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2026年7月

2026年7月23日 (木)

ベルリン東郊の小路線-シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道

シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn (SRS)

フリードリヒスハーゲンSバーン駅 S-Bahnhof Friedrichshagen ~アルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf 間 14.1km
軌間1000mm、直流600V電化
1910~12年開業(非電化)、1914年電化
1977年リューダースドルフ・ポスト Rüdersdorf, Post ~アルト・リューダースドルフ間延伸

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低床電車アルティック Artic
ラーンスドルファー・シュトラーセ Rahnsdorfer Straße にて

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ベルリン・オストクロイツ Ostkreuz からSバーンS3系統で7駅目、フリードリヒスハーゲン Friedrichshagen で電車を降りる。プロイセンのフリードリヒ大王の名を戴くこの地区は、ベルリン市域で最も広いミュッゲル湖 Müggelsee のほとりにある夏の行楽地だ。商店が立ち並ぶ賑やかな駅前を、ベルリン市電の60系統と61系統が通っている。

一方、88系統を名乗るシェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 Schöneicher-Rüdersdorfer Straßenbahn(以下 SRS という)もここが起点だが、乗り場は市電とは反対の北口だ。南口とは対照的に、深い森を背にした一角を割いて、ささやかなホームと、駅利用者の駐車場を囲む形の転回ループが設けられている。

SRSは、長さ14.1kmの郊外型トラム路線だ。ケーペニック・ハイデ(荒野)Köpenicker Heiden と呼ばれるこの広い森を貫き、森の向こう側にあるシェーナイヘ・バイ・ベルリン Schöneiche bei Berlin(下注)とリューダースドルフ・バイ・ベルリン Rüdersdorf bei Berlin の二つの町へ延びている。

*注 地名シェーナイヘ Schöneiche の音写では、美しい樫の木 schöne Eiche(シェーネ・アイヘ)の語義に近づけたシェーンアイヘ、シェーンアイヒェも見られる。bei Berlin はベルリンのそばの、の意。

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フリードリヒスハーゲンの起点停留所に入線するタトラカー
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地形図にSRSのルート等を加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

この路面軌道もプロイセン軽便鉄道法により認可されたものだが、ブーコー Buckow やシュトラウスベルク Strausberg に比べて開業は遅く、20世紀に入ってからになる。というのも、沿線はもともと農村集落に過ぎず、ドイツ帝国成立後の建国時代 Gründerzeit に、首都ベルリンの発展に伴い、郊外の静かな住宅地として市民の移住が進んだ地域だからだ。

路線建設は二つのフェーズで実行された。まずフリードリヒスハーゲンとシェーナイヘの間が1910年8月に、次いでシェーナイヘからカルクベルゲ Kalkberge までが1912年11月に開業した。当初、二者は会社が別だったが、列車は共同運行されていた。早くも1914年には電化され、ボギー台車の電動車が付随客車を牽いて走り始めた。

交通の便が改善したことで沿線人口が増加したため、部分的な複線化や待避線の設置が行われ、1930年代には20分間隔の運行を達成している。

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1991年のフリードリヒスハーゲン
レコワーゲン72号の後ろにSバーン電車
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

当時の終点カルクベルゲは、名まえのとおり石灰岩の山の麓にある町だった。しかし、東ドイツ体制下の1969年、露天掘り採掘場の拡張計画が発表され、その妨げになるとして、町民に集団移住が命じられる。その完了に伴って、路線の末端部も1977年に、移住先のアパート群が建つ東側の地区に付け替えられた。

具体的にはリューダースドルフ・ポスト Rüdersdorf, Post(下注)~カール・マルクス・プラッツ Karl-Marx-Platz 間が廃止となり、代わりにポストから現終点のアルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf の間が新たに開業している。

*注 リューダースドルフ・ポスト(郵便局)停留所も、ルート付替えと同時に廃止。

東ドイツ時代は人民公社 Volkseigener Betrieb (VEB) の運営下にあったが、幹線優先の政策のもとで小鉄道に回る資金は限られ、施設設備は疲弊する一方だった。ドイツ再統一後、改めて自治体の全額出資により運営会社が設立され、懸案だったインフラの更新が、連邦と州からおりる補助金で実現した。

しかし、路線長に比して交通量は伸びず、財政的には厳しさが募っていく。そのため、2001年からはベルリン北郊・東郊の地域輸送を手掛けるニーダーバルニム鉄道 Niederbarnimer Eisenbahn AG の傘下に入って(下注)、現在に至る。

*注 株式の所有比率はニーダーバルニム鉄道70%、沿線両自治体が各15%。

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1991年のシェーナイヘ車庫
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

フリードリヒスハーゲン駅の北口、SRSの簡素な乗車ホーム(下注)でアルト・リューダースドルフ行きの電車を待った。電車はすぐそこにいるのだが、降車ホームと乗車ホームが分離されていて、客を降ろした後、発車時刻直前まで降車ホームで待機するのだ。

*注 停留所の正式名は「ベルリン・フリードリヒスハーゲンSバーン駅 Berlin, S-Bahnhof Friedrichshagen」。

土曜日のお昼時だが、ホームには20人近く集まってきている。電車の運行間隔は平日と土曜が20分、日曜祝日は30分間隔だ。終点までの所要時間は30~31分。

ところで、DB(ドイツ鉄道)線の高架下を通ることもできただろうに、なぜ南口の市電と線路が接続されていないだろうか。理由は明白だ。1435mm標準軌の市電に対してこちらは1000mm(メーターゲージ)で、軌間が違う。ブーコーのように、軽便鉄道でものちに標準軌に改修された例はあるが、住宅地では街路の端を通ることが多く、さらに複線区間もある。改軌しようにも、用地の拡幅が困難だっただろう。

