登山鉄道

2021年10月 8日 (金)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に続いて、保存鉄道・観光鉄道リスト-スイス南部編に挙げた中から、主だった路線を紹介していこう。

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山上駅へ向かうゴルナーグラート鉄道の電車(2013年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番27:フルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke (DFB)

メーターゲージの蒸気機関車が走る保存鉄道で、ブロネー=シャンビー Bloney-Chamby(項番:北部編31)と双璧をなすのが、アルプス山中にあるフルカ山岳蒸気鉄道だ。延長17.8kmの本格的な山岳路線で、アプト式ラックを使ってフルカ峠 Furkapass を越えていく。

ここは1982年のフルカ基底トンネル開通まで、氷河急行 Glasier-Express も通るフルカ・オーバーアルプ鉄道 Furla-Oberalp-Bahn の「本線」だった(下注)。列車名の「氷河」というのは、かつて峠の西側で車窓から見えたローヌ氷河 Rhonegletscher のことだが、近年はすっかり後退し、露出した岩壁を拝むしかなくなった。

*注 フルカ峠経由の旧線は、雪害を避けて冬季は運休していたので、最後の運行は前年(1981年)の10月11日に行われた。

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HG4/4形704号機
フルカ峠トンネルの前で(2020年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、氷河の爪痕であるダイナミックなU字谷の眺めは、今なお乗客を魅了するのに十分だ。ラック蒸機は、1942年の路線電化以前に活躍していたオリジナル機が集められ、懐古旅行の真正性を演出している。

保存鉄道は、レアルプ Realp とオーバーアルプ Oberalp の両端駅でフルカ・オーバーアルプ線(項番29)と接続しているので、復路は基底トンネル経由でショートカットできる。蒸機が2時間15分かける峠越えを、電車は20分前後であっけなく走破してしまう。

*注 鉄道の詳細は「フルカ山岳蒸気鉄道 I-前身の時代」「同 II-復興の道のり」「同 III-ルートを追って」参照。

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グレッチュ駅のHG 3/4形1号機(2006年)
Photo by Marcin Wichary at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番28~30:マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB)

MGBのフルカ・オーバーアルプ線 Furla-Oberalp-Bahn (FO) とブリーク=フィスプ=ツェルマット線 Brig-Visp-Zermatt-Bahn (BVZ) は、ブリーク Brig のSBB駅前で接続している。もとは別会社だが、設立の経緯からして兄弟路線だ。後者(当時は VZ)は、難産だった前者の全通を支援し、運行も30年以上にわたり請け負っていた。両鉄道は2003年に合併し、マッターホルン・ゴットハルト鉄道 Matterhorn Gotthard Bahn (MGB) と名乗るようになった。

フルカ・オーバーアルプ線(項番29)には、名称のとおり、フルカ峠とオーバーアルプ峠 Oberalppass という二つの峠越えがある。前者は基底トンネルに置き換えられてしまったが、後者はアンデルマット Andermatt の東に、開通当時のままのルートで使われている。峠まで600m近くある高度差をヘアピンで上っていく間、ウルゼレン Urseren の船底形の谷間が見下ろせる。氷河急行の車窓名所の一つだ。

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オーバーアルプ峠に向かう氷河急行
ネッチェン付近(2007年)
Photo by Champer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

アンデルマットではシェレネン線 Schöllenenbahn(項番28)が分岐し、SBB(スイス連邦鉄道)ゴットハルト線のゲシェネン Göschenen 駅に向けて降りていく。アプト式ラックで勾配179‰、トンネルとギャラリー(覆道)が連続するルートは、登山鉄道顔負けの険しさだ。隣を走る道路がヘアピンを繰り返しながら下っているのを見れば、それが実感できる。

鉄道が通過していくシェレネンの峡谷は、そそり立つ不安定な岩肌と足元にほとばしる急流で、昔からゴットハルトの峠越えきっての難所だった。「悪魔の橋 Teufelsbrücke」の伝説に彩られた、谷をまたぐ古い石橋が車窓からもよく見える。

*注 鉄道の詳細は「MGBシェレネン線と悪魔の橋」参照。

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悪魔の橋付近の勾配路(2011年)
Photo by Хрюша at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ブリーク=フィスプ=ツェルマット線(BVZ、項番30)は、アルプス観光でユングフラウ地方と人気を二分してきたツェルマット Zermatt へ旅行者を連れていく。ブリークからは約1時間半の旅になる。

列車が遡るのは、ローヌの支流フィスパ川 Vispa の谷だ。初めは穏やかだが、谷が二手に分かれるシュタルデン Stalden から奥では勾配が強まり、ラック区間が数か所ある。1991年の大規模な地滑りで谷が埋まったランダ Randa 付近では、2.9kmにわたって線路が移設されている。危険個所を避けるために対岸の扇状地を上り、また降りるという力業は、ラック鉄道ならではだ。

ツェルマットには車の乗り入れができない。そのため、一つ手前のテッシュ Täsch 駅前に大駐車場があり、車を預けた旅行者のために、20分間隔でシャトル列車が出発する。早朝は言うに及ばず、週末は深夜も運行されて24時間体制だ。

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ノイブリュックの石橋
© 2021 www.bvzholding.ch
 

項番31:ゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn (GGB)

ツェルマットを訪れた旅行者がまず行きたいと思うのは、秀峰マッターホルン Matterhorn がきれいに見える展望台だろう。ケーブルカーやロープウェーで行ける展望台がほかにもあるとはいえ、やはりゴルナーグラート鉄道は外せない。

長さ9.34km、三相交流電化の鉄道は、アプト式ラックで最大200‰の急勾配を上っていく。町裏の谷壁に張り付いている間も、ピラミッド形の岩山は木の間越しに見えているのだが、リッフェルアルプ Riffelalp を過ぎると森林限界を超え、眺望を遮るものがなくなる。

標高3089mのゴルナーグラート山上駅はユングフラウヨッホ Jungfraujoch に次ぐ高所にあり、周囲には、スイス最高峰のモンテ・ローザ Monte Rosa 山塊をはじめ、4000m級のピークが30以上も連なる。天気のいい日なら、このまま戻るのは惜しく、つい周辺を歩いてみたくなる。一帯は岩だらけだが、雪が積もると人気のスキーエリアに変貌する。鉄道の利用者も夏より冬のほうが多いそうだ。

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リッフェルベルク駅とマッターホルンの眺め(2016年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34:チェントヴァッリ鉄道 Ferrovia delle Centovalli

スイストラベルパスの利用者にとってこの鉄道は、シンプロン線と合わせて、スイス国外を経由する回廊ルートとして重宝されている。南部のヴァリス Wallis(ヴァレー Valais)州とティチーノ Ticino 州の間を鉄道で行くとすれば、これが最短ルートになるのだ。

チェントヴァッリ鉄道は、ロカルノ Locarno とイタリアのドモドッソラ Domodossola を結んでいて、東半分はスイス領だが、西半分はイタリア領を通っている(下注)。百の谷を意味するチェントヴァッリも、実はスイス側での呼称に過ぎない。イタリアではその続きの谷をヴァッレ・ヴィジェッツォ(ヴィジェッツォ谷)Valle Vigezzo と呼ぶため、鉄道の愛称も「ヴィジェッツィーナ Vigezzina」だ。

*注 運営会社は、スイス側がティチーノ地方交通 Ferrovie autolinee regionali ticinesi (FART) 、イタリア側がアルプス山麓鉄道事業 Società subalpina di imprese ferroviarie (SSIF)。

ロカルノ市街地はかつて路面軌道だったが、1990年の地下トンネル化により、所要時間の短縮が図られた。イントラーニャ Intragna の手前でアーチ鉄橋を渡った後は、チェントヴァッリの峡谷に入る。国境の先で一転谷は穏やかになるが、それもサミットを越えるまでだ。後は再び勾配60‰、半径50mの厳しいヘアピンルートで、眼下に広がるオッソラ Ossola の谷底平野へ降りていく。

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イゾルノ川の鉄橋、イントラーニャ付近(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番36~39:シャブレー公共交通 Transports publics du Chablais (TPC)

1999年にシャブレー公共交通 TPC として統合された4路線は、粒ぞろいの登山線だ。これらの鉄道群はいずれも、ローヌ谷を走るSBB線から、周囲の山に点在する避暑地、保養地への足として建設されている。

そのうち3路線が、SBBエーグル Aigle 駅前から出発する。エーグル=レザン線 Ligne Aigle-Leysin(AL、項番36)は、延長6.2kmで4路線では最も短い。小さな市街地を路面軌道で抜けた後、車庫前でスイッチバックし、レザン・グラントテル Leysin-Grand-Hôtel まで約1000mの高度差を一気に上っていく。アプト式ラック鉄道とはいえ、230‰の急勾配はほとんどケーブルカーの感覚だ。終点名になっているグラントテル Grand-Hôtel はかつて高地療養施設だったが、その後、アメリカンスクールに転用されて現在に至る。

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エーグル市街地の路面軌道(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

エーグル=セペー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets(ASD、項番37)も、エーグル市街地を路面軌道で抜けるのは同じだ。しかし、4路線で唯一、ラックを使用しない。そのため、町を出てからは60‰勾配のヘアピンルートで山にとりつく。たどる山腹は、レザン線の谷向かいに当たる。ル・セペー Le Sépey でスイッチバックした後は、穏やかな谷間を走り続け、起点から約50分でレ・ディアブルレ Les Diablerets の町に到着する。

ラック式を選択しなかったのは、この後ピヨン峠 Col du Pillon を越えて、グシュタード Gstaad でモントルー=ベルナー・オーバーラント鉄道(北部編 項番29)に接続する計画があったからだ。しかし結局、実現せずに終わった。

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レ・ディアブルレ山塊を背にして
ファベルジュ停留所付近(2012年)
Photo by at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

東へ向かう上記2線に対して、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry(AOMC、項番38) は、南に針路をとる。駅の直後にあったディアブルレ線との平面交差は、2006年のルート変更で解消された。オロン Ollon からローヌ谷を横断して、モンテー・ヴィル Monthey-Ville までが、ルート前半の平坦線だ(下注)。

*注 かつてCFFモンテー駅前まで路面軌道で続いていたが、1976年に廃止。現在のモンテー・ヴィル駅は1986年に移転新築されたもの。

後半はイリエ谷 Val d'Illiez を遡るため、ラックレールの出番になる。いったんエーグル方面に戻って左へ分岐すると、やおら最大135‰の勾配で斜面を上っていく。モンテー市街地やローヌの谷底平野を見晴らす景勝区間だ。左手の山並みの背後に、ときおり名峰ダン・デュ・ミディ Dents du Midi の鋸歯が姿を見せる。ラック区間は計3か所あり、終点シャンペリー Champéry では標高1035mに達する。

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モンテー・ヴィル駅を後に(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

TPC 4線の中でベー=ヴィラール=ブルテー線 Bex-Villars-Bretaye(BVB、項番39)だけは、エーグルの南8kmのベー Bex 駅前が起点だ。最初は同じような路面軌道だが、道幅が狭いため、電車は両側の建物に挟まれるようにして走る。郊外のベヴュー Bévieux からはラック区間で、標高1131mのグリオン Glion までぐいぐい上る。グリオンからヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon へは再び粘着線で、一部は路面軌道になっている。

ヴィラールで列車は乗換えだ。残りの区間は時刻表番号が異なり、別線の扱いになっている。というのも沿線にもはや集落がなく、利用するのは、夏なら主としてハイカーかゴルフ客、冬はスキー客だからだ。全線ラック区間で、終点コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye は標高1808m。山頂が間近に見え、もちろん4路線では最高地点になる。

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コル・ド・ブルテー駅付近(2016年)
Photo by KlausFoehl at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番40:TMR マルティニー=シャトラール線 TMR Ligne Martigny-Châtelard (MC)

ローヌ谷のマルティニー Martigny から、メーターゲージの列車がフランスのシャモニー・モン・ブラン Chamonix-Mont-Blanc 方面へ向かう。国境までは、マルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) の運行だ。地形はスイス側のほうがはるかに厳しく、峡谷の肩にとりつくために2.5kmのラック区間がある。勾配200‰、半径80mのヘアピンルートで、車窓に映るローヌ川の平底の谷がみるみる沈んでいく。

集電方式もユニークだ。もとは根元のマルティニー~ヴェルネア Vernayaz 間だけが架空線式で、ほかはフランス側も含めて第三軌条(コンタクトレール)方式だった。しかしスイス側は、1990年代にラック区間を除いて架線集電に改築され、レールだけが延びるフランスとは対照的な鉄道風景になっている。

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トリアン川鉄橋、ヴェルネア駅付近(2010年)
Photo by ChrisJ at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番26:SBB ゴットハルト(ゴッタルド)線 SBB Gotthardbahn/FFS Ferrovia del Gottardo

標準軌(1435mm軌間)の山岳路線にも触れておこう。ゴットハルト(ゴッタルド)線は、スイスアルプスを最初に縦断した歴史を持つSBBの主要幹線だ。ゴットハルト Gotthard はドイツ語、ゴッタルド Gottardo はイタリア語で、トンネルの上にある峠の名だが、日本語としては後者になじみがあるかもしれない。

路線の全長は206km、ルツェルンに近いインメンゼー Immensee が起点で、長さ15003 mのゴットハルトトンネルを経由して、イタリア国境手前のキアッソ Chiasso が終点になる。といっても、線路は国境を越えて続いており、スイスを通過してドイツとイタリアを結ぶ貨物列車も頻繁に通行する。そもそもこの鉄道は、計画段階からスイスだけでなくドイツとイタリアの政府が関与し、建設資金も共同で投じた国際事業だったのだから、当然のことだろう。

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ヴァッセン付近を行く貨物列車
右端にヴァッセンの教会が見える(2016年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ルートは当時の技術の粋を凝らしている。高度差は、北斜面で約650m、南斜面で900mとかなりのものだ。そのため、北側では、プファッフェンシュプルング Pfaffensprung のスパイラルの後、ヴァッセン Wassen 付近で大規模なS字ループを構える。走行する列車から、ヴァッセンの教会が角度を変えて3回見えることで有名だ。南側にもスパイラルが4か所あり、うち下部2か所はビアスキーナ・ループ Biaschina-Schlaufen と呼ばれる二重スパイラルで、撮影名所にもなっている(下の写真)。

かねてより貨物輸送のモーダルシフトを促すために、高速新線の建設が進められていたが、2016年に、長さ57.1kmのゴットハルト基底トンネル Gotthard-Basistunnel が開通した。続いて2020年には、ベリンツォーナ Bellinzona ~ルガーノ Lugano 間でも、長さ22.6kmのチェネリ基底トンネル Galleria di base del Ceneri が完成した。以来、優等列車や貨物列車はこれらの新線経由に切り替えられた。その結果、旧線に来るのは1時間ごとの快速列車だけになり、複線の立派な施設が半ば遊休化している。

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ビアスキーナ・ループ(2020年)
Photo by SOB Suedostbahn at flickr.com. License: CC BY 2.0
 

項番23:BLS レッチュベルク線(レッチュベルク山岳線)BLS Lötschbergbahn (Lötschberg-Bergstrecke)

レッチュベルク線はSBBの路線ではなく、ベルン州と連邦が大株主のBLS社(下注)が運営している。もともとゴットハルト鉄道のルートから外れたベルン州が、巻き返しのために計画したフランスとイタリアを結ぶ幹線ルートの一部だ。連邦政府がゴットハルトとの競合を警戒して出資を渋ったため、パリ財界の支援で着手できたといういきさつがある。

*注 BLSは、もとの社名ベルン=レッチュベルク=シンプロン Bern-Lötschberg-Simplon の略称を正式社名にしたもの。

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カンダー川高架橋(旧橋)
フルーティゲン南方(2009年)
Photo by Satoshi T. at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ベルンアルプスを横断する長さ14.6kmのレッチュベルクトンネルは、坑道崩壊でルート変更を余儀なくされる難工事(下注)の末、1913年に開通した。トンネル入口までの高度差が北斜面で570m、南斜面で540mと大きく、そのため、北側ではヴァッセンによく似たS字ループ、南側ではローヌ谷の谷壁に沿う長い傾斜路がある。とりわけ後者は、ローヌ谷が眼下に広がる絶景区間としてよく知られている。

*注 詳細は「レッチュベルクトンネルの謎のカーブ」参照。

こちらも2007年にレッチュベルク基底トンネル Lötschberg-Basistunnel が開通したことで、旧線は1時間に1本のローカル線となった。新線と区別するために、レッチュベルク山岳線 Lötschberg-Bergstrecke とも呼ばれる。

しかし、ゴットハルト線と事情が異なるのは、並行する自動車道がないことだ。そのため、トンネルを挟んだカンダーシュテーク Kandersteg ~ゴッペンシュタイン Goppenstein 間(下注)で運行されてきた、車を運ぶカートレイン Autoverlad は健在だ。今後、山岳線の存在価値はこの機能に集約されていくような気がする。

*注 シンプロントンネルのイタリア側出口の駅、イゼッレ Iselle まで行く中距離便もある。

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ビーチュタール鉄橋(2007年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0

リストでは、ケーブルカーもいくつか挙げた。

シャーロック・ホームズの故地へ行くライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn(項番14、下の写真)、スイス最古の歴史を誇るギースバッハ鉄道 Giessbachbahn(項番17)、世界最急勾配を争うシュトース鉄道 Stoosbahn(項番7)とゲルマー鉄道 Gelmerbahn(項番15)、世界最長ルートのSMCケーブルカー Funiculaire SMC(項番25)、3種の鉄軌道を乗り継いで上るベルティカルプ・エモッソン Verticalp Emosson(項番41)など、いずれ劣らぬユニークさが売り物だ。

高所へ行く乗り物だから当然、到達先で得られる眺望も期待に背かない。鉄道旅行の合間に、こうした小施設を訪ねるのも思い出に趣を添えるのではないだろうか。

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ライヘンバッハ滝鉄道の古典車両
© 2021 www.sherlockholmes.ch
 

