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2023年8月

2023年8月25日 (金)

モンセラットのケーブルカー

サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan

延長 503m、高度差 248m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 652‰
開通 1918年

サンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova

延長 262m、高度差 118m、軌間 1000mm、単線交走式
最急勾配 565‰
開通 1929年

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モンセラット修道院とサン・ジョアン ケーブルカー

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修道院の前にあるクレウ(十字架)広場 Plaça de la Creu は、聖地モンセラット Montserrat を訪れた人々の動線が交わる場所だ。下界から登山鉄道(下注)やロープウェーに乗ってきたならもちろん、たとえクルマで上ってきても、修道院の中庭へ入るならここを通らないわけにはいかない。

*注 モンセラット登山鉄道については、本ブログ「モンセラット登山鉄道 I-旧線時代」「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」で詳述している。

聖堂の奥で黒い聖母子像に面会して、訪問の第一の目的を果たした後も、この広場に戻って、次の行先へ出発することになる。モンセラットの山域には、修道院以外にも小さな巡礼地が点在しているから、そこを目指す人も多い。もちろん歩いても行けるが、それなりの山道だ。そこで広場から、山上と山腹へ1本ずつケーブルカーが運行されている。これを利用して高度差を克服すれば、あとは比較的緩やかな坂をたどって、目的地に到達できる。

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クレウ広場前に集中する鉄道と索道の駅
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モンセラット修道院周辺の詳細図に鉄道・索道と主要地点を加筆
Base map derived from the topographic map of Catalonia 1: 5.000 of the Institut Cartogràfic i Geològic de Catalunya (ICGC), used under a CC BY 4.0 license
 

山上へ行くのは、サン・ジョアン ケーブルカー Funicular de Sant Joan だ。クレウ広場の山手から、モンセラットの尾根の鞍部まで延びている。長さ503m、起終点間の高度差248m、最大勾配は652‰(下注)と険しく、スペイン国内では最も急勾配のケーブルカーだ。

*注 ちなみに、日本のケーブルカーの最大勾配は高尾山の608‰。

開業したのは1918年、尾根筋のサン・ジョアン San Joan をはじめとするいくつかの庵(いおり)を訪れる人のために設けられた。当初用意されたのは小型の搬器だったが、上部駅に併設した展望台とレストランが人気を博し、たちまち輸送が追いつかなくなった。

そこで、すでにモンセラットで登山鉄道を運行していたムンターニャ・デ・グランス・ペンデンツ(大勾配登山)鉄道 Ferrocarrils de Muntanya de Grans Pendents (FMGP) が自ら全面改築に乗り出した。同社は1925年にケーブルカーの運営会社(下注)を買収したあと、1926年に軌間を広げ、搬器を大型のものに交換している。

*注 ケーブルカー・リフト株式会社 Compañía anónima de Funiculares y Ascensores (CAFA) 。

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修道院側からケーブルカーの軌道を仰ぐ
 

登山鉄道のほうは、脱線事故をきっかけに1957年に廃止されてしまったが、ケーブルカーの運行はその後も続けられた。だが、運営会社FMGPの経営状況が悪化し、設備更新もままならなくなったため、1982年に州政府が買収に踏み切った。

こうした経緯で、ケーブルカーは1986年以来、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) の一路線になっている。FGCは、バルセロナからの郊外電車(R5、R50系統)や2003年に開業した現在の登山鉄道の運行事業者で(下注)、ケーブルカーも、市内からの連絡切符など一体的なマーケティングの対象に組み込まれている。

*注 ちなみにモンセラット・ロープウェー Aeri de Montserrat だけは、FGCの路線ではなく別の事業者が所有・運行している。

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サン・ジョアン ケーブルカー下部駅
 

さて、クレウ広場から上り坂を折り返しながら歩いていくと(下注)、山際に張り付くようにして建つサン・ジョアン ケーブルカーの小ぶりな駅舎に行き着く。開業以来の建物だが、内部は改修されていて、正面の大きなアーチ窓から発着ホームが隅々まで見渡せる。

*注 登山鉄道駅の奥にあるエレベーターを使えば、坂道を多少ショートカットできる。

左の出札口で乗車券を購入した。片道10.40ユーロ、往復16ユーロ。後述するサンタ・コバ ケーブルカーとのセット券(18.70ユーロ)もあり、両方往復するならこれがお得だ。帰りは歩くつもりなので片道券を買ったが、渡されたのは味気ないレシートだった。

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下部駅内部
 

ケーブルカーは繁忙期12分、閑散期は15分間隔で運行されている。次の発車は13時15分だ。2015年に更新された車両は3扉で、車内もそれに応じて、貫通路のない3つのコンパートメントに区分されている。ベンチがあるが、たとえ座れるほどすいていたとしても、ここは谷側の車端(の立ち席)に陣取るべきだろう。

というのも、ルートが一直線なので、延長線上に位置している修道院のバシリカが走行中、ずっと見え続けるからだ。山を上るのだから眺めが良くて当然かもしれないが、これほどピンポイントに絶景を堪能させてくれるケーブルカーも珍しい。

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サン・ジョアン ケーブルカーの車両
室内は3つのコンパートメントに区分
 

乗り込んで少し待つうち、ブザー音を合図に車両は動き出した。最初は、修道院の側壁の一部が木々の間から覗くだけだが、まもなく森が途切れて、中庭のサンタ・マリア広場 Plaça de Santa Maria とそれを取り巻く建物群が見え始める。ゆっくりズームアウトしていく修道院の伽藍に集中していると、線路が二手に分かれ、対向車両が静かに降りていった。

