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2025年8月

2025年8月20日 (水)

シャブレーの鉄道群-ベー=ヴィラール=ブルテー線

シャブレー公共交通ベー=ヴィラール=ブルテー線
TPC Ligne Bex-Villars-Bretaye (BVB)

ベー Bex ~ヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon ~コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye 間17.09km
1000mm軌間、直流750V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配200‰
1898~1937年開通
1963年 ヴィラール・シュル・オロン~シュジエール Chesières 間廃止

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べーの狭い街路を抜けるヴィラール行電車

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これまで見てきたシャブレー公共交通 Transports Publics du Chablais(以下、TPCという)の鉄道路線はいずれもCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)のエーグル Aigle 駅前から出発していた。これに対して、ベー=ヴィラール=ブルテー線 Ligne Bex-Villars-Bretaye(略称 BVB、下注)だけは、ベー Bex 駅前が起点だ。

*注 Bretaye の読みは、ブルテ [brətɛ] 、ブルタイ(ユ)[brətaj] の2通りある。

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シャブレー公共交通の鉄道路線網
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ベー=ヴィラール=ブルテー線周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ローザンヌ Lausanne から行くと、エーグルの次がベー駅だが、エーグルと違ってIR(インターレギオ、急行列車に相当)は停まらない。それでこの路線には、どことなくローカル支線のイメージがつきまとうのだが、意外にも開業時期は4路線の中で最も早い(下注)。

*注 最初の区間開通は1898年(細部は後述)。レザン線 (AL) の開通は1900年、シャンペリー線 (AOMC) は1907年、ディアブルレ線 (ASD) は1913年。

というのも、今でこそ面影が薄れているが、当時のベーは岩塩鉱山で栄えていて、スイス・シャブレー最大の町だったからだ。さらに1857年にスイス西部鉄道 Ouest Suisse(後のCFFシンプロン線)の駅ができると、塩水浴の保養地として人気が高まる。グラントテル・デ・サリーヌ Grand Hôtel des Salines(サリーヌは製塩場の意)が1869年に創業し、ベー・レ・バン Bex-les-Bains(保養地ベーの意)の名も定着した。

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ベー・レ・バンの観光ポスター(1915年)
Photo from SBB Historic. License: CC0 1.0
 

1898年9月に、ベー駅前からホテルの近くを通ってベヴュー Bévieux まで、延長3.2kmのメーターゲージ路面軌道が先行開業している。続いて1900年6月にグリオン Gryon までのアプト式ラック区間が、翌1901年6月にヴィラール・シュル・オロン Villars-sur-Ollon(以下、ヴィラール)までの山上軌道区間が、少し遅れて1906年8月にシュジエール Chesières までの軌道延伸線が、それぞれ追加開業した。

鉄道は、経由地の名を取って、ベー=グリオン=ヴィラール=シュジエール鉄道 Chemin de fer Bex–Gryon–Villars–Chesières (BGVC) と称した。延長13.8km、起点のベーと最高地点ヴィラールとの標高差は841mあり、中間部にあるラック区間の最急勾配は200‰とかなり険しい。

鉄道の到達により、とりわけヴィラールは新たに高原の避暑地として脚光を浴びたが、対照的に山麓の保養地ベーの人気は衰えていく。塩鉱は操業を続けたものの往時の勢いはなく、グラントテルも利用が低迷して、1970年代には閉館に追い込まれた。

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初期のラック電気機関車He 2/2形2号機、1899年製
ブロネー=シャンビー保存鉄道蔵
 

一方、現路線の最終区間、ヴィラール~コル・ド・ブルテー(ブルテー峠)Col-de-Bretaye 間は、上記路線とは生い立ちが異なる。1913年12月に、ヴィラール=ブルテー鉄道 Chemin de fer Villars–Bretaye (VB) によって途中のブクタン Bouquetins まで開業した。別会社になったのは、起点ヴィラールを除けば沿線に集落がなく、冬はスキー、夏はゴルフやハイキングの客を運ぶ純粋な観光登山鉄道だったからだ。

