登山鉄道

2024年12月 7日 (土)

ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道

アッペンツェル鉄道ロールシャッハ=ハイデン登山線 AB Rorschach-Heiden-Bergbahn (RHB)

ロールシャッハ Rorschach~ハイデン Heiden 間5.60km
軌間1435mm(標準軌)、交流15kV 16.7Hz電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(大半区間)、最急勾配93.6‰
1875年開通、1930年電化

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ロールシャッハーベルクの斜面を行く登山鉄道の列車
ザントビュッヘル~ヴァルテンゼー間

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前回のライネック Rheineck 駅からSバーンの西行き列車に乗り、3つ目のロールシャッハ・シュタット Rorschach Stadt で下車した。2001年開設の新しい停留所だ。シュタット Stadt は町、都市という意味で、町はずれにある従来のロールシャッハ駅に対して、1.2km西で市街地最寄りの便利な場所に設けられた。

駅前から緩い坂になったジクナール通り Signalstrasse を降りていくと、ビルの間に空を映した湖面が覗き始めた。ロールシャッハ Rorschach は、ボーデン湖の南岸に位置する瀟洒な都市だ。通りの突き当りは港で、ちょうど埠頭から湖畔の町を巡る定期船が出航するところだった。

ロールシャッハとローマンスホルン Romanshorn 方面を結ぶSBB(スイス連邦鉄道)の線路が港の前を走っていて、ロールシャッハ・ハーフェン Rorschach Hafen 駅(下注、以下ハーフェン駅と略す)の相対式ホームがある。

*注 ハーフェンは港の意。ボーデン湖航路と接続するために1856年に開設された駅。

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(左)ロールシャッハ・シュタット駅
(右)ロールシャッハ市街ジクナール通り
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(左)埠頭の前に駅がある
(右)ロールシャッハ・ハーフェン駅に登山鉄道の列車が到着
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ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

今から乗るロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn (RHB) も、アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) を構成する路線の一つだ。ベルクバーン(登山鉄道)Bergbahn と呼ばれるとおり、標高399mのロールシャッハから同794mのハイデンまで、リッゲンバッハ式のラックレールを使って上っていく。

ハイデン Heiden は19世紀半ば以降、鉱泉が湧く高原の保養地として人気を博した町だ。ボーデン湖を見下ろす高台にあり、1838年の大火の後に再建されたビーダーマイヤー様式のエレガントな町並みが広がる。オーストリア皇帝カール1世やドイツ皇帝フリードリヒ3世といった王侯貴族が訪れ、赤十字の創設者アンリ・デュナンが晩年を過ごした場所でもある。

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高原の保養地ハイデン
 

ニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が考案したラック鉄道がリギ山 Rigi で開業したのは1871年だが、そのわずか4年後の1875年9月には、ハイデンに同じ形式の列車が到達している。スイス国内では、フィッツナウ=リギ鉄道 Vitznau-Rigi-Bahn とアルト=リギ鉄道 Arth-Rigi-Bahn に次いで3番目という早さで、貨物輸送も行うものでは最初だった。

開業当初、列車はロールシャッハ駅から出発していた。だが数年後には、ボーデン湖の航路との接続を図るため、合同スイス鉄道 Vereinigte Schweizerbahnen (VSB) の支線に乗入れる形で、運行区間がハーフェン駅まで延長されている。湖の対岸ドイツからは船便がよく利用されていたからだ。合同スイス鉄道は、1902年の鉄道国有化によりSBB路線網の一部となったが、乗入れは継続された。

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ボーデン湖を背に急勾配の線路が続く
 

第一次世界大戦中に石炭不足で運行に支障をきたした苦い経験から、スイスでは1920~30年代に、鉄道の電化が急ピッチで進められた。ロールシャッハ以西のSBB線が交流15kV 16.7Hzで電化されたこと(下注)を受けて、1930年に登山鉄道も同じ方式で電化される。小規模路線には不相応な設備に見えるが、乗入れを継続するには方式を合わせるほかなかっただろう。

*注 1927年に(ヴィンタートゥール~)ザンクト・ガレン~ロールシャッハ間、1928年にロマンスホルン~ロールシャッハ間が電化、ロールシャッハ以東の電化は1934年。

電化を機に現役を引退した蒸気機関車は、1949年までにすべてスクラップにされた。ちなみに2010年代にこの路線で特別運行されていたラック蒸機Eh 2/2 3は、オリジナル機ではなく、もとチューリッヒ近郊のリューティ Rüti にあった織機工場で稼働していた工場用機関車だ。

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(左)ラック蒸機Eh 2/2 3号「ローザ Rosa」(2014年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)同じくリューティから到来した小型ディーゼル機関車Tmh 20
 

航路との接続が重要ではなくなった今も、ハーフェン駅への乗入れは続いている。朝夕はロールシャッハで折り返している列車が、日中およそ10~16時の間、SBB線を通ってここまで足を延ばす。

港側の1番ホームでしばらく待っていると、ロールシャッハ方からAB(アッペンツェル鉄道)のロゴをつけた電車が入線してきた。折返し11時01分発のハイデン行きだ。ハーフェン~ハイデン間は27分かかる。ダイヤは60分間隔なので、終端駅での滞在時間は3分と慌しい。

車両は1998年シュタッドラー製、部分低床の連接電車BDeh 3/6で、それまで主力だったBDeh 2/4を置き換えるために導入された。以来、定期運行は基本的にこの1編成がカバーしている。旧車BDeh 2/4も健在だが、走るのは臨時便か、BDeh 3/6が検査などで不在の時だけだ。

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(左)現在の主力、連接電車BDeh 3/6
(右)車内は部分低床
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旧車BCFeh 2/4も健在
 

編成の後方に回ると、オープンタイプのいわゆる夏用客車 Sommerwagen を3両引き連れていた。内部は向い合せのベンチシートが並び、何とはなしにリゾート気分が盛り上がる。肌寒かった朝に比べて気温が上がってきたし、ここなら外の写真を撮るにも好都合だ。ちなみに、ハイデン行きではこのオープン客車が前になるため、運転士はその先頭に乗り、無線操縦で電車を動かすそうだ。

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(左)2軸夏用客車
(右)ベンチシートが並ぶ車内
 

ハーフェン駅を定刻発車。次の駅まではわずか950m、のびやかな湖岸のプロムナードに沿って、列車はゆっくりと進む。高架道路の下をくぐると線路が増えてきて、まもなくロールシャッハ駅2番ホームに到着した。SBB幹線との乗換駅だが、乗ってきたのは4人だけだった。

またすぐに出発し、本線の線路を一気に斜め横断して最も山側に位置を移す。車庫への引込線を左に分けると徐行になり、ラック区間の始点 Anfang を示す「A」と書かれた標識の前を通過した。

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(左)最初は湖岸に沿って進む
(右)ロールシャッハ駅に到着
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(左)登坂開始、ザントビュッヘル停留所にて
(右)ホームにある乗車告知ボタンと乗車券刻印機
 

延長5.6km(下注)の間に中間停留所が5か所あるが、いずれも乗降客がいるときだけ停車するリクエストストップだ。車内やホームの押しボタンで、前もって運転士に知らせる必要がある。

*注 5.6kmは SBB/RHB境界~ハイデン間の距離。乗入れ区間を含めると7.2km。

一つ目のゼーブライヒェ Seebleiche と次のザントビュッヘル Sandbüchel の周りは、まだ住宅街だ。しかし、頭上をアウトバーンA1が乗り越してからは、ロールシャッハーベルク Rorschacherberg と呼ばれる牧草地の斜面をぐんぐん上っていく。ボーデン湖の胸のすくようなパノラマが車窓いっぱいに開ける、全線で最も眺めのいい区間だ(冒頭写真も参照)。勾配は最大93.6‰に及ぶ。

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ロールシャッハーベルクから望むボーデン湖
 

しばらくすると小さな谷間に入り、ひっそりとしたヴァルテンゼー Wartensee 停留所に停車。ここから線路は森に包まれ、やがて右に大きくカーブしていく。クライエンヴァルト Kreienwald の尾根を切り通した地点にあるのがヴィーナハト・トーベル Wienacht-Tobel 停留所で、かつては近くの採石場へ支線が延びていた。ハイデン方にある短い引上げ線は、貨物扱いをしていた時代の名残かもしれない。

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森に包まれるヴァルテンゼー停留所
 

あとは尾根の裏側(南側)をなぞっていくルートで、勾配も少し和らぐ。深い谷を隔てて、向かいの山腹にハイデンの町と教会の塔が見え始める。シュヴェンディ・バイ・ハイデン Schwendi bei Heiden 停留所を通過すれば、次はもう終点だ。再び斜面を這い上っていき、踏切を渡って、ハイデン駅構内に入る。到着は11時26分、定刻だった。

進行方向左手に車庫、右手に2本の発着線と屋根付きホームがある。駅舎は小ぢんまりしたハーフティンバーの2階建で、観光案内所が入居している。鉄道で貨物を扱わなくなって久しいが、線路の終端には、貨物用ホームと倉庫がまだ残っていた。

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ハイデン駅、車庫への引込線
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小ぢんまりしたハイデン駅舎
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最奥部に残る貨物ホームと倉庫
 

先述の通り、列車が駅にいる時間はわずか3分だ。構内の写真をあれこれ撮っている間に、さっさと出ていってしまった。次が来るまで1時間あるので、それを待たずにポストバスで戻ろうと思っている。

スイスは鉄道だけでなく、バス路線も発達している。ハイデンからは、前回行ったヴァルツェンハウゼン Walzenhausen や、次回紹介するトローゲン線の終点トローゲン Trogen へのバスも走っていて、旅程の選択に迷うほどだ。私は、直接ザンクト・ガレン St.Gallen 市内まで行く120系統に乗ることにしている。バスが出るのは町の中心、駅から200mほど坂を上った教会広場 Kirchplatz(下注)だ。

*注 バス停名は Heiden, Post。2024年現在、このバスは駅前を通らないが、2027年完成予定で、バスターミナルを駅前に移転させる計画がある。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

★本ブログ内の関連記事
 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

2024年11月29日 (金)

ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道

アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線
AB Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (RhW)

ライネック Rheineck~ヴァルツェンハウゼン Walzenhausen 間 1.96km
軌間1200mm、直流600V電化、リッゲンバッハ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配253‰
1896年ケーブルカー開通、1909年連絡鉄道開通、1958年粘着式・ラック式併用鉄道に改築


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ボーデン湖を望んで走る登山鉄道の電車

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アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) は、スイス北東部に広がる丘陵地帯アッペンツェラーラント Appenzellerland の路線網を運営している鉄道会社だ。

*注 アッペンツェラーラント(アッペンツェル地方)は1597年に分割されたアッペンツェル・インナーローデン準州 Appenzell Innerrhoden とアッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の地理的総称。

従来の営業路線は、主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen とゴーサウ Gossau から、アッペンツェル Appenzell やアルトシュテッテン Altstätten に至るメーターゲージ路線約60kmだが、2006年に東部の小路線3社(下注1)、2021年に西部の路線1社(下注2)を吸収合併して、総距離が95kmに拡大した。今回は、その追加路線の一つ、ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen (RhW) を訪ねよう。

*注1 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn、トローゲン鉄道 Trogenerbahn。
*注2 フラウエンフェルト=ヴィール鉄道 Frauenfeld-Wil-Bahn。

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

鉄道は、ライネック Rheineck(下注)の町にあるSBB(スイス連邦鉄道)駅と、丘の上の保養地、標高672mのヴァルツェンハウゼン Walzenhausen を結んでいる。わずか2kmのミニ路線ながら、プロフィールは個性的だ。というのも、一部にラックレールを用いる区間があるからだ。最急勾配は253‰とされ、ピラトゥスを別とすれば、スイスに数あるラック鉄道の中で最も険しい部類に入る。

*注 ライネック Rheineck の地名は、ライン川 Der Rhein の曲がり角(エック Eck)を意味するため、語義を尊重してラインエックと書かれることもある。

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ラック区間が始まるルーダーバッハ停留所
 

さらにその経歴がユニークだ。開業は1896年だが、当時の起点はライネック駅ではなく、0.7km離れた山麓のルーダーバッハ Ruderbach で、そこからヴァルツェンハウゼンに至る長さ1.2kmのケーブルカーだった。山上駅で車両のタンクに水を注ぎ、山麓駅でタンクを空にした車両との重量差で動くウォーターバラスト方式で運行されていた。

1909年になって、ライネック駅と山麓駅とを結ぶライネック連絡鉄道 Rheinecker Verbindungsbahn が標準軌で造られる。電化されてはいたものの、電力供給が不安定なため、ガソリンエンジンのトラムも併用された。

この連絡輸送は半世紀の間続いたが、戦後は両路線とも車両の老朽化が著しく、1958年5月、ケーブルカーの車軸破損で、運行が止まってしまう。山麓駅での乗換も不便だったことから、粘着・ラック式併用の電車による直通化の工事が行われることになった。ちょうどその年の4月にローザンヌ Lausanne ~ウーシー Ouchy 間で実施された古いケーブルカーからラック鉄道への転換が参考にされただろう(下注)。

*注 ローザンヌ~ウーシー間のラック鉄道は、2008年にゴムタイヤ式のメトロM2号線に再改築されて、今はない。

ケーブルカーの軌間が1200mmだったため、連絡鉄道をこれに合わせて改軌し、車両もこの軌間で新造された。普通鉄道で1200mm軌間というのは世界的にもほとんど例がない。ラックレールが、初期の方式であるリッゲンバッハ式なのも珍しいが、これは近所にあるロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn(1875年開通、下注)に倣ったからだ。改築工事が完成し、運行が再開されたのは同年12月だった。

*注 ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道の詳細は「ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道」の項参照

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SBB本線と登山電車の線路が並行する
ライネック~ルーダーバッハ間
 

2024年7月のある日、ザンクト・ガレンのSBB駅から8時04分発のSバーンに乗った。列車は、ボーデン湖に面した緩い傾斜地をするすると下っていき、8時33分にライネック駅2番線に到着した。窓越しに、駅舎側に停まっているライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道の赤い電車が見える。接続時間がわずか2分なので、ちょっと慌てて地下道を渡った。

来てみて初めて知ったが、登山鉄道の発着線は実におもしろい位置にある。本線の1番ホーム上に線路が敷かれ、そのため乗降ホームは一段高くなったひな壇になっているのだ。

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発着線は1番ホームの上に(Sバーン車内から撮影)
 

これは1999年に実施された駅の改修工事の結果だ。従来3線あったSBB本線のうち、旧1番線が廃止され(下注)、そこを埋めて広い新1番ホームが造られた。そして、駅舎の南東側で途切れていた登山鉄道の線路が延長され、駅舎の前に、今ある乗降ホームが設置されたのだ。これにより、横断地下道の出入口が近くなり、本線列車との乗継ぎ距離が短縮された。

*注 旧2番線(西行)が新1番線に、旧3番線(東行)が新2番線に繰り上がった。

地下道の階段を上がると、トラムタイプの小型車BDeh 1/2が、ホームの上にちょこんと停まっている。陸(おか)に上がった河童のようでなんとなくぎこちないが、何を隠そう、登山鉄道にとって1両きりの虎の子だ。1958年のラック開業時からずっと働き続けている。代車がないので、検査や修理で不在のときはバス代行になる。

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(左)登山鉄道の唯一の車両
(右)ひな壇の乗降ホーム
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ライネックルツェンハウゼン登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

手早く外観写真を撮って、車内に入った。1席+2席のボックスベンチは2014年の改修で交換されたので、まだつやつやしている。山側の運転席を覗くと、引き戸付きでスペースが広い。荷物室を兼ねているようだ。

乗客は私のほかに1人だけで、すぐに発車した。後方の運転席でかぶりついて見ていたが、コンクリートを敷いたホームから出発するのは、路面電車を連想させる。少しの間、SBB本線と並行した後、右にカーブして基幹道 Hauptstrasse 7号線の踏切を渡った。すぐに車庫への引込線が右へ分かれていく。続いて、梯子状のリッゲンバッハ式ラックレールが線路の中央に現れ、ルーダーバッハ停留所をあっさり通過した。ケーブルカー時代の山麓駅だが、今はリクエストストップなので、乗降がなければ停まらない。

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(左)山側は運転室兼荷物室
(右)内装は2014年に更新済み
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(左)ホーム上から出発(後方を撮影、以下同)
(右)ルーダーバッハ停留所を通過
 

坂道を上り始めると、車庫を兼ねている停留所の建物がみるみる下に沈んでいく。と思う間に、暗闇に突入した。長さ315mのシュッツトンネル Schutztunnel(下注1)だ。旧ライン川 Alter Rhein(下注2)の南斜面は案外起伏が大きく、闇を抜けると、今度は渓谷ホーフトーベル Hoftobel をまたぐ3本連続の鉄橋を渡っていく。

*注1 シュッツ Schutz は付近の地名。
*注2 旧ライン川は、1900年に完成したフサッハ導水路 Fußacher Durchstich によって支流となったもとのライン川(アルペンライン Alpenrhein)の川筋。

二つ目の中間停留所ホーフ Hof は、進行方向右側に扉1枚分のデッキが設置されているだけの臨時乗降場だ。まさかこれが、と思うような簡易設備のため、現地では見逃した。予約した団体専用で、一般客は降りられない。

その後は牧草地の間の盛り土区間で、高度が上るにつれ、遠方にボーデン湖の湖面が広がっていった。線路はみごとにまっすぐで、今でもケーブルカーに乗っている気分だ。さらに上ると、直線線路に続くように、旧ライン川の川筋が湖に向かって一直線に延びているのが望める。

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(左)シュッツトンネル
(右)ホーフトーベルをまたぐ鉄橋
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旧ライン川の川筋と一直線に
 

最後はまた長さ70mのトンネルに入り(下注)、空を見ることなく終点ヴァルツェンハウゼン駅の階段ホームに到着した。ノンストップだったので、所要時間は約6分だ。写真を撮る私をじっと見ていた仏頂面の運転士さんに「Very interesting」と言うと、にやっと笑い、「OK!」と返してくれた。