ベルリン大都市圏の公共鉄道でメーターゲージを使っているのは、SRSが唯一だという。そのため、ベルリン市電の中古が利用できず、車両の補充は、同じ軌間のコットブス Cottbus やハイデルベルク Heidelberg など遠方の町に頼らなければならない。

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(左)Sバーンのフリードリヒスハーゲン駅
(右)階段下コンコース
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「フリードリヒスハーゲンSバーン駅」停留所
(左)降車ホーム (右)乗車ホーム
 

しばらくするとループのカーブを曲がって、黒御影石のような模様のラッピングをまとった細身の車両がホームに入ってきた。ドイツの大手スーパーチェーンの一つ EDEKA(エデカ)のロゴがよく目立つ。

これは3車体連接、部分低床のタトラカー KTNF6形27号(下注)で、2010年にコットブス市電から譲渡された車両だ。1987年の製造なので、かれこれ40年選手になる。

*注 コットブスから到来した KTNF6 は3編成。このうち2編成が相次いで事故に遭い、2026年7月現在、運用中はこの27号のみ。

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(左)タトラ KTNF6形 27号
(右)車内
 

待っていた人たちが一斉に乗り込んで、フリードリヒスハーゲンを出発した。軌道は、ループのもう片方を合わせて複線になり、右側のシェーナイヘ通り Schöneicher Straße を斜め横断して、自らが右側につく。ここからは森を貫いて約3km続く長い直線路だ。2車線道路と並走しながら、複線の線路がどこまでも続いている。

初め、右手に宅地が見えるが、すぐに車窓は深い森に包まれる。ベルリンは面積の1/5を平地林が占めていて、自ら「森の都 Waldmetropole」と称している。ケーペニック荒野の一部をなすこの森もベルリン市域で、電車に乗ったまま、誇らしげなその通称を実感できる。そしてこの間に対向電車とすれ違う。

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ラーンスドルファー・シュトラーセ停留所
 

やがて、大きなS字カーブで道路と離れた軌道は、ベルリン市を出て、隣接するシェーナイヘ町の木立に囲まれた住宅街に入っていく。起点から5kmの間維持されてきた複線区間が途切れるのが、ラーンスドルファー・シュトラーセ Rahnsdorfer Straße 停留所だ。

単線になってすぐ、線路を右に分岐する。州道に面したSRSの運行拠点、シェーナイヘ車庫 Depot Schöneiche への引込線だ。昔はリューダースドルフにも車庫があった(下注)のだが、廃止されてここに集約された。

*注 車庫の建物は、リューダースドルフ・マルクトプラッツ Marktplatz 停留所の線路脇にまだ残っている。

途中下車して覗いてみると、出動待ちだろうか、デュワグ(デュヴァーク)Duewag 社の GT6 形48号が車庫正面にいたほか、まだ新しいシュコダ・トランステック Škoda Transtech 社のアルティック Artic 51号とタトラカー KT4 67号が、伸び盛りの草に埋もれていた。

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シェーナイヘ車庫、待機するデュワグ GT6 48号
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(左)草に埋もれるアルティック 51号とタトラ KT4 67号
(右)ハイデルベルクから来たデュワグ MGT6D 67号
 

アルティックにはこの後、52号に乗る機会があった。2018年にフィンランドのヘルシンキ Helsinki から移籍してきたときは、SRS初となる21世紀生まれの車両として注目を集めたが、結果は期待外れだったようだ。愛好者サイトによれば、所有3編成のうち、51号は運用停止、新車で取得した53号は事故で破損、最後に残ったこの52号も今年(2026年)3月に運用から外されてしまった。

リリーフとして、2024~25年にハイデルベルクから、デュワグカーの MGT6D形 7編成が到来している。1995年製と車歴はやや古めながら、当面これでしのいでいくのだろう。訪問したときはまだ車庫で1編成見かけただけだったが、現在は4編成が運用中という。

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(左)シュコダ・アルティック 52号
(右)車内
 

車庫前からの本線は、緑豊かな街路の右端で道端軌道となって続く。ラウンドアバウトを右に折れて、次のドルフアウエ Dorfaue 停留所の周辺が、シェーナイヘの中心部だ。道路脇の広場で、接続する路線バスが待機している。しかし、町役場 Rathaus といくつかの商業施設があるだけで、町並みに大きな変化は見られない。

シラーシュトラーセ Schillerstraße とイェーガーシュトラーセ Jägerstraße 両停留所の前後が第二の複線区間だ。ここでも走行中に対向列車とのすれ違いがあった。気がつくと車窓はすっかり郊外のそれで、麦畑と森が交錯する風景が広がる。この途中のベルクホーフ・ヴァイヘ(分岐)Berghof Weiche とベルクホーフ Berghof 両停留所の間も、短い複線区間になっている。

このあとは下り坂だ。高速道路のベルリン環状線 Berliner Ring(高速10号 Autobahn 10)の下をくぐって、トーレルプラッツ Torellplatz 停留所に停車する。20分間隔の運行では、ここが対向列車との最後の交換場所になる。

