チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道
チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会
Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland (DVZO)
ヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間 11.3km
軌間1435mm、交流15kV 16.7Hz電化
1901年開通、1968年一般運行廃止、1978年保存運行開業
![]() 中間駅ベーレツヴィールに到着した蒸気列車 |
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鉄道の電化率がほぼ100%という電車王国のスイスにも、蒸気機関車の走行シーンを見ることのできる路線がいくつかある。たとえば、アルプスの山懐にあるブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn やフルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke は、非電化のままで運行されている狭軌の観光路線で、ラックレールを使いながら険しい坂に挑む蒸機の奮闘ぶりを目の当たりにできる。
一方、アルプスの北側に広がる丘陵地帯には、標準軌の電化路線でありながら、蒸気運転を特色にしているものもある。その一つが、チューリッヒの南東で活動している長さ11.3kmのチュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道(下注)だ。
*注 正式名は「チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland」、略称DVZOで、運営組織の名がそのまま使われている。
![]() 客車の側面につけられた蒸気鉄道協会の銘板 |
旅客の流動方向と合致せず SBB(スイス連邦鉄道)が一般運行を断念した路線を、愛好家たちがていねいに保存鉄道としてよみがえらせた。大都市中心部から電車で約30分という立地の良さも幸いして、再開から半世紀近く経つ今でも、近郊のお出かけスポットとして人気を維持し続けている。今回はこの歴史ある蒸気鉄道を訪ねてみたい。
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チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland というのは、チューリッヒ州の高地地方を意味する。具体的にはチューリッヒの南東30km圏で、点在する市街地を囲んでのびやかな丘陵と田園地帯が連なり、その後ろに起伏のやや大きな山地が横たわる。路線は、その田園地帯の一角にあるヒンヴィール Hinwil から、山向こうの谷に位置するバウマ Bauma に向けて、鞍部を越えていく。
協会の拠点はバウマにあるが、路線としてはヒンヴィールが起点だ。というのもこれは、チューリッヒ湖畔の町ユーリコン Uerikon を起点にして、1901年に開業したユーリコン=バウマ鉄道 Uerikon-Bauma-Bahn (UeBB) の一部だったからだ。
![]() チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道と周辺路線図 ピンクの破線がユーリコン=バウマ鉄道の廃止区間 |
沿線のノイタール Neuthal で紡績工場を経営していた実業家アドルフ・グイヤー=ツェラー Adolf Guyer-Zeller が、その輸送手段として企てた路線で、ゆくゆくはボーデン湖畔とゴットハルト鉄道を連絡するという壮大な構想だった。しかし現実はローカル線の域を出ず、1948年に前半のユーリコン~ヒンヴィール間が廃止されてしまい、後半のヒンヴィール~バウマ間だけが残された。
終端駅はどちらも他の路線と接続があり、現在はチューリッヒSバーン(近郊列車)のネットワークに組み込まれている。しかし残されたルート自体は終始山間部で、往来需要といってもたかが知れていた。結局この間の旅客列車も1969年に廃止となり、バス転換された。
![]() Sバーンと接続する保存鉄道の起点ヒンヴィール駅 |
それに対し、地元の鉄道愛好家たちが設立した非営利の運営組織が、1978年5月からこの区間で蒸気機関車を使った保存運行を始めた(下注)。これがチュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道になる。また、路線は1949年から交流電化されているので、電気運転も可能だ。ヒンヴィールから中間駅のベーレツヴィール Bäretswil までは、付近で採掘された山砂利を運ぶために貨物列車が入ってくるし、保存鉄道としても、蒸機に代わって旧型電気機関車が牽く日がある。
*注 1978年のシーズンはバウマ~ベーレツヴィール Bäretswil 間で運行され、ヒンヴィールまで延長されたのは翌79年から。
2025年の場合、保存鉄道の運行日は5月から8月の第1、第3日曜と、9月、10月の毎日曜だ。バウマを起点に1日6往復の設定がある。全線走りきるのに40分前後かかるので、多くの場合、ベーレツヴィール駅で列車交換が行われる。
![]() バウマ駅の大屋根に収まる蒸気機関車と電気機関車 |
