« 2024年6月 | トップページ | 2024年8月 »

2024年7月

2024年7月31日 (水)

ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編

ドイツは、イギリスと並んで保存鉄道活動が盛んな土地柄だ。いつものように観光鉄道や景勝路線を含めて挙げてみると、件数は150を超えた。北部、東部、西部、南部と4分割したリストの中から、主なものを紹介していこう。

Blog_germany_heritagerail_n01
「ヤン・ハルプシュテット」のクリスマス特別列車(2014年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_germanyn.html

Blog_germany_heritagerail_n02
「保存鉄道・観光鉄道リスト-ドイツ北部」画面

北部編には、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州 Schleswig-Holstein、ハンブルク州 Hamburg、ニーダーザクセン州 Niedersachsen、ブレーメン州 Bremen にある路線を含めている。

まず注目したいのは、島の鉄道 Inselbahnen だ。ドイツ本土と北海との間で、平べったい島々が列をなしている。これら北フリジア諸島、東フリジア諸島(下注)と呼ばれる島々は、知られざる小鉄道の宝庫だ。

*注 フリジア Frisia は英語由来の呼称で、ドイツ語ではフリースラント Friesland。

項番3 ハリゲン鉄道 Halligbahnen

ユトランド半島の東側に位置する北フリジア諸島では、ハリゲン鉄道 Halligbahnen(下注)として括られる2本の簡易軌道が、本土と島をつないでいる。

*注 ハリゲン Halligen(複数形。単数はハリッヒ Hallig)とは、潮位が高くなると海中に没してしまうこの地域特有の湿地の島のこと。

一つは、本土の港ダーゲビュル Dagebüll から遠浅のワッデン海を築堤で渡ってオーラント島 Oland とランゲネス島 Langeneß へ行く軌間900mm、長さ9kmのダーゲビュル=オーラント=ランゲネス線 Halligbahn Dagebüll–Oland–Langeneß。

もう一つは、その約15km南で同じようにワッデン海を横断している軌間600mm、長さ3.5kmのリュットモーアジール=ノルトシュトランディッシュモーア線 Halligbahn Lüttmoorsiel–Nordstrandischmoor、通称ローレンバーン Lorenbahn(トロッコ鉄道の意)だ。

Blog_germany_heritagerail_n03
ダーゲビュルの堤防を降りる自家用トロッコ(2023年)
Photo by Whgler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

その特徴は、州の海岸保護・国立公園・海洋保護局 Landesamtes für Küstenschutz, Nationalpark und Meeresschutz (LKN) が管理している専用線であることだろう。1920~30年代に護岸工事の資材を輸送するために建設され、今もその目的で維持されている。しかし本土との間には道路がないので、島民もこの軌道の日常利用が許されている。

彼らはマイカーならぬマイトロッコを運転して、浅海の上を行き来する。かつてこうしたトロッコは無動力で、帆で風を受けて走っていた。今はドライジーネ Draisine と呼ばれる動力車が普及していて、中には付随車(トレーラー)を伴った「列車」形式も見られる。

軌道は全線単線で、前者の場合、途中に、対向車両を退避するための頭端側線または待避線が計4か所設置してある。見通しがいいので信号機などはなく、優先通行権はまず工事車両に、マイトロッコ同士なら先に「閉塞区間」に入った車両にある。ポイントの切り替えもセルフサービスになっている。

鉄道ファンなら乗ってみたいが、この軌道に定期運行の旅客列車などは存在しない。それどころか、島内の民宿に泊る客を除いて、島民がマイトロッコに一般人を便乗させることも禁じられている。違反すると、運転免許取消の厳しい処分が待ち受けているそうだ。

Blog_germany_heritagerail_n04
ワッデン海の中を3km続く簡易軌道(2003年)
Photo by StFr at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番14 ヴァンガーオーゲ島鉄道 Wangerooger Inselbahn

一方、オランダに近い東フリジア諸島では、4つの島に島内鉄道が存在する。一つは観光用の馬車軌道だが、他の3島は狭軌の普通鉄道で、本土との間を結ぶ航路と連携して、港から中心市街地への交通手段として活用されている。

*注 東フリジア諸島の島内鉄道の概要については「北海の島のナロー I-概要」参照。

そのうち、最も東に位置するのがヴァンガーオーゲ島鉄道だ。軌間は1000mm(メーターゲージ)、航路ともどもドイツ鉄道 Deutsche Bahn (DB) グループによる運営で、今やDB唯一のナローゲージ路線になっている。

この鉄道の特徴は、運行ダイヤが毎日変わることだ。というのも、本土と島の間は遠浅の海で、潮が引くと広大な干潟が現れる。フェリーは、本土の川から続いている溝状の水路、いわゆる澪(みお)に沿って運航されるが、ヴァンガーオーゲの場合、それが浅く、潮位が高いときしか通れないのだ。船がそうなら、接続列車も合わさざるをえない。DBサイトには、本土側の連絡バスを含む1年間の運行ダイヤが一覧表で掲載されている。

