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2026年1月15日 (木)

ラ・リューヌ登山鉄道-ピレネー西端の展望台へ

プティ・トラン・ド・ラ・リューヌ(ラ・リューヌの小列車)Petit Train de la Rhune

コル・ド・サンティニャス(サンティニャス峠)Col de Saint-Ignace ~ソメ・ド・ラ・リューヌ(リューヌ山頂)Sommet de La Rhune 間 4.25km
軌間1000mm、三相交流3000V 50Hz電化、シュトループ式ラック鉄道、最大勾配250‰
1924年開通

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ラ・リューヌ山頂の登山列車

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フランスとスペインの国境をなすピレネー山脈、その最西端に位置する山がラ・リューヌ(リューヌ山)La Rhune だ。標高900m(下注1)とさほど高くはないが、大西洋岸から10kmしか離れていないため、晴れた日の山頂からは、両国にまたがるバスク海岸 Côte Basque の、遮るもののない眺望が得られる。ラ・リューヌ登山鉄道 Petit Train de la Rhune(下注2)は、その山頂へ観光客を連れていく。

*注1 下図では905mと記されているが、IGN地形図では900m。
*注2 「登山鉄道」はあくまで意訳で、原語は「ラ・リューヌの小列車」を意味する。

これはフランスに5本あるラック鉄道の一つ(下注)で、シュトループ式ラックレールを用いて、最大勾配250‰の坂道に挑む路線だ。珍しいのは、起点が山麓ではなく、標高169mのサンティニャス峠 Col de Saint-Ignace の上にあることだ。それには路線の成り立ちが関係している。

*注 他の4本は、シャモニーのモンタンヴェール鉄道 Chemin de fer du Montenvers、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc、クレルモン・フェラン近郊のパノラミック・デ・ドーム Panoramique des Dômes、リヨンのメトロC線の一部区間。

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リューヌ山遠望
手前はアンダイエのアバディア城 Château d'Abbadia(2020年)
Photo by PierreD at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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ラ・リューヌ登山鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

峠には、かつて海岸のサン・ジャン・ド・リュズ Saint-Jean-de-Luz からアスカン Ascain を経て内陸のサール Sare に至るメーターゲージ、粘着式の電気鉄道が通っていた。ミディ(南部)県鉄道 Voies Ferrées Départementales du Midi(下注)が地域に張り巡らせた路線網の一部で、登山鉄道はそれに接続するいわば支線だった。

*注 ミディ県鉄道は、国有化以前の大手私鉄、ミディ鉄道(南部鉄道)Chemins de fer du Midi の子会社で、バス・ピレネー県 Département des Basses-Pyrénées(現 ピレネー=アトランティック県 Pyrénées-Atlantiques)西部にメーターゲージの路線網を有していた。名称は県鉄道だが、県営ではない。

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サン・ジャン・ド・リュズ=サール線のサンティニャス峠駅
右端に現 登山鉄道駅舎と接続線路が写る
現地の説明パネルを撮影
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サンティニャス峠駅の絵葉書
登山鉄道の線路が左奥へ延びる
手前の線路はサン・ジャン・ド・リュズ=サール線
現駅舎はまだ建っていない
Photo from wikimedia. License: public domain
 

見晴らしのいいラ・リューヌ山頂へ鉄道を延ばすという構想は1908年に発表されている。1912年に着工されたものの、第一次世界大戦の勃発で中断を余儀なくされ、12年の歳月をかけて1924年にようやく開通した。その年の4月25日に2.65km地点のレ・トロワ・フォンテーヌ Les Trois Fontaines まで暫定運行が始まり、6月30日に開業列車が念願の山頂到達を果たした。

先述のサン・ジャン・ド・リュズ=サール線が開通したのも同じ時期だ。この路線やそれにつながる周辺の鉄道網を通じて、登山鉄道は、沿岸のリゾートに集まる多くの客を惹きつけることができた。

だが、1920年代はモータリゼーションが浸透していく時代でもあった。道路交通の攻勢を受けて県鉄道の利用者は漸減し、経営は苦境に陥る。政府の支援が得られなかったため、1930年代に入ると路線網の縮小が始まり、サン・ジャン・ド・リュズ=サール線も1937年7月1日付けであえなく廃止となった。

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山頂近くを続行する登山列車
 

逆風のなか、登山鉄道だけが生き残ったのは、山上に通じる一般道がなかったからだ。孤立路線になっても、客はみなバスや自家用車でやってくる。起点の駅前には、大型車も停められる広い駐車場が用意された。

しかし、1970年代に鉄道は、もう一度岐路に立たされたことがある。山を上る道路の整備計画が持ち上がり、その建設の是非を問う住民投票が実施されたのだ。道路ができれば鉄道にとって大きな打撃となるところだったが、結果は、否定の票が多数を占めた。

