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2025年10月

2025年10月29日 (水)

コンターサークル地図の旅-吾妻峡レールバイクと太子支線跡

JR上越線の渋川駅から西へ分岐する吾妻(あがつま)線の歴史は意外に新しい。もとは第二次世界大戦中に、草津鉱山(群馬鉄山)で採れる鉄鉱石を搬出するために計画された産業路線だ。

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太子駅跡のホッパー棟と無蓋貨車
 

戦争末期の1945(昭和20)年1月に渋川~長野原(現 長野原草津口)間42.4kmが国鉄長野原線として、長野原~太子(おおし)間5.7kmが日本鋼管鉱業の貨物専用線として、それぞれ開通した。旅客営業を始めたのは渋川~長野原間が翌1946年で、長野原~太子間、通称 太子支線は1952年の国鉄移管を経て1954年からになる。

しかし、太子駅周辺は農山村で、旅客需要はもともと小さい。それで長野原線の普通列車10往復のうち、半数は長野原止まりだった。そのため、1965年の鉱山閉鎖で頼みの貨物輸送がなくなると、存在意義をなかば失ってしまい、1970年に旅客列車も休止となる。翌1971年、長野原から大前(おおまえ)に至る路線延伸、それに伴う吾妻線への改称と前後して、太子支線に廃止の措置が取られた。

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図1 吾妻線周辺の1:200,000地勢図
  1966(昭和41)年修正
 

もう一つ、吾妻線に大きな変化をもたらしたのが、吾妻川をせき止める八ッ場(やんば)ダムの建設だ。現地の反対運動で計画は長期にわたり遅滞していたが、2015年に着工され、2020年に完成した。これにより吾妻線も一部区間で水没するため、岩島~長野原草津口間でルート移設が必要となる。工事はダム建設に先行して実施され、2014年10月1日に、旧線より0.3km短い11.5kmの新線に切り換えられたのだ。

ダムの下流で水没を免れた旧線では2020年から、吾妻に掛けて「アガッタン」と称するレールバイク(軌道自転車)の運行が始まった。沿線には八ッ場ダムとともに、鉄道用では日本一短いといわれた樽沢トンネルや、紅葉の名所で知られる吾妻渓谷がある。アガッタンは当地の新しい観光アトラクションとして人気を得ている。

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レールバイクで行く旧線の樽沢トンネル
 

今回は、吾妻線の廃線跡巡りをテーマに、このレールバイクに試乗した後、長野原草津口に移動して、太子支線跡を歩いて訪ねる予定だ。

2025年5月11日日曜日、初夏の日差しは強いものの、風はまだ涼しく、行楽には絶好の日和になった。

上越線の車内で大出さん、森さんと合流し、参加者3名が揃った。電車は渋川から吾妻線に入り、吾妻川が造った谷を延々と遡る。下車した岩島(いわしま)駅は、小さな待合室があるだけの無人駅だった。レールバイクの受付場所へは、国道145号の旧道を歩いて2.5km、約30分かかる。

進んでいくと、やがてやぐらのような橋脚に支えられた巨大なコンクリート橋が見えてきた。吾妻線の新線を右岸に渡す第二吾妻川橋梁だ。渓谷をたどる旧線と違って、新ルートは、この橋を渡るとすぐ、長さ4489mの八ッ場トンネルに入ってしまう。その後も長いトンネルが連続するので、車窓の楽しみはほとんど失われてしまった。

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(左)吾妻線岩島駅
(右)新線の第二吾妻川橋梁が頭上をまたぐ
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆
岩島駅~八ッ場ダム間
 

ふれあい大橋のたもとにある受付場所、吾妻峡周辺地域振興センターに着いたのは集合時刻ぎりぎりの9時10分。すでに多くの人が事務所前の広場に集まっていた。さっそく受付で料金を払って、注意事項を書いたチラシを受け取った。色とりどりのヘルメットをおのおの装着して、案内の列に並ぶ。

車両は、3人乗り(1台3000円)と4人乗り(同 3500円)の2種類がある。だが、どちらも実際に漕ぐのは2人だけで、両者の違いは補助席の数だ。運行回数は今年(2025年)の場合、上り5便、下り5便の計10便あり、各便とも最大7台が走る。私たちも第1便の3人乗りをネットで予約してあるが、今日はすでに全便完売のようだ。

この「渓谷コース」は長さが2.4kmあり、所要時間は、上りとなる往路が30分、復路は25分とされている。以前は下流へ向かう「田園コース」1.6km(下注)もあったようだが、終始平地を行くのであまり人気が出なかったのか、現在は運行されていない。

*注 実距離は0.8kmだが、片道と往復が選択できる「渓谷コース」とは異なり、終点の転回場で折り返して起点に戻るまでが1コースなので、1.6kmになる。

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(左)地域振興センターで受付
(右)スタッフの先導で乗り場へ移動
 

時間になると、先導のスタッフが、少し離れた乗り場の「雁ヶ沢(がんがさわ)駅」まで案内してくれる。雁ヶ沢川の渓流を渡り、築堤の階段道を上る。仮設屋根の下、コンクリート床の軌道上に、これから乗るレールバイクが用意されていた。

2軸台車に自転車2台を並列固定した、岩泉線のそれ(下注)と同形の簡易車両で、自転車は電動アシストタイプだ。漕ぐのは二人に任せて、年長の私は補助席で取材に徹する。全員スタンバイし終えると、追突防止のために車両間隔を20m空けて、順に出発していった。

*注 岩泉線のレールバイクについては「コンターサークル地図の旅-岩泉線跡とレールバイク乗車」参照。

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(左)3人乗りレールバイク
(右)同行スタッフの車両はスーパーカブ!
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(左)スタンバイ完了
(右)一定間隔を空けてスタート
 

まず見えてくる灰色の建物は、松谷(まつや)水力発電所だ。送電線の下をくぐり、松上(まつうえ)集落の赤屋根を横に見ながら進む。しだいに谷が狭まり、ルートの最大勾配16‰の勾配標を見送ると、長さ104mの松谷トンネルを抜ける。続いて目の前に現れるのが、長さ7.2mで日本最短の鉄道トンネルとうたわれた樽沢トンネルだ。と言っても実体は短すぎて、道路をくぐるカルバートと変わらない。

それに対して三つ目の、ルート最後となる道陸神(どうろくじん)トンネルは432.4mとけっこう長い。内部でカーブしているので本来は真っ暗なはずだが、青白いイルミネーションを線路に敷いて、進行方向を明示していた。

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(左)松谷水力発電所の横を通過
(右)軌道は緩い上り坂
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(左)松谷トンネルに突入
(右)樽沢トンネルは長さ7.2m
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(左)道陸神トンネル東口
(右)青白いイルミネーションで進路を誘導
 