フェリーが着くのは、島の南西端に突き出た埠頭だ。数両の客車がその岸壁で乗客を待っている。発車時刻は明示されておらず、全員が乗り込み、シェーマ・ロコ(下注1)が前に連結されれば、出発だ。列車は、海鳥たちの繁殖地にもなっている塩性湿地 Salzmarschen の上を時速20kmでゆっくりと横断し、約15分かけて町の玄関駅にすべり込む。

*注1 シェーマ Schöma(クリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH)社製の小型ディーゼル機関車。
*注2 鉄道の詳細は「北海の島のナロー V-ヴァンガーオーゲ島鉄道 前編」「同 VI-後編」参照。

Blog_germany_heritagerail_n05
塩性湿地を横断する列車(2018年)
筆者撮影
 

項番17 ボルクム軽便鉄道 Borkumer Kleinbahn

ボルクム島 Insel Borkum は東フリジア諸島の西端にあって、面積、人口とも諸島最大だ。ドイツ本土より距離が近いオランダからの定期航路もあり、レーデ Reede(投錨地の意)と呼ばれる埠頭は常に賑わっている。

ボルクム軽便鉄道は、その埠頭から7kmほど離れたボルクムの市街地まで、旅行者や用務客を運んでいる狭軌鉄道だ。メーターゲージの他の3島と異なり、軌間は前身の馬車軌道に由来する900mm。しかし、複線のまっすぐな線路を、10両編成で疾走する列車をひとたび目にすれば、鉄道需要の規模の差を実感する。

ボルクム駅までは17分。公式時刻表では、埠頭の発時刻が、船の遅延も見込んで ca.(およそ)何時何分と書かれているのがユニークだ。それに加えて、時刻表にない列車もたびたび走る。フェリーの乗客が多かったり、発着が重なったりして、1本の定期列車では運びきれないと判断された場合、混雑緩和列車 Entlastungszug と称して臨時便が手配されるのだ。

列車を牽くのはここでもシェーマ・ロコだが、ボルクム駅の車庫には、蒸気機関車やヴィスマール・レールバスといった旧型車両も保存されていて、週末などに特別運行が実施される。実用一辺倒でなく、観光要素にも配慮しているところが、島の交通を預かる鉄道の心意気だろう。

*注 鉄道の詳細は「北海の島のナロー II-ボルクム軽便鉄道 前編」「同 III-後編」参照。

Blog_germany_heritagerail_n06
埠頭の駅で発車を待つ(2018年)
筆者撮影
 

項番9 ドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館 Deutsches Feld- und Kleinbahnmuseum
項番10 ブルクジッテンゼン湿原鉄道 Moorbahn Burgsittensen
項番11 アーレンモーア湿原鉄道 Moorbahn Ahlenmoor

北部の知られざる小鉄道は北海の島にとどまらない。ニーダーザクセン州中西部に広範囲に分布している低地湿原(モーア Moor)もその舞台だ。農地化などで面積が縮小して、湿原の多くは保護区として開発が制限されているが、かつては肥料や燃料にするために、泥炭の採掘が盛んに行われた。それを加工場まで運搬していたのが、湿原鉄道 Moorbahn、泥炭鉄道 Torfbahn などと呼ばれる600mm軌間の簡易軌道 Feldbahn(下注)だ。

*注 Feld は英語の field に相当する。軽量で、敷設・撤去が容易なことから軍用や産業用として広く用いられた。

シュターデ Stade 近郊、旧DBダインステ Deinste 駅の構内にあるドイツ簡易軌道・軽便鉄道博物館は、泥炭工場をはじめ鉱山、林業などで使われた小型機関車や客車・貨車を多数収集・保存している。コレクションを走らせる軌道も、畑を区切る並木を縫って約1.6kmの間延びていて、開館日のシャトル運行は訪問客の大きな楽しみだ。

Blog_germany_heritagerail_n07
原状回復が図られるティステ農業湿原(2013年)
Photo by Dieter Matthe at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

また、実際に湿原に敷かれた簡易軌道を保存して、観光と学びに活用しているところもある。ブルクジッテンゼン湿原鉄道は、ハンブルクとブレーメンの中間にある自然保護区「ティステ農業湿原 Tister Bauernmoor」の中を走る簡易軌道だ。

ここでは1999年まで泥炭が採掘されていたが、事業廃止後、自然保護区に指定されて湿原の回復が図られた。それとともに、残された軌道を活用して、湿原と野鳥の見学ツアーを開催している。ガイド付きツアーの参加者は、シェーマ・ロコが牽くトロッコ客車に乗り、約1.4km離れた湿原展望台まで行く(下注)。自然と触れ合う往復1時間30分の小旅行だ。

*注 途中、上下線が別ルートになっているので、総延長は約4kmある。

クックスハーフェン Cuxhaven の南にあるアーレンモーア湿原鉄道も同様で、広さ40平方kmのアーレン湿原 Ahlenmoor に張り巡らされた旧 泥炭軌道を利用している。こちらのツアーはより大規模で、全長5.7kmの周回ルートを走り、所要2時間15分。乗り場になっているビジターセンターも、かつての泥炭工場を改修したものだ。

