トローゲン鉄道
アッペンツェル鉄道トローゲン線 AB Trogenerbahn (TB)
ザンクト・ガレン St. Gallen~トローゲン Trogen 間9.80km
軌間1000mm、直流600V(ザンクト・ガレン~シューラーハウス Schülerhaus 間)、直流1500V(シューラーハウス~トローゲン間)電化、最急勾配76‰
1903年開通
シュパイヒャー駅に進入するトローゲン鉄道の電車 |
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スイス北東部に広がる起伏の大きな丘陵地帯の一角に、トローゲン Trogen の町がある。人口2000人足らずの小さな自治体だが、アッペンツェル・アウサーローデン準州 Appenzell Ausserrhoden の司法府の所在地(下注)として、重要な位置を占める。
*注 同州には法的な州都 Kantonshauptort は存在せず、立法府と行政府はヘリザウ Herisau に、司法府はトローゲンにある。
トローゲン鉄道 Trogenerbahn (TB) は、主要都市ザンクト・ガレン St. Gallen とこの町を含むミッテルラント郡 Bezirk Mittelland 北部を接続する延長約10kmの電気鉄道だ。谷底にあるザンクト・ガレン市街からサミットまで270mある標高差を最大76‰の勾配で克服していく。ラックレールの助けを借りずに(=粘着式で)上るものとしては、2018年に供用されたルックハルデトンネル Ruckhaldetunnel(下注)の80‰に次ぐ急勾配だ。
*注 次回紹介するザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線にある。
ボーデン湖を背にして最大76‰の勾配を上る |
鉄道は1903年に開業した。以来1世紀の間、独立運営されてきたが、2006年に周辺の2社とともにアッペンツェル鉄道 Appenzeller Bahnen (AB) に合併され、同社の路線網に組み込まれた。日本流にいうなら、アッペンツェル鉄道トローゲン線になったわけだ。
さらに2018年10月には、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線 St. Gallen-Gais-Appenzell-Bahn(以下、アッペンツェル線)との直通化工事、いわゆる市内貫通線 Durchmesserlinie が完成し、低床6車体の長い連節車両がザンクト・ガレン経由で、トローゲンとアッペンツェルの間30kmを通しで走るようになった。ほんの20年前まで、ローカル線然とした2両編成が駅前で折り返していたのに比べれば、驚くべき変わりようだ。
今回は、この発展目覚ましいトローゲン鉄道を訪ねてみたい。
トローゲン鉄道周辺の地形図にルートを加筆 Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
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SBB(スイス連邦鉄道)の、宮殿と見紛うようなザンクト・ガレン駅舎に向かって左手に、アッペンツェル鉄道の列車が発着する通称「支線駅(ネーベンバーンホーフ Nebenbahnhof、下注)」がある。2本の線路が、SBB駅から続く古代建築ポルティコ風の通路を横切っている。
*注 Nebenbahnは幹線に対する地方線、支線を意味する。
通路の向こう側(西側)が市内貫通線の相対式ホームで、SBB線からの乗継ぎ客が電車が来るのを待っている(下注)。直通化される前もここがトローゲン方面の乗り場で、対するアッペンツェル線は大通りの側にある頭端式ホームを使っていた。架線電圧も車両限界も異なり、後者にはラック区間も残っていたので、まったく別の路線として扱われていたのだ。
*注 郊外区間での列車交換は左側通行だが、ザンクト・ガレン駅と市内の併用軌道区間は車道に合わせて右側通行になっている。
ザンクト・ガレン支線駅 |
(左)トローゲン行きが到着 (右)併用軌道に接続されているため右側通行 |
