登山鉄道

2023年8月25日 (金)

モンセラットのケーブルカー

サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan

延長 503m、高度差 248m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 652‰
開通 1918年

サンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova

延長 262m、高度差 118m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 565‰
開通 1929年

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モンセラット修道院とサン・ジョアン ケーブルカー

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修道院の前にあるクレウ(十字架)広場 Plaça de la Creu は、聖地モンセラット Montserrat を訪れた人々の動線が交わる場所だ。下界から登山鉄道(下注)やロープウェーに乗ってきたならもちろん、たとえクルマで上ってきても、修道院の中庭へ入るならここを通らないわけにはいかない。

*注 モンセラット登山鉄道については、本ブログ「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」で詳述している。

聖堂の奥で黒い聖母子像に面会して、訪問の第一の目的を果たした後も、この広場に戻って、次の行先へ出発することになる。モンセラットの山域には、修道院以外にも小さな巡礼地が点在しているから、そこを目指す人も多い。もちろん歩いても行けるが、それなりの山道だ。そこで広場から、山上と山腹へ1本ずつケーブルカーが運行されている。これを利用して高度差を克服すれば、あとは比較的緩やかな坂をたどって、目的地に到達できる。

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クレウ広場前に集中する鉄道と索道の駅
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モンセラット修道院周辺の詳細図に鉄道・索道と主要地点を加筆
Base map derived from the topographic map of Catalonia 1: 5.000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), used under a CC BY 4.0 license
 

山上へ行くのは、サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan だ。クレウ広場の山手から、モンセラットの尾根の鞍部まで延びている。長さ503m、起終点間の高度差248m、最大勾配は652‰(下注)と険しく、スペイン国内では最も急勾配のケーブルカーだ。

*注 ちなみに、日本のケーブルカーの最大勾配は高尾山の608‰。

開業したのは1918年、尾根筋のサン・ジョアン San Joan をはじめとするいくつかの庵(いおり)を訪れる人のために設けられた。当初用意されたのは小型の搬器だったが、上部駅に併設した展望台とレストランが人気を博し、たちまち輸送が追いつかなくなった。

そこで、すでにモンセラットで登山鉄道を運行していたムンターニャ・デ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarrils de Muntanya de Grans Pendents (FMGP) が自ら全面改築に乗り出した。同社は1925年にケーブルカーの運営会社(下注)を買収したあと、1926年に軌間を広げ、搬器を大型のものに交換している。

*注 ケーブルカー・リフト株式会社 Compañía anónima de Funiculares y Ascensores (CAFA) 。

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修道院側からケーブルカーの軌道を仰ぐ
 

登山鉄道のほうは、脱線事故をきっかけに1957年に廃止されてしまったが、ケーブルカーの運行はその後も続けられた。だが、運営会社FMGPの経営状況が悪化し、設備更新もままならなくなったため、1982年に州政府が買収に踏み切った。

こうした経緯で、ケーブルカーは1986年以来、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) の一路線になっている。FGCは、バルセロナからの郊外電車(R5、R50系統)や2003年に開業した現在の登山鉄道の運行事業者で(下注)、ケーブルカーも、市内からの連絡切符など一体的なマーケティングの対象に組み込まれている。

*注 ちなみにモンセラット・ロープウェー Aeri de Montserrat だけは、FGCではなく単独の事業者が所有・運行している。

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サン・ジョアン ケーブルカー下部駅
 

さて、クレウ広場から上り坂を折り返しながら歩いていくと(下注)、山際に張り付くようにして建つサン・ジョアン ケーブルカーの小ぶりな駅舎に行き着く。開業以来の建物だが、内部は改修されていて、正面の大きなアーチ窓から発着ホームが隅々まで見渡せる。

*注 登山鉄道駅の奥にあるエレベーターを使えば、坂道を多少ショートカットできる。

左の出札口で乗車券を購入した。片道10.40ユーロ、往復16ユーロ。サンタ・コバ ケーブルカーとのセット券(18.70ユーロ)もあり、両方往復するならこれがお得だ。帰りは歩くつもりなので片道券を買ったが、渡されたのは味気ないレシートだった。

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下部駅内部
 

ケーブルカーは繁忙期12分、閑散期は15分間隔で運行されている。次の発車は13時15分だ。2015年に更新された車両は3扉で、車内もそれに応じて、貫通路のない3つのコンパートメントに区分されている。ベンチがあるが、たとえ座れるほどすいていたとしても、ここは谷側の車端(の立ち席)に陣取るべきだろう。

というのも、ルートが一直線なので、延長線上に位置している修道院のバシリカが走行中、ずっと見え続けるからだ。山を上るのだから眺めが良くて当然かもしれないが、これほどピンポイントに絶景を堪能させてくれるケーブルカーも珍しい。

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サン・ジョアン ケーブルカーの車両
室内は3つのコンパートメントに区分
 

乗り込んで少し待つうち、ブザー音を合図に車両は動き出した。最初は、修道院の側壁の一部が木々の間から覗くだけだが、まもなく森が途切れて、中庭のサンタ・マリア広場 Plaça de Santa Maria とそれを取り巻く建物群が見え始める。ゆっくりズームアウトしていく修道院の伽藍に集中していると、線路が二手に分かれ、対向車両が静かに降りていった。

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中間地点でのすれ違い
 

ルートの後半では、勾配が最大652‰に達する。まず切通しの中を進んでいくが、側面の岩肌の動きはほとんど垂直だ。再び視界が開けると、修道院もさることながら、背後にそそり立つ奇怪な形の岩の柱列に目を奪われた。車両の天井もガラス張りなので、ここまで来れば上部の車室からもこの景色が十分楽しめるはずだ。

標高970mの上部駅へは約6分で到着する。いったん駅舎を出て外階段で2階へ上がると、展望テラスに出られる。たった今車内で見てきた風景にケーブルカーの車影も加わって、いかにも写真映えする眺めだった(冒頭写真参照)。

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上部駅
(左)急傾斜のホーム
(右)巻上機
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外階段で2階の展望テラスへ
 

ミランダ・デ・サンタ・マグダレナ Miranda de Santa Magdalena の山腹にあるサン・ジョアンの庵 Ermita de Sant Joan へは、緩い上り坂の巡礼道を西へ歩いて10分ほどだ。中には入れないが、格子窓から覗くと、内部は礼拝堂になっていた。その先にはサン・オノフレ Sant Onofre やサンタ・マグダレナ Santa Magdalena などの、廃墟になった庵が続いている。また、片道1時間の山道縦走で、モンセラットの最高峰、標高1236mのサン・ジェロニ San Jeroni を目指す人もいるだろう(下図参照、下注)。

*注 山腹の道路際からサン・ジェロニに直接上る長さ680mのロープウェーも運行されていたことがある。1929年開業、1983年廃止。

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上部駅の周辺案内図を撮影
1:サン・ジェロニ新縦走路、2:同 旧縦走路
3:サン・ミケル巡礼路(修道院方面)
3a:サン・ジョアン巡礼路
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ミランダ・デ・サンタ・マグダレナの山腹を行く巡礼路
サン・ジョアンの庵が左肩に望める
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サン・ジョアンの庵
 

一方、山道は反対方向へも延びている。こちらは南東尾根をぐるりと回り、東斜面のサン・ミケルの庵 Ermita de Sant Miquel や、スリリングな展望で人気のあるサン・ミケルの十字架 Creu de Sant Miquel を経由して、起点のクレウ広場に戻ることができる。最初少し上るが、あとはずっと下りで、見晴らしのいい40分ほどのハイキングルートだ。時間に余裕があるなら(さらに天気が良ければ)、ケーブルカーで往復するよりはるかに印象に残る旅になるに違いない。

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サン・ミケルの庵
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サン・ミケルの十字架
 

クレウ広場に帰ってきたところで、もう一つのサンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova に乗りに行こう。こちらは修道院の崖下を降りていく路線で、聖母子像の発見場所と伝わるサンタ・コバへの巡礼路にある急坂区間をカバーするために建設された。長さ262m、起終点間の高度差118mと、サン・ジョアンに比べれば小規模だが、最大勾配は565‰で険しさは遜色ない。

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サンタ・コバ ケーブルカー上部駅
 

これは、サン・ジョアンの改修から3年後の1929年に、同じFMGP社の手で開業した。軌道は、サンタ・マリア川 Torrent de Santa Maria という涸れ沢(下注)に沿っている。2000年6月の大雨では沢があふれて、下部駅舎と停車していた車両が大きな被害を受けた。1年後の2001年6月にようやく運行が再開されたが、復旧に際しては設備の全面更新が実施された。現在の車両もこのとき新調されたものだ。

*注 原語の Torrent(トレント)はふだん水流がなく、降雨時のみ流れる涸れ川のこと。

上部駅は登山鉄道の駅の直上にある。中に入ると、小さなホールの一角に出札口が開いていた。運賃は、大人片道3.90ユーロ、往復6ユーロだ。

ケーブルカーは20分間隔で運行されていて、次の15時40分発がホームで待機している。車内は5つの小区画に分割され、跳ね上げ式の座席がある。天井も、開放的な全面窓だ。出発の時刻になると、下端の操作席にトランシーバーを持った係員が乗り込んできた。さっき出札口で切符を売っていた女性で、一人ですべてこなしているらしい。

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車両、室内は5区画
 

サン・ジョアンとは対照的に、軌道は終始、右にカーブしている。短距離にもかからわず、下部駅方向は岩陰になって見通せない。まもなく待避線の分岐点にさしかかった。誰も乗っていない対向車両が左側を上っていくのを見送ると、下部駅はもう目の前だ。走行時間は実際、3分もなかった。

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(左)操作席
(右)ルートは終始カーブしている
 

下部駅舎からは、巡礼路 Camí de la Santa Cova をたどってサンタ・コバへ向かう。この道は、クレウ広場の端からロープウェーの駅前を通って降りてきている。蹴上がりの浅い階段が続く舗装道なので、ケーブルカーに頼らずに歩いてくる人もいる。

巡礼路の沿道には、ロザリオの秘跡をテーマにして19世紀末から20世紀初めにかけて造られた彫刻作品(記念ロザリオ Rosari Monumental)が点々と設置されている。それを一つずつ鑑賞しながら歩いていくのは楽しい。なかでも、屹立する奇岩の張り出しを回り込む地点に設置されているイエスの磔刑像 Crucifixió de Jesús(悲しみの第五の秘跡 Cinquè misteri de Dolor)が印象的だ。ここはさきほど立ち寄ったサン・ミケルの十字架が建つ尾根の麓に当たり、クレウ広場からも遠望できる。

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下部駅
頭上に見えるのは修道院とロープウェー上部駅
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はるか谷底にロープウェーの下部駅が
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奇岩の先端にある磔刑像
 

サンタ・コバ Santa Cova(下注)は聖なる洞窟を意味する。言い伝えによると、西暦880年、二人の若い羊飼いがモンセラットの中腹に光が降臨するのを目撃した。その後も繰り返し現れたこの奇蹟がきっかけとなり、岩山の洞窟に隠されていた聖母子像が発見される。しかし重すぎて山から運び下ろすことができず、この地で奉ることにしたのだという。最初は庵が結ばれ、やがて修道院へと発展していく。

*注 サン・ジョアン(聖ヨハネ)のような聖人名ではないので、原語では定冠詞 la をつけて、La Santa Cova と綴る。

一方、発見場所とされる洞窟では、18世紀初めにそれを覆う小さな聖堂が建てられた。そこが巡礼路の終点だ。ドーム天井の堂内に入ると、修道院と同じような色とりどりの蝋燭が灯っている。正面の祭壇では聖母子像のレプリカが明かりに照らし出され、薄暗い信者席に一人、祈りを続ける女性がいた。訪問者が絶えず行き来している修道院とはまた違う、静謐で敬虔な空間がそこにあった。

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急崖に張り付くサンタ・コバ礼拝堂
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(左)岩陰の聖堂入口
(右)レプリカの聖母子像がある祭壇
 

写真は、2019年7月および2021年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
モンセラット登山鉄道 https://www.cremallerademontserrat.cat/
Trens de Catalunya - Cremallera i Funiculars de Montserrat
http://www.trenscat.com/montserrat/

★本ブログ内の関連記事
 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 モンセラット登山鉄道 II-新線開通

2023年7月16日 (日)

スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト

これからスペインにある観光鉄道についていくつか記事を書くつもりなので、調べた範囲で国内にある保存鉄道・観光鉄道のリストを作成した。西欧諸国ではフランスに次いで広大な国にしては物足りない数だが、内容はバラエティに富んでいる。

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段丘崖の下を走るアルガンダ鉄道の蒸気列車(2018年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_spain.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スペイン」画面
 

項番1 パハレス坂 Rampa de Pajares

パハレス坂は、RENFE(スペイン国鉄)レオン=ヒホン線 Ferrocarril de León a Gijón の一部で、国内の在来線で最も険しいとされる山越え区間の通称だ。保存鉄道でも観光鉄道でもないが、山がちな国土を19世紀の鉄道技術でどのように克服していったのかを知る意味で注目に値する。

路線は、北海岸と中央高地を隔てるカンタブリア山脈 Cordillera Cantabrica を貫いていて、サミットと北麓の谷底との高度差は実に900m以上ある。それで、勾配を幹線規格の20‰に収めるために、大掛かりな線路の引き回しを行わなければならなかった(下図参照)。襞の多い山腹を縫って大小60本以上のトンネルと、150か所以上の橋梁が次々に現れるという、見るからに驚異のルートだ。

この坂道は1884年の開通以来、140年にわたって中央高地と北海岸との間の重要な連絡路として機能してきた。しかし目下、長さ24.6kmの新トンネルを含む高速仕様のバイパス線が建設中で、2024年にも完成が見込まれている。これが正式に開業すると、少なくとも旅客列車でパハレス坂を体験することは難しくなるだろう。

ちなみに、カンタブリア山脈を貫く路線は他にもあるが、いずれも同様の理由で羊腸の道をたどることを強いられている。たとえば、パレンシア=サンタンデル線 Línea Palencia-Santander のレイノサ Reinosa ~バルセナ Bárcena 間、カステホン=ビルバオ鉄道 Ferrocarril Castejón-Bilbao のイサラ Izarra ~オルドゥーニャ Orduña 間がそうだ。

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パハレス坂のふもと、
プエンテ・デ・ロス・フィエロス Puente de los Fierros 駅に停車中の近郊線電車
(2020年)
Photo by Savh at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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パハレス坂ルート(1915年)
Image from Guide Joanne, 1915 edition. License: public domain
 

項番15 いちご鉄道 Tren de la Fresa

スペイン本土最初の鉄道は1848年にバルセロナと近郊との間で開業したが、2番目は1851年開業のマドリード=アランフエス線 Ferrocarril de Madrid a Aranjuez だ。特産のイチゴを含む果物や野菜がこの路線で首都に運ばれたことから、いつしか「トレン・デ・ラ・フレサ Tren de la Fresa(いちご列車またはいちご鉄道)」の愛称がついた。

今はセルカニアス・マドリード(マドリード郊外線)Cercanías Madrid に組み込まれ、C-3号線の通勤電車が行き交うルートだが、行楽シーズンの週末には、古典客車を使用した懐古列車ツアーも実施されている。運行開始は1984年で、かれこれ40年続く伝統イベントだ。当初は蒸気機関車が牽いていたが、最近は電気機関車またはディーゼル機関車がバトンを引き継いでいる。

マドリードでの出発駅は中央駅アトーチャ Atocha ではなく、鉄道博物館に改装されている旧デリシアス Delicias 駅だ。一路南下し、約50分で、ロドリーゴ Rodrigo の名曲でも知られた古都アランフエスに到着する。オプションで世界遺産の王宮や旧市街を巡った後、帰りの列車内で、アテンダントから乗客に新鮮なイチゴがふるまわれる。

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蒸機が牽引していた頃のいちご列車
アランフエス付近(2012年)
Photo by Andrés Gómez - Club Ferroviario 241 at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 バスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril

ビスケー湾に面した北海岸一帯には1000mm軌間の路線網が張り巡らされていて、さながら狭軌の王国だ。北東部に位置するバスク州には、こうしたメーターゲージの機関車や客車を動態保存しているバスク鉄道博物館 Museo Vasco del Ferrocarril(バスク語表記 Burdinbidearen Euskal Museoa)がある。