Blog_germany_heritagerail_n08
アーレン湿原の見学列車(2014年)
Photo by Ra Boe at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0 DE
 

項番22 ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道 Museumseisenbahn Bruchhausen-Vilsen – Asendorf

次は、「ふつうの」保存鉄道をいくつか挙げよう。

ヴェーザー川とその支流が潤すブレーメン Bremen 周辺の田園地帯には活動中の路線がいくつもあるが、中でも筆頭は、ブルッフハウゼン・フィルゼン=アーゼンドルフ保存鉄道だろう。メーターゲージ(1000mm軌間)ながら、1966年7月に運行を開始した、ドイツで最初の保存鉄道だからだ。

運営主体は、その2年前に愛好家により設立されたドイツ鉄道協会 Deutsche Eisenbahn-Verein e. V. (DEV) 。まだ全線は走れず、列車構成も、1900年の路線開通時からいる同線オリジナルの小型蒸機「ブルッフハウゼン Bruchhausen」と客車1両というささやかなものだった(下注)。

*注 ブルッフハウゼン号は後に引退し、今はブルッフハウゼン・フィルゼン駅前のロータリーに記念碑として置かれている。

Blog_germany_heritagerail_n09
駅前に据え付けられたブルッフハウゼン号(2009年)
Photo by Syker Fotograf at wikimedia. GNU General Public License
 

運行区間は1970年に延伸され、現在のブルッフハウゼン・フィルゼン Bruchhausen-Vilsen ~アーゼンドルフ Asendorf 間7.8kmになった。メーターゲージの孤立路線だが、昔は本線格のジーケ Syke ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~ホーヤ Hoya 間とともに狭軌の軽便鉄道網の一部をなしていた。それで、路線の後半に見られるいわゆる道端軌道の風景も本線とよく似ている。こうした軽規格のローカル線は1950年代までドイツの田舎の至るところで見られたが、今ではほとんど残っていない。

拠点のブルッフハウゼン・フィルゼンへは、DB線のジーケ駅から路線バスが出ている。また、運行日は限られるが、ジーケ~ブルッフハウゼン・フィルゼン~アイストループ Eystrup 間にカフキーカー Kaffkieker(項番21)という気動車の観光列車も走っている。一部に田舎道の併用軌道さえある興味深い路線なので、機会があれば併せて乗ってみたい。

Blog_germany_heritagerail_n10
観光列車カフキーカー、ブルッフハウゼン駅にて(2010年)
Photo by Corradox at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 アンゲルン蒸気鉄道 Angelner Dampfeisenbahn

ブルッフハウゼンに刺激されてか、1970年代に入ると、北部でも保存鉄道の開業が相次ぐ。フレンスブルク鉄道交通友の会 Freunde des Schienenverkehrs Flensburg e. V. によって1979年に開業したアンゲルン蒸気鉄道(下注)もその一つで、ドイツ最北の保存鉄道として今も運行を続けている。

*注 アンゲルン Angeln は、路線がある半島の名。ちなみに、この地からグレートブリテン島に移住した民族が英語で Angles(アングル人)と呼ばれ、アングロ・サクソンやイングランド(アングル人の土地の意)の名の語源になっている。

ルートとなった路線は、もともと主要都市シュレースヴィヒ Schleswig を起点とする地方鉄道だった。保存鉄道ではその東半分、DBキール=フレンスブルク線 Bahnstrecke Kiel–Flensburg のジューダーブラループ Süderbrarup 駅と港町カペルン Kappeln の間14.6kmが使われている。

この鉄道の最大の特徴は、車両コレクションの多くを北欧に求めていることだ。2017年まで主力機だったタンク蒸機F形はもとデンマーク国鉄 DSB のものだし、バトンを引き継いだテンダー蒸機S1形も、側壁の SJ の文字が示すように、スウェーデン国鉄の最後の形式だ(下注)。客車群もまたデンマークやノルウェーから到来している。

*注 2024年現在、修理のために就役していない。

鉄道の終点カペルン駅は、港のすぐ前だ。内陸に40km以上も入り込むシュライ湾 Schlei と呼ばれる細長い水路に面した港では、昔からニシンの水揚げが盛んだった。昇天日に合わせて開催されるニシン祭 Heringstage は町一番の年中行事で、鉄道もその一部に協力する。

Blog_germany_heritagerail_n11
カペルン駅の旧SJ蒸機S1 1916(2018年)
Photo by Matthias Süßen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番5 シェーンベルガー・シュトラント保存鉄道 Museumsbahnen Schönberger Strand

この蒸気保存鉄道は1976年に開業している。シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州の州都キール Kiel から、バルト海沿岸の保養地シェーンベルガー・シュトラント Schönberger Strand(シェーンベルク海岸の意)まで延びる休止中の標準軌支線がその舞台だ。

