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2024年5月 7日 (火)

コンターサークル地図の旅-三方五湖

「五万分一地図の『西津』は、私の地図のコレクションに、最も早く加わったものの一つである」。この一文から『地図を歩く』(河出書房新社、1974年)の「冬の三方五湖」の章が始まる。西津(にしづ)の図のちょうど中央に描かれているのが福井県南部にある三方五湖(みかたごこ)で、堀さんはその特異な風貌に惹かれたのだという。

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梅丈岳山頂から東を望む
手前から奥へ日向湖、久々子湖、美浜湾
 

「久々子(くぐし)、水月、菅、三方、日向(ひるが)の五つの水面が、あるいは狭い水路によって連なり、あるいは細く痩せた地峡によってわずかに隔てられて作る複雑な湖岸線は、岬と湾が錯綜する若狭の海岸にあってなお、ひときわ目立つ存在である。湖をめぐる村々の、久々子、日向、苧(お)、遊子、塩坂越(しゃくし)などという何とはなくゆかしげな名もまた、あらがい難く人の心を誘うのだった」。(同書p.160、下注)

*注 堀淳一氏の『地図を歩く』はその後二度復刊されていて、引用個所は1984年河出文庫版ではp.157、2012年新装新版ではp.156にある。また、『地図の風景 中部編III 富山・石川・福井』(そしえて、1981年、p.191)でも取り上げられている。

敦賀を拠点にした2024年のコンター旅2日目、3月24日は、堀さん曾遊の地であるこの三方五湖を訪ねる。初めに五湖の展望台がある梅丈岳(ばいじょうだけ)に上って「複雑な湖岸線」を高みから観察し、下山後は湖岸を歩きながら、湖ごとの風情の違いを感じてみたい。

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山頂公園に上るケーブルカーとチェアリフト
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図1 三方五湖周辺の1:200,000地勢図
1983(昭和58)年編集

雨の柳ヶ瀬だった昨日ほどではないにしろ、けさも時おり小雨が舞う空模様だ。敦賀駅前のバス乗り場に集合したのは、昨日と同じく大出、山本、私。後で美浜駅から木下親子が合流して、計5名になった。

8時40分発のゴコイチバス(下注)に乗り込む。これは、敦賀まで来た観光客を、三方五湖や熊川宿(くまがわじゅく)といった周辺の見どころへ送り込むための特設バス路線だ。旅行シーズンの週末に走っていて、今年は新幹線の延伸開業に合わせ、春まだ浅い3月16日から運行を開始している。敦賀からの直行便であり、定期バス路線がない梅丈岳の山頂を経由してくれるので、利用価値は高い。

*注 ゴコイチは五湖一周の意。琵琶湖を一周することをビワイチというので、それにあやかったものか。

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山頂公園駐車場のゴコイチバス
 

とはいっても、天気が天気なので、乗客は私たちを含めて数名のみ。バスは、市街地を抜けて国道27号バイパスを西へ進む。JR小浜線の美浜駅に立ち寄った後、久々子湖北岸を通過して、三方五湖の展望道路であるレインボーラインに入った。もとは有料道路だが、2022年から県道273号になり無料化されている。ただし、自転車や歩行者は通行できない。

道は日向湖と水月湖を隔てる尾根筋に取りつき、ぐんぐん高度を上げていく。しかし、予想どおり中腹あたりから霧が濃さを増し、山頂公園下の駐車場に着いたときには下界はもうほとんど見えなかった。梅丈岳は山頂一帯が有料区域になっていて、入場料1000円が必要だ。視界ゼロでも料金は変わらないが、木下さんが宿でもらってきてくれた割引券で800円になったのが、せめてもの慰め…。

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白くかすむ下界
山頂公園のチェアリフトから
 

駐車場から展望台のあるピークへは、ケーブルカーとチェアリフトが連れていってくれる(下注)。並走していてどちらに乗ろうと自由なので、往路はケーブルカーにした。長さ約140m、所要2分強、途中から傾斜が急になる。

*注 かつては山頂の反対側(西側)にチェアリフトがあった。設備は今も残っているが、もはや使われていない。

山頂は東西200m、南北50mほどの広さがあり、主な展望テラスが5か所設置されている。しかし今日は、手すりに掲げてある見本写真で想像するしかない。救いだったのは風が弱くて寒くないことと、客が少ないので展望足湯も混んでいなかったことだ。

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濃霧に巻かれる展望テラス
 

五里霧中の写真では参考にもならないので、別の晴れた日に撮影したものを掲げておこう。

梅丈岳は、若狭湾に突き出した常神(つねがみ)半島の根元にあるピークの名だ。山頂の標高は400.2m(下注)で、周辺5kmの範囲では最も高い。そのおかげで360度のパノラマが楽しめるが、どの方向とも水面を配した構図になるのが特色だ。

