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2026年8月

2026年8月23日 (日)

保養地鉄道モリー

保養地鉄道モリー Bäderbahn Molli

バート・ドベラーン Bad Doberan~オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト Ostseebad Kühlungsborn West 間 15.43km
900mm軌間、非電化
1886年開業
1910年ハイリゲンダム Heiligendamm~アーレントゼー Arendsee(現 キュールングスボルン・ヴェスト)間延伸

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雨をついて街路を進むモリー

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バルト海沿岸の小都市、バート・ドベラーン Bad Doberan(下注)の狭い石畳の街路を、900mm狭軌の蒸気機関車に牽かれた列車がそろそろと通り抜けていく。路面電車ならいざ知らず、場違いの珍客に初めて見た人ならきっと驚く。ドイツの観光鉄道ではとりわけ有名なシーンの一つだ。

*注 Doberan は、Berlin や Schwerin のように最終音節にアクセントがあるので、日本語への音写ではドベラーンとした。

鉄道(会社)の正式名は「メクレンブルク保養地鉄道モリー Mecklenburgische Bäderbahn Molli」という。だがこの界隈では昔から、単に「モリー」あるいは「モリーバーン(モリー鉄道)Molli-Bahn」「モリーツーク(モリー列車)Molli-Zug」などと呼ばれて親しまれてきた。モリーは、英語圏ではメアリー Mary やマーガレット Margaret の愛称だが、なぜ、鉄道がモリーなのだろうか。

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雨上がり、街角に夕陽がさす
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客車の側壁に記されたモリーのロゴ
 

一説によると、その起源は、沿線の猟師が飼っていた狩猟犬の名前にあるそうだ。鉄道が開業したてのころ、狩りに出ていた猟師と猟犬モリーの近くを列車が通った。モリーは獲物と勘違いしたのか、列車のほうへ走っていく。猟師が「モリー、止まれ」と大声で叫んだところ、それを耳にした機関士が、列車を急停止させた。

当時は、駅でなくても乗降が可能だったので、機関士は乗車を求める客と勘違いしたらしいが、それ以来、蒸気列車もモリーと呼ばれるようになったという逸話だ(下注)。登場人物が猟師と猟犬ではなく、老婦人と愛玩犬というバリエーションもあったりするのだが、ともかく犬の名から転じたという点は共通している。

*注 ドイツ語で機関車を意味する "Lokomotive(ロコモティーヴェ)" は女性名詞なので、愛称には通常、女性名がつけられる。

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モリー通りを通過する列車
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地形図に保養地鉄道モリーのルート等を加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

鉄道のほうの「モリー」は、ロストック Rostock とヴィスマール Wismar を結ぶDBローカル線の中間駅、バート・ドベラーンを起点とする長さ15.43kmの路線だ。ドベラーンの街中を抜けた後は、海岸林に沿って走って、海浜保養地の終点オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト Ostseebad Kühlungsborn West に至る。

しかし当初の目的地は、もっと手前のハイリゲンダム Heiligendamm だった。ここは、1793年開設というドイツ最古の歴史を有するゼーバート(海浜保養地)Seebad で、内陸にあるドベラーン鉄道駅からは6km以上離れている。そこで、この間を結ぶ蒸気路面軌道として計画されたのだ(下注)。

*注 1892年のプロイセン軽便鉄道法施行後は、軽便鉄道に再分類された。

軌道は1886年7月に開業した。配備された2両の機関車は2軸の箱型で、町中を通過する際に鳴らすハンドベルが装備されていた。また、冬期はゼーバートが閉鎖されるため、列車の運行も5月から9月の夏のシーズン限定だった。

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海辺の白い街 Weiße Stadt am Meer、ハイリゲンダム(2008年)
Photo by EHRENBERG Kommunikation at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

1910年には、西側にある保養地で当時、アーレントゼー Arendsee と称した現在の終点に至る新規区間が開業する。その際、ハイリゲンダム駅は現位置まで約200m移設され、旧駅跡は現在、駐車場になっている。さらに西方への延伸も予定されていたのだが、第一次世界大戦の開戦で実現せずに終わった。

鉄道は1920年に国有化され、その後は東ドイツ時代を通して国鉄(ドイツ国営鉄道DR)の狭軌路線として運営され続けた。この間、貨物輸送が1969年に廃止されている。ロールワーゲンのような標準軌貨車を狭軌線に直通させる方式は、市内区間の建築限界に抵触するため、導入できなかった。

ドイツ再統一後の1994年にいったんDB(ドイツ連邦鉄道)の路線となるものの、翌95年に自治体資本の鉄道会社が設立されて、運営を引き継いだ。これが現在のメクレンブルク保養地鉄道モリー社 Mecklenburgische Bäderbahn Molli GmbH になる。

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市街地を抜けてDB駅に向かう
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煙を残して遠ざかるモリー

「モリー」は、定期列車の運行を蒸気機関車が担っているので、一般には保存鉄道、あるいは観光鉄道と思われている。確かにその性格が色濃いが、実は公共交通体系に組み込まれた、ドイツでいう ÖPNV(近距離公共旅客輸送機関)のカテゴリーに属する鉄道だ。ロストック周辺のÖPNVが加盟するヴァルノー運輸連合 Verkehrsverbund Warnow (VVW) の一員で、系統番号RB31を掲げている。

そのため、モリーは毎日走る。しかも旺盛な観光需要を反映して、夏ダイヤの場合、毎時1本の等時隔運行だ。平日は計11往復、休日も10往復ある。シーズンオフの冬期は平日5往復、休日4往復に減便されるが、年末年始には臨時列車が設定される。全線の所要時間は43~47分だ。

