチ)軌間で、508mmはその2/3になる。

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馬路森林鉄道
(左)機関車は故障中
(右)谷沿いを走る軌道
 

では、隣のインクラインに乗ろう、と思って聞くと、「雨でシートが濡れて使えないので、きょうは中止にしました」。インクラインというのは、林鉄で使われていた傾斜鉄道(貨物用ケーブルカー)を再現した斜長92mの施設で、車両に積んだ水の重りで動くという珍しいものだ(下注)。山際の乗り場では、雨に濡れそぼった走行線に、オープンタイプの小型車両が所在なげに停まっていた。シートベルトを締めて乗るので、雨が吹き込む状況では運行できない。

*注 ウォーターバラスト方式といい、日本で唯一。海外の実例については「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

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馬路インクライン
(左)車両と急勾配の軌道
(右)水抜き用の管路
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インクライン軌道全景
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インクライン案内板
 

雨に降られたばかりか、お目当ての乗り物にも振られてしまったので、うまじ温泉のレストランで早めの昼食にした。ゆず果汁入りの「ごっくん馬路村」も試して元気を取り戻したところで、林鉄遺跡の探索を再開する。

馬路から魚梁瀬までの区間は、少し遅れて1915(大正4)年の開通だ。温泉のすぐ上手に、町道を通している落合橋がある。長さ37.0mで、釜ヶ谷橋と同じく、プレートガーダーと橋台が林鉄の遺物だ。

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落合橋
 

次は河口(こうぐち)隧道。県道から少し引っ込んだ位置にあり、長さは89.9m、ポータルに8番目を示す VIII の刻字がある。徒歩で入ろうとしたら、エンジン音がこだまし、中から軽トラックが飛び出してきた。内部は小さな明かりも灯っていて、椀田(わんだ)集落から中ノ川方面へ行くのに、近道として使われているようだ。カーブしたトンネルを出ると切通しで、上を旧道(?)が通過している。

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河口隧道東口
切通しを旧道がオーバークロス
 

山はさらに深まり、サミットとなる2車線の新久木(くき)トンネルが現れた。林鉄時代の久木隧道は、長さが333mと魚梁瀬林鉄では最長で、1977(昭和52)年の新トンネル完成までの間は、道路としても使われた。上記堀氏の著書『地図で歩く古代から現代まで』(JTB、2002年)によると、西口のポータルはまだ残っているようだが、この天気では探す気力が湧いてこない。

奈半利川斜面を降りていく途中に、支谷をまたぐ犬吠(いぬぼう)橋が架かっている。長さ41mの立派な上路トラス橋で、廃線後も県道の橋として使われていた。しかし、鋼材の一部が破断して通行できなくなり、現在、県道は上流側の迂回路を通っている。下流側で建設中の新しい橋が完成すれば、県道はそちらに移される予定だ。

林鉄の鉄橋は今や形が崩れ、仮設の支持台でかろうじて支えられていて、なんとも痛々しい。修復して自転車・歩行者専用にする計画だそうだが、いったん解体して組み立て直す必要があるから大工事だ。重要文化財とはいえ、そんな予算がぽんとつくのだろうか。

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痛々しい姿の犬吠橋
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図4 同 犬吠橋~魚梁瀬
 

久木ダムの少し上流にも、同じような構造の井ノ谷(いのや)橋が残っているので、県道をそれて寄り道した。道路に転用されていて、長さは54.5m。両端がカーブしているので、たもとからトラス構造を覗くことができる。

林鉄安田川線は、この先の釈迦ヶ生(しゃかがうえ)集落で奈半利川線と合流するが、魚梁瀬ダムの完成によって、上流の線路は湖底に沈んでしまった。クルマ道も行き止まりなので、引き返すしかない。

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井ノ谷橋
 

県道に戻って、くねくねと山腹を上っていくと、ダムを見下ろす展望台があった。見るからにどっしりとした大堰堤が眼下の谷を埋めている。魚梁瀬ダムは1970(昭和45)年に完成したロックフィルダムで、高さが115mで四国一、貯水量も「四国の水がめ」早明浦(さめうら)ダムに次ぐ規模だ。展望台の側壁パネルには、ダムの写真とともに林鉄の現役当時の写真も収められていた。

県道を少し上手に進んだところには別の展望台があり、貯水池(ダム湖)が奥まで見通せる。ここばかりは「雨には雨の風情あり」で、入り組んだ湖の周りの山並みに低い雲がたなびいて、一幅の絵のようだった。

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ロックフィルの魚梁瀬ダム
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ダム湖のパノラマ
正面奥に魚梁瀬大橋と、魚梁瀬(丸山台地)の一部が見える
 

林業で栄えた魚梁瀬地区は水没するのに伴い、湖畔の造成地(丸山台地)に集団移転した。旧版地形図と照合すると、旧集落の山手にあった昔の川の蛇行跡を嵩上げして造ったようだ。その一角が丸山公園と呼ばれる広い園地になっていて、762mm軌間、一周406mの周回軌道が敷かれている。

魚梁瀬大橋でダム湖を横断して、その乗り場である森の駅やなせの前にクルマを停めた。馬路での失意の記憶がよみがえり、窓口でおそるおそる「乗れますか」と聞くと、「ええ、何名さんですか」と返ってきてほっとする。一応、10時から15時30分まで15分間隔の時刻表が掲げてあるが、客が来しだい、随時運行しているようだ。

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森の駅やなせ
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スギ材製の乗車券、裏面に日付が入る
 

高床のホームに、谷村式と記された小型ディーゼル機関車が客車を従え、待機していた。谷村というのは戦前、地元高知で林鉄向けの装置を製造していた谷村鉄工所のことで、そのロッド駆動車をモデルに新造されたのがこの機関車だ。客車(連絡車)の車体にも地元産の木材が使われている。無蓋のトロッコと密閉型のボギー車の組み合わせなので、雨でも問題なく乗れるのがうれしい。

運賃は大人400円。杉板に印刷した乗車券をもらって乗車する。走り出すと最初、湖に近づき、次いで車庫前を通過して、警報機が鳴る踏切を横断した。この軌道を2周して、約7分のミニ列車旅だった。その後、大出さんが機関車の運転体験を申し込んだ。正規の運転士に横で指導してもらいながら、これも2周する。

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谷村式機関車が牽く復元列車
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(左)機関車の運転台
(右)ボギー客車
  朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎の人形が同乗
 

北隅にある車庫も開いていて、自主見学が許された。野村式と書かれた茶色の機関車は、1948年野村組工作所製のL-69で、魚梁瀬林鉄のオリジナル機だ。廃線後、静態保存されていたものを1991年に動態復元したのだという(下注)。急曲線に対応する運材台車を引き連れたさまも絵になる。

*注 重量があり軌道が傷むため、「本線」を走行するのは特別行事のときだけのようだ。ちなみに先述のNHKの番組ではこれが走るシーンが出てくる。

隣にいる黄と緑と白帯の機関車は、静岡の水窪(みさくぼ)森林鉄道から来た酒井工作所製C16形、また岩手富士と書かれた箱型機は、鳥取から来た岩手富士産業製の特殊軽量機関車で、唯一の残存例だそうだ。

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車庫に保存車両を留置
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運材台車を引き連れた野村式L-69
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(左)酒井工作所製C16形
(右)岩手富士産業製特殊軽量機関車
 

林鉄ワールドを堪能して、帰路に就く。往路は安田川経由だったが、復路は奈半利川に沿って下る。旧来の安田川線には、釈迦ヶ生~久木隧道間に逆勾配、すなわち荷を積んだ列車にとって不利な上り坂が存在し、運行のボトルネックになっていた。これを解消するために計画されたのが奈半利川線で、1931(昭和6)年から1942(昭和17)年にかけて建設された。

クルマはしばらく県道12号を南下するが、安田川沿いより道幅が広めだ。ダム建設に際して、工事車両を通すために拡幅されたのだろう。林鉄由来と思われるトンネルもあるが、改修を受けているためか、重文のリストには含まれていない。

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図5 同 堀ヶ生橋~小島橋
 

そのため、奈半利川線の重文物件はすべて橋梁で占められる。最も上流の堀ヶ生橋(下注)は長さ46.9m、シングルスパンの鉄筋コンクリートアーチ橋だ。この材質で43mものスパンは国内最大級だそうで、県道に転用されていることもあって、もと鉄道橋には見えない。河原に降りて真下から仰ぐアーチはいっそう迫力があった。

*注 国指定文化財等データベースでは、堀ヶ生橋に「ほりがをばし」という異例の読みが付けられている(通常「を」は用いない)。なお、地理院地図では、堀ヶ生の地名の読みを「ほりがうえ」としている。

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長大スパンの堀ヶ生橋
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(左)堀ヶ生橋、中央部に退避場所がある
(右)橋に続く堀ヶ生隧道、側壁は石積み
 

県道12号が徳島県から来た国道493号と出会う位置に、二股(ふたまた)橋が架かっている。奈半利川と支流の小川川(おがわがわ)の合流地点だ。橋は長さ46.5mで同じくコンクリート製だが、こちらは無筋のため2スパンで、めがね橋の別称がある。釜石線や旧彦山線(現 日田彦山線BRT区間)、旧宮原線などに見られる高架橋を彷彿とさせるが、二股橋も、鋼材の使用制限が始まっていた1941(昭和16)年の建設だ。

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川の合流地点に架かる二股橋、通称めがね橋
奥に見えるのは二又発電所
 

奈半利川鉄橋なき今、長さ143.0mの小島(こじま)橋は、魚梁瀬林鉄で最大の遺構だ。2連のプラットトラスで、ゆったりと流れる奈半利川の中流部を渡っている。本体の威容もさることながら、対岸(左岸)にあるカーブしたガーダー橋と築堤の取り付け部が、廃線跡の雰囲気をよく残している。奈半利川線のうち二股以南は、後に支線となった竹屋敷線などとともに1932(昭和7)年までに完成していた。上述の2橋と違って鋼製なのはそれが理由だ。

*注 国指定文化財等データベースでは「こじまばし」だが、地理院地図では小島の地名の読みを「こしま」としている。

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2連プラットトラスの小島橋
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(左)右岸のたもとから
(右)ガーダー橋と築堤が左岸に続く
 

この後は、国道493号と北川奈半利道路で一気に奈半利を目指した(下注)。

*注 重文指定ではないため訪れなかったが、奈半利川右岸に加茂隧道(長さ28.1m)が原形のまま残っている。

右岸の田野町側には立岡(たちおか)二号桟道という印象的な遺構がある。3連プラットトラスで長さ167.49mと最長だった旧奈半利鉄橋の、西側の取り付け部に相当する構造物だ。避溢橋の役割を果たすコンクリートの高架と長い築堤が、カーブしながら川べりまで続いている。大出さんは以前来たことがあるというし、私も土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線に乗った際、見に行ったので、今回は対岸から遠望するにとどめた。

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立岡二号桟道と築堤(別の日に撮影)
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(左)カーブする桟道
(右)丸石が積まれた築堤の法面
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図6 同 安田、田野、奈半利
 

廃線跡の町道をたどって、法恩寺跨線橋(下注)へ。段丘上の三光寺へ行く参道が林鉄を跨いでいた橋で、石造アーチの構造をしている。立体交差にしたのは安全でいいことだが、参道の石段はけっこう段差があり、何度も上り下りするのは大変そうだ。

*注 法恩寺の地名の読みについて、現地の案内板には「ほうおんじ」とあるが、地理院地図では「ほおじ」としている。

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法恩寺跨線橋(別の日に撮影)
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多くの重文施設に同様の案内板がある
 

国道55号を戻り、最後に、田野の町はずれにある八幡山(はちまんやま)跨線橋を見に行った。ここでも神社に通じる参道が、林鉄の廃線跡を跨いでいる。コンクリートの桁橋なので、法恩寺のようなデザイン性には欠けるが、参道の階段が上に行くほどラッパ状にすぼまっていて、遠近感が強調されるのが面白い。

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八幡山跨線橋
(左)コンクリートの桁橋
(右)ラッパ状にすぼまる階段
 

時刻は早や17時、駆け足の旅だったとはいえ、貴重な遺構群や展示資料を実見し、再現鉄道の乗車も叶った。運行廃止から60年が経過した魚梁瀬森林鉄道だが、思ったより身近なものに感じられたのは、郷土史を飾る重要なページとして地域の人々に大切に扱われてきたからだろう。産業振興の推進力であり、交通の動脈でもあった鉄道の遺産が、これからも末永く維持されることを願いたいものだ。私も、雨にたたられた馬路の軽便鉄道とインクラインにいつか再挑戦しなければ…。

最後に、魚梁瀬森林鉄道の路線網が記載されている旧版1:50,000地形図を掲げておこう。

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図7 索引図
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図8 安田、田野、奈半利周辺
1953(昭和28)年応急修正、以下同
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図9 馬路周辺
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図10 魚梁瀬周辺
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図11 北川村北部
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図剣山、高知(いずれも昭和53年編集)、5万分の1地形図馬路、奈半利、安藝(いずれも昭和28年応急修正)および地理院地図(2023年10月25日取得)を使用したものである。

■参考サイト
魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム https://rintetu.com/
Facebook-中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会 https://www.facebook.com/yanaserintetu

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2023年10月13日 (金)

グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車

セルカニアス・マドリードC-9号線 Línea C-9, Cercanías Madrid
(旧称 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama)

セルセディリャ Cercedilla~コトス Cotos 間18.2km
軌間1000mm、直流1500V電化、最急勾配70‰
1923~64年開通

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プエルト・デ・ナバセラダ駅にさしかかる442形電車

スペインの首都マドリード Madrid の北西に、長々と横たわるグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama。標高2000m級の山並みの中心部に向けて、メーターゲージの電車が上っていく。ラックレールは使わないものの、麓の町から峠の上まで670mの高度差を、最大70‰の急勾配で克服するという、れっきとした登山電車だ。

標題にしたグアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama (FEG) というのは、1923年の開業当時の会社名で、戦後の国有化を経て、セルカニアス・マドリード(マドリード近郊線)Cercanías Madrid の C-9号線に組み込まれた。しかし、無味乾燥な記号や数字では具体的なイメージが湧かないのか、地名を冠したコトス鉄道 Ferrocarril de Cotos、セルセディリャ=コトス鉄道 Ferrocarril Cercedilla - Cotosという別名も残っている。

