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2025年1月

2025年1月29日 (水)

新線試乗記-大阪メトロ中央線、夢洲延伸

大阪メトロ(Osaka Metro)中央線は、大阪市街地の中心部を東西に貫く地下鉄線だ。従来の運行区間はコスモスクエア~長田(ながた)間17.9km。長田で近鉄けいはんな線と相互乗入れし、列車は生駒(いこま)山地を越えてその終点、学研奈良登美ヶ丘(がっけんならとみがおか)駅まで直通運転されている(下注)。

*注 本ブログ「新線試乗記-近鉄けいはんな線」参照。

2025年1月19日に、起点側のコスモスクエアから夢洲(ゆめしま)に至るひと駅間3.2kmが延伸開業して、全長は21.1kmになった。夢洲は大阪湾を埋め立てた人工島の一つで、今年4月から10月まで開催される大阪・関西万博の会場がある。会期中、メトロ中央線は鉄道系で唯一の交通手段になる予定だ。

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夢洲駅に入線する400系電車
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大阪メトロ路線図
緑のラインが中央線、夢洲は左端
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夢洲延伸を告げるポスター

新線ができると乗らずにはいられない性格につき、開業3日後にさっそく出かけた。新規区間だけではあまりに短いので、乗入れ先の近鉄生駒駅からけいはんな線と中央線を乗り通すことにする。

生駒駅は、近鉄の主要路線の一角である奈良線や、その支線の生駒線との接続駅だ。奈良線ホームの北側に並行して、けいはんな線の島式ホーム1・2番線がある。けいはんな線は地上に敷かれた給電レールから集電する第三軌条方式なので電柱や電線がなく、隣の奈良線に比べて、すっきりした景観だ。

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生駒駅東方
右隣の奈良線と比べ、すっきりした景観のけいはんな線
 

平日日中の電車は、オフホワイト地にオレンジと水色の帯を巻いた近鉄の7000・7020系と、ドア周りが緑の縦縞になった大阪メトロの新型400系がおよそ交互にやってくる(下注)。緑は中央線のシンボルカラーで、沿線にある大阪城公園の森をイメージしているという。ただし、大阪城のあたりでは地下を走っているので、乗客にとってはあくまで心に浮かぶイメージだ。

*注 このほか、御堂筋線・谷町線の30000系と同系統で、水玉模様をあしらった新製車両(30000A系)も、万博終了までの間、中央線で運用されている。

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(左)大阪メトロ400系
(右)近鉄7000系
 

この400系は、2023年にデビューしてしばらく経つが、正方形を隅切りしたユニークな顔立ちが今でも目を引く。6両編成のうち1両だけ、車内に1人掛けのいわゆるぼっち席が並んでいるのもおもしろい。居心地がいいので、うっかり乗り過ごしてしまいそうだ。座席定員がロングシート車より少ないから座れる確率は低くなるが、すいていたらぜひ試してみたい。

それに対して目になじんだ従来車20・24系はもう見かけない。仲間が多く走っている谷町線などに転出してしまったそうだ。きっと車体の塗色も変更されて、もといた路線の面影は跡形もなくなっていることだろう。

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400系車内
(左)5人掛けロングシート車
(右)1人掛けシート車、扉間に向き固定で3席配置
 

東から坂を上って、電車がホームに入ってきた。乗り込むと、当たり前のように車内アナウンスが夢洲行きと告げるが、どこかのレジャーランドのような響きで、まだ聞き慣れない。生駒駅を後にすると、間髪を置かず生駒トンネルに突入した。奈良・大阪府県境の生駒山地を貫くこのトンネルは4737mで、近鉄の路線網では、大阪線の新青山トンネル(5652m)に次ぐ長さがある。

4~5分かけて闇を抜け出し、新石切(しんいしきり)駅に停車。ここは高架駅で、後ろを振り返ると、屏風のように立ちはだかる生駒山を仰ぎ見ることができる。しかし、明かり区間は約3km強に過ぎない。荒本(あらもと)駅の手前で、電車はまた地下へ潜ってしまう(下注)。

*注 地形図では吉田(よした)駅の手間でトンネルに入るように描かれているが、実際は阪神高速の下(3階建ての2階部)になるだけでまだ高架上にある。

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新石切駅から生駒トンネル西口を望む
背後は生駒山
 

けいはんな線は、地下鉄と同じ運行パターンで、普通列車しかない。奈良線の快速急行なら、生駒から鶴橋までノンストップの16分だが、こちらは各駅停車だ。そして長田駅で大阪メトロにバトンが渡される。

長田駅の周辺は、道路交通の要衝だ。けいはんな線の上を通っている阪神高速13号東大阪線・国道308号(中央大通)と、南北の幹線道路である近畿道・中央環状線とが交わる大規模な東大阪ジャンクションがある。しかし、長田駅のたたずまいは近隣の中間駅と何ら変わらない。特異な点があるとすれば、会社境界なので乗務員交替があることと、地下コンコースに両社の券売機が仲良く並んでいることだ。

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長田駅地下コンコース
近鉄と大阪メトロの券売機が並ぶ
 

高井田(たかいだ)は、2008年のJRおおさか東線開業(下注)で乗換駅になった。車内の乗客が目に見えて増えてくるのもこのあたりからだ。次の深江橋(ふかえばし)駅との間に行政界があり、東大阪市から大阪市に移る。緑橋(みどりばし)から弁天町(べんてんちょう)までは8駅連続でさまざまな鉄道路線と交差しているので、客の入れ替わりも激しくなる。

*注 「新線試乗記-おおさか東線、放出~久宝寺間」参照。

森ノ宮(もりのみや)駅で、JR大阪環状線の内側、大阪の中心市街地に入る。まだしばらく外の景色は見えないので、時間があるなら下車して、シンボルカラーの由来になった大阪城公園へ足を向けるのもいいだろう。地下道から階段を上がれば、園路と森の向こうに大阪城の豪壮な天守閣が姿を現す。西へ歩けば、南側に難波宮(なにわのみや)史跡公園も広がっていて、周辺は散策にいいところだ。

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森ノ宮駅
(左)JRとメトロの出入口(右)中央線ホーム
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大阪城公園、正面に天守閣が見える
 

谷町(たにまち)線と交差する谷町四丁目から先、中央線は江戸期から続く旧市街地を貫いていく。平面的な地図ではよくわからないが、立体的に見ると鉄道と道路の3層構造で、地下に中央線、地上に中央大通、そして高架上に阪神高速が通っている。1960年代に都市計画路線として一体的に建設された東西の交通軸だ。

堺筋本町(さかいすじほんまち)駅から本町(ほんまち)駅にかけての船場(せんば)地区が最も大掛かりで、中央大通の上下線の間を巨大な再開発ビルである船場センタービルが陣取り、その上に阪神高速と中央大通の立体交差が載る。ビルには地下階もあるので、それを避けて中央線の上下線の間隔がかなり開いている。本町駅では御堂筋線と四つ橋線が交差するから、線内で乗換客が最も多く、広くなった構内が効果を発揮する。中央線西行の混んだ車内もここで一気にすく。