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 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年10月 2日 (土)

スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I

保存鉄道・観光鉄道-スイス南部編のリストには、アルプスの山中と、イタリア国境に接する地中海斜面の鉄道群を挙げている。見渡せば、名だたる観光路線がずらりと並んでいて壮観だ。スイス旅行に出かけたことがある人なら、そのうちのいくつかに乗車した思い出をお持ちに違いない。

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ラーゴ・ビアンコのほとりを行くベルニナ急行
オスピツィオ・ベルニナ駅南方(2017年)
Photo by Zacharie Grossen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

対象とした地域は3000~4000m級の山脈が東西に連なり、ヨーロッパでも特に地勢の険しいところだ。路線の多くが、小回りが利き、経済的なメーターゲージ(1000mm軌間)などの狭軌規格で建設されている。また、高度差を克服するためにラックレールが多用され、粘着式でも60~70‰といった急勾配が珍しくない。

全容はリストをご覧いただくとして、ここでは主な注目路線(有名どころが多くなるのは避けがたいが)を挙げていこう。

「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swisss.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス南部」画面

項番1~6:レーティッシュ鉄道 Rhätische Bahn (RhB)

まず、東のグラウビュンデン州 Kanton Graubünden にはレーティッシュ鉄道(下注)の特色豊かな路線網がある。州都クール駅の標高は584m、サン・モリッツ駅は同 1775m、ベルニナ線にある最高地点は同 2253mだ。これほどの高度差にもかかわらず、この鉄道はラックレールを用いず、レールと車輪の粘着力だけで急勾配の難路を克服する。

*注 鉄道名、路線名はユネスコ世界遺産の和訳に従う。なお、rhätische(レーティッシェと読む)は、古代地名ラエティア Raetia のドイツ語「Rätien(レーツィエン)」の形容詞形で、「グラウビュンデンの」と同義。

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ダヴォス・プラッツ=フィリズール線のヴィーゼン高架橋(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最初に造られたのはダヴォス線 Davoserlinie(項番3)だが、構想段階ではラック式かスイッチバックで高度を稼ぐことになっていた。ところが、1882年に開通したゴットハルト(ゴッタルド)鉄道 Gotthardbahn の成功に刺激を受け、効率的な運行が可能な粘着式の通過線に切り替えたのだという。クロスタース Klosters 駅が当初スイッチバック駅だったのは、原計画の名残らしい。これも1932年にオメガループのトンネルに置き換えられて、今は存在しない。

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クロスタース駅に進入する列車
かつてのスイッチバックはオメガループのトンネルで解消(2015年)
Photo by Patrick Nouhailler's… at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

世界遺産にも登録されたアルブラ線 Albulabahn(項番1)は、確かにゴットハルト鉄道の狭軌版だ。二重スパイラルやベルギューン Bergün 南方のヘアピンルートなど、生き写しのように見える。

さらに同線には、長さ136m、高さ65mのラントヴァッサー高架橋 Landwasserviadukt というランドマークがある。背が高く細身で、かつ急カーブを描きながら断崖絶壁に突き刺さる光景は、まるで幻想画の世界だ。最寄りのフィリズール Filisur 駅から遠くないので、途中下車して、展望台や橋の直下へ、ハイキングがてら見物に出かけるのもいいだろう(下注)。

*注 シーズン中は、駅からラントヴァッサー急行 Landwasser-Express と銘打った遊覧バスも出ている。

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ラントヴァッサー高架橋遠望(2018年)
Photo by Geri340 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

同じく世界遺産のベルニナ線 Berninabahn(項番6)は、レーティッシュ鉄道の路線網で少し異色の存在だ。というのも、電化方式が他線の交流に対して直流のため、車両が基本的に線内限定で運用されてきたからだ。それが世界遺産効果で、今やベルニナ急行 Bernina Express は5往復まで増便、交流区間に乗入れ可能な交直両用電車が投入されている。

この路線の魅力は、変化に富んだルートと沿線風景の素晴らしさだ。アルプスに抱かれた湖のほとりのオスピツィオ・ベルニナ Ospizio Bernina(冒頭写真参照)から、イタリアの町ティラーノ Tirano まで高度差は実に1824m。その間にU字谷の壁をジグザグに降下し、オープンスパイラルを回り、市街地の路面軌道で車と並走する。乗り通せば2時間10分以上かかるが、少しも長いと感じさせない。

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名所モンテベッロ・カーブ Montebello-Kurve
背景はモルテラッチュ氷河(2012年)
Photo by Hansueli Krapf at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ブルージョ・ループ橋(2012年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
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ティラーノ聖母教会前の広場を横断(1992年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

観光客が集中するアルブラ、ベルニナに比べて、アローザ線 Arosabahn(項番2)は知る人ぞ知る存在かもしれない。しかし、これもまた魅力の詰まったルートだ。クール駅前からは路面軌道で出発する。町を離れると、早くも深い谷間で、列車はじりじりと高度を上げていく。

列車は左斜面の高みを走っていくが、中盤で谷を横断して右斜面に位置を移す。そこに架かっているのがラングヴィース高架橋 Langwieser Viadukt だ。長さ284m、高さ62mの優美なコンクリートアーチ橋で、同線のシンボル的構造物になっている。線路が橋のたもとで90度カーブしているおかげで、往路、ラングヴィース駅にさしかかる車窓から、その姿を遠望するチャンスがある。

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ラングヴィース高架橋(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8~9:リギ鉄道 Rigi-Bahnen (RB)

次は、中央スイス Zentralschweiz に目を向けよう。フィーアヴァルトシュテッテ湖 Vierwaldstättersee、別名ルツェルン湖を中心とするこの地域は、スイス建国の故地でもある。1856年にルツェルン Luzern まで鉄道が到達し、フランス、ドイツなど国外からの旅行者が多数訪れるようになった。

アルプスの展望台として人気が高まっていたリギ山 Rigi に、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したヨーロッパ最初のラック鉄道が開業したのは1871年のことだ。フィッツナウ・リギ線 Vitznau-Rigi-Bahn(項番8)が先行し、アルト・リギ線 Arth-Rigi-Bahn(項番9)が後を追った。

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縦型ボイラーの保存機7号が
フィッツナウ・リギ線の急勾配を行く(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

前者は湖畔の町フィッツナウ Vitznau が起点で、ルツェルンからの船便がある。一方、後者の起点は山の反対側にあるアルト・ゴルダウ Arth-Goldau で、SBB(スイス連邦鉄道)線が接続している。

鉄道旅行者はアルト・リギ線を使うが、リギ山の主要な登山口は本来、湖側(下注)だ。そして登山鉄道の車窓も、湖の展望が開けるフィッツナウ・リギ線がはるかにいい。ルツェルンからフィッツナウへは船で約1時間、途中、ルツェルンの交通博物館 Verkehrhaus 前にも寄港する。片道をこちらにすれば一味違った周遊コースになるだろう。

*注 登山鉄道開通以前、陸路ではキュスナハト Küssnacht、航路はヴェッギス Weggis が主な登山口だった。

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両線が合流するリギ・シュタッフェル駅
赤の電車はフィッツナウ・リギ線、青はアルト・リギ線(2011年)
Photo by Bobo11 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

*注 鉄道の詳細は「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

 

項番11~13:ツェントラール鉄道 Zentralbahn (ZB)

1870年代はアルプスの前山 Voralpen にとどまっていた鉄道路線だが、1880年代になると、より奥地へと延伸されていく。ルツェルン側からは、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura–Bern–Luzern-Bahn がその役を担った。現在のZBブリューニック線 Brünigbahn(項番12)で、1888~89年にブリエンツ Brienz まで開業している(下注)。

*注 ブリエンツからは、ブリエンツ湖の蒸気船でインターラーケン Interlaken 方面に連絡した。ブリューニック線の全線開業は27年後の1916年。

ブリューニック線は、点在する5つの湖(ルツェルン湖、アルプナッハ湖 Alpnachersee、ザルネン湖 Sarnersee、ルンゲルン湖 Lungerersee、ブリエンツ湖 Brienzersee)のほとりを縫っていく路線だ。20世紀の建設なら長いトンネルで貫いてしまいそうなブリューニック峠も、ラックレールで律儀にサミットまで登っている。当然、車窓には期待どおりの景色が次々と現れて見飽きることがない。

同線はかつて、SBB唯一のメーターゲージ線だったが、2005年にルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE、項番11)、改めツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn に移管された。LSEの列車は、社名のとおりルツェルンに直通しているが、自社路線はヘルギスヴィール Hergiswil までで、その先はブリューニック線に乗り入れていた。この移管により、2本のメーターゲージ線が一体化され、合理的な運営が可能になった(下注)。

*注 2021年には、マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn (MIB)(項番13)もZBの運営下に入っている。

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ブリエンツ湖畔を走るブリューニック線の列車
ニーダーリート駅東方(2009年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn (PB)

ブリューニック線と同時期の1889年に、ピラトゥス鉄道が開業している。これもラック鉄道だが、その構造は特別だ。480‰という途方もない勾配のため、リッゲンバッハやアプトのような垂直ラック式では、走行中にピニオン(歯車)がせり上がり、脱線の危険がある。そこでラックを水平かつ左右対称に配置し、両側からピニオンで挟む方法が考案された。この珍しいロッヒャー Locher 式は、世界でもここでしか見られない。

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ロッヒャー式装置
Photo by Roland Zumbühl at www.picswiss.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

ブリューニック線のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅から、ピラトゥスの車両が望見できるが、側面の平行四辺形はどう見てもケーブルカーだ。車内も段差のついたコンパートメント式になっている。しかし、ケーブルカーと異なるのは、多客時に何両も続行で運行されることだ。車窓から前後を行く車両が見えるので、走行写真も自在に撮れる。しかし現在、連節車の導入計画が進んでいて、実現すればこの名物走行は見られなくなるかもしれない。

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終点に向け最後の登坂(2020年)
Photo by Maria Feofilova at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16:ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn (BRB)

ブリューニック線の到達は、1892年6月のブリエンツ・ロートホルン鉄道開業につながった。列車が目指すロートホルン山頂に何があるのかと言えば、やはりアルプスの眺望だ。ブリエンツ湖の谷を隔てて、万年雪を戴くベルン・アルプス Berner Alpen の山並みが見渡せる。

しかし、どの世界にもライバルはいるもので、同じころユングフラウ地方 Jungfrauregion でも鉄道の開業が続いた。旅行者は、よりダイナミックな眺望が得られるほうに流れる。ブリエンツとインターラーケンの間にはまだ航路しかなく、アクセスの上でも不利だった。

鉄道の経営は一向に安定せず、結局、第一次世界大戦による旅行控えがとどめとなって、1915年に運行が中止される。再開は16年後の1931年だ。すでにライバルたちは電化を完了しており、皮肉にもブリエンツ・ロートホルン鉄道は、まだ蒸気運転をしているという希少性によって人気を得た。

現在の主役は1992~96年に新造された油焚きの蒸機だが、フルカ山岳蒸気鉄道とともに非電化のラック鉄道として、貴重な存在であることに変わりはない。

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ゲルトリート信号所での列車交換(2013年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番18~22:ユングフラウ鉄道群 Jungfraubahnen

ベルナー・オーバーラント Berner Oberland 東部、インターラーケンやユングフラウ地方の鉄道網は、1872~74年開業のトゥーン湖 Thunersee とブリエンツ湖 Brienzersee の港の間を連絡する8.4kmの小路線(下注)から始まった。

*注 トゥーン湖東端の港デルリゲン Därligen とブリエンツ湖西端のベーニゲン Bönigen の間を結んだ標準軌のベーデリ鉄道 Bödelibahn。1893年にトゥーン Thun から延伸されてきた鉄道と接続して、国内路線網に組み込まれた。

1890年代になると、今もある鉄道路線の大半が舞台に現れる。ベルナー・オーバーラント鉄道(1890年)、ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道(1891年)、シーニゲ・プラッテ鉄道とヴェンゲルンアルプ鉄道(1893年)、少し遅れてユングフラウ鉄道の地上区間(1898年)と続く。

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U字谷の急崖を上る
ラウターブルンネン~ヴェンゲン間(2019年)
Photo by Donnie Ray Jones at www.flickr.com. License: CC BY 2.0
 

このうち、ベルナー・オーバーラント鉄道 Berner Oberland-Bahn、略してBOB(項番18)は、インターラーケン・オスト Interlaken Ost 駅に発着する。標準軌線の列車から旅行客を受け取り、ユングフラウ地方の中心部へ送り込むのが使命だ。オスト駅のホームに待機する列車は長大編成で、どことなく「幹線」の風格を漂わせている。

編成が長いのは併結列車だからで、途中のツヴァイリュッチネン Zweilütschinen で2本に分割される。通常、前部がラウターブルンネン Lauterbrunnen、後部がグリンデルヴァルト Grindelwald 行きなので、乗り間違いには気をつけたい。

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グリンデルヴァルト駅
左はBOB、右はWABの列車(2011年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

そのBOBのヴィルダースヴィール Wilderswil 駅からは、シーニゲ・プラッテ鉄道 Schynige-Platte-Bahn (SPB)(項番19)の列車が出発する。1910年代のラック式電気機関車と小型客車2両という懐古編成で、標高1967mの山上駅まで急坂を上っていく。

先へ進めばユングフラウ三山の麓まで行けるというのに、なぜ10~15kmも離れたこの山に登山鉄道が造られたのだろうか。実はこの距離にこそ意味があるのだ。一歩引いた位置のおかげで、三山はもとより、ヴェッターホルン Wetterhorn からブライトホルン Breithorn までベルン・アルプスが広く視界に入る。また、中間駅ブライトラウエネン Breitlauenen 駅周辺から見下ろすトゥーン湖、インターラーケン、ブリエンツ湖の眺望もすばらしい。

他の路線と違い、この鉄道の運行は夏のシーズン(おおむね5~10月)限定だ。冬季閉鎖中の雪害を避けるため、上部区間では運行期間終了後、架線の取り外し作業が行われる。

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トゥーン湖とインターラーケン市街地を背景に上る列車
ブライトラウエネン駅付近(2007年)
Photo by Andrew Bossi at wikimedia. License: CC BY 2.5
 

BOBの二つの終点からサミットのクライネ・シャイデック Kleine Scheidegg を目指すのが、ヴェンゲルンアルプ鉄道 Wengernalpbahn (WAB)(項番20)だ。800mm軌間、BOBより小ぶりの車両だが、乗り込めば、いよいよアルプスの核心に向かうのだという高揚感が湧いてくる。

乗客の何割かは、ユングフラウ鉄道に乗り継ぐのが目的だろう。しかし、この路線自体、U字谷、山麓牧草地、三山の岩壁と、絶景が車窓に現れ続けるから目が離せない。勾配は最大250‰と険しく、列車は常に電動車を坂下側にして走る。谷底にあるグルント Grund 駅のスイッチバック構造や、クライネ・シャイデックで運行系統が二分されている(下注)のは、それが理由だ。

*注 クライネ・シャイデックには三角線があり、列車編成の向きを変えることは可能だが、定期列車には使われていない。

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ヴェンゲン駅に入線する列車(2003年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トップ・オヴ・ユーロップ Top of Europe のうたい文句どおり、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn (JB)(項番21)はヨーロッパ最高所の鉄道駅に旅行者をいざなう。開業以来、スイス観光のハイライトとして不動の地位を保つ鉄道だ。

しかし9.34kmのルートのうち、車窓からアルプスの風光を楽しめるのはアイガーグレッチャー Eigergletscher 駅にかけての約2kmに過ぎない。あとは終点まで素掘りのトンネルの中だ。途中のアイガーヴァント Eigerwand とアイスメーア Eismeer の両駅では数分の停車があり、岩壁に開いた窓から外の景色が眺められたのだが、2016年の新型電車就役以来、時間短縮のために、停車はアイスメーアのみとなった。

下界が晴れていても、山上は濃霧と強風の可能性がある。運よく天気に恵まれれば、アレッチュ氷河 Aletschgletscher 源流域のまばゆい銀世界を目の当たりにできる。

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クライネ・シャイデック駅に停車中の列車
背景はアイガー北壁(2012年)
Photo by Mjung85 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続きは次回に。

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 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II

 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編
 オーストリアの保存・観光鉄道リスト

2021年9月22日 (水)

スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編

アルプス山脈が国土の約6割を占めるスイスは、誰しも認める観光大国だ。19世紀以来、その振興に鉄道が重要な役割を果たしてきた。山間に点在するリゾートや人気の展望台へ、延びる線路が旅行者を絶えず呼び込んでいる。鉄道自体も観光資源化され、乗車体験を目的に多数の人が訪れる。

鉄道の使命はそれにとどまらない。貨物輸送のモーダルシフトを推進するため、主要幹線では、長大トンネルを含めて大規模な線路改良が行われてきた。ローカル輸送でさえ、他国ならとうにバス転換されているような路線が存続し、モダンな低床車両が行き来している。

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レマン湖畔の葡萄畑を上るSBBの臨時列車
ヴヴェー=ピュイドゥー・シェーブル線(項番33)にて(2020年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

今、スイスの保存鉄道・観光鉄道のリストを編んでいるところだ。ヨーロッパでもとりわけ鉄道が活性化している国とあって、シュヴェーアス・ウント・ヴァル社の「スイス鉄道地図帳 Eisenbahnatlas Schweiz」などを参考にしながら挙げていくと、80件近くに上った。このうち北部編には、主としてミッテルラント Mittelland とジュラ山地 Jura にある鉄道路線を収録している。

「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_swissn.html

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「保存・観光鉄道リスト-スイス北部」画面
 

各項目では、公式サイトへのリンクとともに、鉄道が走る場所を特定できるように、グーグルマップ(「Google」と表記)と官製地形図(「Swisstopo」と表記)の、2種の地図サイトにリンクを張った。