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中間地点でのすれ違い
 

ルートの後半では、勾配が最大652‰に達する。まず切通しの中を進んでいくが、側面の岩肌の動きはほとんど垂直だ。再び視界が開けると、修道院もさることながら、背後にそそり立つ奇怪な形の岩の柱列に目を奪われた。車両の天井もガラス張りなので、ここまで来れば上部の車室からもこの景色が十分楽しめるはずだ。

標高970mの上部駅へは約6分で到着する。いったん駅舎を出て外階段で2階へ上がると、展望テラスに出られる。たった今車内で見てきた風景にケーブルカーの車影も加わって、いかにも写真映えする眺めだった(冒頭写真参照)。

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上部駅
(左)急傾斜のホーム
(右)巻上機
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外階段で2階の展望テラスへ
 

ミランダ・デ・サンタ・マグダレナ Miranda de Santa Magdalena の山腹にあるサン・ジョアンの庵 Ermita de Sant Joan へは、緩い上り坂の巡礼道を西へ歩いて10分ほどだ。中には入れないが、格子窓から覗くと、内部は礼拝堂になっていた。その先にはサン・オノフレ Sant Onofre やサンタ・マグダレナ Santa Magdalena などの、廃墟になった庵が続いている。また、片道1時間の山道縦走で、モンセラットの最高峰、標高1236mのサン・ジェロニ San Jeroni を目指す人もいるだろう(下図参照、下注)。

*注 山腹の道路際からサン・ジェロニに直接上る長さ680mのロープウェーも運行されていたことがある。1929年開業、1983年廃止。

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上部駅の周辺案内図を撮影
1:サン・ジェロニ新縦走路、2:同 旧縦走路
3:サン・ミケル巡礼路(修道院方面)
3a:サン・ジョアン巡礼路
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ミランダ・デ・サンタ・マグダレナの山腹を行く巡礼路
サン・ジョアンの庵が左肩に望める
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サン・ジョアンの庵
 

一方、山道は反対方向へも延びている。こちらは南東尾根をぐるりと回り、東斜面のサン・ミケルの庵 Ermita de Sant Miquel や、スリリングな展望で人気のあるサン・ミケルの十字架 Creu de Sant Miquel を経由して、起点のクレウ広場に戻ることができる。最初少し上るが、あとはずっと下りで、見晴らしのいい40分ほどのハイキングルートだ。時間に余裕があるなら(さらに天気が良ければ)、ケーブルカーで往復するよりはるかに印象に残る旅になるに違いない。

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サン・ミケルの庵
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サン・ミケルの十字架
 

クレウ広場に帰ってきたところで、もう一つのサンタ・コバ ケーブルカー Funicular de la Santa Cova に乗りに行こう。こちらは修道院の崖下を降りていく路線で、聖母子像の発見場所と伝わるサンタ・コバへの巡礼路にある急坂区間をカバーするために建設された。長さ262m、起終点間の高度差118mと、サン・ジョアンに比べれば小規模だが、最大勾配は565‰で険しさは遜色ない。

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サンタ・コバ ケーブルカー上部駅
 

これは、サン・ジョアンの改修から3年後の1929年に、同じFMGP社の手で開業した。軌道は、サンタ・マリア川 Torrent de Santa Maria という涸れ沢(下注)に沿っている。2000年6月の大雨では沢があふれて、下部駅舎と停車していた車両が大きな被害を受けた。1年後の2001年6月にようやく運行が再開されたが、復旧に際しては設備の全面更新が実施された。現在の車両もこのとき新調されたものだ。

*注 原語の Torrent(トレント)はふだん水流がなく、降雨時のみ流れる涸れ川のこと。

上部駅は登山鉄道の駅の直上にある。中に入ると、小さなホールの一角に出札口が開いていた。運賃は、大人片道3.90ユーロ、往復6ユーロだ。

ケーブルカーは20分間隔で運行されていて、次の15時40分発がホームで待機している。車内は5つの小区画に分割され、跳ね上げ式の座席がある。天井も、開放的な全面窓だ。出発の時刻になると、下端の操作席にトランシーバーを持った係員が乗り込んできた。さっき出札口で切符を売っていた女性で、一人ですべてこなしているらしい。

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車両、室内は5区画
 

サン・ジョアンとは対照的に、軌道は終始、右にカーブしている。短距離にもかからわず、下部駅方向は岩陰になって見通せない。まもなく待避線の分岐点にさしかかった。誰も乗っていない対向車両が左側を上っていくのを見送ると、下部駅はもう目の前だ。走行時間は実際、3分もなかった。

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(左)操作席
(右)ルートは終始カーブしている
 

下部駅舎からは、巡礼路 Camí de la Santa Cova をたどってサンタ・コバへ向かう。この道は、クレウ広場の端からロープウェーの駅前を通って降りてきている。蹴上がりの浅い階段が続く舗装道なので、ケーブルカーに頼らずに歩いてくる人もいる。

巡礼路の沿道には、ロザリオの秘跡をテーマにして19世紀末から20世紀初めにかけて造られた彫刻作品(記念ロザリオ Rosari Monumental)が点々と設置されている。それを一つずつ鑑賞しながら歩いていくのは楽しい。なかでも、屹立する奇岩の張り出しを回り込む地点に設置されているイエスの磔刑像 Crucifixió de Jesús(悲しみの第五の秘跡 Cinquè misteri de Dolor)が印象的だ。ここはさきほど立ち寄ったサン・ミケルの十字架が建つ尾根の麓に当たり、クレウ広場からも遠望できる。

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下部駅
頭上に見えるのは修道院とロープウェー上部駅
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はるか谷底にロープウェーの下部駅が
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奇岩の先端にある磔刑像
 

サンタ・コバ Santa Cova(下注)は聖なる洞窟を意味する。言い伝えによると、西暦880年、二人の若い羊飼いがモンセラットの中腹に光が降臨するのを目撃した。その後も繰り返し現れたこの奇蹟がきっかけとなり、岩山の洞窟に隠されていた聖母子像が発見される。しかし重すぎて山から運び下ろすことができず、この地で奉ることにしたのだという。最初は庵が結ばれ、やがて修道院へと発展していく。

