アルトゥスト湖観光鉄道-ピレネーの展望ツアー
プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste
ラ・サジェット La Sagette~ラック・ダルトゥスト(アルトゥスト湖)Lac d'Artouste 間 9.5km
軌間500mm、非電化
1920年工事軌道として開設、1932年観光鉄道開業
絶壁に穿たれた軌道 オルミエーラ~アルイ両待避所間(復路で撮影) |
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プティ・トラン・ダルトゥスト(アルトゥストの小列車)Petit train d'Artouste として知られるアルトゥスト湖観光鉄道 Chemin de fer touristique du Lac d'Artouste(下注)は、ピレネー山脈中部のフランス側にある軽便路線だ。軌間は500mmとメーターゲージの半分で、見たところ、鉱山から鉱石を運び出しているトロッコか、遊園地の中を巡っているミニ列車を思わせる。
*注 「アルトゥスト湖観光鉄道」の名はIGN旧版地形図にあるが、現在、公式には使われていない。
しかし、鉱山や遊園地と違って、その舞台は標高2000m近い山の斜面だ。底深いU字谷を隔てて、向かいにピレネーの山並みを見晴らしながら、断崖絶壁に穿たれたスリル満点のルートを走っていく。
オーバーハングの下を行く アルイ~ル・リュリアン両待避所間(往路で撮影) |
ただし、これは登山鉄道ではない。山頂をめざして登っていくのではなく、線路は等高線に沿って延びている。厳密に言うと最高地点は起点側にあり、山奥の終点のほうが少し低いくらいだ。詳細は後述するが、山麓との標高差は、連携運行されているロープウェーが前もって克服している。スイスアルプスのミューレン鉄道(下注)などと同じように、鉄道はその後を引き継ぎ、もっぱら水平距離を稼ぐ役割に徹しているのだ。
*注 詳細は本ブログ「ミューレン鉄道(ラウターブルンネン=ミューレン山岳鉄道)」参照。
終点にあるアルトゥスト湖は、もともと谷を覆っていた氷河が残したモレーン(氷堆石)によって、上流側が湛水した氷河湖だ。1920年代にダムでかさ上げされ、それ以来、水力発電用の貯水池として利用されてきた。ダムからフランス・スペインの国境が通る分水嶺までは、わずか3km。山脈の最奥部まで手軽に到達できるこの小列車は、中部ピレネーで高い人気を誇る観光アトラクションになっている。
アルトゥスト湖の水辺 |
アルトゥスト湖観光鉄道周辺の地形図にルートを加筆 Base map from bergfex and OpenStreetMap, License: CC BY-SA |
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フランス南部の主要都市ポー Pau から南へ約60km、オッソー川 L'Ossau を堰き止めたファブレージュ湖 Lac de Fabrèges のほとりが、アトラクションの出発点だ。湖の西側を走る地方道から見て対岸にロープウェーの乗り場があり、これで小列車が待つラ・サジェット La Sagette まで上っていく。
時は9月下旬。雨を境に冷気が入ってきた。麓はまだそれほど寒くないが、チケット売り場に並ぶ人たちはしっかり着込んで、準備怠りない。
ファブレージュのロープウェー山麓駅 |
購入するチケットはロープウェーと列車の通しになっていて、主に次の2種類がある。
ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ)Billet Découverte は大人27ユーロ(2024年9月現在)。これは所要約3時間30分のコースだ。公式サイトによると内訳は、列車乗車が55分(片道)×2、終点到着後にハイシーズン1時間20分、ローシーズン1時間40分の自由時間があり(下注1)、この間にダム見学ができる。また、実際はここにロープウェー乗車の片道15分(下注2)と数分の乗換時間が加わる。行き帰りの列車時刻はチケット購入時に指定されるが、一般観光客ならこのきっぷで十分だ。
*注1 2024年の場合、ハイシーズンは7月6日~9月1日、ローシーズンは5月8日~7月5日と9月2日~10月6日。これ以外は冬季運休となる。