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(左)麦畑が広がるグレーツヴァルデ Grätzwalde~イェーガーシュトラーセ Jägerstraße間
(右)トーレルプラッツ Torellplatz で最後の列車交換
 

クランクカーブの終わりで、軌道は道路を斜め横断して左側に移る。それと同時に渡るのが、シュトラウスベルガー・ミューレンフリース Strausberger Mühlenfließ と呼ばれる河川運河だ。

歴史の段でも触れたが、リューダースドルフ(旧 カルクベルゲ)には、古くから石灰石を露天掘りする採石場 Kalksteinbruch と加工場が操業している。その生産品を運び出すため、19世紀初めに自然の川を拡張して造られたのがこの運河だ。しかし1869年に東部鉄道に接続する貨物線が開通したことで、輸送路としての役割は減少した。

車窓からは緑の木々しか目に入らないが、地図や空中写真を参照するとそのすぐ北側に、採石場の広大な裸地が横たわっていることがわかる。貨物を扱わないトラムには接点がないとはいえ、小邑に過ぎないこの町で路線が維持されてきた背景には、町の財政への寄与など、採石場の存在が深く関わっているはずだ。

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リューダースドルフ採石場と旧 石灰工場、現在は博物館(2022年)
Photo by A.Savin at wikimedia. License: Free Art License
 

最後の待避線があるマルクトプラッツ Marktplatz を出ると、軌道はカルクベルク教会前の三叉路にさしかかる。現在、電車はここで右に折れるが、1977年以前は直進していた。さらに1km走って、旧 カルクベルゲの町にあったカール・マルクス・プラッツ Karl-Marx-Platz が終点だった。

途中下車して覗いてみると、角石を敷き詰めた道の上にメーターゲージのレールが今も残っているのが確認できた。採石場の拡張計画は結局、実行されないままに終わったが、住民が立ち退いた後の建物はすべて取り壊されたので、周辺はすっかり森に還ってしまっている。

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リューダースドルフ、カルクベルク教会前を行くタトラ KTNF6 28号
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(左)線路が残るカルクベルクの廃線跡
(右)住居跡はすっかり森に還った
 

一方、1977年からの新線は町役場の前を通過し、カルクグラーベン川 Kalkgraben を渡り、長いカーブを描きながら坂を上っていく。終点アルト・リューダースドルフ Alt-Rüdersdorf は、その名の集落の手前にある。道路の向かいには住宅が立ち並んでいるが、軌道の側は木立、その裏はがらんとした畑の、ターミナルにしては寂しげな場所だ。木立を回り込むようにして、終端ループが設置されている。

終点にはシュコダ・アルティックで着いたので、これがループを回って出ていくところを撮ろうと考えた。電車を降りたときからホームに数人のカメラクルーがいたので訝しんでいたら、起点側から思いがけず旧型の単車が現れて、アルティックの後ろに停車した。

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(左)終点アルト・リューダースドルフに到着
(右)後ろから特別運行の旧型単車が
 

後で調べると、1966年自社工場製の「レコワーゲン Rekowagen」73号だ。戦後の一時期、SRSが自前で車両を製造していたときの貴重な実例といえる。方向幕に「特別運行 Sonderfahrt」とあるとおり、撮影用のオンデマンド運行らしく、客は乗っていない。アルティックを先に行かせてしばらく停車するようなので、私も車内を見学させてもらった。

各地から来たメーターゲージ車両が活躍していることで愛好家には有名な路線だが、保存運転に遭遇するとは幸運だ。やがて、定期運行のタトラカーが入ってきた。急かされるようにレコワーゲンがループを回り遠ざかるのを見送って、私もアルト・リューダースドルフを後にした。

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1966年製レコワーゲン 73号
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(左)運転台 (右)客室
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後から来たタトラカーに急かされるようにレコワーゲンが出発
 

次回は、ヴォルタースドルフ路面軌道を訪ねる。

■参考サイト
シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道 http://www.srs-tram.de/

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)
 

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2026年7月16日 (木)

ベルリン東郊の小路線-シュトラウスベルク鉄道

シュトラウスベルク鉄道 Strausberger Eisenbahn

シュトラウスベルクSバーン駅 S-Bahnhof Strausberg ~ルストガルテン Lustgarten 間 5.9km(下注)
標準軌(1435mm)、直流750V電化
1893年開業(蒸気鉄道)、1921年電化

*注 現 終点から旧 終点駅で車庫のあるシュトラウスベルク・シュタット Strausberg Stadt までの区間を含めると 6.2km

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Sバーン駅行きが到着、メルヘンヴァルト停留所にて
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地形図にシュトラウスベルク鉄道のルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA

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1892年の軽便鉄道法 Kleinbahngesetz(下注)の施行を受けて、いち早く建設が進められた路線の一つがシュトラウスベルク鉄道 Strausberger Eisenbahn だ。根拠となる法律に基づき、当初はシュトラウスベルク軽便鉄道 Strausberger Kleinbahn と称した。

*注 軽便鉄道法は、地域振興を図る目的で建設や運行の要件を緩和し、鉄道の敷設を促すもの。原語の Kleinbahn は、直訳すると小鉄道。

シュトラウスベルクは、ベルリンの東35km、浅い氷河谷に湛水したシュトラウス湖 Straussee に面する町だ。前回のブーコー Buckow と同様、1867年に開通したプロイセン東部鉄道 Preußische Ostbahn(下注)が数km南を通ったため、これまで駅への連絡手段は乗合馬車に頼っていた。夏の週末などリゾート客が訪れる時期はそれでは足りず、農夫の荷馬車まで駆り出されたという。