*注 サン・ジョアン(聖ヨハネ)のような聖人名ではないので、原語では定冠詞 la をつけて、La Santa Cova と綴る。

一方、発見場所とされる洞窟では、18世紀初めにそれを覆う小さな聖堂が建てられた。そこが巡礼路の終点だ。ドーム天井の堂内に入ると、修道院と同じような色とりどりの蝋燭が灯っている。正面の祭壇では聖母子像のレプリカが明かりに照らし出され、薄暗い信者席に一人、祈りを続ける女性がいた。訪問者が絶えず行き来している修道院とはまた違う、静謐で敬虔な空間がそこにあった。

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急崖に張り付くサンタ・コバ礼拝堂
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(左)岩陰の聖堂入口
(右)レプリカの聖母子像がある祭壇
 

写真は、2019年7月および2021年7月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
モンセラット登山鉄道 https://www.cremallerademontserrat.cat/
Trens de Catalunya - Cremallera i Funiculars de Montserrat
http://www.trenscat.com/montserrat/

★本ブログ内の関連記事
 モンセラット登山鉄道 I-旧線時代
 モンセラット登山鉄道 II-新線開通

2023年8月15日 (火)

セメント鉄道-産業遺跡のナロー

トレン・デル・シメン(セメント鉄道)Tren del Ciment

グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà ~カステリャル・デ・ヌク(クロト・デル・モロ)Castellar de n'Hug (Clot del Moro) 間12km
軌間600mm、非電化
1914~23年開通、1963年廃止

【現在の運行区間】
ラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet ~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km
2005年開通

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの併用軌道を行く
セメント鉄道の列車

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スペインのカタルーニャ自治州には、イベリア軌間の幹線のほかにメーターゲージ(1000mm軌間)の広範な路線網がある。列車を運行しているのは、カタルーニャ公営鉄道 Ferrocarrils de la Generalitat de Catalunya (FGC) という、州政府が設立した鉄道会社だ。興味深いことに同社は、列車事業部門と並んで観光・山岳事業部門も有していて、さまざまな観光鉄道や索道を直営している。

以前取り上げたモンセラットやヌリアのラック式登山鉄道(下注)もその例で、どちらも自社の列車駅に接続し、あたかも支線のような存在になっている。

*注 本ブログ「モンセラット登山鉄道 II-新線開通」「ヌリア登山鉄道-ピレネーの聖地へ」参照。

ところが例外的に、一般路線網から遠く離れた、バスもほとんど通わないような山間部に、FGCの孤立路線が存在する。それが、今回取り上げるアルト・リョブレガト観光鉄道 Ferrocarril Turístic de l'Alt Llobregat だ。愛称の「トレン・デル・シメン Tren del Ciment」、すなわちセメント鉄道というのは、もともとセメントを輸送する産業軽便鉄道だったという歴史に由来している。

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旧線時代の復元客車
ラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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1:25,000地形図にセメント鉄道の駅位置と名称を加筆
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

場所は、バルセロナ Barcelona の北100kmにあるラ・ポブラ・デ・リリェト La Pobla de Lillet という小さな町だ。プレピレネー(前ピレネー山脈) Prepirineus の山々に囲まれ、バルセロナ南郊で地中海に注いでいるリョブレガト川 El Llobregat の最上流域に当たる。

話は、20世紀初頭に遡る。1901年、町から2km上流の谷合いにあるカステリャル・デ・ヌク Castellar de n'Hug 村のクロト・デル・モロ Clot del Moro 地区で、カタルーニャ最初のポルトランドセメント工場の建設が始まった。事業主はアスファルト・ポルトランド総合会社 Companyia General d’Asfalts i Portland で、後にその略称から、「アスランセメント Ciment Asland」のブランド名で知られることになる会社だ。

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アスラン社のセメント袋を積んだトロッコ
セメント博物館にて
 

工場は1904年に完成し、操業を開始した。袋詰めされた製品の搬出は当初、アメリカから輸入したベスト Best という蒸気自動車で行われた。これはもともと工場の建設資材を運ぶために購入されたもので、6両の貨車を牽いて走ることができた。セメント袋はこの車で川沿いを12km下り、グアルディオラ・デ・ベルゲダ Guardiola de Berguedà で750mm軌間のマンレザ Manresa 行き貨物列車(下注)に積み替えられた。

*注 マンレザ=ベルガ経済路面軌道・鉄道会社 Companyia Tramvia o Ferrocarril Econòmic de Manresa a Berga の路線で、1904年にグアルディオラ・デ・ベルゲダまで開通。

ところが、蒸気自動車は早くも翌年、故障で使えなくなってしまう。しばらく牽き馬で代替したものの、出荷量の増加で間に合わなくなり、会社は鉄道の建設を決めた。これが現在の観光鉄道の前身になる。

路線は1910年に着工され、リョブレガト川を渡る2本の橋梁を含めてグアルディオラからラ・ポブラ・デ・リリェトまでの区間が1914年に、残るクロト・デル・モロの工場までの区間が1923年に開業した。一般に「カリレット carrilet」(下注)と呼ばれる軽便線で、軌間は600mmだった。

*注 carril(道、線路の意)の指小辞形。狭軌鉄道はメーターゲージを含めてこう呼ばれていた。

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(左)初期に使われた蒸気自動車ベスト
(右)最終運行日のカリレット
いずれもラ・ポブラ・デ・リリェト駅博物館にて
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保存された旧グアルディオラ駅
 

1920年代、セメントは都市基盤の形成に欠かせない資材として需要が伸び、バルセロナ万国博の効果もあって、増産が続いた。人の往来も活発で、カリレットは旅客輸送でも実績を伸ばした。