*注2 公称15分だが、実際は12分程度で到着する。
もう一つのビエ・エスカパード(逃避きっぷ)Billet Escapade は大人33ユーロ。こちらは一日コースで、ハイシーズンの場合、9時から16時の毎時00分に出発する列車のいずれかに乗っていき、19時15分の最終列車で戻る。ローシーズンは10時、12時、13時、14時のいずれかの出発で、平日16時45分、週末17時45分の列車で戻る。山で一日を過ごすトレッカー向けなので、復路便固定でもまず満員にはならないのだろう。もし満員になりそうなら、続行列車が手配される。
さっそく窓口へ行くと、今すぐロープウェーに乗れば11時の列車に間に合う、と発券してくれた。ロープウェーの時刻10時30分、列車11時、復路(の列車)13時45分と印字されている。横の階段を上がって乗り場へ急ぐ。6人乗りの小型キャビンに、待つこともなく乗り込むことができた。
(左)出札口 (右)ビエ・デクヴェルト(探検きっぷ) |
ロープウェーは循環式で、山麓ファブレージュ駅と山上ラ・サジェット駅の間を結ぶ。延長2060m、高度差は660mだ。谷を覆っていた深い霧が次第に薄まり、高度が上がるにつれて国境に連なる標高2500m級の山々が姿を現し始めた。天気は回復に向かっている。
ちなみにこの設備は、1983年に供用開始された新しいものだ。それ以前は1.5km下流のアルトゥスト発電所前に乗り場をもつ交走式ロープウェーで上っていた。これは今もまだ残っていて、水力発電事業者のSHEMが作業員や資材の運搬に使用している。旧ロープウェーの山上駅は新駅の約1km西に位置するが、軽便鉄道も本来この旧駅が起点で、新駅との間約1km(下注)は、一般客に開放されていない貨物線、一部は車庫への引込線だ。
*注 9.5kmとされる路線長は、この区間も含んでいる。
(左)6人乗りキャビン (右)谷を覆う霧は薄まりつつある |
山上駅からオッソー谷の展望(復路で撮影) 右奥の奇峰はピック・デュ・ミディ・ドッソー(オッソー南峰)Pic du Midi d'Ossau |
新 山上駅でキャビンを降りると、空気がひんやり感じられる。ロープウェー駅舎の前に鉄道の乗り場があり、鮮やかな黄色と赤のツートンに塗り分けた小列車がすでにスタンバイしていた。
エンジン音も高らかな機関車は、1963年ビヤール Billard 社製のT60D形ディーゼル、7号機だ。行きは逆機(バック運転)になるので、前後とも見通せるよう、運転席が横向きにされているのが面白い。客車はオープンタイプで、6両つないでいる。車内には、縦に半回転させると向きが変えられる樹脂製の座席が6列並ぶ。朝方は雨だったのだろう。客車の片側はまだ防水カバーが掛けられたままだ。客には最後尾から順に詰めるように案内しているらしく、空いているのは先頭車だけだった。
(左)小列車を牽くディーゼル機関車 (右)オープン客車、座席は縦回転で向きが変えられる(終点で撮影) |
全員が席に着くと、機関車の大きなヘッドライトが灯り、スタッフに見送られながら、列車はおもむろに動き出した。
駅を出ると、いきなり長さ315mのウルス(雄熊)トンネル Tunnel de l'ours に入る。小断面で車両限界ぎりぎりのため、ポータルの前に「危険 座ったままで 身を乗り出さないで」と赤字の注意看板が掛かっている。このトンネルによって、列車はオッソー谷を離れ、東隣のスッスエウ川 Le Soussouéou が流れるU字谷の高みに顔を出す。谷底との比高は優に500mを超え、スケールの大きな山岳展望が視界を奪う。
(左)スタッフに見送られて発車 (右)小断面のウルストンネル |
列車はこの後、高度を保ちながら谷奥へと進んでいくが、ここで、なぜこの場所に鉄道が通されたのかを説明しておこう。もちろん最初は観光鉄道ではなく、電源開発のための工事軌道だった。
事業は、フランス南西部一帯の鉄道網を運営していたミディ鉄道会社 Compagnie des chemins de fer du Midi によって1909年ごろ着手された。貯水池としての利用が計画されたアルトゥスト湖は山脈の最奥部に位置するため、ダム建設にあたって作業員と資材の搬入方法が重要な課題となった。そこで本体工事に先だち1920年に敷設されたのが、地方道のあるオッソー谷から工事現場まで続く索道(先述の旧ロープウェーの前身)と500mm軌間の鉄道を組み合わせた運搬ルートだ。
