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2023年2月

2023年2月28日 (火)

ニュージーランドの鉄道を地図で追う II

前回に続いて、ニュージーランドの鉄道網の発達と改良の痕跡をさらに訪ねてみよう。

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ウェリントン駅、1937年築(2021年)
Photo by Tom Ackroyd at flickr.com. License: CC BY-SA 4.0
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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(1~4は前回掲載)

北島本線の延伸

オークランド Auckland から南進したノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk(以下「北島本線」)のレールは、1877年に中部の主要都市ハミルトン Hamilton の最寄り駅フランクトン Frankton、1880年にはテ・アワムトゥ Te Awamutu に達した。しかし、計画はそこでしばらく足踏み状態となる。景気後退期に入ったことと、キング・カントリーへの立ち入りについて、地元のマオリとの交渉が長引いたからだ。中央区間の着工は1885年までずれ込んだ。

地勢の面でも、ここから先は北島火山性高原 North Island Volcanic Plateau を越えていく本格的な山岳ルートになる。北島最高峰2797mのルアペフ Ruapehu をはじめ、タウポ火山群 Taupō Volcanic Zone から噴出した溶岩流や泥流が台地状に広がり、そこに深い渓谷が刻まれている。鉄道の横断には、当初から難工事が予想されていた。

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タウポ火山群の主峰ルアペフ Ruapehu(右)と
コニーデ型のナウルホエ Ngauruhoe(2008年)
Photo by MSeses at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

最初の難関が、北側の谷から高原に取り付くために必要な約130mの高低差(下注)の克服だ。線路はここでオメガループやスパイラルを駆使し、とぐろを巻くような複雑な線形で上っていく(下図参照)。幹線として勾配は19.2‰(1:52)までに抑えているが、曲線半径は151m(7チェーン半)とかなり厳しい。鉄道ファンにはよく知られたこのラウリム・スパイラル Raurimu Spiral によって、列車は一気に高原上に躍り出る。

*注 130mという値は、ラウリム旧駅と、スパイラルを経て再びマカレトゥ川 Makaretu River の谷に戻る地点との高度差434フィートのメートル換算値を記している。

上り切ったところに、峠の駅ナショナル・パーク National Park がある。名のとおりトンガリロ国立公園 Tongariro National Park の下車駅だが、周辺にある同名の集落を含めて国立公園区域の外にあるから、日本風にいうなら公園口駅だ。

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空から見たラウリム・スパイラル(2007年)
Photo by Duane Wilkins at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図5 ラウリム・スパイラルとその前後区間
峠下のラウリム駅は廃止済
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

勇壮な火山群を左車窓に見ながらなおも行くと、開析谷をまたいでいる高い鉄橋をいくつか渡る。その一つ、マカトケ高架橋 Makatoke Viaduct とマンガヌイオテアオ高架橋 Manganuioteao Viaduct(下注)の間には、北島本線の全通記念碑が建っている。1908年11月6日、当時の首相ジョーゼフ・ウォード卿 Sir Joseph Ward が、レールを枕木に固定する最後の犬釘を打ち込んだ場所だ。その翌年に始まった急行列車の運行により、オークランド~ウェリントン間700kmは18時間で結ばれた。

*注 マオリ語由来の地名に頻出するマンガ manga は川の支流を意味する。

記念碑の前から線路はまだわずかに上っていて、マンガトゥルトゥル高架橋 Mangaturuturu Viaduct を過ぎたあたりに、北島本線の最高地点814mがある(下注2)。

*注 駅で最も標高が高いのはナショナル・パーク駅で、標高807m。廃止された駅を含めれば、最高地点の手前のポカカ Pokaka 駅が811mで最も高かった。

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線路(左奥)の傍らに立つ南部本線全通記念碑(2005年)
Photo by Avenue at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図6 北島本線全通記念碑 Obelisk marking last spike と
 最高地点 The highest point の位置
Sourced from NZTopo50 map BH34 Raurimu. Crown Copyright Reserved.
 

線路が台地から降りるホロピト Horopito ~オハクネ Ohakune 間10kmは、1987年に曲線緩和を目的としたルート変更が行われた区間だ(下図参照)。鉄骨トレッスルだったタオヌイ高架橋 Taonui Viaduct とハプアウェヌア高架橋 Hapuawhenua Viaduct は、このときスマートなコンクリート橋に一新された。

旧橋も、土木工学遺産として保存されている。とりわけ後者は半径201m(10チェーン)でカーブしながら谷をまたぐ長さ284m、高さ45mの見事な高架橋だ。幸いにも、オハクネ馬車道路 Ohakune Coach Road と称するトレールの一部として開放されており、歩いて渡ることができる。

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トレールに転用された旧ハプアウェヌア高架橋(2010年)
Photo by Johnragla at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図7 ホロピト~オハクネ間、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 maps BJ33 Raetihi, BJ34 Mount Ruapehu. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線の改良

北島が発展するにつれ、北島本線の輸送量も着実に増加し、主として19世紀の規格で造られた路線には運行上の支障が目につくようになった。南島の幹線では大規模な改良があまり見られないのに対して、北島では複線化とともに、短絡線の建設が何か所かで実施されている。

最も早い例の一つが、1937年に完成したウェリントン郊外のタワ・フラット短絡線 Tawa Flat deviation だ(下図参照)。もとの路線は民間会社のウェリントン=マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway (W&MR) が1881年に開通させたもので、内湾に面したウェリントンからタスマン海側に出るために、渓谷を曲がりくねりながら25‰(1:40)で上り、標高158m(518フィート)のサミットを越えていた。

この直下に2本の長いトンネル(第1トンネル 1238m、第2トンネル 4323m)が掘られ、直線的なバイパス路線が完成した。ルートが2.5km短縮されただけでなく、勾配緩和(最大10‰)と複線化によって線路容量は格段に改善した。

一方、旧線は単線のままだが、ウェリントンからサミットのジョンソンヴィルまでが通勤線(ジョンソンヴィル支線 Johnsonville Branch Line)として残され、山上の住宅地から都心へ出る人々の足になっている。残念ながら、ジョンソンヴィル以遠は廃止後、ハイウェー用地に転用されたため、跡をとどめていない。

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ジョンソンヴィル支線を行く通勤列車(2011年)
Photo by Simons27 at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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図8 ウェリントン周辺のルート変更
Sourced from NZTopo50 map BQ31 Welington. Crown Copyright Reserved.
 

北島本線が中央山地を後にする地点には、もう1か所、大規模なルート変更がある。タイハペ Taihape の南10km、旧駅でいうとウティク Utiku ~マンガウェカ Mangaweka 間に造られたマンガウェカ短絡線 Mangaweka deviation だ(下図参照)。比較的新しく、1981年に完成した。
線路はここでランギティケイ川 Rangitikei River の本流に出会うのだが、周辺は主としてパパ岩 papa rock と呼ばれる柔らかい泥岩から成る丘陵地で、川によって激しく削られ、比高100m前後の断崖が連なっている。

そのため旧線は、崖際の浸蝕がまだ達していない部分まで上り、数本のトンネルで尾根の出っ張りをしのいだ後、マンガウェカ Mangaweka の集落の裏山をゆっくりと段丘面まで降りていた。しかし、地質的に不安定で、線形も悪いため、並行する州道とともにルートの改良が図られることになったのだ。鉄道と道路を新ルートで並走させる案も検討されたが、最終的には、道路は旧道の直線化にとどめて、鉄道だけを川の左岸に移設することになった。

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図9 マンガウェカ周辺のルート変更、旧線跡を破線で加筆
Sourced from NZTopo50 map BK35 Taihape. Crown Copyright Reserved.
 

