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2024年6月13日 (木)

鶴見線探訪記 I

2022年9月の終わり、東京へ出かけたついでに、久しぶりに鶴見線に乗りに行った。最後の乗車が1984年なので、かれこれ40年ぶりの再訪になる。

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鶴見駅に入る鶴見線205系電車
 

鶴見線は、東海道本線(下注)の鶴見駅を起点とする全長9.7kmのJR線だ。浜川崎(はまかわさき)を経て扇町(おうぎまち)に至る本線7.0kmと、途中で海側へ分岐する海芝浦支線1.7km、大川支線1.0kmから成っている。

*注 所属路線は東海道本線だが、実際には京浜東北線の電車しか停車しない。

時刻表の路線図だけ眺めれば、ベイサイドラインとでも呼びたいところだが、実際の線路は終始、工場群を縫っていて、見栄えのする観光スポットもなければ、ショッピング街もない。主たる役割は、湾岸に広がる京浜工業地帯のこうした工場群への通勤客輸送で、一般客にはなじみの薄い路線だ。

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鶴見線と周辺の路線網
 

路線は1926(大正15)年に、私鉄の鶴見臨港鉄道として開業している。当時造成中だった鶴見・川崎の湾岸工業地帯に路線網を広げ、川崎からの貨物支線や南武鉄道(後の南武線)との接続で貨物輸送を実施する傍ら、鶴見で京浜線(後の京浜東北線)と連絡して旅客輸送も行った。1943(昭和18)年に国有化されてからは国鉄鶴見線として運行され、JR東日本に引き継がれている。

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80周年記念の壁面パネル
鶴見駅4番ホームで撮影
 

役割が特化されているだけに、利用者が集中する平日の朝夕は列車本数が多い。対照的に平日の日中や休日は、都会のローカル線と称されるとおり、閑散としたものだ。末端区間では列車の走らない時間帯が長いので、乗りつぶしには事前の「行動計画」策定を必要とする。

全線を乗るだけなら半日もかからないが、分岐駅と終点駅では駅や周辺を写真に撮るので、10分程度の時間を見ておきたい。しかし、これは言うほど簡単ではない。終点に到着すると、5分前後で折返してしまう列車が多いからだ。

1本見送って次の列車で戻ればいいのだろうが、その列車がなかなか来てくれない。最難関は大川支線で、日中、列車の運行がまったくなくなる。朝の最終便が大川8時40分着、8時51分発、これを逃すと次は17時台だ。そのため、計画はいやおうなしに、大川駅を軸にして組み立てることになる。

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運河に面した支線終点、海芝浦駅

南武線浜川崎支線

早起きが苦手なので、川崎駅近くに前泊していた。浜川崎支線経由で鶴見線にアプローチするため、朝、川崎7時44分発の南武線電車で尻手(しって)駅まで行く。

浜川崎支線というのは南武線の一部で、尻手から浜川崎に至る4.1kmのミニ路線だ。私などは、かつて福知山線からちょろんと出ていた通称 尼崎港線を連想してしまうが、浮世離れしていた同線 (下注)ほどではないにしろ、日中の運行は40分間隔と、都市域にしては頻度が高くない。それで、本数が多い朝のうちに乗っておきたかった。

*注 尼崎港線は現在の福知山線のルーツだが、晩年は旅客列車が1日2往復で、1981年に旅客輸送廃止、1984年には路線廃止になった。

尻手駅の3番線で待っているうち、南から第二京浜をまたぐ橋梁を渡って、2両編成の205系が入ってきた。側面の窓下に、波の上を舞う五線譜とともに「NAMBU LINE」の文字が入っているが、もちろんこの支線専用の編成だ。

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南武線尻手駅
(左)浜川崎方から列車が到着
(右)側面に五線譜のラッピング
 

尻手7時53分発。通勤通学の時間帯とあって、さすがに立ち客も見られる。かぶりつきで前方を観察していると、列車は東海道線の上をしずしずと渡って、京急線と交差する八丁畷(はっちょうなわて)へ。その後、右手から急カーブで近づいてきた東海道貨物線が、川崎新町の前後で合流する。車内は、駅に着くたびにすいていき、渡り線で右にそれて、木造屋根が架かる浜川崎駅のホームに到着したときには、もう1両に数えるほどの人しか乗っていなかった。

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南武線浜川崎駅に到着
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浜川崎駅周辺
北側が南武線(浜川崎支線)、南側が鶴見線の駅
 

