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2025年11月 7日 (金)

コンターサークル地図の旅-北国街道小諸~海野宿

北国街道と呼ばれるルートはいくつかあるようだが、信州では、中山道の追分(軽井沢町)から、長野を通り、高田(新潟県上越市)に至る街道筋のことを指す。越後と江戸を結ぶ交易の経路であり、善光寺参りの旅人たちが往来した道だ。

2025年10月4日、秋のコンター旅2日目は、この北国街道旧道を小諸(こもろ)宿から海野(うんの)宿にかけて訪ねる。浅間連峰の裾野を行くこの区間は、宿場以外に取り立てて見どころがあるわけでもないが、クルマが行き交う国道から離れていて、旧道の風情を感じながらのんびり歩けるのではないかと思っている。

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にわか雨の海野宿
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図1 小諸~上田周辺の1:200,000地勢図
  1981(昭和56)年編集

8時30分、小諸駅前に集合したのは昨日と同じメンバーだ。朝早く来て小諸城址の懐古園を巡っていたという大出さんと、上山田温泉からクルマを駆ってきた木下さん親子に対して、早起きが苦手な私はしなの鉄道の電車でぎりぎりに到着した。

朝はいい天気だ。駅から北へ進み、1612年建造の重要文化財、小諸城大手門を通り抜ける。線路の向こうにある城址からずいぶん離れているが、かつて城郭がここまで広がっていたのだ。

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(左)小諸駅前
(右)駅舎の窓に掲げられた古い駅名標
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小諸城大手門
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
小諸~滋野間
 

本町交差点は、北国街道とその跡を継いだ旧 国道18号(現 141号)が交差する場所だ。まずは東へ向かい、宿場の中心部、本町の家並みを巡った。重伝建地区のように集中してはいないが、白壁に切子格子の窓をもつ建物が残っている。視界の奥、街道が右に折れる角に、小諸城の足柄門を移築したという光覚寺の立派な山門が据わる。

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光覚寺に移築された小諸城の足柄門
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小諸宿の家並み
 

しかしまだ序盤なので、ここだけで時間を取るわけにはいかない。折り返して西へ。本町交差点と鉄道ガードの間には脇本陣、次いで本陣の建物があった。前者は宿屋として盛業中、後者は解体修理のために覆いがかかっている。東海道の宿場町のそれに比べれば、規模は小ぶりだ。

ガードをくぐると道は急な下り坂になり、神社の手前で直角に曲がる。裾野を深く切り裂いて流れる中沢川を横断するためだが、本来の旧道はさらに100mほど直進し、より低い位置で渡っていたという。

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(左)脇本陣跡の宿屋
(右)本陣建物は解体修理中
 

新町の家並みを通過し、栃木川を渡った三つ角には、布引山観世音の文字が彫られた大きな碑が立っていた。ここで左折すれば、千曲川(ちくまがわ)を渡って懸崖造りのお堂がある当地の名刹、布引観音へ行ける。次の638m標高点で出会う2車線道も、参詣客を運んだ旧 布引電気鉄道の廃線跡に由来する。

北国街道は一時的にこの車道と合流するが、200m先で左にそれる。田舎道に戻った旧道の左脇に、青木一里塚跡が現れた。ボタンザクラが植えられた小公園だが、塚自体はもうない。公園よりむしろ、向かいの邸宅の組まれた庭石が立派過ぎて目を奪われる。

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(左)布引観音への分岐点
(右)青木一里塚跡
 

周囲の田んぼはもう刈り取りを終えたようだ。はさ掛けされた稲束から立ち上る藁のにおいが懐かしい。しなの鉄道の踏切を渡り、国道18号を横断すると、道は西原の集落に入った。直線主体の道だが、地形に応じた緩いアップダウンがある。

深沢川の手前で、街道は国道18号に合流した。おとなしく側歩道をたどらざるを得ないが、300mほどの辛抱だ。ホームセンターのカインズ前で、国道は右へ離れていき、旧道が再び姿を現す。

芝生田(しぼうだ)集落の中を行くと、道を挟んで旧家が向かい合う一角が目を引いた。立派な門構えに大きな白壁土蔵、手入れされた庭木も美しい。暦は10月だが、浴びる日差しはまだじりじりと熱く、家並みの日陰を選んで歩く。

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(左)刈り田のはさ掛け
(右)西原集落
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芝生田集落、沿道の旧家
 

裾野を下る渓流の一つ、大石沢川にさしかかった。グーグルマップにピンが立つ大石沢眼鏡橋を確かめるべく、竹藪の暗がりに目を凝らす。しかしどうやら橋というより、築堤の底部にある溝橋のようだ。石積みの小さなアーチを眼鏡橋に例えたらしい。

滋野(しげの)郵便局のすぐ西で、牧家(ぼくや)一里塚跡の石碑を見つけた。傍らの碑文によれば、現在、滋野駅道の交差点に立っている力士雷電の碑はもと、塚の茶店前にあったのだそうだ。