この闇を抜けると左カーブの向こうに、谷を塞ぐ巨大なダム壁と、その下に、終点である「吾妻峡八ッ場(あがつまきょうやんば)駅」のテントが見えてくる。到着予定は9時55分だが、順調に進んだので5分ほど早着した。

客が降りた後、復路に備えて、スタッフがレールバイクの方向転換作業をする。車体の中央に寝かせてある牽引棒のようなものを垂直に立てると、車体が少し浮き、この棒を軸にして手動で車体を回転させることができるのだ。バルーンループを自走で回る美幸線や、簡易転車台に載せて回す岩泉線とも違うユニークな方法でおもしろい。

■参考サイト
吾妻峡レールバイク「アガッタン」 https://agattan.com/

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ゴールのテントと、背後にそびえ立つ八ッ場ダム
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(左)レールバイクの方向転換
(右)駅名標
 

せっかくここまで来たので、吾妻渓谷も探勝しておこう。国道145号旧道を800mほど下り、新緑うるわしい遊歩道へ足を向けた。谷のこのあたりは八丁暗がりと呼ばれ、地形としては最も険しい。谷が深く切り裂かれて2~3m幅まで狭まる地点は、鹿が飛んで渡ると言われ、鹿飛の名がある。遊歩道の橋から下を覗くと、谷底の深さと水量の迫力に思わず足がすくんだ。

この後は対岸の小道を上流へ進む。アップダウンがけっこう激しく、遊歩道よりむしろ登山道と言った方が正確だ。紅葉谷橋で再び渓谷をまたいで、旧国道に戻った。

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(左)鹿飛橋から見下す渓流
(右)小蓬莱と呼ばれる断崖
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図3 同 八ッ場ダム周辺
 

八ッ場ダムは、堤高116m、堤長291mの規模を誇る大きなダムだ。堰堤内部のエレベーターが一般開放されているので、ダム下から天端まで一気に移動することができる。峡谷の急流は緑がかったターコイズブルーに見えたが、ダム湖は目の覚めるようなコバルトブルーで、降り注ぐ陽光をきらきらとはね返している。雪解け水で満水状態でもあり、眺めは文句なしに素晴らしい。

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八ッ場ダム
右下が天端へ上るエレベーターの入口
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コバルトブルーに染まるダム湖
 

やんば資料館に立ち寄った後、昼食場所として目を付けていたうどん専門店へ。大出さん曰く、群馬はうどんがおいしいそうで、ここでも、こしのあるうどんと天ぷらが食べられる。

ダムは完成からまだ5年しか経っていないので、湖面に枯れ木が残っている。八ッ場大橋を渡って川原湯温泉(かわらゆおんせん)駅まで歩いていく途中、美瑛の「青い池」を思わせる風景に遭遇した。若いダム湖ならではの佳景だ。

13時過ぎ、この日前半のゴールとなる川原湯温泉駅に到着。ここには線路付け替え後、一度電車で見に来たことがあるが、移転した温泉集落から離れていることもあって、駅前の閑散としたようすは変わっていない。

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(左)八ッ場大橋を渡って駅へ向かう
(右)八ッ場の「青い池」
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湛水前の吾妻渓谷、不動大橋から東望(2015年2月撮影)
右端が現 川原湯温泉駅、中央に八ッ場大橋、
左端で旧線がトンネルから顔を出す

後半は太子(おおし)支線跡を探索する。13時13分発の電車に乗り、次の駅、長野原草津口駅で降りた。まず太子駅跡まで町のコミュニティバスで行き、歩いてここに戻ってくるつもりだったが、バスは1日4往復、次の便は50分後だ。待機時間が惜しいので、手早くタクシーで向かうことにした。

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長野原草津口駅
 

白砂川(しらすながわ)の谷間にある太子駅跡は、遺跡公園風に整備されていた。復元された平屋の駅舎が受付棟で、内部に写真や遺物などが展示されている。入場料200円を払って公園域に入ると、1面2線のホーム跡があり、全国各地から取得したという貨車が10両以上留置されていた。なんでもここは全国一の無蓋車公園だそうな。

山側には、索道で輸送されてきた鉄鉱石を貨車に積み込むホッパー棟の遺跡が広がっている。林立するコンクリートの柱が風化して、遠景の無蓋貨車をアクセントに、廃墟特有の雰囲気を醸し出す。メディアでよく紹介される写真は、これを上流側から透視した構図だ。私たちがいる間にも訪問者が3組あり、ちょっとした観光地になっているようだった。

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(左)太子駅復元駅舎
(右)内部は資料展示室に
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ありし日の太子駅
太子駅展示資料を撮影
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残されたホームとホッパー棟
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図4 同 太子駅跡~下沢集落間
 

太子駅を後にして、廃線跡の舗装道を南へ歩いていった。山側を国道292号が並走しているので、クルマがほとんど通らない田舎道だ。途中、対岸の段丘上に立地する赤岩集落に寄り道した。一見どこにでもあるような山間集落だが、切妻屋根に換気用の小屋根を載せる養蚕家屋が多く残され、重伝建地区に指定されている。

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(左)赤岩集落の湯本家住宅
(右)小屋根を載せる養蚕家屋(貝瀬集落で撮影)
 

廃線跡はこの後も一本道で、山が川べりまでせり出している場所では、2本の短いトンネル(第二愛宕、第一愛宕トンネル)で抜けていく。中沢集落でいったん国道292号に呑み込まれるが、国道が川を渡るために左へそれた後は、また田舎道に還って下沢集落のへりを伝う。

しかし、のどかな散策路は、次のトンネル(名称不明)の前で突然断ち切られる。内部が土砂で閉塞していて通行できないのだ。向こう側に抜ける道がないかと、少し山に分け入ってみたが、倒木で行く手を塞がれた。片側は川に落ち込む斜面なので、かなり気合を入れない限り、通過は難しそうだ。

やむを得ず国道まで戻って対岸に渡り、そのまま長野原地内まで延々と歩いた。川の蛇行部をトンネルでショートカットしていた太子線に比べて、国道経由は遠回りになるし、第一、車道の端をとぼとぼ歩くのは気疲れがする。

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(左)廃線跡の一本道
(右)第二愛宕トンネル北口
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(左)連続する第二および第一愛宕トンネル
(右)南口に残るプレート
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下沢集落を通る廃線跡
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(左)下沢南方のトンネル北口
(右)土砂で閉塞した坑内
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図5 同 下沢集落~長野原草津口駅間
 

貝瀬(かいぜ)集落の南で新道の嶋木(しまぎ)橋を渡って、再び右岸へ。橋のたもとを横断している小道が廃線跡なので、上流側で口を開けているトンネル(名称不明)の前まで行ってみた。通行止めらしく、細いチェーンが渡してある。

