コンターサークル地図の旅-高千穂鉄道跡とトロッコ乗車
2023年コンターサークル-S 春の旅は、いつもとは趣向を変えて、レンタカーやレンタサイクルも活用しながら比較的広範囲を回る。1日目となる3月5日の行先は、宮崎県北部にある高千穂(たかちほ)鉄道高千穂線の廃線跡だ。
高千穂橋梁を渡る観光列車 |
高千穂鉄道は、1989(平成元)年にJR九州の高千穂線を転換した第三セクターの鉄道だった。日豊本線の延岡駅から神話のふるさと高千穂駅まで延長50.0km、ルートは五ヶ瀬川(ごかせがわ)の渓谷に沿って上流へ延びていた。
このうち延岡~日之影温泉(旧称 日ノ影)間は戦前の1939(昭和14)年までに開通しており、川岸の切り立つ谷壁に張り付くようにして進む。急カーブが頻出するため、列車の速度も一向に上がらなかった。対照的に、1972年に延伸された末端の日之影温泉~高千穂間は、長大トンネルの連続で、線形はいたって良好だ。トンネルを抜けると、峡谷のはるか上空を、日本で最も高い鉄道橋、高千穂橋梁で横断するという一大ハイライトもあった。
国鉄高千穂線時代の高千穂駅 (1983年3月撮影、大出さん提供) |
国鉄高千穂線時代の高千穂橋梁 (1983年3月撮影、大出さん提供) |
鉄道はこの風光明媚な車窓が好評で、旅行列車「トロッコ神楽号」が運行されて、地域の重要な観光資源になっていた。その日常風景を突然暗転させたのは、2005年9月に襲来した台風だ。大水で五ヶ瀬川に架かる複数の鉄橋が流出するなど、施設に大きな被害を受け、鉄道は全面運休を余儀なくされた。そして復旧費用を調達する見通しが立たないまま、最終的に2008年末に全線廃止の措置が取られたのだ。
その後、高千穂駅を拠点にして一部区間が鉄道公園化された。新たに設立された高千穂あまてらす鉄道(当初は神話高千穂トロッコ鉄道)が、2010年からここで観光列車を走らせている。標題では「トロッコ乗車」としたが、現在の車両はグランド・スーパーカートが正式名だ。あくまで公園遊具の扱いながら、なかなかの人気らしく、1日あたり10便、繁忙期には12便もの設定がある。
事前予約はできない(下注)ので、私たちの旅程も座席の確保が優先だ。延岡からクルマで高千穂に直行してこれに乗車し、その後、廃線跡をたどりながら延岡に戻ろうと思っている。
*注 当日、駅窓口で、空席のある後続便を指定することは可能。
供用中のグランド・スーパーカート |
図1 国鉄高千穂線時代の1:200,000地勢図 (1977(昭和52)年修正) |
◆
朝10時、延岡駅に集合したのは大出さんと初参加の山本さん、それに私の3名。赤いマツダ・デミオのレンタカーで市内を後に、国道218号を西へ向かう。一部供用済みの九州中央自動車道(通行無料)を含め、深い谷間を何度もまたぐ立派な道路が、高千穂の町まで続いている。かつてディーゼルカーが1時間20分かけていた距離を、クルマはその半分の40~45分で走破してしまう。残念だが、これではローカル鉄道の存在意義はないに等しい。
(左)高千穂駅舎 (右)出札窓口、掲示の時刻表は営業運転時代のもの |
高千穂駅には11時前に到着した。ちょうど先行列車が発車するところだったので、線路をまたぐ道路橋の上から見送る。それから駅の窓口へ行き、次の11時40分発の乗車券(1500円)を購入した。休日とあって、その間にも次々と客が入ってくる。
乗り込むまでにしばらく時間があるが、構内を自由に見学できるから退屈することはなかった。高森方にある2線収容の車庫は鉄道博物館のようなもので、かつて営業運転で使用されていた2両の気動車(TR-101、TR-202)が残されている。私はその前に置いてある保線用のカートに目を止めた。
高千穂駅構内 |
(左)車庫のTR-202 (右)見覚えのある保線用カートも… |
