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2023年2月25日 (土)

ニュージーランドの鉄道史を地図で追う I

堀淳一氏の『ニュージーランドは詩う』(そしえて、1984年)を久しぶりに読み返した。この書を通して、それまでほとんど関心がなかった南太平洋の島国のイメージが、私の中で初めて明確な形をとったことを思い出した。

大海に浮かぶ二つの大きな島と周辺の島嶼からなるニュージーランド。日本と同じく環太平洋火山帯に属し、ダイナミックな火山地形もあれば、氷河を載せる隆起山地や深遠なフィヨルドも見られる。変化に富む自然の美しさは折り紙付きで、ナチュラリストにとっては天国のような土地だ。

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鉄道はどうか? 全国規模の鉄道網は日本と同じ狭軌の1067mm(3フィート6インチ)で、異国ながら、列車の走る風景はどこか親しみを感じさせる。ただし線路を行き交っているのは、ほとんど貨物列車だ。

政府のモーダルシフト政策のおかげで、貨物の取扱量は2010~16年の間に14%増加したと、キーウィレール KiwiRail(下注)は年次報告書に書いている。その一方で旅客列車は、オークランド Auckland とウェリントン Wellington の都市近郊フリークエントサービスを別とすると、絶滅危惧種といってよい状況だ。

*注 同国の鉄道網を所有し、運営する国有企業。

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ピクトン Picton へ向かう貨物列車
南島ケケレング Kekerengu 付近(2015年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

人口密度が1平方km当り17~18人(日本は2017年現在340人)、クルマが地道を時速100kmで飛ばせる国で、旅客ビジネスを成立させるのは難しい。堀氏が訪れた1982年でも、長距離列車は全国で一日9往復しかなかった。2003年の経営危機の後、本数はさらに削減されて、今や4往復と片手で足りる。同書で紹介された4本の列車のうち3本(下注)が廃止されて、もはや乗ることは叶わない。

*注 廃止されたのは、ニュー・プリマス~タウマルヌイ間、ギズボーン~ウェリントン間、インヴァーカーギル~クライストチャーチ間の各列車。

そのようなわけで、実際に列車の窓から風景を楽しめる区間はかなり限られてしまうのだが、地形図を携えて想像で出かける旅なら、どこでも可能だ。ニュージーランドの鉄道史に沿って、路線網の発達と改良の痕跡をいくつか訪ねてみよう。

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オークランド近郊線ミドルモア Middlemore 駅(2004年)
 

なお、使用する地図は、LINZ(ニュージーランド土地情報局)が製作する1:50,000と1:250,000地形図、旧LS(土地測量局)の1マイル1インチ地形図、それにかつて同局が国鉄の依頼で描いた鉄道地図だ。

天国の話のついでに言えば地図事情もそうで、複写はもとより再配布など二次利用も、著作権表示さえすれば無条件で可能になっている。ウェブサイトでは、初期の1インチ図から最新刊に至るまで、あらゆる刊行図が高解像度画像で公開され、自由にダウンロードできる。わが国の測量局もぜひ見習ってほしいサービスだ。

*注 ウェブサイトで見られる地形図データについては、本ブログ「地形図を見るサイト-ニュージーランド」参照。

鉄道の黎明期

ニュージーランドで最初の鉄道は、1862年に南島北端ネルソン Nelson 背後のダン山 Dun Mountain から鉱石を運び出すために設けられた馬車軌道だそうだ。しかし、それに続く初期の鉄道は、例外なく主要都市と外港の間で始められている。鉄道設備はすべて輸入品で非常に高価だから、まず短距離で確実な需要があるところに造られるのは当然のことだ。そしてこれを足掛かりに、街道に沿って、あるいは内陸の未開地へと路線網が拡張されていく。

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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(5~13は次回掲載)
 

ネルソンの馬鉄の翌年(1863年)には、早くも蒸気機関車が牽く鉄道が、同じく南島のクライストチャーチ Christchurch で開業している(下図参照)。カンタベリー州政府が直轄で造り、船着き場のあるフェリーミード Ferrymead との間7kmを結んだ。

軌間は1600mm(5フィート3インチ)。これはアイリッシュゲージと呼ばれ、本国イギリスの1846年鉄道軌間規制法でアイルランド(当時はイギリス領)の標準軌とされた規格だ。機関車をはじめとして車両全般の調達先だったオーストラリアのビクトリア州の仕様に合わせるためだった。

