« 2025年11月 | トップページ | 2026年1月 »

2025年12月

2025年12月31日 (水)

ドルダー鉄道-チューリッヒ市内のラック電車

ドルダー鉄道 Dolderbahn (Db)

レーマーホーフ Römerhof~ドルダー Dolder 間1.328km
軌間1000mm、直流600V電化、フォン・ロール式ラック鉄道、最大勾配196‰
1895年ケーブルカーとして開通
1973年ラック鉄道に改築、ヴァルトハウス Waldhaus~ドルダー間延伸

Blog_zh_dolder1
山麓駅レーマーホーフに接近するドルダー鉄道の電車

Blog_zh_dolder_map1

スイス最大の都市チューリッヒ Zürich は、チューリッヒ湖 Zürichsee からリンマート川 Limmat(下注)が流れ出す地点に築かれた町だ。近世までは堅固な市壁に護られた要塞都市だったが、19世紀後半になると壁を越えて市街地が拡大していった。東側に横たわる緑の丘陵地にも開発の波は及び、今では湖岸や河岸から2km前後、高度差にして200mの高みまで宅地に覆われている。

*注 日本語への音写ではリマト、リマートも見られる。

こうした新しい町の住民の足代わりになってきたのは、最初、馬車であり、次に路面軌道だった。東の丘陵地、現在の7区のエリアには、1894年から翌95年にかけてチューリッヒ電気軌道 Elektrische Strassenbahn Zürich (EStZ) と、ツェントラーレ・チューリッヒベルク鉄道 Zentrale Zürichbergbahn (ZZB) のトラム路線が相次いで開業している。前者は1896年、後者は1905年に市に買収され、市電網の一部になった(下注)。

*注 前者は現 11系統の東半、後者は現 5系統の東半区間に相当。

Blog_zh_dolder2
アドリスベルクとドルダー・グランドホテル(2015年)
© Roland Fischer, Zürich (Switzerland) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
Blog_zh_dolder3
アジュール通り Asylstrasse を下る3系統のトラム
 

同じ時期に、急勾配に対処できるケーブルカーも導入された。一つはアドリスベルク Adlisberg の山腹を上っていくドルダー鉄道 Dolderbahn (Db) で、今はラック鉄道だが、最初はケーブルカーで開業した。もう一つは、高台にあるチューリッヒ工科大学 ETH Zürich のキャンパスに上がるポリバーン(ポリ鉄道)Polybahn というミニ路線だ(下注)。

*注 なお、隣接する6区の丘陵斜面にも、1901年にリギブリック・ケーブルカー Seilbahn Rigiblick が開業している。

Blog_zh_dolder_map2
チューリッヒ市街東部の1:25000地形図
左端のZürich HBが中央駅
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ市民の足として親しまれている2本の登山ならぬ「登坂」鉄道のうち、今回はまず、ドルダー鉄道について見ていこう。

ドルダー鉄道は、上述したチューリッヒ電気軌道 EStZ の山手区間、ベルヴュー Bellevue~プファウエン Pfauen~レーマーホーフ Römerhof~クロイツ広場 Kreuzplatz 間の路線と同時に計画されたものだ。東部丘陵(下注)のピークの一つに、標高701mのアドリスベルクがある。その中腹に位置する見晴らしのいいドルダー地区で目論まれていた観光開発のためのアクセス手段だった。

*注 最高地点のピークの名を取って、プファンネンシュティール丘陵 Pfannenstiel-Höhenzug と呼ばれる。

ケーブルカーのドルダー鉄道は1895年7月に開業した。全長816m、メーターゲージで中間に行き違いループをもつ単線交走式の路線だった。

起点駅は、山麓のレーマーホーフ Römerhof という居酒屋 兼 宿屋の隣に設けられ、前の広場に電気軌道の停留所があった。レーマーホーフはその後1899年に、店舗と住居が入る立派なビルに改築されたが、広場の地名としてもすっかり定着し、駅や停留所の名になっている。

Blog_zh_dolder4
開通間もないころの山麓駅
右手前にレーマーホーフの一部が写る(1900年ごろ)
Photo from Swiss National Library, EAD-ZING-7450. License: public domain
 

一方の山上駅は、チューリッヒ湖を眼下に見晴らす標高約550mの地点に置かれた。ヴァルトハウス・ドルダー(ドルダー森の家)Waldhaus Dolder という名の居酒屋 兼 宿屋が造られ、駅も同じ名で呼ばれた。

Blog_zh_dolder5
山上駅付近
右の建物はヴァルトハウス・ドルダー(1907年)
Photo from Swiss National Library, EAD-WEHR-14983-B. License: public domain
 

しかし、開発計画はこれにとどまらない。1899年、そこから500m足らずの山手に、保養施設「ドルダー・グランドホテル・アンド・クーアハウス Dolder Grand Hotel & Curhaus」がオープンした。そして駅とホテルの間には、利用客を運ぶ路面電車ドルダートラム Doldertram が走り始める。1両きりの運行車両は、保守整備を市電会社に委託するため、市電と形式を揃えていた。

ドルダー鉄道とドルダートラムの連携運行は1930年まで続いたが、その年の12月31日にトラムが廃止され、翌年から送迎バスに置換えられた。

Blog_zh_dolder6
ドルダー・グランドホテルの前を行くドルダー・トラム(1905年)
Photo by The Dolder Grand at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

とはいえ、バスも短距離の運行で効率が悪く、客にとって乗換えの不便も変わらない。そこで運営会社は、運行認可の更新を機に、鉄道のルートをホテル前まで延伸することを決めた。ケーブルカーでは勾配や曲線の条件が合わなかったため、フォン・ロール式のラック鉄道(下注)に転換することになった。

*注 フォン・ロール式 Von Roll system(ラメラ式 Lamella system ともいう)は、スイスのフォン・ロール社が開発した、1枚の幅広の歯棹を用いる方式。リッゲンバッハ式やシュトループ式の機関車に対応できるため、両方式のレールと混用する鉄道もある。

