登山鉄道

2026年6月 5日 (金)

テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)

テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn
(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn)

鋼索鉄道線:オプストフェルダーシュミーデ Obstfelderschmiede ~リヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン Lichtenhain a d Bergbahn 間 1.351km
軌間1800mm、最急勾配250‰、高度差323m

山上線(粘着式):リヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン~クルスドルフ Cursdorf 間 2.635km
軌間1435mm、直流600V電化

1923年開通

Blog_thueringerberg1
山上線クルスドルフ駅を出発する479.2形電車

Blog_thueringerberg_map1

ドイツ中部、テューリンゲン州の山中を走るテューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn は、ケーブルカー(鋼索鉄道)で上りきった後に、山上の平坦線が続くという2段構えの鉄道路線だ。しかも天気のいい日は、ケーブルカーに「カブリオ車 Cabriowagen」と呼ばれるオープン車両が据え付けられ、坂道を上下する間、山地の眺望が360度ほしいままになる。

このような鉄道が、他にないわけではない。このブログでも、スイスのミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)Mürrenbahn やイタリアのリッテン鉄道 Rittner Bahn などの例を取り上げた(下注)。しかし、どちらも現在、登山区間はロープウェーに依存しているため、麓を走る鉄道とのつながりはない。

*注 詳細は「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

それに対してテューリンゲン登山鉄道では、ケーブルカーの片方が車両を載せる運搬台車になっている。貨物輸送をしていた時代は、これを使って麓の路線と山上線との間で貨車を直通させていた。山上線用の電車も同じようにして下から運び上げたものだ。ケーブルカーなのに、晴れたらカブリオ、雨の日や冬場は窓のある車両と、臨機応変の置換えが可能なのは、台車装置があるからこそだ。

今回はこのユニークな登山鉄道のようすをレポートしたい。

Blog_thueringerberg2
鋼索鉄道線の運搬台車に載るカブリオ

テューリンゲン登山鉄道は、つい最近までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていた。オーバーヴァイスバッハ Oberweißbach は山上にある町の名だ。路線は、麓を走る1900年開業のロッテンバッハ=カッツヒュッテ線 Bahnstrecke Rottenbach–Katzhütte、別名 シュヴァルツァタール線 Schwarzatalbahn から町への連絡手段として構想された。

しかし、麓との高度差は300m以上ある。建設費を抑えるには、線路を山腹に長々と引き回すより、ケーブルカーを設置して一気に上りきるほうが有利だった。建設は第一次世界大戦後の雇用創出事業の一環で実施され、1923年3月に正式に開通した。

当初、運営は州と地元自治体が設立した独自の鉄道会社が行っていたが、州公社を経て、1949年にDR(ドイツ国営鉄道=東ドイツ国鉄)の路線になった。そして、1994年のDR解体により新生DB(ドイツ鉄道)に引き継がれ、2002年からはその地方子会社が、シュヴァルツァタール線と一体で運営に当たっている。

Blog_thueringerberg3
シュヴァルツァタール線125周年のリーフレット(一部)
ケーブルカーと山上線も描かれている

私がここを訪れたのは、昨年(2025年)6月のことだ。ドイツ東部を巡っていた一日を、念願だった登山鉄道の乗車体験に充てた。この路線に最も近い主要都市は、テューリンゲン州の州都エアフルト Erfurt だ。そこから南へローカル列車を乗り継いで1時間30分、テューリンゲン粘板岩山地 Thüringer Schiefergebirge(下注)の深い谷の中に、起点駅のオプストフェルダーシュミーデ Obstfelderschmiede がある。

*注 テューリンゲン粘板岩山地は、テューリンガーヴァルト(テューリンゲン森)Thüringerwald の東に隣接する山地だが、より知られたテューリンガーヴァルトに含めて語られることも多い。

Blog_thueringerberg_map2
テューリンゲン登山鉄道と周辺路線図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
Blog_thueringerberg_map3
詳細図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

エアフルト中央駅で乗ろうとしたシュタッドラーのレギオ・シャトル Regio Shuttle は3両編成だったが、車両の行先表示がDBアプリが示すものと違うのに気づいた。車掌氏に尋ねると、1両目に乗れとのこと。後ろ2両は途中のアルンシュタット Arnstadt で切り離されて、別方向へ行くのだった。

列車は市街地を出ると、一面の耕作地の中を延々と走っていく。やがて山に入り、シュヴァルツァタール線との接続駅ロッテンバッハ Rottenbach の3番線に到着した。ここで、1番線で客待ちしていたシュヴァルツァタール線の単行641形、赤い「クジラ」(下注)に乗り換える。

*注 その外観からドイツ語でヴァール Wal あるいはヴァールフィッシュ Walfisch(いずれもクジラの意)のあだ名がある。以前、別のローカル線でも見かけた。「テューリンガーヴァルト鉄道 I-DB線からのアプローチ」参照。

Blog_thueringerberg4
(左)エアフルト駅から乗ったレギオ・シャトル
(右)シュヴァルツァタール線の赤い「クジラ」
 

気動車は初めに一つ峠を越えた後、シュヴァルツァ川 Schwarza が刻んだ狭い谷を遡るのだが、右に左にきついカーブが連続し、速度はいっこうに上がらない。標準軌とはいえ、規格は明らかに軽便線だった。

オプストフェルダーシュミーデは、登山鉄道の開業に合わせて設置された棒線の停留所 Haltepunkt だ。しかし、ホームに降り立つと、登山鉄道側にはちゃんとした木骨造の駅舎があり、出札と売店が開いていた。今や登山鉄道は地域の観光スポットの一つになっていて、多くの客が車で直接現地まで来ているのだ。

Blog_thueringerberg5
(左)オプストフェルダーシュミーデは無人駅だが…
(右)登山鉄道には立派な駅舎が
 

後で見に行くと、屋根付き橋でシュヴァルツァ川を渡った対岸に、数十台収容できそうな立派な駐車場が用意されていた。それで運行間隔も、シュヴァルツァタール線の1時間に対して、登山鉄道は30分と頻度が違う。

ちなみに、シュヴァルツァタール線も登山鉄道も SPNV(地方公共交通機関)に位置付けられているので、乗車券は周辺のDB路線と共通だ。ドイチュラント・チケット Deutschland-Ticket(下注)を所持していれば、追加料金はかからない。

*注 略称 D-Ticket。ドイツ全土のSPNVや市内交通機関が月単位で乗り放題の格安切符。国内旅行者はたいていこれを使っている。

Blog_thueringerberg6
駅舎全景、カブリオが山上へ向かう
 

赤いクジラが10時05分に着いて、次の山上行きケーブルカーの発車は10時30分だ。それを待つ間に、かつて貨車をやりとりしていた両線の接続部を観察しておこう。

駅舎の前からシュヴァルツァタール線を終点側へ200mほどたどっていくと、分岐点があった。そこからスイッチバック式に側線が延びていて、終端は駅舎のすぐ横にある転車台だ。このときは入換用のディーゼル機関車が置いてあったが、これを90度回転させれば、ピットに収まったケーブルカーの台車上の軌道に接続できる。

Blog_thueringerberg7
(左)本線からの分岐点
(右)入換機関車が休む転車台、左が側線、手前がケーブルカー側
 

そうこうするうちに坂の上手から、クリームと赤に塗り分けたお待ちかねのケーブルカーが降りてきた。運搬台車の話ばかりしてきたが、ケーブルのもう一方には、ふつうの階段型密閉車両が固定されている。すなわち、駅には密閉車とカブリオが交互にやってくるわけだ。往路は前者に乗って、後者とのすれ違いを撮りたいと思っていたので幸運だった。少なくとも今日は、山麓駅30分発が密閉車なので、00分発がカブリオということだ。山上駅ではこの逆になる。

なお、密閉車は駅舎内のホームに入ってくるが、カブリオ(を載せた台車)は直前のポイントで分岐して、先ほどの転車台前に設置された積込みランプ Verladerampe のホームに到着するようになっている(下の写真参照)。

運搬台車が安定的に走行できるよう、軌道は広軌で1800mmもある。それに対応する密閉車両も幅広で、そのため外見はリッゲンバッハのラック車両のようにずんぐりしている。車内に入ると、通路の両側の座席は3人掛けられるくらいの長さがあった。

Blog_thueringerberg8
(左)ずんぐりした密閉車両
(右)車内も広々している
Blog_thueringerberg9
山麓駅を山側から眺める
密閉車両は右へ入線、カブリオは直進して転車台前へ
 

定刻になり、客車はそろりとホームを後にした。駅を出ても動きはゆっくりとしたままだ。初めのうち、周囲は背の高い針葉樹の人工森で、左に緩くカーブしていく。やがて中間の行き違いループが見えてきた。山上側からカブリオ車が降りてくる。台車より車長があり、しかも水平に載っているので、空に向かって反り返っているように錯覚してしまう。見るとフロアには日差しを遮るパラソルも開いていて、リゾート気分全開だ。確かに天気のいい日はこんな車両に乗りたい。

カブリオを下方に見送り、ループを通過した後は直線ルートになる。周りは自然林に移行し、後ろを振り返ると、前山の陰から遠くの山の稜線が姿を見せ始めた。山上駅リヒテンハイン Lichtenhain(下注)までの所要時間は18分、けっこう乗りごたえのあるケーブルカーだった。

*注 正式名はリヒテンハイン・アン・デア・ベルクバーン Lichtenhain a d Bergbahn。「登山鉄道にあるリヒテンハイン」を意味する。

Blog_thueringerberg10
カブリオと行き違う
Blog_thueringerberg11
後半、遠方の稜線が姿を見せ始める
 

山上線には中間改札がなく、ケーブルカーの階段ホームが、山上線の高床ホームに直接つながっている。駅の正面口は下の階にあるため、乗継ぎ客の視界に入ることはない。山上線は9分後の発車だ。周辺散策は復路の楽しみに取っておき、まずは山上線の終点へ向かうことにしよう。

10時52分に、ベルリンSバーンの旧車に似た風貌の2両編成がホームに入ってきた。山上線もケーブルカーと同じく30分間隔で運行している。

Blog_thueringerberg12
(左)リヒテンハインに到着
(右)階段ホームが山上線のホームに直結
 

手前は479.2形電動車で、DR時代の1982~84年にベルリンのシェーネヴァイデ鉄道修理工場 Raw Berlin-Schöneweide で製造(下注)されたものだ。この工場ではSバーン電車の改修を行っていたので、車体にはそれが流用された。両運転台なので、閑散期は単行で走る。

*注 コメコンによる共産圏の国際分業体制下で、東ドイツでは鉄道車両の新造ができなくなったため、479.2形(当時は279.2形と称した)は改造車とみなされた。

ちなみに、ベルリン東郊のブーコウ軽便鉄道 Buckower Kleinbahn でも同型車が走っているが、山上線のそれはケーブルカーの台車で運搬できるように、より短いホイールベース(軸距)で設計されているという。

一方、後ろの車両は479.2形の改造車(下注)で、「オリテート車 Olitätenwagen」と称する。オリテート Olität は特産のハーブオイルのことで、天窓から陽光降り注ぐ車内に、それをアピールするパネルが多数取り付けてあった。往路はこの車両が先頭に立つ。

*注 パンタグラフが撤去されたので単独では走れず、電力は併結の電動車から供給を受ける。

Blog_thueringerberg13
山上線専用の479.2形電車
Blog_thueringerberg14
(左)電動車の車内
(右)天窓のあるオリテート車の車内
 

列車は十数人の客を乗せて、10時59分定刻に発車した。車窓はすっかり高原の風景で、牧草地と森が交錯する中をくねくねと縫っていく。平坦線 Flachstrecke と言われるとおり、勾配はごく緩い。森林公園のような雰囲気の中間駅オーバーヴァイスバッハ=デースバッハ Oberweißbach-Deesbach に停車。沿線の中心地オーバーヴァイスバッハの最寄り駅で、数人が降りた。

その後も森の中を走り、再び野原に出ると、まもなく終点のクルスドルフ Cursdorf だった。所要8分。終端が車庫になった頭端式の棒線駅で、列車は7分休んで折り返す。山上線は2.6kmの短いルートのため、1編成がこうしてシャトル運行している。

Blog_thueringerberg15
(左)車窓は高原の風景
(右)オーバーヴァイスバッハ=デースバッハに停車(帰路写す)
Blog_thueringerberg16
(左)終点クルスドルフに接近
(右)折返しまでつかの間の休憩
 

ハイキング日和なので、帰りは山上駅リヒテンハインまで歩くことにした。おおむね線路に沿って、気持ちのいい小道が続いている。たまに道端にベンチも置いてあって、至れり尽くせりだ。途中視界の開ける場所で通過列車を待ち伏せしたりしていたので、50分ほどかけて山上駅に着いた。

山上駅はリヒテンハイン村の東端、標高662mに位置する。駅舎は山小屋のような木骨造の建物だ。下階にある駅の正面口の隣はマシナリウム Maschinarium という名のちょっとした博物館で、鉄道模型や資料が展示されているほか、ケーブルの巨大な巻上げ滑車もガラス越しに見ることができた。

Blog_thueringerberg17
線路に沿って野の小道が続く
Blog_thueringerberg18
リヒテンハイン駅舎、左が正面入口
Blog_thueringerberg19
小博物館マシナリウム
(左)ケーブルの巻上げ滑車 (右)クルスドルフ駅の模型
 

駅前から坂道を上ると、山上線のヤードの前に出る。本線の両側に短い留置側線を配置したささやかなヤードだ。駅舎寄りには、その本線・側線とケーブルカーの積込みランプを接続する転車台がある。

側線に、同じクリームと赤の塗分けで、山上線より一回り小さな車両が留置されているが、これが雨の日や冬場にカブリオに替わって出動する密閉客車だ。近傍の、廃止されたシュライツ軽便鉄道 Schleizer Kleinbahn(下注)から来た付随車で、1972年から登山鉄道で使われている。隣には本線用の一般的な有蓋貨車がいるが、この客車と並ぶとやけに大きく見える。もとより貨物輸送は絶えて久しいので、貨車はふだん展示物だ。

*注 シュライツ軽便鉄道については「ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道」参照。

Blog_thueringerberg20
駅に停車中の電車から見た転車台とヤード
Blog_thueringerberg21
(左)鋼索鉄道用の密閉客車
(右)クルスドルフ側から見た転車台と駅
 

ヤードの先端まで行くと、古い巻上げ滑車その他のモニュメントがあり、その先はリヒテンハイン森林鉄道 Lichtenhainer Waldeisenbahn という名の遊覧鉄道の敷地になっている。周回線路は軌間600mmで、650mの長さがあるが、最近は活動していないようだ。

Blog_thueringerberg22
(左)巻上げ機のモニュメント
(右)リヒテンハイン森林鉄道の軌道
 

そろそろ12時18分着のケーブルカーが上がってくる頃だ。この便がカブリオになることは麓で学習済みなので、谷側のお立ち台で撮り鉄してから、駅に戻る。ヤードからホームへは直接行くことができず、階下の駅入口(またはホームにつながる昇降機)へ迂回しなければならない。

ケーブルカーの階段ホームを上がっていくと、カブリオの車軸や運搬台車が目の高さに来て、構造が手に取るようだ。密閉車両と違って床が水平なので、山側の端部にのみドアがあり、ホームとの広いギャップは専用の乗降デッキで埋めている。

Blog_thueringerberg23
(左)運搬台車を下から見上げる
(右)専用デッキを介して乗降
 

20人ほどの客を乗せて、12時30分定刻に駅を出発した。往路で遭遇したときは車両が反り返っているように見えたが、実際に搭乗すると、谷側に突き出した先端部では空中に浮かんでいるような気分だ。ループ区間では、すれ違った密閉客車の窓から、好奇と羨望の入り混じった視線をたっぷりと浴びる。18分間、動く展望台を客に満喫させて、カブリオは静かに山麓駅の転車台前に到達した。