蒸機運行にはコストがかかるため、運賃は、運輸連合のゾーン運賃とは別で、独自に設定されている。全線片道12ユーロ、往復18ユーロ(2025年現在)で、どちらも途中下車が可能だ。

また、ドイチュラントチケット Deutschlandticket はそのままでは通用しないが、出札窓口で提示すると、一日乗車券 Tageskarte を11ユーロで購入できる。言い換えると、往復運賃から7ユーロ割引されるということだ。ちなみに、この一日乗車券はリューゲン保養地鉄道 Rügensche BäderBahn でも有効なのだが、一日で両鉄道を乗りつぶすのは時間的にタイトすぎるだろう。

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ドイチュラントチケットと併用する一日乗車券
氏名・生年月日・署名の記入欄がある

ロストック中央駅からRB(普通列車)で西へ19分、DBバート・ドベラーン駅は、本線上に300mもある長い片面ホームを持った駅だ。それを1番線、2番線と使い分けていて、東行き(ロストック方面)は西端、駅舎前の1番線に、西行き(ヴィスマール方面)は東端の2番線に停車する。というのも、2番線の外側に待避線があり、東行き列車はここを通ることで、2番線停車中の西行きと行き違うことができるのだ。

ところが、時間帯によって30分ごとに挿入される東行きの区間便は、2番線の反対側に隠れている櫛型ホームの3番線に発着するからややこしい。私はロストックへ戻る際、うっかり1番線で待っていたため、発車寸前に気づいてホームを100m以上、全力疾走する羽目になった。

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DBバート・ドベラーン駅
(左)駅舎前の1番線
(右)ホーム東端の2番線、外側に待避線がある
 

駅には4番線もある。DB線のホームから見ると、駅舎や通路屋根を隔てて反対側(北側)で、これがモリーの発着ホームだ。敷かれている線路の幅こそ狭いが、構内はDB線をしのぐほど広い。機回し線や留置線が並び、右手奥には大きな車庫も見える。

DB線もモリーも基本的に1時間間隔 Stundentakt で運行されているので、両者の接続は10分前後と良好だ。この日、ドベラーン駅に着くと、4番線には、すでに出発準備を整えたモリー列車が客待ちしていた。あいにくのくもり空で肌寒い。乗継ぎ客は早々と車内に入ってしまい、ホームは閑散としている。

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(左)4番線はモリーの発着ホーム
(右)構内の奥には立派な車庫が
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(左)モリーの駅舎
(右)出札窓口
 

蒸機は99.32形と呼ばれる動輪4軸のタンク機関車(車輪配置2-8-2T)だ。1932年にオーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社で製造され、今も3両が現役で走っている。この列車を率いるのは、そのうちの2号機(車番99-2322-8)だ。

99.32形にはもう1両、2008~09年にマイニンゲン蒸気機関車工場 Dampflokwerk Meiningen で新造された4号機(同 99-2324-4)がいる。ドイツで定期運行用に蒸機が製造されたのはほぼ50年ぶりと話題になった若い機関車だ。

モリーにはこのほか、戦後生まれの99.33形も3両在籍していた。1951年LKM(下注1)製で、1961年にSDAGヴィスムート産業鉄道 Werkbahnen der SDAG Wismut から到来した機関車(車輪配置2-8-0T)だ。しかし、99.32形に比べて最高速度が劣るため、夏の通常ダイヤには載せることができず、1両(同 99 2331-9)が予備機として残るのみだ。残りの1両はすでに廃棄され、もう1両(同 99 2332-7)は終点駅で静態保存されている(下注2)。

*注1 カール・マルクス機関車製造人民公社 VEB Lokomotivbau Karl Marx。ポツダムのバーベルスベルク地区 Babelsberg, Potsdam にあった。
*注2 後述のように2025年に訪問したときは見当たらなかった。

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99.32形、2009年生まれの4号機
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キュールングスボルン・ヴェスト駅に静態保存された99.33形(2016年)
Photo by Torsten Maue at wikimedia. License: CC BY-SA 2.0
 

転車台がないので、往路キュールングスボルン方面の機関車は逆機(バック運転)になる。その後ろにオフホワイトと赤のツートンをまとう古典客車が8両続き、最後尾は荷物車だ。発車時刻が迫っている。DB駅舎の隣にあるモリー駅舎の出札で、上述した一日乗車券を購入して、さっそく乗り込んだ。

オープンデッキから入ると、車内には、1人掛けと2人掛けのシンプルなボックスシートが並んでいた。改装されてはいるが車歴は古く、最長老が1911年、最も若いものでも1930年製という。雰囲気は以前に乗ったハルツ狭軌鉄道のそれに似ているが、一つ異なるのはトイレがないことだ。この手の客車は垂れ流し式なので、町中を通過する列車には適さない。

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(左)モリーの古典客車
(右)車内の座席は1+2配列
 

雨が降り出すなか、汽笛一声、列車は駅を離れた。最初は駅前通りに沿った専用軌道を進む。ロストック通り Rostocker Straße の踏切を通過すると、左に緩くカーブして、ドベラーンの中心街に入っていく。その入口でシュタットミッテ(中心街の意)Stadtmitte 停留所に停車。まずはここで降りて、街巡りをしながら正機で戻ってくる機関車を撮ろうと思う。

シュタットミッテを貫くこの約300mの街路にはモリー通り Mollistraße の名がつけられている。しかしこれは伝統的な地名ではなく、列車にちなんだ後世の命名だ。東ドイツ時代は戦前の共産主義指導者の名を冠したエルンスト・テールマン通り Ernst-Thälmann-Straße といい、1990年のドイツ再統一後、現 名称に改められた。

