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2023年11月25日 (土)

コンターサークル地図の旅-魚梁瀬森林鉄道跡

四国のコンター旅2日目は高知に移って、魚梁瀬(やなせ)森林鉄道の旧跡を巡る。

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立岡二号桟道
 

魚梁瀬森林鉄道は、県東部の中芸地区で特産の杉などの木材を山から運び出していた762mm軌間の産業鉄道だ。1911(明治44)年から1942(昭和17)年にかけて奈半利川(なはりがわ)と安田川(やすだがわ)の流域に張り巡らされ、当地の林業経営を支えた。最盛期には、総延長が300kmを超え、国内屈指の広範な路線網だった。しかし、魚梁瀬ダムの建設で上流部の線路が水没することになり、1963(昭和38)年までに主要区間が廃止され、トラック輸送に置き換えられた。

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魚梁瀬丸山公園の復元列車
 

その後、水没を免れた廃線跡は道路に転用されるなどしたが、旧態のまま遺されていたトンネルや橋梁などの構造物が、2009年に「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重要文化財に指定されて現在に至る。森林鉄道の痕跡は全国にあるが、重文指定を受けているのはここだけだ(下注)。

*注 ちなみに、一般鉄道施設では「旧手宮鉄道施設」「碓氷峠鉄道施設」のほか、単体で「東京駅丸ノ内本屋」「旧揖斐川橋梁(東海道本線)」「末広橋梁(四日市港)」「第一大戸川橋梁(信楽高原鐵道)」「梅小路機関車庫」「旧大社駅本屋」「旧筑後川橋梁(昇開橋、旧佐賀線)」「門司港駅本屋」「旧綱ノ瀬橋梁及び第三五ヶ瀬川橋梁(旧高千穂線)」などが重文指定されている。

遺構は往復70kmほどの沿線に散在している。路線バスもほとんどない地域なので、今回は高知市内でレンタカーを調達する予定だ。それでもルートをくまなく見て回るのは時間的に難しく、主な見どころをピックアップするにとどまるだろう。

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図1 魚梁瀬森林鉄道沿線の1:200,000地勢図に
  重文施設の位置と路線網の概略を加筆
1978(昭和53)年編集図

2023年10月8日朝8時、小雨模様の高知駅前に集合したのは、昨日と同じ大出さんと私の2名。そもそも降水量の多い地域だが、今日の天気予報も終日傘マークで、午後ほど雨脚が強まるらしい。借りたトヨタアクアで高知東部自動車道、国道55号を東へ進む。右手に太平洋が見えてくるが、どんよりとした空のもと、白っぽくくすんだ色をしている。

1時間と少しで、安田町まで来た。安田川大橋の東詰で国道をそれ、クルマを停めた。段丘崖の下を通っていた廃線跡が小道で残っている。木材を満載して安田川の谷を下ってきた列車は、ここから田野の貯木場へ向かっていたのだ。

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(左)崖下を行く廃線跡の小道(田野方向を撮影)
(右)安田川左岸を遡る廃線跡
 

森林鉄道(以下、林鉄)で最初に建設されたのがこの路線で、1911(明治44)年に馬路(うまじ)まで開通し、のちに安田川線と呼ばれた。目的地の魚梁瀬は隣の奈半利川の上流だが、流域の山林の所有権が国と地元との間で係争中だったため、やむを得ずルートを迂回させたのだという。

県道12号が川の対岸(右岸)を走るのに対して、林鉄はこちら側(左岸)だったので、その跡と思しき道を北上した。途中からは、車一台がやっとの道幅になる。昭和の映画館の雰囲気を残すという大心劇場の前を通過し、上代(かみだい)集落を上手に進むと、山かげの道の脇に一つ目の遺構、エヤ隧道が口を開けていた。

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道路脇に残るエヤ隧道
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(左)内部はカーブしている
(右)ポータルに刻まれた I の文字
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図2 1:25,000地形図に主な見どころの位置を加筆
エヤ隧道~明神口橋
 