*注 ケーブルカールートの特性を引き継いでいるので、最急勾配253‰はこの最終区間にある。

駅舎は2016年に改築されたもので、正面はガラス張り、隣に案内所と郵便局を兼ねた売店が入居している。駅前広場を取り囲んでいるのはもとのクーアハウスだ。駅前のバス停からは、ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道の終点ハイデン Heiden へ行くポストバス(下注)が1時間ごとに出ている。ハイデンまで所要20分前後なので、後で乗りに行く予定なら、このバスでショートカットするのが断然速い。

*注 224および225系統。経由地は異なるが、どちらも往路はハイデン駅前に停車する。

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(左)ヴァルツェンハウゼン駅舎
(右)階段ホーム
 

ヴァルツェンハウゼンは、特に19世紀後半から第一次世界大戦前まで、ボーデン湖を望む高台の保養地として人気があった。鉄道もそのアクセスとして建設されたものだ。今は静かな村だが、建物や街路の雰囲気に優雅なリゾートだったころの片鱗がうかがえる。

グーグルマップで、広場から一段下がったウンタードルフ通りに展望所 Aussichtspunkt のピンが立っているのを見つけて、行ってみた。道端に、ボーデン湖三国展望台 Bodensee-Dreiländerblick と記された案内板が立ち、ベンチが3脚並ぶ。

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三国展望台からのパノラマ
 

手前の斜面には民家が点在するが、その先は180度の大パノラマが広がっていた。湖のはるかかなた、中央から左はドイツ領で、湖に突き出したリンダウ Lindau の市街地もかすかに見える。右端はオーストリア領で、山すそにブレゲンツ Bregenz の町があるはずだ。

何よりここは、足もとに登山鉄道の線路が走っている。曇り空で寒いのをがまんしつつ、電車が坂を降りていくのを待った(冒頭写真参照)。午前中の運行は1時間ごとなので、これを見送ると時間が空く。高度差はあっても大した距離ではないから、ライネックまで線路を見ながら歩いて降りるつもりだ。

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中腹のヴァインベルク城 Schloss Weinberg から東望
背景の山はオーストリア領
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古参車両が麓へ帰る

利用者の減少で費用回収が難しくなっているとして、州当局は2019年から路線の今後について議論を重ねてきた。バス転換も選択肢に入っていたが、最新の報道では、2026年を目途にシュタッドラー社が開発した遠隔操作による自動運転を導入するという。契約には新車の納入も盛り込まれた。70年近くひとりで路線を背負ってきた古参BDeh 1/2だが、退役の時は刻々と近づいている。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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 ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

2024年9月28日 (土)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

前回に引き続き、ドイツ南部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

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シュヴァルツヴァルト線ホルンベルクの
ライヘンバッハ高架橋 Reichenbachviadukt(2021年)
Photo by Joachim Lutz at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanys.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ南部」画面

まずは市内・郊外電車の見どころについて。

項番4 ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫 Historisches Straßenbahndepot St. Peter

ニュルンベルク Nürnberg ~フュルト Fürth 間は、日本でいえば新橋~横浜間だ。1835年、バイエルン州中部の主要都市ニュルンベルクと、西に隣接するフュルトの町を結んでドイツ最初の鉄道、ルートヴィヒ鉄道 Ludwigseisenbahn が開通した。

それと並行して1881年には馬車軌道も敷かれる。これが後に電化されて、最盛期に73kmの路線網を拡げるニュルンベルク=フュルト路面軌道 Nürnberg-Fürther Straßenbahn に成長した。主要ルートは1972年以降、地下鉄 U-Bahn に置き換えられていったものの、現在も38kmの路線網を維持している。

路線縮小に伴い、不要となった市内東部のザンクト・ペーター車両基地 Betriebshof St. Peter で、1985年からニュルンベルク=フュルト路面軌道友の会 Freunde der Nürnberg-Fürther Straßenbahn が交通局と協力しながら、トラム博物館を運営している。

保存されている旧車両は計32両にのぼる。毎月第1土・日曜の開館で、当日は「15系統ブルク環状線 Linie 15 Burgringlinie」と称する古典電車の市内ツアーが1時間ごとに出発する。一般運行されない旧市街北側、ピルクハイマー通り Pirckheimerstraße の休止線も通過する興味深いコースだ。

これとは別に、中央駅 Hauptbahnhof 発着でシーズンの毎週月曜に催される「13系統市内環状運行 Linie 13 Stadtrundfahrten」というガイドツアーもある。わざわざ月曜日に走るのは、文化施設の休館日でも楽しめるように、という配慮だそうだ。

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ザンクト・ペーター保存路面軌道車庫のT4 200形(2019年)
Photo by Christian Mitschke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番26 シュトゥットガルト路面軌道博物館 Straßenbahnmuseum Stuttgart

路面軌道の保存運行では、シュトゥットガルトの取組みも注目に値する。この都市の路面軌道網はもともとメーターゲージで運行されていたが、1985年以降、標準軌のシュタットバーン(都市鉄道)Stadtbahn への転換が進められた。長年に及ぶ更新事業が完了し、路面電車の一般運行が全廃されたのは2007年のことだ。

転換は系統ごとに実施されたので、一時的にメーターゲージと標準軌の車両が同じ区間を共有することもあった。3線軌条とされたそうした区間が、全面転換後も一部残され、シュトゥットガルト路面軌道博物館の保存運行を可能にしている。

博物館は、市内バート・カンシュタット Bad Cannstatt の旧 車両基地にあり、2009年にオープンした。引退した路面車両35両が保存されていて、毎日曜にオールドタイマー線 Oldtimerlinie と称して、2本のルートで保存運行が行われる。

21系統「中心街循環 Innenstadtschleife」は、ミッテ Mitte と呼ばれる市内中心部を巡り、所要35分で博物館に戻ってくる。もう一つの23系統「パノラマ線 Panoramastrecke」は、北側から中心部に入り、最後はテレビ塔が建つ丘の上のルーバンク Ruhbank まで行く。こちらは片道で40分かかるが、後半は市街を見晴らしながら最大85‰の急坂をぐいぐい上るルートで、地下トンネルの多い21系統に比べ、車窓の爽快感が格段に違う。

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3線軌条を走る200形、ブダペスト広場にて (2018年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番27 シュトゥットガルト・ラック鉄道 Zahnradbahn Stuttgart

シュトゥットガルトは北東側に出口を持つ靴箱形の地形で、中心街のある底の部分は狭い。そのため、市街地は周りを囲む丘の上に拡大してきた。この丘の斜面に最初に造られた鉄道が、1884年に開通したシュトゥットガルト・ラック鉄道だ。

もとは蒸気運転だが、1902年に電化されている。また後年、起点でルート変更、終点で延伸があり、現在は山麓のマリエン広場 Marienplatz から山上のデーガーロッホ Degerloch まで、延長2.2km。リッゲンバッハ式のラックレールを用いて、最大勾配178‰、標高差205mを上りきる。鋸歯を意味する「ツァッケ Zacke」が通称で、停留所の標識にもその名が記されている。

ドイツには、ここを含めてラック鉄道が4本残っている。他はすべて観光用の鉄道だが、ツァッケは、シュタットバーンや路線バスと同様、公共旅客輸送機関 SPNV の位置づけだ。10系統を名乗り、都市交通の一翼を担っているところに特色がある。

中心街からデーガーロッホへは、シュタットバーンでも行けるが、ラック鉄道の長所は、ラッシュ時でも自転車を携行できることだ。登山鉄道によくあるように台車が坂上側についていて、セルフサービスで自転車を固定する。車両の折返し時間の関係で、積載は上り坂に限定されているが、通勤通学やレジャーに、サイクリストにとって重宝する存在らしい。

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台車をつけた第4世代車両(2022年)
Photo by Joma2411 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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自転車積載はセルフサービス(2022年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 トロッシンゲン鉄道 Trossinger Eisenbahn

電化路線でありながら一般旅客輸送は気動車が担い、架線を使うのは、ここを走行線にしている保存電車だけ、という珍しい路線がある。

バーデン・ヴュルテンベルク州南部、ロットヴァイル=フィリンゲン線 Bahnstrecke Rottweil–Villingen の中間にある接続駅トロッシンゲン・バーンホーフ(トロッシンゲン駅)Trossingen Bahnhof が起点で、ここから分岐して、市街地のトロッシンゲン・シュタット(トロッシンゲン市) Trossingen Stadt に至る3.9kmの支線、トロッシンゲン鉄道だ。

国鉄線に編入されたことはなく、1898年の開業以来、事実上トロッシンゲン市営で運行されてきた。さらに、開業当初から直流600Vの電気運転だったことも特筆される。段丘上の市街地に上るために最大35‰の勾配があり、市は初め、電力事業との併営で動力を供給していた。

現在、一般列車の運行は本線の列車運行事業者であるホーエンツォレルン州立鉄道 Hohenzollerische Landesbahn (HzL) に委託され、シュタッドラー製の連接気動車で賄われている。その一方、1898年製の2軸電動車など貴重な旧車も保存されており、イベントなどで運行される。

月1回の定例行事になっているのが、車両の錆取りを兼ねて行われる原則無料の「月光運行 Mondscheinfahrten」だ。夜の時間帯に両駅間を往復し、保存車両の車庫も公開される。暖かい電球色の照明が灯る客室のベンチに腰を下ろし、ひとときレトロな旅行気分に浸りたい。

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一般運行時代のT3電車、トロッシンゲン駅にて(2003年)
Photo by Phil Richards at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

次は、ライン地溝帯の東側に、南北約150kmにわたって続く山地シュヴァルツヴァルト(黒森の意)Schwarzwald にある観光路線について。

項番36 DB シュヴァルツヴァルト線 DB Schwarzwaldbahn

シュヴァルツヴァルト線は、ドイツを代表する標準軌の山岳路線だ。オッフェンブルク Offenburg から、シュヴァルツヴァルト中部を横断し、スイス国境に近いジンゲン Singen (Hohentwiel) まで149kmの長距離幹線になる(下注)。

*注 ドイツ鉄道DBは、さらにボーデン湖畔のコンスタンツ Konstanz までの区間を含めて、シュヴァルツヴァルト線と呼んでいる。

中でもハイライトと言えるのは、ハウザッハ Hausach~ザンクト・ゲオルゲン Sankt Georgen 間38.1kmだ。ライン川 Rhein 流域から大陸分水界を越えてドナウ川 Danau の最上流域に出るまでの区間で、最高地点は標高832m、麓との標高差は591mに及ぶ。全通したのは1871年。蒸機の登坂能力からすれば、勾配は20‰までに抑えたい。それで、険しい山中に、距離を引き延ばすための2か所のS字ループと39本のトンネルを伴う苦心のルートが造られた。

路線は1975年に交流電化されたので、今では電車や電気機関車が軽々と上っていく。そのかたわら、愛好家団体のツォレルン鉄道友の会 Eisenbahnfreunden Zollernbahn が年数回、このハイライト区間で蒸気列車を走らせている。先頭に立つのは動輪5軸の大型蒸機52形で、その力強い走りっぷりは非電化時代の活躍を彷彿とさせる。

また、中間駅のあるトリベルク Triberg には、上部ループの周辺を歩いて巡る「シュヴァルツヴァルト鉄道体験歩道 Schwarzwaldbahn-Erlebnispfad」も作られている。アップダウンの激しい山道だが、谷の中を折り返す線路や重厚な石積みの構造物をじっくり観察できるのがうれしい。

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トリベルク駅(2004年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番39 DB へレンタール線 DB Höllentalbahn

ヘレンタール線 Höllentalbahn(下注)は、シュヴァルツヴァルト南部を東西に横断している路線だ。フライブルク・イム・ブライスガウ Freiburg im Breisgau からドナウエッシンゲン Donaueschingen まで76.2km。これも名にし負う山岳路線で、途中の峠道に最大57.14‰の急勾配があり、1887年の開業当初はラックレールが使われていた。最高地点は標高893mに達し、起点フライブルクとの標高差は625mにもなる。

*注 同名の他路線と区別するためにヘレンタール線(シュヴァルツヴァルト)Höllentalbahn (Schwarzwald) と書かれることがある。

その急勾配は、ヒルシュシュプルング Hirschsprung という廃駅通過後に始まる。初めのうちは坂がきつくなったと感じる程度だが、一つ目のトンネルを抜けた後は、右側に見える谷がどんどん沈んでいく。ラヴェンナ川 Ravenna の峡谷を高い橋梁でまたいでからも、なおトンネルと坂道が連続する。高原に出ていくまでの約7km、乗車時間にして10分ほどが一番の見どころだ。

峠道を含むフライブルク~ノイシュタット Neustadt 間は1936年から電化されているが、需要の少ないノイシュタット以東は長らく非電化のままで、2003年以降は完全に系統分離されていた。2019年にようやく電化が完了し、現在はSバーンの電車がドナウエッシンゲンを経由してフィリンゲン Villingen まで直通している。

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電化前のグータッハ高架橋を渡る611形気動車(2013年)
Photo by Stefan Karl at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番38 DB ドライゼーン(三湖)線 DB Dreiseenbahn

そのヘレンタール線のティティゼー駅で分岐して、ゼーブルック Seebrugg に至る19.2kmの支線は、ドライゼーン線と呼ばれている。ドライゼーン(3つの湖)Dreiseen というのは、ティティ湖 Titisee、ヴィントグフェルヴァイアー Windgfällweiher、シュルッフ湖 Schluchsee のことで、起点側から列車に乗ると、いずれも右の車窓に見える。沿線に大きな町はないので、乗っているのは主にレジャー客だ。休日のほうが乗車率が高い。

列車はS1系統で、フライブルク Freiburg 方面から直通している。ヘレンタール線内では、S11系統フィリンゲン行きの後ろに併結されて走る。ティティゼーで切り離され、20‰の勾配がある斜面を上っていく。サミットのフェルトベルク・ベーレンタール Feldberg-Bärental 駅は標高967mで、ドイツの標準軌鉄道では最高所の駅だ(下注)。ヴィントグフェルヴァイアーは池といっていい規模なので、見逃さないように。最後は、堰堤でかさ上げされたシュルッフ湖の水ぎわを走って、終点ゼーブルックに到着する。

*注 ちなみに狭軌で粘着運転の最高所駅は、ハルツ狭軌鉄道ブロッケン駅の標高1125m。ラック式を含めれば、後述するバイエルン・ツークシュピッツェ鉄道が最も高い。

ドライゼーン線では2008年から、夏の盛りに愛好家団体が観光列車を運行している。ゼーブルックとティティゼーの間を1日3往復、高原の涼風が通り抜ける古典客車で行く片道約45分の旅だ。団体は機関車を所有していないので、レンタル機で運行され、動力は蒸気、ディーゼル、電気いずれもありうる。

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湖畔のシュルッフゼー駅(2010年)
Photo by Cayambe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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シュルッフ湖の入江を渡る58形の保存列車(2015年)
Photo by Maximilian Grieger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は、バイエルンの南縁に連なるアルプス山中のラック登山鉄道について。

項番18 バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道 Bayerische Zugspitzbahn

ドイツ最高峰、標高2962mのツークシュピッツェ Zugspitze は、石灰岩の肌がむき出しになった巨大な岩山だ。バイエルン・ツークシュピッツェ鉄道は、DB線と連絡するガルミッシュ Garmisch から、グライナウ Grainau を経て山頂直下のツークシュピッツプラット Zugspitzplatt まで19.0km。そこから山頂へは、ロープウェー(下注)が連絡している。

*注 ロープウェーの名称は、ツークシュピッツェ氷河鉄道 Zugspitz-Gletscherbahn、長さ1000m、高低差360m。

ルートの性格は、前半と後半で全く異なる。ガルミッシュからグライナウまでの7.5kmは、山麓線(谷線)Talstrecke と呼ばれ、広い谷底を行く粘着運転の平坦線だ。一方、グライナウから先は登山線(山線)Bergstrecke で、最大250‰のラック区間を伴う。アイプ湖 Eibsee や山裾の眺めがすばらしいが、途中から素掘りのトンネルに突入し、ユングフラウ鉄道のように、標高2588mの終点までずっと地下を走る(下注)。

*注 終点駅は地上だが、発着ホームはドームにすっぽりと覆われている。

全通は1930年だが、山上側でルートに変遷がある。もとの終点は、シュネーフェルナー氷河 Schneeferner の北斜面にあるシュネーフェルナーハウス Schneefernerhaus だった。スキー場へのアクセス改善のために、1987年に南側の現在地に移され、駅名も変更された。

ツークシュピッツェは、オーストリアとの国境に位置している。それで山頂への交通手段は、この鉄道のほかに、ロープウェーがドイツ側の山麓から1本と、オーストリア側からも1本ある。ドイツ側のロープウェーは鉄道と同じ運営会社なので、乗車券は共通だ。行きは鉄道でゆっくり上り、帰りは眺望のきくロープウェーで一気に下界へ(下注)、というのもいい選択になる。

*注 ロープウェーはアイプゼー Eibsee に降りるので、ガルミッシュへは再び鉄道に乗る必要がある。

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アイプゼー駅の列車交換(2018年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番14 ヴェンデルシュタイン鉄道 Wendelsteinbahn

もう一つのラック登山鉄道は、ヴェンデルシュタイン Wendelstein に上っていく。ここは標高1838mと取り立てて高い山ではないが、オーバーバイエルン Oberbayern の平原に近く、展望台として昔から人気があった。それでこの鉄道は、ツークシュピッツェ鉄道よりずっと前の1912 年に開通している。

もとはチロルに通じるDB幹線の途中駅ブランネンブルク Brannenburg が起点で、山上駅まで延長10.0kmの路線だった。しかし、村を横切っていた平坦区間が、道路交通に支障するとして、1961年に廃止されてしまった。以来、ヴァッヒング Waching という村はずれの駅がターミナルで、全国鉄道網とは接続がない7.7kmの孤立線になっている。

