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2025年9月

2025年9月11日 (木)

ラトビア最後の狭軌鉄道

グルベネ=アルークスネ鉄道 Gulbenes - Alūksnes bānītis/Gulbene–Aluksune Railway

グルベネ Gulbene ~アルークスネ Alūksne 間 33km
軌間750mm、非電化
1903年開通(ストゥクマニ Stukmaņi ~ヴァルカ Valka 間 212km の一部として)

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バーニーティスの蒸気列車
グルベネ駅にて
 

1520mmの広軌、いわゆるロシアンゲージが支配するラトビアで、唯一750mmのナローゲージを残しているのが、グルベネ=アルークスネ鉄道 Gulbenes - Alūksnes bānītis だ。定期運行している狭軌鉄道は、バルト三国でもここしかない。原語の「バーニーティス bānītis」はドイツ語の Bahn(鉄道)にラトビア語の縮小辞をつけたもので、広軌用に比べてめっぽう小柄な車両や施設に対する土地の人々の親近感がよく表れている。

場所はラトビア北東部、森の中に湖が点在する道のりを、毎日2往復(下注)の列車がのんびりと走っている。鉄道の公式サイトは英語版も充実しているので、それを参考に、波乱に満ちた鉄道の歴史をたどってみよう。

*注 以前は毎日3往復あったが、2010年2月から減便。

地元の有力者が興した会社によって鉄道が公式開業したのは、ロシア帝国領時代の1903年だ。当時の路線は、ストゥクマニ Stukmaņi ~ヴァルカ Valka(現エストニアのヴァルガ Valga)駅間 212kmで、今とは比べものにならない長大な路線だった(下図)。

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バーニーティスの旧路線網
 

ストゥクマニは、ダウガヴァ川 Daugava 沿いにある現在のプリャヴィニャス Pļaviņas で、リーガへ通じる幹線との接続駅だ。列車はそこから北東方向にマドナ Madona、ヴェツグルベネ Vecgulbene(1928年に旧名グルベネに改称。Vec は英語の old )、アルークスネ Alūksne まで進んだ後、北西に向きを変えてアペ Ape、ヴァルカへ至る。

ヴァルカにはリーガと現ロシアのプスコフ Pskov を結ぶ広軌線が通っていたが、それとは別に開通済みの狭軌線に接続して、現エストニア領パルヌ Pärnu の港への短絡路を確保した。鉄道が内陸輸送の主役であった時代、積み替えせず港まで物資を直送できるのは大きな利点だった。木材をはじめ、とうもろこしや酒その他の農産物が、このルートを通って運ばれた。

しかし、帝国末期の世情は不安定で、会社はまもなく、血の日曜日事件に始まるロシア第一革命の渦に巻き込まれる。農村の騒乱に呼応して、鉄道員たちも活動の先鋒に立った。施設が破壊され、会社は蒙った損失を回復できないまま、第一次世界大戦直前、ついに破産してしまう。

1916年、ロシア軍は、ヴェツグルベネでこの線と交差する広軌新線(イエリチ Ieriķi ~アブレネ Abrene)を建設するのに合わせて、ストゥクマニ~ヴェツグルベネ間を広軌に変換した。このため、狭軌区間は北半分に短縮された。

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上空から見たグルベネ駅
駅舎寄りに狭軌線がある(2018年)
Photo by Edgars Šulcs at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

1918年にバルト三国は相次いでロシアからの独立を宣言するが、これが狭軌線の運命をまたも翻弄することになる。アルークスネの先で、ラトビアとエストニアの国境線が鉄路を二度も横切ることになったからだ。

両国間の協議で、エストニア側に越境した区間の運行管理をラトビアに委ねることが決まり、戦争で荒廃した鉄道は1921年にようやく全線再開に漕ぎつける。ラトビア国内の輸送は順調に推移したものの、パルヌ港が他国領となったため物流の方向が変わり、アペから西側の利用は極端に少なくなった。

第二次世界大戦、特にその終盤はドイツ占領軍の撤退とソ連軍の空襲で、鉄道の施設は甚大な被害を受けた。しかし、重点的な復旧作業の結果、1945年12月には運行を開始している。1960年代にはヴァルガ Valga 駅に引き込むルートが設けられが、同時にこの頃から、自動車交通の発達が鉄道の顧客を徐々に奪い始めた。1970年、長らく閑散区間だったヴァルガ~アペ間が休止、1973年にはアペ~アルークスネ間も運行を取りやめた。

