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2023年9月

2023年9月21日 (木)

バスク鉄道博物館の蒸気列車

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博物館になった旧アスペイティア駅と保存蒸機
 

カンタブリア山脈がビスケー湾に直接落ち込むスペイン北海岸(下注)は、平地が乏しく、山がちな地形がどこまでも続いている。それは、鉄道網の発達状況にも少なからず影響を及ぼした。

*注 一般にカンタブリア海岸 Cornisa cantábrica と呼ばれるが、内陸との対比で緑豊かなことからエスパーニャ・ベルデ España Verde(緑のスペインの意)の呼称も使われる。なお、本稿では、原語をスペイン語(カスティーリャ語)で表記し、一部でバスク語綴りを併記している。

イベリア軌間(広軌1668mm)の鉄道幹線は、内陸高原のメセタ・セントラル Meseta Central から、山脈を越えて海岸の主要都市へ降りてくる数本のルートに限定される。

いわば縦糸を成すそれらに対して、横糸のように海岸沿いの町をつないでいるのは、建設コストが抑えられるメーターゲージ(狭軌1000mm)の路線だ。東はフランスの国境町アンダイエ Hendaye から、西はスペイン北西端ガリシア州のフェロル Ferrol まで、1000kmを優に越える長大な路線網がそこに築かれている。これら狭軌線は、国営企業のフェベ FEVE(下注)が全国規模で運営していたが、地方分権の導入により1978年以降、一部が州政府へ移管されていった。

*注 正式名は Ferrocarriles de Vía Estrecha(狭軌鉄道の意)だが、FEVE の名は、Ferrocarriles Españoles de Vía Estrecha の頭字に由来する。

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フランス国境のサンティアゴ(サン・ジャック)橋
手前はエウスコトレン線(メーターゲージ)、奥はRENFE線(イベリア軌間)
 

北東部に位置するバスク州 País Vasco/Euskadi の施策も、その一例だ。1982年に州政府の出資で、鉄道会社エウスコトレン Euskotren(正式名称 バスク鉄道 Eusko Trenbideak)が設立され、ビルバオ Bilbao 以東、約180kmある路線網をフェベから引き継いだ(下注)。同社はビルバオとビトリア・ガステイス Vitoria-Gasteiz の市内トラムや、一部地域の路線バスの運行も担い、域内の主要交通事業者になっている。

*注 1971年にフェベに移管(国有化)されていた(旧)バスク鉄道 Ferrocarriles Vascongados の路線網。なお、この路線網は2006年から、インフラ所有がエウスカル・トレンビデ・サレア(バスク鉄道網)Euskal Trenbide Sarea (ETS)、列車運行事業がエウスコトレンと、上下分離されている。

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エウスコトレンの車両
(左)近郊電車S900形(2022年)
Photo by Remontees at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)ビルバオのトラム(2012年)
Photo by Mariordo (Mario Roberto Durán Ortiz) at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 
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今回訪ねるのは、そのエウスコトレンが鉄道資料の保存と公開のために開設している鉄道博物館だ。場所は、サン・セバスティアン San Sebastián/Donostia の南西30kmにある山あいの町、アスペイティア Azpeitia。ここにはかつて、ウロラ川 Río Urola の渓谷に沿って、ウロラ鉄道 Ferrocarril del Urola と呼ばれるメーターゲージの電気鉄道が通っていた。

博物館は、鉄道の運行拠点だったアスペイティア駅を、駅舎だけでなく、構内線路や機関庫、変電所まで含めて保存し、活用している。さらに、ここから北へ4.5kmの間、ウロラ鉄道の線路も残されていて、シーズンの週末には、博物館の保存蒸機が観光列車を牽いて往復する。この乗車体験も訪問客の大きな楽しみになっている。

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保存蒸機の連結作業を見学
旧ウロラ鉄道のラサオ駅にて

この地域に最初に敷設された鉄道は、1864年に全通したイベリア軌間の北部鉄道 Ferrocarril del Norte だ。パリとマドリードを最短距離で結ぶ国際ルートの一部で、現在はマドリード=イルン線 Línea Madrid-Irún(下注)と呼ばれる。

*注 マドリード=アンダイエ線 Línea Madrid-Hendaya の名もある。旧 RENFE(スペイン国鉄)の路線だが、2005年から、インフラ所有は ADIF、列車運行はレンフェ・オペラドーラ Renfe Operadora と、上下分離されている。