1975年の一般旅客輸送の廃止を受けて、ハンブルク Hamburg で設立された交通愛好家・保存鉄道協会 Verein Verkehrsamateure und Museumsbahn e. V. (VVM) が末端部の線路3.5kmを取得した。以来、保存列車は基本的にその区間を往復している(下注1)が、支線全線が走行可能な状態に保たれているので、イベントなどでは列車がキール市内まで遠征する(下注2)。

*注1 今年(2024年)は、協会管理外のシェーンベルク Schönberg ~シェーンキルヘン Schönkirchen 間で運行されている。
*注2 根元区間のオッペンドルフ Oppendorf までは、2017年以来、キール中央駅からの一般旅客輸送が復活している。

活動拠点になっているのはシェーンベルガー・シュトラント旧駅だが、ここには別の楽しみもある。それは、協会が1993年から手掛けている路面電車の動態保存だ。ベルリン、ハンブルク、キールほか北ドイツ各都市の旧型車両が収集されていて、構内には終端ループを伴う1周500mほどの走行線が敷かれている。

ベルリンなどは標準軌(1435mm)だが、キールとリューベック Lübeck の市電は珍しい1100mm軌間だった。それで構内線もデュアルゲージ対応の3線軌条だ。

Blog_germany_heritagerail_n12
シェーンベルガー・シュトラント駅(2017年)
Photo by Christian Alexander Tietgen at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 
Blog_germany_heritagerail_n13
シェーンベルガー・シュトラント駅の路面軌道を走る旧ハンブルク市電(2018年)
Photo by Hammi8 at wikimedia/flickr. License: CC BY-SA 4.0
 

項番28 ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland

ヴェーザー川中流、ミンデンMinden(下注)の東に、リンテルン=シュタットハーゲン線 Bahnstrecke Rinteln–Stadthagen という半ば休止線が通っている。1974年以来、愛好家団体ヴェーザーベルクラント蒸気鉄道 Dampfeisenbahn Weserbergland (DEW) が保存列車を走らせているルートだ。

*注 ノルトライン・ヴェストファーレン州北部の都市。

列車は、先輪1軸、動輪5軸の大型機関車DR 52.80形と客車6両(食堂車と半荷物車を含む)で構成されている。いずれも出自は旧 東ドイツ国鉄 DR で、第二次世界大戦前または戦中に製造された車両を戦後、抜本的に改良したいわゆるレコ機関車 Reko-Lokomotive、レコ客車 Rekowagen だ(下注)。

*注 レコは改造 Rekonstruktion を意味する。なお、この蒸機は2023年10月の踏切事故で損傷し、当面、運行できなくなった。

DB線の駅に近いリンテルン北駅 Rinteln Nord を出た列車は、ヴェーザー山脈 Wesergebirge という背骨のように東西に横たわる低山地の鞍部を越えていく。あとは、山麓のなだらかな農地や林を縫って北西へ進み、約1時間でDBハノーファー=ミンデン線 Bahnstrecke Hannover–Minden のシュタットハーゲン Stadthagen 駅に到着する。やたらとカーブの多い路線だが、のんびり走る保存鉄道には何の問題もない。

Blog_germany_heritagerail_n14
リンテルン東方を行くレコ蒸機52 8038(2008年)
Photo by Vogelsteller at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番18 ブレーメン路面軌道博物館 Bremer Straßenbahnmuseum "Das Depot"

最後は路面電車の保存運行を一つ。

ブレーメン Bremen には、旧市街から郊外まで広がる延長115kmものトラムの路線網がある。他都市と同様、低床の連節車がさっそうと行き交うなか、日曜日になると昔懐かしい単車のトラムも姿を見せる。ブレーメン路面軌道友の会 Verein Freunde der Bremer Straßenbahn が運営するブレーメン路面軌道博物館の市内ツアーだ。

車庫を意味する「ダス・デポー Das Depot」の愛称が示すとおり、博物館は、市内西部ゼーバルツブリュック車庫 Betriebshof Sebaldsbrück  の建物の奥に居を構えている。ここは現役トラムの運行基地であり、そのなかに居候している形だ。毎月第2日曜日が公開日で、1900年製の49号「モリー Molly」をはじめとする貴重な保存車両や鉄道資料が見学できる。

市内ツアーが行われるのも同じ日だ。9系統博物館線 Museumslinie 9 と呼ばれ、車庫前を出発した保存車両が、市内中心部を約1時間巡って戻ってくる。車内で切符を売るスタッフはガイドを兼ねていて、車窓の見どころを次々と案内してくれる。乗降は車庫前のほか、中央駅 Hauptbahnhof と旧市街の大聖堂前 Domsheide でも可能だ。

これとは別に、中心部のみを巡回するツアーもある。

15系統市内周遊 Linie 15 - Stadtrundfahrt は運行日限定で、北はビュルガー公園 Bürgerpark、西はヴェーザー河港、南は空港までカバーする市内大回り。もう一つの16系統環状線 Linie 16 - Ringlinie は、シーズンの第4日曜に運行される早回りだ。こちらは、旧市街ルートと新市街ルート(いずれも所要20分)が交互に運行される。