ラック鉄道は、ケーブルカーに比べて途中駅が自由に設置できるほか、車両検査時などに残りの1両での運行が可能で、コスト削減につながる点も有利だった。同様にケーブルカーからラック鉄道に転換された路線には、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen(1958年転換、下注)、ローザンヌ=ウーシー線 Chemin de fer Lausanne–Ouchy(1958年転換、後の2008年にゴムタイヤ式メトロに再転換)がある。

*注 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線については「アッペンツェルの鉄道群-ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道」参照。

1年余りの工事期間を経て、1973年9月に、装いを新たにした鉄道が再開を祝った。全長は1328mになり、196‰の最大勾配で標高差160mを克服する。

Blog_zh_dolder7
延伸区間の高架橋を上るBhe 1/2形従来車
 

ドルダー鉄道は長年独自に運行され、運賃も別建てだった。しかし1999年から、業務がチューリッヒ市交通局 Verkehrsbetriebe Zürich (VBZ) に委託され、25系統として市内の公共交通網に組み込まれた。トラムや路線バスと同様に、運賃が市内ゾーンに含まれるようになった。もちろんスイストラベルパスも通用する。

チューリッヒ駅前から3系統の市内トラムに乗り込んだ。レーマーホーフは5つ目の停留所で、所要8分。広場に面して、古代風のモチーフを窓枠や付け柱に施した、5層に見える大きなビルが目を引いている。建て直されたレーマーホーフだ。名称がローマ人屋敷という意味なので、設計者もそれにふさわしい装飾をと意気込んだのだろう。

ラック鉄道の乗り場はどこかと見回すと、中央ポータルの左隣の入口に「Dolderbahn」の文字が見えた。中に入ると、建物を突き抜けた先に、ホームに通じる自動ドアがある。ホームは1線を2面で囲んだいわゆるスパニッシュ・ソリューションだ。

Blog_zh_dolder8
壮麗な建物のレーマーホーフ
Blog_zh_dolder9
(左)乗り場入口
(右)建物を抜けた先にホームがある
 

ドルダー鉄道の運行は、1973年のラック鉄道改築に際して納入された単行のBhe 1/2形2両で賄われてきた。車庫がなく予備車もいないので、検査や改修で1両が現場を留守にすると、残る1両でのシャトル運行になる。

訪れた2024年7月はちょうどその時期で、通常10分間隔の時間帯も15分ごとの運行になっていた。全線走行に6分を要するので、往復では12分かかる。そのため起終点での折返し時間が1~2分しかないという、きわめてタイトなダイヤだ。

まもなく、赤地に2本の白帯を巻いた1号電車がホームに入ってきた。扉は手動で、数人が降車したところに、待っていた20人以上が乗り込む。ベビーカーや自転車も持ち込まれて、車内は混んでくる。その間に運転士は反対側の運転席に移動して、すぐに扉が閉まった。

Blog_zh_dolder10
(左)山上行き電車が到着
(右)混んだ車内
 

電車は駅を出ると、緑の多い住宅地を貫いて、おおむね真直ぐに上っていく。初めのうちは勾配も緩やかで、ラックが要らないくらいだ。途中に1か所、微妙なカーブで右に寄るのはケーブルカー時代の行き違いループがあった名残りだ。

一つ目の駅、ティトリスシュトラーセ(ティトリス通り)Titlisstrasse に停車した。駅といっても片側ホームの停留所で、3人降りる。続いて、現ルートの中間にある行き違いループを通過。10分サイクルのときはここで列車交換が行われるが、今は分岐ポイントも用がない。

勾配が次第に急になり、二つ目の駅でかつての終点、ヴァルトハウス・ドルダーに停まる。路線延伸の際に、建物は改築されて近代的なホテルになった。その1階部分にホームが組み込まれ、線路は建物を通り抜けていく。

Blog_zh_dolder11
(左)ティトリスシュトラーセ駅
(右)行き違いループを通過
Blog_zh_dolder12
ヴァルトハウス・ドルダー駅の上方でチューリッヒ湖が見える
 

ヴァルトハウス前後の線路勾配が最も急で、最大値は196‰になる。クーアハウス通りをまたぐと深い森の中に入り、右へ大きくカーブしていく。勾配が和らいでも緑に包まれたままで、気がつくともう終点ドルダー駅のホームだった。

山麓駅と同じく構内はシンプルな2面1線で、奥に Probefahrt(試運転)と表示した大きな正面窓の新車が停まっていた。現在の車両は、就役からすでに50年が経つ。このため、新たにBhe 1/2形2両がシュタッドラー・ブスナング社 Stadler Bussnang に発注され、この3月にまず1両目が現地に到着したというニュースが出ていたから、それに違いない。

今回の減便ダイヤは、この1両が試運転中で客扱いしないことによるものだが、続報によれば、8月に2両目が納入され、9月23日から新型2両で通常ダイヤによる運行が再開されたそうだ。

終点駅は、かつてのドルダー・グランドホテルを拡張した五つ星ホテル、ザ・ドルダー・グランド The Dolder Grand に隣接している。それに、背後の森の周辺は、スケートリンクやゴルフコース、テニスコートが点在していて、鉄道はこのレクリエーションエリアに通う市民にとっても大切な存在だ。

Blog_zh_dolder13
(左)終点手前の出発信号機
(右)山上駅ドルダー
Blog_zh_dolder14
試運転中のBhe 1/2形新車
 

★本ブログ内の関連記事
 ポリ鉄道(ポリバーン)-学問の丘のミニ路線
 アッペンツェルの鉄道群-ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道
 チューリッヒ保存鉄道-ジールタール線の懐古列車

2025年12月25日 (木)

フリブールの重力式ケーブルカー

フリブール・ケーブルカー Funiculaire de Fribourg

鋼索鉄道(単線交走式)
延長121m、高度差56.4m、軌間1200mm、最大勾配550‰
ウォーターバラスト方式で運行、リッゲンバッハ式ラックレールをブレーキに使用
1899年開通