新線には、川床からの高さが70mを越える大高架橋が3本架かっている。列車はまず左岸に移るために、北ランギティケイ高架橋 North Rangitikei viaduct(長さ181m、高さ77m)と、支谷に架かるカワタウ高架橋 Kawhatau viaduct(同181m、72m)を立て続けに渡る。そして切通しを抜けた後、一段と長く、まるで空中遊泳するような南ランギティケイ高架橋 South Rangitikei viaduct(同315m、76m)を渡って右岸に戻る。

この段階では、旧線はまだマンガウェカ集落の裏の山腹を走っており、両者が合流するのは次のマンガウェカトンネル北口の直前になる。

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南ランギティケイ高架橋(2010年)
Photo by D B W at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

リムタカ・インクライン

北島本線以外のルート変更にも注目すべきものがある。その一つは、珍しいフェル式レールを使っていたリムタカ・インクライン Rimutaka Incline だ(下図参照)。ウェリントンから北東へ延びるワイララパ線 Wairarapa Line が、ここでリムタカ山脈 Rimutaka Range を越える。旧線は1878年に開通したが、工費がかかる長大トンネルの掘削を避け、パクラタヒ川 Pakuratahi River の谷を遡るルートで建設された。

峠の西側は、蒸機の粘着力で対応可能な25‰(1:40)勾配に収まったが、東側は谷がはるかに険しいため、平均66.7‰(1:15)で一気に下降する案が採用された。この長さ4.8kmのインクライン(勾配線)(下注)に導入されたのが、イギリスの技師ジョン・バラクロー・フェル John Barraclough Fell が考案したフェル方式だ。

*注 4.8kmは3マイルをメートル換算したもので、サミット Summit ~クロスクリーク Cross Creek 駅間の距離。実際にフェル式レールが敷かれた区間はもう少し短い。

走行レールの中間に、ラックレールではなく平滑な双頭レールが横置きされ、その両側を車体の底に取り付けた水平駆動輪で挟むことで、機関車は推進力を補う。または制輪子を押し付けて制動力を得る。険しい勾配には向かないものの、レールが特殊なものではないので、 調達コストが安くて済むのが長所だった。

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(左)インクラインの曲線路を行く列車(1910年ごろ)
Photo from Godber Collection, Alexander Turnbull Library. License: Public domain
(右)フェル式レール(1880年)
Photo from Te Papa Tongarewa, Museum of New Zealand. License: Public domain
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図10 リムタカ越えのルート変更、旧線跡を破線で加筆
梯子状記号はインクライン区間(サミット~クロス・クリーク間)
Sourced from NZMS 262 map 8 Wellington. Crown Copyright Reserved.
 

建設当時、インクラインは長大トンネルができるまでの暫定手段と考えられていたが、実際は77年間と、フェル式を推進と制動の両方に使用するものでは世界で最も長く使われた。

専用機関車の老朽化が進んだことで、ようやく1955年に、代替となる長さ8798mのリムタカトンネル Rimutaka Tunnel が完成した。それに伴い、インクラインは前後の粘着区間とともに廃止され、施設はほぼ撤去されてしまった。現在、峠のトンネルを含む廃線跡の一部は、リムタカ・レール・トレール Rimutaka Rail Trail として一般開放されている。

*注 リムタカ・インクラインについては、本ブログ「リムタカ・インクライン I-フェル式鉄道の記憶」「同 II-ルートを追って」に詳述。

東海岸本線構想

東海岸本線 East Coast Main Trunk は、ハミルトン Hamilton(旧駅名フランクトン・ジャンクション Frankton Junction、後にフランクトン Frankton に改称)で北島本線から分岐して、タウランガ Tauranga を中心とする北東部のプレンティ湾 Bay of Plenty 地方へ延びる亜幹線だ。ここでも、1978年に大規模なルート切替えが実施されている。

かつてこの路線は、テ・アロハ Te Aroha、パエロア Paeroa、ワイヒ Waihi を経由する大回りルートで運行されていた。というのも最初から1本の幹線として計画されたものではなく、もとは1886年にテ・アロハまで、その後1898年にパエロアを経てテムズ Thames まで開通したテムズ線 Thames Line と呼ばれる地方支線に過ぎなかったからだ。

また、パエロア~ワイヒ間は、1905年に開通した鉱山支線だった。そのワイヒからタウランガ方面へ線路が延ばされ、プレンティ湾地方への鉄道ルートとして利用されるようになったのは、ずっと後の1927年のことだ。

実は1910~20年代、このルートはより壮大な構想の一部と見なされていた。それは、プレンティ湾地方からラウクマラ山脈 Raukumara Range を越えて北島中東部のギズボーン Gisborne に至る、北島東岸の幹線構想だった(下図参照)。

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鉄道現役時代のオヒネムリ川 Ohinemuri River 橋梁(1980年)
Photo by 17train at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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図11 オークランドとギズボーンを結ぶ東海岸本線構想
 ルートを加筆。実線は既成線、破線は未成線
Sourced from LS159 North Island Railway map. Crown Copyright Reserved.
 

ギズボーン地方は、全国路線網が届かず、長らく孤島状態に置かれていた(下注)。ギズボーンから内陸へ分け入る1917年開通の鉱山鉄道、モウトホラ支線 Moutohora Branch Line に接続すれば、未完の区間は直線で約60kmに過ぎない。

*注 ギズボーンが孤立から脱するのは、1942年に南回りでパーマストン・ノース=ギズボーン線が全通したとき。

一方、大回りしているパエロア以東についても、北島本線に直接つながるバイパス新線が予定されていた。1938年にそのポケノ Pokeno ~パエロア間47km(29マイル)が着工され、当時の1インチ図にも予定線として描かれている(下図参照)。しかし、第二次世界大戦の空白期間をはさんで、工事は遅延を重ねた。その間に長大トンネルを介した新線計画が浮上したことで完全に放棄され、結局、未成線になってしまった。

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図12 ポケノ~パエロア間のバイパス新線が建設中の記号で描かれた1インチ図
(1943年版)
Sourced from NZMS 1 map N53-54 Paeroa. Crown Copyright Reserved.
 

カイマイ山脈を貫くそのカイマイトンネル Kaimai Tunnel は、1978年に完成して東海岸本線の新しいバイパスとなった。長さは8850m(下注)あり、今なお鉄道トンネルでニュージーランド最長だ。短絡新線は、ハミルトンから29kmのモリンズヴィル Morrinsville で旧ロトルア支線 Rotorua Branch Line に入り、ワハロア Waharoa の手前で左に分かれる。この完成と引換えに、旧線のパエロア~ワイヒ~新線との再合流点の間が廃止となった。

*注 この数値は "New Zealand Railway and Tramway Atlas" Fourth Edition, Quail Map Company, 1993による。ウィキペディア英語版のカイマイトンネルの項では8879m、東海岸本線の項では8896mとしている。

旧線随一の景勝区間だったパエロアからカランガハケ渓谷 Karangahake Gorge を通ってワイキノ Waikino に至る約12kmの廃線跡は、後に自然歩道ハウラキ・レール・トレール Hauraki Rail Trail として整備された(下図参照)。途中にある長さ1006mのカランガハケトンネルを含め、自転車や徒歩でかつての車窓風景を追体験することができる。

また、それに続くワイキノ~ワイヒ間約6kmは、ゴールドフィールズ鉄道 Goldfields Railway と称する保存鉄道の運行ルートに利用されている。ワイヒ以遠は残念ながら民地に戻され、沿線に橋梁の跡(橋台、橋脚)が点々と残るのみだ。

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ゴールドフィールズ鉄道(2009年)
Photo by Ryan Taylor at flickr.com. License: CC BY-NC-ND 2.0
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図13 パエロア~ワイヒ旧線跡
パエロア~ワイキノ間はトレールに、ワイキノ~ワイヒ間は保存鉄道に転換
Sourced from NZTopo50 map BC35 Paeroa. Crown Copyright Reserved.

