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2025年5月

2025年5月27日 (火)

チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道

チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会
Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland (DVZO)

ヒンヴィール Hinwil ~バウマ Bauma 間 11.3km
軌間1435mm、交流15kV 16.7Hz電化
1901年開通、1968年一般運行廃止、1978年保存運行開業

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中間駅ベーレツヴィールに到着した蒸気列車

鉄道の電化率がほぼ100%という電車王国のスイスにも、蒸気機関車の走行シーンを見ることのできる路線がいくつかある。たとえば、アルプスの山懐にあるブリエンツ・ロートホルン鉄道 Brienz-Rothorn-Bahn やフルカ山岳蒸気鉄道 Dampfbahn Furka-Bergstrecke は、非電化のままで運行されている狭軌の観光路線で、ラックレールを使いながら険しい坂に挑む蒸機の奮闘ぶりを目の当たりにできる。

一方、アルプスの北側に広がる丘陵地帯には、標準軌の電化路線でありながら、蒸気運転を特色にしているものもある。その一つが、チューリッヒの南東で活動している長さ11.3kmのチュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道(下注)だ。

*注 正式名は「チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会 Dampfbahn-Verein Zürcher Oberland」、略称DVZOで、運営組織の名がそのまま使われている。

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客車の側面につけられた蒸気鉄道協会の銘板
 

旅客の流動方向と合致せず SBB(スイス連邦鉄道)が一般運行を断念した路線を、愛好家たちがていねいに保存鉄道としてよみがえらせた。大都市中心部から電車で約30分という立地の良さも幸いして、再開から半世紀近く経つ今でも、近郊のお出かけスポットとして人気を維持し続けている。今回はこの歴史ある蒸気鉄道を訪ねてみたい。

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チュルヒャー・オーバーラント Zürcher Oberland というのは、チューリッヒ州の高地地方を意味する。具体的にはチューリッヒの南東30km圏で、点在する市街地を囲んでのびやかな丘陵と田園地帯が連なり、その後ろに起伏のやや大きな山地が横たわる。路線は、その田園地帯の一角にあるヒンヴィール Hinwil から、山向こうの谷に位置するバウマ Bauma に向けて、鞍部を越えていく。

協会の拠点はバウマにあるが、路線としてはヒンヴィールが起点だ。というのもこれは、チューリッヒ湖畔の町ユーリコン Uerikon を起点にして、1901年に開業したユーリコン=バウマ鉄道 Uerikon-Bauma-Bahn (UeBB) の一部だったからだ。

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チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道と周辺路線図
ピンクの破線がユーリコン=バウマ鉄道の廃止区間
 

沿線のノイタール Neuthal で紡績工場を経営していた実業家アドルフ・グイヤー=ツェラー Adolf Guyer-Zeller が、その輸送手段として企てた路線で、ゆくゆくはボーデン湖畔とゴットハルト鉄道を連絡するという壮大な構想だった。しかし現実はローカル線の域を出ず、1948年に前半のユーリコン~ヒンヴィール間が廃止されてしまい、後半のヒンヴィール~バウマ間だけが残された。

終端駅はどちらも他の路線と接続があり、現在はチューリッヒSバーン(近郊列車)のネットワークに組み込まれている。しかし残されたルート自体は終始山間部で、往来需要といってもたかが知れていた。結局この間の旅客列車も1969年に廃止となり、バス転換された。

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Sバーンと接続する保存鉄道の起点ヒンヴィール駅
 

それに対し、地元の鉄道愛好家たちが設立した非営利の運営組織が、1978年5月からこの区間で蒸気機関車を使った保存運行を始めた(下注)。これがチュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道になる。また、路線は1949年から交流電化されているので、電気運転も可能だ。ヒンヴィールから中間駅のベーレツヴィール Bäretswil までは、付近で採掘された山砂利を運ぶために貨物列車が入ってくるし、保存鉄道としても、蒸機に代わって旧型電気機関車が牽く日がある。

