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2025年11月15日 (土)

コンターサークル地図の旅-京阪京津線と東海道逢坂越

2025年10月19日、秋のコンター旅3日目は、京都と滋賀県の大津を結んでいる京阪電鉄京津(けいしん)線と、その沿線の旧 東海道に点在する見どころを訪ねる。

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大津市内の路面軌道区間を行く京津線800系
(旧塗装、2020年9月撮影)

東海道本線(琵琶湖線)の山科(やましな)駅前に集合したのは、山本さんと私。まずは駅前広場の向かいにある京阪山科駅から800系電車に乗り、京津線の終点、びわ湖浜大津駅へ移動した。

京都市営地下鉄東西線から直通運転しているこのルートは、地上に出ると舞台があたかも登山鉄道、次いで路面軌道と目まぐるしく移り変わるので、「劇場路線」の異名をもっている。それで、初めて乗るならかぶりつき、すなわち最前部の窓際に立つのがおすすめだ。さらに言えば、峠のトンネルでは運転席後ろのロールカーテンが降ろされるので、影響しない右側の小窓に陣取るのがいい。

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(左)京阪山科駅
(右)びわ湖浜大津行きに乗る
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図1 京津線周辺の1:200,000地勢図
2003(平成15)年修正
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)、旧東海道線跡(緑)等を加筆
 

電車は山科の市街地を直線的に通り抜けた後、国道1号と並走しながら逢坂越(おうさかごえ)へと向かう。逢坂越は、東海道五十三次の最後の宿場である大津宿と京の間にあった2か所の峠道の一つだ。標高324.6mの逢坂山(おうさかやま)の南麓にあるので、山と同一視されて、「逢坂山を越える」という表現がよく使われる。

ちなみにもう1か所は、山科盆地と京都盆地の間にある日岡峠(ひのおかとうげ)あるいは九条山(くじょうやま、下注)で、かつて京津線はここも通っていたのだが、1997年に地下鉄に道を譲って廃止されてしまった。

*注 旧 東海道の日岡峠は山科盆地のへりを上る急坂で知られたが、後にこれを避けて北側に勾配を平均化した新道が開かれ、1912(大正元)年開通の京津電気軌道(後の京津線)もそれに沿って敷かれた。以来この峠道は、山の所有者だった九条家にちなむ九条山の名で呼ばれている。

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京津線の逢坂越
(左)大谷駅を通過 (右)逢坂山トンネル西口
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ありし日の九条山越え(1988年8月撮影)
海外鉄道研究会 戸城英勝氏 提供
 

電車はサミットの大谷(おおたに)駅に達すると、短い逢坂山トンネルを抜け、半径40mの急カーブで左に旋回した。頭上に名神高速の高架橋を仰ぎながら、国道とともに急勾配を降りていく。道端から離れた後は、町裏をくねくねと進んでいくが、ここにも急カーブが続出し、摩耗と騒音を軽減するためにレールの散水装置が作動している。

上栄町(かみさかえまち)駅を発車すると、電車はいよいよ旧 国道161号(現 県道高島大津線)の路上に出る。浜大津駅前の交差点まで約600m続く路面軌道区間だ。800系は4両編成で全長が66mもあるため、事実上、日本一長い路面電車ということになる。山科から13分、駅前交差点をよく響く警笛とともにゆっくり右折して、終点のびわ湖浜大津駅に着いた。

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(左)上栄町駅、散水装置が作動中(2022年4月撮影)
(右)路面軌道区間を行く

この後は今来たルートを徒歩で戻るつもりだが、その前に、駅前交差点の歩道橋の上から、出入りする電車を俯瞰しよう。上空を横断する太い電線が目障りだが、この駅で接続する石山坂本線(下注)の電車も通るので、展望台としては理想的だ。

*注 通称 石坂(いしざか)線。この路線にも、びわ湖浜大津駅の西側に約400mの路面軌道区間がある。

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歩道橋から駅前交差点を望む
手前の複線線路は石山坂本線
 

山科方面行きを1本見送った後、電車通りを南へ歩き始めた。京津線は約20分間隔で運行されているから、歩いている間にも撮影のチャンスが来る。道路上空には、専用軌道と同じトラスで架線を支えるビームが渡されている。そこを標準軌の4両編成が通過すると、どう見ても電車のほうが主役だ。自動車は、むしろ線路敷の余地を借りて走っているように錯覚する。

見どころかどうかは別として、高札場があったことから札ノ辻(ふだのつじ)と呼ばれる京町一丁目交差点の南西角に、大津市の道路元標が立っている。道路元標は、大正時代に各市町村の中心部に設置された、道路の起点を示す標識だ。大津の場合、この角にかつて市役所があり、東から来た旧 東海道(現 京町通り)が南に針路を変えていた。

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路面軌道区間で浜大津行きを見送る
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(左)札ノ辻の大津市道路元標
(右)旧 東海道(現 京町通り)を東望(2022年4月撮影)
 

