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2025年2月

2025年2月10日 (月)

ライトレールの風景-とさでん交通後免線・伊野線

終始、道路の中央を複線で走りきる駅前線・桟橋線(南北線)に対して、後免(ごめん)線・伊野線(東西線)は区間によってその表情を変える。複線もあれば単線もあり、併用軌道もあれば道端軌道もある。並走する道路も片側2車線の立派な街路ばかりでなく、センターラインも引かれていない町中の狭い一本道だったりする。

後免線は後免町(ごめんまち)~はりまや橋間10.9km、伊野線ははりまや橋~伊野(いの)間11.2km。路線名こそ別だが、電車は相互に直通している。この間に、起終点を含めて停留所が66か所あり、乗り通すなら1時間半近くかかる長丁場だ(下注)。今回は、この興味深い路面電車ルートを後免町から伊野まで旅してみよう。

*注 2025年2月の現行ダイヤでは後免町~伊野間を通して走る電車はなく、高知市内で乗換が必要。

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後免町電停への入線を待つ700系
(注記のない写真は2022年9月撮影)
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とさでん電車路線図

電車の前面に掲げられた菱形の行先板がよく話題になる。後免町行きには「ごめん」、反対方向の伊野行きには「いの」とひらがなで記され、「ごめん」「いーの」と電車どうしで仲直りの会話を交わしているように見えるらしい。

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「ごめん」と「いの」の行先板
 

後免町は高知市の東隣、南国市(なんこくし)の中心地区だ。約700m北西にJR土讃線の後免駅もあるが、この町に到達したのはとさでん軌道線のほうがずっと早い。開業は1911(明治44)年で、初代の終点は、現在の後免東町(ごめんひがしまち)電停付近にあった。

1924年(大正13)年12月に土佐電気鉄道(当時は高知鉄道)安芸(あき)線が後免と手結(てい)の間で開業し、3か月後の1925年2月に軌道線がその駅前まで延長される。これが現在の終点、後免町電停だ。ちなみにその年の12月には土讃線(当時は高知線)の高知~土佐山田間が開通し、翌年4月に安芸線も延伸のうえ国鉄後免駅に接続された。

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後免市街の1:25,000地形図
(上)安芸線と接続されていた時代 1972(昭和47)年修正測量図
(下)安芸線跡にごめん・なはり線が通る 2025年2月取得図
 

その後免町電停だが、前を通る県道(旧国道55号)からはコンビニのローソンとしか見えず、知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。棟の裏側、すなわち北面に待合室があり、単線の線路が屋根付きホームに囲まれている。同じく西面はバス乗り場で、平面での乗継ぎが可能だ。

さらに北側には土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の高架が通っていて、奥のほうにとさでんと同じ名の後免町駅がある。いうまでもなく、1974年に廃止された安芸線の跡地に建設された路線だ(下注)。かつて軌道線と安芸線は線路がつながり、直通運転していた時代があったが、痕跡は失われてしまった。

*注 ただし、後免町駅の前後では安芸線跡よりもやや北側に移設されている。

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(左)とさでん後免町駅
(右)ごめん・なはり線後免町駅
 

電停には700系電車が停車している。下関の旧山陽電気鉄道から移籍した形式で、車齢は60年を超えているが、土佐電オリジナルの600系とともにいまだ主力だ。3車体連接の新型低床車3000形「ハートラムII」も導入されているが、2024年現在3編成に過ぎず、車両群の更新は遅々としている。

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(左)700系電車が到着
(右)車内は長~いロングシート
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(左)3000系「ハートラムII」、高知駅前にて
(右)3車体連接の車内
 

私を含め3人の乗客を乗せて、後免町を出発した。行先は鏡川橋(かかみがわばし)になっている。下り伊野方面の電車は、朝夕の一部列車を除くと、たいてい高知市内のこの電停が終点だ。

走り初めは町裏をくねくねと進む。夜間滞泊用の側線が同じように曲がりくねりながら並行している。だが、専用軌道は一つ目の後免東町電停で終わり、その後は県道に飛び出していく。道路の中央を堂々と突き進む複線の軌道に対して、クルマは外側の余白部を、遠慮がちにすり抜けていくイメージだ。

