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2025年4月25日 (金)

コンターサークル地図の旅-北陸鉄道金名線跡

加賀平野に残る私鉄線は、今や北陸鉄道石川線と同 浅野川線の2本だけだが、1960~70年代まではさらに多くの路線があった。現在、石川線の終点になっている鶴来(つるぎ)駅にも当時、能美(のみ)線と金名(きんめい)線という2本の支線の列車が発着していた。

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鶴来駅正面
 

金名線は加賀一の宮~白山下間16.8km、もと金名鉄道と称した地方鉄道だ。その名は、金沢と名古屋を結ぶという気宇壮大な構想に由来する。発起人は地元鶴来の実業家で、1926(大正15)年から翌1927(昭和2)年にかけて鶴来~白山下間を開通させている。鶴来では、金沢電気軌道線(現 石川線)に接続した。

会社は白山下から両白山地を越えていく延伸線の免許も申請していたが、当局から却下され、実現することはなかった。また、鶴来~加賀一の宮(当時は神社前と称した)間は、開通間もない1929年、資金不足の穴埋めに金沢電気軌道に譲渡され、石川線に編入されている。1943年の陸運統制令により、石川県下のほとんどの私鉄が統合されたとき、金名鉄道も北陸鉄道金名線になった。

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図1 石川線・金名線周辺の1:200,000地勢図
1968(昭和43)年修正
 

沿線に町らしい町がないにもかかわらず、しぶとく存続していた金名線が危機にさらされたのは1983年10月のことだ。路線には2本の大きな橋梁があるが、大雨の後、大日川を渡る鉄橋の通行が危険になり、区間運休を強いられた。これは半年後に復旧したものの、その年(1984年)の12月に今度は手取川橋梁の橋台が不安定化していることがわかり、列車は全面運休となった。そしてこれがとどめとなって、1987年、ついに廃止の手続きが取られたのだ。

廃止後、跡地は県が管理する自転車道「手取キャニオンロード」に転換された。それで、40年近く経った今でも忠実にルートを追うことができる。2025年4月13日のコンター旅は、2009年11月に廃止された石川線鶴来~加賀一の宮間を含め、手取川に沿って走っていたこのローカル線の跡を下流から順にたどる。

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金名線跡を転用した手取キャニオンロード

その日は終日、雨の予報だった。鶴来で自転車を借りて、終点まで往復するつもりだったが、この調子ではずぶ濡れになりそうだ。それで急遽予定を変更し、金沢駅西口でレンタカーを調達して、集合場所の鶴来駅に向かった。乗り慣れたトヨタ車と違い、今回の車種はスズキスイフト。運転する大出さんもちょっと勝手が違うようだ。

9時少し前に鶴来駅前に到着した。まもなく木下さん親子がマイカーで現れて、参加者は4名になった。

鶴来駅舎は、この地方によく見られる釉薬瓦葺き、下見板張りの建物だが、車寄せのついた玄関が擬洋風で、どことなく金沢の有名な尾山神社山門を連想させる(冒頭写真参照)。内部もレトロな雰囲気が漂っていて、改札の鴨居の上に掛かるデジタルの発着案内が場違いな感じだ。壁際のショーケースに、古い鉄道用品が無造作に陳列してあるし、待合室には懐かしい改札柵が残されていた。

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鶴来駅
(左)改札口の上にデジタルの発着案内
(右)隣室に残る改札柵
 

ホームは2線を挟む対面式だ。ただし、向かいのホームは本来、島式で、能美線があったころは3番線も使われていたらしい。しばらく観察しているうちに、野町方からもと京王車が1番線に到着し、2番線で発車を待っていたもと東急車と並んだ。9時02分定刻にこれが出ていくと、ほぼ同時に京王車も動き出し、白山下方に残された引上げ線の急カーブに消えた。再び現れたのは2番線で、9時38分の発車までホームで待機となる。

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(左)元京王の下り電車が入線、左隣は除雪車仕様のED201
(右)入れ違いに2番線から元東急車が発車
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図2 鶴来~広瀬間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

クルマを置いて、引上げ線の終端を見に行った。車止めは、ホーム端から約250m先、県道45号金沢鶴来線の旧 踏切の手前にある。しかし線路はまだ続いていて、直接吊りの架線もそのままだ。

石川線の北側にも空地があるが、これは能美線跡で、旧 踏切の西側に本鶴来(ほんつるぎ)駅の棒線ホームがあったはずだ。能美線の線路は撤去済みだが、七ヶ(しちか)用水を渡る下路式ガーダーだけはしっかり残っていた。そのすぐ上流で石川線の上路式ガーダーも斜めに水路をまたいでいて、この一角だけは鉄道が生きていた頃の情景を彷彿とさせる。