ニュージーランドの鉄道網の最盛期は1950年代だ。1953年には全土に100本もの路線があり、総延長は約5700kmに達していた。しかし1960年代になると、選択と集中の時代に入る。幹線系統など有望な路線には資金が投じられ、電化や大規模な線形改良など近代化が推進される一方、実績の伴わない地方路線は、無煙化も果たせないまま、次々に閉鎖されていった。

このころすでに旅客輸送の環境は厳しかったが、1983年に道路貨物輸送の距離規制、すなわち鉄道を保護するために、競合する道路上の貨物輸送を150km以内としていた制限が撤廃されると、貨物部門でも自由競争が始まった。鉄道運営には一段と効率化が求められようになり、新たな鉄道ルートが地図に描き加えられる可能性は、今やほとんどなくなっている。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

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ニュージーランドの鉄道を地図で追う I

堀淳一氏の『ニュージーランドは詩う』(そしえて、1984年)を久しぶりに読み返した。この書を通して、それまでほとんど関心がなかった南太平洋の島国のイメージが、私の中で初めて明確な形をとったことを思い出した。

大海に浮かぶ二つの大きな島と周辺の島嶼からなるニュージーランド。日本と同じく環太平洋火山帯に属し、ダイナミックな火山地形もあれば、氷河を載せる隆起山地や深遠なフィヨルドも見られる。変化に富む自然の美しさは折り紙付きで、ナチュラリストにとっては天国のような土地だ。

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鉄道はどうか? 全国規模の鉄道網は日本と同じ狭軌の1067mm(3フィート6インチ)で、異国ながら、列車の走る風景はどこか親しみを感じさせる。ただし線路を行き交っているのは、ほとんど貨物列車だ。

政府のモーダルシフト政策のおかげで、貨物の取扱量は2010~16年の間に14%増加したと、キーウィレール KiwiRail(下注)は年次報告書に書いている。その一方で旅客列車は、オークランド Auckland とウェリントン Wellington の都市近郊フリークエントサービスを別とすると、絶滅危惧種といってよい状況だ。

*注 同国の鉄道網を所有し、運営する国有企業。

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ピクトン Picton へ向かう貨物列車
南島ケケレング Kekerengu 付近(2015年)
Photo by Kabelleger / David Gubler at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

人口密度が1平方km当り17~18人(日本は2017年現在340人)、クルマが地道を時速100kmで飛ばせる国で、旅客ビジネスを成立させるのは難しい。堀氏が訪れた1982年でも、長距離列車は全国で一日9往復しかなかった。2003年の経営危機の後、本数はさらに削減されて、今や4往復と片手で足りる。同書で紹介された4本の列車のうち3本(下注)が廃止されて、もはや乗ることは叶わない。

*注 廃止されたのは、ニュー・プリマス~タウマルヌイ間、ギズボーン~ウェリントン間、インヴァーカーギル~クライストチャーチ間の各列車。

そのようなわけで、実際に列車の窓から風景を楽しめる区間はかなり限られてしまうのだが、地形図を携えて想像で出かける旅なら、どこでも可能だ。ニュージーランドの鉄道史に沿って、路線網の発達と改良の痕跡をいくつか訪ねてみよう。

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オークランド近郊線ミドルモア Middlemore 駅(2004年)
 

なお、使用する地図は、LINZ(ニュージーランド土地情報局)が製作する1:50,000と1:250,000地形図、旧LS(土地測量局)の1マイル1インチ地形図、それにかつて同局が国鉄の依頼で描いた鉄道地図だ。

天国の話のついでに言えば地図事情もそうで、複写はもとより再配布など二次利用も、著作権表示さえすれば無条件で可能になっている。ウェブサイトでは、初期の1インチ図から最新刊に至るまで、あらゆる刊行図が高解像度画像で公開され、自由にダウンロードできる。わが国の測量局もぜひ見習ってほしいサービスだ。

*注 ウェブサイトで見られる地形図データについては、本ブログ「地形図を見るサイト-ニュージーランド」参照。

鉄道の黎明期

ニュージーランドで最初の鉄道は、1862年に南島北端ネルソン Nelson 背後のダン山 Dun Mountain から鉱石を運び出すために設けられた馬車軌道だそうだ。しかし、それに続く初期の鉄道は、例外なく主要都市と外港の間で始められている。鉄道設備はすべて輸入品で非常に高価だから、まず短距離で確実な需要があるところに造られるのは当然のことだ。そしてこれを足掛かりに、街道に沿って、あるいは内陸の未開地へと路線網が拡張されていく。

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ニュージーランド鉄道路線図
 太線は旅客・貨物営業路線、細線は貨物営業路線
 破線は休止中、グレーの線は廃止済
 なお保存鉄道は図示していない
 橙色の番号は後掲する詳細図の概略位置(5~13は次回掲載)
 

ネルソンの馬鉄の翌年(1863年)には、早くも蒸気機関車が牽く鉄道が、同じく南島のクライストチャーチ Christchurch で開業している(下図参照)。カンタベリー州政府が直轄で造り、船着き場のあるフェリーミード Ferrymead との間7kmを結んだ。

軌間は1600mm(5フィート3インチ)。これはアイリッシュゲージと呼ばれ、本国イギリスの1846年鉄道軌間規制法でアイルランド(当時はイギリス領)の標準軌とされた規格だ。機関車をはじめとして車両全般の調達先だったオーストラリアのビクトリア州の仕様に合わせるためだった。

フェリーミードは、砂嘴で外海と隔てられた潟湖の奥に位置するささやかな船着き場に過ぎない。そのときすでに州政府は、外港リッテルトン Lyttelton に至る路線を建設中だった。リッテルトンは浸食された古火山の谷筋に海水が入り込んだ天然の良港で、水深があり、大型船の発着が可能だ。ただ、クライストチャーチからは一山越えなければならず、当時としては長い2595mのトンネルを掘るのに時間を要した。

1867年11月にリッテルトン線が開業すると、フェリーミード線は早くも不要となり、1868年に運行を終えた。地図で見てもリッテルトン方面の線路が直進で、フェリーミードは暫定利用であったことが窺える。カンタベリー州の鉄道は商業的にも成功し、1865年からさらに南方へ建設が進められていった。

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保存鉄道として復活したフェリーミード鉄道(2018年)
Photo by Kevin Prince at wikimedia. License: CC BY 2.0
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都市と外港を結んだ黎明期の鉄道
(現行1:250,000に初期ルートを加筆)
図1 最初の蒸気鉄道路線クライストチャーチ~フェリーミード、リッテルトン間
Sourced from NZTopo250 map 23 Christchurch. Crown Copyright Reserved.
 

