セメント鉄道-産業遺跡のナロー
トレン・デル・シメン(セメント鉄道)Tren del Ciment
グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà ~カステリャル・デ・ヌク(クロト・デル・モロ)Castellar de n'Hug (Clot del Moro) 間12km
軌間600mm、非電化
1914~23年開通、1963年廃止
【現在の運行区間】
ラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet ~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km
2005年開通
ラ・ポブラ・デ・リリェトの併用軌道を行く セメント鉄道の列車 |
◆
スペインのカタルーニャ自治州には、イベリア軌間の幹線のほかにメーターゲージ(1000mm軌間)の広範な路線網がある。列車を運行しているのは、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) という、州政府が設立した鉄道会社だ。興味深いことに同社は、列車事業部門と並んで観光・山岳事業部門も有していて、さまざまな観光鉄道や索道を直営している。
以前取り上げたモンセラットやヌリアのラック式登山鉄道(下注)もその例で、どちらも自社の列車駅に接続し、あたかも支線のような存在になっている。
*注 本ブログ「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。
ところが例外的に、一般路線網から遠く離れた、バスもほとんど通わないような山間部に、FGCの孤立路線が存在する。それが、今回取り上げるアルト・リョブレガト観光鉄道 Ferrocarril Turístic de l'Alt Llobregat だ。愛称の「トレン・デル・シメン Tren del Ciment」、すなわちセメント鉄道というのは、もともとセメントを輸送する産業軽便鉄道だったという歴史に由来している。
旧線時代の復元客車 ラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて |
1:25,000地形図にセメント鉄道の駅位置と名称を加筆 Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es |
場所は、バルセロナ Barcelona の北100kmにあるラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet という小さな町だ。プレピレネー(前ピレネー山脈) Prepirineus の山々に囲まれ、バルセロナ南郊で地中海に注いでいるリョブレガト川 El Llobregat の最上流域に当たる。
話は、20世紀初頭に遡る。1901年、町から2km上流の谷合いにあるカステリャル・デ・ヌク Castellar de n'Hug 村のクロト・デル・モロ Clot del Moro 地区で、カタルーニャ最初のポルトランドセメント工場の建設が始まった。事業主はアスファルト・ポルトランド総合会社 Companyia General d’Asfalts i Portland で、後にその略称から、「アスランセメント Ciment Asland」のブランド名で知られることになる会社だ。
アスラン社のセメント袋を積んだトロッコ セメント博物館にて |
工場は1904年に完成し、操業を開始した。袋詰めされた製品の搬出は当初、アメリカから輸入したベスト Best という蒸気自動車で行われた。これはもともと工場の建設資材を運ぶために購入されたもので、6両の貨車を牽いて走ることができた。セメント袋はこの車で川沿いを12km下り、グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà で750mm軌間のマンレザ Manresa 行き貨物列車(下注)に積み替えられた。
*注 マンレザ=ベルガ経済路面軌道・鉄道会社 Companyia Tramvia o Ferrocarril Econòmic de Manresa a Berga の路線で、1904年にグアルディオラ・デ・ベルゲダまで開通。
ところが、蒸気自動車は早くも翌年、故障で使えなくなってしまう。しばらく牽き馬で代替したものの、出荷量の増加で間に合わなくなり、会社は鉄道の建設を決めた。これが現在の観光鉄道の前身になる。
