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2023年10月

2023年10月31日 (火)

コンターサークル地図の旅-宮ヶ瀬ダムとその下流域

2023年コンターサークル-s 秋の旅1日目は、昨秋企画しながら台風の接近で実施できなかった宮ヶ瀬ダムとその下流域の見どころ巡りにリトライした。

9月23日土曜日の朝、小田原から、小田急の新宿行急行で集合場所の本厚木駅へ向かう。今回も雲が低く垂れこめ、今にも降りそうな空模様だ。雨具は用意してきたが、9kmほど歩くので、できれば使わずにおきたいが…。

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宮ヶ瀬ダムとインクライン

本厚木駅改札前に集合したのは、大出さんと私の2名。駅前で9時17分発の神奈中バス、野外センター経由半原(はんばら)行を待つ。沿線に大学があるらしく、若者たちが長い列を作っている。

ダムは約20km上流にあり、最寄りの停留所まで40分ほどバスに揺られる必要がある。駅を出発したときには立ち客も多かったが、さすがに終点間際の愛川大橋まで乗ったのは私たちだけだった。この天気ではハイキング客の出足も鈍いだろう。

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愛川大橋バス停
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図1 宮ヶ瀬ダム周辺の1:200,000地勢図
2012(平成24)年要部修正
 

愛川大橋は、国道412号が中津川を渡る橋だ。ここからは、川沿いの狭い一本道を歩いていく。深い谷間に入っていくと、まず石小屋ダムという副ダムが見えてくる。堤高34.5m、堤頂長87m、小ぶりの重力式ダムだ。宮ヶ瀬ダムのすぐ下流で、流量調節とともに小規模の発電をしている。欄干の上を数匹のサルが渡っていくので、その先に目をやると、対岸の岩がサル山よろしく、群れの休憩場所になっていた。

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石小屋ダム
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石小屋ダムのサルたち
 

本命の宮ヶ瀬ダムは谷の奥ですでに半身を覗かせているが、少し歩いて下路アーチの新石小屋橋まで来ると、いよいよ圧倒的な全貌があらわになる。2001年に完成したこのダムも重力式だが、堤高が156m、堤頂長が375m、総貯水量は1億9300万立方mと、はるかに巨大だ。堤高では国内第6位(下注)、総貯水量でも同20位台前半の規模だという。

*注 秩父の浦山ダム、広島・加計の温井ダムも156mで、6位タイ。なお、重力式コンクリートダムでは奥只見ダムに次いで、浦山ダムとともに第2位。

道は橋を渡って、ダム直下まで続いている。以前、名物の観光放流(下注)を見に来たときは、上天気でけっこうな人出だったが、きょうは幼稚園児の遠足集団が来ているだけで、一般客は数えるほどだ。橋の方から、蒸気機関車を模したロードトレインが入ってきた。クルマで来た人を、駐車場のあるあいかわ公園から運んでくるイタリア製の遊覧車両だが、こちらも閑散としている。

*注 4~11月の特定日に行われる人気イベント。1日2回、ダムの水が6分間放流される。

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新石小屋橋から仰ぎ見る宮ヶ瀬ダム
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観光放流を見に集まる人々(別の日に撮影)
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(左)あいかわ公園から来るロードトレイン
(右)イタリアのメーカー銘板
 

ダムのもう一つの名物は、堰堤横の斜面を上下しているインクラインだ。もともとダムの建設工事で、コンクリートなどの資材を積んだダンプトラックを基地から作業現場まで下ろすために設けられた装置だが、ダム完成後、客室を取り付けて観光用に開放された。もちろん鉄道事業法に基づく索道ではなく、ダムの付属施設という位置づけだ。

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インクラインの車両
 

ダムの頂部、いわゆる天端(てんぱ)に上る目的なら、堰堤内部にある垂直エレベーターも利用でき、しかも無料だ。しかしこれは外が見えず、おもしろくない。乗り鉄の私としては、片道300円を払ってもインクラインに乗りたいと思う。

ウェブサイト(下注)によると、この施設は、山麓駅~山頂駅間全長216m、高低差121m、傾斜角度30~35度、片道所要約4分。インクライン(incline)とは傾斜鉄道の意味だが、ケーブルで結ばれた2台の車両が釣瓶のように上下するので、実態はケーブルカーと変わりない。車両はゴムタイヤを履いていて、H鋼を横置きした形状の走路を上下している。全線複線のため、中間部の行き違い設備はない。

