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2024年10月17日 (木)

コンターサークル地図の旅-有田川あらぎ島

9月に入っても猛暑が収まる気配がない。今日もよく晴れて、当地の気温は33度まで上がった。2024年コンターサークル-S 秋の旅の前半は、紀伊半島が舞台だ。1日目の9月7日は、有田川(ありだがわ)中流の知る人ぞ知る名所「あらぎ島(蘭島)」を見に行く。

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あらぎ島全景
 

有田川は和歌山県北部、真言密教の霊場である高野山(こうやさん)を源流域として西へ流れ下り、紀伊水道に注ぐ川だ。中流部では激しい穿入蛇行(せんにゅうだこう)を繰り返している。

そうした蛇行地形の内側に生じた緩やかな斜面、いわゆる滑走斜面が段丘状になったところを水田化したのが、あらぎ島だ。これを対岸の崖の上から眺めると、みごとな袋状の棚田に見える。昨年訪れた埼玉の巾着田と同じような景観だが、あらぎ島ははるかにコンパクトで、広角でなくてもカメラのレンズに収まってくれる。

*注 埼玉の巾着田については「コンターサークル地図の旅-高麗巾着田」参照。

田んぼは刻々と装いを変えていく。刈田に白い霜が降りる冬、一面に水が張られる初夏、稲が育ち緑に埋まる盛夏と、どの季節も趣きがあるが、やはり黄金色に染まる今時分が最も見栄えがするように思う。まだ歩き旅に適した時期ではないが、今日を決行日にしたのは、9月中旬には稲刈りが終わってしまうと聞いたからだ。

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季節ごとに装いを変える
(現地案内板を撮影)
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図1 有田川周辺の1:200,000地勢図
2012(平成24)年編集

あらぎ島へは、JR紀勢本線の藤並(ふじなみ)駅から清水(しみず)行きの路線バスで向かう。しかし、休日は本数が少ないこともあって、遠方から来ると朝の便に間に合わない。それで、藤並駅での集合時刻は13時の設定だ。

ここは以前、有田川鉄道公園に行くために来たことがある。鉄道公園は、有田鉄道の終点だった金屋口(かなやぐち)駅の構内に設けられた鉄道博物館で、2002年に廃止されたローカル私鉄の記憶を保存している。清水行きバスは、バス専業になった有田鉄道の運行なので、旧 駅前も経由地の一つだ。久しぶりに鉄道公園を訪ねてみたいが、降りてしまうと次のバスがないのが辛い。

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(左)JR藤並駅
(右)駅前から路線バスに乗り込む
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(左)旧 金屋口駅舎
(右)有田川鉄道公園
  旧 金屋口駅ホームと保存車両キハ58 003(2018年撮影)
 

藤並駅東口のバス停で大出さんと会い、13時06分発のマイクロバスに乗り込んだ。乗客は私たちを含めて5人。金屋口までは開けた土地だが、曲弦ワーレントラスの金屋大橋で有田川を渡ると、いよいよ山中に入っていく。蛇行する谷に点在する集落を追いながら、国道480号で34km、延々1時間の長旅だ。

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(左)金屋大橋(復路で撮影)
(右)二川ダム湖
 

川を堰き止める二川(ふたがわ)ダムの湖面が途切れてまもなく、バスは国道から離れ、狭い旧道に入っていった。集落の中の三田(みた)という停留所で下車すると、はるばるマイカーでやってきた木下さん親子が待っていてくれた。

田舎道というのに、ぞろぞろ歩いてくる人たちとすれ違う。主要道からの遠さをものともせず、見物客がけっこう訪れているようだ。緩い上り坂になった旧道をもう少し先へ進むと、急に右側の足もとが開け、お目当ての地形が見えてきた。柵つきの側歩道が造られ、その端に猫の額ほどの広場も設けられている。

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あらぎ島展望所
柵つきの側歩道と小広場がある
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図2 あらぎ島周辺の1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
 

展望所からは南望する形になる。有田川が左手奥の谷から現れ、手前に大きく膨らんで、右手奥の山陰に消えていく。この流路に囲まれて正面に、同心円状の緑のあぜ道で縁取られたあらぎ島の棚田群が広がる。一部刈取りが済んだ区画があるものの、まだ大半が、強い日差しのもとで黄金色に輝き、収穫の日を待つ状態だ。

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収穫を待つあらぎ島の棚田群
 

私たちが立っているのは、川面から40m以上高い攻撃斜面の崖の上で、有田川が長い時間をかけて造り上げた円形劇場を一目で見渡せる位置にある。別の角度からも眺められないかと、地形図やグーグルマップで探してみたが、全体が視野に入るのはここが唯一のようだ。

帰りのバスの時刻までまだ1時間以上あるので、あらぎ島本体に行ってみることにした。旧道を上流に向かう。道はいったん下りになり、宮川谷川(みやがわたにがわ)を渡って小峠(ことうげ)集落に続いている。集落の端で国道へ右折して、小峠橋を渡った。この橋と次の蘭島橋の間に、南に入る1車線道があり、そこから農道が分岐している。

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国道の小峠橋にて
 

道端に、あらぎ島とそこに水を運んでいる上湯(うわゆ)用水路の案内板が立っていた。「有田川の支流 湯子川(下注)から取水する総延長約3.2kmの水路で、現在は約13.5haの水田を用水しています。笠松佐太夫が開削した用水路の一つであり、史料から明暦元年(1655)という開発年代が特定できる」とある。水路が尾根を横切る地点で、グレーチングで覆った分水路が延びていた。

*注 ただし、地形図には湯川川(ゆかわがわ)とある。

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上湯用水路と蘭(あらぎ)島の案内板
 

農道わきに人家が1軒あるのは現地で初めて知った。河畔林の陰で、展望所からは見えないからだ。農作業に使う用具類も、眺望の邪魔にならないよう木陰に置かれていた。農道はあらぎ島の縁を巡っている。この位置から見れば、観光名所もよく実ったふつうの稲田だ。一枚当たりの面積は小さいが、特異な景観を守るために、耕作を絶やさぬ努力が続けられているのだろう。

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(左)あらぎ島の縁を巡る農道
(右)近くで見ればふつうの稲田
 

国道の蘭島橋からは、有田川の流れとともに、さっきいた展望所と周りの辻堂(つじどう)、中谷の集落が望める。地形図を見ていて気づいたが、旧道が通っているのはいわゆる風隙(ふうげき)だ。おそらく、もとは宮川谷川が流れていたのだが、有田川による側面浸食の結果、川が短絡してしまい、辻堂から西の流路が空谷となって取り残されたと推測される。すなわち、展望所が置かれた場所は、河川争奪地形における争奪の肘(ひじ)の一部ということだ。

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蘭島橋から展望所と周りの集落を望む
 

蘭島橋は、延長544mの三田トンネルに直結している。車道トンネルを歩くのはできれば避けたいが、ここは十分な幅の側歩道があり、時折やってくるクルマの走行音を別とすれば不快ではなかった。それに、じりじり焼かれるような日なたに比べ、トンネルの中は涼しくてほっとする。

トンネルを抜けてすぐ右側にある道の駅「あらぎの里」で、しばし休憩。木下さん親子と別れ、三田発電所前のバス停から15時46分発の、往路と同じマイクロバスに乗った。

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(左)道の駅「あらぎの里」
(右)三田発電所前停留所
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図和歌山(平成24年要部修正)および地理院地図(2024年10月16日取得)を使用したものである。

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