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2026年1月25日 (日)

フェン鉄道を歩く

昨年(2025年)6月、ドイツのアーヘン Aachen に宿を取って、風格ある市街とその周辺を訪ねる機会があった。その際、ぜひ行ってみたいと思っていたのがフェン鉄道 Vennbahn の跡だ。

フェン鉄道というのは、アーヘンの南に広がるホーエス・フェン(フェン高地)Hohes Venn を越えてルクセンブルク方面へ延びていた鉄道路線だ。プロイセン国鉄が建設したが、第一次世界大戦でのドイツ敗戦に伴い、ベルギー国鉄に移管された。しかし、過疎地帯につき貨客ともに需要が乏しく、おおむね1980年代には全線で列車が走らなくなってしまった。1990年代に観光列車による活性化が試みられたが、これも10年ほどで終了し、線路はその後大半の区間で撤去されて、自転車道に姿を変えている。

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フェン鉄道跡の自転車道
 
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フェン鉄道の特異な点は、ドイツ領内を通過している区間を含めて、敷地がベルギー領だったことだ。これは大戦の戦後処理によるものだが、この結果、鉄道用地にブロックされる形でドイツの国土に数か所の飛び地が生じた。後に帰属変更された区域も若干あるとはいえ、鉄道がなくなった今でも、多くが飛び地のままで残されている(下図参照、詳細は「フェン鉄道-飛び地を従えた鉄道の歴史 I」「同 II」に記述している)。

国境が絡んだ廃線跡はたいへん興味深いが、本線だけでも100kmを越える長さがあり、短期旅行者の身で全貌を追うわけにはいかない。気温の高い季節でもあり、今回は鉄道沿いに運行されている路線バスを乗り降りしながら、ほんの一部を徒歩でたどるにとどめたことをご了解願いたい。

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フェン鉄道のルート北半(赤の実線・破線)
すでに大部分が休止または廃止済
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飛び地付近の拡大図
図中の1~5がドイツ領の飛び地

まず目指したのは、フェン鉄道の経由地の一つで、アーヘンの南30kmにあるモンシャウ Monschau という田舎町だ。フェン高地を水源とするルーア川 Rur が刻む深い谷間に、灰色のスレート屋根がひしめく美しい市街地がある。第二次世界大戦ではいち早く米軍に占領されたため、ドイツの他都市のように戦禍をこうむることなく、近世からの景観が保たれた。今ではアイフェル地方の真珠 Perle der Eifel と呼ばれて、けっこう人気の観光地になっている。

あいにくアーヘン中央駅 Aachen Hbf から直接モンシャウへ向かうバスはない。DB(ドイツ鉄道)アプリの指示によれば、SB63系統ジンメラート Simmerath 行きに乗り、途中のレートヘン(レーチェン)郵便局前 Roetgen Post(下注)で SB66系統モンシャウ行きに乗り換えよとのこと。後でよく調べたら、両系統ともアーヘン中心部のバスターミナル Bushof から出ているのだが、途中の経路が異なるため、SB66は中央駅を通らないのだ。

*注 ウィキペディア独語版によると、Roetgen の発音は [ʁøːtçən] で、音写するとレートヘン、レートヒェンあるいはレーチェンになる。なお、現地のバスの車内アナウンスでは、ロイチンのように聞こえた。

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アーヘン中央駅
 

バスは郊外に出ると、森の中の2車線道を軽快に飛ばしていく。フェン高地を横切る連邦道258号に合流した後は、けっこうな上り坂になった。アーヘンの高度は200m前後だが、レートヘンでは400mを越え、サミットは550mほどになる。フェン鉄道の軌跡が大きく蛇行しているのも、距離を引き延ばすことでこの高度差を克服しようとしたからだ。

レートヘンで乗換えたバスは、森を抜け、のどかな集落や牧草地をしばらく走り、最後に細かいカーブを切りながら谷を降りていった。アーヘンからちょうど1時間、終点モンシャウ・アルトシュタット(旧市街)Monschau Altstadt のバス停は、旧市街の北口の前だ。

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(左)路線バスでモンシャウへ
(右)終点モンシャウ・アルトシュタットに到着
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1:20000地形図に歩いたルート等(赤)を加筆
+記号の列が国境線、カラーのエリアがベルギー領
モンシャウ付近
ベルギー官製1:20,000 43 7-8 Reinartzhof-Hoscheit 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 

バスを降りてもなお下り坂で、緩く曲がる石畳道の両側に、石壁やハーフティンバーの家屋が軒を連ねている。歩を進めるとその奥に、高台から町を見下ろしている城塞や、玉ねぎ形のドームを載せた教会の尖塔がちらちらと覗く。地図を頼りに小高い展望台に寄り道して、狭い谷の底から斜面にかけて広がる町のパノラマを堪能した。

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(左)石畳道の奥にモンシャウ城が覗く
(右)福音派教会の尖塔も目印に
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展望台からの城と旧市街のパノラマ
 

