ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
アッペンツェル鉄道ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 AB St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn
ザンクト・ガレン~アッペンツェル間19.92km(下注)
軌間1000mm、直流1500V電化
1889~1904年開業、1931年電化
*注 2018年のルックハルデ新線開通に伴う値。旧線時代は20.06km。
![]() 新トンネルの出口にあるリートヒュスリ停留所 |
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「市内貫通線 Durchmesserlinie」として、前回のトローゲン鉄道と直通運転されている相手が、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn だ。地元ではガイザーバーン(ガイス鉄道)Gaiserbahn とも呼ばれる。スイス北東部、ザンクト・ガレン St. Gallen からガイス Gais を経てアッペンツェル Appenzell に至る19.92kmの路線で、以前からアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen の路線網の主要部分を形成してきた。
メーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線で、主として道路の脇を走る道端軌道だが、これは長年にわたる施設改良の成果だ。開業時は非電化で、かつ数か所のラックレール区間があるラック式・粘着式併用の路面軌道だった。
ラックレールが最後まで残っていたのが、ザンクト・ガレン市街南東の丘を上る約1kmの区間だ。半径30mの厳しいオメガカーブ、通称ルックハルデカーブ Ruckhaldekurve があることでも知られていた。詳細は後述するが、2018年にこの難所が解消されたことでラック式電車が不要となり、市内貫通線が実現したのだ。
![]() ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線周辺の地形図にルートを加筆 Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
歴史をたどると、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線は1889年、アッペンツェル路面軌道会社 Appenzeller-Strassenbahn-Gesellschaft (ASt) によって、ガイスまでの区間が先行開通している。建設を推進するアッペンツェラー・ミッテルラント Appenzeller Mittelland の沿線自治体に対して、起点となるザンクト・ガレン市民の反応は冷ややかで、市街地の道路上での軌道敷設が許可されなかった。ルックハルデの険しい専用軌道は、そのために必要となった迂回路だ。
市外に出ると、軌道は旧来の道路上で、終点に向かっておおむね左側に寄せて敷かれた。当時は粘着式で45‰を超える勾配を上ることができず、該当区間にはラックレールが追加された。ラック区間はルックハルデを含めて6か所あった(下注)。
*注 後述するアッペンツェル延伸でも1.7kmの長いラック区間が設けられたので、最終的には7か所となった。
![]() 急勾配急曲線だったルックハルデカーブ(2014年) Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0 |
アッペンツェルへの延伸開業は、少し遅れて1904年になる。ここにはすでに1886年に、ヘリザウ Herisau 方面から同じメーターゲージのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn が到達していたので、その駅に乗入れた。また、ガイスには1911年、ライン川の谷壁を上ってきたアルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) が接続した。
路線網が充実していく間に、社名も変遷を重ねている。1931年の電化開業で、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA) になり、1948年のアルトシュテッテン=ガイス鉄道との合併では、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn と、さらに長くなった。
一方、目的地を同じくするアッペンツェル鉄道とは長らくライバル関係にあったが、1988年に合併し、改めて「アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB)」と名乗るようになった。日本語では区別できないが、原語では旧社名が単数形、新社名は複数形だ。
![]() ザンクト・ガレン支線駅に入るアッペンツェル行き電車 |
かつてアッペンツェル線の主力車両は、ラック・粘着式併用のBDeh 4/4で、1981年に5編成が調達された後、1993年にも2編成の追加があった。ラック撤去により前者は引退し、チロルのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に引き取られたが、結局使われることはなかった(下注)。後者は、160‰の急勾配ラック区間があるアルトシュテッテン=ガイス線用として、今なお現役だ。
*注 この事情については「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。