コル・ド・ブルテーへの延伸は、第一次世界大戦による観光業不振の影響で遅れ、1937年12月にようやく実現した。こちらは延長4.7kmの全線にアプト式ラックレールが敷かれ、標高差は556m、最大勾配は170‰だ。

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コル・ド・ブルテー駅付近を行くBDeh 4/4と付随車
 

両社は1942年に合併して、ベー=ヴィラール=ブルテー鉄道 Chemin de fer Bex–Villars–Bretaye になったが、運行系統は相変わらずヴィラールで分断され、時刻表番号も運賃体系も長らく別々だった(下注)。時刻表の一本化が実現したのは2021年からだ。とはいえ、直通運転はまだ一部の列車に限られ、多くの場合、従来どおりの乗換えが必要だ。

*注 旧来の時刻表番号は127:ベー~ヴィラール、128:ヴィラール~コル・ド・ブルテー。加えて、129としてベー~ベヴュー間を走るトラム Tramway local が別建てで掲載されていた。一本化後の時刻表番号は127。

なお、本線の末端区間だったヴィラール~シュジエール間は1963年に廃止されている。このエリアはオロン Ollon 村(下注)の域内で、もともとベーよりオロンとの結びつきが強い。エーグルからオロン、シュジエール経由でヴィラールまでバス路線が通じると、たちまち利用者が移行し、路面軌道が道路交通の障害ともみなされて、あえなく廃線になった。

*注 オロンはエーグルとベーの間にある自治体で、シャンペリー線の駅がある。ちなみにヴィラールの正式名、ヴィラール・シュル・オロン Villars sur Ollon は、オロンの上にあるヴィラールを意味する。

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(左)山上の粘着式区間(グリオン~ヴィラール)用のトラム Be 2/3形15号は健在
(右)旧塗装の時代(2011年)
Photo by NAC at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0

エーグルに滞在中、ベー=ヴィラール=ブルテー線を乗りに出かけた。この路線を訪れるのは1984年以来だ。

CFFベー駅前は、昔の記憶とさほど変わっていなかった。造りは、TPCの新ターミナルが完成する前のエーグル駅前に似ている。CFF線と並行する形に敷かれた線路が、駅舎の正面で急カーブして、山手の旧市街へと延びる。当時はヴィラールへ行く電車のほかに、ベー~ベヴュー間だけを往復するトラムも運行されていたので、この並行線路に何両かが待機していたと思う。

それとは別に駅舎の前から直進する線路があり、カーブし終わった本線に合流している。列車本数が減少した今は、もっぱらこの線路に定期列車が発着する。運行は日中1時間ごとで、ヴィラールまでの所要時間は38分(逆方向は44分)だ。

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(左)CFFベー駅前
(右)線路の南端は旧 貨物ホームへ延びる
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ベー周辺の1:25000地形図
坂下のベヴューまでは道端・路面軌道区間が続く
© 2025 swisstopo
 

折返し10時02分発となる電車が、駅前に入線してきた。2両連結のラック・粘着式併用電車Beh 4/8だ。2001年の就役で、ディアブルレ線で乗ったもの(もとシャンペリー線の旧型車両)と同型になる。ただし、車長はそれより短く、200‰の急勾配に対応する制動装置など詳細は一部異なるらしい。

乗車したのは10人ほどだった。電車はまず、駅前通り Avenue de la Gare に沿う道端軌道でまっすぐ東へ500m進む。右に折れると併用軌道になり、400m先にあるベー教会 Temple de Bex の前で、旧市街の中心部に吸い込まれる。

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駅前に接近する電車
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折返しの発車を待つ
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(左)部分低床のBeh 4/8
(右)車内、運転台側は高床
 

教会前からプラス・デュ・マルシェ Place du Marché までの200m区間は、道幅が最も狭い運行上の難所だ。両側に歩道が切られているので、車道は2車線分に足りず、電車が来たらクルマは対向不能だ。にもかかわらず一方通行ではなく、しかも屈曲していて見通しが悪い。