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滞在していたザンクト・ガレンからチューリッヒに戻る途中、ヴィンタートゥール Winterthur 駅のロッカーに荷物を預けて、保存鉄道に乗りに出かけた。ヴィンタートゥールからバウマへは、S26系統リューティ Rüti 行きの電車で35分だ。単線電化の路線はテスタール線 Tösstalbahn と呼ばれ、ライン川の支流の一つ、テス Töss 川の谷(テスタール Tösstal)に沿って、くねくねと絶えずカーブを切りながら上流へと向かう。
![]() (左)テス川の谷(テスタール)を遡る (右)Sバーン列車がバウマ駅に到着 |
![]() チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道周辺の地形図にルートを加筆 Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
バウマ駅には9時48分に到着した。ふつうの田舎駅だが、SBBの2階建て駅舎に隣接して保存鉄道の発着ホームがある。切妻の大きな屋根が架かっていて、妻面に付けられた和風建築の欄間のような優美な木彫装飾がひときわ目を引く。
案内板によれば、このシャレー様式の大屋根はもともと、1860年に当時のスイス中央鉄道 Schweizerische Centralbahn (SCB) が開業したバーゼル Basel 駅で、ホームを覆っていたものだった。駅の拡張に従い、1905年に撤去され、長らくオルテン Olten 駅で作業スペースの屋根として使われた。その後、歴史的価値に注目した協会の手で2015年にここバウマに移設され、再びホームの上で列車と乗客を保護する役に就いたのだ。妻面の木彫装飾はすでに失われていたため、当時の図面を参考に復元されたそうだ。
![]() 大屋根が架かる保存鉄道の発着ホーム |
あいにく今朝は雨もようで肌寒く、行楽向きとは言えないが、それなりに客が集ってきている。保存鉄道には自前の駅舎がなく、切符を売っているのは大屋根の下に立てたテントの中だ。私も列に並んで、ヒンヴィールまで片道の乗車券(20スイスフラン)を買った。車両や座席の指定はない。
3本ある線路のうち、最も本線寄りに据え付けられているのが、これから乗る列車になる。機関車はまだ来ておらず、先頭がPOSTのプレートを付けた郵便車、その後ろにベンチシートの古典客車2両が連なり、最後尾がビュッフェ車で、意外に編成は短い。
![]() (左)片道乗車券 (右)ホーム内部、本線寄り(写真の左側)に客車が停車中 |
![]() ベンチシートが並ぶ客室 |
車両を観察しているうちに、本線のほうからリズミカルなブラスト音が聞こえてきた。主役のお出ましのようだ。小柄なタンク機関車がヒンヴィールの方向へ走っていったと思うと、転線して列車の前へバックしてきた。
車輪配置2-6-2のこの機関車は、1910年ミュンヘン・マッファイ Maffei 社製のBT Eb 3/5 9号機だ。特徴的な大型の石炭箱にちなんで「麦袋 Habersack (Hafersack)」のあだ名をもつ。
もとボーデンゼー=トッゲンブルク鉄道 Bodensee-Toggenburg-Bahn(略称BT、現 スイス南東鉄道 Schweizerische Südostbahn (SOB))の所属だが、後にSBBに移籍して、まだ非電化だった区間で使われた。今はBTゆかりのヘーリザウ Herisau にある愛好家団体が所有し、協会に貸し出されている。協会自体も蒸機を5両所有しているが、いずれも同じように逆機(バック)運転が容易なタンク機関車だ。
*注 そのうち、現在稼働状態にあるのは2両。
![]() 蒸機BT Eb 3/5 9が登場 左の電車はゼンゼタール鉄道 Sensetalbahn 由来の保存車 |
![]() (左)大屋根前で給水 (右)客車に連結され、準備完了 |
連結作業を興味深く眺めていた客が車内に引上げ、スタッフも所定位置についた。10時25分定刻に列車はゆるゆると動き出し、まだ霧雨の舞う構内に出ていった。
走行中は車端のオープンデッキに立ちたいところだ。しかし、この客車はデッキの横幅が狭く、昇降口に開閉柵がついていない。それでおとなしく空いている席についたが、周りのボックスにならって窓を全開にした。
テスタール線と並走しながら駅構内を抜けると、列車はいきなり見どころにさしかかる。村を巻きながら右回りのオメガカーブで上っていく区間で、勾配値は29.2‰、進行方向も180度変わる。その後、左へカーブを切り直す築堤の上から、アンバーの屋根がひしめくバウマの家並みが見渡せた。
![]() (左)村を巻いてオメガカーブを上る (右)築堤から望むバウマの家並み |
出力を上げた蒸機は、ヴィッセンバッハ川 Wissenbach の谷間の高みをなおも上っていく。5~6分でこの坂が尽きると、線路は直線になり、高い鉄橋を渡り始めた。上路ダブルワーレントラス橋に石造アーチ橋が接続されている。前者は長さ79mのヴァイセンバッハ橋梁 Weissenbach-Brücke、後者はノイタール高架橋 Neuthal-Viadukt と呼ばれる。
車窓右の谷底に見える大きな建物群は、鉄道の発起人A・グイヤー=ツェラーが経営していた紡績工場だ。1965年に閉鎖されたが、内部の設備が保存され、1993年から博物館として公開されている(下注)。橋を渡り終えると、その最寄りとなるノイタール Neuthal 停留所に停車した。
*注 工場に動力を供給していた水力発電施設なども含んでおり、現名称は、ノイタール繊維産業文化博物館 Museum Neuthal Textil- und Industriekultur。
