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2024年10月22日 (火)

コンターサークル地図の旅-串本・潮岬とその周辺

2024年9月8日、秋のコンター旅2日目は、紀伊半島南端の串本(くしもと)に移動して、潮岬(しおのみさき)を筆頭に、周辺の地学的な見どころを巡る。

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潮岬灯台
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図1 串本周辺の1:200,000地勢図
1983(昭和58)年編集

昨日に続いてよく晴れた朝、串本へ向かう2両編成の普通電車は、ロングシートがそこそこ埋まっていた。「休日の朝でもけっこう利用者がありますね」と言うと、「青春18きっぷの有効期間最後の日曜日だからじゃないかな」と大出さん。列車で紀伊半島一周に出かける人たちだろうか。串本駅前で、クルマで先回りしていた木下さん親子と合流した。本日も参加者はこの4名だ。

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串本駅に到着
 

トヨタヤリスのレンタカーと自家用車の2台で出発した。市街地を南へ抜け、潮岬への坂道を上る。途中の馬坂園地という休憩所が、串本トンボロを西側から見渡せそうに思えたので、寄り道した。

トンボロ、または陸繋砂州(りくけいさす)というのは、沿岸流によって運ばれた砂が堆積して、本土と島を陸続きにしている砂州のことだ(下注)。串本の場合は、潮岬のある海蝕台地がこれによって本土とつながり、市街地もこの砂州の上に載っている。

*注 ちなみに日本三大トンボロと呼ばれるのは、函館、串本、上甑島(かみこしきじま)の薗。

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図2 潮岬周辺の1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
 

ところが、休憩所の海側は背の高い雑草ですっかり覆われてしまって、ほとんど視界がきかなかった。夏場なのでしかたがない。クルマに戻って、岬の突端にある南紀熊野ジオパークセンターまで行く。ここは、一帯の地学的な見どころをパネルや資料で紹介している施設だ。スタッフさんに5分間で解説を、と無理なお願いをして、これから訪ねるスポットについて予習した。それによれば…

海洋プレートが大陸プレートの下に潜り込む際、海中で、プレートに載ってきた海底堆積物が剥がされて、いわゆる付加体が生成される。付加体の窪みの部分(海盆)には、陸上から運ばれた砂や泥が堆積した。これがこの地域の基盤層である熊野層群だ。後に、それらを突き破ってマグマが上昇し、地表や地中で冷えて固まった。潮岬や東隣の大島(下注)はこうしてできた花崗岩や安山岩(火成岩)から成っている。また、本土の熊野層群の間にも火成岩帯が分布して、奇岩や瀑布など特異な景観を提供している。

*注 同名の他の島と区別するときは、紀伊大島または串本大島と呼ぶ。

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南紀熊野ジオパークセンター
 

センターを辞して、前に広がる緑地を柵際まで歩くと、変則五角形をした本州最南端碑があった。いうまでもなくここは北緯33度26分、本州の南の端だが、陸地は「クレ崎」と呼ばれる崖下の岩礁へとまだ続いている。目を凝らすと、先端の岩棚に人が立っているのが見えた。海釣りをしているようだが、よくもそこまで、と感心する。岩伝いに歩いていくのは難しく、船で行ったとしか考えられない。

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(左)本州最南端碑
(右)最南端の岩礁、クレ崎
 

遊歩道を西へ移動する。旭之森展望所から、その岩礁の並びを側面から眺めることができた。野良ネコが二匹、ベンチの下の日陰から私たちのようすを窺っている。県道に合流した後、もう一つ展望所があり、これから行く岬の灯台が姿を見せた(冒頭写真参照)。

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(左)旭之森展望所
(右)ベンチの下の野良ネコ
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無名の展望所から見る潮岬灯台
 

潮岬灯台は高さ23m、石造の灯台だ。1870年に日本初の洋式木造灯台として完成し、8年後の1878年に現在の構造に改築されている。太い石柱の門を入ると受付があり、傍らで目の覚めるようなハイビスカスの真っ赤な花が迎えてくれた。

灯台は、敷地の中央に立っている。68段あるという内部の螺旋階段でバルコニーまで上れるのだが、最後の一層は狭くて急な鉄梯子だった。狭いバルコニーに出ると強い海風が吹きつけ、思わず帽子のひさしを押さえた。しかし、見晴らしのよさは言うまでもない。岬を覆う照葉樹林と青い海原が目の前に広がり、釣り船や貨物船が波間をゆっくりと動いている。

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潮岬灯台正門
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(左)構内のハイビスカス
(右)灯台と付属建物
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(左)灯台入口
(右)入口の銘板
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(左)バルコニーへの出口
(右)最終層を上る鉄梯子
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灯台バルコニーから南西方向のパノラマ
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(左)付属建物にある資料展示室
(右)展示室の第2等フレネルレンズ
 

クルマに戻って、紀伊大島へ向かった。潮岬台地の東端でスパイラルの取付け道路を回り、くしもと大橋を渡る。1999年に完成したこの橋のおかげで、大島は実質、本土と陸続きになり、民謡に謡われた巡航船も廃止されてしまった。

道の途中にある、口コミで人気のパン屋で昼食を仕入れて、金山展望所へ。標高117mのピークで、串本湾を見渡せるビューポイントとして目を付けていた場所だ。

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図3 串本・大島周辺の1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
 