Blog_thueringerberg24
(左)カブリオ車内は動く展望台
(右)密閉客車と行き違う
 

■参考サイト
テューリンゲン登山鉄道 https://www.thueringerbergbahn.com/

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

 テューリンガーヴァルト鉄道 I-DB線からのアプローチ
 テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る
 ヴィーゼンタタール鉄道 I-赤いレールバスが行く
 ヴィーゼンタタール鉄道 II-廃線跡の自転車道

 山上鉄道の例
 ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)
 リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史
 リッテン鉄道 II-ルートを追って
 アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー

2026年1月15日 (木)

ラ・リューヌ登山鉄道-ピレネー西端の展望台へ

プティ・トラン・ド・ラ・リューヌ(ラ・リューヌの小列車)Petit Train de la Rhune

コル・ド・サンティニャス(サンティニャス峠)Col de Saint-Ignace ~ソメ・ド・ラ・リューヌ(リューヌ山頂)Sommet de La Rhune 間 4.25km
軌間1000mm、三相交流3000V 50Hz電化、シュトループ式ラック鉄道、最大勾配250‰
1924年開通

Blog_larhune1
ラ・リューヌ山頂の登山列車

Blog_larhune_map1

フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈、その最西端に位置する山がラ・リューヌ(リューヌ山)La Rhune だ。標高900m(下注1)とさほど高くはないが、大西洋岸から10kmしか離れていないため、晴れた日の山頂からは、両国にまたがるバスク海岸 Côte Basque の、遮るもののない眺望が得られる。ラ・リューヌ登山鉄道 Petit Train de la Rhune(下注2)は、その山頂へ観光客を連れていく。

*注1 下図では905mと記されているが、IGN地形図では900m。
*注2 「登山鉄道」はあくまで意訳で、原語は「ラ・リューヌの小列車」を意味する。

これはフランスに5本あるラック鉄道の一つ(下注)で、シュトループ式ラックレールを用いて、最大勾配250‰の坂道に挑む路線だ。珍しいのは、起点が山麓ではなく、標高169mのサンティニャス峠 Col de Saint-Ignace の上にあることだ。それには路線の成り立ちが関係している。

*注 他の4本は、シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc、クレルモン・フェラン近郊のパノラミック・デ・ドーム Panoramique des Dômes、リヨンのメトロC線の一部区間。

Blog_larhune2
リューヌ山遠望
手前はアンダイエのアバディア城 Château d'Abbadia(2020年)
Photo by PierreD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_larhune_map2
ラ・リューヌ登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

峠には、かつて海岸のサン・ジャン・ド・リュズ Saint-Jean-de-Luz からアスカン Ascain を経て内陸のサール Sare に至るメーターゲージ、粘着式の電気鉄道が通っていた。ミディ(南部)県鉄道 Voies Ferrées Départementales du Midi(下注)が地域に張り巡らせた路線網の一部で、登山鉄道はそれに接続するいわば支線だった。

*注 ミディ県鉄道は、国有化以前の大手私鉄、ミディ鉄道(南部鉄道)Chemins de fer du Midi の子会社で、バス・ピレネー県 Département des Basses-Pyrénées(現 ピレネー=アトランティック県 Pyrénées-Atlantiques)西部にメーターゲージの路線網を有していた。名称は県鉄道だが、県営ではない。

Blog_larhune3
サン・ジャン・ド・リュズ=サール線のサンティニャス峠駅
右端に現 登山鉄道駅舎と接続線路が写る
現地の説明パネルを撮影
Blog_larhune4
サンティニャス峠駅の絵葉書
登山鉄道の線路が左奥へ延びる
手前の線路はサン・ジャン・ド・リュズ=サール線
現駅舎はまだ建っていない
Photo from wikimedia. License: public domain
 

見晴らしのいいラ・リューヌ山頂へ鉄道を延ばすという構想は1908年に発表されている。1912年に着工されたものの、第一次世界大戦の勃発で中断を余儀なくされ、12年の歳月をかけて1924年にようやく開通した。その年の4月25日に2.65km地点のレ・トロワ・フォンテーヌ Les Trois Fontaines まで暫定運行が始まり、6月30日に開業列車が念願の山頂到達を果たした。

先述のサン・ジャン・ド・リュズ=サール線が開通したのも同じ時期だ。この路線やそれにつながる周辺の鉄道網を通じて、登山鉄道は、沿岸のリゾートに集まる多くの客を惹きつけることができた。

だが、1920年代はモータリゼーションが浸透していく時代でもあった。道路交通の攻勢を受けて県鉄道の利用者は漸減し、経営は苦境に陥る。政府の支援が得られなかったため、1930年代に入ると路線網の縮小が始まり、サン・ジャン・ド・リュズ=サール線も1937年7月1日付けであえなく廃止となった。

Blog_larhune5
山頂近くを続行する登山列車
 

逆風のなか、登山鉄道だけが生き残ったのは、山上に通じる一般道がなかったからだ。孤立路線になっても、客はみなバスや自家用車でやってくる。起点の駅前には、大型車も停められる広い駐車場が用意された。

しかし、1970年代に鉄道は、もう一度岐路に立たされたことがある。山を上る道路の整備計画が持ち上がり、その建設の是非を問う住民投票が実施されたのだ。道路ができれば鉄道にとって大きな打撃となるところだったが、結果は、否定の票が多数を占めた。

現在、登山鉄道を所有するのは地元のピレネー=アトランティック県だ。運行業務は2012年から、県が設立した高地リゾート公社 Établissement public des stations d’altitude (EPSA) に委託されている。同社は、ピレネー山地にある公有リゾート施設の運営全般を請け負っていて、以前紹介したアルトゥースト湖観光鉄道 Petit train d'Artouste(下注)の運行事業者でもある。

*注 詳細は「アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー」参照。

Blog_larhune6
山頂駅で出発を待つ

鉄道では、開業時に就役した車両が今なお稼働している。列車の坂下側につくラック機関車 He 2/2 は、本場スイスのSLM/BBC製だ。在籍する6両のうち、3両がラ・リューヌに納入されたオリジナル機になる。1914年に製造が完了していたのに、上述のとおり開業が遅れたため、営業運転に就くまでに10年待たされたという不運の機関車だ。

残りの3両は、1912年からピレネー中部にあったリュション=シュペルバニェール鉄道 Chemin de fer de Luchon à Superbagnères(下注)で走っていた。この路線もミディ鉄道の子会社の運営で、設備仕様がラ・リューヌと共通だったことから、1966年の路線廃止後、こちらに引き取られた。

*注 麓のリュション Luchon からシュペルバニェール高原 Plateau de Superbagnères へ上っていた長さ5.65kmのラック鉄道。ラ・リューヌより早い1912年の開業だが、1960年に並行して道路が開通したため、1966年に廃止された。現在はこの区間にゴンドラリフトがある。

Blog_larhune7
(左)ラック機関車He 2/2
(右)運転室(いずれも2023年撮影)
 

2軸の小型機関車は、ニスで艶出しした栗の羽目板で覆われ、いかにも古風な外観を呈している。だが、それよりも目を引くのが、屋根に載るユニークな形状の三相交流用集電器だろう。2本の架線に対応する2本の集電子が前後に並んで、どこかトナカイの角を思わせる。

三相交流は、単相に比べて安定した電流が得られるため、商用電力では一般的だ。鉄道界でも19世紀末から導入された(下注)が、装置をより簡素化できる単相交流や直流に取って代わられ、もはやほとんど残っていない。

*注 三相交流は、位相を120度ずつずらした3組の電圧を用いる方式。鉄道に用いられた最初の例は、1899年に開業したスイスのブルクドルフ=トゥーン鉄道 Burgdorf-Thun-Bahn(現 BLS路線網の一部)だが、1932~33年に単相交流に転換された。

今なお三相交流で動いているのは、ラ・リューヌのほかに、スイスのユングフラウ鉄道 Jungfraubahn とゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn、ブラジル・リオデジャネイロのコルコヴァード鉄道 Trem do Corcovado の3路線しかない。いずれもラック方式の登山鉄道(下注)で、世界的に見ても貴重な存在といえる。

*注 登山鉄道にのみ残っている理由については、ウィキペディア「三相交流による鉄道電化」の項に解説がある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/三相交流による鉄道電化

Blog_larhune8
(左)三相交流用集電器
(右)駅前広場に置かれた駆動部のオブジェ
 

機関車の坂上側につく2両のオープン客車も、同じ栗の羽目板が張られたオールドタイマーだ。車内は6室のコンパートメントに分かれていて、それぞれ5人掛けのベンチシートが向い合う。窓枠に留めてある紅白縞の派手なカーテンは、厚手で防水仕様になっている。海からの湿った北西風がしばしば山に雲を呼び、雨をもたらすからだ。

乗員は1列車につき二人。山上行きでは、そのうち一人が先頭客車のデッキに乗って前方を確認し、緊急ブレーキを扱う。

Blog_larhune9
(左)オープン客車
(右)ベンチシートが並ぶ車内

訪れたのは6月、登山鉄道は9時30分から15時30分まで40分間隔、1日8往復のダイヤだった。朝日のさすサンティニャス峠の駅前はまだ人影も少なかったが、駅の案内板に表示されている一番列車の残り席数は23席だ。列車定員は120人だから、多くの人はネット経由で事前に席を押さえているのだろう。

出札口で買った乗車券の二次元コードをかざして、改札機を通過した。構内は1面1線のシンプルな構成だ。古い写真には道路側にもう1線写っているが、とうに撤去されてしまったようだ。サン・ジャン・ド・リュズから来る路線バスが通過するころには、駐車場からも人が続々と集まってきて、狭いホームはいっぱいになった。

Blog_larhune10
朝日のさすサンティニャス峠駅前
Blog_larhune11
(左)残り席数の案内板
(右)コンパートメントの案内図
 

発車7分前に、森の蔭から機関車を先頭にして、一番列車が姿を見せた。ホームに到着すると、スタッフが客車の腰高扉をバタバタと開けていく。客は、1から12までそれぞれ指定された番号のコンパートメントに向かう。今朝は天気がいいので、見た限りでは満席のようだ。

警笛が鳴って、列車は駅を定刻に発車した。のっけから結構な坂道だが、まもなく勾配が和らぎ、右に引込線を分けた。線路の奥に見える建物は、孤立路線になるときに建設された3線収容の車庫 兼 整備工場だ。すぐにまた急勾配になり、車庫が右手下方に遠のいていく。列車はそこからしばらく、前山の浅く急な谷間を上り続けた。

Blog_larhune12
一番列車が現れる
Blog_larhune13
(左)狭いホームは人でいっぱい
(右)続々と指定の席に乗り込む
Blog_larhune14
(左)車庫への分岐
(右)車庫の同僚機を見送る(いずれも2023年撮影)
 

10分ほどすると尾根の上に達したようで、約1kmの間、階段の踊り場のような平坦区間に入る。左手にラ・リューヌ山の東の尾根筋、奥にはサール盆地 Bassin de Sare やピレネーの山並みが広がる。その晴れやかな風景を望みながら、列車は前山の南斜面をほぼ水平に横切っていく。露岩の出っ張りを切通しと急カーブで抜けると、進行方向にラ・リューヌ山の本体が現れた。山頂に建つ赤白の電波塔や、そこへ向かって斜面を上っていく鉄道のルートがはっきり見える。

Blog_larhune15
前山の露岩の切通し
Blog_larhune16
左車窓にサール盆地とピレネーの山並み
Blog_larhune17
ラ・リューヌ山頂へ上っていく線路
 

平坦区間の中ほどに、クロワズモン Croisement 信号所がある。起終点駅がいずれも棒線のため、到着した列車は次の列車のために線路を空けなければならない。それで40分サイクルの場合、山上行き一番と山麓行き最終を除いて、必ずこの信号所で行き違うダイヤになっている。実際、帰りはここで山上行き2本とまとめて対向した。各回とも1本の列車で客をさばききれないときは、第2編成が続行運転されるのだ。

穏やかな平坦区間は、前山とラ・リューヌ山に挟まれたレ・トロワ・フォンテーヌ(三つの泉)Les Trois Fontaines と呼ばれる鞍部までだ。ここはまた、1924年4月25日の暫定開通時の終点でもある。1987年まで同名の停留所が残り、列車交換も行われていたが、今では線路わきにぼんやりと空地が広がるだけだ。

Blog_larhune18
帰りはクロワズモン信号所で列車交換があった
 

ここからはいよいよ、ラ・リューヌ山本体を上る胸突き八丁にさしかかる。直登するには急過ぎるため、線路はいったん左に振って距離を引き延ばしてから、おもむろに右に折れて山頂を目指している。標高700m付近で松林が消えると、車窓右手には遮るもののない大パノラマが開けた。

手前の山腹には、今さっき通った平坦区間が一条の擦痕のように延びている。前山の向こうは、山脈と海の間を埋める緑の丘陵地で、その奥は大西洋(下注)の大海原だ。進行方向に目を移すと、あれほど小さく見えた山頂の電波塔が、もう見上げる高さにそびえている。まもなく列車は標高886m、白壁の駅舎の前の狭い終点ホームに滑り込んでいった。

*注 フランス南西岸とスペイン北岸に囲まれる海域で、フランス語でガスコーニュ湾 Golfe de Gascogne、英語ではビスケー湾 Bay of Biscay と呼ばれる。

Blog_larhune19
山頂からのパノラマ
前山と山腹の信号所
Blog_larhune20
同 サン・ジャン・ド・リュズ市街と丘陵地
Blog_larhune21
同 アンダイエ方面、湾の対岸の半島はスペイン領
 

列車を降り、駅から続く階段を何十段か上れば、もうサミットの展望台だ。2年前に一度来たときは濃霧で視界がきかなかったが、きょうは快晴、サン・ジャン・ド・リュズの湾入からアンダイエ Hendaye の対岸の半島まで、沿岸地帯の風景が手に取るように見える。

山頂には、鉄道駅と電波塔のほかに休憩施設が2棟建っているが、壁に記された文字はスペイン語だ。地図によると、展望台と休憩施設の間にフランスとスペインの国境線が通っている。しかし、それを示すはずの標石はどこにも見つからない。この広く澄んだ空の下では、土地の細かい線引きなど瑣末なことなのかもしれない。

Blog_larhune22
山頂駅に到着
Blog_larhune23
展望台
電波塔はフランス側、休憩施設はスペイン側

登山鉄道は冬季を除いて毎日運行していて、片道の所要時間は35分だ。ローシーズンは1日5往復とのどかなものだが、7~8月のハイシーズンには40分間隔のピストン運行になり、1日に14~15往復が走る。注意すべきは、乗車券が往復セットで販売されていることだ。列車と座席が指定され、山頂での自由滞在1時間20分を含め、全体で2時間30分のツアーとなる。

なお、サンティニャス峠の起点駅へは路線バスで行ける。SNCFサン・ジャン・ド・リュズ駅前のバスターミナルから、45系統サール Sare 行きで21分だ。月~土曜は1時間ごと、日曜祝日も7往復と、旅程を組むのに支障のない頻度で運行されている。時刻表は下記の公共交通案内サイトを参照されたい。

写真は特記したものを除き、2023年7月と2025年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ラ・リューヌ登山鉄道 https://www.rhune.com/
チクタク(公共交通案内)https://www.txiktxak.fr/

★本ブログ内の関連記事
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編

 アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー
 セルダーニュ線 I-ル・トラン・ジョーヌ(黄列車)の道
 セルダーニュ線 II-ルートを追って
 バスク鉄道博物館の蒸気列車
 ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ

2026年1月 5日 (月)

ポリ鉄道(ポリバーン)-学問の丘のミニ路線

ポリ鉄道 Polybahn

鋼索鉄道(単線交走式)
セントラル Central~ポリテラッセ Polyterrasse 間 0.176km(斜長)
軌間1000mm、最大勾配230‰、高度差41m
1889年開通