これには見覚えがあった。2011年に家族旅行で訪れたときに乗ったものだったからだ。今の盛況ぶりからは想像しがたいが、当時は保存鉄道開業からまだ間もなく、注目度も高くなかったように記憶する。高千穂峡のボートを楽しんだ後、立ち寄った道の駅で偶然、運行案内を見かけなければ、存在を知らないまま町を後にしていただろう。駅へ行くと、夏休みの土曜日というのに、客は私たちだけだった。
車両は当時からスーパーカートと呼ばれていたが、実態は、汎用小型エンジンを搭載した台車の前に、リヤカーの荷台のような付随車をつけただけの軽量編成(!)だ。走り始めると、車輪の振動がお尻にじかに伝わるワイルドな乗り心地で、トンネルの中ではエンジンの轟音が反響して話し声はまったく聞こえない。大鉄橋はまだ通行できず、手前の天岩戸(あまのいわと)駅で休憩して折り返す、片道2.2km、往復30分のコースだった。
2011年に見た案内掲示 |
天岩戸駅に到着、中央は運転士さん (2011年7月撮影) |
機回しはなく、復路は台車が前に (2011年7月撮影) |
現在運行中のグランド・スーパーカートは全長25mある。空港で見かけるようなトーイングトラクターを改造したという動力車に続いて、30人乗りロングシートのオープン客車が2両、最後尾に復路用の動力車というプッシュプル編成だ。名称の豪華な響きに釣り合うかどうかはともかく、10数年前に比べればずいぶん進化している。実際、乗り心地も悪くなく、エンジンの音も特に気にならない。
グランド・スーパーカートで高千穂駅を出発 |
図2 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と観光列車の走行ルート等を加筆 高千穂駅周辺 |
列車は定刻に発車し、片道約2.5kmのルート(下注)を時速15km以内でゆっくり走っていった。往路は25‰の下り坂だ。2本の短いトンネルでは、動くイルミネーションが天井に投影されて、乗客の目を引いた。天岩戸駅は通過し、大鉄橋のたもとでいったん停止。風速計で安全を確認したのち、おもむろに橋上に出ていく。「携帯電話や貴重品などは仮に落とされても取りに行けませんので、ご了承ください」とアナウンスがある。
*注 2.5kmは図上実測値。公式サイトに記載されている「距離5.1km」は往復の長さだろう。
(左)トンネルが迫る(帰路写す) (右)天井には動くイルミネーション |
(左)天岩戸駅を通過 (右)風速確認の後、橋上へ |
高千穂鉄橋は、岩戸川の峡谷をまたぐ長さ354m、高さ105mの壮大な上路ワーレントラス橋だ。足もとには、起こしたばかりの田んぼが載るテラス(緩斜面)があり、その先に底の見えない千尋の谷が口を開けている。線路の両側に並行する保線用通路が緩衝帯になっているとはいえ、スマホをかざす指先におのずと力が入る。
中央部まで来ると、列車は5分ほど停まり、またとない絶景を鑑賞する時間を乗客に提供してくれた。停車中は座席から立ち上がることが許される。運転士が手に持つシャボン玉発生器から、虹の水玉が勢いよく空中に飛び出していく。きょうはよく晴れて暖かく、絶好の行楽日和だ。再び動き出すと、列車は橋を渡り終え、大平山(おおひらやま)トンネルの閉鎖されたポータルの手前ですぐに折り返した。
高千穂橋梁の上から北望 |
(左)シャボン玉が放たれる (右)大平山トンネルの手前で折り返し |
高千穂駅に戻った後は、クルマで高森方向へ3km地点にある「トンネルの駅」と隣接する「夢見路公園」に寄り道した。かつて高千穂線はさらに西へ進み、分水嶺を越えて熊本県側の高森線(現 南阿蘇鉄道)と接続することをめざしていた。だが、1980年の国鉄再建法成立により工事は凍結され、この区間はそのまま未成線となった。
トンネルの駅、夢見路公園はその一部を利用した施設で、前者は神楽酒造という酒造会社が運営している。ひときわ目を引くのが、国道から見上げる高さの高架橋上に鎮座する8620形蒸気機関車48647号だ。お召列車を牽いた経歴をもつそうで、日の丸の小旗を脇に差している。もちろん静態保存だが、今にも走り出しそうな雰囲気が頼もしい。「駅」の入口には、ブルーに再塗装された高千穂鉄道の観光用気動車TR-300形(TR-301、TR-302)もいた。