砂岩切石積みのポータルに、川下側から最初のトンネルを意味する I の文字が刻まれている。長さは33.2mと短く、徒歩で通り抜けが可能だ。入ってみると、アーチの天井部がレンガの長手積み、側面の垂直壁は切石で美しく仕上げられていた。車道に転用されなかったことで、改修の手が加わらず、原状が保たれているようだ。

この先、左岸に沿う廃線跡の林道は、じりじりと道幅を狭めていく。乗用車は後述する明神口橋を渡れないと聞いていたので、与床(よどこ)集落から右岸の県道に迂回した。そのため、途中にある長さ37.5mのバンダ島隧道は、対岸から眺めるにとどめた。

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バンダ島隧道を対岸から遠望
 

次の遺構は、明神口集落の上手に連続している。県道のバイパストンネルの手前で右折して旧道を行くと、川を斜めに渡っている赤いトラス橋が見えてきた。長さ43.2mの明神口(みょうじんぐち)橋だ。1912(大正元)年の建設で、最初は木橋だったが、機関車の導入に伴い、1929(昭和4)年に架け替えられたものだという。今は線路の代わりに、路面に金網が張られている。

これを渡るとすぐ下手に、長さ36.7mのオオムカエ隧道がある。東口(上流側)はコンクリートポータルに改修されているが、西口はオリジナルの切石積みで、III の刻字があった。堀淳一氏も1997年にNHKの番組ロケでここに来ている(下注)が、映像で見る限り、東口は本来素掘りのままだったようだ。

*注 1997年放送の「消えた鉄道を歩く-巨木の森の小さな鉄路」。

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明神口橋、金網が張られた路面
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オオムカエ隧道
(左)もとは素掘りだった東口
(右)原状をとどめる西口
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隧道西口のスギ林
 

次のスポットでも、釜ヶ谷(かまがや)桟道釜ヶ谷橋が連続している。島石ピクニック広場の駐車場から対岸に渡る吊り橋の上に出ると、前者の側面が遠望できた。桟道といっても木製ではなく石積みで、あたかも崖に半分埋まったアーチ橋といった趣きだ。一方、長さ12.3mの釜ヶ谷橋は県道に転用されたため、路面は拡張されている。しかし側面から覗くと、林鉄時代の橋桁と橋台を転用したことが見て取れる。

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釜ヶ谷桟道
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釜ヶ谷橋
(左)県道に転用
(右)林鉄時代の橋桁と橋台
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図3 同 釜ヶ谷桟道~馬路~河口隧道
 

長さ70.6m、平瀬(ひらせ)隧道の西口では、なんとキャンパーがクルマを付けて、テントを張っていた。雨の日だし、誰も通らないトンネルなので、こんな利用法もあるのだと感心する。通り抜けが可能なようだが、お邪魔するのも気が引けるので、反対側の、こちらも県道に面した東口に回った。ポータルの刻字はV、すなわち5番目だから、先ほどのオオムカエ隧道との間にかつてはもう1本トンネルが存在したのだろう。

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平瀬隧道
(左)臨時のキャンプサイトにされた西口
(右)県道脇の東口
 

引き続き一本道の県道を遡り、いよいよ馬路村の中心部にさしかかる。馬路大橋の手前を左折してすぐの川べりにあるのが、遺構群の中でもよく知られた長さ36.5mの五味(ごみ)隧道だ。旧道の馬路橋のたもとに北口が開いていて、線路を載せた短い桟道が続いている。道路から見下ろす構図が定番だが、勢いよく育った笹薮に視界を遮られてしまう。

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五味隧道、笹薮に視界を遮られる
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線路が復元された桟道
(左)五味隧道の真上から
(右)馬路橋から
 

ところで、「旧魚梁瀬森林鉄道施設」として重文指定を受けた施設は14か所あるが、意外にも、五味隧道をはじめ、後述する立岡二号桟道、法恩寺跨線橋、八幡山跨線橋という写真映えする4つの遺構は含まれていない。これらは重文本体ではなく、附(つけたり)指定になっているのだ。

