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2026年7月23日 (木)

ベルリン東郊の小路線-シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道

シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS)

フリードリヒスハーゲンSバーン駅 S-Bahnhof Friedrichshagen ~アルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf 間 14.1km
軌間1000mm、直流600V電化
1910~12年開業(非電化)、1914年電化
1977年リューダースドルフ・ポスト Rüdersdorf, Post ~アルト・リューダースドルフ間延伸

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低床電車アルティック Artic
ラーンスドルファー・シュトラーセ Rahnsdorfer Straße にて

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ベルリン・オストクロイツ Ostkreuz からSバーンS3系統で7駅目、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen で電車を降りる。プロイセンのフリードリヒ大王の名を戴くこの地区は、ベルリン市域で最も広いミュッゲル湖 Müggelsee のほとりにある夏の行楽地だ。商店が立ち並ぶ賑やかな駅前を、ベルリン市電の60系統と61系統が通っている。

一方、88系統を名乗るシェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn(以下 SRS という)もここが起点だが、乗り場は市電とは反対の北口だ。南口とは対照的に、深い森を背にした一角を割いて、ささやかなホームと、駅利用者の駐車場を囲む形の転回ループが設けられている。

SRSは、長さ14.1kmの郊外型トラム路線だ。ケーペニック・ハイデ(荒野)Köpenicker Heiden と呼ばれるこの広い森を貫き、森の向こう側にあるシェーナイヘ・バイ・ベルリン Schöneiche bei Berlin(下注)とリューダースドルフ・バイ・ベルリン Rüdersdorf bei Berlin の二つの町へ延びている。

*注 地名シェーナイヘ Schöneiche の音写では、美しい樫の木 schöne Eiche(シェーネ・アイヘ)の語義に近づけたシェーンアイヘ、シェーンアイヒェも見られる。bei Berlin はベルリンのそばの、の意。

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フリードリヒスハーゲンの起点停留所に入線するタトラカー
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地形図にSRSのルート等を加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

この路面軌道もプロイセン軽便鉄道法により認可されたものだが、ブーコー Buckow やシュトラウスベルク Strausberg に比べて開業は遅く、20世紀に入ってからになる。というのも、沿線はもともと農村集落に過ぎず、ドイツ帝国成立後の建国時代 Gründerzeit に、首都ベルリンの発展に伴い、郊外の静かな住宅地として市民の移住が進んだ地域だからだ。

路線建設は二つのフェーズで実行された。まずフリードリヒスハーゲンとシェーナイヘの間が1910年8月に、次いでシェーナイヘからカルクベルゲ Kalkberge までが1912年11月に開業した。当初、二者は会社が別だったが、列車は共同運行されていた。早くも1914年には電化され、ボギー台車の電動車が付随客車を牽いて走り始めた。

交通の便が改善したことで沿線人口が増加したため、部分的な複線化や待避線の設置が行われ、1930年代には20分間隔の運行を達成している。

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1991年のフリードリヒスハーゲン
レコワーゲン72号の後ろにSバーン電車
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

当時の終点カルクベルゲは、名まえのとおり石灰岩の山の麓にある町だった。しかし、東ドイツ体制下の1969年、露天掘り採掘場の拡張計画が発表され、その妨げになるとして、町民に集団移住が命じられる。その完了に伴って、路線の末端部も1977年に、移住先のアパート群が建つ東側の地区に付け替えられた。

具体的にはリューダースドルフ・ポスト Rüdersdorf, Post(下注)~カール・マルクス・プラッツ Karl-Marx-Platz 間が廃止となり、代わりにポストから現終点のアルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf の間が新たに開業している。

*注 リューダースドルフ・ポスト(郵便局)停留所も、ルート付替えと同時に廃止。

東ドイツ時代は人民公社 Volkseigener Betrieb (VEB) の運営下にあったが、幹線優先の政策のもとで小鉄道に回る資金は限られ、施設設備は疲弊する一方だった。ドイツ再統一後、改めて自治体の全額出資により運営会社が設立され、懸案だったインフラの更新が、連邦と州からおりる補助金で実現した。

しかし、路線長に比して交通量は伸びず、財政的には厳しさが募っていく。そのため、2001年からはベルリン北郊・東郊の地域輸送を手掛けるニーダーバルニム鉄道 Niederbarnimer Eisenbahn AG の傘下に入って(下注)、現在に至る。

*注 株式の所有比率はニーダーバルニム鉄道70%、沿線両自治体が各15%。

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1991年のシェーナイヘ車庫
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

フリードリヒスハーゲン駅の北口、SRSの簡素な乗車ホーム(下注)でアルト・リューダースドルフ行きの電車を待った。電車はすぐそこにいるのだが、降車ホームと乗車ホームが分離されていて、客を降ろした後、発車時刻直前まで降車ホームで待機するのだ。