ウロラ鉄道は、その北部鉄道に接続する内陸のスマラガ Zumárraga/Zumarraga から北上し、ビスケー湾岸のスマイア Zumaya/Zumaia に至る全長34.4kmの路線だった(下図参照)。スマイアでは、同じメーターゲージのビルバオ=サン・セバスティアン線 Línea Bilbao-San Sebastián に合流していた。開業したのは1926年。石炭の供給不足に悩まされた第一次世界大戦の経験を教訓に、地方鉄道でも電気運転区間が拡張していく時期で、ウロラ鉄道も最初から1500V直流電化で建設されている。

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ウロラ鉄道開業記念の銘板
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ウロラ鉄道のルート
 

標高約360mのスマラガ駅を発った鉄道は、ウロラ川に沿って下流へ向かう。狭くくねった谷間が続くため、トンネルが29本、橋梁も20本あった。沿線人口が少ないことから需要が伸びず、1986年に運行休止となり、1988年に最終的に廃止された。廃線跡の多くはその後、ウロラ緑道 Via Verde del Urola として自転車・歩行者道に転用されたので、今でも容易に跡をたどることができる。

鉄道の沿線で唯一谷が広がり、貴重な平地が現れるのが、石灰岩のグレーの岩肌を見せるイサライツ山 Izarraitz の南麓だ。ここにアスコイティア Azcoitia/Azkoitia とアスペイティアという二つの町がある。双子のような町の名はバスク語で、前者が岩山の上方(=イサライツ山の上流側)、後者が下方(=下流側)を意味するという。

アスペイティアはまた、イエズス会の創始者の一人、聖イグナチオ(イグナティウス)・デ・ロヨラ San Ignacio de Loyola の故郷でもある。生誕地にはロヨラ聖域および大聖堂 Santuario y basílica de Loyola があり、ウロラ鉄道の線路がすぐ横を通っていた。

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駅から見たイサライツ山
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ロヨラ聖域および大聖堂(2017年)
Photo by Edagit at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

町にとって、ロヨラ聖域に次ぐ観光資源がバスク鉄道博物館だ。旧市街から川を渡って東の正面に、地元出身の建築家によってネオバスク様式で造られた美しい意匠の駅舎が建っている。旧ウロラ鉄道のこの駅舎が博物館の玄関口だ。

1階はゆったりとした受付スペースで、ミュージアムショップを兼ねる。上階は展示ホールに改装され、2階には鉄道で使用されたさまざまな職制の制服制帽のコレクションが、3階には200点を越える鉄道用時計のコレクションが、それぞれ所狭しと展示されている。

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3階建の旧アスペイティア駅舎
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(左)駅舎側面
(右)外壁に掲げられた現役時代の発車時刻表
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駅舎1階は博物館の受付
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(左)2階の制帽コレクション
(右)3階の鉄道時計コレクション
 

駅舎を抜けると、2面3線のプラットホームがある。線路はその南側でいくつにも分岐し、そこに新旧の気動車や貨車が縦列で留置されている。突き当りにあるのは大きな車庫兼整備工場で、この中も機関車、客車、貨車、さらにはビルバオ市内を走っていたトラムやバスに至る貴重なコレクションで満杯だ。屋外に留置されているものも含めると、総数は70両以上になるという。

車庫の東隣の2層に見える建物は、もと変電所だ。内部は総吹き抜けの大空間で、変電機器が保存されているほか、奥は車両銘板や鉄道模型の展示室になっている。

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2面3線のホーム
最も左の線路はイベリア軌間
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構内南側には保存車両が留置
正面奥は車庫、左は変電所
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(左)1921年製蒸気機関車「エウスカディ Euskadi」
(右)1931年製12号電気機関車「イサライツ Izarraitz」
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(左)1915年製客車、1960年から路線廃止までウロラ鉄道で供用
(右)1925年製ビルバオトラムU-52
  1999年までマヨルカ島ソーリェル鉄道で運行後、博物館に譲渡
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2層吹き抜けの変電所内部
壁には「自スマラガ至スマイア地方鉄道」と書かれている
 

一方、東の隅には転車台がある。接続されている線路のうち1線だけは、頭上に架線が張られて車庫の奥へ延長され、残りは入換用機関車が格納された開放型の扇形庫につながっている。架線下の線路では、旧型トラムが客を乗せて随時、車庫と転車台の間を往復する。ヤードを横断している跨線橋に上ると、これらの施設配置や車両の動きが手に取るようにわかる。