*注 公益財団法人宮ヶ瀬ダム周辺振興財団「ぐるり宮ヶ瀬湖」https://www.miyagase.or.jp/

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(左)ダム下の山麓駅
(右)天端に面した山頂駅
 

6~10分間隔で頻繁に運行されているから、ほとんど待つ必要はなかった(下注)。山麓駅舎の2階に上がって乗り込むと、車内に階段状の2人掛け簡易シートが並んでいる。妻面の窓隅に「東京索道株式会社、平成10年製造」の銘板があった。

*注 運行時間帯は10:00~16:45。ただし平日は12:10~13:15の間、運行が中断される。また冬季12~3月は運行時間帯が短縮される。

走行する軌道は、ダムの着岩部のすぐ横に設置されている。そのため、動き始めるとまるで堰堤の法面を引き上げられていくような感覚だ。下り車両とすれ違った後、いったん勾配が緩む踊り場を通過した。山麓駅から仰いだとき、山頂駅を出た車両がなかなか近づいてこないように見えたのは、この勾配の変化のせいだ。

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堰堤の法面に沿って上る
 

到着した山頂駅は、天端と同じレベルにある。幅広い天端道路からダム湖を眺めたが、周囲の山々に雲が降りてきていて、幽玄な雰囲気だ。一方、下流側はインクラインの動くようすが上から下まで見渡せるので、つい長居をしてしまう。ちなみに、天端の中央付近にある展望塔にも上ってみたが、ガラス越しの眺めで期待外れだった。

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天端道路から発着のようすを観察
 

向かいにある広報施設、水とエネルギー館でダム関連の展示資料を見学した後、1階奥の「レイクサイドカフェ」で、少し早い昼食にする。ダムサイトに来たからには、ダムカレーを試さなくてはいけない。メインメニューの宮ヶ瀬ダム放流カレーは、ちょっとしたアイデアものだ。ライスでカレーソースを堰き止めてあるだけでなく、ライスの底に埋めてある栓代わりのウインナーソーセージを引き抜くと、ソースの放流が始まる。そのソースもスパイスがよく効いておいしかった。

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宮ヶ瀬ダム放流カレー
野菜をカレーソース側に移してから、底にあるウインナーの栓を抜く
 

名物をいろいろと堪能したので、12時頃から再び歩き始めた。天端道路を伝って対岸へ。丘を造成したあいかわ公園の中を管理センター前へ下り、さらに階段道で段丘下まで降りた。それから県道54号を中津川の下流へ向かう。

立派なワーレントラスの日向橋(ひなたばし)を渡ると、朝乗ってきたバスの終点、半原バスターミナルの横に出る。半原の集落を通り抜け、脇道を直進した突き当りの山ぎわに、次の見どころ、横須賀水道の旧トンネルがあった。

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(左)日向橋
(右)半原バスターミナル
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(左)県道から直進する脇道
  第一トンネル前から後方を撮影
(右)煉瓦積みの第一トンネル上流側ポータル
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
 

ここでいう横須賀水道とは、軍港として発展した横須賀の水不足を解消するために造られた軍港水道半原系統のことだ。中津川から取水して1918(大正7)年に通水、1921年に全線が完成している。約90年使われ続けたが、2007年に取水が停止され、廃止となった。台地の上を直進していくルートは多くが道路として残り、「横須賀水道みち」の名で呼ばれている。

その最上流部に当たる半原から馬渡橋(まわたりばし)までの間に、蛇行する谷をショートカットするためのトンネルが計3本掘られた。一つ目が今見ているものだ。

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(左)第一トンネル内部
(右)同 下流側ポータル
 

レンガ積みのポータルは健在だったが、フェンスで塞がれて、通り抜けはもはや不可能だ。大出さんが、県道から分かれた脇道が逆勾配になっていることを指摘する。水道は自然流下だったはずだから、県道のところはサイホンか、そうでなければ築堤になっていたはずだ。

県道を迂回して反対側に回った。この第一トンネルと次の第二トンネルの間は、カーブした築堤が残っていて、小道として使われている。暗渠の中を覗くと、さびついた管路が横断しているのが見えた。第二トンネルも上流側が同じく閉鎖され、下流側のポータルは草ぼうぼうで近づくことすらできない。