*注 1978年のシーズンはバウマ~ベーレツヴィール Bäretswil 間で運行され、ヒンヴィールまで延長されたのは翌79年から。

2025年の場合、保存鉄道の運行日は5月から8月の第1、第3日曜と、9月、10月の毎日曜だ。バウマを起点に1日6往復の設定がある。全線走りきるのに40分前後かかるので、多くの場合、ベーレツヴィール駅で列車交換が行われる。

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バウマ駅の大屋根に収まる蒸気機関車と電気機関車

滞在していたザンクト・ガレンからチューリッヒに戻る途中、ヴィンタートゥール Winterthur 駅のロッカーに荷物を預けて、保存鉄道に乗りに出かけた。ヴィンタートゥールからバウマへは、S26系統リューティ Rüti 行きの電車で35分だ。単線電化の路線はテスタール線 Tösstalbahn と呼ばれ、ライン川の支流の一つ、テス Töss 川の谷(テスタール Tösstal)に沿って、くねくねと絶えずカーブを切りながら上流へと向かう。

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(左)テス川の谷(テスタール)を遡る
(右)Sバーン列車がバウマ駅に到着
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チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

バウマ駅には9時48分に到着した。ふつうの田舎駅だが、SBBの2階建て駅舎に隣接して保存鉄道の発着ホームがある。切妻の大きな屋根が架かっていて、妻面に付けられた和風建築の欄間のような優美な木彫装飾がひときわ目を引く。

案内板によれば、このシャレー様式の大屋根はもともと、1860年に当時のスイス中央鉄道 Schweizerische Centralbahn (SCB) が開業したバーゼル Basel 駅で、ホームを覆っていたものだった。駅の拡張に従い、1905年に撤去され、長らくオルテン Olten 駅で作業スペースの屋根として使われた。その後、歴史的価値に注目した協会の手で2015年にここバウマに移設され、再びホームの上で列車と乗客を保護する役に就いたのだ。妻面の木彫装飾はすでに失われていたため、当時の図面を参考に復元されたそうだ。

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大屋根が架かる保存鉄道の発着ホーム
 

あいにく今朝は雨もようで肌寒く、行楽向きとは言えないが、それなりに客が集ってきている。保存鉄道には自前の駅舎がなく、切符を売っているのは大屋根の下に立てたテントの中だ。私も列に並んで、ヒンヴィールまで片道の乗車券(20スイスフラン)を買った。車両や座席の指定はない。

3本ある線路のうち、最も本線寄りに据え付けられているのが、これから乗る列車になる。機関車はまだ来ておらず、先頭がPOSTのプレートを付けた郵便車、その後ろにベンチシートの古典客車2両が連なり、最後尾がビュッフェ車で、意外に編成は短い。

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(左)片道乗車券
(右)ホーム内部、本線寄り(写真の左側)に客車が停車中
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ベンチシートが並ぶ客室
 

車両を観察しているうちに、本線のほうからリズミカルなブラスト音が聞こえてきた。主役のお出ましのようだ。小柄なタンク機関車がヒンヴィールの方向へ走っていったと思うと、転線して列車の前へバックしてきた。

車輪配置2-6-2のこの機関車は、1910年ミュンヘン・マッファイ Maffei 社製のBT Eb 3/5 9号機だ。特徴的な大型の石炭箱にちなんで「麦袋 Habersack (Hafersack)」のあだ名をもつ。

もとボーデンゼー=トッゲンブルク鉄道 Bodensee-Toggenburg-Bahn(略称BT、現 スイス南東鉄道 Schweizerische Südostbahn (SOB))の所属だが、後にSBBに移籍して、まだ非電化だった区間で使われた。今はBTゆかりのヘーリザウ Herisau にある愛好家団体が所有し、協会に貸し出されている。協会自体も蒸機を5両所有しているが、いずれも同じように逆機(バック)運転が容易なタンク機関車だ。

*注 そのうち、現在稼働状態にあるのは2両。

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蒸機BT Eb 3/5 9が登場
左の電車はゼンゼタール鉄道 Sensetalbahn 由来の保存車
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(左)大屋根前で給水
(右)客車に連結され、準備完了
 