しかし、第二次世界大戦後は、モータリゼーションの影響で鉄道利用が急速に減少していく。生命線だったセメント輸送もトラックに切り替えられ、1963年10月にカリレットの運行は中止された(下注)。セメント工場も、設備が老朽化し、生産コストが見合わなくなったことから、1975年に操業を停止している。

*注 この鉄道が接続していたマンレザ=ベルガ=グアルディオラ線も赤字で、1951年に国に買収されたものの、ダム建設で線路が水没することから1972~73年に大半が廃止となった。

工場施設は朽ちるに任されていたが、近年、カタルーニャの工業化の過程を示す産業遺産として再評価を受け、2002年にカステリャル・デ・ヌク セメント博物館として再整備された。このエリアには他にも観光スポットが点在している。それらを結ぶ移動手段として企画されたのが、カリレットの復活運行だ。

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博物館になったセメント工場跡
 

「新」セメント鉄道は、2005年7月1日に開業した、ラ・ポブラ・デ・リリェト~ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)Museu del Ciment 間 3.5km の路線だ。旧線跡を利用していて、軌間も同じ600mmだが、保存鉄道というわけではなく、現代のディーゼル機関車がオープン客車を牽いて走る。

片道の所要時間は20分だ。運行日は2023年の場合、4月から11月初めまでの土日祝日と、7月中旬から8月の間の毎日で、繁閑に応じて1日5~8往復が運行される。

短い距離だが、ルートは変化に富んでいて、鄙びた町の街路を併用軌道で通り抜けたかと思うと、終盤は森林鉄道のように渓谷をくねくねと遡っていく。起終点の標高差は107mあり、平均勾配は30‰にも達する。以下、現地写真でそのルートをたどってみよう。

バルセロナからラ・ポブラ・デ・リリェトまではアウトピスタ(高速道路)Autopista C-16号線経由で130km、車で1時間50分ほどだ。公共交通機関で日帰りするのは不可能なので、レンタカーに頼るしかない。グアルディオラ・デ・ベルゲダでC-16から離れ、リョブレガト川の谷の2車線道を遡っていくと、最初のラウンドアバウトの先に、セメント鉄道の起点駅が見えてきた。少し先に広い駐車場が用意されている。

駅はラ・ポブラ・デ・リリェトを名乗っているが、町はまだ1kmも先で、周りに人家は見えない。ここには旧線時代、ラ・ポブラ・アパルタドル La Pobla-Apartador という駅があり、南の山中にある炭鉱から索道で運ばれてきた石炭を貨物列車に積み替えていた。

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(左)C-55号線でモンセラット山麓を行く
(右)C-16号線のベルガ Berga 南方
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ラ・ポブラ・デ・リリェト駅
(左)終端側から駅構内を望む
(右)終端部の転車台
 

現在の駅は、2005年の再開にあたって新設されたものだ。2面2線の構造で、谷側(終点に向かって右側)が1番線、山側が2番線になっている。2本の線路は、下手で合流した後、転車台に接続されているが、車両基地は終点駅にあるので、ここでは作業車両の留置しかしていない。

2番ホームに接して、平屋の駅舎が建っている。ベージュの塗り壁にオレンジの屋根瓦と、伝統をなぞった外観が好ましい。中に入って、カウンターで乗車券を購入した。運賃は大人片道5.50ユーロ、往復9ユーロで、途中下車は可能。また、列車往復と沿線のセメント博物館およびアルティガス庭園とのセット券(15ユーロ)もある。

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(左)伝統的外観の駅舎
(右)案内カウンター
 

駅舎の隣に見える青緑色の切妻屋根の建物は、鉄道博物館だ。駅が開いている時間に、自由に見学できる。展示テーマは「バイ・デル・リョブレガト(リョブレガト谷)の地方・産業・観光鉄道 Ferrocarrils secundaris, turístics i industrials a la Vall del Llobregat」で、現物車両や関係資料のパネルを使って、川沿いの炭鉱や岩塩鉱に通じていた鉄道や索道に関する歴史を説明している。

産業車両の展示が多いなか、旧線時代のモンセラット登山鉄道で使われていたという4号蒸気機関車とサロンカーのセットが目を引いた。奇岩と修道院で有名なモンセラットもまた、リョブレガト川の流域にある。登山鉄道は1950年代に廃止されたが、高い輸送力を期待されて2003年に運行が再開された。セメント鉄道復活の2年前のことで、二者はよく似た経歴を持っているのだ。

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駅併設の鉄道博物館
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リョブレガト谷ゆかりの車両を展示
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モンセラット登山鉄道旧線時代の4号機関車とサロンカー
 

そうこうしているうちに、発車時刻が近づいてきた。ホームに向かうと、本日の一番列車がすでに2番線に停車している。先頭は、緑塗装のドイツ、シェーマ Schöma 社(下注)製2軸ディーゼル機関車で、2010年に供用された2号機「カトリャラス Catllaràs」だ。開業当初から在籍する1号機もシェーマ・ロコだが、より小型のため、今はもっぱら入換用だという。

*注 正式名はクリストフ・シェットラー機械製造会社 Christoph Schöttler Maschinenfabrik GmbH で、簡易軌道や工事現場で使われる小型ディーゼル機関車の専門メーカー。

機関車の後ろには、同じ緑色をまとうオープンタイプの客車が4両連なっている。車端にデッキがあり、客室の座席は、通勤車両のような向い合せの木製ロングシートだ。少々窮屈だが、車体の横幅が狭いのでやむを得ない。

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シェーマ・ロコが牽くセメント列車
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(左)オープンタイプの客車
(右)客室は木製ロングシート
 