次に鉄道が登場するのは、南島南端のインヴァーカーギル Invercargill だ(下図参照)。サウスランド州政府が、オーストラリアのニューサウスウェールズ州から1435mm(4フィート8インチ半)軌間の鉄道技術を導入した。しかし、州の財政は豊かでなかったので、北へ12kmのマカレワ Makarewa に至る最初の路線の建設で、工費の節約を図ろうと木製レールを使った。

1864年に開通すると、案の定、雨が降るたびに機関車は空転に悩まされた。その上、車両の重みでレールが傷むわ、乾季には火の粉から引火するわで、南の外港ブラフ Bluff への延伸(1867年)では、高くついても鉄のレールを採用するしかなかった。資材費に加えて、軟弱地盤の対策にも想定外の費用がかかり、サウスランド州は鉄道建設のために財政破綻に追い込まれた。

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図2 第二の蒸気鉄道路線マカレワ~インヴァーカーギル~ブラフ間
Sourced from NZTopo250 map 29 Invercargill. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルが変えた鉄道政策

ニュージーランドの鉄道政策のターニングポイントは1870年に訪れる。後に植民地政府の首相になるジュリアス・ヴォーゲル Julius Vogel が、この年「大公共事業 Great Public Works」と名付けた振興政策を打ち出したのだ。ロンドンの金融市場で巨額の借り入れを行い、立ち遅れているインフラを一気に整備するというもので、中でも主要な事業が、全島をカバーする鉄道網の建設だった。

当時、ニュージーランドにはまだ74km(46マイル)の路線しかなかった。それを9年間で1600 km(1000マイル)以上にするという、途方もない構想だ。当然、課題も多かったが、結果として10年後の1880年には、目標を上回る1900km超の路線が全土に張り巡らされていた。ヴォーゲルはインフラ整備とともに、補助金つきで移民の奨励も進めており、非マオリの人口は10年間にほぼ倍増している。これが産業の興隆とともに、交通需要の喚起に結び付いたのだ。

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ジュリアス・ヴォーゲル(1865年ごろ)
Image from flickr.com. License: Public domain
 

鉄道網の建設に先立って定められた重要な基準がある。それは鉄道の軌間だ。この問題を扱う特別調査委員会は、山がちの国土でコストを抑えながら建設を加速させるには、1067mm(3フィート6インチ)狭軌が妥当と結論づけた。

先行する州は当然反対に回り、日本の1910年代と同様、最終決定までに激しい議論が戦わされた。既存の鉄道は例外措置として、従来の軌間による建設も認められることになったが、その後、州制度の廃止で、州立鉄道が全国鉄道網に統合された1876年までに、順次1067mmに改軌されていった。

決定を受けて1067mm軌間の鉄道を最初に造ったのは、カンタベリーとサウスランドに挟まれたオタゴ州 Otago Province だ。1873年に、州都ダニーディン Dunedin から外港ポート・チャルマーズ Port Chalmers までが開通した(下図参照)。終始、内湾オタゴ・ハーバー Otago Harbour の波打ち際を走る12kmの路線で、後に、終点の2km手前のソーヤーズ・ベイ Sawyers Bay でクライストチャーチ方面へ向かう路線が分岐した。

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図3 1067mm軌間を初めて採用したダニーディン~ポート・チャルマーズ間
Sourced from NZTopo250 map 27 Dunedin. Crown Copyright Reserved.
 

ヴォーゲルは、南島の主要都市であるクライストチャーチとダニーディンの接続を第一目標に据えていた。既存路線の先端から線路を延ばすのはもちろん、工期を短縮するために、中間の港ティマルー Timaru とオマルー Oamaru にも工事拠点を設けて、同時進行で作業を進めた。この間のレールは1878年につながり、開通式を迎えている。

並行してダニーディン~インヴァーカーギル間でも工事が進められ、1879年に両者の間にあった間隙が埋められた。現在、南部本線 Main South Line と呼ばれている南島の幹線鉄道がこのとき完成し、最速列車が600km離れた2都市間を11時間未満で結んだのだ。

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1906年に竣工した壮麗なダニーディン Dunedin 駅舎(2009年)
Photo by jokertrekker at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の事情

ところで、ここまで南島の話題ばかりで、北島のことが一向に出てこないのにお気づきかもしれない。

今でこそ北島の人口が南島のそれを圧倒しているが、19世紀半ばまで、ヨーロッパ人のニュージーランドへの入植先は、主に南島だった。クライストチャーチのあるカンタベリー地方は、広大な開析扇状地が牧畜業の適地とされたし、オタゴ地方では1860年代のゴールドラッシュをきっかけに、移民の急増で都市が発展し、内陸の開発が進んでいた。それとともに忘れてならない要因は、南島に先住民マオリが少なく、入植に必要な土地が比較的得やすかったという点だ。

対する北島では、多数のマオリが暮らしていたため、入植者との間で争いが絶えなかった。すでに1840年にイギリス政府とマオリの首長たちとの間でワイタンギ条約 Treaty of Waitangi が結ばれ、ニュージーランドは正式なイギリスの植民地になっていた。

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ワイタンギ条約締結地にあるマオリ集会所(2006年)
Photo by Vanderven at wikimedia. License: CC BY-SA 2.5
 

しかしその後、土地の買い上げを通じた植民地政府の支配強化の過程で、マオリの中の同調派と反対派の紛争が生じ、それに政府軍が加担して全面戦争となった。ニュージーランド戦争 New Zealand Wars と呼ばれる北島の混乱は、1845年から72年にかけて30年近くも続いた。最終的に反対派は鎮圧され、マオリの土地は北島中西部のキング・カントリー King Country と呼ばれた地域に縮小されてしまうのだが、当時は南島のみの植民地独立論があったほど、北島は厄介者と見られていたのだ。

北島を縦断してオークランドとウェリントンを結ぶ鉄道(現 ノース・アイランド・メイン・トランク North Island Main Trunk、以下「北島本線」と記す)の構想は、南島と同じように1860年代から議論されていたのだが、こうした経緯で実現には長い時間がかかった。

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北島本線マコヒネ高架橋 Makohine Viaduct を渡るオーヴァーランダー号
(2006年)
Photo by DB Thats-Me at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

北島の鉄道の嚆矢となるのは、1873年に開通したオークランド~オネフンガ Onehunga 間だ(下図参照)。1865年に1435mm軌間で着工したものの、わずか2年後に資金難で行き詰まっていた。それが、ヴォーゲルの公共事業政策のおかげで息を吹き返し、1873年に1067mm軌間で開通を見た。オネフンガは、西岸に開口部のある内湾マナカウ・ハーバー Manakau Harbour の奧の小さな埠頭だが、東岸に開いているオークランド港に対して、西岸航路の港として利用価値があった。

北島本線の南伸が開始されると、分岐点のペンローズ Penrose とオネフンガの間は支線になったが、重要性には変わりなく、南へ向かう蒸気船に接続する「ボート・トレイン Boat Train(航路連絡列車)」が、オークランドから定期運行された。

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図4 北島最初の鉄道オークランド(初代)~オネフンガ間
Sourced from NZTopo250 map 5 Auckland. Crown Copyright Reserved.
 

1886年に中部のニュー・プリマス New Plymouth からウェリントンまで西岸沿いの鉄道が開通(下注)すると、オネフンガ~ニュー・プリマス間を航路でつなぎ、そこでウェリントン行きの長距離列車(ニュー・プリマス急行 New Plymouth Express)に連絡するという乗継ぎルートが確立した。これは、北島本線が全通するまでの間、二大都市間の往来に盛んに利用されることになる。

*注 1886年、ウェリントン・アンド・マナワトゥ鉄道 Wellington and Manawatu Railway の、ウェリントン~パーマストン・ノース Palmerston North 間の開通による。

その間にも北島本線の延伸工事は進められていたが、すべて完成するのはまだ20年以上も先のことだ。事業がそれほど長期化した背景には、上述した内戦の影響を含め、さまざまな要因が絡んでいる。続きは次回に。

本稿は、コンターサークル-s『等高線-s』No.14(2017年)に掲載した同名の記事に、写真等を追加したものである。

■参考サイト
New Zealand History http://nzhistory.govt.nz/
Kiwi Rail http://www.kiwirail.co.nz/
Institution of Professional Engineers New Zealand (IPENZ)
https://www.ipenz.nz/
Department of Conservation (DOC) http://www.doc.govt.nz/

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 ニュージーランドの鉄道地図

2023年2月12日 (日)

