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2024年6月16日 (日)

鶴見線探訪記 II

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旭運河を渡る鶴見線205系
 

海芝浦支線

大川支線を往復した後、海芝浦(うみしばうら)行の待ち時間を利用して国道駅と鶴見駅を見に行った(全体の行程は本稿末尾に記載)のだが、それは後述するとして、先に海芝浦支線の話に進もう。

この支線の接続駅は、安善駅の一つ鶴見寄りの浅野だ。駅名は、臨港鉄道を設立した浅野財閥の浅野総一郎にちなんでいる。支線の分岐点は駅の東側(鶴見側)にあるので、鶴見発、海芝浦行きの下り列車は、駅到着前に右にそれ、急曲線上に設置された支線上の3番線に停車する。ここはまだ複線なので、向かい側に上りの4番線がある。

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(左)海芝浦支線が複線で右へ分岐
(右)浅野駅も上下別ホーム(復路で撮影)
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海芝浦支線周辺
 

浅野9時37分発。車内は早くもがらがらだった。長い直線路に入ると、左手にちらちらと海が見えてくる。海といっても運河だが、工場や操車場のような潤いの乏しい景色を通り抜けてきた後なので、印象は新鮮だ。

新芝浦駅に停車した後、渡り線があって単線になった。右隣の線路は工場への引込線だが、もはや草むらと化し、レールはほとんど見えなくなっている。埋め立て地の角で再び90度向きを変えると、もう目の前が終点の海芝浦駅だった。

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(左)新芝浦駅の後、単線に
(右)工場用地と海に挟まれた終点、海芝浦駅
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片面ホームは京浜運河に臨む
 

片面ホームに降り立てば、柵の後ろはさざ波揺れる京浜運河の水面だ。対岸は扇島で、向こうのほうに首都高速湾岸線の斜張橋、鶴見つばさ橋、さらに横浜ベイブリッジの高い主塔も望める。人工物ばかりとはいえ、海を隔てて見るとそれなりにいい眺めだ。

海芝浦駅の特色は、電車だけでなく、乗客にとっても行き止まりであることだろう。鉄道用地を含めて東芝の社有地で、駅舎のように見える建物は東芝関連会社の通用門だ。同社の従業員や事前に入構許可を得た人でなければ、駅の外に出ることはできない。

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ホームから南西望
横浜ベイブリッジの主塔も見える
 

ここまで来る人ならそれは先刻承知の上だと思うが、せめてゆっくり海を眺められるようにと、駅の続きにある短冊形の社有地に、海芝公園という休憩地が設けられている。狭いながらも庭木が植わり、ベンチも置かれて、親切な案内板が目の前の風景を説明してくれる。

都会のオアシスとして有名なスポットなので、この列車でもほかに2組、訪問客があった。9時41分に到着して、折り返しは9時56分発。わずか15分の慌ただしい滞在だったが、多少なりとも心のデトックスになった気がする。ちなみにこの支線も日中は列車が少なく、次は1時間20分後だ。

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駅の続きにある海芝公園
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公園の案内板
 

鶴見線本線

残るは本線だが、大川支線からの戻りで乗った鶴見~浅野間も含めて、起点から順に記すとしよう。

鶴見駅の鶴見線乗り場は、京浜東北線の階上コンコースから続く高架上にある。開設は1934(昭和9)年。鉄骨の大屋根に覆われた頭端式、2面2線の広いホームが、臨港鉄道時代の面影を伝えている。

コンコースとの間に中間改札があったはずだが、きれいさっぱりなくなっていた。なんとこの(2022年)2月末で廃止されたのだそうだ。鶴見線内の駅はすべて無人だが、そういえば乗車券の自販機も見当たらなかった(下注)。今や大多数がICカード利用なので、設置コストが見合わなくなったということか。

*注 ICカードを持たない客のために、乗車駅証明書発行機が各駅に設置されている。

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大屋根に覆われた鶴見駅の鶴見線高架ホーム
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(左)中間改札は撤去されていた
(右)朝の頻発時以外は手前の3番線を使用
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鶴見~国道駅周辺
 