附というのは、たとえば重文建造物の設計図や、来歴、用途を記した文書といった関連資料を、本体とあわせて指定するものだが、同じ類いの構造物でも附指定にすることがあるようだ。産業遺産としては一体的に考えるべきものながら、相対的な重要度の点で及ばないということか。

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五味隧道案内板
 

対岸に、観光案内所「まかいちょって家」がある。後で立ち寄って、2階にある森林鉄道の写真展示を見学した。売店では土産物のほか、林鉄関連の既刊書籍も扱っていて、ちょっとしたミュージアムショップだ。私も新刊の林鉄写真集を購入した。

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(左)まかいちょって家
(右)2階の林鉄展示
 

県道をはずれて、右岸(西岸)の町道を行く。馬路村は特産のゆずを使った商品開発で知られるが、製品加工施設の敷地はもと林鉄の運行拠点で、機関庫や修理工場を伴っていたヤードの跡だ。その北側はかつて商店街で、林鉄が路面軌道の形で貫いていた。いったん集落が途切れるが、その先は現在、村の観光拠点になっている。

右手の大きな建物は、日帰り温泉施設のうまじ温泉だ。左には1994年に開業した「馬路森林鉄道」という観光鉄道があり、支流の西谷川に沿って508mm軌間(下注)、1周300mのささやかな周回軌道が設けられている。その乗車も楽しみにしていたのだが、駅の窓口へ行くと、係員さんが申し訳なさそうに「機関車の故障で当面運休なんです」という。アメリカ・ポーター社製の旧機を2/3サイズで再現したという機関車がホームに停まっているが、「エンジントラブルの為、運休中!!」と張り紙がしてある。

*注 オリジナルは762mm(2フィート6インチ)軌間で、508mmはその2/3になる。

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馬路森林鉄道
(左)機関車は故障中
(右)谷沿いを走る軌道
 

では、隣のインクラインに乗ろう、と思って聞くと、「雨でシートが濡れて使えないので、きょうは中止にしました」。インクラインというのは、林鉄で使われていた傾斜鉄道(貨物用ケーブルカー)を再現した斜長92mの施設で、車両に積んだ水の重りで動くという珍しいものだ(下注)。山際の乗り場では、雨に濡れそぼった走行線に、オープンタイプの小型車両が所在なげに停まっていた。シートベルトを締めて乗るので、雨が吹き込む状況では運行できない。

*注 ウォーターバラスト方式といい、日本で唯一。海外の実例については「ネロベルク鉄道-水の重りの古典ケーブル」参照。

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馬路インクライン
(左)車両と急勾配の軌道
(右)水抜き用の管路
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インクライン軌道全景
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インクライン案内板
 

雨に降られたばかりか、お目当ての乗り物にも振られてしまったので、うまじ温泉のレストランで早めの昼食にした。ゆず果汁入りの「ごっくん馬路村」も試して元気を取り戻したところで、林鉄遺跡の探索を再開する。

馬路から魚梁瀬までの区間は、少し遅れて1915(大正4)年の開通だ。温泉のすぐ上手に、町道を通している落合橋がある。長さ37.0mで、釜ヶ谷橋と同じく、プレートガーダーと橋台が林鉄の遺物だ。

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落合橋
 

次は河口(こうぐち)隧道。県道から少し引っ込んだ位置にあり、長さは89.9m、ポータルに8番目を示す VIII の刻字がある。徒歩で入ろうとしたら、エンジン音がこだまし、中から軽トラックが飛び出してきた。内部は小さな明かりも灯っていて、椀田(わんだ)集落から中ノ川方面へ行くのに、近道として使われているようだ。カーブしたトンネルを出ると切通しで、上を旧道(?)が通過している。

