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2024年11月 3日 (日)

コンターサークル地図の旅-岩泉線跡とレールバイク乗車

朝8時56分、盛岡駅から上り電車で移動した。南へ二つ目の岩手飯岡(いわていいおか)駅が、本日の集合場所になっている。2024年10月6日、秋のコンター旅の後半2日目は、ここからクルマでJR岩泉線の廃線跡を見に行く予定だ。

JR山田線の茂市(もいち)を起点に、岩泉まで38.4kmを走っていたこのローカル線のことは、まだ記憶に新しい。押角(おしかど)~岩手大川間で発生した土砂崩れによる脱線事故で運行不能になったのは14年前、2010年7月31日のことだ。1日わずか3往復、極めつきの閑散路線だったため、復旧が叶うことはなく、2014年4月1日、正式に廃止となった。

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レールバイクの拠点、旧 岩手和井内駅

駅の東口広場で、自宅からマイカーを飛ばしてきた丹羽さんと落ち合う。参加者は、昨日もいっしょだった大出さん、山本さんとの計4名だ。さっそく丹羽号に乗り込み、国道106号バイパスを東へ進んだ。あえて郊外の岩手飯岡駅を発地にしたのは、東北道の盛岡南ICから続くこのバイパス道路の最寄り駅だからだ。三陸海岸の宮古方面へは、長さ4998mの新区界トンネルを含め、長大トンネルを連ねた高速道路のような立派な道路が完成していて、もはやサミットの区界(くざかい)駅前を通ることもない。

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図1 岩泉線周辺の1:200,000地勢図
1993(平成5)年編集
 

約1時間のドライブの後、茂市駅に立ち寄った。昔ながらの木造駅舎と跨線橋はすっかり撤去され(旧駅舎の写真は本稿末尾参照)、小さな待合室が新設されている。しかし、ここを通る山田線はこの夏の大雨被害により全面運休中で、再開の見通しが示されていない。ホームに出ると、出発信号機は灯っていたが、全赤だ。岩泉線のホームは駅舎方の1番線だったはずだが、そこにはもう線路すらなかった。

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茂市駅
(左)新しい待合室(右)列車の来ない山田線ホーム
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図2 茂市~岩手刈屋間の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
 

駅を後にして、刈屋川の谷を旧道で遡る。岩泉線跡がつかず離れず、左手に続いている。下野付近には、塗装の剥がれかけたガーダー橋があった。廃線敷は沿線自治体が所有しているそうで、一部の橋梁やトンネルを除き、おおむね手つかずで残されている。

岩手刈屋(いわてかりや)駅跡は線路もホームもなくなり、がらんとした空地になっていた。岩泉方にある踏切跡の脇に立つ4 1/2キロポストが唯一の遺物かもしれない。対照的に、次の中里駅は、ホームと待合室がそっくり保存されている。というのも、現在、ここと岩手和井内の一駅間2.8kmが、レールバイクの走行ルートになっているからだ。

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(左)下野に残るガーダー(鈑桁)橋
(右)岩手刈屋駅跡近くの4 1/2キロポスト
 

廃線跡の観光利用法として、線路上を自走式の簡易車両で移動するアトラクションが、各地で導入されている。私も過去のコンター旅で、北海道の美幸線跡ではエンジン付きのカートに、また、九州の高千穂鉄道跡では動力車に牽引された大型カートに乗ったことがある。

*注 詳細は「コンターサークル地図の旅-美幸線跡とトロッコ乗車」「コンターサークル地図の旅-高千穂鉄道跡とトロッコ乗車」参照。

岩泉線のそれは、2台の自転車を並列にして2軸台車に固定したレールバイク(軌道自転車)だ。自転車のタイヤがレールに接して駆動力となる一方、台車のフランジつき車輪がレールからの逸脱を防いでいる。これに2人が乗ってそれぞれ漕ぐのだが、希望すれば、後部にもう2人分の補助シートを設置した4人乗り車両も利用できる。

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レールバイク車両
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(左)スタッフが乗るエンジンカート
(右)4人乗りレールバイクと背後の車庫
 

今年(2024年)の場合、レールバイクは4月中旬から11月の土日祝日の運行だ。10~15時の間、毎時00分発の予約制で、私たちは11時発の便を申し込んでいた。岩手和井内の旧駅前にクルマを付けると、駅舎を活用した事務所の前でスタッフの方が2名、待っていてくれた。なにぶん遠隔地とあって、この時間帯の客は私たちだけだ。

料金は1台あたり2000円。受付を済ませ、レールバイク2台に分乗した。「帰りは上り坂ですので、電動アシストつきも用意できますよ」と優しい声が掛かったが、全員やせ我慢をして、アシストなしを選択する。