前面車窓を記録した動画を見ると、通り抜けるクルマは慣れているのか、かなり強引だ。電車が近づいているのに狭い街路にかまわず突っ込んできて、歩道に乗り上げながらかわしていく。電車のほうも、この区間では最徐行するとはいえ、鋭い汽笛をピッと鳴らす程度で、いちいち停止したりはしない。

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(左)駅前通りの道端軌道
(右)教会前から始まる狭い街路
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見通しの悪い街路を通り抜ける電車
 

プラス・デュ・マルシェ(下注)は、市の立つ広場のことで、町の中心になる。停留所もバス停のような屋根がつき、券売機が備わる。広場から先の通りはクルマが対向できる道幅になるが、片側を線路が占めているので、広場に入ってくるクルマが電車と正面で向き合うことに変わりはない。

*注 ドイツ語ではマルクトプラッツ Marktplatz、英語ではマーケットプレイス Marketplace。

まもなくアヴァンソン川 L'Avançon 沿いに出て、ポン・ヌフ(新橋)Pont-Neuf でそれを渡る。市街地は次のグラン・ムーラン Grand-Moulin 停留所の手前までで、1.5km続いたスリル満点の路面軌道も、心落ち着く道端軌道に変わる。

郊外の谷の中を進んでいくと、やがて右側に平屋の長い建物が現れ、続いて数本の線路が見えてきた。運行の拠点ベヴュー Bévieux の車両基地だ。8線収容の立派な車庫で、山側から出入りするようになっている。

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(左)プラス・デュ・マルシェ停留所
(右)広場を後にする電車
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ベヴュー車両基地
 

ここからはいよいよラックレール区間に入る。牧草地に覆われた斜面をなぞるように上るが、序盤の勾配はまだ抑制的だ。アヴァンソン川をトラスの鉄橋で再び渡るとき、右側に鉄道と同時期に造られ、初期の電力を供給した水力発電所の建物が見える。

対岸に移るや、200‰の勾配標が左手をかすめた。車窓に映る景色の角度が増し、電車は森の間をぐいぐいと上っていく。待避線のあるフォンタナ・スーラ Fontannaz-Seulaz 停留所を通過。左に半回転しながらトンネルを抜けると、左側の車窓がにわかに開けた。眼下のローヌ谷にモンテー Monthey やベーの町が広がり、正面にはダン・デュ・ミディ Dents du Midi を頂点とする巨大な山塊が居座る。

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(左)鉄橋の横の建物は水力発電所
(右)フォンタナ・スーラ停留所を通過
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ローヌ谷とダン・デュ・ミディ(左の高峰)のパノラマ
右端にモンテー、中央にベーの町が見える
 

今度は右に半回転し、グリオン・シャルメリー Gryon-Chalméry 停留所を過ぎたところでラックレールは終わる。盾のようにそびえる標高3052mの岩峰グラン・ミュヴラン Grand Muveran を右前に仰ぎながら進めば、まもなくグリオン Gryon 駅の構内だ。

グリオンからは再び路面・道端軌道に戻るのだが、訪れたときは、ヴィラールとの間が改良工事のためにバス代行になっていた。そのため、乗客はぞろぞろと路面に降りて、木造駅舎の前に直列停車しているバスに乗り込む。

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谷奥にグラン・ミュヴラン山のシルエットが
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(左)グリオン到着
(右)ホームで代行バスに乗継ぎ
 

工事現場はグリオンヌ川 La Gryonne の谷の南斜面で、山襞を縫う急カーブ区間をショートカットするための高架橋を目下建設中だ。もともと道路と線路が並走しているので、完成すれば両者そろって移設される。

現場を通過していく仮設道路がおもしろい。道路が封鎖されているので、隣を走る線路敷にアスファルトを詰めて、片側交互通行でクルマを通している。その間に高架橋の取付け部を一気に造ってしまうのだろう。バスもこの道路化された軌道の上を走るので、例えるなら廃線跡のBRTのようなものだ。