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河口隧道東口
切通しを旧道がオーバークロス
 

山はさらに深まり、サミットとなる2車線の新久木(くき)トンネルが現れた。林鉄時代の久木隧道は、長さが333mと魚梁瀬林鉄では最長で、1977(昭和52)年の新トンネル完成までの間は、道路としても使われた。上記堀氏の著書『地図で歩く古代から現代まで』(JTB、2002年)によると、西口のポータルはまだ残っているようだが、この天気では探す気力が湧いてこない。

奈半利川斜面を降りていく途中に、支谷をまたぐ犬吠(いぬぼう)橋が架かっている。長さ41mの立派な上路トラス橋で、廃線後も県道の橋として使われていた。しかし、鋼材の一部が破断して通行できなくなり、現在、県道は上流側の迂回路を通っている。下流側で建設中の新しい橋が完成すれば、県道はそちらに移される予定だ。

林鉄の鉄橋は今や形が崩れ、仮設の支持台でかろうじて支えられていて、なんとも痛々しい。修復して自転車・歩行者専用にする計画だそうだが、いったん解体して組み立て直す必要があるから大工事だ。重要文化財とはいえ、そんな予算がぽんとつくのだろうか。

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痛々しい姿の犬吠橋
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図4 同 犬吠橋~魚梁瀬
 

久木ダムの少し上流にも、同じような構造の井ノ谷(いのや)橋が残っているので、県道をそれて寄り道した。道路に転用されていて、長さは54.5m。両端がカーブしているので、たもとからトラス構造を覗くことができる。

林鉄安田川線は、この先の釈迦ヶ生(しゃかがうえ)集落で奈半利川線と合流するが、魚梁瀬ダムの完成によって、上流の線路は湖底に沈んでしまった。クルマ道も行き止まりなので、引き返すしかない。

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井ノ谷橋
 

県道に戻って、くねくねと山腹を上っていくと、ダムを見下ろす展望台があった。見るからにどっしりとした大堰堤が眼下の谷を埋めている。魚梁瀬ダムは1970(昭和45)年に完成したロックフィルダムで、高さが115mで四国一、貯水量も「四国の水がめ」早明浦(さめうら)ダムに次ぐ規模だ。展望台の側壁パネルには、ダムの写真とともに林鉄の現役当時の写真も収められていた。

県道を少し上手に進んだところには別の展望台があり、貯水池(ダム湖)が奥まで見通せる。ここばかりは「雨には雨の風情あり」で、入り組んだ湖の周りの山並みに低い雲がたなびいて、一幅の絵のようだった。

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ロックフィルの魚梁瀬ダム
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ダム湖のパノラマ
正面奥に魚梁瀬大橋と、魚梁瀬(丸山台地)の一部が見える
 

林業で栄えた魚梁瀬地区は水没するのに伴い、湖畔の造成地(丸山台地)に集団移転した。旧版地形図と照合すると、旧集落の山手にあった昔の川の蛇行跡を嵩上げして造ったようだ。その一角が丸山公園と呼ばれる広い園地になっていて、762mm軌間、一周406mの周回軌道が敷かれている。

魚梁瀬大橋でダム湖を横断して、その乗り場である森の駅やなせの前にクルマを停めた。馬路での失意の記憶がよみがえり、窓口でおそるおそる「乗れますか」と聞くと、「ええ、何名さんですか」と返ってきてほっとする。一応、10時から15時30分まで15分間隔の時刻表が掲げてあるが、客が来しだい、随時運行しているようだ。

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森の駅やなせ
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スギ材製の乗車券、裏面に日付が入る
 

高床のホームに、谷村式と記された小型ディーゼル機関車が客車を従え、待機していた。谷村というのは戦前、地元高知で林鉄向けの装置を製造していた谷村鉄工所のことで、そのロッド駆動車をモデルに新造されたのがこの機関車だ。客車(連絡車)の車体にも地元産の木材が使われている。無蓋のトロッコと密閉型のボギー車の組み合わせなので、雨でも問題なく乗れるのがうれしい。