Blog_zh_poly1
ビルの2階から飛び出すポリ鉄道の車両

Blog_zh_dolder_map1

チューリッヒ中央駅 Zürich HB の駅前から東へ歩き、リンマート川 Limmat を渡ったところにある広場が、セントラル Central だ。北側に建つ格式あるホテル・セントラル Hotel Central(下注)にちなんで命名された。1950年までレオンハルト広場 Leonhardsplatz と呼ばれていたように、名目は広場だが、実態は市電の一大ジャンクションだ。文字どおり四方から集まり散っていく線路とそのホームで、平面の多くが埋め尽くされている。

*注 1883年創業。現在の正式名称はセントラル・プラザホテル Central Plaza Hotel。central は英語またはフランス語の綴り(ドイツ語は zentral(ツェントラール))なので、ここでは英語読みとした。

Blog_zh_poly2
セントラルに集まる市内トラム
右端の建物がホテル・セントラル
 

市内トラムの系統6本(3、4、6、7、10、15系統)に加えて、トロリーバス路線2本(31、46系統)もここで乗換えができるが、もう一つ、忘れてならないのがポリ鉄道(ポリバーン)Polybahn だ。

これはケーブルでつながれた2台の車両が行き来する交走式ケーブルカーで、セントラルと、チューリッヒ工科大学 ETH Zürich 本館近くのポリテラッセ Polyterrasse(テラッセ Terasse はテラスの意)の間を結んでいる。全長わずか176mのミニ路線ながら、最大230‰の勾配で高度差41mを克服する(下注)。

*注 諸元は公式サイトの記述に拠る。

チューリッヒ工科大学は、相対性理論を唱えたアルベルト・アインシュタイン Albert Einstein も若かりし頃に学んだスイスの名門国立大学だ。旧市街を見下ろす高台にそのメインキャンパスがある。鉄道名の「ポリ poly」というのも、大学の旧名である国立技術専門学校 Eidgenössische polytechnische Schule(下注)の愛称に由来している。

*注 英訳では Federal polytechnic school。

Blog_zh_poly3
テラスの斜面を上るポリ鉄道の車両
Blog_zh_poly4
ポリテラッセとチューリッヒ工科大学本館(2022年)
Photo by Leonhard Lenz at wikimedia. License: CC0 1.0
Blog_zh_dolder_map2
チューリッヒ市街東部の1:25000地形図
左端のZürich HBが中央駅、その右にポリ鉄道
© 2025 swisstopo
 

開業以来、学生・教員ら大学関係者が多く利用し、「ポリ」への通学路線として親しまれてきたが、もとはそのためだけに計画された鉄道ではない。

大学の裏手には、標高676mのチューリッヒベルク Zürichberg に続く西向きの傾斜地が広がっている。ドルダー鉄道(下注)と同様、そこで観光開発が目論まれていて、ケーブルカーはそのための交通手段だった。全体は2区間に分かれ、下部区間は、セントラルから現在のポリテラッセに至る交走式、それに続く上部区間は、標高600m台にある旧シュレスリ・レストラン Restaurants Schlössli 下まで循環式ケーブルカーを建設する計画だった。

*注 ドルダー鉄道については「ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車」参照。

前者は、新たに設立された運営会社チューリッヒベルク鉄道 Zürichbergbahn が1888年に着工、翌89年1月に開業した。これが現在のポリ鉄道になる。しかし後者は、ツェントラーレ・チューリッヒベルク鉄道 Zentrale Zürichbergbahn (ZZB) が別途申請した路面軌道計画(下注)と競合するとして、建設認可を得られなかった。

*注 この路面軌道は1895年に開業したが、1905年に市に買収されて市電路線網の一部になった。現 5系統の東半区間に相当する。

時代からして、初期のポリ鉄道はウォーターバラスト(水の重り)方式で動いていたが、わずか8年後の1897年に電気式に転換されている。軌間は955mm、軌道は上下線が中央のレールを共有する3本レール、非常ブレーキ用のラックレールはリッゲンバッハ式ではなく、2枚歯のアプト式だった。

Blog_zh_poly5
(左)3本レール時代のポリ鉄道
  セントラル駅のパネルを撮影
(右)ブレーキ用のアプト式ラックレールを備えた旧軌道の断片
 

第二次世界大戦後は赤字に転落したため、運営会社は1970年代初めに、次の認可更新を行わないことを表明した。支援組織が運行継続を求めて活動を始めたが、それでも休止は不可避と思われていた。ところが、期限が迫った1976年、当時のスイス銀行 Schweizerische Bankgesellschaft (SBG) がにわかに救済に動き出す。銀行の出資で新会社 SBGポリ鉄道 SBG-Polybahn AG が設立され、鉄道の運営を引き継いだ。

1996年には老朽化した設備が全面改修されて全自動運転になり、車両も木製車体から鋼製に更新された。軌間が1000mm(メーターゲージ)、2本レールの単線交走式に変更されたのもこのときだ。

親会社の社名変更に伴い、現在はUBSポリ鉄道が正式名称になっている。実際の運行業務はチューリッヒ市交通局 Verkehrsbetriebe Zürich (VBZ) によって行われ、24系統として市内の公共交通網の一部を構成している。運賃は市内ゾーンの範囲内で、スイストラベルパスも通用する。

Blog_zh_poly6
山上へ向け鉄橋を上る

セントラルの市電ホームに立って周辺を見回しても、ポリ鉄道の乗り場はなかなか目につかない。というのも、ドルダー鉄道と同様、出入口がビルの一角にあり、乗り場自体もビルの中に組み込まれているからだ。広場の南側に建つ商業ビルの地上階、スターバックスの隣に POLYBAHN と記された赤い看板が上がっている。

中に入ると、目の前に階段状のホームがあった。2面1線の構造で、坂上に向かって右が乗車用、左が降車用になっている。5分ごとの頻繁運転なので、待つ間もなく赤い車両がホームに入ってきた。車内はコンパートメント3室と、坂上側にオープンデッキ、坂下側にクローズドデッキがある。コンパートメントにはベンチシートが向かい合うが、所要時間が1分40秒と、あっという間なので、デッキで済ませる人が多い。

Blog_zh_poly7
スターバックスの右隣にある駅入口
Blog_zh_poly8
(左)入るとすぐに階段状のホームが
(右)車両の坂上側はオープンデッキ
 

乗員はおらず、扉の開閉も完全自動だ。時間になると、ポンというチャイムとともに扉が閉まり、すぐに動き出した。ビルを出ると、主要街路のザイラーグラーベン Seilergraben(下注)をまたぐ鉄橋を渡っていく。この鉄橋はチューリッヒ市街地の名物の一つで、通りで待っていると、ビルの2階から赤い車両が斜めに飛び出すユニークな光景に出会える。タイミングが合えば、その下を走る3系統のトラムと一緒に画角に収めることも可能だ。

*注 ザイラーグラーベンは、ザイラー濠の意。道路になる前は旧市街を囲む市壁の外濠だった。ザイラーというのは綱(ザイル)職人の工房があったことに由来する。

鉄橋上の軌道がやや左に寄っているのは、3本レールのうちの右側を外した名残だろう。ただし軌間が拡張されたので、中央レールは中心位置にない。

Blog_zh_poly9
(左)発車してビルの外へ
(右)軌道が左に寄るのは3本レール時代の名残
Blog_zh_poly10
ビルの2階に吸い込まれる下り車両
Blog_zh_poly11
ザイラーグラーベンの上空を行く
 

鉄橋を渡り終えないうちに、早くも中間ループが始まった。左にカーブしながら進んでいき、対向車両とゆっくりすれ違う。そのループが収束する先にはもう軌道の終端が見えていて、車両は音もなく上部駅ポリテラッセのホームに滑り込んだ。

下部駅とは対照的に、駅舎は木造、切妻屋根の建物だ。窓ガラスの素朴な装飾やハーフティンバーの外壁が、アルプスの山小屋を思わせる。内壁にはしご状のものが立て掛けてあるのでよく見たら、3本レール時代の軌道の断片だった。中央にブレーキ用のアプト式ラックレールも付属している。

Blog_zh_poly12
(左)ザイラーグラーベンにトラムの姿も
(右)下り車両と行き違い
Blog_zh_poly13
(左)ループを抜けるとすぐにポリテラッセ駅
(右)到着、降車は坂上に向かって左扉から
Blog_zh_poly14
(左)山小屋風のポリテラッセ駅舎
(右)窓から柔らかな光が差し込む
 

セントラルから大学へは、トラム6系統か10系統でも行けるとはいえ、坂道だけを回避したいのならポリ鉄道が最適だ。まさにエスカレーター代わりで、年間170万人の利用者があるというのも頷ける。駅舎を出て右に行くと、駅名になったポリテラッセ(大学本館前のテラス)がある。比高40mの高みから中心部の町並みを見渡して、駅に戻ることにしよう。

Blog_zh_poly15
ポリテラッセからの市街地の眺め(2019年)
Photo by Ank Kumar at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

■参考サイト
ポリ鉄道 https://www.polybahn.ch/

★本ブログ内の関連記事
 ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車
 チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道
 チューリッヒ保存鉄道-ジールタール線の懐古列車

2025年12月31日 (水)

ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車

ドルダー鉄道 Dolderbahn (Db)

レーマーホーフ Römerhof~ドルダー Dolder 間 1.328km
軌間1000mm、直流600V電化、フォン・ロール式ラック鉄道、最大勾配196‰
1895年ケーブルカーとして開通
1973年ラック鉄道に改築、ヴァルトハウス Waldhaus~ドルダー間延伸

Blog_zh_dolder1
山麓駅レーマーホーフに接近するドルダー鉄道の電車

Blog_zh_dolder_map1

スイス最大の都市チューリッヒ Zürich は、チューリッヒ湖 Zürichsee からリンマート川 Limmat(下注)が流れ出す地点に築かれた町だ。近世までは堅固な市壁に護られた要塞都市だったが、19世紀後半になると壁を越えて市街地が拡大していった。東側に横たわる緑の丘陵地にも開発の波は及び、今では湖岸や河岸から2km前後、高度差にして200mの高みまで宅地に覆われている。

*注 日本語への音写ではリマト、リマートも見られる。

こうした新しい町の住民の足代わりになってきたのは、最初、馬車であり、次に路面軌道だった。東の丘陵地、現在の7区のエリアには、1894年から翌95年にかけてチューリッヒ電気軌道 Elektrische Strassenbahn Zürich (EStZ) と、ツェントラーレ・チューリッヒベルク鉄道 Zentrale Zürichbergbahn (ZZB) のトラム路線が相次いで開業している。前者は1896年、後者は1905年に市に買収され、市電網の一部になった(下注)。

*注 前者は現 11系統の東半、後者は現 5系統の東半区間に相当。

Blog_zh_dolder2
アドリスベルクとドルダー・グランドホテル(2015年)
© Roland Fischer, Zürich (Switzerland) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_zh_dolder3
アジュール通り Asylstrasse を下る3系統のトラム
 

同じ時期に、急勾配に対処できるケーブルカーも導入された。一つはアドリスベルク Adlisberg の山腹を上っていくドルダー鉄道 Dolderbahn (Db) で、今はラック鉄道だが、最初はケーブルカーで開業した。もう一つは、高台にあるチューリッヒ工科大学 ETH Zürich のキャンパスに上がるポリバーン(ポリ鉄道)Polybahn というミニ路線だ(下注)。

*注 なお、隣接する6区の丘陵斜面にも、1901年にリギブリック・ケーブルカー Seilbahn Rigiblick が開業している。

Blog_zh_dolder_map2
チューリッヒ市街東部の1:25000地形図
左端のZürich HBが中央駅
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ市民の足として親しまれている2本の登山ならぬ「登坂」鉄道のうち、今回はまず、ドルダー鉄道について見ていこう。

ドルダー鉄道は、上述したチューリッヒ電気軌道 EStZ の山手区間、ベルヴュー Bellevue~プファウエン Pfauen~レーマーホーフ Römerhof~クロイツ広場 Kreuzplatz 間の路線と同時に計画されたものだ。東部丘陵(下注)のピークの一つに、標高701mのアドリスベルクがある。その中腹に位置する見晴らしのいいドルダー地区で目論まれていた観光開発のためのアクセス手段だった。

*注 最高地点のピークの名を取って、プファンネンシュティール丘陵 Pfannenstiel-Höhenzug と呼ばれる。

ケーブルカーのドルダー鉄道は1895年7月に開業した。全長816m、メーターゲージで中間に行き違いループをもつ単線交走式の路線だった。

起点駅は、山麓のレーマーホーフ Römerhof という居酒屋 兼 宿屋の隣に設けられ、前の広場に電気軌道の停留所があった。レーマーホーフはその後1899年に、店舗と住居が入る立派なビルに改築されたが、広場の地名としてもすっかり定着し、駅や停留所の名になっている。

Blog_zh_dolder4
開通間もないころの山麓駅
右手前にレーマーホーフの一部が写る(1900年ごろ)
Photo from Swiss National Library, EAD-ZING-7450. License: public domain
 

一方の山上駅は、チューリッヒ湖を眼下に見晴らす標高約550mの地点に置かれた。ヴァルトハウス・ドルダー(ドルダー森の家)Waldhaus Dolder という名の居酒屋 兼 宿屋が造られ、駅も同じ名で呼ばれた。

Blog_zh_dolder5
山上駅付近
右の建物はヴァルトハウス・ドルダー(1907年)
Photo from Swiss National Library, EAD-WEHR-14983-B. License: public domain
 

しかし、開発計画はこれにとどまらない。1899年、そこから500m足らずの山手に、保養施設「ドルダー・グランドホテル・アンド・クーアハウス Dolder Grand Hotel & Curhaus」がオープンした。そして駅とホテルの間には、利用客を運ぶ路面電車ドルダートラム Doldertram が走り始める。1両きりの運行車両は、保守整備を市電会社に委託するため、市電と形式を揃えていた。

ドルダー鉄道とドルダートラムの連携運行は1930年まで続いたが、その年の12月31日にトラムが廃止され、翌年から送迎バスに置換えられた。

Blog_zh_dolder6
ドルダー・グランドホテルの前を行くドルダー・トラム(1905年)
Photo by The Dolder Grand at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、バスも短距離の運行で効率が悪く、客にとって乗換えの不便も変わらない。そこで運営会社は、運行認可の更新を機に、鉄道のルートをホテル前まで延伸することを決めた。ケーブルカーでは勾配や曲線の条件が合わなかったため、フォン・ロール式のラック鉄道(下注)に転換することになった。

*注 フォン・ロール式 Von Roll system(ラメラ式 Lamella system ともいう)は、スイスのフォン・ロール社が開発した、1枚の幅広の歯棹を用いる方式。リッゲンバッハ式やシュトループ式の機関車に対応できるため、両方式のレールと混用する鉄道もある。

ラック鉄道は、ケーブルカーに比べて途中駅が自由に設置できるほか、車両検査時などに残りの1両での運行が可能で、コスト削減につながる点も有利だった。同様にケーブルカーからラック鉄道に転換された路線には、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen(1958年転換、下注)、ローザンヌ=ウーシー線 Chemin de fer Lausanne–Ouchy(1958年転換、後の2008年にゴムタイヤ式メトロに再転換)がある。

*注 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線については「アッペンツェルの鉄道群-ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道」参照。

1年余りの工事期間を経て、1973年9月に、装いを新たにした鉄道が再開を祝った。全長は1328mになり、196‰の最大勾配で標高差160mを克服する。

Blog_zh_dolder7
延伸区間の高架橋を上るBhe 1/2形従来車
 

ドルダー鉄道は長年独自に運行され、運賃も別建てだった。しかし1999年から、業務がチューリッヒ市交通局 Verkehrsbetriebe Zürich (VBZ) に委託され、25系統として市内の公共交通網に組み込まれた。トラムや路線バスと同様に、運賃が市内ゾーンに含まれるようになった。もちろんスイストラベルパスも通用する。

チューリッヒ駅前から3系統の市内トラムに乗り込んだ。レーマーホーフは5つ目の停留所で、所要8分。広場に面して、古代風のモチーフを窓枠や付け柱に施した、5層に見える大きなビルが目を引いている。建て直されたレーマーホーフだ。名称がローマ人屋敷という意味なので、設計者もそれにふさわしい装飾をと意気込んだのだろう。