未成線の高架橋に載る蒸機48647号 |
ハチロクと向かい合うTR-300形 |
ハチロクが載る高架橋の高森方では、公園化された築堤に続いて、閉鎖された第一坂の下トンネルのポータルが見える。一方、高千穂方は整地されて駐車場や売店になっているが、山際に開けられた葛原(かずはら)トンネルが、酒造会社により焼酎の貯蔵庫に利用されている。内部も見学可能で、坑内にはスピリッツのかぐわしい香りが充満していた。
葛原トンネルは焼酎の貯蔵庫に |
昼食は、あらかじめ目をつけていた雲海橋のたもとのレストランにて。橋の上の歩道は、さきほど列車で渡った高千穂橋梁が遠望できる絶景スポットだ。13時発の列車が来るのを待ち、鉄橋をゆっくり往復するのを最後まで見届けた(冒頭写真も参照)。
(左)国道218号の雲海橋 (右)雲海橋から高千穂橋梁を遠望 |
◆
この後は延岡まで、主な旧駅の痕跡を訪ねる。雲海橋の東のたもとで右に折れて、国道218号を東へ。一つ目は、スーパーカートが折り返したあの大平山トンネルを抜けた先にある深角(ふかすみ)駅だ。
国道を離れ、急坂の狭い林道を降りていくと、やがて駅跡に突き当った。見ると、プラットホームの駅名標、単線の線路、山小屋風の待合室と、すべてが現役当時のままだ。待合室には、平成16年3月13日改正の注記をもつ時刻表・運賃表さえ掲げられている(下注)。峡谷の崖の上の、周囲に人家もないさびれた秘境駅を想像していたから、意外だった。
*注 平成16年=2004年は運休の前年。駅の発車時刻表はここに限らず、待合室や駅舎が残る駅跡の多くに掲げられていた。
現役当時のままの深角駅 |
当時の列車時刻表 |
大平山トンネルのほうへ歩くと、手前にある短いトンネル(深角トンネル)の中に木造の手押しトロッコが留め置かれていた。これも2011年の訪問時に高千穂駅で見たものだ。構内には桜の木が植わっていて、満開になる季節には地元有志の手で試乗会が開かれているらしい。
(左)トンネルに留置された手押しトロッコ (右)2011年夏は高千穂駅にあった |
次の影待(かげまち)駅は本物の秘境駅で、アプローチは山道しかなく、駅跡も藪化しているようなので、迷うことなくパスした。日之影川の谷を渡る青雲橋の手前で国道から離れ、谷底へ向かう道を降りていく。目の前をオレンジ色のガーダー橋、日之影川橋梁が横断している。振り返ると、青雲橋の空にかかる虹のような優美なアーチが重なって壮観だ。
日之影川橋梁の後ろに青雲橋のアーチが重なる |
日ノ影線時代の終点だった日之影温泉(ひのかげおんせん)駅(下注)は、町の中心部から少し下流に位置する。もとの構内は整理済みで、TR-100形気動車2両(TR-104 せいうん号とTR-105 かりぼし号)が列車ホテルに改造されて、仲良く並んでいる。温泉施設を兼ねていた駅舎は日之影温泉として今も営業中で、土産物売り場の横には、うれしいことに高千穂線に関する鉄道資料室があった。
*注 国鉄時代は日ノ影駅と称していた。三セク移管後の1995年に改称。
日之影温泉駅 (左)列車ホテルになったTR-100形 (右)温泉施設を兼ねた旧駅舎 |
駅舎内にある鉄道資料室 |
図3 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 日之影温泉駅周辺 |
日之影温泉を出た鉄道は、まもなく五ヶ瀬川を斜めに横断して、対岸に渡っていた。この第四五ヶ瀬川橋梁は台風で被災しなかったが、後に撤去されて、橋台しか残っていない。その先、河道の屈曲に従ってクランク状に通過する個所では、連続アーチの高架橋(第一及び第二小崎橋梁)が対岸の道路から望見できる。
連続アーチの小崎橋梁 |
吾味(ごみ)から日向八戸(ひゅうがやと)、槇峰(まきみね)までの3駅間は、廃線跡がハイキングルート「森林セラピー TR鉄道跡地散策コース」として整備されている(下注)。高千穂線跡で唯一、ふつうに歩ける区間なので、吾味駅前にクルマを置いて訪ねてみることにした。全長約4kmあり、往復すると2時間近くかかるから、1.4km地点の日向八戸駅で折り返すショートコースにする。
