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2025年3月

2025年3月25日 (火)

コンターサークル地図の旅-下津井電鉄跡(茶屋町~児島間)

岡山のナローゲージ、下津井電鉄の廃線跡は、全線が自転車・歩行者道として残されている。2019年に来たときは、児島(こじま)から下津井(しもつい)までの後半区間、「風の道」と呼ばれる6.3kmを歩いた(下注)。今回は、前半区間の茶屋町(ちゃやまち)~児島間14.5kmをレンタサイクルでたどろうと思う。

*注 「コンターサークル地図の旅-下津井電鉄跡(児島~下津井間)」参照

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石積みのホームが残る藤戸駅跡
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図1 下津井電鉄周辺の1:200,000地勢図
1973(昭和48)年修正図に加筆

2025年2月16日、夜半の雨は上がり、まだ曇り空だが天気は回復に向かっている。JR瀬戸大橋線快速マリンライナーの車中で、大出さんと落ち合った。集合場所の児島駅改札前では、浅倉さんが待っていてくれた。

バスと徒歩で福田以南の峠越え区間を探索する浅倉さんと再会を約して、大出さんと私は、近くにある倉敷市児島産業振興センターへ。予約していたレンタサイクルは3段変速の電動アシストタイプだ。料金が1日550円と格安なのもうれしい。

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JR児島駅
 

まずは起点の茶屋町駅まで直行する。自転車道は復路の楽しみとして、主に県道21号岡山児島線の側歩道を走ったが、福南山(ふくなんざん)山麓を北へ抜けるサミット両側の勾配は、短いながらもけっこうきつい。苦もなく越えられたのは、電動車の威力に他ならない。

近鉄の北勢線や内部・八王子線などとともに、最後のナローゲージ(762mm軌間)と言われた下津井電鉄の児島~下津井間が廃止されたのは1991(平成3)年のことだ(下注)。しかし、道路が整備されていてバス代替が容易だった茶屋町~児島間では、それよりずっと早く1972(昭和47)年に運行が終了している。

*注 北勢線は現 三岐鉄道の一路線、また内部・八王子線は現 四日市あすなろう鉄道として、ともに存続。なお、下津井電鉄児島~下津井間は、廃止日付が1991年1月1日であり、運行終了は1990年末。また、茶屋町~児島間は1972年4月1日廃止。

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図2 茶屋町~林間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

下津井電鉄の茶屋町駅は、国鉄の駅前広場南側にあった。しかし、瀬戸大橋線建設に伴う高架化に伴い、広場が一新され、跡地に郵便局も建ったため、痕跡は残っていない。それで、廃線跡を転用した茶屋児島自転車道は、少し南に離れた自転車置場の脇から始まる。起点には、2019年に各駅跡に立てられた復元駅名標の一つがある(下注)。

*注 児島商工会議所の「吉備の児島陸続き400年・瀬戸大橋開通30周年記念事業」実行委員会による事業の一環。https://www.kojima-cci.or.jp/event/400-30houkoku.html

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南に離れた場所に立つ茶屋町駅の復元駅名標
 

南へまっすぐ延びる自転車道は、サクラの並木で縁取られる。近所の人たちが散歩やジョギングに利用しているようで、走る間に何人もすれ違った。クルマを気にせず歩ける道があるのはうらやましい。周囲は、宅地と田んぼが混在するありふれた郊外風景だ。水路を横切る小橋はどれもコンクリート板に置き換えられたが、橋台だけは鉄道時代の石積みが使われている。

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(左)サクラ並木の自転車道
(右)水路に残る鉄道時代の橋台
 

やがて道は右にカーブしていき、最初の大きな川、六間川(ろっけんがわ)に差し掛かる。手前の公園に自転車を停めて、茶屋町駅前のスーパーで調達した昼食を広げた。川を渡った対岸では、自転車道が廃線跡をなぞりつつも、位置はやや移動しているようだ。切り通していた小さな鞍部は、埋め戻されて隣接の県道と一体化されたため、やや急な勾配がついている。

左に曲がっていくと、天城(あまき)駅跡がある。天城は西側にある古くからの町で、旧 藤戸町(ふじとちょう、下注)の中心集落だったから、ルートを多少曲げてでも近づける必要があったのだろう。駅跡が宅地に変えられたので、復元駅名標は少し先に立つ。

*注 1954年、倉敷市に編入。

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(左)六間川に架かる橋
(右)天城駅の復元駅名標
 

直線の築堤を介して、倉敷川を渡った。もとの鉄橋は跡形もなく、橋台、橋脚を含めて新たに造り変えられている。欄干のプレートによると、塩干(ひぼし)橋というらしい。塩干は対岸の集落の名で、藤戸(ふじと)駅跡はその中にある。ここは単式のホーム跡がそっくり保存され、その上に復元駅名標が立つ。線路が舗装道になっただけで、現役時代の雰囲気が確かにまだ残っている(冒頭写真参照)。

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(左)倉敷川に向かう築堤
(右)塩干橋(ひぼしばし)
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(左)藤戸駅の復元駅名標
(右)小山の間を縫う自転車道
 

この後は小山の間を連続カーブで縫っていくが、鞍部にある円筒状の構築物は、線路を横断していた水路のサイホンのようだ。県道165号藤戸早島線と斜めに交差して、自転車道は郷内川(ごうないがわ)の平野へ入る。

比較的長い直線の先に、林(はやし)駅跡があった。林は、駅の南側にある旧 郷内村(ごうないそん、下注)の中心集落だ。駅跡は駐車場と宅地に転用され、その傍らに復元駅名標が立っている。近くにある味わい深い手描きの標柱は、地元の郷内歴史保存会によるもので、正面に「下津井電鉄旧林駅跡」、側面には「大正2年11月~昭和47年3月」と駅の存続期間が記されている。同様の標柱は、駅跡に限らず、旧 村内の歴史スポットでも見かけた。