連結作業を興味深く眺めていた客が車内に引上げ、スタッフも所定位置についた。10時25分定刻に列車はゆるゆると動き出し、まだ霧雨の舞う構内に出ていった。

走行中は車端のオープンデッキに立ちたいところだ。しかし、この客車はデッキの横幅が狭く、昇降口に開閉柵がついていない。それでおとなしく空いている席についたが、周りのボックスにならって窓を全開にした。

テスタール線と並走しながら駅構内を抜けると、列車はいきなり見どころにさしかかる。村を巻きながら右回りのオメガカーブで上っていく区間で、勾配値は29.2‰、進行方向も180度変わる。その後、左へカーブを切り直す築堤の上から、アンバーの屋根がひしめくバウマの家並みが見渡せた。

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(左)村を巻いてオメガカーブを上る
(右)築堤から望むバウマの家並み
 

出力を上げた蒸機は、ヴィッセンバッハ川 Wissenbach の谷間の高みをなおも上っていく。5~6分でこの坂が尽きると、線路は直線になり、高い鉄橋を渡り始めた。上路ダブルワーレントラス橋に石造アーチ橋が接続されている。前者は長さ79mのヴァイセンバッハ橋梁 Weissenbach-Brücke、後者はノイタール高架橋 Neuthal-Viadukt と呼ばれる。

車窓右の谷底に見える大きな建物群は、鉄道の発起人A・グイヤー=ツェラーが経営していた紡績工場だ。1965年に閉鎖されたが、内部の設備が保存され、1993年から博物館として公開されている(下注)。橋を渡り終えると、その最寄りとなるノイタール Neuthal 停留所に停車した。

*注 工場に動力を供給していた水力発電施設なども含んでおり、現名称は、ノイタール繊維産業文化博物館 Museum Neuthal Textil- und Industriekultur。

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ヴァイセンバッハ橋梁を渡る(2006年)
Photo by Ikiwaner at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)眼下にグイヤー=ツェラーの紡績工場
(右)ノイタール停留所に停車
 

ここからは谷中分水地形で、穏やかな谷間の牧草地の中に、線路が緩い蛇行曲線を描いている。バウマ街道 Baumastrasse と交差したあたりが標高714mで、全線のサミットだ(下注)。心もち下り勾配になり、山脚に沿って右にカーブを切っていく。留置された貨車や作業用車両の横を通過した先に、中間駅のベーレツヴィール Bäretswil が見えてきた。開業時からあるという2階建て駅舎の前で、駅員とともに数人の客が待っている。

*注 ちなみにバウマの標高は639m、ヒンヴィールは565mで、サミットとの標高差がそれぞれ75m、149mある。

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(左)牧草地の中にカーブを描く
(右)ベーレツヴィール駅に入線
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(左)旧態に復元改修された駅舎
(右)手動の転轍装置
 

ここでは下り列車との行き違いを待って、11分の停車時間がある。ホームに降りて駅前に出ると、シルバーとイエローの郵便色に塗り分けたボンネットバスが停まっていた。スイス・ザウラー社 Saurer 製で、その形状から「豚鼻ポストバス Schnauzen-Postauto」のあだ名をもらった旧型車種だ。

実はこれも保存運行の一環で、バウマ駅前で客待ちしているのをさきほど目撃したばかりだ。駅でもらったリーフレットには、バウマからテスタールを遡ってシュテーク Steg に向かうバスルートが案内されているが、経由地でもないベーレツヴィールに顔を見せたのは合間運用なのだろうか。

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駅前に旧型ポストバスの姿も
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ザウラー製ボンネットバス、バウマ駅前にて
 

そうこうするうちに、遠くから別のブラスト音が響いてきた。踏切のそばで注視していると、やがてカーブの向こうから、雨をついて蒸気列車が現れた。逆機になった先頭の機関車は、Ed 3/3 401号「バウマ Bauma」、1901年開業時にこの路線に就役したという生粋のタンク蒸機だ。電化で用済みとなり民間工場に引き取られていたが、1979年に協会が取得し全面改修を経て、現役に復帰した。

対向列車が隣の番線に滑り込むと、駅はにわかに賑やかになった。ざっと見たところ、こちらより乗客が多そうだ。チューリッヒ都市圏からだと、ヒンヴィール駅へアクセスするのが順当だからかもしれない。その客とスタッフに見送られて、わが列車は10時53分に駅を出発した。