フェリーミードは、砂嘴で外海と隔てられた潟湖の奥に位置するささやかな船着き場に過ぎない。そのときすでに州政府は、外港リッテルトン Lyttelton に至る路線を建設中だった。リッテルトンは浸食された古火山の谷筋に海水が入り込んだ天然の良港で、水深があり、大型船の発着が可能だ。ただ、クライストチャーチからは一山越えなければならず、当時としては長い2595mのトンネルを掘るのに時間を要した。

1867年11月にリッテルトン線が開業すると、フェリーミード線は早くも不要となり、1868年に運行を終えた。地図で見てもリッテルトン方面の線路が直進で、フェリーミードは暫定利用であったことが窺える。カンタベリー州の鉄道は商業的にも成功し、1865年からさらに南方へ建設が進められていった。

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保存鉄道として復活したフェリーミード鉄道(2018年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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都市と外港を結んだ黎明期の鉄道
(現行1:250,000に初期ルートを加筆)
図1 最初の蒸気鉄道路線クライストチャーチ~フェリーミード、リッテルトン間
Sourced from NZTopo250 map 23 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

次に鉄道が登場するのは、南島南端のインヴァーカーギル Invercargill だ(下図参照)。サウスランド州政府が、オーストラリアのニューサウスウェールズ州から1435mm(4フィート8インチ半)軌間の鉄道技術を導入した。しかし、州の財政は豊かでなかったので、北へ12kmのマカレワ Makarewa に至る最初の路線の建設で、工費の節約を図ろうと木製レールを使った。

1864年に開通すると、案の定、雨が降るたびに機関車は空転に悩まされた。その上、車両の重みでレールが傷むわ、乾季には火の粉から引火するわで、南の外港ブラフ Bluff への延伸(1867年)では、高くついても鉄のレールを採用するしかなかった。資材費に加えて、軟弱地盤の対策にも想定外の費用がかかり、サウスランド州は鉄道建設のために財政破綻に追い込まれた。

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図2 第二の蒸気鉄道路線マカレワ~インヴァーカーギル~ブラフ間
Sourced from NZTopo250 map 29 Invercargill. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルが変えた鉄道政策

ニュージーランドの鉄道政策のターニングポイントは1870年に訪れる。後に植民地政府の首相になるジュリアス・ヴォーゲル Julius Vogel が、この年「大公共事業 Great Public Works」と名付けた振興政策を打ち出したのだ。ロンドンの金融市場で巨額の借り入れを行い、立ち遅れているインフラを一気に整備するというもので、中でも主要な事業が、全島をカバーする鉄道網の建設だった。

当時、ニュージーランドにはまだ74km(46マイル)の路線しかなかった。それを9年間で1600 km(1000マイル)以上にするという、途方もない構想だ。当然、課題も多かったが、結果として10年後の1880年には、目標を上回る1900km超の路線が全土に張り巡らされていた。ヴォーゲルはインフラ整備とともに、補助金つきで移民の奨励も進めており、非マオリの人口は10年間にほぼ倍増している。これが産業の興隆とともに、交通需要の喚起に結び付いたのだ。

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ジュリアス・ヴォーゲル(1865年ごろ)
Image from flickr.com. License: Public domain
 

鉄道網の建設に先立って定められた重要な基準がある。それは鉄道の軌間だ。この問題を扱う特別調査委員会は、山がちの国土でコストを抑えながら建設を加速させるには、1067mm(3フィート6インチ)狭軌が妥当と結論づけた。

先行する州は当然反対に回り、日本の1910年代と同様、最終決定までに激しい議論が戦わされた。既存の鉄道は例外措置として、従来の軌間による建設も認められることになったが、その後、州制度の廃止で、州立鉄道が全国鉄道網に統合された1876年までに、順次1067mmに改軌されていった。

決定を受けて1067mm軌間の鉄道を最初に造ったのは、カンタベリーとサウスランドに挟まれたオタゴ州 Otago Province だ。1873年に、州都ダニーディン Dunedin から外港ポート・チャルマーズ Port Chalmers までが開通した(下図参照)。終始、内湾オタゴ・ハーバー Otago Harbour の波打ち際を走る12kmの路線で、後に、終点の2km手前のソーヤーズ・ベイ Sawyers Bay でクライストチャーチ方面へ向かう路線が分岐した。