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(左)第一、第二トンネル間の築堤道
(右)暗渠の中に管路が覗く
 

県道との再合流地点に、横須賀市水道局と書かれた基準点標識が埋まっていた。水道ゆかりのもので、しっかり探せばほかにも見つかるかもしれない。第三のトンネルは、残念ながら県道の愛川トンネル(長さ146m、1993年完成)に改築されてしまった。2車線幅のため、水道時代の面影は消失している。

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(左)横須賀市水道局の基準点標識
(右)県道愛川トンネルの下流側
 

このあと水道は、プラットトラスの道路橋だった旧 馬渡橋で、中津川を横断していた。そのたもとに、橋材と送水管の断片を組み合わせたモニュメントが設置されている。真新しいもので、銘板には令和5年8月とある。ただ、仮止めテープがついたままだったので、まだ正式に除幕されていないのかもしれない。

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馬渡橋たもとの旧橋モニュメント
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モニュメントの説明板
 

橋の南側でいったん県道をはずれ、坂を上って愛川中学校のある高台へ移動した。というのも、田代の繞谷(じょうこく)丘陵を俯瞰したかったからだ。

堀淳一さんが『地図の風景 関東編 I 東京・神奈川』(そしえて、1980年)の一節で、「川のつくった半円劇場」と紹介していた地形で、地形図で「残草(ざるそう)」の文字がかかっている小山がそれだ。その北から東にかけて見られる半円状の平地は、中津川のかつての曲流跡で、後に川の流路が西側で短絡してしまったため、空谷となって残された。

高台の斜面に沿う道を歩いていくと、家並みが途切れて曲流跡が見晴らせる場所があった。『地図の風景』に掲載された写真とほぼ同じアングルで、堀さんもここから眺めたのだろう。曲流跡にもすっかり家が建て込んでいるが、背後にあるこんもりした森が繞谷丘陵の形をなぞっているのが見て取れる。

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田代の繞谷丘陵(写真中景の森)
 

坂を下りてその麓を通り、田代小学校から再び県道に出ると、「水道みち」と刻まれた碑が立っていた。横須賀までなお40~50kmの距離があるが、私たちの水道みち追跡はここが終点だ。

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田代の水道みち碑
 

最後に、中津川に架かる平山橋を訪れた。1926年に完成した長さ112.7mの3連プラットトラス橋で、登録有形文化財になっている。下流側に平山大橋が開通してからはクルマの通行が遮断され、現在は自転車・歩行者専用だ。さっき渡った日向橋も1930年の完成なので、造られた時代はさほど変わらない。しかし、がっしりした構造の日向橋とは対照的に、この橋には華奢で優美な雰囲気がある。

さて、時刻は14時になろうとしている。ダムから延々歩いてきたが、幸いにも雨に遭わずに済んだ。平山大橋のたもとにある田代バス停を、1時間に1本しかないバスが間もなく通る。これをつかまえて本厚木駅に戻ることにしよう。

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平山橋
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平山橋と中津川
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図東京(平成24年要部修正)および地理院地図(2023年10月25日取得)を使用したものである。

■参考サイト
宮ヶ瀬ダム https://www.ktr.mlit.go.jp/sagami/
神奈川県立あいかわ公園 http://www.aikawa-park.jp/

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2023年10月13日 (金)

グアダラマ電気鉄道-ロス・コトス峠へ行く登山電車

セルカニアス・マドリードC-9号線 Línea C-9, Cercanías Madrid
(旧称 グアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama)

セルセディリャ Cercedilla~コトス Cotos 間18.2km
軌間1000mm、直流1500V電化、最急勾配70‰
1923~64年開通

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プエルト・デ・ナバセラダ駅にさしかかる442形電車

スペインの首都マドリード Madrid の北西に、長々と横たわるグアダラマ山脈 Sierra de Guadarrama。標高2000m級の山並みの中心部に向けて、メーターゲージの電車が上っていく。ラックレールは使わないものの、麓の町から峠の上まで670mの高度差を、最大70‰の急勾配で克服するという、れっきとした登山電車だ。