ヴァッヒング駅の前後はまだ平坦だが、まもなくシュトループ式のラック区間が始まる。いったん粘着式に戻って、待避線のあるアイプル Aipl 駅へ。しかし、ラックの坂道はまたすぐに復活する。ミッターアルム Mitteralm からは岩壁を貫くトンネルが連続し、勾配は最大237‰に達する。撮影ポイント「ホーエ・マウアー(高石垣)Hohe Mauer」を渡り、半回転すれば標高1723mの山上駅 Bergbahnhof だ。

山頂には、ツークシュピッツェと同様、ロープウェーが反対側の谷から上がってきている。片道登山鉄道、片道ロープウェーというコンビ乗車券を使えば、ロープウェーで山を降り、山麓でミュンヘン近郊線の電車に乗り継ぐ(下注1)という、一筆書きの周遊コースも可能だ。

*注1 RB55系統。最寄り駅は、徒歩7分のオスターホーフェン Osterhofen。
*注2 ヴェンデルシュタイン鉄道の詳細は「ヴェンデルシュタイン鉄道-バイエルンの展望台へ」参照。

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ホーエ・マウアーを渡る(2013年)
Photo by Geogast at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

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 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年9月 6日 (金)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編

「保存鉄道・観光鉄道リスト」ドイツ西部編では、ノルトライン・ヴェストファーレン Nordrhein-Westfalen、ヘッセン Hessen、ラインラント・プファルツ Rheinland-Pfalz、ザールラント Saarland の各州にある鉄道を取り上げている。その中から主なものを紹介しよう。

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ライン左岸線オーバーヴェーゼル Oberwesel 付近を行くEC列車(2015年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyw.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ西部」画面

まずは、ドイツを代表する観光エリアを通る一般旅客路線から。

項番28 DB ライン左岸線(ミッテルライン鉄道)DB Linke Rheinstrecke (Mittelrheinbahn)
項番27 DB ライン右岸線 DB Rechte Rheinstrecke

ドイツで車窓風景が最も美しい路線は? と問われたら、多くの人がライン川沿いのこの路線を挙げることだろう。滔々と流れる大河と行き交う船、岩山にそびえる古城や要塞、斜面を覆うブドウ畑。ロマン派の絵画のような景色には何度乗っても目を奪われる。高速線を疾走するICEもありがたいが、時間が許すならこのルートでゆっくり旅したいと思う。

ライン左岸線は、川の左岸すなわち西側に沿うDB(ドイツ鉄道)の幹線で、ケルン中央駅 Köln Hbf を起点に、ボン Bonn、コブレンツ(コーブレンツ)Koblenz、ビンゲン Bingen(Rhein) を経由してマインツ中央駅 Mainz Hbf まで181km。近年は「ミッテルライン鉄道 Mittelrheinbahn」の呼称が浸透している。

主要都市間を連絡しているため、2002年にケルン=ライン/マイン高速線 Schnellfahrstrecke Köln–Rhein/Main が開通するまでは、優等列車が日夜頻繁に行き交っていた。速達便は高速線に移し替えられて久しいが、今でも普通列車とともに、中間都市に停車するICEやICが30分間隔で走っている。

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オーバーヴェーゼル、対岸からの眺め(2018年)
Photo by Calips at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

一方、ライン右岸線は、右岸すなわち東側を走るDB路線だ。ケルン中央駅を出てすぐ右岸に渡り、トロイスドルフ Troisdorf でジーク線 Siegstrecke を分けた後、ライン川に沿って、ヴィースバーデン東 Wiesbaden Ost 駅まで179km。中間にあまり大きな町はないので、主に長距離貨物列車の運行経路になっている。旅客列車は各停(RB)と快速(RE)だが、コブレンツ中央駅を経由または起終点にしているため、必ず左岸に戻る。

どちらのルートも全線で眺めが良いが、見どころの中心は、やはり後半のコブレンツから左岸はビンゲン、右岸はリューデスハイム Rüdesheim の間だろう。この区間は、世界文化遺産に登録された「ライン渓谷中流上部 Oberes Mittelrheintal の文化的景観」を貫いていて、有名なローレライ Loreley の断崖をはじめ、冒頭述べた古城やブドウ畑の集中度も高い。

左岸線ならザンクト・ゴアール Sankt Goar、オーバーヴェーゼル Oberwesel、バハラッハ Bacharach、右岸線ならザンクト・ゴアールハウゼン Sankt Goarhausen 等々、魅力的な町や村を次々と通っていくので、ついつい途中下車の誘惑に駆られる。

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ローレライトンネル南口(2010年)
Photo by Joachim Seyferth at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番32 DB モーゼル線 DB Moselstrecke

モーゼル線は、ライン左岸線(項番28)のコブレンツ中央駅 Koblenz Hbf から西へ向かう。ライン川の主要支流モーゼル川 Mosel に沿って、古都トリーア Trier まで長さ112kmの路線だ。

19世紀後半の帝国時代、首都ベルリンと、普仏戦争で獲得したアルザス=ロレーヌ(ドイツ語でエルザス=ロートリンゲン Elsaß-Lothringen)とをつなぐ長距離戦略路線、いわゆる「大砲鉄道 Kanonenbahn(下注)」の一部として建設された。しかし今は地域輸送とともに、ザールラント Saarland やルクセンブルク Luxembourg へ行く中距離列車(RE)のための亜幹線の地位に落ち着いている。

*注 大砲鉄道の詳細は「ドイツ 大砲鉄道 I-幻の東西幹線」「同 II-ルートを追って 前編」「同 III-後編」参照。

ライン左岸・右岸線とは異なり、風光明媚な川沿いの区間は前半区間の約60kmに限られる。具体的にはブライ Bullay の3km先、ライラーハルストンネル Reilerhalstunnel の手前までだ。その後は蛇行する川から離れ、平たい盆地の中を直進していく。

起点のコブレンツを出て最初の橋で川の左岸(北側)に移ると、しばらく川沿いをおとなしく遡る。コッヘム Cochem からブライの前後がハイライトだ。まず、長さ4205mと、高速線以外ではドイツ最長の皇帝ヴィルヘルムトンネル Kaiser-Wilhelm-Tunnel を抜ける。モーゼルワインのブドウ畑を眺めた後は、アルフ=ブライ二層橋 Doppelstockbrücke Alf-Bullay、ピュンダリッヒ斜面高架橋 Pündericher Hangviadukt と、土木工学上の名所を渡っていく。

*注 モーゼル線の詳細は「モーゼル渓谷を遡る鉄道 I」「同 II」参照。

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アルフ=ブライ二層橋(2015年)
Photo by Henk Monster at wikimedia. License: CC BY 3.0
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ピュンダリッヒ斜面高架橋(2020年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、私設の鉄道博物館に着目してみよう。構内施設や車両コレクションの充実にとどまらず、館外に保存運行用の独自ルートを確保しているところが共通点だ。

項番9 ボーフム鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum

ルール地方 Ruhrgebiet で有名なのは、ボーフム Bochum 市南西部のルール川沿いにあるボーフム鉄道博物館だろう。1969年に閉鎖されたルールタール鉄道 Ruhrtalbahn の鉄道車両基地を愛好家団体、ドイツ鉄道史協会 Deutsche Gesellschaft für Eisenbahngeschichte e. V. がそのまま引き継いで、1977年に開館した。地区の名からボーフム・ダールハウゼン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Bochum-Dahlhausen とも呼ばれ、私設ではドイツ最大と言われる。

施設の中核になっている扇形機関庫は14線収容の大型で、その後ろにそびえるワイングラスのような給水塔も目を引く。2棟ある車庫兼展示ホールと併せて、公開日には多くの訪問者で賑わう。

保存運行は、ルールタール鉄道の線路を使って行われている。鉄道博物館を出発して、ルール川をさかのぼり、ヴェンゲルン・オスト(東駅) Wengern Ost までの23.4kmだ。ルールタール鉄道は、沿線の鉱山で採掘される石炭を搬出する目的で造られたが、現在は、一部区間がSバーンのルートに利用されている以外、休業ないし廃線状態で、通しで走るのはこの保存列車が唯一だ。

運行日はシーズン中の月3回設定され、蒸気列車の日とレールバスの日がある。距離が長いので、片道でも80~90分と乗りごたえも十分だ。ルール地方は言わずと知れたドイツの主要工業地帯だが、川沿いは緑にあふれ、のびやかな車窓風景が続いている。

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ボーフムの扇形機関庫に揃う蒸機群(2010年)
Photo by Hans-Henning Pietsch at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番26 ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Darmstadt-Kranichstein

ダルムシュタット Darmstadt は19世紀、ヘッセン大公国の首都だったという歴史を持つ古都だ。その北東郊に、ダルムシュタット・クラーニッヒシュタイン鉄道博物館「鉄道世界」Eisenbahnmuseum Bahnwelt Darmstadt-Kranichstein がある。

ここも大規模な標準軌車両博物館の一つで、旧ライン=マイン鉄道 Rhein-Main-Bahn(下注)の運行拠点だった車両基地の跡地を利用して、同名の愛好家団体が1976年に開設した。扇形機関庫を中心とした施設に、10両以上の本線用蒸機を含む車両コレクションが揃っている。

*注 マインツ Mainz~ダルムシュタット Darmstadt~アシャッフェンブルク Aschaffenburg 間を結んだ鉄道。現RB75系統のルート。

この団体はまた、路面軌道車両の保存にも携わっていて、それが同じクラーニッヒシュタインにある市電ターミナルの車庫に収容されていた。この路面軌道部門の名物が、路面用小型蒸機「火を吐くエリーアス Feuriger Elias」の公開運行だ。

*注 「火を吐くエリーアス」は蒸気機関車の一般的なあだ名。旧約聖書で、エリヤ(エリーアス)が火を噴く馬車とともに天に昇っていったことから。

その後、この車庫が使えなくなったため、蒸機は現在、ダルムシュタット南郊のエーバーシュタット Eberstadt にある市電車庫に保管されている。公開運行は今年(2024年)の場合、5月の日曜祝日にエーバーシュタットから市電6、8系統のルートで、終点アルスバッハ Alsbach まで往復した。主に道端軌道だが、途中のゼーハイム Seeheim に狭い街路の併用区間がある。また、9月にはダルムシュタットの市街地でイベントが開催される。こちらは、シュロス(城内)Schloß と呼ばれる中心街を蒸気列車が走行する。

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シュロスの路面軌道を行く「火を吐くエリーアス」(2009年)
Photo by Tobias Geyer at wikimedia. License: CC BY
 

項番23 フランクフルト簡易軌道博物館 Frankfurter Feldbahnmuseum

フランスのドコーヴィル Decauville 社に代表される600mm軌間の「フェルトバーン(簡易軌道)Feldbahn」は、軽量で運搬、敷設、撤去が容易なことから、産業用、軍事用として世界に普及した。ドイツでも、オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel (O&K) を筆頭に、ユング Arnold Jung、ヘンシェル Henschel & Sohn など多数の会社が製造を手掛けて広まった。

フランクフルト・アム・マイン市内西部のボッケンハイム Bockenheim に拠点を置くフランクフルト簡易軌道博物館は、これらの狭軌車両を収集・保存している鉄道博物館だ。現在地での開館は1987年。コレクションはすでに、蒸気機関車20両(うち13両が運行可能)、ディーゼル機関車34両を含め70両以上の機関車と約200両の客貨車にも及び、この軌間ではドイツ最大だ。収容するための車庫も今や3棟目が建っている。

博物館自体は毎月第1金曜・土曜に公開されるが、列車の運行は月1回程度だ。走行軌道の総延長は約1.5kmで、博物館の北側に広がるレープシュトック公園 Rebstockpark の園内をT字状に延びている。T字の縦棒の足もとが博物館で、列車はそこから出て、見通しのいい芝生の上に敷かれたT字の横棒に移り、両端で折返しのための機回しをして、また博物館に戻ってくる。

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簡易軌道博物館の公開日(2018年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いては、標準軌の蒸気保存鉄道について

項番18 ヘッセンクーリエ Hessencourrier

ヘッセン Hessen の速達便を意味するヘッセンクーリエは、1972年に運行を開始したヘッセン州最初の保存鉄道だ。カッセル Kassel の鉄道の玄関口、カッセル・ヴィルヘルムスヘーエ Kassel-Wilhelmshöhe 駅の南端にある保存鉄道の車庫から、蒸気列車が出発する。

ルートになっているナウムブルク線 Naumburger Bahn は延長33.4kmのローカル線で、旅客輸送は1977年に廃止され、貨物輸送も一部区間を除いてもう行われていない。終点はナウムブルク Naumburg (Hessen) という、ハーフティンバーの家並みが連なる田舎町だ。

片道90~95分の長旅だが、途中の見どころは大きく二つある。

一つは、市内トラムとの共存区間だ。フォルクスワーゲンの工場の前でカッセル市電の線路が右から合流してくる。そこからグローセンリッテ駅 Bahnhof Großenritte までの3.3kmの間は、トラムも同じ線路を走ることになる。軌間は同じ標準軌だが、車両限界が大きく異なるため、途中の停留所には、ホームの張出しや4線軌条などさまざまな工夫が施されている。蒸気列車はそこを、制限20km/hでそろそろと通過していく(下注)。

*注 詳細は「ナウムブルク鉄道-トラムと保存蒸機の共存」参照。

二つ目は、市電乗入れ区間が終わった後に控えている急坂だ。最大28.6‰の勾配で、郊外の山裾をくねくねと巻きながら上っている。蒸機にとってはまさに山場で、力強い推進音が車内にも聞こえてくる。標高403m、峠の駅ホーフ Hof まで上りきれば、残りは丘陵地帯を縫う穏やかなルートになる。

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終点ナウムブルク駅舎(2015年)
Photo by Feuermond16 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番35 カッコウ鉄道 Kuckucksbähnel

ヘッセン州南西部のプフェルツァーヴァルト(プファルツの森)Pfälzerwald に、カッコウが鳴くのどかな谷間を行く蒸気列車がある。まだ一般運行だった時代から、地元の人は親しみを込めて「クックックスベーネル(カッコウ鉄道)Kuckucksbähnel」 と呼んできた。

鉄道の起点は、マンハイム Mannheim とザールブリュッケン Saarbrücken を結ぶDB幹線の途中駅ランブレヒト Lambrecht (Pfalz)。ここからシュパイアーバッハ川 Speyerbach に沿ってエルムシュタイン Elmstein という小さな町まで、線路は13.0km延びている。曲がりくねる谷をトンネル無しでさかのぼるため、反転カーブが連続するローカル線だ。

列車は、近くの町ノイシュタット Neustadt にある鉄道博物館(下注)で仕立てられている。上述したボーフムと同じく、ドイツ鉄道史協会が運営している旧 車両基地だ。そのため、1日2往復のうち、第1便の往路はノイシュタット中央駅発、第2便の復路は同駅着になっている。ノイシュタットとランブレヒトの間はDB線に乗入れ、架線下を走る。

*注 ノイシュタットの地名は全国各地にあるので、正式にはノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ Neustadt an der Weinstraße(ワイン街道沿いのノイシュタットの意)という。したがって博物館名も、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセ鉄道博物館 Eisenbahnmuseum Neustadt/Wstr.。

ノイシュタットは、赤ワインの産地をつないでいるドイツワイン街道 Deutsche Weinstraße の中心都市だ。カッコウ鉄道の蒸気保存列車は、町を訪れる観光客にとってアトラクションの有力な選択肢になっている。

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カッコウ鉄道の蒸気列車
エルフェンシュタイン Erfenstein 停留所にて(2010年)
Photo by Fischer.H at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番22 フランクフルト歴史鉄道 Historische Eisenbahn Frankfurt

フランクフルト・アム・マイン Frankfurt am Main は、ヨーロッパの金融の中心地だ。マイン川のほとりに、2014年に完成した欧州中央銀行 Europäische Zentralbank のスタイリッシュな高層ビルがそびえている。その建物と川岸との間にある公園に、年数回、古典蒸機や赤いレールバスによる観光列車が現れる。

1978年に設立されたフランクフルト歴史鉄道協会 Historische Eisenbahn Frankfurt e.V. が実施しているこの保存運行は、マイン川沿いに残されたフランクフルト港湾鉄道 Hafenbahn Frankfurt と呼ばれる単線の線路が舞台だ。本来は貨物線なのだが、中心部では路面軌道や道端軌道、さらには公園の芝生軌道にも変身し、都市景観にすっかり溶け込んでいる。

列車の起終点は、旧市街レーマー広場 Römer に近い歩行者専用橋アイゼルナー・シュテーク Eiserner Steg のたもとだ。走行ルートは2方向で、東港コースは、ここから東進してマインクーア Mainkur の信号所まで(下注)、また西港コースは西進してグリースハイム Griesheim の貨物駅まで、それぞれ行って折り返してくる。

*注 東港コースでは、欧州中央銀行ビルの完成に合わせて停留所が新設され、乗降ができるようになった。

協会関連ではもう一つ、鉄道ファンが楽しみにしている年中行事がある。ペンテコステ(聖霊降臨日)に催されるケーニヒシュタイン・イム・タウヌスの駅祭り Bahnhofsfest Königstein im Taunus だ。

フランクフルトの鉄道愛好家団体がこぞって参加する祭りで、港湾鉄道ではゆっくりとしか走れない蒸機が、この日ばかりは「出力全開でタウヌスへ Mit Volldampf in den Taunus」をモットーに、フランクフルト・ヘーヒスト Frankfurt-Höchst から会場の駅まで、ケーニヒシュタイン線 Königsteiner Bahn の上り坂を数往復する。

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EZB(欧州中央銀行)停留所のレールバス(2015年)
Photo by Urmelbeauftragter at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ケーニヒシュタイン駅祭り(2007年)
Photo by EvaK at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

メーターゲージ(1000mm軌間)の蒸気保存鉄道もいくつかある。

項番17 ゼルフカント鉄道 Selfkantbahn

ゼルフカント鉄道は、ドイツ最西端、オランダ国境間近のゼルフカント Selfkant 地方で、1971年から50年以上の歴史をもつ老舗の保存鉄道だ。走っているルートはもとガイレンキルヘン郡鉄道 Geilenkirchener Kreisbahn といい、標準軌線から離れたこの地域の小さな町を縫いながら、オランダ国境まで延びていた延長37.7kmの軽便線だった。