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対向列車が到着
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賑やかな列車交換
 

線路はすぐ森に入り、25‰の下り坂が長く続く。長さ64m、石造アーチのアーバッハトーベル高架橋 Aabachtobel-Viadukt を渡った後、左に分岐していく水平の側線は、貨物列車が入る砂利採取場への引込線だ。

森がいったん途切れると、チュルヒャー・オーバーラントの、草地と森と宅地が混ざり合うなだらかな丘陵地帯がパノラマとなって広がる。乗降客がなかったらしく、エッテンハウゼン・エメッチュロー Ettenhausen-Emmetschloo 停留所は静かに通過した。見晴らしはしかし長く続かず、再び森に閉ざされる。

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雨に煙る丘陵地帯のパノラマ
 

さらに下っていくと、列車は住宅街に入り、大きく右に旋回し始めた。曲がり終えたところが終点ヒンヴィール駅の構内だった。島式ホームの3番線に11時10分到着。バウマと違ってこの駅には、保存鉄道専用の施設や線路がない。近代的な郊外線のホームにちょこんと停まった蒸機は、どこか過去からタイムスリップしてきたような風情だ。

しかし休む間もなく連結が解かれて、機回し作業が始まった。前方のポイントまで移動した後、外側の、ホームがない側線を経由して後方へ。こうして手早く列車の反対側につけられる。復路の発車は11時30分だ。

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(左)住宅街の中のオメガカーブ
(右)ヒンヴィール駅が見えてきた
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(左)機回しされていく蒸機
(右)再連結作業
 

ところで、協会はバウマのほかにもう1か所、拠点を持っている。ヒンヴィールからS14系統でチューリッヒ方面へ三つ目のウスター Uster 駅だ。線路を挟んでSBB駅舎と反対側にその敷地があり、ホームからもよく見える。向かって左手の、2線を収容する第1機関庫は1856年、扇形で5線収容の第2機関庫は翌57年の建設で、現存する扇形機関庫としてはスイス最古だそうだ。

しかし、ウスターが中間駅になると、機関庫はたちまち無用の長物と化した。そのため鋳造所に転用されてしまったのだが、鉄道施設でなくなった結果、近代化に即した改築や拡張が行われず、原状をとどめることができた。州の文化財に登録後、1997年にもとの用途に戻され、協会が機関車の修理工場として利用している。

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ウスター駅第1機関庫と転車台
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扇形の第2機関庫
 

■参考サイト
チュルヒャー・オーバーラント蒸気鉄道協会(公式サイト) https://dvzo.ch/
ウスター機関庫協同組合 https://www.lokremise-uster.ch/
モーザー・ライゼン社(ボンネットバス運行事業者)https://www.moser-reisen.ch/

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 フルカ山岳蒸気鉄道 II-復興の道のり
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2025年5月 6日 (火)

オーストリアの狭軌鉄道-ブレゲンツァーヴァルト鉄道

ブレゲンツァーヴァルト鉄道(ヴェルダーベーンレ)
Bregenzerwaldbahn (Wälderbähnle)

ブレゲンツ Bregenz ~ベーツァウ Bezau 間35.3km
軌間760mm、非電化
1902年開通、1983年一般運行休止(1985年正式廃止)、1987年保存運行開業

【現在の運行区間】
保存鉄道:ベーツァウ~シュヴァルツェンベルク Schwarzenberg 間 5.0km

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ベーツァウ駅の蒸気列車
 

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オーストリア西部、フォアアールベルク州のブレゲンツ Bregenz(下注)は、ドイツやスイスとの国境をなすボーデン湖畔の文化観光都市だ。ÖBB(オーストリア連邦鉄道)ブレゲンツ駅の裏手に、湖に面した緑豊かな公園があるが、その一角に小型の蒸気機関車がぽつんと据え付けられている。