*注 1959年、一部地区を除き児島市(現 倉敷市)に編入。

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(左)道端に露出する水路のサイホン
(右)郷内川に架かる串田西橋
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(左)林駅の復元駅名標
(右)歴史スポットを示す手描きの標柱
 
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図3 林~稗田間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆

まもなく廃線跡は、片側2車線の県道21号岡山児島線に吸い込まれてしまう。自転車道は約1.3kmの間、その側道となる。次に独自ルートで復活するのは、瀬戸中央道の水島ICの中だ。県道の側歩道もまだ続くので紛らわしいが、浅い角度で右に分離、次いで山際を緩く曲がって、カルバートで県道を斜めにくぐっていく。後に控える峠越えに備えて、このあたりからすでに上り勾配がついている。

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(左)県道から浅い角度で分離
(右)カルバートで県道を斜めにくぐる
 

集落の中で左に大きくカーブを切っていくと、左手に福田駅跡の復元駅名標が見つかる。集落の名は福江だが、駅名は鞍部の西側にある旧 福田村(下注)から取られた。2面2線の構造で、蒸気機関車の時代には給水停車があったという。しかし今では民家が建て込み、面影はすっかり失われている。

*注 1947年町制施行、1953年倉敷市に編入。

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(左)福田駅の復元駅名標
(右)民家が建て込む駅跡地
 

左カーブでほぼ反転しながら、自転車道は福江集落の裏手をさらに上っていく。立ちはだかる張り出し尾根では、右へ大きく回り込む。ここで勾配はいったん収まり、やがて瀬戸中央道の下をくぐるために下り坂になるが、この部分は道路建設に伴う付け替えだ。廃線跡の自転車道は、付け替え区間の擁壁の上にあり、ガードレールや舗装が残るものの、すでに廃道と化している。

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(左)集落の裏手を上る
(右)張り出し尾根を巻いて進む
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擁壁の上で廃道化した旧線跡
(左)児島方向(右)茶屋町方向
 

瀬戸中央道の東側に出た自転車道には、県道21号が坂を上って寄り添ってくる。溜池の福林湖(ふくりんこ)畔がサミットで、一等水準点に拠れば標高は56.9m。ここでは廃線跡が右に膨らんで、県道との隙間があずまやを中心にした小公園になっている。付近に福南山(ふくなんざん)駅があったらしいが(下注)、跡は残っていない。

*注 1950年に設置認可を受けた若い駅だが、ほとんどの列車が通過扱いだった。

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福林湖北望
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福林湖畔の小公園
福南山駅があったとされるが…
 

湖の南端で再び県道と別れて、独自ルートに戻る。クルマも十分通れる道だが、自転車歩行者専用道路の標識が立っている。大池湖畔を通過すると、急な下り坂に変わり、森の裏手を迂回していく。小田川という小さな谷川を渡る個所では、築堤の続きに鉄道時代の高い石造橋台が使われているのが見えた。

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(左)大池湖畔の直線路
(右)急な下り坂が始まる
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小田川をまたぐ
(左)架線柱の基礎?
(右)高さのある石造橋台
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図4 稗田~児島間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

県道276号宇野津下之町線と交差した後(下注)、稗田南交差点の手前で右へ入る。ここも専用道だが、丁寧にセンターラインまで引かれている。まもなく稗田(ひえだ)駅跡だ。稗田さくら公園として整備され、自転車道のいわばオアシスになっている。ベンチに腰を下ろして、私たちもしばし休憩を取った。

西側には石積みのホームが見られるが、オリジナルではないそうだ。復元駅名標も公園整備時のものか、字体が他と異なり、下津井電鉄の小史を読むことができる。

*注 交差直後の、山側にふくらんだ短区間は荒地化している。

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稗田駅の復元駅名標と電鉄の小史
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駅跡は稗田さくら公園に
 

ここから300mほどの下り坂は、大きく育ったサクラ並木にすっぽり覆われている。花の季節はさぞ見事だろう。周囲に民家が増えてきた。道はほぼ平坦になり、緩やかにくねっている。

児島小学校の横を通過するとまもなく、柳田(やないだ)駅跡があった。左側の、ホームの撤去跡とおぼしき空地に、復元駅名標が立っている。切妻屋根のついたユニークなスタイルで、ゴシック体の文字が使われているので、これも設置時期が違うのだろう。

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(左)大きく育ったサクラ並木
(右)沿線に民家が増えてくる
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(左)スタイルと書体が違う柳田駅の駅名標
(右)細長い空地はホーム跡か
 

しばらくすると、道は大きく左にカーブした。県道と斜めに交差する地点には、信号機ではなく大きな歩道橋が架かっている。通路の中央に自転車を転がすスロープがつけられているのはありがたい。歩道橋を降りると児島小川(こじまおがわ)駅跡だが、舟形の敷地には住宅が建ち並び、自転車道はそれを避けて膨らんでいる。

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(左)県道を斜めにまたぐ歩道橋
(右)児島小川駅跡
 

この後は、家並みで埋め尽くされた町裏を貫いていくルートになる。一般道とは分離され、センターラインが引けるほどの道幅もあるので、町中の安全地帯として機能しているようだ。すれ違う自転車のこどもたちが、のびのびと走っている。

1kmほど行くと、道は右に急カーブする。そして、小田川のたもとで一般道に突き当たって終わる。川を渡っていた橋梁は、両岸で斜めに突き出た橋台が残るだけで、並行する自転車・歩行者専用の大正橋がその代替だ。

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(左)町裏を貫く自転車道
(右)最後は小田川に突き当たる
 