モンシャウは歴史的にはフランス語圏で、1918年までフランス語名のモンジョワ Montjoie と呼ばれていた。今のドイツ語名に改称されたのは、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、大戦終結の講和条約でベルギー編入の対象にされることを危惧したためだとされる。確かにグレー基調のシックな都市景観は、ベルギーのフランス語圏、ワロン地域 Région wallonne のどこかにあってもおかしくない。

鮮やかな花々に彩られたマルクト広場から、ルーア川に面して建つローテス・ハウス Rotes Haus と福音派教会の前を通り、路地の石段を、丘の上のモンシャウ城址 Burg Monschau まで直登した。しかし800年の歴史をもつという城郭は案外狭く、しかもイベント用のやぐらが組んであるのがいささか興ざめだった。

■参考サイト
モンシャウ旧市街のGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/LHk34NxfqGUEBa8K9

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ルーア川沿いに続くマルクト周辺の町並み
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18世紀の貴族の館ローテス・ハウス(正面左)と
福音派教会に渡る鉄橋
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モンシャウ城址
(左)円塔 (右)イベント用のやぐらが組まれた城内
 

街巡りの後は、いよいよ本題のフェン鉄道跡を見に行く。かつてのモンシャウ駅は、町からはずれた高原の上に設置されていた。

小道をさらにたどって高原の上位面へ。のどかな住宅地の中を北へ15分ほど歩いたところで、旧駅の入口が見えてきた。駅はベルギー領だったので、ここで国境線をまたぐはずだが、目印になるようなものは見当たらない。ベルギー側と思われる個人宅の前の砂利道を奥へ進むと、森を切り開いたような空間に一条の舗装道が延びていた。北側(アーヘン方)に、バスの待合所のような休憩施設も見える。

傍らに立つ案内板には、独蘭仏英の4か国語でこう記されていた。「フェン高地のユニークな景観を抜けてアーヘンからトロワヴィエルジュ Troisvierges に至る旧フェン鉄道は長さ125kmで、ヨーロッパ最長の自転車道の一つです。勾配はわずか平均2%で、どんなサイクリストにとっても最も魅力的なコースの一つになっています。」

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モンシャウ駅跡の自転車道
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(左)モンシャウ駅の表札がある休憩所
(右)自転車道案内板
 

現在、旧フェン鉄道はドイツ、ベルギー、ルクセンブルクの3か国にまたがる国際自転車道として開放されている。同時に、ベルギー・ワロン地域の廃線跡自転車道ネットワーク「RAVeL(Réseau autonome de voies lentes、公設低速道路網の意)」の一部でもあって、沿道の距離標識にはその道路番号 L48(下注)が添えてある。きょうはこれを4.2km北のコンツェン駅跡まで歩くつもりだ。

*注 L48はアーヘン~ザンクト・フィート Sankt Vith 間。

朝から快晴で日差しは強いが、高原は風がよく通り、案外涼しい。モンシャウ前後のルートは目立った勾配もないから、サイクリングには最適だろう。さっそく北へ向かって歩き出すと、自転車を駆るペアやグループとたびたび行き違った。

ベルギーの官製地形図には、沿道に小さな赤丸の記号と Gr で始まる英数字が点々と打たれている(下図参照)。Gr はオランダ語で境界標を意味する Grenspalen の略で、国境標の位置と番号を示すものだ。しかし、実際の標石は路傍に生い茂る草むらに埋もれてしまったのか、一向に目に入らない。

フェン鉄道のこの区間は1934年まで複線だったし、用地には駅や築堤・切通しの法面なども含むので、ある程度の横幅があるはずだ。とはいえ、異国の地で丈の高い草をかき分けて探し回るのは、さすがにためらわれる。そのうち一つぐらい見つかるだろうと放念して、先へ進んだ。

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(左)一般道との交差点
(右)残された鉄道信号機
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サイクリストと行き違う
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同 コンツェン付近
ベルギー官製1:20,000 43 7-8 Reinartzhof-Hoscheit 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 

しばらくすると左手に農地が広がり、ぽつんぽつんと農家も見えてくる。ここまでは左右ともドイツ領で、ベルギー領の自転車道はその海に浮かぶ紐のような通路だった。しかし、46.0kmの距離標の手前で進行方向左側がベルギー領に変わる。つまりこの先は、線路用地の右端が両国の国境になるのだ(下注)。もちろん周りの風景には何の変化もないので、あくまで脳内認識に過ぎないのだが。

*注 上掲の地形図では北へ約350mの間、左側を並走する道路がドイツ領として描かれているが、これはすでにベルギーに帰属替えされている。

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ベルギー領に変わる地点(国境の概略位置を加筆)
 

右手の森の蔭にコンツェン Konzen の集落の一部が現れた。コンツェン駅が間近だが、その前に注目すべきポイントがある。それはリュックシュラーク Rückschlag と呼ばれる最小のドイツ領飛び地だ。