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本町駅構内図
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船場センタービル
御堂筋との交差点にて
 

次の阿波座(あわざ)駅を出ると、電車はようやく明かり区間に飛び出す。ビジネス街の中心部とはまた雰囲気が違い、九条駅の周りに延びるアーケード商店街には、下町の生活感が漂っている。従来の改札は東側だが、2009年に阪神なんば線(下注)が開通した際、乗換え用に西口もできた。

*注 「新線試乗記-阪神なんば線」参照。

弁天町駅では、再びJR大阪環状線と出会う。環状線も高架上なので、さらにその上を乗り越えなくてはならない。かつてここにJR西日本の鉄博である交通科学博物館があり、鉄道ファンの巡礼地だったのを思い出す。京都鉄博の開館に伴って2014年に閉鎖され、跡地は現在、駐車場だ。ホームからインバウンド客が多数乗り込んできた。この先はベイエリアで、1961年、中央線で最初に開通した区間になる(下注)。

*注 中央線は、1961年に大阪港~弁天町間が先行開業し、1964年から69年にかけて深江橋まで段階的に追加開業した。長田延伸は1985年。

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(左)九条商店街ナインモール
(右)弁天町駅ホーム
 

朝潮橋(あさしおばし)駅ではホームの西端から、カーブを曲がって接近してくる電車がきれいに捉えられる。中央線では一番の撮影地かもしれない。

天保山(てんぽうざん)界隈がベイエリアの人気スポットになったのは1990年、巨大水族館の海遊館(かいゆうかん)などハーバービレッジの観光施設が開業してからだろう。大阪港(おおさかこう)駅はその玄関口として、休日を中心に今も多数の客が利用する。弁天町で乗ったインバウンド客もほとんどここで下車した。彼らのお目当ては、海遊館ではなく天保山マーケットプレースの商業施設らしい。

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朝潮橋駅西端のカーブ
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コスモスクエア海浜緑地からの眺め
正面に湾岸線天保山大橋、右手前のカラフルな建物が海遊館
 

大阪港駅を出ると、電車はまた地下に潜っていく。海底トンネルを通って咲洲(さきしま)のコスモスクエア駅へ。この駅の中央線ホームは地下2階にあり、その上の地下1階は、接続する「ニュートラム」のホームになっている。ニュートラム、すなわち大阪メトロ南港ポートタウン線は、住宅街や倉庫群が広がる南港地区を巡って、四つ橋線の終点、住之江公園(すみのえこうえん)駅まで行く新交通システムだ。大阪港で車内に残った客もほとんどここで降り、多くは地下1階行きのエスカレーターで上がっていった。

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コスモスクエア駅
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(左)同 ニュートラム乗り場
(右)小柄なニュートラム車両
 

大阪港駅を終点にしていた中央線の電車がコスモスクエアに到達したのは1997年(下注)。西側のさらなる延伸はそれ以来だ。各車両とももう3~4人しか乗っていない。電車はすぐにコスモスクエアを出発し、「次は夢洲、終点です」と自動アナウンスが車内に響く。かぶりつきで見ていると、はじめ左へ、その後右へカーブを続けて直線ルートに入った。夢咲トンネルの海底横断区間だ。最後にもう一度右カーブして、夢洲駅1面2線の頭端ホームに進入していく。その間約4分だった。

*注 延伸当時は大阪市交通局の路線ではなく、第三セクターの大阪港トランスポートシステム(OTS)が運行していた。運行が市交通局に移管されたのは2005年。

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夢洲駅
(左)地下2階ホーム(右)地下1階コンコース
 

ホームに降り立つと、可動柵はもとより壁や柱まで黒づくめのなか、折り紙風の凝った天井パネルと、床面から立ち上がる白色光の枠が迎えてくれた。エスカレーターで上った改札階は広々として、長さ60mという大型のデジタルサイネージが万博関連の画像を映している。横一線に10数台並ぶ壮観な改札機の列は、北陸新幹線の敦賀駅を思わせる。

改札を抜けると左手に、地上に上がる大階段と上下2本のエスカレーターが現れた。動線はシンプルで、初めてでも迷うことはない。大空の下に出ると、何かと話題になる木造大屋根リングが右奥にちらりと見え、左手には入出場のための東ゲートがあった。しかし一帯は当然のことながら工事中で、関係者以外立入り禁止だ。

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(左)地上への大階段
(右)地上出入口
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(左)東ゲート
(右)右奥に大屋根リングの一部
 

開業したてなので、私のほかにもスマホやカメラを掲げた見物客が多数うろうろしている。同じ電車に乗っていた人たちもその目的だったに違いない。デジタルの列車案内には、400系の姿を借りて「EXPO 2025まであと81日」と表示されていた。開幕に向け急ピッチで準備が進められる中、観客の最大の輸送手段にめどが立ったことはまことに喜ばしい。ただ肝心の博覧会の内容までは十分理解できておらず、3か月後にここを再訪するかどうかは、まだ決めかねている。

■参考サイト
Osaka Metro https://subway.osakametro.co.jp/

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 新線試乗記-おおさか東線、新大阪~放出間
 新線試乗記-北大阪急行、箕面萱野延伸

2025年1月17日 (金)

ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線

アッペンツェル鉄道ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 AB Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen

ゴーサウSG~ヴァッサーラウエン間32.10km
軌間1000mm、直流1500V電化
1875~1913年開業

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ゴーサウ駅に停車中の「ヴァルツァー Walzer」

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ザンクト・ガレン St. Gallen から西行きSバーンで3駅目のゴーサウ Gossau SG(下注)。駅舎寄りの標準軌線ホームから側線を隔てて少し離れた場所に、1本の島式ホームがある。10数両分の余裕がある標準軌側に比べて格段にコンパクトで、ローカル私鉄の雰囲気が漂う。

*注 Gossau は(ゴッサウではなく)ゴーサウと発音する。SG はザンクト・ガレン州の略。他州の同名の町と区別するため。

アッペンツェル鉄道のゴーサウ=ヴァッサーラウエン線 Bahnstrecke Gossau SG–Wasserauen は、長さ32.1kmの電化メーターゲージ線だ。このホームから出発し、ヘーリザウ Herisau、ウルネッシュ Urnäsch、アッペンツェル Appenzell といった町を経て、ヴァッサーラウエン  Wasserauen に至る。個性派ぞろいの同社の路線群を見てきた目には、取り立てて特色もなさそうに映るが、実は歴史が最も古く、ルーツと言うべき路線だ。

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ゴーサウ駅地下道入口
駅名標に両社のロゴが並ぶ
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ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線周辺の地形図にルートを加筆
ゴーサウ~アッペンツェル間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
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同 ウルネッシュ~ヴァッサーラウエン間
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

開業したのは1875年4月(下注)、蒸気運転でスタートした。ただし、ルートは現在とは違い、ゴーサウのひと駅東のヴィンケルン Winkeln が起点で、ヘーリザウ(初代)を終点とする約4kmの小路線だった(下図1875年の項参照)。