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後免市街で存在感を放つ軌道
 

しかしこの配置は約500mしか続かない。後免西町からは、道路(現 国道195号)の左側(南側)に移り、完全分離された道端軌道になる。というのも開業当時は専用軌道で田んぼの中を通っていて、道路は後付けだからだ。

篠原(しのはら)電停の先の左カーブで、国道に旧道が合流してくる。ここからは既存の旧道を拡幅して、片側に複線の軌道を敷いた区間になる。社史(下注)によると、南側の介良(けら)地区を専用軌道で直進させる計画だったが、良田がつぶれるという地元の反対で断念したという。

*注 『土佐電鉄八十八年史』土佐電気鉄道、1991年

南国バイパスが開通するまでは国道55号だったので、道路は2車線化されているが、カーブが多く、幅員も狭い。西行車線の舗装がレールに接しているし、東行車線も路肩がないに等しい。なにより驚くのは、各電停の上り線に専用ホームがなく、クルマが行き交う道路上に白線で枠を描いただけの、いわゆる「ノーガード電停」であることだ。

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(左)道路に白枠を描いただけの「ノーガード電停」
(右)幅員不足の道と並走、長崎電停付近
 

小篭通(こごめどおり)電停を過ぎたところで、高知市に入る。しばらくして、日本一短い駅間距離として知られる一条橋と清和学園前の電停間を通過した。二者は舟入川の支流を渡る橋をはさんで指呼の間にあり、その距離わずか63mという。次の領石通(りょうせきどおり)電停の前後は、河川改修と道路移設のおかげで、つかのま専用軌道になる。

介良通(けらどおり)から高知市内の均一運賃区間に入るが、運行上の境界は次の文珠通(もんじゅどおり)だ。それまで日中約20分間隔だったところに、ここでいわゆる市内線の電車が2~3本挿入され、都合5~7分間隔と頻発するようになる。電停の東方に、電車が折返すための渡り線がある。

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橋梁をはさんで隣接する清和学園前電停(手前)と一条橋電停
 

ようやく道路から離れたかと思うと、緩い坂道を上り、右に急カーブした。葛島橋東詰(かづらしまばしひがしづめ)電停に停車した後、電車は浦戸湾に注ぐ国分川(こくぶがわ)を鉄橋で渡っていく。

この葛島鉄橋は2002年に架け換えられたもので、スパンを取るため、中央部がランガートラスになっている。西詰で道路を跨いでいる長い歩道橋からよく見えるので、立ち寄った。ついでに葛島の地名の由来になった対岸の、神社がある小山にも上ってみたが、茂みに覆われて視界は不良だった。

鉄橋を渡り終えると、国道55号南国バイパスが合流してきて、軌道は大通りのセンターリザベーション軌道に落ち着く。ここからは高知の市街地だ。

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ランガートラスの葛島鉄橋を渡る(東望)
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市街地ではセンターリザベーション軌道に
 

知寄町(ちよりちょう)電停の周辺には、かつて本社や車庫など土佐電鉄の拠点があった。電停の旧名も「知寄町車庫」で、1987年にその機能が桟橋車庫に全面移転したときに、現在の名称になった。三丁目と二丁目の間に、区分地名をもたない電停名が挟まっているのはそうした経緯による。

南側に広がる観光バスターミナルを見ながら、堀川跡のS字カーブを曲がり終え、デンテツターミナルビル前に停車。はりまや交差点のすぐ東側にあるので、広島の紙屋町交差点の流儀で言うなら「はりまや橋東」だ。次のはりまや橋電停は「はりまや橋西」になるだろう。駅前線・桟橋線への運賃通算乗換えは、どちらの電停でもできる。

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はりまや橋のダイヤモンド・クロッシング
 

はりまや橋で車内の客が入れ替わり、路線名も後免線から伊野線になる。堀詰(ほりづめ)~グランド通(旧名 乗出(のりだし))電停間は、本町線として1904(明治37)年に最初に開業した区間の一つだ(下注)。軌道は中の橋通り、天神橋・大橋通りと南北に通る繁華街をクロスしていく。