軌道と併用の狭い道なので、クルマは許可車以外、通行禁止だ。それをいいことに(?)、テラスを歩道にはみ出させている店もある。観光客もうろうろしているので、蒸機はベルを連続でカンカンと響かせながら、最徐行で通過していく。西行きは緩い下り勾配だから、ほとんど煙を出していない。

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(左)ドベラーンの中心街へ
(右)シュタットミッテ停留所に停車
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併用軌道のモリー通り
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バート・ドベラーン市街地の拡大図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

市街の見学を済ませた後、モリー通りに戻って次の列車を待った。やってきたのは、今年(2025年)弱冠16歳の4号機だ。といっても、レプリカとして造られたので、外見は先輩たちと区別がつかない。試運転の際は、撮り鉄が殺到するのを避けるため、旧来の3号機のプレートをつけて走ったというエピソードをもっている。

モリー通りを抜けると、道幅が広がり、線路は直線道路の左側に張り付く。ゲーテ通り Goethestraße と呼ばれるこの600mほどの区間は、開業時は畑の中の専用軌道だった。今は住宅街だが、区画に余裕があり、大きな邸が建ち並ぶ。途中に同名の停留所もある。

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直線道路のゲーテ通りを行く
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ゲーテシュトラーセ停留所
 

ゲーテ通りの突き当りで、列車は左に急カーブして、いよいよ専用軌道に移る。ベルは鳴りやみ、速度も上がった。右側には林地とそれに沿う並木道が続き、左は見渡す限り、麦や菜種の畑地が広がっている。行事開催日にだけ停車するレンバーン(競馬場)Rennbahn 停留所は通過した。

10分近く続くこの風景は、ハイリゲンダム Heiligendamm 駅で中断される。ここは2007年にドイツで開催されたG8サミット(G7+ロシア)の会場に選ばれたような高級保養地なので、駅舎にもどこか品格が漂う。待避線があり、6分停車の間にドベラーン行きと列車交換した。

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ハイリゲンダム駅は白ずくめの駅舎
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戻ってきた2号機と列車交換
 

列車旅の後半も、海岸林を右手に見ながら、畑の中を行く構図は変わらない。途中にあるシュタイルキュステ停留所 Steilküste はリクエストストップだ。オートキャンプ場の最寄りで、林を抜けて白砂の海岸にも出られる。地図で見ると海はごく近いのだが、実際には林に視界が遮られてしまう。車窓から水平線が望めるのは、キュールングスボルン・オストの手前のほんの一瞬だけだ。

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車窓風景
(左)菜種畑に浮かぶ集落 (右)収穫間近の麦畑
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(左)シュタイルキュステ停留所
(右)水平線を望めるのは一瞬
 

やがて周囲に建物が現れ始め、列車は左に大きく曲がって、オストゼーバート・キュールングスボルン・オスト Ostseebad Kühlungsborn Ost、すなわち東駅に入っていく。この後、ミッテ Mitte(中駅)、ヴェスト West(西駅)と続く、キュールングスボルン市(下注)所在の3駅の一つだ。

*注 自治体の正式名はオストゼーバート・キュールングスボルン市 Stadt Ostseebad Kühlungsborn。オストゼーバートは、バルト海(ドイツ語でオストゼー Ostsee)沿岸の海浜保養地を意味する。

キュールングスボルンというのは、背後の丘陵地の名であるキュールング Kühlung と、泉を意味するボルン Born を組み合わせた新地名だ。東駅のあるブルンスハウプテン Brunshaupten 町と、西駅のあるアーレントゼー Arendsee 町が1937年に合併し、翌38年に市名に採用された。

合併するまで両町は保養地としてライバル同士だったそうで、駅舎の規模や構造も両者遜色がないし、通常ダイヤでは使われないものの、東駅にも待避線がある。ここで多数の客が降りて、車内は目に見えてすいた。

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(左)キュールングスボルン東駅
(右)下車客多数
 

このあと列車は、緑の多いキュールングスボルンの住宅地を縫っていく。ミッテ(中駅)は道路沿いで片面ホームの停留所だ。そこから3~4分も走れば、終点オストゼーバート・キュールングスボルン・ヴェスト(西駅)の建物が見えてくる。

定刻に到着した。駅舎側のホームは約200mの長さがある。その外側に複数の側線が並び、並木の陰には修理工場と車庫も建つ。バート・ドベラーン駅に匹敵する大きな構内だ。客が入れ替わった列車では、さっそく復路に向けて機回し作業が始まった。

降車した客は駅舎の中を抜けて通りに出ていく。駅舎の東半分はカフェ併設のモリー博物館だが、今日は月曜日のため閉まっている(下注)。ホームの横に鎮座しているはずの99.33形静態保存車も、どこへ行ったのか見当たらない。

*注 水~日曜の9時から17時30分に開館。なお、館外の展示物は常時見学可能。

列車を1本見送って、バルト海のビーチまで歩いてみようと考えていたが、この不安定な空模様では行く気が失せる。ちょっと早いがバート・ドベラーンまで戻ることにして、私も折返しの列車に乗り込んだ。

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終点キュールングスボルン西駅
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定刻に到着
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機回し作業が始まる
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出発準備完了
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駅舎正面
 

■参考サイト
保養地鉄道モリー(公式サイト) https://www.molli-bahn.de/

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 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I

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 ハルツ狭軌鉄道 III-ハルツ横断線
 ハルツ狭軌鉄道 IV-ゼルケタール線
 ザクセンの狭軌鉄道-ツィッタウ狭軌鉄道
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2026年8月14日 (金)