一方、小道を下流側へ追うと、やがて廃線跡は道から外れて、白砂川を渡っていく。フェンスで塞がれているため、右岸からは確認しにくいが、左岸に回ると径間の広いガーダーで川をまたいでいるのが見える。続く築堤は崩されてしまったが、コンクリートの擁壁の一部が墓地の境界に残っていた。

16時20分ごろ、長野原草津口駅に帰着。盛りだくさんの歩き旅だった。終点の大前まで往復してから帰るという大出さんと別れて、森さんと私は16時39分発の高崎行き上り電車に乗った。

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(左)嶋木橋北方のトンネル南口
(右)切石積みの側壁
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(左)白砂川をまたぐガーダー橋
(右)左岸に残る築堤の擁壁跡
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冬枯れ期のガーダー橋
(2015年2月、吾妻線列車から撮影)
 

参考までに、吾妻線旧線が記載されている1:25,000地形図を、岩島側から順に掲げる。

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図6 吾妻線旧線時代の1:25,000地形図
岩島駅~吾妻渓谷間(1972(昭和47)年測量)
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図7 吾妻線旧線時代の1:25,000地形図
吾妻渓谷~川原湯駅間(1972(昭和47)年測量)
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図8 吾妻線旧線時代の1:25,000地形図
川原湯駅~長野原駅間(1972(昭和47)年測量)
 

太子支線は1:25,000地形図の刊行以前に廃止されたので、代わりに1:50,000地形図を掲げておこう。

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図9 太子支線現役時代の1:50,000地形図(1966(昭和41)年測量)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図長野(昭和41年修正)、5万分の1地形図草津(昭和41年資料修正)、2万5千分の1地形図群馬原町、長野原(いずれも昭和47年測量)および地理院地図(2025年10月20日取得)を使用したものである。

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2025年10月25日 (土)

新線試乗記-広島電鉄「駅前大橋ルート」

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駅ビル2階に移設された広電の新ホーム
 

いつも使う山陽新幹線とは違って、今回、広島市街地へのアプローチは海上からだった。所用があった四国の松山から、瀬戸内海汽船の新型フェリーで宇品(うじな)の広島港に着いた。港のターミナルビルのすぐ前に広島電鉄の電停がある。5号線(下注)の電車に乗れば、広島駅まで30分ほどだ。

*注 路線名とは別に、各運行系統を「~号線」と呼んでいる。5号線は比治山下経由で広島駅と広島港を結ぶ。

乗り込んだ電車はまもなく臨港地区を後にして、宇品本通を一路北上していく。紙屋町(かみやちょう)方面の線路が分岐する皆実町(みなみまち)六丁目を通過し、比治山下(ひじやました)までは何度か通ったことがある。

だが、その先の比治山町交差点からは、初めて乗る区間だ。従来はそのまま直進して大正橋の手前で左折、次の荒神橋(こうじんばし)のたもとで本線に合流していた。今回のルート変更で、交差点を左折した後、松川町で駅前通りに入り、稲荷町で本線と接続するようになった(下図参照)。

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広島港ターミナルビル前の電停(2012年)
Photo by iloverjoa at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

広島電鉄、通称 広電(ひろでん)は、広島市街地と西郊に約35kmにも及ぶ路線網を拡げている。2025年8月3日、このうち最も東の広島駅周辺で、運行ルートに大きな変化があった。

一つは、広島駅ビルの改築に合わせて、電車のターミナルが地上の駅前から2階駅ナカに移転したことだ。これにより、以前から2階にあったJR新幹線・在来線の改札との間で、平面での乗換えが実現した。距離も近くなり、70秒で移動できるそうだ(下注)。

*注 記載した時短効果は、下記特設サイトによる。

同時に、広島駅~稲荷町(いなりまち)電停間で、荒神橋を経由していた旧 本線をショートカットする新線「駅前大橋ルート」が開業した。これにより、到達時間が約4分短縮された。さらに、5号線の電車が通る皆実(みなみ)線もそれに接続するため、先述のとおり、松川町(まつかわちょう)経由に切り換えられたのだ。

■参考サイト
駅前大橋ルート周辺の1:25,000地形図
https://maps.gsi.go.jp/#15/34.392600/132.471800/

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新旧ルート図
「駅前大橋ルート開業」特設サイトから引用 © Hiroshima Electric Railway Co.,Ltd.
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車両正面の記念プレート
 

さて、駅に向かう車内で興味津々、前方を注視していると、真新しい複線の軌道が道路の中央に延びている。しかしその敷地は、交差点を除いてまだ砂利がむき出しだ。訪れたのは10月中旬で、開業から2か月以上経過しているが、仕上げ工事はこれからのようだ。

松川町交差点の前後には、同名の電停が新設された。そして、緑の街路樹が取り払われ、殺風景になった幅広の駅前通りを200m進むと、もう稲荷町交差点だ。本線が左から合流してくる。広島駅方面の停留所は交差点の手前(南側)にあり、そこで長い信号待ちをした。

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まだ砂利敷きの軌道
(左)比治山下~松川町間 (右)稲荷町電停
 

この間に、降車の際の運賃の決済方法について車内アナウンスが流れた。広島のご当地ICカードPASPY(パスピー)が廃止され、MOBIRY DAYS(モビリーデイズ)というQRコードのシステムが導入されたのは、今年3月下旬のことだ。ICOCAなど全国交通系ICカードも引き続き使えるが、読み取り機が別で、降車口も限定されている(下注)。

*注 降車は、MOBIRY DAYSなら全扉で可能だが、交通系ICカードは乗務員がいる扉のみ。ただし、広島駅では混雑緩和のため、ホームでも係員が降車処理をしている。

アナウンスの終了を見計らったように、タイミングよく信号が青に変わった。車道を横断すると、正面に壁のようにそびえる駅ビルが見えてくる。再び「砂利道」を進み、上り坂で駅前大橋にさしかかった。橋の縦断面が太鼓状なので、電車は急な勾配を感じさせることなく2階のレベルに上がっていく。駅前交差点の直上にあるシーサスクロッシングで右に転線し、最も東側のAホーム前に静かに到着した。

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駅前大橋南詰から稲荷町交差点を望む
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(左)駅前通りの奥に駅ビルが
(右)駅手前のシーサスクロッシング
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広島駅ホームを3階から俯瞰
 

降りてみて改めて、周りに広がる吹き抜けの大空間に目を見張る。複数の軌道が整然と並んでいて、地上時代の狭苦しい直列型ターミナルを思い返せば、まるで別世界だ。新しい駅ビルの中に路面電車のターミナルを収容するのは富山駅の前例があるが(下注)、電車が上の階に飛び込んでくるという点ではモノレールの小倉駅にもどこか似ている。