対岸に渡るとすぐ市民交流センターの広い駐車場があるが、その南側部分が初代の児島駅跡になる。一角に立つ復元駅名標には「味野(あじの)」と記され、隣駅名が「こじま」と「こじまおがわ」になっている。駅は開業当初、味野町(あじのまち)と称し、1941年に味野と改称、1956年に新市名にもとづき児島と再改称された。それで、味野でも問題はないのだが、児島と併存することはなかったはずだ。

1972年に茶屋町~児島間が廃止された後、駅敷地のバスセンター転用に伴い、1976年に、発着駅は一つ南の区画に移された。これが二代目児島駅だ。さらに、瀬戸大橋の開通を前にした1987年、観光需要の取込みを期待されて、200m南に三代目駅舎が造られた。しかし、案に反して
実績は振るわず、わずか4年で路線は廃止に追い込まれた。

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(左)大正橋のたもとに残る鉄道の橋台(正面右)
(右)味野の旧称が記された復元駅名標

レンタサイクルを返却したのは15時前。「風の道」と同じように前半区間も、廃止から半世紀という歳月を忘れるほどよく保存され、「しもでん」ののどかな車窓を追体験することができた。一方、徒歩で先行していた浅倉さんには最後まで追いつけなかった。こちらは自転車だというのに、戻るのに5時間近くもかかってしまったのだから、仕方がない。

私たちは締めくくりに、三代目児島駅の立派な、しかし宴の後のさびしさも漂わせる遺構に立ち寄って、ナローゲージが走った町を後にした。

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三代目児島駅の遺構
 

参考までに、下津井電鉄線が記載されている1:25,000地形図を、茶屋町側から順に掲げる。

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図5 下津井電鉄現役時代の1:25,000地形図
茶屋町~林間(1970(昭和45)年改測)
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図6 同 林~稗田間(1970(昭和45)年改測)
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図7 同 稗田~児島間(1970(昭和45)年改測)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図岡山及丸亀(昭和48年修正)、2万5千分の1地形図茶屋町、下津井(いずれも昭和45年改測)および地理院地図(2025年3月15日取得)を使用したものである。

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 コンターサークル地図の旅-下津井電鉄跡(児島~下津井間)

2025年3月13日 (木)

ヴィヴァレ鉄道(トラン・ド・ラルデーシュ)

ヴィヴァレ鉄道(トラン・ド・ラルデーシュ)
Chemin de Fer du Vivarais (Train de l'Ardèche)

トゥルノン=サン・ジャン Tournon–St-Jean~ラマストル Lamastre 間28km
1891年開通、1968年一般運行廃止
1969年保存運行開業、2008年休止、2013年再開

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マレー式蒸機が率いる列車の出発
トゥルノン=サン・ジャン駅にて

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前回紹介したヴレー急行 Velay Express とヴィヴァレ鉄道 Chemin de Fer du Vivarais は、姉妹路線と言っていい。どちらもヴィヴァレ路線網 Réseau du Vivarais と呼ばれたメーターゲージ(1000mm軌間)のローカル線群がルーツで、保存鉄道としても同時期にスタートした。

高原列車のヴレー急行に対して、ヴィヴァレ鉄道は、ローヌ川の支流ドゥー川 Le Doux がアルデーシュ高原 Plateau ardéchois に刻んだ谷をさかのぼる。列車がたどる自然景観は潤いと変化に富み、終点の町には名物料理も待っている。さらにドゥー川が注ぐローヌ川 Le Rhône の谷は、リヨン Lyon と地中海岸を結ぶ鉄道と道路が通る国土の交通軸だ。

このように景色、グルメ、アクセスの良さと期待要件が三拍子揃っていることが、人気の源なのだろう。その結果、ヴィヴァレ鉄道ではシーズン中、ほぼ毎日何らかの形で列車が動いている。列車に乗るだけでは物足りない向きには、軌道自転車のようなアクティビティさえ用意されている。北部のソンム湾鉄道 Chemin de fer de la baie de Somme と並び、フランスの代表的な蒸気保存鉄道と評価されるのももっともなことだ。

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ドゥー川を渡って峡谷へ
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ヴィヴァレ路線網(赤色)と周辺の標準軌路線網(灰色)
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ヴィヴァレ鉄道周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

ヴィヴァレ鉄道の列車が出発するのは、ローヌ右岸の歴史都市トゥルノン Tournon から、ドゥー川の谷を4kmほど入ったところにあるトゥルノン=サン・ジャン Tournon–St-Jean 駅(下注)だ。トゥルノンの北隣の小さな自治体サン・ジャン・ド・ミュゾル St-Jean-de-Muzols に作られたのでこの名がある。

*注 駅舎の壁面には、正式の地名を連ねたトゥルノン・シュル・ローヌ=サン・ジャン・ド・ミュゾル Tournon-sur-Rhône–St-Jean-de-Muzols の駅名標が掲げられている。

利用者はクルマで来る前提なので、近くにSNCF(フランス国鉄)線の駅はない。公共交通機関に頼るなら、ローヌ川の対岸を走るパリ=リヨン=マルセイユ線(PLM線)のタン・レルミタージュ Tain-l'Hermitage 駅で降りて、数少ない路線バス(下注)を捕まえるより方法がない。

*注 11系統ラルヴェスク Lalouvesc 行き。7~8月のハイシーズンのみ定期運行。他の期間はオンデマンド(事前予約)運行になる。https://www.archeagglo.fr

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新しい出発駅トゥルノン=サン・ジャン
 

もちろん昔、一般運行していた時代は、ローヌ右岸線(ジヴォール・カナル=グルザン線 Ligne de Givors-Canal à Grezan)のトゥルノン駅で標準軌列車(下注)に連絡していた。トゥルノンでは、標準軌駅の横に狭軌の駅と機関区があり、そこから北へ2.2kmの間、狭軌列車は標準軌線の片側(西側)の線路を借りて走った。そのため、ドゥー川の鉄橋の北側にあった狭軌線の分岐点までは、3線軌条になっていた(下写真参照)。