1994年にオープンした博物館は、旧ウロラ線 Ferrocarril del Urola の中間駅だったアスペイティア Azpeitia 駅を、駅舎や構内配線だけでなく、機関庫や変電所など付属施設も含めて再利用している。運営主体がバスク州の鉄道運行を担うエウスコトレン Euskotren 社ということもあって、展示車両も、鉄道用の機関車や客車から、路面電車や地下鉄車両、道路車両まで実にさまざまだ。

支線だったウロラ線はすでに廃止され、跡地の大半は自転車道などに姿を変えてしまった。しかし、アスペイティアから下流のラサオ Lasao 駅までの4.5kmだけは、保存列車の走行用に線路が残されている。シーズンの週末には、博物館の蒸気機関車が旧型客車を牽いて、ウロラ川に沿うこの渓谷区間を往復する。

*注 鉄道の詳細は「バスク鉄道博物館の蒸気列車」参照。

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旧ウロラ線を行くバスク鉄道博物館の蒸気列車
(2004年)
Photo by Nils Öberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 アルガンダ鉄道 Tren de Arganda

メーターゲージの蒸機で運行される観光鉄道はもう1か所、マドリード南東郊にもあり、地名にちなんでアルガンダ鉄道(アルガンダ列車)と呼ばれている。拠点はマドリード地下鉄9号線のラ・ポベダ La Poveda 駅から西へ500mで、アクセスは容易だ。

路線はもとタフニャ鉄道 Ferrocarril del Tajuña と称し、首都からおおむねタフニャ川に沿ってグアダラハラ県アロセン Alocén まで、142kmも続く長大路線だった。しかし、貨物輸送をしていたマドリード側の35kmを最後に、1997年に全廃となった。その廃線跡の一部、約4kmを使って2001年に開業したのがこの保存鉄道だ。

地下鉄(下注)の駅近とはいえ、周辺は麦畑が広がり、鉄道の現役時代を彷彿とさせる。列車は春・秋の日曜日に運行され、小型タンクが古典客車を数両連ねて、マドリード方向に出発する。まもなく渡るハラマ川 Río Jarama のトラス橋が車窓の名物だ。その後、西に向きを変えて荒々しい段丘崖の下を走り(冒頭写真参照)、折返し駅ラグナ・デル・カンピリョ Laguna del Campillo に至る。

*注 郊外地なので、地下鉄といえども地上を走っている。

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アルガンダ鉄道が保有する
1926年オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 製の小型タンク
(2016年)
Photo by CARLOS TEIXIDOR CADENAS at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ハラマ川を渡るトラス橋(2020年)
Photo by Julio A. Ortega at Flickr. License: public domain
 

項番10 トラムビア・ブラウ(青トラム)Tramvia Blau

カタルーニャの州都バルセロナはいうまでもなく国際的な観光地だ。見どころが多数あるなか、鉄道関係ではトラムビア・ブラウがよく知られている。地下鉄7号線の終点(下注)があるケネディ広場 Plaça Kennedy から、ケーブルカー乗り場の前のドクトル・アンドレウ広場 Plaça del Doctor Andreu まで、ティビダボ山へ向かう観光客を乗せて走る青色の路面電車だ。わずか1.3kmの短区間とはいえ、急な坂道を何食わぬ顔で上っていく姿は頼もしい。

*注 駅名はアビングダ・ティビダボ Avinguda Tibidabo(ティビダボ大通り)。

使われている車両は1901~04年製の2軸車で、路線のオリジナルだ。もとから青塗装で、1979年に市営化された後も、市電のような赤色に塗り直されることはなかった。ただし129号車は旧市電を復元したので、例外的に赤をまとっている。

バルセロナには現在トラム路線が数本あるが、市電が全廃された1971年から、トラムが復活した2004年までの30数年間、これが市内唯一の路面電車だった。存続した理由は、別会社が運営していたことと、これ自体がティビダボにリンクしている観光アトラクションだったからだ。今も運賃は市内交通とは別建てで、車内で車掌が徴収する。

なお、トラムビア・ブラウは改修のために2018年から長期運休中で、その間、代行バスが走っている。

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ドクトル・アンドレウ広場に到着した7号電車
(2014年)
Photo by Andreas Nagel at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番12 ソーリェル鉄道 Tren de Sóller
項番13 ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller

西地中海に浮かぶマヨルカ島 Mallorca はスペイン最大の島で、州都パルマ Palma を起点にした複数の鉄道路線がある。公営(マヨルカ鉄道輸送 Serveis Ferroviaris de Mallorca)の通勤路線やメトロと並び、民営の観光鉄道として名を馳せているのがソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller だ。914mm(3フィート)軌間で電化された鉄道線と路面軌道線をもっていて、両者はソーリェルの町で接続している。

鉄道線のほうは「トレン・デ・ソーリェル(ソーリェル列車またはソーリェル鉄道)Tren de Sóller」と呼ばれる。1912年に蒸気鉄道で開業し、1929年に電化された。パルマ市内、スペイン広場 Plaça d'Espanya の横にあるターミナル駅を起点とし、立ちはだかるトラムンタナ山脈 Serra de Tramuntana を横断して、盆地に位置するソーリェル Sóller まで27.3kmの路線だ。

並行して路線バスが30分間隔で走っていることもあり、列車の旅は観光客向けに特化されている。ホームで客を迎えるのは、艶光りする板張りの車両を長々と連ねたレトロ列車だ。乗車時間は約1時間。前半は市街地を抜けて、オリーブ畑が広がる中をひた走る。後半、峠のトンネルを出た直後に、ソーリェルの町を見下ろす展望台の駅で5~10分の小休止がある。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 I-列車線」参照。

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ソーリェル鉄道の列車、ブニョラ Bunyola 南方にて
(2017年)
Photo by Diesellokophren at wikimedia. License: CC0 1.0
 

列車が着いたソーリェルの駅前には、路面電車が発着する。町と港との間を結んでいる延長4.9kmの「トラムビア・デ・ソーリェル(ソーリェル・トラムまたはソーリェル路面軌道)Tramvia de Sóller」だ。1913年開業の貴重な旧世代トラムで、スペインでは前項のトラムビア・ブラウとここにしか見られない。

車両は「列車」と同じような板張りだが、利用者が混同しないように、前面腰板がオレンジ色に塗られている。混雑するシーズン中は、電動車2両の間に開放型客車2両をはさんだ最大4両編成で走る。さらにピーク時は2本が続行運転されて、押し寄せる客をさばく。

駅を出た電車は、市場やカフェテラスが賑わう教会前の広場をそろそろと横断する。しばらく道端をかすめ、最後は強い日差しが降り注ぐ海岸の、のびやかなプロムナードに沿って進む。「列車」とはまた違って、通り過ぎる風景との距離が近いのが魅力だ。

*注 鉄道の詳細は「マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道」参照。

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ソーリェルの街路を抜けていく路面電車(2008年)
Photo by Olaf Tausch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 ヌリア登山鉄道 Cremallera de Núria

ラック式登山鉄道も北東部のカタルーニャ州で2本動いている。その一つ、ヌリア登山鉄道は、ピレネー山脈の山懐にいだかれたカトリックの聖地ヌリア Núria が目的地だ。延長12.5km、軌間1000mm、アプト式ラックレールを用いて、麓の駅との高度差1059mを克服する。開業が1931年と比較的遅かったので、最初から電気運転だった。

ヌリアには、ロマネスク期の聖母像が安置された教会建物があり、周辺にはスキー場も開かれている。しかし車道が通じていないので、徒歩を除けば登山鉄道が唯一のアクセス手段だ。所要時間は40分、山奥にもかかわらず、ピーク期には1日13往復もの列車が走っている。

鉄道の起点は、カタルーニャ近郊線のリベス・デ・フレゼル Ribes de Freser 駅前にあるリベス・エンリャス Ribes-Enllaç だ。Enllaç(スペイン語では Enlace)は接続、連絡を意味する。

滑り出しは粘着式で谷底を這う。5.5km地点でラック区間が始まり、中間駅ケラルブス Queralbs からは氷河谷の急斜面にとりついて上る。最大勾配は150‰。とりわけスリリングだった断崖の桟道区間が、2008年に長いトンネルに置き換えられた。車窓の醍醐味は若干そがれたが、ピレネーの神髄に迫る高揚感はいささかも失われていない。

*注 鉄道の詳細は「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

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ヌリア貯水池の岸を行く(2009年)
Photo by Alberto-g-rovi at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番7 モンセラット登山鉄道 Cremallera de Montserrat

バルセロナの北西35km、林立する奇岩の上に建つモンセラット修道院 Monestir de Montserrat にも、ラック式登山鉄道が通じている。

カタルーニャで最も重要な巡礼地とあって、鉄道建設の機運は早くからあり、初代は1892年に開業した。しかし1930年代以降は、競合するロープウェーの開設とモータリゼーションの加速化が、会社経営に大きな影響を及ぼしていく。設備更新が滞る中で発生した脱線事故がとどめとなって、この登山鉄道は1957年に撤退を余儀なくされた。

現在運行中の2代目は、山域の環境負荷を軽減するために、旧ルートを一部利用して2003年に新設されたものだ。仕様はヌリア登山鉄道とほぼ共通で、延長5.3km、麓の駅との高度差は550m、所要15分。

起点は、カタルーニャ近郊線のモニストロル・デ・モンセラット Monistrol de Montserrat 駅(登山鉄道の駅名はモニストロル・エンリャス Monistrol-Enllaç)だ。しかし、次のモニストロル・ビラ Monistrol-Vila のほうがむしろ主要駅だろう。駅の周りに大駐車場が併設されていて、クルマで来た客はここで電車に乗り換えて山上に向かう。そのため、この駅を始発/終着とする区間便が多数ある。

*注 鉄道の詳細は「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「同 II-新線開通」参照。

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モンセラット駅を出発するラック電車(2017年)
Photo by Juan Enrique Gilardi at flickr. License: CC BY-SA 2.0
 

項番14 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama(マドリード郊外線C-9号線 Cercanías Madrid Línea C-9)

ラックレールには頼らないものの、この鉄道も山の稜線に上っていくという点で、実質的な登山鉄道といえる。舞台はマドリードの北西、国立公園にもなっているグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama だ。山裾のセルセディリャ Cercedilla から峠に位置するコトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)まで、路線は延長18.2km、高低差が670mある。

メーターゲージの電気鉄道で、最大勾配は70‰だ。中間駅のプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠)Puerto de Navacerrada までほぼこの勾配でぐんぐん高度を稼ぎ、あとは松林の間を等高線に沿うようにして、標高1819mの終点コトスに至る。

グアダラマ電気鉄道というのは私鉄時代の旧社名で、1954年に国有化されて、RENFE(スペイン国鉄)の一路線になった。現在は、首都圏の通勤路線網セルカニアス・マドリード Cercanías Madrid に組み込まれ、C-9号線と称している。しかし、運賃は他のどのゾーンから乗っても固定額で、乗車券購入時には座席予約が必要になるなど、通勤路線とはかなり異なる扱いだ。

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セルセディリャ駅のC-9号線発着ホーム(2022年)
Photo by Albergarri788 at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番9 ジェリダ・ケーブルカー Funicular de Gelida

最後にケーブルカーを一つ紹介しておきたい。バルセロナ西郊にある小さな町ジェリダ Gelida で、麓のRENFE駅(下注)と高台にある町の中心部を結んでいる路線だ。長さ884m、最大勾配22.2%で110mの高度差を克服する。

1924年の開通で、設備は1980年代に更新されているものの、板張りの車体に古めかしい雰囲気が残っている。ルートは直線で、駅前から乗ると前半は掘割の中を進む。高速道の下をくぐった後、中間点で下る車両と行違うが、そちらは客扱いがなく、重りの役割しか持っていない。周りにいっとき畑が広がるが、まもなく家並みに囲まれて上部駅に到着する。所要時間は8分だ。

*注 ロダリエス・カタルーニャ Rodalies Catalunya(カタルーニャ郊外線)R4号線の列車が停車する。

カタルーニャ公営鉄道 FGC が運営する公共交通機関で、フニ Funi(ケーブルカーを意味するフニクラル funicular の略)と呼ばれて市民に親しまれてきた。しかし、政府の補助金削減を理由に、2011年でその役割は終了した。以来、観光用に週末の日中にだけ運行されていて、ふだんの市民の足はシャトルバスが担っている。

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(左)ジェリダ・ケーブルカーの中間地点(2019年)
(右)上部駅(2014年)
Photos by calafellvalo at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

【付記】鉄道名の和訳について

スペイン語では鉄道のことを「ferrocarril(フェロカリル、鉄の道の意)」というが、観光鉄道の場合は「tren(トレン、列車の意)」もよく見かける。これは運行されている列車そのものを指すとも考えられるが、保存鉄道リストでは一律に「鉄道」と読み替えている。

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2022年9月 5日 (月)

イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド・北アイルランド編

岩がちな山の重なり、深く切れ込む入江、平谷の底で静まりかえる湖、スコットランドの旅の魅力の一つが、こうした雄大で手つかずの自然との出会いだ。本来は移動手段であるはずの鉄道も、ここでは車窓に流れる景色の見事さで、乗ることが目的にさえなっている。

今回は、スコットランドおよび北アイルランドの保存鉄道・観光鉄道のリストから、特に興味をひかれた鉄道を挙げてみたい。

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アイル湾 Loch Eil の背後にベン・ネヴィス Ben Nevis を望む
ウェスト・ハイランド線(2017年)
Photo by Peter Moore at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_scotland.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スコットランド」画面
 

項番8 ウェスト・ハイランド線 West Highland Line

「イギリスの絶景車窓」を紹介する観光関連サイトをいくつか覗くと、必ず名が挙がる路線が三つあることに気づく。イングランド北部のセトル=カーライル線 Settle–Carlisle line、同 南西部のリヴィエラ線 Riviera line、そしてスコットランドのウェスト・ハイランド線 West Highland Line(下注)だ。

*注 後述する観光列車「ジャコバイト号 The Jacobite」を挙げているものも含む。

御三家の一角を占めるウェスト・ハイランド線は、ハイランド地方 Highlands の西部を北上していくナショナル・レール(旧国鉄線)だ。列車は、スコットランド最大の都市グラスゴー Glasgow のクイーン・ストリート Queen Street 駅から出発する。

併結便の場合、途中のクリーアンラリッヒ Crianlarich で2本の列車に分割される。1本は本線を北上し続け、フォート・ウィリアム Fort William を経て、港町マレーグ Mallaig まで行く。もう1本は支線を西へ向かい、同じく港町のオーバン Oban に至る。本線263.6km、支線67.5km。本線だけでも乗り通すのに5時間以上かかる長距離路線だ。

西海岸の地形は海と陸地が複雑に入り組んでいるため、鉄道は内陸の谷間を縫うように通されている。小さな集落がたまに見えるほかは、岩山と高原、入江と湖が交錯する荒涼とした風景がどこまでも続き、はるか遠くへ来たことをひしひしと感じさせる。

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ラノッホ Rannoch 駅に入る列車(2015年)
Photo by Andrew at frickr.com. License: CC BY 2.0
 

運用されている車両は、スコットレール ScotRail(下注)の156形気動車だが、それに加えて最奥部のフォート・ウィリアム~マレーグ間には、蒸気機関車が先頭に立つ観光列車「ジャコバイト号 The Jacobite」がある。「ハリー・ポッター」の映画シリーズでホグワーツ特急 Hogwarts Express に擬せられて、世界的な知名度を獲得した看板列車だ。

*注 2022年3月まではアベリオ Abellio 社の子会社がフランチャイズ契約で運行していたが、期間満了で、4月からスコットレールの名称を残したまま、政府出資会社に引き継がれた。

ロケ地になったグレンフィナン高架橋 Glenfinnan Viaduct は、広い谷間に美しい弧を描くアーチ橋だ。沿線風景で最大のハイライトとあって、乗客は誰しも通過のときを心待ちにしている。

*注 鉄道の詳細は「ウェスト・ハイランド線 I-概要」「ウェスト・ハイランド線 II-ジャコバイト号の旅」参照。

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グレンフィナン高架橋を渡るジャコバイト号(2018年)
Photo by WISEBUYS21 at frickr.com. License: Public domain
 