*注 ベルリンからプロイセン領ケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Калининград/Kaliningrad)を経てロシア国境に至る長距離の主要幹線。

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シュトラウスベルク旧市街入口
 

東部鉄道駅と町を結ぶ全長6kmの新たな鉄道は、わずか4か月の工期で完成し、1893年8月に開通式を迎えた。蒸気機関車による運行だったが、東部鉄道を介して貨物輸送を行うために、軽便線ながら初めから標準軌で建設されていた。ベルリンとの間の交通の便が改善したことで、通勤客や行楽客が年を追うごとに増加し、鉄道は活況を呈した。

当時は全線が専用軌道で、ルートの後半は今と違って、南に延びる住宅街の東側を迂回していた。終点は旧市街の南口に設けられ、シュトラウスベルク・シュタット(町の意)Strausberg Stadt と名乗った(下注)。

*注 Sバーンの同名駅は後に設置されたもので、位置も異なる。

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1992年のハーガーミューレ停留所とレコワーゲン
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

1921年に軽便鉄道は直流750Vで電化を果たし、名称も軽便ではない「シュトラウスベルク鉄道」に改称された。このときルートの後半部が、住宅街を貫く路面軌道に移されている。終点も新たに路面上に設置され、ルストガルテン Lustgarten(下注)と名付けられた。軌道はそこから旧 終点駅まで延長され、駅跡は車両基地として活用された。貨物輸送も旧線経由でまだ行われていたので、電気機関車が同時に投入されている。

*注 Lustgarten は宮殿などにある散策庭園のことで、転じて公園や遊園地の名とされる。

1930年代は拡張期で、ルートが旧市街のマルクト広場 Marktplatz 前を通ってプロヴィンツィアルアンシュタルト(州庁舎)Provinzialanstalt まで最大900m延伸された。しかしこの区間は1970年に廃止されてしまい、今では痕跡をとどめない。

*注 後にランデスユーゲントハイム(州立青少年の家)Landesjugendheim に改称。

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1992年のシュトラウスベルク・シュタット車庫
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ちなみにシュトラウスベルク鉄道は、東ドイツ時代、全国の鉄道網が国有化された際に、その対象にならなかった稀有な交通企業だ。当時、市が大半の株式を所有していたからだとされ、市営から後には人民公社 Volkseigener Betrieb (VEB) となって存続した。

1970年からはフランクフルト(オーデル)自動車運輸人民公社 VEB Kombinat Kraftverkehr Frankfurt (Oder) の鉄道輸送部門に統合されていたが、ドイツ再統一後、再び市が全株式を所有する有限会社 GmbH となって、現在に至る。小さいながらもわが町の、わが町による、わが町のための鉄道であり、市民の愛着も強いに違いない。

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ルストガルテン駅

DB(ドイツ鉄道)のシュトラウスベルク駅には、ベルリン・オストクロイツ Ostkreuz 駅からSバーンS5系統の電車で36分、近郊列車のRB26系統なら25分で到着する。広い駅前広場の左側がバスターミナル、右側がシュトラウスベルク鉄道の敷地だ。軒に Tickets と大書された案内所の裏に、すっかり近代化されたトラムの乗り場、シュトラウスベルクSバーン駅 S-Bahnhof Strausberg(下注)がある。

*注 旧駅名のフォアシュタット Vorstadt も通称として使われる。

ルストガルテンまでの所要時間は13分だ。運行間隔は平日が20分、土日祝日は1本ずつ間引きされて40分に開く。きょうは日曜なので、長い待ちぼうけを食わないようにあらかじめ発車時刻は調べてある。

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Sバーン駅
(左)案内所 (右)シンプルな片面ホーム
 

シュトラウスベルク鉄道はベルリン市電網と接続していない孤立路線だが、ベルリン都市圏の路線体系に組み込まれ、トラム89系統を付番されている。それだけではない。2013年に就役した現在の主力車両は、ベルリン市内を走っているものと同形式車で、鮮やかな黄色の塗装までそっくりだ。

この5車体連接ボンバルディア・フレキシティGT6は、ベルリン市交通局 Berliner Verkehrsbetriebe (BVB) 向けに開発された量産車の第1世代になる。シュトラウスベルクが購入したのは2編成に過ぎないが、BVBの大量調達に便乗することで、個別に発注するより割安に入手できたに違いない。シュトラウスベルク鉄道はたびたびベルリンから中古車の譲渡を受けてきた歴史があり、その縁は深い。

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5車体連接のフレキシティGT6
 

一方、フレキシティ以前に主力を担っていたのは、1989~90年製の3車体連接タトラカー KT8 D5 だ。スロバキアのコシツェ Košice から来た車両で、3編成在籍していたが、新車配備に伴い、2編成がプラハに売却された。残り1編成は、改修を受けたうえで今も日常運用についているはずだが、きょうは運転本数が少ないので、見かけることがなかった(下注)。

*注 公式サイトによれば、このほかニューオーリンズから取得した同じタトラ社の単車トラム T6C5 も運用されている。

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タトラKT8 D5 22号車(2019年)
Photo by Bennditt at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ホームで待っていると、森の陰から黄色いフレキシティが姿を現した。これが5分の折返し時間の後に12時40分発のルストガルテン行きになる。降車が終わると20人ほどの客が乗り込んだ。