消防団の人たちが作業中の駐車場にクルマを置かせてもらって、山道の階段を登っていく。地図上では徒歩8分ほどの距離なのだが、容赦ない日差しとアップダウンを繰り返す尾根道で、けっこう疲れた。展望地は3か所ばかりあったが、先端の小広場で視界が最も開ける。

右手に、巨岩が一直線に並ぶ橋杭岩(はしぐいいわ)がある。中央は串本市街地で、トンボロの上まで続き、潮岬台地に接続している。左手前には、多数の漁船がもやる大島港も見えて、想像以上の大パノラマだ。ベンチも用意されているから、ピクニックの環境として申し分ないが、今日はさすがに日陰がほしい。それで、クーラーの効いたクルマで大島港まで降り、港ネコに見つめられながら、さっきのパンを食した。

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金山展望所からのパノラマ
右から橋杭岩、串本市街地が載るトンボロ、潮岬台地、左手前に大島港
 

大島では東部にある海金剛にも行きたかったが、時間が押してきたため、やむなくカット。島を出て、内陸部へとクルマを進めた。国道371号で一山越えて、古座川(こざがわ)が流れる谷を遡る。トンネルを2本抜けると、天然記念物になっている古座川の一枚岩が見えてきた。道沿いの小さな道の駅にクルマを停めた。

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図4 古座川周辺の1:25,000地形図に見どころの位置を加筆
 

対岸に、川面から直接立ち上がるように、一かたまりの巨大な岩壁が露出している。高さは約100m、下流側にも少し背は低いが岩塊が続いていて、全長は約500mあるという(下注)。写真ではあまりスケール感が湧かないが、実際に目にすると、縦横とも圧倒的な迫力だ。河原にいる人たちが豆粒のように見える。

*注 国指定文化財等データベースで「高さ約150m、幅約300m」とあるが、少なくとも露出部は、地理院地図の標高データで高さが100~110m、図上測定で幅500m程度。

岩質は、流紋岩質の凝灰岩だそうだ。火山灰が凝固したものだから、一般的に硬質の岩石ではないが、均質でよく固結していた部分が、風化や浸食に耐えたのだろうか。それでも表面には大小のくぼみがあり、植物の進出を許している。

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古座川の一枚岩の下流側
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同 上流側、河原にいる人が豆粒に見える
 

少し上流にある天柱岩(てんちゅうがん)も見に行った。川の右岸の斜面上部で、ドーム状の巨岩が露出している。谷底からの高さが220mほどもあり、けっこうモニュメンタルな景観だ。

ここでUターンして、今度は古座川沿いの県道38号すさみ古座線を下る。流路が沿っているのは、古座川弧状岩脈と呼ばれる地層で、約1400万年前の巨大噴火により生じた熊野カルデラの痕跡の一つだ。花崗岩など比較的柔らかい岩石で構成されているため、浸食されやすく、川筋や低地になっている。下流に点在する髑髏岩(どくろいわ)、牡丹岩(ぼたんいわ)、虫喰岩(むしくいいわ)といったややグロテスクな奇岩も、こうした岩質の風化によるものだ。

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そそり立つ天柱岩
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(左)髑髏岩
(右)牡丹岩
 

古座川河口で国道42号に出た。最後は橋杭岩を訪れるつもりだが、その前に、大出さんが見つけた紀伊姫(きいひめ)駅近くの山上にある無名の展望所に立ち寄る。麓にクルマを停めて、徒歩で線路際から続く山道を歩いていった。最近整備の手が入れられたようで、手作りの案内板がまだ新しい。

細木で土留めした簡易な階段道を上った先に、少し平らに均した場所があった。振り返ると、橋杭岩が縦に並んで見えた。遠景は潮岬台地に紀伊大島、仲を取り持つ白いアーチのくしもと大橋と、役者がしっかり揃っている。さらに紀勢本線の線路が手前に回り込んでくるので、列車の姿が入れば鉄道写真にも使えそうだった。

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無名の展望所からの眺望
正面左が橋杭岩、後方にくしもと大橋
 

クルマに戻り、改めて橋杭岩へ向かう。名所の前に設けられた道の駅の駐車場は、満車に近かった。国道沿いで人目を引く景色だから、誰しもちょっと寄っていこうと考えるのだろう。

橋杭すなわち橋脚に見立てられた流紋岩の巨岩の列は、およそ南北方向に長さ約900mにわたって延びている。これも火山活動の痕跡だ。泥岩の地層の割れ目に入り込んだマグマが固結し、地上での差別侵蝕により火成岩だけが残った。いうなれば、溶けた鉄を鋳型に流し込み、後で鋳型を壊して鉄器を取り出したようなものだ。

西側は波蝕棚で、大波で砕かれ運ばれた岩がごろごろと転がっている。その間を縫って岩塔の列まで行ってみた。遠目とは違って目近にすると、背も高く相当の厚みがある。列の反対側は白波が絶えず打ち付けていて、午前中、灯台のバルコニーから眺めたような外海そのものだった。

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橋杭岩
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(左)高さと厚みのある岩塔列
(右)東側は外海
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図田辺(昭和58年編集)および地理院地図(2024年10月16日取得)を使用したものである。

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