旧北陸本線トンネル群(敦賀~今庄間)を歩く II
敦賀(つるが)~今庄(いまじょう)間の北陸本線旧線跡を、前回は杉津(すいづ)までたどった。今回は残りのルートを敦賀に向かって歩く。
杉津(すいづ)駅付近を走るD51の陶板画 北陸道上り線PAにて 掲載写真は2022年10月~2023年6月の間に撮影 |
図1 北陸本線旧線時代の1:200,000地勢図 1959(昭和34)年修正、図2、3は前回掲載 |
杉津(すいづ)駅は今庄から13.5km、敦賀から12.9kmと、区間のほぼ中間に位置している。鉢伏山(はちぶせやま)の西側、標高179mの山腹で、眼下に敦賀湾と日本海を望めることから、かつては北陸本線の車窓随一の景勝地として知られていた。夏は、ここで下車して東浦海岸まで海水浴に行く客も多かったそうだ。
駅構内は2面4線の構造だったが、廃線後、北陸自動車道上り線のパーキングエリア(PA)に転用されて姿を消した。今庄から旧線跡を忠実にたどってきた県道今庄杉津線も右にそれ、国道8号に合流すべく杉津の集落へと降りていく。そのため、旧線跡を追おうとするなら、左折して北陸道の下をくぐり、山側に出る市道を行く必要がある。
(左)県道今庄杉津線から敦賀方面への分岐 (右)「ぷらっとパーク」案内板 |
PAの脇を進んでいくと、「ぷらっとパーク」の案内板が出ていた。一般道からも利用可能なPA・SAのことで、裏口にささやかな駐車スペースも用意されている。さっそく入って、売店・食堂棟の傍らに杉津駅に関する案内板があるのを確かめた。
駐車場に面した壁面では、地元の小中学生が筆を揮ったという力作の陶板画が人目を引いていた。一つは高みから見下ろした構図で、海辺の村と湾の青い水面を背景に、蒸気列車が駅に入ろうとしている。あぜ道が交錯する山田では田植えの最中のようだ(前回冒頭写真参照)。もう一つは蒸機のD51が主役で、力強い走りっぷりを斜め正面から写実的に描いている(今回冒頭写真参照)。
杉津駅案内板(杉津上り線PAに設置) |
PAの壁面を2点の陶板画が飾る |
列車こそ来なくなったが、目の前の絶景は今も昔と変わらない、と書きたいところだが、意外にも駐車場と高速道の本線に前面を遮られてしまう。これでは来た甲斐がないので、下り線側に行くことにした。
この周辺では、高速道の上り線(米原方面)と下り線(新潟方面)の配置が逆転している。そのうえ西向きの急斜面に立地するので、東側を通る下り線のほうが50m以上高い場所にあるのだ。両方のPAを行き来できるのは一般道利用者にのみ与えられた特権だが、バックヤードの急な坂道を自力で上らなくてはならない。
下り線PAの売店・食堂棟の裏手には、「夕日のアトリエ」と称する展望台がある。北陸道を通行するドライバーによく知られたスポットで、そこから眺めるパノラマは折り紙付きだ。見えている海は敦賀湾口で、かなたに日本海の水平線が延びる。手前の海岸線は、かつて海水浴客で賑わった杉津の浜で、左手直下に先ほどいた上り線PA、右手には歩いてきた旧線跡の県道も見える。沈む夕陽を売りにしている展望台だが、日中の見晴らしも十分すばらしい。
杉津下り線PAの展望台 |
下り線PAからのパノラマ 海岸の集落が杉津、手前下方に杉津駅跡の上り線PA |
右手に旧線跡の県道(今庄方)が延びる |
杉津駅案内板(杉津下り線PAに設置) |
図4 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 杉津~葉原信号場間 |
北陸本線旧線時代の1:50,000地形図 1932(昭和7)年修正測量 |
しばらく休憩した後、坂を下り、改めて敦賀のほうへ向かう。ちなみに杉津駅のすぐ南には、開業当時、河野谷(こうのだに)トンネルというごく短いトンネルがあったが、構内拡張に際して開削され、消失した。
道路は再び旧線跡に載る。北陸道上り線の杉津トンネルと並ぶようにして、曽路地谷(そろじだに)トンネルが口を開けている。401mと旧線のトンネル群では第4位につける長さだが、県道から外れたためか、内部に照明がなかった。奥へ進むにつれて足もとが闇に包まれ、手にした懐中電灯だけを頼りに歩く。おおむね直線なので(下注)、出口の明かりが小さくまたたいて見えるのがせめてもの救いだった。
*注 敦賀方の出口で左カーブしている。
曽路地谷トンネル南口 |
(左)北陸道のトンネルと並ぶ曽路地谷トンネル北口 (右)照明がなく、中央部は真っ暗闇 |
トンネルを抜けると、右手に敦賀湾の明るい眺めが戻ってきた。しかし、北陸道の上り線が海側のすぐ下を並走しているため、クルマの走行音が絶えず響いて耳障りだ。静寂に包まれていた杉津以北の道中を思えば、俗世間に連れ戻されたような気がする。