*注 ただし、路面軌道の富山駅は通過型で、南北に路線が延びる。詳細は「ライトレールの風景-富山地方鉄道軌道線」参照。

しかし、そのどちらともかけ離れているのは、扱う便数に応じた駅の規模だろう。新しい構内は4面4線を擁し、東側からAホーム、同 降車ホーム、Bホームとその先端を切り欠いたCホーム、Dホーム、同 降車ホームの順に並ぶ。いうまでもなく路面電車の駅としては日本最大だ。

このうちAホームは5号線(広島駅~比治山下~広島港)、Cは短編成で運用される6号線(広島駅~江波)、Bは2号線(広島駅~広電西広島~宮島口)、Dは1号線(広島駅~紙屋町東~広島港)の電車が発着する。ただし、運行状況によってホームが変更になる場合がある。

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2階フロア案内図
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(左)にわか雨の中を出入りする電車
(右)日中でも長い待ち行列が
 

時刻は13時を回ったところだが、昼間でも電車が数分おきに出入りするし、JR改札や駅北口(新幹線口)に直結するフロアには人がひっきりなしに行き交っている。特にDホームの前には次の電車を待つ長い列ができているから、通勤通学の時間帯は推して知るべしだ。

今日は昼前から雲が厚みを増していき、午後はにわか雨に見舞われた。こういうときこそ、屋根に覆われたホームはありがたい。地上ホーム時代にも通路屋根はあったが、狭くて朝夕の混雑時に人波が収まりきらなかった。

ちなみに3階に上がると、構内全体を俯瞰することができる。左右両側に休憩スペースが設けられているので、電車の発着シーンをじっくり観察することも可能だ。しかし、無作法な撮り鉄を警戒してか、フェンス間際までは近寄れないようにしてあった。

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稲荷町交差点のダイヤモンドクロッシングを通過
 

この後は駅前通りを稲荷町まで移動して、旧線跡の現状を見に行った。稲荷町から東進していた旧線のうち、荒神橋手前の旧 的場町(まとばちょう)電停までの約300mは、皆実線の旧線区間とともに、来春開業予定の循環線のルート(下注)として再利用される。

*注 循環線は、紙屋町東~市役所前~皆実町六丁目~比治山下~的場町~紙屋町東の環状ルートが予定されている。

そのため、稲荷町交差点には、高知のはりまや交差点や松山の大手町で見られるようなダイヤモンドクロッシングが設置された。また北西側には複線の渡り線が付属していて、これが本線ルートになる。循環線転用区間をざっと眺めたところ、停留所設置工事のために一部で軌道が撤去されているほかは、石畳の軌道がまだ手つかずだった。

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(左)循環線に転用予定の旧本線、あけぼの通りにて
(右)的場町電停は改築中
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(左)的場交差点で本線に合流していた軌道跡
(右)荒神橋~広島駅前間はまだ軌道が残る
 

これに対して荒神橋以北は、今回のルート切換えに伴い、廃線となる。本線に皆実線が合流していた橋の西詰ではすでに軌道が消え、跡を埋めたアスファルト舗装の真新しさが目立っている。

橋を渡り終えると旧線はすぐに左折して、駅に向かい、中間に旧 西国街道の橋の名に基づく猿猴橋町(えんこうばしちょう)電停があった。この荒神橋から駅前東交差点に至る軌道はまだそのまま残っている。しかし、バリケードに囲まれて生気がなく、朝夕、駅への入線を待つ電車がこの通りで数珠つなぎになっていた記憶はすっかり過去のものになった。

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荒神三差路から広島駅方向を望む
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広島駅前
手前が地上駅時代の進入路、奥に「駅前大橋ルート」の高架が見える

ご参考までに、旧線時代の写真を以下に掲げておこう。

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荒神橋を渡る650形「被爆電車」(2015年撮影、以下同じ)
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駅入線待ちの渋滞
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人一人立つ幅しかなかった猿猴橋町電停
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広島駅を出る5000形グリーンムーバー
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パズルのような出入りを強いられた旧 広電広島駅
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旧駅時代の構内図(2022年撮影)
 

■参考サイト
広島電鉄 https://www.hiroden.co.jp/
同「駅前大橋ルート開業」特設サイト https://www.hiroden-hiroshima-st.jp/

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2025年10月 9日 (木)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト II

前回に引き続き、イタリアの保存鉄道・観光鉄道から注目路線をピックアップしたい。

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ミラノ市内線19系統を走る1500形(2022年)
Photo by Oleksandr Dede at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

路面軌道では、低床の連節車両に主役の座を譲りつつも、旧型トラムの姿がいまだ見られる町が北部にいくつかある。

項番1 トリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina

トリエステ Trieste は北イタリアの東端、アドリア海の湾入に面した港町だ。かつてはトラムが市街地を縦横に走っていたが、1970年までに廃止されてしまい、唯一残っているのがトリエステ=オピチーナ路面軌道 Tranvia Trieste-Opicina だ。メーターゲージの路線で、1935~42年製の古参トラムが改修を受けながら今も主役を務めている。

トラムは市内のピアッツァ・オベルダン(オベルダン広場)Piazza Oberdan から、町の背後に迫る斜面を上って、カルスト台地の上にあるヴィッラ・オピチーナ(オピチーナ町)Villa Opicina まで行く。全線5.2kmの中で名物になっているのが、長さ約800m、勾配260‰の鋼索線(ケーブルカー)区間だ。

もとよりトラムがケーブルカーに変身するわけではなく、ケーブルに接続された台車(スピントーレ spintore、すなわち押し車)で後ろから押してもらって坂を上る仕組みだ。トラムと台車は連結されておらず、重力で接触しているだけなので、坂上の終点まで来ると、トラムは再始動して自力で離れていく。

補助を要する急坂はここまでだが、その後も上り勾配はしばらく続き、最後に傍らにオベリスクが立つ地形上のサミットを通過する。標高343mの台地のへりで、トリエステの町と港が一望になる車窓きってのビューポイントだ。

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オベルダン広場の起点駅(2008年)
Photo by Orlovic at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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鋼索線でトラムを押す台車(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番9 ミラノ市電1500形 Tranvia di Milano, Serie 1500

イタリアの都市で19世紀以来、市内の路面軌道が存続してきたのは、開業順にトリノ、ナポリ、ローマ、そしてミラノの4都市だ(下注)。導入こそ最も遅かったが、ATM(ミラノ交通公社 Azienda Trasporti Milanesi)が運行するミラノの軌道網は今や17路線、延長160km近くあり、世界的にも最大級とされる。