*注 運営は1937年末までPLM(パリ=リヨン=地中海鉄道 Chemins de fer de Paris à Lyon et à la Méditerranée)、1938 年の国有化でSNCFに。

一般運行は1968年10月末に全廃されたが、翌1969年6月にはサン・ジャン・ド・ミュゾル Saint-Jean-de-Muzols(下注)~ラマストル Lamastre 間で保存鉄道としての運行が開始されている。SNCFとの協議が整い、もとのトゥルノン駅から列車が出発できるようになったのは、その翌年(1970年)のことだ。

*注 現在の始発駅ではなく、標準軌線との分岐点から約300mの地点にあった旧駅。

ローヌ右岸線では、1973年に(標準軌の)旅客輸送が廃止され、以来、貨物列車だけが走る路線になってしまった。しかし、保存鉄道の列車は影響を受けずに運行され、トゥルノンは事実上、狭軌線の駅になった。

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(左)かつてのトゥルノン駅
  左が標準軌、右がヴィヴァレ鉄道のホーム(1998年)
Photo by Roehrensee at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)3線軌条区間を走る蒸気列車
Photo by Mouliric at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

そのヴィヴァレ鉄道も2008年から2012年まで、財政難で運行が中断していた期間がある。復活のために、国や地方自治体の資金拠出による新体制が組まれたが、その際、路線の短縮が検討された。というのも、共用区間走行のためにインフラ管理会社(下注)に支払う高額の使用料が負担になっていたからだ。

*注 フランス鉄道線路事業公社 Réseau Ferré de France (RFF)。旧SNCFの鉄道インフラを管理する国有企業。

最終的に、旧駅と共用区間を放棄し、専用線上に新たなターミナルを整備することになった。これがトゥルノン=サン・ジャン駅で、運行が再開された2013年のシーズンから供用されている。ヴィヴァレ鉄道の名は新しい運営会社名(下注)にも残されたが、マーケティングの場ではもっぱら「トラン・ド・ラルデーシュ(アルデーシュの列車)Train de l'Ardèche」の名が使われるようになった。

*注 SNCヴィヴァレ鉄道 SNC Chemin de Fer du Vivarais が正式社名。保存団体である古典車両保存管理協会 Association Sauvegarde et gestion de véhicules anciens (SGVA) が実際の運営を支援している。

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トラン・ド・ラルデーシュの案内板
トゥルノン=サン・ジャン駅にて
 

人気路線だけに、ヴィヴァレ鉄道ではさまざまな列車プログラムが用意されている(以下は2024年シーズンの場合)。

全線を往復する列車は「(ル・)マストルー (Le) Mastrou」と呼ばれる。地名ラマストルの地元読みだ。トゥルノン=サン・ジャンを10時15分に出発し、終点ラマストルに12時に到着。復路は15時15分出発で、サン・ジャンに17時に帰着する。ヴレー急行の蒸気列車と同じような一日がかりの旅で、終点駅では食事休憩の時間がたっぷり確保されている。

短い旅程を希望する人には、「トラン・デ・ゴルジュ(峡谷列車)Train des Gorges」がある。一番の見どころ区間に絞って往復するもので、トゥルノン=サン・ジャンを一足早い10時に出発して、ドゥー峡谷 Gorges du Doux を走り抜ける。8km先のコロンビエ・ル・ヴュー Colombier le Vieux が折返し駅で、起点には11時30分に戻ってくる。日によっては、15時発16時30分帰着の午後便が追加または単独で出る。

終点側からも半日ツアーが出ている。「ラマストル急行 Lamastre Express」と呼ばれ、ラマストルを気動車で10時20分に出発、14km先のブシュー・ル・ロワ Boucieu-le-Roi まで行く。復路は上記マストルー号に乗って、12時にラマストルに帰着するというものだ。

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旧トゥルノン駅に入線する「マストルー」号
牽くのは414号機関車(2012年)
Photo by trams aux fils at flickr. License: CC BY 2.0
 

これらの列車が午前中または15時以降に集中して走るのには、理由がある。空いた時間帯が、ヴェロライユ(軌道自転車)Vélorail の走行に使われているのだ。中間のブシュー・ル・ロワ駅がその基地になっていて、上流はモンテイユ Monteil 停留所まで約8km(往復1時間45分)、下流はトロワ Troye 停留所まで約12km(往復2時間)を走ることができる。ヴェロライユは2人で漕ぐが、それ以外に最大3人まで同乗が可能だ。

いずれのコースも下流方向のみ自分で漕ぎ、上流方向へは気動車が代わりに、連結したヴェロライユを牽いて走ってくれる。客は気動車かオープン客車に乗り移って涼んでいればいい(下注)。

*注 自走は下流方向のみなので、終点に方向転換設備はない。

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(左)ヴェロライユ(軌道自転車)、前部座席の足もとのペダルを漕ぐ
(右)移送時は車両を連結
 

また、マストルーとヴェロライユを組み合わせたプログラムもある。まずトゥルノン=サン・ジャンからマストルー号でブシュー・ル・ロワまで行く。昼食休憩の後、気動車+ヴェロライユで上流ルートを往復し、戻ってきたマストルー号でサン・ジャンに戻るという一日コースだ。

シーズン中、看板列車のマストルー号は土曜を除いて毎日のように運行されている(シーズン初めと終わりは月・木曜も休み)。その土曜日には半日コースのトラン・デ・ゴルジュが必ず走るので、ハイシーズンの7~8月ともなれば、鉄道会社は無休、フル操業の状態が続く。

