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2024年10月29日 (火)

コンターサークル地図の旅-小岩井農場、橋場線跡、松尾鉱業鉄道跡

2024年コンターサークル-S 秋の旅、後半は岩手県に舞台を移す。1日目は、盛岡駅前でクルマを借りて、岩手山麓を半周する形で、雄大な風景と大地に埋もれた廃線跡を巡る。

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小岩井農場上丸四号牛舎
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図1 岩手山周辺の1:200,000地勢図
1971(昭和46)年編集
 

駅の改札前に集合したのは大出さん、山本さんと私の3名。白のトヨタヤリスで御所湖(ごしょこ)のほとりを走り、湖面に臨む繋(つなぎ)温泉の駐車場にクルマを停めた。御所湖は、雫石川(しずくいしがわ)を堰き止めて1981年に完成した比較的新しい人造湖だ。広い湖面の向こうにそびえる岩手山(いわてさん)の眺望を期待して来たのだが、空はおおむね晴れているのに、山頂付近に厚い雲がまとわりついている。

それから繋大橋を渡って北岸の、七ツ森がよく見える御所野の一角に移動した。のどかな田園地帯を限るように、優しい稜線をもつ小山がポコポコと並んでいる。宮沢賢治の文学作品にちなむイーハトーブの風景地の一つだ。本来ならその間に岩手山も顔を見せるはずだが…。

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御所湖西望
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七ツ森の展望

続いて国道46号で西へ向かう。目的地は橋場(はしば)駅跡。JR田沢湖線が仙岩トンネルの完成で全通する以前の盛岡方の終点で、路線も橋場線と呼ばれていた。1922(大正11)年に開業したが、戦時中、閑散区間だった雫石(しずくいし)と橋場の間が不要不急路線とされ、線路が撤去された。戦後の田沢湖線建設の際も、ルートから外れる赤渕(あかぶち、下注)~橋場間は復活することがなかった。

*注 赤渕駅は1964(昭和39)年の再開業時に開設された駅で、戦前の橋場線時代にはなかった。

橋場駅があったのは、赤渕から1.7kmの安栖(あずまい)地区だ。廃業した商店の向かいに並ぶ民家の間の小道を入っていくと、山裾にコンクリートの階段が見えてくる。踏面が草むしているものの、躯体はそれほど劣化していない。上ると、森の中に対面式のホーム跡がくっきりと浮かび上がった。しかし、端の方では丈の高い下草に覆われて、周りと区別がつかなくなる。構内の盛岡方に転車台があったようだが、冬枯れの時期ならともかく、とてもそこまで到達できそうになかった。

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橋場駅跡
(左)ホームへの階段(右)森の中のホーム跡
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図2 橋場駅跡周辺の1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
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図3 橋場駅跡周辺の旧版1:50,000地形図(2倍拡大)
1939(昭和14)年修正測図

来た道を戻って雫石で左折し、次は小岩井農場へ。明治時代に岩手山南麓の広大な原野を拓いて造られた著名な農場だが、その一部がまきば園という有料公開の園地になっている。広々とした芝生広場の周りに乗馬体験や遊具のコーナー、レストランなどが配置され、大人から子どもまでゆったりと楽しめる場所だ。

だが残念なことに、鉄道系の楽しみはなくなってしまった。SLホテルだった蒸機D51 68号と20形客車は、今やただの置物になっている。雨ざらしのため、傷みが進んでいるようだ。D51は最近再塗装されて面目を取り戻したが、勢い余ってか、動輪まで黒のペンキで塗られていた。

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小岩井農場まきば園
(左)エントランス(右)広々とした園内
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旧SLホテルのD51 68号機
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図4 小岩井農場周辺の1:25,000地形図に見どころの位置を加筆
 

園地の奥で走っていたトロ馬車も長期運休中だ。幌屋根のトロッコは乗り場に置かれたままで、周回軌道のレールももはや草に埋もれかけている。岩手山をバックに、草をはむ羊たちの横をトロ馬車が通り過ぎるさまはきっと絵になると思うので、復活を期待したい。

ちなみにこのトロ馬車は、昔ここにあった馬車軌道を再現したものだ。1904(明治37)年に農場本部から上丸牛舎に至る3.6kmの道沿いに敷設されたのが最初で、1921(大正10)年に国鉄橋場線の小岩井駅が開業すると、本部から南下して駅まで2.5kmが延伸された。当時のルートは旧版地形図(下図参照)にも描かれている。自動車の普及と道路整備に伴って1958(昭和33)年に廃止されるまで、半世紀にわたりトロ馬車は外界とを結ぶ重要な交通輸送手段だった。