*注 日本語ではブレゲンツと書かれるが、第一音節は長母音なので、忠実に音写するなら「ブレーゲンツ」になる。

498.03(旧Uh 03)の車番をもつこの車両は、Uh形と呼ばれる軌間760mm、いわゆるボスニア軌間のタンク機関車だ。他の同僚機への部品供給の役目を終えて、児童公園になっているこの区画に移されてきた。黒の塗装はあせて剥げ落ち、あちこち落書きだらけだが、遊具として子どもたちの相手をしながら余生を送っているのだ。

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湖畔の公園に据え付けられたUh形ナロー蒸機

ナローの機関車がここにある理由は他でもない。1983年までブレゲンツ駅構内に、その軌間の列車が実際に入ってきていたからだ。路線はブレゲンツァーヴァルト鉄道 Bregenzerwaldbahn といい、ブレゲンツの町から、その後背地ブレゲンツァーヴァルト Bregenzerwald(ブレゲンツの森の意)の山間部に分け入る延長35.3kmのÖBB線だった。

オーストリア各地に造られた760mm軌間の軽便鉄道のなかで最西端に位置し、地元ではヴェルダーバーン Wälderbahn(森の鉄道)またはヴェルダーベーンレ Wälderbähnle(ベーンレは軽便(狭軌)鉄道を意味する方言)と呼ばれ親しまれていた。

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ブレゲンツ旧駅(西望)
ブレンゲンツァーヴァルト鉄道の列車が停車中(1964年)
Photo by Dr. E. Scherer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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現在のブレゲンツ駅構内(東望)
駅舎、線路とも移設され、昔の面影は消失している
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ブレンゲンツァーヴァルト鉄道と周辺路線図
破線は廃止済を表す
 

路線の開業は1902年にさかのぼる。私鉄の運営だったが、運行業務は初めから国鉄に委託されていた(1932年に国有化)。ブレゲンツ駅から、貨物積替え施設のあったフォアクロスター Vorkloster 駅構内まで1.6kmの間は、国鉄の標準軌貨車が入れるように4線軌条になっていた(下注)。

*注 当時のブレゲンツ駅は現駅の東300mにあった。現在地に移転したのは1989年。また、4線軌条は1955年の電化の際に、3線軌条に改築されている。

旅客列車は当初、混合列車を含め1日3往復設定された。鉄道の開通で、山地へのアクセスが格段に改善され、ハイカーや登山客という新たな需要を生み出した。貨物輸送では、沿線で伐採された木材とその加工品、牛乳などの農産品が消費地に向けて運び出された。他に目ぼしい輸送手段のなかった時代、狭軌鉄道は地域経済を支える重要な存在だったが、1950年代に入ると道路の改良とモータリゼーションの進展により、トラックやバスに顧客を奪われていく。

とりわけ鉄道にとって泣きどころだったのは、全線の約半分がブレゲンツァー・アッハ川 Bregenzer Ach(下注)の狭隘な谷底を走っていたことだ。古くからの街道は、何かと障害の多い峡谷を避けてアルバーシュヴェンデ Alberschwende の広々とした鞍部を越えていくのだが、麓との標高差が約300mあり、蒸気鉄道のルートには適していなかった。

*注 他地域の同名の川と区別するため、「ブレゲンツァー(ブレゲンツの、の意)」をつけるのが正式だが、地元では単にアッハ川 Die Ach と呼ぶ。

鉄道は、建設中からすでに不安定な地質や川の増水に悩まされていたが、開業後もその状況は変わらず、たびたび運行が阻害された。

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ブレゲンツァー・アッハ川の峡谷を行く(1979年)
Photo byHelmut Klapper, Vorarlberger Landesbibliothek at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

後に廃止となるきっかけも、そうした自然災害に起因していた。1980年4月に、峡谷区間の支流を横断する鉄橋の橋台が増水で侵食され、全線で運休となった。これは2か月を要して復旧したものの、同年7月の豪雨で今度は崖崩れが発生し、再度運休を余儀なくされる。線路を押しつぶした巨岩の撤去に手間取るうちに、さらなる崩落が起きたため、ついにÖBBは、峡谷を通過するケネルバッハ Kennelbach~エック Egg 間の復旧中止を決断した。