9月初旬のその日は本降りの雨になった。雲が低く垂れ込めて少し肌寒い。朝9時過ぎにトゥルノン=サン・ジャン駅の駐車場にクルマを停めた。あいにくの天気だが、すでにけっこう客が集まっている。さっそく駅舎に入って、ラマストル往復の乗車券を買い求めた。大人27ユーロ、券面に Voit 35, accès libre(35号車自由席)と手書きがある。

駅舎の並びで開いている休憩所を兼ねた鉄道博物館を訪ねた。かつて路線で使われていたサロンカーやドライジーネの復元・保存車両が据え付けられ、路線網の歴史を伝えるパネル展示が壁面を埋めている。

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休憩所を兼ねた鉄道博物館
 

駅舎寄りのA番線では、マストルー号より先行するトラン・デ・ゴルジュ(峡谷列車)が出発を待っていた。先頭に立つのは、アルザスのグラッフェンスターデン Graffenstaden 社で1932年に製造された414号機だ。急カーブに対応するため走り装置を前後2基備えたマレー式蒸気機関車で、「アルザシエンヌ(アルザスの女)Alsacienne」(下注)の愛称がある。小柄ながら艶光りする車体は貴婦人と呼ぶのがふさわしい。

*注 フランス語では機関車 locomotive は女性名詞なので、通常、女性名がつけられる。

後ろには自転車を積込む有蓋貨車、それから8両の客車が連なる。そのほとんどに予約済 réservé の札が掛かっていて、席も埋まっているのに驚いた。団体旅行なら日程は決まっているから、悪天候もおかまいなしだ。

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(左)トラン・デ・ゴルジュを牽くマレー式414号機
(右)客車は予約客で満席
 

アルザシエンヌが定刻の10時に出て行くと、隣のB番線で待機していたマストルー号への乗込みが始まった。こちらの牽引機は色あせたディーゼルだ。マレー式を含め、他にも蒸機がいるはずだが、スタッフに聞くと現在修理中なのだという。車両は有蓋貨車と客車7両で、前の方には予約済の札が見える。

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(左)マストルー号はディーゼル牽引
(右)雨の中、列車に乗り込む
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(左)1等車は1+2席のクッションシート
(右)2等車は板張り
 

後ろから2両目、指定された35号車の空席に落ち着く。10時15分、汽笛一声、まだ雨が降り続くトゥルノン=サン・ジャンを出発した。駅が設置されたのは人里離れたドゥー峡谷の入口なので、左車窓には早くもドゥー川の深い淵が迫ってくる。雄大なアーチで川を一跨ぎしている中世の石橋グラン・ポン(大橋)Grand Pont の橋台部を潜り抜け、列車は蛇行する川の谷壁に沿って進む。

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ドゥー川を一息にまたぐグラン・ポン(大橋)
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線路は橋台部を潜り抜ける(復路で撮影)
 

少し走ると、左手に側線が現れた。トロワ Troye という停留所で、先述したヴェロライユ下流区間の終点だ。直後に左へ急カーブし、石造のアーチ橋で右岸に移った。このあたりの勾配は1:50(20‰)で、保存区間では最も急だという。眼下の河原との高低差がじわじわと開いていく。

早や色づいて秋の気配の山肌に、保存区間で唯一のモルダーヌトンネル Tunnel de Mordane のポータルが見えてきた。長さ265mで、ドゥー川の蛇行の首をショートカットしている。隣に同じ名の発電所施設も見える。

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モルダーヌトンネルと発電所
 

トンネルの闇を抜けると、川を跨ぐ高い橋脚のアーチ橋が目を引くが、これは先ほどの発電所に水を送っている水路橋だ。少し先に行くともう1本、同じ導水路の、より低い水路橋が現れる。ここで左に大きく回って、クローゼル Clauzel 停留所を通過。近くにドゥー川を堰き止めて発電用の水を取水しているダムがある。

しばらく行くとまたアーチ橋をくぐる。D234号線の道路を渡しているエトロワ(狭間)橋 Pont des Étroits だ。そしてこれを境に、あれほど険しかった谷もいくらか表情を和らげる。まもなく列車は、森に包まれたコロンビエ・ル・ヴュー駅(下注)に入っていく。

*注 正式駅名はコロンビエ・ル・ヴュー=サン・バルテルミー・ル・プラン Colombier-le-Vieux–Saint-Barthélemy-le-Plain。最寄りの二つの集落名をつなぎ合わせたもの。

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(左)トンネルを抜けると見える水路橋
(右)上流の、より低い水路橋、右端は導水路
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(左)早や秋の気配のドゥー峡谷
(右)エトロワ橋のたもとを通過
 

15分前に先行したトラン・デ・ゴルジュはここが折返し駅だ。現在10時45分。復路発車は11時のはずだが、すでに機関車はトゥルノン=サン・ジャン側につけ直されていて、出発の準備は完了したようだ。駅には転車台が設置され、機関車の方向転換がプログラムの見せ場の一つに挙げられている。駅舎の周りにいるのは、それを楽しんでこれから帰る人たちだ。

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コロンビエ・ル・ヴュー駅で復路の出発を待つ414号機
 

コロンビエ駅を後に、列車は牧草地や畑も混じるようになった谷の中をさらに進んでいく。11時ごろ、次のブシュー・ル・ロワ Boucieu-le-Roi 駅に到着。ここでは15分間停車する。蒸気機関車なら給水作業が見学できるのだろうが、残念ながらディーゼルにはそのチャンスがない。

ホームの反対側では、角ばった気動車が、正面にCFCのロゴをつけて停車している。2016年にコルシカ鉄道から到来したX5000形だ。後ろには、クラシックカーに似せた5人乗りヴェロライユがずらりと連なる。そぼ降る雨をものともせず、合羽を着込んで乗り込む人たちがいた。下流コースのスタートはこの後すぐだ。

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(左)ブシュー・ル・ロワ駅のX5000形
(右)ヴェロライユに乗り込む人たち
 