現在、登山鉄道を所有するのは地元のピレネー=アトランティック県だ。運行業務は2012年から、県が設立した高地リゾート公社 Établissement public des stations d’altitude (EPSA) に委託されている。同社は、ピレネー山地にある公有リゾート施設の運営全般を請け負っていて、以前紹介したアルトゥースト湖観光鉄道 Petit train d'Artouste(下注)の運行事業者でもある。

*注 詳細は「アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー」参照。

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山頂駅で出発を待つ

鉄道では、開業時に就役した車両が今なお稼働している。列車の坂下側につくラック機関車 He 2/2 は、本場スイスのSLM/BBC製だ。在籍する6両のうち、3両がラ・リューヌに納入されたオリジナル機になる。1914年に製造が完了していたのに、上述のとおり開業が遅れたため、営業運転に就くまでに10年待たされたという不運の機関車だ。

残りの3両は、1912年からピレネー中部にあったリュション=シュペルバニェール鉄道 Chemin de fer de Luchon à Superbagnères(下注)で走っていた。この路線もミディ鉄道の子会社の運営で、設備仕様がラ・リューヌと共通だったことから、1966年の路線廃止後、こちらに引き取られた。

*注 麓のリュション Luchon からシュペルバニェール高原 Plateau de Superbagnères へ上っていた長さ5.65kmのラック鉄道。ラ・リューヌより早い1912年の開業だが、1960年に並行して道路が開通したため、1966年に廃止された。現在はこの区間にゴンドラリフトがある。

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(左)ラック機関車He 2/2
(右)運転室(いずれも2023年撮影)
 

2軸の小型機関車は、ニスで艶出しした栗の羽目板で覆われ、いかにも古風な外観を呈している。だが、それよりも目を引くのが、屋根に載るユニークな形状の三相交流用集電器だろう。2本の架線に対応する2本の集電子が前後に並んで、どこかトナカイの角を思わせる。

三相交流は、単相に比べて安定した電流が得られるため、商用電力では一般的だ。鉄道界でも19世紀末から導入された(下注)が、装置をより簡素化できる単相交流や直流に取って代わられ、もはやほとんど残っていない。

*注 三相交流は、位相を120度ずつずらした3組の電圧を用いる方式。鉄道に用いられた最初の例は、1899年に開業したスイスのブルクドルフ=トゥーン鉄道 Burgdorf-Thun-Bahn(現 BLS路線網の一部)だが、1932~33年に単相交流に転換された。

今なお三相交流で動いているのは、ラ・リューヌのほかに、スイスのユングフラウ鉄道 Jungfraubahn とゴルナーグラート鉄道 Gornergratbahn、ブラジル・リオデジャネイロのコルコヴァード鉄道 Trem do Corcovado の3路線しかない。いずれもラック方式の登山鉄道(下注)で、世界的に見ても貴重な存在といえる。

*注 登山鉄道にのみ残っている理由については、ウィキペディア「三相交流による鉄道電化」の項に解説がある。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/三相交流による鉄道電化

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(左)三相交流用集電器
(右)駅前広場に置かれた駆動部のオブジェ
 

機関車の坂上側につく2両のオープン客車も、同じ栗の羽目板が張られたオールドタイマーだ。車内は6室のコンパートメントに分かれていて、それぞれ5人掛けのベンチシートが向い合う。窓枠に留めてある紅白縞の派手なカーテンは、厚手で防水仕様になっている。海からの湿った北西風がしばしば山に雲を呼び、雨をもたらすからだ。

乗員は1列車につき二人。山上行きでは、そのうち一人が先頭客車のデッキに乗って前方を確認し、緊急ブレーキを扱う。

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(左)オープン客車
(右)ベンチシートが並ぶ車内

訪れたのは6月、登山鉄道は9時30分から15時30分まで40分間隔、1日8往復のダイヤだった。朝日のさすサンティニャス峠の駅前はまだ人影も少なかったが、駅の案内板に表示されている一番列車の残り席数は23席だ。列車定員は120人だから、多くの人はネット経由で事前に席を押さえているのだろう。

出札口で買った乗車券の二次元コードをかざして、改札機を通過した。構内は1面1線のシンプルな構成だ。古い写真には道路側にもう1線写っているが、とうに撤去されてしまったようだ。サン・ジャン・ド・リュズから来る路線バスが通過するころには、駐車場からも人が続々と集まってきて、狭いホームはいっぱいになった。

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朝日のさすサンティニャス峠駅前
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(左)残り席数の案内板
(右)コンパートメントの案内図
 

発車7分前に、森の蔭から機関車を先頭にして、一番列車が姿を見せた。ホームに到着すると、スタッフが客車の腰高扉をバタバタと開けていく。客は、1から12までそれぞれ指定された番号のコンパートメントに向かう。今朝は天気がいいので、見た限りでは満席のようだ。

警笛が鳴って、列車は駅を定刻に発車した。のっけから結構な坂道だが、まもなく勾配が和らぎ、右に引込線を分けた。線路の奥に見える建物は、孤立路線になるときに建設された3線収容の車庫 兼 整備工場だ。すぐにまた急勾配になり、車庫が右手下方に遠のいていく。列車はそこからしばらく、前山の浅く急な谷間を上り続けた。