ルート前半では、森の中を直線的に走っていく。蒸気軽便の開業当時はほんとうに深い森だったのだろうが、後に沿線で住宅開発が行われ、今は過半が森に覆われた住宅地になっている。

それで、森の中でも数百mおきに停留所がある。すべてリクエストストップだが、けっこう乗降客がいて、トラムは小刻みに停車と発車を繰り返す。残念ながら新型車では前面車窓を楽しむことはできないから、復路では途中下車して、森に包まれた停留所の雰囲気を確かめるつもりだ。

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森の陰から現れたフレキシティ
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(左)2024年新設のメルヘンヴァルト停留所
(右)森の中を一直線に延びる軌道
 

5つ目のヘーガーミューレ Hegermühle 停留所には待避線があり、平日ダイヤなら列車交換が行われる。路線のおよそ中間点だからだが、同時にここは車窓風景の転換点でもある。停留所を出るとすぐに州道23号を横断し、そのまま道の右側に張り付いて、いわゆる道端軌道になるからだ。1921年の電化と同時に実施されたルート移設区間だ。

ちなみに移設後の旧線も貨物線として残され、1995年まで定期便が走っていた。官製地形図ではまだ本線のように太く描かれている(下図参照)。しかしその後は利用が減少し、2006年に線路は撤去された。現在は街路や自転車道に変わっている。

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ハーガーミューレ停留所から北望(1992年)
本線は左へ進んで道路を横断
右の直進線路は当時まだ残っていた旧線
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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シュトラウスベルク周辺の1:50,000地形図(2001年版)
北半の路面軌道は省略されているため、旧線が目立つ
赤アミは軍用地
© Landesvermessungsamt Brandenburg, 2026
 

道端軌道と呼ばれるのは、車道の横に沿うものの、車道や歩道とは明確に区分されている軌道敷のことだ。建設当時、郊外だった区間などでよく見られる。シュトラウスベルクの場合もこのあたりは郊外の街道筋で、プラタナスの並木道の周りに、敷地に余裕のある民家が並んでいる。

この間にもいくつか通りの名をつけた停留所があり、ようやく景色が町らしくなってくる頃には、もう終点が近づいている。軌道は市街地の車道と歩道にはさまれた窮屈な敷地に収まり、そのままルストガルテン駅のホームへ続く。

終点駅も起点と同じく、片面ホームの棒線構造だ。ベンチが置かれた道路脇の空地に、起点駅と同じような案内所の建物が建っている。

軌道はこの後、側線を分岐させながら右へ急カーブしていく。その先には鉄道の車庫があるが、これこそ、蒸気軽便時代の終点シュトラウスベルク・シュタット駅の跡だ。往時はもちろん、南側から線路(旧線)が入ってきていたのだが、現在は北から回り込む形に変わっている。

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(左)ルストガルテン駅に到着
(右)旧駅跡に建つ車庫
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シュトラウスベルク市街周辺の拡大図

ところで地図をご覧になった方は、シュトラウスベルクにもう1本、別の鉄道が来ているのに気づかれたことだろう。東部鉄道のシュトラウスベルク駅と旧市街北東に位置するシュトラウスベルク・ノルト(北の意)Strausberg Nord 駅を結ぶ支線だ。第3軌条方式で電化され、SバーンS5系統の電車が乗り入れている。

駅間距離が長いこともあり、一見こちらのほうが歴史が古そうだが、実は逆で、戦後1955年の開通だ。なぜその時期に並行路線が建設されたのかは、シュトラウスベルクのもう一つの顔が深く関係している。それは首都周辺という地理的条件を買われた軍都としての顔だ。

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シュトラウスベルク駅、Sバーンの発着ホーム
 

シュトラウスベルクには18世紀からプロイセン軍の駐屯地の一つが置かれていた。しかし、本格的に軍事施設が設置されるのは、ナチス政権下の1935年以降だ。初めは「マルク圧延工場 Märkisches Walzwerk」の偽名でカムフラージュされた軍需工場で、続いて東郊に軍用飛行場や空軍兵舎が造られた。

戦後はこれらを東ドイツの国防軍が使用することになる。さらに、四か国協定でベルリンが非武装地帯とされたため、国防軍の本部も1954年にベルリン市内からシュトラウスベルク市の北縁に移転してきた。こうした軍用地へのアクセスとして急遽建設されたのが、シュトラウスベルク・ノルト線だ。

旅客輸送では、1956年にSバーンの支線内シャトル運行が、1968年からは後のS5系統であるベルリンへの直通運転も始まった。中間駅として旧市街の最寄りにシュトラウスベルク・シュタット Strausberg Stadt 駅があったが、1984年にはその南にヘーガーミューレ駅も開設された。

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(左)シュトラウスベルク・シュタット駅
(右)シュトラウスベルク・ノルト駅
 

しかし、ドイツ再統一後は軍事組織の整理統合が進み、軍都の色彩はしだいに薄まっていく。不要となった軍用地は公共や民間の施設に転用され、シュトラウスベルク・ノルト線もふつうの通勤路線に性格を変えていった。

現在の運行間隔は平日20分、休日も日中は20分と、並走するトラムと同等か頻度が高くなっている。これがベルリン直通であることも考え合わせると、トラムの優位性は、停留所の数やアクセスの良さにとどまるのかもしれない。