標題にしたグアダラマ電気鉄道 Ferrocarril Eléctrico del Guadarrama (FEG) というのは、1923年の開業当時の会社名で、戦後の国有化を経て、セルカニアス・マドリード(マドリード近郊線)Cercanías Madrid の C-9号線に組み込まれた。しかし、無味乾燥な記号や数字では具体的なイメージが湧かないのか、地名を冠したコトス鉄道 Ferrocarril de Cotos、セルセディリャ=コトス鉄道 Ferrocarril Cercedilla - Cotosという別名も残っている。

今回は、マドリード郊外の山中を走るこの登山電車を訪ねてみよう。

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セルセディリャ駅の狭軌線ホーム

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路線は全長18.17km。スペイン各地に見られるメーターゲージ(1000mm軌間)、1500V直流電化の狭軌路線(下注)だが、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central では、もはやここにしかない。

*注 ちなみにスペインの在来線網は、広軌1668mm(イベリア軌間 Iberian gauge)、3000V直流電化。高速線網は標準軌1435mm、25000V 50Hz 交流電化。

起点は、旧国鉄ビリャルバ=セゴビア線 Línea Villalba - Segovia の途中駅、セルセディリャ Cercedilla だ。マドリード市内からセルセディリャまでは、セルカニアス C-8号線のルートになっている。登山電車C-9号線は、ここからプエルト・デ・ナバセラダ Puerto de Navacerrada を経て、コトス Cotos(ロス・コトス Los Cotos)が終点だ。

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グアダラマ電気鉄道の位置
 

ロス・コトスの名には見覚えがある。堀淳一氏の著書『ヨーロッパ軽鉄道の詩』(スキージャーナル社、1979年)に、「ロス・コトス峠へ登る赤い国電」のタイトルで紹介されていたからだ。

マドリードの大学で知り合った研究者に、スペインに来たからには織物博物館かトレドの町へ行くべきだと強く勧められたのを断って、堀氏はひとりでロス・コトス線へ出かける。「あの電車、今でもあるのかなあ」と呆れられ、ターミナル駅チャマルティン Chamartín の案内所で行き方を聞いても要領を得ないくらいマイナーな路線だった。

一抹の不安を抱えたまま乗り込んだセゴビア Segovia 行きの列車が、いよいよ接続駅のセルセディリャ構内にさしかかると、別の電車が停まっているのが見えた。

「本線のホームと金網でへだてられた山側のホームに、屋根が銀色、車体がまばゆいほど鮮やかなカーマイン、出入口の扉と貫通扉が冴えざえとしたセルリアンブルーという、おもちゃのように派手な原色の組み合わせで塗られた小さな電車が待っているではないか! とたんに不安は吹き飛んで、私の心は躍った。登山電車はちゃんと生きていたのだ」(同書p.87)

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堀氏の心を捉えた車両は、掲載写真によれば、1934年CAF製の100形(のちの RENFE 431形)3両編成だ。開業時に就役したスイス、ブラウン・ボヴェリ/SWS製の2両編成と同じ仕様で国内製造されたもので、スイス由来のカーマイン色(洋紅色)をまとっていた。

セルセディリャ駅の雰囲気は今もさして変わっていない。本線は、大きくカーブしたプラットホームをもつ通過式2面3線の構造だ。その山側にメーターゲージの頭端式ホームが並行する。こちらは2面2線で、1本の線路を両側から挟む形だ。本線と共有している(ように見える)南側のホームは、狭軌線としては通常使われない。

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セルセディリャ駅構内、左が本線、右が登山電車線
マドリード方から撮影
 

一方、電車はすでに世代交代した。現在運用されているのは、1976~82年スペインMTM社製の RENFE 442形だ。白地に、側面は赤と紫の細帯、前面上部が赤塗りというわりあい淡泊なテイストの塗装をまとって、きょうも始発駅で乗換客を待っているはずだ。

なお、引退した旧100形電動車のうち1両が、セルセディリャ駅狭軌3番線の奥に留置されている。「自然列車 Tren de la Naturaleza」と呼ばれる子供向けの企画で、ビデオを上映する視聴覚室として使われているという。これ以外の同形式車は、残念ながらすべてスクラップになってしまった。

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RENFE 442形
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唯一保存されている旧車100形(RENFE 431形)