今回は、マドリード郊外の山中を走るこの登山電車を訪ねてみよう。

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セルセディリャ駅の狭軌線ホーム

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路線は全長18.17km。スペイン各地に見られるメーターゲージ(1000mm軌間)、1500V直流電化の狭軌路線(下注)だが、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central では、もはやここにしかない。

*注 ちなみにスペインの在来線網は、広軌1668mm(イベリア軌間 Iberian gauge)、3000V直流電化。高速線網は標準軌1435mm、25000V 50Hz 交流電化。

起点は、旧国鉄ビリャルバ=セゴビア線 Línea Villalba - Segovia の途中駅、セルセディリャ Cercedilla だ。マドリード市内からセルセディリャまでは、セルカニアス C-8号線のルートになっている。登山電車C-9号線は、ここからプエルト・デ・ナバセラダ Puerto de Navacerrada を経て、コトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)が終点だ。

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グアダラマ電気鉄道の位置
 

ロス・コトスの名には見覚えがある。堀淳一氏の著書『ヨーロッパ軽鉄道の詩』(スキージャーナル社、1979年)に、「ロス・コトス峠へ登る赤い国電」のタイトルで紹介されていたからだ。

マドリードの大学で知り合った研究者に、スペインに来たからには織物博物館かトレドの町へ行くべきだと強く勧められたのを断って、堀氏はひとりでロス・コトス線へ出かける。「あの電車、今でもあるのかなあ」と呆れられ、ターミナル駅チャマルティン Chamartín の案内所で行き方を聞いても要領を得ないくらいマイナーな路線だった。

一抹の不安を抱えたまま乗り込んだセゴビア Segovia 行きの列車が、いよいよ接続駅のセルセディリャ構内にさしかかると、別の電車が停まっているのが見えた。

「本線のホームと金網でへだてられた山側のホームに、屋根が銀色、車体がまばゆいほど鮮やかなカーマイン、出入口の扉と貫通扉が冴えざえとしたセルリアンブルーという、おもちゃのように派手な原色の組み合わせで塗られた小さな電車が待っているではないか! とたんに不安は吹き飛んで、私の心は躍った。登山電車はちゃんと生きていたのだ」(同書p.87)

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堀氏の心を捉えた車両は、掲載写真によれば、1934年CAF製の100形(のちの RENFE 431形)3両編成だ。開業時に就役したスイス、ブラウン・ボヴェリ/SWS製の2両編成と同じ仕様で国内製造されたもので、スイス由来のカーマイン色(洋紅色)をまとっていた。

セルセディリャ駅の雰囲気は今もさして変わっていない。本線は、大きくカーブしたプラットホームをもつ通過式2面3線の構造だ。その山側にメーターゲージの頭端式ホームが並行する。こちらは2面2線で、1本の線路を両側から挟む形だ。本線と共有している(ように見える)南側のホームは、狭軌線としては通常使われない。

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セルセディリャ駅構内、左が本線、右が登山電車線
マドリード方から撮影
 

一方、電車はすでに世代交代した。現在運用されているのは、1976~82年スペインMTM社製の RENFE 442形だ。白地に、側面は赤と紫の細帯、前面上部が赤塗りというわりあい淡泊なテイストの塗装をまとって、きょうも始発駅で乗換客を待っているはずだ。

なお、引退した旧100形電動車のうち1両が、セルセディリャ駅狭軌3番線の奥に留置されている。「自然列車 Tren de la Naturaleza」と呼ばれる子供向けの企画で、ビデオを上映する視聴覚室として使われているという。これ以外の同形式車は、残念ながらすべてスクラップになってしまった。

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RENFE 442形
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唯一保存されている旧車100形(RENFE 431形)

歴史をたどると、この地に電気鉄道が建設された目的は、グアダラマ山脈の新たな観光開発だ。現在中間駅になっているプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠の意)が初期の目的地とされていた。そこには、首都と、山脈の北麓にある王家の夏の離宮ラ・グランハ・デ・サン・イルデフォンソ La Granja de San Ildefonso やセゴビアの町とを結ぶ街道が通っていて、マドリード市民にもなじみのある場所だった。

麓からのルート案は複数あったが、最終的に、最短距離となるセルセディリャ駅が起点に選ばれた。建設工事は、雪のない季節に集中して実施しなければならず、約4年を要した。開業は1923年夏(下注)で、2両編成のスイス製100形電車を使って運行が始まった。アクセスが格段に良くなったことで、終点の峠周辺は冬のスキー、夏のハイキングや避暑の適地として人気を博したという。

*注 1923年7月12日に開通式、1923年8月11日に一般運行開始。

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グアダラマ山脈、中央はシエテ・ピコス
セルセディリャに向かう車中から撮影
 

第二次世界大戦後の1954年に鉄道は国有化され、RENFE(スペイン国鉄)の一路線となった。それを機に、路線の延伸計画が具体化する。新たな目的地は、国鉄マドリード=ブルゴス線 Línea Madrid - Burgos(下注)が通るガルガンティリャ・デ・ロソヤ Gargantilla de Lozoya だった。山脈を乗り越え、ロソヤ谷を下っていくルートが想定されていた。

*注 長さ3895mのソモシエラトンネル Túnel de Somosierra で山脈を横断していた旧路線。同トンネルの落盤で不通となり、現在、旅客列車はマドリード~コルメナル・ビエホ Colmenar Viejo 間の近郊区間のみの運行。

第1期工事として、プエルト・デ・ナバセラダからコトスの間7.07kmが1959年に着工され、1964年10月30日に完成を見た。こうして、現行区間であるセルセディリャ~コトス間が全通した。

コトスも峠だが、山岳スポーツの拠点というだけで周辺に集落があるわけではない。その先も過疎地ばかりで輸送需要が見通せないため、コトス~ガルガンティリャ間の第2期工事は保留となり、最終的に着工されなかった。後述するように、コトス駅の先にある峠のトンネルの西口が、計画の唯一の証人だ。

6月のある日、マドリード・チャマルティン駅から、この登山電車に乗りに出かけた。堀氏が来た時代はターミナル駅でも乗車券を通しで売っておらず、現地で別途買うしかなかったようだが、今はセルカニアス内の駅の有人窓口や特定の券売機で、コトスまでの購入が可能だ。しかし購入時に、行先だけではなく、乗車日と列車(の発車時刻)を往復とも指定しなければならない。登山電車は予約制なのだ(下注)。

*注 乗車する列車を指定するだけで、座席は自由。

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マドリードの鉄道ターミナルの一つ、チャマルティン駅
 

セルカニアスの運賃ゾーンの中で、C-9号線はソーナ・ベルデ Zona Verde(緑ゾーンの意)と呼ばれる特別区域に分類されている。運賃は、セルカニアスのどのゾーンからでも片道8.70ユーロ、往復17.40ユーロの固定額だ(下注)。

*注 ICカードを新規発行する場合は、これに0.50ユーロが加算される。

券売機で決済すると、ICチップの入った紙カードとレシートが出てきた。紙カードはセルカニアス線内の自動改札で使う通常のICチケットだが、後者も単なる領収書ではなく、指定した乗車日・列車が記載されているから、なくしてはいけない。

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ICカード(右)と乗車日・列車が記されたレシート
 

セルセディリャ行きの本線(C-8号線)電車に乗り込む(下注)。朝の郊外方面なので車内はすいていて、乗客のいる座席はざっと3割だ。8時15分発のところ、9分遅れで発車。沿線は緑の多い丘陵地で、駅の周りだけ市街地が広がっている。

*注 C-8号線はセルセディリャが終点。その先セゴビア方面へは中距離線 Media Distancia の列車がカバーするが、高速線と重複するためか、現在1日2往復まで減便されている。

ビリャルバ Villalba で北部本線(マドリード=イルン線)から分かれると、右に左にカーブが連続し、山裾を上っていることを実感させる。左車窓で空を限っているのがグアダラマ山脈の稜線で、マドリード州とカスティリャ・イ・レオン Castilla y León 州の境界になる(上の写真参照)。

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(左)C-8号線の列車が到着
(右)車内は3割の着席率
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(左)ビリャルバ駅
(右)駅を出ると北部本線から分岐
 

セルセディリャ駅には定刻より16分遅れて、9時37分に到着した。標高は1150mを超え、空気に高原の気配が漂う。すでにコトス行の発車時刻を過ぎているが、登山電車はまだホームにいるし、何より通路がバリアリールで閉じられている。

ダイヤは平日休日の区別なく、1日5往復だ。9時35分の始発から2時間おきに発車し、最終は17時35分発になる。観光輸送が主体なので、動き出すのは遅く、店じまいも早い。

10人ほどの乗換客とともに待っていると、ほどなく車掌らしき人がバリアを開けて、改札を始めた。ICカードではなく、あのレシートで日付と列車をチェックするのだ。他の客もそれらしい紙の切符を提示している。これらを所持していない客は後回しにされていた。

右側1番線に縦列に停まっている編成の前側2両が、これから山に上る電車だ。車内は赤いビニールレザーのクロスシートが並んでいた。あいにくどの窓も曇り気味で、外の景色が見えにくい。

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登山電車ホームの通路が開くのを待つ
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(左)登山電車に乗り込む
(右)クロスシートが並ぶ車内
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登山電車(C-9号線)時刻表
 

朝日の眩しい駅を、電車は定刻から6分遅れて9時41分に発車した。マドリード方向に出ていくが、本線と並行しつつも上り勾配になり、みるみる高度差が開いていく。

左に大きくカーブした後は、セルセディリャの市街地をくねくねと上る区間が続いた。モーターの唸りが高まり、線路際の宅地を載せる擁壁の角度で勾配のきつさが知れる。このあたりは、最も急な70‰の勾配が続いているはずだ。最初の踏切を過ぎると、左側に2車線道路が沿い始めた。市街地自体が急斜面に立地しているので、右側は家々の屋根越しに山麓ののびやかな風景が開ける。

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(左)本線と並行しつつ上り坂に(後方を撮影)
(右)セルセディリャ市街では道路と並走
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セルセディリャ~プエルト・デ・ナバセラダ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

まもなく狭いホームを通過した。駅名標によれば、セルセディリャ・プエブロ Cercedilla Pueblo 停留所だ。プエブロは(小さな)町という意味で、名のとおり町の中心部の近くだが、今は使われていない。登山鉄道には起終点を含めて3つの駅と6つの停留所があったが、2011年以来、停留所はすべて休止 Fuera de servicio となっている。電車はプエルト・デ・ナバセラダまでノンストップだ。

山手に建つ邸はどれも構えが立派だが、次のラス・エラス Las Heras 停留所で、町は終わりだ。雑木が視界を覆うようになり、見上げる位置に山並みが近づいてきた。

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(左)セルセディリャ・プエブロ停留所を通過(後方を撮影)
(右)屋根越しに山麓の風景が
 

退避線をめくった跡が残るカモリトス Camorritos 停留所を通過。別荘地の最寄り駅だが、待合所の白い漆喰壁は、みじめにも落書きのキャンバスにされている。ずっと左側に付き添ってきた2車線道もここまでで、この先は線路だけがひと気のない山腹をたどっていく。高度が上がってきたと見え、周囲はいつしか松林に置き換わった。

大きな右カーブの後、右手にシエテ・ピコス Siete Picos 停留所のホームと駅舎の残骸が流れ去る。ここの待避線も撤去済みだ。七つの峰を意味するシエテ・ピコスは、グアダラマ山脈の中央部を占める高峰で、南斜面に露出している花崗岩の岩壁が、遠方からもよく識別できる(下注)。

*注 復路では、シエテ・ピコス停留所の手前で、前方にこの峰が見える。

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(左)落書きだらけのカモリトス停留所、待避線をめくった跡がある
(右)シエテ・ピコス停留所(後方を撮影)
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シエテ・ピコスの七つの岩峰を仰ぐ
 

線路はその支尾根を急カーブで回り込んで、コリャド・アルボ Collado Albo 停留所を通過した。木々に覆われて眺望がきかない中、停留所の前後では、右手に深い谷を隔てて、ホルコン岩 Peña Horcón とそれに連なる尾根が覗く。ようやく登山鉄道らしい雰囲気になってきた。

急に建物が見えて、電車は標高1765mの中間駅プエルト・デ・ナバセラダ(下注)構内に進入していった。3つのアーチがロッジアを支える大屋根アルペンスタイルの駅舎が旅行者を迎えてくれる。ここで3人が下車した。

復路で降りてみたが、駅舎の中は、背中合わせの木製ベンチがあるだけの、がらんとした吹き抜け空間だった。金属板で塞がれた暖炉があるので、かつては山小屋のような居心地のいい休憩所だったのかもしれないが。

*注 プエルト puerto には港の意味もあるが、ここでは峠 puerto de montaña のこと。

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プエルト・デ・ナバセラダ駅
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(左)がらんとした駅舎内部
(右)ホームに面したロッジア
 

駅前から急な坂道をものの10分も上れば、標高1858mのナバセラダ峠に出る。グアダラマ山脈の尾根筋にある鞍部の一つで、冒頭に記したようにマドリードとセゴビアを結ぶ主要街道601号線の経由地だ。山麓まで見通しがきき、クルマもよく通る。峠から西へはシエテ・ピコスへ向かう登山道が延び、東側、ボラ・デル・ムンド Bola del Mundo の斜面にはスキーのゲレンデが広がっている。

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ナバセラダ峠からの眺望
右隅に駅が見える
 

10時06分に駅を出発した電車は、すぐに峠下にうがたれたトンネルに入った。長さ671m、路線唯一のトンネルによって、線路は尾根の反対側、カスティリャ・イ・レオン州に移る。第二次世界大戦後に開通した後半区間は、高度を保ちながら山襞をなぞるように進む。上り勾配とはいえ、前半に比べればごく緩やかだ。電車の速度も少し上がった気がする。

しかし、こちらも松林が延々と続き、車窓からの眺望はほとんど得られない。カーブを繰り返しながら、ドス・カスティリャス Dos Castillas、バケリサス Vaquerizas と停留所を通過していく。コロナ感染症の流行で長期運休している間に更新工事が行われたので、軌道には新しいバラストが敷かれている。

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(左)峠下のトンネル
(右)松林が延々と続く
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プエルト・デ・ナバセラダ~コトス間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

速度が落ちたと思ったら、もう終点のコトスだった。5分遅れで10時21分に到着。数人の客が降りたが、皆、山を歩く恰好をしている。標高1819mの駅は2面3線の構造だが、実際に使われているのは駅舎寄りの片面ホームだけだ。時刻表どおりなら、電車はここで27分停車して折り返す。

