軽便鉄道

2026年7月11日 (土)

ベルリン東郊の小路線-ブーコー軽便鉄道

ブーコー軽便鉄道 Buckower Kleinbahn

ミュンヘベルク(マルク)軽便鉄道駅 Müncheberg (Mark) Kleinbahnhof ~ブーコー(メルキッシェ・シュヴァイツ)Buckow (Märkische Schweiz) 間 4.9km
標準軌(1435mm)、直流600V電化
1897年開業(750mm軌間、蒸気鉄道)、1930年標準軌改軌および電化、1998年運行休止
2002年保存運行開業

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保存電車479/879形、ブーコー駅にて

ドイツの首都ベルリン Berlin の東郊には、森や野原と農地が混在する平原地帯が広がっている。そのなかに小規模ながら個性的な鉄道路線がいくつか見つかる。いずれも標準軌幹線の駅と、その幹線が経由しなかった町とを結ぶもので、運行にかかわる事業体もその町の公営企業や保存団体だ。ドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) やベルリン市交通局 Berliner Verkehrsbetriebe (BVG) といった大手の路線では見ることのできない独特の雰囲気をもつこの小路線群を訪ねてみよう。

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)

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ベルリン中心部から東へ50km、ブーコー Buckow(下注1)は、森と湖が織りなす景観でマルク・スイス(ドイツ語ではメルキッシェ・シュヴァイツ Märkische Schweiz、下注2)と称される自然公園の拠点になっている小さな町だ。

*注1 Buckow は(ブッコウではなく)ブーコー [ˈbuːkoː] と発音する。
*注2 マルク Mark は、正式にはブランデンブルク辺境伯領(マルク・ブランデンブルク Mark Brandenburg/Markgrafschaft Brandenburg)といい、かつてはベルリンを中心として東西約400km、南北約200kmの範囲に広がっていた。

ベルリンから東へ延びる鉄道が開通したのは1867年のことだ。これはプロイセン東部鉄道 Preußische Ostbahn と呼ばれ、当時プロイセン領だったケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Калининград/Kaliningrad)を経てロシア国境に至る長距離の主要幹線の一部だった。先行開業していたオーデル川 Oder 以東への短絡線として、沿線の小さな町には目もくれず、遮るもののない平原地帯を一直線に進んでいく。

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ブーコー湖北岸の眺め(2012年)
Photo by Lienhard Schulz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ブーコーも、そして次回取り上げるシュトラウスベルク Strausberg も、当時はこの幹線鉄道に見放された町の一つだった。しかし、1892年に地域振興を図る目的で鉄道の建設要件を緩和するプロイセン軽便鉄道法 Kleinbahngesetz が成立すると、様相が一変する。

各地で雨後の筍のように鉄道の建設ブームが巻き起こり、ブーコーでも負けじと1893年に、東部鉄道のミュンヘベルク Müncheberg 駅と町を結ぶ鉄道計画が発議された。建設費を抑えるために軌間750mmの狭軌線とし、蒸気機関車で運行する。地元自治体や民間の資本拠出で鉄道会社が設立され、1897年7月に約5kmの路線が開業した。

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ミュンヘベルク駅舎(2012年)
Photo by Andre_de at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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地形図にブーコー軽便鉄道のルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道の出現はまた、別のブームを呼び覚ました。マルク・スイスの静かな湖畔にベルリン市民の関心が集まり、夏場の行楽客が増加したのだ。狭軌の蒸気列車では集中時の輸送をさばききれなくなったため、会社は、改軌と電化という抜本的な設備更新に踏み切った。1930年5月に鉄道は標準軌化され、同時に直流800Vの電気運転が始まった。東部鉄道は非電化のままだったので、孤立した電化路線だった。

第二次世界大戦後の東ドイツ体制下で鉄道は国有化されて、組織的にはベルリンSバーンの管轄となる。電化開業時から走り続けてきた車両の老朽化に伴い、1980年から82年にかけて製造された2両編成の新車3本が調達されて旧車を置き換えた。これはベルリン・シェーネヴァイデ Berlin-Schöneweide の国鉄修理工場の製造で、車体にはSバーン車両、動力系には直流600Vの路面電車ゴータカーの設備がそれぞれ転用されている。対応して、架線電圧も600Vに改められた。

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ミュンヘベルク軽便鉄道駅で発車を待つ保存電車
 

しかし、ドイツ再統一後は自動車交通の増加で、鉄道利用者が減少する。変電所の設備更新を回避するため、1993年からはディーゼル動力のレールバス運行に切り換えられた。翌1994年、ブーコー線はDR(東ドイツ国鉄)の他の路線網とともに新生DB(ドイツ鉄道)に継承されたが、すぐに不採算路線として整理対象に挙げられる。運行期間の短縮を経て、列車の運行は1998年9月の夏ダイヤ最終日をもって終了した。

その後、路線は保存団体のメルキッシェ・シュヴァイツ鉄道協会 Eisenbahnverein Märkische Schweiz e. V. に引き継がれた。協会の目的は、もとの電気運転の復活だった。変電所の改修は数年に及んだが、その完成により再び架線に電流が通され、車庫に眠っていた電車が自走できる環境が整った。こうして2002年9月から、ブーコー軽便鉄道全線で夏の間、オリジナル車両の走行シーンが見られるようになったのだ。

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フラクトゥール文字で記されたブーコーの駅名標
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ブーコー駅構内、ミュンヘベルク方を望む

昨年(2025年)6月、私は、北ドイツを巡るうちの半日をブーコー訪問にあてた。この年は4月19日から10月5日の間の土日祝日が運行日で、1日8往復が設定されていた。

軽便鉄道の起点であるミュンヘベルク(下注1)へは、ベルリン市内のオストクロイツ Ostkreuz 駅またはリヒテンベルク Lichtenberg 駅から、RB26系統の列車が30分間隔で出ている(下注2)。オストクロイツからの所要時間は42分、気軽に行ける郊外の行楽地だ。

*注1 正式名は地方名を添えた Müncheberg (Mark)。
*注2 ニーダーバルニム鉄道会社 Niederbarnimer Eisenbahn AG (NEB) が運行事業者で、「オーデルラント線 Oderlandbahn」の愛称が付されている。

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ボンバルディア製タレント Talent が運用されるRB26系統(2007年)
Photo by MPW57 at German Wikimedia. License: public domain
 

ところがこの時は、運悪く途中のシュトラウスベルク以遠が工事運休で、バス代行になっていた。ミュンヘベルクまであと18km、列車なら15分なのだが、並行する道路は約5km南を通るB1(連邦道1号線)しかない。鉄道がいかに沿線集落を無視して敷かれたかがわかるが、そのため代行バスは、距離およそ30kmの大迂回で、35分かけてようやくミュンヘベルク駅前に到達した。

さらにこの駅自体、ミュンヘベルクの村の中心部から3.5kmも離れたさびしい森の中にある。駅前には民家が散在するものの、商店などはまったく見当たらない。不案内な土地なので、きょろきょろとあたりを見回しながらホームに出た。2番線では、代行バスからバトンを受け継ぐ本線コストシン Kostrzyn(下注)行きの列車が客待ちしている。

*注 コストシン Kostrzyn はRB26系統の終点で、オーデル川 Oder を越えたポーランド側の国境の町。ドイツ語名はキュストリン Küstrin。

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(左)シュトラウスベルク駅前から代行バスに乗る
(右)ミュンヘベルク駅のコストシン行き列車
 

そのホームの中央部に地下道に降りる階段があり、大きな案内板が掛かっているのに気づいた。「マルク・スイスへはこちらから直接行けます。ブーコー軽便鉄道、トンネル(地下道)を通って7番線へ」。これなら迷うことはない。

親切な案内に従って長い地下道を抜け、階段を上がると、駅裏の森に囲まれた荒地の先に、クリームと赤茶のツートンをまとう2両編成の電車が見えた。ミュンヘベルク発の一番列車だ。バスの到着が10時11分で、軽便鉄道の発車が10時20分。バスがほぼ定時に走ってくれたおかげで、なんとか間に合った。

このコンクリート張りの短いホームは軽便鉄道専用(下注)だが、DB駅舎とはずいぶん距離がある。どう数えれば7番線になるのかわからないが、昔はこの間にも多数の側線が広がっていたのだろう。

*注 正式名はミュンヘベルク(マルク)軽便鉄道駅 Müncheberg (Mark) Kleinbahnhof。

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(左)軽便鉄道の案内板
(右)荒地の先に軽便鉄道の電車が
 

電車は、上述のとおり東ドイツ時代の1980~82年製で、電動車479.6形と制御車879.6形がペアを組む(下注1)。車体はベルリンSバーン276形からの転用だが、乗降扉は仕様が異なり、中央1か所のみだ。ブーコー軽便鉄道の駅はホームが低く、乗降ステップを要するため、ハルバーシュタット式 Halberstädter(下注2)と呼ばれるこの設計が採用された。

*注1 現存3編成の車番は479.601~603と879.601~603。これは1992年にDB体系に準じて改番されたもので、保存車両の車体にはDR時代の車番(電動車ET 279 001, 003, 005と制御車ES 279 002, 004, 006)が記載されている。
*注2 中央に乗降扉をもつDRの客車群 Mitteleinstiegwagen は、ハルバーシュタット鉄道修理工場 Raw Halberstadt で製造されていたのでこう呼ばれる。

車内に入ると中央室があり、その両側に、クロスシートを並べた客室が配置されている。当時ブーコーに納入された3編成はいずれも現存し、稼働可能な状態だという。ちなみに、テューリンゲン登山鉄道の山上区間を走っている479.2形(下注)も、これと同時期に製造された姉妹車両だ。

*注 本ブログ「テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)」参照。

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電動車479.6形(手前)と制御車879.6形
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(左)出入口のある中央車室
(右)クロスシートを配置した客室
 

ホームでそそくさと写真を撮って、車内に入った。乗客はほかに、お母さんと子供2人の家族連れのみ。本線がバス代行で、アクセスしにくい時期だからだろうか、案外少ない。

そこへ鉄道のスタッフが肩からバッグを提げた別の少年を連れてやってきた。この少年が検札を担当しているようだ。「こんにちは、切符を」と声がかかったので「ブーコー往復お願いします」と返す。往復の運賃は7ユーロ。手際よく鋏を入れてくれたのはエドモントン式の硬券ではなく、カード型の乗車券だった。裏面に479.6形の写真が配してある。

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検札を担当する少年
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カード型の往復乗車券、下は裏面
 

そうこうする間に、列車はおもむろに動き出した。スタッフがまた客室に入ってきて「運転室へどうぞ」という。本来は子供向けのサービスだろうが、前方車窓にかぶりつけるのはありがたいので、私もお言葉に甘えた。

線路は駅から東向きに出た後、大きな左カーブで北を向く。初め畑地や牧草地も見えるが、やがて森に包まれていく。驚くことに、軌道にはPC枕木が敷かれていて、架空電化の設備とともに、保存鉄道が週に2日使うだけの走行線路とは思えない立派さだ。

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(左)運転室からの前面展望
(右)軌道にはPC枕木が敷かれている
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子供たちも興味津々
窓下部の旗はドイツ国旗とブランデンブルク州旗
 

時速40kmで進んでいくと、唯一の中間駅ヴァルトジーファースドルフ Waldsieversdorf が見えてきた。停留所 Haltepunkt には不釣り合いな大きさの駅舎が建っている。最寄りの村からの強い要望で、開業の9年後に設置されたそうだが、保存鉄道になった今でも利用されているのだろうか。時刻表どおりに停車したものの、乗降客はなかった。

30秒ほどで再び発車。線路はおおむね直線で、周囲は深い森が続く。しばらく座席に戻っていたが、時刻を見計らって前方を見ると、S字カーブの先に車庫らしき建物が覗いている。まもなく視界が開けて、枝分かれした側線群と、終点駅の頭端式ホームが現れた。10時32分ブーコー(下注)到着、所要12分のミニトリップだった。

*注 正式名はブーコー(メルキッシェ・シュヴァイツ)Buckow (Märkische Schweiz)。

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(左)ヴァルトジーファースドルフ停留所
(右)線路の周りは森が広がる
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ブーコー駅構内に進入
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ブーコー駅に到着
 

駅舎は線路と直行する形に建っていて、一部2層の、鉄道の拠点にふさわしいどっしりした建物だ。正面玄関とは入口が別だったため、気づくのが遅れて行けなかったが、ささやかな鉄道博物館(有料)も開設されている。

駅前は、ヤナギの大木が植わるロータリー広場だ。しかし、日曜日のお昼前というのにクルマも人通りもなく、ひっそりとしている。駅が位置するのが町の南はずれだからだろう。ブーコーの町の中心までは800mほどの距離がある。折返しの列車に乗るつもりの私には、出かける時間の余裕がなかったが、列車を1本見送ってでも、趣のありそうな田舎町とマルク・スイス自然公園の湖沼群を一目見ておくべきだったと、今になって後悔している。

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一部2層の大きな駅舎
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駅務室入口
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広場に面した駅舎正面
 

■参考サイト
ブーコー軽便鉄道 https://buckower-kleinbahn.de/

★本ブログ内の関連記事
 テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)

2026年6月10日 (水)

ナウムブルク市電-保存トラムが担う都市交通

ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg

ハウプトバーンホーフ(中央駅)Hauptbahnhof~ザルツトーア Salztor 間 2.9km
軌間1000mm、直流600V電化
1892年蒸気運転で開業、1907年電化、1991年運行休止
1994年保存運行開始

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中央駅停留所で客扱い中のレコワーゲン

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フランクフルト発のICEがお約束のごとく遅延したため、エアフルト Erfurt で乗継げるはずの RE(快速列車)に間に合わなかった。ナウムブルク Naumburg の中央駅に着いたのは予定より1時間後で、時計の針はもう正午をとうに回っている。

ナウムブルク(下注1)はエアフルトとライプツィヒ Leipzig の中間に位置する人口3万人強の地方都市だ。この町にも路面電車が走っている。ナウムブルク路面軌道 Straßenbahn Naumburg が運行する1本きりの路線で、延長2.9km。運営事業体単位では、ドイツ最小の路面軌道とされる(下注2)。

*注1 同名の町と区別するために、ナウムブルク・アン・デア・ザーレ Naumburg an der Saale と呼ばれる。ドイツ語の正式表記は Naumburg (Saale)。
*注2 路面蒸気機関車で運行されるキームゼー鉄道 Chiemseebahn が1.9kmとさらに短いが、分類は地方鉄道で、併用軌道区間もない。「キームゼー鉄道-現存最古の蒸気トラム」参照。

特色はそれだけではない。業界主流の連節低床車両が1台もなく、最も新しいもので1970年代生まれという古典単車だけで日常運行を賄っているのだ。ほかの都市なら週末の特別運転でにぎにぎしく登場するような旧車が、毎日入れ替わりで市内を行き来している。ライプツィヒに向かう途中、この町に寄り道したのは、この保存鉄道のような「市電」のようすを直接確かめたかったからだ。

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DBナウムブルク中央駅
(左)ローマ建築風の正面入口
(右)ボンバルディア製タレント Talent 2 のREで到着
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ナウムブルク市街と軌道路線図
赤の実線は現行路線、黒の破線は廃止線
© 2026 basemap.de / BKG

ナウムブルクに幹線鉄道が通ったのは1846年という早い時期だ。ハレ Halle (Saale) からエアフルト、アイゼナハ Eisenach、ベブラ Bebra に至るテューリンゲン鉄道 Thüringer Bahn の経由地の一つとされ、現在の中央駅も同時に開業した。しかし、駅はザーレ川 Saale が流れる低地に設置されたため、河岸段丘上に位置する市街地とは約1.5km離れ、高低差も30m近くあった。

両者の連絡で最初に構想されたのは馬車軌道だったが、段丘を上る坂道がネックとなり実現しなかった。ようやく1892年に蒸気運転による路面軌道が開業して、町は駅と結ばれた。当初は民間資本で運営されたが、赤字続きで1900年に倒産したため、市が買収に踏み切る。市営になったことで、1907年には念願の電化を果たした。

中心街のマルクト Markt を通って南のザルツトーア Salztor を終点としていた軌道は、まもなく市街の西側へ延伸される。1914年にはさらにその先端が中央駅まで届いて、全長5.4kmの環状線が完成した。単線ながらも、電車は時計回りと反時計回りでそれぞれ環状運転されるようになった。

東ドイツ時代も国有企業のもとで運行は続けられたが、1990年のドイツ再統一後は、自動車の増加と地域経済の不振により、利用者が激減してしまう。改修工事を理由に1991年8月に運行が中断されたまま、市は復活を断念した。

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環状線時代の路面電車(1990年)
(左)中央駅停留所
(右)マルクグラーフェンヴェーク Markgrafenweg 付近
Photo by Gustav Stehno, @ Tramwayforum.at
 