ザンクト・ガレンにははるか昔に一度来たことがあるが、当時トローゲン鉄道の主役は2両編成のBDe 4/8形だった。1975~77年製で全長30.2m、砂撒き装置を備え、制御車は軽量化のためにアルミニウムボディーという急勾配対応車両だ。在籍していた5編成のうち1編成は廃車になったが、残りは2009年以降、順次イタリア北部のリッテン鉄道 Rittnerbahn(下注)に移籍し、装いも新たに今なお走っている。
*注 リッテン鉄道の詳細は「リッテン鉄道 I-ラック線を含む歴史」「同 II-ルートを追って」参照。
トローゲナーBDe 4/8形 (左)ザンクト・ガレン駅にて(1984年) (右)リッテン鉄道に移籍後(2019年) |
BDe 4/8に取って代わったのが、シュタッドラー製のBe 4/8形だった。部分低床、3車体連節のモダンなスタイルで、全長は37mある。2004年と、アッペンツェル鉄道合併後の2008年に全部で5編成調達されたが、稼働期間は短かった。市内貫通線の完成に伴い、2018年にお役御免となり、現在はヌーシャテル交通局 Transports Publics Neuchâtelois (transN) の郊外路面軌道リトライユ Littorail に活躍の場を移している。
トローゲナーBe 4/8形 (左)マルクトプラッツ停留所にて(2014年) Photo by Bahnfrend at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0 (右)ヌーシャテルに移籍後(2024年) |
これら歴代の専属車両、いわゆる「トローゲナー Trogener」に対して、2018~19年に就役したシュタッドラー・タンゴ Stadler Tango は、両線を通しで走るために製造された新型車両だ。6車体連節で全長は52.6mとさらに長くなり、収容力の増強が図られた。トローゲンの車両限界に従って車幅が2400mmのため、より広い2650mmを許容してきたアッペンツェル線内などのホームではドアステップが出るようになっている。
6車体連節のシュタッドラー・タンゴ |
さて、ザンクト・ガレンからトローゲンまでは所要26~27分だ。平日は日中15~30分間隔、休日は同30分間隔のダイヤで、便利に利用できる。
ザンクト・ガレン駅を出発した電車は、駅前通り Bahnhofstrasse を複線の併用軌道で西へ向かう。市営トロリーバスのルートが並走し、交差もするので、双方の架線が道路の上空に張り巡らされて、まるで蜘蛛の巣のようだ。郊外の架線電圧は直流1500Vに統一された(下注)が、市内の路面区間はトロリーバスに合わせて600Vのままのため、電車は複電圧対応になっている。
*注 市内貫通以前は、トローゲン鉄道が直流1000V、アッペンツェル線が同1500Vだった。
駅前通りではトロリーバスの架線も並走 |
バス乗り場のあるSBB駅舎の前を通過し、SBB線と少しの間並走した後、町中に入って、大屋根の掛かるマルクトプラッツ Marktplatz 停留所に停車した。市の立つ広場を意味するマルクトプラッツはどこの町でも中心地区だが、ザンクト・ガレンの場合は歴史ある旧市街 Altstadt の南と北を分ける境に位置する。
バス路線も集中する公共交通の結節点なので、周辺はいつも賑わっていて、車内の客がごっそり入れ替わる。他の停留所と同様、ここも乗降客がある時だけ停まるリクエストストップだが、通過する電車はないに等しい。
マルクトプラッツ停留所、右後ろはヴァークハウス |
郊外路線であるトローゲン鉄道が街の真ん中に堂々と停留所を構えることができたのは、この区間がかつて市電の路線だったからだ。トラムバーン Trambahn と呼ばれたザンクト・ガレン市電は1897年に開業していた。遅れて通じたトローゲン鉄道はその路線網に乗入れることで、市内へのアクセスルートを確保した。
市電は1957年を最後にトロリーバスに全面転換されるが、乗入れ区間だけは線路が撤去されず、1959年にトローゲン鉄道に移管されて存続した。貫通線になる前、この停留所はトローゲン方面の利用者のための施設だったわけだが、今ではアッペンツェル線側からも乗り換えなしで到達できる。実用性はもちろん、心理的な効果も大きいことだろう。
(左)最もにぎわう停留所 (右)発着案内、下にあるのは乗車告知ボタン |
電車はこの後、文化財建築ヴァークハウス Waaghaus の横をかすめて、ブリュールトール Brühltor の交差点で右折する。市電時代、線路が3方向に分岐していた場所で、トロリーバスの架線がその跡を引き継いでいる。