*注 山頂に三角点がないので、数値は、中江訓・小松原琢・内藤一樹「西津地域の地質」産業技術総合研究所 地質調査総合センター, 2002 p.3 に拠った。

まず北と西には、若狭湾(日本海)の海原がすっきりと広がる。東は五湖のうち日向湖(ひるがこ)と、わずかだが久々子湖(くぐしこ)が顔を覗かせ、南は三方湖(みかたこ)、菅湖(すがこ)、水月湖(すいげつこ)が一望になる。各展望テラスは、それらが最もよく見える場所に設けられている。

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晴れた日の山頂からの展望、西側
世久見(せくみ)湾に烏辺島(うべじま)が浮かぶ
中央奥は久須夜ヶ岳(くすやがだけ)
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同 北側
左は常神(つねかみ)半島の一部、正面は日本海の水平線
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同 東側
手前に日向湖と日向集落、
中景が久々子湖(逆三角形の水面が小さく覗く)と早瀬集落、
奥は美浜湾と久々子浜
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同 南側
手前に水月湖、左の入江が菅湖、中景に三方湖
 

さて、当日の話に戻ると、私たちは霧の中で1時間ほど滞在した後、チェアリフトに乗って駐車場まで戻った。次のゴコイチバスは11時05分に発車し、カーブを繰り返しながら、下界へ降りていく。山本さんはそのまま三方駅へ向かい、あとの4人は、海山(うみやま)という集落にある若狭町レイククルーズ(遊覧船)停留所で下車した。海山は、水月湖の西岸にある集落で、五湖の最奥部に位置する。後ろの尾根筋を越えればもう若狭湾という場所だ。

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海山のレイククルーズ停留所前
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低い空、モノトーンの水月湖
 

堀さんが五湖の旅の最後に訪れたのがここだった。三方駅から路線バスで着いて、梅丈岳の登山道を途中まで登っている。私たちは山から下りてきたので、逆に湖畔を歩いて小浜線の駅に戻ろうと思う。

県道から右に入る舗装道を歩き出した。民家が並ぶ中を行くが、それも水月花という温泉旅館の前までだ。北岸一帯は、梅丈岳の急斜面が湖面まで落ち込んでいて、集落がない。通じている道も農道というのがふさわしく、湖岸で栽培されている梅林の世話に行く農家の軽トラックがたまに通るくらいだ。

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湖畔の沿道に梅林が続く
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
梅丈岳と海山~苧間
 

空はまだどんよりとして、雲が低く垂れこめたままだ。光が弱く景色はモノトーンに近いのだが、たゆたう水面に映りこむ濃灰の山並みも悪くない。最初の岬の突端まで行くと、小さな展望デッキが現れた。タイミングよく湖にカヤックが何艘かやってきたので、デッキの上から挨拶を交わす。

水月湖は五湖で最大の湖だ。東の菅湖、南の三方湖とは狭い水道でつながっている(下注)。深度は34m、直接流入する河川がほとんどなく、湖底が無酸素状態で生物による撹拌もないため、夏と冬で色の異なる堆積物が年輪のようにきれいな縞模様、いわゆる年縞(ねんこう)を形成していることで知られる。

*注 ちなみに菅湖と三方湖は長尾と呼ばれる細尾根の半島で隔てられているが、堀切という人工水路でつながっている。

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湖面を行くカヤックの集団、この後何艘か続いた
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湖底のボーリングで採取された年縞(一部)
福井県年縞博物館の展示を撮影
 

道は、ひたひたと波が寄せる護岸に沿ったり、暗い植林地の中を縫ったりしながら、最も奥まった入江を通過した。次の小さな岬を回りこむと、何やら人工物が見えてきた。山向こうにある日向湖との間が最も狭まる地点に、嵯峨隧道(さがずいどう)という水路トンネルがあるのだ。

トンネルは江戸時代中期に初めて貫通したが、崩落して掘り直されるなど、たびたび改修を受けてきた。手前にある1980年完成の水門は、高潮時に海水が逆流するのを防ぐためのものだが、通常は閉鎖されていて、水は行き来しない。水路を渡る橋から姿勢を低くして覗くと、トンネルは出口の明かりが見えるほど短かった。

襲ってきた小雨をしのぎがてら、水門横のあずまやで昼食休憩にする。

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嵯峨隧道の水門
 

再び歩き出すと、やがて道は急な上り坂になり、高い位置で次の水路を渡った。下を流れているのは、久々子湖と菅湖を連絡している浦見川(うらみがわ)だ。江戸時代前期、1664年に完成した人工河川で、図上計測によれば、長さ約630m(下注)。

