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2023年1月 4日 (水)

コンターサークル地図の旅-木津川渓谷と笠置山

ここ数日、明け方の気温が10度前後まで下がり、季節の深まりを肌で感じるようになった。2022年コンターサークル-s 秋の旅の後半は関西が舞台で、11月5日は木津川(きづがわ)の渓谷を歩く。

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関西本線木津川橋梁を渡る列車(南望)
 

木津川は、桂川や宇治川とともに、大阪湾に注ぐ淀川の主要支流の一つだ。主に三重県伊賀地方(上野盆地)の水を集めて京都盆地へ流れ下るが、その途中、標高400~600mの笠置(かさぎ)山地に深い谷を刻んでいる。名古屋と大阪を結ぶJR関西本線(以下、関西線という。下注)のルートはこの谷間を利用していて、車窓から、東海道本線や新幹線では出会えない本格的な渓谷風景を眺めることができる。

*注 路線の終点は大阪駅ではなく、JR難波(なんば、旧 湊町)駅。

関西線は両端こそ大都市近郊路線で電車が頻発しているが、中間部にあるこの亀山~加茂(かも)間は単線非電化のままで、日中はキハ120系気動車が1両か2両で1時間おきに走るだけの閑散区間だ。今日は秋たけなわの木津川渓谷に加えて、のどかなローカル線の風情も楽しみたいと思う。

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図1 木津川渓谷周辺の1:200,000地勢図
(左)2003(平成15)年修正、(右)1988(昭和63)年修正
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図2 1:25,000地形図に歩いたルート(赤)等を加筆
 

集合場所は大河原(おおかわら)駅だ。私は、加茂から渓谷を遡る上り列車で9時56分に到着した。10両は停まれそうな長いホームや撤去された中線の跡に幹線の片鱗が窺えるが、駅は無人で、待合室もがらんとしている。10時18分の下り列車で大出さんと木下さん親子が到着して、4名で静かな駅を後にした。

目の前に、木津川の広い河原がある。対岸との間に沈水橋の恋路橋(こいじばし)が架かっていて、どこか高知の四万十川にも似た光景だ。橋を渡り、南大河原の集落を抜けて、川沿いの舗装道に出る。

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大河原駅
(左)長いホームと中線跡が幹線の名残
(右)がらんとした待合室
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木津川を横断する恋路橋
 

杉木立の間を1kmほど進むと、道端の岩肌に小ぶりの仏様が彫られていた。傍らに立つ案内板によれば、この摩崖仏は室町時代、天文3(1534)年の銘がある十一面観音で、なるほどよく見ると、頭部に小さな顔がいくつも並んでいる。

舗装道が上り坂にさしかかる地点で、地道が斜め右へ分かれていた。東海自然歩道の標識が立っているので迷うことはない。と、まもなく川を背にしてまた石仏があった。柔和な表情の地蔵様で、文亀2(1502)年の銘をもつと案内板は告げる。

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(左)十一面観音摩崖仏
(右)柔和な表情の地蔵尊
 

今は忘れ去られたような小道だが、500年も前にここを旅人が行き交っていたことが知れる。現代の国道や鉄道は、木津川断層で生じた右岸の支谷を直進しているが、昔、東海道の関宿から奈良に通じていた大和(やまと)街道(下注)は、対岸のこのルートを通っていた。古仏はいわばその歴史の証人だ。

*注 伊賀上野から奈良の間は笠置街道ともいう。

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(左)川べりを行く旧大和街道
(右)杉木立から木津川の流れが覗く
 

しばらくはクルマの轍も見えていた路面に、やがて落ち葉や枯れ枝が積もり始めた。だが、ひどく荒れてはおらず、歩くのに支障はなかった。急なアップダウンを一つ越えると、対岸に相楽発電所の建物が見えてきた。川を横断している取水堰の先で河原に降りていく小道があったので、行ってみる。

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相楽発電所と取水堰
 

期待にたがわず、そこは上手に発電所、下手に関西線の木津川橋梁を望む絶好の場所だった。鉄橋は1897(明治30)年の竣工で、長短のトラス3スパンと、左岸側にガーダー2連という構成だ。後に重量列車に対応するため、中央部は大型の曲弦ワーレントラスに交換されたが、両側は明治のトラスの上部に鋼材を補強したユニークな形状で残された。

関西線は、ここで右岸から古道の通る左岸に移る。次の列車が来るのを待つ間、河原で昼食休憩にした。下り列車の通過を見届けた後は、鉄橋の下をくぐって下流へ移動し、地元で潜没橋と呼ばれている同じような沈下橋のたもとで、今度は上り列車を撮り鉄した(冒頭写真参照)。

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木津川橋梁を北望
 

この後、旧街道はいったん木津川から離れる。踏切で関西線を渡って、山あいの隠れ里のような飛鳥路(あすかじ)集落へと谷を上っていく。

集落が載る谷の成因は興味深い。断面がU字状であること、地質図に礫や砂の堆積が示されていること、さらに、布目川の谷との境が風隙(下注)になっていて、谷の方向も布目川の上流から滑らかにつながるように見えること。どうやらこれは布目川の旧流路のようだ。川はもともと北流していたが、ある時点から東西方向の断層(脆くて侵蝕されやすい)に沿う形で、西に流路を変えたのではないだろうか。