*注 停留所の正式名は「ベルリン・フリードリヒスハーゲンSバーン駅 Berlin, S-Bahnhof Friedrichshagen」。

土曜日のお昼時だが、ホームには20人近く集まってきている。電車の運行間隔は平日と土曜が20分、日曜祝日は30分間隔だ。終点までの所要時間は30~31分。

ところで、DB(ドイツ鉄道)線の高架下を通ることもできただろうに、なぜ南口の市電と線路が接続されていないだろうか。理由は明白だ。1435mm標準軌の市電に対してこちらは1000mm(メーターゲージ)で、軌間が違う。ブーコーのように、軽便鉄道でものちに標準軌に改修された例はあるが、住宅地では街路の端を通ることが多く、さらに複線区間もある。改軌しようにも、用地の拡幅が困難だっただろう。

ベルリン大都市圏の公共鉄道でメーターゲージを使っているのは、SRSが唯一だという。そのため、ベルリン市電の中古が利用できず、車両の補充は、同じ軌間のコットブス Cottbus やハイデルベルク Heidelberg など遠方の町に頼らなければならない。

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(左)Sバーンのフリードリヒスハーゲン駅
(右)階段下コンコース
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「フリードリヒスハーゲンSバーン駅」停留所
(左)降車ホーム (右)乗車ホーム
 

しばらくするとループのカーブを曲がって、黒御影石のような模様のラッピングをまとった細身の車両がホームに入ってきた。ドイツの大手スーパーチェーンの一つ EDEKA(エデカ)のロゴがよく目立つ。

これは3車体連接、部分低床のタトラカー KTNF6形27号(下注)で、2010年にコットブス市電から譲渡された車両だ。1987年の製造なので、かれこれ40年選手になる。

*注 コットブスから到来した KTNF6 は3編成。このうち2編成が相次いで事故に遭い、2026年7月現在、運用中はこの27号のみ。

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(左)タトラ KTNF6形 27号
(右)車内
 

待っていた人たちが一斉に乗り込んで、フリードリヒスハーゲンを出発した。軌道は、ループのもう片方を合わせて複線になり、右側のシェーナイヘ通り Schöneicher Straße を斜め横断して、自らが右側につく。ここからは森を貫いて約3km続く長い直線路だ。2車線道路と並走しながら、複線の線路がどこまでも続いている。

初め、右手に宅地が見えるが、すぐに車窓は深い森に包まれる。ベルリンは面積の1/5を平地林が占めていて、自ら「森の都 Waldmetropole」と称している。ケーペニック荒野の一部をなすこの森もベルリン市域で、電車に乗ったまま、誇らしげなその通称を実感できる。そしてこの間に対向電車とすれ違う。

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ラーンスドルファー・シュトラーセ停留所
 

やがて、大きなS字カーブで道路と離れた軌道は、ベルリン市を出て、隣接するシェーナイヘ町の木立に囲まれた住宅街に入っていく。起点から5kmの間維持されてきた複線区間が途切れるのが、ラーンスドルファー・シュトラーセ Rahnsdorfer Straße 停留所だ。

単線になってすぐ、線路を右に分岐する。州道に面したSRSの運行拠点、シェーナイヘ車庫 Depot Schöneiche への引込線だ。昔はリューダースドルフにも車庫があった(下注)のだが、廃止されてここに集約された。

*注 車庫の建物は、リューダースドルフ・マルクトプラッツ Marktplatz 停留所の線路脇にまだ残っている。

途中下車して覗いてみると、出動待ちだろうか、デュワグ(デュヴァーク)Duewag 社の GT6 形48号が車庫正面にいたほか、まだ新しいシュコダ・トランステック Škoda Transtech 社のアルティック Artic 51号とタトラカー KT4 67号が、伸び盛りの草に埋もれていた。

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シェーナイヘ車庫、待機するデュワグ GT6 48号
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(左)草に埋もれるアルティック 51号とタトラ KT4 67号
(右)ハイデルベルクから来たデュワグ MGT6D 67号
 

アルティックにはこの後、52号に乗る機会があった。2018年にフィンランドのヘルシンキ Helsinki から移籍してきたときは、SRS初となる21世紀生まれの車両として注目を集めたが、結果は期待外れだったようだ。愛好者サイトによれば、所有3編成のうち、51号は運用停止、新車で取得した53号は事故で破損、最後に残ったこの52号も今年(2026年)3月に運用から外されてしまった。

リリーフとして、2024~25年にハイデルベルクから、デュワグカーの MGT6D形 7編成が到来している。1995年製と車歴はやや古めながら、当面これでしのいでいくのだろう。訪問したときはまだ車庫で1編成見かけただけだったが、現在は4編成が運用中という。