朝、到着したときは、まだホームに人影もなかったのに、いつのまにか20人以上の客が乗っている。今日10月12日は祝日ということもあって、客の入りはまずまずのようだ。10時30分、短い警笛を合図に、列車はホームを離れた。

以前は駅の直後に落石除けのトンネルがあったが、今は開削されて、谷側に駐車場との連絡歩道が造られている。その駐車場を横に見ながら、列車は石灰岩の段丘崖の際をゆっくり上っていく。右手は深い谷で、吹き通る風が心地いい。

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石灰岩の段丘崖の際を上る
 

ふと後ろを振り返ったとき、線路が敷かれているのがバラストの上ではなく、コンクリートで固めた路面であることに気づいた。そういえば、路側に黄線が引かれているし、路肩にはしっかりとフェンスがある。間違いなく路面軌道だ。

推測するに、カリレットが通わなくなって40年の間に、廃線跡はすっかり生活道路になってしまった。とはいえ、線路用地を別に確保するのは大工事になるから、いっそのこと道路と鉄道を共存させようという発想だろう。もとが廃線跡なので道幅が狭く、列車と車の行き違いは困難だが、別に整備された2車線道があるから、地元の人しか通るまい。

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生活道路と併用の路面軌道が続く
 

そのうち列車はラ・ポブラ・デ・リリェトの家並みの中に入っていった。併用軌道は町裏にまだ延びているが、さすがにこのあたりは車が退避できる道幅がある。ただしその分、路駐も多くて気を使いそうだ。

ラ・ポブラ・セントレ La Pobla Centre 停留所に停車した。路面軌道にしては立派な高床のホームだ。ベンチが置かれ、屋根もついて設備は行き届いている。だが、長さは1両半ほどで、後ろの車両には届かない。

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ラ・ポブラ・デ・リリェトの町裏を行く
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高床ホームのラ・ポブラ・セントレ停留所
 

セントレはいうまでもなく「中央」のことで、ここから迷路のような路地を下っていくと、リョブレガト川の蛇行に面した町の中心部に出る。ベイ橋 Pont Vell と呼ばれる14世紀の石橋が架かり、傍らの木陰に伯爵エウゼビ・グエイ(グエル)Eusebi Güell の記念碑が建っている。

グエイは、モデルニスモの建築家アントニ・ガウディ Antoni Gaudí のパトロンとして知られる実業家、政治家だ。ガウディが設計し、バルセロナの観光名所になっているグエル公園やグエル邸、郊外のコロニア・グエル教会などに名を残している。実は、彼はアスランセメント会社の設立者でもあって、工場の城下町として栄えたラ・ポブラにとっては最大の功労者なのだ。

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市街には狭い路地が入り組む
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(左)エウゼビ・グエイ記念碑
(右)リョブレガト川に架かるベイ橋
 

セントレを後にした列車は、まだ路面を走り続ける。家並みが途切れると、道路が左に分かれていき、専用軌道に入るかに見えたが、路面の舗装と黄帯はそのままだ。リョブレガト川の渓谷を高い橋で渡り、深い切り通しをカーブで抜けたところに、二つ目の中間停留所ジャルディンス・アルティガス(アルティガス庭園)Jardins Artigas があった。列車交換ができるように2面2線で建設されたが、1時間間隔の運行では不要のため、早々と棒線駅に格下げされて今に至る。

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(左)リョブレガト川の谷を渡る併用橋
(右)深い切り通しのカーブ
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ジャルディンス・アルティガス停留所では多数の乗降が
 

ここで乗客のざっと2/3が降りてしまった。アルティガス庭園というのは、ガウディの設計による自然の地形を生かした回遊庭園だ。彼は、グエイの依頼でセメント工場の従業員社宅を設計するために、当地に滞在したことがあった。その際、工場主だったアルティガス家からのもてなしに感謝して、同家の庭園の設計を引き受けた。せせらぎの音がこだまする園内には、グエル公園を彷彿とさせる彼独特の造形が多数散りばめられていて、楽しい散策の時間が過ごせる。

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アルティガス庭園のユニークな造形
 

この停留所を境に、軌道は道路を脱して、バラストの上に載る。終盤は、森林鉄道を思わせる渓谷沿いの険しいルートだ。急勾配はもとより、トンネルなしで山襞に忠実に沿っていくため、脱線防止レールつきの急カーブが次々に現れる。右側は灰白色の切り立った壁が続き、左の谷には岩棚を滑り落ちる急流が見え隠れしている。ゆっくり進んでいくと、やがて川床が上昇してきて水音が大きくなり、進行方向左奥に旧セメント工場の巨大な建物群が姿を現した。

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ムゼウ・デル・シメン駅
手前が駅舎、右奥が機関庫、左奥はセメント工場跡
 

10時50分、終点ムゼウ・デル・シメン(セメント博物館)駅に到着。ホームは右側で、起点駅と同じような駅舎が建っている。中は黒のラブラドール君が店番をしているカフェが営業中で、片隅に出札口もあった。ホームの前は本線と機回し側線があるだけだが、奥はヤードで4線収容の機関庫へと分岐している。一角に、セメント鉄道100周年を記念する小型機関車(下注)が、客車連れでぽつんと置かれていた。その左には転車台も見える。

*注 1901年ベルギー製の600mm軌間蒸気機関車「ミナス・マリアナス Minas Marianas」。現役時代はアストゥリアス州のマリアナ鉱山 Mina Mariana で稼働しており、セメント鉄道の所属機ではない。

かつてのセメント工場跡は、産業博物館として公開されている。近代カタルーニャの一時代を画した壮大な産業遺跡を巡りながら、ポルトランドセメントの製造工程やアスラン社の歴史を学ぶことができる。

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折返し待機中の列車
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(左)駅舎の中はカフェ
(右)片隅に出札口も
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機関庫前に100周年記念の小型機関車の姿が
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工場跡を公開するセメント博物館
 