項番1 カイル・オヴ・ロハルシュ線 Kyle of Lochalsh line

西海岸の港を目指し、南から延びるウェスト・ハイランド線に対して、東からハイランドの山地を横断してくるのがカイル・オヴ・ロハルシュ線だ。こちらもナショナル・レール(旧国鉄線)で、スコットレールの158形気動車で運行されている。

東海岸、ファー・ノース線 Far North Line の途中駅ディングウォール Dingwall を起点に、西岸の港町カイル・オヴ・ロハルシュ Kyle of Lochalsh(下注)に至る102.7kmの路線だが、旅客列車はハイランドの主要都市インヴァネス Inverness から直通する。全線の所要時間はおよそ2時間40分だ。

*注 地名カイル・オヴ・ロハルシュは、アルシュ湾 Loch Alsh の海峡 kyle(=狭まった地点)を意味する。なお、ゲール語由来の ch [x] は本来の英語にない音のため、[k] と読まれることも多い。

ディングウォールで左に分岐してまもなく、列車は最初の、そして最も急な上り勾配にさしかかる。計画ルート上にあったストラスペファー Strathpeffer の町の大地主が首を縦に振らず、やむを得ず線路を迂回させたという訳ありの坂道だ。その後は、湖が点在する広い氷蝕谷の間をひたすら進んでいき、峠らしい峠を経験しないまま、谷を降りてしまう。

最後の30分間は、カロン湾 Loch Carron に沿って、岩がちな海岸線をくねくねとたどる。山と湖の眺めなら先述のウェスト・ハイランド線でも得られるが、断続する海辺の風景はこの路線の特色といえるだろう。

終点カイル・オヴ・ロハルシュはアルシュ湾に突き出した埠頭の駅で、海峡を隔てて指呼の間にスカイ島 Isle of Skye を望む。かつては対岸の港カイラーキン Kyleakin との間をフェリーが結んでいたが、島に渡る道路橋ができた今は、路線バスが連絡する。

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カイル・オヴ・ロハルシュ線の車窓から
アハナシーン(アクナシーン)Achnasheen 駅西方にて(2017年)
Photo by Richard Szwejkowski at frickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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カイル・オヴ・ロハルシュ駅の最終列車(2011年)
Photo by John Lucas at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 ストラススペイ鉄道 Strathspey Railway

数はそれほど多くないものの、スコットランドにもいくつかの蒸気保存鉄道がある。その一つ、標準軌ではおそらく最北端に位置するストラススペイ鉄道 Strathspey Railway は、インヴァネスから南へ山を一つ越えたスペイ川 River Spey 流域を走る路線だ。

廃止されたハイランド本線 Highland Main Line の旧ルート(下注1)を1978年に復活させたもので、新旧ルートの分岐点だったアヴィモア Aviemore を起点に、ブルームヒル Broomhill までの約16kmを行く。片道50分、往復1時間40分。鉄道名のストラススペイ Strathspey とは、鉄道が通過するスペイ川 Spey の広い谷(ストラス Strath、下注2)のことだ。

*注1 これは1863年に開通したルートで、アヴィモアからグランタウン・オン・スペイ Grantown on Spey を経て、フォレス Forres でアバディーン=インヴァネス線 Aberdeen–Inverness line に合流していた。1898年にアヴィモア~インヴァネス間を短絡する現ルートが開通したことで支線に転落し、後の1965年に廃止された。
*注2 スコットランドの地形用語で、狭く険しい谷をグレン Glen、広く穏やかな谷をストラス Strath と使い分ける。

列車は、ナショナル・レールのアヴィモア駅3番線から出発する。まもなく当初起点に使われていたホーム跡とヤードを通過して、森の中に入っていく。本線規格で建設されたので、緩いカーブの走りやすそうな線路だが、列車の走りは至ってのんびりしている。

中間駅ボート・オヴ・ガーテン Boat of Garten 駅には、1904年築という趣のある旧駅舎が残され、往路の停車中に見学が可能だ。この後はスペイ川の広い氾濫原を進んでいき、その間、蛇行する川とともに、はるか遠くにケアンゴームズ国立公園 Cairngorms National Park の山並みが見晴らせる。

終点ブルームヒル Broomhill は片面ホームで、折返しのためのささやかな駅に過ぎない。鉄道はさらに次の町グランタウン・オン・スペイ Grantown-on-Spey への延伸に向けて、作業を継続している。

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スペイ川の谷を戻る列車
遠景はケアンゴームズ山地(2006年)
Photo by Dave Conner at frickr.com. License: CC BY-SA 2.0
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現在の主力機LMSアイヴァット Ivatt(2017年)
Photo by Pjt56 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番7 ボーネス・アンド・キニール鉄道 Bo'ness and Kinneil Railway

フォース湾 Firth of Forth に面したボーネス Bo'ness は、エディンバラ Edinburgh とグラスゴー Glasgow のおよそ中間にある町だ。ボランティア団体のスコットランド鉄道保存協会 Scottish Railway Preservation Society がここに拠点を置く。協会は、250両を超える大規模な車両コレクションを保存していて、その一部は構内のスコットランド鉄道博物館 Museum of Scottish Railways で展示公開されている。

協会はまた、動態保存の車両群を走らせる標準軌路線も持っている。それがボーネス・アンド・キニール鉄道だ。旧ボーネス支線跡を利用した約8kmのルートで、蒸気保存列車が1日3~4往復する。

起点のボーネス駅は、スコットランド各地から使われなくなった鉄道設備を移築して、新たに造られたものだ。列車はここから湾に沿って西へ向かう。遠浅の海の前で連続する急カーブをしのぐと、リクエストストップのキニール・ホールト Kinneil Halt がある。鉄道名のボーネス・アンド・キニールは、ここまで部分開通していた時の名残だ。

その後は段丘崖を上っていき、進路を南に転じる。バークヒル Birkhill 駅の前後は農地と林が続く。エーヴォン川 River Avon の谷を渡ると、再び西に向きを変えて、終点マニュエル・ジャンクション Manuel Junction 駅のホームに到着する。

ファーカーク Falkirk 経由のナショナル・レールが目の前を通っているが、あちらには駅がない。それで乗客は、機回しを終えた列車でボーネスへ引き返さざるをえない。ちなみにレールは両者つながっていて、各地で催されるさまざまな列車ツアーに使われる車両が、ここで本線に出入りする。

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本線ツアーに出発するトルネード Tornado(2021年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
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ボーネス駅西方の側線にて(2008年)
Photo by tormentor4555 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 ケアンゴーム登山鉄道 Cairngorm Mountain Railway

かの有名なスノードン登山鉄道より高い所まで行くと、2001年12月の開業当時、ケアンゴーム登山鉄道はしきりと話題に上ったものだ。山上駅の標高は1097mで、同1065mのスノードンを抑えて、イギリスの鉄道で行ける最高地点になった。

ただし、これはラック鉄道ではなくケーブルカーだ。冬場、強風が吹くたび運休になるチェアリフトの代替手段として建設された。ベース駅 Base Station と呼ばれる下部駅から山上のターミガン駅 Ptarmigan Station(ターミガンは雷鳥の意)まで、長さ1970m、高度差462m。単線交走式で、ルートの中間点にある待避線で列車交換が行われる。

ケアンゴーム Cairn Gorm(下注)は、先述のストラススペイ鉄道の起点アヴィモアの南15kmに位置する山だ。標高1245mで、イギリスで7番目に高いピークとされている。ケアンゴームズ国立公園の中心的存在で、北西側斜面にはスキー場が広がる。山上からの眺望は素晴らしく、夏もトレッキング客が多数訪れる。

*注 スコットランド・ゲール語で青いケルン(石塚)を意味する。山地や地域名では Cairngorm と一語に綴るが、山名は分かち書きする。

だが、鉄道の建設計画に対しては、環境保護団体から、観光客の増加で自然破壊が進むと反対があった。そのため、ケーブルカーで山上駅に到着した乗客には行動制限がかけられており、建物の外に出ていけるのは冬のスキーヤーだけだ。他の客はせいぜいテラスに出て、山岳展望を楽しむことしか許されていない(下注)。

*注 山上を散策したければ、行きは登山道を歩いていくしかない。帰りにケーブルカーを片道利用することはできる。

2018年10月に運営会社は、安全性に問題が生じたとして、鉄道の運行休止を発表した。現在、スコットランド政府の資金援助を受けて施設の更新工事が行われており、運行再開は2023年の予定だ。

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中間待避線での列車交換(2013年)
Photo by lizsmith at wikimedia. License: CC BY-NC-ND 2.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-北アイルランド」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_northernireland.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-北アイルランド」画面
 

項番2 ジャイアンツ・コーズウェー・アンド・ブッシュミルズ鉄道 Giant's Causeway and Bushmills Railway

北海岸で世界遺産にも登録されているジャイアンツ・コーズウェー Giant's Causeway の近くから、小さな観光鉄道が出ている。軌間3フィート(914mm)の軽便線で、坂を下り、波打ち際をかすめ、川を渡り、ブッシュミルズ Bushmills の町の手前まで3.2kmのルートを行く。

ジャイアンツ・コーズウェーは、柱状節理による玄武岩の石柱が海岸線を埋め尽くす景観で、古くから知られた観光地だ。早くも1887年に、幹線鉄道のあるポートラッシュ Portrush の町から、長さ15kmの電気路面軌道が通じている。当時、電気運転はまだ黎明期であり、路線長からしても先駆的な試みだった。軌道は数十年間利用されたが、老朽化により1949年に廃止された。

この地に再び軌道が戻ってきたのは、それから半世紀を経た2002年のことだ。当初は蒸気機関車がミニ客車を牽いていたが、2010年に現在の4両編成の気動車に置き換えられた。素人目には蒸機のほうが魅力的に映るが、このデザインはかつてのトラム車両をイメージしたものだという。路線の歴史を踏まえれば、蒸機よりトラムのほうが似つかわしいということだろう。

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(左)蒸機時代(2008年)
Photo by technische fred at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)トラムイメージの気動車(2012年)
Photo by Iain Gregory at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 ダウンパトリック・アンド・カウンティ・ダウン鉄道 Downpatrick and County Down Railway

アイルランド島の鉄道網の軌間は、標準軌(1435mm)より広い5フィート3インチ(1600mm)で、アイリッシュ・ゲージ Irish gauge と呼ばれる。島で唯一、この軌間で運行されている保存鉄道が、北アイルランド東部のダウンパトリック Downpatrick にある。

町はダウン県 County Down の県庁所在地だ。アイルランドの守護聖人、聖パトリックが埋葬されたと伝えられるダウン大聖堂 Down Cathedral が、丘の上から町と駅を見下ろしている。その鉄道駅は1950年に廃止されてしまったが、跡地を拠点として1987年に活動を開始したのが、ダウンパトリック・アンド・カウンティ・ダウン鉄道だ。

復元された線路は、ルートの中央にある三角線から東、南、北の三方向に延びている。その東端にあるのが、ダウンパトリック駅だ。また、南端にはマグナス・グレーヴ Magnus’ Grave(マグヌス王の墓)、北端にはインチ・アビー Inch Abbey(インチ修道院跡)と称する折返し用の停留所が設置されている。

停留所名はいずれも近隣の史跡にちなんだものだが、廃墟が残る修道院跡のほうが人気が上回っているようだ。近年、マグナス・グレーヴへ行くのは特別行事のときだけで、インチ・アビーを単純往復するのが通常の運行ルートになっている。列車は1日に数本あり、修道院跡をゆっくり見学して次の列車で戻るというプランも可能だ。

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(左)大聖堂を背にした1号機関車(2016年)
Photo by Milepost98 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ダウンパトリック駅を発つ列車(2014年)
Photo by no name at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト」では、全部で約150か所の路線を取り上げた。しかし、これでも網羅というにはほど遠い。小規模なものを含めればまだ他にもあり、編めば編むほど、この国の人々の鉄道遺産への愛着の強さや奥深さを思い知ることになる。これだけの数の鉄道が毎週のように運行され、乗りに来る人も絶えないというのは、驚くべきことだ。リストは簡略なものに過ぎないが、これを手がかりにして、イギリスの特色ある鉄道群に興味を持つ人が少しでも増えてくれればうれしい。

なお、今回の紹介記事に含めなかった王室属領のマン島 Isle of Man については、本ブログ「マン島の鉄道を訪ねて-序章」に概要を記述している。

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2022年8月27日 (土)

イギリスの保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ編

イングランド編に引き続き、ウェールズで特に興味をひかれる保存鉄道、観光鉄道を挙げてみたい。

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フェスティニオグ鉄道
ポースマドッグ・ハーバー駅(2015年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_wales.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ウェールズ」画面

項番7 フェスティニオグ鉄道 Ffestiniog Railway

標準軌の保存鉄道が幅を利かせているイングランドに対して、ウェールズは狭軌の王国だ。「ウェールズの偉大なる小鉄道 Great Little Trains of Wales」というプロモーションサイトには、12本もの狭軌保存鉄道が名を連ねている。

■参考サイト
Great Little Trains of Wales https://www.greatlittletrainsofwales.co.uk/

なかでもフェスティニオグ鉄道は、後述するタリスリン鉄道と並ぶ代表的存在だ。2021年には、タリスリンともども「ウェールズ北西部のスレート関連景観 Slate Landscape of Northwest Wales」の構成資産として、世界遺産に登録された。

軌間は1フィート11インチ半(597mm)。北部の小さな港町に置かれた拠点駅ポースマドッグ・ハーバー Porthmadog Harbour から、東の山懐にあるブライナイ・フェスティニオグ Blaenau Ffestiniog まで21.9kmを、列車は1時間10分前後かけて走破する。

鉄道は、もともとブライナイ・フェスティニオグ周辺で採掘されたスレート(粘板岩)を、ポースマドッグの海港まで運び下ろすために建設されたものだ。1836年というかなり早い時代のことで、まだ狭軌用の蒸気機関車は開発されていない。それで、スレートを積んだ貨車を下り勾配の線路で自然に転がすという、重力頼みの運行方式だった。貨車には馬も載せられていて、帰りはこの馬が、荷を下ろして軽くなった貨車を牽いて上った。

今はもちろん、行きも帰りも蒸機が牽引する。19世紀生まれのハンスレット小型機とともに、自社工場で復元された関節式フェアリーなど、独特な設計の機関車が活躍しているので、途中駅での列車交換シーンも見逃せない。

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(左)シングル・フェアリー式「タリエシン Taliesin」(2018年)
Photo by Hefin Owen at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
(右)ダブル・フェアリー式「デーヴィッド・ロイド・ジョージ David Lloyd George」(2010年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

車窓の主な見どころは、ポースマドッグを出発してすぐの、ザ・コブ The Cob と呼ばれる長い干拓堤防の横断、中間のタン・ア・ブルフ(タナブルフ)Tan-y-bwlch 駅前後で広がる雄大なカンブリア山地の眺め、そしてジアスト Dduallt にある珍しいオープンスパイラル(ループ線)だ。

終点ブライナイ・フェスティニオグ駅は、標準軌(1435mm)であるナショナル・レールのコンウィ・ヴァレー線 Conwy Valley line と共有している。線路幅は大人と子供ほどの差があるが、保存鉄道のホームは屋根つきで、切符売り場もあって、充実度はこちらが勝る。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-フェスティニオグ鉄道 I」「同 II」参照。

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ザ・コブを横断する重連の蒸気列車(2008年)
Photo by flyinfordson at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番3 ウェルシュ・ハイランド鉄道 Welsh Highland Railway

ポースマドッグ・ハーバー駅に発着するのは、フェスティニオグ鉄道だけではない。旧来の1番線の隣に新設された2番線には、ウェルシュ・ハイランド鉄道の列車が入ってくる。

同じ1フィート11インチ半(597mm)軌間で、標準軌と狭軌の廃線跡を利用して再敷設されたものだ。メナイ海峡 Menai Strait 沿いのカーナーヴォン Caernarfon からスノードン Snowdon 西麓の峠を越えて、ポースマドッグに至る。延長39.7kmは、イギリスの保存鉄道では標準軌を含めても最長で、全線を乗り通すと2時間以上かかる。

実はこれも、フェスティニオグ鉄道会社が運行している。同社は1836年の創業で、現存する世界最古の鉄道会社とされているのだが、今や合計60km以上の路線を有するイギリス最大の保存鉄道運行事業者でもある。