*注 現地の看板は吾味駅~槇峰駅間になっていたが、2023年現在の公式サイトでは吾味駅~八戸観音滝とされている。
図4 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 吾味~槙峰間 |
出発点の吾味駅は、線路跡が舗装道になっているものの、ホーム上の三角屋根をつけた待合室が在りし日を偲ばせる(下注)。それに続くのが、コース最大の遺構で、重要文化財にも指定された第三五ヶ瀬川橋梁だ。長さは268m、中央部が上路ワーレントラス、両端の橋脚にはコンクリート製の方杖(ほうづえ)を使用したユニークな構造で、平面形は半径200mの急曲線を描いている。下流にある星山ダムの湛水域に含まれるため、川岸までたっぷりと蒼い水が満ちているのも趣を添える。
*注 下流側にあるよく似たデザインの建物は、ハイキングコースのために新設された休憩所。
吾味駅跡 壁面は改装されているものの待合室も健在 |
第三五ヶ瀬川橋梁はハイキングコースに |
橋梁側面 |
現地の案内板 |
橋梁を渡りきると、短いトンネルを介して日向八戸駅の手前までレールが残されていた。線路の片側に土を盛ってあるので、歩くのに支障はない。日向八戸駅も同じく、線路跡は舗装道になっているが、ホームや駅名標とともに、駅舎を兼ねていた立派な公民館が健在で、廃線跡にはとても見えない。
(左)レールも残る吾味~日向八戸間 (右)トンネルの反対側(西望) |
(左)日向八戸駅の手前レールは途切れる (右)廃線跡とは思えない日向八戸駅 |
クルマに戻り、ハイキングコースの残り区間にある八戸観音滝の高架橋と樺木トンネル(長さ247m、下注)のポータルを見て、槙峰駅跡へ。ここもレールが剥がされ草地になっているものの、切妻屋根の駅舎とホームはしっかり残っている。
*注 樺木トンネルはカーブしているうえ、照明がないので、通行には懐中電灯が必須。
(左)八戸観音滝入口の高架橋 (右)樺木トンネル西口 |
槙峰駅舎とホーム |
それ以上に注目すべきは、駅の下手で支流の綱の瀬川(つなのせがわ)を渡っているコンクリートアーチの綱ノ瀬橋梁だ。川岸に張り出した長い高架区間を前後に従えているため、全長418m、43連アーチという、旧日ノ影線区間では最大規模の構造物になっている。背後の谷には国道槙峰大橋ののびやかな大アーチが架かっていて、新旧共鳴する絶景に思わず息をのむ。
綱ノ瀬橋梁と槙峰大橋 |
綱ノ瀬橋梁の下流部 |
現地の案内板 |
廃線跡の見どころはおおむねここまでだ。すでに陽が傾きつつあり、後はよりテンポよく進めていきたい。列車を再び対岸に渡していた第二五ヶ瀬川橋梁は台風で損壊し、残骸もすでに撤去済だ。次の亀ヶ崎(かめがさき)駅はクルマでは容易に近づけないので、さっそくパスした。
早日渡(はやひと)駅も対岸だが、道路橋を渡れば駅前までクルマがつけられる。駅跡は桜の名所になっているが、旅客用ホームはすでに撤去され、貨物用と思われる古い石積みホームが残るばかりだ(下注)。構内に建つプレハブは公民館だそうだが、内部に駅名標と駅の発車時刻表が掲げてあるのが、窓ガラス越しに見えた。
*注 撤去計画(高千穂線鉄道施設整理事業)は高千穂鉄道の施設が対象のため、同 鉄道が使用していなかった国鉄時代の遺物は撤去を免れたもよう。
早日渡駅跡 (左)公民館の中に駅名標が (右)残るは旧貨物ホームのみ |
上崎(かみざき)駅も対岸にあるが、同じように橋を渡ってのアプローチが可能だ。菜の花咲く廃線跡と、簡素なホームと待合室に、ローカル線ののどかな面影を求めることができる。
川水流(かわずる)駅の手前で、鉄道はまた川を渡ってこちら側に移っていた。第一五ヶ瀬川橋梁は水害に遭い、前後の築堤を残して撤去された。川水流駅跡もすでに更地化されてしまったようだ。
上崎駅跡 (左)ローカル線の面影を残す (右)駅の下流側、線路跡の農道が続く |