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グルベネ駅で広軌と狭軌の特別列車が接続
Photo by Jānis Vilniņš at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

こうして、アルークスネ~グルベネ間だけが残ったが、その理由は、アルークスネに駐留していたソ連軍に物資を供給するためだったといわれる。しかしここにも存続の危機が迫っていた。1987年に、老朽化した車両の整備不良がたたり、運行が止まってしまったのだ。すでに鉄道は工学遺産に指定されていたため、知識人らの熱心な支援活動が当時の共産党中央委員会を動かした。客車が新調され、続いて2両のディーセル機関車が新たに導入された。

ソ連から再独立した後も、貨物輸送の廃止、旅客列車の削減と、鉄道の規模縮小は進行したが、1998年の国鉄から地方政府への売却、2001年の運営会社設立によって命脈を保ち、2003年には100周年を祝うことができた。地元では観光資源としての期待も膨らんでいるようだ。

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アルークスネ駅構内(2011年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

バーニーティスの起点があるグルベネ Gulbene の町は、狭軌線の単なる中間駅が広軌線開通により鉄道の結節点となったことで、にわかに活気づいた。町の北端に、1926年当時の壮麗な駅舎が今も建っている。

下掲の地形図を見ると、北東隅から狭軌線(日本で言う私鉄記号)が延びてきて、グルベネ駅に入っていく。実際は駅構内でラトビア国鉄の広軌線(太い実線、下注)と平面交差し、駅舎寄りにホームがある。つまり、接続駅の一般的な線路配置とは反対に、駅舎側から支線、本線の順に並んでいるのだ。

*注 グルベネからロシア国境に向かう路線だったが2001年に廃止された。

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グルベネ駅舎正面
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グルベネで発車を待つ蒸気列車
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グルベネ駅北東構内にある広軌・狭軌の平面交差
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バーニーティス周辺 グルベネ~パパルデ間
旧ソ連製1:100,000 O-35-102(1981年), O-35-103(1990年)
 

しかも、グルベネ駅の線路配置図(下図)でわかるように、狭軌線は広軌線を隔てて駅舎とは反対側にも延びている。実はこれが広軌線開通以前の狭軌線のルートだ。1940年の扇形機関庫(図では Roundhouse の注記)建設で迂回させられているが、もとは一直線で、南西に向かう広軌線(下注)につながっていた。ちなみに扇形庫の南西では、煉瓦で造られた狭軌時代のグルベネ(ヴェツグルベネ Vecgulbene)駅舎が個人宅に転用されて、今も残っている(Old station building の注記)。

*注 プラヴィニャス=グルベネ線 līnija Pļaviņas—Gulbene。先述のとおり1916年に改軌されるまでは、バーニーティスと同じく狭軌線の一部区間だった。

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グルベネ駅構内配線図
from OpenRailwayMap
 

扇形庫はその前にある転車台とともに、戦争で破壊された後、1945~51年に拡張改築されたものだ。9線収容で、一部は狭軌線車両も収容できるように4線軌条化されている。見た目は廃屋に近いが、まだまだ車庫として現役だ。バーニーティスの運営会社が管理し、車両の整備も行っていて、年間行事の際には一般公開される。

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(左)4線軌条の転車台
(右)現役の扇形機関庫
 

狭軌という希少性から観光鉄道の側面をもつバーニーティスだが、公共交通機関でもあり、そのために平日休日を問わず運行されている。ただし、ダイヤは午後に2往復のみの閑散ダイヤで、グルベネを13時と18時(土曜は18時30分)に出発して終点アルークスネで折り返す。

列車の前に立つのは通常、ディーゼル機関車だが、特定の土曜日には、13時発の第1便を蒸気機関車が牽引する。列車は片道32.8kmを80~85分、蒸機の場合は110~115分かけて走る(下注)。途中8駅あるうち4駅は、乗降客があるときのみ停車するリクエストストップだ。

*注 途中のパパルデ Paparde 駅で給水停車がある。

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(左)蒸機ГР (GR) 形319号
(右)テンダーに薪が山積み
 