オランダの保存鉄道・観光鉄道リスト

オランダの保存鉄道は、標準軌の蒸気鉄道線と都市型トラム軌道が全土にバランスよく配置されている。遠くまで出向かなくとも、滞在地の近くでタイプの異なる鉄道風景に出会うことができる。2023年1月現在で更新した下記リストの中から、主なものを見ていこう。

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ブーケローに向かう地方鉄道博物館の保存蒸機(2019年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0

保存鉄道・観光鉄道リスト-オランダ
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_netherlands.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-オランダ」画面
 

まず、標準軌の蒸気鉄道から。

項番1 スタッツカナール鉄道財団 Stichting Stadskanaal Rail (STAR)

北東部の平原地帯で活動するこの財団は、オランダの保存鉄道で最も長い路線を有している。フェーンダム Veendam からスタッツカナール Stadskanaal を経てミュッセルカナール・ファルテルモント Musselkanaal-Valthermond まで、その距離は26kmにもなる。

フェーンダムには州都フローニンゲン Groningen から一般列車が入るようになったので、アクセスは容易だ。1910年築の歴史ある駅舎は、以前から保存鉄道が使っている。中間のスタッツカナールが機関庫のある拠点駅で、通常の保存運行では、この2駅間15kmを往復する。テンダー蒸機またはディーゼル機関車が先導し、片道40分の旅だ。

特別ダイヤの日に限り、一部の列車がスタッツカナールからさらに3.5kmのニーウ・ボイネン Nieuw Buinen まで足を延ばす。しかしその先は、線路の劣化により、2018年を最後に運行区間から外されたままになっている。

他方、フェーンダム~スタッツカナール間では、一般列車を延長運転する計画が進んでいて、2024年末の開業予定だ。保存財団は今ある線路を売却し、使用料を払って運行する形になるという。

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スタッツカナール駅にて(2016年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 地方鉄道博物館 Museum Buurtspoorweg (MBS)

地方鉄道博物館というのは、この保存鉄道を運営する財団の名称だ。原語の Buurtspoorweg(ビュールトスポールウェフ)は一般用語ではないが、幹線網から離れた地方の町や村を結んでいたローカル線を意味している(下注)。他に先駆けて1967年に設立された財団は、こうした歴史的な地方鉄道の設備を取得し、維持・活用することを目的としてきた。

*注 この単語自体は、ベルギーにあった旧 国有地方鉄道会社 Nationale Maatschappij van Buurtspoorwegen (NMVB) の名称に用いられたことで知られる。

活動の舞台は、ドイツ国境に近い東部のハークスベルヘン Haaksbergen とブーケロー Boekelo の間にある約7kmの旧地方鉄道線だ。もとは近くの主要都市エンスヘデ Enschede に通じていた路線だが、高速道路の建設により、根元を断たれた形で現在に至っている。

鉄道の拠点はハークスベルヘンにあり、ここから地方線用のタンク蒸機に牽かれた観光列車(またはレールバス)が出発する。畑と並木が続く平原をまっすぐ進んだ列車は、約25分で折り返し駅のブーケローに到着する。

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黄塗装6号機が牽く保存列車(2016年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番5 フェーリュウェ蒸気鉄道協会 Veluwsche Stoomtrein Maatschappij (VSM)

オランダ中部、森が広がるフェーリュウェ丘陵 Hoge Veluwe の縁辺を、テンダー機関車が地響きを立てて疾駆する。フェーリュウェ蒸気鉄道協会が運営する路線は、大型蒸機の迫力ある走行シーンを身近に体験できることで知られている。NS(オランダ国鉄)線のアペルドールン Apeldoorn 駅から乗り込めるというアクセスの良さもあって、夏場は週6日のフル操業だ。

ルートは、アペルドールンから南下し、同じくNS線に接続するディーレン Dieren までの全長22kmだが、通常運行では、15km地点のエールベーク Eerbeek で折返す。列車は、アペルドールン市街地で運河に並行した後、平野に出て、畑地と森のパッチワークを縫っていく。復路では同6kmのベークベルヘン Beekbergen で休憩時間があり、保有車両を格納した機関庫を見学できる。

夏はディーレンまで全線を運行する日もある。列車を片道にしてエイセル川 IJssel 下りの遊覧船に乗り継ぎ、ジュトフェン Zutphen からNS線の電車でアペルドールンに戻るという別コースも可能だ。

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アペルドールン運河に沿って走る(2017年)
Photo by Rob Dammers at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番7 ホールン=メーデムブリック保存蒸気軌道 Museumstoomtram Hoorn-Medemblik (SHM)

NS線に隣接する拠点ホールン Hoorn 駅からメーデムブリック Medemblik まで20km。真っ平なポルダー(干拓地)を横断していくこの蒸気列車は、言わずと知れたオランダの代表的観光スポットの一つだ。4月から9月まで週6日、さらに夏の間は無休という運行日の多さが、人気ぶりを如実に物語る。

標準軌とはいえ、もとは蒸気トラム stoomtram が走っていた地方の軽便線だ。保存鉄道は、その全盛期だった1920年代の鉄道風景の再現に努めている。運行の主役を担うのは、小型のタンク蒸機や箱型のトラム蒸機で、レンガ造りの駅舎や沿線の跳ね橋、風車も、気分を盛り上げる大事な舞台装置だ。

これも当時のままなのか、列車は自転車でも追いつけるくらいに、のんびりと走る。全線の所要時間は85分。そこで、メーデムブリックの駅裏から観光船が、波静かなエイセル湖 IJsselmeer を渡ってNS線の駅があるエンクハイゼン Enkhuizen まで運航されている。同じ道を往復するのは退屈だとお思いなら、この三角ルート(逆回りも可)がお薦めだ。

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ウォホヌム・ニビックスワウト Wognum-Nibbixwoud 駅付近(2008年)
Photo by Maurits90 at wikimedia. License: CC0 1.0
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メーデムブリック駅の列車と観光船(2017年)
Photo by Tedder at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番16 百万フルデン線、南リンブルフ蒸気鉄道協会 Miljoenenlijn, Zuid-Limburgse Stoomtrein Maatschappij (ZLSM)

オランダ南東端にも、丘陵地を行く標準軌の蒸気鉄道「百万フルデン線 Miljoenenlijn」(下注)がある。風変りな名称は、1934年に完成した路線の工事に1km当たり100万フルデンの費用がかかったことに由来する。起伏の多い土地を横断するルートで、大量の土砂を移動させなければならなかったからだ。

*注 Miljoenenlijn(ミリューネンレイン)は、直訳すると「百万線」だが、原意に基づき、通貨単位を補足した。

南リンブルフ蒸気鉄道協会が運行するこの保存列車は、拠点のシンペルフェルト Simpelveld から北、西、東の3方面に進んでいく。

北は、「百万フルデン線」を通ってケルクラーデ Kerkrade へ。西は、旧アーヘン=マーストリヒト線 Spoorlijn Aken - Maastricht を通ってスヒン・オプ・フール Schin op Geul へ。東は、同じ路線で国境を越えてドイツのフェッチャウ Vetschau(下注)へ。いずれもそこで折り返して拠点に戻ってくる。

*注 現在は国境手前のボホルツ Bocholtz 折返しになっている。

テンダー蒸機とともに、旧DB(ドイツ連邦鉄道)仕様の赤いレールバスの運行が見られるのも、国境に近い路線ならではだ。本来、フェッチャウ延伸用に購入された車両だが、使い勝手がいいと見え、今では他の2方面でも活用されている。

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スヒン・オプ・フール駅のレールバス(2006年)
Photo by Robert Brink at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番13 旧RTM財団 Stichting voorheen RTM (RTM)

南西部の北海沿岸にあるこの保存鉄道は、1067mm(3フィート半)軌間であるところが貴重だ。かつては南ホラント Zuid-Holland 州一帯の地方軌道をはじめ、オランダ国内でもふつうに見られた軌間だが、今やここにしか残っていない。