朝の頻発時以外、列車の発着はコンコースに近い3番線が使われる。出発すると、直線路の先に黒ずんだ島式ホームの跡が見えてきた。鶴見総持寺の最寄りに設置されたかつての本山(ほんざん)駅だが、戦時中に廃止されたまま復活しなかった。

続いて背の高いトラス橋で、地上を走る線路の束を豪快に跨いでいく。なにしろここは運行系統でいうと、横須賀線・湘南新宿ライン、京浜東北線、東海道線(上野東京ライン)、東海道貨物線(相鉄・JR直通線)、さらに京急本線も並走するという名うての密集区間だ。線路の数でも10本に上る。鶴見線はこれらをひと息に乗り越して、海側に位置を移す。

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上下線の間に旧 本山駅のホームが残る
 

高架は続き、左に急カーブしながら最初の駅、国道(こくどう)に着く。珍しい駅名は、西側を横切っている京浜国道(第一京浜、下注)に由来している。地方私鉄らしい明快さだが、単に「国道」だと普通名詞だから、英語なら定冠詞をつけるところかもしれない。

*注 現在は国道15号だが、1952年以前の旧 道路法では国道1号。

名前もさることながら、駅の構造物も興味をそそる。一つは、ホーム屋根を支えている梁だ。架線ビームを兼ねさせるためか、浅いアーチで線路の上をまたいでいて、古い商店街のアーケードのようだ。

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国道駅、線路をまたぐアーチの梁
 

さらに興味深いのが地上部で、ホームから階段を降りきると、高架下に長さ約70mの薄暗い道が延びている。京浜国道と、一筋東を並行する旧東海道とをつないでいる通路だが、すすけたコンクリートアーチの列、鈍く光る天井灯、ベニヤ板が無造作に張られた側壁に、太い筆文字が踊る商店の看板と、あたかも時が止まったかのような稀有な空間だ。見た目はちょっと怖いが、海芝浦駅と並ぶ鶴見線の名所なので、一列車遅らせてでも行ってみる価値がある。

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高架下の通路に駅入口がある
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(左)時が止まったような通路
(右)旧東海道側の通路入口
 

国道駅の先で鶴見川を渡った後は、しばらく住宅地が車窓をよぎる。鶴見小野はその間にある駅だ。左に曲がると、旧 弁天橋電車区の留置側線群が左手に見え、いよいよ工業地帯に入っていく。島式ホームの弁天橋駅は、降車客が多かった。その次が、先ほど降りた浅野駅になる。

この前後は直線ルートで、ボートが繋がれた旭運河をはさんで、短い間隔で駅が連なっている。小ぢんまりした島式ホームに構内踏切で渡るのも小私鉄らしくていい。

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(左)浅野駅に隣接する旭運河
(右)安善駅の構内踏切から
 

安善を過ぎ、武蔵白石からは一転、左カーブで内陸へ入っていく。臨港鉄道開業当時、すでに川崎駅からの貨物線(現 東海道貨物線の一部区間)が存在していたので、それに接続するためのようだ。

右側から鶴見線を乗り越していく高架は、東海道貨物線の川崎貨物駅に至るルートだが、とうに廃墟化している(下注)。こうした連絡線路といい、沿線の広大なヤードといい、鉄道貨物輸送が盛んだったころに造られた施設が、なかば遺構になって静かに時を刻んでいるのも、この路線の典型的風景だ。

*注 このルートの武蔵白石寄りに、低位置で道路を横断している線路を引き上げるための昇開橋設備が残っている。

浜川崎駅を出ると、上り線と下り線が合わさり、あとは単線になって進んでいく。JR貨物の浜川崎駅になっているヤードの右端を通過して、右に大きくカーブする。南渡田(みなみわたりだ)運河を渡り終えたところに、片面ホームの昭和駅がある。再び右へ曲がり、がらんとしたヤードの、今度は左端を直進していくと、まもなく終点の扇町駅だ。

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(左)がらんとしたヤードの横を行く鶴見線(左の線路)
(右)直進するとまもなく終点
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扇町駅周辺
 