スイスの地形図は描画の美しさに定評があり、政府が製作したいわゆる官製図のジャンルでは間違いなく最高峰だ。閲覧サイトも充実していて、各縮尺図や空中写真との切り替え機能はもとより、旧版地形図もすべて公開され、年次別表示や比較対照が自在にできる。

最新図式では、赤の線で描かれているのが鉄道だ。このうち太線は標準軌、細線は狭軌で、線が2本並行しているのは複線(またはそれ以上)を表す。駅名も赤字で添えられており、場所の特定に効果を発揮する。詳しい使い方については、本ブログ「地形図を見るサイト-スイス(基本機能)」「地形図を見るサイト-スイス(旧版図閲覧)」を参照されたい。

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swisstopoサイトでの鉄道の表示例
赤の太線は標準軌、細線は狭軌、二重線は複線以上
© 2021 swisstopo

北部編で特に興味を引かれた鉄道をいくつか挙げてみよう。

項番1~5:アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen

スイスの鉄道の特徴の一つは、ラックレールを用いる急勾配区間の多いことだろう。地勢の険しいアルプスの山中は言うに及ばず、その前山 Voralpen にも集中するエリアがある。それが東部ザンクト・ガレン St. Gallen、アッペンツェル Appenzell 周辺の丘陵地帯だ。

ここには現在3本のラック鉄道があるが、最も歴史の古いのが、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (項番2)だ(下注)。ヨーロッパで初めて実用化されたフィッツナウ・リギ鉄道(1871年)の4年後の1875年に開業している。

*注 かつては独立した鉄道会社だったが、2006年にアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen(略称 AB)に合併されたため、リストでは「AB ロールシャッハ=ハイデン登山線」と記している。

もちろん同じニクラウス・リッゲンバッハ考案の方式を使っており、リギ山やブダペストの路線とともに、ラック鉄道の第1世代に位置づけられる。1435mmの標準軌で、ラックレールの形状による制約からカーブが比較的緩やかなのがこの世代の共通項だが、同一軌間の強みを生かして、列車がSBB(スイス連邦鉄道)線の一部区間に乗り入れるのが興味深い。

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ハイデン駅に到着した列車(2009年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

2番目に古いのは、1889~1904年に開業したアッペンツェル路面鉄道 Appenzeller Strassenbahn、現在のザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (項番5)だが、全部で7か所あったラック区間は、後の線路改良で順次廃止され、2018年から全線が粘着式運転になった。用済みのラック用電車の一部は、オーストリアのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に譲渡された。ところが補助金の打ち切りで電化計画が頓挫したことで、一度も使われずに廃車となった事件は記憶に新しい(下注)。

*注 詳細は「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

次は、見晴らしの良いことで知られるアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais (項番4)だ。開通は1912年と、時代が下がる。このころのラック鉄道の多くは、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で採用されて広まったシュトループ Strub 式で建設されている。フランス・シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、ドイツ・バイエルンのヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn などが兄弟分だ。

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ガイスへのラック区間を上る(2010年)
Photo by Kabelleger at www.bahnbilder.ch. License: CC BY-SA 3.0
 

最も新しいのは、意外にもライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (項番1)で、1958年に運行を開始した。意外にも、という理由は、見かけが古風だからだ。それも道理で、もとは1896年にケーブルカーとして開業し、山麓駅と少し離れたSBBのライネック Rheineck(下注)駅との間はトラムで連絡していた。この2本の路線をつなげる形で再構築されたのが、現在のラック鉄道だ。乗っていると、平坦線が急に険しい勾配に変わるので、もとの姿が想像できる。

*注 地名ライネック Rheineck は、ライン川 Rhein の曲がり角 Eck という意味で、語の成り立ちを尊重して「ラインエック」とも書かれる。

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ケーブルカー時代の面影を残す急勾配線(2015年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

現存3線はそれぞれに個性的だが、将来の見通しは明るくない。利用者数が減少しているとして、2019年から、より効率的な代替輸送に関する検討が開始されており、バス転換の可能性も出てきている。

項番30:モントルー=グリオン=ロシェ・ド・ネー鉄道 Chemin de fer Montreux-Glion-Rochers de Naye

西部では、レマン湖畔から背後の山に上っていくラック登山鉄道が2本ある。どちらかを選ぶなら、湖岸にそそり立つ標高2042mの高峰ロシェ・ド・ネー Rochers de Naye に上るこの鉄道がいい。

乗り場はCFF(スイス連邦鉄道)モントルー Montreux 駅の奥にある薄暗い半地下ホームだ。押しやられたような場所にあるのは、ここに集まる3本の路線の中では新参だからだ。ところが、発車して最初のトンネルを抜けると、一転レマン湖を見下ろす急斜面に出て、車窓はそれ以降、壮大なパノラマ劇場と化す。ジグザグに上っていくので、左右どちらに座っても絶景を眺めるチャンスが来るのがうれしい。

ダン・ド・ジャマン Dent de Jaman の荒々しい岩壁が見えてくれば、旅も終盤を迎える。温暖な湖岸から50分、列車が山頂直下の終点に到着すると、乗客は氷河の痕跡、カール地形のどまん中に放り出される。風は思ったより冷たく、上着は必須だ。

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ロシェ・ド・ネー山頂から山上駅を見下ろす(2018年)
Photo by Johann Conus at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13:AVA ブレームガルテン=ディーティコン線 Bremgarten-Dietikon-Bahn

周辺諸国では戦後急速に数を減らしたメーターゲージ(1000mm軌間)の地方路線も、スイスではまだ一大勢力を保っている。建設費節約のために採用された規格なので、急曲線、急勾配がざらにあり、市街地では路面軌道も多く残っている。

チューリッヒ近郊を走るこの路線では、ブレームガルテン Bremgarten の町へ降りていく道路に沿うヘアピンルートが目を引く。何もそこまで道路に付き合わなくてもいいと思うが、もとはこの道路上を走る路面軌道だった。これだけ曲折してもなお勾配は55‰というから、直線化は不可能だ。

ブレームガルテンは、ロイス川 Reuss が蛇行する袋状の土地に築かれた小さな中世都市で、川を横断する鉄道のアーチ橋と組み合わせた写真がよく引用される(下の写真)。ディーティコンから乗ってきた客はほとんど町の中心駅で降り、車内はがらんとしてしまう。

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ブレームガルテン旧市街のロイス川に架かるアーチ橋(2012年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18~19:ジュラ鉄道 Chemins de fer du Jura
項番20:ラ・トラクシオン(牽引)La Traction

ジュラ鉄道は、フランス国境に横たわるジュラ山地で、メーターゲージ2路線と標準軌1路線を運営する鉄道会社だ。人口の少ない過疎地だが、旅客とともに貨物輸送も行って、地元経済に貢献している。リストに挙げたのはいずれもメーターゲージ線だ。

ラ・ショー・ド・フォン=ル・ノワールモン=グロヴリエ線 Ligne La Chaux-de-Fonds - Le Noirmont - Glovelier が本線格で、時計の町ラ・ショー・ド・フォン La Chaux-de-Fonds から出発する。市街地で併用軌道を少し走った後は、標高1000m前後の森と牧草地が交錯するのどかな高原地帯を進む。最後は谷底のグロヴリエ Glovelier へ降下していくのだが、その途中にオメガループ(馬蹄カーブ)とスイッチバックがある。

列車の進行方向が変わるコンブ・タベイヨン Combe-Tabeillon 駅は、人里離れた渓谷の中の秘境駅だ。折返しを待つ間、車内は静まり返り、どこか遠いところに置いて行かれたような気分になる。

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スイッチバックのコンブ・タベイヨン駅(2017年)
Photo by chrisaliv at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ところで、軽便鉄道の雰囲気が最も濃厚なこの区間が、初めは標準軌だったと知れば驚くだろう。セーニュレジエ Saignelégier の西側は1892年開業で、もとからメーターゲージだが、東側は遅れて1904年に、別会社により標準軌支線として誕生した。地元の有名な競馬行事、マルシェ・コンクール Marché-Concours の日には、バーゼルから直通列車が運行されたそうだ。しかし、ジュラ鉄道に統合後、1953年に狭軌に転換されて今の形となった。

旧標準軌区間にあるプレ・プティジャン Pré-Petitjean では、「ラ・トラクシオン La Traction(牽引の意)」の名で保存列車を運行する愛好家団体が、活動拠点を構えている。場所はプレ・プティジャン駅の東側にある元 製材所の敷地で、電車の窓からも見える。

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「ラ・トラクシオン」リーフレット表紙
© 2021 les-cj.ch
 

項番25:イヴェルドン=サント・クロワ鉄道 Chemin de fer Yverdon - Ste-Croix

この鉄道は、ヌーシャテル湖 Lac de Neuchâtel 南端の町イヴェルドン・レ・バン Yverdon-les-Bains を起点とする。全線の所要時間は36分に過ぎず、行路の前半は、のびやかな丘が続く平凡な車窓だ。ところが、中間駅ボーム Baulmes を後にすると、ルートはにわかに山岳鉄道の様相を帯びる。終点サント・クロワ Ste-Croix はジュラ山地の高原上にあり、そこまで高度400m以上も上らなければならないからだ。

線路は山裾にオメガカーブを描いて方向を変え、ジュラの東壁にとりつく。そして44‰の急勾配でじわじわと高度を上げていく。たとえばルツェルン Luzern~エンゲルベルク Engelberg 間の LSE線のように、ラック式で一気に高度を稼ぐこともできたはずだが、そうはしなかったのだ。地図上でルートを追うと、勾配を許容範囲に抑えるために、南西に大きく迂回して距離を引き延ばしていることがよくわかる。

斜面に育つ木々に遮られることが多いとはいえ、車窓からの眺めは文句なしに素晴らしい。左遠方にヌーシャテル湖の湖面とイヴェルドン市街地、正面に今通ってきた丘陵地とオルブ平原 Plaine de l'Orbe が横たわる。ラック式なら直線的に上るから、景色を楽しむ時間はもっと短かったに違いない。

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ビュイトベフ Vuiteboeuf 付近
これから上る線路が背後の山に斜めの筋を描く(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0

スイスの場合、一般路線でも見どころを挙げればきりがない。ましてや観光路線はそれを売り物にしているから、リストはこれだけでいっぱいになる。他国編で挙げているような蒸気機関車の保存鉄道 Museumsbahn ももちろんあるものの、どこか影が薄いのはやむを得ないことだ。

しかもスイスは鉄道の活用度が高く、保存列車走行に使えるような休止線(線路が残るもの)が少ない。また、電化が進んでいる(一般路線の電化率は100%)ので、蒸機といえども架線の下を走る形になってしまう。

項番7:エッツヴィーレン=ジンゲン鉄道線保存協会 Verein zur Erhaltung der Eisenbahnlinie Etzwilen-Singen

スイスとドイツの国境をまたいで走るこの標準軌路線は、珍しく電化されないまま2004年に休止となった。2007年にエッツヴィーレン Etzwilen と中間にある拠点駅ラムゼン Ramsen の間で保存列車の運行が始まり、2020年にドイツ側の終点ジンゲン Singen までの全線で運行が可能になった。

写真撮影に目障りな架線や支柱がなく、ルート上にはライン川を横断する高いトラス橋(下の写真)も架かっていて、舞台装置は申し分ない。しかし、今のところ運行日は夏のシーズンの月1回程度に過ぎず、毎週日曜日に実施される軌道自転車の貸出しが主体となっているのが惜しい。

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ライン川を横断する蒸気列車(2010年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8:チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland

チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland は、チューリッヒ州の高地地方を意味する。ここを通るヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間の標準軌旧線(1969年廃止)が、蒸気保存鉄道として蘇ったのは1978年のことだ。現在の主力は、1901年製のEd 3/3形蒸機2機だが、電化路線のため、電気機関車による運行も行われる。

この保存鉄道の優位性は、チューリッヒやヴィンタートゥールといった主要都市圏から、Sバーンで容易にアクセスできるところにある。運行日には最大6往復が設定され、その人気ぶりを物語る。

ルートは峠を挟んでいて、ヒンヴィールを発車するとすぐ、機関車は胸突き八丁に挑まなければならない。町を取り巻いて上っていくオメガループは、29.2‰の急勾配だ。サミットの南側のベーレツヴィール Bäretswil を過ぎると下り坂になり、右の車窓にチュルヒャー・オーバーラントの平原が見えてくる。

定番のビュフェカーはもとより、鉄道の創設者が経営した紡績工場跡の博物館見学、ボンネットバスでの送迎、沿線のハイキングなど、行楽客を誘う途中下車のオプションにも注目したい。

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バウマ駅を後にする蒸気列車(2011年)
Photo by Abderitestatos at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の蒸気保存鉄道にはこのほか、チューリッヒ南郊を走るチューリッヒ保存鉄道 Zürcher Museums-Bahn(項番12)、ジュラ山地のヴァル・ド・トラヴェール蒸気鉄道 Vapeur Val-de-Travers(項番24)、ベルン州のエメンタール保存鉄道協同組合 Genossenschaft Museumsbahn Emmental(項番26)などがある。

 

項番31:ブロネー=シャンビー保存鉄道 Chemin de fer musée Bloney-Chamby

メーターゲージ(1000mm軌間)の保存鉄道では、やはりブロネー=シャンビーにとどめを刺す。1968年から活動している老舗であり、保有する車両の種類と数でも群を抜いているからだ。

起点のブロネー Blonay へは、レマン湖畔のヴヴェー Vevey からヴヴェー電気鉄道 Chemin de fer électriques Veveysans の電車で向かう。この路線はラック線となってレ・プレイアード Les Pléiades の山上へ続いているが、元来、シャンビー Chamby が終点で、MOB線に接続していた。つまり、保存鉄道は、ヴヴェー電気鉄道が1966年に廃止した区間を使っているのだ。

全線わずか3kmと短いにもかかわらず、これほど変化に富んだルートはなかなか見つからない。最大50‰の急坂、小刻みに振れる曲線、谷を渡る急カーブのアーチ橋(ベ・ド・クララン高架橋 Viaduc de la Baye de Clarens)、さらには湖を見晴らす高台と、鉄道模型も顔負けだ。もとが電気鉄道なので、蒸機とともに、オールドタイマーの電気機関車や電車が走るのもうれしい。

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ベ・ド・クララン高架橋を渡る(2016年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

列車はブロネーを出発し、シャンビー到着後すぐ折り返して、近くの山手にあるショーラン車庫の鉄道博物館 Chaulin-Musée(SBB公式時刻表ではシャンビー博物館 Chamby-Musée と記載)に立ち寄る。ここまでが往路の扱いだ。急ぐ旅なら、直近のブロネー行き列車で戻ることもできるが、個性あふれる保存車両群を一つずつ観察し始めたら、いくら時間があっても足りないだろう。

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ショーラン車庫の凸型電気機関車Ge 4/4 75(2018年)
Photo by Allmendstrasse at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

南部編のあらましは次回に。

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2021年6月11日 (金)

ゼメリング鉄道を歩く II

前回の続きで、ゼメリング鉄道に沿って延びるハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」の中盤から先へ話を進めよう。

20シリング・ブリック

ドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte から、林の中の小道をほぼ水平にたどること約600m、ヴォルフスベルクコーゲル Wolfsbergkogel(標高961m)から延びる尾根を回る地点で道幅が少し広くなっている。ベンチが置かれ、休憩している人もいる。

ここで後ろを振り向くと、斜面の上方に木製のデッキが目に入るだろう。これがいわゆる「20シリング・ブリック 20-Schilling-Blick(20シリングの眺めの意)」の展望台で、トレールから小道で上れる。

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20シリング・ブリック展望台
 

20シリング・ブリックの名は、1968年から1989年まで発行されたオーストリアの20シリング紙幣の裏面に、ここから望む風景が採用されたことに由来する(下注)。絵柄の主役は、白い断崖ポレロスヴァントと、2層建てのカルテ・リンネ高架橋だ。後ろには、東部アルプスの一角をなすラックス Rax のずっしりとした山塊が横たわっている。

*注 紙幣の表面には、カール・フォン・ゲーガの肖像が使われた。

描かれた当時に比べて、現在は手前の森の木々が成長し、高架橋の下層をほとんど覆い隠してしまったが、それでもなおオーストリアを代表する絶景の一つに違いない。

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20シリング紙幣裏面(1968~1989年)
展望台の案内板を撮影
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紙幣に採用された構図
カルテ・リンネ高架橋を特急列車が通過中
 

トリミングされた紙幣の絵柄に比べて、実景の画角ははるかに広い。さきほどドッペルライター展望台で見たヴァインツェッテルヴァントの覆道から左側の景色がすべて目に入る。さらにカルテ・リンネ高架橋を渡り終えた列車が、山陰を回って、左の森の隙間から現れるというおまけつきだ。残念ながらここも周りの木が育って、写真に撮れるほどきれいには見えないが、鉄道が谷を大きく巻いて高度を稼いでいることがわかる。

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左がカルテ・リンネ、右はクラウゼルクラウゼ高架橋
ポレロスヴァントの断崖の背後はラックス山地
20シリング・ブリックからやや南方のトレールで撮影
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高架橋を渡り終えた列車は手前の森に
 

ÖBBの特急列車の車体は、深紅一色だ。カミーユ・コローの絵のように、青、緑、灰色が主体の自然景観の中で、格好のアクセントカラーになる。ただし近年は、それと交互にプラハ~ウィーン~グラーツ間で運行されている青ずくめのČD(チェコ国鉄)所属車も来るから、要注意だ。名画の風景を脳裏に刻んだら、名残惜しいが先へ進もう。

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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

アドリッツグラーベン高架橋

トレールはこのあと、アドリッツグラーベン高架橋を経由する。途中、山道から車道に出てまた山道に戻るなど、順路はやや複雑だが、黄色の標識の「ブライテンシュタイン駅 Bahnhof Breitenstein」が指す方向に進めば間違いない。