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大石沢眼鏡橋は竹藪の陰に
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(左)牧家一里塚跡
(右)力士雷電の碑
 

同じような道が続くので、足の負担も考慮して、滋野~田中の一駅間を電車でワープする案を考えていた。ところが調べていくうちに、その間の街道沿いに人気の蕎麦屋があることを知った。足をいたわって電車に乗るか、食欲を優先して歩き続けるかの二択だが、メンバーに諮ると即決後者に…。

昼どきは混むと聞いて、歩くペースが速まるという副次的効果まであって、開店間もない11時過ぎに、難なく目的地に到着した。十割そばと更科そばという黒白の逢わせ(合わせ)盛りに天ぷら、付け出し、デザートまでつく充実の昼食をいただく。

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(左)目標設定でペース速まる
(右)街道沿いの蕎麦屋
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図3 同 滋野~田中間
 

空がしだいに曇ってきたが、元気を取り戻してさらに西を目指した。常田南(ときだみなみ)交差点から田中宿に入ると、ここまでたどってきた旧道とは様子が違う。車道2車線の両側に幅広の歩道がついた、道幅18mの目を見張るような大通りが奥へと延びている。しかも無電柱化されているので、空が広く感じられる。宿場というより、どこか北海道の町のようだ。

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田中宿を貫く大通り
 

話は飛ぶが、この田中という地名のアクセントは第1音節にある。電車の車内アナウンスで気づいたのだが、標準アクセントの田辺、田口のように「た」なかと読むのだ。

駅前交差点までの約600mが大通りで、その後は1車線道に戻った。通過する地形も、浅間連峰の裾野から一段降りて、千曲川の氾濫原に接した微高地に移る。求女川(くめがわ)の橋を渡ると、「海野宿はこちら」と矢印看板が出ていた。地図で確かめたところ、旧 信越本線の廃線跡を転用した歩道だ。曲線緩和のため、複線化を機に付け替えられたようだ。

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(左)駅前を過ぎるともとの道幅に
(右)緩くカーブした信越線跡の歩道(東望)
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図4 同 田中~大屋間
 

この歩道は500m足らずで終わる。街道に復帰して高架道の下をくぐり、鉄道の踏切を渡ると、いよいよ海野宿だ。万貫石と呼ばれる大石と宿の入口を示す碑に迎えられて、道は宿場に入っていく。

右手に、みごとな枝ぶりのケヤキのご神木に見守られた白鳥(しらとり)神社の境内があった。これまでの道中では見かけなかった観光客が、次々と鳥居をくぐって訪れている。私たちも中に混じって、本殿に拝礼した。

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(左)海野宿入口
(右)万貫石
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白鳥神社境内
 

神社の鳥居前から、重伝建地区に指定された宿場町が始まる。「表の川」と呼ばれる中央水路をはさんで両側に道があるが、北側(進行方向右側)が舗装され車も通れる広い道、南側は庭木が植わる未舗装の軒先道だ。

それらを取り囲むように、うだつの上がった民家が軒を連ねる。明治以降、養蚕が盛んになったので、小屋根を載せた造りの養蚕家屋も混じっている。まさしく時代劇に出てきそうな風景だが、しぐれがにわかに強まってきたので、傘を差しながらの通り抜けになった(冒頭写真参照)。

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「表の川」と街道、うだつの立派な民家
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庭木が植わる軒先道、半鐘と丸ポスト
 

海野宿の裏手にはしなの鉄道(もとJR信越本線)が通っているが、最寄り駅まで東西とも1.5kmほど離れている。信越線の開業時に海野駅の設置計画があったのだが、養蚕に欠かせない桑の生育に排煙が影響を及ぼすとして、反対運動が起きたという。そのため、駅は隣の田中宿に設けられ(下注)、海野の発展を相対的に遅らせる要因にもなった。しかし、結果的に宿場町の景観が保たれ、観光地として再発見されたのだから、先のことはわからないものだ。

*注 1888(明治21)年の信越線開業時、小諸駅と上田駅の間には田中駅しかなかった。大屋駅は1896年、滋野駅は1923年の開設。

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海野宿案内板
 

500mほど進むと、未修景の民家もちらほら現れる。西の枡形跡の案内板が立つ地点で、中央水路も消えて、ふつうの街道筋になった。この後小川を渡った西海野地区でも、東側と同じような中央水路が復活して、千曲川の川岸に突き当たるまで続くが、家並みの風景はもう現代に戻っている。

千曲川のほとりに出れば、ゴールに定めた大屋駅はもうすぐだ。13.5kmの歩きを終えて駅に到着したのは15時ごろ。電車を待つ間に雨も上がって、空が明るくなってきた。

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(左)西の枡形跡
(右)西海野、中央水路の周りは現代の町並み
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(左)千曲川のほとりに出る
(右)大屋駅に到着
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図長野(昭和56年編集)および地理院地図(2025年11月1日取得)を使用したものである。

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