2025年現在、運用中の蒸機は1951年旧東ドイツ、カール・マルクス機関車工場 Lokomotivbau Karl Marx Babelsberg (LKM) 製、動輪4軸のГР (GR) 形319号で、「フェルディナンツ Ferdinands」と命名されている。森林鉄道でも運用されるため、燃料に薪を用いることが可能な機関車で、実際にバーニーティスでも薪を焚いて走っている。

なにぶん沿線は過疎地につき、団体客などの予約がなければ、客車はたいてい1両きりだ。モケットシート24席の旧ソ連製車両が用いられることが多く、増結するときはベンチシート40席のポーランド製車両が動員される。乗車券は車掌が手売りしている。自由席だが、複数両つないでいるときは、乗車車両を指示されるかもしれない。

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(左)旧ソ連製客車
(右)車内はモケットシート、この日は団体予約専用だった
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(左)ポーランド製客車
(右)車内はベンチシート
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往復乗車券
(左)表面、Vilciena Nr.は列車番号(右)裏面
 

汽笛一声、走り出すと車窓には、針葉樹林と牧草地や湿原が織りなすパッチワークの風景がどこまでも続く。か細い軌道上を静かにたどる時速25kmの孤独な旅だ。走路の心もとなさとは対照的に、駅舎や待合室は近年、整備が進んだ。スターメリエネ Stāmeriene では煉瓦造の平屋駅舎が、待避線をもつ次のカルニエナ Kalniena では木造の平屋駅舎が、瑞々しさを取り戻している。

パパルデ Paparde にも静かな森の間に木造駅舎が残るが、蒸機は、少し離れた煉瓦の給水塔の前でしばらく停車して水の補給を受けた。

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車窓は森と牧草地のパッチワーク
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(左)煉瓦造のスターメリエネ駅舎(2013年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)木造のパパルデ駅舎(2010年)
Photo by ScAvenger (Jānis Vilniņš) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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パパルデで給水を終えた蒸機
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パパルデ~アルークスネ間
旧ソ連製1:100,000 O-35-90(1978年版), O-35-91(1991年版),
O-35-102(1981年), O-35-103(1990年)

 

倉庫や民家がばらばらと窓に映るようになると、まもなく終点アルークスネ Alūksne だ。構内は、余裕のある敷地に3本の線路が並んでいる。煉瓦造の駅舎はカフェに転用され、その北側に建つ倉庫は展示室に改装された。第1便の列車は折返しの出発まで、機回し作業を含めて約1時間の休憩を取る。

アルークスネの町は駅の北側で、湖(アルークスネ湖 Alūksnes ezers)との間に広がっている。マーリエンブルク Marienburg というドイツ語名は、中世、ドイツ騎士団が通商路を護るため、湖に浮かぶ小島に聖母の名を冠した城を築いたことに由来する。

一方のラトビア語のアルークスネも森の泉を意味するそうで、名まえを聞くだけでも旅情を誘われる。しかし、湖畔までは町を抜けておよそ2km、列車の休憩時間がもう少し長ければいいのだが。

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アルークスネ駅での機回し作業
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アルークスネ湖、右奥に新城 Jaunā pils が覗く(2013年)
Photo by Ivo Kruusamägi at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2025年5月に現地を訪れた海外鉄道研究会の戸城英勝氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

(2008年7月24日付「ラトビア最後の狭軌鉄道」を全面改稿)

■参考サイト
バーニーティス  http://www.banitis.lv/
アルークスネ付近のGoogleマップ
http://maps.google.com/maps?f=q&hl=ja&ie=UTF8&ll=57.4156,27.0464&z=14

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2025年9月 7日 (日)

ヴェルティックアルプ・エモッソン(エモッソン湖観光鉄道)

ヴェルティックアルプ・エモッソン VerticAlp Emosson

1975~77年開業

1.ル・シャトラール・ケーブルカー Funiculaire du Châtelard(単線交走式ケーブルカー)
 ル・シャトラール Le Châtelard~レ・モンテュイール Les Montuires 間1.31km
 軌間1000mm、高度差700m、最大勾配870‰

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2.パノラマ小列車 Petit train panoramique(軽便鉄道)
 レ・モンテュイール~ピエ・デュ・バラージュ(ダム下)Pied du barrage 間1.65km
 軌間600mm、非電化

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3.ミニフュニック Minifunic(複線交走式小型ケーブルカー)
 ピエ・デュ・バラージュ~ラック・デモッソン(エモッソン湖)Lac d'Émosson 間0.26km
 軌間900mm、高度差140m、最大勾配727‰