旧市街のゴシック調の都市景観に、レトロな風貌のトラムはよく似合う。街角で見かけて、思わずカメラを向ける人も少なくない。

Blog_germany_heritagerail_n15
中央駅前の16系統環状線ツアートラム(2010年)
Photo by Jacek Rużyczka at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

次回は、東部各州にある主な保存・観光鉄道について見ていこう。

★本ブログ内の関連記事
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-東部編 II
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-西部編
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 I
 ドイツの保存鉄道・観光鉄道リスト-南部編 II

 オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト
 フランスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 スイスの保存鉄道・観光鉄道リスト-北部編
 オーストリアの保存鉄道・観光鉄道リスト

2024年7月13日 (土)

祖谷渓の特殊軌道 II-祖谷温泉ケーブルカー ほか

前回に引き続き、祖谷渓(いやだに)にある特殊軌道を訪ねる。

Blog_iyadani_map1
図1 祖谷渓周辺の1:200,000地勢図
 橙色の枠は詳細図の範囲、図2は前回掲載
(右)1978(昭和53)年編集、(左上)1986(昭和61)年編集、(左下)1995(平成7)年要部修正

 

てんとう虫のモノライダー

レジャー向きということなら、より小規模なモノレールが、西祖谷の中心、一宇(いちう)の対岸にある「祖谷ふれあい公園」で稼働している。祖谷渓の入口に位置しているので、アクセスも比較的容易だ。

名づけて「てんとう虫のモノライダー」。低年齢層に的を絞った外観だが、奥祖谷のカブトムシで見慣れたのでもはや気にもならない。線路構造は奥祖谷と違い、平滑レールを欠いた簡易版で、みかん山の運搬用モノレールに近い。車体も小ぶりだ。一応、前後2人乗りというものの、またがり席で奥行きもなく、子どもと大人1人ずつがせいぜいだろう。全長430m、乗車時間は約8分。

Blog_iyadani21
「てんとう虫」乗り場
Blog_iyadani22
カップルなら狭さは問題なし
 

ルートは周回型で、山腹をひとしきり上った後、高台の公園で半回転し、反対側の谷斜面を降りていく。端的に言って遊園地の遊具だが、後半では祖谷渓一帯の眺望がきくし、下り急斜面にヘアピンカーブで乗り出すなど、ささやかながら見どころやスリルもあり、悪くなかった。

Blog_iyadani23
(左)前半は山腹を上る
(右)後半はヘアピンカーブで急降下
Blog_iyadani24
「てんとう虫」から見る祖谷渓、遠景は一宇の集落

祖谷温泉ケーブルカー

祖谷渓にはケーブルカーもある。谷筋に点在する温泉宿で、館外の露天風呂へ客を運んでいるのだ。

大歩危から行くと、祖谷大橋を渡った一宇(いちう)で左折する。集落を抜けた後、V字谷の中腹をくねくねと伝う危うい一本道をたどる。これは、祖谷トンネル開通以前(下注)の祖谷渓を貫くメインルートなのだが、5kmほど先の、いくつ目かの張り出し尾根を回るところに、目指す「ホテル祖谷温泉」が建っている。

*注 祖谷トンネルを含む大歩危~一宇間は、1974年に祖谷渓有料道路として開通したが、1998年に無料化され、現在は県道。

そこは前後数kmにわたって人家の途絶えた場所で、まさにポツンと秘境の一軒宿だ。そのうえ、名物の露天風呂ははるか崖下の祖谷川の河原で湧いているため、旅館の建物から谷底まで、転げ落ちるような急斜面を降りていかなければならず、その間を小型のケーブルカーが結んでいる。

Blog_iyadani25
ホテル祖谷温泉
 

谷底の温泉へ行くケーブルカーといえば、箱根の対星館にあったものが有名だが、老朽化で2009年に嘉穂製作所のスロープカーに転換された後、旅館自体も休業してしまった。同種のものは王子の飛鳥山をはじめ全国各地で導入されているから、もはや珍しいものではない。対する祖谷渓のこれは1984年の開業で、今なおケーブルで車両を上下させている。現在のシステムは2004年に更新された3代目だという。

現地の案内板によれば、車両の諸元は全長9.15m、幅1.60m、高さ2.14mで、乗車定員は17名だ。線路は、上下駅間の距離が250m、標高差170m、レールの勾配はなんと約42度(900‰、下注)もある。鉄道事業法によるケーブルカーの最急勾配は、よく知られた高尾山の31度18分(608‰)だから、それをはるかに上回る。

*注 後述するように一定勾配のため、斜辺と高さの値が正確なら、計算上は42.84度、927.44‰になる。

Blog_iyadani26
本館と谷底の露天風呂を結ぶケーブルカー
 

旅館内施設ではあるものの、宿泊客だけでなく日帰り客も利用できるというので、モノレールの帰りに立ち寄った。フロントで1700円の日帰り入浴料を払って、通路を奥へ進む。乗り場のドアを開けると屋根は架かっているものの屋外で、V字の谷が見晴らせる。下を覗くと、ちょうどナローゲージに似た馬面のキャビンが上ってくるところだった。