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一番列車が現れる
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(左)狭いホームは人でいっぱい
(右)続々と指定の席に乗り込む
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(左)車庫への分岐
(右)車庫の同僚機を見送る(いずれも2023年撮影)
 

10分ほどすると尾根の上に達したようで、約1kmの間、階段の踊り場のような平坦区間に入る。左手にラ・リューヌ山の東の尾根筋、奥にはサール盆地 Bassin de Sare やピレネーの山並みが広がる。その晴れやかな風景を望みながら、列車は前山の南斜面をほぼ水平に横切っていく。露岩の出っ張りを切通しと急カーブで抜けると、進行方向にラ・リューヌ山の本体が現れた。山頂に建つ赤白の電波塔や、そこへ向かって斜面を上っていく鉄道のルートがはっきり見える。

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前山の露岩の切通し
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左車窓にサール盆地とピレネーの山並み
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ラ・リューヌ山頂へ上っていく線路
 

平坦区間の中ほどに、クロワズモン Croisement 信号所がある。起終点駅がいずれも棒線のため、到着した列車は次の列車のために線路を空けなければならない。それで40分サイクルの場合、山上行き一番と山麓行き最終を除いて、必ずこの信号所で行き違うダイヤになっている。実際、帰りはここで山上行き2本とまとめて対向した。各回とも1本の列車で客をさばききれないときは、第2編成が続行運転されるのだ。

穏やかな平坦区間は、前山とラ・リューヌ山に挟まれたレ・トロワ・フォンテーヌ(三つの泉)Les Trois Fontaines と呼ばれる鞍部までだ。ここはまた、1924年4月25日の暫定開通時の終点でもある。1987年まで同名の停留所が残り、列車交換も行われていたが、今では線路わきにぼんやりと空地が広がるだけだ。

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帰りはクロワズモン信号所で列車交換があった
 

ここからはいよいよ、ラ・リューヌ山本体を上る胸突き八丁にさしかかる。直登するには急過ぎるため、線路はいったん左に振って距離を引き延ばしてから、おもむろに右に折れて山頂を目指している。標高700m付近で松林が消えると、車窓右手には遮るもののない大パノラマが開けた。

手前の山腹には、今さっき通った平坦区間が一条の擦痕のように延びている。前山の向こうは、山脈と海の間を埋める緑の丘陵地で、その奥は大西洋(下注)の大海原だ。進行方向に目を移すと、あれほど小さく見えた山頂の電波塔が、もう見上げる高さにそびえている。まもなく列車は標高886m、白壁の駅舎の前の狭い終点ホームに滑り込んでいった。

*注 フランス南西岸とスペイン北岸に囲まれる海域で、フランス語でガスコーニュ湾 Golfe de Gascogne、英語ではビスケー湾 Bay of Biscay と呼ばれる。

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山頂からのパノラマ
前山と山腹の信号所
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同 サン・ジャン・ド・リュズ市街と丘陵地
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同 アンダイエ方面、湾の対岸の半島はスペイン領
 

列車を降り、駅から続く階段を何十段か上れば、もうサミットの展望台だ。2年前に一度来たときは濃霧で視界がきかなかったが、きょうは快晴、サン・ジャン・ド・リュズの湾入からアンダイエ Hendaye の対岸の半島まで、沿岸地帯の風景が手に取るように見える。

山頂には、鉄道駅と電波塔のほかに休憩施設が2棟建っているが、壁に記された文字はスペイン語だ。地図によると、展望台と休憩施設の間にフランスとスペインの国境線が通っている。しかし、それを示すはずの標石はどこにも見つからない。この広く澄んだ空の下では、土地の細かい線引きなど瑣末なことなのかもしれない。

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山頂駅に到着
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展望台
電波塔はフランス側、休憩施設はスペイン側

登山鉄道は冬季を除いて毎日運行していて、片道の所要時間は35分だ。ローシーズンは1日5往復とのどかなものだが、7~8月のハイシーズンには40分間隔のピストン運行になり、1日に14~15往復が走る。注意すべきは、乗車券が往復セットで販売されていることだ。列車と座席が指定され、山頂での自由滞在1時間20分を含め、全体で2時間30分のツアーとなる。

なお、サンティニャス峠の起点駅へは路線バスで行ける。SNCFサン・ジャン・ド・リュズ駅前のバスターミナルから、45系統サール Sare 行きで21分だ。月~土曜は1時間ごと、日曜祝日も7往復と、旅程を組むのに支障のない頻度で運行されている。時刻表は下記の公共交通案内サイトを参照されたい。

写真は特記したものを除き、2023年7月と2025年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ラ・リューヌ登山鉄道 https://www.rhune.com/
チクタク(公共交通案内)https://www.txiktxak.fr/

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