2階建ての大きな駅舎が建っている。内部は美しく保たれているが、ナバセラダ駅と同じようにがらんとした空間だ。付属棟にカフェテリアと書いてあるので入ってみるも、きょうは営業していないようだった。駅前からは、広い車道が上っている。ものの200mも行けば、地方道が通過するコトス峠だ。標高1829mのこの峠も山脈の尾根筋で、向こう側はマドリード州になる。

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終点コトス駅
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(左)使われているホームは1本のみ
(右)駅舎内部
 

コトスとは、雪が積もっても道筋がわかるように立てる小さな石柱のことだそうだ。冬場、雪に覆われるこの峠では大切な目印で、そこから定冠詞を付けたロス・コトスという地名が定着した。コトス峠の上はあっけらかんとした場所で、目につくのはレストランの大きな建物と、広い駐車場だけだ。道端で、平日3便しかないマドリード直行の路線バスが時間待ちをしていた。

一方、駅構内の線路は、先端で1本にまとまり、この峠の下にもぐっていく。これこそ第2期延伸計画のために用意されたトンネルだ。車庫として使われているらしいが、入口は落書きだらけの板戸で閉じられ、中の様子はわからない。計画がついえたため、トンネルは未完成で、貫通していない。反対側には、柵で仕切られた線路用地とおぼしき斜面が、道路沿いにむなしく続いているばかりだ。

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(左)駅構内から峠下へ続く線路
(右)板戸で閉じられた峠下のトンネル
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

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 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト
 バスク鉄道博物館の蒸気列車

2023年9月21日 (木)

バスク鉄道博物館の蒸気列車

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博物館になった旧アスペイティア駅と保存蒸機
 

カンタブリア山脈がビスケー湾に直接落ち込むスペイン北海岸(下注)は、平地が乏しく、山がちな地形がどこまでも続いている。それは、鉄道網の発達状況にも少なからず影響を及ぼした。

*注 一般にカンタブリア海岸 Cornisa cantábrica と呼ばれるが、内陸との対比で緑豊かなことからエスパーニャ・ベルデ España Verde(緑のスペインの意)の呼称も使われる。なお、本稿では、原語をスペイン語(カスティーリャ語)で表記し、一部でバスク語綴りを併記している。

イベリア軌間(広軌1668mm)の鉄道幹線は、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central から、山脈を越えて海岸の主要都市へ降りてくる数本のルートに限定される。

いわば縦糸を成すそれらに対して、横糸のように海岸沿いの町をつないでいるのは、建設コストが抑えられるメーターゲージ(狭軌1000mm)の路線だ。東はフランスの国境町アンダイエ Hendaye から、西はスペイン北西端ガリシア州のフェロル Ferrol まで、1000kmを優に越える長大な路線網がそこに築かれている。これら狭軌線は、国営企業のフェベ FEVE(下注)が全国規模で運営していたが、地方分権の導入により1978年以降、一部が州政府へ移管されていった。

*注 正式名は Ferrocarriles de Vía Estrecha(狭軌鉄道の意)だが、FEVE の名は、Ferrocarriles Españoles de Vía Estrecha の頭字に由来する。

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フランス国境のサンティアゴ(サン・ジャック)橋
手前はエウスコトレン線(メーターゲージ)、奥はRENFE線(イベリア軌間)
 

北東部に位置するバスク州 País Vasco/Euskadi の施策も、その一例だ。1982年に州政府の出資で、鉄道会社エウスコトレン Euskotren(正式名称 バスク鉄道 Eusko Trenbideak)が設立され、ビルバオ Bilbao 以東、約180kmある路線網をフェベから引き継いだ(下注)。同社はビルバオとビトリア・ガステイス Vitoria-Gasteiz の市内トラムや、一部地域の路線バスの運行も担い、域内の主要交通事業者になっている。

*注 1971年にフェベに移管(国有化)されていた(旧)バスク鉄道 Ferrocarriles Vascongados の路線網。なお、この路線網は2006年から、インフラ所有がエウスカル・トレンビデ・サレア(バスク鉄道網)Euskal Trenbide Sarea (ETS)、列車運行事業がエウスコトレンと、上下分離されている。

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エウスコトレンの車両
(左)近郊電車S900形(2022年)
Photo by Remontees at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ビルバオのトラム(2012年)
Photo by Mariordo (Mario Roberto Durán Ortiz) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
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今回訪ねるのは、そのエウスコトレンが鉄道資料の保存と公開のために開設している鉄道博物館だ。場所は、サン・セバスティアン San Sebastián/Donostia の南西30kmにある山あいの町、アスペイティア Azpeitia。ここにはかつて、ウロラ川 Río Urola の渓谷に沿って、ウロラ鉄道 Ferrocarril del Urola と呼ばれるメーターゲージの電気鉄道が通っていた。

博物館は、鉄道の運行拠点だったアスペイティア駅を、駅舎だけでなく、構内線路や機関庫、変電所まで含めて保存し、活用している。さらに、ここから北へ4.5kmの間、ウロラ鉄道の線路も残されていて、シーズンの週末には、博物館の保存蒸機が観光列車を牽いて往復する。この乗車体験も訪問客の大きな楽しみになっている。

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保存蒸機の連結作業を見学
旧ウロラ鉄道のラサオ駅にて

この地域に最初に敷設された鉄道は、1864年に全通したイベリア軌間の北部鉄道 Ferrocarril del Norte だ。パリとマドリードを最短距離で結ぶ国際ルートの一部で、現在はマドリード=イルン線 Línea Madrid-Irún(下注)と呼ばれる。

*注 マドリード=アンダイエ線 Línea Madrid-Hendaya の名もある。旧 RENFE(スペイン国鉄)の路線だが、2005年から、インフラ所有は ADIF、列車運行はレンフェ・オペラドーラ Renfe Operadora と、上下分離されている。

ウロラ鉄道は、その北部鉄道に接続する内陸のスマラガ Zumárraga/Zumarraga から北上し、ビスケー湾岸のスマイア Zumaya/Zumaia に至る全長34.4kmの路線だった(下図参照)。スマイアでは、同じメーターゲージのビルバオ=サン・セバスティアン線 Línea Bilbao-San Sebastián に合流していた。開業したのは1926年。石炭の供給不足に悩まされた第一次世界大戦の経験を教訓に、地方鉄道でも電気運転区間が拡張していく時期で、ウロラ鉄道も最初から1500V直流電化で建設されている。

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ウロラ鉄道開業記念の銘板
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ウロラ鉄道のルート
 

標高約360mのスマラガ駅を発った鉄道は、ウロラ川に沿って下流へ向かう。狭くくねった谷間が続くため、トンネルが29本、橋梁も20本あった。沿線人口が少ないことから需要が伸びず、1986年に運行休止となり、1988年に最終的に廃止された。廃線跡の多くはその後、ウロラ緑道 Via Verde del Urola として自転車・歩行者道に転用されたので、今でも容易に跡をたどることができる。

鉄道の沿線で唯一谷が広がり、貴重な平地が現れるのが、石灰岩のグレーの岩肌を見せるイサライツ山 Izarraitz の南麓だ。ここにアスコイティア Azcoitia/Azkoitia とアスペイティアという二つの町がある。双子のような町の名はバスク語で、前者が岩山の上方(=イサライツ山の上流側)、後者が下方(=下流側)を意味するという。

アスペイティアはまた、イエズス会の創始者の一人、聖イグナチオ(イグナティウス)・デ・ロヨラ San Ignacio de Loyola の故郷でもある。生誕地にはロヨラ聖域および大聖堂 Santuario y basílica de Loyola があり、ウロラ鉄道の線路がすぐ横を通っていた。

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駅から見たイサライツ山
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ロヨラ聖域および大聖堂(2017年)
Photo by Edagit at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

町にとって、ロヨラ聖域に次ぐ観光資源がバスク鉄道博物館だ。旧市街から川を渡って東の正面に、地元出身の建築家によってネオバスク様式で造られた美しい意匠の駅舎が建っている。旧ウロラ鉄道のこの駅舎が博物館の玄関口だ。

1階はゆったりとした受付スペースで、ミュージアムショップを兼ねる。上階は展示ホールに改装され、2階には鉄道で使用されたさまざまな職制の制服制帽のコレクションが、3階には200点を越える鉄道用時計のコレクションが、それぞれ所狭しと展示されている。

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3階建の旧アスペイティア駅舎
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(左)駅舎側面
(右)外壁に掲げられた現役時代の発車時刻表
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駅舎1階は博物館の受付
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(左)2階の制帽コレクション
(右)3階の鉄道時計コレクション
 

駅舎を抜けると、2面3線のプラットホームがある。線路はその南側でいくつにも分岐し、そこに新旧の気動車や貨車が縦列で留置されている。突き当りにあるのは大きな車庫兼整備工場で、この中も機関車、客車、貨車、さらにはビルバオ市内を走っていたトラムやバスに至る貴重なコレクションで満杯だ。屋外に留置されているものも含めると、総数は70両以上になるという。

車庫の東隣の2層に見える建物は、もと変電所だ。内部は総吹き抜けの大空間で、変電機器が保存されているほか、奥は車両銘板や鉄道模型の展示室になっている。

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2面3線のホーム
最も左の線路はイベリア軌間
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構内南側には保存車両が留置
正面奥は車庫、左は変電所
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(左)1921年製蒸気機関車「エウスカディ Euskadi」
(右)1931年製12号電気機関車「イサライツ Izarraitz」
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(左)1915年製客車、1960年から路線廃止までウロラ鉄道で供用
(右)1925年製ビルバオトラムU-52
  1999年までマヨルカ島ソーリェル鉄道で運行後、博物館に譲渡
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2層吹き抜けの変電所内部
壁には「自スマラガ至スマイア地方鉄道」と書かれている
 

一方、東の隅には転車台がある。接続されている線路のうち1線だけは、頭上に架線が張られて車庫の奥へ延長され、残りは入換用機関車が格納された開放型の扇形庫につながっている。架線下の線路では、旧型トラムが客を乗せて随時、車庫と転車台の間を往復する。ヤードを横断している跨線橋に上ると、これらの施設配置や車両の動きが手に取るようにわかる。

興味深いのは、構内に広がる線路がメーターゲージだけではないことだ。たとえば転車台は4線軌条で、イベリア軌間の車両も扱える。また、西側の短い線路は旧イベリア軌間(1672mm)で、北部鉄道時代のタンク蒸機や蒸気クレーン車の留置場所になっている。博物館のコレクションは、軌間や運行方式や運営主体を問わず、バスク地方で展開されたあらゆる鉄道を対象としているのだ。

*注 現在のイベリア軌間は 1668mm だが、1955年に統一される前は、スペインが 1672mm(6カスティーリャフィート)、ポルトガルが 1665mm(5ポルトガルフィート)と微妙な差があった。

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4線軌条の転車台
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架線下の線路に動態保存の旧型トラムが

蒸気列車の発車時刻が近づいてきたので、ホームに戻った。乗車券は、初めに受付で買ってある。博物館の入場券とのセットで6ユーロ(博物館のみは3ユーロ)だった。渡されたのは、うれしいことに緑色の硬券で、裏に発車時刻が12:00と手書きされている。ちなみに2023年シーズンの列車運行は、土曜が12時と17時30分の2回、日曜・祝日は12時の1回だ。8月は平日もディーゼル機関車による運行がある。

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蒸気列車の硬券切符
裏面に発車時刻を手書き
 

バスク鉄道博物館は1992年の設立で、1994年に整備を終えて全面的に公開された。当初、列車運行は今と違って、アスペイティアから南へ2kmのロヨラ(バスク語でロイオラ Loiola)駅との間で不定期に行われていた。駅はロヨラ聖域のすぐ前にあった。

ところが、地域の主産業である鉄鋼工場を拡張するために線路用地を提供することになり、この区間は1995年5月限りで閉鎖された。代わりに北側の廃線跡で復旧作業が進められ、1998年6月から運行できるようになった。こちらは取り立てて観光名所があるわけではないが、走行距離が4.5kmとより長く、またウロラ鉄道の典型的な渓谷風景が楽しめるから、それはそれでよかったと言えるだろう。

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アスペイティア~ラサオ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

1番線の跨線橋の真下に、FV 104 と車台に大書された茶塗装のタンク蒸機が停車している。受付で買った博物館のカタログに当たると、軸配置2-6-0、1898年マンチェスター製の104号機関車「アウレラ AURRERA」だ。

現在のビルバオ=サン・セバスティアン線の一部である旧 エルゴイバル=サン・セバスティアン鉄道 Ferrocarril de Elgoibar a San Sebastián の開業に際して供用された古典機で、本線運行から退いた後も、同僚機のように他所へ転用されることなく、入換用機関車としてこの地で過ごした幸運な機関車だという。動態復元されて、博物館設立の1992年以来、ここで列車を率いている。

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蒸気列車の牽引機アウレラ
 

そこに機関士が乗り込み、2番線の給水塔の前へ移動した。給水が終わると、再び1番線へ移動して、ホームに停車中の2両つないだボギー客車の前に連結される。往路はバック運転で行くようだ。

濃緑地に黄帯を引いた客車は1925年製のオリジナルで、ウロラ鉄道の開業に際してバスク州のベアサイン Beasaín にある車両工場から納入された、という経歴を持つ。ウロラ鉄道は電気運転だったので牽引機は異なるものの、保存運行で当時の鉄道シーンをできるだけ再現しようと努めていることがわかる。

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(左)走行前の給水
(右)客車に連結
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(左)1925年製のオリジナル客車
(右)車内は1+2席の板張りシート
 

甲高い発車の汽笛が聞こえるころには、車内の板張りクロスシートはもとより、デッキにもちらほら人が立った。保存運行はかれこれ30年続いているが、今もけっこうな人気を保っているようだ。列車は定刻12時に駅を離れた。

走りだすとすぐに家並みが途絶え、緑の中を進んでいく。左下にウロラ川の流れがちらちらと見える。このあたりは比高500mほどの山に囲まれていて、線路は谷に沿って右へ左へとカーブを繰り返す。緩い下り坂で、機関車にとっては軽い仕事に見えるが、それでも最前部のデッキには、吐き出された細かいシンダが降り注ぐ。