歴史をたどると、この地に電気鉄道が建設された目的は、グアダラマ山脈の新たな観光開発だ。現在中間駅になっているプエルト・デ・ナバセラダ(ナバセラダ峠の意)が初期の目的地とされていた。そこには、首都と、山脈の北麓にある王家の夏の離宮ラ・グランハ・デ・サン・イルデフォンソ La Granja de San Ildefonso やセゴビアの町とを結ぶ街道が通っていて、マドリード市民にもなじみのある場所だった。

麓からのルート案は複数あったが、最終的に、最短距離となるセルセディリャ駅が起点に選ばれた。建設工事は、雪のない季節に集中して実施しなければならず、約4年を要した。開業は1923年夏(下注)で、2両編成のスイス製100形電車を使って運行が始まった。アクセスが格段に良くなったことで、終点の峠周辺は冬のスキー、夏のハイキングや避暑の適地として人気を博したという。

*注 1923年7月12日に開通式、1923年8月11日に一般運行開始。

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グアダラマ山脈、中央はシエテ・ピコス
セルセディリャに向かう車中から撮影
 

第二次世界大戦後の1954年に鉄道は国有化され、RENFE(スペイン国鉄)の一路線となった。それを機に、路線の延伸計画が具体化する。新たな目的地は、国鉄マドリード=ブルゴス線 Línea Madrid - Burgos(下注)が通るガルガンティリャ・デ・ロソヤ Gargantilla de Lozoya だった。山脈を乗り越え、ロソヤ谷を下っていくルートが想定されていた。

*注 長さ3895mのソモシエラトンネル Túnel de Somosierra で山脈を横断していた旧路線。同トンネルの落盤で不通となり、現在、旅客列車はマドリード~コルメナル・ビエホ Colmenar Viejo 間の近郊区間のみの運行。

第1期工事として、プエルト・デ・ナバセラダからコトスの間7.07kmが1959年に着工され、1964年10月30日に完成を見た。こうして、現行区間であるセルセディリャ~コトス間が全通した。

コトスも峠だが、山岳スポーツの拠点というだけで周辺に集落があるわけではない。その先も過疎地ばかりで輸送需要が見通せないため、コトス~ガルガンティリャ間の第2期工事は保留となり、最終的に着工されなかった。後述するように、コトス駅の先にある峠のトンネルの西口が、計画の唯一の証人だ。

6月のある日、マドリード・チャマルティン駅から、この登山電車に乗りに出かけた。堀氏が来た時代はターミナル駅でも乗車券を通しで売っておらず、現地で別途買うしかなかったようだが、今はセルカニアス内の駅の有人窓口や特定の券売機で、コトスまでの購入が可能だ。しかし購入時に、行先だけではなく、乗車日と列車(の発車時刻)を往復とも指定しなければならない。登山電車は予約制なのだ(下注)。

*注 乗車する列車を指定するだけで、座席は自由。

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マドリードの鉄道ターミナルの一つ、チャマルティン駅
 

セルカニアスの運賃ゾーンの中で、C-9号線はソーナ・ベルデ Zona Verde(緑ゾーンの意)と呼ばれる特別区域に分類されている。運賃は、セルカニアスのどのゾーンからでも片道8.70ユーロ、往復17.40ユーロの固定額だ(下注)。

*注 ICカードを新規発行する場合は、これに0.50ユーロが加算される。

券売機で決済すると、ICチップの入った紙カードとレシートが出てきた。紙カードはセルカニアス線内の自動改札で使う通常のICチケットだが、後者も単なる領収書ではなく、指定した乗車日・列車が記載されているから、なくしてはいけない。

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ICカード(右)と乗車日・列車が記されたレシート
 

セルセディリャ行きの本線(C-8号線)電車に乗り込む(下注)。朝の郊外方面なので車内はすいていて、乗客のいる座席はざっと3割だ。8時15分発のところ、9分遅れで発車。沿線は緑の多い丘陵地で、駅の周りだけ市街地が広がっている。

*注 C-8号線はセルセディリャが終点。その先セゴビア方面へは中距離線 Media Distancia の列車がカバーするが、高速線と重複するためか、現在1日2往復まで減便されている。

