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2025年3月25日 (火)

コンターサークル地図の旅-下津井電鉄跡(茶屋町~児島間)

岡山のナローゲージ、下津井電鉄の廃線跡は、全線が自転車・歩行者道として残されている。2019年に来たときは、児島(こじま)から下津井(しもつい)までの後半区間、「風の道」と呼ばれる6.3kmを歩いた(下注)。今回は、前半区間の茶屋町(ちゃやまち)~児島間14.5kmをレンタサイクルでたどろうと思う。

*注 「コンターサークル地図の旅-下津井電鉄跡(児島~下津井間)」参照

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石積みのホームが残る藤戸駅跡
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図1 下津井電鉄周辺の1:200,000地勢図
1973(昭和48)年修正図に加筆

2025年2月16日、夜半の雨は上がり、まだ曇り空だが天気は回復に向かっている。JR瀬戸大橋線快速マリンライナーの車中で、大出さんと落ち合った。集合場所の児島駅改札前では、浅倉さんが待っていてくれた。

バスと徒歩で福田以南の峠越え区間を探索する浅倉さんと再会を約して、大出さんと私は、近くにある倉敷市児島産業振興センターへ。予約していたレンタサイクルは3段変速の電動アシストタイプだ。料金が1日550円と格安なのもうれしい。

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JR児島駅
 

まずは起点の茶屋町駅まで直行する。自転車道は復路の楽しみとして、主に県道21号岡山児島線の側歩道を走ったが、福南山(ふくなんざん)山麓を北へ抜けるサミット両側の勾配は、短いながらもけっこうきつい。苦もなく越えられたのは、電動車の威力に他ならない。

近鉄の北勢線や内部・八王子線などとともに、最後のナローゲージ(762mm軌間)と言われた下津井電鉄の児島~下津井間が廃止されたのは1991(平成3)年のことだ(下注)。しかし、道路が整備されていてバス代替が容易だった茶屋町~児島間では、それよりずっと早く1972(昭和47)年に運行が終了している。

*注 北勢線は現 三岐鉄道の一路線、また内部・八王子線は現 四日市あすなろう鉄道として、ともに存続。なお、下津井電鉄児島~下津井間は、廃止日付が1991年1月1日であり、運行終了は1990年末。また、茶屋町~児島間は1972年4月1日廃止。

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図2 茶屋町~林間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

下津井電鉄の茶屋町駅は、国鉄の駅前広場南側にあった。しかし、瀬戸大橋線建設に伴う高架化に伴い、広場が一新され、跡地に郵便局も建ったため、痕跡は残っていない。それで、廃線跡を転用した茶屋児島自転車道は、少し南に離れた自転車置場の脇から始まる。起点には、2019年に各駅跡に立てられた復元駅名標の一つがある(下注)。

*注 児島商工会議所の「吉備の児島陸続き400年・瀬戸大橋開通30周年記念事業」実行委員会による事業の一環。https://www.kojima-cci.or.jp/event/400-30houkoku.html

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南に離れた場所に立つ茶屋町駅の復元駅名標
 

南へまっすぐ延びる自転車道は、サクラの並木で縁取られる。近所の人たちが散歩やジョギングに利用しているようで、走る間に何人もすれ違った。クルマを気にせず歩ける道があるのはうらやましい。周囲は、宅地と田んぼが混在するありふれた郊外風景だ。水路を横切る小橋はどれもコンクリート板に置き換えられたが、橋台だけは鉄道時代の石積みが使われている。

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(左)サクラ並木の自転車道
(右)水路に残る鉄道時代の橋台
 

やがて道は右にカーブしていき、最初の大きな川、六間川(ろっけんがわ)に差し掛かる。手前の公園に自転車を停めて、茶屋町駅前のスーパーで調達した昼食を広げた。川を渡った対岸では、自転車道が廃線跡をなぞりつつも、位置はやや移動しているようだ。切り通していた小さな鞍部は、埋め戻されて隣接の県道と一体化されたため、やや急な勾配がついている。

左に曲がっていくと、天城(あまき)駅跡がある。天城は西側にある古くからの町で、旧 藤戸町(ふじとちょう、下注)の中心集落だったから、ルートを多少曲げてでも近づける必要があったのだろう。駅跡が宅地に変えられたので、復元駅名標は少し先に立つ。