市内貫通以降、アッペンツェル線の運用車両は、シュタッドラー製のタンゴ Tango に統一されている。赤塗装、6車体連節の部分低床車で、跳ね上げシートを含め147席(うち1等12席)と、余裕の収容力を誇る。運行間隔は日中の平日が15分、休日が30分だ。
![]() (左)シュタッドラー・タンゴ (右)シックな座席が並ぶ車内 |
◆
では、ザンクト・ガレンから順に、沿線風景と路線改良の跡を追っていこう。
SBB(スイス連邦鉄道)駅と地続きの、通称「支線駅 Nebenbahnhof」がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(以下、アッペンツェル線)の起点になる。市内貫通以前は、支線駅舎をはさんで反対側の頭端式ホームで発着していた(下写真参照)が、現在は通過形の2面2線で、見た目は中間停留所と変わらない。
![]() ザンクト・ガレン支線駅 アッペンツェル方面から電車が到着 |
![]() 市内貫通以前のアッペンツェル線発着ホーム 左端は現ホーム(当時はトローゲン線用)(2011年) Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 |
ザンクト・ガレン駅を後にした電車は、SBB線と並走しながら南西方へ進む。ザンクト・レオンハルト橋 St. Leonhardsbrücke と呼ばれる陸橋の下をくぐった後、かつては左に急カーブして、旧 SBB貨物駅の外側を通っていた。貨物駅の移転に伴う跡地再開発の一環で、線路はSBB線沿いに移設され、減速が必要だった急カーブも解消された。
その一角に2022年、ザンクト・ガレン・ギューターバーンホーフ St. Gallen Güterbahnhof という名の停留所が新設された。ギューターバーンホーフは貨物駅という意味だが、貨物を扱うわけではなく、ふつうの旅客用電停だ。
![]() 新旧1:25,000地形図比較、ルックハルデカーブの前後 (左)2017年、旧線はSBB貨物駅を迂回し、オメガカーブで丘を上っていた (右)2024年、新線は(旧)貨物駅北側を直進し、トンネルに入る © 2025 swisstopo |
ここを通過すると、線路は左に緩くカーブしていき、いよいよルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel に突入する。2018年に完成したアッペンツェル線唯一の本格的なトンネルで、長さ725m。名が示すとおり、同線最後のラック区間だったルックハルデカーブの代替ルートだ。内部はS字形にカーブしていて、旧線より若干緩和されたとはいえ、80‰の勾配は粘着式として限界に近い。
暗闇を抜けるとすぐリートヒュスリ Riethüsli 停留所がある。トイフェン街道 Teufenerstrasse の裏手で、その昔、市電5系統の終点だったネスト Nest 電停のすぐそばだ。ちなみに、市電5系統は1950年7月にトロリーバスに転換されて姿を消した。電停の終端ループ跡は舗装されて、今もトロリーバス用として使われている。
![]() リートヒュスリ停留所 (左)ザンクト・ガレン方 (右)アッペンツェル方 |
ところでルックハルデの旧線跡は、今どうなっているのだろう。気になっていたので、途中下車して見に行った。旧線跡は停留所から南へ150mの、現路線がトイフェン街道脇に出る地点から始まる。もとはここにリートヒュスリ停留所があった(下写真参照)。
ザンクト・ガレン方向へ、上り坂のトイフェン街道を歩いていく。向かって右側の広い歩道が旧線跡だが、200m先にある三叉路で、道路の左側に移る。右手が上述の旧ネスト電停で、そこから出てくる市電の線路に道を譲っていたのだ。そこからサミットを越えるまでの約300mは、1950年の市電廃止まで、道路中央に市電、左側にアッペンツェル線という並走区間だった。その名残で道幅が広く、歩道にも余裕がある。
急な下りにかかるとトイフェン街道と市電線路が右にそれていき、アッペンツェル線は専用軌道になっていた。廃線跡はすっかり草に覆われているが、緩くカーブしていて、それとわかる広さがある。真ん中に踏み分け道がついていたので行ってみた。もとは100‰の勾配(下注)なので、おのずと足取りが軽くなる。市街地を見下ろす右手の斜面には市民向けの貸し農園が広がり、トタン屋根の簡素な小屋がいくつも建っている。この小道も実はそこへ通うためのものだ。
*注 開業時の当該ラック区間はリッゲンバッハ式、延長978 m、最大勾配92‰だったが、1980~81年に改修された際、リッゲンバッハ、シュトループ、ラメラ(フォン・ロール)混合方式で延長が946mに短縮された代わり、勾配は最大100‰になった。
農園の境界までは問題なく進めたのだが、そこで通せんぼするような低い柵が講じてあり、道も消えていた。先は一面の草地で、目を凝らすと、急旋回しながら降りていたルックハルデカーブの痕跡をなぞることができる。大昔、乗った電車の窓から見た記憶がよみがえってきた。
![]() (左)旧ネスト電停前、右から市電が出てきて画面奥へ並走していた (右)街道と市電が右にそれる地点 |
![]() (左)アッペンツェル線の軌道跡(中央左の踏み分け道)が始まる (右)貸し農園の上方を降りていく |
![]() ルックハルデカーブの痕跡 |
![]() ルックハルデカーブの現役時代(1984年) |
草地の旧線跡はこの後、ルックハルデトンネルの出口付近で新線と合流するのだが、私有地につき立入りは諦めて、本線の追跡に戻った。
トイフェン街道の進行方向左側で道端軌道になったアッペンツェル線は、リーベック信号所 Dienststation Liebegg を通過する。新線完成で所要時間が2分短縮され、列車交換は次のルストミューレ Lustmühle 停留所で行われるようになった。ルストミューレは、森を出て右に急カーブする地点にあるが、ダイヤが多少乱れても対向列車への影響を最小限にとどめられるよう、退避線は500m以上と異例の長さが取られている。