*注 トリノが1871年、ナポリが1876年、ローマが1877年、ミラノが1881年で、いずれも馬車軌道から始まった。

ミラノの市内電車で興味深いのは、これだけではない。モダンな連節低床トラムに混じって、昔懐かしいヴィンテージ車両が多数現役で運用されているのだ。1927~30年製の1500形で、初めて供用された1928年にちなんで、イタリア語で28を意味するヴェントット Ventotto の愛称で呼ばれる。

502両製造されたうち、150両ほどが今も稼働可能で、ヨーロッパ最古の定期運行トラムだそうだ(下注)。1970年代からオレンジ1色に塗られていたのでそのイメージが強いが、最近はオリジナル色であるベージュと黄色のツートンに塗り替えが進んでいる。

*注 リスボン市電のレモデラードス(改修車)Remodelados も有名だが、オリジナルは1932年以降の製造。

観光用の特別系統なら後述するトリノなどにもあるが、一般路線、かつ通常の運賃制度の範囲内で乗れるというのは珍しいのではないか。もちろんこれは、財政事情で新旧交代が進まないからではなく、街の景観に溶け込んだシンボル的存在として、積極的に動態保存されてきたのだ。ただし、近年の車両に比べて収容力が小さいので、比較的混んでいない系統(1、5、10、19、33系統)で運用されているという。

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スカラ座前の1500形(2022年)
Photo by dconvertini at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番12 トリノ市電7系統 Tranvia di Torino, Linea 7

北イタリア西部、ピエモンテ州の州都トリノ Torino の路線網は現在88.5kmに達する。運行系統は全部で10あるが、その中に、観光用の7系統 Linea 7 が含まれる。非営利団体のトリノ歴史路面電車協会 Associazione Torinese Tram Storici (ATTS) の協力により、1930~50年代の旧型車両だけで維持されている特別系統だ。週末と祝日に1時間間隔で運行され、市内中心部(チェントロ Centro)を時計回りに一周する6.9kmのルートを走る。

カステッロ広場 Piazza Castello の電停を出発したトラムは、ポー川沿いや並木道のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世通り Corso Vittorio Emanuele II、中央駅ポルタ・ヌオーヴァ Porta Nuova の前などを経由して、41分で起点に戻ってくる。通常運賃で乗車でき、居ながらにして街を巡れる手軽な観光ツールだ。

時間に余裕があるなら、一般運行の15系統に乗換えて、ポー川の対岸サッシ Sassi へ足を延ばすのもいいだろう。サッシ=スペルガ軌道  Tranvia Sassi-Superga(項番13)のラック電車が、スペルガ宮殿 Basilica di Superga がそびえる見晴らしのいい丘の上まで連れて行ってくれる。

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カステッロ広場の7系統(2006年)
Photo by Aleanz at wikimedia. License: public domain
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サッシ=スペルガ軌道の起点サッシ駅(2014年)
Photo by Incola at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

このほか、ローマ市内でも、古典車両で運行される観光系統「7系統 アルケオトラム Archeotram」の開業が予定されている。走行ルートは既存の軌道で、ピラミデ Piramide 駅前からコロッセオ Colosseo、ポルタ・マッジョーレ Porta Maggiore などの名所を経てテルミニ Termini 駅前で折り返すというものだ。

廃止済みの路線も興味深いものが目白押しなので、リストに含めておいた。もはや乗車することは叶わないが、存続していたら観光鉄道として人気を博していたかもしれない。

項番3 ドロミーティ鉄道 Dolomitenbahn/Ferrovia delle Dolomiti

ドロミーティ鉄道は、来年(2026年)冬期オリンピックが開催される北東部のリゾート地区、コルティーナ・ダンペッツォ Cortina d'Ampezzo を通っていた950mm軌間の電気鉄道だ。FS線に接続するカラルツォ・ディ・カドーレ Calalzo di Cadore から同じくトーブラッハ/ドッビアーコ Toblach/Dobbiaco まで南北64.9kmを走っていた。

ドロミーティはまた、天にそそり立つ奇峰群の景観でも有名だ。鉄道は谷間から峠に向けてしだいに高度を上げていき、車窓には樹林の間から雄大な山岳パノラマの絶景が広がった。観光路線と目されていたのはもちろん、前回1956年の五輪開催時にはまだ現役だったので、客車が増備され、選手・関係者や観衆の輸送にも奔走したそうだ。

しかし、老朽化に伴い1964年に廃止となり、役割を路線バスに譲った。今は全線が「ドロミーティの長い道 Lunga via delle Dolomiti」と呼ばれる長距離自転車道になっている。

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サン・ヴィート・ディ・カドーレ San Vito di Cadore 付近の
廃線跡自転車道(2023年)
Photo by Giorgio Galeotti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番19 リミニ=サンマリノ線 Ferrovia Rimini-San Marino

同じく950mm軌間の電化路線で、アドリア海岸の町リミニ Rimini と、イタリアの中の独立国(包領 Enclave)サンマリノ San Marino の間31.5kmを結んでいたのが、国鉄リミニ=サンマリノ線だ。終点サンマリノ・チッタ(市駅)San Marino Città は聳え立つ丘の上に位置し、標高は643m。それでもラックレールには頼らず、スパイラル2回とS字ループの繰り返しで最後まで上りきるという、タフな登山路線だった。

1932年に開通したものの、第二次世界大戦で施設が破壊されて運休となり、結局そのまま廃止されてしまう。運行期間わずか12年という薄命の路線だった。その後2012年に保存団体の尽力で、オリジナルの電動車AB03と、終点近くで半回転しているモンターレトンネル Galleria Montale 前後の800m区間が復旧された。現在も年に数日、保存走行が実施されている。

*注 鉄道の詳細は「サンマリノへ行く鉄道」参照。

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復元区間に配置された電車AB03(2015年)
Photo by Aisano at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番20 スポレート=ノルチャ鉄道 Ferrovia Spoleto-Norcia

スポレート=ノルチャ鉄道は、中央アペニン山脈にあった950mm軌間、51.2kmの電気鉄道だ。ウンブリア州スポレート Spoleto の町から東へ進み、山奥の盆地にあるノルチャ Norcia という町まで走っていた。

とりわけ東隣の谷筋へ抜けるための前半区間が、スペクタクルなルートで有名だった。長さ2kmのサミットトンネルの両側に、計3回のスパイラルと、いろは坂のようなS字ルートが続く。さらに全線にわたって橋梁などの土木構造物も数多く、スイスアルプスの南北幹線になぞらえて「ウンブリアのミニ・ゴッタルド Piccolo Gottardo Umbro」の異名を取った(下注)。

*注 実際は狭軌鉄道なので、ゴッタルドよりもレーティッシュ鉄道のベルニナ線 Berninabahn に似ている。

1968年に廃止されたが、幸い、峠越えを含む前半31km区間がほぼ完全に自転車道に転用整備されたので、自力でなら今でもたどることが可能だ。また、起点のスポレート駅舎は、この狭軌鉄道を記念する博物館になっている。