*注 1954年、倉敷市に編入。

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(左)六間川に架かる橋
(右)天城駅の復元駅名標
 

直線の築堤を介して、倉敷川を渡った。もとの鉄橋は跡形もなく、橋台、橋脚を含めて新たに造り変えられている。欄干のプレートによると、塩干(ひぼし)橋というらしい。塩干は対岸の集落の名で、藤戸(ふじと)駅跡はその中にある。ここは単式のホーム跡がそっくり保存され、その上に復元駅名標が立つ。線路が舗装道になっただけで、現役時代の雰囲気が確かにまだ残っている(冒頭写真参照)。

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(左)倉敷川に向かう築堤
(右)塩干橋(ひぼしばし)
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(左)藤戸駅の復元駅名標
(右)小山の間を縫う自転車道
 

この後は小山の間を連続カーブで縫っていくが、鞍部にある円筒状の構築物は、線路を横断していた水路のサイホンのようだ。県道165号藤戸早島線と斜めに交差して、自転車道は郷内川(ごうないがわ)の平野へ入る。

比較的長い直線の先に、林(はやし)駅跡があった。林は、駅の南側にある旧 郷内村(ごうないそん、下注)の中心集落だ。駅跡は駐車場と宅地に転用され、その傍らに復元駅名標が立っている。近くにある味わい深い手描きの標柱は、地元の郷内歴史保存会によるもので、正面に「下津井電鉄旧林駅跡」、側面には「大正2年11月~昭和47年3月」と駅の存続期間が記されている。同様の標柱は、駅跡に限らず、旧 村内の歴史スポットでも見かけた。

*注 1959年、一部地区を除き児島市(現 倉敷市)に編入。

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(左)道端に露出する水路のサイホン
(右)郷内川に架かる串田西橋
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(左)林駅の復元駅名標
(右)歴史スポットを示す手描きの標柱
 
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図3 林~稗田間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆

まもなく廃線跡は、片側2車線の県道21号岡山児島線に吸い込まれてしまう。自転車道は約1.3kmの間、その側道となる。次に独自ルートで復活するのは、瀬戸中央道の水島ICの中だ。県道の側歩道もまだ続くので紛らわしいが、浅い角度で右に分離、次いで山際を緩く曲がって、カルバートで県道を斜めにくぐっていく。後に控える峠越えに備えて、このあたりからすでに上り勾配がついている。

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(左)県道から浅い角度で分離
(右)カルバートで県道を斜めにくぐる
 

集落の中で左に大きくカーブを切っていくと、左手に福田駅跡の復元駅名標が見つかる。集落の名は福江だが、駅名は鞍部の西側にある旧 福田村(下注)から取られた。2面2線の構造で、蒸気機関車の時代には給水停車があったという。しかし今では民家が建て込み、面影はすっかり失われている。

*注 1947年町制施行、1953年倉敷市に編入。

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(左)福田駅の復元駅名標
(右)民家が建て込む駅跡地
 

左カーブでほぼ反転しながら、自転車道は福江集落の裏手をさらに上っていく。立ちはだかる張り出し尾根では、右へ大きく回り込む。ここで勾配はいったん収まり、やがて瀬戸中央道の下をくぐるために下り坂になるが、この部分は道路建設に伴う付け替えだ。廃線跡の自転車道は、付け替え区間の擁壁の上にあり、ガードレールや舗装が残るものの、すでに廃道と化している。

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(左)集落の裏手を上る
(右)張り出し尾根を巻いて進む
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擁壁の上で廃道化した旧線跡
(左)児島方向(右)茶屋町方向
 

瀬戸中央道の東側に出た自転車道には、県道21号が坂を上って寄り添ってくる。溜池の福林湖(ふくりんこ)畔がサミットで、一等水準点に拠れば標高は56.9m。ここでは廃線跡が右に膨らんで、県道との隙間があずまやを中心にした小公園になっている。付近に福南山(ふくなんざん)駅があったらしいが(下注)、跡は残っていない。

*注 1950年に設置認可を受けた若い駅だが、ほとんどの列車が通過扱いだった。

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福林湖北望
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福林湖畔の小公園
福南山駅があったとされるが…
 

湖の南端で再び県道と別れて、独自ルートに戻る。クルマも十分通れる道だが、自転車歩行者専用道路の標識が立っている。大池湖畔を通過すると、急な下り坂に変わり、森の裏手を迂回していく。小田川という小さな谷川を渡る個所では、築堤の続きに鉄道時代の高い石造橋台が使われているのが見えた。

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(左)大池湖畔の直線路
(右)急な下り坂が始まる
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小田川をまたぐ
(左)架線柱の基礎?
(右)高さのある石造橋台
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図4 稗田~児島間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