最後に、シュトラウスベルク鉄道会社が運営する、珍しい乗り物を一つ紹介しておこう。トラムの終点ルストガルテンのすぐ北にある交差点を左に進むと、シュトラウス湖 Straussee が見えてくる。その湖岸の桟橋と対岸とを結ぶシュトラウス湖フェリー Strausseefähre がそれだ。

これは電動船なのだが、その上空に1本のワイヤーが通されていることに注目したい。そして船の屋根から延びた別のワイヤーが、先端のホイールで上空のワイヤーをつかまえている。これらのワイヤーは通電している。つまりフェリーは、電車やトロリーバスと同じく、架線から取った電気を動力にして走っているのだ。かつては川の渡し船にも例があったというが、今やドイツでここにしか残っておらず、町の名物になっている。

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架線集電方式のシュトラウス湖フェリー
 

フェリーは1894年に開業したが、最初はケーブルとウィンチを使った手動式で運航されていた。数年後に自走のディーゼル船が就航し、1913年にはガソリンエンジン搭載の新型船に置換えられた。しかし、水浴場やレストランのある湖畔に騒音と石油臭を巻き散らしたため、たちまち市民の不評を買う。

そこで市が導入したのが、架線集電フェリーだった。シュトラウス湖は細長い形状をしていて、縦(南北)は4km近くあるのに対し、横幅(東西)は約330mと狭い(下注)。そこで両岸に高さ10m弱の鉄塔を建てて、あいだに電線を渡した。フェリーは、そこから直流230V(開業当時は170V)の電力を受け取っている。

*注 330mは図上実測値。公式サイトは350mとしている。

湖面には別途、ワイヤーが2本並行に張られていて、これを船体の両側に通すことで航路を誘導する仕組みだ。このワイヤーにはまた、鉄道のレールのように電流の帰線の役割もある。

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湖面の2本のワイヤーで航路を誘導
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(左)湖岸に立つ架線塔
(右)誘導ワイヤーの調節装置
 

現行のフェリーは1967年に就航した2代目で、「シュテッフィ Steffi」の名で呼ばれている。30分ごとに運航され、対岸までの所要時間は7分だ。観光船ではなく、れっきとした公共交通機関だが、個別運賃が設定され、運輸連合VBBの運賃ゾーンからは外されている。ドイチュラント・チケット Deutschland-Ticket も使えないので注意のこと。

次回は、シェーナイヘ=リューダースドルフ路面軌道を訪ねる。

■参考サイト
シュトラウスベルク鉄道 https://www.strausberger-eisenbahn.de/

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)
 

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2026年7月11日 (土)

ベルリン東郊の小路線-ブーコー軽便鉄道

ブーコー軽便鉄道 Buckower Kleinbahn

ミュンヘベルク(マルク)軽便鉄道駅 Müncheberg (Mark) Kleinbahnhof ~ブーコー(メルキッシェ・シュヴァイツ)Buckow (Märkische Schweiz) 間 4.9km
標準軌(1435mm)、直流600V電化
1897年開業(750mm軌間、蒸気鉄道)、1930年標準軌改軌および電化、1998年運行休止
2002年保存運行開業

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保存電車479/879形、ブーコー駅にて

ドイツの首都ベルリン Berlin の東郊には、森や野原と農地が混在する平原地帯が広がっている。そのなかに小規模ながら個性的な鉄道路線がいくつか見つかる。いずれも標準軌幹線の駅と、その幹線が経由しなかった町とを結ぶもので、運行にかかわる事業体もその町の公営企業や保存団体だ。ドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) やベルリン市交通局 Berliner Verkehrsbetriebe (BVG) といった大手の路線では見ることのできない独特の雰囲気をもつこの小路線群を訪ねてみよう。

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ベルリン東郊の鉄道路線図(市内路面軌道、Uバーンを除く)

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ベルリン中心部から東へ50km、ブーコー Buckow(下注1)は、森と湖が織りなす景観でマルク・スイス(ドイツ語ではメルキッシェ・シュヴァイツ Märkische Schweiz、下注2)と称される自然公園の拠点になっている小さな町だ。

*注1 Buckow は(ブッコウではなく)ブーコー [ˈbuːkoː] と発音する。
*注2 マルク Mark は、正式にはブランデンブルク辺境伯領(マルク・ブランデンブルク Mark Brandenburg/Markgrafschaft Brandenburg)といい、かつてはベルリンを中心として東西約300km、南北約200kmの範囲に広がっていた。

ベルリンから東へ延びる鉄道が開通したのは1867年のことだ。プロイセン東部鉄道 Preußische Ostbahn と呼ばれ、当時プロイセン領だったケーニヒスベルク Königsberg(現 ロシア領カリーニングラード Калининград/Kaliningrad)を経てロシア国境に至る長距離の主要幹線の一部だった。先行開業していたオーデル川 Oder 以東への短絡線として造られたので、沿線の小さな町には目もくれず、遮るもののない平原地帯を一直線に進んでいく。

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ブーコー湖北岸の眺め(2012年)
Photo by Lienhard Schulz at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ブーコーも、そして次回取り上げるシュトラウスベルク Strausberg も、当時はこの幹線鉄道に見放された町の一つだった。しかし、1892年に地域振興を図る目的で鉄道の建設要件を緩和するプロイセン軽便鉄道法 Kleinbahngesetz が成立すると、様相が一変する。