*注 同年9月に開業したロールシャッハ=ハイデン登山鉄道 Rorschach-Heiden-Bergbahn より5か月早い。

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ゴーサウ~ヘリザウ間のルート変遷
 

ヘーリザウは、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の行政機関が集まる事実上の州都だ。当時、スイス東部ではザンクト・ガレンに次ぐ人口があった。しかし、高台に位置するため標準軌幹線(下注)が経由せず、町では連絡鉄道を求める声が高まっていた。

*注 1856年に開通したヴィンタートゥール=ザンクト・ガレン線 Strecke Winterthur - St. Gallen。1902年の国有化でSBB(スイス連邦鉄道)の一路線になった。

「スイス地方鉄道会社 Schweizerische Gesellschaft für Localbahnen (SLB)」が、鉄道建設に名乗りを上げる。バーゼル Basel に拠点を置き、同じように鉄道の恩恵を受けていない複数の地域で支線開設を目論む会社だった。その手始めがヘーリザウだったが、収益性の理由で、ウルネッシュとアッペンツェルへの延伸も計画に盛り込まれた。

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東側から望む初代ヘーリザウ駅と市街地(1910年以前)
Photo from wikimedia. License: public domain
 

1875年4月のヘーリザウ開業に続いて、同年9月にはウルネッシュまで完成して、運行が始まった。初代のヘーリザウ駅は、市街地の前に設けられた頭端駅だ。そのため、到着した列車は坂下の信号所までスイッチバックし、改めてウルネッシュへ向かった。

しかし、追加の資金調達が不調に終わり、会社が抱いていた他地域への拡張構想は頓挫する。結局、スイス地方鉄道会社は、1886年のアッペンツェル延伸開業を前に、アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn と改称し、地元の鉄道会社として存続するしかなかった。

ヘーリザウの町にとって、次の鉄道はザンクト・ガレンから到来した。1910年に開業したボーデンゼー=トッゲンブルク鉄道 Bodensee-Toggenburg-Bahn(現 スイス南東鉄道 Schweizerische Südostbahn (SOB))だ。新駅の設置によりヘーリザウは、標準軌線でザンクト・ガレンと直接結ばれることになった。

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SOB線ジッター川橋梁、高さ99m
 

アッペンツェル鉄道にとってこれは競合路線であり、かつ自社線は遠回りで乗換えを要するため、圧倒的に不利な状況だ。すでに1904年から、ガイス Gais 経由でアッペンツェルに到達したアッペンツェル路面軌道 Appenzeller Strassenbahn(下注)によって、終点駅でも客の争奪戦が発生していて、二重の打撃となることは避けられなかった。

*注 現 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn。

これを見越してアッペンツェル鉄道は、起点をヴィンケルンからゴーサウに移す認可を申請していた。ゴーサウでの接続の利点は、ヴィンタートゥール Winterthur など西方から近いことはもとより、支線によってヴァインフェルデン Weinfelden など北側からの集客も見込める点だ。後述のようにアッペンツェル鉄道は、ゼンティス Säntis への登山ルートとしても注目されていたので、域外からの観光客の誘致は重要課題だった。

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現在のゴーサウ駅SBB線ホーム
 

町裏の浅い谷に設けられた標準軌ヘーリザウ駅とともに、アッペンツェル鉄道の新駅も、谷間をならして造られた。両駅は、駅前通りを挟んで隣接していた。これにより、初代ヘーリザウ駅は廃止された。列車がスイッチバックしていた信号場も新駅より10mほど高みにあったために使えず、前後区間のルートが付け替えられた(上図1910年の項参照)。

ゴーサウ~ヘーリザウ新線は、それから3年遅れて1913年に開通した(下注、1913年の項参照)。これに伴い、ヴィンケルンからの旧線は廃止された。35‰の勾配で谷を大きく巻きながら上っていた旧線の一部は、現在小道となって残っている。

*注 その際、手狭だった標準軌ゴーサウ駅も300m南東へ移転し、前後区間が付け替えられた。

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新旧1:25,000地形図比較 ヴィンケルン付近
(左)1904年、谷を大きく巻いて上る旧線
(右)2024年、旧線の一部が小道として残る
© 2025 swisstopo
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同 ヘーリザウ付近
(左)1904年、市街地の前に設けられた初代ヘーリザウ駅
(右)2024年、新駅(二代目)はSOB線の駅に隣接
© 2025 swisstopo
 

この時期、根元区間の付け替えだけでなく、末端部でも重要な拡張が行われた。アッペンツェル~ヴァッサーラウエン間だ。この区間は観光鉄道として、1912年にゼンティス鉄道 Säntisbahn (SB) の名で開業している。

ゼンティス山はアルプシュタイン山地 Alpsteinmassiv の主峰で、標高2502m。ボーデン湖北岸のドイツ領からもよく見えるため、スイス東部で最も有名な山の一つだ。アルプス各地にラック登山鉄道が次々と建設されていた時代、ゼンティスでも同様の構想が繰り返し提起された。この鉄道も山頂を目指していたものの、山麓の平坦区間を造ったところで第一次世界大戦が勃発し、夢は実現しなかった。

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ヴァッサーラウエン駅の終端部
 

ゼンティス鉄道は最初から電化されていたが、アッペンツェル鉄道の電化は遅れて1933年のことだ。そして第二次世界大戦を経た1947年にはゼンティス鉄道を吸収、1988年には長年ライバルだったアッペンツェル路面軌道(下注)とも合併して、現社名のアッペンツェル鉄道(複数形)Appenzeller Bahnen となった。

*注 合併当時の名称は、前者がアッペンツェル=ヴァイスバート=ヴァッサーラウエン鉄道 Appenzell-Weissbad-Wasserauen-Bahn (AWW)、後者がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn (SGA)。

SBB(スイス連邦鉄道)のゴーサウ駅舎は、移転改築された1913年という時期を象徴するように、曲線を多用したアールヌーボー風の外観が目を引く。ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線は、長い地下道を渡ったメーターゲージ線専用の11番線から出発する。30分間隔の運行で、終点までの所要時間は51分だ。

電車はすでにホームにいた。2018年に就役したシュタッドラー・レール Stadler Rail 製の ABe 4/12 だ。国内の他路線でもときどき見かける3車体連節の部分低床車で、ここでは「ヴァルツァー Walzer」と呼ばれている。全体に赤をまとい、窓枠上部に白帯を巻くが、電動車の先頭部だけが黄帯で、1等室があることを示している。

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アールヌーボー風の外観をもつゴーサウ駅舎
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現在の主力車両「ヴァルツァー」(2018年)
Photo by Plutowiki at wikimedia. License: CC0 1.0
 

すいた車内に入り、発車を待っていると、向こうのSBBホームに電車が到着した。チューリッヒから来たIR(インターレギオ)だ。すると少し間を置いて、リュックを背負った人たちが地下道の階段から大勢現れ、ヴァルツァーに乗り込んできた。今日は金曜日だが、レジャー需要は思った以上に大きいようだ。