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トロ馬車乗り場
(左)静態展示中(?)のトロッコ(右)遷車台
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牧場の中の周回軌道は草に埋もれつつある
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図5 小岩井農場の馬車軌道(薄赤で着色)が描かれた旧版地形図
図上端の「育牛部」が現在の上丸牛舎
1948(昭和23)年資料修正
 

レストランでスープカレーの昼食をとった後は、実際の農場の営みを見学できる上丸牛舎を訪ねた。門を入ったとたん、牧場独特の藁と糞の入り混じった匂いが漂ってきた。木造の大きな牛舎やレンガ張りのサイロは重要文化財の指定を受けつつも、現業で今なお使われているのだ。一号牛舎では内部も見学できる。ずらりと並んだ乳牛たちはもう慣れているのだろう。横から見学者がじろじろ眺めても、我関せずといった風で口をもぐもぐさせていた。

構内には事務所建物を利用した展示資料館もあり、本物のトロ馬車の走行写真やルート図など興味深い資料を見ることができた。最後に駐車場脇の売店で、限定販売の均質化していないビン牛乳を飲み干して、農場訪問を締めくくる。

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上丸牛舎の施設
(左)一号牛舎(右)一号、二号サイロ
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(左)小岩井農場資料館
(右)展示資料のトロ馬車写真

岩手山麓を北東へ走ると、東の方角に姫神山(ひめかみさん)が見えてくる。標高1124m、左右対称の整ったシルエットをもつ名山で、堀さんが著書『地図のたのしみ』に書いている。「頂上がキュッと尖り、両側になだらかな弧を描いて、ちょうど斜めに見たときの五重塔の軒先の曲線を思わせるその優姿をいつでも見せて、人の心をひきつける」と(同書p.232、下注)。

*注 堀淳一氏の『地図のたのしみ』はその後二度復刊されていて、引用個所は1984年河出文庫版ではp.245、2012年新装新版ではp.233にある。

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姫神山、柴沢からの眺望
 

堀さんは渋民駅で列車を降りて、線路沿いに北へ歩きながら北上川越しに山を眺めたが、私たちは、そこからさほど遠くない玉山地域重要眺望地点(柴沢)でクルマを停めた。「この優れた風景を大切にし、次世代に継承していきましょう」と書かれた盛岡市の案内板が立っている。水田地帯で、岩手山と姫神山がどちらも見通せるビューポイントだ。

ところが、無造作に張り巡らされた電柱と電線で、せっかくの景観にノイズが入る。そのうえ、東側に造られて間もなさそうな携帯の電波塔があって、姫神山にかぶってしまう。市の奨励にもかかわらず、眺望があまり重視されていないようだ。それでもう1か所目を付けていた渋民~好摩間の松川橋まで行った。ここは川面を前景にして山を望める。背後にはIGR線(旧 東北本線)の鉄橋も架かっているが、ほんの2~3分前に列車が通過したばかりで、さすがに一石二鳥とまではいかない。

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玉山地域重要眺望地点(柴沢)
(左)案内板と標柱(右)岩手山は雲の中
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姫神山、松川橋からの眺望

最後に松尾鉱業鉄道跡を訪ねた。これは、八幡平(はちまんたい)中腹で硫黄を採掘していた松尾鉱山のための支線鉄道で、国鉄花輪線の大更(おおぶけ)駅から東八幡平(旧称 屋敷台)まで12.2kmの路線だった。1934(昭和9年)に開業し、1951年からは電気運転になっている。接続する花輪線はもとより、東北本線でもまだ蒸気機関車が主役だった時代だ(下注)。八幡平へ行く登山客もよく利用した路線だったが、鉱山の閉鎖に伴い1972年に廃止となった。

*注 東北本線の盛岡~青森間の電化開業は1968年。

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大更駅
(左)新築の駅舎(右)ホーム、大館方面を望む
 

起点のJR大更駅へ。花輪線は言わずと知れた閑散線で、日中は片方向3時間に1本しか列車が来ない。ところが駅舎は、まるで近郊区間のような立派な2階建に建て替えられていて驚く。整備された駅前広場にタクシーが2、3台停まっていたから、それなりの需要があるのだろう。

クルマをときどき停めながら、終点まで廃線跡を追っていった。駅から北に出た鉱業鉄道は、約500m先で花輪線から離れていき、針路を徐々に西へ変える。草の生えた未利用地もあれば、砂利道だったり、プレハブ小屋が建っていたりと、現況はさまざまだ。しかし、用地区画は概して明瞭で、容易に跡をたどることができる。