RTMの名は、周辺の路線網を運営していたロッテルダム軌道会社 Rotterdamse Tramweg Maatschappij の略称に由来する。1966年に最後のRTM軌道線が廃止された後、財団はその車両を廃棄の危機から救い出し、保存鉄道を立ち上げた。アウトドルプ Ouddorp 郊外のデ・プント De Punt に、活動の拠点としている鉄道博物館がある。

列車が走る約8kmのルートもまたユニークだ。ほぼ全線が、ブラウウェルスダム Brouwersdam と呼ばれる締切堤の上を通っている。南北二つの島(下注)の間を締め切る長さ6.5kmの長大堤防で、拠点を出発した列車は、転回ループで反転の後、堤防に沿って南へ向かう。周辺はすっかりリゾート化していて、車窓にはマリーナやビーチが点在するのびやかな水辺の景色が続いている。

*注 フーレー・オーファーフラッケー島 Goeree-Overflakkee とスハウエン・ダイフェラント島 Schouwen-Duiveland。デ・プントは英語の the point(岬)で、フーレー島の先端にある。

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ブラウウェルスダムの上を行く蒸気列車(2012年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

項番10 カトウェイク=レイデン蒸気鉄道 Stoomtrein Katwijk Leiden (SKL)

オランダでは数少ないナローゲージの保存鉄道だ。大学都市レイデン(ライデン)Leiden の西郊、ファルケンブルフ湖 Valkenburgse Meer のほとりに、古様式で建てられた駅舎と機関庫、そして湖岸を半周する700mm軌間、約2kmの専用軌道がある。

もとは海岸砂丘の貨物線で運行されていたが、砂丘への立入りが制限されることになり、1993年に今の場所に移ってきた。線路はその際、新たに敷かれたものだ。湖自体、煉瓦製造用の砂を採取した跡に造られた人造湖だが、すでにのどかな自然風景としてなじんでいる。

シーズン週末には、このルートを小型蒸機が数両の客車を連ねてとことこと走る。終点まで行って戻ってくると、駅で別のディーゼル列車が待っていて、そのまま機関庫へと案内してくれる。

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狭軌鉄道の駅構内(2014年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番8 アムステルダム保存電気軌道 Electrische Museumtramlijn Amsterdam (EMA)

ベルギーと同様、トラムの保存鉄道も各地で見ることができる。中でも他と一線を画しているのが、アムステルダム市南部にあるこの電気軌道だ。長さ7.2kmの専用線をもち、非公式ながら、市電30系統を名乗っている。

ルートは、のどかな運河とアムステルダムの森 Amsterdamse Bos に沿って延びる。瑞々しい緑に包まれた軌道を、国内およびヨーロッパの各都市から集められた古典電車が行き交う。観光客だけでなく、森の中の公園や施設へ行く地元市民も利用するフレンドリーなトラム路線だ。

路線はもとハールレマーメール鉄道 Haarlemmermeerspoorlijnen(下注)という、首都南郊に120kmの路線網を広げる地方鉄道の一部だった。当時のレンガ建て駅舎が、ターミナルのハールレマーメール駅 Haarlemmermeerstation と途中のアムステルフェーン駅 Station Amstelveen に残され、文化財に指定されている。

*注 ハールレマーメール Haarlemmermeer は、アムステルダムの南西にあったハールレム湖のことだが、干拓されて今は存在しない。鉄道名は、その路線網が湖の東岸にあったことに由来する。

なお、高速道路の拡幅に伴い、現在、軌道が通過する高架橋の架替え工事が行われている。そのため、運行は5.3km地点パルクラーン Parklaan 止まりになっていて、全線復活は2026年の予定だ。

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カルフィエスラーン Kalfjeslaan 停留所での列車交換(2022年)
Photo by Alf van Beem at wikimedia. License: CC0 1.0
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(左)ハールレマーメール駅舎(2005年)
Photo by Rijksdienst voor het Cultureel Erfgoed at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
(右)アムステルフェーン駅舎(2013年)
Photo by DennisM at wikimedia. License: CC0 1.0
 

項番11 ハーグ公共交通博物館 Haags Openbaar Vervoer Museum (HOVM)
項番12 ロッテルダム路面電車博物館 Trammuseum Rotterdam

アムステルダムに負けじとばかり、ハーグとロッテルダムにもトラムを展示する博物館がある。週末等には、現代の低床車に混じって古典車両も営業用の軌道に姿を見せる。

ハーグ公共交通博物館は、ハーグ市内にある文化財指定の旧トラム車庫が拠点だ。毎週日曜に開館され、その日の午後に2回、市内または郊外へ向けて観光トラムの運行がある。

現在、使用車両はクリームにグリーン帯の伝統色をまとった1960年代のPCCカーだ。行先は月ごとの週替わりで、ビーチリゾートのスヘーフェニンゲン Scheveningen や、フェルメールの故郷デルフト Delft など魅力的な観光スポットが含まれている。

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PCCカーでデルフトへ(2014年)
Photo by FaceMePLS at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

一方、ロッテルダム路面電車博物館は、NS線の北駅に近い旧トラム車庫で、毎月第1土曜日に開館する。所在地が中心部からやや遠いからか、10系統を名乗るトラムツアーは博物館を経由せず、中心部周辺の路線網を循環する形で行われている。シーズンの木曜から日曜にかけて30~45分間隔で運行され、比較的利用しやすい。

なお、どちらも市内交通の乗車券は有効ではなく、博物館やトラム車内などで専用乗車券を購入する必要がある。これを持っていれば、当日の途中停留所での乗降は自由だ。

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市内ツアー中の旧型トラム(2022年)
Photo by Eriksw at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番6 オランダ野外博物館軌道線 Tramlijn Nederlands Openluchtmuseum (NOM)

最後に、古典トラムの走行シーンが楽しめる場所をもう1か所挙げておこう。

中部のアルンヘム(アーネム)Arnhem 北郊で、オランダの昔の日常文化を保存展示しているオランダ野外博物館 Nederlands Openluchtmuseum だ。1918年開設の歴史ある施設で、国内各地の古い家屋や農場、工場などの建物が移築・再建され、そこで営まれていたさまざまな作業の実演も見学できる。

ここに1996年、動く展示物として、また広大な構内の移動手段も兼ねて、標準軌のトラム軌道が造られた。構内を一周する単線、全長1.8kmのルートだ。アルンヘムの1929年製トラムのレプリカ(下注)をはじめ、近隣各都市から収集されたトラムが、6か所の停留所を結んで走っている。

*注 アルンヘムの市内軌道は 1067mm軌間だったが、レプリカは標準軌に設計変更された。

1周15分の乗車体験を終えた後は、展示施設に立ち寄りながら軌道に沿って散策するといい。明るい緑の森や古びた建物のレンガ壁に古典トラムがよく似合い、思わずカメラを向けたくなるはずだ。

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(左)構内を行くロッテルダム車(2014年)
Photo by Baykedevries at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
(右)同上(2019年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

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 イギリスの保存・観光鉄道リスト-イングランド北部編
 ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト

2023年2月 3日 (金)

ベルギー・ルクセンブルクの保存鉄道・観光鉄道リスト

ベネルクス三国と呼ばれるベルギー、オランダ、ルクセンブルクにも、多様な保存鉄道・観光鉄道が多数運行されている。標準軌の蒸気機関車を走らせている路線はもとより、トラムタイプの小型車両(標準軌およびメーターゲージ)の保存運行にも積極的な点が一つの特色と言えるだろう。

2023年1月現在で更新したリストの中から、今回はベルギーとルクセンブルクの主なものをピックアップしたい。

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ブリュッセル都市交通博物館の保存トラム(2016年)
Photo by NearEMPTiness at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0