ベルリン東郊の小路線-ヴールハイデ公園鉄道

ヴールハイデ公園鉄道 Parkeisenbahn Wuhlheide
(別名:ベルリン公園鉄道 Berliner Parkeisenbahn (BPE))

周回軌道 延長7.5km
軌間600mm、非電化
1956年開業
1993年バーデゼー Badesee~ヴールハイデ公園鉄道駅 Parkeisenbahn Wuhlheide 間延伸

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ディーゼル機関車が牽く公園鉄道の列車

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ヴールハイデ Wuhlheide(下注)にある小鉄道のことは、昔、東ベルリンの市街図を初めて目にしたときから気づいていた。郊外の森林公園のなかに、複数のルートをもつ直径1km強の環状線が描かれている。だが、これがいわゆる子供鉄道であることを知ったのは最近で、ドイツの保存・観光鉄道のリストを編んでいたときだ。

*注 ヴールハイデはヴーレ川 Wuhle の原野 Heide を意味する。実態は主に樫(オーク)の森。

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)
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日本でいう「私鉄記号」で描かれるヴールハイデ公園鉄道
1:25 000市街地形図 3547 Berlin-Köpenick 1998年版、青線が1kmグリッド
© 2026 Landesvermessung und Geobasisinformation Brandenburg

 

子供鉄道というのは、かつてソ連を中心とした旧社会主義諸国で社会教育組織として運営されていた鉄道のことだ。大人の鉄道員の指導のもとで、子どもや若者が運行業務に携わる。ピオネール(少年団)活動の一翼を担っていたことから、当時はピオネール鉄道 Pioniereisenbahn と呼ばれていた。

1989年の社会主義体制崩壊後は政治色が取り払われ、多くがボーイ/ガールスカウトのような青少年活動として存続した。鉄道の名称も子供鉄道 Kindereisenbahn や、公園内を走るものは公園鉄道 Parkeisenbahn などと改められた。

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(左)車掌役の少年
(右)機回し作業で所定位置につく
 

その最大のものはハンガリーの首都ブダペストにある子供鉄道 Budapesti Gyermekvasút(下注)で、全長11.2kmあり、ギネス世界記録に認定されている。ドイツでもドレスデン Dresden、コットブス Cottbus、ケムニッツ Chemnitz など東部諸州に十数か所残っているが、なかでもベルリン Berlin のそれは、路線延長7.5kmで国内最大だ。

*注 詳細は「ブダペスト子供鉄道 I-概要」「同 II-ルート案内」参照。

ヴールハイデ公園鉄道 Parkeisenbahn Wuhlheide は、市内東部のオーバーシェーネヴァイデ Oberschöneweide 地区にある同名の公園のなかを巡っている。600mm軌間の簡易軌道 Feldbahn が敷かれ、蒸気機関車またはディーゼル機関車がオープン型の小型客車を牽いて走るスタイルだ。

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本日の列車構成は機関車と客車4両

ヴールハイデの歴史は、1911年にベルリン市が飲料水の保全のために、525haといわれる未開発の広大な森林地帯を買収したことに始まる。このうち西側は第二次世界大戦以降、軍用地に転用されたが、再統一後は植生の回復が図られて、いくつかの公共施設があるほかは現在、森に戻っている。

一方、東側では東ドイツ時代に、戦前の共産主義指導者エルンスト・テールマン Ernst Thälmann を記念するピオネール公園が開園し、野外ステージや水浴池、子ども向けの自然環境体験館などとともに、1956年にピオネール鉄道が配置された。

東ドイツのピオネール鉄道は、1950年にドレスデンで開設されたのが最初で(下注)、ベルリンのそれは国内で6番目だった。スタートは遅かったが規模は大きく、他都市のそれが自治体の運営だったのに対し、1970年代以降はDR(東ドイツ国鉄)が直接運営に当たっていた。

*注 ドレスデン市内のグローサー・ガルテン(大庭園)Großer Garten に今もある381mm軌間の公園鉄道。

そしてドイツ再統一後は、ベルリン公園鉄道 Berliner Parkeisenbahn (BPE) と改称され、運営は非営利会社に移された。

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緑うるわしいヴールハイデの並木道
 

また、市内から公園へのアクセスを改善するため、1993年に路線の延伸も行われている。環状線の北端バーデゼー Badesee 駅から分岐してSバーンのヴールハイデ駅裏に至る支線がそれだ。以前の公園鉄道はエンドレスの環状線で、その南端にある「ハウプトバーンホーフ(中央駅)Hauptbahnhof」が文字どおりのエントランスだった(下注)。支線の開業で、北側を通っているSバーンからも容易に乗り継げるようになった。

*注 中央駅は、ベルリン市電27、60、67系統の休暇休養センター停留所 Haltestelle Freizeit- und Erholungszentrum の至近にある。

現在、公園鉄道が巡っているエリアは、休暇休養センター Freizeit und Erholungszentrum、通称フェーツ FEZ に含まれ、森の中に文化施設や子どもや家族向けのレジャー施設が点在する。鉄道はそれ自体がアトラクションであるとともに、各施設へのアクセス手段としても機能している。

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1993年に延伸開業したヴールハイデ駅

鉄道が運行されるのは、3月から10月の土日祝日と、夏休み、アドベント(待降節)といった子どもたちが動ける期間だ。また、園内のパルクビューネ(野外音楽堂)Parkbühne で催し物がある日は来場者向けのピストン運転がある。列車を率いるのは基本的にディーゼル機関車だが、特定の週末には蒸気機関車が登場して人気を博する。