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狭軌鉄道のノルチャ駅は鉄道博物館に(2022年)
Photo by Simone Pranzetti at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番25 ヴェスヴィオ登山電車 Ferrovia Pugliano-Vesuvio, Funicolare Vesuviana

ヴェスヴィオ山は、ナポリ湾に臨む標高1281mの火山だ(下注)。知られるとおり、西暦79年の噴火では麓の古代都市ポンペイとヘルクラネウムを壊滅させ、その後も大小の噴火を繰り返してきた。

*注 イタリア語ではヴェズーヴィオ Vesuvio。活動中のため、標高値には変動がある。

一般にヴェスヴィオの登山電車というと、1880年に開業したフニコラーレ・ヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ ケーブルカー) Funicolare Vesuviana のことを指す。火口縁まで上る0.8kmの鋼索線(下注)で、当時作られた軽快な歌曲「フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà」のおかげで世界的に有名になった。

*注 最初はモノレール式の小型車両で運行された(下の写真参照)が、1904年に単線交走式ケーブルカーに改築。

しかし、下部駅は山の中腹、標高753m地点に設けられていたため、そこまでは馬車で行くしかなかった。この駅と、裾野を走っている既設の路面軌道の停留所との間をつないだのが、メーターゲージ、7.7kmの電気鉄道、プリャーノ=ヴェスヴィオ鉄道 Ferrovia Pugliano-Vesuvio だ。1903年に開業したこの路線によってはじめて、ナポリ市内から火口までの鉄道網が完成した(下注)。

*注 1913年にプリャーノ Pugliano 駅まで延伸され、チルクムヴェズヴィアーナ(ヴェスヴィオ環状)鉄道 Ferrovia Circumvesuviana との接続を果たした。下のルート図はその状況を示している。

山麓から中腹まで680mある高度差を克服するため、電気鉄道の中間部には最急勾配250‰のシュトループ式ラックレールが敷かれていた。実態としてヴェスヴィオ登山電車は、この二者一体で完結する山岳観光ルートだったのだ。

しかし、1944年に起きた激しい噴火活動により、ケーブルカーの施設は破壊され、運行不能となる(下注)。電気鉄道も一部区間で被害を受け、代替道路建設による下部区間の部分運休を経て、1955年に全線廃止となった。

*注 代替として1953年にチェアリフトが設置され、1984年まで稼働していた。

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モノレール式の初代ケーブルカー(1880~1904年)
Photo from Amsterdam Rijksmuseum collection at wikimedia. License: CC0 1.0
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ヴェスヴィオ登山電車ルート図
Image from wikimedia. License: public domain
 

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2025年10月 8日 (水)

イタリアの保存鉄道・観光鉄道リスト I

イタリアでは、2017年に観光鉄道 Ferrovia turistica の制度が法制化された(2017年8月9日付第128号)。その目的は、文化・景観・観光的に特に価値のある休廃止または閉鎖された鉄道路線の保護と活用で、対象には路線や駅、関連する土木構造物、付属施設が含まれる。

現在、27の路線(標準軌20、狭軌7)が選定されているが、標準軌路線は大半が国鉄線(下注)だ。一部の路線で、国鉄系のイタリアFS財団 Fondazione FS Italiane が「時を超える線路 Binari senza Tempo」の統一ブランドを掲げて観光列車を運行している。一方、狭軌線には、半島先端のカラブリア州とシチリア島、サルデーニャ島の路線が含まれる。まずはこれらの中から主なものを挙げていこう。

*注 国鉄(FS)線は上下分離政策により、FS の子会社 RFI(イタリア鉄道網公社 Rete Ferroviaria Italiana)がインフラの保有・管理を、グループ会社トレニタリア Trenitalia が列車運行をそれぞれ担っている。

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ピエトラルサ国立鉄道博物館 Museo nazionale ferroviario di Pietrarsa の
展示棟に整列する機関車群(2018年)
Photo by John Smatlak at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」
https://map.on.coocan.jp/rail/rail_italy.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-イタリア」画面

項番18 トスカーナの自然列車(ヴァル・ドルチャ線)Trenonatura in Toscana (Ferrovia della Val d'Orcia)

ヴァル・ドルチャ線(オルチャ渓谷線)は、トスカーナ南部に広がる美しい丘陵地帯の一角、オルチャ渓谷 Val d'Orcia を経由するアシャーノ=モンテ・アンティーコ線 Ferrovia Asciano-Monte Antico の別称だ。

沿線人口が少ないため、1994年に旅客列車が廃止されてしまったが、地元の声を受けて1996年に創設されたのが、観光列車「トレノナトゥーラ(自然列車)Trenonatura」だ。これには、近隣の人気都市シエナ Siena に集まる観光客を、まだ注目されずにいた周辺の地域へ誘い出すねらいがあった。

企画は二種類あり、一つは定期列車や別途3便設定された古典気動車をローバーチケット(一日乗車券)で自由に乗り降りするフリータイプ、もう一つは予約を要する蒸気機関車牽引の特別列車だった。これはマスコミでも報じられて評判を呼び、2000年代に一大ブームを迎えたが、2011年以降は状況が落ち着いて、後者のタイプのみの運行になっている。

今でも週末には、ピストイナ機関庫からやってきた蒸機やディーゼル機関車の先導でツアーが催行される。シエナを朝発って、モンテ・アンティーコ Monte Antico~アシャーノ Asciano 間のいずれかの駅からバスで周辺の見どころを巡り、夕方、シエナに戻るというコースだ(下注)。

*注 シエナまでの復路は、ツアーによって列車ではなくバスになる場合がある。

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トッレニエ-リ Torrenieri 南方にて(2010年)
Photo by maurizio messa at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番23 トランシベリアーナ・ディターリア(イタリアのシベリア横断鉄道)Transiberiana d'Italia

スルモーナ=イゼルニア線 Ferrovia Sulmona-Isernia は、イタリアの背骨アペニン山脈中央部の山中を走る118kmのローカル線だ。同国の標準軌鉄道網では、ブレンナー(ブレンネロ)峠 Brennerpass/Passo del Brennero に次ぐ標高1268mを通過する。冬の間、沿線は雪に覆われ、寒さが厳しいことから、路線は「イタリアのシベリア横断鉄道」の異名をもつ。

ここに観光列車が走り始めたのは2014年のことだ。マイエッラ国立公園 Parco nazionale della Maiella(下注)の区域を通っていくので「公園鉄道 Ferrovia dei Parchi」(下注)の名称がつけられた。現在はシーズンの週末に、ディーゼル機関車と古典客車の編成で運行されている。

*注 スルモナの東にあるマイエッラ山地 Montagna della Maiella を中心とする国立公園。マイエッラ山地の主峰はアペニン山脈第2の高峰、標高2793mのアマーロ山 Monte Amaro。