世界遺産の城郭近くにあるカーナーヴォン駅から、列車は南へ向けて出発する。ディナス Dinas で東に向きを変えた後は、スノードニア国立公園 Snowdonia National Park の山岳地帯に入っていく。車窓を流れる風景はすこぶる雄大で、保存鉄道有数の絶景区間だ(下の写真参照)。名峰スノードン山の西麓で峠を越えると、今度は2か所のS字ループで一気に高度を下げ、観光の村ベズゲレルト Beddgelert に停車する。

終盤は農地が広がる沖積低地を横断していくが、ポースマドックに近づいても、ナショナル・レール線(標準軌)との平面交差や、ブリタニア橋 Britania Bridge の併用軌道など、注目ポイントが次々に現れて、乗客を飽きさせることがない。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-ウェルシュ・ハイランド鉄道 I」「同 II」「同 III」参照。

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スノードン山麓を降りてくる列車
リード・ジー Rhyd-Ddu 北方(2013年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
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ブリタニア橋の併用軌道(2013年)
Photo by Gareth James at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番11 ウェルシュプール・アンド・スランヴァイル軽便鉄道 Welshpool and Llanfair Light Railway

ナショナル・レール(旧国鉄)のカンブリア線 Cambrian line を走る下り列車が、イングランドとウェールズの「国」境を越えて最初に停車するのが、ウェルシュプール Welshpool だ。しかし、軽便鉄道の駅はその周りにはなく、市街地を西へ通り抜けた1.5km先に孤立している。もとの軽便線は、町裏を通って標準軌の駅前まで来ていたのだが、1956年の廃線後、町が跡地をバイパス道路や駐車場に転用する方針を固めたため、鉄道を復活できなかったのだ。

現在の起点ウェルシュプール・レーヴン・スクエア Welshpool Raven Square 駅は、旧線にあった棒線停留所を新たに拡張したものだ。軽便鉄道はそこから西へ向かい、バンウィ川 Afon Banwy 沿いにあるスランヴァイル・カイレイニオン Llanfair Caereinion の町まで13.7kmのルートを走っている。

駅を出て間もなく、蒸機の前には、北側の山の名にちなみゴルヴァ坂 Golfa Bank と名付けられた峠越えが立ちはだかる。34.5‰勾配がほぼ1マイル(1.6km)続くという険しい坂道で、カーブも多く、蒸機の奮闘ぶりをとくと観察できる。峠を降りると、ルートは一転穏やかになり、途中でバンウィ川を渡って終点まで、のどかな谷間に沿っていく。

鉄道は2フィート6インチ(762mm)の、いわゆるニブロク軌間だが、国内の現存路線では意外に少数派だ。それで使用車両もオリジナルに加えて、世界各地の同じ軌間(メートル法による760mm軌間を含む)の鉄道から集められた。とりわけ客車は出身鉄道のロゴがよく目立ち、国際色にあふれている。

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バンウィ川の川べりを行く(2008年)
Photo by Tim Abbott at flickr.com. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

項番15 タリスリン鉄道 Talyllyn Railway

ボランティアを主体とするイギリスの鉄道保存活動は、ウェールズ中部にあるこのタリスリン鉄道から始まった。ここもフェスティニオグと同様、もとは沿線の採掘場からスレートを搬出するための路線で、1866年に開業している。だが、スレートの生産は第一次世界大戦を境に縮小し、1950年にオーナーが亡くなったのを機に、鉄道は運行を終えた。

タリスリンでは貨物輸送を行う傍ら、夏に観光客向けの旅客列車を走らせていた。それで、事情を知った愛好家たちから、すぐに休止を惜しむ声が上がった。集まった有志が協会を設立し、設備を譲り受けて翌1951年に列車の運行を再開した。こうして、ボランティアによる世界で最初の保存鉄道が誕生したのだ。

鉄道が採用している2フィート3インチ(686mm)軌間は世界的に見ても珍しい。ほかに動いているのは、2002年に復活した近隣のコリス鉄道 Corris Railway ぐらいのものだ。もう一つ珍しいのは、客車の扉が片側(終点に向かって左側)にしかないことだろう。これは、工事の完了検査で指摘された、跨線橋の内寸が車両限界より小さいという致命的問題の解決策だった。

起点のタウィン・ワーフ Tywyn Wharf は、カンブリア線のタウィン駅から300mほど南にある。出発するとすぐ、問題の跨線橋をくぐり、町裏の切通しを抜けて、広々とした牧場の中へ出ていく。やがて線路は浅いU字谷をゆっくりと上り始める。終点ナント・グウェルノル Nant Gwernol まで11.8km、所要55分。ハイキングに出かける客を降ろした列車は、機回しの後すぐに折り返す。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-タリスリン鉄道」参照。

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タウィン・ワーフ駅(2015年)
Photo by Markus Trienke at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番17 ヴェール・オヴ・レイドル鉄道 Vale of Rheidol Railway

カンブリア線の線路に並行して、ウェールズ中部アベリストウィス Aberystwyth の町から出発するヴェール・オヴ・レイドル鉄道は、近隣の保存鉄道とは「血筋」が違う。というのも、1フィート11インチ3/4(603mm)の狭軌線ながら、国鉄 British Rail が分割民営化されるまで、その所属路線だったからだ。しかも、ずっと蒸気運転のままで。

言うならば国鉄直営の保存鉄道だったのだが、ローカル線を根絶やしにした1960年代の厳しい合理化策「ビーチングの斧 Beeching Axe」にも生き残れたのは、観光路線として一定の人気を得ていたからに他ならない。

路線長は18.9kmあり、片道1時間かかる。車窓の見どころは、ヴェール・オヴ・レイドル(レイドル川の谷)Vale of Rheidol を俯瞰するパノラマだ。後半の坂道で谷底との高度差がじりじりと開いていくにつれ、眺めは一層ダイナミックになる。さらに、終点駅の近くに、マナッハ川 Mynach の5段の滝と、その上に架かる石橋デヴィルズ・ブリッジ(悪魔の橋)Devil's Bridge という名所があり、列車を降りた多くの客が足を延ばす。

保存列車を牽くのは、1923~24 年にこの路線のために製造されたタンク機関車だ。小型ながらも力持ちで、当時路線が属していたグレート・ウェスタン鉄道 Great Western Railway のロゴと緑のシンボルカラーをまとい、20‰勾配の険しいルートに日々挑んでいる。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-ヴェール・オヴ・レイドル鉄道」参照。

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終点デヴィルズ・ブリッジはまもなく(2015年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番20 ブレコン・マウンテン鉄道 Brecon Mountain Railway

ウェールズの保存鉄道は北部と中部に集中している。それに対して、ブレコン・マウンテン鉄道は南部にあり、かつシーズン中ほとんど毎日運行している唯一の狭軌保存鉄道だ。鉄道は、ヴェール・オヴ・レイドルと同じ1フィート11インチ3/4(603mm)軌間で、廃止された標準軌の線路跡を利用して、1980年から2014年にかけて順次、延伸開業した。

この鉄道の特色は、アメリカのボールドウィン社製の蒸気機関車を使っていることだ。稼働中の2両はもとより、自社工場で新造中の2両もボールドウィンの設計図に基づいているという。列車の後尾にはアメリカンスタイルのカブース(緩急車)も連結され、異国で開拓鉄道の雰囲気を放っている。

拠点のパント Pant 駅は、カーディフの北40km、国立公園になっている山地ブレコン・ビーコンズ Brecon Beacons の入口に位置する。駅自体、村はずれの寂しい場所にあるが、列車はさらに山地の中心部に向かって約7kmの間、坂を上り詰めていく。

序盤の車窓はタフ川 Taff の広くて深い谷間の風景だが、2km先で谷は貯水池で満たされる。その後は斜面を上って、人の気配がない終点トルパンタウ Torpantau に達する。復路では、貯水池べりのポントスティキス Pontsticill 駅で30分前後の途中休憩がある。

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貯水池に沿って走るアメリカンスタイルの列車
最後尾にカブースを連結(2013年)
Photo by Gareth James at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

項番9 スランゴスレン鉄道 Llangollen Railway

ウェールズでは数少ない標準軌の保存鉄道の一つが、麗しいディー川 Dee の渓谷を走っている。拠点が置かれているのは、国際音楽祭や、近くにある世界遺産の運河と水路橋で知られたスランゴスレン Llangollen だ。町の名を採ったスランゴスレン鉄道は現在、ここから西へカロッグ Carrog までの12kmを運行している。

華やかな市街からディー川を隔てた対岸に、スランゴスレン駅がある。駅舎と跨線橋は、2級文化財に指定された歴史建築で、古典蒸機によく似合う。列車は、ここから終始ディー川をさかのぼる。前半は両側から山が迫る渓谷が続き、車窓の見どころも多い。とりわけ一つ目の駅ベルウィン Berwyn は、ハーフティンバーの駅舎や石造アーチの二重橋がアクセントとなって、絵のような風景だ。

現在、カロッグから4km先のコルウェン Corwen に至る延伸工事が進行中で、新しい終着駅となるコルウェン・セントラル Corwen Central がすでに姿を現している。今年(2022年)開業の予定だったが、コロナ禍の長期運休で2021年に運営会社が倒産したことも影響して、まだ次の見通しが示されていない。

*注 鉄道の詳細は「ウェールズの鉄道を訪ねて-スランゴスレン鉄道」参照。

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グリンダヴルドゥイ Glyndyfrdwy 駅での列車交換(2017年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
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ベルウィン Berwyn の二重橋に虹が掛かる(2017年)
Photo by Andrew at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番6 スノードン登山鉄道 Snowdon Mountain Railway

スノードン Snowdon、ウェールズ語でアル・ウィズヴァ Yr Wyddfa は標高1085mで、ウェールズの最高峰だ。グレートブリテン島でも、これより高い地点はスコットランドのハイランドにしかない。この山頂を目指して1896年、アプト式ラックレールを用いた登山鉄道が開通した。すでにアルプスをはじめ世界各地で運行実績のあった方式(下注)だが、イギリスでは初の導入だった。それから120年以上、スノードン登山鉄道は、国内唯一のラック登山鉄道として高い人気を保ち続け、イギリスの代表的観光地の一つに数えられている。

*注 ヨーロッパ初のラック登山鉄道(リッゲンバッハ式)は、スイスのリギ鉄道 Rigibahn で1871年に開通。また、アプト式は、ドイツ、ハルツ山地のリューベラント線 Rübelandbahn で1885年に初採用。

列車が出発する駅は、山麓の町スランベリス Llanberis の外縁にある。山を目指して押し寄せる客をさばくために、ハンスレット社のディーゼル機関車と客車1両のペアが30分間隔で忙しく出発していく。開業時に導入されたスイスSLM社製のラック蒸機もいまだ健在だが、運行はハイシーズンのみとなり、かつ便数も限られているので、早めの予約が必須だ。

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蒸機列車は期間・便数限定
客車は旧車の足回りを利用して新造(2014年)
Photo by Peter Trimming at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ルートは7.5kmあり、最大勾配は1:5.5(182‰)に及ぶ。機関庫を右に見送ると、いきなり急勾配で石造アーチ橋を渡り、その後は緩やかに傾斜した広々した谷を行く。S字カーブで登山道を横切り、スノードンの北尾根に取りつき、坂がいったん落ち着いたところにクログウィン駅がある。その先はスノードン本体の急斜面を、頂きまで一気に上っていく。

標高1085mは、日本の感覚では高山とは言えないだろう。しかし、高緯度で森林限界を超えているので、山頂に立つと、目の前にスノードニア国立公園を一望する360度の大パノラマが開ける。ただし、海からの湿った西風がまともに吹き付けるため、雲が湧きやすく、遠くまで眺望のきく日は稀だ。山頂が悪天候の場合、列車は手前のクログウィン Clogwyn 駅で折り返しとなる。

*注 鉄道の詳細は「スノードン登山鉄道 I-歴史」「同 II-クログウィン乗車記」参照。

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クログウィンを後に山頂へ向かう列車(2005年)
Photo by Denis Egan at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番2 グレート・オーム軌道 Great Orme Tramway

ウェールズ北部、アイリッシュ海に臨む保養地スランディドノ Llandudno の町の西に、グレート・オーム Great Orme と呼ばれる標高207mの台地がある。この山上へ行楽客を運んでいるのが、グレート・オーム軌道と呼ばれる古典スタイルのケーブルカーだ。

鉄道は1902~03年に開通した。全長1.6kmだが、ハーフウェー Halfway 駅を境に2区間に分かれている。下部区間800mは、大半が道路との併用軌道で、最初は路地のような狭い道をくねくねと進む。一見すると路面電車だが、走行レールの間の溝の中にケーブルが通されている。広い道路に出ると下り車両と交換し、後は、ローギアでエンジンを唸らせながら追い越すクルマの横を、涼しげに上っていく。

一方、上部区間750mは広い台地の上を行くので、専用軌道となり、ケーブルも露出している。山頂には売店、レストランが入居する休憩施設があり、羊の牧場の向こうには、見渡す限りの大海原が広がる。

輸送力に限りがあるため、1969年に、並行する形で長さ1.6kmの空中ゴンドラが造られた。確かにこちらのほうが時間は短く、途中乗換が不要だ。高さがあるため、見晴らしもいい。しかし風が強いと運休になるし、第一、乗り物自体のファッション性の点で、100年選手とは比較にならない。

*注 詳しくは「ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道」参照。

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ハーフウェー駅下方(2005年)
Photo by AHEMSLTD (assumed) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、スコットランドと北アイルランドの保存鉄道・観光鉄道について。

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 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編

2021年10月 8日 (金)

スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編」に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27 フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。

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HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。

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グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30 マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。

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オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。

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悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。

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ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31 ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットに到着した旅行者がまず向かいたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。

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リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番34 チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。

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イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39 シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。

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エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。

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レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。

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モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。

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コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40 TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。

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トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26 SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。

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ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてから貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。これにより、優等列車や貨物列車のルートは新線経由に切り替えられた。結果として旧線を走るのは1時間ごとの快速列車だけとなり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。

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ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23 BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。

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カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。

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ローヌ谷斜面のビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。

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ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

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2021年10月 2日 (土)

スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

「保存鉄道・観光鉄道-スイス南部編」のリストには、アルプスの山中と、イタリア国境に接する地中海斜面の鉄道群を挙げている。見渡せば、名だたる観光路線がずらりと並んでいて壮観だ。スイス旅行に出かけたことがある人なら、そのうちのいくつかに乗車した思い出をお持ちに違いない。

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ラーゴ・ビアンコのほとりを行くベルニナ急行
オスピツィオ・ベルニナ駅南方(2017年)
Photo by Zacharie Grossen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

対象とした地域は3000~4000m級の山脈が東西に連なり、ヨーロッパでも特に地勢の険しいところだ。路線の多くが、小回りが利き、経済的なメーターゲージ(1000mm軌間)などの狭軌規格で建設されている。また、高度差を克服するためにラックレールが多用され、粘着式でも60~70‰といった急勾配が珍しくない。

全容はリストをご覧いただくとして、ここでは主な注目路線(有名どころが多くなるのは避けがたいが)を挙げていこう。

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番1~6 レーティッシュ鉄道 Rhätische Bahn (RhB)

まず、東のグラウビュンデン州 Kanton Graubünden にはレーティッシュ鉄道(下注)の特色豊かな路線網がある。州都クール駅の標高は584m、サン・モリッツ駅は同 1775m、ベルニナ線にある最高地点は同 2253mだ。これほどの高度差にもかかわらず、この鉄道はラックレールを用いず、レールと車輪の粘着力だけで急勾配の難路を克服する。

*注 鉄道名、路線名はユネスコ世界遺産の和訳に従う。なお、rhätische(レーティッシェと読む)は、古代地名ラエティア Raetia のドイツ語「Rätien(レーツィエン)」の形容詞形で、「グラウビュンデンの」と同義。

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ダヴォス・プラッツ=フィリズール線のヴィーゼン高架橋(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最初に造られたのはダヴォス線 Davoserlinie(項番3)だが、構想段階ではラック式かスイッチバックで高度を稼ぐことになっていた。ところが、1882年に開通したゴットハルト(ゴッタルド)鉄道 Gotthardbahn の成功に刺激を受け、効率的な運行が可能な粘着式の通過線に切り替えたのだという。クロスタース Klosters 駅が当初スイッチバック駅だったのは、原計画の名残らしい。これも1932年にオメガループのトンネルに置き換えられて、今は存在しない。