11時15分にブシュー・ル・ロワを発車。しばらくはまた森と畑のゆったりした景色だが、そのうち谷幅が狭まってきた。蛇行する渓谷に、撮影地として知られた6連アーチのバンシェ高架橋 Viaduc du Banchet が架かる。対岸に移ってすぐ、石橋の跨線橋下でアルルボスク Arlebosc 停留所を通過した。

左車窓の川景色はいくらも続かず、また橋(ガルニエ高架橋 Viaduc du Garnier)で川を渡る。序盤のような息をのむ峡谷ではないが、自然のまま流れるドゥー川に沿う列車旅は、景色が刻々と変化して飽きることがない。

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アルルボスクの村を背にするバンシェ高架橋(別の日に撮影)
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(左)アルルボスク停留所(別の日に撮影)
(右)アルデーシュ高原の風景
 

ル・プラ Le Plat 停留所を見送り、川に付き合ってまた大きく北へ迂回していく。朽ちかけたモンテイユ停留所の小屋の上手には、ヴェロライユ上流コースの終点になっている待避線がある。その傍らに、45ème parallèle(北緯45度)と書かれた看板が立っていた。北緯45度は、北極と赤道の中間を意味する。日本での通過域は北海道の北端近く(下注)なので感覚が狂うが、フランスでは、45度以南はミディ(南部)Le Midi という意識だ。

*注 幌延町の日本海岸と、枝幸町のオホーツク海岸にモニュメントがある。

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(左)北緯45度の看板
(右)ヴェロライユ終点の待避線
 

間もなく左車窓に並木道が沿うようになり、周りの建物もちらほら増えてきた。列車は速度を落とし、側線にさまざまな車両が留置されたラマストル駅の構内に入っていく。どこか懐かしい風情が漂う駅舎の前に、定刻12時少し前に到着。客が降りて空いた列車の横を、ディーゼル機関車が機回しされていった。

復路の出発は15時15分だ。ラマストルは田舎町でさほど見るものもないが、評判のいいレストランがいくつかあるという。雨も上がったことだし、アルデーシュ地方の名物料理クリーク Crique でも食べて、午後のひと時をゆっくり過ごすことにしよう。

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(左)ラマストル駅(別の日に撮影)
(右)終点に到着した列車
 

写真は特記したものを除き、2024年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Train de l'Ardèche https://www.trainardeche.fr/
Sauvegarde et Gestion de Véhicules Anciens (SVGA) https://train-du-vivarais.com/

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2025年3月 8日 (土)

ヴレー急行-ヴィヴァレの高原列車

ヴレー急行 Velay Express

ロクール・ブロセット Raucoules Brossettes~サンタグレーヴ Saint-Agrève 間27km
軌間1000mm、非電化
1902年開通、1968年一般運行廃止
1970年保存運行開始、1982年休止、1993年再開

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ヴレー急行の蒸気列車
ル・シャンボン・シュル・リニョン駅にて

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フランス南部に横たわる中央高地 Massif central の東端、ローヌ川の谷との間を限るのがヴィヴァレ山地 Monts du Vivalais だ。その周りに、蒸気機関車で運行される2本の保存鉄道がある。一方は山稜の西側に広がるのびやかな高原を縫うもので「ヴレー急行 Velay Express」、他方は東側に刻まれた険しい峡谷に沿うもので「ヴィヴァレ鉄道 Chemin de fer du Vivarais」という。

今でこそ互いに離れた場所にあるが、かつてこの地域には延長200kmを超える広範なメーターゲージ(1000mm軌間)の路線網が存在した。2本の小鉄道はその最後の断片だ。それぞれの列車の窓に映る沿線風景はまったく対照的で、乗客にヴィヴァレ周辺の地勢が秘める奥深さを印象付けてやまない。今回はまず、高原の風を受けて走るヴレー急行を訪ねてみよう。

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放牧地と森の風景が続く
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ヴレー急行線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

蒸気列車の始発駅ロクール・ブロセット Raucoules Brossettes は、ヴレー高原 Plateau du Velay と呼ばれる牧草地と森林に覆われた台地の中央部、標高864mに位置する。もともと集落とは関係なく路線の分岐点として設けられた駅なので、駅前でレストランが1軒営業しているほかは、ぽつりぽつりと住宅が建つだけの寂しい場所だ。最も近い都市は北へ30km強のサンテティエンヌ Saint-Étienne だが、接続する公共交通機関があるはずもなく、クルマでしかたどり着けない。

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蒸機の給炭と客車の入換作業
ロクール・ブロセット駅にて
 

訪れたのは9月初旬、朝9時の気温は16度で、心地よい涼しさだ。もと分岐駅だけあって、駅の構内はそれなりに広い。北端にある給水塔の前では、小型蒸機が水と石炭の補給を受けているところだった。鮮やかな青色をまとうこのタンク機関車は、1923年コルペ・ルーヴェ Corpet-Louvet 社製の22号機だ。現役引退後30年間リヨンで静態保存されていたが、2004年にここに引き取られて修復を受け、2010年に稼働可能になった。

南側から、深緑の凸型ディーゼル機関車が本日の車両群を引き出してきた。先頭は有蓋貨車で、その後に色も形もさまざまな古典客車が8両連なっている。まもなく給水を終えた蒸機がその横を転線していき、最前部につけられた。

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(左)本日の牽引機コルペ・ルーヴェ22号
(右)側壁の銘板
 

9時20分ごろ、出札窓口が開いたらしく、周りに集まっていた客がぞろぞろと駅舎に入っていく。列に並んで、全線往復の乗車券(大人21.50ユーロ)を購入した。2両目に乗るように指示があり、乗車券に加えて「旅行者の小案内 Petit Guide du Voyageur」と題した折り畳みのリーフレットを渡された。沿線案内とともにルートの詳しい縦断面図が載っていて、マニアックだが役に立ちそうだ。