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旧駅舎の事務所で受付を済ませる
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2024年版レールバイクのポスター
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図3 同 中里~岩手和井内間
 

エンジンつきのカートで先導するスタッフの後を、少し間を開けてついていった。駅を出てまもなく、下り20‰の勾配標が見えた。岩泉線の急勾配区間は峠越えをはさむ和井内~大川間だと思い込んでいたので、その外側にもけっこうな坂道があることに初めて気づく。勾配値はざっと前1/3が20‰、中間1/3で12‰と少し和らぎ、後1/3が再び20‰だ。

とはいえ往路は下り坂だから、大して漕がなくても気持ちよく走ってくれる。先導車との車間を保つために、少しブレーキ操作が必要なくらいだ。のどかな村里の風景の中、山ぎわに緩いカーブを描く線路は営業線時代と変わらない。里道と交差する踏切や、小川をまたぐ鉄橋もある。ハンドルが固定されているので、スポーツジムのエアロバイクに乗っているようなものだが、室内と違い、風を切ってレール上を滑っていくのは、なかなか爽快だ。

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先導車の後をついて走る
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(左)20‰の勾配標
(右)落ちた栗のイガで埋まる線路
 

12分ほどで中里駅に到着した。ここで車両の方向転換作業が行われる。線路上に、軸回転式の簡易な転車台が設置されている。レールバイクをスロープ伝いにそこへ載せて、手動でくるりと回せば完了だ。

覚悟はしていたが、復路の上り坂はやはりきつかった。変速ギアを最軽にしても、ふだん使っていない太腿の筋肉が悲鳴を上げる。機関車の苦労が知れるというものだ。なんとかバテる前に和井内に戻ることができたが、所要時間を確認するのをすっかり忘れてしまった。往路とは走行速度が違うので、20分ほどかかっただろうか。乗車記念にと出発時に撮ってもらった写真のプリントができあがっていた。

■参考サイト
岩泉線レールバイク https://iwaizumisen-railbike.org/

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中里駅に到着
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転車台で方向転換
 

昼食の後、次の押角駅へ向かった。家並みが途切れてまもなく国道の改良区間は終わり、幅狭のくねくね曲がる谷道になる。見通しが悪く、対向不能個所も多い難路だ。10分ほど走ったところで、押角駅への指示標識が撤去されずに残っていた。「一般国道340号和井内~押角工区」の計画図を描いた大きな看板も立っている。

駅は刈屋川の対岸に位置していた。私たちの記憶にあるのは勾配途中の棒線駅だが、1972年まではZ字形スイッチバックの構造だった。その時代の駅舎と広場は養魚場に転用されてしまったが、本線築堤とホームのあった折返し線の跡らしきものが一部残っている。一方、茂市方はすでに広い更地になっていた。先ほどの計画図のとおり、早晩、道路にされてしまうようだ。

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国道改良の案内図
計画区間の左半分は旧線跡を通る
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押角駅跡
(左)岩泉方の本線跡(右)スイッチバック時代の折返し線跡か?
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図4 同 押角トンネル周辺
 

2987mの長さがあった押角トンネルは近年、国道用に拡幅改修(下注)された。だが、ポータルの位置がややずれているため、南口には鉄道時代の断片らしきものが見える。また、手前で刈屋川を渡るコンクリートの桁橋もまだ残っている。

*注 国道340号の押角トンネルは2018年開通、長さは3094m。

うっかり通過してしまったが、北口のずれはさらに大きく、鉄道トンネルのポータルが壊されていないらしい。また国道トンネルを出て300mほど北には、道路と川を一息に跨いでいた鉄道の高架橋が、川の上空部分だけ残されている。

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押角トンネル南口
(左)手前にある橋梁遺構
(右)国道トンネルの左側に鉄道時代の擁壁とポータルの一部(?)が残る
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トンネル北口近くに残る高架橋の断片
 

この先、線路は谷の傾斜についていけなくなり、山腹をトンネルで縫いながら、大きく西側へ迂回していく。それで、次の岩手大川駅は、国道からそれて県道171号大川松草線を西へ入った伏屋(ふしや)集落の中にあった。駅跡は県道から一段高い位置だが、広場もホームもすっかり夏草に呑み込まれている。

茂市方には、カーブしながら川を渡る第一大川橋梁が残存する。草をかき分けて行ってみると、橋上の線路は取り払われているものの、6連のガーダーはきれいなままで、今にも列車が渡ってきそうだ。長さ92m、川面からの位置が高いこともあり、岩泉線で最も印象的な遺構だろう。

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カーブしながら川を渡る第一大川橋梁
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(左)駅跡から第一大川橋梁へ続く築堤
(右)橋上の線路は撤去されていた
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図5 同 岩手大川周辺
 