さらにこれは、貯水池から発電所までの導水ルートを兼ねていた。線路の地下に送水管が埋められ、索道に並行して水を落とす水圧管が設置され、谷底にアルトゥスト水力発電所が造られた。軽便鉄道がほぼ等高線に沿って走っているのは、これが理由だ。水の落差を最大にするために、導水路の勾配はわずかなものになる。
貯水池、水路、発電所のネットワークを示す案内板 |
ただし、工費抑制でウルストンネルをできるだけ短くすべく、トンネルの前後では、導水路から離れた独自ルートが取られた。そのため、トンネル西口近くにある観光列車の起点ラ・サジェット駅の標高が1934m(下注)であるのに対し、終点アルトゥスト湖駅の標高は1911m
と、起点のほうが高くなっている。トンネル東口からセウス Séous 待避所付近までは緩い下り勾配で、そこから先、鉄道は導水路の上に載る。
*注 標高値はIGN 1:25,000地形図記載のもの。ウィキペディア仏語版ではラ・サジェット駅の標高を1940mとしている。いすれにしろ、モン・ブラン軌道 Tramway du Mont-Blanc に次いで、フランス第二の高所を走る鉄道になる。
ダムは1924年に完成し、湛水した1929年から発電所の運用が開始された。ミディ鉄道の直営で観光輸送が始まったのはその3年後、1932年のことだ。当初は夏の2か月間、日曜日のみの限定運行だった。
フランスの主要路線網は1938年に国有化されてSNCFが発足するが、この軽便鉄道もその中に含まれた。1980年に地元ピレネー・アトランティック県に運営が委託されるまでの42年間は、国鉄路線だったのだ。運営受託後、県は、さきほど乗ってきた新しい循環式ロープウェーを建設して、送客体制を整えた。
現在、鉄道の所有者は、SNCFの子会社であるミディ水力発電会社 Société Hydro-Electrique du Midi (SHEM) で、SHEMが県に運営を委託し、県の公有企業である高地施設公社 Etablissement Public des Stations d'Altitude (EPSA) が、周辺のスキーリフトなどとともに観光列車を運行している。
新駅から西を望む 右は車両基地、 軌道は左端の旧ロープウェー山上駅まで続いている |
旧ロープウェー山上駅 |
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では現場に戻ろう。ウルストンネルを後にして、小列車は、U字谷の肩に当たる比較的緩やかな傾斜地を走っていく。時速は10km前後。運が良ければ、草地をアルプスマーモットが駆け回るようすを目撃できるだろう。
路線は単線のため、1~2kmごとに列車交換用の待避線が設けてある。ワンマン運転なので、ポイント切換えも運転士の業務だ。操縦と転轍作業で乗ったり降りたり、なかなか忙しい。待避線は全部で7か所(下注)あり、それぞれ連絡用の電話ボックスと、その横に駅(待避所)名を刻んだ小さな標柱が立っていた。
*注 駅(待避所)名は、起点側からソルビエ Sorbiers、ルルス L'ours、セウー Séous、ラ・バショート La Bachaute、オルミエーラ Ormièlas、アルイ Arrouy、ル・リュリアン Le Lurien。
(左)退避所での列車交換(復路で撮影) (右)待避所の駅名標と連絡電話ボックス、 "F7" は送水管の第7点検口 7e fenêtre の意か |
線路が3本に分かれるセウー Séous 待避所では、下方に小さなセウー池 Mare de Séous が見える。今年は異常気象で雨が少ない。麓のファブレージュ湖は湖底が露出していたし、ここもまた干上がる寸前だ。
ここから先は、地勢がやや険しくなる。ラバショット尾根 Créte de Labachotte の出っ張りを回る地点では、ほぼ垂直に見える崖の上を、徐行するでもなく通過していく。客席にはドアがついていないので、下をのぞき込むと思わず足がすくむ。
セウー池と牧羊 |
ラバショットの杣道 |
