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2025年12月 5日 (金)

ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る

ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn

アルプナッハシュタート Alpnachstad~ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm 間 4.27km(下注)
軌間800mm、直流1650V電化、ロッハー式ラック鉄道、最急勾配480‰
1889年開通、1937年電化

*注 数値は水平距離。実距離(斜長)は4.618km。

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エムジゲン駅での列車交換(2013年)

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鉄車輪とレールの摩擦から推進力を得る鉄道にとって、勾配路は不向きだ。摩擦力の不足で車輪が空転して、制御が効かなくなる恐れがある。その克服のために考案されたのが、ラック・アンド・ピニオン方式、いわゆるラック式だ。線路に敷いた歯棹(ラック)と、車両に装備した歯車(ピニオン)をかみあわせて走行を安定させる。ヨーロッパではニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が、1871年にスイスのリギ山 Rigi で初めて実用化した(下注)。

*注 リギ山のラック鉄道については、「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

リッゲンバッハやそれを改良したカール・ローマン・アプト Carl Roman Abt のシステムでは、ラックとピニオンは縦置きされている。しかし、これは勾配があまり強まるとピニオンがラックの歯に乗り上げてしまい、脱線事故を引き起こしかねない。その限界は1:4(250‰)とされた。

*注 ヨーロッパで運行中のラック鉄道の最急勾配は、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn の255‰(アプト式)、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen の253‰(リッゲンバッハ式)。なお、アメリカにはワシントン山コグ鉄道 Mount Washington Cog Railway の374‰(マーシュ式)などの例外もある。

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リギ鉄道H 1/2形7号機の保存運行(2009年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リギ山と並ぶルツェルン Luzern のハウスベルゲ(地元の山)であるピラトゥス山 Pilatus でも、リギ鉄道の成功を受けて鉄道建設の機運が高まった。しかし全体として穏やかな山容のリギとは異なり、ピラトゥスは町の南方で荒々しい岩肌を見せている突峰だ。標高も2119mで、1797mのリギ山を優に超える。

このような険しい山に勾配250‰以下の条件でルートを引くと、8.7kmもの迂回路とトンネルなど多数の構築物が必要となる。これでは建設費が莫大な額になり、資金調達のめどが立たない。勾配をより強めてケーブルカーで代替する案もあるが、路線長から見てケーブルの自重すら支えきれないだろう。

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フィーアヴァルトシュテッテン湖から仰ぐピラトゥス山
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ピラトゥス鉄道周辺の1:50000地形図
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ生まれの技師エドゥアルト・ロッハー Eduard Locher は、この難題に独創的なアイデアで応じた。それは複式ラックを横置きにして、車体側の2個のピニオンで両側から噛ませるというものだった(下の写真参照)。ピニオンの下にはフランジを付けて、山腹で強風を受けても車両が浮き上がらないようにする。

軌道にも独特な工夫が施された。急勾配に対応して、枕木ではなく地中深く打ち込んだ鋼鉄製のアンカーにレールを固定する。路盤も築堤ではなく、堅固な石積みだ。従来の分岐器が使えないため、車両を載せて移動させる遷車台や、軌道台の横移動で定位と反位を切り換える置換式分岐器を考案した。そのうえで建設費を抑えるため、軌間は800mmとした。

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ラック装置各種
左からシュトループ式、ロッハー式、リッゲンバッハ式、アプト式(2枚歯)
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz で撮影
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軌道台が横移動する置換式分岐器(2013年)
 

車両は、客室の坂下側に蒸気機関を設置した蒸気動車Bhm 1/2形で、当初8両を配備した。勾配が変化しても水位をほぼ一定に保てるように、ボイラーは進行方向に対して横向きに設置されている。客室は階段状のコンパートメントが4室で、各8名、計32名が乗れる。

この創意あふれるシステムによってロッハーは、高低差1633mを最大480‰、平均でも350‰という世界一の急勾配で克服するラック鉄道を実現した(下注)。高山での困難な工事を経て、鉄道は1889年6月に開通式を迎えた。山頂に、広々としたピラトゥス・クルムホテルが建設されたこともあり、利用者は右肩上がりで増加していく。蒸気動車も不足がちになり、1909年までに3両が追加配備された。

*注 ロッハー式を採用したラック鉄道は、世界的に見てもピラトゥス鉄道のほかにはない。

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蒸気動車Bhm 1/2形 9号
スイス交通博物館蔵
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(左)ピラトゥス・クルムから降りるBhm 1/2形(1889年ごろ)
Photo from SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0
(右)Bhm 1/2形の製造所銘板
 