再建のきっかけは、1994年、残された軌道で保存トラムによる観光事業を企てた有志が「ナウムブルク路面軌道」を設立したことだった。最初は、車庫を起点に一部区間で散発的な運行が実施された。

会社は環状線の完全復興を目指していたが、市と意見が折り合わず、結局、東側の中央駅~フォーゲルヴィーゼ Vogelwiese 間で、2006年のイースターから毎週末の運行が始まった。事業は好評で、翌2007年から毎日運行となり、駅と旧市街の外縁を結ぶ交通手段として定着していく。

2010年にはついに、市バスのように州の補助対象となる ÖPNV(近距離公共交通機関 Öffentlicher Personennahverkehr)に認定され、事実上「市電」と呼べる存在になった。また2017年には、フォーゲルヴィーゼからザルツトーアまでの軌道延伸が実現し、現在のルートが完成している。

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停留所に掲げられた運賃表と路線図
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マリーエントーア Marientor 付近を行く電車

ナウムブルク中央駅 Naumburg Hbf は、列柱が支えるポルティコを正面に据えた古典的なデザインが印象的だ。そのファサードを出ると、目の前のささやかな駅前広場に、路面電車の乗り場「ハウプトバーンホーフ(中央駅の意)Hauptbahnhof」がある。

以前は、駅前通り Bahnhofstraße の東の角が起点だったのだが、2018年に、より駅に近い現位置まで50mほど延伸・移設された。時を遡れば、環状線時代の停留所はここにあったので、30年の歳月を経て旧に復したことになる。シンプルな棒線駅だが、すぐ先の駅前通りに行き違いループが残されている。

時刻表によれば、路面電車の運行は30分間隔だ。終点まで所要11分なので、通常1編成がシャトル運行している。土曜の日中のみ毎時1往復が増便され、途中で列車交換がある。運賃は片道2.40ユーロ(2025年現在、下注1)だが、ÖPNVなので、ドイチュラント・チケット  Deutschland-Ticket(下注2)も有効だ。

*注1 中部ドイツ運輸連合 Mitteldeutscher Verkehrsverbund GmbH (MDV) の1区運賃。
*注2 略称 D-Ticket。ドイツ全土のSPNV(地方公共交通機関)やÖPNVが月単位で乗り放題の格安切符。

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(左)中央駅手前の行き違いループ
(右)トラムのイラストが描かれた停留所標識
 

次の発車は13時ちょうど。しばらく目を離しているうちに、もう10人ほどがホームに集まってきている。5分前に電車が通りの角から姿を現し、定位置に停車した。

公式サイトによれば、本日の車両は、1973年にベルリンのシェーネヴァイデ鉄道修理工場 Raw Berlin-Schöneweide で製造された2軸、両運転台のTZ 70/1形51号車で、いわゆる「レコワーゲン Rekowagen」の仲間(下注)だ。長年、近隣イェーナ(イエナ)Jena の市内を走っていたが、2001年5月からナウムブルクで第二の人生を送っている。

*注 「レコ」は改造 Rekonstruktion の略だが、ほぼ新造車も含まれる。

系統幕に4とあるとおり、路面電車は4系統 Linie 4 を名乗る。これは、定期運行再開時に市内バスの1~3系統に準じて付番されたからだが、後にバスが101~103系統に改番されたため、1~3は現在、欠番になっている。

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(左)TZ 70/1形51号車
(右)車内はボックスシートが並ぶ
 

降車が終了すると、逆側の扉が開いて、待っていた客が乗込み始めた。その間に別の客も次々とやってきて、結局20人前後が乗車した。けっこう盛況だ。車内は、2人掛けと1人掛けの広めのボックスシートが並んでいる。バリアフリーに適合しない高床車とはいえ、乗ってしまえば快適だ。

客が多かったので、定刻より少し遅れて発車。最初は静かな駅前通りを行く。線路は右端に寄せられ、車道とも歩道とも明確に区切られているので、実態は道端軌道だ。段丘崖を覆う森の前で左に曲がると、道は上りになる。昔はもっと急坂だったのだろうが、今は切通しで勾配が緩和されていて、これなら馬が牽くトラムでも上がれそうだ。

児童公園の角で右折してすぐ、イェーガープラッツ Jägerplatz 停留所がある。ここは保存運行の初期に折返し点だったところで、道路の中央を通っていた当時の旧線の一部が、待避線とともに残っている。

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イェーガープラッツ停留所付近
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道路中央に残る旧軌道
(左)南望、待避線の一部も残る (右)北望、左は現在線
 

ポスト通り Poststraße に入り、市立公園 Stadtpark の豊かな木立を右に見ながら進んでいくと、左側にネオルネッサンス様式の煉瓦建築、マリーエンシューレ(聖マリア女子学校)Marienschule が目に入る。その隣がこの路面軌道の車庫 Depot だ。

きょうは水曜で公開日ではなかった(下注)が、扉が開いていたので、収容されている先頭の車両は外からも観察できた。右にいるのは1959年製のゴータカー Gothawagen T57形37号車だ。シュトラールズント Stralsund を皮切りに数都市を渡り歩いて、最後にイェーナからここへ引き取られた。その左は、今乗っているTZ 70/1とペアを組む付随車 BZ 70/1形19号車だが、朝夕の多客時に向けて出動待ちだろうか。

*注 3月から10月の毎週土曜午後に一般公開されている。

露天の留置線には、37号とともに定期運行に供されている38号や、1955年製でナウムブルクのゴータカーでは最古参の ET54形29号の姿もあった。塗色をそれぞれ出身都市のオリジナルカラーのままにしているところは、保存鉄道として創業した会社の矜持だろう。

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路面軌道車庫
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(左)左はナウムブルク色のゴータカー38号、
   その後ろに29号、右はゴータ色の202号
(右)イェーナ色のゴータカーT57形37号
 

車庫前を通過すると、ラウンドアバウトのハインリッヒ・フォン・シュテファン広場 Heinrich-von-Stephan-Platz を見ながら、電車の針路は南に向く。通っていくのは、旧市街を囲んでいた市壁の撤去跡に造られたリング Ring と呼ばれる環状道路だ。軌道は道路の右側のゆったりとした緑地帯に、歩道を伴って敷かれている。並木の蔭でレールは芝生に埋もれ、まるで緑のじゅうたんの上を行くようだ。

旧市街の最寄りとなるクルト・ベッカー・プラッツ(広場)Curt-Becker-Platz 停留所には、二つ目の行き違いループがあった。しばらく行くと、リングはまた右に90度曲がって、西に向かう。暫定終点だったフォーゲルヴィーゼ停留所を過ぎればもう最後の区間で、緩い右カーブの先に終点ザルツトーアのホームが見えてきた。車内の客は途中の停留所で少しずつ降りていったので、最後まで乗り通したのは数人だった。

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(左)タインブルク橋 Thainburgbrücke 付近
(右)終点ザルツトーア Salztor に到着
 

時刻表では折返しまでに3分の余裕があるが、遅れて到着した電車は、すぐに中央駅へと戻っていった。リング沿いのルートは緑が豊かで、車窓から眺めていても心が和んだが、旧市街の風景を拝まずに帰るのは口惜しい。次の電車を待つ間に、歩いて5分ほどのところにあるマルクト広場 Marktplatz へ向かおう。

マルクトは市の立つ広場で、町の中心を成し、美しい装いの建物が建ち並んでいる。路面軌道も1976年まではこの広場を経由していた。ところが、広場と周辺の街路からクルマを締め出して歩行者天国にすることになり、その際、電車の線路も道連れにされて、今のルートに付け替えられたのだ。

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旧市街のヤーコプス通り Jakobsstraße は軌道旧ルートの一部
 

旧軌道の一部は撤去を免れ、廃止から50年経ってもまだ残っている。広場の北側で、石畳に埋まる二股に分かれた線路がそれだ。ここにはマルクト停留所があった。広場の北東端まで行くと、軌道は右に急カーブして南を向く。そこでいったん途切れるが、続きはカフェのテラス席の下を通って、広場の南東端まで延びている。

もう一か所、痕跡があるのは旧市街北縁の、市立公園に沿うポストリング Postring と呼ばれる静かな通りだ。路面軌道の車庫の方から歩いていくと、木陰の石畳道に突如として線路が現れ、南へおよそ100m続いている。リングの中でも交通量の少ない区間なので、道路が再舗装されなかったのが幸いしたようだ。

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マルクトに残る旧軌道の停留所跡
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旧軌道の一部はカフェのテラス席の下に
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(左)ポストリングに残る旧軌道
(右)旧軌道は約100mで終わる
  次の交差点から先は自転車・歩行者道に転換された
 

このポストリングに続くリンデンリング Lindenring は、マルクトを中心とする市民の町と、市壁の外側にある大聖堂(下注)の門前町との境で、名前のとおり、うるわしい菩提樹の並木道だ。その中央にピンコロ石で区切られた自転車・歩行者道が走っている。これがおそらく軌道跡だ。

このあと電車は先刻歩いたマルクト広場へ向けて、商店がひしめくヘレン通り Herrenstraße をすり抜けていくのだが、かつての光景を伝えるものはもはやどこにも残っていない。

*注 ナウムブルク大聖堂 Naumburger Dom は13世紀に創建された由緒ある聖堂で、世界遺産に登録されている。

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世界遺産のナウムブルク大聖堂(2018年)
Photo by Krzysztof Golik at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ヘレン通り、かつてここにも電車が走っていた
 

■参考サイト
ナウムブルク路面軌道 https://naumburger-strassenbahn.de/
ナウムブルク=イェーナ近距離交通友の会(保存団体)Nahverkehrsfreunde Naumburg-Jena e.V.  https://ringbahn-naumburg.de/
ブルゲンラント郡旅客交通 PVG Burgenlandkreis https://www.pvg-burgenlandkreis.de/

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2026年5月18日 (月)

コンターサークル地図の旅-神岡鉄道レールバイクと神岡軌道跡

2026年春のコンター旅、最終回の舞台は岐阜県飛騨市(下注)だ。レールマウンテンバイク「ガッタンゴー」で、神岡鉄道の廃線路を走った。

*注 正式には飛「驒」市だが、飛「騨」市の表記も許容されている。本稿では旧駅名を含め、飛騨と記す。

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「渓谷コース」第一高原川橋梁
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図1 神岡鉄道時代の1:200,000地勢図
(1988(昭和63)年編集)

特定地方交通線として廃止対象に挙げられた国鉄神岡線が第3セクターの神岡鉄道に引き継がれたのは、1984年10月のことだ。旅客輸送もさることながら、神岡鉱山の精錬で排出される硫酸の輸送手段として維持する必要があった。そのため、荷主がこれをトラック輸送に切り替えると、とたんに経営が成り立たなくなり、2006年12月に神岡鉄道の運行は終了した。

その廃線跡を町おこしに生かすべく、翌2007年から試験的に始まったのが「ガッタンゴー」だ。神岡鉄道は、JR高山本線に接続する猪谷(いのたに)から奥飛騨温泉口に至る19.9kmの路線だったが、そのうち、終点側の奥飛騨温泉口から神岡鉱山前までの2.9kmを、客がレールバイク(軌道自転車)を漕いで往復走行する。

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「まちなかコース」の発着点、奥飛騨温泉口駅
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(左)旧神岡鉄道の駅舎が残る
(右)駅舎の壁に保存された国鉄時代の駅名標
 

これが好評を博し、観光イベントとして定着したことから、2018年には、旧 漆山(うるしやま)駅を拠点とする3.3kmの渓谷区間が追加設定された。以来、奥飛騨温泉口を発着する「まちなかコース」と、漆山発着の「渓谷コース」の2本立てで募集されている。

私たちはこれを、午前と午後ではしごする計画を立てた。人気は相変わらず高く、予約がすぐ埋まるので、2月中旬にネットで手続きを済ませてある。

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ガッタンゴーのリーフレット

2026年5月11日、8時に高山駅改札前に集合したのは、大出、中西、私の3名。近くのレンタカー店でスズキ ソリオを借りて出発した。国道41号から県道75号飛騨朝霧街道、農免農道の神岡カントリーロードを経由して、「まちなかコース」の集合場所、旧 奥飛騨温泉口(国鉄時代は神岡)駅へ向かう。受付時刻より早く着いたので、先に軽便線の神岡軌道跡を見に行ったが、それについてはまた後ほど…。

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「まちなかコース」の発着デッキ
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と「まちなかコース」のルート等を加筆
 

「ガッタンゴー」は、冬期を除いて週6日営業している(繁忙期は無休)。「まちなかコース」の場合、おおむね1時間ごとの出発で、平日6便、休日や夏の繁忙期は8便という頻繁運行だ。きょうは月曜なので、私たちが乗る10時発が初便になる。料金は1台4000円(下注)。

*注 これは標準的な2~3人乗りの場合。「まちなかコース」では、他に4人で漕ぐタンデム車や1人で漕ぐサイドカー付きなど数種類の車両があり、料金も異なる。

発時刻の20分前までに受付を済ませて、駅舎内の説明会場に集合した。「(途中で)降りない」「止まらない」「ぶつからない(=適度な車間距離)」の注意事項を聞いたあと、ヘルメットを着用して、乗り場へ移動する。

レールバイクは昨年、吾妻峡(下注)で乗ったのと同じ構造だった。2軸の簡易台車に電動アシストつきマウンテンバイク2台を並列固定してあり、中央に設置された補助席を加えて、都合3人が乗れる。私は補助席へ。シートベルトの装着は必須だが、両手が自由なので取材にはありがたい。

*注 吾妻峡レールバイクについては、「コンターサークル地図の旅-吾妻峡レールバイクと太子支線跡」参照。

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(左)3人乗りレールバイク
(右)スタッフが乗るスーパーカブ固定の台車
 

スーパーカブ固定の台車に乗ったスタッフが先導し、客が乗る4台がそれに続いた。私たちのは1号車で、行きは先頭を走る。駅構内を出て、新緑が映える高原川(たかはらがわ)の渓谷を右手に見ながら、ゆっくり下っていった。天気も上々で、アウトドアには格好のコンディションだ。

ホームがもとのまま残る神岡大橋駅跡を通過する。ここは3セク化の際、新規に開設された駅だった。20‰の下り勾配標の後、すぐに一つ目のトンネル、長さ352mの第二神岡トンネルに入る。内部に照明はないが、自転車のヘッドライトが自動点灯するのでほんのり明るい。

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(左)スタッフの先導でいざ出発
(右)高原川の渓谷を渡る神岡大橋が右手に
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(左)神岡大橋駅跡を通過
(右)20‰の勾配標を見て第二神岡トンネルへ
 

直線でこれを抜けると、山田川の谷を横断する長さ120mの神岡橋梁の上に出た。足もとの谷筋を旧 神岡町の中心、船津の市街地が埋めている。橋梁の下手には、市街地の最寄りだった飛騨神岡(国鉄時代は飛騨船津)駅の朽ちかけたホームが残っていた。

続いて第一神岡トンネルに突入する。長さが524mあり、渓谷コースも含めてレールバイク区間で最長だ。トンネルは中で右カーブしている。

闇を抜けて今度は左に緩く曲がると、折返し点となる旧 神岡鉱山前駅(国鉄時代は神岡口)の広いヤードが見えてきた。並走する線路をポイント(分岐点)で次々に渡っていくので、列車の運転士になった気分だ。最も右寄りの側線に乗降場があり、先回りしていたスタッフがこちらに止まれのサインを送っている。

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山田川の谷をまたぐ神岡橋梁
奥のホームは飛騨神岡駅跡
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(左)第一神岡トンネルを抜ける
(右)折返し点、旧 神岡鉱山前駅の広いヤード
 

到着した後は自由休憩の指示があり、いったん車両から離れた。その間に、スタッフが1両ずつ車両を方向転換させる。車体の中央に寝かせてある牽引棒を起こし、それを軸にして半回転させる手順で、吾妻線と同じ方式だ。

駅は川岸から一段高い場所に位置する。右手の低地には市街地が広がり、その奥の段丘上に神岡城が望める。手前に目を移すと、対岸の建物群は神岡鉱業の精錬所だ。採掘は2001年に終了したが、リサイクル事業で今も稼働しているのだそうだ。

一方、山側にある駅のホームと待合室は開放されていて、鉄道現役時代の案内板や資料が壁を埋めている。隣接する車庫にKM-100形おくひだ号が格納されているのだが、窓ガラスが朝の光を反射して写真には撮れなかった。

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レールバイクの方向転換作業
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市街地と神岡城(中央右寄り)の眺め
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神岡鉱業の精錬所施設
 

10分ほど経ったところで招集がかかった。復路では1号車が最後尾だ。第一神岡トンネルに入ると、往路にはなかった二筋のイルミネーションが進路を浮かび上がらせている。私は漕ぎ手に回ったが、電動アシストつきとはいえ、20‰の上り勾配がふだん使わない太腿にこたえた。