次の交差点を過ぎると、京津線は道路を離れて右手の家並みの中へ消えていく。道路の左側の小区画に、まだ新しい大津宿本陣跡の碑とともに、車石の断片が置いてある。

水路や鉄道ができるまで、大津の港で船から荷揚げされた米などの荷物は、牛が牽く荷車で京都へ運ばれていた。このため、荷車がぬかるみで難渋しないよう、人や馬が通る土道の横に、車輪を載せる二列の石畳が花崗岩の切石で整備された。車石とは、荷車の重みで削られて溝ができたその石のことだ。言うならば近世の道端軌道(下注)で、京津線もその伝統を引き継いでいるのかもしれない。同じように保存された車石がこの後、沿道の数か所で見られる。

*注 ただし「単線」なので、午前が京都行き、午後が大津行きの一方通行だったという。

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道路を離れて専用軌道へ
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(左)大津宿本陣跡を示す碑
(右)車石
 

緩い坂を300mほど上ると、東海道本線をまたぐ跨線橋を渡る。すぐ手前で右へ入る小道は、妙光寺というお寺の参道だが、寺の前を京津線が横切っているため、いわゆる参道踏切がある。S字カーブを走る電車にお寺の鐘楼を入れた構図が得られる撮影ポイントだ。

京津線も同じように東海道本線をまたいでいくが、この蝉丸跨線橋は、線路を載せるだけとは思えない煉瓦積みの重厚な造りだ(下注)。上関寺トンネルとも呼ばれるように、後ろにある逢坂山の本トンネル(新逢坂山トンネル)のポータルと見間違う。

*注 跨線橋工事が遅れたため、京津線はこの区間を徒歩連絡にして1912年8月に暫定開業している。跨線橋完成で全線開業したのは同年12月。

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妙光寺参道踏切にて(2022年4月撮影)
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蝉丸跨線橋、下は東海道本線
 

勾配が強まった旧161号をさらに300m進むと、京津線と交差する上関寺国道踏切がある。左側で線路に並行する煉瓦の壁は、旧 東海道線が旧 東海道をまたいでいた橋台だ。1880(明治13)年に開通した東海道線の京都~大津間は、今とは異なる南回りの経路で建設された。唯一のトンネルが逢坂山に掘られ、出てきた列車がすぐに渡ったのがこの橋になる(下注)。

*注 橋台の東側の廃線跡は国道1号に転用され、膳所(ぜぜ、旧 馬場)駅で現路線につながる。

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旧 東海道線橋台、もとは旧 東海道を跨いでいた
(2022年4月撮影)
 

その旧線、逢坂山隧道の東口も、少し先で右手の小道を入ったところに、鉄道記念物として保存されている。

廃止時には複線化されていたので、単線トンネルが2本、位置がややずれた形で並んでいるが、左側が1880年に完成した最初のものだ。石積みのポータルは長い歳月を経て苔むしているものの、上部の扁額には「楽成頼功」の文字がはっきり読み取れる。内部の10mほどが公開されていて、煤で黒ずんだ140年前の煉瓦壁を間近に観察できた。一方、右のトンネルは1898年に完成した上り線用だが、閉鎖されているため内部の様子は窺えない。

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旧逢坂山隧道東口、左が最初のトンネル(のち下り線用)
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(左)トンネル内部も一部公開
(右)「楽成頼功」の扁額がはまる
 

旧161号は、ここで東から来た国道1号に合流する。しばらくの間、右側の側歩道がないので、横断歩道で左側に移らなければならない。左隣を走る京津線の線路脇に61.0‰の勾配標が見つかる。ごく短い間だが、京津線の最急勾配だ(下注)。

*注 廃止された九条山越えでは、同じような道端軌道区間にこれを上回る66.7‰の勾配があった。

狭隘な谷を頭上で跨いでいる2本のアーチ橋は、名神高速道路だ。その下で京津線は国道から左にそれる。そして、行きの車内で見た急カーブを介して、道路下にある自前の逢坂山トンネルに入る。カーブの半径は40m。歩道から見下ろすと、車両どうしが120度ぐらいの急角度で折れ曲がるのに驚かされる。

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(左)61.0‰の勾配標
(右)名神高速のアーチ橋をくぐる
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半径40mを曲がる電車
 

擁壁に挟まれて右カーブする国道に沿って歩くと、いよいよサミットが見えてきた。道の右側に、逢坂山関址の碑が立っている。百人一首の蝉丸の歌「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」が頭に浮かぶが、古代の話なので、関が置かれた正確な位置は不明なのだという。

逢坂越前後の旧道はほとんど国道に上書きされたが、サミットから300m足らずの間は例外的に旧道が残っている。繁盛しているうなぎ屋の前を過ぎると、右手に歌人を祀る蝉丸神社の石段が見える。

しかし私たちの注目は、傍らの木陰に車石とともにひっそりと埋められている一等水準点だ。高さの基準となる水準点は、土地の改変が行われにくい神社や寺の境内に設置されることがよくあった。これもその一つだが、伝統的な花崗岩の柱石で、点の記にも設置時期が記されていないから、かなり古いものに違いない。