*注 この本町線と、現 桟橋線の一部である梅ノ辻~桟橋車庫前(旧 桟橋)間(当時は潮江線)が最初の開通区間。

町のシンボル高知城へ行くのなら、高知城前電停が最も近いが、ビル街に遮られて城は見えない。城山の高い石垣とその上に建つ白壁の天守閣が視界に入るのは、次の県庁前交差点を通過するときだ。また、上町一丁目電停前の左のビルの間には、市内巡りの観光スポットの一つ、坂本龍馬誕生地の碑もある。いずれも車窓からでは一瞬なので、途中下車してゆっくり見にいくに越したことはない。

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高知城が見える県庁前交差点
 

上町(かみまち)から旭町(あさひまち)と進むにつれ、道路の両側に建つ建物の背が低くなり、間にそびえる高層マンションが目立つようになる。次の鏡川橋で後免町から続いてきた複線区間は終わり、市内線電車も終点だ。下り線では、降車ホームと乗車ホームが少し間を置いて縦列に並んでいる。

単線になった軌道はこのあと左に急カーブして、鏡川(かがみがわ)をガーダー橋で渡っていく。道路も両側を並走しているが、構造上は別の橋梁だ。渡り終えると高知西バイパスを横断して、そのまま旧道に吸い込まれる。ここから朝倉駅前電停の先で旧国道(現 県道386号)に合流するまでの約1.3kmは、昭和中期のカオスな雰囲気が保存された併用軌道区間だ。

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(左)鏡川橋電停
(右)専用軌道の鏡川橋(北望)
 

前半の鴨部(かもべ)から、市内均一区間の境界でもある曙町東町(あけぼのちょうひがしまち)電停あたりまでは、センターラインのない狭い旧道の右側(北側)を軌道が通っている。下り側の乗り場が道路の真ん中のノーガード電停というのも怖いが、上り側も側溝の蓋の上で待つしかなく、バス停並みだ。車道は双方向通行で、そのうえ路線バスも来る。クルマのドライバーは、対向車だけでなく、客扱いでしばしば停車する路面電車や大型バスとも阿吽の呼吸で駆け引き(?)しながら、走り抜けなければならない。

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(左)ノーガードの鴨部電停(東望)
(右)鴨部市場前信号所
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電車とバスとクルマと人が狭い道を共有
 

曙町からは道幅が少し広がり、軌道は道路の中央に位置づく。朝倉(あさくら)電停は、高知大の本部がある朝倉キャンパスの最寄りで、市内線電車の一部が延長運転されてくる(下注)。

*注 該当便は「朝倉 高知大学前」という菱形の行先板をつけている。

鴨部西方の鴨部市場前信号所とともに、ここには待避線があり、終点の伊野までの5.6kmが現在、一閉塞区間になっている(下注)。走破に片道18分かかるため、終点での折返し時間を含めて、電車は終日42~45分間隔で運行される。

*注 2021年までは、後述の八代通~中山間にある信号所でも交換が可能だった。

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朝倉電停を出ていく上り電車
 

訪れた2022年には、まだタブレット交換が行われていた。かつては運転士どうしの手渡しだったが、受取らずに発車するという事故の発生を受けて、地上要員(駅長)を介すようになっていたのだ。しかしその後、自動化(特殊自動閉塞)が完了し、この名物シーンは見られなくなった。

朝倉駅前電停を出ると、右手にログハウスのような土讃線朝倉駅の駅舎が見える。電車はここで旧国道55号を横断し、その右側(北側)に付く。道路と分離された道端軌道で、単線と複線の違いはあるものの、後免線の郊外区間と同じような形だ。

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タブレット交換シーン
(左)上り電車から受取り(右)下り電車に手渡し
 

電車は、とさでん唯一の峠越え、咥内坂(こうないざか)に向かって上り始める。咥内電停のすぐ先で、土讃線が軌道と旧国道を斜めに乗り越えていく。伊野線が1908(明治41)年に全通したのに対して、土讃線のこの区間は16年後の1924(大正13)年の開通と、かなり後のことだ。

明治のころの咥内坂はくねくねと上る山道(下注)だったため、伊野線は専用軌道と短いトンネルでショートカットしていた。しかし、トンネルの入口が急カーブのため、後に導入されたボギー車は通れなかったという。後に、深い切通しで勾配を緩和した新道が建設され、軌道もその傍らに移設された。現在はそのサミットの頭上を、高知自動車道が通過している。