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図3 1067mm軌間を初めて採用したダニーディン~ポート・チャルマーズ間
Sourced from NZTopo250 map 27 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルは、南島の主要都市であるクライストチャーチとダニーディンの接続を第一目標に据えていた。既存路線の先端から線路を延ばすのはもちろん、工期を短縮するために、中間の港ティマルー Timaru とオマルー Oamaru にも工事拠点を設けて、同時進行で作業を進めた。この間のレールは1878年につながり、開通式を迎えている。

並行してダニーディン~インヴァーカーギル間でも工事が進められ、1879年に両者の間にあった間隙が埋められた。現在、南部本線 Main South Line と呼ばれている南島の幹線鉄道がこのとき完成し、最速列車が600km離れた2都市間を11時間未満で結んだのだ。

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1906年に竣工した壮麗なダニーディン Dunedin 駅舎(2009年)
Photo by jokertrekker at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の事情

ところで、ここまで南島の話題ばかりで、北島のことが一向に出てこないのにお気づきかもしれない。

今でこそ北島の人口が南島のそれを圧倒しているが、19世紀半ばまで、ヨーロッパ人のニュージーランドへの入植先は、主に南島だった。クライストチャーチのあるカンタベリー地方は、広大な開析扇状地が牧畜業の適地とされたし、オタゴ地方では1860年代のゴールドラッシュをきっかけに、移民の急増で都市が発展し、内陸の開発が進んでいた。それとともに忘れてならない要因は、南島に先住民マオリが少なく、入植に必要な土地が比較的得やすかったという点だ。

対する北島では、多数のマオリが暮らしていたため、入植者との間で争いが絶えなかった。すでに1840年にイギリス政府とマオリの首長たちとの間でワイタンギ条約 Treaty of Waitangi が結ばれ、ニュージーランドは正式なイギリスの植民地になっていた。

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ワイタンギ条約締結地にあるマオリ集会所(2006年)
Photo by Vanderven at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

しかしその後、土地の買い上げを通じた植民地政府の支配強化の過程で、マオリの中の同調派と反対派の紛争が生じ、それに政府軍が加担して全面戦争となった。ニュージーランド戦争 New Zealand Wars と呼ばれる北島の混乱は、1845年から72年にかけて30年近くも続いた。最終的に反対派は鎮圧され、マオリの土地は北島中西部のキング・カントリー King Country と呼ばれた地域に縮小されてしまうのだが、当時は南島のみの植民地独立論があったほど、北島は厄介者と見られていたのだ。

北島を縦断してオークランドとウェリントンを結ぶ鉄道(現 ノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk、以下「北島本線」と記す)の構想は、南島と同じように1860年代から議論されていたのだが、こうした経緯で実現には長い時間がかかった。

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北島本線マコヒネ高架橋 Makohine Viaduct を渡るオーヴァーランダー号
(2006年)
Photo by DB Thats-Me at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の鉄道の嚆矢となるのは、1873年に開通したオークランド~オネフンガ Onehunga 間だ(下図参照)。1865年に1435mm軌間で着工したものの、わずか2年後に資金難で行き詰まっていた。それが、ヴォーゲルの公共事業政策のおかげで息を吹き返し、1873年に1067mm軌間で開通を見た。オネフンガは、西岸に開口部のある内湾マナカウ・ハーバー Manakau Harbour の奧の小さな埠頭だが、東岸に開いているオークランド港に対して、西岸航路の港として利用価値があった。

北島本線の南伸が開始されると、分岐点のペンローズ Penrose とオネフンガの間は支線になったが、重要性には変わりなく、南へ向かう蒸気船に接続する「ボート・トレイン Boat Train(航路連絡列車)」が、オークランドから定期運行された。

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図4 北島最初の鉄道オークランド(初代)~オネフンガ間
Sourced from NZTopo250 map 5 Auckland. Crown Copyright Reserved.
 

1886年に中部のニュー・プリマス New Plymouth からウェリントンまで西岸沿いの鉄道が開通(下注)すると、オネフンガ~ニュー・プリマス間を航路でつなぎ、そこでウェリントン行きの長距離列車(ニュー・プリマス急行 New Plymouth Express)に連絡するという乗継ぎルートが確立した。これは、北島本線が全通するまでの間、二大都市間の往来に盛んに利用されることになる。

*注 1886年、ウェリントン・アンド・マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway の、ウェリントン~パーマストン・ノース Palmerston North 間の開通による。

その間にも北島本線の延伸工事は進められていたが、すべて完成するのはまだ20年以上も先のことだ。事業がそれほど長期化した背景には、上述した内戦の影響を含め、さまざまな要因が絡んでいる。続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

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