10時21分に発車。SBB線と工場群を左に見ながら徐々に高度を上げていく。森を抜けると、SOB(スイス南東鉄道)線の上を跨いで、ヘーリザウ駅に停車した。事実上の州都の玄関駅だが、乗降は多くなかった。

ここで列車交換し、この先はアッペンツェラーラントの山間地に入る。路上や道端こそ走らないが、19世紀の軽便規格で建設された線路なので、右に左に細かいカーブが連続する。最新の電車でも線形には勝てず、速度は一向に上がらない。

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ヘーリザウ駅(2010年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

ウルネッシュタール Urnäschtal(ウルネッシュ川の谷)に出て、ヴァルトシュタット Waldstatt に停車。一見広くなだらかな谷間だが、川が比高60m以上の深い渓谷を刻んでいる。線路は道路とともに、切れ込んだ支谷を避けて、大回りしながら南へ進む。集落どころか、ぽつんぽつんと農家があるばかりで、リクエストストップの小駅は通過してしまった。

ヴァルトシュタットから10分ほど走って、ウルネッシュに停車した。リュック姿の客が数組ホームに降りた。ゼンティス山頂へはロープウェイが通じているが、その乗り場シュヴェーガルプ(シュヴェークアルプ)Schwägalp へ行くポストバスがこの駅前から出ている。

反対側から、ゴーサウ行きの対向列車が入線してきた。それを待って出発。穏やかな流れになったウルネッシュ川を渡ると、列車は左に急旋回して、今来た谷を戻る形になる。川向うの線路を、今さっき行き違った列車が走り去るのが見えた。

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ウルネッシュで行違った列車が対岸を走り去る
 

丘をゆっくり上って、クローンバッハ川 Kronbach の谷へ。視界が開けてくると、ヤーコプスバート Jakobsbad をはじめとするウィンターリゾートのゴンテン Gonten 地区を貫いていく。地形的には、ウルネッシュとアッペンツェルの間にある谷中分水界だ。ゴンテン~ゴンテンバート Gontenbad 間にある州道の踏切付近が標高905mで、この路線の最高地点になる。

ゴンテンバートからは下り坂に転じて、美しい緑の牧野を愛でながら走る。まもなく左車窓、行く手にアッペンツェルの町が見えてきた。町は、標高約780mの高地に位置する。グラールス州とともに今なおランツゲマインデ(民会)による直接民主制を維持していることで知られるアッペンツェル・インナーローデン準州 Appenzell Innerrhoden の州都だ。その玄関駅に11時00分到着、ここで最後の列車交換がある。

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車窓に映るアッペンツェル郊外の牧野風景
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アッペンツェル市街ハウプトガッセ Hauptgasse
熊を象った州旗のある建物は市庁舎
 

駅舎は1886年開業時の建築だが、1930年代に正面の外観が改修されている。現在見られる寄棟屋根と独特の曲線破風はこのときに造られた。構内は2面4線で、駅舎側からザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(1番線)、ホームのない通過線(2番線)、島式ホームのゴーサウ=ヴァッサーラウエン線(3・4番線)の順で並ぶ。

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アッペンツェル駅
(左)駅舎正面(右)ゴーサウ=ヴァッサーラウエン線ホーム
 

拠点駅とはいえ、停車時間は長くない。乗降が終わるとすぐにまた動き出した。残り区間は、旧ゼンティス鉄道のルートだ。いっとき左車窓をザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線が並走するが、ジッター川を渡るためにまもなく左に離れていく。右手には2025年2月完成予定で、新しい車両基地アッペンツェル・サービスセンター Servicezentrum Appenzell が目下建設中だ。

河畔林を伴うジッター川を渡り、2車線の州道に沿って走る。勾配は緩やかだが、相変わらずカーブの多いルートだ。行く手に、屏風のようにそびえるアルプシュタインの岩壁が見えてきた。クーアハウスがホテルとして残る古い保養地ヴァイスバート Weissbad に停車。やがて家並みが消え、谷が狭まり、いよいよ両側を急峻な岩山が取り囲み始めた、と思ったら、もう終点だった。

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ヴァッサーラウエン駅
(左)レジャー客が多数降りる(右)岩山が取り囲む谷間の終点
 

ドアが開くと、車内に残っていたリュック姿の多くの客が一斉にホームに降り立った。ヴァッサーラウエン Wasserauen(下注)は緑の谷のどん詰まりで、もはや周りにまとまった集落はない。駅の利用者はほぼレジャー客だ。

*注 ヴァッサーラウエンは水のある Wasser +麗しい草地 Aue を意味する。語の成り立ちを尊重してヴァッサーアウエンとも書かれる。

ラック鉄道は実現しなかったが、すぐそばに、断崖を縫う展望トレールとガストハウスで有名なエーベナルプ(エーベンアルプ)Ebenalp へ上るロープウェーがある。また、徒歩で山奥にたたずむゼーアルプ湖 Seealpsee へ向かう人も多い。晴れた朝の山岳地帯に見られる荘厳な空気が、谷底のこのあたりにまで降りてきている。私のように6分で折り返す電車で帰ってしまったのでは、あまりにもったいない。

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(左)駅前を流れ下るシュヴェンデバッハ川 Schwendebach
(右)エーベナルプに上るロープウェー
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エーベナルプのベルクガストハウス・エッシャー Berggasthaus Aescher(2015年)
Photo by kuhnmi at wikimedia. License: CC BY 2.0
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ゼーアルプ湖、正面右奥の雲間にゼンティス山頂が覗く(2020年)
Photo by Giles Laurent at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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 ライネック=ヴァルツェンハウゼン登山鉄道
 ロールシャッハ=ハイデン登山鉄道
 トローゲン鉄道
 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線
 アルトシュテッテン=ガイス線

2025年1月12日 (日)

アルトシュテッテン=ガイス線

アッペンツェル鉄道アルトシュテッテン=ガイス線 AB Bahnstrecke Altstätten–Gais

アルトシュテッテン・ラートハウス Altstätten Rathaus ~ガイス Gais 間 8.05km
軌間1000mm、直流1500V電化、シュトループ式ラック鉄道(一部区間)、最急勾配160‰
1911~12年開業
1975年 アルトシュテッテン・ラートハウス~アルトシュテッテン・シュタット Altstätten Stadt 間廃止

【現在の運行区間】
アルトシュテッテン・シュタット~ガイス間 7.65km

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ラインの谷へ急勾配を駆け降りる

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前回紹介したザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn(以下、アッペンツェル線)の中間駅ガイス Gais には、東からアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais の電車が入ってくる。

この路線の特徴は、最大160‰の急勾配を含めてラック区間が3.26kmと、全線7.65kmの半分近くを占める点だ。起点のアルトシュテッテン Altstätten はアルペンラインタール Alpenrheintal(下注)の平地の裾にある市場町だが、終点ガイスはアッペンツェラーラント Appenzellerland の高原地帯にあり、標高は900m台に載る。