終点駅の手前で一旦停止。信号に従い、1台ずつデッキ上の乗降場に駆け上がる。正味の走行時間は往路12分、復路14分ほどで、折返し休憩を含めて出発から帰着まで約40分だった(下注)。

*注 公式サイトでは説明・折返し休憩込みで50~60分と案内されている。

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(左)復路は上り勾配
(右)第一神岡トンネルのイルミネーション
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奥飛騨温泉口駅に帰着

午後は「渓谷コース」を体験した。乗り場は、奥飛騨温泉口駅から北へ10.5km、高原川の深い谷の中にある旧 漆山(国鉄時代は西漆山)駅だ。案内の看板に従い、国道41号から左にそれて高原川を渡る。

神岡鉄道のターミナルだった奥飛騨温泉口とは違い、漆山駅はもともと無人の停留所だ。それで、受付窓口のある小さな事務所棟はともかく、プレハブ小屋の説明会場、移動式トイレ、農業用ビニールハウスを利用した屋根付き乗降場と、いずれも仮設仕様だ。休業する冬季にはすべて撤収してしまうらしい。

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「渓谷コース」漆山駅
(左)受付窓口 (右)ビニールハウスの乗降場
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図3 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と「渓谷コース」のルート等を加筆
 

このコースでは、平日1日4便、休日・繁忙期は6便が設定されている。私たちは13時15分発の便を予約してある。便数が少ないことを加味しても「まちなかコース」より人気があるのは確かで、乗り場に用意されたレールバイクは運行上限の13台。予約サイトを覗くと連日完売で、飛び込み参加ではとうてい乗れそうにない。ちなみに料金は1台6000円だが、「まちなか」の窓口でもらった割引券で少し安くなった。

まずは説明会場へ。「降りない」「止まらない」「ぶつからない」の三大心得はさっきも聞いたが、さらに、人里を離れた山中を走行するため、ヘルメットだけでなく腰縄をつけて自転車に固定し(逸脱防止用?)、クマ対策として、車間距離を大きく空けずに、集団で行動するよう注意を受けた。

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「渓谷コース」の安全ルール
 

私たちが乗るのは中ほどの7号車だ。往路はずっと上り坂だが、勾配は15‰と「まちなか」に比べてやや緩い。それに最近の開設で電動アシストの性能もいいのか、太腿の抵抗感はほとんどなかった。序盤は森に包まれた渓谷をひたすら遡るルートだが、やがて左にカーブして最初の大きな橋、第一高原川橋梁を渡り始める。大小の石が散らばる河原を斜めに横断する長さ246mのPC桁橋だ(冒頭写真も参照)。

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(左)旧 漆山駅を出発
(右)序盤は森の渓谷を遡る
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(左)第一高原川橋梁を渡る
(右)深い淵を見下ろしながら
 

足もとにターコイズブルーの水を湛える淵を見下ろしながら、スノーシェッドに続いて長さ430mの第一漆山トンネルへ。これを抜けると現れるのが、コース一番の見どころである第二高原川橋梁の赤いトラスだ。渡り終えた線路は、間髪を入れず次の第二漆山トンネル(長さ285m)に吸い込まれていく。

最後に、第一と同じように左カーブしたPC桁の第三高原川橋梁(112m)を渡って、二ツ屋の折返し点に到達した。「まちなみ」と同様、場内信号機(?)で一旦停止し、1台ずつデッキへのスロープを駆け上がる。往路の所要時間は22分だった。

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(左)スノーシェッドから第一漆山トンネルへ
(右)ヘッドライトが進路を照らす
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トラスの第二高原川橋梁から第二漆山トンネルへ
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第三高原川橋梁を渡るとまもなく二ツ屋の折返し点
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折返し点のデッキでしばし休憩
 

ここでも約10分間の休憩が取られる。二ツ屋は鉄道の旧駅ではないが、この先トンネルと鉄橋の連続で適当な空地がないから、折返し場所に選ばれたのだろう。

復路は漕ぎ役を交代して、私は補助席へ。スタッフの「ゴー、レッツゴー」という元気な掛け声に送られて、再び1台ずつ出発した。下り坂につき、先行車のスピードが落ちるとすぐに追いついてしまう。風に乗って快調に走ったので、わずか15分ほどでもう起点のビニールハウスが見えてきた。折返し休憩を含めて、出発から帰着までの所要時間は約50分だった(下注)。

*注 公式サイトでは説明・折返し休憩込みで60~75分と案内されている。

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スタッフの掛け声を受けて復路出発
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快調に走って漆山駅に帰着
 

なつかしい人里を眺めながら走る「まちなかコース」と、クマが出そうな深山幽谷を行く「渓谷コース」。風景は対照的だが、どちらもカーブ、坂道、トンネル、橋梁と変化があって、おもしろさは甲乙つけがたい。廃線になると人々の関心は遠のきがちだが、線路さえ剥がしてしまわなければ、何なりと活用法はあるものだ。

■参考サイト
「ガッタンゴー」 https://rail-mtb.com/

「ガッタンゴー」の空き時間を利用して、私たちは周辺に残る神岡軌道の遺構もいくつか見学した。

神岡軌道というのは、国鉄神岡線が1966年に開業する以前に、この鉱山町に通じていた610mm(2フィート)軌間の軽便線だ(下注)。1910(明治43)年から1920(大正9)年にかけて、神岡町まで順次開業している。当時まだ現在の高山本線(当時は飛越線)はなく、起点は、富山鉄道(当時は富山軽便鉄道、後の富山地方鉄道笹津線)に連絡する笹津に置かれていた。

*注 当初は762mm(2フィート6インチ)軌間だったが、全通までに610mmに改軌。

富山からの飛越線が1930(昭和5)年に猪谷まで開通すると、軌道は対岸から神通川に架橋して、翌1931年から猪谷を起点とするようになる。また、1937年から1958年までは、森林鉄道からの連絡運輸のために、さらに上流の浅井田(あさいだ)に至る延伸線もあった。町にとって軌道は外界とつながる生命線だったが、国鉄の新線建設が始まると存在理由を失い、1963年から1967年にかけて順次廃止されていった。

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奥飛騨温泉口駅の保存車両
(左)神岡鉱山の電気機関車
(右)神岡軌道とほぼ同型の立山砂防軌道ディーゼル機関車(2020年に此地に到来)
 

遺構の一つ目は神岡に着く前、飛騨朝霧街道の神原トンネルを出て間もなく右手に見えるオブジェ群だ。草原の中に短い線路が敷かれ、有蓋貨車やレールバイクが置かれている。貨車は実物のようで、神岡軌道の歴史を記したプレートが貼り付けてあった。軌道のルートからは遠く離れているが、神岡への旅の前説というべきスポットだ。

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神原峠の神岡軌道オブジェ群
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(左)軌道に載る有蓋貨車
(右)神岡軌道の歴史を記すプレート
 

冒頭でも触れたように、「まちなかコース」に参加する前に、川向うにある坂巻橋梁跡を訪ねた。高原川の支流、和佐保谷川(わさぼたにがわ)を渡る浅井田延伸線の橋だ。流路を跨いでいた橋桁は撤去済みだが、両側に続くコンクリート高架が残されている。建設からかれこれ90年が経つはずだが、今も変わらず谷間に仁王立ちしているのが印象的だ。

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谷間に仁王立ちする坂巻橋梁
 

「まちなか」と「渓谷」の空き時間は、昼食休憩を兼ねて、神岡城のある城ヶ丘公園へ移動した。この周辺では、段丘崖に沿う形で、浅井田延伸線の跡が自転車・歩行者用の小道になっている。歩いてみると、市街地が眼下に広がって、なかなかいい眺めだ。

神岡軌道敷跡の立札から南は民家が張り付き、狭いながらクルマも通行できる。崖を上ってくる旧道をまたぐガーダー橋があった。きれいに塗装されているが、おそらくオリジナルだ。この廃線跡の公道は、奥飛騨温泉口駅に通じる県道484号との交点まで続く。

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神岡軌道敷跡の立札
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神岡軌道跡の道路
(左)市街地が眼下に広がる (右)旧道をまたぐガーダー橋
 

「渓谷」を乗り終えた後は、近くにある土(ど)駅跡を見に行った。JRの津のような一音地名の駅で、ローマ字表記ではそれより短いことで知られていた。駅は谷あいの発電所の前にあったそうだが、もちろん痕跡は残っていない。そればかりか下流側へ続く廃線跡が、国道のバイパス工事で封鎖されていた。やむなく集落まで戻り、山腹の神社への急な階段を上る。神社の前には明瞭な軌道跡があり、見たかったオーバーハング気味の岩壁へたどり着くことができた。

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(左)土集落の神社脇を通る廃線跡
(右)古レールも散見
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土駅近くにあるオーバーハング気味の岩壁

以下の写真3点は、大出さんが撮影した1984年3月、3セク化を前にした国鉄神岡線のようすだ。

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国鉄神岡口駅、現「まちなかコース」折返し点
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国鉄神岡駅、現「まちなかコース」発着点
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神岡駅当時の駅舎
(今もホーム横に残るが改装されている)
 

廃止直前の2006年9月に撮影した神岡鉄道の写真も提供してもらった(4点とも大出さん撮影)。

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漆山駅北方
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飛騨神岡駅のある神岡橋梁
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神岡大橋駅
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奥飛騨温泉口駅

参考までに、国鉄神岡線が記載されている1:200,000地勢図と1:25,000地形図を掲げる。

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図4 国鉄神岡線時代の1:200,000地勢図
(1972(昭和47)年修正)
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図5 国鉄神岡線時代の1:25,000地形図
猪谷~茂住間(1972(昭和47)年測量)
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図6 同 茂住~西漆山間(1972(昭和47)年測量)
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図7 同 西漆山~二ツ屋間(1972(昭和47)年測量)
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図8 同 二ツ屋~神岡口間(1972(昭和47)年測量)
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図9 同 神岡口~神岡間(1972(昭和47)年測量)
 

神岡軌道が描かれた1:200,000地勢図と1:50,000地形図は以下のとおりだ。なお、この地域の1:25,000地形図は、上掲の1972(昭和47)年測量図が初版のため、神岡軌道はもはや描かれていない。

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図10 神岡軌道時代の1:200,000地勢図
(1955(昭和30)年編集)
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図11 神岡軌道時代の1:50,000地形図
猪谷~茂住間(1966(昭和41)年補測調査、1959(昭和34)年修正測量)
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図12 同 茂住~土間(1959(昭和34)年修正測量)
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図13 同 土~二ツ屋間(1959(昭和34)年修正測量)
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図14 同 二ツ屋~神岡町間(1959(昭和34)年修正測量)
 

1958(昭和33)年に廃止された浅井田延伸線は、1色刷の旧版図に姿をとどめている。

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図15 同 神岡町~浅井田間(1953(昭和28)年応急修正)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図高山(昭和30年編集)、同(昭和47年修正)、同(昭和63年編集)、5万分の1地形図白木峰(昭和41年補測調査)、東茂住(昭和34年修正)、舩津(昭和28年応急修正)、船津(昭和34年修正測量)、2万5千分の1地形図猪谷、東茂住、鹿間、船津(いずれも昭和47年測量)および地理院地図(2026年5月10日取得)を使用したものである。

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 紀州鉱山軌道の楽しみ方

2026年2月 6日 (金)

ゼルフカント鉄道-ドイツ最西端の保存蒸機

ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn
(旧 ガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn)

アルスドルフ軽便鉄道駅 Alsdorf Kleinbahnhof~ガイレンキルヘン郡鉄道駅 Geilenkirchener Kreisbahnhof~テュッデルン Tüddern 間 37.7km
軌間1000mm、非電化
1900年開通、1960年旅客輸送廃止、1971年路線廃止・保存運行開始

【現在の運行区間】
保存鉄道:シーアヴァルデンラート Schierwaldenrath~ギルラート Gillrath 間 5.5km

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ゼルフカント鉄道の20号蒸気機関車

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見渡す限りの平野に、豊かな田園地帯が広がるゼルフカント Selfkant は、オランダ国境に接するドイツ最西端の地域だ。ここに小規模ながら、かつて各地で見られたメーターゲージ軽便鉄道の雰囲気を色濃く残す蒸気保存鉄道がある。

ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn は、旧 沿線のガンゲルト Gangelt に本部を置く保存団体、歴史鉄道運行協会 Verein Interessengemeinschaft Historischer Schienenverkehr e. V.(略称IHS)の保存鉄道だ。実際の運営は、協会が設立した鉄道会社、ラインラント観光鉄道 Touristenbahnen im Rheinland GmbH が行っている。

運行拠点は、区間の西端にあるシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath 駅で、列車はここから東へ5.5kmのギルラート Gillrath 駅まで走って折り返す運用になっている。

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拠点駅シーアヴァルデンラート
 

ゼルフカント鉄道と名乗るのは、保存鉄道になってからだ。もとはガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn という、全長約38km、公営の軽便鉄道だった。国鉄アーヘン=メンヘングラートバッハ線 Bahnstrecke Aachen–Mönchengladbach のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅前にあった郡鉄道駅 Kreisbahnhof が本来の拠点で、東西2方向に出ていた路線のうちの、西線がルーツになる。

西線は、国境の村テュッデルン Tüddern まで長さ21.4kmの路線だった(下注)。実際、終点は国境のすぐ手前に置かれ、オランダ国鉄のシッタルト Sittard 駅まであと3km足らずだったのだが、認可が下りず接続が叶わなかった。

*注 ちなみに東線は、アルスドルフ軽便鉄道駅 Alsdorf Kleinbahnhof~ガイレンキルヘン郡鉄道駅 Geilenkirchen Kreisbf 間16.3km。1953年から1966年にかけて段階的に廃止された。

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ゼルフカント鉄道、旧ガイレンキルヘン郡鉄道と周辺路線図
 

第二次世界大戦後、ゼルフカント地方の西半分は、戦争賠償が完済されるまでの間、オランダの統治下に置かれた。そのため、この地域を走るガンゲルト~トゥッデルン間は運行できなくなってしまった。また、その対象外だったガイレンキルヘン~ガンゲルト間でも、需要が低下して1960年に旅客輸送が終了している(下注)。併合地域は1963年にドイツに返還されたが、旅客輸送が復活することはついになく、1971年7月に全線の廃止措置が取られた。

*注 輸送量は少ないものの、貨物輸送は続いていた。

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樹陰に包まれるシーアヴァルデンラートの構内
 

IHS協会による保存運行は、それより前の1969年に試行されている。協会のサイトによれば、路線廃止に伴い、1971年8月に保存鉄道としての開通記念列車を走らせた。その後、鉄道資産を取得して1973年から、現在につながる蒸気列車の運行を本格的に開始している。

なおその際、根元区間のガイレンキルヘン~ギルラート間は放棄された。軌道の劣化が進行していたことと、途中で州道をまたいでいた高架橋を、道路拡張のために架け替える必要に迫られたからだ。区間短縮に伴って、運行拠点はシーアヴァルデンラートに移された。そのため、起点終点とも一般運行時代とは逆になっている。

開業から半世紀を経たが、今も変わらずイースターの時期から9月にかけて、主として日曜祝日に貴重な保存列車が走っている。時刻表によると、一番列車は11時発で、午後にかけて1日4~5往復の設定がある。列車は蒸気牽引、ディーゼル牽引のほかに気動車の場合もあるので、時刻表に記載された種別をよく確かめて出かけたい。

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ギルラート行き列車が発車を待つ

鉄道どうしの接続が絶たれても、ゼルフカント鉄道に最も近いDB(ドイツ鉄道)の駅は、やはりガイレンキルヘン Geilenkirchen だ。アーヘン中央駅 Aachen Hbf から北へ向かうメンヘングラートバッハ Mönchengladbach 行きのレギオナル(普通列車)に乗って、24分で着く。

ガイレンキルヘン駅前からは、旧 郡鉄道のルートをなぞるSB3系統オランダ・シッタルト Sittard 行きのバスがある(下注)。平日は1時間ごとに出発しているが、あいにく保存鉄道が運行される日曜日は間引かれて2時間ごとの閑散ダイヤだ。バスの時刻に合わせて列車を選ぶしかない。ちなみに保存鉄道の駅のあるギルラートまでは4.6km、歩けば1時間かかる。

*注 時刻表は、運行会社のヴェストフェアケーア(西部交通)WestVerkehr https://www.west-verkehr.de/、またはアーヘン運輸連合 Aachener Verkehrsverbund https://avv.de/ 参照。

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(左)DBガイレンキルヘン駅
(右)駅前からSB3系統のバスに乗る
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地形図にゼルフカント鉄道のルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