興味深いのは、構内に広がる線路がメーターゲージだけではないことだ。たとえば転車台は4線軌条で、イベリア軌間の車両も扱える。また、西側の短い線路は旧イベリア軌間(1672mm)で、北部鉄道時代のタンク蒸機や蒸気クレーン車の留置場所になっている。博物館のコレクションは、軌間や運行方式や運営主体を問わず、バスク地方で展開されたあらゆる鉄道を対象としているのだ。

*注 現在のイベリア軌間は 1668mm だが、1955年に統一される前は、スペインが 1672mm(6カスティーリャフィート)、ポルトガルが 1665mm(5ポルトガルフィート)と微妙な差があった。

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4線軌条の転車台
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架線下の線路に動態保存の旧型トラムが

蒸気列車の発車時刻が近づいてきたので、ホームに戻った。乗車券は、初めに受付で買ってある。博物館の入場券とのセットで6ユーロ(博物館のみは3ユーロ)だった。渡されたのは、うれしいことに緑色の硬券で、裏に発車時刻が12:00と手書きされている。ちなみに2023年シーズンの列車運行は、土曜が12時と17時30分の2回、日曜・祝日は12時の1回だ。8月は平日もディーゼル機関車による運行がある。

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蒸気列車の硬券切符
裏面に発車時刻を手書き
 

バスク鉄道博物館は1992年の設立で、1994年に整備を終えて全面的に公開された。当初、列車運行は今と違って、アスペイティアから南へ2kmのロヨラ(バスク語でロイオラ Loiola)駅との間で不定期に行われていた。駅はロヨラ聖域のすぐ前にあった。

ところが、地域の主産業である鉄鋼工場を拡張するために線路用地を提供することになり、この区間は1995年5月限りで閉鎖された。代わりに北側の廃線跡で復旧作業が進められ、1998年6月から運行できるようになった。こちらは取り立てて観光名所があるわけではないが、走行距離が4.5kmとより長く、またウロラ鉄道の典型的な渓谷風景が楽しめるから、それはそれでよかったと言えるだろう。

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アスペイティア~ラサオ間の1:25,000地形図
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

1番線の跨線橋の真下に、FV 104 と車台に大書された茶塗装のタンク蒸機が停車している。受付で買った博物館のカタログに当たると、軸配置2-6-0、1898年マンチェスター製の104号機関車「アウレラ AURRERA」だ。

現在のビルバオ=サン・セバスティアン線の一部である旧 エルゴイバル=サン・セバスティアン鉄道 Ferrocarril de Elgoibar a San Sebastián の開業に際して供用された古典機で、本線運行から退いた後も、同僚機のように他所へ転用されることなく、入換用機関車としてこの地で過ごした幸運な機関車だという。動態復元されて、博物館設立の1992年以来、ここで列車を率いている。

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蒸気列車の牽引機アウレラ
 

そこに機関士が乗り込み、2番線の給水塔の前へ移動した。給水が終わると、再び1番線へ移動して、ホームに停車中の2両つないだボギー客車の前に連結される。往路はバック運転で行くようだ。

濃緑地に黄帯を引いた客車は1925年製のオリジナルで、ウロラ鉄道の開業に際してバスク州のベアサイン Beasaín にある車両工場から納入された、という経歴を持つ。ウロラ鉄道は電気運転だったので牽引機は異なるものの、保存運行で当時の鉄道シーンをできるだけ再現しようと努めていることがわかる。

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(左)走行前の給水
(右)客車に連結
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(左)1925年製のオリジナル客車
(右)車内は1+2席の板張りシート
 

甲高い発車の汽笛が聞こえるころには、車内の板張りクロスシートはもとより、デッキにもちらほら人が立った。保存運行はかれこれ30年続いているが、今もけっこうな人気を保っているようだ。列車は定刻12時に駅を離れた。

走りだすとすぐに家並みが途絶え、緑の中を進んでいく。左下にウロラ川の流れがちらちらと見える。このあたりは比高500mほどの山に囲まれていて、線路は谷に沿って右へ左へとカーブを繰り返す。緩い下り坂で、機関車にとっては軽い仕事に見えるが、それでも最前部のデッキには、吐き出された細かいシンダが降り注ぐ。