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(左)逢坂越サミット
(右)逢坂山関址碑と常夜灯
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(左)蝉丸神社に上る石段(2022年4月撮影)
(右)一等水準点の石柱
 

ここで北へ行く横道に寄り道した。先述した旧線の逢坂山隧道西口はもうないが、名神 蝉丸トンネルの上を通る道の脇に、記念碑が建っている(下注)。碑文によれば、「…トンネルの西口は名神高速道路建設に当りこの地下十八米の位置に埋没した」。ここから西側の名神高速は、伏見区との境まで約7.5kmにわたって、おおむね旧 東海道線の跡地を利用している。

*注 隧道西口にあった石額は、京都鉄道博物館で保存展示されている。

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(左)トンネル西口記念碑
(右)旧 東海道線跡を利用した名神高速道路(西望)
 

ともかく峠を越えたので、京津線大谷駅のベンチを借りて休憩した。このベンチ、見かけは普通だが、線路とホームに40‰の勾配がついているので、座面を水平にすべく、左右の足の長さを変えてある。移動されないように、座面裏に固定用のチェーンもついていた。

京津線と国道をまとめてまたぐ歩道橋で、再び左の側歩道に移る。直線路を下る途中にある月心寺は、もと走井(はしりい)餅を商う茶店があった場所だ。広重の連作浮世絵「東海道五十三次」の大津の図(下図参照)にも描かれたとおり、街道名物の一つだった。現在はクルマが行き交う国道に面していて、目印になるような山門もないので、うっかりすると見過ごしてしまう。

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(左)大谷駅
(右)左右の足の長さが違うベンチ
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(左)走井茶店跡の月心寺
(右)庭園門
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歌川広重「東海道五十三次 大津」
Image from wikimedia. License: public domain
 

名神高速の高架が再び頭上を横切れば、ようやく国道1号から離れて、静かな旧道が復活する。地形的にはすでに山科盆地だが、おもしろいことに住所は京都市ではなく、まだ滋賀県大津市だ。

旧東海道周辺では、府県境が山科盆地に大きく張り出している。地図で塗り分けてみるとよくわかるが、自然の境界である峠から約3km下った地点まで滋賀県域だ(下注)。これは、かつて大津にある三井寺(みいでら)の所領だったことに由来するという。

*注 比叡山地の分水界から西側にあるこの地区は、藤尾学区と呼ばれる。

そのため、旧道が復活して200mの位置に立つ「滋賀県大津市」の境界標識はフェイントに近い。実際にはここから髭茶屋追分(ひげちゃやおいわけ)までの間、道路に府県境が通っていて、北側が滋賀県、南側が京都府になる。

境界標などはないが、住宅の軒先に停めてあるクルマのナンバーの地名を見れば一目瞭然だ。さらに、滋賀県警のパトカーが巡回するのを目撃したし、郵便ポストの収集局も大津中央郵便局と記されている。

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(左)「滋賀県大津市」の境界標(東望、2022年4月撮影)
(右)道路が府県境をなす区間、右が滋賀県、左が京都府(西望)
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図3 滋賀県大津市域をベージュで着色
「大津市」標識前後の200mは旧東海道が府県境
 

NHK「ブラタモリ」でも紹介された髭茶屋追分は、東海道と伏見(ふしみ)街道の分岐点だ。道標に「みきは京みち、ひたりはふしみみち」と刻まれている。伏見は淀川の支流、宇治川に面した京都の外港で、大坂(大阪)との間を川船が往来していた。それで、伏見みちは大坂への最短ルートでもあった。

旧東海道はこの後、いったん国道1号(五条バイパス)によって分断される。旧道を行くクルマは手前にある迂回路を通るのだが、歩行者はバイパスをまたぐ歩道橋で直接向こう側に渡れるようになっている。さらに西へ300m進むと、「京都市」とだけ記されたそっけない境界標が見つかった。足元を横断する水路に府県境が通っていて、ここでようやく住所が滋賀県大津市から京都府京都市山科区に変わるのだ。

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(左)髭茶屋追分、左は伏見街道(2022年4月撮影)
(右)道標の隣に府県境を示す標識も
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(左)三井寺観音道(小関越)の分岐道標
(右)「京都市」の境界標(西望)
 

天下の大道だけあって見どころを挙げればきりがないが、時刻はお昼を回って、そろそろお腹がすいてきた。沿道のコンビニで軽食を買い、山手にある琵琶湖疏水跡の公園まで行って、昼食休憩にした。旧東海道からは離れてしまったが、京津線の主要ポイントは見尽くしたことだし、このまま山科駅へ降りていって、今回の旅を終えることにしよう。

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図京都及大阪(平成15年修正)、2500分の1京都市都市計画基本図71 四ノ宮および地理院地図(2025年11月10日取得)を使用したものである。

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