運賃は大人400円。杉板に印刷した乗車券をもらって乗車する。走り出すと最初、湖に近づき、次いで車庫前を通過して、警報機が鳴る踏切を横断した。この軌道を2周して、約7分のミニ列車旅だった。その後、大出さんが機関車の運転体験を申し込んだ。正規の運転士に横で指導してもらいながら、これも2周する。

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谷村式機関車が牽く復元列車
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(左)機関車の運転台
(右)ボギー客車
  朝ドラ「らんまん」のモデル牧野富太郎の人形が同乗
 

北隅にある車庫も開いていて、自主見学が許された。野村式と書かれた茶色の機関車は、1948年野村組工作所製のL-69で、魚梁瀬林鉄のオリジナル機だ。廃線後、静態保存されていたものを1991年に動態復元したのだという(下注)。急曲線に対応する運材台車を引き連れたさまも絵になる。

*注 重量があり軌道が傷むため、「本線」を走行するのは特別行事のときだけのようだ。ちなみに先述のNHKの番組ではこれが走るシーンが出てくる。

隣にいる黄と緑と白帯の機関車は、静岡の水窪(みさくぼ)森林鉄道から来た酒井工作所製C16形、また岩手富士と書かれた箱型機は、鳥取から来た岩手富士産業製の特殊軽量機関車で、唯一の残存例だそうだ。

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車庫に保存車両を留置
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運材台車を引き連れた野村式L-69
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(左)酒井工作所製C16形
(右)岩手富士産業製特殊軽量機関車
 

林鉄ワールドを堪能して、帰路に就く。往路は安田川経由だったが、復路は奈半利川に沿って下る。旧来の安田川線には、釈迦ヶ生~久木隧道間に逆勾配、すなわち荷を積んだ列車にとって不利な上り坂が存在し、運行のボトルネックになっていた。これを解消するために計画されたのが奈半利川線で、1931(昭和6)年から1942(昭和17)年にかけて建設された。

クルマはしばらく県道12号を南下するが、安田川沿いより道幅が広めだ。ダム建設に際して、工事車両を通すために拡幅されたのだろう。林鉄由来と思われるトンネルもあるが、改修を受けているためか、重文のリストには含まれていない。

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図5 同 堀ヶ生橋~小島橋
 

そのため、奈半利川線の重文物件はすべて橋梁で占められる。最も上流の堀ヶ生橋(下注)は長さ46.9m、シングルスパンの鉄筋コンクリートアーチ橋だ。この材質で43mものスパンは国内最大級だそうで、県道に転用されていることもあって、もと鉄道橋には見えない。河原に降りて真下から仰ぐアーチはいっそう迫力があった。

*注 国指定文化財等データベースでは、堀ヶ生橋に「ほりがをばし」という異例の読みが付けられている(通常「を」は用いない)。なお、地理院地図では、堀ヶ生の地名の読みを「ほりがうえ」としている。

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長大スパンの堀ヶ生橋
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(左)堀ヶ生橋、中央部に退避場所がある
(右)橋に続く堀ヶ生隧道、側壁は石積み
 

県道12号が徳島県から来た国道493号と出会う位置に、二股(ふたまた)橋が架かっている。奈半利川と支流の小川川(おがわがわ)の合流地点だ。橋は長さ46.5mで同じくコンクリート製だが、こちらは無筋のため2スパンで、めがね橋の別称がある。釜石線や旧彦山線(現 日田彦山線BRT区間)、旧宮原線などに見られる高架橋を彷彿とさせるが、二股橋も、鋼材の使用制限が始まっていた1941(昭和16)年の建設だ。

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川の合流地点に架かる二股橋、通称めがね橋
奥に見えるのは二又発電所
 

奈半利川鉄橋なき今、長さ143.0mの小島(こじま)橋は、魚梁瀬林鉄で最大の遺構だ。2連のプラットトラスで、ゆったりと流れる奈半利川の中流部を渡っている。本体の威容もさることながら、対岸(左岸)にあるカーブしたガーダー橋と築堤の取り付け部が、廃線跡の雰囲気をよく残している。奈半利川線のうち二股以南は、後に支線となった竹屋敷線などとともに1932(昭和7)年までに完成していた。上述の2橋と違って鋼製なのはそれが理由だ。