浜川崎は鶴見線との接続駅だが、よく知られているように駅舎は別々だ。乗換えには駅前道路の横断を必要とする。両駅の出入口にあるICカードの簡易改札機の前に、乗継の場合は「出場」にタッチしないでください、と掲示が出ている。出場してしまうと、運賃が打ち切り計算されるからだ。

鶴見線のほうの駅は島式ホームなので、入口はそのまま跨線橋の階段につながっている。階上通路の突き当りに簡易改札機が設置してあった。ホームへはここから降りるしかないから、バリアフリーの実現は難しい。そのため、駅を東側のヤードに移して、南武線・鶴見線の合同駅にする計画があるそうだ。

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(左)木組みのホーム屋根
(右)駅入口
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道路を隔てて向かいにある鶴見線浜川崎駅
(左)入口に改札はなく、跨線橋に直結
(右)跨線橋通路の突き当りに簡易改札機
  右折すると階段でホームへ、左奥はJFEスチール社の専用通路
 

大川支線

ともかく鶴見線までたどり着いたので、さっそく目下の最重要課題である大川支線に駒を進めたい。

鶴見線開業150年のヘッドマークをつけた8時16分発の上り鶴見行に乗り、安善(あんぜん)駅で下車した。鶴見臨港鉄道の設立を支援した安田財閥の創始者、安田善次郎の名を冠したという駅名だ。大川支線は本来、一つ東の武蔵白石が分岐駅だが、20m車導入の障害になっていた急曲線上のホームが1996年に撤去され、以来ここが実質的な分岐駅になっている(下注)。

*注 運賃計算上は、今も武蔵白石が分岐点とのこと。

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安善駅
(左)駅舎
(右)駅名標が分岐駅を示す
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武蔵白石駅
(左)改築された駅舎
(右)中央は貨物線、右に曲がる大川支線のホームは廃止済み
 

8時台は鶴見線も列車が多い。島式ホームで待っていた16分の間に見送った列車は、上り2本に下り2本。それに降りてくる人の服装も、会社員風ばかりではなかった。確かにこの駅の周辺には住宅街や職業訓練校があるから、通学やお出かけにも利用されているのだろう。

大川行は8時36分発だ。クモハ12(下注)は遠い昔の話になり、鶴見線内共通の205系3両編成で運行されている。行先表示が大川になっているだけで、さっき見送った列車と何ら変わらないのは少し寂しい。車内はロングシートがだいたい埋まっていて、手堅い需要に支えられていることを実感した。ただ、朝寝坊してしまうと、あとの列車がないのが辛いが。

*注 大川支線で1996年まで運用されていた昭和初期に遡る旧型電車。車体長が17mと短く、武蔵白石駅の急曲線ホームに対応できる貴重な車両だった。

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安善駅に大川行列車が入線
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大川支線周辺
 

駅を出ると、列車はすぐに本線の上り線に移る。武蔵白石の手前で隣の貨物線と交差し、そのまま急な右カーブに入っていく。工場群の中を道路と並行しながら、小さな運河を一つ渡ると、まもなく大川駅だった。

折り返しの発車まで11分の余裕がある。それでだろうか。駅に到着しても、すぐに腰を上げない人が少なからずいるのには驚いた。2~3分は動くそぶりも見せなかったので、私のような冷やかし客なのだろうかと怪しんだほどだ。

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列車前面展望
(左)武蔵白石駅の手前で大川支線に進入
(右)運河を渡るとまもなく終点(復路で後方を撮影)
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朝の最終便が大川駅に到着
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大川駅
(左)物置小屋然とした駅舎
(右)妻面には小屋が接続されていた跡が
 

ホームは片面で、1両分だけ屋根が架かっている。駅舎は物置小屋のようで、おおかた剝がれた白いペンキがみすぼらしい。壁に発車時刻表が貼ってあった。昼間はみごとに空白だ。土曜休日はさらに減って、朝2本と夕方1本のみになる。

そこで気の利いたことに、最寄りバス停「日清製粉前」までの案内図も掲げてある。後で調べたら、川崎駅との間に日中でも毎時1本のバスが走っているようだ。代替手段がちゃんと用意されていると思えば、安心して寝坊できるだろう。

周辺の観察を終えて車内に戻ると、一人だけ先客がいた。この人と私の二人だけを乗せて、列車はもと来た道を引き返した。

続きは次回に。

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(左)駅掲出の時刻表、列車は朝夕のみ
(右)最寄りバス停の案内図
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(左)折返しを待つ205系
(右)折返し便の閑散とした車内
 

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.19(2023年)に掲載した同名の記事に、写真を追加したものである。
掲載の地図は、地理院地図(2023年1月25日取得)を使用したものである。

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