ビリャルバ Villalba で北部本線(マドリード=イルン線)から分かれると、右に左にカーブが連続し、山裾を上っていることを実感させる。左車窓で空を限っているのがグアダラマ山脈の稜線で、マドリード州とカスティリャ・イ・レオン Castilla y León 州の境界になる(上の写真参照)。

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(左)C-8号線の列車が到着
(右)車内は3割の着席率
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(左)ビリャルバ駅
(右)駅を出ると北部本線から分岐
 

セルセディリャ駅には定刻より16分遅れて、9時37分に到着した。標高は1150mを超え、空気に高原の気配が漂う。すでにコトス行の発車時刻を過ぎているが、登山電車はまだホームにいるし、何より通路がバリアリールで閉じられている。

ダイヤは平日休日の区別なく、1日5往復だ。9時35分の始発から2時間おきに発車し、最終は17時35分発になる。観光輸送が主体なので、動き出すのは遅く、店じまいも早い。

10人ほどの乗換客とともに待っていると、ほどなく車掌らしき人がバリアを開けて、改札を始めた。ICカードではなく、あのレシートで日付と列車をチェックするのだ。他の客もそれらしい紙の切符を提示している。これらを所持していない客は後回しにされていた。

右側1番線に縦列に停まっている編成の前側2両が、これから山に上る電車だ。車内は赤いビニールレザーのクロスシートが並んでいた。あいにくどの窓も曇り気味で、外の景色が見えにくい。

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登山電車ホームの通路が開くのを待つ
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(左)登山電車に乗り込む
(右)クロスシートが並ぶ車内
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登山電車(C-9号線)時刻表
 

朝日の眩しい駅を、電車は定刻から6分遅れて9時41分に発車した。マドリード方向に出ていくが、本線と並行しつつも上り勾配になり、みるみる高度差が開いていく。

左に大きくカーブした後は、セルセディリャの市街地をくねくねと上る区間が続いた。モーターの唸りが高まり、線路際の宅地を載せる擁壁の角度で勾配のきつさが知れる。このあたりは、最も急な70‰の勾配が続いているはずだ。最初の踏切を過ぎると、左側に2車線道路が沿い始めた。市街地自体が急斜面に立地しているので、右側は家々の屋根越しに山麓ののびやかな風景が開ける。

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(左)本線と並行しつつ上り坂に(後方を撮影)
(右)セルセディリャ市街では道路と並走
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セルセディリャ~プエルト・デ・ナバセラダ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

まもなく狭いホームを通過した。駅名標によれば、セルセディリャ・プエブロ Cercedilla Pueblo 停留所だ。プエブロは(小さな)町という意味で、名のとおり町の中心部の近くだが、今は使われていない。登山鉄道には起終点を含めて3つの駅と6つの停留所があったが、2011年以来、停留所はすべて休止 Fuera de servicio となっている。電車はプエルト・デ・ナバセラダまでノンストップだ。

山手に建つ邸はどれも構えが立派だが、次のラス・エラス Las Heras 停留所で、町は終わりだ。雑木が視界を覆うようになり、見上げる位置に山並みが近づいてきた。

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(左)セルセディリャ・プエブロ停留所を通過(後方を撮影)
(右)屋根越しに山麓の風景が
 

退避線をめくった跡が残るカモリトス Camorritos 停留所を通過。別荘地の最寄り駅だが、待合所の白い漆喰壁は、みじめにも落書きのキャンバスにされている。ずっと左側に付き添ってきた2車線道もここまでで、この先は線路だけがひと気のない山腹をたどっていく。高度が上がってきたと見え、周囲はいつしか松林に置き換わった。

大きな右カーブの後、右手にシエテ・ピコス Siete Picos 停留所のホームと駅舎の残骸が流れ去る。ここの待避線も撤去済みだ。七つの峰を意味するシエテ・ピコスは、グアダラマ山脈の中央部を占める高峰で、南斜面に露出している花崗岩の岩壁が、遠方からもよく識別できる(下注)。

*注 復路では、シエテ・ピコス停留所の手前で、前方にこの峰が見える。

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(左)落書きだらけのカモリトス停留所、待避線をめくった跡がある
(右)シエテ・ピコス停留所(後方を撮影)
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シエテ・ピコスの七つの岩峰を仰ぐ
 