鉄道のヴェーバーコーゲルトンネル Weberkogel-Tunnel(長さ407m)のポータルの上を通り、坂を降りていくと、優美な弧を描くアーチ橋が見えてくる。アドリッツグラーベン高架橋 Adlitzgraben-Viadukt(下注)は長さ151m、高さ24m。1層アーチとはいえ、長さではゼメリング鉄道で第3位の規模をもつ。

*注 高架橋は、フライシュマン高架橋 Fleischmannviadukt とも呼ばれる。

展望台から遠望するのとは違い、目の前にある橋脚は想像以上に重厚、それでいてアーチの造りは繊細だ。橋の下の芝生には、建設工事で使われた作業員小屋やトロッコが復元されている。

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アドリッツグラーベン高架橋
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山の斜面を行くトレールからの眺め
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建設当時の小屋やトロッコを復元展示
 

次のポイントはいよいよカルテ・リンネ高架橋だが、ここからの経路は二通りある。一つはこのトレール本来のルートである山道経由だ。高架橋をくぐった後、線路の山側を進むのだが、ローテ・ベルク Rote Berg の険しい斜面を伝っていくため、登山道並みに狭く、アップダウンも激しい。

体の消耗を避けたければ代替ルートとして、谷底の車道(ゼメリング街道 Semmeringstraße)経由がある。車道といっても、田舎道なので通行量は少なく、歩くのに問題はない。もちろん、前者の経路にも努力に見合う特典はあり、距離が若干短いことと、アドリッツグラーベン高架橋を俯瞰する撮影地に出会えることだ。

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ローテ・ベルクの山道を進む
 

カルテ・リンネ高架橋

カルテ・リンネ Kalte Rinne は、寒い(冷たい)谷間を意味する。深く切れ込んだ谷底で日照時間が少なく、作物の実りが悪かったことに由来するという。狭い谷幅は橋を架けるには逆に好都合だが、山の中腹から出てくる線路を通すために、橋面がかなりの高さになるのは必定だった。

カルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viadukt は長さこそ184mで、パイエルバッハ・ライヘナウ駅の上手にあるシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viadukt(長さ228m)に次いで区間第2位だが、2層アーチ構造の全高は46mで最も高い。

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カルテ・リンネ高架橋は巨大な構造物
 

先刻アドリッツグラーベンの橋の重厚さに感心したばかりだが、カルテ・リンネ高架橋はそれをはるかに上回る巨大な構造物だ。下層は、径間12.6mの石造アーチ5個で、谷底の部分をカバーする。上層は径間14.5mの煉瓦積み、漆喰張りのアーチが10個連なる。下層の橋脚の太さは、まるで城壁だ。上層の橋脚はいくぶんスマートで、軽やかに上空に伸びている。

小川を渡る木橋が架けられ、車道から高架橋の下の草むした空地まで行ける。列車が通過すると、重低音が谷間にこだまする。列車の走行シーンを撮りたいところだが、高架橋は見上げる高さで、かつ欄干もある。少々距離を置いた程度では車両の上半分しか見えず、まともに撮影しようとすれば、橋の高さまで上る必要がある。

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下層の橋脚はまるで城壁
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通過する列車は上半分しか見えない
 

山道経由で来た場合は、高架橋のたもとにあるゲーガ博物館 Ghega Museum(下注)を通過する 。博物館前のテーブルが置かれたテラスの位置は、橋面より少し高く、背景に断崖を入れて、橋を渡る列車の構図が得られる。また、博物館の上手にもささやかなお立ち台が設けられている。下層が隠れるのは惜しいが、カントのついた曲線路をこちらに向かってくる列車には迫力がある。

*注 谷底の車道経由で来た場合は、高架橋をくぐり少し上ったところで、ゲーガ博物館へ通じる急坂が分岐している。

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ゲーガ博物館前から見る高架橋と断崖
 

ちなみに、ゲーガ博物館は2012年の開設で、ゲーガとその協力者の生涯と業績を知るための資料を多数展示している。建物自体は、かつての線路監視所 Streckenwärterhaus を改築したものだ。無人の山間部を通過するゼメリング鉄道には開通当初、見通しが利く間隔でこうした施設が設けられ、監視員が常駐していた。切妻屋根、荒石積み2階建ての同じような建物は、今も沿線に点々と残っていて、列車からも見える。

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ゲーガ博物館
(左)線路監視所を改築した建物
(右)所狭しと並ぶ展示品
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カルテ・リンネ高架橋のレイアウト
ゼメリング駅のものより出来がいい
 

クラウゼルクラウゼ高架橋

ゼメリング駅から坂を下ってきた列車は、カルテ・リンネ高架橋を渡るとすぐに、ポレロストンネルに突っ込む。次に姿を現すのは、クラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt の上だ。この高架橋も同じく2層構造で、下層は3つ、上層は6つのアーチで構成される。沢をまたぐ橋のため、長さは87mに過ぎないが、高さは36mと区間中第4位だ。

トレールは車道(といっても田舎道)を通っていて、川の流れに沿う緩やかな下り坂だ。その途中で左上にこの高架橋が見える。谷底から仰ぐ風景は一幅の絵で、のしかかるようなポレロスヴァントの荒々しい岩肌に、滑らかな人工のアーチがきりっと映える。しかしここも、通る列車が上半分見えればいい方だ。

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ポレロスヴァントの中腹に架かるクラウゼルクラウゼ高架橋
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カルテ・リンネと同じ2層構造
 

それで、車道とは別に、線路の高さまで上る別ルートが開かれている。先述のカルテ・リンネ高架橋の下で、草生した空地から右斜め前に上っていく林道がそれだ。

これをたどると、まず、ポレロストンネルの建設工事で使われた水平作業坑の入口がある(下注)。なおも崖際を進めば、クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとに出ることができるのだ。案内標識はないが、お立ち台よろしくベンチが1脚置かれていたから、一応パブリックルートなのだろう。

*注 内部も途中まで見学可能。人感センサーで照明がつくので一瞬びっくりする。

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(左)ポレロストンネルの水平作業坑
(右)素掘りの坑内に列車の走行音が轟く
 

ここからは線路と同じレベルで、橋向こうの断崖シュピースヴァント Spießwand と、そこに開けられた長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel から出てくる列車を捉えられる。小道はこのあと高架橋の下へもぐりこみ、急坂で谷底まで降りて、車道に合流する。

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クラウゼルクラウゼ高架橋のたもとで撮影
右下に見える道が本来のトレールルート
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正面奥は区間最短のクラウゼルトンネル
 

ブライテンシュタイン駅

クラウゼルクラウゼ高架橋を過ぎれば、いよいよ最終区間だ。車道を500mほど下ったところに、アドリッツグラーベンの小集落があり、ゼメリング峠から降りてきた車道、すなわち先述の、アドリッツグラーベン高架橋から谷底経由で来る場合の車道と出会う。

トレールはブライテンシュタイン駅に向かっているが、ここは谷底、駅は崖上に広がる緩斜面の上だ。標高差は約80mある。車ならヘアピンカーブの道(ハウプトシュトラーセ Hauptstraße で上るのだが、トレールは橋のたもとで車道から分かれる。村人が駅へ行くときに使う近道があるのだ。森の中をジグザグに上っていく山道で、急勾配だが、距離は確かに短い。

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(左)アドリッツグラーベンの小集落
  背景の崖はヴァインツェッテルヴァント
(右)ブライテンシュタイン駅への近道
 

とはいえ、登山に慣れている人は別として、ゼメリングから延々歩いてきた後のこの坂は、脚にこたえる。疲れた脚をいたわるためにも、駅の坂下にある列車の発着案内モニターは、しっかり確認する必要がある。

ブライテンシュタイン駅は、上下線の間に待避線をはさむ3線構造なのだが、上下ホーム間を直接行き来する連絡通路がないのだ。通過列車が多く、当然ながら線路横断は厳禁だから、ホームを間違えると、駅構内西方の地下道を通って結構な距離を移動しなければならない。

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ブライテンシュタイン駅
 

わざわざプラットホームの話を持ち出したのは、ウィーン方面行きの列車が、山側すなわち進行方向左側の2番線に発着するからだ。日本では当たり前だが、オーストリアの鉄道は、ドイツや東欧諸国と同じく原則右側通行なので、間違いやすい。南部本線の左側通行は、開通当初からだ(下注)。

*注 複線での運用は左側通行だが、保線作業などで片方の線路を閉鎖するときは、残りの単線で双方向運転を行う(双単線方式)。そのための渡り線が随所に設けられている。

2012年に西部本線ザルツブルク方面からの列車乗り入れが開始されたのに伴い、ウィーン~パイエルバッハ・ライヘナウ間は右側通行に変更されたが、パイエルバッハ以南は、ゼメリング鉄道区間を含めて今なお左を走っている(下注)。

*注 ゼメリング基底トンネルは、右側通行で計画されている。

ブライテンシュタインの駅舎内にも、ゼメリング鉄道関連の資料展示がある。世界遺産登録を記念して、各自治体がこうした取り組みを行っているようだ。帰りの列車を待つ間に眺めておこう。

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駅舎内の資料展示の一部

鉄道史上特筆すべき路線とはいえ、ゼメリング鉄道は、高度化が進む現代の鉄道輸送網の中で、明らかに隘路と認識されている。急曲線と急勾配の連続で、旅客列車は高速化がかなわず、貨物列車は牽引定数が制限される。古い構造物が多く、維持保守にもコストがかかる。

オーストリアでは、すでにウィーン~リンツ間やインスブルック周辺(ブレンナールート)などで高速線の整備が進んでおり、ゼメリングも20世紀半ば以降、峠道を避けた長大トンネルの計画案が練られてきた。

実際に2012年春から、グログニッツ~ミュルツツーシュラーク間で、長さ27.3kmのゼメリング基底トンネル Semmering-Basistunnel を経由する新線の建設が行われている。2019年に発生した落盤事故の影響で工期の遅延が生じてはいるものの、今のところ2027年完成の予定だ。並行する単線トンネル2本で構成され、設計速度は230km/h、これにより旅客列車の所要時間は、現在の45分から1/3の約15分にまで短縮されるという。

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ゼメリング基底トンネルの計画ルート
東口と西口の標高差が239mあるため、蛇行ルートで高度を稼ぐ
最大勾配は8.4‰
Image at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

現在のゼメリング鉄道は存続の見込みだが、同じように基底トンネルが開通したスイスのゴットハルト線 Gotthardbahn やレッチュベルク線 Lötschbergbahn のように、優等列車や貨物列車が消えて、ローカル旅客主体の寂しいダイヤになってしまうに違いない。幹線らしい活気ある姿を記憶にとどめたいとお考えの方は、早めのお出かけをお勧めする。

なお、本稿で紹介したトレールルートは変更されたり、悪天候や災害により通行できなくなる場合もありうる。現地の最新情報を確認の上で利用されたい。

本稿は、コンターサークルs『等高線s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真は2018年9月および2019年6月に撮影。

■参考サイト
ゼメリング鉄道(公式情報サイト) http://www.semmeringbahn.at/
ゲーガ博物館 http://www.ghega-museum.at/

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 ゼメリング鉄道を歩く I
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか

2021年6月 9日 (水)

ゼメリング鉄道を歩く I

名所のイメージにあやかった観光用のキャッチフレーズをしばしば見かける。日本アルプスや小京都などは早くから定着しているし、欧米でも同じように、「何とかのスイス」「何とかのリヴィエラ」など、旅心をくすぐる言い回しがある。

鉄道の世界ではかつて「ゼメリング」もそうだった。19世紀のドイツ語圏でゼメリングは、粘着運転で山を上る鉄道の代名詞とみなされていた。たとえばザクセンのゼメリング sächsische Semmering、プラハのゼメリング Prager Semmering(下注)など、小規模ながら同じような性格をもつ路線が、いくつもこの山岳鉄道にたとえられた。

*注 ザクセンのゼメリングはドレスデン近郊にあるヴィントベルク鉄道 Windbergbahn、プラハのゼメリングはプラハ・スミーホフ=ホスティヴィツェ線 Bahnstrecke Praha-Smíchov – Hostivice の別名。

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ゼメリング鉄道の象徴ポレロスヴァントの断崖を縫う特急列車
 
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モデルとなった本家のゼメリング鉄道 Semmeringbahn(下注)は、オーストリアにある。独立した路線ではなく、ウィーン Wien からグラーツ Graz やクラーゲンフルト Klagenfurt、さらにはイタリア、スロベニアに通じるオーストリア連邦鉄道 ÖBB の国際幹線「南部本線 Südbahn」の一部区間だ。

*注 ユネスコ公式サイトの表記に従って「ゼメリング鉄道」と記すが、Semmering の現地での発音は「セマリン」と聞こえる。

具体的にはグログニッツ Gloggnitz ~ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlag 間41.8kmを指し、複線電化されてはいるものの、最大勾配28‰、最小曲線半径190mという厳しい線形で、東部アルプスのゼメリング峠を越えていく。麓とサミットの高度差は459mに及ぶ。

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ゼメリング鉄道周辺図
 

山岳地形に対応させるために、ルートには、上下2本のサミットトンネル(新・旧ゼメリングトンネル)などトンネル15本と、2層建て4本を含む主要な高架橋16本の建設が必要とされた。並行して、急勾配を上ることのできる強力な蒸気機関車の開発が、設計コンペにより進められた。

開通は1854年。ヨーロッパ初の本格的な山岳鉄道であり、土木工学と機械工学の両面で鉄道技術の発展に寄与したことが評価され、1998年にゼメリング鉄道は、鉄道分野で初めてユネスコ世界遺産に登録されている。

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ゼメリング駅にある世界遺産登録の記念プレート
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(左)トレールに沿って案内板が設置されている
(右)一部を拡大
 

全長41kmのうち、見どころは峠の東側(ウィーン側)に凝縮されている。駅でいえば、パイエルバッハ・ライヘナウ Payerbach-Reichenau からゼメリングまでの間だ。列車はカーブだらけのルートを、シュヴァルツァ川 Schwarza の谷底から峠の直下までじりじりと上り詰めていく。車窓を流れる景色からでも山岳鉄道の雰囲気は味わえるとはいえ、窓が開かない最近の車両では、特色ある高架橋のような足もとの構造物はほとんど視界に入ってこない。

幸い現地には、線路に沿って山野を行くハイキングトレール「バーンヴァンダーヴェーク Bahnwanderweg(鉄道自然歩道の意)」が延びている。歩いてみれば、鉄道がどれほど険しい地形を貫こうとしたかがわかるだろう。未知の難題に果敢に挑戦し、克服した19世紀の技術者の心意気も、より深く感じ取れるに違いない。

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パイエルバッハ・ライヘナウ駅を通過する貨物列車
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区間最長のシュヴァルツァタール高架橋 Schwarzatal-Viaduct
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区間最大のカルテ・リンネ高架橋 Kalte-Rinne-Viaduct

出発点ゼメリング駅

2018年6月の晴れた日、この道を歩く機会があった。スタート地点はゼメリング駅 Bahnhof Semmering にした。見どころ区間の終点であるパイエルバッハまで21.3kmの道のり(下注)だが、途中で撮り鉄もするから、とてもそこまで行けそうにない。本日のゴールは、ゼメリングから二つ目のブライテンシュタイン駅になるだろう。歩く距離は9.5kmに短縮されるものの、アップダウンが激しいので、これでもたっぷり3~4時間(撮り鉄の時間は別)は見ておく必要がある。

*注 Wieneralpen in Niederösterreich のリーフレット "Bahnwandern im UNESCO Weltkulturerbe Semmeringeisenbahn" によるトレールの実長。なお、バーンヴァンダーヴェークはゼメリング鉄道全線をカバーしており、全長46km。

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(左)ČD(チェコ国鉄)所属のレールジェットでセメリング駅に降り立つ
(右)新ゼメリングトンネル(西行き)がホームから見える
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ゼメリング~ブライテンシュタイン間の
ハイキングトレールのルート詳細
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY SA
 

ゼメリング駅は標高896mの高地にある。サミットトンネルを目前にした、まさに峠の駅だ。そのうえここは、山岳鉄道を知る手がかりが集積された場所でもある。ホームに降り立ってまず目につくのは、鉄道の生みの親であるカール・フォン・ゲーガ Karl von Ghega(1802~1860)(下注)の立派な記念碑だ。

*注 ゲーガはその功績を称えられて1851年に騎士 Ritter(=貴族階級)に列せられたので、正式にはカール・リッター・フォン・ゲーガ Karl Ritter von Ghega と称する。

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ゲーガ記念碑
 

山を越えるにはラック式鉄道かケーブルカーのような特殊鉄道しか方法がないと考えられていた1840年代、彼はイギリスとアメリカに赴いて先進例を調査し、粘着式鉄道(車輪とレールの摩擦力に頼る通常の鉄道)の可能性を確信した。

ゲーガの作成した計画は6年の工期を経て実現される。もし特殊鉄道で造られていたなら、輸送能力の低さから、たちまち大改修か別線の建設が必要になっただろう。それに対してゼメリング鉄道は、そのままの位置で160年以上も持ちこたえている。

記念碑の隣にはクリームとブルーに塗られた車両が置かれているが、もちろんゲーガの時代のものではない。1938年製のもと制御車で、戦後の車両不足を補うために1951年に動力化された気動車(車両番号5144 001-4)だ。南部本線で急行列車やローカル輸送に従事した縁で、1991年の引退後ここに移され、ゼメリング自治体の資産として静態保存されている。

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静態保存されている5144系気動車
 

外の観察を終えたら、駅舎に入ろう。旅客駅としてはとうに無人化され(下注)、待合室に乗車券と飲料の自販機があるだけだ。しかし、世界遺産登録を機会に、駅舎内にインフォメーションセンター 兼 博物館が整備された。5月から10月の毎日9~15時の間、開館している。