トンネルを抜けた谷あいにあった曽木(そき)駅は、集落の中に木造の駅舎が残るものの、線路跡は畑などに還っている。
吐合(はきあい)駅は、曽木川が五ヶ瀬川に合流する地点の山手に設けられたが、すでに民地に戻されたようだ。駅へ上る細道は金網で封鎖され、近づくことができなかった。
日向岡元(ひゅうがおかもと)駅と細見(ほそみ)駅跡は、ともに道路に転用されてしまっており、クルマの窓から見るにとどめる。
(左)駅舎のみ残る曽木駅跡 (右)吐合駅跡は民地に(金網越しに撮影) |
この後、鉄道跡は国道とともに五ヶ瀬川の谷から離れる。行縢(むかばき)駅跡は、早日渡同様、撤去を免れた旧貨物ホームに桜の木が大きく育っていた。単式だった旅客ホームや線路はすでになく、緑の草地が広がるばかりだ。
(左)行縢駅跡も古いホームのみ残存 (右)東九州自動車道と交差する廃線跡(行縢~西延岡間) |
最後の西延岡(にしのべおか)駅跡にたどり着いたときには、もう18時を回っていた。今日の宮崎の日没時刻は18時15分だが、すでに陽は西の山かげに隠れ、あたりに夕闇が忍び寄る。
ここはもう延岡の郊外だが、うれしいことに駅は現役時代の姿を保っていた。駅舎はもともとなかったのだが、ホームには色褪せながらも駅名標が立ち、PCまくらぎを敷いた線路もまだ使えそうだ。駅前に建っている風格ある切石積みの倉庫も、鉄道貨物の関連施設に見える。駅が無傷なのは地元の要望によるものらしいが、そのおかげで、高千穂からたどってきた廃線跡の旅の、申し分ない終着地になった。
現役時代の姿を保つ西延岡駅跡 |
(左)西延岡駅前の石造倉庫 (右)倉庫は国鉄時代から存在(1983年3月撮影、大出さん提供) |
◆
西延岡と延岡の間で、高千穂線は市街地を避けるように北に迂回していた。この間には3本の短いトンネルもあった。今朝、集合時刻までに一部を徒歩で見に行ったので、本稿の続きに報告しておきたい。
図5 1:25,000地形図に訪問地点(赤)と旧線位置(緑の破線)等を加筆 西延岡~延岡間 |
西延岡駅から東1km強の区間は、一部を除いて路盤が明瞭だ。レールが撤去された区間でもバラストは残っている。しかし、古川町地内では大規模な土地造成が進行中で、西延岡から数えて最初のトンネル(赤尾トンネル)は、地山ごと消失して平地になっていた。
古川町地内 (左)バラストが残る廃線跡(西望) (右)踏切の先のトンネルは地山ごと消失(東望) |
延岡西環状線と交差した先にある第二のトンネル(山田トンネル)の前後はすでに藪化していて、近づけない。
旭中学校裏から第三のトンネルの間は路盤のバラストが残るが、住宅地に面しているので、そのうち舗装道に変わってしまいそうだ。第三のトンネルは無傷だが、入口にはフェンスが講じてある。
これを抜けると線路跡は、延岡駅へ向けて南へ大きくカーブしていく。駅の手前まで続いていた築堤は、今やトンネル東側と旭小学校裏に一部残るだけだ。あとは旧国道10号に架かっていたガーダー橋を含めてすっかり撤去されてしまい、駐車場などに姿を変えている。
旭中学校裏に残る築堤と擁壁 |
第三のトンネルは残存するものの通行不可 左写真は西側から、右写真は東側から撮影 |
◆
最後に、国鉄高千穂線が記載されている1:25,000地形図を、高千穂側から順に掲げておこう。
掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図大分、延岡(いずれも昭和52年編集)、2万5千分の1地形図大菅、三田井(いずれも昭和49年修正測量)、同 延岡北部、延岡、行縢山、川水流、日之影、宇納間、諸塚山(いずれも昭和53年改測)および地理院地図(2023年3月15日取得)を使用したものである。
■参考サイト
高千穂あまてらす鉄道 https://amaterasu-railway.jp/
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