線路はその支尾根を急カーブで回り込んで、コリャド・アルボ Collado Albo 停留所を通過した。木々に覆われて眺望がきかない中、停留所の前後では、右手に深い谷を隔てて、ホルコン岩 Peña Horcón とそれに連なる尾根が覗く。ようやく登山鉄道らしい雰囲気になってきた。

急に建物が見えて、電車は標高1765mの中間駅プエルト・デ・ナバセラダ(下注)構内に進入していった。3つのアーチがロッジアを支える大屋根アルペンスタイルの駅舎が旅行者を迎えてくれる。ここで3人が下車した。

復路で降りてみたが、駅舎の中は、背中合わせの木製ベンチがあるだけの、がらんとした吹き抜け空間だった。金属板で塞がれた暖炉があるので、かつては山小屋のような居心地のいい休憩所だったのかもしれないが。

*注 プエルト puerto には港の意味もあるが、ここでは峠 puerto de montaña のこと。

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プエルト・デ・ナバセラダ駅
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(左)がらんとした駅舎内部
(右)ホームに面したロッジア
 

駅前から急な坂道をものの10分も上れば、標高1858mのナバセラダ峠に出る。グアダラマ山脈の尾根筋にある鞍部の一つで、冒頭に記したようにマドリードとセゴビアを結ぶ主要街道601号線の経由地だ。山麓まで見通しがきき、クルマもよく通る。峠から西へはシエテ・ピコスへ向かう登山道が延び、東側、ボラ・デル・ムンド Bola del Mundo の斜面にはスキーのゲレンデが広がっている。

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ナバセラダ峠からの眺望
右隅に駅が見える
 

10時06分に駅を出発した電車は、すぐに峠下にうがたれたトンネルに入った。長さ671m、路線唯一のトンネルによって、線路は尾根の反対側、カスティリャ・イ・レオン州に移る。第二次世界大戦後に開通した後半区間は、高度を保ちながら山襞をなぞるように進む。上り勾配とはいえ、前半に比べればごく緩やかだ。電車の速度も少し上がった気がする。

しかし、こちらも松林が延々と続き、車窓からの眺望はほとんど得られない。カーブを繰り返しながら、ドス・カスティリャス Dos Castillas、バケリサス Vaquerizas と停留所を通過していく。コロナ感染症の流行で長期運休している間に更新工事が行われたので、軌道には新しいバラストが敷かれている。

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(左)峠下のトンネル
(右)松林が延々と続く
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プエルト・デ・ナバセラダ~コトス間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

速度が落ちたと思ったら、もう終点のコトスだった。5分遅れで10時21分に到着。数人の客が降りたが、皆、山を歩く恰好をしている。標高1819mの駅は2面3線の構造だが、実際に使われているのは駅舎寄りの片面ホームだけだ。時刻表どおりなら、電車はここで27分停車して折り返す。

2階建ての大きな駅舎が建っている。内部は美しく保たれているが、ナバセラダ駅と同じようにがらんとした空間だ。付属棟にカフェテリアと書いてあるので入ってみるも、きょうは営業していないようだった。駅前からは、広い車道が上っている。ものの200mも行けば、地方道が通過するコトス峠だ。標高1829mのこの峠も山脈の尾根筋で、向こう側はマドリード州になる。

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終点コトス駅
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(左)使われているホームは1本のみ
(右)駅舎内部
 

コトスとは、雪が積もっても道筋がわかるように立てる小さな石柱のことだそうだ。冬場、雪に覆われるこの峠では大切な目印で、そこから定冠詞を付けたロス・コトスという地名が定着した。コトス峠の上はあっけらかんとした場所で、目につくのはレストランの大きな建物と、広い駐車場だけだ。道端で、平日3便しかないマドリード直行の路線バスが時間待ちをしていた。

一方、駅構内の線路は、先端で1本にまとまり、この峠の下にもぐっていく。これこそ第2期延伸計画のために用意されたトンネルだ。車庫として使われているらしいが、入口は落書きだらけの板戸で閉じられ、中の様子はわからない。計画がついえたため、トンネルは未完成で、貫通していない。反対側には、柵で仕切られた線路用地とおぼしき斜面が、道路沿いにむなしく続いているばかりだ。

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(左)駅構内から峠下へ続く線路
(右)板戸で閉じられた峠下のトンネル
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

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