*注 全長324mとしているサイトもあるが、これは古文書の記述に依拠したもの(180間の換算値?)と思われる。現状は、護岸固定により南北に延長されている。

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浦見川
(左)高い位置で川を渡る歩道橋
(右)橋上から見える素掘りの岩壁
 

かつて久々子湖と菅湖は、三方断層西側の低地を経由する水路でつながっていた(気山古川などと呼ばれる。上の地図にルートを補記)。しかし、土砂の堆積で流れにくくなり、ひとたび大雨が降ると、上流3湖の水位が上昇して、湖畔の集落や田畑に浸水被害が生じていた。

この状況を決定的にしたのが、1662年に発生した寛文大地震だ。地盤の隆起で、水路が完全に干上がってしまったため、新たな排水路の開削が計画された。これが浦見川で、それまで恨坂(うらみざか)と呼ばれていた地形の鞍部を、人力で水位まで切り下げる土木工事だった。延べ22万5千人を動員し、2年がかりの大事業だったとされ、素掘りされた垂直の岩壁は、水路橋の上からもかいま見ることができる。

橋を渡って左へ。浦見川に沿う細道は、思いのほか急勾配で上下している。これがもとの地形をなぞっているとすれば、開削しようというのはあまりに大胆な企てだ。高さ20mほどの崖下を川が通っているが、ガードレールがないので、のぞき込む勇気はない。

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(左)川沿いの浦見坂
(右)遡行するボート、浦見橋にて
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浦見川の久々子湖への出口
 

この地峡を抜けると、珍しい一音地名の苧(お)集落に出る。右へ折れれば1.6kmほどで小浜線の気山駅だが、私たちは左に折れて、日向湖へ向かった。日向湖は、他の4湖とは違って独立した水域(下注)だ。おおむね楕円形で、周囲を山に囲まれているし、深度も39mと五湖最深なので、地形的にはカルデラ湖に似た雰囲気がある。

*注 人工の嵯峨隧道で水月湖と接続されているが、先述のとおり、水門は通常閉鎖されている。

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家並みで埋まる日向湖北岸
正面奥の山が切れたところに運河がある
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図3 同 苧~美浜駅間
 

ところが、湖畔の風景はまた別で、生活感が色濃く漂っている。北半分が漁師町で、漁船を陸揚げする岸壁が長く延び、その後ろに民家がびっしりと建ち並んでいるのだ。湖は、1635年開削の日向運河と呼ばれる水路で海とつながっている。漁船はここから海へ出ていき、収獲物を海側の漁港におろした後、また湖に帰ってくる。運河をまたぐ日向橋の上に立つと、船を格納する湖岸と、漁港のある海岸の位置関係がよくわかる。

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(左)船を揚げる岸壁
(右)運河と日向橋
 

ここからは笹田集落の鞍部を細い旧道で抜けて、東隣の久々子湖畔に出た。南北2.5km、東西500~700mの細長い形をした久々子湖は、砂州によって海と隔てられてできた潟湖だ。水深は最大2.3mとごく浅いため、日向湖に比べると湖面が明るく見える。また、小雨が降ってきたので、湖巡りの遊覧船が出ている美浜町レイクセンターの待合室で、雨宿りした。

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久々子湖と砂州に載る早瀬の家並み
レイクセンターから東望
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久々子湖南望、正面は矢筈山と雲谷山
 

一休みした後は、美浜駅まで最後の区間を歩く。湖と海をつないでいるのは早瀬川という、砂州を貫く長さ200mほどの水路だ。日向湖を除く4湖の水がここから海に流れ出ている。水路をまたぐ早瀬橋の橋桁には、出入りする船舶のための信号機が設置されていた。橋の東のたもとに、神社が鎮座しているのも興味深い。

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(左)船舶用信号機のある早瀬橋
(右)早瀬橋のたもとの水無月神社
 

飯切山の切通しから、久々子の集落に入った。湖の名はここに由来しているが、集落の主要部は湖畔ではなく、若狭湾に面した砂州の上にある。少し遠回りして、久々子浜の堤防の上に出てみた。オフシーズンで人影はなく、砂浜に打ち寄せられた色とりどりのごみばかりが目につく。海の向こうからも流れ着くので防ぎようがないのだろうが、海水浴のシーズンに向けて清掃作業の大変さは想像に余りある。

久々子の家並みを抜ければ、ゴールの美浜駅まであと1.5kmだ。敦賀行きの電車に間に合うよう、急ぎ足で向かった。

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(左)ごみが漂着する久々子浜
(右)美浜駅に対向列車が入線
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図宮津、岐阜(いずれも昭和58年編集)および地理院地図(2024年4月26日取得)を使用したものである。

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