これは1軒の住宅敷地で、線路の左側にもかかわらず旧モンジョワ郡に属していたためドイツ領で残された(下注)。東西150m×南北110mの少しひしゃげた矩形で、面積は0.016平方km、東京ドームの約1/3だ。個人宅としては十分広いが、国土として見ればいかにも小さい。

*注 三方の隣接地は旧オイペン郡だったので、鉄道用地とともにベルギーに割譲された。

自転車道からそれて確かめに行くと、それは屋敷森に包まれた農家だった。周りは耕作地のようだが、隣のベルギー領の手入れされた牧草地とは違って、夏草がぼうぼうと茂っている。だが、うれしいことに敷地の南東角に、国境を示す石標が見つかった。地形図によれば Gr 756 で、日なたの南面にベルギーを表す B の文字が読み取れる。

気をよくして敷地の北東角にも行ってみると、小さな溝の脇にまた B の文字が刻まれた石標があった。こちらは白いペンキで759と、標番つきだ。

■参考サイト
リュックシュラークのGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/jYWfRJ7NCsuLpkMM7

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最小の飛び地リュックシュラーク(国境の概略位置を加筆)
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リュックシュラークの国境標
(左)南東角のGr 756 (右)北東角のGr 759
 

まもなく右手から、朝バスで通った連邦道258号が接近してくる。コンツェン駅跡には、モンシャウにあったのと同様の休憩所が置かれ、地図を載せた案内板が立っていた。さらに400mほど北の旧構内北端では、プラットホーム状の土留めがしてあり、復元駅名標や信号機がオブジェのように立ち並んで、駅の記憶を伝えていた。

自転車道は、ここで連邦道と交差してランマースドルフ Lammersdorf の方へ迂回していくが、追い続けるには時間が足りない。探索を中断し、コンツェン駅 Konzen Bahnhof の名を残す近くの停留所からアーヘン行きのバスに乗った。

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コンツェン駅跡
(左)休憩所 (右)構内北端に集められたオブジェ群
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復元された駅名標
写真では見えないが、後ろの草むらに線路(移設されたもの)が埋まる
 

もう1か所訪ねたい区間がある。鉄道はランマースドルフを経由した後、アーヘンに向けておおむね1:60(16.6‰)の下り勾配で高原の北斜面を降りていく。その坂道を実感してみたかったのだ。往路と同じレートヘン・ポストの停留所でバスを降りた。少し手前で自転車道が連邦道を横切っているので、そこから再び自転車道に足を踏み入れる。

地図では、廃線跡が南西側に膨らみながら、集落のへりをかすめていると読める。しかし、実際には両側に木が生い茂って、自転車道を行く限り、モンシャウあたりの野の道と大して変わらなかった。明らかに違うのは道につけられた勾配で、自ずと歩く足取りが軽くなる。

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レートヘン・ポスト停留所で途中下車
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同 レートヘン付近
ベルギー官製1:20,000 43 3-4 Petergensfeld-Lammersdorf 2000年版
© 2026 Institut Géographique National - Bruxelles

 
 

木々に遮られて気づくのが遅れたが、いつのまにか周囲より高い築堤の上にいた。ヴェーザー川 Weser の浅い谷に張り出した区間で、街路とは立体交差している。

ミューレン通り Mühlenstraße の踏切跡では、左側にきょう3個目の境界標 Gr 884 を見つけた。刻まれたB、D(ドイツ Deutschland の頭字)と884の英数字が白ペンキで強調されている。ここと連邦道踏切跡との間約100mは、鉄道跡とベルギー「本土」とがつながっているため、ドイツの飛び地が二分される。

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(左)レートヘンの自転車道
(右)築堤下の街路と立体交差
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道路脇の目立つ場所にあった国境標 Gr 884
 

再び連邦道を横断すれば、レートヘンの駅跡だ。連邦道のすぐ脇にカフェが開いていて、サイクリストのグループが休憩中だった。その奥の駐車場のあたりが駅舎のあった場所で、コンツェンと同じように信号機や復元駅名標が並んでいる。少し離れてデザインの違う駅名標もあったが、実はこちらが廃止前からホームに立っていた本物だ。

そのレートヘン駅を後にすると、フェン鉄道は再びドイツの中の紐状の通路となり、地形の起伏をなぞりながら大きく東に迂回していく。そして、ベルギーのオイペン Eupen 方面との分岐駅だったラーレン Raeren 駅に着くまで、高原斜面の深い森をひたすら縫う孤独の旅に出るのだ。

■参考サイト
レートヘン駅跡付近のGoogle地図 https://maps.app.goo.gl/uz4yGyy6SvmgfS5K8

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連邦道から見たレートヘン駅跡
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レートヘンの駅名標
(左)復元された旧デザイン
(右)新しいデザインだがもとからホームにあったもの
 

■参考サイト
フェン鉄道跡自転車道 https://www.vennbahn.eu/

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