ケーブルカーのルートは直線で、勾配も一定、あたかもエレベーターを斜めに立てかけたようだ。線路が降下していく先に、祖谷川の白濁した流れもかいま見える。

降りる客と入れ替えに、キャビンに乗り込んだ。車内は通路左右に1人席が配置され、長手方向は、勾配に合わせて思い切り急な階段になっている。乗員はおらず、セルフサービスの運行方式だ。最後に乗り込む人が乗り場のドアを閉め、車両のドアも閉める。そして進行方向の窓下にある「上り」「下り」のボタンを押せば、動き出す。所要時間は片道約5分だ。

Blog_iyadani27
(左)急階段の車内
(右)前面車窓は額縁に嵌った絵画のよう
 

下降し始めはちょっと怖い。かぶりつきから見る景色が文字どおり千尋の谷底で、傾斜の感覚は42度どころか、それをはるかに超えているからだ。しかし動きはゆっくりで、加速もしないからすぐに慣れる。行路が半ばを過ぎると、木々の間から河原の眺望が開けてきた。直下のデッキで休憩している先客たちの姿もだんだん大きくなる。涼しげな川の水音が耳に届いてきて、間もなく下の駅に到着した。

鉄道趣味はここまでにして、後は温泉巡りの喜びに浸りたい。河原に面した露天風呂は天然かけ流しのアルカリ泉で、ぬるめの湯なのでゆっくりつかれた。その後は川べりに設けられたテラスに出て、幽谷を抜けていく風に吹かれる。日帰りで慌ただしく訪ねたことを正直後悔した。

Blog_iyadani28
谷底から仰ぐ急傾斜路
Blog_iyadani29
露天風呂に隣接する祖谷川べりのテラス
 

再びケーブルカーで本館に戻ったときに、フロントの人と言葉を交わした。「いいお風呂でした。もとの目的はケーブルカーに乗ることだったんですが」と告白すると、相手も笑いながら「そうでしたか。では、かずら橋のホテルも行かれましたか? あちらは逆に山を上っています」。

下調べが粗くて見落としていたのだが、その「新祖谷温泉ホテルかずら橋」でも、同じように本館と露天風呂の間をケーブルカーが行き来しているらしい。ネットで検索すると、切妻屋根の下に障子、羽目板壁が施されたとてもユニークなキャビンだ。和室が坂を上り下りする珍景と評されている。

Blog_iyadani30
ホテルかずら橋の和風ケーブルカー
Photo by ブルーノ・プラス at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

これは行っておかないと、とは思うが、この日もう1軒はしごするのは時間的に難しかった。残念だが、次来るときの楽しみにとっておこう。また日帰り入浴では勿体ないし… 自らにそう言い聞かせて、くつろぎの一軒宿を後にした。

というわけで、秘境祖谷渓の知られざる特殊鉄道を巡る旅は、私の中でまだ終わっていない。

Blog_iyadani_map3
図3 祖谷温泉~かずら橋周辺の1:25,000地形図
 

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.17(2021年)に掲載した記事「祖谷渓の「鉄道」巡り」に加筆し、写真と地図を追加したものである。
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図徳島(昭和53年編集)、剣山(昭和53年編集)、岡山及丸亀(昭和61年編集)、高知(平成7年要部修正)および地理院地図(2024年6月15日取得)を使用したものである。

★本ブログ内の関連記事
 祖谷渓の特殊軌道 I-奥祖谷観光周遊モノレール
 コンターサークル地図の旅-箸蔵寺から秘境駅坪尻へ
 コンターサークル地図の旅-魚梁瀬森林鉄道跡

2024年7月10日 (水)

祖谷渓の特殊軌道 I-奥祖谷観光周遊モノレール

ここで取り上げる奥祖谷観光周遊モノレールは、2022年4月以来、休業が続いている。乗りごたえのあるユニークな乗り物だったので、たいへん残念だ。早期の復活を祈りつつ、2018年10月に訪れたときのようすを振り返りたい。

比高1000mにも達する険しいV字の谷、崖際を心細げにたどる一本道、見上げるほどの高みに点々と張りつく集落…。徳島県西部に位置する祖谷渓(いやだに)は、広域合併で住所が三好(みよし)市になった(下注)というものの、今なお秘境と呼ぶにふさわしいエリアだ。

*注 祖谷渓のかつての行政単位は、三好郡西祖谷山村(にしいややまそん)および東祖谷山村(ひがしいややまそん)。2006年に、池田町ほか3町と合併して三好市となる。

周辺で鉄道路線と言えるのは、山一つ隔てた吉野川本流に沿って走るJR土讃線が唯一だ。ところが、モノレールやケーブルカーといった特殊鉄道なら祖谷渓の中にも複数存在し、一般客を乗せているという。いったいどんな路線なのか、2回に分けてレポートする。

Blog_iyadani1
秘境祖谷渓
(掲載の写真はすべて2018年10月撮影)
Blog_iyadani_map1
図1 祖谷渓周辺の1:200,000地勢図
 橙色の枠は詳細図の範囲、図3は次回掲載
(右)1978(昭和53)年編集、(左上)1986(昭和61)年編集、(左下)1995(平成7)年要部修正