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(左)出発準備完了
(右)往路はバック運転
 

左に急カーブして、川が真横に来たかと思うと、間もなくそれを鉄橋で渡り、間を置かずトンネルに突入した。長さ225m、現行ルートで唯一のトンネルだ。地元客はその存在を先刻承知のようで、客室扉も窓も早くに閉められていた。

暗闇を抜けた後は、国道が左側を並走し始める。川の対岸に渡るアーチの石橋と集落が見え、国道が頭上を乗り越して右に移ったところが、終点ラサオだった。到着は12時20分。地形図上では鉄道記号がまだ北へ続いているが、実際には、駅下手にある車止めで線路は切断され、その先は地道に変わっている。

駅構内は2面2線で、小粒ながら印象的な駅舎が建つ。白い漆喰壁にアクセントのエンジ色が映え、エンタシスの柱が支えるロッジア風の造りもユニークだ。もちろん無人駅だが、内部には調度品が置かれ、明かりもつく様子が、窓越しに見えた。

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(左)ウロラ川が近づく(復路で撮影)
(右)川を渡ってトンネルへ
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ラサオの石橋と対岸の集落
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アクセントのエンジ色が映えるラサオ駅舎
 

折返しのために、機関車はここで機回しされる。解結から転線、そして再連結まで、すべて機関士が一人でこなしている。乗客はみなホームに降りて一部始終を見守るのだが、サービス精神旺盛な機関士は、退避線を回っていく間、汽笛をリズミカルに鳴らし続ける。谷間によく響くので、ご近所から苦情が来ないか心配になるほどだ。

復路では、機関車が正面を向く。ラサオで下車した数人の客に見送られて、列車は出発した。来た道を同じようなペースで戻って、アスペイティアに帰着したのは12時50分すぎ、往復で50分ほどのミニツアーだった。

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ラサオ駅での機回し
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下車した客に見送られて帰路に就く

最後に、鉄道博物館へのアクセス方法を記しておこう。

アスペイティアへは、周辺の町から路線バスが走っている。鉄道旅行者が使いやすいのは、ウロラ鉄道を転換した UK06系統(スマラガ Zumarraga ~スマイア Zumaia)と、サン・セバスティアンから直通するUK01系統(サン・セバスティアン/ドノスティア San Sebastián/ Donostia ~アスコイティア Azkoitia)だ。所要時間はスマラガから43分、サン・セバスティアンから55分。

旧駅前が一方通行のため、博物館の最寄り停留所は、北行スマイアおよびサン・セバスティアン方面が Trenbidearen Museoa(鉄道博物館)、南行スマラガおよびアスコイティア方面は川沿いの Julian Elorza Etorbidea, 3(ジュリアン・エロルサ通り3)になるので注意のこと。

時刻表、路線図は下記 ルラルデバス Lurraldebus のサイトにある。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
バスク鉄道博物館 https://museoa.euskotren.eus/
ルラルデバス https://www.lurraldebus.eus/ 英語版あり

★本ブログ内の関連記事
 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト
 セメント鉄道-産業遺跡のナロー
 マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線
 マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道
 グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車

2023年8月15日 (火)

セメント鉄道-産業遺跡のナロー

トレン・デル・シメン(セメント鉄道)Tren del Ciment

グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà ~カステリャル・デ・ヌク(クロト・デル・モロ)Castellar de n'Hug (Clot del Moro) 間12km
軌間600mm、非電化
1914~23年開通、1963年廃止

【現在の運行区間】
ラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet ~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km
2005年開通

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの併用軌道を行く
セメント鉄道の列車

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スペインのカタルーニャ自治州には、イベリア軌間の幹線のほかにメーターゲージ(1000mm軌間)の広範な路線網がある。列車を運行しているのは、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) という、州政府が設立した鉄道会社だ。興味深いことに同社は、列車事業部門と並んで観光・山岳事業部門も有していて、さまざまな観光鉄道や索道を直営している。

以前取り上げたモンセラットやヌリアのラック式登山鉄道(下注)もその例で、どちらも自社の列車駅に接続し、あたかも支線のような存在になっている。

*注 本ブログ「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

ところが例外的に、一般路線網から遠く離れた、バスもほとんど通わないような山間部に、FGCの孤立路線が存在する。それが、今回取り上げるアルト・リョブレガト観光鉄道 Ferrocarril Turístic de l'Alt Llobregat だ。愛称の「トレン・デル・シメン Tren del Ciment」、すなわちセメント鉄道というのは、もともとセメントを輸送する産業軽便鉄道だったという歴史に由来している。

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旧線時代の復元客車
ラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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1:25,000地形図にセメント鉄道の駅位置と名称を加筆
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

場所は、バルセロナ Barcelona の北100kmにあるラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet という小さな町だ。プレピレネー(前ピレネー山脈) Prepirineus の山々に囲まれ、バルセロナ南郊で地中海に注いでいるリョブレガト川 El Llobregat の最上流域に当たる。

話は、20世紀初頭に遡る。1901年、町から2km上流の谷合いにあるカステリャル・デ・ヌク Castellar de n'Hug 村のクロト・デル・モロ Clot del Moro 地区で、カタルーニャ最初のポルトランドセメント工場の建設が始まった。事業主はアスファルト・ポルトランド総合会社 Companyia General d’Asfalts i Portland で、後にその略称から、「アスランセメント Ciment Asland」のブランド名で知られることになる会社だ。

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アスラン社のセメント袋を積んだトロッコ
セメント博物館にて
 

工場は1904年に完成し、操業を開始した。袋詰めされた製品の搬出は当初、アメリカから輸入したベスト Best という蒸気自動車で行われた。これはもともと工場の建設資材を運ぶために購入されたもので、6両の貨車を牽いて走ることができた。セメント袋はこの車で川沿いを12km下り、グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà で750mm軌間のマンレザ Manresa 行き貨物列車(下注)に積み替えられた。

*注 マンレザ=ベルガ経済路面軌道・鉄道会社 Companyia Tramvia o Ferrocarril Econòmic de Manresa a Berga の路線で、1904年にグアルディオラ・デ・ベルゲダまで開通。

ところが、蒸気自動車は早くも翌年、故障で使えなくなってしまう。しばらく牽き馬で代替したものの、出荷量の増加で間に合わなくなり、会社は鉄道の建設を決めた。これが現在の観光鉄道の前身になる。

路線は1910年に着工され、リョブレガト川を渡る2本の橋梁を含めてグアルディオラからラ・ポブラ・デ・リリェトまでの区間が1914年に、残るクロト・デル・モロの工場までの区間が1923年に開業した。一般に「カリレット carrilet」(下注)と呼ばれる軽便線で、軌間は600mmだった。

*注 carril(道、線路の意)の指小辞形。狭軌鉄道はメーターゲージを含めてこう呼ばれていた。

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(左)初期に使われた蒸気自動車ベスト
(右)最終運行日のカリレット
いずれもラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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保存された旧グアルディオラ駅
 

1920年代、セメントは都市基盤の形成に欠かせない資材として需要が伸び、バルセロナ万国博の効果もあって、増産が続いた。人の往来も活発で、カリレットは旅客輸送でも実績を伸ばした。

しかし、第二次世界大戦後は、モータリゼーションの影響で鉄道利用が急速に減少していく。生命線だったセメント輸送もトラックに切り替えられ、1963年10月にカリレットの運行は中止された(下注)。セメント工場も、設備が老朽化し、生産コストが見合わなくなったことから、1975年に操業を停止している。

*注 この鉄道が接続していたマンレザ=ベルガ=グアルディオラ線も赤字で、1951年に国に買収されたものの、ダム建設で線路が水没することから1972~73年に大半が廃止となった。

工場施設は朽ちるに任されていたが、近年、カタルーニャの工業化の過程を示す産業遺産として再評価を受け、2002年にカステリャル・デ・ヌク セメント博物館として再整備された。このエリアには他にも観光スポットが点在している。それらを結ぶ移動手段として企画されたのが、カリレットの復活運行だ。

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博物館になったセメント工場跡
 

「新」セメント鉄道は、2005年7月1日に開業した、ラ・ポブラ・デ・リリェト~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km の路線だ。旧線跡を利用していて、軌間も同じ600mmだが、保存鉄道というわけではなく、現代のディーゼル機関車がオープン客車を牽いて走る。

片道の所要時間は20分だ。運行日は2023年の場合、4月から11月初めまでの土日祝日と、7月中旬から8月の間の毎日で、繁閑に応じて1日5~8往復が運行される。

短い距離だが、ルートは変化に富んでいて、鄙びた町の街路を併用軌道で通り抜けたかと思うと、終盤は森林鉄道のように渓谷をくねくねと遡っていく。起終点の標高差は107mあり、平均勾配は30‰にも達する。以下、現地写真でそのルートをたどってみよう。

バルセロナからラ・ポブラ・デ・リリェトまではアウトピスタ(高速道路)Autopista C-16号線経由で130km、車で1時間50分ほどだ。公共交通機関で日帰りするのは不可能なので、レンタカーに頼るしかない。グアルディオラ・デ・ベルゲダでC-16から離れ、リョブレガト川の谷の2車線道を遡っていくと、最初のラウンドアバウトの先に、セメント鉄道の起点駅が見えてきた。少し先に広い駐車場が用意されている。

駅はラ・ポブラ・デ・リリェトを名乗っているが、町はまだ1kmも先で、周りに人家は見えない。ここには旧線時代、ラ・ポブラ・アパルタドル La Pobla-Apartador という駅があり、南の山中にある炭鉱から索道で運ばれてきた石炭を貨物列車に積み替えていた。

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(左)C-55号線でモンセラット山麓を行く
(右)C-16号線のベルガ Berga 南方
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ラ・ポブラ・デ・リリェト駅
(左)終端側から駅構内を望む
(右)終端部の転車台
 

現在の駅は、2005年の再開にあたって新設されたものだ。2面2線の構造で、谷側(終点に向かって右側)が1番線、山側が2番線になっている。2本の線路は、下手で合流した後、転車台に接続されているが、車両基地は終点駅にあるので、ここでは作業車両の留置しかしていない。

2番ホームに接して、平屋の駅舎が建っている。ベージュの塗り壁にオレンジの屋根瓦と、伝統をなぞった外観が好ましい。中に入って、カウンターで乗車券を購入した。運賃は大人片道5.50ユーロ、往復9ユーロで、途中下車は可能。また、列車往復と沿線のセメント博物館およびアルティガス庭園とのセット券(15ユーロ)もある。

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(左)伝統的外観の駅舎
(右)案内カウンター
 

駅舎の隣に見える青緑色の切妻屋根の建物は、鉄道博物館だ。駅が開いている時間に、自由に見学できる。展示テーマは「バイ・デル・リョブレガト(リョブレガト谷)の地方・産業・観光鉄道 Ferrocarrils secundaris, turístics i industrials a la Vall del Llobregat」で、現物車両や関係資料のパネルを使って、川沿いの炭鉱や岩塩鉱に通じていた鉄道や索道に関する歴史を説明している。

産業車両の展示が多いなか、旧線時代のモンセラット登山鉄道で使われていたという4号蒸気機関車とサロンカーのセットが目を引いた。奇岩と修道院で有名なモンセラットもまた、リョブレガト川の流域にある。登山鉄道は1950年代に廃止されたが、高い輸送力を期待されて2003年に運行が再開された。セメント鉄道復活の2年前のことで、二者はよく似た経歴を持っているのだ。

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駅併設の鉄道博物館
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リョブレガト谷ゆかりの車両を展示
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モンセラット登山鉄道旧線時代の4号機関車とサロンカー
 

そうこうしているうちに、発車時刻が近づいてきた。ホームに向かうと、本日の一番列車がすでに2番線に停車している。先頭は、緑塗装のドイツ、シェーマ Schöma 社(下注)製2軸ディーゼル機関車で、2010年に供用された2号機「カトリャラス Catllaràs」だ。開業当初から在籍する1号機もシェーマ・ロコだが、より小型のため、今はもっぱら入換用だという。

*注 正式名はクリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH で、簡易軌道や工事現場で使われる小型ディーゼル機関車の専門メーカー。

機関車の後ろには、同じ緑色をまとうオープンタイプの客車が4両連なっている。車端にデッキがあり、客室の座席は、通勤車両のような向い合せの木製ロングシートだ。少々窮屈だが、車体の横幅が狭いのでやむを得ない。

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シェーマ・ロコが牽くセメント列車
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(左)オープンタイプの客車
(右)客室は木製ロングシート
 

朝、到着したときは、まだホームに人影もなかったのに、いつのまにか20人以上の客が乗っている。今日10月12日は祝日ということもあって、客の入りはまずまずのようだ。10時30分、短い警笛を合図に、列車はホームを離れた。

以前は駅の直後に落石除けのトンネルがあったが、今は開削されて、谷側に駐車場との連絡歩道が造られている。その駐車場を横に見ながら、列車は石灰岩の段丘崖の際をゆっくり上っていく。右手は深い谷で、吹き通る風が心地いい。

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石灰岩の段丘崖の際を上る
 

ふと後ろを振り返ったとき、線路が敷かれているのがバラストの上ではなく、コンクリートで固めた路面であることに気づいた。そういえば、路側に黄線が引かれているし、路肩にはしっかりとフェンスがある。間違いなく路面軌道だ。

推測するに、カリレットが通わなくなって40年の間に、廃線跡はすっかり生活道路になってしまった。とはいえ、線路用地を別に確保するのは大工事になるから、いっそのこと道路と鉄道を共存させようという発想だろう。もとが廃線跡なので道幅が狭く、列車と車の行き違いは困難だが、別に整備された2車線道があるから、地元の人しか通るまい。

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生活道路と併用の路面軌道が続く
 

そのうち列車はラ・ポブラ・デ・リリェトの家並みの中に入っていった。併用軌道は町裏にまだ延びているが、さすがにこのあたりは車が退避できる道幅がある。ただしその分、路駐も多くて気を使いそうだ。

ラ・ポブラ・セントレ La Pobla Centre 停留所に停車した。路面軌道にしては立派な高床のホームだ。ベンチが置かれ、屋根もついて設備は行き届いている。だが、長さは1両半ほどで、後ろの車両には届かない。

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの町裏を行く
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高床ホームのラ・ポブラ・セントレ停留所
 

セントレはいうまでもなく「中央」のことで、ここから迷路のような路地を下っていくと、リョブレガト川の蛇行に面した町の中心部に出る。ベイ橋 Pont Vell と呼ばれる14世紀の石橋が架かり、傍らの木陰に伯爵エウゼビ・グエイ(グエル)Eusebi Güell の記念碑が建っている。