*注 アルペンラインタールは、ボーデン湖 Bodensee より上流のライン川 Rhein(アルペンライン Alpenrhein と呼ばれる)が流れる谷。

主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen からは遠く離れ、SBB(スイス連邦鉄道)線と接続していないこともあって、地味で目立たない路線だ。しかし、坂を上っていくにつれ車窓いっぱいに広がる眺めは、登山鉄道にも引けを取らない雄大さで、乗客を魅了する。今回はこの知られざるローカル線を旅してみよう。

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クロイツシュトラーセ停留所付近
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アルトシュテッテン=ガイス線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA

まず気になるのが、路線名における地名の並び順だ。アルトシュテッテンが起点、ガイスが終点という意味だが、アッペンツェル線の支線格にもかかわらず、なぜ接続駅のガイスが終点なのか。それは、もともとアッペンツェル線とは別会社(下注)で、かつアルトシュテッテン側の資本で設立されたという経緯があるからだ。

*注 アルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) と称した。

アルトシュテッテンは中世以来、この地域の主要な市場町として栄えてきた。州は違えどガイスも、ザンクト・ガレンより距離的に近いアルトシュテッテンの商圏に含まれていた。ところが、1889年にアッペンツェル線の前身アッペンツェル路面軌道 Appenzeller Strassenbahn が開業すると、高原地帯とザンクト・ガレンとの結びつきが一気に強まった。これに対して、アルトシュテッテン市民の間で、町の地位低下を懸念する声が高まる。こうしてガイス方面とのアクセスを確立する電気鉄道の建設計画が具体化していった。

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アルトシュテッテン旧市街マルクトガッセ
かつて路面軌道が左端を通っていた
 

路線は1911年11月に、アルトシュテッテン・シュタット Altstätten Stadt とガイスの間で開業した。アルトシュテッテン・シュタットは今の起点駅だが、7か月後の1912年6月に、市街地を貫いて反対側にあるラートハウス(市庁舎)Rathaus までの延伸区間が併用軌道(下注)で開通する。

*注 道路上に敷かれた線路。路面軌道。

ラートハウスには、すでに1897年からアルトシュテッテン=ベルネック路面軌道 Strassenbahn Altstätten–Berneck(以下ベルネック路面軌道、下注)が通じていた。この軌道会社は、市街地から1km以上離れたアルトシュテッテンSBB駅への支線を持っていて、ガイスからの電車はこれに乗り入れることでSBB駅まで達することができた。運行業務も軌道会社に委託されたので、それ以降、SBB駅支線はアルトシュテッテン=ガイス線と一体化した。

*注 アルトシュテッテン・ラートハウス~ヘーアブルック Heerbrugg ~ベルネック Berneck 間、およびヘーアブルック~ディーポルツァウ Diepoldsau 間の路面軌道。
路線図 https://de.m.wikipedia.org/wiki/Datei:Lagekarte_Strassenbahn_Altstätten–Berneck.svg

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開業時のCFe 3/3電車
スイス交通博物館(ルツェルン)蔵
 

1940年にベルネック路面軌道の本線はトロリーバスに転換されてしまうが、SBB駅支線はそのまま併用軌道として残った。しかし、貨物輸送がないアルトシュテッテン=ガイス線の経営状況は常に苦しく、連邦当局の斡旋で1948年に現在のアッペンツェル線を運営していた会社(下注)と合併する。

*注 ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA)。

電車運行が現在のようなアルトシュテッテン・シュタット止まりになったのは、1975年のことだ。道路交通量が増加して路面軌道の運行に支障が生じるようになり、シュタット~SBB駅間はバス輸送に転換され、列車接続が絶たれてしまった。

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駅端で寸断された線路
かつては黄色のコンテナの後ろの旧市街へ続いていた
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新旧1:25,000地形図比較
アルトシュテッテン市街周辺
(上)1944年、路面軌道は梯子状の道路記号
(中)1971年、ベルネック路面軌道廃止後、SBB駅線だけ残る
(下)1989年、SBB駅線廃止後
© 2025 swisstopo

アルトシュテッテンの市庁舎(ラートハウス Radhaus)は、旧市街の東端に建つ7階建ての近代建築だ。容積率の制限がないのか、変則五角形の狭い敷地を目いっぱい使っていて、歴史ある町には似つかわしくない。その前の大通りに、かつてアルトシュテッテン=ガイス線の旧終点、ラートハウス駅があった。駅といっても路面軌道の簡易な乗り場だったので、停留所というほうがふさわしい。

そこはまた、北東10kmのベルネック Berneck の町へ行く旧 ベルネック路面軌道の起点でもあった。軌道は東へ200m進んだビルト Bild の交差点で、アルトシュテッテンSBB駅へ行く支線を右に分けていた。ガイスから来た電車はこの支線に乗入れて、SBBの駅前まで直通していたのだ。

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(左)ラートハウス(市庁舎)前
  線路が抜けていた小路、奥の大通りに駅(停留所)があった
(右)路面軌道があった駅前通り
 

一方、ラートハウスの西では、旧市街の目抜き通りであるマルクトガッセ Marktgasse を併用軌道で貫いていた。背の高い切妻屋根の商家が軒を並べる狭い街路は今も変わらないが、線路の痕跡は皆無で、ここに鉄道が通っていたとは信じられない。

マルクトガッセを西へ抜けると、交差点の向こうに現在の起点、アルトシュテッテン・シュタット駅が見えてくる。シュタット Stadt は町、都市という意味で、名前のとおり、ガイスから来れば町の入口だった。

3階建ての現駅舎は2002年に改築されたもので、レストランなどが入居している。通りを隔てた向かい側には、SBB駅方面に向かうバスの停留所がある。電車は1時間に1本きりだが、バスは300および335の2系統があり、合わせて毎時4本走っている(下注)。

*注 バスの時刻表、路線図は RTB Rheintal Bus https://www.rtb.ch/ 参照。

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(左)マルクトガッセ、線路の痕跡は皆無
(右)シュタット駅前のバス停
  SBB駅前を経由する300系統のバスが停車中
 

駅構内は最近整理され、片面ホームと線路1本だけになってしまった。もとは通過型の3線が並ぶ構造で、駅舎改築の際に、駅舎寄りの1本が削減されて2線になっていた。機回しの尺を確保するためか、引上げ線が駅前の道路を横断していたのだが、不要となった現在は短縮され、通りの手前に車止めがある。

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構内整理で棒線になったシュタット駅
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駅から出て大通りを横断していた引上げ線(2009年)
Photo by Roehrensee at German Wikipedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ホームに、折返しガイス行の電車が入ってきた。2両編成でガイス方から制御車122号、電動車17号、最後尾に自転車を載せる台車(ヴェーロヴァーゲン Velowagen)が付随している。

制御車は部分低床の客車で2004年製だが、蝶の舞い姿をデザインした新たな外装をまとい、2024年にこの路線にお目見えしたばかりだ。電動車は第2世代のBDeh 4/4で、1993年製。アッペンツェル線のラック区間が解消されてからは、同型式のもう1両とともに、この路線専属になっている。

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(左)蝶が舞う制御車122号、窓枠上部に黄帯がある区画は1等席
(右)電動車BDeh 4/4 17号
 