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(左)踏切手前に引上げ線の車止めがある(鶴来方を望む)
(右)草道の線路はまだ先へ続く
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七ヶ用水を渡る石川線跡
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(左)能美線本鶴来駅跡
(右)能美線の下路式ガーダー
 

公立つるぎ病院の横でも、撤去を免れた一部の線路が草に埋もれていた。その南側の駐車場には、中鶴来(なかつるぎ)駅の棒線ホームがぽつんと残る。それに対して、市道の南側では線路と架線、信号機まで元のままで、つい最近廃止されたのかと錯覚するほどだ。七ヶ用水に並行するこの貴重な風景は約500mの間続くが、やがて右手から接近してきた国道157号の接続道路に呑み込まれてしまう。

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(左)公立つるぎ病院横に眠る線路
(右)駐車場の中に取り残された中鶴来駅のホーム
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市道南側、現役時代そのままの区間
 

舟岡山の森の近くでは、もと吊橋で現 ポニートラスの歩道橋、和佐谷(わさだに)橋が手取川を渡っているのが見える。そのたもとが、廃線跡を活用した手取キャニオンロードの起点だ。左の川沿いは古宮公園で、満開のサクラがそぼ降る雨に濡れている。右奥には、金名線の起点だった加賀一の宮駅がある。

駅は現役時代、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ、下注)の最寄りとして、とりわけ初詣客で賑わった。それで駅舎は、小ぶりながらも社殿を模した入母屋造りで、保存され、国の登録有形文化財になっている。中に入ると、当時の時刻表や運賃表、路線の写真展示が周りの壁を埋めていた。事務室側から待合室を眺める景色も新鮮だ。

*注 東側の河岸段丘面に鎮座する白山比咩神社だが、もとは古宮公園の位置にあったとされる。

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保存された加賀一の宮駅舎
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(左)待合室は展示室に
(右)事務室側から見た待合室
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(左)手取キャニオンロードの起点
(右)加賀一の宮駅舎裏を通過
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白山比咩神社
(左)緩い坂の表参道(右)荘厳な本殿
 

キャニオンロードはこの後、白山発電所の横を通過し、手取川右岸に沿って一路南下する。廃線跡が開発されてしまった南白山町の住宅地を迂回するのを除けば、直線主体のルートだ。

大きく右にカーブし、旧道を横断すると、手取中島(てどりなかじま)駅跡がある。といっても道幅が広く取られているので、そうと知れるだけだ。約17kmの金名線には、起終点を含めて14もの駅があった。だが残念なことに、自転車道整備の際に撤去されたのか、ホームなどの遺構はことごとく消失している。

続いて手取川を渡る。鉄道廃止を決定づけたいわくつきの場所だ。現在は、金名橋という長さ70m、ワーレントラス構造のレトロな橋梁が架かっているが、これは鉄道のオリジナルではなく、金沢市内で犀川(さいがわ)を渡っていた御影大橋の部材を転用したものだ。トラスの上横構に、自転車の車輪や蒸気機関車を象ったオブジェが取り付けられているのが目を引く。

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(左)手取中島駅跡
(右)手取川に架かる金名橋
 

左岸に移ってまもなく、広瀬(ひろせ)駅跡にさしかかる。手取川橋梁が完成するまでの間、暫定的に上部区間の終点とされた駅で、名残のバス停がその位置を示している。この後、長い直線区間に瀬木野(せぎの)、服部(はっとり)、加賀河合(かがかわい)と駅が続くが、どれも同様の状況だろうと、隣接する車道から目視するにとどめた。

やがて右手に山が迫ってくると、大日川(だいにちがわ)駅跡がある。ここでは、鳥居形の復元駅名標が迎えてくれた。隣に路線の歴史などを記した説明板も立っている。背後で威容を見せているのは、陶石を採掘している鉱山施設で、昔はここから貨車で積出していたのだろう。

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(左)広瀬駅跡の前にあるバス停
(右)レンガ造の福岡第一発電所が対岸に見える
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大日川駅跡
(左)背後に覆いかぶさる鉱山施設
(右)復元駅名標が立つ
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図3 広瀬~手取温泉間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

駅を出ると線路は左にカーブして、大日川を渡っていく。ここから3km弱の間、廃線跡は片側1車線の車道に上書きされていて、自転車道はその側道になって進む。サクラの並木に縁取られた直線道路で、遠くに雪山も望める。下野(しもの)と手取温泉(てどりおんせん)の2駅がこの間にあり、後者の位置には、大日川と同じ仕様の復元駅名標が立っていた。

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(左)道路橋として架け直された大日川橋梁
(右)手取温泉駅跡の復元標識
 