グエイは、モデルニスモの建築家アントニ・ガウディ Antoni Gaudí のパトロンとして知られる実業家、政治家だ。ガウディが設計し、バルセロナの観光名所になっているグエル公園やグエル邸、郊外のコロニア・グエル教会などに名を残している。実は、彼はアスランセメント会社の設立者でもあって、工場の城下町として栄えたラ・ポブラにとっては最大の功労者なのだ。

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市街には狭い路地が入り組む
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(左)エウゼビ・グエイ記念碑
(右)リョブレガト川に架かるベイ橋
 

セントレを後にした列車は、まだ路面を走り続ける。家並みが途切れると、道路が左に分かれていき、専用軌道に入るかに見えたが、路面の舗装と黄帯はそのままだ。リョブレガト川の渓谷を高い橋で渡り、深い切り通しをカーブで抜けたところに、二つ目の中間停留所ジャルディンス・アルティガス(アルティガス庭園)Jardins Artigas があった。列車交換ができるように2面2線で建設されたが、1時間間隔の運行では不要のため、早々と棒線駅に格下げされて今に至る。

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(左)リョブレガト川の谷を渡る併用橋
(右)深い切り通しのカーブ
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ジャルディンス・アルティガス停留所では多数の乗降が
 

ここで乗客のざっと2/3が降りてしまった。アルティガス庭園というのは、ガウディの設計による自然の地形を生かした回遊庭園だ。彼は、グエイの依頼でセメント工場の従業員社宅を設計するために、当地に滞在したことがあった。その際、工場主だったアルティガス家からのもてなしに感謝して、同家の庭園の設計を引き受けた。せせらぎの音がこだまする園内には、グエル公園を彷彿とさせる彼独特の造形が多数散りばめられていて、楽しい散策の時間が過ごせる。

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アルティガス庭園のユニークな造形
 

この停留所を境に、軌道は道路を脱して、バラストの上に載る。終盤は、森林鉄道を思わせる渓谷沿いの険しいルートだ。急勾配はもとより、トンネルなしで山襞に忠実に沿っていくため、脱線防止レールつきの急カーブが次々に現れる。右側は灰白色の切り立った壁が続き、左の谷には岩棚を滑り落ちる急流が見え隠れしている。ゆっくり進んでいくと、やがて川床が上昇してきて水音が大きくなり、進行方向左奥に旧セメント工場の巨大な建物群が姿を現した。

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ムゼウ・デル・シメン駅
手前が駅舎、右奥が機関庫、左奥はセメント工場跡
 

10時50分、終点ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)駅に到着。ホームは右側で、起点駅と同じような駅舎が建っている。中は黒のラブラドール君が店番をしているカフェが営業中で、片隅に出札口もあった。ホームの前は本線と機回し側線があるだけだが、奥はヤードで4線収容の機関庫へと分岐している。一角に、セメント鉄道100周年を記念する小型機関車(下注)が、客車連れでぽつんと置かれていた。その左には転車台も見える。

*注 1901年ベルギー製の600mm軌間蒸気機関車「ミナス・マリアナス Minas Marianas」。現役時代はアストゥリアス州のマリアナ鉱山 Mina Mariana で稼働しており、セメント鉄道の所属機ではない。

かつてのセメント工場跡は、産業博物館として公開されている。近代カタルーニャの一時代を画した壮大な産業遺跡を巡りながら、ポルトランドセメントの製造工程やアスラン社の歴史を学ぶことができる。

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折返し待機中の列車
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(左)駅舎の中はカフェ
(右)片隅に出札口も
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機関庫前に100周年記念の小型機関車の姿が
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工場跡を公開するセメント博物館
 

ところで、到着した列車は、折返し11時00分発のラ・ポブラ・デ・リリェト行きになる。片道20分を要し、かつ1時間間隔でピストン運行しているので、起終点駅での作業時間は10分しかない。

ところがいっこうに機関車の付け替え、いわゆる機回しが行われる気配がなかった。そのうち運転士と思われる男性がつかつかと先頭客車まで歩いてきて、デッキの跳上げ椅子に座った。そして大事そうに抱えていた何かの装置を操作すると、列車はそのまま動き出したのだ。後ろの機関車は無人のままで…。

どうやら彼が携えていたのは無線操縦用の機器らしい。こうしたプッシュプル型列車の場合、先頭客車は制御車で、運転台がついているものだが、こんなイージーな運転方式があるとは驚いた。ラジコン好きの人なら、一度体験してみたいと思うのではないだろうか。

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(左)運転士がラジコンを抱えて乗ってきた
(右)デッキが運転台代わりに
 

写真は、2021年11月および2022年10月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
セメント鉄道 https://turistren.cat/trens/tren-del-ciment/

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 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 モンセラット登山鉄道 II-新線開通
 バスク鉄道博物館の蒸気列車

2023年8月 5日 (土)

マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道

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ソーリェル市街の中心、憲法広場を横断するトラム

ソーリェル駅は、この鉄道の中枢だ。地面に濃い影を落とすプラタナス並木の間に、多数の線路が延びている。列車線の乗降ホームがあるのは、パルマ方(南側)から見て左の2本で、主として、幅広のホームが確保された一番左の線路(1番線)が使われる。

右手は車両基地で、4線収容の機関庫(電動車車庫)や整備工場がコンパクトに配置されている。構内配線も分岐あり交差あり、さらに転車台も挟んでいるから複雑だ。一方、列車線の本線を挟んで隣には、5線収容のトラム車庫がある。そのうち2線は車庫を突き抜けて、パルマ方で列車線の本線につながっている。列車線の機関庫にもトラム車両らしき姿が見えるから、手のかかる改修作業はそちらに移動させて行うのだろう。

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ソーリェル駅構内図
黒色の線は列車線、橙色の線は路面軌道
 
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ソーリェル駅の列車線機関庫
列車線ホームから撮影
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同 路面軌道車庫
左の2線は裏側で列車線と接続している
 

ソーリェルの旅客駅舎は、列車線ホームの一番奥だ。3階建ての大きな建物で、17世紀初頭に築かれたカン・マヨル Ca'n Mayol という要塞家屋 Casa forta を転用したのだという。ホームは、日本でいう2階相当の高さにある。

ホームに接した待合室の片隅に小さな出札口があるが、閑散としている。というのも、列車で往復するつもりの観光客はすでにパルマ駅で切符を買っているし、片道だけの客は、例の展望台に停車しない上り列車を敬遠する。それで、ここで乗車券を求める人は少ないのだ。

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列車線ホームから見たソーリェル駅舎
左に路面軌道が見える
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(左)ソーリェル駅、手前の屋内に出札口がある
(右)ホームから階段で地上階へ
 

階段を伝って地上階へ降りると、明るい吹き抜けの空間に出た。左側はパブロ・ピカソ Pablo Picasso の陶芸品の、右側はジョアン・ミロ Joan Miró の版画の、それぞれ無料展示室になっている。同じフロアには直営売店もあり、さまざまな鉄道グッズが揃っているので、立ち寄らないわけにはいかない。

駅舎の玄関を出ると、向かいにあるスペイン広場との間の狭い街路が、トラムの乗り場になっている。軌道は先述の車庫からの続きだが、列車駅の横を通過する間に坂を下ってきたので、もはや1階分の高低差がついているわけだ。

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(左)地上階の吹き抜け空間
(右)鉄道グッズが揃う直営売店
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駅舎正面、中央が入口
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駅舎前のトラム乗り場

ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller は、ここソーリェル駅 Sóller-Estació と、地中海に開いたポルト・デ・ソーリェル(ソーリェル港)Port de Sóller との間4.9kmを結ぶトラム路線だ。列車線から1年半遅れた1913年10月に開業しているので、もう110年の歴史がある。

かつては旅客だけでなく、港で水揚げされた魚を町へ運び、町からは輸出用のオレンジを港へ送るなど、貨物も扱っていた。港の海軍基地に向け、列車線から直通で石炭や軍需物資を輸送する役割もあった。しかし今では、列車線と同様、一般旅客さえ路線バスに移行しており、もっぱら観光客を乗せて走っている。

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ソーリェル~ポルト・デ・ソーリェル間の1:25,000地形図に停留所位置と名称を加筆
交差した矢印は信号所(パッシングループ)を示す
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

運用されている車両も、軌道の歴史を反映したものだ。電動車は、開業時にまで遡るオリジナル車3両(1~3号、下注1)と、1998~2001年に供用された旧リスボン市電の5両(20~24号、下注2)の、8両体制を敷く。いずれも密閉型の2軸車で、ノスタルジー溢れる木枠、板張りの角ばった外観を特徴とする。前面の腰板は、特産のオレンジを想起させる色に塗られている。旧リスボン車も後に改造されたので、ニスの色がやや薄いほかはオリジナル車とほとんど見分けがつかない。

*注1 集電装置は長らくビューゲルだったが、1990年代にパンタグラフに改修されている。
*注2 軌間はソーリェルが914mmに対して、リスボン市電は900mm。軌間差が小さく調整コストが低いことが受入れの決め手になった。

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オリジナル電動車1号
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旧リスボン車23号
(左)改造でオリジナル車とほぼ同じ外観に
(右)丸みを帯びたリスボン車の形状を残していた改造前(2013年)
           Photo by pjt56 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)23号の運転台
(右)ベンチシートが配置された客室
 

一方、付随客車の古参組としては、1890年の製造で1952年にパルマ路面軌道 Tramvia de Palma から引き継いだ開放型の4両(8~11号)、通称「ジャルディニエル Jardinier」がある。また1999年からは、旧リスボン電動車とセットになる付随車も、自社の整備工場で密閉型、開放型合わせて8両(1~7および12号で、番号は電動車と一部重複)製造された。ほかに、開業時からの密閉型2軸車2両(5~6号)も残っているが、走るのは冬季だけだ。

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(左)パルマから来た付随客車「ジャルディニエル」
(右)自社製造された付随客車
 

1990年代までこの路線では、電動車の後ろに2両の付随客車がつく3両編成で走っていた。ダイヤは30分間隔で今と同じだったが、観光客の増加により常に混雑し、繁忙期には積み残しが出るような状況だった。それで、列車線の専用列車でやってくる多人数の団体客については、ソーリェル駅の手前に列車の乗降場を設け(下注)、そこからバスで港まで代行輸送する方法で迂回させていた。

*注 前回言及した1990年開設のカン・タンボル Can Tambor 停留所。

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オリジナル電動車+ジャルディニエルの3両編成
 

このように輸送力増強が喫緊の課題だったことが、リスボン車購入の背景にある。改造が順次完了し、車両群が充実した2001年以降は、最大3本の続行運転が行われるようになった。

さらに2006年には、旧リスボン電動車が両端につき、中間に2両の付随車を挟む総括制御、4両連結での運行が実現する。これにより1編成で150人以上を運べるだけでなく、終端駅での機回しが不要になり、運行の効率化が図られた。パルマから到着する列車の定員は350名だが、路面軌道側で2本を続行運転することでほぼ対応できるようになったのだ。

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旧リスボン車が前後についた4両編成

では、ソーリェル駅前からトラムに乗って港へ出かけよう。

6~10月の繁忙期、トラムは30分間隔で走っている。ソーリェル駅の始発は8時、ソーリェル港の始発は8時30分。夜の最終便は間隔が開き、それぞれ20時35分と21時05分発だ。ちなみに11~5月の閑散期は、運行間隔が60分に広がる。

終点までの所要時間は、20~30分だ。主要道路とは分離されているので交通渋滞の影響はほぼないが、全線単線で、途中の停留所で列車交換を行うため、その待ち時間によっても左右される。

運賃は1乗車8ユーロで、往復の設定はない。並走する路線バスの運賃が現金3ユーロ、カード1.80ユーロなので、比較するまでもない高価格だ。これでも1990年代は2ユーロだったというから、2000年代以降の、一般輸送はバス、観光輸送は鉄道と棲み分けを明確にした経営自立策の結果だろう。なお、駅の出札口ではトラムの乗車券を扱っておらず、運賃は車掌が車内で徴収する。

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時刻表が記載された停留所の標柱
 

パルマからの次の下り列車がソーリェルに着くのは、13時15分だ。列車到着後はトラムの乗り場が人で溢れかえるので、その前の13時発のトラムに乗車しようと思う。

駅前で待っていると、13時ごろ、電動車2号が付随客車2両を連れて港方から現れた。鉄道オリジナルの1~3号は総括制御未対応のため、従来方式の3両編成で運用されているのだ。しかし、これは遮断機の先の構内で客を降ろして、車庫の方へ引き揚げていった。少し間を置いて次に現れたのは、23、24号の電動車ペアの間に密閉型の付随客車2両が挟まった4両編成だ。ソーリェル港方面へはこの後続便が先行するらしい。待っていた客が乗り込むと、ベンチシートはそこそこ埋まった。

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23、24号のペアがソーリェル港方面へ先行
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教会横の狭い路地エス・ボルン
 

13時05分、ボーッという汽笛を合図にトラムは動き出した。最初は下り坂になったエス・ボルン Es Born の狭い路地をゆるゆると進んでいく。さっそく車掌が運賃収受に巡回してくる。現金で払うと、機械印字の薄いレシートをくれた。

路地を抜けるとトラムは、路面軌道の車窓名物ともいうべき町の中心、憲法広場 Plaça de sa Constitució を横断する(冒頭写真も参照)。

重厚なバルコニー装飾が目を引く旧ソーリェル銀行 Banco de Sóller(現 サンタンデル銀行ソーリェル支店)、石灰岩の壮麗なファサードを向ける聖バルトロマイ(バルトメウ)教会 Església de Sant Bartomeu に、太陽を捧げる獅子のレリーフを掲げた市庁舎と、町を象徴する建造物が左右に並び建ち、カフェテラスのテーブルや、スナックや小物を商うさまざまな屋台で埋め尽くされた広場だ。

そぞろ歩く観光客の間をかき分けるように、トラムは最徐行で通過していく。車両の接近に気づかない人もいるので、運転士は何度も警笛を鳴らし、車掌も身を乗り出して警戒怠りない。

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憲法広場の聖バルトロマイ教会と市庁舎
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広場のカフェテラスの間を最徐行で通過
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車内から(帰路写す)
 