*注 国指定文化財等データベースでは「こじまばし」だが、地理院地図では小島の地名の読みを「こしま」としている。

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2連プラットトラスの小島橋
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(左)右岸のたもとから
(右)ガーダー橋と築堤が左岸に続く
 

この後は、国道493号と北川奈半利道路で一気に奈半利を目指した(下注)。

*注 重文指定ではないため訪れなかったが、奈半利川右岸に加茂隧道(長さ28.1m)が原形のまま残っている。

右岸の田野町側には立岡(たちおか)二号桟道という印象的な遺構がある。3連プラットトラスで長さ167.49mと最長だった旧奈半利鉄橋の、西側の取り付け部に相当する構造物だ。避溢橋の役割を果たすコンクリートの高架と長い築堤が、カーブしながら川べりまで続いている。大出さんは以前来たことがあるというし、私も土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線に乗った際、見に行ったので、今回は対岸から遠望するにとどめた。

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立岡二号桟道と築堤(別の日に撮影)
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(左)カーブする桟道
(右)丸石が積まれた築堤の法面
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図6 同 安田、田野、奈半利
 

廃線跡の町道をたどって、法恩寺跨線橋(下注)へ。段丘上の三光寺へ行く参道が林鉄を跨いでいた橋で、石造アーチの構造をしている。立体交差にしたのは安全でいいことだが、参道の石段はけっこう段差があり、何度も上り下りするのは大変そうだ。

*注 法恩寺の地名の読みについて、現地の案内板には「ほうおんじ」とあるが、地理院地図では「ほおじ」としている。

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法恩寺跨線橋(別の日に撮影)
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多くの重文施設に同様の案内板がある
 

国道55号を戻り、最後に、田野の町はずれにある八幡山(はちまんやま)跨線橋を見に行った。ここでも神社に通じる参道が、林鉄の廃線跡を跨いでいる。コンクリートの桁橋なので、法恩寺のようなデザイン性には欠けるが、参道の階段が上に行くほどラッパ状にすぼまっていて、遠近感が強調されるのが面白い。

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八幡山跨線橋
(左)コンクリートの桁橋
(右)ラッパ状にすぼまる階段
 

時刻は早や17時、駆け足の旅だったとはいえ、貴重な遺構群や展示資料を実見し、再現鉄道の乗車も叶った。運行廃止から60年が経過した魚梁瀬森林鉄道だが、思ったより身近なものに感じられたのは、郷土史を飾る重要なページとして地域の人々に大切に扱われてきたからだろう。産業振興の推進力であり、交通の動脈でもあった鉄道の遺産が、これからも末永く維持されることを願いたいものだ。私も、雨にたたられた馬路の軽便鉄道とインクラインにいつか再挑戦しなければ…。

最後に、魚梁瀬森林鉄道の路線網が記載されている旧版1:50,000地形図を掲げておこう。

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図7 索引図
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図8 安田、田野、奈半利周辺
1953(昭和28)年応急修正、以下同
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図9 馬路周辺
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図10 魚梁瀬周辺
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図11 北川村北部
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図剣山、高知(いずれも昭和53年編集)、5万分の1地形図馬路、奈半利、安藝(いずれも昭和28年応急修正)および地理院地図(2023年10月25日取得)を使用したものである。

■参考サイト
魚梁瀬森林鉄道遺産Webミュージアム https://rintetu.com/
Facebook-中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会 https://www.facebook.com/yanaserintetu

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コメント

毎回楽しみに読ませていただいています。特に、今回は"魚梁瀬森林鉄道"を取り上げていただき、とても嬉しいです。まだ、読んでいません。ずいぶん長編な記事のようで期待がふくらんでいます。ありがとうございます。

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