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(左)出発準備完了
(右)往路はバック運転
 

左に急カーブして、川が真横に来たかと思うと、間もなくそれを鉄橋で渡り、間を置かずトンネルに突入した。長さ225m、現行ルートで唯一のトンネルだ。地元客はその存在を先刻承知のようで、客室扉も窓も早くに閉められていた。

暗闇を抜けた後は、国道が左側を並走し始める。川の対岸に渡るアーチの石橋と集落が見え、国道が頭上を乗り越して右に移ったところが、終点ラサオだった。到着は12時20分。地形図上では鉄道記号がまだ北へ続いているが、実際には、駅下手にある車止めで線路は切断され、その先は地道に変わっている。

駅構内は2面2線で、小粒ながら印象的な駅舎が建つ。白い漆喰壁にアクセントのエンジ色が映え、エンタシスの柱が支えるロッジア風の造りもユニークだ。もちろん無人駅だが、内部には調度品が置かれ、明かりもつく様子が、窓越しに見えた。

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(左)ウロラ川が近づく(復路で撮影)
(右)川を渡ってトンネルへ
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ラサオの石橋と対岸の集落
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アクセントのエンジ色が映えるラサオ駅舎
 

折返しのために、機関車はここで機回しされる。解結から転線、そして再連結まで、すべて機関士が一人でこなしている。乗客はみなホームに降りて一部始終を見守るのだが、サービス精神旺盛な機関士は、退避線を回っていく間、汽笛をリズミカルに鳴らし続ける。谷間によく響くので、ご近所から苦情が来ないか心配になるほどだ。

復路では、機関車が正面を向く。ラサオで下車した数人の客に見送られて、列車は出発した。来た道を同じようなペースで戻って、アスペイティアに帰着したのは12時50分すぎ、往復で50分ほどのミニツアーだった。

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ラサオ駅での機回し
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下車した客に見送られて帰路に就く

最後に、鉄道博物館へのアクセス方法を記しておこう。

アスペイティアへは、周辺の町から路線バスが走っている。鉄道旅行者が使いやすいのは、ウロラ鉄道を転換した UK06系統(スマラガ Zumarraga ~スマイア Zumaia)と、サン・セバスティアンから直通するUK01系統(サン・セバスティアン/ドノスティア San Sebastián/ Donostia ~アスコイティア Azkoitia)だ。所要時間はスマラガから43分、サン・セバスティアンから55分。

旧駅前が一方通行のため、博物館の最寄り停留所は、北行スマイアおよびサン・セバスティアン方面が Trenbidearen Museoa(鉄道博物館)、南行スマラガおよびアスコイティア方面は川沿いの Julian Elorza Etorbidea, 3(ジュリアン・エロルサ通り3)になるので注意のこと。

時刻表、路線図は下記 ルラルデバス Lurraldebus のサイトにある。

写真は別途クレジットを付したものを除き、2023年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
バスク鉄道博物館 https://museoa.euskotren.eus/
ルラルデバス https://www.lurraldebus.eus/ 英語版あり

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2023年9月 7日 (木)

新線試乗記-宇都宮ライトレール

JR宇都宮駅で日光線から烏山線に乗り継ぐ間に、東口へ通じるペデストリアンデッキを渡って、動き出したばかりの新線のようすを偵察に行った。右手に乗り場へ降りる階段があるのだが、「反対側の階段をご利用ください」とスタッフが声を枯らしている。迂回ルートをとるよう促しているのだ。

手すり越しに下を覗いてみると、広くもないホームが、乗る人降りる人でごった返していた。なるほど、これでは一方通行もやむをえまい。きょうは8月28日月曜日、走り始めて3日目で初めての平日だが、開業フィーバーはまだ続いているらしい。私は明日全線を乗るつもりだが、朝早めの行動が必須と覚悟した。

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開業3日目の宇都宮駅東口停留場
 

2023年8月26日、栃木県宇都宮市にLRTの新線(下注)が開業した。既存路線の転用や延伸ではなく、いちからの建設という点で巷の話題をさらっている。諸元を記しておくと、軌間1067mm、直流750V電化、全線複線、ルートは宇都宮駅東口から芳賀・高根沢工業団地(はが・たかねざわこうぎょうだんち)に至る14.6kmだ。この間に、起終点を含めて19か所の停留場がある。