ところで、到着した列車は、折返し11時00分発のラ・ポブラ・デ・リリェト行きになる。片道20分を要し、かつ1時間間隔でピストン運行しているので、起終点駅での作業時間は10分しかない。

ところがいっこうに機関車の付け替え、いわゆる機回しが行われる気配がなかった。そのうち運転士と思われる男性がつかつかと先頭客車まで歩いてきて、デッキの跳上げ椅子に座った。そして大事そうに抱えていた何かの装置を操作すると、列車はそのまま動き出したのだ。後ろの機関車は無人のままで…。

どうやら彼が携えていたのは無線操縦用の機器らしい。こうしたプッシュプル型列車の場合、先頭客車は制御車で、運転台がついているものだが、こんなイージーな運転方式があるとは驚いた。ラジコン好きの人なら、一度体験してみたいと思うのではないだろうか。

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(左)運転士がラジコンを抱えて乗ってきた
(右)デッキが運転台代わりに
 

写真は、2021年11月および2022年10月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
セメント鉄道 https://turistren.cat/trens/tren-del-ciment/

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2023年8月 5日 (土)

マヨルカ島 ソーリェル鉄道 II-路面軌道

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ソーリェル市街の中心、憲法広場を横断するトラム

ソーリェル駅は、この鉄道の中枢だ。地面に濃い影を落とすプラタナス並木の間に、多数の線路が延びている。列車線の乗降ホームがあるのは、パルマ方(南側)から見て左の2本で、主として、幅広のホームが確保された一番左の線路(1番線)が使われる。

右手は車両基地で、4線収容の機関庫(電動車車庫)や整備工場がコンパクトに配置されている。構内配線も分岐あり交差あり、さらに転車台も挟んでいるから複雑だ。一方、列車線の本線を挟んで隣には、5線収容のトラム車庫がある。そのうち2線は車庫を突き抜けて、パルマ方で列車線の本線につながっている。列車線の機関庫にもトラム車両らしき姿が見えるから、手のかかる改修作業はそちらに移動させて行うのだろう。

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ソーリェル駅構内図
黒色の線は列車線、橙色の線は路面軌道
 
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ソーリェル駅の列車線機関庫
列車線ホームから撮影
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同 路面軌道車庫
左の2線は裏側で列車線と接続している
 

ソーリェルの旅客駅舎は、列車線ホームの一番奥だ。3階建ての大きな建物で、17世紀初頭に築かれたカン・マヨル Ca'n Mayol という要塞家屋 Casa forta を転用したのだという。ホームは、日本でいう2階相当の高さにある。

ホームに接した待合室の片隅に小さな出札口があるが、閑散としている。というのも、列車で往復するつもりの観光客はすでにパルマ駅で切符を買っているし、片道だけの客は、例の展望台に停車しない上り列車を敬遠する。それで、ここで乗車券を求める人は少ないのだ。

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列車線ホームから見たソーリェル駅舎
左に路面軌道が見える
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(左)ソーリェル駅、手前の屋内に出札口がある
(右)ホームから階段で地上階へ
 

階段を伝って地上階へ降りると、明るい吹き抜けの空間に出た。左側はパブロ・ピカソ Pablo Picasso の陶芸品の、右側はジョアン・ミロ Joan Miró の版画の、それぞれ無料展示室になっている。同じフロアには直営売店もあり、さまざまな鉄道グッズが揃っているので、立ち寄らないわけにはいかない。

駅舎の玄関を出ると、向かいにあるスペイン広場との間の狭い街路が、トラムの乗り場になっている。軌道は先述の車庫からの続きだが、列車駅の横を通過する間に坂を下ってきたので、もはや1階分の高低差がついているわけだ。

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(左)地上階の吹き抜け空間
(右)鉄道グッズが揃う直営売店
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駅舎正面、中央が入口
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駅舎前のトラム乗り場

ソーリェル路面軌道 Tramvia de Sóller は、ここソーリェル駅 Sóller-Estació と、地中海に開いたポルト・デ・ソーリェル(ソーリェル港)Port de Sóller との間4.9kmを結ぶトラム路線だ。列車線から1年半遅れた1913年10月に開業しているので、もう110年の歴史がある。

かつては旅客だけでなく、港で水揚げされた魚を町へ運び、町からは輸出用のオレンジを港へ送るなど、貨物も扱っていた。港の海軍基地に向け、列車線から直通で石炭や軍需物資を輸送する役割もあった。しかし今では、列車線と同様、一般旅客さえ路線バスに移行しており、もっぱら観光客を乗せて走っている。

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ソーリェル~ポルト・デ・ソーリェル間の1:25,000地形図に停留所位置と名称を加筆
交差した矢印は信号所(パッシングループ)を示す
Base map from Iberpix, BTN25 2023 CC-BY 4.0 ign.es
 

運用されている車両も、軌道の歴史を反映したものだ。電動車は、開業時にまで遡るオリジナル車3両(1~3号、下注1)と、1998~2001年に供用された旧リスボン市電の5両(20~24号、下注2)の、8両体制を敷く。いずれも密閉型の2軸車で、ノスタルジー溢れる木枠、板張りの角ばった外観を特徴とする。前面の腰板は、特産のオレンジを想起させる色に塗られている。旧リスボン車も後に改造されたので、ニスの色がやや薄いほかはオリジナル車とほとんど見分けがつかない。

*注1 集電装置は長らくビューゲルだったが、1990年代にパンタグラフに改修されている。
*注2 軌間はソーリェルが914mmに対して、リスボン市電は900mm。軌間差が小さく調整コストが低いことが受入れの決め手になった。

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オリジナル電動車1号
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旧リスボン車23号
(左)改造でオリジナル車とほぼ同じ外観に
(右)丸みを帯びたリスボン車の形状を残していた改造前(2013年)
           Photo by pjt56 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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(左)23号の運転台
(右)ベンチシートが配置された客室
 