 

奥祖谷観光周遊モノレール

阿波池田からレンタカーで国道32号線を南下した。大歩危(おおぼけ)で左折して、ヘアピンカーブの県道を上り詰め、長さ967mの祖谷トンネルを抜ければ、そこはもう山深き祖谷渓だ。整備された2車線道路はかずら橋の入口で終わり、その先は対向不能の狭隘区間が断続的に現れる難路になる。大歩危から延々1時間以上も走った後、菅生(すげおい)地区で脇道に折れ、向かいの山腹をさらに上っていく。こうしてようやく今日の宿「いやしの温泉郷」に着いた。

ちなみに公共交通機関で行く場合は、阿波池田または大歩危駅前から久保行きのバス(四国交通祖谷線)に乗る。終点で三好市営バスに乗り換えて、菅生で下車、そこから徒歩で25~30分というところだ。

Blog_iyadani2
祖谷渓の玄関口、大歩危駅
Blog_iyadani3
祖谷渓の一大名所、かずら橋
 

はるばるここまでやってきたのは、奥祖谷観光周遊モノレールが目的だ。2006年に開業したこのモノレールは、鉄道事業法や軌道法には拠らない純粋な観光施設だが、公園やテーマパークではなく、ふつうの山林の中を巡るという点がユニークで、かねがね乗ってみたいと思っていた。

乗り場は、宿のすぐ裏手にある。泊まった翌朝、早めにチェックアウトを済ませて、そちらへ向かった。運行開始は8時30分(下注)だが、今は連休中で宿泊客も多い。当日の予定運行数が完売したら、時間内でも受付を中止するという、案内パンフの不穏な警告文が気になっていたのだ。

*注 2018年の運行時間は4~9月が8:30~17:00、10~11月が8:30~16:30だった。なお水曜は運休、また12~3月は全面運休。

8時前に係の人たちが出勤してきて、乗り場のシャッターが開いた。予想に反してその時刻にいた客は、わがグループのほかに家族連れが1組だけ。遅れて何組かやってきたが、皆ゆっくり朝食を楽しんでいたらしい。車両は2人乗りだが、4分間隔で出発するから、この人数なら1時間程度でさばけるだろう。

Blog_iyadani4
観光モノレール駅舎
 

出札窓口で大人2000円の乗車券を買い求めた。悪天候に備えて雨具やカイロも売っている。駅舎は車庫を兼ねていて、走行線に並行する数列の留置線に、車両が数珠つなぎに停めてあった。走行線へはトラバーサー(遷車台)で移動させるのだそうだ。

まず朝の試運転機が、無人で1台出発していった。次が私たち3名で、始発機と2番機に分乗する。車両は1人席が直列に2個並んでいる。前面にカブトムシの目と角がついた遊園地仕様なのが、ちょっと気恥しい。

Blog_iyadani5
乗車券窓口
雨具や使い捨てカイロも売っていた
Blog_iyadani6
(左)車両は遊園地仕様
(右)留置線と本線に移動させるためのトラバーサー
 

出発に先立って、備え付けのトランシーバーの使い方について講習を受けた。人里離れた森の奥では携帯電話が通じないので、これが唯一の連絡手段になる。続けていくつかの注意事項を聞いた。

「シートベルトは常に締めておいてください。急な下り坂では転落する恐れがあるので、足を踏ん張り、前面のバーをしっかり握ってください。

運行状況により、自動で走行と停止を繰り返すことがあります。もし前方に停車中の車両を発見したら、停止ボタンを押してください。立ち往生した時は連絡をもらえば係員が向かいますが、山道を歩いていくので時間がかかります。最大3時間は待ってもらいますので、乗車前に必ずトイレに行っておいてください…。」

Blog_iyadani7
乗り場
 

使われているシステムは、モノレール工業という会社(下注)が開発した産業用モノレールだ。みかん山などで見かける運搬装置(単軌条運搬機)を機能強化したものに他ならない。駆動方式は、主レールに取り付けられた下向きの歯棹に、車体側の歯車を噛み合わせる、いわゆるラック式だ。そのため急勾配に強く、性能上45度の登坂が可能だという。さらに右側に並行する平滑レールで車両を安定させ、左側の給電レールからはモーターの動力を得ている。

*注 モノレール工業株式会社(愛媛県東温市)は2010年7月に破産し、現存しない。

走るルートは延長4.6kmの周回線で、一周するのに65分かかる。しかも、観光周遊というのどかな名称にもかかわらず、実態は登山鉄道で、起点と最高地点との標高差が590mもある。上昇100mにつき気温は0.6度下がるので、3.5度の気温差が生じている計算だ。その間ずっと乗りっぱなしだから、トイレに関する指示も当然のことだろう。