*注 LRTはライトレール・トランジット Light Rail Transit の略で、こうした軽量鉄道システムの概念。一方、使われる車両のことはLRV(ライトレール・ヴィークル Light Rail Vehicle)というが、前者と混同してLRTと呼ばれることも多い。

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路線図
 

標題では宇都宮ライトレールとしたが、鉄道の名称については混乱気味だ。運行業務を担っているのは、確かに「宇都宮ライトレール株式会社」だ。一方、路線の正式名称は、鉄道が通る自治体の名を冠して、「宇都宮芳賀ライトレール線」とされている。

ところが広報サイトなどでは、地名の配置を逆にした「芳賀・宇都宮LRT」が使われ、さらに現地の案内板や停留場の標識には、雷が多い土地柄(雷都)にちなんだ愛称「ライトライン Lightline」も見られる。

鉄道はいわゆる上下分離方式で、施設設備や車両といったインフラを、沿線自治体の宇都宮市と芳賀町(はがまち)が保有している。車両基地を含めルートの大半は宇都宮市域にあるが、芳賀を先頭に持ってきたのは、両者の間で、三条燕ICと燕三条駅の事例のような何らかの妥協があったのだろうか。ともかく本稿では呼称選択の判断を保留して、単にLRTと呼ばせていただく。

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垂れ幕はためく東口ペデストリアンデッキ

翌日、東口を訪れたのは朝7時。数年前までだだっ広い駐車場が占めていたこの一角は再開発されて、風景が一変している。JR線をまたぐ既存のペデストリアンデッキが延長され、正面に真新しい商業施設や交流拠点施設が出現した。LRTのターミナルは、デッキの直下で南北方向に設置されているが、隣にゆったりとした階段広場があり、そこから発着シーンをつぶさに観察できる。

ホームに降りると、次の7時10分発が停車中だった。車内は、通勤客らしき人たちで座席がすべて埋まり、ちらほら立ち客も見える。これが日常だとすれば、アウトバウンド(駅前から郊外へ)の交通需要は手堅そうだ。実際、LRTが向かう鬼怒川(きぬがわ)左岸には大規模な工業団地が広がっていて、円滑な通勤輸送が路線の使命の一つになっている。

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初乗り客で混雑する乗り場
(開業3日目の14時ごろ撮影)
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ホームの案内板
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東口階段広場
停留場(中央奥)を発車した列車
 

車両は、福井鉄道のF1000形 FUKURAM(フクラム)をベースに開発されたという3車体連接の低床車で、HU300形を名乗る。車両長29.5m、定員160名というスペックは、日本のトラム(路面電車)では最大級だ。黄色と黒のシンボリックなツートン塗装で、その配色と丸みを帯びた顔立ちがスズメバチを思わせないでもない。車内には2人掛けのボックスシートが両側に配置されていて、1編成で50席ある。後で体験した座り心地は良好だったが、向かいとの間が狭いので足の置き場が少し窮屈に感じた。

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3車体連接のHU300形
 

改札のない鉄道なので、乗り方・降り方について周知のチラシが配られていた。特筆すべきは全扉乗降方式の採用だ。交通系ICカードをリーダーにタッチすることで、最寄りの扉から乗るだけでなく、降りることもできる。広島電鉄でもすでに実施済みの方式だが、車内が混雑しても乗降がスムーズで、遅延回避に効果がある。もとより現金払いの場合は、乗車時に整理券を取り、降車時に先頭の扉まで移動して運賃箱に整理券と運賃を投入するという従来方式だ。

カードリーダーは扉の枠柱に直列配置されていて、上が降車用(黄色)、下が乗車用(緑色)なのだが、慣れないと間違いやすい。特に乗り込むとき、目の高さにある黄色のほうにうっかり手が行ってしまうのを私も経験した。

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(左)車内も黄色がアクセントに
(右)縦に並ぶカードリーダー
 

さっそく全線を乗り通してみた。帰りは何度か途中下車して、沿線の撮影地などに足を延ばしたので、それも交えてレポートする。

出発するとすぐ、電車は左に90度曲がって東に向かう。ライトキューブのデッキをくぐって、大通りである鬼怒通りの中央に飛び出す。もと片側3車線あったこの道路は、中央分離帯が撤去され、片側2車線とセンターポールが立つ複線の線路という配置(センターリザベーション軌道)に変えられた。余ったスペースは、交差点前の右折車線や停留場に充てられている。