衰退する軽便線の例にもれず、ここも1950年代から段階的に廃止されていくが、1973年に全廃となる前に、鉄道愛好家たちが一部区間を借りて保存運行を始めた。これが現在のゼルフカント鉄道の起源になる。現在のルートは5.5kmと、全盛時に比べればささやかな規模だが、田舎軽便の面影を色濃く残していて、貴重な存在だ。

起点のシーアヴァルデンラート Schierwaldenrath はのどかな村で、車両基地を兼ねた駅構内が不釣り合いなほど大きく見える。蒸気列車はここから東へ走る。一面の畑と疎林を縫い、いくつかの集落と停留所を経ながら、およそ25分で終点のギルラート Gillrath に到着する。かつて線路はDB線のガイレンキルヘン Geilenkirchen 駅まで続いていたが、すでに撤去され、跡地は小道になっている。

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シーアヴァルデンラート駅
20号機ハスペ Haspe と101号機シュヴァールツァッハ Schwarzach(2012年)
Photo by Alupus at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番30 ブロールタール鉄道「火山急行」Brohltalbahn "Vulkan-Expreß"

「ヴルカーン・エクスプレス(火山急行)Vulkan-Expreß」は、細々とした貨物輸送で存続していたブロールタール鉄道を活性化するために、地元の肝いりで1977年に走り始めた保存観光列車だ。ライン左岸の町ブロール Brohl を起点に、背後のアイフェル高原に向かう。ふだんはディーゼル牽引だが、週末には蒸機も登場する。

アイフェル高原には、小火山やマール、カルデラ湖といった火山地形が点在していて、一部は車窓からも見える。列車の愛称は、スイスの有名な「氷河急行」を連想させ、それとの対比で列車の特色をアピールするものだ。DBの主要幹線(ライン左岸線)に接するという地の利もあって、列車は確実に人気を得てきた。今もシーズン中は、月曜を除きほぼ無休という、保存鉄道には珍しく密な運行体制がとられている。

17.5kmのルートは、高原に源をもつ支流ブロールバッハ川 Brohlbach に沿って続く。しばらくは谷の中で、周囲が開けてくるのは、連邦道A61 の高架をくぐったニーダーツィッセン Niederzissen あたりからだ。サミットのエンゲルン Engeln に至る最終区間には、50‰の急勾配があり、かつてはラックレールが敷かれていた。

これとは別に、鉄道には港線 Hafenstrecke という、ブロール駅からラインの河港に通じる2.0kmの短い支線もある。こちらは現在、毎週木曜に、ライン川クルーズ船とのタイアップで列車が1往復している。

*注 鉄道の詳細は「火山急行(ブロールタール鉄道) I」「同 II」参照。

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DB線をまたぐ港線の高架橋(2010年)
Photo by tramfan239 at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

最後に特殊鉄道を2か所挙げておこう。

項番16 ドラッヘンフェルス鉄道 Drachenfelsbahn

ライン川を河口から遡っていくときに、右岸で最初に目に入る山がドラッヘンフェルス Drachenfels だと言われる。山名は、竜(ドラゴン)の岩山を意味する。標高321mとそれほど高くはないが、ライン渓谷の下流側の入口に位置していて、恰好の展望台だ。

1883年、リッゲンバッハ式ラックレールを用いた鉄道が、河畔の町ケーニヒスヴィンター Königswinter から山頂へ向けて建設された。延長1.5km、高度差220mを最大200‰の勾配で上る。スイスのリギ鉄道の全通から10年、ドイツで旅客用として初めて導入されたラック鉄道だった。

現在使われている車両は、全5両のうち4両が1955~60年製だ。車齢から見ればもはや古典機だが、モスグリーンの車体はよく磨かれ、艶光りしている。

鉄道には列車交換ができる中間駅がある。駅名のシュロス・ドラッヘンブルク(ドラッヘンブルク城)Schloss Drachenburg は、付近にある尖塔つきの立派な城館のことだが、実は、鉄道の開通に合わせて実業家の貴族が建てた邸宅だ。12世紀の「本物」の古城は、終点駅から小道を少し登った山頂に、廃墟となって残っている。

*注 鉄道の詳細は「ドラッヘンフェルス鉄道-ライン河畔の登山電車」参照。

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山頂駅に向かうラック電車(2021年)
© Superbass / CC-BY-SA-4.0 (via Wikimedia Commons)
 

項番11 ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn

川の上を走る懸垂式モノレール、ヴッパータール空中鉄道 Wuppertaler Schwebebahn(下注)は、ルール地方の南に接する産業都市ヴッパータール Wuppertal のシンボル的存在だ。開業は1901~03年で、世界最古のモノレールとされる。

*注 原語の Schwebe は、英語の float に相当し、宙に浮いていることを意味する(吊り下がるという意味はない)。日本語訳の「空中鉄道」は、原語のニュアンスを汲んでいる。

実は、ヴッパータール市の歴史はそれより新しい。ヴッパー川の谷(ヴッパータール)Wuppertal にある3つの町が、南の丘陵上にある2つの町とともに1929年に合併して誕生した。市の中心軸はヴッパー川であり、それに沿うこの鉄道も、地域をまとめる役割の一端を担ったのかもしれない。

フォーヴィンケル Vohwinkel~オーバーバルメン Oberbarmen 間13.3kmのうち、起点側のざっと1/4は道路の上空で、残り3/4が川の上空を通っている。用地確保が難しい市街地を避けた結果だが、流れをまたぐ鉄骨の支柱と蛇行する高架軌道という大掛かりな構造物から、「鋼鉄のドラゴン Stahlharte Drache」のあだ名が生まれた。

モノレールは、平日日中3分おき、日曜祝日でも6分おきという高頻度で走っている。待たずに乗れる便利な移動手段だ。全線の所要時間は約25分。車両は片方向にしか走れないので、終点ではコンパクトな転回ループを通って折り返す。

ちなみに、懸垂式では長い間世界最長の路線でもあったが、1999年に千葉都市モノレールが全線開業して、首位を譲った。

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ヴッパー川の上空を行くモノレール
ファレスベッカー・シュトラーセ Varresbecker Straße 停留所付近(2016年)
Photo by Joinsi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ南部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年8月20日 (火)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II

前回に引き続き、ドイツ東部の保存鉄道・観光鉄道から主なものを紹介する。

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フィヒテルベルク鉄道の蒸気列車
ハンマーヴィーゼンタール駅にて(2013年)
Photo by simon tunstall at wikimedia. License: CC BY 3.0
 

ドイツ「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanye.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ東部」画面

東部の南端に位置するザクセン州は、エルツ山地 Erzgebirge やザクセン・スイス Sächsische Schweiz といった人気のあるレクリエーション適地を擁している。鉄道の見どころにも事欠かず、前回言及したように、東ドイツ時代に選定された保存すべき狭軌鉄道のうち、4本がこの州域にあり、750mm軌間の蒸気運行を続けている。まずはそれから見ていこう。

項番26 ツィッタウ狭軌鉄道 Zittauer Schmalspurbahn

ザクセン南東端の町ツィッタウ Zittau は、チェコやポーランドと接する国境都市だ。そのDB(ドイツ鉄道)駅前から、ツィッタウ狭軌鉄道が出ている。1890年の開業で、本線格のツィッタウ~クーアオルト・オイビーン Kurort Oybin(下注)間12.2kmと、クーアオルト・ヨンスドルフ Kurort Jonsdorf へ行く支線3.8km。列車の行先はいずれも、町の南方、ツィッタウ山地 Zittauer Gebirge に古くからある行楽地だ。

*注 地名の前につくクーアオルト Kurort は湯治場、療養地を意味する。

起点駅を出ると、列車はツィッタウ市街地の東の外縁を半周して、山へ向かう。集落と牧草地が交錯する郊外風景のなかを進み、分岐駅ベルツドルフ Bertsdorf へ。列車ダイヤはこの駅を中心に3方向から集合し離散する形になっていて、乗換えを厭わなければ、どの方向にも1時間ごとに便がある。

ベルツドルフでの楽しみは、2方向同時発車 Parallelausfahrt だ。オイビーン行きとヨンスドルフ行きがタイミングを合わせて出発し、カメラを構えたファンが待つ構内の先端で、二手に分かれていく。ここから終点までは30‰の急勾配のある胸突き八丁で、強力な5軸機関車99 73-76形が、持てるパワーを発揮する舞台になる。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道」参照。

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集合離散ダイヤの中心、ベルツドルフ駅(2012年)
Photo by Dan Kollmann at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 レースニッツグルント鉄道 Lößnitzgrundbahn

レースニッツグルント鉄道は、ドレスデン北郊の、森や牧草地や水辺が点在する田園風景を走り抜けていく狭軌鉄道だ。Sバーン(S1系統)の駅に接続するラーデボイル・オスト Radebeul Ost から終点ラーデブルク Radeburg まで16.5km。大都市に近く、かつ沿線にワインの里レースニッツ Lößnitz や美しい離宮モーリッツブルク城 Schloss Moritzburgといった有数の観光地があることから、人気が高い。

鉄道の名称は、1998年にDB(ドイツ鉄道)が商用に付けたものだ。地元では、昔からレースニッツダッケル Lößnitzdackel、略してダッケル Dackel と呼んでいた。ダッケルは、ドイツ原産のダックスフントのことで、ずんぐりした形の客車と、のろのろ走る列車をそれに見立てたようだ。

列車は1日5往復、そのうち3本が終点まで行かず、中間駅のモーリッツブルクで折り返す。城を目指す客がここで降りてしまうからだ(下注1)。加えて、市内トラムとの平面交差、丘陵を刻む雑木林の谷間、ディッペルスドルフ池 Dippelsdorfer Teich を横断する築堤など、車窓風景のハイライトもこの前半区間に集中している。後半は、車内の客もめっきり減って、列車は牧草地の中を淡々と走っていく。

*注1 ちなみに、ドレスデン市内からモーリッツブルクへは路線バスが頻発していて、直接、城の前まで行ける。
*注2 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-レースニッツグルント鉄道」参照。

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モーリッツブルク駅での新旧そろい踏み
IV K形と99.78形(2019年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番33 ヴァイセリッツタール鉄道 Weißeritztalbahn

ドレスデンの南郊でも蒸気列車が走る。ヴァイセリッツタールとは、鉄道が沿っていくローテ・ヴァイセリッツ川 Rote Weißeritz の谷のことだ。Sバーン(S3系統)の駅に隣接するフライタール・ハインスベルク Freital-Hainsberg からクーアオルト・キプスドルフ Kurort Kipsdorf まで26.3km。現存するザクセンの狭軌鉄道では最長で、かつ1882~83年の開通と、最古の歴史を誇る。

車窓の見どころの一つが、起点を出てまもなく入るラーベナウアー・グルント Rabenauer Grund の渓谷だ。線路は谷底を這うように進むが、岩がむき出しの曲がりくねった谷にもかかわらず、トンネルは一つもない。その代わり、川を横切る橋梁は実に13本。そしてそれが仇となり、2002年8月の豪雨では、線路や橋梁の流失など壊滅的な被害をこうむった。鉄道は長期にわたり運休となり、全線が再開されたのは2017年6月、災害発生から実に15年後のことだった。

渓谷を抜け出ると、列車は川を堰き止めたマルター・ダム Talsperre Malter の高さまで上り、穏やかな湖面を眺めながら走る。中間の主要駅ディポルディスヴァルデ Dippoldiswalde から先は、再び谷が深まっていく。終点まで90分近くかかる長旅だ。近距離鉄道旅客輸送 SPNV の路線なので通年運行しているものの、こちらも全線を通して走る列車は2往復とごく少ない。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-ヴァイセリッツタール鉄道」参照。

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ラーベナウアー・グルントを遡る(2021年)
Photo by MOs810 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番41 フィヒテルベルク鉄道 Fichtelbergbahn

標高1215mのフィヒテルベルク山 Fichtelberg は、ドイツ領エルツ山地の最高地点(下注)だ。一帯は降雪量が多く、山腹にウィンタースポーツのゲレンデが広がっている。山麓の町クーアオルト・オーバーヴィーゼンタール Kurort Oberwiesenthal には、休暇を楽しむ人々が全国各地から集まってくる。

*注 エルツ山地全体では、チェコ側にある標高1244mのクリーノベツ山 Klínovec(ドイツ名 カイルベルク Keilberg)が最高峰。

1897年に開通したこの蒸気鉄道も、その旅客輸送を主目的にしていた。ケムニッツ Chemnitz から延びる標準軌線の客をクランツァール  Cranzahl で受けて、オーバーヴィーゼンタールまで17.3km。遠隔地のローカル線だが、冬場の需要も手堅いところが、保存すべき狭軌鉄道に選ばれた理由だろう。

峠を一つ越えるため、とりわけルートの前半で最大37.0‰という険しい勾配が連続する。99 73-76形の後継として1950年代に製造された99.77-79形蒸機が、この急坂に挑む。

運行に当たるザクセン蒸気鉄道会社 Sächsische Dampfeisenbahngesellschaft (SDG) はその実績を買われて、2004年からレースニッツグルント鉄道とヴァイセリッツタール鉄道の運行も請け負うようになった。オーバーヴィーゼンタール駅には新しい整備工場が建設され、3本の狭軌線を走る機関車の全般検査は、ここで集中的に実施されている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-フィヒテルベルク鉄道」参照。

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ヒュッテンバッハタール高架橋(2019年)
Photo by Kora27 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番34 デルニッツ鉄道「ヴィルダー・ローベルト」Döllnitzbahn "Wilder Robert"

保存すべき7線には含まれなかったが、東ドイツ時代を生き延び、今も稼働している狭軌鉄道がある。ライプツィヒ Leipzig とドレスデン  Dresden を結ぶ標準軌幹線の途中駅オーシャッツ Oschatz から出ているデルニッツ鉄道 Döllnitzbahn だ。支線を含め18.6kmの路線で、蒸機についたあだ名が「ヴィルダー・ローベルト(荒くれローベルト)Wilder Robert」。

これは、ミューゲルン Mügeln の町を中心とする狭軌路線網のうち、沿線で採掘されたカオリン(白陶土)を運搬するために残されたルートだ。旅客輸送は早くに廃止されたが、貨物輸送は2001年まで行われていた。その間に、愛好家団体がここで蒸気機関車を走らせ始め、一定時間帯に集中する通学輸送をバスから列車に移す試みがそれに続いた。これによって、狭軌鉄道は息を吹き返したのだ。

以来、平日はディーゼル牽引で通学輸送、休日はディーゼルか蒸機による観光輸送という目的特化型の運用が実施されている。使われている蒸機は、1910年前後に製造された関節式機関車のザクセンIV K形(DR 99.51~60形)。他線で走っている5軸機より一世代前の主力機で、常時見られるのはこの路線だけだ。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-デルニッツ鉄道」参照。

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ミューゲルン駅構内(2015年)
Photo by Bybbisch94-Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次は、トラムが走る郊外路線について。

項番28 キルニッチュタール鉄道 Kirnitzschtalbahn

ドレスデン南東の、屹立する断崖奇岩で知られる観光地ザクセン・スイス Sächsische Schweiz の一角に、メーターゲージの路面軌道がある。幹線網には接続しない孤立路線で、起点の町を出た後は、ずっと深い谷の中。まとまった集落も見当たらず、どうしてここに鉄道が?、と首をかしげたくなるような路線だ。

キルニッチュタール鉄道は、観光拠点バート・シャンダウ Bad Schandau からリヒテンハイナー・ヴァッサーファル (リヒテンハイン滝)Lichtenhainer Wasserfall に至る。名のとおりキルニッチュ川 Kirnitzsch の流れる谷に沿っていて、7.9kmのほぼ全線が道路の片側に敷かれた併用軌道だ。運用車両の主力はゴータカー Gothawagen で、前回紹介したヴォルタースドルフ路面軌道(項番9、下注)と並ぶゴータカーの王国になっている。

*注 ただしヴォルタースドルフは、新型低床車に置き換わりつつある。

終点のリヒテンハイン滝は19世紀前半に造られた人工滝だ。上流に堰を造って水を溜めておき、音楽に合わせて堰を開け、滝口から水を一気に流す。聞けばたわいのない仕掛けだが、昔はたいそう評判だった。ところが、2021年の大雨で導水路が壊れ、貯水池も泥で埋まって、ショーができなくなってしまった。路面軌道には大ピンチのはずだが、ザクセン・スイスのハイキング客がいるおかげで、なんとかいつもどおり動いている。

*注 鉄道の詳細は「ザクセンの狭軌鉄道-キルニッチュタール鉄道」参照。

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谷底の併用軌道を行く(2017年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番50 テューリンガーヴァルト鉄道 Thüringerwaldbahn

ゴータ市電は、1~3系統が市内で完結するのに対して、4系統「テューリンガーヴァルト鉄道(下注)」は市内から郊外に出ていく長距離路線だ。ゴータ中央駅 Gotha Hauptbahnhof から、テューリンガーヴァルト Thüringerwald と呼ばれる山地の北麓、バート・タバルツ Bad Tabarz まで、麦畑を貫き、小山を越えて22.7km。全線乗ると1時間近くかかる。

*注 地元ではヴァルトバーン Waldbahn(森の鉄道の意)と呼ばれる。

市内トラムがこうして離れた町や村を結ぶのは、ドイツで郊外路面軌道 Überlandstraßenbahn と呼ばれて、各地に見られた。しかし、1950年代以降、大部分がバス転換されてしまい、今も定期運行しているのは、前回挙げたベルリン東郊の路線など数えるほどしかない。

ゴータは、かつて一世を風靡したゴータカーのお膝元だが、主力車両はすでに、タトラやデュワグ(デュヴァーク)製などに世代交代している。郊外区間は停留所間距離が長く、市内とは「人」が変わったように、最高時速65kmですっ飛ばしていくのが小気味よい。