ゼメリング鉄道に関するさまざまな資料が公開されているが、高架橋を模した鉄道レイアウトや沿線のスケッチなど、ドイツ語を知らなくても楽しめる展示も多く、トレール歩きの期待感を高めてくれる。

*注 旅客サービスは行っていないが、棟続きにÖBBの運行管理センターがある。

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駅舎内のゼメリング鉄道博物館
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館内の展示
(左)カルテ・リンネ高架橋の線路敷設を描いた石版画と、測量用の経緯儀(セオドライト)
(右)同 高架橋を模したレイアウト
 

バーンヴァンダーヴェーク(鉄道自然歩道)

訪問記念に絵葉書を数枚購入して、駅舎を出た。インフォメーション係のご婦人の、展望台へ行くなら黄色の標識に従って、というアドバイスのとおり、駅前広場の擁壁ぎわにさっそくトレールの方向を示す標識が立っていた。

まず目指すポイントはドッペルライター展望台 Doppelreiterwarte(下注)だが、広場から坂を上がったところに、紛らわしい分かれ道があるので要注意だ。線路のすぐ山側を並行する小道に出ることができれば、後は一本道になる。

*注 案内標識には Doppelreiteraussichtswarte(Aussicht は見晴らし、Warte は望楼、物見台の意)と表記されている。

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(左)トレールの案内標識
(右)バーンヴァンダーヴェークの道標
 

ゼメリング鉄道を含む南部本線は、首都ウィーンとグラーツやクラーゲンフルトなど南西部の主要都市を結ぶ幹線で、運行頻度はかなり高い。特急列車のレールジェット Railjet が30~60分ごとに行き交うし、長い貨物列車もしばしば通る。トレールを歩いている間にも遠くからごうごうと走行音が響いてきて、カメラを構えるチャンスがたびたびあった。

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自然歩道の横を通過する列車
(左)ÖBB(オーストリア連邦鉄道)所属のレールジェット
(右)機関車4重連の回送運転
 

蒸気列車を象った遊具のある広場「ゼメリング子どもの駅 Kinderbahnhof Semmering」を過ぎると、トレールは線路の下に潜り、谷側に場所を移す。沢を渡るために上り下りした後、山脚を回って、鉄道のヴォルフスベルクコーゲル停留所 Haltestelle Wolfsbergkogel の横に出る。駅とは違い、停留所は列車交換や追い抜きをする待避線を持たないので、ここも上下線の旅客ホームだけの簡素な構造だ。周辺には、庭付き一戸建てが点在している。

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ヴォルフスベルクコーゲル停留所
(左)西方向(右)東方向
 

夏も涼しいゼメリングは、鉄道開通後しばらくすると、保養地として注目されるようになった。きっかけを作ったのは当時、鉄道を運営していた帝国勅許南部鉄道会社 k.k. priv. Südbahn-Gesellschaft だ。1882年に、ゼメリング駅から1.3kmの見晴らしの地に南部鉄道ホテル Südbahnhotel が開業し、その後350室を擁する大規模なリゾート施設に拡張された。これを追って1910年代までに、一帯にしゃれたヴィラや豪華なホテルが建ち並んだ。

ゼメリングは、こうして裕福なウィーン市民の夏の社交場としてもてはやされた。第一次世界大戦後は、不況も手伝ってブームは下火になるが、盛時を彷彿とさせる豪壮な建物が今も随所に残されている。トレールはその一つ、クーアハウス・ゼメリング Kurhaus Semmering の建物前を通って、再び林の中へ入っていく。

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山腹に建ち並ぶホテルや別荘群
右端が南部鉄道ホテル
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測候塔からの眺望
左手前が南部鉄道ホテル、中央奥がクーアハウス・ゼメリング
背景左はラックス Rax、右はシュネーベルク Schneeberg の山塊
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(左)ホッホシュトラーセ Hochstraße 沿道の休憩所
(右)南部鉄道ホテルの測候塔 Wetterstation
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ゼメリング峠(パスヘーエ Passhöhe)のバス停
 

ドッペルライター展望台

軽い上り坂を300mほど歩いたところで、目の前に木骨組みの塔が現れた。ドッペルライター展望台だ。少々華奢な木の階段だが、臆せずデッキに上がれば、すばらしい眺望が待っている。

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ドッペルライター展望台
 

アドリッツグラーベンバッハ川の峡谷を隔てて北の方角に見えるのが、クロイツベルク Kreuzberg からアイヒベルク Eichberg にかけてのなだらかな山稜だ。その山腹を縫うようにして、ゼメリング鉄道が通っている。視界の右端はクラム Klamm の村と教会で、ここにも線路があるはずだが、森の陰で見えない。

右から正面にかけては、石灰岩の断崖絶壁が連なる。プフェッファーヴァント Pfefferwand とヴァインツェッテルヴァント Weinzettelwand(Wand は絶壁の意)の名で、盾さながらにそびえ立っている。

その崖と森の境目に、数個のアーチを連ねた箱状の構造物がはまっているのが見えるだろう。落石から線路を保護するための覆道(ギャラリー)だ。線路は、断崖の中を長さ688mのヴァインツェッテルヴァントトンネル Weinzettelwand-Tunnel で通り抜けているが、実際は、中間2か所で外に露出しており、そこが覆道になっている。

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ヴァインツェッテルヴァントを通り抜ける貨物列車
 

トンネル出口から顔を出した列車は、すぐ左のヴァインツェッテルフェルトトンネル Weinzettelfeld-Tunnel(長さ239m)に入り、次いでブライテンシュタイン Breitenstein の集落に現れる。ここに今日のゴールとなるはずの、同名の駅がある。列車が構内をゆっくりと通過するようすは、まるで鉄道模型だ。

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ブライテンシュタイン駅を通過する貨物列車
機関車の左の2階建が駅舎
 

左のほうへ目を移すと、ポレロスヴァント Polleroswand の切り立った断崖に目を奪われる。縦に深く走る節理が生々しい。崖の手前に見える鉄道トンネルは、ゼメリング鉄道で最も短い長さ14mのクラウゼルトンネル Krausel-Tunnel だ。線路はさらにクラウゼルクラウゼ高架橋 Krauselklause-Viadukt を介して、ポレロストンネル Polleros-Tunnel(長さ337m)へと続く。

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ドッペルライター展望台から北方向のパノラマ
 

ほれぼれするようなパノラマだが、しかし何かが欠けている。そう、最も有名なカルテ・リンネ高架橋が、山陰に隠れてしまうのだ。それを見るには、標識に従ってトレールをもう少し先へ進む必要がある。

続きは次回に。

本稿は、コンターサークルs『等高線s』No.16(2020年)に掲載した同名の記事に、写真と地図を追加したものである。
現地写真の撮影時期は2018年9月および2019年6月。

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 ゼメリング鉄道を歩く II
 ゼメリング鉄道はなぜアルプスを越えなければならなかったのか
 オーストリアの狭軌鉄道-ヘレンタール鉄道

2021年4月12日 (月)

アッヘンゼー鉄道の危機と今後

オーストリアのラック登山鉄道の一つ、アッヘンゼー鉄道 Achenseebahn は1889年に開通し、130年もの長きにわたり蒸気運転を守り続けてきた。

この間、帝国解体に伴う恐慌、ナチスドイツの経済制裁による観光不況、第二次大戦末期の戦火、戦後の道路交通との競合、そして最近では2008年の機関庫焼失と、小さなローカル線は幾度も存廃の危機に直面した。しかしその都度不死鳥のようによみがえり、今やチロル Tirol の貴重な文化財、重要な観光資源として、存在価値は誰もが認めるところだ(下注)。

*注 アッヘンゼー鉄道の概要については「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I」「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II」で詳述している。

ところが、その古典鉄道が昨年(2020年)以来、運行を休止している。鉄道の公式サイトには「当分の間、アッヘンゼー鉄道、イェンバッハ~マウラッハ・ゼーシュピッツ間に旅客列車は走りません」という断り書きが記されている。いったい何が起きたのだろうか。

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長期運休を知らせる公式サイトの記事(2021年4月12日現在)

運休の直接の原因は、鉄道を運行していたアッヘンゼー鉄道株式会社 Achenseebahn AG の倒産だ。州政府によるインフラ整備支援のための補助金「民営鉄道中期投資プログラム Mittelfristiges Investitionsprogramm für Privatbahnen (MIP)」の交付が2015年から凍結されたため、とうとう運営資金が枯渇した。2020年3月25日にインスブルック地裁で破産手続が開始されている。

凍結の根拠は、アッヘンゼー鉄道が(公共交通機関ではなく)純粋な観光施設であると、連邦当局が評価したことにあるという(下注)。連邦鉄道 ÖBB の公式時刻表で311(旧 31a)の時刻表番号が与えられていたように、アッヘンゼー鉄道はもともと地方公共交通機関、いわゆる ÖPNV の扱いを受けていた。しかし、評価替えを反映してか、最近は公式路線図からも抹消されている。

*注 補助金は民営鉄道法に基づくもので、財源の50%までを連邦が拠出している。

現行投資プログラムは2019年に期限を迎え、2020年から次のサイクルに入る。そのため、ÖPNV への復帰が認められない限り、今後も交付対象にならず、資金不足が一段と深刻化するのは明らかだった。

もとより、この鉄道の乗客は観光目的が大半だ。というのも、起点イェンバッハ Jenbach からアッヘン湖 Achensee 方面へは、バスが1時間間隔で走っている。主邑マウラッハ Maurach までの所要時間は、鉄道の33~35分に対して、バスは24分だ。運賃差も大きいため、鉄道は日常利用には向いていない。純粋な観光鉄道という指摘は一面で正しい。

しかし、それは今に始まったことではなく、戦後、並行道路が整備され、バス路線が開業した後、ずっとこの状態だ。にもかかわらず、アッヘンゼー鉄道は ÖPNV だったので、1980年代から上記制度による支援を受けてきた。

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外の渡り板を伝って検札に回る車掌
(2012年8月撮影)
 

では、なぜ急に評価が変更されたのか。真相は判然としないが、2013年に表面化した鉄道会社の運営上の混乱が影響しているという見方がある。

この年の10月初め、鉄道会社の社長が、監査役会 Aufsichtsrat の決議により予告なしに解雇された。主な理由は、運営管理のミスにより会社に150万ユーロを超える損害を与えたというものだったが、元社長は受け入れず、決着は法廷に持ち込まれることになった。翌年9月には、決議を主導した監査役会会長を信任できないとして、監査役4名が辞任を表明する事態も起きた。

長年、鉄道に奉職し、蒸気運転の維持に努めてきた元社長に対して、監査役会会長は近代化による一般旅客輸送路線への転換論者で、内紛の根底にはその意見対立があったようだ。事態が表沙汰になったことで、連邦当局も慣例を見直し、利用実態に即して判断することを迫られたのではないか。

確かに、このままでは所要時間や運賃水準の点でバスに劣り、一般利用の回復は永遠に見込めない。袋小路を脱するために、新たに任命された会社執行部は、輸送効率を向上させる構想を具体化していった。驚くことに、それは路線の電化を前提としたものだった。

2018年6月11日から翌日にかけて、スイスのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen でラック区間解消により不要となったBDeh 4/4形電車2両が、イェンバッハに運ばれてきた。秋には同形車3両と、ペアになるABt形制御車5両が続いた。

しかし財政の悪化で電化工事のめどがまったく立たないため、これらは構内および仮設線に留め置かれた。電化が実現しない場合、代わりにハイブリッド駆動への換装が想定されていたというが、そもそもこの電車でアッペンツェルよりはるかに険しい勾配(下注)を問題なく走れるという確証はどこにもなく、実用化の道のりは遠かっただろう。

*注 最大勾配は、この車両が走っていたアッペンツェル鉄道のザンクト・ガレン St. Gallen ~トイフェン Teufen 間の100‰に対して、アッヘンゼー鉄道は160‰。

同年11月29日の朝、留置していた車両の外壁がスプレーでひどく汚されているのが見つかった。被害額はユーロ6桁レベル(千万円単位)とも言われたが、会社にはそれをカバーする資金がない。筆者が翌年6月にイェンバッハ駅を通りかかったときも、電車は構内の目立つ場所で無残な姿を晒していた。鉄道が陥っている苦境を象徴する光景だった。

それでも2019年のシーズン中、アッヘンゼー鉄道の運行は何とか続けられた。しかし、冬ごもりの後、次のシーズンを無事に迎えることはできなかったのだ。

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汚されたアッペンツェルの連節車
イェンバッハ駅にて(2019年6月撮影)

補助金を凍結したとはいえ、チロル州政府は鉄道を見捨ててしまったわけではない。ただ、州域で最初となる世界遺産への推薦を、かねて連邦政府に働きかけていたことから、真正性を損なうような電化案を進める現体制に対しては、積極的な支持を示してこなかったように思われる。

破産宣告を受けて、州議会は休止中に発生するランニングコストの支援予算を承認した。そして副知事のもとで関係先と協議を重ね、早くも2020年12月に、アッヘンゼー鉄道の再開に向けての基本案を閣議決定している。

それによれば、州が60%、ツィラータール交通事業株式会社 Zillertaler Verkehrsbetriebe AG (ZVB) が20%、沿線各自治体が残り20%を出資して、受け皿となる新会社が設立される。ツィラータール交通事業というのは、同じイェンバッハが拠点のツィラータール鉄道 Zillertalbahn(下注)や沿線の路線バスを運行している事業者だ。同社が経営に参画することで、スタッフ、保守作業、資材購入など運営の効率化やマーケティングの共同実施といった相乗効果が期待されている。

*注 ツィラータール鉄道の概要については「オーストリアの狭軌鉄道-ツィラータール鉄道」参照。

投資プログラムの申請期限に間に合わなかったため、インフラ整備に必要な資金については、州が独自に保証する。これを充当することで、線路設備にも改良が加えられる。公式サイトによれば、イェンバッハ駅とエーベン駅の配線を一部変更するとともに、フィシュル Fischl 付近のラック区間に列車交換設備を新設し、マウラッハ駅でも交換設備も復活させる。これにより運行を60分間隔にして、終点でアッヘン湖の連絡船に必ず接続できるようにするという。

物議をかもした電化案は撤回され、蒸気運転が継続されることになった。ただし、4両在籍する蒸気機関車のうち、まず2両を油焚きに転換する。油焚きの場合、石炭をくべる機関助士の乗務が不要になるなど、運行コストの圧縮に効果がある。一方、石炭焚きで残すのは1両のみとされているので、後の1両もやがては油焚きになるのだろう。

その陰で、はるばるアッペンツェルからやって来た電車は将来への展望を失った。一度も走らせてもらえないまま、制御車2両を残して、2021年2月にあえなく廃車解体されてしまった。

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ゼーシュピッツ駅を出発する蒸気列車
(2012年8月撮影)
 

2021年3月2日は、新会社「アッヘンゼー鉄道施設管理・運行有限会社 Achenseebahn Infrastruktur- und Betriebs-GmbH」の設立総会の開催日だった。州副知事ヨーゼフ・ガイスラー LHStv Josef Geisler は定款に署名した後、次のように挨拶した。

「関係するすべてのパートナーによる無数の転轍操作 Weichenstellungen(選択、決定の含意)を経て、アッヘンゼー鉄道の存続に今や青信号が灯りました。明確な施設管理と運行のコンセプトに基づき、文化財としても保護された鉄道が、2022年夏のシーズンに運行を再開するでしょう。時刻表 Fahrplan(行程表の含意)が整ったのです」。

夏のシーズンは5月に始まる。行程と目標は明確になったが、開業以来の規模となる模様替えがこれから1年余りでどこまで整うのか、アッヘンゼー鉄道の今後が注目される。

■参考サイト
アッヘンゼー鉄道(公式サイト) http://www.achenseebahn.at/
チロル州政府(公式サイト) https://www.tirol.gv.at/
オーストリア放送協会(ORF)チロル支局 https://tirol.orf.at/

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 オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I
 オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 II

2021年3月26日 (金)

オーストリアの保存・観光鉄道リスト

保存鉄道・観光鉄道リスト作成の第2弾として、オーストリア編を更新した。従来、サイトに上げていたのは2005年時点のデータだから、16年も経てばさすがに状況は変化している。盛業中の鉄道が多数を占める中で、不幸にも活動を停止したり、今後の存続が危ぶまれているものもあった。

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ÖBBブレンナー線ザンクト・ヨードック St. Jodok 付近を行く
ユーロシティ(2019年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

フランス編と同じように、スペクタクルなルートを通る一般路線を含めて、1ページにまとめているので、ご覧いただければ幸いだ。

「保存・観光鉄道リスト-オーストリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_austria.html

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「保存・観光鉄道リスト-オーストリア」画面

オーストリアの保存鉄道事情は、ドイツやフランスとは様相が異なり、760mm軌間の狭軌路線が過半を占める。760mmは、イギリス由来の2フィート半(30インチ、762mm)をメートル法で再定義した軌間だが、今のボスニア・ヘルツェゴビナに大規模な路線網があったことから、ドイツ語ではボスニア軌間 Bosnische Spurweite/Bosnaspur という。

オーストリアでこの軌間が採用されたのは、1890年前後から第一次世界大戦ごろまでに建設された地方支線だ。幸いにも、多くが改軌や廃止を免れて残っている。標準軌線の駅を起点に谷筋を遡っていくルートが多いが、中には谷を上り詰めて峠越えを果たすものもある。後者はたいてい急勾配急曲線の険しい線形のため、蒸気機関車泣かせの、しかしファンには見せ場の多い人気路線になっている。

以下に掲げる3線はいずれも旧ÖBB(オーストリア連邦鉄道)線で、2010年に地元のニーダーエースタライヒ州に移管され、地域の観光資源として活用されている例だ。

項番1:ヴァルトフィアテル鉄道 Waldviertelbahn

北線と南線、それにハイデンライヒシュタイン Heidenreichstein 支線を合わせて82kmの長さがある。北線と南線は移管後、観光鉄道として再生された。夏のシーズンに毎日気動車が走っているが、日を限って蒸機が旧型客車を牽くノスタルジー列車も登場する。また、ハイデンライヒシュタイン支線でも、別途愛好団体が保存蒸機を運行している。