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(左)公園鉄道の蒸機ルイーゼ・ラース Luise Las(2001年)
(右)同 メラピ Merapi(2002年)
Photos by Andreas Prang at German Wikipedia. License: public domain
 

ヴールハイデ駅に通じる支線はもとより、環状線自体も枝分かれしているので、ルート設定の自由度は高い。公式サイトには実に9通りもの経路が記載されているが、現在はそのうち「5系統 Linie 5」で運行されることが多い。

これは、中央駅を出発して環状線を東へ進み、バーデゼーBadesee駅まで半周した後、支線に入り、ヴールハイデ駅まで行く。そこで折り返し、復路は環状線の中線を通って、中央駅に帰着するというルートで、所要時間は31分だ。

また、ヴールハイデ駅支線の往復を省略する代わりに、自然環境体験館 Haus Natur und Umwelt 駅経由の環状ルートを走行する「2系統」の日もある。この場合、所要時間は20分になる。

なお、環状線の西半分は、実質的に車両基地 Betriebswerk 発着列車の回送線になっていて、客を乗せて走るのは車庫見学のような特別行事のときに限られている。

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ヴールハイデ公園鉄道路線図
緑:2系統、紫:5系統
ヴールハイデ駅は図上端、中央駅は下端
image from https://www.parkeisenbahn.de/

ヴールハイデ公園鉄道も、ヴォルタースドルフ路面軌道などと同じくSバーンS3系統の沿線に位置している。実は路面軌道に先立って、午前中に訪ねたのがこの鉄道だった。

Sバーンのヴールハイデは、人里離れた森の中でぽつんと取り残されたような駅だ。ホームの東端にある跨線橋が公園鉄道への連絡通路だが、私は駅舎のある西端の出入口へ回った。線路をまたぐ道路橋の上から、公園鉄道の折返し駅のようすを眺めようと思ったのだ。

まっすぐ延びる4本のDB線から植込みと通路を隔てて、公園鉄道ヴールハイデ Wuhlheide Parkeisenbahn 駅のささやかな片面ホームが見える。ホームの前には本線と機回し用、2本のか細い線路が並んでいる。

この日はディーゼル機関車の牽引で、5系統のルートを10時台から17時台まで35分間隔で運行していた。1行程の所要時間は31分。なお、12時30分からの1時間はスタッフの休憩時間で、列車は走らない。

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(左)Sバーン ヴールハイデ駅
(右)S3系統の電車が出発
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DB駅に並行して公園鉄道の片面ホームがある
 

道路橋から降りて、ホームで数人の客とともに待っていると、10時59分着の列車が入ってきた。先頭に立つのは、青い車体のV10C形ディーゼル機関車だ。1969年にポツダム Potsdam のLKM社(下注1)で製造された産業用機関車で、名前はゲルノート Gernot。この鉄道の生え抜きで、もう50年以上働いてきた。後ろにオープン客車(下注2)を4両引き連れている。いずれも枕木方向にベンチが並ぶコンパートメント式で、最前と最後の車両は屋根付きだ。

*注1 正式名称はカール・マルクス・バーベルスベルク機関車製造所 Lokomotivbau Karl Marx Babelsberg。旧 オーレンシュタイン・ウント・コッペル Orenstein & Koppel 社が1948年に改称したもの。
*注2 雨天時や気温が低い時期は密閉式客車に置換えられる。

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(左)本日の機関車V10C形「ゲルノート」
(右)オープン客車
 

駅に到着すると、さっそく機回しが始まった。安全ベストを着用した若い鉄道員たちが側線の両端にあるポイントの前へ移動し、機関車の動きに合わせて進路を切り換えていく。機関車の運転や整備は大人の仕事だが、こうした転轍手をはじめ、車掌、踏切警手、運行指令など運行の現場を支えるさまざまな業務を、彼らがチームで担っている。

機関車の連結作業が終わり、乗客が客車内に収まると、車掌役の少年がホームを歩いて、切符を切ってくれる。一周乗車券 Rundfahrt が5ユーロ(下注)。これでヴールハイデ駅まで戻ってこられるが、途中下車はできず、前途無効だ。

*注 2026年現在、一周乗車券は6ユーロ。支払いは現金のみ。なお、蒸機列車は割増料金となる。

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ヴールハイデ駅の機回し作業
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列車の前に機関車を再連結
 

定刻の11時05分、少年車掌が柄の先に円のついた標識を高く上げる。機関士が鋭い警笛でそれに応えて、列車はおもむろに動き出した。油煙の臭いが鼻をつく。

ホームを後にすると、道路橋とDBベルリン外環状線 Berliner Außenring の下をくぐり、左に急カーブして公園の森に入っていった。遊歩道と合流して、もう一本の鉄道支線の下を通り抜ける。分岐駅バーデゼー(水浴池)Badesee は通過(下注)、次のパルクビューネ(野外音楽堂)Parkbühne では停車し、数人の客を乗せた。

*注 往路はリクエストストップの扱い。

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(左)急カーブして公園の森へ
(右)鉄道支線の下を通り抜ける
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(左)バーデゼー南方で環状線を分岐
(右)シュタディオーン駅は通過
 

リクエストストップのシュタディオーン(陸上競技場)Stadion 駅は通過。駅名になっている競技場をかすめた後、列車は再び左に大きくカーブして、ハウプトバーンホーフ(中央駅)Hauptbahnhof に滑り込んだ。

一方通行の環状線なので、ここもシンプルな棒線駅だが、鉄道にとっては運行の拠点だ。すぐ外側の街路をベルリン市電が走っていて、市内鉄道網との接続駅にもなっている。それで平屋の大きな駅舎があり、出札窓口も開いていた。