発地は、ローマとペスカーラ Pescara を結ぶアペニン横断幹線の中間にあるスルモーナ Sulmona だ。列車は一路南へ進み、行く手に立ちはだかるマイエッラ山地の険しい峠を越えていく。路線の終点はイゼルニアだが、そこまでは行かず、途中のいずれかの駅で周辺の観光に出かけ、夕刻にスルモーナへ戻るのが通例だ。

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カロヴィッリ Carovilli 駅付近(2012年)
Photo by Dgandrea05 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番28 シーラ列車 Treno della Sila

イタリア半島の平面形をブーツに例えると、つま先がカラブリア Calabria 州だ。その足の甲のあたり、南に膨らんでいる一帯はシーラ Sila と呼ばれ、標高1000mを越える山地と高原が広がっている。シーラ列車は、その高原地帯を走る狭軌(950mm軌間)の保存観光列車だ。

多聞に漏れずこの路線も、もとはコゼンツァ=サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ線 Ferrovia Cosenza-San Giovanni in Fiore、通称シーラ鉄道 Ferrovia Silana という延長67.1kmの狭軌鉄道だった。しかし、人口希薄な地域のため輸送需要が低迷し、1997年以降、定期列車の運行が順次休止されて、観光専用になった。

シーラ列車は2016年から走り始めた。民間の協会組織が運営に携わる貴重な一例だ。シーズン中の毎土曜または日曜に、通常は蒸気機関車が古典客車を牽いている。列車はカミリャテッロ・シラーノ Camigliatello Silano ~サン・ニコーラ=シルヴァーナ・マンショ San Nicola-Silvana Mansio 間、アップダウンの多い10.8kmのルート(下注)を行く。終点は標高1404m、イタリアの鉄道が到達する最高地点になる。

*注 このほかの区間では列車運行がなく、軌道や施設は放置されている。

全線でもゆっくり走って40分ほどだ。それで、途中で山賊の列車襲撃ショーがあったり、バスに乗り換えてシーラ国立公園のスポットを巡るなど、チケットは複数のイベントを組み合わせたツアーとして販売されている。

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1919年ボルジッヒ製タンク蒸機が牽くシーラ列車(2017年)
Photo by kitmasterbloke at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項目32~35 トレニーノ・ヴェルデ Trenino Verde

サルデーニャ島 Sardegna にも950mm軌間の路線群があり、国鉄線から離れた港や内陸の町を結んでいる。しかし、一般運行を取りやめてしまった区間も多く、そうした休止線を観光用に蘇生させる取り組みが、トレニーノ・ヴェルデ(緑の小列車)のツアー企画だ。

運行している ARST(サルデーニャ地方交通 Azienda Regionale Sarda Trasporti)のサイトによれば、2025年現在、小列車が走っているのは5路線、うち以下の4路線が休止線を活用したものだ。

・サッサリ=テンピオ=パラウ線 Ferrovia Sassari–Tempio–Palau、149.9km
・マコメル=ボーザ線 Ferrovia Macomer–Bosa、45.9km
・イジーリ=ソルゴーノ線 Ferrovia Isili–Sorgono、83.1km
・マンダス=アルバタクス線 Ferrovia Mandas–Arbatax、159.4km

総延長は400kmを優に超えるが、たとえ週に1日でも客を乗せた列車を通すには、保線作業が必要になる。そのため、実際に列車が走るのは一部区間に過ぎず、走行距離は各線とも片道40km前後だ。しかも時間的制約あるいは車両運用の関係か、復路は列車の代わりにバスを使うものさえある。

それでも、一般運行が途絶えた路線を列車で旅行できるというのは貴重だ。たとえばマンダス=アルバタクス線のツアーは、東岸アルバタクス Arbatax の港から標高550mの山上の町ラヌゼーイ Lanusei まで、列車で山腹を延々と上っていく。走行距離34.3kmは全線の2割ほどだが、その先に続く、今は通行できない山岳区間の旅がどれほどハードだったのかを想像するのに十分な体験だ。

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マンダス=アルバタクス線ラヌゼーイ駅(2015年)
Photo by Manfred Kopka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

イタリアでは、西ヨーロッパ諸国のように非営利団体が運行に携わる保存鉄道は多くない。しかし、日常輸送にいそしむ一般路線にも観光要素は多分にあり、なかでも狭軌鉄道は個性派ぞろいだ。

項番4 リッテン鉄道(レノン鉄道)Rittner Bahn/Ferrovia del Renon

アルプスの分水界ブレンナー峠から谷間を南下していくと、最初に現れる大きな町がボーツェン/ボルツァーノ Bozen/Bolzano(下注)だ。背後に横たわる標高1200m前後の高原を、メーターゲージ(1000mm軌間)のリッテン鉄道/レノン鉄道の電車が走っている。標準軌の鉄道網から離れた孤立路線で、長さも6.6kmしかない。

*注 もとオーストリア領で、今でもドイツ語話者が多いので、公共表示は両言語併記になっている。

しかし1908年の全通時はそうではなく、距離も2倍ほどあった。というもの、ボーツェン町の中心部から、ボーツェン駅前経由で直通していたからだ。山麓と高原との間の900mを超える高低差は、シュトループ式のラックレールで克服していた。ラック専用の電気機関車が坂下側について、電車を山上まで押し上げていたのだ。

市内で乗り込めば乗換えなしで高原まで行けるのだから、傍目には便利そうだが、地元では時間がかかると不評だった。老朽化が進んで改修が必要になったとき、住民はより高速なロープウェーへの切換えを望んだ。こうして市内軌道と登山区間は1966年に廃止となった。

そのロープウェーが着くオーバーボーツェン/ソープラボルツァーノ Oberbozen/Soprabolzano 駅のホームには、シックな赤と銀を装うリッテン鉄道の小型電車が待っている。高原上は夏でも涼しい。風に揺れる牧草地と林を縫って、終点のクローベンシュタイン/コッラルボ  Klobenstein/Collalbo までは20分かからない(下注1)。

*注1 このほかボーツェン方にあるマリーア・ヒンメルファールト/マリーア・アッスンタ Maria Himmelfahrt/Maria Assunta~オーバーボーツェン間も存続しているが、運行本数は1日5往復。
*注2 鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。

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オーヴァーボーツェン駅の古典電車2号(2005年)
Photo by Herbert Ortner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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現在の主役24号電車、ヴォルフスグルーベン Wolfsgruben 駅付近(2021年)
Photo by Falk2 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番15 ジェノヴァ=カゼッラ鉄道 Ferrovia Genova-Casella