ホームには1両分の片流れ屋根が架かっている。だが、列車は、先頭車両の扉2枚がようやくその下に入る位置で停止した。車止めまで少し距離があるが、線路に生えた草丈が高すぎてこれ以上は進めないといった風だ。降りたのは私を含め5人だけ。そのうち2人は折返し組だった。突き当りに、平屋ブロック張りの簡易な駅舎が建っているが、もちろん無人で、窓口の形跡すらない。

扇町では、どの列車も折返し時間がわずかだ。この列車も10時47分に着いて、早くも10時50分に出ていってしまう。しかも次は、海芝浦と同じく1時間20分後だから、私も列車で帰るのははなから諦めている。

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扇町駅に到着
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(左)草むらに前進を阻まれる列車
(右)駅舎正面
 

調べてみて初めて知ったが、川崎市の南部一帯には、鶴見臨港鉄道のバス部門をルーツとする川崎鶴見臨港バスの路線網がある。鶴見線沿線と川崎駅との間には、日中でも10~15分間隔という高頻度でバスが走っているのだ。鉄道を補完するフィーダー輸送どころか、バスのほうが市民の主要な足で、鉄道は朝夕の大量輸送だけを引き受けているというのが実態らしい。

扇町も例外ではなく、川22系統のバス路線が延びてきている。JRには悪いが、10分待てば来るのだから利用しない手はない。扇町駅の最寄り停留所が「ENEOS株式会社川崎事業所前」のところ、終点の「三井埠頭」(これも会社名)まで少し歩いて、川崎駅行きのバスを捕まえた(下注)。

*注 三井埠頭~川崎駅間は所要24分。なお、川崎市バスの川13系統の終点も「扇町」だが、工場を挟み、駅とはかなり離れている(上図参照)。

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臨港バスの三井埠頭バス停
 

始発の時点では、乗客は私一人だ。しかし、別のバス停で乗ってきたビジネスマンの二人連れが、「すいてるけど、すぐに満員になるからね」と話しているのが聞こえてきた。その言葉どおり、町中に入るとバス停に着くたびにどんどん客が乗り込んでくる。平日の日中というのに、川崎駅に近づくころには座席はもちろん、通路も人でいっぱいになっていた。鉄道の周りに見えていたものとはまったく違う光景だった。

 

【参考】鶴見線全線乗車の行程(2022年9月、平日ダイヤ)

川崎 7:44発→尻手7:47着/7:53発→浜川崎8:00着/8:16発→安善8:20着/8:36発→大川8:40着/8:51発→国道9:02着→(徒歩、旧東海道経由)→鶴見9:30発→海芝浦9:41着/9:56発→浅野10:00着→(徒歩、旭運河で撮り鉄)→武蔵白石10:41発→扇町10:47着→(徒歩)→三井埠頭11:02発→(バス)→川崎駅前11:26着

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鶴見線と周辺の路線網
 

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.19(2023年)に掲載した同名の記事に、写真を追加したものである。
掲載の地図は、地理院地図(2023年1月25日取得)を使用したものである。

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コメント

いつもながら細密かつ興味深いレポートに感謝します。
1)鶴見臨港鉄道の鉄道部門の国有化(いわゆる買収国電)は鉄道部門のみの譲渡で、法人自体は存続し、川崎鶴見臨港バスに名義変更されたもの、と聞いたことがあります。
2)国道駅の高架下情景、戦前起源の類似景観として、阪急の阪神国道、中津、近鉄(元・奈良電)の桃山御陵前などを思い浮べました。
3)国道駅、線路をまたぐアーチの梁は趣がありますね。関連土木・建築物として、鉄道省、国鉄出自のものでさえもJRには当初の設計図面等が継承されていないことが多いと思いますが、買収路線では設計者、資材転用等の碩学による考証は何かあるのか、と思います。類似の事例として、大阪環状線の旧・城東線区間や中央・総武線各駅停車のいくつかの高架駅も興味深いデザインのものが注目に値すると思われます。

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