自転車台車の中を覗くと、内壁に起点駅、終点駅とシュトス Stoss でのみ積み下ろし可能と書かれていた。後述のとおり、シュトスはラック区間の山側の終点だ。坂の上で列車から下ろし、見晴らしのいいダウンヒルコースを駆け降りるなら、さぞ爽快なことだろう。

ガイスまでの所要時間は上り(ガイス方面)が20分、下り(アルトシュテッテン方面)が23分だ。1時間間隔の運行なので1編成で足りる。そのため、中間駅での列車交換はない。

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(左)最後尾は自転車台車
(右)積み下ろしはセルフサービス

列車は15時ちょうどにアルトシュテッテン・シュタットを発車した。駅を後にすると、200m足らずの助走区間を経て、早くもガリガリと手ごたえのある音がする。ラック区間に入ったようだ。ラックレールはシュトループ Strub 式だ。アプト式のような歯竿を縦置きするのではなく、平底レールの上部にラックの歯が刻まれている。1898年にユングフラウ鉄道 Jungfraubahn で実用化されて以来、電気鉄道では当時主流の方式だった。

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(左)ラック装置がモチーフの駅改築記念碑
(右)シュトループ式ラックレール
 

電車は、農家や畑が点在する斜面をたくましく上り始める。初めは木立に遮られがちだが、右へ大きくカーブするあたりから、左の車窓が大きく開けてきた。最初のラック区間は1kmほどで終わり、待避線のあるアルター・ツォル Alter Zoll 停留所を通過する。中間停留所はすべてリクエストストップなので、乗降の合図がなければ停車しない。

停留所の後すぐにラックが復活し、急斜面をなぞるようにぐんぐん高度を上げていく。後ろを振り返ると、さっきまでいたアルトシュテッテンの市街と聖ニコラウス教会の尖塔が、もうかなり小さくなっている。

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アルトシュテッテンの市街地が遠ざかる
 

周辺は大きな農家があるほか一面の牧草地なので、見晴らしは抜群だ。左の眼下に平底のアルペンラインタールが広がる。谷を縦断しているひときわ目立つ直線は、オーストリアとの国境をなすライン川の川筋だろう。その向こうにフォアアールベルク Vorarlberg のどっしりとした山並みが連なり、稜線の切れ目から残雪を戴くアルプスも顔を覗かせている。

ヴァルメスベルク Warmesberg 停留所はラック区間の途中だ。ホームは右側なので、下界の眺望に気を取られていると見落としてしまう。次にラックが途切れるのは、クロイツシュトラーセ Kreuzstrasse 停留所の前後だ。斜面の踊り場に位置していて、終始線路と並走しているシュトス街道 Stossstrasse がここで初めて線路を横切る。

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アルペンラインタールの眺望
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クロイツシュトラーセ停留所とシュトス街道の踏切
 

さらに160‰の胸突き八丁を上っていくと、車窓の大パノラマが、右手に現れた前山の陰に入り始めた。ここでようやく急勾配が収まり、電車はシュトスAR 停留所(下注)に着く。アルトシュテッテン・シュタット駅の標高が467m、シュトスはすでに942mで、475mの高度差を一気に上ってきたことになる。まだ最高地点ではないが、急傾斜地はここまでで、あとはなだらかな高原地帯だ。

*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。

ちなみにトローゲン鉄道沿線のフェーゲリンゼック(フェーゲルインゼック)Vögelinsegg と同様、シュトスも中世アッペンツェル戦争の古戦場だ。右手斜面の上方で、戦いから500年になるのを記念して1905年に立てられた戦争記念碑 Schlachtdenkmal がラインの谷を見下ろしている。

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(左)シュトス停留所とラック終点
(右)斜面に立つ戦争記念碑(2010年)
Photo by böhringer friedrich at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

次のリートリ Rietli 停留所には以前、待避線があったが、ガイス方のポイントが廃止され、行き止まりの側線になってしまった。ここを出るとしばらくの間、シュトス街道の脇を進む。左車窓にはラインタールに代わって、緩やかに起伏する高原地帯の風景が広がり、その背後にアルプシュタイン Alpstein の荒々しい岩峰群がそびえている。シャッヘン Schachen 停留所付近が分水界だが、線路はまだわずかに上り坂だ。小さな張り出し尾根を乗り越えるヘブリッヒ Hebrig 停留所が標高972mで、最高地点となる。

この後は粘着式、最大52‰の急勾配で、ガイスに向けて坂を下っていく。右手の木立越しにガイスの町が見え始め、やがて左方からアッペンツェル線が半径40mの急曲線で回りながら接近してくる。最後はこれに付き合いながらガイス駅の構内に進入し、駅舎に接する1番線がアルトシュテッテン=ガイス線列車の定位置だ。

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高原の背後にアルプシュタインの岩峰群が覗く
 

15時20分に到着。定時運行ならその3分後、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の上下列車が相次いで入ってくる。1時間ごとに繰り返される、乗換客がホームを行き交う時間帯だ。しかしアルトシュテッテン行きは24分発なので、客が車内に収まるや、すぐに扉を閉めて出ていってしまう。3番線のアッペンツェル行きも同時刻発車だから、運が良ければ急カーブでつかの間の並走シーンが見られるかもしれない。

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ガイス駅手前の急曲線
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(左)ガイス駅舎
(右)1番線で乗換客を待つ

アッペンツェル鉄道に残るラック路線はいずれも、利用者数の減少を理由に、「より顧客に優しく、費用対効果の高い代替案 kundenfreundlichere und kostengünstigere Alternativen」の検討対象となっている。アルトシュテッテン=ガイス線も、現形態での運行は2035年が期限とされ、その後はバス代行や自動運転化を含めた何らかの転換が行われる予定だ。

次回は、アッペンツェル鉄道のルーツであるゴーサウ=ヴァッサーラウエン線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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2025年1月 4日 (土)

ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線

アッペンツェル鉄道ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 AB St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn

ザンクト・ガレン~アッペンツェル間19.92km(下注)
軌間1000mm、直流1500V電化
1889~1904年開業、1931年電化

*注 2018年のルックハルデ新線開通に伴う値。旧線時代は20.06km。

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新トンネルの出口にあるリートヒュスリ停留所

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「市内貫通線 Durchmesserlinie」として、前回のトローゲン鉄道と直通運転されている相手が、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn だ。地元ではガイザーバーン(ガイス鉄道)Gaiserbahn とも呼ばれる。スイス北東部、ザンクト・ガレン St. Gallen からガイス Gais を経てアッペンツェル Appenzell に至る19.92kmの路線で、以前からアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen の路線網の主要部分を形成してきた。

メーターゲージ(1000mm軌間)の電化路線で、主として道路の脇を走る道端軌道だが、これは長年にわたる施設改良の成果だ。開業時は非電化で、かつ数か所のラックレール区間があるラック式・粘着式併用の路面軌道だった。