再び周りを人家が取り囲むようになれば、沿線の中心地の一つトイフェン Teufen だ。町中の延長400mほどは沿線で唯一、線路と車道が分離されておらず、くねくね曲がって見通しが悪い。さらに、シュパイヒャー街道 Speicherstrasse が分岐する駅手前の三叉路は、電車も横断するため、事故のリスクが高い。ルックハルデカーブが解消された今では、最後の難所と言えるだろう。
![]() トイフェン市街の併用軌道を行く(2007年) Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 |
トイフェン駅 Teufen AR(下注)は、大柄な駅舎の前に2面3線の構内が広がっている。平日日中は2本に1本の電車がここで折り返すので、この先は30分間隔の運行になる。
*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。
トイフェン駅を出ると短い下り勾配に変わり、この後たどるロートバッハ川 Rotbach の谷へ降りていく。ガイス開業時に6か所あったラック区間の一つがここだ。86‰の下り坂だったが、1976年に道路併設で勾配を62‰に緩和した新しいゴルディバッハ橋 Goldibachbrücke が完成して、ラック旧線は撤去された。
![]() (左)トイフェン駅舎 (右)2面3線の構内 |
![]() 同 トイフェン南方ゴルディバッハ橋 (左)1971年、旧線時代 (右)1989年、旧道の東側に勾配を緩和した新道併設の新線が造られた © 2025 swisstopo |
ずっと道路の左側を並走してきた線路が右側に移ると、まもなく次の町ビューラー Bühler だ。ビューラー駅はかつて、本線が道路上の併用軌道、待避線が駅舎裏の専用軌道という珍しい配置だったが、1968年に本線も駅舎裏に移された。それで外側の2番線は急なカーブを切っている。
町を抜けると再び道路を斜め横断し、そのまま道路際から離れてシュトラールホルツ Strahlholz 停留所の手前まで独自ルートを上っていく。もとは87‰勾配でラックレールが敷かれていたが、1983年に60‰で曲線も緩やかな新線に切り替えられた。
![]() 1984年のビューラー駅 |
![]() 同 ビューラー南東方 (上)1971年、旧線は道端軌道 (下)1989年、新線は専用軌道化して勾配を緩和 © 2025 swisstopo |
2~3分も走れば、一次開業時の終点だったガイス Gais 駅だ。町の中心ドルフプラッツ Dorfplatz は駅の東300mにあるので、線路はその方を向いて駅に進入する。ここも立派な駅舎がそびえ、構内は2面3線だ。駅舎方の1番線はアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais(次回参照)の列車用で、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の列車が入る。通常ダイヤでは上下列車の交換がある。
![]() (左)ガイス駅舎 (右)アッペンツェル行が2番線で待機中 |
目指すアッペンツェルは後方(西方)なので、常識的にはスイッチバック駅になるところだ。ところが電車はそのまま前進し、ルックハルデに次ぐ半径40mの急カーブで180度向きを変える。開業時の小型単車ならともかく、長さ50mを超える車両がこのカーブを、車輪をきしませながら慎重に曲がっていくようすはなかなか見ものだ。アッペンツェル線のガイス車庫・整備工場は、カーブを曲がり終えた地点にある。
牧草地を横切っていくうちに右手からガイス街道 Gaiserstrasse が接近してきて、線路は再びその道端に収まる。緩やかな鞍部に位置するザンメルプラッツ Sammelplatz 停留所は標高928mで、この路線の最高地点だ。
![]() 半径40mの急カーブを回る |
線路は、ここからアッペンツェルの町に向けて下り坂にかかる。もとは最大82‰勾配のラック区間が1.7kmの間続いていたが、1979年に、坂の下部にヒルシュベルクループ Hirschbergschleife(下注)と呼ばれる50‰勾配の迂回線が完成して、旧線を置き換えた。上部にはまだ最大63‰の勾配区間が残っていたが、同じタイミングで粘着式に切り替えられている。
*注 この場合のループ Schleife は、弧状のルートを意味する。
![]() 同 ヒルシュベルク付近 (上)1971年、ジッター川へ直降していた旧線時代 (下)1989年、新線は迂回で勾配緩和 © 2025 swisstopo |
見晴らしのいい迂回線でヒルシュベルクの斜面を降りきると、ジッター川とその氾濫原だ。電車は長さ296m、曲弦プラットトラスと多数のコンクリートアーチで構成されたジッター高架橋 Sitterviadukt を渡っていく。下流では比高100mの大峡谷を形づくる川だが、ここではまだ穏やかな表情で、盆地の平底をゆったりと流れている。
向こう岸で左後方から来るヴァッサーラウエン線と並走し始めれば、電車旅はまもなく終わる。ザンクト・ガレンから38分で、アッペンツェル・インナーローデン Appenzell Innerrhoden(準州)州都の玄関口アッペンツェル駅に到着だ。
![]() 修復工事中のジッター高架橋を渡る |
![]() 終点アッペンツェル駅 |
次回は、ガイスで分岐しているアルトシュテッテン=ガイス線を訪ねる。
■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/
![]() アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く) |
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