一方、付随客車の古参組としては、1890年の製造で1952年にパルマ路面軌道 Tramvia de Palma から引き継いだ開放型の4両(8~11号)、通称「ジャルディニエル Jardinier」がある。また1999年からは、旧リスボン電動車とセットになる付随車も、自社の整備工場で密閉型、開放型合わせて8両(1~7および12号で、番号は電動車と一部重複)製造された。ほかに、開業時からの密閉型2軸車2両(5~6号)も残っているが、走るのは冬季だけだ。

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(左)パルマから来た付随客車「ジャルディニエル」
(右)自社製造された付随客車
 

1990年代までこの路線では、電動車の後ろに2両の付随客車がつく3両編成で走っていた。ダイヤは30分間隔で今と同じだったが、観光客の増加により常に混雑し、繁忙期には積み残しが出るような状況だった。それで、列車線の専用列車でやってくる多人数の団体客については、ソーリェル駅の手前に列車の乗降場を設け(下注)、そこからバスで港まで代行輸送する方法で迂回させていた。

*注 前回言及した1990年開設のカン・タンボル Can Tambor 停留所。

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オリジナル電動車+ジャルディニエルの3両編成
 

このように輸送力増強が喫緊の課題だったことが、リスボン車購入の背景にある。改造が順次完了し、車両群が充実した2001年以降は、最大3本の続行運転が行われるようになった。

さらに2006年には、旧リスボン電動車が両端につき、中間に2両の付随車を挟む総括制御、4両連結での運行が実現する。これにより1編成で150人以上を運べるだけでなく、終端駅での機回しが不要になり、運行の効率化が図られた。パルマから到着する列車の定員は350名だが、路面軌道側で2本を続行運転することでほぼ対応できるようになったのだ。

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旧リスボン車が前後についた4両編成

では、ソーリェル駅前からトラムに乗って港へ出かけよう。

6~10月の繁忙期、トラムは30分間隔で走っている。ソーリェル駅の始発は8時、ソーリェル港の始発は8時30分。夜の最終便は間隔が開き、それぞれ20時35分と21時05分発だ。ちなみに11~5月の閑散期は、運行間隔が60分に広がる。

終点までの所要時間は、20~30分だ。主要道路とは分離されているので交通渋滞の影響はほぼないが、全線単線で、途中の停留所で列車交換を行うため、その待ち時間によっても左右される。

運賃は1乗車8ユーロで、往復の設定はない。並走する路線バスの運賃が現金3ユーロ、カード1.80ユーロなので、比較するまでもない高価格だ。これでも1990年代は2ユーロだったというから、2000年代以降の、一般輸送はバス、観光輸送は鉄道と棲み分けを明確にした経営自立策の結果だろう。なお、駅の出札口ではトラムの乗車券を扱っておらず、運賃は車掌が車内で徴収する。

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時刻表が記載された停留所の標柱
 

パルマからの次の下り列車がソーリェルに着くのは、13時15分だ。列車到着後はトラムの乗り場が人で溢れかえるので、その前の13時発のトラムに乗車しようと思う。

駅前で待っていると、13時ごろ、電動車2号が付随客車2両を連れて港方から現れた。鉄道オリジナルの1~3号は総括制御未対応のため、従来方式の3両編成で運用されているのだ。しかし、これは遮断機の先の構内で客を降ろして、車庫の方へ引き揚げていった。少し間を置いて次に現れたのは、23、24号の電動車ペアの間に密閉型の付随客車2両が挟まった4両編成だ。ソーリェル港方面へはこの後続便が先行するらしい。待っていた客が乗り込むと、ベンチシートはそこそこ埋まった。

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23、24号のペアがソーリェル港方面へ先行
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教会横の狭い路地エス・ボルン
 

13時05分、ボーッという汽笛を合図にトラムは動き出した。最初は下り坂になったエス・ボルン Es Born の狭い路地をゆるゆると進んでいく。さっそく車掌が運賃収受に巡回してくる。現金で払うと、機械印字の薄いレシートをくれた。

路地を抜けるとトラムは、路面軌道の車窓名物ともいうべき町の中心、憲法広場 Plaça de sa Constitució を横断する(冒頭写真も参照)。

重厚なバルコニー装飾が目を引く旧ソーリェル銀行 Banco de Sóller(現 サンタンデル銀行ソーリェル支店)、石灰岩の壮麗なファサードを向ける聖バルトロマイ(バルトメウ)教会 Església de Sant Bartomeu に、太陽を捧げる獅子のレリーフを掲げた市庁舎と、町を象徴する建造物が左右に並び建ち、カフェテラスのテーブルや、スナックや小物を商うさまざまな屋台で埋め尽くされた広場だ。

そぞろ歩く観光客の間をかき分けるように、トラムは最徐行で通過していく。車両の接近に気づかない人もいるので、運転士は何度も警笛を鳴らし、車掌も身を乗り出して警戒怠りない。

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憲法広場の聖バルトロマイ教会と市庁舎
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広場のカフェテラスの間を最徐行で通過
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車内から(帰路写す)
 

広場からクリストフォル・コロム通り Avinguda de Cristòfol Colom に移ったところで、最初の停留所メルカト Mercat(市場の意)に停車した。文字どおり市営市場の前で、待避線がある。仮に広場で運行にトラブルがあったときでも、港方面へ折返し運転できるようにしてあるのだろう。ここもまだ人通りが絶えない。

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メルカト停留所(帰路写す)
 

この300mほどの併用軌道区間を終えると専用軌道になり、旧道沿いの家並みの、レモンやオレンジの実がなる裏庭をかすめながら、郊外に出ていく。緊張から解放されたように、走るペースも少し速まる。