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(左)シュコダ・アルティック 52号
(右)車内
 

車庫前からの本線は、緑豊かな街路の右端で道端軌道となって続く。ラウンドアバウトを右に折れて、次のドルフアウエ Dorfaue 停留所の周辺が、シェーナイヘの中心部だ。道路脇の広場で、接続する路線バスが待機している。しかし、町役場 Rathaus といくつかの商業施設があるだけで、町並みに大きな変化は見られない。

シラーシュトラーセ Schillerstraße とイェーガーシュトラーセ Jägerstraße 両停留所の前後が第二の複線区間だ。ここでも走行中に対向列車とのすれ違いがあった。気がつくと車窓はすっかり郊外のそれで、麦畑と森が交錯する風景が広がる。この途中のベルクホーフ・ヴァイヘ(分岐)Berghof Weiche とベルクホーフ Berghof 両停留所の間も、短い複線区間になっている。

このあとは下り坂だ。高速道路のベルリン環状線 Berliner Ring(高速10号 Autobahn 10)の下をくぐって、トーレルプラッツ Torellplatz 停留所に停車する。20分間隔の運行では、ここが対向列車との最後の交換場所になる。

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(左)麦畑が広がるグレーツヴァルデ Grätzwalde~イェーガーシュトラーセ Jägerstraße間
(右)トーレルプラッツ Torellplatz で最後の列車交換
 

クランクカーブの終わりで、軌道は道路を斜め横断して左側に移る。それと同時に渡るのが、シュトラウスベルガー・ミューレンフリース Strausberger Mühlenfließ と呼ばれる河川運河だ。

歴史の段でも触れたが、リューダースドルフ(旧 カルクベルゲ)には、古くから石灰石を露天掘りする採石場 Kalksteinbruch と加工場が操業している。その生産品を運び出すため、19世紀初めに自然の川を拡張して造られたのがこの運河だ。しかし1869年に東部鉄道に接続する貨物線が開通したことで、輸送路としての役割は減少した。

車窓からは緑の木々しか目に入らないが、地図や空中写真を参照するとそのすぐ北側に、採石場の広大な裸地が横たわっていることがわかる。貨物を扱わないトラムには接点がないとはいえ、小邑に過ぎないこの町で路線が維持されてきた背景には、町の財政への寄与など、採石場の存在が深く関わっているはずだ。

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リューダースドルフ採石場と旧 石灰工場、現在は博物館(2022年)
Photo by A.Savin at wikimedia. License: Free Art License
 

最後の待避線があるマルクトプラッツ Marktplatz を出ると、軌道はカルクベルク教会前の三叉路にさしかかる。現在、電車はここで右に折れるが、1977年以前は直進していた。さらに1km走って、旧 カルクベルゲの町にあったカール・マルクス・プラッツ Karl-Marx-Platz が終点だった。

途中下車して覗いてみると、角石を敷き詰めた道の上にメーターゲージのレールが今も残っているのが確認できた。採石場の拡張計画は結局、実行されないままに終わったが、住民が立ち退いた後の建物はすべて取り壊されたので、周辺はすっかり森に還ってしまっている。

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リューダースドルフ、カルクベルク教会前を行くタトラ KTNF6 28号
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(左)線路が残るカルクベルクの廃線跡
(右)住居跡はすっかり森に還った
 

一方、1977年からの新線は町役場の前を通過し、カルクグラーベン川 Kalkgraben を渡り、長いカーブを描きながら坂を上っていく。終点アルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf は、その名の集落の手前にある。道路の向かいには住宅が立ち並んでいるが、軌道の側は木立、その裏はがらんとした畑の、ターミナルにしては寂しげな場所だ。木立を回り込むようにして、終端ループが設置されている。

終点にはシュコダ・アルティックで着いたので、これがループを回って出ていくところを撮ろうと考えた。電車を降りたときからホームに数人のカメラクルーがいたので訝しんでいたら、起点側から思いがけず旧型の単車が現れて、アルティックの後ろに停車した。

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(左)終点アルト・リューダースドルフに到着
(右)後ろから特別運行の旧型単車が
 

後で調べると、1966年自社工場製の「レコワーゲン Rekowagen」73号だ。戦後の一時期、SRSが自前で車両を製造していたときの貴重な実例といえる。方向幕に「特別運行 Sonderfahrt」とあるとおり、撮影用のオンデマンド運行らしく、客は乗っていない。アルティックを先に行かせてしばらく停車するようなので、私も車内を見学させてもらった。

各地から来たメーターゲージ車両が活躍していることで愛好家には有名な路線だが、保存運転に遭遇するとは幸運だ。やがて、定期運行のタトラカーが入ってきた。急かされるようにレコワーゲンがループを回り遠ざかるのを見送って、私もアルト・リューダースドルフを後にした。

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1966年製レコワーゲン 73号
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(左)運転台 (右)客室
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後から来たタトラカーに急かされるようにレコワーゲンが出発
 

次回は、ヴォルタースドルフ路面軌道を訪ねる。

■参考サイト
シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 http://www.srs-tram.de/

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)
 

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