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クロスタース駅に進入する列車
かつてのスイッチバックはオメガループのトンネルで解消(2015年)
Photo by Patrick Nouhailler's… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

世界遺産にも登録されたアルブラ線 Albulabahn(項番1)は、確かにゴットハルト鉄道の狭軌版だ。二重スパイラルやベルギューン Bergün 南方のヘアピンルートなど、生き写しのように見える。

さらに同線には、長さ136m、高さ65mのラントヴァッサー高架橋 Landwasserviadukt というランドマークがある。背が高く細身で、かつ急カーブを描きながら断崖絶壁に突き刺さる光景は、まるで幻想画の世界だ。最寄りのフィリズール Filisur 駅から遠くないので、途中下車して、展望台や橋の直下へ、ハイキングがてら見物に出かけるのもいいだろう(下注)。

*注 シーズン中は、駅からラントヴァッサー急行 Landwasser-Express と銘打った遊覧バスも出ている。

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ラントヴァッサー高架橋遠望(2018年)
Photo by Geri340 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

同じく世界遺産のベルニナ線 Berninabahn(項番6)は、レーティッシュ鉄道の路線網で少し異色の存在だ。というのも、電化方式が他線の交流に対して直流のため、車両が基本的に線内限定で運用されてきたからだ。それが世界遺産効果で、今やベルニナ急行 Bernina Express は5往復まで増便、交流区間に乗入れ可能な交直両用電車が運用されている。

この路線の魅力は、変化に富んだルートと沿線風景の素晴らしさだ。アルプスに抱かれた湖のほとりのオスピツィオ・ベルニナ Ospizio Bernina(冒頭写真参照)から、イタリアの町ティラーノ Tirano まで高度差は実に1824m。その間にU字谷の壁をジグザグに降下し、オープンスパイラルを回り、市街地の路面軌道で車と並走する。乗り通せば2時間10分以上かかるが、少しも長いと感じさせない。

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振り返るとモルテラッチュ氷河が見える
名所モンテベッロ・カーブ Montebello-Kurve(2012年)
Photo by Hansueli Krapf at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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オープンスパイラルのブルージョ・ループ橋(2012年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
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ティラーノ聖母教会前の広場を横断(1992年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

観光客が集中するアルブラ、ベルニナに比べて、アローザ線 Arosabahn(項番2)は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、これもまた魅力の詰まったルートだ。クール駅前からは路面軌道で出発する。町を離れると、早くも深い谷間で、列車はじりじりと高度を上げていく。

列車は左斜面の高みを走っていくが、中盤で谷を横断して右斜面に位置を移す。そこに架かっているのがラングヴィース高架橋 Langwieser Viadukt だ。長さ284m、高さ62mの優美なコンクリートアーチ橋で、同線のシンボル的構造物になっている。線路が橋のたもとで90度カーブしているおかげで、往路、ラングヴィース駅にさしかかる車窓から、その姿を遠望するチャンスがある。

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ラングヴィース高架橋(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8~9 リギ鉄道 Rigi-Bahnen (RB)

次は、中央スイス Zentralschweiz に目を向けよう。フィーアヴァルトシュテッテ湖 Vierwaldstättersee、別名ルツェルン湖を中心とするこの地域は、スイス建国の故地でもある。1856年にルツェルン Luzern まで鉄道が到達し、フランス、ドイツなど国外からの旅行者が多数訪れるようになった。

アルプスの展望台として人気が高まっていたリギ山 Rigi に、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したヨーロッパ最初のラック鉄道が開業したのは1871年のことだ。フィッツナウ・リギ線 Vitznau-Rigi-Bahn(項番8)が先行し、アルト・リギ線 Arth-Rigi-Bahn(項番9)が後を追った。

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縦型ボイラーの保存機7号が
フィッツナウ・リギ線の急勾配を行く(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

前者は湖畔の町フィッツナウ Vitznau が起点で、ルツェルンからの船便がある。一方、後者の起点は山の反対側にあるアルト・ゴルダウ Arth-Goldau で、SBB(スイス連邦鉄道)線が接続している。

鉄道旅行者はアルト・リギ線を使うが、リギ山の主要な登山口は本来、湖側(下注)だ。そして登山鉄道の車窓も、湖の展望が開けるフィッツナウ・リギ線がはるかにいい。ルツェルンからフィッツナウへは船で約1時間、途中、ルツェルンの交通博物館 Verkehrhaus 前にも寄港する。片道をこちらにすれば一味違った周遊コースになるだろう。

*注 登山鉄道開通以前、陸路ではキュスナハト Küssnacht、航路はヴェッギス Weggis が主な登山口だった。

*注 鉄道の詳細は「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

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両線が合流するリギ・シュタッフェル駅
赤の電車はフィッツナウ・リギ線、青はアルト・リギ線(2011年)
Photo by Bobo11 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

 

項番11~13 ツェントラール鉄道 Zentralbahn (ZB)

1870年代はアルプスの前山 Voralpen にとどまっていた鉄道路線だが、1880年代になると、より奥地へと延伸されていく。ルツェルン側からは、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura–Bern–Luzern-Bahn がその役を担った。現在のZBブリューニック線 Brünigbahn(項番12)で、1888~89年にブリエンツ Brienz まで開業している(下注)。

*注 ブリエンツからは、ブリエンツ湖の蒸気船でインターラーケン Interlaken 方面に連絡した。ブリューニック線の全線開業は27年後の1916年。

ブリューニック線は、点在する5つの湖(ルツェルン湖、アルプナッハ湖 Alpnachersee、ザルネン湖 Sarnersee、ルンゲルン湖 Lungerersee、ブリエンツ湖 Brienzersee)のほとりを縫っていく路線だ。20世紀の建設なら長いトンネルで貫いてしまいそうなブリューニック峠も、ラックレールで律儀にサミットまで登っている。当然、車窓には期待どおりの景色が次々と現れて見飽きることがない。

同線はかつて、SBB唯一のメーターゲージ線だったが、2005年にルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE、項番11)、改めツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn に移管された。LSEの列車は、社名のとおりルツェルンに直通しているが、自社路線はヘルギスヴィール Hergiswil までで、その先はブリューニック線に乗り入れていた。この移管により、2本のメーターゲージ線が一体化され、合理的な運営が可能になった(下注)。

*注 2021年には、マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn (MIB)(項番13)もZBの運営下に入っている。

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ブリエンツ湖畔を走るブリューニック線の列車
ニーダーリート駅東方(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10 ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn (PB)

ブリューニック線と同時期の1889年に、ピラトゥス鉄道が開業している。これもラック鉄道だが、その構造は特別だ。480‰という途方もない勾配のため、リッゲンバッハやアプトのような垂直ラック式では、走行中にピニオン(歯車)がせり上がり、脱線の危険がある。そこでラックを水平かつ左右対称に配置し、両側からピニオンで挟む方法が考案された。この珍しいロッヒャー Locher 式は、世界でもここでしか見られない。

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ロッヒャー式装置
Photo by Roland Zumbühl at www.picswiss.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ブリューニック線のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅から、ピラトゥスの車両が望見できるが、側面の平行四辺形はどう見てもケーブルカーだ。車内も段差のついたコンパートメント式になっている。しかし、ケーブルカーと異なるのは、多客時に何両も続行で運行されることだ。車窓から前後を行く車両が見えるので、走行写真も自在に撮れる。しかし現在、連節車の導入計画が進んでいて、実現すればこの名物走行は見られなくなるかもしれない。

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終点に向け最後の登坂(2020年)
Photo by Maria Feofilova at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn (BRB)

ブリューニック線の到達は、1892年6月のブリエンツ・ロートホルン鉄道開業につながった。列車が目指すロートホルン山頂に何があるのかと言えば、やはりアルプスの眺望だ。ブリエンツ湖の谷を隔てて、万年雪を戴くベルン・アルプス Berner Alpen の山並みが見渡せる。

しかし、どの世界にもライバルはいるもので、同じころユングフラウ地方 Jungfrauregion でも鉄道の開業が続いた。旅行者は、よりダイナミックな眺望が得られるほうに流れる。ブリエンツとインターラーケンの間にはまだ航路しかなく、アクセスの上でも不利だった。

鉄道の経営は一向に安定せず、結局、第一次世界大戦による旅行控えがとどめとなって、1915年に運行が中止される。再開は16年後の1931年だ。すでにライバルたちは電化を完了しており、皮肉にもブリエンツ・ロートホルン鉄道は、まだ蒸気運転をしているという希少性によって人気を得た。

現在の主役は1992~96年に新造された油焚きの蒸機だが、フルカ山岳蒸気鉄道とともに非電化のラック鉄道として、貴重な存在であることに変わりはない。

*注 鉄道の詳細は「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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ゲルトリート信号所での列車交換(2013年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

 

項番18~22 ユングフラウ鉄道群 Jungfraubahnen

ベルナー・オーバーラント Berner Oberland 東部、インターラーケンやユングフラウ地方の鉄道網は、1872~74年開業のトゥーン湖 Thunersee とブリエンツ湖 Brienzersee の港の間を連絡する8.4kmの小路線(下注)から始まった。

*注 トゥーン湖東端の港デルリゲン Därligen とブリエンツ湖西端のベーニゲン Bönigen の間を結んだ標準軌のベーデリ鉄道 Bödelibahn。1893年にトゥーン Thun から延伸されてきた鉄道と接続して、国内路線網に組み込まれた。

1890年代になると、今もある鉄道路線の大半が舞台に現れる。ベルナー・オーバーラント鉄道(1890年)、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道(1891年)、シーニゲ・プラッテ鉄道とヴェンゲルンアルプ鉄道(1893年)、少し遅れてユングフラウ鉄道の地上区間(1898年)と続く。

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U字谷の急崖を上る
ラウターブルンネン~ヴェンゲン間(2019年)
Photo by Donnie Ray Jones at www.flickr.com. License: CC BY 2.0
 

このうち、ベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahn、略してBOB(項番18)は、インターラーケン・オスト Interlaken Ost 駅に発着する。標準軌線の列車から旅行客を受け取り、ユングフラウ地方の中心部へ送り込むのが使命だ。オスト駅のホームに待機する列車は長大編成で、どことなく「幹線」の風格を漂わせている。

編成が長いのは併結列車だからで、途中のツヴァイリュッチネン Zweilütschinen で2本に分割される。通常、前部がラウターブルンネン Lauterbrunnen、後部がグリンデルヴァルト Grindelwald 行きなので、乗り間違いには気をつけたい。

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グリンデルヴァルト駅
左はBOB、右はWABの列車(2011年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

そのBOBのヴィルダースヴィール Wilderswil 駅からは、シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige-Platte-Bahn (SPB)(項番19)の列車が出発する。1910年代のラック式電気機関車と小型客車2両という懐古編成で、標高1967mの山上駅まで急坂を上っていく。

先へ進めばユングフラウ三山の麓まで行けるというのに、なぜ10~15kmも離れたこの山に登山鉄道が造られたのだろうか。実はこの距離にこそ意味があるのだ。一歩引いた位置のおかげで、三山はもとより、ヴェッターホルン Wetterhorn からブライトホルン Breithorn までベルン・アルプスが広く視界に入る。また、中間駅ブライトラウエネン Breitlauenen 駅周辺から見下ろすトゥーン湖、インターラーケン、ブリエンツ湖の眺望もすばらしい。

他の路線と違い、この鉄道の運行は夏のシーズン(おおむね5~10月)限定だ。冬季閉鎖中の雪害を避けるため、上部区間では運行期間終了後、架線の取り外し作業が行われる。

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トゥーン湖とインターラーケン市街地を背景に上る列車
ブライトラウエネン駅付近(2007年)
Photo by Andrew Bossi at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

BOBの二つの終点からサミットのクライネ・シャイデック Kleine Scheidegg を目指すのが、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn (WAB)(項番20)だ。800mm軌間、BOBより小ぶりの車両だが、乗り込めば、いよいよアルプスの核心に向かうのだという高揚感が湧いてくる。

乗客の何割かは、ユングフラウ鉄道に乗り継ぐのが目的だろう。しかし、この路線自体、U字谷、山麓牧草地、三山の岩壁と、絶景が車窓に現れ続けるから目が離せない。勾配は最大250‰と険しく、列車は常に電動車を坂下側にして走る。谷底にあるグルント Grund 駅のスイッチバック構造や、クライネ・シャイデックで運行系統が二分されている(下注)のは、それが理由だ。

*注 クライネ・シャイデックには三角線があり、列車編成の向きを変えることは可能だが、定期列車には使われていない。

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ヴェンゲン駅に入線する列車(2003年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トップ・オヴ・ユーロップ Top of Europe のうたい文句どおり、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn (JB)(項番21)はヨーロッパ最高所の鉄道駅に旅行者をいざなう。開業以来、スイス観光のハイライトとして不動の地位を保つ鉄道だ。

しかし9.34kmのルートのうち、車窓からアルプスの風光を楽しめるのはアイガーグレッチャー Eigergletscher 駅にかけての約2kmに過ぎない。あとは終点まで素掘りのトンネルの中だ。途中のアイガーヴァント Eigerwand とアイスメーア Eismeer の両駅では数分の停車があり、岩壁に開いた窓から外の景色が眺められたのだが、2016年の新型電車就役以来、時間短縮のために、停車はアイスメーアのみとなった。

下界が晴れていても、山上は濃霧と強風の可能性がある。運よく天気に恵まれれば、アレッチュ氷河 Aletschgletscher 源流域のまばゆい銀世界を目の当たりにできる。

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クライネ・シャイデック駅に停車中の列車
背景はアイガー北壁(2012年)
Photo by Mjung85 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続きは次回に。

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2021年9月22日 (水)

スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

アルプス山脈が国土の約6割を占めるスイスは、誰しも認める観光大国だ。19世紀以来、その振興に鉄道が重要な役割を果たしてきた。山間に点在するリゾートや人気の展望台へ、延びる線路が旅行者を絶えず呼び込んでいる。鉄道自体も観光資源化され、乗車体験を目的に多数の人が訪れる。

鉄道の使命はそれにとどまらない。貨物輸送のモーダルシフトを推進するため、主要幹線では、長大トンネルを含めて大規模な線路改良が行われてきた。ローカル輸送でさえ、他国ならとうにバス転換されているような路線が存続し、モダンな低床車両が行き来している。

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レマン湖畔の葡萄畑を上るSBBの臨時列車
ヴヴェー=ピュイドゥー・シェーブル線(項番33)にて(2020年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

今、スイスの保存鉄道・観光鉄道のリストを編んでいるところだ。ヨーロッパでもとりわけ鉄道が活性化している国とあって、シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の「スイス鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Schweiz」などを参考にしながら挙げていくと、80件近くに上った。このうち北部編には、主としてミッテルラント Mittelland とジュラ山地 Jura にある鉄道路線を収録している。

「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swissn.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス北部」画面
 

各項目では、公式サイトへのリンクとともに、鉄道が走る場所を特定できるように、グーグルマップ(「Google」と表記)と官製地形図(「Swisstopo」と表記)の、2種の地図サイトにリンクを張った。

官製地形図(最新図式)の場合、赤の線で描かれているのが鉄道だ。このうち太線は標準軌、細線は狭軌で、線が2本並行しているのは複線(またはそれ以上)を表す。駅名も赤字で添えられており、場所の特定に効果を発揮する。詳しい使い方については、本ブログ「地形図を見るサイト-スイス(基本機能)」「地形図を見るサイト-スイス(旧版図閲覧)」を参照されたい。

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swisstopoサイトでの鉄道の表示例
赤の太線は標準軌、細線は狭軌、二重線は複線以上
© 2021 swisstopo

北部編で特に興味を引かれた鉄道をいくつか挙げてみよう。

項番1~5 アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen

スイスの鉄道の特徴の一つは、ラックレールを用いる急勾配区間の多いことだろう。地勢の険しいアルプスの山中は言うに及ばず、その前山 Voralpen にも集中するエリアがある。それが東部ザンクト・ガレン St. Gallen、アッペンツェル Appenzell 周辺の丘陵地帯だ。

ここには現在3本のラック鉄道があるが、最も歴史の古いのが、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (項番2)だ(下注)。ヨーロッパで初めて実用化されたフィッツナウ・リギ鉄道(1871年)の4年後の1875年に開業している。

*注 かつては独立した鉄道会社だったが、2006年にアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen(略称 AB)に合併されたため、リストでは「AB ロールシャッハ=ハイデン登山線」と記している。