「保存鉄道・観光鉄道リスト-ベルギー・ルクセンブルク」
http://map.on.coocan.jp/rail/rail_belgium.html

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「保存鉄道・観光鉄道リスト-ベルギー・ルクセンブルク」画面
 

項番12 3河谷蒸気鉄道 Chemin de fer à vapeur des Trois Vallées (CFV3V)

標準軌の路線では、南部のフランス国境近くを走る3河谷蒸気鉄道 Chemin de fer à vapeur des Trois Vallées、略称 CFV3V がまず挙げられる。1973年の開業から50周年という歴史だけでなく、走行線の長さ、車両の保有数、開館日数のいずれをとっても、ベルギー最大規模の保存鉄道だ。

鉄道名の3河谷(トロワ・ヴァレー Trois Vallées)というのは、鉄道沿線のヴィロワン川 Le Viroin と、その源流のオー・ブランシュ L'Eau Blanche およびオー・ノワール L'Eau Noire が流れる三つの谷を指している。

起点は、SNCB(ベルギー国鉄)のマリアンブール Mariembourg 駅から約800m東にある扇形機関庫の前だ。そこから列車は、開けた谷の中を下流へ向かう。ヴィロワン自然保護区 Réserve naturelle du Viroin の瑞々しい風景を眺めながら14km、30~40分でかつての国境駅トレーニュ Treigne に到着する。

マリアンブールの車庫や側線にも車両が多数留置されているが、トレーニュでは、ヨーロッパ各国から収集された車両を展示する大きな鉄道博物館が来客を待っている。見学しているうちに、折り返しを待つ1時間強はたちまち過ぎてしまうだろう。夏は週5日運行しているのも、評判の高さを証明している。

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トレーニュ駅での機回し作業(2010年)
Photo by Mark Deltaflyer at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番3 マルデヘム=エークロー蒸気鉄道 Stoomtrein Maldegem - Eeklo (SME)

ヘント Gent とブルッヘ Brugge を結ぶ鉄道には、現在の直進ルート(50A号線)とは別に、エークロー Eeklo 経由の北回り線(58号線、下注)が存在した。しかし今も一般運行されているのは、東側のヘント~エークロー間だけだ。残りは廃止されて、中央部の10kmが保存鉄道の走行用になり、西側のほとんどは自転車道に転換された。

*注 直進ルートはイギリス航路の連絡鉄道として港町オーステンデまで1839年に開通。エークロー経由の路線開業は後の1861~62年。

その保存鉄道がマルデヘム=エークロー蒸気鉄道だ。西の終点マルデヘム  Maldegem が拠点駅で、蒸気センター Stoomcentrum と称する保存車両の車庫がある。ここからエークローに向けて、気動車か蒸気牽引の観光列車が走る。

沿線の見どころは、中間のバルヘルフーケ Balgerhoeke 駅の手前で渡るスヒップドンク運河 Schipdonkkanaal の昇開橋だ。第二次世界大戦で損傷したが再建され、文化財指定を受けている。

お楽しみは標準軌列車にとどまらない。マルデヘム駅では、西側の廃線跡に600mm軌間で1.2kmの線路が敷かれている。観光列車の運行日は、狭軌線でも往復運転が行われる。子どもたちには、本線の大きすぎる列車より、身の丈に近いこちらのほうが人気だ(下注)。

*注 2023年現在、蒸機は改修中で、列車は小型ディーゼルが牽いている。

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スヒップドンク運河の昇開橋(2018年)
Photo by Paul Hermans at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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マルデヘムの600mm軌間を行く蒸気列車(1992年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番11 ボック鉄道 Chemin de Fer du Bocq

南部のアルデンヌ高地は、ムーズ川 La Meuse に注ぐ支流によって無数の谷筋が刻まれている。その一つ、ボック川 Le Bocq の谷に沿って、高原上のシネー Ciney からムーズ川べりのイヴォワール Yvoir へ降りていく線路が、ボック鉄道の舞台だ。

保存運行では、SNCB駅のあるシネーと、ボーシュ Bauche にある仮設ホームまでの間、約15kmが使われている。激しく蛇行する谷を縫っていく列車の前に、4本のトンネルと11か所の橋梁が次々に現れる。ベルギーの保存鉄道では一番の渓谷区間といえるだろう。

拠点は、中間駅のスポンタン Spontin に置かれている。列車はここを出発して、シネーとボーシュの間を振り子のように往復し、約1時間30分で起点に戻ってくる。特別行事のときを除いて、気動車かディーゼル機関車による運行だ。ただし2023年現在、シネーの SNCB駅が工事中のため、特定の日を除いて、駅のかなり手前での折り返しになっている。

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ドリンヌ・デュルナル Dorinne-Durnal 駅を出る保存列車(2011年)
Photo by Noben k at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
 

続いて、トラムの保存鉄道を見ていきたい。

項番5 ブリュッセル都市交通博物館 Musée du transport urbain bruxellois (MTUB)

首都ブリュッセルには、かつて市内交通を担った旧型トラムやバスを保存するブリュッセル都市交通博物館、愛称「ミュゼ・デュ・トラム(トラム博物館)Musée du Tram」がある。場所は首都圏東部の、美しい公園や高級住宅街があるウォリュウェ・サン・ピエール Woluwe-Saint-Pierre の市電車庫の一角だ。

そこには60両を超える車両が展示されているが、この一部を使って市内軌道線で観光運行も行われている。コースは3方向に分かれ、博物館を出て東のテルヴューレン駅 Tervuren Station、または西のサンカントネール Cinquantenaire、北東のストッケル Stockel でそれぞれ折返す(運行日はコースごとに異なる)。

このうち最も知られているのは、トラム44系統のルートを共用するテルヴューレン線だろう。麗しい並木道のテルヴューレン大通り Avenue de Tervueren に沿い、広大なソニア(ソワーニュ)の森 Forêt de Soignes に分け入り、大都市とは思えない豊かな緑に包まれたルートを終始走っていく。

これとは別に博物館は、1930年代のPCCカーを使った「ブリュッセル観光路面軌道 Brussels Tourist Tramway (BTT)」も運営している。市内の観光名所を、途中50分の昼食休憩込みで4時間かけて巡るというものだ。観光バスで行くのとは一味違ったツアーが楽しめる。

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ソニアの森を行く保存トラム(2018年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

項番4 キュストトラム De Kusttram

ブリュッセルの市内トラムは標準軌だが、他都市を含めてベルギーではむしろ、メーターゲージ(1000mm軌間)が主流だ。こうしたトラムは1870年代以降、市内だけでなく地方路線にも広く導入されたが、第二次世界大戦後は、自動車交通に押されて大半が壊滅した(下注1)。その中で唯一、長距離の路線が今も活用されているのが、北海沿岸の港湾都市やリゾートを結んで走るキュストトラム(下注2)だ。

*注1 地方軌道は、SNCB(国鉄、蘭 NMBS)とは別組織の、国有地方鉄道会社 Société Nationale des Chemins de fer Vicinaux (SNCV、蘭 NMVB) により運営されていた。そのため、1950年代から政策的なバス転換が一気に進んだ。
*注2 英語では The Coast Tram(海岸トラム)。

東のクノッケ Knokke から西のデ・パンネ De Panne に至る67kmのルートは、ベルギーの海岸線をほとんどカバーしている。一番の見どころは、北海の海岸線に沿うマリーアケルケ Mariakerke とミッデルケルケ Middelkerke の間だろう。構築物では、デ・ハーン・アーン・ゼー De Haan aan Zee の古い駅舎や、ゼーブルッヘ Seebrugge の運河に架かる跳開橋のストラウス橋 Straussbrug(下注)などが注目ポイントだ。