各地で雨後の筍のように鉄道の建設ブームが巻き起こり、ブーコーでも負けじと1893年に、東部鉄道のミュンヘベルク Müncheberg 駅と町を結ぶ鉄道計画が発議された。建設費を抑えるために軌間750mmの狭軌線とし、蒸気機関車で運行する。地元自治体や民間の資本拠出で鉄道会社が設立され、1897年7月に約5kmの路線が開業した。

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ミュンヘベルク駅舎(2012年)
Photo by Andre_de at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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地形図にブーコー軽便鉄道のルートを加筆
Basemap from OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

鉄道の出現はまた、別のブームを呼び覚ました。マルク・スイスの静かな湖畔にベルリン市民の関心が集まり、夏場の行楽客が増加したのだ。狭軌の蒸気列車では集中時の輸送をさばききれなくなったため、会社は、改軌と電化という抜本的な設備更新に踏み切った。1930年5月に鉄道は標準軌化され、同時に直流800Vの電気運転が始まった。東部鉄道は非電化のままだったので、孤立した電化路線だった。

第二次世界大戦後の東ドイツ体制下で鉄道は国有化されて、組織的にはベルリンSバーンの管轄となる。電化開業時から走り続けてきた車両の老朽化に伴い、1980年から82年にかけて製造された2両編成の新車3本が調達されて旧車を置き換えた。これはベルリン・シェーネヴァイデ Berlin-Schöneweide の国鉄修理工場の製造で、車体にはSバーン車両、動力系には直流600Vの路面電車ゴータカーの設備がそれぞれ転用されている。対応して、架線電圧も600Vに改められた。

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ミュンヘベルク軽便鉄道駅で発車を待つ保存電車
 

しかし、ドイツ再統一後は自動車交通の増加で、鉄道利用者が減少する。変電所の設備更新を回避するため、1993年からはディーゼル動力のレールバス運行に切り換えられた。翌1994年、ブーコー線はDR(東ドイツ国鉄)の他の路線網とともに新生DB(ドイツ鉄道)に継承されたが、すぐに不採算路線として整理対象に挙げられる。運行期間の短縮を経て、列車の運行は1998年9月の夏ダイヤ最終日をもって終了した。

その後、路線は保存団体のメルキッシェ・シュヴァイツ鉄道協会 Eisenbahnverein Märkische Schweiz e. V. に引き継がれた。協会の目的は、もとの電気運転の復活だった。変電所の改修は数年に及んだが、その完成により再び架線に電流が通され、車庫に眠っていた電車が自走できる環境が整った。こうして2002年9月から、ブーコー軽便鉄道全線で夏の間、オリジナル車両の走行シーンが見られるようになったのだ。

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フラクトゥール文字で記されたブーコーの駅名標
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ブーコー駅構内、ミュンヘベルク方を望む

昨年(2025年)6月、私は、北ドイツを巡るうちの半日をブーコー訪問にあてた。この年は4月19日から10月5日の間の土日祝日が運行日で、1日8往復が設定されていた。

軽便鉄道の起点であるミュンヘベルク(下注1)へは、ベルリン市内のオストクロイツ Ostkreuz 駅またはリヒテンベルク Lichtenberg 駅から、RB26系統の列車が30分間隔で出ている(下注2)。オストクロイツからの所要時間は42分、気軽に行ける郊外の行楽地だ。

*注1 正式名は地方名を添えた Müncheberg (Mark)。
*注2 ニーダーバルニム鉄道会社 Niederbarnimer Eisenbahn AG (NEB) が運行事業者で、「オーデルラント線 Oderlandbahn」の愛称が付されている。

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ボンバルディア製タレント Talent が運用されるRB26系統(2007年)
Photo by MPW57 at German Wikimedia. License: public domain
 

ところがこの時は、運悪く途中のシュトラウスベルク以遠が工事運休で、バス代行になっていた。ミュンヘベルクまであと18km、列車なら15分なのだが、並行する道路は約5km南を通るB1(連邦道1号線)しかない。鉄道がいかに沿線集落を無視して敷かれたかがわかるが、そのため代行バスは、距離およそ30kmの大迂回で、35分かけてようやくミュンヘベルク駅前に到達した。

さらにこの駅自体、ミュンヘベルクの村の中心部から3.5kmも離れたさびしい森の中にある。駅前には民家が散在するものの、商店などはまったく見当たらない。不案内な土地なので、きょろきょろとあたりを見回しながらホームに出た。2番線では、代行バスからバトンを受け継ぐ本線コストシン Kostrzyn(下注)行きの列車が客待ちしている。

*注 コストシン Kostrzyn はRB26系統の終点で、オーデル川 Oder を越えたポーランド側の国境の町。ドイツ語名はキュストリン Küstrin。

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(左)シュトラウスベルク駅前から代行バスに乗る
(右)ミュンヘベルク駅のコストシン行き列車
 

そのホームの中央部に地下道に降りる階段があり、大きな案内板が掛かっているのに気づいた。「マルク・スイスへはこちらから直接行けます。ブーコー軽便鉄道、トンネル(地下道)を通って7番線へ」。これなら迷うことはない。

親切な案内に従って長い地下道を抜け、階段を上がると、駅裏の森に囲まれた荒地の先に、クリームと赤茶のツートンをまとう2両編成の電車が見えた。ミュンヘベルク発の一番列車だ。バスの到着が10時11分で、軽便鉄道の発車が10時20分。バスがほぼ定時に走ってくれたおかげで、なんとか間に合った。