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(左)7時10分発下り電車もすでに立ち客が
(右)ライトキューブのデッキをくぐる
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階段広場と鬼怒通りをつなぐ通路(西望)
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鬼怒通りを東へ進む(東望)
 

市街地の中を東宿郷(ひがししゅくごう)、駅東公園前(えきひがしこうえんまえ、下注)と小刻みに停車した後、国道4号宇都宮バイパスとの立体交差、通称 峰立体にさしかかる。この乗り越しは既設の道路高架橋をそのまま利用していて、車道は片側1車線だ。

*注 ちなみに駅東公園には、電気機関車EF57形が静態保存されている。

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(左)鬼怒通りは片側2車線と軌道に改築
(右)国道4号を乗り越す峰立体
いずれも復路、後方を撮影
 

続いて峰(みね)、陽東3丁目(ようとうさんちょうめ)と停まり、5つ目が宇都宮大学陽東キャンパス(うつのみやだいがくようとうきゃんぱす)だ。仮称の時点ではベルモール前だったのに、正式名はやたらと長い名になり、ベルモール前は副駅名に格下げされた。

ベルモールというのは、交差点の南側にある、イトーヨーカドーなどが入ったショッピングモールのことだ。この中に、LRTのPRコーナーが設置されているので、帰りに立ち寄った。展示の中心は、ルートの情景を要約したレイアウトだ。たった今往復してきたばかりだったので、どの停留場を表現しているのか、説明を読まなくてもすぐに判別できた。来場記念とのことで、オリジナルステッカーを2種いただく。

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ベルモールにあるPRコーナーは黄色尽くし
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ルートをデフォルメしたレイアウト、手前が宇都宮駅東口
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(左)峰立体を模した個所
(右)同 ゆいの杜周辺、奥に鬼怒川の橋が見える
 

この停留場を出ると、まもなく市街地の東端に達する。鬼怒通りが鬼怒川西部台地の崖線を降りるところで、逆にこちらは専用軌道となって高架を上っていく。そして急なS字カーブを切りながら、西行車線をまたぎ、田園地帯へ降下する。このような専用軌道が、鬼怒川をはさむ区間を中心に約5.1km(全線の35%)ある。

地上に降りてすぐの平石(ひらいし)は、LRTの運行拠点だ。ホームの両側に線路がある2面4線の構造で、予定されている快速運転が始まれば、ここで追い抜きが行われることになる。南側には車両基地があって、朝晩ここを始発/終着とする便があるし、日中も運転士の交替シーンが見られた。

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(左)市街地東端で鬼怒通りを乗り越す
(右)平石に降りていく高架
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平石停留場は2面4線
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(左)上下電車がすれ違う
(右)車両基地から出てきた回送車
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平石車両基地
 

新4号バイパス(石橋宇都宮バイパス)の下をくぐると、平石中央小学校前(ひらいしちゅうおうしょうがっこうまえ)、そしてこの後が、最も眺めのいいハイライト区間だ。高架に上がり、そのまま鬼怒川の広い河原を、長さ643m、高さ15mの優美なコンクリート橋で横断していく。左奥に西部の山並みが連なり、見下ろす水面が陽光にきらめいている。停留場の間隔は1.9kmと最長で、40km/hという軌道法の制限速度でとろとろ走るのはもったいないほどだ。

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鬼怒川を渡る(北西望)
 

橋を渡り終えると、田んぼの真ん中に飛山城跡(とびやまじょうあと)停留場がある。飛山城というのは、13世紀末に築かれたという平山城だ。地形的には、宝積寺(ほうしゃくじ)台地が高さ約30mの崖線で鬼怒川の河原に臨む場所にあり、いかにも要害の地というシチュエーションだ。

停留場から北に約800mとやや離れているが、鬼怒川橋梁の展望が期待できそうなので、行ってみることにした。ちなみに橋は城跡の南西に位置するため、順光になるのは朝のうちだけだ。

城跡の正式な入口は東側だが、遠回りになるので、南西側のからめ手からアプローチする。とっかかりは茫々の草道ながら、山に入ってからは明瞭な小道で、難なく城内に入れた。地形図にマークした地点が、橋梁の展望地だ。通りかかった地元の方によると、試運転に合わせて、伸び放題だった夏草を刈ったのだという。左右両方から現れ、橋の上ですれ違う2本の電車を、ここでありがたく撮らせていただいた。