ラック鉄道の乗り場はどこかと見回すと、中央ポータルの左隣の入口に「Dolderbahn」の文字が見えた。中に入ると、建物を突き抜けた先に、ホームに通じる自動ドアがある。ホームは1線を2面で囲んだいわゆるスパニッシュ・ソリューションだ。

Blog_zh_dolder8
壮麗な建物のレーマーホーフ
Blog_zh_dolder9
(左)乗り場入口
(右)建物を抜けた先にホームがある
 

ドルダー鉄道の運行は、1973年のラック鉄道改築に際して納入された単行のBhe 1/2形2両で賄われてきた。車庫がなく予備車もいないので、検査や改修で1両が現場を留守にすると、残る1両でのシャトル運行になる。

訪れた2024年7月はちょうどその時期で、通常10分間隔の時間帯も15分ごとの運行になっていた。全線走行に6分を要するので、往復では12分かかる。そのため起終点での折返し時間が1~2分しかないという、きわめてタイトなダイヤだ。

まもなく、赤地に2本の白帯を巻いた1号電車がホームに入ってきた。扉は手動で、数人が降車したところに、待っていた20人以上が乗り込む。ベビーカーや自転車も持ち込まれて、車内は混んでくる。その間に運転士は反対側の運転席に移動して、すぐに扉が閉まった。

Blog_zh_dolder10
(左)山上行き電車が到着
(右)混んだ車内
 

電車は駅を出ると、緑の多い住宅地を貫いて、おおむね真直ぐに上っていく。初めのうちは勾配も緩やかで、ラックが要らないくらいだ。途中に1か所、微妙なカーブで右に寄るのはケーブルカー時代の行き違いループがあった名残りだ。

一つ目の駅、ティトリスシュトラーセ(ティトリス通り)Titlisstrasse に停車した。駅といっても片側ホームの停留所で、3人降りる。続いて、現ルートの中間にある行き違いループを通過。10分サイクルのときはここで列車交換が行われるが、今は分岐ポイントも用がない。

勾配が次第に急になり、二つ目の駅でかつての終点、ヴァルトハウス・ドルダーに停まる。路線延伸の際に、建物は改築されて近代的なホテルになった。その1階部分にホームが組み込まれ、線路は建物を通り抜けていく。

Blog_zh_dolder11
(左)ティトリスシュトラーセ駅
(右)行き違いループを通過
Blog_zh_dolder12
ヴァルトハウス・ドルダー駅の上方でチューリッヒ湖が見える
 

ヴァルトハウス前後の線路勾配が最も急で、最大値は196‰になる。クーアハウス通りをまたぐと深い森の中に入り、右へ大きくカーブしていく。勾配が和らいでも緑に包まれたままで、気がつくともう終点ドルダー駅のホームだった。

山麓駅と同じく構内はシンプルな2面1線で、奥に Probefahrt(試運転)と表示した大きな正面窓の新車が停まっていた。現在の車両は、就役からすでに50年が経つ。このため、新たにBhe 1/2形2両がシュタッドラー・ブスナング社 Stadler Bussnang に発注され、この3月にまず1両目が現地に到着したというニュースが出ていたから、それに違いない。

今回の減便ダイヤは、この1両が試運転中で客扱いしないことによるものだが、続報によれば、8月に2両目が納入され、9月23日から新型2両で通常ダイヤによる運行が再開されたそうだ。

終点駅は、かつてのドルダー・グランドホテルを拡張した五つ星ホテル、ザ・ドルダー・グランド The Dolder Grand に隣接している。それに、背後の森の周辺は、スケートリンクやゴルフコース、テニスコートが点在していて、鉄道はこのレクリエーションエリアに通う市民にとっても大切な存在だ。

Blog_zh_dolder13
(左)終点手前の出発信号機
(右)山上駅ドルダー
Blog_zh_dolder14
試運転中のBhe 1/2形新車
 

★本ブログ内の関連記事
 ポリ鉄道(ポリバーン)-学問の丘のミニ路線
 アッペンツェルの鉄道群-ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道
 チューリッヒ保存鉄道-ジールタール線の懐古列車

2025年12月25日 (木)

フリブールの重力式ケーブルカー

フリブール・ケーブルカー Funiculaire de Fribourg

鋼索鉄道(単線交走式)
延長121m、高度差56.4m、軌間1200mm、最大勾配550‰
ウォーターバラスト方式で運行、リッゲンバッハ式ラックレールをブレーキに使用
1899年開通

Blog_fribourg1
坂を降りるフリブール・ケーブルカー

ケーブルでつながれた2台の車両が斜面の軌道を交互に昇り降りする交走式ケーブルカーは、英語で funicular(フュニキュラー)という。局地的な地形の高低差を克服する乗り物として、19世紀中ごろから各地で造られていった。当時その動力に用いられたのは、固定式の蒸気機関か、ウォーターバラスト(水の重り)だ。

蒸気機関がケーブルを掛けた滑車に動力を伝えるのに対し、ウォーターバラストは、山上にいる車両に水を積んで、重力で降下させる。山麓にいる車両は水を捨てて軽くなっているので、ケーブルにより引き上げられる。速度調節は、ラック鉄道の要領でラックレールに車両側のピニオン(歯車)を噛ませて行った。

石炭などの燃料を消費する前者に比べて、後者は水さえあればよく、簡便で安価な方式だ。そのため、山上での水の確保や、寒冷期の凍結など課題はあったものの、電動機が普及するまで運転方式の主流を占めていた。

しかし、今となっては古典的な駆動システムで、もはや世界的に見ても数か所にしか残っていない。ヨーロッパ大陸では、ポルトガルのブラガ  Braga、ドイツのヴィースバーデン Wiesbaden(下注)、そしてスイス西部、フリブール Fribourg の市街地で稼働している通称「フュニ Funi」だ。

*注 ヴィースバーデンのケーブルカーについては「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

Blog_fribourg2
ポルトガル・ブラガのボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus
1882年の開業でこの方式では現存最古(2017年撮影)
Photo by Palickap at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_fribourg3
ドイツ・ヴィースバーデンのネロベルク鉄道(2018年)
(左)車両 (右)青い鉄管が注水口
 
Blog_fribourg_map1

フリブールは、首都ベルンの南西30kmにあるフリブール州の州都だ。12世紀の自由都市に遡る気品漂う旧市街があることで知られる。地形はベルンと似ていて、高原を深く浸食しながら蛇行するサリーヌ川 La Sarine を天然の要害にしているのが特徴だ。ブール Bourg と呼ばれる旧市街はその高原が細くくびれた場所に立地し、谷底の河原との高低差は60~70mほどある。

1862年にベルンとローザンヌを結んで、鉄道が開通した。西の町はずれに駅が開設され、旧市街との間に新市街が形成されていった。一方、崖下のサリーヌ川沿いには古くからの下町ヌーヴヴィル Neuveville がある。1877年、ここで後に「カルディナル(枢機卿)Cardinal」のブランドで知られることになるビール工場が創業した(下注)。その経営者が、市街地と下町の間で労働者を運ぶために1899年に設置したのが、このケーブルカーだ。

*注 カルディナル・ビール工場はその後、1904年にフリブール駅の南に移転して、2010年まで操業していた。跡地に博物館がある。

Blog_fribourg4
フリブール市街
大聖堂を中心とするブール(左上)と下町のヌーヴヴィル(右下)
Blog_fribourg_map2
フリブール市街周辺の1:25000地形図
© 2025 swisstopo
 

上部駅サン・ピエール St. Pierre は、旧市街と駅地区との境、ジョルジュ・ピュトン広場 Place Georges Python のすぐ近くに位置する。ヌーヴヴィルの下部駅までルートは直線で、長さ121m、高度差は56.4m。当時すでに電動式も実用化されていたが(下注)、まだ数が少なく高価だったため、普及していたウォーターバラスト方式が採用された。

*注 最初の電動式ケーブルカーは、フィーアヴァルトシュテッテン湖畔で1888年に開通したビュルゲンシュトック鉄道 Bürgenstock-Bahn。

水源は、驚くことに町の下水道だ。ピュトン広場の地下に下水管に接続された貯水槽があり、そこでごみを除去した廃水を引いて、車両のタンクに注入しているという。確かにこれなら水源の枯渇や冬期凍結の心配はない。下部駅で車両から排出された水は下水管に戻しているので、いわばケーブルカー施設が下水道網の一部になっているわけだ。

Blog_fribourg5
下水道網の一部を成すケーブルカー

訪れた日は、SBB/CFFフリブール駅を起点に、歴史ある旧市街や難攻不落の崖地形を見て歩いたのだが、ヌーヴヴィルから駅に戻る際に「フュニ」を利用した。

最初、駅のロッカーに荷物を預けて、旧市街へ足を向けた。緩やかに曲がる坂道に商店やレストランが軒を連ねるローザンヌ通り Rue de Lausanne を下り、町のシンボル、サン・ニコラ大聖堂 Cathédrale St-Nicolas の高塔を見上げる。それから、眺めのいいゼーリンゲン橋 Pont de Zaehringen でサリーヌ川の深い谷を一跨ぎして対岸に出た。

Blog_fribourg6
ローザンヌ通りから見通す大聖堂
Blog_fribourg7
大聖堂と市庁舎(手前の時計塔のある建物)
 

サリーヌ Sarine はフランス語名で、ドイツ語ではザーネ Saane という。フリブールもドイツ語ではフライブルク Freiburg になる。ドイツ語とフランス語はスイスの二大公用言語(下注1)だが、両言語圏の、目には見えない境界(下注2)が通っているのがこのサリーヌ/ザーネ川だ。川の右岸はドイツ語圏のシェーンベルク Schönberg 地区になるのだが、道路標識はまだフランス語だった。

*注1 このほか、アルプスの南側で使われるイタリア語とグランビュンデン州の一部で使われるロマンシュ語も公用語になっている。
*注2 スイス・ドイツ語圏ではこの言語境界のことを、じゃがいもの郷土料理にちなんでレーシュティグラーベン(レーシュティの溝)Röstigraben と呼ぶ。

Blog_fribourg8
ゼーリンゲン橋から見下ろすサリーヌ渓谷
左の城壁は猫の塔、右は屋根付きのベルン橋
 

町の防御施設の一部だった猫の塔 Tour de chats を伝って谷底に降り、民家と同じスレート屋根に覆われたベルン橋 Pont de Berne を渡る。通るのは歩行者と二輪車程度かと思ったら、路線バスが来たのには驚いた。川の滑走斜面に身を寄せ合うオージュ Auge 地区の家並みを抜けると、今度は頑丈そうな石橋のミリュー橋 Pont du Milieu が見えてくる。ゆらめく川面と崖の上にひしめく旧市街を仰ぎながら、再び右岸へ。

Blog_fribourg9
(左)猫の塔 (右)ベルン橋
Blog_fribourg10
ミリュー橋の下を流れるサリーヌ川
Blog_fribourg11
サン・ジャン橋を渡ってヌーヴヴィルへ
 

最後にサン・ジャン橋 Pont de Saint-Jean でもう一度サリーヌ川を渡って、下町ヌーヴヴィルにたどり着いた。緩く上る街路が大きく右に反転する場所に、FUNICULAIRE(フュニキュレール)の切り文字を掲げた下部駅のささやかな建物がある。

「フュニ」は公共交通機関の扱いなので、平日、休日を問わず毎日動いている。運行間隔は最短6分とされているが、このときは10分間隔だった。運賃は片道3スイスフラン(2024年現在)。鉄道、バスなど州の公共交通を一手に担うフリブール公共交通 Transports publics fribourgeois (TPF) が運営しているので、スイストラベルパスも通用する。

Blog_fribourg12
ケーブルカーのヌーヴヴィル駅
(左)ささやかな駅舎 (右)構内
 

狭い構内にはすでに小型の客車が入っていた。階段状になったコンパートメントが2室あり、坂上側はオープンタイプの片側席、坂下側はクローズドタイプでベンチシートが向い合う。車端のデッキは運転台だ。数人の客が乗り込んだところで、運転士が扉を閉めてデッキに移り、L字のハンドルを回してブレーキを緩めた。ピニオンがラックに絡むゴロゴロという鈍い金属音とともに、客車はゆっくりと動き出した。

Blog_fribourg13
「フュニ」の車両
Blog_fribourg14
(左)運転台と坂上側のオープン客室
(右)坂下側客室は密閉型でベンチが向かい合う
 

ルートの下半分は鉄橋の上を行くが、まもなく中間の行き違いループにさしかかる。対向車両の運転士はブレーキハンドルをこまめに回しているが、こちらは触りもしない。速度調節はもっぱら下り車両の仕事のようだ。ループを抜けるころには、サリーヌ川の谷間を埋める茶色屋根の群れが眼下に広がってくる。線路と並行して屋根付きの階段道が続いているのに気づいた。文明の利器に頼らず自力で登っていく元気な若者もちらほら見かける。

Blog_fribourg15
(左)上部駅行きが発車
(右)中間ループでの行き違い
Blog_fribourg16
眼下に下町の景色が広がる
 

発車して2分、上部駅に到着すると、運転士はハンドブレーキを固く締めてから、出口の扉を開けた。駅舎は下と同じような小さな建物だ。入口の外壁に、改修完了と開業125周年の記念プレートが掲げてあった。

1996年、車両の車軸が破損して運行不能になったケーブルカーに対し、市当局は廃止とバスへの転換を検討した。しかし各界の強い抗議を受けて方針は撤回され、全面的な施設改修が実施されることになった。長年赤に塗られていた車両が、開業時の緑色に戻されたのもこのときだ。工事が完了して運行が再開されたのは1998年6月3日。こうして危機を脱した「フュニ」は昨年(2024年)、開業から125年の節目の年を迎えたのだ。

駅を後に、小公園の傍らを抜けると、トロリーバスが行き交うサン・ピエールのラウンドアバウトに出る。道路上空に張られた架線を目印にして、ものの5分も歩けば、街歩きのゴールであるフリブール駅が見えてくるはずだ。

Blog_fribourg17
(左)サン・ピエール駅舎
(右)外壁の記念プレート
  上から着工・開業、改修後の運行再開、125周年
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

2025年12月 9日 (火)

ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地

ライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn (RfB)

鋼索鉄道(単線交走式)
ヴィリンゲン Willingen~ライヘンバッハファル(ライヘンバッハ滝)Reichenbachfall 間 714m
高度差244m、軌間1000mm、最急勾配579‰、平均勾配369‰
1899年開通

Blog_reichenbach1
ライヘンバッハ滝へ向かうケーブルカー

Blog_reichenbach_map1

「一週間のあいだ、ローヌの渓谷をさかのぼって愉快にさまよい歩き、それからロイクで横にそれて、まだ雪のふかいゲミ峠をこえ、インターラーケンを経てマイリンゲンへやってきた。」
(「最後の事件」阿部知二訳 創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』)

ベルナー・オーバーラントのアーレ川 Aare を遡った谷間にあるマイリンゲン Meiringen の町は、シャーロキアンにとって聖地の一つだ。1891年5月3日、犯罪のナポレオン、モリアーティ教授の魔の手を避ける大陸旅行でホームズと相棒のワトスンが訪れて、町の「英国館 Englisher Hof」に投宿した。翌4日、宿の主人の勧めで、鉱泉が湧くローゼンラウイ Rosenlaui へ向かう途中、立ち寄ったライヘンバッハの滝 Reichenbachfall で事件が起きる。

瀕死の病人の診察を懇願する手紙を受け取ったワトスンは、ホームズと別れて町に戻るが、それは偽の知らせだった。悪い予感に襲われた彼は、急いで滝に取って返す。しかしそこにホームズの姿はなく、愛用の登山杖と、深い滝壺の前で誰か二人が争った跡があるだけだ。そして彼は、ホームズが遺した置手紙を目にする…。