Blog_fribourg1
坂を降りるフリブール・ケーブルカー

ケーブルでつながれた2台の車両が斜面の軌道を交互に昇り降りする交走式ケーブルカーは、英語で funicular(フュニキュラー)という。局地的な地形の高低差を克服する乗り物として、19世紀中ごろから各地で造られていった。当時その動力に用いられたのは、固定式の蒸気機関か、ウォーターバラスト(水の重り)だ。

蒸気機関がケーブルを掛けた滑車に動力を伝えるのに対し、ウォーターバラストは、山上にいる車両に水を積んで、重力で降下させる。山麓にいる車両は水を捨てて軽くなっているので、ケーブルにより引き上げられる。速度調節は、ラック鉄道の要領でラックレールに車両側のピニオン(歯車)を噛ませて行った。

石炭などの燃料を消費する前者に比べて、後者は水さえあればよく、簡便で安価な方式だ。そのため、山上での水の確保や、寒冷期の凍結など課題はあったものの、電動機が普及するまで運転方式の主流を占めていた。

しかし、今となっては古典的な駆動システムで、もはや世界的に見ても数か所にしか残っていない。ヨーロッパ大陸では、ポルトガルのブラガ  Braga、ドイツのヴィースバーデン Wiesbaden(下注)、そしてスイス西部、フリブール Fribourg の市街地で稼働している通称「フュニ Funi」だ。

*注 ヴィースバーデンのケーブルカーについては「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

Blog_fribourg2
ポルトガル・ブラガのボン・ジェズス・ケーブルカー Elevador do Bom Jesus
1882年の開業でこの方式では現存最古(2017年撮影)
Photo by Palickap at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_fribourg3
ドイツ・ヴィースバーデンのネロベルク鉄道(2018年)
(左)車両 (右)青い鉄管が注水口
 
Blog_fribourg_map1

フリブールは、首都ベルンの南西30kmにあるフリブール州の州都だ。12世紀の自由都市に遡る気品漂う旧市街があることで知られる。地形はベルンと似ていて、高原を深く浸食しながら蛇行するサリーヌ川 La Sarine を天然の要害にしているのが特徴だ。ブール Bourg と呼ばれる旧市街はその高原が細くくびれた場所に立地し、谷底の河原との高低差は60~70mほどある。

1862年にベルンとローザンヌを結んで、鉄道が開通した。西の町はずれに駅が開設され、旧市街との間に新市街が形成されていった。一方、崖下のサリーヌ川沿いには古くからの下町ヌーヴヴィル Neuveville がある。1877年、ここで後に「カルディナル(枢機卿)Cardinal」のブランドで知られることになるビール工場が創業した(下注)。その経営者が、市街地と下町の間で労働者を運ぶために1899年に設置したのが、このケーブルカーだ。

*注 カルディナル・ビール工場はその後、1904年にフリブール駅の南に移転して、2010年まで操業していた。跡地に博物館がある。

Blog_fribourg4
フリブール市街
大聖堂を中心とするブール(左上)と下町のヌーヴヴィル(右下)
Blog_fribourg_map2
フリブール市街周辺の1:25000地形図
© 2025 swisstopo
 

上部駅サン・ピエール St. Pierre は、旧市街と駅地区との境、ジョルジュ・ピュトン広場 Place Georges Python のすぐ近くに位置する。ヌーヴヴィルの下部駅までルートは直線で、長さ121m、高度差は56.4m。当時すでに電動式も実用化されていたが(下注)、まだ数が少なく高価だったため、普及していたウォーターバラスト方式が採用された。

*注 最初の電動式ケーブルカーは、フィーアヴァルトシュテッテン湖畔で1888年に開通したビュルゲンシュトック鉄道 Bürgenstock-Bahn。

水源は、驚くことに町の下水道だ。ピュトン広場の地下に下水管に接続された貯水槽があり、そこでごみを除去した廃水を引いて、車両のタンクに注入しているという。確かにこれなら水源の枯渇や冬期凍結の心配はない。下部駅で車両から排出された水は下水管に戻しているので、いわばケーブルカー施設が下水道網の一部になっているわけだ。

Blog_fribourg5
下水道網の一部を成すケーブルカー

訪れた日は、SBB/CFFフリブール駅を起点に、歴史ある旧市街や難攻不落の崖地形を見て歩いたのだが、ヌーヴヴィルから駅に戻る際に「フュニ」を利用した。

最初、駅のロッカーに荷物を預けて、旧市街へ足を向けた。緩やかに曲がる坂道に商店やレストランが軒を連ねるローザンヌ通り Rue de Lausanne を下り、町のシンボル、サン・ニコラ大聖堂 Cathédrale St-Nicolas の高塔を見上げる。それから、眺めのいいゼーリンゲン橋 Pont de Zaehringen でサリーヌ川の深い谷を一跨ぎして対岸に出た。

Blog_fribourg6
ローザンヌ通りから見通す大聖堂
Blog_fribourg7
大聖堂と市庁舎(手前の時計塔のある建物)
 

サリーヌ Sarine はフランス語名で、ドイツ語ではザーネ Saane という。フリブールもドイツ語ではフライブルク Freiburg になる。ドイツ語とフランス語はスイスの二大公用言語(下注1)だが、両言語圏の、目には見えない境界(下注2)が通っているのがこのサリーヌ/ザーネ川だ。川の右岸はドイツ語圏のシェーンベルク Schönberg 地区になるのだが、道路標識はまだフランス語だった。

*注1 このほか、アルプスの南側で使われるイタリア語とグランビュンデン州の一部で使われるロマンシュ語も公用語になっている。
*注2 スイス・ドイツ語圏ではこの言語境界のことを、じゃがいもの郷土料理にちなんでレーシュティグラーベン(レーシュティの溝)Röstigraben と呼ぶ。

Blog_fribourg8
ゼーリンゲン橋から見下ろすサリーヌ渓谷
左の城壁は猫の塔、右は屋根付きのベルン橋
 

町の防御施設の一部だった猫の塔 Tour de chats を伝って谷底に降り、民家と同じスレート屋根に覆われたベルン橋 Pont de Berne を渡る。通るのは歩行者と二輪車程度かと思ったら、路線バスが来たのには驚いた。川の滑走斜面に身を寄せ合うオージュ Auge 地区の家並みを抜けると、今度は頑丈そうな石橋のミリュー橋 Pont du Milieu が見えてくる。ゆらめく川面と崖の上にひしめく旧市街を仰ぎながら、再び右岸へ。