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ヴィラール・シュル・オロン駅1番線
列車の代わりにバスが発着

バスに乗継いだにもかかわらず、ヴィラール・シュル・オロンには定時の10時40分に問題なく到着した。リクエストストップでの客扱いに要する時間差を吸収するため、拠点駅の停車時間にはいくぶん余裕を持たせてあるようだ。

ヴィラール駅の構内は三角線になっている。その外側(1番線側)には昔から、バスターミナルを兼ねるシャレー様式の大きな駅舎があるが、三角線の内側にもモダンなガラス張りの建物が建った。ヴィラール~コル・ド・ブルテー間(以下、ブルテー線)のための駅舎だ。

先述のように、ブルテー線は2021年まで、観光登山鉄道として別路線の扱いだった。各種パス(下注)の利用者もこの区間はフリーではなく、駅の窓口で50%引のチケットを購入する必要があった。そのため、ホームの前にターンスタイル式の改札機が設置されていたのだが、一般路線化により運用停止となり、脇の通路から自由にホームに出入りできる。

*注 国内居住者用のゲネラル・アボ General-Abo、インバウンド旅行者用のスイストラベルパス Swiss Travel Pass など。

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(左)三角線の中にブルテー線の駅舎
(右)運用停止された改札機
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ヴィラール・シュル・オロン周辺の1:25000地形図
(左)シュジエール終点の時代(1961年版)
(右)現在(2020年版)
© 2025 swisstopo
 

ブルテー線の繁忙期は、道路が閉鎖される冬の間だ。押し寄せるスキー客をさばくために、おおむね15分間隔でピストン運転が実施される。方や夏季の利用者はその比ではないが、それでも30分間隔と列車頻度は高い。終点までの所要時間は18分(逆方向は22分)だ。

乗った10時50分発の電車は3両編成だった。電動車 BDeh 4/4形82号の後ろに、付随客車が2両続いている。動力車が坂上側につくのは例外的だ。BDeh 4/4形は1977年製とけっこうご老体だが、工事で孤立した登山線で、夏場の運行を一手に引き受けているのが頼もしい。

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(左)BDeh 4/4形82号
(右)簡素な車内
 

ブルテー線は全線ラックレールなので、動き出した瞬間から、あのゴロゴロと唸るような特有の騒音が聞こえてくる。ヴィラール駅が手狭なため、次のロシュ・グリーズ Roches Grises 停留所との間は複線化されている。

まもなく電車は市街地を抜けて、西斜面の上りにかかった。170‰の勾配標識とヴィラールの家並みを見送り、コル・ド・スー Col-de-Soud 停留所付近で東斜面に出ると、遠くに見覚えのあるグラン・ミュヴラン Grand Muveran のシルエットが浮かんでいる。

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(左)次駅までは複線
(右)コル・ド・スー停留所から見えるグラン・ミュヴラン
 

右手に、高原を開いた雄大なゴルフコースとレ・ディアブルレ Les Diablerets の山塊を見渡しながら、さらに上っていく。初期の終点だったブクタン Bouquetins 停留所に停車。南北の尾根筋に位置しているので、西側の景色もちらと見える。最後の急坂を上りきり、標高2113mのグラン・シャモセール Grand Chamossaire へ行くスキーリフトの下をくぐると、終点コル・ド・ブルテー Col-de-Bretaye だ。

11時08分、定刻に到着した。頭端式、3面2線の駅はまさに峠の上に載っていて、高度は1808m、いうまでもなくTPCの4路線では最高地点となる。

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高原のゴルフ場、背後にレ・ディアブルレの山塊
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ブクタンから上る最後の急坂
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(左)終点コル・ド・ブルテー
(右)シェッドの中は待合室と旧 改札
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コル・ド・ブルテー周辺の1:25000地形図
中央にブルテー湖 Lac de Bretaye
© 2025 swisstopo
 