テューリンガーヴァルト鉄道には、ヴァルタースハウゼン Waltershausen へ行く2.4kmの支線がある。もとは4系統が二手に分かれる運用だったが、2007年から系統分離されて6系統と呼ばれるようになった。線内折返し運転のために、この区間だけ両運転台の改造車が走っている。

*注 鉄道の詳細は「テューリンガーヴァルト鉄道 II-森のトラムに乗る」参照。

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バート・タバルツに向かうタトラカー(2017年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

続いて、変わり種を二つ。

項番47 テューリンゲン登山鉄道 Thüringer Bergbahn

一つは、テューリンガーヴァルトの東端にある登山電車だ。2020年までオーバーヴァイスバッハ登山鉄道 Oberweißbacher Bergbahn と呼ばれていたこのルートは、延長1.3kmの索道線(ケーブル線)Standseilbahn と、山上を行く同2.6kmの平坦線 Flachstrecke で構成される。山麓にはDBの非電化ローカル線が来ているので、山麓と山上を走る普通列車の間をケーブルカーでつなぐ形になる。

ユニークなのは、この三者間で車両をリレーする仕掛けがあることだ。すなわち、索道線ではふつう、階段型車両が交互に上下するが、ここでは片方が、車両を載せる貨物台車 Güterbühne になっている。かつてはこれで貨車を直通させていたし、今も検査や修理が必要な山上平坦線の車両の上げ下ろしに使われている。

この設備のおかげで、観光鉄道としても好評だ。シーズン中、天気が悪くなければ、貨物台車にオープン客車、いわゆるカブリオ Cabrio が設置される(下の写真参照)。台車より車長があるため、端部が勾配路にかなり突き出し、眺めは上々だ。悪天候時や冬場は、専用のクローズド車両が代わりを務める。

一方、山上平坦線の電車は通常2両編成で走っている。同線オリジナルの小型車両だが、ベルリンの車両整備工場で改造を受けているため、ベルリンSバーンの旧車によく似た風貌が特徴だ。

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(左)鋼索鉄道を上る階段型客車
(右)カブリオを載せた貨物台車
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(左)山上平坦線の電車
(右)右は台車積載用の閉鎖型客車
4枚とも海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供、2023年6月撮影
 

項番35 デーベルン馬車軌道 Döbelner Pferdebahn

ザクセン州中部の都市デーベルン Döbeln では、シーズンの毎月1回、馬がトラムを牽いて市内を巡るのが恒例行事になっている。

デーベルンの市街地は鉄道駅から2km近く離れていて、1892年にこの間を結ぶ馬車軌道が開業した。他都市ではこうした馬車軌道は短命で、まもなく蒸気や電気動力に置き換えられたが、この町ではその機運が生じなかった。1926年まで運行が続けられた後、軌道は放棄され、路線バスに転換されてしまった。しかし、最後まで馬車軌道のままだったことから、2002年に愛好家団体がその復活を目標に活動を始めた。そして2007年から、再び街路に馬の蹄の音が響くようになったのだ。

旧ルートとは異なり、起点は旧市街の南にある馬車軌道博物館で、そこから中心部のオーバーマルクト Obermarkt まで750mの区間を往復する。ドイツでは、北海に浮かぶシュピーカーオーク島 Spiekeroog(→北部編14)とここでしか見られない貴重な光景だ。

デーベルンの場合、稼働可能なトラムは1両のみ。馬も生身なので、悪天候や高温が予想される場合は、運行中止になる。せっかく出かけていっても空振りの可能性があるということを気に留めておきたい。

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馬車軌道再開の日(2007年)
Photo by Bybbisch94, Christian Gebhardt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は標準軌の景勝路線だ。

項番31 エルプタール(エルベ谷)線 Elbtalbahn

ドレスデンとチェコのプラハを結ぶ電化幹線は、終始エルベ川 Elbe(チェコではラべ川 Labe)とその支流に沿っていく風光明媚なルートとして知られる。ドイツ領内では、エルベの谷の鉄道を意味するエルプタール線 Elbtalbahn と呼ばれ、国際列車とともにSバーンS1系統の電車が走っている。

ドレスデンから乗ると、車窓の見どころは、谷が狭まるピルナ Pirna 以降だ。車内がすいてくる頃合いなので、進行方向左側に席を移したい。二つ目の駅シュタット・ヴェーレン Stadt Wehlen を出た後、対岸に、バスタイ Bastei の奇岩とそこに渡された有名な石造橋が見えてくる。ラーテン Rathen からゆっくり右に回っていくと、今度は上流側の山上にそびえるケーニヒシュタインの要塞 Festung Königstein が目に入る。

Sバーン電車の2本に1本は、バート・シャンダウ Bad Schandau が終点だ。ザクセン・スイス国立公園 Nationalpark Sächsische Schweiz の拠点で、対岸の市街地へはバスがあるが、エルベ川の渡船で向かうのも一興だ。鉄道ファンならキルニッチュタール鉄道(項番28)のトラムが待っているし、バート・シャンダウ駅からは国立公園線 Nationalparkbahn の国際ローカル列車でさらに奥へと足を延ばすこともできる。

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Sバーンの終点シェーナ Schöna 駅
対岸のチェコ領へ行く渡船が待つ(2024年)
Photo by SchiDD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ドイツ西部の主な保存・観光鉄道について。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
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2024年7月13日 (土)

祖谷渓の特殊軌道 II-祖谷温泉ケーブルカー ほか

前回に引き続き、祖谷渓(いやだに)にある特殊軌道を訪ねる。

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図1 祖谷渓周辺の1:200,000地勢図
 橙色の枠は詳細図の範囲、図2は前回掲載
(右)1978(昭和53)年編集、(左上)1986(昭和61)年編集、(左下)1995(平成7)年要部修正

 

てんとう虫のモノライダー

レジャー向きということなら、より小規模なモノレールが、西祖谷の中心、一宇(いちう)の対岸にある「祖谷ふれあい公園」で稼働している。祖谷渓の入口に位置しているので、アクセスも比較的容易だ。

名づけて「てんとう虫のモノライダー」。低年齢層に的を絞った外観だが、奥祖谷のカブトムシで見慣れたのでもはや気にもならない。線路構造は奥祖谷と違い、平滑レールを欠いた簡易版で、みかん山の運搬用モノレールに近い。車体も小ぶりだ。一応、前後2人乗りというものの、またがり席で奥行きもなく、子どもと大人1人ずつがせいぜいだろう。全長430m、乗車時間は約8分。

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「てんとう虫」乗り場
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カップルなら狭さは問題なし
 

ルートは周回型で、山腹をひとしきり上った後、高台の公園で半回転し、反対側の谷斜面を降りていく。端的に言って遊園地の遊具だが、後半では祖谷渓一帯の眺望がきくし、下り急斜面にヘアピンカーブで乗り出すなど、ささやかながら見どころやスリルもあり、悪くなかった。

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(左)前半は山腹を上る
(右)後半はヘアピンカーブで急降下
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「てんとう虫」から見る祖谷渓、遠景は一宇の集落

祖谷温泉ケーブルカー

祖谷渓にはケーブルカーもある。谷筋に点在する温泉宿で、館外の露天風呂へ客を運んでいるのだ。

大歩危から行くと、祖谷大橋を渡った一宇(いちう)で左折する。集落を抜けた後、V字谷の中腹をくねくねと伝う危うい一本道をたどる。これは、祖谷トンネル開通以前(下注)の祖谷渓を貫くメインルートなのだが、5kmほど先の、いくつ目かの張り出し尾根を回るところに、目指す「ホテル祖谷温泉」が建っている。

*注 祖谷トンネルを含む大歩危~一宇間は、1974年に祖谷渓有料道路として開通したが、1998年に無料化され、現在は県道。

そこは前後数kmにわたって人家の途絶えた場所で、まさにポツンと秘境の一軒宿だ。そのうえ、名物の露天風呂ははるか崖下の祖谷川の河原で湧いているため、旅館の建物から谷底まで、転げ落ちるような急斜面を降りていかなければならず、その間を小型のケーブルカーが結んでいる。

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ホテル祖谷温泉
 

谷底の温泉へ行くケーブルカーといえば、箱根の対星館にあったものが有名だが、老朽化で2009年に嘉穂製作所のスロープカーに転換された後、旅館自体も休業してしまった。同種のものは王子の飛鳥山をはじめ全国各地で導入されているから、もはや珍しいものではない。対する祖谷渓のこれは1984年の開業で、今なおケーブルで車両を上下させている。現在のシステムは2004年に更新された3代目だという。

現地の案内板によれば、車両の諸元は全長9.15m、幅1.60m、高さ2.14mで、乗車定員は17名だ。線路は、上下駅間の距離が250m、標高差170m、レールの勾配はなんと約42度(900‰、下注)もある。鉄道事業法によるケーブルカーの最急勾配は、よく知られた高尾山の31度18分(608‰)だから、それをはるかに上回る。

*注 後述するように一定勾配のため、斜辺と高さの値が正確なら、計算上は42.84度、927.44‰になる。

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本館と谷底の露天風呂を結ぶケーブルカー
 

旅館内施設ではあるものの、宿泊客だけでなく日帰り客も利用できるというので、モノレールの帰りに立ち寄った。フロントで1700円の日帰り入浴料を払って、通路を奥へ進む。乗り場のドアを開けると屋根は架かっているものの屋外で、V字の谷が見晴らせる。下を覗くと、ちょうどナローゲージに似た馬面のキャビンが上ってくるところだった。

ケーブルカーのルートは直線で、勾配も一定、あたかもエレベーターを斜めに立てかけたようだ。線路が降下していく先に、祖谷川の白濁した流れもかいま見える。

降りる客と入れ替えに、キャビンに乗り込んだ。車内は通路左右に1人席が配置され、長手方向は、勾配に合わせて思い切り急な階段になっている。乗員はおらず、セルフサービスの運行方式だ。最後に乗り込む人が乗り場のドアを閉め、車両のドアも閉める。そして進行方向の窓下にある「上り」「下り」のボタンを押せば、動き出す。所要時間は片道約5分だ。

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(左)急階段の車内
(右)前面車窓は額縁に嵌った絵画のよう
 

下降し始めはちょっと怖い。かぶりつきから見る景色が文字どおり千尋の谷底で、傾斜の感覚は42度どころか、それをはるかに超えているからだ。しかし動きはゆっくりで、加速もしないからすぐに慣れる。行路が半ばを過ぎると、木々の間から河原の眺望が開けてきた。直下のデッキで休憩している先客たちの姿もだんだん大きくなる。涼しげな川の水音が耳に届いてきて、間もなく下の駅に到着した。

鉄道趣味はここまでにして、後は温泉巡りの喜びに浸りたい。河原に面した露天風呂は天然かけ流しのアルカリ泉で、ぬるめの湯なのでゆっくりつかれた。その後は川べりに設けられたテラスに出て、幽谷を抜けていく風に吹かれる。日帰りで慌ただしく訪ねたことを正直後悔した。

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谷底から仰ぐ急傾斜路
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露天風呂に隣接する祖谷川べりのテラス
 

再びケーブルカーで本館に戻ったときに、フロントの人と言葉を交わした。「いいお風呂でした。もとの目的はケーブルカーに乗ることだったんですが」と告白すると、相手も笑いながら「そうでしたか。では、かずら橋のホテルも行かれましたか? あちらは逆に山を上っています」。

下調べが粗くて見落としていたのだが、その「新祖谷温泉ホテルかずら橋」でも、同じように本館と露天風呂の間をケーブルカーが行き来しているらしい。ネットで検索すると、切妻屋根の下に障子、羽目板壁が施されたとてもユニークなキャビンだ。和室が坂を上り下りする珍景と評されている。

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ホテルかずら橋の和風ケーブルカー
Photo by ブルーノ・プラス at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

これは行っておかないと、とは思うが、この日もう1軒はしごするのは時間的に難しかった。残念だが、次来るときの楽しみにとっておこう。また日帰り入浴では勿体ないし… 自らにそう言い聞かせて、くつろぎの一軒宿を後にした。

というわけで、秘境祖谷渓の知られざる特殊鉄道を巡る旅は、私の中でまだ終わっていない。

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図3 祖谷温泉~かずら橋周辺の1:25,000地形図
 

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.17(2021年)に掲載した記事「祖谷渓の「鉄道」巡り」に加筆し、写真と地図を追加したものである。
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図徳島(昭和53年編集)、剣山(昭和53年編集)、岡山及丸亀(昭和61年編集)、高知(平成7年要部修正)および地理院地図(2024年6月15日取得)を使用したものである。

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2024年7月10日 (水)

祖谷渓の特殊軌道 I-奥祖谷観光周遊モノレール

ここで取り上げる奥祖谷観光周遊モノレールは、2022年4月以来、休業が続いている。乗りごたえのあるユニークな乗り物だったので、たいへん残念だ。早期の復活を祈りつつ、2018年10月に訪れたときのようすを振り返りたい。

比高1000mにも達する険しいV字の谷、崖際を心細げにたどる一本道、見上げるほどの高みに点々と張りつく集落…。徳島県西部に位置する祖谷渓(いやだに)は、広域合併で住所が三好(みよし)市になった(下注)というものの、今なお秘境と呼ぶにふさわしいエリアだ。

*注 祖谷渓のかつての行政単位は、三好郡西祖谷山村(にしいややまそん)および東祖谷山村(ひがしいややまそん)。2006年に、池田町ほか3町と合併して三好市となる。

周辺で鉄道路線と言えるのは、山一つ隔てた吉野川本流に沿って走るJR土讃線が唯一だ。ところが、モノレールやケーブルカーといった特殊鉄道なら祖谷渓の中にも複数存在し、一般客を乗せているという。いったいどんな路線なのか、2回に分けてレポートする。

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秘境祖谷渓
(掲載の写真はすべて2018年10月撮影)
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図1 祖谷渓周辺の1:200,000地勢図
 橙色の枠は詳細図の範囲、図3は次回掲載
(右)1978(昭和53)年編集、(左上)1986(昭和61)年編集、(左下)1995(平成7)年要部修正

 

奥祖谷観光周遊モノレール

阿波池田からレンタカーで国道32号線を南下した。大歩危(おおぼけ)で左折して、ヘアピンカーブの県道を上り詰め、長さ967mの祖谷トンネルを抜ければ、そこはもう山深き祖谷渓だ。整備された2車線道路はかずら橋の入口で終わり、その先は対向不能の狭隘区間が断続的に現れる難路になる。大歩危から延々1時間以上も走った後、菅生(すげおい)地区で脇道に折れ、向かいの山腹をさらに上っていく。こうしてようやく今日の宿「いやしの温泉郷」に着いた。

ちなみに公共交通機関で行く場合は、阿波池田または大歩危駅前から久保行きのバス(四国交通祖谷線)に乗る。終点で三好市営バスに乗り換えて、菅生で下車、そこから徒歩で25~30分というところだ。

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祖谷渓の玄関口、大歩危駅
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祖谷渓の一大名所、かずら橋
 

はるばるここまでやってきたのは、奥祖谷観光周遊モノレールが目的だ。2006年に開業したこのモノレールは、鉄道事業法や軌道法には拠らない純粋な観光施設だが、公園やテーマパークではなく、ふつうの山林の中を巡るという点がユニークで、かねがね乗ってみたいと思っていた。

乗り場は、宿のすぐ裏手にある。泊まった翌朝、早めにチェックアウトを済ませて、そちらへ向かった。運行開始は8時30分(下注)だが、今は連休中で宿泊客も多い。当日の予定運行数が完売したら、時間内でも受付を中止するという、案内パンフの不穏な警告文が気になっていたのだ。

*注 2018年の運行時間は4~9月が8:30~17:00、10~11月が8:30~16:30だった。なお水曜は運休、また12~3月は全面運休。

8時前に係の人たちが出勤してきて、乗り場のシャッターが開いた。予想に反してその時刻にいた客は、わがグループのほかに家族連れが1組だけ。遅れて何組かやってきたが、皆ゆっくり朝食を楽しんでいたらしい。車両は2人乗りだが、4分間隔で出発するから、この人数なら1時間程度でさばけるだろう。

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観光モノレール駅舎
 

出札窓口で大人2000円の乗車券を買い求めた。悪天候に備えて雨具やカイロも売っている。駅舎は車庫を兼ねていて、走行線に並行する数列の留置線に、車両が数珠つなぎに停めてあった。走行線へはトラバーサー(遷車台)で移動させるのだそうだ。

まず朝の試運転機が、無人で1台出発していった。次が私たち3名で、始発機と2番機に分乗する。車両は1人席が直列に2個並んでいる。前面にカブトムシの目と角がついた遊園地仕様なのが、ちょっと気恥しい。

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乗車券窓口
雨具や使い捨てカイロも売っていた
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(左)車両は遊園地仕様
(右)留置線と本線に移動させるためのトラバーサー
 

出発に先立って、備え付けのトランシーバーの使い方について講習を受けた。人里離れた森の奥では携帯電話が通じないので、これが唯一の連絡手段になる。続けていくつかの注意事項を聞いた。

「シートベルトは常に締めておいてください。急な下り坂では転落する恐れがあるので、足を踏ん張り、前面のバーをしっかり握ってください。

運行状況により、自動で走行と停止を繰り返すことがあります。もし前方に停車中の車両を発見したら、停止ボタンを押してください。立ち往生した時は連絡をもらえば係員が向かいますが、山道を歩いていくので時間がかかります。最大3時間は待ってもらいますので、乗車前に必ずトイレに行っておいてください…。」

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乗り場
 

使われているシステムは、モノレール工業という会社(下注)が開発した産業用モノレールだ。みかん山などで見かける運搬装置(単軌条運搬機)を機能強化したものに他ならない。駆動方式は、主レールに取り付けられた下向きの歯棹に、車体側の歯車を噛み合わせる、いわゆるラック式だ。そのため急勾配に強く、性能上45度の登坂が可能だという。さらに右側に並行する平滑レールで車両を安定させ、左側の給電レールからはモーターの動力を得ている。