路線は1910年に着工され、リョブレガト川を渡る2本の橋梁を含めてグアルディオラからラ・ポブラ・デ・リリェトまでの区間が1914年に、残るクロト・デル・モロの工場までの区間が1923年に開業した。一般に「カリレット carrilet」(下注)と呼ばれる軽便線で、軌間は600mmだった。
*注 carril(道、線路の意)の指小辞形。狭軌鉄道はメーターゲージを含めてこう呼ばれていた。
(左)初期に使われた蒸気自動車ベスト (右)最終運行日のカリレット いずれもラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて |
保存された旧グアルディオラ駅 |
1920年代、セメントは都市基盤の形成に欠かせない資材として需要が伸び、バルセロナ万国博の効果もあって、増産が続いた。人の往来も活発で、カリレットは旅客輸送でも実績を伸ばした。
しかし、第二次世界大戦後は、モータリゼーションの影響で鉄道利用が急速に減少していく。生命線だったセメント輸送もトラックに切り替えられ、1963年10月にカリレットの運行は中止された(下注)。セメント工場も、設備が老朽化し、生産コストが見合わなくなったことから、1975年に操業を停止している。
*注 この鉄道が接続していたマンレザ=ベルガ=グアルディオラ線も赤字で、1951年に国に買収されたものの、ダム建設で線路が水没することから1972~73年に大半が廃止となった。
工場施設は朽ちるに任されていたが、近年、カタルーニャの工業化の過程を示す産業遺産として再評価を受け、2002年にカステリャル・デ・ヌク セメント博物館として再整備された。このエリアには他にも観光スポットが点在している。それらを結ぶ移動手段として企画されたのが、カリレットの復活運行だ。
博物館になったセメント工場跡 |
「新」セメント鉄道は、2005年7月1日に開業した、ラ・ポブラ・デ・リリェト~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km の路線だ。旧線跡を利用していて、軌間も同じ600mmだが、保存鉄道というわけではなく、現代のディーゼル機関車がオープン客車を牽いて走る。
片道の所要時間は20分だ。運行日は2023年の場合、4月から11月初めまでの土日祝日と、7月中旬から8月の間の毎日で、繁閑に応じて1日5~8往復が運行される。
短い距離だが、ルートは変化に富んでいて、鄙びた町の街路を併用軌道で通り抜けたかと思うと、終盤は森林鉄道のように渓谷をくねくねと遡っていく。起終点の標高差は107mあり、平均勾配は30‰にも達する。以下、現地写真でそのルートをたどってみよう。
◆
バルセロナからラ・ポブラ・デ・リリェトまではアウトピスタ(高速道路)Autopista C-16号線経由で130km、車で1時間50分ほどだ。公共交通機関で日帰りするのは不可能なので、レンタカーに頼るしかない。グアルディオラ・デ・ベルゲダでC-16から離れ、リョブレガト川の谷の2車線道を遡っていくと、最初のラウンドアバウトの先に、セメント鉄道の起点駅が見えてきた。少し先に広い駐車場が用意されている。
駅はラ・ポブラ・デ・リリェトを名乗っているが、町はまだ1kmも先で、周りに人家は見えない。ここには旧線時代、ラ・ポブラ・アパルタドル La Pobla-Apartador という駅があり、南の山中にある炭鉱から索道で運ばれてきた石炭を貨物列車に積み替えていた。
(左)C-55号線でモンセラット山麓を行く (右)C-16号線のベルガ Berga 南方 |
ラ・ポブラ・デ・リリェト駅 (左)終端側から駅構内を望む (右)終端部の転車台 |
現在の駅は、2005年の再開にあたって新設されたものだ。2面2線の構造で、谷側(終点に向かって右側)が1番線、山側が2番線になっている。2本の線路は、下手で合流した後、転車台に接続されているが、車両基地は終点駅にあるので、ここでは作業車両の留置しかしていない。
2番ホームに接して、平屋の駅舎が建っている。ベージュの塗り壁にオレンジの屋根瓦と、伝統をなぞった外観が好ましい。中に入って、カウンターで乗車券を購入した。運賃は大人片道5.50ユーロ、往復9ユーロで、途中下車は可能。また、列車往復と沿線のセメント博物館およびアルティガス庭園とのセット券(15ユーロ)もある。
(左)伝統的外観の駅舎 (右)案内カウンター |