電車は7分後にヴィラールへ戻っていくが、急ぐ旅でもないので、周辺を散策しようと思う。地形図によれば峠の北側に、氷河地形のカール(圏谷)があり、お椀の底に湛水したブルテー湖 Lac de Bretaye とそれを巡る小道が描かれている。

北へ向かって歩き出すと、点在する伝統様式の農家の先に、湖を周る細い踏み分け道が続いていた。周りには白や黄色の高山植物が咲き乱れ、背後の牧場からコンコンとカウベルがのどかに鳴り響く。小道はさざ波立つ湖の岸辺に沿いながらも、山側では圏谷を眺め下ろせる高みに達していた。登山電車の駅からわずか数百mしか離れていないのに、このような爽快な山岳風景に出会えるとは想像以上だった。

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グラン・シャモセール山腹のカール地形とブルテー湖
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反対側の湖岸から見るブルテー峠
 

■参考サイト
シャブレー公共交通 https://tpc.ch/

★本ブログ内の関連記事
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 シャブレーの鉄道群-エーグル=レザン線
 シャブレーの鉄道群-エーグル=セペー=ディアブルレ線
 シャブレーの鉄道群-エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線
 ヴェルティックアルプ・エモッソン(エモッソン湖観光鉄道)

2025年8月13日 (水)

シャブレーの鉄道群-エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線

シャブレー公共交通エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線
TPC Ligne Aigle-Ollon-Monthey-Champéry (AOMC)

エーグル Aigle ~モンテー・ヴィル Monthey-Ville ~シャンペリー Champéry 間23.42km
1000mm軌間、直流1500V電化、アプト式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配135‰
1907~1909年開通
1976年 モンテー・ヴィル Monthey-Ville ~モンテー国鉄駅 Monthey CFF 間廃止
1991年 シャンペリー終点延伸

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シャンペリー駅で発車を待つ連節電車

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エーグル Aigle 駅に集まるシャブレー公共交通 Transports Publics du Chablais (TPC) のメーターゲージ3路線の中で、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線 Ligne Aigle–Ollon–Monthey–Champéry(略称AOMC、以下、シャンペリー線)は唯一、ローヌ川 Le Rhône を越えて西へ向かう。川筋には州境が通っているので、列車は、ヴォー州 Canton de Vaud から隣のヴァレー州 Canton du Valais(ドイツ語ではヴァリス州 Kanton Wallis)に足を踏み入れる。

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シャブレー公共交通の鉄道路線網
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エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー線周辺の地形図に鉄道のルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

全長23.42kmとTPC最長のこの路線は、異なる性格をもつ二つの鉄道会社が合併して成立した。

一つは、1907年に開業したエーグル=オロン=モンテー鉄道 Chemin de fer Aigle–Ollon–Monthey (AOM) だ。エーグルからローヌ川の谷底平野を横断して、モンテー Monthey の旧市街、プラス・デュ・マルシェ Place du Marché に通じ、ローヌ谷の東西を結ぶ短絡ルートを形成した。

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旧 鉄道2社の観光ポスター(1909年)
Photo from SBB Historic. License: CC0 1.0
 

もう一つは、1908年に開業したモンテー=シャンペリー=モルジャン鉄道 Chemin de fer Monthey–Champéry–Morgins (MCM) だ。モンテーからイリエ谷 Val d'Illiez を遡って、シャンペリー Champéry に通じている。起終点の標高差が約620mにもなるため、3か所のラックレール区間を介しながら上っていく山岳路線だ。翌1909年には、市内区間を延伸して、起点をCFF(スイス連邦鉄道、ドイツ語ではSBB)のモンテー駅前に移している。ちなみに鉄道名の末尾にあるモルジャン Morgins というのは当時人気の高かった鉱泉が湧く保養地の名で、支線を延ばす計画だったが、実現しなかった。

前者がおおむね平坦な土地を走る(以下、谷線)のに対し、後者は実質的に登山鉄道(同 山線)だが、1946年に合併して以来、一本の路線として扱われている(下注)。

*注 TPCに集約される以前の名称は、エーグル=オロン=モンテー=シャンペリー鉄道 Chemin de fer Aigle–Ollon–Monthey–Champéry。