もちろん同じニクラウス・リッゲンバッハ考案の方式を使っており、リギ山やブダペストの路線とともに、ラック鉄道の第1世代に位置づけられる。1435mmの標準軌で、ラックレールの形状による制約からカーブが比較的緩やかなのがこの世代の共通項だが、同一軌間の強みを生かして、列車がSBB(スイス連邦鉄道)線の一部区間に乗り入れるのが興味深い。

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ハイデン駅に到着した列車(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

2番目に古いのは、1889~1904年に開業したアッペンツェル路面鉄道 Appenzeller Strassenbahn、現在のザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (項番5)だが、全部で7か所あったラック区間は、後の線路改良で順次廃止され、2018年から全線が粘着式運転になった。用済みのラック用電車の一部は、オーストリアのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に譲渡された。ところが補助金の打ち切りで電化計画が頓挫したことで、一度も使われずに廃車となった事件は記憶に新しい(下注)。

*注 詳細は「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

次は、見晴らしの良いことで知られるアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais (項番4)だ。開通は1912年と、時代が下がる。このころのラック鉄道の多くは、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で採用されて広まったシュトループ Strub 式で建設されている。フランス・シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、ドイツ・バイエルンのヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn などが兄弟分だ。

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ガイスへのラック区間を上る(2010年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最も新しいのは、意外にもライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (項番1)で、1958年に運行を開始した。意外にも、という理由は、見かけが古風だからだ。それも道理で、もとは1896年にケーブルカーとして開業し、山麓駅と少し離れたSBBのライネック Rheineck(下注)駅との間はトラムで連絡していた。この2本の路線をつなげる形で再構築されたのが、現在のラック鉄道だ。乗っていると、平坦線が急に険しい勾配に変わるので、もとの姿が想像できる。

*注 地名ライネック Rheineck は、ライン川 Rhein の曲がり角 Eck という意味で、語の成り立ちを尊重して「ラインエック」とも書かれる。

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ケーブルカー時代の面影を残す急勾配線(2015年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

現存3線はそれぞれに個性的だが、将来の見通しは明るくない。利用者数が減少しているとして、2019年から、より効率的な代替輸送に関する検討が開始されており、バス転換の可能性も出てきている。

項番30 モントルー=グリオン=ロシェ・ド・ネー鉄道 Chemin de fer Montreux-Glion-Rochers de Naye

西部では、レマン湖畔から背後の山に上っていくラック登山鉄道が2本ある。どちらかを選ぶなら、湖岸にそそり立つ標高2042mの高峰ロシェ・ド・ネー Rochers de Naye に上るこの鉄道がいい。

乗り場はCFF(スイス連邦鉄道)モントルー Montreux 駅の奥にある薄暗い半地下ホームだ。押しやられたような場所にあるのは、ここに集まる3本の路線の中では新参だからだ。ところが、発車して最初のトンネルを抜けると、一転レマン湖を見下ろす急斜面に出て、車窓はそれ以降、壮大なパノラマ劇場と化す。ジグザグに上っていくので、左右どちらに座っても絶景を眺めるチャンスが来るのがうれしい。

ダン・ド・ジャマン Dent de Jaman の荒々しい岩壁が見えてくれば、旅も終盤を迎える。温暖な湖岸から50分、列車が山頂直下の終点に到着すると、乗客は氷河の痕跡、カール地形のどまん中に放り出される。風は思ったより冷たく、上着は必須だ。

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ロシェ・ド・ネー山頂から山上駅を見下ろす(2018年)
Photo by Johann Conus at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13 AVA ブレームガルテン=ディーティコン線 Bremgarten-Dietikon-Bahn

周辺諸国では戦後急速に数を減らしたメーターゲージ(1000mm軌間)の地方路線も、スイスではまだ一大勢力を保っている。建設費節約のために採用された規格なので、急曲線、急勾配がざらにあり、市街地では路面軌道も多く残っている。

チューリッヒ近郊を走るこの路線では、ブレームガルテン Bremgarten の町へ降りていく道路に沿うヘアピンルートが目を引く。何もそこまで道路に付き合わなくてもいいと思うが、もとはこの道路上を走る路面軌道だった。これだけ曲折してもなお勾配は55‰というから、直線化は不可能だ。

ブレームガルテンは、ロイス川 Reuss が蛇行する袋状の土地に築かれた小さな中世都市で、川を横断する鉄道のアーチ橋と組み合わせた写真がよく引用される(下の写真)。ディーティコンから乗ってきた客はほとんど町の中心駅で降り、車内はがらんとしてしまう。

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ブレームガルテン旧市街のロイス川に架かるアーチ橋(2012年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18~19 ジュラ鉄道 Chemins de fer du Jura
項番20 ラ・トラクシオン(牽引)La Traction

ジュラ鉄道は、フランス国境に横たわるジュラ山地で、メーターゲージ2路線と標準軌1路線を運営する鉄道会社だ。人口の少ない過疎地だが、旅客とともに貨物輸送も行って、地元経済に貢献している。リストに挙げたのはいずれもメーターゲージ線だ。

ラ・ショー・ド・フォン=ル・ノワールモン=グロヴリエ線 Ligne La Chaux-de-Fonds - Le Noirmont - Glovelier が本線格で、時計の町ラ・ショー・ド・フォン La Chaux-de-Fonds から出発する。市街地で併用軌道を少し走った後は、標高1000m前後の森と牧草地が交錯するのどかな高原地帯を進む。最後は谷底のグロヴリエ Glovelier へ降下していくのだが、その途中にオメガループ(馬蹄カーブ)とスイッチバックがある。

列車の進行方向が変わるコンブ・タベイヨン Combe-Tabeillon 駅は、人里離れた渓谷の中の秘境駅だ。折返しを待つ間、車内は静まり返り、どこか遠いところに置いて行かれたような気分になる。

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スイッチバックのコンブ・タベイヨン駅(2017年)
Photo by chrisaliv at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、軽便鉄道の雰囲気が最も濃厚なこの区間が、初めは標準軌だったと知れば驚くだろう。セーニュレジエ Saignelégier の西側は1892年開業で、もとからメーターゲージだが、東側は遅れて1904年に、別会社により標準軌支線として誕生した。地元の有名な競馬行事、マルシェ・コンクール Marché-Concours の日には、バーゼルから直通列車が運行されたそうだ。しかし、ジュラ鉄道に統合後、1953年に狭軌に転換されて今の形となった。

旧標準軌区間にあるプレ・プティジャン Pré-Petitjean では、「ラ・トラクシオン La Traction(牽引の意)」の名で保存列車を運行する愛好家団体が、活動拠点を構えている。場所はプレ・プティジャン駅の東側にある元 製材所の敷地で、電車の窓からも見える。

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「ラ・トラクシオン」リーフレット表紙
© 2021 les-cj.ch
 

項番25 イヴェルドン=サント・クロワ鉄道 Chemin de fer Yverdon - Ste-Croix

この鉄道は、ヌーシャテル湖 Lac de Neuchâtel 南端の町イヴェルドン・レ・バン Yverdon-les-Bains を起点とする。全線の所要時間は36分に過ぎず、行路の前半は、のびやかな丘が続く平凡な車窓だ。ところが、中間駅ボーム Baulmes を後にすると、ルートはにわかに山岳鉄道の様相を帯びる。終点サント・クロワ Ste-Croix はジュラ山地の高原上にあり、そこまで高度400m以上も上らなければならないからだ。

線路は山裾にオメガカーブを描いて方向を変え、ジュラの東壁にとりつく。そして44‰の急勾配でじわじわと高度を上げていく。たとえばルツェルン Luzern~エンゲルベルク Engelberg 間の LSE線のように、ラック式で一気に高度を稼ぐこともできたはずだが、そうはしなかったのだ。地図上でルートを追うと、勾配を許容範囲に抑えるために、南西に大きく迂回して距離を引き延ばしていることがよくわかる。

斜面に育つ木々に遮られることが多いとはいえ、車窓からの眺めは文句なしに素晴らしい。左遠方にヌーシャテル湖の湖面とイヴェルドン市街地、正面に今通ってきた丘陵地とオルブ平原 Plaine de l'Orbe が横たわる。ラック式なら直線的に上るから、景色を楽しむ時間はもっと短かったに違いない。

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ビュイトベフ Vuiteboeuf 付近
これから上る線路が背後の山に斜めの筋を描く(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0

スイスの場合、一般路線でも見どころを挙げればきりがない。ましてや観光路線はそれを売り物にしているから、リストはこれだけでいっぱいになる。他国編で挙げているような蒸気機関車の保存鉄道 Museumsbahn ももちろんあるものの、どこか影が薄いのはやむを得ないことだ。

しかもスイスは鉄道の活用度が高く、保存列車走行に使えるような休止線(線路が残るもの)が少ない。また、電化が進んでいる(一般路線の電化率は100%)ので、蒸機といえども架線の下を走る形になってしまう。

項番7 エッツヴィーレン=ジンゲン鉄道線保存協会 Verein zur Erhaltung der Eisenbahnlinie Etzwilen-Singen

スイスとドイツの国境をまたいで走るこの標準軌路線は、珍しく電化されないまま2004年に休止となった。2007年にエッツヴィーレン Etzwilen と中間にある拠点駅ラムゼン Ramsen の間で保存列車の運行が始まり、2020年にドイツ側の終点ジンゲン Singen までの全線で運行が可能になった。

写真撮影に目障りな架線や支柱がなく、ルート上にはライン川を横断する高いトラス橋(下の写真)も架かっていて、舞台装置は申し分ない。しかし、今のところ運行日は夏のシーズンの月1回程度に過ぎず、毎週日曜日に実施される軌道自転車の貸出しが主体となっているのが惜しい。

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ライン川を横断する蒸気列車(2010年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8 チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland

チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland は、チューリッヒ州の高地地方を意味する。ここを通るヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間の標準軌旧線(1969年廃止)が、蒸気保存鉄道として蘇ったのは1978年のことだ。現在の主力は、1901年製のEd 3/3形蒸機2機だが、電化路線のため、電気機関車による運行も行われる。

この保存鉄道の優位性は、チューリッヒやヴィンタートゥールといった主要都市圏から、Sバーンで容易にアクセスできるところにある。運行日には最大6往復が設定され、その人気ぶりを物語る。

ルートは峠を挟んでいて、ヒンヴィールを発車するとすぐ、機関車は胸突き八丁に挑まなければならない。町を取り巻いて上っていくオメガループは、29.2‰の急勾配だ。サミットの南側のベーレツヴィール Bäretswil を過ぎると下り坂になり、右の車窓にチュルヒャー・オーバーラントの平原が見えてくる。

定番のビュフェカーはもとより、鉄道の創設者が経営した紡績工場跡の博物館見学、ボンネットバスでの送迎、沿線のハイキングなど、行楽客を誘う途中下車のオプションにも注目したい。

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バウマ駅を後にする蒸気列車(2011年)
Photo by Abderitestatos at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の蒸気保存鉄道にはこのほか、チューリッヒ南郊を走るチューリッヒ保存鉄道 Zürcher Museums-Bahn(項番12)、ジュラ山地のヴァル・ド・トラヴェール蒸気鉄道 Vapeur Val-de-Travers(項番24)、ベルン州のエメンタール保存鉄道協同組合 Genossenschaft Museumsbahn Emmental(項番26)などがある。

 

項番31 ブロネー=シャンビー保存鉄道 Chemin de fer musée Bloney-Chamby

メーターゲージ(1000mm軌間)の保存鉄道では、やはりブロネー=シャンビーにとどめを刺す。1968年から活動している老舗であり、保有する車両の種類と数でも群を抜いているからだ。

起点のブロネー Blonay へは、レマン湖畔のヴヴェー Vevey からヴヴェー電気鉄道 Chemin de fer électriques Veveysans の電車で向かう。この路線はラック線となってレ・プレイアード Les Pléiades の山上へ続いているが、元来、シャンビー Chamby が終点で、MOB線に接続していた。つまり、保存鉄道は、ヴヴェー電気鉄道が1966年に廃止した区間を使っているのだ。

全線わずか3kmと短いにもかかわらず、これほど変化に富んだルートはなかなか見つからない。最大50‰の急坂、小刻みに振れる曲線、谷を渡る急カーブのアーチ橋(ベ・ド・クララン高架橋 Viaduc de la Baye de Clarens)、さらには湖を見晴らす高台と、鉄道模型も顔負けだ。もとが電気鉄道なので、蒸機とともに、オールドタイマーの電気機関車や電車が走るのもうれしい。

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ベ・ド・クララン高架橋を渡る(2016年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はブロネーを出発し、シャンビー到着後すぐ折り返して、近くの山手にあるショーラン車庫の鉄道博物館 Chaulin-Musée(SBB公式時刻表ではシャンビー博物館 Chamby-Musée と記載)に立ち寄る。ここまでが往路の扱いだ。急ぐ旅なら、直近のブロネー行き列車で戻ることもできるが、個性あふれる保存車両群を一つずつ観察し始めたら、いくら時間があっても足りないだろう。

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ショーラン車庫の凸型電気機関車Ge 4/4 75(2018年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

南部編のあらましは次回に。

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 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
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 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
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 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2021年6月11日 (金)

ゼメリング鉄道を歩く II

前回の続きで、ゼメリング鉄道に沿って延びるハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」の中盤から先へ話を進めよう。

20シリング・ブリック

ドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte から、林の中の小道をほぼ水平にたどること約600m、ヴォルフスベルクコーゲル Wolfsbergkogel(標高961m)から延びる尾根を回る地点で道幅が少し広くなっている。ベンチが置かれ、休憩している人もいる。

ここで後ろを振り向くと、斜面の上方に木製のデッキが目に入るだろう。これがいわゆる「20シリング・ブリック 20-Schilling-Blick(20シリングの眺めの意)」の展望台で、トレールから小道で上れる。

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20シリング・ブリック展望台
 

20シリング・ブリックの名は、1968年から1989年まで発行されたオーストリアの20シリング紙幣の裏面に、ここから望む風景が採用されたことに由来する(下注)。絵柄の主役は、白い断崖ポレロスヴァントと、2層建てのカルテ・リンネ高架橋だ。後ろには、東部アルプスの一角をなすラックス Rax のずっしりとした山塊が横たわっている。

*注 紙幣の表面には、カール・フォン・ゲーガの肖像が使われた。

描かれた当時に比べて、現在は手前の森の木々が成長し、高架橋の下層をほとんど覆い隠してしまったが、それでもなおオーストリアを代表する絶景の一つに違いない。

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20シリング紙幣裏面(1968~1989年)
展望台の案内板を撮影
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紙幣に採用された構図
カルテ・リンネ高架橋を特急列車が通過中
 

トリミングされた紙幣の絵柄に比べて、実景の画角ははるかに広い。さきほどドッペルライター展望台で見たヴァインツェッテルヴァントの覆道から左側の景色がすべて目に入る。さらにカルテ・リンネ高架橋を渡り終えた列車が、山陰を回って、左の森の隙間から現れるというおまけつきだ。残念ながらここも周りの木が育って、写真に撮れるほどきれいには見えないが、鉄道が谷を大きく巻いて高度を稼いでいることがわかる。

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左がカルテ・リンネ、右はクラウゼルクラウゼ高架橋
ポレロスヴァントの断崖の背後はラックス山地
20シリング・ブリックからやや南方のトレールで撮影
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高架橋を渡り終えた列車は手前の森に
 

ÖBBの特急列車の車体は、深紅一色だ。カミーユ・コローの絵のように、青、緑、灰色が主体の自然景観の中で、格好のアクセントカラーになる。ただし近年は、それと交互にプラハ~ウィーン~グラーツ間で運行されている青ずくめのČD(チェコ国鉄)所属車も来るから、要注意だ。名画の風景を脳裏に刻んだら、名残惜しいが先へ進もう。

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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

アドリッツグラーベン高架橋

トレールはこのあと、アドリッツグラーベン高架橋を経由する。途中、山道から車道に出てまた山道に戻るなど、順路はやや複雑だが、黄色の標識の「ブライテンシュタイン駅 Bahnhof Breitenstein」が指す方向に進めば間違いない。

鉄道のヴェーバーコーゲルトンネル Weberkogel-Tunnel(長さ407m)のポータルの上を通り、坂を降りていくと、優美な弧を描くアーチ橋が見えてくる。アドリッツグラーベン高架橋 Adlitzgraben-Viadukt(下注)は長さ151m、高さ24m。1層アーチとはいえ、長さではゼメリング鉄道で第3位の規模をもつ。