*注 モノレール工業株式会社(愛媛県東温市)は2010年7月に破産し、現存しない。

走るルートは延長4.6kmの周回線で、一周するのに65分かかる。しかも、観光周遊というのどかな名称にもかかわらず、実態は登山鉄道で、起点と最高地点との標高差が590mもある。上昇100mにつき気温は0.6度下がるので、3.5度の気温差が生じている計算だ。その間ずっと乗りっぱなしだから、トイレに関する指示も当然のことだろう。

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(左)車体を安定させるための補助輪
(右)駆動輪は上と下からレールを挟む
 

8時43分、出発の時間になった。係の人に見送られて駅舎を出ると、ループを回って杉の植林地に入っていく。

下り線が左側に揃い、複線になってまもなく、交差する林道を乗り越えるために最初の急坂が待ち受けていた。のけぞるような勾配をぐいぐい上るので、早くもラック式の威力を実感する。可動式の座席が、水平を保とうとして前傾するのもおもしろい。距離を所要時間で割った表定速度は毎分70m、時速にすると4.2kmだ。歩速並みのゆっくりしたペースだが、走りは着実で頼もしい。

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(左)交差する林道を急坂で乗り越える
(右)朝一番の試運転機が戻ってきた
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図2 奥祖谷観光モノレール周辺の1:25,000地形図
 

周囲はいつしか人工林から自然林に変わった。コナラ、イヌシデ、コシアブラなどと、樹種を教える名札がそこここに立ててある。ゆっくり観察する時間はないが、自然教室に来た気分だ。発車から約10分後、朝一番に出た試運転機とすれ違った。無事戻ってきたということは、この先の走行に障害がない証しだ。50mごとの標高値を記した札が、いつしか1000mを越えている。

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(左)沿線に樹種の名札
(右)50mごとの標高値を記した札も
 

往路の中盤では、小さな沢が右手に沿う。清水が勢いよく流れ落ち、水音が静寂の林にこだまする。何かの小屋を通り過ぎたところで、下り線が木々の間に消えていった。ここから頂上にかけて、大きなループ、すなわち環状線になっているのだ。

同じ線路でも単線になったとたん、心細さが募ってくるのは不思議だ。運行間隔からして280m四方には誰もいないはずだし、事実、先行している始発機も、最後まで姿を見かけることはなかった。それに乗っていた友人は、途中で鹿が走り去るのを目撃したそうだ。

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沢沿いに上る複線区間
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杉林の中で上下線が分かれる
 

地滑り跡にできたと思われる小さな沼地を通過。どこまで登るのだろう、とやや不安になった頃に、進行方向の視界が開けてきた。稜線に載り、少し上ったところが標高1380mの最高地点(下注)だ。地形的には、四国の屋根の一部をなす三嶺(さんれい)の、中腹に生じた肩の部分にあたる。時計を見ると9時15分、およそ30分かけて登りきったことになる。晴れた日にはこのあたりで東に剣山(つるぎさん)を望めると聞いたが、今日は霧が漂い、視界がきかなかった。

*注 モノレールのパンフレットに従い、1380mとしたが、地形図では、その付近に1385mの標高点が打たれている。

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(左)地滑り跡の沼地を通過
(右)最高地点付近は霧が漂う
 

復路は、下り一方かと思うとそうでもない。地形図の等高線でも読み取れるが、湿原のある小さな谷を巻いていく区間がある。勾配が落ち着き、少しほっとする数分間だ。しかしすぐに鵯(ひよどり)越えの逆落としのような急坂が復活し、上り線と合流する。

同じところをさっき上ってきたはずだが、下りのほうが傾斜感がはるかに強い。乗り場での注意を思い出して、手すりを握り、足を踏ん張った。ピニオンがラックレールとしっかり噛み合っているので、下りでもジェットコースターのような加速はしないから安心だ。

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復路で湿原のある谷を巻く
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(左)下りの急坂
(右)上りより傾斜感が強調される
 

この間に後発機と何度かすれ違う。手を降り返したりするうちに、孤独感はいつのまにか薄れていた。再び林道をまたいで右に曲がると、ゴールの駅舎が見えてくる。9時46分に無事帰着。

秘境奥祖谷の山中を行くこのモノレール、65分の乗車時間は子供連れには長すぎるという意見も目にする。確かに、長時間座席に固定される割には、気晴らしになる眺望も少ないから、レジャー向きとは言えないかもしれない。しかし、林野の植生や山岳地形に興味のある人なら、退屈している暇はないだろう。いわんや、学校で社会科の地図帳に架空の鉄道を落書きしていたような線路好きの私にとっては…。

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ゴールの駅舎が見えてきた
 

次回は、より小規模なモノレールと、温泉宿のケーブルカーを訪ねる。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.17(2021年)に掲載した記事「祖谷渓の「鉄道」巡り」に加筆し、写真と地図を追加したものである。
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図徳島(昭和53年編集)、剣山(昭和53年編集)、岡山及丸亀(昭和61年編集)、高知(平成7年要部修正)および地理院地図(2024年6月15日取得)を使用したものである。

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2024年2月 7日 (水)

ニュージーランドの保存鉄道・観光鉄道リスト I-北島

植民地と自治領以来の強い文化的影響を受けて、南半球のイギリス Britain of the South とさえ呼ばれるニュージーランドは、保存鉄道の分野でもその呼び名にふさわしい充実ぶりを見せている。リストに掲げた20数件の路線のうち、主なものを北島と南島に分けて紹介したい。今回は北島について。

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グレンブルック駅の国産蒸機Ja形(左)とWw形(2017年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_nz.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ニュージーランド」画面

ニュージーランドの幹線鉄道網は、日本のJR在来線と同じ1067mm(3フィート6インチ)軌間だ。廃止された支線を復活させて、この軌間の保存蒸機やディーゼル機関車を走らせているところがいくつかある。

項番1 ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道 Bay of Islands Vintage Railway

北島の北側に角のように延びるノースランド半島 Northland Peninsula の一角を、この保存鉄道は走っている。もとは国鉄ノース・オークランド線 North Auckland line の最北端で、オプア支線 Opua branch line とも呼ばれた、内陸から港町に向かうローカル線の一部だ。

*注 オプア支線はノース・オークランド線 North Auckland line で最初の開業区間で、1868年にカワカワの炭鉱からオプア Opua の港へ石炭を運ぶ馬車軌道として造られた。

ベイ・オヴ・アイランズ・ヴィンテージ鉄道は1985年に開業したが、その後、財政難で休止と再開を繰り返した。現在は、支線の中間駅だったカワカワ Kawakawa を拠点に、約7km下ったテ・アケアケ Te Akeake(停留所)までの区間を、蒸気またはディーゼル牽引で往復している。往復の所要時間は90分。

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カワカワ駅で発車を待つ蒸気列車(2009年)
Photo by W. Bulach at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ルートの呼び物は、カワカワの市街地を貫いている長さ約300mの道路併用区間だ。両端の車道との交差部に信号機はなく、クルマや通行人は阿吽の呼吸で、進入する列車に道を譲る。町を出た後は農地のへりを下っていき、中間駅タウマレレ Taumarere の先に、カワカワ川(!)Kawakawa River に架かる長いトレッスル橋がある。

テ・アケアケは川べりにある暫定の折り返し点で、鉄道はこの先、オプア港までの復元を目標にしている。現行ルートでも車窓はけっこう変化に富んでいるが、将来区間にはトンネルや入江の眺めもあり、魅力はいっそう深まることだろう。

ところで、英語では保存鉄道を通常 "heritage railway" というが、ニュージーランドでは、この鉄道のように "vintage railway" と称することが多い。適切な訳が思いつかないので、リストではすべてヴィンテージ鉄道としている。

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カワカワ市街地の併用軌道(2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番5 グレンブルック・ヴィンテージ鉄道 Glenbrook Vintage Railway

オークランドでグレンブルック Glenbrook と言えば、誰しも南郊にある同名の製鉄所を思い浮かべることだろう。この保存鉄道は、そこへの貨物線が分岐するワイウク支線 Waiuku branch の末端区間を舞台にしている(下注)。1967年に廃止された区間だが、その10年後に保存団体が、藪を切り開き、本線運行から引退した蒸気機関車や客車をここへ運んで走らせ始めた。今ではそれが、蒸機10両以上を保有する同国有数の保存鉄道に成長している。

*注 ワイウク支線のうち、根元区間のパトゥマホエ Patumahoe ~グレンブルック間は製鉄所への貨物支線として現在も使われている。

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ワイウク郊外を行くJa形重連(2013年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

鉄道の拠点は、分岐駅のグレンブルックにある。そこから港町ワイウクのヴィクトリア・アヴェニュー Victoria Avenue 駅に至る7.4kmで、シーズンの主として日曜祝日に、かつて本線で使われた蒸機による観光列車が運行されている。

グレンブルックは台地の上で、河口のワイウクへ向けては、牧草地の中に下り坂が続く。往路の蒸機は逆機運転で、終点まで20分間ノンストップだ。機回しの後の復路は上り坂になるため、前を向いた蒸機の力強い走りが期待できる。中間地点のプケオワレ Pukeoware にある鉄道の修理工場で、15分の見学休憩があり、小旅行は往復で70分になる。

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グレンブルック駅の信号所(2013年)
Photo by itravelNZ® at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、険しい峠越えに挑戦した19世紀の鉄道技術の結晶ともいうべき区間について。

項番9 ラウリム・スパイラル Raurimu Spiral

朝、オークランド Auckland から北島本線の長距離列車ノーザン・エクスプローラー Northern Explorer(下注)に乗り込むと、ちょうどお昼ごろにその鉄道名所にさしかかる。ラウリム・スパイラルとは、北島の中心部、タウポ火山群 Taupo Volcanic Zone の広大な裾野のへりにある、スパイラル(日本でいうループ線)を含んだ複雑な山岳ルートのことだ。

*注 北島の二大都市オークランドとウェリントンを結ぶ観光列車。現在、週3往復で、ウェリントン行きが月、木、土曜日に、オークランド行きが水、金、日曜日に運行される。所要10時間40分~11時間5分。

名所区間は、麓にある標高592mのラウリム Raurimu 旧駅(下注)から始まる。線路は半径151m(7チェーン半)のオメガカーブで反転した後、北斜面に回り込んで、長さ385mのトンネルに入る。この内部にスパイラルの始点があり、もう1本のトンネルを介しながら時計回りに円を描いていく。途中で左車窓に、ラウリム旧駅や先ほど通過した線路が一瞬見えるはずだ。

*注 ラウリム駅は1977年に廃止されたが、待避線は動態で現存する。

地形を巧みに利用したルートによって、鉄道は、勾配を蒸機の牽引能力内の1:50(20‰)に抑えながら、トンガリロ国立公園 Tongariro National Park の玄関口、ナショナル・パーク National Park 駅まで215mの高低差を克服した。この間の直線距離は約6kmだが、路線長は11.6kmとほぼ2倍の長さがある。

オークランドに向かう北行きのノーザン・エクスプローラーも、ナショナル・パーク駅の発車は同じ時刻だ。昼過ぎの時間帯、この名所を通って麓に降りていく。

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空から見たラウリム・スパイラル(2012年)
Photo by Jenny Scott at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番11 リムタカ・インクライン Rimutaka Incline

ウェリントンからマスタートン Masterton 方面に通じるワイララパ線 Wairarapa Line には、ニュージーランドの鉄道で第2の長さを誇る8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel がある。トンネルとその前後区間は1955年の開通だ。

それ以前の旧線は、まったく別の峠越えルートを通っていた。特に東斜面には3マイル(4.8km)の間、平均66.7‰という極めて急な勾配区間があった。そこで使われていたのがフェル式 Fell system だ。これは、2本の走行レールの間に双頭レールを横置きし、それを車両側の水平駆動輪で左右から挟むことによって推進力を高める方式で、幹線で20世紀半ばまで使用していたのは、この区間が唯一だった。

麓の基地にはそのための蒸気機関車H形が配置され、戦後に導入された気動車も、センターレールは使わないものの、それに支障しないよう車高を上げた特別仕様車だった。

新線開通後、廃線跡は峠のトンネルを含めて、リムタカ・レール・トレール(自転車・徒歩道)Rimutaka Rail Trail に転用され、保存されている。役目を終えたH形蒸機は1両だけ残され、東麓のフェザーストン Featherston に設立されたフェル機関車博物館 Fell Locomotive Museum で静態展示されている。これとは別に、西麓のメイモーン Maymorn 駅構内では、リムタカ・インクライン鉄道遺産財団 Rimutaka Incline Railway Heritage Trust が、峠区間の復元を目標にして活動中だ。

*注 詳細は「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」参照。

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現役時代のサミット駅(1880年代)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain
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サミットトンネル東口、トンネル内部に続くフェル式レール(1908年)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library at wikimedia. License: public domain

軽便線や市内軌道、鋼索線にもそれぞれ見どころがある。

項番2 ドライヴィング・クリーク鉄道 Driving Creek Railway

3km走る間にトンネル3本、橋梁10本、オメガループが2か所、スイッチバックは5か所…。しかも7番目の橋梁は2層建てで、タイミングを合わせた続行列車と、上下両層で同時に渡っていく。最後に控えるスイッチバックは、尾根から空中に突き出たデッドエンドで、乗客は見晴らしに感嘆しつつも目の前のスリルに肝を冷やす。

ドライヴィング・クリーク鉄道は、北島コロマンデル半島のコロマンデル Coromandel 郊外にある381mm(15インチ)軌間の観光鉄道だ。技巧を凝らして手造りされたレイアウトは、テーマパークのアトラクションも顔負けのレベルに達している。

意外なことに、鉄道の創設者は陶芸家だった。彼は1975年に、陶芸工房で使う粘土と薪を山から運び下ろすために軌道を造り始めた。ところが、工房を訪れた客を乗せるサービスが評判を呼び、しだいに線路は、裏山一帯を巡るようにして上へ上へと延伸されていった。

麓に建つ工房前から、列車は出発する。線路は最大1:14(71‰)という急な上り坂だ。数々のマニアックなポイントを経て到着した終点には、2004年に完成したアイフル・タワー Eyefull Tower(アイフェル・タワー Eiffel Tower、すなわちパリのエッフェル塔のもじり、下注)という展望台がある。標高165mの高みからコロマンデル・ハーバー Coromandel Harbour や対岸の山並みの眺めを存分に楽しんだ客は、再び列車に乗り込み、麓に戻っていく。往復1時間15分。

*注 展望塔の構造は、オークランド港にある同国最古の灯台ビーン・ロック灯台 Bean Rock Lighthouse をモデルにしている。

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(左)2層建ての第7橋梁
(右)空中に突き出た第5スイッチバック(いずれも2012年)
Photo by Reinhard Dietrich at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番4 ウェスタン・スプリングズ路面軌道 Western Springs Tramway

オークランド市内のウェスタン・スプリングズ Western Springs にあるMOTAT(輸送技術博物館 Museum of Transport and Technology)が、館外に敷いた軌道線で、動態保存しているトラム車両を走らせている。

博物館には、グレート・ノース・ロード Great North Road とエーヴィエーション・ホール Aviation Hall という離れた2か所の構内があり、軌道線は、訪問者がこの間を移動するための交通手段という位置づけだ。そのため、クリスマスの日を除き年中無休、15分から30分間隔で運行され、運賃は取らない。

グレート・ノース・ロードの車庫から出てきたトラムは、同名の停留所で客を乗せた後、街路と公園に挟まれた専用線を走り出す。中間に停留所が4か所あるが、列車交換(下注)が行われるオークランド動物園 Auckland Zoo 以外はリクエストストップだ。約8分で、航空機の展示ホールがある終点に到着する。

*注 列車交換は、15分間隔運行のときに行われる。

MOTATの保存トラムには、地元オークランドやファンガヌイ Whanganui の1435mm標準軌車のほか、ウェリントン Wellington から来た1219mm(4フィート)軌間の車両も含まれている。どちらも走れるように、軌道は全線にわたって3線軌条だ。

なお、エーヴィエーション・ホールの敷地の奥には、1067mm軌の蒸気鉄道の機関庫と、長さ約700mの走行線がある。毎月1回のライブ・デーには機関庫が公開され、保存運行が行われる。これもまた楽しみだ。

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終点エーヴィエーション・ホールに集結した古典車両群(2015年)
Photo by GPS 56 at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番14 ウェリントン・ケーブルカー Wellington Cable Car

ケーブルカーで高台に上り、市街とその先に広がるウェリントン・ハーバー Wellington Harbour の絶景を眺めるというのが、ウェリントン観光の一つの定番だ。赤い車体のケーブルカーは、首都の目抜き通りラムトン・キー Lambton Quay の一角にある奥まったホームから出発する。前半はトンネルを出たり入ったりを繰り返すが、後半で一転空が開け、後方に町と海の美しいパノラマが見えてくる。

公式サイトによると、路線は長さ612m。17.86%(1:5.06)の一定勾配で、高度差120mを上りきる。山上駅はウェリントン植物園に隣接していて、テラスからの展望を楽しんだ後は、緑あふれる園地の散策に出かけるのが通例だ。

ケーブルカーは1902年の開通だが、当時のシステムは1067mm軌間の全線複線で、サンフランシスコに見られるような循環式と、釣瓶型の交走式とのハイブリッド仕様だった。すなわち、全線を循環するケーブルが通っていて、下る車両はそれを装置でつかむことにより降下する(=循環式)。もう一方の車両は、別のケーブルで山上駅の駆動力を持たない滑車を介してつながっているため、下る車両に連動して引き上げられた(=交走式)。また、緊急ブレーキ用に、フェル式レールも設置されていた。

しかし設備の老朽化が進み、1979年に軌間1000mm、単線交走式に置き換えられた。現在は、ケーブルでつながった2つの車両が、山上駅の駆動力を持つ滑車によって上下する。中間駅タラヴェラ Talavera に、行き違うための待避線がある。