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以前、フランスのピレネー山脈で秘境のダム湖を目指して走る軽便鉄道「プティ・トラン・ダルトゥースト(アルトゥーストの小列車)Petit train d'Artouste」を紹介した(下注)。あまり知られていないが、スイスアルプスの一角にも、これをモデルに造られた観光ルートがある。

*注 「アルトゥースト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー」参照

アルトゥーストがロープウェーとトロッコ列車の組合せであるのに対して、こちらはケーブルカー+トロッコ列車+小型ケーブルカーの3段構えだ。870‰という破格の急勾配をよじ登り、そそり立つ断崖を横切って、ダム湖を見下ろす展望台まで観光客を連れて行く。水平距離こそ短いが、終点の標高は1965mあり、到達高度ではあまたの登山鉄道に引けを取らない。

今回は、夏の時期(6~10月)だけ運行されるこの観光ルート「ヴェルティックアルプ・エモッソン VerticAlp Emosson(下注)」を訪ねてみたい。

*注 VerticAlp は、vertical(垂直の)と alp(アルプス、高地)の合成語。実際はヴェルチカルプのように読む。Emosson は湖底に沈んだ集落の名。

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ヴェルティックアルプ・エモッソン周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

レマン湖方面からCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)の列車でローヌ谷を遡ると、ちょうど進行方向が南から東に変わる位置にマルティニー Martigny 駅がある。ここを起点にしているのが、フランス国境を越えてシャモニー Chamonix の町へつながるマルティニー=シャトラール鉄道 Chemin de fer Martigny–Châtelard(MC、下注)だ。メーターゲージの電化線で、「モンブラン急行 Mont-Blanc Express」と称する国際列車が走るとともに、ラックレールを介した本格的な山岳路線としても知られている。

*注 地方交通の再編で2001年からマルティニー地方交通 Transports de Martigny et Régions (TMR) が運営している。フランス側はSNCF(国鉄)線。

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マルティニー駅に停車中のモンブラン急行
左はCFF線ホーム
 

マルティニーからその列車に乗り、千尋の谷を見下ろしながら走ること40分、ル・シャトラール Le Châtelard VS 駅(下注)が、ヴェルティックアルプ・エモッソンの最寄りになる。

*注 当駅はリクエストストップで、乗降客のあるときだけ停車する。

駅名の末尾にある VS は、州名ヴァレー Valais の略号だが、車内アナウンスではそう呼ばず、「ル・シャトラール・ヴィラージュ Le Châtelard Village」と言った。ヴィラージュは村を意味する。次の駅ル・シャトラール・フロンティエール Le Châtelard-Frontière(フロンティエールは国境の意)に比べて村に近いのは確かだが、予期せぬ駅名を耳にして、降りるべきかしばし迷った。ホームに正式名の標識が見えたので、降り損なわずに済んだとはいえ…。

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(左)ル・シャトラール VS駅(移転前)
(右)ホーム横の建物は発電所
 

先述のように、ヴェルティックアルプ・エモッソンは3種の乗り物で構成されている。第1区間は単線交走式のケーブルカーだ。「ル・シャトラール・ケーブルカー Funiculaire du Châtelard」と呼ばれ、延長1310m。最大勾配870‰で高度差700mを克服する。同じくスイスで2017年に新しいシュトース鉄道 Stoosbahn が開通するまで、交走式ケーブルカーでは世界一の急勾配と言われていた(下注)。

*注 (新)シュトース鉄道は最急勾配1100‰。単線式ではゲルマー鉄道 Gelmerbahn(スイス)の1060‰もある。

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ケーブルカー下部駅
超急勾配の軌道が岩壁を貫いて延びる
 

もともとこのケーブルカーは、後述する第2区間の簡易軌道とともに1920年に造られた。鉄道電化を進めるためにCFF(スイス連邦鉄道)が発電施設として建設したバルブリーヌダム Barrage de Barberine の工事資材輸送が目的だった。1925年にダムが稼働を始めてからも、保守作業用に維持されていた。

しかし1975年に、より大型のエモッソンダムがその下流に完成したことで(下注)、ケーブルカーは存続する意義を失った。CFFは解体するつもりだったが、民間主導で改修のうえ、ダム周辺の観光事業に転用されたのだ。