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延伸前の旧シャンペリー駅構内(1980年ごろ)
Photo by Hans-Rudolf Berner at SBB Historic. License: CC BY-SA 4.0

エーグルのTPC線ターミナルでシャンペリー線の電車が発着するのは、駅前広場から見て右寄り、CFF線と隣り合う11・12番線だ。

3線の仕様共通化の一環でシャンペリー線では、2016年から架線電圧が1500Vに昇圧され、ラックレールがシュトループ式からアプト式に変更された。運用車両もこれに対応できるよう、シュタッドラー・レール社製GTWシリーズの新車Beh 2/6形に置き換えられた。中間に駆動ユニットを挟んだ連節電車で、7編成が就役し、541~547の車番が付されている。以来、エーグル~モンテー間の平坦線だけを往復する列車を含め、このラック・粘着式併用電車が全運行を担うようになった。

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エーグルのTPC線ターミナル
左の電車がシャンペリー線のBeh 2/6形
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(左)部分低床のBeh 2/6形車内
(右)中間の駆動ユニット
 

エーグルの新ターミナルが整備されたのは2006~2007年のことだが、このとき、周辺のシャンペリー線のルートも大きく変わっている。

以前は、駅前広場を出ると約1.4kmの間、オロン街道 Route d'Ollon に敷かれた路面/道端軌道を走っていた。しかし、その位置からでは新ターミナルに入れないため、CFF線沿いに直進する専用軌道が建設され、2006年にルートが移設された(下図参照)。

旧線時代は、エーグルを出てすぐの十字路でディアブルレ線(下注)と平面交差するのが見どころの一つだった。ディアブルレ線はもとのままだが、ダイヤモンドクロッシングは撤去され、もはや跡形もない。

*注 正式名称はエーグル=セぺー=ディアブルレ線 Ligne Aigle-Sépey-Diablerets (ASD)、前回の記事参照。

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(左)ディアブルレ線との平面交差(1984年撮影)
(右)シャンペリー線が撤去された現在
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エーグル周辺の1:25000地形図
(左)オロン街道に沿うシャンペリー線
  青で示したディアブルレ線とは平面交差(2004年版)
(右)CFF線沿いに移設後(2016年版)
© 2025 swisstopo
 

この日、エーグルを13時55分に発車する電車に乗った。シャンペリー線は日中、エーグル~モンテー間で30分(土休日は60分)間隔、その先シャンペリーへは60分間隔で運行されている。全線の所要時間はシャンペリー方面が55~66分、エーグル方面が57~61分だ。

隣を並走していたCFFの線路が遠ざかると、2001年に完成したアン・シャレー車両基地 Dépôt en Châlex の前を通過する。ここはエーグルを起点とする3路線の列車の整備拠点になっていて、ヤードには、各線で定期運用から外された旧型車両の姿も確認できた。

次いで電車は、路線名にも含まれるオロン Ollon の村に入っていく。村の中心部は山裾を埋めた扇状地の扇頂近くに立地しているため、オロン駅の標高は468mと、周囲の平地より70m以上高い。それで駅の前後は急な坂道になっていて、勾配値は平坦線では例外的な62~65‰だ。

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アン・シャレー車両基地
CFF線の列車内から撮影
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扇状地に立地するオロンの村
 

オロンの扇状地を降りると、いよいよローヌ谷の横断にかかる。この区間はほぼ直線で、畑地が広がる谷底平野や、スイス・シャブレーを代表する秀峰、ダン・デュ・ミディ Dents du Midi を眺めながら行く景勝区間だ。右手から州道145号コロンベー街道 Route de Collombey が接近してきて、道端軌道のようになる。CFFシンプロン線の複線線路、高速道路A9号を相次いでオーバークロスし、白濁したローヌの川面を渡った。田園風景の右岸に対し、左岸のヴァレー州側は工場や住宅が目に付く。モンテー周辺はスイス屈指の化学工業地区になっている。