*注 当時のサミットは国道の切通しにより消失したが、前後に旧道の断片が残っている。

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(左)咥内坂へ向かう道端軌道
(右)咥内電停、すぐ先を土讃線と高知道が相次いで横断
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朝倉~咥内坂の1:25,000地形図
(上)坂の前後は専用軌道、サミットに短いトンネル 1933(昭和8)年修正測量図
(下)切通しに改良され、道端軌道に 2025年2月取得図
 

坂を越えた後も、単線の道端軌道が続く。もう使われなくなったが、八代通(やしろどおり)と中山両電停の間には待避線(八代信号所)がある。枝川(えだがわ)電停を過ぎると、南の山裾を降りてきた土讃線が国道の反対側に近づいてくる。タイミングが合えば、JRの気動車との並走かすれ違いが見られるかもしれない。

鳴谷(なるたに)電停の先で旧国道は左に離れていき、軌道はそれ以前からある旧道を通って、伊野の町中へ入っていく。伊野駅前電停は、JR駅前に通じる交差点に位置する。上り側の乗り場にはホームがあるが、下り側は例によってノーガード電停で、白線も消えかかっていた。

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土讃線が左を並走、北内電停付近
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(左)終点、伊野電停
(右)民家風の立派な駅舎が建つ
 

150m先が終点の伊野電停だ。待避線が設けられ、その側に乗り場を示す白線枠もある。しかし、電車は駅舎に接した本線に到着し、乗客は左側の路面に降ろされた。5分後、その位置から上り電車として出発していったので、待避線のほうはもう用をなしていない。終点らしく、ここには民家風の立派な駅舎がある。開通100年を記念して2008年に改築されたもので、中に入ると凝った木組みの構造が観察できる。

本線から切り離されているが、電停の東側で分かれて左の山手に上っていく1本の線路がある。追ってみると、100m強続いた後、駐車場の端で終わっていた。ここは電車の滞泊場所に使われていた伊野車庫で、線路はその引込線だ。パークアンドライド用に舗装されている部分にも、当時は側線が並んでいた。

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(左)本線から分岐していた引込線
(右)伊野車庫(跡)は奥に見える擁壁付近にある

高知への復路は、JRの列車に乗った。高知駅が中心部からやや遠いとはいえ、後免線・伊野線とJR線はおおむね並走しているからだ。前者は運行頻度とこまめな停留所間隔で、また後者は所要時間と運賃で優位性を保ってきた。しかし、末端区間では今や運行本数の差が縮小または逆転している。そのため、遠距離になる高知市内との間では、時間差と運賃差(下注)が利用者の判断材料になってしまう。

*注 JR(後免~高知):とさでん(後免町~はりまや橋)では、運賃330円:500円、所要時間21分:38分。JR(高知~伊野):とさでん(はりまや橋~伊野)では、運賃330円:500円、所要時間24分:43分。

利用者の減少を受けて、高知市では地域公共交通会議で、路線バスを含めた地域公共交通の望ましいあり方の検討に入っている。公共交通を取り巻く環境が厳しさを増す中、とさでんの路線が現状どおり今後も維持されるのかどうかは、予断を許さない状況だ。

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伊野を出発する上り電車
正面奥のホームは伊野駅前電停
 

掲載の地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図後免(昭和47年修正測量)、伊野(昭和8年修正測量)および地理院地図(2025年2月10日取得)を使用したものである。

■参考サイト
とさでん交通 https://www.tosaden.co.jp/

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2025年2月 5日 (水)

ライトレールの風景-とさでん交通駅前線・桟橋線

特急南風号で四国山地を縦断し、高架化されたJR高知駅のホームに降り立った。南面が開いていて、列車が出ていくと、駅前広場の眺めがさっと開ける。背の高い椰子の並木を伴ってまっすぐ延びるはりまや通りの中央に、複線の線路が見える。高知の路面電車、とさでん交通が走るルートだ。

きょう2024年11月30日は、海外鉄道研究会の設立50周年行事で、とさでん交通の外国製電車を貸し切って乗車・撮影会がある。先に実施されたフォトラン(走行風景撮影)には都合で間に合わなかったが、続きで用意されている乗車体験を楽しみにやってきた。