広場からクリストフォル・コロム通り Avinguda de Cristòfol Colom に移ったところで、最初の停留所メルカト Mercat(市場の意)に停車した。文字どおり市営市場の前で、待避線がある。仮に広場で運行にトラブルがあったときでも、港方面へ折返し運転できるようにしてあるのだろう。ここもまだ人通りが絶えない。

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メルカト停留所(帰路写す)
 

この300mほどの併用軌道区間を終えると専用軌道になり、旧道沿いの家並みの、レモンやオレンジの実がなる裏庭をかすめながら、郊外に出ていく。緊張から解放されたように、走るペースも少し速まる。

次の待避線があるのは、プラタナス並木の下にあるカン・グイナ Ca'n Guina 停留所だ。続いて、トレント・マジョル Torrent Major(大川の意、下注)を鉄橋で渡る。振り返ると市街地の背後に、朝、列車で越えてきたアルファビア山脈 Serra d'Alfàbia が衝立のように横たわっている。

*注 トレント Torrent は降雨時だけ水が流れる涸れ川のこと。主に石灰岩でできたマヨルカ島ではよく見られる。

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(左)オレンジの実がなる裏庭をかすめて
(右)トレント・マジョルの鉄橋を渡る
 

現在、沿線には12の中間停留所が設置されている(下注)が、どれも簡易な低床ホームに時刻表を記した標柱が1本立っているだけだ。リクエストストップのため、多くは素通りするが、思い出したように停車しては一人二人と降ろしていく。ちなみに降車したいときは、出入口のSTOPと記されたボタンを押すか、窓際にぶら下がっている紐を引いて、運転士に知らせる必要がある。

*注 正式の終点は後述するラ・パイエザ La Payesa なので、現終点のポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)もこの数字に含まれる。なお、湾沿いにかつてあったセスプレンディド S'Espléndido、セデン S'Eden、カン・ジェネロス Ca'n Generós の3停留所は、プロムナード整備を機に廃止された模様。

ほどなくパルマとソーリェル港を結ぶ主要道 Ma-11 と交差した。その後は道端軌道でおおむね直線ルートだが、最高時速でも30kmのため、隣を走るクルマには抜かれっぱなしだ。

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(左)主要道Ma-11と交差(帰路写す)
(右)背後に横たわるアルファビア山脈
 

道路脇にロカ・ロジャ Roca Roja 停留所が見えてきた。30分間隔の運行の場合、ここで列車交換が行われる。中間点よりやや港方に位置しているため、ソーリェル行の上り電車が先着することが多く、待っていたのは、21、22号の電動車ペアによる4両編成だった。少し停車している間に、下りの続行便である2号電動車の3両編成も後ろに現れた。

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ロカ・ロジャ停留所での列車交換
 

行き違いを終え、再び出発。このあたりは両側から山が迫っていて、主要道はその山を貫く長さ1329mのサ・モラトンネル Túnel de sa Mola に入ってしまう。停留所のない待避線を通過すると、いよいよ前方にエメラルド色の海が見えてきた。ビーチにさしかかるサ・トレ Sa Torre 停留所では、客がぞろぞろと下車して、車内がすいた。線路は右へ進むが、左のほうにも椰子の枝が風に揺れるプラジャ・デン・レピク Platja den Repic のビーチが続いている。

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(左)2号電動車が続行
(右)サ・トレ停留所で多くの客が下車
 

ここから終点までは、エス・トラベス Es Través の弓なりになった湾岸を走る。光降り注ぐビーチでくつろぐ人々やボートが浮かぶのどかな湾景に目を細めながらの、鉄道旅のフィナーレにふさわしい数分間だ。プロムナードの中央に軌道が通っているが、この形に整備されたのは意外に新しく、2012年のことだ。

かつてここには主要道 Ma-11 が通っていて、軌道はその海側に分離されていた。2007年に上述のサ・モラトンネルを経由するバイパスが開通したことで、通過車両をそちらに移し、湾沿いを歩行者に開放したのだ。軌道もその際に移設され、もとの軌道用地は海側の歩道になっている。

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エス・トラベスのプロムナード
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ソーリェル湾の眺め、正面が地中海への出口
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プロムナード整備以前の風景
軌道は主要道の海側を通っていた(2010年)
Photo by Alain GAVILLET at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

やがてトラムは減速し、右隣に待避線が現れた。終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)に13時29分到着。降車が済んだ頃に、続行の3両編成が右の線路に入ってきた。こちらは機回しが必要なため、4両編成はすぐに発車して、停留所を空けなければならない(下注)。

*注 ソーリェルに戻る必要のない時は、サ・トレ停留所の南にある待避線で留置される。

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終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル)に
続行編成も到着
 

ささやかながらもここは、パルマから延々乗ってきたソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller (FS) のもう一方のターミナルだ。町の中心部に位置し、サ・カロブラ Sa Calobra へ行く沿岸観光船の埠頭も目の前にある。軌道の海側に建てられた旧駅舎は、早くも1920年代にマリソル Mar y sol、すなわち海と太陽という名の食堂 兼 ホテルに改装され、今もレストランとして営業している。

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レストランに転用された旧駅舎
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ソーリェルへ戻るトラムに客が群がる
 

軌道はさらに150mほど先に進んだ、ラ・パイエザ La Payesa(旧サ・ポサダ・デ・アルテザ(職人宿の意)Sa Posada de l'Artesà)と呼ばれる場所が正式の終点だ。4.9kmという路線長もその距離を含んでいる。港に海軍基地があった時代、このルートは貨物線として機能しており、さらに先の造船所まで達していた。今でも路面に軌道が残されているが、トラムがそこまで足を延ばすことはもはやない。

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軌道の終端ラ・パイエザ
かつてはさらに貨物線が続いていた
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2022年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ソーリェル鉄道 https://trendesoller.com/
ソーリェルからソーリェル港に至るマヨルカの路面軌道の前面車窓動画
Führerstandsmitfahrt mit der Straßenbahn von Mallorca von Sóller bis Puerto de Sóller
https://www.youtube.com/watch?v=gV8cTyKeQHQ

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2023年7月28日 (金)

マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線

マヨルカ島 Mallorca は、西地中海に浮かぶスペイン領バレアレス諸島 Illes Balears/ Islas Baleares の最大の島だ。面積は3640平方kmで、沖縄本島(1208平方km)の3倍に及ぶ。地中海性の穏やかな気候のもと、光降り注ぐビーチはもとより、自然豊かな内陸のドライブやサイクリングも人気で、観光の島としてすっかり定着している。

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ソーリェル鉄道パルマ駅での機回し作業
 
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その南西に開いた湾に臨んで、主要都市パルマ Palma(下注1)がある。バレアレス諸島の行政・経済の中心地であり、本土から航空機や船で来る客にとってマヨルカ島の玄関口になっている。ソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller (FS) は、そのパルマを起点に、トラムンタナ山脈 Serra de Tramuntana の向こう側にある小さな町ソーリェル Sóller(下注2)とその港へ行く軽便鉄道だ。

*注1 パルマやラ・パルマという地名は世界各地にあるため、通常、パルマ・デ・マヨルカ Palma de Mallorca と呼んで区別される。
*注2 Sóller の音訳には揺れがあり、ソリェル、ソーイェルとも書かれる。また、現地の発音はソイヤ、ソヤのように聞こえる。

鉄道は、実質的に2本の路線から成る。


トレン・デ・ソーリェル Tren de Sóller
パルマ Palma FS ~ソーリェル Sóller 間 27.3km
軌間914mm(3フィート)、直流1200V電化
1912年蒸気鉄道で開業、1929年電化

州都パルマとソーリェルの町を結ぶ「列車線」。Tren は英語の Train で、列車を意味するが、以下では「ソーリェル鉄道」と記す。


トラムビア・デ・ソーリェル Tramvia de Sóller
ソーリェル~ポルト・デ・ソーリェル Port de Sóller 4.9km
軌間914mm(3フィート)、直流600V電化
1913年開業

内陸にあるソーリェルの町と少し離れた港を結ぶトラム路線。Tramvia は英語の Tramway で、以下では「ソーリェル路面軌道」と記す。後述する理由で「列車線」と一体のものとして建設されたが、実態は本線に対する支線のような関係だ。

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ソーリェル鉄道路線図

マヨルカ島での鉄道の歴史は、1875年に始まる。この年、914mm(3フィート)軌間、蒸気運転のマヨルカ鉄道 Ferrocarriles de Mallorca が、パルマから内陸の町インカ Inca まで通じた。ターミナル駅が建設されたのは旧市街の北東部で、現在、征服王ハイメ1世の像が建つスペイン広場 Plaça d'Espanya の向かいだった。当時はまだ旧市街を囲む市壁が残っており、その外縁に当たる。続いてここから島の各方面へ、放射状の路線網が形成されていく。

ソーリェル市民もまた、特産の柑橘類や町工場の繊維製品を輸送するために、鉄道の必要性を痛感していた。構想は1890年代からあったものの、目の前に横たわる山脈の横断という難題の解決には時間を要した。3km近い長大トンネルで山を貫くという大胆な計画が認可され、地元資本でソーリェル鉄道会社が設立されたのは、ようやく1905年のことだ。

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鉄道会社設立時の株券
Image from wikimedia. License: public domain
 

路線延長は27kmで、地方鉄道(二級鉄道)Ferrocarril secundario の補助金交付の条件である30kmに少し足りなかった。そこで、同じ軌間で線路を4km離れた港 El Port まで延長することにして、これをクリアしている。今もある路面軌道線だ。パルマ駅の土地は、マヨルカ鉄道のターミナルから通りを一つ挟んだ西側に確保され、マヨルカ鉄道と車両が直通できるように、両駅を接続する渡り線も計画された。

5年余の工事を経て、蒸気運転のソーリェル鉄道が1912年4月に開業した。運行を担うためにタンク機関車が4両購入され、「パルマ」「ソーリェル」など経由地の名がつけられた。方や軌道線は、1年半遅れて1913年10月に、最初から電気運転で開業した。

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ソーリェル駅で待機するトラム車両
 

当初は貨物輸送が主体だったが、連続勾配で酷使された蒸機はしばしば不調となり、運行に支障をきたした。乗客にとっても、トンネルで客室に入り込む煤煙は困りものでしかない。列車線の電化は開業間もない1915年から検討されていたのだが、実現に漕ぎつけたのはかなり遅れて1929年のことだ。このとき導入された旅客用電車は、今もまだ現役で動いている。

1930年代になると、主にフランスやイギリスで、マヨルカ島が観光地として注目を集めるようになった。列車線と軌道線を直通する観光列車の運行が1930年に始まっている。スペイン内戦とそれに続く第二次世界大戦の間、島への訪問客は激減したが、1950年代からは回復を見せた。それに伴い、乗車体験とセットになったソーリェルの町と港の人気も高まっていく。

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マヨルカ島の観光ポスター(1961年)
 

しかし、島全体を見渡すと、鉄道網は縮小過程にあった。モータリゼーションの影響で利用が減少したマヨルカ鉄道は経営に行き詰まり、1959年に国(国営鉄道開発局 EFE)の管理下に置かれた。EFEと1965年にそれを引き継いだ公共企業体 FEVE は、全国的に不採算路線の廃止を推し進めた。そして、当面存続させるさまざまな軌間の路線については、運用を効率化するためにメーターゲージ(1000mm軌間)に統一していった。

マヨルカ島の鉄道は、1994年に再び公営のマヨルカ鉄道輸送 Serveis Ferroviaris de Mallorca (SFM) に移管されたが、本土の狭軌線と同じメーターゲージなのは、こうした経緯による。幸いと言うべきか、ソーリェル鉄道はマヨルカ鉄道とは別会社だったため、改軌を免れ、オリジナルの3フィート軌間のままで残った。

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パルマの街路を走る列車
 

ところで、鉄道に比べてソーリェルに通じる道路の整備は遅れており、19世紀後半に開削された山道に長らく依存していた。標高497mのソーリェル峠 Coll de Sóller を、果てしなく続くつづら折りで越えていく難路だ。ようやく1997年に、鉄道トンネルに並行して長さ3023mの道路トンネルが完成し、交通事情は格段に改善された。

同時にこれが、鉄道にとって最大の脅威となることも明らかだった。事実、パルマ~ソーリェル間ではその後、トンネル経由で路線バスが30分ごとに運行され、所要時間差、料金差ともに大きい(下注)ことから、公共輸送の機能はほぼこちらに移行してしまっている。

*注 パルマ~ソーリェル間の所要時間は鉄道60分、バス30~35分(定刻の場合)。片道運賃は2023年現在、鉄道18ユーロ、バス4.50ユーロ(現金の場合)。

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パルマとソーリェル港を結ぶバス204系統
 

鉄道ではかねてから、定期列車の間を縫って、観光列車の運行にも力を入れてきた。経営陣が交替した2002年以降は、存続を図るために、地域の観光資産という性格が前面に押し出されている。スペインでは珍しい旧世代車両による運行(下注)が維持されたことで、アトラクションとしての人気は不動のものとなった。観光バスや沿岸観光船とも連絡し、島を訪れた観光客をソーリェルに呼び込む広告塔の役割を果たしているのだ。

*注 定期運行している列車線では国内唯一、トラムはバルセロナのトラムビア・ブラウ Tramvia Blau(2023年7月現在運休中)とここしかない。

パルマ港から市内バスに乗り、朝8時前、スペイン広場に着いた。マヨルカ鉄道のパルマ駅は2007年に地下に移され、郊外バスやメトロのターミナルと接続する大規模なインターモーダル駅 Estació Intermodal に姿を変えている(下注)。地上には広大な公園が整備され、昔の面影は、商業施設に転用された旧駅舎と跨線橋に残るだけだ。

*注 市内バスは地下には入らず、従来どおりスペイン広場前の停留所に停車している。

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(左)インターモーダル駅
 バスターミナルに隣接してSFMの列車ホームがある
(右)公園北端に保存された旧跨線橋
 

一方、通りを隔てて北西側のソーリェル鉄道パルマ駅は、今も変わらず地上にある。マヨルカ鉄道の規模に比べれば、敷地も建物もささやかなものだ。大通りの角では、モデルニスモ調の錬鉄格子の上に「Ferrocarril de Sóller(ソーリェル鉄道)」の文字が躍るが、朝早いので扉はまだ開いていない。