次の鮒ヶ谷(ふながや)トンネルは、長さ64mでごく短い。しかも高速道の擁壁建設の際に削られたのか、地山があらかた消失し、トマソン物件になりかかっていた。このあたりで勾配が反転し、25‰の上りが復活する。山中トンネルに向かう坂道ではまったく平気だったのに、疲れてきたのか足が重い。
(左)敦賀湾の眺めが戻るが、右側すぐ下に北陸道が (右)地山があらかた消失した鮒ヶ谷トンネル |
鮒ヶ谷トンネル南口 |
いつしか道は林に包まれ、そのうち葉原(はばら)トンネルのポータルが現れた。他のトンネルと同じように金文字の名称プレートがついているが、かつては当時の逓信大臣 黒田清隆が揮毫した扁額がはまっていた。北口で「永世無窮(えいせいむきゅう)」、南口で「與國咸休(よこくかんきゅう)」と刻まれ、実物は長浜鉄道スクエアの前庭にある。
葉原トンネル南口 |
北口の扁額「永世無窮」 |
南口の扁額「與國咸休」 いずれも長浜鉄道スクエアで撮影 |
葉原トンネルは、鉢伏山(はちぶせやま)の西尾根を貫いている。長さが979mで山中トンネルの次につけるだけでなく、縦断面でももう一つのサミットを形成していて、立派な扁額に見合う主要構築物だ。しかし今は市道なので、また真っ暗闇の大冒険を強いられるかと危惧したが、ちゃんと明かりが灯っていた。
北口付近にカーブがあり、直線部分も拝み勾配のため、内部の見通しは必ずしもよくない。それでポータル前に、待ち時間約5分と記された交互通行用の信号機が設置されている。徒歩で通過するのに10分以上を要したが、幸いにもその間に入ってくる車両は1台もなかった。
(左)北口付近にカーブ、直線部は拝み勾配 (右)南口、右上に北陸道下り線が見える |
トンネルの南口は、北陸道の下り線と上り線に挟まれている。この狭い場所に3本のトンネルが集中しているのだ。高速道建設の際に、潰されたり転用されたりしなかったのは僥倖というべきだろう。
旧線跡は25‰の急勾配で坂を下りていく。葉原信号場の痕跡を探しながら歩いたが、案内板すら立っておらず、右側に雑草の生えた空地が認められるだけだ。急坂の途中のため、信号場はスイッチバック式になっていた。
山中信号場でも実見したように、引上げ線の終端では本線との高度差がかなり開いていたはずだが、今庄方の掘割は埋められており、敦賀方の築堤も高速道路の用地にされたようだ。空中写真を参照すると、市道も若干西側に移設されたようで、一部で旧線跡をトレースしていない。
(左)葉原信号場跡付近を北望 (右)同 南望 |
図5 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 葉原信号場~新保間 |
北陸本線旧線時代の1:50,000地形図 1932(昭和7)年修正測量 |
北陸道下り線の法面に沿って進むと、行く手に葉原集落が見えてきた。旧線跡は弧を描く長い築堤で、谷を横切りながら高度を下げていく。現役時代は葉原築堤、または葉原の大カーブと呼ばれ、山中越えに挑む蒸機の奮闘ぶりが見られる名所だった。
弧を描きながら降りる葉原築堤 |
葉原で、旧線跡の市道は木の芽峠から降りてきた国道476号に吸収される。合流地点に村社の日吉神社がある。旧線はこの境内を突っ切っていたが、その後、神社の敷地に戻され、小さな鳥居が立った。
この先は、片側1車線の国道が廃線跡をほぼ踏襲している。しかし、歩道どころか車道の路肩もほとんどなく、歩きには適していない。ここは安全第一で、木の芽川の対岸を通っている旧道に回った。やがて左から北陸道下り線が接近してきて、ただでさえ狭い谷間に、国道、木の芽川、高速道路、旧道が並走し始めた。北陸道の上り線だけ別ルートなのも無理はないと思わせる過密ぶりだ。
国道476号との合流地点 (左)旧線跡は神社の境内になり鳥居が立つ(北望) (右)反対側では国道が旧線跡(南望) |
その谷間に、寄り添うようにして獺河内(うそごうち)集落がある。旧線の新保(しんぼ)駅はその南にあった。新保というのは、駅から北へ4kmも離れた木の芽峠南麓にある集落の名で、国道脇に駅跡を示す大きな自然石の記念碑が立っている。土台部分に描かれた構内図は、道路や等高線が線路と同じ太さの線で描かれていて、今一つ要領を得ないが、ここも25‰勾配の途中にあるため、通過式スイッチバックの駅だった。