Blog_fribourg9
(左)猫の塔 (右)ベルン橋
Blog_fribourg10
ミリュー橋の下を流れるサリーヌ川
Blog_fribourg11
サン・ジャン橋を渡ってヌーヴヴィルへ
 

最後にサン・ジャン橋 Pont de Saint-Jean でもう一度サリーヌ川を渡って、下町ヌーヴヴィルにたどり着いた。緩く上る街路が大きく右に反転する場所に、FUNICULAIRE(フュニキュレール)の切り文字を掲げた下部駅のささやかな建物がある。

「フュニ」は公共交通機関の扱いなので、平日、休日を問わず毎日動いている。運行間隔は最短6分とされているが、このときは10分間隔だった。運賃は片道3スイスフラン(2024年現在)。鉄道、バスなど州の公共交通を一手に担うフリブール公共交通 Transports publics fribourgeois (TPF) が運営しているので、スイストラベルパスも通用する。

Blog_fribourg12
ケーブルカーのヌーヴヴィル駅
(左)ささやかな駅舎 (右)構内
 

狭い構内にはすでに小型の客車が入っていた。階段状になったコンパートメントが2室あり、坂上側はオープンタイプの片側席、坂下側はクローズドタイプでベンチシートが向い合う。車端のデッキは運転台だ。数人の客が乗り込んだところで、運転士が扉を閉めてデッキに移り、L字のハンドルを回してブレーキを緩めた。ピニオンがラックに絡むゴロゴロという鈍い金属音とともに、客車はゆっくりと動き出した。

Blog_fribourg13
「フュニ」の車両
Blog_fribourg14
(左)運転台と坂上側のオープン客室
(右)坂下側客室は密閉型でベンチが向かい合う
 

ルートの下半分は鉄橋の上を行くが、まもなく中間の行き違いループにさしかかる。対向車両の運転士はブレーキハンドルをこまめに回しているが、こちらは触りもしない。速度調節はもっぱら下り車両の仕事のようだ。ループを抜けるころには、サリーヌ川の谷間を埋める茶色屋根の群れが眼下に広がってくる。線路と並行して屋根付きの階段道が続いているのに気づいた。文明の利器に頼らず自力で登っていく元気な若者もちらほら見かける。

Blog_fribourg15
(左)上部駅行きが発車
(右)中間ループでの行き違い
Blog_fribourg16
眼下に下町の景色が広がる
 

発車して2分、上部駅に到着すると、運転士はハンドブレーキを固く締めてから、出口の扉を開けた。駅舎は下と同じような小さな建物だ。入口の外壁に、改修完了と開業125周年の記念プレートが掲げてあった。

1996年、車両の車軸が破損して運行不能になったケーブルカーに対し、市当局は廃止とバスへの転換を検討した。しかし各界の強い抗議を受けて方針は撤回され、全面的な施設改修が実施されることになった。長年赤に塗られていた車両が、開業時の緑色に戻されたのもこのときだ。工事が完了して運行が再開されたのは1998年6月3日。こうして危機を脱した「フュニ」は昨年(2024年)、開業から125年の節目の年を迎えたのだ。

駅を後に、小公園の傍らを抜けると、トロリーバスが行き交うサン・ピエールのラウンドアバウトに出る。道路上空に張られた架線を目印にして、ものの5分も歩けば、街歩きのゴールであるフリブール駅が見えてくるはずだ。

Blog_fribourg17
(左)サン・ピエール駅舎
(右)外壁の記念プレート
  上から着工・開業、改修後の運行再開、125周年
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル
 ウェールズの鉄道を訪ねて-グレート・オーム軌道
 ウェールズの鉄道を訪ねて-アベリストウィス・クリフ鉄道

2025年12月 9日 (火)

ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地

ライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn (RfB)

鋼索鉄道(単線交走式)
ヴィリンゲン Willingen~ライヘンバッハファル(ライヘンバッハ滝)Reichenbachfall 間 714m
高度差244m、軌間1000mm、最急勾配579‰、平均勾配369‰
1899年開通

Blog_reichenbach1
ライヘンバッハ滝へ向かうケーブルカー

Blog_reichenbach_map1

「一週間のあいだ、ローヌの渓谷をさかのぼって愉快にさまよい歩き、それからロイクで横にそれて、まだ雪のふかいゲミ峠をこえ、インターラーケンを経てマイリンゲンへやってきた。」
(「最後の事件」阿部知二訳 創元推理文庫『回想のシャーロック・ホームズ』)

ベルナー・オーバーラントのアーレ川 Aare を遡った谷間にあるマイリンゲン Meiringen の町は、シャーロキアンにとって聖地の一つだ。1891年5月3日、犯罪のナポレオン、モリアーティ教授の魔の手を避ける大陸旅行でホームズと相棒のワトスンが訪れて、町の「英国館 Englisher Hof」に投宿した。翌4日、宿の主人の勧めで、鉱泉が湧くローゼンラウイ Rosenlaui へ向かう途中、立ち寄ったライヘンバッハの滝 Reichenbachfall で事件が起きる。

瀕死の病人の診察を懇願する手紙を受け取ったワトスンは、ホームズと別れて町に戻るが、それは偽の知らせだった。悪い予感に襲われた彼は、急いで滝に取って返す。しかしそこにホームズの姿はなく、愛用の登山杖と、深い滝壺の前で誰か二人が争った跡があるだけだ。そして彼は、ホームズが遺した置手紙を目にする…。

Blog_reichenbach2
(左)「最後の事件」が収録された短編集
  『シャーロック・ホームズの回想 The Memoirs of Sherlock Holmes』表紙
(右)「最後の事件」ストランド・マガジン掲載時の
  シドニー・パジェット Sidney Paget による挿絵
Photos from wikimedia. License: public domain
 