Blog_iyadani8
(左)車体を安定させるための補助輪
(右)駆動輪は上と下からレールを挟む
 

8時43分、出発の時間になった。係の人に見送られて駅舎を出ると、ループを回って杉の植林地に入っていく。

下り線が左側に揃い、複線になってまもなく、交差する林道を乗り越えるために最初の急坂が待ち受けていた。のけぞるような勾配をぐいぐい上るので、早くもラック式の威力を実感する。可動式の座席が、水平を保とうとして前傾するのもおもしろい。距離を所要時間で割った表定速度は毎分70m、時速にすると4.2kmだ。歩速並みのゆっくりしたペースだが、走りは着実で頼もしい。

Blog_iyadani9
(左)交差する林道を急坂で乗り越える
(右)朝一番の試運転機が戻ってきた
Blog_iyadani_map2
図2 奥祖谷観光モノレール周辺の1:25,000地形図
 

周囲はいつしか人工林から自然林に変わった。コナラ、イヌシデ、コシアブラなどと、樹種を教える名札がそこここに立ててある。ゆっくり観察する時間はないが、自然教室に来た気分だ。発車から約10分後、朝一番に出た試運転機とすれ違った。無事戻ってきたということは、この先の走行に障害がない証しだ。50mごとの標高値を記した札が、いつしか1000mを越えている。

Blog_iyadani10
(左)沿線に樹種の名札
(右)50mごとの標高値を記した札も
 

往路の中盤では、小さな沢が右手に沿う。清水が勢いよく流れ落ち、水音が静寂の林にこだまする。何かの小屋を通り過ぎたところで、下り線が木々の間に消えていった。ここから頂上にかけて、大きなループ、すなわち環状線になっているのだ。

同じ線路でも単線になったとたん、心細さが募ってくるのは不思議だ。運行間隔からして280m四方には誰もいないはずだし、事実、先行している始発機も、最後まで姿を見かけることはなかった。それに乗っていた友人は、途中で鹿が走り去るのを目撃したそうだ。

Blog_iyadani11
沢沿いに上る複線区間
Blog_iyadani12
杉林の中で上下線が分かれる
 

地滑り跡にできたと思われる小さな沼地を通過。どこまで登るのだろう、とやや不安になった頃に、進行方向の視界が開けてきた。稜線に載り、少し上ったところが標高1380mの最高地点(下注)だ。地形的には、四国の屋根の一部をなす三嶺(さんれい)の、中腹に生じた肩の部分にあたる。時計を見ると9時15分、およそ30分かけて登りきったことになる。晴れた日にはこのあたりで東に剣山(つるぎさん)を望めると聞いたが、今日は霧が漂い、視界がきかなかった。

*注 モノレールのパンフレットに従い、1380mとしたが、地形図では、その付近に1385mの標高点が打たれている。

Blog_iyadani13
(左)地滑り跡の沼地を通過
(右)最高地点付近は霧が漂う
 

復路は、下り一方かと思うとそうでもない。地形図の等高線でも読み取れるが、湿原のある小さな谷を巻いていく区間がある。勾配が落ち着き、少しほっとする数分間だ。しかしすぐに鵯(ひよどり)越えの逆落としのような急坂が復活し、上り線と合流する。

同じところをさっき上ってきたはずだが、下りのほうが傾斜感がはるかに強い。乗り場での注意を思い出して、手すりを握り、足を踏ん張った。ピニオンがラックレールとしっかり噛み合っているので、下りでもジェットコースターのような加速はしないから安心だ。

Blog_iyadani14
復路で湿原のある谷を巻く
Blog_iyadani15
(左)下りの急坂
(右)上りより傾斜感が強調される
 

この間に後発機と何度かすれ違う。手を降り返したりするうちに、孤独感はいつのまにか薄れていた。再び林道をまたいで右に曲がると、ゴールの駅舎が見えてくる。9時46分に無事帰着。

秘境奥祖谷の山中を行くこのモノレール、65分の乗車時間は子供連れには長すぎるという意見も目にする。確かに、長時間座席に固定される割には、気晴らしになる眺望も少ないから、レジャー向きとは言えないかもしれない。しかし、林野の植生や山岳地形に興味のある人なら、退屈している暇はないだろう。いわんや、学校で社会科の地図帳に架空の鉄道を落書きしていたような線路好きの私にとっては…。

Blog_iyadani16
ゴールの駅舎が見えてきた
 

次回は、より小規模なモノレールと、温泉宿のケーブルカーを訪ねる。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.17(2021年)に掲載した記事「祖谷渓の「鉄道」巡り」に加筆し、写真と地図を追加したものである。
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図徳島(昭和53年編集)、剣山(昭和53年編集)、岡山及丸亀(昭和61年編集)、高知(平成7年要部修正)および地理院地図(2024年6月15日取得)を使用したものである。

★本ブログ内の関連記事
 祖谷渓の特殊軌道 II-祖谷温泉ケーブルカー ほか
 コンターサークル地図の旅-箸蔵寺から秘境駅坪尻へ
 コンターサークル地図の旅-魚梁瀬森林鉄道跡

« 2024年6月 | トップページ | 2024年8月 »

2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

ACCESS COUNTER

無料ブログはココログ