*注 これによりバルブリーヌダムは、拡張されたダム湖の湖底に沈んだ。

ちなみに名称には変遷があり、当初は「エモッソン=バルブリーヌ交通 Transports Emosson-Barberine (SATEB)」と称していた。1999年に「エモッソン観光列車 Trains Touristiques d'Emosson (TTE)」、2004年に「ル・シャトラール・アトラクション公園 Parc d'Attractions du Châtelard VS (PAC)」となり、2015年から現在の商名「ヴェルティックアルプ・エモッソン」が使われている。

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1935年に始まったケーブルカーの観光活用
発電用水圧鉄管が並走する
(上部駅設置のパネルを撮影)
 

訪れたのは昨年(2024年)6月だが、このときケーブルカーの乗り場は、鉄道駅を出て発電所建物の裏手を200mほど進んだ場所にあった。最新の報道によると、今年(2025年)5月にこの乗り場の近くへ、鉄道駅が移転したそうだ。

乗り場の横の出札口で、往復乗車券を買い求めた(下注)。目の前にシルバーメタリックの車体が、地面に斜めに突き刺さるような形で停車している。2015年に更新されているので、内部もまだ新しい。運行は朝8~16時台で、基本30分間隔だが、多客時には適宜増発されるという。しかし今はシーズンの初め、しかも平日だから客はまばらだ。

*注 予約は不要とされている。

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(左)ケーブルカーの乗り場
(右)車内
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全線往復乗車券の両面
 

車内に入り、谷側にかぶりついて待っているうちに、車両はすーっと動き出した。谷底の貯水池を眼下に見ながら、険しい岩壁をどんどん上っていく。岩脈を通した短いトンネルを抜けると、勾配はいったん緩くなり、中間駅のジェトロ Giétroz を通過した。山腹の集落のために設置された乗降場だが、利用者はあるのだろうか。

二つ目の短いトンネルがあり、再び坂がきつくなったところで下り車両と行違った。勾配は緩急を繰り返していて、縦断面が凹型になる区間ではケーブルが空中に浮く。そのため、それを受け止める滑車が線路をまたぐビームに取りつけられているのが珍しい。

約10分で、上部駅のレ・モンテュイール Les Montuires に到達した。標高1825m、谷底では視界に入らなかった周囲の山々の稜線がもう目の高さにある。降り注ぐ日差しは強いが、谷を吹き渡る風が涼感を誘う。

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(左)ジェトロ駅を通過
(右)浮いたケーブルとビームに取り付けられた滑車
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レ・モンテュイール駅全景
奥がケーブルカー乗り場(2023年)
Photo by Rémih at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

第2区間は、600mm軌間のドコーヴィル軌道を行くトロッコ列車で、「エモッソン・パノラマ小列車 Petit train panoramique d'Émosson」の名がついている。延長1650m、ほぼ水平軌道だ。ルートはバルブリーヌダムの工事軌道の廃線跡をたどるが、手前にエモッソンダムが出現したことで、もとの延長の半分以下になっている。

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パノラマ小列車のホーム
 

列車は、ケーブルカー駅から少し離れた車庫前のホームに停車していた。先頭に立つのは1952年製のバッテリーロコ(蓄電池式電気機関車)Ta 2/2形(下注)だ。その後ろにオープン客車5両が連なっているが、縦に半回転させると向きが変えられる樹脂製の座席は、アルトゥースト湖観光鉄道と同じものだ。乗継ぎには10分程度の余裕があるはずだが、客が少なかったからか、ケーブルカー到着後5~6分で早くも発車した。

*注 特別運行では、1911年ユング社製の小型蒸気機関車「リゼリ Liseli」も登場する。

走行中はディーゼル機関車のような油の臭いがしないし、音も静かなので、カタンカタンという車輪のジョイント音がよく響く。最初の尾根を回り込むと、斜め左にオー・ノワール川 L'Eau Noire が流れるU字谷が豁然と開けた。谷底に見えているのはル・シャトラールの隣村であるフランス領ヴァロルシーヌ Vallorcine に違いない。とすると、谷の奥に控えている白銀の山並みはモンブラン山地 Massif du Mont Blanc だ。

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バッテリーロコの後ろにオープン客車が5両連なる
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(左)構内のはずれにある転車台
(右)尾根を回り込んでいくと…
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オー・ノワールのU字谷の景観が開ける
谷底の集落はフランス領ヴァロルシーヌ
白銀の山並みはモンブラン山地
 