ラックレールが最後まで残っていたのが、ザンクト・ガレン市街南東の丘を上る約1kmの区間だ。半径30mの厳しいオメガカーブ、通称ルックハルデカーブ Ruckhaldekurve があることでも知られていた。詳細は後述するが、2018年にこの難所が解消されたことでラック式電車が不要となり、市内貫通線が実現したのだ。

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ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線周辺の地形図にルートを加筆
Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA
 

歴史をたどると、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線は1889年、アッペンツェル路面軌道会社 Appenzeller-Strassenbahn-Gesellschaft (ASt) によって、ガイスまでの区間が先行開通している。建設を推進するアッペンツェラー・ミッテルラント Appenzeller Mittelland の沿線自治体に対して、起点となるザンクト・ガレン市民の反応は冷ややかで、市街地の道路上での軌道敷設が許可されなかった。ルックハルデの険しい専用軌道は、そのために必要となった迂回路だ。

市外に出ると、軌道は旧来の道路上で、終点に向かっておおむね左側に寄せて敷かれた。当時は粘着式で45‰を超える勾配を上ることができず、該当区間にはラックレールが追加された。ラック区間はルックハルデを含めて6か所あった(下注)。

*注 後述するアッペンツェル延伸でも1.7kmの長いラック区間が設けられたので、最終的には7か所となった。

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急勾配急曲線だったルックハルデカーブ(2014年)
Photo by Kecko at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

アッペンツェルへの延伸開業は、少し遅れて1904年になる。ここにはすでに1886年に、ヘリザウ Herisau 方面から同じメーターゲージのアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahn が到達していたので、その駅に乗入れた。また、ガイスには1911年、ライン川の谷壁を上ってきたアルトシュテッテン=ガイス鉄道 Altstätten-Gais-Bahn (AG) が接続した。

路線網が充実していく間に、社名も変遷を重ねている。1931年の電化開業で、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn (SGA) になり、1948年のアルトシュテッテン=ガイス鉄道との合併では、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル=アルトシュテッテン鉄道 St. Gallen-Gais-Appenzell-Altstätten-Bahn と、さらに長くなった。

一方、目的地を同じくするアッペンツェル鉄道とは長らくライバル関係にあったが、1988年に合併し、改めて「アッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB)」と名乗るようになった。日本語では区別できないが、原語では旧社名が単数形、新社名は複数形だ。

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ザンクト・ガレン支線駅に入るアッペンツェル行き電車
 

かつてアッペンツェル線の主力車両は、ラック・粘着式併用のBDeh 4/4で、1981年に5編成が調達された後、1993年にも2編成の追加があった。ラック撤去により前者は引退し、チロルのアッヘンゼー鉄道 Achenseebahn に引き取られたが、結局使われることはなかった(下注)。後者は、160‰の急勾配ラック区間があるアルトシュテッテン=ガイス線用として、今なお現役だ。

*注 この事情については「アッヘンゼー鉄道の危機と今後」参照。

市内貫通以降、アッペンツェル線の運用車両は、シュタッドラー製のタンゴ Tango に統一されている。赤塗装、6車体連節の部分低床車で、跳ね上げシートを含め147席(うち1等12席)と、余裕の収容力を誇る。運行間隔は日中の平日が15分、休日が30分だ。

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(左)シュタッドラー・タンゴ
(右)シックな座席が並ぶ車内

では、ザンクト・ガレンから順に、沿線風景と路線改良の跡を追っていこう。

SBB(スイス連邦鉄道)駅と地続きの、通称「支線駅 Nebenbahnhof」がザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線(以下、アッペンツェル線)の起点になる。市内貫通以前は、支線駅舎をはさんで反対側の頭端式ホームで発着していた(下写真参照)が、現在は通過形の2面2線で、見た目は中間停留所と変わらない。

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ザンクト・ガレン支線駅
アッペンツェル方面から電車が到着
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市内貫通以前のアッペンツェル線発着ホーム
左端は現ホーム(当時はトローゲン線用)(2011年)
Photo by Martingarten at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

ザンクト・ガレン駅を後にした電車は、SBB線と並走しながら南西方へ進む。ザンクト・レオンハルト橋 St. Leonhardsbrücke と呼ばれる陸橋の下をくぐった後、かつては左に急カーブして、旧 SBB貨物駅の外側を通っていた。貨物駅の移転に伴う跡地再開発の一環で、線路はSBB線沿いに移設され、減速が必要だった急カーブも解消された。

その一角に2022年、ザンクト・ガレン・ギューターバーンホーフ St. Gallen Güterbahnhof という名の停留所が新設された。ギューターバーンホーフは貨物駅という意味だが、貨物を扱うわけではなく、ふつうの旅客用電停だ。

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新旧1:25,000地形図比較、ルックハルデカーブの前後
(左)2017年、旧線はSBB貨物駅を迂回し、オメガカーブで丘を上っていた
(右)2024年、新線は(旧)貨物駅北側を直進し、トンネルに入る
© 2025 swisstopo
 

ここを通過すると、線路は左に緩くカーブしていき、いよいよルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel に突入する。2018年に完成したアッペンツェル線唯一の本格的なトンネルで、長さ725m。名が示すとおり、同線最後のラック区間だったルックハルデカーブの代替ルートだ。内部はS字形にカーブしていて、旧線より若干緩和されたとはいえ、80‰の勾配は粘着式として限界に近い。

暗闇を抜けるとすぐリートヒュスリ Riethüsli 停留所がある。トイフェン街道 Teufenerstrasse の裏手で、その昔、市電5系統の終点だったネスト Nest 電停のすぐそばだ。ちなみに、市電5系統は1950年7月にトロリーバスに転換されて姿を消した。電停の終端ループ跡は舗装されて、今もトロリーバス用として使われている。

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リートヒュスリ停留所
(左)ザンクト・ガレン方 (右)アッペンツェル方
 

ところでルックハルデの旧線跡は、今どうなっているのだろう。気になっていたので、途中下車して見に行った。旧線跡は停留所から南へ150mの、現路線がトイフェン街道脇に出る地点から始まる。もとはここにリートヒュスリ停留所があった(下写真参照)。

ザンクト・ガレン方向へ、上り坂のトイフェン街道を歩いていく。向かって右側の広い歩道が旧線跡だが、200m先にある三叉路で、道路の左側に移る。右手が上述の旧ネスト電停で、そこから出てくる市電の線路に道を譲っていたのだ。そこからサミットを越えるまでの約300mは、1950年の市電廃止まで、道路中央に市電、左側にアッペンツェル線という並走区間だった。その名残で道幅が広く、歩道にも余裕がある。


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停留所南150mの新旧線路分岐地点で北望
旧線は街道の右縁を直進し、
旧 リートヒュスリ停留所が正面の駐車場付近にあった
 

急な下りにかかるとトイフェン街道と市電線路が右にそれていき、アッペンツェル線は専用軌道になっていた。廃線跡はすっかり草に覆われているが、緩くカーブしていて、それとわかる広さがある。真ん中に踏み分け道がついていたので行ってみた。もとは100‰の勾配(下注)なので、おのずと足取りが軽くなる。市街地を見下ろす右手の斜面には市民向けの貸し農園が広がり、トタン屋根の簡素な小屋がいくつも建っている。この小道も実はそこへ通うためのものだ。