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前半の廃線跡
(左)大更駅の北500m(右)上沖バス停前を横切る
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図6 1:25,000地形図に旧線ルート(緑の破線)等を加筆
大更駅周辺
 

現役時代、中間駅は二つあった。上沖(かみおき)バス停から廃線跡の農道を300mほど西へ行くと、一つ目の田頭(でんどう)駅跡を示す標柱が立っている。田んぼの真ん中に待合室がぽつんと残っているものと想像していたが、現実は違う。たくましく枝葉を広げた栗の木と野積みの廃タイヤにブロックされて、近づくことすら難しかった。

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(左)田頭駅跡の標柱、待合室は中央の木の陰に
(右)近づくのも困難な待合室
 

高森集落から西では、クルマでもたどれる農道になるが、鹿野(ししの)集落の手前でそれは消える。二つ目の鹿野駅は、地区の集落センター(集会所)の敷地などに転用されている。田頭駅のような標柱か説明板の一つでもあるといいが…。

集落を抜けると、2車線の舗装道が廃線跡だ。行く手に八幡平を仰ぐ一直線のルートだが、午後は雲が目立って増えてきた。東北自動車道をくぐり、県道23号大更八幡平線と交差すると、まもなく舗装道は終点となる。見過ごしてしまったが、この先に鹿野変電所が廃屋となって残っているそうだ。

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(左)鹿野駅跡に建つ集落センター
(右)八幡平に向かう廃線跡の2車線道
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図7 同 鹿野駅周辺
 

明治百年記念公園の駐車場にクルマを停めた。目の前で小水力発電用の水車が回っている。水を供給しているのは、松川上流で取水された用水路だ。松川温水路と呼ばれ、灌漑に適した水温にするために、幅広の水路に階段状に堰が切ってある。同様の施設が鳥海山麓にもあったのを思い出す(下注)。

*注 秋田県にかほ市象潟町の小滝温水路、「コンターサークル地図の旅-象潟と鳥海山麓」参照。

廃線跡はこの温水路に沿ってまっすぐ上流へ続いていて、現在は遊歩道になっている。落葉樹の林に包まれ、傍らで堰を落ちる水音を聞きながら、散策が楽しめるいい道だ。

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(左)松川温水路
(右)小水力発電用の水車
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温水路に沿う遊歩道区間
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図8 同 東八幡平駅周辺
 

一貫して西へ進んできた鉄道は、終点に近づくと北へ針路を変える。松尾鉱山資料館の駐車場が、かつて鉄道が斜めに横切っていた場所だ。線路の痕跡はない代わり、電化開業に合わせて導入された入換用電気機関車ED25 1号機が、上屋の下で静態保存されている。館内にも、鉄道に関する説明パネルや若干の資料展示があって、参考になる。この資料館、無料なのはうれしいが、鉱山のジオラマを除いて展示物を写真に撮れないのが惜しい。

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ED25 1号機
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松尾鉱山資料館
 

鉄道の終点である東八幡平駅は、索道で運ばれてきた鉱石の積替え施設が広がる一角にあった。現在は、松尾八幡平ビジターセンターという観光案内施設のほか、工場、広場、駐車場などに分割転用されている。どれも余裕たっぷりの敷地で、かつての施設がいかに大規模だったかが想像できる。

この後、私たちは、標高900m台にある松尾鉱山の採掘場付近まで、八幡平アスピーテラインを上っていった。急坂、ヘアピンの長い防雪シェルターを通り抜けると、風景はもう秋色を帯び始めている。かつて繁栄を極め、雲上の楽園とさえ称された鉱山町だが、今は廃墟と化した集合住宅群がむなしく立つばかりだ。坑道の崩落による陥没の恐れがあるとして、中心部に通じる道路は進入禁止になっていた。

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東八幡平駅跡
(左)松尾八幡平ビジターセンター
(右)広い駐車場も旧ヤードの一部
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松尾鉱山跡
(左)高層湿原の島沼
(右)廃墟になった集合住宅群
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図9 松尾鉱業鉄道が描かれた1:50,000地形図(東半)
1970(昭和45)年編集
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図10 同(西半)
(左)1973(昭和48)年編集(右)1970(昭和45)年編集
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図秋田、盛岡(いずれも昭和46年編集)、5万分の1地形図雫石(昭和14年修正測量)、小岩井農場(昭和23年資料修正)、八幡平(昭和48年編集)、沼宮内(昭和45年編集)および地理院地図(2024年10月25日取得)を使用したものである。

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