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高知駅前電停、後ろはJR駅高架ホーム *
(キャプション末尾に*印があるものは2022年9月撮影、無印は2024年11月撮影)
 

まずは予備知識として、とさでん交通の軌道線の概要を記しておこう。

路線の延長は25.3kmで、意外にも、路面電車の町として認知度の高い広島に次いで全国2位の規模をもっている(下注)。このうち縦軸が駅前線(はりまや橋~高知駅前 0.8km)と桟橋線(はりまや橋~桟橋通五丁目 2.4km)、横軸が後免(ごめん)線(後免町~はりまや橋 10.9km)と伊野線(はりまや橋~伊野 11.2km)だ。

*注 広島電鉄の路線延長は、鉄道線である宮島線16.1kmを含めて35.1km。ちなみに3位は京阪電鉄の軌道線(京津線・石山坂本線)21.6kmだが、併用軌道区間は短い。4位は阪堺電気軌道の18.3km。

両者は、中心部のはりまや交差点(下注)で交差している。路線名が二分されているが電車は直通しているため、縦軸は南北線、横軸は東西線と呼ばれることもある。

*注 電停名は「はりまや橋」だが、交差点は「はりまや交差点」という。

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とさでん電車路線図
 

とさでんのルーツである土佐電気鉄道(下注1)の開業は、1904(明治37)年に遡る。当時、四国の他3県にはすでに鉄道が通っていたが、すべて蒸気鉄道であり、路面電車が走るのは最初だった(下注2)。ちなみに現JR四国の土讃線はそれより20年遅れて、1924(大正13)年にようやく高知~須崎(すさき)間、翌年に土佐山田~高知間が開通している。

*注1 地元では土佐電ではなく土電(とでん)と呼ばれてきた。
*注2 愛媛県の伊予鉄道の開業はより早い1888(明治21)年だが、これは松山~三津間の蒸気鉄道線であり、市内軌道線の開業は松山電気軌道による1911(明治44)年が最初。

土讃線の開通からほどない1928(昭和3)年に高知駅前への延伸線が開業して、現在の路線網が完成した(下注)。戦時下の陸運統制令による高知鉄道との合併では、後免~安芸(あき)間の安芸線が加わるものの、1974年に廃止となった。経営難により県が介入して、とさでん交通の名で再出発したのは2014年。県と沿線自治体が会社の全株式を保有しているので、実態は公営企業だ。

*注 当時は、後免線の若松町通(現 知寄町二丁目)で分岐する新地線0.5kmもあったが、戦時中の休止を経て1954年に廃止。

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維新号、開業時の7形のレプリカ

高知駅前電停は、文字どおりJR駅のすぐ前にあってとても便利だ。かつては駅前交差点東側の道路中央に置かれ、利用客は、今も残る歩道橋でアクセスしていた。駅へ直進する形に改修されたのは2001年のことだ(下の写真参照)。JR線の高架化に伴い旧駅舎が撤去された後、2009年にさらに少し北進して、現位置に収まった。

今回の乗車会の集合場所は、桟橋線の終点近くにある桟橋車庫になっている。とさでん交通の本社やバスの営業所もある同社の運行拠点だ。さっそく桟橋通五丁目行きの電車に乗り込んだ。

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駅前広場に移転後の先代電停(2004年撮影)
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現在の電停とJR高知駅
 

電車は、駅前の交差点を横断すると、片側2車線が確保されたはりまや通りのセンターリザベーション軌道をまっすぐ南へ向かう。電停名でいうと、高知橋(こうちばし)、蓮池町通(はすいけまちどおり)と来て、次がはりまや橋になる。はりまや橋そのものは北側の堀川(跡)に架かる小橋に過ぎないが、交差点は高知市街の中心だ。上述のとおり、とさでん交通の軌道線はすべて、ここを起点か終点にしている。その意味では江戸の日本橋のような存在かもしれない。

ビルに囲まれた広い交差点の中央で、軌道が十字に交わっている。ダイヤモンドクロッシングと呼ばれ、日本ではもう、名鉄築港線と伊予鉄道とここでしか見られない。他の2か所と異なるのは、十字のどの方向にも分岐できるように急カーブの渡り線が付随していることだ(下注)。