反対側の門扉まで行ってみると、フェンス越しに構内が見渡せた。パルマ駅にもかつては機関庫・整備工場があったが、ソーリェル駅に機能を集約するために1997年に廃止されてしまった。それで現在は、夜間滞泊用の簡易な車庫しかない。

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ソーリェル鉄道パルマ駅
(左)大通りに面した門扉
(右)駅舎ファサード、入口はまだ開いていない
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構内から街路に出ていく線路
 

下の写真の左手に見えるのがその車庫だ。電動車1号と4号が休んでいる。いずれも1929年の電化開業時に投入された古典機で、いかつい顔と魚眼のようなヘッドライトを特徴とする。由来は不明だが、マヨルカを愛するドイツ人の間では「赤い稲妻 Roter Blitz」の愛称(下注)で呼ばれる車両だ。全部で4両在籍していて、鉄道線の運行はすべてこの形式車で賄われている。

*注 これはドイツだけで通用する愛称。ちなみに2021年にマヨルカ島を訪れた国別観光客数はドイツ212万人、スペイン110万人、イギリス67万人の順で、ドイツ人が圧倒的に多い。

駅は2面3線の構造で、駅舎に接した片面ホームと、隣接する島式ホームがある。後者を挟み込む線路は留置線代わりになっているらしく、6連の客車が2本、朝の出番を待っている。

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朝一番の構内
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「赤い稲妻」4号機、ソーリェル駅にて
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(左)ソーリェル鉄道の社章
(右)電動車の製造銘板
 

8時30分に入口が開いた。こじんまりした駅舎の中は、出札口が2つ並ぶ。右はオンライン予約した客が対象、左は直接購入する客の窓口だ。上部のモニターに本日の列車時刻が表示されているが、主に観光客が相手なので、朝は遅い。ソーリェル行きの下り一番列車が10時10分発、次は10時50分の発車だ。その右の数字は残りの席数を示しているが、始発便でもまだ十分余裕がある(下注)。とはいえ、列車発着のようすも観察したいので、乗るのは二番列車にしよう。

*注 前日までネット予約が可能。当日は窓口売りのみ。

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パルマ駅の出札窓口
 

運賃は、列車線が大人片道18ユーロ、往復25ユーロ、路面軌道とのセット券が往復32ユーロ(片道の設定はない)だ。路面軌道の正規運賃は片道8ユーロなので、セット券だとかなり割引になる。しかし、当日限り有効のため、泊りがけの場合は片道ずつ買うしかない。

切符には乗車区間と指定された列車(の発車時刻)がプリントされているが、席は自由席だ。団体の予約が入っているなどで係員から指示がある場合は別として、電動車を含めてどこでも座れる。

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(左)列車線の片道乗車券
(右)各列車の残り席数を示すパネル
 

駅の周辺を観察してから戻ると、窓口の前にはけっこうな行列ができていた。構内にいたはずの4号機と客車1編成の姿が消えていることに気づく。この路線では、時刻表に掲載されない団体専用列車も走っている。団体客は大型車の駐車場がある郊外の停留所で観光バスから乗り継ぐので、そこまで回送されていったのだろう。構内に残った1号機も客車に連結済みで、始発便を購入した客がそちらへ向かっている。

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始発列車に乗り込む客
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二番列車の客はホームで待機
 

そうこうしているうちに、空いていた駅舎前の片面ホームへ、3号機が率いる列車が入ってきた。ソーリェルを9時に出た上り一番列車だ。入れ替わるようにして、準備の整った1号機の下り一番列車が島式ホームを出ていく。

到着した列車では、さっそく機回し作業が始まった。切り離された3号機が車止めの手前まで前進した後、中線(島式ホームの片側)へ転線していく。下り方の分岐器は出口の門扉の間際にあるため、いったん街路まで出て折り返さなくてはならない。手狭な構内ならではの面倒な儀式だ。

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パルマ駅の機回し作業
(左)街路に出て折返し
(右)転轍てこは門扉の間際に
 

二番列車への乗込みが始まったのは、出発のおよそ30分前。ホームで車掌氏から切符のチェックを受けて乗り込んだ。

列車は、電動車と客車6両の7両編成だ。電動車の客室は1等、2等が半室ずつで、1等はベル・エポック調のソファー、2等には艶光りする板張りベンチが並ぶ。後続の客車はモノクラスで、背もたれは低いが、向きを変えられる転換式クロスシートだ。天井の丸いランプといい、ラッチで固定する片上げ式の窓といい、内装にレトロ感がにじみ出ている。

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電動車の客室
(左)1等室はソファーが並ぶ
(右)2等室はベンチシート
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客車はモノクラスで、背もたれは転換式
 

発車時刻が近づくころには、席がほぼ埋まった。車掌が鳴らす名物のラッパとそれに応える汽笛が聞こえ、定刻から5分ほど遅れの10時55分ごろ、列車はゆっくりとホームを離れた。

構内から街路に出た後、しばらく中層ビルが林立する市街地を、車道に挟まれて走る。線路の建設後に町が造成されたのだろうが、今ではセンターリザベーション化された路面軌道といった雰囲気だ。交差点が多いので、しきりに警笛が鳴らされる。

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(左)パルマ駅を出て街路上へ
(右)車道に挟まれた市街地の線路
 

5分ほど走ると市街地は遠のいていき、代わりに工場群が現れた。右手から、インターモーダル駅と UIB(バレアレス諸島大学 Universitat de les Illes Balears の略称)を結んでいるメトロM1号線の線路が近づいてくる。まもなくメトロとの接続駅ソン・サルディナ Son Sardina(下注)に停車。あいにくこちらはほぼ全員が観光客なので、乗継ぎのニーズは少なそうだ。

*注 マヨルカの地名によく見られる「ソン Son」は、普通名詞では家を意味し、イスラム時代の農場に起源をもつ荘園をいう。

次のソン・レウス Son Reus 停留所では、駅前に大型バスの駐車場が確保されている。列車の旅を組み込んだバスツアーの場合、ここから列車とトラムを乗り継ぎ、ソーリェル港で沿岸観光船に乗るか、再びバスに拾ってもらう(またはその逆)という片道コースが主流のようだ。

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(左)ソン・サルディナ駅前後ではメトロが並走
(右)ソン・レウス停留所は観光バスと接続
 

しばらくの間、大平原エス・プラ Es Pla をまっすぐ北に向かう。周囲は、イナゴマメやアーモンドの木が等間隔に植わる農業地帯だ。方向転換用の三角線があるサンタ・マリア Santa Maria と、次のカウベト Caubet の両停留所を立て続けに通過した後、線路は緩やかな斜面に取りついた。風景はいつしか松林に変わり、素掘りのままの切通しがときおり視界を遮る。

やがて列車は減速し、山麓の町ブニョラ Bunyola の駅に停車した。ここは全線の中間にあたり、電化開業時からの駅舎と変電所がある。数人が乗り降りした。

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中間の主要駅ブニョラに到着
 

ここからはいよいよ山越え区間だ。駅を出ると左に大きくカーブし、山裾を縫いながら、短いトンネルを2本くぐる。行く手に、トラムンタナ山脈の一部をなすアルファビア山脈 Serra d'Alfàbia の、盾のような崖が見え隠れしている。山裾に築かれた石積みテラス「マルジェス  marges」(下注)の畑を見ながらなおも上っていき、美しいアンダルシア風庭園の最寄り停留所、ジャルディンス・ダルファビア(アルファビア庭園)Jardins d'Alfàbia に停車した。

*注 漆喰を使わずに丸石で築いたテラスを、地元でこう呼ぶ。

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(左)石積みのテラス「マルジェス」
(右)アルファビア庭園へ向かう道
 

発車して間もなく、列車は、長さ2876mのマジョルトンネル(大トンネル)Túnel Major に突入する。ソーリェル峠の下を貫くサミットトンネルで、最高地点は標高238mに達し、通過には約5分かかった。長い暗闇を抜けた後は、右手に深い谷を見ながら坂を下っていく。試しに勾配を地形図で計測すると25‰程度になる。蒸気鉄道として開業しているので、これが実用の限界だろう。

右手の線路脇に、頭像と祭壇画風の6連のパネル絵が見えた。これは鉄道開通75周年を記念して1987年に設置されたモニュメントだ。絵はソーリェルの歴史を題材にしたもので、頭像は鉄道構想を初めて提案した政治家(下注)だという。しかし、走る列車の窓からは内容を確かめるすべもない。

*注 ソーリェルの実業家ジェロニモ・エスタデス・リャブレス Jerónimo Estades Llabrés。最初の構想は山脈を迂回する軽便線だったが、資金不足で実現しなかった。

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(左)サミットのマジョルトンネル南口
(右)北口近くにある開通75周年のモニュメント
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マジョルトンネル~ソーリェル間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

この先は、高度を落とすために線路が山の斜面に大きく引き回されていて、車窓きっての絶景区間だ。短いトンネルを2本くぐったところで、ミラドル・プジョル・デン・バニャ Mirador Pujol d’en Banya(下注)に停車した。本来は列車交換のための信号所だが、1988年に谷側にホームが設置されてからは、ソーリェルの盆地を俯瞰する名所になっている。下り列車はここで5~10分停車するので、乗客もホームに降りて、目の前に展開するパノラマをゆっくり鑑賞することができる。

*注 ミラドル Mirador は展望台の意。ホーム設置以来、停車サービスが観光列車 Tren turistico の特典として実施されてきた。ホームは片側(下り線側)にしかないので、通常、上り列車は通過する。

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プジョル・デン・バニャの展望台でしばし停車
 

展望台から盆地の底まで高低差が130mほどあるので、確かに眺めはすばらしい。左方には地中海を望み、正面には淡いオレンジ色の屋根がひしめく町が広がっている。その背後にそびえ立つのは、トラムンタナ山脈の主峰で、島の最高峰でもあるプチ・マジョル Puig Major(標高1436m)だ(下注)。盆地を取り囲む山並みの中で、鑿で荒削りしたような山肌がひときわ目を引いている。すでに1時間近くも列車に揺られてきた乗客にとって、この眺望はいい気晴らしになるに違いない。

*注 ただし実際に見えているのは、手前の尾根ペニャル・デル・ミチディア Penyal del Migdia(最高地点の標高1398m)。球形のレーダーが建つプチ・マジョルの山頂はその後ろに隠れている。

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展望台からのパノラマ
左奥は地中海で、港は手前の山に隠れている
右がソーリェル市街地
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市街地の背後にそびえる島の最高峰プチ・マジョル
 

もう一つの見どころは、再び発車してまたトンネルを2本くぐった先にあるシンク・ポンツ高架橋 Viaducte "Cinc Ponts" だ。またいでいる川の名に由来するモンレアルス高架橋 Viaducte de Montreals が正式名だが、5連のアーチからシンク・ポンツ(5つの橋の意)と呼ばれるようになった。長さ52mで、右にカーブしながら谷を渡っていく。木々に遮られないので見晴らしもいい。

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シンク・ポンツ高架橋を渡る
 

橋から2本目の比較的長いトンネルには、シンク・センツトンネル Túnel "Cinc-cents" という俗称がある。長さは530mで、およそ500(カタルーニャ語でシンク・センツ)というのが名の由来だ。線路はトンネルの前後で180度向きを変え、今度は左の窓に町が現れる。

山裾の短いトンネルをいくつか経る間に、高度は目に見えて下がり、町並みが近づいてきた。最後のトンネルの手前で、旧カン・タンボル Can Tambor 停留所を通過(下注)。トンネルから出るとすぐに速度が落ち、名産のオレンジ畑の中を左にカーブしていく。ほどなく車庫と周りの線路群が見えてきて、列車は、プラタナス並木の濃い影が落ちるソーリェル駅のホームに静かに滑り込んだ。

*注 路面軌道の輸送力不足を補う団体専用バスのための乗継ぎ用停留所。1990年に開設されたが、現在は使われておらず、鉄道のリーフレットにも記載されていない。

続きは次回

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プラタナスの影が落ちるソーリェル列車駅
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パルマから列車が到着
 

写真は、2022年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ソーリェル鉄道 https://trendesoller.com/

★本ブログ内の関連記事
 マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道
 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

2023年7月16日 (日)

スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

これからスペインにある観光鉄道についていくつか記事を書くつもりなので、調べた範囲で国内にある保存鉄道・観光鉄道のリストを作成した。西欧諸国ではフランスに次いで広大な国にしては物足りない数だが、内容はバラエティに富んでいる。

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段丘崖の下を走るアルガンダ鉄道の蒸気列車(2018年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_spain.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン」画面
 

項番1 パハレス坂 Rampa de Pajares

パハレス坂は、RENFE(スペイン国鉄)レオン=ヒホン線 Ferrocarril de León a Gijón の一部で、国内の在来線で最も険しいとされる山越え区間の通称だ。保存鉄道でも観光鉄道でもないが、山がちな国土を19世紀の鉄道技術でどのように克服していったのかを知る意味で注目に値する。

路線は、北海岸と中央高地を隔てるカンタブリア山脈 Cordillera Cantabrica を貫いていて、サミットと北麓の谷底との高度差は実に900m以上ある。それで、勾配を幹線規格の20‰に収めるために、大掛かりな線路の引き回しを行わなければならなかった(下図参照)。襞の多い山腹を縫って大小60本以上のトンネルと、150か所以上の橋梁が次々に現れるという、見るからに驚異のルートだ。

この坂道は1884年の開通以来、140年にわたって中央高地と北海岸との間の重要な連絡路として機能してきた。しかし目下、長さ24.6kmの新トンネルを含む高速仕様のバイパス線が建設中で、2024年にも完成が見込まれている。これが正式に開業すると、少なくとも旅客列車でパハレス坂を体験することは難しくなるだろう。

ちなみに、カンタブリア山脈を貫く路線は他にもあるが、いずれも同様の理由で羊腸の道をたどることを強いられている。たとえば、パレンシア=サンタンデル線 Línea Palencia-Santander のレイノサ Reinosa ~バルセナ Bárcena 間、カステホン=ビルバオ鉄道 Ferrocarril Castejón-Bilbao のイサラ Izarra ~オルドゥーニャ Orduña 間がそうだ。

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パハレス坂のふもと、
プエンテ・デ・ロス・フィエロス Puente de los Fierros 駅に停車中の近郊線電車
(2020年)
Photo by Savh at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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パハレス坂ルート(1915年)
Image from Guide Joanne, 1915 edition. License: public domain
 