Blog_reichenbach2
(左)「最後の事件」が収録された短編集
  『シャーロック・ホームズの回想 The Memoirs of Sherlock Holmes』表紙
(右)「最後の事件」ストランド・マガジン掲載時の
  シドニー・パジェット Sidney Paget による挿絵
Photos from wikimedia. License: public domain
 

これがよく知られた「最後の事件 The Final Problem」のクライマックスだ。ストランド・マガジン The Strand Magazine 1893年12月号に発表された。作者アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle は、2年半にわたったホームズ譚の連載を打ち切りたくてこの結末にしたそうだが、名探偵を死なせたという読者の猛烈な抗議に屈して、後に執筆を再開する。

ホームズが宿敵と闘ったとされる現場は町の約2km南にあり、U字谷の切り立った側壁をライヘンバッハ川が落下している。全体は7つの落差から成り、高さは約300mに及ぶが、そのうち最上部にあるのがライヘンバッハ滝だ。高さ120m、ベルナーアルプス Berner Alpen の氷河を水源にしているため、豊かな水量を誇る。

Blog_reichenbach3
ライヘンバッハ滝
 

当時、話題の小説の舞台になったことで一躍その名が知れ渡り、今でいう聖地巡礼ブームが巻き起こった。そこで見物客の需要を当て込んで1899年に、観瀑台に上がるライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn (RfB) が開業する。単線交走式のケーブルカーで、長さ714m、高度差244m、片道7分でその高台まで乗客を運んだ。

しかし、期待したほどの集客は叶わず、運行会社が二度も倒産し、数年にわたる運休期間もあった。第一次世界大戦後、地域の水力発電会社が直接運営に乗り出したことで、ようやく状況が安定化して現在に至る(下注)。1998年以降、劣化が進行した車両や施設の更新が行われ、それに合わせて開業当時のイメージが復元されている。

*注:現在はオーバーハスリ電力会社 Kraftwerke Oberhasli AG (KWO) の観光部門「グリムゼルヴェルト Grimselwelt」の一事業として運営されている。

Blog_reichenbach4
ライヘンバッハ川をまたぐケーブルカーのアーチ橋
© 2025 www.sherlockholmes.ch
Blog_reichenbach_map2
ライヘンバッハ滝鉄道周辺の1:25000地形図
© 2025 swisstopo

ブリューニック線 Brünigbahn でマイリンゲンまで行った機会に、このケーブルカーでライヘンバッハ滝を訪ねてみようと思った。山麓駅までは道なりに1.4km、路線バスが1時間ごとに走っているが、歩いても20分かからない。

ちなみに1912年、山麓駅前を経由するマイリンゲン=ライヘンバッハ=アーレ峡谷路面軌道 Trambahn Meiringen–Reichenbach–Aareschlucht (MRA) が開通している。マイリンゲン駅から滝と峡谷という近郊の二大名所に通じる観光客向けのトラムだったが、1956年に廃止されてしまった。

Blog_reichenbach5
かつて路面軌道があったマイリンゲンの駅前通り
 

せっかく聖地に来たので、まずは駅のすぐ近くにあるシャーロック・ホームズ博物館 Sherlock Holmes Museum を見ていこう。入館料とケーブルカー往復の割引セット券を売っているから好都合だ。

駅前通りに向いた敷地で、トレードマークの鹿撃ち帽をかぶり、パイプを咥えたホームズの銅像が人目を引いている。奥に控える小塔のついた建物は、もとアングリカンチャーチ(英国教会)だ。1階に礼拝堂が復元され、映画の名シーンを含むホームズ譚の概要や、教会の由来を説明するパネルが置いてある。地下階は、名探偵にまつわるさまざまなアイテムを展示する博物館だ。ロンドンのベーカー街221Bにあったとされる彼の書斎が、ヴィクトリア朝をしのばせる多数の小道具とともに事細かに再現されていて、しばらく見とれてしまった。

Blog_reichenbach6
名探偵の銅像とシャーロック・ホームズ博物館
Blog_reichenbach7
(左)博物館はもと英国教会の建物
(右)入館とケーブルカー往復のセット券
Blog_reichenbach8
(左)解説パネルが置かれた礼拝堂
(右)シンプルな意匠の側窓
Blog_reichenbach9
地下階につくられたホームズの書斎
 

博物館を辞した後は、むかし軌道が通っていた市街の通りを歩いていった。インナートキルヘン線(下注)の踏切とアーレ川に架かる橋を渡ると、ヴィリンゲン Willingen 村に入る。ケーブルカーの駅は、右手の山裾にあるささやかな平屋の建物だ。

*注 ツェントラール鉄道マイリンゲン=インナートキルヘン線 Meiringen-Innertkirchen-Bahn。ケーブルカー山麓駅へはアルプバッハ Alpbach 駅が最寄りで、徒歩7分。同線については「マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ」参照。

運行は15分間隔と、案外頻度が高い。ベンチに腰を下ろしている数人の先客の中に混じって待つうち、上方から茜色のケーブルカーがゆっくりと降りてきた。降車客と入れ換えに、切符に鋏を入れてもらってホームに出る。

ケーブルカーの車体は2000年代に実施された全面改修の折、古写真を参考に開業当時の仕様に戻された。オープンタイプのコンパートメントが階段状に三つ並んでいる。座席は向かい合せの4人掛け木製ベンチで、窓枠に巻かれた白いカーテンがさりげなく優雅だ。両端のデッキには、係員が使う操作盤とハンドブレーキがある。

Blog_reichenbach10
(左)ケーブルカー山麓駅
(右)その傍らにあるホームズ記念碑
Blog_reichenbach11
山上行きケーブルカーが到着
Blog_reichenbach12
(左)旧観に復元された車両
(右)車内は三つのコンパートメントに分割
 

時間になり駅を出ると、すぐに人家は遠ざかり、森と牧草地の間をするすると上っていく。二つ目の跨線橋をくぐり、左へカーブしてまもなく、退避側線が現れた。客の姿がない1号車と行き違った頃から、激しい水音が頭上から聞こえてきた。

その正体は、滝壺から流れ落ちてきたライヘンバッハ川で、ケーブルカーはアーチ橋でこれを斜めに渡っていく。橋の上では、岩場に小さな落差を連ねながら白く泡立つ川筋が見下ろせた。いくらかの量が上手で発電用に取水されているはずだが、その残りだとしてもけっこうな勢いだ。

後半は、眼下にアーレ川が流れるマイリンゲンの谷の風景が開けてくる。線路勾配はいよいよ険しさを増し、山上駅の手前で579‰の最大値に達する。

Blog_reichenbach13
山麓駅を後にする
Blog_reichenbach14
ライヘンバッハ川をまたぐアーチ橋
Blog_reichenbach15
山上駅に接近する車両、右の谷川は滝の下流
 

駅に到着して駅舎を出ると、そこはまさに大滝が目の前だった。見上げる高さのごつごつした巨大な岩盤に、豪快な滝が掛かっている。最初、水はその凹みに沿って太い束で滑り落ち始めるが、中ほどでその支えがなくなると、シャワーのように広がりながら自由落下していく。駅前から延びる観瀑用の見学路にも、風に吹き上げられた水煙が舞い、しばらくいたらずぶ濡れになってしまいそうだ。

Blog_reichenbach16
山上駅に到着
Blog_reichenbach17
ライヘンバッハ滝の観瀑台
 

実は、モリアーティとの決闘場所はここではなく、谷を挟んで反対側にある。対岸の岩壁に見える星印がそれだ(下の写真参照、下注)。当時ケーブルカーはまだなかったし、その日ワトスンと向かう予定だったローゼンラウイへの山道も、対岸を通っていたからだ。

*注 もちろん登場人物も事件もフィクションだが、原著の記述をもとに現場を特定してある。

Blog_reichenbach18
決闘場所を示す星印が見える(赤の矢印)
 

しかし現実問題として、山上駅前から向こうの現場へ行くには、いったん滝口まで上って大回りする必要がある。残念だが帰りの電車の時刻を考えると、往復する時間が足りない。

とりあえず森の中を上る階段道を進んだ。数分歩くと、滝口のすぐ上の、川を跨いでいる小さな橋の前に出た。背後の岩の狭間からとてつもない水量が押し出されてきて、足もとを走り抜け、空中に忽然と消えていく。奈落の底から響いてくる地を揺るがすような轟音とあいまって、その先を想像すると足がすくんだ。

決闘地も崖っぷちなので、きっと同じようにスリリングな場所に違いない。だが、ここで引き返したとしても後悔することはないだろう。そう納得させるほど、自然の威力みなぎる空間だった。

Blog_reichenbach19
(左)滝口へ向かう小道
(右)滝口で川を跨ぐ小橋
Blog_reichenbach20
小橋から見るライヘンバッハ川
(左)上流側 (右)滝の落下口
 
Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)
 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
 ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って

2025年12月 5日 (金)

ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る

ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn

アルプナッハシュタート Alpnachstad~ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm 間 4.27km(下注)
軌間800mm、直流1650V電化、ロッハー式ラック鉄道、最急勾配480‰
1889年開通、1937年電化

*注 数値は水平距離。実距離(斜長)は4.618km。

Blog_pilatus1
エムジゲン駅での列車交換(2013年)

Blog_pilatus_map1

鉄車輪とレールの摩擦から推進力を得る鉄道にとって、勾配路は不向きだ。摩擦力の不足で車輪が空転して、制御が効かなくなる恐れがある。その克服のために考案されたのが、ラック・アンド・ピニオン方式、いわゆるラック式だ。線路に敷いた歯棹(ラック)と、車両に装備した歯車(ピニオン)をかみあわせて走行を安定させる。ヨーロッパではニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が、1871年にスイスのリギ山 Rigi で初めて実用化した(下注)。

*注 リギ山のラック鉄道については、「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

リッゲンバッハやそれを改良したカール・ローマン・アプト Carl Roman Abt のシステムでは、ラックとピニオンは縦置きされている。しかし、これは勾配があまり強まるとピニオンがラックの歯に乗り上げてしまい、脱線事故を引き起こしかねない。その限界は1:4(250‰)とされた。

*注 ヨーロッパで運行中のラック鉄道の最急勾配は、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn の255‰(アプト式)、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen の253‰(リッゲンバッハ式)。なお、アメリカにはワシントン山コグ鉄道 Mount Washington Cog Railway の374‰(マーシュ式)などの例外もある。

Blog_pilatus2
リギ鉄道H 1/2形7号機の保存運行(2009年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リギ山と並ぶルツェルン Luzern のハウスベルゲ(地元の山)であるピラトゥス山 Pilatus でも、リギ鉄道の成功を受けて鉄道建設の機運が高まった。しかし全体として穏やかな山容のリギとは異なり、ピラトゥスは町の南方で荒々しい岩肌を見せている突峰だ。標高も2119mで、1797mのリギ山を優に超える。

このような険しい山に勾配250‰以下の条件でルートを引くと、8.7kmもの迂回路とトンネルなど多数の構築物が必要となる。これでは建設費が莫大な額になり、資金調達のめどが立たない。勾配をより強めてケーブルカーで代替する案もあるが、路線長から見てケーブルの自重すら支えきれないだろう。

Blog_pilatus3
フィーアヴァルトシュテッテン湖から仰ぐピラトゥス山
Blog_pilatus_map2
ピラトゥス鉄道周辺の1:50000地形図
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ生まれの技師エドゥアルト・ロッハー Eduard Locher は、この難題に独創的なアイデアで応じた。それは複式ラックを横置きにして、車体側の2個のピニオンで両側から噛ませるというものだった(下の写真参照)。ピニオンの下にはフランジを付けて、山腹で強風を受けても車両が浮き上がらないようにする。

軌道にも独特な工夫が施された。急勾配に対応して、枕木ではなく地中深く打ち込んだ鋼鉄製のアンカーにレールを固定する。路盤も築堤ではなく、堅固な石積みだ。従来の分岐器が使えないため、車両を載せて移動させる遷車台や、軌道台の横移動で定位と反位を切り換える置換式分岐器を考案した。そのうえで建設費を抑えるため、軌間は800mmとした。

Blog_pilatus4
ラック装置各種
左からシュトループ式、ロッハー式、リッゲンバッハ式、アプト式(2枚歯)
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz で撮影
Blog_pilatus5
軌道台が横移動する置換式分岐器(2013年)
 

車両は、客室の坂下側に蒸気機関を設置した蒸気動車Bhm 1/2形で、当初8両を配備した。勾配が変化しても水位をほぼ一定に保てるように、ボイラーは進行方向に対して横向きに設置されている。客室は階段状のコンパートメントが4室で、各8名、計32名が乗れる。

この創意あふれるシステムによってロッハーは、高低差1633mを最大480‰、平均でも350‰という世界一の急勾配で克服するラック鉄道を実現した(下注)。高山での困難な工事を経て、鉄道は1889年6月に開通式を迎えた。山頂に、広々としたピラトゥス・クルムホテルが建設されたこともあり、利用者は右肩上がりで増加していく。蒸気動車も不足がちになり、1909年までに3両が追加配備された。

*注 ロッハー式を採用したラック鉄道は、世界的に見てもピラトゥス鉄道のほかにはない。

Blog_pilatus6
蒸気動車Bhm 1/2形 9号
スイス交通博物館蔵
Blog_pilatus7
(左)ピラトゥス・クルムから降りるBhm 1/2形(1889年ごろ)
Photo from SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0
(右)Bhm 1/2形の製造所銘板
 

蒸気動車の劣化が進んだことから、鉄道は1937年5月に直流1500Vで電化される。SLM/MFO社から、座席定員40名(5室×8名)の電動車Bhe1/2形が8両納入されて、旧車を置き換えた(下注)。それまで片道70~80分を要していたが、電化後はわずか30~40分に短縮され、輸送能力は著しく向上した。

*注 Bhe1/2形は1960年と1967年に各1両が増備され、最終的には10両になった。1960年の1両は、実際には電動貨物車Ohe 1/2の交換用車体。

Blog_pilatus8
電動車Bhe1/2形22号、マットアルプ Mattalp 付近にて(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この時代の運行形態は、徹底した続行運転だ。時刻表上では40~45分間隔の発車になっているが、実際には視程距離50mを維持しながら、最大5両までが次々と駅を出ていく。山麓のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅は本線と側線、計2線の構造で、山上に向かって右側の本線に最大2両が停車して客を迎える。増便する場合は、左の側線に待機させた車両を最下部の遷車台で本線に移して、同様に客扱いをした。

この車両集団が、中間のエムジゲン Ämsigen 駅で、山を降りてくる集団と列車交換をする。山上駅ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm では、構内に入る前に線路が二手に分かれる。左の線路は駅の手前でさらに2線に分かれてシェルター内に入る。そこには乗降ホームが2本(3番と4番)あり、各ホームは電車2両分の長さがある。一方、右に離れた1番線は開業時からある線路で、5両目の続行便があるときはここに入るようになっていた。

Blog_pilatus9
アルプナッハシュタート駅の遷車台
電車を載せて横移動する(2016年)
Photo by Mboesch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_pilatus10
エムジゲン駅での列車交換(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

Bhe1/2形による運行は実に85年にわたって続いたが、2022年11月の運行シーズン最終日をもって終了した(下注)。代わって2023年シーズンから登場したのが、前面、側面、天井と、床以外の全方向に窓をもつ新車のBhe 2/2形だ。車長が1.7m長くなり、コンパートメントが6室取れるので、座席定員は48人(運転席を出す場合は2人減)に増加した。これが2両連結で走り、一度に100人近くを運ぶことができる。

*注 ピラトゥス鉄道は現在、5月中旬から11月中旬までの季節運行。

旧車は片扉だったが、新車では両側に乗降扉がついた。それに対応する形で、山麓駅では左側のもと側線にホームが増設され、各線に列車を収容しての同時乗降が可能になった。最高速度も旧車の上り12km/h、下り9km/hに対して各3km/hアップしていて、所要時間は以前より3~7分短い27~33分だ。

駅の遷車台は不要となり、代わりに構内上部に、本線ともと側線間で車両を転線させるための回転式分岐器が設置された。定位と反位の軌道が表裏に設置された台を軸回転させることで、列車の進路を切り換えることができる。