このコンクリート張りの短いホームは軽便鉄道専用(下注)だが、DB駅舎とはずいぶん距離がある。どう数えれば7番線になるのかわからないが、昔はこの間にも多数の側線が広がっていたのだろう。

*注 正式名はミュンヘベルク(マルク)軽便鉄道駅 Müncheberg (Mark) Kleinbahnhof。

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(左)軽便鉄道の案内板
(右)荒地の先に軽便鉄道の電車が
 

電車は、上述のとおり東ドイツ時代の1980~82年製で、電動車479.6形と制御車879.6形がペアを組む(下注1)。車体はベルリンSバーン276形からの転用だが、乗降扉は仕様が異なり、中央1か所のみだ。ブーコー軽便鉄道の駅はホームが低く、乗降ステップを要するため、ハルバーシュタット式 Halberstädter(下注2)と呼ばれるこの設計が採用された。

*注1 現存3編成の車番は479.601~603と879.601~603。これは1992年にDB体系に準じて改番されたもので、保存車両の車体にはDR時代の車番(電動車ET 279 001, 003, 005と制御車ES 279 002, 004, 006)が記載されている。
*注2 中央に乗降扉をもつDRの客車群 Mitteleinstiegwagen は、ハルバーシュタット鉄道修理工場 Raw Halberstadt で製造されていたのでこう呼ばれる。

車内に入ると中央室があり、その両側に、クロスシートを並べた客室が配置されている。当時ブーコーに納入された3編成はいずれも現存し、稼働可能な状態だという。ちなみに、テューリンゲン登山鉄道の山上区間を走っている479.2形(下注)も、これと同時期に製造された姉妹車両だ。

*注 本ブログ「テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)」参照。

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電動車479.6形(手前)と制御車879.6形
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(左)出入口のある中央車室
(右)クロスシートを配置した客室
 

ホームでそそくさと写真を撮って、車内に入った。乗客はほかに、お母さんと子供2人の家族連れのみ。本線がバス代行で、アクセスしにくい時期だからだろうか、案外少ない。

そこへ鉄道のスタッフが肩からバッグを提げた別の少年を連れてやってきた。この少年が検札を担当しているようだ。「こんにちは、切符を」と声がかかったので「ブーコー往復お願いします」と返す。往復の運賃は7ユーロ。手際よく鋏を入れてくれたのはエドモントン式の硬券ではなく、カード型の乗車券だった。裏面に479.6形の写真が配してある。

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検札を担当する少年
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カード型の往復乗車券、下は裏面
 

そうこうする間に、列車はおもむろに動き出した。スタッフがまた客室に入ってきて「運転室へどうぞ」という。本来は子供向けのサービスだろうが、前方車窓にかぶりつけるのはありがたいので、私もお言葉に甘えた。

線路は駅から東向きに出た後、大きな左カーブで北を向く。初め畑地や牧草地も見えるが、やがて森に包まれていく。驚くことに、軌道にはPC枕木が敷かれていて、架空電化の設備とともに、保存鉄道が週に2日使うだけの走行線路とは思えない立派さだ。

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(左)運転室からの前面展望
(右)軌道にはPC枕木が敷かれている
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子供たちも興味津々
窓下部の旗はドイツ国旗とブランデンブルク州旗
 

時速40kmで進んでいくと、唯一の中間駅ヴァルトジーファースドルフ Waldsieversdorf が見えてきた。停留所 Haltepunkt には不釣り合いな大きさの駅舎が建っている。最寄りの村からの強い要望で、開業の9年後に設置されたそうだが、保存鉄道になった今でも利用されているのだろうか。時刻表どおりに停車したものの、乗降客はなかった。

30秒ほどで再び発車。線路はおおむね直線で、周囲は深い森が続く。しばらく座席に戻っていたが、時刻を見計らって前方を見ると、S字カーブの先に車庫らしき建物が覗いている。まもなく視界が開けて、枝分かれした側線群と、終点駅の頭端式ホームが現れた。10時32分ブーコー(下注)到着、所要12分のミニトリップだった。

*注 正式名はブーコー(メルキッシェ・シュヴァイツ)Buckow (Märkische Schweiz)。

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(左)ヴァルトジーファースドルフ停留所
(右)線路の周りは森が広がる
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ブーコー駅構内に進入
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ブーコー駅に到着
 

駅舎は線路と直行する形に建っていて、一部2層の、鉄道の拠点にふさわしいどっしりした建物だ。正面玄関とは入口が別だったため、気づくのが遅れて行けなかったが、ささやかな鉄道博物館(有料)も開設されている。

車寄せのついた玄関から駅前に出た。ヤナギの大木が陰を作る石畳の広場がある。しかし、日曜日のお昼前というのにクルマも人も通らず、ひっそりと静まりかえっていた。

おそらく、駅が位置するのが町の南はずれだからだろう。ブーコーの町の中心までは、ここから800mほどの距離がある。折返しの列車に乗るつもりの私には、出かける時間の余裕がなかったが、列車を1本見送ってでも、趣のありそうな田舎町とマルク・スイス自然公園の湖沼群を一目見ておくべきだったと、今になって後悔している。

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一部2層の大きな駅舎
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駅務室入口
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広場に面した駅舎正面
 

次回は、同じ東部鉄道沿線のシュトラウスベルク鉄道を訪ねる。

■参考サイト
ブーコー軽便鉄道 https://buckower-kleinbahn.de/

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 テューリンゲン登山鉄道(旧称 オーバーヴァイスバッハ登山鉄道)

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