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(左)鬼怒川橋梁からの下り坂(西望)
(右)田んぼに囲まれた飛山城跡停留場
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鬼怒川橋梁の上ですれ違う電車
飛山城跡から遠望
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鬼怒川橋梁周辺の1:25,000地形図に加筆
 

LRTの軌道はこの後、アップダウンを繰り返す。国道408号を乗り越すために上り、開析谷へ降り、最後に比高約15mの崖を駆け上がって、台地の高位面に到達する。清陵高校前(せいりょうこうこうまえ)停留場は、仮称の時点では作新学院北だった。高校の隣に作新学院大学のキャンパスがあるので、秋学期が始まれば、学生たちも乗客に加わるのだろう。

ここでは300m西にある道路の跨線橋に足を向けた。そこから、山なりになったLRTの高架橋が見える。軌道が手前でカーブしているので、思った通り小気味よい構図が得られた。

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清陵高校近くの跨線橋からの眺め
 

台地面は清原工業団地として整備され、並木の大きく育った道路網が縦横に広がっている。ゆとりのある敷地で脇道の出入りが少ないので、軌道は道路の中央ではなく片側に寄せられ、いわば道端軌道(サイドリザベーション軌道)の形で進んでいく。

清原地区市民センター前(きよはらちくしみんせんたーまえ)はトランジットセンター(公共交通結節点)とされ、路線バスの乗り場が隣接していた。LRT開通を機に東部地区のバス路線は再編され、こうしたハブでLRTと接続し、支線的な機能を担うように改められている。

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(左)清原地区市民センター前はバス乗り場が隣接
(右)往年の国鉄バス塗装車に遭遇
 

この後、90度曲がって北に向くが、こちらも並木の続く広い通りだ。グリーンスタジアム前の上下ホームは千鳥式の配置で、それぞれ1面2線の構造をしている。ここで折り返す便も一部あるので、上下線の間に渡り線が設置してあった。

ちなみに、次の停留場との中間地点に歩道橋があり、その上から線路の俯瞰が可能だ。ただし北側で高架の道路を建設中で、絵柄としてはやや雑然としたものになる。

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(左)並木の続く通り(南望)
(右)グリーンスタジアム前の島式ホームと上下線間の渡り線
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ゆいの杜へ続く高架線、歩道橋から北望
 

開析谷を斜めに横断した後、LRTは野高谷町(のごやまち)交差点を高架でショートカットし、再び東へ曲がって、県道64号芳賀バイパスの中央に位置づいた。この道路は鬼怒通りの延長なので、本来の道筋に戻ってきたようなものだ。

一帯は、ゆいの杜(もり)と呼ばれる比較的新しい住宅街だ。それで約500mの間隔を置いて、ゆいの杜西、ゆいの杜中央、ゆいの杜東と、停留場が3か所連続している。道の両側にロードサイド店の見慣れたロゴ看板が林立するが、整然とした工業地区をしばらく通ってきたので、生活感あふれる風景に懐かしささえ覚える。

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(左)ゆいの杜西で県道64号に再会
(右)電車用の黄矢印がついた道路信号機
 

次の芳賀台(はがだい)との間の、起点から12.1km付近で、宇都宮市と芳賀町の境界を越える。芳賀町域の沿線は再び工業地区だ。大きな集落はない(下注)ので、もっぱら通勤輸送区間ということになる。

*注 芳賀町の中心集落は祖母井(うばがい)だが、LRTの沿線ではない。

また北へ針路を変えるが、その手前にある停留場の名は、芳賀町工業団地管理センター前(はがまちこうぎょうだんちかんりせんたーまえ)という。長い駅名ランキングに名が上がりそうだが、それよりも終点の駅名とどこか似ていて紛らわしい。仮称は交差点名に合わせた管理センター前だったが、いっそのこと古風な命名法で、祖母井口(うばがいぐち)でもよかったのではないか。

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(左)芳賀町工業団地管理センター前
(右)多数のモニターに囲まれた運転台
 

北上する道路、かしの森公園通りには、途中で深い開析谷を横断するダウンアップがある。軌道もそれに付き合わざるを得ないので、路線最大の約60‰という勾配が生じている。

車内から観察したところ、北東側からのアングルがベストのようだ。かしの森公園前(かしのもりこうえんまえ)から近いので、降りて見に行った。乗車中はあまり実感がなかったが、地上で眺めると、ジェットコースターのような景観だ。函館市電の青柳町(あおやぎちょう)から谷地頭(やちがしら)へ降りる坂道(下注)を連想させる。センターポールに視界が遮られないのは上り電車なので、テールランプを見送る形になるのはやむを得ない。