ダイヤ上は列車の起終点で、列車番号が変わり、乗務員の交替もある。しかし、実際は5分前後の停車の後、同じ編成で出発するから、通しで乗る客は着席したままだ。

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運行拠点のハウプトバーンホーフ(中央駅)
 

再び少年車掌の合図で、11時20分に中央駅を発車した。後半は、前半にもまして森に包まれた軌道を延々と行く。園内を東西に貫く小道の名を冠したアイヒゲシュテル(樫森の道)Eichgestell は、休暇休養センター(FEZ)本館の最寄り駅だ。公園利用者の駐車場も近接しているからか、乗り込む客がけっこう多く、ベンチシートがほぼ塞がった。この近くで、公園鉄道よりさらに小型の、500mm軌間のミニ列車が走っているのだが、実見する時間がないのが惜しい。

DBベルリン外環状線に沿って数分走ると、左から軌道が近づいてきて、バーデゼーに停車。あとは、先刻通ったルートを通って、ヴールハイデ駅に戻ってきた。11時34分到着。少年車掌に「ありがとう」とあいさつして、ホームに降りた。列車の先頭では、早くも折返しのための機回し作業が始まっている。側線を回ってきた機関車が再び連結されるのを見届けて、Sバーン駅への跨線橋を上った。

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ヴールハイデ駅に戻ってきた
 

■参考サイト
ヴールハイデ公園鉄道 https://www.parkeisenbahn.de/
ヴールハイデ公園鉄道協会 Parkeisenbahn Wuhlheide e.V.(支援団体)
https://www.vereinparkeisenbahn.de/

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2026年8月 8日 (土)

ベルリン東郊の小路線-ヴォルタースドルフ路面軌道

ヴォルタースドルフ路面軌道 Straßenbahn Woltersdorf

ラーンスドルフ駅 Rahnsdorf, Bahnhof ~ヴォルタースドルフ・シュロイゼ(閘門)Woltersdorf, Schleuse 間 5.6km
標準軌(1435mm)、直流600V電化、最急勾配67‰
1913年開業

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ヴォルタースドルフの聖ミカエル教会前を行く
モデルス・ガンマ41号

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シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道(SRS、前回参照)の訪問を終えて、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen 駅から再びSバーンの電車に乗った。S3系統の郊外方面だと、次の駅がラーンスドルフ Rahnsdorf だが、ここにもSRSに負けず劣らず個性的な小鉄道がある。

駅前から東へ5.6km、ヴォルタースドルフ Woltersdorf にある運河の閘門前まで行くヴォルタースドルフ路面軌道 Straßenbahn Woltersdorf だ。ベルリン都市圏の路線体系では、トラム87系統を名乗る。SRSとは違って1435mmの標準軌だが、やはりベルリンの市電網とは接続していない独立路線だ。

さらに、折返し用の終端ループがないため、ベルリンで主流の片運転台車が使えない。それやこれやで車両更新が進まず、東ドイツ時代の1950年代後半から60年代にかけてゴータ Gotha の車両工場で造られた路面電車、いわゆるゴータカー Gothawagen が長く活躍していた。大都市近郊にもかかわらずノスタルジックな光景に出会えるとして、人気のあった路線だ。

しかし、車齢が60年を超えて、さしものゴータカー王国にも終焉のときが近づく。後継に採用されたのは、ポーランド・モダトランス Modertrans 製のモデルス・ガンマ Moderus Gamma だ。2024年3月に最初の車両が納入されて試運転が始まり、翌年1月には予定の4両が揃った。

そして2025年3月1日、大勢の地元住民やファンが見守る中、在籍するゴータカー総出のさよなら運転が行われ、定期ダイヤにおける王国の幕が閉じられた。

■参考サイト
YouTube - 最終運行:ヴォルタースドルフ路面軌道のゴータカー送別の日
Letzter Einsatz: Abschied von den Gothawagen der Woltersdorfer Straßenbahn
https://www.youtube.com/watch?v=flxKBgaI-yM

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ゴータカー31号と33号、ヴァルトヴァイヘ信号所にて(2023年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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地形図にヴォルタースドルフ路面軌道のルート等を加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

もともとヴォルタースドルフは、北側のリューダースドルフ Rüdersdorf で採掘される石灰岩の運搬水路に沿う土地だ。カルク湖 Kalksee とフラーケン湖 Flakensee の間に位置し、早くから水位差を調整する閘門(こうもん)が設置されていた。閘門を通過した運搬船は、南側のエルクナー Erkner を経てシュプレー川 Spree に入り、ベルリン方面へ向かった。

1842年にエルクナーに鉄道が通じ(下注)、駅ができると、この水路に鉄道連絡の蒸気船が就航した。1882年には水路に並行する道に乗合馬車が走るようになる。さらに20世紀に入ると、馬車に代わる電気鉄道敷設の計画が持ち上がるが、これもエルクナーを起点とする南北ルートが想定されていた。

*注 ベルリン(現 東駅 Ostbahnhof)~フランクフルト(オーデル)Frankfurt (Oder) 間を結んだベルリン=フランクフルト鉄道 Berlin-Frankfurter Eisenbahn。

当時は建国時代 Gründerzeit と呼ばれる好景気に沸いていて、ドイツ帝国の首都となったベルリンでは、周辺の都市化が急速に進んだ。ヴォルタースドルフでも西側に広がる丘陵地で、シェーンブリック(美しい眺めの意)Schönblick と名付けた住宅地が開発される。