通常の運行では、2両連結のBhe 2/2が最大2本続行する。これだけでは旧車5両で運んでいた時代と同等の収容定員だが、スピードアップに伴う運行間隔の短縮により、単位時間当たりの輸送量は増加した。2025年のダイヤでは運行間隔が35分だ。計画ではこれを30分間隔に縮めて、多客期の輸送力のさらなる向上を図るという。

Blog_pilatus11
新型Bhe 2/2形(2022年)
Photo by Au des Kolbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_pilatus12
改装されたアルプナッハシュタート駅
左のもと側線にホームを増設(2024年)
Photo by Bybbisch94 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ピラトゥス鉄道に乗りに出かけたのは、今を遡る2013年のことだ。当時の写真で、そのミニトリップを振り返ってみたい。

滞在していたルツェルンからブリューニック線の電車に乗って、アルプナッハシュタート駅に着いた。標高440m、ピラトゥス鉄道の山麓駅は、駅前広場の山側で斜面に張り付くように建っている。屋根に載る PILATUS-BAHN の大きな切り文字の上にいるのは、この岩山に棲んでいるとされるドラゴンだ。

Blog_pilatus13
アルプナッハシュタート駅、上方の白い建物は車庫
 

ピラトゥス山頂へは、南からアプローチするこの鉄道のほかに、北側のクリーンス Kriens の町からゴンドラリフトとロープウェーを乗り継いで上っていくこともできる。いずれもピラトゥス鉄道会社が運行していて、切符購入時に自由に選択が可能だ。私は違う景色を見たいので、鉄道で上り、ロープウェーで降りる一方通行ルートにした。スイスパス(現 スイストラベルパス)を見せれば運賃は半額になる。

次の発車は9時35分だ。切符のバーコードをリーダーにかざし、ターンスタイルを通って、Bhe1/2形が客待ちしているホームへ向かう。前のコンパートメントから埋まっていく傾向があるが、景色を楽しみたいなら、下界の展望が開ける最後尾がベターだ。内部は向かい合せのシートで、1列に4人掛けられる。階段状になった車内はケーブルカーと変わらない。

Blog_pilatus14
(左)改札
(右)電車が駅に入ってきた
Blog_pilatus15
(左)乗車券
(右)階段状のコンパートメントが並ぶ車内
 

ドアが閉まるとまもなく発車した。側線で待機中の同僚機を横目に見ながら、いきなり急坂を上っていく。傍らに立つ電柱の傾き方が想像以上だ。左手に見えてきた3本目の線路は、車庫への引込線で、小ぶりの作業車Xhm1/2形が停車している。線路が1本にまとまる地点には、遷車台があった(2023年から回転式分岐器に置換え)。

早くも高度が上がって、緑の牧草地の中に民家が点在する風景が下手に沈んでいく。やがて車窓は針葉樹の森に包まれ、しばらく視界が閉ざされた。右にカーブしながら谷川を渡り、素掘りのままの短いヴォルフォルトトンネル Wolforttunnel に入る。少しすると今度は左カーブで、シュピッヒャー第1と第2の2本のトンネル Spychertunnel を立て続けに抜ける。森の隙間に草地が現れ、しばらくすると速度が急に落ちた。標高1355mの中間駅エムジゲンのようだ。

Blog_pilatus16
(左)側線で同僚機が待機中
(右)車庫への引込線に停車する作業車Xhm1/2形
Blog_pilatus17
村と牧草地の風景が下方に沈む
Blog_pilatus18
(左)素掘りのヴォルフォルトトンネル
(右)勾配標は‰(パーミル)ではなく%表示
 

待避線で行違った下り便は1両だけだった。日中なら数両が揃ってにぎにぎしい儀式になるところだが、午前中はまだ降りてくる客がいないのだろう。線路は上り側(右側)が開通している。乗降客がなかったようで、わが電車は停車することなく通過した。

後半区間は、初めおおむね直線で進んでいく。後ろから続行便がつかず離れずついてくるので、居ながらにして走行写真が撮れる。やがて森林限界を超えたようで、羊背岩と青草に覆われた斜面が広がった。目を凝らすと、放牧された牛があちこちでのどかに草をはんでいる。進行方向左手には、にぶい灰色の絶壁エーゼルヴァント Eselwand がそそり立つ。電車はこの垂直な岩壁を斜めに切りながら上っていくのだが、あいにく壁の上半分に白い霧が降りてきている。

ピラトゥスは突出した高峰のため、雲がかかりやすい。帽子をかぶる者の意のラテン語ピレアトゥス Pilleatus が山名の語源という説があるくらいだ。むかし一度来た時も、山頂付近にだけ霧が湧いて、見通しがあまりきかなかった。旅行中は日程が限られているから、快晴のタイミングに合わせるのは難しい。

Blog_pilatus19
中間駅エムジゲン
Blog_pilatus20
(左)下方にアルプナッハ湖が覗く
(右)マットアルプの草原を横断
Blog_pilatus21
エーゼルヴァントを次々に上る電車群(1984年撮影)
 

いよいよ険しさを増す斜面を避けるように、軌道は左にカーブして、雪覆いに続くエーゼルヴァント第1トンネルに吸い込まれる。抜け出ると、もう石灰岩の高い壁の中腹にいる。鉄道建設の際に、作業員がザイルでぶら下がりながら硬い岩を砕いたという難所だ。

岩壁のトンネルは第2から第4まであと3本ある(下注)が、視界は濃い霧に閉ざされた。晴れれば、足がすくむ断崖と、遠くにアルプナッハ湖  Alpnachersee やウルナーアルプス Urner Alpen が拝める絶景地だが…。

*注 長さは第1が44m、第2が50m、第3が46m、第4はわずか9m。第3と第4の間は雪覆いでつながっている。

エーゼルヴァントを西側に回り込んだ後は、最後の胸突き八丁だ。カールを埋め尽くすガレ場のへりを電車はじりじりと上っていき、終点ピラトゥス・クルム駅のシェルター内にある階段ホームに到着した。

Blog_pilatus22
(左)霧に包まれるエーゼルヴァント
(右)素掘りのトンネルが連続する
Blog_pilatus23
(左)カールのへりを上る最終盤
(右)終点手前の480‰勾配
Blog_pilatus24
ピラトゥス・クルムのテラスからの眺め
 

■参考サイト
ピラトゥス鉄道 https://pilatus.ch/

Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)
 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って
 リギ山を巡る鉄道 I-開通以前
 リギ山を巡る鉄道 II-フィッツナウ・リギ鉄道
 リギ山を巡る鉄道 III-アルト・リギ鉄道
 スイスのスーパースライダーを地図で追う

2025年11月30日 (日)

ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線

ツェントラール鉄道ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
ZB Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE)

ヘルギスヴィール Hergiswil~エンゲルベルク Engelberg 間 24.78km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配105‰
1898年 シュタンスシュタート Stansstad~エンゲルベルク間開通
1964年 ヘルギスヴィール~シュタンスシュタート間開通

Blog_zb_lse1
エンゲルベルク駅で発車を待つ急行列車

Blog_zb_lse_map1

エンゲルベルク Engelberg は、スイス中央部、ウルナーアルプス Urner Alpen の山懐ろにいだかれたリゾート都市だ。南に横たわる主峰ティトリス山 Titlis(標高3238m)周辺での登山やウィンタースポーツの基地として、季節を問わず多くの人が訪れる。

ドイツ語で天使の山を意味するエンゲルベルクは、もと町の東にそびえるハーネン山 Hahnen(標高2607m)のことだった。その頂きから聞こえる天使の声を受けて設立されたと伝えられるベネディクト会エンゲルベルク修道院 Benediktinerabtei Kloster Engelberg の名を通じ、やがて門前町を指す地名として広まった。

Blog_zb_lse2
エンゲルベルク修道院とハーネン山(右奥)(2021年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1898年、この町に向けてメーターゲージの鉄道が開業した。現在のルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn (LSE) だ。麓と町のある盆地との間の大きな高低差を克服するため、先行するリギ鉄道 Rigibahn やブリューニック線 Brünigbahn と同じリッゲンバッハ式のラックレールを坂道に敷いていた。

Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

鉄道は当初、シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道 Stansstad-Engelberg-Bahn (StEB) と称した。起点はフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee に面するシュタンスシュタート Stansstad の港の前で、ルツェルンから湖を渡ってくる蒸気船に連絡して、乗継ぎ客を迎えた。

港にはこれとは別に1893年から、シュタンスシュタート=シュタンス路面軌道 Strassenbahn Stansstad–Stans が運行していたが、新しい鉄道に客を奪われて、早くも1903年に廃止されてしまう。シュタンス Stans というのは、港から3km南東にある町で、ニトヴァルデン Nidwalden 準州(下注)の州都だ。シュタンスシュタート=エンゲルベルク鉄道は、この歴史都市への新しい交通手段をも提供した。

*注 ニトヴァルデンは、隣のオプヴァルデン Obwalden とともにスイス原初三州の一つウンターヴァルデン Unterwalden を構成する。

Blog_zb_lse3
シュタンス市街の眺め
 

この鉄道がリギ鉄道やブリューニック線と一線を画すのは、これらがまだ蒸気運転だった時代に、最初から電気鉄道として建設されたという点だ。当時の技術水準に従って、電化方式は750V 32Hzの三相交流が採用されたが、同じ1898年にゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn やユングフラウ鉄道 Jungfraubahn の地上区間といった耳目をひく登山鉄道が同様の方式で新規開業していて、時代の先端を行く企てだったことが窺える。

反面、国内鉄道網との接続がないことは後々の弱点となった。シュタンスシュタートから先へは、船か路線バスに乗換える必要があり、利用者は不便を強いられた。最寄りのブリューニック線ヘルギスヴィール Hergiswil までは直線距離でわずか2km強だが、間にアルプナッハ湖 Alpnachersee に通じる水路と、ピラトゥス山から東に延びるロッパー尾根 Ropper という地形上の障壁が立ち塞がっている。

Blog_zb_lse4
ロッパー尾根(中景)と二湖をつなぐ水路
手前はシュタンスシュタート市街、遠景はピラトゥス山
鉄道は水路を跨ぐ橋の中央を走っている(2020年)
Photo by Marco Ghinolfi at wikimedia. License: CC0 1.0
 

水路に橋を架け、尾根に長いトンネルをうがつ新線で、ブリューニック線に合流するという長年の悲願が実現したのは、ようやく1964年12月のことだ。同時に、電化方式がブリューニック線の交流15kV 16.7Hzに転換され、線路施設も同線に準じる水準に改修された。こうして列車が同線を通ってルツェルンまで直通するようになったことから、社名もルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSEと略す)に改称された。

2005年には、地方交通再編の一環でブリューニック線がスイス連邦鉄道SBBから移管され、LSEは、2本の路線を運行するツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn (ZB) として再スタートを切っている。

Blog_zb_lse5
ラック旧線時代の主力電車 BDeh 4/4
エンゲルベルク駅にて(1991年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

LSE線の運行ダイヤは、インターレギオ Interregio (IR) とSバーンの2本立てだ。

前者はルツェルン=エンゲルベルク急行 Luzern-Engelberg Express と称し、ルツェルン発着で全線を完走する。1時間間隔の運行で、ルツェルンを出ると14.6km先のシュタンスまでノンストップ、あとは各駅停車だ(下注)。ラック対応の電気機関車 HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く客車列車だが、プッシュプル運転のため、最後尾は運転台のある制御客車になっている。

*注 繁忙期の臨時列車には、シュタンスシュタートに停車する代わり、シュタンス~エンゲルベルク間がノンストップになる便もある。

SバーンはS4系統を名乗り、30分間隔の運行だ。各駅停車でシュタンス行きと、さらに足を延ばすヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen 行きが交互に出る。また、朝夕に増発されるS44系統は、ルツェルン~ヘルギスヴィール間の小駅を通過する区間快速だ。車両は、シュタッドラー・レール社製の3車体連接車、ABe130形シュパーツ SPATZで、ブリューニック線と共通運用されている。

Blog_zb_lse6
ルツェルン=エンゲルベルク急行
(左)先頭は電気機関車HGe 4/4 II
(右)最後尾はシュパーツ似の制御客車
Blog_zb_lse7
Sバーンで運用されるABe130形シュパーツ

始発駅ルツェルンから分岐駅ヘルギスヴィールに至るブリューニック線との共用区間は、同線の項(下注)で記したので、ここではその先、LSE線の単独区間について見ていこう。

*注 「ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)」参照。

ヘルギスヴィール駅南端で、複線のように見える二つのトンネルのうち、左側がLSE線のロッパー第2トンネル Lopper II tunnel だ。長さは1743mあり、内部で大きく左にカーブした後、ロッパー尾根を西から東へ貫いていく。闇を抜けるとフィーアヴァルトシュテッテン湖とアルプナッハ湖の間の水路があり、アッハーエック橋梁 Achereggbrücke でこれを渡る(下注)。

*注 アッハーエック Acheregg は、この水路に面したロッパー尾根の先端(岬)の地名。

長さ200mのこの橋は、左を並走する州道と一体の構造になっている。一方、右側にある4車線道は、ゴットハルト峠を越えてイタリアへ向かうアウトバーンA2、通称ゴットハルトルート Gotthardroute だ。スイスを南北に縦断する幹線道路なので、通行量が格段に多い。このように両側を道路に挟まれているため、景勝地にもかかわらず、列車からの眺めが単独橋ほどクリアでないのが惜しいところだ。

Blog_zb_lse8
(左)ヘルギスヴィール駅
(右)アッハーエック橋梁を渡る
 

橋を渡り終えると、左にLSE線の車両基地が見え、続いてシュタンスシュタート駅に停車する。ここでSバーン同士の列車交換がある。駅はヘルギスヴィール延伸の際、線路とともにここへ移設された。港の前にあった旧駅は、駅舎だけが今も残っている(下の写真参照)が、そこに至る線路敷は宅地や耕地に転用されてまったく跡をとどめない。

秀峰シュタンザーホルン Stanserhorn を右前方に仰ぎながら、A2道の上を斜めに跨ぎ越す。やがて周りは牧草地から市街地に変わり、中間の主要駅シュタンスに着く。主要駅といっても2面2線のごくふつうの構内で、この駅止まりのSバーンは、折り返しの発車までしばらく2番線で待機となる。

Blog_zb_lse9
(左)シュタンスシュタート車両基地をかすめる
(右)シュタンス駅
Blog_zb_lse10
港の前に残るシュタンスシュタート旧駅舎(2006年)
Photo by Gestumblindi at wikimedia. License: public domain
Blog_zb_lse_map3
シュタンスシュタート周辺の1:50000地形図
(左)1958年、起点はシュタンスシュタート港の前
(右)2024年、ヘルギスヴィール延伸後
© 2025 swisstopo
 

前身の路面軌道が連絡していたというシュタンザーホルン鉄道 Stanserhorn-Bahn (SthB) の駅へ行ってみた。標高1898mの山頂を目指すケーブルカーで、山麓駅へは歩いて3~4分、民族衣装のような美しいデザインの木造駅舎が迎えてくれる。

かつてこの鉄道は山頂までケーブルカーを3本乗り継いでいく方式だった。しかし山頂駅が火災で全焼したのを契機に、1975年に上部の2本が、近代的な1本のロープウェーに置換えられた。麓側の1本だけが、今もノスタルジックな木造車体のケーブルカーで運行されている。

Blog_zb_lse11
シュタンザーホルン鉄道
(左)山麓駅舎(右)第1区間のノスタルジックな車両
 

本題に戻ると、シュタンスの先は谷が狭まり、行く手に万年雪を戴く岩山が見え隠れするようになる。次のダレンヴィール Dallenwil では、急行どうしが列車交換する。ヴォルフェンシーセン Wolfenschiessen が山麓最後の町で、1時間に1本あるSバーンもここが終点だ。