*注 高架橋は、フライシュマン高架橋 Fleischmannviadukt とも呼ばれる。

展望台から遠望するのとは違い、目の前にある橋脚は想像以上に重厚、それでいてアーチの造りは繊細だ。橋の下の芝生には、建設工事で使われた作業員小屋やトロッコが復元されている。

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アドリッツグラーベン高架橋
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山の斜面を行くトレールからの眺め
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建設当時の小屋やトロッコを復元展示
 

次のポイントはいよいよカルテ・リンネ高架橋だが、ここからの経路は二通りある。一つはこのトレール本来のルートである山道経由だ。高架橋をくぐった後、線路の山側を進むのだが、ローテ・ベルク Rote Berg の険しい斜面を伝っていくため、登山道並みに狭く、アップダウンも激しい。

体の消耗を避けたければ代替ルートとして、谷底の車道(ゼメリング街道 Semmeringstraße)経由がある。車道といっても、田舎道なので通行量は少なく、歩くのに問題はない。もちろん、前者の経路にも努力に見合う特典はあり、距離が若干短いことと、アドリッツグラーベン高架橋を俯瞰する撮影地に出会えることだ。

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ローテ・ベルクの山道を進む
 

カルテ・リンネ高架橋

カルテ・リンネ Kalte Rinne は、寒い(冷たい)谷間を意味する。深く切れ込んだ谷底で日照時間が少なく、作物の実りが悪かったことに由来するという。狭い谷幅は橋を架けるには逆に好都合だが、山の中腹から出てくる線路を通すために、橋面がかなりの高さになるのは必定だった。

カルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viadukt は長さこそ184mで、パイエルバッハ・ライヘナウ駅の上手にあるシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viadukt(長さ228m)に次いで区間第2位だが、2層アーチ構造の全高は46mで最も高い。

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カルテ・リンネ高架橋は巨大な構造物
 

先刻アドリッツグラーベンの橋の重厚さに感心したばかりだが、カルテ・リンネ高架橋はそれをはるかに上回る巨大な構造物だ。下層は、径間12.6mの石造アーチ5個で、谷底の部分をカバーする。上層は径間14.5mの煉瓦積み、漆喰張りのアーチが10個連なる。下層の橋脚の太さは、まるで城壁だ。上層の橋脚はいくぶんスマートで、軽やかに上空に伸びている。

小川を渡る木橋が架けられ、車道から高架橋の下の草むした空地まで行ける。列車が通過すると、重低音が谷間にこだまする。列車の走行シーンを撮りたいところだが、高架橋は見上げる高さで、かつ欄干もある。少々距離を置いた程度では車両の上半分しか見えず、まともに撮影しようとすれば、橋の高さまで上る必要がある。

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下層の橋脚はまるで城壁
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通過する列車は上半分しか見えない
 

山道経由で来た場合は、高架橋のたもとにあるゲーガ博物館 Ghega Museum(下注)を通過する 。博物館前のテーブルが置かれたテラスの位置は、橋面より少し高く、背景に断崖を入れて、橋を渡る列車の構図が得られる。また、博物館の上手にもささやかなお立ち台が設けられている。下層が隠れるのは惜しいが、カントのついた曲線路をこちらに向かってくる列車には迫力がある。

*注 谷底の車道経由で来た場合は、高架橋をくぐり少し上ったところで、ゲーガ博物館へ通じる急坂が分岐している。

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ゲーガ博物館前から見る高架橋と断崖
 

ちなみに、ゲーガ博物館は2012年の開設で、ゲーガとその協力者の生涯と業績を知るための資料を多数展示している。建物自体は、かつての線路監視所 Streckenwärterhaus を改築したものだ。無人の山間部を通過するゼメリング鉄道には開通当初、見通しが利く間隔でこうした施設が設けられ、監視員が常駐していた。切妻屋根、荒石積み2階建ての同じような建物は、今も沿線に点々と残っていて、列車からも見える。

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ゲーガ博物館
(左)線路監視所を改築した建物
(右)所狭しと並ぶ展示品
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カルテ・リンネ高架橋のレイアウト
ゼメリング駅のものより出来がいい
 

クラウゼルクラウゼ高架橋

ゼメリング駅から坂を下ってきた列車は、カルテ・リンネ高架橋を渡るとすぐに、ポレロストンネルに突っ込む。次に姿を現すのは、クラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt の上だ。この高架橋も同じく2層構造で、下層は3つ、上層は6つのアーチで構成される。沢をまたぐ橋のため、長さは87mに過ぎないが、高さは36mと区間中第4位だ。

トレールは車道(といっても田舎道)を通っていて、川の流れに沿う緩やかな下り坂だ。その途中で左上にこの高架橋が見える。谷底から仰ぐ風景は一幅の絵で、のしかかるようなポレロスヴァントの荒々しい岩肌に、滑らかな人工のアーチがきりっと映える。しかしここも、通る列車が上半分見えればいい方だ。

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ポレロスヴァントの中腹に架かるクラウゼルクラウゼ高架橋
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カルテ・リンネと同じ2層構造
 

それで、車道とは別に、線路の高さまで上る別ルートが開かれている。先述のカルテ・リンネ高架橋の下で、草生した空地から右斜め前に上っていく林道がそれだ。

これをたどると、まず、ポレロストンネルの建設工事で使われた水平作業坑の入口がある(下注)。なおも崖際を進めば、クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとに出ることができるのだ。案内標識はないが、お立ち台よろしくベンチが1脚置かれていたから、一応パブリックルートなのだろう。

*注 内部も途中まで見学可能。人感センサーで照明がつくので一瞬びっくりする。

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(左)ポレロストンネルの水平作業坑
(右)素掘りの坑内に列車の走行音が轟く
 

ここからは線路と同じレベルで、橋向こうの断崖シュピースヴァント Spießwand と、そこに開けられた長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel から出てくる列車を捉えられる。小道はこのあと高架橋の下へもぐりこみ、急坂で谷底まで降りて、車道に合流する。

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クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとで撮影
右下に見える道が本来のトレールルート
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正面奥は区間最短のクラウゼルトンネル
 

ブライテンシュタイン駅

クラウゼルクラウゼ高架橋を過ぎれば、いよいよ最終区間だ。車道を500mほど下ったところに、アドリッツグラーベンの小集落があり、ゼメリング峠から降りてきた車道、すなわち先述の、アドリッツグラーベン高架橋から谷底経由で来る場合の車道と出会う。

トレールはブライテンシュタイン駅に向かっているが、ここは谷底、駅は崖上に広がる緩斜面の上だ。標高差は約80mある。車ならヘアピンカーブの道(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße で上るのだが、トレールは橋のたもとで車道から分かれる。村人が駅へ行くときに使う近道があるのだ。森の中をジグザグに上っていく山道で、急勾配だが、距離は確かに短い。

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(左)アドリッツグラーベンの小集落
  背景の崖はヴァインツェッテルヴァント
(右)ブライテンシュタイン駅への近道
 

とはいえ、登山に慣れている人は別として、ゼメリングから延々歩いてきた後のこの坂は、脚にこたえる。疲れた脚をいたわるためにも、駅の坂下にある列車の発着案内モニターは、しっかり確認する必要がある。

ブライテンシュタイン駅は、上下線の間に待避線をはさむ3線構造なのだが、上下ホーム間を直接行き来する連絡通路がないのだ。通過列車が多く、当然ながら線路横断は厳禁だから、ホームを間違えると、駅構内西方の地下道を通って結構な距離を移動しなければならない。

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ブライテンシュタイン駅
 

わざわざプラットホームの話を持ち出したのは、ウィーン方面行きの列車が、山側すなわち進行方向左側の2番線に発着するからだ。日本では当たり前だが、オーストリアの鉄道は、ドイツや東欧諸国と同じく原則右側通行なので、間違いやすい。南部本線の左側通行は、開通当初からだ(下注)。

*注 複線での運用は左側通行だが、保線作業などで片方の線路を閉鎖するときは、残りの単線で双方向運転を行う(双単線方式)。そのための渡り線が随所に設けられている。

2012年に西部本線ザルツブルク方面からの列車乗り入れが開始されたのに伴い、ウィーン~パイエルバッハ・ライヘナウ間は右側通行に変更されたが、パイエルバッハ以南は、ゼメリング鉄道区間を含めて今なお左を走っている(下注)。

*注 ゼメリング基底トンネルは、右側通行で計画されている。

ブライテンシュタインの駅舎内にも、ゼメリング鉄道関連の資料展示がある。世界遺産登録を記念して、各自治体がこうした取り組みを行っているようだ。帰りの列車を待つ間に眺めておこう。

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駅舎内の資料展示の一部

鉄道史上特筆すべき路線とはいえ、ゼメリング鉄道は、高度化が進む現代の鉄道輸送網の中で、明らかに隘路と認識されている。急曲線と急勾配の連続で、旅客列車は高速化がかなわず、貨物列車は牽引定数が制限される。古い構造物が多く、維持保守にもコストがかかる。

オーストリアでは、すでにウィーン~リンツ間やインスブルック周辺(ブレンナールート)などで高速線の整備が進んでおり、ゼメリングも20世紀半ば以降、峠道を避けた長大トンネルの計画案が練られてきた。

実際に2012年春から、グログニッツ~ミュルツツーシュラーク間で、長さ27.3kmのゼメリング基底トンネル Semmering-Basistunnel を経由する新線の建設が行われている。2019年に発生した落盤事故の影響で工期の遅延が生じてはいるものの、今のところ2027年完成の予定だ。並行する単線トンネル2本で構成され、設計速度は230km/h、これにより旅客列車の所要時間は、現在の45分から1/3の約15分にまで短縮されるという。

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ゼメリング基底トンネルの計画ルート
東口と西口の標高差が239mあるため、蛇行ルートで高度を稼ぐ
最大勾配は8.4‰
Image at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在のゼメリング鉄道は存続の見込みだが、同じように基底トンネルが開通したスイスのゴットハルト線 Gotthardbahn やレッチュベルク線 Lötschbergbahn のように、優等列車や貨物列車が消えて、ローカル旅客主体の寂しいダイヤになってしまうに違いない。幹線らしい活気ある姿を記憶にとどめたいとお考えの方は、早めのお出かけをお勧めする。

なお、本稿で紹介したトレールルートは変更されたり、悪天候や災害により通行できなくなる場合もありうる。現地の最新情報を確認の上で利用されたい。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真は2018年9月および2019年6月に撮影。

■参考サイト
ゼメリング鉄道(公式情報サイト) http://www.semmeringbahn.at/
ゲーガ博物館 http://www.ghega-museum.at/

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 ゼメリング鉄道を歩く I
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

2021年6月 9日 (水)

ゼメリング鉄道を歩く I

名所のイメージにあやかった観光用のキャッチフレーズをしばしば見かける。日本アルプスや小京都などは早くから定着しているし、欧米でも同じように、「何とかのスイス」「何とかのリヴィエラ」など、旅心をくすぐる言い回しがある。

鉄道の世界ではかつて「ゼメリング」もそうだった。19世紀のドイツ語圏でゼメリングは、粘着運転で山を上る鉄道の代名詞とみなされていた。たとえばザクセンのゼメリング sächsische Semmering、プラハのゼメリング Prager Semmering(下注)など、小規模ながら同じような性格をもつ路線が、いくつもこの山岳鉄道にたとえられた。

*注 ザクセンのゼメリングはドレスデン近郊にあるヴィントベルク鉄道 Windbergbahn、プラハのゼメリングはプラハ・スミーホフ=ホスティヴィツェ線 Bahnstrecke Praha-Smíchov – Hostivice の別名。

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ゼメリング鉄道の象徴ポレロスヴァントの断崖を縫う特急列車
 
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モデルとなった本家のゼメリング鉄道 Semmeringbahn(下注)は、オーストリアにある。独立した路線ではなく、ウィーン Wien からグラーツ Graz やクラーゲンフルト Klagenfurt、さらにはイタリア、スロベニアに通じるオーストリア連邦鉄道 ÖBB の国際幹線「南部本線 Südbahn」の一部区間だ。

*注 ユネスコ公式サイトの表記に従って「ゼメリング鉄道」と記すが、Semmering の現地での発音は「セマリン」と聞こえる。

具体的にはグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間41.8kmを指し、複線電化されてはいるものの、最大勾配28‰、最小曲線半径190mという厳しい線形で、東部アルプスのゼメリング峠を越えていく。麓とサミットの高度差は459mに及ぶ。

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ゼメリング鉄道周辺図
 

山岳地形に対応させるために、ルートには、上下2本のサミットトンネル(新・旧ゼメリングトンネル)などトンネル15本と、2層建て4本を含む主要な高架橋16本の建設が必要とされた。並行して、急勾配を上ることのできる強力な蒸気機関車の開発が、設計コンペにより進められた。

開通は1854年。ヨーロッパ初の本格的な山岳鉄道であり、土木工学と機械工学の両面で鉄道技術の発展に寄与したことが評価され、1998年にゼメリング鉄道は、鉄道分野で初めてユネスコ世界遺産に登録されている。

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ゼメリング駅にある世界遺産登録の記念プレート
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(左)トレールに沿って案内板が設置されている
(右)一部を拡大
 

全長41kmのうち、見どころは峠の東側(ウィーン側)に凝縮されている。駅でいえば、パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau からゼメリングまでの間だ。列車はカーブだらけのルートを、シュヴァルツァ川 Schwarza の谷底から峠の直下までじりじりと上り詰めていく。車窓を流れる景色からでも山岳鉄道の雰囲気は味わえるとはいえ、窓が開かない最近の車両では、特色ある高架橋のような足もとの構造物はほとんど視界に入ってこない。

幸い現地には、線路に沿って山野を行くハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」が延びている。歩いてみれば、鉄道がどれほど険しい地形を貫こうとしたかがわかるだろう。未知の難題に果敢に挑戦し、克服した19世紀の技術者の心意気も、より深く感じ取れるに違いない。

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パイエルバッハ・ライヘナウ駅を通過する貨物列車
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区間最長のシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viaduct
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区間最大のカルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viaduct

出発点ゼメリング駅

2018年6月の晴れた日、この道を歩く機会があった。スタート地点はゼメリング駅 Bahnhof Semmering にした。見どころ区間の終点であるパイエルバッハまで21.3kmの道のり(下注)だが、途中で撮り鉄もするから、とてもそこまで行けそうにない。本日のゴールは、ゼメリングから二つ目のブライテンシュタイン駅になるだろう。歩く距離は9.5kmに短縮されるものの、アップダウンが激しいので、これでもたっぷり3~4時間(撮り鉄の時間は別)は見ておく必要がある。

*注 Wieneralpen in Niederösterreich のリーフレット "Bahnwandern im UNESCO Weltkulturerbe Semmeringeisenbahn" によるトレールの実長。なお、バーンヴァンダーヴェークはゼメリング鉄道全線をカバーしており、全長46km。

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(左)ČD(チェコ国鉄)所属のレールジェットでセメリング駅に降り立つ
(右)新ゼメリングトンネル(西行き)がホームから見える
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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

ゼメリング駅は標高896mの高地にある。サミットトンネルを目前にした、まさに峠の駅だ。そのうえここは、山岳鉄道を知る手がかりが集積された場所でもある。ホームに降り立ってまず目につくのは、鉄道の生みの親であるカール・フォン・ゲーガ Karl von Ghega(1802~1860)(下注)の立派な記念碑だ。

*注 ゲーガはその功績を称えられて1851年に騎士 Ritter(=貴族階級)に列せられたので、正式にはカール・リッター・フォン・ゲーガ Karl Ritter von Ghega と称する。

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ゲーガ記念碑
 

山を越えるにはラック式鉄道かケーブルカーのような特殊鉄道しか方法がないと考えられていた1840年代、彼はイギリスとアメリカに赴いて先進例を調査し、粘着式鉄道(車輪とレールの摩擦力に頼る通常の鉄道)の可能性を確信した。

ゲーガの作成した計画は6年の工期を経て実現される。もし特殊鉄道で造られていたなら、輸送能力の低さから、たちまち大改修か別線の建設が必要になっただろう。それに対してゼメリング鉄道は、そのままの位置で160年以上も持ちこたえている。