敦賀方の折返し線上に島式ホームが設置され、今庄方にも集落の裏手を通って引上げ線が延びていた。敦賀から坂を上ってきた列車は、いったん引上げ線に入った後、バックして折返し線のホームに着いたという。狭い谷間とあって、駅の跡地は北陸道や国道にまるごと利用され、ほとんど原形をとどめていない。なお、「かつての駅の壁面が自動車道の一部に残されて」いるという案内板の言及は、北陸道の山側に見られる擁壁のことだろう。
新保駅跡の記念碑、台座に構内配線図 |
駅構内は高速道と国道に転用(南望) |
新保駅案内板 |
獺河内から少し行くと旧道が国道に合流してしまい、約1kmの間、危険な国道を歩かざるを得なかった。上流に採石場があるからか、ダンプカーが道幅いっぱいになって通る。こんな道に歩行者がいるとは予想されていないだろうから、ガードレールぎわに立ち止まってやり過ごすしかない。
旧線には、谷の屈曲を短絡する2本の短いトンネルがあった。このうち、今庄方の獺河内トンネルは、国道の新トンネルとして拡幅改修され、面影は完全に消えてしまった。先ほどの無歩道区間とは対照的に、歩道もやたらと広く取られている。
獺河内トンネルは国道として拡幅改修 |
図6 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 新保~敦賀間 |
北陸本線旧線時代の1:50,000地形図 1932(昭和7)年修正測量 |
一方、敦賀方にある樫曲(かしまがり)トンネル(長さ87m)は歩道扱いとなり(下注)、原状のまま保存されている。ガス灯風の照明設備が鉄道トンネルにふさわしいかどうかは別として、クルマを気にせずにゆっくり観察できるのはうれしい。西口には、土木学会選奨土木遺産と登録有形文化財のプレートが埋め込まれていた。2種のプレートが揃うのは、山中トンネル北口とここだけで、トンネル群のエントランスに位置付けられていることがわかる。
*注 以前は片方向の車道として使われていた。
原状保存された樫曲トンネル(東口) |
西口内壁に埋め込まれた 土木学会選奨土木遺産と登録有形文化財のプレート |
樫曲トンネル(西口)と迂回する国道 |
樫曲トンネル案内板 |
しかし、国道の迂回はトンネルの前後に限られる。すぐに国道が旧線跡に戻り、谷間に大きな曲線を描いていく。深山(みやま)信号場があったのは、ちょうど北陸道の上り線と下り線が立体交差で合流するあたりだが、国道の道幅が1車線分広くなっているのが目立つ程度だ。
国道はそれから右にカーブし、北陸トンネルから出てきた現在線の横にぴったりとつく。今庄駅の南端で始まった旧線跡をたどる旅はここで終わる。敦賀駅までは、あと2kmほどだ。
(左)樫曲集落、背景に新幹線と北陸道上り線の高架橋 (右)深山信号場跡、国道の左側が広い |
(左)北陸トンネル南口 (右)敦賀駅正面 |
◆
最後に、湯尾(ゆのお)トンネルについて記しておこう。「旧北陸本線トンネル群」に含まれる11本のトンネルのうち、これだけが他とは離れて、今庄~湯尾間にぽつんと存在する。というのもこのトンネルは、蛇行する日野川の谷をショートカットするために掘られたものだからだ。
長さは368mあり、入口から出口までずっとカーブし続けているのが特徴だ。ポータルは切石積み、内壁は煉瓦積みで、芦谷トンネルと同様の仕様になっている。現在は一般道として使われているが、内部が交互通行のため、待ち時間約3分の信号機に従わなければならない。
湯尾トンネル北口 |
(左)内部は終始カーブしている (右)南口 |
湯尾トンネル案内板 |
トンネルの前後の旧線跡は、北と南で対照的だ。北側は、現在線との合流地点まで道路化されている。途中の湯尾谷川を渡る橋の煉瓦橋台は、鉄道時代のものだろう。南側でも道路が川沿いにまっすぐ延びているが、これは旧線跡ではない。地形図で読み取ると、旧線はもっと山際を通っていた。しかし、民地に取り込まれたり、新線の下に埋もれたりして、ルートはほとんどわからなくなってしまったようだ。
トンネル北側の旧線跡道路 (左)湯尾谷川の橋から南望 (右)橋には煉瓦の橋台が残る |
図7 1:25,000地形図に旧線位置(緑の破線)等を加筆 湯尾~今庄間 |
北陸本線旧線時代の1:50,000地形図 1960(昭和35)年資料修正 |
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図岐阜(昭和34年修正)、5万分の1地形図今庄(昭和35年資料修正)、敦賀(昭和7年修正測量)および地理院地図(2023年6月9日取得)を使用したものである。
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