州道とともに谷をさらに南下して、棒線駅でリクエストストップのグラーフェンオルト Grafenort を通過。そこから1.6km進んだ地点で、列車は速度を落とし、エンゲルベルクトンネル Engelberg-Tunnel に吸い込まれていく。長さ4043mの長大トンネルで、内部の大半にリッゲンバッハ式のラックレールが敷かれ(下注)、105‰の勾配で396mの標高差を上っている。通常ダイヤでは列車交換はないが、待避線も内部に2か所ある。

*注 ラック区間の延長は3797m。

Blog_zb_lse12
(左)深まる谷、ハペレンドルフ Chappelendorf の教会
(右)新トンネル上部出口から見える旧線跡
 

トンネルは2010年12月の供用開始で、まだ新しいものだ。2001年に着工されたものの難工事で、完成までに9年の歳月を費やした。しかしこれによって、ルツェルン~エンゲルベルク間の所要時間は14分も短縮されて47分になり(下注)、連結両数が厳しく制限されていた旧線に比べて輸送能力も倍増した。

*注 現在、日中のIRの所要時間は、エンゲルベルク行きが43分、ルツェルン行きは47分。

Blog_zb_lse_map4
ラック区間周辺の1:50000地形図
(上)1998年、旧線時代 (下)2024年、新トンネル開通後
© 2025 swisstopo
 

旧線時代のラック区間はより短く、その分坂道は険しかった。現トンネル入口からさらに2kmほど谷を遡ったオーバーマット発電所 Kraftwerk Obermatt の前に、起点となるオーバーマット駅があり、そこから最大246‰の急勾配で一気に高度を稼いでいた。ラック区間の終点は1.6km先の、地形図に Ghärst(ゲルスト)の注記がある地点だ。

三相交流の時代に、補機として使われたラック専用機関車HGe 2/2が、スイス交通博物館に保存されている。最盛期にはこの区間に同型機が4両配置されていたという。電車は、上り坂では機関車に後ろから押され、下り坂では前置された機関車をストッパーにして降りていた。時速はわずか5kmだった。

Blog_zb_lse13
(左)三相交流用の集電器を載せるラック機関車HGe 2/2
(右)製造所銘板
  スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
Blog_zb_lse14
(左)ラック区間で電車を押すHGe 2/2
(右)オーバーマット駅のラック起点
上記車両の説明板を撮影
 

1964年の交流電化後はBDeh 4/4(BDeh140)形電車が導入されたが、これとてラック区間では2~3両しか連結できず、速度も14.5km/hに抑えられていた。繁忙期に走る長い編成の車両は、麓の駅で許容の両数に分割して、山上へ送られた。

勾配を緩和したトンネル新線の完成で、ブリューニック線で急行を率いていたHGe 4/4 II機関車が運用できるようになり、今は機関車を含め最大8両(最後尾は制御客車)でこの坂道を上り下りしている。

Blog_zb_lse15
旧線オーバーマット駅での列車交換(2007年)
Photo by Reinhard Kraasch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 DE
 

10分ほどでエンゲルベルクトンネルを抜けると、標高はもう1000mに近い。水力発電用の貯水池オイゲニ湖 Eugenisee の小さな水面を右に見ながら、列車は市街地に入る。

エンゲルベルク駅は2面3線の頭端駅だ。3階建ての駅舎はありきたりの近代建築だが、2015年の改修でホームの上屋が延長され、編成全体をカバーできるようになった。乗客を降ろした後、急行はここに9分滞在するだけで、慌しくルツェルンに向けて折り返していく。

Blog_zb_lse16
エンゲルベルク駅
(左)長い上屋のついたホーム (右)駅舎正面
 

(2006年6月29日付「スイス・エンゲルベルク線(LSE)のバイパストンネル」を全面改稿)

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)
 ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る
 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って

2025年11月25日 (火)

ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)

ツェントラール鉄道ブリューニック線 ZB Brünigbahn

ルツェルン Luzern~マイリンゲン Meiringen~インターラーケン・オスト Interlaken Ost 間 73.92km
軌間1000mm、交流15kV 16.7Hz電化
リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配128‰
1888~1916年開通、1941~1942年電化

Blog_zb_bruenig1
ルンゲルン湖畔を行くブリューニック線電車

Blog_zb_bruenig_map1

スイスを訪れる観光客に人気の鉄道ルートの一つに、ゴールデンパスライン GoldenPassLine がある。モントルー Montreux、インターラーケン Interlaken、ルツェルン Luzern という、スイス中央部の観光拠点都市を結ぶ東西198kmの列車サービスだ。乗り通すと5時間以上かかる(下注)が、沿線には、谷氷河の忘れ形見である大小の湖が点在し、車窓の眺めは折り紙付きだ。

*注 直通列車はなく、インターラーケン・オストで乗換が必要。

ルートは複数の鉄道路線から成り立っているが、このうち、東側のインターラーケン・オスト(東駅)Interlaken Ost~ルツェルン間73.9kmは、越える峠の名を取ってブリューニック線 Brünigbahn(下注)と呼ばれる。長い間、スイス連邦鉄道(国鉄、以下SBB)で唯一のメーターゲージ路線だったが、2005年に、新設のツェントラール(中央)鉄道 Zentralbahn(略称ZB)に移管された。

*注 Brünigの "ig" の音写は、スイス標準ドイツ語の発音に従い、イッヒ[iç] ではなくイック[ik] とした。

風景への定評はもとより、ラックレールを使う急坂区間や列車の進行方向が変わるスイッチバック駅があって、鉄道として見てもおもしろい。今回は、このユニークな路線を訪ねてみよう。

Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図

ブリューニック線の歴史は、アルプナッハシュタート Alpnachstad とブリエンツ Brienz の間44.6kmが、ジュラ=ベルン=ルツェルン鉄道 Jura-Bern-Luzern-Bahn の手で1888年6月に開業したときに始まる。同 鉄道にとって初めてのメーターゲージ路線だった。

起点がアルプナッハ湖 Alpnachersee、終点がブリエンツ湖 Brienzersee と、どちらも湖畔にあったのは偶然ではなく、駅前の港で湖を渡る蒸気船に連絡するためだ。東海道本線(もとは中山道幹線)の琵琶湖に沿う区間がそうであったように、初期の鉄道は航路との間で輸送機関の役割を相互に補完していたのだ。

Blog_zb_bruenig2
ルツェルン駅前の旧駅記念ファサード
 

船でつないだ残り区間のうち、東側のルツェルン~アルプナッハシュタート間13.0kmはこのときすでに工事中で、翌1889年に開通した。方や、西側のブリエンツ~インターラーケン間は長らく未完で、インターラーケン・オストまで延伸されて他線と接続されたのは、ずっと遅れて1916年のことだ。

ブリューニック線は、すでに1890年から大手私鉄のジュラ・シンプロン鉄道 Jura-Simplon-Bahn (JS) の広範な路線網に組み込まれていたが、1903年の国有化でSBBの運営下に入る。以来、標準軌にして運用を他線と共通化する計画が立てられるものの、実現することはなかった。1941~42年に実施された電化事業で、標準軌幹線と同じ交流15kV 16.7Hzが採用されたのがその名残と言えるかもしれない。

Blog_zb_bruenig3
非電化時代を支えたラック蒸機HG 3/3形
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz 蔵
 

1964年には、山岳リゾートのエンゲルベルク Engelberg に通じるルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク鉄道 Luzern-Stans-Engelberg-Bahn(以下 LSE、下注1)の列車の乗入れが始まる。これもメーターゲージだが、それまでフィーアヴァルトシュテッテン湖 Vierwaldstättersee(下注2)の港があるシュタンスシュタート Stansstad を起点にする孤立路線だった。これをブリューニック線のヘルギスヴィール Hergiswil 駅まで延伸したことで、同線を介して列車がルツェルンまで直通できるようになった。

*注1 鉄道の詳細は「ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線」参照。
*注2 原語は四つの森林州の湖を意味するが、英語では Lake Lucerne、日本語でもルツェルン湖と呼ばれることが多い。

Blog_zb_bruenig4
LSE線が分岐するヘルギスヴィール駅
 

LSEによる片乗入れは半世紀続いたが、2005年1月1日に組織的に解消する。冒頭にも記したように、ブリューニック線がSBBから分離され、LSE 改めツェントラール鉄道に移管されたからだ(下注)。メーターゲージで、一部にラック区間という共通の特色を持つ2路線がツェントラール鉄道1社にまとめられたことで、より効率的な運営が可能になった。

*注 SBBが所有していたブリューニック線の車両や施設をツェントラール鉄道の株式と交換したことにより、SBBは同社の筆頭株主(出資比率66%)になっている。

なお、2021年からは、マイリンゲン Meiringen で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン鉄道 Meiringen-Innertkirchen-Bahn も同社に加わり、地域の路線網の一体化がさらに進んでいる。

Blog_zb_bruenig5
開業125周年記念パネル
インターラーケン・オスト駅で2013年撮影

ブリューニック線の運行ダイヤをルツェルン方で見ると、ギースヴィール Giswil までの近郊区間各駅に停まっていくSバーンS5系統(下注1)と、インターラーケン・オストまで全線を完走するルツェルン=インターラーケン急行 Luzern-Interlaken Express(列車番号の頭にPE、下注2)の2本立てになっている。

*注1 朝夕に走るザクセルン Sachseln 止まりの増発便は S55系統と称する。
*注2 PE は Panorama Express に由来する。

Sバーンは30分間隔、急行は1時間間隔で発車する。また、ヘルギスヴィールまではLSE線方面のS4系統も同じ線路を通るので、この間の各駅では都合15分ごとにSバーンの乗車機会がある。

インターラーケン方でも、マイリンゲン~インターラーケン・オスト間に、レギオナル Regional(普通列車)が60分間隔で運行されていて、急行との2本立てだ。急行列車は、主要駅間の速達便であるとともに、こうした近郊列車が走らないギースヴィール~マイリンゲン間、すなわち峠越え区間の各駅にサービスを提供している。

Blog_zb_bruenig6
ルツェルン駅発車案内
ツェントラール鉄道の列車は12~15番に
 

現在、ブリューニック線の主力車両は、シュタッドラー・レール社製の連接電車だ。普通列車の大半が、フィンク FINK と呼ばれる ABeh160形3車体連接車と、同じような3両編成でシュパーツ SPATZ と呼ばれる ABe130形で運行されている。

前者は2012年に走り始めたラック対応の新型車で、天井の左右にパノラマウィンドーと称する切り欠き窓がついている。後者は一世代前の車両だが、ラック非対応のため、峠越えはできない。また、パノラマウィンドーの中間車両に乗降扉がないのも特徴で、居住性はいいが、乗降に時間がかかるのが難点だ。

Blog_zb_bruenig7
(左)ABeh160形フィンク(2025年)
Photo by Moliva at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ABe130形シュパーツ(2018年)
Photo by Andrewrabbott at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

他方、急行列車には、アドラー ADLER(下注)と呼ばれる ABeh150形が主に使われる。これはフィンク仕様の3車体連接車2本の中間にビストロカーを挟んだもので、計7車体、全長は126mになる。多客期には、これにフィンクを増結した10車体の長大編成で走ることが多い。

*注 車両の愛称は、性能の形容語の頭字と鳥の名(ドイツ語でフィンクは花鶏(あとり)、シュパーツは雀、アドラーは鷲)を掛けたもの。

それに対して、かつて峠越えの急行列車を牽引していたラック対応の電気機関車を見かける機会は少なくなった。現在は、主にLSE線のインターレギオ(IR、快速列車)のプッシュプル運転に携わるほか、一部はインターラーケン方のレギオナルにも使われているようだ。

Blog_zb_bruenig8
ABeh150形アドラー(2014年)
Photo by Heitersberg at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_zb_bruenig9
ラック対応機関車HGe 4/4 II(HGe101)形が牽く普通列車
マイリンゲンにて

では、ルツェルンからインターラーケンに向けて、急行列車でブリューニック線のルートを追っていこう。

起点のSBBルツェルン駅は、計16線を擁する頭端式の大きな駅だ。正面から見て左側の2本のホーム、12番線から15番線にツェントラール鉄道の列車が発着する。1時間当たりSバーン4本と急行系2本、計6本がそれぞれ折返し運転するので、列車が常時1~2本はホームにいる印象だ。たまにいなくなっても、すぐに次の列車が入ってくる。

Blog_zb_bruenig10
ルツェルン駅のツェントラール鉄道線ホーム
 

列車は標準軌線と並んで駅を出るが、あちらはすぐに右へ離れていく。管制センターや車庫の建物を横目に見ながら、まもなく長さ1325mのアルメントトンネル Allmendtunnel に入る。2012年に完成した地下の新ルートだ。以前は北西側の地上を通っていたが、スポーツ施設や見本市会場のあるアルメント Allmend 地区の直下に移設され、最寄りの地下駅ルツェルン・アルメント/メッセ Luzern Allmend/Messe も新設された。旧線跡は自転車・歩行者道になっている。

Blog_zb_bruenig_map3
アルメント/メッセ周辺の1:50000地形図
(左)2007年 地上を通っていた時代
(右)2024年 地下に移設して複線化
© 2025 swisstopo
 

再び地上に上がってからも、複線で市街地の中を進んでいく(下注)。ホルフ Horw 駅を過ぎると、左手にフィーアヴァルトシュテッテン湖の水面が顔を見せるが、またすぐにトンネルで視界が閉ざされる。複線区間は、そのトンネルを出たヘルギスヴィール・マット Hergiswil Matt までだ。次のヘルギスヴィールとの間は1.4kmに過ぎないが、列車密度が変わらないのに単線で、運行上のネックとされる。地下を通して複線化する計画があるようだが…。

*注 アルメントトンネル手前からホルフ駅手前までは、標準軌の貨物列車を通すために、複線の片側が3線軌条になっている。またホルフ駅南方には標準軌貨物線がメーターゲージの本線を斜め横断する個所がある。

ヘルギスヴィールでは、エンゲルベルク方面のLSE線が分岐している。駅構内の南端で二つ並んだトンネルポータルの、右がブリューニック線、左がLSE線だ。トンネルは、ピラトゥス山 Pilatus から湖に大きく突き出したロッパー尾根 Lopper を貫いている。

闇を抜けたとたん、左車窓いっぱいに青い湖面が広がった。フィーアヴァルトシュテッテン湖と水路でつながっているアルプナッハ湖だ。まもなく横置きの珍しいロッハー式ラックで知られるピラトゥス鉄道 Pitlatusbahn との乗換駅、アルプナッハシュタートを通過する。

Blog_zb_bruenig11
(左)ヘルギスヴィール駅
(右)構内南端に2本のトンネルが見える
Blog_zb_bruenig12
ザルネン湖の水面
 

最初の停車駅ザルネン Sarnen を出ると、今度は右手に、ザルネン湖 Sarnersee のおだやかな水面が続く。次のザクセルン Sachseln で対向の急行と列車交換があった。

湖を後にしてギースヴィールに停車。ここはSバーンS5系統の終点で、峠越えを控えた麓の駅でもある。拠点駅らしく構内には3面5線と、外側に機回し用側線の計6線が並んでいる。構内の端から、さっそく最初のラック区間が始まる。ラックは梯子状のリッゲンバッハ式で、延長2.4km。102‰の勾配で約210mの高度を稼ぐ。

Blog_zb_bruenig13
(左)Sバーンの終点ギースヴィール駅
(右)構内終端から始まるラック区間
Blog_zb_bruenig14
ラック区間からギースヴィールの眺め
 

カイザーシュトゥール Kaiserstuhl 駅の手前で粘着式に戻ると、右車窓にルンゲルン湖 Lungerersee が見えてくる。沿線で最も上流にあるこの湖は標高687m、ターコイズブルーの湖面と周りの集落や牧草地、山並みが織りなす美しい景色で有名だ。ルンゲルン駅から第2のラック区間(延長1.7km、最急勾配105‰)に入り、列車が高みに上っていくと、絶景度がさらに増す。