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(左)出札窓口が開いた
(右)乗車券を購入
 

2024年の場合、ヴレー急行は5~10月のシーズン中、毎日曜に運行されている。蒸気列車は1日1便で、ロクール・ブロセットを10時に出発し、終点サンタグレーヴ Saint-Agrève に12時15分到着。復路は15時出発で、ロクール・ブロセットに17時10分に戻ってくる。一方、サンタグレーヴ側からは気動車1便の運行もあり、朝10時30分に出発、ロクール・ブロセット12時25分着。折返し15時に出発して、サンタグレーヴへは16時35分に帰着する。

両者は中間のル・シャンボン・シュル・リニョン Le Chambon-sur-Lignon 駅で交換する。そのため、この駅では蒸機と気動車の間で乗換えが可能になっている。蒸気列車で往復するとまる一日かかってしまうが、乗換オプションなら半日で出発駅まで戻れる。旅を急ぐ客や幼児を連れた客などにはちょうどいいのだろう。このほか繁忙期の夏場は、水曜と木曜に蒸気列車1便が追加運行され、同じく特定の土曜日には気動車によるサンタグレーヴ~ル・シャンボン間の往復便もある。

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ロクール・ブロセット駅の出発時刻表
 

準備の整った機関車や他の客車を物色しながら、発車時刻を待つ。車内はよくあるボックス型のベンチシートが並ぶが、1両目の前半分は売店で、制帽をかぶったスタッフがいた。先頭車から順に乗る車両を案内しているらしく、前の方はすでに満席だが、後ろはまだ空いたままだ。途中駅で乗ってくる客があるのだろう。

やがて外にいた客も全員席に収まり、甲高い汽笛の合図とともに、列車は10時定刻に駅を後にした。

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先頭客車は半室が売店
Blog_vivalais_ve8ボックス型のベンチシートが並ぶ

冒頭でも触れたが、この線路はかつてヴィヴァレ路線網 Réseau du Vivarais と呼ばれたローカル線群の一部だ。1879年、国土開発のための大規模公共事業、いわゆるフレシネ計画 Plan Freycinet に挙げられた今後整備すべき189の地方路線(下注)に含まれ、1886年から建設が始まった。

*注 日本の鉄道敷設法と同様の趣旨。ヴィヴァレ路線網に相当する路線は、第150号:ラ・ヴルト・シュル・ローヌ La Voulte-sur-Rhône からル・シェラール Le Cheylard 経由または近傍を通りイサンジョー Yssingeaux に至る101km、第151号:トゥルノン Tournon から上記路線に至る40km、第152号:イサンジョーからル・ピュイ=サンテティエンヌ線 La ligne du Puy à St-Étienne に至る20kmの3本。

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ヴィヴァレ路線網(赤色)と周辺の標準軌路線網(灰色)
 

上図に示したとおり、これは既存の標準軌線駅に接続して、ヴィヴァレの鉄道空白地帯を埋めるものだった。険しく複雑な地形を通過するため、工事量は多かったが、1890年以降、順次開通していき、1903年に総延長201kmの路線網として完成を見た。建設・運営にあたったのはCFD社で、貨物を含めて初期の輸送需要は順調だった。だが、1920年代にそのピークに達した後は、徐々に縮小していく。

*注 正式名称は県鉄道会社 Compagnie de chemins de fer départementaux。「県営」ではなく、各地の地方鉄道網を運営した民間会社。

第二次世界大戦中、一時的に活況を呈したものの、戦後は自動車交通が浸透してさらなる不振にあえぐようになった。気動車の導入による所要時間の短縮も功を奏さず、1952年に西側のラヴート・シュル・ロワール Lavoûte sur Loire~ロクール・ブロセット間で、1968年10月には残る全線で、運行が終了した。

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デュニエール駅のメーターゲージ列車(1953年)
Photo by Trainiac at wikimedia. License: Public domain
 

それに対して地元では、残された車両や施設を観光振興に活用しようと、保存鉄道化の準備を始めた。峡谷区間では1969年6月に、高原区間でも1970年8月に列車運行が再開されている。後者が現在のヴレー急行だ。運行区間はSNCF(国鉄)と接続するデュニエール Dunières とサンタグレーヴの間36kmで、当時ヨーロッパ最長の観光鉄道だった。

しかし、峡谷区間に比べるとアクセスが不便なことから、利用実績は芳しくなかった。運行は通常、北半のデュニエール~タンス Tence 間17kmで、サンタグレーヴまで足を延ばすのは夏の数日間にとどまった。それも1985年に施設のリース期間が満了したことに伴い、中断を余儀なくされた。

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ヴレー急行の壁絵
ロクール・ブロセット駅にて
 

事態打開のために新たな運営組織、ヴレー鉄道 Voies ferrées du Velay (VFV) が設立された。1993年にまずデュニエール~モンフォーコン Montfaucon 間で運行が復活し、翌年からタンス、2002年に念願のサンタグレーヴまで延長された。しかし、北側のデュニエール~ロクール・ブロセット間がローヌ川とロワール川を結ぶ長距離自転車道(下注)の「ヴィア・フルーヴィア Via Fluvia」に転用されることになり、2015年からは起点がロクール・ブロセットに変更されて現在に至る。

*注 こうした長距離自転車道は、フランス語でヴォワ・ヴェルト(緑の道)voie verte と呼ばれる。ヴィア・フルーヴィア(フランス語読みはフリュヴィア)はラテン語で川の道の意。

ロクール・ブロセット駅構内の南端で、自転車道になったイサンジョー Yssingeaux 方面の旧線跡を右に見送った後、列車は牧草地と針葉樹の森が交錯する中に出ていく。周辺は標高850m前後の高原だが、500mほど西をロワール川 La Loire の支流リニョン川 Le Lignon が並走していて、そこに注ぐいくつかの小川がルートを横切っている。そのため、線路は少し下って浅い谷をまたいでは丘を上るというアップダウンを繰り返す。