バスは、オランダ側に抜ける街道筋を快調に飛ばしていく。「Nächster Halt(次の停留所)…」という自動アナウンスはあるものの、運転席後ろの表示パネルは故障中なのか暗いままだ。文字に頼れず、ひたすら耳を澄ませて聞き取るしかなかったが、何とか最寄りのバス停、ギルラート・キルヘ(教会)Gillrath Kirche で降りることができた。

地図に従い、民家の間の小道を町裏のほうへ歩くと、ものの2~3分で、タンク車が置かれた行き止まりの線路の前に出た。ギルラート駅は、片面ホームと機回し側線があるだけの小さな駅だ。それでも、再建したと思われる煉瓦造の小さな駅舎の中では、ちゃんと出札口が開いていた。さっそく往復乗車券(9ユーロ)を求める。

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ギルラート駅
(左)煉瓦造の小さな駅舎(右)出札口が開いていた
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往復乗車券
 

駅舎を出たら、シーアヴァルデンラート方から列車が入ってくるところだった。バスの到着が11時19分、列車の入線が5分後の11時24分で、実に無駄のない接続ダイヤ(?)になっている。列車がホームに到着すると、さっそく機関車が切り離され、機回し作業が始まった。

小柄な2軸のタンク蒸機は、1956年ユング Jung 社製で、20号「ハスペ Haspe」のプレートを付けている。鉄道には同型機があと2両、19号と21号がいるが、いずれも前職は、ルール地方のハーゲン=ハスペ Hagen-Haspe にあったクレックナー製鉄所 Klöcknerhütte の産業機関車だ。当時は900mm軌間だったが、ここで走れるようにメーターゲージに改造された。

19号機が、最初に到来してゼルフカント鉄道の創業期を支えた機関車だが、もう使われていない。1972年に製鉄所が閉鎖されたとき、IHS協会は、仕事場をなくした2両を追加で購入した。その1両が20号「ハスペ」で、1991年に全面改修を受けて以来、運行の主力を担っている。もう一つの「ハーゲン」と命名された21号は、現在長期修復中だそうだ。

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列車が到着
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(左)20号機関車「ハスペ Haspe」 (右)側壁の銘板
 

列車は、終点側から、自転車を載せる無蓋貨車1両、有蓋貨車1両、その後ろにオープンデッキのついた旧型客車3両の構成だ。そのうち中間の車両はビュッフェ車なので、普通の座席車は2両しかない。まだ6月だから、この程度でも客をさばけるのだろう。見ている間に、隣の線路を回送された機関車が、手際よく反対側に連結された。シーアヴァルデンラート行きは逆機(後ろ向き)運転になるようだ。

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(左)古典客車129号 (右)車内はベンチが並ぶ
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(左)ビュッフェ車118号 (右)車内
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ギルラート駅での機回し作業
 

11時45分、車掌のヒュルルルという笛の音に機関士が汽笛で応えて、列車はゆっくりと動き出した。まず裏通りの踏切を斜めに渡るが、次のバス通りの踏切では、手前で一時停止した。スタッフが機関車から降り立ち、車道の中央に出ていく。遮断機も警報機もないので、手旗でクルマを停止させる必要があるのだ。

バス通りを横切った後も徐行のまま、また林の陰で停止した。今度は何かと窓から覗くと、スタッフが傍らにあるウォータークレーンを操作しているのが見える。ここはシュターエ Stahe という停留所で、時刻表では、往路に比べて所要時間が5分長い。機関車の給水停車を前提にしたダイヤのようだ。

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バス通りを斜めに横断
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シュターエ停留所で給水停車
 

作業を終えて、12時ちょうどに再び発車した。列車は林を抜けて、広大な耕作地の中へ出ていく。ナタネやトウモロコシが一面に植わり、遠くには発電用の巨大な風車が立ち並んでいる。きょうもよく晴れてけっこう暑いのだが、窓を開け放した車内は乾いた風がよく通る。

次の停車駅ビルクデン Birgden は2面2線で、小ぶりの駅舎も建っていた。時刻表では5分停車だが、シュターエで長居して時間が押しているらしく、すぐに発車。集落の裏手のようなところを相変わらずゆったりしたペースで走っていく。

気持ちよく揺られていたら、いつのまにか側線に留め置かれた貨車の群れが車窓に現れて、速度が落ちた。終点のシーアヴァルデンラートに12時20分着。車掌が大声で駅名とともに「Alles aussteigen(皆さん降りてください)!」と叫ぶのを聞いて、乗客はゆっくり腰を上げた。

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沿線風景
(左)刈取りを終えた牧草地 (右)風通るトウモロコシ畑
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ビルクデン駅のホームと小駅舎
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(左)シーアヴァルデンラート駅に到着
(右)平屋根を掛けた駅舎
 

構内は、拠点にふさわしい広さを有している。木立の陰に側線が数本並び、傍らに平屋根を掛けた駅舎も建つ。駅の周囲に無料の駐車場があるので、ここから乗り込む客が圧倒的に多いのだろう。次の発車は40分後だというのに、早くもホームで待っている人がけっこういた。

一仕事を終えた機関車は切り離され、奥のほうへ引き上げた。客車から降りた客といっしょに後を追いかけると、転線して機関庫の前で石炭の補給を受けるのだった。

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列車到着でいっとき賑わうホーム
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次の便に備えて燃料と水を補給
 

隣で、別のタンク蒸機が陽を浴びている。案内板によれば1898年、当時ドイツ領だったエルザス Elsass(現 フランス領アルザス Alsace)の工場で製造された古典機 MEG 46 だ。最初はストラスブール路面軌道 Straßburger Straßenbahn で就役し、1923年から中央バーデン鉄道会社 Mittelbadische Eisenbahn-Gesellschaft に移籍した。MEGはその会社の略称だ。

見学用に開放された大きな併設車庫には、気動車や多数の客車がぎっしりと格納されていた。屋外の側線に並ぶ貨車を含めて、車両のコレクションはかなり充実している。

多数の見物人に見守られながら給炭作業を終えた蒸機「ハスペ」は、再び本線に戻り、今度はウォータークレーンから給水を受けた。そして軽やかなブラスト音を残して機回しされていき、さっきの列車の先頭につけ直された。次のギルラート行きの発車時刻は13時ちょうどだ。

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(左)陽を浴びる古典機MEG 46
(右)銘板に製造地と1897年の文字
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(左)客車庫も開放中
(右)気動車や客車を多数格納
 

■参考サイト
ゼルフカント鉄道 https://www.selfkantbahn.de/

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2025年12月 5日 (金)

ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る

ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn

アルプナッハシュタート Alpnachstad~ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm 間 4.27km(下注)
軌間800mm、直流1650V電化、ロッハー式ラック鉄道、最急勾配480‰
1889年開通、1937年電化

*注 数値は水平距離。実距離(斜長)は4.618km。

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エムジゲン駅での列車交換(2013年)

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鉄車輪とレールの摩擦から推進力を得る鉄道にとって、勾配路は不向きだ。摩擦力の不足で車輪が空転して、制御が効かなくなる恐れがある。その克服のために考案されたのが、ラック・アンド・ピニオン方式、いわゆるラック式だ。線路に敷いた歯棹(ラック)と、車両に装備した歯車(ピニオン)をかみあわせて走行を安定させる。ヨーロッパではニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が、1871年にスイスのリギ山 Rigi で初めて実用化した(下注)。

*注 リギ山のラック鉄道については、「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

リッゲンバッハやそれを改良したカール・ローマン・アプト Carl Roman Abt のシステムでは、ラックとピニオンは縦置きされている。しかし、これは勾配があまり強まるとピニオンがラックの歯に乗り上げてしまい、脱線事故を引き起こしかねない。その限界は1:4(250‰)とされた。

*注 ヨーロッパで運行中のラック鉄道の最急勾配は、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn の255‰(アプト式)、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen の253‰(リッゲンバッハ式)。なお、アメリカにはワシントン山コグ鉄道 Mount Washington Cog Railway の374‰(マーシュ式)などの例外もある。

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リギ鉄道H 1/2形7号機の保存運行(2009年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リギ山と並ぶルツェルン Luzern のハウスベルゲ(地元の山)であるピラトゥス山 Pilatus でも、リギ鉄道の成功を受けて鉄道建設の機運が高まった。しかし全体として穏やかな山容のリギとは異なり、ピラトゥスは町の南方で荒々しい岩肌を見せている突峰だ。標高も2119mで、1797mのリギ山を優に超える。

このような険しい山に勾配250‰以下の条件でルートを引くと、8.7kmもの迂回路とトンネルなど多数の構築物が必要となる。これでは建設費が莫大な額になり、資金調達のめどが立たない。勾配をより強めてケーブルカーで代替する案もあるが、路線長から見てケーブルの自重すら支えきれないだろう。

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フィーアヴァルトシュテッテン湖から仰ぐピラトゥス山
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ピラトゥス鉄道周辺の1:50000地形図
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ生まれの技師エドゥアルト・ロッハー Eduard Locher は、この難題に独創的なアイデアで応じた。それは複式ラックを横置きにして、車体側の2個のピニオンで両側から噛ませるというものだった(下の写真参照)。ピニオンの下にはフランジを付けて、山腹で強風を受けても車両が浮き上がらないようにする。

軌道にも独特な工夫が施された。急勾配に対応して、枕木ではなく地中深く打ち込んだ鋼鉄製のアンカーにレールを固定する。路盤も築堤ではなく、堅固な石積みだ。従来の分岐器が使えないため、車両を載せて移動させる遷車台や、軌道台の横移動で定位と反位を切り換える置換式分岐器を考案した。そのうえで建設費を抑えるため、軌間は800mmとした。

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ラック装置各種
左からシュトループ式、ロッハー式、リッゲンバッハ式、アプト式(2枚歯)
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz で撮影
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軌道台が横移動する置換式分岐器(2013年)
 

車両は、客室の坂下側に蒸気機関を設置した蒸気動車Bhm 1/2形で、当初8両を配備した。勾配が変化しても水位をほぼ一定に保てるように、ボイラーは進行方向に対して横向きに設置されている。客室は階段状のコンパートメントが4室で、各8名、計32名が乗れる。

この創意あふれるシステムによってロッハーは、高低差1633mを最大480‰、平均でも350‰という世界一の急勾配で克服するラック鉄道を実現した(下注)。高山での困難な工事を経て、鉄道は1889年6月に開通式を迎えた。山頂に、広々としたピラトゥス・クルムホテルが建設されたこともあり、利用者は右肩上がりで増加していく。蒸気動車も不足がちになり、1909年までに3両が追加配備された。

*注 ロッハー式を採用したラック鉄道は、世界的に見てもピラトゥス鉄道のほかにはない。

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蒸気動車Bhm 1/2形 9号
スイス交通博物館蔵
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(左)ピラトゥス・クルムから降りるBhm 1/2形(1889年ごろ)
Photo from SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0
(右)Bhm 1/2形の製造所銘板
 

蒸気動車の劣化が進んだことから、鉄道は1937年5月に直流1500Vで電化される。SLM/MFO社から、座席定員40名(5室×8名)の電動車Bhe1/2形が8両納入されて、旧車を置き換えた(下注)。それまで片道70~80分を要していたが、電化後はわずか30~40分に短縮され、輸送能力は著しく向上した。

*注 Bhe1/2形は1960年と1967年に各1両が増備され、最終的には10両になった。1960年の1両は、実際には電動貨物車Ohe 1/2の交換用車体。

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電動車Bhe1/2形22号、マットアルプ Mattalp 付近にて(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この時代の運行形態は、徹底した続行運転だ。時刻表上では40~45分間隔の発車になっているが、実際には視程距離50mを維持しながら、最大5両までが次々と駅を出ていく。山麓のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅は本線と側線、計2線の構造で、山上に向かって右側の本線に最大2両が停車して客を迎える。増便する場合は、左の側線に待機させた車両を最下部の遷車台で本線に移して、同様に客扱いをした。

この車両集団が、中間のエムジゲン Ämsigen 駅で、山を降りてくる集団と列車交換をする。山上駅ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm では、構内に入る前に線路が二手に分かれる。左の線路は駅の手前でさらに2線に分かれてシェルター内に入る。そこには乗降ホームが2本(3番と4番)あり、各ホームは電車2両分の長さがある。一方、右に離れた1番線は開業時からある線路で、5両目の続行便があるときはここに入るようになっていた。

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アルプナッハシュタート駅の遷車台
電車を載せて横移動する(2016年)
Photo by Mboesch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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エムジゲン駅での列車交換(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

Bhe1/2形による運行は実に85年にわたって続いたが、2022年11月の運行シーズン最終日をもって終了した(下注)。代わって2023年シーズンから登場したのが、前面、側面、天井と、床以外の全方向に窓をもつ新車のBhe 2/2形だ。車長が1.7m長くなり、コンパートメントが6室取れるので、座席定員は48人(運転席を出す場合は2人減)に増加した。これが2両連結で走り、一度に100人近くを運ぶことができる。

*注 ピラトゥス鉄道は現在、5月中旬から11月中旬までの季節運行。

旧車は片扉だったが、新車では両側に乗降扉がついた。それに対応する形で、山麓駅では左側のもと側線にホームが増設され、各線に列車を収容しての同時乗降が可能になった。最高速度も旧車の上り12km/h、下り9km/hに対して各3km/hアップしていて、所要時間は以前より3~7分短い27~33分だ。

駅の遷車台は不要となり、代わりに構内上部に、本線ともと側線間で車両を転線させるための回転式分岐器が設置された。定位と反位の軌道が表裏に設置された台を軸回転させることで、列車の進路を切り換えることができる。

通常の運行では、2両連結のBhe 2/2が最大2本続行する。これだけでは旧車5両で運んでいた時代と同等の収容定員だが、スピードアップに伴う運行間隔の短縮により、単位時間当たりの輸送量は増加した。2025年のダイヤでは運行間隔が35分だ。計画ではこれを30分間隔に縮めて、多客期の輸送力のさらなる向上を図るという。

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新型Bhe 2/2形(2022年)
Photo by Au des Kolbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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改装されたアルプナッハシュタート駅
左のもと側線にホームを増設(2024年)
Photo by Bybbisch94 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ピラトゥス鉄道に乗りに出かけたのは、今を遡る2013年のことだ。当時の写真で、そのミニトリップを振り返ってみたい。

滞在していたルツェルンからブリューニック線の電車に乗って、アルプナッハシュタート駅に着いた。標高440m、ピラトゥス鉄道の山麓駅は、駅前広場の山側で斜面に張り付くように建っている。屋根に載る PILATUS-BAHN の大きな切り文字の上にいるのは、この岩山に棲んでいるとされるドラゴンだ。

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アルプナッハシュタート駅、上方の白い建物は車庫
 

ピラトゥス山頂へは、南からアプローチするこの鉄道のほかに、北側のクリーンス Kriens の町からゴンドラリフトとロープウェーを乗り継いで上っていくこともできる。いずれもピラトゥス鉄道会社が運行していて、切符購入時に自由に選択が可能だ。私は違う景色を見たいので、鉄道で上り、ロープウェーで降りる一方通行ルートにした。スイスパス(現 スイストラベルパス)を見せれば運賃は半額になる。

次の発車は9時35分だ。切符のバーコードをリーダーにかざし、ターンスタイルを通って、Bhe1/2形が客待ちしているホームへ向かう。前のコンパートメントから埋まっていく傾向があるが、景色を楽しみたいなら、下界の展望が開ける最後尾がベターだ。内部は向かい合せのシートで、1列に4人掛けられる。階段状になった車内はケーブルカーと変わらない。

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(左)改札
(右)電車が駅に入ってきた
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(左)乗車券
(右)階段状のコンパートメントが並ぶ車内
 

ドアが閉まるとまもなく発車した。側線で待機中の同僚機を横目に見ながら、いきなり急坂を上っていく。傍らに立つ電柱の傾き方が想像以上だ。左手に見えてきた3本目の線路は、車庫への引込線で、小ぶりの作業車Xhm1/2形が停車している。線路が1本にまとまる地点には、遷車台があった(2023年から回転式分岐器に置換え)。

早くも高度が上がって、緑の牧草地の中に民家が点在する風景が下手に沈んでいく。やがて車窓は針葉樹の森に包まれ、しばらく視界が閉ざされた。右にカーブしながら谷川を渡り、素掘りのままの短いヴォルフォルトトンネル Wolforttunnel に入る。少しすると今度は左カーブで、シュピッヒャー第1と第2の2本のトンネル Spychertunnel を立て続けに抜ける。森の隙間に草地が現れ、しばらくすると速度が急に落ちた。標高1355mの中間駅エムジゲンのようだ。

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(左)側線で同僚機が待機中
(右)車庫への引込線に停車する作業車Xhm1/2形
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村と牧草地の風景が下方に沈む
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(左)素掘りのヴォルフォルトトンネル
(右)勾配標は‰(パーミル)ではなく%表示
 