県道276号宇野津下之町線と交差した後(下注)、稗田南交差点の手前で右へ入る。ここも専用道だが、丁寧にセンターラインまで引かれている。まもなく稗田(ひえだ)駅跡だ。稗田さくら公園として整備され、自転車道のいわばオアシスになっている。ベンチに腰を下ろして、私たちもしばし休憩を取った。

西側には石積みのホームが見られるが、オリジナルではないそうだ。復元駅名標も公園整備時のものか、字体が他と異なり、下津井電鉄の小史を読むことができる。

*注 交差直後の、山側にふくらんだ短区間は荒地化している。

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稗田駅の復元駅名標と電鉄の小史
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駅跡は稗田さくら公園に
 

ここから300mほどの下り坂は、大きく育ったサクラ並木にすっぽり覆われている。花の季節はさぞ見事だろう。周囲に民家が増えてきた。道はほぼ平坦になり、緩やかにくねっている。

児島小学校の横を通過するとまもなく、柳田(やないだ)駅跡があった。左側の、ホームの撤去跡とおぼしき空地に、復元駅名標が立っている。切妻屋根のついたユニークなスタイルで、ゴシック体の文字が使われているので、これも設置時期が違うのだろう。

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(左)大きく育ったサクラ並木
(右)沿線に民家が増えてくる
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(左)スタイルと書体が違う柳田駅の駅名標
(右)細長い空地はホーム跡か
 

しばらくすると、道は大きく左にカーブした。県道と斜めに交差する地点には、信号機ではなく大きな歩道橋が架かっている。通路の中央に自転車を転がすスロープがつけられているのはありがたい。歩道橋を降りると児島小川(こじまおがわ)駅跡だが、舟形の敷地には住宅が建ち並び、自転車道はそれを避けて膨らんでいる。

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(左)県道を斜めにまたぐ歩道橋
(右)児島小川駅跡
 

この後は、家並みで埋め尽くされた町裏を貫いていくルートになる。一般道とは分離され、センターラインが引けるほどの道幅もあるので、町中の安全地帯として機能しているようだ。すれ違う自転車のこどもたちが、のびのびと走っている。

1kmほど行くと、道は右に急カーブする。そして、小田川のたもとで一般道に突き当たって終わる。川を渡っていた橋梁は、両岸で斜めに突き出た橋台が残るだけで、並行する自転車・歩行者専用の大正橋がその代替だ。

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(左)町裏を貫く自転車道
(右)最後は小田川に突き当たる
 

対岸に渡るとすぐ市民交流センターの広い駐車場があるが、その南側部分が初代の児島駅跡になる。一角に立つ復元駅名標には「味野(あじの)」と記され、隣駅名が「こじま」と「こじまおがわ」になっている。駅は開業当初、味野町(あじのまち)と称し、1941年に味野と改称、1956年に新市名にもとづき児島と再改称された。それで、味野でも問題はないのだが、児島と併存することはなかったはずだ。

1972年に茶屋町~児島間が廃止された後、駅敷地のバスセンター転用に伴い、1976年に、発着駅は一つ南の区画に移された。これが二代目児島駅だ。さらに、瀬戸大橋の開通を前にした1987年、観光需要の取込みを期待されて、200m南に三代目駅舎が造られた。しかし、案に反して
実績は振るわず、わずか4年で路線は廃止に追い込まれた。

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(左)大正橋のたもとに残る鉄道の橋台(正面右)
(右)味野の旧称が記された復元駅名標

レンタサイクルを返却したのは15時前。「風の道」と同じように前半区間も、廃止から半世紀という歳月を忘れるほどよく保存され、「しもでん」ののどかな車窓を追体験することができた。一方、徒歩で先行していた浅倉さんには最後まで追いつけなかった。こちらは自転車だというのに、戻るのに5時間近くもかかってしまったのだから、仕方がない。

私たちは締めくくりに、三代目児島駅の立派な、しかし宴の後のさびしさも漂わせる遺構に立ち寄って、ナローゲージが走った町を後にした。

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三代目児島駅の遺構
 

参考までに、下津井電鉄線が記載されている1:25,000地形図を、茶屋町側から順に掲げる。

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図5 下津井電鉄現役時代の1:25,000地形図
茶屋町~林間(1970(昭和45)年改測)
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図6 同 林~稗田間(1970(昭和45)年改測)
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図7 同 稗田~児島間(1970(昭和45)年改測)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図岡山及丸亀(昭和48年修正)、2万5千分の1地形図茶屋町、下津井(いずれも昭和45年改測)および地理院地図(2025年3月15日取得)を使用したものである。

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