駅舎の隣に見える青緑色の切妻屋根の建物は、鉄道博物館だ。駅が開いている時間に、自由に見学できる。展示テーマは「バイ・デル・リョブレガト(リョブレガト谷)の地方・産業・観光鉄道 Ferrocarrils secundaris, turístics i industrials a la Vall del Llobregat」で、現物車両や関係資料のパネルを使って、川沿いの炭鉱や岩塩鉱に通じていた鉄道や索道に関する歴史を説明している。
産業車両の展示が多いなか、旧線時代のモンセラット登山鉄道で使われていたという4号蒸気機関車とサロンカーのセットが目を引いた。奇岩と修道院で有名なモンセラットもまた、リョブレガト川の流域にある。登山鉄道は1950年代に廃止されたが、高い輸送力を期待されて2003年に運行が再開された。セメント鉄道復活の2年前のことで、二者はよく似た経歴を持っているのだ。
駅併設の鉄道博物館 |
リョブレガト谷ゆかりの車両を展示 |
モンセラット登山鉄道旧線時代の4号機関車とサロンカー |
そうこうしているうちに、発車時刻が近づいてきた。ホームに向かうと、本日の一番列車がすでに2番線に停車している。先頭は、緑塗装のドイツ、シェーマ Schöma 社(下注)製2軸ディーゼル機関車で、2010年に供用された2号機「カトリャラス Catllaràs」だ。開業当初から在籍する1号機もシェーマ・ロコだが、より小型のため、今はもっぱら入換用だという。
*注 正式名はクリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH で、簡易軌道や工事現場で使われる小型ディーゼル機関車の専門メーカー。
機関車の後ろには、同じ緑色をまとうオープンタイプの客車が4両連なっている。車端にデッキがあり、客室の座席は、通勤車両のような向い合せの木製ロングシートだ。少々窮屈だが、車体の横幅が狭いのでやむを得ない。
シェーマ・ロコが牽くセメント列車 |
(左)オープンタイプの客車 (右)客室は木製ロングシート |
朝、到着したときは、まだホームに人影もなかったのに、いつのまにか20人以上の客が乗っている。今日10月12日は祝日ということもあって、客の入りはまずまずのようだ。10時30分、短い警笛を合図に、列車はホームを離れた。
以前は駅の直後に落石除けのトンネルがあったが、今は開削されて、谷側に駐車場との連絡歩道が造られている。その駐車場を横に見ながら、列車は石灰岩の段丘崖の際をゆっくり上っていく。右手は深い谷で、吹き通る風が心地いい。
石灰岩の段丘崖の際を上る |
ふと後ろを振り返ったとき、線路が敷かれているのがバラストの上ではなく、コンクリートで固めた路面であることに気づいた。そういえば、路側に黄線が引かれているし、路肩にはしっかりとフェンスがある。間違いなく路面軌道だ。
推測するに、カリレットが通わなくなって40年の間に、廃線跡はすっかり生活道路になってしまった。とはいえ、線路用地を別に確保するのは大工事になるから、いっそのこと道路と鉄道を共存させようという発想だろう。もとが廃線跡なので道幅が狭く、列車と車の行き違いは困難だが、別に整備された2車線道があるから、地元の人しか通るまい。
生活道路と併用の路面軌道が続く |
そのうち列車はラ・ポブラ・デ・リリェトの家並みの中に入っていった。併用軌道は町裏にまだ延びているが、さすがにこのあたりは車が退避できる道幅がある。ただしその分、路駐も多くて気を使いそうだ。
ラ・ポブラ・セントレ La Pobla Centre 停留所に停車した。路面軌道にしては立派な高床のホームだ。ベンチが置かれ、屋根もついて設備は行き届いている。だが、長さは1両半ほどで、後ろの車両には届かない。
ラ・ポブラ・デ・リリェトの町裏を行く |
高床ホームのラ・ポブラ・セントレ停留所 |
セントレはいうまでもなく「中央」のことで、ここから迷路のような路地を下っていくと、リョブレガト川の蛇行に面した町の中心部に出る。ベイ橋 Pont Vell と呼ばれる14世紀の石橋が架かり、傍らの木陰に伯爵エウゼビ・グエイ(グエル)Eusebi Güell の記念碑が建っている。
グエイは、モデルニスモの建築家アントニ・ガウディ Antoni Gaudí のパトロンとして知られる実業家、政治家だ。ガウディが設計し、バルセロナの観光名所になっているグエル公園やグエル邸、郊外のコロニア・グエル教会などに名を残している。実は、彼はアスランセメント会社の設立者でもあって、工場の城下町として栄えたラ・ポブラにとっては最大の功労者なのだ。