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ローヌ谷からダン・デュ・ミディの眺め
サン・トリフォン・ヴィラージュ St-Triphon-Village 付近で撮影
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(左)ローヌ谷に広がる畑地
(右)ローヌ川を渡る
 

東から西へ4km以上続いた平野横断を終えると、突き当りのラウンドアバウトで針路が南に変わる。まだ道端軌道は続くが、初めのうちは道路との境界がないので併用軌道というのが正確かもしれない。

モンテー・アン・プラス Monthey-En Place 停留所の手前で、シャンペリー方面からの線路が道路を渡って合流してくるのが見えた(下注)。まもなく列車は一つ東の脇道に移動して、中間の主要駅モンテー・ヴィル Monthey-Ville(ヴィルは町の意)の頭端式ホームに滑り込む。

*注 アン・プラス停留所の乗り場はかつて谷線、山線別々だったが、ヴィル駅方に移設統合された。

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モンテー・アン・プラス停留所付近
谷線と山線(手前)が合流
 

谷線(旧 エーグル=オロン=モンテー鉄道)の終点は当初、ここから200m南下した旧市街のプラス・デュ・マルシェ Place du Marché(下注)にあった。しかし狭い街路を通過していたため、1921年という早い時期に廃止され、山線(旧 モンテー=シャンペリー=モルジャン鉄道)の拠点駅だった旧ヴィル駅に統合された。

*注 プラス・デュ・マルシェは市の立つ広場の意で、町の中心。ドイツ語ではマルクトプラッツ Marktplatz。

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頭端式ホームのモンテー・ヴィル駅
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モンテー・ヴィル駅の出入口
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モンテー周辺の1:25000地形図
(左)中心街とCFF駅前に線路が延びる(1932年版)
(中)中心街区間廃止後(1974年版)
(右)ヴィル駅も後退移設(2024年版)
© 2025 swisstopo
 

この旧ヴィル駅があったのは現駅の南東100mで、今はテアトル(劇場)通り Avenue du Théâtre とその付随広場になっている。1909年に線路はさらに500m延ばされ、CFFモンテー駅前に達していた。しかしその後、路線は段階的に短縮される。旧ヴィル~CFF駅間が1976年に廃止となり、ヴィル駅も都市計画に従い、1986年に現位置まで後退した。

ちなみに、2030年の完成を目標に、現ヴィル駅と市内の道端軌道区間を廃止し、線路を大規模に移設する計画が進められている。準備工事はすでに着手されていて、数年後にはCFFモンテー駅が、CFF線とシャンペリー線の共同駅に生まれ変わる予定だ。

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旧モンテー・ヴィル駅跡の道路と公園

乗ってきた電車はモンテー・ヴィル駅止まりの区間便だった。それで、これがエーグルに戻っていくシーンを撮った後、次の14時51分発の電車で改めてシャンペリーへと向かった。

電車はもと来た道をアン・プラス停留所まで戻ってから、左へ分岐する。さらに左へ急カーブを切りながら、2.3km続く最初のラック区間に突入した。最大勾配135‰で町の西側の山腹をじりじりと上っていくのだが、ラックレールの威力は絶大で、谷底を埋めるモンテーの市街地がみるみる沈んでいく。

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(左)谷線・山線分岐点
(右)ラック区間の起点を示す C(crémaillère(ラック)の頭字)標識が立つ
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眼下に沈むモンテーの市街地
 

列車は次第にイリエ谷へと入り込み、氷蝕谷の上部に残された緩傾斜地形、いわゆる谷の肩に沿って奥へ進む。緩傾斜といっても谷底を切り裂く断崖と比較してのことで、場所によってはなだれ落ちそうな斜面に大屋根の民家がへばりついている。