その後の地質調査で、上流のエック~ベーツァウ Bezau 間でも斜面崩壊の可能性が指摘され、10月に運休措置が取られる。残るは根元のブレゲンツ~ケネルバッハ間4.7kmしかなく、存在意義を失った鉄道は3年後の1983年に全面休止となった(正式廃止は1985年1月)。

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一般運行時代のベーツァウ駅(1971年)
Photo by Dr. E. Scherer at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

これに対して、地元では観光鉄道としての復活を計画した。ÖBB時代でも、気動車による一般列車と併せて、蒸気機関車が牽引する観光列車が全線で走っていたので、運行に必要な施設設備は整っていた。終点のベーツァウに運営組織が設立され、崩落などの危険がない最奥部のシュヴァルツェンベルク Schwarzenberg(下注)~ベーツァウ間で1987年9月から運行が開始された。

*注 当時は駅の手前にある連邦道(2002年から州道)の踏切が撤去済みだったため、その前で折り返していた。

1989年には次の駅ベルスブーフ Bersbuch まで延長されたが、道路用地への転用が決まり、この措置は2004年のシーズン限りで終了した。以来、保存運行はベーツァウ駅を出発してシュヴァルツェンベルク駅で折り返す5.0kmの区間で行われている(下注)。週末だけでなく、平日にも運行日が設定されていて、鉄道はこの地域で人気ある観光スポットの地位を確立している。

*注 そのため保存鉄道は、起点がベーツァウ、終点がシュヴァルツェンベルクとされており、この点は一般運行時代とは逆になる。

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アッハ川の谷を行く蒸気列車
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保存鉄道区間の地形図、ルートを薄赤で示す
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

昨年(2024年)スイスのザンクト・ガレン St. Gallen に滞在中、この鉄道を訪問する機会があった。フォアアールベルク州 Vorarlberg は、オーストリアの首都ウィーンから見ると西の最果てだが、スイスからはごく近い。ザンクト・ガレンからブレゲンツまで列車でわずか30分だ。

しかし、保存鉄道の拠点ベーツァウへは、駅前からラントブス・ブレゲンツァーヴァルト Landbus Bregenzerwald の路線バス830系統でさらに1時間かかる。ハイウェー経由で少し早く着く840系統もあるのだが、あいにく土日は走っていない(下注)。

*注 路線バスの時刻表は、フォアアールベルク運輸連合 Verkehrsverbund Vorarlberg の運営サイト VMOBIL https://www.vmobil.at/ 参照。

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(左)ブレゲンツ駅で下車
(右)路線バスでベーツァウへ
 

9時20分、バスターミナルで賑やかな中高年男女の団体さんと一緒に、そのベーツァウ行きに乗り込んだ。ふつう、路線バスの運賃は乗車するときに支払うのだが、珍しくこのバスには女性の車掌(というより検札員?)が乗っていて、車内で運賃を収受している。2+2の座席配置にもかかわらず、団体さんで車内はほぼ満席になった。途中の停留所からも乗ってくるが、みな立ちん坊を強いられている。

バスはÖBBのシュヴァルツバッハ Schwarzbach 駅前に寄り道した後、谷間を上り、州道200号線に合流した。列車のルートにならなかったアルバーシュヴェンデの鞍部を軽々と越えて、ブレゲンツァーヴァルトの核心部に入っていく。けさはいい天気で、斜面を覆う森と草地の牧歌的な風景に心が和む。

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バスの車窓に牧歌的風景が広がる
 

途中、エック Egg の手前では、川べりに旧線で一番長かったエック高架橋 Egger Viadukt(長さ110m)が見えた。廃線跡の一部は自転車・歩行者道に転換されていて、この高架橋の上も通れるはずだ。エックから先では、旧線が州道に寄り添う区間もある。アンデルスブーフ Andelsbuch では道端に旧駅舎が残っているのだが、うっかり写真を取り損ねた。

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(左)川の対岸にエック高架橋
(右)アンデルスブーフ旧駅舎(2007年)
Photo by böhringer friedrich at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

ベーツァウの町中を通過して、バスバーンホーフ Busbahnhof(バス駅、バスターミナルの意)には10時19分に到着した。保存鉄道の駅はこの奥にある。

さっそく駅舎に入り、出札口に行くと、予約は?と聞かれた。していないと答えると、あちらへ、と部屋の隅を指さす。そこには座席表を手にした女性が座っていて、遠来の飛び込み客に空席をあてがってくれた。往復14.60ユーロ。