北線では、本線と支線が約2km並行する区間を舞台にした「アルト・ナーゲルベルクの並走 Parallelausfahrt von Alt-Nagelberg」がおもしろい。2本の蒸気列車が同時発車し、抜きつ抜かれつの競争を繰り広げる。もちろん演出なのだが、列車の乗客も応援に加わって、大いに盛り上がる。

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「アルト・ナーゲルベルクの並走」を終えた列車が
本線(右)と支線に分かれていく(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、南線には大陸分水嶺を越える約8kmの峠道、通称「ヴァルトフィアテルのゼメリング Waldviertler Semmering」がある。最急勾配28‰の急坂に挑むMh形蒸機の奮闘ぶりが見ものだ。

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「ヴァルトフィアテルのゼメリング」に挑むMh形蒸機
(2019年)
以下、コピーライト表示のないものは筆者撮影

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-ヴァルトフィアテル鉄道 I」「同 II」「同 III」参照。

 

項番9:マリアツェル鉄道 Mariazellerbahn

カトリックの重要な巡礼地マリアツェル Mariazell に向かう電化路線で、一般旅客輸送を行っているが、旧型電気機関車または蒸機が牽く特別列車も運行される。全線86kmのうち、特に後半の山線 Bergstrecke は、小回りの利く狭軌の特性を如何なく発揮した区間だ。ヘアピンカーブを介した3段折り返しの坂道、高峰エッチャーを眺望しながらたどるエアラウフ峡谷の桟道、山中の貯水池を巻くレイアウトのような迂回路と、車窓は変化に富み、見飽きることがない。

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ザウグラーベン高架橋 Saugrabenviadukt にさしかかるET形電車
(2017年)
Photo by Liberaler Humanist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-マリアツェル鉄道 I」「同 II」参照。

 

項番11:イプスタール鉄道 Ybbsthalbahn

支線を含め延長77kmと、上記2線にも匹敵する長大路線だったが、すでに大半で一般輸送が廃止され、見る影もない。幸い、東部にある峠越えルートでは線路が残され、「イプスタール鉄道 山線 Ybbsthalbahn Bergstrecke」の名で、愛好団体により保存運行が維持されている。牽引するのは蒸機または旧型ディーゼル機関車だ。最急勾配31.6‰、最小曲線半径60mと、こちらも劣らず険しいルートで、途中にある2本の華奢なトレッスル橋が行路のアクセントになっている。

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ヒューナーネスト高架橋 Hühnernest-Viadukt を渡る蒸機
(2007年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアの狭軌鉄道-イプスタール鉄道 I」「同 II」参照。

非電化線ばかりでなく、電車が走る狭軌線にも見どころがある。

項番13:ペストリングベルク鉄道 Pöstlingbergbahn

リンツ Linz の旧市街と、巡礼教会が建つ北郊の丘の上を結ぶために、ラックレールなし(=粘着式)で116‰もの急勾配を克服している驚異の鉄道だ。現在は900mm軌間の連接式トラムが市内から直通するが、2008年まではメーターゲージ(1000mm軌間)の独立路線で、特殊な非常用ブレーキを備えた専用車両が山上との間を往復していた。その旧車の一部が足回りを交換のうえ、週末の定期運行に投入されており、かつての様子をしのぶことができる。

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起点ハウプトプラッツ Hauptplatz に停車中の改造旧車
(2018年)

*注 鉄道の詳細は「ペストリングベルク鉄道 I-概要」「同 II-ルートを追って」参照。

 

項番37:インスブルック・ミッテルゲビルゲ鉄道 Innsbrucker Mittelgebirgsbahn
項番38:シュトゥーバイタール鉄道 Stubaitalbahn

どちらもインスブルック Innsbruck 市街から南方に出ていくメーターゲージの電化路線だ。ミッテルゲビルゲ鉄道というのは開通時の名称で、1930年代にインスブルック市電(IVB)に統合され、それ以来、6系統を名乗っている。終点イーグルス Igls は、ジル峡谷 Sillschlucht 上部のテラス(棚状地)に載る村で、そこまでトラムが、山岳路線顔負けの連続オメガループを上っていく。残念ながら、並行バス路線との競合から廃止が検討されており、現状は日祝日のみの運行だ。

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終点イーグルスで発車を待つトラム(2017年)
Photo by Simon Legner at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

一方、シュトゥーバイタール鉄道は健在で、インスブルック駅前から、市内軌道を経由して谷奥の終点フルプメス Fulpmes までトラムが直通する。6系統に比べて走行距離が長いだけでなく、ルートの平面形もはるかに技巧的だ。アルプスの高峰群に囲まれた見通しのきく高台を走り通すので、オーストリア屈指の美しい車窓風景が長く楽しめる。

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ノルトケッテ Nordkette の山並みを望む
クライト Kreith 停留所にて(2019年)

数は少ないものの、標準軌(1435mm)の保存鉄道、観光鉄道ももちろん存在している。

項番8:ヴァッハウ鉄道 Wachaubahn

ÖBBドナウ河畔線 Donauuferbahn は、ドナウ川の渓谷に沿う景勝路線としてトーマス・クックの鉄道地図にも描かれていた。しかし輸送路としては傍流のため、中間部の廃止で東西に分断されてしまった。ニーダーエースタライヒ州に移管された東側のうち、クレムス Krems とエンマースドルフ Emmersdorf 間34.1kmでは、ヴァルトフィアテル鉄道と同様に夏のシーズン中、観光列車が走る。古城やブドウ畑の織り成す渓谷の景観を愛でながら、気動車でたどる約1時間の列車旅だ。

復路は、ドナウ下りの船に乗ってもいいし、路線バスで有名な修道院のある対岸のメルク Melk へ出るのもお勧めだ。

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ドナウ河畔のブドウ畑を貫く
デュルンシュタイン Dürnstein 付近の線路(2015年)
Photo by Chris De Wit at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番22:エルツベルク鉄道 Erzbergbahn

オーストリア最大の鉄鉱山から鉱石を搬出していたエルツベルク鉄道には、最大71‰の急勾配があり、1978年までアプト式ラックレールが使われていた。峠を越える中央区間での定期輸送は2001年が最後となり、現在はフォルデルンベルク・マルクト Vordernberg Markt~エルツベルク間で行われている旧型レールバスによる保存運行が、産業路線を体験できる唯一の方法だ。鉱山自体は今も稼働しており、列車が峠のトンネルを出ると、露天掘りの荒々しい採掘現場が見えてくる。

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エルツベルクに向かうレールバス
フォルデルンベルク Vordernberg 付近にて(2019年)
Photo by Liberaler Humanist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30:ローゼンタール蒸気列車 Rosenthaler Dampfzüge

ケルンテン南部、ローゼンタール Rosental の旧ÖBBフェルラッハ線 Ferlacher Bahn で実施されている保存運行で、ヴァイツェルスドルフ Weizelsdorf とフェルラッハ Ferlach の間を蒸気列車が走る。これ自体は片道30分程度の短いものだが、終点に待機している路面電車(またはボンネットバス)が、訪問者を駅近くの製鉄所跡に造られた交通博物館「ヒストラーマ Historama」へ連れて行ってくれる。往復券(コンビチケット)を買うと、これら一連の料金が含まれている。

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ローゼンタール蒸気列車のチラシ
© 2021 Nostalgiebahnen in Kärnten

急坂を上るラック鉄道についても触れておこう。上記のエルツベルク鉄道ではラックレールが解体されてしまったが、オーストリアにはほかにも3か所で残っている。これらに共通しているのは、スイスのような電化の洗礼を受けなかったことで、そのため、今なお蒸機か気動車が運行の役を担っている。

項番5:シュネーベルク鉄道 Schneebergbahn

ウィーナー・ハウスベルゲ(ウィーンの地元の山々)Wiener Hausberge の代表格であるシュネーベルク山 Schneeberg に上る登山鉄道で、ラックはアプト式だ。長らくÖBBに属していたが、上記の狭軌線などに先駆けて1997年から、州とÖBBが設立した別会社が運行を担うようになった(インフラ移管は2012年)。奇抜なまだら模様をまとった気動車「ザラマンダー Salamander(サンショウウオの意)」が、山麓と山上の間を約50分で結んでいる。

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山上のエリーザベト教会前を通過する「ザラマンダー」
(2018年)

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-シュネーベルク鉄道」「シュネーベルク鉄道再訪記」参照。

 

項番20:シャーフベルク鉄道 chafbergbahn

映画「サウンド・オブ・ミュージック」の一カットにも登場したアプト式登山鉄道だ。標高1782mのシャーフベルク山 Schafberg は、ザルツカンマーグート Salzkammergut の三つの湖を眼下に望む天然の展望台として、観光客にはつとに人気が高い。老齢の旧型に代わり石油焚きの新型蒸機が導入されており、煙の迫力は劣るものの、映画のイメージもまだ保たれている。

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シャーフベルクアルペ Schafbergalpe で対向列車を待つ新型蒸機
(2010年)
Photo by brandiatmuhkuh at wikimedia. License: CC BY 2.0

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-シャーフベルク鉄道」参照。

 

項番34:アッヘンゼー鉄道 Achenseebahn

チロル州にあるラック鉄道だが、目的地は山頂ではなく、高台の湖畔だ。そこで、湖上を渡る船に連絡している。開通時期がより古い(1889年)ので、ラックレールは初期の方式であるリッゲンバッハ式だ。石炭焚きの古典蒸機が使われ続けていることでも注目を集めてきたが、残念なことに2020年3月に運営会社が破産して、運行が止まった。現地の報道によれば、新会社が設立され、2022年5月の再開を目指している。

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終点ゼーシュピッツ Seespitz で湖上船に連絡する蒸気列車
(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY 2.5

*注 鉄道の詳細は「オーストリアのラック鉄道-アッヘンゼー鉄道 I」「同 II」参照。

オーストリアの国土の西部から中央にかけては、スイスから続くアルプスが占めている。ユネスコ世界遺産に単独登録されたゼメリング鉄道 Semmeringbahn は、その東端を横断する鉄道だ。ほかにも、タウエルン線 Tauernbahn、ミッテンヴァルト線 Mittenwaldbahn など、ÖBBの一般路線に景勝ルートがたくさんある。点在する小鉄道を訪ね歩くのはもとより、その道中でさえ、列車旅の楽しみはいくらでも発掘できるだろう。

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 スイスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 I
 スイスの保存・観光鉄道リスト-南部編 II
 フランスの保存・観光鉄道リスト-北部編
 フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編

2021年2月21日 (日)

フランスの保存・観光鉄道リスト-南部編

フランス南部(およそ北緯46度以南)の保存鉄道・観光鉄道リストができあがった。例によって、スペクタクルなルートを走る普通路線や大規模な鉄橋も含めたので、件数は北部編を上回る。その理由は、北部に比べて様相の異なる南部の地勢にあると思う。

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オー・ケルシー観光鉄道
ミランドルの断崖からの眺め(2015年)
Photo by Lieutenant Crowe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

北部は概して丘陵地だ。東に行くにつれ次第に標高が上がっていくものの、山地は東部のヴォージュ Vosges かスイス国境のジュラ Jura 地方にしかない。対照的に南部は、西岸と南西の内陸に平野や丘陵地が広がるものの、他は山がちだ。中央にその名どおりの中央高地 Massif Central がどっしりと横たわり、南のピレネー Pyrénées、東のアルプス Alpes が衝立のように立ち塞がる。鉄道の建設と運行にとっては大きな障壁だが、その分、車窓はすこぶる変化に富んだものになる。

南部にはどのような鉄道があるのか、リストの中からいくつかピックアップしてみよう。

「保存・観光鉄道リスト-フランス南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_frances.html

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「保存・観光鉄道リスト-フランス南部」画面

項番1:サン・トロジャン軽便鉄道 P'tit train de Saint-Trojan
項番4:フェレ岬軽便鉄道 Tramway du Cap-Ferret

項番1から4までは大西洋岸かその近くにある観光鉄道だ。西岸には砂浜が200kmも続いていて、点在するビーチリゾート(仏語でプラージュ Plage)に、実用とアトラクションを兼ねたプチ・トラン(小列車)が走っている。

一つは、オレロン島 Île d'Oléron のサン・トロジャン軽便鉄道だ。波静かな内海に面したサン・トロジャン・レ・バン St-Trojan-les-Bains の町裏に乗り場がある。軌間600mmの線路が松林の中を岬に向かって延び、ガッゾー Gatseau、モーミュッソン Maumusson の2か所のビーチへの足となっている。岬周辺は車の乗入れができないので、特に後者は、列車でしか行けないビーチだ。

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サン・トロジャン軽便鉄道
ガッゾービーチ付近(2013年)
Photo by Mutichou at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

フェレ岬軽便鉄道も状況は似ていて、集落や港のあるのは、アルカション湾 Bassin d'Arcachon、すなわち内湾側にあるベリゼール Bélisaire だ。大西洋側のビーチまでは2km弱あり、船で港へ着いた行楽客にとって、鉄道が便利な交通手段になっている。のんびりとトロッコ列車に揺られて海水浴に行けるとは、まことにうらやましい。

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フェレ岬軽便鉄道
ビーチ前に到着(2013年)
Photo by Echtner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番8:オー・ケルシー観光鉄道 Chemin de fer touristique du Haut Quercy
項番30:セヴェンヌ蒸気鉄道 Train à vapeur des Cévennes

保存鉄道はたいてい季節運行だ。冬はクリスマスなどの特別運行を除いて休業し、気候が良くなる5~6月からが活動期になる。中でも7~8月のバカンスシーズンは書き入れ時で、どの路線も繁忙期と位置付けてフルサービスを実施する。この期間に曜日を問わず毎日運転するか、あるいは週末のみかで、その鉄道の人気度も推測できる。

標準軌の蒸気機関車を走らせている鉄道のうち、この2本は繁忙期に毎日運行している。人気の理由は何なのだろうか。

オー・ケルシー観光鉄道は、片道6.5kmと短距離ながら、乗客限定の印象的な光景を売りにしている。それは、起点マルテル Martel 駅から2本目のトンネルを抜けたところにある展望台だ。ミランドルの断崖 Falaise de Mirandol をうがった比高80mの高台で、ドルドーニュ川 La Dordogne が流れる緑の渓谷が一望になる(冒頭写真参照。グーグルマップでは Moulin de Briance(ブリアンスの風車小屋)のピンが立てられている地点)。そこまではトンネルと掘割が続くだけに、車窓の展開は劇的で、列車はしばらく停車し、乗客に眺めを愛でる時間を提供する。

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オー・ケルシー観光鉄道
マルテル駅の機関庫(2015年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

セヴェンヌ蒸気鉄道もまた、渓谷探索列車の性格を持っている。起点は、セヴェンヌの門 Porte des Cévennes と呼ばれる断崖を背にしたアンデューズ Anduze の町だ。列車はこの天然の門、すなわち山地への入口をトンネルで貫いた後、ゴルドン川(正確にはアンデューズのゴルドン川 Le Gordon d'Anduze)の渓谷をゆっくりと遡る。特に前半は高架橋やトンネルが繰り返し現れ、車窓の変化に事欠かない。

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セヴェンヌ蒸気鉄道
ゴルドン川渓谷を行く(2013年)
Photo by Okki at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番14: AGRIVAP レ・トラン・ド・ラ・デクヴェルト(発見列車)AGRIVAP Les trains de la découverte
項番15: オー・フォレ鉄道 Chemin de fer du Haut Forez

フランスではかつて、ルノー Renault 社製のユニークな気動車(オートライユ autorail)が活躍していた。セヴェンヌ線(項番12)やアルプ線(項番23)の花形急行列車に使われたパノラマカー X4200形や、運転台が屋根から突き出した異様な容貌から、シュルレアリスムの画家ピカソ Picasso の名で呼ばれる X3800形などだ。こうした名物車両は今も根強い人気があり、蒸気運転を導入していない保存鉄道ではたいてい主役の座についている。

AGRIVAPは、オーヴェルニュ Auvergne 中央部にある旧線で、その貴重なパノラマカーを動態保存する。本来の走行路線ではないものの、同じような標高1000m級の高原地帯を行くので、現役時代を想い起こすには十分だ。それに加えて、終点の村ラ・シェーズ・デュー La Chaise-Dieu には中世の修道院建築が残っている。帰りの列車時刻まで自由見学できるのもうれしい。

*注 AGRIVAP はもともと蒸気動力の農業機械 matériel agricole à vapeur の保存公開を目的に設置された協会組織で、名称もそれに由来する。

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パノラマカーX4200形(2007年)
Photo by Pedelecs at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ピカソ形気動車は量産されたので、各地の保存鉄道で見ることができる。AGRIVAP も所有しているし、近隣のオー・フォレ鉄道もそうだ。エスティヴァレイユ Estivareilles~ラ・シェーズ・デュー間を走る後者は、地元自治体が観光振興を目的に所有し、非営利団体が委託を受けて運行している。おもしろいことに、2本の保存鉄道の間で発着時刻が調整されており、ラ・シェーズ・デューで相互乗換えが可能だ。

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オー・フォレ鉄道のピカソ形気動車(2009年)
Photo by X2426 at wikimedia.
 