これがよく知られた「最後の事件 The Final Problem」のクライマックスだ。ストランド・マガジン The Strand Magazine 1893年12月号に発表された。作者アーサー・コナン・ドイル Arthur Conan Doyle は、2年半にわたったホームズ譚の連載を打ち切りたくてこの結末にしたそうだが、名探偵を死なせたという読者の猛烈な抗議に屈して、後に執筆を再開する。

ホームズが宿敵と闘ったとされる現場は町の約2km南にあり、U字谷の切り立った側壁をライヘンバッハ川が落下している。全体は7つの落差から成り、高さは約300mに及ぶが、そのうち最上部にあるのがライヘンバッハ滝だ。高さ120m、ベルナーアルプス Berner Alpen の氷河を水源にしているため、豊かな水量を誇る。

Blog_reichenbach3
ライヘンバッハ滝
 

当時、話題の小説の舞台になったことで一躍その名が知れ渡り、今でいう聖地巡礼ブームが巻き起こった。そこで見物客の需要を当て込んで1899年に、観瀑台に上がるライヘンバッハ滝鉄道 Reichenbachfall-Bahn (RfB) が開業する。単線交走式のケーブルカーで、長さ714m、高度差244m、片道7分でその高台まで乗客を運んだ。

しかし、期待したほどの集客は叶わず、運行会社が二度も倒産し、数年にわたる運休期間もあった。第一次世界大戦後、地域の水力発電会社が直接運営に乗り出したことで、ようやく状況が安定化して現在に至る(下注)。1998年以降、劣化が進行した車両や施設の更新が行われ、それに合わせて開業当時のイメージが復元されている。

*注:現在はオーバーハスリ電力会社 Kraftwerke Oberhasli AG (KWO) の観光部門「グリムゼルヴェルト Grimselwelt」の一事業として運営されている。

Blog_reichenbach4
ライヘンバッハ川をまたぐケーブルカーのアーチ橋
© 2025 www.sherlockholmes.ch
Blog_reichenbach_map2
ライヘンバッハ滝鉄道周辺の1:25000地形図
© 2025 swisstopo

ブリューニック線 Brünigbahn でマイリンゲンまで行った機会に、このケーブルカーでライヘンバッハ滝を訪ねてみようと思った。山麓駅までは道なりに1.4km、路線バスが1時間ごとに走っているが、歩いても20分かからない。

ちなみに1912年、山麓駅前を経由するマイリンゲン=ライヘンバッハ=アーレ峡谷路面軌道 Trambahn Meiringen–Reichenbach–Aareschlucht (MRA) が開通している。マイリンゲン駅から滝と峡谷という近郊の二大名所に通じる観光客向けのトラムだったが、1956年に廃止されてしまった。

Blog_reichenbach5
かつて路面軌道があったマイリンゲンの駅前通り
 

せっかく聖地に来たので、まずは駅のすぐ近くにあるシャーロック・ホームズ博物館 Sherlock Holmes Museum を見ていこう。入館料とケーブルカー往復の割引セット券を売っているから好都合だ。

駅前通りに向いた敷地で、トレードマークの鹿撃ち帽をかぶり、パイプを咥えたホームズの銅像が人目を引いている。奥に控える小塔のついた建物は、もとアングリカンチャーチ(英国教会)だ。1階に礼拝堂が復元され、映画の名シーンを含むホームズ譚の概要や、教会の由来を説明するパネルが置いてある。地下階は、名探偵にまつわるさまざまなアイテムを展示する博物館だ。ロンドンのベーカー街221Bにあったとされる彼の書斎が、ヴィクトリア朝をしのばせる多数の小道具とともに事細かに再現されていて、しばらく見とれてしまった。

Blog_reichenbach6
名探偵の銅像とシャーロック・ホームズ博物館
Blog_reichenbach7
(左)博物館はもと英国教会の建物
(右)入館とケーブルカー往復のセット券
Blog_reichenbach8
(左)解説パネルが置かれた礼拝堂
(右)シンプルな意匠の側窓
Blog_reichenbach9
地下階につくられたホームズの書斎
 

博物館を辞した後は、むかし軌道が通っていた市街の通りを歩いていった。インナートキルヘン線(下注)の踏切とアーレ川に架かる橋を渡ると、ヴィリンゲン Willingen 村に入る。ケーブルカーの駅は、右手の山裾にあるささやかな平屋の建物だ。

*注 ツェントラール鉄道マイリンゲン=インナートキルヘン線 Meiringen-Innertkirchen-Bahn。ケーブルカー山麓駅へはアルプバッハ Alpbach 駅が最寄りで、徒歩7分。同線については「マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ」参照。

運行は15分間隔と、案外頻度が高い。ベンチに腰を下ろしている数人の先客の中に混じって待つうち、上方から茜色のケーブルカーがゆっくりと降りてきた。降車客と入れ換えに、切符に鋏を入れてもらってホームに出る。

ケーブルカーの車体は2000年代に実施された全面改修の折、古写真を参考に開業当時の仕様に戻された。オープンタイプのコンパートメントが階段状に三つ並んでいる。座席は向かい合せの4人掛け木製ベンチで、窓枠に巻かれた白いカーテンがさりげなく優雅だ。両端のデッキには、係員が使う操作盤とハンドブレーキがある。

Blog_reichenbach10
(左)ケーブルカー山麓駅
(右)その傍らにあるホームズ記念碑
Blog_reichenbach11
山上行きケーブルカーが到着
Blog_reichenbach12
(左)旧観に復元された車両
(右)車内は三つのコンパートメントに分割
 

時間になり駅を出ると、すぐに人家は遠ざかり、森と牧草地の間をするすると上っていく。二つ目の跨線橋をくぐり、左へカーブしてまもなく、退避側線が現れた。客の姿がない1号車と行き違った頃から、激しい水音が頭上から聞こえてきた。

その正体は、滝壺から流れ落ちてきたライヘンバッハ川で、ケーブルカーはアーチ橋でこれを斜めに渡っていく。橋の上では、岩場に小さな落差を連ねながら白く泡立つ川筋が見下ろせた。いくらかの量が上手で発電用に取水されているはずだが、その残りだとしてもけっこうな勢いだ。