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(左)ベーツァウ駅舎
(右)予約者のための出札口
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(左)大人往復乗車券
(中)座席指定券表面
(右)同 裏面、107号車8番席
 

ホームに出ると、列車はもうスタンバイして、客がぞろぞろと乗り込んでいるところだった。機関車はUh形の102号機(下注)。動輪3軸、従輪1軸の小型タンク機関車だ。1931年フローリッツドルフ機関車工場 Floridsdorfer Lokfabrik 製で、オーストリアで造られた最後のナロー蒸機だという。この鉄道の開業100周年を記念して動態に復帰させるに当たり、ブレゲンツの公園にいたあの同僚機も部品を提供したそうだ。

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(左)本日の牽引機Uh 102
(右)車体側面のプレート
 

駅舎の隣にある車庫の中を覗くと、別の蒸気機関車、U 25「ベーツァウ Bezau」が休んでいた。現在、Uh 102と交替で保存列車を牽いている1902年製の古典機だ(ÖBBの車番は298.25)。

このU形はオーストリア帝国時代の代表的な狭軌機関車だったが、第一次世界大戦で多くが徴用され、ボスニアの戦場に送られてそのままになった。そのため、戦後の機関車不足を解消するために、改良形として製造されたのがUh形だ。hは過熱式 Heißdampf を意味する。

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(左)車庫で休むU 25(ÖBB 298.25)
(右)列車の前に立つU 25(2018年)
Photo by Uoaei1 at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

さて、ホーム上の列車に戻ると、Uh 102の後ろに、有蓋貨車1両とオープンデッキつきの古典客車が7両続いている。その中で側面に「ヴェルダーシェンケ Wälderschenke(森の居酒屋の意)」と書かれているのはビュッフェ車だ。山中の孤立路線にもかかわらず、けっこうな盛況ぶりで、最前部の1両を除けばすでに満席に近い。後で知ったが、まるまる空いているその1両は、復路で乗ってくる団体用だった。

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本日の列車構成
Uh 102の後ろに貨車1両、客車7両(ビュッフェ車含む)
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(左)まるまる空いていた101号車
(右)その車内
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(左)盛況のビュッフェ車
(右)有蓋貨車はパントリー代わり
 

10時45分、鋭い汽笛とともにベーツァウを発車した。行きはおおむね下り坂で、蒸機も逆機(バック運転)で走る。村の主産業である木材工場の間をすり抜け、下路トラスでブレゲンツァー・アッハ川を渡り、山のふもとの緑の谷間を淡々と下っていく。小屋が一つあるだけのロイテ Reute 駅は通過した。

森の中から川べりに飛び出し、流れを追いながら少し走ると、右手に上路ダブルワーレントラスのシュポーレンエック橋梁 Sporeneggbrücke が見えてきた。右に急カーブを切り、この橋で同じ川を再び渡る。それから高低差のついた谷間を回り込む。

速度が落ち、州道200号線の踏切をごろごろと横断すると、終点のシュヴァルツェンベルクだった。保存された駅舎の前に11時05分に到着。すぐに機関車が切り離され、機回しの作業が始まる。

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(左)ブレゲンツァー・アッハ川を渡る
(右)小屋一つあるだけのロイテ駅を通過
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(左)シュポーレンエック橋梁で再び川を横断
(右)州道の踏切を横断すれば終点
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(左)美しく保たれたシュヴァルツェンベルク駅舎
(右)機回し作業中のUh 102
 

折返しまで20分停車するので、駅舎に隣接する小屋に入ってみると、写真や模型のちょっとした展示室になっていた。一般運行時代の走行写真や時刻表など、興味深い資料が壁一面に貼られている。今となっては過去の記憶だが、当時と同じように蒸気列車に揺られてきたので、どこか実感に近いものを覚える。

11時25分、列車は時刻どおりにシュヴァルツェンベルク駅を後にした。結局、往復ともほとんどデッキに出ずっぱりだったが、競合することなく、心行くまで外の風に吹かれることができた。