項番16:ヴレー急行 Velay Express
項番17:ヴィヴァレー鉄道 Chemin de Fer du Vivarais

19世紀後半、公共事業大臣シャルル・ド・フレシネ Charles de Freycinet のいわゆるフレシネ計画 Plan Freycinet により、全土で8800kmの鉄道路線網の整備が進められた。これらはすべて地方路線で、需要がさほど見込めないことから、規格を落として建設されたものが多い。

メーターゲージの蒸気保存鉄道であるヴレー急行とヴィヴァレー鉄道も例外ではない。前者は高原、後者は渓谷が舞台だが、もとはどちらもCFD社(下注)のヴィヴァレー路線網 Réseau du Vivarais に属し、ル・シェラール Le Cheylard 経由で路線がつながっていた。地形図には廃線跡が明瞭に描かれている。

*注:CFD、正式名称 県鉄道会社 Compagnie de chemins de fer départementaux は、「県営」ではなく、各地の地方鉄道網を運営していた民間会社。

ヴレー急行は、標高1000m前後のヴレー高原 Plateau du Velay を走ることからこの名があるが、旧名のヴァレー鉄道 Voies Ferrées du Valais のほうが通りがいいかもしれない。1970年の開業以来、運行区間は、標準軌線(すでに廃止)との接続駅デュニエール Dunières とサンタグレーヴ Saint-Agrève の間だった。しかし2015年に現在のロクール・ブロセット Raucoules-Brossette 以南に短縮され、同時に新たな車庫・整備工場が整備されている。

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ヴレー急行
モンフォーコン Montfaucon 駅にて(2011年)
Photo by Didier Duforest at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

一方、ヴィヴァレー鉄道は、トラン・ド・ラルデーシュ(アルデーシュの列車)Train de l'Ardèche と称する。終始ローヌ川支流のドゥー川 Le Doux の谷間を走る路線だが、こちらも区間短縮を経験済みだ。以前はトゥルノン Tournon の旧SNCF駅(下注)が起点で、2.2kmの間3線軌条で標準軌線と共有していた。ところが資金難により、2008年から全線で運行ができなくなった。ようやく2013年に再開したものの、運営経費を縮減するために、線路使用料が必要な共有区間の走行を断念したのだ。

標準軌線(ローヌ右岸線 Ligne de la rive droite du Rhône)では1973年から旅客列車が走っておらず、トゥルノン駅で乗換える客がいたわけではない。それで起点をここに維持し続ける必然性はなかった。以来、列車は、専用線上にあるトゥルノン・サン・ジャン Tournon-Saint-Jean 駅から出発している。

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ヴィヴァレー鉄道
コロンビエ・ル・ヴュー Colombier le Vieux 駅のマレー式414号機
(2018年)
Photo by Peter_Glyn at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番11:パノラミック・デ・ドーム Panoramique des Dômes
項番25:トラムウェー・デュ・モン・ブラン(モン・ブラン軌道)Tramway du Mont-Blanc
項番26:モンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers
項番31:ラ・リューヌ軽便鉄道 Petit Train de la Rhune

フランス国内に残っているラック式登山鉄道は、すべて南部編のエリアにある。ここに掲げた4路線はいずれも電気運転で、ラック方式は平底レールの踏面に歯を加工したシュトループ Strub 式だ(下注)。

*注 このほかリヨン・メトロC線の一部に、索道(ケーブルカー)から転換されたフォン・ロール式のラックレール区間がある。

このうち、パノラミック・デ・ドームは2012年に開業したばかりの新路線だ。中央高地のピュイ・ド・ドーム Puy de Dôme 山頂に上っていた自動車道が、そのまま鉄道に転換された。車で来た旅行者も山麓の駐車場にそれを置いて、電車を利用する必要がある。観光分野におけるモーダルシフトの実践例で、富士山登山鉄道のモデルになるかもしれない。

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パノラミック・デ・ドーム
ピュイ・ド・ドーム山頂付近(2015年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

トラムウェー・デュ・モン・ブランとモンタンヴェール鉄道は、いずれもアルプス最高峰モン・ブラン Mont Blanc の周辺で、氷河の眺望を売りにしている。一帯の観光施設も併せてモン・ブラン社 Compagnie du Mont-Blanc という企業が運営していて、ウェブサイトが共通なのはそのためだ。前者はトラムウェーと名乗るだけあって、起点駅から少しの間、道路上の併用軌道を進む。終点は鉄道で到達できるフランスの最高地点だが、駅舎どころか、線路の終端の車止めすらない。

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トラムウェー・デュ・モン・ブラン
ニ・デーグル Nid d'Aigle の終点で途切れる線路(2019年)
Photo by Florian Pépellin at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ラ・リューヌ軽便鉄道は1924年開業の登山鉄道で、ピレネー山脈西端近くにあるラ・リューヌ山に上っていく。山頂は標高わずか900mに過ぎないが、大西洋を見晴らす展望台として人気のスポットだ。電化方式は低電圧の三相交流(3000V 50Hz)で、開通した時代を感じさせる(下注)。

*注 三相交流は初期の電化方式の一つで、スイスのユングフラウ鉄道 Jungfraubahn などにも残っている。

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ラ・リューヌ軽便鉄道
大西洋を見晴らす山上駅
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10:ル・カピュサン・ケーブルカー Funiculaire du Capucin
項番33:ピック・デュ・ジェール・ケーブルカー Funiculaire du Pic du Jer
項番21:サンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカー Funiculaire de Saint-Hilaire-du-Touvet

登山鉄道の一環で、クラシックな外観を保つケーブルカーもいくつか挙げた。

ル・カピュサン・ケーブルカーは、オーヴェルニュの温泉町モン・ドール Mont-Dore にあり、1898年に開業した。電気運転のケーブルカーではフランスで最も古い。方や、ピック・デュ・ジェール・ケーブルカーは、カトリックの主要巡礼地ルルド Lourdes の郊外にある山で1900年から動いている。どちらも古参の索道で、著名な観光地近くの見晴らし台に上っていく点が共通している。

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ピック・デュ・ジェール・ケーブルカーの山麓駅舎
Photo by Père Igor at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

対するサンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカーは、高地の療養所への交通手段として造られたもので、谷底と、断崖の上に載るプティット・ロッシュ高原 Plateau des Petites Roches を結んでいる。830‰と世界有数の急勾配で、わが国で最も急な高尾山ケーブルカーの608‰と比べても、険しさが際立つ。その分、イゼール川 L'Isère の谷を見下ろす車窓風景はすばらしく、ぜひ車端のオープンデッキに出て楽しみたい。

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サンティレール・デュ・トゥヴェ・ケーブルカー
急勾配を上る車両
Photo by Ragnhild&Neil Crawford at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番24:SNCF サン・ジェルヴェ・レ・バン・ル・ファイエ=ヴァロルシーヌ線 
Ligne de Saint-Gervais-les-Bains-Le Fayet à Vallorcine
項番35:ル・トラン・ジョーヌ(黄列車、SNCFセルダーニュ線)Le Train Jaune (Ligne de Cerdagne)

サン・ジェルヴェ・レ・バン・ル・ファイエ=ヴァロルシーヌ線(以下、シャモニー線)がアルプスのシャモニー谷 Vallée de Chamonix を貫くのに対し、ル・トラン・ジョーヌ(以下、セルダーニュ線)はピレネーのセルダーニュ高原 Plateau de Cerdagne を越えていく。二者は東西に遠く離れた位置関係にあるが、実は双子のように共通項が多い。すなわち、

・メーターゲージ(1000mm軌間)である
・直流電化かつ給電用レールから集電する第三軌条方式(電圧は前者800V、後者850V)である
・急勾配を粘着運転する(最急勾配は前者90‰、後者60‰)
・終点が国境に接近している(前者はスイス側と直結、後者はスペイン国境駅が終点)
・SNCFが直営する

さらに、沿線人口が多くないため、分類としては一般路線ながら、観光客輸送に軸足を置いている点も同じだ。

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シャモニー線
レズーシュ Les Houches 駅にて
Photo by Florian Pépellin at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

歴史的にはシャモニー線が先輩で、パリ=リヨン=地中海鉄道会社 Compagnie des chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée (PLM) の手で1901~1908年に開業した。セルダーニュ線は、ミディ(南部)鉄道会社 Compagnie des chemins de fer du Midi が1910年以降に建設した路線だ。

その設計にあたって、地形的な共通点などから、先行するシャモニー線の技術仕様が参考とされたのは確かだろう。しかし、沿線にはセジュルネ橋やカッサーニュ橋といった独自のシンボリックな橋梁があり、ミディ社の担当技師の、単なる模倣を超えようとする強い主張のようなものも感じられる。

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セルダーニュ線
セジュルネ橋を渡る黄列車
Photo by Thierry Llansades at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ここに挙げたもののほかにも、標準軌の山岳路線であるセヴェンヌ線(項番12)やタンド線(項番39)、メーターゲージ山岳路線のプロヴァンス鉄道(項番37)やコルシカ鉄道(項番40)、さらには、ロープウェーと山上鉄道を乗り継ぐアルトゥスト軽便鉄道 Petit Train d'Artouste(項番32)など、南部には興味深い路線が目白押しだ。現地に行くのは難しくとも、地図や写真・動画でフランスの鉄道旅を楽しんでいただきたい。

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2020年8月23日 (日)

ブダペスト登山鉄道-ふだん使いのコグ

ブダペスト登山鉄道(ブダペスト・コグ鉄道)
Budapesti Fogaskerekű Vasút (Budapest Cog-wheel Railway)

ヴァーロシュマヨル Városmajor ~セーチェニ・ヘジ Széchenyi-hegy(下注)間 3.7km
軌間1435mm、直流1500V電化、シュトループ式ラック鉄道、最急勾配110‰

1874年 ヴァーロシュマヨル~シュヴァーブへジ Svábhegy 間、リッゲンバッハ式蒸気鉄道として開通
1890年 シュヴァーブへジ~セーチェニ・へジ間延伸
1929年 直流550V電化
1973年 直流1500Vに昇圧、シュトループ式に置換

*注 正式駅名は、セーチェニ・ヘジ、ジェルメクヴァシュート Széchenyi-hegy, Gyermekvasút。

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シュヴァーブへジ駅に到着する登山鉄道の電車
(写真は別途付記したものを除き2019年6月撮影)

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ハンガリーの首都ブダペストは、ドナウ川をはさんで西側のブダ Buda、オーブダ Óbuda と、東側のペスト(ぺシュト)Pest が1873年11月に合併して誕生した都市だ。その旧体制最後の年に、ブダ市と、ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が代表を務めるスイスの国際山岳鉄道会社 Internationale Gesellschaft für Bergbahnen (BGfB) との間で、鉄道建設と運行に関する契約が結ばれた。

それはラックレールにピニオン(コグ、歯車)を噛ませて急勾配を上下する鉄道で、ヨーロッパでは、2年前の1871年5月にスイスのリギ山 Rigi で実用化されたばかりだった。敷設の目的は、ブダ市街からシュヴァーブへジ Svábhegy への新たな交通手段の確立だ。町の西に横たわるこの丘陵地は、当時、富裕層の別荘地や行楽地として人気が高まっていた。

シュヴァーブへジは、ドイツ語でシュヴァーベンベルク Schwabenberg(シュヴァーベン山)と呼ばれる。1686年のオスマントルコからブダを奪還した戦いで、神聖同盟の一員としてドイツのシュヴァーベン Schwaben 地方から遠征してきた軍隊が、ここに砲台を築いた(下注)ことに由来するという。

*注 実際に砲台が築かれたのは、山腹の、現在キシュ・シュヴァーブ・ヘジ Kis-Sváb-hegy(小シュヴァーベン山)と呼ばれている小山。

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セーチェニ・へジに向かう急坂
 

すでに1868年以来、ドナウ河畔のラーンヒード Lánchíd(鎖橋)からヤーノシュ山麓ズグリゲト Zugliget まで、ブダ路面鉄道会社 Budai Közúti Vaspálya Társaság が馬車軌道を運行していた。新しい鉄道はそのルート上の、当時エッケ・ホモ広場 Ecce homo tér と呼ばれていた現 ヴァーロシュマヨル Városmajor を起点に選んだ。列車はそこから、浅い谷に沿って斜面を2.9km上り、張り出し尾根の肩になった標高394mの地点まで行く。契約では、夏の間1日2回、旅客輸送を提供するという条件が付されていた。

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登山鉄道沿線の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

1873年7月に認可が下り、すぐに工事が始まった。線路は単線で、中間点(現 エルデイ・イシュコラ Erdei iskola 停留所)に列車交換のための待避線が設けられた。線路の分岐部には遷車台(トラバーサー)が設置された。

ターミナル駅には、スイス風の装飾を施した2階建、ハーフティンバーの駅舎が建てられて、登山鉄道の雰囲気を醸し出した。運行車両として当初、スイスSLM社から120馬力の2軸蒸気機関車3両と、オーストリアのヘルナルス車両製造所 Hernalser Waggonfabrik からスラムドアのオープン客車10両、無蓋貨車3両が納入された(下注)。

*注 翌年、機関車1両と客車2両を増備。

「ブダペスト登山鉄道 Budapesti Fogaskerekű Vasút」は、こうして統合ブダペスト市誕生後の1874年6月24日に無事、開通式を迎えることができた。ちなみにリッゲンバッハは、ウィーン北郊のカーレンベルク Kahlenberg(下注)でも同じ方式の鉄道を手掛けており、こちらは同年3月7日の開業だ。そのため、タッチの差でブダペストは、旅客用としてヨーロッパで3番目のラック鉄道になった。

*注 リッゲンバッハとリギ鉄道については「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」、カーレンベルク鉄道は「ウィーンの森、カーレンベルク鉄道跡 I-概要」で詳述。

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開業初期のヴァーロシュマヨル駅
正面奥が駅舎
手前に入換用のトラバーサーが見える(1880年代)
Photo by FORTEPAN / Budapest Főváros Levéltára at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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開業初期の登山列車
ミューヴェース・ウート Művész út 付近(1900年ごろ)
Photo by FORTEPAN / Budapest Főváros Levéltára at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

シュヴァーブへジ一帯には、低山地によく見られる適度な傾斜地が広がっている。かつては森に覆われていたが、18世紀になると開墾され、ワインの原料となるブドウの栽培が盛んになった。ところが1870年ごろからヨーロッパに蔓延した害虫フィロキセラによって、ブドウ畑は壊滅的な打撃を受ける。

耕作が放棄された土地を別荘などに転用する動きは、鉄道の開通によって拍車がかかったに違いない。居住地の拡大を受けて、鉄道をさらに上方へ延ばす計画が立てられた。そして1890年5月に、現在の終点である標高457mのセーチェニ・へジ Széchenyi-hegy(セーチェニ山の意)山上まで0.85kmが延伸開業した。

登山鉄道は、開通後長らく4月15日から10月15日のいわゆる夏のシーズンにのみ運行されていた。そのため客車も、側壁のないオープンタイプだった。しかし、定住者が増加したため、1910年から通年運行が始まった。冬の寒さに備えて客車も改造され、側面はガラス張りになり、乗降扉は端部に集約された。そり滑りやスキーなど、山でのウィンタースポーツを楽しむ人も多く利用したという。

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再現されたオープン客車
制動手が屋根上で、前方監視とともに客車のブレーキ操作を行った
Photo by Albert Lugosi at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

認可期間の満了に伴い、鉄道は1926年に市の所有となり、ブダペスト首都交通公社 Budapest Székesfővárosi Közlekedési Részvénytársaság (BSzKRt) が運行を引き継いだ。それまで路線は赤字続きで、更新費用が工面できず、設備の老朽化が進行していた。公営化を機に、市は、鉄道の抜本的な近代化に取り組んだ。その最大の方策が、蒸気から電気運転への転換だ。

電化方式は市内トラムと同じ直流550Vとされ、SLM社とブダペストのガンツ社による8編成の新車が納入された。これはローワン列車 Rowan Zug と呼ばれるもので、坂下側から電気機関車、客車(付随車)の2両セットだが、客車は自前の車軸を1本しか持たず、坂下側は機関車の車台に載りかかる形になっている。

さらに、運行間隔を短縮できるよう待避線が2か所増設され、山麓駅の末端には電車を収容する車庫と修理工場が新設された。一連の対応工事を終えた鉄道は、1929年7月に運行を再開した。

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ローワン列車
手前が電気機関車、後方が付随車の客車
Photo from www.bkv.hu
 

第二次世界大戦からしばらく、登山鉄道には不遇の時期があった。戦災で開業時の駅舎が破壊されたのに続き、戦後は、南駅 Déli pályaudvar 経由でシュヴァーブヘジ方面へ直行するバス路線(21番)が開通して、鉄道不要の議論を煽った。

市内交通の運営主体が現在のブダペスト交通公社 BKV になったのは、1968年のことだ。ブダペスト統合100周年が近づくにつれ、廃止論は終息していき、代わって存続のための再改修が検討された。

それは結局、1929年の電化に匹敵する大規模な内容になった。すなわち、陳腐化したローワン列車が新しい2両連結の車両(1M1T)7編成に置き換えられる。ブラウン・ボヴェリ社 Brown, Boveri & Cie (BBC) の電気機器を積んだウィーンのジンメリング・グラーツ・パウカー Simmering-Graz-Pauker (SGP) 製の車両だ。それに伴い、電圧が直流1500Vに、ラックレールは保守の容易なシュトループ式に変更される。旧方式での運行は1973年3月15日をもって終わり、工事期間をはさんで、8月20日に新方式による運行が始まった。

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今も運行を担う1973年製の連接車両
 

それから早や50年近くが経つ。その色と形から「赤い牝牛 piros tehén」の異名を与えられた電車は、機器や内装の改修を受けながら、今なお日常運行を担う存在だ。朝5時台から夜23時台までフル運行され、平日日中は20分間隔、休日日中は12分間隔で走る。全線の所要時間は14~15分だ。登山鉄道は、2008年からブダペストの都市交通網にトラム系列の「60番」として組み込まれ、ブダの山手地区に延びる生活路線の一つになっている。

登山鉄道が出発するヴァーロシュマヨル Városmajor は、ブダの主要な交通結節点セール・カールマーン広場 Széll Kálmán tér(旧 モスクワ広場 Moszkva tér を2011年に改称)から西へ900mほどの場所にある。広場でトラム(路面電車)の56番、61番ヒューヴェシュヴェルジ Hűvösvölgy 行きか、59番セント・ヤーノシュ・コールハーズ Szent János Kórház 行きに乗って、二つ目の停留所だ。