この事業に合わせて計画されたのが、エルクナーよりもベルリンへの近道となるラーンスドルフ駅に接続する電気軌道だ。これは従来の南北方向ではなく東西のルートを取る。シェーンブリックの住宅地を貫いた後は、観光地として人気のあったヴォルタースドルフ閘門 Schleuse Woltersdorf を終点とすることで、地元住民だけでなくベルリンからの行楽客を取り込もうとした。

事業化までには紆余曲折があったものの、最終的に1912年に建設認可が下り、1913年5月に電気軌道は開業する。これが現在のヴォルタースドルフ路面軌道だ。

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ヴォルタースドルフ閘門
 

第二次世界大戦後の東ドイツ体制下では、他の鉄軌道とともに人民公社 Volkseigener Betrieb (VEB) に移管されたが、再統一後の1992年に新会社に移行する。ヴォルタースドルフ町とその上位自治体であるフュルステンヴァルデ郡 Landkreis Fürstenwalde(下注)が設立したヴォルタースドルフ路面軌道会社 Woltersdorfer Straßenbahn GmbH(略称 WS)だ。

*注 1993年12月にオーデル=シュプレー郡 Landkreis Oder-Spree に再編。

以来、WSはドイツで最も小規模な路面軌道会社と言われてきた。だが2020年からは、北隣のシェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS) に運行業務を委託するようになる。さらに2022年には資産もSRSに売却してWS社が解散したため、ヴォルタースドルフ路面軌道は現在、SRSの運営路線の一つという位置づけだ。

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終点ヴォルタースドルフ・シュロイゼ(閘門)
右奥に閘門の施設群が見える

昨年(2025年)6月、SRSの訪問を終えた後、私はSバーンでフリードリヒスハーゲンから次の駅ラーンスドルフへ移動した。この駅も前者と同じような造りで、ホームが築堤上にあり、階段を降りて出口へ向かうようになっている。

昔の城壁を模したような煉瓦造りの駅正面も、雰囲気は似ている。しかし明らかに違うのは、北口、南口とも市街地に接しておらず、四方を深い森に囲まれているという点だ。駅名になっているラーンスドルフの町は森の向こうで、歩けば10分近くかかるだろう。

それにもかかわらず、まとまった人数が電車から降りて駅を出ていく。彼らが向かったのは、北口の少し先にあるトラムの乗り場、「ラーンスドルフ駅 Rahnsdorf, Bahnhof」停留所だった。今日は土曜日、時刻はまだ15時前だから、帰宅途中というわけでもなさそうだが…。

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(左)Sバーン ラーンスドルフ駅
(右)トラム乗り場へ向かう人々
 

ヴォルタースドルフ路面軌道は、ここからヴォルタースドルフ・シュロイゼ(閘門の意)Woltersdorf, Schleuse までを17分で結んでいる。運行間隔は日中20分だ。ただし、平日午後だけは根元側のラーンスドルフ~ベルリナー・プラッツ Berliner Platz 間であいだに1本増発されて10分間隔になる。

ホームでは、新たに路面軌道の顔となったモデルス・ガンマが客待ちしていた。塗色はゴータカーを踏襲したアイボリーだが、側窓の下の帯は緑色で、青帯だった先輩とは一線を画している。しかし、はやりの連節タイプではなく単車(1両)だ。外観を撮って乗り込もうとしたら、すでに満席で、立客もいる状況だった。いつもなら車内の写真も撮るのだが、こう人が多くてはためらわれる。

床は全面フラットで、バリアフリー対策は万全だ。その分、車輪上の座席の床を一段高くする必要があり、通路が狭く感じられる。乗降扉は前後に片開き、中央に両開きと計3か所ついている。収容力が小さいので混むときは混むが、乗降を円滑にして遅延を抑えようとしたのだろう。

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「ラーンスドルフ駅」停留所で折返しの発車を待つ
 

そのうちに扉が閉まり、音もなく発車した。最初の2kmは、ケーペニック荒野 Köpenicker Heiden の森の中を行く。シチュエーションはSRSと同じだが、こちらはずっと単線で、並走する車道もない。大都市圏とは思えないような孤独な旅が4分あまり続く。森が終わる少し手前で、ヴァルトヴァイヘ(森の分岐の意)Waldweiche と呼ばれる信号所をゆっくり通過した。10分間隔のダイヤなら、ここで上り電車と行き違いがある。

まもなく森が明るくなり、広い敷地に建つ民家や路上駐車のクルマが車窓に見え始めた。シェーンブリックの住宅地に入ったようだ。線路は、ベルリン通り Berliner Straße の左側に寄せた専用軌道になって続いている。いわゆる道端軌道だ。最初の中間停留所、ゲーテシュトラーセ Goethestraße に停車。その後も300m前後の間隔を置いて、こまめに停まっていく。

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ケーペニック荒野の深い森を行く
 

ベルリナー・プラッツ(ベルリン広場)Berliner Platz は、シェーンブリック西地区と東地区の境に位置する、20分ダイヤで唯一の列車交換場所だ。珍しく左側通行で、トラムは歩道側に膨らんだ待避線に入って停車し、対向電車を待った。本線側は並走する道路に面しているから、ホームがない。では、どこに停まるのだろうと注目していると、やってきた上りトラムは停まるそぶりも見せず、あっけなく通過してしまった。

復路でようやく疑問が解けたのだが、50mほど西の、待避線が始まる手前にもう一か所ホームがあり、上りはそこに停車するのだった。つまりここでは、上りと下りのホームが並列ではなく、直列に配置されている(下図参照)。初めて利用したら、とまどうこと必至だ。