蒸気動車の劣化が進んだことから、鉄道は1937年5月に直流1500Vで電化される。SLM/MFO社から、座席定員40名(5室×8名)の電動車Bhe1/2形が8両納入されて、旧車を置き換えた(下注)。それまで片道70~80分を要していたが、電化後はわずか30~40分に短縮され、輸送能力は著しく向上した。

*注 Bhe1/2形は1960年と1967年に各1両が増備され、最終的には10両になった。1960年の1両は、実際には電動貨物車Ohe 1/2の交換用車体。

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電動車Bhe1/2形22号、マットアルプ Mattalp 付近にて(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この時代の運行形態は、徹底した続行運転だ。時刻表上では40~45分間隔の発車になっているが、実際には視程距離50mを維持しながら、最大5両までが次々と駅を出ていく。山麓のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅は本線と側線、計2線の構造で、山上に向かって右側の本線に最大2両が停車して客を迎える。増便する場合は、左の側線に待機させた車両を最下部の遷車台で本線に移して、同様に客扱いをした。

この車両集団が、中間のエムジゲン Ämsigen 駅で、山を降りてくる集団と列車交換をする。山上駅ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm では、構内に入る前に線路が二手に分かれる。左の線路は駅の手前でさらに2線に分かれてシェルター内に入る。そこには乗降ホームが2本(3番と4番)あり、各ホームは電車2両分の長さがある。一方、右に離れた1番線は開業時からある線路で、5両目の続行便があるときはここに入るようになっていた。

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アルプナッハシュタート駅の遷車台
電車を載せて横移動する(2016年)
Photo by Mboesch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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エムジゲン駅での列車交換(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

Bhe1/2形による運行は実に85年にわたって続いたが、2022年11月の運行シーズン最終日をもって終了した(下注)。代わって2023年シーズンから登場したのが、前面、側面、天井と、床以外の全方向に窓をもつ新車のBhe 2/2形だ。車長が1.7m長くなり、コンパートメントが6室取れるので、座席定員は48人(運転席を出す場合は2人減)に増加した。これが2両連結で走り、一度に100人近くを運ぶことができる。

*注 ピラトゥス鉄道は現在、5月中旬から11月中旬までの季節運行。

旧車は片扉だったが、新車では両側に乗降扉がついた。それに対応する形で、山麓駅では左側のもと側線にホームが増設され、各線に列車を収容しての同時乗降が可能になった。最高速度も旧車の上り12km/h、下り9km/hに対して各3km/hアップしていて、所要時間は以前より3~7分短い27~33分だ。

駅の遷車台は不要となり、代わりに構内上部に、本線ともと側線間で車両を転線させるための回転式分岐器が設置された。定位と反位の軌道が表裏に設置された台を軸回転させることで、列車の進路を切り換えることができる。

通常の運行では、2両連結のBhe 2/2が最大2本続行する。これだけでは旧車5両で運んでいた時代と同等の収容定員だが、スピードアップに伴う運行間隔の短縮により、単位時間当たりの輸送量は増加した。2025年のダイヤでは運行間隔が35分だ。計画ではこれを30分間隔に縮めて、多客期の輸送力のさらなる向上を図るという。

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新型Bhe 2/2形(2022年)
Photo by Au des Kolbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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改装されたアルプナッハシュタート駅
左のもと側線にホームを増設(2024年)
Photo by Bybbisch94 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ピラトゥス鉄道に乗りに出かけたのは、今を遡る2013年のことだ。当時の写真で、そのミニトリップを振り返ってみたい。

滞在していたルツェルンからブリューニック線の電車に乗って、アルプナッハシュタート駅に着いた。標高440m、ピラトゥス鉄道の山麓駅は、駅前広場の山側で斜面に張り付くように建っている。屋根に載る PILATUS-BAHN の大きな切り文字の上にいるのは、この岩山に棲んでいるとされるドラゴンだ。

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アルプナッハシュタート駅、上方の白い建物は車庫
 

ピラトゥス山頂へは、南からアプローチするこの鉄道のほかに、北側のクリーンス Kriens の町からゴンドラリフトとロープウェーを乗り継いで上っていくこともできる。いずれもピラトゥス鉄道会社が運行していて、切符購入時に自由に選択が可能だ。私は違う景色を見たいので、鉄道で上り、ロープウェーで降りる一方通行ルートにした。スイスパス(現 スイストラベルパス)を見せれば運賃は半額になる。