待避線で行違った下り便は1両だけだった。日中なら数両が揃ってにぎにぎしい儀式になるところだが、午前中はまだ降りてくる客がいないのだろう。線路は上り側(右側)が開通している。乗降客がなかったようで、わが電車は停車することなく通過した。

後半区間は、初めおおむね直線で進んでいく。後ろから続行便がつかず離れずついてくるので、居ながらにして走行写真が撮れる。やがて森林限界を超えたようで、羊背岩と青草に覆われた斜面が広がった。目を凝らすと、放牧された牛があちこちでのどかに草をはんでいる。進行方向左手には、にぶい灰色の絶壁エーゼルヴァント Eselwand がそそり立つ。電車はこの垂直な岩壁を斜めに切りながら上っていくのだが、あいにく壁の上半分に白い霧が降りてきている。

ピラトゥスは突出した高峰のため、雲がかかりやすい。帽子をかぶる者の意のラテン語ピレアトゥス Pilleatus が山名の語源という説があるくらいだ。むかし一度来た時も、山頂付近にだけ霧が湧いて、見通しがあまりきかなかった。旅行中は日程が限られているから、快晴のタイミングに合わせるのは難しい。

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中間駅エムジゲン
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(左)下方にアルプナッハ湖が覗く
(右)マットアルプの草原を横断
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エーゼルヴァントを次々に上る電車群(1984年撮影)
 

いよいよ険しさを増す斜面を避けるように、軌道は左にカーブして、雪覆いに続くエーゼルヴァント第1トンネルに吸い込まれる。抜け出ると、もう石灰岩の高い壁の中腹にいる。鉄道建設の際に、作業員がザイルでぶら下がりながら硬い岩を砕いたという難所だ。

岩壁のトンネルは第2から第4まであと3本ある(下注)が、視界は濃い霧に閉ざされた。晴れれば、足がすくむ断崖と、遠くにアルプナッハ湖  Alpnachersee やウルナーアルプス Urner Alpen が拝める絶景地だが…。

*注 長さは第1が44m、第2が50m、第3が46m、第4はわずか9m。第3と第4の間は雪覆いでつながっている。

エーゼルヴァントを西側に回り込んだ後は、最後の胸突き八丁だ。カールを埋め尽くすガレ場のへりを電車はじりじりと上っていき、終点ピラトゥス・クルム駅のシェルター内にある階段ホームに到着した。

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(左)霧に包まれるエーゼルヴァント
(右)素掘りのトンネルが連続する
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(左)カールのへりを上る最終盤
(右)終点手前の480‰勾配
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ピラトゥス・クルムのテラスからの眺め
 

■参考サイト
ピラトゥス鉄道 https://pilatus.ch/

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ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

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2025年11月30日 (日)

ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線

ツェントラール鉄道ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
ZB Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE)

ヘルギスヴィール Hergiswil~エンゲルベルク Engelberg 間 24.78km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配105‰
1898年 シュタンスシュタート Stansstad~エンゲルベルク間開通
1964年 ヘルギスヴィール~シュタンスシュタート間開通

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エンゲルベルク駅で発車を待つ急行列車

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エンゲルベルク Engelberg は、スイス中央部、ウルナーアルプス Urner Alpen の山懐ろにいだかれたリゾート都市だ。南に横たわる主峰ティトリス山 Titlis(標高3238m)周辺での登山やウィンタースポーツの基地として、季節を問わず多くの人が訪れる。

ドイツ語で天使の山を意味するエンゲルベルクは、もと町の東にそびえるハーネン山 Hahnen(標高2607m)のことだった。その頂きから聞こえる天使の声を受けて設立されたと伝えられるベネディクト会エンゲルベルク修道院 Benediktinerabtei Kloster Engelberg の名を通じ、やがて門前町を指す地名として広まった。

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エンゲルベルク修道院とハーネン山(右奥)(2021年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1898年、この町に向けてメーターゲージの鉄道が開業した。現在のルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE) だ。麓と町のある盆地との間の大きな高低差を克服するため、先行するリギ鉄道 Rigibahn やブリューニック線 Brünigbahn と同じリッゲンバッハ式のラックレールを坂道に敷いていた。

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ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

鉄道は当初、シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道 Stansstad-Engelberg-Bahn (StEB) と称した。起点はフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee に面するシュタンスシュタート Stansstad の港の前で、ルツェルンから湖を渡ってくる蒸気船に連絡して、乗継ぎ客を迎えた。

港にはこれとは別に1893年から、シュタンスシュタート=シュタンス路面軌道 Strassenbahn Stansstad–Stans が運行していたが、新しい鉄道に客を奪われて、早くも1903年に廃止されてしまう。シュタンス Stans というのは、港から3km南東にある町で、ニトヴァルデン Nidwalden 準州(下注)の州都だ。シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道は、この歴史都市への新しい交通手段をも提供した。

*注 ニトヴァルデンは、隣のオプヴァルデン Obwalden とともにスイス原初三州の一つウンターヴァルデン Unterwalden を構成する。

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シュタンス市街の眺め
 

この鉄道がリギ鉄道やブリューニック線と一線を画すのは、これらがまだ蒸気運転だった時代に、最初から電気鉄道として建設されたという点だ。当時の技術水準に従って、電化方式は750V 32Hzの三相交流が採用されたが、同じ1898年にゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn やユングフラウ鉄道 Jungfraubahn の地上区間といった耳目をひく登山鉄道が同様の方式で新規開業していて、時代の先端を行く企てだったことが窺える。

反面、国内鉄道網との接続がないことは後々の弱点となった。シュタンスシュタートから先へは、船か路線バスに乗換える必要があり、利用者は不便を強いられた。最寄りのブリューニック線ヘルギスヴィール Hergiswil までは直線距離でわずか2km強だが、間にアルプナッハ湖 Alpnachersee に通じる水路と、ピラトゥス山から東に延びるロッパー尾根 Ropper という地形上の障壁が立ち塞がっている。

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ロッパー尾根(中景)と二湖をつなぐ水路
手前はシュタンスシュタート市街、遠景はピラトゥス山
鉄道は水路を跨ぐ橋の中央を走っている(2020年)
Photo by Marco Ghinolfi at wikimedia. License: CC0 1.0
 

水路に橋を架け、尾根に長いトンネルをうがつ新線で、ブリューニック線に合流するという長年の悲願が実現したのは、ようやく1964年12月のことだ。同時に、電化方式がブリューニック線の交流15kV 16.7Hzに転換され、線路施設も同線に準じる水準に改修された。こうして列車が同線を通ってルツェルンまで直通するようになったことから、社名もルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSEと略す)に改称された。

2005年には、地方交通再編の一環でブリューニック線がスイス連邦鉄道SBBから移管され、LSEは、2本の路線を運行するツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn (ZB) として再スタートを切っている。

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ラック旧線時代の主力電車 BDeh 4/4
エンゲルベルク駅にて(1991年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

LSE線の運行ダイヤは、インターレギオ Interregio (IR) とSバーンの2本立てだ。

前者はルツェルン=エンゲルベルク急行 Luzern-Engelberg Express と称し、ルツェルン発着で全線を完走する。1時間間隔の運行で、ルツェルンを出ると14.6km先のシュタンスまでノンストップ、あとは各駅停車だ(下注)。ラック対応の電気機関車 HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く客車列車だが、プッシュプル運転のため、最後尾は運転台のある制御客車になっている。

*注 繁忙期の臨時列車には、シュタンスシュタートに停車する代わり、シュタンス~エンゲルベルク間がノンストップになる便もある。

SバーンはS4系統を名乗り、30分間隔の運行だ。各駅停車でシュタンス行きと、さらに足を延ばすヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen 行きが交互に出る。また、朝夕に増発されるS44系統は、ルツェルン~ヘルギスヴィール間の小駅を通過する区間快速だ。車両は、シュタッドラー・レール社製の3車体連接車、ABe130形シュパーツ SPATZで、ブリューニック線と共通運用されている。

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ルツェルン=エンゲルベルク急行
(左)先頭は電気機関車HGe 4/4 II
(右)最後尾はシュパーツ似の制御客車
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Sバーンで運用されるABe130形シュパーツ

始発駅ルツェルンから分岐駅ヘルギスヴィールに至るブリューニック線との共用区間は、同線の項(下注)で記したので、ここではその先、LSE線の単独区間について見ていこう。

*注 「ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)」参照。

ヘルギスヴィール駅南端で、複線のように見える二つのトンネルのうち、左側がLSE線のロッパー第2トンネル Lopper II tunnel だ。長さは1743mあり、内部で大きく左にカーブした後、ロッパー尾根を西から東へ貫いていく。闇を抜けるとフィーアヴァルトシュテッテン湖とアルプナッハ湖の間の水路があり、アッハーエック橋梁 Achereggbrücke でこれを渡る(下注)。

*注 アッハーエック Acheregg は、この水路に面したロッパー尾根の先端(岬)の地名。

長さ200mのこの橋は、左を並走する州道と一体の構造になっている。一方、右側にある4車線道は、ゴットハルト峠を越えてイタリアへ向かうアウトバーンA2、通称ゴットハルトルート Gotthardroute だ。スイスを南北に縦断する幹線道路なので、通行量が格段に多い。このように両側を道路に挟まれているため、景勝地にもかかわらず、列車からの眺めが単独橋ほどクリアでないのが惜しいところだ。

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(左)ヘルギスヴィール駅
(右)アッハーエック橋梁を渡る
 

橋を渡り終えると、左にLSE線の車両基地が見え、続いてシュタンスシュタート駅に停車する。ここでSバーン同士の列車交換がある。駅はヘルギスヴィール延伸の際、線路とともにここへ移設された。港の前にあった旧駅は、駅舎だけが今も残っている(下の写真参照)が、そこに至る線路敷は宅地や耕地に転用されてまったく跡をとどめない。

秀峰シュタンザーホルン Stanserhorn を右前方に仰ぎながら、A2道の上を斜めに跨ぎ越す。やがて周りは牧草地から市街地に変わり、中間の主要駅シュタンスに着く。主要駅といっても2面2線のごくふつうの構内で、この駅止まりのSバーンは、折り返しの発車までしばらく2番線で待機となる。

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(左)シュタンスシュタート車両基地をかすめる
(右)シュタンス駅
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港の前に残るシュタンスシュタート旧駅舎(2006年)
Photo by Gestumblindi at wikimedia. License: public domain
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シュタンスシュタート周辺の1:50000地形図
(左)1958年、起点はシュタンスシュタート港の前
(右)2024年、ヘルギスヴィール延伸後
© 2025 swisstopo
 

前身の路面軌道が連絡していたというシュタンザーホルン鉄道 Stanserhorn-Bahn (SthB) の駅へ行ってみた。標高1898mの山頂を目指すケーブルカーで、山麓駅へは歩いて3~4分、民族衣装のような美しいデザインの木造駅舎が迎えてくれる。

かつてこの鉄道は山頂までケーブルカーを3本乗り継いでいく方式だった。しかし山頂駅が火災で全焼したのを契機に、1975年に上部の2本が、近代的な1本のロープウェーに置換えられた。麓側の1本だけが、今もノスタルジックな木造車体のケーブルカーで運行されている。

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シュタンザーホルン鉄道
(左)山麓駅舎(右)第1区間のノスタルジックな車両
 

本題に戻ると、シュタンスの先は谷が狭まり、行く手に万年雪を戴く岩山が見え隠れするようになる。次のダレンヴィール Dallenwil では、急行どうしが列車交換する。ヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen が山麓最後の町で、1時間に1本あるSバーンもここが終点だ。

州道とともに谷をさらに南下して、棒線駅でリクエストストップのグラーフェンオルト Grafenort を通過。そこから1.6km進んだ地点で、列車は速度を落とし、エンゲルベルクトンネル Engelberg-Tunnel に吸い込まれていく。長さ4043mの長大トンネルで、内部の大半にリッゲンバッハ式のラックレールが敷かれ(下注)、105‰の勾配で396mの標高差を上っている。通常ダイヤでは列車交換はないが、待避線も内部に2か所ある。

*注 ラック区間の延長は3797m。

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(左)深まる谷、ハペレンドルフ Chappelendorf の教会
(右)新トンネル上部出口から見える旧線跡
 

トンネルは2010年12月の供用開始で、まだ新しいものだ。2001年に着工されたものの難工事で、完成までに9年の歳月を費やした。しかしこれによって、ルツェルン~エンゲルベルク間の所要時間は14分も短縮されて47分になり(下注)、連結両数が厳しく制限されていた旧線に比べて輸送能力も倍増した。

*注 現在、日中のIRの所要時間は、エンゲルベルク行きが43分、ルツェルン行きは47分。

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ラック区間周辺の1:50000地形図
(上)1998年、旧線時代 (下)2024年、新トンネル開通後
© 2025 swisstopo
 

旧線時代のラック区間はより短く、その分坂道は険しかった。現トンネル入口からさらに2kmほど谷を遡ったオーバーマット発電所 Kraftwerk Obermatt の前に、起点となるオーバーマット駅があり、そこから最大246‰の急勾配で一気に高度を稼いでいた。ラック区間の終点は1.6km先の、地形図に Ghärst(ゲルスト)の注記がある地点だ。

三相交流の時代に、補機として使われたラック専用機関車HGe 2/2が、スイス交通博物館に保存されている。最盛期にはこの区間に同型機が4両配置されていたという。電車は、上り坂では機関車に後ろから押され、下り坂では前置された機関車をストッパーにして降りていた。時速はわずか5kmだった。

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(左)三相交流用の集電器を載せるラック機関車HGe 2/2
(右)製造所銘板
  スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
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(左)ラック区間で電車を押すHGe 2/2
(右)オーバーマット駅のラック起点
上記車両の説明板を撮影
 

1964年の交流電化後はBDeh 4/4(BDeh140)形電車が導入されたが、これとてラック区間では2~3両しか連結できず、速度も14.5km/hに抑えられていた。繁忙期に走る長い編成の車両は、麓の駅で許容の両数に分割して、山上へ送られた。

勾配を緩和したトンネル新線の完成で、ブリューニック線で急行を率いていたHGe 4/4 II機関車が運用できるようになり、今は機関車を含め最大8両(最後尾は制御客車)でこの坂道を上り下りしている。

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旧線オーバーマット駅での列車交換(2007年)
Photo by Reinhard Kraasch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 DE
 

10分ほどでエンゲルベルクトンネルを抜けると、標高はもう1000mに近い。水力発電用の貯水池オイゲニ湖 Eugenisee の小さな水面を右に見ながら、列車は市街地に入る。

エンゲルベルク駅は2面3線の頭端駅だ。3階建ての駅舎はありきたりの近代建築だが、2015年の改修でホームの上屋が延長され、編成全体をカバーできるようになった。乗客を降ろした後、急行はここに9分滞在するだけで、慌しくルツェルンに向けて折り返していく。

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エンゲルベルク駅
(左)長い上屋のついたホーム (右)駅舎正面
 

(2006年6月29日付「スイス・エンゲルベルク線(LSE)のバイパストンネル」を全面改稿)

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

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2025年11月25日 (火)

ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)

ツェントラール鉄道ブリューニック線 ZB Brünigbahn

ルツェルン Luzern~マイリンゲン Meiringen~インターラーケン・オスト Interlaken Ost 間 73.92km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化
リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配128‰
1888~1916年開通、1941~1942年電化

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ルンゲルン湖畔を行くブリューニック線電車

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スイスを訪れる観光客に人気の鉄道ルートの一つに、ゴールデンパスライン GoldenPassLine がある。モントルー Montreux、インターラーケン Interlaken、ルツェルン Luzern という、スイス中央部の観光拠点都市を結ぶ東西198kmの列車サービスだ。乗り通すと5時間以上かかる(下注)が、沿線には、谷氷河の忘れ形見である大小の湖が点在し、車窓の眺めは折り紙付きだ。

*注 直通列車はなく、インターラーケン・オストで乗換が必要。

ルートは複数の鉄道路線から成り立っているが、このうち、東側のインターラーケン・オスト(東駅)Interlaken Ost~ルツェルン間73.9kmは、越える峠の名を取ってブリューニック線 Brünigbahn(下注)と呼ばれる。長い間、スイス連邦鉄道(国鉄、以下SBB)で唯一のメーターゲージ路線だったが、2005年に、新設のツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn(略称ZB)に移管された。

*注 Brünigの "ig" の音写は、スイス標準ドイツ語の発音に従い、イッヒ[iç] ではなくイック[ik] とした。

風景への定評はもとより、ラックレールを使う急坂区間や列車の進行方向が変わるスイッチバック駅があって、鉄道として見てもおもしろい。今回は、このユニークな路線を訪ねてみよう。

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ツェントラール鉄道と周辺路線図

ブリューニック線の歴史は、アルプナッハシュタート Alpnachstad とブリエンツ Brienz の間44.6kmが、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura-Bern-Luzern-Bahn の手で1888年6月に開業したときに始まる。同 鉄道にとって初めてのメーターゲージ路線だった。