市街には狭い路地が入り組む |
(左)エウゼビ・グエイ記念碑 (右)リョブレガト川に架かるベイ橋 |
セントレを後にした列車は、まだ路面を走り続ける。家並みが途切れると、道路が左に分かれていき、専用軌道に入るかに見えたが、路面の舗装と黄帯はそのままだ。リョブレガト川の渓谷を高い橋で渡り、深い切り通しをカーブで抜けたところに、二つ目の中間停留所ジャルディンス・アルティガス(アルティガス庭園)Jardins Artigas があった。列車交換ができるように2面2線で建設されたが、1時間間隔の運行では不要のため、早々と棒線駅に格下げされて今に至る。
(左)リョブレガト川の谷を渡る併用橋 (右)深い切り通しのカーブ |
ジャルディンス・アルティガス停留所では多数の乗降が |
ここで乗客のざっと2/3が降りてしまった。アルティガス庭園というのは、ガウディの設計による自然の地形を生かした回遊庭園だ。彼は、グエイの依頼でセメント工場の従業員社宅を設計するために、当地に滞在したことがあった。その際、工場主だったアルティガス家からのもてなしに感謝して、同家の庭園の設計を引き受けた。せせらぎの音がこだまする園内には、グエル公園を彷彿とさせる彼独特の造形が多数散りばめられていて、楽しい散策の時間が過ごせる。
アルティガス庭園のユニークな造形 |
この停留所を境に、軌道は道路を脱して、バラストの上に載る。終盤は、森林鉄道を思わせる渓谷沿いの険しいルートだ。急勾配はもとより、トンネルなしで山襞に忠実に沿っていくため、脱線防止レールつきの急カーブが次々に現れる。右側は灰白色の切り立った壁が続き、左の谷には岩棚を滑り落ちる急流が見え隠れしている。ゆっくり進んでいくと、やがて川床が上昇してきて水音が大きくなり、進行方向左奥に旧セメント工場の巨大な建物群が姿を現した。
ムゼウ・デル・シメン駅 手前が駅舎、右奥が機関庫、左奥はセメント工場跡 |
10時50分、終点ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)駅に到着。ホームは右側で、起点駅と同じような駅舎が建っている。中は黒のラブラドール君が店番をしているカフェが営業中で、片隅に出札口もあった。ホームの前は本線と機回し側線があるだけだが、奥はヤードで4線収容の機関庫へと分岐している。一角に、セメント鉄道100周年を記念する小型機関車(下注)が、客車連れでぽつんと置かれていた。その左には転車台も見える。
*注 1901年ベルギー製の600mm軌間蒸気機関車「ミナス・マリアナス Minas Marianas」。現役時代はアストゥリアス州のマリアナ鉱山 Mina Mariana で稼働しており、セメント鉄道の所属機ではない。
かつてのセメント工場跡は、産業博物館として公開されている。近代カタルーニャの一時代を画した壮大な産業遺跡を巡りながら、ポルトランドセメントの製造工程やアスラン社の歴史を学ぶことができる。
折返し待機中の列車 |
(左)駅舎の中はカフェ (右)片隅に出札口も |
機関庫前に100周年記念の小型機関車の姿が |
工場跡を公開するセメント博物館 |
ところで、到着した列車は、折返し11時00分発のラ・ポブラ・デ・リリェト行きになる。片道20分を要し、かつ1時間間隔でピストン運行しているので、起終点駅での作業時間は10分しかない。
ところがいっこうに機関車の付け替え、いわゆる機回しが行われる気配がなかった。そのうち運転士と思われる男性がつかつかと先頭客車まで歩いてきて、デッキの跳上げ椅子に座った。そして大事そうに抱えていた何かの装置を操作すると、列車はそのまま動き出したのだ。後ろの機関車は無人のままで…。
どうやら彼が携えていたのは無線操縦用の機器らしい。こうしたプッシュプル型列車の場合、先頭客車は制御車で、運転台がついているものだが、こんなイージーな運転方式があるとは驚いた。ラジコン好きの人なら、一度体験してみたいと思うのではないだろうか。
(左)運転士がラジコンを抱えて乗ってきた (右)デッキが運転台代わりに |
写真は、2021年11月および2022年10月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。
■参考サイト
セメント鉄道 https://turistren.cat/trens/tren-del-ciment/
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