*注 海側の旋回橋が通行できないときの迂回線上にあるため、通常運行では経由しない。

この路線でも旧型トラムの保存活動が見られる。「TTOノールトゼー TTO Noordsee」という協会組織が、デ・パンネ市街の西にある旧車庫を拠点に行っているもので、夏の週末のデ・パンネ駅を往復する40分の本線走行など、公式サイトにはさまざまなイベントの案内が挙がっている。

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(左)デ・ハーン・アーン・ゼー駅舎(2006年)
Photo by Vitaly Volkov at wikimedia. License: CC BY 2.5
(右)跳開橋ストラウス橋(2014年)
Photo by Marc Ryckaert (MJJR) at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
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イベント「トラメラント」での保存トラム(2014年)
Photo by Wattman at flickr. License: CC BY-NC 2.0
 

項番13 ロブ=テュアン保存軌道 Tramway Historique Lobbes-Thuin (ASVi)

フランス語圏である南部のワロン地方には、ローカルトラム(地方軌道)tram vicinal の走行シーンが見られる保存鉄道がいくつかある。シャルルロワ Charleroi に程近い町、テュアン Thuin に拠点を置くロブ=テュアン保存軌道、略称 ASVi もその一つだ。

テュアンの町はずれにある ASVi博物館から3方向に延びるルートは、どれも個性的だ。一つは西へ向かい、隣村ロブ Lobbes の山手に至る約4km。二つ目は、テュアンの下町(ヴィル・バス Ville Basse)に入る400mほどの短い支線。この2本は、かつてシャルルロワ Charleroi 市内まで続く1本のトラム路線(92系統)だった。

三つ目は、2010年に開業した南のビエーム・スー・テュアン Biesme-sous-Thuin に至る3km区間で、標準軌の廃線跡にメーターゲージを再敷設してある。非電化のため、ディーゼルトラムで運行される。

注目はやはり前者だ。走行線が道路上の併用軌道から専用軌道へ、さらに路肩に沿う道端軌道へと目まぐるしく移り変わる。点在する田舎町をこまめに結んでいたローカルトラムの見本のようなルートで、SNCV時代のトラム車両を多数展示している博物館とともに、ぜひ訪れたいところだ。

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テュアン・ヴィル・バスの街路を行くトラム(2009年)
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 3.0
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ビエーム・スー・テュアン線は遊歩道併設(2012年)
Photo by BB.12069 at flickr. License: CC BY 2.0
 

項番9 エーヌ観光軌道 Tramway touristique de l'Aisne (TTA)

地方のトラム路線には、非電化のところも多かった。こうした区間には、最初は蒸気機関車、後にディーゼル動力のトラム車両が導入された。この青い煙を吐きながら走るトラムが、エーヌ観光軌道の主役だ。

保存鉄道は1966年の開業で、ベルギーで最も長い歴史を持っているが、所在地は、リエージュの南40kmの辺鄙な山中にある村のはずれだ。起点ポン・デルゼー(エルゼー橋)Pont d'Erezée を後にした旧型トラムは、人家もまばらなエーヌ川 L'Aisne の谷間を延々と遡っていく。2015年の延伸で、線路は丘の上のラモルメニル Lamorménil に達し、路線長が11.2kmになった。

残念なことに、コロナ禍と2021年7月の洪水による線路損壊というダブルパンチを受けて、観光軌道はこのところずっと運休したままだ。運営母体の協会が資金不足で復旧の見通しが立たないため、見かねた自治体が支援に乗り出したと報じられている。保存活動の歴史を途絶えさせないためにも、無事の再開を待ちたい。

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車庫のあるブリエ Blier 駅付近を行くディーゼルトラム(2009年)
Photo by Frans Berkelaar at wikimedia. License: CC BY 2.0
 

項番10 アン鍾乳洞トラム Tram des grottes de Han

エーヌ観光軌道から南西30kmのアン・シュル・レス Han-sur-Lesse にも、観光客を町の中心部からアン鍾乳洞 Grottes de Han の入口へと運ぶトラムがある。路線長3.7km、ディーゼルトラムの後ろにオープン客車を連ねた姿は遊園地の乗り物のようだが、開業は1906年、キュストトラムと並ぶ地方軌道の貴重な生き残りだ。

周辺は自然動物保護区で、クルマはもとより人の立ち入りも制限されている。鍾乳洞にアクセスする唯一の交通手段が、このトラムだ。ミニ路線が1世紀以上も存続してきた理由はここにある。

*注 鉄道の詳細は「ベルギー アン鍾乳洞トラム I」「同 II」参照。

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アン・シュル・レスの教会前で発車を待つトラム(1987年)
後の区間短縮でこの光景は見られなくなった
Photo by Smiley.toerist at wikimedia. License: CC BY-SA 4.0
 

最後は、隣国ルクセンブルクの保存鉄道について。

項番14 トラン1900 Train 1900
項番15 鉱山鉄道(ミニエールスブン)Minièresbunn

「トラン1900」は標準軌の、「鉱山鉄道(ミニエールスブン)」は700mm軌間の路線で、どちらも南西端のフランス、ベルギーとの3国国境地帯に位置するフォン・ド・グラース Fond-de-Gras を起点にしている。

ここはロレーヌやザールラントにまたがる鉱業三角地帯 Montandreieck の一角だ。かつて周辺には、鉄鉱山から周辺の製鉄所や積出し駅に向けて、産業鉄道が網の目のように敷設されていた。2本の保存鉄道はその廃線跡を利用していて、他の鉱山施設とともに、産業遺跡公園「ミネットパルク Minettpark」の名のもとにまとめられている。

*注 ミネット Minett は、この地域で産出される燐鉱石を意味する。

「トラン1900」の蒸気列車は、折返し駅フォン・ド・グラースからV字形に出ている線路を右にとって東へ向かう。張り出す丘を巻いたカーブだらけのルートを走り、約25分でCFL(ルクセンブルク国鉄)線と接続するペタンジュ Pétange に到達する。

*注 トラン1900の名は、1973年の開業当時使用されていた蒸機が1900年製だったことに由来する。

一方、V字路の左側の線路もボワ・ド・ロダンジュ Bois-de-Rodange までの約1.5kmが運行可能で、列車が走らない日はドライジーネ(軌道自転車)の走行に使われている。

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フォン・ド・グラース駅の蒸気列車(2015年)
Photo by Daniel BRACCHETTI at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

「鉱山鉄道(ミニエールスブン)」は、より観光要素が濃いアトラクションだ。近隣の採鉱地からフォン・ド・グラース駅へ鉱石を運搬していた700mm軌間の線路 約4kmが、保存運行に供されている。

*注 Bunn はドイツ語の Bahn に相当するルクセンブルク語で、ミニエールスブンは鉱山の鉄道を意味する。

ルートは大きく3つの区間に分かれる。第1区間はクラウス Krauss 蒸機の先導で、スイッチバックのギーデル Giedel 駅を経て、鉱石の加工設備が残るドワール Doihl まで行く。第2区間では、電気機関車が牽くトロッコに乗り換えて長さ1400mの坑道を通り抜け、山向こうのラソヴァージュ Lasauvage に出る。途中、坑内で採掘跡のガイドツアーがある。

最後の区間はオプション(乗車は随意)で、ラソヴァージュの教会を往復する便と、国境を越えてフランス側のソーヌ Saulnes まで足を延ばす便が運行される。トラン1900やフォン・ド・グラースの鉄道博物館と組み合わせるならもはや一日がかりで、鉄道漬けの充実した訪問機会になるだろう。

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ラソヴァージュ駅の鉱山列車(2019年)
Photo by Robert GLOD at flickr. License: CC BY-NC-ND 2.0
 

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