*注 函館市電の同区間の最急勾配は58.3‰で、宇都宮ライトレールとほぼ同じ。

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かしの森公園通りのジェットコースター坂
(北東側から南望)
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約60‰の勾配を上る
 

宇都宮駅から48分で、終点の芳賀・高根沢工業団地に到着した。路面軌道のまま1面2線の駅があり、ホームは歩道橋につながっている(下注)。車内の客は途中の停留場で徐々に減ってきてはいたものの、終点でも20人以上が降りた。早い時間帯ゆえ見物客ではありえず、さっそくLRT通勤に切り替えた人たちだろう。

*注 押しボタン式の横断歩道で、側歩道に渡ることもできる。

というのもここは本田技研の北門前で、周りは事業所と従業員用駐車場以外、ほとんど何もない場所だからだ。その意味で駅名も、工業団地というより、仮称のときの本田技研北門のほうがしっくりくる。

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路上に設けられた芳賀・高根沢工業団地停留場
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電車は数分の停車ののち折り返す
 

宇都宮駅東口からここまで、道路の最短経路で約13km、机上計算だとクルマで20~25分だ。しかし実際は、主要交差点や鬼怒川の橋などで渋滞が多発するため、思うようには走れないらしい。それに対してLRTは南へ寄り道することもあって、時間は2倍かかるが、到達時間が読める点にメリットがある。

全便各停、所要48分の現行ダイヤは暫定版だ。運行状況が落ち着けば各停44分、快速37~38分と、文字どおり緩急をつけた運行体制になるという。時間のハンディキャップはいくらか挽回できそうだ。

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夕刻、宇都宮駅東口に戻ってきた電車
 

開業直後とあって、今日もお昼近くにはどの電車も満員になり、大幅な遅れが発生していた。もちろん大半が初乗り客で、運賃の現金払いが意外に多く、降車に手間取るのが遅延の原因らしい。とはいえ、この路線は主として通勤通学用で、新規の客がこれだけ集まってくれる機会は今後そう何度もあるまい。一人でも多くの人がLRTシステムの出来栄えを目にし、乗り心地を体験してくれれば、いい宣伝になると考えるべきだ。

ライトレールの建設にあたっては市民の間で賛否両論があり、費用面だけでなく、車道の削減や直行バス路線の廃止など、利便性の後退に関する懸念も根強かったようだ。しかし、1車線を電車用に振り向けるのは、バス専用レーンを設けて一般車両を進入させないようにするのと変わらない。さらに電車なら、バス2台分の定員を1名の乗務員で運べるので効率がいいし、クルマの走行路と分離することで運行の安全性や定時性も高まる。

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ターミナルにはまだ電車を待つ客の列が
 

LRTは、都市域の新たな交通軸として評価され、ここ30~40年の間に世界中で急速に建設が進められてきた。クルマ社会の典型と思われている北米大陸でさえ、その数は約50都市にも上っている(下記参考サイト参照)。ところがわが国ではそうしたトレンドが浸透せず、この間に新規開業されたのは、2006年の富山ライトレール(現 富山地方鉄道富山港線)の1路線のみだ。これとてルートの大半が旧JR線の再利用で、新設された区間は1.1kmに過ぎず、かつ単線だ(下注)。

*注 このうち東側0.4kmは、その後2018年に複線化されている。

それだけに、宇都宮ライトレールが全線新設で開業した意義は大きい。市街地では併用軌道だが、郊外に出ると線形のいい専用軌道になるというルート構成も模範的だ。

複線の軌道をスマートで収容力のある低床車が疾走するさまは、年配の市民が路面電車に抱いている時代遅れのイメージを覆すのに十分なインパクトをもつ。場所が、情報発信力のある首都圏の一角であることも重要だ。この開業がLRTの認知度向上に寄与し、取組みに倣う意欲的な都市が次々に現れることを期待しないわけにはいかない。

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掲載の地図は、地理院地図(2023年9月1日取得)を使用したものである。

■参考サイト
宇都宮ライトレール(運営会社サイト)https://www.miyarail.co.jp/
芳賀・宇都宮LRT(公式広報サイト)https://u-movenext.net/
Wikipedia - List of tram and light rail transit systems
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_tram_and_light_rail_transit_systems

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