ここからはトローゲン鉄道が建設したオリジナル区間になるが、まだしばらく併用軌道が続く。緑うるわしい街路ブルクグラーベン Burggraben に沿って、シュピーザートール Spisertor 停留所に停車。その先のラウンドアバウトで左折すれば、いよいよ上り坂にさしかかる。クランク風の急カーブを経てシュパイヒャー街道 Speicherstrasse に入り、まもなくシューラーハウス Schülerhaus 停留所に達する。複線区間と併用軌道の終端だ。
(左)旧市街の出入口の一つ、シュピーザートール (右)シュパイヒャー街道を上る |
開業時は全線が道路上を通っていたトローゲン鉄道だが、拡幅や曲線緩和といった道路改良工事に合わせて、軌道の分離が1950年代から1990年代にかけて段階的に実施された。現在、シューラーハウス以遠はすべて専用線で、道路脇を通るいわゆる道端軌道になっている。
そのため走行環境は良好で、電車は76‰の急な坂道をものともせず、すいすいと上っていく。丘の上に建つノートケルゼック修道院 Kloster Notkersegg を右に見送り、ボーデン湖 Bodensee の広い湖面を左手遠くに望んだところで、右に大きくカーブを切って尾根を回る。ここでいったん勾配が和らぎ、浅い谷間で右手に、山の湖ヴェーニガーヴァイアー Wenigerweier がちらと見えた。
(左)フェーゲリンゼック停留所 (右)郊外区間は道路との分離が完了 |
再び勾配が強まると(2か所目の76‰)、しばらく隠れていたボーデン湖のパノラマがまた姿を現す。時間にすればわずかだが、ランク Rank、フェーゲリンゼック(フェーゲルインゼック)Vögelinsegg 両停留所間の、牧草地の山腹に付けられた坂道が最も見晴らしのいい区間になる。
フェーゲリンゼックの尾根は、15世紀、修道院の支配に民衆が反旗を翻したアッペンツェル戦争の古戦場だ。線路が急カーブで180度向きを変える地点が全線のサミットで、標高は957m。ずっと道路の左側を走ってきた電車が、下り坂で右側に移る。周りに民家が増えてしばらくすると、道路からいったん離れ、シュパイヒャー Speicher 駅の狭い構内に滑り込む。
フェーゲリンゼック手前の眺望地点 |
高原の町シュパイヒャーは人口約4500人で、トローゲンより規模が大きい。鉄道にとっても車庫・整備工場が設置された運行の拠点だ。かつてはトローゲンと同じようなシャレー風の駅舎があったが、惜しくも1997年に複合ビルに建て替えられてしまった。
乗ってきた電車は、たまたまシュパイヒャー止まりの入庫便だった。ホームは2面2線だが、直接、車庫へは入れない。いったんザンクト・ガレン方にバックしてから、ホームに並行する引込線に転線する。長い編成だけに、踏切をまたいで構内外を出入りする、けっこう大掛かりな作業だ。
(左)シュパイヒャー駅で列車交換 (右)車庫に戻る電車 |
シュパイヒャーからの最終区間はまた道端軌道で、坂を昇り降りしながら、ものの5分で終点トローゲンに到着する。列車交換はシュパイヒャーで済ませているから、線路は棒線で、無造作に行き止まっている。シャレー駅舎は山側にあって、シュパイヒャー街道から見えるのは、駅の玄関側ではなく、ホーム側だ。
シャレー風駅舎のトローゲン |
(左)電車が到着 (右)折返しの発車を待つ |
町の中心はランツゲマインデ広場 Landsgemeindeplatz で、駅から300mばかり先にある。ここでは1997年まで隔年で、直接民主制のランツゲマインデ(民会)が開催されていた。ゲマインデハウス Gemeindehaus(現 州立図書館)、ラートハウス Rathaus(現 裁判所)、改革派教会、博物館などが入るツェルヴェーガーの二重宮殿 Zellweger'sche Doppelpalast と、威厳を放つ18世紀の中層建築が、石畳の広場を護るように取り囲んでいる。緑の丘のへりに突如現れるこの地区は、物語に出てくる空想都市のような不思議な光景だ。
トローゲンのランツゲマインデ(民会)広場 |
次回は、ザンクト・ガレン=ガイス=アッペンツェル線を訪ねる。
■参考サイト
アッペンツェル鉄道 https://appenzellerbahnen.ch/
アッペンツェル鉄道路線図(フラウエンフェルト=ヴィール線を除く) |
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