英語では、循環式のケーブルカー(およびロープウェー)を "cable car" といい、交走式は "funicular" と呼んで区別する。この鉄道は今もケーブルカーを名乗っているが、これは旧方式を使っていた名残りに過ぎず、実際はフュニキュラーだ。

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上部駅のテラスから見るケーブルカーのパノラマ(2014年)
Photo by Sham's Personal Favourites at flickr. License: public domain

最後に、変わり種の鉄道ツアーを一つ。

項番8 フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(ストラトフォード=オカフクラ線)Forgotten World Adventures (Stratford–Okahukura Line)

北島中部に、エグモント山麓のストラトフォード Stratford から山中を通って北島本線のオカフクラ Okahukura に至るストラトフォード=オカフクラ線 Stratford–Okahukura Line がある。全長143.5kmの間に、24本のトンネル、91本の橋梁、20‰の勾配が繰り返される山地横断路線だ。しかし、旅客列車は言うに及ばず、近年は貨物列車の運行もなく、路線自体が休止状態になって久しい。

この忘れられたようなルートで、2012年からエンジン付きレールカートによる走行ツアーを実施しているのが、フォゴットン・ワールド・アドベンチャーズ(忘れられた世界の冒険)Forgotten World Adventures という企画会社だ。ゴルフカートのような簡素な車両だが、ガイドを兼ねたドライバーがつくので、客は乗っているだけでいい。また、およそ15km走るごとに降りて、小休憩やティータイムがある。

ツアーは数種類用意されている。たとえば、最も手軽な半日コースでは、朝、タウマルヌイ Taumarunui の直営モーテル前に集合して、シャトル(乗合タクシー)でオカフクラの乗り場(下注)へ行く。レールカートで線路を40km走ってトキリマ Tokirima へ。ここでランチをとり、復路はまたシャトルに乗って、ラベンダー農場経由で起点に戻る。

*注 オカフクラの国道をまたぐ鉄道の高架橋が老朽化により撤去されたため、乗り場はオカフクラ駅から800m先の地点に変更されている。

1日コースなら、80km先のファンガモモナ Whangamomona まで行ける。さらに「究極 The Ultimate」コースでは、レールカートだけでストラトフォードまで全線を移動する。東海道線なら、東京駅から吉原か富士までの距離に等しい。途中、ファンガモモナで1泊して2日がかりの行程だが、鉄道趣味もここまで来ると体力勝負だ。

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(左)オカフクラのカート乗り場
(右)先行するカートを追って山中へ(いずれも2021年)
Photo by njcull at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

次回は、南島の保存・観光鉄道について。

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2024年1月16日 (火)

オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

オーストラリアの鉄道旅行といえば、インディアンパシフィック Indian Pacific や、ザ・ガン The Ghan(下注)といった数日がかりの華麗な大陸横断・縦断列車に注目が集まりがちだ。しかし調べてみると、それぞれの地域で息づいている保存鉄道や観光鉄道も多数ある。ヨーロッパ編と同じようにリストにしてみたので、その中から主なものを紹介したい。

*注 インディアンパシフィック号は、東岸シドニー Sydney~西岸パース Perth 間4352km、3泊4日の大陸横断列車。ザ・ガン号は、南岸アデレード Adelaide~北岸ダーウィン Darwin 間2979km、2泊3日の大陸縦断列車。

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メイン・サザン線で特別列車を牽くNSW鉄道博物館の3642号機
ワガ・ワガ Waga Waga 付近(2013年)
Photo by Bidgee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 AU
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_australia.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オーストラリア」画面

今回は、東海岸のクイーンズランド州 Queensland、ニューサウスウェールズ州 New South Wales (NSW) と、タスマニア島(タスマニア州)Tasmania の鉄道を取り上げる。クイーンズランド州とタスマニア島の路線網が、日本のJR在来線と同じ1067mm軌間(下注)である一方、NSW州は1435mmの標準軌だ。保存鉄道もそれぞれの州の事情に応じた軌間のものが中心になる。

*注 ただしクイーンズランド州内でも、NSW州との連絡ルートであるNSWノース・コースト線(北海岸線)North Coast Line は標準軌。

項番3 キュランダ観光鉄道 Kuranda Scenic Railway

州北部の国際観光都市ケアンズ Cairns にあるキュランダ観光鉄道は、初めてこの町を訪れた旅行者ならたいてい乗車する人気アトラクションだ。街中のケアンズ駅から台地の上のキュランダ Kuranda まで33.2km、ディーゼル機関車が重連で12~15両もの客車を連ねて1日2往復している(下注)。

*注 午前中にキュランダ行き2本、午後にケアンズ行2本。

列車が出発するのは市中心部にあるケアンズ駅だが、この時点では車内はまだすいている。大勢乗り込んでくるのは、次のフレッシュウォーター Freshwater 駅だ。ここから列車はいったん、キュランダとは反対の南へ進んだ後、半径100m(5チェーン)のヘアピンカーブで折り返し、20‰の連続勾配で山腹を上り始める。弧を描いて谷をまたぐストーニー・クリーク Stoney Creek 橋梁や、壮大なバロン滝 Barron Falls の展望停車を終えて、熱帯雨林に囲まれた終点キュランダまで、片道の所要時間は1時間55分。

もとは奥地の金鉱と港を結んだ産業鉄道だが、今では純粋な観光路線となり、年間を通して運行されている。1995年に、山麓とキュランダを結ぶロープウェー「スカイレール・レインフォレスト・ケーブルウェー Skyrail Rainforest Cableway」が開通した。それ以来、片道は列車、片道はゴンドラで空中散歩という、変化に富んだルート選択が可能になった。

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ストーニー・クリーク橋梁(2008年)
Photo by Sheba_Also 43,000 photos at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
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キュランダ駅1番ホーム(2020年)
Photo by Kgbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番1 ガルフランダー Gulflander

カーペンタリア湾沿岸に、ノーマントン=クロイドン線 Normanton to Croydon line という長さ152kmの路線がある。1888~91年に、クロイドンの金鉱からの輸送手段として建設された鉄道で、他の路線網とは隔離された孤高のローカル線だ。疎林が広がるサバンナの乾燥地帯を貫いていて、開通当時、シロアリの食害や洪水による流出を避けるために、全線にわたって用いられた鉄製まくらぎ(水没耐性軌道 submersible track)がそのまま残っている。

この忘れられたような路線で唯一運行されているのが、観光列車のガルフランダー Gulflander 号だ。孤立線とあって車両も他路線との入換えがなく、今となっては貴重な古典形式の動力車や付随客車が、保存鉄道のように日常運用されている。

このあたりは年間平均気温が27度以上、夏場の最高気温は40度を超えるという熱帯の土地で、ウィキペディア英語版によれば、ガルフランダーは「列車に乗るというより冒険 To be more an adventure than a train ride」なのだそうだ。運行は週1回、水曜日に南行(クロイドン行き)、木曜日に北行(ノーマントン行き)が走る。中間地点での30分停車を含めて片道5時間だが、往復するなら2日がかりだ。

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ノーマン川を渡るガルフランダー(2013年)
Photo by Lobster1 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番4 メリー・ヴァレー・ラットラー Mary Valley Rattler (Mary Valley Heritage Railway)

州南部の田舎町ギンピー Gympie を拠点とするメリー・ヴァレー・ラットラーは、失われつつあるローカル線の鄙びた風情をとどめた蒸気保存鉄道だ。

ギンピー駅は、1913年に建てられた木造駅舎をそのまま使用している。1989年まではクイーンズランド鉄道の主要幹線ノース・コースト線(北海岸線)North Coast line に属する駅だったが、郊外に同線のバイパスルートが造られたことで、支線メリー・ヴァレー線 Mary Valley line の駅になった。

保存鉄道の開業は1993年。当時はメリー・ヴァレー保存鉄道 Mary Valley Heritage Railway と称し、ギンピー~インビル Imbil 間40kmのルートで運行されていた。しかし、線路の保守不足で脱線事故が発生したため、2013年に運行中止となる。地元自治体が資金を拠出し、2018年に再開されたのが現在のメリー・ヴァレー・ラットラーだ。

運行区間はこのとき短縮されて、アマムーア Amamoor 駅までの23kmになった。主役は、かつて軽量列車や支線の列車を牽いていたクイーンズランド鉄道のC17形蒸機だ。ワインレッドをまとった木造客車を数両牽いて、メリー川中流域の穏やかな丘陵地帯を縫っていく。所要時間は往復3時間。両端駅に転車台があるので、機関車は常に前を向いて走る。

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終点アマムーアに到着した蒸気列車(2019年)
Photo by Gillian Everett at flickr. License: CC BY-NC 2.0

次は、ニューサウスウェールズ州について。

項番12 ジグザグ鉄道 Zig Zag Railway

州都シドニー Sydney からメイン・ウェスタン線(西部本線)Main Western line で内陸に向かうと、平野が尽きたところで、ブルーマウンテンズ Blue Mountains の深い山並みの中に入っていく。1869年の開通時、この山越えの初めと終わりにそれぞれ、Z字状に折り返しながら高度を稼ぐスイッチバックが設けられた。

ジグザグ鉄道はそのうち、後者を含む7km区間を、廃止後に蒸気運転で保存鉄道化したものだ。ただし、もとが標準軌なのに対して、1067mm(3フィート半)軌間で敷き直されている。標準軌の蒸気機関車の調達が難しく、クイーンズランドの1067mm軌間の中古車両に頼ったためだ。

山上の終点クラレンス Clarence に駐車場があるので、そこから乗り込む客が圧倒的に多い。だが、起点ボトム・ポイント Bottom Point も、シドニーから来る中距離電車のジグザグ Zig Zag 停留所(下注)に近く、乗継ぎが可能だ。

*注 リクエストストップ(乗降客があるときのみ停車)のため、降車する場合は乗務員にあらかじめ知らせておく必要がある。

見どころは、やはりジグザグの昇り降りだろう。険しい斜面を削って通されたルートは見通しがきき、途中に架かる3本の石積みアーチ橋がそれに趣を添える。所要時間は、クラレンスからの往復で90分、ボトム・ポイントからは105分。2012年から長期運休中だったが、2023年5月にようやく運行が再開された。

*注 詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-ジグザグ鉄道 I」「同 II」参照。

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トップ・ロードからのジグザグ全景(2008年)
Photo by Maksym Kozlenko Maxim75 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番11 カトゥーンバ・シーニック・レールウェー Katoomba Scenic Railway

カトゥーンバ Katoomba にあるシーニック・ワールド Scenic World は、世界自然遺産にも登録されたブルーマウンテンズ観光の中核施設の一つだ。ここには台地の上と眼下に広がる熱帯雨林の間を行き来したり、上空から眺めたりできる乗り物が3種類用意されていて、シーニック・レールウェーもその中に含まれる(下注)。

*注 乗り物には他に、谷を跨ぐロープウェーのシーニック・スカイウェー Scenic Skyway、谷に降りるロープウェーのシーニック・ケーブルウェー Scenic Cableway がある。

1880年代に建設された石炭とオイルシェールの運搬軌道を改築したこの設備は、ケーブルに接続された車両を巻上げ装置で引き上げる斜行リフト Inclined lift だ。そのため、通常のケーブルカー funicular のような対になる車両や重りはなく、1両で勾配線路を上下している。

310mの斜長距離に対して、標高差は206.5mある。最大勾配は52度、千分率では1280‰となり、スイスのシュトース鉄道 Stoosbahn の1100‰をもしのぐ険しさだ。しかしその構造から、ケーブルカーの最大傾斜記録としては認められていない。

乗り場の階段はまだ緩やかだ。しかし動き出すとすぐに勾配は最大値になり、トンネルを介しながら急斜面を勢いよく滑り降りていく。感覚としては垂直に落下するのに近く、乗客から悲鳴が上がることもしばしばだ。

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急斜面を滑降するシーニック・レールウェー(2014年)
Photo by DGriebeling at wikimedia. License: CC BY 2.0
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下部駅からの眺望(2018年)
Photo by fabcom at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番9 NSW(ニューサウスウェールズ)鉄道博物館 NSW Rail Museum

NSW鉄道博物館は州立の施設で、同州の路線網で稼働していた標準軌の蒸気機関車をはじめ、典型的な鉄道車両を多数収集保存している。

博物館が、ピクトン=ミッタゴン支線 Picton–Mittagong loop line の途中駅であるこのサールミア Thirlmere に移転してきたのは1975年で、早や半世紀近くが経つ。ループライン loop line(下注)と呼ばれるこの路線は、メイン・サザン線(南部本線)Main Southern line の旧線だが、33.3‰の急勾配を解消する迂回線が完成した1919年に、支線に格下げされた。

*注 ループラインは、日本でいうループ線(英語ではスパイラル spiral)ではない。また、周回可能な環状線でなくてもよく、本線と分かれてまた先でつながる線路の意味で使われる。たとえば、列車交換できる待避線を英語ではパッシングループ passing loop という。

鉄道博物館の呼び物の一つが、この支線を舞台にして行われる保存列車の運行だ。ピクトン=ミッタゴン支線は現在、休止扱いだが、そのうち北側のピクトン Picton~サールミア~バクストン Buxton 間6.7kmが、動態保存の蒸機や気動車のための走行線に活用されている(下注1)。また、本線上での企画列車もしばしば運行されており、その場合、ピクトンにある接続ポイントを介して列車が出入りする。

*注1 通常運行はサールミア~バクストン間に限定され、往復の所要約40分。
*注2 ピクトン=ミッタゴン支線の詳細は「オーストラリアの大分水嶺を越えた鉄道-メイン・サザン線とピクトン支線」参照。

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ピクトン=ミッタゴン支線サールミア駅(2014年)
Photo by Maksym Kozlenko at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 シドニー路面電車博物館 Sydney Tramway Museum

シドニー南郊ロフタス Loftus にあるシドニー路面電車博物館は1965年の開館(下注)で、国内のトラム博物館では最も長い歴史をもつ。保有するコレクションも60両以上と、国内最大規模を誇っている。1961年全廃のシドニー市電はいうまでもなく、収集範囲は国内他都市や海外にも及んでいて、長崎電気軌道の1054号もここに在籍中だ。

*注 現在の場所に移設されたのは1988年。

博物館の敷地はさほど広くないが、動態保存のトラムを走らせるための専用軌道が館外に延びている。北はローソン通り Rawson Avenue に沿ってサザーランド Sutherland 方面、南はロイヤル国立公園 Royal National Park の広大な森の中にある終点まで、合わせて3.5kmの長さがある。

後者はパークリンク・ルート Parklink route と呼ばれ、1991年に廃止された郊外路線(下注)を転用したものだ。終点には旧駅の朽ちかけたホームも残っている。もとより高床でトラムには合わないので、乗降のときは反対側の扉が開くのだが。

*注 シティレール CityRail が運行していたロイヤル国立公園支線 Royal National Park branch line。

博物館の来館者だけでなく、自然豊かな公園へ、近郊線T4系統のロフタス駅から乗り継ぐという一般利用も見られる。そのためトラムは60分間隔で運行され、博物館入館を省いたトラム乗車のみのチケットも車内で発売している。

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シドニー市電R形旧車、博物館前電停にて(2021年)
Photo by Fork99 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番13 スキーチューブ・アルパイン鉄道 Skitube Alpine Railway

NSW州の最後に、1988年に開業した現代の登山鉄道を見ておこう。州最南部、オーストラリア大陸の最高峰(下注)を擁するコジオスコ国立公園 Kosciuszko National Park で、山上にあるスキー場へのアクセスとして建設された路線だ。

*注 コジオスコ山 Mount Kosciuszko(標高 2228m)。山名は、発見したポーランド人の探検隊長が、祖国の英雄タデウシュ・コチチュシュコ Tadeusz Kościuszko の塚の形に似ているとして命名したもの。

名称は、スキーチューブ・アルパイン鉄道、略してスキーチューブという。1435mm軌間、交流1500Vの電化線だ。標高1125mの山麓バロックス・フラット Bullocks Flat と、標高1905mの山上ブルー・カウ Blue Cow の間8.5kmを17分で結んでいる。ラメラ Lamella(フォン・ロール Von Roll)式ラックレールが全線にわたって敷設されていて、最大勾配は125‰だ。

国立公園内の自然環境を保護するとともに、荒天時にも運行の安定性を保つために、ルートの7割はトンネルで設計された。地上に出ているのは最初の2.6kmだけで、後は、中間駅のペリッシャー・ヴァレー Perisher Valley、終点ブルー・カウの発着ホームを含めて地下にある。

建設コストの点から言えば、鉄道より地上設備がコンパクトなロープウェーのほうが有利だ。それでもラック鉄道が選択されたのは、地下化の利点に加えて、高い輸送能力が評価されたからだ。特注された車両の幅は3.8mと、新幹線の3.4mよりまだ広い。通常3両編成だが、車内の立席部分を広くとって混雑を緩和し、かつ片側6扉とすることで円滑な乗降も実現している。

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幅広のスキーチューブ車両(2014年)
Photo by EurovisionNim at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

項番35 ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道 West Coast Wilderness Railway

大陸の南東沖に浮かぶタスマニア島(タスマニア州)では、一部にラック区間がある観光鉄道がひとり気を吐いている。オーストラリアのラック鉄道は現在、ここと前述のスキーチューブの2か所しかなく、貴重な存在だ。

ウェスト・コースト・ウィルダネス鉄道は、島西部の遠隔地に位置する。旧鉱山町クイーンズタウン Queenstownと、内湾に面したストローン Strahan(下注)のレガッタ・ポイント Regatta Point 駅との間34.5kmを結ぶ孤立線だ。もとは鉱山会社の専用鉄道として1897年に開通したが、代替道路の整備が進んで1963年以降、休止線となっていた。それを2002年に、公的資金の投入で観光用として復活させたのが現在の姿だ。

*注 綴りに影響を受けてか、「ストラーン」の表記も見かけるが、現地の発音は ”strawn” のように聞こえる。

列車は内陸のクイーンズタウンから、キング川 King River に沿って下っていくが、途中で一度だけ支谷伝いに峠越えをする。そこに最大83.3‰(1:12)の急勾配があり、約6kmにわたってアプト式ラックレールが敷かれている。