起点がアルプナッハ湖 Alpnachersee、終点がブリエンツ湖 Brienzersee と、どちらも湖畔にあったのは偶然ではなく、駅前の港で湖を渡る蒸気船に連絡するためだ。東海道本線(もとは中山道幹線)の琵琶湖に沿う区間がそうであったように、初期の鉄道は航路との間で輸送機関の役割を相互に補完していたのだ。

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ルツェルン駅前の旧駅記念ファサード
 

船でつないだ残り区間のうち、東側のルツェルン~アルプナッハシュタート間13.0kmはこのときすでに工事中で、翌1889年に開通した。方や、西側のブリエンツ~インターラーケン間は長らく未完で、インターラーケン・オストまで延伸されて他線と接続されたのは、ずっと遅れて1916年のことだ。

ブリューニック線は、すでに1890年から大手私鉄のジュラ・シンプロン鉄道 Jura-Simplon-Bahn (JS) の広範な路線網に組み込まれていたが、1903年の国有化でSBBの運営下に入る。以来、標準軌にして運用を他線と共通化する計画が立てられるものの、実現することはなかった。1941~42年に実施された電化事業で、標準軌幹線と同じ交流15kV 16.7Hzが採用されたのがその名残と言えるかもしれない。

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非電化時代を支えたラック蒸機HG 3/3形
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
 

1964年には、山岳リゾートのエンゲルベルク Engelberg に通じるルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSE、下注1)の列車の乗入れが始まる。これもメーターゲージだが、それまでフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee(下注2)の港があるシュタンスシュタート Stansstad を起点にする孤立路線だった。これをブリューニック線のヘルギスヴィール Hergiswil 駅まで延伸したことで、同線を介して列車がルツェルンまで直通できるようになった。

*注1 鉄道の詳細は「ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線」参照。
*注2 原語は四つの森林州の湖を意味するが、英語では Lake Lucerne、日本語でもルツェルン湖と呼ばれることが多い。

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LSE線が分岐するヘルギスヴィール駅
 

LSEによる片乗入れは半世紀続いたが、2005年1月1日に組織的に解消する。冒頭にも記したように、ブリューニック線がSBBから分離され、LSE 改めツェントラール鉄道に移管されたからだ(下注)。メーターゲージで、一部にラック区間という共通の特色を持つ2路線がツェントラール鉄道1社にまとめられたことで、より効率的な運営が可能になった。

*注 SBBが所有していたブリューニック線の車両や施設をツェントラール鉄道の株式と交換したことにより、SBBは同社の筆頭株主(出資比率66%)になっている。

なお、2021年からは、マイリンゲン Meiringen で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn も同社に加わり、地域の路線網の一体化がさらに進んでいる。

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開業125周年記念パネル
インターラーケン・オスト駅で2013年撮影

ブリューニック線の運行ダイヤをルツェルン方で見ると、ギースヴィール Giswil までの近郊区間各駅に停まっていくSバーンS5系統(下注1)と、インターラーケン・オストまで全線を完走するルツェルン=インターラーケン急行 Luzern-Interlaken Express(列車番号の頭にPE、下注2)の2本立てになっている。

*注1 朝夕に走るザクセルン Sachseln 止まりの増発便は S55系統と称する。
*注2 PE は Panorama Express に由来する。

Sバーンは30分間隔、急行は1時間間隔で発車する。また、ヘルギスヴィールまではLSE線方面のS4系統も同じ線路を通るので、この間の各駅では都合15分ごとにSバーンの乗車機会がある。

インターラーケン方でも、マイリンゲン~インターラーケン・オスト間に、レギオナル Regional(普通列車)が60分間隔で運行されていて、急行との2本立てだ。急行列車は、主要駅間の速達便であるとともに、こうした近郊列車が走らないギースヴィール~マイリンゲン間、すなわち峠越え区間の各駅にサービスを提供している。

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ルツェルン駅発車案内
ツェントラール鉄道の列車は12~15番に
 

現在、ブリューニック線の主力車両は、シュタッドラー・レール社製の連接電車だ。普通列車の大半が、フィンク FINK と呼ばれる ABeh160形3車体連接車と、同じような3両編成でシュパーツ SPATZ と呼ばれる ABe130形で運行されている。

前者は2012年に走り始めたラック対応の新型車で、天井の左右にパノラマウィンドーと称する切り欠き窓がついている。後者は一世代前の車両だが、ラック非対応のため、峠越えはできない。また、パノラマウィンドーの中間車両に乗降扉がないのも特徴で、居住性はいいが、乗降に時間がかかるのが難点だ。

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(左)ABeh160形フィンク(2025年)
Photo by Moliva at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ABe130形シュパーツ(2018年)
Photo by Andrewrabbott at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

他方、急行列車には、アドラー ADLER(下注)と呼ばれる ABeh150形が主に使われる。これはフィンク仕様の3車体連接車2本の中間にビストロカーを挟んだもので、計7車体、全長は126mになる。多客期には、これにフィンクを増結した10車体の長大編成で走ることが多い。

*注 車両の愛称は、性能の形容語の頭字と鳥の名(ドイツ語でフィンクは花鶏(あとり)、シュパーツは雀、アドラーは鷲)を掛けたもの。

それに対して、かつて峠越えの急行列車を牽引していたラック対応の電気機関車を見かける機会は少なくなった。現在は、主にLSE線のインターレギオ(IR、快速列車)のプッシュプル運転に携わるほか、一部はインターラーケン方のレギオナルにも使われているようだ。

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ABeh150形アドラー(2014年)
Photo by Heitersberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ラック対応機関車HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く普通列車
マイリンゲンにて

では、ルツェルンからインターラーケンに向けて、急行列車でブリューニック線のルートを追っていこう。

起点のSBBルツェルン駅は、計16線を擁する頭端式の大きな駅だ。正面から見て左側の2本のホーム、12番線から15番線にツェントラール鉄道の列車が発着する。1時間当たりSバーン4本と急行系2本、計6本がそれぞれ折返し運転するので、列車が常時1~2本はホームにいる印象だ。たまにいなくなっても、すぐに次の列車が入ってくる。

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ルツェルン駅のツェントラール鉄道線ホーム
 

列車は標準軌線と並んで駅を出るが、あちらはすぐに右へ離れていく。管制センターや車庫の建物を横目に見ながら、まもなく長さ1325mのアルメントトンネル Allmendtunnel に入る。2012年に完成した地下の新ルートだ。以前は北西側の地上を通っていたが、スポーツ施設や見本市会場のあるアルメント Allmend 地区の直下に移設され、最寄りの地下駅ルツェルン・アルメント/メッセ Luzern Allmend/Messe も新設された。旧線跡は自転車・歩行者道になっている。

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アルメント/メッセ周辺の1:50000地形図
(左)2007年 地上を通っていた時代
(右)2024年 地下に移設して複線化
© 2025 swisstopo
 

再び地上に上がってからも、複線で市街地の中を進んでいく(下注)。ホルフ Horw 駅を過ぎると、左手にフィーアヴァルトシュテッテン湖の水面が顔を見せるが、またすぐにトンネルで視界が閉ざされる。複線区間は、そのトンネルを出たヘルギスヴィール・マット Hergiswil Matt までだ。次のヘルギスヴィールとの間は1.4kmに過ぎないが、列車密度が変わらないのに単線で、運行上のネックとされる。地下を通して複線化する計画があるようだが…。

*注 アルメントトンネル手前からホルフ駅手前までは、標準軌の貨物列車を通すために、複線の片側が3線軌条になっている。またホルフ駅南方には標準軌貨物線がメーターゲージの本線を斜め横断する個所がある。

ヘルギスヴィールでは、エンゲルベルク方面のLSE線が分岐している。駅構内の南端で二つ並んだトンネルポータルの、右がブリューニック線、左がLSE線だ。トンネルは、ピラトゥス山 Pilatus から湖に大きく突き出したロッパー尾根 Lopper を貫いている。

闇を抜けたとたん、左車窓いっぱいに青い湖面が広がった。フィーアヴァルトシュテッテン湖と水路でつながっているアルプナッハ湖だ。まもなく横置きの珍しいロッハー式ラックで知られるピラトゥス鉄道 Pitlatusbahn との乗換駅、アルプナッハシュタートを通過する。

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(左)ヘルギスヴィール駅
(右)構内南端に2本のトンネルが見える
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ザルネン湖の水面
 

最初の停車駅ザルネン Sarnen を出ると、今度は右手に、ザルネン湖 Sarnersee のおだやかな水面が続く。次のザクセルン Sachseln で対向の急行と列車交換があった。

湖を後にしてギースヴィールに停車。ここはSバーンS5系統の終点で、峠越えを控えた麓の駅でもある。拠点駅らしく構内には3面5線と、外側に機回し用側線の計6線が並んでいる。構内の端から、さっそく最初のラック区間が始まる。ラックは梯子状のリッゲンバッハ式で、延長2.4km。102‰の勾配で約210mの高度を稼ぐ。

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(左)Sバーンの終点ギースヴィール駅
(右)構内終端から始まるラック区間
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ラック区間からギースヴィールの眺め
 

カイザーシュトゥール Kaiserstuhl 駅の手前で粘着式に戻ると、右車窓にルンゲルン湖 Lungerersee が見えてくる。沿線で最も上流にあるこの湖は標高687m、ターコイズブルーの湖面と周りの集落や牧草地、山並みが織りなす美しい景色で有名だ。ルンゲルン駅から第2のラック区間(延長1.7km、最急勾配105‰)に入り、列車が高みに上っていくと、絶景度がさらに増す。

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ルンゲルン湖畔は沿線きっての撮影地
 

短いトンネルの後の粘着区間にあるヘッペリ Chäppeli 信号場で、また急行列車と行き違った。すぐに第3の、かつ上り坂では最後のラック区間(延長1.2km、最急勾配110‰)が現れ、これを上りきるとブリューニック峠だ。峠の駅ブリューニック・ハスリベルク Brünig-Hasliberg に停車。標高は1002mあり、ルツェルンから560m以上上ってきたことになる。

駅を出てすぐの道路下で、第4の、今度は下り坂のラック区間が始まる。標高595mのマイリンゲンまで、高度にして400m以上を一気に降りていく。ラックの延長は3.9km、勾配も一番険しい128‰になる。右手にはアーレ川の深いU字谷が横たわっているはずだが、針葉樹の森に阻まれて、視界がほとんど開けないまま、牧草地の谷底まで降りきってしまう。

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峠の駅ブリューニック・ハスリベルク
 

マイリンゲンは、列車の進行方向が変わるスイッチバック駅だ。それで両方向とも6分の停車時間が確保されている。この駅で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン線(下注)の列車が、隣のホームの前方に見えるかもしれない。同じメーターゲージで線路はつながっているが、電化方式が異なるため、車両運用は完全に分離されている。

*注 マイリンゲン=インナートキルヘン線の詳細については、「マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ」参照。

再び発車すると、流路改修で直線化されたアーレ川に沿って、軽快なスピードで走っていく。途中のブリエンツヴィーラー Brienzwiler 駅を含む長い待避線で、急行列車と3度目で最後の行き違いをした。

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(左)マイリンゲン駅正面
(右)ブリューニック線は頭端式ホーム
 

左手に大きな湖が見えてきたら、まもなくブリエンツ駅だ。開業から28年間、終点だった駅で、すぐそばの船着き場からブリエンツ湖を渡ってインターラーケンまで蒸気船が連絡していた。船着き場には今でもクルーズ船が発着していて、対岸にある名瀑ギースバッハ Giessbach や、桟橋の絶景で知られるイゼルトヴァルト Iseltwald にも寄港するので人気が高い。

連邦道を渡った山手の駅では、ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn(BRB、下注)の登山列車が待っている。電化率ほぼ100%と言われるスイスの鉄道網で、蒸気運転を保存している貴重な鉄道の一つだ。アルプスの展望台である標高2350mのブリエンツァー・ロートホルン Brienzer Rothorn を目指す観光客が、ホームからぞろぞろとそちらに向かうのが見える。

*注 ブリエンツ・ロートホルン鉄道の詳細については、「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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湖に面したブリエンツ駅ホーム(以下は2013年撮影)
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(左)ブリエンツ駅舎
(右)駅前の船着き場
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ブリエンツ周辺の地形図
(上)1:50000、1912年、ブリエンツ終点時代
(下)1:25000、2024年
© 2025 swisstopo
 

駅の東側にはブリエンツの町が広がっているため、ブリューニック線はその地下を長さ895mのブリエンツドルフ(村)トンネル Brienzdorftunnel で抜けていく。湖は東西の長さが14kmほどあり、列車はその北岸を忠実にたどる。それでインターラーケンまでの約20分間、アルプスの山並みと広がる湖面が左車窓の友になる。ルンゲルン付近と並ぶ列車の好撮影地だ。

最後に、湖から流れ出るアーレ川をトラスの鉄橋で渡ると、終点駅のヤードが見えてくる。ベーニゲン Bönigen の整備工場へ行く引込線(下注)をまたいで、列車はインターラーケン・オスト駅の4番線に到着する。

*注 トゥーン湖とブリエンツ湖の間で1874年に全通したベーデリ鉄道 Bödelibahn の名残。

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車窓から見るブリエンツ湖
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(左)インターラーケン・オスト駅舎
(右)マイリンゲン行普通列車が停車中
 

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
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2025年10月25日 (土)

新線試乗記-広島電鉄「駅前大橋ルート」

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駅ビル2階に移設された広電の新ホーム
 

いつも使う山陽新幹線とは違って、今回、広島市街地へのアプローチは海上からだった。所用があった四国の松山から、瀬戸内海汽船の新型フェリーで宇品(うじな)の広島港に着いた。港のターミナルビルのすぐ前に広島電鉄の電停がある。5号線(下注)の電車に乗れば、広島駅まで30分ほどだ。

*注 路線名とは別に、各運行系統を「~号線」と呼んでいる。5号線は比治山下経由で広島駅と広島港を結ぶ。

乗り込んだ電車はまもなく臨港地区を後にして、宇品本通を一路北上していく。紙屋町(かみやちょう)方面の線路が分岐する皆実町(みなみまち)六丁目を通過し、比治山下(ひじやました)までは何度か通ったことがある。

だが、その先の比治山町交差点からは、初めて乗る区間だ。従来はそのまま直進して大正橋の手前で左折、次の荒神橋(こうじんばし)のたもとで本線に合流していた。今回のルート変更で、交差点を左折した後、松川町で駅前通りに入り、稲荷町で本線と接続するようになった(下図参照)。

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広島港ターミナルビル前の電停(2012年)
Photo by iloverjoa at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

広島電鉄、通称 広電(ひろでん)は、広島市街地と西郊に約35kmにも及ぶ路線網を拡げている。2025年8月3日、このうち最も東の広島駅周辺で、運行ルートに大きな変化があった。

一つは、広島駅ビルの改築に合わせて、電車のターミナルが地上の駅前から2階駅ナカに移転したことだ。これにより、以前から2階にあったJR新幹線・在来線の改札との間で、平面での乗換えが実現した。距離も近くなり、70秒で移動できるそうだ(下注)。

*注 記載した時短効果は、下記特設サイトによる。

同時に、広島駅~稲荷町(いなりまち)電停間で、荒神橋を経由していた旧 本線をショートカットする新線「駅前大橋ルート」が開業した。これにより、到達時間が約4分短縮された。さらに、5号線の電車が通る皆実(みなみ)線もそれに接続するため、先述のとおり、松川町(まつかわちょう)経由に切り換えられたのだ。

■参考サイト
駅前大橋ルート周辺の1:25,000地形図
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.392600/132.471800/

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新旧ルート図
「駅前大橋ルート開業」特設サイトから引用 © Hiroshima Electric Railway Co.,Ltd.
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車両正面の記念プレート
 

さて、駅に向かう車内で興味津々、前方を注視していると、真新しい複線の軌道が道路の中央に延びている。しかしその敷地は、交差点を除いてまだ砂利がむき出しだ。訪れたのは10月中旬で、開業から2か月以上経過しているが、仕上げ工事はこれからのようだ。

松川町交差点の前後には、同名の電停が新設された。そして、緑の街路樹が取り払われ、殺風景になった幅広の駅前通りを200m進むと、もう稲荷町交差点だ。本線が左から合流してくる。広島駅方面の停留所は交差点の手前(南側)にあり、そこで長い信号待ちをした。

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まだ砂利敷きの軌道
(左)比治山下~松川町間 (右)稲荷町電停
 

この間に、降車の際の運賃の決済方法について車内アナウンスが流れた。広島のご当地ICカードPASPY(パスピー)が廃止され、MOBIRY DAYS(モビリーデイズ)というQRコードのシステムが導入されたのは、今年3月下旬のことだ。ICOCAなど全国交通系ICカードも引き続き使えるが、読み取り機が別で、降車口も限定されている(下注)。