次の待避線があるのは、プラタナス並木の下にあるカン・グイナ Ca'n Guina 停留所だ。続いて、トレント・マジョル Torrent Major(大川の意、下注)を鉄橋で渡る。振り返ると市街地の背後に、朝、列車で越えてきたアルファビア山脈 Serra d'Alfàbia が衝立のように横たわっている。

*注 トレント Torrent は降雨時だけ水が流れる涸れ川のこと。主に石灰岩でできたマヨルカ島ではよく見られる。

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(左)オレンジの実がなる裏庭をかすめて
(右)トレント・マジョルの鉄橋を渡る
 

現在、沿線には12の中間停留所が設置されている(下注)が、どれも簡易な低床ホームに時刻表を記した標柱が1本立っているだけだ。リクエストストップのため、多くは素通りするが、思い出したように停車しては一人二人と降ろしていく。ちなみに降車したいときは、出入口のSTOPと記されたボタンを押すか、窓際にぶら下がっている紐を引いて、運転士に知らせる必要がある。

*注 正式の終点は後述するラ・パイエザ La Payesa なので、現終点のポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)もこの数字に含まれる。なお、湾沿いにかつてあったセスプレンディド S'Espléndido、セデン S'Eden、カン・ジェネロス Ca'n Generós の3停留所は、プロムナード整備を機に廃止された模様。

ほどなくパルマとソーリェル港を結ぶ主要道 Ma-11 と交差した。その後は道端軌道でおおむね直線ルートだが、最高時速でも30kmのため、隣を走るクルマには抜かれっぱなしだ。

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(左)主要道Ma-11と交差(帰路写す)
(右)背後に横たわるアルファビア山脈
 

道路脇にロカ・ロジャ Roca Roja 停留所が見えてきた。30分間隔の運行の場合、ここで列車交換が行われる。中間点よりやや港方に位置しているため、ソーリェル行の上り電車が先着することが多く、待っていたのは、21、22号の電動車ペアによる4両編成だった。少し停車している間に、下りの続行便である2号電動車の3両編成も後ろに現れた。

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ロカ・ロジャ停留所での列車交換
 

行き違いを終え、再び出発。このあたりは両側から山が迫っていて、主要道はその山を貫く長さ1329mのサ・モラトンネル Túnel de sa Mola に入ってしまう。停留所のない待避線を通過すると、いよいよ前方にエメラルド色の海が見えてきた。ビーチにさしかかるサ・トレ Sa Torre 停留所では、客がぞろぞろと下車して、車内がすいた。線路は右へ進むが、左のほうにも椰子の枝が風に揺れるプラジャ・デン・レピク Platja den Repic のビーチが続いている。

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(左)2号電動車が続行
(右)サ・トレ停留所で多くの客が下車
 

ここから終点までは、エス・トラベス Es Través の弓なりになった湾岸を走る。光降り注ぐビーチでくつろぐ人々やボートが浮かぶのどかな湾景に目を細めながらの、鉄道旅のフィナーレにふさわしい数分間だ。プロムナードの中央に軌道が通っているが、この形に整備されたのは意外に新しく、2012年のことだ。

かつてここには主要道 Ma-11 が通っていて、軌道はその海側に分離されていた。2007年に上述のサ・モラトンネルを経由するバイパスが開通したことで、通過車両をそちらに移し、湾沿いを歩行者に開放したのだ。軌道もその際に移設され、もとの軌道用地は海側の歩道になっている。

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エス・トラベスのプロムナード
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ソーリェル湾の眺め、正面が地中海への出口
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プロムナード整備以前の風景
軌道は主要道の海側を通っていた(2010年)
Photo by Alain GAVILLET at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

やがてトラムは減速し、右隣に待避線が現れた。終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル Marysol)に13時29分到着。降車が済んだ頃に、続行の3両編成が右の線路に入ってきた。こちらは機回しが必要なため、4両編成はすぐに発車して、停留所を空けなければならない(下注)。

*注 ソーリェルに戻る必要のない時は、サ・トレ停留所の南にある待避線で留置される。

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終点ポルト・デ・ソーリェル(マリソル)に
続行編成も到着
 

ささやかながらもここは、パルマから延々乗ってきたソーリェル鉄道 Ferrocarril de Sóller (FS) のもう一方のターミナルだ。町の中心部に位置し、サ・カロブラ Sa Calobra へ行く沿岸観光船の埠頭も目の前にある。軌道の海側に建てられた旧駅舎は、早くも1920年代にマリソル Mar y sol、すなわち海と太陽という名の食堂 兼 ホテルに改装され、今もレストランとして営業している。

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レストランに転用された旧駅舎
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ソーリェルへ戻るトラムに客が群がる
 

軌道はさらに150mほど先に進んだ、ラ・パイエザ La Payesa(旧 サ・ポサダ・デ・アルテザ Sa Posada de l'Artesà(職人宿の意))と呼ばれる場所が正式の終点だ。4.9kmという路線長もその距離を含んでいる。港に海軍基地があった時代、このルートは貨物線として機能しており、さらに先の造船所まで達していた。今でも路面に軌道が残されているが、トラムがそこまで足を延ばすことはもはやない。

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軌道の終端ラ・パイエザ
かつてはさらに貨物線が続いていた
 

写真は別途クレジットを付したものを除き、2022年6月に現地を訪れた海外鉄道研究会の田村公一氏から提供を受けた。ご好意に心から感謝したい。

■参考サイト
ソーリェル鉄道 https://trendesoller.com/
ソーリェルからソーリェル港に至るマヨルカの路面軌道の前面車窓動画
Führerstandsmitfahrt mit der Straßenbahn von Mallorca von Sóller bis Puerto de Sóller
https://www.youtube.com/watch?v=gV8cTyKeQHQ

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