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ブダの交通結節点セール・カールマーン広場
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(左)ヴァーロシュマヨル方面へ行くトラム
(右)その車内
 

ヴァーロシュマヨル、略してマヨル Major は、市民には都市公園の名と認識されている。トラムはそのへりに沿う濃緑の並木の下の専用軌道を走っていく。ヴァーロシュマヨル停留所で下車すると、左側に鉄格子の扉がついた門が見える。登山鉄道のターミナルは、この中だ。

門の脇に、リッゲンバッハ式のラックレールとピニオンホイールのセットが置かれていた。線路の向こうには、シュトループ式のセットもある。傍らの石碑に「登山鉄道はペスト、ブダ、オーブダ統合100年を記念して再建された。ブダペスト交通公社」と刻まれていて、1973年に行われた全面改修の記念碑のようだ。

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トラムのヴァーロシュマヨル停留所
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登山鉄道のヴァーロシュマヨル駅
(左)駅の門扉
(右)現在使われているシュトループ式の車軸とレール
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(左)1973年の鉄道再建記念碑(右奥)
(右)リッゲンバッハ式の車軸とレール
 

平屋の駅舎があるものの開いてはおらず、ましてや案内窓口や売店などはない。乗車券は市内交通と共通なので、24時間券などを持っているならそのまま使える。車庫へ通じている線路を渡ってホームへ上がり、停車中の山上方面行きに乗り込んだ。

牝牛に見えるかどうかは別として、幅広でずんぐりした形の車両は、リギ鉄道の旧型車を思い出させる。車内は、丸みを帯びた天井と扉ごとに立てられた風防が特徴的だ。座席はクロスシートで、端部はスラムドア車を彷彿とさせる5人掛け、反対側の端部は持込み自転車のためのスペースになっている。前面は塞がれて展望がきかないので、おとなしく席につこう。やがて定刻になり、電車は10数人の客を乗せて、駅を後にした。

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(左)乗降ホーム
(右)反対側の線路は車庫へ続く
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車内
(左)クロスシートが並ぶ
(右)持込み自転車用スペース、持込みには自転車券の購入が必要
 

左からの線路を合わせて、電車も左へカーブしていく。地図では一面の市街地のように描かれているが、実態は緑濃い山の手のお屋敷街だ。周りはほとんど森といってよく、点在しているはずのお屋敷を巧妙に隠している。

途中8か所の駅(停留所)がある。待避線はおよそ2駅ごとに設けられているが、平日日中のダイヤで列車が行違うのは、5駅目のアドニス・ウツァ Adonis utca での1回きりだ。帰りは山上からここまで歩いて降りたが、対面式ホームがあるだけの寂しげな駅だった。

片側に道路が沿っているものの、反対側は森に覆われた谷間で、野鳥の盛んに鳴き交わす声が聞こえる。列車交換では、山麓行きが先着して、山上行きの入線を静かに待つ。こんな駅でも下車客はあって、線路際の小道をたどり、森の中へ消えていった。

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アドニス・ウツァ駅の列車交換
山麓方面行きが先着
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少しして山上行きが入線
 

シュヴァーブへジ駅には、ローワン列車が似合いそうな田舎家風の木造駅舎と、木組みのホーム屋根が残る。開業時のものではなく、使われてもいないのだが、終点だった時代をしのばせる空気が漂う。都市機能としても、駅前に路線バスが来るし、すぐ近くにスーパーマーケットもある。中間駅になってはいるが、実質的にはターミナルなのだろう。

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シュヴァーブへジ駅
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(左)田舎家風の駅舎とホーム屋根
(右)かさ上げ前のホームを保存
 

現在の終点までは、あと二駅だ。森の谷間を這いあがる線路の坂道はそれまでよりきつそうで、最急勾配110‰は、おそらくこの区間にある。右にカーブしながら跨線橋をくぐると、終点セーチェニ・へジに到着する。

駅は2面2線の頭端ホームがあり、しっかりした駅舎も建っている。しかし、起点駅と同じようにひと気はない。左側は森の中の公園で、訪れた時は子どもたちの歓声がこだましていたが、そうでもなければ寂寥感に囚われてしまいそうだ。山上とはいえ地形的には突出していないため、木立に遮られて眺望がきかないのだ。イメージとしては住宅街の末端で、その意味ではふだん使いの生活路線にふさわしい終着駅だった。

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終点セーチェニ・へジ駅
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(左)入線する列車
(右)ひと気のないホームで折り返しを待つ
 

ところで駅の正式名は、セーチェニ・ヘジ、ジェルメクヴァシュート Széchenyi-hegy, Gyermekvasút という。ジェルメクヴァシュートというのは、子どもたちが列車運行に携わる「子供鉄道 Children's Railway」のことだ。左方向200m先にその駅があり、登山鉄道はせめてその最寄りであることをアピールしようとしているようだ。次回はこのユニークな鉄道について紹介しよう。

付記:鉄道名について

ハンガリー語(マジャル語)では、ラック・アンド・ピニオン鉄道のことを、fogaskerekű vasút(フォガシュケレキュー・ヴァシュート)という。fogaskerekű は歯車、vasút は鉄道(vas(ヴァシュ)=鉄、út(ウート)=道)を意味し、英語にすると cog-wheel railway(コグ(歯車)鉄道)だ。本稿では「ブダペスト登山鉄道」と訳しているが、原語には登山や山地を意味する言葉は含まれておらず、あくまで意訳であることをお断りしておきたい。

■参考サイト
BKV https://www.bkv.hu/

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2020年8月11日 (火)

リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史

リッテン鉄道/レノン鉄道 Rittner Bahn/Ferrovia del Renon

ボーツェン・ヴァルタープラッツ Bozen Waltherplatz/Bolzano Piazza Walther ~クローベンシュタイン/コッラルボ Klobenstein/Collalbo 間 11.7km
軌間1000mm、直流750V電化、最急勾配255‰、シュトループ式ラック鉄道(一部区間)
1907年開通
1966年 ヴァルタープラッツ~マリーア・ヒンメルファールト間廃止

【現在の運行区間】
マリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta ~クローベンシュタイン/コッラルボ間 6.6km
軌間1000mm、直流800V電化(1966年~)、最急勾配45‰

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ヴァイトアッハー Weidacher 付近を行く
現在の主力車両BDw 4/8形

アルプス越えの交易路が通過するブレンナー峠 Brennerpass の南側は、イタリアだ。しかし、第一次世界大戦まではオーストリア領で、チロル Tirol の一部を構成していた。それで今もドイツ語では、南チロル Südtirol と呼ばれる(下注)。峠から街道を約80km下ったところに、地域の中心都市ボーツェン Bozen があり、愛すべき小鉄道「リッテン鉄道/レノン鉄道」が、その郊外を走っている。

*注 行政上はボーツェン/ボルツァーノ自治県 Autonome Provinz Bozen/Provincia autonoma di Bolzano。

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鉄道の名は周辺の広域地名に基づいているのだが、二通りの呼び名があることについては少し注釈が必要だ。南チロルではドイツ語話者が6割強を占めており、ドイツ語とイタリア語が公用語になっている。そのため、公共表示は2言語併記が原則で、例えば既出の固有名詞を両言語(ドイツ語/イタリア語)で記すと、以下の通りだ。

 南チロル(ジュートティロール)Südtirol/アルト・アディジェ Alto Adige
 ボーツェン Bozen/ボルツァーノ Bolzano
 リッテン Ritten/レノン Renon

他の地名も、初出の際に両言語を併記することにするが、これにより鉄道名も、ドイツ語ではリッテン鉄道(リットナー・バーン)Rittner Bahn、イタリア語ではレノン鉄道(フェッロヴィーア・デル・レノン)Ferrovia del Renon になるのだ。

ちなみに、ドイツ語のリットナー Rittner は、地名リッテン Ritten の形容詞形で、「リッテンの」という意味だ。ところが、地名自体があまり知られていないためか、そのまま読んで「リットナー鉄道」と訳している文献も見られる。

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リッテン鉄道沿線の地形図にルート(廃線を含む)を加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道は、標高1200m前後の高原内を行き来している延長わずか6.6kmのローカル線に過ぎない。しかもイタリアの標準軌鉄道網とは接続しない孤立路線だ。なぜこのような場所に鉄道が存在するのだろうか。

短距離にもかかわらず電化線であることからも察せられるように、かつては下界のボーツェン市街と線路がつながっており、小型電車が直通していた。旧市街の広場で乗れば、高原の村まで乗り換えなしで到達できるという、きわめて便利な路線だったのだ。

リッテン鉄道は地方鉄道として認可を得たが、実態は市街地の路面軌道(併用軌道)、山腹を上るラック鉄道、高原上の普通鉄道(専用軌道)という、異なる性格をもつ三つの区間に分けられる。後になって前二者が廃止されたため、最後者だけがぽつんと残された。これが現在の姿だ。

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ラッパースビヒル Rappersbichl 付近を行く
アリオート105号(2016年)
Photo by Michael Heussler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

リッテンは地理的に見ると、ザルンタール/ヴァル・サレンティーナ Sarntal/Val Sarentina とアイザックタール/ヴァル・ディザルコ Eisacktal/Val d'Isarco という二つの谷の間に横たわる広い高原地帯だ。標高の違いから、夏場はしばしば猛暑に見舞われる盆地のボーツェンに比べて、はるかに快適な気温が保たれている。

すでに17世紀からボーツェンの名門貴族や上流階級の避暑地として好まれていたが、19世紀になると一般の観光需要も高まっていった。1880年代には鉄道の建設計画が唱えられ始め、一方で静かな環境を維持したいと考える人々によって反対運動も起きた。

20世紀に入って、計画は具体化した。山を上る手段にはラック・アンド・ピニオン方式が採用され、1906年7月に認可、着工。翌1907年8月には、早くもリッテン駅とクローベンシュタインの間で一般輸送が開始されていた。残る市内区間を含めた全線での直通運行は1908年2月末に始まった。

鉄道の起点は、ボーツェン旧市街、ヴァルター広場 Waltherplatz/Piazza Walther の南東隅にあった。電車はそこから国鉄駅前を通って北上し、山麓に設けられたリッテン駅/レノン駅 Rittnerbahnhof/Stazione di Renon の手前まで、街路上に敷かれた軌道を走った。

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リッテン鉄道のかつての起点 ヴァルター広場
(1907年ごろの絵葉書)
Image from wikimedia.
 

リッテン駅と呼ぶのは、規模は違うがパリのリヨン駅のように、市内のターミナルに目的地の名(鉄道名とも解釈できる)を冠したものだ。駅名が示すとおりここは拠点駅で、車庫と整備工場があったほか、標準軌の国鉄ブレンナー線 Brennerbahn から引込み線が来ており、貨物の受け渡しも行っていた。

直通運行の開始から間もない1909年7月には、ボーツェンの市内電車としてボーツェン路面軌道 Straßenbahn Bozen が開業する。西郊(1系統)と南郊(2系統)から市内へ入り、ヴァルター広場からリッテン鉄道の軌道に乗り入れて、一部区間を共用した(下注)。しかし残念なことに、リッテン鉄道よりも早く1948年に廃止・バス転換されてしまい、今はない。

*注 1系統(シュテファニーシュトラーセ Stephaniestraße ~ブレンナーシュトラーセ Brennerstraße)は、バーンシュトラーセ(鉄道通り)Bahnstraße 電停までが共用区間。2系統(ライファース Leifers ~ボーツェン駅前)は共用区間内のバーンホーフプラッツ(駅前広場) Bahnhofplatz が終点だが、駅正面南側に単独のターミナルを持っていた。

■参考サイト
Wikimedia - 路面軌道が記載されたボーツェン市街図(1914年)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Geuter's_city_plan_of_Bozen-Bolzano_in_1914.JPG

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ドロミティの山を背景にタルファー橋を渡る
ボーツェン路面軌道の電車(1910年ごろの絵葉書)
Image from wikimedia.
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旧 ラック区間が記載された1:25,000地形図
10 I SE Bolzano Nord 1963年
10 II NE Bolzano 1960年
© 2020 Istituto Geografico Militare
 

さて、リッテン駅を出発すると、いよいよラック区間が始まる。ラックレールはシュトループ Strub 式で、4.1kmの間に911mの高度差を克服した。最大勾配は255‰と、ピラトゥスやワシントン山には及ばないにしても、オーストリアのシャーフベルク鉄道 Schafbergbahn などと並び、世界で最も急勾配のグループに入るものだった。

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ザンクト・マグダレーナ上方を行く旧型車
背景はボーツェン駅と市街地(当時の絵葉書)
Image from styria-mobile.at
 

ラック区間では、電車は自らの駆動装置は使わず、後部すなわち坂下側に配置されたラック専用の電気機関車で押し上げてもらう。また、電車(=電動車)が動力を持たない客車(=付随車)を牽いて2両で来た場合は、まず電動車が付随車の後ろに回り、その後ろに機関車を付ける。こうして、坂下側から機関車、電動車、付随車の順になり、坂を上っていった。

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ラック区間の車両編成
坂下側(=左)から機関車、電動車、付随車
マリーア・ヒンメルファールト駅の案内板を撮影
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ラック専用の電気機関車(左)と電動車
リッテン駅構内にて(1965年)
Photo by Jean-Henri Manara at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

山裾へのとりつきでは、斜面を覆うぶどう畑の上を長さ160mの高架橋で渡る。赤ワインの銘柄で知られるザンクト・マグダレーナ/サンタ・マッダレーナ St. Magdalena/S. Maddalena の村の前には、ラック区間で唯一乗降を扱う停留所があった。

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リッテン駅上手の廃線跡現況(2019年)
(左)高架橋の橋面はぶどう畑に、アーチ下は倉庫に再活用
(右)リッテン駅出口(ラック区間始点付近)に残る橋台
 

さらに上ると、変電所を併設した信号所にさしかかる。ここはラック区間の中間地点に当たり、山上と山麓から同時に発車した列車が行違いを行った。機関車は回生ブレーキを備えているので、このダイヤにより、坂を下る機関車で発生した電力を、上りの機関車に効率良く供給することができた。

やがて車窓は森に包まれ、長さ60mのトンネルを通過する。再び視界が開けて、緑の牧草地に出れば、まもなくラック区間の終点マリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta(下注)だった。この駅でラック機関車から解放された電車は、残りの、現在も運行中の区間を再び自力で走り抜けた。

*注 以前のイタリア語駅名はラッスンタ L'Assunta。いずれも聖母被昇天教会にちなむ地名。

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マリーア・ヒンメルファールト駅の現況(2019年)
(左)駅舎は1985年に開通当時の状態に復元
(右)終端の先は牧草地に
 

20世紀前半、高原上にまだまともな自動車道路はなく、鉄道が文字通り「リッテンの生命線 Lebensnerv des Ritten」だった。しかし、第二次世界大戦後は、車両や施設設備の老朽化が顕著になる。鉄道の更新に投資するより、到達時間が短縮できるロープウェーの建設を求める声が大勢を占めた。また、山麓から高原に通じる新しい自動車道路の計画も進行していた。

ロープウェーの起工式は1964年8月に行われた。その矢先の同年12月3日、恐れていた事故が起きる。ザンクト・マグダレーナの上方で、山麓に向かっていた列車が脱線し、ラック機関車とともに落下したのだ。運転士と乗客3名が死亡し、30名が負傷した。

事故区間はいったん復旧されたものの、市内線は1966年7月9日、ラック線は同年7月13日が最後の運行となった。翌14日に山麓との間を結ぶロープウェーが開業し、オーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano で鉄道に連絡する現在の方式がスタートした。ただし、これはあくまで暫定形で、自動車道路が全通した暁には、高原区間も廃止してバスに転換することになっていた。

ところが道路の完成が遅れ、その間に、観光資源として鉄道を再評価する機運が高まった。このいわば偶然のおかげで、リッテン鉄道は全廃の危機から救われたのだった。

1980年代には、施設設備の全面改修が実施された。また、車齢のより新しい中古車が導入され、名物だった古典電車の運行は今や、年数日の特定便に限定されている。

ラック区間を代替したリッテン・ロープウェー Rittner Seilbahn もすでに2代目だ。初代は50名収容のキャビン(搬器)を使った交走式だったが、2009年に3Sと呼ばれる循環式に交換され、輸送能力が倍増した。これにより、リッテン鉄道も30分間隔での運行が可能になり、利用者の増加につながった。

鉄道は現在、南チロル運輸機構 Südtiroler Transportstrukturen/Strutture Trasporto Alto Adige (STA) が所有し、SAD近郊輸送会社 SAD Nahverkehr AG/SAD Trasporto locale が運行している。SADは南チロル一帯の路線バス、地方鉄道、索道の運行事業者で、リッテン鉄道もその路線網に組み込まれている。

*注 SADの名称は、旧社名 南チロル自動車サービス Südtiroler Automobildienst/ドロミティ・バスサービス Servizio Autobus Dolomiti の頭文字に基づく。

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急斜面を行くリッテン・ロープウェー
背景はボーツェン駅と市街地
 

ボーツェン市内から、鉄道の終点でリッテンの中心地区であるクローベンシュタイン/コッラルボ Klobenstein/Collalbo へは、山道を上るSADのバス路線(165系統)もある。所要時間は30分ほどで鉄道経由と大差はないが、運行は平日日中60分間隔、休日は120分間隔とかなり開いている。輸送力や利便性の点で、やはりリッテン鉄道の交通軸としての位置づけは揺るぎないものになっているようだ。

次回は、ロープウェーと鉄道を使って、そのリッテン高原に出かけることにしよう。

■参考サイト
Ritten.com http://www.ritten.com/
Tiroler MuseumsBahnen http://www.tmb.at/
schweizer-schmalspurbahn.de - Die Rittnerbahn
http://www.alpenbahnen.net/html/rittnerbahn.html

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