次の発車は9時35分だ。切符のバーコードをリーダーにかざし、ターンスタイルを通って、Bhe1/2形が客待ちしているホームへ向かう。前のコンパートメントから埋まっていく傾向があるが、景色を楽しみたいなら、下界の展望が開ける最後尾がベターだ。内部は向かい合せのシートで、1列に4人掛けられる。階段状になった車内はまるでケーブルカーだ。

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(左)改札
(右)電車が駅に入ってきた
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(左)乗車券
(右)階段状のコンパートメントが並ぶ車内
 

ドアが閉まるとまもなく発車した。側線で待機中の同僚機を横目に見ながら、いきなり急坂を上っていく。傍らに立つ電柱の傾き方が想像以上だ。左手に見えてきた3本目の線路は、車庫への引込線で、小ぶりの作業車Xhm1/2形が停車している。線路が1本にまとまる地点には、遷車台があった(2023年から回転式分岐器に置換え)。

早くも高度が上がって、緑の牧草地の中に民家が点在する風景が下手に沈んでいく。やがて車窓は針葉樹の森に包まれ、しばらく視界が閉ざされた。右にカーブしながら谷川を渡り、素掘りのままの短いヴォルフォルトトンネル Wolforttunnel に入る。少しすると今度は左カーブで、シュピッヒャー第1と第2の2本のトンネル Spychertunnel を立て続けに抜ける。森の隙間に草地が現れ、しばらくすると速度が急に落ちた。標高1355mの中間駅エムジゲンのようだ。

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(左)側線で同僚機が待機中
(右)車庫への引込線に停車する作業車Xhm1/2形
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村と牧草地の風景が下方に沈む
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(左)素掘りのヴォルフォルトトンネル
(右)勾配標は‰(パーミル)ではなく%表示
 

待避線で行違った下り便は1両だけだった。日中なら数両が揃ってにぎにぎしい儀式になるところだが、午前中はまだ降りてくる客がいないのだろう。線路は上り側(右側)が開通している。乗降客がなかったようで、わが電車は停車することなく通過した。

後半区間は、初めおおむね直線で進んでいく。後ろから続行便がつかず離れずついてくるので、居ながらにして走行写真が撮れる。やがて森林限界を超えたようで、羊背岩と青草に覆われた斜面が広がった。目を凝らすと、放牧された牛があちこちでのどかに草をはんでいる。進行方向左手には、にぶい灰色の絶壁エーゼルヴァント Eselwand がそそり立つ。電車はこの垂直な岩壁を斜めに切りながら上っていくのだが、あいにく壁の上半分に白い霧が降りてきている。

ピラトゥスは突出した高峰のため、雲がかかりやすい。帽子をかぶる者の意のラテン語ピレアトゥス Pilleatus が山名の語源という説があるくらいだ。むかし一度来た時も、山頂付近にだけ霧が湧いて、見通しがあまりきかなかった。旅行中は日程が限られているから、快晴のタイミングに合わせるのは難しい。

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中間駅エムジゲン
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(左)下方にアルプナッハ湖が覗く
(右)マットアルプの草原を横断
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エーゼルヴァントを次々に上る電車群(1984年撮影)
 

いよいよ険しさを増す斜面を避けるように、軌道は左にカーブして、雪覆いに続くエーゼルヴァント第1トンネルに吸い込まれる。抜け出ると、もう石灰岩の高い壁の中腹にいる。鉄道建設の際に、作業員がザイルでぶら下がりながら硬い岩を砕いたという難所だ。

岩壁のトンネルは第2から第4まであと3本ある(下注)が、視界は濃い霧に閉ざされた。晴れれば、足がすくむ断崖と、遠くにアルプナッハ湖  Alpnachersee やウルナーアルプス Urner Alpen が拝める絶景地だが…。

*注 長さは第1が44m、第2が50m、第3が46m、第4はわずか9m。第3と第4の間は雪覆いでつながっている。

エーゼルヴァントを西側に回り込んだ後は、最後の胸突き八丁だ。カールを埋め尽くすガレ場のへりを電車はじりじりと上っていき、終点ピラトゥス・クルム駅のシェルター内にある階段ホームに到着した。

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(左)霧に包まれるエーゼルヴァント
(右)素掘りのトンネルが連続する
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(左)カールのへりを上る最終盤
(右)終点手前の480‰勾配
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ピラトゥス・クルムのテラスからの眺め
 

■参考サイト
ピラトゥス鉄道 https://pilatus.ch/

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ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

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