項番15 いちご鉄道 Tren de la Fresa

スペイン本土最初の鉄道は1848年にバルセロナと近郊との間で開業したが、2番目は1851年開業のマドリード=アランフエス線 Ferrocarril de Madrid a Aranjuez だ。特産のイチゴを含む果物や野菜がこの路線で首都に運ばれたことから、いつしか「トレン・デ・ラ・フレサ Tren de la Fresa(いちご列車またはいちご鉄道)」の愛称がついた。

今はセルカニアス・マドリード(マドリード郊外線)Cercanías Madrid に組み込まれ、C-3号線の通勤電車が行き交うルートだが、行楽シーズンの週末には、古典客車を使用した懐古列車ツアーも実施されている。運行開始は1984年で、かれこれ40年続く伝統イベントだ。当初は蒸気機関車が牽いていたが、最近は電気機関車またはディーゼル機関車がバトンを引き継いでいる。

マドリードでの出発駅は中央駅アトーチャ Atocha ではなく、鉄道博物館に改装されている旧デリシアス Delicias 駅だ。一路南下し、約50分で、ロドリーゴ Rodrigo の名曲でも知られた古都アランフエスに到着する。オプションで世界遺産の王宮や旧市街を巡った後、帰りの列車内で、アテンダントから乗客に新鮮なイチゴがふるまわれる。

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蒸機が牽引していた頃のいちご列車
アランフエス付近(2012年)
Photo by Andrés Gómez - Club Ferroviario 241 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 バスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril

ビスケー湾に面した北海岸一帯には1000mm軌間の路線網が張り巡らされていて、さながら狭軌の王国だ。北東部に位置するバスク州には、こうしたメーターゲージの機関車や客車を動態保存しているバスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril(バスク語表記 Burdinbidearen Euskal Museoa)がある。

1994年にオープンした博物館は、旧ウロラ線 Ferrocarril del Urola の中間駅だったアスペイティア Azpeitia 駅を、駅舎や構内配線だけでなく、機関庫や変電所など付属施設も含めて再利用している。運営主体がバスク州の鉄道運行を担うエウスコトレン Euskotren 社ということもあって、展示車両も、鉄道用の機関車や客車から、路面電車や地下鉄車両、道路車両まで実にさまざまだ。

支線だったウロラ線はすでに廃止され、跡地の大半は自転車道などに姿を変えてしまった。しかし、アスペイティアから下流のラサオ Lasao 駅までの4.5kmだけは、保存列車の走行用に線路が残されている。シーズンの週末には、博物館の蒸気機関車が旧型客車を牽いて、ウロラ川に沿うこの渓谷区間を往復する。

*注 鉄道の詳細は「バスク鉄道博物館の蒸気列車」参照。

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旧ウロラ線を行くバスク鉄道博物館の蒸気列車
(2004年)
Photo by Nils Öberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 アルガンダ鉄道 Tren de Arganda

メーターゲージの蒸機で運行される観光鉄道はもう1か所、マドリード南東郊にもあり、地名にちなんでアルガンダ鉄道(アルガンダ列車)と呼ばれている。拠点はマドリード地下鉄9号線のラ・ポベダ La Poveda 駅から西へ500mで、アクセスは容易だ。

路線はもとタフニャ鉄道 Ferrocarril del Tajuña と称し、首都からおおむねタフニャ川に沿ってグアダラハラ県アロセン Alocén まで、142kmも続く長大路線だった。しかし、貨物輸送をしていたマドリード側の35kmを最後に、1997年に全廃となった。その廃線跡の一部、約4kmを使って2001年に開業したのがこの保存鉄道だ。

地下鉄(下注)の駅近とはいえ、周辺は麦畑が広がり、鉄道の現役時代を彷彿とさせる。列車は春・秋の日曜日に運行され、小型タンクが古典客車を数両連ねて、マドリード方向に出発する。まもなく渡るハラマ川 Río Jarama のトラス橋が車窓の名物だ。その後、西に向きを変えて荒々しい段丘崖の下を走り(冒頭写真参照)、折返し駅ラグナ・デル・カンピリョ Laguna del Campillo に至る。

*注 郊外地なので、地下鉄といえども地上を走っている。

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アルガンダ鉄道が保有する
1926年オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 製の小型タンク
(2016年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ハラマ川を渡るトラス橋(2020年)
Photo by Julio A. Ortega at Flickr. License: public domain
 

項番10 トラムビア・ブラウ(青トラム)Tramvia Blau

カタルーニャの州都バルセロナはいうまでもなく国際的な観光地だ。見どころが多数あるなか、鉄道関係ではトラムビア・ブラウがよく知られている。地下鉄7号線の終点(下注)があるケネディ広場 Plaça Kennedy から、ケーブルカー乗り場の前のドクトル・アンドレウ広場 Plaça del Doctor Andreu まで、ティビダボ山へ向かう観光客を乗せて走る青色の路面電車だ。わずか1.3kmの短区間とはいえ、急な坂道を何食わぬ顔で上っていく姿は頼もしい。

*注 駅名はアビングダ・ティビダボ Avinguda Tibidabo(ティビダボ大通り)。

使われている車両は1901~04年製の2軸車で、路線のオリジナルだ。もとから青塗装で、1979年に市営化された後も、市電のような赤色に塗り直されることはなかった。ただし129号車は旧市電を復元したので、例外的に赤をまとっている。

バルセロナには現在トラム路線が数本あるが、市電が全廃された1971年から、トラムが復活した2004年までの30数年間、これが市内唯一の路面電車だった。存続した理由は、別会社が運営していたことと、これ自体がティビダボにリンクしている観光アトラクションだったからだ。今も運賃は市内交通とは別建てで、車内で車掌が徴収する。

なお、トラムビア・ブラウは改修のために2018年から長期運休中で、その間、代行バスが走っている。

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ドクトル・アンドレウ広場に到着した7号電車
(2014年)
Photo by Andreas Nagel at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番12 ソーリェル鉄道 Tren de Sóller
項番13 ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller

西地中海に浮かぶマヨルカ島 Mallorca はスペイン最大の島で、州都パルマ Palma を起点にした複数の鉄道路線がある。公営(マヨルカ鉄道輸送 Serveis Ferroviaris de Mallorca)の通勤路線やメトロと並び、民営の観光鉄道として名を馳せているのがソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller だ。914mm(3フィート)軌間で電化された鉄道線と路面軌道線をもっていて、両者はソーリェルの町で接続している。

鉄道線のほうは「トレン・デ・ソーリェル(ソーリェル列車またはソーリェル鉄道)Tren de Sóller」と呼ばれる。1912年に蒸気鉄道で開業し、1929年に電化された。パルマ市内、スペイン広場 Plaça d'Espanya の横にあるターミナル駅を起点とし、立ちはだかるトラムンタナ山脈 Serra de Tramuntana を横断して、盆地に位置するソーリェル Sóller まで27.3kmの路線だ。

並行して路線バスが30分間隔で走っていることもあり、列車の旅は観光客向けに特化されている。ホームで客を迎えるのは、艶光りする板張りの車両を長々と連ねたレトロ列車だ。乗車時間は約1時間。前半は市街地を抜けて、オリーブ畑が広がる中をひた走る。後半、峠のトンネルを出た直後に、ソーリェルの町を見下ろす展望台の駅で5~10分の小休止がある。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線」参照。

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ソーリェル鉄道の列車、ブニョラ Bunyola 南方にて
(2017年)
Photo by Diesellokophren at wikimedia. License: CC0 1.0
 

列車が着いたソーリェルの駅前には、路面電車が発着する。町と港との間を結んでいる延長4.9kmの「トラムビア・デ・ソーリェル(ソーリェル・トラムまたはソーリェル路面軌道)Tramvia de Sóller」だ。1913年開業の貴重な旧世代トラムで、スペインでは前項のトラムビア・ブラウとここにしか見られない。

車両は「列車」と同じような板張りだが、利用者が混同しないように、前面腰板がオレンジ色に塗られている。混雑するシーズン中は、電動車2両の間に開放型客車2両をはさんだ最大4両編成で走る。さらにピーク時は2本が続行運転されて、押し寄せる客をさばく。

駅を出た電車は、市場やカフェテラスが賑わう教会前の広場をそろそろと横断する。しばらく道端をかすめ、最後は強い日差しが降り注ぐ海岸の、のびやかなプロムナードに沿って進む。「列車」とはまた違って、通り過ぎる風景との距離が近いのが魅力だ。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道」参照。

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ソーリェルの街路を抜けていく路面電車(2008年)
Photo by Olaf Tausch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 ヌリア登山鉄道 Cremallera de Núria

ラック式登山鉄道も北東部のカタルーニャ州で2本動いている。その一つ、ヌリア登山鉄道は、ピレネー山脈の山懐にいだかれたカトリックの聖地ヌリア Núria が目的地だ。延長12.5km、軌間1000mm、アプト式ラックレールを用いて、麓の駅との高度差1059mを克服する。開業が1931年と比較的遅かったので、最初から電気運転だった。

ヌリアには、ロマネスク期の聖母像が安置された教会建物があり、周辺にはスキー場も開かれている。しかし車道が通じていないので、徒歩を除けば登山鉄道が唯一のアクセス手段だ。所要時間は40分、山奥にもかかわらず、ピーク期には1日13往復もの列車が走っている。

鉄道の起点は、カタルーニャ近郊線のリベス・デ・フレゼル Ribes de Freser 駅前にあるリベス・エンリャス Ribes-Enllaç だ。Enllaç(スペイン語では Enlace)は接続、連絡を意味する。

滑り出しは粘着式で谷底を這う。5.5km地点でラック区間が始まり、中間駅ケラルブス Queralbs からは氷河谷の急斜面にとりついて上る。最大勾配は150‰。とりわけスリリングだった断崖の桟道区間が、2008年に長いトンネルに置き換えられた。車窓の醍醐味は若干そがれたが、ピレネーの神髄に迫る高揚感はいささかも失われていない。

*注 鉄道の詳細は「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

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ヌリア貯水池の岸を行く(2009年)
Photo by Alberto-g-rovi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番7 モンセラット登山鉄道 Cremallera de Montserrat

バルセロナの北西35km、林立する奇岩の上に建つモンセラット修道院 Monestir de Montserrat にも、ラック式登山鉄道が通じている。

カタルーニャで最も重要な巡礼地とあって、鉄道建設の機運は早くからあり、初代は1892年に開業した。しかし1930年代以降は、競合するロープウェーの開設とモータリゼーションの加速化が、会社経営に大きな影響を及ぼしていく。設備更新が滞る中で発生した脱線事故がとどめとなって、この登山鉄道は1957年に撤退を余儀なくされた。

現在運行中の2代目は、山域の環境負荷を軽減するために、旧ルートを一部利用して2003年に新設されたものだ。仕様はヌリア登山鉄道とほぼ共通で、延長5.3km、麓の駅との高度差は550m、所要15分。

起点は、カタルーニャ近郊線のモニストロル・デ・モンセラット Monistrol de Montserrat 駅(登山鉄道の駅名はモニストロル・エンリャス Monistrol-Enllaç)だ。しかし、次のモニストロル・ビラ Monistrol-Vila のほうがむしろ主要駅だろう。駅の周りに大駐車場が併設されていて、クルマで来た客はここで電車に乗り換えて山上に向かう。そのため、この駅を始発/終着とする区間便が多数ある。

*注 鉄道の詳細は「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「同 II-新線開通」参照。

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モンセラット駅を出発するラック電車(2017年)
Photo by Juan Enrique Gilardi at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番14 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama(マドリード郊外線C-9号線 Cercanías Madrid Línea C-9)

ラックレールには頼らないものの、この鉄道も山の稜線に上っていくという点で、実質的な登山鉄道といえる。舞台はマドリードの北西、国立公園にもなっているグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama だ。山裾のセルセディリャ Cercedilla から峠に位置するコトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)まで、路線は延長18.2km、高低差が670mある。

メーターゲージの電気鉄道で、最大勾配は70‰だ。中間駅のプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠)Puerto de Navacerrada までほぼこの勾配でぐんぐん高度を稼ぎ、あとは松林の間を等高線に沿うようにして、標高1819mの終点コトスに至る。

グアダラマ電気鉄道というのは私鉄時代の旧社名で、1954年に国有化されて、RENFE(スペイン国鉄)の一路線になった。現在は、首都圏の通勤路線網セルカニアス・マドリード Cercanías Madrid に組み込まれ、C-9号線と称している。しかし、運賃は他のどのゾーンから乗っても固定額で、乗車券購入時には列車予約が必要になるなど、通勤路線とはかなり異なる扱いだ。

*注 鉄道の詳細は「グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車」参照。

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セルセディリャ駅のC-9号線発着ホーム(2022年)
Photo by Albergarri788 at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番9 ジェリダ・ケーブルカー Funicular de Gelida

最後にケーブルカーを一つ紹介しておきたい。バルセロナ西郊にある小さな町ジェリダ Gelida で、麓のRENFE駅(下注)と高台にある町の中心部を結んでいる路線だ。長さ884m、最大勾配22.2%で110mの高度差を克服する。

1924年の開通で、設備は1980年代に更新されているものの、板張りの車体に古めかしい雰囲気が残っている。ルートは直線で、駅前から乗ると前半は掘割の中を進む。高速道の下をくぐった後、中間点で下る車両と行違うが、そちらは客扱いがなく、重りの役割しか持っていない。周りにいっとき畑が広がるが、まもなく家並みに囲まれて上部駅に到着する。所要時間は8分だ。

*注 ロダリエス・カタルーニャ Rodalies Catalunya(カタルーニャ郊外線)R4号線の列車が停車する。

カタルーニャ公営鉄道 FGC が運営する公共交通機関で、フニ Funi(ケーブルカーを意味するフニクラル funicular の略)と呼ばれて市民に親しまれてきた。しかし、政府の補助金削減を理由に、2011年でその役割は終了した。以来、観光用に週末の日中にだけ運行されていて、ふだんの市民の足はシャトルバスが担っている。

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(左)ジェリダ・ケーブルカーの中間地点(2019年)
(右)上部駅(2014年)
Photos by calafellvalo at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

【付記】鉄道名の和訳について

スペイン語では鉄道のことを「ferrocarril(フェロカリル、鉄の道の意)」というが、観光鉄道の場合は「tren(トレン、列車の意)」もよく見かける。これは運行されている列車そのものを指すとも考えられるが、保存鉄道リストでは一律に「鉄道」と読み替えている。

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