リグリア海に臨む港町ジェノヴァ Genova からも背後に連なる山地に向けて、メーターゲージの電化路線、ジェノヴァ=カゼッラ鉄道が延びている。長さ24.3km、電車の目的地は、アペニン山脈の山中にあるカゼッラ Casella という田舎町だ。

起点ピアッツァ・マニン(マニン広場)Piazza Manin 駅は意外にも、市街地を見下ろす標高93mの丘の上にある。もちろん1929年に開業したときは、すぐ下の同名の広場に路面電車が来ていた。軌間をメーターゲージに決めた理由(下注)も、それと接続する計画があったからだ(下注)。だが夢は叶わず、そのうえ路面電車も消えた今では、客は代わりの路線バスで上ってくるしかない。

*注 イタリアの狭軌鉄道の主流は1000mmではなく、950mm軌間。

この鉄道の面白い点は、ルートが四つの谷(下注)にまたがり、そのため峠越えが3回あることだ。上っていく列車の車窓からは、林や果樹畑ごしにたなびく山並みのパノラマが見え隠れし、あたかも登山鉄道に乗車している気分になる。

*注 水系としては、リグリア海に出るビザーニョ Bisagno とポルチェヴェーラ Polcevera、アドリア海に出るスクリーヴィア Scrivia(ポー川支流)の三つ。

最後の峠が山脈の分水嶺で、その後は坂を下って、開業時の終点カゼッラ・デポジート(カゼッラ車庫)Casella Deposito 駅に達する。駅名のとおりここに車庫があるが、列車はさらにスイッチバックしてスクリーヴィア川を渡る。町の前に置かれたカゼッラ・パエーゼ(カゼッラ村)Casella Paese 駅が現在の終点だ(下注)。

*注 1953年の延伸当初、この区間は路面軌道だったが、1980年に専用線(道端軌道)化された。

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ピアッツァ・マニン駅遠望(2023年)
Photo by Al*from*Lig at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番21 ATAC ローマ=ジャルディネッティ線 Ferrovia Roma-Giardinetti

首都ローマの中央駅テルミニ Termini はイタリア最大の駅で、32番線まである。その壮大な正面口から遠く離れた右先端、郊外線(ラツィオ線 Ferrovie laziali、略称 FL)の出入口に寄り添うのが、ローマ=ジャルディネッティ線の電車が発着するささやかなターミナル、ローマ・ラツィアーリ Roma Laziali(下注)だ。

*注 ラツィアーリ Laziali は、ラツィオ(州)Lazio の、を意味する形容詞。ローマ市はラツィオ州 Regione Lazio の州都でもある。

ローマ市交通局 ATAC が運行するジャルディネッティ線は950mm軌間の電気鉄道で、ローマ近郊に残された唯一の狭軌線だ。もとは州東部で延長137kmにもなる路線網を有していたが、老朽化と利用者減少で末端側から撤退していった。

近年ではメトロC線の延伸工事に伴い、2008年に9.0km地点のジャルディネッティ Giardinetti が終点になったのだが、縮小傾向はこれで収まらない。メトロC線と重複する区間が2015年に廃止となり、鉄道はとうとう根元のローマ・ラツィアーリ~チェントチェッレ Centocelle 間 6.0kmだけになってしまった。

とはいえこの区間には、古代ローマの遺跡マッジョーレ門 Porta Maggiore を通り抜けたり、狭い敷地で上下線がガントレットになるなど、見どころが点在する。路面電車のような小型の外見とあいまって、今なお愛好家の好奇心をくすぐり続けている。

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マッジョーレ門をくぐり抜ける(2023年)
Photo by Robot8A at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番30 エトナ環状鉄道 Ferrovia Circumetnea

シチリア島東部にあるエトナ山 Etna は、ヨーロッパ最大級の活火山だ。標高3403m(下注)、裾野は半径20~40kmに及ぶ。火口から20km圏には集落が点在していて、エトナ環状鉄道(チルクメトナ)は、それらをつなぐように建設された。

*注 噴火等によって標高値には変動がある。

950mm軌間の非電化鉄道は、1895~98年に開通している。カターニャ・ポルト(港)Catania Porto を起点に、エトナ山を時計回りに半周して、再び沿岸のリポスト Riposto まで113.5kmの長大路線だった。裾野と一口に言っても、西側の鞍部では標高976mまで上らなくてはならず、延々と坂が続く区間が少なからずある(下注)。

*注 貨物輸送のために、最急勾配は36‰に抑えられている。

列車は、エトナ山を絶えず仰角に捉えながら、灌木林とオリーブ畑の間を進んでいく。開通以来、噴火に伴う溶岩流で四度も長期運休に見舞われたが、その都度たくましく復活してきた。ところが、根元のカターニャ市内で新たにメトロが開業すると、ルートが重複する区間で撤収が始まる。

メトロは現在、内陸のパテルノ Paternò に向けて延伸工事中だ。郊外では環状鉄道の線路敷を転用することになっていて、工事に先立ち該当区間が廃止された。そのため、列車は現在、パテルノから先の90.9kmで運行されている。とはいえ、人口の多いエリアをメトロに明け渡してしまったので、途中ランダッツォ Randazzo まで6往復、その先リポストへは3往復しかない閑散線だ。

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ジャッレ Giarre 駅を後にする気動車(2021年)
Photo by Trainspictures at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

標準軌の幹線からも、一つ。

項番16 チンクエ・テッレ急行 Cinque Terre Express

リグリア海に臨むぶどう畑の急斜面と、色彩豊かな集落の印象的な風景で知られる観光地チンクエ・テッレ Cinque Terre(下注)。名のとおり海岸に並ぶ五つの村々を巡る列車がチンクエ・テッレ急行だ。FS線の主たる列車運行事業者であるトレニタリア Trenitalia が運行している。

*注 チンクエ・テッレは五つの土地を意味する。

エクスプレスと名乗っているものの、実態は普通列車で、レヴァント Levanto~ラ・スペツィア中央駅 La Spezia Centrale 間20kmにある各駅、モンテロッソ Monterosso、ヴェルナッツァ Vernazza、コルニーリャ Corniglia、マナローラ Manarola、リオマッジョーレ Riomaggiore に順に停車していく。

これらの村々が立地するのは、もし鉄道が通らなかったら陸の孤島になっていたような場所だ。そのため旅客需要が大きく、列車はこの間を30分間隔でシャトル運行している。駅はトンネルに挟まれた狭隘な敷地でホーム長が短いため、ダブルデッカー(2階建)客車が使用される。5駅のいずれかで乗降すると加算運賃が適用されるのも特殊な扱いだ。

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コルニーリャ Corniglia 駅に入るダブルデッカー(2008年)
Photo by Diesirae at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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狭い敷地のヴェルナッツァ Vernazza 駅(2021年)
Photo by Lewin Bormann at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

 続きは次回に。

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