国道340号に戻って少し下流に進むと、道端にこの路線では珍しいコンクリートアーチの長い橋梁が架かっていた。次の第二大川橋梁も、谷間を真一文字に横断していて壮観だ。川代集落では、廃線跡がもう国道レベルまで降りてきている。残された線路は錆びついているが、朽ちた枕木を交換すればまだ使えそうだった。

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直線で渡る第二大川橋梁
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(左)道端のコンクリートアーチ橋、写真の左側にも続いている
(右)まだ使えそうな川代集落の廃線跡
 

岩泉線の歴史は意外に新しく、茂市~岩手和井内間が1942(昭和17)年に小本(おもと)線として開業したのが始まりだ。その後、戦中戦後を通じて順次延伸され、1957年に浅内(あさない)に達した。浅内駅は今も平屋の駅舎とホーム、線路が現役さながらに保存され、足りないのは列車だけという状況だ。駅舎の前に、「浅内駅(痕跡)」と題された沿革の説明板が立てられ、待合室にも当時の写真が飾ってある。

当時の計画ではここが最終目的地だったので、ターミナルにふさわしい設備が見つかる。岩泉方には折り返す蒸気機関車のための給水塔が建っているし、駅舎の向かいの建物に、貨物を扱っていた日本通運の文字と社章が残る。

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浅内駅跡
(左)ホーム側から見た駅舎(右)ホームと線路も残る
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(左)蒸機のための給水塔
(右)日本通運の文字と社章が残る民家
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駅舎前に立つ説明板
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図6 同 浅内周辺
 

浅内から先は、時代が下がって1972(昭和47)年の開通だ。小本川を何度か渡り返す橋梁も、見た目が地味なPC桁に変わる。

次の二升石(にしょういし)駅は、国道左手の築堤上に高架式のホームと線路が残っている。築堤下には、三角屋根の小さな待合室も建っていた。桜並木が寄り添う旧ホームは、今でも春には花見ができそうだ。

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二升石駅跡
(左)桜並木が沿う旧ホーム(右)三角屋根の待合室
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図7 同 二升石~岩泉間
 

終点の岩泉駅は市街地の手前で、国道の川向うに位置していた。総2階建の大きな駅舎が、延伸開通時の地元の意気込みを物語る。現在は町の観光センターになり、1階ホールに出札口や時刻表、近隣駅の駅名標なども保存されているようだ。しかし残念なことに、観光センターと名乗る割に、土日は休業だ。入口が施錠されているので、ガラス越しに見るしかない。

構内に回ると、上屋の架かった棒線ホームはあるものの、線路はすでに失われていた。小本線の旧称のとおり、もとの計画ではここからさらに東へ進んで、現 三陸鉄道の岩泉小本駅がある小本まで線路が延びるはずだった。しかし、工事は着手されず、ミッシングリンクが埋まることはついになかったのだ。

全線の探索を終えたのが15時30分。明るいうちにと国道455号早坂トンネル経由で、私たちは盛岡への帰途に就いた。

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2階建の旧岩泉駅舎
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ホームは残るが、線路は撤去済み

以下の写真は、大出さんに提供してもらった現役時代の岩泉線各駅のようすだ。撮影時期は1983年8月と2003年3月。土砂崩れで不通にならなければ、この日常風景が今も続いていたのだろうか。

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茂市駅1番線、岩泉方を望む
(以下、特記のない写真は1983年8月撮影)
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茂市駅1番線、宮古方を望む(2003年3月撮影)
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中里駅
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岩手和井内駅
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浅内駅
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岩泉駅
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岩泉駅(2003年3月撮影)

参考までに、岩泉線が記載されている1:25,000地形図を、茂市側から順に掲げておこう。なお、一部の図には旧称である「小本線」の注記がある。

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図8 岩泉線現役時代の1:25,000地形図
茂市~岩手刈屋間(1972(昭和47)年修正測量)
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図9 同 岩手刈屋~岩手和井内間(1968(昭和43)年~1976(昭和51)年測量または修正測量)
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図10 同 岩手和井内~押角間(1976(昭和51)年修正測量)
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図11 同 押角~押角トンネル間(1976(昭和51)年修正測量)
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図12 同 岩手大川~浅内間(1976(昭和51)年修正測量)
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図13 同 浅内~岩泉間(1973(昭和48)年~1976(昭和51)年修正測量)
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図盛岡(平成5年編集)、2万5千分の1地形図岩泉、有芸、峠ノ神山(いずれも昭和48年修正測量)、茂市(昭和47年修正測量)、門、陸中大川、和井内(いずれも昭和51年修正測量)、陸中川井(昭和43年測量)および地理院地図(2024年10月25日取得)を使用したものである。

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