後半は、眼下にアーレ川が流れるマイリンゲンの谷の風景が開けてくる。線路勾配はいよいよ険しさを増し、山上駅の手前で579‰の最大値に達する。

Blog_reichenbach13
山麓駅を後にする
Blog_reichenbach14
ライヘンバッハ川をまたぐアーチ橋
Blog_reichenbach15
山上駅に接近する車両、右の谷川は滝の下流
 

駅に到着して駅舎を出ると、そこはまさに大滝が目の前だった。見上げる高さのごつごつした巨大な岩盤に、豪快な滝が掛かっている。最初、水はその凹みに沿って太い束で滑り落ち始めるが、中ほどでその支えがなくなると、シャワーのように広がりながら自由落下していく。駅前から延びる観瀑用の見学路にも、風に吹き上げられた水煙が舞い、しばらくいたらずぶ濡れになってしまいそうだ。

Blog_reichenbach16
山上駅に到着
Blog_reichenbach17
ライヘンバッハ滝の観瀑台
 

実は、モリアーティとの決闘場所はここではなく、谷を挟んで反対側にある。対岸の岩壁に見える星印がそれだ(下の写真参照、下注)。当時ケーブルカーはまだなかったし、その日ワトスンと向かう予定だったローゼンラウイへの山道も、対岸を通っていたからだ。

*注 もちろん登場人物も事件もフィクションだが、原著の記述をもとに現場を特定してある。

Blog_reichenbach18
決闘場所を示す星印が見える(赤の矢印)
 

しかし現実問題として、山上駅前から向こうの現場へ行くには、いったん滝口まで上って大回りする必要がある。残念だが帰りの電車の時刻を考えると、往復する時間が足りない。

とりあえず森の中を上る階段道を進んだ。数分歩くと、滝口のすぐ上の、川を跨いでいる小さな橋の前に出た。背後の岩の狭間からとてつもない水量が押し出されてきて、足もとを走り抜け、空中に忽然と消えていく。奈落の底から響いてくる地を揺るがすような轟音とあいまって、その先を想像すると足がすくんだ。

決闘地も崖っぷちなので、きっと同じようにスリリングな場所に違いない。だが、ここで引き返したとしても後悔することはないだろう。そう納得させるほど、自然の威力みなぎる空間だった。

Blog_reichenbach19
(左)滝口へ向かう小道
(右)滝口で川を跨ぐ小橋
Blog_reichenbach20
小橋から見るライヘンバッハ川
(左)上流側 (右)滝の落下口
 
Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)
 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
 ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って

2025年12月 5日 (金)

ピラトゥス鉄道-世界一の急勾配を登る

ピラトゥス鉄道 Pilatusbahn

アルプナッハシュタート Alpnachstad~ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm 間 4.27km(下注)
軌間800mm、直流1650V電化、ロッハー式ラック鉄道、最急勾配480‰
1889年開通、1937年電化

*注 数値は水平距離。実距離(斜長)は4.618km。

Blog_pilatus1
エムジゲン駅での列車交換(2013年)

Blog_pilatus_map1

鉄車輪とレールの摩擦から推進力を得る鉄道にとって、勾配路は不向きだ。摩擦力の不足で車輪が空転して、制御が効かなくなる恐れがある。その克服のために考案されたのが、ラック・アンド・ピニオン方式、いわゆるラック式だ。線路に敷いた歯棹(ラック)と、車両に装備した歯車(ピニオン)をかみあわせて走行を安定させる。ヨーロッパではニクラウス・リッゲンバッハ Niklaus Riggenbach が、1871年にスイスのリギ山 Rigi で初めて実用化した(下注)。

*注 リギ山のラック鉄道については、「リギ山を巡る鉄道 I-開通以前」「同 II-フィッツナウ・リギ鉄道」「同 III-アルト・リギ鉄道」参照。

リッゲンバッハやそれを改良したカール・ローマン・アプト Carl Roman Abt のシステムでは、ラックとピニオンは縦置きされている。しかし、これは勾配があまり強まるとピニオンがラックの歯に乗り上げてしまい、脱線事故を引き起こしかねない。その限界は1:4(250‰)とされた。

*注 ヨーロッパで運行中のラック鉄道の最急勾配は、シャーフベルク鉄道 Schafbergbahn の255‰(アプト式)、アッペンツェル鉄道ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山線 Bergbahn Rheineck-Walzenhausen の253‰(リッゲンバッハ式)。なお、アメリカにはワシントン山コグ鉄道 Mount Washington Cog Railway の374‰(マーシュ式)などの例外もある。

Blog_pilatus2
リギ鉄道H 1/2形7号機の保存運行(2009年)
Photo by Jan Uyttebroeck at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リギ山と並ぶルツェルン Luzern のハウスベルゲ(地元の山)であるピラトゥス山 Pilatus でも、リギ鉄道の成功を受けて鉄道建設の機運が高まった。しかし全体として穏やかな山容のリギとは異なり、ピラトゥスは町の南方で荒々しい岩肌を見せている突峰だ。標高も2119mで、1797mのリギ山を優に超える。

このような険しい山に勾配250‰以下の条件でルートを引くと、8.7kmもの迂回路とトンネルなど多数の構築物が必要となる。これでは建設費が莫大な額になり、資金調達のめどが立たない。勾配をより強めてケーブルカーで代替する案もあるが、路線長から見てケーブルの自重すら支えきれないだろう。

Blog_pilatus3
フィーアヴァルトシュテッテン湖から仰ぐピラトゥス山
Blog_pilatus_map2
ピラトゥス鉄道周辺の1:50000地形図
© 2025 swisstopo
 

チューリッヒ生まれの技師エドゥアルト・ロッハー Eduard Locher は、この難題に独創的なアイデアで応じた。それは複式ラックを横置きにして、車体側の2個のピニオンで両側から噛ませるというものだった(下の写真参照)。ピニオンの下にはフランジを付けて、山腹で強風を受けても車両が浮き上がらないようにする。