キング川と再開した後は、熱帯雨林に覆われた渓谷の縁を下っていく。最後は開放的な眺めの内湾マッコーリー・ハーバー Macquarie Harbour のほとりをしばらく走って、かつての積出し港であるレガッタ・ポイントに到着する。

しかし残念なことに、現行ダイヤでは全線を走破する列車が設定されていない。起点と終点どちらの出発便も途中駅で折り返す運用になっているため、ラック区間を通過しないのだ。事情はよく知らないが、路線最大の見どころを省いては、旅の醍醐味が半減してしまう。一日も早い復活を望みたいところだ。

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ラック区間が始まるダビル・バリル Dubbil Barril 駅(2011年)
Photo by WikiWookie at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

次回は、ビクトリア、南オーストラリア、西オーストラリアの各州にある主な保存・観光鉄道を見ていきたい。

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 オーストラリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II
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2023年10月13日 (金)

グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車

セルカニアス・マドリードC-9号線 Línea C-9, Cercanías Madrid
(旧称 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama)

セルセディリャ Cercedilla~コトス Cotos 間18.2km
軌間1000mm、直流1500V電化、最急勾配70‰
1923~64年開通

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プエルト・デ・ナバセラダ駅にさしかかる442形電車

スペインの首都マドリード Madrid の北西に、長々と横たわるグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama。標高2000m級の山並みの中心部に向けて、メーターゲージの電車が上っていく。ラックレールは使わないものの、麓の町から峠の上まで670mの高度差を、最大70‰の急勾配で克服するという、れっきとした登山電車だ。

標題にしたグアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama (FEG) というのは、1923年の開業当時の会社名で、戦後の国有化を経て、セルカニアス・マドリード(マドリード近郊線)Cercanías Madrid の C-9号線に組み込まれた。しかし、無味乾燥な記号や数字では具体的なイメージが湧かないのか、地名を冠したコトス鉄道 Ferrocarril de Cotos、セルセディリャ=コトス鉄道 Ferrocarril Cercedilla - Cotosという別名も残っている。

今回は、マドリード郊外の山中を走るこの登山電車を訪ねてみよう。

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セルセディリャ駅の狭軌線ホーム

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路線は全長18.17km。スペイン各地に見られるメーターゲージ(1000mm軌間)、1500V直流電化の狭軌路線(下注)だが、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central では、もはやここにしかない。

*注 ちなみにスペインの在来線網は、広軌1668mm(イベリア軌間 Iberian gauge)、3000V直流電化。高速線網は標準軌1435mm、25000V 50Hz 交流電化。

起点は、旧国鉄ビリャルバ=セゴビア線 Línea Villalba - Segovia の途中駅、セルセディリャ Cercedilla だ。マドリード市内からセルセディリャまでは、セルカニアス C-8号線のルートになっている。登山電車C-9号線は、ここからプエルト・デ・ナバセラダ Puerto de Navacerrada を経て、コトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)が終点だ。

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グアダラマ電気鉄道の位置
 

ロス・コトスの名には見覚えがある。堀淳一氏の著書『ヨーロッパ軽鉄道の詩』(スキージャーナル社、1979年)に、「ロス・コトス峠へ登る赤い国電」のタイトルで紹介されていたからだ。

マドリードの大学で知り合った研究者に、スペインに来たからには織物博物館かトレドの町へ行くべきだと強く勧められたのを断って、堀氏はひとりでロス・コトス線へ出かける。「あの電車、今でもあるのかなあ」と呆れられ、ターミナル駅チャマルティン Chamartín の案内所で行き方を聞いても要領を得ないくらいマイナーな路線だった。

一抹の不安を抱えたまま乗り込んだセゴビア Segovia 行きの列車が、いよいよ接続駅のセルセディリャ構内にさしかかると、別の電車が停まっているのが見えた。

「本線のホームと金網でへだてられた山側のホームに、屋根が銀色、車体がまばゆいほど鮮やかなカーマイン、出入口の扉と貫通扉が冴えざえとしたセルリアンブルーという、おもちゃのように派手な原色の組み合わせで塗られた小さな電車が待っているではないか! とたんに不安は吹き飛んで、私の心は躍った。登山電車はちゃんと生きていたのだ」(同書p.87)

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堀氏の心を捉えた車両は、掲載写真によれば、1934年CAF製の100形(のちの RENFE 431形)3両編成だ。開業時に就役したスイス、ブラウン・ボヴェリ/SWS製の2両編成と同じ仕様で国内製造されたもので、スイス由来のカーマイン色(洋紅色)をまとっていた。

セルセディリャ駅の雰囲気は今もさして変わっていない。本線は、大きくカーブしたプラットホームをもつ通過式2面3線の構造だ。その山側にメーターゲージの頭端式ホームが並行する。こちらは2面2線で、1本の線路を両側から挟む形だ。本線と共有している(ように見える)南側のホームは、狭軌線としては通常使われない。

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セルセディリャ駅構内、左が本線、右が登山電車線
マドリード方から撮影
 

一方、電車はすでに世代交代した。現在運用されているのは、1976~82年スペインMTM社製の RENFE 442形だ。白地に、側面は赤と紫の細帯、前面上部が赤塗りというわりあい淡泊なテイストの塗装をまとって、きょうも始発駅で乗換客を待っているはずだ。

なお、引退した旧100形電動車のうち1両が、セルセディリャ駅狭軌3番線の奥に留置されている。「自然列車 Tren de la Naturaleza」と呼ばれる子供向けの企画で、ビデオを上映する視聴覚室として使われているという。これ以外の同形式車は、残念ながらすべてスクラップになってしまった。

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RENFE 442形
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唯一保存されている旧車100形(RENFE 431形)

歴史をたどると、この地に電気鉄道が建設された目的は、グアダラマ山脈の新たな観光開発だ。現在中間駅になっているプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠の意)が初期の目的地とされていた。そこには、首都と、山脈の北麓にある王家の夏の離宮ラ・グランハ・デ・サン・イルデフォンソ La Granja de San Ildefonso やセゴビアの町とを結ぶ街道が通っていて、マドリード市民にもなじみのある場所だった。

麓からのルート案は複数あったが、最終的に、最短距離となるセルセディリャ駅が起点に選ばれた。建設工事は、雪のない季節に集中して実施しなければならず、約4年を要した。開業は1923年夏(下注)で、2両編成のスイス製100形電車を使って運行が始まった。アクセスが格段に良くなったことで、終点の峠周辺は冬のスキー、夏のハイキングや避暑の適地として人気を博したという。

*注 1923年7月12日に開通式、1923年8月11日に一般運行開始。

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グアダラマ山脈、中央はシエテ・ピコス
セルセディリャに向かう車中から撮影
 

第二次世界大戦後の1954年に鉄道は国有化され、RENFE(スペイン国鉄)の一路線となった。それを機に、路線の延伸計画が具体化する。新たな目的地は、国鉄マドリード=ブルゴス線 Línea Madrid - Burgos(下注)が通るガルガンティリャ・デ・ロソヤ Gargantilla de Lozoya だった。山脈を乗り越え、ロソヤ谷を下っていくルートが想定されていた。

*注 長さ3895mのソモシエラトンネル Túnel de Somosierra で山脈を横断していた旧路線。同トンネルの落盤で不通となり、現在、旅客列車はマドリード~コルメナル・ビエホ Colmenar Viejo 間の近郊区間のみの運行。

第1期工事として、プエルト・デ・ナバセラダからコトスの間7.07kmが1959年に着工され、1964年10月30日に完成を見た。こうして、現行区間であるセルセディリャ~コトス間が全通した。

コトスも峠だが、山岳スポーツの拠点というだけで周辺に集落があるわけではない。その先も過疎地ばかりで輸送需要が見通せないため、コトス~ガルガンティリャ間の第2期工事は保留となり、最終的に着工されなかった。後述するように、コトス駅の先にある峠のトンネルの西口が、計画の唯一の証人だ。

6月のある日、マドリード・チャマルティン駅から、この登山電車に乗りに出かけた。堀氏が来た時代はターミナル駅でも乗車券を通しで売っておらず、現地で別途買うしかなかったようだが、今はセルカニアス内の駅の有人窓口や特定の券売機で、コトスまでの購入が可能だ。しかし購入時に、行先だけではなく、乗車日と列車(の発車時刻)を往復とも指定しなければならない。登山電車は予約制なのだ(下注)。

*注 乗車する列車を指定するだけで、座席は自由。

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マドリードの鉄道ターミナルの一つ、チャマルティン駅
 

セルカニアスの運賃ゾーンの中で、C-9号線はソーナ・ベルデ Zona Verde(緑ゾーンの意)と呼ばれる特別区域に分類されている。運賃は、セルカニアスのどのゾーンからでも片道8.70ユーロ、往復17.40ユーロの固定額だ(下注)。

*注 ICカードを新規発行する場合は、これに0.50ユーロが加算される。

券売機で決済すると、ICチップの入った紙カードとレシートが出てきた。紙カードはセルカニアス線内の自動改札で使う通常のICチケットだが、後者も単なる領収書ではなく、指定した乗車日・列車が記載されているから、なくしてはいけない。

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ICカード(右)と乗車日・列車が記されたレシート
 

セルセディリャ行きの本線(C-8号線)電車に乗り込む(下注)。朝の郊外方面なので車内はすいていて、乗客のいる座席はざっと3割だ。8時15分発のところ、9分遅れで発車。沿線は緑の多い丘陵地で、駅の周りだけ市街地が広がっている。

*注 C-8号線はセルセディリャが終点。その先セゴビア方面へは中距離線 Media Distancia の列車がカバーするが、高速線と重複するためか、現在1日2往復まで減便されている。

ビリャルバ Villalba で北部本線(マドリード=イルン線)から分かれると、右に左にカーブが連続し、山裾を上っていることを実感させる。左車窓で空を限っているのがグアダラマ山脈の稜線で、マドリード州とカスティリャ・イ・レオン Castilla y León 州の境界になる(上の写真参照)。

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(左)C-8号線の列車が到着
(右)車内は3割の着席率
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(左)ビリャルバ駅
(右)駅を出ると北部本線から分岐
 

セルセディリャ駅には定刻より16分遅れて、9時37分に到着した。標高は1150mを超え、空気に高原の気配が漂う。すでにコトス行の発車時刻を過ぎているが、登山電車はまだホームにいるし、何より通路がバリアリールで閉じられている。

ダイヤは平日休日の区別なく、1日5往復だ。9時35分の始発から2時間おきに発車し、最終は17時35分発になる。観光輸送が主体なので、動き出すのは遅く、店じまいも早い。

10人ほどの乗換客とともに待っていると、ほどなく車掌らしき人がバリアを開けて、改札を始めた。ICカードではなく、あのレシートで日付と列車をチェックするのだ。他の客もそれらしい紙の切符を提示している。これらを所持していない客は後回しにされていた。

右側1番線に縦列に停まっている編成の前側2両が、これから山に上る電車だ。車内は赤いビニールレザーのクロスシートが並んでいた。あいにくどの窓も曇り気味で、外の景色が見えにくい。

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登山電車ホームの通路が開くのを待つ
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(左)登山電車に乗り込む
(右)クロスシートが並ぶ車内
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登山電車(C-9号線)時刻表
 

朝日の眩しい駅を、電車は定刻から6分遅れて9時41分に発車した。マドリード方向に出ていくが、本線と並行しつつも上り勾配になり、みるみる高度差が開いていく。

左に大きくカーブした後は、セルセディリャの市街地をくねくねと上る区間が続いた。モーターの唸りが高まり、線路際の宅地を載せる擁壁の角度で勾配のきつさが知れる。このあたりは、最も急な70‰の勾配が続いているはずだ。最初の踏切を過ぎると、左側に2車線道路が沿い始めた。市街地自体が急斜面に立地しているので、右側は家々の屋根越しに山麓ののびやかな風景が開ける。

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(左)本線と並行しつつ上り坂に(後方を撮影)
(右)セルセディリャ市街では道路と並走
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セルセディリャ~プエルト・デ・ナバセラダ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

まもなく狭いホームを通過した。駅名標によれば、セルセディリャ・プエブロ Cercedilla Pueblo 停留所だ。プエブロは(小さな)町という意味で、名のとおり町の中心部の近くだが、今は使われていない。登山鉄道には起終点を含めて3つの駅と6つの停留所があったが、2011年以来、停留所はすべて休止 Fuera de servicio となっている。電車はプエルト・デ・ナバセラダまでノンストップだ。

山手に建つ邸はどれも構えが立派だが、次のラス・エラス Las Heras 停留所で、町は終わりだ。雑木が視界を覆うようになり、見上げる位置に山並みが近づいてきた。

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(左)セルセディリャ・プエブロ停留所を通過(後方を撮影)
(右)屋根越しに山麓の風景が
 

退避線をめくった跡が残るカモリトス Camorritos 停留所を通過。別荘地の最寄り駅だが、待合所の白い漆喰壁は、みじめにも落書きのキャンバスにされている。ずっと左側に付き添ってきた2車線道もここまでで、この先は線路だけがひと気のない山腹をたどっていく。高度が上がってきたと見え、周囲はいつしか松林に置き換わった。

大きな右カーブの後、右手にシエテ・ピコス Siete Picos 停留所のホームと駅舎の残骸が流れ去る。ここの待避線も撤去済みだ。七つの峰を意味するシエテ・ピコスは、グアダラマ山脈の中央部を占める高峰で、南斜面に露出している花崗岩の岩壁が、遠方からもよく識別できる(下注)。

*注 復路では、シエテ・ピコス停留所の手前で、前方にこの峰が見える。

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(左)落書きだらけのカモリトス停留所、待避線をめくった跡がある
(右)シエテ・ピコス停留所(後方を撮影)
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シエテ・ピコスの七つの岩峰を仰ぐ
 

線路はその支尾根を急カーブで回り込んで、コリャド・アルボ Collado Albo 停留所を通過した。木々に覆われて眺望がきかない中、停留所の前後では、右手に深い谷を隔てて、ホルコン岩 Peña Horcón とそれに連なる尾根が覗く。ようやく登山鉄道らしい雰囲気になってきた。

急に建物が見えて、電車は標高1765mの中間駅プエルト・デ・ナバセラダ(下注)構内に進入していった。3つのアーチがロッジアを支える大屋根アルペンスタイルの駅舎が旅行者を迎えてくれる。ここで3人が下車した。

復路で降りてみたが、駅舎の中は、背中合わせの木製ベンチがあるだけの、がらんとした吹き抜け空間だった。金属板で塞がれた暖炉があるので、かつては山小屋のような居心地のいい休憩所だったのかもしれないが。

*注 プエルト puerto には港の意味もあるが、ここでは峠 puerto de montaña のこと。

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プエルト・デ・ナバセラダ駅
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(左)がらんとした駅舎内部
(右)ホームに面したロッジア
 

駅前から急な坂道をものの10分も上れば、標高1858mのナバセラダ峠に出る。グアダラマ山脈の尾根筋にある鞍部の一つで、冒頭に記したようにマドリードとセゴビアを結ぶ主要街道601号線の経由地だ。山麓まで見通しがきき、クルマもよく通る。峠から西へはシエテ・ピコスへ向かう登山道が延び、東側、ボラ・デル・ムンド Bola del Mundo の斜面にはスキーのゲレンデが広がっている。

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ナバセラダ峠からの眺望
右隅に駅が見える
 

10時06分に駅を出発した電車は、すぐに峠下にうがたれたトンネルに入った。長さ671m、路線唯一のトンネルによって、線路は尾根の反対側、カスティリャ・イ・レオン州に移る。第二次世界大戦後に開通した後半区間は、高度を保ちながら山襞をなぞるように進む。上り勾配とはいえ、前半に比べればごく緩やかだ。電車の速度も少し上がった気がする。

しかし、こちらも松林が延々と続き、車窓からの眺望はほとんど得られない。カーブを繰り返しながら、ドス・カスティリャス Dos Castillas、バケリサス Vaquerizas と停留所を通過していく。コロナ感染症の流行で長期運休している間に更新工事が行われたので、軌道には新しいバラストが敷かれている。

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(左)峠下のトンネル
(右)松林が延々と続く
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プエルト・デ・ナバセラダ~コトス間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

速度が落ちたと思ったら、もう終点のコトスだった。5分遅れで10時21分に到着。数人の客が降りたが、皆、山を歩く恰好をしている。標高1819mの駅は2面3線の構造だが、実際に使われているのは駅舎寄りの片面ホームだけだ。時刻表どおりなら、電車はここで27分停車して折り返す。

2階建ての大きな駅舎が建っている。内部は美しく保たれているが、ナバセラダ駅と同じようにがらんとした空間だ。付属棟にカフェテリアと書いてあるので入ってみるも、きょうは営業していないようだった。駅前からは、広い車道が上っている。ものの200mも行けば、地方道が通過するコトス峠だ。標高1829mのこの峠も山脈の尾根筋で、向こう側はマドリード州になる。

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終点コトス駅
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(左)使われているホームは1本のみ
(右)駅舎内部
 

コトスとは、雪が積もっても道筋がわかるように立てる小さな石柱のことだそうだ。冬場、雪に覆われるこの峠では大切な目印で、そこから定冠詞を付けたロス・コトスという地名が定着した。コトス峠の上はあっけらかんとした場所で、目につくのはレストランの大きな建物と、広い駐車場だけだ。道端で、平日3便しかないマドリード直行の路線バスが時間待ちをしていた。

一方、駅構内の線路は、先端で1本にまとまり、この峠の下にもぐっていく。これこそ第2期延伸計画のために用意されたトンネルだ。車庫として使われているらしいが、入口は落書きだらけの板戸で閉じられ、中の様子はわからない。計画がついえたため、トンネルは未完成で、貫通していない。反対側には、柵で仕切られた線路用地とおぼしき斜面が、道路沿いにむなしく続いているばかりだ。

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(左)駅構内から峠下へ続く線路
(右)板戸で閉じられた峠下のトンネル
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

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