*注 浸食力の強い別の川に流域を奪われる河川争奪現象により、谷(水隙)の断面が露出したもの。

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(左)飛鳥路に向かう小道
(右)飛鳥路集落の家屋
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(左)布目橋を渡る
(右)深い淵をつくる布目川
 

風隙から坂を下り、布目橋を渡ると次の案内板が立っていた。この先、布目川の河原に多数の甌穴(ポットホール、下注)があるらしい。小道から水辺に降りて探すと、露出した花崗岩に半径数十cmの丸い穴がいくつも穿たれているのが見つかった。川はかなりの急流で、谷間に水音を響かせながら岩肌を滑り落ちていく。上流で発電用の取水が始まる前は、流量ももっと多く、甌穴が生じやすい環境だったはずだ。

*注 流水の力で礫(小石)が回転して平滑な河底に窪みを掘るもの。流れが速く、礫の供給が多い場所で見られる。

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河原で見つけた甌穴群
 

関西線の鉄橋が見えてきて、道は再び木津川の谷に出る。布目川発電所の横を通過し、人一人歩く幅しかない布目踏切を渡った。ここから約1kmの間は、木津川渓谷が最も狭まるハイライト区間だ。急傾斜の山腹に張りつくカーブだらけの線路に、落石除けの覆道が次々と現れる。遊歩道は、ときに線路の側道、ときに橋や桟道になりながら、川べりの狭い空間を縫っていく。列車が通ったら風圧をまともに受けそうなスリリングなルートが続いている。

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(左)布目川発電所
(右)一人分の幅しかない布目踏切
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(左)覆道と連続カーブの線路
(右)線路際に付けられた遊歩道
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(左)迫る列車から退避
(右)巨石の転がる渓谷
 

巨石の転がる渓谷を抜け、木津川に架かるカンチレバートラスの笠置橋のたもとに出たのは、13時30分ごろだった。広い河原を利用したオートキャンプ場がよく賑わっている。まだ陽は高いので、町中を通って笠置山(かさぎやま)の登山口に足を向けた。

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カンチレバートラスの笠置橋が見えてきた
 

笠置山は、木津川の南にそびえる標高288mの山だ。山頂には飛鳥時代、7世紀の創建と伝えられる笠置寺(かさぎでら)がある。麓との高度差は200mほどなので、軽いハイキングと高をくくっていたら、参道は心臓破りの急坂と石段だった。途中で休憩しながら、40分ほどかけて上りきる。

拝観料300円を納めて境内へ。寺は奈良時代から鎌倉時代にかけて栄え、人々の厚い信仰を受けていた。しかし鎌倉末期、後醍醐天皇が挙兵した元弘の乱で焼亡し、それ以来、寺勢が衰えてしまった。古い伽藍は残っておらず、注目すべきは、花崗岩の奇岩巨岩とそこに彫られた摩崖仏だ。

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(左)笠置山登山口
(右)急坂と石段の参道を上る
 

まず、参道の頭上でオーバーハングした一対の巨岩、笠置石(かさおきいし)に度肝を抜かれる。鹿狩りに来た天武天皇が目印に笠を置いたという言い伝えがあり、笠置の地名もこれに由来するという。その隣にあるのが、高さ15mの巨岩の側面に彫られた本尊の弥勒摩崖仏だ。しかし、数度の火災の影響で図像はほぼ消失し、光背の輪郭しかわからない。一方、その先に同じような伝 虚空蔵摩崖仏があって、こちらは線画で刻まれた菩薩像が明瞭に読み取れる。もう少し距離をとって見たいが、崖際のため足場がないのが残念だ。

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笠置石(かさおきいし)
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正月堂と、光背の輪郭が残る弥勒摩崖仏(画面左の大岩)
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線画が鮮やかな伝 虚空蔵摩崖仏
 

この後は、昔の行場をなぞる探索路を行く。石段の上り下りがかなりきついが、巨石の隙間を通過する胎内くぐり、叩くと鼓のような音がする太鼓石、押すとぐらぐら動くゆるぎ石など、体験型のアトラクションでおもしろい。ゆるぎ石のテラスからは、はるか下方にさきほど歩いてきた木津川渓谷を眺めることができた。

順路の最後に通るもみじ公園では、すでにカエデの葉がいい頃合いに染まっている。笠置駅方面の展望台で一休みしてから、境内を後にした。往路の参道は急過ぎて足を痛めそうなので、距離は長くなるが勾配の緩い車道を降りる。渓谷散策の残り時間で訪ねた笠置山だったが、思いのほか見どころが多くて楽しめた。

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(左)胎内くぐり
(右)急な石段が続く
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笠置山から木津川渓谷の眺め(北東望)
 

小さな町の中を歩いて、笠置駅へ向かう。切妻平屋の駅舎はきれいに整備されていた。待合室にストリートピアノが置いてあり、駅務室の区画にはカフェが入居している。たとえ簡易委託でも、出札口に人の姿があるのはほっとする。暮れなずむホームのベンチに並び腰を下ろして、17時20分に来る下り列車を待った。

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笠置駅
(左)整備された駅舎
(右)上り列車を見送る
 

掲載の地図は、国土地理院発行の20万分の1地勢図京都及大阪(平成15年修正)、名古屋(昭和63年修正)および地理院地図(2022年12月12日取得)を使用したものである。

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