圏谷を回り、オルミエーラ峰 Pic d'Ormièlas の山腹にできたガレ場を行く。次のオルミエーラ待避所も、線路が3本ある。停車時間が長いと思ったら、進行方向の山かげからエンジン音が聞こえてきた。対向列車との交換だ。相手は同僚のD6号の牽引だが、時間帯からして帰りの客はまだ乗っておらず、回送のようだ。
少し間を置いて、今度はアメリカ・ホイットコム Whitcomb 社のライセンスで国内製造されたD11号が、同じく6両の空車を牽いて現れた。さらに、機関車と客車、台車各1両の作業用編成も…。こうして計3本の続行運転を見送った後、運転士が線路に降りてきて、うっとうしい防水カバーを屋根に上げてくれた。これで谷側の景色もすっきり見通せる。
オルミエーラ待避所で列車交換(往路で撮影) (左)第2列車のホイットコム機関車 (右)第3列車は資材台車を率いていた |
7~8分のブレークを経て、列車は再び動き出した。絶景にももはや目が慣れてきたが、このあたりから、谷の奥にひときわ高いピーク、標高2974mのパラ(パラス)峰 Pic Palas が登場する。
次のアルイ Arrouy 待避所との間は、地形的に最も険しい区間だ。断崖絶壁を穿ってかろうじて通した個所もあり、列車に身を預けた者としては脱線しないことを祈るしかない(冒頭写真参照)。最後の待避所ル・リュリアン Le Lurien が近づくころ、岩山の間に目的地のダムが見えてきた。石張りの擁壁なので、周囲の景色にすっかり溶け込んでいて、意識して見ないと気づかないほどだ。
谷奥にパラ(パラス)峰が姿を現す |
ル・リュリアン待避所 左上にアルトゥストダムが見える |
終点駅には予定通り11時55分に到着した。窮屈な敷地に、3本の線路とスナックの入った小さな駅舎が配置されている。錆びついてはいるが三角線もあって、機関車の方向転換をやろうと思えばできるようだ。
客を降ろすと、さっそく折返しに備えて機回し作業が始まった。機関車が列車から切り離され、隣の線路を伝って起点側に回っていく。単独でちょこちょこと走る姿はなかなか可愛い。
(左)終点に到着 (右)D7号の機回し作業 |
(左)三角線の錆びついたレール (右)転轍機 |
アルトゥスト湖は、駅から山道を、距離で600m、高度で80mほど上ったところにある。坂はそこそこきついが、ゆっくり歩いても15分ほどだ。まず主ダムの隣の小さな副ダムが見えてくる。湖水の吐き口があり、流れ出た水がその下でもう一つ小さな池を作っている。
重力式の主ダムは長さ150m、高さ25mと大きなものではなく、板張りの天端通路で対岸まで行っても、時間は知れたものだ。指定された帰りの発車まで、湖の神秘的なターコイズブルーの水辺と、日差しに映える壮大な山岳風景を楽しむ時間はたっぷりある。
副ダム(画面右奥)と、流れ出た川を渡る小橋 |
石張りのアルトゥストダム |
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ロープウェーの山麓駅ファブレージュは山中のため、クルマでのアクセスが基本となる。公共交通の場合、夏期(7~8月の平日)は以下のようにバスを乗継ぐことで、ポーからの日帰りがかろうじて可能だ(2024年現在)。最新の時刻表は、下記オッソー谷観光局 Office de Tourisme Vallée d'Ossau のサイトにある。現地滞在時間がかなり長いので、ダム往復だけでは時間を持て余しそうだが…。
往路:ポー Pau SNCF駅前 7:45→(524系統、平日のみ)→ラランス Laruns 8:45/8:50→(525系統)→ファブレージュ Fabrèges 9:35
復路:ファブレージュ 17:00→(525系統)→ラランス 17:45/18:00→(524系統)→ポー SNCF駅前 18:56
ダムから軽便線を見下ろす 画面中央に終点駅、手前は旧工事軌道を利用した留置線 |
写真は、2023年9月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。
■参考サイト
アルトゥスト公式サイト https://artouste.fr/
オッソー谷観光局-アクセス・交通 https://www.valleedossau.com/acces-transports.html
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