*注 開業時の当該ラック区間はリッゲンバッハ式、延長978 m、最大勾配92‰だったが、1980~81年に改修された際、リッゲンバッハ、シュトループ、ラメラ(フォン・ロール)混合方式で延長が946mに短縮された代わり、勾配は最大100‰になった。

農園の境界までは問題なく進めたのだが、そこで通せんぼするような低い柵が講じてあり、道も消えていた。先は一面の草地で、目を凝らすと、急旋回しながら降りていたルックハルデカーブの痕跡をなぞることができる。大昔、乗った電車の窓から見た記憶がよみがえってきた。

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(左)旧ネスト電停前、右から市電が出てきて画面奥へ並走していた
(右)街道と市電が右にそれる地点
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(左)アッペンツェル線の軌道跡(中央左の踏み分け道)が始まる
(右)貸し農園の上方を降りていく
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ルックハルデカーブの痕跡
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ルックハルデカーブの現役時代(1984年)
 

草地の旧線跡はこの後、ルックハルデトンネルの出口付近で新線と合流するのだが、私有地につき立入りは諦めて、本線の追跡に戻った。

トイフェン街道の進行方向左側で道端軌道になったアッペンツェル線は、リーベック信号所 Dienststation Liebegg を通過する。新線完成で所要時間が2分短縮され、列車交換は次のルストミューレ Lustmühle 停留所で行われるようになった。ルストミューレは、森を出て右に急カーブする地点にあるが、ダイヤが多少乱れても対向列車への影響を最小限にとどめられるよう、退避線は500m以上と異例の長さが取られている。

再び周りを人家が取り囲むようになれば、沿線の中心地の一つトイフェン Teufen だ。町中の延長400mほどは沿線で唯一、線路と車道が分離されておらず、くねくね曲がって見通しが悪い。さらに、シュパイヒャー街道 Speicherstrasse が分岐する駅手前の三叉路は、電車も横断するため、事故のリスクが高い。ルックハルデカーブが解消された今では、最後の難所と言えるだろう。

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トイフェン市街の併用軌道を行く(2007年)
Photo by Markus Giger at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

トイフェン駅 Teufen AR(下注)は、大柄な駅舎の前に2面3線の構内が広がっている。平日日中は2本に1本の電車がここで折り返すので、この先は30分間隔の運行になる。

*注 駅名の AR はアッペンツェル・アウサーローデン(準州)Appenzell Ausserrhoden の略称。

トイフェン駅を出ると短い下り勾配に変わり、この後たどるロートバッハ川 Rotbach の谷へ降りていく。ガイス開業時に6か所あったラック区間の一つがここだ。86‰の下り坂だったが、1976年に道路併設で勾配を62‰に緩和した新しいゴルディバッハ橋 Goldibachbrücke が完成して、ラック旧線は撤去された。

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(左)トイフェン駅舎
(右)2面3線の構内
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同 トイフェン南方ゴルディバッハ橋
(左)1971年、旧線時代
(右)1989年、旧道の東側に勾配を緩和した新道併設の新線が造られた
© 2025 swisstopo
 

ずっと道路の左側を並走してきた線路が右側に移ると、まもなく次の町ビューラー Bühler だ。ビューラー駅はかつて、本線が道路上の併用軌道、待避線が駅舎裏の専用軌道という珍しい配置だったが、1968年に本線も駅舎裏に移された。それで外側の2番線は急なカーブを切っている。

町を抜けると再び道路を斜め横断し、そのまま道路際から離れてシュトラールホルツ Strahlholz 停留所の手前まで独自ルートを上っていく。もとは87‰勾配でラックレールが敷かれていたが、1983年に60‰で曲線も緩やかな新線に切り替えられた。

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1984年のビューラー駅
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同 ビューラー南東方
(上)1971年、旧線は道端軌道
(下)1989年、新線は専用軌道化して勾配を緩和
© 2025 swisstopo
 

2~3分も走れば、一次開業時の終点だったガイス Gais 駅だ。町の中心ドルフプラッツ Dorfplatz は駅の東300mにあるので、線路はその方を向いて駅に進入する。ここも立派な駅舎がそびえ、構内は2面3線だ。駅舎方の1番線はアルトシュテッテン=ガイス線 Bahnstrecke Altstätten–Gais(次回参照)の列車用で、隣の島式2・3番線にアッペンツェル線の列車が入る。通常ダイヤでは上下列車の交換がある。

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(左)ガイス駅舎
(右)アッペンツェル行が2番線で待機中
 

目指すアッペンツェルは後方(西方)なので、常識的にはスイッチバック駅になるところだ。ところが電車はそのまま前進し、ルックハルデに次ぐ半径40mの急カーブで180度向きを変える。開業時の小型単車ならともかく、長さ50mを超える車両がこのカーブを、車輪をきしませながら慎重に曲がっていくようすはなかなか見ものだ。アッペンツェル線のガイス車庫・整備工場は、カーブを曲がり終えた地点にある。

牧草地を横切っていくうちに右手からガイス街道 Gaiserstrasse が接近してきて、線路は再びその道端に収まる。緩やかな鞍部に位置するザンメルプラッツ Sammelplatz 停留所は標高928mで、この路線の最高地点だ。

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半径40mの急カーブを回る
 

線路は、ここからアッペンツェルの町に向けて下り坂にかかる。もとは最大82‰勾配のラック区間が1.7kmの間続いていたが、1979年に、坂の下部にヒルシュベルクループ Hirschbergschleife(下注)と呼ばれる50‰勾配の迂回線が完成して、旧線を置き換えた。上部にはまだ最大63‰の勾配区間が残っていたが、同じタイミングで粘着式に切り替えられている。

*注 この場合のループ Schleife は、弧状のルートを意味する。

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同 ヒルシュベルク付近
(上)1971年、ジッター川へ直降していた旧線時代
(下)1989年、新線は迂回で勾配緩和
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見晴らしのいい迂回線でヒルシュベルクの斜面を降りきると、ジッター川とその氾濫原だ。電車は長さ296m、曲弦プラットトラスと多数のコンクリートアーチで構成されたジッター高架橋 Sitterviadukt を渡っていく。下流では比高100mの大峡谷を形づくる川だが、ここではまだ穏やかな表情で、盆地の平底をゆったりと流れている。

向こう岸で左後方から来るヴァッサーラウエン線と並走し始めれば、電車旅はまもなく終わる。ザンクト・ガレンから38分で、アッペンツェル・インナーローデン Appenzell Innerrhoden(準州)州都の玄関口アッペンツェル駅に到着だ。

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修復工事中のジッター高架橋を渡る
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終点アッペンツェル駅
 

次回は、ガイスで分岐しているアルトシュテッテン=ガイス線を訪ねる。

■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道博物館 Museum Appenzeller Bahnen
https://www.museumsverein-appenzeller-bahnen.ch/

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アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く)
 

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