*注 渡り線は北西側のみ複線で、他は単線。そのため直接右折できるのは北(高知駅前方面)から来て西(伊野方面)へ行く場合に限られる。

それで、とさでん交通の公式サイトは、3両の電車が同時に渡り線を通過するトリプル・クロスに言及している。といっても、右左折する便が朝夕しか走らないため、平日の8時12分ごろ、運行状況によって「まれに」見られるのだそうだ。イベントとしては興味深いが、とても通りがかりの旅行者の手には負えない。

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はりまや交差点のダイヤモンドクロッシング
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現在のはりまや橋 *
 

交差点を横断し終えて、南詰にあるはりまや橋電停で停車。車内の客がごっそり入れ替わった。ここから潮江橋(しおえばし)までの約250mは、あとの桟橋通一丁目~土佐道路交差点間約400mとともに、緑化軌道になっている。冬枯れの軌道敷を左へゆるやかにカーブしていき、鏡川に架かるその橋を渡る。

次の梅ノ辻(うめのつじ)電停以南は、潮江線として1904年に最初に開業した区間の一つだ(下注)。現在は完全に市街化しているが、建設当時は一面の田園地帯だったため、気持ちのいい直線ルートが延びる。そこに桟橋通一丁目から五丁目まで、順番に電停が並んでいる。

*注 最初、この潮江線(梅ノ辻~桟橋(現 桟橋車庫前))と本町線(堀詰~乗出(現 グランド通))の2区間で開業し、2年後の1906年、潮江橋(当時は専用橋)の完成により堀詰~梅ノ辻間が結ばれた(ただし現ルートとは異なる)。

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(左)潮江橋へ向かう緑化軌道 *
(右)桟橋通一丁目付近
 

終点の桟橋通五丁目は、港前の交差点を渡った堤防沿いの狭い敷地にある。手前で上下線が合流し、単線で頭端ホームに入っていく。比較的新しい屋根が掛かっているが、これは2009年にホームや駐輪場とともに整備されたものだ。それ以前は南端の家屋の手前まで線路が延びていたので、今もその一部と車止めが残っている。

桟橋という地名は、土佐電気鉄道が開業に合わせて、ここに船をつける桟橋を築いたことに由来する。鉄道網が未整備の時代、ここと県内各地の港や関西方面との間に航路が開設され、船の大型化により港が移転した1935(昭和10)年ごろまで、土佐の玄関口として機能した(下注)。華奢に見える軌道だが、当時は港と高知市街や沿線の町を結ぶ物流の動脈だったのだ。

*注 『土佐電鉄八十八年史』土佐電気鉄道、1991年 による。

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桟橋通五丁目、電停手前で単線に *
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堤防沿いの桟橋通五丁目電停 *
 

終点の160m手前、すなわち四丁目と五丁目の間に桟橋車庫前電停があり、北側で2本の引込線が車庫へ分岐している。私が着いたのは、フォトランに出ていた貸切電車が帰ってくる直前で、入庫シーンになんとか間に合った。

引込線は、下り線(桟橋通五丁目方面)には接続されていない。それで電車は桟橋車庫前の電停を通過してから停車。バックして南側の渡り線を通り、上り線(高知駅方面)に転線する。そのまま、また車庫前電停を通過して、引込線分岐の北側へ。それからもう一度前進して、ようやく引込線に入ってきた。

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桟橋車庫 *
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(左)フォトランから帰ってきた貸切電車
(右)桟橋車庫前電停を通過
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(左)上り線へ転線して、ようやく車庫引込線へ
(右)車庫に帰還
 

14時15分、フォトランで沿線に散開していた参加者が全員、車庫に集合する。ひととおり説明を受けた後、発車までの間、車庫内の保存車両区域で、留置車両の自由見学が許された。初代車両7形のレプリカとして造られた維新号も休んでいるが、参加者の関心の的はやはり外国製の旧型電車だ。