![]() ヴァイセンバッハ橋梁を渡る(2006年) Photo by Ikiwaner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
![]() (左)眼下にグイヤー=ツェラーの紡績工場 (右)ノイタール停留所に停車 |
ここからは谷中分水地形で、穏やかな谷間の牧草地の中に、線路が緩い蛇行曲線を描いている。バウマ街道 Baumastrasse と交差したあたりが標高714mで、全線のサミットだ(下注)。心もち下り勾配になり、山脚に沿って右にカーブを切っていく。留置された貨車や作業用車両の横を通過した先に、中間駅のベーレツヴィール Bäretswil が見えてきた。開業時からあるという2階建て駅舎の前で、駅員とともに数人の客が待っている。
*注 ちなみにバウマの標高は639m、ヒンヴィールは565mで、サミットとの標高差がそれぞれ75m、149mある。
![]() (左)牧草地の中にカーブを描く (右)ベーレツヴィール駅に入線 |
![]() (左)旧態に復元改修された駅舎 (右)手動の転轍装置 |
ここでは下り列車との行き違いを待って、11分の停車時間がある。ホームに降りて駅前に出ると、シルバーとイエローの郵便色に塗り分けたボンネットバスが停まっていた。スイス・ザウラー社 Saurer 製で、その形状から「豚鼻ポストバス Schnauzen-Postauto」のあだ名をもらった旧型車種だ。
実はこれも保存運行の一環で、バウマ駅前で客待ちしているのをさきほど目撃したばかりだ。駅でもらったリーフレットには、バウマからテスタールを遡ってシュテーク Steg に向かうバスルートが案内されているが、経由地でもないベーレツヴィールに顔を見せたのは合間運用なのだろうか。
![]() 駅前に旧型ポストバスの姿も |
![]() ザウラー製ボンネットバス、バウマ駅前にて |
そうこうするうちに、遠くから別のブラスト音が響いてきた。踏切のそばで注視していると、やがてカーブの向こうから、雨をついて蒸気列車が現れた。逆機になった先頭の機関車は、Ed 3/3 401号「バウマ Bauma」、1901年開業時にこの路線に就役したという生粋のタンク蒸機だ。電化で用済みとなり民間工場に引き取られていたが、1979年に協会が取得し全面改修を経て、現役に復帰した。
対向列車が隣の番線に滑り込むと、駅はにわかに賑やかになった。ざっと見たところ、こちらより乗客が多そうだ。チューリッヒ都市圏からだと、ヒンヴィール駅へアクセスするのが順当だからかもしれない。その客とスタッフに見送られて、わが列車は10時53分に駅を出発した。
![]() 対向列車が到着 |
![]() 賑やかな列車交換 |
線路はすぐ森に入り、25‰の下り坂が長く続く。長さ64m、石造アーチのアーバッハトーベル高架橋 Aabachtobel-Viadukt を渡った後、左に分岐していく水平の側線は、貨物列車が入る砂利採取場への引込線だ。
森がいったん途切れると、チュルヒャー・オーバーラントの、草地と森と宅地が混ざり合うなだらかな丘陵地帯がパノラマとなって広がる。乗降客がなかったらしく、エッテンハウゼン・エメッチュロー Ettenhausen-Emmetschloo 停留所は静かに通過した。見晴らしはしかし長く続かず、再び森に閉ざされる。
![]() 雨に煙る丘陵地帯のパノラマ |
さらに下っていくと、列車は住宅街に入り、大きく右に旋回し始めた。曲がり終えたところが終点ヒンヴィール駅の構内だった。島式ホームの3番線に11時10分到着。バウマと違ってこの駅には、保存鉄道専用の施設や線路がない。近代的な郊外線のホームにちょこんと停まった蒸機は、どこか過去からタイムスリップしてきたような風情だ。
しかし休む間もなく連結が解かれて、機回し作業が始まった。前方のポイントまで移動した後、外側の、ホームがない側線を経由して後方へ。こうして手早く列車の反対側につけられる。復路の発車は11時30分だ。
![]() (左)住宅街の中のオメガカーブ (右)ヒンヴィール駅が見えてきた |
![]() (左)機回しされていく蒸機 (右)再連結作業 |
ところで、協会はバウマのほかにもう1か所、拠点を持っている。ヒンヴィールからS14系統でチューリッヒ方面へ三つ目のウスター Uster 駅だ。線路を挟んでSBB駅舎と反対側にその敷地があり、ホームからもよく見える。向かって左手の、2線を収容する第1機関庫は1856年、扇形で5線収容の第2機関庫は翌57年の建設で、現存する扇形機関庫としてはスイス最古だそうだ。
しかし、ウスターが中間駅になると、機関庫はたちまち無用の長物と化した。そのため鋳造所に転用されてしまったのだが、鉄道施設でなくなった結果、近代化に即した改築や拡張が行われず、原状をとどめることができた。州の文化財に登録後、1997年にもとの用途に戻され、協会が機関車の修理工場として利用している。
![]() ウスター駅第1機関庫と転車台 |
![]() 扇形の第2機関庫 |
■参考サイト
チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会(公式サイト) https://dvzo.ch/
ウスター機関庫協同組合 https://www.lokremise-uster.ch/
モーザー・ライゼン社(ボンネットバス運行事業者)https://www.moser-reisen.ch/
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