待避線を通過してすぐ第1トンネルに入る。坑内は、素掘りにモルタルを吹付けただけの簡易仕上げだ。崖際を走っていくので、見晴らしは抜群だが、下をのぞき込むと足がすくむ。やや長めな第2トンネルを抜けたあたりで、進行方向の谷間に巨大なダム壁がかいま見えた。再び待避線があり、第3トンネルへ。地形は一段と険しさを増し、線路はもはや断崖にへばりついた杣道に近い。第4と第5のトンネルは覆道を介して連続していて、それを過ぎると、まもなく終点ピエ・デュ・バラージュ Pied du Barrage(ダム下の意)だった。

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終盤で見えてくる巨大なダム壁
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終点ピエ・デュ・バラージュに到着
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機回しもワンマン操作
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(左)駅からなおも延びる軌道
(右)バルブリーヌダムへ続いていた軌道跡
 

駅は急斜面を削った狭い敷地なので、片面ホームに面する本線と機回し用側線があるのみだ。その上空に、第3区間のミニフュニック Minifunic が斜めに架かっている。複線交走式の小型ケーブルカーで、延長260m。730‰の急勾配で、ルートの最後に残された高度差140mを3分ほどで駆け上がる。

この区間は1977年から稼働しているが、最初は、ぶどう畑で使われているのと同じラック式の簡易モノレールだった。輸送力不足を解消するため、1991年に現行装置に置換えられた。車両は8人乗りのミニサイズだが、2両フル稼働すれば、1時間で200人を輸送することができる。

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ミニフュニックの乗り場は軌道の上空に
 

トロッコ列車の乗客が少なかったので、ミニフュニックにも列に並ぶことなく乗れた。駅自体が急斜面に乗り出すように設けられているから、谷側の眺めはかなりスリルがある。行きは背を向けていくのでまだしも、帰りは定位置で停まってくれることを祈るしかない。まもなく下りの車両と行き違い、ダム壁を横に見ながらさらに高度を上げていった。

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(左)複線の走路
(右)ここも走路は急勾配
 

終点ラック・デモッソン Lac d'Emosson(エモッソン湖の意)は標高1965mで、ダム湖を見下ろす高台にある。ここから眺める青白い湖面とそれを取り囲む雪の岩山の風景は壮大そのものだ。左に目を移すと、さきほどトロッコ列車からも見えたオー・ノワール谷とモン・ブラン山地の奥行きをもつパノラマが展開する。

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終点ラック・デモッソン
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駅前からエモッソン湖の眺め
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雲間からモンブラン(標高4808m)が現れる
 

エモッソンダムは、バルブリーヌ川 Torrent de Barberine を堰き止めたアーチ式ダムだ。堤長は560m、堤高180m、天端の標高は1931mある。オー・ノワール谷に設置される発電所とともにスイスとフランスの共同事業で建設されたが、予定地が両国の国境にまたがっていることが管理上の課題となった。そこで着工に先立ち、ダム予定地をスイス領とし、発電所予定地をフランス領とすべく、等面積の領土を交換するという異例の協定が結ばれている。これにより1964年12月に両国の国境が下図のように移動した。

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エモッソンダム周辺の1:25000地形図
(左)国境変更前(1965年版)
(右)変更後(国境線が南に移動、2024年版)
© 2025 swisstopo
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ル・シャトラール発電所周辺の1:25000地形図
(左)国境変更前(1965年版)
(右)変更後(国境線が東に移動、2024年版)
© 2025 swisstopo
 

ミニフュニックの駅前広場を後に、ダムまで歩いて降りていった。緩い弧を描く天端の通路は2車線道路ほどの幅があるが、人影はまばらだ。谷の方を振り返ると、トロッコ軌道の中間部、第2トンネルから第3トンネルにかけての区間が見渡せた。さっき乗ってきた列車がレ・モンテュイールに向けて、斜面にうがたれた細道を戻っていく。スイスの山岳鉄道に乗るたびに抱く、よくぞここまでという感慨が思わず口を衝いて出てきた。

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ダムから見下ろすトロッコ軌道
 

■参考サイト
ヴェルティックアルプ・エモッソン https://www.verticalp-emosson.ch/
エモッソン電力会社 Electricité d'Emosson SA   https://emosson.ch/

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