これらは、1989年に開業85周年を迎えた旧 土佐電気鉄道が、記念事業の一環で収集したものだ。第一号となったドイツ・シュトゥットガルト市電は、後の2013年に福井鉄道へ移籍した(下注)が、続いて到来したポルトガル・リスボン、ノルウェー・オスロ、オーストリア・グラーツからの計3両は今もこの車庫にいる。定期運用されていた時期もあったが、車齢の進行により近年はイベントや貸切でしか公開されない。それで今日は、貴重な古典車両を間近に観察できるまたとない機会だ。

*注 GT4形。レトラムの名で現在も運用されている。福井鉄道については「ライトレールの風景-福井鉄道福武線」参照。

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(左)1947年製リスボン市電910号
(右)1949年製グラーツ市電320号(グラーツ時代は204号)
 

このうち貸切運行に供されるのは、オスロから来たB形と呼ばれる電車だ。1939年の製造で、1992年5月から高知の街路を走っている。車長が15mを超える長いボギー単車で、後部の形状が魚のように見えることから、ノルウェー語で金魚を意味する「グルフィスク Gullfisk」のあだ名がある。

ユニークなのは、車端片側の乗降扉だけでなく、車両の中央にも両開きの折り戸がついていることだ。そのため中央部はデッキになり、客室が前後に分かれている。座席は向き固定の2+1人掛けで、集団離反型の配置だ。ここで走らせるために軌間や車幅の変更、車端扉の左右付替え、両運転台化など(下注)かなり手が加えられたため、もはやオリジナルとは言えないが、この形式では北欧以外で唯一の保存車になる。

*注 オスロ市電は標準軌(1435mm)で右側通行。進行方向を変えるループ線があるので「グルフィスク」は片運転台車として製造された。

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(左)オスロ市電198号、後部の形状が魚に似る
(右)客室は前後に分かれ、座席は向き固定の2+1人掛け
 

発車時刻が近づいてきたので、グルフィスクに乗り込んだ。14時42分に車庫を出発。直接北へ向かうから、先刻のようなスイッチバックは必要ない。本線軌道に入り、行き交う車と並走する。速度が増すにつれ、吊掛け駆動特有のうなりが聞こえてきた。見慣れたいつもの電車とはスタイルが違うので、道行く人の目を引くようだ。視線がこちらに向けられ、中にはスマホをかざす姿も見られた。

走行ルートはトの字形だ。まず上り線で終点の高知駅前まで行き、折り返す。はりまや交差点では後免線に入り、東進して知寄町(ちよりちょう)で折り返し。同 交差点まで戻った後、改めて桟橋線を南進し、桟橋車庫前へ。最後に、例のスイッチバックで車庫に入る。配られた業務運行表によれば、走行距離9.959km、所要1時間のミニトリップだ。

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はりまや交差点にさしかかる「グルフィスク」
海外鉄道研究会 田村公一氏撮影
 

フォトランも同じルートだったので、遅れてきた私以外、走行風景はみな脳裏に焼き付いているらしい。車窓から町の眺めを楽しみながら、あれやこれやと会話が弾む。15時00分に高知駅前の2番線に入線。後ろをついてきた定期運行の電車が隣の1番線に入ってきた。

4分停車の後、また先行して発車する。はりまや交差点のダイヤモンドクロッシングで左折するが、このルートで走る定期便は設定されておらず、貸切運行の特典だそうだ。

知寄町では、電停を通過してから、東方の渡り線で西行線(伊野方面)に転線した。ここに昔、車庫があったと、誰かがつぶやく。跡地に建っているのはパチンコ店らしく、往時の面影は全くなかった。

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桟橋通一丁目付近を行く
海外鉄道研究会 針谷光宣氏撮影
 

15時21分に再び走り出した。ダイヤモンドクロッシングでまた左に曲がって、帰途に就く。桟橋車庫前では、面倒なスイッチバックの通過儀式を居ながらにして見学した。着脱式のブレーキハンドルを携えた運転士さんが、すっかりくつろいでいる私たちの間をすり抜けて、両端の運転台の間を一往復する。

行程を無事終了して、車庫の所定位置に到着したのは15時42分。晩秋の日は短い。電車のステップを降りると、軌道の間に敷かれた古い石畳に参加者たちの長い影が落ちた。

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桟橋車庫に帰着
 

■参考サイト
とさでん交通 https://www.tosaden.co.jp/

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