Blog_zb_bruenig15
ルンゲルン湖畔は沿線きっての撮影地
 

短いトンネルの後の粘着区間にあるヘッペリ Chäppeli 信号場で、また急行列車と行き違った。すぐに第3の、かつ上り坂では最後のラック区間(延長1.2km、最急勾配110‰)が現れ、これを上りきるとブリューニック峠だ。峠の駅ブリューニック・ハスリベルク Brünig-Hasliberg に停車。標高は1002mあり、ルツェルンから560m以上上ってきたことになる。

駅を出てすぐの道路下で、第4の、今度は下り坂のラック区間が始まる。標高595mのマイリンゲンまで、高度にして400m以上を一気に降りていく。ラックの延長は3.9km、勾配も一番険しい128‰になる。右手にはアーレ川の深いU字谷が横たわっているはずだが、針葉樹の森に阻まれて、視界がほとんど開けないまま、牧草地の谷底まで降りきってしまう。

Blog_zb_bruenig16
峠の駅ブリューニック・ハスリベルク
 

マイリンゲンは、列車の進行方向が変わるスイッチバック駅だ。それで両方向とも6分の停車時間が確保されている。この駅で接続するマイリンゲン=インナートキルヘン線(下注)の列車が、隣のホームの前方に見えるかもしれない。同じメーターゲージで線路はつながっているが、電化方式が異なるため、車両運用は完全に分離されている。

*注 マイリンゲン=インナートキルヘン線の詳細については、「マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ」参照。

再び発車すると、流路改修で直線化されたアーレ川に沿って、軽快なスピードで走っていく。途中のブリエンツヴィーラー Brienzwiler 駅を含む長い待避線で、急行列車と3度目で最後の行き違いをした。

Blog_zb_bruenig17
(左)マイリンゲン駅正面
(右)ブリューニック線は頭端式ホーム
 

左手に大きな湖が見えてきたら、まもなくブリエンツ駅だ。開業から28年間、終点だった駅で、すぐそばの船着き場からブリエンツ湖を渡ってインターラーケンまで蒸気船が連絡していた。船着き場には今でもクルーズ船が発着していて、対岸にある名瀑ギースバッハ Giessbach や、桟橋の絶景で知られるイゼルトヴァルト Iseltwald にも寄港するので人気が高い。

連邦道を渡った山手の駅では、ブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn(BRB、下注)の登山列車が待っている。電化率ほぼ100%と言われるスイスの鉄道網で、蒸気運転を保存している貴重な鉄道の一つだ。アルプスの展望台である標高2350mのブリエンツァー・ロートホルン Brienzer Rothorn を目指す観光客が、ホームからぞろぞろとそちらに向かうのが見える。

*注 ブリエンツ・ロートホルン鉄道の詳細については、「ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

Blog_zb_bruenig18
湖に面したブリエンツ駅ホーム(以下は2013年撮影)
Blog_zb_bruenig19
(左)ブリエンツ駅舎
(右)駅前の船着き場
Blog_zb_bruenig_map4
ブリエンツ周辺の地形図
(上)1:50000、1912年、ブリエンツ終点時代
(下)1:25000、2024年
© 2025 swisstopo
 

駅の東側にはブリエンツの町が広がっているため、ブリューニック線はその地下を長さ895mのブリエンツドルフ(村)トンネル Brienzdorftunnel で抜けていく。湖は東西の長さが14kmほどあり、列車はその北岸を忠実にたどる。それでインターラーケンまでの約20分間、アルプスの山並みと広がる湖面が左車窓の友になる。ルンゲルン付近と並ぶ列車の好撮影地だ。

最後に、湖から流れ出るアーレ川をトラスの鉄橋で渡ると、終点駅のヤードが見えてくる。ベーニゲン Bönigen の整備工場へ行く引込線(下注)をまたいで、列車はインターラーケン・オスト駅の4番線に到着する。

*注 トゥーン湖とブリエンツ湖の間で1874年に全通したベーデリ鉄道 Bödelibahn の名残。

Blog_zb_bruenig20
車窓から見るブリエンツ湖
Blog_zb_bruenig21
(左)インターラーケン・オスト駅舎
(右)マイリンゲン行普通列車が停車中
 

■参考サイト
ツェントラール鉄道 https://www.zentralbahn.ch/

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
 ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る
 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って

2025年10月 9日 (木)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に引き続き、イタリアの保存鉄道・観光鉄道から注目路線をピックアップしたい。

Blog_italy_heritagerail21
ミラノ市内線19系統を走る1500形(2022年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

Blog_italy_heritagerail2
「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

路面軌道では、低床の連節車両に主役の座を譲りつつも、旧型トラムの姿がいまだ見られる町が北部にいくつかある。

項番1 トリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina

トリエステ Trieste は北イタリアの東端、アドリア海の湾入に面した港町だ。かつてはトラムが市街地を縦横に走っていたが、1970年までに廃止されてしまい、唯一残っているのがトリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina だ。メーターゲージの路線で、1935~42年製の古参トラムが改修を受けながら今も主役を務めている。

トラムは市内のピアッツァ・オベルダン(オベルダン広場)Piazza Oberdan から、町の背後に迫る斜面を上って、カルスト台地の上にあるヴィッラ・オピチーナ(オピチーナ町)Villa Opicina まで行く。全線5.2kmの中で名物になっているのが、長さ約800m、勾配260‰の鋼索線(ケーブルカー)区間だ。

もとよりトラムがケーブルカーに変身するわけではなく、ケーブルに接続された台車(スピントーレ spintore、すなわち押し車)で後ろから押してもらって坂を上る仕組みだ。トラムと台車は連結されておらず、重力で接触しているだけなので、坂上の終点まで来ると、トラムは再始動して自力で離れていく。

補助を要する急坂はここまでだが、その後も上り勾配はしばらく続き、最後に傍らにオベリスクが立つ地形上のサミットを通過する。標高343mの台地のへりで、トリエステの町と港が一望になる車窓きってのビューポイントだ。

Blog_italy_heritagerail22
オベルダン広場の起点駅(2008年)
Photo by Orlovic at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_italy_heritagerail23
鋼索線でトラムを押す台車(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ミラノ市電1500形 Tranvia di Milano, Serie 1500

イタリアの都市で19世紀以来、市内の路面軌道が存続してきたのは、開業順にトリノ、ナポリ、ローマ、そしてミラノの4都市だ(下注)。導入こそ最も遅かったが、ATM(ミラノ交通公社 Azienda Trasporti Milanesi)が運行するミラノの軌道網は今や17路線、延長160km近くあり、世界的にも最大級とされる。

*注 トリノが1871年、ナポリが1876年、ローマが1877年、ミラノが1881年で、いずれも馬車軌道から始まった。

ミラノの市内電車で興味深いのは、これだけではない。モダンな連節低床トラムに混じって、昔懐かしいヴィンテージ車両が多数現役で運用されているのだ。1927~30年製の1500形で、初めて供用された1928年にちなんで、イタリア語で28を意味するヴェントット Ventotto の愛称で呼ばれる。

502両製造されたうち、150両ほどが今も稼働可能で、ヨーロッパ最古の定期運行トラムだそうだ(下注)。1970年代からオレンジ1色に塗られていたのでそのイメージが強いが、最近はオリジナル色であるベージュと黄色のツートンに塗り替えが進んでいる。

*注 リスボン市電のレモデラードス(改修車)Remodelados も有名だが、オリジナルは1932年以降の製造。

観光用の特別系統なら後述するトリノなどにもあるが、一般路線、かつ通常の運賃制度の範囲内で乗れるというのは珍しいのではないか。もちろんこれは、財政事情で新旧交代が進まないからではなく、街の景観に溶け込んだシンボル的存在として、積極的に動態保存されてきたのだ。ただし、近年の車両に比べて収容力が小さいので、比較的混んでいない系統(1、5、10、19、33系統)で運用されているという。

Blog_italy_heritagerail24
スカラ座前の1500形(2022年)
Photo by dconvertini at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番12 トリノ市電7系統 Tranvia di Torino, Linea 7

北イタリア西部、ピエモンテ州の州都トリノ Torino の路線網は現在88.5kmに達する。運行系統は全部で10あるが、その中に、観光用の7系統 Linea 7 が含まれる。非営利団体のトリノ歴史路面電車協会 Associazione Torinese Tram Storici (ATTS) の協力により、1930~50年代の旧型車両だけで維持されている特別系統だ。週末と祝日に1時間間隔で運行され、市内中心部(チェントロ Centro)を時計回りに一周する6.9kmのルートを走る。

カステッロ広場 Piazza Castello の電停を出発したトラムは、ポー川沿いや並木道のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り Corso Vittorio Emanuele II、中央駅ポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova の前などを経由して、41分で起点に戻ってくる。通常運賃で乗車でき、居ながらにして街を巡れる手軽な観光ツールだ。

時間に余裕があるなら、一般運行の15系統に乗換えて、ポー川の対岸サッシ Sassi へ足を延ばすのもいいだろう。サッシ=スペルガ軌道  Tranvia Sassi-Superga(項番13)のラック電車が、スペルガ宮殿 Basilica di Superga がそびえる見晴らしのいい丘の上まで連れて行ってくれる。

Blog_italy_heritagerail25
カステッロ広場の7系統(2006年)
Photo by Aleanz at wikimedia. License: public domain
Blog_italy_heritagerail26
サッシ=スペルガ軌道の起点サッシ駅(2014年)
Photo by Incola at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

このほか、ローマ市内でも、古典車両で運行される観光系統「7系統 アルケオトラム Archeotram」の開業が予定されている。走行ルートは既存の軌道で、ピラミデ Piramide 駅前からコロッセオ Colosseo、ポルタ・マッジョーレ Porta Maggiore などの名所を経てテルミニ Termini 駅前で折り返すというものだ。

廃止済みの路線も興味深いものが目白押しなので、リストに含めておいた。もはや乗車することは叶わないが、存続していたら観光鉄道として人気を博していたかもしれない。

項番3 ドロミーティ鉄道 Dolomitenbahn/Ferrovia delle Dolomiti

ドロミーティ鉄道は、来年(2026年)冬期オリンピックが開催される北東部のリゾート地区、コルティーナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo を通っていた950mm軌間の電気鉄道だ。FS線に接続するカラルツォ・ディ・カドーレ Calalzo di Cadore から同じくトーブラッハ/ドッビアーコ Toblach/Dobbiaco まで南北64.9kmを走っていた。

ドロミーティはまた、天にそそり立つ奇峰群の景観でも有名だ。鉄道は谷間から峠に向けてしだいに高度を上げていき、車窓には樹林の間から雄大な山岳パノラマの絶景が広がった。観光路線と目されていたのはもちろん、前回1956年の五輪開催時にはまだ現役だったので、客車が増備され、選手・関係者や観衆の輸送にも奔走したそうだ。

しかし、老朽化に伴い1964年に廃止となり、役割を路線バスに譲った。今は全線が「ドロミーティの長い道 Lunga via delle Dolomiti」と呼ばれる長距離自転車道になっている。

Blog_italy_heritagerail27
サン・ヴィート・ディ・カドーレ San Vito di Cadore 付近の
廃線跡自転車道(2023年)
Photo by Giorgio Galeotti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番19 リミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino

同じく950mm軌間の電化路線で、アドリア海岸の町リミニ Rimini と、イタリアの中の独立国(包領 Enclave)サンマリノ San Marino の間31.5kmを結んでいたのが、国鉄リミニ=サンマリノ線だ。終点サンマリノ・チッタ(市駅)San Marino Città は聳え立つ丘の上に位置し、標高は643m。それでもラックレールには頼らず、スパイラル2回とS字ループの繰り返しで最後まで上りきるという、タフな登山路線だった。

1932年に開通したものの、第二次世界大戦で施設が破壊されて運休となり、結局そのまま廃止されてしまう。運行期間わずか12年という薄命の路線だった。その後2012年に保存団体の尽力で、オリジナルの電動車AB03と、終点近くで半回転しているモンターレトンネル Galleria Montale 前後の800m区間が復旧された。現在も年に数日、保存走行が実施されている。

*注 鉄道の詳細は「サンマリノへ行く鉄道」参照。

Blog_italy_heritagerail28
復元区間に配置された電車AB03(2015年)
Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番20 スポレート=ノルチャ鉄道 Ferrovia Spoleto-Norcia

スポレート=ノルチャ鉄道は、中央アペニン山脈にあった950mm軌間、51.2kmの電気鉄道だ。ウンブリア州スポレート Spoleto の町から東へ進み、山奥の盆地にあるノルチャ Norcia という町まで走っていた。

とりわけ東隣の谷筋へ抜けるための前半区間が、スペクタクルなルートで有名だった。長さ2kmのサミットトンネルの両側に、計3回のスパイラルと、いろは坂のようなS字ルートが続く。さらに全線にわたって橋梁などの土木構造物も数多く、スイスアルプスの南北幹線になぞらえて「ウンブリアのミニ・ゴッタルド Piccolo Gottardo Umbro」の異名を取った(下注)。

*注 実際は狭軌鉄道なので、ゴッタルドよりもレーティッシュ鉄道のベルニナ線 Berninabahn に似ている。

1968年に廃止されたが、幸い、峠越えを含む前半31km区間がほぼ完全に自転車道に転用整備されたので、自力でなら今でもたどることが可能だ。また、起点のスポレート駅舎は、この狭軌鉄道を記念する博物館になっている。

Blog_italy_heritagerail29
狭軌鉄道のノルチャ駅は鉄道博物館に(2022年)
Photo by Simone Pranzetti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 ヴェスヴィオ登山電車 Ferrovia Pugliano-Vesuvio, Funicolare Vesuviana

ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾に臨む標高1281mの火山だ(下注)。知られるとおり、西暦79年の噴火では麓の古代都市ポンペイとヘルクラネウムを壊滅させ、その後も大小の噴火を繰り返してきた。

*注 イタリア語ではヴェズーヴィオ Vesuvio。活動中のため、標高値には変動がある。

一般にヴェスヴィオの登山電車というと、1880年に開業したフニコラーレ・ヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ ケーブルカー) Funicolare Vesuviana のことを指す。火口縁まで上る0.8kmの鋼索線(下注)で、当時作られた軽快な歌曲「フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà」のおかげで世界的に有名になった。

*注 最初はモノレール式の小型車両で運行された(下の写真参照)が、1904年に単線交走式ケーブルカーに改築。

しかし、下部駅は山の中腹、標高753m地点に設けられていたため、そこまでは馬車で行くしかなかった。この駅と、裾野を走っている既設の路面軌道の停留所との間をつないだのが、メーターゲージ、7.7kmの電気鉄道、プリャーノ=ヴェスヴィオ鉄道 Ferrovia Pugliano-Vesuvio だ。1903年に開業したこの路線によってはじめて、ナポリ市内から火口までの鉄道網が完成した(下注)。

*注 1913年にプリャーノ Pugliano 駅まで延伸され、チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ環状)鉄道 Ferrovia Circumvesuviana との接続を果たした。下のルート図はその状況を示している。

山麓から中腹まで680mある高度差を克服するため、電気鉄道の中間部には最急勾配250‰のシュトループ式ラックレールが敷かれていた。実態としてヴェスヴィオ登山電車は、この二者一体で完結する山岳観光ルートだったのだ。

しかし、1944年に起きた激しい噴火活動により、ケーブルカーの施設は破壊され、運行不能となる(下注)。電気鉄道も一部区間で被害を受け、代替道路建設による下部区間の部分運休を経て、1955年に全線廃止となった。

*注 代替として1953年にチェアリフトが設置され、1984年まで稼働していた。

Blog_italy_heritagerail30
モノレール式の初代ケーブルカー(1880~1904年)
Photo from Amsterdam Rijksmuseum collection at wikimedia. License: CC0 1.0
Blog_italy_heritagerail31
ヴェスヴィオ登山電車ルート図
Image from wikimedia. License: public domain
 

★本ブログ内の関連記事
 イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト
 スペインの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ポルトガルの保存鉄道・観光鉄道リスト

より以前の記事一覧

2026年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

ACCESS COUNTER

無料ブログはココログ