ラックレールはシュメ Chemex 駅の手前でいったん終わり、最大50‰の粘着区間になった。リクエストストップのルート・ド・モルジャン(モルジャン街道)Route de Morgins 停留所を通過(下注)。谷側に張り出す新しい高架橋で同名の道路を跨ぎ越すと、深い支谷を渡って長さ93m、同線唯一のトンネルをくぐる。

*注 2024年現在、モンテー・アン・プラス、トロワトラン、ヴァル・ディリエの3駅以外はすべてリクエストストップになっている。

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(左)イリエ谷を奥へ進む
(右)ルート・ド・モルジャンの高架橋
 

トロワトラン Troistorrents 駅は同名の村の代表駅で、計画どおりならモルジャン方面への分岐駅になっていたはずだ。モンテーから16分で、すでに標高770mに達している。

またしばらく緩やかな斜面を行く。延長約600mの第2ラック区間を上りきると、次の停車駅ヴァル・ディリエ Val-d'Illiez だ。谷底も上昇してきたようで、ヴィエーズ川 La Vièze の流れが木々の間からちらちらと見える。しかし、あいにく天気は下り坂で、いよいよ谷間に霧が降りてきた。晴れていればこのあたりで、ダン・デュ・ミディの印象的な鋸歯が姿を現すのだが、上方はすっかり雲に覆われている。

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(左)トロワトランの駅名標
(右)谷間を包む霧
 

ラ・クール La Cour 停留所を過ぎると、地形は急に険しさを増す。大きく迂回し、斜面にへばりつくようにして上る第3のラック区間約700mが最後の見どころだ。終点の一つ手前のシャンペリー・ヴィラージュ Champéry-Village 停留所では数人が降りた。ここはかつての終点(下注)だが、旧 構内は2車線道路の用地になり、その下に造られたギャラリー(覆道)にホームがある。

*注 当時の駅名はシャンペリー Champéry。

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第3ラック区間から下流側を望む
左隅に続きの線路が見える(復路で撮影)
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シャンペリー周辺の1:25000地形図
(左)村の北東にあった旧シャンペリー駅(1986年版)
(右)延伸でロープウェー駅に直結(2018年版)
© 2025 swisstopo
 

電車はこの道路に沿ってなおも走り、15時24分、終点シャンペリー Champéry 駅に到着した。標高は大台を超えて1035mになる(下注)。

*注 ちなみに路線で最も標高が高いのはシャンペリー・ヴィラージュで、標高1043m。

イリエ谷の町や村は、スイスとフランスにまたがるウィンタースポーツのメッカ、ポルト・デュ・ソレイユ Portes du Soleil の玄関口だ。シャンペリーも例外ではなく、1990年に完成した延長840mの路線延伸は、とりわけ冬期の訪問客の利便性を高めるのがねらいだった。それで駅は、標高1962mのクロワ・ド・キュレ Croix de Culet に上るロープウェー(下注)の山麓駅に直結されている。

*注 シャンペリー=クロワ・ド・キュレ ロープウェー Téléphérique Champéry–Croix de Culet またはシャンペリー=プラーナショー ロープウェー Téléphérique Champéry–Planachaux と呼ばれる。

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シャンペリー駅に到着
左の建物がロープウェーの山麓駅
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(左)シャンペリー駅出札所
(右)ロープウェーの発着ホーム
 

しかし、なにぶん訪れたのは夏で、天気が冴えないこともあって、ロープウェーの乗り場は閑散としていた。ついに降り出した大粒の雨を、とりあえず駅の軒先でしのぐ。伝統家屋が軒を連ねるシャンペリーの中心地区も山手へ歩いて5分ほどだが、雨具を広げて巡るか、諦めて直近の電車に乗って帰るか、ここは思案のしどころだ。

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雨模様のシャンペリー駅前
遠景の岩峰はレ・ダン・ブランシュ Les Dents Blanches
 

次回は、ベー=ヴィラール=ブルテー線を訪ねる。

■参考サイト
シャブレー公共交通 https://tpc.ch/
AOMC2030(モンテー周辺の線路改良計画)https://www.aomc2030.ch/

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