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(左)駅舎に隣接する展示室
(右)この鉄道のミニチュアもあった
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正面を向いた蒸機が復路便を牽く
 

ベーツァウ駅に戻ってきたのは11時45分。構内はかつて駅前の通りまで広がっていたが、スーパーマーケットに土地を提供するために縮小された。その影響で機回し用の引上げ線の尺が足りなくなり、代わりに遷車台が設置されている。その操作が観察できるものと期待していたのだが、どうやらこれは後で行うらしい。

今日のダイヤは3往復で、次の発車は2時間後の13時45分だ。車内の客が出終わると、スタッフは駅舎前のテーブルを囲んで昼食を広げ始めた。乗客たちもいつのまにか町へ散っていき、駅は何もなかったかのように静かになった。

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ベーツァウ帰着
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(左)機回し用の遷車台
(右)撤去されてきたキロポストが墓石のように並ぶ

最後に、ブレゲンツァーヴァルト鉄道の廃線跡の現状について触れておこう。

ベーツァウ側から行くと、先述の道路転用区間を除き、中間の拠点駅だったエックを経て峡谷区間のロータッハ川 Rotach 合流点までは、自転車・歩行者道になっている。しかし、ロータッハ川を渡る下路ガーダーの橋梁は、橋台が沈下して通行止めとなった。

峡谷の後半部(下流部)はアッハタールヴェーク Achtalweg と呼ばれる踏み分け道がついているものの、崖崩れや洗掘で通過困難な個所があり、「自己責任で auf eigene Gefahr」アクセスしなければならない。峡谷を抜け出したケネルバッハからは、宅地転用された一部区間以外、車道または自転車・歩行者道だ。

■参考サイト
Die Bregenzerwaldbahn - früher - heute(ブレゲンツァーヴァルト鉄道 昔と今)
https://www.bregenzerwaldbahn-frueher-heute.at/
峡谷区間、アッハタールヴェークの現状写真
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Achtalweg

路線バスでブレゲンツに戻る途中、そのようすを見ようと旧リーデン Rieden 駅近くのバス停で下車した。ブレゲンツ近郊のこのエリアは、広い敷地に集合住宅や戸建てが並び、その中を自転車道が貫いている。4つ星のホテル・シュヴェルツァー Hotel Schwärzler 南側の駐車場が、リーデン駅跡だ。小さな駅舎(待合室)が倉庫に転用されていた。

ブレゲンツの方向に歩いていくと、道は定率のカーブで草地を縫って延びる。自転車がよく通り、地元の人が便利に使っていることがわかる。直線路の向こう、木立の奥に目当てのトンネルが見えてきた。長さ212mで路線最長だったリーデントンネル Riedentunnel だ。峡谷でもないのに長いトンネルがあるのは、ここで台地の出っ張りを横断しているからだ。

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(左)廃線跡自転車道
(右)リーデン駅舎は倉庫に(2024年)
Photo by w:de:User:Firobuz at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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(左)リーデントンネル東口
(右)「1994年再開」のプレートがはまる
 

がっしりした石積みのポータルはオリジナルのようだが、笠石の中央には「Wiederöffnung 1994(1994年再開)」の扁額がはまっていた。自転車道のための改修年次を示すものだろうか。内部は直線の下り坂で、照明が天井を覆うカバー(漏水除け?)に反射して、十分に明るい。

出口の先に続いていた廃線跡の大築堤は完全に撤去され、集合住宅の敷地に転用されてしまった。そのため、自転車道はトンネルを出ると、ヘアピンカーブを切って崖下へ急降下する。中間駅としてはあと一つ、車両基地だったフォアクロスター Vorkloster があるが、跡地は再開発され、何も残っていないようだ。にわかに灰色の雲がわいてきたことだし、探索はここで切り上げて駅へ急ぐことにした。

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(左)トンネル内部
(右)西口の自転車道はヘアピンで急降下
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ブレンゲンツ近郊の地形図、薄赤のルートが廃線跡
Image from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

■参考サイト
Wälderbähnle(公式サイト) https://waelderbaehnle.at/

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