軌道にも独特な工夫が施された。急勾配に対応して、枕木ではなく地中深く打ち込んだ鋼鉄製のアンカーにレールを固定する。路盤も築堤ではなく、堅固な石積みだ。従来の分岐器が使えないため、車両を載せて移動させる遷車台や、軌道台の横移動で定位と反位を切り換える置換式分岐器を考案した。そのうえで建設費を抑えるため、軌間は800mmとした。

Blog_pilatus4
ラック装置各種
左からシュトループ式、ロッハー式、リッゲンバッハ式、アプト式(2枚歯)
スイス交通博物館 Verkehrshaus der Schweiz で撮影
Blog_pilatus5
軌道台が横移動する置換式分岐器(2013年)
 

車両は、客室の坂下側に蒸気機関を設置した蒸気動車Bhm 1/2形で、当初8両を配備した。勾配が変化しても水位をほぼ一定に保てるように、ボイラーは進行方向に対して横向きに設置されている。客室は階段状のコンパートメントが4室で、各8名、計32名が乗れる。

この創意あふれるシステムによってロッハーは、高低差1633mを最大480‰、平均でも350‰という世界一の急勾配で克服するラック鉄道を実現した(下注)。高山での困難な工事を経て、鉄道は1889年6月に開通式を迎えた。山頂に、広々としたピラトゥス・クルムホテルが建設されたこともあり、利用者は右肩上がりで増加していく。蒸気動車も不足がちになり、1909年までに3両が追加配備された。

*注 ロッハー式を採用したラック鉄道は、世界的に見てもピラトゥス鉄道のほかにはない。

Blog_pilatus6
蒸気動車Bhm 1/2形 9号
スイス交通博物館蔵
Blog_pilatus7
(左)ピラトゥス・クルムから降りるBhm 1/2形(1889年ごろ)
Photo from SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0
(右)Bhm 1/2形の製造所銘板
 

蒸気動車の劣化が進んだことから、鉄道は1937年5月に直流1500Vで電化される。SLM/MFO社から、座席定員40名(5室×8名)の電動車Bhe1/2形が8両納入されて、旧車を置き換えた(下注)。それまで片道70~80分を要していたが、電化後はわずか30~40分に短縮され、輸送能力は著しく向上した。

*注 Bhe1/2形は1960年と1967年に各1両が増備され、最終的には10両になった。1960年の1両は、実際には電動貨物車Ohe 1/2の交換用車体。

Blog_pilatus8
電動車Bhe1/2形22号、マットアルプ Mattalp 付近にて(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

この時代の運行形態は、徹底した続行運転だ。時刻表上では40~45分間隔の発車になっているが、実際には視程距離50mを維持しながら、最大5両までが次々と駅を出ていく。山麓のアルプナッハシュタート Alpnachstad 駅は本線と側線、計2線の構造で、山上に向かって右側の本線に最大2両が停車して客を迎える。増便する場合は、左の側線に待機させた車両を最下部の遷車台で本線に移して、同様に客扱いをした。

この車両集団が、中間のエムジゲン Ämsigen 駅で、山を降りてくる集団と列車交換をする。山上駅ピラトゥス・クルム Pilatus Kulm では、構内に入る前に線路が二手に分かれる。左の線路は駅の手前でさらに2線に分かれてシェルター内に入る。そこには乗降ホームが2本(3番と4番)あり、各ホームは電車2両分の長さがある。一方、右に離れた1番線は開業時からある線路で、5両目の続行便があるときはここに入るようになっていた。

Blog_pilatus9
アルプナッハシュタート駅の遷車台
電車を載せて横移動する(2016年)
Photo by Mboesch at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_pilatus10
エムジゲン駅での列車交換(2022年)
Photo by SchmalspurDVZO at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

Bhe1/2形による運行は実に85年にわたって続いたが、2022年11月の運行シーズン最終日をもって終了した(下注)。代わって2023年シーズンから登場したのが、前面、側面、天井と、床以外の全方向に窓をもつ新車のBhe 2/2形だ。車長が1.7m長くなり、コンパートメントが6室取れるので、座席定員は48人(運転席を出す場合は2人減)に増加した。これが2両連結で走り、一度に100人近くを運ぶことができる。

*注 ピラトゥス鉄道は現在、5月中旬から11月中旬までの季節運行。

旧車は片扉だったが、新車では両側に乗降扉がついた。それに対応する形で、山麓駅では左側のもと側線にホームが増設され、各線に列車を収容しての同時乗降が可能になった。最高速度も旧車の上り12km/h、下り9km/hに対して各3km/hアップしていて、所要時間は以前より3~7分短い27~33分だ。

駅の遷車台は不要となり、代わりに構内上部に、本線ともと側線間で車両を転線させるための回転式分岐器が設置された。定位と反位の軌道が表裏に設置された台を軸回転させることで、列車の進路を切り換えることができる。

通常の運行では、2両連結のBhe 2/2が最大2本続行する。これだけでは旧車5両で運んでいた時代と同等の収容定員だが、スピードアップに伴う運行間隔の短縮により、単位時間当たりの輸送量は増加した。2025年のダイヤでは運行間隔が35分だ。計画ではこれを30分間隔に縮めて、多客期の輸送力のさらなる向上を図るという。

Blog_pilatus11
新型Bhe 2/2形(2022年)
Photo by Au des Kolbo at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
Blog_pilatus12
改装されたアルプナッハシュタート駅
左のもと側線にホームを増設(2024年)
Photo by Bybbisch94 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ピラトゥス鉄道に乗りに出かけたのは、今を遡る2013年のことだ。当時の写真で、そのミニトリップを振り返ってみたい。

滞在していたルツェルンからブリューニック線の電車に乗って、アルプナッハシュタート駅に着いた。標高440m、ピラトゥス鉄道の山麓駅は、駅前広場の山側で斜面に張り付くように建っている。屋根に載る PILATUS-BAHN の大きな切り文字の上にいるのは、この岩山に棲んでいるとされるドラゴンだ。