次の釜清水(かましみず)駅跡の前後には、自転車道に転換されなかった区間が草道のままで残る(下注)。鳥越中学校の前から釜清水の交差点の西側までの300m弱だ。釜清水駅は1面2線の配置で、側線もあったので、跡地もそれなりの横幅を持つ。ちなみに釜清水という地名は、村の中にある弘法池(こうぼういけ)から来ている。甌穴(ポットホール)から地下水が湧き出しているという珍しいもので、弘法大師が錫杖で突くと水が湧いたという言い伝えがあるそうだ。

*注 廃線跡は小松へ通じる国道360号を横断していたため、自転車道化にあたってその区間を避けたものと思われる。

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(左)草道で残る廃線跡
(右)釜清水駅跡(いずれも鶴来方を望む)
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湧水のある甌穴、弘法池
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図4 手取温泉~下吉谷間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

旧駅前の蕎麦屋で昼食の後、近くの黄門橋に寄り道した。手取渓谷の深い淵を見下ろし、白山主峰、大汝峰の雄々しい姿を仰ぎ、さらに上流へと進む。次の下吉谷(しもよしたに)駅跡までは2.9kmあり、駅間距離としては最長だった。当然、間に集落はなく、自転車道は渓谷の左岸を覆う河岸林に沿って淡々と延びている。

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黄門橋から見下ろす手取渓谷(上流側)
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谷の奥に顔を覗かせる白山大汝峰
 

下吉谷駅の600m上流には、綿ヶ滝(わたがたき)という名所がある。支流の駿馬川(しゅんまがわ)が手取渓谷に落ちる落差32mの豪快な滝だ。段丘上の、少し離れた展望台からも遠望できるが、約120段の急な階段を伝って谷底まで降りると、落下する水のすさまじい迫力をより体感できる。上流の用水路のような穏やかな流れとの対比も見ものだ。

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展望台から望む綿ヶ滝
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(左)谷底に降りる急な階段
(右)滝が間近に
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図5 下吉谷~白山下間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

ルート終盤では、段丘の縦勾配がやや強まる。西佐良(にしさら)、三ツ屋野(みつやの)と集落ごとに置かれた小駅の跡を経て、自転車道は路線の終点、白山下駅の構内に入っていく。現在は、白山下サイクリングパークと称する休憩地で、もとの駅舎に代わって「サイクルステーション白山下」のプレートが掛かる新しい木造建物が建っている。

建物の半分を占める休憩室には入れるが、資料やパネルが展示してある事務室側には鍵がかかっていた。まだシーズンオフなのだろうか。駅前には民家が散在するものの、商店などは見当たらず、人もクルマも通らない。手取キャニオンロードの終点はここではなく、3km上流にある道の駅瀬女(せな)だ。確かにここで終わられても、飲み物一つ手に入らない。

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白山下駅跡
(左)駅舎跡に建つサイクルステーション
(右)復元駅名標
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線路跡にキャニオンロードが続く
 

そのうち、エンジン音が近づいてきたと思ったら、瀬女行きの路線バスだった。鶴来駅方面から金名線のルートに沿って1日7便(河原山線、うち1便は学休期間運休)が今も運行されているのだ。鶴来駅から瀬女へは、手取川対岸の国道157号経由でもバスが走っている(白山線)。それほど需要がありそうにも見えないが、やはり鉄道が通っていた名残だろうか。しかし、停留所に誰もいないと見るや、バスは速度を落とすことなく通過してしまった。

下の写真は、休止直前1984年11月の白山下駅だ。すでに廃止の意向が示されていた小松線(小松~鵜川遊泉寺間、1986年6月廃止)に乗るついでに訪れたのだが、まさかこちらのほうが早く終了するとは思いもしなかった。当時のメモには「駅前の駄菓子屋で乗継ぎのバスの切符を売っていたが、駅舎は無人で、乗務員の休憩所の役しか果たしていない」と書いている。

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ありし日の白山下駅舎
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白山下で折返しを待つ電車
(いずれも1984年11月撮影)
 

鶴来~加賀一の宮間は、廃止を控えた2009年2月に最後の乗車を果たした。金沢市内では見られなかった雪がまだ消え残っているのが印象的だった。

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鶴来~中鶴来間を行く
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加賀一の宮駅に到着
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発車を待つ野町行上り電車
(いずれも2009年2月撮影)

参考までに、金名線が記載されている1:25,000地形図を、鶴来側から順に掲げる。

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図6 金名線現役時代の1:25,000地形図
鶴来~広瀬間(1973(昭和48)年修正測量)
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図7 同 広瀬~手取温泉間(1973(昭和48)年修正測量)
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図8 同 手取温泉~下吉谷間(1973(昭和48)年修正測量)
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図9 同 下吉谷~白山下間(1973(昭和48)年修正測量)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図金沢(昭和43年修正)、2万5千分の1地形図鶴来、粟生、口直海、別宮、市原、尾小屋(いずれも昭和48年修正測量)および地理院地図(2025年4月20日取得)を使用したものである。

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