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(左)右に分かれるイサンジョー方面の旧線跡
(右)ルートは谷と丘を横断していく
 

列車の速度は平坦地でせいぜい30km前後、坂が続くときは駆け足でも追いつけそうなペースだ。開け放された窓から高原の乾いた風が車内に吹き通る。工費節約のため地形に逆らわずに設計された線路はカーブだらけで、前に立つ機関車がよく見える。

国道の踏切を越えてまた浅い谷を降りていくと、灰色屋根の街並みが見えてきた。列車は側線のある構内に進入していく。保存運行の終点だったこともあるタンス Tence 駅だ。煤で黒ずんだ壁もそのままの駅舎の前に、リュックやショルダーバッグを提げた人たちが群がっている。20人以上はいたが、ほぼ全員が列車の客になった。

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タンス駅、列車を待つ人多数
 

タンスからの線路は上り基調だ。町が立地する谷を回り込んでいくと、森の隙間からリニョン川が刻む深い谷がちらちらと覗くようになる。眺望が開けるのは、ラ・セル La Celle の旧停留所の手前だ。窓口でもらった小案内にベルヴェデール Belvédère(展望台の意)とある地点だが、木が大きく育ったせいでほんのいっときだった。

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ベルヴェデール付近、リニョン川の谷の眺め
 

右に左に絶え間なくカーブを切りながら深い森を抜けると、また町に出た。ル・シャンボン・シュル・リニョン Le Chambon-sur-Lignon、リニョン川の谷の斜面に開けた沿線の主要な町の一つだ。標高はすでに967m。駅舎はアプリコット色の明るい壁面で、その前にやはり10人ほどの客が待っていた。

この駅では15分ほど停車した。最後の坂道に備えて、蒸機への給水作業があるためだ。客は列車から降りてその様子を眺めたり、駅前のパティスリーでスイーツを調達したりと、思い思いに過ごしている。

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(左)ル・シャンボン・シュル・リニョン駅に到着
(右)パティスリーでスイーツを調達する人も
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最後の上りに備えて給水
 

ふと気がつくと蒸気列車の陰に、流線形の気動車が停車していた。独特の風貌に加えてグレーと赤のツートンカラーが、どこかウルトラマンを連想させる。後ろに従える貨車の塗分けもお揃いなのがおもしろい。気動車は1937年ビヤール Billard 社製のA 80 D形だ。車体側面に一般運行時代の社名「CFD」と313号の文字が見えるが、CFD社から保存鉄道に引き継がれた後も、蒸機とともに主力を担ってきた。

これは、蒸気列車と同じ時間帯にサンタグレーブから逆向きに走ってきた便で、ここで行き違いがある。時刻表によれば11時に先着し、11時10分の蒸機到着を待っていたようだ。先述のとおり、当駅で両者を乗換えれば、早く発地に戻れる。

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ビヤール製気動車A 80 D形と交換
 

ル・シャンボンを出ても相変わらず急カーブの連続だが、緩勾配なので、蒸機のドラフト音も一定のリズムを保っている。リニョン川の谷と別れてラドレー Ladreyt の旧停留所を過ぎ、ショレ川 Le Cholet の小さな流れをまたぐと、区間最長のタヴァ坂 Rampe des Tavas にさしかかる。1:33(30.3‰)の急勾配が長く続き、列車の速度はぐっと落ちた。

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(左)区間最長の坂に挑む
(右)マール=ドヴェッセ停留所付近が最高地点かつ分水界
 

上りきったところにあるマール=ドヴェッセ Mars-Devesset 停留所付近がサミットだ。標高1062m(下注)で、保存区間はもとよりヴィヴァレ路線網全体の最高地点になる。同時にここにはロワール川とローヌ川 Le Rhône、すなわち大西洋斜面と地中海斜面の分水界が通っている。といっても、現地は平らな牧草地にしか見えないので、言われない限り気づかず通り過ぎてしまうだろう。

*注 「旅行者の小案内 Petit Guide du Voyageur」の記載による。地形図には1060mの標高点がある。

次の小さな谷を回り込み、やや深い森を抜けると、終点のサンタグレーヴだ。駅の標高は少し下がって1048m。町の西はずれに位置しているので、市街も見ないうちにあっけなく到着してしまう。

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(左)サンタグレーヴ駅に入線
(右)構内の端で線路は途切れる
 

到着すると、蒸機はすぐに列車から切り離され、機回し側線を通って後方へ移動した。それから今度は車庫への引込線に入って、途中にある転車台に載る。復路に備えてここで方向転換されるのだ。一連の作業を興味深げに見物していた乗客たちも、蒸機が車庫の前で動きを止めると、食事場所を求めてばらばらと町の方へ出て行った。復路の出発まで、まだ2時間以上ある。

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転車台で方向転換
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復路の出発まで蒸機も休憩
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サンタグレーヴ市街
(左)中心街のドクトル・トゥラス通り Rue du Dr Tourasse
(右)ヴェルダン広場 Place de Verdun

ちなみにサンタグレーヴ以遠の、山を下っていた廃線跡は「ドルチェ・ヴィア Dolce Via」と称する自転車道に転換された。ル・シェラール Le Cheylard で分岐して、一方はヴィヴァレ鉄道の終点ラマストル Lamastre、もう一方はローヌ河岸のラ・ヴルト・シュル・ローヌ La Voulte-sur-Rhône まで、計90kmほどをほぼ忠実にたどることができる。

次回は、そのヴィヴァレ鉄道を訪ねる。

写真は特記したものを除き、2024年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
Velay Express https://velay-express.fr/

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