*注 降車は、MOBIRY DAYSなら全扉で可能だが、交通系ICカードは乗務員がいる扉のみ。ただし、広島駅では混雑緩和のため、ホームでも係員が降車処理をしている。

アナウンスの終了を見計らったように、タイミングよく信号が青に変わった。車道を横断すると、正面に壁のようにそびえる駅ビルが見えてくる。再び「砂利道」を進み、上り坂で駅前大橋にさしかかった。橋の縦断面が太鼓状なので、電車は急な勾配を感じさせることなく2階のレベルに上がっていく。駅前交差点の直上にあるシーサスクロッシングで右に転線し、最も東側のAホーム前に静かに到着した。

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駅前大橋南詰から稲荷町交差点を望む
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(左)駅前通りの奥に駅ビルが
(右)駅手前のシーサスクロッシング
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広島駅ホームを3階から俯瞰
 

降りてみて改めて、周りに広がる吹き抜けの大空間に目を見張る。複数の軌道が整然と並んでいて、地上時代の狭苦しい直列型ターミナルを思い返せば、まるで別世界だ。新しい駅ビルの中に路面電車のターミナルを収容するのは富山駅の前例があるが(下注)、電車が上の階に飛び込んでくるという点ではモノレールの小倉駅にもどこか似ている。

*注 ただし、路面軌道の富山駅は通過型で、南北に路線が延びる。詳細は「ライトレールの風景-富山地方鉄道軌道線」参照。

しかし、そのどちらともかけ離れているのは、扱う便数に応じた駅の規模だろう。新しい構内は4面4線を擁し、東側からAホーム、同 降車ホーム、Bホームとその先端を切り欠いたCホーム、Dホーム、同 降車ホームの順に並ぶ。いうまでもなく路面電車の駅としては日本最大だ。

このうちAホームは5号線(広島駅~比治山下~広島港)、Cは短編成で運用される6号線(広島駅~江波)、Bは2号線(広島駅~広電西広島~宮島口)、Dは1号線(広島駅~紙屋町東~広島港)の電車が発着する。ただし、運行状況によってホームが変更になる場合がある。

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2階フロア案内図
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(左)にわか雨の中を出入りする電車
(右)日中でも長い待ち行列が
 

時刻は13時を回ったところだが、昼間でも電車が数分おきに出入りするし、JR改札や駅北口(新幹線口)に直結するフロアには人がひっきりなしに行き交っている。特にDホームの前には次の電車を待つ長い列ができているから、通勤通学の時間帯は推して知るべしだ。

今日は昼前から雲が厚みを増していき、午後はにわか雨に見舞われた。こういうときこそ、屋根に覆われたホームはありがたい。地上ホーム時代にも通路屋根はあったが、狭くて朝夕の混雑時に人波が収まりきらなかった。

ちなみに3階に上がると、構内全体を俯瞰することができる。左右両側に休憩スペースが設けられているので、電車の発着シーンをじっくり観察することも可能だ。しかし、無作法な撮り鉄を警戒してか、フェンス間際までは近寄れないようにしてあった。

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稲荷町交差点のダイヤモンドクロッシングを通過
 

この後は駅前通りを稲荷町まで移動して、旧線跡の現状を見に行った。稲荷町から東進していた旧線のうち、荒神橋手前の旧 的場町(まとばちょう)電停までの約300mは、皆実線の旧線区間とともに、来春開業予定の循環線のルート(下注)として再利用される。

*注 循環線は、紙屋町東~市役所前~皆実町六丁目~比治山下~的場町~紙屋町東の環状ルートが予定されている。

そのため、稲荷町交差点には、高知のはりまや交差点や松山の大手町で見られるようなダイヤモンドクロッシングが設置された。また北西側には複線の渡り線が付属していて、これが本線ルートになる。循環線転用区間をざっと眺めたところ、停留所設置工事のために一部で軌道が撤去されているほかは、石畳の軌道がまだ手つかずだった。

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(左)循環線に転用予定の旧本線、あけぼの通りにて
(右)的場町電停は改築中
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(左)的場交差点で本線に合流していた軌道跡
(右)荒神橋~広島駅前間はまだ軌道が残る
 

これに対して荒神橋以北は、今回のルート切換えに伴い、廃線となる。本線に皆実線が合流していた橋の西詰ではすでに軌道が消え、跡を埋めたアスファルト舗装の真新しさが目立っている。

橋を渡り終えると旧線はすぐに左折して、駅に向かい、中間に旧 西国街道の橋の名に基づく猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停があった。この荒神橋から駅前東交差点に至る軌道はまだそのまま残っている。しかし、バリケードに囲まれて生気がなく、朝夕、駅への入線を待つ電車がこの通りで数珠つなぎになっていた記憶はすっかり過去のものになった。

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荒神三差路から広島駅方向を望む
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広島駅前
手前が地上駅時代の進入路、奥に「駅前大橋ルート」の高架が見える

ご参考までに、旧線時代の写真を以下に掲げておこう。

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荒神橋を渡る650形「被爆電車」(2015年撮影、以下同じ)
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駅入線待ちの渋滞
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人一人立つ幅しかなかった猿猴橋町電停
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広島駅を出る5000形グリーンムーバー
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パズルのような出入りを強いられた旧 広電広島駅
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旧駅時代の構内図(2022年撮影)
 

■参考サイト
広島電鉄 https://www.hiroden.co.jp/
同「駅前大橋ルート開業」特設サイト https://www.hiroden-hiroshima-st.jp/

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2025年10月 9日 (木)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に引き続き、イタリアの保存鉄道・観光鉄道から注目路線をピックアップしたい。

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ミラノ市内線19系統を走る1500形(2022年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

路面軌道では、低床の連節車両に主役の座を譲りつつも、旧型トラムの姿がいまだ見られる町が北部にいくつかある。

項番1 トリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina

トリエステ Trieste は北イタリアの東端、アドリア海の湾入に面した港町だ。かつてはトラムが市街地を縦横に走っていたが、1970年までに廃止されてしまい、唯一残っているのがトリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina だ。メーターゲージの路線で、1935~42年製の古参トラムが改修を受けながら今も主役を務めている。

トラムは市内のピアッツァ・オベルダン(オベルダン広場)Piazza Oberdan から、町の背後に迫る斜面を上って、カルスト台地の上にあるヴィッラ・オピチーナ(オピチーナ町)Villa Opicina まで行く。全線5.2kmの中で名物になっているのが、長さ約800m、勾配260‰の鋼索線(ケーブルカー)区間だ。

もとよりトラムがケーブルカーに変身するわけではなく、ケーブルに接続された台車(スピントーレ spintore、すなわち押し車)で後ろから押してもらって坂を上る仕組みだ。トラムと台車は連結されておらず、重力で接触しているだけなので、坂上の終点まで来ると、トラムは再始動して自力で離れていく。

補助を要する急坂はここまでだが、その後も上り勾配はしばらく続き、最後に傍らにオベリスクが立つ地形上のサミットを通過する。標高343mの台地のへりで、トリエステの町と港が一望になる車窓きってのビューポイントだ。

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オベルダン広場の起点駅(2008年)
Photo by Orlovic at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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鋼索線でトラムを押す台車(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ミラノ市電1500形 Tranvia di Milano, Serie 1500

イタリアの都市で19世紀以来、市内の路面軌道が存続してきたのは、開業順にトリノ、ナポリ、ローマ、そしてミラノの4都市だ(下注)。導入こそ最も遅かったが、ATM(ミラノ交通公社 Azienda Trasporti Milanesi)が運行するミラノの軌道網は今や17路線、延長160km近くあり、世界的にも最大級とされる。

*注 トリノが1871年、ナポリが1876年、ローマが1877年、ミラノが1881年で、いずれも馬車軌道から始まった。

ミラノの市内電車で興味深いのは、これだけではない。モダンな連節低床トラムに混じって、昔懐かしいヴィンテージ車両が多数現役で運用されているのだ。1927~30年製の1500形で、初めて供用された1928年にちなんで、イタリア語で28を意味するヴェントット Ventotto の愛称で呼ばれる。

502両製造されたうち、150両ほどが今も稼働可能で、ヨーロッパ最古の定期運行トラムだそうだ(下注)。1970年代からオレンジ1色に塗られていたのでそのイメージが強いが、最近はオリジナル色であるベージュと黄色のツートンに塗り替えが進んでいる。

*注 リスボン市電のレモデラードス(改修車)Remodelados も有名だが、オリジナルは1932年以降の製造。

観光用の特別系統なら後述するトリノなどにもあるが、一般路線、かつ通常の運賃制度の範囲内で乗れるというのは珍しいのではないか。もちろんこれは、財政事情で新旧交代が進まないからではなく、街の景観に溶け込んだシンボル的存在として、積極的に動態保存されてきたのだ。ただし、近年の車両に比べて収容力が小さいので、比較的混んでいない系統(1、5、10、19、33系統)で運用されているという。

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スカラ座前の1500形(2022年)
Photo by dconvertini at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番12 トリノ市電7系統 Tranvia di Torino, Linea 7

北イタリア西部、ピエモンテ州の州都トリノ Torino の路線網は現在88.5kmに達する。運行系統は全部で10あるが、その中に、観光用の7系統 Linea 7 が含まれる。非営利団体のトリノ歴史路面電車協会 Associazione Torinese Tram Storici (ATTS) の協力により、1930~50年代の旧型車両だけで維持されている特別系統だ。週末と祝日に1時間間隔で運行され、市内中心部(チェントロ Centro)を時計回りに一周する6.9kmのルートを走る。

カステッロ広場 Piazza Castello の電停を出発したトラムは、ポー川沿いや並木道のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り Corso Vittorio Emanuele II、中央駅ポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova の前などを経由して、41分で起点に戻ってくる。通常運賃で乗車でき、居ながらにして街を巡れる手軽な観光ツールだ。

時間に余裕があるなら、一般運行の15系統に乗換えて、ポー川の対岸サッシ Sassi へ足を延ばすのもいいだろう。サッシ=スペルガ軌道  Tranvia Sassi-Superga(項番13)のラック電車が、スペルガ宮殿 Basilica di Superga がそびえる見晴らしのいい丘の上まで連れて行ってくれる。

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カステッロ広場の7系統(2006年)
Photo by Aleanz at wikimedia. License: public domain
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サッシ=スペルガ軌道の起点サッシ駅(2014年)
Photo by Incola at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

このほか、ローマ市内でも、古典車両で運行される観光系統「7系統 アルケオトラム Archeotram」の開業が予定されている。走行ルートは既存の軌道で、ピラミデ Piramide 駅前からコロッセオ Colosseo、ポルタ・マッジョーレ Porta Maggiore などの名所を経てテルミニ Termini 駅前で折り返すというものだ。

廃止済みの路線も興味深いものが目白押しなので、リストに含めておいた。もはや乗車することは叶わないが、存続していたら観光鉄道として人気を博していたかもしれない。

項番3 ドロミーティ鉄道 Dolomitenbahn/Ferrovia delle Dolomiti

ドロミーティ鉄道は、来年(2026年)冬期オリンピックが開催される北東部のリゾート地区、コルティーナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo を通っていた950mm軌間の電気鉄道だ。FS線に接続するカラルツォ・ディ・カドーレ Calalzo di Cadore から同じくトーブラッハ/ドッビアーコ Toblach/Dobbiaco まで南北64.9kmを走っていた。

ドロミーティはまた、天にそそり立つ奇峰群の景観でも有名だ。鉄道は谷間から峠に向けてしだいに高度を上げていき、車窓には樹林の間から雄大な山岳パノラマの絶景が広がった。観光路線と目されていたのはもちろん、前回1956年の五輪開催時にはまだ現役だったので、客車が増備され、選手・関係者や観衆の輸送にも奔走したそうだ。

しかし、老朽化に伴い1964年に廃止となり、役割を路線バスに譲った。今は全線が「ドロミーティの長い道 Lunga via delle Dolomiti」と呼ばれる長距離自転車道になっている。

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サン・ヴィート・ディ・カドーレ San Vito di Cadore 付近の
廃線跡自転車道(2023年)
Photo by Giorgio Galeotti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番19 リミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino

同じく950mm軌間の電化路線で、アドリア海岸の町リミニ Rimini と、イタリアの中の独立国(包領 Enclave)サンマリノ San Marino の間31.5kmを結んでいたのが、国鉄リミニ=サンマリノ線だ。終点サンマリノ・チッタ(市駅)San Marino Città は聳え立つ丘の上に位置し、標高は643m。それでもラックレールには頼らず、スパイラル2回とS字ループの繰り返しで最後まで上りきるという、タフな登山路線だった。

1932年に開通したものの、第二次世界大戦で施設が破壊されて運休となり、結局そのまま廃止されてしまう。運行期間わずか12年という薄命の路線だった。その後2012年に保存団体の尽力で、オリジナルの電動車AB03と、終点近くで半回転しているモンターレトンネル Galleria Montale 前後の800m区間が復旧された。現在も年に数日、保存走行が実施されている。

*注 鉄道の詳細は「サンマリノへ行く鉄道」参照。

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復元区間に配置された電車AB03(2015年)
Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番20 スポレート=ノルチャ鉄道 Ferrovia Spoleto-Norcia

スポレート=ノルチャ鉄道は、中央アペニン山脈にあった950mm軌間、51.2kmの電気鉄道だ。ウンブリア州スポレート Spoleto の町から東へ進み、山奥の盆地にあるノルチャ Norcia という町まで走っていた。

とりわけ東隣の谷筋へ抜けるための前半区間が、スペクタクルなルートで有名だった。長さ2kmのサミットトンネルの両側に、計3回のスパイラルと、いろは坂のようなS字ルートが続く。さらに全線にわたって橋梁などの土木構造物も数多く、スイスアルプスの南北幹線になぞらえて「ウンブリアのミニ・ゴッタルド Piccolo Gottardo Umbro」の異名を取った(下注)。

*注 実際は狭軌鉄道なので、ゴッタルドよりもレーティッシュ鉄道のベルニナ線 Berninabahn に似ている。

1968年に廃止されたが、幸い、峠越えを含む前半31km区間がほぼ完全に自転車道に転用整備されたので、自力でなら今でもたどることが可能だ。また、起点のスポレート駅舎は、この狭軌鉄道を記念する博物館になっている。

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狭軌鉄道のノルチャ駅は鉄道博物館に(2022年)
Photo by Simone Pranzetti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 ヴェスヴィオ登山電車 Ferrovia Pugliano-Vesuvio, Funicolare Vesuviana

ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾に臨む標高1281mの火山だ(下注)。知られるとおり、西暦79年の噴火では麓の古代都市ポンペイとヘルクラネウムを壊滅させ、その後も大小の噴火を繰り返してきた。

*注 イタリア語ではヴェズーヴィオ Vesuvio。活動中のため、標高値には変動がある。

一般にヴェスヴィオの登山電車というと、1880年に開業したフニコラーレ・ヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ ケーブルカー) Funicolare Vesuviana のことを指す。火口縁まで上る0.8kmの鋼索線(下注)で、当時作られた軽快な歌曲「フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà」のおかげで世界的に有名になった。

*注 最初はモノレール式の小型車両で運行された(下の写真参照)が、1904年に単線交走式ケーブルカーに改築。

しかし、下部駅は山の中腹、標高753m地点に設けられていたため、そこまでは馬車で行くしかなかった。この駅と、裾野を走っている既設の路面軌道の停留所との間をつないだのが、メーターゲージ、7.7kmの電気鉄道、プリャーノ=ヴェスヴィオ鉄道 Ferrovia Pugliano-Vesuvio だ。1903年に開業したこの路線によってはじめて、ナポリ市内から火口までの鉄道網が完成した(下注)。

*注 1913年にプリャーノ Pugliano 駅まで延伸され、チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ環状)鉄道 Ferrovia Circumvesuviana との接続を果たした。下のルート図はその状況を示している。

山麓から中腹まで680mある高度差を克服するため、電気鉄道の中間部には最急勾配250‰のシュトループ式ラックレールが敷かれていた。実態としてヴェスヴィオ登山電車は、この二者一体で完結する山岳観光ルートだったのだ。

しかし、1944年に起きた激しい噴火活動により、ケーブルカーの施設は破壊され、運行不能となる(下注)。電気鉄道も一部区間で被害を受け、代替道路建設による下部区間の部分運休を経て、1955年に全線廃止となった。

*注 代替として1953年にチェアリフトが設置され、1984年まで稼働していた。

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モノレール式の初代ケーブルカー(1880~1904年)
Photo from Amsterdam Rijksmuseum collection at wikimedia. License: CC0 1.0
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ヴェスヴィオ登山電車ルート図
Image from wikimedia. License: public domain
 

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2025年10月 8日 (水)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