Blog_pilatus13
アルプナッハシュタート駅、上方の白い建物は車庫
 

ピラトゥス山頂へは、南からアプローチするこの鉄道のほかに、北側のクリーンス Kriens の町からゴンドラリフトとロープウェーを乗り継いで上っていくこともできる。いずれもピラトゥス鉄道会社が運行していて、切符購入時に自由に選択が可能だ。私は違う景色を見たいので、鉄道で上り、ロープウェーで降りる一方通行ルートにした。スイスパス(現 スイストラベルパス)を見せれば運賃は半額になる。

次の発車は9時35分だ。切符のバーコードをリーダーにかざし、ターンスタイルを通って、Bhe1/2形が客待ちしているホームへ向かう。前のコンパートメントから埋まっていく傾向があるが、景色を楽しみたいなら、下界の展望が開ける最後尾がベターだ。内部は向かい合せのシートで、1列に4人掛けられる。階段状になった車内はまるでケーブルカーだ。

Blog_pilatus14
(左)改札
(右)電車が駅に入ってきた
Blog_pilatus15
(左)乗車券
(右)階段状のコンパートメントが並ぶ車内
 

ドアが閉まるとまもなく発車した。側線で待機中の同僚機を横目に見ながら、いきなり急坂を上っていく。傍らに立つ電柱の傾き方が想像以上だ。左手に見えてきた3本目の線路は、車庫への引込線で、小ぶりの作業車Xhm1/2形が停車している。線路が1本にまとまる地点には、遷車台があった(2023年から回転式分岐器に置換え)。

早くも高度が上がって、緑の牧草地の中に民家が点在する風景が下手に沈んでいく。やがて車窓は針葉樹の森に包まれ、しばらく視界が閉ざされた。右にカーブしながら谷川を渡り、素掘りのままの短いヴォルフォルトトンネル Wolforttunnel に入る。少しすると今度は左カーブで、シュピッヒャー第1と第2の2本のトンネル Spychertunnel を立て続けに抜ける。森の隙間に草地が現れ、しばらくすると速度が急に落ちた。標高1355mの中間駅エムジゲンのようだ。

Blog_pilatus16
(左)側線で同僚機が待機中
(右)車庫への引込線に停車する作業車Xhm1/2形
Blog_pilatus17
村と牧草地の風景が下方に沈む
Blog_pilatus18
(左)素掘りのヴォルフォルトトンネル
(右)勾配標は‰(パーミル)ではなく%表示
 

待避線で行違った下り便は1両だけだった。日中なら数両が揃ってにぎにぎしい儀式になるところだが、午前中はまだ降りてくる客がいないのだろう。線路は上り側(右側)が開通している。乗降客がなかったようで、わが電車は停車することなく通過した。

後半区間は、初めおおむね直線で進んでいく。後ろから続行便がつかず離れずついてくるので、居ながらにして走行写真が撮れる。やがて森林限界を超えたようで、羊背岩と青草に覆われた斜面が広がった。目を凝らすと、放牧された牛があちこちでのどかに草をはんでいる。進行方向左手には、にぶい灰色の絶壁エーゼルヴァント Eselwand がそそり立つ。電車はこの垂直な岩壁を斜めに切りながら上っていくのだが、あいにく壁の上半分に白い霧が降りてきている。

ピラトゥスは突出した高峰のため、雲がかかりやすい。帽子をかぶる者の意のラテン語ピレアトゥス Pilleatus が山名の語源という説があるくらいだ。むかし一度来た時も、山頂付近にだけ霧が湧いて、見通しがあまりきかなかった。旅行中は日程が限られているから、快晴のタイミングに合わせるのは難しい。

Blog_pilatus19
中間駅エムジゲン
Blog_pilatus20
(左)下方にアルプナッハ湖が覗く
(右)マットアルプの草原を横断
Blog_pilatus21
エーゼルヴァントを次々に上る電車群(1984年撮影)
 

いよいよ険しさを増す斜面を避けるように、軌道は左にカーブして、雪覆いに続くエーゼルヴァント第1トンネルに吸い込まれる。抜け出ると、もう石灰岩の高い壁の中腹にいる。鉄道建設の際に、作業員がザイルでぶら下がりながら硬い岩を砕いたという難所だ。

岩壁のトンネルは第2から第4まであと3本ある(下注)が、視界は濃い霧に閉ざされた。晴れれば、足がすくむ断崖と、遠くにアルプナッハ湖  Alpnachersee やウルナーアルプス Urner Alpen が拝める絶景地だが…。

*注 長さは第1が44m、第2が50m、第3が46m、第4はわずか9m。第3と第4の間は雪覆いでつながっている。

エーゼルヴァントを西側に回り込んだ後は、最後の胸突き八丁だ。カールを埋め尽くすガレ場のへりを電車はじりじりと上っていき、終点ピラトゥス・クルム駅のシェルター内にある階段ホームに到着した。

Blog_pilatus22
(左)霧に包まれるエーゼルヴァント
(右)素掘りのトンネルが連続する
Blog_pilatus23
(左)カールのへりを上る最終盤
(右)終点手前の480‰勾配
Blog_pilatus24
ピラトゥス・クルムのテラスからの眺め
 

■参考サイト
ピラトゥス鉄道 https://pilatus.ch/

Blog_zb_networkmap
ツェントラール鉄道と周辺路線図
 

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I

 ブリューニック線(ルツェルン~インターラーケン・オスト)
 ルツェルン=シュタンス=エンゲルベルク線
 ライヘンバッハ滝鉄道-ケーブルカーで行く名探偵の聖地
 マイリンゲン=インナートキルヘン鉄道でアーレ峡谷へ
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 I-歴史
 ブリエンツ・ロートホルン鉄道 II-ルートを追って
 リギ山を巡る鉄道 I-開通以前
 リギ山を巡る鉄道 II-フィッツナウ・リギ鉄道
 リギ山を巡る鉄道 III-アルト・リギ鉄道
 スイスのスーパースライダーを地図で追う

« 2025年11月 | トップページ | 2026年1月 »

2026年1月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ACCESS COUNTER

無料ブログはココログ