記念碑の隣にはクリームとブルーに塗られた車両が置かれているが、もちろんゲーガの時代のものではない。1938年製のもと制御車で、戦後の車両不足を補うために1951年に動力化された気動車(車両番号5144 001-4)だ。南部本線で急行列車やローカル輸送に従事した縁で、1991年の引退後ここに移され、ゼメリング自治体の資産として静態保存されている。

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静態保存されている5144系気動車
 

外の観察を終えたら、駅舎に入ろう。旅客駅としてはとうに無人化され(下注)、待合室に乗車券と飲料の自販機があるだけだ。しかし、世界遺産登録を機会に、駅舎内にインフォメーションセンター 兼 博物館が整備された。5月から10月の毎日9~15時の間、開館している。

ゼメリング鉄道に関するさまざまな資料が公開されているが、高架橋を模した鉄道レイアウトや沿線のスケッチなど、ドイツ語を知らなくても楽しめる展示も多く、トレール歩きの期待感を高めてくれる。

*注 旅客サービスは行っていないが、棟続きにÖBBの運行管理センターがある。

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駅舎内のゼメリング鉄道博物館
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館内の展示
(左)カルテ・リンネ高架橋の線路敷設を描いた石版画と、測量用の経緯儀(セオドライト)
(右)同 高架橋を模したレイアウト
 

バーンヴァンダーヴェーク(鉄道自然歩道)

訪問記念に絵葉書を数枚購入して、駅舎を出た。インフォメーション係のご婦人の、展望台へ行くなら黄色の標識に従って、というアドバイスのとおり、駅前広場の擁壁ぎわにさっそくトレールの方向を示す標識が立っていた。

まず目指すポイントはドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte(下注)だが、広場から坂を上がったところに、紛らわしい分かれ道があるので要注意だ。線路のすぐ山側を並行する小道に出ることができれば、後は一本道になる。

*注 案内標識には Doppelreiteraussichtswarte(Aussicht は見晴らし、Warte は望楼、物見台の意)と表記されている。

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(左)トレールの案内標識
(右)バーンヴァンダーヴェークの道標
 

ゼメリング鉄道を含む南部本線は、首都ウィーンとグラーツやクラーゲンフルトなど南西部の主要都市を結ぶ幹線で、運行頻度はかなり高い。特急列車のレールジェット Railjet が30~60分ごとに行き交うし、長い貨物列車もしばしば通る。トレールを歩いている間にも遠くからごうごうと走行音が響いてきて、カメラを構えるチャンスがたびたびあった。

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自然歩道の横を通過する列車
(左)ÖBB(オーストリア連邦鉄道)所属のレールジェット
(右)機関車4重連の回送運転
 

蒸気列車を象った遊具のある広場「ゼメリング子どもの駅 Kinderbahnhof Semmering」を過ぎると、トレールは線路の下に潜り、谷側に場所を移す。沢を渡るために上り下りした後、山脚を回って、鉄道のヴォルフスベルクコーゲル停留所 Haltestelle Wolfsbergkogel の横に出る。駅とは違い、停留所は列車交換や追い抜きをする待避線を持たないので、ここも上下線の旅客ホームだけの簡素な構造だ。周辺には、庭付き一戸建てが点在している。

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ヴォルフスベルクコーゲル停留所
(左)西方向(右)東方向
 

夏も涼しいゼメリングは、鉄道開通後しばらくすると、保養地として注目されるようになった。きっかけを作ったのは当時、鉄道を運営していた帝国勅許南部鉄道会社 k.k. priv. Südbahn-Gesellschaft だ。1882年に、ゼメリング駅から1.3kmの見晴らしの地に南部鉄道ホテル Südbahnhotel が開業し、その後350室を擁する大規模なリゾート施設に拡張された。これを追って1910年代までに、一帯にしゃれたヴィラや豪華なホテルが建ち並んだ。

ゼメリングは、こうして裕福なウィーン市民の夏の社交場としてもてはやされた。第一次世界大戦後は、不況も手伝ってブームは下火になるが、盛時を彷彿とさせる豪壮な建物が今も随所に残されている。トレールはその一つ、クーアハウス・ゼメリング Kurhaus Semmering の建物前を通って、再び林の中へ入っていく。

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山腹に建ち並ぶホテルや別荘群
右端が南部鉄道ホテル
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測候塔からの眺望
左手前が南部鉄道ホテル、中央奥がクーアハウス・ゼメリング
背景左はラックス Rax、右はシュネーベルク Schneeberg の山塊
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(左)ホッホシュトラーセ Hochstraße 沿道の休憩所
(右)南部鉄道ホテルの測候塔 Wetterstation
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ゼメリング峠(パスヘーエ Passhöhe)のバス停
 

ドッペルライター展望台

軽い上り坂を300mほど歩いたところで、目の前に木骨組みの塔が現れた。ドッペルライター展望台だ。少々華奢な木の階段だが、臆せずデッキに上がれば、すばらしい眺望が待っている。

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ドッペルライター展望台
 

アドリッツグラーベンバッハ川の峡谷を隔てて北の方角に見えるのが、クロイツベルク Kreuzberg からアイヒベルク Eichberg にかけてのなだらかな山稜だ。その山腹を縫うようにして、ゼメリング鉄道が通っている。視界の右端はクラム Klamm の村と教会で、ここにも線路があるはずだが、森の陰で見えない。

右から正面にかけては、石灰岩の断崖絶壁が連なる。プフェッファーヴァント Pfefferwand とヴァインツェッテルヴァント Weinzettelwand(Wand は絶壁の意)の名で、盾さながらにそびえ立っている。

その崖と森の境目に、数個のアーチを連ねた箱状の構造物がはまっているのが見えるだろう。落石から線路を保護するための覆道(ギャラリー)だ。線路は、断崖の中を長さ688mのヴァインツェッテルヴァントトンネル Weinzettelwand-Tunnel で通り抜けているが、実際は、中間2か所で外に露出しており、そこが覆道になっている。

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ヴァインツェッテルヴァントを通り抜ける貨物列車
 

トンネル出口から顔を出した列車は、すぐ左のヴァインツェッテルフェルトトンネル Weinzettelfeld-Tunnel(長さ239m)に入り、次いでブライテンシュタイン Breitenstein の集落に現れる。ここに今日のゴールとなるはずの、同名の駅がある。列車が構内をゆっくりと通過するようすは、まるで鉄道模型だ。

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ブライテンシュタイン駅を通過する貨物列車
機関車の左の2階建が駅舎
 

左のほうへ目を移すと、ポレロスヴァント Polleroswand の切り立った断崖に目を奪われる。縦に深く走る節理が生々しい。崖の手前に見える鉄道トンネルは、ゼメリング鉄道で最も短い長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel だ。線路はさらにクラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt を介して、ポレロストンネル Polleros-Tunnel(長さ337m)へと続く。

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ドッペルライター展望台から北方向のパノラマ
 

ほれぼれするようなパノラマだが、しかし何かが欠けている。そう、最も有名なカルテ・リンネ高架橋が、山陰に隠れてしまうのだ。それを見るには、標識に従ってトレールをもう少し先へ進む必要がある。

続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真の撮影時期は2018年9月および2019年6月。

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2021年4月12日 (月)

アッヘンゼー鉄道の危機と今後

オーストリアのラック登山鉄道の一つ、アッヘンゼー鉄道 Achenseebahn は1889年に開通し、130年もの長きにわたり蒸気運転を守り続けてきた。

この間、帝国解体に伴う恐慌、ナチスドイツの経済制裁による観光不況、第二次大戦末期の戦火、戦後の道路交通との競合、そして最近では2008年の機関庫焼失と、小さなローカル線は幾度も存廃の危機に直面した。しかしその都度不死鳥のようによみがえり、今やチロル Tirol の貴重な文化財、重要な観光資源として、存在価値は誰もが認めるところだ(下注)。

*注 アッヘンゼー鉄道の概要については「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I」「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II」で詳述している。

ところが、その古典鉄道が昨年(2020年)以来、運行を休止している。鉄道の公式サイトには「当分の間、アッヘンゼー鉄道、イェンバッハ~マウラッハ・ゼーシュピッツ間に旅客列車は走りません」という断り書きが記されている。いったい何が起きたのだろうか。

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長期運休を知らせる公式サイトの記事(2021年4月12日現在)

運休の直接の原因は、鉄道を運行していたアッヘンゼー鉄道株式会社 Achenseebahn AG の倒産だ。州政府によるインフラ整備支援のための補助金「民営鉄道中期投資プログラム Mittelfristiges Investitionsprogramm für Privatbahnen (MIP)」の交付が2015年から凍結されたため、とうとう運営資金が枯渇した。2020年3月25日にインスブルック地裁で破産手続が開始されている。

凍結の根拠は、アッヘンゼー鉄道が(公共交通機関ではなく)純粋な観光施設であると、連邦当局が評価したことにあるという(下注)。連邦鉄道 ÖBB の公式時刻表で311(旧 31a)の時刻表番号が与えられていたように、アッヘンゼー鉄道はもともと地方公共交通機関、いわゆる ÖPNV の扱いを受けていた。しかし、評価替えを反映してか、最近は公式路線図からも抹消されている。

*注 補助金は民営鉄道法に基づくもので、財源の50%までを連邦が拠出している。

現行投資プログラムは2019年に期限を迎え、2020年から次のサイクルに入る。そのため、ÖPNV への復帰が認められない限り、今後も交付対象にならず、資金不足が一段と深刻化するのは明らかだった。

もとより、この鉄道の乗客は観光目的が大半だ。というのも、起点イェンバッハ Jenbach からアッヘン湖 Achensee 方面へは、バスが1時間間隔で走っている。主邑マウラッハ Maurach までの所要時間は、鉄道の33~35分に対して、バスは24分だ。運賃差も大きいため、鉄道は日常利用には向いていない。純粋な観光鉄道という指摘は一面で正しい。

しかし、それは今に始まったことではなく、戦後、並行道路が整備され、バス路線が開業した後、ずっとこの状態だ。にもかかわらず、アッヘンゼー鉄道は ÖPNV だったので、1980年代から上記制度による支援を受けてきた。

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外の渡り板を伝って検札に回る車掌
(2012年8月撮影)
 

では、なぜ急に評価が変更されたのか。真相は判然としないが、2013年に表面化した鉄道会社の運営上の混乱が影響しているという見方がある。

この年の10月初め、鉄道会社の社長が、監査役会 Aufsichtsrat の決議により予告なしに解雇された。主な理由は、運営管理のミスにより会社に150万ユーロを超える損害を与えたというものだったが、元社長は受け入れず、決着は法廷に持ち込まれることになった。翌年9月には、決議を主導した監査役会会長を信任できないとして、監査役4名が辞任を表明する事態も起きた。

長年、鉄道に奉職し、蒸気運転の維持に努めてきた元社長に対して、監査役会会長は近代化による一般旅客輸送路線への転換論者で、内紛の根底にはその意見対立があったようだ。事態が表沙汰になったことで、連邦当局も慣例を見直し、利用実態に即して判断することを迫られたのではないか。

確かに、このままでは所要時間や運賃水準の点でバスに劣り、一般利用の回復は永遠に見込めない。袋小路を脱するために、新たに任命された会社執行部は、輸送効率を向上させる構想を具体化していった。驚くことに、それは路線の電化を前提としたものだった。

2018年6月11日から翌日にかけて、スイスのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen でラック区間解消により不要となったBDeh 4/4形電車2両が、イェンバッハに運ばれてきた。秋には同形車3両と、ペアになるABt形制御車5両が続いた。

しかし財政の悪化で電化工事のめどがまったく立たないため、これらは構内および仮設線に留め置かれた。電化が実現しない場合、代わりにハイブリッド駆動への換装が想定されていたというが、そもそもこの電車でアッペンツェルよりはるかに険しい勾配(下注)を問題なく走れるという確証はどこにもなく、実用化の道のりは遠かっただろう。

*注 最大勾配は、この車両が走っていたアッペンツェル鉄道のザンクト・ガレン St. Gallen ~トイフェン Teufen 間の100‰に対して、アッヘンゼー鉄道は160‰。

同年11月29日の朝、留置していた車両の外壁がスプレーでひどく汚されているのが見つかった。被害額はユーロ6桁レベル(千万円単位)とも言われたが、会社にはそれをカバーする資金がない。筆者が翌年6月にイェンバッハ駅を通りかかったときも、電車は構内の目立つ場所で無残な姿を晒していた。鉄道が陥っている苦境を象徴する光景だった。

それでも2019年のシーズン中、アッヘンゼー鉄道の運行は何とか続けられた。しかし、冬ごもりの後、次のシーズンを無事に迎えることはできなかったのだ。

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汚されたアッペンツェルの連節車
イェンバッハ駅にて(2019年6月撮影)

補助金を凍結したとはいえ、チロル州政府は鉄道を見捨ててしまったわけではない。ただ、州域で最初となる世界遺産への推薦を、かねて連邦政府に働きかけていたことから、真正性を損なうような電化案を進める現体制に対しては、積極的な支持を示してこなかったように思われる。

破産宣告を受けて、州議会は休止中に発生するランニングコストの支援予算を承認した。そして副知事のもとで関係先と協議を重ね、早くも2020年12月に、アッヘンゼー鉄道の再開に向けての基本案を閣議決定している。

それによれば、州が60%、ツィラータール交通事業株式会社 Zillertaler Verkehrsbetriebe AG (ZVB) が20%、沿線各自治体が残り20%を出資して、受け皿となる新会社が設立される。ツィラータール交通事業というのは、同じイェンバッハが拠点のツィラータール鉄道 Zillertalbahn(下注)や沿線の路線バスを運行している事業者だ。同社が経営に参画することで、スタッフ、保守作業、資材購入など運営の効率化やマーケティングの共同実施といった相乗効果が期待されている。

*注 ツィラータール鉄道の概要については「オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道」参照。

投資プログラムの申請期限に間に合わなかったため、インフラ整備に必要な資金については、州が独自に保証する。これを充当することで、線路設備にも改良が加えられる。公式サイトによれば、イェンバッハ駅とエーベン駅の配線を一部変更するとともに、フィシュル Fischl 付近のラック区間に列車交換設備を新設し、マウラッハ駅でも交換設備も復活させる。これにより運行を60分間隔にして、終点でアッヘン湖の連絡船に必ず接続できるようにするという。

物議をかもした電化案は撤回され、蒸気運転が継続されることになった。ただし、4両在籍する蒸気機関車のうち、まず2両を油焚きに転換する。油焚きの場合、石炭をくべる機関助士の乗務が不要になるなど、運行コストの圧縮に効果がある。一方、石炭焚きで残すのは1両のみとされているので、後の1両もやがては油焚きになるのだろう。

その陰で、はるばるアッペンツェルからやって来た電車は将来への展望を失った。一度も走らせてもらえないまま、制御車2両を残して、2021年2月にあえなく廃車解体されてしまった。

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ゼーシュピッツ駅を出発する蒸気列車
(2012年8月撮影)
 

2021年3月2日は、新会社「アッヘンゼー鉄道施設管理・運行有限会社 Achenseebahn Infrastruktur- und Betriebs-GmbH」の設立総会の開催日だった。州副知事ヨーゼフ・ガイスラー LHStv Josef Geisler は定款に署名した後、次のように挨拶した。

「関係するすべてのパートナーによる無数の転轍操作 Weichenstellungen(選択、決定の含意)を経て、アッヘンゼー鉄道の存続に今や青信号が灯りました。明確な施設管理と運行のコンセプトに基づき、文化財としても保護された鉄道が、2022年夏のシーズンに運行を再開するでしょう。時刻表 Fahrplan(行程表の含意)が整ったのです」。

夏のシーズンは5月に始まる。行程と目標は明確になったが、開業以来の規模となる模様替えがこれから1年余りでどこまで整うのか、アッヘンゼー鉄道の今後が注目される。

 

【追記 2022.4.10】

公式サイトで、2022年4月30日からの運行再開が発表された。時刻表によると、ピーク前後の期間は週末を中心に3往復、ピーク期(6月25日~9月18日、火曜を除く毎日)は5往復が設定されている。

■参考サイト
アッヘンゼー鉄道(公式サイト) http://www.achenseebahn.at/
チロル州政府(公式サイト) https://www.tirol.gv.at/
オーストリア放送協会(ORF)チロル支局 https://tirol.orf.at/

★本ブログ内の関連記事
 オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I
 オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II

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