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ベルリナー・プラッツ停留所のホーム配置
左が上り(ラーンスドルフ方面)、右が下りホーム
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

ベルリナー・プラッツから先では、道端軌道の上が舗装され、クルマが通れるようになる。狭い田舎道にはありがちだが、東行きトラムの場合、西行きのクルマと正面から向き合うことになるから、危険を伴う。

テールマンプラッツ(テールマン広場)Thälmannplatz にも待避線があるが、20分ダイヤでは使われない。実はここもベルリナー・プラッツと同じく、直列方式の停留所だったのだが、列車交換がなくなってからは、棒線停留所のように上り下りとも歩道側の待避線にあるホームに停まるようになった。

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テールマンプラッツ停留所は上り下り兼用
 

テールマンプラッツには脇道に入る三角線もあり、その先は車両基地だ。途中下車して見に行くと、うれしいことに、引退した旧型車両が数両留置されていた。

手前にいるのは、量産体制を整えたゴータカーの最初の形式 T57形電動車だ。1959年製で、1986年にドレスデン市電から中古で譲渡されて、31号を名乗る。その後ろはT59形で、シュヴェリーン Schwerin から来た。1960年製で、形式としてはT57のあとだが、ヴォルタースドルフへの移籍が1977年と早かったので、車番は27だ。

さらに奥には27号とともにシュヴェリーンから来た付随車(トレーラー)B59形の90号、そして作業車 Arbeitswagen として使われていた1965年ベルリン・シェーネヴァイデ鉄道整備工場製のいわゆるレコワーゲン19号もいる。

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車庫の側線に留置されたゴータカー群
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(左)電動車T57形31号、側面裾に路面軌道のロゴ
(右)電動車T59形27号
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(左)付随車B59形90号
(右)作業車レコワーゲン19号
 

車庫は開いていなかったが、すりガラスを通して見える右側の車両は、31号と同じT57形ゴータカー33号のようだ。左側は、塗色や窓の形からいわゆる戦時形 Kriegsstraßenbahnwagen(略称 KSW)の7号らしい。1943年製で翌年ヴォルタースドルフに到来して以来、ずっとここで使われてきた古典車だ。とうに定期運転から引退して動態保存されている。

3月1日の華々しいさよなら運転の後、引退車両の一部は譲渡先へ搬出されていった。訪問当日まだ車庫にいた車両のうち、電動車27号はその後、チェコ・リベレツ Liberec の愛好家団体に、また付随車90号は電動車28号とともにハノーファー路面電車博物館 Hannoversche Straßenbahn-Museum にそれぞれ引き取られた。車庫に格納されている33号は保存対象なのだろうが、外に出ている他の車両の将来はわからない。

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車庫
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戦時形7号の保存運行(2026年)
Photo by Robert Hösle at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

テールマンプラッツを出ると、最終区間にさしかかる。聖ミカエル教会の前は見通しの悪い左カーブで、おまけに最大67‰の急な下り坂だ。州道30号の交差点を渡ると、今度はヒルテングラーベン(羊飼いの溝の意)Hirtengraben を渡って右に急カーブする。さらにその勢いで道路を斜め横断し、右側に移る。

目まぐるしく変わる風景は、乗り鉄目線なら主要な見どころだ。しかし、クルマと並走するトラムの運転士にとっては、最も気を遣う区間に違いない。

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(左)ヒルテングラーベンの右カーブ
(右)道路を斜め横断して右側へ
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テールマンプラッツ~ヴォルタースドルフ・シュロイゼ間の拡大図
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

このあとは、瑞々しい菩提樹の並木道シュロイゼン(閘門)通り Schleusenstraße を南下していく。再び道路を斜めに横切ると、もう終点のヴォルタースドルフ・シュロイゼだった。ここまで乗り通した客も多く、現代でも人気のスポットのようだ。

停留所の向かいにはカフェテラスがあり、テーブルで憩う人やそぞろ歩く人で、観光地特有の華やいだ雰囲気が漂っている。目的地の閘門は50mほど先だ。

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シュロイゼン通りの並木道を行く
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終点ヴォルタースドルフ・シュロイゼ
 

ヴォルタースドルフ閘門 Schleuse Woltersdorf は、カルク湖とフラーケン湖の間に設けられた長さ65m、幅8.6m、落差2.1mの水路施設だ。現在の施設は3代目で1882年に開通した。上述のように、もとは上流にある石灰岩採掘場に出入りする貨物船のために造られたが、今では大小のレジャーボートが多数行き交う。

水路をまたぐ車道橋は、船の航行を妨げないよう、跳ね橋(跳開橋)になっている。昔はゴッホの絵にあるような観音開きの構造だったそうだが、1999年に片開き式の鉄桁橋に改築された。その横には、常時利用できるよう桁を高く上げた歩道橋が架かる。閘門を通過する船や跳ね橋の開閉を眺めるには格好の展望台だ。

水路の対岸へ足を延ばした。先代の閘門があった跡地だが、今は二つの湖に挟まれた静かな公園だ。湖畔にベンチが点々と置かれ、さざ波を立てるボートの群れを眺めながら、人々がのんびりと過ごしている。すぐにベルリンに戻るのが惜しくなるような午後のひとときだった。

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水路をまたぐ跳ね橋と歩道橋
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閘門を通過するレジャーボート
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閘門の上流側、カルク湖につながる水路
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下流側、のどかなフラーケン湖畔
 

次回は、ヴールハイデ公園鉄道を訪ねる。

■参考サイト
シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道(ヴォルタースドルフ路面軌道の運営事業者)
http://www.srs-tram.de/

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)
 

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