イタリアでは、2017年に観光鉄道 Ferrovia turistica の制度が法制化された(2017年8月9日付第128号)。その目的は、文化・景観・観光的に特に価値のある休廃止または閉鎖された鉄道路線の保護と活用で、対象には路線や駅、関連する土木構造物、付属施設が含まれる。

現在、27の路線(標準軌20、狭軌7)が選定されているが、標準軌路線は大半が国鉄線(下注)だ。一部の路線で、国鉄系のイタリアFS財団 Fondazione FS Italiane が「時を超える線路 Binari senza Tempo」の統一ブランドを掲げて観光列車を運行している。一方、狭軌線には、半島先端のカラブリア州とシチリア島、サルデーニャ島の路線が含まれる。まずはこれらの中から主なものを挙げていこう。

*注 国鉄(FS)線は上下分離政策により、FS の子会社 RFI(イタリア鉄道網公社 Rete Ferroviaria Italiana)がインフラの保有・管理を、グループ会社トレニタリア Trenitalia が列車運行をそれぞれ担っている。

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ピエトラルサ国立鉄道博物館 Museo nazionale ferroviario di Pietrarsa の
展示棟に整列する機関車群(2018年)
Photo by John Smatlak at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

項番18 トスカーナの自然列車(ヴァル・ドルチャ線)Trenonatura in Toscana (Ferrovia della Val d'Orcia)

ヴァル・ドルチャ線(オルチャ渓谷線)は、トスカーナ南部に広がる美しい丘陵地帯の一角、オルチャ渓谷 Val d'Orcia を経由するアシャーノ=モンテ・アンティーコ線 Ferrovia Asciano-Monte Antico の別称だ。

沿線人口が少ないため、1994年に旅客列車が廃止されてしまったが、地元の声を受けて1996年に観光列車「トレノナトゥーラ(自然列車)Trenonatura」が創設された。これには、近隣の人気都市シエナ Siena に集まる観光客を、まだ注目されずにいた周辺の地域へ誘い出すねらいがあった。

企画は二種類あり、一つは定期列車や別途3便設定された古典気動車をローバーチケット(一日乗車券)で自由に乗り降りするフリータイプ、もう一つは予約を要する蒸気機関車牽引の特別列車だった。これはマスコミでも報じられて評判を呼び、2000年代に一大ブームを迎えたが、2011年以降は状況が落ち着いて、後者のタイプのみの運行になっている。

今でも週末には、ピストイナ機関庫からやってきた蒸機やディーゼル機関車の先導でツアーが催行される。シエナを朝発って、モンテ・アンティーコ Monte Antico~アシャーノ Asciano 間のいずれかの駅からバスで周辺の見どころを巡り、夕方、シエナに戻るというコースだ(下注)。

*注 シエナまでの復路は、ツアーによって列車ではなくバスになる場合がある。

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トッレニエ-リ Torrenieri 南方にて(2010年)
Photo by maurizio messa at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番23 トランシベリアーナ・ディターリア(イタリアのシベリア横断鉄道)Transiberiana d'Italia

スルモーナ=イゼルニア線 Ferrovia Sulmona-Isernia は、イタリアの背骨アペニン山脈中央部の山中を走る118kmのローカル線だ。同国の標準軌鉄道網では、ブレンナー(ブレンネロ)峠 Brennerpass/Passo del Brennero に次ぐ標高1268mを通過する。冬の間、沿線は雪に覆われ、寒さが厳しいことから、路線は「イタリアのシベリア横断鉄道」の異名をもつ。

ここに観光列車が走り始めたのは2014年のことだ。マイエッラ国立公園 Parco nazionale della Maiella(下注)の区域を通っていくので「公園鉄道 Ferrovia dei Parchi」(下注)の名称がつけられた。現在はシーズンの週末に、ディーゼル機関車と古典客車の編成で運行されている。

*注 スルモナの東にあるマイエッラ山地 Montagna della Maiella を中心とする国立公園。マイエッラ山地の主峰はアペニン山脈第2の高峰、標高2793mのアマーロ山 Monte Amaro。

発地は、ローマとペスカーラ Pescara を結ぶアペニン横断幹線の中間にあるスルモーナ Sulmona だ。列車は一路南へ進み、行く手に立ちはだかるマイエッラ山地の険しい峠を越えていく。路線の終点はイゼルニアだが、そこまでは行かず、途中のいずれかの駅で周辺の観光に出かけ、夕刻にスルモーナへ戻るのが通例だ。

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カロヴィッリ Carovilli 駅付近(2012年)
Photo by Dgandrea05 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番28 シーラ列車 Treno della Sila

イタリア半島の平面形をブーツに例えると、つま先がカラブリア Calabria 州だ。その足の甲のあたり、南に膨らんでいる一帯はシーラ Sila と呼ばれ、標高1000mを越える山地と高原が広がっている。シーラ列車は、その高原地帯を走る狭軌(950mm軌間)の保存観光列車だ。

多聞に漏れずこの路線も、もとはコゼンツァ=サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線 Ferrovia Cosenza-San Giovanni in Fiore、通称シーラ鉄道 Ferrovia Silana という延長67.1kmの狭軌鉄道だった。しかし、人口希薄な地域のため輸送需要が低迷し、1997年以降、定期列車の運行が順次休止されて、観光専用になった。

シーラ列車は2016年から走り始めた。民間の協会組織が運営に携わる貴重な一例だ。シーズン中の毎土曜または日曜に、通常は蒸気機関車が古典客車を牽いている。列車はカミリャテッロ・シラーノ Camigliatello Silano ~サン・ニコーラ=シルヴァーナ・マンショ San Nicola-Silvana Mansio 間、アップダウンの多い10.8kmのルート(下注)を行く。終点は標高1404m、イタリアの鉄道が到達する最高地点になる。

*注 このほかの区間では列車運行がなく、軌道や施設は放置されている。

全線でもゆっくり走って40分ほどだ。それで、途中で山賊の列車襲撃ショーがあったり、バスに乗り換えてシーラ国立公園のスポットを巡るなど、チケットは複数のイベントを組み合わせたツアーとして販売されている。

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1919年ボルジッヒ製タンク蒸機が牽くシーラ列車(2017年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項目32~35 トレニーノ・ヴェルデ Trenino Verde

サルデーニャ島 Sardegna にも950mm軌間の路線群があり、国鉄線から離れた港や内陸の町を結んでいる。しかし、一般運行を取りやめてしまった区間も多く、そうした休止線を観光用に蘇生させる取り組みが、トレニーノ・ヴェルデ(緑の小列車)のツアー企画だ。

運行している ARST(サルデーニャ地方交通 Azienda Regionale Sarda Trasporti)のサイトによれば、2025年現在、小列車が走っているのは5路線、うち以下の4路線が休止線を活用したものだ。

・サッサリ=テンピオ=パラウ線 Ferrovia Sassari–Tempio–Palau、149.9km
・マコメル=ボーザ線 Ferrovia Macomer–Bosa、45.9km
・イジーリ=ソルゴーノ線 Ferrovia Isili–Sorgono、83.1km
・マンダス=アルバタクス線 Ferrovia Mandas–Arbatax、159.4km

総延長は400kmを優に超えるが、たとえ週に1日でも客を乗せた列車を通すには、保線作業が必要になる。そのため、実際に列車が走るのは一部区間に過ぎず、走行距離は各線とも片道40km前後だ。しかも時間的制約あるいは車両運用の関係か、復路は列車の代わりにバスを使うものさえある。

それでも、一般運行が途絶えた路線を列車で旅行できるというのは貴重だ。たとえばマンダス=アルバタクス線のツアーは、東岸アルバタクス Arbatax の港から標高550mの山上の町ラヌゼーイ Lanusei まで、列車で山腹を延々と上っていく。走行距離34.3kmは全線の2割ほどだが、その先に続く、今は通行できない山岳区間の旅がどれほどハードだったのかを想像するのに十分な体験だ。

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マンダス=アルバタクス線ラヌゼーイ駅(2015年)
Photo by Manfred Kopka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

イタリアでは、西ヨーロッパ諸国のように非営利団体が運行に携わる保存鉄道は多くない。しかし、日常輸送にいそしむ一般路線にも観光要素は多分にあり、なかでも狭軌鉄道は個性派ぞろいだ。

項番4 リッテン鉄道(レノン鉄道)Rittner Bahn/Ferrovia del Renon

アルプスの分水界ブレンナー峠から谷間を南下していくと、最初に現れる大きな町がボーツェン/ボルツァーノ Bozen/Bolzano(下注)だ。背後に横たわる標高1200m前後の高原を、メーターゲージ(1000mm軌間)のリッテン鉄道/レノン鉄道の電車が走っている。標準軌の鉄道網から離れた孤立路線で、長さも6.6kmしかない。

*注 もとオーストリア領で、今でもドイツ語話者が多いので、公共表示は両言語併記になっている。

しかし1908年の全通時はそうではなく、距離も2倍ほどあった。というもの、ボーツェン町の中心部から、ボーツェン駅前経由で直通していたからだ。山麓と高原との間の900mを超える高低差は、シュトループ式のラックレールで克服していた。ラック専用の電気機関車が坂下側について、電車を山上まで押し上げていたのだ。

市内で乗り込めば乗換えなしで高原まで行けるのだから、傍目には便利そうだが、地元では時間がかかると不評だった。老朽化が進んで改修が必要になったとき、住民はより高速なロープウェーへの切換えを望んだ。こうして市内軌道と登山区間は1966年に廃止となった。

そのロープウェーが着くオーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano 駅のホームには、シックな赤と銀を装うリッテン鉄道の小型電車が待っている。高原上は夏でも涼しい。風に揺れる牧草地と林を縫って、終点のクローベンシュタイン/コッラルボ  Klobenstein/Collalbo までは20分かからない(下注1)。

*注1 このほかボーツェン方にあるマリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta~オーバーボーツェン間も存続しているが、運行本数は1日5往復。
*注2 鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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オーヴァーボーツェン駅の古典電車2号(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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現在の主役24号電車、ヴォルフスグルーベン Wolfsgruben 駅付近(2021年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番15 ジェノヴァ=カゼッラ鉄道 Ferrovia Genova-Casella

リグリア海に臨む港町ジェノヴァ Genova からも背後に連なる山地に向けて、メーターゲージの電化路線、ジェノヴァ=カゼッラ鉄道が延びている。長さ24.3km、電車の目的地は、アペニン山脈の山中にあるカゼッラ Casella という田舎町だ。

起点ピアッツァ・マニン(マニン広場)Piazza Manin 駅は意外にも、市街地を見下ろす標高93mの丘の上にある。もちろん1929年に開業したときは、すぐ下の同名の広場に路面電車が来ていた。軌間をメーターゲージに決めた理由(下注)も、それと接続する計画があったからだ(下注)。だが夢は叶わず、そのうえ路面電車も消えた今では、客は代わりの路線バスで上ってくるしかない。

*注 イタリアの狭軌鉄道の主流は1000mmではなく、950mm軌間。

この鉄道の面白い点は、ルートが四つの谷(下注)にまたがり、そのため峠越えが3回あることだ。上っていく列車の車窓からは、林や果樹畑ごしにたなびく山並みのパノラマが見え隠れし、あたかも登山鉄道に乗車している気分になる。

*注 水系としては、リグリア海に出るビザーニョ Bisagno とポルチェヴェーラ Polcevera、アドリア海に出るスクリーヴィア Scrivia(ポー川支流)の三つ。

最後の峠が山脈の分水嶺で、その後は坂を下って、開業時の終点カゼッラ・デポジート(カゼッラ車庫)Casella Deposito 駅に達する。駅名のとおりここに車庫があるが、列車はさらにスイッチバックしてスクリーヴィア川を渡る。町の前に置かれたカゼッラ・パエーゼ(カゼッラ村)Casella Paese 駅が現在の終点だ(下注)。

*注 1953年の延伸当初、この区間は路面軌道だったが、1980年に専用線(道端軌道)化された。

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ピアッツァ・マニン駅遠望(2023年)
Photo by Al*from*Lig at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番21 ATAC ローマ=ジャルディネッティ線 Ferrovia Roma-Giardinetti

首都ローマの中央駅テルミニ Termini はイタリア最大の駅で、32番線まである。その壮大な正面口から遠く離れた右先端、郊外線(ラツィオ線 Ferrovie laziali、略称 FL)の出入口に寄り添うのが、ローマ=ジャルディネッティ線の電車が発着するささやかなターミナル、ローマ・ラツィアーリ Roma Laziali(下注)だ。

*注 ラツィアーリ Laziali は、ラツィオ(州)Lazio の、を意味する形容詞。ローマ市はラツィオ州 Regione Lazio の州都でもある。

ローマ市交通局 ATAC が運行するジャルディネッティ線は950mm軌間の電気鉄道で、ローマ近郊に残された唯一の狭軌線だ。もとは州東部で延長137kmにもなる路線網を有していたが、老朽化と利用者減少で末端側から撤退していった。

近年ではメトロC線の延伸工事に伴い、2008年に9.0km地点のジャルディネッティ Giardinetti が終点になったのだが、縮小傾向はこれで収まらない。メトロC線と重複する区間が2015年に廃止となり、鉄道はとうとう根元のローマ・ラツィアーリ~チェントチェッレ Centocelle 間 6.0kmだけになってしまった。

とはいえこの区間には、古代ローマの遺跡マッジョーレ門 Porta Maggiore を通り抜けたり、狭い敷地で上下線がガントレットになるなど、見どころが点在する。路面電車のような小型の外見とあいまって、今なお愛好家の好奇心をくすぐり続けている。

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マッジョーレ門をくぐり抜ける(2023年)
Photo by Robot8A at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 エトナ環状鉄道 Ferrovia Circumetnea

シチリア島東部にあるエトナ山 Etna は、ヨーロッパ最大級の活火山だ。標高3403m(下注)、裾野は半径20~40kmに及ぶ。火口から20km圏には集落が点在していて、エトナ環状鉄道(チルクメトナ)は、それらをつなぐように建設された。

*注 噴火等によって標高値には変動がある。

950mm軌間の非電化鉄道は、1895~98年に開通している。カターニャ・ポルト(港)Catania Porto を起点に、エトナ山を時計回りに半周して、再び沿岸のリポスト Riposto まで113.5kmの長大路線だった。裾野と一口に言っても、西側の鞍部では標高976mまで上らなくてはならず、延々と坂が続く区間が少なからずある(下注)。

*注 貨物輸送のために、最急勾配は36‰に抑えられている。

列車は、エトナ山を絶えず仰角に捉えながら、灌木林とオリーブ畑の間を進んでいく。開通以来、噴火に伴う溶岩流で四度も長期運休に見舞われたが、その都度たくましく復活してきた。ところが、根元のカターニャ市内で新たにメトロが開業すると、ルートが重複する区間で撤収が始まる。

メトロは現在、内陸のパテルノ Paternò に向けて延伸工事中だ。郊外では環状鉄道の線路敷を転用することになっていて、工事に先立ち該当区間が廃止された。そのため、列車は現在、パテルノ以遠の90.9kmで運行されている。しかも、人口の多いエリアをメトロに明け渡してしまったので、途中ランダッツォ Randazzo まで6往復、その先リポストへは3往復しかない閑散線だ。

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ジャッレ Giarre 駅を後にする気動車(2021年)
Photo by Trainspictures at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の幹線からも、一つ。

項番16 チンクエ・テッレ急行 Cinque Terre Express

リグリア海に臨むぶどう畑の急斜面と、色彩豊かな集落の印象的な風景で知られる観光地チンクエ・テッレ Cinque Terre(下注)。名のとおり海岸に並ぶ五つの村々を巡る列車がチンクエ・テッレ急行だ。FS線の主たる列車運行事業者であるトレニタリア Trenitalia が運行している。

*注 チンクエ・テッレは五つの土地を意味する。

エクスプレスと名乗ってはいるものの、実態は普通列車で、レヴァント Levanto~ラ・スペツィア中央駅 La Spezia Centrale 間20kmにある各駅、モンテロッソ Monterosso、ヴェルナッツァ Vernazza、コルニーリャ Corniglia、マナローラ Manarola、リオマッジョーレ Riomaggiore に順に停車していく。

これらの村々が立地するのは、もし鉄道が通らなかったら陸の孤島になっていたような場所だ。そのため旅客需要が大きく、列車はこの間を30分間隔でシャトル運行している。駅はトンネルに挟まれた狭隘な敷地でホームが短いため、ダブルデッカー(2階建)客車が使用される。5駅のいずれかで乗降すると加算運賃が適用されるのも特殊な扱いだ。

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コルニーリャ Corniglia 駅に入るダブルデッカー(2008年)
Photo by Diesirae at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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狭い敷地のヴェルナッツァ Vernazza 駅(2021年)
Photo by Lewin Bormann at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

 続きは次回に。

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